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蒼天剣 第1部


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    晴奈の話、1話目。
    和風ファンタジー。

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    1.
     時は双月暦506年。

     夜道を駆ける、三毛耳の猫獣人の少女がいた。
     名を、晴奈と言う。
     央南地方で名を馳せる大商家の令嬢であったが、先刻その身分を自ら捨ててきた。
     彼女には志ができたからだ――「あの人のように、強い剣士になりたい」と。

     元々、彼女は何不自由なく育てられていた、箱入り娘であった。ゆくゆくは婿を取らせて家を継がせようと、親が決めていたのだ。
     だが晴奈には、それが何よりの不満になっていた。彼女は物心ついた時から、「自分の人生は自分で決める」「親でも自分を縛れない」と考えるようになっていた。
     そして今日、晴奈はある者との出会いで、その思いをより明確で、具体的なものにしたのだ。
     その結果として今、晴奈は夜道をひた走っていた。「その人」に、もう一度会うため。そして新たに抱いた彼女の志を、全うするために。

     彼女こそ、後に「蒼天剣」の異名を取った女武芸者、セイナ・コウ(黄晴奈)である。
     これより、その物語を――彼女が志を抱き、央南に一大勢力を築く剣術一派、焔流に入門するところから、述べることとする。
    蒼天剣・立志録 1
    »»  2008.10.06.
    * 
    晴奈の話、2話目。
    すべてのはじまり。

    2.
     すべての始まりは彼女が夜道をひた走る、その半日前だった。
     その日も晴奈は親の言いつけ通り、舞踊の稽古と料理の教室に通っていた。前述の通り、「お前の将来を思って」とする親の意向からである。
    (何が、私の将来よ?)
     晴奈は一人、親への不満をつぶやく。親にとって「晴奈の将来」とは黄家の将来であり、親たちの家の将来のことなのである。
     すべては晴奈が将来いい婿を手に入れられるようにと――彼女の意志を反映されること無く――やらされている、「花嫁修業」なのである。
    (私は、あいつらの人形じゃない……)
     ぶつぶつと、不平・不満をつぶやいている。それが、彼女の日課だったのだ。
     その日まで、それだけが教室から家に帰るまでの変わりない毎日における、彼女の気晴らしだった。

     いつもと違ったのは、ここからだった。
     そうして道を歩いていたところで、彼女は治安の行き届いているこの街ではあまり見慣れないものに出くわしたのだ。
     ケンカである。
    「あ……」
     酔っ払い風の、3人のむさくるしい男たちが、エルフの女性に絡んでいた。
     一般的にエルフや長耳などと呼ばれている種族は目鼻立ちがはっきりしており、欧風の趣がある中央大陸北部――通称、央北地方や、北方の大陸に多い種族と見られがちだが、精神性と仁徳を重んじる央南地方の風土に、高い知性と、穏やかな性格を持つ彼らは、存外良くなじむらしく、この地でも見かけることが少なくない。
     男たちはそのエルフににじり寄りながら、一緒に酒を飲もうと言い寄っている。
    「だーらさー、つきあーってってー」
    「断ります」
    「そんらころ、いわらいれさー」
    「断ります」
    「いーじゃん、いーじゃんー」
    「断ります」
     晴奈は遠巻きに見つめながら、男たちに不快感を覚える。
    (嫌な人たち! こんな日の出ているうちからあんなに酔って、恥ずかしいと思わないの?)
     どうやらエルフの女も明らかに男たちを煙たがっているらしく、ひたすら「断ります」としか答えていない。
     それを察したらしく、男たちの語気が次第に荒くなっていく。
    「なんらよー、おたかくとまっちゃっれ」
    「いいきに、あんあよー」
    「きれるよ、きれちゃうよ」
     男たちが女ににじり寄ってくる。
     その下卑た顔が横一列に並ぶのを見た途端、晴奈はとっさに女の近くに寄り、手を引いていた。
    「お姉さん、行こう? こんな人たちに構うこと無いよ」
     間に割って入った晴奈を見て、男たちは憤る。
    「なんらー、このガキ?」
    「やっべ、うっぜ」
    「うるせえ、あっちいけ!」
     そのうち、男たちの一人が晴奈を突き飛ばした。
    「きゃっ!」
     晴奈はばたりと倒れ、手をすりむいてしまう。
     それを見た女が「あっ」と声を上げ、こうつぶやいた。
    「……騒ぎたくは無かったけれど、そんなわけには行かなくなったか」

     女の雰囲気が変わったことに初めに気付いたのは恐らく、倒れて女を仰ぎ見ていた晴奈であろう。それまで逃げ腰だった様子に、急に凄みが差し始めた。
     だがその時点で、男たちはまだ気付いていなかったらしい。
    「じゃますっからだ、ガキ!」
    「いけ、どっかいけ、しね!」
    「さあ、おじょーさん、じゃまがき、え……、え?」
     3人目の男が、ようやく気付いたらしい。何か言いかけて、途中で言葉が途切れたからだ。
    「幼子に向かって、そのような態度! 容赦しない!」
     女がそう叫んだ瞬間、晴奈に向かって「死ね」と言った男が吹っ飛んだ。
    「ぎっ……」
     叫ぼうとしたようだが途中で気を失ったらしく、そのまま仰向けに倒れて動かなくなる。
    「お、おい」
    「な、なにすん……」
     続いてもう一人、くの字に折れてそのまま頭から倒れる。どうやら、女が何か仕掛けたらしいが、傍らで見ていたはずの晴奈でも、何が起こったのか分からない。
     晴奈は立ち上がり、女から少し離れて再度、様子を伺う。そこで女の手に何かが握られているのが、チラリとだが確認できた。
    「あ、あ……」
    「まだ正気が残っているのならば、さっさとそこの2人を担いで立ち去りなさい」
    「……はひ」
     一人残った男は慌てて倒れた仲間を引きずりながら、その場から逃げていった。
     女の手には刀が、刃を逆に返して握られていた。どうやらそれで男たちを叩き、ねじ伏せたらしい。
     これが、後に晴奈の師匠となるエルフ――柊との出会いであった。
    蒼天剣・立志録 2
    »»  2008.10.06.
    晴奈の話、3話目。
    三毛猫姉妹。

    3.
    「大丈夫、晴奈ちゃん?」
     柊が心配そうに晴奈の手のひらを覗き込み、手当てをしてくれている。
    「え、ええ」
     先ほどの騒ぎが一段落したところで、柊がケガをした晴奈に気付き、落ち着いた場所まで連れて行ってくれたのだ。
     流石に魔力の高いエルフらしく、柊は治療術ですぐに傷を治してくれた。
    「ありがとうございます、柊さん」
    「いえいえ、礼を言われるほどのことじゃないわ」
     そう言って柊はにこっと微笑む。
     出会ってたった十数分しか経っていないが、晴奈はこの人のことをとても好きになった。
    「お強いんですね、柊さん」
    「ううん、私なんかまだまだよ。
     むしろ晴奈ちゃんの方こそ、勇気があるわ。普通の人はあんな時に声、かけられないもの」
    「そ、そう、ですか?」
     そう言われて、晴奈は妙に嬉しくなった。
     今までのほめられ方は「女らしい」「可愛い」と言う、親のかける期待に沿うようなものばかりだったが、たった今、柊からかけられた「勇気がある」と言うその言葉は、そんなものとはかけ離れた――「親の期待」とはまったく無関係なところから届いた、まさに晴奈が望んでいたものだったからだ。
    「……いいなぁ、かっこ良くて」
     思わず、晴奈はため息混じりにそんなことをつぶやいていた。
    「ん?」
    「私なんか、全然かっこ良くないです。……どうしたら、柊さんみたいになれるかな?」
     柊は少し困ったような顔をし、言葉を選ぶような口調で返した。
    「うーん、私みたいに、ねぇ。……剣術、かしらね。昔から、励んでいたから」
    「剣術、ですか」
     晴奈はその言葉に、何かを感じた。それが何なのか、この時明確に言うことはできず、結局そこで話は途切れてしまう。
    「じゃ、そろそろ行くわね」
    「え? あ、えっと、どこに?」
     慌ててそう尋ねた晴奈に、柊は依然としてにこやかに、こう答えてくれた。
    「そろそろ故郷に戻ろうと思って。ここから南にある、紅蓮塞って言う修練場なの」
     柊はもう一度にこっと笑い、そのまま去って行く。
     晴奈は別れの言葉も言えずに、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。



     柊と別れた後から、晴奈の中で二つの思いが交錯し始めた。
     柊との出会いは、晴奈に大きな衝撃を与え、「柊さんを追いかけて、自分も剣士になりたい」と言う思いを抱かせたのだ。しかしその思いを実現させれば――憂鬱で仕方の無い日々だったとは言え――今までの平穏な日常が終わってしまう。
     晴奈は家に戻ってからもずっと、剣士の道を取るか、それとも安穏な日々を取ろうかと迷っていた。
     そんな風に考えあぐねていたため、晴奈は家の廊下でうっかり、妹とぶつかってしまった。
    「きゃっ」
     よろけた妹の手を取り、晴奈は頭を下げる。
    「あ、ああ。ごめんなさい、明奈」
     晴奈は慌てて妹の明奈に謝る。
    「どうなさったの、お姉さま?」
     明奈はきょとんとした顔で、晴奈の顔をのぞき見る。
    「ええ。少し、考えごとを」
    「すごく険しい顔をしていらっしゃるわ。一体、どんなことを?」
    「……」
     妹になら話してもいいかと考え、晴奈は明奈を自分の部屋に招き入れ、悩みを打ち明けた。
    「そんなことがあったのですね」
     すべてを聞き終えた明奈は、静かな口ぶりでこう返した。
    「では行った方がよろしいのでは?」「えっ」
     明奈の言葉に晴奈は驚いた。てっきり反論されるか、止められるかと思っていたからだ。
    「黄家は、わたしが継ぎます。だからお姉さま、ご自分の夢を追いかけてらして」
    「で、でも明奈、あなたは?」
     戸惑う晴奈に、明奈は淡々と返す。
    「わたしには、そこまで強い志がありません。せいぜい『良縁に恵まれ、良いお嫁さんになりたい』と言う程度。旧い黄家にふさわしいでしょう?
     でもお姉さまは大きな志を、夢を抱いていらっしゃる。その夢はこの旧い家にいたのでは、終生叶いませんわ」
     たった8歳だが、強いまなざしで語る明奈の言葉によって、13歳の晴奈の心の奥底にカッと火が灯る。
     これまでの、家族に守られ安穏としていた生活から離れ、たった一人で修行に向かい、荒波に揉まれてみようとする勇気が沸き起こった。



     そして夜半――晴奈は荷物をまとめて家を抜け出した。
     柊にもう一度会い、そして柊のような、強く、かっこいい剣士になるために。
    蒼天剣・立志録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、4話目。
    和風魔術剣。

    4.
     2日歩き通し、晴奈はようやく街道を進んでいた柊に追いついた。
    「……!?」
     あちこち土で汚れ、擦り傷だらけになった晴奈を見て、柊はとても驚いた目を向ける。
    「えっと、……晴奈ちゃん?」
    「はい!」
    「どうしてここに?」
    「柊さん。私を、……私を、弟子にしてください!」
     晴奈はいきなり柊の前に座り込み、深々と頭を下げた。
    「ちょ、ちょっと、晴奈ちゃん。あの、困るわ。私も、修行中の身だから」
    「お願いします!」
    「いや、あの、うーん……。あ、そうだ、お家の方と相談して……」「縁を切りました」「え!?」
     晴奈の言動に柊はまた目を丸くし、言葉を失ってしまった。



     柊は何とか説得しようとしたが、結局、晴奈の熱意と意気込みが伝わったらしく、諦め気味にこう答えた。
    「私はまだ修行中の身であるし、私が稽古を付けることはできない。それは理解してほしいの。
     だからともかく、私の師匠の所へ一緒に行きましょう。その人なら晴奈ちゃんが十分納得するように修行を付けてくれるはずだから」
    「……分かりました」
     晴奈はこの条件を呑み、柊と共に向かうこととなった。
     そして2人で街道をひたすら南へ1週間下り続け、2人は岩山に建つ、巨大な要塞の前に到着した。
    「ここが私の属する剣術一派、焔流の総本山であり、央南各地の剣士が修行の場にしている場所――通称『紅蓮塞』よ」
    「ここ、が……」
     その建物を見上げ、晴奈は思わず息を呑む。建物全体から、ビリビリと迫力が伝わってくるように感じたからだ。
     そこはまさに、霊場と言っても過言では無いように思えた。
    「さ、入るわよ」「あ、は、はい!」
     雰囲気に圧倒されながらも、晴奈は勇気を奮い立たせて柊に付いて行く。
     塞の中には修行場やお堂があちこちにあり、どこを見ても剣士たちがたむろしている。何年もここで修行をしていた柊には動じた様子は無いが、初めてここへ入った晴奈は強い威圧感を覚え、不安でたまらなくなりそうだった。
    「あ、あの」「ん?」「……いえ、何でも」
     だがその不安を口にすれば、柊から「やっぱり無理よ」などと言われ、引き返されてしまうかも知れない。そう思った晴奈はぐっと我慢し、柊の後をひたすら付いて行った。
     やがて柊はある部屋の前で立ち止まり、晴奈に振り返った。
    「ここが私の師匠――現焔流の家元、焔重蔵先生のお部屋よ。
     気さくな方だけど礼儀には厳しいから、気を付けてね」
    「はい」
     柊は少し間を置き、すっと戸を開けた。

     部屋の奥では、短耳の老人が正座して本を読んでいた。
    「うん?」
     柊たちに気付き、老人は眼鏡を外して顔を上げる。
     目が合うまでは一見、ただの好々爺のようにも見えたのだが、目が合った瞬間、晴奈の背筋に汗がつつ、と流れる。
    (『熱い』……!? 何だろう、この人? まるで燃え盛る炎が、すぐ近くにあるみたい)
    「おお、久しぶりじゃな雪さん」
    「ご無沙汰しておりました、家元」
     柊は深々と頭を下げ、師匠――焔重蔵に挨拶した。
     重蔵は座ったまま、ニコリと笑って応える。
    「おう、おう、そんな大仰にせんでもいい。ところで雪さん、その『猫』のお嬢さんはどなたかな?」
    「はあ、実は……」
     柊は言われるままに足を崩し、晴奈が焔流への入門を希望している旨を告げた。話を聞き終えた重蔵はあごを撫でながら空を見つめ、「ふむ……」とうなる。
    「どうでしょうか、家元」
     尋ねられ、重蔵は何度か短くうなずきつつ答える。
    「まずは試験を受けさせて見なければ、何とも言えんな。何をおいても、まず資質が無ければ、うちの剣術の真髄を身に付けることはできんからのう」
     重蔵はそう言って立ち上がり、背後に飾っていた刀を手に取った。
    「とは言え、魔力が高いと言われておる『猫』さんじゃったら、その資質も申し分無いじゃろうが――これは、最初に説明しておかなければのう」
     重蔵はそこで言葉を切り、柊と晴奈を手招きした。
     2人が部屋の真ん中に座り直したところで、重蔵は説明を続ける。
    「うちの流派は、その名も『焔流剣術』――読んで字のごとく、焔、つまり火を操る剣術なのじゃ。
     このようにな」
     途端に、重蔵の構えた刀の切っ先にポン、と火が灯る。
    「……!?」
     晴奈は声も出せないほど驚いた。
     刀に灯った火はそのまま、するすると刃先を走っていき、やがて刀全体が火に包まれる。そのまま重蔵は上段に剣を構え、振り下ろした。
    「やあッ!」
     振り下ろされた刀から火が飛び、そのまま床を走る。ジュッと床が焦げる音がし、壁際まで火が走り、しかし燃え広がることも無く、すぐに消えた。
    「あ……、わ……」
     目を白黒させる晴奈を面白がるような口ぶりで、重蔵はこう続けた。
    「これこそが焔流剣術の真髄。刀に火を灯し、剣閃に炎を乗せ、敵を焼く。もちろん、本来の剣術の腕も、不可欠。
     剣を極め、焔を極める。晴さん、自分にその覚悟と資質はあるかな?」
     重蔵は刀を納め、晴奈に笑いかけながら問いかける。
     晴奈はまだ動揺していたが、黙ったまま、コクリとうなずいた。
    蒼天剣・立志録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、5話目。
    入門試験。

    5.
     晴奈は剣道着に着替えさせられ、とあるお堂の中央に座らされた。そして横には、同じように剣道着姿の柊がいる。
     晴奈たちの前に重蔵が立ち、試験について説明する。
    「まあ、やることは至極簡潔なものじゃ。ただ座禅をしてもらう、それだけ。
     3時間じっとする、それ一つのみ。簡単じゃろ?」
    「は、はい……」
     晴奈はまだ少し緊張が取れず、恐る恐る答える。そんな晴奈を見て、重蔵はニコニコと笑みを返す。
    「はは、そう堅くならんと。
     じゃが、油断してはならんぞ。この堂には、鬼が棲んでおるからのう」
    「お、……鬼、ですか?」
     重蔵の言葉に、晴奈は目を丸くした。
    「そう、鬼じゃ。繰り返すが、試験の内容はただ一つ。鬼に惑わされること無く、3時間じっと座禅を組み続けること。それだけじゃ。
     ああ、そうそう。言い忘れておった。雪さんも、『私が晴さんを連れてきたのだから、晴さん一人で試験を受けさせるのは不義。同じように受けさせていただきたい』と言うから、そこに座っておる。
     じゃが、声をかけてはならんぞ。黙してただ座禅、それだけに専念するようにな」
    「はい」
     答えつつ、晴奈は柊の方をチラリと見る。柊はすでに、目をつぶって座禅に入っていた。それを見て、晴奈は慌てて視線を重蔵に戻す。
    「それではわしがここを離れてから、もう一度入ってくるまで。
     一意専心――ひたすら、座禅を通しなさい」
     そう言って重蔵は晴奈たちから離れ、堂の戸を閉める直前に振り返り、一言付け加えた。
    「おお、そうそう。ちなみにこの場所、『伏鬼心克堂』と言うんじゃ」
     そこでにっと薄く笑みを浮かべて、重蔵が戸を閉めた。

     晴奈は言われた通りに座禅を組み、じっとしていた。
    (ふくき、しんこくどう?)
     重蔵が残したその言葉を、晴奈は心の中で何度も読み返す。
    (鬼が潜んでいるから、伏鬼かな。心克って言うのは、克己心――自己を高める心のことだろうな、きっと。
     つまり鬼に負けないで、精神修養しろってことかな)
     色々考えているうち、何の刺激も無いためか、少しうとうとし始めた。
    (ん……。あ、危ない危ない。ちょっと、眠りそうになった。
     ダメダメ、ちゃんと座禅しないと。もし重蔵先生に見られていたら、怒られちゃうかも)
     慌てて、目を開く。その直後、とす、と言う音が、背後から聞こえた。
    (……足音?)
     とす、とすと、晴奈の背後で音が響く。思わず振り返りそうになったが、晴奈は心の中で自分を戒める。
    (ダメダメ、座禅! 座禅を組まないと!)
     その間もずっと、とすとす歩く音が聞こえてくる。ゆったり歩いているらしい、軽い足音である。
    (もしかして、……これが『鬼』? 何だか猫か兎みたいに、軽い足音。もしかしたら、子鬼かな?)
     そう思った瞬間、子供の笑う声が、ほんのかすかに聞こえてきた。
    (あ、やっぱり子鬼なんだ。……鬼でも、子供は可愛げがあるんだなぁ。
     これがもし大人の鬼だったら、きっと足音なんて、『とすとす』みたいなもんじゃないんだろうな)
     晴奈は少し笑いそうになったが、何とかそれをこらえようとした。
     だが、笑いは自然と消えた。笑っていられなくなったのだ。

     突然、地面が揺れる。
     座禅を組んでいた自分の体が――13歳にしてはわりと背が高く、体重もそれ相応にあるはずだが――一瞬、浮かぶほどの揺れだった。
    (きゃあっ!? じ、地震!?)
     叫びそうになったが、先程まで笑いをこらえていたこともあって、何とか声を漏らさずに済む。目をつぶって無理矢理心を落ち着かせ、何が起こったか冷静に予想してみようとする。
    (地震じゃ、無い、よね。外、騒いでないみたいだし――もしかしたら、地震くらいじゃ剣士たちって、騒いだりしないのかも知れないけど――一瞬で止んだ。
     もしかして、もしかしたら……、大人の、鬼?)
     その想像に、思わず晴奈はぶるっと震える。
    (いや、いや……、そんなわけ、無いじゃない! さっきまで、いなかったんだから!
     ……で、でも。子鬼、は、最初いなかった。どこかから姿を現した、から、いるわけで。とすると、その……、鬼も、入ってきたのかな?)
     そう考えた瞬間、また地面が揺れて体が浮き上がる。ずしん、と言う重く大きな音が、晴奈の猫耳をビリビリと震わせた。
    (ひっ……!)
     心の中で叫ぶ。ずっと黙っていたせいか、実際に声を出すまでには至らなかった。晴奈は鬼に怯えながらも、心の中で繰り返し唱える。
    (だ、だ、だ、大丈夫、大丈夫だって! もし襲うなら、背後でウロウロしたりなんか、しないじゃない! とっくに襲って来ているはず! だから、きっと、多分、大丈夫な、はず!
     そ、それに、もし、万が一襲ってきても、柊さんが横にいるんだし、きっと守ってくれる! だから、ほら、心を落ち着けて! ちゃんと座禅を、組まないと!)
     先ほど揺れた時と同様、無理矢理に心を落ち着かせようとするが、恐怖の広がった心は恐ろしい想像ばかりかきたてていく。
    (……でも、鬼に人間が勝てるの? いくら柊さんでも、殺されちゃうんじゃ……!?)
     自分のあらぬ想像を、晴奈は全力で否定しようとした。
    (そ、そんなわけ無い! 無いの! だって、ほら、横には、ちゃんと……)
     そこで晴奈は目を開け、柊の姿を確認して自分を安心させようとした。

     だが、その光景に今度こそ叫びそうになった。
     柊が血を流して倒れている。座禅を組んだまま、横になっている。だが向けられた背中に、いかにも鬼が持っていそうな棍棒が、無残に食い込んでいる。そこからドクドクと血が吹き出しており、どう見ても絶命している。
    (い、……嫌あああぁぁぁッ!)
     恐怖で凍りつき、叫んだつもりののどからは、悲鳴は漏れなかった。先ほどからずっと黙ったままの晴奈は、のどを押さえて震えだす。
    (あ、あああ、柊さん、柊さん……!?)
     恐怖が頂点に達し、晴奈は現状を呪い始めた。
    (何で、何でこんなことに……! ああ、私が、試験を受けるなんて言ったから、柊さんが死んじゃったんだ!
     私の、私のせいだ! 私が、ここに入ったから、柊さんも、一緒に入って、だから、死んで……。
     ……え?)
     恐怖による混乱の渦中にありながらも、晴奈はある矛盾に気が付いた。
    蒼天剣・立志録 5
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、6話目。
    剣士への第一歩。

    6.
     晴奈はもう一度、頭の中を整理する。
    (だって、試験、なんだから。
     重蔵先生は特に仰ってなかったけれど、柊さんもここの剣士なんだから、以前に試験を受けているはず、よね? じゃあ、ここに入っている、……よね?
     だったら、鬼が出るって言うのも、襲うって言うのも知っていたはず。それなら身を護るために、防具なり武器なり、装備しているはず――例え歯が立たないとしてもー―でも柊さんは、道着だけ。襲われる可能性があるのに、道着だけを?
     ……以前は、出てこなかった? 襲われなかった? 二度入ったら、襲われるって言うの? そんなバカな話、無い。それなら重蔵先生は、何度襲われているか分からないじゃない。と言うことは、鬼は襲わない。普通は、襲わない?
     じゃあ、襲ったのは何で? ……あれ? 襲った? 物音も無く? ううん、あれだけドスドス音を立ててるんだから、柊さんが気付かないわけが無いじゃない!?
     おかしい。考えれば考えるほど、矛盾が広がっていく)
     納得行く説明を求め、迷走していく晴奈の心が、少しずつ静まっていく。
    (おかしい、おかしい!
     大体、この堂の入口は、前にある一ヶ所しか無い。前から入って来たのなら、すぐ分かるはず。でも足音が聞こえて来たのは、いつも後ろから――前からの足音は、一度も聞こえて無かった。
     じゃあ、鬼は突然現れたの? いつ? どうして?)
     そこまで考えたところで、晴奈にある閃きが走った。
    (殺されると思ったら、柊さんが殺された。鬼の足音のことを考えたら、鬼が出た。子鬼かなと思ったら、笑い声。
     考えると、現れる?)
     晴奈はもう一度目をつぶり、心を落ち着けて考えた。
    (柊さんは死んでない。じっと、座禅を組んでいる)
     心の中で強く思い、目を開けて横を見た。
     そこには重蔵が戸を閉めた時と同じ姿勢のまま、柊が何事も無かったかのように、静かに座っていた。



     伏鬼心克堂――その意味は、「鬼が潜む心(伏鬼心)を、抑える(克する)堂」。
     雑念によって現れる様々な「鬼」――迷いや不安、猜疑心を、冷静になって消し去ることを学ぶ堂である。
     そして焔流の真髄、炎を操るには、冷静沈着な心が不可欠なのだと言うことを第一に学ぶために、この試験は用意されているのである。



     一旦それに気が付くと、不思議なほど晴奈の心は静まり返った。極めて冷静に、心を落ち着けて、時間が過ぎるのを待った。
     幸い、時間を潰すのは非常に簡単だった。どう言う理屈か晴奈には分からなかったが、この堂は念じれば、何でも出てくるのだ。時間が過ぎ去るまでの間、晴奈は妹のことを思い浮かべることにした。
    (明奈。あなたには、感謝してもしきれない)
     目の前に明奈が現れ、ニッコリと笑いかけてくる。
    (あなたの言葉があったからこそ、私はこうしてここにいる)
     明奈は前に座り込み、穏やかに笑っている。
    (明奈、……ありがとう)
     そうして晴奈はずっと、明奈と声を出さずに語り合っていた。

    「はい、そこまでじゃ」
     どうやら3時間が過ぎたらしい。
     入口の戸が開き、重蔵が入ってきた。柊がすっと立ち、深々と頭を下げる。晴奈も慌てて立ち上がり、同じように頭を下げた。
    「どうやら、合格のようじゃな。3時間、よく頑張った」
     重蔵は笑いながら、晴奈の頭を優しく撫でた。
    「あ、ありがとうございます!」
    「これで晴さんも、晴れて焔流の門下生じゃ。精進、怠らんようにな。
     それから雪さん。よく考えればもう、入門して16年になるのう。そろそろ教える側に回っても良かろう。師範に格上げしておくから、さらに精進するように」
    「はい!」
     柊はとても嬉しそうな顔をして、もう一度頭を下げた。その頭を、重蔵が先ほどと同じように、優しく撫でながらこう言った。
    「それでじゃ。晴さんは、君が指南してあげなさい」
    「え!?」
    「元々君に師事したいと言っておったのじゃし、年老いたわしの下に就いておっては、折角の若い才能も枯れてしまうじゃろう。
     しっかり、鍛えてやりなさい」
    「……はい。しかと、拝命いたしました」
     柊は三度頭を下げ、晴奈に向き直った。
    「改めてよろしくね、晴奈ちゃん。……ううん、晴奈」
    「はい! よろしく、お願いいたします!」
     晴奈ももう一度、深々と頭を下げた。



     こうして黄晴奈は焔流に入門し、師匠・柊雪乃の下で修行を積むことになった。
     これが後の剣聖、「蒼天剣」セイナ・コウの原点である。ここから彼女の、波乱万丈の人生が始まっていくこととなる。

    蒼天剣・立志録 終
    蒼天剣・立志録 6
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、7話目。
    朝練。

    1.
     焔流に入門して以降、晴奈は急速に、剣士としての力を付けて行った。
     元来、強い魔力を持つと言われる猫獣人であり、その資質が火の魔術剣を真髄とする焔流と親和性が高かったことは確かだが、それを差し引いても、師匠である柊の指導や鍛錬が行き届いていたからだろう。

     その日も二人は、早朝から稽古に打ち込んでいた。
    「えいッ!」
    「やあッ!」
     二人の木刀が交錯し、カンと乾いた音が、他に人のいない修練場に響き渡る。
     まだ日も昇らぬ、山中の冷え切った空気が立ち込める時間帯であるにも関わらず、二人は活き活きと木刀を振るっている。
    「いい調子よ、晴奈! それ、もう一度!」
    「はいっ、師匠!」
     二人の出会いから1年が過ぎた双月暦507年、14歳になった晴奈は紅蓮塞で揉まれるうちに――周りの無骨な者たちの影響を受けたらしく――性格や口調が、大きく変化していた。
    「てやあッ!」
     晴奈は飛び上がり、柊の頭上に思い切り木刀を振り下ろす。
    「りゃあッ!」
     柊も木刀でそれを防ぎ、身をひねりながら足と木刀を使って、晴奈を投げ飛ばす。
    「なんのッ!」
     飛ばされた晴奈も、空中で体勢を立て直してストンと地面に降り、柊に再度、斬り込もうとする。
     だが残念ながら姿勢が伴わず、踏み込みを見誤ってよろめいた拍子に、柊に木刀を弾き飛ばされてしまった。
    「あっ……」「勝負、あった」

     朝の稽古を終え、二人は風呂で汗を流していた。
    「いくら身軽な『猫』とは言え、性急な攻めは無謀よ、晴奈」
    「はは……、お恥ずかしいです」
     二人で朝風呂につかりながら、ここはこうだった、次はこうした方がいいと、稽古の内容について熱く意見を交わしている。
    「それでは昼までの精神修養は、……くしゅ」
     議論に熱を入れすぎたせいか、逆に体から熱が奪われ、湯冷めしてしまったらしい。年相応の可愛いくしゃみをした晴奈に、柊は笑う。
    「あはは、ダメよ晴奈。体を健康に保つのも修行の、……くしゅん」
     笑っていた柊も、うっかりくしゃみをしてしまう。
    「……はは」
    「……うふふ」
     師弟二人はばつが悪くなり、互いに笑ってごまかした。



     風呂から上がり、晴奈たちはさっぱりとした気分で朝食を食べていた。
     先程とは違い、ここでは二人とも会話しようとしない。と言うより、央南の人間は基本的に食事中しゃべることは少ないのだ。
     だから、二人で黙々と食べていたところに「晴奈、お客さんが来ているよ」と声をかけられ、部屋の戸を開けられた時には、二人同時にむっとした顔をしたし、伝言に来た者もすぐさま謝った。
     謝ってきたから柊はすぐ表情を直し、軽く頭を下げ返したのだが、晴奈は依然、いぶかしがって表情を変えずにいた。
     単身、紅蓮塞に乗り込んできた晴奈に、外界からの客などいるはずが無いからである。
    「私に、客?」
    「ああ。何でも、黄海から来られたそうだ」
    「黄海……、ですか」
     その地名を聞くなり晴奈の食欲は途端に無くなってしまい、ぱたりと箸を置いた。

     黄海とは晴奈の故郷である、央南北西部有数の大きな港町である。同時に央南西部、黄州の州都でもあり、その州は晴奈の生家、黄家が治めている。
     そのため、その地名を聞く度、晴奈は黄家での生活――すなわち、親の言いなりになっていた自分を思い出し、度々気を滅入らせていた。

    「客の名前は?」
     渋々ながら晴奈はそう尋ねたが、伝えに来た者は首を振る。
    「いや、ただ『晴奈に会いたい』としか……。中年の『猫』で、なかなかいい身なりをしていた。見たところ、どこぞの名士のようだったな」
     それを聞いた瞬間、晴奈は恥ずかしさと苛立たしさを同時に覚えた。
    「どうやら、父のようです。私を、連れ戻しに来たか……」
    蒼天剣・縁故録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、8話目。
    親がでしゃばると、子供は恥ずかしい。

    2.
     客間の前に着いたところで、晴奈はそっと戸を薄く開ける。
     戸の向こう側には、恰幅のいい猫獣人の男が正座している。それは間違い無く晴奈の父、黄紫明だった。
    「はあ……」
     見ただけで、晴奈の心は重苦しく淀んでいく。そこで後ろにいた柊が、そっと晴奈の肩に手をかけた。
    「まあ、あなたの気持ちも分からなくはないけれど……。
     でも、いずれはこうなることと、それとなく分かっていたことでしょう? まさか一生縁を切ったままなんて、義理と仁徳を重んじる央南人らしからぬ考えを抱いていたわけじゃないわよね?」
    「う……、まあ、それは」
     柊は強い言い方で、しかし穏やかな口調で晴奈を諭す。
    「精神修練の際に最も、気を付けることは?」
    「邪念を払うこと」
    「でしょう? 余計なわだかまりを抱えていては、邪念を払うことは無理よ。ここできっちり、けじめを付けなさい」
    「……はい、承知しました」
     晴奈は大きく深呼吸し、少し間を置いてから客間の戸を開けた。柊も念のため晴奈の後に付いて、客間に入っていった。

     晴奈を見た瞬間の、紫明の第一声はこうだった。
    「帰るぞ、晴奈」
     当然、晴奈もこう返す。
    「断ります」
    「何故だ!? もう1年も、こんなむさくるしいところに、……いや、失礼。1年も、家を離れていたのだぞ。そろそろ、家が恋しくなったろう?」
    「いいえ」
     紫明の口ぶりには、晴奈が言うことを聞く、きっと耐えられなくなっているだろうと高をくくっている色が透けて見えている。反面、晴奈はこの1年、うっとうしく思っていた家のことなどすっかり忘れ、嬉々として修行に励んでいる。
     真逆に考えている二人の話がかみ合うわけが無く、場は険悪になる。
    「強がりを言うな、晴奈。女のお前がこのような男ばかりの場で過ごして、辛くないわけが無かろう?」
     そんな言われ方をされて、うなずくような晴奈ではない。苛立ちを隠すことも無く、真っ向から反論した。
    「ここには女もおります。力も技も、そこらの軟弱な男よりずっと強い」
    「そんなわけが無いだろう。女が男より、強いわけがあるまい」
    「……」
     この言葉には、流石の柊も気分を悪くしたらしい。晴奈は背後で、師匠が不快そうに息を呑むのを感じ取った。
    「さあ、言い訳などせずこっちに来るんだ」
    「嫌ですッ!」
     聞く耳を持たない父に晴奈はさらに苛立ち、語気を荒くする。対する紫明も、自然と口調がきつめになっていく。
    「ダダをこねるな、晴奈ッ! 強がるだけ無駄だぞ!? 分かっているんだ、私には!
     さあ、四の五の言わずに一緒に帰るんだ!」
    「嫌だと言ったら、嫌だッ!」
    「いい加減にしろ、早く帰る支度をするんだ!」
     段々言い方が命令になり始め、晴奈はますます態度を硬くする。
    「帰らない! 私は、ここに骨を埋めるッ!」
    「私を煩わせるな! もういい、引っ張ってでも……」
     ついに紫明が怒り出し、晴奈の手をつかんだ瞬間――。
    「嗚呼、嗚呼。いい年をした御仁が、みっともないですぞ」
     どこからか現れた重蔵が、紫明の手をひょいと取った。
    「何だ、この爺は! 離せ、離さんと……」「どうするおつもりかな、黄大人?」
     重蔵が尋ねた途端、紫明の顔色が変わる。どうやら重蔵の並々ならぬ気配に圧され、恐れをなしたらしい。
    「う、ぬ……」「さ、落ち着きなされ」
     紫明は言われるがまま、晴奈に向けていた手を引っ込め、座り直した。
     重蔵は二人から少し離れて座り、ゆったりとした口調で父娘の仲裁に入る。
    「まあ、黄大人のお気持ちもわしには分かりますわい。手塩にかけて育てた娘御が、こんな『むさくるしい』ところに閉じこもっておったら、確かに気が気では無いでしょうな。
     とは言え娘さんは、あなたの所有物では無い。子供が嫌がるものを無理矢理押し付けるのは、親のわがままでしょう。親なら、子供がやりたいことを応援しなされ」
    「し、しかし。その、晴奈だって、ここで1年も暮らせば、耐え切れなく……」
     なおも自分の意見を通そうとする紫明に、重蔵はびしりと言い放つ。
    「それこそ、黄大人のわがままと言うものでしょう。
     黄大人は黄大人であって、晴さん……、娘さんでは無い。娘さんの気持ちは、娘さん本人にしか分からんものです。黄大人の言っていることは、すべてあなた自身の勝手な予想、思い込みに過ぎません。
     それとも黄大人、この部屋に入ってから今までで、娘さんから一言でも『帰りたい』と言う言葉を聞いたのですかな?」
    「ぐぬ……」
     正論を返され、紫明は何も言い返せなくなる。そこで重蔵は晴奈に振り向き、静かに問いかけた。
    「晴さん、どうじゃな? 家に帰りたいか? それとも、修行を続けたいかな?」
    「もちろん、修行を続けたいです」
    「うむ、そうじゃろうな。……黄大人、良ければ一度拝見されてはいかがかな?」
     重蔵の言った意味が分からず、紫明はきょとんとした。
    「え?」
    「娘さんの頑張っておる姿。それを見てから今一度、晴さんが本気で修行を続けたいと言っておるのか、それともちょっと長めの家出でしか無いのか、判断するのがよろしいでしょう」
    蒼天剣・縁故録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、9話目。
    晴奈の初戦。

    3.
     応接間での一悶着から10分ほど後、晴奈たち師弟と紫明は重蔵に連れられて、ある修練場に集められた。
    「えっと……」
     晴奈はそこで、重蔵から真剣を渡される。
    「仕合と言うやつじゃ。丁度いい手合いがおったのでな」
    「手合いって……」
     柊が神妙な顔で、その「相手」を眺める。
    「小鈴じゃない」
    「どーもー」
     その相手は柊に向かって、ぺら、と手を振る。もう一方の手には鈴が大量に飾られた杖が握られていた。
    「あなたが晴奈ちゃんだっけ? 雪乃から聞いてるけど」
    「え、ええ。黄晴奈と申します」
     挨拶した晴奈に、赤毛のエルフも自己紹介を返す。
    「あたしは橘小鈴。雪乃の友達で、魔術師兼旅人。よろしくね」
    「魔術、ですか」
     ちなみに魔術とは、中央大陸の北中部などを初めとして世界中に広く伝わっている、焔流とはまた違う形で精神の力、魔力を操る術のことである。
     と、まだ状況を飲み込みきれていない面々に、重蔵が説明を足す。
    「鈴さんもそれなりの手練でな。丁度温泉街で暇そうにしとったから、晴さんの相手になってもらおうと思ってのう。
     同門が相手でも良かったんじゃが、黄大人に八百長だなどと思われてはかなわんしな」
    「いや、私は、そんな……」
     すっかり調子を狂わされたらしく、紫明の歯切れは悪い。
    「そんなわけで、これから二人に戦ってもらう。分かっていると思うが、二人とも真剣に仕合うこと。負けたと思ったら、潔く降参すること。
     それでは……、開始ッ!」
     重蔵が手を打った瞬間、橘は杖を鳴らし、攻撃を仕掛けてきた。
    「んじゃ、遠慮無く行くわよ! 突き刺せッ!」
     鈴の音と共に、地面から石の槍が伸びる。晴奈はばっと飛び上がり、槍から離れる。
    「わ、わあっ、晴奈!?」
    「まあ、じっと見ていなされ」
     突然の対戦にうろたえ、叫ぶ紫明を、重蔵がニコニコ笑いながらいさめる。
     その間に晴奈は石の槍をかわし切り、橘に斬りかかっていた。
    「やあッ!」
    「『マジックシールド』!」
     だが、晴奈の刀が入るよりも一瞬早く、橘が防御の術を唱える。橘の目の前に薄い透明な壁が現れ、晴奈の刀を止めた。
    「へえ? 子供かと思っていたけど、なかなか気が抜けないわね」
    「侮るなッ!」
     晴奈はもう一度、壁に向かって刀を振り下ろす。
     と同時に、晴奈の刀に、ぱっと赤い光がきらめく。焔流の真髄、「燃える刀」である。魔術と源を同じくするためか、橘が作った壁はあっさり切り裂かれた。
    「え、うそっ!?」
     まだ晴奈を侮っていたらしく、橘は驚いた声を上げる。
     しかしすぐに構え直し、晴奈から距離を取ってもう一度、魔術を放つ。
    「『ストーンボール』!」
     この聞き慣れない単語に、晴奈は心の中でつぶやいていた。
    (どうも魔術と言うものは、聞き慣れない言葉が多いな?
     いつか私も、央中や央北へ行くことがあるのだろうか。そうなると、こんなけったいな名前の術を耳にする機会も、多くなるのだろうか?
     うーん、何だか調子が狂ってしまいそうだ)
     目に見えて動揺している橘とは逆に、晴奈は冷静に立ち向かっていた。1年欠かさず続けた精神修養の成果である。
     魔術によって発生した無数のつぶても難なく避け、晴奈はもう一度橘を斬りつけようとした。
    「くッ……!」
     橘は何とか杖を盾にして晴奈の攻撃を防ぎ、ギン、と金属同士がぶつかり合う音が修練場に鋭くこだまする。
     どうにか攻撃をしのいだところで、橘はまた距離を取り、魔杖を構えようとする。
    「甘いッ!」「え……」
     橘が後ろに飛びのいた瞬間を狙って晴奈が踏み込み、刀の腹でばしっと橘を叩く。刀で押されて体勢を崩し、橘は尻餅をついてしまった。
    「あ、きゃあっ! ……あっ」
     橘が起き上がろうとした時には、晴奈は既に、彼女の首に刃を当てていた。
    「勝負、ありましたね」



    「なーんか、自分にがっかりしちゃったわ、マジで。
     あたしの半分も生きてないよーな子に、あっさりやられるなんて思わなかった」
     対決の後、がっくりと肩を落としている橘を、柊が慰めていた。
    「まあまあ……。もう一度、修行を積んで再戦すればいいじゃない」
    「うー……。修行とかめんどくさいけど、……この体たらくじゃ仕方無いかぁ」
     ちなみにその後、橘はしばらくの間、晴奈たちと共に精神修養を主として修行に励んでいた。よほど、晴奈の戦いぶりに感心したのだろう。
    蒼天剣・縁故録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、10話目。
    親子の雪解け。

    4.
     晴奈の戦いぶりにすっかり圧倒されてしまったらしく、仕合が終わった後も紫明は、呆然と立ち尽くしていた。
    「あ、の……、父上?」
    「……」
     晴奈が呼びかけてもぽかんとしたまま、反応が無い。
    「父上」
    「……」
    「……お、お父様」
    「あ、……う、うむ」
     ようやく我に返り、紫明は娘の顔をじっと見つめてきた。
    「何だか、魂を抜かれた気分だ。まさかあれほど苛烈な戦い方を、お前がするとは」
    「あれが、私の求める道なのです。私はもっともっと、道を進んで、極めたいのです」
    「……そうか」
     紫明はそれきり背を向け、じっとうつむいていた。

     次の日になって、紫明は紅蓮塞を発った。
    「家に連れ帰るのは諦めた。お前を説得するのは私でも無理だ。
     まあ、その……。もしも家が恋しくなったら、その時は遠慮せず帰ってきてくれ。母さんも明奈も、心配しているからな」
    「はい」
     最初に会った時とはガラリと違う雰囲気の中、黄親子は別れの挨拶を交わしていた。
    「それじゃ、元気でな。……風邪、引いたりするんじゃないぞ」
    「はい」
     そこで言葉が切れ、二人は黙々と、並んで紅蓮塞の門へ進む。
    「では、父上。お元気で」
     門前で晴奈が口を開いたところで、紫明がこう返した。
    「……その、なんだ。応援、するからな」
    「ありがとうございます、父上」
     晴奈は涙が出そうになるのを、深いお辞儀でごまかした。



     その一ヶ月後。
    「『応援する』って、こう言うことか……」
     晴奈と柊、重蔵の前には、山のような金貨と、食糧が積んであった。無論、送り主は紫明である。
     一緒に送られてきた手紙には、「晴奈の健康と上達を願って 黄水産、黄金融、他黄商会一同及び、総帥・黄紫明より」としたためられていた。
    「ん、まあ、お父さんの、愛じゃと思って、のう、雪さん?」
    「は、はは……、そうですね、はい、ええ、もう」
     晴奈は顔を真っ赤にして、頭と猫耳をクシャクシャとかき乱しながら、尻尾をいからせて叫んだ。
    「恥ずかしいことをするなッ、この、クソ親父ーッ!」



     ちなみにこの後、晴奈は改めて自分の故郷を訪ね、母と妹の明奈にも自分が剣士としての修行を積んでいることを自ら伝えた。
     1年もの間抱えていたわだかまりが消えたことで、紅蓮祭に戻って以降、晴奈はより一層、修行に打ち込むようになった。

     しかしさらにこの1年後、自分が焔流剣士の道を歩んだことがとある騒動のきっかけになるなど――この時の晴奈には、知る由も無かった。

    蒼天剣・縁故録 終
    蒼天剣・縁故録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、11話目。
    黒と赤の炎。

    1.
     央南と央中、その二地域を分かつ屏風山脈に、ある組織の総本山がある。
     その名は「黒炎教団」。伝説の奸雄、克大火(カツミ・タイカ)を神と崇める集団である。

     克大火――年齢・種族不詳。
     名前から央南の生まれと推察できるが、どこの地方かまでは不明。魔術と剣術の達人であり、色黒の肌を漆黒の衣服と洋風の外套で覆った、長身の男性だそうである。
     巷のうわさに曰く、「200年近く前に起こった戦争の頃から、ずっと若い青年の姿で生きている」、「凶悪な強さを持ち、誰一人打ち負かした者はいない」、「不老不死の秘術を知る唯一の人間、いや、神、もしくは悪魔だ」と、半ば神話や伝説じみた話があちこちに伝わっており、そこに神性を見出した者たちが教団を創り上げたらしい。

     教団員たちは克の存在を絶対的なものにすべく、彼の弱点と言われる様々なものを撤廃・廃絶しようと画策している。
     まず、彼を敗北寸前まで追い詰めたと言われる、雷の魔術。あらゆる魔術を打ち砕き、克の魔術すら無効化したと言う、伝説の剣。そして――200年前の戦争で興隆・活躍し、後に克と対立した剣術一派、焔流。



     双月暦508年、初春。
    「またか……!」
    「しつこくてかなわん!」
    「今度こそ、斬り散らしてくれるわ!」
     いつに無く、紅蓮塞が騒々しい。あちこちで剣士たちがいきり立ち、走り回っているからだ。しかし、まだここに来て2年ほどしか経っていない晴奈には、彼らが何に憤り、何をしようとしているのか分からない。
    「師匠、何かあったのですか?」
    「ええ、少しね」
     横にいた晴奈の師匠、柊は、せわしなく動き回る剣士たちの邪魔にならないよう、自分たちの部屋に戻ってから詳しく説明してくれた。
    「黒炎教団って知ってる?」
    「ええ、故郷でも何度か見かけたことがあります。黒い外套と黒装束を着込んだ、真っ黒な者たちですよね?
     うわさに聞くに、央南の東部地域では蛇蝎のごとく忌み嫌われているとか、西端では絶大な政治力を有しているとか」
    「ええ。その教団がね、うちに攻めて来るのよ」
    「攻めて来る? 一体、何故に?」
     話を続けながら、柊は刀を手にし、和紙で拭い出す。どうやら彼女も、戦いに備えるつもりらしい。
    「黒白戦争の頃に活躍した奸雄、克大火と対立した一派だから、だそうよ。
     黒炎教団は克を信奉しているから、その敵が今もいるとなれば何が何でも打ち倒そうとしているのよ」
     この説明に、晴奈は目を丸くして呆れる。
    「こ、黒白って確か……、4世紀の戦争だった、ような?
     そんな過去の因縁を、まだ引っ張っていると言うのですか?」
     晴奈の言葉に、柊は刀に打粉しつつ、クスッと笑う。
    「まあ、宗教ってそう言うものよ。央北の天帝教だって、1世紀の経典をずっと使っているんだし。
     ともかく、そんなわけで。何年かに一度、彼らはこの紅蓮塞を潰そうと攻めてくるのよ」
     柊はもう一度刀を綺麗に拭いて、鞘に納めた。
    蒼天剣・血風録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、12話目。
    姉御魔術師再登場。

    2.
     紅蓮塞は中核となる本丸を囲むように、大小50程度ある修行場と、さらにその倍ほどの宿場・居間が連なっている。
     普段はその字面の通りに修行の場、居住区として機能しているが、有事の際にはその様相は一変し、要塞としての働きを見せる。
     それが紅蓮塞の、「塞」たる所以である。

     襲撃の報せから数日も立たないうちに、紅蓮塞の守りは堅固なものとなった。塞内のいたるところに武器・医薬品が積み上げられ、要所には数人の手練が詰めた。
     当然、師範格の柊も晴奈ともども駆り出され、紅蓮塞北西側の修行場、嵐月堂の護りに付くことになった。
    「師匠。黒炎の者たちは一体、どこから攻めると?」
     三方を囲む急坂をぐるっと眺め、晴奈が尋ねる。
     それを受けて、柊も周囲を見回しながら答えた。
    「そうね……、ここから侵入するとなると、境内の垣を乗り越えるか、それとも破るか。もしくは山肌から降りて来るか、の2通りでしょうね。
     いずれにしても、油断は禁物よ。敵は克直伝の魔術を使うそうだから」
    「なるほど。……ん?」
     晴奈は柊が言葉を間違えたと思い、こんな風に突っ込んでみた。
    「直伝、ですか? まさか200年前の人間が現代に直接、伝えたと?」
     ところが柊は真面目な顔で、言葉を選ぶような口ぶりでポツポツと答えた。
    「その、ね、うーん、何て、言ったらいいかな。
     克はまだ生きている、らしいの。それも若々しい、青年の姿で」
    「え? まだ、生きている!? まさか!」
     現実離れした答えが返ってくるとは思わず、晴奈は声を高くして聞き返した。
    「ありえません。人の寿命など、精々60年や80年、どんなに長くとも100年でしょう。それは確かに、長耳の方は長寿と聞き及んでおりますし、何かしらの記録では、150年の大往生を果たした方もいるとか。
     しかしそれを踏まえても、ずっと青年のままと言うのは眉唾でしょう。長耳の方とて、60なり70になれば相応に老けるはずですし」「晴奈」
     言葉を立て並べて反論した晴奈に、柊は静かな声で返した。
    「それが、克が克たる所以よ。
     200年生きる。不老不死の存在。誰もがそんな話、ありえないと言う。『そんな悪魔じみた話があるものか』とね。
     でも克は別なの。だって彼は、悪魔だもの」
    「あく、……ま?」
    「そう、悪魔。知ってる、晴奈?」
     柊はそう前置きし、薄い笑みを浮かべる。
    「克大火は色んな通り名を持っているけれど、その一つが『黒い悪魔』なの。
     彼は、本物よ」
    「……」
     柊の目には、嘘をついたりからかっているような色は無い。
     その目を見て、晴奈はぞっと寒気を覚えた。

     と、山肌の一部が突然爆ぜる。
     いくつもの岩塊が山肌から飛び散り、晴奈たちに向かって飛んでくる。
    「わあっ!?」
    「怯むな、焼けッ!」
     そこにいた何人かは一瞬たじろいだが、年長者や手練の者たちは臆することなく、「燃える刀」で飛んでくる岩を焼き切り、叩き落とす。
    「黒炎だ! 攻めてきたぞーッ!」
     大声で叫ぶ声があちこちから聞こえてくる。
     それを受けて、柊がつぶやく。
    「今回は敵が多そうね。かなり大規模に人を送ってるみたい」
    「え?」
    「じゃなきゃ、こんなに四方八方から来るぞ来るぞって聞こえて来ないし」
    「な、なるほど」
     程なく嵐月堂にも、教団員たちが山肌を滑るようにして侵入してきた。
     いや、何人かは「本当に」滑っている。駆け下りるような感じではなく、わずかに空中に浮き上がり、するすると空を走っているのだ。
    「あれは!?」
     晴奈の目にはそれが異様な光景に映り、うろたえる。
     一方、柊は未だ、平然と構えている。
    「魔術よ。確か、名前は……」「『エアリアル』、風の魔術よ。魔術が盛んな地域では、わりと有名な術ね。つっても、あそこまで使いこなせるヤツはあんまりいないけど」
     二人の後ろから、聞き覚えのある声がかけられる。振り向くと、かつて晴奈と戦った相手、橘が魔杖を手に立っていた。
    「橘殿、来られていたのですか?」
    「うん、つい1週間ほど前にね。んで、呑気に温泉で一杯やってたトコに、『何卒お力を貸していただきたく候』なーんて、丁寧に頼み込まれちゃったのよ。
     まあ、ココは修行するのにはいい場所だし、温泉もお酒もいいのが揃ってるしね。無くなったりブッ壊されたりすんのも嫌だし、手伝ったげるわ、雪乃。ソレから晴奈」
    「かたじけない、橘殿!」
     深々と頭を下げた晴奈に、橘は手をぺらぺらと振って返す。
    「アハハ……、そう堅くならないでよ、コドモのくせに。
     さ、ソレじゃボチボチ、迎え撃つわよ!」
     そう言うなり、橘は魔杖をシャラと鳴らし、魔術を放った。
    「『ホールドピラー』! 阻めッ!」
     地面を駆け下りていた教団員たちの何人かが、岩肌から突然飛び出した石柱に突き飛ばされ、また、ガッチリと四肢をつかまれる。
    「おわっ!?」
    「ぐあ……っ!」
    「いでてて、離せ、離せッ!」
     橘の術で、第一陣の半分近くが蹴散らされる。
     だが、「エアリアル」で空中を飛んでいた者たちはすい、と事も無げに石柱を避けてしまう。しかし侵入してきた端から剣士たちがねじ伏せているのが、半ば呆然と山肌を見つめていた晴奈の視界に映った。
    (これが……)
     一瞬のうちに起こったこれらの光景にあてられ、晴奈はぶるっと武者震いする。
    (これが戦い、か。……戦いか!)
     晴奈の中で熱く、そして激しく燃えるものが噴き出し始めていた。
    蒼天剣・血風録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、13話目。
    因縁の発端。

    3.
     戦いは時間が経つごとに、激しさを増していく。一体何百人、いや、何千人いるのか――教団員は続々と、絶え間なく侵入してくる。
     最初の頃は威力が高い反面、長めの呪文や大掛かりな動作を伴う術を使っていた橘も、威力は低くなるが、時間をかけずに発動できる術で応戦し始めており、余裕が無くなっているのが伺える。
     柊もあちこちを走り回り、立て続けに教団員たちを切り捨てている。いつものたおやかな表情も、穏やかなしぐさも、今は勇猛な女武芸者のそれとなっている。
     そしてこの時、勿論晴奈も戦っていた。15歳と言う若さをほとばしらせる、俊敏で鋭い動きで、師匠でさえも一瞬、目を見張るほどの立ち回りを見せていた。
    「でやーッ!」
     まるで閃光のような剣閃が、敵に向かって走っていく。
    「が、あ……」
     敵は短いうめき声をあげて、どさりと倒れる。晴奈はすぐさま倒れた敵を踏み越え、その後ろに立っていた敵に向け、刀を払う。
    「うぐ、く……」
     瞬く間にもう一人。
    「それッ!」
     その敵も踏み台にして、また一人。
     あまりの攻勢の強さに、晴奈の周囲にいた者たちは、敵・味方関係なく、度肝を抜かれていた。
    「何だ、あの『猫』は……!?」
    「黄か?」
     同輩、先輩らが目を見張る一方で、教団側の士気は明らかに落ち始めている。
    「く……、歯が立ちそうも無い……!」
    「こりゃマズいぜ! 退くしか無い!」
     すぐ横で戦っていた橘に至っては、表情が半ば凍っている。
    「せ、晴奈ちゃん。怖いって、ソレ」
     だが、当の本人にはそれらの声が耳に入らない。異様な高揚感と陶酔感で、周りが見えなくなり始めていたのだ。
    (敵は、敵は……ッ、どこだッ!)

     その闘気に引き寄せられたのか、嵐月堂の境内をしゅっと一直線に横切る者が現れた。
     柊がその異様な気配を感じ取り、暴走気味の晴奈に向かって手を伸ばす。
    「晴奈、危ない!」「え」
     柊は彼女の手を強く引っ張り、体勢を崩させる。
     その直後、先ほどまで晴奈の頭があった辺りを、ヒュンと黒い棒が横切った。
    「チッ、外したか!」
     晴奈が顔を上げると、そこには黒い僧兵服に身を包んだ、晴奈と同年代くらいの、狼獣人の少年の姿があった。
    「調子に乗っている猫女を葬るチャンスだったが……。なかなか、うまく行かんものだな」
     その「狼」は3つに分かれた棍棒をヒュンヒュンと振り回しながら、偉そうに言い放つ。
    「10代半ばで得物が三節棍、んで、黒毛の狼獣人……?」
     その武器を見た橘が、杖を構えて叫ぶ。
    「まさかあんた、ウィルバー・ウィルソン!?」
    「ほお、俺の名を知っているのか。クク、俺も有名になったもんだな」
    「狼」はニヤつきつつ、橘に向かって片目をつぶる。いわゆる「ウインク」であるが、晴奈には何をやっているのか分からない。
    (目にゴミでも入ったか? ……何なのだ、この高慢な『狼』は?)
     晴奈はすっと立ち、刀を構え直した。師匠のおかげで少し冷まされたが、まだ頭の中は高揚し、たぎったままだ。
    「敵の陣中で、よくもそれだけ余裕が見せられるものだな、犬」
     晴奈の挑発に対し、「狼」は「ヘッ」と笑って、馬鹿にした様子を見せる。
    「お前、オレと同い年くらいか? やめておけ、様になってないぜ。それから……」
     突然表情を変え、怒りに満ちた形相で晴奈に襲い掛かった。
    「このウィルバー・ウィルソンをなめるな、猫女ッ!」

     飛んできた棍の先端を、晴奈が刀を払って弾く。勢い良く飛び散る火花をものともせず、晴奈はすぐさま第二撃をねじ込む。
     今度はウィルバーが防御に回り、不敵な笑みを浮かべる。
    「フン、わりとすばしっこいな。だが、オレには敵うまい」
     攻撃を受けた部分の棍を軸に、他の棍を回転させる。勢い良く回る棍が、晴奈の目の高さまで上がる。攻撃が来ると構え、晴奈は一歩退く。
     ところが――。
    「はは、そう来ると思ったぜ!」
     ウィルバーは上がってきた棍をつかみ、そこを軸にして、また棍が回転。ヒュンと風を切る音を立て、晴奈の頭上にまで棍が伸びる。
    「……ッ!」
     退いた直後で、晴奈の動作には余裕が無くなっている。棍は動けない晴奈の額に、鈍い音を立ててぶつかった。
     その瞬間、晴奈の視界がぎゅっと、音を立てそうな勢いで暗くなる。額から後頭部にかけて電気の走るような、何かが突き抜ける衝撃を感じながら、晴奈の意識が乱れる。
    (な……、あ……、し、しま、った……)
     気を失う直前、ウィルバーの勝ち誇った声と――。
    「ククク、だから言ったのだ。オレには敵うまいと……」「克の真似なんかしてるヒマあんの、ボウヤ?」「ぐえっ」
     相手が倒れる音を、聞いた。
    蒼天剣・血風録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、14話目。
    戦いが終わって……。

    4.
    「……!」
     晴奈は目を覚まし、飛び起きた。
     と同時に額に鋭い痛みが走り、顔をしかめる。
    「く、……ぅ」
    「大丈夫、晴奈ちゃん?」
     すぐ横に、心配そうな顔を見せる橘が座っていた。どうやら、倒れた晴奈の看病をしてくれていたらしい。
    「た、戦いは!?」
    「終わったわよ。無事に追い払ったわ」
    「そ、そう、です……、か」
     晴奈は安堵とも、後悔とも、羞恥とも取れる、複雑な感情を覚え、たまらず涙をこぼした。
    「私は……、馬鹿だ」
    「ん?」
    「あの『狼』をふざけた馬鹿者と侮って……、その結果が、これか。
     何のことは無い――私自身、その馬鹿と何ら、変わらなかったのか……ッ!」
     痛む頭を抱えながら、晴奈は自分を恥じた。



     あの戦いの後、晴奈は丸一日眠っており、その間に戦いは終わっていた。
     十数名の犠牲は出たものの、その何倍もの被害を敵に与え、紅蓮塞は今回も守られた。
     あのウィルバーと言う「狼」も、手下の教団員たちに抱きかかえられるようにして逃げ去ったと言う。
    「あのウィルソンって言うヤツね、実は教団教主の息子なのよ。克信仰って言うより、克かぶれで有名なの。ま、あの年頃なら真似したくなるよーなタイプだし、克って。
     ま、そんなだから中身はお子様。晴奈を気絶させて勝ち誇ってる間、隙だらけで背中を見せてたから、あたしが思いっきり引っぱたいてあげたからね」
    「……かたじけない」
     晴奈はまだ、涙が止まらない。それを橘はずっと眺めていたが、やがて立ち上がり、晴奈を一人残して部屋を出て行った。

     少ししてから、晴奈は橘の泊まっている部屋を訪ねた。杖の鈴を手入れしていた橘が、くるりと向き直って微笑みかける。
    「あら、もう大丈夫?」
    「はい、まだ痛みはありますが、何とか歩けます。
     ……橘殿、いくつか質問してよろしいでしょうか?」
    「ん、いいけど?」
    「あの……、克大火を知っているようなご様子でしたが、実際に会ったことが?」
     そう尋ねたところで、橘は隠す様子も無く答えた。
    「何回かあるわよ。うわさ通りって感じの人。央北の街で見た時のコト、聞く?」
     晴奈は無言でうなずいた。
    「んじゃ、初めて会った時のコト。
     あれは央北の、ドコの街だったかな……。その時は何と言うか、煙かもやみたいに、虚ろな感じだったわ。きっと街の人は、彼がそこにいたことさえ気付かなかったんじゃないかしら。とにかく煙のように、静かな男だった。
     でも。そこに何人か、武器を持った者が現れた――きっと克を倒して、名声を得ようとしたのかも――そして、克が彼らに気付いた瞬間……」
     そこで、橘は間を置く。
    「……瞬間、克は変貌した。
     それまでのぼんやりした煙のような印象は消えて、すさまじいほどの殺気が彼から立ち上った。次の瞬間、克を狙っていた人たちはあっさり死んだわ」
     平然としゃべっているように見えるが、良く見れば橘の額には汗がにじんでいる。よほどその時の光景が、恐ろしかったのだろう。
    「何をしたのか、分かんなかったけど。向かっていった一人が、いきなり燃え出した。それを見た瞬間、他の人たちはみんな怯んで立ち止まった。すぐにその人たちも、一瞬で血だるまになって、崩れるように倒れて死んだ。
     逃げようとした人もいたんだけどね――『殺される危険も背負わずに、俺を倒す気か? おこがましいとは思わんのか』と克に言われて――やっぱり斬られてた」
     その話に、晴奈はゴクリと唾を飲む。
    (自分たちはあの修羅場で何十分も、何時間もかけて、命の奪い合いをしていた。だが克は一瞬で、何人もの命を簡単に絶つのか。
     なるほど、確かに悪魔と言う話は本当らしい)



     恥ずべき敗北を喫し、落ち込んでいた晴奈を、さらに落胆させる報せが届いた。
     焔流に資金援助をしていた黄家が、黒炎教団によって襲われたと言うのだ。その上黄海は占領され、黄家の財産は没収。
     宗主である黄紫明の家族も人質にとられ、現在紫明が単身、交渉を行っていると言う。
    「そんな! では、明奈も!?」
    「恐らくは、捕まって……」
    「……そんな」

     それから何度か、細々とした情報が伝わった。
     教団は今回の襲撃失敗の原因を、資金援助を受けたことによる勢力拡大のせいとし、その大本を叩いたと吹聴していたこと。
     黄家は明奈の身柄と引き換えに、黄海の解放を約束してもらったこと。そのまま明奈は黒炎教団の総本山、黒鳥宮に幽閉されたこと。黄家は明奈の身柄を案じ、焔流への資金援助を打ち切ったこと。
     明奈は強制的に教団に入信させられ、宮内で粛々と生活しているが、幸い明奈には無闇な危害が加えられてはいないこと。
     そんなささやかな情報が、晴奈の心を苦しめ、また、ほのかに安心させた。

    「大丈夫かなー、晴奈ちゃん」
     橘が柊に、不安そうな顔で尋ねる。
    「大丈夫。あの子は強い子よ」
     そう言って、柊は橘をある堂に連れて行く。
    「そっと開けてね。邪魔しちゃ、悪いから」
    「邪魔……?」
     橘は戸を、そっと開いて中を覗き見る。そこでは堂の中央で、晴奈が座禅を組んでいた。
    「ああ、そうね。強い子、……ね」
     二人はうなずき、ふたたび戸を閉めた。

    蒼天剣・血風録 終
    蒼天剣・血風録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、15話目。
    ふわふわ毛玉。

    1.
     目の前をふわりと通りかかった「毛玉」を見て、晴奈は驚いた声を上げた。
    「えっ」
    「はい?」
     と、「毛玉」がくるん、と隠れる。
    「あの、何か?」
    「あ、いえ。何でも」
    「はぁ……?
     その「毛玉」の持ち主は首を傾げたが、晴奈が何も言わないので、けげんな顔をしたまま通り過ぎる。
     その場に残った晴奈は口を抑え、顔を赤くして――ここ最近の彼女らしからぬ口調で――ぽつりとつぶやいた。
    「か、可愛い……」

     その数分後、晴奈は恐る恐るといった仕草で、柊の部屋を訪ねていた。
    「師匠、変なことと思われるかも知れませんが、一つ、伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
     尋ねた晴奈に、自室で読書をしていた柊は苦笑して返す。
    「どうしたの、晴奈? そんなカチコチになって」
     尋ね返され、晴奈はためらい気味に打ち明ける。
    「あの、恥ずかしながら、私はあまり世俗に詳しくないので、こんな質問をしては笑われるかも知れず、恐縮なのですが」
    「ん?」
    「何と言いますか、世の中には、その……」
    「世の中には?」
    「兎獣人と言えば良いのでしょうか、兎耳に尻尾、の方もいるのでしょうか?」
    「ええ、いるわよ。央南ではあまり、見かけない人たちだけれど」
     それを聞いて晴奈は小さく、コク、とうなずいた。
    「やはり、いるのですか。……見間違えではなかったのだな」
    「いきなりどうしたの?」
     一人で納得している晴奈に、柊は不思議そうに首を傾げている。
    「あ、そのですね。実は先ほど、その『兎』らしき方を見かけまして」
    「へぇ、珍しいわね」
     柊は本を閉じ、興味深そうな目を向ける。
    「外国の人ね、きっと。西方かしら」
    「西方ですか。師匠は行ったことが?」
     柊は小さくうなずき、懐かしそうな口ぶりで話した。
    「前に行ったのは、5、6年ほど前かしらね。旅の間はここでは見られない人種も、数多く見かけたわ」
    「世界には、そんなに色んな人種がいるのですね。はぁー……」
     柊の話を聞きながら、晴奈は先ほど見かけた「兎」の姿を思い返していた。
    (可愛かったな、あの人……)
     まるでぬいぐるみのような毛並みの「兎」――晴奈は央南の外の世界に、強い興味を抱いた。
    「し、師匠」
    「ん?」
     晴奈はまた、恐る恐る尋ねる。
    「もし良ければ、その……、外国のお話など、その、もう少し、お聞かせいただけますか?」
     それを聞いて、柊はクスっと笑いながら晴奈の頭を撫でた。
    「ええ、いいわよ。外国の、可愛い人たちの話もね」
    「はは……」
     柊に内心を見透かされ、晴奈は顔を赤らめた。
    蒼天剣・紀行録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、16話目。
    柊師匠の地理講座。

    2.
     柊は自分の日記を取り出し、パラパラとめくりながら話し始めた。
    「そうね……、世界の有名どころは、ほぼ回ったかしら。世界の中心、クロスセントラル。世界一の大都市、ゴールドコースト。それから……」「あ、あの、師匠」
     晴奈は慌てて手を挙げ、話をさえぎる。
    「ん?」
    「すみません、私は、その、世俗に疎いと言いますか、地理に明るくないと言いますか、……央南から出たことが無いもので、果たしてどこがどこなのか」
    「ああ、そうね、そう言ってたわね。ごめんごめん」
     柊は小さく頭を下げ、話を仕切り直す。
    「じゃ、そこら辺から説明するわね。
     晴奈が自分で言った通り、ここは『央南』。即ち、中央大陸の南部地域。中央大陸はその名の通り、昔から歴史の舞台、政治の中央となってきた大陸なの。そしてこの大陸は、大きな2つの山脈によって、3つの地域に区切られているわ」
     柊は懐から紙を取り出し、中央大陸の絵――「し」の字に広がった、どこかモコモコとした形――をスラスラと描いていく。
     枠を描いたところで、その枠を三等分するような線をすっ、すっと引いた。

    「この下の線の右にある、鉤状に出っ張ったところが央南。晴奈も知っての通り、ここは『仁徳と礼節の世界』ね。『猫』や『虎』、『狐』、そしてわたしみたいな長耳(エルフ)と言った人種が多く見られるわ。
     まあ、説明するほどのこともあんまり無いから、この辺は飛ばして――そこから西へ進んだ、この線の辺り。この一帯に、屏風山脈と言う山々が連なっているの。
     この前戦った黒炎教団の本拠地、黒鳥宮はここにあるわ。教団は央中、つまり中央大陸中部からの文化も流れこんでいるから、名前や言葉も、それらしいものが多いみたいね」
    「なるほど……。私と戦った『狼』の、あの、うい、ういう、……ウィルバーと言う名前も、その一端なのですね」
     晴奈のたどたどしいしゃべり方に、柊はクス、と微笑んだ。

     続いて柊は、上と下の線の間を指し示す。
    「それで、この屏風山脈を越えた先が、央中。
     ここは『狐と狼の世界』とも呼ばれているわ。昔から栄えている名家、王侯貴族のほとんどが『狐』や『狼』の種族だから、そう呼ばれているの。頭が良くて狡猾な『狐』と、親分肌、姐御肌で気が強い『狼』だから、大物揃いなのもうなずけるわね。
     そのせいか、両種族の仲はちょっと悪いみたいね。もし彼らのケンカに運悪く居合わせたら……」
     柊は人差し指をピンと立て、いじわるっぽく笑う。
    「下手に仲裁しようとは、しない方がいいわよ。巻き込まれると大変だから」
    「はは……」
     師匠のおどけたような口ぶりから、きっとそのような状況に巻き込まれたことがあるのだろうと推察し、晴奈は苦笑した。
    「そんな2種族が大多数を占める土地柄だから、そこに住む人々はみんな、多少の違いはあれど計算高い人たちばかり。あまたの実力者たちが日々、自分が明日の王侯貴族、大商人になれる方法を考え、実践している。それもあって、栄枯盛衰の度合いは他地域の比じゃないわ。昔から代々続く家系って言うのはかなり、稀な存在になっているわね。
     だから、央中で代々続く名家って言うと、それはもう、かなりの家柄と言うことになるわけだけど、その中でも双璧をなすのが、世界一の大商家、『狐』のゴールドマン家と、世界中の職人の総元締めである、『狼』のネール家。この両家だけで、央中の財の半分以上を握っているそうよ」
    「へぇ、そんなに大きいのですか」
     そう返しつつ、晴奈は頭の中で比較してみる。
    (我が黄家も央南随一の大商家だと聞いてはいるが、確か……、父上によれば、『我が家が持つ富は央南全土の一割ほどもある』とか何とか。
     央南と央中が同じ規模かどうかは分からぬが、それでも1割と半分ではあまりにも違う。単純に考えて5倍となるわけだし。……うーむ、正に格が違うと言うか、何と言うか)
     はっきり捉えきれず、晴奈は比較を諦めた。
     その間にも、柊の話は続いている。
    「さっき言っていたゴールドコーストと言う街が、ゴールドマン家の本拠地。その世界的財力と政治的影響力から、央中の政治と経済の中心地としてにぎわっているわ」
     柊は屏風山脈を模した線の下端に点を打ち、楽しそうに語る。
    「観光地としても有名で、商人、政治家、資産家、傭兵や観光客に至るまで、世界中から様々な人が集まってくる。わたしが行った時も、色んな友達ができたわね」
    「そうなのですか、……ふむ」
     楽しげな柊を見て、晴奈の胸中にワクワクとした気持ちが沸き起こる。それを見抜いた柊が、嬉しそうにニコニコと笑う。
    「にぎやかで騒がしいところだったけれど、ついつい半年以上も長居してしまったわね。
     晴奈、あなたももし央中へ旅に出ることがあれば、絶対行ってみた方がいいわよ」
    「はい!」

     続いて柊は、地図の上側に引いた線の下側を指し示す。
    「央中のもう一つの名家、ネール家の本拠地はここ、クラフトランドと言うところよ。
     ここは周辺に鉄や銅の鉱山、木材に適した森林が豊富だから、自然にそれらを加工・製品化する職人たちの組織――いわゆるギルドが数多く存在しているの。
     だから、街中に鍛冶屋や工房があって……」
     そう言って柊は長い耳をつかみ、ふさぐしぐさを見せる。
    「とーっても、うるさいの。ここは残念ながら、2日といられなかったわ」
    「なるほど……」
    「でも、作られる製品はどれも一流品。わたしもここで、刀を打ってもらったんだけどね」
     柊は傍らに置いていた刀を手に取り、晴奈に見せる。
    「ね? すごく綺麗でしょ?」
    「そう、ですね。しかし、央中でも刀が作られているとは」
    「そこに、ちょっとした逸話と言うか、伝説があるのよ。
     あの『黒い悪魔』克大火がその昔、ネール家の開祖と共に、『神器』とまで称される一振りの刀を作ったと言われているの。
     刀の名は『妖艶刀 雪月花』、見る者をとりこにする異様な美しさをたたえた刀で、克と共に打ったネール大公は、そこで刀作りに目覚めたと言われているわ。
     以来、ネール家では刀鍛冶を厚遇し、それで央中にも刀作りが広まったそうよ。ちなみに今でも、克はその刀を使っているらしいわ」
    「ふむ……」
     克の名前と伝説を聞き、晴奈は橘から伝え聞いた話を思い出して、わずかながら身震いした。
     だが、伝説の奸雄をも満足させると言う、優れた逸品を創り上げた名家にも、強い興味が沸いてくる。
    「『狼』には正直、あまり良い印象を持っていなかったのですが、少し感銘を受けました」
    「クス、あのウィルバー君のせいね。……でも『狼』は、友達になれれば快い種族なのよ。仲間思いで情に厚い人たちだから」
     そう言って柊は、クラフトランドの話を続ける。
    「もう一つ伝説と言えば、ネール家には克が密かに教えた秘術が伝わっているそうなの。
     それが何なのかはわたしも詳しくは知らないけれど、ネール家は鍛冶屋の頭領だし、きっとそれに関係する術なんでしょうね」
    「なるほど……」
    「狐と狼の世界」について一通り聞き終え、晴奈は早くも、央中に思いを馳せていた。
    蒼天剣・紀行録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、17話目。
    地域と種族。

    3.
     柊は地図の上部分に引いた線のさらに上を指し、話を続ける。
    「央南、央中と来たから、次は央北――中央大陸北部の話。
     ここは『天帝と政治の世界』。世界最大の宗教である天帝教と、中央大陸北中部や西方大陸に影響力を持つ巨大な政治組織、『中央政府』の本拠地ね」
    「中央、政府?」
     あまりに物々しい語感に、晴奈は胡散臭さを覚える。
    「まあ、向こうとこっちでは、言葉のズレがちょっとあるから。『中央大陸の政府』って言う意味合いだし、そんなに大仰なものでも無いわ。
     北中部の国家、ギルド、商会など様々な団体、組織が加盟する大きな政治共同体で、古代から中央大陸、いえ、世界政治に大きな影響力を持っているわ。……と言っても、時代を重ねるごとにその影響力は弱まって、今は央北と央中の北部、あと西方の東岸あたりまでが、現在の勢力圏ね。
     で、この中央政府って、元々は双月暦元年に現れたと言う神様――『天帝』が自分の創った宗教、天帝教を広めるために創設したらしいわ」
    「ふむ……、神様が人間たちの世界の政治を執り行った、と言うことですか。何だか本当に、おとぎ話のような……」
     晴奈の言葉に、柊はクスクスと笑う。
    「まあ、古い伝説だし、どこまでが本当なのかはちょっと疑わしいけどね。
     でも、現在世界的に広く使われている双月暦や魔術の基礎は天帝教が発祥らしいし、今でもその名残はあるわね」
    「それで、その天帝教と言うのはどんな宗教なのですか?」
     晴奈の問いに、柊は「うーん」と軽くうなる。
    「わたしも詳しく知っているわけじゃないから、説明できるかどうか……。
     何でも、天帝の言葉や知識を記した経典があって、それに従って、正しく生きることを目的とするとか。まあ、良く分かんないんだけどね」
    「ふーむ……?」
     説明されても、いまいちピンと来ない。柊も十分に分かっているわけでは無いらしく、それ以上の説明はしなかった。
    「ま、そこら辺は置いといて、風土の話をしよっか。
     ここには『狼』、『猫』、エルフ、あとは世界で最も短耳の割合が多いわね。天帝も種族としては、短耳の形をとっていたとか。
     天帝教発祥の地であると共に、それを基礎にした文明の中心地だから、治安も悪くないし交通や産業も活発だったわ。
     あと、人々は概ね明るくて、優しい人たちばかりだった印象があるわね。でも……」
     そこで柊の語調が、少し落ちる。
    「中央政府の本拠地、クロスセントラルは一際にぎやかだけど、色々悪い噂も立っているわね。曰く、『中央政府は克の言いなり』だとか、『大臣たちが日夜、利権の奪い合いに奔走している』とか。中央政府に関しては、本当に黒いうわさが絶えないわね。
     もしクロスセントラルに行くことがあっても、政府関係には近付かない方がいいわよ。得るものは少ないし」
     含みのある言い方に、晴奈は少し引っかかった。
    (どうも関わったことがあるような言い方だな……?)
     だが話の雰囲気から、その辺りを聞くのは避けておくことにした。
    「でも、市街地はとっても楽しいわよ。ここもゴールドコーストと同じくらい人が集まってくる場所だから、退屈はしないわね。ご飯も美味しいし、そっちの方は行って損は無いわね」

     中央大陸の話を一通り聞き終え、晴奈はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
    「あの、師匠。『兎』の方は西方人と伺いましたが、西方とはどの辺りなのでしょう?」
    「あ、中央大陸じゃないわ。その『外』ね」
     そう返しつつ、柊は中央大陸の絵の周りに「北」「西」「南」と書き込んだ。
    「中央大陸から西の方にある大陸を、西方大陸と呼んでるのよ。海を隔ててるから、中央とは色々勝手が違うわね。
     例えば人種。央中に『狐』と『狼』が多いのを除けば、中央大陸で一番多いのは短耳ね。その次に長耳で、次いで晴奈と同じ『猫』かしら。
     でも西方だと、短耳や長耳はほとんど見かけなかったわね。わたしが訪れたのは西方の、ほんの一部だけだったけど、それでも圧倒的に多く見かけたのは、『兎』だったわ。『猫』も、旅人以外ではまったく見かけなかったかも」
    「なるほど……」
     晴奈は相槌を打ちながら無意識に筆を執り、可愛らしい兎を描く。
     それを眺めていた柊は、ぷっと吹き出した。
    「……ふふ、晴奈、あなた変なところで可愛いわね」
    「へ?」
     晴奈は素っ頓狂な声を出し、筆を止める。柊はクスクス笑いながら、手を振った。
    「ううん、何でもない」
    蒼天剣・紀行録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、18話目。
    異国からの招かれざる客。

    4.
     柊から世界の話を一通り教わった後も、晴奈は彼女から、あちこちを旅した話を面白おかしく聞いていた。
    「……でね、その時に会った『狐』と『狼』が、本当に仲が悪くて」
    「ふふ……」
     央中で出会った商人たちのケンカの話に移り、柊が懐かしそうに話していたところで――。
    「……あ」
     突然、柊が神妙な顔になり、話を止めてしまった。
    「どうされたのですか?」
    「ちょっと、ね。嫌な奴のこと、思い出しちゃったの。
     こんな風に、そのケンカしてた2人と談笑してた時にいきなり割り込んできて、『柊、勝負だ!』なんて怒鳴り散らす、迷惑な奴がいたのよ」
     柊の顔が、わずかに曇る。どうやら本当に――人当たりのいい彼女にしては珍しく――その人物を嫌っているらしい。
    「なーんか、嫌な予感がするのよね……」
     柊はす、と立ち上がり、刀を持って部屋を出る。
    「師匠? 何故刀を?」
     ぎょっとして尋ねた晴奈に、柊は憂鬱そうな口ぶりで説明する。
    「ゴールドコーストにね、闘技場があるのよ。で、裏で誰が勝つか賭けをしてて、そいつがいつも本命――つまり、強いの。
     で、昔にちょっとした事情から、そいつと戦わなきゃいけなくなったんだけど、ね」
     柊は晴奈に手招きし、付いてくるよう促す。
    「わたし勝ったのよ、そいつに。それ以来、何年かに一度、ここを訪ねてきて……」
    「『勝負だ!』、と言うわけですか」
     そのまま二人で廊下を進み、修行場へと向かった。
    「そう言うこと。よく考えたら、そろそろ来るかも知れない時期だわ」
     柊がため息混じりにつぶやいた、その瞬間――。
    「あ、先生! 柊先生!」
     若い剣士が、小走りに2人へ駆け寄ってきた。
     柊は剣士が手にしている手紙を見て、何かを感じ取ったような、そして非常に嫌そうな、複雑な表情を見せた。
    「赤毛の熊獣人から?」
    「えっ」
     剣士は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに気を取り直し、こわばった顔を向ける。
    「は、はい。あの、果たし状を預かりまして……」
    「そう」
     柊の顔はとても大儀そうに見える。事実、そうだったのだろう――受け取った果たし状を、中身も見ずに破り捨てた。
    「『峡月堂で待っている』と伝えて連れてきて」
    「しょ、承知しました」
     剣士の姿を見送ってから、柊はとても重たげなため息をついた。
    「はーぁ。やっぱり来たかー……。うわさをすれば、ね」
    「師匠?」
    「……ま、一緒に来て、晴奈。あいつと二人きりだと、息が詰まりそうだから」
    「はあ……」
     晴奈はこの時、とても戸惑っていた。今まで師匠のこんな嫌そうな顔は、弟子入りを頼み込んだ時ですら見たことが無かったからだ。

     だがこの直後、柊がこれほど大儀がった理由を、晴奈も嫌と言うほど理解した。
     その「熊」が本当に面倒くさい、剣呑な男だったからである。

    蒼天剣・紀行録 終
    蒼天剣・紀行録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、19話目。
    不機嫌な師匠。

    1.
    「柊雪乃と言う女性はとてもよくできた人だ」、と晴奈はいつも思っている。
     エルフに良く見られる儚げで華奢な容姿と、気さくで面倒見が良く、温かい雰囲気を併せ持っている。
     そして何より一流の女剣士であり、その強さは彼女の二つと無い魅力である。
    「美しく」、「優しく」、そして「かっこ良くて」「強い」――晴奈にとって師匠、柊雪乃は何よりも、どんな人物よりも手本にしたいと心から思える、まさに「こんな人になりたい」と願ってやまない理想像なのだ。



     だから――師匠のこんな大儀そうな顔を見ているのは、晴奈としても非常に心苦しいものだった。
    「はぁ……」
     ため息はもう、何十回ついたか分からない。師弟合わせれば百に届くかと言う数にはなっている。
    「遅い、ですね」
    「そうね」
     素っ気無い返事に、晴奈はそれ以上言葉をつなげられない。手持ち無沙汰になり、しょうがなく自分の尻尾をいじりつつ、相手が来るのを待つ。
    「……クスッ」
     そうしていると、柊が小さく笑った。
    「晴奈。あなた良く、尻尾をいじっているわね」
    「え? あ、はい。そうですね」
     半ば無意識の行動だったので、晴奈は少し気恥ずかしくなり、尻尾から手を離す。
    「尻尾の細長い獣人って、『猫』か『虎』くらいだけど、みんな良く、そうやって手入れしているみたいね。『狼』とか『狐』になると、櫛まで使って綺麗に梳かしていたりするし」
    「まあ、自分の体の一部ですから」
    「ね、……ちょっと、触っていい?」
     柊は不意に、晴奈の尻尾を指差す。
    「はい、大丈夫です」
     晴奈も柊に尻尾を向け、触らせた。
    「……ふさふさね。でもちょっと、さらさらした感じもあるかしら」
     柊は尻尾をもそもそと撫で、楽しげな声を漏らす。触っても良いと言ったとはいえ、撫でられるのは少し、くすぐったくて恥ずかしい。
    「あ、あのー」
    「ん? ああ、ゴメン。晴奈が触ってるの見ていたら、わたしも触ってみたくなっちゃって」
     謝りつつも、尻尾から手は離さない。
    「はー……。まだ来ないのかなぁ」
    「師匠、一つ聞いてもよろしいですか?」
    「ん?」
     ここでようやく、柊は尻尾から手を離した。
    「相手の熊獣人と言うのは、どのような男なのですか?」
    「ん、……うーん。まあ、その、……ねぇ」
     柊は、今度は自分の髪をいじりながら、ゆっくりと説明した。
    「一言で言うと『面倒くさい奴』、ね。
     まず、自分が無条件に偉いと思ってるもんだから、勝ったら威張り散らす。負けたら言い訳する。その上、人の話や都合を聞かない。相手が自分に合わせて当然、と考えている尊大な男よ」
    「むう」
     話に聞くだけでも、面倒な相手と言うのが良く分かる。
    「さらに嫌なのが、話が通じないと言うこと」
    「通じない? 異国の者だからですか?」
    「いえ、そうじゃなくて――いえ、少しはあるかも知れないけれど――他人の話を、理解しようとしないのよ。
     何を言っても、『自分には関係無い話』『相手が勝手な理屈を言ってるだけ』と決め付けて流す。そうして彼の口から出てくるのは――自分がいかに偉いか、と言う自慢話だけ」
    「それは、……また、何と言うか、……面倒ですね」
     顔をしかめる晴奈に、柊は困ったように笑って返した。
    「だから、できれば会いたくないんだけど」
    「……来たよう、ですね」
     ドスドスと重い足音が、戸の向こう側からようやく聞こえてきた。
    蒼天剣・手本録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、20話目。
    柊雪乃の四番勝負。

    2.
     バン、と力任せな音を立ててその熊獣人の男が入ってきた。
    「よう、ヒイラギ」
     人を端から見下した目つき、胸を反らした尊大な態度、そして央南ではあるまじき、屋内での土足――どこからどう見ても、まともな性格と礼儀を持った人間には見えなかった。
     そしてその口から出てくる言葉も、彼の態度がそのまま現れていた。
    「今度こそ、俺の方が強いと証明しに来たぜ。さあ、勝負しやがれ!」
    「はいはい」
     柊は本当に面倒くさそうな様子で立ち上がり、「熊」に向き直った。
    「これで4度目よ? もういい加減、観念したらどうなの?」
    「フン。言っとくがな、これまでの3回は理由があって負けたんだ。
     最初のは油断してたからだし、2度目のは体調が悪かったんだ。3度目のも武器の調子が悪かった。
     今度は元気一杯、武器も新調したし、お前みたいなガリガリ女に負けるはずが無え」
     戦う前からべらべらと言い訳を並べるこの男に、晴奈は内心、呆れ返っていた。
    (本当に言い訳がましい。本当にあの『熊』、強いのか?)
     そんな晴奈の視線に気付いたのか、「熊」は晴奈の方をぐるっと向いた。
    「何だ、このガキ? 人をじろじろ見やがって」
    「ガキとは失礼ね。わたしの一番弟子よ」
     柊がたしなめるが、「熊」はフン、と馬鹿にしたような鼻息を漏らす。
    「へーそうかい。こんな乳臭い小娘はべらせて、先生気分か? お偉くなったもんだな、ヒイラギ」
     その言い草に晴奈は激怒しかけたが、より早く、激しく怒り出したのは柊の方だった。
    「クラウン、わたしの悪口ならいくらでも言って構わないわ。でもね」
     次の瞬間、柊は熊獣人の首に刃を当てていた。
    「わたしの弟子を侮辱するなら、命も覚悟しなさいよ。もしもう一度侮辱するようなことがあったら、勝負なんか関係無く叩き斬るわよ」
    「……ヘッ」
     クラウンは刃をつかみ、くい、と横に流した。
    「分かった分かった、じゃあさっさとやれよ」
     謝るどころか、うざったそうに答えるクラウンを見て、晴奈は心の中で叫んだ。
    (師匠ッ! 絶対、勝って下さい! 私もこの『熊』、捨て置けません!)



     傍目に観ても、柊がかなり頭に来ていることは明らかだった。
     武具を装備している間中ずっと無言だったし、付き人に肩や腕を揉ませ、斜に構えて笑っているクラウンに対して何度も、侮蔑と怒りの混じった視線を向けていたからだ。

     そして両者の準備が整い次第、すぐに柊とクラウンの勝負が始まった。
     当初からクラウンは、手にしている鉈をブンブンと振り回して柊を追う。剛力で知られる「熊」のせいか、何太刀かに一度、柊の武具をかすめ、その度に柊は少し、弾かれているように見える。
    「楽勝だな」
    「そうかしら」
     ニヤニヤと笑い、勝ち誇って鉈を振るうクラウンに対し、柊はただ睨みつけるだけで、刀を抜こうともしない。柄に手をかけたまま、飛び回ってばかりいるのだ。
    (師匠、何をされているのですか!? 反撃してくださいッ!)
     二人の戦いを見守っている晴奈は、何もしない師匠の姿にうろたえている。
    「ふーむ」
     と、いつの間にか、晴奈の横に重蔵が立っており、二人の勝負を眺めている。
    「なるほどなるほど。どうやら雪さん、一撃必殺を狙っておるのじゃな」
    「一撃必殺、……ですか?」
     晴奈はけげんな表情を重蔵に向けた。

    「一撃必殺」と言えば聞こえはいいが、これは実際狙ってみると、非常に難しい。
     まず、敵を一撃で倒すような攻撃、威力となると、よほど強力な打撃を与えなければならない。となれば自然に、攻撃の動作は大がかりなものとなり、比例して隙も大きくなる。
     さらに一撃で倒すとなれば、必然的に急所を狙った攻撃となるため、敵に動きが察知されやすくなる。
     強力な攻撃手段の確保、隙の抑制、敵に悟らせないための配慮――この3点を揃えなければ、一撃必殺の成功は無い。

     重蔵の言葉を聞き、晴奈は頭の中で勝負の状況を検討する。
    (確かに今、敵は油断している。師匠も間合いを取り、大きな隙を見せていない。
     後は打撃か。一体いつ、どう出る? その一撃をどう出すのだ?)
     晴奈は固唾を呑み、柊の一挙手一投足を見守っている。それを横目で眺めながら、重蔵が解説してくれた。
    「ほれ、あの『熊』さん。動作が一々、大仰じゃと思わんか?」
    「ふむ……」
     言われて見れば、クラウンの動作はどれも大味で単調に見える。
     鉈を大きく払い、振り下ろすその動きは、傍から見ていればとても分かりやすい。クラウンの鉈の振り回し方には、上から振り下ろすか、左右に払うか程度の差異しか無いのだ。
     普段から形稽古で、様々な刀の構え方、振るい方を学んでいる晴奈から見れば、クラウンの攻撃は呆れるほど稚拙で一本調子なものに見えた。
    (なるほど、あれなら攻撃を繰り出す直前の動作を見切ってしまえば、簡単にかわせるな)
     続いて、重蔵はこう指摘する。
    「それと、雪さんの動き。相手を引っ張りまわしておるな」
    「ふむ……」
     ただ退いているようにしか見えなかった柊の動きも、敵の動作と合わせて考えれば、すべて空振りさせるための戦術なのだと分かる。
    「ああして相手を動かすだけ動かし、疲労するのを待って……」
    「そこで、必殺を?」
    「きっと、その算段を整えておるのじゃろうな」
     程無く、クラウンの動きが目に見えて鈍ってきた。
     大兵肥満なその巨体でバタバタと動き回らされていたために、クラウンはとても苦しそうに肩で息をし、ボタボタと汗を流している。
    「ハッ、ハッ、俺を、ハッ、おちょ、ハッ、おちょくってんのか、ハッ」
    「……」
     答えないまま、柊はそこでようやく刀を抜いたようだ。
    「ようだ」と言うのは、晴奈にはその動作が確認できなかったからだ。

     ともかく、一瞬のうちに決着は付いた。
     クラウンの鉈は彼方に弾き飛ばされており、丸腰になった彼の首筋にいつの間にか、柊がぴたっと刀を当てていた。
    蒼天剣・手本録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、21話目。
    師匠を酔わせてどうするつもり?

    3.
    「見事な居合い抜きじゃったな、雪さん」
     勝負を終え、汗を拭っていた柊の元に、重蔵がニコニコしながらやって来た。
    「いえ、まだまだです」
    「謙遜せずとも良い。まさに一撃必殺――胸のすくような、ほれぼれする技じゃった」
     重蔵にほめちぎられた柊は、顔をほんのり赤くして頭を下げた。
    「恐縮です」
     師匠をほめられ、晴奈も嬉しくなる。
    「お疲れ様でした、師匠」
    「ありがと、晴奈」
     晴奈に向けられたその顔は、いつも通りの穏やかな笑顔だった。

     一方。
    「いや、だからな、今日はやっぱり俺、ほんのちょっと体調が悪かったんだよ。それにな、この鉈まだ新品だからな、まだしっくり、手になじんでなかったんだって。それでも善戦した方なんだって、そーゆーマイナス要素があったにも関わらず、……あ、それにほら、ここは敵の本拠地だろ? 『負けろ』みたいな空気をさー、俺感じちゃって。そう、空気が悪い、それなんだよ。それが敗因なんだって。じゃなきゃ、俺があんな女に……」
     クラウンは自分の付き人たちに向かって、愚痴じみた言い訳をブツブツとこぼしていた。
     結局30分ほど愚痴を吐いた後、自分でもいたたまれなくなったらしく、彼はその場から逃げるように帰っていった。



     その晩、晴奈と柊は勝利を祝って、ささやかな酒宴を開いた。
    「さ、師匠」
    「ありがと」
     晴奈が柊の杯に酒を注ぎ、柊はそれを飲み干す。
    「ふう……。本当に、今日は疲れたわ。……ふふっ」
    「師匠?」
     突然笑った柊に、晴奈はけげんな顔をする。
    「晴奈、あなた勝負の間中、ずっと顔がこわばっていたわね」
    「み、見ていたのですか?」
     晴奈はあの緊迫した勝負の中、師匠に自分を見る余裕があったのかと驚いた。
    「そんなに不安だった?」
    「いえ、そんなことは……。ただ、家元から『師匠は一撃必殺を狙っている』と聞かされたので、いつ、どのように繰り出すのかと、後学のために注視していた次第で」
    「ふふ、そうだったの。流石は家元ね」
     柊はもう一度、一息に酒を飲み干す。ぐいぐいと呑んでいたためか、その顔は少しとろんとしている。
    「……晴奈、あなたもどう?」
     柊は晴奈に杯を渡し、酒に手を伸ばす。
    「え? あ、いや、私は、その……」
    「あら? 呑んでみたくないの?」
     そう言われれば、美味しそうに酒を呑む師匠に多少触発されてはいるので、呑んでみたくはある。
    「……少しだけ、なら」
     晴奈は恥ずかしそうに、杯を差し出した。
    「うふふふ……」
     どうやら柊は、大分酔っているらしかった。

     師匠に付き合ううち、晴奈も大分酔ってしまった。
    「ふわ、あ……」
     思わず、大あくびが出てしまう。柊の方を見ると、すでに眠り込んでいる。
    (いけない、いけない。風邪を、引いてしまう)
     ふらりと立ち上がり、食膳や酒瓶を片付け、床の用意をする。
    「うにゃ……、せえな?」
     柊も目を覚まし、晴奈に声をかけてきた。
    「師匠、今床を整えておりますので、そちらでお休みください」
    「んー、ありがと。……ごめん、おみずもってきてちょうらい」
    「あ、はい」
     近くの井戸から水を汲んできて、椀に注いで柊に手渡す。
    「ありがと。……ふふ、わたし、おさけすきなんらけろ、よあいのよ」
    「そのよう、ですね」
    「せえな、あんまいよっれないろれ。うらやあしいなぁ」
     呂律が回っていないので、何と言っているのか今ひとつ、理解はできなかったが、言わんとすることは何となく分かる。
    「いえ、そんなことは。
     さあ、床のご用意ができました。今日はもう、お休みください」
    「ん、ありがと。せえなも、もうねる?」
    「あ、はい」
     晴奈がそう答えると、柊は晴奈の手を取り、引っ張った。
    「いっしょにねよ?」
    「……はぁ?」



     晴奈と柊は普段、別々の部屋で寝ている。
     だからこんな風に、二人揃って枕を並べることは無いのだが、師匠の誘いでもあるし、酔い方もひどかったので、晴奈は放っておけず、その日は二人並んで眠ることとなった。
    「ふー……、よこになると、ちょっとらくね」
     まだ呂律は怪しいが、先ほどよりは平静を取り戻したようだ。
    「んー……。そっか、はじめてよね。こうやってふたりでねるのって」
    「そう、ですね」
    「こんなによっぱらったのも、なんねんぶりかなー」
    「少なくとも、私がこちらに着てからは、初めてお見かけします」
    「そっかー」
     しばらく、間が空く。眠ったのかと晴奈が思った途端、また声がかけられる。
    「ねえ、せいな」
    「はい」
    「こんどさ、ちょっとだけ、とおでしてみない?」
    「遠出?」
    「そ、ひとつきか、ふたつきか、それくらい。みじかく、たびしない?」
    「いいですね。是非、お願いします」
    「ん……」
     また、静かになる。
     今度は完璧に眠ったらしく、すうすうと言う寝息が聞こえてきた。
    蒼天剣・手本録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、22話目。
    小旅行のはじまり。

    4.
     翌朝、柊と晴奈は昨日の酒宴など無かったかのように、黙々と食事を取っていた。
    「……」
    「……」
     一足先に柊が食べ終え、茶をゆっくりと飲み始める。そして晴奈が食べ終わったところで、柊が口を開いた。
    「どこに行こっか?」
    「え?」
     何の話か分からず、晴奈が聞き返す。
    「ほら、夕べ話してた、旅の話。さっと行って、さっと帰れるところがいいわよね」
    「ああ……。えーと、その、どこがいいでしょうか」
     地理に詳しくない晴奈は、そのまま聞き返す。
    「んー、じゃあ央南東部の……、そうね、州都の青江辺りなんかどうかしら?
     同じ央南だからこことそれほど勝手が違うことも無いし、途中に険しい山とかも無いから、万一何かあってもすぐ戻れるもの」
    「ふむ……。では、それでお願いします」
    「ふふ、楽しみね」
     柊はうれしそうな顔で、茶を一息に飲み干した。



     こんな感じで、晴奈は柊と共に央南東部へと旅に出た。
    「青江とは、どのような場所なのですか?」
    「あなたの故郷、黄海と同じ港町よ。昔話も豊富で、退屈しない場所ね」
    「ほう……」
     13の頃までほとんど、自分の住む街から出たことの無かった晴奈は、その話に心をときめかせていた。
    (黄海とはまた別の港町、か。楽しみだ)
    「ふふ……」
     唐突に、柊が笑う。
    「どうされました?」
    「ん、ああ……」
     柊は楽しそうに微笑みかける。
    「あなたいつも、そんなに笑う方じゃないわよね、って」
    「え?」
     そう返されて、晴奈はいつの間にか自分が笑みを浮かべていたことに気が付く。
    「そう、ですね。心が浮ついておりました」
    「わたしもよ、うふふ……」
     そう言ってはいるが、いつも笑顔でいるからか、晴奈には柊の様子がいつもと違うようには感じられない。
     しかしやはり、柊は上機嫌になっているらしい。楽しそうな口ぶりで、晴奈に色々と話しかけている。
    「わたしね、こうして旅をする度に思うんだけど」
    「はい」
    「やっぱり旅は、一人より二人の方がいいなって」
    「はあ……?」
     突然そんなことを言われ、晴奈はきょとんとする。
    「そんなものでしょうか」
    「そんなものよ。一人旅も楽しいと言えば楽しいけれど、こうして二人で、色んなこと話しながら歩くの、好きだから。
     ね、覚えてる? わたしの友達の、小鈴」
    「橘殿ですね」
    「そう、そう。あの子ともね、何度か一緒に旅したことあったんだけどね」
     クスクスと笑いながら、柊はこう続ける。
    「あの子といると、なんでか騒動って言うか、事件みたいなのにいっつも巻き込まれるのよね」
    「そうなのですか?」
     晴奈が目を丸くするのを見て、柊はまた笑う。
    「ええ。それはそれで退屈しなかったけど、でもやっぱり普段の倍は疲れちゃうのよね。まあ、晴奈となら、流石にそんなことにはならないと思うけど。
     あなたとなら、楽しい旅になりそうね、って」
    「ええ。楽しい旅にしましょう」
     晴奈は力一杯うなずき、嬉しさと楽しさを表した。

    蒼天剣・手本録 終
    蒼天剣・手本録 4
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、23話目。
    はじめての二人旅。

    1.
     青い海。蒼い空。そして対照的な白い雲。
    「わあ……!」
     岬に立っていた晴奈は、感嘆の声を上げた。
     その様子をクスクスと笑いながら眺めつつ、柊が教えてくれる。
    「この絶景が、青江の由縁ね。『し』の字に広がる中央大陸の最東端で、北方の大陸とほぼ、南北の直線状にある街なの。
     間には大陸も大きな島も無いから、北方からの冷たく澄んだ海流が、さえぎられることなく流れ込んでくるらしいの。
     だから時折、北方でしか見られない魚も紛れ込んでくるそうよ」
    「へえ」
     それを聞いた晴奈は海を覗き込んでみる。すると浅瀬に、チラホラと魚の姿を見つけることができた。
    「ふむ……。アジと、イワシが多いですね」
    「ん?」
    「魚です。実家が水産業をしていたので、魚には詳しいんですよ」
    「へぇ。……どう? 北方の魚はいた?」
     興味深げに尋ねた柊に対し、晴奈は残念そうに首を振りつつ答える。
    「夏だからでしょうか。それらしいものは、見当たらないですね」
    「そっか。ちょっと残念ね。じゃ、また冬になったら来てみよっか」
    「そうですね。その時なら、見られるかも」

     こんな風に気楽な、物見遊山の気分で、二人は青江に到着した。
     ただ、この時点まではまだ、柊の口から剣術の「け」の字も出ていなかったし、晴奈も正直なところ、ここで剣の修行をするとは思っていなかった。
    「さてと」
     と、海を眺めていた柊が、ここで唐突に口を開く。水面を覗いていた晴奈は、顔を上げる。
    「行こっか」
    「え? どこにでしょう」
    「この街にね、わたしの古い友人がいるのよ。彼も焔流の剣士で、今はこの青江で剣術道場を開いているの。
     旅と晴奈の修行、その二つをまとめてやっちゃおうと思ってね。だからここに来たのよ」
    「な、るほど」
     晴奈は「単なる息抜きではなかったのか」と言う若干がっかりした思いと、「どんな人物で、どのような修行を行うのだろう」と言う期待の混じった返事をした。
    (まあ、人生思い通りには行かないものだな)
     晴奈は心中で、自分の浮き立っていた心を笑い飛ばした。



     だが、この言葉は後に別の意味を持って、もう一度晴奈と、柊の心に浮かんでくることとなる。
     この街で行うはずの修行が、思いもよらない方向へと向かってしまったからだ。
    蒼天剣・討仇録 1
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、24話目。
    いなくなった友人。

    2.
     青江の街を海岸に沿って進みつつ、柊はこの街で道場を開いていると言うその人物について説明してくれた。
    「彼の名前は楢崎瞬二。短耳で、わたしの9つ上の36歳。
     今から7年前、焔流の免許皆伝を得て紅蓮塞を離れ、それ以来ずっとここに住んでいるの」
    「なるほど」
     郊外の住宅街に差し掛かったところで、柊が道の向こうにある大きな建物を指差す。
    「あそこが道場。さ、行きましょ」
    「はい」
     だが、道場の前に立った途端、柊は首をかしげた。
    「あ、れ……?」
     道場に掲げられた看板には、「楢崎」と言う名前はどこにも無い。それどころか焔流の文字も家紋も、どこにも見当たらない。
    「島、道場? あの、師匠?」
    「お、おかしいわね? ここの、はずなんだけれど」
     二人は顔を見合わせ、唖然とする。柊は動揺しているらしく、その口調はたどたどしい。
    「あ、その、え? ……間違ってない、わよね、住所は。……ここ、よね。……しま、って誰なの? ……え? 楢崎は、どこに行っちゃったの?」
    「あの、師匠。とりあえず中に入り、仔細を聞いてみてはいかがでしょうか?」
    「そ、そうね」
     恐る恐る、二人はその島道場に足を踏み入れる。途端に、中にいた門下生と思しき虎獣人に声をかけられた。
    「おい、そこの女。うちに何の用だ」
    「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
     柊に尋ねられ、門下生は嫌そうな表情を浮かべた。
    「何だ?」
    「この道場って確か楢崎瞬二のもの、だったわよね?」
     そう聞いた途端、門下生は顔を背ける。
    「……し、らない」
     門下生の動揺を読み取った柊は、もう一度尋ねてみる。
    「知らないはずは無いわ。ここは確かに楢崎の道場だったはず。今、楢崎はどこにいるの?」
    「知らないと言ったら知らない!」
     門下生はブルブルと首を振り、頑なに否定する。その様子を見て、晴奈と柊は目で相槌を打つ。
    (……参ったわね。これじゃ、埒が明かないわ)
    (出直しましょうか?)
    (そうね、それがいいかも)
     二人はそのまま、道場を後にしようとしたが――。
    「楢崎? ああ、わしが倒した、あの男のことか」
     道場の奥から、白髪に白いヒゲをたくわえた、壮年の短耳が姿を現した。
    「あなたが、島さん?」
     いぶかしげに尋ねた柊に、男は大仰にうなずいて返す。
    「いかにも。島竜王とは、わしのことだ」
     晴奈と柊は、直感的にこの男の性格を見抜き――以前に良く似た男がいたため――また、目で会話する。
    (うーん、クラウンみたいな奴ね)
    (ええ、確かに)
    「それで、楢崎が何だと?」
     大儀そうに尋ねてきた島に、柊が聞き返した。
    「あの、島さん、でしたか。楢崎を倒したとはつまり、道場破りをなさったと言うことでしょうか?」
    「いかにも。ほんの3ヶ月前だが、ここで恥知らずにも道場を構えていた其奴を、わしがこらしめてやったのだ。
     まったく、あの程度の力量で人を教えようとは、ふざけた男だ」
     この言葉を聞いて晴奈は、一瞬だけ師匠の方に目をやった。
    (……ああ、やっぱりだ)
     晴奈の予想通り、柊から怒気が漏れていた。
     だが彼女はよほどのことが無い限り、その怒りを表に出すことは無いと晴奈は知っているし、実際、この時は冷静に、柊は島に続けてこう尋ねていた。
    「そうですか。今、楢崎はどちらに?」
     島は大仰に首を振り、答える。
    「知ったことか。今頃は自分の無能を嘆いて身投げでもして、魚や鳥のエサにでもなっているのかもな」
     この返答に眉をひそめつつ、晴奈は再度、柊を見る。
     無表情だったが、柊の目は確実に、怒りでたぎっていた。



     道場を後にしたところで、柊は怒りをあらわにした。
    「あの男に、楢崎が負ける? 信じられない! そんなこと、あり得ないわ!
     楢崎の強さはわたしが良く知っている! 間違ってもあんな、性根の腐った奴に敗れるような男じゃない!
     晴奈、一緒に楢崎を探しましょう。事の真偽を確かめないと」
    「はい」
     二人は市街地に移り、街の者に楢崎のことを尋ねてみた。
     だがやはり、楢崎の行方は誰も知らないと言う。その代わりに聞いたのは、あの島と言う男の悪評ばかりだった。
    「あの島と言う男、何でも楢崎さんと勝負する前に、何かを仕込んだとか。それに楢崎さんが引っかかって、その結果敗れてしまったそうだ」
    「島は小ずるい男で、ああしてあちこちの道場を食い潰しているらしい。本人は名士気取りらしいが、実際は酒癖も手癖も悪い、鼻つまみ者だ」
    「あいつが道場を乗っ取ってこの街に居座ってからと言うもの、道場界隈ではケンカが絶えないし、ご近所も迷惑してるそうだ」
     ひどい評判に、晴奈は怒りに震えていた。
    「何と言う下劣な奴だ!」
    「本当、剣士の風上にも置けない奴ね。……何としてでも、楢崎を見つけないと」
     柊も晴奈と動揺、憤っている。しかし、その一方で不安な様子も見せていた。
    (やはり楢崎殿の消息がつかめぬことを、気にかけておられるらしい。見付かってほしいものだが……)
     その後も懸命に聞き込みを続けたが、二人は結局楢崎本人を見付けることも、その消息をたどることもできなかった。
    蒼天剣・討仇録 2
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、25話目。
    思い出話、恨み話。

    3.
    「はあ……」
     宿に戻ってからずっと、柊は机に頬杖を付き、ため息を漏らしている。
    「楢崎殿、一体どこへ行ってしまったのでしょうね。ご無事だと良いのですが」
    「もしかしたら……」
     柊は顔を青ざめさせ、こんなことをつぶやく。
    「本当に負けたことを恥じ、自害した、……なんてこと、無いわよね」
    「し、師匠?」
     縁起でもないその言葉に、晴奈は目を丸くする。
    「だから『無い』ってば。楢崎はそんな、やわな男じゃないわ」
     柊は微笑むが、その笑顔には力が無く、余計に晴奈の不安をかき立てる。
     それを察したのか、柊は話題を変え、楢崎の人柄について話し始めた。
    「楢崎はどちらかと言うと失敗をバネにして、成長する男。わたしが入門した時から、そう言う人だった。
     普段から気性が穏やかで、勝負事はあまり得意では無かったわ。いつも真正面からぶつかる、正々堂々とした戦い方を好むことから『剛剣』と呼ばれ、慕われていたの。
     どこまでも正直で、清々しくて、はっきり言って好人物。紅蓮塞にいた時は、兄のように慕っていた。それとね」
     柊は――他に誰がいるわけでも無いのに、わざわざ――晴奈の耳に口を近付けて、そっとささやいた。
    「わたしの、初恋の人、……だった」
    「そう、でしたか。……今は?」
     柊はすっと晴奈から離れ、肩をすくめる。
    「彼は結婚してしまったし、塞を離れてからは急に、そんな気持ちはしぼんでしまった。
     それでも今なお、兄のように思っているけどね」
     そう言って、柊は恥ずかしそうに笑った。それを受けて、晴奈も思わず微笑んでしまう。
    「……無事だといいですね、楢崎殿」
    「そうね」



     その夜、既に眠っていた晴奈たちの部屋の戸が、トントンと申し訳なさそうに叩かれた。
    「夜分遅く、すみません。柊様、お話があります」
     その消え入りそうな声を聞き、柊がのそのそと起き上がり、眠たげな声で応じる。
    「……何かしら? なぜ、わたしのことを?」
     戸の向こうから、真剣な声色でこう返って来た。
    「我が師、楢崎瞬二のことでお話がございます」
     それを聞いた瞬間、柊の長耳がぴくっと跳ね上がった。
    「開けるわ。話を聞かせて」
     柊が戸を開けるなり入ってきたのは、昼間晴奈たちに声をかけた、あの虎獣人の門下生だった。
    「昼間は大変、失礼いたしました。あなたが柊雪乃様だと、存じ上げなかったもので」
    「いいわ、別に。それより、何故私のことを?」
     柊の問いに、彼はぺこぺこと頭を下げながら答える。
    「先生から伺っておりました。緑髪の長耳で非常に腕の立つ、可憐で優しげな剣士だと。
     あなたが帰った後に、先生から聞いていた特徴を思い出し、慌ててこちらを尋ねた次第です」
    「そう……」
     この辺りで晴奈も起き上がり、眠い目をこすりながら話の輪に入る。
    「楢崎殿は、どうなったのですか? 門下生だったあなたならご存知のはずですが」
    「ええ、存じております。ですがそのことを話す前にまず、自己紹介をさせていただきます。
     私の名は、柏木栄一と申します。3ヶ月前まで楢崎先生の一番弟子でした。ところがあの島と言う男が先生と勝負し、負かしてしまって以来、私はあの下劣な男の小間使いをさせられております」
    「そこを、詳しく聞きたいわ。なぜ楢崎ともあろう男が、あんな者に遅れを取ったの?」
     柊に尋ねられた途端、柏木は表情を曇らせる。
    「……先生は、負けるしかなかったのです。何故ならその前日、先生のご子息がかどわかされたからです」
    「何ですって……!?」
    「脅迫されていたのです。『息子の命が惜しければ、道場を明け渡せ』と」
     瞬間、柊師弟は激昂した。
    「ふざけた真似をッ!」
    「幼い子を危険にさらしてまで、己の利欲を取るなんて!」
    「お待ち下さい。話には、続きがあります」
     柏木は涙を流しながらも、話を続ける。
    「勝負に負けた後も、ご子息は戻ってこなかった。すでに、どこかへ売り飛ばされたと言うのです。
     負かされた直後に奴自身からその言葉を聞いた先生は、島に負わされたケガも忘れてご子息を探しに出て、そのまま行方が……」
    「なんと……、なんとむごい!」
     あまりに残酷な話を聞かされ、晴奈は怒りで尻尾の毛を毛羽立たせる。
    「奥方も心労で倒れられ、今は臥せっております。
     私自身が仇を討とうとしたものの、実際島は強く、私ではとても太刀打ちできなかったのです。ですが柊様ならきっと、あの男を倒せるでしょう!
     お願いです、柊様! 何卒あの悪党、貧乏神、寄生虫――島を討ってください!」
    「……」
     柊は口を開かない。その代わりに刀を手に取り、下ろしていた髪を巻き上げ始めた。それを見た晴奈も、同じように外へ出る支度を取る。
     支度が整ったところで、柊が静かに、しかし力強く答えた。
    「任せなさい。すぐ片付けるわ」
     柊と晴奈の周りには、たぎるように熱い「気」が広がっていた。
    蒼天剣・討仇録 3
    »»  2008.10.07.
    晴奈の話、26話目。
    殴り込み。

    4.
     今宵は双新月――白い月も、赤い月も見えない、そんな夜である。
     月の光の無い真っ暗な夜道を、二つの影が滑るように進む。その影は青江の海岸線に沿って進み、恐るべき速さでかつて友が住み、今は仇に奪われた屋敷に走っていく。
     友の仇を討ち取るために。

     道場のど真ん中で酒を飲み、肴を食い散らしていた島は、ぞくっと身震いする。
    「……な、なんだ? この気配は」
     腐ってもまだ、一端の剣士ではあるらしい。さっと立ち上がり、床の間に飾っていた刀に手をやった。
     ほぼ同時に道場の扉が×状に裂け、燃え上がる。一瞬で燃え尽きた扉の向こうには、柊と晴奈の姿があった。
    「昼間の武芸者どもか。一体、わしに何の用だ?」
     柊は道場が震えるような、高く、大きな声で応えた。
    「我が名は柊雪乃! 焔流、免許皆伝の身である! 今宵は我が友である楢崎瞬二の無念を晴らしに参った! 島竜王、その命頂戴する!」
     柊の刀に火が灯る。横にいた晴奈の刀にも同じく火が灯り、今度は晴奈が叫ぶ。
    「我が名は黄晴奈! 焔流門下生である! 我が師、柊雪乃に助太刀いたす!」
    「は、は……。逆恨みもいいところだ。まっとうな勝負で、わしはこの道場を手に入れたのだ。無念だの仇だの、片腹痛いわ!」
     臆面もなくそう言い放つ島に、二人が憤った声で叫び返す。
    「ほざくな、戯言を! 楢崎の家族に危害を加え、脅迫したこと! 知らぬと思うのか!」
    「知らんわ! 証拠でもあると言うのか!?」
     なおもしらばっくれる島をにらみつけ、柊と晴奈は同時に刀を振り上げる。
    「問答無用! 我らは友の無念を晴らすのみ!」
     そして同時に、刀を振り下ろした。
    「『火射』ッ!」
     振り下ろした刀の延長線上を滑り、炎が走っていく。炎の滑る速度は非常に早く、島は慌てて飛びのいた。
    「お、っと! いきなり攻撃か! 油断を突くなど、それでも剣士か、お前ら!」
    「敵を前にして油断など、それこそ剣士ではない! 覚悟しろ、島ッ!」
     柊師弟は同時に道場へ飛び込み、島に斬りかかる。だが島は両手に刀を持ち、二人の太刀を防ぐ。
    「二刀流か!」
    「ふっふ、女の剣など打ち破るのはたやすい! 刀錆にしてくれるわ!」
     そう言うと島は二人の刀を弾き、左にいた晴奈に向かって両手の刀を振り抜いた。
    「む……ッ」
     晴奈の刀を挟むように剣閃が走り、絡め取って弾く。
    「ほら、胴ががら空きだッ!」
     島の右手が伸び、晴奈の腹に向かって刀を突き入れる。だが俊敏な「猫」である晴奈は、瞬時に後ろへ飛びのき、突きをかわした。
    「チッ! すばしっこい……」「でやあッ!」「うぬっ!?」
     島の意識が一瞬、晴奈に集中したその隙を狙い、柊が袈裟斬りを入れる。ところがこれも島が背中に刀を回し、防いでしまう。
    「無駄だ! 島式二刀流は攻防一体! 片手が防げば、片手が刺す!」
    「あら、そう」「ならば」
     もう一度、柊師弟は連携を見せる。島の前後から、同時に薙いだ。
    「はははっ、それも万全よ!」
     島は逆手に刀を持ち、二人の攻撃を弾く。
    「どうだ、この鉄壁! この刀の壁! お前ら如きに破れる代物では無い!」
    「そうかしら」「手ぬるい」
     師弟は不敵に笑い――交互に打ち合い始めた。
     晴奈が島に斬り込む。島はそれを弾く。弾くと同時に柊が突く。島はもう片手でそれを打ち落とす。落とした瞬間、晴奈が刀を振り下ろす。
    「む、お、この、ぐ……っ」
     晴奈たちの旋風のような無限の連打を受け、島は一向に、攻勢に転じることができない。
    「ま、ま、待て、待て、待てと、言うに」
     次第に、島から弱気が漏れる。
    「やめ、がっ、やめて、ぐっ、やめてくれ、ぎっ」
     島の刀がガクガクと歪み、島自身も脂汗を流し始める。
    「は、う、かん、べん、して、うぐ、してくれ、ひぃ」
     だが、師弟の太刀筋は弱まるどころか、勢いを増していく。
    「わ、わる、わるかった、あやま、ああ、あやまるか、ら、かんべ、かん、か、か……」
     だが、二人に島を許す気など毛頭無い。
    「今さら、そんなことを言っても無駄だ」「冥府でじっくり、反省するがいいわ」
     やがて島の刀も両腕も、限界に達し――その胴に、柊師弟の刀が到達した。



     一夜明け、道場では大掃除が行われた。島が食い散らかし、飲み散らかしたものの後片付けと、島との死闘の後始末である。
     勿論晴奈と柊も手伝い、昼前には綺麗に片付けられた。
    「これで、あいつのいた面影は無くなった、かな」
    「本当に、ありがとうございました! 本当に、何とお礼を言って良いか!」
     柏木は声を震わせ、泣きながら柊に礼を言った。
    「いいわよ、これしきのことで。わたしとしては、仇が討てただけで満足だから」
    「いえ、そんな! 何かお礼をしなければ、剣士の名折れです!」
    「そう? じゃあ……」
     柊は所期の目的――晴奈の修行の相手を、柏木たち門下生に頼むことにした。柊本人も修行に付き合い、本家焔流と楢崎派焔流の交流は大いに盛り上がった。



     そして一ヶ月が経ち、二人は紅蓮塞への帰路に着いた。
     その途上、柊はぽつりとつぶやく。
    「晴奈、強くなったわね」
    「え?」
    「島とやりあった時の、あの勢いと剣の冴え。わたしと互角に張り合えるほどの完成度だったわ。
     もしかしたら近いうち、わたしはあなたに追い抜かれてしまうかもしれないわね」
     晴奈は驚き、バタバタと手を振る。
    「な、何を仰いますか! 私なんて、まだまだ……」
    「ううん、謙遜しないで。きっとあなたは、わたしより強くなる。強くなってくれるわ」
     そう言った柊は、とても美しい笑顔をしていた。
    「あなたが――わたしの弟子が、わたしより強くなるなら、それほど嬉しいことは無い。
     頑張って、晴奈。あなたはもっと強くなれる子よ」

    蒼天剣・討仇録 終
    蒼天剣・討仇録 4
    »»  2008.10.07.

    蒼天剣・立志録 1

    2008.10.06.[Edit]
    晴奈の話、1話目。和風ファンタジー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 時は双月暦506年。 夜道を駆ける、三毛耳の猫獣人の少女がいた。 名を、晴奈と言う。 央南地方で名を馳せる大商家の令嬢であったが、先刻その身分を自ら捨ててきた。 彼女には志ができたからだ――「あの人のように、強い剣士になりたい」と。 元々、彼女は何不自由なく育てられていた、箱入り娘であった。ゆくゆくは婿を取らせて家を継が...

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    * 

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    晴奈の話、2話目。
    すべてのはじまり。

    2.
     すべての始まりは彼女が夜道をひた走る、その半日前だった。
     その日も晴奈は親の言いつけ通り、舞踊の稽古と料理の教室に通っていた。前述の通り、「お前の将来を思って」とする親の意向からである。
    (何が、私の将来よ?)
     晴奈は一人、親への不満をつぶやく。親にとって「晴奈の将来」とは黄家の将来であり、親たちの家の将来のことなのである。
     すべては晴奈が将来いい婿を手に入れられるようにと――彼女の意志を反映されること無く――やらされている、「花嫁修業」なのである。
    (私は、あいつらの人形じゃない……)
     ぶつぶつと、不平・不満をつぶやいている。それが、彼女の日課だったのだ。
     その日まで、それだけが教室から家に帰るまでの変わりない毎日における、彼女の気晴らしだった。

     いつもと違ったのは、ここからだった。
     そうして道を歩いていたところで、彼女は治安の行き届いているこの街ではあまり見慣れないものに出くわしたのだ。
     ケンカである。
    「あ……」
     酔っ払い風の、3人のむさくるしい男たちが、エルフの女性に絡んでいた。
     一般的にエルフや長耳などと呼ばれている種族は目鼻立ちがはっきりしており、欧風の趣がある中央大陸北部――通称、央北地方や、北方の大陸に多い種族と見られがちだが、精神性と仁徳を重んじる央南地方の風土に、高い知性と、穏やかな性格を持つ彼らは、存外良くなじむらしく、この地でも見かけることが少なくない。
     男たちはそのエルフににじり寄りながら、一緒に酒を飲もうと言い寄っている。
    「だーらさー、つきあーってってー」
    「断ります」
    「そんらころ、いわらいれさー」
    「断ります」
    「いーじゃん、いーじゃんー」
    「断ります」
     晴奈は遠巻きに見つめながら、男たちに不快感を覚える。
    (嫌な人たち! こんな日の出ているうちからあんなに酔って、恥ずかしいと思わないの?)
     どうやらエルフの女も明らかに男たちを煙たがっているらしく、ひたすら「断ります」としか答えていない。
     それを察したらしく、男たちの語気が次第に荒くなっていく。
    「なんらよー、おたかくとまっちゃっれ」
    「いいきに、あんあよー」
    「きれるよ、きれちゃうよ」
     男たちが女ににじり寄ってくる。
     その下卑た顔が横一列に並ぶのを見た途端、晴奈はとっさに女の近くに寄り、手を引いていた。
    「お姉さん、行こう? こんな人たちに構うこと無いよ」
     間に割って入った晴奈を見て、男たちは憤る。
    「なんらー、このガキ?」
    「やっべ、うっぜ」
    「うるせえ、あっちいけ!」
     そのうち、男たちの一人が晴奈を突き飛ばした。
    「きゃっ!」
     晴奈はばたりと倒れ、手をすりむいてしまう。
     それを見た女が「あっ」と声を上げ、こうつぶやいた。
    「……騒ぎたくは無かったけれど、そんなわけには行かなくなったか」

     女の雰囲気が変わったことに初めに気付いたのは恐らく、倒れて女を仰ぎ見ていた晴奈であろう。それまで逃げ腰だった様子に、急に凄みが差し始めた。
     だがその時点で、男たちはまだ気付いていなかったらしい。
    「じゃますっからだ、ガキ!」
    「いけ、どっかいけ、しね!」
    「さあ、おじょーさん、じゃまがき、え……、え?」
     3人目の男が、ようやく気付いたらしい。何か言いかけて、途中で言葉が途切れたからだ。
    「幼子に向かって、そのような態度! 容赦しない!」
     女がそう叫んだ瞬間、晴奈に向かって「死ね」と言った男が吹っ飛んだ。
    「ぎっ……」
     叫ぼうとしたようだが途中で気を失ったらしく、そのまま仰向けに倒れて動かなくなる。
    「お、おい」
    「な、なにすん……」
     続いてもう一人、くの字に折れてそのまま頭から倒れる。どうやら、女が何か仕掛けたらしいが、傍らで見ていたはずの晴奈でも、何が起こったのか分からない。
     晴奈は立ち上がり、女から少し離れて再度、様子を伺う。そこで女の手に何かが握られているのが、チラリとだが確認できた。
    「あ、あ……」
    「まだ正気が残っているのならば、さっさとそこの2人を担いで立ち去りなさい」
    「……はひ」
     一人残った男は慌てて倒れた仲間を引きずりながら、その場から逃げていった。
     女の手には刀が、刃を逆に返して握られていた。どうやらそれで男たちを叩き、ねじ伏せたらしい。
     これが、後に晴奈の師匠となるエルフ――柊との出会いであった。

    蒼天剣・立志録 2

    2008.10.06.[Edit]
    晴奈の話、2話目。すべてのはじまり。2. すべての始まりは彼女が夜道をひた走る、その半日前だった。 その日も晴奈は親の言いつけ通り、舞踊の稽古と料理の教室に通っていた。前述の通り、「お前の将来を思って」とする親の意向からである。(何が、私の将来よ?) 晴奈は一人、親への不満をつぶやく。親にとって「晴奈の将来」とは黄家の将来であり、親たちの家の将来のことなのである。 すべては晴奈が将来いい婿を手に入...

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    晴奈の話、3話目。
    三毛猫姉妹。

    3.
    「大丈夫、晴奈ちゃん?」
     柊が心配そうに晴奈の手のひらを覗き込み、手当てをしてくれている。
    「え、ええ」
     先ほどの騒ぎが一段落したところで、柊がケガをした晴奈に気付き、落ち着いた場所まで連れて行ってくれたのだ。
     流石に魔力の高いエルフらしく、柊は治療術ですぐに傷を治してくれた。
    「ありがとうございます、柊さん」
    「いえいえ、礼を言われるほどのことじゃないわ」
     そう言って柊はにこっと微笑む。
     出会ってたった十数分しか経っていないが、晴奈はこの人のことをとても好きになった。
    「お強いんですね、柊さん」
    「ううん、私なんかまだまだよ。
     むしろ晴奈ちゃんの方こそ、勇気があるわ。普通の人はあんな時に声、かけられないもの」
    「そ、そう、ですか?」
     そう言われて、晴奈は妙に嬉しくなった。
     今までのほめられ方は「女らしい」「可愛い」と言う、親のかける期待に沿うようなものばかりだったが、たった今、柊からかけられた「勇気がある」と言うその言葉は、そんなものとはかけ離れた――「親の期待」とはまったく無関係なところから届いた、まさに晴奈が望んでいたものだったからだ。
    「……いいなぁ、かっこ良くて」
     思わず、晴奈はため息混じりにそんなことをつぶやいていた。
    「ん?」
    「私なんか、全然かっこ良くないです。……どうしたら、柊さんみたいになれるかな?」
     柊は少し困ったような顔をし、言葉を選ぶような口調で返した。
    「うーん、私みたいに、ねぇ。……剣術、かしらね。昔から、励んでいたから」
    「剣術、ですか」
     晴奈はその言葉に、何かを感じた。それが何なのか、この時明確に言うことはできず、結局そこで話は途切れてしまう。
    「じゃ、そろそろ行くわね」
    「え? あ、えっと、どこに?」
     慌ててそう尋ねた晴奈に、柊は依然としてにこやかに、こう答えてくれた。
    「そろそろ故郷に戻ろうと思って。ここから南にある、紅蓮塞って言う修練場なの」
     柊はもう一度にこっと笑い、そのまま去って行く。
     晴奈は別れの言葉も言えずに、ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。



     柊と別れた後から、晴奈の中で二つの思いが交錯し始めた。
     柊との出会いは、晴奈に大きな衝撃を与え、「柊さんを追いかけて、自分も剣士になりたい」と言う思いを抱かせたのだ。しかしその思いを実現させれば――憂鬱で仕方の無い日々だったとは言え――今までの平穏な日常が終わってしまう。
     晴奈は家に戻ってからもずっと、剣士の道を取るか、それとも安穏な日々を取ろうかと迷っていた。
     そんな風に考えあぐねていたため、晴奈は家の廊下でうっかり、妹とぶつかってしまった。
    「きゃっ」
     よろけた妹の手を取り、晴奈は頭を下げる。
    「あ、ああ。ごめんなさい、明奈」
     晴奈は慌てて妹の明奈に謝る。
    「どうなさったの、お姉さま?」
     明奈はきょとんとした顔で、晴奈の顔をのぞき見る。
    「ええ。少し、考えごとを」
    「すごく険しい顔をしていらっしゃるわ。一体、どんなことを?」
    「……」
     妹になら話してもいいかと考え、晴奈は明奈を自分の部屋に招き入れ、悩みを打ち明けた。
    「そんなことがあったのですね」
     すべてを聞き終えた明奈は、静かな口ぶりでこう返した。
    「では行った方がよろしいのでは?」「えっ」
     明奈の言葉に晴奈は驚いた。てっきり反論されるか、止められるかと思っていたからだ。
    「黄家は、わたしが継ぎます。だからお姉さま、ご自分の夢を追いかけてらして」
    「で、でも明奈、あなたは?」
     戸惑う晴奈に、明奈は淡々と返す。
    「わたしには、そこまで強い志がありません。せいぜい『良縁に恵まれ、良いお嫁さんになりたい』と言う程度。旧い黄家にふさわしいでしょう?
     でもお姉さまは大きな志を、夢を抱いていらっしゃる。その夢はこの旧い家にいたのでは、終生叶いませんわ」
     たった8歳だが、強いまなざしで語る明奈の言葉によって、13歳の晴奈の心の奥底にカッと火が灯る。
     これまでの、家族に守られ安穏としていた生活から離れ、たった一人で修行に向かい、荒波に揉まれてみようとする勇気が沸き起こった。



     そして夜半――晴奈は荷物をまとめて家を抜け出した。
     柊にもう一度会い、そして柊のような、強く、かっこいい剣士になるために。

    蒼天剣・立志録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、3話目。三毛猫姉妹。3.「大丈夫、晴奈ちゃん?」 柊が心配そうに晴奈の手のひらを覗き込み、手当てをしてくれている。「え、ええ」 先ほどの騒ぎが一段落したところで、柊がケガをした晴奈に気付き、落ち着いた場所まで連れて行ってくれたのだ。 流石に魔力の高いエルフらしく、柊は治療術ですぐに傷を治してくれた。「ありがとうございます、柊さん」「いえいえ、礼を言われるほどのことじゃないわ」 そう言って...

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    晴奈の話、4話目。
    和風魔術剣。

    4.
     2日歩き通し、晴奈はようやく街道を進んでいた柊に追いついた。
    「……!?」
     あちこち土で汚れ、擦り傷だらけになった晴奈を見て、柊はとても驚いた目を向ける。
    「えっと、……晴奈ちゃん?」
    「はい!」
    「どうしてここに?」
    「柊さん。私を、……私を、弟子にしてください!」
     晴奈はいきなり柊の前に座り込み、深々と頭を下げた。
    「ちょ、ちょっと、晴奈ちゃん。あの、困るわ。私も、修行中の身だから」
    「お願いします!」
    「いや、あの、うーん……。あ、そうだ、お家の方と相談して……」「縁を切りました」「え!?」
     晴奈の言動に柊はまた目を丸くし、言葉を失ってしまった。



     柊は何とか説得しようとしたが、結局、晴奈の熱意と意気込みが伝わったらしく、諦め気味にこう答えた。
    「私はまだ修行中の身であるし、私が稽古を付けることはできない。それは理解してほしいの。
     だからともかく、私の師匠の所へ一緒に行きましょう。その人なら晴奈ちゃんが十分納得するように修行を付けてくれるはずだから」
    「……分かりました」
     晴奈はこの条件を呑み、柊と共に向かうこととなった。
     そして2人で街道をひたすら南へ1週間下り続け、2人は岩山に建つ、巨大な要塞の前に到着した。
    「ここが私の属する剣術一派、焔流の総本山であり、央南各地の剣士が修行の場にしている場所――通称『紅蓮塞』よ」
    「ここ、が……」
     その建物を見上げ、晴奈は思わず息を呑む。建物全体から、ビリビリと迫力が伝わってくるように感じたからだ。
     そこはまさに、霊場と言っても過言では無いように思えた。
    「さ、入るわよ」「あ、は、はい!」
     雰囲気に圧倒されながらも、晴奈は勇気を奮い立たせて柊に付いて行く。
     塞の中には修行場やお堂があちこちにあり、どこを見ても剣士たちがたむろしている。何年もここで修行をしていた柊には動じた様子は無いが、初めてここへ入った晴奈は強い威圧感を覚え、不安でたまらなくなりそうだった。
    「あ、あの」「ん?」「……いえ、何でも」
     だがその不安を口にすれば、柊から「やっぱり無理よ」などと言われ、引き返されてしまうかも知れない。そう思った晴奈はぐっと我慢し、柊の後をひたすら付いて行った。
     やがて柊はある部屋の前で立ち止まり、晴奈に振り返った。
    「ここが私の師匠――現焔流の家元、焔重蔵先生のお部屋よ。
     気さくな方だけど礼儀には厳しいから、気を付けてね」
    「はい」
     柊は少し間を置き、すっと戸を開けた。

     部屋の奥では、短耳の老人が正座して本を読んでいた。
    「うん?」
     柊たちに気付き、老人は眼鏡を外して顔を上げる。
     目が合うまでは一見、ただの好々爺のようにも見えたのだが、目が合った瞬間、晴奈の背筋に汗がつつ、と流れる。
    (『熱い』……!? 何だろう、この人? まるで燃え盛る炎が、すぐ近くにあるみたい)
    「おお、久しぶりじゃな雪さん」
    「ご無沙汰しておりました、家元」
     柊は深々と頭を下げ、師匠――焔重蔵に挨拶した。
     重蔵は座ったまま、ニコリと笑って応える。
    「おう、おう、そんな大仰にせんでもいい。ところで雪さん、その『猫』のお嬢さんはどなたかな?」
    「はあ、実は……」
     柊は言われるままに足を崩し、晴奈が焔流への入門を希望している旨を告げた。話を聞き終えた重蔵はあごを撫でながら空を見つめ、「ふむ……」とうなる。
    「どうでしょうか、家元」
     尋ねられ、重蔵は何度か短くうなずきつつ答える。
    「まずは試験を受けさせて見なければ、何とも言えんな。何をおいても、まず資質が無ければ、うちの剣術の真髄を身に付けることはできんからのう」
     重蔵はそう言って立ち上がり、背後に飾っていた刀を手に取った。
    「とは言え、魔力が高いと言われておる『猫』さんじゃったら、その資質も申し分無いじゃろうが――これは、最初に説明しておかなければのう」
     重蔵はそこで言葉を切り、柊と晴奈を手招きした。
     2人が部屋の真ん中に座り直したところで、重蔵は説明を続ける。
    「うちの流派は、その名も『焔流剣術』――読んで字のごとく、焔、つまり火を操る剣術なのじゃ。
     このようにな」
     途端に、重蔵の構えた刀の切っ先にポン、と火が灯る。
    「……!?」
     晴奈は声も出せないほど驚いた。
     刀に灯った火はそのまま、するすると刃先を走っていき、やがて刀全体が火に包まれる。そのまま重蔵は上段に剣を構え、振り下ろした。
    「やあッ!」
     振り下ろされた刀から火が飛び、そのまま床を走る。ジュッと床が焦げる音がし、壁際まで火が走り、しかし燃え広がることも無く、すぐに消えた。
    「あ……、わ……」
     目を白黒させる晴奈を面白がるような口ぶりで、重蔵はこう続けた。
    「これこそが焔流剣術の真髄。刀に火を灯し、剣閃に炎を乗せ、敵を焼く。もちろん、本来の剣術の腕も、不可欠。
     剣を極め、焔を極める。晴さん、自分にその覚悟と資質はあるかな?」
     重蔵は刀を納め、晴奈に笑いかけながら問いかける。
     晴奈はまだ動揺していたが、黙ったまま、コクリとうなずいた。

    蒼天剣・立志録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、4話目。和風魔術剣。4. 2日歩き通し、晴奈はようやく街道を進んでいた柊に追いついた。「……!?」 あちこち土で汚れ、擦り傷だらけになった晴奈を見て、柊はとても驚いた目を向ける。「えっと、……晴奈ちゃん?」「はい!」「どうしてここに?」「柊さん。私を、……私を、弟子にしてください!」 晴奈はいきなり柊の前に座り込み、深々と頭を下げた。「ちょ、ちょっと、晴奈ちゃん。あの、困るわ。私も、修行中の身...

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    晴奈の話、5話目。
    入門試験。

    5.
     晴奈は剣道着に着替えさせられ、とあるお堂の中央に座らされた。そして横には、同じように剣道着姿の柊がいる。
     晴奈たちの前に重蔵が立ち、試験について説明する。
    「まあ、やることは至極簡潔なものじゃ。ただ座禅をしてもらう、それだけ。
     3時間じっとする、それ一つのみ。簡単じゃろ?」
    「は、はい……」
     晴奈はまだ少し緊張が取れず、恐る恐る答える。そんな晴奈を見て、重蔵はニコニコと笑みを返す。
    「はは、そう堅くならんと。
     じゃが、油断してはならんぞ。この堂には、鬼が棲んでおるからのう」
    「お、……鬼、ですか?」
     重蔵の言葉に、晴奈は目を丸くした。
    「そう、鬼じゃ。繰り返すが、試験の内容はただ一つ。鬼に惑わされること無く、3時間じっと座禅を組み続けること。それだけじゃ。
     ああ、そうそう。言い忘れておった。雪さんも、『私が晴さんを連れてきたのだから、晴さん一人で試験を受けさせるのは不義。同じように受けさせていただきたい』と言うから、そこに座っておる。
     じゃが、声をかけてはならんぞ。黙してただ座禅、それだけに専念するようにな」
    「はい」
     答えつつ、晴奈は柊の方をチラリと見る。柊はすでに、目をつぶって座禅に入っていた。それを見て、晴奈は慌てて視線を重蔵に戻す。
    「それではわしがここを離れてから、もう一度入ってくるまで。
     一意専心――ひたすら、座禅を通しなさい」
     そう言って重蔵は晴奈たちから離れ、堂の戸を閉める直前に振り返り、一言付け加えた。
    「おお、そうそう。ちなみにこの場所、『伏鬼心克堂』と言うんじゃ」
     そこでにっと薄く笑みを浮かべて、重蔵が戸を閉めた。

     晴奈は言われた通りに座禅を組み、じっとしていた。
    (ふくき、しんこくどう?)
     重蔵が残したその言葉を、晴奈は心の中で何度も読み返す。
    (鬼が潜んでいるから、伏鬼かな。心克って言うのは、克己心――自己を高める心のことだろうな、きっと。
     つまり鬼に負けないで、精神修養しろってことかな)
     色々考えているうち、何の刺激も無いためか、少しうとうとし始めた。
    (ん……。あ、危ない危ない。ちょっと、眠りそうになった。
     ダメダメ、ちゃんと座禅しないと。もし重蔵先生に見られていたら、怒られちゃうかも)
     慌てて、目を開く。その直後、とす、と言う音が、背後から聞こえた。
    (……足音?)
     とす、とすと、晴奈の背後で音が響く。思わず振り返りそうになったが、晴奈は心の中で自分を戒める。
    (ダメダメ、座禅! 座禅を組まないと!)
     その間もずっと、とすとす歩く音が聞こえてくる。ゆったり歩いているらしい、軽い足音である。
    (もしかして、……これが『鬼』? 何だか猫か兎みたいに、軽い足音。もしかしたら、子鬼かな?)
     そう思った瞬間、子供の笑う声が、ほんのかすかに聞こえてきた。
    (あ、やっぱり子鬼なんだ。……鬼でも、子供は可愛げがあるんだなぁ。
     これがもし大人の鬼だったら、きっと足音なんて、『とすとす』みたいなもんじゃないんだろうな)
     晴奈は少し笑いそうになったが、何とかそれをこらえようとした。
     だが、笑いは自然と消えた。笑っていられなくなったのだ。

     突然、地面が揺れる。
     座禅を組んでいた自分の体が――13歳にしてはわりと背が高く、体重もそれ相応にあるはずだが――一瞬、浮かぶほどの揺れだった。
    (きゃあっ!? じ、地震!?)
     叫びそうになったが、先程まで笑いをこらえていたこともあって、何とか声を漏らさずに済む。目をつぶって無理矢理心を落ち着かせ、何が起こったか冷静に予想してみようとする。
    (地震じゃ、無い、よね。外、騒いでないみたいだし――もしかしたら、地震くらいじゃ剣士たちって、騒いだりしないのかも知れないけど――一瞬で止んだ。
     もしかして、もしかしたら……、大人の、鬼?)
     その想像に、思わず晴奈はぶるっと震える。
    (いや、いや……、そんなわけ、無いじゃない! さっきまで、いなかったんだから!
     ……で、でも。子鬼、は、最初いなかった。どこかから姿を現した、から、いるわけで。とすると、その……、鬼も、入ってきたのかな?)
     そう考えた瞬間、また地面が揺れて体が浮き上がる。ずしん、と言う重く大きな音が、晴奈の猫耳をビリビリと震わせた。
    (ひっ……!)
     心の中で叫ぶ。ずっと黙っていたせいか、実際に声を出すまでには至らなかった。晴奈は鬼に怯えながらも、心の中で繰り返し唱える。
    (だ、だ、だ、大丈夫、大丈夫だって! もし襲うなら、背後でウロウロしたりなんか、しないじゃない! とっくに襲って来ているはず! だから、きっと、多分、大丈夫な、はず!
     そ、それに、もし、万が一襲ってきても、柊さんが横にいるんだし、きっと守ってくれる! だから、ほら、心を落ち着けて! ちゃんと座禅を、組まないと!)
     先ほど揺れた時と同様、無理矢理に心を落ち着かせようとするが、恐怖の広がった心は恐ろしい想像ばかりかきたてていく。
    (……でも、鬼に人間が勝てるの? いくら柊さんでも、殺されちゃうんじゃ……!?)
     自分のあらぬ想像を、晴奈は全力で否定しようとした。
    (そ、そんなわけ無い! 無いの! だって、ほら、横には、ちゃんと……)
     そこで晴奈は目を開け、柊の姿を確認して自分を安心させようとした。

     だが、その光景に今度こそ叫びそうになった。
     柊が血を流して倒れている。座禅を組んだまま、横になっている。だが向けられた背中に、いかにも鬼が持っていそうな棍棒が、無残に食い込んでいる。そこからドクドクと血が吹き出しており、どう見ても絶命している。
    (い、……嫌あああぁぁぁッ!)
     恐怖で凍りつき、叫んだつもりののどからは、悲鳴は漏れなかった。先ほどからずっと黙ったままの晴奈は、のどを押さえて震えだす。
    (あ、あああ、柊さん、柊さん……!?)
     恐怖が頂点に達し、晴奈は現状を呪い始めた。
    (何で、何でこんなことに……! ああ、私が、試験を受けるなんて言ったから、柊さんが死んじゃったんだ!
     私の、私のせいだ! 私が、ここに入ったから、柊さんも、一緒に入って、だから、死んで……。
     ……え?)
     恐怖による混乱の渦中にありながらも、晴奈はある矛盾に気が付いた。

    蒼天剣・立志録 5

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、5話目。入門試験。5. 晴奈は剣道着に着替えさせられ、とあるお堂の中央に座らされた。そして横には、同じように剣道着姿の柊がいる。 晴奈たちの前に重蔵が立ち、試験について説明する。「まあ、やることは至極簡潔なものじゃ。ただ座禅をしてもらう、それだけ。 3時間じっとする、それ一つのみ。簡単じゃろ?」「は、はい……」 晴奈はまだ少し緊張が取れず、恐る恐る答える。そんな晴奈を見て、重蔵はニコニコと...

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    晴奈の話、6話目。
    剣士への第一歩。

    6.
     晴奈はもう一度、頭の中を整理する。
    (だって、試験、なんだから。
     重蔵先生は特に仰ってなかったけれど、柊さんもここの剣士なんだから、以前に試験を受けているはず、よね? じゃあ、ここに入っている、……よね?
     だったら、鬼が出るって言うのも、襲うって言うのも知っていたはず。それなら身を護るために、防具なり武器なり、装備しているはず――例え歯が立たないとしてもー―でも柊さんは、道着だけ。襲われる可能性があるのに、道着だけを?
     ……以前は、出てこなかった? 襲われなかった? 二度入ったら、襲われるって言うの? そんなバカな話、無い。それなら重蔵先生は、何度襲われているか分からないじゃない。と言うことは、鬼は襲わない。普通は、襲わない?
     じゃあ、襲ったのは何で? ……あれ? 襲った? 物音も無く? ううん、あれだけドスドス音を立ててるんだから、柊さんが気付かないわけが無いじゃない!?
     おかしい。考えれば考えるほど、矛盾が広がっていく)
     納得行く説明を求め、迷走していく晴奈の心が、少しずつ静まっていく。
    (おかしい、おかしい!
     大体、この堂の入口は、前にある一ヶ所しか無い。前から入って来たのなら、すぐ分かるはず。でも足音が聞こえて来たのは、いつも後ろから――前からの足音は、一度も聞こえて無かった。
     じゃあ、鬼は突然現れたの? いつ? どうして?)
     そこまで考えたところで、晴奈にある閃きが走った。
    (殺されると思ったら、柊さんが殺された。鬼の足音のことを考えたら、鬼が出た。子鬼かなと思ったら、笑い声。
     考えると、現れる?)
     晴奈はもう一度目をつぶり、心を落ち着けて考えた。
    (柊さんは死んでない。じっと、座禅を組んでいる)
     心の中で強く思い、目を開けて横を見た。
     そこには重蔵が戸を閉めた時と同じ姿勢のまま、柊が何事も無かったかのように、静かに座っていた。



     伏鬼心克堂――その意味は、「鬼が潜む心(伏鬼心)を、抑える(克する)堂」。
     雑念によって現れる様々な「鬼」――迷いや不安、猜疑心を、冷静になって消し去ることを学ぶ堂である。
     そして焔流の真髄、炎を操るには、冷静沈着な心が不可欠なのだと言うことを第一に学ぶために、この試験は用意されているのである。



     一旦それに気が付くと、不思議なほど晴奈の心は静まり返った。極めて冷静に、心を落ち着けて、時間が過ぎるのを待った。
     幸い、時間を潰すのは非常に簡単だった。どう言う理屈か晴奈には分からなかったが、この堂は念じれば、何でも出てくるのだ。時間が過ぎ去るまでの間、晴奈は妹のことを思い浮かべることにした。
    (明奈。あなたには、感謝してもしきれない)
     目の前に明奈が現れ、ニッコリと笑いかけてくる。
    (あなたの言葉があったからこそ、私はこうしてここにいる)
     明奈は前に座り込み、穏やかに笑っている。
    (明奈、……ありがとう)
     そうして晴奈はずっと、明奈と声を出さずに語り合っていた。

    「はい、そこまでじゃ」
     どうやら3時間が過ぎたらしい。
     入口の戸が開き、重蔵が入ってきた。柊がすっと立ち、深々と頭を下げる。晴奈も慌てて立ち上がり、同じように頭を下げた。
    「どうやら、合格のようじゃな。3時間、よく頑張った」
     重蔵は笑いながら、晴奈の頭を優しく撫でた。
    「あ、ありがとうございます!」
    「これで晴さんも、晴れて焔流の門下生じゃ。精進、怠らんようにな。
     それから雪さん。よく考えればもう、入門して16年になるのう。そろそろ教える側に回っても良かろう。師範に格上げしておくから、さらに精進するように」
    「はい!」
     柊はとても嬉しそうな顔をして、もう一度頭を下げた。その頭を、重蔵が先ほどと同じように、優しく撫でながらこう言った。
    「それでじゃ。晴さんは、君が指南してあげなさい」
    「え!?」
    「元々君に師事したいと言っておったのじゃし、年老いたわしの下に就いておっては、折角の若い才能も枯れてしまうじゃろう。
     しっかり、鍛えてやりなさい」
    「……はい。しかと、拝命いたしました」
     柊は三度頭を下げ、晴奈に向き直った。
    「改めてよろしくね、晴奈ちゃん。……ううん、晴奈」
    「はい! よろしく、お願いいたします!」
     晴奈ももう一度、深々と頭を下げた。



     こうして黄晴奈は焔流に入門し、師匠・柊雪乃の下で修行を積むことになった。
     これが後の剣聖、「蒼天剣」セイナ・コウの原点である。ここから彼女の、波乱万丈の人生が始まっていくこととなる。

    蒼天剣・立志録 終

    蒼天剣・立志録 6

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、6話目。剣士への第一歩。6. 晴奈はもう一度、頭の中を整理する。(だって、試験、なんだから。 重蔵先生は特に仰ってなかったけれど、柊さんもここの剣士なんだから、以前に試験を受けているはず、よね? じゃあ、ここに入っている、……よね? だったら、鬼が出るって言うのも、襲うって言うのも知っていたはず。それなら身を護るために、防具なり武器なり、装備しているはず――例え歯が立たないとしてもー―でも柊さ...

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    晴奈の話、7話目。
    朝練。

    1.
     焔流に入門して以降、晴奈は急速に、剣士としての力を付けて行った。
     元来、強い魔力を持つと言われる猫獣人であり、その資質が火の魔術剣を真髄とする焔流と親和性が高かったことは確かだが、それを差し引いても、師匠である柊の指導や鍛錬が行き届いていたからだろう。

     その日も二人は、早朝から稽古に打ち込んでいた。
    「えいッ!」
    「やあッ!」
     二人の木刀が交錯し、カンと乾いた音が、他に人のいない修練場に響き渡る。
     まだ日も昇らぬ、山中の冷え切った空気が立ち込める時間帯であるにも関わらず、二人は活き活きと木刀を振るっている。
    「いい調子よ、晴奈! それ、もう一度!」
    「はいっ、師匠!」
     二人の出会いから1年が過ぎた双月暦507年、14歳になった晴奈は紅蓮塞で揉まれるうちに――周りの無骨な者たちの影響を受けたらしく――性格や口調が、大きく変化していた。
    「てやあッ!」
     晴奈は飛び上がり、柊の頭上に思い切り木刀を振り下ろす。
    「りゃあッ!」
     柊も木刀でそれを防ぎ、身をひねりながら足と木刀を使って、晴奈を投げ飛ばす。
    「なんのッ!」
     飛ばされた晴奈も、空中で体勢を立て直してストンと地面に降り、柊に再度、斬り込もうとする。
     だが残念ながら姿勢が伴わず、踏み込みを見誤ってよろめいた拍子に、柊に木刀を弾き飛ばされてしまった。
    「あっ……」「勝負、あった」

     朝の稽古を終え、二人は風呂で汗を流していた。
    「いくら身軽な『猫』とは言え、性急な攻めは無謀よ、晴奈」
    「はは……、お恥ずかしいです」
     二人で朝風呂につかりながら、ここはこうだった、次はこうした方がいいと、稽古の内容について熱く意見を交わしている。
    「それでは昼までの精神修養は、……くしゅ」
     議論に熱を入れすぎたせいか、逆に体から熱が奪われ、湯冷めしてしまったらしい。年相応の可愛いくしゃみをした晴奈に、柊は笑う。
    「あはは、ダメよ晴奈。体を健康に保つのも修行の、……くしゅん」
     笑っていた柊も、うっかりくしゃみをしてしまう。
    「……はは」
    「……うふふ」
     師弟二人はばつが悪くなり、互いに笑ってごまかした。



     風呂から上がり、晴奈たちはさっぱりとした気分で朝食を食べていた。
     先程とは違い、ここでは二人とも会話しようとしない。と言うより、央南の人間は基本的に食事中しゃべることは少ないのだ。
     だから、二人で黙々と食べていたところに「晴奈、お客さんが来ているよ」と声をかけられ、部屋の戸を開けられた時には、二人同時にむっとした顔をしたし、伝言に来た者もすぐさま謝った。
     謝ってきたから柊はすぐ表情を直し、軽く頭を下げ返したのだが、晴奈は依然、いぶかしがって表情を変えずにいた。
     単身、紅蓮塞に乗り込んできた晴奈に、外界からの客などいるはずが無いからである。
    「私に、客?」
    「ああ。何でも、黄海から来られたそうだ」
    「黄海……、ですか」
     その地名を聞くなり晴奈の食欲は途端に無くなってしまい、ぱたりと箸を置いた。

     黄海とは晴奈の故郷である、央南北西部有数の大きな港町である。同時に央南西部、黄州の州都でもあり、その州は晴奈の生家、黄家が治めている。
     そのため、その地名を聞く度、晴奈は黄家での生活――すなわち、親の言いなりになっていた自分を思い出し、度々気を滅入らせていた。

    「客の名前は?」
     渋々ながら晴奈はそう尋ねたが、伝えに来た者は首を振る。
    「いや、ただ『晴奈に会いたい』としか……。中年の『猫』で、なかなかいい身なりをしていた。見たところ、どこぞの名士のようだったな」
     それを聞いた瞬間、晴奈は恥ずかしさと苛立たしさを同時に覚えた。
    「どうやら、父のようです。私を、連れ戻しに来たか……」

    蒼天剣・縁故録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、7話目。朝練。1. 焔流に入門して以降、晴奈は急速に、剣士としての力を付けて行った。 元来、強い魔力を持つと言われる猫獣人であり、その資質が火の魔術剣を真髄とする焔流と親和性が高かったことは確かだが、それを差し引いても、師匠である柊の指導や鍛錬が行き届いていたからだろう。 その日も二人は、早朝から稽古に打ち込んでいた。「えいッ!」「やあッ!」 二人の木刀が交錯し、カンと乾いた音が、他に人...

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    晴奈の話、8話目。
    親がでしゃばると、子供は恥ずかしい。

    2.
     客間の前に着いたところで、晴奈はそっと戸を薄く開ける。
     戸の向こう側には、恰幅のいい猫獣人の男が正座している。それは間違い無く晴奈の父、黄紫明だった。
    「はあ……」
     見ただけで、晴奈の心は重苦しく淀んでいく。そこで後ろにいた柊が、そっと晴奈の肩に手をかけた。
    「まあ、あなたの気持ちも分からなくはないけれど……。
     でも、いずれはこうなることと、それとなく分かっていたことでしょう? まさか一生縁を切ったままなんて、義理と仁徳を重んじる央南人らしからぬ考えを抱いていたわけじゃないわよね?」
    「う……、まあ、それは」
     柊は強い言い方で、しかし穏やかな口調で晴奈を諭す。
    「精神修練の際に最も、気を付けることは?」
    「邪念を払うこと」
    「でしょう? 余計なわだかまりを抱えていては、邪念を払うことは無理よ。ここできっちり、けじめを付けなさい」
    「……はい、承知しました」
     晴奈は大きく深呼吸し、少し間を置いてから客間の戸を開けた。柊も念のため晴奈の後に付いて、客間に入っていった。

     晴奈を見た瞬間の、紫明の第一声はこうだった。
    「帰るぞ、晴奈」
     当然、晴奈もこう返す。
    「断ります」
    「何故だ!? もう1年も、こんなむさくるしいところに、……いや、失礼。1年も、家を離れていたのだぞ。そろそろ、家が恋しくなったろう?」
    「いいえ」
     紫明の口ぶりには、晴奈が言うことを聞く、きっと耐えられなくなっているだろうと高をくくっている色が透けて見えている。反面、晴奈はこの1年、うっとうしく思っていた家のことなどすっかり忘れ、嬉々として修行に励んでいる。
     真逆に考えている二人の話がかみ合うわけが無く、場は険悪になる。
    「強がりを言うな、晴奈。女のお前がこのような男ばかりの場で過ごして、辛くないわけが無かろう?」
     そんな言われ方をされて、うなずくような晴奈ではない。苛立ちを隠すことも無く、真っ向から反論した。
    「ここには女もおります。力も技も、そこらの軟弱な男よりずっと強い」
    「そんなわけが無いだろう。女が男より、強いわけがあるまい」
    「……」
     この言葉には、流石の柊も気分を悪くしたらしい。晴奈は背後で、師匠が不快そうに息を呑むのを感じ取った。
    「さあ、言い訳などせずこっちに来るんだ」
    「嫌ですッ!」
     聞く耳を持たない父に晴奈はさらに苛立ち、語気を荒くする。対する紫明も、自然と口調がきつめになっていく。
    「ダダをこねるな、晴奈ッ! 強がるだけ無駄だぞ!? 分かっているんだ、私には!
     さあ、四の五の言わずに一緒に帰るんだ!」
    「嫌だと言ったら、嫌だッ!」
    「いい加減にしろ、早く帰る支度をするんだ!」
     段々言い方が命令になり始め、晴奈はますます態度を硬くする。
    「帰らない! 私は、ここに骨を埋めるッ!」
    「私を煩わせるな! もういい、引っ張ってでも……」
     ついに紫明が怒り出し、晴奈の手をつかんだ瞬間――。
    「嗚呼、嗚呼。いい年をした御仁が、みっともないですぞ」
     どこからか現れた重蔵が、紫明の手をひょいと取った。
    「何だ、この爺は! 離せ、離さんと……」「どうするおつもりかな、黄大人?」
     重蔵が尋ねた途端、紫明の顔色が変わる。どうやら重蔵の並々ならぬ気配に圧され、恐れをなしたらしい。
    「う、ぬ……」「さ、落ち着きなされ」
     紫明は言われるがまま、晴奈に向けていた手を引っ込め、座り直した。
     重蔵は二人から少し離れて座り、ゆったりとした口調で父娘の仲裁に入る。
    「まあ、黄大人のお気持ちもわしには分かりますわい。手塩にかけて育てた娘御が、こんな『むさくるしい』ところに閉じこもっておったら、確かに気が気では無いでしょうな。
     とは言え娘さんは、あなたの所有物では無い。子供が嫌がるものを無理矢理押し付けるのは、親のわがままでしょう。親なら、子供がやりたいことを応援しなされ」
    「し、しかし。その、晴奈だって、ここで1年も暮らせば、耐え切れなく……」
     なおも自分の意見を通そうとする紫明に、重蔵はびしりと言い放つ。
    「それこそ、黄大人のわがままと言うものでしょう。
     黄大人は黄大人であって、晴さん……、娘さんでは無い。娘さんの気持ちは、娘さん本人にしか分からんものです。黄大人の言っていることは、すべてあなた自身の勝手な予想、思い込みに過ぎません。
     それとも黄大人、この部屋に入ってから今までで、娘さんから一言でも『帰りたい』と言う言葉を聞いたのですかな?」
    「ぐぬ……」
     正論を返され、紫明は何も言い返せなくなる。そこで重蔵は晴奈に振り向き、静かに問いかけた。
    「晴さん、どうじゃな? 家に帰りたいか? それとも、修行を続けたいかな?」
    「もちろん、修行を続けたいです」
    「うむ、そうじゃろうな。……黄大人、良ければ一度拝見されてはいかがかな?」
     重蔵の言った意味が分からず、紫明はきょとんとした。
    「え?」
    「娘さんの頑張っておる姿。それを見てから今一度、晴さんが本気で修行を続けたいと言っておるのか、それともちょっと長めの家出でしか無いのか、判断するのがよろしいでしょう」

    蒼天剣・縁故録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、8話目。親がでしゃばると、子供は恥ずかしい。2. 客間の前に着いたところで、晴奈はそっと戸を薄く開ける。 戸の向こう側には、恰幅のいい猫獣人の男が正座している。それは間違い無く晴奈の父、黄紫明だった。「はあ……」 見ただけで、晴奈の心は重苦しく淀んでいく。そこで後ろにいた柊が、そっと晴奈の肩に手をかけた。「まあ、あなたの気持ちも分からなくはないけれど……。 でも、いずれはこうなることと、それ...

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    晴奈の話、9話目。
    晴奈の初戦。

    3.
     応接間での一悶着から10分ほど後、晴奈たち師弟と紫明は重蔵に連れられて、ある修練場に集められた。
    「えっと……」
     晴奈はそこで、重蔵から真剣を渡される。
    「仕合と言うやつじゃ。丁度いい手合いがおったのでな」
    「手合いって……」
     柊が神妙な顔で、その「相手」を眺める。
    「小鈴じゃない」
    「どーもー」
     その相手は柊に向かって、ぺら、と手を振る。もう一方の手には鈴が大量に飾られた杖が握られていた。
    「あなたが晴奈ちゃんだっけ? 雪乃から聞いてるけど」
    「え、ええ。黄晴奈と申します」
     挨拶した晴奈に、赤毛のエルフも自己紹介を返す。
    「あたしは橘小鈴。雪乃の友達で、魔術師兼旅人。よろしくね」
    「魔術、ですか」
     ちなみに魔術とは、中央大陸の北中部などを初めとして世界中に広く伝わっている、焔流とはまた違う形で精神の力、魔力を操る術のことである。
     と、まだ状況を飲み込みきれていない面々に、重蔵が説明を足す。
    「鈴さんもそれなりの手練でな。丁度温泉街で暇そうにしとったから、晴さんの相手になってもらおうと思ってのう。
     同門が相手でも良かったんじゃが、黄大人に八百長だなどと思われてはかなわんしな」
    「いや、私は、そんな……」
     すっかり調子を狂わされたらしく、紫明の歯切れは悪い。
    「そんなわけで、これから二人に戦ってもらう。分かっていると思うが、二人とも真剣に仕合うこと。負けたと思ったら、潔く降参すること。
     それでは……、開始ッ!」
     重蔵が手を打った瞬間、橘は杖を鳴らし、攻撃を仕掛けてきた。
    「んじゃ、遠慮無く行くわよ! 突き刺せッ!」
     鈴の音と共に、地面から石の槍が伸びる。晴奈はばっと飛び上がり、槍から離れる。
    「わ、わあっ、晴奈!?」
    「まあ、じっと見ていなされ」
     突然の対戦にうろたえ、叫ぶ紫明を、重蔵がニコニコ笑いながらいさめる。
     その間に晴奈は石の槍をかわし切り、橘に斬りかかっていた。
    「やあッ!」
    「『マジックシールド』!」
     だが、晴奈の刀が入るよりも一瞬早く、橘が防御の術を唱える。橘の目の前に薄い透明な壁が現れ、晴奈の刀を止めた。
    「へえ? 子供かと思っていたけど、なかなか気が抜けないわね」
    「侮るなッ!」
     晴奈はもう一度、壁に向かって刀を振り下ろす。
     と同時に、晴奈の刀に、ぱっと赤い光がきらめく。焔流の真髄、「燃える刀」である。魔術と源を同じくするためか、橘が作った壁はあっさり切り裂かれた。
    「え、うそっ!?」
     まだ晴奈を侮っていたらしく、橘は驚いた声を上げる。
     しかしすぐに構え直し、晴奈から距離を取ってもう一度、魔術を放つ。
    「『ストーンボール』!」
     この聞き慣れない単語に、晴奈は心の中でつぶやいていた。
    (どうも魔術と言うものは、聞き慣れない言葉が多いな?
     いつか私も、央中や央北へ行くことがあるのだろうか。そうなると、こんなけったいな名前の術を耳にする機会も、多くなるのだろうか?
     うーん、何だか調子が狂ってしまいそうだ)
     目に見えて動揺している橘とは逆に、晴奈は冷静に立ち向かっていた。1年欠かさず続けた精神修養の成果である。
     魔術によって発生した無数のつぶても難なく避け、晴奈はもう一度橘を斬りつけようとした。
    「くッ……!」
     橘は何とか杖を盾にして晴奈の攻撃を防ぎ、ギン、と金属同士がぶつかり合う音が修練場に鋭くこだまする。
     どうにか攻撃をしのいだところで、橘はまた距離を取り、魔杖を構えようとする。
    「甘いッ!」「え……」
     橘が後ろに飛びのいた瞬間を狙って晴奈が踏み込み、刀の腹でばしっと橘を叩く。刀で押されて体勢を崩し、橘は尻餅をついてしまった。
    「あ、きゃあっ! ……あっ」
     橘が起き上がろうとした時には、晴奈は既に、彼女の首に刃を当てていた。
    「勝負、ありましたね」



    「なーんか、自分にがっかりしちゃったわ、マジで。
     あたしの半分も生きてないよーな子に、あっさりやられるなんて思わなかった」
     対決の後、がっくりと肩を落としている橘を、柊が慰めていた。
    「まあまあ……。もう一度、修行を積んで再戦すればいいじゃない」
    「うー……。修行とかめんどくさいけど、……この体たらくじゃ仕方無いかぁ」
     ちなみにその後、橘はしばらくの間、晴奈たちと共に精神修養を主として修行に励んでいた。よほど、晴奈の戦いぶりに感心したのだろう。

    蒼天剣・縁故録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、9話目。晴奈の初戦。3. 応接間での一悶着から10分ほど後、晴奈たち師弟と紫明は重蔵に連れられて、ある修練場に集められた。「えっと……」 晴奈はそこで、重蔵から真剣を渡される。「仕合と言うやつじゃ。丁度いい手合いがおったのでな」「手合いって……」 柊が神妙な顔で、その「相手」を眺める。「小鈴じゃない」「どーもー」 その相手は柊に向かって、ぺら、と手を振る。もう一方の手には鈴が大量に飾られた杖...

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    晴奈の話、10話目。
    親子の雪解け。

    4.
     晴奈の戦いぶりにすっかり圧倒されてしまったらしく、仕合が終わった後も紫明は、呆然と立ち尽くしていた。
    「あ、の……、父上?」
    「……」
     晴奈が呼びかけてもぽかんとしたまま、反応が無い。
    「父上」
    「……」
    「……お、お父様」
    「あ、……う、うむ」
     ようやく我に返り、紫明は娘の顔をじっと見つめてきた。
    「何だか、魂を抜かれた気分だ。まさかあれほど苛烈な戦い方を、お前がするとは」
    「あれが、私の求める道なのです。私はもっともっと、道を進んで、極めたいのです」
    「……そうか」
     紫明はそれきり背を向け、じっとうつむいていた。

     次の日になって、紫明は紅蓮塞を発った。
    「家に連れ帰るのは諦めた。お前を説得するのは私でも無理だ。
     まあ、その……。もしも家が恋しくなったら、その時は遠慮せず帰ってきてくれ。母さんも明奈も、心配しているからな」
    「はい」
     最初に会った時とはガラリと違う雰囲気の中、黄親子は別れの挨拶を交わしていた。
    「それじゃ、元気でな。……風邪、引いたりするんじゃないぞ」
    「はい」
     そこで言葉が切れ、二人は黙々と、並んで紅蓮塞の門へ進む。
    「では、父上。お元気で」
     門前で晴奈が口を開いたところで、紫明がこう返した。
    「……その、なんだ。応援、するからな」
    「ありがとうございます、父上」
     晴奈は涙が出そうになるのを、深いお辞儀でごまかした。



     その一ヶ月後。
    「『応援する』って、こう言うことか……」
     晴奈と柊、重蔵の前には、山のような金貨と、食糧が積んであった。無論、送り主は紫明である。
     一緒に送られてきた手紙には、「晴奈の健康と上達を願って 黄水産、黄金融、他黄商会一同及び、総帥・黄紫明より」としたためられていた。
    「ん、まあ、お父さんの、愛じゃと思って、のう、雪さん?」
    「は、はは……、そうですね、はい、ええ、もう」
     晴奈は顔を真っ赤にして、頭と猫耳をクシャクシャとかき乱しながら、尻尾をいからせて叫んだ。
    「恥ずかしいことをするなッ、この、クソ親父ーッ!」



     ちなみにこの後、晴奈は改めて自分の故郷を訪ね、母と妹の明奈にも自分が剣士としての修行を積んでいることを自ら伝えた。
     1年もの間抱えていたわだかまりが消えたことで、紅蓮祭に戻って以降、晴奈はより一層、修行に打ち込むようになった。

     しかしさらにこの1年後、自分が焔流剣士の道を歩んだことがとある騒動のきっかけになるなど――この時の晴奈には、知る由も無かった。

    蒼天剣・縁故録 終

    蒼天剣・縁故録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、10話目。親子の雪解け。4. 晴奈の戦いぶりにすっかり圧倒されてしまったらしく、仕合が終わった後も紫明は、呆然と立ち尽くしていた。「あ、の……、父上?」「……」 晴奈が呼びかけてもぽかんとしたまま、反応が無い。「父上」「……」「……お、お父様」「あ、……う、うむ」 ようやく我に返り、紫明は娘の顔をじっと見つめてきた。「何だか、魂を抜かれた気分だ。まさかあれほど苛烈な戦い方を、お前がするとは」「あれが...

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    晴奈の話、11話目。
    黒と赤の炎。

    1.
     央南と央中、その二地域を分かつ屏風山脈に、ある組織の総本山がある。
     その名は「黒炎教団」。伝説の奸雄、克大火(カツミ・タイカ)を神と崇める集団である。

     克大火――年齢・種族不詳。
     名前から央南の生まれと推察できるが、どこの地方かまでは不明。魔術と剣術の達人であり、色黒の肌を漆黒の衣服と洋風の外套で覆った、長身の男性だそうである。
     巷のうわさに曰く、「200年近く前に起こった戦争の頃から、ずっと若い青年の姿で生きている」、「凶悪な強さを持ち、誰一人打ち負かした者はいない」、「不老不死の秘術を知る唯一の人間、いや、神、もしくは悪魔だ」と、半ば神話や伝説じみた話があちこちに伝わっており、そこに神性を見出した者たちが教団を創り上げたらしい。

     教団員たちは克の存在を絶対的なものにすべく、彼の弱点と言われる様々なものを撤廃・廃絶しようと画策している。
     まず、彼を敗北寸前まで追い詰めたと言われる、雷の魔術。あらゆる魔術を打ち砕き、克の魔術すら無効化したと言う、伝説の剣。そして――200年前の戦争で興隆・活躍し、後に克と対立した剣術一派、焔流。



     双月暦508年、初春。
    「またか……!」
    「しつこくてかなわん!」
    「今度こそ、斬り散らしてくれるわ!」
     いつに無く、紅蓮塞が騒々しい。あちこちで剣士たちがいきり立ち、走り回っているからだ。しかし、まだここに来て2年ほどしか経っていない晴奈には、彼らが何に憤り、何をしようとしているのか分からない。
    「師匠、何かあったのですか?」
    「ええ、少しね」
     横にいた晴奈の師匠、柊は、せわしなく動き回る剣士たちの邪魔にならないよう、自分たちの部屋に戻ってから詳しく説明してくれた。
    「黒炎教団って知ってる?」
    「ええ、故郷でも何度か見かけたことがあります。黒い外套と黒装束を着込んだ、真っ黒な者たちですよね?
     うわさに聞くに、央南の東部地域では蛇蝎のごとく忌み嫌われているとか、西端では絶大な政治力を有しているとか」
    「ええ。その教団がね、うちに攻めて来るのよ」
    「攻めて来る? 一体、何故に?」
     話を続けながら、柊は刀を手にし、和紙で拭い出す。どうやら彼女も、戦いに備えるつもりらしい。
    「黒白戦争の頃に活躍した奸雄、克大火と対立した一派だから、だそうよ。
     黒炎教団は克を信奉しているから、その敵が今もいるとなれば何が何でも打ち倒そうとしているのよ」
     この説明に、晴奈は目を丸くして呆れる。
    「こ、黒白って確か……、4世紀の戦争だった、ような?
     そんな過去の因縁を、まだ引っ張っていると言うのですか?」
     晴奈の言葉に、柊は刀に打粉しつつ、クスッと笑う。
    「まあ、宗教ってそう言うものよ。央北の天帝教だって、1世紀の経典をずっと使っているんだし。
     ともかく、そんなわけで。何年かに一度、彼らはこの紅蓮塞を潰そうと攻めてくるのよ」
     柊はもう一度刀を綺麗に拭いて、鞘に納めた。

    蒼天剣・血風録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、11話目。黒と赤の炎。1. 央南と央中、その二地域を分かつ屏風山脈に、ある組織の総本山がある。 その名は「黒炎教団」。伝説の奸雄、克大火(カツミ・タイカ)を神と崇める集団である。 克大火――年齢・種族不詳。 名前から央南の生まれと推察できるが、どこの地方かまでは不明。魔術と剣術の達人であり、色黒の肌を漆黒の衣服と洋風の外套で覆った、長身の男性だそうである。 巷のうわさに曰く、「200年近く前...

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    晴奈の話、12話目。
    姉御魔術師再登場。

    2.
     紅蓮塞は中核となる本丸を囲むように、大小50程度ある修行場と、さらにその倍ほどの宿場・居間が連なっている。
     普段はその字面の通りに修行の場、居住区として機能しているが、有事の際にはその様相は一変し、要塞としての働きを見せる。
     それが紅蓮塞の、「塞」たる所以である。

     襲撃の報せから数日も立たないうちに、紅蓮塞の守りは堅固なものとなった。塞内のいたるところに武器・医薬品が積み上げられ、要所には数人の手練が詰めた。
     当然、師範格の柊も晴奈ともども駆り出され、紅蓮塞北西側の修行場、嵐月堂の護りに付くことになった。
    「師匠。黒炎の者たちは一体、どこから攻めると?」
     三方を囲む急坂をぐるっと眺め、晴奈が尋ねる。
     それを受けて、柊も周囲を見回しながら答えた。
    「そうね……、ここから侵入するとなると、境内の垣を乗り越えるか、それとも破るか。もしくは山肌から降りて来るか、の2通りでしょうね。
     いずれにしても、油断は禁物よ。敵は克直伝の魔術を使うそうだから」
    「なるほど。……ん?」
     晴奈は柊が言葉を間違えたと思い、こんな風に突っ込んでみた。
    「直伝、ですか? まさか200年前の人間が現代に直接、伝えたと?」
     ところが柊は真面目な顔で、言葉を選ぶような口ぶりでポツポツと答えた。
    「その、ね、うーん、何て、言ったらいいかな。
     克はまだ生きている、らしいの。それも若々しい、青年の姿で」
    「え? まだ、生きている!? まさか!」
     現実離れした答えが返ってくるとは思わず、晴奈は声を高くして聞き返した。
    「ありえません。人の寿命など、精々60年や80年、どんなに長くとも100年でしょう。それは確かに、長耳の方は長寿と聞き及んでおりますし、何かしらの記録では、150年の大往生を果たした方もいるとか。
     しかしそれを踏まえても、ずっと青年のままと言うのは眉唾でしょう。長耳の方とて、60なり70になれば相応に老けるはずですし」「晴奈」
     言葉を立て並べて反論した晴奈に、柊は静かな声で返した。
    「それが、克が克たる所以よ。
     200年生きる。不老不死の存在。誰もがそんな話、ありえないと言う。『そんな悪魔じみた話があるものか』とね。
     でも克は別なの。だって彼は、悪魔だもの」
    「あく、……ま?」
    「そう、悪魔。知ってる、晴奈?」
     柊はそう前置きし、薄い笑みを浮かべる。
    「克大火は色んな通り名を持っているけれど、その一つが『黒い悪魔』なの。
     彼は、本物よ」
    「……」
     柊の目には、嘘をついたりからかっているような色は無い。
     その目を見て、晴奈はぞっと寒気を覚えた。

     と、山肌の一部が突然爆ぜる。
     いくつもの岩塊が山肌から飛び散り、晴奈たちに向かって飛んでくる。
    「わあっ!?」
    「怯むな、焼けッ!」
     そこにいた何人かは一瞬たじろいだが、年長者や手練の者たちは臆することなく、「燃える刀」で飛んでくる岩を焼き切り、叩き落とす。
    「黒炎だ! 攻めてきたぞーッ!」
     大声で叫ぶ声があちこちから聞こえてくる。
     それを受けて、柊がつぶやく。
    「今回は敵が多そうね。かなり大規模に人を送ってるみたい」
    「え?」
    「じゃなきゃ、こんなに四方八方から来るぞ来るぞって聞こえて来ないし」
    「な、なるほど」
     程なく嵐月堂にも、教団員たちが山肌を滑るようにして侵入してきた。
     いや、何人かは「本当に」滑っている。駆け下りるような感じではなく、わずかに空中に浮き上がり、するすると空を走っているのだ。
    「あれは!?」
     晴奈の目にはそれが異様な光景に映り、うろたえる。
     一方、柊は未だ、平然と構えている。
    「魔術よ。確か、名前は……」「『エアリアル』、風の魔術よ。魔術が盛んな地域では、わりと有名な術ね。つっても、あそこまで使いこなせるヤツはあんまりいないけど」
     二人の後ろから、聞き覚えのある声がかけられる。振り向くと、かつて晴奈と戦った相手、橘が魔杖を手に立っていた。
    「橘殿、来られていたのですか?」
    「うん、つい1週間ほど前にね。んで、呑気に温泉で一杯やってたトコに、『何卒お力を貸していただきたく候』なーんて、丁寧に頼み込まれちゃったのよ。
     まあ、ココは修行するのにはいい場所だし、温泉もお酒もいいのが揃ってるしね。無くなったりブッ壊されたりすんのも嫌だし、手伝ったげるわ、雪乃。ソレから晴奈」
    「かたじけない、橘殿!」
     深々と頭を下げた晴奈に、橘は手をぺらぺらと振って返す。
    「アハハ……、そう堅くならないでよ、コドモのくせに。
     さ、ソレじゃボチボチ、迎え撃つわよ!」
     そう言うなり、橘は魔杖をシャラと鳴らし、魔術を放った。
    「『ホールドピラー』! 阻めッ!」
     地面を駆け下りていた教団員たちの何人かが、岩肌から突然飛び出した石柱に突き飛ばされ、また、ガッチリと四肢をつかまれる。
    「おわっ!?」
    「ぐあ……っ!」
    「いでてて、離せ、離せッ!」
     橘の術で、第一陣の半分近くが蹴散らされる。
     だが、「エアリアル」で空中を飛んでいた者たちはすい、と事も無げに石柱を避けてしまう。しかし侵入してきた端から剣士たちがねじ伏せているのが、半ば呆然と山肌を見つめていた晴奈の視界に映った。
    (これが……)
     一瞬のうちに起こったこれらの光景にあてられ、晴奈はぶるっと武者震いする。
    (これが戦い、か。……戦いか!)
     晴奈の中で熱く、そして激しく燃えるものが噴き出し始めていた。

    蒼天剣・血風録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、12話目。姉御魔術師再登場。2. 紅蓮塞は中核となる本丸を囲むように、大小50程度ある修行場と、さらにその倍ほどの宿場・居間が連なっている。 普段はその字面の通りに修行の場、居住区として機能しているが、有事の際にはその様相は一変し、要塞としての働きを見せる。 それが紅蓮塞の、「塞」たる所以である。 襲撃の報せから数日も立たないうちに、紅蓮塞の守りは堅固なものとなった。塞内のいたるところに武...

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    晴奈の話、13話目。
    因縁の発端。

    3.
     戦いは時間が経つごとに、激しさを増していく。一体何百人、いや、何千人いるのか――教団員は続々と、絶え間なく侵入してくる。
     最初の頃は威力が高い反面、長めの呪文や大掛かりな動作を伴う術を使っていた橘も、威力は低くなるが、時間をかけずに発動できる術で応戦し始めており、余裕が無くなっているのが伺える。
     柊もあちこちを走り回り、立て続けに教団員たちを切り捨てている。いつものたおやかな表情も、穏やかなしぐさも、今は勇猛な女武芸者のそれとなっている。
     そしてこの時、勿論晴奈も戦っていた。15歳と言う若さをほとばしらせる、俊敏で鋭い動きで、師匠でさえも一瞬、目を見張るほどの立ち回りを見せていた。
    「でやーッ!」
     まるで閃光のような剣閃が、敵に向かって走っていく。
    「が、あ……」
     敵は短いうめき声をあげて、どさりと倒れる。晴奈はすぐさま倒れた敵を踏み越え、その後ろに立っていた敵に向け、刀を払う。
    「うぐ、く……」
     瞬く間にもう一人。
    「それッ!」
     その敵も踏み台にして、また一人。
     あまりの攻勢の強さに、晴奈の周囲にいた者たちは、敵・味方関係なく、度肝を抜かれていた。
    「何だ、あの『猫』は……!?」
    「黄か?」
     同輩、先輩らが目を見張る一方で、教団側の士気は明らかに落ち始めている。
    「く……、歯が立ちそうも無い……!」
    「こりゃマズいぜ! 退くしか無い!」
     すぐ横で戦っていた橘に至っては、表情が半ば凍っている。
    「せ、晴奈ちゃん。怖いって、ソレ」
     だが、当の本人にはそれらの声が耳に入らない。異様な高揚感と陶酔感で、周りが見えなくなり始めていたのだ。
    (敵は、敵は……ッ、どこだッ!)

     その闘気に引き寄せられたのか、嵐月堂の境内をしゅっと一直線に横切る者が現れた。
     柊がその異様な気配を感じ取り、暴走気味の晴奈に向かって手を伸ばす。
    「晴奈、危ない!」「え」
     柊は彼女の手を強く引っ張り、体勢を崩させる。
     その直後、先ほどまで晴奈の頭があった辺りを、ヒュンと黒い棒が横切った。
    「チッ、外したか!」
     晴奈が顔を上げると、そこには黒い僧兵服に身を包んだ、晴奈と同年代くらいの、狼獣人の少年の姿があった。
    「調子に乗っている猫女を葬るチャンスだったが……。なかなか、うまく行かんものだな」
     その「狼」は3つに分かれた棍棒をヒュンヒュンと振り回しながら、偉そうに言い放つ。
    「10代半ばで得物が三節棍、んで、黒毛の狼獣人……?」
     その武器を見た橘が、杖を構えて叫ぶ。
    「まさかあんた、ウィルバー・ウィルソン!?」
    「ほお、俺の名を知っているのか。クク、俺も有名になったもんだな」
    「狼」はニヤつきつつ、橘に向かって片目をつぶる。いわゆる「ウインク」であるが、晴奈には何をやっているのか分からない。
    (目にゴミでも入ったか? ……何なのだ、この高慢な『狼』は?)
     晴奈はすっと立ち、刀を構え直した。師匠のおかげで少し冷まされたが、まだ頭の中は高揚し、たぎったままだ。
    「敵の陣中で、よくもそれだけ余裕が見せられるものだな、犬」
     晴奈の挑発に対し、「狼」は「ヘッ」と笑って、馬鹿にした様子を見せる。
    「お前、オレと同い年くらいか? やめておけ、様になってないぜ。それから……」
     突然表情を変え、怒りに満ちた形相で晴奈に襲い掛かった。
    「このウィルバー・ウィルソンをなめるな、猫女ッ!」

     飛んできた棍の先端を、晴奈が刀を払って弾く。勢い良く飛び散る火花をものともせず、晴奈はすぐさま第二撃をねじ込む。
     今度はウィルバーが防御に回り、不敵な笑みを浮かべる。
    「フン、わりとすばしっこいな。だが、オレには敵うまい」
     攻撃を受けた部分の棍を軸に、他の棍を回転させる。勢い良く回る棍が、晴奈の目の高さまで上がる。攻撃が来ると構え、晴奈は一歩退く。
     ところが――。
    「はは、そう来ると思ったぜ!」
     ウィルバーは上がってきた棍をつかみ、そこを軸にして、また棍が回転。ヒュンと風を切る音を立て、晴奈の頭上にまで棍が伸びる。
    「……ッ!」
     退いた直後で、晴奈の動作には余裕が無くなっている。棍は動けない晴奈の額に、鈍い音を立ててぶつかった。
     その瞬間、晴奈の視界がぎゅっと、音を立てそうな勢いで暗くなる。額から後頭部にかけて電気の走るような、何かが突き抜ける衝撃を感じながら、晴奈の意識が乱れる。
    (な……、あ……、し、しま、った……)
     気を失う直前、ウィルバーの勝ち誇った声と――。
    「ククク、だから言ったのだ。オレには敵うまいと……」「克の真似なんかしてるヒマあんの、ボウヤ?」「ぐえっ」
     相手が倒れる音を、聞いた。

    蒼天剣・血風録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、13話目。因縁の発端。3. 戦いは時間が経つごとに、激しさを増していく。一体何百人、いや、何千人いるのか――教団員は続々と、絶え間なく侵入してくる。 最初の頃は威力が高い反面、長めの呪文や大掛かりな動作を伴う術を使っていた橘も、威力は低くなるが、時間をかけずに発動できる術で応戦し始めており、余裕が無くなっているのが伺える。 柊もあちこちを走り回り、立て続けに教団員たちを切り捨てている。いつも...

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    晴奈の話、14話目。
    戦いが終わって……。

    4.
    「……!」
     晴奈は目を覚まし、飛び起きた。
     と同時に額に鋭い痛みが走り、顔をしかめる。
    「く、……ぅ」
    「大丈夫、晴奈ちゃん?」
     すぐ横に、心配そうな顔を見せる橘が座っていた。どうやら、倒れた晴奈の看病をしてくれていたらしい。
    「た、戦いは!?」
    「終わったわよ。無事に追い払ったわ」
    「そ、そう、です……、か」
     晴奈は安堵とも、後悔とも、羞恥とも取れる、複雑な感情を覚え、たまらず涙をこぼした。
    「私は……、馬鹿だ」
    「ん?」
    「あの『狼』をふざけた馬鹿者と侮って……、その結果が、これか。
     何のことは無い――私自身、その馬鹿と何ら、変わらなかったのか……ッ!」
     痛む頭を抱えながら、晴奈は自分を恥じた。



     あの戦いの後、晴奈は丸一日眠っており、その間に戦いは終わっていた。
     十数名の犠牲は出たものの、その何倍もの被害を敵に与え、紅蓮塞は今回も守られた。
     あのウィルバーと言う「狼」も、手下の教団員たちに抱きかかえられるようにして逃げ去ったと言う。
    「あのウィルソンって言うヤツね、実は教団教主の息子なのよ。克信仰って言うより、克かぶれで有名なの。ま、あの年頃なら真似したくなるよーなタイプだし、克って。
     ま、そんなだから中身はお子様。晴奈を気絶させて勝ち誇ってる間、隙だらけで背中を見せてたから、あたしが思いっきり引っぱたいてあげたからね」
    「……かたじけない」
     晴奈はまだ、涙が止まらない。それを橘はずっと眺めていたが、やがて立ち上がり、晴奈を一人残して部屋を出て行った。

     少ししてから、晴奈は橘の泊まっている部屋を訪ねた。杖の鈴を手入れしていた橘が、くるりと向き直って微笑みかける。
    「あら、もう大丈夫?」
    「はい、まだ痛みはありますが、何とか歩けます。
     ……橘殿、いくつか質問してよろしいでしょうか?」
    「ん、いいけど?」
    「あの……、克大火を知っているようなご様子でしたが、実際に会ったことが?」
     そう尋ねたところで、橘は隠す様子も無く答えた。
    「何回かあるわよ。うわさ通りって感じの人。央北の街で見た時のコト、聞く?」
     晴奈は無言でうなずいた。
    「んじゃ、初めて会った時のコト。
     あれは央北の、ドコの街だったかな……。その時は何と言うか、煙かもやみたいに、虚ろな感じだったわ。きっと街の人は、彼がそこにいたことさえ気付かなかったんじゃないかしら。とにかく煙のように、静かな男だった。
     でも。そこに何人か、武器を持った者が現れた――きっと克を倒して、名声を得ようとしたのかも――そして、克が彼らに気付いた瞬間……」
     そこで、橘は間を置く。
    「……瞬間、克は変貌した。
     それまでのぼんやりした煙のような印象は消えて、すさまじいほどの殺気が彼から立ち上った。次の瞬間、克を狙っていた人たちはあっさり死んだわ」
     平然としゃべっているように見えるが、良く見れば橘の額には汗がにじんでいる。よほどその時の光景が、恐ろしかったのだろう。
    「何をしたのか、分かんなかったけど。向かっていった一人が、いきなり燃え出した。それを見た瞬間、他の人たちはみんな怯んで立ち止まった。すぐにその人たちも、一瞬で血だるまになって、崩れるように倒れて死んだ。
     逃げようとした人もいたんだけどね――『殺される危険も背負わずに、俺を倒す気か? おこがましいとは思わんのか』と克に言われて――やっぱり斬られてた」
     その話に、晴奈はゴクリと唾を飲む。
    (自分たちはあの修羅場で何十分も、何時間もかけて、命の奪い合いをしていた。だが克は一瞬で、何人もの命を簡単に絶つのか。
     なるほど、確かに悪魔と言う話は本当らしい)



     恥ずべき敗北を喫し、落ち込んでいた晴奈を、さらに落胆させる報せが届いた。
     焔流に資金援助をしていた黄家が、黒炎教団によって襲われたと言うのだ。その上黄海は占領され、黄家の財産は没収。
     宗主である黄紫明の家族も人質にとられ、現在紫明が単身、交渉を行っていると言う。
    「そんな! では、明奈も!?」
    「恐らくは、捕まって……」
    「……そんな」

     それから何度か、細々とした情報が伝わった。
     教団は今回の襲撃失敗の原因を、資金援助を受けたことによる勢力拡大のせいとし、その大本を叩いたと吹聴していたこと。
     黄家は明奈の身柄と引き換えに、黄海の解放を約束してもらったこと。そのまま明奈は黒炎教団の総本山、黒鳥宮に幽閉されたこと。黄家は明奈の身柄を案じ、焔流への資金援助を打ち切ったこと。
     明奈は強制的に教団に入信させられ、宮内で粛々と生活しているが、幸い明奈には無闇な危害が加えられてはいないこと。
     そんなささやかな情報が、晴奈の心を苦しめ、また、ほのかに安心させた。

    「大丈夫かなー、晴奈ちゃん」
     橘が柊に、不安そうな顔で尋ねる。
    「大丈夫。あの子は強い子よ」
     そう言って、柊は橘をある堂に連れて行く。
    「そっと開けてね。邪魔しちゃ、悪いから」
    「邪魔……?」
     橘は戸を、そっと開いて中を覗き見る。そこでは堂の中央で、晴奈が座禅を組んでいた。
    「ああ、そうね。強い子、……ね」
     二人はうなずき、ふたたび戸を閉めた。

    蒼天剣・血風録 終

    蒼天剣・血風録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、14話目。戦いが終わって……。4.「……!」 晴奈は目を覚まし、飛び起きた。 と同時に額に鋭い痛みが走り、顔をしかめる。「く、……ぅ」「大丈夫、晴奈ちゃん?」 すぐ横に、心配そうな顔を見せる橘が座っていた。どうやら、倒れた晴奈の看病をしてくれていたらしい。「た、戦いは!?」「終わったわよ。無事に追い払ったわ」「そ、そう、です……、か」 晴奈は安堵とも、後悔とも、羞恥とも取れる、複雑な感情を覚え、た...

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    晴奈の話、15話目。
    ふわふわ毛玉。

    1.
     目の前をふわりと通りかかった「毛玉」を見て、晴奈は驚いた声を上げた。
    「えっ」
    「はい?」
     と、「毛玉」がくるん、と隠れる。
    「あの、何か?」
    「あ、いえ。何でも」
    「はぁ……?
     その「毛玉」の持ち主は首を傾げたが、晴奈が何も言わないので、けげんな顔をしたまま通り過ぎる。
     その場に残った晴奈は口を抑え、顔を赤くして――ここ最近の彼女らしからぬ口調で――ぽつりとつぶやいた。
    「か、可愛い……」

     その数分後、晴奈は恐る恐るといった仕草で、柊の部屋を訪ねていた。
    「師匠、変なことと思われるかも知れませんが、一つ、伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
     尋ねた晴奈に、自室で読書をしていた柊は苦笑して返す。
    「どうしたの、晴奈? そんなカチコチになって」
     尋ね返され、晴奈はためらい気味に打ち明ける。
    「あの、恥ずかしながら、私はあまり世俗に詳しくないので、こんな質問をしては笑われるかも知れず、恐縮なのですが」
    「ん?」
    「何と言いますか、世の中には、その……」
    「世の中には?」
    「兎獣人と言えば良いのでしょうか、兎耳に尻尾、の方もいるのでしょうか?」
    「ええ、いるわよ。央南ではあまり、見かけない人たちだけれど」
     それを聞いて晴奈は小さく、コク、とうなずいた。
    「やはり、いるのですか。……見間違えではなかったのだな」
    「いきなりどうしたの?」
     一人で納得している晴奈に、柊は不思議そうに首を傾げている。
    「あ、そのですね。実は先ほど、その『兎』らしき方を見かけまして」
    「へぇ、珍しいわね」
     柊は本を閉じ、興味深そうな目を向ける。
    「外国の人ね、きっと。西方かしら」
    「西方ですか。師匠は行ったことが?」
     柊は小さくうなずき、懐かしそうな口ぶりで話した。
    「前に行ったのは、5、6年ほど前かしらね。旅の間はここでは見られない人種も、数多く見かけたわ」
    「世界には、そんなに色んな人種がいるのですね。はぁー……」
     柊の話を聞きながら、晴奈は先ほど見かけた「兎」の姿を思い返していた。
    (可愛かったな、あの人……)
     まるでぬいぐるみのような毛並みの「兎」――晴奈は央南の外の世界に、強い興味を抱いた。
    「し、師匠」
    「ん?」
     晴奈はまた、恐る恐る尋ねる。
    「もし良ければ、その……、外国のお話など、その、もう少し、お聞かせいただけますか?」
     それを聞いて、柊はクスっと笑いながら晴奈の頭を撫でた。
    「ええ、いいわよ。外国の、可愛い人たちの話もね」
    「はは……」
     柊に内心を見透かされ、晴奈は顔を赤らめた。

    蒼天剣・紀行録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、15話目。ふわふわ毛玉。1. 目の前をふわりと通りかかった「毛玉」を見て、晴奈は驚いた声を上げた。「えっ」「はい?」 と、「毛玉」がくるん、と隠れる。「あの、何か?」「あ、いえ。何でも」「はぁ……? その「毛玉」の持ち主は首を傾げたが、晴奈が何も言わないので、けげんな顔をしたまま通り過ぎる。 その場に残った晴奈は口を抑え、顔を赤くして――ここ最近の彼女らしからぬ口調で――ぽつりとつぶやいた。「か...

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    晴奈の話、16話目。
    柊師匠の地理講座。

    2.
     柊は自分の日記を取り出し、パラパラとめくりながら話し始めた。
    「そうね……、世界の有名どころは、ほぼ回ったかしら。世界の中心、クロスセントラル。世界一の大都市、ゴールドコースト。それから……」「あ、あの、師匠」
     晴奈は慌てて手を挙げ、話をさえぎる。
    「ん?」
    「すみません、私は、その、世俗に疎いと言いますか、地理に明るくないと言いますか、……央南から出たことが無いもので、果たしてどこがどこなのか」
    「ああ、そうね、そう言ってたわね。ごめんごめん」
     柊は小さく頭を下げ、話を仕切り直す。
    「じゃ、そこら辺から説明するわね。
     晴奈が自分で言った通り、ここは『央南』。即ち、中央大陸の南部地域。中央大陸はその名の通り、昔から歴史の舞台、政治の中央となってきた大陸なの。そしてこの大陸は、大きな2つの山脈によって、3つの地域に区切られているわ」
     柊は懐から紙を取り出し、中央大陸の絵――「し」の字に広がった、どこかモコモコとした形――をスラスラと描いていく。
     枠を描いたところで、その枠を三等分するような線をすっ、すっと引いた。

    「この下の線の右にある、鉤状に出っ張ったところが央南。晴奈も知っての通り、ここは『仁徳と礼節の世界』ね。『猫』や『虎』、『狐』、そしてわたしみたいな長耳(エルフ)と言った人種が多く見られるわ。
     まあ、説明するほどのこともあんまり無いから、この辺は飛ばして――そこから西へ進んだ、この線の辺り。この一帯に、屏風山脈と言う山々が連なっているの。
     この前戦った黒炎教団の本拠地、黒鳥宮はここにあるわ。教団は央中、つまり中央大陸中部からの文化も流れこんでいるから、名前や言葉も、それらしいものが多いみたいね」
    「なるほど……。私と戦った『狼』の、あの、うい、ういう、……ウィルバーと言う名前も、その一端なのですね」
     晴奈のたどたどしいしゃべり方に、柊はクス、と微笑んだ。

     続いて柊は、上と下の線の間を指し示す。
    「それで、この屏風山脈を越えた先が、央中。
     ここは『狐と狼の世界』とも呼ばれているわ。昔から栄えている名家、王侯貴族のほとんどが『狐』や『狼』の種族だから、そう呼ばれているの。頭が良くて狡猾な『狐』と、親分肌、姐御肌で気が強い『狼』だから、大物揃いなのもうなずけるわね。
     そのせいか、両種族の仲はちょっと悪いみたいね。もし彼らのケンカに運悪く居合わせたら……」
     柊は人差し指をピンと立て、いじわるっぽく笑う。
    「下手に仲裁しようとは、しない方がいいわよ。巻き込まれると大変だから」
    「はは……」
     師匠のおどけたような口ぶりから、きっとそのような状況に巻き込まれたことがあるのだろうと推察し、晴奈は苦笑した。
    「そんな2種族が大多数を占める土地柄だから、そこに住む人々はみんな、多少の違いはあれど計算高い人たちばかり。あまたの実力者たちが日々、自分が明日の王侯貴族、大商人になれる方法を考え、実践している。それもあって、栄枯盛衰の度合いは他地域の比じゃないわ。昔から代々続く家系って言うのはかなり、稀な存在になっているわね。
     だから、央中で代々続く名家って言うと、それはもう、かなりの家柄と言うことになるわけだけど、その中でも双璧をなすのが、世界一の大商家、『狐』のゴールドマン家と、世界中の職人の総元締めである、『狼』のネール家。この両家だけで、央中の財の半分以上を握っているそうよ」
    「へぇ、そんなに大きいのですか」
     そう返しつつ、晴奈は頭の中で比較してみる。
    (我が黄家も央南随一の大商家だと聞いてはいるが、確か……、父上によれば、『我が家が持つ富は央南全土の一割ほどもある』とか何とか。
     央南と央中が同じ規模かどうかは分からぬが、それでも1割と半分ではあまりにも違う。単純に考えて5倍となるわけだし。……うーむ、正に格が違うと言うか、何と言うか)
     はっきり捉えきれず、晴奈は比較を諦めた。
     その間にも、柊の話は続いている。
    「さっき言っていたゴールドコーストと言う街が、ゴールドマン家の本拠地。その世界的財力と政治的影響力から、央中の政治と経済の中心地としてにぎわっているわ」
     柊は屏風山脈を模した線の下端に点を打ち、楽しそうに語る。
    「観光地としても有名で、商人、政治家、資産家、傭兵や観光客に至るまで、世界中から様々な人が集まってくる。わたしが行った時も、色んな友達ができたわね」
    「そうなのですか、……ふむ」
     楽しげな柊を見て、晴奈の胸中にワクワクとした気持ちが沸き起こる。それを見抜いた柊が、嬉しそうにニコニコと笑う。
    「にぎやかで騒がしいところだったけれど、ついつい半年以上も長居してしまったわね。
     晴奈、あなたももし央中へ旅に出ることがあれば、絶対行ってみた方がいいわよ」
    「はい!」

     続いて柊は、地図の上側に引いた線の下側を指し示す。
    「央中のもう一つの名家、ネール家の本拠地はここ、クラフトランドと言うところよ。
     ここは周辺に鉄や銅の鉱山、木材に適した森林が豊富だから、自然にそれらを加工・製品化する職人たちの組織――いわゆるギルドが数多く存在しているの。
     だから、街中に鍛冶屋や工房があって……」
     そう言って柊は長い耳をつかみ、ふさぐしぐさを見せる。
    「とーっても、うるさいの。ここは残念ながら、2日といられなかったわ」
    「なるほど……」
    「でも、作られる製品はどれも一流品。わたしもここで、刀を打ってもらったんだけどね」
     柊は傍らに置いていた刀を手に取り、晴奈に見せる。
    「ね? すごく綺麗でしょ?」
    「そう、ですね。しかし、央中でも刀が作られているとは」
    「そこに、ちょっとした逸話と言うか、伝説があるのよ。
     あの『黒い悪魔』克大火がその昔、ネール家の開祖と共に、『神器』とまで称される一振りの刀を作ったと言われているの。
     刀の名は『妖艶刀 雪月花』、見る者をとりこにする異様な美しさをたたえた刀で、克と共に打ったネール大公は、そこで刀作りに目覚めたと言われているわ。
     以来、ネール家では刀鍛冶を厚遇し、それで央中にも刀作りが広まったそうよ。ちなみに今でも、克はその刀を使っているらしいわ」
    「ふむ……」
     克の名前と伝説を聞き、晴奈は橘から伝え聞いた話を思い出して、わずかながら身震いした。
     だが、伝説の奸雄をも満足させると言う、優れた逸品を創り上げた名家にも、強い興味が沸いてくる。
    「『狼』には正直、あまり良い印象を持っていなかったのですが、少し感銘を受けました」
    「クス、あのウィルバー君のせいね。……でも『狼』は、友達になれれば快い種族なのよ。仲間思いで情に厚い人たちだから」
     そう言って柊は、クラフトランドの話を続ける。
    「もう一つ伝説と言えば、ネール家には克が密かに教えた秘術が伝わっているそうなの。
     それが何なのかはわたしも詳しくは知らないけれど、ネール家は鍛冶屋の頭領だし、きっとそれに関係する術なんでしょうね」
    「なるほど……」
    「狐と狼の世界」について一通り聞き終え、晴奈は早くも、央中に思いを馳せていた。

    蒼天剣・紀行録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、16話目。柊師匠の地理講座。2. 柊は自分の日記を取り出し、パラパラとめくりながら話し始めた。「そうね……、世界の有名どころは、ほぼ回ったかしら。世界の中心、クロスセントラル。世界一の大都市、ゴールドコースト。それから……」「あ、あの、師匠」 晴奈は慌てて手を挙げ、話をさえぎる。「ん?」「すみません、私は、その、世俗に疎いと言いますか、地理に明るくないと言いますか、……央南から出たことが無いもの...

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    晴奈の話、17話目。
    地域と種族。

    3.
     柊は地図の上部分に引いた線のさらに上を指し、話を続ける。
    「央南、央中と来たから、次は央北――中央大陸北部の話。
     ここは『天帝と政治の世界』。世界最大の宗教である天帝教と、中央大陸北中部や西方大陸に影響力を持つ巨大な政治組織、『中央政府』の本拠地ね」
    「中央、政府?」
     あまりに物々しい語感に、晴奈は胡散臭さを覚える。
    「まあ、向こうとこっちでは、言葉のズレがちょっとあるから。『中央大陸の政府』って言う意味合いだし、そんなに大仰なものでも無いわ。
     北中部の国家、ギルド、商会など様々な団体、組織が加盟する大きな政治共同体で、古代から中央大陸、いえ、世界政治に大きな影響力を持っているわ。……と言っても、時代を重ねるごとにその影響力は弱まって、今は央北と央中の北部、あと西方の東岸あたりまでが、現在の勢力圏ね。
     で、この中央政府って、元々は双月暦元年に現れたと言う神様――『天帝』が自分の創った宗教、天帝教を広めるために創設したらしいわ」
    「ふむ……、神様が人間たちの世界の政治を執り行った、と言うことですか。何だか本当に、おとぎ話のような……」
     晴奈の言葉に、柊はクスクスと笑う。
    「まあ、古い伝説だし、どこまでが本当なのかはちょっと疑わしいけどね。
     でも、現在世界的に広く使われている双月暦や魔術の基礎は天帝教が発祥らしいし、今でもその名残はあるわね」
    「それで、その天帝教と言うのはどんな宗教なのですか?」
     晴奈の問いに、柊は「うーん」と軽くうなる。
    「わたしも詳しく知っているわけじゃないから、説明できるかどうか……。
     何でも、天帝の言葉や知識を記した経典があって、それに従って、正しく生きることを目的とするとか。まあ、良く分かんないんだけどね」
    「ふーむ……?」
     説明されても、いまいちピンと来ない。柊も十分に分かっているわけでは無いらしく、それ以上の説明はしなかった。
    「ま、そこら辺は置いといて、風土の話をしよっか。
     ここには『狼』、『猫』、エルフ、あとは世界で最も短耳の割合が多いわね。天帝も種族としては、短耳の形をとっていたとか。
     天帝教発祥の地であると共に、それを基礎にした文明の中心地だから、治安も悪くないし交通や産業も活発だったわ。
     あと、人々は概ね明るくて、優しい人たちばかりだった印象があるわね。でも……」
     そこで柊の語調が、少し落ちる。
    「中央政府の本拠地、クロスセントラルは一際にぎやかだけど、色々悪い噂も立っているわね。曰く、『中央政府は克の言いなり』だとか、『大臣たちが日夜、利権の奪い合いに奔走している』とか。中央政府に関しては、本当に黒いうわさが絶えないわね。
     もしクロスセントラルに行くことがあっても、政府関係には近付かない方がいいわよ。得るものは少ないし」
     含みのある言い方に、晴奈は少し引っかかった。
    (どうも関わったことがあるような言い方だな……?)
     だが話の雰囲気から、その辺りを聞くのは避けておくことにした。
    「でも、市街地はとっても楽しいわよ。ここもゴールドコーストと同じくらい人が集まってくる場所だから、退屈はしないわね。ご飯も美味しいし、そっちの方は行って損は無いわね」

     中央大陸の話を一通り聞き終え、晴奈はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
    「あの、師匠。『兎』の方は西方人と伺いましたが、西方とはどの辺りなのでしょう?」
    「あ、中央大陸じゃないわ。その『外』ね」
     そう返しつつ、柊は中央大陸の絵の周りに「北」「西」「南」と書き込んだ。
    「中央大陸から西の方にある大陸を、西方大陸と呼んでるのよ。海を隔ててるから、中央とは色々勝手が違うわね。
     例えば人種。央中に『狐』と『狼』が多いのを除けば、中央大陸で一番多いのは短耳ね。その次に長耳で、次いで晴奈と同じ『猫』かしら。
     でも西方だと、短耳や長耳はほとんど見かけなかったわね。わたしが訪れたのは西方の、ほんの一部だけだったけど、それでも圧倒的に多く見かけたのは、『兎』だったわ。『猫』も、旅人以外ではまったく見かけなかったかも」
    「なるほど……」
     晴奈は相槌を打ちながら無意識に筆を執り、可愛らしい兎を描く。
     それを眺めていた柊は、ぷっと吹き出した。
    「……ふふ、晴奈、あなた変なところで可愛いわね」
    「へ?」
     晴奈は素っ頓狂な声を出し、筆を止める。柊はクスクス笑いながら、手を振った。
    「ううん、何でもない」

    蒼天剣・紀行録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、17話目。地域と種族。3. 柊は地図の上部分に引いた線のさらに上を指し、話を続ける。「央南、央中と来たから、次は央北――中央大陸北部の話。 ここは『天帝と政治の世界』。世界最大の宗教である天帝教と、中央大陸北中部や西方大陸に影響力を持つ巨大な政治組織、『中央政府』の本拠地ね」「中央、政府?」 あまりに物々しい語感に、晴奈は胡散臭さを覚える。「まあ、向こうとこっちでは、言葉のズレがちょっとある...

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    晴奈の話、18話目。
    異国からの招かれざる客。

    4.
     柊から世界の話を一通り教わった後も、晴奈は彼女から、あちこちを旅した話を面白おかしく聞いていた。
    「……でね、その時に会った『狐』と『狼』が、本当に仲が悪くて」
    「ふふ……」
     央中で出会った商人たちのケンカの話に移り、柊が懐かしそうに話していたところで――。
    「……あ」
     突然、柊が神妙な顔になり、話を止めてしまった。
    「どうされたのですか?」
    「ちょっと、ね。嫌な奴のこと、思い出しちゃったの。
     こんな風に、そのケンカしてた2人と談笑してた時にいきなり割り込んできて、『柊、勝負だ!』なんて怒鳴り散らす、迷惑な奴がいたのよ」
     柊の顔が、わずかに曇る。どうやら本当に――人当たりのいい彼女にしては珍しく――その人物を嫌っているらしい。
    「なーんか、嫌な予感がするのよね……」
     柊はす、と立ち上がり、刀を持って部屋を出る。
    「師匠? 何故刀を?」
     ぎょっとして尋ねた晴奈に、柊は憂鬱そうな口ぶりで説明する。
    「ゴールドコーストにね、闘技場があるのよ。で、裏で誰が勝つか賭けをしてて、そいつがいつも本命――つまり、強いの。
     で、昔にちょっとした事情から、そいつと戦わなきゃいけなくなったんだけど、ね」
     柊は晴奈に手招きし、付いてくるよう促す。
    「わたし勝ったのよ、そいつに。それ以来、何年かに一度、ここを訪ねてきて……」
    「『勝負だ!』、と言うわけですか」
     そのまま二人で廊下を進み、修行場へと向かった。
    「そう言うこと。よく考えたら、そろそろ来るかも知れない時期だわ」
     柊がため息混じりにつぶやいた、その瞬間――。
    「あ、先生! 柊先生!」
     若い剣士が、小走りに2人へ駆け寄ってきた。
     柊は剣士が手にしている手紙を見て、何かを感じ取ったような、そして非常に嫌そうな、複雑な表情を見せた。
    「赤毛の熊獣人から?」
    「えっ」
     剣士は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに気を取り直し、こわばった顔を向ける。
    「は、はい。あの、果たし状を預かりまして……」
    「そう」
     柊の顔はとても大儀そうに見える。事実、そうだったのだろう――受け取った果たし状を、中身も見ずに破り捨てた。
    「『峡月堂で待っている』と伝えて連れてきて」
    「しょ、承知しました」
     剣士の姿を見送ってから、柊はとても重たげなため息をついた。
    「はーぁ。やっぱり来たかー……。うわさをすれば、ね」
    「師匠?」
    「……ま、一緒に来て、晴奈。あいつと二人きりだと、息が詰まりそうだから」
    「はあ……」
     晴奈はこの時、とても戸惑っていた。今まで師匠のこんな嫌そうな顔は、弟子入りを頼み込んだ時ですら見たことが無かったからだ。

     だがこの直後、柊がこれほど大儀がった理由を、晴奈も嫌と言うほど理解した。
     その「熊」が本当に面倒くさい、剣呑な男だったからである。

    蒼天剣・紀行録 終

    蒼天剣・紀行録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、18話目。異国からの招かれざる客。4. 柊から世界の話を一通り教わった後も、晴奈は彼女から、あちこちを旅した話を面白おかしく聞いていた。「……でね、その時に会った『狐』と『狼』が、本当に仲が悪くて」「ふふ……」 央中で出会った商人たちのケンカの話に移り、柊が懐かしそうに話していたところで――。「……あ」 突然、柊が神妙な顔になり、話を止めてしまった。「どうされたのですか?」「ちょっと、ね。嫌な奴の...

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    晴奈の話、19話目。
    不機嫌な師匠。

    1.
    「柊雪乃と言う女性はとてもよくできた人だ」、と晴奈はいつも思っている。
     エルフに良く見られる儚げで華奢な容姿と、気さくで面倒見が良く、温かい雰囲気を併せ持っている。
     そして何より一流の女剣士であり、その強さは彼女の二つと無い魅力である。
    「美しく」、「優しく」、そして「かっこ良くて」「強い」――晴奈にとって師匠、柊雪乃は何よりも、どんな人物よりも手本にしたいと心から思える、まさに「こんな人になりたい」と願ってやまない理想像なのだ。



     だから――師匠のこんな大儀そうな顔を見ているのは、晴奈としても非常に心苦しいものだった。
    「はぁ……」
     ため息はもう、何十回ついたか分からない。師弟合わせれば百に届くかと言う数にはなっている。
    「遅い、ですね」
    「そうね」
     素っ気無い返事に、晴奈はそれ以上言葉をつなげられない。手持ち無沙汰になり、しょうがなく自分の尻尾をいじりつつ、相手が来るのを待つ。
    「……クスッ」
     そうしていると、柊が小さく笑った。
    「晴奈。あなた良く、尻尾をいじっているわね」
    「え? あ、はい。そうですね」
     半ば無意識の行動だったので、晴奈は少し気恥ずかしくなり、尻尾から手を離す。
    「尻尾の細長い獣人って、『猫』か『虎』くらいだけど、みんな良く、そうやって手入れしているみたいね。『狼』とか『狐』になると、櫛まで使って綺麗に梳かしていたりするし」
    「まあ、自分の体の一部ですから」
    「ね、……ちょっと、触っていい?」
     柊は不意に、晴奈の尻尾を指差す。
    「はい、大丈夫です」
     晴奈も柊に尻尾を向け、触らせた。
    「……ふさふさね。でもちょっと、さらさらした感じもあるかしら」
     柊は尻尾をもそもそと撫で、楽しげな声を漏らす。触っても良いと言ったとはいえ、撫でられるのは少し、くすぐったくて恥ずかしい。
    「あ、あのー」
    「ん? ああ、ゴメン。晴奈が触ってるの見ていたら、わたしも触ってみたくなっちゃって」
     謝りつつも、尻尾から手は離さない。
    「はー……。まだ来ないのかなぁ」
    「師匠、一つ聞いてもよろしいですか?」
    「ん?」
     ここでようやく、柊は尻尾から手を離した。
    「相手の熊獣人と言うのは、どのような男なのですか?」
    「ん、……うーん。まあ、その、……ねぇ」
     柊は、今度は自分の髪をいじりながら、ゆっくりと説明した。
    「一言で言うと『面倒くさい奴』、ね。
     まず、自分が無条件に偉いと思ってるもんだから、勝ったら威張り散らす。負けたら言い訳する。その上、人の話や都合を聞かない。相手が自分に合わせて当然、と考えている尊大な男よ」
    「むう」
     話に聞くだけでも、面倒な相手と言うのが良く分かる。
    「さらに嫌なのが、話が通じないと言うこと」
    「通じない? 異国の者だからですか?」
    「いえ、そうじゃなくて――いえ、少しはあるかも知れないけれど――他人の話を、理解しようとしないのよ。
     何を言っても、『自分には関係無い話』『相手が勝手な理屈を言ってるだけ』と決め付けて流す。そうして彼の口から出てくるのは――自分がいかに偉いか、と言う自慢話だけ」
    「それは、……また、何と言うか、……面倒ですね」
     顔をしかめる晴奈に、柊は困ったように笑って返した。
    「だから、できれば会いたくないんだけど」
    「……来たよう、ですね」
     ドスドスと重い足音が、戸の向こう側からようやく聞こえてきた。

    蒼天剣・手本録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、19話目。不機嫌な師匠。1.「柊雪乃と言う女性はとてもよくできた人だ」、と晴奈はいつも思っている。 エルフに良く見られる儚げで華奢な容姿と、気さくで面倒見が良く、温かい雰囲気を併せ持っている。 そして何より一流の女剣士であり、その強さは彼女の二つと無い魅力である。「美しく」、「優しく」、そして「かっこ良くて」「強い」――晴奈にとって師匠、柊雪乃は何よりも、どんな人物よりも手本にしたいと心から...

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    晴奈の話、20話目。
    柊雪乃の四番勝負。

    2.
     バン、と力任せな音を立ててその熊獣人の男が入ってきた。
    「よう、ヒイラギ」
     人を端から見下した目つき、胸を反らした尊大な態度、そして央南ではあるまじき、屋内での土足――どこからどう見ても、まともな性格と礼儀を持った人間には見えなかった。
     そしてその口から出てくる言葉も、彼の態度がそのまま現れていた。
    「今度こそ、俺の方が強いと証明しに来たぜ。さあ、勝負しやがれ!」
    「はいはい」
     柊は本当に面倒くさそうな様子で立ち上がり、「熊」に向き直った。
    「これで4度目よ? もういい加減、観念したらどうなの?」
    「フン。言っとくがな、これまでの3回は理由があって負けたんだ。
     最初のは油断してたからだし、2度目のは体調が悪かったんだ。3度目のも武器の調子が悪かった。
     今度は元気一杯、武器も新調したし、お前みたいなガリガリ女に負けるはずが無え」
     戦う前からべらべらと言い訳を並べるこの男に、晴奈は内心、呆れ返っていた。
    (本当に言い訳がましい。本当にあの『熊』、強いのか?)
     そんな晴奈の視線に気付いたのか、「熊」は晴奈の方をぐるっと向いた。
    「何だ、このガキ? 人をじろじろ見やがって」
    「ガキとは失礼ね。わたしの一番弟子よ」
     柊がたしなめるが、「熊」はフン、と馬鹿にしたような鼻息を漏らす。
    「へーそうかい。こんな乳臭い小娘はべらせて、先生気分か? お偉くなったもんだな、ヒイラギ」
     その言い草に晴奈は激怒しかけたが、より早く、激しく怒り出したのは柊の方だった。
    「クラウン、わたしの悪口ならいくらでも言って構わないわ。でもね」
     次の瞬間、柊は熊獣人の首に刃を当てていた。
    「わたしの弟子を侮辱するなら、命も覚悟しなさいよ。もしもう一度侮辱するようなことがあったら、勝負なんか関係無く叩き斬るわよ」
    「……ヘッ」
     クラウンは刃をつかみ、くい、と横に流した。
    「分かった分かった、じゃあさっさとやれよ」
     謝るどころか、うざったそうに答えるクラウンを見て、晴奈は心の中で叫んだ。
    (師匠ッ! 絶対、勝って下さい! 私もこの『熊』、捨て置けません!)



     傍目に観ても、柊がかなり頭に来ていることは明らかだった。
     武具を装備している間中ずっと無言だったし、付き人に肩や腕を揉ませ、斜に構えて笑っているクラウンに対して何度も、侮蔑と怒りの混じった視線を向けていたからだ。

     そして両者の準備が整い次第、すぐに柊とクラウンの勝負が始まった。
     当初からクラウンは、手にしている鉈をブンブンと振り回して柊を追う。剛力で知られる「熊」のせいか、何太刀かに一度、柊の武具をかすめ、その度に柊は少し、弾かれているように見える。
    「楽勝だな」
    「そうかしら」
     ニヤニヤと笑い、勝ち誇って鉈を振るうクラウンに対し、柊はただ睨みつけるだけで、刀を抜こうともしない。柄に手をかけたまま、飛び回ってばかりいるのだ。
    (師匠、何をされているのですか!? 反撃してくださいッ!)
     二人の戦いを見守っている晴奈は、何もしない師匠の姿にうろたえている。
    「ふーむ」
     と、いつの間にか、晴奈の横に重蔵が立っており、二人の勝負を眺めている。
    「なるほどなるほど。どうやら雪さん、一撃必殺を狙っておるのじゃな」
    「一撃必殺、……ですか?」
     晴奈はけげんな表情を重蔵に向けた。

    「一撃必殺」と言えば聞こえはいいが、これは実際狙ってみると、非常に難しい。
     まず、敵を一撃で倒すような攻撃、威力となると、よほど強力な打撃を与えなければならない。となれば自然に、攻撃の動作は大がかりなものとなり、比例して隙も大きくなる。
     さらに一撃で倒すとなれば、必然的に急所を狙った攻撃となるため、敵に動きが察知されやすくなる。
     強力な攻撃手段の確保、隙の抑制、敵に悟らせないための配慮――この3点を揃えなければ、一撃必殺の成功は無い。

     重蔵の言葉を聞き、晴奈は頭の中で勝負の状況を検討する。
    (確かに今、敵は油断している。師匠も間合いを取り、大きな隙を見せていない。
     後は打撃か。一体いつ、どう出る? その一撃をどう出すのだ?)
     晴奈は固唾を呑み、柊の一挙手一投足を見守っている。それを横目で眺めながら、重蔵が解説してくれた。
    「ほれ、あの『熊』さん。動作が一々、大仰じゃと思わんか?」
    「ふむ……」
     言われて見れば、クラウンの動作はどれも大味で単調に見える。
     鉈を大きく払い、振り下ろすその動きは、傍から見ていればとても分かりやすい。クラウンの鉈の振り回し方には、上から振り下ろすか、左右に払うか程度の差異しか無いのだ。
     普段から形稽古で、様々な刀の構え方、振るい方を学んでいる晴奈から見れば、クラウンの攻撃は呆れるほど稚拙で一本調子なものに見えた。
    (なるほど、あれなら攻撃を繰り出す直前の動作を見切ってしまえば、簡単にかわせるな)
     続いて、重蔵はこう指摘する。
    「それと、雪さんの動き。相手を引っ張りまわしておるな」
    「ふむ……」
     ただ退いているようにしか見えなかった柊の動きも、敵の動作と合わせて考えれば、すべて空振りさせるための戦術なのだと分かる。
    「ああして相手を動かすだけ動かし、疲労するのを待って……」
    「そこで、必殺を?」
    「きっと、その算段を整えておるのじゃろうな」
     程無く、クラウンの動きが目に見えて鈍ってきた。
     大兵肥満なその巨体でバタバタと動き回らされていたために、クラウンはとても苦しそうに肩で息をし、ボタボタと汗を流している。
    「ハッ、ハッ、俺を、ハッ、おちょ、ハッ、おちょくってんのか、ハッ」
    「……」
     答えないまま、柊はそこでようやく刀を抜いたようだ。
    「ようだ」と言うのは、晴奈にはその動作が確認できなかったからだ。

     ともかく、一瞬のうちに決着は付いた。
     クラウンの鉈は彼方に弾き飛ばされており、丸腰になった彼の首筋にいつの間にか、柊がぴたっと刀を当てていた。

    蒼天剣・手本録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、20話目。柊雪乃の四番勝負。2. バン、と力任せな音を立ててその熊獣人の男が入ってきた。「よう、ヒイラギ」 人を端から見下した目つき、胸を反らした尊大な態度、そして央南ではあるまじき、屋内での土足――どこからどう見ても、まともな性格と礼儀を持った人間には見えなかった。 そしてその口から出てくる言葉も、彼の態度がそのまま現れていた。「今度こそ、俺の方が強いと証明しに来たぜ。さあ、勝負しやがれ!...

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    晴奈の話、21話目。
    師匠を酔わせてどうするつもり?

    3.
    「見事な居合い抜きじゃったな、雪さん」
     勝負を終え、汗を拭っていた柊の元に、重蔵がニコニコしながらやって来た。
    「いえ、まだまだです」
    「謙遜せずとも良い。まさに一撃必殺――胸のすくような、ほれぼれする技じゃった」
     重蔵にほめちぎられた柊は、顔をほんのり赤くして頭を下げた。
    「恐縮です」
     師匠をほめられ、晴奈も嬉しくなる。
    「お疲れ様でした、師匠」
    「ありがと、晴奈」
     晴奈に向けられたその顔は、いつも通りの穏やかな笑顔だった。

     一方。
    「いや、だからな、今日はやっぱり俺、ほんのちょっと体調が悪かったんだよ。それにな、この鉈まだ新品だからな、まだしっくり、手になじんでなかったんだって。それでも善戦した方なんだって、そーゆーマイナス要素があったにも関わらず、……あ、それにほら、ここは敵の本拠地だろ? 『負けろ』みたいな空気をさー、俺感じちゃって。そう、空気が悪い、それなんだよ。それが敗因なんだって。じゃなきゃ、俺があんな女に……」
     クラウンは自分の付き人たちに向かって、愚痴じみた言い訳をブツブツとこぼしていた。
     結局30分ほど愚痴を吐いた後、自分でもいたたまれなくなったらしく、彼はその場から逃げるように帰っていった。



     その晩、晴奈と柊は勝利を祝って、ささやかな酒宴を開いた。
    「さ、師匠」
    「ありがと」
     晴奈が柊の杯に酒を注ぎ、柊はそれを飲み干す。
    「ふう……。本当に、今日は疲れたわ。……ふふっ」
    「師匠?」
     突然笑った柊に、晴奈はけげんな顔をする。
    「晴奈、あなた勝負の間中、ずっと顔がこわばっていたわね」
    「み、見ていたのですか?」
     晴奈はあの緊迫した勝負の中、師匠に自分を見る余裕があったのかと驚いた。
    「そんなに不安だった?」
    「いえ、そんなことは……。ただ、家元から『師匠は一撃必殺を狙っている』と聞かされたので、いつ、どのように繰り出すのかと、後学のために注視していた次第で」
    「ふふ、そうだったの。流石は家元ね」
     柊はもう一度、一息に酒を飲み干す。ぐいぐいと呑んでいたためか、その顔は少しとろんとしている。
    「……晴奈、あなたもどう?」
     柊は晴奈に杯を渡し、酒に手を伸ばす。
    「え? あ、いや、私は、その……」
    「あら? 呑んでみたくないの?」
     そう言われれば、美味しそうに酒を呑む師匠に多少触発されてはいるので、呑んでみたくはある。
    「……少しだけ、なら」
     晴奈は恥ずかしそうに、杯を差し出した。
    「うふふふ……」
     どうやら柊は、大分酔っているらしかった。

     師匠に付き合ううち、晴奈も大分酔ってしまった。
    「ふわ、あ……」
     思わず、大あくびが出てしまう。柊の方を見ると、すでに眠り込んでいる。
    (いけない、いけない。風邪を、引いてしまう)
     ふらりと立ち上がり、食膳や酒瓶を片付け、床の用意をする。
    「うにゃ……、せえな?」
     柊も目を覚まし、晴奈に声をかけてきた。
    「師匠、今床を整えておりますので、そちらでお休みください」
    「んー、ありがと。……ごめん、おみずもってきてちょうらい」
    「あ、はい」
     近くの井戸から水を汲んできて、椀に注いで柊に手渡す。
    「ありがと。……ふふ、わたし、おさけすきなんらけろ、よあいのよ」
    「そのよう、ですね」
    「せえな、あんまいよっれないろれ。うらやあしいなぁ」
     呂律が回っていないので、何と言っているのか今ひとつ、理解はできなかったが、言わんとすることは何となく分かる。
    「いえ、そんなことは。
     さあ、床のご用意ができました。今日はもう、お休みください」
    「ん、ありがと。せえなも、もうねる?」
    「あ、はい」
     晴奈がそう答えると、柊は晴奈の手を取り、引っ張った。
    「いっしょにねよ?」
    「……はぁ?」



     晴奈と柊は普段、別々の部屋で寝ている。
     だからこんな風に、二人揃って枕を並べることは無いのだが、師匠の誘いでもあるし、酔い方もひどかったので、晴奈は放っておけず、その日は二人並んで眠ることとなった。
    「ふー……、よこになると、ちょっとらくね」
     まだ呂律は怪しいが、先ほどよりは平静を取り戻したようだ。
    「んー……。そっか、はじめてよね。こうやってふたりでねるのって」
    「そう、ですね」
    「こんなによっぱらったのも、なんねんぶりかなー」
    「少なくとも、私がこちらに着てからは、初めてお見かけします」
    「そっかー」
     しばらく、間が空く。眠ったのかと晴奈が思った途端、また声がかけられる。
    「ねえ、せいな」
    「はい」
    「こんどさ、ちょっとだけ、とおでしてみない?」
    「遠出?」
    「そ、ひとつきか、ふたつきか、それくらい。みじかく、たびしない?」
    「いいですね。是非、お願いします」
    「ん……」
     また、静かになる。
     今度は完璧に眠ったらしく、すうすうと言う寝息が聞こえてきた。

    蒼天剣・手本録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、21話目。師匠を酔わせてどうするつもり?3.「見事な居合い抜きじゃったな、雪さん」 勝負を終え、汗を拭っていた柊の元に、重蔵がニコニコしながらやって来た。「いえ、まだまだです」「謙遜せずとも良い。まさに一撃必殺――胸のすくような、ほれぼれする技じゃった」 重蔵にほめちぎられた柊は、顔をほんのり赤くして頭を下げた。「恐縮です」 師匠をほめられ、晴奈も嬉しくなる。「お疲れ様でした、師匠」「ありが...

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    晴奈の話、22話目。
    小旅行のはじまり。

    4.
     翌朝、柊と晴奈は昨日の酒宴など無かったかのように、黙々と食事を取っていた。
    「……」
    「……」
     一足先に柊が食べ終え、茶をゆっくりと飲み始める。そして晴奈が食べ終わったところで、柊が口を開いた。
    「どこに行こっか?」
    「え?」
     何の話か分からず、晴奈が聞き返す。
    「ほら、夕べ話してた、旅の話。さっと行って、さっと帰れるところがいいわよね」
    「ああ……。えーと、その、どこがいいでしょうか」
     地理に詳しくない晴奈は、そのまま聞き返す。
    「んー、じゃあ央南東部の……、そうね、州都の青江辺りなんかどうかしら?
     同じ央南だからこことそれほど勝手が違うことも無いし、途中に険しい山とかも無いから、万一何かあってもすぐ戻れるもの」
    「ふむ……。では、それでお願いします」
    「ふふ、楽しみね」
     柊はうれしそうな顔で、茶を一息に飲み干した。



     こんな感じで、晴奈は柊と共に央南東部へと旅に出た。
    「青江とは、どのような場所なのですか?」
    「あなたの故郷、黄海と同じ港町よ。昔話も豊富で、退屈しない場所ね」
    「ほう……」
     13の頃までほとんど、自分の住む街から出たことの無かった晴奈は、その話に心をときめかせていた。
    (黄海とはまた別の港町、か。楽しみだ)
    「ふふ……」
     唐突に、柊が笑う。
    「どうされました?」
    「ん、ああ……」
     柊は楽しそうに微笑みかける。
    「あなたいつも、そんなに笑う方じゃないわよね、って」
    「え?」
     そう返されて、晴奈はいつの間にか自分が笑みを浮かべていたことに気が付く。
    「そう、ですね。心が浮ついておりました」
    「わたしもよ、うふふ……」
     そう言ってはいるが、いつも笑顔でいるからか、晴奈には柊の様子がいつもと違うようには感じられない。
     しかしやはり、柊は上機嫌になっているらしい。楽しそうな口ぶりで、晴奈に色々と話しかけている。
    「わたしね、こうして旅をする度に思うんだけど」
    「はい」
    「やっぱり旅は、一人より二人の方がいいなって」
    「はあ……?」
     突然そんなことを言われ、晴奈はきょとんとする。
    「そんなものでしょうか」
    「そんなものよ。一人旅も楽しいと言えば楽しいけれど、こうして二人で、色んなこと話しながら歩くの、好きだから。
     ね、覚えてる? わたしの友達の、小鈴」
    「橘殿ですね」
    「そう、そう。あの子ともね、何度か一緒に旅したことあったんだけどね」
     クスクスと笑いながら、柊はこう続ける。
    「あの子といると、なんでか騒動って言うか、事件みたいなのにいっつも巻き込まれるのよね」
    「そうなのですか?」
     晴奈が目を丸くするのを見て、柊はまた笑う。
    「ええ。それはそれで退屈しなかったけど、でもやっぱり普段の倍は疲れちゃうのよね。まあ、晴奈となら、流石にそんなことにはならないと思うけど。
     あなたとなら、楽しい旅になりそうね、って」
    「ええ。楽しい旅にしましょう」
     晴奈は力一杯うなずき、嬉しさと楽しさを表した。

    蒼天剣・手本録 終

    蒼天剣・手本録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、22話目。小旅行のはじまり。4. 翌朝、柊と晴奈は昨日の酒宴など無かったかのように、黙々と食事を取っていた。「……」「……」 一足先に柊が食べ終え、茶をゆっくりと飲み始める。そして晴奈が食べ終わったところで、柊が口を開いた。「どこに行こっか?」「え?」 何の話か分からず、晴奈が聞き返す。「ほら、夕べ話してた、旅の話。さっと行って、さっと帰れるところがいいわよね」「ああ……。えーと、その、どこがい...

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    晴奈の話、23話目。
    はじめての二人旅。

    1.
     青い海。蒼い空。そして対照的な白い雲。
    「わあ……!」
     岬に立っていた晴奈は、感嘆の声を上げた。
     その様子をクスクスと笑いながら眺めつつ、柊が教えてくれる。
    「この絶景が、青江の由縁ね。『し』の字に広がる中央大陸の最東端で、北方の大陸とほぼ、南北の直線状にある街なの。
     間には大陸も大きな島も無いから、北方からの冷たく澄んだ海流が、さえぎられることなく流れ込んでくるらしいの。
     だから時折、北方でしか見られない魚も紛れ込んでくるそうよ」
    「へえ」
     それを聞いた晴奈は海を覗き込んでみる。すると浅瀬に、チラホラと魚の姿を見つけることができた。
    「ふむ……。アジと、イワシが多いですね」
    「ん?」
    「魚です。実家が水産業をしていたので、魚には詳しいんですよ」
    「へぇ。……どう? 北方の魚はいた?」
     興味深げに尋ねた柊に対し、晴奈は残念そうに首を振りつつ答える。
    「夏だからでしょうか。それらしいものは、見当たらないですね」
    「そっか。ちょっと残念ね。じゃ、また冬になったら来てみよっか」
    「そうですね。その時なら、見られるかも」

     こんな風に気楽な、物見遊山の気分で、二人は青江に到着した。
     ただ、この時点まではまだ、柊の口から剣術の「け」の字も出ていなかったし、晴奈も正直なところ、ここで剣の修行をするとは思っていなかった。
    「さてと」
     と、海を眺めていた柊が、ここで唐突に口を開く。水面を覗いていた晴奈は、顔を上げる。
    「行こっか」
    「え? どこにでしょう」
    「この街にね、わたしの古い友人がいるのよ。彼も焔流の剣士で、今はこの青江で剣術道場を開いているの。
     旅と晴奈の修行、その二つをまとめてやっちゃおうと思ってね。だからここに来たのよ」
    「な、るほど」
     晴奈は「単なる息抜きではなかったのか」と言う若干がっかりした思いと、「どんな人物で、どのような修行を行うのだろう」と言う期待の混じった返事をした。
    (まあ、人生思い通りには行かないものだな)
     晴奈は心中で、自分の浮き立っていた心を笑い飛ばした。



     だが、この言葉は後に別の意味を持って、もう一度晴奈と、柊の心に浮かんでくることとなる。
     この街で行うはずの修行が、思いもよらない方向へと向かってしまったからだ。

    蒼天剣・討仇録 1

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、23話目。はじめての二人旅。1. 青い海。蒼い空。そして対照的な白い雲。「わあ……!」 岬に立っていた晴奈は、感嘆の声を上げた。 その様子をクスクスと笑いながら眺めつつ、柊が教えてくれる。「この絶景が、青江の由縁ね。『し』の字に広がる中央大陸の最東端で、北方の大陸とほぼ、南北の直線状にある街なの。 間には大陸も大きな島も無いから、北方からの冷たく澄んだ海流が、さえぎられることなく流れ込んでく...

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    晴奈の話、24話目。
    いなくなった友人。

    2.
     青江の街を海岸に沿って進みつつ、柊はこの街で道場を開いていると言うその人物について説明してくれた。
    「彼の名前は楢崎瞬二。短耳で、わたしの9つ上の36歳。
     今から7年前、焔流の免許皆伝を得て紅蓮塞を離れ、それ以来ずっとここに住んでいるの」
    「なるほど」
     郊外の住宅街に差し掛かったところで、柊が道の向こうにある大きな建物を指差す。
    「あそこが道場。さ、行きましょ」
    「はい」
     だが、道場の前に立った途端、柊は首をかしげた。
    「あ、れ……?」
     道場に掲げられた看板には、「楢崎」と言う名前はどこにも無い。それどころか焔流の文字も家紋も、どこにも見当たらない。
    「島、道場? あの、師匠?」
    「お、おかしいわね? ここの、はずなんだけれど」
     二人は顔を見合わせ、唖然とする。柊は動揺しているらしく、その口調はたどたどしい。
    「あ、その、え? ……間違ってない、わよね、住所は。……ここ、よね。……しま、って誰なの? ……え? 楢崎は、どこに行っちゃったの?」
    「あの、師匠。とりあえず中に入り、仔細を聞いてみてはいかがでしょうか?」
    「そ、そうね」
     恐る恐る、二人はその島道場に足を踏み入れる。途端に、中にいた門下生と思しき虎獣人に声をかけられた。
    「おい、そこの女。うちに何の用だ」
    「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
     柊に尋ねられ、門下生は嫌そうな表情を浮かべた。
    「何だ?」
    「この道場って確か楢崎瞬二のもの、だったわよね?」
     そう聞いた途端、門下生は顔を背ける。
    「……し、らない」
     門下生の動揺を読み取った柊は、もう一度尋ねてみる。
    「知らないはずは無いわ。ここは確かに楢崎の道場だったはず。今、楢崎はどこにいるの?」
    「知らないと言ったら知らない!」
     門下生はブルブルと首を振り、頑なに否定する。その様子を見て、晴奈と柊は目で相槌を打つ。
    (……参ったわね。これじゃ、埒が明かないわ)
    (出直しましょうか?)
    (そうね、それがいいかも)
     二人はそのまま、道場を後にしようとしたが――。
    「楢崎? ああ、わしが倒した、あの男のことか」
     道場の奥から、白髪に白いヒゲをたくわえた、壮年の短耳が姿を現した。
    「あなたが、島さん?」
     いぶかしげに尋ねた柊に、男は大仰にうなずいて返す。
    「いかにも。島竜王とは、わしのことだ」
     晴奈と柊は、直感的にこの男の性格を見抜き――以前に良く似た男がいたため――また、目で会話する。
    (うーん、クラウンみたいな奴ね)
    (ええ、確かに)
    「それで、楢崎が何だと?」
     大儀そうに尋ねてきた島に、柊が聞き返した。
    「あの、島さん、でしたか。楢崎を倒したとはつまり、道場破りをなさったと言うことでしょうか?」
    「いかにも。ほんの3ヶ月前だが、ここで恥知らずにも道場を構えていた其奴を、わしがこらしめてやったのだ。
     まったく、あの程度の力量で人を教えようとは、ふざけた男だ」
     この言葉を聞いて晴奈は、一瞬だけ師匠の方に目をやった。
    (……ああ、やっぱりだ)
     晴奈の予想通り、柊から怒気が漏れていた。
     だが彼女はよほどのことが無い限り、その怒りを表に出すことは無いと晴奈は知っているし、実際、この時は冷静に、柊は島に続けてこう尋ねていた。
    「そうですか。今、楢崎はどちらに?」
     島は大仰に首を振り、答える。
    「知ったことか。今頃は自分の無能を嘆いて身投げでもして、魚や鳥のエサにでもなっているのかもな」
     この返答に眉をひそめつつ、晴奈は再度、柊を見る。
     無表情だったが、柊の目は確実に、怒りでたぎっていた。



     道場を後にしたところで、柊は怒りをあらわにした。
    「あの男に、楢崎が負ける? 信じられない! そんなこと、あり得ないわ!
     楢崎の強さはわたしが良く知っている! 間違ってもあんな、性根の腐った奴に敗れるような男じゃない!
     晴奈、一緒に楢崎を探しましょう。事の真偽を確かめないと」
    「はい」
     二人は市街地に移り、街の者に楢崎のことを尋ねてみた。
     だがやはり、楢崎の行方は誰も知らないと言う。その代わりに聞いたのは、あの島と言う男の悪評ばかりだった。
    「あの島と言う男、何でも楢崎さんと勝負する前に、何かを仕込んだとか。それに楢崎さんが引っかかって、その結果敗れてしまったそうだ」
    「島は小ずるい男で、ああしてあちこちの道場を食い潰しているらしい。本人は名士気取りらしいが、実際は酒癖も手癖も悪い、鼻つまみ者だ」
    「あいつが道場を乗っ取ってこの街に居座ってからと言うもの、道場界隈ではケンカが絶えないし、ご近所も迷惑してるそうだ」
     ひどい評判に、晴奈は怒りに震えていた。
    「何と言う下劣な奴だ!」
    「本当、剣士の風上にも置けない奴ね。……何としてでも、楢崎を見つけないと」
     柊も晴奈と動揺、憤っている。しかし、その一方で不安な様子も見せていた。
    (やはり楢崎殿の消息がつかめぬことを、気にかけておられるらしい。見付かってほしいものだが……)
     その後も懸命に聞き込みを続けたが、二人は結局楢崎本人を見付けることも、その消息をたどることもできなかった。

    蒼天剣・討仇録 2

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、24話目。いなくなった友人。2. 青江の街を海岸に沿って進みつつ、柊はこの街で道場を開いていると言うその人物について説明してくれた。「彼の名前は楢崎瞬二。短耳で、わたしの9つ上の36歳。 今から7年前、焔流の免許皆伝を得て紅蓮塞を離れ、それ以来ずっとここに住んでいるの」「なるほど」 郊外の住宅街に差し掛かったところで、柊が道の向こうにある大きな建物を指差す。「あそこが道場。さ、行きましょ」...

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    晴奈の話、25話目。
    思い出話、恨み話。

    3.
    「はあ……」
     宿に戻ってからずっと、柊は机に頬杖を付き、ため息を漏らしている。
    「楢崎殿、一体どこへ行ってしまったのでしょうね。ご無事だと良いのですが」
    「もしかしたら……」
     柊は顔を青ざめさせ、こんなことをつぶやく。
    「本当に負けたことを恥じ、自害した、……なんてこと、無いわよね」
    「し、師匠?」
     縁起でもないその言葉に、晴奈は目を丸くする。
    「だから『無い』ってば。楢崎はそんな、やわな男じゃないわ」
     柊は微笑むが、その笑顔には力が無く、余計に晴奈の不安をかき立てる。
     それを察したのか、柊は話題を変え、楢崎の人柄について話し始めた。
    「楢崎はどちらかと言うと失敗をバネにして、成長する男。わたしが入門した時から、そう言う人だった。
     普段から気性が穏やかで、勝負事はあまり得意では無かったわ。いつも真正面からぶつかる、正々堂々とした戦い方を好むことから『剛剣』と呼ばれ、慕われていたの。
     どこまでも正直で、清々しくて、はっきり言って好人物。紅蓮塞にいた時は、兄のように慕っていた。それとね」
     柊は――他に誰がいるわけでも無いのに、わざわざ――晴奈の耳に口を近付けて、そっとささやいた。
    「わたしの、初恋の人、……だった」
    「そう、でしたか。……今は?」
     柊はすっと晴奈から離れ、肩をすくめる。
    「彼は結婚してしまったし、塞を離れてからは急に、そんな気持ちはしぼんでしまった。
     それでも今なお、兄のように思っているけどね」
     そう言って、柊は恥ずかしそうに笑った。それを受けて、晴奈も思わず微笑んでしまう。
    「……無事だといいですね、楢崎殿」
    「そうね」



     その夜、既に眠っていた晴奈たちの部屋の戸が、トントンと申し訳なさそうに叩かれた。
    「夜分遅く、すみません。柊様、お話があります」
     その消え入りそうな声を聞き、柊がのそのそと起き上がり、眠たげな声で応じる。
    「……何かしら? なぜ、わたしのことを?」
     戸の向こうから、真剣な声色でこう返って来た。
    「我が師、楢崎瞬二のことでお話がございます」
     それを聞いた瞬間、柊の長耳がぴくっと跳ね上がった。
    「開けるわ。話を聞かせて」
     柊が戸を開けるなり入ってきたのは、昼間晴奈たちに声をかけた、あの虎獣人の門下生だった。
    「昼間は大変、失礼いたしました。あなたが柊雪乃様だと、存じ上げなかったもので」
    「いいわ、別に。それより、何故私のことを?」
     柊の問いに、彼はぺこぺこと頭を下げながら答える。
    「先生から伺っておりました。緑髪の長耳で非常に腕の立つ、可憐で優しげな剣士だと。
     あなたが帰った後に、先生から聞いていた特徴を思い出し、慌ててこちらを尋ねた次第です」
    「そう……」
     この辺りで晴奈も起き上がり、眠い目をこすりながら話の輪に入る。
    「楢崎殿は、どうなったのですか? 門下生だったあなたならご存知のはずですが」
    「ええ、存じております。ですがそのことを話す前にまず、自己紹介をさせていただきます。
     私の名は、柏木栄一と申します。3ヶ月前まで楢崎先生の一番弟子でした。ところがあの島と言う男が先生と勝負し、負かしてしまって以来、私はあの下劣な男の小間使いをさせられております」
    「そこを、詳しく聞きたいわ。なぜ楢崎ともあろう男が、あんな者に遅れを取ったの?」
     柊に尋ねられた途端、柏木は表情を曇らせる。
    「……先生は、負けるしかなかったのです。何故ならその前日、先生のご子息がかどわかされたからです」
    「何ですって……!?」
    「脅迫されていたのです。『息子の命が惜しければ、道場を明け渡せ』と」
     瞬間、柊師弟は激昂した。
    「ふざけた真似をッ!」
    「幼い子を危険にさらしてまで、己の利欲を取るなんて!」
    「お待ち下さい。話には、続きがあります」
     柏木は涙を流しながらも、話を続ける。
    「勝負に負けた後も、ご子息は戻ってこなかった。すでに、どこかへ売り飛ばされたと言うのです。
     負かされた直後に奴自身からその言葉を聞いた先生は、島に負わされたケガも忘れてご子息を探しに出て、そのまま行方が……」
    「なんと……、なんとむごい!」
     あまりに残酷な話を聞かされ、晴奈は怒りで尻尾の毛を毛羽立たせる。
    「奥方も心労で倒れられ、今は臥せっております。
     私自身が仇を討とうとしたものの、実際島は強く、私ではとても太刀打ちできなかったのです。ですが柊様ならきっと、あの男を倒せるでしょう!
     お願いです、柊様! 何卒あの悪党、貧乏神、寄生虫――島を討ってください!」
    「……」
     柊は口を開かない。その代わりに刀を手に取り、下ろしていた髪を巻き上げ始めた。それを見た晴奈も、同じように外へ出る支度を取る。
     支度が整ったところで、柊が静かに、しかし力強く答えた。
    「任せなさい。すぐ片付けるわ」
     柊と晴奈の周りには、たぎるように熱い「気」が広がっていた。

    蒼天剣・討仇録 3

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、25話目。思い出話、恨み話。3.「はあ……」 宿に戻ってからずっと、柊は机に頬杖を付き、ため息を漏らしている。「楢崎殿、一体どこへ行ってしまったのでしょうね。ご無事だと良いのですが」「もしかしたら……」 柊は顔を青ざめさせ、こんなことをつぶやく。「本当に負けたことを恥じ、自害した、……なんてこと、無いわよね」「し、師匠?」 縁起でもないその言葉に、晴奈は目を丸くする。「だから『無い』ってば。楢崎...

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    晴奈の話、26話目。
    殴り込み。

    4.
     今宵は双新月――白い月も、赤い月も見えない、そんな夜である。
     月の光の無い真っ暗な夜道を、二つの影が滑るように進む。その影は青江の海岸線に沿って進み、恐るべき速さでかつて友が住み、今は仇に奪われた屋敷に走っていく。
     友の仇を討ち取るために。

     道場のど真ん中で酒を飲み、肴を食い散らしていた島は、ぞくっと身震いする。
    「……な、なんだ? この気配は」
     腐ってもまだ、一端の剣士ではあるらしい。さっと立ち上がり、床の間に飾っていた刀に手をやった。
     ほぼ同時に道場の扉が×状に裂け、燃え上がる。一瞬で燃え尽きた扉の向こうには、柊と晴奈の姿があった。
    「昼間の武芸者どもか。一体、わしに何の用だ?」
     柊は道場が震えるような、高く、大きな声で応えた。
    「我が名は柊雪乃! 焔流、免許皆伝の身である! 今宵は我が友である楢崎瞬二の無念を晴らしに参った! 島竜王、その命頂戴する!」
     柊の刀に火が灯る。横にいた晴奈の刀にも同じく火が灯り、今度は晴奈が叫ぶ。
    「我が名は黄晴奈! 焔流門下生である! 我が師、柊雪乃に助太刀いたす!」
    「は、は……。逆恨みもいいところだ。まっとうな勝負で、わしはこの道場を手に入れたのだ。無念だの仇だの、片腹痛いわ!」
     臆面もなくそう言い放つ島に、二人が憤った声で叫び返す。
    「ほざくな、戯言を! 楢崎の家族に危害を加え、脅迫したこと! 知らぬと思うのか!」
    「知らんわ! 証拠でもあると言うのか!?」
     なおもしらばっくれる島をにらみつけ、柊と晴奈は同時に刀を振り上げる。
    「問答無用! 我らは友の無念を晴らすのみ!」
     そして同時に、刀を振り下ろした。
    「『火射』ッ!」
     振り下ろした刀の延長線上を滑り、炎が走っていく。炎の滑る速度は非常に早く、島は慌てて飛びのいた。
    「お、っと! いきなり攻撃か! 油断を突くなど、それでも剣士か、お前ら!」
    「敵を前にして油断など、それこそ剣士ではない! 覚悟しろ、島ッ!」
     柊師弟は同時に道場へ飛び込み、島に斬りかかる。だが島は両手に刀を持ち、二人の太刀を防ぐ。
    「二刀流か!」
    「ふっふ、女の剣など打ち破るのはたやすい! 刀錆にしてくれるわ!」
     そう言うと島は二人の刀を弾き、左にいた晴奈に向かって両手の刀を振り抜いた。
    「む……ッ」
     晴奈の刀を挟むように剣閃が走り、絡め取って弾く。
    「ほら、胴ががら空きだッ!」
     島の右手が伸び、晴奈の腹に向かって刀を突き入れる。だが俊敏な「猫」である晴奈は、瞬時に後ろへ飛びのき、突きをかわした。
    「チッ! すばしっこい……」「でやあッ!」「うぬっ!?」
     島の意識が一瞬、晴奈に集中したその隙を狙い、柊が袈裟斬りを入れる。ところがこれも島が背中に刀を回し、防いでしまう。
    「無駄だ! 島式二刀流は攻防一体! 片手が防げば、片手が刺す!」
    「あら、そう」「ならば」
     もう一度、柊師弟は連携を見せる。島の前後から、同時に薙いだ。
    「はははっ、それも万全よ!」
     島は逆手に刀を持ち、二人の攻撃を弾く。
    「どうだ、この鉄壁! この刀の壁! お前ら如きに破れる代物では無い!」
    「そうかしら」「手ぬるい」
     師弟は不敵に笑い――交互に打ち合い始めた。
     晴奈が島に斬り込む。島はそれを弾く。弾くと同時に柊が突く。島はもう片手でそれを打ち落とす。落とした瞬間、晴奈が刀を振り下ろす。
    「む、お、この、ぐ……っ」
     晴奈たちの旋風のような無限の連打を受け、島は一向に、攻勢に転じることができない。
    「ま、ま、待て、待て、待てと、言うに」
     次第に、島から弱気が漏れる。
    「やめ、がっ、やめて、ぐっ、やめてくれ、ぎっ」
     島の刀がガクガクと歪み、島自身も脂汗を流し始める。
    「は、う、かん、べん、して、うぐ、してくれ、ひぃ」
     だが、師弟の太刀筋は弱まるどころか、勢いを増していく。
    「わ、わる、わるかった、あやま、ああ、あやまるか、ら、かんべ、かん、か、か……」
     だが、二人に島を許す気など毛頭無い。
    「今さら、そんなことを言っても無駄だ」「冥府でじっくり、反省するがいいわ」
     やがて島の刀も両腕も、限界に達し――その胴に、柊師弟の刀が到達した。



     一夜明け、道場では大掃除が行われた。島が食い散らかし、飲み散らかしたものの後片付けと、島との死闘の後始末である。
     勿論晴奈と柊も手伝い、昼前には綺麗に片付けられた。
    「これで、あいつのいた面影は無くなった、かな」
    「本当に、ありがとうございました! 本当に、何とお礼を言って良いか!」
     柏木は声を震わせ、泣きながら柊に礼を言った。
    「いいわよ、これしきのことで。わたしとしては、仇が討てただけで満足だから」
    「いえ、そんな! 何かお礼をしなければ、剣士の名折れです!」
    「そう? じゃあ……」
     柊は所期の目的――晴奈の修行の相手を、柏木たち門下生に頼むことにした。柊本人も修行に付き合い、本家焔流と楢崎派焔流の交流は大いに盛り上がった。



     そして一ヶ月が経ち、二人は紅蓮塞への帰路に着いた。
     その途上、柊はぽつりとつぶやく。
    「晴奈、強くなったわね」
    「え?」
    「島とやりあった時の、あの勢いと剣の冴え。わたしと互角に張り合えるほどの完成度だったわ。
     もしかしたら近いうち、わたしはあなたに追い抜かれてしまうかもしれないわね」
     晴奈は驚き、バタバタと手を振る。
    「な、何を仰いますか! 私なんて、まだまだ……」
    「ううん、謙遜しないで。きっとあなたは、わたしより強くなる。強くなってくれるわ」
     そう言った柊は、とても美しい笑顔をしていた。
    「あなたが――わたしの弟子が、わたしより強くなるなら、それほど嬉しいことは無い。
     頑張って、晴奈。あなたはもっと強くなれる子よ」

    蒼天剣・討仇録 終

    蒼天剣・討仇録 4

    2008.10.07.[Edit]
    晴奈の話、26話目。殴り込み。4. 今宵は双新月――白い月も、赤い月も見えない、そんな夜である。 月の光の無い真っ暗な夜道を、二つの影が滑るように進む。その影は青江の海岸線に沿って進み、恐るべき速さでかつて友が住み、今は仇に奪われた屋敷に走っていく。 友の仇を討ち取るために。 道場のど真ん中で酒を飲み、肴を食い散らしていた島は、ぞくっと身震いする。「……な、なんだ? この気配は」 腐ってもまだ、一端の剣...

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