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黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第8部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    晴奈の話、第497話。
    真ん中がはっきりしないシーソー。

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    7.
     小鈴は晴奈たちと離れた後、トマスを訪ねていた。
    「どうしたの、コスズさん?」
     宿で本を読んでいたトマスに、小鈴は単刀直入に尋ねた。
    「率直に聞くわよ。アンタ、晴奈のコト好き?」
    「へ」
     ストレートな質問に、トマスは面食らった。
    「え、それはどう言う意味……」「どーもこーも、そのまんま。恋人にしたいと思うかって言う、好きの意味で」
     トマスは黙り込み、顔を赤くする。
    「それは……、その……、どっちかと言えば」「ゴチャゴチャごまかしてる場合じゃないわよ」
     小鈴はトマスに顔を近づけ、真剣な表情を作って伝えた。
    「エルスさんが、告ったらしーわよ」
    「え、……え?」
     トマスの顔から、さっと赤が引く。
    「しかも彼女、まんざらでもなさそーにしてるし。このまんまボーっとしてたら、取られるわよ」
    「いや、セイナはまだ、僕のものってわけじゃ」「ま、だ?」
     小鈴はキッと、トマスをにらむ。
    「あ、……いや、他意は無いんだ、その」
    「ハッキリしなさいよ、トマス。アンタは好きなの、嫌いなの?」
    「……そりゃ、……好きだよ。……でも、セイナがリロイを選ぶって言うなら」
    「何言ってんのよ」
     小鈴はグイグイと、トマスにプレッシャーをかける。
    「アンタそれでいいの? 何にもせず、好きな子が自分の手の届かないトコに行っちゃって、それで『良かった』と思うの?
     あたしの友達にもいたわ、そーゆータイプ。どうしても勇気出なくて、好きな人にどーしても告白できなくてウジウジしてる間に逃しちゃったのよ、その人を。その時のヘコみようったら、そりゃもう……」
    「でも、セイナはリロイを選んだんだろう、もう。まんざらでもないって言うなら……」
    「だったらあたしはこっちに来てないわよ。もうまとまった話を引っかき回すほど、シュミ悪くないし。
     迷ってんのよ、晴奈は。『エルスさんはいい人だが、恋人として好きかと言われると、ピンと来ない。本当に、相手はエルスさんでいいのか』ってね」
    「……」
    「まだチャンスがあんのよ、アンタには。それを、ウジウジして逃すなんてバカな真似、絶対させないからね」
     まくしたてる小鈴に、トマスはぽつりと質問をぶつけた。
    「……何で僕に、そこまで」
    「あたしはね、アンタや雪乃、……さっき言ってた子みたいなタイプを応援したくなるタチなのよ。……頑張ってみなさいって」
     それだけ言って、小鈴はその場を離れた。

     一方、晴奈はまだ悩んでいた。
    「うーむ……」
     崖の端に座り込み、湖を眺めながらうなっている晴奈に、妹たちは小声で意見を交し合う。
    「確かに、コスズさんの言う通りかも知れませんわね。お姉さまも、いい歳ですし」
    「そうですね。わたしとお姉さまの母も、結婚したのが25の時だったと聞きますから」
    「あら、そうなのですか」
    「あ、そう言えば父も、その時30歳だったそうです。そう考えると、案外お似合いかも」
    「エルスさんが、ですか? 今、おいくつでしたかしら?」
    「32ですね」
    「と言うことは、27と32。……なるほど、お似合いかも知れませんわね」
    「でしょう? ……うん、考えれば考えるほど、いい縁組かも」
    「そうですわね。では、今からお祝いの準備しておいた方がよろしいかも」
    「それはまだ、……ああ、でも案外すっぱり決まってしまうかも知れませんね。準備しておいて損は……」「二人とも」
     晴奈が憮然とした顔で、二人を呼んだ。
    「もう集合の時間だ。行こう」
    「あ、はい」
     晴奈はラーガ邸へと歩きかけ、くる、と振り向いた。
    「……言っておくが。まだ早い。私はまだ、うんともいやとも答えてない」
    「はい、はい」「分かっておりますわ、クスクス」
     明奈とフォルナは、晴奈の顔を見てニヤニヤしていた。



     皆がラーガ邸の隠し扉の前に集合したところで、エルスが口を開いた。
    「それじゃ、調査を始めようか」
     それに、晴奈が答える。
    「ああ」
     晴奈とエルスが先に階段を下り、続けて公安チームが進む。
    「気をつけて行きましょう」
    「了解」
     続いて、明奈と小鈴、トマス。
    「気ぃ抜いたらホントに危ないし、ここは気を引き締めて行きましょ」
    「わ、分かってるよ」
     最後に、ネロとジーナ。
    「うーむ」
    「どしたの?」
    「何と言うか、……混沌としておるな」
    「そうだね。……向こうも、僕らも」
    「察しておったか」
    「うん。……大丈夫かなぁ、みんな」

     晴奈の心がざわついたまま、任務は始まった。

    蒼天剣・騒心録 終
    蒼天剣・騒心録 7
    »»  2010.02.24.
    晴奈の話、第498話。
    狐を狩るのか、狩られるか。

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    1.
     晴奈たちは灯りを片手に、階段を下りていく。
    「大分、降りていくみたいだね。空気も変わった」
    「ああ」
     と、追いついてきた公安チームが首をかしげる。
    「おかしいわね……?」
    「え?」
    「こんなにこの階段、長かったっスかね?」
    「わたくしの記憶では、すぐに到着したはずですけれど」
    「ええ、私もそう思うわ」
     さらに、後方の明奈と小鈴がつぶやく。
    「何だか、肌が粟立つような……」
    「ええ。とてつもなく、静かで殺気を満ちた空気――まるで、どっかからじーっとにらまれてるよーな、そんな気配がするわね」
     続いてネロとジーナが――何も言わない。
     いや、それどころか彼らの衣擦れや靴の音すら、聞こえてこない。
    「ネロ?」
     小鈴が振り返り、声をかける。
     しかし、そこには誰もいなかった。

    「……おかしい。空気があまりにも違う」
    「うん、そうだね。……ワープさせられた」
     ネロの言葉に、ジーナはネロの袖をぎゅっと握りしめた。
    「わ、ワープ?」
    「うん。階段を下りていたはずなのに、いつの間にか、どこかの部屋にいる。それに、みんなの姿も無い」
    「なんじゃと……」
     ジーナの袖を握る力が、一段強くなる。
    「……ジーナ。すまないけど、モンスターが出た時は頼む」
    「……分かった。ネロ、お主も注意して見ておいてくれ」
    「うん」
     ジーナがネロの腕に抱きついたところで、後ろから申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「……すんません、俺もいます」
    「え? えーと、……公安の、フェリオさん、だっけ」
    「はい、フェリオっス。……よろしく、です」



    「ネロさんたちが、……消えたって?」
     階段の途中でエルスが振り返り、後方の皆に聞き返す。
    「ええ。さっきまで、後ろにいたはずなのに」
    「穏やかじゃないな、どうも」
     バートが黒眼鏡越しに、苦い顔をする。
    「引き返す、ってわけにも行かないよな」
     バートがジュリアに声をかけたが、返事は無い。
    「……ジュリア?」

    「……何なのよ、もう」
     ジュリアはぽつんと、広い部屋の中央に立っていた。
    (下手に声を出すと、モンスターが寄ってくるかも知れない。警戒して進もう)
     ジュリアはそっと銃を握り、いつでも発砲できる体勢になる。
     と、背後からコツ、と音がした。
    「……ッ!」
     ジュリアは振り返り、銃を構えた。
    「ま、待った待った、あたしあたし!」
    「あら? ……コスズじゃない」
     ジュリアは銃を下ろし、ため息をつく。
    「……ふう、ビックリした」
    「そりゃこっちのセリフよ。……んで、他には誰が?」



    「……明奈とフォルナも消えたか」
     晴奈はゴクリと、生唾を飲んだ。
    「マジかよ……」
    「手をつなぐか何かした方がいいかも知れない。これ以上はぐれると、生還できる可能性が非常に低くなる」
     トマスの言葉に、エルスも同意する。
    「ああ。特に……」
     ところが、その声が突然途切れた。

    「特にトマスなんかだ、……と、……参ったな」
     突然目の前の景色が変わり、エルスは苦笑した。
    (僕一人、かな?)
     周囲を見渡すと、目を丸くして突っ立っている明奈とフォルナの姿がある。
    「あ、君たち」
    「……え、エルスさん?」
    「ここは、一体……」
     エルスは肩をすくめ、辺りを見回す。
    「僕も君たちも、飛ばされちゃったみたいだね」



    「エルスもいなくなっちゃったか……」
     トマスの顔色が、段々と青くなってきた。
    「参ったな、どうも。これで残るは……」
     晴奈は階段を見上げ、ため息をついた。
    「僕とセイナ、それから公安のバートさんの3人だね」
    「……いいや、2人だな」

    「……まあ、とりあえず進むしかないわね」
    「そーね」
     ジュリアたちが歩き出そうとしたその時、パタパタと駆けて来る音がする。
    「おいおい、待てって。俺もいるぜ」
    「あら、バート。あんたもいたの?」
    「いたの、はひでーなぁ……」



    「……」
    「……」
     晴奈とトマスは、無言で見つめ合っていた。
    「……進むしかないな」
    「そう、だね」
     晴奈はトマスに、ひょいと左手を差し出した。
    「私の側から離れるなよ、トマス」
    「う、うん」
     二人は手をつなぎ、階段を下りていった。



    《ククク……、よーやく来たぜ、活きのいいヤツらが。
     中でもあの猫女とヘラヘラ野郎は、……なかなかイケそうだ。……っと、よくよく見れば、いーもん持ってるヤツがいるな。しまったな、もうちょい見極めてから飛ばしても良かったか。
     ま、いいや。こいつらを取り込めば、オレの完全復活も近そうだ。ケケ、ケケケケ……ッ》
    蒼天剣・狐狩録 1
    »»  2010.02.26.
    晴奈の話、第499話。
    それぞれの対処。

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    2.
    「今のところ……、わしらの他には、人や獣などはおらぬようじゃ」
    「それなら状況を整理するくらいの余裕はありそうかな」
     辺りの様子を伺うジーナに、ネロがいつものように、泰然とした様子で応じる。
    「しかし、聞いた通りの構造だね。一見、古代めいた神殿のように見える。でも、全体を眺めると……」
     ネロの手元には、ラルフ教授から受け取った地下神殿の地図の写しが握られている。
    「地図で分かるのは地下1階と、2階の一部。……それだけでも、この神殿が何のために作られたのか、はっきりする」
    「何かを閉じ込めるためにある、って言ってたアレっスか」
     フェリオの言葉に、ネロは短くうなずく。
    「うん。この幾何学的な柱と壁の配置と部屋の形、これはどう見ても魔法陣そのものだ。
     僕もあまり魔術には詳しく無いけれど、聞いた話では魔法陣の効力と言うのは、その密度と直径に比例するらしい」
    「つまり、でっかくて呪文やら術式やらがびっしり描かれてるような魔法陣は、相当威力が出るってコトっスね」
    「そう言うこと」
    「それに、じゃ」
     話の輪に、魔術に詳しいジーナも加わる。
    「この魔法陣が封印用とすれば、その膨大な魔力を使うに値するテンコと言うモンスターなり何なりが、閉じ込められておると言うことじゃ。
     わしらは地下へ、その何者かを求めて進んで行かねばならぬ。到底、2人や3人で立ち向かえる相手ではないじゃろうな」
    「早いところ、他のみんなと合流しなきゃいけないね」
     ネロはそう言いながら布を手にしつつ、黒眼鏡を外す。
    「……ん」
     と、ネロの視線が眼鏡やジーナたちを通り越し、部屋の出口の一つに留まる。
    「どしたんっスか?」
    「何か……、赤いものが、あの裏側から見える」
    「赤いもの?」
    「ジーナ、フェリオさん、構えて。多分、モンスターだ」
    「えっ」
     ネロの言う通り、出口の裏手から「グルル……」と、何かがうなる声が聞こえてくる。
    「わ、わっ……」
     慌て、怯えるフェリオに対し、ネロは淡々と分析している。
    「すぐに姿を表さないと言うことは、向こうも警戒しているらしい。
     フェリオさん、威嚇射撃を」
    「は、はいっ」
     フェリオは言われるがままに銃を構え、出口に向かって弾を放つ。チュン、と跳ね返る音を立て、弾は出口の外に飛んで行く。
    「グル、……ルルル」
     うなっていた声が遠ざかっていく。どうやら、離れていったらしい。
    「襲ってこない……?」
    「威嚇が功を奏したみたいだね。でも多分、撃ってきたのが自分より強そうな獣じゃなく、ただの人間3人だって分かったら、迷わず襲ってくるだろうね。今のうちに、ここを離れよう。
     みんなも恐らく、僕らを探しつつ下へ降りようとするだろう。となれば、階段の周辺で再会できる可能性は高い。地図によればそう遠くないところに階段があるから、ともかくそこを目指そう」
     冷静に状況分析と行動方針を定めていくネロに対し、フェリオはほっとした。
    (この人がいれば、何とかなるかも知れないな。……他のみんなは無事かな)

     ネロたちがモンスターを退けた一方、エルスたちは今まさに交戦中だった。
    「はッ!」
     正確にはエルスたちが、と言うよりも、エルス一人が戦っている状態だった。明奈とフォルナは、エルスの後ろで半ば援護しつつ、離れて見ている。
    「……っと、これで終わりかな」
     エルスの正拳突きを眉間に喰らった、非常に肉厚な四足歩行のモンスターは、うめき声すら上げずに倒れた。
    「二人とも、ケガはない?」
    「ええ、どこも」
    「大丈夫です」
    「なら、良かった」
     エルスはにっこりと二人に笑いかけながら、今倒したモンスターを観察する。
    「顔と体は虎だけど、爪が凶悪だなぁ。まるで牙だよ。……うひゃ」
    「どうしたんですか?」
    「尻尾見てよ、まるでツノみたいなトゲがある」
    「まあ……」
     三人でその、虎状のモンスターを観察する。
    「生物学者じゃ無いから詳しくは何がどう、って言うのは分かんないけど、明らかに普通の猛獣じゃなさそうだね。
     聞いた話だけど、モンスターって人間から造れるんだってね。じゃあもしかしたら、これも人間からできてるのかな」
    「そうとも限りませんわ」
     フォルナが反論する。
    「わたくし、以前に元人間だったモンスターを間近で見たことがございますが、どれも人間の名残を残しておりました。この虎に、それらしいものはどこにも……」
    「私も昔、元は人だったらしい竜と戦ったことがあります。その際、その竜に乗っていた人と意思疎通ができている節がありました。
     先程の戦いの感じでは、この虎に人語を解せるような気配はありませんでしたよ。それに人間から造れると言うのなら、他の動物を素材にすることも、できなくは無いのでは……?」
    「ふむ……。まあ、そこら辺の考察は後でもいいや。ともかく、凶暴ってことには変わりない」
     エルスは首をコキコキと鳴らし、モンスターに背を向けた。

     小鈴たちも、モンスターと遭遇していた。こちらも、虎のような姿に尻尾のトゲを有した、エルスたちが戦っていたのと同じものである。
    「おらッ!」
     バートの放った散弾銃で、虎の背筋から首にかけての肉が弾ける。
    「グオ、ゴ……ッ」
     ばたりと倒れ、動かなくなったところで、三人は安堵のため息を漏らした。
    「はあ……」
    「あー、焦ったぁ」
     小鈴はちょいちょいと、「鈴林」の先で虎をつつく。
    「コレってさー、やっぱ外から入って来たのかしらね?」
    「……にしては、気になる点があるわ」
     ジュリアは虎の側にしゃがみこみ、その毛並みを調べる。
    「湖から侵入したにしては、藻や泥土などの汚れが見られないわ。それに、密閉されたこの空間で何匹もずぶ濡れのモンスターが入って来たのなら、空気がもう少し湿っていてもいいはず。
     むしろ、逆のような気がするわね」
    「逆……、って言うと?」
     尋ねるバートに、小鈴が胸の前で腕を組んだまま答える。
    「この神殿から湖の方に、モンスターが出たんじゃないかってコト、でしょ?」
    「ええ」
    「じゃあ、わざわざモンスターをバラ撒いてるってことなのか? 一体、何のためにだ?」
    「さあ、ね。それは敵に聞かなければ、分からないことだわ」
    蒼天剣・狐狩録 2
    »»  2010.02.27.
    晴奈の話、第500話。
    無限ループの網。

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    3.
     他の3組がモンスターと遭遇していた一方で、晴奈とトマスは依然、それらに出会っていなかった。
    「静か、……だね」
    「ああ」
     晴奈たちの足音と声の他には、何の音も聞こえてこない。
    「みんな、大丈夫かな」
    「分からぬ」
    「一体テンコって、何者なんだろうね」
    「さあな」
     その話し声も、ほぼ一方通行――トマスが問い、晴奈が短く答えるばかりで、弾む様子はまったく無い。
    「それにしても、真っ暗……」「トマス」
     いい加減うんざりし、晴奈が止める。
    「少し黙っていろ」
    「あ、うん。ゴメン」
     二人はそこで立ち止まり、周囲に静寂が訪れた。
     静かになったところで、晴奈はふと、あることに気付く。
    「トマス、地図は持っているか?」
    「地図? えっと……、はい」
     地図を広げ、晴奈は首をかしげた。
    「……ここが、入口だったな。……そこから、私たちはまっすぐ、3分か4分ほど進んでいる」
    「実際は、もっと短いかも知れないよ。暗闇の中では、緊張のせいで普段より早く時間を計測しやすい」
    「そうか。……それを念頭に入れても、この曲がりくねった神殿の通路をずっと、『まっすぐ』歩いていられるのは……」
    「……そう考えると、確かに妙だね」
    「私たちも、どこかに飛ばされているのかも知れぬな」
     そう言って晴奈は地図をたたみ、もう一度トマスの手を握った。
    「えっ」
    「何だ?」
    「あ、何でも」
     モジモジするトマスを見て、晴奈は軽く呆れた。
    「あのな、トマス。もし私から離されたら、お主はどうやって自分の身を守る?」
    「それは……」
    「もう一度言うが、私の側から離れるなよ」
    「……う、うん」
     晴奈の一言にトマスは顔を真っ赤にしたが、晴奈はそれに構わず、歩を進めた。



     分断されてからしばらく経ち、晴奈以外の組も、神殿の構造と自分たちの進むルートとに明らかなズレ、差異があることに気付いていた。
    「おかしいなぁ」
     地図を眺めていたネロが、短くうなった。
    「どうした?」
    「最低限迷わないよう、僕らは壁に沿って進んでいた。10分もすれば、この辺りの階段に到着するはずなんだけど……」
     ネロが指し示した地図を見て、フェリオも首をかしげた。
    「……この部屋辺りから出発、したつもりっスよね」
    「うん。最初に2、3曲がった角から、この辺りから出発したと見当を付けたんだけど、……いや、そもそも今まで通ったルートを省みると、どう考えてもこの地図と合わないんだ。あちこちでちょくちょく、飛ばされているのかも知れない」
    「となると、壁に沿って歩く方法は無意味じゃな」
    「そうなるね」
     ネロとジーナは身を寄せ合って相談している。
     それを眺めていたフェリオはふと思いたち、こんな質問をしてみた。
    「お二人って」
    「次の案としては、自分たちでマッピングしつつ柱や壁に印を……、ん、何かな?」
    「付き合い、長いんスか?」
    「うん、出会ってから、……そうだな、5年くらいは経つんじゃないかな」
    「そうじゃな」
     それを聞いて、フェリオはニヤッと笑う。
    「じゃあ、結婚とかはされないんスか?」
    「なっ、なにを」
     慌てるジーナに対し、ネロは平然と返す。
    「ああ、付き合いって言っても、仕事上でだよ。恋愛関係のそれじゃない」
    「あ、そうなんスか。失礼しました」
     フェリオは早合点したと思い、ぺこりと頭を下げた。
     が――。
    「……」
     ジーナがネロの背後でむくれていることに気付き、フェリオは取り繕おうとする。
    「え、あー、と、……あのー」「そう言えば」
     しかしネロは、まったく気付いていないらしい。
    「指輪してるってことはフェリオさん、既婚者かな」
    「え、ええ、へへ、そうなんスよ。今年の初めに」
    「じゃ、新婚なんだね」
    「ええ、まあ、……ええ」
     ネロはにっこり笑っており、背後でにらむジーナには依然、気付く素振りは無い。
    (な、何なんだよネロさん? こんだけ鋭いのに、ジーナさんのコト、全然気付いてないのか?
     うう……。この人マジで気付いてねーのか、気付いてねー振りして焦らしてんのか、さっぱり分かんねえ。言うに言えねぇよ……)
     もやもやとした思いを胸中に漂わせつつも、結局、フェリオは何も言えなかった。

    「おかしいねぇ」
     エルスたちの組も、地図を眺めて首をかしげていた。
    「一向に、階段が見つからない。と言うか、同じ所ばかり歩かされてるみたいだ」
    「え?」
     そう言われて、明奈とフォルナは辺りを見回す。
    「さっきトゲ虎を倒した時に、その血をちょっと拝借したんだ。それでそっと、印を付けてたんだけどね」
     エルスは近くにあった柱に近寄り、根元を足で示す。
    「さっき、柱の一つに印を付けてみたんだけど……」
     そこで言葉を切り、エルスはしゃがみ込む。
    「ほら、ここ。拭いた跡があるけど、まだほんの少し残ってる」
    「え……」
     明奈とフォルナも、その柱に近寄って確認する。
    「……確かに、赤い筋がうっすら残ってますね」
    「と言うことはエルスさん、わたくしたちは同じ所をずっと歩かされていたと、そう言うことですの?」
    「そうなるね。……しかも、拭いたってことは」
     そこでまた、エルスが言葉を切る。
    「誰かが、わたくしたちの」
    「すぐ、側にいると?」
    「……そうなる」
     エルスは腰に提げていた旋棍を取り出し、構えた。
    「教えてもらってもいいかな、テンコさん。何で、僕たちを分断したの?」
     虚空に投げかけられたはずのその言葉に、何者かが応えた。
    「簡単なこった。小分けにした方が、喰いやすいからさ」
    蒼天剣・狐狩録 3
    »»  2010.02.28.
    晴奈の話、第501話。
    克の名を持つ狐。

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    4.
    「あれ?」
     他の3組と同じく、同じ所をグルグルと回らされていた小鈴たちは、周囲の景色の変化に気が付いた。
    「ここ……、新しい道ね?」
    「そう、だな。散々付けたマークが、無くなった」
     ジュリアの問いかけにうなずきながら、バートが柱を調べる。
    「……間違いない。ループを抜けたぜ」
    「何なのかしらね」
     小鈴は柱を「鈴林」でつつきながら、口をとがらせている。
    「散々ぐるぐる回らせといて、いきなり?」
    「不可解ね、本当に」
     十数歩歩くごとに周囲に印を付けていくが、依然ワープさせられる気配は無い。
    「もしかしてさ……」
     ふと、バートがこんなことを言った。
    「敵さんのテンコだか何だかが、他の飛ばされた奴らと戦ってるとか」
    「ソレとコレが、どー関係すんの?」
    「戦ってる最中で、俺たちに構ってらんない、……てのはどーよ」
    「ないわー」
     小鈴がプルプルと首を振り、否定する。
    「いくら何でも、ソコまでヒマ人じゃないでしょ。飛ばしたあたしらとか他のみんなの後、一々つけてたりすんの?」
    「そーだよなー……」
     と、次に印を付けようとした柱を見て、三人はがっかりした。
    「印が付いてるわね」
    「……まーた、ループかよ」



    「はっ……、はっ……」
     エルスが左肩を押さえ、息を荒くしている。
    「なかなか……、手強いなぁ……」
     押さえている左肩からは、ボタボタと血がこぼれていた。
    「やっぱり見込んだ通りだな、ケケ……。そーとー魔力が強いな、お前は」
     エルスから少し離れた場所に立っている、フサフサとした尻尾を九つ生やした異形の狐獣人は、見下したようにニヤニヤと笑っている。
    「……それに、しても」
     ようやく息が整ってきたエルスが、不敵に笑う。
    「まさかこんな可愛い女の子とは、思ってもみなかった。こんな、湖の底に封じられているような、ものが」
     可愛いと言われ、その狐獣人は元から吊り上がった目を、さらに尖らせる。
    「あ……? オレを何だと思ってやがる!?」
     狐獣人は声を荒げ、右手を挙げる。
    「この克天狐サマを……」
     挙げた右手から、バチバチと紫に光る電撃がほとばしった。
    「なめてんじゃねーぞッ! 『スパークウィップ』!」
     狐獣人――天狐の右手から放たれた幾筋もの電撃が、エルスを狙って飛んでいく。
    「……っ」
     エルスは持っていた旋棍を、その電撃に向かって投げつける。金属製の旋棍に引っ張られる形で電撃が軌道を曲げ、エルスから逸れた。
    「お……っ?」
     それを見た天狐が、驚いたような声を上げる。
    「このままやられるわけには、行かないからね」
     エルスは天狐の前から姿を消した。
     いや、厳密に言えば、まだエルスはその場にいる。天狐の視界に入らないよう、彼女の視線を読んで移動しているのだ。
    (雰囲気はどことなく幽霊みたいな感じだけど、多分攻撃は通る。物理的な存在じゃなきゃ、柱のマークをわざわざ『拭く』なんて行為はしないし、できない。足音も聞こえてたし。
     虚を突いて、通打かなんかの急所攻撃が最善かな)
     エルスの動きは傍で見守っていたフォルナにも、明奈にも捉えられない。
    「エルスさん、一体どちらへ……?」
     天狐もきょろきょろと、周囲に鋭い目を向けている。
    「あのテンコと言う子も、見失っているのかしら……」
     と、天狐は動きを止め、やや前屈みになって立ち止まる。前傾姿勢になったことで、天狐の九つある尻尾が一斉に上を向いた。
    「ケ、ケケッ。かくれんぼでもするつもりか? オレの目をごまかそうなんて甘ぇぜ、銀髪野郎ッ」
     呪文を唱えた途端、天狐の尻尾は一房残らずにピンと毛羽立ち、赤い瞳がギラリと輝いた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……そこかッ!」
     天狐はぐるりと振り向き、電撃を放った。
    「ぐあ……ッ」
     いつの間にかそこに立っていたエルスに、図太い稲妻が直撃した。

     ブスブスと煙を上げて倒れ伏すエルスに、天狐がニヤニヤしながら近付いてきた。
    「ケケケ……。逃がしゃしねーぜ? お前はこのオレの、獲物なんだからな」
    「……カツミ・テンコ、……だっけ」
     うつ伏せになったまま、エルスは力無く尋ねた。
    「カツミ姓って、ことは……、君は、タイカ・カツミと、何か関係が……?」
    「大火あああぁ?」
     その名を聞いて、天狐はまた目を吊り上がらせた。
    「聞きたくもねぇ……! オレの前で、その名を口にすんじゃねえぇぇッ!」
     天狐は鬼のような形相で、エルスを踏みつけた。
    蒼天剣・狐狩録 4
    »»  2010.03.01.
    晴奈の話、第502話。
    煮え切らない会話と、二番目の襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「ねえ、セイナ」
    「何だ?」
     晴奈とトマスの二人は依然、静かに歩き続けていた。
    「こんな時にする話じゃないかも知れないけど……」
    「何を話す気だ」
     トマスは立ち止まり、晴奈から手を離す。
    「その……、こんなことを聞いたらまた、君は僕のことを『無神経な奴』とか、『道理の分からぬ朴念仁』とか言うかも知れないけど」
    「だから、何の話なんだ?」
    「……聞いたけどさ、リロイから告白されたんだって?」
     思いもよらない、確かに場違いな話に、晴奈は面食らった。
    「……ああ。確かに、ミッドランドへの道中の馬車で、そう言う話を切り出された」
    「それで、その、……セイナは、どう答えたの? 付き合うって、……言ったの、かな」
    「いいや、……私がまごついているうちに馬車が港に着いてしまって、話はそれきりになった」
    「そうなんだ」
     一瞬トマスの顔が明るくなったが、また神妙な顔に戻る。
    「……あー、と。セイナはさ、どうするの? この仕事終わったら、返事するんだろ?」
    「まあ、しなければ失礼だからな」
    「何て、返事する?」
    「何故それを、お主に言わなければならぬのだ?」
     キッとにらむ晴奈に、トマスは口をつぐんでしまう。
    「あ……、いや……」
    「そこが無神経だ。人の込み入った事情や思想に、ずけずけと立ち入って勝手に振舞う。それを他人を省みぬ無神経と言わずして、何と言うのだ」
    「……だったら」
     トマスは足元に眼線を落とし、小さな声でこう反撃した。
    「セイナも大概無神経って言うか……」
    「……私が?」
    「気付いてくれたっていいじゃないか、ちょっとくらいは」
    「何を……?」
     晴奈には、トマスの言わんとすることが把握できない。
    「私が、何を気付いていないと?」
    「……いいよ、もう。リロイとでも誰とでも、勝手に結婚しちゃえばいい」
    「はあ……?」
     拗ねてみせるトマスに、晴奈は首をかしげるしかない。
    「いい加減にはっきりと言え、トマス」
    「……」
    「でないと、何が何だか分からぬ。これではまるで、目隠しされて『箱の中に入っているのはなんだ』と問われているようなものだ」
     晴奈の追求に、トマスはゆっくりと振り返った。
    「……僕は、その」
     と、口を開きかけたトマスの表情が凍りついた。
    「……もっ」
    「も?」
    「う、うし、うしろっ」
    「うん?」
     振り返った晴奈の目に、尻尾に太いトゲを生やした虎が映った。



    「……っ」
     ジーナが唐突に立ち止まった。
    「どうしたの?」
    「……来ておる」
    「何がっスか?」
     ジーナの耳と尻尾は毛羽立ち、額には汗が浮いている。
    「前方、少しした所に……、異様な者が」
    「前方?」
     ネロは黒眼鏡を外し、ジーナの示した方向を眺めた。
    「……確かに。……異様なオーラだ」
    「オーラ?」
    「……フェリオ君。銃を構えていた方がいい。ジーナも、いつでも魔術を使えるように」
    「う、うむ」
     ネロの指示に従い、二人は武器を構えた。
    「……」「……」「……」
     三人とも、息を殺して前方の暗がりを凝視する。
    「そんなに見つめてんじゃねーよ、ケケッ」
     やがて黒い袴装束に身を包んだ天狐が、暗闇の中から姿を現した。
    「この尻尾がそんなに珍しいか? この黒装束がそんなに印象的か? それともオレがまさか、女だと思ってなかったか?」
    「……いいや、そのオーラの方がもっと、奇異に見えるね。
     ほとんど赤に近い、その褐色のオーラは、目一杯その存在を主張している尻尾に負けず劣らず、君の背中を彩っている」
    「へーぇ、お前はオーラが見えんだな。……でもお前、大したコトなさそーだな」
     天狐はニヤニヤ笑いながら、自分の左目を指差す。
     その目はネロと同じオッドアイ――右側は真っ赤な瞳だが、左側はまるで穴を穿たれたかのような、底なしの真っ黒な瞳だった。
    「オレの目には、お前のオーラはめちゃめちゃしょぼっちく見えるぜ。いかにも頭でっかちそーな、青白くてフニャフニャした、ひ弱なオーラだ」
    「ご明察だよ。僕に戦闘能力はまったく無い。皆無と言っていい。……ずっと、彼女に助けられてきたからね」
     ネロはすまなさそうにジーナの肩を叩き、そっとささやいた。
    (ジーナ、相手はかなり強い。とても正攻法では相手にならないだろう。……だから、僕が囮になる。ジーナは隙を見て、攻撃してくれ)
     ジーナはうなずかない。うなずけば、相手に悟られると考えての行動だろう。
    「さて、と。君の名前は、テンコで良かったのかな」
    「そうだ。……誰から名前を聞いたんだ?」
    「君が最初に襲った、ホーランドと言う兎獣人の教授からだ。……テンコって言うのは、どう言う意味なのかな。央中や央北によくあるような名前じゃないし」
    「聞きたいか……、ケケ。んじゃあ、聞かせてやるよ。
     古い伝説に存在する瑞獣、天狐。数百年、千年も生きた妖狐が変化・昇華した、金毛九尾の狐。あらゆるものを見通す、天翔ける素晴らしきオキツネサマだ。
     お前らの目論見なんざ、この克天狐サマは全部お見通しだぜ……?」
     そう言って、天狐は右手を挙げた。
    「……ジーナ!」
     ネロが合図を送る。ジーナはすぐに反応し、魔術を放った。
    「『サンダースピア』!」
    「おおっと、お前も雷使いか? んじゃあ変更――『スプラッシュパイク』」
     天狐は途中まで唱えていた雷の魔術を止め、水の魔術に切り替えた。
     途端に横の壁にヒビが走り、湖の深層水を固めたと思われる、水の槍が飛んできた。
    「うっ……!」
     ジーナの放った雷の槍が水の槍に触れた途端、パチ……、と乾いた音を残して消滅した。
    「雷魔術の『電気』は、水魔術の『液体』に吸収される。残念だったな、猫女」
    「あ、うっ……」
     ジーナの魔術を吸収した水の槍は、そのままジーナを弾き飛ばした。
    蒼天剣・狐狩録 5
    »»  2010.03.02.
    晴奈の話、第503話。
    「鈴林」の存在理由。

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    6.
    「まーた、かよ」
     バートが苦虫を噛み潰したような顔で、柱を蹴る。
    「ループしたりしなかったり、おちょくってんのかっつーの」
    「ホントねぇ」
     小鈴も「鈴林」で、印のついた柱を小突こうと右手を挙げた。
     が――右手に重量が感じられない。
    「……あれ?」
     見てみると、さっきまで握っていたはずの「鈴林」が、どこにもない。
    「……え、あれ? 『鈴林』、ドコやっちゃった?」
    「え?」
    「持ってたじゃねーか、さっきまで」
    「そ、そうなんだけどさ、いつの間にか無くなったって言うか、……ドコ?」
     家宝の魔杖が手元から消え、小鈴は狼狽している。
     と――シャラ、と鈴の音が鳴る。小鈴は音のした方を振り返った。
    「……レイリン、なの?」
    「そっ」
     そこには、かつてクラフトランドでアランと戦った際、瀕死の小鈴たちを助けてくれた「杖の精」、レイリンがいた。
    「小鈴、ホントにアタシのコト、大事に思ってくれてるんだねっ。……嬉しいよっ」
    「そ、そりゃ、まあ。いつも助けてくれるし。……でも何で、突然その姿に?」
     レイリンはどこか寂しそうな笑顔で、小鈴に笑いかけた。
    「小鈴、よく聞いてねっ。アタシの出自と、これからのコト」
    「へ……?」

    「う……く……」
     弾き飛ばされたジーナは倒れたまま、動かない。残ったネロとフェリオは、緊張した面持ちで天狐と対峙していた。
    「さて、と。大人しくしてくれるよな、お前らは。一々全員を相手すんのも、めんどくせーし」
    「……だ、誰がッ!」
     フェリオは散弾銃を構え、立て続けに撃ち込んだ。
    「ヘッ、大人しくしてりゃいいものを」
     天狐は左手をひょい、とかざし、魔術で壁を作る。その半透明の壁に阻まれ、散弾は一つも天狐を傷つけることができなかった。
    「く、……くそッ!」
     フェリオは諦めず、弾を再装填してもう一度、撃ち尽くす。だがこれも、天狐の壁を崩すことはできなかった。
    「無駄、無駄ぁ……! いい加減、諦めろッ!」
     天狐は壁を解き、右手を挙げて電撃を放った。
    「……ッ!」
     フェリオは立ちすくみ、迫り来る電撃を見ているしかなかった。
    「『マジックシールド』!」
     だが、フェリオに直撃するその直前、先程まで天狐が使っていたのと同様の半透明の壁が、フェリオの前に現れた。
    「あ……?」
     突然の妨害に、天狐は舌打ちした。
    「チッ……、しぶといな」
     フェリオを守ったのは、倒れたままのジーナだった。いや、ネロに抱きかかえられる形で、上半身を起こしている。
    「負けやせんぞ……、これしきのことで……」
    「言うじゃねーか、猫女。だったら……」
     天狐は両手をジーナに向け、呪文を唱える。
    「コレを喰らって、まだそんな減らず口が利けるかッ!? 『ナインヘッダーサーペント』!」
     天狐の尻尾が、一斉に毛羽立つ。それと同時に、紫色に輝く九つの稲妻が、ジーナとネロに向かって放たれた。
    「耐え切れ……っ、『マジックシールド』!」
     ジーナはあらん限りの魔力を振り絞り、壁を作った。

    「出自、……って」
     そう言ってみて、小鈴はレイリンの素性をまったく知らないことに気が付いた。
    「小鈴はアタシの――『橘果杖 鈴林』のコト、どのくらい知ってる?」
    「えー、と……、あたしのひいばーちゃんが克に貢献して、その見返りにアンタをもらったってコトくらい、かな」
    「じゃ、聞くけどっ。お師匠の克大火が、何でアタシを杖に込めたと思う?」
    「へ?」
     思ってもいなかったことを聞かれ、小鈴はきょとんとした。
    「あたしが聞いたのは……、いつの間にかアンタが、入ってたって」
    「小鈴、アンタが思ってるより、お師匠は思慮深いよっ。何の考えも無しにアタシを込めたりしないし、ましてや気が付いたら入ってたなんてコトもありえない。
     こーゆー事態のために、アタシは世界中を回って知識と魔力を貯めてたんだよっ。情報屋一家の橘家なら、世界中を旅する人もいるしねっ」
    「こーゆー、事態? モンスターが大量発生した時のために、ってコト?」
    「違う違う、そうじゃないのっ。
     ……お師匠はね、あんまり弟子に恵まれない人だったの。アタシの前に、七人の弟子がいたんだけど、そのほとんどに死なれたり、裏切られたりしてたの。中には、お師匠の命を狙ってくるヤツもいたしっ。
     そのうちの一人が、七番弟子の克天狐。お師匠の持つ魔術の奥義や秘伝を根こそぎ奪おうと、三日三晩に渡ってお師匠と戦った。でもお師匠も、天狐も、そうそう簡単に死ぬ体じゃない。どれだけ傷つけても、お互い死ぬコトは無かった。
     だから結局、ギリギリで勝ったお師匠は、湖の底に天狐を沈め、封印したのよっ。でも、その封印だって永久的なものじゃないし、封印したお師匠本人にトラブルがあれば、解けてしまう可能性も少なくない。
     そして今、お師匠はいない。……ココまで聞いたら、ピンと来たでしょっ?」
    「つまり……、アンタの存在理由は、復活した裏切り者の弟子を?」
    「そっ。……アタシが、封じなきゃならないの。本当なら、もっとずっと後の話になるかも知れなかったけどねっ」
     レイリンはそう言って、ため息をついた。
    「……正直な話、まだ足りない。知識も、魔力も。とてもじゃないけど、封印できそうにない。せめて後100年は、世界を回らなきゃ……」
     そこで、レイリンは言葉を切った。
    「……でも、やらなきゃ。それが、アタシの存在理由だもん」

    「……い、おい?」
    「……!」
     バートに肩を叩かれ、小鈴は我に返った。
    「杖、すぐそこに落ちてたぜ」
    「え? ……あ」
     バートから杖を受け取りながら、小鈴はきょろきょろと辺りを見回した。しかし、どこにもレイリンの姿は無かった。

    蒼天剣・狐狩録 終
    蒼天剣・狐狩録 6
    »»  2010.03.03.
    晴奈の話、第504話。
    復活しつつある天狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     晴奈たちが地下神殿に入って、既に4時間が経過していた。
    《ケ……、ケケっ》
     狙っていた者2名を手中に納めた天狐は、ほくそ笑んでいた。
    《予想通りだったぜ……! この銀髪の短耳と、緑髪の『猫』、相当な魔力を持ってやがった。こいつらをオレの『システムF7』に組み込んで、ちょちょいと魔法陣をいじくれば、あっと言う間にオレ自身の魔力を回復できる!
     めんどくさかったぜ、本当に――しなびたジジイやカスみたいな魔力しか持ってない商人やら観光客からチマチマ魔力を奪ってた時は、本気で気が遠くなりそうだったが、……考えてみりゃ、オレもあいつと同じコトをすれば手っ取り早かったんだよな、うんうん。
     そう、この『システム』――人間を核にして魔力を溜め込み、術者に送り込む、この大規模な魔法陣。核にするのが普段から高い魔力を秘めた人間であればあるほど、集約される魔力も大きい。
     ケケケ……、見てろ、大火! お前がオレを喰い物にした『システム』で、オレは復活してやるからな!》



     小鈴はじっと、掌中にある「鈴林」を見つめていた。
    (『橘果杖 鈴林』……、橘家が克大火から賜った、神器。そこに込められていた杖の精、レイリンは、……)
     考えていくうちに、小鈴の心の中に寒々とした恐れが広がっていく。
    (レイリンは、封印された克の弟子が復活したその時、もう一度封印し直す役目を担っていると言った。そして今まさに、その封印された弟子、克天狐が復活しつつある。今が、彼女の出番。
     ……でも、レイリンはまだ『魔力が足りない』と言ってた。それはつまり、封印し直せる可能性が低いと言うコト。
     もし封印できなかったら、レイリンは一体、どうなるの……?)
     小鈴の恐れを察したように、「鈴林」がちりり……、と震えるように鳴った。

    「……ふぅ」
     トゲ虎が倒れるのを確認し、トマスはその場にへたり込んだ。
    「死んだ?」
    「見ての通りだ」
     晴奈は刀に付いた血を拭いながら、倒れた虎をあごで指し示す。
    「よ、良かった……」
    「何が良いものか。お主、終始柱の影で震えていただけではないか」
    「あ、ゴメン。でも、僕じゃどうしようもないし……」
    「……はぁ。それでも男か?」
     ため息をつく晴奈を見て、トマスはしゅんとする。
    「……そうだよね。本当に僕は、情けない奴だ」
    「ん……、まあ、そう落ち込まずとも」
     晴奈がなだめようとしたが、トマスの自嘲は止まらない。
    「ううん、本当にそうだもの。こんな僕じゃ、誰からも好かれないさ。きっと一生独身だよ」
    「……一々、お主は考えが遠くへ飛ぶな」
     晴奈は呆れ、トマスの眼鏡をひょいと取り上げた。
    「あっ」
    「確かにお主は頭がいい。が、良すぎて一人よがりに考えが進み、他人がまだ至ってもいないところに考えが飛び、結果、他人との間に溝ができるのだ。それだから、無神経だの何だの言われる羽目になる。
     少しはその場で立ち止まれ。私や他のみんなを置いていくな」
    「……うん。気を付けておくよ」
     トマスは返してもらった眼鏡をかけながら、小さくうなずいた。

     と――。
    「そこに……いるのは」
     ネロの声がする。晴奈とトマスは立ち上がり、急いで声のした方角へ進む。
    「ネロ!」
     声の聞こえてきた部屋の中央に、ネロが倒れていた。
    「やっぱり、君たちか……」
     ネロの服は焦げ、煙を上げていた。少し離れたところには、同様に煙を上げるフェリオが倒れている。
    「どうしたんだ、一体?」
    「テンコが……、現れた……」
    「テンコ? この神殿に封印されていると言う、そのテンコか?」
    「そうだ……。あいつは、ジーナをさらって……、どこかに消えてしまった。僕らは……、用無しらしい……」
     晴奈はトマスに目配せして、フェリオを引っ張ってくるよう指示した。
    「用無し? ジーナに用があったと言うのか、そのテンコは」
    「そうだ……。テンコは、魔力を集めていたんだ。でも……、単純に吸うだけじゃないらしい。その、魔力を持つ人間を核にして……、さらなる魔力を集めるつもりなんだ」
    「魔力を? 一体、何のために」
    「恐らく……、封印を解くためだ。自分自身の……」
     それだけ言って、ネロは気を失ってしまった。
    蒼天剣・鈴林録 1
    »»  2010.03.05.
    晴奈の話、第505話。
    女の子二人でも、姦しい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ネロとフェリオのケガは、見た目よりもひどくは無かった。だが電撃によるショックのためか、意識は朦朧としているようだ。
    「う……う……」
     フェリオは発見してからずっと、目を覚まさない。ネロも、半ばうわごとのように何かをつぶやくばかりだ。
    「逆説的に……テンコは……可能性はある……」
    「何を言っているんだ?」
    「さあ……?」
     つぶやきに耳を傾けてみたが、途切れ途切れのため、さっぱり意味が分からない。
    「ともかくここに放っておいては、さっきの虎たちの餌食になる。
     フォルナと小鈴が治療術を使えたはずだ。早い所、合流しなければ」



    「はっ……、はっ……」
    「早く、早く……!」
     エルスが天狐に連れ去られ、残された明奈とフォルナは神殿の中を逃げ回っていた。
     持っていた散弾銃の弾も残り少なく、時折近寄って来るトゲ虎を拳銃で威嚇しながら、当ても無くさまよっている状態だった。
    「……追ってこないみたいです、フォルナさん」
    「そ、そう、ですか。……どこかで、休みましょう」
     どうにか虎を振り切った二人は、近くの部屋に逃げ込んだ。
    「はぁ、はぁ……」
    「それにしてもエルスさんは、どちらへ連れて行かれてしまったのでしょう?」
    「分からないですね……。それよりも、フォルナさん。一刻も早く、他の皆さんと合流しなければ、わたしたちの身が危ないと思います。今、どの辺りか分かりますか?」
    「ちょっと待ってください、……あちこち走ったせいで確実にここ、とは申せないかも知れませんけれど」
     持っていた地図を広げ、二人で検討するが、フォルナの言った通り、正確な現在地はつかめなかった。
    「どうしましょう? このままここで助けを待つか、それとも探しに行くか」
    「待つと言うのは、得策では無いと思いますわ。備蓄があってこそ篭城ができるわけですし、装備に乏しいわたくしたちだけでは、いずれ力尽きてしまうでしょうね」
    「それじゃ、お姉さまやジュリアさんたちを探しに向かった方がいいでしょうね」
    「そういたしましょう。……でも、少し休憩してから、の方が」
    「そうですね。あちこち走り回って、疲れてしまいましたし……」
     そこで一旦、二人の会話が途切れた。
    「……あの、フォルナさん」
     沈黙を先に破ったのは、明奈だった。
    「何でしょう?」
    「こんな時にこんな突拍子も無い話をして、何なんですけれども」
    「……?」
    「お姉さまがエルスさんに告白されたと言うお話、わたしにはどうも納得行きません」
    「と、言うと?」
     確かに危険と隣り合わせの、この状況でするような話では無いのだが、互いに姉と慕う晴奈の話になり、フォルナは聞き入った。
    「エルスさんは確かに好色で、姉と初めて出会った時には口説いていましたけど、それでもその後の付き合いは親しい友人、と言う感じでした。
     その数年、まったくエルスさんには、そう言う、恋愛をほのめかすような気配は感じられませんでしたし、実際のところ、エルスさんはお姉さまをからかったのではないか、と」
    「お姉さまも、なびいたご様子はございませんでしたものね」
    「ええ。……そもそも、お姉さまはエルスさんみたいな、『一人で何でもできる』と言う性格の方には惹かれない気がします。
     もっと、何と言うか……『手のかかる』と言うか、『放っておけない』と言うか……」
    「妹キャラ、弟キャラの方に惹かれる、と?」
    「……そう、そう!」
     言いたいことが伝わり、明奈はにっこり微笑んでフォルナの手をつかんだ。フォルナも笑いながら、明奈の考えにうなずく。
    「お姉さまですもの。あの人は、そう言う性分の方に惹かれると思いますわ。そう、どちらかと言えばあのエルフの方みたいな……」
    「そう、ナイジェルさんみたいな……」
    「うんうん」
     意見が一致し、二人は姦(かしま)しく騒いでいた。
    「……わたくしとメイナさんって、似ておりますわね」
    「そうです、……ね。やっぱり、どちらも長いことお姉さまの側にいたからかしら」
    「きっと、そうですわ。ねえ、この任務が終わったら、ゆっくりお話致しましょう?」
    「ええ、是非。もっとじっくり、話がして……」
     明奈が顔をほころばせかけた、その時だった。
     急に、フォルナの顔がこわばる。
    「……伏せてッ!」
    「え、……ッ!」
     事態を察知し、明奈は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
     間髪入れず、フォルナが手にしていた散弾銃が火を噴く。
    「ギャアア!」
     先程から二人を執拗に追いかけていた、あのトゲ虎だった。しかしフォルナの先制攻撃が見事に眉間を撃ち抜き、その首は一瞬で消えた。
    「……見ない方がよろしいですわ」
    「いえ……、大丈夫です。もっとひどいもの、見たことがありますから」
    「そう、ですか」
     まだ安心はできないと、二人は目で確認しあった。

    「……銃声だ。多分あれは」
    「『ファイアスターター・タイプPS1』、公安局御用達の散弾銃の音ね。フェリオ君か、もしくは」
    「フォルナ?」
    「ええ」
     銃声を聞きつけ、小鈴たちはその方向へと走り出した。だが――。
    「……っ」
     前方に、黒装束の「狐」が立っていた。
    「ケッケッケ……、そこのテメー。オレに対して敵意剥き出しとは、いい度胸じゃねーか」
     九尾の狐獣人は、びしりと小鈴を指差した。
    蒼天剣・鈴林録 2
    »»  2010.03.06.
    晴奈の話、第506話。
    ドS小鈴、覚醒。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……じゃなきゃ……僕らを……分断……」
     依然、ネロの意識は回復しない。ずっと、何かをうめき続けている。
    「何を言いたいのだろうか……?」
    「……」
     晴奈の問いに、トマスは答えない。
    「逆説的とか、方法論とか、わけの分からぬことをうなり続けているが、まさか錯乱したのでは」「……黙って」
     珍しく、トマスの方から晴奈を制した。
    「む……」
     素直に、晴奈は黙る。
     そのうちに、トマスの考えがまとまったらしい。トマスは小さく「ゴメンね」と前置きし、考えを話し始めた。
    「ネロの意識は確かに混濁している。しているからこそ、無意識下でその混濁を落ち着かせようと、『分析』しているんだと思う」
    「分析を?」
    「活字中毒者は食事中、意味無く卓上の瓶や皿に書かれた文章をぼんやりと読んでいる。兵士や傭兵は休暇中でも、刃物を無意識に研いでいたりする。作家や詩人、画家のそれは、メモ帳にでたらめな文章や絵を描くことに相当する」
    「は……?」
     トマスの説明が思いもよらない方向に飛び、晴奈は面食らった。
    「何を言いたい?」
    「何かに習熟・熟練した人は、休んでいる時でもついつい、その熟練した作業を行ってしまうと言うことさ。逆に言えば、普段から慣れた作業をすることで、落ち着きを取り戻すと言うことでもある。
     戦略家のネロだったら、何をすれば一番落ち着くだろうか? 無論、戦略・戦術的に今、自分たちが置かれている状況を分析すること、だろう」
    「……ふむ」
     もっともらしく聞こえたので、晴奈は異を唱えずにトマスの意見を聞くことにした。
    「では今、ネロが何かをつぶやいているのは、この状況を合理的に説明しようと思考を巡らせているからだ、と?」
    「そうなる、……かも。何度か聞いた感じでは、何となく彼の言いたいことが分かってきた、気がする」
    「ほう?」



     天狐はじりじりと、小鈴との距離を詰めていく。
    「逃げんのか? 人にケンカ売っといて、よぉ?」
    「……っ」
     天狐の言う通り、小鈴は無意識のうちに後ずさっていた。
    「あたしが、アンタにケンカを? 何のコトよ」
     口では強がって見せたが、脚は小刻みに震えている。
    「とぼけんじゃねえよ。さっきから、その杖がオレのコトを封じよう、封じようとにらんできてんだよ。持ち主サマなら、抑えるくらいしたらどーなんだ? あ?」
     天狐の威圧的な態度と恐ろしげな雰囲気に、普段は強気な小鈴も圧されている。
    「そ……、の」
    「ハッキリしろや、お!? ナメてたら承知しねーぞ、このデカ乳!」
     が、天狐のこの一言で、小鈴の中でスイッチが切り替わった。
    「……あ?」
    「なんだ、コラ? やっぱケンカ売ってんのか、その目はよ!?」
    「……どんな怪物が出るかと思ったけどさー」
     小鈴の意識が、守りから攻めへと完全に換わる。
    「やっすいケンカ売ってくるクソガキとは思わなかったわねぇ」
    「ク、ソ、ガキ……っ?」
     天狐の額に、青筋が浮き出る。表情の変化を見て、小鈴はさらに言葉で攻める。
    「良く見たらアンタ、顔以外で女って分かんないしー」
    「んな、……何をッ!?」
     小鈴は大きな胸を反らし、「鈴林」で天狐の体を指し示す。
    「くびれもないし、ムネもオシリもちっちゃいし、顔も化粧してなかったら、ホント狐みたいな吊り目のケモノ顔でしょうねえ! あ、まさかアンタ、コンプレックスであたしに因縁付けてきた?」
    「……こ……の……っ」
     天狐の九尾が、バチバチと静電気を帯びて毛羽立っていく。
    「あーら図星? 図星なの? ねぇねぇ図星? ねぇってばーあ?」
    「……死ねッ、ババア!」
     天狐は怒声を上げ、電撃を放ってきた。
    「どっちがババアよ、アンタ何百年もココに沈んでたクセして! 『スプラッシュパイク』!」
     小鈴は「鈴林」を床にガン、と音を響かせて立たせ、術を唱えた。
     先程、天狐がジーナを叩いた時と同様に壁から水が噴き出し、水の槍を形成して天狐の電撃を飲み込み、そのまま直撃した。
    「グ、ギャ……ッ」
    「あーら、アンタお馬鹿さーん? 雷の術は水の術に弱いって、お師匠さんの克大火御大からちゃあああんと習わなかったのー?」
    「テ、メ、エ……!」
     天狐は槍の直撃を受け、のけぞりながらも、倒れない。なおも怒りの声を吐き出しつつ、魔術を放つ。
    「殺す! ぜってー殺すぞッ! 『ナインアームドスラッシャー』!」
     天狐の尻尾がバチバチと毛羽立ち、続いて床や壁、天井が変形して剣の形を帯びていく。
    「細切れのサイコロにしてやらああああッ!」
     形成された九振りの剣が、小鈴へと向かって飛んで行く。
    「そうはさせっかよ! 『スパークウィップ』!」
     が、バートの魔術で石の剣はただの砂へと化す。
    「邪魔するな、狐野郎がッ!」
    「てめーもじゃねーか、奇形!」
    「今よ、畳み掛けましょう!」
     バートとジュリアも小鈴の勢いに乗じようと、散弾銃を立て続けに撃ち込んだ。
     怒りで頭に血が昇った天狐の防御は、決定的に遅れを見せる。
    「ガ、ハ……ッ」
     天狐の胸や腹、顔に、散弾の細かい銃創がビシビシと刻み込まれた。
    蒼天剣・鈴林録 3
    »»  2010.03.07.
    晴奈の話、第507話。
    イケイケ攻勢。

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    4.
    「恐らくは、ネロはこう言いたいと思うんだ」
     トマスは――自信なさげな口調ながらも――自分の仮説を晴奈に聞かせた。
    「何故わざわざ、僕たち11人を分断したのか? 本当に、誰も敵わないような敵だと仮定した場合――例えば、タイカ・カツミをモデルとして――そんな、自分から手間を増やすようなことを、わざわざする理由が無い」
    「なるほど。確かに黒炎殿であったならば、11人を一気に潰す方を選ぶだろうな」
     うなずく晴奈を見て、トマスは自分の説に自信を持った。
    「だろ? 逆に考えれば、11人を小分けにしないと相手ができない、ってことさ。
     僕らの消え方を考えると、恐らく2~3人ずつのグループに分かれたはずだ。つまり、テンコは一度に2人、3人相手が限界と言うことになる。
     そこからもっと突き詰めて考えれば、テンコの実力は――魔力や魔術知識だけじゃなく、経験とか戦闘技術とかもひっくるめての、総合的な実力は――実は、セイナやリロイと、そう変わりないんじゃないだろうか?
     もしそうなら、僕らが集まれるだけ集まり、テンコを囲んで攻撃すれば、容易に倒し得る可能性は十分にある」



    「ハッ……ハッ……」
     勢いに乗り、戦いの主導権を握った小鈴たちの猛攻により、天狐は一目で劣勢と分かるほどに深いダメージを負っていた。
     顔に空いた数個の点からはボタボタと血が流れ、また、黒装束も袖や裾が破け、そこからも血が滴っていた。
    (幽霊みたいなもんだと思ってたけど、血も出んのね)
     小鈴は妙なところに目を付けつつも、依然攻撃の手を緩めない。
    「ホラ、へたるには早いわよ!? 『アシッドレイン』!」
     先程放った水の槍が弾けてできた各所の水溜りが、赤黒く濁っていく。そこからぼんやりと霞や霧じみたものが発生し、天井へと上っていく。
    「う、う……ッ」
     天狐の頭上に溜まった霧は雲になり、そこからパラパラと雨が降り出した。
    「う、あ……ッ! あつ、熱い……ッ」
     強酸性の赤い雨が、天狐の体全体に降り注ぐ。傷口にも深く染み込み、天狐は悶え苦しんでいる。
    「や、やめろ、くそ、あっ、う、熱、あつい、よ……っ」
     とうとう立っていられなくなったのか、天狐は膝を付いた。
    「やった……、か!?」
     バートとジュリアは散弾銃を構えつつ、天狐との距離を詰める。小鈴も「鈴林」を構えながら、注意深く天狐に近付いていった。
    (レイリン、どうなの? もう、封印とかできそう?)
     小鈴は心の中で、「鈴林」に問いかける。だが、返事は返ってこない。
    (まだ?)
     すると今度は、ちり……、と鳴り出した。
    「……まだ油断しないで! ダメ押しでもう一発、撃ち込むわ!」
    「おう!」「分かったわ」
     小鈴の指示を受け、ジュリアたちはもう一度距離を取った。
    「とどめよ! 『グレイブファング』!」
     小鈴と「鈴林」の前方に、図太い石の槍が形成される。
    「撃ち抜けえーッ!」
     放たれた石の槍はうなりを上げて飛んで行き――。
    「うぐ、……ッ、……」
     前屈みになった天狐の、背中から下腹部にかけてを貫いた。



    「……む」
     わずかに聞こえた足音に反応し、晴奈が立ち上がった。
    「どうしたの?」
    「誰かが、こちらに近付いてくる」
    「え……」
     晴奈は「蒼天」を抜き、警戒しつつ音のした方角へ足を進める。
    「トマス、お主はそこにいろ」
    「分かった」
     と、足音がはっきりと分かる程度に響き、誰かがすぐ側までやってきているのがトマスにも分かった。
    「……うん?」
     その足音は、やけに軽い。どうやら、女性が二人で走っているようだ。そして、それを追うように、ずしずしと重たく機動性のある足音も聞こえてくる。
    「追われている……。行ってくる!」
    「う、うん」
     晴奈は部屋を抜け、柱の並ぶ廊下を走る。すぐに、足音の正体は判明した。
    「明奈! フォルナ!」
    「お姉さま!」「助けてください!」
     明奈たちが、あのトゲ虎に追われている。晴奈は構えながら、二人に叫んだ。
    「端に寄れ! 壁に張り付いていろ!」
    「は、はい!」
     言われた通りに、明奈とフォルナは左右に分かれ、壁に張り付く。
    「グル、ル……」
     追っていたトゲ虎は二手に分かれた獲物のどちらを狩ろうかと、足を止める。
    「『火射』!」
     そこですかさず、晴奈が剣閃を飛ばす。飛んで行った「燃える剣閃」はトゲ虎に吠えさせる間も与えず、首を切り落とした。
     晴奈は刀を納め、避けていた二人に声をかける。
    「……ふう。大丈夫だったか、明奈、フォルナ?」
    「ありがとうございます、お姉さま」
    「おかげで、助かりました」
     妹二人が側に寄り、それぞれ晴奈の右手と左手を握り締めてきた。
    「飛ばされたのは、お主たちだけか?」
    「いえ、エルスさんも一緒、……だったのですけれど」
    「エルスが……?」
     二人の沈んだ表情に、晴奈は嫌な予感を覚えた。
    蒼天剣・鈴林録 4
    »»  2010.03.08.
    晴奈の話、第508話。
    逆転敗北。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……終わった、わね」
     屈強な男性の脚ほどもある石の槍を背中から突き立てられ、天狐はピクリとも動かない。
    「ええ……」
     小鈴はもう一度、心の中でレイリンに呼びかける。
    (レイリン、コレで封印できたの?)
     が、杖は応えない。いや、また小鈴の手から、杖がなくなっている。
    「……!」
     いつの間にか、天狐のすぐ前にレイリンが立っていた。
    「天狐の姉(あね)さん」
    「……」
    「あなたを、再封印します。それがお師匠から、アタシに与えられた仕事だから」
    「……」
     レイリンの周りに、ぼんやりと青白い光が集まってくる。
    「本当は、もっとお話してみたかったけど……」
    「……」
     青白い光が、天狐に伝わっていく。
    「アタシは克大火の弟子って言っても、お師匠様の詳しいコトは何も知らないの……。だからちょっと、姉さんと話してみたかった」
    「……」
     レイリンはふっと、寂しそうな顔を見せた。

     その時だった。
    「……オレから話すコトは何もねえ、お前なんか知ったコトか」
    「!?」
     天狐を貫いていた石の槍に、ビキビキとひびが走る。
    「ケ、ケケ……ッ」
     天狐の笑い声と共に、力なく揺れていた尻尾の一房がぽん、と弾けて消えた。
    「この尻尾は伊達じゃねえんだよ」
    「なっ……、ま、まだ息が!?」
     思いもよらない事態に、レイリンは慌てている。青白い光も、その輝きを鈍らせていく。
    「一房、一房が魔力結晶なんだよ、コレは……ッ! 一つ魔力に変換すりゃ……」
     石の槍は粉々になり、天狐の戒めが解けた。
    「肉体は完全復活できるってこった! 油断したな、鈴女!」
     残った八つの尻尾が毛羽立ち、紫色の光球が悠々と立ち上がった天狐の前に形成される。
    「『ナインヘッダーサーペント』!」
     光球は九つの稲妻へと変化し、目の前のレイリンを撃ち抜いた。
    「ひっ……」
     ジャラララ、と甲高い音を立てて、レイリンは弾き飛ばされた。
     音を立てたのは、彼女が体中に身に付けていた鈴の音だった。

     呆然とする小鈴たちを見て、天狐は悪辣な笑みを浮かべた。
    「そー言やさぁ、そこのエルフさんよぉ」
    「あ……う……」
    「散々オレのコト、バカにしてくれてたよなぁ?」
    「ひ……」
    「忘れたとは、言わせねーぜ?」
    「あ……」
     家宝であり、長年愛用してきた魔杖であり、かけがえのない友人のように思っていた「鈴林」を失い、小鈴の思考はとめどなく乱れていく。
     天狐の問いかけに最早、まともに答えられる状態ではなかった。
    「たっぷり……、落とし前付けてもらうぜ……!」
    「い……、いや、いやああっ……!」



    「む、……?」
     自分たちの周囲の空気が変わったことに、晴奈は気付いた。
    「……」
     明奈たちも気付いたらしい。
    「また、ワープしたようですわ」
    「そうらしいな。……!」
     晴奈はトマスを置いてきたことを思い出し、慌てて駆け出した。
    「トマス!? どこだ、トマス!」
     だが、廊下の様子は明らかに様変わりしており、トマスたちの姿はなかった。
    「……しまった……!」
     晴奈の脳裏に、あのトゲ虎たちに襲われ、喰われるトマスたちの様子が浮かんできた。
    「何と言う不覚……!」
     晴奈の顔から、血の気が引いていった。
     と――。
    「晴奈……、晴奈……」
     どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
    「誰だ……?」
     女の子の声であり、トマスたちでは無さそうだった。また、明奈たちの声でもない。
    「来て……早く……」
     廊下の少し先から、その声はする。晴奈は一度、明奈たちに無言で顔を向ける。
    「……」
     明奈もフォルナも、無言でうなずいて返す。三人は、声のした方へと進んでいった。
    「……お主は」
     そこに倒れていたのは、レイリンだった。
    「天狐の姉さんにやられちゃった、アハハ……」
    「姉さん? どう言うことだ?」
    「ゴメンね、説明する気力、ないの。……送るから、姉さんを何とかして」
    「……天狐の元へと、行かせてくれるのか」
    「うん。……いいトコまで行ったんだけど、倒せなかった。……後残ってるの、晴奈だけだから。お願い……」
    「……相分かった」
     そう答えた途端、晴奈の姿はそこから消えた。
    「お姉さま……」
     残された妹たちは、倒れたレイリンに問いかける。
    「あなたは、大丈夫ですの?」
    「……ギリギリ……かな……。もし晴奈が……やられちゃったら……全滅するかも……」
     それだけ言って、レイリンは目を閉じた。
    「あ……」
     残ったのは、鈴の大半を失って黒く錆びた、「鈴林」だった。

    蒼天剣・鈴林録 終
    蒼天剣・鈴林録 5
    »»  2010.03.09.
    晴奈の話、第509話。
    真打登場。

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    1.
    「よくも散々、けなしてくれたな……! テメエだけは絶対、この場で消し飛ばしてやるッ!」
     天狐は語気を荒げ、小鈴へとにじり寄る。
    「いや……、いやっ……」
     小鈴は顔面蒼白になり、後ずさる。
    「くそ……!」
     バートが背後から散弾銃を撃ち込もうと構えたが、天狐が振り返ってギロリと睨みつけ、それを止めさせる。
    「一々邪魔してくんじゃねえよ……! お前はそこでじっとしていやがれ!」
    「うっ……」
     その真っ赤な瞳に射抜かれ、バートは立ちすくむ。ジュリアも銃を構えかけていたが、天狐の威圧に気力が潰され、腕が上げられない。
    「さあ、死ね……!」
     天狐は右手を振り上げ、呪文を唱え始めた。

     が、途中で詠唱をやめ、振り返る。
    「……ん……?」
     天狐はきょろきょろと辺りを見回し、警戒した表情を見せる。
    「まだ、オレに刃向かうヤツがいるのか……?」
     天狐は小鈴に背を向け、苛立たしげに叫んだ。
    「いい加減にしやがれ! いい加減、諦めて大人しくしとけや、あぁ!? オレサマにゃ誰も、勝てやしねえんだよ!
     姿を見せやがれ、そこの火ぃ点いてる女!」
     火、と聞き、小鈴の困惑を極めた頭に理性が戻ってくる。
    「せ、晴奈……?」
    「いかにも」
     天狐の正面から、静かに晴奈が歩いてきた。
    「何だお前、そのバカみてーに暑苦しいオーラは……?」
    「オーラ、と言うのが何かは分からぬ。だが、私の心が熱く、熱く燃え盛っているのは確かだ」
     晴奈は「蒼天」を構え、天狐と対峙した。
    「そして、この刀も」
     晴奈の言葉と共に、「蒼天」に火が灯る。それを見て、天狐は舌なめずりをした。
    「火の魔術剣か……。つくづく、オレの目も鈍ってたもんだぜ。まだこんな、骨のありそうなヤツが残ってたとはな、ケケケッ」
    「天狐とやら、一つ問う。お前は何者だ? 人間か? それとも妖怪変化、怪物の類か?」
    「どれもハズレだ。オレは克天狐、伝説の瑞獣の名を冠する、この世で最も強い『悪魔』だ」
    「悪魔、か。そして、克姓を名乗ったな。お前は『黒い悪魔』克大火と何か関係があるのか?」
    「質問ばっかしてんじゃねーよ。オレからも聞いといてやる。……お前、名前は何て言うんだ?」
     晴奈は少し間を置いて、ニヤリと笑った。
    「我が名は黄晴奈。焔流の剣士だ。腕には十分、十二分に覚えがある。相手にとって不足は無いぞ、妖(あやかし)。
     私が貴様に喰われるか、それとも貴様が私に調伏されるか。試してみるか……?」
     晴奈の挑発に、天狐もニヤリと笑って返した。
    「いいだろう。テメエも喰らって、オレの血肉にしてやらあ……!」
     天狐は八つの尻尾をバシバシと毛羽立たせ、鬨(とき)の声を上げた。
    「勝負だ、黄晴奈!」
    「望むところだ、克天狐!」

     先制したのは、天狐の方だった。
    「『スパークウィップ』!」
     天狐の掌から何筋もの稲妻がほとばしり、晴奈に向かって伸びていく。
    「はッ!」
     くい、と走る方向を変え、晴奈は電撃をやり過ごそうとする。
    「は、甘いぜッ! 電撃が避けられっかよ!」
     天狐の言う通り、避けたはずの電撃は晴奈の握る刀へと向かって曲がってきた。
    「……ッ!」
     曲がってきた電撃が、晴奈に直撃する。
    「が……ッ」
    「何だよ、いきなり終わりか? 口ほどにもねー」
     天狐は鼻で笑い、晴奈に背を向けた。
    「さて、と。さっきの続、き、……え」
     天狐の動きがビクリと揺れ、止まる。その腹からは、青白く光る「蒼天」の先端が飛び出していた。
    「ご、ごふ……っ」
    「甘く見るな……!」
     天狐のすぐ背後に、晴奈が立っていた。
    「な、何で……。直撃、したはず、だろ……っ」
     天狐は口から血をダラダラとこぼしながら、困惑した表情を見せる。
    「確かに、した。だが、気を失うほどの痛みではなかった」
     晴奈は「蒼天」を天狐の体からずるりと抜く。
    「は、う……、あ、っ」
     天狐は口と腹・背中の傷口からビチャビチャと血をこぼしながら、膝を着いた。
    「……なめ、て、たぜ、っ」
     天狐の尻尾がまた一房、弾けて消えた。
    蒼天剣・調伏録 1
    »»  2010.03.12.
    晴奈の話、第510話。
    魔術斬り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈に稲妻が直撃した瞬間――。

     魔術や物理法則に疎い晴奈は、「電撃は直線的なものであり、避けてしまえば当たるまい」と考えていた。だが電撃には伝導性――電気が通るものに近付いていく性質――がある。
     避けたはずの電撃が、くいと方向を変えて晴奈に向かってきた。
    (まずい!)
     そこで晴奈はとっさに、「蒼天」を構えた。
    「が……ッ」
     次の瞬間、びりっと言う衝撃とともに、両手の感覚が無くなる。
    (ぐああ、あ、……あ、あれ?)
     ところが、その衝撃が腕で止まる。そもそも衝撃自体がわざわざ叫ぶほど痛いとは、感じてもいない。
    (まさか、腕が焼き切れたか!?)
     しかし見てみると、腕も手も、指もちゃんと残っていた。その手は「蒼天」をしっかりと握りしめているし、握る感覚も戻っている。
    (もしかすると、この刀……?)
     晴奈の脳内に、一つの仮説が浮かんだ。



    「ケ、ケケ……! ちょっとばかり、手を抜いちまったかぁ……!?」
     天狐はまだ腑に落ちないと言う顔をしながらも、再び呪文を唱え始める。
    「今度はしっかり焦がしてやるぜぇ……! 『サンダースピア』!」
     先程の稲妻を一まとめにしたような、極太の電撃が晴奈に飛んで行く。
    「……りゃあああッ!」
     晴奈はその電撃に向かって、一直線に駆け出した。
    「へ……、お、おい、バカかテメエ!?」
     まさか真正面から向かってくるとは思わず、天狐は目を丸くした。
    「……まさか!?」
     ここでようやく、天狐も気付いた。
    「はッ!」
     晴奈は電撃に向かって、「蒼天」を振り下ろす。ほんのり紫色を帯びた雷の槍が青白い「蒼天」の刃先に触れた途端、真っ二つにされた。
    「まずっ……、『マジックシールド』!」
     電撃を割って進んだ晴奈を見て、天狐は慌てて魔術で防御する。が、この魔術の盾も、ガリガリと音を立てて引き裂かれていく。
    「もしかして、……いや、もしかしなくても、それは……ッ!」
    「いかにも!」
     完全に魔術が破られ、刀の切っ先が天狐の額を掠めた。
    「う……っ」
     血が勢い良く噴き出し、天狐の顔は見る見るうちに真っ赤になる。
    「それを作ったのはもしかしなくても、大火だな……!」
    「そうだ。『晴空刀 蒼天』、紛れも無く克大火の作だ」
    「……ケ、ケケ、あの黒子め、……ケケッ」
     天狐は顔の血を拭いながら、ケタケタと笑っている。
    「その刀、魔術まで切り裂ける。……そう、だな?」
    「どうやら、そのようだな」
     血を拭い終えた天狐はひょいと後ろに跳び、晴奈と距離を取る。
    「最初の一撃も、大部分が斬られてテメエ自身にほとんど届かなかったってワケか。
     ……半端な攻撃魔術じゃ、無意味ってワケだ」
     そう言って、天狐はパン、と胸の前で手を合わせた。
    「でもな、神器造りは大火の専売特許じゃねーぞ! 出でよ、『混世扇 傾国』!」
     合わせた手を離すと、そこには金色に輝く鉄扇が現れた。
     天狐は鉄扇を振り上げ、晴奈に襲い掛かってきた。
    「なんのッ!」
     晴奈は刀を上段に構え、鉄扇を受ける。
     金色の鉄扇と蒼色の刀がぶつかり合い、晴奈と天狐の間にその二色が瞬いた。



     晴奈と天狐が戦っている間に、小鈴たちは神殿内を急いで回っていた。
     天狐が戦闘中で余裕を失っているならばループも起こらず、エルスたちを助け出せるかもと考えてのことである。
    「やっぱ、あの天狐が原因だったのね。どこも、ループしない」
    「ああ。……飛ばされた他の奴らも、同じことしてたみたいだな」
     各所の柱には血や刃物で付けたらしい印が付けられており、ここでようやく、小鈴たちは神殿内の全体像を把握することができた。
    「結局、教授の地図通りだったのね」
    「そうらしいわね。地下2階部分も、1階とほぼ造りは同じ。違うのは……」
     自分たちでマッピングした2階地図には、中央部分がぽっかりと抜けている。ここへ進む道は、地下1階・2階には無かったのだ。
    「と言うコトは……」
    「ここが、この神殿の『核』のようね」
    「2階からさらに下へ行く階段もあったし、3階か、それより下階層から入れるかも知れないな」
    「そーね。……それよりも、まずは」
     小鈴は後ろを振り返る。
     その目には横になったネロとフェリオ、困惑している明奈とフォルナ、そして黒ずんだ「鈴林」が映っていた。
    「……まずは、応急処置よね」
    蒼天剣・調伏録 2
    »»  2010.03.13.
    晴奈の話、第511話。
    天狐の接近戦。

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    3.
     晴奈と天狐の戦いは、激戦の様相を呈していた。
     天狐の魔術と言う強力なアドバンテージは「魔術を斬る刀」――「蒼天」によって封じられたが、それでも剣術の達人でもある大火の弟子である。どこからか取り出した神器の鉄扇、「傾国」を手に、晴奈と互角に渡り合っていた。
    「オラあッ!」
    「……っ!」
     鉄扇を構成する、30センチほどの金属製の短冊一枚一枚が鋭利な短刀になっており、扇を閉じて振り回せばまるで、大型獣の爪に引っかかれたような傷跡ができる。
     晴奈も紙一重でかわしてはいたが、それでも何度か肩や腕、脇腹をかすっている。
    (魔術を封じてもなお、強敵か……! 一筋縄では行かぬな)
     また、扇を開いて用いれば頑丈な盾にもなる。晴奈の打突を開いて受け、払いを閉じて受け、隙を突いて引っかき、叩いて反撃に移る。
     鉄扇の間合いが刀のそれより短く、応用性に富んでいるため、晴奈は有効打を与えることができず、翻弄されていた。
    「くそ……!」
     だが、刀の本領を発揮しようと間合いを離そうとしても、天狐の動きが非常に素早く、簡単に間合いを詰め返されてしまう。
    「逃げてんじゃねーよ、さっきの威勢はどうしたあぁ!?」
    「チッ……」
     晴奈は改めて、克大火とその一門の持つ、戦闘能力の高さと手数の多さに舌を巻いていた。



     ネロたちの応急処置を終えた小鈴は、ボロボロになった「鈴林」を手に取り、眺めていた。
    (こんなになっちゃうなんて……)
     36個付けられていた鈴は3分の1ほどに減り、毎日丁寧に磨いていた金属面は、まるで温泉に落としてしまった銀製品のように、赤黒く沈んだ色をしていた。
    (元に、戻せるのかしら……?
     難しいかも知れない。前に別の魔杖を使ってたけど、一度折れたらそれっきりだった。どんなに繕っても、元のように魔力が蓄積できないだろう、って言われて、処分したのよね。
     それからずっと、『鈴林』を使ってきた。ホントに神器って言われるだけあって、どんだけラフな使い方しても傷一つ付かなかった。……のに)
     小鈴は懐から布を取り出し、杖を磨き出した。だがやはり、その黒ずんだ汚れは落ちそうに無かった。

     小鈴の様子を離れて眺めていたフォルナは、心配そうにつぶやいた。
    「コスズさん、大丈夫かしら……」
     フォルナもレイリンに助けられた覚えがあるし、一緒に旅をしていて、小鈴が本当に「鈴林」を大切にしていたことも、良く知っている。それだけに、小鈴の落胆は痛いほど伝わっていた。
    「あの、コスズさん……」
     フォルナは居ても立ってもいられなくなり、小鈴に声をかけた。
    「……ん、どしたの?」
     小鈴が顔を向ける。普段のあっけらかんとした様子は、まったく見られなかった。
    「……いえ、……その」
    「心配してくれてんのね」
     小鈴は力なく笑い、顔を伏せた。
    「ありがと。……でもゴメン、ちょっと一人にさせて」
    「……はい」
     フォルナは素直に、小鈴から離れた。



     晴奈は執拗に迫り、攻撃を重ねてくる天狐に辟易しながらも、一つの打開策を思いついていた。
    (以前に闘技場で、楢崎殿を初めて見かけた際。楢崎殿も丁度、今と同じように張り付いてくる敵と闘っていた。
     私では多少体重が心もとないが、やってみるか)
     晴奈はもう一度、距離を離そうと足を退く。それを見て、天狐が苛立たしげに叫び、詰めてきた。
    「一々面倒くせえ! 逃げんじゃ……」
     晴奈は天狐が間合いを詰めてきた瞬間、自分からも距離を詰めた。
    「だーッ!」
     体勢を低くし、天狐の鳩尾に丁度当たるように右肘を曲げ、勢い良く踏み込む。迫る天狐の勢いと相まって、その肘鉄は強力な打撃力を与えた。
    「ぐえ、……ッ」
     急所を突かれ、天狐の目が一瞬ひっくり返る。
     すかさず晴奈は右腕を回し、天狐の顔面に裏拳を叩きつけた。
    「がっ、は……」
     二度の急所攻撃で、天狐は大きくのけぞる。
    「はあああッ!」
     のけぞった天狐の喉元を狙い、晴奈は左手に持っていた刀を突き入れた。
    「ひゅ、……ゴ、ゴボ、ボッ」
     ぱっくりと裂かれた天狐の喉から、わずかな空気とおびただしい血が噴き上がった。
    蒼天剣・調伏録 3
    »»  2010.03.14.
    晴奈の話、第512話。
    魔法陣の「核」。

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    4.
     天狐の返り血を浴びながらも、晴奈は怯まない。
    「まだ生き返るつもりだろう……!?」
     その言葉の通り、噴き出ていた血はすぐに止まる。七房あった尻尾も、いつの間にか六房に減っている。
    (まだだ! 畳み掛けろッ!)
     天狐が立ち直る前に、晴奈はさらに追い打ちをかけようとした。
     だが、振り下ろした刀は空を切る。
    「……ッ!?」
     目の前から敵が消え、晴奈は瞬時に周囲を見渡す。
    「手強いな、テメエは……」
     天狐は晴奈に向けて、右手をかざしている。
    「結構魔力使うから、あんまり撃ちたくなかったが……」
     天狐の手から、紫色の光球が発生した。
    「形振り構っちゃいられねーよな、……『ナインヘッダーサーペント』!」
     光球は九条の稲妻に形を変え、晴奈へと向かっていく。
    「く……っ」
     晴奈は刀を構え、迫り来る稲妻を斬り付けようと試みる。
     だが、何条かは断ち切れたものの、流石にすべてを斬ることはできなかった。
    「ぐ、あああ……っ」
     稲妻の一つが晴奈に直撃する。晴奈は煙を上げながら、弾き飛ばされた。



     まだ真っ黒なままだったが、それでも小鈴は「鈴林」を持って、下層へと降りていった。
    「……」
     普段は明るく、陽気な小鈴が、一言も発しないでいる。
    「……」
     空気が重苦しく、誰も声を出せない。
     と、廊下の先に物々しい扉が待ち構えていた。
    「扉……?」
    「今まで、扉のある部屋なんか無かったよね」
     トマスの言葉に、明奈とフォルナがうなずく。
    「ええ、ございません」
    「何か、重要なものがしまわれているのでしょうか」
    「可能性は高い。……行ってみよう」
     一行は恐る恐る、その扉に手をかけた。
    「……鍵がかかってる」
    「行き止まり、のようね。……駄目元で撃ってみましょうか」
     ジュリアが散弾銃を構え、扉に向けて弾を放つ。だが予想通り、扉はビクともしなかった。
    「やっぱり無理、か。……滅茶苦茶怪しいのになぁ」
     バートが残念そうに、扉を蹴る。
    「仕方ないわね。戻りましょうか」
     ジュリアがつぶやいた、その時だった。
    「『鈴林』……?」
     ボロボロになり、半分以上が弾け飛んではいたが、それでも残っていた鈴が、ちり……、と弱々しく鳴った。
     途端に、扉が音も無く開く。
    「……!」
    「入れ、ってコトなのね」
     小鈴は意を決し、中へと進んだ。
    「……なに、これ」
     部屋は地下2階・3階の吹き抜けになっているらしく、天井が非常に遠く見える。
     そして部屋の中央には祭壇らしきものが備えてあり、そこには巨大な黒水晶の柱が立っていた。
    「尋常じゃない大きさね……。これが、この魔法陣の『核』部分かしら」
    「多分、ね。……ん?」
     小鈴は黒水晶の中に、何か影のようなものがあるのに気付いた。
    「……『ライトボール』」
     光球を作り、その黒水晶を照らす。
    「……っ!?」
     中には、天狐と同じくらいの少女が入っていた。



    「ハァ、ハァ……」
     天狐は魔術を放った姿勢のまま、微動だにしない。いや、できないのだ。
    「流石に、使いすぎた……」
     九尾あった尻尾も、既に五尾となった。
    「……これ以上は勘弁だぜ、猫女ぁ……」
     そうつぶやき、晴奈の吹っ飛んでいった方向に目をやるが、姿は無い。
    「……チッ」
     天狐は構えを解き、その場に伏せる。
    「コレで決着させてやんよ……、『ナインアイドチャーミング』!」
     魔術を発動させた瞬間、天狐の視界は一変した。
    (どんなにうまく隠れてよーと無駄だ……。コイツは、目視以外の『センサー』をオレの体に作る。
     音波感知……風向感知……振動感知……熱感知……オーラ感知……見つけた)

     既にこの時、晴奈は「星剣舞」を放っていた。
     敵のあらゆる警戒・知覚をかいくぐり、防ぎようの無い多段攻撃をぶつける「不可視の剣舞」。
     天狐もその目では、晴奈を見つけることはできなかった。だが、それを上回る索敵能力が彼女に、「不可視の剣舞」を見ることを可能にした。
    「……そこだッ!」
    「……っ……」
     晴奈自身はこの時、まったくの無意識下にある。攻撃に対する警戒心も、そこには無い。
     天狐の攻撃を避けられず、深々と右肩を切り裂かれた。
    蒼天剣・調伏録 4
    »»  2010.03.15.
    晴奈の話、第513話。
    有頂天狐。

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    5.
    「……あ……」
     気が付いた時、晴奈は右肩に鋭い痛みを覚えた。
    「しま、った……」
     右肩から先の感覚が無い。腕はまだ付いているが、傷は腱か神経にまで達しているらしい。
    「さあ、猫女……。決着と行こうぜ……!」
     天狐がゆらりと、こちらに歩を進めてくる。晴奈はギリ……、と歯を軋ませながら、左手一本で刀を持ち、立ち上がった。
    「まだだ、まだ負けぬ……!」
    「いい加減にしやがれってんだ……」
     天狐の足取りも若干おぼつかないようだ。
     二人はヨロヨロと、互いの距離を詰めていった。



    「コレ……、もしかして、天狐?」
     小鈴は「鈴林」で、コツンと黒水晶を叩く。だが、中の少女には何の反応も無い。
    「顔は似ておりますわね」
    「暗いから種族までは分からないし、黒髪だけど、着ている物と顔立ちは、確かに先程のテンコそっくりね」
    「……とりあえず、ここら辺にはモンスターはいないみてーだな。ネロさんとフェリオ、休ませてやろうぜ」
     皆はバートの提案に賛成し、ネロとフェリオを黒水晶の近くに寝かせた。
    「もしかしたら、さっきまで、僕たちが、戦っていたのは」
     と、ネロが苦しそうにしながらも、口を開いた。
    「『もう一人の』、天狐なのかも、知れないね」
    「もう一人の、天狐?」
    「彼女はどこか、僕たちと、雰囲気が違った。それは外見とか、強さとかじゃなく、その存在自体が。
     何て言うか、まるで人形と、中の綿を、二つに分けてしまったように。ここにあるのは、人形の外側。そして今、セイナが戦っているのは、中の綿なんじゃ、ないかな」
    「それは魂、と言うことでしょうか?」
     明奈の意見に、ネロはわずかに首を振る。
    「いや……、それよりも、もっと形あるものだ。
     ……モンスターが、なぜこんなに、うようよと、神殿の中にいるのか。似ているのかも知れない、理屈は」
    「さっぱり、分からない」
     ネロの説明に、トマスが音を上げた。
     と――。
    「あ」
    「どうした、フォルナ?」
     フォルナが何かに気付き、皆から離れる。
    「あちらに、エルスさんとジーナさんが!」
    「何だって?」
     皆も、フォルナに付いていく。
     確かにフォルナの言う通り、そこには傷だらけになったエルスとジーナが寝かされていた。
    「生きてる?」
    「……みたいよ。目は覚まさないけれど」
     ジュリアの言葉に安堵しつつ、小鈴も二人に近付こうとした。

     その時だった。
    「わ……っ?」
     小鈴が握っていたボロボロの「鈴林」が、何かに引っ張られた。
    「な、何? 何なの?」
     慌てて強く握ろうとしたが、「鈴林」は小鈴の手を抜けて、どこかに飛んで行ってしまった。
    「ちょっと!? 何なの……!?」
     後を追おうとしたが、「鈴林」の姿はどこにも見付けられなかった。



    「……は、は」
     突然、天狐が笑い出した。
    「……?」
     いぶかしげににらむ晴奈に構わず、天狐はケタケタと高笑いする。
    「ケ、ケケ、ケケケッ……! ケケケケ、何とまあ、タイミングのいい!」
    「何だ……?」
    「取り逃がした獲物が、自分からノコノコやってきやがった!
     ……搾り取ってやる……!」
     次の瞬間、天狐の体が赤く光るもやのようなものに包まれる。
    「……なん、……だと!?」
     もやが消えると、そこには元通り九房の尻尾を生やした天狐が、ニヤリと笑って立っていた。
    「これで体調は万全……! さあ、嬲り殺してやる、猫女!」
    「く……!」
     天狐の尻尾がバチバチと毛羽立ち、先程とは比べ物にならない莫大な量の魔力が、天狐の前に集積されていく。
    「お前なんぞ食わねー……。それよりも」
     やがて魔力のエネルギーは電気のそれに換わり、部屋に飛び散った血や汗が一瞬で乾くほどの稲妻へと変化した。
    「跡形も無く蒸発させてやるッ! 消えやがれええええーッ!」
     超高圧の電流は部屋中の空気を一瞬で熱し、爆ぜさせる。
     辺りの柱すべてにヒビが入るほどの轟きを発し、稲妻は晴奈へ向かって飛んでいった。
    蒼天剣・調伏録 5
    »»  2010.03.16.
    晴奈の話、第514話。
    逆境下の克己心。

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    6.
    「ケ、ケケ……」
     勝利を確信し、天狐は笑い出した。
    「こうでなきゃな……! こうでなきゃ、何が『克』だってんだ、ケケッ」
     天狐は深呼吸し、その場に座り込もうと屈んだ。

     と――。
    《愚か者》
     天狐の頭の中に、最も聞きたくない男の声が響いた。
    「へ……?」
    《敵が死んだかどうか確認もせずに、もう終わったと安心するのか? だからお前は三流だと言うのだ。俺に負けた時も、そうして油断し、敗北したことを忘れたか?
     まだ分からないのか?》

    「何言ってやがる……!」
     天狐は頭の中の声に、叫び返した。
    「あの攻撃で、死なないワケがあるかってんだ!
     テメーならともかく、ただの人間! ただの女! ただの、猫だ!
     生きてるワケがねーだろーがよ!」
     だが、声はもう応じない。そこで天狐はきょとんとし、口を閉じた。
    (え……? 今のって、幻聴、……だったりする?
     ……はは、そうだよな。今アイツは、動けねーと自分でそう言ってたんだから。今は体を治すのに精一杯だろうし、オレの戦いなんか見てる余裕なんか。
     ……そうだよなぁ。こんな、どーでもいいコト――どっかの『猫』なんかと、オレとの戦いなんか――アイツが、わざわざ見に来る理由なんか、……ねーよな)
     天狐はぼんやりと、稲妻を飛ばした方向に目をやった。



    (まずい……これは……!)
     真っ直ぐ向かってくる眩い光に、晴奈は目を細める。
    (死ぬか? これは流石に、死ぬだろうか……?)
     だが、閉じはしない。
    (……いいや! いつか聞いたことがある――神器は、持つ者の力に応えてくれると。
     今力を出さずして、いつ出す? 死んでからか? 馬鹿な! 今出さねば、何の意味も無いだろう!? 今奮い立ち、この電撃を跳ね返さねば、事はどうにもならぬ!
     何もせず撃ち抜かれれば、私は死ぬ。私が死んだら、一体どうなる? 残った皆では、太刀打ちできぬとレイリンは言っていた。そうなれば、皆殺しだ。
     小鈴も、公安の皆も、フォルナも、ネロも、ジーナも、明奈も、エルスも、トマスも。全員、天狐に殺される。
     ……死なせてたまるか! 皆を死なせたりはしない! そのために、私は全力を、全力以上を以って、戦わねばならぬのだ!)
     死を跳ね返そうと決意したその刹那、晴奈の思考は無限に加速する。
     1秒、2秒後には稲妻が到達すると言うその瞬間に、晴奈は己の心の中を一周した。
    (『蒼天剣』! お前が頼りだ! 私の力の限りを、受け止めろおおおーッ!)
     その決意が「蒼天」に移る。「蒼天」の青が濃くなり、輝き始めた。
    「りゃ」
     稲妻が晴奈の目の前にまで迫る。
    「あああ」
     両手で――腱を切られ、動かなかったはずの右手も挙げて――振り上げた「蒼天」が、一際眩く輝いた。
    「ああああああ」
     その光は、稲妻のそれをも圧倒し、押し返し、蹴散らした。
    「あああああああああーッ!」

     目の前が真っ暗になる。
    (あ……?)
     晴奈は自分が死んでしまったかと思い、歯軋りしかける。
    (……いや、違う……)
     次第に、視界が戻ってくる。
    (……凌いだ!)
     強い光で眩んでいた目が、ようやく元に戻る。
     自分の体を確かめたが、腕も脚も、手も足もあり、胸にも胴にも、首の上にも異常はない。
    「……ッ」
     五体に再び力がみなぎる。戻ってきた視界の中に、天狐を捉えたからだ。
    (今度こそ、仕留める……!)
     天狐はこちらを見ていた。が、ぼんやりとした顔をしている。その気力の無い目はまるで、晴奈を捉えていないようだった。
    (……?)
     天狐の様子に一瞬戸惑ったが、晴奈は足を止めない。
    「はああッ!」
     晴奈は間合いを詰め、あらん限りの力を込めて天狐に斬りかかった。



    「……いない、わなぁ」
     天狐はぼんやりと、稲妻が飛んでいった方向に目をやった。その視界には、崩れ落ちた柱と焦げた床しか見えない。
    「そりゃそうだよな、焦げるどころじゃねーもん、あのパワーなら。蒸発したわな、ケケッ……」
     「鈴林」から魔力を搾り取ったとは言え、天狐の体には疲労が濃く残っていた。立ち上がる気力も無く、天狐は依然、その場に座ったままでいた。

     次の瞬間。
    「へ?」
     天狐の視界が、ぽとんと落ちた。
    蒼天剣・調伏録 6
    »»  2010.03.17.
    晴奈の話、第515話。
    妖狐調伏、完了。

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    7.
     天狐の頭に、大量の疑問符が飛ぶ。
    (え? え? え?
     斬られた? 首? え? なんで? オレ? オレ斬られた? 首を?
     え? オレの首? 誰が? 猫女? え? 死んだだろ? 死んでない?
     え? なんで?)
     が、天狐は瞬時に術を使い、飛んだ首を元に戻す。
    (治った。やべー、首いった。斬れた? オレ死んだ? 大丈夫?
     あ、尻尾消えた。くそ、なんで? 猫女? 蒸発しなかった?
     なんで? え? なんでよ?)
     慌てて立ち上がり、もう一度「傾国」を手の中に召還する。
    (どこだ? いつ斬った? 今? さっき?
     斬れてた? いや斬れてねーし。くそ、何なんだ? 何が起こってた?
     どこにいる? どこにいるんだ、猫女?)
     周囲を見渡したが、晴奈の姿はどこにも見当たらない。
    (くそ、よーやく落ち着いてきた。
     ……またさっきの奇襲か? 同じコトだ、もっかい同じ返し方すりゃいーんだよ)
     天狐は先程晴奈の「星剣舞」を破った索敵魔術を発動させる。
    「『ナインアイドチャーミング』!」
     天狐の視界が変わり、辺りの様子が手に取るように伝わってくる。
    「さあ、どこに……」
     360度、上下、前後、左右すべての情報が、天狐の中に入ってくる。
    「……?」
     だが――。
    (音波感知……ある。風向感知……ある。振動感知……ある。でも意味ねー、動いてるのは分かるが捉えきれねー。熱感知……これも無駄か。
     残るはオーラ感知、……、……、……、……え、っ?)
     他の「センサー」で辛うじて残像を捉えてはいたが、オーラだけが部屋中を見渡しても、どこにも見付けることができない。
    (んな馬鹿な……!? 生きてる限り、その人間の生体反応を可視化したオーラは捉えられるはずだ!
     じゃあやっぱ、死んでるってのか!? ……いや、それなら他の『センサー』で反応するワケがねえ!
     じゃあお前は一体、どこにいるんだよ……!?)
     目を一杯に見開くが、まったく確認できない。
    (どこだ? どこだ? どこ……ッ!?)
     と、胸に痛みを感じる。
    「げ、……ぼ」
     口から大量の血が吹き出す。尻尾を一房消費し、すぐに治癒する。
    「がっ……」
     背中が灼けるよな痛みを覚える。これもすぐ治す。
    「畜生、どこだ……!」
     術に最大限の魔力を込め、オーラを読み取ろうとあがく。
    (いねえ)
     ザクザクと、自分の体が斬れる音が絶え間なく続く。その一撃、一撃が、恐ろしく鋭く、激しい。
    (やべえ……やべえよコレ……!)
     尻尾が次々に消費され、消えていく。
    「やっ……やめろ……」
     尻尾はとうとう、残り三尾となった。
    「やめろ……やめて……」
     さらにざくりと、右肩を裂かれる。
     見えない敵からの、絶え間なく続く攻撃に、天狐の心はついに折れた。
    「やめて……やめて……やめてえ……」
     天狐はたまらず、ボタボタと涙を流し始めた。
    「……ごめんなさい……あやまりますから……やめてください……っ」
     天狐は見えない晴奈に向かって、土下座した。
    「ごめんなさい……ごべんなざいー……もうじばぜんがら、ごうざんじばずがらあああっ」
     と、天狐への攻撃がやんだ。
    「ひっ……ひっ……」
     天狐は号泣しながら、顔を上げた。
    「本当にもう、降参するか?」
    「はい……じばずうう……」
     天狐の前にいつの間にか立っていた晴奈は、刀の切っ先を天狐の鼻先に突きつけた。
    「ひっ……ぴいいっ」
    「ならば今すぐ、仲間と私、それから街で倒れた者たちの治療をしてもらおうか」
    「は、はいっ。いば、今すぐにっ」
     天狐は再度、晴奈に頭を下げた。



     すっかり大人しくなった天狐を連れ、全快した晴奈は下層へと歩いていた。
    「……そんなにびくつかないでもいい」
    「は、はいっ」
     居丈高に振舞っていた時とは違い、晴奈に下った天狐は素直な少女そのものだった。
    「あ、あの、姉(あね)さん。本当にすみませんで」
    「改心したのならばいい。……それより、首は大丈夫か?」
    「はいっ。オレの術ですからっ」
     コロリと態度を変えた天狐に、晴奈は若干戸惑う。が――。
    (こいつも『姉さん』と。……やれやれ)
     また妹が増えたことに内心、苦笑していた。
    蒼天剣・調伏録 7
    »»  2010.03.18.
    晴奈の話、第516話。
    小鈴の別れ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「ちょ」
     やってきた晴奈を見て、小鈴は口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。
    「そ、そ、そそ、ソイツ」
    「ああ。降参したから、生かしてここまで連れて来た」
     そう告げた晴奈に、全員が仰天した。

    「ああ。やっぱり君は、『別の人形』なんだ」
     回復したネロは、天狐から詳しく話を聞いた。
    「人形って、何のこった?」
    「ああ、こっちの話。
     ええと、つまり君が今使っているその体は、湖水や草、土、魚なんかから作った仮の体ってこと、なんだね」
    「そーだよ。何しろ本物の体が、こーなんだもん」
     天狐は「傾国」でひょいと、黒水晶の中に封印された自分の本体を指し示す。
    「ここら辺をうろついてたモンスターは、その練習台ってわけか」
     目を覚ましたエルスも、話に加わる。
    「そーそー。……ま、何体か逃げ出して、迷惑かけちまったみてーだな」
    「ホントだよ、もうっ」
     エルスやネロと同様に、レイリンも元通りに直された。
    「ま、もう増えたりしねーし、後は退治してくれりゃ大丈夫だから。オレも協力するよ」
    「本当に?」
    「晴奈の姉さんからも頼まれたんだ。破ったりしねーさ」
     天狐はにっこり笑い、晴奈の腕に抱きついた。
    「おいおい……」
     照れる晴奈に構わず、天狐はニコニコと微笑んで説明する。
    「倒れた奴らも、ゆっくり休んでりゃ回復するから。……だから」
     そこで天狐は申し訳無さそうに、ぺろっと舌を出した。
    「魔力戻すってのは、勘弁してくんね? オレ、また動けなくなっちゃうもん」
    「うーむ」
    「それならさー」
     と、レイリンが手を挙げた。
    「アタシが一緒にいようかっ? 一緒にいれば、魔力が溜まるのも早いしっ。それならちょっとくらい戻しても大丈夫だよね、姉さんっ?」
    「ん、まあ、それならいーけどよ」
     これを聞いて、小鈴が反論する。
    「ちょっと待ってよ。あたしはどーなんのよ? ここにアンタ置いてったら、あたし旅できなくなるじゃん」
    「そっか、それもそうだよね」
     レイリンはしばらく小鈴を見て、やがてこう答えた。
    「……でも、ゴメンね小鈴。アタシは、もっと学びたいのっ。お師匠にはただ『封印』のコトしか聞いて無いから、天狐の姉さんからもっと、色んなコトを知りたいんだ」
    「じゃあ、……勝手にしなさいよ」
     小鈴はぷい、とレイリンに背を向けた。
    「家にはあたしから、説明するわ。多分特ダネって喜んでくれるでしょ」
    「……ゴメン、ホントにゴメンね、小鈴。楽しかったよ」
    「いーわよ、そんなの。あたしも楽しかったし。……いつくらいに戻ってくる?」
    「多分、4年か5年くらい。……だから小鈴、いつか言ってたよね? いつか落ち着いて結婚して、子供ができたらアタシを持たせて旅させようか、って。それ、できるよ」
    「大きなお世話よ、んふふ……」
     小鈴は背を向けたまま、両手を振ってやれやれと返した。
    「……ま、楽しみにしてなさいよ。かーわいい子に、会わせたげるからね」



     こうしてミッドランド事件は収束した。
     天狐の言う通り、湖周辺を跋扈していたモンスターに生殖能力は無く、増殖する恐れは無かった。また、残っていたモンスターもすべて討伐され、湖及びその周辺の安全は確保された。
     大量に魔力を失い衰弱していた者たちも、天狐とレイリンから魔力を戻され、全員が1ヶ月ほどで全快した。
     なお、天狐とレイリンは全員の治療を終えた後もミッドランド市街に姿を現し、普通に暮らすようになった。とは言えその魔術知識は克の名に恥じず豊富であり、それを学ぼうと訪れる者が増えた。
     新たな観光資源を得て、ミッドランドは事件の以前よりも活気付いたと言う。

    「ほな、さらさらー、っと」
     ヘレンは同盟締結の調印文書にサインし、トマスに返した。
    「ありがとうございます」
    「いやいや、お礼言うのんはこっちの方ですわ。なんやセイナちゃんがテンコさんと仲良うなったおかげで、ミッドランドも景気よーなったらしいやないですか。
     ホンマ、あの子はすごい子ですわ」
    「ええ、そうですね。敵をただ殺さず、仲間に引き入れて活かす。それは本当に難しいことですからね」
    「うんうん。……ま、ウチらもそーでけたらいいんですけどなぁ」
     ヘレンの言葉の裏に気付き、トマスは真面目に返答した。
    「……ええ。僕たちの敵とも、いずれは平和的な付き合いができれば、それに越したことはないですよね」
    「せやね。ま、頑張りや」
     ヘレンはパチ、と、トマスにウインクした。

    蒼天剣・調伏録 終
    蒼天剣・調伏録 8
    »»  2010.03.19.
    晴奈の話、第517話。
    うなだれ小鈴。

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    1.
    「はー……」
     ゴールドコースト、赤虎亭。
    「鈴林」を手放した小鈴は、ミッドランドからこちらに戻って以来ずっと、意気消沈していた。ここでも、店のカウンターに突っ伏して、ため息ばかりついている。
    「ま、ウチの家宝だったもんなぁ。落ち込むのはしゃーない」
     小鈴の従姉妹、朱海は小鈴の肩を優しく叩き、頭の横にトンと酒を置く。
    「んでもすげー話じゃん、あの克に弟子がいて、杖の精のレイリンがその下に付いたなんて。
     5年もすりゃ帰ってくるんだし、気長に待ってやれよ」
    「うん……」
    「ま、その間にさ」
     朱海は薄桃色の封筒をパサ、と酒瓶の横に置いた。
    「お見合いなんかどーよ」
    「……はっ」
     小鈴は顔を挙げ、鼻で笑う。
    「ジョーダン。見合いなんか……」
    「ま、そう言うなって。コレで男っ気つけてさ、自分で相手探すってのも手かもよ」
    「普通は『会ってみたらいい人かもよ』って言わない、ソレ」
    「いやー……。アタシもお見合い、気乗りしない性質だからさー」
    「じゃ、何であたしに振るのよ」
     朱海は困った顔になり、小鈴に耳打ちした。
    「それはホラ、……母さんがうっさくってさー」
    「ああ、叔母さんねぇ。『見合わせ屋』だもんね、あの人」
    「そーなんだよ。アタシもそろそろ結婚しろ、結婚しろって言われるしさー、ここらで別のトコに目ぇ向けさせといたら、そっちに……」「あ」
     朱海の言葉で、小鈴の頭にある閃きが走った。
    「……ん? どした?」
    「ゴメン、ちょっと出てくる。すぐ戻るし」



    「……何でまた、お主と二人きりで買い物に来たのかな、私は」
     晴奈は横にいるトマスに、そう問いかけた。
    「僕じゃまずかった?」
    「いや、そう言うわけでは無い。フォルナと明奈は一緒に出かけたそうだし、シリンと会おうかと思ったら『久しぶりにフェリオ帰ってきたからイチャイチャしたいねん』と臆面も無く返され、ネロとジーナの姿は見当たらない。小鈴も別に用事があると言うし。
     暇だったのが、たまたま私とお主だけだったのだ」
    「リロイは? 今日はずっと宿で休んでる予定だって聞いてたけど」
    「……どうも、顔を合わせ辛い」
     それを聞いて、トマスは口をとがらせる。
    「じゃ、僕ならいいってこと? 僕に会うのは全然何とも無いってことなの?」
    「む……、多少の語弊はあるが、まあ、そう言うことか」
    「そんな……」
     しょんぼりするトマスを見て、晴奈はクスッと笑った。
    「何をうなだれてるのか……。
     まあ、以前も買い物を共にしただろう? あれがなかなか楽しかった。丁度予定が開いているので、誘おうかと思ってな」
    「……うん、それはどうも」
     トマスは晴奈の言葉に満足しかけたが、すぐに「いやいやいやいや」と首を振った。
    「やっぱりさ、セイナも無神経だと思うんだ、僕は」
    「そうか。どこら辺が、かな」
     そう返され、トマスは言葉に詰まった。
    「え……、認めちゃうの?」
     晴奈は肩をすくめ、さらにこう返した。
    「私は自分が無神経と感じたことは特に無い。が、自分の欠点には気付きにくいものだし、人が無神経と言うなら、無神経に見えるのだろう。見えると言うなら結果的に、私は無神経と言うことになる。
     自分の評判と言うものは結局、他人の意見を聞かねば分からぬことだ」
    「大人だなあ」
     そうつぶやいたトマスの額を、晴奈は苦笑しつつペチ、と叩いた。
    「お主もとうに20を超えた大人だろうが。……まったく、……クスクス」
     晴奈は何故か楽しくなり、クスクスと笑い出した。
    「どうしたのさ……?」
    「……いやいや、うん。戦いが一段落したからかな、楽しくてたまらぬ」
     それを聞いて、トマスは顔をほころばせる。
    「うん、そうだよね。多分央南に戻ったら忙しくなるだろうし、今くらいは楽しく過ごそっか」
    「戻ったら、か。……」
     晴奈はふと、心の中に何かまた、ざわめくものを感じた。
    「ん? どうしたの?」
    「……ああ、何でもない。そうだな、確かにまた、忙しくなるだろう。それまでは、楽しむとしようか」
     そう言って晴奈は、ひょいとトマスの手を引いた。
    蒼天剣・共振録 1
    »»  2010.03.22.
    晴奈の話、第518話。
    エルスの本意。

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    2.
     店を出てから15分後、小鈴はエルスを伴って赤虎亭に戻ってきた。
    「誰だ、そいつ」
    「稀代の見合わせ屋のバカ」
    「はは、ひどいな」
     小鈴はエルスをカウンターに座らせ、尋問し始めた。
    「エルスさん、アンタ分かってて晴奈口説いたでしょ」
    「……はは、ご名答」
    「どう言うコトだ?」
     事態を把握できない朱海に、小鈴はミッドランドでの道中でエルスが晴奈を口説いたことを説明した。
    「ほー、ソイツがねー」
    「でもコイツ、本気じゃなかったのよ。……トマスが晴奈に惚れてるコト分かってて、わざとやったのよ。
     恋愛事に疎い晴奈なら、あたしに相談するもんね。んであたしならきっと、トマスの気持ちも理解してるだろうって、そうよね?」
     詰問する小鈴に、エルスはあっさりうなずいた。
    「そうだよ」
    「それって、どう言う……?」
     きょとんとする朱海に、小鈴がエルスの額をペチペチ叩きながら説明した。
    「よーするにトマスを焚き付けたのよ、間接的に。確かにトマス、オクテもオクテ、大オクテだもんねー。んでもって、そーゆー奴を放っとくあたしでもないし。
     まんまと引っかかったわ、ホントに」
     苦笑する小鈴に、エルスも笑ってこう返した。
    「まあ、効果はちょっとくらい、あったんじゃないかな。意識したと思うよ、セイナも」



    「ね、ねえ?」
    「うん?」
     手を引かれるままに歩いていたトマスが、晴奈に声をかけた。
    「どこ行くの?」
    「ん……、いや、特にどこ、とは考えていないが」
    「え」
     トマスが変な返事を返したので、晴奈は立ち止まる。
    「どうした?」
    「じゃあセイナ、なんで君、僕の手を引いてるの?」
    「ん? ……あ」
     ようやくそのことに気付き、晴奈は手を離した。
    「すまぬ。ついうっかり」
    「あ、いや……、別にいいけど」
    「あの地下神殿で、ずっとお主の手を引いていたからな。どうも癖になってしまったようだ」
    「癖、って……」
     トマスは顔を赤くし、握られていた左手を右手で撫でた。
    「喜んでいいのかなぁ……?」
    「喜ぶ?」
     今度は、晴奈が首をかしげた。
    「いや、えっと、何て言ったらいいのかな、えーと」
    「分からないな……」
     晴奈はもう一度、手を握ってみた。
    「こんなことが、そんなに嬉しいのか? 子供ではあるまいし」
    「そりゃ、その、君だから」
     トマスの言葉に、晴奈はもう一度首をかしげた。
    「私だから?」
    「いや、何でもないよ」
     トマスは晴奈の手を振り払い、フラフラと歩き出す。
    「おい、待て」
    「そ、その、えっと、結局さ、どこに行く?」
     トマスが足を止めないので、晴奈は仕方なく付いていく。
    「そうだな……、とりあえず、小腹が空いた。もう昼だしな」
    「あ、そうだね。じゃ、どこかに食べに行こうか」
    「ああ。……そうだ、トマス」
     晴奈は三度、トマスの手を引く。
    「な、何?」
    「私の恩人がやっている店がある。そこに行ってみないか?」
    「え? あ、いいね」
     トマスはコクコクとうなずき、晴奈の手を握り返した。



    「ま、メシ屋に来させといてご飯食べさせずにハイさよなら、ってのも何だし」
     エルスから思惑を聞き終えた小鈴は、折角の機会なのでエルスに飯をおごっていた。
    「ココのご飯は美味しいわよ、ホント」
    「おいおい、おだてても大したモン出さないって」
     素直にほめられ、カウンター越しに経っていた朱海はわずかに顔を赤くした。
    「さ、何頼む、エルスさん?」
    「んー」
     エルスは品書きを眺めながら、小鈴に尋ねる。
    「お勧めは何かな」
    「そーねぇ……、揚げ物系は特に美味しいかな。今の季節なら、サンマの唐揚げなんかいいんじゃない?」
    「ああ、それならすぐ作れるよ。どうする、御大さん?」
     朱海も同意したので、エルスはそれを頼むことにした。
    「じゃあ、それで。……と、アケミさんだっけ」
    「ん?」
     エルスは苦笑しつつ、自分の呼ばれ方を訂正した。
    「あんまり親しい人や歳の近い人に、いかめしい呼ばれ方をされたくないんだ。良ければ僕のことは、普通に呼んでほしい」
    「ん? 歳近い……、って、アンタいくつなんだ? 見た感じ、40近そうに見えたけど」
    「40、かぁ」
     そう言われ、エルスは頬をポリポリとかきながら、また苦笑する。
    「はは……、僕、まだ32なんだけどなぁ」
    「へぇ? ……とすると、かなり苦労してんだなぁ。流石に央南の大将さんだからかな」
    「それだけじゃないわよ。ほら、5年くらい前に北方でうさわになった兵器強奪事件ってあったじゃん?」
    「ああ、何か聞いた覚えあるな」
    「ソレやったの、この人だし」
    「マジで?」
     エルスは肩をすくめ、肯定する。
    「うん、確かに。色々、やむにやまれぬ事情があったもんで」
    「……とすると、北方でスパイやってて、央南に亡命して、大将さんになって戦争を動かして、んで今、中央政府並みにデカい同盟を作ろうとしてる、……ってワケか。
     そりゃ歳以上に老けもするわな、アンタ」
     朱海に繰り返し老けたと言われて、エルスは苦笑するしかなかった。
    蒼天剣・共振録 2
    »»  2010.03.23.
    晴奈の話、第519話。
    小悪党を演じる。

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    3.
     と、戸がカラカラと音を立てて開けられ、客が入ってくる。
    「あ、いらっしゃ……、あれ?」
     挨拶しかけた朱海が、意外そうな声を出した。
    「おう、晴奈じゃないか」
    「しばらくぶりです、朱海殿。……む?」
     入ってきた客――晴奈とトマスが、カウンターに座っている小鈴とエルスに目を向けた。
    「小鈴、……それに、エルスも。ここにいたのか」
    「やあ、セイナ」
     にっこりと笑いかけるエルスに対し、晴奈は逡巡する様子を見せる。と、背後にいたトマスが席に着くよう促した。
    「どうしたの、セイナ? 早く座ろう」
    「……あ、ああ」
     仕方なく、晴奈は小鈴の横に座る。トマスも、その隣に続いて座った。
    「え、と、その……」
     晴奈はエルスの顔をチラチラと見たり、目を逸らしたりしている。
    「何かな?」
     対するエルスは、普段通りの笑顔で構える。
    「……その、エルス。この前のこと、だが……」
     そこでエルスと小鈴、朱海は、まだ晴奈に真実を打ち明けていないことに気付いた。
    「ああ。あれ? それなら……」「それならね」
     言いかけたエルスに、小鈴が割り込んだ。
    「エルスさん……、エルス、あたしと付き合うコトになったし」「え」
     そう答え、腕を取った小鈴に、晴奈とトマス、朱海、そして何よりエルスが驚いた。
    「ちょっと、アンタ何を……」「あー、うん。そうなんだ、はは」
     だが、何故かエルスもそれに乗ってしまう。
    「な……っ」
     当然、晴奈は呆然としている。
    「……どう言うことだ」
     そして次第に、晴奈の顔に険が現れ始めた。
    「説明してもらおうか」
    「うん。あの後ね、もう一度内省してみたんだけど、やっぱりタイプかどうかって言われたら、違うんじゃないかなってね。
     それで君には悪いけど、この話は無かったことにさせてもらおうかなって考えてたんだ。そしたらコスズが、『付き合ってください』なーんて言うもんだからさ、思い切って……」
    「……」
     突然、晴奈は立ち上がった。
    「……散々振り回しておいて、それか」
    「うん」
    「ふざけるなッ!」
     晴奈はカウンターに置いてあった酒瓶をつかみ、エルスに投げつけた。
    「ちょ……」
     慌てる小鈴の目の前を飛び、酒瓶はエルスの顔面に叩きつけられた。
    「……っ」
    「ごめんね」
     エルスは鼻からボタボタと血を流しながら、口角をわずかに上げて微笑み、短く謝罪した。
    「御免で済むか、この、この……っ、……っ!」
     晴奈はぐい、とトマスの腕を引っ張り、無理矢理にカウンターから立たせた。
    「いてて、痛いって、セイナ」
    「済まぬが朱海殿、日を改める。今日はもう、こいつの顔を見たくない」
    「ああ、だろうな。またおいで」
    「失礼した」
     晴奈は肩を怒らせ、トマスを引きずるようにして赤虎亭を後にした。

     開いたままの戸を眺めながら、エルスは苦笑した。
    「……はは、そりゃ怒るよね」
    「何バカなコト言ってんだ、アンタ」
     朱海は呆れた目を、エルスに向けた。
    「そりゃ怒るってもんだ。っつーかアタシだったら呆れちまうね。
     何でまた、あんなコトを言ったんだ? しかもアンタと小鈴が付き合う? いつそんなコトになっちまったのさ?」
    「方便だよ、はは。……だってさ、セイナのことだから、ずっと悩んでたと思うんだ。で、今もどう答えたらいいか、困ってたみたいだし。
     変なこと言わせて後々尾を引いたり、こじれたりするのも、ね。ましてや本当に、僕のことを想うようになっちゃ本末転倒だし。それなら……」
    「いっそコッチがきっぱり忘れさせられるよーな状況作ってあげようか、ってね」
     二人から理由を聞いた朱海は、さらに呆れた顔になる。
    「……やれやれ、とんだバカどもだな、お前ら。
     少なくとも鼻血ボタボタ出してるヤツがカッコつけて言っても、欠片も説得力ねー台詞だよ」
    「……そうだね。とりあえず、何か拭くものと、詰めるものを貸してもらっても? まだ止まんないや、はは……」



    「……っ、……っ!」
     晴奈は声にならない唸り声を上げながら、繁華街を進んでいた。
    「早いよ、セイナ……」
     トマスは依然、引きずられている。
    「……ああ、……悪い」
     ようやく我に返った晴奈は、立ち止まってトマスに振り返った。
    「まあ、君が怒る理由も分かるけど……。いくらなんでも、求婚しておいて他の人と付き合うなんて、不実もいいところだ」
    「ああ……」
     晴奈は辺りを見回し、手ごろな椅子を見つけて座り込んだ。
    「トマス、お主もこっちに来い。……何だか昼前だと言うのに、無闇に疲れてしまった」
    「だろうね。……リロイ、災難だな」
     そうつぶやいたトマスに、晴奈は口をとがらせた。
    「災難? あれは自業自得だ。……まったく、真面目に考えた私が馬鹿だった」
    「ま、そうだろうね。……気分転換でもしない?」
    「うん?」
     トマスは笑顔を作り、立ち上がった。
    「ほら、そこに露店がある。飲み物買ってくるから、ここにいてよ。何がいい?」
    「ん……。そうだな、走って喉も渇いたし。オレンジジュースを」
    「分かった」
    蒼天剣・共振録 3
    »»  2010.03.24.
    晴奈の話、第520話。
    今後の成り行き。

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    4.
    「ふが、はが」
     運ばれてきたサンマ定食を食べていたエルスは、妙な鼻音を出している。
    「……くっ」
    「ふん、ほいひいね(うん、美味しいね)」
    「……ぷ、ぷ」
    「ほふひはの?(どうしたの?)」
    「……くく、ダメ、……もお、エルス!」
     たまらず、小鈴が笑い出した。
    「とりあえず鼻血止まるまで、ご飯食べんのやめときなさいよ……、くく、んふふふ」
    「ふん、やっはひほうひひょうはなぁ。はへひふいひ(うん、やっぱりそうしようかなぁ。食べにくいし)」
    「つか、小鈴。お前治してやれよ」
     朱海がカウンターに頬杖を突き、小鈴に目を向ける。
    「お前の術がありゃ、ちょいちょいっと治せるだろ?」
    「あー……、できるかなぁ。あたし、元々の魔力はそんなに無いし」
    「そうなのか?」
     小鈴は両手を挙げ、顔を曇らせた。
    「今までは『鈴林』の助けがあったから、あんだけ色々できたのよ。アレがない今じゃ……」
     小鈴はエルスに向き直り、呪文を唱えながら右人差し指をちょん、と彼の鼻に乗せた。
    「コレくらい、ね」
    「……十分かな。鼻の通りは良くなったよ」
     エルスは鼻の詰め物を取って、小鈴に笑いかけた。
    「そ。ならいいや、コレくらいでちょーどいいのかもね」
     二人の様子を、朱海はニヤニヤして眺めていた。
    (口から出任せ言った割りに、いい雰囲気出してんじゃんよ、お二人さん)



     オレンジジュースをずず、とすする晴奈の横顔を眺めながら、トマスは尋ねてみた。
    「……じゃあさ、結局今はセイナ、フリーなんだよね」
    「ふりー?」
    「付き合ってる人、いないってことだよね」
    「そうだな。……いや、元からエルスの件も、断るつもりだったが」
    「え、そうなんだ?」
     晴奈はカップを椅子に置き、肩をすくめる。
    「何と言うか、な。エルスを伴侶に、なんて考えても、ピンと来なかったのだ。まったく想像の外と言うか、どうにもそう考えられる相手ではなかった。
     と言うよりも……、私にはまだ想像が付かぬ。自分が誰かの妻になるとか、夫を迎えるとか。小鈴には『もうそろそろ真面目に考えなさいよ』と言われたし、それなりにじっくりと考えてはみたのだが、……やはり私には、現実のことと捉えられぬ。
     ……下手をすると、一生独身かもな」
    「だったら僕と、……あ、ううん」
    「うん?」
     トマスは顔を赤くして、そっぽを向いた。
    「……何でも無い。うん、僕もまだ、そこまで現実的に考えられない、かな」
    「もしかして、……トマス」
     晴奈はぽつりと尋ねようとして、そのまま口を閉じた。
    「何、かな」
    「……何でも無い」
     晴奈は椅子に置いていたオレンジジュースを手に取り、ぼそ、とつぶやいた。
    「……おっと」
    「どしたの?」
     トマスが振り返る前に、晴奈は立ち上がろうとした。
    「飲み干してしまった。次は私が買ってくるよ」
    「あ、いいよ。あの時は君に頼りっぱなしだったから、これくらいのことは僕に任せてよ」
    「……そうか? そんなことなど、気にしなくてもいい、が。……そうだな、お言葉に甘えようか」
     晴奈はにこりと笑って――いつもの彼女が浮かべない、嬉しそうな、素直な笑顔で――トマスの厚意に甘え、カップを差し出した。



     晴奈とトマス、二人のこの様子を、ネロが隠れて見ていた。横にいたジーナは様子をネロから聞き、笑っている。
    「これから、と言う感じじゃの」
    「そうだね。……さて、と」
     ネロはジーナの手を引き、同じように笑ってみせた。
    「テンコちゃんから聞きたいことは聞いたし、そろそろ僕らも旅に出ようよ。コスズさんが来られないのは、ちょっと残念だけど」
    「そうじゃな。……まあ、また会えるじゃろ」
     ネロとジーナは手をつなぎ、晴奈たちから離れていった。

    蒼天剣・共振録 終
    蒼天剣・共振録 4
    »»  2010.03.25.
    晴奈の話、第521話。
    高みに達する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ゴールドコーストでの用事も一通り済み、晴奈たちは央南への帰途に就いた。
    「ふう……」
     船の上に備え付けてある椅子にもたれ、晴奈は夕日を眺めていた。
    (色々あったな、こんな短い間に)
     旅をしていた間にも様々なことはあったが、ここ数ヶ月もまた、激動の時期と言えた。
    (北方へ着き、黄海へ帰り、『蒼天』を手に入れ、湖の底へ潜り、黒炎殿の弟子と戦い……)
     考えていくうちに、晴奈の思考が鈍ってくる。
    (ん……、眠たくなってきた。少し、眠るか……)
     晴奈は目を閉じ、短い眠りに就いた。



     夢の中で、晴奈は山を登っていた。
     いつか弟弟子と登った、紅蓮塞の裏山のような山道だった。
    「はっ……、はっ……」
     道のりはさほど辛くは無いはずなのに、晴奈の息は若干上がってきていた。
    「はっ……、はっ……」
     夢の中であるし、歩くのをやめても、誰も咎めはしないと分かっている。だが、晴奈は黙々と道を進んでいく。
    「はっ……、はぁ、はぁ」
     やがて山道は、かつて小鈴と越えた屏風山脈のような、急な斜面に変わっていた。
    「はぁ、はぁ」
     息をするのが、段々辛くなってくる。
    「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ」
     ふと、晴奈は空を見上げた。
    「はぁ……、はぁ……」
     あの、死の淵で見た墜ち行く星が、空一杯に広がっていた。
    「……っ」
     晴奈はまた、歩き出した。

    (私は……、どこに行こうとしている?)
     自分に問いかける。
    (この道の先に、何がある?)
     問い続ける。
    (何のために……、何を求めて……)
     自分の心は、答えを出してくれなかった。

     やがて、ただ歩くことにだけ専念する。
    「……」
     荒かった呼吸も、落ち着いてくる。
    「……」
     墜ちていた星も、今は朝焼けに紛れて見えない。
    「……」
     ふと、晴奈は気付く。
    「白猫……」
     自分の横に、同じように山道を登る白猫がいた。
    《やあ》
    「久しぶりだな」
    《そうだね。一緒に行こうか》
    「助かる」
     言ってから、晴奈は自分の言葉に疑問を持った。
    (助かる? 何がだ?)
    《それじゃ進もう》
    「あ、ああ」

     二人で山道を登る。
     どうやら、この山は相当高かったようだ。
    「……っ」
     吐く息が白くなる。額に流れていた汗が、湯気に変わっていく。
    《マントあるけど、貸そうか?》
    「ああ、ありがとう」
     白猫から借りた真っ白なマントを羽織り、晴奈はさらに歩き続けた。
    《あ、雪だ》
    「む……」
     鼻先に、ちょんと雪が落ちる。
     いつの間にか、周りは雪によって白く塗り潰され、夕焼けによって鮮やかな橙色に照らされていた。
    「お主は大丈夫なのか?」
    《うん》
    「そうか」
     短く言葉を交わし、また黙々と歩き続けた。

     また、夜が訪れる。
    《キレイな星空じゃないか》
    「そうだな」
     今度は先程の墜ちる星ではなく、本物の星天だった。
    《星天か……。く、ふふっ》
     白猫が笑う。
    「どうした?」
    《ううん、何でも。頂上に着いてから話すよ》
    「そうか」

     降ってはいないが、足元には膝の高さにまで雪が積もっていた。
    《もうすぐだよ、セイナ》
    「そうか」
     確かに白猫の言う通り、道の先には山の頂が見えてきていた。
    《もうすぐ》
    「ああ」
     雪に足を取られながらも、何とか足を上げて進んでいく。
    《もうすぐだ》
    「分かった」

     やがて、二人は山の頂に到着した。
    《おつかれさん》
    「ありがとう」
    《ああ……、いい景色じゃないか》
     白猫が指し示したのは、真上だった。
    《蒼い空だ。ほら、つかんでごらんよ》
    「つかむ?」
    《そう。ほら、手を挙げて》
     白猫の言う通りに、晴奈は右手を挙げてつかむ仕草をした。
    「……?」
     確かに何か、感触はあった。しかし、今までに経験してきたどんな感覚を引き出しても、その感触を言い表すことができない。
    《おめでとう、セイナ。キミは今、天をつかんだんだ》
    「天、を?」
    《そう。蒼天を握り、星天に舞う剣士、黄晴奈。キミは今、どこにいる?》
    「どこに? ……!」
     晴奈は足元を見て、すべてを悟った。
    「頂点。……そうか、頂点なのか、ここが」
    《そう。27歳のキミは今、剣士としてのピーク、頂点に到達した。タイカさんの弟子二人と戦い、勝ったコトで、キミは完成した。
     ここが、ピークなんだ》
    蒼天剣・有頂録 1
    »»  2010.03.28.
    晴奈の話、第522話。
    重荷を下ろそう。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈は辺りを見回した。
     辺りには、空ばかりだ。他の山々も、雲も、はるか下にある。頭上には何一つ無い、まったくの青空の中だった。
    「頂点、……か」
    《恐らくキミのピークは、短くても後2~3年は続くだろう。そしてその後、緩やかに落ちていく。それは人間として、当然の流れ。
     すべての生物に当然として訪れる、老い》
    「そうか」
    《……あんまり、ショックを受けた様子じゃないね?》
    「いや、薄々考えてはいたことだ。いずれ訪れると思っていたものが、来ただけのこと。
     ……だが」
     晴奈はもう一度辺りを見回し、つぶやいた。
    「こんなに、……寒々しいのか」
    《頂点ってのは、恐ろしく足場の狭いところさ。キミはタイカさんの弟子さえ退けるほどの力を持ってしまったから、ね。
     ココに足を乗せられるのは、ボクみたいに『人間』じゃなくなったヒトだけさ》
    「私は、人間では無いと?」
    《いいや、人間さ。人間として、ピーク。行けるところまで来た。
     ……ここより上に。空の果てに、行きたい?》
     そう問われ、晴奈は戸惑った。
    「何だと?」
    《ボクなら教えてやれる。人間の枠を外れて、さらにその上に行く方法を。……知りたい?》
    「……いいや」
     晴奈はその場に座り込み、首を横に振った。
    「ここは寒すぎる。これよりさらに寒い場所へなど、行く気は起きぬ」
    《そっか。ま、その方がいいよ。キミの言う通り、寒いもの》
     白猫も、晴奈の横に座り込んだ。
    《それに、そっちへ行っちゃったらもう、戻れないしね。……ほら、下を見てみなよ》
     白猫の指差す方に、晴奈は視線を向ける。
    「あ……」
     そこには、皆がいた。
     今までに会ってきた、大事な者たち――師匠の雪乃、親友のエルス、長い付き合いの小鈴、明奈やフォルナなどの弟妹たち、そして、トマスも。
    《降りていけば、皆のところに戻れる。皆と、遊べるんだ。
     いいじゃないか、それも。今までずっと、『自分は強い』『自分が皆を護らなければ』『自分は誰にも負けてはならない』って頑張ってきたけど、もうそれもしなくていい。皆とゆっくり、遊んでいいんだよ。
     後もう少しで、キミの重荷は下ろせるよ。おつかれさん、セイナ》
    「重荷……」
     晴奈はそっと、白猫の肩に頭を乗せた。
    「重荷か。そうか、そうだったんだな」
    《おや、珍しい。キミが甘えてくるなんて》
    「白猫、お主の言う通りだ。私はずっと、『強くあらねば』と心に抱き、剣士の道を歩き続けた。
     それは確かに心地良かった。その抱負を抱き続けることで生まれる自信が、私には誇らしかったし、周りからの信頼も温かく感じられた。
     だが最近になって、そう思う度、心の中がざわざわと鳴るようになった。どこかに、今まで感じなかった疲れが、少しずつ、少しずつ溜まっていた。その細かな、塵のような疲労が、ざわざわと鳴っていたんだ。
     その塵は、私の心のどこかから沸いていた。それは、本当に小さな、粉のようなものだったから、若いうちには気が付かなかったし、気にも留めていなかった。
     ……でも、今は。頂に上った、今は。その塵は積もりに積もり、耐え難い重さとざわめきを生んでいた。
     それはまさに、重荷と言うべきものだった。『強くあらねば』は、既に抱負ではなく責務になっていたんだ。
     ……この間、トマスと話をした時。トマスは『また央南に戻ったら、忙しくなるね』と言った。それを聞いて、私は嫌な気持ちになった。
     また私は延々、延々と、目の前の敵を斬らなければならないのか、と」
    《……だからテンコちゃんにとどめ、刺さなかったんだね》
     白猫はそっと晴奈の肩に手を回し、優しく頭を抱きかかえた。
    《もう戦うのに、疲れたんだね》
    「……ああ……」
    《悟ったんだね、19の時に言われたコト。
     そうだよ。無闇な戦いを重ね、相手を次々殺してたら、それ以上のコトは何もできないんだ。
     キミは今、テンコちゃんが可愛い子だって知っている。けど、あの時殺してしまっていたら、ただの危ない子だとしか思わなかっただろう。
     それでいいんだ。それが分かったキミはもう、修羅なんかじゃない。
     キミの業はもう、浄化されている》
    「……っ……」
     白猫からのその言葉に、晴奈の目からぽたぽたと、涙がこぼれ出す。
    《泣きたいなら、泣きなよ。
     ここは頂点――ボクの他には誰にも、その声は聞こえやしないんだから》
    「……ああ……あああ……うああー……」
     晴奈は白猫にしがみつくように、泣き出した。
    蒼天剣・有頂録 2
    »»  2010.03.29.
    晴奈の話、第523話。
    体じゃなく、心が触れ合う。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈が落ち着いたところで、白猫はすっと立ち上がった。
    《そろそろ降りようか》
    「……ああ」
     白猫の差し出した手を借り、晴奈は立ち上がる。
    「……」
     と、下に向かって歩こうとした足が止まる。
    《どうしたの?》
    「……すまない、白猫。もう戦いたくないと、そうは言った。
     でも、後もう少しだけ、戦わないといけない」
    《もう少し? ……ああ》
     白猫はきょろ、と辺りを見回し、ある一点――雲間からほの見える、別の山の頂を指差した。
    《あの子だね。あの、仮面の子》
    「ああ。巴景とは、決着を付けないといけない。それだけは、避けては通れないんだ」
    《そうだね。あの子も、キミと同じところに登ろうとしているし、間もなく達せられるだろう。後、1年以内に》
    「そうか」
     続いて白猫は、別の場所を指差した。そこにも山のシルエットが、ぼんやりと見える。
    《それから、……アイツだね。あの『鉄の悪魔』、アル》
    「そう。あの男こそ日上を、『ヘブン』を操り、世界を蹂躙する真の邪悪だ。
     それを見て見ぬ振りなんて、例え私がどんなに老いさばらえて、頂点から遠く離れたとしても、到底できない。
     巴景と、アラン。この二人と決着を付けるまでは、私はここから動くわけには行かない」
    《だよね。……ま、降りたくなったらいつでも言ってよ。また一緒に、歩こう》
    「頼んだ」
     そう言ったところで、晴奈は登っていた際に思わず、「助かる」と言ってしまった理由が分かった。
    (そうか……。
     寂しかったんだ。この道を――ううん、どんな道でも。
     一人きりで歩くことが)



    「……い、おーい、セイナぁー」
     誰かに呼ばれ、晴奈は目を開けた。
    「……お、おぉ!?」
     すぐ目の前に、トマスの顔がある。
    「はっ……、離れろ!」
    「あ、ご、ごめん。そんなに怒らなくても」
    「近過ぎる! 何をする気だったのだ!」
     トマスは後ずさりながら弁明する。
    「な、何にもしてないって! 何回呼んでも起きなかったから、耳元で呼んでたんだよ! 本当に何もしなかったから!」
    「……なら、いい」
     晴奈は椅子から起き上がり、首を回す。
    「んん、ん……。もう夜になってしまったのか」
    「うん。だから、風邪でも引いたりしないかと思って、起こしたんだ」
    「そうか。悪かったな、怒鳴ったりして」
    「いいよ、君に怒られるのはもう慣れたから」
     皮肉っぽく言ったトマスを見て、晴奈は思わず笑い出した。
    「……はは、はっ。そうだな、私はお主に怒ってばかりいる」
    「そうだよ、本当に……」
    「……すまぬ」
     晴奈はぺこりと、頭を下げた。
    「え?」
    「何と言うかな……、私は、どうにも『姉』なのだ。どうにも、他人が放っておけぬ。特にお主などは、見ていて口を出したくてたまらない。
     つまるところ、私はいつでも上から見ているのだ。お主をまるで、手のかかる弟のように、いつも下への目線で見てしまっていた。……本当に、すまない」
    「いや、そんなの、別に……」
     トマスは困った素振りを見せながら応える。
    「いいんだ、うん。君に怒られて、嫌な気分じゃない。むしろ、僕は一人っ子だったし、昔から勉強と研究ばっかりで屋内にこもってたから、祖父以外にあんまり怒られたりしたことがないし。
     だから嬉しかったりするんだ。君が僕のこと、本当に気にかけてくれてるんだと思って」
     それを聞いて、晴奈は逆に困った。
    「お主は怒られて、嬉しくなるのか? ……変な奴だな」
    「あ、違うって、そうじゃなくって。何て言えばいいのかな……」
     トマスは手をバタバタさせながら、言葉を捜す。
    「……ああ、そうだ。人と深く接する、って感じなのかな。何て言うか、密接につながってるって、そう思えるんだ。
     それは例えば、君に触れているとかそう言うことじゃなく、心、……って言うのかな、そう言う精神的に深いところで、君と一緒にいる。そんな感じが、心地良いんだ」
    「そうか」
     晴奈はもう一度、椅子に座り直した。
    「……お主は無神経でズケズケとした物言いばかりで、時には心底苛立たしくなることもある。
     が……、お主は私のことを、いつも気にかけてくれている。私の身を、案じてくれている。その思いが……」
     晴奈はトマスから顔を背け、ぼそっとつぶやいた。
    「……楽にさせてくれるよ。お前といると、心地良いんだ」
    蒼天剣・有頂録 3
    »»  2010.03.30.
    晴奈の話、第524話。
    二人で休みたい、二人で歩きたい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈はチラ、とトマスの顔を横目で見て、また目をそらした。
    「最近ずっと、私と親しい者の誰もがこう思っているのが、ありありと見えてくるんだ。『黄晴奈なら何とかしてくれる。黄晴奈に任せれば安心だ。だって、あの人は強いのだから』と。
     ミッドランドの時も、そうだった。小鈴たちは早々に私から離れて、私一人に戦いを任せた。私は死にそうな目に遭いながら、一人で戦い抜いた。『皆のために』、『皆を助けるために』と戦っても、つまるところは私一人と敵一人の、一対一の戦いだったんだ。
     まあ、今までやってきたことだし、戦いは私の領分だ。そんな風に放っておいてもらっても、それは確かに大丈夫さ。実際、一人で勝ってしまったんだし。でも、そうされるのは、……ひどく寂しく、苦しいことなんだ。
     だってもし、私がどうにもできない相手がいたら、私は誰に頼ればいいんだろうか? ……結局そうなれば、私は無理矢理に自分を奮い立たせ、己の限界を超えて立ち回らないといけなくなる。今回だって、そうだったんだからな。
     他人は、私に頼ってくる。でも私が頼れる人間は、私以外にいない。そう考えると、私の人間関係は一方通行なんだ――向こうから接してくることばかりで、こちらから接することが無い。
     それはまるで、私一人が舞台に上げられ、その演舞を見守られているような――そんな感覚なんだ。だから誰も、私の方に来ない。舞台に上がる観客は、まずいないから」
    「そっか……」
     す、と晴奈の横にトマスが座り込んだ。
    「僕も、セイナを頼りにしてた一人だ。……ごめんね、何か」
    「ううん。お前は、それだけじゃないさ」
     晴奈は横のトマスを、じっと見つめた。
    「起こしに来てくれただろう? ……ふふ、こんなことでさえ、『晴奈なら起こさなくても大丈夫』と皆が思っている。実際、目覚めがいい方だからな。だから、来る者はいない。お前だけだ、わざわざ起こしに来てくれたのは。
     トマスはいつも、私のことを気にかけてくれている。私を、心配してくれる。それが本当に、嬉しいんだ」
     晴奈は夢の中で白猫にやったように、そっと頭をトマスの肩に乗せた。
    「え、ちょっ……」
    「私はあまり、物をねだらない方だが、……一つ、頼まれてくれるか?」
    「な、……何かな」
    「時々でいいから、こうしてお前の側で、休ませてくれないか?」
    「……いいよ。僕なんかの側でよければ」
    「お前が、いい。お前なら気兼ねなく、休ませてくれるから」
     既に日は落ち、甲板の上には誰もいない。冷たい海風が、二人の周りを過ぎていく。
    「……温かいな。二人だと、温かい」
    「……うん」
     晴奈とトマスはずっと、静かに座っていた。



     黄海に戻った晴奈は、トマスと過ごすことが多くなった。
    「なあ、トマス。『ヘブン』への対応は、どうなったんだ?」
    「そうだなぁ……、現状は、こう言う感じかな。
     北方・央中・央南の三地域が連携したことで、かなり強力な対抗力が得られた。多分、『ヘブン』は真っ向勝負を諦めると思う。兵力だけで見ても、央北は15万。こっちには北方8万、央中10万、央南12万の計30万だから、およそ2倍の差がある。これで戦争しようなんて、無謀としか言い様が無いからね。
     だから向こうの出方としては、共同路線か講和路線、つまり以前の中央政府のように穏便な付き合いをしたいと望んでくるはずだ。
     でも、こちらはそうも行かない。『ヘブン』のトップであるフーは、僕たちにとって特A級戦犯だからね。彼の身柄引き渡しは、何としてでも行われなければならない。
     その兼ね合い、妥協点を見つけるための協議が、これから行われることになると思う。まあ、多分フーを引き渡して『ヘブン』再編成、って流れになるんじゃないかな」
    「ふむ、なるほど」
     と、横を通りかかったエルスが二人を見て茶化す。
    「あれ? 自分の家に連れ込んでデート?」
    「ち、違う! 単に、政治動向をだな」
    「ま、いーけどねー」
    「……くっ」
     晴奈は顔を赤くし、エルスにギリギリ聞こえるくらいの小声でつぶやいた。
    「言うぞ。リストに、お主が私との子供がどうとか言って、あまつさえ別の女に手を出したと」
    「いやいや、ゴメンゴメン、本当にゴメン」
     エルスは態度を翻し、ペコリと頭を下げた。
    「冗談だって、冗談。あ、そうそう。政治の話なら、こっちからもニュースがあるから」
    「ほう?」
    「どんな話?」
     エルスは手に持っていた書類を、二人の前に並べた。
    「『ヘブン』の参謀・主任顧問だった人が突然、更迭されたんだ。以前の参謀が戻ってきたから、らしいんだけどね。その、前の人って言えば……」
    「……アラン・グレイ氏だね。……そうなると、まずいかも」
    「何がだ?」
     尋ねる晴奈に、トマスが残念そうに説明した。
    「グレイ氏はカチカチの強硬派、武闘派なんだ。フーに軍閥を作るよう指示したのも彼だし。
     彼が戻ってきたとなると当然、協議なんかしようなんて思わないだろう」
    「……戦争一択、か。最も残念な展開になるだろうな」
    「うん……」
     三人は一様に、重い表情を見せた。

     長きに渡る、央北の戦争に終焉が近付いていた。それは悲劇的な終焉であり、エルスも、トマスも、三地域同盟の首脳の誰もが、その回避を願っていた。
     しかし結局、その悲劇の幕は開いた。エルスたちの予想通り、「ヘブン」は戦争を選び、戦いが始まったのだ。



     いつか、晴奈の大先輩であった楢崎瞬二が、九尾闘技場の老いた主であったクラウンを、「魂の加齢臭がする」と評したことがある。
     戦いに次ぐ戦いの日々で、その心身を磨耗させたクラウン。その心は、晩年には狂気に蝕まれていた。

     晴奈もまた、長く連続した戦いの果てに、疲労し始めていた。
     肉体・技量は完成し、高みに上り詰めた。だがその心はじわじわと荒み、彼女は戦うことよりも、穏やかに暮らすことを望み始めていた。

     長い長い晴奈の戦いの歴史にもまた、終わりが近付いてきていた。

    蒼天剣・有頂録 終
    蒼天剣・有頂録 4
    »»  2010.03.31.

    晴奈の話、第497話。
    真ん中がはっきりしないシーソー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     小鈴は晴奈たちと離れた後、トマスを訪ねていた。
    「どうしたの、コスズさん?」
     宿で本を読んでいたトマスに、小鈴は単刀直入に尋ねた。
    「率直に聞くわよ。アンタ、晴奈のコト好き?」
    「へ」
     ストレートな質問に、トマスは面食らった。
    「え、それはどう言う意味……」「どーもこーも、そのまんま。恋人にしたいと思うかって言う、好きの意味で」
     トマスは黙り込み、顔を赤くする。
    「それは……、その……、どっちかと言えば」「ゴチャゴチャごまかしてる場合じゃないわよ」
     小鈴はトマスに顔を近づけ、真剣な表情を作って伝えた。
    「エルスさんが、告ったらしーわよ」
    「え、……え?」
     トマスの顔から、さっと赤が引く。
    「しかも彼女、まんざらでもなさそーにしてるし。このまんまボーっとしてたら、取られるわよ」
    「いや、セイナはまだ、僕のものってわけじゃ」「ま、だ?」
     小鈴はキッと、トマスをにらむ。
    「あ、……いや、他意は無いんだ、その」
    「ハッキリしなさいよ、トマス。アンタは好きなの、嫌いなの?」
    「……そりゃ、……好きだよ。……でも、セイナがリロイを選ぶって言うなら」
    「何言ってんのよ」
     小鈴はグイグイと、トマスにプレッシャーをかける。
    「アンタそれでいいの? 何にもせず、好きな子が自分の手の届かないトコに行っちゃって、それで『良かった』と思うの?
     あたしの友達にもいたわ、そーゆータイプ。どうしても勇気出なくて、好きな人にどーしても告白できなくてウジウジしてる間に逃しちゃったのよ、その人を。その時のヘコみようったら、そりゃもう……」
    「でも、セイナはリロイを選んだんだろう、もう。まんざらでもないって言うなら……」
    「だったらあたしはこっちに来てないわよ。もうまとまった話を引っかき回すほど、シュミ悪くないし。
     迷ってんのよ、晴奈は。『エルスさんはいい人だが、恋人として好きかと言われると、ピンと来ない。本当に、相手はエルスさんでいいのか』ってね」
    「……」
    「まだチャンスがあんのよ、アンタには。それを、ウジウジして逃すなんてバカな真似、絶対させないからね」
     まくしたてる小鈴に、トマスはぽつりと質問をぶつけた。
    「……何で僕に、そこまで」
    「あたしはね、アンタや雪乃、……さっき言ってた子みたいなタイプを応援したくなるタチなのよ。……頑張ってみなさいって」
     それだけ言って、小鈴はその場を離れた。

     一方、晴奈はまだ悩んでいた。
    「うーむ……」
     崖の端に座り込み、湖を眺めながらうなっている晴奈に、妹たちは小声で意見を交し合う。
    「確かに、コスズさんの言う通りかも知れませんわね。お姉さまも、いい歳ですし」
    「そうですね。わたしとお姉さまの母も、結婚したのが25の時だったと聞きますから」
    「あら、そうなのですか」
    「あ、そう言えば父も、その時30歳だったそうです。そう考えると、案外お似合いかも」
    「エルスさんが、ですか? 今、おいくつでしたかしら?」
    「32ですね」
    「と言うことは、27と32。……なるほど、お似合いかも知れませんわね」
    「でしょう? ……うん、考えれば考えるほど、いい縁組かも」
    「そうですわね。では、今からお祝いの準備しておいた方がよろしいかも」
    「それはまだ、……ああ、でも案外すっぱり決まってしまうかも知れませんね。準備しておいて損は……」「二人とも」
     晴奈が憮然とした顔で、二人を呼んだ。
    「もう集合の時間だ。行こう」
    「あ、はい」
     晴奈はラーガ邸へと歩きかけ、くる、と振り向いた。
    「……言っておくが。まだ早い。私はまだ、うんともいやとも答えてない」
    「はい、はい」「分かっておりますわ、クスクス」
     明奈とフォルナは、晴奈の顔を見てニヤニヤしていた。



     皆がラーガ邸の隠し扉の前に集合したところで、エルスが口を開いた。
    「それじゃ、調査を始めようか」
     それに、晴奈が答える。
    「ああ」
     晴奈とエルスが先に階段を下り、続けて公安チームが進む。
    「気をつけて行きましょう」
    「了解」
     続いて、明奈と小鈴、トマス。
    「気ぃ抜いたらホントに危ないし、ここは気を引き締めて行きましょ」
    「わ、分かってるよ」
     最後に、ネロとジーナ。
    「うーむ」
    「どしたの?」
    「何と言うか、……混沌としておるな」
    「そうだね。……向こうも、僕らも」
    「察しておったか」
    「うん。……大丈夫かなぁ、みんな」

     晴奈の心がざわついたまま、任務は始まった。

    蒼天剣・騒心録 終

    蒼天剣・騒心録 7

    2010.02.24.[Edit]
    晴奈の話、第497話。真ん中がはっきりしないシーソー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 小鈴は晴奈たちと離れた後、トマスを訪ねていた。「どうしたの、コスズさん?」 宿で本を読んでいたトマスに、小鈴は単刀直入に尋ねた。「率直に聞くわよ。アンタ、晴奈のコト好き?」「へ」 ストレートな質問に、トマスは面食らった。「え、それはどう言う意味……」「どーもこーも、そのまんま。恋人にしたいと思うかって言う...

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    晴奈の話、第498話。
    狐を狩るのか、狩られるか。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     晴奈たちは灯りを片手に、階段を下りていく。
    「大分、降りていくみたいだね。空気も変わった」
    「ああ」
     と、追いついてきた公安チームが首をかしげる。
    「おかしいわね……?」
    「え?」
    「こんなにこの階段、長かったっスかね?」
    「わたくしの記憶では、すぐに到着したはずですけれど」
    「ええ、私もそう思うわ」
     さらに、後方の明奈と小鈴がつぶやく。
    「何だか、肌が粟立つような……」
    「ええ。とてつもなく、静かで殺気を満ちた空気――まるで、どっかからじーっとにらまれてるよーな、そんな気配がするわね」
     続いてネロとジーナが――何も言わない。
     いや、それどころか彼らの衣擦れや靴の音すら、聞こえてこない。
    「ネロ?」
     小鈴が振り返り、声をかける。
     しかし、そこには誰もいなかった。

    「……おかしい。空気があまりにも違う」
    「うん、そうだね。……ワープさせられた」
     ネロの言葉に、ジーナはネロの袖をぎゅっと握りしめた。
    「わ、ワープ?」
    「うん。階段を下りていたはずなのに、いつの間にか、どこかの部屋にいる。それに、みんなの姿も無い」
    「なんじゃと……」
     ジーナの袖を握る力が、一段強くなる。
    「……ジーナ。すまないけど、モンスターが出た時は頼む」
    「……分かった。ネロ、お主も注意して見ておいてくれ」
    「うん」
     ジーナがネロの腕に抱きついたところで、後ろから申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「……すんません、俺もいます」
    「え? えーと、……公安の、フェリオさん、だっけ」
    「はい、フェリオっス。……よろしく、です」



    「ネロさんたちが、……消えたって?」
     階段の途中でエルスが振り返り、後方の皆に聞き返す。
    「ええ。さっきまで、後ろにいたはずなのに」
    「穏やかじゃないな、どうも」
     バートが黒眼鏡越しに、苦い顔をする。
    「引き返す、ってわけにも行かないよな」
     バートがジュリアに声をかけたが、返事は無い。
    「……ジュリア?」

    「……何なのよ、もう」
     ジュリアはぽつんと、広い部屋の中央に立っていた。
    (下手に声を出すと、モンスターが寄ってくるかも知れない。警戒して進もう)
     ジュリアはそっと銃を握り、いつでも発砲できる体勢になる。
     と、背後からコツ、と音がした。
    「……ッ!」
     ジュリアは振り返り、銃を構えた。
    「ま、待った待った、あたしあたし!」
    「あら? ……コスズじゃない」
     ジュリアは銃を下ろし、ため息をつく。
    「……ふう、ビックリした」
    「そりゃこっちのセリフよ。……んで、他には誰が?」



    「……明奈とフォルナも消えたか」
     晴奈はゴクリと、生唾を飲んだ。
    「マジかよ……」
    「手をつなぐか何かした方がいいかも知れない。これ以上はぐれると、生還できる可能性が非常に低くなる」
     トマスの言葉に、エルスも同意する。
    「ああ。特に……」
     ところが、その声が突然途切れた。

    「特にトマスなんかだ、……と、……参ったな」
     突然目の前の景色が変わり、エルスは苦笑した。
    (僕一人、かな?)
     周囲を見渡すと、目を丸くして突っ立っている明奈とフォルナの姿がある。
    「あ、君たち」
    「……え、エルスさん?」
    「ここは、一体……」
     エルスは肩をすくめ、辺りを見回す。
    「僕も君たちも、飛ばされちゃったみたいだね」



    「エルスもいなくなっちゃったか……」
     トマスの顔色が、段々と青くなってきた。
    「参ったな、どうも。これで残るは……」
     晴奈は階段を見上げ、ため息をついた。
    「僕とセイナ、それから公安のバートさんの3人だね」
    「……いいや、2人だな」

    「……まあ、とりあえず進むしかないわね」
    「そーね」
     ジュリアたちが歩き出そうとしたその時、パタパタと駆けて来る音がする。
    「おいおい、待てって。俺もいるぜ」
    「あら、バート。あんたもいたの?」
    「いたの、はひでーなぁ……」



    「……」
    「……」
     晴奈とトマスは、無言で見つめ合っていた。
    「……進むしかないな」
    「そう、だね」
     晴奈はトマスに、ひょいと左手を差し出した。
    「私の側から離れるなよ、トマス」
    「う、うん」
     二人は手をつなぎ、階段を下りていった。



    《ククク……、よーやく来たぜ、活きのいいヤツらが。
     中でもあの猫女とヘラヘラ野郎は、……なかなかイケそうだ。……っと、よくよく見れば、いーもん持ってるヤツがいるな。しまったな、もうちょい見極めてから飛ばしても良かったか。
     ま、いいや。こいつらを取り込めば、オレの完全復活も近そうだ。ケケ、ケケケケ……ッ》

    蒼天剣・狐狩録 1

    2010.02.26.[Edit]
    晴奈の話、第498話。狐を狩るのか、狩られるか。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 晴奈たちは灯りを片手に、階段を下りていく。「大分、降りていくみたいだね。空気も変わった」「ああ」 と、追いついてきた公安チームが首をかしげる。「おかしいわね……?」「え?」「こんなにこの階段、長かったっスかね?」「わたくしの記憶では、すぐに到着したはずですけれど」「ええ、私もそう思うわ」 さらに、後方の明奈と小...

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    晴奈の話、第499話。
    それぞれの対処。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「今のところ……、わしらの他には、人や獣などはおらぬようじゃ」
    「それなら状況を整理するくらいの余裕はありそうかな」
     辺りの様子を伺うジーナに、ネロがいつものように、泰然とした様子で応じる。
    「しかし、聞いた通りの構造だね。一見、古代めいた神殿のように見える。でも、全体を眺めると……」
     ネロの手元には、ラルフ教授から受け取った地下神殿の地図の写しが握られている。
    「地図で分かるのは地下1階と、2階の一部。……それだけでも、この神殿が何のために作られたのか、はっきりする」
    「何かを閉じ込めるためにある、って言ってたアレっスか」
     フェリオの言葉に、ネロは短くうなずく。
    「うん。この幾何学的な柱と壁の配置と部屋の形、これはどう見ても魔法陣そのものだ。
     僕もあまり魔術には詳しく無いけれど、聞いた話では魔法陣の効力と言うのは、その密度と直径に比例するらしい」
    「つまり、でっかくて呪文やら術式やらがびっしり描かれてるような魔法陣は、相当威力が出るってコトっスね」
    「そう言うこと」
    「それに、じゃ」
     話の輪に、魔術に詳しいジーナも加わる。
    「この魔法陣が封印用とすれば、その膨大な魔力を使うに値するテンコと言うモンスターなり何なりが、閉じ込められておると言うことじゃ。
     わしらは地下へ、その何者かを求めて進んで行かねばならぬ。到底、2人や3人で立ち向かえる相手ではないじゃろうな」
    「早いところ、他のみんなと合流しなきゃいけないね」
     ネロはそう言いながら布を手にしつつ、黒眼鏡を外す。
    「……ん」
     と、ネロの視線が眼鏡やジーナたちを通り越し、部屋の出口の一つに留まる。
    「どしたんっスか?」
    「何か……、赤いものが、あの裏側から見える」
    「赤いもの?」
    「ジーナ、フェリオさん、構えて。多分、モンスターだ」
    「えっ」
     ネロの言う通り、出口の裏手から「グルル……」と、何かがうなる声が聞こえてくる。
    「わ、わっ……」
     慌て、怯えるフェリオに対し、ネロは淡々と分析している。
    「すぐに姿を表さないと言うことは、向こうも警戒しているらしい。
     フェリオさん、威嚇射撃を」
    「は、はいっ」
     フェリオは言われるがままに銃を構え、出口に向かって弾を放つ。チュン、と跳ね返る音を立て、弾は出口の外に飛んで行く。
    「グル、……ルルル」
     うなっていた声が遠ざかっていく。どうやら、離れていったらしい。
    「襲ってこない……?」
    「威嚇が功を奏したみたいだね。でも多分、撃ってきたのが自分より強そうな獣じゃなく、ただの人間3人だって分かったら、迷わず襲ってくるだろうね。今のうちに、ここを離れよう。
     みんなも恐らく、僕らを探しつつ下へ降りようとするだろう。となれば、階段の周辺で再会できる可能性は高い。地図によればそう遠くないところに階段があるから、ともかくそこを目指そう」
     冷静に状況分析と行動方針を定めていくネロに対し、フェリオはほっとした。
    (この人がいれば、何とかなるかも知れないな。……他のみんなは無事かな)

     ネロたちがモンスターを退けた一方、エルスたちは今まさに交戦中だった。
    「はッ!」
     正確にはエルスたちが、と言うよりも、エルス一人が戦っている状態だった。明奈とフォルナは、エルスの後ろで半ば援護しつつ、離れて見ている。
    「……っと、これで終わりかな」
     エルスの正拳突きを眉間に喰らった、非常に肉厚な四足歩行のモンスターは、うめき声すら上げずに倒れた。
    「二人とも、ケガはない?」
    「ええ、どこも」
    「大丈夫です」
    「なら、良かった」
     エルスはにっこりと二人に笑いかけながら、今倒したモンスターを観察する。
    「顔と体は虎だけど、爪が凶悪だなぁ。まるで牙だよ。……うひゃ」
    「どうしたんですか?」
    「尻尾見てよ、まるでツノみたいなトゲがある」
    「まあ……」
     三人でその、虎状のモンスターを観察する。
    「生物学者じゃ無いから詳しくは何がどう、って言うのは分かんないけど、明らかに普通の猛獣じゃなさそうだね。
     聞いた話だけど、モンスターって人間から造れるんだってね。じゃあもしかしたら、これも人間からできてるのかな」
    「そうとも限りませんわ」
     フォルナが反論する。
    「わたくし、以前に元人間だったモンスターを間近で見たことがございますが、どれも人間の名残を残しておりました。この虎に、それらしいものはどこにも……」
    「私も昔、元は人だったらしい竜と戦ったことがあります。その際、その竜に乗っていた人と意思疎通ができている節がありました。
     先程の戦いの感じでは、この虎に人語を解せるような気配はありませんでしたよ。それに人間から造れると言うのなら、他の動物を素材にすることも、できなくは無いのでは……?」
    「ふむ……。まあ、そこら辺の考察は後でもいいや。ともかく、凶暴ってことには変わりない」
     エルスは首をコキコキと鳴らし、モンスターに背を向けた。

     小鈴たちも、モンスターと遭遇していた。こちらも、虎のような姿に尻尾のトゲを有した、エルスたちが戦っていたのと同じものである。
    「おらッ!」
     バートの放った散弾銃で、虎の背筋から首にかけての肉が弾ける。
    「グオ、ゴ……ッ」
     ばたりと倒れ、動かなくなったところで、三人は安堵のため息を漏らした。
    「はあ……」
    「あー、焦ったぁ」
     小鈴はちょいちょいと、「鈴林」の先で虎をつつく。
    「コレってさー、やっぱ外から入って来たのかしらね?」
    「……にしては、気になる点があるわ」
     ジュリアは虎の側にしゃがみこみ、その毛並みを調べる。
    「湖から侵入したにしては、藻や泥土などの汚れが見られないわ。それに、密閉されたこの空間で何匹もずぶ濡れのモンスターが入って来たのなら、空気がもう少し湿っていてもいいはず。
     むしろ、逆のような気がするわね」
    「逆……、って言うと?」
     尋ねるバートに、小鈴が胸の前で腕を組んだまま答える。
    「この神殿から湖の方に、モンスターが出たんじゃないかってコト、でしょ?」
    「ええ」
    「じゃあ、わざわざモンスターをバラ撒いてるってことなのか? 一体、何のためにだ?」
    「さあ、ね。それは敵に聞かなければ、分からないことだわ」

    蒼天剣・狐狩録 2

    2010.02.27.[Edit]
    晴奈の話、第499話。それぞれの対処。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「今のところ……、わしらの他には、人や獣などはおらぬようじゃ」「それなら状況を整理するくらいの余裕はありそうかな」 辺りの様子を伺うジーナに、ネロがいつものように、泰然とした様子で応じる。「しかし、聞いた通りの構造だね。一見、古代めいた神殿のように見える。でも、全体を眺めると……」 ネロの手元には、ラルフ教授から受け取った地...

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    晴奈の話、第500話。
    無限ループの網。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     他の3組がモンスターと遭遇していた一方で、晴奈とトマスは依然、それらに出会っていなかった。
    「静か、……だね」
    「ああ」
     晴奈たちの足音と声の他には、何の音も聞こえてこない。
    「みんな、大丈夫かな」
    「分からぬ」
    「一体テンコって、何者なんだろうね」
    「さあな」
     その話し声も、ほぼ一方通行――トマスが問い、晴奈が短く答えるばかりで、弾む様子はまったく無い。
    「それにしても、真っ暗……」「トマス」
     いい加減うんざりし、晴奈が止める。
    「少し黙っていろ」
    「あ、うん。ゴメン」
     二人はそこで立ち止まり、周囲に静寂が訪れた。
     静かになったところで、晴奈はふと、あることに気付く。
    「トマス、地図は持っているか?」
    「地図? えっと……、はい」
     地図を広げ、晴奈は首をかしげた。
    「……ここが、入口だったな。……そこから、私たちはまっすぐ、3分か4分ほど進んでいる」
    「実際は、もっと短いかも知れないよ。暗闇の中では、緊張のせいで普段より早く時間を計測しやすい」
    「そうか。……それを念頭に入れても、この曲がりくねった神殿の通路をずっと、『まっすぐ』歩いていられるのは……」
    「……そう考えると、確かに妙だね」
    「私たちも、どこかに飛ばされているのかも知れぬな」
     そう言って晴奈は地図をたたみ、もう一度トマスの手を握った。
    「えっ」
    「何だ?」
    「あ、何でも」
     モジモジするトマスを見て、晴奈は軽く呆れた。
    「あのな、トマス。もし私から離されたら、お主はどうやって自分の身を守る?」
    「それは……」
    「もう一度言うが、私の側から離れるなよ」
    「……う、うん」
     晴奈の一言にトマスは顔を真っ赤にしたが、晴奈はそれに構わず、歩を進めた。



     分断されてからしばらく経ち、晴奈以外の組も、神殿の構造と自分たちの進むルートとに明らかなズレ、差異があることに気付いていた。
    「おかしいなぁ」
     地図を眺めていたネロが、短くうなった。
    「どうした?」
    「最低限迷わないよう、僕らは壁に沿って進んでいた。10分もすれば、この辺りの階段に到着するはずなんだけど……」
     ネロが指し示した地図を見て、フェリオも首をかしげた。
    「……この部屋辺りから出発、したつもりっスよね」
    「うん。最初に2、3曲がった角から、この辺りから出発したと見当を付けたんだけど、……いや、そもそも今まで通ったルートを省みると、どう考えてもこの地図と合わないんだ。あちこちでちょくちょく、飛ばされているのかも知れない」
    「となると、壁に沿って歩く方法は無意味じゃな」
    「そうなるね」
     ネロとジーナは身を寄せ合って相談している。
     それを眺めていたフェリオはふと思いたち、こんな質問をしてみた。
    「お二人って」
    「次の案としては、自分たちでマッピングしつつ柱や壁に印を……、ん、何かな?」
    「付き合い、長いんスか?」
    「うん、出会ってから、……そうだな、5年くらいは経つんじゃないかな」
    「そうじゃな」
     それを聞いて、フェリオはニヤッと笑う。
    「じゃあ、結婚とかはされないんスか?」
    「なっ、なにを」
     慌てるジーナに対し、ネロは平然と返す。
    「ああ、付き合いって言っても、仕事上でだよ。恋愛関係のそれじゃない」
    「あ、そうなんスか。失礼しました」
     フェリオは早合点したと思い、ぺこりと頭を下げた。
     が――。
    「……」
     ジーナがネロの背後でむくれていることに気付き、フェリオは取り繕おうとする。
    「え、あー、と、……あのー」「そう言えば」
     しかしネロは、まったく気付いていないらしい。
    「指輪してるってことはフェリオさん、既婚者かな」
    「え、ええ、へへ、そうなんスよ。今年の初めに」
    「じゃ、新婚なんだね」
    「ええ、まあ、……ええ」
     ネロはにっこり笑っており、背後でにらむジーナには依然、気付く素振りは無い。
    (な、何なんだよネロさん? こんだけ鋭いのに、ジーナさんのコト、全然気付いてないのか?
     うう……。この人マジで気付いてねーのか、気付いてねー振りして焦らしてんのか、さっぱり分かんねえ。言うに言えねぇよ……)
     もやもやとした思いを胸中に漂わせつつも、結局、フェリオは何も言えなかった。

    「おかしいねぇ」
     エルスたちの組も、地図を眺めて首をかしげていた。
    「一向に、階段が見つからない。と言うか、同じ所ばかり歩かされてるみたいだ」
    「え?」
     そう言われて、明奈とフォルナは辺りを見回す。
    「さっきトゲ虎を倒した時に、その血をちょっと拝借したんだ。それでそっと、印を付けてたんだけどね」
     エルスは近くにあった柱に近寄り、根元を足で示す。
    「さっき、柱の一つに印を付けてみたんだけど……」
     そこで言葉を切り、エルスはしゃがみ込む。
    「ほら、ここ。拭いた跡があるけど、まだほんの少し残ってる」
    「え……」
     明奈とフォルナも、その柱に近寄って確認する。
    「……確かに、赤い筋がうっすら残ってますね」
    「と言うことはエルスさん、わたくしたちは同じ所をずっと歩かされていたと、そう言うことですの?」
    「そうなるね。……しかも、拭いたってことは」
     そこでまた、エルスが言葉を切る。
    「誰かが、わたくしたちの」
    「すぐ、側にいると?」
    「……そうなる」
     エルスは腰に提げていた旋棍を取り出し、構えた。
    「教えてもらってもいいかな、テンコさん。何で、僕たちを分断したの?」
     虚空に投げかけられたはずのその言葉に、何者かが応えた。
    「簡単なこった。小分けにした方が、喰いやすいからさ」

    蒼天剣・狐狩録 3

    2010.02.28.[Edit]
    晴奈の話、第500話。無限ループの網。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 他の3組がモンスターと遭遇していた一方で、晴奈とトマスは依然、それらに出会っていなかった。「静か、……だね」「ああ」 晴奈たちの足音と声の他には、何の音も聞こえてこない。「みんな、大丈夫かな」「分からぬ」「一体テンコって、何者なんだろうね」「さあな」 その話し声も、ほぼ一方通行――トマスが問い、晴奈が短く答えるばかりで、弾...

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    晴奈の話、第501話。
    克の名を持つ狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「あれ?」
     他の3組と同じく、同じ所をグルグルと回らされていた小鈴たちは、周囲の景色の変化に気が付いた。
    「ここ……、新しい道ね?」
    「そう、だな。散々付けたマークが、無くなった」
     ジュリアの問いかけにうなずきながら、バートが柱を調べる。
    「……間違いない。ループを抜けたぜ」
    「何なのかしらね」
     小鈴は柱を「鈴林」でつつきながら、口をとがらせている。
    「散々ぐるぐる回らせといて、いきなり?」
    「不可解ね、本当に」
     十数歩歩くごとに周囲に印を付けていくが、依然ワープさせられる気配は無い。
    「もしかしてさ……」
     ふと、バートがこんなことを言った。
    「敵さんのテンコだか何だかが、他の飛ばされた奴らと戦ってるとか」
    「ソレとコレが、どー関係すんの?」
    「戦ってる最中で、俺たちに構ってらんない、……てのはどーよ」
    「ないわー」
     小鈴がプルプルと首を振り、否定する。
    「いくら何でも、ソコまでヒマ人じゃないでしょ。飛ばしたあたしらとか他のみんなの後、一々つけてたりすんの?」
    「そーだよなー……」
     と、次に印を付けようとした柱を見て、三人はがっかりした。
    「印が付いてるわね」
    「……まーた、ループかよ」



    「はっ……、はっ……」
     エルスが左肩を押さえ、息を荒くしている。
    「なかなか……、手強いなぁ……」
     押さえている左肩からは、ボタボタと血がこぼれていた。
    「やっぱり見込んだ通りだな、ケケ……。そーとー魔力が強いな、お前は」
     エルスから少し離れた場所に立っている、フサフサとした尻尾を九つ生やした異形の狐獣人は、見下したようにニヤニヤと笑っている。
    「……それに、しても」
     ようやく息が整ってきたエルスが、不敵に笑う。
    「まさかこんな可愛い女の子とは、思ってもみなかった。こんな、湖の底に封じられているような、ものが」
     可愛いと言われ、その狐獣人は元から吊り上がった目を、さらに尖らせる。
    「あ……? オレを何だと思ってやがる!?」
     狐獣人は声を荒げ、右手を挙げる。
    「この克天狐サマを……」
     挙げた右手から、バチバチと紫に光る電撃がほとばしった。
    「なめてんじゃねーぞッ! 『スパークウィップ』!」
     狐獣人――天狐の右手から放たれた幾筋もの電撃が、エルスを狙って飛んでいく。
    「……っ」
     エルスは持っていた旋棍を、その電撃に向かって投げつける。金属製の旋棍に引っ張られる形で電撃が軌道を曲げ、エルスから逸れた。
    「お……っ?」
     それを見た天狐が、驚いたような声を上げる。
    「このままやられるわけには、行かないからね」
     エルスは天狐の前から姿を消した。
     いや、厳密に言えば、まだエルスはその場にいる。天狐の視界に入らないよう、彼女の視線を読んで移動しているのだ。
    (雰囲気はどことなく幽霊みたいな感じだけど、多分攻撃は通る。物理的な存在じゃなきゃ、柱のマークをわざわざ『拭く』なんて行為はしないし、できない。足音も聞こえてたし。
     虚を突いて、通打かなんかの急所攻撃が最善かな)
     エルスの動きは傍で見守っていたフォルナにも、明奈にも捉えられない。
    「エルスさん、一体どちらへ……?」
     天狐もきょろきょろと、周囲に鋭い目を向けている。
    「あのテンコと言う子も、見失っているのかしら……」
     と、天狐は動きを止め、やや前屈みになって立ち止まる。前傾姿勢になったことで、天狐の九つある尻尾が一斉に上を向いた。
    「ケ、ケケッ。かくれんぼでもするつもりか? オレの目をごまかそうなんて甘ぇぜ、銀髪野郎ッ」
     呪文を唱えた途端、天狐の尻尾は一房残らずにピンと毛羽立ち、赤い瞳がギラリと輝いた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……そこかッ!」
     天狐はぐるりと振り向き、電撃を放った。
    「ぐあ……ッ」
     いつの間にかそこに立っていたエルスに、図太い稲妻が直撃した。

     ブスブスと煙を上げて倒れ伏すエルスに、天狐がニヤニヤしながら近付いてきた。
    「ケケケ……。逃がしゃしねーぜ? お前はこのオレの、獲物なんだからな」
    「……カツミ・テンコ、……だっけ」
     うつ伏せになったまま、エルスは力無く尋ねた。
    「カツミ姓って、ことは……、君は、タイカ・カツミと、何か関係が……?」
    「大火あああぁ?」
     その名を聞いて、天狐はまた目を吊り上がらせた。
    「聞きたくもねぇ……! オレの前で、その名を口にすんじゃねえぇぇッ!」
     天狐は鬼のような形相で、エルスを踏みつけた。

    蒼天剣・狐狩録 4

    2010.03.01.[Edit]
    晴奈の話、第501話。克の名を持つ狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「あれ?」 他の3組と同じく、同じ所をグルグルと回らされていた小鈴たちは、周囲の景色の変化に気が付いた。「ここ……、新しい道ね?」「そう、だな。散々付けたマークが、無くなった」 ジュリアの問いかけにうなずきながら、バートが柱を調べる。「……間違いない。ループを抜けたぜ」「何なのかしらね」 小鈴は柱を「鈴林」でつつきながら、口...

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    晴奈の話、第502話。
    煮え切らない会話と、二番目の襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「ねえ、セイナ」
    「何だ?」
     晴奈とトマスの二人は依然、静かに歩き続けていた。
    「こんな時にする話じゃないかも知れないけど……」
    「何を話す気だ」
     トマスは立ち止まり、晴奈から手を離す。
    「その……、こんなことを聞いたらまた、君は僕のことを『無神経な奴』とか、『道理の分からぬ朴念仁』とか言うかも知れないけど」
    「だから、何の話なんだ?」
    「……聞いたけどさ、リロイから告白されたんだって?」
     思いもよらない、確かに場違いな話に、晴奈は面食らった。
    「……ああ。確かに、ミッドランドへの道中の馬車で、そう言う話を切り出された」
    「それで、その、……セイナは、どう答えたの? 付き合うって、……言ったの、かな」
    「いいや、……私がまごついているうちに馬車が港に着いてしまって、話はそれきりになった」
    「そうなんだ」
     一瞬トマスの顔が明るくなったが、また神妙な顔に戻る。
    「……あー、と。セイナはさ、どうするの? この仕事終わったら、返事するんだろ?」
    「まあ、しなければ失礼だからな」
    「何て、返事する?」
    「何故それを、お主に言わなければならぬのだ?」
     キッとにらむ晴奈に、トマスは口をつぐんでしまう。
    「あ……、いや……」
    「そこが無神経だ。人の込み入った事情や思想に、ずけずけと立ち入って勝手に振舞う。それを他人を省みぬ無神経と言わずして、何と言うのだ」
    「……だったら」
     トマスは足元に眼線を落とし、小さな声でこう反撃した。
    「セイナも大概無神経って言うか……」
    「……私が?」
    「気付いてくれたっていいじゃないか、ちょっとくらいは」
    「何を……?」
     晴奈には、トマスの言わんとすることが把握できない。
    「私が、何を気付いていないと?」
    「……いいよ、もう。リロイとでも誰とでも、勝手に結婚しちゃえばいい」
    「はあ……?」
     拗ねてみせるトマスに、晴奈は首をかしげるしかない。
    「いい加減にはっきりと言え、トマス」
    「……」
    「でないと、何が何だか分からぬ。これではまるで、目隠しされて『箱の中に入っているのはなんだ』と問われているようなものだ」
     晴奈の追求に、トマスはゆっくりと振り返った。
    「……僕は、その」
     と、口を開きかけたトマスの表情が凍りついた。
    「……もっ」
    「も?」
    「う、うし、うしろっ」
    「うん?」
     振り返った晴奈の目に、尻尾に太いトゲを生やした虎が映った。



    「……っ」
     ジーナが唐突に立ち止まった。
    「どうしたの?」
    「……来ておる」
    「何がっスか?」
     ジーナの耳と尻尾は毛羽立ち、額には汗が浮いている。
    「前方、少しした所に……、異様な者が」
    「前方?」
     ネロは黒眼鏡を外し、ジーナの示した方向を眺めた。
    「……確かに。……異様なオーラだ」
    「オーラ?」
    「……フェリオ君。銃を構えていた方がいい。ジーナも、いつでも魔術を使えるように」
    「う、うむ」
     ネロの指示に従い、二人は武器を構えた。
    「……」「……」「……」
     三人とも、息を殺して前方の暗がりを凝視する。
    「そんなに見つめてんじゃねーよ、ケケッ」
     やがて黒い袴装束に身を包んだ天狐が、暗闇の中から姿を現した。
    「この尻尾がそんなに珍しいか? この黒装束がそんなに印象的か? それともオレがまさか、女だと思ってなかったか?」
    「……いいや、そのオーラの方がもっと、奇異に見えるね。
     ほとんど赤に近い、その褐色のオーラは、目一杯その存在を主張している尻尾に負けず劣らず、君の背中を彩っている」
    「へーぇ、お前はオーラが見えんだな。……でもお前、大したコトなさそーだな」
     天狐はニヤニヤ笑いながら、自分の左目を指差す。
     その目はネロと同じオッドアイ――右側は真っ赤な瞳だが、左側はまるで穴を穿たれたかのような、底なしの真っ黒な瞳だった。
    「オレの目には、お前のオーラはめちゃめちゃしょぼっちく見えるぜ。いかにも頭でっかちそーな、青白くてフニャフニャした、ひ弱なオーラだ」
    「ご明察だよ。僕に戦闘能力はまったく無い。皆無と言っていい。……ずっと、彼女に助けられてきたからね」
     ネロはすまなさそうにジーナの肩を叩き、そっとささやいた。
    (ジーナ、相手はかなり強い。とても正攻法では相手にならないだろう。……だから、僕が囮になる。ジーナは隙を見て、攻撃してくれ)
     ジーナはうなずかない。うなずけば、相手に悟られると考えての行動だろう。
    「さて、と。君の名前は、テンコで良かったのかな」
    「そうだ。……誰から名前を聞いたんだ?」
    「君が最初に襲った、ホーランドと言う兎獣人の教授からだ。……テンコって言うのは、どう言う意味なのかな。央中や央北によくあるような名前じゃないし」
    「聞きたいか……、ケケ。んじゃあ、聞かせてやるよ。
     古い伝説に存在する瑞獣、天狐。数百年、千年も生きた妖狐が変化・昇華した、金毛九尾の狐。あらゆるものを見通す、天翔ける素晴らしきオキツネサマだ。
     お前らの目論見なんざ、この克天狐サマは全部お見通しだぜ……?」
     そう言って、天狐は右手を挙げた。
    「……ジーナ!」
     ネロが合図を送る。ジーナはすぐに反応し、魔術を放った。
    「『サンダースピア』!」
    「おおっと、お前も雷使いか? んじゃあ変更――『スプラッシュパイク』」
     天狐は途中まで唱えていた雷の魔術を止め、水の魔術に切り替えた。
     途端に横の壁にヒビが走り、湖の深層水を固めたと思われる、水の槍が飛んできた。
    「うっ……!」
     ジーナの放った雷の槍が水の槍に触れた途端、パチ……、と乾いた音を残して消滅した。
    「雷魔術の『電気』は、水魔術の『液体』に吸収される。残念だったな、猫女」
    「あ、うっ……」
     ジーナの魔術を吸収した水の槍は、そのままジーナを弾き飛ばした。

    蒼天剣・狐狩録 5

    2010.03.02.[Edit]
    晴奈の話、第502話。煮え切らない会話と、二番目の襲撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「ねえ、セイナ」「何だ?」 晴奈とトマスの二人は依然、静かに歩き続けていた。「こんな時にする話じゃないかも知れないけど……」「何を話す気だ」 トマスは立ち止まり、晴奈から手を離す。「その……、こんなことを聞いたらまた、君は僕のことを『無神経な奴』とか、『道理の分からぬ朴念仁』とか言うかも知れないけど」「だか...

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    晴奈の話、第503話。
    「鈴林」の存在理由。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「まーた、かよ」
     バートが苦虫を噛み潰したような顔で、柱を蹴る。
    「ループしたりしなかったり、おちょくってんのかっつーの」
    「ホントねぇ」
     小鈴も「鈴林」で、印のついた柱を小突こうと右手を挙げた。
     が――右手に重量が感じられない。
    「……あれ?」
     見てみると、さっきまで握っていたはずの「鈴林」が、どこにもない。
    「……え、あれ? 『鈴林』、ドコやっちゃった?」
    「え?」
    「持ってたじゃねーか、さっきまで」
    「そ、そうなんだけどさ、いつの間にか無くなったって言うか、……ドコ?」
     家宝の魔杖が手元から消え、小鈴は狼狽している。
     と――シャラ、と鈴の音が鳴る。小鈴は音のした方を振り返った。
    「……レイリン、なの?」
    「そっ」
     そこには、かつてクラフトランドでアランと戦った際、瀕死の小鈴たちを助けてくれた「杖の精」、レイリンがいた。
    「小鈴、ホントにアタシのコト、大事に思ってくれてるんだねっ。……嬉しいよっ」
    「そ、そりゃ、まあ。いつも助けてくれるし。……でも何で、突然その姿に?」
     レイリンはどこか寂しそうな笑顔で、小鈴に笑いかけた。
    「小鈴、よく聞いてねっ。アタシの出自と、これからのコト」
    「へ……?」

    「う……く……」
     弾き飛ばされたジーナは倒れたまま、動かない。残ったネロとフェリオは、緊張した面持ちで天狐と対峙していた。
    「さて、と。大人しくしてくれるよな、お前らは。一々全員を相手すんのも、めんどくせーし」
    「……だ、誰がッ!」
     フェリオは散弾銃を構え、立て続けに撃ち込んだ。
    「ヘッ、大人しくしてりゃいいものを」
     天狐は左手をひょい、とかざし、魔術で壁を作る。その半透明の壁に阻まれ、散弾は一つも天狐を傷つけることができなかった。
    「く、……くそッ!」
     フェリオは諦めず、弾を再装填してもう一度、撃ち尽くす。だがこれも、天狐の壁を崩すことはできなかった。
    「無駄、無駄ぁ……! いい加減、諦めろッ!」
     天狐は壁を解き、右手を挙げて電撃を放った。
    「……ッ!」
     フェリオは立ちすくみ、迫り来る電撃を見ているしかなかった。
    「『マジックシールド』!」
     だが、フェリオに直撃するその直前、先程まで天狐が使っていたのと同様の半透明の壁が、フェリオの前に現れた。
    「あ……?」
     突然の妨害に、天狐は舌打ちした。
    「チッ……、しぶといな」
     フェリオを守ったのは、倒れたままのジーナだった。いや、ネロに抱きかかえられる形で、上半身を起こしている。
    「負けやせんぞ……、これしきのことで……」
    「言うじゃねーか、猫女。だったら……」
     天狐は両手をジーナに向け、呪文を唱える。
    「コレを喰らって、まだそんな減らず口が利けるかッ!? 『ナインヘッダーサーペント』!」
     天狐の尻尾が、一斉に毛羽立つ。それと同時に、紫色に輝く九つの稲妻が、ジーナとネロに向かって放たれた。
    「耐え切れ……っ、『マジックシールド』!」
     ジーナはあらん限りの魔力を振り絞り、壁を作った。

    「出自、……って」
     そう言ってみて、小鈴はレイリンの素性をまったく知らないことに気が付いた。
    「小鈴はアタシの――『橘果杖 鈴林』のコト、どのくらい知ってる?」
    「えー、と……、あたしのひいばーちゃんが克に貢献して、その見返りにアンタをもらったってコトくらい、かな」
    「じゃ、聞くけどっ。お師匠の克大火が、何でアタシを杖に込めたと思う?」
    「へ?」
     思ってもいなかったことを聞かれ、小鈴はきょとんとした。
    「あたしが聞いたのは……、いつの間にかアンタが、入ってたって」
    「小鈴、アンタが思ってるより、お師匠は思慮深いよっ。何の考えも無しにアタシを込めたりしないし、ましてや気が付いたら入ってたなんてコトもありえない。
     こーゆー事態のために、アタシは世界中を回って知識と魔力を貯めてたんだよっ。情報屋一家の橘家なら、世界中を旅する人もいるしねっ」
    「こーゆー、事態? モンスターが大量発生した時のために、ってコト?」
    「違う違う、そうじゃないのっ。
     ……お師匠はね、あんまり弟子に恵まれない人だったの。アタシの前に、七人の弟子がいたんだけど、そのほとんどに死なれたり、裏切られたりしてたの。中には、お師匠の命を狙ってくるヤツもいたしっ。
     そのうちの一人が、七番弟子の克天狐。お師匠の持つ魔術の奥義や秘伝を根こそぎ奪おうと、三日三晩に渡ってお師匠と戦った。でもお師匠も、天狐も、そうそう簡単に死ぬ体じゃない。どれだけ傷つけても、お互い死ぬコトは無かった。
     だから結局、ギリギリで勝ったお師匠は、湖の底に天狐を沈め、封印したのよっ。でも、その封印だって永久的なものじゃないし、封印したお師匠本人にトラブルがあれば、解けてしまう可能性も少なくない。
     そして今、お師匠はいない。……ココまで聞いたら、ピンと来たでしょっ?」
    「つまり……、アンタの存在理由は、復活した裏切り者の弟子を?」
    「そっ。……アタシが、封じなきゃならないの。本当なら、もっとずっと後の話になるかも知れなかったけどねっ」
     レイリンはそう言って、ため息をついた。
    「……正直な話、まだ足りない。知識も、魔力も。とてもじゃないけど、封印できそうにない。せめて後100年は、世界を回らなきゃ……」
     そこで、レイリンは言葉を切った。
    「……でも、やらなきゃ。それが、アタシの存在理由だもん」

    「……い、おい?」
    「……!」
     バートに肩を叩かれ、小鈴は我に返った。
    「杖、すぐそこに落ちてたぜ」
    「え? ……あ」
     バートから杖を受け取りながら、小鈴はきょろきょろと辺りを見回した。しかし、どこにもレイリンの姿は無かった。

    蒼天剣・狐狩録 終

    蒼天剣・狐狩録 6

    2010.03.03.[Edit]
    晴奈の話、第503話。「鈴林」の存在理由。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「まーた、かよ」 バートが苦虫を噛み潰したような顔で、柱を蹴る。「ループしたりしなかったり、おちょくってんのかっつーの」「ホントねぇ」 小鈴も「鈴林」で、印のついた柱を小突こうと右手を挙げた。 が――右手に重量が感じられない。「……あれ?」 見てみると、さっきまで握っていたはずの「鈴林」が、どこにもない。「……え、あれ? ...

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    晴奈の話、第504話。
    復活しつつある天狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     晴奈たちが地下神殿に入って、既に4時間が経過していた。
    《ケ……、ケケっ》
     狙っていた者2名を手中に納めた天狐は、ほくそ笑んでいた。
    《予想通りだったぜ……! この銀髪の短耳と、緑髪の『猫』、相当な魔力を持ってやがった。こいつらをオレの『システムF7』に組み込んで、ちょちょいと魔法陣をいじくれば、あっと言う間にオレ自身の魔力を回復できる!
     めんどくさかったぜ、本当に――しなびたジジイやカスみたいな魔力しか持ってない商人やら観光客からチマチマ魔力を奪ってた時は、本気で気が遠くなりそうだったが、……考えてみりゃ、オレもあいつと同じコトをすれば手っ取り早かったんだよな、うんうん。
     そう、この『システム』――人間を核にして魔力を溜め込み、術者に送り込む、この大規模な魔法陣。核にするのが普段から高い魔力を秘めた人間であればあるほど、集約される魔力も大きい。
     ケケケ……、見てろ、大火! お前がオレを喰い物にした『システム』で、オレは復活してやるからな!》



     小鈴はじっと、掌中にある「鈴林」を見つめていた。
    (『橘果杖 鈴林』……、橘家が克大火から賜った、神器。そこに込められていた杖の精、レイリンは、……)
     考えていくうちに、小鈴の心の中に寒々とした恐れが広がっていく。
    (レイリンは、封印された克の弟子が復活したその時、もう一度封印し直す役目を担っていると言った。そして今まさに、その封印された弟子、克天狐が復活しつつある。今が、彼女の出番。
     ……でも、レイリンはまだ『魔力が足りない』と言ってた。それはつまり、封印し直せる可能性が低いと言うコト。
     もし封印できなかったら、レイリンは一体、どうなるの……?)
     小鈴の恐れを察したように、「鈴林」がちりり……、と震えるように鳴った。

    「……ふぅ」
     トゲ虎が倒れるのを確認し、トマスはその場にへたり込んだ。
    「死んだ?」
    「見ての通りだ」
     晴奈は刀に付いた血を拭いながら、倒れた虎をあごで指し示す。
    「よ、良かった……」
    「何が良いものか。お主、終始柱の影で震えていただけではないか」
    「あ、ゴメン。でも、僕じゃどうしようもないし……」
    「……はぁ。それでも男か?」
     ため息をつく晴奈を見て、トマスはしゅんとする。
    「……そうだよね。本当に僕は、情けない奴だ」
    「ん……、まあ、そう落ち込まずとも」
     晴奈がなだめようとしたが、トマスの自嘲は止まらない。
    「ううん、本当にそうだもの。こんな僕じゃ、誰からも好かれないさ。きっと一生独身だよ」
    「……一々、お主は考えが遠くへ飛ぶな」
     晴奈は呆れ、トマスの眼鏡をひょいと取り上げた。
    「あっ」
    「確かにお主は頭がいい。が、良すぎて一人よがりに考えが進み、他人がまだ至ってもいないところに考えが飛び、結果、他人との間に溝ができるのだ。それだから、無神経だの何だの言われる羽目になる。
     少しはその場で立ち止まれ。私や他のみんなを置いていくな」
    「……うん。気を付けておくよ」
     トマスは返してもらった眼鏡をかけながら、小さくうなずいた。

     と――。
    「そこに……いるのは」
     ネロの声がする。晴奈とトマスは立ち上がり、急いで声のした方角へ進む。
    「ネロ!」
     声の聞こえてきた部屋の中央に、ネロが倒れていた。
    「やっぱり、君たちか……」
     ネロの服は焦げ、煙を上げていた。少し離れたところには、同様に煙を上げるフェリオが倒れている。
    「どうしたんだ、一体?」
    「テンコが……、現れた……」
    「テンコ? この神殿に封印されていると言う、そのテンコか?」
    「そうだ……。あいつは、ジーナをさらって……、どこかに消えてしまった。僕らは……、用無しらしい……」
     晴奈はトマスに目配せして、フェリオを引っ張ってくるよう指示した。
    「用無し? ジーナに用があったと言うのか、そのテンコは」
    「そうだ……。テンコは、魔力を集めていたんだ。でも……、単純に吸うだけじゃないらしい。その、魔力を持つ人間を核にして……、さらなる魔力を集めるつもりなんだ」
    「魔力を? 一体、何のために」
    「恐らく……、封印を解くためだ。自分自身の……」
     それだけ言って、ネロは気を失ってしまった。

    蒼天剣・鈴林録 1

    2010.03.05.[Edit]
    晴奈の話、第504話。復活しつつある天狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 晴奈たちが地下神殿に入って、既に4時間が経過していた。《ケ……、ケケっ》 狙っていた者2名を手中に納めた天狐は、ほくそ笑んでいた。《予想通りだったぜ……! この銀髪の短耳と、緑髪の『猫』、相当な魔力を持ってやがった。こいつらをオレの『システムF7』に組み込んで、ちょちょいと魔法陣をいじくれば、あっと言う間にオレ自身の魔...

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    晴奈の話、第505話。
    女の子二人でも、姦しい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ネロとフェリオのケガは、見た目よりもひどくは無かった。だが電撃によるショックのためか、意識は朦朧としているようだ。
    「う……う……」
     フェリオは発見してからずっと、目を覚まさない。ネロも、半ばうわごとのように何かをつぶやくばかりだ。
    「逆説的に……テンコは……可能性はある……」
    「何を言っているんだ?」
    「さあ……?」
     つぶやきに耳を傾けてみたが、途切れ途切れのため、さっぱり意味が分からない。
    「ともかくここに放っておいては、さっきの虎たちの餌食になる。
     フォルナと小鈴が治療術を使えたはずだ。早い所、合流しなければ」



    「はっ……、はっ……」
    「早く、早く……!」
     エルスが天狐に連れ去られ、残された明奈とフォルナは神殿の中を逃げ回っていた。
     持っていた散弾銃の弾も残り少なく、時折近寄って来るトゲ虎を拳銃で威嚇しながら、当ても無くさまよっている状態だった。
    「……追ってこないみたいです、フォルナさん」
    「そ、そう、ですか。……どこかで、休みましょう」
     どうにか虎を振り切った二人は、近くの部屋に逃げ込んだ。
    「はぁ、はぁ……」
    「それにしてもエルスさんは、どちらへ連れて行かれてしまったのでしょう?」
    「分からないですね……。それよりも、フォルナさん。一刻も早く、他の皆さんと合流しなければ、わたしたちの身が危ないと思います。今、どの辺りか分かりますか?」
    「ちょっと待ってください、……あちこち走ったせいで確実にここ、とは申せないかも知れませんけれど」
     持っていた地図を広げ、二人で検討するが、フォルナの言った通り、正確な現在地はつかめなかった。
    「どうしましょう? このままここで助けを待つか、それとも探しに行くか」
    「待つと言うのは、得策では無いと思いますわ。備蓄があってこそ篭城ができるわけですし、装備に乏しいわたくしたちだけでは、いずれ力尽きてしまうでしょうね」
    「それじゃ、お姉さまやジュリアさんたちを探しに向かった方がいいでしょうね」
    「そういたしましょう。……でも、少し休憩してから、の方が」
    「そうですね。あちこち走り回って、疲れてしまいましたし……」
     そこで一旦、二人の会話が途切れた。
    「……あの、フォルナさん」
     沈黙を先に破ったのは、明奈だった。
    「何でしょう?」
    「こんな時にこんな突拍子も無い話をして、何なんですけれども」
    「……?」
    「お姉さまがエルスさんに告白されたと言うお話、わたしにはどうも納得行きません」
    「と、言うと?」
     確かに危険と隣り合わせの、この状況でするような話では無いのだが、互いに姉と慕う晴奈の話になり、フォルナは聞き入った。
    「エルスさんは確かに好色で、姉と初めて出会った時には口説いていましたけど、それでもその後の付き合いは親しい友人、と言う感じでした。
     その数年、まったくエルスさんには、そう言う、恋愛をほのめかすような気配は感じられませんでしたし、実際のところ、エルスさんはお姉さまをからかったのではないか、と」
    「お姉さまも、なびいたご様子はございませんでしたものね」
    「ええ。……そもそも、お姉さまはエルスさんみたいな、『一人で何でもできる』と言う性格の方には惹かれない気がします。
     もっと、何と言うか……『手のかかる』と言うか、『放っておけない』と言うか……」
    「妹キャラ、弟キャラの方に惹かれる、と?」
    「……そう、そう!」
     言いたいことが伝わり、明奈はにっこり微笑んでフォルナの手をつかんだ。フォルナも笑いながら、明奈の考えにうなずく。
    「お姉さまですもの。あの人は、そう言う性分の方に惹かれると思いますわ。そう、どちらかと言えばあのエルフの方みたいな……」
    「そう、ナイジェルさんみたいな……」
    「うんうん」
     意見が一致し、二人は姦(かしま)しく騒いでいた。
    「……わたくしとメイナさんって、似ておりますわね」
    「そうです、……ね。やっぱり、どちらも長いことお姉さまの側にいたからかしら」
    「きっと、そうですわ。ねえ、この任務が終わったら、ゆっくりお話致しましょう?」
    「ええ、是非。もっとじっくり、話がして……」
     明奈が顔をほころばせかけた、その時だった。
     急に、フォルナの顔がこわばる。
    「……伏せてッ!」
    「え、……ッ!」
     事態を察知し、明奈は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
     間髪入れず、フォルナが手にしていた散弾銃が火を噴く。
    「ギャアア!」
     先程から二人を執拗に追いかけていた、あのトゲ虎だった。しかしフォルナの先制攻撃が見事に眉間を撃ち抜き、その首は一瞬で消えた。
    「……見ない方がよろしいですわ」
    「いえ……、大丈夫です。もっとひどいもの、見たことがありますから」
    「そう、ですか」
     まだ安心はできないと、二人は目で確認しあった。

    「……銃声だ。多分あれは」
    「『ファイアスターター・タイプPS1』、公安局御用達の散弾銃の音ね。フェリオ君か、もしくは」
    「フォルナ?」
    「ええ」
     銃声を聞きつけ、小鈴たちはその方向へと走り出した。だが――。
    「……っ」
     前方に、黒装束の「狐」が立っていた。
    「ケッケッケ……、そこのテメー。オレに対して敵意剥き出しとは、いい度胸じゃねーか」
     九尾の狐獣人は、びしりと小鈴を指差した。

    蒼天剣・鈴林録 2

    2010.03.06.[Edit]
    晴奈の話、第505話。女の子二人でも、姦しい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ネロとフェリオのケガは、見た目よりもひどくは無かった。だが電撃によるショックのためか、意識は朦朧としているようだ。「う……う……」 フェリオは発見してからずっと、目を覚まさない。ネロも、半ばうわごとのように何かをつぶやくばかりだ。「逆説的に……テンコは……可能性はある……」「何を言っているんだ?」「さあ……?」 つぶやきに...

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    晴奈の話、第506話。
    ドS小鈴、覚醒。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……じゃなきゃ……僕らを……分断……」
     依然、ネロの意識は回復しない。ずっと、何かをうめき続けている。
    「何を言いたいのだろうか……?」
    「……」
     晴奈の問いに、トマスは答えない。
    「逆説的とか、方法論とか、わけの分からぬことをうなり続けているが、まさか錯乱したのでは」「……黙って」
     珍しく、トマスの方から晴奈を制した。
    「む……」
     素直に、晴奈は黙る。
     そのうちに、トマスの考えがまとまったらしい。トマスは小さく「ゴメンね」と前置きし、考えを話し始めた。
    「ネロの意識は確かに混濁している。しているからこそ、無意識下でその混濁を落ち着かせようと、『分析』しているんだと思う」
    「分析を?」
    「活字中毒者は食事中、意味無く卓上の瓶や皿に書かれた文章をぼんやりと読んでいる。兵士や傭兵は休暇中でも、刃物を無意識に研いでいたりする。作家や詩人、画家のそれは、メモ帳にでたらめな文章や絵を描くことに相当する」
    「は……?」
     トマスの説明が思いもよらない方向に飛び、晴奈は面食らった。
    「何を言いたい?」
    「何かに習熟・熟練した人は、休んでいる時でもついつい、その熟練した作業を行ってしまうと言うことさ。逆に言えば、普段から慣れた作業をすることで、落ち着きを取り戻すと言うことでもある。
     戦略家のネロだったら、何をすれば一番落ち着くだろうか? 無論、戦略・戦術的に今、自分たちが置かれている状況を分析すること、だろう」
    「……ふむ」
     もっともらしく聞こえたので、晴奈は異を唱えずにトマスの意見を聞くことにした。
    「では今、ネロが何かをつぶやいているのは、この状況を合理的に説明しようと思考を巡らせているからだ、と?」
    「そうなる、……かも。何度か聞いた感じでは、何となく彼の言いたいことが分かってきた、気がする」
    「ほう?」



     天狐はじりじりと、小鈴との距離を詰めていく。
    「逃げんのか? 人にケンカ売っといて、よぉ?」
    「……っ」
     天狐の言う通り、小鈴は無意識のうちに後ずさっていた。
    「あたしが、アンタにケンカを? 何のコトよ」
     口では強がって見せたが、脚は小刻みに震えている。
    「とぼけんじゃねえよ。さっきから、その杖がオレのコトを封じよう、封じようとにらんできてんだよ。持ち主サマなら、抑えるくらいしたらどーなんだ? あ?」
     天狐の威圧的な態度と恐ろしげな雰囲気に、普段は強気な小鈴も圧されている。
    「そ……、の」
    「ハッキリしろや、お!? ナメてたら承知しねーぞ、このデカ乳!」
     が、天狐のこの一言で、小鈴の中でスイッチが切り替わった。
    「……あ?」
    「なんだ、コラ? やっぱケンカ売ってんのか、その目はよ!?」
    「……どんな怪物が出るかと思ったけどさー」
     小鈴の意識が、守りから攻めへと完全に換わる。
    「やっすいケンカ売ってくるクソガキとは思わなかったわねぇ」
    「ク、ソ、ガキ……っ?」
     天狐の額に、青筋が浮き出る。表情の変化を見て、小鈴はさらに言葉で攻める。
    「良く見たらアンタ、顔以外で女って分かんないしー」
    「んな、……何をッ!?」
     小鈴は大きな胸を反らし、「鈴林」で天狐の体を指し示す。
    「くびれもないし、ムネもオシリもちっちゃいし、顔も化粧してなかったら、ホント狐みたいな吊り目のケモノ顔でしょうねえ! あ、まさかアンタ、コンプレックスであたしに因縁付けてきた?」
    「……こ……の……っ」
     天狐の九尾が、バチバチと静電気を帯びて毛羽立っていく。
    「あーら図星? 図星なの? ねぇねぇ図星? ねぇってばーあ?」
    「……死ねッ、ババア!」
     天狐は怒声を上げ、電撃を放ってきた。
    「どっちがババアよ、アンタ何百年もココに沈んでたクセして! 『スプラッシュパイク』!」
     小鈴は「鈴林」を床にガン、と音を響かせて立たせ、術を唱えた。
     先程、天狐がジーナを叩いた時と同様に壁から水が噴き出し、水の槍を形成して天狐の電撃を飲み込み、そのまま直撃した。
    「グ、ギャ……ッ」
    「あーら、アンタお馬鹿さーん? 雷の術は水の術に弱いって、お師匠さんの克大火御大からちゃあああんと習わなかったのー?」
    「テ、メ、エ……!」
     天狐は槍の直撃を受け、のけぞりながらも、倒れない。なおも怒りの声を吐き出しつつ、魔術を放つ。
    「殺す! ぜってー殺すぞッ! 『ナインアームドスラッシャー』!」
     天狐の尻尾がバチバチと毛羽立ち、続いて床や壁、天井が変形して剣の形を帯びていく。
    「細切れのサイコロにしてやらああああッ!」
     形成された九振りの剣が、小鈴へと向かって飛んで行く。
    「そうはさせっかよ! 『スパークウィップ』!」
     が、バートの魔術で石の剣はただの砂へと化す。
    「邪魔するな、狐野郎がッ!」
    「てめーもじゃねーか、奇形!」
    「今よ、畳み掛けましょう!」
     バートとジュリアも小鈴の勢いに乗じようと、散弾銃を立て続けに撃ち込んだ。
     怒りで頭に血が昇った天狐の防御は、決定的に遅れを見せる。
    「ガ、ハ……ッ」
     天狐の胸や腹、顔に、散弾の細かい銃創がビシビシと刻み込まれた。

    蒼天剣・鈴林録 3

    2010.03.07.[Edit]
    晴奈の話、第506話。ドS小鈴、覚醒。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「……じゃなきゃ……僕らを……分断……」 依然、ネロの意識は回復しない。ずっと、何かをうめき続けている。「何を言いたいのだろうか……?」「……」 晴奈の問いに、トマスは答えない。「逆説的とか、方法論とか、わけの分からぬことをうなり続けているが、まさか錯乱したのでは」「……黙って」 珍しく、トマスの方から晴奈を制した。「む……」 素直に、...

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    晴奈の話、第507話。
    イケイケ攻勢。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「恐らくは、ネロはこう言いたいと思うんだ」
     トマスは――自信なさげな口調ながらも――自分の仮説を晴奈に聞かせた。
    「何故わざわざ、僕たち11人を分断したのか? 本当に、誰も敵わないような敵だと仮定した場合――例えば、タイカ・カツミをモデルとして――そんな、自分から手間を増やすようなことを、わざわざする理由が無い」
    「なるほど。確かに黒炎殿であったならば、11人を一気に潰す方を選ぶだろうな」
     うなずく晴奈を見て、トマスは自分の説に自信を持った。
    「だろ? 逆に考えれば、11人を小分けにしないと相手ができない、ってことさ。
     僕らの消え方を考えると、恐らく2~3人ずつのグループに分かれたはずだ。つまり、テンコは一度に2人、3人相手が限界と言うことになる。
     そこからもっと突き詰めて考えれば、テンコの実力は――魔力や魔術知識だけじゃなく、経験とか戦闘技術とかもひっくるめての、総合的な実力は――実は、セイナやリロイと、そう変わりないんじゃないだろうか?
     もしそうなら、僕らが集まれるだけ集まり、テンコを囲んで攻撃すれば、容易に倒し得る可能性は十分にある」



    「ハッ……ハッ……」
     勢いに乗り、戦いの主導権を握った小鈴たちの猛攻により、天狐は一目で劣勢と分かるほどに深いダメージを負っていた。
     顔に空いた数個の点からはボタボタと血が流れ、また、黒装束も袖や裾が破け、そこからも血が滴っていた。
    (幽霊みたいなもんだと思ってたけど、血も出んのね)
     小鈴は妙なところに目を付けつつも、依然攻撃の手を緩めない。
    「ホラ、へたるには早いわよ!? 『アシッドレイン』!」
     先程放った水の槍が弾けてできた各所の水溜りが、赤黒く濁っていく。そこからぼんやりと霞や霧じみたものが発生し、天井へと上っていく。
    「う、う……ッ」
     天狐の頭上に溜まった霧は雲になり、そこからパラパラと雨が降り出した。
    「う、あ……ッ! あつ、熱い……ッ」
     強酸性の赤い雨が、天狐の体全体に降り注ぐ。傷口にも深く染み込み、天狐は悶え苦しんでいる。
    「や、やめろ、くそ、あっ、う、熱、あつい、よ……っ」
     とうとう立っていられなくなったのか、天狐は膝を付いた。
    「やった……、か!?」
     バートとジュリアは散弾銃を構えつつ、天狐との距離を詰める。小鈴も「鈴林」を構えながら、注意深く天狐に近付いていった。
    (レイリン、どうなの? もう、封印とかできそう?)
     小鈴は心の中で、「鈴林」に問いかける。だが、返事は返ってこない。
    (まだ?)
     すると今度は、ちり……、と鳴り出した。
    「……まだ油断しないで! ダメ押しでもう一発、撃ち込むわ!」
    「おう!」「分かったわ」
     小鈴の指示を受け、ジュリアたちはもう一度距離を取った。
    「とどめよ! 『グレイブファング』!」
     小鈴と「鈴林」の前方に、図太い石の槍が形成される。
    「撃ち抜けえーッ!」
     放たれた石の槍はうなりを上げて飛んで行き――。
    「うぐ、……ッ、……」
     前屈みになった天狐の、背中から下腹部にかけてを貫いた。



    「……む」
     わずかに聞こえた足音に反応し、晴奈が立ち上がった。
    「どうしたの?」
    「誰かが、こちらに近付いてくる」
    「え……」
     晴奈は「蒼天」を抜き、警戒しつつ音のした方角へ足を進める。
    「トマス、お主はそこにいろ」
    「分かった」
     と、足音がはっきりと分かる程度に響き、誰かがすぐ側までやってきているのがトマスにも分かった。
    「……うん?」
     その足音は、やけに軽い。どうやら、女性が二人で走っているようだ。そして、それを追うように、ずしずしと重たく機動性のある足音も聞こえてくる。
    「追われている……。行ってくる!」
    「う、うん」
     晴奈は部屋を抜け、柱の並ぶ廊下を走る。すぐに、足音の正体は判明した。
    「明奈! フォルナ!」
    「お姉さま!」「助けてください!」
     明奈たちが、あのトゲ虎に追われている。晴奈は構えながら、二人に叫んだ。
    「端に寄れ! 壁に張り付いていろ!」
    「は、はい!」
     言われた通りに、明奈とフォルナは左右に分かれ、壁に張り付く。
    「グル、ル……」
     追っていたトゲ虎は二手に分かれた獲物のどちらを狩ろうかと、足を止める。
    「『火射』!」
     そこですかさず、晴奈が剣閃を飛ばす。飛んで行った「燃える剣閃」はトゲ虎に吠えさせる間も与えず、首を切り落とした。
     晴奈は刀を納め、避けていた二人に声をかける。
    「……ふう。大丈夫だったか、明奈、フォルナ?」
    「ありがとうございます、お姉さま」
    「おかげで、助かりました」
     妹二人が側に寄り、それぞれ晴奈の右手と左手を握り締めてきた。
    「飛ばされたのは、お主たちだけか?」
    「いえ、エルスさんも一緒、……だったのですけれど」
    「エルスが……?」
     二人の沈んだ表情に、晴奈は嫌な予感を覚えた。

    蒼天剣・鈴林録 4

    2010.03.08.[Edit]
    晴奈の話、第507話。イケイケ攻勢。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「恐らくは、ネロはこう言いたいと思うんだ」 トマスは――自信なさげな口調ながらも――自分の仮説を晴奈に聞かせた。「何故わざわざ、僕たち11人を分断したのか? 本当に、誰も敵わないような敵だと仮定した場合――例えば、タイカ・カツミをモデルとして――そんな、自分から手間を増やすようなことを、わざわざする理由が無い」「なるほど。確かに黒...

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    晴奈の話、第508話。
    逆転敗北。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……終わった、わね」
     屈強な男性の脚ほどもある石の槍を背中から突き立てられ、天狐はピクリとも動かない。
    「ええ……」
     小鈴はもう一度、心の中でレイリンに呼びかける。
    (レイリン、コレで封印できたの?)
     が、杖は応えない。いや、また小鈴の手から、杖がなくなっている。
    「……!」
     いつの間にか、天狐のすぐ前にレイリンが立っていた。
    「天狐の姉(あね)さん」
    「……」
    「あなたを、再封印します。それがお師匠から、アタシに与えられた仕事だから」
    「……」
     レイリンの周りに、ぼんやりと青白い光が集まってくる。
    「本当は、もっとお話してみたかったけど……」
    「……」
     青白い光が、天狐に伝わっていく。
    「アタシは克大火の弟子って言っても、お師匠様の詳しいコトは何も知らないの……。だからちょっと、姉さんと話してみたかった」
    「……」
     レイリンはふっと、寂しそうな顔を見せた。

     その時だった。
    「……オレから話すコトは何もねえ、お前なんか知ったコトか」
    「!?」
     天狐を貫いていた石の槍に、ビキビキとひびが走る。
    「ケ、ケケ……ッ」
     天狐の笑い声と共に、力なく揺れていた尻尾の一房がぽん、と弾けて消えた。
    「この尻尾は伊達じゃねえんだよ」
    「なっ……、ま、まだ息が!?」
     思いもよらない事態に、レイリンは慌てている。青白い光も、その輝きを鈍らせていく。
    「一房、一房が魔力結晶なんだよ、コレは……ッ! 一つ魔力に変換すりゃ……」
     石の槍は粉々になり、天狐の戒めが解けた。
    「肉体は完全復活できるってこった! 油断したな、鈴女!」
     残った八つの尻尾が毛羽立ち、紫色の光球が悠々と立ち上がった天狐の前に形成される。
    「『ナインヘッダーサーペント』!」
     光球は九つの稲妻へと変化し、目の前のレイリンを撃ち抜いた。
    「ひっ……」
     ジャラララ、と甲高い音を立てて、レイリンは弾き飛ばされた。
     音を立てたのは、彼女が体中に身に付けていた鈴の音だった。

     呆然とする小鈴たちを見て、天狐は悪辣な笑みを浮かべた。
    「そー言やさぁ、そこのエルフさんよぉ」
    「あ……う……」
    「散々オレのコト、バカにしてくれてたよなぁ?」
    「ひ……」
    「忘れたとは、言わせねーぜ?」
    「あ……」
     家宝であり、長年愛用してきた魔杖であり、かけがえのない友人のように思っていた「鈴林」を失い、小鈴の思考はとめどなく乱れていく。
     天狐の問いかけに最早、まともに答えられる状態ではなかった。
    「たっぷり……、落とし前付けてもらうぜ……!」
    「い……、いや、いやああっ……!」



    「む、……?」
     自分たちの周囲の空気が変わったことに、晴奈は気付いた。
    「……」
     明奈たちも気付いたらしい。
    「また、ワープしたようですわ」
    「そうらしいな。……!」
     晴奈はトマスを置いてきたことを思い出し、慌てて駆け出した。
    「トマス!? どこだ、トマス!」
     だが、廊下の様子は明らかに様変わりしており、トマスたちの姿はなかった。
    「……しまった……!」
     晴奈の脳裏に、あのトゲ虎たちに襲われ、喰われるトマスたちの様子が浮かんできた。
    「何と言う不覚……!」
     晴奈の顔から、血の気が引いていった。
     と――。
    「晴奈……、晴奈……」
     どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
    「誰だ……?」
     女の子の声であり、トマスたちでは無さそうだった。また、明奈たちの声でもない。
    「来て……早く……」
     廊下の少し先から、その声はする。晴奈は一度、明奈たちに無言で顔を向ける。
    「……」
     明奈もフォルナも、無言でうなずいて返す。三人は、声のした方へと進んでいった。
    「……お主は」
     そこに倒れていたのは、レイリンだった。
    「天狐の姉さんにやられちゃった、アハハ……」
    「姉さん? どう言うことだ?」
    「ゴメンね、説明する気力、ないの。……送るから、姉さんを何とかして」
    「……天狐の元へと、行かせてくれるのか」
    「うん。……いいトコまで行ったんだけど、倒せなかった。……後残ってるの、晴奈だけだから。お願い……」
    「……相分かった」
     そう答えた途端、晴奈の姿はそこから消えた。
    「お姉さま……」
     残された妹たちは、倒れたレイリンに問いかける。
    「あなたは、大丈夫ですの?」
    「……ギリギリ……かな……。もし晴奈が……やられちゃったら……全滅するかも……」
     それだけ言って、レイリンは目を閉じた。
    「あ……」
     残ったのは、鈴の大半を失って黒く錆びた、「鈴林」だった。

    蒼天剣・鈴林録 終

    蒼天剣・鈴林録 5

    2010.03.09.[Edit]
    晴奈の話、第508話。逆転敗北。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……終わった、わね」 屈強な男性の脚ほどもある石の槍を背中から突き立てられ、天狐はピクリとも動かない。「ええ……」 小鈴はもう一度、心の中でレイリンに呼びかける。(レイリン、コレで封印できたの?) が、杖は応えない。いや、また小鈴の手から、杖がなくなっている。「……!」 いつの間にか、天狐のすぐ前にレイリンが立っていた。「天狐の姉...

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    晴奈の話、第509話。
    真打登場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「よくも散々、けなしてくれたな……! テメエだけは絶対、この場で消し飛ばしてやるッ!」
     天狐は語気を荒げ、小鈴へとにじり寄る。
    「いや……、いやっ……」
     小鈴は顔面蒼白になり、後ずさる。
    「くそ……!」
     バートが背後から散弾銃を撃ち込もうと構えたが、天狐が振り返ってギロリと睨みつけ、それを止めさせる。
    「一々邪魔してくんじゃねえよ……! お前はそこでじっとしていやがれ!」
    「うっ……」
     その真っ赤な瞳に射抜かれ、バートは立ちすくむ。ジュリアも銃を構えかけていたが、天狐の威圧に気力が潰され、腕が上げられない。
    「さあ、死ね……!」
     天狐は右手を振り上げ、呪文を唱え始めた。

     が、途中で詠唱をやめ、振り返る。
    「……ん……?」
     天狐はきょろきょろと辺りを見回し、警戒した表情を見せる。
    「まだ、オレに刃向かうヤツがいるのか……?」
     天狐は小鈴に背を向け、苛立たしげに叫んだ。
    「いい加減にしやがれ! いい加減、諦めて大人しくしとけや、あぁ!? オレサマにゃ誰も、勝てやしねえんだよ!
     姿を見せやがれ、そこの火ぃ点いてる女!」
     火、と聞き、小鈴の困惑を極めた頭に理性が戻ってくる。
    「せ、晴奈……?」
    「いかにも」
     天狐の正面から、静かに晴奈が歩いてきた。
    「何だお前、そのバカみてーに暑苦しいオーラは……?」
    「オーラ、と言うのが何かは分からぬ。だが、私の心が熱く、熱く燃え盛っているのは確かだ」
     晴奈は「蒼天」を構え、天狐と対峙した。
    「そして、この刀も」
     晴奈の言葉と共に、「蒼天」に火が灯る。それを見て、天狐は舌なめずりをした。
    「火の魔術剣か……。つくづく、オレの目も鈍ってたもんだぜ。まだこんな、骨のありそうなヤツが残ってたとはな、ケケケッ」
    「天狐とやら、一つ問う。お前は何者だ? 人間か? それとも妖怪変化、怪物の類か?」
    「どれもハズレだ。オレは克天狐、伝説の瑞獣の名を冠する、この世で最も強い『悪魔』だ」
    「悪魔、か。そして、克姓を名乗ったな。お前は『黒い悪魔』克大火と何か関係があるのか?」
    「質問ばっかしてんじゃねーよ。オレからも聞いといてやる。……お前、名前は何て言うんだ?」
     晴奈は少し間を置いて、ニヤリと笑った。
    「我が名は黄晴奈。焔流の剣士だ。腕には十分、十二分に覚えがある。相手にとって不足は無いぞ、妖(あやかし)。
     私が貴様に喰われるか、それとも貴様が私に調伏されるか。試してみるか……?」
     晴奈の挑発に、天狐もニヤリと笑って返した。
    「いいだろう。テメエも喰らって、オレの血肉にしてやらあ……!」
     天狐は八つの尻尾をバシバシと毛羽立たせ、鬨(とき)の声を上げた。
    「勝負だ、黄晴奈!」
    「望むところだ、克天狐!」

     先制したのは、天狐の方だった。
    「『スパークウィップ』!」
     天狐の掌から何筋もの稲妻がほとばしり、晴奈に向かって伸びていく。
    「はッ!」
     くい、と走る方向を変え、晴奈は電撃をやり過ごそうとする。
    「は、甘いぜッ! 電撃が避けられっかよ!」
     天狐の言う通り、避けたはずの電撃は晴奈の握る刀へと向かって曲がってきた。
    「……ッ!」
     曲がってきた電撃が、晴奈に直撃する。
    「が……ッ」
    「何だよ、いきなり終わりか? 口ほどにもねー」
     天狐は鼻で笑い、晴奈に背を向けた。
    「さて、と。さっきの続、き、……え」
     天狐の動きがビクリと揺れ、止まる。その腹からは、青白く光る「蒼天」の先端が飛び出していた。
    「ご、ごふ……っ」
    「甘く見るな……!」
     天狐のすぐ背後に、晴奈が立っていた。
    「な、何で……。直撃、したはず、だろ……っ」
     天狐は口から血をダラダラとこぼしながら、困惑した表情を見せる。
    「確かに、した。だが、気を失うほどの痛みではなかった」
     晴奈は「蒼天」を天狐の体からずるりと抜く。
    「は、う……、あ、っ」
     天狐は口と腹・背中の傷口からビチャビチャと血をこぼしながら、膝を着いた。
    「……なめ、て、たぜ、っ」
     天狐の尻尾がまた一房、弾けて消えた。

    蒼天剣・調伏録 1

    2010.03.12.[Edit]
    晴奈の話、第509話。真打登場。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「よくも散々、けなしてくれたな……! テメエだけは絶対、この場で消し飛ばしてやるッ!」 天狐は語気を荒げ、小鈴へとにじり寄る。「いや……、いやっ……」 小鈴は顔面蒼白になり、後ずさる。「くそ……!」 バートが背後から散弾銃を撃ち込もうと構えたが、天狐が振り返ってギロリと睨みつけ、それを止めさせる。「一々邪魔してくんじゃねえよ……! お前...

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    晴奈の話、第510話。
    魔術斬り。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈に稲妻が直撃した瞬間――。

     魔術や物理法則に疎い晴奈は、「電撃は直線的なものであり、避けてしまえば当たるまい」と考えていた。だが電撃には伝導性――電気が通るものに近付いていく性質――がある。
     避けたはずの電撃が、くいと方向を変えて晴奈に向かってきた。
    (まずい!)
     そこで晴奈はとっさに、「蒼天」を構えた。
    「が……ッ」
     次の瞬間、びりっと言う衝撃とともに、両手の感覚が無くなる。
    (ぐああ、あ、……あ、あれ?)
     ところが、その衝撃が腕で止まる。そもそも衝撃自体がわざわざ叫ぶほど痛いとは、感じてもいない。
    (まさか、腕が焼き切れたか!?)
     しかし見てみると、腕も手も、指もちゃんと残っていた。その手は「蒼天」をしっかりと握りしめているし、握る感覚も戻っている。
    (もしかすると、この刀……?)
     晴奈の脳内に、一つの仮説が浮かんだ。



    「ケ、ケケ……! ちょっとばかり、手を抜いちまったかぁ……!?」
     天狐はまだ腑に落ちないと言う顔をしながらも、再び呪文を唱え始める。
    「今度はしっかり焦がしてやるぜぇ……! 『サンダースピア』!」
     先程の稲妻を一まとめにしたような、極太の電撃が晴奈に飛んで行く。
    「……りゃあああッ!」
     晴奈はその電撃に向かって、一直線に駆け出した。
    「へ……、お、おい、バカかテメエ!?」
     まさか真正面から向かってくるとは思わず、天狐は目を丸くした。
    「……まさか!?」
     ここでようやく、天狐も気付いた。
    「はッ!」
     晴奈は電撃に向かって、「蒼天」を振り下ろす。ほんのり紫色を帯びた雷の槍が青白い「蒼天」の刃先に触れた途端、真っ二つにされた。
    「まずっ……、『マジックシールド』!」
     電撃を割って進んだ晴奈を見て、天狐は慌てて魔術で防御する。が、この魔術の盾も、ガリガリと音を立てて引き裂かれていく。
    「もしかして、……いや、もしかしなくても、それは……ッ!」
    「いかにも!」
     完全に魔術が破られ、刀の切っ先が天狐の額を掠めた。
    「う……っ」
     血が勢い良く噴き出し、天狐の顔は見る見るうちに真っ赤になる。
    「それを作ったのはもしかしなくても、大火だな……!」
    「そうだ。『晴空刀 蒼天』、紛れも無く克大火の作だ」
    「……ケ、ケケ、あの黒子め、……ケケッ」
     天狐は顔の血を拭いながら、ケタケタと笑っている。
    「その刀、魔術まで切り裂ける。……そう、だな?」
    「どうやら、そのようだな」
     血を拭い終えた天狐はひょいと後ろに跳び、晴奈と距離を取る。
    「最初の一撃も、大部分が斬られてテメエ自身にほとんど届かなかったってワケか。
     ……半端な攻撃魔術じゃ、無意味ってワケだ」
     そう言って、天狐はパン、と胸の前で手を合わせた。
    「でもな、神器造りは大火の専売特許じゃねーぞ! 出でよ、『混世扇 傾国』!」
     合わせた手を離すと、そこには金色に輝く鉄扇が現れた。
     天狐は鉄扇を振り上げ、晴奈に襲い掛かってきた。
    「なんのッ!」
     晴奈は刀を上段に構え、鉄扇を受ける。
     金色の鉄扇と蒼色の刀がぶつかり合い、晴奈と天狐の間にその二色が瞬いた。



     晴奈と天狐が戦っている間に、小鈴たちは神殿内を急いで回っていた。
     天狐が戦闘中で余裕を失っているならばループも起こらず、エルスたちを助け出せるかもと考えてのことである。
    「やっぱ、あの天狐が原因だったのね。どこも、ループしない」
    「ああ。……飛ばされた他の奴らも、同じことしてたみたいだな」
     各所の柱には血や刃物で付けたらしい印が付けられており、ここでようやく、小鈴たちは神殿内の全体像を把握することができた。
    「結局、教授の地図通りだったのね」
    「そうらしいわね。地下2階部分も、1階とほぼ造りは同じ。違うのは……」
     自分たちでマッピングした2階地図には、中央部分がぽっかりと抜けている。ここへ進む道は、地下1階・2階には無かったのだ。
    「と言うコトは……」
    「ここが、この神殿の『核』のようね」
    「2階からさらに下へ行く階段もあったし、3階か、それより下階層から入れるかも知れないな」
    「そーね。……それよりも、まずは」
     小鈴は後ろを振り返る。
     その目には横になったネロとフェリオ、困惑している明奈とフォルナ、そして黒ずんだ「鈴林」が映っていた。
    「……まずは、応急処置よね」

    蒼天剣・調伏録 2

    2010.03.13.[Edit]
    晴奈の話、第510話。魔術斬り。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈に稲妻が直撃した瞬間――。 魔術や物理法則に疎い晴奈は、「電撃は直線的なものであり、避けてしまえば当たるまい」と考えていた。だが電撃には伝導性――電気が通るものに近付いていく性質――がある。 避けたはずの電撃が、くいと方向を変えて晴奈に向かってきた。(まずい!) そこで晴奈はとっさに、「蒼天」を構えた。「が……ッ」 次の瞬間、び...

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    晴奈の話、第511話。
    天狐の接近戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈と天狐の戦いは、激戦の様相を呈していた。
     天狐の魔術と言う強力なアドバンテージは「魔術を斬る刀」――「蒼天」によって封じられたが、それでも剣術の達人でもある大火の弟子である。どこからか取り出した神器の鉄扇、「傾国」を手に、晴奈と互角に渡り合っていた。
    「オラあッ!」
    「……っ!」
     鉄扇を構成する、30センチほどの金属製の短冊一枚一枚が鋭利な短刀になっており、扇を閉じて振り回せばまるで、大型獣の爪に引っかかれたような傷跡ができる。
     晴奈も紙一重でかわしてはいたが、それでも何度か肩や腕、脇腹をかすっている。
    (魔術を封じてもなお、強敵か……! 一筋縄では行かぬな)
     また、扇を開いて用いれば頑丈な盾にもなる。晴奈の打突を開いて受け、払いを閉じて受け、隙を突いて引っかき、叩いて反撃に移る。
     鉄扇の間合いが刀のそれより短く、応用性に富んでいるため、晴奈は有効打を与えることができず、翻弄されていた。
    「くそ……!」
     だが、刀の本領を発揮しようと間合いを離そうとしても、天狐の動きが非常に素早く、簡単に間合いを詰め返されてしまう。
    「逃げてんじゃねーよ、さっきの威勢はどうしたあぁ!?」
    「チッ……」
     晴奈は改めて、克大火とその一門の持つ、戦闘能力の高さと手数の多さに舌を巻いていた。



     ネロたちの応急処置を終えた小鈴は、ボロボロになった「鈴林」を手に取り、眺めていた。
    (こんなになっちゃうなんて……)
     36個付けられていた鈴は3分の1ほどに減り、毎日丁寧に磨いていた金属面は、まるで温泉に落としてしまった銀製品のように、赤黒く沈んだ色をしていた。
    (元に、戻せるのかしら……?
     難しいかも知れない。前に別の魔杖を使ってたけど、一度折れたらそれっきりだった。どんなに繕っても、元のように魔力が蓄積できないだろう、って言われて、処分したのよね。
     それからずっと、『鈴林』を使ってきた。ホントに神器って言われるだけあって、どんだけラフな使い方しても傷一つ付かなかった。……のに)
     小鈴は懐から布を取り出し、杖を磨き出した。だがやはり、その黒ずんだ汚れは落ちそうに無かった。

     小鈴の様子を離れて眺めていたフォルナは、心配そうにつぶやいた。
    「コスズさん、大丈夫かしら……」
     フォルナもレイリンに助けられた覚えがあるし、一緒に旅をしていて、小鈴が本当に「鈴林」を大切にしていたことも、良く知っている。それだけに、小鈴の落胆は痛いほど伝わっていた。
    「あの、コスズさん……」
     フォルナは居ても立ってもいられなくなり、小鈴に声をかけた。
    「……ん、どしたの?」
     小鈴が顔を向ける。普段のあっけらかんとした様子は、まったく見られなかった。
    「……いえ、……その」
    「心配してくれてんのね」
     小鈴は力なく笑い、顔を伏せた。
    「ありがと。……でもゴメン、ちょっと一人にさせて」
    「……はい」
     フォルナは素直に、小鈴から離れた。



     晴奈は執拗に迫り、攻撃を重ねてくる天狐に辟易しながらも、一つの打開策を思いついていた。
    (以前に闘技場で、楢崎殿を初めて見かけた際。楢崎殿も丁度、今と同じように張り付いてくる敵と闘っていた。
     私では多少体重が心もとないが、やってみるか)
     晴奈はもう一度、距離を離そうと足を退く。それを見て、天狐が苛立たしげに叫び、詰めてきた。
    「一々面倒くせえ! 逃げんじゃ……」
     晴奈は天狐が間合いを詰めてきた瞬間、自分からも距離を詰めた。
    「だーッ!」
     体勢を低くし、天狐の鳩尾に丁度当たるように右肘を曲げ、勢い良く踏み込む。迫る天狐の勢いと相まって、その肘鉄は強力な打撃力を与えた。
    「ぐえ、……ッ」
     急所を突かれ、天狐の目が一瞬ひっくり返る。
     すかさず晴奈は右腕を回し、天狐の顔面に裏拳を叩きつけた。
    「がっ、は……」
     二度の急所攻撃で、天狐は大きくのけぞる。
    「はあああッ!」
     のけぞった天狐の喉元を狙い、晴奈は左手に持っていた刀を突き入れた。
    「ひゅ、……ゴ、ゴボ、ボッ」
     ぱっくりと裂かれた天狐の喉から、わずかな空気とおびただしい血が噴き上がった。

    蒼天剣・調伏録 3

    2010.03.14.[Edit]
    晴奈の話、第511話。天狐の接近戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 晴奈と天狐の戦いは、激戦の様相を呈していた。 天狐の魔術と言う強力なアドバンテージは「魔術を斬る刀」――「蒼天」によって封じられたが、それでも剣術の達人でもある大火の弟子である。どこからか取り出した神器の鉄扇、「傾国」を手に、晴奈と互角に渡り合っていた。「オラあッ!」「……っ!」 鉄扇を構成する、30センチほどの金属製の短冊...

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    晴奈の話、第512話。
    魔法陣の「核」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     天狐の返り血を浴びながらも、晴奈は怯まない。
    「まだ生き返るつもりだろう……!?」
     その言葉の通り、噴き出ていた血はすぐに止まる。七房あった尻尾も、いつの間にか六房に減っている。
    (まだだ! 畳み掛けろッ!)
     天狐が立ち直る前に、晴奈はさらに追い打ちをかけようとした。
     だが、振り下ろした刀は空を切る。
    「……ッ!?」
     目の前から敵が消え、晴奈は瞬時に周囲を見渡す。
    「手強いな、テメエは……」
     天狐は晴奈に向けて、右手をかざしている。
    「結構魔力使うから、あんまり撃ちたくなかったが……」
     天狐の手から、紫色の光球が発生した。
    「形振り構っちゃいられねーよな、……『ナインヘッダーサーペント』!」
     光球は九条の稲妻に形を変え、晴奈へと向かっていく。
    「く……っ」
     晴奈は刀を構え、迫り来る稲妻を斬り付けようと試みる。
     だが、何条かは断ち切れたものの、流石にすべてを斬ることはできなかった。
    「ぐ、あああ……っ」
     稲妻の一つが晴奈に直撃する。晴奈は煙を上げながら、弾き飛ばされた。



     まだ真っ黒なままだったが、それでも小鈴は「鈴林」を持って、下層へと降りていった。
    「……」
     普段は明るく、陽気な小鈴が、一言も発しないでいる。
    「……」
     空気が重苦しく、誰も声を出せない。
     と、廊下の先に物々しい扉が待ち構えていた。
    「扉……?」
    「今まで、扉のある部屋なんか無かったよね」
     トマスの言葉に、明奈とフォルナがうなずく。
    「ええ、ございません」
    「何か、重要なものがしまわれているのでしょうか」
    「可能性は高い。……行ってみよう」
     一行は恐る恐る、その扉に手をかけた。
    「……鍵がかかってる」
    「行き止まり、のようね。……駄目元で撃ってみましょうか」
     ジュリアが散弾銃を構え、扉に向けて弾を放つ。だが予想通り、扉はビクともしなかった。
    「やっぱり無理、か。……滅茶苦茶怪しいのになぁ」
     バートが残念そうに、扉を蹴る。
    「仕方ないわね。戻りましょうか」
     ジュリアがつぶやいた、その時だった。
    「『鈴林』……?」
     ボロボロになり、半分以上が弾け飛んではいたが、それでも残っていた鈴が、ちり……、と弱々しく鳴った。
     途端に、扉が音も無く開く。
    「……!」
    「入れ、ってコトなのね」
     小鈴は意を決し、中へと進んだ。
    「……なに、これ」
     部屋は地下2階・3階の吹き抜けになっているらしく、天井が非常に遠く見える。
     そして部屋の中央には祭壇らしきものが備えてあり、そこには巨大な黒水晶の柱が立っていた。
    「尋常じゃない大きさね……。これが、この魔法陣の『核』部分かしら」
    「多分、ね。……ん?」
     小鈴は黒水晶の中に、何か影のようなものがあるのに気付いた。
    「……『ライトボール』」
     光球を作り、その黒水晶を照らす。
    「……っ!?」
     中には、天狐と同じくらいの少女が入っていた。



    「ハァ、ハァ……」
     天狐は魔術を放った姿勢のまま、微動だにしない。いや、できないのだ。
    「流石に、使いすぎた……」
     九尾あった尻尾も、既に五尾となった。
    「……これ以上は勘弁だぜ、猫女ぁ……」
     そうつぶやき、晴奈の吹っ飛んでいった方向に目をやるが、姿は無い。
    「……チッ」
     天狐は構えを解き、その場に伏せる。
    「コレで決着させてやんよ……、『ナインアイドチャーミング』!」
     魔術を発動させた瞬間、天狐の視界は一変した。
    (どんなにうまく隠れてよーと無駄だ……。コイツは、目視以外の『センサー』をオレの体に作る。
     音波感知……風向感知……振動感知……熱感知……オーラ感知……見つけた)

     既にこの時、晴奈は「星剣舞」を放っていた。
     敵のあらゆる警戒・知覚をかいくぐり、防ぎようの無い多段攻撃をぶつける「不可視の剣舞」。
     天狐もその目では、晴奈を見つけることはできなかった。だが、それを上回る索敵能力が彼女に、「不可視の剣舞」を見ることを可能にした。
    「……そこだッ!」
    「……っ……」
     晴奈自身はこの時、まったくの無意識下にある。攻撃に対する警戒心も、そこには無い。
     天狐の攻撃を避けられず、深々と右肩を切り裂かれた。

    蒼天剣・調伏録 4

    2010.03.15.[Edit]
    晴奈の話、第512話。魔法陣の「核」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 天狐の返り血を浴びながらも、晴奈は怯まない。「まだ生き返るつもりだろう……!?」 その言葉の通り、噴き出ていた血はすぐに止まる。七房あった尻尾も、いつの間にか六房に減っている。(まだだ! 畳み掛けろッ!) 天狐が立ち直る前に、晴奈はさらに追い打ちをかけようとした。 だが、振り下ろした刀は空を切る。「……ッ!?」 目の前から...

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    晴奈の話、第513話。
    有頂天狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「……あ……」
     気が付いた時、晴奈は右肩に鋭い痛みを覚えた。
    「しま、った……」
     右肩から先の感覚が無い。腕はまだ付いているが、傷は腱か神経にまで達しているらしい。
    「さあ、猫女……。決着と行こうぜ……!」
     天狐がゆらりと、こちらに歩を進めてくる。晴奈はギリ……、と歯を軋ませながら、左手一本で刀を持ち、立ち上がった。
    「まだだ、まだ負けぬ……!」
    「いい加減にしやがれってんだ……」
     天狐の足取りも若干おぼつかないようだ。
     二人はヨロヨロと、互いの距離を詰めていった。



    「コレ……、もしかして、天狐?」
     小鈴は「鈴林」で、コツンと黒水晶を叩く。だが、中の少女には何の反応も無い。
    「顔は似ておりますわね」
    「暗いから種族までは分からないし、黒髪だけど、着ている物と顔立ちは、確かに先程のテンコそっくりね」
    「……とりあえず、ここら辺にはモンスターはいないみてーだな。ネロさんとフェリオ、休ませてやろうぜ」
     皆はバートの提案に賛成し、ネロとフェリオを黒水晶の近くに寝かせた。
    「もしかしたら、さっきまで、僕たちが、戦っていたのは」
     と、ネロが苦しそうにしながらも、口を開いた。
    「『もう一人の』、天狐なのかも、知れないね」
    「もう一人の、天狐?」
    「彼女はどこか、僕たちと、雰囲気が違った。それは外見とか、強さとかじゃなく、その存在自体が。
     何て言うか、まるで人形と、中の綿を、二つに分けてしまったように。ここにあるのは、人形の外側。そして今、セイナが戦っているのは、中の綿なんじゃ、ないかな」
    「それは魂、と言うことでしょうか?」
     明奈の意見に、ネロはわずかに首を振る。
    「いや……、それよりも、もっと形あるものだ。
     ……モンスターが、なぜこんなに、うようよと、神殿の中にいるのか。似ているのかも知れない、理屈は」
    「さっぱり、分からない」
     ネロの説明に、トマスが音を上げた。
     と――。
    「あ」
    「どうした、フォルナ?」
     フォルナが何かに気付き、皆から離れる。
    「あちらに、エルスさんとジーナさんが!」
    「何だって?」
     皆も、フォルナに付いていく。
     確かにフォルナの言う通り、そこには傷だらけになったエルスとジーナが寝かされていた。
    「生きてる?」
    「……みたいよ。目は覚まさないけれど」
     ジュリアの言葉に安堵しつつ、小鈴も二人に近付こうとした。

     その時だった。
    「わ……っ?」
     小鈴が握っていたボロボロの「鈴林」が、何かに引っ張られた。
    「な、何? 何なの?」
     慌てて強く握ろうとしたが、「鈴林」は小鈴の手を抜けて、どこかに飛んで行ってしまった。
    「ちょっと!? 何なの……!?」
     後を追おうとしたが、「鈴林」の姿はどこにも見付けられなかった。



    「……は、は」
     突然、天狐が笑い出した。
    「……?」
     いぶかしげににらむ晴奈に構わず、天狐はケタケタと高笑いする。
    「ケ、ケケ、ケケケッ……! ケケケケ、何とまあ、タイミングのいい!」
    「何だ……?」
    「取り逃がした獲物が、自分からノコノコやってきやがった!
     ……搾り取ってやる……!」
     次の瞬間、天狐の体が赤く光るもやのようなものに包まれる。
    「……なん、……だと!?」
     もやが消えると、そこには元通り九房の尻尾を生やした天狐が、ニヤリと笑って立っていた。
    「これで体調は万全……! さあ、嬲り殺してやる、猫女!」
    「く……!」
     天狐の尻尾がバチバチと毛羽立ち、先程とは比べ物にならない莫大な量の魔力が、天狐の前に集積されていく。
    「お前なんぞ食わねー……。それよりも」
     やがて魔力のエネルギーは電気のそれに換わり、部屋に飛び散った血や汗が一瞬で乾くほどの稲妻へと変化した。
    「跡形も無く蒸発させてやるッ! 消えやがれええええーッ!」
     超高圧の電流は部屋中の空気を一瞬で熱し、爆ぜさせる。
     辺りの柱すべてにヒビが入るほどの轟きを発し、稲妻は晴奈へ向かって飛んでいった。

    蒼天剣・調伏録 5

    2010.03.16.[Edit]
    晴奈の話、第513話。有頂天狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「……あ……」 気が付いた時、晴奈は右肩に鋭い痛みを覚えた。「しま、った……」 右肩から先の感覚が無い。腕はまだ付いているが、傷は腱か神経にまで達しているらしい。「さあ、猫女……。決着と行こうぜ……!」 天狐がゆらりと、こちらに歩を進めてくる。晴奈はギリ……、と歯を軋ませながら、左手一本で刀を持ち、立ち上がった。「まだだ、まだ負けぬ……!」...

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    晴奈の話、第514話。
    逆境下の克己心。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「ケ、ケケ……」
     勝利を確信し、天狐は笑い出した。
    「こうでなきゃな……! こうでなきゃ、何が『克』だってんだ、ケケッ」
     天狐は深呼吸し、その場に座り込もうと屈んだ。

     と――。
    《愚か者》
     天狐の頭の中に、最も聞きたくない男の声が響いた。
    「へ……?」
    《敵が死んだかどうか確認もせずに、もう終わったと安心するのか? だからお前は三流だと言うのだ。俺に負けた時も、そうして油断し、敗北したことを忘れたか?
     まだ分からないのか?》

    「何言ってやがる……!」
     天狐は頭の中の声に、叫び返した。
    「あの攻撃で、死なないワケがあるかってんだ!
     テメーならともかく、ただの人間! ただの女! ただの、猫だ!
     生きてるワケがねーだろーがよ!」
     だが、声はもう応じない。そこで天狐はきょとんとし、口を閉じた。
    (え……? 今のって、幻聴、……だったりする?
     ……はは、そうだよな。今アイツは、動けねーと自分でそう言ってたんだから。今は体を治すのに精一杯だろうし、オレの戦いなんか見てる余裕なんか。
     ……そうだよなぁ。こんな、どーでもいいコト――どっかの『猫』なんかと、オレとの戦いなんか――アイツが、わざわざ見に来る理由なんか、……ねーよな)
     天狐はぼんやりと、稲妻を飛ばした方向に目をやった。



    (まずい……これは……!)
     真っ直ぐ向かってくる眩い光に、晴奈は目を細める。
    (死ぬか? これは流石に、死ぬだろうか……?)
     だが、閉じはしない。
    (……いいや! いつか聞いたことがある――神器は、持つ者の力に応えてくれると。
     今力を出さずして、いつ出す? 死んでからか? 馬鹿な! 今出さねば、何の意味も無いだろう!? 今奮い立ち、この電撃を跳ね返さねば、事はどうにもならぬ!
     何もせず撃ち抜かれれば、私は死ぬ。私が死んだら、一体どうなる? 残った皆では、太刀打ちできぬとレイリンは言っていた。そうなれば、皆殺しだ。
     小鈴も、公安の皆も、フォルナも、ネロも、ジーナも、明奈も、エルスも、トマスも。全員、天狐に殺される。
     ……死なせてたまるか! 皆を死なせたりはしない! そのために、私は全力を、全力以上を以って、戦わねばならぬのだ!)
     死を跳ね返そうと決意したその刹那、晴奈の思考は無限に加速する。
     1秒、2秒後には稲妻が到達すると言うその瞬間に、晴奈は己の心の中を一周した。
    (『蒼天剣』! お前が頼りだ! 私の力の限りを、受け止めろおおおーッ!)
     その決意が「蒼天」に移る。「蒼天」の青が濃くなり、輝き始めた。
    「りゃ」
     稲妻が晴奈の目の前にまで迫る。
    「あああ」
     両手で――腱を切られ、動かなかったはずの右手も挙げて――振り上げた「蒼天」が、一際眩く輝いた。
    「ああああああ」
     その光は、稲妻のそれをも圧倒し、押し返し、蹴散らした。
    「あああああああああーッ!」

     目の前が真っ暗になる。
    (あ……?)
     晴奈は自分が死んでしまったかと思い、歯軋りしかける。
    (……いや、違う……)
     次第に、視界が戻ってくる。
    (……凌いだ!)
     強い光で眩んでいた目が、ようやく元に戻る。
     自分の体を確かめたが、腕も脚も、手も足もあり、胸にも胴にも、首の上にも異常はない。
    「……ッ」
     五体に再び力がみなぎる。戻ってきた視界の中に、天狐を捉えたからだ。
    (今度こそ、仕留める……!)
     天狐はこちらを見ていた。が、ぼんやりとした顔をしている。その気力の無い目はまるで、晴奈を捉えていないようだった。
    (……?)
     天狐の様子に一瞬戸惑ったが、晴奈は足を止めない。
    「はああッ!」
     晴奈は間合いを詰め、あらん限りの力を込めて天狐に斬りかかった。



    「……いない、わなぁ」
     天狐はぼんやりと、稲妻が飛んでいった方向に目をやった。その視界には、崩れ落ちた柱と焦げた床しか見えない。
    「そりゃそうだよな、焦げるどころじゃねーもん、あのパワーなら。蒸発したわな、ケケッ……」
     「鈴林」から魔力を搾り取ったとは言え、天狐の体には疲労が濃く残っていた。立ち上がる気力も無く、天狐は依然、その場に座ったままでいた。

     次の瞬間。
    「へ?」
     天狐の視界が、ぽとんと落ちた。

    蒼天剣・調伏録 6

    2010.03.17.[Edit]
    晴奈の話、第514話。逆境下の克己心。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「ケ、ケケ……」 勝利を確信し、天狐は笑い出した。「こうでなきゃな……! こうでなきゃ、何が『克』だってんだ、ケケッ」 天狐は深呼吸し、その場に座り込もうと屈んだ。 と――。《愚か者》 天狐の頭の中に、最も聞きたくない男の声が響いた。「へ……?」《敵が死んだかどうか確認もせずに、もう終わったと安心するのか? だからお前は三流だと...

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    晴奈の話、第515話。
    妖狐調伏、完了。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     天狐の頭に、大量の疑問符が飛ぶ。
    (え? え? え?
     斬られた? 首? え? なんで? オレ? オレ斬られた? 首を?
     え? オレの首? 誰が? 猫女? え? 死んだだろ? 死んでない?
     え? なんで?)
     が、天狐は瞬時に術を使い、飛んだ首を元に戻す。
    (治った。やべー、首いった。斬れた? オレ死んだ? 大丈夫?
     あ、尻尾消えた。くそ、なんで? 猫女? 蒸発しなかった?
     なんで? え? なんでよ?)
     慌てて立ち上がり、もう一度「傾国」を手の中に召還する。
    (どこだ? いつ斬った? 今? さっき?
     斬れてた? いや斬れてねーし。くそ、何なんだ? 何が起こってた?
     どこにいる? どこにいるんだ、猫女?)
     周囲を見渡したが、晴奈の姿はどこにも見当たらない。
    (くそ、よーやく落ち着いてきた。
     ……またさっきの奇襲か? 同じコトだ、もっかい同じ返し方すりゃいーんだよ)
     天狐は先程晴奈の「星剣舞」を破った索敵魔術を発動させる。
    「『ナインアイドチャーミング』!」
     天狐の視界が変わり、辺りの様子が手に取るように伝わってくる。
    「さあ、どこに……」
     360度、上下、前後、左右すべての情報が、天狐の中に入ってくる。
    「……?」
     だが――。
    (音波感知……ある。風向感知……ある。振動感知……ある。でも意味ねー、動いてるのは分かるが捉えきれねー。熱感知……これも無駄か。
     残るはオーラ感知、……、……、……、……え、っ?)
     他の「センサー」で辛うじて残像を捉えてはいたが、オーラだけが部屋中を見渡しても、どこにも見付けることができない。
    (んな馬鹿な……!? 生きてる限り、その人間の生体反応を可視化したオーラは捉えられるはずだ!
     じゃあやっぱ、死んでるってのか!? ……いや、それなら他の『センサー』で反応するワケがねえ!
     じゃあお前は一体、どこにいるんだよ……!?)
     目を一杯に見開くが、まったく確認できない。
    (どこだ? どこだ? どこ……ッ!?)
     と、胸に痛みを感じる。
    「げ、……ぼ」
     口から大量の血が吹き出す。尻尾を一房消費し、すぐに治癒する。
    「がっ……」
     背中が灼けるよな痛みを覚える。これもすぐ治す。
    「畜生、どこだ……!」
     術に最大限の魔力を込め、オーラを読み取ろうとあがく。
    (いねえ)
     ザクザクと、自分の体が斬れる音が絶え間なく続く。その一撃、一撃が、恐ろしく鋭く、激しい。
    (やべえ……やべえよコレ……!)
     尻尾が次々に消費され、消えていく。
    「やっ……やめろ……」
     尻尾はとうとう、残り三尾となった。
    「やめろ……やめて……」
     さらにざくりと、右肩を裂かれる。
     見えない敵からの、絶え間なく続く攻撃に、天狐の心はついに折れた。
    「やめて……やめて……やめてえ……」
     天狐はたまらず、ボタボタと涙を流し始めた。
    「……ごめんなさい……あやまりますから……やめてください……っ」
     天狐は見えない晴奈に向かって、土下座した。
    「ごめんなさい……ごべんなざいー……もうじばぜんがら、ごうざんじばずがらあああっ」
     と、天狐への攻撃がやんだ。
    「ひっ……ひっ……」
     天狐は号泣しながら、顔を上げた。
    「本当にもう、降参するか?」
    「はい……じばずうう……」
     天狐の前にいつの間にか立っていた晴奈は、刀の切っ先を天狐の鼻先に突きつけた。
    「ひっ……ぴいいっ」
    「ならば今すぐ、仲間と私、それから街で倒れた者たちの治療をしてもらおうか」
    「は、はいっ。いば、今すぐにっ」
     天狐は再度、晴奈に頭を下げた。



     すっかり大人しくなった天狐を連れ、全快した晴奈は下層へと歩いていた。
    「……そんなにびくつかないでもいい」
    「は、はいっ」
     居丈高に振舞っていた時とは違い、晴奈に下った天狐は素直な少女そのものだった。
    「あ、あの、姉(あね)さん。本当にすみませんで」
    「改心したのならばいい。……それより、首は大丈夫か?」
    「はいっ。オレの術ですからっ」
     コロリと態度を変えた天狐に、晴奈は若干戸惑う。が――。
    (こいつも『姉さん』と。……やれやれ)
     また妹が増えたことに内心、苦笑していた。

    蒼天剣・調伏録 7

    2010.03.18.[Edit]
    晴奈の話、第515話。妖狐調伏、完了。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 天狐の頭に、大量の疑問符が飛ぶ。(え? え? え? 斬られた? 首? え? なんで? オレ? オレ斬られた? 首を? え? オレの首? 誰が? 猫女? え? 死んだだろ? 死んでない? え? なんで?) が、天狐は瞬時に術を使い、飛んだ首を元に戻す。(治った。やべー、首いった。斬れた? オレ死んだ? 大丈夫? あ、尻尾...

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    晴奈の話、第516話。
    小鈴の別れ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「ちょ」
     やってきた晴奈を見て、小鈴は口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。
    「そ、そ、そそ、ソイツ」
    「ああ。降参したから、生かしてここまで連れて来た」
     そう告げた晴奈に、全員が仰天した。

    「ああ。やっぱり君は、『別の人形』なんだ」
     回復したネロは、天狐から詳しく話を聞いた。
    「人形って、何のこった?」
    「ああ、こっちの話。
     ええと、つまり君が今使っているその体は、湖水や草、土、魚なんかから作った仮の体ってこと、なんだね」
    「そーだよ。何しろ本物の体が、こーなんだもん」
     天狐は「傾国」でひょいと、黒水晶の中に封印された自分の本体を指し示す。
    「ここら辺をうろついてたモンスターは、その練習台ってわけか」
     目を覚ましたエルスも、話に加わる。
    「そーそー。……ま、何体か逃げ出して、迷惑かけちまったみてーだな」
    「ホントだよ、もうっ」
     エルスやネロと同様に、レイリンも元通りに直された。
    「ま、もう増えたりしねーし、後は退治してくれりゃ大丈夫だから。オレも協力するよ」
    「本当に?」
    「晴奈の姉さんからも頼まれたんだ。破ったりしねーさ」
     天狐はにっこり笑い、晴奈の腕に抱きついた。
    「おいおい……」
     照れる晴奈に構わず、天狐はニコニコと微笑んで説明する。
    「倒れた奴らも、ゆっくり休んでりゃ回復するから。……だから」
     そこで天狐は申し訳無さそうに、ぺろっと舌を出した。
    「魔力戻すってのは、勘弁してくんね? オレ、また動けなくなっちゃうもん」
    「うーむ」
    「それならさー」
     と、レイリンが手を挙げた。
    「アタシが一緒にいようかっ? 一緒にいれば、魔力が溜まるのも早いしっ。それならちょっとくらい戻しても大丈夫だよね、姉さんっ?」
    「ん、まあ、それならいーけどよ」
     これを聞いて、小鈴が反論する。
    「ちょっと待ってよ。あたしはどーなんのよ? ここにアンタ置いてったら、あたし旅できなくなるじゃん」
    「そっか、それもそうだよね」
     レイリンはしばらく小鈴を見て、やがてこう答えた。
    「……でも、ゴメンね小鈴。アタシは、もっと学びたいのっ。お師匠にはただ『封印』のコトしか聞いて無いから、天狐の姉さんからもっと、色んなコトを知りたいんだ」
    「じゃあ、……勝手にしなさいよ」
     小鈴はぷい、とレイリンに背を向けた。
    「家にはあたしから、説明するわ。多分特ダネって喜んでくれるでしょ」
    「……ゴメン、ホントにゴメンね、小鈴。楽しかったよ」
    「いーわよ、そんなの。あたしも楽しかったし。……いつくらいに戻ってくる?」
    「多分、4年か5年くらい。……だから小鈴、いつか言ってたよね? いつか落ち着いて結婚して、子供ができたらアタシを持たせて旅させようか、って。それ、できるよ」
    「大きなお世話よ、んふふ……」
     小鈴は背を向けたまま、両手を振ってやれやれと返した。
    「……ま、楽しみにしてなさいよ。かーわいい子に、会わせたげるからね」



     こうしてミッドランド事件は収束した。
     天狐の言う通り、湖周辺を跋扈していたモンスターに生殖能力は無く、増殖する恐れは無かった。また、残っていたモンスターもすべて討伐され、湖及びその周辺の安全は確保された。
     大量に魔力を失い衰弱していた者たちも、天狐とレイリンから魔力を戻され、全員が1ヶ月ほどで全快した。
     なお、天狐とレイリンは全員の治療を終えた後もミッドランド市街に姿を現し、普通に暮らすようになった。とは言えその魔術知識は克の名に恥じず豊富であり、それを学ぼうと訪れる者が増えた。
     新たな観光資源を得て、ミッドランドは事件の以前よりも活気付いたと言う。

    「ほな、さらさらー、っと」
     ヘレンは同盟締結の調印文書にサインし、トマスに返した。
    「ありがとうございます」
    「いやいや、お礼言うのんはこっちの方ですわ。なんやセイナちゃんがテンコさんと仲良うなったおかげで、ミッドランドも景気よーなったらしいやないですか。
     ホンマ、あの子はすごい子ですわ」
    「ええ、そうですね。敵をただ殺さず、仲間に引き入れて活かす。それは本当に難しいことですからね」
    「うんうん。……ま、ウチらもそーでけたらいいんですけどなぁ」
     ヘレンの言葉の裏に気付き、トマスは真面目に返答した。
    「……ええ。僕たちの敵とも、いずれは平和的な付き合いができれば、それに越したことはないですよね」
    「せやね。ま、頑張りや」
     ヘレンはパチ、と、トマスにウインクした。

    蒼天剣・調伏録 終

    蒼天剣・調伏録 8

    2010.03.19.[Edit]
    晴奈の話、第516話。小鈴の別れ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「ちょ」 やってきた晴奈を見て、小鈴は口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。「そ、そ、そそ、ソイツ」「ああ。降参したから、生かしてここまで連れて来た」 そう告げた晴奈に、全員が仰天した。「ああ。やっぱり君は、『別の人形』なんだ」 回復したネロは、天狐から詳しく話を聞いた。「人形って、何のこった?」「ああ、こっちの話。 ええ...

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    晴奈の話、第517話。
    うなだれ小鈴。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「はー……」
     ゴールドコースト、赤虎亭。
    「鈴林」を手放した小鈴は、ミッドランドからこちらに戻って以来ずっと、意気消沈していた。ここでも、店のカウンターに突っ伏して、ため息ばかりついている。
    「ま、ウチの家宝だったもんなぁ。落ち込むのはしゃーない」
     小鈴の従姉妹、朱海は小鈴の肩を優しく叩き、頭の横にトンと酒を置く。
    「んでもすげー話じゃん、あの克に弟子がいて、杖の精のレイリンがその下に付いたなんて。
     5年もすりゃ帰ってくるんだし、気長に待ってやれよ」
    「うん……」
    「ま、その間にさ」
     朱海は薄桃色の封筒をパサ、と酒瓶の横に置いた。
    「お見合いなんかどーよ」
    「……はっ」
     小鈴は顔を挙げ、鼻で笑う。
    「ジョーダン。見合いなんか……」
    「ま、そう言うなって。コレで男っ気つけてさ、自分で相手探すってのも手かもよ」
    「普通は『会ってみたらいい人かもよ』って言わない、ソレ」
    「いやー……。アタシもお見合い、気乗りしない性質だからさー」
    「じゃ、何であたしに振るのよ」
     朱海は困った顔になり、小鈴に耳打ちした。
    「それはホラ、……母さんがうっさくってさー」
    「ああ、叔母さんねぇ。『見合わせ屋』だもんね、あの人」
    「そーなんだよ。アタシもそろそろ結婚しろ、結婚しろって言われるしさー、ここらで別のトコに目ぇ向けさせといたら、そっちに……」「あ」
     朱海の言葉で、小鈴の頭にある閃きが走った。
    「……ん? どした?」
    「ゴメン、ちょっと出てくる。すぐ戻るし」



    「……何でまた、お主と二人きりで買い物に来たのかな、私は」
     晴奈は横にいるトマスに、そう問いかけた。
    「僕じゃまずかった?」
    「いや、そう言うわけでは無い。フォルナと明奈は一緒に出かけたそうだし、シリンと会おうかと思ったら『久しぶりにフェリオ帰ってきたからイチャイチャしたいねん』と臆面も無く返され、ネロとジーナの姿は見当たらない。小鈴も別に用事があると言うし。
     暇だったのが、たまたま私とお主だけだったのだ」
    「リロイは? 今日はずっと宿で休んでる予定だって聞いてたけど」
    「……どうも、顔を合わせ辛い」
     それを聞いて、トマスは口をとがらせる。
    「じゃ、僕ならいいってこと? 僕に会うのは全然何とも無いってことなの?」
    「む……、多少の語弊はあるが、まあ、そう言うことか」
    「そんな……」
     しょんぼりするトマスを見て、晴奈はクスッと笑った。
    「何をうなだれてるのか……。
     まあ、以前も買い物を共にしただろう? あれがなかなか楽しかった。丁度予定が開いているので、誘おうかと思ってな」
    「……うん、それはどうも」
     トマスは晴奈の言葉に満足しかけたが、すぐに「いやいやいやいや」と首を振った。
    「やっぱりさ、セイナも無神経だと思うんだ、僕は」
    「そうか。どこら辺が、かな」
     そう返され、トマスは言葉に詰まった。
    「え……、認めちゃうの?」
     晴奈は肩をすくめ、さらにこう返した。
    「私は自分が無神経と感じたことは特に無い。が、自分の欠点には気付きにくいものだし、人が無神経と言うなら、無神経に見えるのだろう。見えると言うなら結果的に、私は無神経と言うことになる。
     自分の評判と言うものは結局、他人の意見を聞かねば分からぬことだ」
    「大人だなあ」
     そうつぶやいたトマスの額を、晴奈は苦笑しつつペチ、と叩いた。
    「お主もとうに20を超えた大人だろうが。……まったく、……クスクス」
     晴奈は何故か楽しくなり、クスクスと笑い出した。
    「どうしたのさ……?」
    「……いやいや、うん。戦いが一段落したからかな、楽しくてたまらぬ」
     それを聞いて、トマスは顔をほころばせる。
    「うん、そうだよね。多分央南に戻ったら忙しくなるだろうし、今くらいは楽しく過ごそっか」
    「戻ったら、か。……」
     晴奈はふと、心の中に何かまた、ざわめくものを感じた。
    「ん? どうしたの?」
    「……ああ、何でもない。そうだな、確かにまた、忙しくなるだろう。それまでは、楽しむとしようか」
     そう言って晴奈は、ひょいとトマスの手を引いた。

    蒼天剣・共振録 1

    2010.03.22.[Edit]
    晴奈の話、第517話。うなだれ小鈴。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「はー……」 ゴールドコースト、赤虎亭。「鈴林」を手放した小鈴は、ミッドランドからこちらに戻って以来ずっと、意気消沈していた。ここでも、店のカウンターに突っ伏して、ため息ばかりついている。「ま、ウチの家宝だったもんなぁ。落ち込むのはしゃーない」 小鈴の従姉妹、朱海は小鈴の肩を優しく叩き、頭の横にトンと酒を置く。「んでもすげー...

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    晴奈の話、第518話。
    エルスの本意。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     店を出てから15分後、小鈴はエルスを伴って赤虎亭に戻ってきた。
    「誰だ、そいつ」
    「稀代の見合わせ屋のバカ」
    「はは、ひどいな」
     小鈴はエルスをカウンターに座らせ、尋問し始めた。
    「エルスさん、アンタ分かってて晴奈口説いたでしょ」
    「……はは、ご名答」
    「どう言うコトだ?」
     事態を把握できない朱海に、小鈴はミッドランドでの道中でエルスが晴奈を口説いたことを説明した。
    「ほー、ソイツがねー」
    「でもコイツ、本気じゃなかったのよ。……トマスが晴奈に惚れてるコト分かってて、わざとやったのよ。
     恋愛事に疎い晴奈なら、あたしに相談するもんね。んであたしならきっと、トマスの気持ちも理解してるだろうって、そうよね?」
     詰問する小鈴に、エルスはあっさりうなずいた。
    「そうだよ」
    「それって、どう言う……?」
     きょとんとする朱海に、小鈴がエルスの額をペチペチ叩きながら説明した。
    「よーするにトマスを焚き付けたのよ、間接的に。確かにトマス、オクテもオクテ、大オクテだもんねー。んでもって、そーゆー奴を放っとくあたしでもないし。
     まんまと引っかかったわ、ホントに」
     苦笑する小鈴に、エルスも笑ってこう返した。
    「まあ、効果はちょっとくらい、あったんじゃないかな。意識したと思うよ、セイナも」



    「ね、ねえ?」
    「うん?」
     手を引かれるままに歩いていたトマスが、晴奈に声をかけた。
    「どこ行くの?」
    「ん……、いや、特にどこ、とは考えていないが」
    「え」
     トマスが変な返事を返したので、晴奈は立ち止まる。
    「どうした?」
    「じゃあセイナ、なんで君、僕の手を引いてるの?」
    「ん? ……あ」
     ようやくそのことに気付き、晴奈は手を離した。
    「すまぬ。ついうっかり」
    「あ、いや……、別にいいけど」
    「あの地下神殿で、ずっとお主の手を引いていたからな。どうも癖になってしまったようだ」
    「癖、って……」
     トマスは顔を赤くし、握られていた左手を右手で撫でた。
    「喜んでいいのかなぁ……?」
    「喜ぶ?」
     今度は、晴奈が首をかしげた。
    「いや、えっと、何て言ったらいいのかな、えーと」
    「分からないな……」
     晴奈はもう一度、手を握ってみた。
    「こんなことが、そんなに嬉しいのか? 子供ではあるまいし」
    「そりゃ、その、君だから」
     トマスの言葉に、晴奈はもう一度首をかしげた。
    「私だから?」
    「いや、何でもないよ」
     トマスは晴奈の手を振り払い、フラフラと歩き出す。
    「おい、待て」
    「そ、その、えっと、結局さ、どこに行く?」
     トマスが足を止めないので、晴奈は仕方なく付いていく。
    「そうだな……、とりあえず、小腹が空いた。もう昼だしな」
    「あ、そうだね。じゃ、どこかに食べに行こうか」
    「ああ。……そうだ、トマス」
     晴奈は三度、トマスの手を引く。
    「な、何?」
    「私の恩人がやっている店がある。そこに行ってみないか?」
    「え? あ、いいね」
     トマスはコクコクとうなずき、晴奈の手を握り返した。



    「ま、メシ屋に来させといてご飯食べさせずにハイさよなら、ってのも何だし」
     エルスから思惑を聞き終えた小鈴は、折角の機会なのでエルスに飯をおごっていた。
    「ココのご飯は美味しいわよ、ホント」
    「おいおい、おだてても大したモン出さないって」
     素直にほめられ、カウンター越しに経っていた朱海はわずかに顔を赤くした。
    「さ、何頼む、エルスさん?」
    「んー」
     エルスは品書きを眺めながら、小鈴に尋ねる。
    「お勧めは何かな」
    「そーねぇ……、揚げ物系は特に美味しいかな。今の季節なら、サンマの唐揚げなんかいいんじゃない?」
    「ああ、それならすぐ作れるよ。どうする、御大さん?」
     朱海も同意したので、エルスはそれを頼むことにした。
    「じゃあ、それで。……と、アケミさんだっけ」
    「ん?」
     エルスは苦笑しつつ、自分の呼ばれ方を訂正した。
    「あんまり親しい人や歳の近い人に、いかめしい呼ばれ方をされたくないんだ。良ければ僕のことは、普通に呼んでほしい」
    「ん? 歳近い……、って、アンタいくつなんだ? 見た感じ、40近そうに見えたけど」
    「40、かぁ」
     そう言われ、エルスは頬をポリポリとかきながら、また苦笑する。
    「はは……、僕、まだ32なんだけどなぁ」
    「へぇ? ……とすると、かなり苦労してんだなぁ。流石に央南の大将さんだからかな」
    「それだけじゃないわよ。ほら、5年くらい前に北方でうさわになった兵器強奪事件ってあったじゃん?」
    「ああ、何か聞いた覚えあるな」
    「ソレやったの、この人だし」
    「マジで?」
     エルスは肩をすくめ、肯定する。
    「うん、確かに。色々、やむにやまれぬ事情があったもんで」
    「……とすると、北方でスパイやってて、央南に亡命して、大将さんになって戦争を動かして、んで今、中央政府並みにデカい同盟を作ろうとしてる、……ってワケか。
     そりゃ歳以上に老けもするわな、アンタ」
     朱海に繰り返し老けたと言われて、エルスは苦笑するしかなかった。

    蒼天剣・共振録 2

    2010.03.23.[Edit]
    晴奈の話、第518話。エルスの本意。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 店を出てから15分後、小鈴はエルスを伴って赤虎亭に戻ってきた。「誰だ、そいつ」「稀代の見合わせ屋のバカ」「はは、ひどいな」 小鈴はエルスをカウンターに座らせ、尋問し始めた。「エルスさん、アンタ分かってて晴奈口説いたでしょ」「……はは、ご名答」「どう言うコトだ?」 事態を把握できない朱海に、小鈴はミッドランドでの道中でエルス...

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    晴奈の話、第519話。
    小悪党を演じる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     と、戸がカラカラと音を立てて開けられ、客が入ってくる。
    「あ、いらっしゃ……、あれ?」
     挨拶しかけた朱海が、意外そうな声を出した。
    「おう、晴奈じゃないか」
    「しばらくぶりです、朱海殿。……む?」
     入ってきた客――晴奈とトマスが、カウンターに座っている小鈴とエルスに目を向けた。
    「小鈴、……それに、エルスも。ここにいたのか」
    「やあ、セイナ」
     にっこりと笑いかけるエルスに対し、晴奈は逡巡する様子を見せる。と、背後にいたトマスが席に着くよう促した。
    「どうしたの、セイナ? 早く座ろう」
    「……あ、ああ」
     仕方なく、晴奈は小鈴の横に座る。トマスも、その隣に続いて座った。
    「え、と、その……」
     晴奈はエルスの顔をチラチラと見たり、目を逸らしたりしている。
    「何かな?」
     対するエルスは、普段通りの笑顔で構える。
    「……その、エルス。この前のこと、だが……」
     そこでエルスと小鈴、朱海は、まだ晴奈に真実を打ち明けていないことに気付いた。
    「ああ。あれ? それなら……」「それならね」
     言いかけたエルスに、小鈴が割り込んだ。
    「エルスさん……、エルス、あたしと付き合うコトになったし」「え」
     そう答え、腕を取った小鈴に、晴奈とトマス、朱海、そして何よりエルスが驚いた。
    「ちょっと、アンタ何を……」「あー、うん。そうなんだ、はは」
     だが、何故かエルスもそれに乗ってしまう。
    「な……っ」
     当然、晴奈は呆然としている。
    「……どう言うことだ」
     そして次第に、晴奈の顔に険が現れ始めた。
    「説明してもらおうか」
    「うん。あの後ね、もう一度内省してみたんだけど、やっぱりタイプかどうかって言われたら、違うんじゃないかなってね。
     それで君には悪いけど、この話は無かったことにさせてもらおうかなって考えてたんだ。そしたらコスズが、『付き合ってください』なーんて言うもんだからさ、思い切って……」
    「……」
     突然、晴奈は立ち上がった。
    「……散々振り回しておいて、それか」
    「うん」
    「ふざけるなッ!」
     晴奈はカウンターに置いてあった酒瓶をつかみ、エルスに投げつけた。
    「ちょ……」
     慌てる小鈴の目の前を飛び、酒瓶はエルスの顔面に叩きつけられた。
    「……っ」
    「ごめんね」
     エルスは鼻からボタボタと血を流しながら、口角をわずかに上げて微笑み、短く謝罪した。
    「御免で済むか、この、この……っ、……っ!」
     晴奈はぐい、とトマスの腕を引っ張り、無理矢理にカウンターから立たせた。
    「いてて、痛いって、セイナ」
    「済まぬが朱海殿、日を改める。今日はもう、こいつの顔を見たくない」
    「ああ、だろうな。またおいで」
    「失礼した」
     晴奈は肩を怒らせ、トマスを引きずるようにして赤虎亭を後にした。

     開いたままの戸を眺めながら、エルスは苦笑した。
    「……はは、そりゃ怒るよね」
    「何バカなコト言ってんだ、アンタ」
     朱海は呆れた目を、エルスに向けた。
    「そりゃ怒るってもんだ。っつーかアタシだったら呆れちまうね。
     何でまた、あんなコトを言ったんだ? しかもアンタと小鈴が付き合う? いつそんなコトになっちまったのさ?」
    「方便だよ、はは。……だってさ、セイナのことだから、ずっと悩んでたと思うんだ。で、今もどう答えたらいいか、困ってたみたいだし。
     変なこと言わせて後々尾を引いたり、こじれたりするのも、ね。ましてや本当に、僕のことを想うようになっちゃ本末転倒だし。それなら……」
    「いっそコッチがきっぱり忘れさせられるよーな状況作ってあげようか、ってね」
     二人から理由を聞いた朱海は、さらに呆れた顔になる。
    「……やれやれ、とんだバカどもだな、お前ら。
     少なくとも鼻血ボタボタ出してるヤツがカッコつけて言っても、欠片も説得力ねー台詞だよ」
    「……そうだね。とりあえず、何か拭くものと、詰めるものを貸してもらっても? まだ止まんないや、はは……」



    「……っ、……っ!」
     晴奈は声にならない唸り声を上げながら、繁華街を進んでいた。
    「早いよ、セイナ……」
     トマスは依然、引きずられている。
    「……ああ、……悪い」
     ようやく我に返った晴奈は、立ち止まってトマスに振り返った。
    「まあ、君が怒る理由も分かるけど……。いくらなんでも、求婚しておいて他の人と付き合うなんて、不実もいいところだ」
    「ああ……」
     晴奈は辺りを見回し、手ごろな椅子を見つけて座り込んだ。
    「トマス、お主もこっちに来い。……何だか昼前だと言うのに、無闇に疲れてしまった」
    「だろうね。……リロイ、災難だな」
     そうつぶやいたトマスに、晴奈は口をとがらせた。
    「災難? あれは自業自得だ。……まったく、真面目に考えた私が馬鹿だった」
    「ま、そうだろうね。……気分転換でもしない?」
    「うん?」
     トマスは笑顔を作り、立ち上がった。
    「ほら、そこに露店がある。飲み物買ってくるから、ここにいてよ。何がいい?」
    「ん……。そうだな、走って喉も渇いたし。オレンジジュースを」
    「分かった」

    蒼天剣・共振録 3

    2010.03.24.[Edit]
    晴奈の話、第519話。小悪党を演じる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. と、戸がカラカラと音を立てて開けられ、客が入ってくる。「あ、いらっしゃ……、あれ?」 挨拶しかけた朱海が、意外そうな声を出した。「おう、晴奈じゃないか」「しばらくぶりです、朱海殿。……む?」 入ってきた客――晴奈とトマスが、カウンターに座っている小鈴とエルスに目を向けた。「小鈴、……それに、エルスも。ここにいたのか」「やあ、セ...

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    晴奈の話、第520話。
    今後の成り行き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ふが、はが」
     運ばれてきたサンマ定食を食べていたエルスは、妙な鼻音を出している。
    「……くっ」
    「ふん、ほいひいね(うん、美味しいね)」
    「……ぷ、ぷ」
    「ほふひはの?(どうしたの?)」
    「……くく、ダメ、……もお、エルス!」
     たまらず、小鈴が笑い出した。
    「とりあえず鼻血止まるまで、ご飯食べんのやめときなさいよ……、くく、んふふふ」
    「ふん、やっはひほうひひょうはなぁ。はへひふいひ(うん、やっぱりそうしようかなぁ。食べにくいし)」
    「つか、小鈴。お前治してやれよ」
     朱海がカウンターに頬杖を突き、小鈴に目を向ける。
    「お前の術がありゃ、ちょいちょいっと治せるだろ?」
    「あー……、できるかなぁ。あたし、元々の魔力はそんなに無いし」
    「そうなのか?」
     小鈴は両手を挙げ、顔を曇らせた。
    「今までは『鈴林』の助けがあったから、あんだけ色々できたのよ。アレがない今じゃ……」
     小鈴はエルスに向き直り、呪文を唱えながら右人差し指をちょん、と彼の鼻に乗せた。
    「コレくらい、ね」
    「……十分かな。鼻の通りは良くなったよ」
     エルスは鼻の詰め物を取って、小鈴に笑いかけた。
    「そ。ならいいや、コレくらいでちょーどいいのかもね」
     二人の様子を、朱海はニヤニヤして眺めていた。
    (口から出任せ言った割りに、いい雰囲気出してんじゃんよ、お二人さん)



     オレンジジュースをずず、とすする晴奈の横顔を眺めながら、トマスは尋ねてみた。
    「……じゃあさ、結局今はセイナ、フリーなんだよね」
    「ふりー?」
    「付き合ってる人、いないってことだよね」
    「そうだな。……いや、元からエルスの件も、断るつもりだったが」
    「え、そうなんだ?」
     晴奈はカップを椅子に置き、肩をすくめる。
    「何と言うか、な。エルスを伴侶に、なんて考えても、ピンと来なかったのだ。まったく想像の外と言うか、どうにもそう考えられる相手ではなかった。
     と言うよりも……、私にはまだ想像が付かぬ。自分が誰かの妻になるとか、夫を迎えるとか。小鈴には『もうそろそろ真面目に考えなさいよ』と言われたし、それなりにじっくりと考えてはみたのだが、……やはり私には、現実のことと捉えられぬ。
     ……下手をすると、一生独身かもな」
    「だったら僕と、……あ、ううん」
    「うん?」
     トマスは顔を赤くして、そっぽを向いた。
    「……何でも無い。うん、僕もまだ、そこまで現実的に考えられない、かな」
    「もしかして、……トマス」
     晴奈はぽつりと尋ねようとして、そのまま口を閉じた。
    「何、かな」
    「……何でも無い」
     晴奈は椅子に置いていたオレンジジュースを手に取り、ぼそ、とつぶやいた。
    「……おっと」
    「どしたの?」
     トマスが振り返る前に、晴奈は立ち上がろうとした。
    「飲み干してしまった。次は私が買ってくるよ」
    「あ、いいよ。あの時は君に頼りっぱなしだったから、これくらいのことは僕に任せてよ」
    「……そうか? そんなことなど、気にしなくてもいい、が。……そうだな、お言葉に甘えようか」
     晴奈はにこりと笑って――いつもの彼女が浮かべない、嬉しそうな、素直な笑顔で――トマスの厚意に甘え、カップを差し出した。



     晴奈とトマス、二人のこの様子を、ネロが隠れて見ていた。横にいたジーナは様子をネロから聞き、笑っている。
    「これから、と言う感じじゃの」
    「そうだね。……さて、と」
     ネロはジーナの手を引き、同じように笑ってみせた。
    「テンコちゃんから聞きたいことは聞いたし、そろそろ僕らも旅に出ようよ。コスズさんが来られないのは、ちょっと残念だけど」
    「そうじゃな。……まあ、また会えるじゃろ」
     ネロとジーナは手をつなぎ、晴奈たちから離れていった。

    蒼天剣・共振録 終

    蒼天剣・共振録 4

    2010.03.25.[Edit]
    晴奈の話、第520話。今後の成り行き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ふが、はが」 運ばれてきたサンマ定食を食べていたエルスは、妙な鼻音を出している。「……くっ」「ふん、ほいひいね(うん、美味しいね)」「……ぷ、ぷ」「ほふひはの?(どうしたの?)」「……くく、ダメ、……もお、エルス!」 たまらず、小鈴が笑い出した。「とりあえず鼻血止まるまで、ご飯食べんのやめときなさいよ……、くく、んふふふ」「ふん...

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    晴奈の話、第521話。
    高みに達する。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ゴールドコーストでの用事も一通り済み、晴奈たちは央南への帰途に就いた。
    「ふう……」
     船の上に備え付けてある椅子にもたれ、晴奈は夕日を眺めていた。
    (色々あったな、こんな短い間に)
     旅をしていた間にも様々なことはあったが、ここ数ヶ月もまた、激動の時期と言えた。
    (北方へ着き、黄海へ帰り、『蒼天』を手に入れ、湖の底へ潜り、黒炎殿の弟子と戦い……)
     考えていくうちに、晴奈の思考が鈍ってくる。
    (ん……、眠たくなってきた。少し、眠るか……)
     晴奈は目を閉じ、短い眠りに就いた。



     夢の中で、晴奈は山を登っていた。
     いつか弟弟子と登った、紅蓮塞の裏山のような山道だった。
    「はっ……、はっ……」
     道のりはさほど辛くは無いはずなのに、晴奈の息は若干上がってきていた。
    「はっ……、はっ……」
     夢の中であるし、歩くのをやめても、誰も咎めはしないと分かっている。だが、晴奈は黙々と道を進んでいく。
    「はっ……、はぁ、はぁ」
     やがて山道は、かつて小鈴と越えた屏風山脈のような、急な斜面に変わっていた。
    「はぁ、はぁ」
     息をするのが、段々辛くなってくる。
    「はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ」
     ふと、晴奈は空を見上げた。
    「はぁ……、はぁ……」
     あの、死の淵で見た墜ち行く星が、空一杯に広がっていた。
    「……っ」
     晴奈はまた、歩き出した。

    (私は……、どこに行こうとしている?)
     自分に問いかける。
    (この道の先に、何がある?)
     問い続ける。
    (何のために……、何を求めて……)
     自分の心は、答えを出してくれなかった。

     やがて、ただ歩くことにだけ専念する。
    「……」
     荒かった呼吸も、落ち着いてくる。
    「……」
     墜ちていた星も、今は朝焼けに紛れて見えない。
    「……」
     ふと、晴奈は気付く。
    「白猫……」
     自分の横に、同じように山道を登る白猫がいた。
    《やあ》
    「久しぶりだな」
    《そうだね。一緒に行こうか》
    「助かる」
     言ってから、晴奈は自分の言葉に疑問を持った。
    (助かる? 何がだ?)
    《それじゃ進もう》
    「あ、ああ」

     二人で山道を登る。
     どうやら、この山は相当高かったようだ。
    「……っ」
     吐く息が白くなる。額に流れていた汗が、湯気に変わっていく。
    《マントあるけど、貸そうか?》
    「ああ、ありがとう」
     白猫から借りた真っ白なマントを羽織り、晴奈はさらに歩き続けた。
    《あ、雪だ》
    「む……」
     鼻先に、ちょんと雪が落ちる。
     いつの間にか、周りは雪によって白く塗り潰され、夕焼けによって鮮やかな橙色に照らされていた。
    「お主は大丈夫なのか?」
    《うん》
    「そうか」
     短く言葉を交わし、また黙々と歩き続けた。

     また、夜が訪れる。
    《キレイな星空じゃないか》
    「そうだな」
     今度は先程の墜ちる星ではなく、本物の星天だった。
    《星天か……。く、ふふっ》
     白猫が笑う。
    「どうした?」
    《ううん、何でも。頂上に着いてから話すよ》
    「そうか」

     降ってはいないが、足元には膝の高さにまで雪が積もっていた。
    《もうすぐだよ、セイナ》
    「そうか」
     確かに白猫の言う通り、道の先には山の頂が見えてきていた。
    《もうすぐ》
    「ああ」
     雪に足を取られながらも、何とか足を上げて進んでいく。
    《もうすぐだ》
    「分かった」

     やがて、二人は山の頂に到着した。
    《おつかれさん》
    「ありがとう」
    《ああ……、いい景色じゃないか》
     白猫が指し示したのは、真上だった。
    《蒼い空だ。ほら、つかんでごらんよ》
    「つかむ?」
    《そう。ほら、手を挙げて》
     白猫の言う通りに、晴奈は右手を挙げてつかむ仕草をした。
    「……?」
     確かに何か、感触はあった。しかし、今までに経験してきたどんな感覚を引き出しても、その感触を言い表すことができない。
    《おめでとう、セイナ。キミは今、天をつかんだんだ》
    「天、を?」
    《そう。蒼天を握り、星天に舞う剣士、黄晴奈。キミは今、どこにいる?》
    「どこに? ……!」
     晴奈は足元を見て、すべてを悟った。
    「頂点。……そうか、頂点なのか、ここが」
    《そう。27歳のキミは今、剣士としてのピーク、頂点に到達した。タイカさんの弟子二人と戦い、勝ったコトで、キミは完成した。
     ここが、ピークなんだ》

    蒼天剣・有頂録 1

    2010.03.28.[Edit]
    晴奈の話、第521話。高みに達する。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ゴールドコーストでの用事も一通り済み、晴奈たちは央南への帰途に就いた。「ふう……」 船の上に備え付けてある椅子にもたれ、晴奈は夕日を眺めていた。(色々あったな、こんな短い間に) 旅をしていた間にも様々なことはあったが、ここ数ヶ月もまた、激動の時期と言えた。(北方へ着き、黄海へ帰り、『蒼天』を手に入れ、湖の底へ潜り、黒炎殿の...

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    晴奈の話、第522話。
    重荷を下ろそう。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈は辺りを見回した。
     辺りには、空ばかりだ。他の山々も、雲も、はるか下にある。頭上には何一つ無い、まったくの青空の中だった。
    「頂点、……か」
    《恐らくキミのピークは、短くても後2~3年は続くだろう。そしてその後、緩やかに落ちていく。それは人間として、当然の流れ。
     すべての生物に当然として訪れる、老い》
    「そうか」
    《……あんまり、ショックを受けた様子じゃないね?》
    「いや、薄々考えてはいたことだ。いずれ訪れると思っていたものが、来ただけのこと。
     ……だが」
     晴奈はもう一度辺りを見回し、つぶやいた。
    「こんなに、……寒々しいのか」
    《頂点ってのは、恐ろしく足場の狭いところさ。キミはタイカさんの弟子さえ退けるほどの力を持ってしまったから、ね。
     ココに足を乗せられるのは、ボクみたいに『人間』じゃなくなったヒトだけさ》
    「私は、人間では無いと?」
    《いいや、人間さ。人間として、ピーク。行けるところまで来た。
     ……ここより上に。空の果てに、行きたい?》
     そう問われ、晴奈は戸惑った。
    「何だと?」
    《ボクなら教えてやれる。人間の枠を外れて、さらにその上に行く方法を。……知りたい?》
    「……いいや」
     晴奈はその場に座り込み、首を横に振った。
    「ここは寒すぎる。これよりさらに寒い場所へなど、行く気は起きぬ」
    《そっか。ま、その方がいいよ。キミの言う通り、寒いもの》
     白猫も、晴奈の横に座り込んだ。
    《それに、そっちへ行っちゃったらもう、戻れないしね。……ほら、下を見てみなよ》
     白猫の指差す方に、晴奈は視線を向ける。
    「あ……」
     そこには、皆がいた。
     今までに会ってきた、大事な者たち――師匠の雪乃、親友のエルス、長い付き合いの小鈴、明奈やフォルナなどの弟妹たち、そして、トマスも。
    《降りていけば、皆のところに戻れる。皆と、遊べるんだ。
     いいじゃないか、それも。今までずっと、『自分は強い』『自分が皆を護らなければ』『自分は誰にも負けてはならない』って頑張ってきたけど、もうそれもしなくていい。皆とゆっくり、遊んでいいんだよ。
     後もう少しで、キミの重荷は下ろせるよ。おつかれさん、セイナ》
    「重荷……」
     晴奈はそっと、白猫の肩に頭を乗せた。
    「重荷か。そうか、そうだったんだな」
    《おや、珍しい。キミが甘えてくるなんて》
    「白猫、お主の言う通りだ。私はずっと、『強くあらねば』と心に抱き、剣士の道を歩き続けた。
     それは確かに心地良かった。その抱負を抱き続けることで生まれる自信が、私には誇らしかったし、周りからの信頼も温かく感じられた。
     だが最近になって、そう思う度、心の中がざわざわと鳴るようになった。どこかに、今まで感じなかった疲れが、少しずつ、少しずつ溜まっていた。その細かな、塵のような疲労が、ざわざわと鳴っていたんだ。
     その塵は、私の心のどこかから沸いていた。それは、本当に小さな、粉のようなものだったから、若いうちには気が付かなかったし、気にも留めていなかった。
     ……でも、今は。頂に上った、今は。その塵は積もりに積もり、耐え難い重さとざわめきを生んでいた。
     それはまさに、重荷と言うべきものだった。『強くあらねば』は、既に抱負ではなく責務になっていたんだ。
     ……この間、トマスと話をした時。トマスは『また央南に戻ったら、忙しくなるね』と言った。それを聞いて、私は嫌な気持ちになった。
     また私は延々、延々と、目の前の敵を斬らなければならないのか、と」
    《……だからテンコちゃんにとどめ、刺さなかったんだね》
     白猫はそっと晴奈の肩に手を回し、優しく頭を抱きかかえた。
    《もう戦うのに、疲れたんだね》
    「……ああ……」
    《悟ったんだね、19の時に言われたコト。
     そうだよ。無闇な戦いを重ね、相手を次々殺してたら、それ以上のコトは何もできないんだ。
     キミは今、テンコちゃんが可愛い子だって知っている。けど、あの時殺してしまっていたら、ただの危ない子だとしか思わなかっただろう。
     それでいいんだ。それが分かったキミはもう、修羅なんかじゃない。
     キミの業はもう、浄化されている》
    「……っ……」
     白猫からのその言葉に、晴奈の目からぽたぽたと、涙がこぼれ出す。
    《泣きたいなら、泣きなよ。
     ここは頂点――ボクの他には誰にも、その声は聞こえやしないんだから》
    「……ああ……あああ……うああー……」
     晴奈は白猫にしがみつくように、泣き出した。

    蒼天剣・有頂録 2

    2010.03.29.[Edit]
    晴奈の話、第522話。重荷を下ろそう。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈は辺りを見回した。 辺りには、空ばかりだ。他の山々も、雲も、はるか下にある。頭上には何一つ無い、まったくの青空の中だった。「頂点、……か」《恐らくキミのピークは、短くても後2~3年は続くだろう。そしてその後、緩やかに落ちていく。それは人間として、当然の流れ。 すべての生物に当然として訪れる、老い》「そうか」《……あんま...

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    晴奈の話、第523話。
    体じゃなく、心が触れ合う。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     晴奈が落ち着いたところで、白猫はすっと立ち上がった。
    《そろそろ降りようか》
    「……ああ」
     白猫の差し出した手を借り、晴奈は立ち上がる。
    「……」
     と、下に向かって歩こうとした足が止まる。
    《どうしたの?》
    「……すまない、白猫。もう戦いたくないと、そうは言った。
     でも、後もう少しだけ、戦わないといけない」
    《もう少し? ……ああ》
     白猫はきょろ、と辺りを見回し、ある一点――雲間からほの見える、別の山の頂を指差した。
    《あの子だね。あの、仮面の子》
    「ああ。巴景とは、決着を付けないといけない。それだけは、避けては通れないんだ」
    《そうだね。あの子も、キミと同じところに登ろうとしているし、間もなく達せられるだろう。後、1年以内に》
    「そうか」
     続いて白猫は、別の場所を指差した。そこにも山のシルエットが、ぼんやりと見える。
    《それから、……アイツだね。あの『鉄の悪魔』、アル》
    「そう。あの男こそ日上を、『ヘブン』を操り、世界を蹂躙する真の邪悪だ。
     それを見て見ぬ振りなんて、例え私がどんなに老いさばらえて、頂点から遠く離れたとしても、到底できない。
     巴景と、アラン。この二人と決着を付けるまでは、私はここから動くわけには行かない」
    《だよね。……ま、降りたくなったらいつでも言ってよ。また一緒に、歩こう》
    「頼んだ」
     そう言ったところで、晴奈は登っていた際に思わず、「助かる」と言ってしまった理由が分かった。
    (そうか……。
     寂しかったんだ。この道を――ううん、どんな道でも。
     一人きりで歩くことが)



    「……い、おーい、セイナぁー」
     誰かに呼ばれ、晴奈は目を開けた。
    「……お、おぉ!?」
     すぐ目の前に、トマスの顔がある。
    「はっ……、離れろ!」
    「あ、ご、ごめん。そんなに怒らなくても」
    「近過ぎる! 何をする気だったのだ!」
     トマスは後ずさりながら弁明する。
    「な、何にもしてないって! 何回呼んでも起きなかったから、耳元で呼んでたんだよ! 本当に何もしなかったから!」
    「……なら、いい」
     晴奈は椅子から起き上がり、首を回す。
    「んん、ん……。もう夜になってしまったのか」
    「うん。だから、風邪でも引いたりしないかと思って、起こしたんだ」
    「そうか。悪かったな、怒鳴ったりして」
    「いいよ、君に怒られるのはもう慣れたから」
     皮肉っぽく言ったトマスを見て、晴奈は思わず笑い出した。
    「……はは、はっ。そうだな、私はお主に怒ってばかりいる」
    「そうだよ、本当に……」
    「……すまぬ」
     晴奈はぺこりと、頭を下げた。
    「え?」
    「何と言うかな……、私は、どうにも『姉』なのだ。どうにも、他人が放っておけぬ。特にお主などは、見ていて口を出したくてたまらない。
     つまるところ、私はいつでも上から見ているのだ。お主をまるで、手のかかる弟のように、いつも下への目線で見てしまっていた。……本当に、すまない」
    「いや、そんなの、別に……」
     トマスは困った素振りを見せながら応える。
    「いいんだ、うん。君に怒られて、嫌な気分じゃない。むしろ、僕は一人っ子だったし、昔から勉強と研究ばっかりで屋内にこもってたから、祖父以外にあんまり怒られたりしたことがないし。
     だから嬉しかったりするんだ。君が僕のこと、本当に気にかけてくれてるんだと思って」
     それを聞いて、晴奈は逆に困った。
    「お主は怒られて、嬉しくなるのか? ……変な奴だな」
    「あ、違うって、そうじゃなくって。何て言えばいいのかな……」
     トマスは手をバタバタさせながら、言葉を捜す。
    「……ああ、そうだ。人と深く接する、って感じなのかな。何て言うか、密接につながってるって、そう思えるんだ。
     それは例えば、君に触れているとかそう言うことじゃなく、心、……って言うのかな、そう言う精神的に深いところで、君と一緒にいる。そんな感じが、心地良いんだ」
    「そうか」
     晴奈はもう一度、椅子に座り直した。
    「……お主は無神経でズケズケとした物言いばかりで、時には心底苛立たしくなることもある。
     が……、お主は私のことを、いつも気にかけてくれている。私の身を、案じてくれている。その思いが……」
     晴奈はトマスから顔を背け、ぼそっとつぶやいた。
    「……楽にさせてくれるよ。お前といると、心地良いんだ」

    蒼天剣・有頂録 3

    2010.03.30.[Edit]
    晴奈の話、第523話。体じゃなく、心が触れ合う。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 晴奈が落ち着いたところで、白猫はすっと立ち上がった。《そろそろ降りようか》「……ああ」 白猫の差し出した手を借り、晴奈は立ち上がる。「……」 と、下に向かって歩こうとした足が止まる。《どうしたの?》「……すまない、白猫。もう戦いたくないと、そうは言った。 でも、後もう少しだけ、戦わないといけない」《もう少し? ……あ...

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    晴奈の話、第524話。
    二人で休みたい、二人で歩きたい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈はチラ、とトマスの顔を横目で見て、また目をそらした。
    「最近ずっと、私と親しい者の誰もがこう思っているのが、ありありと見えてくるんだ。『黄晴奈なら何とかしてくれる。黄晴奈に任せれば安心だ。だって、あの人は強いのだから』と。
     ミッドランドの時も、そうだった。小鈴たちは早々に私から離れて、私一人に戦いを任せた。私は死にそうな目に遭いながら、一人で戦い抜いた。『皆のために』、『皆を助けるために』と戦っても、つまるところは私一人と敵一人の、一対一の戦いだったんだ。
     まあ、今までやってきたことだし、戦いは私の領分だ。そんな風に放っておいてもらっても、それは確かに大丈夫さ。実際、一人で勝ってしまったんだし。でも、そうされるのは、……ひどく寂しく、苦しいことなんだ。
     だってもし、私がどうにもできない相手がいたら、私は誰に頼ればいいんだろうか? ……結局そうなれば、私は無理矢理に自分を奮い立たせ、己の限界を超えて立ち回らないといけなくなる。今回だって、そうだったんだからな。
     他人は、私に頼ってくる。でも私が頼れる人間は、私以外にいない。そう考えると、私の人間関係は一方通行なんだ――向こうから接してくることばかりで、こちらから接することが無い。
     それはまるで、私一人が舞台に上げられ、その演舞を見守られているような――そんな感覚なんだ。だから誰も、私の方に来ない。舞台に上がる観客は、まずいないから」
    「そっか……」
     す、と晴奈の横にトマスが座り込んだ。
    「僕も、セイナを頼りにしてた一人だ。……ごめんね、何か」
    「ううん。お前は、それだけじゃないさ」
     晴奈は横のトマスを、じっと見つめた。
    「起こしに来てくれただろう? ……ふふ、こんなことでさえ、『晴奈なら起こさなくても大丈夫』と皆が思っている。実際、目覚めがいい方だからな。だから、来る者はいない。お前だけだ、わざわざ起こしに来てくれたのは。
     トマスはいつも、私のことを気にかけてくれている。私を、心配してくれる。それが本当に、嬉しいんだ」
     晴奈は夢の中で白猫にやったように、そっと頭をトマスの肩に乗せた。
    「え、ちょっ……」
    「私はあまり、物をねだらない方だが、……一つ、頼まれてくれるか?」
    「な、……何かな」
    「時々でいいから、こうしてお前の側で、休ませてくれないか?」
    「……いいよ。僕なんかの側でよければ」
    「お前が、いい。お前なら気兼ねなく、休ませてくれるから」
     既に日は落ち、甲板の上には誰もいない。冷たい海風が、二人の周りを過ぎていく。
    「……温かいな。二人だと、温かい」
    「……うん」
     晴奈とトマスはずっと、静かに座っていた。



     黄海に戻った晴奈は、トマスと過ごすことが多くなった。
    「なあ、トマス。『ヘブン』への対応は、どうなったんだ?」
    「そうだなぁ……、現状は、こう言う感じかな。
     北方・央中・央南の三地域が連携したことで、かなり強力な対抗力が得られた。多分、『ヘブン』は真っ向勝負を諦めると思う。兵力だけで見ても、央北は15万。こっちには北方8万、央中10万、央南12万の計30万だから、およそ2倍の差がある。これで戦争しようなんて、無謀としか言い様が無いからね。
     だから向こうの出方としては、共同路線か講和路線、つまり以前の中央政府のように穏便な付き合いをしたいと望んでくるはずだ。
     でも、こちらはそうも行かない。『ヘブン』のトップであるフーは、僕たちにとって特A級戦犯だからね。彼の身柄引き渡しは、何としてでも行われなければならない。
     その兼ね合い、妥協点を見つけるための協議が、これから行われることになると思う。まあ、多分フーを引き渡して『ヘブン』再編成、って流れになるんじゃないかな」
    「ふむ、なるほど」
     と、横を通りかかったエルスが二人を見て茶化す。
    「あれ? 自分の家に連れ込んでデート?」
    「ち、違う! 単に、政治動向をだな」
    「ま、いーけどねー」
    「……くっ」
     晴奈は顔を赤くし、エルスにギリギリ聞こえるくらいの小声でつぶやいた。
    「言うぞ。リストに、お主が私との子供がどうとか言って、あまつさえ別の女に手を出したと」
    「いやいや、ゴメンゴメン、本当にゴメン」
     エルスは態度を翻し、ペコリと頭を下げた。
    「冗談だって、冗談。あ、そうそう。政治の話なら、こっちからもニュースがあるから」
    「ほう?」
    「どんな話?」
     エルスは手に持っていた書類を、二人の前に並べた。
    「『ヘブン』の参謀・主任顧問だった人が突然、更迭されたんだ。以前の参謀が戻ってきたから、らしいんだけどね。その、前の人って言えば……」
    「……アラン・グレイ氏だね。……そうなると、まずいかも」
    「何がだ?」
     尋ねる晴奈に、トマスが残念そうに説明した。
    「グレイ氏はカチカチの強硬派、武闘派なんだ。フーに軍閥を作るよう指示したのも彼だし。
     彼が戻ってきたとなると当然、協議なんかしようなんて思わないだろう」
    「……戦争一択、か。最も残念な展開になるだろうな」
    「うん……」
     三人は一様に、重い表情を見せた。

     長きに渡る、央北の戦争に終焉が近付いていた。それは悲劇的な終焉であり、エルスも、トマスも、三地域同盟の首脳の誰もが、その回避を願っていた。
     しかし結局、その悲劇の幕は開いた。エルスたちの予想通り、「ヘブン」は戦争を選び、戦いが始まったのだ。



     いつか、晴奈の大先輩であった楢崎瞬二が、九尾闘技場の老いた主であったクラウンを、「魂の加齢臭がする」と評したことがある。
     戦いに次ぐ戦いの日々で、その心身を磨耗させたクラウン。その心は、晩年には狂気に蝕まれていた。

     晴奈もまた、長く連続した戦いの果てに、疲労し始めていた。
     肉体・技量は完成し、高みに上り詰めた。だがその心はじわじわと荒み、彼女は戦うことよりも、穏やかに暮らすことを望み始めていた。

     長い長い晴奈の戦いの歴史にもまた、終わりが近付いてきていた。

    蒼天剣・有頂録 終

    蒼天剣・有頂録 4

    2010.03.31.[Edit]
    晴奈の話、第524話。二人で休みたい、二人で歩きたい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 晴奈はチラ、とトマスの顔を横目で見て、また目をそらした。「最近ずっと、私と親しい者の誰もがこう思っているのが、ありありと見えてくるんだ。『黄晴奈なら何とかしてくれる。黄晴奈に任せれば安心だ。だって、あの人は強いのだから』と。 ミッドランドの時も、そうだった。小鈴たちは早々に私から離れて、私一人に戦いを任...

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