黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第3部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

    • 77
    • 78
    • 79
    • 80
    • 81
    • 82
    • 83
    • 84
    • 85
    • 86
    • 87
    • 88
    • 89
    • 90
    • 91
    • 92
    • 93
    • 94
    • 95
    • 96
    • 97
    • 98
    • 99
    • 100
    • 101
    • 102
    • 103
    • 104
    • 105
    • 106
      
    晴奈の話、第69話。
    銀髪の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「人の出会いは不可思議で心躍る」と言ったのは、黒白戦争時の女傑、ネール大公である。
     ある出会いが、思いがけず生活や人生、そして世界すら変えることがある。黄晴奈とその男の出会いも、後世から見れば、歴史的な邂逅(かいこう)の一つだった。



     双月暦515年初秋、晴奈22歳の時。
    「父上! 母上! 明奈は、明奈はッ!?」
     晴奈は自分の故郷である黄海に、大慌てで舞い戻っていた。
     自分の妹である明奈がさらわれて以来、焔流との交流もその一因と言うこともあって、晴奈はここ数年故郷を訪れられなかったのだ。
     ところがつい先日、その妹がひょっこり帰って来たと言ううわさが、彼女の耳に入ったのである。無論、そんな吉報を聞いて、じっとしていられる晴奈ではない。
     彼女は故郷に戻るとすぐ、自分の家である黄屋敷の扉を蹴破るようにくぐり、玄関の大広間に飛び込んだ。
     と――央南ではまず見ることの無い、銀髪・銀目の、短耳の男が大広間のど真ん中に立っており、晴奈は面食らう。
    「ん? ……誰だ、お主?」
    「えーと、はは。……君は、誰かなぁ? メイナのお友達?」
     やはり、央南人では無いらしい。央南の言葉で話してはいるが、その発音は央南人の晴奈にとってはどこか、違和感を覚える。
     それでも言葉は通じるらしく、晴奈は探り探り、男に尋ねてみた。
    「いや、その、姉だが。……そうではなく、お主は何者か、と聞いているのだが」
     銀髪の男はへら、と笑って、こんな風に返してきた。
    「そっか、お姉さんかー。へー、キレイな人だなー」「名前は?」
     再度尋ねるが、男は一向に、晴奈の問いに答える様子が無い。
    「やっぱり『猫』は目の形がいいねぇー。ちょっと吊り目で、しゅっと縦長の細い瞳。うーん、エキゾチックな感じがするなー」
    (何を、ベラベラと……。えきぞちく、って何だ? 竹か?)
     名前や単語以外は異様なほど流暢であり、男はどうやら相当、央南語を熟知しているらしい。それに元々、口もうまいようだ。
    「名前は?」「それにその耳と尻尾、三毛ってところもまたいい! 黒い髪にすっごく映えてるよー」「な・ま・え・はッ!?」
     だが、晴奈がにらみつけようとも、怒鳴ろうとも、男はまったく応じない。それどころか――。
    「ねえ、お姉さん。名前は何て言うの?」「それは私が聞いているのだッ!」
     いよいよ晴奈は怒り出したが、それでも男は止まらない。
    「メイナから聞いたっけなー? えーと、何だっけ。レナだっけ? あ、セナだったかな? えーと、違うな、んー」「いい加減に……」
     晴奈がもう一度怒鳴ろうとした、その時――。
    「いい加減にしなさいよ、このナンパ男!」
     大広間の階上から、本が飛んできた。
    「あいたッ、……うー、く、く」
     本の角が後頭部に直撃し、男は頭を抱えてうずくまった。
    「痛いじゃないか、リスト。本は読むものであって、投げる道具じゃないよ」
    「出会いがしらに女を口説くヤツが、常識語ってんじゃないわよ!」
     男を罵倒しながら、大広間の階段を青い髪のエルフが下りてきた。
    「ホントに、ごめんなさいね。コイツバカだから、気にしないでいいわよ」
     リストと呼ばれたエルフは、恥ずかしそうに頭を下げつつ、男を軽く蹴った。
    「あ、ああ。まあ、その、……どうも」
     晴奈はまだうずくまったままのこの銀髪の男を、神妙な面持ちで見つめていた。



     会うなり晴奈を口説いたこの男こそ、後に世界のトップとなる「大徳」、エルス・グラッドである。
     二人は後に力を合わせ、幾多の戦いで活躍することになる――のだが、その最初の出会いにおいては、晴奈は不快感しか抱いていなかった。
    蒼天剣・邂逅録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第70話。
    晴奈のひみつ、公開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「め、明奈っ!」
     7年ぶりに見る成長した明奈を見て、晴奈は思わず彼女を抱きしめた。
    「きゃ、お姉さま?」
     明奈は目を白黒させていたが、晴奈は思いを抑えきれず、そのまままくし立てる。
    「ああ、良かった! 本当に良かった! 良く無事に、帰ってきてくれた!」
    「お姉さま、あの、苦しい……」
    「もう二度と、絶対に、黒炎に渡したりしない! 絶対に、姉ちゃんが守ってやるから!」
    「……はい、お姉さま。お久しゅう、ございます」
     戸惑った顔を見せつつ、明奈も晴奈を抱きしめ返した。



     明奈が黒鳥宮から助けられた経緯は、次の通り。
     エルスは元々、北方大陸にある王国の諜報員(スパイ)であり、ある任務のため部下を連れ、黒鳥宮に潜入していたところ、偶然明奈を発見し、保護したのだ。
     そのまま、一旦は北方に連れ帰ったが、エルスの上司であり、教官でもあるエドムント・ナイジェルと言う老博士がある事件に巻き込まれたため、そこから明奈を連れ、師弟ともども亡命。
     亡命先として選んだのが、明奈の故郷であるここ、黄海だったのである。

    「本当に、大変でしたわい」
     あごひげを生やし、丸眼鏡をかけたエルフ、ナイジェル博士はニコニコと笑いながら、前述の説明を晴奈に伝え終えた。
    「なるほど……、そのような経緯があったのですか。私にとっては真に重畳、行幸と称すべきお話です」
     晴奈は深々と、博士に向かって頭を下げた。
    「あ、いやいや。そうかしこまらず。
     ……ふーむ、セイナさん、と申されましたか。なるほど、妹さんと顔立ちが似ていらっしゃる。ですが比べてみると少し、精悍な顔つきをされていらっしゃいますな」
    「そ、そうですか?」
     そう言われて、思わず頬に手を当てる。
    (言われてみれば……。子供の頃はあまり気が付かなかったが、傍らの成長した明奈を眺めると確かに、顔立ちは良く似ていると思う。
     そしてこれも博士の言う通りだが、明奈の方が少し、おっとりした印象を受けるな)
     晴奈がしげしげと明奈を観察している間に、博士の方でも、晴奈を観察し終えたらしい。
    「ふむ……。身長も高く、一挙手一投足ごとに、着実に鍛えられた筋肉が出す力強さが見受けられる。そしてその、落ち着いた気配と所作。なかなか高度な精神修練と、高密度の修行を積んでいらっしゃるようですな。
     ズバリ、セイナさんは――焔流の剣士、それも練士か、師範代程度の手練。違いますかな?」
     博士の推察に、晴奈は目を丸くした。
    「い、いかにも。私は焔流の免許皆伝です、が……」
     自分の素性を初見で言い当てられ、晴奈は流石に博士を不気味に思った。
     と、それも見抜いたらしく、博士はゆっくり手を振って説明する。
    「ああ、いやいや。驚かせるつもりは無かったのですが。小生はこう言ったことを生業としておりまして。
     祖国では戦略研究を行っておりました。敵の動向をいち早く察することが重要なため、こうした洞察力をよく使います」
     博士は横に座っているエルスの肩を叩き、話を続けた。
    「こちらのエルス君も、人を見抜くのが得意でしてな。
     元々は魔術を教えておったのですが、そちらの方も割合筋が良かったので、小生の戦略思考術と洞察力をそっくり受け継がせております。
     さ、エルス。ちょいと力を見せてやりなさい」
     話を振られたエルスはヘラヘラ笑いながら、とんでもないことを――晴奈がこの直後、顔を真っ赤にして「無礼者!」と怒り出し、リストから「このバカ!」と怒鳴られ、しこたま殴られるようなことを言った。
    「うーん、上から77、51、79かな。すらっとしてるね。低脂肪乳って感じかな、はは」

     ひとしきり殴られ、頭に大きなコブを作ったエルスは、依然としてヘラヘラ笑いながら謝った。
    「ははは……、ゴメンゴメン。ちょっとしたギャグのつもりで言ったんだけどね」
    「どこがギャグよ!? セイナさん、引いてんじゃない! て言うかアタシも引くわ!
     アンタ本気で頭のネジ、1本2本飛んでんじゃないの!?」
     リストはまだ怒っているらしく、エルスにまくし立てる。
    「ホントに、このバカがとんでもないコトを……」
     リストはしきりに謝っている。彼女が少し気の毒になってきたので、晴奈は溜飲を下げた。
    「……いや。減るものでも無し、構わんさ」
     とは言え、口ではそう言いつつも、晴奈の内心はまだ、怒りが収まらない。
    「ま、そのですな。ちと、遊びが過ぎましたが、ともかくエルス君は、武術や魔術の腕も相当ですが、頭の方も良く回ります。
     しばらくこちらに滞在する予定なので、色々と央南の事情、それから常識をご指導、ご鞭撻いただければと」
     場を取り繕う博士の心情も察し、晴奈は大人しく振舞う。
    「……構いませんよ。まあ、こちらも北方の話を色々お聞きしたいところです。よろしくお願いします」
     晴奈は落ち着き払い、手を差し出す。エルスもニコっと笑いながら手を差し出し、普通に握手した。
     恐らくこの時も、エルスは何かするつもりであったようだが、それは彼の右側でにらんでいるエルフ二人に阻まれたため、流石に諦めたようである。
    蒼天剣・邂逅録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、71話目。
    スパイを尾行するスパイとサムライ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     折角の再会と帰郷であるし、晴奈は当初、黄海にしばらく滞在することを考えていた。
    「まったく、ろくでもない!」
     だがエルスのせいで、その折角の機会を、晴奈は気分悪く過ごしていた。
    「忌々しい……。私が、明奈を助けたかったのに。何であんなバカが助けるんだか」
     文句をブツブツと唱えながら街を散策しつつ、ある通りに差し掛かったところで――。
    「ん? あの青い髪は」
     少し前を、青い髪のエルフが歩いているのが見える。
     晴奈は彼女にそっと、声をかけてみた。
    「もし、リスト殿?」
    「……! あ、セイナさん、でしたっけ」
     振り返ったリストは、どこか苛立たしそうに晴奈を見る。
    「あの、何か?」
    「いや、ただ声をかけただけ、ですが」
    「そう。悪いわね、忙しいから、また後でっ」
     そう言ってリストは、また前に向き直って歩き出す。
     視線を前に戻すと、少し先を「あのバカ」が妹、明奈を伴って歩いているのが見えた。
    「もしや、エルス殿と明奈を尾行されているのですか?」
    「な、何で分かったの!?」
     また、リストがこちらを向く。
    「いや、何故と問われても。一目瞭然では……」「と、とにかく! 邪魔しないで!」
     リストは早歩きで、エルスたちを追いかける。
    「あ、私も同行します、気になるので」
     晴奈もリストに続き、尾行に参加した。
    「しかし、一体何故、リスト殿はこのようなことを?」
     揃って物陰に隠れたところで、晴奈はリストに尋ねてみた。
    「あのスケベ、メイナを連れてあちこち回ってるのよ! きっとメイナを落そうと狙ってるんだわ!」
    「何と!?」
     リストの返答に、晴奈はまた苛立ちを募らせる。
    「おのれ、渡してなるものか……!」
    「でしょ!? だから、こうやって後を尾けてるのよ。もし手を出そうとしたら、コイツで無理矢理にでも止めるわ」
     そう言って、リストは腰に提げていた銃――近年開発された、新種の武器だそうだ。どのようにして使うのか、晴奈にはまったく見当が付かない――に手を添える。
    「ぜひとも、助太刀させていただきたい!」
    「ええ、その時はお願いね、セイナさん!」
     変に意気投合したらしく、晴奈とリストはがっちりと握手した。



     その後も2時間ほど、エルスたちはあちこちを回っていた。
     そのほとんどが商店や露店めぐりで、どうやら女物の小物を買い集めているらしい。
    「何よアレ!? 完璧にデートじゃないの!」
    「でえ、と?」
    「えっと、その、何て言ったらいいかな。……イチャイチャしてる、ってコトよ」
    「む、確かに……」
     言われてみれば、確かに二人の雰囲気は、知らない者が見れば恋人のようにも見える。晴奈の目にもそう見えてしまい、怒りをますます燃え上がらせていた。
     そのうちに日も傾き始め、エルスたちは黄屋敷の方へと向かっていく。
    「っと、隠れて隠れて」
     リストが物陰に晴奈を引っ張り込む。そのまま隠れてエルスたちが通り過ぎるのを待ち、また後をつける。
     と、エルスが急に立ち止まり、明奈に何かを話しかける。
    「……メイナ、これ……」
     二人の話し声は完全には聞き取れないが、どこか楽しそうにしている。
    「ほら、……見せたら、……きっと……」
    「そうかしら? ……それじゃ……」
     エルスが抱えていた袋から何かを取り出し、明奈に手渡す。遠目には良く分からないが、どうやら髪留めのようだ。
    「おー、可愛い。これは……似合う……」
    「まあ、エルスさんったら」
     エルスの言葉に嬉しそうに笑う明奈を見て、晴奈の怒りはついに爆発した。
    「も、もう……、我慢ならん!」
    「えっ、セイナ?」
     リストがその声に反応した時には既に、晴奈はエルスたちのすぐ後ろに迫っていた。

    「あ、そうだ。メイナ、これ今付けてみない?」
     帰り道に差し掛かったところで、エルスが袋を足元に下ろして中を探る。
    「さっきの髪留めでしょうか?」
    「そう、さっきの」
     エルスは袋の中から髪留めを取り出し、明奈に差し出す。
    「ほら、お揃いって言うのを見せたらさ、お姉さんもきっと喜ぶよ」
    「そうかしら? ……そうですね。それじゃ、付けてみますね」
     明奈は丸まった白い狐があしらわれた髪留めを、前髪に留めてみる。
     それを見て、エルスは口笛を吹いてほめちぎった。
    「おーぉ、可愛い。これは買って大正解だったね。お姉さんにも良く似合うだろうなぁ」
    「まあ、エルスさんったら」
     髪留めを付けた姉を想像し、明奈はクスクス笑っていた。

     そこに、怒り狂った晴奈が割り込んできた。
    「エルス・グラッド! 今すぐ、明奈から離れろッ!」
     いきりたつ晴奈とは正反対に、エルスはのほほんと笑っている。
    「うん? ああ、セイナさん」
    「ああ、では無いッ! 成敗してくれるッ!」
     ヘラヘラと笑うその顔が癪に障り、晴奈の怒りはさらに膨れ上がった。
     その怒気を察したのか、エルスはヘラヘラ笑いながらも、すっと拳法の構えを取る。外国の人間とは思えない、見事に隙の無い、完璧な構え方だった。
    「えっと、どうして怒ってるのか、良く分からないけれど……。何にもせずに、やられるわけには行かないよねぇ」
    「どうして、だと!? 本気で言っているのか、貴様ッ!」
     晴奈が先に刀を抜き、仕掛ける。ところが――。
    「えいっ」
     パンと、手を打つ音が響く。あろうことか、白刃取りである。
    「そん、な、……馬鹿な!?」
     焔流免許皆伝の晴奈の刀が――「燃える刀」ではないし、本気を出してはいなかったのだが――あっさりと防がれてしまい、晴奈は戦慄した。
    「ねえ、落ち着いてさ、話し合おうよ」
    「だ、黙れッ!」
     晴奈はエルスの腹に蹴りを入れて弾き飛ばそうとした。だが、その行動も読まれたらしく、エルスはぱっと刀から手を離して飛びのく。
    「やめて、お姉さま!」
     明奈が悲鳴じみた声を上げるが、晴奈の耳には入らない。二太刀、三太刀と繰り出すが、すべてひらりひらりとかわされる。
    (この男……、思っていたよりも、ずっと手強い! 『猫』の私と、遜色ない身のこなしだ)
     四太刀目を放とうとして、一瞬踏み留まる。
    (どうする? 焔を使うべきか?
     格下相手に使うのは、恥ではある。だが彼奴はどうやら、相当に強い。使っても恥にはなるまい。いや……、むしろ使わねば、勝負になるまい)
     晴奈は心の中を整理し、精神を集中させて、刀に炎を灯らせた。
    「火、か。それが焔流の真髄、ってやつかな。
     ねえ、セイナさん。本当にもうやめにしない? 不毛だと思うんだけど」
     エルスは笑い顔を曇らせて――それでも、「苦笑」と言った感じだが――和解を提案する。だが怒り狂った晴奈は、それを却下した。
    「断るッ! 勝負が付くまでだッ!」
    「そっか。じゃあ、うん。やるよ」
     エルスは再び構え直し、晴奈の攻撃に備えた。
     そのまま両者ともにらみ合ったところで――。
    「お姉さまッ!」
     明奈が二人の間に入り、晴奈の頬をはたいた。
    蒼天剣・邂逅録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、72話目。
    仲直り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     突然の明奈の行動に晴奈は虚を突かれ、刀の炎が消える。
    「明奈?」
    「エルスさんの言う通りよ! こんな争いはやめて! 折角エルスさんが仲直りしようと思って、贈り物を一緒に……、あっ」
     明奈はしまったと言う顔をして、口を押さえる。エルスは頭をかきながら苦笑している。
    「あらら、言っちゃったかぁ。驚かせようと思ったのにな~。
     ……ん、まあ。この前さ、悪いことしちゃったから」
     そう言って、エルスは傍らに置いてあった包みから小箱を取り出す。
    「狐小物専門店って言うのがあってね。可愛いものがいっぱい置いてあったから、これを買ってみたんだ」
     晴奈は小箱を渡され、そろそろと開けてみた。中には、丸まった金色の狐を象った髪留めが入っている。
    「あ……」
     それを見て、晴奈の怒りは氷解した。と同時に、申し訳なさがこみ上げてくる。
    「あ、その……、その。大変、失礼しました、エルス殿」
     晴奈は顔を真っ赤にして、エルスに頭を下げた。
    「いいよ、別に。一度、焔流って剣技を間近で見てみたかったし、いいプレゼントになったよ。ありがとう、セイナさん」
     そう言ってエルスは笑い、続いてリストに近寄ってまた、小箱を渡した。
    「リストにもあげる。こーゆーの、欲しかったって言ってたからさ」
    「え、……アタシに?」
     箱を開けたリストは途端に顔と耳を真っ赤にして、エルスに背を向けた。
    「その、えーと。ありがたく、受け取ってあげるわ」
    「喜んでくれて嬉しいな~、はは。
     ……っと、そうだセイナ」
     エルスはもう一度、晴奈に向き直る。
    「良ければ僕のことは、普通にエルスって呼んでほしいんだ。堅苦しいのは、どうにも苦手なんだ」
    「ふむ。……分かった、エルス」
     晴奈ももう一度うなずき、改めて挨拶した。
    「お主のことを少し誤解していた。……その、今後とも、よろしくお願いしたい」
    「うん、よろしくセイナ」
     エルスはいつも通りの笑顔で、晴奈に返した。



     こうして晴奈とエルスは仲直りし、同時に互いを兵(つわもの)と認め、尊敬するようになった。
     交流するうち、晴奈は思っていたよりずっと、エルスの頭がいいこと――ナイジェル博士の言った通り、優れた洞察力と思考力、広く深い知識を有していることに気付いた。
     一方でエルスも、晴奈の実力の高さに感服し、女性に目が無い彼としては珍しく、口説くことをせずに、様々な話や稽古、囲碁などに興じていた。

     これより30年以上に渡り、二人の友情は続くこととなる。

    蒼天剣・邂逅録 終
    蒼天剣・邂逅録 4
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第73話。
    エルス流ナンパのテクニック。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     エルス・グラッドと言う人物は、色々な意味で晴奈にとって不可解、不思議であり、初めて見る類の人間だった。
     考え方も、性格も、それまで出会ってきた者たちの中でも異質と言っていいほど、他人との隔たり、差異がある。無論、晴奈も「独特の性質を持つ者」なら数名ほど見たことはある。大抵そんな者たちは偏狭、偏執な性分で、人との交わりを極力避けていることが多い。
     ところがエルスはその点においてもまた、違う面を持っていた。



    「ねえねえお姉さん、ちょっと道、聞いてもいいかナ?」
    「あ、はい。何でしょうか?」
     故郷、黄海を散歩していた晴奈が、道端を歩いていた人間の女性に声をかけ、道を尋ねているエルスを見かけた。
    「えーと、港はどっちかナ? 僕、この街に着たばかりだかラ、良く分からなくテ」
     エルスのしゃべり方と話の内容に、晴奈は首をかしげた。
    (何だ、その片言は……? しゃべれるだろう、普通に。いや、普通どころか央南人と見紛うほど流暢に。
     それにお主、海路でこの街を訪れたと言っていたではないか。お主ほどの頭があれば道くらい、一度通れば簡単に覚えられるだろう?
     そもそも聞くなら私や明奈に聞けばいいものを、何故見ず知らずの者に尋ねる?)
    「あ、外国の方なんですね。えっと、そうですね……、あの大通りを右に進んで、3つ目の筋を左に入って……」「あ、あ、ちょっと待ってくださイ」
     エルスは慌てた素振りを見せ、女性の説明をさえぎった。
    「口だけじゃ、ちょっと分からないデス。良ければ、案内してほしいナー」
    「え、……うーん。それじゃ、付いてきてください」
     女性は少し困った顔を見せたが、エルスの頼みを了承した。エルスはニコニコ笑い、お礼を言う。
    「あー、ドモドモ。ありがとうございまス」
     そう言うなり、エルスは女性の手を握って引っ張っていった。
    「えっと、こっちの方でしたネ。それじゃ、行きましょウ」
    「え、あ、あの? あ、そっちなんですけど、手、あの、何故握られて……」
    「だって、もしはぐれたラ僕、迷子になっちゃいますかラ」
    「は、はあ……」
     そのままエルスは女性とともに、雑踏の中に消えた。

    「ただいまー」
     それから3時間後、エルスは仮住まいの黄家屋敷に戻ってきた。
    「おかえり、エルス」
     晴奈とともに大広間にいたリストが声をかけ、エルスはにこやかに返す。
    「いやー、央南っていいね。エキゾチックだ」
    「……?」
     唐突な感想に、晴奈はまた首を傾げる。
     と、エルスの襟元に何か、赤いものが付いているのに気付く。
    「エルス、襟に……」
    「うん? ……っと」
     エルスは襟に手を当て、すぐに引っ込めた。その仕草を見て、リストが尋ねる。
    「どしたの、エルス?」
    「ああ、ゴミが付いてたみたいだ」
    「ふーん」
     リストはそれだけ返して、広間から離れた。それと同時にエルスが晴奈に近付き、耳打ちする。
    「セイナ、困るよ~」
    「は?」
     エルスははにかみ、恥ずかしそうにささやく。
    「口紅なんか見つかったら、またリストに殴られちゃう」
    「……ようやくピンと来た。お主、昼間に出会った女を誘ったな?」
     晴奈のやや侮蔑が混じった問いに、エルスはにべもなく答える。
    「あれ、見てたんだ。……はは、大正解」
    「妙な片言まで使ってたぶらかすとは、本当に軟派な奴だな」
    「いいじゃないか。向こうだって喜んでたし」
     あっけらかんと返され、流石に晴奈も気分が悪くなる。
    「……」
     晴奈は憮然としつつ、リストの去った方向を向く。
    「どしたの、セイナ?」
     晴奈はすーっと息を吸い、大声を上げた。
    「リスト! またエルスの悪い虫が出たぞ!」
    「ちょ」
     エルスの笑顔が青ざめると同時に、なぜか1階にいたはずのリストが2階、大広間吹き抜けの廊下から襲い掛かってきた。
    「エルスッ!  アンタまた、何かしたのッ!?」
    「ぎゃーッ!?」
     エルスはリストに頭を踏みつけられ、床に顔をめり込ませた。



     独特の感性、思想を持つ変人でありながら、他人と深く接する「変わり者の中の変わり者」。
     それが「大徳」エルス・グラッドと言う人物だった。
    蒼天剣・大徳録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第74話。
    大人物の人生哲学か、ナンパ男の言い訳か。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「あいたたた……」
     客間に運ばれたエルスは首と後頭部をさすりながら、ヘラヘラ笑っている。
    「セイナ、ひどいじゃないか」
    「元はと言えば、お主の行いが原因だろうが」
    「ま、そりゃそうだけどさ」
     リストはエルスを踏みつけた後も一通り怒り倒し、そのまま屋敷を出て行ってしまった。
    「まったく、何度怒らせれば気が済む?」
    「しょうがないさ、これは『趣味』の問題だし。ま、あの子は薬缶みたいな子だから、そのうちケロッとして戻ってくるさ」
    「……下衆な趣味だな。お主の頭に公序良俗と言う言葉は無いのか?」
    「うーん」
     エルスはそっぽを向き、両手を挙げる。
    「綺麗なご婦人がいたら、声をかけるのが紳士の礼儀かな、って」
    「大馬鹿者」
     今度は晴奈がエルスを叩いた。
    「あいたっ」
    「女をたぶらかして、何が紳士か」
    「そうですよ、エルスさん」
     明奈が洗面器と手拭を持って、客間に入ってきた。
    「あ、わざわざゴメンね、メイナ」
    「いえいえ。……本当にいけませんよ。北方ではどうなのか、良くは知りませんけれど。色恋に雑な方は、央南ではあんまり歓迎されませんよ」
     水にひたした手拭を絞りながら諭してくる明奈に、エルスはまた苦笑する。
    「あはは……、雑にしてるつもりはないんだけどね。誰であっても、真面目に付き合ってきたつもりだし」
    「それなら、リストさんとはどうなんですか?」
    「うん?」
     明奈から手渡された手拭を頭に当て、エルスは短くうなる。
    「んー……、どう、って?」
    「え……?」
    「僕が恋愛を楽しむことと、リストと何の関係があるの? あの子とは別に、付き合ってるわけじゃないんだけど」
     今度は明奈が憮然とした顔になる。
    「付き合ってない、って……。どう見てもリストさん、嫉妬してますよ」
    「そんなわけ無いじゃないか、はは」
     エルスは軽く笑い飛ばし、明奈の見解を否定する。
    「あの子とは一緒に仕事して、結構長い。それなりに信頼関係もあるし、嫌ってないのは確かさ。でも、いつも僕に向かって罵詈雑言を放つし、どう考えてもあの子が僕に恋愛感情を持ってる、って言うのはちょっと、無理じゃないかなぁ。
     それにあの子が僕と一緒に来たのは、僕の仕事に加担したからだよ。それに、博士のお孫さんでもあるし、どっちかって言うと付き添いって感じだ。怒るのはきっと、博士に恥をかかせないようにと、彼女なりに配慮してるからじゃないかな」
    「そう、ですか……?」
     まだ腑に落ちないと言う面持ちの明奈に、エルスはへら、と笑いかけた。
    「そう、だよ。第一、本当に僕のことが好きなら、足蹴にしないだろ? ほら、このコブ」
    「……ま、そうだな」
     エルスの後頭部の腫れを見た晴奈は、エルスの意見がもっともらしく感じた。
    「しかし……。お主、それだけ他人の洞察ができるのに、何故神経を逆なでするようなことばかりするのだ?」
    「んー、……他人の理解を得るより、自分の考えを実行に移すことを優先してるから、かな。
     確かに僕のやってることは、周りに理解を得られないとは思う。でも、何に対してもそう言うことはあるんじゃないかな」
    「……?」
     エルスの言葉の意味が分からず、晴奈も明奈も顔を見合わせてきょとんとする。
    「えっと、例えばね。
     僕はセイナじゃ無いから、セイナがいま何を考えて、何を大事にしてるかってことは、予想は付いても、完全に読みきれるわけじゃない。同じようにセイナも、僕の趣味や好きなものは分かっても、僕がいま何を考え、何をしたいかってことは、僕から言わないと分からないだろ?」
    「それは……、まあ」
    「もちろんそう言うことは、仲良くなっていくうちに自然と分かったりもするだろう。でも、そうなるまでには非常に時間がかかる。すべての人間関係においてそんな過程を経ていたら、その人と一緒にやりたいと思ってることは多分、何もできなくなる。
     理解には時間がかかるし、時には到底無理だって言うこともある。莫大な時間をかけてただ理解しようと考えるだけじゃ、時間の無駄遣いさ。だから、理解は二の次。先に、行動を取った方がいいと思うんだ。
     第一、行動してその結果を見せた方が、理解も早いだろうしね」
    「ふむ……」
     感心する晴奈を見て、エルスはまた笑った。
    「ま、博士の受け売りだけどね」



     それから2時間後。
     エルスの言う通り、リストは何事も無かったように夕食の前に戻ってきた。
    「ただいまー」
    「ああ、おかえりリスト」
     エルスが挨拶すると、リストはパタパタと手を振って会釈する。二人があまりに平然としているので、晴奈は思わずリストに尋ねた。
    「もし、リスト」
    「ん?」
    「怒ってないのか?」
    「ああ、さっきのアレ?」
     リストはまた、手をパタパタ振る。
    「毎度のコトだし。そりゃ、ムカッと来るけど蹴っ飛ばせば気、晴れるしね。
     アイツのやるコトに一々まともに相手してちゃ、気狂っちゃうわよ。アイツ、頭いいけどバカだし」
    「……そうか」
     リストの言い草に、晴奈は少し不愉快になった。
    (それは、あんまりでは無いだろうか)
     とは言え、そう思ったことを口にはしなかった――恐らく、理解してもらえないので。
    蒼天剣・大徳録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第75話。
    大きな買い物。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     黄屋敷にて、エルスの師、ナイジェル博士と、晴奈たち姉妹の父、紫明が、応接間で何枚かの書類に目を通していた。
    「ふむ、ここもいいですな」
    「こちらもなかなかですよ」
     二人が見ているのは、不動産のチラシである。
     元々エルスたちは、亡命を目的として黄海に移ってきた身である。故郷の北方にはしばらく戻れないため、当然、長期の滞在になる。
     となればずっと黄屋敷にいるわけにも行かないので、どこかに家か部屋を借りようかと考えた博士は、黄商会の宗主であり、この街の不動産も手がけている紫明に相談していたのだ。
     紫明も娘を助けてくれた恩人に感謝の意を表明しようと、熱心に家探しを手伝ってくれた。
    「ここも良さげですが、ちと高いか……」
    「それに街から少し離れていますし、あまりいい物件では無いですな。
     ……そうだ、こちらはいかがでしょうか?」
     紫明がある一件を博士に提示する。
    「ふむ、賃貸ではなく購入ですか。とは言え……、なるほど、ここから近い。それに購入と言うことを考えれば、かなり安めですな。
     一度、見てみましょうか」



     博士と紫明、そして付き添いに晴奈とエルスを加えた4人で、その物件まで足を運んだ。
    「ふむ、見た感じはまだ新しい。
     建物の外観を見るに、ここ10年以内に造られたように見える。中の柱や壁もしっかりしているし、長持ちしそうだ」
     エルスが壁や階段を触りつつ、博士に同意する。
    「しかし、良く見れば大掛かりな補修ですね、これ。いや、どちらかと言えば拡張工事なのかな? 随分手を加えてある。相当お金をかけて改築してありますねぇ。
     それに、なかなかおしゃれなデザインですね。ここ最近、央南で流行している建築様式だ。これが本当に、380万玄なんですか?」
     ちなみに「玄」と言うのは央南の通貨、玄銭のことである。
     なお参考として、黄海・黄商会の新入りの月収がおよそ3万玄、黄商会の年間収益が6、70億玄程度になっている。
     博士は北方を発つ際に家財道具を処分し、現在3千万玄近い金を持っている。買おうと思えば、買えないことはないのだが――。
    「ああ、書類の上では確かにそう書いておる。……じゃから、どうにも怪しくてな」
     疑問に思う博士に、紫明も同意する。
    「確かに。これだけの物件であれば、その4~5倍はしてもおかしくありません。ただ、私も同業者から簡単な情報を渡されただけですので、詳しい事情については……。
     そろそろ売主が来るのでその辺り、尋ねてみてはいかがでしょうか」
    「そうですな。……おや、あの『猫』の方ですかな?」
     話しているうちに、その売主が姿を現した。

     売主の姿に、晴奈は既視感を覚えた。
    (む……? この女性、どこかで見たような?)
     その猫獣人の女性は、確かに見覚えがある。だが、どこで会ったのかまでは、はっきりと思い出せない。
    「あの、黄不動産の方でしょうか?」
     女性は不安そうに尋ねてくる。
    「ああ、はい。私が代表の黄紫明です。楊さんで、お間違い無かったでしょうか」
     紫明が挨拶すると、女性はほっとしたように自己紹介を始めた。
    「はい、そうです。わたくし、楊麗花と申します。初めまして、黄さん」
    「初めまして。早速ですが中の方、拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
     紫明は慣れた素振りで楊に応対している。楊はうなずき、家の扉を開けた。
    「既に家具など、中の荷物は処分しております。もしご購入される場合は、あらかじめご用意くださいね」
    「承知いたしました。少し質問させていただいても、よろしいでしょうか」
     博士は中をきょろきょろと見回しながら、楊に尋ねる。
    「何でしょうか?」
    「これほど程度のいい邸宅を、何故380万と言う破格の値でお売りに?」
    「ええ、それは……」
     博士に尋ねられた途端、楊の顔が曇る。
    「主人が先月、病で亡くなりまして。それで田舎の方に戻ろうかと考え、早急に処分したいと思い、安めに値を付けさせていただきました」
    「なるほど、そんな事情が……。これはとんだ失礼を」
    「いえ……」
     謝る博士に、楊は静かに首を振った。
    「幸い、主人はこの街で成功を収めまして。それなりの資産を遺してくれましたので、わたくしも娘も、しばらくは食うに困ることはございません」
     娘、と聞いて晴奈の脳裏にある人物が思い出された。
    (あ、そうか。……似ているが、この人ではない。それに『猫』ではなく、耳は短かった。私が見たのは恐らく……)
     晴奈はチラ、とエルスの方を見た。エルスも見返し、片目をつぶった。
    (……予想通りか)
     晴奈が見たと思ったのは楊本人ではなく、楊の娘――先日エルスが口説いた、あの女性だったのだ。

     博士と紫明、楊が相談している間、晴奈とエルスは彼らと少し離れたところで話をした。
    「ヨウ、って聞いてあれ? と思ったんだよ」
    「やはりか」
    「うん。あの子、楊柳花って名乗ってたし、顔立ちもすごく似てる。多分、レイカさんの娘さんだろうね。いやー、偶然ってすごい」
     ヘラヘラ笑っているエルスに、晴奈は呆れる。
    「悠長なことを言ってる場合か。もしここにその柳花嬢が現れたら、えらいことになるぞ」
    「え?」
     エルスの笑いが、一瞬止まる。
    「何で?」
    「何でって……、まずいだろう、どう考えても。売主の娘をたぶらかしたことが発覚すれば、この話が流れる可能性もある」
    「ああ……」
     エルスはまた、笑い出した。
    「はは……、よくよく考えれば、ちゃんと説明する間が無かったんだよね」
    「説明?」
    「んー……」
     エルスは話中の博士たちを確認し、晴奈に向き直る。
    「セイナ、僕とリューカが出会った時、どこまで見てたの?」
    「どこ、と言うと……、港に行く道を尋ねていたところまで、だな」
    「じゃ、その後のことは当然、知らないよね」
    「当たり前だ。知りたくもないが」
     晴奈の反応を見て、エルスはまた笑った。
    「やっぱり、誤解してる。じゃ、その後のことを話すね」



    「えっと……、あちらが港になります」
    「ふむー、そうですカ」
     柳花に港まで案内してもらったエルスは、ここで片言をやめた。
    「コホン。……リューカさん、ご親切にどうも。良ければお礼をさせていただきたいのですが」
    「え、え? あの、あれ? エルスさん、話し方……」
     あまりの変わりように、柳花は口を開けてぽかんとしている。
    「央南語は囲碁好きの教官に2年ほど、みっちり教えてもらいましたから。
     さ、海を眺めながらのお茶も、なかなか風流ですよ」
    「は、あ……」
     柳花は化かされたような顔つきで、エルスを見上げている。どうやら一種の思考停止状態に陥っているらしく、半ばエルスの言いなりになっていた。
    「ああ、あの店なんか良さそうですね。行きましょう、リューカさん」
    「え、あ、はい」
     エルスに手を引かれ、柳花はそのまま付いていってしまった。

    「へえ、お父さんが……」
     海沿いにあった喫茶店に入った後も、エルスは巧みな話術と心理操作術で柳花の素性を聞き出していった。
    「うん、一月ほど前に。それでお母さん、悲しいからこの街を離れて田舎に戻りたい、って言ってるの」
     柳花もエルスの柔和な物腰と優しい笑顔に警戒を解き、友達のように接している。
    「そうなんだ。じゃあ、もう家とかも処分したの?」
    「うん。すごく気に入ってたんだけど……」
     顔を曇らせる柳花を見て、エルスは腕を組んで軽くうなる。
    「うーん……、じゃ、気晴らしでもしよっか?」
    「え?」
    「悲しい時は笑わないと。ドンドン悲しくなっちゃうよ」
    「あ、うん……」
     唐突な提案と意見に、柳花は終始戸惑っているが、エルスは意に介さない。
    「じゃ、行こうか」
     そしてまた、唐突に行動する。傍から見れば強引だったが、柳花はなぜか、素直にうなずいてしまった。
    「う、うん」

     エルスは柳花を連れ、港から公園、繁華街や市場を回った。
     最初のころはまだ戸惑っていた柳花も、あちこち回るうちに自然と笑みが漏れ、楽しそうに振舞うようになった。
     やがて日も傾き始め、わずかに肌寒さを感じる時刻となり、エルスと柳花は帰路についた。
    「少しは、気が紛れたかな?」
    「うん、すごく……」
     いくつか贈り物もされ、柳花の手には大きな紙袋が提げられている。
    「本当に、楽しかった。ありがとね、エルスさん」
    「いやいや、お礼なんて……」
     エルスが謙遜しようとしたその時、柳花がいきなり抱きついてきた。
    「……お?」
    「ここを離れる前に、すごくいい思い出ができた。あたし、一生忘れないわ」
    「……はは、それはどうも」
     そのまま10分ほど、柳花はエルスを抱きしめていた。エルスの襟に付いていた口紅は、この名残だろう。



    「……本当に、それだけか?」
    「そうだよ」
     エルスの話を聞き終えた晴奈は、半信半疑でエルスの顔を見つめている。
    「本当だってば。いくら僕でも、初対面の子を口説き落としたりしないよ」
    「まあ、信じるか。お主が私にそんな嘘をついても、意味が無いからな」
     晴奈とエルスが話している間に、博士の方も話がまとまったようだ。
    「では、正式に契約させていただきます」
    「ありがとうございます」
     どうやら、博士はこの家を買うことにしたようだ。
    蒼天剣・大徳録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第76話。
    意外と短気。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     新居も決まり、早速エルスたちは家具の買出しに出た。
    「ふーむ、食器や棚はともかく、ベッドは流石に無いか」
     市場を回りながら、博士が残念そうにつぶやく。
    「央南の人は大抵、布団ですからねぇ」
    「まあ、無さそうなら造ってもらおうかの」
    「その方が早いでしょうねぇ」
     付き添いのエルスは適当に相槌を打ちながら、市場の売り物を眺めていた。
    「……お。エドさん、いいのがありますよ」
    「うん?」
     エルスの指差す方を向いた博士は、「ほう」と声を上げた。
    「なかなかの年季物じゃな。材質は、樫か。手入れも行き届いておる。……買ってしまうか?」
     露天の軒先にあったその碁盤を見て、博士はニヤリとエルスに笑いかける。エルスもニヤリと笑い返し、うなずく。
    「買ってしまいましょう」
    「ひゃひゃひゃ……」
     博士は特徴ある高い笑い方で返し、売主に声をかけた。
    「もし、店主。この碁盤、いくらかの?」
    「えーと、んー……、5千玄でいいや」
    「よし、買った」
    「まいどありー」
     即金で買い、博士は碁盤をエルスに持たせる。
    「ひゃひゃ、いい買い物をしたわい」
    「そうですね。後で一局、打ちましょうか」
    「そうじゃの、楽しみじゃ。……おう?」
     エルスたちの前を、少女が一人横切った。

    「どこかで、見たような……?」
     首をひねる博士をよそに、エルスは声をかける。
    「リューカさーん、こんにちはー」
    「……あっ」
     呼びかけられた少女は振り向き、エルスたちに駆け寄った。
    「こんにちは、エルスさん。久しぶりね」
    「どもども。ほら、エドさん、この前家を買った人の娘さんですよ」
    「おお、そうか。初めまして、えーと、リューカさん、でしたかな」
    「はい、楊柳花と言います。あ、母から家のこと、伺いました。ありがとうございます、博士」
     博士はニコニコと笑って返す。
    「いやいや、礼を言うのはこちらの方です。いい家をいただきまして……。こちらのグラッド君とはもう、お知り合いのようですな」
    「ええ、少し前に知り合いました。随分、面白い方で……」
     柳花も笑って博士に会釈する。
     なお、この間――。
    《エルス。お前さん、この子に手、付けたりしてやせんだろうな?》
     博士が手信号――北方の諜報員が使う、手を使った暗号――でエルスに尋ねていた。
    《まさか。友人ですよ》
     エルスも碁盤を持ったまま、指先で会話する。
    「お二人とも、家具をお求めにこちらまで?」
    《本当かのう? お前さん、手が早いからな》
    「そうなんだ。でも、なかなかいいのが無くってね。ついつい、余計なものばっかり買っちゃうんだ」
    《自分の先生に嘘をつくほど、僕はひねくれてませんよ》
    「その碁盤も?」
    《本当かのう……? ま、どちらでもええわい。後腐れないからのう》
    《……何ですか、それ》
    「うん、そうなんだ。僕も博士も、囲碁が大好きでね」
    《そのまんまの意味じゃ。引っ越す子じゃし、手を付けたところでゴタゴタせんじゃろうしな》
    「へぇ……。博士さん、お強いの?」
    《いくら何でも僕、怒りますよ? そんな言い方したら》
    《したらなんじゃい? ワシゃ、お前さんの先生じゃぞ? 師に文句垂れてどうする?》
    「ええ、少なくとも小生の故郷では一番だったと自負しております」
    「はは……」
    《『例え王侯貴族が相手でも間違いを正さなければ忠義とは言わない』ってエドさん言いませんでしたっけー? 言っておきますがこれ以上侮辱されたら僕に青い髪のお孫さんが乗り移って碁盤がとんでもない方向に飛んで行くかも知れませんがそれでもいいですね?》
     エルスの顔は笑いながらも、手信号が段々荒々しくなってくる。博士はそこで、ようやく退いた。
    《ま、ふざけるのもこの辺にしとくかの。信じておるて、お前さんはそんな下劣な真似なんかせんよ》
    《……なら、いいです》
    「確かエルスさんって、北方の人でしたよね。 博士さんも、北方の方なの?」
    「うん」
    「北方って、温和な人が多いのかな?」
     柳花の言葉に、エルスと博士は一瞬、きょとんとした。
    「え?」「それはまた、どう言う理由で……?」
    「だって、エルスさんも博士さんも、ずっとニコニコしてるから」
    「いやいや、そんなこと無いよ。中には好々爺みたいに見えて実は腹黒い人もいたりするから、出会った時は気をつけなよー?」
    「うふふ、そうするわ。……それじゃ、またね」
     柳花は軽く会釈して、その場を去った。残ったエルスと博士は、ほんの一瞬――周りを通る人々が気付かないくらいの、ごく短い時間――同時に、互いを睨んだ。
    (誰が腹黒いじゃと、このボケナス!)(僕エドさんが、なんて言ってませんよー?)
     すぐに二人ともにっこりと笑い、同時につぶやいた。
    「さ、帰って一局やるかの」「帰って一つ、打ちましょうか」
     笑いながらも、二人の間にはバチバチと火花が散っていた。



     その日は夜遅くまで碁石を叩きつける音が響いていたと、翌朝、目にくまを作ったリストが語っていた。
    蒼天剣・大徳録 4
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第77話。
    もう一度デート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「仲が悪いのか、エルスと博士は?」
     リストから愚痴を聞いた晴奈は、そう尋ねた。
    「ん、いや、悪いってワケじゃないんだけどね」
     リストは明奈が淹れてくれたお茶をすすりつつ、話を続ける。
    「じーちゃん、ああ見えて口悪いし、結構無神経なトコあるし。で、エルスもいっつもヘラヘラ笑ってるけど、割と頑固で強情なところあるもん。
     だから時々、ケンカするのよ。まあ、普段は仲いいんだけどね」
    「ケンカするほど仲がいい……、と言うことですね」
     晴奈にお茶を出しつつ、明奈が相槌を打つ。
    「ま、そんなもんね」



    「ふあ、あ……」
     深夜遅くまで博士と碁を打ち続けたエルスは、しきりに生欠伸をしながら、郊外の丘に寝転んでいた。
    「エドさん、しつこいんだよなぁ……」
     目をつぶると、夕べの棋譜が浮かんでくる。
    「あー……、あそこはもうちょっと、抑えて打つべきだったなぁ」
     目を開け、棋譜を思い出しながら、空を指差して検討する。
    「あと、ここももうちょい、早めに打っていれば……、ふあぁ」
     夕べ満足に眠れなかったため、次第に眠気がやってきた。
    「……ちょっと、寝ようかな」
     もう一度目をつぶり、エルスは昼寝し始めた。

    「エルスさん、エルスさん……」
     誰かがエルスを呼んでいる。エルスはすっと目を開け、上半身を起こした。
    「誰かな?」
    「こっち、こっち」
     後ろを振り向くと、あの少女――柳花が座っていた。
    「ああ、こんにちは」
    「こんにちは、エルスさん。お昼寝?」
    「ああ、うん」
    「ごめんね、起こしちゃって」
     謝る柳花に、エルスはパタパタと手を振る。
    「いや、いいよ。どしたの、何か用かな?」
    「うん、あのね……」
     柳花の顔が曇る。
    「明日、黄海を出るの」
    「……そっか。それで、僕にお別れの挨拶を?」
    「うん。エルスさんや博士さんには、色々お世話になったし。出る前にもう一度、挨拶しておこうと思って」
    「ふむふむ。……でも、博士は今、寝てると思うな。夕べからちょっと、具合が悪かったし」
    「あら……」
     エルスは博士に会わせたくない――むしろ、自分が会いたくないので軽い嘘をついた。
    「それよりも、もう一度買い物に行かない?」
    「買い物に?」
    「そう。最後の記念にね」

     エルスは柳花を連れ、繁華街へと入る。
    「今日はどこに行くの?」
    「ちょっと裏に入ったところに、いい店があるんだ」
     そう言うとエルスは柳花の手を引き、細道へと入る。
    「ちょ、ちょっと。危なくない?」
    「大丈夫、大丈夫。僕がいるんだし」
     細い路地をすり抜け、エルスはある店の前で立ち止まった。
    「ここだ。良かった、開いてるみたいだ」
     トントンと戸を叩き、先にエルスが店の中に入る。
    「いらっしゃい」
     奥で新聞を読んでいた初老の猫獣人が、顔を上げて挨拶する。
    「こんにちは。あのー、作ってもらいたいモノがあるんですが」
    「んー?」
     老人は新聞をたたみ、のそのそとエルスのところまで歩いてきた。
    「何を作ってほしい?」
    「この子に似合う、うーん……、腕輪かな」
    「あいよ」
     老人はそう言うと、柳花の腕を取って手首を握った。
    「きゃ……」
    「ああ、すまん。見ないと作れんから」
    「は、はあ」
     老人は柳花から手を離し、またのそのそと奥へ消える。程なくして、カンカンと言う短く、高い音が聞こえてきた。柳花は握られた手首をさすりながら、エルスに向き直る。
    「ああ、ビックリした。いきなりつかんでくるんだもん」
    「ゴメンね、あのおじいさん、ぶっきらぼうな人だから。でも腕は確かだから。金属細工の職人なんだ」
    「ふうん。あ、でも腕輪って、作るのに時間がかかるんじゃない?」
    「ああ、それは大丈夫。この前、……っと」
     エルスは胸元から鎖でつないだ、2つの銀輪と1つの金輪が絡んだ首飾りを取り出す。
    「これ、作ってもらったんだけどね。すごく早かったんだ。確か、2時間くらい」
    「へえ……」
     柳花は奥の工房に目をやり、すぐにエルスへと視線を戻す。
    「ずっとこの街に住んでたけど、こんなお店があるなんて全然知らなかった。エルスさんって、すごいね」
    「はは、僕は昔から、物を探すのが得意だから。それでご飯食べてたしね」
     エルスと柳花が談笑していると、老人の奥さんらしき短耳が茶の乗った盆を持って、奥からひょこひょこと歩いてきた。
    「グラッドさん、でしたっけ。良かったらできるまで、ゆっくりしていってくださいな」
    「あ、すみません。それじゃ遠慮なく、いただきます」
     エルスは茶を手に取り、傍らに置いてある長椅子に腰かけた。
    「さ、そちらのお嬢さんもどうぞ」
    「あ、はい」
     柳花も茶を手に取り、エルスの横に座る。座ったところでエルスが、柳花の事情を伝える。
    「この子、明日引っ越すんです。それで、思い出作りにと思って」
    「まあ、そうなんですか。じゃあ、急がせないといけませんね」
     お盆を傍らに持ち、老婆はいそいそと奥へ戻っていった。すぐに奥から、ボソボソと話し声が聞こえてくる。
    「あなた、聞きました?」
    「ああ、1時間もあればできる」
    「そう、それならゆっくりしてもらってもいいかしらね」
    「俺にも茶をくれ」
    「はい、すぐに持ってきますね」
     老夫婦の話を聞いていた柳花は、クスクスと笑う。
    「なんか、いい雰囲気ね」
    「そうだね。落ち着くんだ、ここ。大通りから離れてて静かだし、ちょっと暗めだけど綺麗な店だし」
    「それもあるけど、あの二人がすごく仲良さそう」
     そう言って柳花はため息をつく。
    「はあ……。もしお父さんが生きてたら、あんな風に老けていったのかしら」
    「どうかな、商売人だったそうだし……」
    「そうね。死んじゃう直前まで、ずっと布団の中で『店は順調か?』ってお母さんに尋ねてたもの。……だから、死んじゃったのかな」
     柳花の顔が曇り、今にも泣きそうな声になる。
    「なんで落ち着いて休んでくれなかったんだろう。そしたら、病気も治ったかも知れないのに」
    「……うーん」
     柳花の悲しそうな横顔を見て、エルスは買った家について発見したことを思い出していた。
    蒼天剣・大徳録 5
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第78話。
    大徳のエルス・グラッド。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     エルスは茶をすすりながら、ゆっくりとした口調で語り始めた。
    「お父さんは家族に不自由させたくないと思って、床の中でも仕事のことを考えていたんじゃないかな」
    「そうかしら……? あたし、小さい頃からずっと、お父さんに構ってもらった覚えがあんまり無い。たまに遊んでくれたけど、帰ると大抵すぐ寝ちゃうし、いつも『少しは休ませてくれ』って怒られたし……」
     エルスは茶を飲み干し、人差し指をピンと立てた。
    「あの家を買って、あれっと思ったことがあるんだ。最初君の家、小さめで2階は無かったんじゃない? で、改築したのは多分10年くらい前で、君がまだ小さい時かな。それに弟さんか妹さんもこの頃、生まれてるんじゃないかな」
    「え? ええ、そうだけど。確かに妹もいるけど、何で分かったの?」
    「まず、階段に手すりが大人用と子供用、2つあった。君が子供の時に改築してなきゃ、子供用の手すりなんか付けたりしない。
     しかも階段自体、かなり緩やかに造ってある。安全に気を遣った構造だよ。それに緩やかにしようとすればするほど階段は長くなるし、最初にあった家では到底造れない大きさだった。だから、お金が入った後で敷地をかなり多めに増やしたんだろうと推察できる。
     それからお風呂。最初のサイズより、随分大きくなってたみたいだね。おまけに、家の壁を一度壊してまで拡張した跡が見られた。きっと家族が増えて、みんなで入れるようにと思って造ったんだろうね。
     他にもかなり大幅に改築した跡が――それこそ、新しく造ったんじゃないかと思うくらいに――見られたし、相当手を加えてたと思うよ」
    「うそ……、そんなことまで分かるの、エルスさん」
    「さらに推理すると、君のお父さんは多分、10年くらい前にかなりの大成功を収めたんじゃないかな。
     最初は小さく、狭い家が、十数年で2倍、3倍もの大きさになってる。そして成功してからは、できるだけ広くて住みやすい家にしようと頑張った跡が、あちこちにあった。
     家族のことを考えた、いい家だよ。多分、最期まで商売のことを考えていたのも、自分が放っている間に失敗して、また貧乏になりはしないかって、不安だったんだと思うよ」
    「……そっか。そうかも知れない。全然、気に留めてなかったけど」
     柳花は茶の入った湯のみを両手で抱えたまま、目をつぶった。
    「……最後にもう一回だけ、家を見ていい?」
    「いいよ。……エドさん、いなきゃいいんだけど」
    「え?」
    「ああ、何でもない。こっちの話」
     と、奥から老夫婦が並んで戻ってきた。
    「できたぞ」
    「はい、どうぞ」
     老婆は老人から銀と金の輪が絡み合った腕輪を受け取り、柳花の左腕にはめた。
    「まあ、ぴったりね。すごく似合うわ」
    「そ、そうですか? ありがとうございます」
     柳花は顔を赤くして、ぺこりと頭を下げた。



     数日後、柳花が黄海を離れてしばらく経った頃。
    「はーぁ」
     黄海の道端で、珍しくため息をつきながら歩いているエルスを見て、晴奈が声をかけた。
    「どうした、らしくない」
    「ああ、セイナ。いやね、ちょっと寂しいなーって」
    「うん? ……ああ、柳花のことか」
     エルスは空を見上げ、またため息をつく。
    「折角できた友達が遠くに行っちゃうって言うのは、いつでも切ないね」
    「ああ、確かにな。分からなくは無い」
     晴奈もエルスの横に立ち、空に浮かぶ雲を眺める。
    「元気にしてるかなぁ」
    「しているといいな」
    「うん……」
     晴奈は寂しそうにするエルスの横顔を見て、思わず尋ねてみた。
    「なあ、エルス」
    「んー?」
    「何故、お主はそれほど人懐っこいのだ?」
    「え?」
     エルスが晴奈に顔を向け、首をかしげる。
    「どう言う意味?」
    「初めて出会う人間にほいほいと声をかけ、すぐに慣れ親しみ、数日過ごしただけでそれほど気にかける。大したお人好しだよ、お主は」
    「そっかなぁ」
     エルスは頭をポリポリとかきながら、腕を組んで考えこむ。
    「まあ、僕は人が好きだから」
    「それも、不可思議ではあるな」
    「何で?」
    「頭がいいから」
     エルスは晴奈の返答を聞いて、また首をかしげる。
    「ゴメン、頭いいって言ってもらったけど、ちょっと意味が分からないなぁ」
    「私の中では、策を弄する者は人を陥れるのが楽しみ、と言う印象がある。お主が柳花と最初に会った時も、不慣れな者の振りをして近付いていたし、あれは策を弄していると言えないだろうか」
    「はは……、確かにあれは策略と言えば策略かなぁ。でも、人をいじめるのが快感だなんて、そんなのエドさんみたいに因業な人だけだよ。
     そう言う人は人の痛みを知ったらそれにつけ込むけど、僕は人の痛みを知ったら、その痛みを和らげてあげようと思っちゃうから。
     それに、分からない振りをしたのは何も、彼女を苦しめるためにやったことじゃないしね。あくまで友達になろうと思ってやったことだよ」
    「……まったく、おかしな奴だ」
     晴奈はクス、と笑って、エルスの肩をポンポンと叩く。
    「何だか気に入った、お主のことが」
    「はは、それはどうも」
     エルスもクスクスと笑いながら、晴奈に背を向けて歩き去った。



     独特の感性、思想を持つ変人でありながら、他人と深く接する「変わり者の中の変わり者」。
     それが「大徳」エルス・グラッドと言う人物である。

    蒼天剣・大徳録 終
    蒼天剣・大徳録 6
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第79話。
    狙われる明奈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     明奈との再会を喜び、数週間を黄海で過ごした後、晴奈はまた紅蓮塞に戻った。

     その後ふたたび修行の日々を過ごし、年が明けた双月暦516年はじめ頃。晴奈は黒炎教団についての、不穏なうわさをしばしば耳にするようになった。
    「何でも『人質として得た教団員が脱走した』、『逃げた教団員は故郷の黄海に戻っている』と言うような話が、巷に多く上っているようです」
    「ふーむ……」
     晴奈からの報告に、重蔵は腕を組んでうなる。
    「わしの方でも、そう言ったうわさは多少耳に入れておる。察するにその、『脱走した教団員』と言うのは……」
    「ええ。ほぼ間違い無く私の妹、明奈のことでしょう。
     そしてさらに、『教団は逃げた教団員を奪取すべく、黄海に攻め込む準備を進めている』とも」
    「それが真実であれば、黄海で一騒動起こるのは確実じゃろうな」
    「と言うわけで、近いうちにまた、黄海へと戻りたく……」
     そう要請した晴奈に、重蔵は深くうなずき、快諾した。
    「うむ。故郷の一大事とあれば、ここでじっとしているわけにも行かんじゃろう。すぐに向かいなさい。
     ああ、それと念のため、うちの剣士を30名ほど連れて行きなさい。腕の立つ者をわしが見繕って、声をかけておく」
    「よろしいのですか?」
     思わぬ申し出に、晴奈は目を丸くする。
     その様子に笑みを返しながら、重蔵はこう返した。
    「黄家は我々に多大な寄進をしてくれておるし、黒炎の非道を許すわけにもいかん。何より晴さんの故郷じゃ。焔流の総力を挙げて護らねば、剣士の名折れじゃろう」
    「ありがとうございます、家元」

     重蔵の計らいにより、晴奈は焔流の剣士30余名を引き連れ、黄海へと戻った。
    「父上、ただいま戻ってまいりました」
    「おお、晴奈!」
    「明奈が狙われていると言う噂を聞きつけ、塞より護衛を連れて参りました」
    「そうか、そうか! うむ、焔の者たちと晴奈が来てくれれば安心だ!」
     晴奈の父、紫明は晴奈の手を堅く握りしめて喜んだ。とても昔、晴奈を紅蓮塞から連れ戻そうとした者と同一人物とは思えず、晴奈は苦笑した。



     しかし、運命とはやはり、皮肉なものであるらしい。
     通常なら何と言うことの無い行為が、いやむしろ、明奈を護ろうとしてやったことが、ふたたび彼女がさらわれる原因を作ってしまったのである。

     第一に、明奈が何の気無しに「甘いものが欲しい」と言ったこと。
     そのまま明奈が菓子を買いに行けば、当然、出歩いている時に拉致される危険がある。そのため、晴奈が代わりに買いに行くことを提案した。
    「でも、お姉さまにそんなことを頼むのは……」
     申し訳無さそうにする明奈に、晴奈は肩をすくめる。
    「いいよ、大した用事でもない。ほんの15分くらいだから、すぐ戻れるさ」
    「……そう、ね。では、お願いいたします」
     そんな感じで、晴奈も何の気無しに、街へと出て行った。

     そして第二に、晴奈が出たその直後、ナイジェル博士が黄家の屋敷に現れたこと。
    「博士、どうされたのですか? ご用があるなら、こちらから伺ったのに」
     尋ねる紫明に、博士は小声で説明を始める。
    「教団のうわさ、小生も聞いております。うわさが本当であれば、この屋敷はそう遠くないうちに襲撃されるでしょう。
     セイナさんが人手を集めて戻られたとは聞いておりますが、それでも教団員の人海戦術は、油断ならざる機動力と攻撃力を持っております。正面からのぶつかり合いになれば、いくら焔流剣士とて、分が悪い」
    「ううむ……」
     博士の説明に、紫明も表情を曇らせる。
    「まだそうなると決まったわけではありませんが……、もしも刃傷沙汰が起こると言うようなことになれば、黄海にとってはいい影響を及ぼすとは到底思えません。
     この黄海を治める者として、そんな悪評を立てられたくはありませんし、何より犠牲者が出るような結果になることは、誰にとっても良いことではありませんからな」
    「然り。となれば、犠牲だの傷害だのと言った凶事が起こる前に、騒動の中心人物、即ち娘さんを、騒動の中から離してしまうのがよろしいでしょう」
    「つまり、明奈をどこかに隠す、と?」
    「ええ。一つの案ですが、いかがでしょうか?」
     博士の提案に、紫明は大きくうなずいた。
    「ふむ、それがよろしいでしょう。しかし、どこに隠せば?」
    「小生が買った家があります。そこならば手練のエルスもおりますし、守りは堅いでしょう」
    「なるほど。では、善は急げです。すぐ、明奈を連れて行きましょう」
    「こちらでも、かくまう手配をしておきます。
     しかしくれぐれも、万全の警備で連れてきて下さい。敵にしても、護送の瞬間は『狙い目』ですから、……大人?」
     元来せっかちな紫明は、既にその場にいなかった。
    「……まあ、無茶はせんだろうが」
     博士は肩をすくめつつ、屋敷を後にした。

     だが、博士の予想とは裏腹に、紫明は性急な判断を下してしまっていた。
    「……と言うわけだ。すぐ向かおう」
    「でもお姉さまが、まだ戻られていませんし」
     ためらう明奈に、紫明は自分の主張を強く推す。
    「確かに晴奈が戻って来た後なら、より安全ではある。だがこう言うことは、手早く済ませなければならん。
     それに、晴奈でなくとも、焔流の剣士たちは大勢いらっしゃる。彼らで不足と言うこともあるまい。な、だから早めに向かおう、明奈」
    「……では、支度いたします」
     父を説得しきれず、明奈は身支度を整え、屋敷を出た。
     玄関を抜け、庭に出たところで、剣士たちがバタバタと近付いて来る。
    「ご令嬢! さあ、参りましょう!」
    「なあに、心配ご無用でございます!」
    「我々焔剣士がいれば、黒炎の奴らなどに手出しなど!」
    「……あの、みなさん」
     意気揚々と口上を並べ立てる剣士たちに、明奈は顔をしかめ、抑えようとする。
    「これは隠密行動ではないのですか? あまりに騒々しいと……」
    「いやいや、心配なさらず!」
    「辺りを見回りましたが、敵らしい者はおりません!」
    「どうぞご安心を、……ご、ぼっ?」
     大声を上げていた剣士たちの一人が突然、倒れる。
    「……ひ、っ」
     その背中に矢が突き刺さっているのを見て、明奈は悲鳴を上げた。
    「き、教団員か!?」
     明奈が危惧していた通り、騒ぎ過ぎたらしい――教団員たちがぞろぞろと、門や壁を越えて集まってきた。



     もし晴奈が早く戻ってきていれば、あるいは紫明が性急に行動しなければ、この後起こる悲劇は食い止められたかもしれない。
    蒼天剣・悪夢録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第80話。
    悪魔の登場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「くそ……。何故あんなに人が並ぶんだ? おかげで30分も待たされた。明奈も待ちわびているだろうし、早く戻らないと」
     昔からのクセか、晴奈はブツブツと文句をつぶやきながら、菓子袋を抱えて黄屋敷に戻ってきた。
    「……!?」
     と、黄屋敷の周りが騒がしいこと、そして、平和な街中に似合わぬ臭いが漂っていることに気付く。
    (血の臭い? ……まさか!?)
     何が起きたか瞬時に察し、晴奈は血の気がざーっと音を立てて引いていくのを感じた。
    (おいおい、冗談だろう!? 何故、私のいない時に限って!)
     人をかき分け、屋敷の門を潜って中に押し入る。
     庭や屋敷の広間、そして応接間などに剣士たちが固まっている。現状を把握しようと、彼らの声に耳を傾けたが――。
    「黄大人の娘御がさらわれたそうだ! 相手は黒炎の奴らに違いない!」
    「早く助け出さねば!」
    「助け出した者には褒美があるとか」
    「何? 金か?」
    「いや、この事態だ。ご令嬢を……、かも知れんぞ」
    「おお、まことか!?」
    「そうなれば、家督も……」
     彼らの勝手な話に、晴奈は憤慨した。
    「このたわけッ! 金や女目当てでここに来たのか、お前らッ!」
    「うひゃ……、せ、先生、あのっ」「やかましい! とっとと散れッ!」「は、はいっ」
    (人の妹を褒美だと!? モノ扱いするとは、馬鹿者どもめ! まったく、修行が足らぬ!)
     心の中で怒り散らしながら、晴奈は剣士たちを押し分けて応接間に入る。
     騒ぎを聞きつけたらしく、そこにはエルスとリスト、そして博士の三人が、頭に包帯を巻いた紫明と向かい合って座っていた。
     と、外の様子を眺めていたエルスが窓に晴奈が映っているのに気付いたらしく、背を向けたまま声をかける。
    「なーんかさ、騒いでるのは男ばっかりだよね。もしかして……」
    「そう。明奈狙いだ」
     晴奈は憮然とした口調で、エルスに答えた。
    「しかも、明奈の婿になれば黄家の財産も手に入るなどと抜かしている」
    「美少女と家督狙いか。さもしいのう」
     博士もエルス同様、呆れた目で窓の外の剣士たちを眺めていた。
     と、ここでエルスが晴奈に向き直る。
    「そう言えばセイナ、屋敷にいなかったの?」
    「ああ、用事から戻ってきた途端にこの騒ぎだ。
     まったく、私も明奈もつくづく運が悪い。何だって私のいない時にばかりさらわれるんだかな」
     エルスの問いに、晴奈は自嘲気味にため息をついて答えた。

     紫明の話では、教団員たちは護衛の剣士たちを倒した後、明奈だけを連れて逃げ去ったと言う。
     しかし事が起こったのはつい数十分前の話であり、焔流の剣士たちも街の自警団や州軍と共同で、厳戒態勢を敷いて街中を巡回している。
     その警戒の中、まだ日の高いうちに街の外に出るのは難しいため、黄海のどこかに潜んでいるだろうとの博士の予測により、何班かに分かれて街を捜索することにした。
    (明奈、無事でいてくれ……!)
     晴奈も焦る気持ちを押さえながら、街に繰り出した。



     街のあちこちで、焔流の剣士と黒炎教団の者が戦っている。
     晴奈たちの班も、戦っている者たちに手を貸して教団員たちを追い払い、蹴散らしていく。
     だが教団お得意の人海戦術により、いくら倒しても、どこからか増援が現れる。
    「ええいッ! しつこいッ!」
     明奈がさらわれてから既に1時間ほどが経っていたが、教団員たちがワラワラと沸いてくるため、思うように進めない。
    (こいつら、一体何人いるんだ!?)
     斬りつけ、蹴倒し、投げ飛ばし――晴奈一人だけで、すでに20名近く倒しているし、周りの剣士とも合わせれば、その倍以上は相手している。
    (毎度毎度、こいつらはワラワラと……!)
     それでも少しずつ、街を捜索していると――ドン、と言う重たい炸裂音が南の方、街外れの方角から聞こえた。
    「な、何だ!?」
    「一体……?」
     争っていた剣士も教団員も、その爆発に一瞬動きを止める。
    「……今だ!」
     晴奈は我に返り、まだ呆然としている者たちを突き飛ばし、かき分けて、その方向へと走って行った。

     街外れへとたどり着くと、そこには轟々と火柱が立っていた。
     と、その火柱を背に、明奈がこちらにかけて来るのを確認する。
    「明奈!」「お姉さま!」
     明奈は晴奈を見るなり、晴奈の胸に飛び込んできた。
    「大変、大変なの! 博士が、ナイジェル博士が、黒炎様に……!」
    「……何だって?」
    「黒炎様……、大火様が、博士と……!」
     その言葉を聞いた瞬間、晴奈に戦慄が走った。
    蒼天剣・悪夢録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第81話。
    黒の中の黒。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    (克大火が、ここに……!?)
     その名を聞き、晴奈の心はひどく高揚した。
    「明奈……。悪いが、付いてきてくれ」
    「お姉さま?」
    「ここに置いていけば、危険だ。……でも」
    「でも?」
    「……」
     無意識に足が動く。明奈の手を引いたまま、燃え上がる野原に歩き出す。
    「お姉さま……?」
     不意に、免許皆伝の試験を受けた時、重蔵と話したことが思い出される。
    ――意味も無く戦えば、無為――
    ――無意味な戦いは、失わせる――
    ――戦いを繰り返せば、行き着く先は修羅の世界――
    (だが、見てみたい……!
     克大火は無双の剣豪と聞く。本当にいるのなら、一体どのような奴なのか、この目で確かめたい。
     そして、機、あらば――戦ってみたい)
     晴奈の剣士としての興味、誇りが刺激される。
     既に明奈はここにいるし、後は安全な場所に逃げれば、それで終わる話である。わざわざ戦う意味は無いのだ。
    (それでもこの先にいると言う剣豪を、この目で見てみたい)
     そんな思いが、晴奈を突き動かしていた。



     意味の無いことと分かっていても、晴奈はなぜか戦いそのものに惹かれていた。

     無論、理性では無駄な戦いはしてはならないと弁えているし、そのことは免許皆伝以来、ずっと頭の中で繰り返し唱え、十二分に配慮し、気を付けている。だがそれでも、心のどこかで戦いへの欲求があるのだ。
     勿論、そんな浅ましい欲求など、今まで師匠や友人たちと一緒にいる時、表面に出したことは無い。それどころか、自分自身もそんな恐ろしい感情は、今の今まではっきりとは自覚していなかった。
     しかしこの時、晴奈ははっきりと己の心の中に潜む「戦うこと、それ自体への欲求」が、表へとあふれ出ているのを、ひしひしと感じていた。
    (私は、修羅になりかけているのかな)



     目の前に、それはいた。
     爪先から髪、皮手袋、衣服や肌の色まで全身真っ黒な男が、そこら中に倒れた剣士たちから流れるおびただしい血と、周囲の草木やあばら家を焼く炎が撒き散らされた焼け野原の前で、エルフの老人を背後から突き上げていた。
    「俺に敵うと思っていたのか?」
    「が、ふ……」
     男は老人をゆっくりと――周囲を焦土と化させ、何人もの人間を惨たらしく殺した者が、同時にこれほど優雅な動きを見せるのかと、晴奈は怖気を感じた――優しく、地面に横たわらせる。
     老人は背中から胸にかけて、老人が使っていたであろう魔杖で貫かれている。どう見ても、致命傷である。
    「とは言え力量と戦術の有効性は、認めてやろう。俺としたことが、少し手間取ってしまったからな」
     男はそう言うと老人の前で屈み込み、両手を合わせた。
     老人は、ナイジェル博士その人だった。

     いつの間にか、明奈はいない。どうやら怯え、どこかに逃げたようだ。
     だが――あれほど妹を心配した者とは同一人物と、自分でも思えないくらい――晴奈は安心していた。
    (邪魔は、消えた)
     そんな風に考えながら、晴奈は一歩、前へ踏み出す。
    「……克、大火殿とお見受けする」
     屈み込んでいた男が、背中を見せたまま立ち上がる。
     背の高い晴奈よりさらに頭一個ほど高い、かなりの長身であり、ただ立つだけでも、胃をつかまれるような凄味がある。
    「いかにも」
    「た……」
     晴奈は何か言葉を発しようとしたが、胸中が定まらない。自分でも何を言おうとしたのか分からないまま、言葉が途切れてしまった。
    「た?」
     大火が何の感情も込めない、乾いた声で聞き返してくる。
     晴奈は何とか頭を動かし、口上を作る。
    「……そこの御仁は、私の妹の恩人だ。それを殺したお前は、私の仇……」「ほざくな、戯言を」
     その一言に、晴奈は身震いした。大火はクックッと、鳥のように短く笑う。
    「お前に言っておく。嘘はもう少しうまくつくことだ、な」「う、っ……」
     大火はくるりと身をひるがえし、顔を見せた。細い目と、その中にある、一切光を返さない暗黒の瞳が晴奈を射抜く。
    「口では仇だの、敵だのと抜かしているが、心は別の色に燃えている。とても怒りや悲しみ、雪辱の念を抱いているとは思えんな」
    「で、ではっ、どうだと言うのだ!?」
     心の中に、一歩、また一歩と踏み込まれていく感触を覚える。
    「喜んでいる。まるで世紀の財宝を見つけた冒険者だな。俺に会えたことが、それほど嬉しいのか?」
    「ち、違う! 私は……」「いいや、違わんな」
     大火は実際に一歩、晴奈に向かって踏み出す。その一歩は、晴奈にとっては心の奥底に踏み込まれるような印象を受けた。
    「隠すな、『猫』。狩猟動物の血が、お前には流れているのだろう? お前は今、俺と戦いたがっているのだ。
     そう、『これほど手ごたえのある獲物は、二人といない。例えこの戦いが意味を持たずとも、ただ純粋に、当代最高の剣士と仕合ってみたい』と、そう考えている」
    「あ、う……」
     一言一句に至るまで心の内を読まれた晴奈は、全身を何百、何千もの針で突き刺されるような恐怖を覚えた。
    (ダメだ……! 勝てない! 彼奴は私のはるか上から、私を見下ろしているのだ!
     どうやって地上を這う猫が、天空を翔ぶ大鴉を仕留められよう……!)
     みるみる、晴奈の気力が削がれる。抜こうと手をかけていた刀が、抜けなくなる。足がガクガクと震え、立っているのさえやっとだった。
     その様子を眺めていた大火は足を止め、またクックッと笑った。
    「臆したか。ならば戦う理由は何もあるまい。こちらとしても、この地での『散策』に概ね満足したのでな。
     では、失礼する」



     気が付けば、晴奈は博士の骸の前に、ぺたんと座っていた。
     と、後ろから声をかけられる。
    「セイナ、タイカ・カツミはドコ!?」
     リストの声だったが、晴奈は振り返ることができなかった。
     泣いていたからだ。
    蒼天剣・悪夢録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第82話。
    黒の次は、白。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     博士の葬儀が終わったその夜。
     晴奈は一人、寝室の床に座って、たそがれていた。
    (私は、何と愚かな……)
     誇り高き剣士である自分が、己の欲望に操られ、しかも敵にそれを看破されてしまった。さらには気迫をぶつけられただけで身動きできなくなると言う、完膚なき負け方である。
    (まったく無様だな……)
     何もする気が起きず、晴奈はただぼんやりと尻尾をいじっていた。

     部屋の戸を叩く音がする。続いて、弱々しい声が聞こえる。
    「お姉さま、いらっしゃいますか?」
    「ああ、明奈。いるよ」
     そう答えると、静かに戸を開けて明奈が入ってきた。
    「どうした、明奈?」
    「あの、眠れなくて」
    「そうか」
     そう言って、明奈は晴奈の横に座る。
     顔を合わせないまま、二人はじっと座っていた。
    「お姉さま、あの」
    「何だ?」
    「……いいえ、何でも」
     時折、明奈が何かを言おうとするが途中で口をつぐみ、しばらく沈黙が続く。
     30分ほどそうしているうち、また明奈が口を開く。
    「……怖かった」
    「……そうか」
     そこで晴奈は、明奈が小さく震えていることに気付いた。明奈は怯えるような眼で、晴奈をチラ、と見てまた顔をそらず。
    「黒炎様のお姿も、博士が亡くなったことも。それから、お姉さまのお顔も」
    「顔? 私の?」
     晴奈は顔を向けて聞き返したが、明奈は目を合わさない。
    「黒炎様のことを伝えた時、お姉さまはとても怖い顔をしていらっしゃったわ。まるで、鬼か悪魔か、そう言った何か、恐ろしいもののようだった」
    「鬼、か」
     怯えた顔でぽつりぽつりと放たれる明奈の言葉が、晴奈の心をずきんと痛めた。
    (やはり、修羅になりかけていたと言うことか)
     晴奈はぎゅっと、明奈の肩を抱く。
    「お姉さま?」
    「……まったく、私は無様だ。鬼にもなりきれず、克大火に気迫負けした。かと言って聖人にもなれず、お前を放っておいた。
     中途半端に、どちらも投げ出したんだ。まったく、ひどい有様だ」
     愚痴の途中から、晴奈はポロポロと涙をこぼしていた。明奈も泣いている。
    「本当に、ひどい。何もかも、ひどかった」
    「うん……」



     泣いているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
     晴奈は、夢を見ていた。

     夢の中でも、隣には明奈がいる。
    「お姉さま、見て!」
     と、その明奈が叫ぶ。
     彼女の指差した方を見ると、そこにはまばゆい光が瞬いていた。
    「何だ、あれは?」
    《人をアレとか、言わないでほしいなぁ》
     すぐ近くから男とも女ともつかない、中性的な声が聞こえてくる。晴奈も明奈も、きょろきょろと辺りを見回す。
    「どなた?」「誰だ?」
    《目の前にいるじゃないか、ホラ!》
     いつの間にか光は消え、そこには銀と黒の瞳をした、洋風の衣装に身を包んだ、銀髪に白い毛並みの猫獣人が立っていた。
    「あなたは……?」
    《好きなように呼びなよ、白猫とでも、何とでも。ホラホラ、落ち込んでる場合じゃないよ、二人とも》
     辺りの風景が、ガラリと変わる。晴奈たちはいつの間にか、白い花をふんだんに飾った白い部屋の中にいた。
    《立って話もし辛いだろ? 座りなよ、セイナ、メイナ》
     白猫はどこからか現れた簡素な白い椅子を指差し、晴奈たちに座るよう促した。
    「落ち込んでいる場合ではない、とはどう言う意味だ?」
     晴奈たちが座ったところで、白猫も別の椅子に座る。
    《数日のうちに黒炎教団がまた攻め込んでくるのさ》
     白猫の言葉に、晴奈は耳を疑った。
    「何だと、また!?」
    《良く考えてよセイナ。奴らはまだ、目的を達成してないんだよ。メイナはまだ、コウカイにいるんだから。
     だから攻めて来るのさ。今度は生半可な数じゃない。5万人規模に及ぶ、重厚な物量作戦を仕掛けてくる。こうなると戦争だよ、最早》
    「ご、5万人!? 馬鹿な!
     確かにこれまでも、教団は人海戦術での攻めを主体としてきたが、兵の数はせいぜい、数千人程度だったはずだ!
     それを5万にも増員するだと!? 一体何故、そこまでして我々を襲うのだ!?」
    《理由は3つある。一つはメンツだよ。キミたち焔流とはかなり因縁が深いから。
     しかもココ数年、キミたちの方が勝ち越してる。相当アタマに来てるはずだよ。だよね、メイナ?》
     白猫に尋ねられ、明奈はぎこちなく頭を縦に振る。
    「え、ええ。確かに、わたしがいた頃はずっと、焔流打倒の声が強かったように思います」
    《だろ? で、二つ目の理由は教区の拡大だ。ま、コレは言ったそのまんまだし裏も無いから説明はしない。
     で、最後の理由。教主の息子の一人が、昔ケガを負わされた奴の妹が、教団にいたって知っててさ。怒り半分、色欲半分でその子を奪おうとしてるんだ》
     白猫の話に、二人は顔を見合わせる。
    「ウィルバーか……!?」
    「そう言えばウィルバー様、何かとわたしにお声をかけて……」
    「つまり明奈を狙って、街ごと奪う気か!」
    「黄家のわたしとの縁が結ばれれば、自然に黄海に対する教団の影響力が強くなり、ひいては央南西部への教化が進むでしょうね」
    「そうなれば私との関係から、焔流の顔も丸つぶれ――なるほど、三つの理由が合わさる」
    「何て、いやらしい……!」
     二人の様子を眺めながら、白猫は話を続ける。
    《く、ふふっ。イヤだよねぇ、そんなの。だから、ボクはキミたちを助けてやろうと思うんだ。
     策を授けよう。エルスに助けを求めるんだ。彼は『知多星』ナイジェル博士の愛弟子だからアタマもいいし、何より軍事関係全般に強い。
     彼を総大将にすえて戦えば、まず負けるコトは無い》
    「エルスに、か?」「でも、エルスさんは……」
     晴奈と明奈は、再度顔を見合わせる。
    「確かに実力は認めるが、しかし……」
    「ええ、エルスさんは教団や焔流とは無関係ですし、ましてや央南の人間でもありませんし」
    「ああ。無関係の人間を巻き込むのは、気乗りがしない」
     だが、白猫は人差し指を立て、二人の思索をさえぎる。
    《文句は聞かない。って言うかボクに言っても仕方無い。コレは彼の運命でもあるんだから。
     言っとくけど、エルス・グラッドは大物だよ。いや、コレから大物になる。この一件は彼が世に名を馳せる、その第一歩になるんだ。
     無関係だからだとか、央南人じゃないからとか、そんな理屈は言うだけ無駄だ。それよりも彼を助けた方が、キミたちにとってもずっといい。分かった、二人とも?》
    「え、でも」「その」
     反論しようとする晴奈たちを、白猫はにらみつける。
    《わ、か、っ、た!?》
    「は、はい」「わ、分かった」
     その剣幕に、二人は思わず承諾する。その返事を聞き、白猫は満足げにうなずいた。
    《うん、よし。じゃあその誓い、立ててもらうよ》
    「えぇ?」「自分で誓わせておいて、一体何を言うんだ?」
    《いーからいーから。ま、そんなに難しいコトじゃない。
     ただ水色の着物着て、エルスのトコに挨拶に行ってくれればいいだけ。ちょーどいい具合に、用事もできるから》
    「はあ……? それくらいなら、構いませんが」「まあ、やってみようか」
    《く、ふふっ。それじゃ頑張るんだよ、晴明姉妹》
     白猫は席を立ち、その場を後にする。

     そこで晴奈は、不思議な夢から覚めた。
    蒼天剣・悪夢録 4
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第83話。
    本物の、夢のお告げ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     目を覚まし、晴奈は辺りを見回すが、明奈はいなかった。どうやら自分より早く起きて、自分の部屋に戻ったらしい。
    (あの夢は一体……?)
     ぼんやりとしながらも、晴奈は着替えを始める。
     と、衣装棚にあった水色の着物が目に入る。
    (水色の着物、か。まあ、夢だろうが)
     あまり信じてはいなかったが、どうしても気になったので、晴奈はそれを着た。
     部屋を出たところで丁度、隣にある明奈の部屋の戸も開く。
    「ああ明奈、おは……」「あ、お姉さま。おは……」
     挨拶しかけて、晴奈は絶句した。明奈も目を見開き、驚いている。
     何故なら明奈も、水色の着物を着ていたからだ。

     朝食の後、晴奈と明奈――晴明姉妹は父、紫明に呼ばれた。
    「どうされたのですか、父上?」
    「うむ、実は……」
     紫明は浮かない顔で、懐から一通の手紙を取り出した。
    「今朝早く、文が投げ込まれたのだ。どうやら黒炎教団からのものらしい」



    「黄海及び黄商会の宗主、黄紫明殿へ

     昨日、我らが同志、メイナ・コウの身柄引き渡しを願い出ようとしたところ、そちらの友軍である焔流一派に妨害され、多数の被害者を出した。
     その責を問うため、3日後にふたたび身柄確保に乗り出す所存である。万が一、焔流の者がその席にいた場合、我々は実力を以って、そちらに用件を受諾していただくように対処するであろう。
     無論我々は、円満な話し合いによって交渉がまとまることを望んでいる。そちらでも、黄州及び央南西部の平和と黄商会の利益の観点を鑑み、十分に検討していただくよう、考慮されたし。

    黒炎教団 大司教 央南方面布教活動統括委員長 ワルラス・ウィルソン2世」



    「これは……」
     手紙を読んだ晴奈は思わず、手紙を破り捨てそうになった。だが何とかこらえて、父の話を聞く。
    「ああ、字面では穏やかな話し合いを望んでいるとのことだが、十中八九、明奈を強奪するつもりなのだろう」
    「『願い出ようとした』だの、『被害者を出した』だの……、嘘もいいところだ!」
     憤慨する晴奈に対し、紫明は浮かない顔をしている。
    「私としては、その……」
    「父上?」
     言いにくそうにする父を見て、明奈は父の胸中を察する。
    「前回同様、わたしの身柄でこの街と商会の平和が保たれるならば、彼らの要求に応じようと、そうお答えするつもりでしょう?」
    「あ、いや、その……」
     明奈は落ち着き払った、堂々とした態度で応対する。
    「昔とは違って、わたしも大きくなりました。自分の身の振りは、自分で決めさせてくださいませ」
    「いや、しかし……」
     一方、紫明は言葉を濁し、明奈の言葉にうなずこうとしない。
     そんな父の態度を見て、晴奈は歯噛みする。
    (何故だ父上、どうして一言『分かった』と言わない?
     ……ああ、この人はいまだ昔と変わらぬのか。娘は自分の所有物だと言う、その考えがまだ抜けていないのか)
     そう悟り、晴奈の怒りはますます燃え上がる。
     たまらず声を上げようとした、その時――明奈が姉の心中を代弁した。
    「昔の、お父さまの庇護の下にあった時のわたしであれば、わたしはお父さまの言う通りに従ったでしょう。
     しかし、わたしも大人になりました。この先お父さまの考えに従い、そのまま教団に渡ったならば、わたしの身は一体どうなると思います?」
    「どう、って」
    「恐らく教主のご子息が無理矢理に、わたしを娶ろうとされるでしょう」
     この一言に、紫明は「むう……」と声を漏らす。
    「もしそれが実現すれば、きっと黄家は絶えてしまいます。教団にすべてをむしりとられて」
    「……」
     明奈はなお、毅然とした態度で父を説得する。
    「ねえ、お父さま。重ねて申し上げますが、昔とは違うのです。
     今なら剣を極めたお姉さまがいらっしゃいます。エルスさんたちも、協力してくださるでしょう。戦う力は、十分にあるはずです。
     今、相手の要求をはねつけなければ、10年後、20年後の黄海と央南西部はきっと、黒く染まってしまいます。わたしは嫌ですよ、この愛すべき街が黒海などと言う名になってしまっては。
     敵の言いなりになって1年、2年の安息を得るより、今こそ決別、打倒して10年、20年、いえ、100年の繁栄を勝ち取る方が、懸命な判断ではないでしょうか?」
    「……そうだな」
     明奈の説得に紫明はようやくうなずき、もう一通懐から手紙を出した。
    「これは?」
    「お前の言う通りかもしれないな、明奈。教主の息子から、こんな手紙が来ていたのだ」
     紫明は晴奈に手紙を渡し、読むよう促した。
     読み始めた晴奈は、途中で――今度はこらえる気など毛頭起こらず――手紙を破り捨てた。
    「……下衆が!」
    「お姉さま?」
    「まったくウィルバーめ、どこまで色狂いか! 明奈と自分は、前世から夫婦になる定めだとか、明奈の自分に対する気持ちは分かっている、自分は全力を以ってそれに応えるだとか、滅茶苦茶なことを書いているんだ!」
    「何ですって……!」
     冷静だった明奈も、この時ばかりは流石に嫌そうな顔をした。紫明は一瞬顔を伏せてため息をつき、そして決意に満ちた目を二人に見せた。
    「明奈、お前の話で、私の目は覚めたよ。……断固、黒炎と戦おう」

     紫明の決意も固まったため、晴奈たちはエルスに助太刀を願い出ようと、彼の住んでいる屋敷へと向かっていた。
    「ねえ、お姉さま」
    「ん?」
    「水色の着物、エルスさんへの用事。これって」
    「……やっぱり明奈も、あの夢を?」
     明奈はコクリと、小さくうなずく。
    「ええ、白猫さんの夢よね。もし、あの方の言ったことが本当なら」
    「5万の軍勢が攻めてくる、か。ぞっとしないな」
    「きっと本当でしょうね。
     彼女の言葉はとても風変わりだったけれど、内容はとても真面目でした。わたしたちの身を案じてくれる気持ちは、真実だと思います」
    「ああ、私もそう、……彼女? いや、言われてみれば、確かに女とも取れる顔立ちと声をしていたが、しかし自分のことを『ボク』と呼んでいたような。彼奴は男では無いのか?」
    「え、そう……、だったかしら。……どっちでしょうね?」
     二人は夢の内容を思い返し、やがてクスクスと笑い始めた。
    「くく、考えれば考えるほど、分からない」「そうね、うふふ」



     この後、晴奈たちの願いを聞き入れ、エルスは協力を快諾してくれた。
     すぐに黒炎教団に対する部隊が組織され、エルスは隊長、晴奈が副隊長となった。
     そしてこれより――黒炎との戦いが、始まる。

    蒼天剣・悪夢録 終
    蒼天剣・悪夢録 5
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第84話。
    3度目の戦い、始まる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「僧兵長、間もなく黄海に到着します」
    「ん、そうか」
     馬車の中から、狼獣人の青年がのそっと、首を出す。
    「のどが渇いた」「あ、ではお持ちします」
     兎獣人の従者が、いそいそとどこかに走り去る。僧兵長と呼ばれた青年は、その間に馬車を降り、肩や首の関節をポキポキと鳴らして体を解す。程なくして従者が、ポットとカップを持って戻ってきた。
    「お持ちしました」「ん」
     青年は横柄にうなずき、従者からカップを受け取って、中の飲み物を一息に飲み干す。
    「ふう……。やはり、眠気覚ましにはコーヒーが一番だな。特に、悪夢を見た時には」
    「悪夢、ですか?」
     青年はカップを従者に返し、伸びをしながら応える。
    「ああ、昔の話だ。焔の砦に攻め込んだ時、不覚を取ってな。その時の夢を見ると、いつも気が重くなる。今でも夢の中で、忌々しく蘇ってくる」
    「そんなことが……。では、今回は雪辱戦、と言うことですね」
    「ああ、そうなるな」
     青年――ウィルバーはもう一度カップを受け取り、無造作にあおった。
    「特に、オレを愚弄したあの『猫』と、その仲間。あいつらだけは絶対、仕留めてやる」



    「確かか?」
    「はい、黒荘に住む同門が、確かに馬車に乗る姿を確認したと。ほぼ確実に、指揮官役であろう、との、……黄先生?」
     伝令の報告を受け、晴奈は腕を組んで黙り込む。そのまま固まっていたので、伝令は不安そうに晴奈を見つめている。
    「動いて、セイナ」
     見かねたエルスが晴奈に声をかけた。
    「……ああ、下がって良し」
     伝令はほっとした様子で、そのまま部屋を出て行った。エルスはクスクス笑いながら、椅子に座り直して書類を整理する。
    「セイナ、よっぽどそのウィルバーって男が気になるんだねぇ」
    「気色の悪い言い方を……」
     晴奈は手を振りながら、エルスに応える。
    「ああ、ゴメンゴメン。まあ、宿敵って感じだね、今の態度から見ると」
    「まあ、そうだな。そうなる」
     晴奈はエルスの向かいに座り、エルスの書いていた書類に目を通す――どうやら黄海周辺の地図と、兵法の類らしい。
    「強いのかな?」
    「ああ、かなりの手練だ。うわさでは教団でも有数の、棍術の使い手になっているとか」
    「ふーん」
     エルスは書類をトントンとまとめながら、話を続ける。
    「セイナも強いじゃないか」
    「まあ、な。……昔、一度だけ負けているが」
    「でも……」
     エルスは席を立ち、セイナに微笑みかける。
    「負ける気、無いんだろ?」
    「無論だ」
     晴奈もニヤリと笑って返した。

     教団員の黄海襲撃から三日後、教団は大軍を送り込んでふたたび黄海に攻め込もうとしていた。襲撃の情報を聞きつけた晴奈たちは急遽、街の守りを固めて再襲撃に備えていた。
    「現在、街の周囲に教団の姿はありません」
    「そうか。何かあったらまた、報告してくれ」
     伝令が去った後、エルスはニコニコ笑いながら、晴奈に話しかけた。
    「ねえ、セイナ。まだ間があるだろうから、碁でも打たない?」
    「……ふむ。確かにいつ来るか分からぬ敵を、ただ待つと言うのも無粋か。いいだろう、一局お手合わせ願おうか」
    「よし、それじゃちょっと待っててね~」
     エルスは嬉しそうに、いったん部屋を出る。少しして、かなり使い込まれた様子の碁盤と碁石を持って、戻ってきた。
    「ほう、なかなかの年季物だな。北方でも、碁は流行っているのか?」
    「うん。エドさん――博士が若い頃から碁の名人で、ずっと普及させていたんだって」
    「そうだったのか……。それほどの腕前ならば一度、お手並みを拝見してみたかったものだ」
     晴奈はそう言いながら碁石を握る。エルスも握りながら話を続ける。
    「エドさんは強かったよ。多分死んだ今でも誰かと、打ってるんじゃないかな」
    「……」
     博士の死を耳にする度、晴奈の心は少し痛む。
     あの時、自分の欲をさっさと振り切って駆けつけていれば、博士は助かったかもしれない。そして、大火と戦うために博士を口実にしたことも、晴奈にとっては大きな恥であった。
    (死人をダシに使うなど、誇りある人間のすることではない。まったく私は、浅ましい……)
     そうして心の中で、自分を責めていると――。
    「ありゃ? セイナ、本気出してない、よね?」「……不覚」
     いつの間にか後手のエルスに大きく囲まれ、負けていた。
    蒼天剣・因縁録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、85話目。
    「戦略家」エルス、本領発揮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「アンタら、何遊んでんのよ!」
     囲碁の対局が進み、5戦目を迎えたところでリストが呼びに来た。
    「ん、何かあったの、リスト?」
    「あった、じゃ無いわよ! 敵がもう、すぐそこまで来てんのよ!」
    「ありゃ、そっかー……。折角、2勝2敗ってところだったのになぁ。じゃ、また後で続きやろっか」
    「そうだな。きっちり片を付けたいところだ」
     晴奈とエルスは少し名残惜しさを感じながらも、リストの後に続いた。街の南西部へ進みながら、リストから状況について説明を受ける。
    「ざっと説明するとね。街の南西門から、約10キロ西南西のところに敵の先発隊が3~4隊いるらしいわ。そこからさらに南に3キロほど下ったところに、本隊が陣を構えてるみたいよ」
     説明しているうちに、南西門へ到着する。
    「そっか、なるほど。……よし、みんなを呼んで」
     エルスは短くうなずくと、周囲の剣士たちを呼び集めて輪を作った。
    「それじゃ作戦を説明するから、よく聞いておいて。
     敵は恐らく街を囲んでいる壁を崩し、そこから侵入するつもりだろう。でも、あえてそれは放っておこう」
     エルスの言葉に剣士たちは驚き、どよめく。
    「な、何故?」
    「一体どう言うつもりだ?」
    「ま、落ち着いて聞いて、聞いて。
     簡単に言うとね、それらと戦っても相手にはまったく痛手が無いんだよ、『下っ端』だから。それに相手の数は半端じゃない。いくらみんなが体力自慢、力自慢って言っても、数があまりにも多すぎる。全部相手してたら屈強な剣士といえども、力尽きて倒れるのがオチだよ。
     それよりももっと効果的で、敵に大きな痛手を負わせる方法がある」
     エルスは懐から書類を取り出し――先ほど書いていた兵法と地図だ――皆に見せる。
    「報告によれば、敵の本陣はここから13キロ離れた場所にあるらしい。そこには間違いなく、この大部隊を指揮している者がいるはずだ。で、それを倒す」
    「なるほど、頭を叩くと言うわけか」
     晴奈の相槌に、エルスは大きくうなずく。
    「そう言うこと。教団は人海戦術や物量作戦を得意とする、大掛かりな組織。そう言った組織は得てして『上』の権力が非常に強く、『下』の意思が希薄だ。
     だから指揮官を倒してしまえば残った大部隊は混乱し、その結果最も執りやすく被害の少ない作戦、つまり撤退を選ぶだろう」

     協議の結果、エルスは南西門周辺での指揮を担当し、晴明姉妹とリスト、そして手練の剣士十数名が敵本陣に忍び込むことになった。
     晴奈たちは黄海のもう一つの出入り口、南東門から敵部隊に気付かれないようにそっと抜け出し、街道を横切って森の中に入り、そこから敵本陣に向かって進み始めた。
    「敵が壁を崩すまで、恐らく3~4時間はかかる。それまでに敵本陣に攻め込み、頭を獲るぞ! 全速、前進ッ!」
    「おうッ!」
     晴奈の号令に、剣士たちは拳を振り上げて付き従う。森の中を分け入り、一直線に西へと進んでいく。
     だが、はじめの頃は黙々と付いてきた剣士たちも、時間が経つに連れて段々と不安を口にし始める。
    「本当に、街を放っておいて良いものか……?」
    「もし間に合わなかったら、えらいことになるぞ」
    「やはり、戻って防衛に努めた方が……」
     ブツブツと騒ぐ剣士たちに、晴奈とリストの特徴的な耳がピクピクとイラつき始める。その耳に、決して彼女らに言ってはならない一言が飛び込んできた。
    「大体あの外人、信用できるのか?」
     聞こえた途端、二人はギロリと後ろを睨んだ。
    「アンタら、ふざけたコトくっちゃべってると、その軽い口ごと、頭吹っ飛ばすわよ!」
    「くだらぬ妄想をほざくな、お前らッ! 黙って進め!」
     剣士たちはその剣幕に圧され、それきり不安を口にすることは無くなった。



     ほぼ同じ頃、ウィルバーはほんのわずかながら、ぞくりと殺気を感じた。
    (……? ん……、何だ、今の『気』は?)
     くるりと辺りを見回すが、それらしいものは何も見えない。
    「おい」
     不安を感じ、横にいた従者に声をかける。
    「はい、何でございましょう?」
     かけたものの、それほど強く不安を感じたわけではないため、やんわりと命じる。
    「……ん、まあ、念のため、見回りを強化するよう、皆に指示しておいてくれ」
    「はあ……?」
     従者は首をかしげ、ウィルバーの言葉を繰り返す。
    「見回りの強化、ですか?」
    「そうだ。少し、気になってな。まあ、ちょっとでいいんだ」
    「必要ないと思われるのですが……。奴らは街を守るので精一杯でしょうし」
     従者の言葉にうなずきかけたが、そこでまた、ウィルバーの心中に不安がよぎる。
    「ん……。まあ、確かに、そうかも知れない。だが、気になってな。頼んだぞ」
    「はあ、そうですか。では、まあ、伝えてまいります」
     従者はのそのそとウィルバーの側を離れる。残ったウィルバーは心の中で毒づいた。
    (はっ! まったく、気の無い素振りだな! このオレが、『やれ』と言ってるだろうが!)

     ウィルバーから離れた従者は、途端に態度を変えて愚痴をこぼす。
    「フン、まったく心配性なお坊ちゃんだ!」
     ポットを乱暴につかみ、直接口に付けて飲みだす。
    「来るわけない! あんな馬鹿で粗雑な剣士どもが、目先の敵、先発隊を相手にしないわけが無いんだ! 無駄だ、無駄! だーれが、見回りなんかするかっての!」
     周りに誰もいないため、従者の愚痴は止まる気配が無い。もう一度ポットを上げて、二口目を飲んでから、さらに愚痴を続けようとした。
     ところが顔の上に上げていたポットが、パンと言う音と共に突然、破裂した。当然、中の液体とポットの破片が従者の顔に降り注ぐ。
    「ぎえ……!? っちゃ、熱ちちちっ!」
     顔を押さえ、何が起こったのか分からずもがく。
     だが、その途中で意識が飛んだ。鳩尾を、内臓が飛び出すかと思うほど強く蹴っ飛ばされたからだ。
    蒼天剣・因縁録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、86話目。
    因縁、三度目。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「よし!」
     倒れ込み、ピクリとも動かなくなった兎獣人を確認し、晴奈は満足げにうなずく。
    「全員集合だ!」
     晴奈は刀に火を灯して合図を送り、森の中で待機している剣士たちを呼び寄せる。
     集合後、明奈とリストが晴奈の元に駆け寄った。
    「どう、すごいでしょ?」
     リストが自慢げにクルクルと銃を回して見せびらかす。晴奈はその様子に苦笑しながらも、素直にほめる。
    「ああ、あれほど遠くから攻撃できるとは。なかなか便利な武器だな、銃と言うのは」
    「アンタも使ってみたくなった?」
     晴奈はまた苦笑して、刀の柄を叩いた。
    「いやいや、私にはこれが一番だ。……さてと」
     皆が集合し終えたところで、晴奈が次の行動を命令する。
    「雑魚には構うな! 頭を探して討て!」
     晴奈の号令に従い、剣士たちは2、3人ごとに固まり、四方に散る。
     残った晴奈と明奈、リストも同様に3人で集まり、敵将ウィルバーを捜索し始めた。

     当初はできる限り隠密な行動を心がけていたのだが、敵の数が多いためか何班か見つかってしまったらしく、陣内は次第に騒がしくなる。
     晴奈たちも例外ではなく、何度も教団員たちに発見され、その都度応戦しなくてはならなかった。
    「くそ、面倒だ!」
     相手の多さに痺れを切らした晴奈は、目の前にいた教団員に向かって飛びかかる。
    「どけッ!」
     目前まで迫っても勢いを殺さず、そのまま突っ込んでいく。
    「ぎゃっ!?」
     棍を構えていた教団員の腕に脚をかけ、踏み台にして跳び、敵の包囲網を無理矢理抜けた。
    「どけどけッ、邪魔立てすると刀錆にするぞッ!」
     寄ってくる敵をかわし、斬り捨て、晴奈は陣内を駆け回る。
    「どこだ、ウィルバー! 出て来い! この黄晴奈が相手になるぞ!」
     そうやって名乗りを上げているうちに、横から声が飛んできた。
    「そんなにオレと勝負したいのか、『猫』ッ!」

     晴奈が横を向くと同時にウィルバーが駆け込み、棍を放つ。晴奈はそれをかわし、刀を払う。ウィルバーもこれを避け、二人は間合いを取って対峙した。
    「久しぶりだな。つくづく、因縁が深いと見える」
    「ああ、確かにな。何だかんだ言って、会うのはこれでもう3回目だ」
     ウィルバーは妙に嬉しそうに笑っている。
    「2度の戦いで、オレの考え方は劇的に変わった。女と見て侮ることは、もうしない。
     お前は間違い無くオレの好敵手、オレの目標だよ」
     妙にほめ言葉を並べるウィルバーを不審に思い、晴奈は刀を構え直す。
    「何のつもりだ、ウィルバー? 一体何が言いたい?」
    「単刀直入に言おう。オレと組まないか、セイナ?」
     突然の申し出に、晴奈は面食らった。
    「何だと?」
    「お前の妹、メイナのことはそれなりに気に入ってるし、娶りたいとも考えている。
     もし結ばれればセイナ、お前はオレの縁者になる。その上でオレと組み、その実力を振るって君臨すれば、お前も教団の権力者だ。何でも思いのまま、一生栄華を極めていられるぞ。
     どうだ、悪い話じゃないだろう?」
     ウィルバーはニヤリと笑い、右手を差し出す。
     握手を求めてくるウィルバーをしばらく見つめた後、晴奈はフン、と鼻を鳴らした。
    「笑止。お前如き犬っころにくれてやるほど、妹は安くない。何よりお前の右腕などと言う肩書きは、私には吊り合わぬ。
     対価が低すぎて、私の食指はピクリとも動かん」
     晴奈のにべもない言葉に、ウィルバーの笑顔は凍りついた。
    「ク、クク、ク……、そうか、ああ、そうか。あくまでオレに、たてつくと言うんだな?
     そんなら話は終わりだ! ここで果てろ、セイナ!」
     ウィルバーは棍を振り上げ、飛びかかってきた。

     晴奈はウィルバーの初弾を、刀をかざして防ぐ。
     その瞬間、晴奈の両手に重たい衝撃が走り、刀と棍の間から火花が飛び散る。
    「む、……ッ!」
     受けきれず、体をひねって棍を左に流す。すかさずウィルバーが蹴りを放ち、晴奈のあごを狙ってくる。
    「甘いッ!」
     向かってきた左脚を紙一重で避け、刀から左手を離し、右手を利かせて刀で鋭い山を描く。その軌跡がわずかにウィルバーの脚を捕らえ、さく、さくと二度斬る。
    「……ッ、速いな!」
     ウィルバーの僧兵服が裂け、ふくらはぎと太ももに赤い筋がにじむ。
     だが、ウィルバーはその傷を気にかける様子も無く、棍を手首だけで振って、鞭のようにしならせて突いてきた。
    「っと!」
     晴奈は刀を構え直して縦一直線に振り下ろし、棍を叩き落す。棍は当たらずに済んだが、刀から金属同士がぶつかる鋭い音と、何かがこすれるような、気味の悪い音が響く。
     その音が耳に入った瞬間晴奈は舌打ちし、反面、ウィルバーは笑みを浮かべた。
    「ハハ……、どうした? 今の音は何だ、セイナ?」
    「チッ、なまくらめ」
     晴奈の刀の、その中ほどの刃が欠けていたからだ。



     同時刻、リストたちも敵の包囲を切り抜け、晴奈を探していた。
    「ホント、アンタのお姉ちゃんってこーゆー時、無鉄砲よね!」
    「すみません、本当に」
     明奈が謝るが、リストの怒りは収まらない。
    「大体さ、『メイナは絶対守ってやる』とか何とかカッコつけてたくせに、この前だってアンタをほっといて、カツミと戦おうとしてたんでしょ?
     言うコトとやるコトが違うなんて、そこからしてろくなヤツじゃないわよ」
     姉の悪口を言われ、普段温厚な彼女にしては珍しく、明奈は目を吊り上がらせる。
    「そんな言い方、無いんじゃないですか?
     お姉さまは確かに一人で動くことが多い方ですけれども、心の中では皆さんのこと、全体のことをきちんと考えていらっしゃいます。
     リストさんこそ人のことを簡単に悪く言って! それこそ人をろくに見ない、いい加減な方です!」
    「何ですって!?」
     明奈とリストの間に、険悪な空気が立ち込める。
     と――遠くから、鋭い金属音が響いてきた。
    「……!?」「何、今の!?」
     まるで分厚い鋼板に散弾を放ったような異様な音を聞きつけ、二人はそちらへと向かった。
    蒼天剣・因縁録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第87話。
    黄海防衛戦、ひとまず終息。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「くそ……!」
     晴奈は真っ二つに折れた刀を見下ろし、悪態をつく。
    「くそ……!」
     ウィルバーが立て続けに放った棍が、晴奈の刀を折ってしまったのだ。
     仕方無く脇差を抜いたものの、こちらは長さも切れ味も、刀より大分劣る。劣勢に立たされた晴奈は、ポタポタと冷や汗が流れていた。
    「どうやらオレの勝ちらしいな。どうする? 今なら介錯してやらなくも無いぜ? 姉の無残な屍なんか、妹に見せたいもんでもないだろ?」
     居丈高に振る舞うウィルバーに、晴奈は虚勢を構える。
    「勝負はまだ付いてはいない!」
     晴奈は懸命に脇差を振り回すが、三節棍の長さには到底太刀打ちできない。加えて大柄なウィルバーの手足の長さは、長身の晴奈でも分が悪い。
     攻撃はウィルバーに余裕でかわされ、かわしざまにひらりひらりと棍が飛んでくる。その一撃一撃が、晴奈をじわじわと弱らせていく。
    「くッ……!」
     打つ手が見い出せず、晴奈の消耗がじわじわと積もっていく。
     その劣勢を見抜いたらしく、ウィルバーがより一層の攻勢に出た。
    「それッ!」
     勢い良く棍が突き出され、晴奈は脇差を構え、それを防ぐ。しかしその衝撃を削ぎきれず、晴奈は体勢を崩す。
    「ハハ、これでオレの勝ちだ!」
     棍が跳ね返ってきたところで、ウィルバーは棍をつなぐ鎖に指をかけた。
    「……!」
     そこが支点となり、三節棍全体が回転する。鎖を指で吊ったまま、ウィルバーは腕をぐるりと回した。指にかかった棍に勢いが付き、晴奈に向かって飛んでいく。
     一瞬のうちに、防いだはずの棍が自分に戻っていく。だがよろけた晴奈には、それをかわず余裕が無い。
    (これは、あの時と……!)
     7年前、ウィルバーに負けた時の記憶が、晴奈の脳裏に蘇る。このままでは7年前と同じように、棍は晴奈の額を割ることになる。
    (た……、倒れてなるものか! 二度も同じ辱めを受けて、倒れてしまうわけには行かぬ!)
     晴奈は歯を食いしばり、迫り来る棍を凝視した。

     ところが、ここで信じられないことが――少なくとも、三節棍の達人であるウィルバーにとっては、まずありえないと断言するようなことが起きた。
     宙を飛び、晴奈に向かっていた三節棍が、突然上に跳ね上がったのだ。
    「……は?」
     ウィルバーの鋭い目が真ん丸になる。晴奈も驚き、言葉を失う。
     続いて棍は、もう一度空中で跳ねる。ウィルバーはまだ驚いたままだ。晴奈は相手より一瞬早く我に返り、驚いているウィルバーをにらむ。
     また棍が跳ねたところで、ようやくウィルバーが晴奈の方に目を向けたが、既に遅かった。
    「しまっ……!」
     晴奈が脇差を振り上げ、ウィルバーに迫る。ウィルバーは体をひねるが避け切れず、脇差が左肩に食い込む。
    「ぐ……、ッ」
     晴奈は脇差から手を離し、肩を押さえてのけぞったウィルバーの腹を蹴り、そのまま転倒させた。
     そしてくるくると宙を飛んでいた棍が、ウィルバーの顔に落ちていく。
     一瞬の間を置いて、ボキ、と言う鈍い音が、晴奈の耳に届いた。



    「……うう」「おお、気が付かれましたか、僧兵長!」
     ウィルバーは動く馬車の中で目を覚ました。起きようとしたところで、腹と肩、そして顔全体に痛みを感じ、思わずえずく。
    「う、げ」
    「あ、あ、安静になさってください」
     横にいる従者は、すまなそうな顔をしている。顔に包帯が巻かれたその様子は、垂れた兎耳と相まって、とても情けなく映る。
    「ろうなっら……、ああん?」
     ウィルバーはしゃべろうとしたところで、自分の発音がおかしいことに気付く。
    「あ、まはか」
     口を触ってみると、前歯の感触が無い。どうやら三節棍が当たった時、折れてしまったらしい。
    「くほ……、なはけねえ」
    「そ、それで、その、ですね」
     従者は泣きそうな顔で報告する。
    「あの、僧兵長のですね、その、御身がですね、危ういと、その、感じましてですね、はい、あの、これはまずいなと、そう、そんな風に、あの、思いましてですね、……その、撤退、を、ですね、はい、いたしまして、はい」
    「……てめえ」
     ウィルバーは体中の痛みも忘れ、従者の兎耳を力任せに引っ張った。
    「あ、痛い、痛いです、お止めください、僧兵長、痛い、痛い!」
    「らから、気ほ付けろっへ言っはんら、オレは! この、大マヌケめ!」

    「かたじけない、リスト」
    「へっへーん」
     リストがまた、銃をクルクル回して見せびらかしている。
     先程の戦いで、リストがウィルバーの三節棍を狙撃していたのだ。
    「ま、とっさにとは言え、うまく行って良かったわ。メイナの強化術のおかげね」
    「いえ、そんな……」
     ウィルバーが倒されたことが陣内に伝わり、教団は大急ぎで撤退を始めた。
     晴奈たちもその間に他の剣士たちを集め、戦闘地域から離脱。今は既に、黄海の壁が見える辺りまで戻って来ていた。
    「もう教団のヤツらはいないわね。作戦終了、と」
     リストは銃を収め、晴明姉妹に笑いかける。
    「さ、戻ろっか、セイナ、メイナ」
    「ええ、そうしましょう」
    「そうだな。エルスもきっと待ちかねている」



     その後、数回にわたって教団は人員を増やし、黄海の制圧を試みたが、黄海側も焔流や州軍などと連携し、応戦を続けた。
     これが2年半に渡って続き、央南西部・中部を騒がせた、央南抗黒戦争の始まりである。
     そしてそれは同時に、戦略家「大徳」エルス・グラッドと、剣豪「蒼天剣」黄晴奈、この二人の伝説の、始まりでもあった。

    蒼天剣・因縁録 終
    蒼天剣・因縁録 4
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第88話。
    教団の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「どけ、そこの木炭!」
     目の前にいる「狼」からいきなり罵倒され、男は少し戸惑ったような素振りを見せたが、男は素直に横へ退いた。
    「フン」
     その黒い狼獣人はこれ見よがしに肩を怒らせて、男の前を通る。
     と、男が口を開く。
    「一つ聞く」
     男の問いかけに対し、罵倒した「狼」――ウィルバー・ウィルソンは、横柄な態度を返す。
    「……あ? 何か用かよ」
    「余程いらついていると見えるが、それを俺に振る理由があるのか?」
    「知るか、ボケ!」
     ウィルバーは男を押しのけながら、半ば吠えるように怒鳴りつけ、そのまま去っていった。
     男は真っ黒な外套に付いた手形をはたき落とし、ポツリとつぶやいた。
    「なるほど、な」

    「ウィリアム。お前が俺を、遠い央北からわざわざ呼んだ理由をつい先刻、把握した」
    「は……」
     黒い男は目の前にいる、いかにも宗教家と言った風体の狼獣人に向かって、足を組んだまま話を始める。
    「大方、あの『差し歯』の小僧はお前のせがれだろう?」
     男よりはるかに老けた容貌の、一見こちらの方が年長者と思われる「狼」が、へりくだったしぐさで男にコーヒーを注ぎながら、質問に応える。
    「お気付きでしたか」
    「何と言ったか――ああ、そうそう。ウィルマだったか――お前の曾祖母にそっくりだ。誰彼噛みつく様が、良く似ている。
     その父親は本当に人のいい奴だったのだが。お前のように、な」
     男の言葉に、「狼」は顔を赤らめる。
    「はは……。開祖からご存知でいらっしゃると、直近の家人の話をするのは気恥ずかしいですな、どうも……」
    「ククク……。何故ウィルソン家は『極端』なのだろうな」
     男は「狼」の注いだコーヒーをくい、と飲み込む。
    「極端、と言うと?」
    「大体、3タイプに分かれている。
     一つ、お前のように、素直で親しみの持てる奴。
     一つ、ワーナー、それと最近では、ワルラスだったか――狡猾で、打算的な奴。
     そしてお前のせがれのように、粗暴でやかましい奴。……何年経っても、この手の輩は相手が面倒でたまらん」
     男はまた、鳥のようにクク、と笑う。
    「本当に、不肖のせがれでして……」
     平身低頭し、恥ずかしさを紛らわせていた「狼」は、そこで男のカップが空になっていたことに気付いた。
    「あ、タイカ様。お代わりは如何でしょう?」
    「ああ、是非いただこう」
     黒い男――克大火はニヤリと笑って、カップを差し出した。
    「もし開祖が1番目のタイプで無かったら、俺はこうしてここで、うまいコーヒーを飲むことは無かっただろうな、……クク」



     516年初めの黄海防衛戦に端を発した央南抗黒戦争は、精鋭揃いの焔流とエルスの優れた戦略、黒炎教団の豊富な資産と人員が拮抗し、半年が過ぎた516年夏になってもなお、勢いが落ちること無く続いていた。
     焔流剣士たちの実力、また、エルスの手練手管をもってしてもこの膠着状態から抜けられずにいたため、エルスと晴奈、紫明の3人は黄屋敷にて、抜本的な打開策を検討していた。
    「やっぱり、こちら側の一番のネックは、人員の少なさにある。みんな、かなり疲労の色が濃い」
     エルスの言葉に、晴奈が反論しようとする。
    「そんなことは無い。我々は鍛え方が違う。少しくらいの……」「そう言う問題じゃないよ、セイナ」
     卓から半立ちになった晴奈を、エルスがやんわりと抑える。
    「実際に起こっている問題として、若手や壮年の剣士たちの中にはもう、疲労や怪我でほとんど身動きできなくなっている人もいるらしいじゃないか。この半年ほとんど、休むことなく戦い続けているんだからね。
     この状況を鑑みるに――言い方は少し悪いけど――『手駒』がいないことが問題なんだ。教団の下っ端みたいに、いわゆる『歩』の役割をしてくれる人がいないから、将や班長クラスの人間を、一歩兵と兼用で使っている状態だ。
     これじゃ1人当たりのタスク、処理能力が到底、現状に追いつかない。数字で言うなら、こちら側1人に対して、相手は5人も10人もかかって来てる状態なんだ。兵法の基本から言えば、こんな状況に留まるなら、逃げた方がましだ。
     でもそう言う状況で、君たちは逃げないだろ? 真っ向から相手してるよね」
    「当たり前だ」
    「それが災いしてるし、相手の司令官にしても、狙ってきてるポイントなんだろう。ただでさえ少ない人材を、片っ端から消耗させて自滅させるのが狙いなんだよ。
     人使いの荒い今の状況じゃ、優秀な人材もいずれ使い潰す羽目になる。数で対抗できなきゃ、いずれは押し切られちゃうよ」
    「ふむ……。つまりは人員を大量に確保せねば、と言うことか」
     ここで紫明が、考え込む様子を見せる。それを見て、晴奈が尋ねた。
    「父上、何か策が?」
    「うむ。晴奈、私が央南連合幹部の一員であることは知っているだろう?」
     それを聞いて、エルスも尋ねてくる。
    「央南連合? 確か央南の政治同盟……、でしたね?」
    「うむ。そこに人員を貸してもらうよう、頼んでみるのはどうだろうか」
     紫明の提案に、エルスはにこっと笑ってうなずく。
    「なるほど。確かに連合軍なら、かなりの数が確保できそうですね。戦力としても申し分無い」
    「央南の安寧秩序を第一とする連合ならば、西部侵略を押し進める黒炎と戦っていると告げれば、手を貸してくれるだろう」
    「よし、それじゃ早速、お願いに行きましょう」
     エルスはうなずき、紫明の案を採った。
    蒼天剣・権謀録 1
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第89話。
    疑惑の「狐」との対面。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     央南には、厳密な意味での「国」が無く、州が集まってそれぞれ自治を行う「連邦制」を執っている。
     かつては国王を主権とする国が、央南全土にわたって存在していたのだが、その国は暴虐の限りを尽くして人民を苦しめ、やがて人民との間で戦争が勃発。その結果、国は滅びた。
     そして、その後に群雄割拠してできたいくつかの小国の間でも央南統一を掲げた戦いが起こり、長きにわたって戦乱が続いた。
     その長い戦いの果てに、「誰か一人が王になろうとしても納まるまい」と悟った央南の権力者たちが話し合い、央南をいくつかの州に分けた。そしてその州をまとめる宗主たちが集まり、彼らを幹部として、央南の政治体制や州間の意見調整、域外との外交方針を取り決める組織を築き上げた。
     これが央南連合の始まりである。



     晴奈とエルス、紫明の3人は央南中部の街、天玄に到着し、連合の本拠となっている屋敷、天玄館へと向かった。
    「父上」
    「うん?」
     屋敷内の様子を一瞥した晴奈が、紫明にそっと声をかける。
    「何と言いますか、ここは黄屋敷とは大分、趣が異なっておりますね」
    「ふむ、まあ、確かにな」
     天玄館の中はどこも騒々しく、多くの人が書類や何かの機材を持って、バタバタと行き交っている。
    「黄屋敷は静かな場所でしたが、こちらは何と言うか、……にぎやかな」
     言葉をにごした晴奈に対し、エルスは正直に述べる。
    「まあ、ぶっちゃけると騒々しいところだよね」
     紫明も肩をすくめ、それに応じた。
    「連合の本拠地であるからな。あちこちから嘆願や請願が押し寄せてくるから、この騒々しさも仕方の無いことだ。
     とは言え、懸念はある。この繁忙からすると、主席も手一杯であるかも知れん。こちらの話を真摯に聞いてくれるかどうか」

     紫明の予想通り――連合の主席、狐獣人の天原桂は両手を交差し、晴奈たちの目の前に「×」を作った。
    「いやー無理です」
     そのにべもない回答に、紫明は渋い顔をする。
    「やはり難しいですか」
    「いやいや。難しいじゃなく、無理。まったく無理なんです」
     天原はもう一度、「×」を作る。
     と、エルスはつぶさに情況を尋ね、天原主席に食い下がる。
    「兵士は回せませんか?」
    「はい。無理無理、無理なんです」
    「一人も?」
    「ええ。ダメ、絶対」
    「何か今現在、問題を抱えていらっしゃるのですか?」
    「ええ、あります。一杯。たくさん。目が回るほど」
    「教えていただいても?」
    「ん、まあ、はい。じゃ、こちらをご覧ください」
     天原は机から書類を乱雑に取り出し、晴奈たちの前に並べていく。
    「大きな問題としては、こちら。東部地域でですね、大規模な水害が起こっていまして、それを解消するために、2割ほど人員を送ってまして」
    「残り8割は?」
    「こちらに、1割。で、こっちにも。あと、これと、これと、これと……」
     天原は次々に、書類を積み上げていく。そのあまりの量に、晴奈と紫明は唖然とする。
    「ね? これじゃ、とてもとても……」「あのー」
     ここでエルスが書類の束をつかみ、進言した。
    「良ければご意見させていただいても、よろしいですか?」

    「ね? ここの物資を使えば、わざわざここから輸送しなくても良くなります。恐らく作業日数は、3分の1以下に収まるかと」
    「はあ……」
     一見、乱雑で混沌とした状況でも、戦略家のエルスが見ればいくつかの活路、打開策が見つけられた。
    (ふむ、これなら話もまとまるか……?)
     晴奈は期待を持って紫明に目配せしたが、紫明は表情を曇らせている。
    (いや……、やはり主席は断るつもりらしい)
    (え……?)
     紫明が示した通り、天原は仕事が片付いて喜ぶどころか、先ほどよりさらに憂鬱そうな――まるで言い訳ばかりする子供が言葉に詰まり、すねたような――顔をする。
    「あ、のー」
     そしてたまらずと言った様子で、天原が口を開いた。
    「それでですね……、あ、はい」
     応じたエルスに、天原はたどたどしく、こう切り出した。
    「そのー、えーと。何て言いますかねー、まあ、……契約、の話をしたいんですが」
    「契約ですか?」
     なぜかこの時、エルスの目が――相変わらず、ヘラヘラ笑いながらも――鋭く光った。
    「グラッドさんが私の手助けをしていただく代わりに、そちらの要請――対黒炎用の人員をご用意させていただきます。そう言う話ならどうでしょうか?」
    「……うーん」
     この提案に、エルスが悩む様子を見せる。晴奈もこの提案を呑むことに、不安を覚えた。
    (むう……。もし手伝うことになれば、きっとエルスは天玄に留まることになるだろう。その間の、黄海での指揮が不安ではあるが……)
     この提案に対し、エルスはやんわりとした回答を返した。
    「そうですね、そう言ったお話となると、僕一人では即決できません。持ち帰って検討させていただいても?」



    「ふむ」
     聖堂の梁の上で、大火は下にいる者たちを見下ろしていた。高く、明かりのない天井のため、大火がいることに下の者たちは気付いていない様子である。
    「クク……、またあの小僧か」
     聖堂の壇上ではウィルバーがだるそうに、かつて大火が記した書を読み上げている。
     どうやら本日の音読の担当は彼であるようだが、明らかにやる気が見られない。
    「であるからしてー、えー、魔術師とはー、えー、契約を重んじー、えーと、それを最大の術とするのである。はい、おしまい」
    「クッ」
     そのやる気の無い様子を見て、大火は噴き出す。
    「おいおい、三流大学の呆けたじじいか、お前は」
     大火のそんなつぶやきが聞こえるはずも無く、ウィルバーは経典を乱雑に書架へ投げ込み、皆に聖堂を出るよう促す。
    「ほれ、終わったんだからさっさと出ろ。修行に行け、ほれ」
     ウィルバーに言われるがまま、教団員たちはぞろぞろと聖堂を後にする。
     と、最後に出ようとした尼僧を見て、ウィルバーは声をかける。
    「おい、そこの」
    「はい、何でしょうか?」
     ウィルバーは助平そうに笑い、にじり寄ってくる。
    「ふむふむ、なかなかの上玉……、もとい、鍛錬を積んでいるな。どうだ、オレと一緒に修行しないか?」
    「え、ええ? あの、いえ、わたし、一人で……」
    「いいじゃないか、な?」
     口説こうとしているウィルバーを見て、大火は舌打ちした。
    「……下衆め。ろくでもないことを」
     すっと、大火が消える。その一瞬後、尼僧もウィルバーの目の前から、ポンと消えた。
    「なあ、いい……だ、ろ? あれ? おい? おーい?」

    「あの、やめて……、え?」
     尼僧はいつの間にか聖堂の外に立っており、きょとんとしている。
    「あれ?」
     呆然としたままの尼僧の頭をぽんぽんと叩き、大火はこう諭した。
    「今後は最後に出るのを控えておけ。あんな不埒者の小僧と関わりたくなければ、な」
    「あ、はい、ありがとうござい……ます? あの……?」
     依然、きょとんとした顔のまま、尼僧はぱち、とまばたきする。
     その一瞬の間に、大火は姿を消していた。
    蒼天剣・権謀録 2
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第90話。
    ほの見える、黒い政治戦略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「ウィルバーについての調査結果だが、結論から言うならば、あれをウィルソン家の人間であるとは、容易には信じられん、な。とんだ愚物だ」
    「ううむ……」
     大火の評価に、教団の教主であり、ウィルバーの父親でもあるウィリアム・ウィルソン4世は悲しそうな顔をした。
    「お前や兄弟、親類のいる前ではそれなりにへつらってはいたが、いざその目が届かぬ場に移れば、途端に態度が変わった。
     不必要に家名や職位をかざして威張り散らし、女の尻を追いかけ、おまけに禁じていたはずの酒もどこからかくすねて、取り巻き共と酒盛りまでしている。
     やりたい放題とはまさにこのことだろう」
    「そうですか……」
     報告を聞き終えた途端、ウィリアムは顔を覆い、がっくりとうなだれた。
    「わざわざタイカ様御自らにご足労いただいて、この体たらくとは。全く情けない限りです。
     では、契約の履行と……」「ああ、それについてだが」
     もう一度頭を垂れかけたウィリアムを、大火が止める。
    「せがれの不始末を、親のお前が尻拭いするのは解決にならんだろう? あいつ自身でその債務を払わなければ、反省には結びつくまい」
    「と、言うと」
    「自分のツケは、自分で支払わせるのが筋と言うものだ。
     お前と交わした契約は、あいつに履行してもらうとしよう。何を支払ってもらうかはいずれ、本人に伝えておく」



    「契約だなんだって言う言葉は、タイカ・カツミの語録や黒炎教団の経典なんかでよく用いられるそうです」
     エルスは検討のために用意された個室で、話を切り出した。
    「この『契約』と言う言葉に関しては、かなり多くの書物で言及されています。教義としても扱われていて、曰く『契約は公平にして対等の理』とか何とか。
     今時そんな言い回しを使うのは、真面目な商人か、熱心な教団員くらいです。でもアマハラさんは、どう解釈しても前者ではありません」
    「何の話をしている?」
     けげんな顔を向けた紫明に、エルスは説明を続ける。
    「結論から言えば、アマハラさんはどうも怪しいですね。
     僕たちの要請なんか、連合軍の規模を考えれば簡単に受け付けられるはずです。でも彼はあれこれ言い訳して、応じる様子をまったく見せなかった。
     それに仕事の仕方にも疑問があります。あれらはちょっと仕事のできる人なら、とっくに終わっているような簡単な作業でした。むしろアマハラさんは、連合の仕事を停滞させているかのように手を回している節さえあります。
     おまけに対黒炎隊の中でブレーン、参謀となっている僕をいきなり引き抜くなんて話も、突飛な判断と思えます。そして何より、『契約』なんて言い回しをしたことも妙です。まるで教団員みたいですよ」
    「エルス、まさかお主、天原主席が教団員だと言うのか?」
     晴奈の言葉に、エルスはこくりとうなずいた。
    「うん、可能性は非常に高い。教団員でなくとも、教団と何らかの強い関わりがあるだろう」
    「ば、バカな!」
     紫明がバンと卓を叩いて立ち上がり、エルスの意見を否定する。
    「か、彼は連合の主席だぞ!? もしも彼が、教団と通じていると言うのならばっ」
    「ええ、大変なことです。元々、央南連合は黒炎教団に対して否定的、敵対的な姿勢を執っていますからね。それに今回の、我々の戦いの件に即して考えてみても、挟撃の可能性が出てきますからね。
     しかしそう考えると、あの件に対する連合の行動に、辻褄が合うんですよ」
    「あの件とは?」
    「昔、加盟州である黄海を教団によって占領された時、連合がまったく介入も軍派遣もしなかった、その理由です」
    「あ……!」
     エルスの論拠を聞き、紫明の顔が青ざめる。
    「ま、まさか……、そんな」
    「ともかく今日のところは、天原氏には『話がまとまらなかったのでもう一日、教義の時間を欲しい』と返答しておきましょう」
    「……うむ」
     苦い顔のまま、紫明がうなずき、立ち上がる。
     晴奈も立ち上がったところで、エルスがつぶやいた。
    「こんな回りくどい策を巡らす人間が教団にいるとすれば、ワルラス卿かな」
    「誰だ? まさか教団に知り合いがいるのか?」
     晴奈の問いに、エルスは手を振って否定する。
    「いや、名前と評判くらいしか知らないけどね。
     ワルラス・ウィルソン2世。黒炎教団教主の弟で、いま52、3くらいの狼獣人。央南方面の布教を任されてる大司教だよ。
     かなり頭が良くて、非常に狡猾な性格だとか。いかにもこんなことを考えそうなタイプだよ」
    「ふむ。……そう言えばワルラスと言えば昔、うちに送られた文で見た覚えのある名だな」



     大火が帰った後――。
    「兄上。何か隠しごとをなさっておいでですな」
     ウィリアムは弟、ワルラスに問いつめられていた。
    「な、何を言うんだ、ワルラス」
     根が正直なウィリアムは、傍目に分かるほど動揺する。
    「大方、ウィルバーのことで何か画策しているのでしょう。
     確かに彼に対して、あまりいい評判を聞きません。それに最近では、黄州の戦いで何度か手痛い敗北を喫しているとも。最近の荒れ様もきっと、そこに原因があるのでしょう」
    「まあ、そうだろうな。だが最近のあいつは、少々目に余るところが……」「まあ、まあ」
     嘆くウィリアムを、ワルラスがなだめる。
    「人間、時には勢いを落とし、愚かしく惑う時期もあるでしょう。大成する者なら、なおさら。きっとウィルバーも、そんな時期に入っているのですよ」
    「そうだろうか」
    「そうですとも! これは彼に与えられた試練、そう思って気長に見ておやりなさい」
    「……うーむ」
     ウィリアムは小さくうなずき、その場を後にした。

     ウィリアムの姿が見えなくなったところで、ワルラスは静かに眼鏡を直しながら、ぼそっとつぶやいた。
    「アンタは黙って、おろおろしていればいいんだ。どうせ平凡陳腐なアンタのことだ、大したなど何も、できやしないんだからな」
    蒼天剣・権謀録 3
    »»  2008.10.09.
    晴奈の話、第91話。
    エルスの迎撃作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    《アマハラくん》
     夜遅く、天玄館の主席室に声が響く。黙々と書類をいじっていた天原は、その声に狐耳をピンと立てた。
    「ウィルソン台下ですか? 少々お待ちを」
     天原はそっと、部屋の入口に鍵をかける。そして壁際の本棚を動かし、その裏にあった魔法陣の描かれた壁をさらす。
    「『扉』は開けました。どうぞ、おいでくださいませ」
    《ありがとう》
     魔法陣が紫色に輝き、その中央からするりと、ワルラス卿が現れた。
    「少し、気になる件を聞いたのでね。取り急ぎ、こちらに伺った次第だ」
    「黄氏の件、でございますね」
     天原はワルラスに近付き、そっと耳打ちする。
    「まあ、やはりと言いますか。あのグラッドと言う男、なかなかに頭が切れるようでして。密談の様子を盗聴していた者から、私の正体に気付いたようだ、との報告が」
    「ふむ。それは、少しまずいかもしれない。
     グラッドとか言う者自体は連合の関係者では無いし央南人でも無いから、仮に君のことを吹聴されても、さして問題は無い。
     だが黄州の権力者であり、連合幹部の人間であるコウ氏にその話を広められれば……」
    「私の地位、ひいては台下の央南教化計画にも、大きな打撃がある、と」
     心配そうに見つめる天原を見て、ワルラスも眉を曇らせる。
    「ああ、確かに多少なりとも被害は出るだろう。
     が、それは『もしもそうなれば』の話だ。そうならなければ良い。意味は分かるね、天原くん?」
     ワルラスの問いに、天原は眼鏡をキラリと輝かせて答える。
    「は……、心得ております。今夜中にも、手配いたします」
    「よろしく頼む。では、失礼」
     そう言ってワルラスは席を立ち、魔法陣へと歩き、その向こう側へと進む。その直後カチ、と音を立て、魔法陣から光が消えた。



     既に天玄館を後にし、晴奈たちは宿に戻っていた。時刻は真夜中を過ぎ、赤と白の月が、わずかに窓際を明るくしている。
     と、その光が何かにさえぎられ、部屋に届かなくなる。光の代わりに黒い服を着た者たちが2人、3人と部屋に入ってきた。
     黒ずくめたちは目標を確認しようと床に近付いていく。だが、その目標――晴奈、エルス、そして紫明の姿はいずれも、床に無かった。
    「……!?」
     黒ずくめたちは一瞬顔を見合わせ、うろたえる様子を見せる。
    「ここで合ってるよ」
     と、上から声が聞こえる。黒ずくめたちがそちらを向いた瞬間――。
    「ほい」「ぎゃー……ッ!」
     黒ずくめの一人が窓から勢い良く、投げ飛ばされた。
    「でも、何も言わずにいきなり夜這いって言うのは感心しないなー。誠実じゃないもん。やるなら堂々と正面突破だよ。そうじゃなきゃ、女の子はなかなか振り向いてくれないよ?」
     エルスが窓から顔を出し、頭から地面に突っ込んだ黒ずくめに笑いかけた。
    「な、何故我々が来ると……!?」
    「あのね、『アマハラさんが怪しい』って言ってるのに、『アマハラさんが用意してくれた部屋は怪しくない』って理屈は通らないと思うよ。
     君たちに話を聞かれてたことも知ってたし、こうして襲ってくるって言うのも、予想が付いてたんだよね~」
     そう言って苦笑しながら、エルスは二人目の肩と帯をつかみ、背負うように勢い良く引っ張った。
    「えい」「わー……ッ!」
     2人目も同様に、窓の外へと飛んでいく。残った黒ずくめは、「ひぃ」と叫び、自分から窓の外へ飛び出し、逃げていった。
    「ふー。……じゃ、頼んだよセイナ」

     逃げた黒ずくめは大急ぎで天玄館に戻っていく。裏口に入り、隠し階段を登り、秘密の通路を抜ける。そして晴奈たちの暗殺を指示した黒幕、天原のところに舞い戻った。
    「殿……!」
    「どうしました、そんなに慌てて? 成功したのですか?」
    「あの、それが、その……」「ああー」
     天原の顔色が悪くなる。
    「分かりました。あなたの後ろを見て、何もかも」
     黒ずくめはそっと、振り返る。振り返った瞬間に刀を鎖骨にぶつけられ、そのまま気を失った。
    「安心しろ、峰打ちだ」
     黒ずくめの背後にいた晴奈は、そう言って刀を納めた。
    蒼天剣・権謀録 4
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第92話。
    強敵、出現。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     晴奈はキッと天原を睨みつける。
    「天原主席。これで言い逃れはできないぞ。
     教団員と思しき黒ずくめ2名はエルスが捕らえ、残った1人もこうして親玉、つまりあなたのところに戻るのを確認した。最早、弁解の余地は無い」
     真っ青になった天原は硬直している。が、突然笑い出した。
    「ヒ、ヒ……、ヒヒッ、そう思うか、本当にそう思うのか!」
     そう叫ぶなり、天原はブツブツと何かを唱える。
    「魔術か!」
     晴奈は素早く刀を抜き、炎を灯して構える。
    「お前らが消えれば証拠なんか、どうとでもできる! 『アイシクルエッジ』!」
     天原が向けた掌から、にゅっと氷柱が飛び出す。晴奈はそれを刀で弾き、間合いを詰める。
    「それ以上、抗うな」
    「断る! 全力で抗う!」
     天原はさらに氷柱を撃ち出す。
     だが氷は炎と相性が悪く、焔流の剣豪相手では氷の魔術など、大した武器にはならなかった。
    「それッ! はいッ! でやあッ!」
     次々と打ち出される氷柱を晴奈はいとも簡単に弾き、溶かし、天原との距離を縮めていく。
    「観念しろ、天原!」
    「いやだッ! 逃げるッ! 『ホワイトアウト』!」
     術を唱えた瞬間、辺りに白い煙が立ち込める。敵を幻惑させる、目くらましの術である。
     煙が立ち込めると同時に、先程晴奈が通ってきた隠し通路の方から、足音が遠のきつつ聞こえてきた。どうやら敵わないと見て、逃げ出したらしい。
    「む……! 逃がさんぞッ!」
     晴奈も隠し通路に飛び込み、天原の後を追った。

    「ヒィ、ヒィ」
     天原は半泣きで天玄館を出た。夜道を駆け、必死で晴奈から逃げようとする。
    「誰か、誰かいませんか!」
     天原は誰もいないはずの夜道に、声をかける。
    《はっ。殿、こちらでございます》
     ところが、虚空から低い男の声が返ってきた。
    「おお、篠原くん! 来てくれましたか!」
    《殿の危急とあらば、どこへでも馳せ参じます》
    「流石、流石ですよ! ……そうだ、篠原くん! これから女剣士がやってきます。流派はあの、焔流です」
    《……!》
     姿は見えないが、息を呑む気配は伝わる。
    「あなたの、あなたの剣術、『新生焔流』で、細切れにしてしまいなさい!」
    《……御意》
     そこでようやく、骸骨のように痩せた、眼の窪んだ男――種族までは頭巾を被っているので分からない――が姿を現す。
     と同時に、晴奈が追いついてきた。
    「天原ッ! そこになおれ!」
    「……ヒヒヒヒ。断る、断りますよ黄さん!」
     天原は篠原の後ろに隠れ、居丈高に笑う。
    「さあ、やっておしまいなさい! その間に、私は『例の場所』に行きます!」
    「承知」
     篠原はわずかにうなずき、晴奈と対峙した。

     篠原と向かい合った瞬間、晴奈の耳と尻尾が毛羽立った。
    (……こやつ、できるな?)
    「名乗っておこう」
     篠原は大儀そうな低い声で名乗る。
    「某、篠原龍明と申す。新生焔流、篠原派開祖だ」
    「焔流だと!?」
     敵が自分と同じ流派だとは素直に信じられず、晴奈は思わず声を上げる。
    (いや……しかし、確かに刀の構えには、焔流の面影があるように見える)
     生気の無い目を向けながら、篠原が尋ねてくる。
    「殿に聞いたが、貴様も焔流の者だそうだな」
    「いかにも。本家焔流免許皆伝、黄晴奈だ」
    「なるほど。確かに腕は立つようだが……」
     気だるそうに篠原がつぶやいた直後、晴奈は尋常ではない殺気を感じ、一歩退く。
     次の瞬間、自分が立っていた場所を斜めに、地割れが走った。
    「ふむ、勘もいい。某の『地断』を見切るとは」
     篠原の刀から、チリチリとした音が響いている。
    (この貫通性……、『火射』の派生形か? 地面がこのように、バッサリ斬れるとは)
     と、篠原が晴奈の背後に目を向ける。
    「……もう一人、いたか」
     するとガサガサと音を立て、茂みからエルスが現れた。
    「はは、僕のスニーキング(潜伏術)もまだまだだなぁ」
     エルスは晴奈の横に立ち、ト型の武器――トンファー(旋棍)を取り出して構える。
    「アマハラさん、逃げちゃったかぁ。えーと、シノハラさんだっけ。一つ提案するけど」
    「何だ?」
    「僕らの目的はアマハラさんの確保だったけど、逃げられちゃったから目的不達成。で、シノハラさんの目的はアマハラさんが逃げ切るまでの、僕らの足止めでしょ?
     僕らの目的は達成できなかったし、シノハラさんの目的は達せられた。双方にとって最善の策は、ここで僕らと戦わず、このまま離れることだと思うんだけど」
     エルスの提案を聞いた篠原は、馬鹿にしたように口角を上げた。
    「愚論だ。某、黄の殺害を命じられている」
     それだけ言うと篠原は晴奈との距離を詰め、斬りかかってきた。篠原が踏み込んだ瞬間、晴奈も反応する。
    「りゃあッ!」
     晴奈と篠原、二人の刀がぶつかり合い、高い金属音が夜道に響き渡る。篠原は意外そうにぴくりと片眉を上げ、晴奈に声をかける。
    「ふむ……、弾き飛ばすつもりだったのだが。女と侮ったが、思ったより胆力がある」
    「この黄晴奈、なめてもらっては困る」
     晴奈はトンと後ろに下がり、刀に火を灯す。
    「『火射』!」
    「むうっ」
     晴奈の放った「飛ぶ剣閃」は、確実に篠原を捉える。だが――。
    「『火閃』!」
     篠原は「爆ぜる剣閃」で晴奈の技を跳ね返した。
    「な……ッ!?」「危ない、セイナ!」
     エルスが晴奈の腕をつかみ、横に投げる。それと同時に、迫り来る炎を魔術で防ぐ。
    「『マジックシールド』!」
     エルスの作った魔術の盾に自分の技が防がれたのを見て、篠原は顔をしかめた。
    「なるほど、お前の言う通りのようだ。この状況では一向に、決着するまい」
     篠原は刀を納め、身をひるがえした。
    「黄。そして、グラッドと言ったか。この決着は、いずれ付けさせてもらおう」
    「待て、篠原ッ!」
     晴奈が呼び止めたが、篠原はそのまま闇に紛れ、姿を消した。
    蒼天剣・権謀録 5
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第93話。
    風雲急を告げる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     某所。
    「ふー」
     央中風の大きな椅子にもたれた天原はため息をつき、天井に向かって声をかけた。
    「篠原くんは、戻りましたか?」
    《いえ、まだ戻っておりません》
    「そうですか。意外に、てこずっているのかな。
     はー……、猫女に追い掛け回されてのどが渇きました。飲み物を持ってきてください」
     少し間を置き、部屋の戸を開けて黒ずくめの少女が現れる。
    「失礼します、殿」
    「ありがとう、藤川くん」
    「いえ……」
     飲み物を用意した黒ずくめ、藤川は小さく頭を下げ、部屋を出ようとした。
    「あ、ついでに」
    「はい、何でしょうか」
    「天玄館の執務室に行き、棚の後ろにある魔法陣を消してきてもらえますか? 台下が万一あちらに現れたら、大変なことになるでしょうから」
    「かしこまりました」
     藤川はもう一度頭を下げ、部屋を出た。
    「あ、お頭……」
    「今、戻った」
     扉の向こうで、藤川と篠原の話し声がする。すぐに篠原が戸口から顔を出す。
    「殿、ただいま戻りました」
    「ご苦労様でした、篠原くん。あの猫女は、片付けてくれましたか?」
     篠原は首を振り、窪んだ目をさらに落ち窪ませる。
    「恐れながら……。邪魔が入り、退却いたした次第です」
    「ほーぉ」
     篠原の報告を聞いた途端、天原の顔が不満げに歪む。
    「じゃあ何ですか、篠原くんともあろう者が何もできず、戻ってきたと?」
    「面目ございません」
     天原はしばらく篠原を睨みつけていたが、もう一度ため息をつき、眼鏡を外して横を向いた。
    「……まあ、いいです。後は、つけられてないでしょうね?」
    「はい」
    「なら、そっちは問題無しですね。
     多分、黄大人が央南連合に介入して私の素性も知れるでしょうから、天玄に入ることはできなくなるでしょう。一応、天原家の財産の一部はここに蓄えてありますけれど、まだ大部分が天玄に残ってますからねぇ。それを失うのも嫌ですし、ウィルソン台下からのご勅命を無碍にもできませんし。
     近いうち天玄に攻め込んで、連合代表の地位復権に臨まないといけませんねぇ」
     天原は眼鏡を拭きながらチラ、と篠原を見る。
     篠原は彼と視線を一瞬だけ合わせ、背を向けつつ答えた。
    「……我ら篠原派焔流一同、殿のご命令とあらば、いかような任務にも就く所存です」
    「ええ、頼りにしていますよ」



     翌日、天玄は大騒ぎになった。
     連合の代表が、実は敵対している黒炎教団と通じていたことが公になり、天玄館に激震が走った。と同時に、これまで天原が手がけていた業務のほとんどに不正――連合への業務妨害が行われていたことも発覚し、連合は大慌てで事態の収拾に当たった。
     その際にエルスが知恵を貸したことと、黄商会が多額の資金援助を行ったこともあって、次の主席には紫明が就任することとなった。
     これにより紫明は連合軍を自由に動かせるようになり、所期の目的であった黄海への援軍も達成された。

     しかしこの騒動により、晴奈の胸中にはある不安が沸いていた。
    (一体、天原はどこに雲隠れしたのだ? あの卑怯そうな男のことだ、恐らく天玄に舞い戻ろうと画策するだろう。恐らく、実力行使によって。
     そしてあの男、篠原龍明。焔流剣士と名乗り、確かに焔流の技も持っていた。何より気になるのが、あの『地面を叩き斬った』技。もしや、あの時イチイ殿を屠ったのは、篠原に縁ある者では無いのか?)
     考えれば考えるほど、天原と篠原の周りに不気味な影が見え隠れする図が浮かんでくる。
    (探らねばなるまい。今一度、紅蓮塞に戻るとしよう)
     と、晴奈の不安を感じ取ったらしく、エルスが声をかけてきた。
    「セイナ、あの男の調査をするんだろ? 焔流って言ってたから、晴奈の修行場に行くつもりだよね?」
     晴奈は腕を組み、エルスの笑い顔をけげんな表情で見つめる。
    「いつもながら、どうしてお主は私の心を読めるのか。……その通りだ」
    「なら、僕も付いていくよ」
     思いもよらない提案に、晴奈は目を丸くする。
    「何?」
    「これは、僕の勘なんだけど」
     珍しく、エルスの顔から笑みが薄れた。
    「何かすごく、危険な匂いがするんだ。あのアマハラ御大と、シノハラと言う侍から。
     彼らを放っておいたらきっと、戦争どころじゃなくなる。そんな気が、するから」
     エルスの言葉に、晴奈も無言でうなずいた。
     晴奈もまた、エルスと同じ危機感を、うっすらとではあるが抱いていたからだ。

    蒼天剣・権謀録 終
    蒼天剣・権謀録 6
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第94話。
    幸せ一杯なご夫婦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     新たに現れた謎の敵、「新生」焔流剣士の篠原の素性を探るため、晴奈は焔流の総本山、紅蓮塞へと戻って来ていた。
    「へぇー、ここが紅蓮塞かぁ。厳格な場所だって聞いてたけど、意外にのどかな街なんだね」
     市街地を見回すエルスに、晴奈はぱたぱたと手を振る。
    「いや、ここはまだ市街だ。修行場はあっちにある」
     晴奈の示す方を見て、エルスと明奈は同時に声を上げた。
    「……へぇ」「何だか、物々しいですね」
    「霊場だからな。それに、敵に攻め込まれることを想定し、迷路のような造りになっている。私から離れると、迷い込んでしまうぞ」
    「はは、それは気を付けないとね」
     ちなみに晴奈が紅蓮塞へ戻るにあたって、エルスと明奈が同行していた。
     情報収集と分析、そしてその応用・活用にかけては、エルスの右に出る者はいない。エルス自身も「一度行ってみたい」と申し出ていたため、こうして随行したのである。
     また、明奈も同じように願い出ていたことと、晴奈の師匠である雪乃からも、かねてから「会ってみたい」と言っていたこともあり、エルス同様に付いてきていた。



    「まあ、本当に……」
     雪乃は明奈を見るなり、興味深そうな声を上げた。
    「似てるわね、あなたに。一回りちっちゃい晴奈、って感じ。後ろで髪をまとめたら、本当にそっくりかも」
    「はは……、明奈が戻ってきてからずっと、そう言われております。子供の時分はあまり、そう評されることは無かったのですが」
     晴奈は照れ臭くなり、しきりに猫耳をしごいている。一方、エルスも興味深そうに雪乃を眺めていた。
    「それで、こちらの外人さんは?」
    「あ、申し遅れました」
     エルスはぺこ、と頭を下げて自己紹介をする。
    「僕はセイナの友人で、エルス・グラッドと申します。お会いできて光栄です、ユキノさん」
     つられて雪乃も会釈する。
    「あ、はい。焔雪乃と申します。晴奈の師匠で、この紅蓮塞で師範を勤めております」
    「いやぁ、セイナの師匠と聞いて、美しい人を想像していましたが、それ以上ですね。非常にお優しい印象を受けます。とても柔らかな美しさが出ていますね」
     エルスの口が妙に回り出したことに気付き、晴奈が後ろから小突く。
    「おい、エルス。言っておくが……」
    「ああ、分かってる分かってる。僕は人妻を口説いても、小さい子のいるお母さんは口説かないよ」
    「あら……?」
     エルスの言葉に、雪乃は戸惑った様子を見せた。
    「なぜわたしに、子供がいると? まだ晴奈にも言ってなかったのに」
    「え? 師匠、お子さんが? い、いつ?」
     今度は晴奈が目を丸くする。
     雪乃は顔を赤らめ、嬉しそうに、しかしまだ疑問の残った顔でうなずいた。
    「ええ、1ヶ月前に産まれたの。あなたが塞を離れた頃には、まだわたしたちもできたことに気付いてなかったんだけどね。
     あーあ、驚かせようと思ったのに。どうして分かっちゃったのかしら」
     エルスが苦笑しつつ、種明かしをする。
    「はは、折角の吉報に水を差してしまいまして、申し訳ありません。
     まず、夫さんがいると言うことは、その指輪で分かりました。そしてお子さんがいらっしゃると言うことは……」
     エルスは自分の服をトントンと叩く。
    「その着物、胸周りや帯の位置がこれまで着ていたであろう位置と若干、合っていらっしゃいませんね。となると、この数ヶ月で何か、大きく体型が変わるようなことがあったと言うことです。
     その点とご結婚されていると言うことと合わせて、そう予想しました」
    「まあ……」
     雪乃は口に手を当て、驚いた様子を見せた。
    「随分、名探偵でいらっしゃるのね。……でも」
     雪乃はエルスに笑いかけ、たしなめた。
    「人妻も、口説いちゃダメよ」
    「はは、失礼しました」
     これもエルスの人心掌握術なのか、それとも雪乃が特別人懐っこいのか――二人は会って数分もしないうちに、すっかり打ち解けていた。

     続いて晴奈たちは雪乃に連れられ、良太と、雪乃たちの子供のいるところに向かった。
    「良太は今、書庫に?」
    「ううん、家元のところにいるわ」
    「ふむ、家元にも用事があったところです。丁度良かった」
     晴奈たちは焔流家元、重蔵の部屋の前に立ち、戸を叩いた。
    「失礼します、家元」
    「お、その声は晴さんじゃな。久方ぶりじゃの、入りなさい」
    「はい」
     戸を開けると、重蔵が耳の長い赤ん坊を抱いて座っていた。横には良太もいる。
    「姉さん。お久しぶりです」
    「久しぶりだな、良太。……家元、長らく留守にいたしまして」
    「おうおう、構わん構わん。……して、後ろのお二人は?」
     晴奈の後ろにいたエルスと明奈が前に出て、揃って挨拶する。
    「お初にお目にかかります。エルス・グラッドと申します。諸事情あって、北方からこちらに移住しました。現在、対黒炎教団隊の総司令を務めております」
    「初めまして、焔先生。黄晴奈の妹の、明奈と申します」
    「ほうほう、大将さんに晴さんの妹さんとな? これはまた、興味深い面々が参られましたな」
     重蔵は子供を良太に渡し、立ち上がって一礼した。
    「拙者、焔流家元、焔重蔵と申します。
     して、晴さん。ここに戻ってきたのは単に、良太たちの娘を見に来ただけではあるまい? 顔にそう書いてあるぞ」
    「はい、その通りです」
     晴奈は表情を改め、重蔵にゆっくりと尋ねた。
    「家元、篠原龍明と言う剣士について、何かご存知ではありませんか?」
    「……篠原じゃと?」
     その名前を聞いた途端、重蔵の目が険しく光る。
    「ご存知でいらっしゃいましたか」
    「存じている、どころか……」
     重蔵は吐き捨てるように答えた。
    「あやつはこの紅蓮塞を潰そうとしたのじゃ。忘れるわけがなかろう!」
    蒼天剣・魔剣録 1
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第95話。
    焔流の内紛。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     詳しい話をするため、晴奈とエルス、そして重蔵の三人は人払いをし、重蔵の私室に移った。
    「15年以上昔、この紅蓮塞に『三傑』と呼ばれた、才気あふれる剣士たちがおったんじゃ。
     一、『剛剣』こと楢崎瞬二。一、『霊剣』こと藤川英心。そして最後の一人が『魔剣』こと、篠原龍明。
     彼ら三人は同年代の剣士たちの中でも非常に抜きん出ており、いずれはこの紅蓮塞を背負って立つ人間になるだろうと評されておった。
     わしもその三人を非常に気に入っておったし、喧嘩別れさえしておらなんだら、三人のいずれかを晶良――娘の婿にしたいとまで思っておった。
     事件が起きたのは確か、双月暦が新世紀を迎えて間も無い頃か……。突然、篠原が謀反を起こしたのじゃ。門下生十数名をたぶらかし、『新生焔流』を名乗って、わしの命を狙いに来た。わしも今よりはまだ若かったし、楢崎と藤川の助けもあったから、結果的には撃退することができた。
     その後、当然篠原は塞を離れ、以後の行方は杳として知れん」
     重蔵はそこで言葉を切り、晴奈を見る。
    「しかし晴さん、どこでその名を?」
    「数日前、天玄でそう名乗る者と対峙しました。こちらにいるエルスの助けを借り、何とか撃退できたのですが……」
    「なるほど、そうか……」
     重蔵は一瞬、エルスを見る。
    「忌憚無くわしの見当を言えば、晴さん。
     エルスさんがいなければ、十中八九、晴さんは死んでおったな」
    「な……」
     面食らう晴奈を差し置いて、エルスも遠慮無く、重蔵の意見にうなずく。
    「まあ、そうでしょうね。単純に1対3の死闘で仕留められない相手を、1対2の状態で退かせられたのは、奇跡に近いと言えますね」
    「そう言うことじゃ。それに付け加えるならば、楢崎も藤川も、今の晴さん以上に強かった。その二人にわしの力を加えた、三人の剣豪を跳ね返す篠原の底力にはさしものわしも、恐れ入ったものじゃ。
     無論、楢崎も藤川も、かなりの痛手を負った。楢崎は半年近く寝込み、免許皆伝を得る機を一時、逃してしまった。藤川も片腕を潰され、『五体満足を必須とする』と言う免許皆伝の資格を失い、塞を去ってしまったのじゃ。
     無傷だったのはわしだけ――弟子を護ることができず、今でも忸怩たる思いをしておる」
     重蔵は腕を組み、それきり黙った。



     一方、雪乃と良太の部屋で、明奈は雪乃たちの娘、小雪を見せてもらっていた。。
    「可愛いですね、小雪ちゃん」
    「うふふ……」「えへへ……」
     子供をほめられ、雪乃と良太の二人は揃って、気恥ずかしそうに微笑む。その様子を見ていた明奈は、ため息混じりにこうつぶやいた。
    「はぁ……、何だかうらやましいです、お二人が」
    「ん?」
    「幸せそうだな、と」
     良太はきょとんとし、不思議そうに尋ねる。
    「明奈さんは、幸せじゃないんですか?」
    「……いえ、そう言うわけでは」
     明奈はそうにごしたが、雪乃が続いてこう尋ねてきた。
    「晴奈から、確か黒炎教団に7年囚われていたと聞いたけれど……?」
    「あ、はい」
    「何とか戻ってこられた今でも、まだ身柄を狙われているとも聞いたわ。となれば幸せだって言い切るのは、ちょっとためらってしまうわよね」
    「いえ、やっぱり幸せですよ」
     明奈は首を振り、静かに応える。
    「今はお姉さまが守ってくださいますから。時々、一人でどこかに飛んで行ってしまわれますけれど、本当に危険が迫ったら、きっと来てくださいますもの」
    「あー、まあ、確かに姉さん……、晴奈さんは突っ走る人ですねぇ。いつだったか、一人で黒鳥宮へ行こうとしたことがある、とか言っていましたし」
    「え?」
     良太の一言に、明奈と雪乃が驚いた声をあげた。
    「初耳ね、それ。いつのこと?」
    「あ……、しまった。内緒にしてくれ、って言われてたのに」
     良太は頭をかきつつ、晴奈が黒荘へ行っていた話を二人に打ち明けた。
    「へぇ……。あの時、そんなことしてたのね」
     話を聞いた雪乃は、納得した顔でうなずいた。
    「まあ、晴奈らしいと言えば、らしいわね。……明奈さん、どうしたの?」
    と、明奈は指折り、何かを数えている。
    「えっと、今が516年で、3年前の出来事ってことは、513年で……、へぇ」
    「ん?」
    「あのですね、一度本当にわたし、危なかった時があるんですよ」
     明奈は小雪の頭を撫でながら、その思い出を語る。
    「ウィリアム猊下のご子息に、ウィルバーと言う方がいらっしゃるんですが、この方が本当に好色で。教団の尼僧に、良く声をかけておられるんです。
     それで、わたしも声をかけられまして、危うく部屋に閉じ込められそうになったんです」
    「あのウィル坊やがねぇ……」
    「それは、災難でしたね」
     雪乃と良太は眉をひそめ、明奈の話を聞いている。
    「でも、猊下にそのことがばれて。温厚な猊下も、その時は流石に怒っていらっしゃいました。その後折檻されたりして、ウィルバー様はしばらく手を出さないようになりました。
     それで……、その事件が、513年の初めに起こったんですよ」
    「……つまり、晴奈姉さんの勘が働いて、あの時助けに行った、と?」
     良太はけげんな顔をして、雪乃の顔を見る。雪乃は腕を組み、首をかしげていた。
    「そこまでは何とも言えないけれど」
     雪乃は明奈に、にっこりと微笑みかけた。
    「もしそうなら、いいお姉さんね。本当に、大事に思っている証拠よ」



    「……うーむ」
     しばらく黙り込んでいた重蔵が、不意に立ち上がった。
    「家元?」
    「わし自身体にガタも来ておるし、うまく教えられるか分からん。それにうまく決まればまさに必殺じゃが、成功させるのは極めて難しいし、実戦で使えるか分からん以上、教える価値は無いかも知れん。
     半ば失敗作と言ってもいいし、この技は墓まで持って行こうかと思っておったが……」
     重蔵は床の間に飾ってあった刀を取り、晴奈に声をかけた。
    「晴さん。一つ、わしの編み出した技を教えておこう。
     その時運良く決まり、篠原を追い払った技――『炎剣舞』を」
    蒼天剣・魔剣録 2
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第96話。
    秘剣伝承。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     これまで晴奈は、焔重蔵が武器を持った姿を二度見たことがある。
     一度目は、晴奈が入門した時。そして二度目は、良太が入門して間も無い時。そのどちらも、重蔵は並々ならぬ気迫と技量を持って、晴奈たちにその力を見せた。
     しかし、長年焔流家元として、多くの剣士たちの鑑とされた重蔵も、寄る年波には勝てないらしい。三度目に見た、その刀を持った姿は――。
    (……老いた、か)
     背筋こそしゃんと伸びてはいるものの、まくられた袖から見える腕は筋肉が落ち、大分しわがより、皮膚が垂れ下がっている。
     その老いさばらえた姿に、晴奈は少なからず落胆していた。
    「ふぃー。すー……、はー……」
     修行場の中央に立った重蔵は腕を大きく振り、深呼吸を始める。非常にゆっくり、一呼吸に10秒近く時間をかけている。
    (随分、深い呼吸だ。気合いを入れているのだろうな)
    「すぅー……、はぁー……」
     重蔵の呼吸が、依然ゆっくりとしながらも荒くなっていく。そこで晴奈は重蔵の変化を、視覚的に確認した。
    (む……? 家元の、体が……?)
     重蔵の体が一呼吸ごとに、大きく見える。
     よくよく見てみれば、体の大きさは元のままだ。だが、体を取り巻く「空気」――剣気とでも称せばいいのか――が、じわじわと重蔵の体から広がっていくようにも見えた。
    「はあぁー……。
     晴さん。目を見開き、耳をそばだて、肌をあわ立てて、良く感じなされ。今のわしには一度しか、できん技じゃからのう」
     重蔵は晴奈に背を向け、刀を構えた。

     空気が弾ける音が聞こえた。
     ぼむ、と硬い鞠のはじけるような、空気の震える音。
     そして立て続けに、地面が爆ぜる音。
     凝らした晴奈の眼には、重蔵の姿が飛び飛びに映る。
     恐るべき速度で、剣舞を舞っているのだ。
     空気の弾ける音は、刀を振るう音。
     地面の爆ぜる音は、地面を蹴る音。
     そして重蔵が立ち止まった瞬間、晴奈は空気が燃え立ち、弾け、切り裂かれたのを、その眼で確かに見た。

    「……!」
    「こ、これが、『炎剣舞』、じゃ。ハァハァ……。
     基本は、焔流剣技『火刃』、『火閃』、そして、『火射』の組み合わせ、じゃが……、ゼェゼェ、太刀筋ごとの、絶妙の、機を見切り、連携させる、ことで……、このように、空気は、瞬時に、煮える。
     その猛烈な熱を、刀に込め、敵に浴びせれば、……ゴホ、ゴホッ」
     重蔵が咳き込み、地面に膝を着く。晴奈は慌ててその身を抱きしめ、介抱した。
    「い、家元!」
    「す、すまんが晴さん、ちと、疲れた。部屋まで、負ぶっていってくれんかの」



    「おじい様、もう歳なんですから無茶しないでくださいよ~」
     部屋に運ばれるなり横になった重蔵を心配し、良太が駆けつけた。二人きりになったところで、重蔵は横になったまま恥ずかしそうに笑う。
    「はは……、面目無いわい。予想以上に、力が落ちておった。
     まあ、しかし。晴さんに我が奥義を余すところなく見せられただけ、重畳と言うものじゃ。もう悔いは無いのう」
    「大げさですよ、もう……」
     良太は苦笑しつつ重蔵のそばを離れ、部屋に戻ろうとした。
    「……良太」
     と、重蔵が呼び止める。
    「何でしょう?」
    「もしわしが……、近いうちに亡くなったら」
    「ちょ、縁起でもないですよ、おじい様」
     目を丸くした良太をにらみつけ、重蔵が続ける。
    「聞け。……わしが亡くなったら、雪さんを当面、家元代理にしておいてくれ。お前たちの子が成人し、免許皆伝を得るまでは」
    「雪乃さんを……?」
    「雪さんはしっかりした人間じゃし、腕も立つ。彼女なら、紅蓮塞を支えられるじゃろう」
     良太は困った顔をしつつも、重蔵を見返す。
    「……おじい様、気落ちしすぎですよ。根が頑丈なんですから、まだまだ長生きしますよ」
     そのまま、良太と重蔵は見つめ合い――やがて重蔵が根負けした。
    「……はは、ま、そうじゃな。くだらんことを言うてしもうたのう」

     晴奈は重蔵を運んだ後、また修行場へと戻っていた。
    (『炎剣舞』……)
     刀を構え、重蔵の動きを頭の中で繰り返す。
    (太刀筋の連携と、呼吸、動作の緩急から生まれる、絶大な威力の集約、集合)
     まずは、覚えている限りで刀を振るい、その動作を真似る。刀に火を灯し、一振りごとに焔流剣技を繰り出す。
    (まずは『火刃』。最も基礎、基本の『燃える剣閃』)
     刀を振るうと、わずかに炎がたなびき、その紅い筋を刀の後ろに一瞬、残す。
    (続いて『火閃』。瞬時に熱をばら撒き、空気を焼く『爆ぜる剣閃』)
     一振りすると、一拍遅れて、空気の爆ぜる音が響く。
    (そして『火射』。地面を伝い、炎を敵にぶつける『飛ぶ剣閃』)
     振り下ろした瞬間地面に炎が伝わり、そのまま黒く焦げた軌跡を残して火柱が走る。
    (この三種の連携、……と言うが)
     汗だくになるまで何十回と振るってみたが、重蔵のように辺り一面煮え立つと言うようなことは、一向に起こらない。
    (……難しいな、まったく)
     結局、その日一日中、晴奈はずっと「炎剣舞」の習得に励んだが、残念ながら一度も、晴奈の満足が行くような出来には至らなかった。
     多少の不安を残したまま、この日の修行は終わった。
    蒼天剣・魔剣録 3
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第97話。
    遺恨の傷痕。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     某所、天原の隠れ家。
    「災難でしたね、アマハラ君」
    「ええ、本当に。まったく焔流には、ほとほと手を焼かされますよ」
     事情を聞きつけたワルラス卿が、天原の元を訪ねていた。
    「まあまあ、アマハラ君。それを言っては、シノハラ君たちに悪い」
    「おっと、そうでした。では言い換えて……、『旧』焔流には、ほとほと手を焼かされる、と」
    「はは……」
     天原はぱた、と手を叩き、茶を持って来させる。
    「黒茶を」
    「ただいまお持ちいたします」
     手を叩いてすぐに、黒頭巾をした女性――頭巾の端から猫耳が見えている――が、茶器と椀を持って現れた。
    「おお、早かった。いつもながら準備がよろしいですね、竹田くんも、皆さんも」
    「殿のご用命に、いつでも応えられるようにと」
    「ほう……」
     猫獣人、竹田の言葉に、ワルラスは感心した声をあげる。
    「いい部下をお持ちですね、アマハラ君は。部下と言う者はすべからく、こう言う出来る人間を持ちたいものです。私の甥などは本当に、愚物でして」
    「ああ、ウィルバーくんですか。おうわさは、かねがね……。現在は央南西部の侵攻……、おっと、教化に当たっているとか」
    「ええ、そうです。しかし、まあ……、アマハラ君も知っているでしょうが、あの二人の奸計にいつも絡め取られて、毎度毎度敗走、失敗すると言う体たらくでして」
     憎々しげに首を振るワルラスを見て、天原は小さくうなずく。
    「ああ、黄とグラッドですか。確かにあの二人は曲者ですねぇ。……そうだ、こんなのはどうでしょうか?」
    「うん?」
    「私も台下も、いくつか共通の悩みと、目標を持っています。黄とグラッドに手を焼き、央南西部、及び中部の教化にてこずっている。
     しかしですね、悩みと言うのは似通ったものが二つ合わされば、逆に転機となるのですよ」
    「ふむ……?」
     天原は手をさすりつつ、ワルラスに献策する。
    「あの二人を狙えば、その目標は達せられます。幸いにも我々には、多くの手駒がある。そしてもう一つ、『足』もあります。
     これに台下の頭脳を加えれば、どんな街も紙細工も同然。あっという間に攻め落とし、黒く染められましょう」
    「なるほど、なるほど。私もそれには同感です。
     それにもう一つ、あのグラッドと言う男の思考には、ある弱点を見つけています。そこを突いた策で攻めれば、我々の目標も達せられるでしょう」
     黒い「狼」と白い「狐」は、同時にニタニタと笑った。

     一方その頃、篠原は座禅を組みながら、昔を思い返していた。
    (あの『猫』は確かに俺より格下だった。だが、あの気迫は一流。……思い出す、昔俺が紅蓮塞にいた時のことを。
     既に家元は壮年も過ぎ、老境に達しようかと言う歳だった。体も痩せ、どう見ても苦戦する相手では無かった。瞬二も英心も確かに手強かったが、奴らは一太刀、二太刀であっさり沈んだ。俺は三人ともまるきり、敵とは見なしてはいなかった。
     だが……! 家元、焔重蔵だけは違っていた。俺の刀を4太刀浴びてなお、倒れるどころか向かってきた。確かに瞬二や英心よりは軽い怪我であっただろう。だが、それを差し引いても、あの二人とはまるで、質が違う。
     凡庸な奴らであれば、一太刀入れられれば怯み、退く。それが英心たちの敗因だった。逃げれば逃げるほど、面白いようにこちらの太刀は奴らの体に食い込み、半端に立ち向かうよりも深手を負う。
     だが家元は違った。どれだけ太刀を入れられようと、退かぬ。決死の覚悟を持って、踏み込んでくる。死をも省みず、攻め入ってくるあの気迫――負けたのは、奴よりはるかに強健な肉体と技量を持っていたはずの、俺だった。
     俺は『強い奴』など恐れん。本当に恐ろしきは『退かぬ奴』だ。退かぬ奴に俺の『魔剣』は通じない。それどころか俺の予想を上回る立ち回りで圧倒し、俺を恐れさせ……っ)
     重蔵の鬼気迫る顔を思い出し、篠原の胃は凍ったように絞めつけられる。
    「う、ぐ……」
     篠原は腹を押さえ、その痛みをこらえる。手を当てているうちに痛みは和らぎ、篠原は額に浮いた汗を拭った。
    (あれからもう、何年も経ったと言うのに)
     篠原は上を脱ぎ、自分の裸を見る。
    (この傷はなお、俺を捕らえ、痛め続けている)
     篠原の胸から腹全体にかけて、ひどい火傷と刀傷の痕が残っている。篠原は立ち上がり、己の中で膨れ上がる激情をこらえきれず、叫んだ。
    「この傷が癒えぬ限り、俺は本家を敵と見なす!
     見ていろ、重蔵……! お前の門下にいる者はみな、血祭りに上げてくれるぞ!」

    蒼天剣・魔剣録 終
    蒼天剣・魔剣録 4
    »»  2008.10.10.
    晴奈の話、第98話。
    引き続き情報収集。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「リョータ君、奥さんとはどうなの?」
    「ふえ?」
     良太とともに紅蓮塞の廊下を歩いていたところで、エルスはそう尋ねてみた。
    「アツアツ?」
    「え、えっと、まあ、……はい」
     恥ずかしがる良太の反応が面白く、エルスはさらに聞き込んでみる。
    「そっかー、そうだよね、お子さんもいるし。結婚して、何年くらい?」
    「えーと、2年……、くらいです」
    「じゃ、まだ新婚さんだね~」
    「ええ、はい」
     エルスは腕を組み、しみじみとした口調になる。
    「その若さで、あんなキレイな奥さんと子供もいて、しかもこの城の主に、すごく近い身。権力も持っている。うらやましくなっちゃうな、はは……」
    「そんな、僕なんて……」
     良太の顔が、少し曇る。
    (おっと、この話題は地雷だったかな?)
     それを横目でチラ、と見たエルスはさらりと話題を変える。
    「そう言やセイナから聞いたんだけどさ、ここの書庫ってかなり大きいんだよね?」
    「え? ええ、少なくとも央南西部では、随一の規模らしいですよ。おじい様のおじい様くらいから、僕みたいに本が大好きな方がずっと、家元として続いていたそうですから」
    「へぇ……」

     晴奈がひたすら重蔵から教わった奥義「炎剣舞」を体得しようと躍起になっていた頃、エルスは天原の素性や天玄の妖怪事件、篠原の過去などを調べるため、良太に頼んで書庫へと案内してもらっていた。
    「ここが書庫です」
    「おー……、確かに大きいなぁ」
     中を覗きこみ、エルスは感心した。
    (てっきり、道楽家の書架みたいなのを想像していたけど、これは確かに、王国の資料室に勝るとも劣らない規模だな。書庫番のリョータ君についてきてもらって正解だった)
     書庫の入口から見回してみるが、明らかに蔵書数が多く、エルスは資料を自力で探すことを早々に諦めた。
    「えーと、それじゃまずは……、名士録ってここにあるかな?」
    「う、……名士録、ですか」
     良太が一瞬嫌そうな顔をしたので、エルスは首をかしげる。
    「……? 名士録に何か、嫌な思い出でもあるの?」
    「い、いえ。えっと、こっちです」
     良太はプルプルと首を振り、すぐに名士録を持って来てくれた。
    「『天原桂(あまはら けい) 狐獣人 男性 475~ 天原財閥宗主、第41代央南連合主席』。
     アマハラについてはこれだけかぁ。もうちょっと何か、詳しい資料は無いかな?」
    「うーん、もう少し詳しいもの……、あ、これなんかどうでしょう?」
     良太は席を立ち、何冊かの本をすぐに持ってきてくれた。
    「ふむ……、『天原家の歴史 ~央南の名家 五~』、『天原篠語録』、『天玄時事 506~510年・511~515年』、『国際魔術学会会報 第906号(499年上半期) 央南語訳版』、……何で会報?」
    「あ、天原氏がここに論文を寄稿していたんです」
    「……へぇ。リョータ君、もしかして書庫の本、全部読んでるの?」
     良太は恥ずかしそうに笑ってうなずく。
    「はい、一通り読みました」
    「さすが書庫番だなぁ。……後は、『央南連合議事録 第93号・第94号』と。ふむ……」
     エルスは良太の持ってきてくれた本を、上から順に読み進めていった。



    (『……天原家は黒白戦争直後、央南八朝時代に名を成した狐獣人、天原榊(旧名、中野榊)を起源とする……』

    『……次期当主のことを考えると億劫になる。どう見ても次男の櫟(いちい)の方が指導者として見れば優秀なので……』

    『……507年、天原家の当主であった天原篠氏が逝去(享年67歳)。次期当主には次男の櫟氏(26歳)が有力とされていたが失踪中のため、長男の桂氏(32歳)が当主と……』

    『……512年8月30日未明、天玄南区赤鳥町を歩いていた早田こずえさん(猫・女性)が路上で正体不明の動物に遭遇した。早田さんにけがは無く、動物も治安当局が到着した時には現場および付近におらず、近隣住民は不安な……』

    『……512年9月11日早朝、天玄川沿市在住の桐村惣太さん(短耳・男性)が仕事のため職場に向かう途中、正体不明の動物に遭遇、逃走し、警察に通報した。桐村さんにけがは無く、治安当局は先日、南区赤鳥町で起こった事件と関係があるのでは無いかと……』

    『……天原桂(狐・男性 天神大学魔術院博士課程在籍)……幻術の効果集約プロセス②部分において、ある種の雷属性関数を用いたところ……3秒程度ではあるが幻覚(術使用者がその効果を予想、想像している内容)が実体化すると言う結果が得られ……錬金術の最終目標の一つ、生命創造への足がかりとなるのでは無いだろうか……』

    『……全会一致により、第41代連合主席に天原桂氏が選出された……今回、議員30名のうち18名が欠席と言う不安な事態となったが、天原氏の采配により混乱が抑えられ、今後の活躍に期待が……』

    『……黄海への黒炎教団侵攻と言う非常事態に見舞われ、今回の緊急会議は多大な緊張感をはらんでいた……天原主席の判断により武力介入は避け、教団との話し合いによる平和的交渉を行うことが決定された。現在黄海にて軟禁されている黄紫明氏に連絡を取り、上記の内容を伝えることに……』)



     一通り読み終え、エルスは軽くため息をついて立ち上がった。
    「ああ……、疲れた。アマハラについては大体分かったから、戻ろっか」
    「え? ええ、はい」
     唐突に席を離れ、そのまま書庫を出たエルスに、良太も慌てて後をついていった。
    蒼天剣・術数録 1
    »»  2008.10.10.

    晴奈の話、第69話。
    銀髪の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「人の出会いは不可思議で心躍る」と言ったのは、黒白戦争時の女傑、ネール大公である。
     ある出会いが、思いがけず生活や人生、そして世界すら変えることがある。黄晴奈とその男の出会いも、後世から見れば、歴史的な邂逅(かいこう)の一つだった。



     双月暦515年初秋、晴奈22歳の時。
    「父上! 母上! 明奈は、明奈はッ!?」
     晴奈は自分の故郷である黄海に、大慌てで舞い戻っていた。
     自分の妹である明奈がさらわれて以来、焔流との交流もその一因と言うこともあって、晴奈はここ数年故郷を訪れられなかったのだ。
     ところがつい先日、その妹がひょっこり帰って来たと言ううわさが、彼女の耳に入ったのである。無論、そんな吉報を聞いて、じっとしていられる晴奈ではない。
     彼女は故郷に戻るとすぐ、自分の家である黄屋敷の扉を蹴破るようにくぐり、玄関の大広間に飛び込んだ。
     と――央南ではまず見ることの無い、銀髪・銀目の、短耳の男が大広間のど真ん中に立っており、晴奈は面食らう。
    「ん? ……誰だ、お主?」
    「えーと、はは。……君は、誰かなぁ? メイナのお友達?」
     やはり、央南人では無いらしい。央南の言葉で話してはいるが、その発音は央南人の晴奈にとってはどこか、違和感を覚える。
     それでも言葉は通じるらしく、晴奈は探り探り、男に尋ねてみた。
    「いや、その、姉だが。……そうではなく、お主は何者か、と聞いているのだが」
     銀髪の男はへら、と笑って、こんな風に返してきた。
    「そっか、お姉さんかー。へー、キレイな人だなー」「名前は?」
     再度尋ねるが、男は一向に、晴奈の問いに答える様子が無い。
    「やっぱり『猫』は目の形がいいねぇー。ちょっと吊り目で、しゅっと縦長の細い瞳。うーん、エキゾチックな感じがするなー」
    (何を、ベラベラと……。えきぞちく、って何だ? 竹か?)
     名前や単語以外は異様なほど流暢であり、男はどうやら相当、央南語を熟知しているらしい。それに元々、口もうまいようだ。
    「名前は?」「それにその耳と尻尾、三毛ってところもまたいい! 黒い髪にすっごく映えてるよー」「な・ま・え・はッ!?」
     だが、晴奈がにらみつけようとも、怒鳴ろうとも、男はまったく応じない。それどころか――。
    「ねえ、お姉さん。名前は何て言うの?」「それは私が聞いているのだッ!」
     いよいよ晴奈は怒り出したが、それでも男は止まらない。
    「メイナから聞いたっけなー? えーと、何だっけ。レナだっけ? あ、セナだったかな? えーと、違うな、んー」「いい加減に……」
     晴奈がもう一度怒鳴ろうとした、その時――。
    「いい加減にしなさいよ、このナンパ男!」
     大広間の階上から、本が飛んできた。
    「あいたッ、……うー、く、く」
     本の角が後頭部に直撃し、男は頭を抱えてうずくまった。
    「痛いじゃないか、リスト。本は読むものであって、投げる道具じゃないよ」
    「出会いがしらに女を口説くヤツが、常識語ってんじゃないわよ!」
     男を罵倒しながら、大広間の階段を青い髪のエルフが下りてきた。
    「ホントに、ごめんなさいね。コイツバカだから、気にしないでいいわよ」
     リストと呼ばれたエルフは、恥ずかしそうに頭を下げつつ、男を軽く蹴った。
    「あ、ああ。まあ、その、……どうも」
     晴奈はまだうずくまったままのこの銀髪の男を、神妙な面持ちで見つめていた。



     会うなり晴奈を口説いたこの男こそ、後に世界のトップとなる「大徳」、エルス・グラッドである。
     二人は後に力を合わせ、幾多の戦いで活躍することになる――のだが、その最初の出会いにおいては、晴奈は不快感しか抱いていなかった。

    蒼天剣・邂逅録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第69話。銀髪の異邦人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「人の出会いは不可思議で心躍る」と言ったのは、黒白戦争時の女傑、ネール大公である。 ある出会いが、思いがけず生活や人生、そして世界すら変えることがある。黄晴奈とその男の出会いも、後世から見れば、歴史的な邂逅(かいこう)の一つだった。 双月暦515年初秋、晴奈22歳の時。「父上! 母上! 明奈は、明奈はッ!?」 晴奈は自分の...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第70話。
    晴奈のひみつ、公開。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「め、明奈っ!」
     7年ぶりに見る成長した明奈を見て、晴奈は思わず彼女を抱きしめた。
    「きゃ、お姉さま?」
     明奈は目を白黒させていたが、晴奈は思いを抑えきれず、そのまままくし立てる。
    「ああ、良かった! 本当に良かった! 良く無事に、帰ってきてくれた!」
    「お姉さま、あの、苦しい……」
    「もう二度と、絶対に、黒炎に渡したりしない! 絶対に、姉ちゃんが守ってやるから!」
    「……はい、お姉さま。お久しゅう、ございます」
     戸惑った顔を見せつつ、明奈も晴奈を抱きしめ返した。



     明奈が黒鳥宮から助けられた経緯は、次の通り。
     エルスは元々、北方大陸にある王国の諜報員(スパイ)であり、ある任務のため部下を連れ、黒鳥宮に潜入していたところ、偶然明奈を発見し、保護したのだ。
     そのまま、一旦は北方に連れ帰ったが、エルスの上司であり、教官でもあるエドムント・ナイジェルと言う老博士がある事件に巻き込まれたため、そこから明奈を連れ、師弟ともども亡命。
     亡命先として選んだのが、明奈の故郷であるここ、黄海だったのである。

    「本当に、大変でしたわい」
     あごひげを生やし、丸眼鏡をかけたエルフ、ナイジェル博士はニコニコと笑いながら、前述の説明を晴奈に伝え終えた。
    「なるほど……、そのような経緯があったのですか。私にとっては真に重畳、行幸と称すべきお話です」
     晴奈は深々と、博士に向かって頭を下げた。
    「あ、いやいや。そうかしこまらず。
     ……ふーむ、セイナさん、と申されましたか。なるほど、妹さんと顔立ちが似ていらっしゃる。ですが比べてみると少し、精悍な顔つきをされていらっしゃいますな」
    「そ、そうですか?」
     そう言われて、思わず頬に手を当てる。
    (言われてみれば……。子供の頃はあまり気が付かなかったが、傍らの成長した明奈を眺めると確かに、顔立ちは良く似ていると思う。
     そしてこれも博士の言う通りだが、明奈の方が少し、おっとりした印象を受けるな)
     晴奈がしげしげと明奈を観察している間に、博士の方でも、晴奈を観察し終えたらしい。
    「ふむ……。身長も高く、一挙手一投足ごとに、着実に鍛えられた筋肉が出す力強さが見受けられる。そしてその、落ち着いた気配と所作。なかなか高度な精神修練と、高密度の修行を積んでいらっしゃるようですな。
     ズバリ、セイナさんは――焔流の剣士、それも練士か、師範代程度の手練。違いますかな?」
     博士の推察に、晴奈は目を丸くした。
    「い、いかにも。私は焔流の免許皆伝です、が……」
     自分の素性を初見で言い当てられ、晴奈は流石に博士を不気味に思った。
     と、それも見抜いたらしく、博士はゆっくり手を振って説明する。
    「ああ、いやいや。驚かせるつもりは無かったのですが。小生はこう言ったことを生業としておりまして。
     祖国では戦略研究を行っておりました。敵の動向をいち早く察することが重要なため、こうした洞察力をよく使います」
     博士は横に座っているエルスの肩を叩き、話を続けた。
    「こちらのエルス君も、人を見抜くのが得意でしてな。
     元々は魔術を教えておったのですが、そちらの方も割合筋が良かったので、小生の戦略思考術と洞察力をそっくり受け継がせております。
     さ、エルス。ちょいと力を見せてやりなさい」
     話を振られたエルスはヘラヘラ笑いながら、とんでもないことを――晴奈がこの直後、顔を真っ赤にして「無礼者!」と怒り出し、リストから「このバカ!」と怒鳴られ、しこたま殴られるようなことを言った。
    「うーん、上から77、51、79かな。すらっとしてるね。低脂肪乳って感じかな、はは」

     ひとしきり殴られ、頭に大きなコブを作ったエルスは、依然としてヘラヘラ笑いながら謝った。
    「ははは……、ゴメンゴメン。ちょっとしたギャグのつもりで言ったんだけどね」
    「どこがギャグよ!? セイナさん、引いてんじゃない! て言うかアタシも引くわ!
     アンタ本気で頭のネジ、1本2本飛んでんじゃないの!?」
     リストはまだ怒っているらしく、エルスにまくし立てる。
    「ホントに、このバカがとんでもないコトを……」
     リストはしきりに謝っている。彼女が少し気の毒になってきたので、晴奈は溜飲を下げた。
    「……いや。減るものでも無し、構わんさ」
     とは言え、口ではそう言いつつも、晴奈の内心はまだ、怒りが収まらない。
    「ま、そのですな。ちと、遊びが過ぎましたが、ともかくエルス君は、武術や魔術の腕も相当ですが、頭の方も良く回ります。
     しばらくこちらに滞在する予定なので、色々と央南の事情、それから常識をご指導、ご鞭撻いただければと」
     場を取り繕う博士の心情も察し、晴奈は大人しく振舞う。
    「……構いませんよ。まあ、こちらも北方の話を色々お聞きしたいところです。よろしくお願いします」
     晴奈は落ち着き払い、手を差し出す。エルスもニコっと笑いながら手を差し出し、普通に握手した。
     恐らくこの時も、エルスは何かするつもりであったようだが、それは彼の右側でにらんでいるエルフ二人に阻まれたため、流石に諦めたようである。

    蒼天剣・邂逅録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第70話。晴奈のひみつ、公開。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「め、明奈っ!」 7年ぶりに見る成長した明奈を見て、晴奈は思わず彼女を抱きしめた。「きゃ、お姉さま?」 明奈は目を白黒させていたが、晴奈は思いを抑えきれず、そのまままくし立てる。「ああ、良かった! 本当に良かった! 良く無事に、帰ってきてくれた!」「お姉さま、あの、苦しい……」「もう二度と、絶対に、黒炎に渡したりしない...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、71話目。
    スパイを尾行するスパイとサムライ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     折角の再会と帰郷であるし、晴奈は当初、黄海にしばらく滞在することを考えていた。
    「まったく、ろくでもない!」
     だがエルスのせいで、その折角の機会を、晴奈は気分悪く過ごしていた。
    「忌々しい……。私が、明奈を助けたかったのに。何であんなバカが助けるんだか」
     文句をブツブツと唱えながら街を散策しつつ、ある通りに差し掛かったところで――。
    「ん? あの青い髪は」
     少し前を、青い髪のエルフが歩いているのが見える。
     晴奈は彼女にそっと、声をかけてみた。
    「もし、リスト殿?」
    「……! あ、セイナさん、でしたっけ」
     振り返ったリストは、どこか苛立たしそうに晴奈を見る。
    「あの、何か?」
    「いや、ただ声をかけただけ、ですが」
    「そう。悪いわね、忙しいから、また後でっ」
     そう言ってリストは、また前に向き直って歩き出す。
     視線を前に戻すと、少し先を「あのバカ」が妹、明奈を伴って歩いているのが見えた。
    「もしや、エルス殿と明奈を尾行されているのですか?」
    「な、何で分かったの!?」
     また、リストがこちらを向く。
    「いや、何故と問われても。一目瞭然では……」「と、とにかく! 邪魔しないで!」
     リストは早歩きで、エルスたちを追いかける。
    「あ、私も同行します、気になるので」
     晴奈もリストに続き、尾行に参加した。
    「しかし、一体何故、リスト殿はこのようなことを?」
     揃って物陰に隠れたところで、晴奈はリストに尋ねてみた。
    「あのスケベ、メイナを連れてあちこち回ってるのよ! きっとメイナを落そうと狙ってるんだわ!」
    「何と!?」
     リストの返答に、晴奈はまた苛立ちを募らせる。
    「おのれ、渡してなるものか……!」
    「でしょ!? だから、こうやって後を尾けてるのよ。もし手を出そうとしたら、コイツで無理矢理にでも止めるわ」
     そう言って、リストは腰に提げていた銃――近年開発された、新種の武器だそうだ。どのようにして使うのか、晴奈にはまったく見当が付かない――に手を添える。
    「ぜひとも、助太刀させていただきたい!」
    「ええ、その時はお願いね、セイナさん!」
     変に意気投合したらしく、晴奈とリストはがっちりと握手した。



     その後も2時間ほど、エルスたちはあちこちを回っていた。
     そのほとんどが商店や露店めぐりで、どうやら女物の小物を買い集めているらしい。
    「何よアレ!? 完璧にデートじゃないの!」
    「でえ、と?」
    「えっと、その、何て言ったらいいかな。……イチャイチャしてる、ってコトよ」
    「む、確かに……」
     言われてみれば、確かに二人の雰囲気は、知らない者が見れば恋人のようにも見える。晴奈の目にもそう見えてしまい、怒りをますます燃え上がらせていた。
     そのうちに日も傾き始め、エルスたちは黄屋敷の方へと向かっていく。
    「っと、隠れて隠れて」
     リストが物陰に晴奈を引っ張り込む。そのまま隠れてエルスたちが通り過ぎるのを待ち、また後をつける。
     と、エルスが急に立ち止まり、明奈に何かを話しかける。
    「……メイナ、これ……」
     二人の話し声は完全には聞き取れないが、どこか楽しそうにしている。
    「ほら、……見せたら、……きっと……」
    「そうかしら? ……それじゃ……」
     エルスが抱えていた袋から何かを取り出し、明奈に手渡す。遠目には良く分からないが、どうやら髪留めのようだ。
    「おー、可愛い。これは……似合う……」
    「まあ、エルスさんったら」
     エルスの言葉に嬉しそうに笑う明奈を見て、晴奈の怒りはついに爆発した。
    「も、もう……、我慢ならん!」
    「えっ、セイナ?」
     リストがその声に反応した時には既に、晴奈はエルスたちのすぐ後ろに迫っていた。

    「あ、そうだ。メイナ、これ今付けてみない?」
     帰り道に差し掛かったところで、エルスが袋を足元に下ろして中を探る。
    「さっきの髪留めでしょうか?」
    「そう、さっきの」
     エルスは袋の中から髪留めを取り出し、明奈に差し出す。
    「ほら、お揃いって言うのを見せたらさ、お姉さんもきっと喜ぶよ」
    「そうかしら? ……そうですね。それじゃ、付けてみますね」
     明奈は丸まった白い狐があしらわれた髪留めを、前髪に留めてみる。
     それを見て、エルスは口笛を吹いてほめちぎった。
    「おーぉ、可愛い。これは買って大正解だったね。お姉さんにも良く似合うだろうなぁ」
    「まあ、エルスさんったら」
     髪留めを付けた姉を想像し、明奈はクスクス笑っていた。

     そこに、怒り狂った晴奈が割り込んできた。
    「エルス・グラッド! 今すぐ、明奈から離れろッ!」
     いきりたつ晴奈とは正反対に、エルスはのほほんと笑っている。
    「うん? ああ、セイナさん」
    「ああ、では無いッ! 成敗してくれるッ!」
     ヘラヘラと笑うその顔が癪に障り、晴奈の怒りはさらに膨れ上がった。
     その怒気を察したのか、エルスはヘラヘラ笑いながらも、すっと拳法の構えを取る。外国の人間とは思えない、見事に隙の無い、完璧な構え方だった。
    「えっと、どうして怒ってるのか、良く分からないけれど……。何にもせずに、やられるわけには行かないよねぇ」
    「どうして、だと!? 本気で言っているのか、貴様ッ!」
     晴奈が先に刀を抜き、仕掛ける。ところが――。
    「えいっ」
     パンと、手を打つ音が響く。あろうことか、白刃取りである。
    「そん、な、……馬鹿な!?」
     焔流免許皆伝の晴奈の刀が――「燃える刀」ではないし、本気を出してはいなかったのだが――あっさりと防がれてしまい、晴奈は戦慄した。
    「ねえ、落ち着いてさ、話し合おうよ」
    「だ、黙れッ!」
     晴奈はエルスの腹に蹴りを入れて弾き飛ばそうとした。だが、その行動も読まれたらしく、エルスはぱっと刀から手を離して飛びのく。
    「やめて、お姉さま!」
     明奈が悲鳴じみた声を上げるが、晴奈の耳には入らない。二太刀、三太刀と繰り出すが、すべてひらりひらりとかわされる。
    (この男……、思っていたよりも、ずっと手強い! 『猫』の私と、遜色ない身のこなしだ)
     四太刀目を放とうとして、一瞬踏み留まる。
    (どうする? 焔を使うべきか?
     格下相手に使うのは、恥ではある。だが彼奴はどうやら、相当に強い。使っても恥にはなるまい。いや……、むしろ使わねば、勝負になるまい)
     晴奈は心の中を整理し、精神を集中させて、刀に炎を灯らせた。
    「火、か。それが焔流の真髄、ってやつかな。
     ねえ、セイナさん。本当にもうやめにしない? 不毛だと思うんだけど」
     エルスは笑い顔を曇らせて――それでも、「苦笑」と言った感じだが――和解を提案する。だが怒り狂った晴奈は、それを却下した。
    「断るッ! 勝負が付くまでだッ!」
    「そっか。じゃあ、うん。やるよ」
     エルスは再び構え直し、晴奈の攻撃に備えた。
     そのまま両者ともにらみ合ったところで――。
    「お姉さまッ!」
     明奈が二人の間に入り、晴奈の頬をはたいた。

    蒼天剣・邂逅録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、71話目。スパイを尾行するスパイとサムライ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 折角の再会と帰郷であるし、晴奈は当初、黄海にしばらく滞在することを考えていた。「まったく、ろくでもない!」 だがエルスのせいで、その折角の機会を、晴奈は気分悪く過ごしていた。「忌々しい……。私が、明奈を助けたかったのに。何であんなバカが助けるんだか」 文句をブツブツと唱えながら街を散策しつつ、ある通りに...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、72話目。
    仲直り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     突然の明奈の行動に晴奈は虚を突かれ、刀の炎が消える。
    「明奈?」
    「エルスさんの言う通りよ! こんな争いはやめて! 折角エルスさんが仲直りしようと思って、贈り物を一緒に……、あっ」
     明奈はしまったと言う顔をして、口を押さえる。エルスは頭をかきながら苦笑している。
    「あらら、言っちゃったかぁ。驚かせようと思ったのにな~。
     ……ん、まあ。この前さ、悪いことしちゃったから」
     そう言って、エルスは傍らに置いてあった包みから小箱を取り出す。
    「狐小物専門店って言うのがあってね。可愛いものがいっぱい置いてあったから、これを買ってみたんだ」
     晴奈は小箱を渡され、そろそろと開けてみた。中には、丸まった金色の狐を象った髪留めが入っている。
    「あ……」
     それを見て、晴奈の怒りは氷解した。と同時に、申し訳なさがこみ上げてくる。
    「あ、その……、その。大変、失礼しました、エルス殿」
     晴奈は顔を真っ赤にして、エルスに頭を下げた。
    「いいよ、別に。一度、焔流って剣技を間近で見てみたかったし、いいプレゼントになったよ。ありがとう、セイナさん」
     そう言ってエルスは笑い、続いてリストに近寄ってまた、小箱を渡した。
    「リストにもあげる。こーゆーの、欲しかったって言ってたからさ」
    「え、……アタシに?」
     箱を開けたリストは途端に顔と耳を真っ赤にして、エルスに背を向けた。
    「その、えーと。ありがたく、受け取ってあげるわ」
    「喜んでくれて嬉しいな~、はは。
     ……っと、そうだセイナ」
     エルスはもう一度、晴奈に向き直る。
    「良ければ僕のことは、普通にエルスって呼んでほしいんだ。堅苦しいのは、どうにも苦手なんだ」
    「ふむ。……分かった、エルス」
     晴奈ももう一度うなずき、改めて挨拶した。
    「お主のことを少し誤解していた。……その、今後とも、よろしくお願いしたい」
    「うん、よろしくセイナ」
     エルスはいつも通りの笑顔で、晴奈に返した。



     こうして晴奈とエルスは仲直りし、同時に互いを兵(つわもの)と認め、尊敬するようになった。
     交流するうち、晴奈は思っていたよりずっと、エルスの頭がいいこと――ナイジェル博士の言った通り、優れた洞察力と思考力、広く深い知識を有していることに気付いた。
     一方でエルスも、晴奈の実力の高さに感服し、女性に目が無い彼としては珍しく、口説くことをせずに、様々な話や稽古、囲碁などに興じていた。

     これより30年以上に渡り、二人の友情は続くこととなる。

    蒼天剣・邂逅録 終

    蒼天剣・邂逅録 4

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、72話目。仲直り。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 突然の明奈の行動に晴奈は虚を突かれ、刀の炎が消える。「明奈?」「エルスさんの言う通りよ! こんな争いはやめて! 折角エルスさんが仲直りしようと思って、贈り物を一緒に……、あっ」 明奈はしまったと言う顔をして、口を押さえる。エルスは頭をかきながら苦笑している。「あらら、言っちゃったかぁ。驚かせようと思ったのにな~。 ……ん、まあ。こ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第73話。
    エルス流ナンパのテクニック。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     エルス・グラッドと言う人物は、色々な意味で晴奈にとって不可解、不思議であり、初めて見る類の人間だった。
     考え方も、性格も、それまで出会ってきた者たちの中でも異質と言っていいほど、他人との隔たり、差異がある。無論、晴奈も「独特の性質を持つ者」なら数名ほど見たことはある。大抵そんな者たちは偏狭、偏執な性分で、人との交わりを極力避けていることが多い。
     ところがエルスはその点においてもまた、違う面を持っていた。



    「ねえねえお姉さん、ちょっと道、聞いてもいいかナ?」
    「あ、はい。何でしょうか?」
     故郷、黄海を散歩していた晴奈が、道端を歩いていた人間の女性に声をかけ、道を尋ねているエルスを見かけた。
    「えーと、港はどっちかナ? 僕、この街に着たばかりだかラ、良く分からなくテ」
     エルスのしゃべり方と話の内容に、晴奈は首をかしげた。
    (何だ、その片言は……? しゃべれるだろう、普通に。いや、普通どころか央南人と見紛うほど流暢に。
     それにお主、海路でこの街を訪れたと言っていたではないか。お主ほどの頭があれば道くらい、一度通れば簡単に覚えられるだろう?
     そもそも聞くなら私や明奈に聞けばいいものを、何故見ず知らずの者に尋ねる?)
    「あ、外国の方なんですね。えっと、そうですね……、あの大通りを右に進んで、3つ目の筋を左に入って……」「あ、あ、ちょっと待ってくださイ」
     エルスは慌てた素振りを見せ、女性の説明をさえぎった。
    「口だけじゃ、ちょっと分からないデス。良ければ、案内してほしいナー」
    「え、……うーん。それじゃ、付いてきてください」
     女性は少し困った顔を見せたが、エルスの頼みを了承した。エルスはニコニコ笑い、お礼を言う。
    「あー、ドモドモ。ありがとうございまス」
     そう言うなり、エルスは女性の手を握って引っ張っていった。
    「えっと、こっちの方でしたネ。それじゃ、行きましょウ」
    「え、あ、あの? あ、そっちなんですけど、手、あの、何故握られて……」
    「だって、もしはぐれたラ僕、迷子になっちゃいますかラ」
    「は、はあ……」
     そのままエルスは女性とともに、雑踏の中に消えた。

    「ただいまー」
     それから3時間後、エルスは仮住まいの黄家屋敷に戻ってきた。
    「おかえり、エルス」
     晴奈とともに大広間にいたリストが声をかけ、エルスはにこやかに返す。
    「いやー、央南っていいね。エキゾチックだ」
    「……?」
     唐突な感想に、晴奈はまた首を傾げる。
     と、エルスの襟元に何か、赤いものが付いているのに気付く。
    「エルス、襟に……」
    「うん? ……っと」
     エルスは襟に手を当て、すぐに引っ込めた。その仕草を見て、リストが尋ねる。
    「どしたの、エルス?」
    「ああ、ゴミが付いてたみたいだ」
    「ふーん」
     リストはそれだけ返して、広間から離れた。それと同時にエルスが晴奈に近付き、耳打ちする。
    「セイナ、困るよ~」
    「は?」
     エルスははにかみ、恥ずかしそうにささやく。
    「口紅なんか見つかったら、またリストに殴られちゃう」
    「……ようやくピンと来た。お主、昼間に出会った女を誘ったな?」
     晴奈のやや侮蔑が混じった問いに、エルスはにべもなく答える。
    「あれ、見てたんだ。……はは、大正解」
    「妙な片言まで使ってたぶらかすとは、本当に軟派な奴だな」
    「いいじゃないか。向こうだって喜んでたし」
     あっけらかんと返され、流石に晴奈も気分が悪くなる。
    「……」
     晴奈は憮然としつつ、リストの去った方向を向く。
    「どしたの、セイナ?」
     晴奈はすーっと息を吸い、大声を上げた。
    「リスト! またエルスの悪い虫が出たぞ!」
    「ちょ」
     エルスの笑顔が青ざめると同時に、なぜか1階にいたはずのリストが2階、大広間吹き抜けの廊下から襲い掛かってきた。
    「エルスッ!  アンタまた、何かしたのッ!?」
    「ぎゃーッ!?」
     エルスはリストに頭を踏みつけられ、床に顔をめり込ませた。



     独特の感性、思想を持つ変人でありながら、他人と深く接する「変わり者の中の変わり者」。
     それが「大徳」エルス・グラッドと言う人物だった。

    蒼天剣・大徳録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第73話。エルス流ナンパのテクニック。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. エルス・グラッドと言う人物は、色々な意味で晴奈にとって不可解、不思議であり、初めて見る類の人間だった。 考え方も、性格も、それまで出会ってきた者たちの中でも異質と言っていいほど、他人との隔たり、差異がある。無論、晴奈も「独特の性質を持つ者」なら数名ほど見たことはある。大抵そんな者たちは偏狭、偏執な性分で、人...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第74話。
    大人物の人生哲学か、ナンパ男の言い訳か。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「あいたたた……」
     客間に運ばれたエルスは首と後頭部をさすりながら、ヘラヘラ笑っている。
    「セイナ、ひどいじゃないか」
    「元はと言えば、お主の行いが原因だろうが」
    「ま、そりゃそうだけどさ」
     リストはエルスを踏みつけた後も一通り怒り倒し、そのまま屋敷を出て行ってしまった。
    「まったく、何度怒らせれば気が済む?」
    「しょうがないさ、これは『趣味』の問題だし。ま、あの子は薬缶みたいな子だから、そのうちケロッとして戻ってくるさ」
    「……下衆な趣味だな。お主の頭に公序良俗と言う言葉は無いのか?」
    「うーん」
     エルスはそっぽを向き、両手を挙げる。
    「綺麗なご婦人がいたら、声をかけるのが紳士の礼儀かな、って」
    「大馬鹿者」
     今度は晴奈がエルスを叩いた。
    「あいたっ」
    「女をたぶらかして、何が紳士か」
    「そうですよ、エルスさん」
     明奈が洗面器と手拭を持って、客間に入ってきた。
    「あ、わざわざゴメンね、メイナ」
    「いえいえ。……本当にいけませんよ。北方ではどうなのか、良くは知りませんけれど。色恋に雑な方は、央南ではあんまり歓迎されませんよ」
     水にひたした手拭を絞りながら諭してくる明奈に、エルスはまた苦笑する。
    「あはは……、雑にしてるつもりはないんだけどね。誰であっても、真面目に付き合ってきたつもりだし」
    「それなら、リストさんとはどうなんですか?」
    「うん?」
     明奈から手渡された手拭を頭に当て、エルスは短くうなる。
    「んー……、どう、って?」
    「え……?」
    「僕が恋愛を楽しむことと、リストと何の関係があるの? あの子とは別に、付き合ってるわけじゃないんだけど」
     今度は明奈が憮然とした顔になる。
    「付き合ってない、って……。どう見てもリストさん、嫉妬してますよ」
    「そんなわけ無いじゃないか、はは」
     エルスは軽く笑い飛ばし、明奈の見解を否定する。
    「あの子とは一緒に仕事して、結構長い。それなりに信頼関係もあるし、嫌ってないのは確かさ。でも、いつも僕に向かって罵詈雑言を放つし、どう考えてもあの子が僕に恋愛感情を持ってる、って言うのはちょっと、無理じゃないかなぁ。
     それにあの子が僕と一緒に来たのは、僕の仕事に加担したからだよ。それに、博士のお孫さんでもあるし、どっちかって言うと付き添いって感じだ。怒るのはきっと、博士に恥をかかせないようにと、彼女なりに配慮してるからじゃないかな」
    「そう、ですか……?」
     まだ腑に落ちないと言う面持ちの明奈に、エルスはへら、と笑いかけた。
    「そう、だよ。第一、本当に僕のことが好きなら、足蹴にしないだろ? ほら、このコブ」
    「……ま、そうだな」
     エルスの後頭部の腫れを見た晴奈は、エルスの意見がもっともらしく感じた。
    「しかし……。お主、それだけ他人の洞察ができるのに、何故神経を逆なでするようなことばかりするのだ?」
    「んー、……他人の理解を得るより、自分の考えを実行に移すことを優先してるから、かな。
     確かに僕のやってることは、周りに理解を得られないとは思う。でも、何に対してもそう言うことはあるんじゃないかな」
    「……?」
     エルスの言葉の意味が分からず、晴奈も明奈も顔を見合わせてきょとんとする。
    「えっと、例えばね。
     僕はセイナじゃ無いから、セイナがいま何を考えて、何を大事にしてるかってことは、予想は付いても、完全に読みきれるわけじゃない。同じようにセイナも、僕の趣味や好きなものは分かっても、僕がいま何を考え、何をしたいかってことは、僕から言わないと分からないだろ?」
    「それは……、まあ」
    「もちろんそう言うことは、仲良くなっていくうちに自然と分かったりもするだろう。でも、そうなるまでには非常に時間がかかる。すべての人間関係においてそんな過程を経ていたら、その人と一緒にやりたいと思ってることは多分、何もできなくなる。
     理解には時間がかかるし、時には到底無理だって言うこともある。莫大な時間をかけてただ理解しようと考えるだけじゃ、時間の無駄遣いさ。だから、理解は二の次。先に、行動を取った方がいいと思うんだ。
     第一、行動してその結果を見せた方が、理解も早いだろうしね」
    「ふむ……」
     感心する晴奈を見て、エルスはまた笑った。
    「ま、博士の受け売りだけどね」



     それから2時間後。
     エルスの言う通り、リストは何事も無かったように夕食の前に戻ってきた。
    「ただいまー」
    「ああ、おかえりリスト」
     エルスが挨拶すると、リストはパタパタと手を振って会釈する。二人があまりに平然としているので、晴奈は思わずリストに尋ねた。
    「もし、リスト」
    「ん?」
    「怒ってないのか?」
    「ああ、さっきのアレ?」
     リストはまた、手をパタパタ振る。
    「毎度のコトだし。そりゃ、ムカッと来るけど蹴っ飛ばせば気、晴れるしね。
     アイツのやるコトに一々まともに相手してちゃ、気狂っちゃうわよ。アイツ、頭いいけどバカだし」
    「……そうか」
     リストの言い草に、晴奈は少し不愉快になった。
    (それは、あんまりでは無いだろうか)
     とは言え、そう思ったことを口にはしなかった――恐らく、理解してもらえないので。

    蒼天剣・大徳録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第74話。大人物の人生哲学か、ナンパ男の言い訳か。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「あいたたた……」 客間に運ばれたエルスは首と後頭部をさすりながら、ヘラヘラ笑っている。「セイナ、ひどいじゃないか」「元はと言えば、お主の行いが原因だろうが」「ま、そりゃそうだけどさ」 リストはエルスを踏みつけた後も一通り怒り倒し、そのまま屋敷を出て行ってしまった。「まったく、何度怒らせれば気が済む...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第75話。
    大きな買い物。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     黄屋敷にて、エルスの師、ナイジェル博士と、晴奈たち姉妹の父、紫明が、応接間で何枚かの書類に目を通していた。
    「ふむ、ここもいいですな」
    「こちらもなかなかですよ」
     二人が見ているのは、不動産のチラシである。
     元々エルスたちは、亡命を目的として黄海に移ってきた身である。故郷の北方にはしばらく戻れないため、当然、長期の滞在になる。
     となればずっと黄屋敷にいるわけにも行かないので、どこかに家か部屋を借りようかと考えた博士は、黄商会の宗主であり、この街の不動産も手がけている紫明に相談していたのだ。
     紫明も娘を助けてくれた恩人に感謝の意を表明しようと、熱心に家探しを手伝ってくれた。
    「ここも良さげですが、ちと高いか……」
    「それに街から少し離れていますし、あまりいい物件では無いですな。
     ……そうだ、こちらはいかがでしょうか?」
     紫明がある一件を博士に提示する。
    「ふむ、賃貸ではなく購入ですか。とは言え……、なるほど、ここから近い。それに購入と言うことを考えれば、かなり安めですな。
     一度、見てみましょうか」



     博士と紫明、そして付き添いに晴奈とエルスを加えた4人で、その物件まで足を運んだ。
    「ふむ、見た感じはまだ新しい。
     建物の外観を見るに、ここ10年以内に造られたように見える。中の柱や壁もしっかりしているし、長持ちしそうだ」
     エルスが壁や階段を触りつつ、博士に同意する。
    「しかし、良く見れば大掛かりな補修ですね、これ。いや、どちらかと言えば拡張工事なのかな? 随分手を加えてある。相当お金をかけて改築してありますねぇ。
     それに、なかなかおしゃれなデザインですね。ここ最近、央南で流行している建築様式だ。これが本当に、380万玄なんですか?」
     ちなみに「玄」と言うのは央南の通貨、玄銭のことである。
     なお参考として、黄海・黄商会の新入りの月収がおよそ3万玄、黄商会の年間収益が6、70億玄程度になっている。
     博士は北方を発つ際に家財道具を処分し、現在3千万玄近い金を持っている。買おうと思えば、買えないことはないのだが――。
    「ああ、書類の上では確かにそう書いておる。……じゃから、どうにも怪しくてな」
     疑問に思う博士に、紫明も同意する。
    「確かに。これだけの物件であれば、その4~5倍はしてもおかしくありません。ただ、私も同業者から簡単な情報を渡されただけですので、詳しい事情については……。
     そろそろ売主が来るのでその辺り、尋ねてみてはいかがでしょうか」
    「そうですな。……おや、あの『猫』の方ですかな?」
     話しているうちに、その売主が姿を現した。

     売主の姿に、晴奈は既視感を覚えた。
    (む……? この女性、どこかで見たような?)
     その猫獣人の女性は、確かに見覚えがある。だが、どこで会ったのかまでは、はっきりと思い出せない。
    「あの、黄不動産の方でしょうか?」
     女性は不安そうに尋ねてくる。
    「ああ、はい。私が代表の黄紫明です。楊さんで、お間違い無かったでしょうか」
     紫明が挨拶すると、女性はほっとしたように自己紹介を始めた。
    「はい、そうです。わたくし、楊麗花と申します。初めまして、黄さん」
    「初めまして。早速ですが中の方、拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
     紫明は慣れた素振りで楊に応対している。楊はうなずき、家の扉を開けた。
    「既に家具など、中の荷物は処分しております。もしご購入される場合は、あらかじめご用意くださいね」
    「承知いたしました。少し質問させていただいても、よろしいでしょうか」
     博士は中をきょろきょろと見回しながら、楊に尋ねる。
    「何でしょうか?」
    「これほど程度のいい邸宅を、何故380万と言う破格の値でお売りに?」
    「ええ、それは……」
     博士に尋ねられた途端、楊の顔が曇る。
    「主人が先月、病で亡くなりまして。それで田舎の方に戻ろうかと考え、早急に処分したいと思い、安めに値を付けさせていただきました」
    「なるほど、そんな事情が……。これはとんだ失礼を」
    「いえ……」
     謝る博士に、楊は静かに首を振った。
    「幸い、主人はこの街で成功を収めまして。それなりの資産を遺してくれましたので、わたくしも娘も、しばらくは食うに困ることはございません」
     娘、と聞いて晴奈の脳裏にある人物が思い出された。
    (あ、そうか。……似ているが、この人ではない。それに『猫』ではなく、耳は短かった。私が見たのは恐らく……)
     晴奈はチラ、とエルスの方を見た。エルスも見返し、片目をつぶった。
    (……予想通りか)
     晴奈が見たと思ったのは楊本人ではなく、楊の娘――先日エルスが口説いた、あの女性だったのだ。

     博士と紫明、楊が相談している間、晴奈とエルスは彼らと少し離れたところで話をした。
    「ヨウ、って聞いてあれ? と思ったんだよ」
    「やはりか」
    「うん。あの子、楊柳花って名乗ってたし、顔立ちもすごく似てる。多分、レイカさんの娘さんだろうね。いやー、偶然ってすごい」
     ヘラヘラ笑っているエルスに、晴奈は呆れる。
    「悠長なことを言ってる場合か。もしここにその柳花嬢が現れたら、えらいことになるぞ」
    「え?」
     エルスの笑いが、一瞬止まる。
    「何で?」
    「何でって……、まずいだろう、どう考えても。売主の娘をたぶらかしたことが発覚すれば、この話が流れる可能性もある」
    「ああ……」
     エルスはまた、笑い出した。
    「はは……、よくよく考えれば、ちゃんと説明する間が無かったんだよね」
    「説明?」
    「んー……」
     エルスは話中の博士たちを確認し、晴奈に向き直る。
    「セイナ、僕とリューカが出会った時、どこまで見てたの?」
    「どこ、と言うと……、港に行く道を尋ねていたところまで、だな」
    「じゃ、その後のことは当然、知らないよね」
    「当たり前だ。知りたくもないが」
     晴奈の反応を見て、エルスはまた笑った。
    「やっぱり、誤解してる。じゃ、その後のことを話すね」



    「えっと……、あちらが港になります」
    「ふむー、そうですカ」
     柳花に港まで案内してもらったエルスは、ここで片言をやめた。
    「コホン。……リューカさん、ご親切にどうも。良ければお礼をさせていただきたいのですが」
    「え、え? あの、あれ? エルスさん、話し方……」
     あまりの変わりように、柳花は口を開けてぽかんとしている。
    「央南語は囲碁好きの教官に2年ほど、みっちり教えてもらいましたから。
     さ、海を眺めながらのお茶も、なかなか風流ですよ」
    「は、あ……」
     柳花は化かされたような顔つきで、エルスを見上げている。どうやら一種の思考停止状態に陥っているらしく、半ばエルスの言いなりになっていた。
    「ああ、あの店なんか良さそうですね。行きましょう、リューカさん」
    「え、あ、はい」
     エルスに手を引かれ、柳花はそのまま付いていってしまった。

    「へえ、お父さんが……」
     海沿いにあった喫茶店に入った後も、エルスは巧みな話術と心理操作術で柳花の素性を聞き出していった。
    「うん、一月ほど前に。それでお母さん、悲しいからこの街を離れて田舎に戻りたい、って言ってるの」
     柳花もエルスの柔和な物腰と優しい笑顔に警戒を解き、友達のように接している。
    「そうなんだ。じゃあ、もう家とかも処分したの?」
    「うん。すごく気に入ってたんだけど……」
     顔を曇らせる柳花を見て、エルスは腕を組んで軽くうなる。
    「うーん……、じゃ、気晴らしでもしよっか?」
    「え?」
    「悲しい時は笑わないと。ドンドン悲しくなっちゃうよ」
    「あ、うん……」
     唐突な提案と意見に、柳花は終始戸惑っているが、エルスは意に介さない。
    「じゃ、行こうか」
     そしてまた、唐突に行動する。傍から見れば強引だったが、柳花はなぜか、素直にうなずいてしまった。
    「う、うん」

     エルスは柳花を連れ、港から公園、繁華街や市場を回った。
     最初のころはまだ戸惑っていた柳花も、あちこち回るうちに自然と笑みが漏れ、楽しそうに振舞うようになった。
     やがて日も傾き始め、わずかに肌寒さを感じる時刻となり、エルスと柳花は帰路についた。
    「少しは、気が紛れたかな?」
    「うん、すごく……」
     いくつか贈り物もされ、柳花の手には大きな紙袋が提げられている。
    「本当に、楽しかった。ありがとね、エルスさん」
    「いやいや、お礼なんて……」
     エルスが謙遜しようとしたその時、柳花がいきなり抱きついてきた。
    「……お?」
    「ここを離れる前に、すごくいい思い出ができた。あたし、一生忘れないわ」
    「……はは、それはどうも」
     そのまま10分ほど、柳花はエルスを抱きしめていた。エルスの襟に付いていた口紅は、この名残だろう。



    「……本当に、それだけか?」
    「そうだよ」
     エルスの話を聞き終えた晴奈は、半信半疑でエルスの顔を見つめている。
    「本当だってば。いくら僕でも、初対面の子を口説き落としたりしないよ」
    「まあ、信じるか。お主が私にそんな嘘をついても、意味が無いからな」
     晴奈とエルスが話している間に、博士の方も話がまとまったようだ。
    「では、正式に契約させていただきます」
    「ありがとうございます」
     どうやら、博士はこの家を買うことにしたようだ。

    蒼天剣・大徳録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第75話。大きな買い物。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 黄屋敷にて、エルスの師、ナイジェル博士と、晴奈たち姉妹の父、紫明が、応接間で何枚かの書類に目を通していた。「ふむ、ここもいいですな」「こちらもなかなかですよ」 二人が見ているのは、不動産のチラシである。 元々エルスたちは、亡命を目的として黄海に移ってきた身である。故郷の北方にはしばらく戻れないため、当然、長期の滞在になる...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第76話。
    意外と短気。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     新居も決まり、早速エルスたちは家具の買出しに出た。
    「ふーむ、食器や棚はともかく、ベッドは流石に無いか」
     市場を回りながら、博士が残念そうにつぶやく。
    「央南の人は大抵、布団ですからねぇ」
    「まあ、無さそうなら造ってもらおうかの」
    「その方が早いでしょうねぇ」
     付き添いのエルスは適当に相槌を打ちながら、市場の売り物を眺めていた。
    「……お。エドさん、いいのがありますよ」
    「うん?」
     エルスの指差す方を向いた博士は、「ほう」と声を上げた。
    「なかなかの年季物じゃな。材質は、樫か。手入れも行き届いておる。……買ってしまうか?」
     露天の軒先にあったその碁盤を見て、博士はニヤリとエルスに笑いかける。エルスもニヤリと笑い返し、うなずく。
    「買ってしまいましょう」
    「ひゃひゃひゃ……」
     博士は特徴ある高い笑い方で返し、売主に声をかけた。
    「もし、店主。この碁盤、いくらかの?」
    「えーと、んー……、5千玄でいいや」
    「よし、買った」
    「まいどありー」
     即金で買い、博士は碁盤をエルスに持たせる。
    「ひゃひゃ、いい買い物をしたわい」
    「そうですね。後で一局、打ちましょうか」
    「そうじゃの、楽しみじゃ。……おう?」
     エルスたちの前を、少女が一人横切った。

    「どこかで、見たような……?」
     首をひねる博士をよそに、エルスは声をかける。
    「リューカさーん、こんにちはー」
    「……あっ」
     呼びかけられた少女は振り向き、エルスたちに駆け寄った。
    「こんにちは、エルスさん。久しぶりね」
    「どもども。ほら、エドさん、この前家を買った人の娘さんですよ」
    「おお、そうか。初めまして、えーと、リューカさん、でしたかな」
    「はい、楊柳花と言います。あ、母から家のこと、伺いました。ありがとうございます、博士」
     博士はニコニコと笑って返す。
    「いやいや、礼を言うのはこちらの方です。いい家をいただきまして……。こちらのグラッド君とはもう、お知り合いのようですな」
    「ええ、少し前に知り合いました。随分、面白い方で……」
     柳花も笑って博士に会釈する。
     なお、この間――。
    《エルス。お前さん、この子に手、付けたりしてやせんだろうな?》
     博士が手信号――北方の諜報員が使う、手を使った暗号――でエルスに尋ねていた。
    《まさか。友人ですよ》
     エルスも碁盤を持ったまま、指先で会話する。
    「お二人とも、家具をお求めにこちらまで?」
    《本当かのう? お前さん、手が早いからな》
    「そうなんだ。でも、なかなかいいのが無くってね。ついつい、余計なものばっかり買っちゃうんだ」
    《自分の先生に嘘をつくほど、僕はひねくれてませんよ》
    「その碁盤も?」
    《本当かのう……? ま、どちらでもええわい。後腐れないからのう》
    《……何ですか、それ》
    「うん、そうなんだ。僕も博士も、囲碁が大好きでね」
    《そのまんまの意味じゃ。引っ越す子じゃし、手を付けたところでゴタゴタせんじゃろうしな》
    「へぇ……。博士さん、お強いの?」
    《いくら何でも僕、怒りますよ? そんな言い方したら》
    《したらなんじゃい? ワシゃ、お前さんの先生じゃぞ? 師に文句垂れてどうする?》
    「ええ、少なくとも小生の故郷では一番だったと自負しております」
    「はは……」
    《『例え王侯貴族が相手でも間違いを正さなければ忠義とは言わない』ってエドさん言いませんでしたっけー? 言っておきますがこれ以上侮辱されたら僕に青い髪のお孫さんが乗り移って碁盤がとんでもない方向に飛んで行くかも知れませんがそれでもいいですね?》
     エルスの顔は笑いながらも、手信号が段々荒々しくなってくる。博士はそこで、ようやく退いた。
    《ま、ふざけるのもこの辺にしとくかの。信じておるて、お前さんはそんな下劣な真似なんかせんよ》
    《……なら、いいです》
    「確かエルスさんって、北方の人でしたよね。 博士さんも、北方の方なの?」
    「うん」
    「北方って、温和な人が多いのかな?」
     柳花の言葉に、エルスと博士は一瞬、きょとんとした。
    「え?」「それはまた、どう言う理由で……?」
    「だって、エルスさんも博士さんも、ずっとニコニコしてるから」
    「いやいや、そんなこと無いよ。中には好々爺みたいに見えて実は腹黒い人もいたりするから、出会った時は気をつけなよー?」
    「うふふ、そうするわ。……それじゃ、またね」
     柳花は軽く会釈して、その場を去った。残ったエルスと博士は、ほんの一瞬――周りを通る人々が気付かないくらいの、ごく短い時間――同時に、互いを睨んだ。
    (誰が腹黒いじゃと、このボケナス!)(僕エドさんが、なんて言ってませんよー?)
     すぐに二人ともにっこりと笑い、同時につぶやいた。
    「さ、帰って一局やるかの」「帰って一つ、打ちましょうか」
     笑いながらも、二人の間にはバチバチと火花が散っていた。



     その日は夜遅くまで碁石を叩きつける音が響いていたと、翌朝、目にくまを作ったリストが語っていた。

    蒼天剣・大徳録 4

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第76話。意外と短気。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 新居も決まり、早速エルスたちは家具の買出しに出た。「ふーむ、食器や棚はともかく、ベッドは流石に無いか」 市場を回りながら、博士が残念そうにつぶやく。「央南の人は大抵、布団ですからねぇ」「まあ、無さそうなら造ってもらおうかの」「その方が早いでしょうねぇ」 付き添いのエルスは適当に相槌を打ちながら、市場の売り物を眺めていた。「…...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第77話。
    もう一度デート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「仲が悪いのか、エルスと博士は?」
     リストから愚痴を聞いた晴奈は、そう尋ねた。
    「ん、いや、悪いってワケじゃないんだけどね」
     リストは明奈が淹れてくれたお茶をすすりつつ、話を続ける。
    「じーちゃん、ああ見えて口悪いし、結構無神経なトコあるし。で、エルスもいっつもヘラヘラ笑ってるけど、割と頑固で強情なところあるもん。
     だから時々、ケンカするのよ。まあ、普段は仲いいんだけどね」
    「ケンカするほど仲がいい……、と言うことですね」
     晴奈にお茶を出しつつ、明奈が相槌を打つ。
    「ま、そんなもんね」



    「ふあ、あ……」
     深夜遅くまで博士と碁を打ち続けたエルスは、しきりに生欠伸をしながら、郊外の丘に寝転んでいた。
    「エドさん、しつこいんだよなぁ……」
     目をつぶると、夕べの棋譜が浮かんでくる。
    「あー……、あそこはもうちょっと、抑えて打つべきだったなぁ」
     目を開け、棋譜を思い出しながら、空を指差して検討する。
    「あと、ここももうちょい、早めに打っていれば……、ふあぁ」
     夕べ満足に眠れなかったため、次第に眠気がやってきた。
    「……ちょっと、寝ようかな」
     もう一度目をつぶり、エルスは昼寝し始めた。

    「エルスさん、エルスさん……」
     誰かがエルスを呼んでいる。エルスはすっと目を開け、上半身を起こした。
    「誰かな?」
    「こっち、こっち」
     後ろを振り向くと、あの少女――柳花が座っていた。
    「ああ、こんにちは」
    「こんにちは、エルスさん。お昼寝?」
    「ああ、うん」
    「ごめんね、起こしちゃって」
     謝る柳花に、エルスはパタパタと手を振る。
    「いや、いいよ。どしたの、何か用かな?」
    「うん、あのね……」
     柳花の顔が曇る。
    「明日、黄海を出るの」
    「……そっか。それで、僕にお別れの挨拶を?」
    「うん。エルスさんや博士さんには、色々お世話になったし。出る前にもう一度、挨拶しておこうと思って」
    「ふむふむ。……でも、博士は今、寝てると思うな。夕べからちょっと、具合が悪かったし」
    「あら……」
     エルスは博士に会わせたくない――むしろ、自分が会いたくないので軽い嘘をついた。
    「それよりも、もう一度買い物に行かない?」
    「買い物に?」
    「そう。最後の記念にね」

     エルスは柳花を連れ、繁華街へと入る。
    「今日はどこに行くの?」
    「ちょっと裏に入ったところに、いい店があるんだ」
     そう言うとエルスは柳花の手を引き、細道へと入る。
    「ちょ、ちょっと。危なくない?」
    「大丈夫、大丈夫。僕がいるんだし」
     細い路地をすり抜け、エルスはある店の前で立ち止まった。
    「ここだ。良かった、開いてるみたいだ」
     トントンと戸を叩き、先にエルスが店の中に入る。
    「いらっしゃい」
     奥で新聞を読んでいた初老の猫獣人が、顔を上げて挨拶する。
    「こんにちは。あのー、作ってもらいたいモノがあるんですが」
    「んー?」
     老人は新聞をたたみ、のそのそとエルスのところまで歩いてきた。
    「何を作ってほしい?」
    「この子に似合う、うーん……、腕輪かな」
    「あいよ」
     老人はそう言うと、柳花の腕を取って手首を握った。
    「きゃ……」
    「ああ、すまん。見ないと作れんから」
    「は、はあ」
     老人は柳花から手を離し、またのそのそと奥へ消える。程なくして、カンカンと言う短く、高い音が聞こえてきた。柳花は握られた手首をさすりながら、エルスに向き直る。
    「ああ、ビックリした。いきなりつかんでくるんだもん」
    「ゴメンね、あのおじいさん、ぶっきらぼうな人だから。でも腕は確かだから。金属細工の職人なんだ」
    「ふうん。あ、でも腕輪って、作るのに時間がかかるんじゃない?」
    「ああ、それは大丈夫。この前、……っと」
     エルスは胸元から鎖でつないだ、2つの銀輪と1つの金輪が絡んだ首飾りを取り出す。
    「これ、作ってもらったんだけどね。すごく早かったんだ。確か、2時間くらい」
    「へえ……」
     柳花は奥の工房に目をやり、すぐにエルスへと視線を戻す。
    「ずっとこの街に住んでたけど、こんなお店があるなんて全然知らなかった。エルスさんって、すごいね」
    「はは、僕は昔から、物を探すのが得意だから。それでご飯食べてたしね」
     エルスと柳花が談笑していると、老人の奥さんらしき短耳が茶の乗った盆を持って、奥からひょこひょこと歩いてきた。
    「グラッドさん、でしたっけ。良かったらできるまで、ゆっくりしていってくださいな」
    「あ、すみません。それじゃ遠慮なく、いただきます」
     エルスは茶を手に取り、傍らに置いてある長椅子に腰かけた。
    「さ、そちらのお嬢さんもどうぞ」
    「あ、はい」
     柳花も茶を手に取り、エルスの横に座る。座ったところでエルスが、柳花の事情を伝える。
    「この子、明日引っ越すんです。それで、思い出作りにと思って」
    「まあ、そうなんですか。じゃあ、急がせないといけませんね」
     お盆を傍らに持ち、老婆はいそいそと奥へ戻っていった。すぐに奥から、ボソボソと話し声が聞こえてくる。
    「あなた、聞きました?」
    「ああ、1時間もあればできる」
    「そう、それならゆっくりしてもらってもいいかしらね」
    「俺にも茶をくれ」
    「はい、すぐに持ってきますね」
     老夫婦の話を聞いていた柳花は、クスクスと笑う。
    「なんか、いい雰囲気ね」
    「そうだね。落ち着くんだ、ここ。大通りから離れてて静かだし、ちょっと暗めだけど綺麗な店だし」
    「それもあるけど、あの二人がすごく仲良さそう」
     そう言って柳花はため息をつく。
    「はあ……。もしお父さんが生きてたら、あんな風に老けていったのかしら」
    「どうかな、商売人だったそうだし……」
    「そうね。死んじゃう直前まで、ずっと布団の中で『店は順調か?』ってお母さんに尋ねてたもの。……だから、死んじゃったのかな」
     柳花の顔が曇り、今にも泣きそうな声になる。
    「なんで落ち着いて休んでくれなかったんだろう。そしたら、病気も治ったかも知れないのに」
    「……うーん」
     柳花の悲しそうな横顔を見て、エルスは買った家について発見したことを思い出していた。

    蒼天剣・大徳録 5

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第77話。もう一度デート。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「仲が悪いのか、エルスと博士は?」 リストから愚痴を聞いた晴奈は、そう尋ねた。「ん、いや、悪いってワケじゃないんだけどね」 リストは明奈が淹れてくれたお茶をすすりつつ、話を続ける。「じーちゃん、ああ見えて口悪いし、結構無神経なトコあるし。で、エルスもいっつもヘラヘラ笑ってるけど、割と頑固で強情なところあるもん。 だから時...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第78話。
    大徳のエルス・グラッド。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     エルスは茶をすすりながら、ゆっくりとした口調で語り始めた。
    「お父さんは家族に不自由させたくないと思って、床の中でも仕事のことを考えていたんじゃないかな」
    「そうかしら……? あたし、小さい頃からずっと、お父さんに構ってもらった覚えがあんまり無い。たまに遊んでくれたけど、帰ると大抵すぐ寝ちゃうし、いつも『少しは休ませてくれ』って怒られたし……」
     エルスは茶を飲み干し、人差し指をピンと立てた。
    「あの家を買って、あれっと思ったことがあるんだ。最初君の家、小さめで2階は無かったんじゃない? で、改築したのは多分10年くらい前で、君がまだ小さい時かな。それに弟さんか妹さんもこの頃、生まれてるんじゃないかな」
    「え? ええ、そうだけど。確かに妹もいるけど、何で分かったの?」
    「まず、階段に手すりが大人用と子供用、2つあった。君が子供の時に改築してなきゃ、子供用の手すりなんか付けたりしない。
     しかも階段自体、かなり緩やかに造ってある。安全に気を遣った構造だよ。それに緩やかにしようとすればするほど階段は長くなるし、最初にあった家では到底造れない大きさだった。だから、お金が入った後で敷地をかなり多めに増やしたんだろうと推察できる。
     それからお風呂。最初のサイズより、随分大きくなってたみたいだね。おまけに、家の壁を一度壊してまで拡張した跡が見られた。きっと家族が増えて、みんなで入れるようにと思って造ったんだろうね。
     他にもかなり大幅に改築した跡が――それこそ、新しく造ったんじゃないかと思うくらいに――見られたし、相当手を加えてたと思うよ」
    「うそ……、そんなことまで分かるの、エルスさん」
    「さらに推理すると、君のお父さんは多分、10年くらい前にかなりの大成功を収めたんじゃないかな。
     最初は小さく、狭い家が、十数年で2倍、3倍もの大きさになってる。そして成功してからは、できるだけ広くて住みやすい家にしようと頑張った跡が、あちこちにあった。
     家族のことを考えた、いい家だよ。多分、最期まで商売のことを考えていたのも、自分が放っている間に失敗して、また貧乏になりはしないかって、不安だったんだと思うよ」
    「……そっか。そうかも知れない。全然、気に留めてなかったけど」
     柳花は茶の入った湯のみを両手で抱えたまま、目をつぶった。
    「……最後にもう一回だけ、家を見ていい?」
    「いいよ。……エドさん、いなきゃいいんだけど」
    「え?」
    「ああ、何でもない。こっちの話」
     と、奥から老夫婦が並んで戻ってきた。
    「できたぞ」
    「はい、どうぞ」
     老婆は老人から銀と金の輪が絡み合った腕輪を受け取り、柳花の左腕にはめた。
    「まあ、ぴったりね。すごく似合うわ」
    「そ、そうですか? ありがとうございます」
     柳花は顔を赤くして、ぺこりと頭を下げた。



     数日後、柳花が黄海を離れてしばらく経った頃。
    「はーぁ」
     黄海の道端で、珍しくため息をつきながら歩いているエルスを見て、晴奈が声をかけた。
    「どうした、らしくない」
    「ああ、セイナ。いやね、ちょっと寂しいなーって」
    「うん? ……ああ、柳花のことか」
     エルスは空を見上げ、またため息をつく。
    「折角できた友達が遠くに行っちゃうって言うのは、いつでも切ないね」
    「ああ、確かにな。分からなくは無い」
     晴奈もエルスの横に立ち、空に浮かぶ雲を眺める。
    「元気にしてるかなぁ」
    「しているといいな」
    「うん……」
     晴奈は寂しそうにするエルスの横顔を見て、思わず尋ねてみた。
    「なあ、エルス」
    「んー?」
    「何故、お主はそれほど人懐っこいのだ?」
    「え?」
     エルスが晴奈に顔を向け、首をかしげる。
    「どう言う意味?」
    「初めて出会う人間にほいほいと声をかけ、すぐに慣れ親しみ、数日過ごしただけでそれほど気にかける。大したお人好しだよ、お主は」
    「そっかなぁ」
     エルスは頭をポリポリとかきながら、腕を組んで考えこむ。
    「まあ、僕は人が好きだから」
    「それも、不可思議ではあるな」
    「何で?」
    「頭がいいから」
     エルスは晴奈の返答を聞いて、また首をかしげる。
    「ゴメン、頭いいって言ってもらったけど、ちょっと意味が分からないなぁ」
    「私の中では、策を弄する者は人を陥れるのが楽しみ、と言う印象がある。お主が柳花と最初に会った時も、不慣れな者の振りをして近付いていたし、あれは策を弄していると言えないだろうか」
    「はは……、確かにあれは策略と言えば策略かなぁ。でも、人をいじめるのが快感だなんて、そんなのエドさんみたいに因業な人だけだよ。
     そう言う人は人の痛みを知ったらそれにつけ込むけど、僕は人の痛みを知ったら、その痛みを和らげてあげようと思っちゃうから。
     それに、分からない振りをしたのは何も、彼女を苦しめるためにやったことじゃないしね。あくまで友達になろうと思ってやったことだよ」
    「……まったく、おかしな奴だ」
     晴奈はクス、と笑って、エルスの肩をポンポンと叩く。
    「何だか気に入った、お主のことが」
    「はは、それはどうも」
     エルスもクスクスと笑いながら、晴奈に背を向けて歩き去った。



     独特の感性、思想を持つ変人でありながら、他人と深く接する「変わり者の中の変わり者」。
     それが「大徳」エルス・グラッドと言う人物である。

    蒼天剣・大徳録 終

    蒼天剣・大徳録 6

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第78話。大徳のエルス・グラッド。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. エルスは茶をすすりながら、ゆっくりとした口調で語り始めた。「お父さんは家族に不自由させたくないと思って、床の中でも仕事のことを考えていたんじゃないかな」「そうかしら……? あたし、小さい頃からずっと、お父さんに構ってもらった覚えがあんまり無い。たまに遊んでくれたけど、帰ると大抵すぐ寝ちゃうし、いつも『少しは休ませ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第79話。
    狙われる明奈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     明奈との再会を喜び、数週間を黄海で過ごした後、晴奈はまた紅蓮塞に戻った。

     その後ふたたび修行の日々を過ごし、年が明けた双月暦516年はじめ頃。晴奈は黒炎教団についての、不穏なうわさをしばしば耳にするようになった。
    「何でも『人質として得た教団員が脱走した』、『逃げた教団員は故郷の黄海に戻っている』と言うような話が、巷に多く上っているようです」
    「ふーむ……」
     晴奈からの報告に、重蔵は腕を組んでうなる。
    「わしの方でも、そう言ったうわさは多少耳に入れておる。察するにその、『脱走した教団員』と言うのは……」
    「ええ。ほぼ間違い無く私の妹、明奈のことでしょう。
     そしてさらに、『教団は逃げた教団員を奪取すべく、黄海に攻め込む準備を進めている』とも」
    「それが真実であれば、黄海で一騒動起こるのは確実じゃろうな」
    「と言うわけで、近いうちにまた、黄海へと戻りたく……」
     そう要請した晴奈に、重蔵は深くうなずき、快諾した。
    「うむ。故郷の一大事とあれば、ここでじっとしているわけにも行かんじゃろう。すぐに向かいなさい。
     ああ、それと念のため、うちの剣士を30名ほど連れて行きなさい。腕の立つ者をわしが見繕って、声をかけておく」
    「よろしいのですか?」
     思わぬ申し出に、晴奈は目を丸くする。
     その様子に笑みを返しながら、重蔵はこう返した。
    「黄家は我々に多大な寄進をしてくれておるし、黒炎の非道を許すわけにもいかん。何より晴さんの故郷じゃ。焔流の総力を挙げて護らねば、剣士の名折れじゃろう」
    「ありがとうございます、家元」

     重蔵の計らいにより、晴奈は焔流の剣士30余名を引き連れ、黄海へと戻った。
    「父上、ただいま戻ってまいりました」
    「おお、晴奈!」
    「明奈が狙われていると言う噂を聞きつけ、塞より護衛を連れて参りました」
    「そうか、そうか! うむ、焔の者たちと晴奈が来てくれれば安心だ!」
     晴奈の父、紫明は晴奈の手を堅く握りしめて喜んだ。とても昔、晴奈を紅蓮塞から連れ戻そうとした者と同一人物とは思えず、晴奈は苦笑した。



     しかし、運命とはやはり、皮肉なものであるらしい。
     通常なら何と言うことの無い行為が、いやむしろ、明奈を護ろうとしてやったことが、ふたたび彼女がさらわれる原因を作ってしまったのである。

     第一に、明奈が何の気無しに「甘いものが欲しい」と言ったこと。
     そのまま明奈が菓子を買いに行けば、当然、出歩いている時に拉致される危険がある。そのため、晴奈が代わりに買いに行くことを提案した。
    「でも、お姉さまにそんなことを頼むのは……」
     申し訳無さそうにする明奈に、晴奈は肩をすくめる。
    「いいよ、大した用事でもない。ほんの15分くらいだから、すぐ戻れるさ」
    「……そう、ね。では、お願いいたします」
     そんな感じで、晴奈も何の気無しに、街へと出て行った。

     そして第二に、晴奈が出たその直後、ナイジェル博士が黄家の屋敷に現れたこと。
    「博士、どうされたのですか? ご用があるなら、こちらから伺ったのに」
     尋ねる紫明に、博士は小声で説明を始める。
    「教団のうわさ、小生も聞いております。うわさが本当であれば、この屋敷はそう遠くないうちに襲撃されるでしょう。
     セイナさんが人手を集めて戻られたとは聞いておりますが、それでも教団員の人海戦術は、油断ならざる機動力と攻撃力を持っております。正面からのぶつかり合いになれば、いくら焔流剣士とて、分が悪い」
    「ううむ……」
     博士の説明に、紫明も表情を曇らせる。
    「まだそうなると決まったわけではありませんが……、もしも刃傷沙汰が起こると言うようなことになれば、黄海にとってはいい影響を及ぼすとは到底思えません。
     この黄海を治める者として、そんな悪評を立てられたくはありませんし、何より犠牲者が出るような結果になることは、誰にとっても良いことではありませんからな」
    「然り。となれば、犠牲だの傷害だのと言った凶事が起こる前に、騒動の中心人物、即ち娘さんを、騒動の中から離してしまうのがよろしいでしょう」
    「つまり、明奈をどこかに隠す、と?」
    「ええ。一つの案ですが、いかがでしょうか?」
     博士の提案に、紫明は大きくうなずいた。
    「ふむ、それがよろしいでしょう。しかし、どこに隠せば?」
    「小生が買った家があります。そこならば手練のエルスもおりますし、守りは堅いでしょう」
    「なるほど。では、善は急げです。すぐ、明奈を連れて行きましょう」
    「こちらでも、かくまう手配をしておきます。
     しかしくれぐれも、万全の警備で連れてきて下さい。敵にしても、護送の瞬間は『狙い目』ですから、……大人?」
     元来せっかちな紫明は、既にその場にいなかった。
    「……まあ、無茶はせんだろうが」
     博士は肩をすくめつつ、屋敷を後にした。

     だが、博士の予想とは裏腹に、紫明は性急な判断を下してしまっていた。
    「……と言うわけだ。すぐ向かおう」
    「でもお姉さまが、まだ戻られていませんし」
     ためらう明奈に、紫明は自分の主張を強く推す。
    「確かに晴奈が戻って来た後なら、より安全ではある。だがこう言うことは、手早く済ませなければならん。
     それに、晴奈でなくとも、焔流の剣士たちは大勢いらっしゃる。彼らで不足と言うこともあるまい。な、だから早めに向かおう、明奈」
    「……では、支度いたします」
     父を説得しきれず、明奈は身支度を整え、屋敷を出た。
     玄関を抜け、庭に出たところで、剣士たちがバタバタと近付いて来る。
    「ご令嬢! さあ、参りましょう!」
    「なあに、心配ご無用でございます!」
    「我々焔剣士がいれば、黒炎の奴らなどに手出しなど!」
    「……あの、みなさん」
     意気揚々と口上を並べ立てる剣士たちに、明奈は顔をしかめ、抑えようとする。
    「これは隠密行動ではないのですか? あまりに騒々しいと……」
    「いやいや、心配なさらず!」
    「辺りを見回りましたが、敵らしい者はおりません!」
    「どうぞご安心を、……ご、ぼっ?」
     大声を上げていた剣士たちの一人が突然、倒れる。
    「……ひ、っ」
     その背中に矢が突き刺さっているのを見て、明奈は悲鳴を上げた。
    「き、教団員か!?」
     明奈が危惧していた通り、騒ぎ過ぎたらしい――教団員たちがぞろぞろと、門や壁を越えて集まってきた。



     もし晴奈が早く戻ってきていれば、あるいは紫明が性急に行動しなければ、この後起こる悲劇は食い止められたかもしれない。

    蒼天剣・悪夢録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第79話。狙われる明奈。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 明奈との再会を喜び、数週間を黄海で過ごした後、晴奈はまた紅蓮塞に戻った。 その後ふたたび修行の日々を過ごし、年が明けた双月暦516年はじめ頃。晴奈は黒炎教団についての、不穏なうわさをしばしば耳にするようになった。「何でも『人質として得た教団員が脱走した』、『逃げた教団員は故郷の黄海に戻っている』と言うような話が、巷に多く...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第80話。
    悪魔の登場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「くそ……。何故あんなに人が並ぶんだ? おかげで30分も待たされた。明奈も待ちわびているだろうし、早く戻らないと」
     昔からのクセか、晴奈はブツブツと文句をつぶやきながら、菓子袋を抱えて黄屋敷に戻ってきた。
    「……!?」
     と、黄屋敷の周りが騒がしいこと、そして、平和な街中に似合わぬ臭いが漂っていることに気付く。
    (血の臭い? ……まさか!?)
     何が起きたか瞬時に察し、晴奈は血の気がざーっと音を立てて引いていくのを感じた。
    (おいおい、冗談だろう!? 何故、私のいない時に限って!)
     人をかき分け、屋敷の門を潜って中に押し入る。
     庭や屋敷の広間、そして応接間などに剣士たちが固まっている。現状を把握しようと、彼らの声に耳を傾けたが――。
    「黄大人の娘御がさらわれたそうだ! 相手は黒炎の奴らに違いない!」
    「早く助け出さねば!」
    「助け出した者には褒美があるとか」
    「何? 金か?」
    「いや、この事態だ。ご令嬢を……、かも知れんぞ」
    「おお、まことか!?」
    「そうなれば、家督も……」
     彼らの勝手な話に、晴奈は憤慨した。
    「このたわけッ! 金や女目当てでここに来たのか、お前らッ!」
    「うひゃ……、せ、先生、あのっ」「やかましい! とっとと散れッ!」「は、はいっ」
    (人の妹を褒美だと!? モノ扱いするとは、馬鹿者どもめ! まったく、修行が足らぬ!)
     心の中で怒り散らしながら、晴奈は剣士たちを押し分けて応接間に入る。
     騒ぎを聞きつけたらしく、そこにはエルスとリスト、そして博士の三人が、頭に包帯を巻いた紫明と向かい合って座っていた。
     と、外の様子を眺めていたエルスが窓に晴奈が映っているのに気付いたらしく、背を向けたまま声をかける。
    「なーんかさ、騒いでるのは男ばっかりだよね。もしかして……」
    「そう。明奈狙いだ」
     晴奈は憮然とした口調で、エルスに答えた。
    「しかも、明奈の婿になれば黄家の財産も手に入るなどと抜かしている」
    「美少女と家督狙いか。さもしいのう」
     博士もエルス同様、呆れた目で窓の外の剣士たちを眺めていた。
     と、ここでエルスが晴奈に向き直る。
    「そう言えばセイナ、屋敷にいなかったの?」
    「ああ、用事から戻ってきた途端にこの騒ぎだ。
     まったく、私も明奈もつくづく運が悪い。何だって私のいない時にばかりさらわれるんだかな」
     エルスの問いに、晴奈は自嘲気味にため息をついて答えた。

     紫明の話では、教団員たちは護衛の剣士たちを倒した後、明奈だけを連れて逃げ去ったと言う。
     しかし事が起こったのはつい数十分前の話であり、焔流の剣士たちも街の自警団や州軍と共同で、厳戒態勢を敷いて街中を巡回している。
     その警戒の中、まだ日の高いうちに街の外に出るのは難しいため、黄海のどこかに潜んでいるだろうとの博士の予測により、何班かに分かれて街を捜索することにした。
    (明奈、無事でいてくれ……!)
     晴奈も焦る気持ちを押さえながら、街に繰り出した。



     街のあちこちで、焔流の剣士と黒炎教団の者が戦っている。
     晴奈たちの班も、戦っている者たちに手を貸して教団員たちを追い払い、蹴散らしていく。
     だが教団お得意の人海戦術により、いくら倒しても、どこからか増援が現れる。
    「ええいッ! しつこいッ!」
     明奈がさらわれてから既に1時間ほどが経っていたが、教団員たちがワラワラと沸いてくるため、思うように進めない。
    (こいつら、一体何人いるんだ!?)
     斬りつけ、蹴倒し、投げ飛ばし――晴奈一人だけで、すでに20名近く倒しているし、周りの剣士とも合わせれば、その倍以上は相手している。
    (毎度毎度、こいつらはワラワラと……!)
     それでも少しずつ、街を捜索していると――ドン、と言う重たい炸裂音が南の方、街外れの方角から聞こえた。
    「な、何だ!?」
    「一体……?」
     争っていた剣士も教団員も、その爆発に一瞬動きを止める。
    「……今だ!」
     晴奈は我に返り、まだ呆然としている者たちを突き飛ばし、かき分けて、その方向へと走って行った。

     街外れへとたどり着くと、そこには轟々と火柱が立っていた。
     と、その火柱を背に、明奈がこちらにかけて来るのを確認する。
    「明奈!」「お姉さま!」
     明奈は晴奈を見るなり、晴奈の胸に飛び込んできた。
    「大変、大変なの! 博士が、ナイジェル博士が、黒炎様に……!」
    「……何だって?」
    「黒炎様……、大火様が、博士と……!」
     その言葉を聞いた瞬間、晴奈に戦慄が走った。

    蒼天剣・悪夢録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第80話。悪魔の登場。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「くそ……。何故あんなに人が並ぶんだ? おかげで30分も待たされた。明奈も待ちわびているだろうし、早く戻らないと」 昔からのクセか、晴奈はブツブツと文句をつぶやきながら、菓子袋を抱えて黄屋敷に戻ってきた。「……!?」 と、黄屋敷の周りが騒がしいこと、そして、平和な街中に似合わぬ臭いが漂っていることに気付く。(血の臭い? ……まさか...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第81話。
    黒の中の黒。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    (克大火が、ここに……!?)
     その名を聞き、晴奈の心はひどく高揚した。
    「明奈……。悪いが、付いてきてくれ」
    「お姉さま?」
    「ここに置いていけば、危険だ。……でも」
    「でも?」
    「……」
     無意識に足が動く。明奈の手を引いたまま、燃え上がる野原に歩き出す。
    「お姉さま……?」
     不意に、免許皆伝の試験を受けた時、重蔵と話したことが思い出される。
    ――意味も無く戦えば、無為――
    ――無意味な戦いは、失わせる――
    ――戦いを繰り返せば、行き着く先は修羅の世界――
    (だが、見てみたい……!
     克大火は無双の剣豪と聞く。本当にいるのなら、一体どのような奴なのか、この目で確かめたい。
     そして、機、あらば――戦ってみたい)
     晴奈の剣士としての興味、誇りが刺激される。
     既に明奈はここにいるし、後は安全な場所に逃げれば、それで終わる話である。わざわざ戦う意味は無いのだ。
    (それでもこの先にいると言う剣豪を、この目で見てみたい)
     そんな思いが、晴奈を突き動かしていた。



     意味の無いことと分かっていても、晴奈はなぜか戦いそのものに惹かれていた。

     無論、理性では無駄な戦いはしてはならないと弁えているし、そのことは免許皆伝以来、ずっと頭の中で繰り返し唱え、十二分に配慮し、気を付けている。だがそれでも、心のどこかで戦いへの欲求があるのだ。
     勿論、そんな浅ましい欲求など、今まで師匠や友人たちと一緒にいる時、表面に出したことは無い。それどころか、自分自身もそんな恐ろしい感情は、今の今まではっきりとは自覚していなかった。
     しかしこの時、晴奈ははっきりと己の心の中に潜む「戦うこと、それ自体への欲求」が、表へとあふれ出ているのを、ひしひしと感じていた。
    (私は、修羅になりかけているのかな)



     目の前に、それはいた。
     爪先から髪、皮手袋、衣服や肌の色まで全身真っ黒な男が、そこら中に倒れた剣士たちから流れるおびただしい血と、周囲の草木やあばら家を焼く炎が撒き散らされた焼け野原の前で、エルフの老人を背後から突き上げていた。
    「俺に敵うと思っていたのか?」
    「が、ふ……」
     男は老人をゆっくりと――周囲を焦土と化させ、何人もの人間を惨たらしく殺した者が、同時にこれほど優雅な動きを見せるのかと、晴奈は怖気を感じた――優しく、地面に横たわらせる。
     老人は背中から胸にかけて、老人が使っていたであろう魔杖で貫かれている。どう見ても、致命傷である。
    「とは言え力量と戦術の有効性は、認めてやろう。俺としたことが、少し手間取ってしまったからな」
     男はそう言うと老人の前で屈み込み、両手を合わせた。
     老人は、ナイジェル博士その人だった。

     いつの間にか、明奈はいない。どうやら怯え、どこかに逃げたようだ。
     だが――あれほど妹を心配した者とは同一人物と、自分でも思えないくらい――晴奈は安心していた。
    (邪魔は、消えた)
     そんな風に考えながら、晴奈は一歩、前へ踏み出す。
    「……克、大火殿とお見受けする」
     屈み込んでいた男が、背中を見せたまま立ち上がる。
     背の高い晴奈よりさらに頭一個ほど高い、かなりの長身であり、ただ立つだけでも、胃をつかまれるような凄味がある。
    「いかにも」
    「た……」
     晴奈は何か言葉を発しようとしたが、胸中が定まらない。自分でも何を言おうとしたのか分からないまま、言葉が途切れてしまった。
    「た?」
     大火が何の感情も込めない、乾いた声で聞き返してくる。
     晴奈は何とか頭を動かし、口上を作る。
    「……そこの御仁は、私の妹の恩人だ。それを殺したお前は、私の仇……」「ほざくな、戯言を」
     その一言に、晴奈は身震いした。大火はクックッと、鳥のように短く笑う。
    「お前に言っておく。嘘はもう少しうまくつくことだ、な」「う、っ……」
     大火はくるりと身をひるがえし、顔を見せた。細い目と、その中にある、一切光を返さない暗黒の瞳が晴奈を射抜く。
    「口では仇だの、敵だのと抜かしているが、心は別の色に燃えている。とても怒りや悲しみ、雪辱の念を抱いているとは思えんな」
    「で、ではっ、どうだと言うのだ!?」
     心の中に、一歩、また一歩と踏み込まれていく感触を覚える。
    「喜んでいる。まるで世紀の財宝を見つけた冒険者だな。俺に会えたことが、それほど嬉しいのか?」
    「ち、違う! 私は……」「いいや、違わんな」
     大火は実際に一歩、晴奈に向かって踏み出す。その一歩は、晴奈にとっては心の奥底に踏み込まれるような印象を受けた。
    「隠すな、『猫』。狩猟動物の血が、お前には流れているのだろう? お前は今、俺と戦いたがっているのだ。
     そう、『これほど手ごたえのある獲物は、二人といない。例えこの戦いが意味を持たずとも、ただ純粋に、当代最高の剣士と仕合ってみたい』と、そう考えている」
    「あ、う……」
     一言一句に至るまで心の内を読まれた晴奈は、全身を何百、何千もの針で突き刺されるような恐怖を覚えた。
    (ダメだ……! 勝てない! 彼奴は私のはるか上から、私を見下ろしているのだ!
     どうやって地上を這う猫が、天空を翔ぶ大鴉を仕留められよう……!)
     みるみる、晴奈の気力が削がれる。抜こうと手をかけていた刀が、抜けなくなる。足がガクガクと震え、立っているのさえやっとだった。
     その様子を眺めていた大火は足を止め、またクックッと笑った。
    「臆したか。ならば戦う理由は何もあるまい。こちらとしても、この地での『散策』に概ね満足したのでな。
     では、失礼する」



     気が付けば、晴奈は博士の骸の前に、ぺたんと座っていた。
     と、後ろから声をかけられる。
    「セイナ、タイカ・カツミはドコ!?」
     リストの声だったが、晴奈は振り返ることができなかった。
     泣いていたからだ。

    蒼天剣・悪夢録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第81話。黒の中の黒。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.(克大火が、ここに……!?) その名を聞き、晴奈の心はひどく高揚した。「明奈……。悪いが、付いてきてくれ」「お姉さま?」「ここに置いていけば、危険だ。……でも」「でも?」「……」 無意識に足が動く。明奈の手を引いたまま、燃え上がる野原に歩き出す。「お姉さま……?」 不意に、免許皆伝の試験を受けた時、重蔵と話したことが思い出される。――意...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第82話。
    黒の次は、白。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     博士の葬儀が終わったその夜。
     晴奈は一人、寝室の床に座って、たそがれていた。
    (私は、何と愚かな……)
     誇り高き剣士である自分が、己の欲望に操られ、しかも敵にそれを看破されてしまった。さらには気迫をぶつけられただけで身動きできなくなると言う、完膚なき負け方である。
    (まったく無様だな……)
     何もする気が起きず、晴奈はただぼんやりと尻尾をいじっていた。

     部屋の戸を叩く音がする。続いて、弱々しい声が聞こえる。
    「お姉さま、いらっしゃいますか?」
    「ああ、明奈。いるよ」
     そう答えると、静かに戸を開けて明奈が入ってきた。
    「どうした、明奈?」
    「あの、眠れなくて」
    「そうか」
     そう言って、明奈は晴奈の横に座る。
     顔を合わせないまま、二人はじっと座っていた。
    「お姉さま、あの」
    「何だ?」
    「……いいえ、何でも」
     時折、明奈が何かを言おうとするが途中で口をつぐみ、しばらく沈黙が続く。
     30分ほどそうしているうち、また明奈が口を開く。
    「……怖かった」
    「……そうか」
     そこで晴奈は、明奈が小さく震えていることに気付いた。明奈は怯えるような眼で、晴奈をチラ、と見てまた顔をそらず。
    「黒炎様のお姿も、博士が亡くなったことも。それから、お姉さまのお顔も」
    「顔? 私の?」
     晴奈は顔を向けて聞き返したが、明奈は目を合わさない。
    「黒炎様のことを伝えた時、お姉さまはとても怖い顔をしていらっしゃったわ。まるで、鬼か悪魔か、そう言った何か、恐ろしいもののようだった」
    「鬼、か」
     怯えた顔でぽつりぽつりと放たれる明奈の言葉が、晴奈の心をずきんと痛めた。
    (やはり、修羅になりかけていたと言うことか)
     晴奈はぎゅっと、明奈の肩を抱く。
    「お姉さま?」
    「……まったく、私は無様だ。鬼にもなりきれず、克大火に気迫負けした。かと言って聖人にもなれず、お前を放っておいた。
     中途半端に、どちらも投げ出したんだ。まったく、ひどい有様だ」
     愚痴の途中から、晴奈はポロポロと涙をこぼしていた。明奈も泣いている。
    「本当に、ひどい。何もかも、ひどかった」
    「うん……」



     泣いているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
     晴奈は、夢を見ていた。

     夢の中でも、隣には明奈がいる。
    「お姉さま、見て!」
     と、その明奈が叫ぶ。
     彼女の指差した方を見ると、そこにはまばゆい光が瞬いていた。
    「何だ、あれは?」
    《人をアレとか、言わないでほしいなぁ》
     すぐ近くから男とも女ともつかない、中性的な声が聞こえてくる。晴奈も明奈も、きょろきょろと辺りを見回す。
    「どなた?」「誰だ?」
    《目の前にいるじゃないか、ホラ!》
     いつの間にか光は消え、そこには銀と黒の瞳をした、洋風の衣装に身を包んだ、銀髪に白い毛並みの猫獣人が立っていた。
    「あなたは……?」
    《好きなように呼びなよ、白猫とでも、何とでも。ホラホラ、落ち込んでる場合じゃないよ、二人とも》
     辺りの風景が、ガラリと変わる。晴奈たちはいつの間にか、白い花をふんだんに飾った白い部屋の中にいた。
    《立って話もし辛いだろ? 座りなよ、セイナ、メイナ》
     白猫はどこからか現れた簡素な白い椅子を指差し、晴奈たちに座るよう促した。
    「落ち込んでいる場合ではない、とはどう言う意味だ?」
     晴奈たちが座ったところで、白猫も別の椅子に座る。
    《数日のうちに黒炎教団がまた攻め込んでくるのさ》
     白猫の言葉に、晴奈は耳を疑った。
    「何だと、また!?」
    《良く考えてよセイナ。奴らはまだ、目的を達成してないんだよ。メイナはまだ、コウカイにいるんだから。
     だから攻めて来るのさ。今度は生半可な数じゃない。5万人規模に及ぶ、重厚な物量作戦を仕掛けてくる。こうなると戦争だよ、最早》
    「ご、5万人!? 馬鹿な!
     確かにこれまでも、教団は人海戦術での攻めを主体としてきたが、兵の数はせいぜい、数千人程度だったはずだ!
     それを5万にも増員するだと!? 一体何故、そこまでして我々を襲うのだ!?」
    《理由は3つある。一つはメンツだよ。キミたち焔流とはかなり因縁が深いから。
     しかもココ数年、キミたちの方が勝ち越してる。相当アタマに来てるはずだよ。だよね、メイナ?》
     白猫に尋ねられ、明奈はぎこちなく頭を縦に振る。
    「え、ええ。確かに、わたしがいた頃はずっと、焔流打倒の声が強かったように思います」
    《だろ? で、二つ目の理由は教区の拡大だ。ま、コレは言ったそのまんまだし裏も無いから説明はしない。
     で、最後の理由。教主の息子の一人が、昔ケガを負わされた奴の妹が、教団にいたって知っててさ。怒り半分、色欲半分でその子を奪おうとしてるんだ》
     白猫の話に、二人は顔を見合わせる。
    「ウィルバーか……!?」
    「そう言えばウィルバー様、何かとわたしにお声をかけて……」
    「つまり明奈を狙って、街ごと奪う気か!」
    「黄家のわたしとの縁が結ばれれば、自然に黄海に対する教団の影響力が強くなり、ひいては央南西部への教化が進むでしょうね」
    「そうなれば私との関係から、焔流の顔も丸つぶれ――なるほど、三つの理由が合わさる」
    「何て、いやらしい……!」
     二人の様子を眺めながら、白猫は話を続ける。
    《く、ふふっ。イヤだよねぇ、そんなの。だから、ボクはキミたちを助けてやろうと思うんだ。
     策を授けよう。エルスに助けを求めるんだ。彼は『知多星』ナイジェル博士の愛弟子だからアタマもいいし、何より軍事関係全般に強い。
     彼を総大将にすえて戦えば、まず負けるコトは無い》
    「エルスに、か?」「でも、エルスさんは……」
     晴奈と明奈は、再度顔を見合わせる。
    「確かに実力は認めるが、しかし……」
    「ええ、エルスさんは教団や焔流とは無関係ですし、ましてや央南の人間でもありませんし」
    「ああ。無関係の人間を巻き込むのは、気乗りがしない」
     だが、白猫は人差し指を立て、二人の思索をさえぎる。
    《文句は聞かない。って言うかボクに言っても仕方無い。コレは彼の運命でもあるんだから。
     言っとくけど、エルス・グラッドは大物だよ。いや、コレから大物になる。この一件は彼が世に名を馳せる、その第一歩になるんだ。
     無関係だからだとか、央南人じゃないからとか、そんな理屈は言うだけ無駄だ。それよりも彼を助けた方が、キミたちにとってもずっといい。分かった、二人とも?》
    「え、でも」「その」
     反論しようとする晴奈たちを、白猫はにらみつける。
    《わ、か、っ、た!?》
    「は、はい」「わ、分かった」
     その剣幕に、二人は思わず承諾する。その返事を聞き、白猫は満足げにうなずいた。
    《うん、よし。じゃあその誓い、立ててもらうよ》
    「えぇ?」「自分で誓わせておいて、一体何を言うんだ?」
    《いーからいーから。ま、そんなに難しいコトじゃない。
     ただ水色の着物着て、エルスのトコに挨拶に行ってくれればいいだけ。ちょーどいい具合に、用事もできるから》
    「はあ……? それくらいなら、構いませんが」「まあ、やってみようか」
    《く、ふふっ。それじゃ頑張るんだよ、晴明姉妹》
     白猫は席を立ち、その場を後にする。

     そこで晴奈は、不思議な夢から覚めた。

    蒼天剣・悪夢録 4

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第82話。黒の次は、白。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 博士の葬儀が終わったその夜。 晴奈は一人、寝室の床に座って、たそがれていた。(私は、何と愚かな……) 誇り高き剣士である自分が、己の欲望に操られ、しかも敵にそれを看破されてしまった。さらには気迫をぶつけられただけで身動きできなくなると言う、完膚なき負け方である。(まったく無様だな……) 何もする気が起きず、晴奈はただぼんやり...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第83話。
    本物の、夢のお告げ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     目を覚まし、晴奈は辺りを見回すが、明奈はいなかった。どうやら自分より早く起きて、自分の部屋に戻ったらしい。
    (あの夢は一体……?)
     ぼんやりとしながらも、晴奈は着替えを始める。
     と、衣装棚にあった水色の着物が目に入る。
    (水色の着物、か。まあ、夢だろうが)
     あまり信じてはいなかったが、どうしても気になったので、晴奈はそれを着た。
     部屋を出たところで丁度、隣にある明奈の部屋の戸も開く。
    「ああ明奈、おは……」「あ、お姉さま。おは……」
     挨拶しかけて、晴奈は絶句した。明奈も目を見開き、驚いている。
     何故なら明奈も、水色の着物を着ていたからだ。

     朝食の後、晴奈と明奈――晴明姉妹は父、紫明に呼ばれた。
    「どうされたのですか、父上?」
    「うむ、実は……」
     紫明は浮かない顔で、懐から一通の手紙を取り出した。
    「今朝早く、文が投げ込まれたのだ。どうやら黒炎教団からのものらしい」



    「黄海及び黄商会の宗主、黄紫明殿へ

     昨日、我らが同志、メイナ・コウの身柄引き渡しを願い出ようとしたところ、そちらの友軍である焔流一派に妨害され、多数の被害者を出した。
     その責を問うため、3日後にふたたび身柄確保に乗り出す所存である。万が一、焔流の者がその席にいた場合、我々は実力を以って、そちらに用件を受諾していただくように対処するであろう。
     無論我々は、円満な話し合いによって交渉がまとまることを望んでいる。そちらでも、黄州及び央南西部の平和と黄商会の利益の観点を鑑み、十分に検討していただくよう、考慮されたし。

    黒炎教団 大司教 央南方面布教活動統括委員長 ワルラス・ウィルソン2世」



    「これは……」
     手紙を読んだ晴奈は思わず、手紙を破り捨てそうになった。だが何とかこらえて、父の話を聞く。
    「ああ、字面では穏やかな話し合いを望んでいるとのことだが、十中八九、明奈を強奪するつもりなのだろう」
    「『願い出ようとした』だの、『被害者を出した』だの……、嘘もいいところだ!」
     憤慨する晴奈に対し、紫明は浮かない顔をしている。
    「私としては、その……」
    「父上?」
     言いにくそうにする父を見て、明奈は父の胸中を察する。
    「前回同様、わたしの身柄でこの街と商会の平和が保たれるならば、彼らの要求に応じようと、そうお答えするつもりでしょう?」
    「あ、いや、その……」
     明奈は落ち着き払った、堂々とした態度で応対する。
    「昔とは違って、わたしも大きくなりました。自分の身の振りは、自分で決めさせてくださいませ」
    「いや、しかし……」
     一方、紫明は言葉を濁し、明奈の言葉にうなずこうとしない。
     そんな父の態度を見て、晴奈は歯噛みする。
    (何故だ父上、どうして一言『分かった』と言わない?
     ……ああ、この人はいまだ昔と変わらぬのか。娘は自分の所有物だと言う、その考えがまだ抜けていないのか)
     そう悟り、晴奈の怒りはますます燃え上がる。
     たまらず声を上げようとした、その時――明奈が姉の心中を代弁した。
    「昔の、お父さまの庇護の下にあった時のわたしであれば、わたしはお父さまの言う通りに従ったでしょう。
     しかし、わたしも大人になりました。この先お父さまの考えに従い、そのまま教団に渡ったならば、わたしの身は一体どうなると思います?」
    「どう、って」
    「恐らく教主のご子息が無理矢理に、わたしを娶ろうとされるでしょう」
     この一言に、紫明は「むう……」と声を漏らす。
    「もしそれが実現すれば、きっと黄家は絶えてしまいます。教団にすべてをむしりとられて」
    「……」
     明奈はなお、毅然とした態度で父を説得する。
    「ねえ、お父さま。重ねて申し上げますが、昔とは違うのです。
     今なら剣を極めたお姉さまがいらっしゃいます。エルスさんたちも、協力してくださるでしょう。戦う力は、十分にあるはずです。
     今、相手の要求をはねつけなければ、10年後、20年後の黄海と央南西部はきっと、黒く染まってしまいます。わたしは嫌ですよ、この愛すべき街が黒海などと言う名になってしまっては。
     敵の言いなりになって1年、2年の安息を得るより、今こそ決別、打倒して10年、20年、いえ、100年の繁栄を勝ち取る方が、懸命な判断ではないでしょうか?」
    「……そうだな」
     明奈の説得に紫明はようやくうなずき、もう一通懐から手紙を出した。
    「これは?」
    「お前の言う通りかもしれないな、明奈。教主の息子から、こんな手紙が来ていたのだ」
     紫明は晴奈に手紙を渡し、読むよう促した。
     読み始めた晴奈は、途中で――今度はこらえる気など毛頭起こらず――手紙を破り捨てた。
    「……下衆が!」
    「お姉さま?」
    「まったくウィルバーめ、どこまで色狂いか! 明奈と自分は、前世から夫婦になる定めだとか、明奈の自分に対する気持ちは分かっている、自分は全力を以ってそれに応えるだとか、滅茶苦茶なことを書いているんだ!」
    「何ですって……!」
     冷静だった明奈も、この時ばかりは流石に嫌そうな顔をした。紫明は一瞬顔を伏せてため息をつき、そして決意に満ちた目を二人に見せた。
    「明奈、お前の話で、私の目は覚めたよ。……断固、黒炎と戦おう」

     紫明の決意も固まったため、晴奈たちはエルスに助太刀を願い出ようと、彼の住んでいる屋敷へと向かっていた。
    「ねえ、お姉さま」
    「ん?」
    「水色の着物、エルスさんへの用事。これって」
    「……やっぱり明奈も、あの夢を?」
     明奈はコクリと、小さくうなずく。
    「ええ、白猫さんの夢よね。もし、あの方の言ったことが本当なら」
    「5万の軍勢が攻めてくる、か。ぞっとしないな」
    「きっと本当でしょうね。
     彼女の言葉はとても風変わりだったけれど、内容はとても真面目でした。わたしたちの身を案じてくれる気持ちは、真実だと思います」
    「ああ、私もそう、……彼女? いや、言われてみれば、確かに女とも取れる顔立ちと声をしていたが、しかし自分のことを『ボク』と呼んでいたような。彼奴は男では無いのか?」
    「え、そう……、だったかしら。……どっちでしょうね?」
     二人は夢の内容を思い返し、やがてクスクスと笑い始めた。
    「くく、考えれば考えるほど、分からない」「そうね、うふふ」



     この後、晴奈たちの願いを聞き入れ、エルスは協力を快諾してくれた。
     すぐに黒炎教団に対する部隊が組織され、エルスは隊長、晴奈が副隊長となった。
     そしてこれより――黒炎との戦いが、始まる。

    蒼天剣・悪夢録 終

    蒼天剣・悪夢録 5

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第83話。本物の、夢のお告げ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 目を覚まし、晴奈は辺りを見回すが、明奈はいなかった。どうやら自分より早く起きて、自分の部屋に戻ったらしい。(あの夢は一体……?) ぼんやりとしながらも、晴奈は着替えを始める。 と、衣装棚にあった水色の着物が目に入る。(水色の着物、か。まあ、夢だろうが) あまり信じてはいなかったが、どうしても気になったので、晴奈はそれ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第84話。
    3度目の戦い、始まる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「僧兵長、間もなく黄海に到着します」
    「ん、そうか」
     馬車の中から、狼獣人の青年がのそっと、首を出す。
    「のどが渇いた」「あ、ではお持ちします」
     兎獣人の従者が、いそいそとどこかに走り去る。僧兵長と呼ばれた青年は、その間に馬車を降り、肩や首の関節をポキポキと鳴らして体を解す。程なくして従者が、ポットとカップを持って戻ってきた。
    「お持ちしました」「ん」
     青年は横柄にうなずき、従者からカップを受け取って、中の飲み物を一息に飲み干す。
    「ふう……。やはり、眠気覚ましにはコーヒーが一番だな。特に、悪夢を見た時には」
    「悪夢、ですか?」
     青年はカップを従者に返し、伸びをしながら応える。
    「ああ、昔の話だ。焔の砦に攻め込んだ時、不覚を取ってな。その時の夢を見ると、いつも気が重くなる。今でも夢の中で、忌々しく蘇ってくる」
    「そんなことが……。では、今回は雪辱戦、と言うことですね」
    「ああ、そうなるな」
     青年――ウィルバーはもう一度カップを受け取り、無造作にあおった。
    「特に、オレを愚弄したあの『猫』と、その仲間。あいつらだけは絶対、仕留めてやる」



    「確かか?」
    「はい、黒荘に住む同門が、確かに馬車に乗る姿を確認したと。ほぼ確実に、指揮官役であろう、との、……黄先生?」
     伝令の報告を受け、晴奈は腕を組んで黙り込む。そのまま固まっていたので、伝令は不安そうに晴奈を見つめている。
    「動いて、セイナ」
     見かねたエルスが晴奈に声をかけた。
    「……ああ、下がって良し」
     伝令はほっとした様子で、そのまま部屋を出て行った。エルスはクスクス笑いながら、椅子に座り直して書類を整理する。
    「セイナ、よっぽどそのウィルバーって男が気になるんだねぇ」
    「気色の悪い言い方を……」
     晴奈は手を振りながら、エルスに応える。
    「ああ、ゴメンゴメン。まあ、宿敵って感じだね、今の態度から見ると」
    「まあ、そうだな。そうなる」
     晴奈はエルスの向かいに座り、エルスの書いていた書類に目を通す――どうやら黄海周辺の地図と、兵法の類らしい。
    「強いのかな?」
    「ああ、かなりの手練だ。うわさでは教団でも有数の、棍術の使い手になっているとか」
    「ふーん」
     エルスは書類をトントンとまとめながら、話を続ける。
    「セイナも強いじゃないか」
    「まあ、な。……昔、一度だけ負けているが」
    「でも……」
     エルスは席を立ち、セイナに微笑みかける。
    「負ける気、無いんだろ?」
    「無論だ」
     晴奈もニヤリと笑って返した。

     教団員の黄海襲撃から三日後、教団は大軍を送り込んでふたたび黄海に攻め込もうとしていた。襲撃の情報を聞きつけた晴奈たちは急遽、街の守りを固めて再襲撃に備えていた。
    「現在、街の周囲に教団の姿はありません」
    「そうか。何かあったらまた、報告してくれ」
     伝令が去った後、エルスはニコニコ笑いながら、晴奈に話しかけた。
    「ねえ、セイナ。まだ間があるだろうから、碁でも打たない?」
    「……ふむ。確かにいつ来るか分からぬ敵を、ただ待つと言うのも無粋か。いいだろう、一局お手合わせ願おうか」
    「よし、それじゃちょっと待っててね~」
     エルスは嬉しそうに、いったん部屋を出る。少しして、かなり使い込まれた様子の碁盤と碁石を持って、戻ってきた。
    「ほう、なかなかの年季物だな。北方でも、碁は流行っているのか?」
    「うん。エドさん――博士が若い頃から碁の名人で、ずっと普及させていたんだって」
    「そうだったのか……。それほどの腕前ならば一度、お手並みを拝見してみたかったものだ」
     晴奈はそう言いながら碁石を握る。エルスも握りながら話を続ける。
    「エドさんは強かったよ。多分死んだ今でも誰かと、打ってるんじゃないかな」
    「……」
     博士の死を耳にする度、晴奈の心は少し痛む。
     あの時、自分の欲をさっさと振り切って駆けつけていれば、博士は助かったかもしれない。そして、大火と戦うために博士を口実にしたことも、晴奈にとっては大きな恥であった。
    (死人をダシに使うなど、誇りある人間のすることではない。まったく私は、浅ましい……)
     そうして心の中で、自分を責めていると――。
    「ありゃ? セイナ、本気出してない、よね?」「……不覚」
     いつの間にか後手のエルスに大きく囲まれ、負けていた。

    蒼天剣・因縁録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第84話。3度目の戦い、始まる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「僧兵長、間もなく黄海に到着します」「ん、そうか」 馬車の中から、狼獣人の青年がのそっと、首を出す。「のどが渇いた」「あ、ではお持ちします」 兎獣人の従者が、いそいそとどこかに走り去る。僧兵長と呼ばれた青年は、その間に馬車を降り、肩や首の関節をポキポキと鳴らして体を解す。程なくして従者が、ポットとカップを持って戻っ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、85話目。
    「戦略家」エルス、本領発揮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「アンタら、何遊んでんのよ!」
     囲碁の対局が進み、5戦目を迎えたところでリストが呼びに来た。
    「ん、何かあったの、リスト?」
    「あった、じゃ無いわよ! 敵がもう、すぐそこまで来てんのよ!」
    「ありゃ、そっかー……。折角、2勝2敗ってところだったのになぁ。じゃ、また後で続きやろっか」
    「そうだな。きっちり片を付けたいところだ」
     晴奈とエルスは少し名残惜しさを感じながらも、リストの後に続いた。街の南西部へ進みながら、リストから状況について説明を受ける。
    「ざっと説明するとね。街の南西門から、約10キロ西南西のところに敵の先発隊が3~4隊いるらしいわ。そこからさらに南に3キロほど下ったところに、本隊が陣を構えてるみたいよ」
     説明しているうちに、南西門へ到着する。
    「そっか、なるほど。……よし、みんなを呼んで」
     エルスは短くうなずくと、周囲の剣士たちを呼び集めて輪を作った。
    「それじゃ作戦を説明するから、よく聞いておいて。
     敵は恐らく街を囲んでいる壁を崩し、そこから侵入するつもりだろう。でも、あえてそれは放っておこう」
     エルスの言葉に剣士たちは驚き、どよめく。
    「な、何故?」
    「一体どう言うつもりだ?」
    「ま、落ち着いて聞いて、聞いて。
     簡単に言うとね、それらと戦っても相手にはまったく痛手が無いんだよ、『下っ端』だから。それに相手の数は半端じゃない。いくらみんなが体力自慢、力自慢って言っても、数があまりにも多すぎる。全部相手してたら屈強な剣士といえども、力尽きて倒れるのがオチだよ。
     それよりももっと効果的で、敵に大きな痛手を負わせる方法がある」
     エルスは懐から書類を取り出し――先ほど書いていた兵法と地図だ――皆に見せる。
    「報告によれば、敵の本陣はここから13キロ離れた場所にあるらしい。そこには間違いなく、この大部隊を指揮している者がいるはずだ。で、それを倒す」
    「なるほど、頭を叩くと言うわけか」
     晴奈の相槌に、エルスは大きくうなずく。
    「そう言うこと。教団は人海戦術や物量作戦を得意とする、大掛かりな組織。そう言った組織は得てして『上』の権力が非常に強く、『下』の意思が希薄だ。
     だから指揮官を倒してしまえば残った大部隊は混乱し、その結果最も執りやすく被害の少ない作戦、つまり撤退を選ぶだろう」

     協議の結果、エルスは南西門周辺での指揮を担当し、晴明姉妹とリスト、そして手練の剣士十数名が敵本陣に忍び込むことになった。
     晴奈たちは黄海のもう一つの出入り口、南東門から敵部隊に気付かれないようにそっと抜け出し、街道を横切って森の中に入り、そこから敵本陣に向かって進み始めた。
    「敵が壁を崩すまで、恐らく3~4時間はかかる。それまでに敵本陣に攻め込み、頭を獲るぞ! 全速、前進ッ!」
    「おうッ!」
     晴奈の号令に、剣士たちは拳を振り上げて付き従う。森の中を分け入り、一直線に西へと進んでいく。
     だが、はじめの頃は黙々と付いてきた剣士たちも、時間が経つに連れて段々と不安を口にし始める。
    「本当に、街を放っておいて良いものか……?」
    「もし間に合わなかったら、えらいことになるぞ」
    「やはり、戻って防衛に努めた方が……」
     ブツブツと騒ぐ剣士たちに、晴奈とリストの特徴的な耳がピクピクとイラつき始める。その耳に、決して彼女らに言ってはならない一言が飛び込んできた。
    「大体あの外人、信用できるのか?」
     聞こえた途端、二人はギロリと後ろを睨んだ。
    「アンタら、ふざけたコトくっちゃべってると、その軽い口ごと、頭吹っ飛ばすわよ!」
    「くだらぬ妄想をほざくな、お前らッ! 黙って進め!」
     剣士たちはその剣幕に圧され、それきり不安を口にすることは無くなった。



     ほぼ同じ頃、ウィルバーはほんのわずかながら、ぞくりと殺気を感じた。
    (……? ん……、何だ、今の『気』は?)
     くるりと辺りを見回すが、それらしいものは何も見えない。
    「おい」
     不安を感じ、横にいた従者に声をかける。
    「はい、何でございましょう?」
     かけたものの、それほど強く不安を感じたわけではないため、やんわりと命じる。
    「……ん、まあ、念のため、見回りを強化するよう、皆に指示しておいてくれ」
    「はあ……?」
     従者は首をかしげ、ウィルバーの言葉を繰り返す。
    「見回りの強化、ですか?」
    「そうだ。少し、気になってな。まあ、ちょっとでいいんだ」
    「必要ないと思われるのですが……。奴らは街を守るので精一杯でしょうし」
     従者の言葉にうなずきかけたが、そこでまた、ウィルバーの心中に不安がよぎる。
    「ん……。まあ、確かに、そうかも知れない。だが、気になってな。頼んだぞ」
    「はあ、そうですか。では、まあ、伝えてまいります」
     従者はのそのそとウィルバーの側を離れる。残ったウィルバーは心の中で毒づいた。
    (はっ! まったく、気の無い素振りだな! このオレが、『やれ』と言ってるだろうが!)

     ウィルバーから離れた従者は、途端に態度を変えて愚痴をこぼす。
    「フン、まったく心配性なお坊ちゃんだ!」
     ポットを乱暴につかみ、直接口に付けて飲みだす。
    「来るわけない! あんな馬鹿で粗雑な剣士どもが、目先の敵、先発隊を相手にしないわけが無いんだ! 無駄だ、無駄! だーれが、見回りなんかするかっての!」
     周りに誰もいないため、従者の愚痴は止まる気配が無い。もう一度ポットを上げて、二口目を飲んでから、さらに愚痴を続けようとした。
     ところが顔の上に上げていたポットが、パンと言う音と共に突然、破裂した。当然、中の液体とポットの破片が従者の顔に降り注ぐ。
    「ぎえ……!? っちゃ、熱ちちちっ!」
     顔を押さえ、何が起こったのか分からずもがく。
     だが、その途中で意識が飛んだ。鳩尾を、内臓が飛び出すかと思うほど強く蹴っ飛ばされたからだ。

    蒼天剣・因縁録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、85話目。「戦略家」エルス、本領発揮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「アンタら、何遊んでんのよ!」 囲碁の対局が進み、5戦目を迎えたところでリストが呼びに来た。「ん、何かあったの、リスト?」「あった、じゃ無いわよ! 敵がもう、すぐそこまで来てんのよ!」「ありゃ、そっかー……。折角、2勝2敗ってところだったのになぁ。じゃ、また後で続きやろっか」「そうだな。きっちり片を付けたいとこ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、86話目。
    因縁、三度目。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「よし!」
     倒れ込み、ピクリとも動かなくなった兎獣人を確認し、晴奈は満足げにうなずく。
    「全員集合だ!」
     晴奈は刀に火を灯して合図を送り、森の中で待機している剣士たちを呼び寄せる。
     集合後、明奈とリストが晴奈の元に駆け寄った。
    「どう、すごいでしょ?」
     リストが自慢げにクルクルと銃を回して見せびらかす。晴奈はその様子に苦笑しながらも、素直にほめる。
    「ああ、あれほど遠くから攻撃できるとは。なかなか便利な武器だな、銃と言うのは」
    「アンタも使ってみたくなった?」
     晴奈はまた苦笑して、刀の柄を叩いた。
    「いやいや、私にはこれが一番だ。……さてと」
     皆が集合し終えたところで、晴奈が次の行動を命令する。
    「雑魚には構うな! 頭を探して討て!」
     晴奈の号令に従い、剣士たちは2、3人ごとに固まり、四方に散る。
     残った晴奈と明奈、リストも同様に3人で集まり、敵将ウィルバーを捜索し始めた。

     当初はできる限り隠密な行動を心がけていたのだが、敵の数が多いためか何班か見つかってしまったらしく、陣内は次第に騒がしくなる。
     晴奈たちも例外ではなく、何度も教団員たちに発見され、その都度応戦しなくてはならなかった。
    「くそ、面倒だ!」
     相手の多さに痺れを切らした晴奈は、目の前にいた教団員に向かって飛びかかる。
    「どけッ!」
     目前まで迫っても勢いを殺さず、そのまま突っ込んでいく。
    「ぎゃっ!?」
     棍を構えていた教団員の腕に脚をかけ、踏み台にして跳び、敵の包囲網を無理矢理抜けた。
    「どけどけッ、邪魔立てすると刀錆にするぞッ!」
     寄ってくる敵をかわし、斬り捨て、晴奈は陣内を駆け回る。
    「どこだ、ウィルバー! 出て来い! この黄晴奈が相手になるぞ!」
     そうやって名乗りを上げているうちに、横から声が飛んできた。
    「そんなにオレと勝負したいのか、『猫』ッ!」

     晴奈が横を向くと同時にウィルバーが駆け込み、棍を放つ。晴奈はそれをかわし、刀を払う。ウィルバーもこれを避け、二人は間合いを取って対峙した。
    「久しぶりだな。つくづく、因縁が深いと見える」
    「ああ、確かにな。何だかんだ言って、会うのはこれでもう3回目だ」
     ウィルバーは妙に嬉しそうに笑っている。
    「2度の戦いで、オレの考え方は劇的に変わった。女と見て侮ることは、もうしない。
     お前は間違い無くオレの好敵手、オレの目標だよ」
     妙にほめ言葉を並べるウィルバーを不審に思い、晴奈は刀を構え直す。
    「何のつもりだ、ウィルバー? 一体何が言いたい?」
    「単刀直入に言おう。オレと組まないか、セイナ?」
     突然の申し出に、晴奈は面食らった。
    「何だと?」
    「お前の妹、メイナのことはそれなりに気に入ってるし、娶りたいとも考えている。
     もし結ばれればセイナ、お前はオレの縁者になる。その上でオレと組み、その実力を振るって君臨すれば、お前も教団の権力者だ。何でも思いのまま、一生栄華を極めていられるぞ。
     どうだ、悪い話じゃないだろう?」
     ウィルバーはニヤリと笑い、右手を差し出す。
     握手を求めてくるウィルバーをしばらく見つめた後、晴奈はフン、と鼻を鳴らした。
    「笑止。お前如き犬っころにくれてやるほど、妹は安くない。何よりお前の右腕などと言う肩書きは、私には吊り合わぬ。
     対価が低すぎて、私の食指はピクリとも動かん」
     晴奈のにべもない言葉に、ウィルバーの笑顔は凍りついた。
    「ク、クク、ク……、そうか、ああ、そうか。あくまでオレに、たてつくと言うんだな?
     そんなら話は終わりだ! ここで果てろ、セイナ!」
     ウィルバーは棍を振り上げ、飛びかかってきた。

     晴奈はウィルバーの初弾を、刀をかざして防ぐ。
     その瞬間、晴奈の両手に重たい衝撃が走り、刀と棍の間から火花が飛び散る。
    「む、……ッ!」
     受けきれず、体をひねって棍を左に流す。すかさずウィルバーが蹴りを放ち、晴奈のあごを狙ってくる。
    「甘いッ!」
     向かってきた左脚を紙一重で避け、刀から左手を離し、右手を利かせて刀で鋭い山を描く。その軌跡がわずかにウィルバーの脚を捕らえ、さく、さくと二度斬る。
    「……ッ、速いな!」
     ウィルバーの僧兵服が裂け、ふくらはぎと太ももに赤い筋がにじむ。
     だが、ウィルバーはその傷を気にかける様子も無く、棍を手首だけで振って、鞭のようにしならせて突いてきた。
    「っと!」
     晴奈は刀を構え直して縦一直線に振り下ろし、棍を叩き落す。棍は当たらずに済んだが、刀から金属同士がぶつかる鋭い音と、何かがこすれるような、気味の悪い音が響く。
     その音が耳に入った瞬間晴奈は舌打ちし、反面、ウィルバーは笑みを浮かべた。
    「ハハ……、どうした? 今の音は何だ、セイナ?」
    「チッ、なまくらめ」
     晴奈の刀の、その中ほどの刃が欠けていたからだ。



     同時刻、リストたちも敵の包囲を切り抜け、晴奈を探していた。
    「ホント、アンタのお姉ちゃんってこーゆー時、無鉄砲よね!」
    「すみません、本当に」
     明奈が謝るが、リストの怒りは収まらない。
    「大体さ、『メイナは絶対守ってやる』とか何とかカッコつけてたくせに、この前だってアンタをほっといて、カツミと戦おうとしてたんでしょ?
     言うコトとやるコトが違うなんて、そこからしてろくなヤツじゃないわよ」
     姉の悪口を言われ、普段温厚な彼女にしては珍しく、明奈は目を吊り上がらせる。
    「そんな言い方、無いんじゃないですか?
     お姉さまは確かに一人で動くことが多い方ですけれども、心の中では皆さんのこと、全体のことをきちんと考えていらっしゃいます。
     リストさんこそ人のことを簡単に悪く言って! それこそ人をろくに見ない、いい加減な方です!」
    「何ですって!?」
     明奈とリストの間に、険悪な空気が立ち込める。
     と――遠くから、鋭い金属音が響いてきた。
    「……!?」「何、今の!?」
     まるで分厚い鋼板に散弾を放ったような異様な音を聞きつけ、二人はそちらへと向かった。

    蒼天剣・因縁録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、86話目。因縁、三度目。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「よし!」 倒れ込み、ピクリとも動かなくなった兎獣人を確認し、晴奈は満足げにうなずく。「全員集合だ!」 晴奈は刀に火を灯して合図を送り、森の中で待機している剣士たちを呼び寄せる。 集合後、明奈とリストが晴奈の元に駆け寄った。「どう、すごいでしょ?」 リストが自慢げにクルクルと銃を回して見せびらかす。晴奈はその様子に苦笑しな...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第87話。
    黄海防衛戦、ひとまず終息。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「くそ……!」
     晴奈は真っ二つに折れた刀を見下ろし、悪態をつく。
    「くそ……!」
     ウィルバーが立て続けに放った棍が、晴奈の刀を折ってしまったのだ。
     仕方無く脇差を抜いたものの、こちらは長さも切れ味も、刀より大分劣る。劣勢に立たされた晴奈は、ポタポタと冷や汗が流れていた。
    「どうやらオレの勝ちらしいな。どうする? 今なら介錯してやらなくも無いぜ? 姉の無残な屍なんか、妹に見せたいもんでもないだろ?」
     居丈高に振る舞うウィルバーに、晴奈は虚勢を構える。
    「勝負はまだ付いてはいない!」
     晴奈は懸命に脇差を振り回すが、三節棍の長さには到底太刀打ちできない。加えて大柄なウィルバーの手足の長さは、長身の晴奈でも分が悪い。
     攻撃はウィルバーに余裕でかわされ、かわしざまにひらりひらりと棍が飛んでくる。その一撃一撃が、晴奈をじわじわと弱らせていく。
    「くッ……!」
     打つ手が見い出せず、晴奈の消耗がじわじわと積もっていく。
     その劣勢を見抜いたらしく、ウィルバーがより一層の攻勢に出た。
    「それッ!」
     勢い良く棍が突き出され、晴奈は脇差を構え、それを防ぐ。しかしその衝撃を削ぎきれず、晴奈は体勢を崩す。
    「ハハ、これでオレの勝ちだ!」
     棍が跳ね返ってきたところで、ウィルバーは棍をつなぐ鎖に指をかけた。
    「……!」
     そこが支点となり、三節棍全体が回転する。鎖を指で吊ったまま、ウィルバーは腕をぐるりと回した。指にかかった棍に勢いが付き、晴奈に向かって飛んでいく。
     一瞬のうちに、防いだはずの棍が自分に戻っていく。だがよろけた晴奈には、それをかわず余裕が無い。
    (これは、あの時と……!)
     7年前、ウィルバーに負けた時の記憶が、晴奈の脳裏に蘇る。このままでは7年前と同じように、棍は晴奈の額を割ることになる。
    (た……、倒れてなるものか! 二度も同じ辱めを受けて、倒れてしまうわけには行かぬ!)
     晴奈は歯を食いしばり、迫り来る棍を凝視した。

     ところが、ここで信じられないことが――少なくとも、三節棍の達人であるウィルバーにとっては、まずありえないと断言するようなことが起きた。
     宙を飛び、晴奈に向かっていた三節棍が、突然上に跳ね上がったのだ。
    「……は?」
     ウィルバーの鋭い目が真ん丸になる。晴奈も驚き、言葉を失う。
     続いて棍は、もう一度空中で跳ねる。ウィルバーはまだ驚いたままだ。晴奈は相手より一瞬早く我に返り、驚いているウィルバーをにらむ。
     また棍が跳ねたところで、ようやくウィルバーが晴奈の方に目を向けたが、既に遅かった。
    「しまっ……!」
     晴奈が脇差を振り上げ、ウィルバーに迫る。ウィルバーは体をひねるが避け切れず、脇差が左肩に食い込む。
    「ぐ……、ッ」
     晴奈は脇差から手を離し、肩を押さえてのけぞったウィルバーの腹を蹴り、そのまま転倒させた。
     そしてくるくると宙を飛んでいた棍が、ウィルバーの顔に落ちていく。
     一瞬の間を置いて、ボキ、と言う鈍い音が、晴奈の耳に届いた。



    「……うう」「おお、気が付かれましたか、僧兵長!」
     ウィルバーは動く馬車の中で目を覚ました。起きようとしたところで、腹と肩、そして顔全体に痛みを感じ、思わずえずく。
    「う、げ」
    「あ、あ、安静になさってください」
     横にいる従者は、すまなそうな顔をしている。顔に包帯が巻かれたその様子は、垂れた兎耳と相まって、とても情けなく映る。
    「ろうなっら……、ああん?」
     ウィルバーはしゃべろうとしたところで、自分の発音がおかしいことに気付く。
    「あ、まはか」
     口を触ってみると、前歯の感触が無い。どうやら三節棍が当たった時、折れてしまったらしい。
    「くほ……、なはけねえ」
    「そ、それで、その、ですね」
     従者は泣きそうな顔で報告する。
    「あの、僧兵長のですね、その、御身がですね、危ういと、その、感じましてですね、はい、あの、これはまずいなと、そう、そんな風に、あの、思いましてですね、……その、撤退、を、ですね、はい、いたしまして、はい」
    「……てめえ」
     ウィルバーは体中の痛みも忘れ、従者の兎耳を力任せに引っ張った。
    「あ、痛い、痛いです、お止めください、僧兵長、痛い、痛い!」
    「らから、気ほ付けろっへ言っはんら、オレは! この、大マヌケめ!」

    「かたじけない、リスト」
    「へっへーん」
     リストがまた、銃をクルクル回して見せびらかしている。
     先程の戦いで、リストがウィルバーの三節棍を狙撃していたのだ。
    「ま、とっさにとは言え、うまく行って良かったわ。メイナの強化術のおかげね」
    「いえ、そんな……」
     ウィルバーが倒されたことが陣内に伝わり、教団は大急ぎで撤退を始めた。
     晴奈たちもその間に他の剣士たちを集め、戦闘地域から離脱。今は既に、黄海の壁が見える辺りまで戻って来ていた。
    「もう教団のヤツらはいないわね。作戦終了、と」
     リストは銃を収め、晴明姉妹に笑いかける。
    「さ、戻ろっか、セイナ、メイナ」
    「ええ、そうしましょう」
    「そうだな。エルスもきっと待ちかねている」



     その後、数回にわたって教団は人員を増やし、黄海の制圧を試みたが、黄海側も焔流や州軍などと連携し、応戦を続けた。
     これが2年半に渡って続き、央南西部・中部を騒がせた、央南抗黒戦争の始まりである。
     そしてそれは同時に、戦略家「大徳」エルス・グラッドと、剣豪「蒼天剣」黄晴奈、この二人の伝説の、始まりでもあった。

    蒼天剣・因縁録 終

    蒼天剣・因縁録 4

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第87話。黄海防衛戦、ひとまず終息。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「くそ……!」 晴奈は真っ二つに折れた刀を見下ろし、悪態をつく。「くそ……!」 ウィルバーが立て続けに放った棍が、晴奈の刀を折ってしまったのだ。 仕方無く脇差を抜いたものの、こちらは長さも切れ味も、刀より大分劣る。劣勢に立たされた晴奈は、ポタポタと冷や汗が流れていた。「どうやらオレの勝ちらしいな。どうする? 今なら...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第88話。
    教団の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「どけ、そこの木炭!」
     目の前にいる「狼」からいきなり罵倒され、男は少し戸惑ったような素振りを見せたが、男は素直に横へ退いた。
    「フン」
     その黒い狼獣人はこれ見よがしに肩を怒らせて、男の前を通る。
     と、男が口を開く。
    「一つ聞く」
     男の問いかけに対し、罵倒した「狼」――ウィルバー・ウィルソンは、横柄な態度を返す。
    「……あ? 何か用かよ」
    「余程いらついていると見えるが、それを俺に振る理由があるのか?」
    「知るか、ボケ!」
     ウィルバーは男を押しのけながら、半ば吠えるように怒鳴りつけ、そのまま去っていった。
     男は真っ黒な外套に付いた手形をはたき落とし、ポツリとつぶやいた。
    「なるほど、な」

    「ウィリアム。お前が俺を、遠い央北からわざわざ呼んだ理由をつい先刻、把握した」
    「は……」
     黒い男は目の前にいる、いかにも宗教家と言った風体の狼獣人に向かって、足を組んだまま話を始める。
    「大方、あの『差し歯』の小僧はお前のせがれだろう?」
     男よりはるかに老けた容貌の、一見こちらの方が年長者と思われる「狼」が、へりくだったしぐさで男にコーヒーを注ぎながら、質問に応える。
    「お気付きでしたか」
    「何と言ったか――ああ、そうそう。ウィルマだったか――お前の曾祖母にそっくりだ。誰彼噛みつく様が、良く似ている。
     その父親は本当に人のいい奴だったのだが。お前のように、な」
     男の言葉に、「狼」は顔を赤らめる。
    「はは……。開祖からご存知でいらっしゃると、直近の家人の話をするのは気恥ずかしいですな、どうも……」
    「ククク……。何故ウィルソン家は『極端』なのだろうな」
     男は「狼」の注いだコーヒーをくい、と飲み込む。
    「極端、と言うと?」
    「大体、3タイプに分かれている。
     一つ、お前のように、素直で親しみの持てる奴。
     一つ、ワーナー、それと最近では、ワルラスだったか――狡猾で、打算的な奴。
     そしてお前のせがれのように、粗暴でやかましい奴。……何年経っても、この手の輩は相手が面倒でたまらん」
     男はまた、鳥のようにクク、と笑う。
    「本当に、不肖のせがれでして……」
     平身低頭し、恥ずかしさを紛らわせていた「狼」は、そこで男のカップが空になっていたことに気付いた。
    「あ、タイカ様。お代わりは如何でしょう?」
    「ああ、是非いただこう」
     黒い男――克大火はニヤリと笑って、カップを差し出した。
    「もし開祖が1番目のタイプで無かったら、俺はこうしてここで、うまいコーヒーを飲むことは無かっただろうな、……クク」



     516年初めの黄海防衛戦に端を発した央南抗黒戦争は、精鋭揃いの焔流とエルスの優れた戦略、黒炎教団の豊富な資産と人員が拮抗し、半年が過ぎた516年夏になってもなお、勢いが落ちること無く続いていた。
     焔流剣士たちの実力、また、エルスの手練手管をもってしてもこの膠着状態から抜けられずにいたため、エルスと晴奈、紫明の3人は黄屋敷にて、抜本的な打開策を検討していた。
    「やっぱり、こちら側の一番のネックは、人員の少なさにある。みんな、かなり疲労の色が濃い」
     エルスの言葉に、晴奈が反論しようとする。
    「そんなことは無い。我々は鍛え方が違う。少しくらいの……」「そう言う問題じゃないよ、セイナ」
     卓から半立ちになった晴奈を、エルスがやんわりと抑える。
    「実際に起こっている問題として、若手や壮年の剣士たちの中にはもう、疲労や怪我でほとんど身動きできなくなっている人もいるらしいじゃないか。この半年ほとんど、休むことなく戦い続けているんだからね。
     この状況を鑑みるに――言い方は少し悪いけど――『手駒』がいないことが問題なんだ。教団の下っ端みたいに、いわゆる『歩』の役割をしてくれる人がいないから、将や班長クラスの人間を、一歩兵と兼用で使っている状態だ。
     これじゃ1人当たりのタスク、処理能力が到底、現状に追いつかない。数字で言うなら、こちら側1人に対して、相手は5人も10人もかかって来てる状態なんだ。兵法の基本から言えば、こんな状況に留まるなら、逃げた方がましだ。
     でもそう言う状況で、君たちは逃げないだろ? 真っ向から相手してるよね」
    「当たり前だ」
    「それが災いしてるし、相手の司令官にしても、狙ってきてるポイントなんだろう。ただでさえ少ない人材を、片っ端から消耗させて自滅させるのが狙いなんだよ。
     人使いの荒い今の状況じゃ、優秀な人材もいずれ使い潰す羽目になる。数で対抗できなきゃ、いずれは押し切られちゃうよ」
    「ふむ……。つまりは人員を大量に確保せねば、と言うことか」
     ここで紫明が、考え込む様子を見せる。それを見て、晴奈が尋ねた。
    「父上、何か策が?」
    「うむ。晴奈、私が央南連合幹部の一員であることは知っているだろう?」
     それを聞いて、エルスも尋ねてくる。
    「央南連合? 確か央南の政治同盟……、でしたね?」
    「うむ。そこに人員を貸してもらうよう、頼んでみるのはどうだろうか」
     紫明の提案に、エルスはにこっと笑ってうなずく。
    「なるほど。確かに連合軍なら、かなりの数が確保できそうですね。戦力としても申し分無い」
    「央南の安寧秩序を第一とする連合ならば、西部侵略を押し進める黒炎と戦っていると告げれば、手を貸してくれるだろう」
    「よし、それじゃ早速、お願いに行きましょう」
     エルスはうなずき、紫明の案を採った。

    蒼天剣・権謀録 1

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第88話。教団の神様。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「どけ、そこの木炭!」 目の前にいる「狼」からいきなり罵倒され、男は少し戸惑ったような素振りを見せたが、男は素直に横へ退いた。「フン」 その黒い狼獣人はこれ見よがしに肩を怒らせて、男の前を通る。 と、男が口を開く。「一つ聞く」 男の問いかけに対し、罵倒した「狼」――ウィルバー・ウィルソンは、横柄な態度を返す。「……あ? 何か用か...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第89話。
    疑惑の「狐」との対面。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     央南には、厳密な意味での「国」が無く、州が集まってそれぞれ自治を行う「連邦制」を執っている。
     かつては国王を主権とする国が、央南全土にわたって存在していたのだが、その国は暴虐の限りを尽くして人民を苦しめ、やがて人民との間で戦争が勃発。その結果、国は滅びた。
     そして、その後に群雄割拠してできたいくつかの小国の間でも央南統一を掲げた戦いが起こり、長きにわたって戦乱が続いた。
     その長い戦いの果てに、「誰か一人が王になろうとしても納まるまい」と悟った央南の権力者たちが話し合い、央南をいくつかの州に分けた。そしてその州をまとめる宗主たちが集まり、彼らを幹部として、央南の政治体制や州間の意見調整、域外との外交方針を取り決める組織を築き上げた。
     これが央南連合の始まりである。



     晴奈とエルス、紫明の3人は央南中部の街、天玄に到着し、連合の本拠となっている屋敷、天玄館へと向かった。
    「父上」
    「うん?」
     屋敷内の様子を一瞥した晴奈が、紫明にそっと声をかける。
    「何と言いますか、ここは黄屋敷とは大分、趣が異なっておりますね」
    「ふむ、まあ、確かにな」
     天玄館の中はどこも騒々しく、多くの人が書類や何かの機材を持って、バタバタと行き交っている。
    「黄屋敷は静かな場所でしたが、こちらは何と言うか、……にぎやかな」
     言葉をにごした晴奈に対し、エルスは正直に述べる。
    「まあ、ぶっちゃけると騒々しいところだよね」
     紫明も肩をすくめ、それに応じた。
    「連合の本拠地であるからな。あちこちから嘆願や請願が押し寄せてくるから、この騒々しさも仕方の無いことだ。
     とは言え、懸念はある。この繁忙からすると、主席も手一杯であるかも知れん。こちらの話を真摯に聞いてくれるかどうか」

     紫明の予想通り――連合の主席、狐獣人の天原桂は両手を交差し、晴奈たちの目の前に「×」を作った。
    「いやー無理です」
     そのにべもない回答に、紫明は渋い顔をする。
    「やはり難しいですか」
    「いやいや。難しいじゃなく、無理。まったく無理なんです」
     天原はもう一度、「×」を作る。
     と、エルスはつぶさに情況を尋ね、天原主席に食い下がる。
    「兵士は回せませんか?」
    「はい。無理無理、無理なんです」
    「一人も?」
    「ええ。ダメ、絶対」
    「何か今現在、問題を抱えていらっしゃるのですか?」
    「ええ、あります。一杯。たくさん。目が回るほど」
    「教えていただいても?」
    「ん、まあ、はい。じゃ、こちらをご覧ください」
     天原は机から書類を乱雑に取り出し、晴奈たちの前に並べていく。
    「大きな問題としては、こちら。東部地域でですね、大規模な水害が起こっていまして、それを解消するために、2割ほど人員を送ってまして」
    「残り8割は?」
    「こちらに、1割。で、こっちにも。あと、これと、これと、これと……」
     天原は次々に、書類を積み上げていく。そのあまりの量に、晴奈と紫明は唖然とする。
    「ね? これじゃ、とてもとても……」「あのー」
     ここでエルスが書類の束をつかみ、進言した。
    「良ければご意見させていただいても、よろしいですか?」

    「ね? ここの物資を使えば、わざわざここから輸送しなくても良くなります。恐らく作業日数は、3分の1以下に収まるかと」
    「はあ……」
     一見、乱雑で混沌とした状況でも、戦略家のエルスが見ればいくつかの活路、打開策が見つけられた。
    (ふむ、これなら話もまとまるか……?)
     晴奈は期待を持って紫明に目配せしたが、紫明は表情を曇らせている。
    (いや……、やはり主席は断るつもりらしい)
    (え……?)
     紫明が示した通り、天原は仕事が片付いて喜ぶどころか、先ほどよりさらに憂鬱そうな――まるで言い訳ばかりする子供が言葉に詰まり、すねたような――顔をする。
    「あ、のー」
     そしてたまらずと言った様子で、天原が口を開いた。
    「それでですね……、あ、はい」
     応じたエルスに、天原はたどたどしく、こう切り出した。
    「そのー、えーと。何て言いますかねー、まあ、……契約、の話をしたいんですが」
    「契約ですか?」
     なぜかこの時、エルスの目が――相変わらず、ヘラヘラ笑いながらも――鋭く光った。
    「グラッドさんが私の手助けをしていただく代わりに、そちらの要請――対黒炎用の人員をご用意させていただきます。そう言う話ならどうでしょうか?」
    「……うーん」
     この提案に、エルスが悩む様子を見せる。晴奈もこの提案を呑むことに、不安を覚えた。
    (むう……。もし手伝うことになれば、きっとエルスは天玄に留まることになるだろう。その間の、黄海での指揮が不安ではあるが……)
     この提案に対し、エルスはやんわりとした回答を返した。
    「そうですね、そう言ったお話となると、僕一人では即決できません。持ち帰って検討させていただいても?」



    「ふむ」
     聖堂の梁の上で、大火は下にいる者たちを見下ろしていた。高く、明かりのない天井のため、大火がいることに下の者たちは気付いていない様子である。
    「クク……、またあの小僧か」
     聖堂の壇上ではウィルバーがだるそうに、かつて大火が記した書を読み上げている。
     どうやら本日の音読の担当は彼であるようだが、明らかにやる気が見られない。
    「であるからしてー、えー、魔術師とはー、えー、契約を重んじー、えーと、それを最大の術とするのである。はい、おしまい」
    「クッ」
     そのやる気の無い様子を見て、大火は噴き出す。
    「おいおい、三流大学の呆けたじじいか、お前は」
     大火のそんなつぶやきが聞こえるはずも無く、ウィルバーは経典を乱雑に書架へ投げ込み、皆に聖堂を出るよう促す。
    「ほれ、終わったんだからさっさと出ろ。修行に行け、ほれ」
     ウィルバーに言われるがまま、教団員たちはぞろぞろと聖堂を後にする。
     と、最後に出ようとした尼僧を見て、ウィルバーは声をかける。
    「おい、そこの」
    「はい、何でしょうか?」
     ウィルバーは助平そうに笑い、にじり寄ってくる。
    「ふむふむ、なかなかの上玉……、もとい、鍛錬を積んでいるな。どうだ、オレと一緒に修行しないか?」
    「え、ええ? あの、いえ、わたし、一人で……」
    「いいじゃないか、な?」
     口説こうとしているウィルバーを見て、大火は舌打ちした。
    「……下衆め。ろくでもないことを」
     すっと、大火が消える。その一瞬後、尼僧もウィルバーの目の前から、ポンと消えた。
    「なあ、いい……だ、ろ? あれ? おい? おーい?」

    「あの、やめて……、え?」
     尼僧はいつの間にか聖堂の外に立っており、きょとんとしている。
    「あれ?」
     呆然としたままの尼僧の頭をぽんぽんと叩き、大火はこう諭した。
    「今後は最後に出るのを控えておけ。あんな不埒者の小僧と関わりたくなければ、な」
    「あ、はい、ありがとうござい……ます? あの……?」
     依然、きょとんとした顔のまま、尼僧はぱち、とまばたきする。
     その一瞬の間に、大火は姿を消していた。

    蒼天剣・権謀録 2

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第89話。疑惑の「狐」との対面。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 央南には、厳密な意味での「国」が無く、州が集まってそれぞれ自治を行う「連邦制」を執っている。 かつては国王を主権とする国が、央南全土にわたって存在していたのだが、その国は暴虐の限りを尽くして人民を苦しめ、やがて人民との間で戦争が勃発。その結果、国は滅びた。 そして、その後に群雄割拠してできたいくつかの小国の間でも...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第90話。
    ほの見える、黒い政治戦略。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「ウィルバーについての調査結果だが、結論から言うならば、あれをウィルソン家の人間であるとは、容易には信じられん、な。とんだ愚物だ」
    「ううむ……」
     大火の評価に、教団の教主であり、ウィルバーの父親でもあるウィリアム・ウィルソン4世は悲しそうな顔をした。
    「お前や兄弟、親類のいる前ではそれなりにへつらってはいたが、いざその目が届かぬ場に移れば、途端に態度が変わった。
     不必要に家名や職位をかざして威張り散らし、女の尻を追いかけ、おまけに禁じていたはずの酒もどこからかくすねて、取り巻き共と酒盛りまでしている。
     やりたい放題とはまさにこのことだろう」
    「そうですか……」
     報告を聞き終えた途端、ウィリアムは顔を覆い、がっくりとうなだれた。
    「わざわざタイカ様御自らにご足労いただいて、この体たらくとは。全く情けない限りです。
     では、契約の履行と……」「ああ、それについてだが」
     もう一度頭を垂れかけたウィリアムを、大火が止める。
    「せがれの不始末を、親のお前が尻拭いするのは解決にならんだろう? あいつ自身でその債務を払わなければ、反省には結びつくまい」
    「と、言うと」
    「自分のツケは、自分で支払わせるのが筋と言うものだ。
     お前と交わした契約は、あいつに履行してもらうとしよう。何を支払ってもらうかはいずれ、本人に伝えておく」



    「契約だなんだって言う言葉は、タイカ・カツミの語録や黒炎教団の経典なんかでよく用いられるそうです」
     エルスは検討のために用意された個室で、話を切り出した。
    「この『契約』と言う言葉に関しては、かなり多くの書物で言及されています。教義としても扱われていて、曰く『契約は公平にして対等の理』とか何とか。
     今時そんな言い回しを使うのは、真面目な商人か、熱心な教団員くらいです。でもアマハラさんは、どう解釈しても前者ではありません」
    「何の話をしている?」
     けげんな顔を向けた紫明に、エルスは説明を続ける。
    「結論から言えば、アマハラさんはどうも怪しいですね。
     僕たちの要請なんか、連合軍の規模を考えれば簡単に受け付けられるはずです。でも彼はあれこれ言い訳して、応じる様子をまったく見せなかった。
     それに仕事の仕方にも疑問があります。あれらはちょっと仕事のできる人なら、とっくに終わっているような簡単な作業でした。むしろアマハラさんは、連合の仕事を停滞させているかのように手を回している節さえあります。
     おまけに対黒炎隊の中でブレーン、参謀となっている僕をいきなり引き抜くなんて話も、突飛な判断と思えます。そして何より、『契約』なんて言い回しをしたことも妙です。まるで教団員みたいですよ」
    「エルス、まさかお主、天原主席が教団員だと言うのか?」
     晴奈の言葉に、エルスはこくりとうなずいた。
    「うん、可能性は非常に高い。教団員でなくとも、教団と何らかの強い関わりがあるだろう」
    「ば、バカな!」
     紫明がバンと卓を叩いて立ち上がり、エルスの意見を否定する。
    「か、彼は連合の主席だぞ!? もしも彼が、教団と通じていると言うのならばっ」
    「ええ、大変なことです。元々、央南連合は黒炎教団に対して否定的、敵対的な姿勢を執っていますからね。それに今回の、我々の戦いの件に即して考えてみても、挟撃の可能性が出てきますからね。
     しかしそう考えると、あの件に対する連合の行動に、辻褄が合うんですよ」
    「あの件とは?」
    「昔、加盟州である黄海を教団によって占領された時、連合がまったく介入も軍派遣もしなかった、その理由です」
    「あ……!」
     エルスの論拠を聞き、紫明の顔が青ざめる。
    「ま、まさか……、そんな」
    「ともかく今日のところは、天原氏には『話がまとまらなかったのでもう一日、教義の時間を欲しい』と返答しておきましょう」
    「……うむ」
     苦い顔のまま、紫明がうなずき、立ち上がる。
     晴奈も立ち上がったところで、エルスがつぶやいた。
    「こんな回りくどい策を巡らす人間が教団にいるとすれば、ワルラス卿かな」
    「誰だ? まさか教団に知り合いがいるのか?」
     晴奈の問いに、エルスは手を振って否定する。
    「いや、名前と評判くらいしか知らないけどね。
     ワルラス・ウィルソン2世。黒炎教団教主の弟で、いま52、3くらいの狼獣人。央南方面の布教を任されてる大司教だよ。
     かなり頭が良くて、非常に狡猾な性格だとか。いかにもこんなことを考えそうなタイプだよ」
    「ふむ。……そう言えばワルラスと言えば昔、うちに送られた文で見た覚えのある名だな」



     大火が帰った後――。
    「兄上。何か隠しごとをなさっておいでですな」
     ウィリアムは弟、ワルラスに問いつめられていた。
    「な、何を言うんだ、ワルラス」
     根が正直なウィリアムは、傍目に分かるほど動揺する。
    「大方、ウィルバーのことで何か画策しているのでしょう。
     確かに彼に対して、あまりいい評判を聞きません。それに最近では、黄州の戦いで何度か手痛い敗北を喫しているとも。最近の荒れ様もきっと、そこに原因があるのでしょう」
    「まあ、そうだろうな。だが最近のあいつは、少々目に余るところが……」「まあ、まあ」
     嘆くウィリアムを、ワルラスがなだめる。
    「人間、時には勢いを落とし、愚かしく惑う時期もあるでしょう。大成する者なら、なおさら。きっとウィルバーも、そんな時期に入っているのですよ」
    「そうだろうか」
    「そうですとも! これは彼に与えられた試練、そう思って気長に見ておやりなさい」
    「……うーむ」
     ウィリアムは小さくうなずき、その場を後にした。

     ウィリアムの姿が見えなくなったところで、ワルラスは静かに眼鏡を直しながら、ぼそっとつぶやいた。
    「アンタは黙って、おろおろしていればいいんだ。どうせ平凡陳腐なアンタのことだ、大したなど何も、できやしないんだからな」

    蒼天剣・権謀録 3

    2008.10.09.[Edit]
    晴奈の話、第90話。ほの見える、黒い政治戦略。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「ウィルバーについての調査結果だが、結論から言うならば、あれをウィルソン家の人間であるとは、容易には信じられん、な。とんだ愚物だ」「ううむ……」 大火の評価に、教団の教主であり、ウィルバーの父親でもあるウィリアム・ウィルソン4世は悲しそうな顔をした。「お前や兄弟、親類のいる前ではそれなりにへつらってはいたが、いざ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第91話。
    エルスの迎撃作戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    《アマハラくん》
     夜遅く、天玄館の主席室に声が響く。黙々と書類をいじっていた天原は、その声に狐耳をピンと立てた。
    「ウィルソン台下ですか? 少々お待ちを」
     天原はそっと、部屋の入口に鍵をかける。そして壁際の本棚を動かし、その裏にあった魔法陣の描かれた壁をさらす。
    「『扉』は開けました。どうぞ、おいでくださいませ」
    《ありがとう》
     魔法陣が紫色に輝き、その中央からするりと、ワルラス卿が現れた。
    「少し、気になる件を聞いたのでね。取り急ぎ、こちらに伺った次第だ」
    「黄氏の件、でございますね」
     天原はワルラスに近付き、そっと耳打ちする。
    「まあ、やはりと言いますか。あのグラッドと言う男、なかなかに頭が切れるようでして。密談の様子を盗聴していた者から、私の正体に気付いたようだ、との報告が」
    「ふむ。それは、少しまずいかもしれない。
     グラッドとか言う者自体は連合の関係者では無いし央南人でも無いから、仮に君のことを吹聴されても、さして問題は無い。
     だが黄州の権力者であり、連合幹部の人間であるコウ氏にその話を広められれば……」
    「私の地位、ひいては台下の央南教化計画にも、大きな打撃がある、と」
     心配そうに見つめる天原を見て、ワルラスも眉を曇らせる。
    「ああ、確かに多少なりとも被害は出るだろう。
     が、それは『もしもそうなれば』の話だ。そうならなければ良い。意味は分かるね、天原くん?」
     ワルラスの問いに、天原は眼鏡をキラリと輝かせて答える。
    「は……、心得ております。今夜中にも、手配いたします」
    「よろしく頼む。では、失礼」
     そう言ってワルラスは席を立ち、魔法陣へと歩き、その向こう側へと進む。その直後カチ、と音を立て、魔法陣から光が消えた。



     既に天玄館を後にし、晴奈たちは宿に戻っていた。時刻は真夜中を過ぎ、赤と白の月が、わずかに窓際を明るくしている。
     と、その光が何かにさえぎられ、部屋に届かなくなる。光の代わりに黒い服を着た者たちが2人、3人と部屋に入ってきた。
     黒ずくめたちは目標を確認しようと床に近付いていく。だが、その目標――晴奈、エルス、そして紫明の姿はいずれも、床に無かった。
    「……!?」
     黒ずくめたちは一瞬顔を見合わせ、うろたえる様子を見せる。
    「ここで合ってるよ」
     と、上から声が聞こえる。黒ずくめたちがそちらを向いた瞬間――。
    「ほい」「ぎゃー……ッ!」
     黒ずくめの一人が窓から勢い良く、投げ飛ばされた。
    「でも、何も言わずにいきなり夜這いって言うのは感心しないなー。誠実じゃないもん。やるなら堂々と正面突破だよ。そうじゃなきゃ、女の子はなかなか振り向いてくれないよ?」
     エルスが窓から顔を出し、頭から地面に突っ込んだ黒ずくめに笑いかけた。
    「な、何故我々が来ると……!?」
    「あのね、『アマハラさんが怪しい』って言ってるのに、『アマハラさんが用意してくれた部屋は怪しくない』って理屈は通らないと思うよ。
     君たちに話を聞かれてたことも知ってたし、こうして襲ってくるって言うのも、予想が付いてたんだよね~」
     そう言って苦笑しながら、エルスは二人目の肩と帯をつかみ、背負うように勢い良く引っ張った。
    「えい」「わー……ッ!」
     2人目も同様に、窓の外へと飛んでいく。残った黒ずくめは、「ひぃ」と叫び、自分から窓の外へ飛び出し、逃げていった。
    「ふー。……じゃ、頼んだよセイナ」

     逃げた黒ずくめは大急ぎで天玄館に戻っていく。裏口に入り、隠し階段を登り、秘密の通路を抜ける。そして晴奈たちの暗殺を指示した黒幕、天原のところに舞い戻った。
    「殿……!」
    「どうしました、そんなに慌てて? 成功したのですか?」
    「あの、それが、その……」「ああー」
     天原の顔色が悪くなる。
    「分かりました。あなたの後ろを見て、何もかも」
     黒ずくめはそっと、振り返る。振り返った瞬間に刀を鎖骨にぶつけられ、そのまま気を失った。
    「安心しろ、峰打ちだ」
     黒ずくめの背後にいた晴奈は、そう言って刀を納めた。

    蒼天剣・権謀録 4

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第91話。エルスの迎撃作戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.《アマハラくん》 夜遅く、天玄館の主席室に声が響く。黙々と書類をいじっていた天原は、その声に狐耳をピンと立てた。「ウィルソン台下ですか? 少々お待ちを」 天原はそっと、部屋の入口に鍵をかける。そして壁際の本棚を動かし、その裏にあった魔法陣の描かれた壁をさらす。「『扉』は開けました。どうぞ、おいでくださいませ」《ありがと...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第92話。
    強敵、出現。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     晴奈はキッと天原を睨みつける。
    「天原主席。これで言い逃れはできないぞ。
     教団員と思しき黒ずくめ2名はエルスが捕らえ、残った1人もこうして親玉、つまりあなたのところに戻るのを確認した。最早、弁解の余地は無い」
     真っ青になった天原は硬直している。が、突然笑い出した。
    「ヒ、ヒ……、ヒヒッ、そう思うか、本当にそう思うのか!」
     そう叫ぶなり、天原はブツブツと何かを唱える。
    「魔術か!」
     晴奈は素早く刀を抜き、炎を灯して構える。
    「お前らが消えれば証拠なんか、どうとでもできる! 『アイシクルエッジ』!」
     天原が向けた掌から、にゅっと氷柱が飛び出す。晴奈はそれを刀で弾き、間合いを詰める。
    「それ以上、抗うな」
    「断る! 全力で抗う!」
     天原はさらに氷柱を撃ち出す。
     だが氷は炎と相性が悪く、焔流の剣豪相手では氷の魔術など、大した武器にはならなかった。
    「それッ! はいッ! でやあッ!」
     次々と打ち出される氷柱を晴奈はいとも簡単に弾き、溶かし、天原との距離を縮めていく。
    「観念しろ、天原!」
    「いやだッ! 逃げるッ! 『ホワイトアウト』!」
     術を唱えた瞬間、辺りに白い煙が立ち込める。敵を幻惑させる、目くらましの術である。
     煙が立ち込めると同時に、先程晴奈が通ってきた隠し通路の方から、足音が遠のきつつ聞こえてきた。どうやら敵わないと見て、逃げ出したらしい。
    「む……! 逃がさんぞッ!」
     晴奈も隠し通路に飛び込み、天原の後を追った。

    「ヒィ、ヒィ」
     天原は半泣きで天玄館を出た。夜道を駆け、必死で晴奈から逃げようとする。
    「誰か、誰かいませんか!」
     天原は誰もいないはずの夜道に、声をかける。
    《はっ。殿、こちらでございます》
     ところが、虚空から低い男の声が返ってきた。
    「おお、篠原くん! 来てくれましたか!」
    《殿の危急とあらば、どこへでも馳せ参じます》
    「流石、流石ですよ! ……そうだ、篠原くん! これから女剣士がやってきます。流派はあの、焔流です」
    《……!》
     姿は見えないが、息を呑む気配は伝わる。
    「あなたの、あなたの剣術、『新生焔流』で、細切れにしてしまいなさい!」
    《……御意》
     そこでようやく、骸骨のように痩せた、眼の窪んだ男――種族までは頭巾を被っているので分からない――が姿を現す。
     と同時に、晴奈が追いついてきた。
    「天原ッ! そこになおれ!」
    「……ヒヒヒヒ。断る、断りますよ黄さん!」
     天原は篠原の後ろに隠れ、居丈高に笑う。
    「さあ、やっておしまいなさい! その間に、私は『例の場所』に行きます!」
    「承知」
     篠原はわずかにうなずき、晴奈と対峙した。

     篠原と向かい合った瞬間、晴奈の耳と尻尾が毛羽立った。
    (……こやつ、できるな?)
    「名乗っておこう」
     篠原は大儀そうな低い声で名乗る。
    「某、篠原龍明と申す。新生焔流、篠原派開祖だ」
    「焔流だと!?」
     敵が自分と同じ流派だとは素直に信じられず、晴奈は思わず声を上げる。
    (いや……しかし、確かに刀の構えには、焔流の面影があるように見える)
     生気の無い目を向けながら、篠原が尋ねてくる。
    「殿に聞いたが、貴様も焔流の者だそうだな」
    「いかにも。本家焔流免許皆伝、黄晴奈だ」
    「なるほど。確かに腕は立つようだが……」
     気だるそうに篠原がつぶやいた直後、晴奈は尋常ではない殺気を感じ、一歩退く。
     次の瞬間、自分が立っていた場所を斜めに、地割れが走った。
    「ふむ、勘もいい。某の『地断』を見切るとは」
     篠原の刀から、チリチリとした音が響いている。
    (この貫通性……、『火射』の派生形か? 地面がこのように、バッサリ斬れるとは)
     と、篠原が晴奈の背後に目を向ける。
    「……もう一人、いたか」
     するとガサガサと音を立て、茂みからエルスが現れた。
    「はは、僕のスニーキング(潜伏術)もまだまだだなぁ」
     エルスは晴奈の横に立ち、ト型の武器――トンファー(旋棍)を取り出して構える。
    「アマハラさん、逃げちゃったかぁ。えーと、シノハラさんだっけ。一つ提案するけど」
    「何だ?」
    「僕らの目的はアマハラさんの確保だったけど、逃げられちゃったから目的不達成。で、シノハラさんの目的はアマハラさんが逃げ切るまでの、僕らの足止めでしょ?
     僕らの目的は達成できなかったし、シノハラさんの目的は達せられた。双方にとって最善の策は、ここで僕らと戦わず、このまま離れることだと思うんだけど」
     エルスの提案を聞いた篠原は、馬鹿にしたように口角を上げた。
    「愚論だ。某、黄の殺害を命じられている」
     それだけ言うと篠原は晴奈との距離を詰め、斬りかかってきた。篠原が踏み込んだ瞬間、晴奈も反応する。
    「りゃあッ!」
     晴奈と篠原、二人の刀がぶつかり合い、高い金属音が夜道に響き渡る。篠原は意外そうにぴくりと片眉を上げ、晴奈に声をかける。
    「ふむ……、弾き飛ばすつもりだったのだが。女と侮ったが、思ったより胆力がある」
    「この黄晴奈、なめてもらっては困る」
     晴奈はトンと後ろに下がり、刀に火を灯す。
    「『火射』!」
    「むうっ」
     晴奈の放った「飛ぶ剣閃」は、確実に篠原を捉える。だが――。
    「『火閃』!」
     篠原は「爆ぜる剣閃」で晴奈の技を跳ね返した。
    「な……ッ!?」「危ない、セイナ!」
     エルスが晴奈の腕をつかみ、横に投げる。それと同時に、迫り来る炎を魔術で防ぐ。
    「『マジックシールド』!」
     エルスの作った魔術の盾に自分の技が防がれたのを見て、篠原は顔をしかめた。
    「なるほど、お前の言う通りのようだ。この状況では一向に、決着するまい」
     篠原は刀を納め、身をひるがえした。
    「黄。そして、グラッドと言ったか。この決着は、いずれ付けさせてもらおう」
    「待て、篠原ッ!」
     晴奈が呼び止めたが、篠原はそのまま闇に紛れ、姿を消した。

    蒼天剣・権謀録 5

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第92話。強敵、出現。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 晴奈はキッと天原を睨みつける。「天原主席。これで言い逃れはできないぞ。 教団員と思しき黒ずくめ2名はエルスが捕らえ、残った1人もこうして親玉、つまりあなたのところに戻るのを確認した。最早、弁解の余地は無い」 真っ青になった天原は硬直している。が、突然笑い出した。「ヒ、ヒ……、ヒヒッ、そう思うか、本当にそう思うのか!」 そう叫...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第93話。
    風雲急を告げる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     某所。
    「ふー」
     央中風の大きな椅子にもたれた天原はため息をつき、天井に向かって声をかけた。
    「篠原くんは、戻りましたか?」
    《いえ、まだ戻っておりません》
    「そうですか。意外に、てこずっているのかな。
     はー……、猫女に追い掛け回されてのどが渇きました。飲み物を持ってきてください」
     少し間を置き、部屋の戸を開けて黒ずくめの少女が現れる。
    「失礼します、殿」
    「ありがとう、藤川くん」
    「いえ……」
     飲み物を用意した黒ずくめ、藤川は小さく頭を下げ、部屋を出ようとした。
    「あ、ついでに」
    「はい、何でしょうか」
    「天玄館の執務室に行き、棚の後ろにある魔法陣を消してきてもらえますか? 台下が万一あちらに現れたら、大変なことになるでしょうから」
    「かしこまりました」
     藤川はもう一度頭を下げ、部屋を出た。
    「あ、お頭……」
    「今、戻った」
     扉の向こうで、藤川と篠原の話し声がする。すぐに篠原が戸口から顔を出す。
    「殿、ただいま戻りました」
    「ご苦労様でした、篠原くん。あの猫女は、片付けてくれましたか?」
     篠原は首を振り、窪んだ目をさらに落ち窪ませる。
    「恐れながら……。邪魔が入り、退却いたした次第です」
    「ほーぉ」
     篠原の報告を聞いた途端、天原の顔が不満げに歪む。
    「じゃあ何ですか、篠原くんともあろう者が何もできず、戻ってきたと?」
    「面目ございません」
     天原はしばらく篠原を睨みつけていたが、もう一度ため息をつき、眼鏡を外して横を向いた。
    「……まあ、いいです。後は、つけられてないでしょうね?」
    「はい」
    「なら、そっちは問題無しですね。
     多分、黄大人が央南連合に介入して私の素性も知れるでしょうから、天玄に入ることはできなくなるでしょう。一応、天原家の財産の一部はここに蓄えてありますけれど、まだ大部分が天玄に残ってますからねぇ。それを失うのも嫌ですし、ウィルソン台下からのご勅命を無碍にもできませんし。
     近いうち天玄に攻め込んで、連合代表の地位復権に臨まないといけませんねぇ」
     天原は眼鏡を拭きながらチラ、と篠原を見る。
     篠原は彼と視線を一瞬だけ合わせ、背を向けつつ答えた。
    「……我ら篠原派焔流一同、殿のご命令とあらば、いかような任務にも就く所存です」
    「ええ、頼りにしていますよ」



     翌日、天玄は大騒ぎになった。
     連合の代表が、実は敵対している黒炎教団と通じていたことが公になり、天玄館に激震が走った。と同時に、これまで天原が手がけていた業務のほとんどに不正――連合への業務妨害が行われていたことも発覚し、連合は大慌てで事態の収拾に当たった。
     その際にエルスが知恵を貸したことと、黄商会が多額の資金援助を行ったこともあって、次の主席には紫明が就任することとなった。
     これにより紫明は連合軍を自由に動かせるようになり、所期の目的であった黄海への援軍も達成された。

     しかしこの騒動により、晴奈の胸中にはある不安が沸いていた。
    (一体、天原はどこに雲隠れしたのだ? あの卑怯そうな男のことだ、恐らく天玄に舞い戻ろうと画策するだろう。恐らく、実力行使によって。
     そしてあの男、篠原龍明。焔流剣士と名乗り、確かに焔流の技も持っていた。何より気になるのが、あの『地面を叩き斬った』技。もしや、あの時イチイ殿を屠ったのは、篠原に縁ある者では無いのか?)
     考えれば考えるほど、天原と篠原の周りに不気味な影が見え隠れする図が浮かんでくる。
    (探らねばなるまい。今一度、紅蓮塞に戻るとしよう)
     と、晴奈の不安を感じ取ったらしく、エルスが声をかけてきた。
    「セイナ、あの男の調査をするんだろ? 焔流って言ってたから、晴奈の修行場に行くつもりだよね?」
     晴奈は腕を組み、エルスの笑い顔をけげんな表情で見つめる。
    「いつもながら、どうしてお主は私の心を読めるのか。……その通りだ」
    「なら、僕も付いていくよ」
     思いもよらない提案に、晴奈は目を丸くする。
    「何?」
    「これは、僕の勘なんだけど」
     珍しく、エルスの顔から笑みが薄れた。
    「何かすごく、危険な匂いがするんだ。あのアマハラ御大と、シノハラと言う侍から。
     彼らを放っておいたらきっと、戦争どころじゃなくなる。そんな気が、するから」
     エルスの言葉に、晴奈も無言でうなずいた。
     晴奈もまた、エルスと同じ危機感を、うっすらとではあるが抱いていたからだ。

    蒼天剣・権謀録 終

    蒼天剣・権謀録 6

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第93話。風雲急を告げる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 某所。「ふー」 央中風の大きな椅子にもたれた天原はため息をつき、天井に向かって声をかけた。「篠原くんは、戻りましたか?」《いえ、まだ戻っておりません》「そうですか。意外に、てこずっているのかな。 はー……、猫女に追い掛け回されてのどが渇きました。飲み物を持ってきてください」 少し間を置き、部屋の戸を開けて黒ずくめの少女が...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第94話。
    幸せ一杯なご夫婦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     新たに現れた謎の敵、「新生」焔流剣士の篠原の素性を探るため、晴奈は焔流の総本山、紅蓮塞へと戻って来ていた。
    「へぇー、ここが紅蓮塞かぁ。厳格な場所だって聞いてたけど、意外にのどかな街なんだね」
     市街地を見回すエルスに、晴奈はぱたぱたと手を振る。
    「いや、ここはまだ市街だ。修行場はあっちにある」
     晴奈の示す方を見て、エルスと明奈は同時に声を上げた。
    「……へぇ」「何だか、物々しいですね」
    「霊場だからな。それに、敵に攻め込まれることを想定し、迷路のような造りになっている。私から離れると、迷い込んでしまうぞ」
    「はは、それは気を付けないとね」
     ちなみに晴奈が紅蓮塞へ戻るにあたって、エルスと明奈が同行していた。
     情報収集と分析、そしてその応用・活用にかけては、エルスの右に出る者はいない。エルス自身も「一度行ってみたい」と申し出ていたため、こうして随行したのである。
     また、明奈も同じように願い出ていたことと、晴奈の師匠である雪乃からも、かねてから「会ってみたい」と言っていたこともあり、エルス同様に付いてきていた。



    「まあ、本当に……」
     雪乃は明奈を見るなり、興味深そうな声を上げた。
    「似てるわね、あなたに。一回りちっちゃい晴奈、って感じ。後ろで髪をまとめたら、本当にそっくりかも」
    「はは……、明奈が戻ってきてからずっと、そう言われております。子供の時分はあまり、そう評されることは無かったのですが」
     晴奈は照れ臭くなり、しきりに猫耳をしごいている。一方、エルスも興味深そうに雪乃を眺めていた。
    「それで、こちらの外人さんは?」
    「あ、申し遅れました」
     エルスはぺこ、と頭を下げて自己紹介をする。
    「僕はセイナの友人で、エルス・グラッドと申します。お会いできて光栄です、ユキノさん」
     つられて雪乃も会釈する。
    「あ、はい。焔雪乃と申します。晴奈の師匠で、この紅蓮塞で師範を勤めております」
    「いやぁ、セイナの師匠と聞いて、美しい人を想像していましたが、それ以上ですね。非常にお優しい印象を受けます。とても柔らかな美しさが出ていますね」
     エルスの口が妙に回り出したことに気付き、晴奈が後ろから小突く。
    「おい、エルス。言っておくが……」
    「ああ、分かってる分かってる。僕は人妻を口説いても、小さい子のいるお母さんは口説かないよ」
    「あら……?」
     エルスの言葉に、雪乃は戸惑った様子を見せた。
    「なぜわたしに、子供がいると? まだ晴奈にも言ってなかったのに」
    「え? 師匠、お子さんが? い、いつ?」
     今度は晴奈が目を丸くする。
     雪乃は顔を赤らめ、嬉しそうに、しかしまだ疑問の残った顔でうなずいた。
    「ええ、1ヶ月前に産まれたの。あなたが塞を離れた頃には、まだわたしたちもできたことに気付いてなかったんだけどね。
     あーあ、驚かせようと思ったのに。どうして分かっちゃったのかしら」
     エルスが苦笑しつつ、種明かしをする。
    「はは、折角の吉報に水を差してしまいまして、申し訳ありません。
     まず、夫さんがいると言うことは、その指輪で分かりました。そしてお子さんがいらっしゃると言うことは……」
     エルスは自分の服をトントンと叩く。
    「その着物、胸周りや帯の位置がこれまで着ていたであろう位置と若干、合っていらっしゃいませんね。となると、この数ヶ月で何か、大きく体型が変わるようなことがあったと言うことです。
     その点とご結婚されていると言うことと合わせて、そう予想しました」
    「まあ……」
     雪乃は口に手を当て、驚いた様子を見せた。
    「随分、名探偵でいらっしゃるのね。……でも」
     雪乃はエルスに笑いかけ、たしなめた。
    「人妻も、口説いちゃダメよ」
    「はは、失礼しました」
     これもエルスの人心掌握術なのか、それとも雪乃が特別人懐っこいのか――二人は会って数分もしないうちに、すっかり打ち解けていた。

     続いて晴奈たちは雪乃に連れられ、良太と、雪乃たちの子供のいるところに向かった。
    「良太は今、書庫に?」
    「ううん、家元のところにいるわ」
    「ふむ、家元にも用事があったところです。丁度良かった」
     晴奈たちは焔流家元、重蔵の部屋の前に立ち、戸を叩いた。
    「失礼します、家元」
    「お、その声は晴さんじゃな。久方ぶりじゃの、入りなさい」
    「はい」
     戸を開けると、重蔵が耳の長い赤ん坊を抱いて座っていた。横には良太もいる。
    「姉さん。お久しぶりです」
    「久しぶりだな、良太。……家元、長らく留守にいたしまして」
    「おうおう、構わん構わん。……して、後ろのお二人は?」
     晴奈の後ろにいたエルスと明奈が前に出て、揃って挨拶する。
    「お初にお目にかかります。エルス・グラッドと申します。諸事情あって、北方からこちらに移住しました。現在、対黒炎教団隊の総司令を務めております」
    「初めまして、焔先生。黄晴奈の妹の、明奈と申します」
    「ほうほう、大将さんに晴さんの妹さんとな? これはまた、興味深い面々が参られましたな」
     重蔵は子供を良太に渡し、立ち上がって一礼した。
    「拙者、焔流家元、焔重蔵と申します。
     して、晴さん。ここに戻ってきたのは単に、良太たちの娘を見に来ただけではあるまい? 顔にそう書いてあるぞ」
    「はい、その通りです」
     晴奈は表情を改め、重蔵にゆっくりと尋ねた。
    「家元、篠原龍明と言う剣士について、何かご存知ではありませんか?」
    「……篠原じゃと?」
     その名前を聞いた途端、重蔵の目が険しく光る。
    「ご存知でいらっしゃいましたか」
    「存じている、どころか……」
     重蔵は吐き捨てるように答えた。
    「あやつはこの紅蓮塞を潰そうとしたのじゃ。忘れるわけがなかろう!」

    蒼天剣・魔剣録 1

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第94話。幸せ一杯なご夫婦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 新たに現れた謎の敵、「新生」焔流剣士の篠原の素性を探るため、晴奈は焔流の総本山、紅蓮塞へと戻って来ていた。「へぇー、ここが紅蓮塞かぁ。厳格な場所だって聞いてたけど、意外にのどかな街なんだね」 市街地を見回すエルスに、晴奈はぱたぱたと手を振る。「いや、ここはまだ市街だ。修行場はあっちにある」 晴奈の示す方を見て、エルス...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第95話。
    焔流の内紛。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     詳しい話をするため、晴奈とエルス、そして重蔵の三人は人払いをし、重蔵の私室に移った。
    「15年以上昔、この紅蓮塞に『三傑』と呼ばれた、才気あふれる剣士たちがおったんじゃ。
     一、『剛剣』こと楢崎瞬二。一、『霊剣』こと藤川英心。そして最後の一人が『魔剣』こと、篠原龍明。
     彼ら三人は同年代の剣士たちの中でも非常に抜きん出ており、いずれはこの紅蓮塞を背負って立つ人間になるだろうと評されておった。
     わしもその三人を非常に気に入っておったし、喧嘩別れさえしておらなんだら、三人のいずれかを晶良――娘の婿にしたいとまで思っておった。
     事件が起きたのは確か、双月暦が新世紀を迎えて間も無い頃か……。突然、篠原が謀反を起こしたのじゃ。門下生十数名をたぶらかし、『新生焔流』を名乗って、わしの命を狙いに来た。わしも今よりはまだ若かったし、楢崎と藤川の助けもあったから、結果的には撃退することができた。
     その後、当然篠原は塞を離れ、以後の行方は杳として知れん」
     重蔵はそこで言葉を切り、晴奈を見る。
    「しかし晴さん、どこでその名を?」
    「数日前、天玄でそう名乗る者と対峙しました。こちらにいるエルスの助けを借り、何とか撃退できたのですが……」
    「なるほど、そうか……」
     重蔵は一瞬、エルスを見る。
    「忌憚無くわしの見当を言えば、晴さん。
     エルスさんがいなければ、十中八九、晴さんは死んでおったな」
    「な……」
     面食らう晴奈を差し置いて、エルスも遠慮無く、重蔵の意見にうなずく。
    「まあ、そうでしょうね。単純に1対3の死闘で仕留められない相手を、1対2の状態で退かせられたのは、奇跡に近いと言えますね」
    「そう言うことじゃ。それに付け加えるならば、楢崎も藤川も、今の晴さん以上に強かった。その二人にわしの力を加えた、三人の剣豪を跳ね返す篠原の底力にはさしものわしも、恐れ入ったものじゃ。
     無論、楢崎も藤川も、かなりの痛手を負った。楢崎は半年近く寝込み、免許皆伝を得る機を一時、逃してしまった。藤川も片腕を潰され、『五体満足を必須とする』と言う免許皆伝の資格を失い、塞を去ってしまったのじゃ。
     無傷だったのはわしだけ――弟子を護ることができず、今でも忸怩たる思いをしておる」
     重蔵は腕を組み、それきり黙った。



     一方、雪乃と良太の部屋で、明奈は雪乃たちの娘、小雪を見せてもらっていた。。
    「可愛いですね、小雪ちゃん」
    「うふふ……」「えへへ……」
     子供をほめられ、雪乃と良太の二人は揃って、気恥ずかしそうに微笑む。その様子を見ていた明奈は、ため息混じりにこうつぶやいた。
    「はぁ……、何だかうらやましいです、お二人が」
    「ん?」
    「幸せそうだな、と」
     良太はきょとんとし、不思議そうに尋ねる。
    「明奈さんは、幸せじゃないんですか?」
    「……いえ、そう言うわけでは」
     明奈はそうにごしたが、雪乃が続いてこう尋ねてきた。
    「晴奈から、確か黒炎教団に7年囚われていたと聞いたけれど……?」
    「あ、はい」
    「何とか戻ってこられた今でも、まだ身柄を狙われているとも聞いたわ。となれば幸せだって言い切るのは、ちょっとためらってしまうわよね」
    「いえ、やっぱり幸せですよ」
     明奈は首を振り、静かに応える。
    「今はお姉さまが守ってくださいますから。時々、一人でどこかに飛んで行ってしまわれますけれど、本当に危険が迫ったら、きっと来てくださいますもの」
    「あー、まあ、確かに姉さん……、晴奈さんは突っ走る人ですねぇ。いつだったか、一人で黒鳥宮へ行こうとしたことがある、とか言っていましたし」
    「え?」
     良太の一言に、明奈と雪乃が驚いた声をあげた。
    「初耳ね、それ。いつのこと?」
    「あ……、しまった。内緒にしてくれ、って言われてたのに」
     良太は頭をかきつつ、晴奈が黒荘へ行っていた話を二人に打ち明けた。
    「へぇ……。あの時、そんなことしてたのね」
     話を聞いた雪乃は、納得した顔でうなずいた。
    「まあ、晴奈らしいと言えば、らしいわね。……明奈さん、どうしたの?」
    と、明奈は指折り、何かを数えている。
    「えっと、今が516年で、3年前の出来事ってことは、513年で……、へぇ」
    「ん?」
    「あのですね、一度本当にわたし、危なかった時があるんですよ」
     明奈は小雪の頭を撫でながら、その思い出を語る。
    「ウィリアム猊下のご子息に、ウィルバーと言う方がいらっしゃるんですが、この方が本当に好色で。教団の尼僧に、良く声をかけておられるんです。
     それで、わたしも声をかけられまして、危うく部屋に閉じ込められそうになったんです」
    「あのウィル坊やがねぇ……」
    「それは、災難でしたね」
     雪乃と良太は眉をひそめ、明奈の話を聞いている。
    「でも、猊下にそのことがばれて。温厚な猊下も、その時は流石に怒っていらっしゃいました。その後折檻されたりして、ウィルバー様はしばらく手を出さないようになりました。
     それで……、その事件が、513年の初めに起こったんですよ」
    「……つまり、晴奈姉さんの勘が働いて、あの時助けに行った、と?」
     良太はけげんな顔をして、雪乃の顔を見る。雪乃は腕を組み、首をかしげていた。
    「そこまでは何とも言えないけれど」
     雪乃は明奈に、にっこりと微笑みかけた。
    「もしそうなら、いいお姉さんね。本当に、大事に思っている証拠よ」



    「……うーむ」
     しばらく黙り込んでいた重蔵が、不意に立ち上がった。
    「家元?」
    「わし自身体にガタも来ておるし、うまく教えられるか分からん。それにうまく決まればまさに必殺じゃが、成功させるのは極めて難しいし、実戦で使えるか分からん以上、教える価値は無いかも知れん。
     半ば失敗作と言ってもいいし、この技は墓まで持って行こうかと思っておったが……」
     重蔵は床の間に飾ってあった刀を取り、晴奈に声をかけた。
    「晴さん。一つ、わしの編み出した技を教えておこう。
     その時運良く決まり、篠原を追い払った技――『炎剣舞』を」

    蒼天剣・魔剣録 2

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第95話。焔流の内紛。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 詳しい話をするため、晴奈とエルス、そして重蔵の三人は人払いをし、重蔵の私室に移った。「15年以上昔、この紅蓮塞に『三傑』と呼ばれた、才気あふれる剣士たちがおったんじゃ。 一、『剛剣』こと楢崎瞬二。一、『霊剣』こと藤川英心。そして最後の一人が『魔剣』こと、篠原龍明。 彼ら三人は同年代の剣士たちの中でも非常に抜きん出ており、い...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第96話。
    秘剣伝承。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     これまで晴奈は、焔重蔵が武器を持った姿を二度見たことがある。
     一度目は、晴奈が入門した時。そして二度目は、良太が入門して間も無い時。そのどちらも、重蔵は並々ならぬ気迫と技量を持って、晴奈たちにその力を見せた。
     しかし、長年焔流家元として、多くの剣士たちの鑑とされた重蔵も、寄る年波には勝てないらしい。三度目に見た、その刀を持った姿は――。
    (……老いた、か)
     背筋こそしゃんと伸びてはいるものの、まくられた袖から見える腕は筋肉が落ち、大分しわがより、皮膚が垂れ下がっている。
     その老いさばらえた姿に、晴奈は少なからず落胆していた。
    「ふぃー。すー……、はー……」
     修行場の中央に立った重蔵は腕を大きく振り、深呼吸を始める。非常にゆっくり、一呼吸に10秒近く時間をかけている。
    (随分、深い呼吸だ。気合いを入れているのだろうな)
    「すぅー……、はぁー……」
     重蔵の呼吸が、依然ゆっくりとしながらも荒くなっていく。そこで晴奈は重蔵の変化を、視覚的に確認した。
    (む……? 家元の、体が……?)
     重蔵の体が一呼吸ごとに、大きく見える。
     よくよく見てみれば、体の大きさは元のままだ。だが、体を取り巻く「空気」――剣気とでも称せばいいのか――が、じわじわと重蔵の体から広がっていくようにも見えた。
    「はあぁー……。
     晴さん。目を見開き、耳をそばだて、肌をあわ立てて、良く感じなされ。今のわしには一度しか、できん技じゃからのう」
     重蔵は晴奈に背を向け、刀を構えた。

     空気が弾ける音が聞こえた。
     ぼむ、と硬い鞠のはじけるような、空気の震える音。
     そして立て続けに、地面が爆ぜる音。
     凝らした晴奈の眼には、重蔵の姿が飛び飛びに映る。
     恐るべき速度で、剣舞を舞っているのだ。
     空気の弾ける音は、刀を振るう音。
     地面の爆ぜる音は、地面を蹴る音。
     そして重蔵が立ち止まった瞬間、晴奈は空気が燃え立ち、弾け、切り裂かれたのを、その眼で確かに見た。

    「……!」
    「こ、これが、『炎剣舞』、じゃ。ハァハァ……。
     基本は、焔流剣技『火刃』、『火閃』、そして、『火射』の組み合わせ、じゃが……、ゼェゼェ、太刀筋ごとの、絶妙の、機を見切り、連携させる、ことで……、このように、空気は、瞬時に、煮える。
     その猛烈な熱を、刀に込め、敵に浴びせれば、……ゴホ、ゴホッ」
     重蔵が咳き込み、地面に膝を着く。晴奈は慌ててその身を抱きしめ、介抱した。
    「い、家元!」
    「す、すまんが晴さん、ちと、疲れた。部屋まで、負ぶっていってくれんかの」



    「おじい様、もう歳なんですから無茶しないでくださいよ~」
     部屋に運ばれるなり横になった重蔵を心配し、良太が駆けつけた。二人きりになったところで、重蔵は横になったまま恥ずかしそうに笑う。
    「はは……、面目無いわい。予想以上に、力が落ちておった。
     まあ、しかし。晴さんに我が奥義を余すところなく見せられただけ、重畳と言うものじゃ。もう悔いは無いのう」
    「大げさですよ、もう……」
     良太は苦笑しつつ重蔵のそばを離れ、部屋に戻ろうとした。
    「……良太」
     と、重蔵が呼び止める。
    「何でしょう?」
    「もしわしが……、近いうちに亡くなったら」
    「ちょ、縁起でもないですよ、おじい様」
     目を丸くした良太をにらみつけ、重蔵が続ける。
    「聞け。……わしが亡くなったら、雪さんを当面、家元代理にしておいてくれ。お前たちの子が成人し、免許皆伝を得るまでは」
    「雪乃さんを……?」
    「雪さんはしっかりした人間じゃし、腕も立つ。彼女なら、紅蓮塞を支えられるじゃろう」
     良太は困った顔をしつつも、重蔵を見返す。
    「……おじい様、気落ちしすぎですよ。根が頑丈なんですから、まだまだ長生きしますよ」
     そのまま、良太と重蔵は見つめ合い――やがて重蔵が根負けした。
    「……はは、ま、そうじゃな。くだらんことを言うてしもうたのう」

     晴奈は重蔵を運んだ後、また修行場へと戻っていた。
    (『炎剣舞』……)
     刀を構え、重蔵の動きを頭の中で繰り返す。
    (太刀筋の連携と、呼吸、動作の緩急から生まれる、絶大な威力の集約、集合)
     まずは、覚えている限りで刀を振るい、その動作を真似る。刀に火を灯し、一振りごとに焔流剣技を繰り出す。
    (まずは『火刃』。最も基礎、基本の『燃える剣閃』)
     刀を振るうと、わずかに炎がたなびき、その紅い筋を刀の後ろに一瞬、残す。
    (続いて『火閃』。瞬時に熱をばら撒き、空気を焼く『爆ぜる剣閃』)
     一振りすると、一拍遅れて、空気の爆ぜる音が響く。
    (そして『火射』。地面を伝い、炎を敵にぶつける『飛ぶ剣閃』)
     振り下ろした瞬間地面に炎が伝わり、そのまま黒く焦げた軌跡を残して火柱が走る。
    (この三種の連携、……と言うが)
     汗だくになるまで何十回と振るってみたが、重蔵のように辺り一面煮え立つと言うようなことは、一向に起こらない。
    (……難しいな、まったく)
     結局、その日一日中、晴奈はずっと「炎剣舞」の習得に励んだが、残念ながら一度も、晴奈の満足が行くような出来には至らなかった。
     多少の不安を残したまま、この日の修行は終わった。

    蒼天剣・魔剣録 3

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第96話。秘剣伝承。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. これまで晴奈は、焔重蔵が武器を持った姿を二度見たことがある。 一度目は、晴奈が入門した時。そして二度目は、良太が入門して間も無い時。そのどちらも、重蔵は並々ならぬ気迫と技量を持って、晴奈たちにその力を見せた。 しかし、長年焔流家元として、多くの剣士たちの鑑とされた重蔵も、寄る年波には勝てないらしい。三度目に見た、その刀を持っ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第97話。
    遺恨の傷痕。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     某所、天原の隠れ家。
    「災難でしたね、アマハラ君」
    「ええ、本当に。まったく焔流には、ほとほと手を焼かされますよ」
     事情を聞きつけたワルラス卿が、天原の元を訪ねていた。
    「まあまあ、アマハラ君。それを言っては、シノハラ君たちに悪い」
    「おっと、そうでした。では言い換えて……、『旧』焔流には、ほとほと手を焼かされる、と」
    「はは……」
     天原はぱた、と手を叩き、茶を持って来させる。
    「黒茶を」
    「ただいまお持ちいたします」
     手を叩いてすぐに、黒頭巾をした女性――頭巾の端から猫耳が見えている――が、茶器と椀を持って現れた。
    「おお、早かった。いつもながら準備がよろしいですね、竹田くんも、皆さんも」
    「殿のご用命に、いつでも応えられるようにと」
    「ほう……」
     猫獣人、竹田の言葉に、ワルラスは感心した声をあげる。
    「いい部下をお持ちですね、アマハラ君は。部下と言う者はすべからく、こう言う出来る人間を持ちたいものです。私の甥などは本当に、愚物でして」
    「ああ、ウィルバーくんですか。おうわさは、かねがね……。現在は央南西部の侵攻……、おっと、教化に当たっているとか」
    「ええ、そうです。しかし、まあ……、アマハラ君も知っているでしょうが、あの二人の奸計にいつも絡め取られて、毎度毎度敗走、失敗すると言う体たらくでして」
     憎々しげに首を振るワルラスを見て、天原は小さくうなずく。
    「ああ、黄とグラッドですか。確かにあの二人は曲者ですねぇ。……そうだ、こんなのはどうでしょうか?」
    「うん?」
    「私も台下も、いくつか共通の悩みと、目標を持っています。黄とグラッドに手を焼き、央南西部、及び中部の教化にてこずっている。
     しかしですね、悩みと言うのは似通ったものが二つ合わされば、逆に転機となるのですよ」
    「ふむ……?」
     天原は手をさすりつつ、ワルラスに献策する。
    「あの二人を狙えば、その目標は達せられます。幸いにも我々には、多くの手駒がある。そしてもう一つ、『足』もあります。
     これに台下の頭脳を加えれば、どんな街も紙細工も同然。あっという間に攻め落とし、黒く染められましょう」
    「なるほど、なるほど。私もそれには同感です。
     それにもう一つ、あのグラッドと言う男の思考には、ある弱点を見つけています。そこを突いた策で攻めれば、我々の目標も達せられるでしょう」
     黒い「狼」と白い「狐」は、同時にニタニタと笑った。

     一方その頃、篠原は座禅を組みながら、昔を思い返していた。
    (あの『猫』は確かに俺より格下だった。だが、あの気迫は一流。……思い出す、昔俺が紅蓮塞にいた時のことを。
     既に家元は壮年も過ぎ、老境に達しようかと言う歳だった。体も痩せ、どう見ても苦戦する相手では無かった。瞬二も英心も確かに手強かったが、奴らは一太刀、二太刀であっさり沈んだ。俺は三人ともまるきり、敵とは見なしてはいなかった。
     だが……! 家元、焔重蔵だけは違っていた。俺の刀を4太刀浴びてなお、倒れるどころか向かってきた。確かに瞬二や英心よりは軽い怪我であっただろう。だが、それを差し引いても、あの二人とはまるで、質が違う。
     凡庸な奴らであれば、一太刀入れられれば怯み、退く。それが英心たちの敗因だった。逃げれば逃げるほど、面白いようにこちらの太刀は奴らの体に食い込み、半端に立ち向かうよりも深手を負う。
     だが家元は違った。どれだけ太刀を入れられようと、退かぬ。決死の覚悟を持って、踏み込んでくる。死をも省みず、攻め入ってくるあの気迫――負けたのは、奴よりはるかに強健な肉体と技量を持っていたはずの、俺だった。
     俺は『強い奴』など恐れん。本当に恐ろしきは『退かぬ奴』だ。退かぬ奴に俺の『魔剣』は通じない。それどころか俺の予想を上回る立ち回りで圧倒し、俺を恐れさせ……っ)
     重蔵の鬼気迫る顔を思い出し、篠原の胃は凍ったように絞めつけられる。
    「う、ぐ……」
     篠原は腹を押さえ、その痛みをこらえる。手を当てているうちに痛みは和らぎ、篠原は額に浮いた汗を拭った。
    (あれからもう、何年も経ったと言うのに)
     篠原は上を脱ぎ、自分の裸を見る。
    (この傷はなお、俺を捕らえ、痛め続けている)
     篠原の胸から腹全体にかけて、ひどい火傷と刀傷の痕が残っている。篠原は立ち上がり、己の中で膨れ上がる激情をこらえきれず、叫んだ。
    「この傷が癒えぬ限り、俺は本家を敵と見なす!
     見ていろ、重蔵……! お前の門下にいる者はみな、血祭りに上げてくれるぞ!」

    蒼天剣・魔剣録 終

    蒼天剣・魔剣録 4

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第97話。遺恨の傷痕。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 某所、天原の隠れ家。「災難でしたね、アマハラ君」「ええ、本当に。まったく焔流には、ほとほと手を焼かされますよ」 事情を聞きつけたワルラス卿が、天原の元を訪ねていた。「まあまあ、アマハラ君。それを言っては、シノハラ君たちに悪い」「おっと、そうでした。では言い換えて……、『旧』焔流には、ほとほと手を焼かされる、と」「はは……」 天...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第98話。
    引き続き情報収集。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「リョータ君、奥さんとはどうなの?」
    「ふえ?」
     良太とともに紅蓮塞の廊下を歩いていたところで、エルスはそう尋ねてみた。
    「アツアツ?」
    「え、えっと、まあ、……はい」
     恥ずかしがる良太の反応が面白く、エルスはさらに聞き込んでみる。
    「そっかー、そうだよね、お子さんもいるし。結婚して、何年くらい?」
    「えーと、2年……、くらいです」
    「じゃ、まだ新婚さんだね~」
    「ええ、はい」
     エルスは腕を組み、しみじみとした口調になる。
    「その若さで、あんなキレイな奥さんと子供もいて、しかもこの城の主に、すごく近い身。権力も持っている。うらやましくなっちゃうな、はは……」
    「そんな、僕なんて……」
     良太の顔が、少し曇る。
    (おっと、この話題は地雷だったかな?)
     それを横目でチラ、と見たエルスはさらりと話題を変える。
    「そう言やセイナから聞いたんだけどさ、ここの書庫ってかなり大きいんだよね?」
    「え? ええ、少なくとも央南西部では、随一の規模らしいですよ。おじい様のおじい様くらいから、僕みたいに本が大好きな方がずっと、家元として続いていたそうですから」
    「へぇ……」

     晴奈がひたすら重蔵から教わった奥義「炎剣舞」を体得しようと躍起になっていた頃、エルスは天原の素性や天玄の妖怪事件、篠原の過去などを調べるため、良太に頼んで書庫へと案内してもらっていた。
    「ここが書庫です」
    「おー……、確かに大きいなぁ」
     中を覗きこみ、エルスは感心した。
    (てっきり、道楽家の書架みたいなのを想像していたけど、これは確かに、王国の資料室に勝るとも劣らない規模だな。書庫番のリョータ君についてきてもらって正解だった)
     書庫の入口から見回してみるが、明らかに蔵書数が多く、エルスは資料を自力で探すことを早々に諦めた。
    「えーと、それじゃまずは……、名士録ってここにあるかな?」
    「う、……名士録、ですか」
     良太が一瞬嫌そうな顔をしたので、エルスは首をかしげる。
    「……? 名士録に何か、嫌な思い出でもあるの?」
    「い、いえ。えっと、こっちです」
     良太はプルプルと首を振り、すぐに名士録を持って来てくれた。
    「『天原桂(あまはら けい) 狐獣人 男性 475~ 天原財閥宗主、第41代央南連合主席』。
     アマハラについてはこれだけかぁ。もうちょっと何か、詳しい資料は無いかな?」
    「うーん、もう少し詳しいもの……、あ、これなんかどうでしょう?」
     良太は席を立ち、何冊かの本をすぐに持ってきてくれた。
    「ふむ……、『天原家の歴史 ~央南の名家 五~』、『天原篠語録』、『天玄時事 506~510年・511~515年』、『国際魔術学会会報 第906号(499年上半期) 央南語訳版』、……何で会報?」
    「あ、天原氏がここに論文を寄稿していたんです」
    「……へぇ。リョータ君、もしかして書庫の本、全部読んでるの?」
     良太は恥ずかしそうに笑ってうなずく。
    「はい、一通り読みました」
    「さすが書庫番だなぁ。……後は、『央南連合議事録 第93号・第94号』と。ふむ……」
     エルスは良太の持ってきてくれた本を、上から順に読み進めていった。



    (『……天原家は黒白戦争直後、央南八朝時代に名を成した狐獣人、天原榊(旧名、中野榊)を起源とする……』

    『……次期当主のことを考えると億劫になる。どう見ても次男の櫟(いちい)の方が指導者として見れば優秀なので……』

    『……507年、天原家の当主であった天原篠氏が逝去(享年67歳)。次期当主には次男の櫟氏(26歳)が有力とされていたが失踪中のため、長男の桂氏(32歳)が当主と……』

    『……512年8月30日未明、天玄南区赤鳥町を歩いていた早田こずえさん(猫・女性)が路上で正体不明の動物に遭遇した。早田さんにけがは無く、動物も治安当局が到着した時には現場および付近におらず、近隣住民は不安な……』

    『……512年9月11日早朝、天玄川沿市在住の桐村惣太さん(短耳・男性)が仕事のため職場に向かう途中、正体不明の動物に遭遇、逃走し、警察に通報した。桐村さんにけがは無く、治安当局は先日、南区赤鳥町で起こった事件と関係があるのでは無いかと……』

    『……天原桂(狐・男性 天神大学魔術院博士課程在籍)……幻術の効果集約プロセス②部分において、ある種の雷属性関数を用いたところ……3秒程度ではあるが幻覚(術使用者がその効果を予想、想像している内容)が実体化すると言う結果が得られ……錬金術の最終目標の一つ、生命創造への足がかりとなるのでは無いだろうか……』

    『……全会一致により、第41代連合主席に天原桂氏が選出された……今回、議員30名のうち18名が欠席と言う不安な事態となったが、天原氏の采配により混乱が抑えられ、今後の活躍に期待が……』

    『……黄海への黒炎教団侵攻と言う非常事態に見舞われ、今回の緊急会議は多大な緊張感をはらんでいた……天原主席の判断により武力介入は避け、教団との話し合いによる平和的交渉を行うことが決定された。現在黄海にて軟禁されている黄紫明氏に連絡を取り、上記の内容を伝えることに……』)



     一通り読み終え、エルスは軽くため息をついて立ち上がった。
    「ああ……、疲れた。アマハラについては大体分かったから、戻ろっか」
    「え? ええ、はい」
     唐突に席を離れ、そのまま書庫を出たエルスに、良太も慌てて後をついていった。

    蒼天剣・術数録 1

    2008.10.10.[Edit]
    晴奈の話、第98話。引き続き情報収集。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「リョータ君、奥さんとはどうなの?」「ふえ?」 良太とともに紅蓮塞の廊下を歩いていたところで、エルスはそう尋ねてみた。「アツアツ?」「え、えっと、まあ、……はい」 恥ずかしがる良太の反応が面白く、エルスはさらに聞き込んでみる。「そっかー、そうだよね、お子さんもいるし。結婚して、何年くらい?」「えーと、2年……、くらいです」...

    »» 続きを読む

    ▲page top