fc2ブログ

黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第9部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

    • 701
    • 702
    • 703
    • 704
    • 706
    • 707
    • 708
    • 709
    • 710
    • 711
    • 712
    • 713
    • 717
    • 718
    • 719
    • 720
    • 721
    • 722
    • 723
    • 724
    • 725
    • 727
    • 728
    • 729
    • 730
    • 731
    • 732
    • 734
    • 735
    • 736
    • 737
    • 738
    • 739
    • 740
    • 742
    • 743
    • 744
    • 745
    • 746
    • 747
    • 748
    • 749
    • 750
    • 752
    • 753
    • 755
    • 756
    • 757
    • 758
    • 759
      
    晴奈の話、第525話。
    傀儡のフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「号外! 号外!」
     街中に、新聞とビラが飛び交っている。
    「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」
     ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。
    「またなの……?」
    「もう終わったって言ったじゃないか」
     新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。
    「何を考えているんだ!」
    「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか!?」
     やがてその怒りは熱に換わる。
    「もう放っては置けない!」
    「『ヘブン』の横暴、許すまじ!」
     熱気が街中に伝播し、狂気を帯びていく。
    「『ヘブン』打倒だ! 今こそ、この央北を正すのだ!」
    「おうッ!」
     クロスセントラルの市民たちは手に武器を取り、「ヘブン」の居城、ドミニオン城へとなだれ込んだ。
    「ヒノカミ陛下を倒せーッ!」
    「倒せーッ!」
     だが、その怒号は突然かき消された。
    「ぎゃッ!?」
     突然、暴徒の一人が、胸から血を噴き出して倒れたのだ。
    「な、なん……、ごはッ!?」
     別の暴徒の頭が、粉々になる。
    「ひ、ひい……、ぎゃあああーっ!?」
     また別の暴徒が、突然燃え上がる。
    「に、逃げろ! 殺される!」
     勢いづいていた暴徒たちはあっと言う間に、城の前から消えた。

    「……片付けとけ」
    「はっ……」
     城の窓から様子を見ていたフーは、短く命じてその場を歩き去った。
    (くそ、くそ、くそ……)
     フーは内心、毒づいていた。
     無理矢理に戦争を始めさせたアランに。
    (俺の……俺のことを……何だと……)
     それに追従していった側近たちに。
    (俺は……お前らにとって……王じゃないってのかよ……)
     戦争が始まると知った途端、暴徒と化した民衆に。
    (俺は……何なんだよ……)
     そしてそれを、止められなかった自分に。
    (俺は……道化か? 道化だって言うのか?
     悪魔を倒したのは俺だ。軍を率いたのも俺だ。『ヘブン』を築いたのも俺なんだ!
     それがどうだ! 俺は今、バカみてーなマント羽織って、バカみてーな王冠載せて、バカみてーに『片付けろ』なんて命令してやがる!
     バカだ、バカなんだよ俺は……ッ! 何にも決定権の無い、何も動かすことのできない、ろくでなしの大バカ大王だッ!)
     フーは万物に対し、底知れぬ怒りを覚えていた。
    「アランッ!」
    「どうした」
     呼べばすぐ、アランはやってくる。それだけが、以前と変わらないものだった。
    「兵の数は!」
    「およそ13万だ」
    「13だと!? 以前の調べでは、15万を超えると言っていただろうが!」
    「ここ数日、各地で起きた暴動により、死傷者が出ている。さらに、その事態の収拾に当たらせているため、手の空いている兵士は13万程度になっている」
     それを聞いて、フーの怒りはさらに燃え上がる。
    「はぁ!? 何寝言吹かしてんだ!? そもそもお前が、お前、が! 戦争やるぞっつったんだろうが! こうなるって分からなかったのかよ!?」
    「想定の範囲内だ。13万でも、十分に用は成す」
    「……チッ。じゃあ、戦艦の数は」
    「旗艦6隻に、巡洋艦24隻。駆逐艦10隻。その他諸々を合わせれば、50隻程度の戦力となる」
    「じゃあ、……ああ、もういい。下がれ」
    「分かった」
     アランはすっと、フーの側を離れた。
     と、アランが廊下の角を曲がろうとしたところで、フーはもう一つ尋ねた。
    「アラン」
    「何だ」
    「……俺は何者だ?」
    「王だ。この世界の、頂点に立つ王者だ」
    「本当かよ」
    「それ以外に何だと言うのだ?」
    「偉そうにしてりゃ、それだけで王様か?
     じゃ、お前の方が王様だろ。俺より偉そうにしやがって」
     フーはブチブチと文句を言いながら、自分の部屋へと足を向けた。
    蒼天剣・孤王録 1
    »»  2010.04.15.
    晴奈の話、第526話。
    襲われた王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。
     そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。
    「おい、そこの!」
    「あ、……何、でしょうか」
     門に差し掛かってすぐ、門番に呼び止められるが――。
    「現在、城の出入りは制限されている! 城から出る用件を述べよ!」
    「あ? ……あー、はい、ああ。(よし、全然バレてねーな。まあ、まさか王様がノコノコ門前に来たりするなんて思わねーよなぁ)
     日上陛下より市街の様子を見てきてほしいとの、直々の命令を受けた次第であります」
     元々一兵卒の身であるフーにとっては、これくらいの対応は事前に予測できていたし、応対に関しても、何の問題も無かった。
     フーの答えに納得したらしく、門番は軽く敬礼しつつ応じてくれた。
    「そうか。……まあ、気を付けろ。言うまでもないことだが、城外は危険だからな」
     フーもぴしっと敬礼し返し、門番に礼を述べる。
    「はっ、ご配意いただき、恐縮であります。では、行って参ります」
     こうして難なく、フーは城から出ることができた。

    (ははっ……。ひでー荒れよう)
     自分たちが攻め落とした直後はそれなりに整備・清掃されていたはずの町並みは、今はぐちゃぐちゃに踏み潰されたビラと、あちこちで粛清された者たちの血で汚されていた。
    (これが、俺が王になった結果か。なんて情けねえ)
     市民たちは幾度にも渡る暴動と粛清の繰り返しで、兵士に恐れと、少なからぬ敵意を抱いているのは明らかだった。
     兵卒姿のフーが通り過ぎるのを、誰も彼もが店の奥や窓の裏、裏路地の陰で遠巻きに見つめながら、じっと待っていたからだ。
    (やめときゃ良かったんだ――カツミを倒した時点で戻っておけば、俺は祖国の英雄でいられたんだ。それかトモを更迭するってアランが言い出した時、俺がきっぱりそれを拒否しとけば、戦争やろうなんて話にならなかったはずだ。
     俺は、こんなひでー目に遭わせるために戦ったんじゃない。ましてや、王様になんて)
     フーは道の真ん中で立ち止まり、自責の念に震えた。

     と――。
    「……!?」
     がつっ、と言う音がフーの被っていた軍帽から響き、続いて鋭い痛みが走る。
    「が、……っ」
     ぐらりと視界が歪み、フーの姿勢は崩れた。
    「今だ! 畳み掛けろ!」
    「おうッ!」
     あちこちに隠れていた市民たちが一斉に飛び出し、棒やレンガを手に襲ってきた。
    (ま、まずい……っ)
     頭からボタボタと血を流しながらも、フーは彼らから逃げ出した。
     だが、暴徒の動きは止まらない。
    「逃がすなーッ!」
    「追え! 殺せ!」
    「我々の仇だ、絶対に逃がさないぞ!」
     聞こえてきた怒号に、フーは愕然とする。
    (か、仇だと? 俺が? い、いや、軍か。軍全体、ひいては『ヘブン』が、敵と見られてるのか……。
     わけが分からない。俺たちはこの国を、政争でドロドロになってたこの央北一帯を救うために来たってのに。
     ……違う)
     フーははた、と気付かされる。
    (俺は何のために戦った?
     世界を救うとか、そんなのはアランのたわごと。権力を手に入れるとか、それも俺が望んだことじゃない。
     俺は……、俺は、まったく)
     また、頭にレンガがぶつけられる。
    「う、ぐっ」
     後頭部に命中し、フーの意識は飛び散った。
    (俺は……まったく……俺自身の目的なく……他人の言いなりで……戦った……だけ……)



    「気が付いたか」
    「……!」
     フーが目を覚ますと、そこは城の医務室だった。
    「お、俺は」
    「城下町で教われ、倒れていた。暴動に気付いた軍が鎮圧に向かった際、お前がいるのに気付き、ここまで搬送した。
     何故外にいた? こうなると、分かっていただろうに」
    「分かるもんかよ」
     フーは後頭部をさすりながら、ぼそっと答えた。
    「様子が分からないから、俺は外に出たんだ。お前らだけで、話が進んでたからな。
     それで、……市民はどうなった?」
    「制圧した」
    「……殺したのか」
    「必要なだけは」
    「必要って何だよ?」
     フーは目を剥き、叫んだ。
    「何だよ、『必要』って!?
     殺すなよ! あいつらは本来なら、俺たちが護る相手だろ!? 何で殺す必要がある!? 護ってもらう奴に殺されるって、意味が分かんねーよ!」
    「我々に刃向かったからだ。完全に統制するためには、しかるべき威圧も必要だ」
    「……へっ、『統制』かよ。そうだよな、お前は何から何でも自分の思う通りコントロールしなきゃ気が済まないんだよな」
     フーはベッドから抜け出し、医務室を後にする。
    「軍も、『ヘブン』も、そして俺までも、何もかもを自分の思い通りに動かして、お前は何がしたいんだ?」
     フーは医務室の扉の前で振り向き、アランに尋ねる。
    「お前を王にする。それが私の意志だ」
    「王にして、それから?」
    「……」
     それ以上、アランは答えなかった。
    蒼天剣・孤王録 2
    »»  2010.04.16.
    晴奈の話、第527話。
    王者の矜持。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。
     国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。



    「……」
     フーが市街地で襲われて以降、彼の周囲は以前にも増して静かになっていた。
    「……へへ……へっ……」
     フーはその晩も、浴びるように酒を飲んでいた。
     それ以外に、することが無いのだ。政務も、財務も、軍への指揮も、その他諸々、すべてアランと、彼が掌握した側近とがこなしている。
     彼は書類一つ触らせてもらえず、また、前回のように袋叩きに遭うことを懸念された結果、ずっと城の中に閉じ込められていた。
    「俺は一体、何なんだろうな……」
     酒浸しになった脳みそでぼんやり考えるが、思考はまとまらない。
    「あなた……、飲み過ぎよ」
     と、背後からそっと声がかけられる。
    「ランニャか……。何の用だ?」
     そう応え、振り向いた瞬間、ランニャの平手打ちがフーの頬をえぐった。
    「ぐえっ……!?」
    「何の用、ですって? 私に、妃の私に向かって、何て言い方をするの? 私は兵士や側近じゃないのよ? 用がなきゃ、夫のあなたに声をかけちゃいけないって言うの?」
    「お、怒るなよ、ランニャ。……俺が悪かったよ、変な言い方して」
    「……ごめんなさい。私も少し、イライラとしていたから」
     しゅんとなり、耳と尻尾を垂らすランニャを見て、フーの頭も冷える。
    「いや、悪いのは俺だって。……そうだよ、こんな風に、お前まで縮こまらせるような目に遭わせたのは、他でも無い俺なんだから」
    「あなた……」
     目を赤くするランニャを見て、フーは思わず抱きしめた。
    「悪い、本当に」
    「……ねえ、お話があるの」
     ランニャはフーから離れ、一瞬窓に目を向けた。
    「何だ? 改まって」
    「……もう、逃げない?」
    「え……」
     発言の意図が分からず、フーは硬直した。それを察して、ランニャが言葉を続ける。
    「この城から逃げないかと、そう言う意味よ。
     遠慮なく言ってしまえば、あなたはもう『お飾り』でしょう? あなたにはこの流れを……、戦争を止められない。かと言って、戦争に参加しようとも思っていない」
    「その……、通り、だけど」
    「それならいっそ、もう何もかも捨てて、私の国に戻らない?
     あなたが望むなら、前大公である私の力を使って、央中で平和に暮らすことができる。いいえ、ネール公国で重要な地位に就くこともできるわ。私がもう一度、大公に復位して、その片腕となることも」
    「それ、は……」
     フーは答えられず、うつむく。
    「……私はもう、あなたがしおれていくのを見ていたくないのよ。もうこれ以上、この『ヘブン』に未練なんて、ないでしょう?」
     未練、と言われてフーの頭に、何かが瞬いた。
    「未練……?」
     フーは頭の中から酒を払い、深く考え込んだ。
    (そうだ……俺はまだ……)
    「ねえ、フー。一緒に、行きましょう?」
     ランニャが呼びかけるが、フーは答えない。
    (……俺は……日上風。『風』が、流されてどうするんだ?)
    「フー?」
    (俺が、風を流さなきゃダメだ。……少なくとも今吹いてる風は、俺の望みじゃない。
     王様なんだ。俺はこの国を動かせる力がある。そう、力があるのはアランじゃない。俺なんだ!)
    「どうしたの、フー?」
    「……悪い、ランニャ。もう少しだけ、ここに居させてくれ」
    「えっ……」
     意外そうな顔をするランニャの頭を、フーは優しく撫でた。
    「心配するなって。……どうしても、やっておきたいことがあるんだ」



     翌朝、フーは側近とアランを集め、会議の場を開いた。
    「諸君。俺は、何だ?」
    「は……?」
     ハインツはぽかんとする。
    「王、でしょう」
    「そうだ。俺は、この『ヘブン』の王なのだ。であれば、すべての選択権は俺にある。そうだな?」
    「まあ、そうなりますね」
     ルドルフが半ば面倒くさそうに返答する。
    「だから、改めて俺は命じよう。西大海洋同盟に宣戦布告せよ、と」
    蒼天剣・孤王録 3
    »»  2010.04.17.
    晴奈の話、第528話。
    実権再奪取。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ちょっ……」
     フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。
    「異論があるのか?」
    「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」
    「そうか。おい、連行しろ」
    「え」
     フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。
    「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」
    「な、なに、かんがえてんのよ……」
     ドールは信じられないと言う顔のまま、連行されていく。
    「じゃあ」
     と、ずっとうつむいていたノーラが立ち上がる。
    「私も牢に行くわ。あなたには付いていく気にはなれない」
    「そうか。連れて行け。ドールと同じ扱いをしろ」
     続いて、別の兵士がノーラを連行する。
     静まり返った場に、フーは威圧的な声を投げかける。
    「他に反対する者は? いれば今すぐ言え。言わなければ同意したと考える。
     どうだ? いないのか?」
    「……」
     誰も、何も言わず、静寂が続く。
     それを確認し、フーはふたたび口を開いた。
    「では、会議を再開する」

    「一体どうした? 突然、乗り気になったようだが」
     会議の後、アランがフーに尋ねてきた。
    「思ったんだよ。『このまんまお前に任せて、俺は平然としていられるか?』ってな」
    「意味が分からない。何を言いたい?」
     淡々と尋ねるアランを、フーはにらみつける。
    「お前に何もかもを任せれば、きっと俺の望むような結末にはならない。お前は、何もかもをやりすぎるからな。それも最悪な状況にまで」
    「うん? やりすぎる、とは?」
    「お前は俺や側近が必要だと思う以上に兵士を送り込んで滅茶苦茶に戦火を拡げて、敵も味方も、すべてを見殺しにするだろう。それで遺族から恨まれるのは、誰だ? お前か?」
    「そうではないだろうな」
    「だろう? それは間違いなく、俺になる。
     お前に任せた分の責任は全部、俺が被ることになる。と言って俺が自分で命じても、その責任はお前が負うことは絶対にない。どっちみち、俺が、負うんだ。
     お前に任せても、俺がやっても、結局すべての責任は俺に来る。なら最初っから俺が、全部やりゃいいんだ」
     フーはそこでアランに背を向け、こう続ける。
    「もうお前には何も任せない。俺が全部、指揮する。お前は黙って見てろ」
    「しかし……」
    「二度も言わせるのか? 黙れと言ったんだ」
    「……」
     アランはそれ以上何も言わず、その場を去った。

    「おいおい……、御大、ノリノリだぜ」
    「その様であるな」
     隠れて見ていたハインツとルドルフが、フーの振る舞いに感心していた。
    「ここんところずっと腑抜けになっちまってて、どうなることやらと思ってたけど」
    「やる時はやる、と言うことであろうな」
    「しっかし、スカッとしたなぁ。あのアランが、ぐうの音も出せなかったってのは」
     ルドルフはニヤニヤしながら、その場を離れた。
    「へへへ……、みんなに言いふらしてやろう。久々に御大がアランをヘコましたって」
    「かっか、それは面白い」
     ハインツもニヤリと笑い、ルドルフに同意した。



     フーがアランを叱咤し、事実上の更迭処分を下して以降、「ヘブン」内の風向きが変化した。
     理不尽な制圧・掃討を繰り返したことで軍内から忌み嫌われていたアランが消えたこと、名目上のトップであったフーが実権を取り戻し、明確に指揮を執り始めたことが好判断の材料となり、軍も、そして央北の世論も、次第に「ヘブン」を容認し始めた。

    「やっぱり、やってみて正解だった」
    「そう、ね」
     実権を取り戻して以降、フーは一滴も酒を飲まなくなった。
     フーは素面の状態で、妃と夕食を楽しんでいた。
    「でも不思議ね。あなたが行動した途端、すべてが円満に動き出すなんて」
    「俺は『風』だからさ。俺が動けば、風車も風見鶏も、止まっていたものは全部動くんだ」
    「クス、良く分からない例えね。……でも」
     ランニャはすっと、真面目な顔になる。
    「あなたは、戦争をしたくないんじゃなかったの?」
    「そうさ。したくなんかない。……だからこそ、『やる』と公言したんだ」
    「……? 分からないことばかりね」
     きょとんとする妻を見て、フーはニヤッと笑った。
    「すげー簡単で、単純なことなんだよ。
     例えばさ、俺が兵卒の食糧運搬担当で、全部で100キロ分あるジャガイモを運ぶことになったとする。嫌だなぁと思ってそのままにしてたら、上官から『10キロずつでもいいからさっさと運べ!』って指示されて、10キロ運ばされる羽目になるだろう。
     んでもそうなる前にさ、嫌々でも5キロずつ、5キロずつこまめに運んでおいたら、上官は『ちゃんと仕事してるな』と思って、文句は言わない。全体から見たら10キロを一度に運ばなくて良くなるから、楽もできる。
     何が言いたいかって言うとさ、つまり、悪いことが一度に、でっかく起こる前に少しずつ、少しずつ、こまめに消化して行けば、結果は同じだったとしても、過程はちょっとくらいは楽になるだろってことだよ。
     戦争は最悪の結果になるだろう。きっと、『ヘブン』は負ける。俺も無事じゃすまない。かと言って、止めさせることもできない。それならいっそ、俺がコントロールできるだけコントロールする。
     んで、できるだけ傷つく人を減らしておきたいんだ。俺が痛い目に遭うのは確実としても、俺以外のヤツが少しでも、死なないようにしていきたいんだ。
     俺一人が、責任を取ればいい。巻き込まないで済むヤツは、そのまま巻き込ませないようにしたいんだ」
    「何だか、王様らしくなったわね、フー」
     うなずくランニャを見て、フーは精悍な笑顔を作り、さらに続ける。
    「ランニャ、俺がどうなろうと、お前には何も追及されないようにする。
     ……だからずっと、俺の側にいてほしい。お前がいれば、俺は頑張れる」
    「ええ。付いていきます、あなた」
    「……ありがとよ」



     この後、投獄されていたドールとノーラもフーの意図に気付き、意見を翻した。フーは彼女たちを許し、改めて側近に加えた。
     フーの復活により、「ヘブン」は固い決意の元、西大海洋同盟と戦うことになった。

    蒼天剣・孤王録 終
    蒼天剣・孤王録 4
    »»  2010.04.18.
    晴奈の話、第529話。
    モールの災難。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央中、ゴールドコースト。
    「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」
     人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。
    「……! ったく、身軽にも程があるってね」
     一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。
    「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」
     モールの持つ杖から、ぱぱぱ……、と紫色の光線が飛び散り、もう一方の女に向かって飛んで行く。
    「……ッ」
     女はほとんど声を発さず、剣でその光線を受ける。
    「……うっそぉ!?」
     それを見たモールが、驚いた声を上げる。盤石の自信を持っていた自分の魔術が、どこの誰とも分からぬような相手に跳ね返されたからだ。
    「あ、まず……」
     その一部――光線の一本が、モールに戻ってくる。
    (何なんだってね、ホントに……! 今日はカジノでボロ勝ちして、さー帰って寝よう寝ようって思ってたところに、こんな……こんな面倒なヤツ……!)
     光線はモールの体を貫き、そのまま背後へと飛んでいった。
    「ぐ、っふ」
     血がパタパタと飛び散るが、モールは倒れない。瞬時に治療術を使って回復し、そのまま空き倉庫の中へ、転がるように逃げ込んだ。
    (あー、痛い痛い、痛いって! すっげ痛いってね、もおっ!)
     回復したとは言え、その痛みはまだ残る。モールはよろめきつつ、倉庫の床にへたり込んだ。
    「はーっ、はーっ……」
     モールは荒い息を整えつつ、床に魔法陣を描き始めた。
    (こうなりゃ、『取って置き』しかないね)
     フラフラになりながらも、どうにか完成させ、相手を待ち構える。
    (この床全部、爆弾にしてやったね! さあ入って来い、仮面女……ッ)
     モールは目をぎらつかせて、敵が入ってくるのを待つ。
    「……?」
     だが、一向に入ってくる気配は無い。
    (おかしいね……? 私がここに入ってくるの、見えてたはずだけど)
     と、首をかしげた次の瞬間――。
    「……えっ」
     モールの目の前、鼻先から数センチも離れていない空間を、何かが通り抜けた。続いて、壁から入口に向かって、一直線にヒビが走る。
    「……そうだ……、思い出した」
     仕掛けていた魔法陣も、そのヒビと衝撃に巻き込まれ、壊れる。
    「この技……、あの仮面……」
     壊れた魔法陣は暴走し、充填されていた魔力が単純なエネルギーへと変化し、爆発に変わる。
    (そうだ……! 晴奈をてこずらせた、あの女……!)
     爆発はモールを巻き込み、倉庫全体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

    「……なかなか、てこずった方かしら」
     モールと戦っていた巴景は剣を納め、跡形もなく吹き飛んだ倉庫を眺めた。
    「ま、それでも10分持たないか」
     ニヤリと笑い――相変わらず、口元以外は仮面で覆われているが――倉庫跡に背を向ける。
    「……あら」
     振り向いた先に、倉庫の瓦礫をぱたぱたとはたくモールが立っていた。
    「何のつもりだね、仮面女」
    「流石、賢者と名乗るだけはあるわね。どんな術を使ったのかしら?」
    「言う必要ないね」
     モールは恨めしそうな目を、巴景に向けてきた。
    「君のおかげで、今日カジノで稼いできた50万エル、全部どっかに散らばっちゃったね。50万だよ、50万。どうしてくれるね、本当に……」
    「あら、ごめんなさい」
     巴景はまた、ニヤニヤと口元を歪ませる。
     それを見たモールは、眉間にしわを寄せた。
    「謝る気、さらっさら無いってか」
    「いいえ? 多少はあるわよ。
     えーと……、50万? クラム換算だと、おいくらかしら」
    「は?」
    「まとまったお金、クラムしか持ち合わせてないの。……3万クラムくらい?」
     そう言って、巴景は背負っていたかばんから財布を取り出し、クラム金貨を3枚取り出した。
     そんな対応をされるとは思っていなかったらしく、モールは一転、目を丸くしている。
    「え? どう言う……?」
    「あなたと勝負がしたかった。それだけよ」
     そう言って巴景は、唖然とするモールの横を通り抜け、そのまま去っていこうとした。
    「ちょ、待てってね」
     モールは我に返り、巴景を呼び止めた。
    「なに?」
    「じゃ、君って、ただ私と戦うためだけに、倉庫一個、丸ごと吹っ飛ばしたっての?」
    「そうよ。それがどうかした?」
    「……バカじゃない、君?」
     モールの言葉を鼻で笑い飛ばし、巴景は答える。
    「私は私自身にとって、最も必要で、最も意義のあることをしているだけよ。それを愚かと言うなら、食べることや家を建てること、お金を稼ぐことも愚かな行為になるわ」
    「……」
     黙りこんだモールに再度背を向け、巴景はそのまま立ち去った。

     残されたモールは、渡された金貨を眺めながら、ぼそっとつぶやいた。
    「戦うために生きる。それがすべて、……か。
     厄介だよ、晴奈。あの女は本気で、君を潰そうとしてるね。それ以外まるで、眼中にないって態度だ。
     ……楓藤巴景、か。覚えておいてやるね」
    蒼天剣・無頼録 1
    »»  2010.04.20.
    晴奈の話、第530話。
    巴景の武者修行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」
     そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。
    「ウチから?」
    「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」
    「ああ、ルードおじさんですか」
    「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」
     フォルナの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「ええ。以前の……、フォルナさんが入る前の、518下半期エリザリーグ直後と似たような事件が、発生しているのよ」
    「って言うと、また誘拐っスか」
     そう言ったフェリオに、今度は首を横に振る。
    「いいえ、傷害事件ね。エリザリーグ出場者を狙った辻斬りが、これまでに5件発生しているの。
     特に520年からは、これまで『キング』の圧力で出場できなかった人たちが多数詰め掛けてきて、闘技場側もやむなく出場枠を5名から8名に拡大したから、被害に遭うと思われる人間は多数出てくるでしょうね」
    「出場者……って」
     それを聞いて、フェリオの顔が青くなる。
    「ウチのも、狙われそうっスね」
    「そうね。帰ったら、気をつけるよう声をかけておいた方がいいわ。まだ生まれたばかりでしょう、娘さん」
    「ええ。……まあ、ウチのに限って、そのままやられちゃうなんてコトはないでしょうけどね、ハハ……」
    「お前は頭が間抜けか?」
     バートが呆れた顔で、フェリオの頭をはたいた。
    「いてっ」
    「『傷害事件の被害者はエリザリーグ出場者』っつってんだろ。逆に言えば、エリザリーグまで行った強豪が大ケガしてるってことだぞ」
    「あ……」
     それを聞いて、フェリオの顔がまた青くなった。
    「……あのー」
     申し訳無さそうに口を開いたフェリオに、バートがうなずいた。
    「いいよな、ジュリア?」
    「ええ。注意は早めに呼びかけておいた方が、効果的だもの。今日は早めに帰って、奥さんに気をつけるよう言っておきなさい」
    「あざっす!」
     フェリオはぺこぺこと頭を下げ、飛び去るように公安局を後にした。



    「こんにちは」
    「ん? こんち、……は?」
     往来で声をかけられ、シリンは振り向いて挨拶をしかけた――が、声をかけてきたのは仮面を被った、いかにも怪しげな女だったため、途中で言葉に詰まる。
    「あなた、シリン・ミーシャさんよね?」
    「……そうですけど、どちらさん?」
     シリンは相手の風体を見て露骨に怪しがり、子供をぎゅっと抱きしめて後ろに下がる。
    「ちょっと、お話を、ね。……えーと」
     仮面の女――巴景は、シリンの抱えている子供を見て、躊躇した様子を見せる。
    「……とりあえず、本当にお話からしましょうか。
     ミーシャさん、お家は近くかしら。お子さんが一緒だと、動きにくいでしょう?」
    「……? まあ、うん。……あのー」
    「単刀直入に言うと」
     シリンが巴景の意図を図りかねているのを察したらしく、巴景は剣をわずかに抜き、刀身を見せてきた。
    「『これ』のお相手を、お願いしたいの。
     私は今ここで、無理矢理にでもいいけれど、お子さんを傷つけたくないでしょう? お子さんを安全なところに置いてから、の方がいいわよね?」
    「……せやな。ついてき」

     シリンの家に通された巴景は、シリンが荷物と子供を置いて戻ってくるのを待った。
    「茶、いるかー?」
     シリンの方も、単なる暴漢の類ではないと察したらしい。まだ警戒している様子はあるが、明るく声をかけてくる。
    「ええ、いただくわ。……私の知っている情報だと、エリザリーグに2回出場し、公安に捜査協力したことがある虎獣人の格闘家、としか聞いてなかったけど」
     家の中を見回すと、あちこちに人形やぬいぐるみが置いてあるのが目に付く。
    「いつ、結婚したの?」
    「去年やな。んー、と……、一昨年にダンナと知りおうて、その後ちょっと、一緒に央北に行ってる間に仲良うなってん。その、さっきアンタが言うてた、公安の協力しとった関係で」
    「じゃ、結婚したのは殺刹峰事件の後?」
    「ふぇ?」
     カチャカチャと、茶の用意をしていたらしい音がやむ。
    「覚えてないかしら? 私、晴奈と戦ったのよ」
    「……あー、あー! なんや見た覚えあるかも思てたけど、そやったそやった!」
     少しして、シリンが茶を二人分用意して戻ってきた。
    「ウチ、忘れっぽいねん」
    「あら、そうなの。……じゃ、私が名乗ってたのも忘れた?」
    「……ゴメン」
     巴景は肩をすくめ、改めて名乗る。
    「私の名前は、トモエ・ホウドウ。ちょっと前まで色々やってたけど、旅の剣士よ、今は」
    「あいあい。ま、茶でも……」
    「いただきます」
     と、巴景が茶に口をつけようとした、その時だった。
    「ただいま、シリン! 無事……」
     居間に入ってきたフェリオが、巴景を見て硬直した。
    蒼天剣・無頼録 2
    »»  2010.04.21.
    晴奈の話、第531話。
    もっと強い子に会いに行く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……あー」
     巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。
    (話がややこしくなりそうね)
     状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。
     一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。
    「誰だ、お前?」
    「旅の剣士」
    「ウチに何の用だ?」
    「奥さんに、用事があって」
    「……」
     フェリオは拳銃を取り出し、巴景に向かって構えた。
    「……手を、挙げろ」
    「いいけど」
     巴景はひょい、と両手を挙げる。フェリオは警戒しつつ、巴景が腰に佩いていた剣を取る。
    「満足した?」
    「……名前は」
     緊張を崩さないフェリオに、巴景はため息をつく。
    「トモエ・ホウドウよ。……ねえ、ミーシャさん。この人が、あなたの旦那さん?」
    「うん」
     シリンも緊張した目を向けつつ、茶をすする。
    「私、この人の顔見た覚え無いし、私のこと知らないみたいよ。あの時、いなかったみたいだけど」
    「あー。あん時、腕に大ケガしとって、屋敷ん奥で寝ててん」
    「あら、そうなの」
     そう聞いて、巴景はフェリオの腕をひょいと取る。
    「う、動くな!」
    「いい加減にしなさいよ。そんなの屋内で撃って、跳弾で子供に当たるかもって思わない?」
    「……っ」
     巴景の言葉に、フェリオの視線は一瞬泳ぐ。
    「ほら、離しなさいよ」
     巴景はその隙を狙ってフェリオの手首をつかみ、ギリギリと締め上げる。
    「う、あ……っ」
     たまらず、フェリオは拳銃を落とした。
    「ふーん、確かにアザみたいなのがあるわね。……ああ、これってあのネイビーの?」
    「うんうん」
     フェリオに興味を失い、巴景はフェリオから手を離した。
    「良く生きてられたわね。腕も、ちゃんと残ってるみたいだし」
    「色々あってん」
     手首を押さえてうずくまるフェリオを尻目に、巴景とシリンは会話を続ける。
    「でも何や、トモエさんて結構度胸あるねんな。拳銃向けられて、平然としとるし」
    「伊達に修羅場は潜ってないわ。拳銃向けられるよりもっと怖い体験、したことがあるもの」
    「そーなんやー」
    「……クス」
     シリンと話しているうち、巴景は笑い出した。
    「楽しい人ね、シリンさん」
    「え、そお?」
    「戦おうと思ってたけど、毒気抜かれちゃったわ。お茶いただいたら、帰るわね」
     それを聞いて、シリンはきょとんとする。
    「ええのん?」
    「ええ。まあ、……こんなこと言ってしまうと気分悪くしちゃうかも知れないけど、元々から期待外れだったのよね、この街」
     巴景はパタパタと手を振り、これまでの対戦を語る。
    「私、武者修行と思って、エリザリーグ出場者なら骨のある人がいるだろうと思って声をかけて、手合わせしてもらってたのよ。
     そしたらみんなあっけなくやられちゃうし、『剣なんか使って』とか『女のクセに』とか、泣き言をびーびー言ってくるのよ。武器なら晴奈だって、これまでの優勝者だって使ってたのに」
    「あー……。それはちょっと思たなぁ。
     ウチも去年のんは、子供生まれる前やったから観戦だけしとってんけど、あの519年上半期のんに比べたら、まるでママゴトやチャンバラやなーて思たわ。
     そら、クラウンににらまれただけでスゴスゴ引き下がる奴らやな、てな」
    「でしょうね、ふふ……」
     巴景は茶を飲み干し、立ち上がって床に置かれた剣を取る。
    「それじゃ私、そろそろお暇するわね」
    「……あー。ウチ、まだ本調子ちゃうから、今やってもつまらへんかもやろけど」
     シリンも立ち上がり、すっと右手を差し出す。
    「522年からは、復帰するつもり満々やしな。そん時、やろ」
    「いいわね。それじゃ、楽しみにしてるわ」
     巴景はシリンの手を握り、堅く握手した。
     と、すっかり意気消沈したフェリオを見て、巴景が声をかけた。
    「いきなり拘束しようとした、ってことは、公安が追ってるのね。さっき言ったリーグ出場者から、被害届でも出たのかしら。
     ま、これ以上被害者は増えないわ。飽きたから」
    「あ……、飽きた?」
     顔を上げたフェリオに、巴景は口元をわずかに曲げてこう言った。
    「もっと強い人に、会いたいの。さっき言った通り、ここの人じゃ相手にならないし。
     もうここには、用は無いわ」
    「……そうか」
     フェリオはまたうなだれ、ソファにぐったりと腰かけた。
    「じゃあ、とびっきり強いヤツが、ミッドランドにいる。そいつと会ってみたらどうだ?」
    「へえ?」
    「名前はテンコ。あのタイカ・カツミの弟子だそうだ。セイナさんも苦戦した相手だぜ」
    「……いいわね。ありがとうね、ダンナさん」
     巴景は会釈し、シリンの家を出た。



    「はい?」「何言ってんだ?」
     翌日、フェリオはジュリアに、公安への辞職願を提出した。
    「俺……、もうダメっス」
    「何があったんだ?」
    「昨日、家に帰ったら……、いたんスよ、犯人」
    「犯人って、リーグ出場者の傷害事件の?」
     ジュリアの問いに、フェリオは力なくうなずき、経緯を説明した。
    「そうか……」
    「……俺、公安に向いてないみたいっス。殺刹峰ん時も、ミッドランドん時も、捜査、とことん足引っ張ってるし」
     落ち込むフェリオを見て、ジュリアは煙草をくわえた。
    「……あのね、フェリオ君。それを言ってしまったら、エラン君の方がひどいわよ」
    「いきなり人を名指しでけなさんといてくださいよ……」
     エランがむくれるが、ジュリアは構わず話を進める。
    「それでもエラン君は、十分に職員の資格有りと私は思ってるわ。彼、どんなに下手を打ってもへこたれないもの」
    「……」
     ジュリアは手にしていたフェリオの辞職願を燃やし、それを使って煙草に火を点けた。
    「あなたは良くやったわ。あなたがテンコさんのことを教え、犯人を遠ざけたおかげで、被害はこれ以上拡大しないんだから」
    「あ……」
    「あなたはちゃんと街を護ったわ。自信、持ちなさい」
     ジュリアは灰になった辞職願をペール缶に捨て、話を切り上げた。
    「テンコさんが相手なら、犯人への制裁になるでしょう。
     さ、次の案件よ」
    蒼天剣・無頼録 3
    »»  2010.04.22.
    晴奈の話、第532話。
    ミッドランドのアイドル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央中中部、ミッドランド。
     街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。
    「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」
    「ふむ」
     彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。
     事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物になり、この日も魔術師たちに自分の得た秘術を教えていた。
     天狐は妹弟子のレイリン――最近、天狐から「お前も克って名乗れよー、妹弟子なんだからよー」と言われたので、克鈴林と名乗るようになった――を助手に従え、講義を進めていく。
    「ってワケだから、術式も互換性は高い。だから、ほれ」
     天狐は空に向け、火の槍を放つ。
    「えいっ」
     そこに鈴林が手を加え、雷の槍へと姿を変えさせた。
    「おお~……」
    「な? こーゆー面白いワザもできんだよ。他にもな、氷と土は固化、水と風は流体って言う相似点があるんだ。そこら辺を色々いじくってみたら、何か発見できるかもな。
     んじゃ今日はここまで。おつかれさん」
     天狐の講義が終わり、魔術師たちは深々と礼をする。
    「ありがとうございました、テンコ様」
    「サマとかいらねーよ、照れるぜ。……呼ぶなら天狐ちゃんって呼びな、ケケ」
     天狐は狐耳をコリコリかきながら、その場を後にした。

     天狐は現在、鈴林と共にラーガ邸に居候している。とは言え、彼女が街にいることで入る観光収入などの間接的な利益は非常に大きいものなので、当主のトラムは彼女を厚遇していた。
    「おっ、見ろよ鈴林」
    「どうしたの、姉(あね)さんっ?」
    「おっちゃん、今日のおやつにショコラシフォンケーキ用意してるってさ」
     天狐は自分と鈴林に当てられた部屋に残されたメモを読み、九尾の尻尾をパタパタさせている。
    「好きだねぇ、チョコ」
    「へへっ」
     天狐はニコニコと笑いながら、食堂に足を運んだ。
     と――。
    「……ん」
    「どしたのっ?」
    「なんか、感じねーか?」
     天狐はどこからか鉄扇「傾国」を取り出し、警戒する。鈴林も天狐の後ろに付き、その気配を感じ取ろうと集中した。
    「……っ! 窓っ!」
     そして、天狐より一瞬早く鈴林がその気配の元に感づき、魔術で盾を作る。
     次の瞬間、ラーガ邸の庭を見渡すことのできる、廊下一面に張られた大きな窓の一枚に、縦一直線に亀裂が走った。
    「……っ、と」
     続いてやって来た衝撃波が、鈴林の術で防御される。
    「何だぁ……?」
     鈴林が術を解いた瞬間、天狐はばっと庭先に飛び出す。
    「いきなり何すんだよ、お前? 庭、メチャメチャにしやがって! トラムのおっちゃん、泣くぜ?」
    「知らないわよ、そんなこと」
     庭の中央に立っていた巴景が、肩をすくめる。
     その周囲には兵士たちが倒れている。どうやら警備網を無理矢理に突っ切って、屋敷に侵入したようだ。
    「あなたが、克天狐ちゃん?」
    「そーだよ。天狐サマって呼べ」
    「あら? さっき講義してた時、ちゃん付けしろって言ってなかった?」
    「オレと仲良くするヤツは、な。テメーは、敵だ」
    「なおさら呼びたくないわよ。なんで敵に様付けしなきゃいけないのよ」
     巴景はそう言って、次の攻撃を放った。
    「チッ……、話する気、ゼロか」
     天狐は鉄扇で防ぎつつ、雷の術を放つ。
    「『サンダースピア』!」
     雷の槍が巴景に向かって飛んで行く。が、巴景は剣を構えただけで、動こうとしない。
    (……っ、なんか見た覚えがある気がするぜ、こんな光景)
     天狐は嫌な予感を覚え、続けてもう一発放とうと呪文を唱える。
     その間に、雷の槍が巴景に到達する。だが、予想通り槍は巴景の剣に弾かれ、四散する。
    「えっ」
     背後で鈴林が声を上げて驚いていたが、天狐は構わず二撃目を放った。
    「もいっちょ! 『サンダースピア』!」
    「同じことよ」
     二度目の電撃も、巴景は同じように防ごうと構えた。
    「鈴林! 変換!」
     と、天狐は鈴林に向かって命じる。
    「え? あっ、はいっ!」
     鈴林は即座に応じ、先程講義で見せたように、天狐の術に手を加える。
     雷の槍はギチ、と妙な音を立てて、空中で実体に変化した。
    「……!」
    「ケケ、ちょっと術を組み替えさせてもらったぜ」
     雷の槍は重量ある石の槍に変化し、巴景に直撃した。
    蒼天剣・無頼録 4
    »»  2010.04.23.
    晴奈の話、第533話。
    混沌の巴景。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。
    「よっしゃ!」
    「うまく行ったねっ!」
     天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。
    「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」
    「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」
    「お、そうだった。確認しな……」
     振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。
    「……いねえ?」
     先程まで巴景が倒れていた場所には、自分たちが放った石の槍しかない。
    「ドコ行った……?」
     天狐は辺りを見回すが、巴景の姿は無い。
    「鈴林、ちょっと貸せ」
    「あ、はいっ」
     天狐は鈴林の魔力を借り、索敵術を試みた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……えっ?」
     天狐の脳内に、周囲の情報が入ってくる。
     その情報が、すぐ目の前に――丁度、槍がある場所に人がいると告げていた。
    「どうしたの?」
    「……まだ、そこにいるらしい、ぜ?」
    「えっ?」
     二人は無言で顔を見合わせ、恐る恐る槍へと近付く。
    「……いない、よな」
    「う、ん」
     すぐ近くまで迫っても、誰の姿も見つけられない。それどころか、魔術で風を起こし、土ぼこりを舞わせても、素通りする。
    「ドコに……?」
     天狐はわけが分からず、槍に手を伸ばした。
     次の瞬間――。
    「アンタのおかげで、いい技思い付いたわ」
    「……ッ」
     天狐の目の前に突然、巴景が現れた。
    「あ、が……っ」
     天狐の胴に、深々と剣が突き刺さる。
    「属性の変換、ね。なかなか面白いじゃない」
    「て、てめ、っ、どう、やって」
     天狐には、何が起きていたのか把握できない。
     が、横で成り行きを見ていた鈴林には、巴景が何をしていたのか理解できた。
    「そんな、まさか……、自分の体を」
    「ふふ、あははは……」
     巴景の足から下は、まったく目視できない。
    「ありがとうね、天狐『サマ』」
     巴景は自分にかけていた術を解き、そのまま天狐を剣先から振り飛ばした。



     30分後。
    「て、テンコちゃん! 襲われたと聞きましたが、大丈夫ですか!?」
     騒ぎを聞きつけたミッドランドの主、トラムが、兵士を引き連れて屋敷へと戻ってきた。
    「おう、おっちゃん。おせーよ、つつ……」
     天狐は鈴林に抱きかかえられる形で、庭の中央で横になっていた。
    「怪我を!? 誰か、担架を……」「いらねーよ。オレは大魔術師だぜ、……あいたた」
     天狐は腹を押さえ、顔をしかめていた。
    「しばらくしてりゃ治るから、心配すんなって。
     ……しっかしあの女、滅茶苦茶な魔術センス持ってやがる。まさか一回、二回オレの技を見ただけで、それを把握するとはな」
     天狐は苦い顔をしながら、ぼそっとつぶやいた。
    「うー……。トラムのおっちゃんよー」
    「はい、何でしょう?」
    「ゴメンな、庭こんなにしちまって」
    「いえ……。庭なら、直せば済みますから」
    「オレも直すの、手伝うよ」
    「いえいえ、テンコちゃんはゆっくり休んでいてください。そんな体じゃ、動くのも辛いでしょう?」
     トラムに諭され、天狐はポリポリと頭をかいてうなずいた。
    「……うん。ホント、ゴメンな」

     それから2日ほど、天狐の魔術講座は休講となった。



     ミッドランドを離れた巴景は近隣の森に逗留し、天狐の術にヒントを得て編み出した技を推敲していた。
    「ふふ……」
     殺刹峰で得た強化術――神経の反応速度や筋力を増強させる通常の強化術とは一線を画す、肉や骨の組織そのものを鋼鉄やバネのように変質・変形させる術――をベースに、巴景は自分の腕を変換させていた。
    「人間離れしちゃったわね、少し」
     巴景の左腕は、煌々と燃え盛っている。自分の腕を、「火の術そのもの」に変えたのだ。
     術を解くと、腕は元に戻る。火傷もしていない。
    「戦った価値は、十分すぎるほどあったわね」
     続いて、風の術に変換させる。腕は見えなくなったが、感覚も触感も確かにある。試しに落ちていた枝を拾うと、普通につかむことができた。
     空中にふよふよと浮かぶ枝を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    「……いいわね」
     巴景は見えない左腕にぐっと力を込め、枝をぽきりと折った。
    蒼天剣・無頼録 5
    »»  2010.04.24.
    晴奈の話、第534話。
    鬼がやってくる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     屏風山脈、黒鳥宮。
    「侵入者! 侵入者だーッ!」
     その夜、宮内は騒然としていた。
     突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。
    「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」
     ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニオン・ウィルソン大司教は、この異状を聞きつけて即座に動いた。
    「……まったく、こんな時を狙って来なくてもいいだろうに!」
     現在、黒炎教団では一つの問題が起こっていた。
     教主ウィリアムが重い病に臥せっており――ここ数年、弟が惨殺されたり、息子が遠い地で亡くなったと聞かされたりと、心労が重なったせいだろう――もってあと数週間かと言う状態にある。これ以上ストレスが重なれば、命に関わる。
     ウィリアムを何より慕うワニオンとしては、これ以上心配させたくなかったのだ。
    「報告します!」
     と、僧兵長の一人がワニオンの前にやってくる。
    「どうした? 捕まえたか?」
    「いえ、それが……」

    「ハァ、ハァ……」
     ウィルの姉、ウェンディは肩で息をしながら、目の前の敵――巴景に矛を向けていた。
    「く……、強い」
     横にはすぐ下の弟、ウォルターが同様に息を切らしながら、三節棍を構えている。
    「何が目的なの?」
     ウェンディはずれた眼鏡を直しつつ、巴景に尋ねる。
    「目的? そうね……、武者修行、かしらね。この黒鳥宮の中で一番強い人、出してほしいんだけど」
    「なら、……まずは僕たちを倒してみろッ!」
     ウォルターがいきり立ち、巴景に向かって棍を放つ。
    「いいわよ」
     巴景は向かってきた棍に、全力で剣を振り下ろす。ガイン、とけたたましい音を立てて、金属製の棍は真っ二つに割れた。
    「なっ……」
     目を丸くしたウォルターの前に、巴景が迫る。
    「まず、一人」
     巴景は剣を離した左腕をウォルターの首に回し、そのまま旋回する。
    「げ……っ」
     首を軸にして縦回転したウォルターは地面に頭を叩きつけられ、そのまま気絶した。
    「次はあなた?」
     巴景は再び剣を構え、ウェンディに向き直る。
    「……ええ。行くわよ!」
     ウェンディは大きく深呼吸し、巴景に向かって走り出した。ゴウ、ゴウと矛を唸らせ、巴景を捉えようと迫るが、巴景は間一髪で――文字通り、髪一本ほどのギリギリで避け、ウェンディのすぐ前に立った。
    「……ッ」
    「この距離なら、もう矛は役立たずね」
     巴景はすとんと、ウェンディの鳩尾に貫手を放った。
    「は、う……」
     ウェンディの目がひっくり返り、そのまま前のめりに倒れた。
     巴景は倒れたウェンディに目もくれず、くるりと振り返る。
    「……それで、あなたがこの教団で一番強い人かしら?」
    「そうだ。覚悟しろ、仮面の剣士」
     騒ぎを聞きつけたワニオンが、大剣を手に駆けつけてきていた。

     ワニオンは大剣を振り上げ、巴景に向かって飛び掛る。
    「へ、え……」
     巴景はその姿を見て、感嘆の声を上げる。
    (背はざっと見て190以上、体重は100キロ超えてるでしょうね。なのに、とても軽やかな動き。大剣が、まるで子供のオモチャを振り回してるみたいに見えるわ)
    「うりゃあーッ!」
     ワニオンの振り下ろした剣が、一瞬前まで巴景が立っていた地面を削る。
    「む、う」
     ワニオンは素早く身を翻し、次の攻撃に移る。
    「ふふ、流石ね」
     巴景もひらりと体勢を変え、ワニオンと再び対峙する。
    「これなら十分、相手になりそうね」
    「何……?」
     ワニオンの狼耳が、ピクと動く。
    「相手とは、何のことだ」
    「私の技の、練習相手。……いきなり仕掛けるのも剣士としてはアンフェアだろうし、教えてあげるわ」
     そう言って巴景は、左手を火に変えた。
    「なっ……?」
     それを見たワニオンが目を丸くする。僧兵たちに助け起こされたウェンディ、ウォルターも、巴景の技に驚いていた。
    「腕が燃えている……!?」
    「焔? いや、あいつらのは剣を、か。じゃああれは、一体……?」
     驚くウィルソン家の面々を見て、巴景は高らかに笑う。
    「ふふっ、あははは……。驚いてくれて嬉しいわ。これが私の技よ。名付けて、『人鬼』」
     巴景は両手を炎に変え、剣を構える。
    「あなたは鬼が倒せるかしら?」
    「……~ッ」
     巴景の尋常ではない気迫に威圧され、巨漢のワニオンがたじろいだ。
     だが、それでも無理矢理に奮い立ち、大剣を正眼に構えて精神集中する。
    (黒炎様……、無闇に祈られることを、あなた様は嫌うと仰られました。
     しかし、どうか、どうか祈らせてください)
    「さ、行くわよ」
     巴景が仮面の口に空いた穴から、ふーっと息を吐く。
     その息さえも、まるでドラゴンの息吹のように赤く燃え盛り、空気をちりちりと熱していた。
    (どうか黒炎様、目の前の悪鬼をこの私めが征伐できるよう、力をお与えください……ッ)
    「はああああッ!」
     巴景が恐るべき速さで、ワニオンの間合いに飛び込んでくる。
    「……黒炎様あああッ!」
     ワニオンは意を決し、巴景を迎え撃った。



     1時間後、教主ウィリアムの耳に、息子たちが謎の剣士に大ケガを負わされたと、また、剣士は捕まることなく逃げてしまったと伝えられた。
    「おお……」
     それを聞いたウィリアムは上半身を起こし、従者につぶやいた。
    「神は……」
     従者は慌てて「お休みください」と伝えたが、ウィリアムは応えない。
    「神は、もういないようだ……」
     そのままウィリアムはうなだれ、二度と動くことはなかった。
    蒼天剣・無頼録 6
    »»  2010.04.25.
    晴奈の話、第535話。
    聖人の死と、悪魔の再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。
    「ああ、父上……」
    「どうして、こんなことばかりが……」
     ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。
    「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」
     その列の真ん中に、他の兄弟たちよりも一層包帯まみれになったワニオンが立ち、他の者たちよりも一際嘆き悲しんでいた。
    「……ううっ」
     こらえきれなくなり、ウェンディはその場から一旦離れ、聖堂の裏でボタボタと涙を流し始めた。
    「どうして……、どうしてこんなこと……」
    「……」
     と、顔を覆ってしゃがみ込んだ彼女は、自分の前に誰かが立っているのに気が付いた。

    「誰……?」
     顔を挙げるが、自分が眼鏡を外しているのと、相手が陰に紛れるような黒い服装を着ているのとで、そこにいるのが誰なのか、良く分からない。
    「好人物だったな、良くも悪くも」
    「え……?」
    「お前の父のことだ。
     とても人のいい、無欲で穏やかな男だった。そのせいで、あいつの知らないところで何かとゴタゴタは起こったが、それでも十分に教主の務めを果たしていただろう。
     亡くなったのは残念だが、お前たちのせいではない。天命だろう。必要以上に嘆き悲しむ必要は無い」
    「あの……、あなたは……?」
     ウェンディは眼鏡をかけ、その男の姿と顔を確認する。
     目の細い、鴉のように真っ黒な衣服と髪の、色黒の男がそこにいた。
    「あいつの友人だ。あいつが教主になってから23年、あいつは俺の、一番の話し相手だったのだ」
    「父上が、あなたの……?」
     言い方がひどく尊大だと感じ、ウェンディは涙を拭いて立ち上がった。
    「こんな言い方をするのは、好きではありませんが」
    「うん?」
    「私の父上、ウィリアム・ウィルソン4世は、この黒炎教団の頂点に立った偉大な人物、聖人と言ってもいいほどの人物です。
     それを単なる話し相手、自分と同列の友人だなど、烏滸がましいとは……」「烏滸がましい?」
     男はそれを聞き、クックッと鳥のような笑い方をした。
    「クク……、そうか、烏滸がましいと」
     男の細い目が、じわりと開く。
    「……っ」
     それを見たウェンディの背筋に、冷たいものが流れた。
    「そう言えば、教主以外には俺のことは、単なる黒子としか伝えられていないのだったな」
    「……まさか」
     男の目の冷たさは、巴景の燃え盛る体を見た時よりもさらに恐ろしく、畏れ深いものをウェンディに感じさせた。
     と、男は開いた目を、元通りの細さに戻す。
    「もう一度聞くが、烏滸がましいことだったか?」
    「……いいえ。失礼いたしました」
     ウェンディはす、と頭を垂れた。
    「分かればいい。
     それでだ、ウェンディ。ウィリアムから、遺言を預かっている」
    「遺言、ですか?」
    「これだ」
     男は一通の封筒をウェンディに差し出した。
    「……え、えっ!?」
     手紙に目を通したウェンディは、男と手紙を交互に見て驚いた。
    「これは、本当に、……いいえ、あなた様が預かられたお手紙であれば、本当なのでしょうね」
    「本当だとも」
    「し、しかし」
     ウェンディは眼鏡を直し、男に尋ねる。
    「何故、私なのですか? 序列で言えば、私よりも兄のワニオンの方が適当では」
    「これだけの大組織を治めるのに、単純で血気盛んな武人では役が合わんと言うことだ。
     それよりも、卒なく管理のできる人間が好ましい。そう考えての、前教主の決定だろう」
    「……そうですか」
     ウェンディは手紙に視線を落とし、ぼそっとつぶやいた。
    「しかし、私に務まるかどうか。私はまだ38歳です。とても、父上のようには……」
    「ウィリアムは46歳の時に就いたが、それはワッツ……、先々代の長寿のためだ。90歳の大往生だったからな、あの女は。もし先々代が短命であれば、ウィリアムはもっと早く就いていただろう、な。
     お前の働き振りであれば、十二分に役目を果たせる」
    「……」
     逡巡するウェンディに背を見せ、男は立ち去りながらこう言い残した。
    「明日には、他の大司教にも同様の通達が出る。お前の器ならば、皆も納得するだろう。
     今後はお前が俺の話し相手になれ、ウェンディ・ウィルソン教主」
    蒼天剣・無頼録 7
    »»  2010.04.26.
    晴奈の話、第536話。
    古戦場への帰郷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     巴景は央南に戻ってきていた。
    (何年ぶりかしらね?
     お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね)
     5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。
    (……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった)
     とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。
    「……ただいま」
     巴景はぼそっとつぶやき、半ば苔むした畳の上に座り込んだ。

     既に天玄には立ち寄っており、そこで篠原が死んだことも、朔美が投獄されたことも聞いている。
     そして、妹のように思っていた霙子が、晴奈の手引きで紅蓮塞に入ったことも。
    (ま、裏切りとは言わないわ。むしろあなたが、お頭たちに裏切られていたんだし)
     紅蓮塞に行き、霙子の顔を見てみようかとも一瞬思ったが、巴景の方には会わせる「顔」が無い。
    (霙子は晴奈がいた柊一門――ああ、今は焔本家一門だっけ――に付いたって言うし、晴奈の敵である私は、一門の敵でもある。会っても霙子は、困った顔をするだけでしょうね)
     畳から腰を上げ、巴景は地下へ足を向けた。
    (この場所で、晴奈は功名を立てた。
     敵に捕まりながらも、それを逆手にとって殲滅へと導いた、『縛返しの猫侍』。……フン)
     晴奈が捕まっていた倉庫の前を通り、晴奈とウィルが敵から刀を奪った曲がり角を通り、そして――。
    (そう、ここ。ここが、私と晴奈が、初めに戦った場所)
     いまだ焦げ跡と、炭になった木箱が残る倉庫の中に入り、巴景はしゃがみ込んだ。
    「……ふふっ。私がつけた、『地断』の跡。まだ残ってる」
     その切れ目を撫で、巴景は懐かしさに浸る。
    (そう言えば、あの時一緒に戦った柳って、本当は殺刹峰の手先だったのよね。今、どうしてるのかしら? 金火公安に協力してたって言うし、もう保釈されてるかしら)
     同僚の顔を思い出し、巴景の足は幼い頃からずっと使っていた、自分の寝室だった場所に向かう。
    (みんな、どうしてるかしら? 何人かは、おかみさんと同じように央南で投獄されたと思うけど、残りはみんな、殺刹峰に連れて行かれたのかしらね。……となると、やっぱり央北に投獄されたか、フローラに殺されたか、それともペルシェと一緒に抜けてしまったか。
     ……どの場合にせよ、もう会えないでしょうね)
     自分の部屋に着き、巴景は床に溜まった5年分のほこりを、「人鬼」で変化させた風の脚で払う。
    「……ケホ。流石、5年分ね」
     巴景は床に座り込み、仮面を外した。
    「5年、かぁ」
     仮面を外し、その下に残る火傷を撫でながら、巴景は自分の部屋を見渡す。
    (私がここに住んだのは507年、13歳の時。
     それから22歳までの9年間、ここに住んで修行を重ねて。お頭の奥義、『地断』を会得したのは確か、17歳の時だったっけ。
     その1年後に、初任務。妖狐になった天原櫟の、暗殺。……そっか、そこから晴奈との縁が生まれたのね。
     ……今一度、強まったわ。晴奈を倒したいと言う、その思いが)
     巴景は仮面を付け直し、部屋を出た。

    (『地断』、『人鬼』。地、人と来れば、もう一つほしいところ、よね?)
     巴景は「ビュート」を抜き、精神を集中する。
    (そう、天。天をつかまなければ、あの女には届かない。そんな気がするのよ)
     先程立ち寄った因縁の倉庫に、もう一度足を運ぶ。
    (……いいえ。つかむんじゃない)
     巴景は倉庫の中央で、剣を上段に構える。
    (破壊してやる。天を、衝く)
     その時、巴景は不意に、晴奈と戦った時に述べた一言を思い出した。
    ――ここは私たちが殿の財産をたっぷり使って築いた要塞よ? これしきのことで崩れたりなんかしないわ――
    (そう、アンタには崩せないわ。『巴美』、アンタにはね。
     でも、私は崩せるわ。この『巴景』は、この要塞を崩せるのよ)
     巴景の中で、急速に力が膨れ上がる。それに呼応し、「ビュート」が菫色の光を放つ。
    「『天衝』!」
     巴景は天井に向かって、ゴッと音を立てて打突を放った。



     アジト跡から程近い、天神湖。
    「お、引いてるぞ」
    「えっ、えっ?」
     湖に釣りに出かけていた焔流剣士、梶原謙は、傍らの娘、桃の竿に手を貸した。
    「ほら、頑張れー」
    「うっ、うん」
     父娘二人で力を合わせ、湖中の魚と格闘する。
    「ほれ、もうちょい、もうちょい」
    「重いよー……」
    「もうちょいだから、頑張れ、な? お母さんに、自慢してやれるぞ」
    「……がんばるっ」
     桃は尻尾をバタバタと振るわせ、力を振り絞る。その甲斐あって、どうにか魚は釣り上げられた。
    「よーっしゃ、やったな桃」
    「うんっ!」
     釣り糸の先でもがく、桃のふかふかした尻尾と同じくらいに大きな魚を捕まえようと、謙は網を伸ばした。
     と――グラ、と周囲が激しく揺れる。
    「う、うわっ!?」
    「あ、お父さーん!?」
     その振動で体勢を崩した謙は足を滑らせ、湖に落っこちてしまった。それと同時に、折角釣った魚も湖へ戻ってしまう。
    「あー……」
     桃は逃した魚を見て、がっかりした声をあげかけた。
     が、その声は途中で詰まった。目の端に、異様なものを捉えたからだ。
    「……な、に、あれ?」
     桃は確かにその時、森から空に向かって伸びる、一条の真っ赤な光を見た。
     光は空遠くに飛んで行き、雲をも突き抜けて、そのまま見えなくなった。
    「桃ぉー……、すまん、魚逃しちまった」
     ようやく這い上がってきた謙が声をかけたが、呆然とする桃の耳には入らなかった。



     天井に開いた穴を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    (一点集中。『地断』の衝撃を、一点に絞った突き。……まるで大砲ね)
     巴景の握りしめていた「ビュート」からは、チリチリと灼ける音が聞こえていた。
    「……待ってなさい、晴奈。今から、アンタのところに行ってやるから。
     今こそ、決着を付けてやるわ! 最強の剣士は、この私よ!」

    蒼天剣・無頼録 終
    蒼天剣・無頼録 8
    »»  2010.04.27.
    晴奈の話、第537話。
    宿敵の故郷で出会った、意外な人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。
    (さあ……! 今こそ決着の時よ!)
     既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。
     身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。
     勿論、そんなことに構う巴景ではない。
    「ちょっと」
    「は、はい」
     通りがかりの人間をつかまえ、道を尋ねる。
    「黄屋敷って、どこかしら?」
    「え、えっと。この道を真っ直ぐ行くと、左手に大きな屋敷が見えます。そこが……」
    「ありがと」
     黄家の場所を尋ねたことで、街に巴景のうわさが伝播する。
    「あの仮面、黄屋敷の場所を尋ねてたな」
    「となると黄家の長女、黄晴奈に用事か?」
    「でしょうね。武芸者っぽい身なりですし……」
    「知り合いの剣士が旧交を温めに来たか」
    「はたまた、異流派からの果し合いか」
     が、そこで人々は顔を見合わせ、安心したような、しかしどことなくがっかりしたような表情を浮かべた。
    「でもなあ……」

    「いないの?」
     黄屋敷に到着し、屋敷の使用人たちに晴奈の所在を尋ねたところ、晴奈は不在だと返された。それどころか黄州、いや、央南にすらいないのだと言う。
    「はい、グラッド大将と、ナイジェル博士さんと言う方と一緒に、北方へ。何でも、軍事演習がどう、とか」
    「そうなの……」
     巴景はがっかりし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
    「ありがとね、それじゃ……」「あ、ちょっとお待ちになって」
     と、屋敷の奥から巴景に声がかけられる。
    「え?」
    「あなた、晴ちゃんのお友達?」
     奥から姿を表したのは、三毛耳の、年配の猫獣人の婦人だった。
    「友達、じゃないけど。ちょっと、因縁があってね」
    「あら、そうなの。……お名前、聞かせてもらってもいいかしら?」
     巴景はこの婦人が誰なのか、直感的に察した。
    「巴景よ。楓藤巴景。……あの、もしかして」
    「ええ、そう。わたしは、桜三晴(みはる)。晴ちゃんのお母さんです」
     三晴はそう言って、にっこりと笑った。

     三晴は「折角来てもらったんだし、おもてなしくらいしないと」と、帰ろうとする巴景を引き止め、茶を振舞った。
    「さ、どうぞどうぞ」
    「はあ……、ども」
     巴景は多少面食らいながらも、素直に茶を飲む。
    「仮面、お取りにならないの?」
    「ええ、……あなたの娘さんに、顔を傷つけられたもので」
     嫌味のつもりでそう言ったが、三晴はこう返した。
    「あら、そうなの。晴ちゃん、あなたにちゃんと謝ったかしら」
    「いいえ」
    「それじゃ帰ってきたら、叱らないといけませんね」
    「へ」
     まるで子供同士の他愛も無いケンカを見守るようなその口調に、巴景は二の句が継げない。
    (まあ、確かにこの人は晴奈のお母さん、なんだけど。……調子狂うわね)
     顔の傷がむずがゆくなり、巴景は仮面の下に指を入れてかこうとする。それを見た三晴が、「あら」と声を上げた。
    「仮面、お取りになればよろしいのに」
     三晴はひょいと、巴景の仮面に手を伸ばした。
    「えっ」
     あまりに唐突な行動だったため、巴景はまったく反応できず、仮面を剥ぎ取られてしまう。
    「ちょ、ちょっと。返してよ」
    「あら、綺麗なお顔」
    「返してってば……」
     仮面を取られ、巴景の態度は途端に弱々しくなる。
    「隠す必要、無いんじゃない?」
    「あ、あるわよっ。だって、醜いじゃない」
    「そうかしら……」
    「そうよ、だから返してよ、早く……」
     ところが、三晴は「ちょっと待っててくださいね」と言って、仮面を持ったまま席を立ってしまった。
    「な、何でよぉ……」
     一人残された巴景は顔を手で覆い隠し、三晴が戻ってくるのを待つしかなかった。
    蒼天剣・訪黄録 1
    »»  2010.04.30.
    晴奈の話、第538話。
    お芝居の中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。
    「お待たせしちゃってごめんなさいね」
    「早く返してよ……」
     顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。
    「ええ。でも、その前にちょっと」
     三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。
    「な、何? 何する気?」
    「あなた、お歳はおいくつ?」
    「に、27よ。それが、何?」
    「まあ、そんな年頃の娘がすっぴんだなんて」
     そう言いながら、三晴は白粉を巴景の頬に付け始めた。
    「ちょ、何よ」
    「じっとしてちょうだい」
    「だから、何するのって……」
    「じっとしてちょうだい、ね?」
     やんわり諭されてしまっては、巴景は無理矢理に撥ね付ける気になれない。
    「……」
     仕方なく、巴景は三晴にされるがままになっていた。

    「はい、できた」
     三晴がぱちん、と化粧箱の蓋を閉じ、鏡を渡す。
    「ほら、御覧なさい」
     鏡を手に取った巴景は、恐る恐る自分の顔を確認した。
    「……え」
     鏡の中の巴景には、傷が見当たらない。いや、よく確認すれば残っているのは分かるのだが、ちょっと見た程度ではあると気付かない。
    「この歳になるとシミとか、……ちょこっと、出てきますから」
     三晴は頬に手を当て、やんわりと語る。
    「お化粧品、手放せないんですよ。綺麗に隠れるでしょう?」
    「……そうね」
    「生きていたら、シミやそばかすも出ますし、ケガして消えない傷が残ることもあります。そう言うものですからね、人間って。
     それを隠したいと思うのは当然。でも、こんな綺麗な顔を、丸ごと隠すなんて。もったいないわ、可愛い女の子なのに」
     可愛い、と言われ、巴景の心臓がドキッ、と脈打った。
    「かわ、いい? 私が?」
    「ええ。どこからどう見ても、可愛い女の子。仮面を付けなければ、ね」
     そう言って、三晴は仮面を巴景に返した。が、巴景はそれを手に取ったまま、付けようとはしない。
    (可愛いって、言われた……。そんな風に呼ばれたこと、全然無かった)
     一度も言われたことのないその言葉に、巴景の思考はそこで止まる。
    「ね、ちょっとみんなに見せてあげなさい」
    「え? 皆?」
    「ちょっと、みなさーん」
     巴景が唖然としている間に、三晴は使用人たちを呼びつけた。
    「ご用でしょうか」
    「ね、ね。トモちゃん、可愛くなったでしょ?」
     やってきた使用人たちは、揃って巴景の顔を見る。
    「へえ……」
    「美人ですね」
    「ね、可愛いでしょ? こんな美人さんの顔を、仮面で隠すなんてねぇ」
    「……っ」
     巴景は恥ずかしくなり、うつむいてしまった。

     すっかり大人しくなった巴景に、三晴は依然やんわりと話を続ける。
    「わたしね、晴ちゃんが剣士さんやってるの、あんまり好きじゃないのよ。
     確かにりりしくてかっこ良くて、これはこれでと思ってた時期もあったけど、最近の晴ちゃんは辛そうにしてることが多いから」
    「辛そうにしてる……?」
     思いもよらない意見に、巴景は顔を挙げた。
    「ええ。何だか寂しそうにしてたことが、時々あったの。
     確かに、皆からは慕われてるし、『かっこいい自分』に誇りを持ってるって感じではあったけど、……そうね、何て言うか、孤独な感じだったわ」
    「孤独? 晴奈が?」
     巴景は前回晴奈と戦った時、周りにできた人だかりを思い出していた。
    (孤独だって言うなら、あの時周りに人がいたのは何で? ただの見物?)
    「こんな言い方をしてしまうと、少しどうかなって思うけど。……見物されてるような感じなのよ」
    「……っ」
     半分冗談で思った感想を真顔で口にされ、巴景は言葉を失う。
    「あの子は強いと、みんな言うけど。かっこいいと、みんな言うけど。それはみんな、演劇や舞台なんかで、人気の俳優さん、女優さんにかけられてるような言葉なの。
     あの子の間近に、人はいないのよ。周りみんな、観客席から見物してるような、そんな感じ」
    「……」
    「ねえ、トモちゃん」
     三晴は巴景の手を取り、頼み込むような口調でこう言った。
    「あの子の近くに、いてあげてね。いがみ合っていてもいいから」
    「え……」
    「もちろん、仲良くしてくれるなら、その方がいいけれど。でも、トモちゃんは晴ちゃん、そんなに好きじゃないだろうし。それは無理なお願いだって、分かってるわ。
     それでも、近くにいてあげてほしいの。でないとあの子、どんどん孤立していってしまうから」
    「……」
     三晴は巴景から手を離し、深々と頭を下げた。
    「どうかよろしく、お願いしますね」
    蒼天剣・訪黄録 2
    »»  2010.05.01.
    晴奈の話、第539話。
    宿敵の妹との交渉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。
     手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。
    「どうしろと……」
     化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。
     仮面も、何だか付ける気にならなかった。化粧で彩られた顔が、自分でも気に入ってしまったからだ。
    「……どうしよう」

     ともかく巴景は晴奈の足取りをつかむため、港や央南連合軍の詰所で情報収集を行った。
     その結果、やはり黄屋敷で聞いた通り、晴奈は西大海洋同盟が行う合同軍事演習に参加するため、北方ジーン王国に渡っていることが分かった。
    「やっぱり、北方か。……行かなきゃいけないわね」
     巴景は北方へ渡る準備を整えるため、商店街へと踵を返した。
     と――。
    「あの」
     ハァハァと、息を切らしながら声をかけてくる者がいる。
    「何……?」
     振り向くと、先程の三晴にどことなく似た顔立ちの「猫」が立っていた。
    「あの、巴景さん、ですよね」
    「そう、だけど」
    「わたし、黄明奈って、言います。黄晴奈の、妹です。……すーはー」
     肩で息をする明奈を見て、巴景は困惑する。
    「え、っと……。妹さんが、私に何の用?」
    「今しがた、母からあなたのこと、伺ったんです。……北方へ、向かわれるんですよね? 姉を追って」
    「そのつもりだけど」
     ようやく呼吸の整ってきた明奈は、巴景に深々と頭を下げた。
    「一緒に、連れて行ってください!」
    「はい?」
    「姉は『いつ戦争状態に入るかも分からぬ。危険だから、お前は来るな』と言って、わたしを置いてけぼりにしたんです」
    「まあ、普通そうでしょうね」
    「でも」
     明奈は真剣な面持ちで、巴景に頼み込む。
    「わたし、どうしても一緒に行きたいんです! 姉は優れた剣士だって、色んなこと任せて大丈夫な人だって、みんな言いますけど」
     優れた剣士と評したところで巴景は顔をしかめたが、明奈は構わず続ける。
    「本当は、もっと脆い人なんです。一回失敗したらつまずく人なんです。困ったらへこむ人なんです。誰かが側にいなきゃ、元気になれない人なんです」
    「……で?」
    「きっと姉は、疲れてきてると思います。エルスさんや他のみんなの前では、弱いところなんか見せられないって思ってるでしょうから。
     戦争が間もなく始まる今だからこそ、誰か、何でも気兼ねなく相談できる人間が近くに付いていなきゃ、心が折れてしまうと思うんです」
    「それが、あなただと?」
    「はい。……でも、わたし一人で北方に行くのは、不安で」
    「だから、私と一緒に行きたいと」
     巴景はフンと鼻を鳴らし、即座に断った。
    「嫌よ」
    「お願いします」
    「嫌だってば」
     嫌がる巴景に、明奈は切り札を出した。
    「……お化粧、教えますから」
    「……」
     明奈は一歩にじり寄り、一層強い口調で交渉する。
    「母から、巴景さんは化粧されたことが無いと聞いてます。わたしは、得意ですよ」
    「大きなお世話よ。……まあ、でも」
     巴景は眉間にシワを寄せながらも、渋々承諾した。
    「アンタの言う通り、晴奈が今頃へこんでたりなんかしてたら、何のために私が北方へ行くのか、わけが分からなくなるわ。
     無駄足踏むのも嫌だし、もしもの時のために連れて行った方がいいわね、そう言うことなら」
    「……ありがとうございます!」
     ぺこりと頭を下げた明奈に、巴景は肩をすくめながらこう言った。
    「でも私、基本的に自分のことしか考えないわよ。
     例えばアンタが船から海に落っこちても、私は助けないから」
    「構いません」
    「そ。……なら、ちゃっちゃと身支度して付いてきなさい」
    「はいっ!」

     こうして巴景は明奈と共に、北方へ渡ることとなった。
    蒼天剣・訪黄録 3
    »»  2010.05.02.
    晴奈の話、第540話。
    巴景と明奈の船旅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」
    「でも、傷が気になるし……」
    「大丈夫ですって。ほら、鏡」
    「……うーん、まあ、確かに」
     北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。
    「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」
    「ん、……まあ、空いてるわね」
    「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」
    「いいけど」
     船旅の間中、巴景は明奈のペースに乗せられていた。
     食堂に付いたところで、明奈が声をかける。
    「今日は何食べますか?」
    「そうね、魚系で」
    「取ってきますね」
    「いいわよ、たまには自分で……」
    「いいですよ。その代わり、席取っておいてくださいね」
    「あ、うん」
     やんわりと、しかしがっちりと主導権を握られ、巴景はされるがままになっている。
    (調子狂うわ……。まだ三晴さんが側にいるみたい)
    「取ってきましたよ、ご飯。アジで良かったですか?」
    「ええ、ありがと」
     同じことを、例えばむさ苦しい男が高圧的にしてくるのなら、撥ね付けたりぶちのめしたりするところなのだが、明奈はあくまでやんわりと、下手に接してくる。
    「あ、お茶も持ってきますね。巴景さん、先にどうぞ」
    「いいわ、待ってるから。一緒に食べましょう」
    「はーい」
     最初のうちは、晴奈の妹だからと半ば邪険に扱っていたが、いつの間にか仲良くなっていたりする。
    (……どうしちゃったのかしらね、私。何だか自分が自分じゃないみたい。
     あの子と一緒にいると、何だか憎しみで凝り固まってた自分の心の中が、解されていくような気がする。
     あの子といると、……心が安らぐ)
     巴景は仮面を付けない裸の顔で、明奈が戻ってくるのを待っていた。

    「ねえ、明奈」
     食事から戻った後、巴景は明奈に尋ねてみた。
    「何ですか?」
    「私、あなたのお姉さんを、殺すつもりしてるんだけど」
    「はい」
     何の含みも無い返事で返され、巴景は少し面食らう。
    「はい、って……。いいの?」
    「良くないですけど、そんな気がしないんです」
    「……なめてるの? 私、本気よ」
     にらみつける巴景に、明奈はふるふると首を振る。
    「いいえ、なめてません。ただわたしは、姉が勝つと信じていますから」
    「はっ」
     その答えが癇に障り、巴景は「人鬼」で中指を火に変えた。
    「私は全身、武器に変えられるのよ。今、あなたにこの指でデコピンして、そのまま額を焼くこともできる」
    「だから、姉に勝てると?」
    「そうよ」
    「理屈になってないじゃないですか」
     明奈はまるで怯まず、巴景に食って掛かってきた。
    「巴景さんの言っていることは、『私はこんなに強いのだから、誰にでも勝てる』と言うことでしょう?
     でもそんなの、『お金持ちは誰でも言うことを聞かせられる』とうそぶくのと一緒です。わたしが『いくらでも金をやるから自分を北方に連れて行け』と言ったら、巴景さんは一緒に行きましたか?」
    「……そう言われていたら、行く気にならなかったわね」
    「でしょう? どんなに力があっても、勝てるかどうかは別の話です」
     そこで一旦言葉を切り、明奈はじっと巴景を見つめる。
    「それに、わたしは姉が勝つと、『信じている』だけです。それは理屈でもなんでもなく、わたしの、ただの勝手な思い込みでしょう?」
    「……」
     巴景は怒りに満ちた目を向けつつ右手全体を火に変え、その手を明奈の顔へ寄せる。
    「……」「……」
     真っ赤な炎が、明奈のすぐ鼻先にまで迫る。
    「……フン」
     巴景はそこで火を収め、右手を元に戻した。
    「ま、そうね。信じるだけなら勝手だし」
    「ええ。わたしの勝手です」
    「……ちょっと外、出てくる。鍵かけないでね」
    「はい」
     巴景は眉間を揉みながら、船室を出て行った。

    (強いことと、勝つことは別、か。言ってくれるじゃない)
     甲板に立ち、水平線を眺めながら、巴景は明奈の気丈さに感心していた。
    (やっぱり、晴奈の妹ね。気、強いわ。……あははっ)
     と、背後に気配を感じる。
    「明奈?」
     巴景は背を向けたまま、声をかける。
    「はい」
    「何の用?」
    「私も風に当たりに」
    「そう。……ねえ、明奈」
     ここで振り返り、巴景はニヤリと笑った。
    「賭け、しない?」
    「何を賭けるんですか?」
    「もし私が晴奈に勝ったら」
     巴景は明奈の頭にポン、と手を乗せる。
    「アンタ私の妹になって、これから私の旅にずっと付いてきなさい」
    「はい?」
    「気に入ったし」
     この提案に明奈は目を丸くしていたが、やがて何かを思い付いたらしい。
    「……では、姉があなたに勝ったら」
     手を乗せられたまま、明奈もにっこり笑う。
    「姉のこと、『姉さん』と呼んでくださいね」
    「ねっ……」
     この提案に、巴景の顔が引きつった。
    「……い、いいわよ。どうせ、私が、勝つんだし」
    「ええ、楽しみにしておきます」
     にっこりと笑う明奈に、巴景は内心舌打ちした。
    (……やっぱり調子狂うわ。やるわね、この子)



     521年、3月。
     巴景と明奈は晴奈の後を追い、北方の地に到着した。

    蒼天剣・訪黄録 終
    蒼天剣・訪黄録 4
    »»  2010.05.03.
    晴奈の話、第541話。
    英雄の凱旋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。
    「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」
     央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。
    「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ少尉」
    「へ? ……大尉、じゃなくてぇ、エルスさん、アタシのコトぉ、覚えてるんですかぁ?」
     驚いた顔になったミラに、エルスはヘラヘラと笑顔を向ける。
    「もちろん。君みたいに、魅力的な子はね」
    「……あのぅ、すみませんでしたぁ」
     ミラはぺこりと、エルスに頭を下げた。
    「うん?」
    「アタシたちみんな、あなたのコト、犯罪者だって。……妹さん、そのせいで、ふさぎ込んでしまうしぃ」
    「……やっぱり、そっか。悪いことをしたよ、そう言う意味では。もっとちゃんと、説明ができれば良かったんだけどな」
     と、ミラの後ろに立っていたバリーも同様に頭を下げる。
    「すみません、でした。俺が、その、中佐と一緒に、その、盗んでしまって」
    「ううん、むしろ個人的には感謝すべきかな。そのおかげで、僕の疑いが晴れたんだし。ありがとう、バリー軍曹」
    「お、俺のことも、覚えてくださってた、ですか」
    「うん。あれから通打、うまくなった? 投げ技の方が得意だったみたいだけど」
    「は、はい!」
    「……あの」
     エルスとミラたちの様子を見ていた他の兵士たちが、恐る恐る近づいてきた。
    「自分のことも、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
    「うん。ボリス軍曹だったよね。奥さん、元気してる?」
    「お、俺は?」
    「もちろん覚えてるよ、ジェイク伍長。……あ、もう曹長になったんだね、おめでとう」
    「私のことは……」
    「うん、ユリア准尉だったよね。どう、氷の術? もうマスターしたの?」
     エルスは近寄ってきた、かつて指導していた兵士たちすべての素性を覚えていた。
     そして戦犯として侮蔑されていたことや、現在は央南連合の軍責任者であることなどに自分から触れようとせず、ただにこやかに振舞う様に安堵したのか、かつて彼を慕っていた兵士たちが皆、続々と集まってきた。
     彼らは一様に敬礼し、エルスを出迎えてくれた。
    「おかえりなさい、グラッドさん」
    「うん、ただいま」



     戦犯として扱われていたエルスがすんなり故郷に戻れたのには、理由がある。
     元々、「ヘブン」の前身である日上軍閥が黒炎戦争時、央北と北方の緩衝地帯となっていた北海諸島すべてを手中に収めていたため、兵が差し向けられる以前より、北海はすでに「ヘブン」の管理下にあった。
     王国側としては、目と鼻の先に敵が陣取っている状態である。好戦的傾向の強い王国軍としては、相当にプライドを刺激される状況だった。
     そこで同盟が成立してすぐ、央中・央南に対し「合同軍事演習」を申し出たのだ。

     一方、エルスの処遇に関しては、既にフーが「バニッシャー」を手にし、暴走した事実がある。「あのまま放っておけばフーと同様に暴走する者が現れていただろう。515年当時の状況から言って、使わず封印することは軍陣営が許さなかったであろうし、他に方法は無かっただろう」と判断され、軍から盗み出し国外逃亡した件は不問に処されることとなった。
     軍からの指名手配が無くなったことで、元々からエルスを慕っていた兵士たちが、貶められていた彼の名誉を挽回しようと運動を起こした。
     この運動と、エルスが央南連合軍の責任者となり、今回の軍事演習で不可欠な存在になっていたこともあり、軍本営も彼の地位復権に尽力する姿勢を見せた。
     その「証明」が、この出迎えである。



    「ついでに『中佐に格上げするから戻って来い』みたいなことまで言われたけどね」
    「へぇ」
     約半年ぶりに自分の家に戻ったトマスは、晴奈とともにエルスの、軍本部での顛末を聞いていた。
    「でもそれってさ、『お前の罪を許してやるから、央南連合軍を抜けて自分たちの軍に戻れ』って言ってるよね」
    「それはまた、上から目線もはなはだしい、と言うか」
    「だろうね。だから、丁重に断ったよ」
     エルスはへらへらと笑って、自分の意志を改めて表明した。
    「僕はもう、央南連合の人間だよ。戦争が終わったらすぐ帰って、央南でのんびり暮らすつもりさ」
     晴奈はそれを聞き、にっこりと笑い返した。
    「はは、歓迎するよ」
    「じゃ、僕も央南に行こうかなぁ」
     トマスもそう言ったところで、エルスは深くうなずいた。
    「うんうん、おいでおいで。君が来てくれたら、本当に嬉しい。二人でのんびり、囲碁でも打って暮らそうよ」
    「いいね。是非行きたい」
     と、不意にエルスが晴奈の方を向く。
    「……セイナ? どしたの?」
    「ぅへ?」
    「顔赤いけど」
    「顔? 赤いか?」
    「うん。何か……」
     そこでエルスは、チラ、とトマスを見て、もう一度晴奈を見た。
    「……何か、想像してた?」
    「していない。何も」
     晴奈は手をぱたぱたと振り、否定した。
    蒼天剣・帰北録 1
    »»  2010.05.04.
    晴奈の話、第542話。
    駄々っ子リスト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。
     前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。
     流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。
     もちろん、リストとしては正当な理由があっての行動である。と言っても、自分の故郷に戻りたいと思っていたわけでもなく、ましてや、軍事国である故郷が戦火にさらされるのが不安だったわけでも無い。
     エルスのすぐ側に、央南でのんびり看過してはいられない「要因」がいたからである。



    「……」
    「……」
     晴奈たちの北方での宿として、トマスの家――元々祖父のエド博士が使っていたものであり、敷地はかなり広い――が使われている。
     その一室で、リストとある女性とが向かい合って座っていた。
    「……にらまないでよ」
    「にらむようなコトしてるからでしょ」
     リストの目の前には、赤毛のエルフが座っていた。小鈴である。
    「大体さ、なんでアンタ、一緒に付いてきちゃったのよ。アタシらと関係ないじゃない」
    「旅できなくてヒマだし。実家にいても母さんから『アンタもそろそろ、お兄ちゃんみたいにいつまでも一人でブラブラしてないで、結婚しなさい、結婚』って言われるし。
     ……それにさー」
     小鈴はリストの長い耳に口を寄せ、そっとつぶやいた。
    「あたし、エルス狙ってんのよ。どーせ結婚すんなら、玉の輿狙いたいじゃん」
    「……っ」
    「アンタも、狙ってんでしょ?」
    「だ、誰がっ!」
     リストは顔を真っ赤にし、ぷいと横を向く。
    「じゃ、あたしがココにいてもいーじゃん」
    「良くないっ」
    「何でよ?」
    「それは、だって、……好きでも無い奴と結婚とか、倫理的に」
    「ん、好きよ?」
     さらりと答えられ、リストは硬直した。
    「あの人もお酒強いし、色んなコト詳しいし、気が合うのよね。それに何より、腕っ節も強いし。やっぱオトコは強くなきゃダメじゃん?」
    「……」
     リストはフラフラと、席を立った。
    「……勝手にすれば」
    「うん。そーするわ」

     5分後、トマスの部屋。
    「痛い、痛いって」
    「うるさいっ」
     リストは従兄弟のトマスの背中を、ガツガツと殴っていた。
    「もう、何であの女っ、エルスにっ」
    「げほ、誰だよ、あの女って……」
     気が強いリストに、トマスは昔から頭が上がらない。
    「暴力はやめてくれって、昔から言ってるだろう」
    「うるさいうるさい、うるさあああいっ」
    「……あーあー」
     そして昔から、こんな風に八つ当たりしてくると、やがて泣き出すことも知っている。
    「うっ、エルスの、ば、バカぁ、グスっ」
    「……いてて」
     トマスの予想通り、リストは殴りつけるのに疲れ、うずくまって泣き出した。
    「ほら、タオル」
    「グス、グス……」
    「それで、あの女って誰? コスズさん?」
    「うん……」
    「そっか、やっぱり。言ってることが途切れ途切れで分かんなかったけど、でも何で……」
     話を続けようとしたトマスを、晴奈が止めた。
    (トマス、それ以上はまだ、進めない方がいい)
    (ん? 何で?)
    (また癇癪を起こすぞ)
    (ああ、そうかも)
     トマスは言おうとしていたことを飲み込み、リストの肩をポンポンと優しく叩く。
    「まあ、落ち着いたらゆっくり話そうよ。ね?」
    「うぐっ、うぐっ、……うん」

     しばらくして、ようやくリストは泣き止んだ。
    「それでさ、何でリストはコスズさんがリロイを狙ってるからって、泣き喚いたの?」
    「……トマス。分からないのか?」
     呆れる晴奈に、トマスはきょとんとした顔を返す。
    「何が?」
    「……リスト。今、ここには私とトマスしかいない。正直に、答えてほしいのだが」
     晴奈は床に座り込んだままのリストの側に屈みこみ、ゆっくりと尋ねた。
    「昔からそう思っていたが、お主はエルスのことを、好きなのだな?」
    「……うん」
     リストは顔にタオルを当てたまま、コクリとうなずいた。
    「ああ、なるほど」
    「何がなるほどだ。気付かなかったのか?」
    「だって、リストいっつもリロイにツンツンしてるからさ。逆に、嫌いなんだと思ってた」
    「阿呆」
     晴奈はそう言ってから、思い直して自分の意見を翻した。
    「……いや、そう言えばエルス自身もそう言っていたな。紛らわしいと言えば、紛らわしい」
    「やっぱりアタシじゃ、ダメなのかな……」
     落ち込んだ口調のリストに、晴奈は優しく声をかける。
    「そうは思わぬ。知っているか、リスト」
    「何……?」
    「かつて天玄で、篠原一派が襲ってきた時のことだ。
     エルスはお主を拉致した奴らを、あっと言う間に倒したそうだ。それも、こう言いながらだ。『僕にとってリストは大事な子なんだ。彼女に手を出す奴は僕が許さない』と」
    「それ……、ホント?」
    「ああ、本当だ。もっとも、私も人から又聞きしたのだが。まあ、それでもだ」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめた。
    「エルスの方でも、お主を憎からず思っているのは確かだ。それは今までの、あいつの所作に現れている」
     と、その時。トマスの部屋の戸がノックされた。
    「入るよ」
     エルスの声だ。
    「あ、……むぐ?」
     返事しかけたトマスの口を、晴奈が手でふさぐ。
    (リスト、隠れていろ)
     晴奈は小声で、リストに指示する。
    (う、うん)
     リストは慌てて、クローゼットの中に隠れた。
    蒼天剣・帰北録 2
    »»  2010.05.05.
    晴奈の話、第543話。
    変人職人からの打診。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。
    「あれ? お邪魔しちゃったかな」
     エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。
    「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」
    「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」
     それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける。
    (お、っとと)
     が、何とか視線を晴奈の方に向け、ごまかす。
    「どしたの?」
    「ああ、いや。リストがどうかした?」
    「うん。ほら、アニェッリ先生っていたよね」
     エルスの質問に、トマスはしばらく間を置いて「ああ」とうなずいた。
    「北方における銃開発の第一人者、デーノ・アニェッリさんのこと?」
    「そうそう、その人。彼と、コンタクトが取れたんだ」
    「へぇ?」
     珍しそうな声を上げるトマスに、晴奈が尋ねた。
    「誰だ、そのデーノと言うのは」
    「ああ、……えーと、銃が北方でも開発されてるのは知ってるよね?」
    「ああ」
    「元々、銃開発は央中の金火狐財団が490年末から行ってたんだけど、残念ながら財団は『銃器は刀剣類の威力、魔術の攻撃レンジに勝るものではない』と考えて、数年で開発を中断させたんだ。その責任者だったのが、狐獣人のアニェッリ先生。
     でも、どうしても銃開発を諦めきれなかった先生は、奥さんと子供を置いて北方に渡り、軍の重鎮だったおじい様に銃の有用性を説いたんだ。
     おじい様も、『確かに刀剣や魔術に比べれば、その威力・攻撃レンジは比べるべくもない。が、使いこなせるようになるまでに必要な訓練量は、前者二つとは比べ物にならないほど早い。優れた軍隊を作る上で、かなり有用になる』と同意して、先生を責任者に据えて銃開発を始めさせたんだ。
     でも、このアニェッリ先生って、変わり者で……」
     そこでトマスの説明を、エルスが次いだ。
    「銃開発が一段落したところで、『銃も一通り作りきった感があるし、他の研究に移りたい』って言ってね。首都を離れて、ミラーフィールドって街にこもって毎日、変なモノを開発してるらしいよ。
     そんなだから、軍からの招聘(しょうへい)も散々断ってたんだけど……」
     そこでエルスは、晴奈の方を見た。
    「最近になって突然、先生の方から声をかけてきたんだ。何でも、君に聞きたいことがあるんだってさ」
    「私に?」
     思いもよらない話に、晴奈は目を丸くした。
    「そう。それで、僕は交換条件に、『リストに合う銃を作ってほしい』って頼んだんだ。これからの戦争で、必要になるだろうからね」
    「なるほど……」
    「ねえ、リロイ」
     そこで、トマスが質問してきた。
    「リロイはさ、リストのことをどう思ってるの?」
    「ん?」
    「いやね、以前にリストが敵にさらわれた時に、君が助けようと躍起になったって話を聞いたことがあるんだ。それで、どうなのかなーって」
    「ああ……」
     エルスの回答を、晴奈も、トマスも、そしてクローゼットの中に潜むリストも、じっと黙って待っていた。
    「……そうだなぁ、一言で言うと」
    「言うと?」
    「手のかかる妹、かな」
     その答えに、クローゼットの中のリストはがっくりとうなだれた。
     そして、エルスも彼女に気付いていたらしい。
    「二十歳超えてまだ、クローゼットの中で遊んでたりするしね、はは……」



     ともかく、エルスはリストと晴奈、トマス、そして小鈴を連れて、北方山間部の観光都市、ミラーフィールドにやって来た。
    「へー、流石『鏡』って言うだけあるわね」
     小鈴が街の中央にある塩湖を見て、感慨深くつぶやく。
     塩湖には薄く水が張り、それが鏡の役目を果たしているのだ。そしてその鏡には空が映し出されており、中に立つ人間はまるで、空に浮かんでいるように錯覚するのだと言う。
     と、通りに央中でよく見かけた施設が建っているのが、晴奈の視界に入る。
    「ほう……、ここにも金火狐の銀行が」
    「銀行だけじゃないよ。この街は昔、まだ中央政府が世界中を支配していた時に、金火狐一族が開発したんだ。銀行やお店なんかがあるのは、その名残なんだ」
     トマスが説明している間に、一行は目的の家に到着した。
    「と、ここだ。ここが、アニェッリ先生の自宅兼、研究所」
     研究所、と言われたものの、傍目には普通の家にしか見えない。
     と――カリカリと、妙な音が聞こえてきた。
    「何だ……?」
    「あ、耳ふさいだ方がいいよ。キツいらしい」
    「え?」
     晴奈と小鈴がきょとんとしている間に、家の2階窓からにょきにょきと、何かが出てきた。
    「……あっ」
     その先端にあるものを見て、晴奈もそれが何だか分かった。
    《ポッポー!》
    「ぐあ……」
     が、耳をふさぐのが一瞬遅かった。
    《ポッポー!》
    「う、うるさっ」
    《ポッポー!》
     三回鳴いたところで、家から飛び出してきた鳩は元通り、家の中に収まった。
    「う、は……、耳が……」
    「ば、バカじゃないの……、一軒家サイズの鳩時計とか……」
     晴奈と小鈴は、耳を押さえてうずくまった。
    蒼天剣・帰北録 3
    »»  2010.05.06.
    晴奈の話、第544話。
    銃の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」
     家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。
    「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。
     ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」
     その狐獣人は、うずくまった晴奈に声をかけた。
    「……そう、だが」
    「初めまして、セイナさん。僕の名前はディーノ・アグネリと言います。あ、北方風に言うと、デーノ・アニェッリですね」

     ようやく耳が落ち着いたところで、晴奈一行はディーノの家に入った。
    「それで、あぐ、……アニェッリ先生、と呼べばよろしいか?」
     かしこまった態度の晴奈に、ディーノは恥ずかしそうに手を振った。
    「いやいや、ディーノで結構です。先生と呼ばれるのは、どうにも尻尾がかゆくなっちゃって、あはは……」
     年齢は40半ばと言うことだったが、その頼りなさげな風貌は、もっと若く見させている。
    「では、ディーノ殿。私に聞きたいこととは、一体?」
    「ああ、うん……。妻のことを、聞きたくて」
    「妻?」
     一体誰のことを指しているのかと、晴奈はいぶかしがる。
    「ええ。その……」
     ディーノは全員を見回し、それから晴奈にそっと耳打ちした。
    「……はい?」
    「だから、その……」
     もう一度伝えようとしたディーノに、晴奈はぽんと手を打った。
    「……ああ、なるほど」
    「へ?」
    「そう言われるよりも、エランの父親と言われた方が、納得が行きます」
     そう返され、ディーノはきょとんとする。
    「……そんなに似てるんですか?」
    「はい。そっくりです」
     それを聞いて、小鈴が目を丸くする。
    「え、ちょっと待ってよ。エランのお父さんって、つまり、……総帥の?」
    「……はは、そうなんです。……ええ、金火狐財団の現総帥、ヘレン・ゴールドマンは、僕の奥さんだった人です」
    「そ、そうだったんですか」
     思いもよらない話に、エルスとトマス、リストは驚いている。
    「でも、僕がゴールドコーストを出た頃は、まだそんなに偉くなくって。
     どうしても研究を続けたいと頼み込んだんですが、当時の妻の力じゃどうにもならなかったんです。だから軍事立国であるこの国に渡り、ナイジェル博士の協力で研究を続けることにしたんですよ。
     ただ、どうしても気になるのが、やっぱり家族のことです。うわさには総帥に就任し、やり手の女ボスになったと聞きますが、遠く離れたこの街じゃ、それ以上のことはさっぱりですから。
     それで、今回の西大海洋同盟が成立したのは、央南と央中の権力者と親しくしてたセイナさんのおかげだと聞きまして。それなら妻のこと、色々知ってるんじゃないかな、って」
    「なるほど……」
     晴奈と小鈴は、央中での出来事をディーノに語って聞かせた。ディーノは顔をほころばせ、始終嬉しそうにうなずいていた。
    「そうですか、そうですか。エランが、銃をね……」
    「やはり、銃がゴールドコーストでも広まったのは嬉しいんですか?」
     そう尋ねたエルスに、ディーノは深々とうなずく。
    「ええ。ようやく、故郷で僕の研究成果が認められたと言うことでしょうね。
     ……いや、広めてくれたのは間違いなく、妻のおかげでしょう。彼女は若い頃から公安に思い入れがありましたし、それを息子に持たせたと言うのも、彼女らしいと言えば、らしいです」
    「その……、ディーノ殿は」
     晴奈はふと、こんなことを尋ねてみた。
    「今でも奥さんのことを?」
    「ええ、大好きですよ。もし彼女が『戻ってきてもええよ』って言ってくれたら、即、戻ります」
    「ほう……」
     ディーノは顔を赤くしながら、ぽつりとこう言った。
    「もうここでの銃の研究は、僕の手から離れましたからね。後は若い技術者が、頑張ってくれるでしょう」
     それを聞いて、晴奈はディーノとじっくり話をしてみたいと感じた。
    (この人は、既に『頂点』を過ぎた人なのだな。私も、もう数年すればこの人と同じところに行き着くのかも知れない。
     今、その心境はどうなっているのだろうか? ……もっと詳しく、聞いてみたい)
    蒼天剣・帰北録 4
    »»  2010.05.07.
    晴奈の話、第545話。
    高みを降りた人から、高みに達した人へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。
    「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」
    「ありがとうございます」
    「いただきまーすっ」
     食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。
     ゴールドコーストで公安チームと出会い、彼らと共に央北を回り、殺刹峰と戦った話を聞き、ディーノの目はキラキラと輝く。
    「へぇ……、散弾銃、ですか。確かに公安の機動部とか制圧戦とかには、うってつけの装備ですね」
    「ええ、殺刹峰に潜入した時も、それで修羅場をしのいだとか。
     ……あの、ディーノ殿」
    「はい?」
    「その……、会って間もないあなたにこんな話をして、戸惑われるかも知れませんが」
    「何でしょう?」
     晴奈は周りの皆が食事に気を取られているのを確認し、ディーノに相談してみた。
    「私は……、その、もう27歳でして、そろそろ、……ここが、剣士としての頂点では無いかと考えているのです」
    「ふむ」
    「しかし、不安もあります。この後、剣士としては緩やかに下るだけ。今まで剣の道一本だった私は、どう生きていけばいいのかと」
    「……なるほど。僕にも、似た点はありますね」
     ディーノはコップを机に置き、真面目な、しかし優しげな顔になった。
    「僕も、研究と発明ばかりの人生でした。その道、一本だったわけです。そう考えればその点、あなたと似ていますね。
     でも最近じゃ、なかなかいいものが作れません。ただ、それはスランプってわけじゃなくて、やっぱりセイナさんが言うみたいに、頂点を過ぎてしまったんだと思います。もう昔みたいに、次から次に研究・開発を進めて成功していくことは難しいでしょうね。
     でもそのことは悔しくも、悲しくも無いんです。思うに、それは……」
     ディーノはそこで、コップに入った酒をくい、と飲み干す。
    「それは頂点の時――自分が最高の仕事ができる時に、最高の仕事をしたからだと思います。その証明と言うか、成果と言うか、……そんな感じのものは、今、この国のあちこちで見られますし。それを見ていると、本当に自分はいい仕事をしたと、そう実感できるんです。
     過去の栄光に浸っているとか、そう思われるかも知れません。でも、僕はもう、それでいいんです。自分がやるべきことを、やれる時にやりきったんですから」
    「なる、ほど……」
    「セイナさん」
     ディーノはにっこりと笑い、こう締めくくった。
    「今があなたの人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事ができるよう努力してください。
     そうすれば頂点を過ぎた後、悔やむことは何も無いと思います。きっとみんな、仕事をやりきったあなたを祝福してくれるはずです。
     その後の人生、きっといいものになりますよ」
    「……はい」
     晴奈は目から涙がこぼれそうになるのをこらえながら、小さくうなずいた。



     3日後、ディーノはリストのために、銃を作ってくれた。
    「ベースはGAI(ジーン王国兵器開発局)の狙撃銃、GAI‐SR(スナイパーライフル)511型です。
     それの命中精度改良版がSR511P(Prime:最上級)型と呼ばれていますが、僕はその命中精度をさらに向上させ、さらに長い銃身と特製調合の装薬とで、射程距離も大幅に伸ばしてみました。
     名付けて、GAI‐SR511PPLR(Prime of Prime and Long Range)」
    「うん、ありがと」
     リストは銃が入ったかばんを受け取り、ニコニコと笑いながら銃に向かってつぶやいた。
    「よろしくね、ポプラちゃん」
    「ポプラ?」
     尋ねたトマスに、リストは指を立てて答えた。
    「PPLRだから、語感でポプラ(Poplar)かなって」
    「なるほど、いいですね」
     作った本人も、嬉しそうにうなずいた。
     と、ここでエルスがディーノに、あることを伝えた。
    「そうだ、アニェッリ先生。奥さんに会いたがってましたが、もしかしたら近いうち、会えるかも知れませんよ」
    「と言うと?」
    「同盟が成立しはしましたが、まだそれぞれの首脳が顔を合わせてませんからね。近いうち、同盟を発案したこの国で、首脳会談の場が開かれると思います。
     となれば当然、奥さんもその場に……」
    「そうか、なるほど……。そうですか、ふむ」
     ディーノは嬉しそうに顔をほころばせた。
    「いいですね。会えるかどうかは分かりませんが、楽しみにしておきます」

     帰りの道中、晴奈はディーノから言われたことを何度も、心の中で繰り返していた。
    (『人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事を』か。……そう、今が私の頂点、剣士としての人生、最高の時なのだ。
     確かに私は、最早戦うことに疲れてきている。だが、ディーノ殿の言う通り、今、最高の仕事をしなければ、私はきっと後悔する。巴景やアランと戦うことを避ければきっと、終生『何故あの時、戦わなかったのだ』と悔やむだろう。
     それだけはしたくない。後々に禍根など、残してはならぬ。今ここで、きっちりと決着を付けねば)
     晴奈はこれから来る、最後の戦いを前に、決意を新たにした。

    蒼天剣・帰北録 終
    蒼天剣・帰北録 5
    »»  2010.05.08.
    晴奈の話、第546話。
    凍った海でスケート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、12月。
     晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。
    「それにしても」
     その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。
    「見事に凍っているな」
    「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」
    「ほう」
     試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った海を突いてみる。
    「来た時はまだ氷が張っていなかったから、まさかこれほどとは思っても見なかった」
    「でしょうね。アニェッリ先生も、フーのおばあちゃん夫婦も、こっちに移り住んだ時はみんな驚いてたらしいわよ」
     そう言って、リストはひょいと氷の上へと降りる。
    「ほら。人が乗れるくらい分厚いのよ」
    「なんと……。話には聞いていたが、本当に乗れるとは」
    「セイナも来てみなさいよ」
     リストに手招きされ、晴奈も恐る恐る氷の上に足を乗せた。
    「……確かに」
    「じーちゃん、グリーンプールにも別荘持っててさ。アタシ、何度かこっちに、遊びに行ったコトあったのよ。楽しかったなー……」
     と、リストは埠頭に上がり、「ちょっと待っててね」と言って姿を消した。
     晴奈は水平線の向こうまで凍った海を見渡し、ため息をつく。
    (ウインドフォートで聞いた、巴景の話。彼奴は、この凍った海を歩いて渡ってきたと言う。考えもしなかったな、そんな手段は。
     恐らく、殺刹峰で得た強化魔術があったからこそ、取った手段ではあろうが――私には、到底真似ができぬ。その術と、型破り・非常識な発想力は、私を凌駕する。それこそが、巴景の強みであり、二つと無い武器なのだろうな。
     だが、私も人知を超えた経験を、いくつも重ねてきた。経験の量と深さは、負けていないはずだ。それに私にはこの『蒼天』と、十余年鍛え、高みに達した剣術が付いている。
     敵わないと言うことは、無いはずだ。十分、十二分に対抗できる。……いや、勝ってみせるさ。
     この因縁には、きっちりと決着を付けてみせる)
     と、リストが靴を二足抱えて戻ってきた。
    「お待たせー」
    「それは?」
    「スケート靴。サイズ合うかしら?」
    「すけ、と?」
    「氷の上を滑れる靴よ。……ほら、見てて」
     リストはスケート靴を履き、氷の上をすいすいと走る。
    「楽しいわよ、けっこー」
    「ふむ」
     晴奈もスケート靴を履き、氷の上に立とうとしたが――。
    「わ、と、とと、……にゃっ」
     バランスを崩し、べちゃりと前のめりに倒れてしまった。
    「あいたた……」
    「ふふ、あははっ」
    「参ったな、はは……」
     晴奈は埠頭にしがみつき、何とか立ち上がる。
    「足は揃えて立たないと、がくっと体の軸ブレるわよ」
    「ふむ。こう、か?」
    「そうそう、そんな感じ。で、こーゆー風に、右脚に体重かけてー、次は左脚にかけてー」
    「右、左、右、左、……こんな感じか」
    「そ、そ。うまいじゃない」
     運動神経のいい晴奈は、すぐにコツを飲み込む。
    「なるほど、面白い」
    「ね、セイナ。ちょっと、沖の方まで行こ?」
    「沖に?」
     聞き返したが、リストは理由を言わない。
    「……ダメ?」
    「いや、構わぬ。行ってみようか」
    「ありがと」
     リストは礼を言うと、晴奈の手をつかんですい、と滑り始めた。
    「滅多に割れないから、安心して」
    「ああ」
     しゃ、しゃ……と、スケートの滑る音だけが聞こえる。
    「わあ……、真っ白。ミラーフィールドじゃないけど、雲の中にいるみたいね」
    「そうだな、白い雲の上を滑っているようだ」
    「アハハ、雲ってツルツルなのね」
     滑る間に他愛も無いことを話しながら、二人は街が彼方に見えるくらいのところで止まった。
    「……さて、と。ココなら二人っきりで話せるよね」
    「うん?」
    「聞いて、セイナ。アタシの話」
    「どうした、改まって」
     リストはうつむき、スケート靴を脱ぎ始める。
    「あのね」
     脱ぎ終わるなり、リストは座り込んだ。つられて、晴奈も横に座る。
    「あの、……あのね」
    「……」
     リストはもごもごと、言葉を詰まらせる。そこで、晴奈が尋ねてみた。
    「エルスのことか?」
    「……そう」
     リストは顔を挙げる。やや吊り上がったその目は、今にも泣きそうに潤んでいた。
    「こないだ、ミラと、話をしたの」
    蒼天剣・傷心録 1
    »»  2010.05.10.
    晴奈の話、第547話。
    名狙撃手。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。
    「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」
    「いえいえー」
     人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。
    「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」
    「うん、また連れてってほしいわ」
     以前のリストであれば、こんな風に誘われてもつっけんどんに断るばかりだった。
     だが、央南での生活ですっかり丸くなり――と言うよりも、攻撃性が敵とエルスにのみ向けられるようになったと言うべきか――他者との人付き合いも、円滑にこなすことができるようになっていた。
    「それでぇ、ちょっと聞きたいなってコト、あるんですがぁ」
    「何?」
    「あのぅ、リストさんって銃、うまいんですよねぇ?」
    「うん、超得意よ」
    「でもですねぇ、あのぉ、アタシがヒノカミ中佐の側近してた時にぃ、ブリッツェン准尉って人がぁ、『俺が一番、銃の腕はいい』って自慢されてたんですよぉ」
     その名前を聞き、リストはある人物を思い出す。
    「ブリッツェンって、茶髪で赤耳の狐獣人の、ルドルフ・ブリッツェン?」
    「はぁい、その人ですぅ」
    「はっ」
     リストは鼻で笑い飛ばす。
    「あんなのタダのトリガーハッピー、銃をバカスカ撃てりゃ満足ってだけのバカよ」
    「そうなんですかぁ? アタシが聞いた話では、結構すごい成績出してたらしいですよぉ?」
    「訓練って、『5スナイプ』の?」
    「はぁい。460点出してたらしいですよぅ」
     それを聞くなり、リストは立ち上がった。
    「ふっ、そんならアタシの腕、見せてあげようじゃないの」



     リストはミラを連れて、軍の射撃訓練場に向かった。
    「で、あの乱射バカ、何使ってた? 511P?」
    「えーとぉ……」
     と、銃の管理をしている将校が、それに答える。
    「乱射バカって、ブリッツェン准尉か? ここで最高記録出した時のだったら確か、511だったぞ。P付いてない、無印版のやつ」
    「じゃ、ソレ貸して」
    「おっ、挑戦する気か? ……って、そう言やお前、ナイジェル博士の孫だっけ。
     ナイジェル一族の若い奴の中に銃の達人がいるとか聞いたことがあったけど、それ、お前のことか?」
    「そうよ。早く貸してよ」
     そう答えたリストに、将校はニヤリと笑って返した。
    「面白い。何点出せるか、見せてもらおうじゃないか」

     ちなみに、この射撃訓練は次のようなシステムになっている。
     100メートル離れた場所にある的を狙撃し、的の中心を打ち抜けば100点。そこから15センチ離れれば、90点。さらに、5センチ離れるごとに10点ずつ減点され、中心から60センチ離れれば、無得点となる。
     それを5セット行い、その総合点を命中精度として評価する。この訓練は王国軍の中では、通称「5スナイプ」と呼ばれている。
     ルドルフの460点とはつまり、1発が中心に命中し、残り4発もすべて、15センチ以内に納めたと言うことである。

    「ま、見てなさいよ」
     狙撃銃を受け取ったリストは早速、伏射体勢を取って構える。
    「じゃ、お願い。……はい!」
     リストのかけ声に合わせ、的が立ち上がる。少し間を置いて、リストが狙撃した。
    「どうだ? ……へぇ」
     的側にいた兵士から、100点であると言う返事が返ってくる。
    「まずは、満点か」「黙ってて。気が散る」「おっと」
     リストににらまれ、将校は口をつぐんだ。
    「次!」
     リストが声をかけ、二枚目の的が立ち上がった。今度は間を置かずに、すぐに狙撃する。
    「……ほう」
     これも100点だと、返事が返ってくる。
    「次!」
     三枚目も、100点。
    「……マジか」
    「次!」
     これも中心を撃ち抜き、100点。
     これに気が付いた兵士たちが、ゾロゾロと集まってきた。
    「『5スナイプ』で連続100点!?」
    「どんな銃だよ……」
    「511の無印だってさ」
    「嘘だろ、もう型落ちだってそれ」
    「でも、ブリッツェン准尉も同じ銃で460でしょ?」
    「……もしかしたら」
    「もしかするかも」
     ざわめく兵士たちを、リストが怒鳴りつけた。
    「うるさい! 邪魔!」
    「……っ」
     兵士たちは一斉に押し黙り、リストの挙動に注目した。
    「次!」
     リストの声に応じ、最後の的が立ち上がる。
     最後の一枚は、先の4回よりも時間をかけて狙撃された。
    「……っ」
     その直後、リストが小さくうめき、床をドカドカと叩きつけて悔しがった。
    「どうなった……?」
    「出るぞ、結果出るぞ」
    「……あ」
    「90、……か」
     リストは振り返り、もう一度兵士たちに怒鳴りつけた。
    「アンタらがうるさいからよ、ホント邪魔っ!」

     最後にケチが付いたとは言え、総合で490点となった。
    蒼天剣・傷心録 2
    »»  2010.05.11.
    晴奈の話、第548話。
    恋焦がれて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。
     ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。

     それが、「5スナイプ」を行った、たった2分間で逆転した。
    「490って、すげえな」
    「うわさも案外、間違ってないってことか」
    「向こうじゃ、彼女に感化されて銃開発が始まったらしい」
    「それも流石、エド博士の孫って感じだな」
    「そう言えば、チェスターはアニェッリ先生に会ったらしいぞ」
    「先生に? じゃあ……」
    「らしいですよ。銃を、オーダーメイドで作ってもらったとか」
     どうも、北方人はうわさ好きな性分を持っているらしい。あっと言う間に、リストが「ポプラ」を持っていることまで伝わってしまった。



     数日が過ぎ、うわさはエルスの耳にも入った。
    「へぇ、あの子がねぇ」
    「今はもう、リストさんのことで持ちきりですよぉ」
    「馴染めたみたいで良かったよ、はは……」
     その口ぶりが、ミラの中で引っかかった。
    「……エルスさんってぇ、なんだかお兄ちゃんみたいな言い方しますねぇ?」
    「ん?」
    「リストさんのコト、どう思ってるんですかぁ?」
     そう尋ねられ、エルスは笑顔のままポリポリと頭をかき、困った様子を見せた。
    「うーん……、それも良く聞かれるんだけどねぇ。あの子、僕の周りをいっつもウロウロしてるから」
    「え……」
    「あの子は妹みたいなもんだよ。君の言ったこと、間違ってない」
    「そう、なんですかぁ」
     エルスの回答に、ミラはがっかりした。

     ミラが失望したのには、理由がある。
     リストと喫茶店で話をした時に、リストはエルスに好意を抱いていると気付いていたからだ。
    「……ですって」
    「そう」
     グリーンプールでの演習の合間に、ミラはエルスの、リストに対する感想を、本人にそのまま伝えた。
    「で?」
     だが、リストは無反応を装う。
    「えっ?」
     リストの、気の無さそうなその口ぶりを、ミラは一瞬意外に思った。しかし――。
    「それが、どうしたのよ」
    「……リストさん」
     リストの目は、小刻みに震えている。
    「何よ」
    「……好きなんでしょ?」
    「何が」
    「エルスさんのコト」
    「……んなワケっ、ないじゃないの……っ」
     そう言った途端、リストの目からボタボタと涙がこぼれる。
    「アタシがっ、……あんなっ、いっつも、ヘラヘラしてるヤツ、好きなっ、ワケ、ないじゃない……っ!」
    「あ、あのぅ」
    「そうよ、いっつも、ポカポカ殴ってっ、ひどいコトばっか言ってる、アタシのコトなんて……っ、好きで、好きでいてっ、くれるワケっ、……ない、し、っ」
     言葉とは裏腹に、リストの涙はとめどなく流れ続ける。
    「そりゃ、手のかかるっ、いも、とっ、……妹でしょ、そりゃ、ね……っ」
    「あ、あのぅ、リストさん」
    「ま、マシよね、ホント……っ! 嫌ってない、なんて、逆にっ、おかしい、くらい、じゃ、ないっ……」
    「も、もういいですからぁ」
    「なっ、何が、いいのよっ、……グス、グスっ」
     リストの声に、嗚咽が混じり出す。
    「グス、……帰ってっ」
    「え、え……」
    「帰ってよっ!」
    「……はい、あのぅ、……失礼しましたぁ」
     これ以上どうにも応えきれなくなり、ミラはそそくさとリストの前から姿を消した。



    「……そうか」
    「アタシ、さ……」
     ミラとの会話を晴奈に伝え、リストはまた泣き出しそうに、顔を歪めていた。
    「どうして、こんななのかな」
    「こんな?」
    「ちょっと、何かあると、滅茶苦茶なコト言って、みんな困らせてさ。ミラにも、怒鳴って追い返しちゃったし。
     こんなだから、エルスはアタシのコト、好きでいてくれないんだよね」
    「……そんなことは」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめる。
    「そんなことは、無いさ。嫌いなわけが無い。でなければ天玄の時、お主を助けようなどとするものか」
    「でも、アイツは、コスズと……」
    「……どうなるか、まだ分からないさ。いっそのこと、言ってみたらどうだ?」
     リストは顔を挙げ、晴奈の顔をじっと見た。
    「え?」
    「お主の胸のうちを、まだ、エルスと小鈴が結ばれないうちに」
    蒼天剣・傷心録 3
    »»  2010.05.12.
    晴奈の話、第549話。
    大人デートと、少女の抵抗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「んっふふー」
     グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。
    「気に入ってもらえたかな?」
    「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」
    「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」
    「あーら、ありがと」
     ちなみに今日の小鈴は、普段の巫女服ではなく、北方風のドレスを着ている。これも、エルスからの贈り物である。
     エルスの方も普段着ではなくスーツを着ており、二人の様子は店内の上品な雰囲気に、ぴったり合っていた。
    「ところでさ、エルスって」
    「ん?」
    「この戦争終わったら央南に永住する気らしいけど、ホント?」
     エルスはワインをくい、と呑み、小さくうなずいた。
    「うん、そのつもりだよ。もう北方に戻る気は無いし、今は央南でかなりいい仕事に就いてるからね」
    「んじゃさ、奥さんとかも向こうで探す感じ?」
    「……あー、どうなのかな」
     エルスは小鈴にワイン瓶の口を向けながら、首をわずかに傾ける。
    「まだそんな気、無いかな。今結婚しても、何だか持て余しそうだし」
    「んふふ、晴奈には『子供作ろう』とか言ったクセに」
    「はは、あれは冗談だって」
    「30超えたオジサンがそんなコト言ったら、冗談じゃすまないわよ」
     そう言われ、エルスは黙り込んだ。
    「……あれ? 何か変なコト言っちゃった?」
    「あ、いや。……確かにもうおじさんなんだよな、僕って」
     エルスはにこやかな表情のまま、自分の手をじっと見つめる。
    「若いつもりしてたけど、確かに手は、10代、20代の頃に比べて張りが無くなった気がする。アケミさんにも言われたけど、歳、取ってるんだなぁ……」
    「アハハ、何を今さら」
     と、小鈴も自分の胸に手を当てる。
    「……あたしも歳取っちゃったかなぁ。エルフだけど」
    「大丈夫、そこは歳取ったように見えないよ。全然若い」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく尋ねる。
    「あら、ドコ見て言ってるのかなー?」
    「大渓谷、だね」
    「んもう、……ぷ、ふふふっ」
    「ははは……」
     二人は楽しげに、食事と会話を楽しんでいた。

     店を出た後も、エルスと小鈴は並んで道を歩いていた。
    「はー……。美味しかったわー、ワインとご飯」
    「気に入ってもらえて何より、かな」
     エルスはニコニコと笑いながら、小鈴の手を取って歩く。小鈴もうれしそうに笑い、手を任せている。
    「……ねー、エルス」
    「ん?」
    「また連れてってね、美味しいお店とか」
    「ああ、もちろん。僕も君と、色んなところ行きたいからね」
    「……ふふ」
     小鈴はエルスの腕を、ぎゅっと抱きしめた。
    「にしてもさ、最初に会った時はそんなにエルスのコト、気にしてなかったんだけどな」
    「そうなの?」
    「うん、ふつーに『晴奈の友達』くらいにしか思ってなかったし」
    「……そうだな、僕もコスズのことは同じようにしか思ってなかったかも」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく笑う。
    「晴奈のおかげね、こうしてるのって」
    「はは、そうだね」
     そこで、エルスが立ち止まる。
    「……どしたの?」
    「ああ、うん。……うーん」
    「ん?」
    「……リスト」
     エルスは背後の物陰から見守っていたリストに声をかけた。
    「何か、用?」
    「……」
     声をかけられ、リストは仕方なく物陰から出てくる。
    「何かあったの?」
    「……」
    「黙ってちゃ分からない」
     エルスは依然ニコニコとしているが、その口ぶりはどことなく迷惑そうだった。
    「……ばか」
    「うん?」
    「どうして、アタシじゃないの」
    「……」
     今度は、エルスの方が黙る。
    「そんなに、アタシには魅力無いの?」
    「……」
    「そんなに、アタシのコト、邪魔?」
    「……」
    「ねえ、そんなに嫌いなの?」
    「……あのね」
     エルスはネクタイを緩めつつ、優しく返答した。
    「嫌ってなんか、いるわけないさ。ちょっと口は悪いけど明るい子だし、自分の好きなものにはすごく熱心になれる真面目さがある。それに、顔だって可愛い。嫌ってなんか、いない」
    「じゃあ、なんで……」
    「でもねリスト」
     エルスはそこで言葉を切り、じっとリストの顔を見つめた。
    蒼天剣・傷心録 4
    »»  2010.05.13.
    晴奈の話、第550話。
    好意のベクトル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。
    「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」
    「え……?」
    「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。
     でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に思ってる。でも、君と付き合いたいかって言われたら、それは違うんだ。
     だって、妹だもの」
    「……っ」
     エルスの言葉に、リストの目からぽろっと涙がこぼれる。
    「……君をできるだけ傷つけたくなかったから、今まで言わないようにしてたけど。でも、僕にとってはそうなんだよ、リスト。
     僕は君を、女として見れない」
    「……うっ、……」
     リストののどから、嗚咽が漏れ始める。
    「……本当に、ごめん。長い間、君をだましていたも同然だ」
    「……なんで……ぐす……」
     リストは泣きながらも、なお話を続けようとする。
    「なんでっ、……あ、謝る、のよっ……」
    「それは……」
    「謝ら、ないでよ、ぐすっ……」
     リストはその場にしゃがみ込み、本格的に泣き出した。
    「アタシが、迷惑、ひっく、かけまくって、それで、ぐすっ、謝られ、たら、……うっ、う……、アタシ、ただ、のっ、バカじゃ、ない……、ひっく」
    「……ごめんね」
     エルスはただただその場で硬直していた小鈴の手を引き、リストの前から姿を消した。
    「……ばかっ……」

     それから2日、リストは演習に姿を見せなかった。



    「リスト、大丈夫か?」
     ずっと部屋にこもりっきりになっていたリストを心配し、晴奈が訪ねた。
    「……」
     部屋の中からは、返事が無い。
    「入ってもいいか?」
    「……」
     何度か呼びかけたが、反応は返ってこない。
    「……では、ここで話すぞ」
     晴奈はドアの前に座り、中のリストにぽつりぽつりと声をかけた。
    「その、……顛末は、聞いた。……残念だったな。まあ、その、気を落とすな、と言うのは無理だろうが、……その」
     晴奈はドアに向かって、深々と土下座した。
    「……すまぬ! 私が、お主をたきつけたりしなければ、このようなことには」「いいわよ」
     き、と音を立てて、わずかにドアが開いた。
    「セイナ、そんなに謝んないでよ。どっちにしろ、エルスがアタシを、付き合う相手って見てなかったんだから。遅かれ早かれ、こーなってたわよ」
    「リスト……」
    「ね、こっち来て?」
    「あ、うむ」
     晴奈は立ち上がり、部屋の中に入る。
     部屋の中はぐちゃぐちゃに汚れており、この2日間の荒れようが見て取れた。
    「ゴメンね、汚くしてて」
    「あ、いや」
    「……やっぱり、ショックだったわ」
     リストはベッドの上に腰かけ、クシャクシャになった髪を簡単にまとめながら話し始めた。
    「ずっと、ずーっと好きだったのに。アイツ、全然そんな風には見てくれなかったなんてね。
     ……ううん、実はちょっと前から、気付いてた。アイツは、アタシのコト、そこまで好きじゃないって。ホントのホント、妹だったんだなってさ。
     でも、実際言われると、……こたえたわ、かなり。やっぱりさ、ハッキリ言われるまでは、心のどっかで『もしかしたら』とは思ってたわけよ」
     そこでリストは立ち上がり、服を脱ぎ始めた。
    「え、おい?」
    「あ、……ちょっと、お風呂入ろうかなって。2日、泣きっぱなしだったから。……そんでさ、後でまた、一緒にスケート行かない?」
    「ああ、それはいいが」
    「よろしくね。……じゃ、お風呂入るから」
    「ああ、うむ」

     1時間後、晴奈とリストは再び、沖の方へとやって来た。
    「今日、何日?」
    「12月20日だ」
    「そっか、もう年も変わる頃ね」
    「そうだな。後10日ほどで、双月節となる」
    「来年は、どんな年になるかしらね」
    「さて、何とも言えぬな。恐らくはまた、戦いの日々になるだろう」
    「そうね」
     リストはふーっ、と白い息を吐き、座り込む。
    「どうしよっかな」
    「うん?」
    「アタシさ、央南の黄州司令官、辞めちゃったでしょ? そんで、エルスにもフラれちゃったし。戦争が終わったら、どうしようかなって」
    「ああ……」
     晴奈もリストの横に座り込み、腕組みをして考える。
    「そうだな、しばらくはうちにいればいい」
    「セイナんち?」
    「ああ。父上の手助けなどすれば、しばらくは食うに困らぬだろう」
    「そうね、ソレいいかも。……んじゃさ、よろしく言っといて」
    「ああ、承知した」
     そこで、会話が途切れる。
     二人はそのまま、真っ白な水平線を眺めていた。
    蒼天剣・傷心録 5
    »»  2010.05.14.
    晴奈の話、第551話。
    女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……そ、言やさ」
     不意に、リストが口を開いた。
    「セイナ、どうなの?」
    「うん?」
    「最近、トマスと仲いいみたいだけど」
    「えっ」
     聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。
    「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」
    「……いーわね」
    「な、何が、だ?」
    「アンタ、好きなんでしょ?」
    「そ、それは……」
     晴奈はかけていたマフラーをいじりながら、ボソボソと答える。
    「……少なくとも、憎からず思っている」
    「そっか。……なんで?」
    「なんで、って」
    「アイツ、頭いいけどすぐ人のコトにケチつけるし、自慢したがりだし。ドコがいいの?」
    「ああ、えー……、と」
     なお、晴奈は口をもごもごとさせる。
    「そうだな、私のことを、気にかけてくれるから、かな」
    「アンタを?」
     言いかけて、リストは「ああ」と納得したような声を出した。
    「そうね。アンタもエルスみたいに、『何でもできますよ』って感じのヒトだもん。自信家だし、実際腕もいいし、オマケに料理もうまいしね。
     でも、……そうよね。だからアンタのコト、ちゃんと見てないのかもね、みんな」
    「……」
    「……じゃ、さ」
     リストはいたずらっぽく、こう言った。
    「アタシもアンタのコト、気にかけるようにしたらさ、アンタもアタシを、好きでいてくれる?」
    「へ?」
    「……なんてね」
     リストはクスクスと笑い、手を振る。
    「他の誰よりも、トマスが一番にアンタのコト、思ってくれたからよね。他の人が『自分もあなたのコト、見てますから』ってアプローチしたって、遅いわよね」
    「あ、いや、リスト」
     晴奈は慌てて、リストの言葉に付け加える。
    「そんなことをせずとも、お主のことは嫌ってなどいない。お主も大事な友人だ」
    「……友人?」
     リストは晴奈に顔を向け――笑い出した。
    「……ぷっ、ちょ、セイナってば。なんで顔にそんな、マフラーぐるぐる巻きにしてんのよっ、あは、ははっ」
    「あ、いや、これは、……その、恥ず、いや、……うー」
    「あは、はは……、はー、何か久々に笑い転げた」
     リストは笑って出た涙を拭きながら、ぽつりとこう返した。
    「……友達、かぁ」
    「ん?」
    「そうよね、アンタはずっと、アタシの友達だった。改めて言われて、やっと実感したわ」
     そう言うとリストは、突然晴奈に抱きついた。
    「うわっ!? な、何だ!?」
    「セイナっ」
     リストは嬉しそうに、晴奈を抱きしめたままゴロゴロと氷の上を転がる。
    「ずーっと、友達でいてよね」
    「え? あ、ああ。もちろん」
    「約束よ」
    「う、うむ」
     ようやく解放され、晴奈は軽く目を回しながらもうなずく。
    「約束するさ。お主はずっと、私の友人だ。これまでも、そしてこれからも、な」
    「……うん」

     その時だった。
    「……ッ!」
     晴奈は自分と、横に寝転がっているリストとに、どこかから鋭く、貫くような殺意をぶつけられたのを感じ取った。
    「リスト、転がれッ!」
    「えっ」
     言うが早いか、晴奈はリストの襟元を引っ張って、無理矢理に体を横転させた。
     次の瞬間、今まで二人が寝そべっていた氷が、バシッと言う音とともに砕けた。
    「え……、銃撃!?」
     リストは自分たちが攻撃されていることに気付いたが、起き上がろうとはしない。
    「セイナ、伏せてて!」
    「ああ、分かっている」
     起き上がればそのまま、格好の的になるからだ。
     二人は寝そべった格好のまま、攻撃された方向を見定める。
    「……まさか、そんな!?」
     すぐに二人は、攻撃された方角を察知した。
     それは西南西の方角――即ち、あと半年ほど後に「ヘブン」が攻めてくるであろう方角からだった。
    「ウソでしょ……、歩いてきたって言うの!?」
    「いや、無理な話では無い。巴景が、それをやったのだ。最早、絵空事ではないのだ」
     二人の目には、斥候と思われる者三名が、銃を構えてしゃがんでいるのが見えていた。
    「どうしよう、セイナ?」
    「……念のため、刀を佩いていて助かった」
     晴奈はうつ伏せのまま、刀を抜いて火を灯す。
    「『火閃』」
     冷え切った周囲の空気が熱され、氷をわずかに溶かして真っ白な水蒸気を生む。
    「……っ」
     湯気の向こうで、斥候がたじろぐのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「今だリスト、走るぞ!」
    「うんっ」
     二人は立ち上がり、スケート靴で走り去った。

    「あっ、くそッ!」
     晴奈たちを狙撃した斥候は狙っていた相手が逃げたのを見て、舌打ちする。
    「い、今ならっ」
     もう一名が慌てて銃を構えたが、それを背後から止める者がいた。
    「やめとけ。当たるワケねー」
    「えっ」
     狙撃を止めさせたのは、フーの側近である銃士――ルドルフだった。
    「『ヘブン』じゃ、まともに銃を作ってねーからな。整備も適当なもんだ。そんな銃であの距離じゃ、かすりもしねーよ」
     斥候たちは不満そうに、逃げていく二人を眺めている。
    「しかし少尉、このまま逃がせば……」
    「いいんだよ、別に」
     ルドルフは肩をすくめ、ニヤリと笑う。
    「もうどうしようもねーよ、この距離まで来られちゃな。後は……」
     ルドルフは踵を返し、自分たちが元来た方向へと戻り始めた。
    「この凍った海を大量の歩兵で渡って、ブッ潰すだけだ。『トモエ作戦』、いよいよ本番ってワケだ」

    蒼天剣・傷心録 終
    蒼天剣・傷心録 6
    »»  2010.05.15.
    晴奈の話、第552話。
    トモエ作戦の始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。
    「相手は、油断しきってたんだな?」
    「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」
    「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」
     斥候からの報告を聞き終えたフーは、ニヤリと笑った。
    「今から1時間で準備を整えろ! すぐにグリーンプールへ攻め込む!」
    「はっ!」
     フーの号令に、将校たちはバタバタと会議室を出て行った。
    「いよいよ、か」
    「そーね」
     フーの横には、ドールとノーラが座っている。
     本来ならば参謀のアランがそこにいるはずだが、フーは何としてもアランをこの場に居させたくなかったため、彼女らを今回、参謀扱いとしたのだ。
    「ま、奇襲とか強襲、電撃戦は俺たちの得意技だ。兵隊の大半は、蹴散らせるだろう。
     後は、敵主力への対策だな」
     その発言に、ドールが口を開く。
    「まず、リロイよね。アイツは確実に出張ってくるわ。アイツを放っておいたら、十中八九撃退されるわよ」
    「それと、トマス・ナイジェル博士ですね」
     ドールの所見を、ノーラが次ぐ。
    「この両氏は、『知多星』エドムント・ナイジェル博士の愛弟子です。手を組まれれば、どんな奇手・奇策で翻弄されるか」
    「あと、気になるのがあの『央南の猫侍』、セイナ・コウよ。実は央南抗黒戦争時代からの、リロイの腹心なんですって。当然、この場にも来てるわ。相手にするには、相当てこずるわよ」
    「だな」
     以前に晴奈に叩きのめされた覚えのあるフーは、短くうなる。
    「てこずると言えば、リスト・チェスターも懸念すべき相手です。央南での職を辞してまで、参戦したとか。その気概と腕前、それに指揮官・狙撃手としての手腕は警戒が必要です」
    「やれやれ、スター揃いだな」
     首をポキポキと鳴らしながら、フーはまた短くうなる。
    「それから、我々の元側近のトラックス少尉とブライアン軍曹も、リロイのそばにいるらしいわ。まさか、敵に回すコトになるなんて思いもしなかったわね」
    「あいつらも、か。……真っ先に潰すべきヤツは、全部で6人か。
     対策は?」
    「できてるわ。『ヘブン』のアッチコッチから、いいのを揃えてるわよ。それで精鋭部隊を組織してるからね」
    「そっか。……お前に任せっきりにしてたが、どんな奴らなんだ?」
     聞かれたドールは、にんまりと微笑んだ。
    「現在の側近であるアタシたち4名と、前政府の頃に投獄された囚人が3名、それから央北を旅してた手練の傭兵が3名。
     こんだけ集めれば、どーにでもなるでしょ」



    「確認したよ。確かに敵は、すぐそこまで来てた」
     晴奈たちからの報告を受けたエルスは、すぐ氷海に兵士を送り、偵察させていた。
     その結果、多数の軍勢がスタリー島に駐留していることが判明し、王国軍と、演習に来ていた同盟軍は騒然となった。
    「どうする?」
     尋ねた晴奈に、トマスが緊張した面持ちで答える。
    「迎え撃つしかないよ」
    「しかし、軍備はまだ整っていない。真冬で漁業や農業が閑散期にある現在、沿岸部の備蓄の半分以上は民間に供給されている。
     無理矢理引き上げ、徴発するにしても、足りるとは……」
    「分かってるよ、そんなことは! でも、やるしか……、っと」
     トマスは顔をしかめつつ、晴奈に怒鳴りかけて、途中で頭を下げた。
    「……ごめん。イライラしてた」
    「ああ、いや、……確かに、事態はかなり悪い。備蓄で不利な点ひとつ取っても、このまま攻め続けられれば、押し負けるのは明白だからな」
    「うん。それに『この地域』で、そして『この時期』で敗北することは、僕らにとって非常に痛手過ぎる。
    『まさかこの、海が凍りついたこの時期にむざむざ攻め込まれ、北方では裕福なはずの沿岸部において、物資不足で負けた』なんて聞いたら、軍の士気は著しく下がるだろう。
     そうなればこの後、僕らが勢力を盛り返すことは非常に難しくなる。折角の同盟も、無駄になってしまう」
    「むう……」
     晴奈とトマスは、互いに腕を組んでうなった。
     と、リストがエルスに顔を向け、平然とした顔で尋ねた。
    「エルス、対策は?」
     うろたえたのは、エルスの方だった。
    「えっ、……ああ、うん。これから検討する。……えっと、リスト?」
    「何?」
    「その……、この前は……」
    「ああ、アレ? 今そんなコト、考えてる場合じゃないでしょ?
     ソレともこの大銃士、リスト・チェスターに、この切羽詰った状況でまだ、引きこもっててほしかった?」
    「あ、いや。……分かった。よろしく頼んだよ、リスト」
     リストは小さくうなずき、エルスに背を向けてこうつぶやいた。
    「アンタ、ココで負けて死んだりしたら、承知しないわよ。アタシも、コスズもね」
    「……もちろんさ。負けたりしない」
    蒼天剣・氷景録 1
    »»  2010.05.17.
    晴奈の話、第553話。
    リストの扇動演説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。
     通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集まらないだろう」と、トマスやエルスと言った司令陣が判断し、残った軍備で対処することとなった。
     また、通常ならば沿岸部の護りの要となっている軍艦も、氷結のために一切動かすことができない。また、軍艦に配備される兵士も、攻め込むのを基本とする海兵隊ばかりであり、防衛向きの人材ではない。
     これほどネガティブな要素が揃ってはいるが、同盟軍には防衛以外の選択肢はなかった。沿岸部における最大の軍事拠点、グリーンプールを落とされれば、ジーン王国の兵士は皆、士気を大きく落とすことになる。そしてそれは、同盟全体の士気にも関わってくるのだ。
     兵士が活力を失えば、今後の戦いは非常に苦しくなる。今ここで敵の猛攻を防ぎ切るしか、同盟軍に活路は無かった。



    「銃士隊、全12分隊、配置整いました!」
    「術士隊、全10分隊、配置整いました!」
    「海兵隊、全16分隊、配置整いました!」
    「歩兵隊、全24分隊……」
     港に敷かれた防衛線に兵士が集まったことが、作戦本部内に陣取るエルスに次々報告される。
    「ありがとう。総数は1500ってところかな。敵の数はどれくらい?」
     尋ねたエルスに、斥候が答える。
    「5000弱と思われます」
    「……ありがとう」
     圧倒的な差を聞かされ、流石のエルスも笑顔をこわばらせている。
    「やれることは全部やろう」
     エルスは晴奈たち主力を集め、会議を開いた。
    「作戦を一つ、考えてはいるんだ」
    「何だ?」
    「氷海さ。人が乗れるとは言え、氷は氷だよ。しっかりした大地じゃない。それを割ることができれば、いくら兵士の数があっても役に立たなくなる。
     それに、敵の中核は元北方人だ。この凍った海にはみんな、畏怖の念がある。ここで氷が割れ、敗走することになれば、逆にあっちの士気が大きく落ちるだろう。
     この戦いは、兵力対兵力じゃない。士気対士気の戦いなんだ」
    「なるほど。しかしどうやって割る?」
     晴奈の質問に、ミラがひょいと手を挙げる。
    「それはですねぇ、術士隊が引き受けますぅ。
     物理的にぃ、氷を割るのは難しいと思うのでぇ、魔術で氷を溶かすなりぃ、変形させるなりしてぇ、割ろうと考えてますぅ」
    「だから、僕たちはできるかぎり沖合には出ない。もしあんまり遠くに出ていたら、巻き込まれるか、分断される恐れがあるからね」
    「しかし、それには不安があるよ」
     ここでトマスが、眼鏡を直しながら反論する。
    「その作戦は、僕らの行動範囲が著しく制限される。いくら防衛戦だからって、じっと固まっているわけにも行かないだろう?」
    「もちろん割れる際には、合図を送る。それまでは、ある程度前に出てもらうつもりだよ」
    「氷が割れるのは、どのくらいかな。厚いところでは、2メートルはあると聞くけど」
     この問いに、ミラは表情を曇らせる。
    「……多分、12時間くらいだと。……早くて」
    「12時間か……。それまで、兵士が持つだろうか」
    「持たせるしかあるまい」
     晴奈の言葉を最後に、作戦会議は締めくくられた。

     銃士隊にとって幸運なことに、日中は無風だった。
    「いい? とにかく、近寄らせないコト。この防衛戦は、アタシたちの頑張りで結果が変わってくるって言っても過言じゃないわよ。
     そりゃ相手の数は半端じゃないし、いずれは押し切られるわ。でもそうなるまでに、どれだけ相手が減ってるかで、この後戦うみんなの負担が変わってくる。負担が軽くなればなるだけ、この街を守り切れる確率も上がってくるのよ。
     今日、ココが落とされなければ、この後あいつらがいくら攻撃してこようと、陥落するコトはまずない。今日の戦いにはかかってるのよ、色んな大事なモノが」
     銃士隊の指揮権を任されたリストは彼らの前に立ち、士気をあげるべく演説する。
    「絶対諦めず、最後の一発まで撃ちつくして。後から戦う、皆のためにも。
     それじゃ全員、構えて!」
     リストの命令に従い、銃士たちはそれぞれ射撃体勢に入った。
    「……頼んだわよ、『ポプラ』、それからみんな」
     リストもディーノから贈られた狙撃銃、「ポプラ」の安全装置を外し、氷原の向こうから来る敵を待ち構えた。

     銃士隊全員は静止したまま、凍った海の向こうをにらみ続ける。
     やがて、太陽が彼らのにらむ方向に、傾きかけた頃――。
    「……来たぞ!」
     誰かが叫ぶ。
     それと同時に、リストの目が、遠くから列を成して歩いてくる、黒い影を捉えた。
     だが、まだ引き金を絞らない。
    「みんな、待ちなさいよ! まだ、当たる距離じゃない」
     皆もそれを分かっており、銃声はどこからも聞こえない。
    「まだよ、まだ……」
     黒い影は続々、水平線の向こうからやってくる。
    「もう少しよ……」
     その大量の黒い影は、やがてそれぞれが人の形と確認できるまでに近付いた。
    「用意!」
     リストの声と同時に、あちこちから銃を構え直す音が響く。
    「……」
     黒い影は足を止め、背負っていた盾をかざし始めた。
    「……」
     それでもまだ、リストは撃たない。
    「……」
     盾をかざしたまま静止していた敵軍がまた、ゆっくり、ゆっくりと歩を進め始めた。
    「……」
     その速度がじわじわと増していき、ついには走り始めた。
    「……撃てーッ!」
     リストは叫ぶとともに、「ポプラ」の引き金を絞った。
    蒼天剣・氷景録 2
    »»  2010.05.18.
    晴奈の話、第554話。
    割れない氷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。
     あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。
    「撃て、撃て、撃てええーッ!」
     リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。
     だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。
    「くそ、効かない!」
     銃士たちの中から、苦々しい声が漏れる。それを聞いたリストが、怒鳴りつける。
    「効く! そのまま撃ち続けなさい!」
    「し、しかし」
    「いくら人が乗れるからって言っても!」
     リストの「ポプラ」が、何発目かの銃弾を吐き出す。
    「氷の上よ! そんなに重たいもの、持ってけるワケない!」
     その言葉を裏付けるように、リストの放った銃弾が敵兵の持っていた盾を貫通した。
    「ぐふっ……」
    「ほら見なさい! 薄いのよ、あの盾は!」
     あちこちからボゴボゴと、盾に穴が空く音が響き始める。そして最前列にいた敵兵たちが、ガタガタと崩れ始めた。
    「さあ、撃って! 銃が灼けつこうが、何しようが、とにかく撃つ! 撃ちまくるのよ!」
     一旦敵が崩れ始めると、銃士たちの士気も上がり始める。
    「うおおおお……ッ!」
     銃士たちは咆哮を上げ、さらに銃を乱射していった。

    「予想通り、であるな」
    「そっスね」
     ハインツとルドルフ、そして2名の傭兵が単眼鏡を使い、離れた場所で第一陣の様子を観察していた。
    「あやつらで押し切るのは、やはり難しいだろうな」
    「まー、無理っしょ。元々、第一陣は敵の弾を消費させるのが目的ですから」
    「ではそろそろ、第二陣と言うわけか」
    「いや、それはまだっス。あのイケイケちゃんなら、目の前の敵をとりあえず殲滅させなきゃ気が済まないでしょーし、このまんま一旦弾が切れるとこまで、持ち込ませときましょ」
    「ふむ。……退却させなくていいのか?」
     ハインツの発言に、ルドルフはコリコリと狐耳をかく。
    「んー、そりゃ得策とは言えないっしょ」
    「何故だ? 犬死にさせる気か?」
    「軽量化重視のせいで、あいつらの防具はせいぜい盾だけっスよ? 後ろ向いて退却したら、蜂の巣じゃないっスか」
    「……あ、なるほど」
    「それよりか、このまんま弾が切れるまでじっとしてた方が、ずっと生き残れる可能性が、……って、おいおい」
     ルドルフの目論見をよそに、第一陣の兵士たちはじわじわと下がり始めた。
    「……あーあ、撃たれちまってる」
     ルドルフはくわえていた煙草を捨て、背中に提げていた銃を手に取った。
    「んじゃ、ま、しゃーない。第二陣、用意させますか」
     ルドルフは空包を銃に込め、空に向けて撃った。
    「じゃ、ハインツの旦那。よろしく頼みましたよ」
    「うむ。……ではお主ら、行こうか」
     ハインツは傭兵たちを引き連れ、敵陣へと向かっていった。



     戦闘が始まってから、あっと言う間に1時間が経過した。
    「どうって?」
    「まだ全然」
    「そっか」
     港の両端にいる術士隊から、「思った以上に氷が分厚く、現状において割れる気配はまったくない」との報告を受け、トマスが不安がっていた。
    「間に合うかな……」
    「間に合わなきゃ困る。間に合わせてくれるさ」
    「そうだけども」
     おろおろとしているトマスに対し、エルスは泰然自若と構えている。
    「落ち着きなよ」
    「そ、そうは言っても」
    「エドさんも言ってたろ? トップが慌ててたら、組織全体もガタガタになる」
    「……そうだね。うん」
     トマスは椅子に座り、コーヒーを手に取った。
    「大丈夫かな」
    「また言ってる」
    「いや、術士隊の方もだけど、それを守るセイナたちもさ」
    「それこそ、心配無用ってもんさ。北端にはセイナとコスズのコンビ、南端にはミラとバリーのコンビを筆頭として防衛線を敷いている。
     何があっても、彼らの敗北は無いさ。ってことは、時間さえかけられればこの作戦は成功するってことになる」
    「……うまくいけばいいけど」

     グリーンプール港、北端。
    「どうだ?」
     晴奈に尋ねられ、術士の一人が答える。
    「術式の方は順調に作動しております。しかし、効果が今ひとつと言うか……」
    「って言うと?」
     今度は小鈴に声をかけられ、術士は困った顔を向ける。
    「想定されていたより、氷が分厚いようです。それに気温が時間を追うごとに段々と下がっているため、厚さがジワジワと増しているようで……」
    「あっちゃー……、そー言やそーよね」
     頭を抱えてうなる小鈴に、術士が説明を継ぎ足す。
    「ただ、それもある程度は想定内と言いますか、半日経てば朝日の昇る時刻が近付き、気温も上がってきます。
     氷の下を流れる海流も温められるので、氷もその時間には割れやすくなるかと」
     報告を受け、晴奈は肩をすくめる。
    「どうあっても、残り11時間はかかると言うわけか。
     まあ、計画に変更は無いのだから、何も悩むことはないか。守りには専念できそうだな」
    「頼んだわよ、晴奈」
    「ああ、任せろ」
     晴奈は小鈴と手をばしっと合わせ、気合を入れ直した。
     と――晴奈の視界の端に、氷海の向こうからぞろぞろと歩いてくる影が映る。
    「……やはり来たか」
    「みたいね」
     二人は迫り来る敵兵たちに向き直り、身構えた。
    蒼天剣・氷景録 3
    »»  2010.05.19.
    晴奈の話、第555話。
    賞金稼ぎと人間武器庫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちが気付くと同時に、敵兵たちはこちらに向かって駆け出してきた。
    「来るぞ! 迎え撃てッ!」
     晴奈の号令に従い、剣士隊も走り出す。互いの分隊が衝突し、場は瞬く間に騒がしくなった。
    「行くぞ、小鈴!」
    「ええ!」
     指揮していた晴奈たちも、その喧騒の中へと飛び込んでいった。
    「りゃあッ!」「ぐあッ!?」
     30人以上の敵兵たちに、晴奈は小鈴の助けを借りて立ち向かう。晴奈の率いる兵士たちも果敢に攻め込み、倍以上いる敵を押し返していく。
    「だ、ダメだ!」「進めない!」
     数の上で有利なはずの敵兵の士気が、みるみる下がっていく。それを感じ取った晴奈は、一気に追い払おうと大技を見せ付けた。
    「これ以上寄れば命は無いぞ、雑兵どもッ! この炎の餌食になりたいかッ!?」
     晴奈の剣術、「火閃」で空気が燃え上がり、けたたましい音を立てて爆ぜる。
    「う……」「ひ、いっ」
     同盟軍の猛攻と晴奈の威嚇で、敵のほとんどは後退し、攻めを止めた。
    「さあ……! どうする、お前らッ!?」
     ここでダメ押しとばかりに、晴奈は凄んで見せた。

     ところが――。
    「ならば吾輩が相手だ、セイナ・コウ!」
     敵兵たちの後ろから、槍を抱えたヒゲ面の短耳が姿を表した。
    「貴様は……、見覚えがあるな」
    「忘れたとは言わせんぞ、猫侍。そして背後の紅白女もだ」
     紅白女、と呼ばれて小鈴が相手を指差す。
    「晴奈、アイツよアイツ。グリーンプールで叩きのめしたヤツ」
    「ああ。……何と言ったかな」
    「さあ? わめいてた以外に印象薄いし」
    「ハインツ、だ! ハインツ・シュトルム! ちなみに昇進して大尉になったぞ!」
     名前を忘れられたハインツは、顔を真っ赤にして怒る。
    「あの時は不覚を取ったが、今度はそうは行かんぞ! 今度は容赦せん、3対1の布陣でねじ伏せてやるぞ!」
    「1?」
     小鈴が口をとがらせたが、反論する間も与えられず、ハインツの背後にいた2人が前に進んだ。
    「アンタが『縛返し』とか『央南の猫侍』とか言われてる、コウっておねーさん?」
    「む……?」
    「んー……、聞いた以上に、んー……、強そう」
     ハインツの横に並び立ったのは、大剣を持った銀髪の狼獣人と、口元をストールで覆い隠した茶髪の短耳だった。
    「シュトルム大尉が自己紹介したし、俺たちもさせてもらうぜ。俺はデニス・キャンバー。央北じゃちょこっと有名だ」
    「んー……、ミール・ノヴァ。んー……、相棒、んー……、デニスの」
     二人の自己紹介が終わったところで、再びハインツが胸を張って語る。
    「今回、このトモエ作戦を円滑に遂行するため、お前やグラッド元大尉に対抗しうる人材を募ったのだ。
     前回のようには行かんぞ、コウ!」
    「……アンタらねー」
     散々無視された小鈴が、苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
    「あたしが見えないのかっての、ったく。このコスズ・タチバナさまを無視するなんて、いー度胸してんじゃないの。
     んで晴奈、あの二人確かに有名人よ。『銀旋風』つって、央北と南海を行き来する、賞金稼ぎコンビ。今までに極悪人とか海賊とかを倒して得た賞金額は、130万クラムとか140万クラムとか」
     小鈴の説明に、デニスが付け加えた。
    「157万クラムだ。で、コウを倒せば、それが倍になる」
    「と言うことは、私の首には150万の値が付いているわけか」
     これを聞いた晴奈は、鼻をフンと鳴らした。
    「安い。私の首は、もっと価値がある」
    「んー……、自信家」
    「だなぁ。ま、高いか安いか……」
     デニスは剣を構え、晴奈に斬りかかった。
    「一戦交えて、試してみるかっ」

     晴奈がデニスの初太刀をかわしたところで、ハインツがナイフを投げてきた。
    「お、っと」
     晴奈はこれもかわし、「火射」をハインツに向けて放つ。
    「おうっ!?」
     燃える剣閃が伸び、ハインツはうろたえる。
     と、彼の前面に薄い魔術の盾が張られ、それを防ぐ。敵の魔術師、ミールが前もって防御術を仕掛けていたのだ。
    「んー……、『マジックシールド』」
    「……こしゃくな」
     舌打ちした晴奈に、デニスが襲い掛かる。
    「オラ、ぼーっとしてんなよ!」
    「しているように見えるか?」
     が、晴奈はデニスの方を振り向きもせず、それをかわす。
    「あ、れっ?」
    「お主の腕前は分かった」
     晴奈はひょいと一歩退き、刀を納めた。
    「え? 何で刀、しまう……?」
     きょとんとしたミールに対し、デニスはごくりと唾を飲んだ。
    「……居合い抜きってヤツだな。喰らった覚えがある」
    「ほう、知っているか」
    「いいねぇ、サムライ。あこがれるぜ、ホント!」
     デニスも剣を構え直し、晴奈と対峙した。
    「何て言うんだっけ、こう言う時って」
    「『いざ、尋常に……』か?」「あ、そうそう、そんなだったな」
     両者はにらみ合い、同時に叫んだ。
    「いざ、尋常に勝負ッ!」
     叫びきり、駆け出し、両者は衝突した。
    「……ッ」「……ぅ」
     晴奈が肩を押さえ、小さくうめく。
    「晴奈!?」
    「……心配無用」
     晴奈は二の腕を押さえたまま、立ち上がる。
    「……やっぱ、サムライ、すげえ」
     倒れたのは、デニスの方だった。
    「あ、あ……、デニス……」
     相棒を倒されたミールは青ざめ、その場に立ち尽くす。
    「……さあどうする?」
     晴奈は左腕から手を離し、ハインツに向かって刀を構える。
    「やるしかなかろう。……容赦せん!」
    「してもらっては困る」
     晴奈はニヤリと笑い、飛び掛った。
    蒼天剣・氷景録 4
    »»  2010.05.20.
    晴奈の話、第556話。
    男ヤンデレ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     一方、こちらはミラたちが詰める海港南端。
    「やっぱりぃ、寒くなってきましたねぇ」
    「そう、だな」
     ミラはバリーにくっつき、暖を取っている。
    「その、ミラ」
    「何でしょぅ?」
    「離れて、ほしい」
    「そんなコト言わないでくださいよぅ。寒いんですからぁ」
    「……はぁ」
     バリーは辟易した顔を浮かべながらも、ミラにされるがままになっていた。
     と、バリーの丸い熊耳がぴく、と動く。
    「……ミラ」
    「はい?」
    「何か、来る」
    「へ?」
     言われて、ミラもそれに気付く。
    「……強いですけどぉ、でも、にごったような魔力ですねぇ」
     ミラはバリーから離れ、その気配を探る。
    「まっすぐ歩いてきてるみたいですねぇ。……バリー、頼みましたよぉ」
    「ああ」
     バリーはグラブをはめた拳を握りしめ、立ち上がった。
     と、その巨体がぐら、と揺れる。
    「……バリー?」
    「ミラ、……癒しの、術を」
     バリーは右脇腹を押さえ、うめく。
    「撃たれた」
    「え、えぇ!?」
     ミラが青ざめると同時に、周囲の兵士たちが次々に腕や足、腹を押さえて倒れていく。
    「早く」
    「は、はいっ」
     ミラの術で傷をふさいだバリーは、脂汗を浮かべながらも駆け出す。
    「援護を!」
    「は、はいっ! 『フィジカルブースト』! 『ロックガード』!」
     ミラの術がバリーの身体能力を引き上げ、身に付けている防具の強度を高める。
    「突っ込む!」
    「分かりましたぁ!」
     バリーとミラは、弾丸の飛んできた方へと走っていった。

    「突っ込んできた……、か」
     離れた場所から膝立ちで狙撃していたルドルフは、淡々と構えていた。
    「くそ、風が出てきたな……。弾が逸れる、逸れる。
     もう少し近付いてあの二人を仕留めてから、残りを一掃するぞ」
    「分かりました……」
    「うむ」
     ルドルフの背後にいた、首輪を付けられた赤毛の短耳と、体中に鎖を巻いたエルフは小さくうなずき、ルドルフに続いた。

     やがてミラたちの視界にも、敵の姿が捉えられた。
    「……ブリッツェン准尉さんですねぇ」
    「やっぱり、撃ってきたのは、ルドルフか」
    「でも風が強くなってきましたしぃ、銃弾は多分撃てないでしょうからぁ、あの人の後ろにいる人たちが来るんでしょうねぇ。
     ……バリー、止まって!」
     ミラは敵の攻撃を察知し、バリーを呼び止める。
     素直に従ったバリーのすぐ目の前の氷が、ガリッと言う音を立てて削られた。
    「……!」
    「風の術ですぅ」
    「……かわされたみたいですね」
     互いの声が聞こえる程度にまで近付いたところで、相手の短耳が、うつろな目で話しかけてきた。
    「あの、少し尋ねても?」
    「……何でしょぅ?」
    「あなた 方の軍に今、コウと言う央南人の剣士がいると聞きました。こちらにいらっしゃいますか?」
    「いいえぇ、セイナさんはぁ、北端の方ですぅ」
    「……あの『狐』め。つまらない方に僕を連れてきたな」
     ミラの返答に、短耳はうつむいてブツブツとつぶやき始めた。
    「セイナさんに会えるって言うからついてきたのに何だよ期待はずれじゃないか折角牢屋から出たって言うのに骨折り損だくそくそくそくそ……」
    「あ、あのぅ?」
    「何だようざいな話しかけるなようっとうしいよ邪魔だよ邪魔だ邪魔だ邪魔邪魔邪魔……」
     短耳はうつむいたまま、手をかざして魔術を放ってきた。
    「『ハルバードウイング』」
    「……!」
     飛んできた風の槍を、ミラは防御術で防ごうとした。
    「『マジックシールド』ぉ!」
     だが、予想以上に強い魔力が込められており、ミラの防御はやすやすと貫かれた。
    「ひっ」「危ない!」
     飛んできた槍を、バリーが全身で受ける。
    「う、ぐ」
     風の槍はバリーの右腕を、ざくりとえぐった。
    「バリー!」
    「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔」
     依然、短耳は魔術を放ち続ける。
    「……あの人、危ない人ですよぅ」
    「ああ。……ちょっと離れる」
     バリーはそう言って、短耳に突っ込んでいく。
    「邪魔邪魔邪魔じゃ……」「うるさい!」「あぐっ……」
     短耳は突っ込んできたバリーに、まったく目を向けない。と言うよりも、虚ろに槍をばら撒いていただけらしく、相手はあっさりと、バリーの右ストレートで吹き飛ばされた。
    「……マヌケか、あいつ。やっぱ使えねーな、いくらすごい魔術師っつっても頭おかしくなったヤツじゃ」
     ルドルフは呆れ、もう一人に声をかけた。
    「アンタが頼りだ、『スティングレイ』の御大」
    「……」
     スティングレイと呼ばれたエルフは無言で、コクリとうなずいた。
    蒼天剣・氷景録 5
    »»  2010.05.21.
    晴奈の話、第557話。
    狙われた司令。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     グリーンプール港と市街の境、エルスたちのいる作戦本部。
    「作戦完了まで残り8時間、か」
    「夜も更けてきた……」
     エルスとトマスの二人は高見台に昇り、港の様子を眺めていた。
    「銃声が随分少なくなったね」
    「最初に用意した弾が切れたらしい。まだ備蓄はあるはずだから、全滅ってことはないだろうけど」
    「していたら、とっくの昔にここまで攻め込まれてるさ」
    「だね」
     依然不安そうに眉をひそめるトマスに対し、エルスは穏やかに見下ろしている。
    「……しかめっ面だなぁ」
    「そりゃ、仕方ないさ。心配性だしね」
    「じゃ、いいこと教えてあげようか? 不安が一気に吹き飛ぶよ」
    「え……?」
     ニヤリと笑うエルスに、トマスはきょとんとした顔を見せた。

     その時だった。
    「……」
     エルスが突然、トマスの胸倉をぐい、とつかんで引き寄せた。
    「お、おい?」
     突然のことで、トマスはそのまま前のめりに倒れた。
    「な、なにす……」
     トマスは顔を挙げ、文句を言いかけたが、途中で止める。
    「……っ」
     目の前にいたエルスが、ナイフを握った何者かの腕を、トマスの頭上で止めていたからだ。
    「暗殺者、か。まずトマスを刺して、次に……」
     エルスは敵の腕を取ったままくるりと右に半回転しつつ、空いていた左手で敵のベルトをつかみ、そのまま投げ飛ばした。
    「僕も背後からさくり、……かな?」
    「うわ……っ」
     投げ飛ばされた敵と、エルスの背後にいた何者かが、もつれ合って高見台から落ちていった。
    「た、助かったよ、リロイ」
     トマスは恐る恐る立ち上がり、礼を言う。
     だがエルスはトマスに応じず、そのまま高見台から飛び降りた。

     着地したエルスの前に、先程エルスたちを襲った暗殺者二名が待ち構えていた。両者とも顔をフードで覆い、ナイフを構えている。
    「んー、と。名前、聞いてもいいかな?」
    「……」「……」
     やんわりと尋ねたエルスに対し、どちらも無言でにらみつける。
    「答えてくれないかな。じゃ、当ててみようか。
     僕がまだスパイやってた頃、前中央政府の要人を狙って暗殺を続け、逮捕・投獄された兄弟がいるって聞いたことがある。『阿修羅』ドミニクと並んで恐れられた、凄腕の暗殺者だとか。
     通称、『前鬼後鬼』のアペックス。……どうかな?」
    「……正解だ」
     暗殺者たちがフードを下げる。片方は猫耳、もう一方には虎耳が付いている。猫獣人の方が、先に名前を明かした。
    「私が兄の、ホン・アペックス」
     続いて、虎獣人の方が自己紹介する。
    「俺が弟、バイ・アペックス」
     二人はすっと離れ、エルスを囲んだ。
    「我々に恩赦を与えた『ヘブン』に報いるため、貴様の命をもらい受ける」
    「覚悟しろ、エルス・グラッド」
    「……」
     エルスはコキ、と首を鳴らし、トンファーを構えようとした。
     だが構え切る前に、背後にいたバイが襲い掛かる。
    「おっと」
     エルスは事も無げに、ひょいとかわす。そこを狙って、ホンの方がナイフを投げてきた。
    「参るなぁ」
     これも、エルスは避けきる。
    「昔っから、ナイフ使いは苦手なんだよねぇ。相性が悪いって言うか」
    「それは好都合」
     ホンが投げたナイフをバイが空中でキャッチし、もう一度エルスに投げつける。
    「相性悪いんならさっさと死んでくれや、大将さんよぉ!」
    「うーん」
     が、何度投げてもエルスに当たらない。
    「まだ死ぬわけには行かないなぁ」
     エルスは兄弟が投げた何度目かのナイフを、トンファーで弾き飛ばした。
    「戦争はこれからが本番だし、折角話とお酒の趣味の合う恋人もできたのに。ここで死ぬなんて、もったいなさ過ぎるよ」
    「叩くな、軽口を!」
    「チャラチャラしてんじゃねえッ!」
     アペックス兄弟は大量のナイフを取り出し、エルスの前後から滅多やたらに投げた。今度は流石に全弾弾くことはできず、エルスは体を目一杯ひねってかわす。
     だが、外れたナイフは兄弟たちがそれぞれキャッチして回収し、再度投げ続ける。いつまでも止まないナイフの十字砲火に、エルスは小さくうなる。
    (うーん……、流石に名の通った刺客兄弟だ。いいコンビネーションしてるし、隙が無いなぁ。避けるので精一杯って感じだ。
     逆に考えれば、そのコンビネーションこそが最大の強みってことだ。それを崩せれば……)
     エルスは避けながらも呪文を唱え、両目を左腕で覆って魔術を放つ。
    「『ライトボール』!」
     曇天の夜間に突然現れた強い光に、アペックス兄弟は幻惑される。
    「う、っ……」「目、目がっ」
     視界が失われ、互いの投げたナイフはキャッチされること無く四方に散乱する。
    「畜生、ナイフが……! こうなりゃ肉弾戦だ!」
    「早まるな、バイ! 視界が戻るまで距離を……」
     ホンが止めるが、バイは虎耳でエルスの位置を察したしく、まっすぐ突っ込んできた。
    「よし」
     エルスはバイの拳をかわし、がら空きになった胸倉と腰布をぐいとつかんで、体をひねりながら足払いをかける。
    「しまっ……」
    「……で、ダブルノックアウトだ」
     倒れ込んだバイの胸倉をつかんだまま、エルスはぐりんと回転し、投げ飛ばした。
    「……ッ!」
     ようやく視界が戻ってきたホンの眼前に、弟の顔が迫ってきた。

     もつれ合って建物の壁に突っ込み、暗殺者兄弟が動かなくなったのを確認し、エルスは安堵のため息を漏らした。
    「……ふう」
     エルスは高見台に置いてきたトマスの無事を確認しようと振り向き――もう一度、今度はがっかりしたため息を漏らした。
    「……はあ。まだ、頑張らなきゃいけないみたいだね」
     エルスの前に、先程のアペックス兄弟のように、フードで顔を隠したエルフが立っていた。
    蒼天剣・氷景録 6
    »»  2010.05.22.
    晴奈の話、第558話。
    王とは何か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     戦いが始まって、6時間が経過した。

     北海第4島、スタリー島。
    「どうだ、戦況は」
    「依然、正面突破はできていないわ。北端・南端からも返事は返ってこない。市街地に送ったリロイ暗殺班も、戻ってないわ」
     ドールの報告に、フーは腕を組んでうつむいた。
    「そうか。目処は立ちそうなのか?」
    「目処?」
    「グリーンプールを落とせそうなのか、って意味だ」
    「何でそんなコト……」
     ドールの問いに、フーは静かな眼差しで答える。
    「もし成功しない、無駄に終わったってんなら、全員が犬死にするってことだ。それは、いいことか?」
    「……そりゃ、よかないケド」
    「ドール。俺がなんで、戦いを主導してるか分かってるよな?」
    「ええ、まあ。アランに好き勝手させたくないんでしょ?」
    「そう、あの悪魔にこれ以上、皆を嬲り者にされたくないんだ」
     フーの言い回しに、ドールは首をかしげた。
    「嬲り者?」
    「考えてもみろ。あいつが参謀に復帰して以降、『ヘブン』では何が起こってた?」
    「……ま、確かに。アンタが頑張り出すまで、反乱と粛清の繰り返しだったわね」
    「だろ? それで結局戦争は始まらないし、国内の混乱は収まらない、憎まれるのは俺ばっかり。……誰にも、何にも、いいことなんか起こってなかった。
     あいつは目的と、それを達成するための手段とが食い違って、滅茶苦茶なんだ。きっとこの戦いにあいつが出張ったら結局、皆殺しになっちまうだろうな」
    「敵だけじゃなく、味方まで、ね」
    「そうだ。俺はな、ドール」
     フーは真剣な眼差しで、己の信念を説いた。
    「元はどうあれ、今は王様なんだ。
     上に立つ王様が、自分の国のために頑張ってくれてる奴らを見捨てて、見殺しにしてどうする? それが国のため、皆のためになるってのか? 俺は違うと思う。
     王様は皆がいてくれるから王様なんだ。俺を王様でいさせてくれる皆を見殺しにしたら、俺はもう王様じゃない」
    「……テツガク的ねぇ」
     ドールはクスクス笑いながらも、フーの意見にうなずいてくれた。
    「ま、言いたいコトはよぉく分かるわ。それじゃ、状況が悪化し始めたらまた伝えるわ。
     アンタの大事な皆を、少しでも生かすために、ね」
    「……頼んだ」



     北海第5島、フロスト島。
    「……」
     灯りのない、真っ暗な森の中に、アランが立っていた。
    「……ぬるい。あまりにぬるすぎる」
     アランの目には、はるか十数キロ先で戦う同盟軍と日上軍の姿が映っていた。
    「私を差し置いて、己自身で軍を率いての行動が、この体たらくか。
     ……だめだ。まだ、あいつには『王』が何であるか、欠片も理解できてはいないようだ」
     アランはのそりと、森の中から姿を表した。
    「王とは一人であるべきなのだ……!
     一人であるからこそ、貴く。一人であるからこそ、尊ばれる。
     ただ一人であるから、どんなに我侭でも許される。ただ一人であるから、どんなに貪欲でも許される。
     その一人のために民の皆が汗を流し、涙を流し、血を流すのだ。
     その民のことなど、ただ一人の存在たる王が気にかけて、どうすると言うのだ。
     民を愛する王など、民を気遣う王など、あってはならない……!」
     アランは懐から、一枚の金属板を取り出した。
    「民こそは王の玉座である。民こそは王の道具である」
     アランは金属板を手に、氷原へと歩き出した。
    「民こそは王の――食糧である」

    蒼天剣・氷景録 終
    蒼天剣・氷景録 7
    »»  2010.05.23.
    晴奈の話、第559話。
    兄妹の死闘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フーによる「トモエ作戦」が開始されてから、6時間が経過していた。
    「どうなってます……?」
     ディーノは周りにいた兵士たちに、戦況を尋ねていた。
    「依然、膠着状態にあるとのことです」
    「そうですか……」
     ディーノたちは現在、交戦中であるグリーンプールの郊外に留まっていた。
     元々、ディーノがミラーフィールドからこちらまで下りて来たのは、リストへある物を渡すのが目的だった。新しい銃技術を考案し、その試験と実用を兼ね、リストに使ってみてもらおうと考えていたのだ。
     ところが街外れで、兵士たちに足止めされてしまった。「トモエ作戦」により日上軍がグリーンプールに現れたため、街への出入りが制限されてしまったからである。
     無理矢理入るわけにも行かず、仕方なくディーノは兵士たちと共に、戦況を見守っていた。
    「こう言う時にこそ、使ってほしかったんですけどねぇ」
    「それが、その新兵器なんですか?」
     兵士の質問に、ディーノは首をわずかにかしげる。
    「あー、新兵器、と言うのとは、ちょっと違うんです。既存の武器にですね、ちょっとプラスすると言うか、補助する道具なんですよ」
    「は、あ……?」
     ディーノの説明が分からず、兵士は狐につままれたような顔を向けた。

     と、別の兵士も狐につままれたような顔をしながら、ディーノに近付いてきた。
    「あの、アニェッリ先生。『頭巾通信』が入っております」
    「え? 僕にですか?」
    「はあ、そうでして」
    「誰でしょう……? 僕がここにいるなんて、どうやって」
    「あ、それはですね、通信している間に、先生のことが話題に上りまして」
    「そうなんですか。それで、誰から?」
    「相手の方は、『話せば分かる』と」
    「はあ……?」
     ともかくディーノは頭巾を受け取り、頭に巻いた。
    「……え? その声……、えっ」
     途端に、ディーノの目が見開かれる。
    「そんな、でも君、……そうなんですか。じゃ、……あ、そうですか。え? ……へえ。それは楽しみですね」
     話しているうちに、ディーノの顔がほころんでくる。
    「じゃあ今、海上に? ……なるほど。……あ、それで僕に? ……はは、ありがとう。分かりました。計算してみます」
     ディーノは頭巾を巻いたまま、兵士に声をかけた。
    「すみません、紙とペンを。弾道計算しなきゃいけないので」
    「弾道、計算?」
    「ええ。戦況を覆す、大きな一手です」
     紙とペンを渡されたディーノは、楽しそうに計算式を並べていった。



     同時刻、グリーンプール港と市街の境。
    「君も、僕を狙ってるのかな」
     エルスは目の前の、フードを被った長耳に声をかける。
    「そうよ」
     声を聞いたエルスの笑顔が薄れる。
    「……その声。まさか、君は?」
    「そうよ、兄さん」
     長耳はフードを取り払う。そこには怒りに満ちた、エルスの実妹――ノーラの顔があった。
    「何年ぶりかしら? 5年?」
    「そのくらい、かな」
    「会いたかったわ」
     ノーラはコートを脱ぎ、体術の構えを取る。その構えはエルスのそれと遜色ない、達人級の気迫を放っていた。
    「嬉しいことを言ってくれるね、ノーラ」
    「……あなたはいつもそう」
     ノーラは地面を蹴り、エルスとの間合いを詰める。
    「いつも軽口ばかり。その口からは、まったく真実を出さない。薄っぺらな台詞ばかり吐く」
    「そんなつもりはないよ」
     ノーラの正拳突きを、エルスは後ろに退きつつ受ける。
    「僕はいつも真面目さ。真面目に答えてるつもりだよ」
    「どこがよッ!」
     正拳突きを止められたノーラは拳を引くと同時に左脚を挙げ、エルスの頭を狙う。
    「父さんが失脚した時、あなたは私に何て言った!? 『僕が付いててあげる』って言ったわよね!?」
     この蹴りも、エルスは紙一重でかわす。ノーラは空振りした脚をそのまま着地させ、軸足にして右脚を挙げる。
    「その後いきなり、無責任に姿を消したのは、どこのどいつよッ!? あなたでしょ!?」
    「それは、まあ、うん」
    「その後私がどんな目に遭ったか、知らないでしょう!?
     毎日、地獄だったわ! どこへ行っても『罪人の娘』『罪人の妹』って! 一々頭に『罪人』と付けられて、嬲られて、蔑まれて、疎まれて!」
     二段目の蹴りが、エルスの右手首をかする。蹴ったとは思えない、ビシッと言う鞭のような音を立てて、エルスの右手首から血が弾ける。
    「……っ」
    「ひどい時なんか、売女扱いよ!? 私は何も、悪いことなんかしてないのに、よ!?」
     ノーラの攻勢は止まらない。
    「それもこれも全部、全部、全部ッ!」
     ノーラは右脚をこれでもかと強く地面に落とし、叩きつけるように踏み込む。
    「アンタのせいよ! この、疫病神ッ!」
     踏み込んだ勢いを背中に移し、そのままエルスに体当たりした。
    「が、ッ」
     エルスの肺や胃、横隔膜、内臓に強烈な圧力がかかり、口から勝手に息と胃液が漏れる。
    (てっ、鉄山靠……ッ)
     ノーラより二周りは重たいはずのエルスが、易々と弾き飛ばされた。
    蒼天剣・晴海録 1
    »»  2010.05.25.
    晴奈の話、第560話。
    紳士の戦い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ノーラの攻撃を受けたエルスは地面につんのめりながら、そのままずるずると後ろに飛ばされていった。
    「がっ、かふっ、げ、ぐ、っふ」
     ようやく体が止まるが、呼吸しようにも、肺が広がってくれない。立ち上がることもできず、そのまま咳き込んでいた。
    (ああ、やばいなぁ……。これは予想以上だ)
     倒れたままのエルスに、ノーラは容赦なく蹴りを浴びせる。
    「立ちなさいよ、クズ……ッ!」
    「がっ、うあっ」
     何度目かの蹴りで、エルスは自分の左奥歯と頬骨が折れ、右肩が外れるのを感じた。
    (うう、痛い。まだ呼吸もままならないし、これはちょっときついかもなぁ)
    「ほら、アンタ最強の諜報員だったんでしょ!? 英雄だったんでしょ!?」
     ノーラはピクリとも動かないエルスを、なお踏みつける。
    「その英雄サマが、最強の男が、私にいいようにやられるのッ!?」
    (……何だかなぁ)
     と、地面にへばりついていたエルスが突然消え、ノーラの足が地面を蹴る。
    「い、った……っ!?」
    「ノーラ、君は一体何が言いたいの?」
     いつの間にか、エルスはノーラから2メートルほど離れた場所に立っている。左顔面が腫れ上がっているが、その口からはいつものように軽妙な言葉が飛び出す。
    「僕を馬鹿にしてるの? それとも尊敬してるの?
     英雄サマ、英雄サマって称えながら蹴りを浴びせるって、屈折してるね」
    「い、いつの間に……?」
     エルスは外れた肩を戻しながら、鼻血まみれの顔でにっこりと笑った。
    「確かに僕は、適当なことばかり言っているように見られる。いつもヘラヘラしてるし、口から出るのは軽口ばかりだ。
     だけどね、僕は今まで適当に生きてたことは、一瞬たりとも無い。どんな時だって、何をどうすれば最もいい結果が出るかを考えて、動いている。
     本当は君のことも、央南に連れて行きたかったんだ。だけど運悪く、君は遠出していた。『バニッシャー』の再強奪は急ぎでやらなきゃならないことだったし、僕はそっちを選んだ。
     でも君のことは、いつかどうにかして、迎えに行きたかった」
    「……嘘よ」
     ノーラはきっとエルスをにらみつけ、再度構える。
    「本当さ。そのために、僕は央南での地位を確立した。今こうして、北方で指揮を執っていることこそ、その証明だ。
     僕が何の権力も無い、一兵卒のままであったなら、こうして北方の土を踏むことはできなかっただろう?」
    「……詭弁よ。だったら何で、もっと早く迎えに来てくれなかったのよ!」
     ノーラが再度、間合いを詰める。
    「その点は、本当に心から謝りたい。僕にもっと手腕があれば、もっと早く迎えに来られたのに、と悔やんでいる」
    「口ばっかり!」
     ノーラは下段、上段、中段と、エルスを惑わせるように蹴りを放つ。だが、そのどれもが空を切り、エルスには当たらない。
    「本当さ。信じてほしい。……まあ、何を言っても結果は結果だね。君を助けられなかった」
    「……っ」
     ノーラの何度目かの蹴りがエルスの胸を突くが、ぺた、と軽い音が響くだけに留まる。エルスが後ろに退くことで、威力が削がれたのだ。
    「……ねえ、ノーラ。まだやり直しは効くかい?」
    「えっ?」
    「今ここで、僕を許してほしい。僕のことを許して、僕たちの側に来てくれないか?」
    「なっ……」
     ノーラはエルスをにらみつけるが、声には今までのとげとげしさが感じられない。
    「できるわけ、ない……っ」
    「本当に?」
    「……できない。できないわよ、もう。だってもう、アンタをボコボコにしてる、し……」
    「許してほしいんだ。今までのことは、全身全霊をもって謝る。君の望むことなら、何でもする。
     だから僕を許して、僕に付いてきてよ、ノーラ」
    「……できないッ!」
     ノーラは声を荒げ、両手を突き出した。
    「『サンダースピア』!」
    「……っ」
     ノーラの掌から放たれた雷の槍が、エルスに向かって伸びる。
     だが――。
    「……ぐすっ」
     槍はエルスの頭上はるか上を過ぎ、夜空の彼方へと飛んでいった。
     エルスはそれを見上げもせず、目を赤くしているノーラへ、優しげに声をかける。
    「もう一度聞いていい?」
    「……いいわ」
    「許してくれる?」
    「……逆じゃ、ないの?」
     ノーラはその場に座り込み、グスグスと鼻を鳴らす。
    「私は、アンタの命を狙ったのよ? それを詰問するどころか、『許してくれ』? 逆でしょ、普通……」
    「いや、普通なら」
     エルスはノーラを、そっと抱きしめた。
    「先に悪いことをした方が非難されるはずだろ? だったら僕が許される方が、先ってもんさ」
    「……ばか」
    蒼天剣・晴海録 2
    »»  2010.05.26.
    晴奈の話、第561話。
    侍と騎士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「はあ、はあ……」
    「どうだ、猫侍……! 前のような不覚なぞ、取りはせんぞ……!」
     晴奈とハインツの戦いが始まって、既に2時間以上が経過していた。
     ハインツなりに、前回の敗北から学んだらしい。無理矢理に晴奈を追いかけることはせず、長い槍で間合いを取り、晴奈を牽制している。
     晴奈も背が高いため、それなりに手足のリーチはあるのだが、刀では槍の長さには対抗できない。一向に有効打を入れられず、構えたまま動けずにいた。
     と言って、ハインツが優勢だったわけでもない。一瞬でも気を抜けば、晴奈は容赦なく槍を「燃える剣閃」で切り落として仕掛けてくる。そうなれば前回の繰り返しになり、ハインツの敗北は確定してしまう。
     互いに牽制し合い、一向に決着は付かなかった。

    「……う……」
     その合間に、晴奈に倒されたデニスが目を覚ましていた。
    「あ、起きた」
    「峰打ちだもんね」
     横には小鈴と、ストールを脱いだミールが座っていた。
    「峰打ち? ……くそう、カッコよすぎるぜ」
     デニスは上半身を起こし、頭を抱える。
    「大丈夫、デニス?」
    「ああ。肋骨が折れてるみたいだけど、それ以外は何とも」
    「治療してあげなさいよ、ミールちゃん」
    「んー……」
     いつの間にか仲良くしている二人を見て、デニスが呆れる。
    「おいおいミール、何してんだよ。敵だぞ、そいつ」
    「んー……、でも、悪い人じゃない」
    「んふふ、デニス君」
     小鈴はニヤニヤしながら、デニスの額をつつく。
    「こーんな可愛いカノジョ、心配させちゃダメでしょ」
    「う……、うるせえ。敵に心配される筋合い、ねーよ」
     顔を真っ赤にしたデニスに、小鈴はもう一度ニヤリと笑う。
    「いーじゃん。もう戦線離脱したんだし、敵も味方もないわよ」
    「……だなぁ。相手が悪すぎた」
     デニスは武具を脱ぎ、ミールの治療を受ける。
    「んー……、『キュア』。んー……、痛くない、デニス?」
    「大丈夫、効いてるよ。……折角、300万溜まると思ったのになぁ。悪いな、ミール」
    「んーん、デニスが無事ならいい」
    「んなこと言ったって、これでようやく土地と家が買えるトコだったんだぜ」
    「いいってば」
     二人の様子を眺めていた小鈴は、ポンと手を打った。
    「んじゃ、さ。アンタらもこっち来れば?」
    「は?」
     小鈴の提案に、デニスは目を丸くする。
    「何言ってんの、アンタ?」
    「ウチのリーダーはいい人だから、二つ返事で入れてくれるわよ。でっかいスポンサー付いてるから、お給料もいいし」
    「給料?」
     金の話になり、デニスの目の色が変わる。
    「……ちなみに聞いとくけど、いくら?」
    「こんくらい」
     小鈴は指で、額を示す。
    「う」
    「あ、アンタら強そうだし、もっと行くかな? こんくらいかも」
    「うっ」
     デニスは小鈴から目をそらし、ミールと小声で話し合う。
    「……いいよな……」「んー……」「半年くらい続くって考えたら……」「いーかも」
    「あと、北方は土地安いわよ。坪当たりの単価、山間部だと央北首都圏の3分の1くらいよ。寒いけどね」
    「ううっ」
    「北方は軍事国だし、傭兵が食いっぱぐれる心配ゼロよ」
    「……もうちょっと、話をさせてくれ」
     二人は再度こそこそと話し合い、揃って小鈴にぺこりと頭を下げた。
    「お話、通しておいてください」
     小鈴はニヤッと笑い、承諾した。
    「いーわよ」

     膠着した状況に、晴奈もハインツも憔悴し始めていた。
    「はぁ……はぁ……」
    「ふう……ふう……」
     互いに相手をにらみ、刃を向け合っている。両者にかかるストレスは、相当なものだった。
    「……ぐっ」
     その重圧に、先に痺れを切らしたのは、ハインツの方だった。
    「でえやああああッ!」
     槍をうならせ、晴奈との間合いを詰めていく。
    「はッ!」
     晴奈も間合いを詰め、ハインツの持つ槍の間合いから外れようとする。
    「させるかああッ!」
     だが、ハインツは一瞬早く、ぐりっと槍を薙いで、晴奈の胴を狙った。
    「甘い!」
     晴奈は刀を地面に突き刺し、くるりと半回転して空中に浮かぶ。槍は晴奈の胴を切り裂くことなく流れ、ハインツの胴ががら空きになった。
    「りゃあッ!」
     晴奈は飛び上がった勢いのまま、両脚を揃えてハインツの脇腹を蹴り飛ばした。
    「ゲボッ……!?」
     ハインツの肋骨がボキボキと音を立てて折れ、口からわずかに血が噴き出る。
     晴奈は静かに着地し、刀をハインツの首に当てた。
    「勝負あったな、シュトルム大尉」
    「く、そっ。吾輩が二度も、同じ相手に後れを取るとは」
    「……いや、お主も相当の腕前だった。ほんの少し手を打ち間違えれば、倒れ伏したのは私の方だったろうな」
     そう返した晴奈の左肩は、赤く濡れていた。
    蒼天剣・晴海録 3
    »»  2010.05.27.
    晴奈の話、第562話。
    氷上の赤エイ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     バリーは荒い息を立てながら、目の前に浮かぶ壮年のエルフをにらんでいた。
    「ふっ……ふっ……」
    「そんなものか、元側近とやら」
     エルフは表情をピクリとも変えず、鎖の付いた分銅を投げつける。
    「ぐっ……」
     分銅はバリーの腹に当たり、バリーは重たくうめく。
    「この『スティングレイ(赤エイ)』の敵ではないな」
     その呼び名の通り、スティングレイは体中のいたるところから、まるでトゲや触手のように分銅を投げつけ、攻撃してくる。
     さらには、己の体も鎖で吊り上げ、空中に浮かんでいた。
    (金属を操るとなるとぉ、磁気を司る土の術ですよねぇ。でもぉ……)
     バリーの背後で構えていたミラは、スティングレイの術を破ろうと画策している。
     しかし、土の術を打ち消せる雷の術を、彼女は習得していない。半ばバリーに任せるしかなく、ミラは回復に専念するしかなかった。
    「く、くそっ」
     バリーも、飛んでくる分銅をどうにかしようと奮闘していた。
     しかし分銅が飛んでくる速さは尋常ではなく、避けるのは難しい。ダメージ覚悟で、体にぶつかった分銅をつかんで引っ張ろうとしても、逆にバリーの巨体が引きずられ、振り回される。

     成り行きを見守っていたルドルフは、スティングレイの働き振りにニヤニヤしていた。
    (いやぁ、80超えてるじーさんとは言え、流石に名前の通った傭兵だなぁ。あのデカブツが、いいようにやられちまってる。こりゃ、期待大だな。
     ……それに引き換え、なんなんだコイツは?)
     ルドルフはバリーのパンチを受けて伸びている、赤毛の魔術師に舌打ちした。
    (魔力は相当なもんだって言うから連れて来たのに、役に立ちゃしねー。連れて来る間も『セイナさん』『セイナさん』ってブツブツつぶやきやがって、気持ち悪いっつーの。
     誰だよセイナって? まさか敵将の、セイナ・コウのことか? だとしたら身の程知らずのアホだな。単騎で敵うわけねーだろ)
     心の中で倒れた赤毛にケチをつけながら、ルドルフは傍観し続けていた。
     と、スティングレイが声をかけてくる。
    「ところでブリッツェン少尉」
    「んあ?」
    「貴君は戦わぬのか? わし一人に任せ切りにするな」
    「ああ、悪い悪い。でも風が強くってさ、俺の持ってる銃じゃまともに弾、飛ばねーんだ」
    「……屁理屈を」
     スティングレイは小さく鼻を鳴らし、バリーの方に向き直った。
    「わしは老体だからな。いい加減、こんな寒い中を浮いているのにも飽きた。さっさと仕事を終えさせてもらおう」
     スティングレイは体中の鎖をすべて外して着地し、バリーに向かって投げつけた。

    「……っ」
     バリーは目を見開き、腕を交差させて防御姿勢を取る。バチバチと、バリーの体中に鎖と分銅がぶつかり、みるみるうちに青アザが広がっていく。
    「ぐ、く……」
    (な、何とかしなきゃ! でもどうしたら……)
     ミラはきょろきょろと辺りを見回しながら、対抗する方法は無いか考える。
    (アタシにできるコトは、水の術と、土の術と、癒しの術くらいですよぅ。その中から、使えそうなのって……)
     だが、見渡しても視界に入るのは、バリーの傷つく姿と、氷原ばかりである。
    (氷が無ければ、海水を水の術で槍にできるんですけどぉ……。土の術も、相手さんの方が強くて、干渉できないですしぃ……。
     ああもう、どうすればいいんですかぁ~)
     と、ミラはスティングレイの鎖が、先程から火花を立てていることに気が付いた。
    (火花……。と言うコトはぁ、ちょっとずつ、ちょっとずつあの鎖、削れてるんですよねぇ? 削れた欠片は、ドコに?
     ……足元、ですよねぇ? あの人の)
     ある作戦を思いついたミラは、そっと土の術を唱える。
    「『グレイブファング』」
    「気が狂ったか、娘」
     ミラの行動に気付いたスティングレイが、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
    「ここは氷の上ぞ? 土などどこにあると言うのだ」
    「土の術はぁ、土じゃなくてぇ、厳密には鉱物とか、金属とかを操る術ですぅ」
    「わしに魔術講義か? そんなことは百も承知だ」
    「……ですからぁ」
     突然、スティングレイの足元の氷にヒビが入った。
    「ぬおっ!?」
    「鎖が削れてできた鉄粉もぉ、操れるんですよぅ。それを小さい針にしてぇ、ヒビを入れるくらいのコトはできると思ったんですぅ」
    「うお、お、おおおっ……」
     ヒビの入った氷はあっと言う間に割れ、スティングレイを極寒の海に引きずり込んだ。
    「……やべっ」
     今だ風は強いままである。対抗手段の無いルドルフは慌てた様子で、その場から逃げ出していった。
    「ま、待て!」「いいですバリー、追わなくて!」
     追おうとしたバリーを、ミラが止めた。
    「それよりもぉ、手当ての方が先ですよぅ。それに作戦も随分、中断してしまいましたぁ。急がないと夜明けまでに間に合いませんよぅ」
    「……そう、だな」
     ミラたちは倒れたままの赤毛と、海に沈んだスティングレイを放って、持ち場へと戻っていった。
    蒼天剣・晴海録 4
    »»  2010.05.28.
    晴奈の話、第563話。
    防衛戦、佳境へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     明け方が近付く頃、兵士たちの疲労はピークに達していた。既に半数以上が氷原から退却し、最終防衛線である港に上がり、再度守りを固めようとしている。
     リストも持っていた銃弾を撃ち尽くしていたため、港で補給を受けていた。
    「こんだけあれば、まだ十分戦えるわ。ありがと」
    「あの、チェスター指揮官。お休みになっては?」
     再び戦いに赴こうとするリストを、補給兵が引き止める。
    「もう9時間以上、戦い通しです。これ以上は……」
    「これ以上? まだできるわよ」
    「いいや、リスト」
     そこに、顔面に大きな湿布を貼ったエルスがやってきた。
    「目にクマができてる。顔色も悪い。今は興奮で疲れを忘れてるだけさ。そのうちにドッと、疲れの波が押し寄せてくる。休んだ方がいいよ」
    「……そうね。否定はしないわ。多分コレ終わったら、バタッと倒れちゃうでしょうね」
    「休みなよ。幸いと言うか、戦いは現在、膠着状態にある。今なら30分くらい、小休憩が取れる。それくらい休めば、多少はすっきりするはずさ」
    「ん、分かった。……ところでエルス」
     そこでリストが、エルスの顔面について尋ねてきた。
    「どしたの、その顔? 何で戦線に出てないアンタが負傷してんの?」
    「ま、ちょっとね」

     港の北端。
    「……ん、了解了解」
    「通信頭巾」で南端との連絡を取っていた小鈴が顔を挙げる。
    「邪魔が入ったけど、今んトコ順調だってさ。んで、簡単に氷を割るいい方法も教えてもらったわ」
    「そうか」
     晴奈たちが守る北端側も、ハインツたちを退けて以降は積極的な攻めが行われず、術士隊による砕氷作戦は順調に進められていた。
    「司令本部によれば、敵は正面突破一本に絞ってきたそーよ。こっちにいた敵も、そっちの方に集まってるみたい」
    「と言うことは、我々の仕事は大方終わったわけか」
    「そーなるわね。ま、後はじっくり腰を据えてましょ」
    「ああ」
     と、小鈴の説得で寝返った賞金稼ぎ二人も、晴奈たちの元にやってくる。
    「お茶入りました、タチバナさん、コウさん」
    「ん、ありがと」
     小鈴に大口の仕事と土地を紹介してもらえるとあって、二人は小鈴に愛想よく振舞っている。
    「……まあ、助けになるからいいが、腰の軽い奴らだな」
    「いーじゃん。悪いヤツらじゃないし」
    「そうだな」

     南端。
    「いい感じですねぇ」
     スティングレイとの戦いでヒントを得たミラは、銃士たちに頼んで火薬を集め、それを土の術で細長い針に変形させ、それを縦に発火・爆発させることで立て続けにヒビを入れ、割ると言う方法を考案した。
     これにより、想定していたよりももっと早く作戦遂行ができると判断し、ミラは北端の術士隊にも同様の方法を伝えていた。
     そして現在、ミラたちの眼前には横一線に、針状になった火薬を差した、細い穴が並んでいた。
    「後は、コレを爆破させるだけですねぇ」
    「そう、だな」
     二人は安堵のため息を、ほっとつきかけた。
     と――。
    「……っ」
    「な、……んだ?」
     薄闇の向こうから、何かが歩いてきていた。
     その赤い何かは、あまりにも禍々しいオーラを放っていた。



     時間は1時間前にさかのぼる。
    「……ぷはっ!」
     氷原の割れ目から鎖が飛び出し、続いてスティングレイが這い上がってきた。
    「し、死ぬかと、思った」
     彼はガチガチと歯を震わせながら、何とか氷原の上に戻ってきた。
    「わ、わしとしたことが、ま、まさかあんな手に、してやられるとは」
     体をこすり、暖を取ろうとしたその時だった。
    「……うん?」
     未だ倒れたままの、赤毛の魔術師の横に、フードを被った何者かが屈み込んでいた。
    「さあ、目覚めろ。王の糧となるために」
    「……っ、……ぁ、……ぃっ」
     赤毛の背中には、紫色に光る金属板が突き立てられていた。
     魔術に長けたスティングレイには、その金属板に彫られている絵が魔法陣だろうと言うことは分かったが、何が起ころうとしているのかまでは推測できなかった。
    「何を……、している?」
    「うん?」
     フードの男が立ち上がり、スティングレイを見る。
    「丁度いい。こいつで、己の力を試してみるがいい」
    「……ハイ……」
     背中に金属板を突きたてられたまま、赤毛は立ち上がった。
     その瞬間、スティングレイの全身に、極寒の海中に沈んだ時以上の怖気が走った。
    「なんだ……こいつは……!?」
    「……ア……ウア……」
     赤毛はまるで操り人形のように、かくんと右腕を掲げた。
    「……~ッ!」
     スティングレイは全身の鎖を前方に集め、防御姿勢を取る。
    「……がはッ……ば……馬鹿な……このわしが……」
     だがその鎖は粉々に割られ、化物のような爪の生えた赤毛の右腕が、スティングレイの胸に深々と突き刺さっていた。
    「さあ行け、王の奴隷。奴らを一人残らず、殺せ」
    「……ハイ……」
     赤毛は掲げたままの右腕からずるりとスティングレイの体を降ろし、ズルズルと音を立てて歩き始めた。
    蒼天剣・晴海録 5
    »»  2010.05.29.
    晴奈の話、第564話。
    魔獣の呪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「で、まーたお前は負けて戻ってきたのか。連れて行った傭兵にも裏切られて」
    「……面目ありません」
     ブルー島、救護所。
     包帯でぐるぐる巻きにされ、横になっていたハインツの前に、フーが呆れ顔で立っていた。
    「つくづく運がねーな、お前。腕はいいのになぁ」
    「……うう」
    「ま、じっくり休んで傷、治しといてくれや。何だかんだ言っても、お前は俺に付いてきてくれるしな。頼りにしてるんだぜ、これでも」
    「ありがたき、幸せです……」
     ハインツを元気付けた後も、フーは救護所を回って兵士たちに声をかけ続ける。その間にも、フーはドールに現状を確認していた。
    「戦況はどうなってるんだ?」
    「良くないわね。北端はさっき伝えた通り。南端も、ルドルフ君と兵士数人だけで、ボロッボロになって逃げ帰ってきたわ。
     リロイを狙った『前鬼後鬼』とノーラは戻ってこないし、コッチが送った刺客は全滅でしょーね。
     今は残ってる兵士を集めて、正面突破に切り替えてる最中よ」
    「そっか。……参ったなぁ。奇襲作戦、うまく行くかと思ったんだけど」
    「ええ。まさか『銀旋風』が裏切り、凄腕の『スティングレイ』もやられるなんてねぇ。この分じゃ、ノーラたちもやられちゃったかも」
    「うーん……」
     救護所を一通り回ったフーは自室に戻り、頭を抱えてうなる。
    「正面突破が成功する可能性はどれくらいだ?」
    「五分五分ってトコね。相手側が考えてる砕氷作戦のリミットは、日の出と海水温度の上昇を考えれば後、2時間半くらいでしょうね。それまでに港を制圧できれば、アタシたちの勝ちなんだけどね」
    「2時間半か。皆の疲労を考えれば、厳しいところだな」
    「どうする、ヒノカミ君?」
    「……そうだな。その2時間半を、俺たちとしてもリミットとしよう。それまでに制圧の目処が立たなけりゃ、撤退しよう」
    「ん、伝えとくわ」
     ドールはうなずき、トテトテとした足取りでフーの部屋を離れた。
     一人になったフーは机に突っ伏し、悪態をついた。
    「……くそっ。やっちまったか」
     頭を抱えてうなるが、失敗したことは取り消せない。
    (どうすっかな……。うまく行けばそのまんま攻めてくだけだけど、負けたらかなりきついな。兵士の皆も、大きく士気を落とす。それを引き上げ直して再度戦いに行かせるってのがもう、至難の業だ。
     そもそもこの戦争、負けたら大損、勝ってもうまみは少ない。そう言う戦争なんだよな。何でこんなこと、しなきゃいけねーんだ? つくづくロクなことしやがらねーな、アランは)
     重たいため息をつき、フーは顔を挙げた。

    「……っ」
     いつの間にか目の前には、そのろくでもない男――アランが立っていた。
    「フー。戦況は思わしくないようだな」
    「ああ。……だから何だ? 『責任とって王様辞めろ』とか言うつもりか? だったら大歓迎だけどな」
    「そんなことを言うものか。お前は純然たる王なのだ。地位として王にあるのではない」
    「知るか。……で、何の用だ?」
     フーの問いに、アランは懐から金属板を取り出して答えた。
    「これをある傭兵に取り付けた」
    「何だそれ?」
    「人間を魔獣にする代物だ」
    「……は?」
     言っている意味が分からず、フーは聞き返す。
    「人間を、魔獣に? 何言ってんだ?」
    「そのままの意味だ。今頃、一匹のモンスターが戦場に現れている頃だろう」
    「……モンスターに、か。元に戻せるのか?」
    「いいや」
     アランは何を言っているのか、と言いたげな様子で答える。
    「一度モンスターになってしまえば、そのままだ。本能の赴くまま、破壊の限りを尽くすだろう」
    「……それを、お前がやったってのか」
     フーの頭に、ドクドクと血が昇ってくる。
    「人間をモンスターにして、けしかけたってのか」
    「そうだ。今頃は、絶大な効果を……」「ふざけんなあああッ!」
     フーは怒りに任せ、アランを殴り飛ばした。
    「何考えてんだ!? 兵士を前後見境の無い化物にして、特攻させたってのか!?」
    「……そうだ。効果はあるのだぞ。何を怒る?」
    「これが怒らずにいられるかッ! てめえ、自分が何をやったか分かってんのかッ!?」
    「ど、どうしたのヒノカミ君!?」
     フーの剣幕に驚いたドールが、部屋に入ってくる。
    「こいつが、兵士をモンスターに変えて戦場に送ったって言ったんだ!」
    「……マジ?」
     これを聞いて、ドールの顔色が変わる。
    「たった今、正体不明のモンスターが南端に現れて、敵味方構わず襲ってるって連絡、入ってきたのよ。何ソレって思ってたんだけど、……本当、なのね」
    「ほら見ろ、アラン! 何が絶大な効果だ! 味方まで殺してるって言ってるんだぞ!」
    「それがどうした? すべては作戦成功のためだ。多少の犠牲など、戦争には付き物だろう?」
    「……何が作戦だッ」
     フーは再度アランを蹴り倒し、部屋を出た。
    「作戦は中止だ! 今すぐ、モンスター討伐に切り替えろ!」
    「えっ? えっ?」
    「そんな敵味方構わず皆殺しにするようなモノ使ってまで、成功させる意義のある作戦なんてあるわけねえッ! やめだ、やめ! それよりもケジメをつける!
     こんなことが皆に知れ渡ってみろ――俺は王様どころか、世界最大の罪人だ!」
    蒼天剣・晴海録 6
    »»  2010.05.30.
    晴奈の話、第565話。
    総員集合。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     エルスの指示に従い、ゆっくりと茶を飲んでいたリストの元に、血まみれの伝令が駆けつけた。
    「た、大変です! モンスターが!」
    「モンスター……?」
    「現在港南端で暴れており、敵・味方問わず死傷者が多数発生しています!
     とても日上軍と交戦を続けられる状態ではなく、敵兵士は既に撤退! 残った自軍で撃退しようと、戦闘が続いています!」
    「……何だか良く分かんないけど、ヤバいのね?」
    「はい! 私も、攻撃を受けまし……」
     と、伝令の口が止まる。
    「……っ」
     次の瞬間、伝令は大量の血を吐いて倒れた。
     その背中には、真っ赤な爪跡が深々と付けられていた。

    「怪物だと……!?」
    「一体、何が?」
     北端でも、この異様な報告は伝えられていた。
    「敵は撤退したと言っていたな。周りに潜む気配もなし。……ならばここを離れ、南端に向かっても問題はあるまい」
    「ええ。あたしは作戦続行するから、頼んだわよ」
    「相分かった。皆の者、向かうぞ!」
     晴奈も兵士を引き連れ、南端へと向かった。

    「何なんだ、コイツはッ!?」
    「ひい、いいっ……」
     突如現れた真っ赤な怪物によって、港南端は修羅場と化していた。
    「……ウ……アア……」
     最初は辛うじて人間らしい形を残していた怪物だったが、時間が経つにつれてより獣らしい形状を帯び、その爪と牙で次々に兵士たちを惨殺していく。
    「わ、わああーッ……」
    「ひっ、ひ、っ、……」
     ある者は体を二つに裂かれ、ある者は首から上が弾け飛び、またある者は腹を割かれ、見るも無残な姿に変えられていく。
     対人戦闘に慣れた兵士たちも、この地獄絵図には呆然としていた。
    「……逃げろ! 逃げるんだ!」
    「しかし敵が……」
    「どこにいるって言うんだ! もうあいつらも逃げた! 俺たちも……」「ダメですぅ!」
     及び腰になる兵士たちを、バリーの手当てをしていたミラが一喝した。
    「あの赤い怪物、このまま放っておいたら港に来ちゃいますぅ!
     アタシたちがぁ、ココで止めなくてどうするんですかぁ!? グリーンプールの皆、殺されちゃいますよぅ!?」
    「……そ、そうだっ」
    「逃げてどうする……!」
    「だ、だけど」
    「どうやって倒せば……!?」
     兵士たちは逃げるのをやめたが、打つ手が無く遠巻きに囲むことしかできない。
     と、怪物が両手を挙げ、ぼそっとつぶやいた。
    「……ウ……ウア……『ハルバード……ウイング』……」
     極太の風の槍が、兵士たちに向かって飛んで行く。
    「ぐはあ……ッ」
    「ごばッ……」
     離れていた兵士たちも、真っ赤な肉塊に変わっていく。
    「ひい、ひいい……」
    「だ、ダメだ……勝てない……」
     兵士たちの顔に、絶望の気配が色濃く漂った。

     その時だった。
    「……ア……ウッ……?」
     怪物のこめかみから、ほんのわずかだが血しぶきが弾けた。
    「……えっ?」
     きょとんとする兵士たちの目に、体中のあちこちから血しぶきを漏らす怪物の姿が映る。
    「……銃撃?」
    「まさか、こんな強風の中で……」
    「……いや、あの人なら」
     兵士たちは一斉に、港の方に顔を向ける。そこには皆の期待通りの人間が、膝立ちで銃を構えていた。
    「アンタら、動くんじゃないわよ! 当たっても知らないわよ!?」
    「チェ……」「チェスター指揮官!」
     リストは怪物に向かって、立て続けに「ポプラ」の引き金を絞る。ルドルフが「撃てない」と諦めた強風の中、銃弾は見事に怪物の体へと飛んで行った。
    「おお……」
    「当たってる……!」
    「……すっげ」
     この攻勢に、兵士たちも戦う気力を取り戻す。
    「援護するんだ!」
    「チェスター指揮官を守れ!」
     兵士たちは武器を怪物に向けたままそっと後退し、リストの周囲に集まる。
    「お守りします!」
    「……ありがと!」
     リストはそれに応えるように、さらに弾を放った。

     そして氷海の向こう側からも、バタバタと兵士がやってきた。
    「チッ……、また来やがった」
    「……あれ?」
    「でも、モンスターの方に向かってないか?」
    「みたい、だな……?」
     迫ってくる敵兵の先頭には、フーの姿があった。
    「それ以上港に迫るんじゃねえッ! この俺が相手になってやる!」
     これを見て、同盟軍はどよめく。
    「……え」
    「あれって、ヒノカミ元中佐じゃ」
    「敵の総大将自らって、どう言うことなの……」
     唖然とする兵士たちに構わず、フーは「バニッシャー」を振り上げて怪物に襲い掛かった。
    「うりゃあッ!」
    「……ア……ギッ……」
     剣は怪物の胸に突き刺さり、真っ赤な血が噴き出す。
    「やった、か……!?」
    「……いや、まだだ!」
     それでも怪物は止まらず、腕を振り上げる。
    「うぐ……ッ」
     フーはその腕になぎ倒され、氷原を滑る。
    「あのヒノカミがぶっ飛ばされた……」
    「やばいって、やっぱり」
     一方、リストの方も――。
    「……くっ」
    「ポプラ」の銃身は真っ赤に灼け、チリチリと音を発している。これ以上弾を撃てば、暴発しかねない状態だった。

     だが、それでも怪物は倒れない。状況は一向に好転せず、絶望的な空気を誰も拭えない。
    「……あっ!」
     と、北の方からも兵士たちと、それを率いる晴奈がやって来た。
    「コウ指揮官だ!」
    「すまぬ! 待たせたな、お主ら! 私が相手をするッ!」
     晴奈は駆け出し、怪物の前に躍り出た。
    「そこの怪物! この黄晴奈が相手だッ!」
     と、怪物の体がビクッと揺れる。
    「……セイナ……サン……」
    「……何?
     ……! その顔……、まさか」
     怪物の、まだ辛うじて人間の名残を残す顔を見て、晴奈はゴクリと息を呑んだ。
    「……雨宮、か?」
    蒼天剣・晴海録 7
    »»  2010.05.31.
    晴奈の話、第566話。
    晴奈の一分。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     晴奈は確かに、その顔に見覚えがあった。

     央北を旅し、殺刹峰を探していた頃。
    ――ファンだから――
     その青年は、敵として晴奈の前に現れた。
    ――一目見た時から、いえ、あなたの伝説を聞いた時から、ずっとずっと好きでした!――
     半ば偏執的に、その青年は晴奈に告白してきた。
    ――始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言います――
     しかし結局、その想いに晴奈が応えることは無く、彼はそのまま投獄された。



    「……何故貴様が……」
    「……ウ……ウウ……セイナ……サン……」
     怪物となったレンマは、ヨタヨタとした足取りで晴奈に近付いてくる。
    「……」
    「……ウー……アー……」
     その醜い姿に、晴奈はめまいを覚える。
    (一体何故、奴がここにいる? そして何故、怪物と成り果てた? 何もかもが分からぬ)
     と、晴奈の横に、弾き飛ばされていたフーが戻ってきた。
    「コウ、コイツを知ってるのか?」
    「……ああ。人間だった頃の、奴はな」
    「そうか。……聞いてくれ」
     フーは小声で、晴奈に真相を告げた。
    「俺の側近のアランが、アイツをモンスターにしちまったんだ」
    「何……?」
    「アランは滅茶苦茶だ……! 味方をムチャクチャにして、敵を、……いいや、かつて俺の同僚だった奴らを皆殺しにすることを、征服することだと、王としてやるべきことだと言ってやがるんだ」
     フーは悔しそうな表情を浮かべ、晴奈に頼み込んだ。
    「これは俺の責任だ。俺に、討たせてくれ」
    「それは、……呑めぬ」
     晴奈も、小声で返す。
    「彼奴は私に討たれたがっている。そう……、感じるのだ」
    「え……?」
    「今こうして対峙している間、奴は己の体を抑え、目で訴えかけてきていた――自分を、殺してくれと」
    「……分かった」
     フーは一歩、後ろに退く。
    「すまない、コウ。よろしく頼んだ」
    「ありがとう」
     晴奈は刀を抜き、レンマに近付いた。
    「雨宮。私が……、相手、だ」
    「……ウ……ン……」
     レンマはすっと、両手を挙げる。
    「『火刃』」
     晴奈の刀に、炎が灯る。
    「……行くぞ!」

     恐らく、レンマの自我は既に消えかかっていたのだろう。戦い始めてから、二度と晴奈の名を呼ぶことは無かった。
    「グ、アアアアッ!」
     両腕を千切れんばかりに振り回し、晴奈に襲い掛かる。晴奈はそれをかいくぐり、「燃える刀」で袈裟切りにする。
    「アアア、……ガアッ!」
     だが、一太刀、二太刀程度では倒れない。依然力一杯に、腕を振り回す。
    「……りゃああッ!」
     晴奈も紙一重、紙一重で攻撃をかわし、懸命に斬り付けていく。両者の戦いを、周囲の全軍は固唾を呑んで見守っていた。
     と、フーは率いてきた軍に、静かに号令をかける。
    「……スタリー島に戻るぞ」
     戻っていくフーに、兵士たちは従う。
    「……アラン……」
     帰途に着いたフーは側近の名を、憎々しげにつぶやいた。
    「絶対許さねえ……! 今度と言う今度は、アイツに愛想が尽きた」
     横に並んで歩いていたドールは、不安げな表情でフーの顔を見ていた。

     そして、日の差し始めた頃。
    「ふっ……ふっ……」
     レンマの攻撃を何度も避け、流石の晴奈も顔や腕に、うっすらと爪痕が付き始めている。だがレンマの方はそれ以上のダメージを受けており、その体中に幾筋もの刀傷・火傷が深々と付けられている。
     後一太刀、二太刀で決着が付こうかと言う状態になり、晴奈はレンマに向かって叫んだ。
    「……雨宮! これで仕舞いだッ!」
     晴奈は「蒼天」に、あらん限りの気を込める。
    「『炎剣舞』ッ!」
     レンマの周囲が、真っ赤に燃え上がる。その炎は足元の氷を溶かし、やがて完全に液化させる。
    「グ……ウア……アア……アー……」
     レンマはそのまま、海中に沈んでいった。
    「……さらばだ、雨宮」
     晴奈はレンマが沈んでいった海に背を向け、刀を納めた。
    蒼天剣・晴海録 8
    »»  2010.06.01.
    晴奈の話、第567話。
    軋む心。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     戦闘開始から12時間が経ち、作戦終了時刻がすぐそこまで迫っている頃――。
    「大丈夫、セイナ?」
    「……」
     港に戻り、休憩を取っていたリストは、同じく休憩室で休む晴奈に声をかける。だが、反応は返ってこない。
    「セイナ?」
     もう一度声をかけたところで、晴奈が顔を挙げた。
    「……ん。何だ?」
    「顔色、めちゃめちゃ悪いわよ」
    「……ああ。そうだな、あまり気分は良くない」
     晴奈はカップを抱えたまま、どんよりとした目で話し始めた。
    「あの赤い怪物。聞けば、元は央北で投獄されていた、雨宮蓮馬と言う魔術師だったそうだ」
    「央南人? 同郷だったの?」
    「いいや、名前こそ央南風だが、実際は別の国の人間だと言っていた。……以前に、会ったことがあったのだ」
    「へぇ……?」
     晴奈はカップの茶を一息に飲み、話を続ける。
    「その時も奴は敵方だったが、私に惚れていたと告白された」
    「は? 敵なのに?」
    「おかしな話だろう? 挙句、『投降して妻になってくれ』と抜かす始末だ。気味が悪すぎて即、断ったが。
     ……それでも、だ。私のことを、慕っていてくれたのだ。その、慕ってくれた者を私は、自らの手で、斬り捨てた」
    「そう……」
     かしゃ、とカップの割れる音がする。見ると、晴奈がカップを落とし、顔を両手で覆っていた。

    「……もう、御免だ」
    「セイナ?」
    「……リスト。私は心に決めたことがある」
     晴奈は顔を覆ったまま、ぽつりとつぶやいた。
    「……この戦争が終わったら、私は二度と戦わない」
    「え?」
    「もうこれ以上、人を斬っていくのは耐えられぬ。もうこれ以上、業を背負いたくないのだ」
    「業、……って、何言ってんの? アンタほどの剣士が、そんなコト言うなんて……?」
    「……私が、まだ若い、少女の頃の時分は」
     晴奈は顔から手を離し、真っ赤になった目を向ける。
    「信条の相容れぬ『敵』とは単に戦う相手であり、それ以外の選択肢など無いと、そう考えていた。敵の素性など、考えもしていなかった。私の目には敵はただ、『敵』と名の付けられた物体でしかなかった。
     だが敵方であったウィルと知り合い、親しくなってからの日々は、とても心地良いものだった。価値観の違う者と出会い、語らい、遊び、仲が深まるにつれ、私はそれまで感じたことの無い楽しさ、喜び、温かみをひしひしと感じていた。
     だが奴が死に、復讐すると誓ってから、私の中に重たく、苦々しく、冷たいものを感じずにはいられなくなった。その存在はまさに『修羅』である私――戦いを欲し、戦いに明け暮れ、戦いによって己の心身を削っていく、私が忌避しつつ、その一方で、私を縛り付けていた、もう一人の私だったのだ」
    「……」
    「だが、死から蘇り、夢の内で白猫からの赦しを得て、その『修羅』はどこかに去って行ってくれた。そう、思って、いたのだ。
     しかし……! しかし、つい今しがた、私がやったことは……っ」
     晴奈の目から、つつ、と涙がこぼれる。
    「修羅、そのものだ……! 戦うことでしか物事を解決できぬ、愚かな生き方だ!
     そんな生き方はもう、こりごりだ。これ以上私は、修羅の道を歩みたくないのだ。
     もう私には、戦える気力が無い」
    「……そう……」
     リストは沈みきった瞳で見つめてくる晴奈に、何の言葉もかけられなかった。



    「準備、整いましたよぉ~!」
     グリーンプール沿岸の氷を割り、日上軍を退ける作戦は、最終段階に入った。
     氷原には針状に加工された火薬が一列に差し込まれ、南端から北端まで一直線に並んでいた。
    「後は、火ぃ点けるだけね」
     北端から作戦を進めてきた小鈴も、ようやくミラと合流することができた。
    「ですねぇ。……じゃあ、早速行きますよぉ!」
     ミラは術士隊に命じ、並んだ火薬に火の術をかけさせる。
    「3……、2……、1……、発破ぁ!」
     火はしゅるる……、と火薬に向かって伸び、間を置いて爆発し始めた。バン、バンと言うけたたましい音が、南北の二手に伸びていく。
    「うまく行け……、うまく行け……!」
     小鈴は両手を合わせ、祈る。
    「大丈夫、きっと……!」
     ミラも固唾を呑んで、成り行きを見守る。
     やがて爆発は港の両端に達し、すべての火薬が燃え尽きた。
    「……」
    「……」
    「……えっ」
     だが――。
    「割れた、けど……」
    「こんなん、ひょいと乗り越えたらおしまいじゃない!」
     爆発はたった数センチ程度しか、氷に亀裂を入れることができなかった。
    「ダメ、だったか……!」
     小鈴は顔をしかめ、その場に座り込んだ。
    蒼天剣・晴海録 9
    »»  2010.06.02.
    晴奈の話、第568話。
    海の晴れる時。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     皆が落胆し、絶望しかけたその時だった。
    「コスズ、ミラ少尉、みんなそこから離れて!」
     エルスが港から、大急ぎでやって来た。
    「え?」
    「そこは危ない! 早く!」
     一体何が起きるのか分からなかったが、ともかくエルスの指示に従い、そこにいた全員が港へ戻る。
    「何なの? まだ氷は……」
    「それを今からやるのさ。
     6時間くらい前だけど、『通信頭巾』で僕の方に、連絡が入ったんだ。最新鋭の軍艦が、こっちに向かってるってね」
    「軍艦? でも氷海の中じゃ……」
    「うん。確かにその軍艦は現在、凍結した海域の手前にいる。でも海戦のために来てもらったんじゃない」
     エルスがそこまで説明した時だった。
     ズガンと言う、とんでもない爆音が沖合いから聞こえてきた。
    「な、何?」
    「砲弾さ。あれを撃ち込んで、氷を割るのさ。
     まったく、スケールがでかいことをさらっとやってくれるね、金火狐の総帥は」

    「おぉ、ズバズバ割れとりますわ」
    《良かった。計算、ピッタリだったんですね》
     ヘレンの歓声に、ディーノが頭巾越しにほっとした声を送った。
     北方近海まで来ていたヘレンは通信により、この作戦を伝え聞いていた。しかし、魔術や少量の爆薬でどうにかなるか、エルスにも確証は無かった。そんなエルスの不安を聞いたヘレンは、「砲弾を撃ち込み、その衝撃で割れないだろうか」と提案した。
     勿論、滅多やたらに撃ち込むだけでは穴が空くばかりで、大した効果は得られない。そこで偶然グリーンプール郊外に来ていたディーノの知恵を借り、効果的な砲撃を計算してもらっていたのだ。

     この作戦は功を奏し、やがて港全体に、ビキビキと氷の割れる音が響き始めた。
    「海が……、割れる」
    「すげえ……」
     港にいた兵士たちは、感嘆の声をあげる。
    「……やった!」
     港と氷の間は500メートルを裕に超え、人が渡れる状態ではなくなった。勿論、「ヘブン」からの軍艦も、この距離では進めない。
     歓喜の声が、港中に響き渡った。
    「さあ、これだけで終わりじゃないよ」
    「え、まだぁ?」
     呆れる小鈴に、エルスはピンと人差し指を立てる。
    「このまま放っておいたら、また凍って人が乗れるようになるからね。その前に、鉄柵やら何やらを敷いて、侵入不可能にしておかなきゃ」
    「後一踏ん張りってコトね」
    「そう言うこと」



    「うっ……、うっ……」
     全兵士が防衛成功に歓喜し、事後の作業に取り掛かってもなお、晴奈は港の休憩室で一人、沈んでいた。
    (私はまた、人を斬った……。どうすればこの業から、抜け出せる……?)
     晴奈の脳内は後悔と慙愧の念で乱れ、思考はひたすら暗がりへと落ち込んでいく。
     と、遠慮がちなノックの音が、休憩室の中に響く。
    「セイナ、いる?」
     トマスの声だ。
    「……っ」
     晴奈は慌てて涙を拭き、喉を鳴らす。
    「ん、んん、……ああ、ここにいる」
     晴奈が応じると、そっとドアを開けて、トマスが入ってきた。
    「ごめんね、休憩中に」
    「ああ、いや。構わない。何か用か?」
    「えーと、その、さ。君が落ち込んでるって、リストから聞いたんだ」
    「……そうか」
     晴奈はトマスから顔を背けようとする。だが、トマスは背けた方に回り込み、晴奈の顔を見つめてきた。
    「な、何だ?」
    「泣いてた?」
    「……泣いてない」
     晴奈は顔を伏せ、トマスの視線から逃れようとする。それでも、トマスは追及をやめようとしない。
    「泣いてたよね? 目、真っ赤だよ」
    「……泣いてなんか」
     と、トマスが突然、晴奈の肩をぎゅっと抱きしめてきた。
    「……えっ」
    「セイナ。前に君自身が言ってたじゃないか。僕の側で、休ませてほしいって」
    「……」
    「ゆっくり、休んでよ。今ならみんな忙しいし、こっちには来やしないさ。……あ、それより」
     トマスは立ち上がり、ドアに鍵をかけた。
    「これで心配ないよ。さ、休んで」
    「……ああ」
     今度は、晴奈の方がトマスに抱きついた。
    「ありがとう、トマス。……一人でいるより、心が落ち着く」
    「そりゃそうだよ」
     トマスは冗談めかして、こう返した。
    「『修羅』は他人と相容れられない。ってことは、他人の温かみを知らないんだよ。
     二人でいれば、そんなの寄ってきやしないさ」
    「……うん」
    蒼天剣・晴海録 10
    »»  2010.06.03.
    晴奈の話、第569話。
    王と参謀の決裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    11.
    「ヘブン」のトモエ作戦は、失敗に終わった。
     かつて巴景が実証したように、凍った海の上を歩き、北方大陸に到達することは確かに可能だった。
     しかし、その重厚長大な氷を割ると言う、想定外の上に想定外を重ねた奇策により、ついに日上軍は北方の港を制圧することはできなかった。

     これにより、スタリー島に駐留する日上軍の士気は、大きく下がっていた。
     中でも、最もやる気を失ったのは――。
    「アラン。お前にはもう、うんざりだ」
     フーはアランを自室に呼びつけ、今回の凶行を糾弾していた。
    「お前には人間は、ただの家畜くらいにしか見えてないみたいだな」
    「……」
    「皆殺しにしてもいい。自分のための糧。どうなろうと知ったこっちゃ無い。そう思ってることが、今回の戦いでハッキリした。
     もうお前とは、縁を切る」
    「ほう?」
     怒りに燃え上がるフーに対し、アランは冷静な口調で返す。
    「私と縁を切って、どうしようと言うのだ?」
    「決まってる。鎖国状態を解き、断絶した各国との関係を回復するんだ。お前抜きでな。
     それから反乱や戦争で荒廃した『ヘブン』を復興させる。お前抜きでな。
     そしてその先のことは全部、俺が主導で行う。お前、抜きで、な」
    「三度も言わずとも聞こえている」
    「なら理解したよな。出てけ」
     部屋の戸を指差したフーに対し、アランは微動だにしない。
    「……聞こえてるんだろ?」
    「ああ」
    「出てけ」
    「……」
    「出てけって言ったろ?」
    「……」
    「出てけッ! 今、すぐにだッ!」
     フーはアランの胸倉をつかみ、体をゆする。
    「これ以上お前が関わると、何もかも滅茶苦茶になっちまうんだよ! 人は死ぬ、国は傾く、誰も彼も不幸になるッ!
     もうお前に付き合ってなんかいられねーんだよ、この疫病神がッ!」
     フーはアランの顔のすぐ前で叫んだが、アランに反応は無かった。
    「……っ」
     フーはアランの胸倉から手を離し、背を向けた。
    「出てけよ、もう……!」
    「いいのか?」
     と、アランが立ち上がる。
    「これから私が行うことを聞かずして、放逐していいのか?」
     アランのその一言に、熱くなっていたフーの頭は一転、冷水をかけられたように凍りついた。
    「……何をする気だ?」
     振り向いたフーの目に、レンマをモンスターに変えた金属板をアランが抱えている姿が映る。
    「……まさか、てめえ」
    「お前が私を放逐するならば、今から私は単身グリーンプールに向かい、これを住民や兵士に使う。ここには6枚の魔法陣がある。
     6体のモンスターが、敵陣を闊歩するのだ。効果的だろう?」
    「……気ぃ狂ってんのか、アラン。俺の軍から放逐された後で、何故そんなことをする?」
    「私はお前を王にするために存在する。であれば、お前の敵となる存在を消すことが、私にとって最優先事項だ」
    「俺が、お前と縁を切っても、か」
    「そうだ」
     フーはこの返事に、とてつもないめまいを感じた。
    (ダメだ、コイツは……! 悪魔だ、どこまでも……ッ!
     俺が本当に、世界を支配する王になるまで、どこまでもコイツはついてくる。それこそ、命すらかけて。
     放逐しても離れない。殺しても死なない。一体俺は、どうすればコイツから離れられるんだ……!?)
    「フー」
     アランが声をかける。
    「もっと効果的な方法が、ウインドフォートに納められている。こんなちっぽけな魔法陣よりも、もっと効果のあるものがな」
    「……あ?」
    「今はまだ、氷に阻まれている。年が明け、小舟で上陸できるようになった頃に、ウインドフォートに向かい、それを発動させよう」
    「……ノーと言ったら?」
    「先程提示した作戦を開始する」
    「……つまり、無闇にモンスターを暴れさせたくなかったら、大人しくお前に従え、と? 脅迫だな、まるで」
    「脅迫? 私がお前を?」
     そのまま、フーとアランは無言で向かい合う。
    「……行け、ってことだな」
    「私としては、それが望ましい」
    「分かった」
     フーはアランに背を向けたまま、ギリギリと歯軋りを立てた。
    (くそっ……! くそっ……! くそっ……!
     どうにかできないのかよ……っ! こいつをこのまんま、放っておいたら……! 世界がおかしくなっちまう……!
     誰か、どうにかしてくれ……っ!)
     フーは心の中で、悲痛な叫びを上げていた。

    蒼天剣・晴海録 終
    蒼天剣・晴海録 11
    »»  2010.06.04.
    晴奈の話、第570話。
    未来への展望。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「トモエ作戦」以後、ジーン王国と「ヘブン」との戦いは、事実上の休戦状態が続いていた。
    「ヘブン」は氷の上を進むと言う作戦を二度繰り返そうとはせず、ずっとスタリー島に駐留し続けていた。一方で王国軍側も、港前に防衛線を敷いたものの、それ以上の活動は行わず、軍備を蓄え、訓練を行うことに専念していた。

     よって、年明けからの3ヶ月――平和な日々が、続いていた。



     山間部、ミラーフィールド。
    「さ、さ。遠慮しないで」
    「ども」「いいんですか、本当に?」
    「銀旋風」コンビは、ディーノの家を買うことになった。
     ディーノの先導に恐縮する二人の背後から、小鈴がニヤニヤしながら声をかける。
    「いいんじゃない? 先生、もうこの家引き払うって言ってるんだし」
    「え?」「なんで」
    「去年の戦いの時、奥さんと復縁したのよ。戦争終わり次第、央中に帰るんだってさ」
    「そうだったんですか」「おめ」
     ぺこりと頭を下げるデニスとミールに、ディーノは顔を赤らめながら手を振る。
    「いや、そんな。まあ、その、元々一人暮らしをするための家ですから、若いご夫婦さんだとちょっと手狭になってしまうかも知れませんけど」
    「ちょ、ちょ、まだ俺たち、そんなんじゃ」
     顔を真っ赤にするデニスに、小鈴が突っ込む。
    「またまた。どーせこの家に住み始めたら、そのうち結婚するつもりでしょ?」
    「……ん、まあ、……うん」

     王国首都、フェルタイル。
    「またこの家に帰るなんて、思わなかった」
     エルスとノーラは、幼い頃自分たちが住んでいた家を訪れていた。
     エルスたちの母は7年前に亡くなっており、父も行方知れずになってしまっていたため、家は荒れに荒れていた。
    「ここは今、誰の手にも渡ってないし、僕は使わない。君にあげるよ」
    「でも、今さらこの家に戻ったって……」
    「いいじゃないか」
     エルスは色あせた椅子に座り、にっこりと笑う。
    「やり直してみようよ。何の苦労も無かった、昔に」
    「……そうね。頑張って、みようかな」
    「うん。……おわっ」
     エルスの座っていた椅子が、バキ、と音を立てて折れ、エルスがひっくり返った。
    「あいたた……」
    「……クスっ」
    「あはは、やっと笑ってくれた」



     そして――同市、トマス・ナイジェルの屋敷。
    「穏やかだな……」
    「そうだね」
     トマスと二人きりでソファに座っていた晴奈は、トマスの肩に寄りかかっていた。
    「温かいな……」
    「……ぷっ」
     突然、トマスが笑い出す。
    「ん?」
    「何だかセイナ、おばーちゃんみたいだよ」
    「なっ」
     晴奈は目を見開き、トマスを軽くにらむ。
    「誰がおばーちゃんだ」
    「だって、僕のところに来ては『温かいなー』『安らぐなー』って」
    「……うーん。言われてみればそうだな」
    「毎日そんなんじゃ、がくっと老けこんじゃうよ?」
    「何を言うか」
     晴奈はばし、と自分の腕を叩く。
    「鍛錬は欠かしてない」
    「……そっか。でもさ」
     トマスは晴奈にきょとんとした顔を向ける。
    「戦うの、嫌って言ってなかった? なのになんで、戦いに結びつくことを?」
    「……ああ。確かにもう、戦うのは辛い。でも日々の鍛錬を怠ると、どうにも体がうずく。やらずにはいられないんだ」
    「習慣、か。君はずっと、戦ってきたんだもんね。
     ねえ、セイナ。この戦いが終わったら、どうするの?」
    「……どうしようか、ずっと悩んでいる」
     晴奈はソファにもたれかかり、額に手を当てる。
    「でも、一つだけはっきりしていることはある。戦いをやめても、私は刀を置かない。生涯、剣士であり続けるだろうな」
    「戦いたくないのに? なんで?」
    「剣士が皆、殺伐と暮らしているわけじゃない。道場を開き、若い者を道に誤らせないよう鍛え、教えている者もいる」
    「道に? どう言うこと?」
    「何度も話した、篠原と言う者の話だが――奴は慢心と欲情のために堕落し、渇望と欲望にまみれた人生を送っていた。優れた剣士だったのに、だ。
     技量と才能にあふれる人間を、正しく導くことができたなら。篠原のように獣道に迷い込むことなんか無く、素晴らしい人生を送れるだろう。いいや、正しく生きればどんな人間でも、幸せに生きていられるはずなんだ。
     私は後輩の剣士たち、剣士になろうとする者たちが正しい道を進んでいけるよう、教えていきたいんだ」
    「ふーん……。それじゃセイナは、先生になりたいんだね」
    「先生? ……そうか。そうだな、それは先生、なんだな」

     晴奈の脳裏に師匠・雪乃の顔が浮かぶ。
    (そうだ……。師匠も、『わたしは生涯刀を置かない』と宣言していた。そして今、私がやりたいと思ったことを、師匠は今なお続けている。
     ああ……。やっぱり師匠は、私にとって最も尊敬すべき方なんだな)
     師匠のことを思い、トマスに指摘されたことを省みたその時、晴奈の心はこれまでになく満たされた。
    (私は生涯、師匠に憧れるんだな。……そうか、そうだったんだ。
     私が目指していたのは――師匠だったんだ。あの、強く、りりしく、かっこいい剣士。
     私の目標は焔雪乃師匠、そのものだったんだ。
     ……ははっ、今さらだな。今さら、そんなことに気付くなんて)

    「……あの、さ。セイナ」
     思いふけっていたところに、トマスが真面目な、赤い顔をして口を開いた。
    「その、先生になるって言う夢、僕は応援するよ。……で、でもさ、その、……僕にも、協力させてほしいなって言うか、側で見ていたいなって言うか、……いや、あの」
    「……ん? 何が言いたいんだ、トマス?」
     晴奈がきょとんとした顔をトマスに向けた、その時だった。
     玄関の扉が、慌てた様子でノックされた。
    蒼天剣・獄下録 1
    »»  2010.06.06.
    晴奈の話、第571話。
    両女傑、向かう。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     トマスが扉を開けると、慌てた様子の兵士数名と、信じられないと言いたげな顔をした小鈴、苦笑しているエルスの姿がそこにあった。
    「お休み中、大変失礼いたします!」
    「いいよ、休み中声をかけられるのには慣れてる。で、どうしたの?」
    「沿岸部、ウインドフォートが襲撃を受け、ヒノカミ元中佐と思われる人物が侵入した模様です!」
    「襲撃? ……おまけにフーが侵入? ……まだ、氷は割れてないはずだよね」
    「はい、辛うじてグリーンプール―央南航路は巡航を再開したばかりですが、『ヘブン』から向かえる航路は依然、凍結中です。しかしウインドフォート郊外の岸に小型舟艇があったことから、恐らく少数で氷海を迂回し、襲撃したものと思われます」
    「……意味が分からない。何故今になって、自分たちが捨てた拠点に? しかも小型舟艇だといいとこ、12、3名くらいしか上陸できないし、何でそんなことを……?」
    「まったくもって不明、だねぇ」
     エルスは肩をすくめ、苦々しく笑う。
    「とにかく向かうから、セイナを呼んできてくれ。もし本当にフーが来ていたのなら、決着させられるかも知れないからね」
    「分かった。呼んでくるよ」

     トマスは居間に戻り、晴奈に声をかけた。
    「セイナ。今……」「ああ、聞こえていた」
     晴奈はすっと立ち上がり、小さくため息をついた。
    「……これが最後の戦いになればいいんだが」
    「そうあってほしいね。……まあ、いくらなんでも敵の総大将が単身渡るなんて、まず有り得ない話なんだけど」
    「そうだな。……トマス」
     晴奈は真面目な顔になり、トマスに尋ねた。
    「さっき、何を言おうとしていた?」
    「へ?」
    「私が先生になりたいと言った、その矢先。『協力させてほしい』と、言わなかったか」
    「……あ、うん。でも今、そんな話」
    「いいから教えてくれ、その先に何を言おうとしていたのか」
    「……僕もさ、央南に住むことにした。リロイみたいに。だからさ、君とはずっと一緒にいられる。君が央南で道場を開くなら、僕はそれを、ずっと手助けできるよ。
     だからさ、だから……、ずっと、一緒にいたいんだ。戦争が終わっても、央南に戻っても、ずっと」
    「それは、……求婚と、受け取っていいのか」
     晴奈は自分で、自分の顔が赤くなっているのが分かった。恥ずかしさで逃げ出しそうだったが、懸命にこらえてトマスの顔を伺う。
     トマスも、先程にも増して真っ赤な顔をしていた。
    「……うん。きゅ、求婚だ」
    「そうか。……なら、……じゃあ」
     晴奈はトマスに歩み寄り、彼の体をぎゅっと抱きしめる。
    「……その」
     晴奈はトマスの肩に首を乗せ、つぶやいた。
    「帰ってきたら、ちゃんと、言葉で返事する。だから待っていてくれよ、トマス」
    「……もちろんさ。必ず帰ってきてくれよ」

     晴奈には直感があった。
     このウインドフォートでの戦いが、自分にとって最後の戦いになると。
     即ち――アラン、そして巴景との戦いに、決着が付けられると確信していたのだ。



     同日、昼。
    「やっぱり、寒いですね」
    「そりゃ、『雪と星の世界』だしね」
     巴景と明奈は、グリーンプールに到着していた。
    「戦争中のはずですけど、どう見ても平和そのものですね」
    「まだ海が凍ってる時期だもの。戦争なんてやってるわけが、……と思ったけれど」
     巴景は港に目を向け、フンと鼻を鳴らした。
    「やったみたいね」
    「えっ?」
    「この時期に、港に防衛線が敷かれてるわ。来たのね、日上が。
     大方、私がやったことをそのまんま真似したんでしょうね」
    「どう言う意味ですか?」
    「ま、昔の話だし。
     それよりも、晴奈よ。まだ訓練中でしょうから、グリーンプール基地にいるわね、きっと。さっさと行って、決着付けましょ」
     そう言って巴景は明奈の手を引き、基地へと向かった。
     基地に着くなりすぐ、立番していた兵士が目を丸くした。
    「ほ、ホウドウさん!?」
    「あら? 私を知ってるの、あなた?」
    「え、ええ。昨年までウインドフォートに配属されてたので。てっきり元中佐と海を渡ったものと思ってましたが」
    「色々あったのよ」
    「そ、そうですか。……それでホウドウさん、どうしてここに?」
    「黄晴奈と果たし合いに来たのよ。どこにいるの?」
    「コウ指揮官なら、フェルタイルの方に」
    「首都に? 訓練中じゃないの?」
    「いえ、理由は不明ですが、そちらにいるとのことです」
    「ふーん」
     それだけ聞いて、巴景は踵を返して立ち去ろうとした。
    「あの、ホウドウさんでしたっけ」
     と、別の兵士が声をかけてきた。
    「何?」
    「コウ指揮官ですけど、ウインドフォートの方に招集されたそうですよ。今朝方、軍本部から連絡が入りました」
    「へぇ……?」
     巴景はその兵士から、フーがウインドフォート砦に侵入したらしいと言う情報を入手した。
    「じゃあ、晴奈は日上を討つため、そっちに向かったってことね」
    「ええ」
    「ありがと。……さ、急ぐわよ明奈。朝連絡が入ったってことは、もう晴奈は到着してるかも知れないし」
    「あ、はい」
     巴景は明奈の手を引き、ウインドフォートへの街道へと急いだ。
    蒼天剣・獄下録 2
    »»  2010.06.07.
    晴奈の話、第572話。
    地の底へと。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「一体何だったのだ、あの大木は?」
    「俺たちのいない間に、サプライズパーティでもやってたんでしょーかね」
    「ソレにしちゃやり過ぎよ。アレじゃヒノカミ君の部屋、グチャグチャでしょうね」
    「ま、捨てた部屋だからいいけどな」
    「……」
     ウインドフォート、砦内地下。
    「しかし何でまた、こんな牢屋の中に?」
     フーとアランに同行するルドルフが、腑に落ちない様子で尋ねてくる。
    「てっきり俺は、軍備でも奪うもんかと」
    「いいや、必要な物は下にあるのだ」
     アランはそれだけ答え、先を急ごうとする。と、続いてドールも質問をぶつけてきた。
    「下に? この牢屋のあるフロアが、最下層じゃないの?」
    「いいや」
     アランは再度歩を止め、それに答える。
    「この下にも秘密裏に、ある施設を造っているのだ。そこに、目的の物がある」
    「秘密裏に? 吾輩たち側近も知らぬものを、ですか」
    「そうだ」
    「……」「……」「……」
     アランの回答に、側近たちは皆憮然とした表情を浮かべる。
    「俺も聞いてないぞ、アラン」
     そんな彼らよりも一層苛立っていたフーが、アランにとげとげしい語調で尋ねる。
    「何故この軍閥のトップだった俺にすら、そんな重大なことを伝えなかったんだ?」
    「……」
    「答えろよ」
     何度か尋ね、ようやくアランが答える。
    「知っていたら、どうした?」
    「封印するに決まってんだろ。モンスターをそんな、滅多やたらに作られてたまるかってんだ」
    「だろう? だから言わなかったのだ」
     そこでアランは説明を切り、それ以上何も言わなくなる。
     その態度がさらに、フーたち4人を怒らせていた。



     フーたちが侵入した日の夕方、晴奈たち一行はウインドフォート砦前に到着していた。
    「状況について、もう一度説明をお願いできるかな?」
    「はい。本日早朝、ヒノカミ元中佐及び、その側近と思しき者たちが正面より現れまして。抵抗したのですがあえなく突破され、現在その行方を捜索している状態です」
     報告に、エルスは首をかしげる。
    「どう言うことかな? 占拠したとか、そう言うことじゃなくて、ただ侵入しただけ?」
    「はい。現在、砦内のどこにも、元中佐の姿は発見できておりません」
    「ふーん……?」
     砦内に通された晴奈たちも、フーの私室や側近の寝室、武器庫など、それらしいところを回ってみたが、フーの姿はどこにも見当たらなかった。
    「もう既に出た、ってコトはないわよね?」
     エルスは砦の見取り図を眺めながら、小鈴の問いに答える。
    「無いと思うよ。門番の数は増員されてるから、正面からの脱出は難しいだろうし、砦内の軍艦ドックからも、船は出てない。それ以外の脱出路は、無いらしいし……」
     と、エルスの言葉が途切れる。
    「……ん?」
    「どしたの?」
    「ちょっとコスズ、これとこれを見てみて」
    「え?」
     エルスに2枚の見取り図を渡された小鈴は、少し見て首をかしげた。
    「……合わないわね」
    「だろ?」
    「どう言うコトですかぁ?」
     尋ねてきたミラに、エルスが答える。
    「この、地下2階の見取り図。砦全体の見取り図と合わせて見てみると、微妙に一部屋、一部屋の大きさが合わないんだ。
     その微妙なズレをつなげてみると、長細い空間が浮かび上がってくる」
    「……つまり?」
    「牢屋と貯蔵庫以外の、別の区画が地下に存在している可能性が高い。地上階のどこにもいないって言うなら、そこしかない」

     エルスの読み通り、地下牢をくまなく捜索したところ、隠し扉を発見することができた。
     中を覗くと、積もりに積もったほこりの上に、点々と足跡が残っている。
    「ここだ。……皆、準備は万全かな」
     エルスの言葉に、全員が無言でうなずく。
    「じゃあ、行こう」
    「ああ」エルスの後に、晴奈が続く。
    「いよいよ、って感じね」小鈴も晴奈の横に並んで続く。
    「……」リストは無言で腰に提げた銃を撫で、歩き出す。
    「離れないでくださいよぅ」「ああ」最後に、ミラとバリーが続いた。
     隠し通路は、途中まではレンガ造りの長い通路だったが、奥にあった階段を半ば降りた辺りから洞窟状の場所につながっていた。
    「……暑い……」
     洞窟の中は、外とは打って変わって煮えたぎるような熱気がこもっている。
    「これは……、もしかして」
     そして、硫黄のような臭いも立ち込めている。
    「どうやら、地下の水脈とつながっていたみたいだ。気を付けて、この暑さと湿気からすると……」
     そう言ったエルスの数メートル前から、ブシュ、と蒸気が噴き出た。
    「……間欠泉や蒸気だまりが、どこにあってもおかしくない。触れたら大火傷じゃ済まないよ」
    「ああ」
     進んでいくうち、一行は大きく開けた場所に出た。
    「……あっ」
     その中ほどに、槍を握りしめたハインツが座っていた。
    蒼天剣・獄下録 3
    »»  2010.06.08.
    晴奈の話、第573話。
    ハインツの騎士道。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……貴様らか。待っていたぞ」
     ハインツは立ち上がり、槍を構えてにらみつける。
    「これ以上、進ませはせん。一人残らず、撃退してくれる」
     一方、エルスは静かに声をかけた。
    「シュトルム少尉、……ああ、昇進して大尉になったんだってね」
    「いかにも」
    「僕のこと、覚えているかな」
    「……勿論だ。グラッド、……大尉」
    「お願いがある。このまま、進ませてくれないか?」
    「何を馬鹿なっ!」
     エルスの願いを、ハインツは首をブンブンと振って却下する。
    「吾輩は、陛下より全幅の信頼を寄せられてここの守りを仰せつかっている! 誰一人、通すわけには行かんのだ!」
    「……」
     エルスは一歩、ハインツとの距離を詰める。
    「それが君の本心かい?」
    「……っ」
    「君は本心から、フーの、ヒノカミ陛下のために戦っているの?」
    「も、勿論、だ」
    「それとも、君は君の騎士道を全うするために戦っているのかな」
    「……そうだ! 吾輩はそのつもりで戦っている」
    「それなら」
     エルスはもう一歩、距離を詰める。
    「僕との約束、覚えていてくれてるかな」
    「約束?」
     ハインツの持つ槍が、わずかに揺れる。
    「僕と、ノーラとが、何かしら困った時、助けてくれるって。そう、約束してくれたよね」
    「……うっ」
     ハインツは困った顔をし、一歩退く。
    「それは……、確かにそう、約束はしたが……」
    「今、僕は困っている。フーを、追っているから。いるんだろう、この先に?」
    「……ああ、そうだ」
    「じゃあ、頼むよ。会わせてほしいんだ」
     エルスが一歩進む。ハインツは一歩下がる。
    「お願いする。これは、妹の願いでもある」
    「な、に?」
    「妹は今、フェルタイルの僕の実家に住み、人生をやり直そうとしているんだ。この言葉の意味、ずっと同僚、側近として過ごしてきた君は、分かるよね?」
    「む、うぅ」
    「今まであの子は不幸だった。色んな人からいわれ無き糾弾を受け、心が傷つけられた。だから僕はあの子を今度こそ守ってやって、いい人生を歩ませてやりたいんだよ。
     でもそれには、この戦争が終わることが必須条件だ。戦争が続く限りあの子には、今度は『敵国の人間』と言うレッテルが貼られ続ける。
     また、レッテルなんだ。あの子は色んなレッテルをべったりと貼られて、窒息しそうになってる。
     お願いだ。このまま進ませて、戦争を終えさせてほしい」
    「……」
     ハインツはうつむき、逡巡した様子を見せる。
    「……吾輩は、主君から命じられたのだ。それを、曲げるなど」
    「それは本当に、フーからの命令なの?」
     この言葉に、ハインツは顔を挙げた。
    「……!」
    「今ここに来ているのは、フーと側近、そして参謀のグレイ氏だと聞いた。グレイ氏が、フーを先導しているんじゃないか?
     いいや、これだけじゃない。フーは今まで、グレイ氏の言いなりになって、戦争やら軍閥やら、何から何まで進めてきたんじゃないか?」
    「……確かに、その通りだ」
    「だったらこれは、主君の命令、いや、願いだと言えるのかな?」
    「……」
     ハインツはしばらく、黙り込み――やがて、槍を捨てた。
    「真の騎士、忠臣であるならば、主の口ではなく、心に従うべき、……と聞いた。我が主の真の願いは、戦争を止めることだ。
     ……通れ」
    「ありがとう、大尉」
     エルスたちはそのまま、歩き出した。
    「……大尉。その言葉は、僕も聞いたことがある。28年前に、ね」
    「……うむ」

     空洞を抜けてしばらくして、一行はごうごうと温水の流れる地下水脈に差し掛かった。とは言え温水は道の横を流れており、それを横切る手間は必要なかった。
    「蒸し暑い……」
    「どんどん、下へと下っていくみたいだ。水の流れる方向が、僕らの進行方向と一緒だ」
    「そのようだな」
     やがて流れていた温水は、深い縦穴に落ち込んでいく。一行はまた、開けた場所に出た。
    「よお」
     先程のハインツと同じように、そこにはルドルフが拳銃を二挺抱えて座っていた。
    「ハインツの旦那を破ったみたいだな。俺も、はりきらねーとな」
    「いいや、ブリッツェン少尉。僕らは話し合いで、通させてもらったんだ。君もできれば、穏便に進めさせてほしいんだ」
    「……ふーん」
     だが、ルドルフは銃の安全装置を外し、立ち上がる。
    「嫌だね」
    「え……」
    「大尉をどうやって説き伏せたか知らねーけどな、俺にはアンタらを通す義理はねーんだよ。特にその、青い長耳さんはよぉ」
     ルドルフは銃口をリストに向け、話を続ける。
    「そうか……」
    「ああ、勘違いすんなよ、グラッドの大将。通してやってもいいんだ、別によ?
     ただ、『その女だけは』通させねー。そう言ってるんだ」
    「……つまり、一騎打ちがしたいと」
    「そう言う、こ、と」
     ルドルフは銃をリストに向けたまま、くわえ煙草でニヤニヤと笑う。
    「……いいわ。受けて立つ」
     リストも銃を取り出し、それに応じた。
    「分かった。……それじゃ通させてもらうよ、少尉」
    「おう」
     一行はリストを残し、先へと進んだ。
    「久しぶりだな、リスト」
    「そうね。……で、やるんでしょ?」
    「ああ。俺とお前、どっちの腕が上か……」
     ルドルフは煙草を吐き捨て、拳銃の引き金を絞った。
    「今ここで、ハッキリさせてやらあッ!」
    蒼天剣・獄下録 4
    »»  2010.06.09.
    晴奈の話、第574話。
    銃士対銃士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     昨年末。グリーンプールの、ディーノとヘレンが宿泊していた宿にて。
     リストはまた、ディーノと会っていた。
    「アツアツね、先生」
    「いやぁ、はは……」
     ディーノの横には、嬉しそうに笑うヘレンの姿がある。
    「それでアンタ、なんでこの子呼んだん?」
    「あ、そうでした」
     ディーノは一瞬席を離れ、一つの箱を持って戻ってきた。
    「何、コレ?」
    「拳銃に使う装置です」
     ディーノが箱を開くと、そこには銃弾を6発つかむ、ドラム状の物体が入っていた。
    「リストさんの使ってる『黄光一〇七号』って、銃弾はGAI―Hシリーズと同じ、9ミリ通常拳銃弾を使ってますよね?」
    「ええ。コレね」
     リストは持っていた拳銃から銃弾を1発抜き取り、拳銃と一緒にディーノの前に置く。
    「ふむ、……うん。確かに、これと同じです。良かった、弾倉の径も一緒ですし、使えそうですね」
    「使えそうって、……この、ドラムに?」
    「いえ、ドラム『が』、ですね。
     ほら、銃の難点って、いくつかありますよね。命中精度とか、魔術に対する飛距離だとか、色々」
    「そうね。後言われるのが、刀剣より威力が劣るとか、再装填がめんどくさいとか」
    「そう、それなんです。基本的に銃は、1発ごとに弾込めしなきゃいけません。弾倉が回転して弾を連続で送れる、この銃みたいなリボルバー式なんてのができましたけど、それでも撃ち尽くしたら5発も、6発も弾を込め直す動作が、必ずいります。
     そこで考えたのが、これなんですよ」



     ルドルフは両手に持った拳銃を立て続けに撃ち、リストを牽制する。
    「オラオラどうした、大銃士さんよぉ!?」
     あっと言う間に、場は硝煙で白く濁る。だが隠れられるほどではなく、依然両者の姿ははっきりと見えている。
    「逃げてばっかりかぁ!? 来いよ、オラッ!」
     ルドルフが左手に持つ銃が立て続けに火を噴き、あっと言う間に6発全弾が撃ち尽くされた。それを確認したリストが、攻勢に移る。
    「じゃ、行かせてもらうわよ!」
     リストも拳銃を構え、ルドルフを狙って撃ち込んでいく。だが、機敏に動き回る両者に、それぞれが放つ銃弾はまったく、かすりもしない。
     あっと言う間に、リストも銃弾を消費した。
    「くっく、それじゃこっちのターンだ!」
     ルドルフは残っていた右手側の銃弾を、リストに向けて放った。リストは転がり、それを辛うじてかわす。
    「……チッ、弾切れか」
     そのまま両者は岩陰に潜み、消費した銃弾を込め直して、相手が出てくるのを待つ。
    (相手は6発×2で12発、コッチは6発。一度に撃てるのはそこまで。……と思わせる)
     リストは再装填を終え、サイドバッグに納めている、ディーノからもらった「ドラム」を布越しにポンと叩く。
    (コレを使うのは、もうちょっと先よ)
    「さあ、準備できたか、リスト!? こっちはもう万全だぜぇッ!」
     ルドルフの叫ぶ声が聞こえてくるが、相手は姿を見せない。見せれば格好の的になるのが分かっているからだ。当然、リストも岩陰から出ようとしない。
    「来ないの?」
     今度はリストが挑発する。
    「お前から来い」
     ルドルフは応じない。
    「あら、あれだけ啖呵切っといて、攻めるのが怖いって? とんだ腰抜け狐ね、アンタ」
    「んだと? じゃあお前が来いよ、口先女」
    「フン」
     リストも、相手の挑発に応じない。
     長い膠着状態の後、同時に両者が飛び出した。
    「この……ッ!」
     ルドルフはリストの足を狙って、全弾撃ち尽くす。その甲斐あってか、1発、2発とリストの脚をえぐり、リストの右腿から血が弾けた。
    「う……っ」
     リストは顔をしかめ、その場に倒れこむ。
    「よっしゃ……!」
     既にこの時、リストも6発全弾を撃ち尽くしていたが、ルドルフには一発も当てられなかった。
     ルドルフは勝利を確信し、弾を込め直さずにリストの側へと近付く。
    「これで決まりだな、リスト。俺の方が、上だ」
    「どう、かしらね」
     リストは上半身を起こし、銃を構える。
    「無駄に虚勢張るなよ。もう空なんだろ、その銃。お前が歯を食いしばって弾を込める前に、俺の方が余裕で弾を込め終わって、その頭を撃ち抜けるんだぜ?」
    「フ、……ン」
     リストは素早く腰のサイドバッグに手を入れ、中から「ドラム」を取り出した。
    「ん……?」
     その物体が何か分からず、ルドルフは虚を突かれる。その一瞬の隙に、リストは弾倉を外し、「ドラム」を押し付ける。
     ルドルフがその「ドラム」の使い方に気が付くより早く、リストの銃に6発全弾が再装填された。
    「あっ……」
     ルドルフは慌てて弾を込め直そうとする。だがようやく1発込め直したところで、リストの銃が火を噴いた。
    「ぎゃ……っ」
     1発目がルドルフの右肩を撃ち抜く。2発目、3発目がルドルフの持っていた銃を弾き、遠くに飛ばす。
    「アタシの方が、上よ」
     残る3発もルドルフの両脚と左手に撃ち込まれ、ルドルフは戦闘不能になる。
    「うぐっ、あぁ……っ」
     リストは右腿を押さえつつ、立ち上がった。
    「……ありがとう、アニェッリ先生。この『クイックローダー』、すごく役に立ったわ」
     リストは左手に持っていた「ドラム」――リボルバーに素早く弾を込められる器械を、サイドバッグにしまいこんだ。
    蒼天剣・獄下録 5
    »»  2010.06.10.

    晴奈の話、第525話。
    傀儡のフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「号外! 号外!」
     街中に、新聞とビラが飛び交っている。
    「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」
     ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。
    「またなの……?」
    「もう終わったって言ったじゃないか」
     新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。
    「何を考えているんだ!」
    「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか!?」
     やがてその怒りは熱に換わる。
    「もう放っては置けない!」
    「『ヘブン』の横暴、許すまじ!」
     熱気が街中に伝播し、狂気を帯びていく。
    「『ヘブン』打倒だ! 今こそ、この央北を正すのだ!」
    「おうッ!」
     クロスセントラルの市民たちは手に武器を取り、「ヘブン」の居城、ドミニオン城へとなだれ込んだ。
    「ヒノカミ陛下を倒せーッ!」
    「倒せーッ!」
     だが、その怒号は突然かき消された。
    「ぎゃッ!?」
     突然、暴徒の一人が、胸から血を噴き出して倒れたのだ。
    「な、なん……、ごはッ!?」
     別の暴徒の頭が、粉々になる。
    「ひ、ひい……、ぎゃあああーっ!?」
     また別の暴徒が、突然燃え上がる。
    「に、逃げろ! 殺される!」
     勢いづいていた暴徒たちはあっと言う間に、城の前から消えた。

    「……片付けとけ」
    「はっ……」
     城の窓から様子を見ていたフーは、短く命じてその場を歩き去った。
    (くそ、くそ、くそ……)
     フーは内心、毒づいていた。
     無理矢理に戦争を始めさせたアランに。
    (俺の……俺のことを……何だと……)
     それに追従していった側近たちに。
    (俺は……お前らにとって……王じゃないってのかよ……)
     戦争が始まると知った途端、暴徒と化した民衆に。
    (俺は……何なんだよ……)
     そしてそれを、止められなかった自分に。
    (俺は……道化か? 道化だって言うのか?
     悪魔を倒したのは俺だ。軍を率いたのも俺だ。『ヘブン』を築いたのも俺なんだ!
     それがどうだ! 俺は今、バカみてーなマント羽織って、バカみてーな王冠載せて、バカみてーに『片付けろ』なんて命令してやがる!
     バカだ、バカなんだよ俺は……ッ! 何にも決定権の無い、何も動かすことのできない、ろくでなしの大バカ大王だッ!)
     フーは万物に対し、底知れぬ怒りを覚えていた。
    「アランッ!」
    「どうした」
     呼べばすぐ、アランはやってくる。それだけが、以前と変わらないものだった。
    「兵の数は!」
    「およそ13万だ」
    「13だと!? 以前の調べでは、15万を超えると言っていただろうが!」
    「ここ数日、各地で起きた暴動により、死傷者が出ている。さらに、その事態の収拾に当たらせているため、手の空いている兵士は13万程度になっている」
     それを聞いて、フーの怒りはさらに燃え上がる。
    「はぁ!? 何寝言吹かしてんだ!? そもそもお前が、お前、が! 戦争やるぞっつったんだろうが! こうなるって分からなかったのかよ!?」
    「想定の範囲内だ。13万でも、十分に用は成す」
    「……チッ。じゃあ、戦艦の数は」
    「旗艦6隻に、巡洋艦24隻。駆逐艦10隻。その他諸々を合わせれば、50隻程度の戦力となる」
    「じゃあ、……ああ、もういい。下がれ」
    「分かった」
     アランはすっと、フーの側を離れた。
     と、アランが廊下の角を曲がろうとしたところで、フーはもう一つ尋ねた。
    「アラン」
    「何だ」
    「……俺は何者だ?」
    「王だ。この世界の、頂点に立つ王者だ」
    「本当かよ」
    「それ以外に何だと言うのだ?」
    「偉そうにしてりゃ、それだけで王様か?
     じゃ、お前の方が王様だろ。俺より偉そうにしやがって」
     フーはブチブチと文句を言いながら、自分の部屋へと足を向けた。

    蒼天剣・孤王録 1

    2010.04.15.[Edit]
    晴奈の話、第525話。傀儡のフー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「号外! 号外!」 街中に、新聞とビラが飛び交っている。「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」 ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。「またなの……?」「もう終わったって言ったじゃないか」 新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。「何を考えているんだ!」「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第526話。
    襲われた王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。
     そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。
    「おい、そこの!」
    「あ、……何、でしょうか」
     門に差し掛かってすぐ、門番に呼び止められるが――。
    「現在、城の出入りは制限されている! 城から出る用件を述べよ!」
    「あ? ……あー、はい、ああ。(よし、全然バレてねーな。まあ、まさか王様がノコノコ門前に来たりするなんて思わねーよなぁ)
     日上陛下より市街の様子を見てきてほしいとの、直々の命令を受けた次第であります」
     元々一兵卒の身であるフーにとっては、これくらいの対応は事前に予測できていたし、応対に関しても、何の問題も無かった。
     フーの答えに納得したらしく、門番は軽く敬礼しつつ応じてくれた。
    「そうか。……まあ、気を付けろ。言うまでもないことだが、城外は危険だからな」
     フーもぴしっと敬礼し返し、門番に礼を述べる。
    「はっ、ご配意いただき、恐縮であります。では、行って参ります」
     こうして難なく、フーは城から出ることができた。

    (ははっ……。ひでー荒れよう)
     自分たちが攻め落とした直後はそれなりに整備・清掃されていたはずの町並みは、今はぐちゃぐちゃに踏み潰されたビラと、あちこちで粛清された者たちの血で汚されていた。
    (これが、俺が王になった結果か。なんて情けねえ)
     市民たちは幾度にも渡る暴動と粛清の繰り返しで、兵士に恐れと、少なからぬ敵意を抱いているのは明らかだった。
     兵卒姿のフーが通り過ぎるのを、誰も彼もが店の奥や窓の裏、裏路地の陰で遠巻きに見つめながら、じっと待っていたからだ。
    (やめときゃ良かったんだ――カツミを倒した時点で戻っておけば、俺は祖国の英雄でいられたんだ。それかトモを更迭するってアランが言い出した時、俺がきっぱりそれを拒否しとけば、戦争やろうなんて話にならなかったはずだ。
     俺は、こんなひでー目に遭わせるために戦ったんじゃない。ましてや、王様になんて)
     フーは道の真ん中で立ち止まり、自責の念に震えた。

     と――。
    「……!?」
     がつっ、と言う音がフーの被っていた軍帽から響き、続いて鋭い痛みが走る。
    「が、……っ」
     ぐらりと視界が歪み、フーの姿勢は崩れた。
    「今だ! 畳み掛けろ!」
    「おうッ!」
     あちこちに隠れていた市民たちが一斉に飛び出し、棒やレンガを手に襲ってきた。
    (ま、まずい……っ)
     頭からボタボタと血を流しながらも、フーは彼らから逃げ出した。
     だが、暴徒の動きは止まらない。
    「逃がすなーッ!」
    「追え! 殺せ!」
    「我々の仇だ、絶対に逃がさないぞ!」
     聞こえてきた怒号に、フーは愕然とする。
    (か、仇だと? 俺が? い、いや、軍か。軍全体、ひいては『ヘブン』が、敵と見られてるのか……。
     わけが分からない。俺たちはこの国を、政争でドロドロになってたこの央北一帯を救うために来たってのに。
     ……違う)
     フーははた、と気付かされる。
    (俺は何のために戦った?
     世界を救うとか、そんなのはアランのたわごと。権力を手に入れるとか、それも俺が望んだことじゃない。
     俺は……、俺は、まったく)
     また、頭にレンガがぶつけられる。
    「う、ぐっ」
     後頭部に命中し、フーの意識は飛び散った。
    (俺は……まったく……俺自身の目的なく……他人の言いなりで……戦った……だけ……)



    「気が付いたか」
    「……!」
     フーが目を覚ますと、そこは城の医務室だった。
    「お、俺は」
    「城下町で教われ、倒れていた。暴動に気付いた軍が鎮圧に向かった際、お前がいるのに気付き、ここまで搬送した。
     何故外にいた? こうなると、分かっていただろうに」
    「分かるもんかよ」
     フーは後頭部をさすりながら、ぼそっと答えた。
    「様子が分からないから、俺は外に出たんだ。お前らだけで、話が進んでたからな。
     それで、……市民はどうなった?」
    「制圧した」
    「……殺したのか」
    「必要なだけは」
    「必要って何だよ?」
     フーは目を剥き、叫んだ。
    「何だよ、『必要』って!?
     殺すなよ! あいつらは本来なら、俺たちが護る相手だろ!? 何で殺す必要がある!? 護ってもらう奴に殺されるって、意味が分かんねーよ!」
    「我々に刃向かったからだ。完全に統制するためには、しかるべき威圧も必要だ」
    「……へっ、『統制』かよ。そうだよな、お前は何から何でも自分の思う通りコントロールしなきゃ気が済まないんだよな」
     フーはベッドから抜け出し、医務室を後にする。
    「軍も、『ヘブン』も、そして俺までも、何もかもを自分の思い通りに動かして、お前は何がしたいんだ?」
     フーは医務室の扉の前で振り向き、アランに尋ねる。
    「お前を王にする。それが私の意志だ」
    「王にして、それから?」
    「……」
     それ以上、アランは答えなかった。

    蒼天剣・孤王録 2

    2010.04.16.[Edit]
    晴奈の話、第526話。襲われた王。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。 そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。「おい、そこの!」「あ、……何、でしょうか」 門に差し掛かってすぐ、門番に...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第527話。
    王者の矜持。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。
     国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。



    「……」
     フーが市街地で襲われて以降、彼の周囲は以前にも増して静かになっていた。
    「……へへ……へっ……」
     フーはその晩も、浴びるように酒を飲んでいた。
     それ以外に、することが無いのだ。政務も、財務も、軍への指揮も、その他諸々、すべてアランと、彼が掌握した側近とがこなしている。
     彼は書類一つ触らせてもらえず、また、前回のように袋叩きに遭うことを懸念された結果、ずっと城の中に閉じ込められていた。
    「俺は一体、何なんだろうな……」
     酒浸しになった脳みそでぼんやり考えるが、思考はまとまらない。
    「あなた……、飲み過ぎよ」
     と、背後からそっと声がかけられる。
    「ランニャか……。何の用だ?」
     そう応え、振り向いた瞬間、ランニャの平手打ちがフーの頬をえぐった。
    「ぐえっ……!?」
    「何の用、ですって? 私に、妃の私に向かって、何て言い方をするの? 私は兵士や側近じゃないのよ? 用がなきゃ、夫のあなたに声をかけちゃいけないって言うの?」
    「お、怒るなよ、ランニャ。……俺が悪かったよ、変な言い方して」
    「……ごめんなさい。私も少し、イライラとしていたから」
     しゅんとなり、耳と尻尾を垂らすランニャを見て、フーの頭も冷える。
    「いや、悪いのは俺だって。……そうだよ、こんな風に、お前まで縮こまらせるような目に遭わせたのは、他でも無い俺なんだから」
    「あなた……」
     目を赤くするランニャを見て、フーは思わず抱きしめた。
    「悪い、本当に」
    「……ねえ、お話があるの」
     ランニャはフーから離れ、一瞬窓に目を向けた。
    「何だ? 改まって」
    「……もう、逃げない?」
    「え……」
     発言の意図が分からず、フーは硬直した。それを察して、ランニャが言葉を続ける。
    「この城から逃げないかと、そう言う意味よ。
     遠慮なく言ってしまえば、あなたはもう『お飾り』でしょう? あなたにはこの流れを……、戦争を止められない。かと言って、戦争に参加しようとも思っていない」
    「その……、通り、だけど」
    「それならいっそ、もう何もかも捨てて、私の国に戻らない?
     あなたが望むなら、前大公である私の力を使って、央中で平和に暮らすことができる。いいえ、ネール公国で重要な地位に就くこともできるわ。私がもう一度、大公に復位して、その片腕となることも」
    「それ、は……」
     フーは答えられず、うつむく。
    「……私はもう、あなたがしおれていくのを見ていたくないのよ。もうこれ以上、この『ヘブン』に未練なんて、ないでしょう?」
     未練、と言われてフーの頭に、何かが瞬いた。
    「未練……?」
     フーは頭の中から酒を払い、深く考え込んだ。
    (そうだ……俺はまだ……)
    「ねえ、フー。一緒に、行きましょう?」
     ランニャが呼びかけるが、フーは答えない。
    (……俺は……日上風。『風』が、流されてどうするんだ?)
    「フー?」
    (俺が、風を流さなきゃダメだ。……少なくとも今吹いてる風は、俺の望みじゃない。
     王様なんだ。俺はこの国を動かせる力がある。そう、力があるのはアランじゃない。俺なんだ!)
    「どうしたの、フー?」
    「……悪い、ランニャ。もう少しだけ、ここに居させてくれ」
    「えっ……」
     意外そうな顔をするランニャの頭を、フーは優しく撫でた。
    「心配するなって。……どうしても、やっておきたいことがあるんだ」



     翌朝、フーは側近とアランを集め、会議の場を開いた。
    「諸君。俺は、何だ?」
    「は……?」
     ハインツはぽかんとする。
    「王、でしょう」
    「そうだ。俺は、この『ヘブン』の王なのだ。であれば、すべての選択権は俺にある。そうだな?」
    「まあ、そうなりますね」
     ルドルフが半ば面倒くさそうに返答する。
    「だから、改めて俺は命じよう。西大海洋同盟に宣戦布告せよ、と」

    蒼天剣・孤王録 3

    2010.04.17.[Edit]
    晴奈の話、第527話。王者の矜持。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。 国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。「……」 フーが市街地で襲われて以降、彼の...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第528話。
    実権再奪取。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ちょっ……」
     フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。
    「異論があるのか?」
    「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」
    「そうか。おい、連行しろ」
    「え」
     フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。
    「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」
    「な、なに、かんがえてんのよ……」
     ドールは信じられないと言う顔のまま、連行されていく。
    「じゃあ」
     と、ずっとうつむいていたノーラが立ち上がる。
    「私も牢に行くわ。あなたには付いていく気にはなれない」
    「そうか。連れて行け。ドールと同じ扱いをしろ」
     続いて、別の兵士がノーラを連行する。
     静まり返った場に、フーは威圧的な声を投げかける。
    「他に反対する者は? いれば今すぐ言え。言わなければ同意したと考える。
     どうだ? いないのか?」
    「……」
     誰も、何も言わず、静寂が続く。
     それを確認し、フーはふたたび口を開いた。
    「では、会議を再開する」

    「一体どうした? 突然、乗り気になったようだが」
     会議の後、アランがフーに尋ねてきた。
    「思ったんだよ。『このまんまお前に任せて、俺は平然としていられるか?』ってな」
    「意味が分からない。何を言いたい?」
     淡々と尋ねるアランを、フーはにらみつける。
    「お前に何もかもを任せれば、きっと俺の望むような結末にはならない。お前は、何もかもをやりすぎるからな。それも最悪な状況にまで」
    「うん? やりすぎる、とは?」
    「お前は俺や側近が必要だと思う以上に兵士を送り込んで滅茶苦茶に戦火を拡げて、敵も味方も、すべてを見殺しにするだろう。それで遺族から恨まれるのは、誰だ? お前か?」
    「そうではないだろうな」
    「だろう? それは間違いなく、俺になる。
     お前に任せた分の責任は全部、俺が被ることになる。と言って俺が自分で命じても、その責任はお前が負うことは絶対にない。どっちみち、俺が、負うんだ。
     お前に任せても、俺がやっても、結局すべての責任は俺に来る。なら最初っから俺が、全部やりゃいいんだ」
     フーはそこでアランに背を向け、こう続ける。
    「もうお前には何も任せない。俺が全部、指揮する。お前は黙って見てろ」
    「しかし……」
    「二度も言わせるのか? 黙れと言ったんだ」
    「……」
     アランはそれ以上何も言わず、その場を去った。

    「おいおい……、御大、ノリノリだぜ」
    「その様であるな」
     隠れて見ていたハインツとルドルフが、フーの振る舞いに感心していた。
    「ここんところずっと腑抜けになっちまってて、どうなることやらと思ってたけど」
    「やる時はやる、と言うことであろうな」
    「しっかし、スカッとしたなぁ。あのアランが、ぐうの音も出せなかったってのは」
     ルドルフはニヤニヤしながら、その場を離れた。
    「へへへ……、みんなに言いふらしてやろう。久々に御大がアランをヘコましたって」
    「かっか、それは面白い」
     ハインツもニヤリと笑い、ルドルフに同意した。



     フーがアランを叱咤し、事実上の更迭処分を下して以降、「ヘブン」内の風向きが変化した。
     理不尽な制圧・掃討を繰り返したことで軍内から忌み嫌われていたアランが消えたこと、名目上のトップであったフーが実権を取り戻し、明確に指揮を執り始めたことが好判断の材料となり、軍も、そして央北の世論も、次第に「ヘブン」を容認し始めた。

    「やっぱり、やってみて正解だった」
    「そう、ね」
     実権を取り戻して以降、フーは一滴も酒を飲まなくなった。
     フーは素面の状態で、妃と夕食を楽しんでいた。
    「でも不思議ね。あなたが行動した途端、すべてが円満に動き出すなんて」
    「俺は『風』だからさ。俺が動けば、風車も風見鶏も、止まっていたものは全部動くんだ」
    「クス、良く分からない例えね。……でも」
     ランニャはすっと、真面目な顔になる。
    「あなたは、戦争をしたくないんじゃなかったの?」
    「そうさ。したくなんかない。……だからこそ、『やる』と公言したんだ」
    「……? 分からないことばかりね」
     きょとんとする妻を見て、フーはニヤッと笑った。
    「すげー簡単で、単純なことなんだよ。
     例えばさ、俺が兵卒の食糧運搬担当で、全部で100キロ分あるジャガイモを運ぶことになったとする。嫌だなぁと思ってそのままにしてたら、上官から『10キロずつでもいいからさっさと運べ!』って指示されて、10キロ運ばされる羽目になるだろう。
     んでもそうなる前にさ、嫌々でも5キロずつ、5キロずつこまめに運んでおいたら、上官は『ちゃんと仕事してるな』と思って、文句は言わない。全体から見たら10キロを一度に運ばなくて良くなるから、楽もできる。
     何が言いたいかって言うとさ、つまり、悪いことが一度に、でっかく起こる前に少しずつ、少しずつ、こまめに消化して行けば、結果は同じだったとしても、過程はちょっとくらいは楽になるだろってことだよ。
     戦争は最悪の結果になるだろう。きっと、『ヘブン』は負ける。俺も無事じゃすまない。かと言って、止めさせることもできない。それならいっそ、俺がコントロールできるだけコントロールする。
     んで、できるだけ傷つく人を減らしておきたいんだ。俺が痛い目に遭うのは確実としても、俺以外のヤツが少しでも、死なないようにしていきたいんだ。
     俺一人が、責任を取ればいい。巻き込まないで済むヤツは、そのまま巻き込ませないようにしたいんだ」
    「何だか、王様らしくなったわね、フー」
     うなずくランニャを見て、フーは精悍な笑顔を作り、さらに続ける。
    「ランニャ、俺がどうなろうと、お前には何も追及されないようにする。
     ……だからずっと、俺の側にいてほしい。お前がいれば、俺は頑張れる」
    「ええ。付いていきます、あなた」
    「……ありがとよ」



     この後、投獄されていたドールとノーラもフーの意図に気付き、意見を翻した。フーは彼女たちを許し、改めて側近に加えた。
     フーの復活により、「ヘブン」は固い決意の元、西大海洋同盟と戦うことになった。

    蒼天剣・孤王録 終

    蒼天剣・孤王録 4

    2010.04.18.[Edit]
    晴奈の話、第528話。実権再奪取。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ちょっ……」 フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。「異論があるのか?」「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」「そうか。おい、連行しろ」「え」 フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」「な、...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第529話。
    モールの災難。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央中、ゴールドコースト。
    「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」
     人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。
    「……! ったく、身軽にも程があるってね」
     一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。
    「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」
     モールの持つ杖から、ぱぱぱ……、と紫色の光線が飛び散り、もう一方の女に向かって飛んで行く。
    「……ッ」
     女はほとんど声を発さず、剣でその光線を受ける。
    「……うっそぉ!?」
     それを見たモールが、驚いた声を上げる。盤石の自信を持っていた自分の魔術が、どこの誰とも分からぬような相手に跳ね返されたからだ。
    「あ、まず……」
     その一部――光線の一本が、モールに戻ってくる。
    (何なんだってね、ホントに……! 今日はカジノでボロ勝ちして、さー帰って寝よう寝ようって思ってたところに、こんな……こんな面倒なヤツ……!)
     光線はモールの体を貫き、そのまま背後へと飛んでいった。
    「ぐ、っふ」
     血がパタパタと飛び散るが、モールは倒れない。瞬時に治療術を使って回復し、そのまま空き倉庫の中へ、転がるように逃げ込んだ。
    (あー、痛い痛い、痛いって! すっげ痛いってね、もおっ!)
     回復したとは言え、その痛みはまだ残る。モールはよろめきつつ、倉庫の床にへたり込んだ。
    「はーっ、はーっ……」
     モールは荒い息を整えつつ、床に魔法陣を描き始めた。
    (こうなりゃ、『取って置き』しかないね)
     フラフラになりながらも、どうにか完成させ、相手を待ち構える。
    (この床全部、爆弾にしてやったね! さあ入って来い、仮面女……ッ)
     モールは目をぎらつかせて、敵が入ってくるのを待つ。
    「……?」
     だが、一向に入ってくる気配は無い。
    (おかしいね……? 私がここに入ってくるの、見えてたはずだけど)
     と、首をかしげた次の瞬間――。
    「……えっ」
     モールの目の前、鼻先から数センチも離れていない空間を、何かが通り抜けた。続いて、壁から入口に向かって、一直線にヒビが走る。
    「……そうだ……、思い出した」
     仕掛けていた魔法陣も、そのヒビと衝撃に巻き込まれ、壊れる。
    「この技……、あの仮面……」
     壊れた魔法陣は暴走し、充填されていた魔力が単純なエネルギーへと変化し、爆発に変わる。
    (そうだ……! 晴奈をてこずらせた、あの女……!)
     爆発はモールを巻き込み、倉庫全体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

    「……なかなか、てこずった方かしら」
     モールと戦っていた巴景は剣を納め、跡形もなく吹き飛んだ倉庫を眺めた。
    「ま、それでも10分持たないか」
     ニヤリと笑い――相変わらず、口元以外は仮面で覆われているが――倉庫跡に背を向ける。
    「……あら」
     振り向いた先に、倉庫の瓦礫をぱたぱたとはたくモールが立っていた。
    「何のつもりだね、仮面女」
    「流石、賢者と名乗るだけはあるわね。どんな術を使ったのかしら?」
    「言う必要ないね」
     モールは恨めしそうな目を、巴景に向けてきた。
    「君のおかげで、今日カジノで稼いできた50万エル、全部どっかに散らばっちゃったね。50万だよ、50万。どうしてくれるね、本当に……」
    「あら、ごめんなさい」
     巴景はまた、ニヤニヤと口元を歪ませる。
     それを見たモールは、眉間にしわを寄せた。
    「謝る気、さらっさら無いってか」
    「いいえ? 多少はあるわよ。
     えーと……、50万? クラム換算だと、おいくらかしら」
    「は?」
    「まとまったお金、クラムしか持ち合わせてないの。……3万クラムくらい?」
     そう言って、巴景は背負っていたかばんから財布を取り出し、クラム金貨を3枚取り出した。
     そんな対応をされるとは思っていなかったらしく、モールは一転、目を丸くしている。
    「え? どう言う……?」
    「あなたと勝負がしたかった。それだけよ」
     そう言って巴景は、唖然とするモールの横を通り抜け、そのまま去っていこうとした。
    「ちょ、待てってね」
     モールは我に返り、巴景を呼び止めた。
    「なに?」
    「じゃ、君って、ただ私と戦うためだけに、倉庫一個、丸ごと吹っ飛ばしたっての?」
    「そうよ。それがどうかした?」
    「……バカじゃない、君?」
     モールの言葉を鼻で笑い飛ばし、巴景は答える。
    「私は私自身にとって、最も必要で、最も意義のあることをしているだけよ。それを愚かと言うなら、食べることや家を建てること、お金を稼ぐことも愚かな行為になるわ」
    「……」
     黙りこんだモールに再度背を向け、巴景はそのまま立ち去った。

     残されたモールは、渡された金貨を眺めながら、ぼそっとつぶやいた。
    「戦うために生きる。それがすべて、……か。
     厄介だよ、晴奈。あの女は本気で、君を潰そうとしてるね。それ以外まるで、眼中にないって態度だ。
     ……楓藤巴景、か。覚えておいてやるね」

    蒼天剣・無頼録 1

    2010.04.20.[Edit]
    晴奈の話、第529話。モールの災難。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 央中、ゴールドコースト。「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」 人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。「……! ったく、身軽にも程があるってね」 一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」 モール...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第530話。
    巴景の武者修行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」
     そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。
    「ウチから?」
    「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」
    「ああ、ルードおじさんですか」
    「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」
     フォルナの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「ええ。以前の……、フォルナさんが入る前の、518下半期エリザリーグ直後と似たような事件が、発生しているのよ」
    「って言うと、また誘拐っスか」
     そう言ったフェリオに、今度は首を横に振る。
    「いいえ、傷害事件ね。エリザリーグ出場者を狙った辻斬りが、これまでに5件発生しているの。
     特に520年からは、これまで『キング』の圧力で出場できなかった人たちが多数詰め掛けてきて、闘技場側もやむなく出場枠を5名から8名に拡大したから、被害に遭うと思われる人間は多数出てくるでしょうね」
    「出場者……って」
     それを聞いて、フェリオの顔が青くなる。
    「ウチのも、狙われそうっスね」
    「そうね。帰ったら、気をつけるよう声をかけておいた方がいいわ。まだ生まれたばかりでしょう、娘さん」
    「ええ。……まあ、ウチのに限って、そのままやられちゃうなんてコトはないでしょうけどね、ハハ……」
    「お前は頭が間抜けか?」
     バートが呆れた顔で、フェリオの頭をはたいた。
    「いてっ」
    「『傷害事件の被害者はエリザリーグ出場者』っつってんだろ。逆に言えば、エリザリーグまで行った強豪が大ケガしてるってことだぞ」
    「あ……」
     それを聞いて、フェリオの顔がまた青くなった。
    「……あのー」
     申し訳無さそうに口を開いたフェリオに、バートがうなずいた。
    「いいよな、ジュリア?」
    「ええ。注意は早めに呼びかけておいた方が、効果的だもの。今日は早めに帰って、奥さんに気をつけるよう言っておきなさい」
    「あざっす!」
     フェリオはぺこぺこと頭を下げ、飛び去るように公安局を後にした。



    「こんにちは」
    「ん? こんち、……は?」
     往来で声をかけられ、シリンは振り向いて挨拶をしかけた――が、声をかけてきたのは仮面を被った、いかにも怪しげな女だったため、途中で言葉に詰まる。
    「あなた、シリン・ミーシャさんよね?」
    「……そうですけど、どちらさん?」
     シリンは相手の風体を見て露骨に怪しがり、子供をぎゅっと抱きしめて後ろに下がる。
    「ちょっと、お話を、ね。……えーと」
     仮面の女――巴景は、シリンの抱えている子供を見て、躊躇した様子を見せる。
    「……とりあえず、本当にお話からしましょうか。
     ミーシャさん、お家は近くかしら。お子さんが一緒だと、動きにくいでしょう?」
    「……? まあ、うん。……あのー」
    「単刀直入に言うと」
     シリンが巴景の意図を図りかねているのを察したらしく、巴景は剣をわずかに抜き、刀身を見せてきた。
    「『これ』のお相手を、お願いしたいの。
     私は今ここで、無理矢理にでもいいけれど、お子さんを傷つけたくないでしょう? お子さんを安全なところに置いてから、の方がいいわよね?」
    「……せやな。ついてき」

     シリンの家に通された巴景は、シリンが荷物と子供を置いて戻ってくるのを待った。
    「茶、いるかー?」
     シリンの方も、単なる暴漢の類ではないと察したらしい。まだ警戒している様子はあるが、明るく声をかけてくる。
    「ええ、いただくわ。……私の知っている情報だと、エリザリーグに2回出場し、公安に捜査協力したことがある虎獣人の格闘家、としか聞いてなかったけど」
     家の中を見回すと、あちこちに人形やぬいぐるみが置いてあるのが目に付く。
    「いつ、結婚したの?」
    「去年やな。んー、と……、一昨年にダンナと知りおうて、その後ちょっと、一緒に央北に行ってる間に仲良うなってん。その、さっきアンタが言うてた、公安の協力しとった関係で」
    「じゃ、結婚したのは殺刹峰事件の後?」
    「ふぇ?」
     カチャカチャと、茶の用意をしていたらしい音がやむ。
    「覚えてないかしら? 私、晴奈と戦ったのよ」
    「……あー、あー! なんや見た覚えあるかも思てたけど、そやったそやった!」
     少しして、シリンが茶を二人分用意して戻ってきた。
    「ウチ、忘れっぽいねん」
    「あら、そうなの。……じゃ、私が名乗ってたのも忘れた?」
    「……ゴメン」
     巴景は肩をすくめ、改めて名乗る。
    「私の名前は、トモエ・ホウドウ。ちょっと前まで色々やってたけど、旅の剣士よ、今は」
    「あいあい。ま、茶でも……」
    「いただきます」
     と、巴景が茶に口をつけようとした、その時だった。
    「ただいま、シリン! 無事……」
     居間に入ってきたフェリオが、巴景を見て硬直した。

    蒼天剣・無頼録 2

    2010.04.21.[Edit]
    晴奈の話、第530話。巴景の武者修行。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」 そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。「ウチから?」「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」「ああ、ルードおじさんですか」「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」 ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第531話。
    もっと強い子に会いに行く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……あー」
     巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。
    (話がややこしくなりそうね)
     状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。
     一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。
    「誰だ、お前?」
    「旅の剣士」
    「ウチに何の用だ?」
    「奥さんに、用事があって」
    「……」
     フェリオは拳銃を取り出し、巴景に向かって構えた。
    「……手を、挙げろ」
    「いいけど」
     巴景はひょい、と両手を挙げる。フェリオは警戒しつつ、巴景が腰に佩いていた剣を取る。
    「満足した?」
    「……名前は」
     緊張を崩さないフェリオに、巴景はため息をつく。
    「トモエ・ホウドウよ。……ねえ、ミーシャさん。この人が、あなたの旦那さん?」
    「うん」
     シリンも緊張した目を向けつつ、茶をすする。
    「私、この人の顔見た覚え無いし、私のこと知らないみたいよ。あの時、いなかったみたいだけど」
    「あー。あん時、腕に大ケガしとって、屋敷ん奥で寝ててん」
    「あら、そうなの」
     そう聞いて、巴景はフェリオの腕をひょいと取る。
    「う、動くな!」
    「いい加減にしなさいよ。そんなの屋内で撃って、跳弾で子供に当たるかもって思わない?」
    「……っ」
     巴景の言葉に、フェリオの視線は一瞬泳ぐ。
    「ほら、離しなさいよ」
     巴景はその隙を狙ってフェリオの手首をつかみ、ギリギリと締め上げる。
    「う、あ……っ」
     たまらず、フェリオは拳銃を落とした。
    「ふーん、確かにアザみたいなのがあるわね。……ああ、これってあのネイビーの?」
    「うんうん」
     フェリオに興味を失い、巴景はフェリオから手を離した。
    「良く生きてられたわね。腕も、ちゃんと残ってるみたいだし」
    「色々あってん」
     手首を押さえてうずくまるフェリオを尻目に、巴景とシリンは会話を続ける。
    「でも何や、トモエさんて結構度胸あるねんな。拳銃向けられて、平然としとるし」
    「伊達に修羅場は潜ってないわ。拳銃向けられるよりもっと怖い体験、したことがあるもの」
    「そーなんやー」
    「……クス」
     シリンと話しているうち、巴景は笑い出した。
    「楽しい人ね、シリンさん」
    「え、そお?」
    「戦おうと思ってたけど、毒気抜かれちゃったわ。お茶いただいたら、帰るわね」
     それを聞いて、シリンはきょとんとする。
    「ええのん?」
    「ええ。まあ、……こんなこと言ってしまうと気分悪くしちゃうかも知れないけど、元々から期待外れだったのよね、この街」
     巴景はパタパタと手を振り、これまでの対戦を語る。
    「私、武者修行と思って、エリザリーグ出場者なら骨のある人がいるだろうと思って声をかけて、手合わせしてもらってたのよ。
     そしたらみんなあっけなくやられちゃうし、『剣なんか使って』とか『女のクセに』とか、泣き言をびーびー言ってくるのよ。武器なら晴奈だって、これまでの優勝者だって使ってたのに」
    「あー……。それはちょっと思たなぁ。
     ウチも去年のんは、子供生まれる前やったから観戦だけしとってんけど、あの519年上半期のんに比べたら、まるでママゴトやチャンバラやなーて思たわ。
     そら、クラウンににらまれただけでスゴスゴ引き下がる奴らやな、てな」
    「でしょうね、ふふ……」
     巴景は茶を飲み干し、立ち上がって床に置かれた剣を取る。
    「それじゃ私、そろそろお暇するわね」
    「……あー。ウチ、まだ本調子ちゃうから、今やってもつまらへんかもやろけど」
     シリンも立ち上がり、すっと右手を差し出す。
    「522年からは、復帰するつもり満々やしな。そん時、やろ」
    「いいわね。それじゃ、楽しみにしてるわ」
     巴景はシリンの手を握り、堅く握手した。
     と、すっかり意気消沈したフェリオを見て、巴景が声をかけた。
    「いきなり拘束しようとした、ってことは、公安が追ってるのね。さっき言ったリーグ出場者から、被害届でも出たのかしら。
     ま、これ以上被害者は増えないわ。飽きたから」
    「あ……、飽きた?」
     顔を上げたフェリオに、巴景は口元をわずかに曲げてこう言った。
    「もっと強い人に、会いたいの。さっき言った通り、ここの人じゃ相手にならないし。
     もうここには、用は無いわ」
    「……そうか」
     フェリオはまたうなだれ、ソファにぐったりと腰かけた。
    「じゃあ、とびっきり強いヤツが、ミッドランドにいる。そいつと会ってみたらどうだ?」
    「へえ?」
    「名前はテンコ。あのタイカ・カツミの弟子だそうだ。セイナさんも苦戦した相手だぜ」
    「……いいわね。ありがとうね、ダンナさん」
     巴景は会釈し、シリンの家を出た。



    「はい?」「何言ってんだ?」
     翌日、フェリオはジュリアに、公安への辞職願を提出した。
    「俺……、もうダメっス」
    「何があったんだ?」
    「昨日、家に帰ったら……、いたんスよ、犯人」
    「犯人って、リーグ出場者の傷害事件の?」
     ジュリアの問いに、フェリオは力なくうなずき、経緯を説明した。
    「そうか……」
    「……俺、公安に向いてないみたいっス。殺刹峰ん時も、ミッドランドん時も、捜査、とことん足引っ張ってるし」
     落ち込むフェリオを見て、ジュリアは煙草をくわえた。
    「……あのね、フェリオ君。それを言ってしまったら、エラン君の方がひどいわよ」
    「いきなり人を名指しでけなさんといてくださいよ……」
     エランがむくれるが、ジュリアは構わず話を進める。
    「それでもエラン君は、十分に職員の資格有りと私は思ってるわ。彼、どんなに下手を打ってもへこたれないもの」
    「……」
     ジュリアは手にしていたフェリオの辞職願を燃やし、それを使って煙草に火を点けた。
    「あなたは良くやったわ。あなたがテンコさんのことを教え、犯人を遠ざけたおかげで、被害はこれ以上拡大しないんだから」
    「あ……」
    「あなたはちゃんと街を護ったわ。自信、持ちなさい」
     ジュリアは灰になった辞職願をペール缶に捨て、話を切り上げた。
    「テンコさんが相手なら、犯人への制裁になるでしょう。
     さ、次の案件よ」

    蒼天剣・無頼録 3

    2010.04.22.[Edit]
    晴奈の話、第531話。もっと強い子に会いに行く。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「……あー」 巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。(話がややこしくなりそうね) 状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。 一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。「誰だ、お前?」「旅の剣士」「ウチに...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第532話。
    ミッドランドのアイドル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央中中部、ミッドランド。
     街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。
    「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」
    「ふむ」
     彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。
     事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物になり、この日も魔術師たちに自分の得た秘術を教えていた。
     天狐は妹弟子のレイリン――最近、天狐から「お前も克って名乗れよー、妹弟子なんだからよー」と言われたので、克鈴林と名乗るようになった――を助手に従え、講義を進めていく。
    「ってワケだから、術式も互換性は高い。だから、ほれ」
     天狐は空に向け、火の槍を放つ。
    「えいっ」
     そこに鈴林が手を加え、雷の槍へと姿を変えさせた。
    「おお~……」
    「な? こーゆー面白いワザもできんだよ。他にもな、氷と土は固化、水と風は流体って言う相似点があるんだ。そこら辺を色々いじくってみたら、何か発見できるかもな。
     んじゃ今日はここまで。おつかれさん」
     天狐の講義が終わり、魔術師たちは深々と礼をする。
    「ありがとうございました、テンコ様」
    「サマとかいらねーよ、照れるぜ。……呼ぶなら天狐ちゃんって呼びな、ケケ」
     天狐は狐耳をコリコリかきながら、その場を後にした。

     天狐は現在、鈴林と共にラーガ邸に居候している。とは言え、彼女が街にいることで入る観光収入などの間接的な利益は非常に大きいものなので、当主のトラムは彼女を厚遇していた。
    「おっ、見ろよ鈴林」
    「どうしたの、姉(あね)さんっ?」
    「おっちゃん、今日のおやつにショコラシフォンケーキ用意してるってさ」
     天狐は自分と鈴林に当てられた部屋に残されたメモを読み、九尾の尻尾をパタパタさせている。
    「好きだねぇ、チョコ」
    「へへっ」
     天狐はニコニコと笑いながら、食堂に足を運んだ。
     と――。
    「……ん」
    「どしたのっ?」
    「なんか、感じねーか?」
     天狐はどこからか鉄扇「傾国」を取り出し、警戒する。鈴林も天狐の後ろに付き、その気配を感じ取ろうと集中した。
    「……っ! 窓っ!」
     そして、天狐より一瞬早く鈴林がその気配の元に感づき、魔術で盾を作る。
     次の瞬間、ラーガ邸の庭を見渡すことのできる、廊下一面に張られた大きな窓の一枚に、縦一直線に亀裂が走った。
    「……っ、と」
     続いてやって来た衝撃波が、鈴林の術で防御される。
    「何だぁ……?」
     鈴林が術を解いた瞬間、天狐はばっと庭先に飛び出す。
    「いきなり何すんだよ、お前? 庭、メチャメチャにしやがって! トラムのおっちゃん、泣くぜ?」
    「知らないわよ、そんなこと」
     庭の中央に立っていた巴景が、肩をすくめる。
     その周囲には兵士たちが倒れている。どうやら警備網を無理矢理に突っ切って、屋敷に侵入したようだ。
    「あなたが、克天狐ちゃん?」
    「そーだよ。天狐サマって呼べ」
    「あら? さっき講義してた時、ちゃん付けしろって言ってなかった?」
    「オレと仲良くするヤツは、な。テメーは、敵だ」
    「なおさら呼びたくないわよ。なんで敵に様付けしなきゃいけないのよ」
     巴景はそう言って、次の攻撃を放った。
    「チッ……、話する気、ゼロか」
     天狐は鉄扇で防ぎつつ、雷の術を放つ。
    「『サンダースピア』!」
     雷の槍が巴景に向かって飛んで行く。が、巴景は剣を構えただけで、動こうとしない。
    (……っ、なんか見た覚えがある気がするぜ、こんな光景)
     天狐は嫌な予感を覚え、続けてもう一発放とうと呪文を唱える。
     その間に、雷の槍が巴景に到達する。だが、予想通り槍は巴景の剣に弾かれ、四散する。
    「えっ」
     背後で鈴林が声を上げて驚いていたが、天狐は構わず二撃目を放った。
    「もいっちょ! 『サンダースピア』!」
    「同じことよ」
     二度目の電撃も、巴景は同じように防ごうと構えた。
    「鈴林! 変換!」
     と、天狐は鈴林に向かって命じる。
    「え? あっ、はいっ!」
     鈴林は即座に応じ、先程講義で見せたように、天狐の術に手を加える。
     雷の槍はギチ、と妙な音を立てて、空中で実体に変化した。
    「……!」
    「ケケ、ちょっと術を組み替えさせてもらったぜ」
     雷の槍は重量ある石の槍に変化し、巴景に直撃した。

    蒼天剣・無頼録 4

    2010.04.23.[Edit]
    晴奈の話、第532話。ミッドランドのアイドル。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 央中中部、ミッドランド。 街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」「ふむ」 彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。 事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第533話。
    混沌の巴景。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。
    「よっしゃ!」
    「うまく行ったねっ!」
     天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。
    「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」
    「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」
    「お、そうだった。確認しな……」
     振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。
    「……いねえ?」
     先程まで巴景が倒れていた場所には、自分たちが放った石の槍しかない。
    「ドコ行った……?」
     天狐は辺りを見回すが、巴景の姿は無い。
    「鈴林、ちょっと貸せ」
    「あ、はいっ」
     天狐は鈴林の魔力を借り、索敵術を試みた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……えっ?」
     天狐の脳内に、周囲の情報が入ってくる。
     その情報が、すぐ目の前に――丁度、槍がある場所に人がいると告げていた。
    「どうしたの?」
    「……まだ、そこにいるらしい、ぜ?」
    「えっ?」
     二人は無言で顔を見合わせ、恐る恐る槍へと近付く。
    「……いない、よな」
    「う、ん」
     すぐ近くまで迫っても、誰の姿も見つけられない。それどころか、魔術で風を起こし、土ぼこりを舞わせても、素通りする。
    「ドコに……?」
     天狐はわけが分からず、槍に手を伸ばした。
     次の瞬間――。
    「アンタのおかげで、いい技思い付いたわ」
    「……ッ」
     天狐の目の前に突然、巴景が現れた。
    「あ、が……っ」
     天狐の胴に、深々と剣が突き刺さる。
    「属性の変換、ね。なかなか面白いじゃない」
    「て、てめ、っ、どう、やって」
     天狐には、何が起きていたのか把握できない。
     が、横で成り行きを見ていた鈴林には、巴景が何をしていたのか理解できた。
    「そんな、まさか……、自分の体を」
    「ふふ、あははは……」
     巴景の足から下は、まったく目視できない。
    「ありがとうね、天狐『サマ』」
     巴景は自分にかけていた術を解き、そのまま天狐を剣先から振り飛ばした。



     30分後。
    「て、テンコちゃん! 襲われたと聞きましたが、大丈夫ですか!?」
     騒ぎを聞きつけたミッドランドの主、トラムが、兵士を引き連れて屋敷へと戻ってきた。
    「おう、おっちゃん。おせーよ、つつ……」
     天狐は鈴林に抱きかかえられる形で、庭の中央で横になっていた。
    「怪我を!? 誰か、担架を……」「いらねーよ。オレは大魔術師だぜ、……あいたた」
     天狐は腹を押さえ、顔をしかめていた。
    「しばらくしてりゃ治るから、心配すんなって。
     ……しっかしあの女、滅茶苦茶な魔術センス持ってやがる。まさか一回、二回オレの技を見ただけで、それを把握するとはな」
     天狐は苦い顔をしながら、ぼそっとつぶやいた。
    「うー……。トラムのおっちゃんよー」
    「はい、何でしょう?」
    「ゴメンな、庭こんなにしちまって」
    「いえ……。庭なら、直せば済みますから」
    「オレも直すの、手伝うよ」
    「いえいえ、テンコちゃんはゆっくり休んでいてください。そんな体じゃ、動くのも辛いでしょう?」
     トラムに諭され、天狐はポリポリと頭をかいてうなずいた。
    「……うん。ホント、ゴメンな」

     それから2日ほど、天狐の魔術講座は休講となった。



     ミッドランドを離れた巴景は近隣の森に逗留し、天狐の術にヒントを得て編み出した技を推敲していた。
    「ふふ……」
     殺刹峰で得た強化術――神経の反応速度や筋力を増強させる通常の強化術とは一線を画す、肉や骨の組織そのものを鋼鉄やバネのように変質・変形させる術――をベースに、巴景は自分の腕を変換させていた。
    「人間離れしちゃったわね、少し」
     巴景の左腕は、煌々と燃え盛っている。自分の腕を、「火の術そのもの」に変えたのだ。
     術を解くと、腕は元に戻る。火傷もしていない。
    「戦った価値は、十分すぎるほどあったわね」
     続いて、風の術に変換させる。腕は見えなくなったが、感覚も触感も確かにある。試しに落ちていた枝を拾うと、普通につかむことができた。
     空中にふよふよと浮かぶ枝を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    「……いいわね」
     巴景は見えない左腕にぐっと力を込め、枝をぽきりと折った。

    蒼天剣・無頼録 5

    2010.04.24.[Edit]
    晴奈の話、第533話。混沌の巴景。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。「よっしゃ!」「うまく行ったねっ!」 天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」「お、そうだった。確認しな……」 振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。「……いねえ?」 先程...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第534話。
    鬼がやってくる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     屏風山脈、黒鳥宮。
    「侵入者! 侵入者だーッ!」
     その夜、宮内は騒然としていた。
     突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。
    「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」
     ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニオン・ウィルソン大司教は、この異状を聞きつけて即座に動いた。
    「……まったく、こんな時を狙って来なくてもいいだろうに!」
     現在、黒炎教団では一つの問題が起こっていた。
     教主ウィリアムが重い病に臥せっており――ここ数年、弟が惨殺されたり、息子が遠い地で亡くなったと聞かされたりと、心労が重なったせいだろう――もってあと数週間かと言う状態にある。これ以上ストレスが重なれば、命に関わる。
     ウィリアムを何より慕うワニオンとしては、これ以上心配させたくなかったのだ。
    「報告します!」
     と、僧兵長の一人がワニオンの前にやってくる。
    「どうした? 捕まえたか?」
    「いえ、それが……」

    「ハァ、ハァ……」
     ウィルの姉、ウェンディは肩で息をしながら、目の前の敵――巴景に矛を向けていた。
    「く……、強い」
     横にはすぐ下の弟、ウォルターが同様に息を切らしながら、三節棍を構えている。
    「何が目的なの?」
     ウェンディはずれた眼鏡を直しつつ、巴景に尋ねる。
    「目的? そうね……、武者修行、かしらね。この黒鳥宮の中で一番強い人、出してほしいんだけど」
    「なら、……まずは僕たちを倒してみろッ!」
     ウォルターがいきり立ち、巴景に向かって棍を放つ。
    「いいわよ」
     巴景は向かってきた棍に、全力で剣を振り下ろす。ガイン、とけたたましい音を立てて、金属製の棍は真っ二つに割れた。
    「なっ……」
     目を丸くしたウォルターの前に、巴景が迫る。
    「まず、一人」
     巴景は剣を離した左腕をウォルターの首に回し、そのまま旋回する。
    「げ……っ」
     首を軸にして縦回転したウォルターは地面に頭を叩きつけられ、そのまま気絶した。
    「次はあなた?」
     巴景は再び剣を構え、ウェンディに向き直る。
    「……ええ。行くわよ!」
     ウェンディは大きく深呼吸し、巴景に向かって走り出した。ゴウ、ゴウと矛を唸らせ、巴景を捉えようと迫るが、巴景は間一髪で――文字通り、髪一本ほどのギリギリで避け、ウェンディのすぐ前に立った。
    「……ッ」
    「この距離なら、もう矛は役立たずね」
     巴景はすとんと、ウェンディの鳩尾に貫手を放った。
    「は、う……」
     ウェンディの目がひっくり返り、そのまま前のめりに倒れた。
     巴景は倒れたウェンディに目もくれず、くるりと振り返る。
    「……それで、あなたがこの教団で一番強い人かしら?」
    「そうだ。覚悟しろ、仮面の剣士」
     騒ぎを聞きつけたワニオンが、大剣を手に駆けつけてきていた。

     ワニオンは大剣を振り上げ、巴景に向かって飛び掛る。
    「へ、え……」
     巴景はその姿を見て、感嘆の声を上げる。
    (背はざっと見て190以上、体重は100キロ超えてるでしょうね。なのに、とても軽やかな動き。大剣が、まるで子供のオモチャを振り回してるみたいに見えるわ)
    「うりゃあーッ!」
     ワニオンの振り下ろした剣が、一瞬前まで巴景が立っていた地面を削る。
    「む、う」
     ワニオンは素早く身を翻し、次の攻撃に移る。
    「ふふ、流石ね」
     巴景もひらりと体勢を変え、ワニオンと再び対峙する。
    「これなら十分、相手になりそうね」
    「何……?」
     ワニオンの狼耳が、ピクと動く。
    「相手とは、何のことだ」
    「私の技の、練習相手。……いきなり仕掛けるのも剣士としてはアンフェアだろうし、教えてあげるわ」
     そう言って巴景は、左手を火に変えた。
    「なっ……?」
     それを見たワニオンが目を丸くする。僧兵たちに助け起こされたウェンディ、ウォルターも、巴景の技に驚いていた。
    「腕が燃えている……!?」
    「焔? いや、あいつらのは剣を、か。じゃああれは、一体……?」
     驚くウィルソン家の面々を見て、巴景は高らかに笑う。
    「ふふっ、あははは……。驚いてくれて嬉しいわ。これが私の技よ。名付けて、『人鬼』」
     巴景は両手を炎に変え、剣を構える。
    「あなたは鬼が倒せるかしら?」
    「……~ッ」
     巴景の尋常ではない気迫に威圧され、巨漢のワニオンがたじろいだ。
     だが、それでも無理矢理に奮い立ち、大剣を正眼に構えて精神集中する。
    (黒炎様……、無闇に祈られることを、あなた様は嫌うと仰られました。
     しかし、どうか、どうか祈らせてください)
    「さ、行くわよ」
     巴景が仮面の口に空いた穴から、ふーっと息を吐く。
     その息さえも、まるでドラゴンの息吹のように赤く燃え盛り、空気をちりちりと熱していた。
    (どうか黒炎様、目の前の悪鬼をこの私めが征伐できるよう、力をお与えください……ッ)
    「はああああッ!」
     巴景が恐るべき速さで、ワニオンの間合いに飛び込んでくる。
    「……黒炎様あああッ!」
     ワニオンは意を決し、巴景を迎え撃った。



     1時間後、教主ウィリアムの耳に、息子たちが謎の剣士に大ケガを負わされたと、また、剣士は捕まることなく逃げてしまったと伝えられた。
    「おお……」
     それを聞いたウィリアムは上半身を起こし、従者につぶやいた。
    「神は……」
     従者は慌てて「お休みください」と伝えたが、ウィリアムは応えない。
    「神は、もういないようだ……」
     そのままウィリアムはうなだれ、二度と動くことはなかった。

    蒼天剣・無頼録 6

    2010.04.25.[Edit]
    晴奈の話、第534話。鬼がやってくる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 屏風山脈、黒鳥宮。「侵入者! 侵入者だーッ!」 その夜、宮内は騒然としていた。 突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」 ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第535話。
    聖人の死と、悪魔の再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。
    「ああ、父上……」
    「どうして、こんなことばかりが……」
     ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。
    「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」
     その列の真ん中に、他の兄弟たちよりも一層包帯まみれになったワニオンが立ち、他の者たちよりも一際嘆き悲しんでいた。
    「……ううっ」
     こらえきれなくなり、ウェンディはその場から一旦離れ、聖堂の裏でボタボタと涙を流し始めた。
    「どうして……、どうしてこんなこと……」
    「……」
     と、顔を覆ってしゃがみ込んだ彼女は、自分の前に誰かが立っているのに気が付いた。

    「誰……?」
     顔を挙げるが、自分が眼鏡を外しているのと、相手が陰に紛れるような黒い服装を着ているのとで、そこにいるのが誰なのか、良く分からない。
    「好人物だったな、良くも悪くも」
    「え……?」
    「お前の父のことだ。
     とても人のいい、無欲で穏やかな男だった。そのせいで、あいつの知らないところで何かとゴタゴタは起こったが、それでも十分に教主の務めを果たしていただろう。
     亡くなったのは残念だが、お前たちのせいではない。天命だろう。必要以上に嘆き悲しむ必要は無い」
    「あの……、あなたは……?」
     ウェンディは眼鏡をかけ、その男の姿と顔を確認する。
     目の細い、鴉のように真っ黒な衣服と髪の、色黒の男がそこにいた。
    「あいつの友人だ。あいつが教主になってから23年、あいつは俺の、一番の話し相手だったのだ」
    「父上が、あなたの……?」
     言い方がひどく尊大だと感じ、ウェンディは涙を拭いて立ち上がった。
    「こんな言い方をするのは、好きではありませんが」
    「うん?」
    「私の父上、ウィリアム・ウィルソン4世は、この黒炎教団の頂点に立った偉大な人物、聖人と言ってもいいほどの人物です。
     それを単なる話し相手、自分と同列の友人だなど、烏滸がましいとは……」「烏滸がましい?」
     男はそれを聞き、クックッと鳥のような笑い方をした。
    「クク……、そうか、烏滸がましいと」
     男の細い目が、じわりと開く。
    「……っ」
     それを見たウェンディの背筋に、冷たいものが流れた。
    「そう言えば、教主以外には俺のことは、単なる黒子としか伝えられていないのだったな」
    「……まさか」
     男の目の冷たさは、巴景の燃え盛る体を見た時よりもさらに恐ろしく、畏れ深いものをウェンディに感じさせた。
     と、男は開いた目を、元通りの細さに戻す。
    「もう一度聞くが、烏滸がましいことだったか?」
    「……いいえ。失礼いたしました」
     ウェンディはす、と頭を垂れた。
    「分かればいい。
     それでだ、ウェンディ。ウィリアムから、遺言を預かっている」
    「遺言、ですか?」
    「これだ」
     男は一通の封筒をウェンディに差し出した。
    「……え、えっ!?」
     手紙に目を通したウェンディは、男と手紙を交互に見て驚いた。
    「これは、本当に、……いいえ、あなた様が預かられたお手紙であれば、本当なのでしょうね」
    「本当だとも」
    「し、しかし」
     ウェンディは眼鏡を直し、男に尋ねる。
    「何故、私なのですか? 序列で言えば、私よりも兄のワニオンの方が適当では」
    「これだけの大組織を治めるのに、単純で血気盛んな武人では役が合わんと言うことだ。
     それよりも、卒なく管理のできる人間が好ましい。そう考えての、前教主の決定だろう」
    「……そうですか」
     ウェンディは手紙に視線を落とし、ぼそっとつぶやいた。
    「しかし、私に務まるかどうか。私はまだ38歳です。とても、父上のようには……」
    「ウィリアムは46歳の時に就いたが、それはワッツ……、先々代の長寿のためだ。90歳の大往生だったからな、あの女は。もし先々代が短命であれば、ウィリアムはもっと早く就いていただろう、な。
     お前の働き振りであれば、十二分に役目を果たせる」
    「……」
     逡巡するウェンディに背を見せ、男は立ち去りながらこう言い残した。
    「明日には、他の大司教にも同様の通達が出る。お前の器ならば、皆も納得するだろう。
     今後はお前が俺の話し相手になれ、ウェンディ・ウィルソン教主」

    蒼天剣・無頼録 7

    2010.04.26.[Edit]
    晴奈の話、第535話。聖人の死と、悪魔の再臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。「ああ、父上……」「どうして、こんなことばかりが……」 ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第536話。
    古戦場への帰郷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     巴景は央南に戻ってきていた。
    (何年ぶりかしらね?
     お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね)
     5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。
    (……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった)
     とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。
    「……ただいま」
     巴景はぼそっとつぶやき、半ば苔むした畳の上に座り込んだ。

     既に天玄には立ち寄っており、そこで篠原が死んだことも、朔美が投獄されたことも聞いている。
     そして、妹のように思っていた霙子が、晴奈の手引きで紅蓮塞に入ったことも。
    (ま、裏切りとは言わないわ。むしろあなたが、お頭たちに裏切られていたんだし)
     紅蓮塞に行き、霙子の顔を見てみようかとも一瞬思ったが、巴景の方には会わせる「顔」が無い。
    (霙子は晴奈がいた柊一門――ああ、今は焔本家一門だっけ――に付いたって言うし、晴奈の敵である私は、一門の敵でもある。会っても霙子は、困った顔をするだけでしょうね)
     畳から腰を上げ、巴景は地下へ足を向けた。
    (この場所で、晴奈は功名を立てた。
     敵に捕まりながらも、それを逆手にとって殲滅へと導いた、『縛返しの猫侍』。……フン)
     晴奈が捕まっていた倉庫の前を通り、晴奈とウィルが敵から刀を奪った曲がり角を通り、そして――。
    (そう、ここ。ここが、私と晴奈が、初めに戦った場所)
     いまだ焦げ跡と、炭になった木箱が残る倉庫の中に入り、巴景はしゃがみ込んだ。
    「……ふふっ。私がつけた、『地断』の跡。まだ残ってる」
     その切れ目を撫で、巴景は懐かしさに浸る。
    (そう言えば、あの時一緒に戦った柳って、本当は殺刹峰の手先だったのよね。今、どうしてるのかしら? 金火公安に協力してたって言うし、もう保釈されてるかしら)
     同僚の顔を思い出し、巴景の足は幼い頃からずっと使っていた、自分の寝室だった場所に向かう。
    (みんな、どうしてるかしら? 何人かは、おかみさんと同じように央南で投獄されたと思うけど、残りはみんな、殺刹峰に連れて行かれたのかしらね。……となると、やっぱり央北に投獄されたか、フローラに殺されたか、それともペルシェと一緒に抜けてしまったか。
     ……どの場合にせよ、もう会えないでしょうね)
     自分の部屋に着き、巴景は床に溜まった5年分のほこりを、「人鬼」で変化させた風の脚で払う。
    「……ケホ。流石、5年分ね」
     巴景は床に座り込み、仮面を外した。
    「5年、かぁ」
     仮面を外し、その下に残る火傷を撫でながら、巴景は自分の部屋を見渡す。
    (私がここに住んだのは507年、13歳の時。
     それから22歳までの9年間、ここに住んで修行を重ねて。お頭の奥義、『地断』を会得したのは確か、17歳の時だったっけ。
     その1年後に、初任務。妖狐になった天原櫟の、暗殺。……そっか、そこから晴奈との縁が生まれたのね。
     ……今一度、強まったわ。晴奈を倒したいと言う、その思いが)
     巴景は仮面を付け直し、部屋を出た。

    (『地断』、『人鬼』。地、人と来れば、もう一つほしいところ、よね?)
     巴景は「ビュート」を抜き、精神を集中する。
    (そう、天。天をつかまなければ、あの女には届かない。そんな気がするのよ)
     先程立ち寄った因縁の倉庫に、もう一度足を運ぶ。
    (……いいえ。つかむんじゃない)
     巴景は倉庫の中央で、剣を上段に構える。
    (破壊してやる。天を、衝く)
     その時、巴景は不意に、晴奈と戦った時に述べた一言を思い出した。
    ――ここは私たちが殿の財産をたっぷり使って築いた要塞よ? これしきのことで崩れたりなんかしないわ――
    (そう、アンタには崩せないわ。『巴美』、アンタにはね。
     でも、私は崩せるわ。この『巴景』は、この要塞を崩せるのよ)
     巴景の中で、急速に力が膨れ上がる。それに呼応し、「ビュート」が菫色の光を放つ。
    「『天衝』!」
     巴景は天井に向かって、ゴッと音を立てて打突を放った。



     アジト跡から程近い、天神湖。
    「お、引いてるぞ」
    「えっ、えっ?」
     湖に釣りに出かけていた焔流剣士、梶原謙は、傍らの娘、桃の竿に手を貸した。
    「ほら、頑張れー」
    「うっ、うん」
     父娘二人で力を合わせ、湖中の魚と格闘する。
    「ほれ、もうちょい、もうちょい」
    「重いよー……」
    「もうちょいだから、頑張れ、な? お母さんに、自慢してやれるぞ」
    「……がんばるっ」
     桃は尻尾をバタバタと振るわせ、力を振り絞る。その甲斐あって、どうにか魚は釣り上げられた。
    「よーっしゃ、やったな桃」
    「うんっ!」
     釣り糸の先でもがく、桃のふかふかした尻尾と同じくらいに大きな魚を捕まえようと、謙は網を伸ばした。
     と――グラ、と周囲が激しく揺れる。
    「う、うわっ!?」
    「あ、お父さーん!?」
     その振動で体勢を崩した謙は足を滑らせ、湖に落っこちてしまった。それと同時に、折角釣った魚も湖へ戻ってしまう。
    「あー……」
     桃は逃した魚を見て、がっかりした声をあげかけた。
     が、その声は途中で詰まった。目の端に、異様なものを捉えたからだ。
    「……な、に、あれ?」
     桃は確かにその時、森から空に向かって伸びる、一条の真っ赤な光を見た。
     光は空遠くに飛んで行き、雲をも突き抜けて、そのまま見えなくなった。
    「桃ぉー……、すまん、魚逃しちまった」
     ようやく這い上がってきた謙が声をかけたが、呆然とする桃の耳には入らなかった。



     天井に開いた穴を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    (一点集中。『地断』の衝撃を、一点に絞った突き。……まるで大砲ね)
     巴景の握りしめていた「ビュート」からは、チリチリと灼ける音が聞こえていた。
    「……待ってなさい、晴奈。今から、アンタのところに行ってやるから。
     今こそ、決着を付けてやるわ! 最強の剣士は、この私よ!」

    蒼天剣・無頼録 終

    蒼天剣・無頼録 8

    2010.04.27.[Edit]
    晴奈の話、第536話。古戦場への帰郷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 巴景は央南に戻ってきていた。(何年ぶりかしらね? お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね) 5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。(……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった) とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。「...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第537話。
    宿敵の故郷で出会った、意外な人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。
    (さあ……! 今こそ決着の時よ!)
     既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。
     身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。
     勿論、そんなことに構う巴景ではない。
    「ちょっと」
    「は、はい」
     通りがかりの人間をつかまえ、道を尋ねる。
    「黄屋敷って、どこかしら?」
    「え、えっと。この道を真っ直ぐ行くと、左手に大きな屋敷が見えます。そこが……」
    「ありがと」
     黄家の場所を尋ねたことで、街に巴景のうわさが伝播する。
    「あの仮面、黄屋敷の場所を尋ねてたな」
    「となると黄家の長女、黄晴奈に用事か?」
    「でしょうね。武芸者っぽい身なりですし……」
    「知り合いの剣士が旧交を温めに来たか」
    「はたまた、異流派からの果し合いか」
     が、そこで人々は顔を見合わせ、安心したような、しかしどことなくがっかりしたような表情を浮かべた。
    「でもなあ……」

    「いないの?」
     黄屋敷に到着し、屋敷の使用人たちに晴奈の所在を尋ねたところ、晴奈は不在だと返された。それどころか黄州、いや、央南にすらいないのだと言う。
    「はい、グラッド大将と、ナイジェル博士さんと言う方と一緒に、北方へ。何でも、軍事演習がどう、とか」
    「そうなの……」
     巴景はがっかりし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
    「ありがとね、それじゃ……」「あ、ちょっとお待ちになって」
     と、屋敷の奥から巴景に声がかけられる。
    「え?」
    「あなた、晴ちゃんのお友達?」
     奥から姿を表したのは、三毛耳の、年配の猫獣人の婦人だった。
    「友達、じゃないけど。ちょっと、因縁があってね」
    「あら、そうなの。……お名前、聞かせてもらってもいいかしら?」
     巴景はこの婦人が誰なのか、直感的に察した。
    「巴景よ。楓藤巴景。……あの、もしかして」
    「ええ、そう。わたしは、桜三晴(みはる)。晴ちゃんのお母さんです」
     三晴はそう言って、にっこりと笑った。

     三晴は「折角来てもらったんだし、おもてなしくらいしないと」と、帰ろうとする巴景を引き止め、茶を振舞った。
    「さ、どうぞどうぞ」
    「はあ……、ども」
     巴景は多少面食らいながらも、素直に茶を飲む。
    「仮面、お取りにならないの?」
    「ええ、……あなたの娘さんに、顔を傷つけられたもので」
     嫌味のつもりでそう言ったが、三晴はこう返した。
    「あら、そうなの。晴ちゃん、あなたにちゃんと謝ったかしら」
    「いいえ」
    「それじゃ帰ってきたら、叱らないといけませんね」
    「へ」
     まるで子供同士の他愛も無いケンカを見守るようなその口調に、巴景は二の句が継げない。
    (まあ、確かにこの人は晴奈のお母さん、なんだけど。……調子狂うわね)
     顔の傷がむずがゆくなり、巴景は仮面の下に指を入れてかこうとする。それを見た三晴が、「あら」と声を上げた。
    「仮面、お取りになればよろしいのに」
     三晴はひょいと、巴景の仮面に手を伸ばした。
    「えっ」
     あまりに唐突な行動だったため、巴景はまったく反応できず、仮面を剥ぎ取られてしまう。
    「ちょ、ちょっと。返してよ」
    「あら、綺麗なお顔」
    「返してってば……」
     仮面を取られ、巴景の態度は途端に弱々しくなる。
    「隠す必要、無いんじゃない?」
    「あ、あるわよっ。だって、醜いじゃない」
    「そうかしら……」
    「そうよ、だから返してよ、早く……」
     ところが、三晴は「ちょっと待っててくださいね」と言って、仮面を持ったまま席を立ってしまった。
    「な、何でよぉ……」
     一人残された巴景は顔を手で覆い隠し、三晴が戻ってくるのを待つしかなかった。

    蒼天剣・訪黄録 1

    2010.04.30.[Edit]
    晴奈の話、第537話。宿敵の故郷で出会った、意外な人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。(さあ……! 今こそ決着の時よ!) 既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。 身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。 勿論、そ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第538話。
    お芝居の中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。
    「お待たせしちゃってごめんなさいね」
    「早く返してよ……」
     顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。
    「ええ。でも、その前にちょっと」
     三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。
    「な、何? 何する気?」
    「あなた、お歳はおいくつ?」
    「に、27よ。それが、何?」
    「まあ、そんな年頃の娘がすっぴんだなんて」
     そう言いながら、三晴は白粉を巴景の頬に付け始めた。
    「ちょ、何よ」
    「じっとしてちょうだい」
    「だから、何するのって……」
    「じっとしてちょうだい、ね?」
     やんわり諭されてしまっては、巴景は無理矢理に撥ね付ける気になれない。
    「……」
     仕方なく、巴景は三晴にされるがままになっていた。

    「はい、できた」
     三晴がぱちん、と化粧箱の蓋を閉じ、鏡を渡す。
    「ほら、御覧なさい」
     鏡を手に取った巴景は、恐る恐る自分の顔を確認した。
    「……え」
     鏡の中の巴景には、傷が見当たらない。いや、よく確認すれば残っているのは分かるのだが、ちょっと見た程度ではあると気付かない。
    「この歳になるとシミとか、……ちょこっと、出てきますから」
     三晴は頬に手を当て、やんわりと語る。
    「お化粧品、手放せないんですよ。綺麗に隠れるでしょう?」
    「……そうね」
    「生きていたら、シミやそばかすも出ますし、ケガして消えない傷が残ることもあります。そう言うものですからね、人間って。
     それを隠したいと思うのは当然。でも、こんな綺麗な顔を、丸ごと隠すなんて。もったいないわ、可愛い女の子なのに」
     可愛い、と言われ、巴景の心臓がドキッ、と脈打った。
    「かわ、いい? 私が?」
    「ええ。どこからどう見ても、可愛い女の子。仮面を付けなければ、ね」
     そう言って、三晴は仮面を巴景に返した。が、巴景はそれを手に取ったまま、付けようとはしない。
    (可愛いって、言われた……。そんな風に呼ばれたこと、全然無かった)
     一度も言われたことのないその言葉に、巴景の思考はそこで止まる。
    「ね、ちょっとみんなに見せてあげなさい」
    「え? 皆?」
    「ちょっと、みなさーん」
     巴景が唖然としている間に、三晴は使用人たちを呼びつけた。
    「ご用でしょうか」
    「ね、ね。トモちゃん、可愛くなったでしょ?」
     やってきた使用人たちは、揃って巴景の顔を見る。
    「へえ……」
    「美人ですね」
    「ね、可愛いでしょ? こんな美人さんの顔を、仮面で隠すなんてねぇ」
    「……っ」
     巴景は恥ずかしくなり、うつむいてしまった。

     すっかり大人しくなった巴景に、三晴は依然やんわりと話を続ける。
    「わたしね、晴ちゃんが剣士さんやってるの、あんまり好きじゃないのよ。
     確かにりりしくてかっこ良くて、これはこれでと思ってた時期もあったけど、最近の晴ちゃんは辛そうにしてることが多いから」
    「辛そうにしてる……?」
     思いもよらない意見に、巴景は顔を挙げた。
    「ええ。何だか寂しそうにしてたことが、時々あったの。
     確かに、皆からは慕われてるし、『かっこいい自分』に誇りを持ってるって感じではあったけど、……そうね、何て言うか、孤独な感じだったわ」
    「孤独? 晴奈が?」
     巴景は前回晴奈と戦った時、周りにできた人だかりを思い出していた。
    (孤独だって言うなら、あの時周りに人がいたのは何で? ただの見物?)
    「こんな言い方をしてしまうと、少しどうかなって思うけど。……見物されてるような感じなのよ」
    「……っ」
     半分冗談で思った感想を真顔で口にされ、巴景は言葉を失う。
    「あの子は強いと、みんな言うけど。かっこいいと、みんな言うけど。それはみんな、演劇や舞台なんかで、人気の俳優さん、女優さんにかけられてるような言葉なの。
     あの子の間近に、人はいないのよ。周りみんな、観客席から見物してるような、そんな感じ」
    「……」
    「ねえ、トモちゃん」
     三晴は巴景の手を取り、頼み込むような口調でこう言った。
    「あの子の近くに、いてあげてね。いがみ合っていてもいいから」
    「え……」
    「もちろん、仲良くしてくれるなら、その方がいいけれど。でも、トモちゃんは晴ちゃん、そんなに好きじゃないだろうし。それは無理なお願いだって、分かってるわ。
     それでも、近くにいてあげてほしいの。でないとあの子、どんどん孤立していってしまうから」
    「……」
     三晴は巴景から手を離し、深々と頭を下げた。
    「どうかよろしく、お願いしますね」

    蒼天剣・訪黄録 2

    2010.05.01.[Edit]
    晴奈の話、第538話。お芝居の中。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。「お待たせしちゃってごめんなさいね」「早く返してよ……」 顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。「ええ。でも、その前にちょっと」 三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。「な、何? 何する気?」「あなた、お歳はおいくつ?」「に、27よ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第539話。
    宿敵の妹との交渉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。
     手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。
    「どうしろと……」
     化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。
     仮面も、何だか付ける気にならなかった。化粧で彩られた顔が、自分でも気に入ってしまったからだ。
    「……どうしよう」

     ともかく巴景は晴奈の足取りをつかむため、港や央南連合軍の詰所で情報収集を行った。
     その結果、やはり黄屋敷で聞いた通り、晴奈は西大海洋同盟が行う合同軍事演習に参加するため、北方ジーン王国に渡っていることが分かった。
    「やっぱり、北方か。……行かなきゃいけないわね」
     巴景は北方へ渡る準備を整えるため、商店街へと踵を返した。
     と――。
    「あの」
     ハァハァと、息を切らしながら声をかけてくる者がいる。
    「何……?」
     振り向くと、先程の三晴にどことなく似た顔立ちの「猫」が立っていた。
    「あの、巴景さん、ですよね」
    「そう、だけど」
    「わたし、黄明奈って、言います。黄晴奈の、妹です。……すーはー」
     肩で息をする明奈を見て、巴景は困惑する。
    「え、っと……。妹さんが、私に何の用?」
    「今しがた、母からあなたのこと、伺ったんです。……北方へ、向かわれるんですよね? 姉を追って」
    「そのつもりだけど」
     ようやく呼吸の整ってきた明奈は、巴景に深々と頭を下げた。
    「一緒に、連れて行ってください!」
    「はい?」
    「姉は『いつ戦争状態に入るかも分からぬ。危険だから、お前は来るな』と言って、わたしを置いてけぼりにしたんです」
    「まあ、普通そうでしょうね」
    「でも」
     明奈は真剣な面持ちで、巴景に頼み込む。
    「わたし、どうしても一緒に行きたいんです! 姉は優れた剣士だって、色んなこと任せて大丈夫な人だって、みんな言いますけど」
     優れた剣士と評したところで巴景は顔をしかめたが、明奈は構わず続ける。
    「本当は、もっと脆い人なんです。一回失敗したらつまずく人なんです。困ったらへこむ人なんです。誰かが側にいなきゃ、元気になれない人なんです」
    「……で?」
    「きっと姉は、疲れてきてると思います。エルスさんや他のみんなの前では、弱いところなんか見せられないって思ってるでしょうから。
     戦争が間もなく始まる今だからこそ、誰か、何でも気兼ねなく相談できる人間が近くに付いていなきゃ、心が折れてしまうと思うんです」
    「それが、あなただと?」
    「はい。……でも、わたし一人で北方に行くのは、不安で」
    「だから、私と一緒に行きたいと」
     巴景はフンと鼻を鳴らし、即座に断った。
    「嫌よ」
    「お願いします」
    「嫌だってば」
     嫌がる巴景に、明奈は切り札を出した。
    「……お化粧、教えますから」
    「……」
     明奈は一歩にじり寄り、一層強い口調で交渉する。
    「母から、巴景さんは化粧されたことが無いと聞いてます。わたしは、得意ですよ」
    「大きなお世話よ。……まあ、でも」
     巴景は眉間にシワを寄せながらも、渋々承諾した。
    「アンタの言う通り、晴奈が今頃へこんでたりなんかしてたら、何のために私が北方へ行くのか、わけが分からなくなるわ。
     無駄足踏むのも嫌だし、もしもの時のために連れて行った方がいいわね、そう言うことなら」
    「……ありがとうございます!」
     ぺこりと頭を下げた明奈に、巴景は肩をすくめながらこう言った。
    「でも私、基本的に自分のことしか考えないわよ。
     例えばアンタが船から海に落っこちても、私は助けないから」
    「構いません」
    「そ。……なら、ちゃっちゃと身支度して付いてきなさい」
    「はいっ!」

     こうして巴景は明奈と共に、北方へ渡ることとなった。

    蒼天剣・訪黄録 3

    2010.05.02.[Edit]
    晴奈の話、第539話。宿敵の妹との交渉。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。 手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。「どうしろと……」 化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。 仮面も、何だか付ける気にならなかった。...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第540話。
    巴景と明奈の船旅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」
    「でも、傷が気になるし……」
    「大丈夫ですって。ほら、鏡」
    「……うーん、まあ、確かに」
     北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。
    「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」
    「ん、……まあ、空いてるわね」
    「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」
    「いいけど」
     船旅の間中、巴景は明奈のペースに乗せられていた。
     食堂に付いたところで、明奈が声をかける。
    「今日は何食べますか?」
    「そうね、魚系で」
    「取ってきますね」
    「いいわよ、たまには自分で……」
    「いいですよ。その代わり、席取っておいてくださいね」
    「あ、うん」
     やんわりと、しかしがっちりと主導権を握られ、巴景はされるがままになっている。
    (調子狂うわ……。まだ三晴さんが側にいるみたい)
    「取ってきましたよ、ご飯。アジで良かったですか?」
    「ええ、ありがと」
     同じことを、例えばむさ苦しい男が高圧的にしてくるのなら、撥ね付けたりぶちのめしたりするところなのだが、明奈はあくまでやんわりと、下手に接してくる。
    「あ、お茶も持ってきますね。巴景さん、先にどうぞ」
    「いいわ、待ってるから。一緒に食べましょう」
    「はーい」
     最初のうちは、晴奈の妹だからと半ば邪険に扱っていたが、いつの間にか仲良くなっていたりする。
    (……どうしちゃったのかしらね、私。何だか自分が自分じゃないみたい。
     あの子と一緒にいると、何だか憎しみで凝り固まってた自分の心の中が、解されていくような気がする。
     あの子といると、……心が安らぐ)
     巴景は仮面を付けない裸の顔で、明奈が戻ってくるのを待っていた。

    「ねえ、明奈」
     食事から戻った後、巴景は明奈に尋ねてみた。
    「何ですか?」
    「私、あなたのお姉さんを、殺すつもりしてるんだけど」
    「はい」
     何の含みも無い返事で返され、巴景は少し面食らう。
    「はい、って……。いいの?」
    「良くないですけど、そんな気がしないんです」
    「……なめてるの? 私、本気よ」
     にらみつける巴景に、明奈はふるふると首を振る。
    「いいえ、なめてません。ただわたしは、姉が勝つと信じていますから」
    「はっ」
     その答えが癇に障り、巴景は「人鬼」で中指を火に変えた。
    「私は全身、武器に変えられるのよ。今、あなたにこの指でデコピンして、そのまま額を焼くこともできる」
    「だから、姉に勝てると?」
    「そうよ」
    「理屈になってないじゃないですか」
     明奈はまるで怯まず、巴景に食って掛かってきた。
    「巴景さんの言っていることは、『私はこんなに強いのだから、誰にでも勝てる』と言うことでしょう?
     でもそんなの、『お金持ちは誰でも言うことを聞かせられる』とうそぶくのと一緒です。わたしが『いくらでも金をやるから自分を北方に連れて行け』と言ったら、巴景さんは一緒に行きましたか?」
    「……そう言われていたら、行く気にならなかったわね」
    「でしょう? どんなに力があっても、勝てるかどうかは別の話です」
     そこで一旦言葉を切り、明奈はじっと巴景を見つめる。
    「それに、わたしは姉が勝つと、『信じている』だけです。それは理屈でもなんでもなく、わたしの、ただの勝手な思い込みでしょう?」
    「……」
     巴景は怒りに満ちた目を向けつつ右手全体を火に変え、その手を明奈の顔へ寄せる。
    「……」「……」
     真っ赤な炎が、明奈のすぐ鼻先にまで迫る。
    「……フン」
     巴景はそこで火を収め、右手を元に戻した。
    「ま、そうね。信じるだけなら勝手だし」
    「ええ。わたしの勝手です」
    「……ちょっと外、出てくる。鍵かけないでね」
    「はい」
     巴景は眉間を揉みながら、船室を出て行った。

    (強いことと、勝つことは別、か。言ってくれるじゃない)
     甲板に立ち、水平線を眺めながら、巴景は明奈の気丈さに感心していた。
    (やっぱり、晴奈の妹ね。気、強いわ。……あははっ)
     と、背後に気配を感じる。
    「明奈?」
     巴景は背を向けたまま、声をかける。
    「はい」
    「何の用?」
    「私も風に当たりに」
    「そう。……ねえ、明奈」
     ここで振り返り、巴景はニヤリと笑った。
    「賭け、しない?」
    「何を賭けるんですか?」
    「もし私が晴奈に勝ったら」
     巴景は明奈の頭にポン、と手を乗せる。
    「アンタ私の妹になって、これから私の旅にずっと付いてきなさい」
    「はい?」
    「気に入ったし」
     この提案に明奈は目を丸くしていたが、やがて何かを思い付いたらしい。
    「……では、姉があなたに勝ったら」
     手を乗せられたまま、明奈もにっこり笑う。
    「姉のこと、『姉さん』と呼んでくださいね」
    「ねっ……」
     この提案に、巴景の顔が引きつった。
    「……い、いいわよ。どうせ、私が、勝つんだし」
    「ええ、楽しみにしておきます」
     にっこりと笑う明奈に、巴景は内心舌打ちした。
    (……やっぱり調子狂うわ。やるわね、この子)



     521年、3月。
     巴景と明奈は晴奈の後を追い、北方の地に到着した。

    蒼天剣・訪黄録 終

    蒼天剣・訪黄録 4

    2010.05.03.[Edit]
    晴奈の話、第540話。巴景と明奈の船旅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」「でも、傷が気になるし……」「大丈夫ですって。ほら、鏡」「……うーん、まあ、確かに」 北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」「ん、……まあ、空いてるわね」「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」「いい...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第541話。
    英雄の凱旋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。
    「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」
     央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。
    「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ少尉」
    「へ? ……大尉、じゃなくてぇ、エルスさん、アタシのコトぉ、覚えてるんですかぁ?」
     驚いた顔になったミラに、エルスはヘラヘラと笑顔を向ける。
    「もちろん。君みたいに、魅力的な子はね」
    「……あのぅ、すみませんでしたぁ」
     ミラはぺこりと、エルスに頭を下げた。
    「うん?」
    「アタシたちみんな、あなたのコト、犯罪者だって。……妹さん、そのせいで、ふさぎ込んでしまうしぃ」
    「……やっぱり、そっか。悪いことをしたよ、そう言う意味では。もっとちゃんと、説明ができれば良かったんだけどな」
     と、ミラの後ろに立っていたバリーも同様に頭を下げる。
    「すみません、でした。俺が、その、中佐と一緒に、その、盗んでしまって」
    「ううん、むしろ個人的には感謝すべきかな。そのおかげで、僕の疑いが晴れたんだし。ありがとう、バリー軍曹」
    「お、俺のことも、覚えてくださってた、ですか」
    「うん。あれから通打、うまくなった? 投げ技の方が得意だったみたいだけど」
    「は、はい!」
    「……あの」
     エルスとミラたちの様子を見ていた他の兵士たちが、恐る恐る近づいてきた。
    「自分のことも、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
    「うん。ボリス軍曹だったよね。奥さん、元気してる?」
    「お、俺は?」
    「もちろん覚えてるよ、ジェイク伍長。……あ、もう曹長になったんだね、おめでとう」
    「私のことは……」
    「うん、ユリア准尉だったよね。どう、氷の術? もうマスターしたの?」
     エルスは近寄ってきた、かつて指導していた兵士たちすべての素性を覚えていた。
     そして戦犯として侮蔑されていたことや、現在は央南連合の軍責任者であることなどに自分から触れようとせず、ただにこやかに振舞う様に安堵したのか、かつて彼を慕っていた兵士たちが皆、続々と集まってきた。
     彼らは一様に敬礼し、エルスを出迎えてくれた。
    「おかえりなさい、グラッドさん」
    「うん、ただいま」



     戦犯として扱われていたエルスがすんなり故郷に戻れたのには、理由がある。
     元々、「ヘブン」の前身である日上軍閥が黒炎戦争時、央北と北方の緩衝地帯となっていた北海諸島すべてを手中に収めていたため、兵が差し向けられる以前より、北海はすでに「ヘブン」の管理下にあった。
     王国側としては、目と鼻の先に敵が陣取っている状態である。好戦的傾向の強い王国軍としては、相当にプライドを刺激される状況だった。
     そこで同盟が成立してすぐ、央中・央南に対し「合同軍事演習」を申し出たのだ。

     一方、エルスの処遇に関しては、既にフーが「バニッシャー」を手にし、暴走した事実がある。「あのまま放っておけばフーと同様に暴走する者が現れていただろう。515年当時の状況から言って、使わず封印することは軍陣営が許さなかったであろうし、他に方法は無かっただろう」と判断され、軍から盗み出し国外逃亡した件は不問に処されることとなった。
     軍からの指名手配が無くなったことで、元々からエルスを慕っていた兵士たちが、貶められていた彼の名誉を挽回しようと運動を起こした。
     この運動と、エルスが央南連合軍の責任者となり、今回の軍事演習で不可欠な存在になっていたこともあり、軍本営も彼の地位復権に尽力する姿勢を見せた。
     その「証明」が、この出迎えである。



    「ついでに『中佐に格上げするから戻って来い』みたいなことまで言われたけどね」
    「へぇ」
     約半年ぶりに自分の家に戻ったトマスは、晴奈とともにエルスの、軍本部での顛末を聞いていた。
    「でもそれってさ、『お前の罪を許してやるから、央南連合軍を抜けて自分たちの軍に戻れ』って言ってるよね」
    「それはまた、上から目線もはなはだしい、と言うか」
    「だろうね。だから、丁重に断ったよ」
     エルスはへらへらと笑って、自分の意志を改めて表明した。
    「僕はもう、央南連合の人間だよ。戦争が終わったらすぐ帰って、央南でのんびり暮らすつもりさ」
     晴奈はそれを聞き、にっこりと笑い返した。
    「はは、歓迎するよ」
    「じゃ、僕も央南に行こうかなぁ」
     トマスもそう言ったところで、エルスは深くうなずいた。
    「うんうん、おいでおいで。君が来てくれたら、本当に嬉しい。二人でのんびり、囲碁でも打って暮らそうよ」
    「いいね。是非行きたい」
     と、不意にエルスが晴奈の方を向く。
    「……セイナ? どしたの?」
    「ぅへ?」
    「顔赤いけど」
    「顔? 赤いか?」
    「うん。何か……」
     そこでエルスは、チラ、とトマスを見て、もう一度晴奈を見た。
    「……何か、想像してた?」
    「していない。何も」
     晴奈は手をぱたぱたと振り、否定した。

    蒼天剣・帰北録 1

    2010.05.04.[Edit]
    晴奈の話、第541話。英雄の凱旋。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」 央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第542話。
    駄々っ子リスト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。
     前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。
     流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。
     もちろん、リストとしては正当な理由があっての行動である。と言っても、自分の故郷に戻りたいと思っていたわけでもなく、ましてや、軍事国である故郷が戦火にさらされるのが不安だったわけでも無い。
     エルスのすぐ側に、央南でのんびり看過してはいられない「要因」がいたからである。



    「……」
    「……」
     晴奈たちの北方での宿として、トマスの家――元々祖父のエド博士が使っていたものであり、敷地はかなり広い――が使われている。
     その一室で、リストとある女性とが向かい合って座っていた。
    「……にらまないでよ」
    「にらむようなコトしてるからでしょ」
     リストの目の前には、赤毛のエルフが座っていた。小鈴である。
    「大体さ、なんでアンタ、一緒に付いてきちゃったのよ。アタシらと関係ないじゃない」
    「旅できなくてヒマだし。実家にいても母さんから『アンタもそろそろ、お兄ちゃんみたいにいつまでも一人でブラブラしてないで、結婚しなさい、結婚』って言われるし。
     ……それにさー」
     小鈴はリストの長い耳に口を寄せ、そっとつぶやいた。
    「あたし、エルス狙ってんのよ。どーせ結婚すんなら、玉の輿狙いたいじゃん」
    「……っ」
    「アンタも、狙ってんでしょ?」
    「だ、誰がっ!」
     リストは顔を真っ赤にし、ぷいと横を向く。
    「じゃ、あたしがココにいてもいーじゃん」
    「良くないっ」
    「何でよ?」
    「それは、だって、……好きでも無い奴と結婚とか、倫理的に」
    「ん、好きよ?」
     さらりと答えられ、リストは硬直した。
    「あの人もお酒強いし、色んなコト詳しいし、気が合うのよね。それに何より、腕っ節も強いし。やっぱオトコは強くなきゃダメじゃん?」
    「……」
     リストはフラフラと、席を立った。
    「……勝手にすれば」
    「うん。そーするわ」

     5分後、トマスの部屋。
    「痛い、痛いって」
    「うるさいっ」
     リストは従兄弟のトマスの背中を、ガツガツと殴っていた。
    「もう、何であの女っ、エルスにっ」
    「げほ、誰だよ、あの女って……」
     気が強いリストに、トマスは昔から頭が上がらない。
    「暴力はやめてくれって、昔から言ってるだろう」
    「うるさいうるさい、うるさあああいっ」
    「……あーあー」
     そして昔から、こんな風に八つ当たりしてくると、やがて泣き出すことも知っている。
    「うっ、エルスの、ば、バカぁ、グスっ」
    「……いてて」
     トマスの予想通り、リストは殴りつけるのに疲れ、うずくまって泣き出した。
    「ほら、タオル」
    「グス、グス……」
    「それで、あの女って誰? コスズさん?」
    「うん……」
    「そっか、やっぱり。言ってることが途切れ途切れで分かんなかったけど、でも何で……」
     話を続けようとしたトマスを、晴奈が止めた。
    (トマス、それ以上はまだ、進めない方がいい)
    (ん? 何で?)
    (また癇癪を起こすぞ)
    (ああ、そうかも)
     トマスは言おうとしていたことを飲み込み、リストの肩をポンポンと優しく叩く。
    「まあ、落ち着いたらゆっくり話そうよ。ね?」
    「うぐっ、うぐっ、……うん」

     しばらくして、ようやくリストは泣き止んだ。
    「それでさ、何でリストはコスズさんがリロイを狙ってるからって、泣き喚いたの?」
    「……トマス。分からないのか?」
     呆れる晴奈に、トマスはきょとんとした顔を返す。
    「何が?」
    「……リスト。今、ここには私とトマスしかいない。正直に、答えてほしいのだが」
     晴奈は床に座り込んだままのリストの側に屈みこみ、ゆっくりと尋ねた。
    「昔からそう思っていたが、お主はエルスのことを、好きなのだな?」
    「……うん」
     リストは顔にタオルを当てたまま、コクリとうなずいた。
    「ああ、なるほど」
    「何がなるほどだ。気付かなかったのか?」
    「だって、リストいっつもリロイにツンツンしてるからさ。逆に、嫌いなんだと思ってた」
    「阿呆」
     晴奈はそう言ってから、思い直して自分の意見を翻した。
    「……いや、そう言えばエルス自身もそう言っていたな。紛らわしいと言えば、紛らわしい」
    「やっぱりアタシじゃ、ダメなのかな……」
     落ち込んだ口調のリストに、晴奈は優しく声をかける。
    「そうは思わぬ。知っているか、リスト」
    「何……?」
    「かつて天玄で、篠原一派が襲ってきた時のことだ。
     エルスはお主を拉致した奴らを、あっと言う間に倒したそうだ。それも、こう言いながらだ。『僕にとってリストは大事な子なんだ。彼女に手を出す奴は僕が許さない』と」
    「それ……、ホント?」
    「ああ、本当だ。もっとも、私も人から又聞きしたのだが。まあ、それでもだ」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめた。
    「エルスの方でも、お主を憎からず思っているのは確かだ。それは今までの、あいつの所作に現れている」
     と、その時。トマスの部屋の戸がノックされた。
    「入るよ」
     エルスの声だ。
    「あ、……むぐ?」
     返事しかけたトマスの口を、晴奈が手でふさぐ。
    (リスト、隠れていろ)
     晴奈は小声で、リストに指示する。
    (う、うん)
     リストは慌てて、クローゼットの中に隠れた。

    蒼天剣・帰北録 2

    2010.05.05.[Edit]
    晴奈の話、第542話。駄々っ子リスト。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。 前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。 流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。 ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第543話。
    変人職人からの打診。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。
    「あれ? お邪魔しちゃったかな」
     エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。
    「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」
    「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」
     それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける。
    (お、っとと)
     が、何とか視線を晴奈の方に向け、ごまかす。
    「どしたの?」
    「ああ、いや。リストがどうかした?」
    「うん。ほら、アニェッリ先生っていたよね」
     エルスの質問に、トマスはしばらく間を置いて「ああ」とうなずいた。
    「北方における銃開発の第一人者、デーノ・アニェッリさんのこと?」
    「そうそう、その人。彼と、コンタクトが取れたんだ」
    「へぇ?」
     珍しそうな声を上げるトマスに、晴奈が尋ねた。
    「誰だ、そのデーノと言うのは」
    「ああ、……えーと、銃が北方でも開発されてるのは知ってるよね?」
    「ああ」
    「元々、銃開発は央中の金火狐財団が490年末から行ってたんだけど、残念ながら財団は『銃器は刀剣類の威力、魔術の攻撃レンジに勝るものではない』と考えて、数年で開発を中断させたんだ。その責任者だったのが、狐獣人のアニェッリ先生。
     でも、どうしても銃開発を諦めきれなかった先生は、奥さんと子供を置いて北方に渡り、軍の重鎮だったおじい様に銃の有用性を説いたんだ。
     おじい様も、『確かに刀剣や魔術に比べれば、その威力・攻撃レンジは比べるべくもない。が、使いこなせるようになるまでに必要な訓練量は、前者二つとは比べ物にならないほど早い。優れた軍隊を作る上で、かなり有用になる』と同意して、先生を責任者に据えて銃開発を始めさせたんだ。
     でも、このアニェッリ先生って、変わり者で……」
     そこでトマスの説明を、エルスが次いだ。
    「銃開発が一段落したところで、『銃も一通り作りきった感があるし、他の研究に移りたい』って言ってね。首都を離れて、ミラーフィールドって街にこもって毎日、変なモノを開発してるらしいよ。
     そんなだから、軍からの招聘(しょうへい)も散々断ってたんだけど……」
     そこでエルスは、晴奈の方を見た。
    「最近になって突然、先生の方から声をかけてきたんだ。何でも、君に聞きたいことがあるんだってさ」
    「私に?」
     思いもよらない話に、晴奈は目を丸くした。
    「そう。それで、僕は交換条件に、『リストに合う銃を作ってほしい』って頼んだんだ。これからの戦争で、必要になるだろうからね」
    「なるほど……」
    「ねえ、リロイ」
     そこで、トマスが質問してきた。
    「リロイはさ、リストのことをどう思ってるの?」
    「ん?」
    「いやね、以前にリストが敵にさらわれた時に、君が助けようと躍起になったって話を聞いたことがあるんだ。それで、どうなのかなーって」
    「ああ……」
     エルスの回答を、晴奈も、トマスも、そしてクローゼットの中に潜むリストも、じっと黙って待っていた。
    「……そうだなぁ、一言で言うと」
    「言うと?」
    「手のかかる妹、かな」
     その答えに、クローゼットの中のリストはがっくりとうなだれた。
     そして、エルスも彼女に気付いていたらしい。
    「二十歳超えてまだ、クローゼットの中で遊んでたりするしね、はは……」



     ともかく、エルスはリストと晴奈、トマス、そして小鈴を連れて、北方山間部の観光都市、ミラーフィールドにやって来た。
    「へー、流石『鏡』って言うだけあるわね」
     小鈴が街の中央にある塩湖を見て、感慨深くつぶやく。
     塩湖には薄く水が張り、それが鏡の役目を果たしているのだ。そしてその鏡には空が映し出されており、中に立つ人間はまるで、空に浮かんでいるように錯覚するのだと言う。
     と、通りに央中でよく見かけた施設が建っているのが、晴奈の視界に入る。
    「ほう……、ここにも金火狐の銀行が」
    「銀行だけじゃないよ。この街は昔、まだ中央政府が世界中を支配していた時に、金火狐一族が開発したんだ。銀行やお店なんかがあるのは、その名残なんだ」
     トマスが説明している間に、一行は目的の家に到着した。
    「と、ここだ。ここが、アニェッリ先生の自宅兼、研究所」
     研究所、と言われたものの、傍目には普通の家にしか見えない。
     と――カリカリと、妙な音が聞こえてきた。
    「何だ……?」
    「あ、耳ふさいだ方がいいよ。キツいらしい」
    「え?」
     晴奈と小鈴がきょとんとしている間に、家の2階窓からにょきにょきと、何かが出てきた。
    「……あっ」
     その先端にあるものを見て、晴奈もそれが何だか分かった。
    《ポッポー!》
    「ぐあ……」
     が、耳をふさぐのが一瞬遅かった。
    《ポッポー!》
    「う、うるさっ」
    《ポッポー!》
     三回鳴いたところで、家から飛び出してきた鳩は元通り、家の中に収まった。
    「う、は……、耳が……」
    「ば、バカじゃないの……、一軒家サイズの鳩時計とか……」
     晴奈と小鈴は、耳を押さえてうずくまった。

    蒼天剣・帰北録 3

    2010.05.06.[Edit]
    晴奈の話、第543話。変人職人からの打診。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。「あれ? お邪魔しちゃったかな」 エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」 それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第544話。
    銃の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」
     家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。
    「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。
     ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」
     その狐獣人は、うずくまった晴奈に声をかけた。
    「……そう、だが」
    「初めまして、セイナさん。僕の名前はディーノ・アグネリと言います。あ、北方風に言うと、デーノ・アニェッリですね」

     ようやく耳が落ち着いたところで、晴奈一行はディーノの家に入った。
    「それで、あぐ、……アニェッリ先生、と呼べばよろしいか?」
     かしこまった態度の晴奈に、ディーノは恥ずかしそうに手を振った。
    「いやいや、ディーノで結構です。先生と呼ばれるのは、どうにも尻尾がかゆくなっちゃって、あはは……」
     年齢は40半ばと言うことだったが、その頼りなさげな風貌は、もっと若く見させている。
    「では、ディーノ殿。私に聞きたいこととは、一体?」
    「ああ、うん……。妻のことを、聞きたくて」
    「妻?」
     一体誰のことを指しているのかと、晴奈はいぶかしがる。
    「ええ。その……」
     ディーノは全員を見回し、それから晴奈にそっと耳打ちした。
    「……はい?」
    「だから、その……」
     もう一度伝えようとしたディーノに、晴奈はぽんと手を打った。
    「……ああ、なるほど」
    「へ?」
    「そう言われるよりも、エランの父親と言われた方が、納得が行きます」
     そう返され、ディーノはきょとんとする。
    「……そんなに似てるんですか?」
    「はい。そっくりです」
     それを聞いて、小鈴が目を丸くする。
    「え、ちょっと待ってよ。エランのお父さんって、つまり、……総帥の?」
    「……はは、そうなんです。……ええ、金火狐財団の現総帥、ヘレン・ゴールドマンは、僕の奥さんだった人です」
    「そ、そうだったんですか」
     思いもよらない話に、エルスとトマス、リストは驚いている。
    「でも、僕がゴールドコーストを出た頃は、まだそんなに偉くなくって。
     どうしても研究を続けたいと頼み込んだんですが、当時の妻の力じゃどうにもならなかったんです。だから軍事立国であるこの国に渡り、ナイジェル博士の協力で研究を続けることにしたんですよ。
     ただ、どうしても気になるのが、やっぱり家族のことです。うわさには総帥に就任し、やり手の女ボスになったと聞きますが、遠く離れたこの街じゃ、それ以上のことはさっぱりですから。
     それで、今回の西大海洋同盟が成立したのは、央南と央中の権力者と親しくしてたセイナさんのおかげだと聞きまして。それなら妻のこと、色々知ってるんじゃないかな、って」
    「なるほど……」
     晴奈と小鈴は、央中での出来事をディーノに語って聞かせた。ディーノは顔をほころばせ、始終嬉しそうにうなずいていた。
    「そうですか、そうですか。エランが、銃をね……」
    「やはり、銃がゴールドコーストでも広まったのは嬉しいんですか?」
     そう尋ねたエルスに、ディーノは深々とうなずく。
    「ええ。ようやく、故郷で僕の研究成果が認められたと言うことでしょうね。
     ……いや、広めてくれたのは間違いなく、妻のおかげでしょう。彼女は若い頃から公安に思い入れがありましたし、それを息子に持たせたと言うのも、彼女らしいと言えば、らしいです」
    「その……、ディーノ殿は」
     晴奈はふと、こんなことを尋ねてみた。
    「今でも奥さんのことを?」
    「ええ、大好きですよ。もし彼女が『戻ってきてもええよ』って言ってくれたら、即、戻ります」
    「ほう……」
     ディーノは顔を赤くしながら、ぽつりとこう言った。
    「もうここでの銃の研究は、僕の手から離れましたからね。後は若い技術者が、頑張ってくれるでしょう」
     それを聞いて、晴奈はディーノとじっくり話をしてみたいと感じた。
    (この人は、既に『頂点』を過ぎた人なのだな。私も、もう数年すればこの人と同じところに行き着くのかも知れない。
     今、その心境はどうなっているのだろうか? ……もっと詳しく、聞いてみたい)

    蒼天剣・帰北録 4

    2010.05.07.[Edit]
    晴奈の話、第544話。銃の神様。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」 家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。 ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」 その狐獣人は、うずくまった晴奈に声を...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第545話。
    高みを降りた人から、高みに達した人へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。
    「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」
    「ありがとうございます」
    「いただきまーすっ」
     食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。
     ゴールドコーストで公安チームと出会い、彼らと共に央北を回り、殺刹峰と戦った話を聞き、ディーノの目はキラキラと輝く。
    「へぇ……、散弾銃、ですか。確かに公安の機動部とか制圧戦とかには、うってつけの装備ですね」
    「ええ、殺刹峰に潜入した時も、それで修羅場をしのいだとか。
     ……あの、ディーノ殿」
    「はい?」
    「その……、会って間もないあなたにこんな話をして、戸惑われるかも知れませんが」
    「何でしょう?」
     晴奈は周りの皆が食事に気を取られているのを確認し、ディーノに相談してみた。
    「私は……、その、もう27歳でして、そろそろ、……ここが、剣士としての頂点では無いかと考えているのです」
    「ふむ」
    「しかし、不安もあります。この後、剣士としては緩やかに下るだけ。今まで剣の道一本だった私は、どう生きていけばいいのかと」
    「……なるほど。僕にも、似た点はありますね」
     ディーノはコップを机に置き、真面目な、しかし優しげな顔になった。
    「僕も、研究と発明ばかりの人生でした。その道、一本だったわけです。そう考えればその点、あなたと似ていますね。
     でも最近じゃ、なかなかいいものが作れません。ただ、それはスランプってわけじゃなくて、やっぱりセイナさんが言うみたいに、頂点を過ぎてしまったんだと思います。もう昔みたいに、次から次に研究・開発を進めて成功していくことは難しいでしょうね。
     でもそのことは悔しくも、悲しくも無いんです。思うに、それは……」
     ディーノはそこで、コップに入った酒をくい、と飲み干す。
    「それは頂点の時――自分が最高の仕事ができる時に、最高の仕事をしたからだと思います。その証明と言うか、成果と言うか、……そんな感じのものは、今、この国のあちこちで見られますし。それを見ていると、本当に自分はいい仕事をしたと、そう実感できるんです。
     過去の栄光に浸っているとか、そう思われるかも知れません。でも、僕はもう、それでいいんです。自分がやるべきことを、やれる時にやりきったんですから」
    「なる、ほど……」
    「セイナさん」
     ディーノはにっこりと笑い、こう締めくくった。
    「今があなたの人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事ができるよう努力してください。
     そうすれば頂点を過ぎた後、悔やむことは何も無いと思います。きっとみんな、仕事をやりきったあなたを祝福してくれるはずです。
     その後の人生、きっといいものになりますよ」
    「……はい」
     晴奈は目から涙がこぼれそうになるのをこらえながら、小さくうなずいた。



     3日後、ディーノはリストのために、銃を作ってくれた。
    「ベースはGAI(ジーン王国兵器開発局)の狙撃銃、GAI‐SR(スナイパーライフル)511型です。
     それの命中精度改良版がSR511P(Prime:最上級)型と呼ばれていますが、僕はその命中精度をさらに向上させ、さらに長い銃身と特製調合の装薬とで、射程距離も大幅に伸ばしてみました。
     名付けて、GAI‐SR511PPLR(Prime of Prime and Long Range)」
    「うん、ありがと」
     リストは銃が入ったかばんを受け取り、ニコニコと笑いながら銃に向かってつぶやいた。
    「よろしくね、ポプラちゃん」
    「ポプラ?」
     尋ねたトマスに、リストは指を立てて答えた。
    「PPLRだから、語感でポプラ(Poplar)かなって」
    「なるほど、いいですね」
     作った本人も、嬉しそうにうなずいた。
     と、ここでエルスがディーノに、あることを伝えた。
    「そうだ、アニェッリ先生。奥さんに会いたがってましたが、もしかしたら近いうち、会えるかも知れませんよ」
    「と言うと?」
    「同盟が成立しはしましたが、まだそれぞれの首脳が顔を合わせてませんからね。近いうち、同盟を発案したこの国で、首脳会談の場が開かれると思います。
     となれば当然、奥さんもその場に……」
    「そうか、なるほど……。そうですか、ふむ」
     ディーノは嬉しそうに顔をほころばせた。
    「いいですね。会えるかどうかは分かりませんが、楽しみにしておきます」

     帰りの道中、晴奈はディーノから言われたことを何度も、心の中で繰り返していた。
    (『人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事を』か。……そう、今が私の頂点、剣士としての人生、最高の時なのだ。
     確かに私は、最早戦うことに疲れてきている。だが、ディーノ殿の言う通り、今、最高の仕事をしなければ、私はきっと後悔する。巴景やアランと戦うことを避ければきっと、終生『何故あの時、戦わなかったのだ』と悔やむだろう。
     それだけはしたくない。後々に禍根など、残してはならぬ。今ここで、きっちりと決着を付けねば)
     晴奈はこれから来る、最後の戦いを前に、決意を新たにした。

    蒼天剣・帰北録 終

    蒼天剣・帰北録 5

    2010.05.08.[Edit]
    晴奈の話、第545話。高みを降りた人から、高みに達した人へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」「ありがとうございます」「いただきまーすっ」 食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。 ゴールドコーストで公安チームと出会い...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第546話。
    凍った海でスケート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、12月。
     晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。
    「それにしても」
     その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。
    「見事に凍っているな」
    「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」
    「ほう」
     試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った海を突いてみる。
    「来た時はまだ氷が張っていなかったから、まさかこれほどとは思っても見なかった」
    「でしょうね。アニェッリ先生も、フーのおばあちゃん夫婦も、こっちに移り住んだ時はみんな驚いてたらしいわよ」
     そう言って、リストはひょいと氷の上へと降りる。
    「ほら。人が乗れるくらい分厚いのよ」
    「なんと……。話には聞いていたが、本当に乗れるとは」
    「セイナも来てみなさいよ」
     リストに手招きされ、晴奈も恐る恐る氷の上に足を乗せた。
    「……確かに」
    「じーちゃん、グリーンプールにも別荘持っててさ。アタシ、何度かこっちに、遊びに行ったコトあったのよ。楽しかったなー……」
     と、リストは埠頭に上がり、「ちょっと待っててね」と言って姿を消した。
     晴奈は水平線の向こうまで凍った海を見渡し、ため息をつく。
    (ウインドフォートで聞いた、巴景の話。彼奴は、この凍った海を歩いて渡ってきたと言う。考えもしなかったな、そんな手段は。
     恐らく、殺刹峰で得た強化魔術があったからこそ、取った手段ではあろうが――私には、到底真似ができぬ。その術と、型破り・非常識な発想力は、私を凌駕する。それこそが、巴景の強みであり、二つと無い武器なのだろうな。
     だが、私も人知を超えた経験を、いくつも重ねてきた。経験の量と深さは、負けていないはずだ。それに私にはこの『蒼天』と、十余年鍛え、高みに達した剣術が付いている。
     敵わないと言うことは、無いはずだ。十分、十二分に対抗できる。……いや、勝ってみせるさ。
     この因縁には、きっちりと決着を付けてみせる)
     と、リストが靴を二足抱えて戻ってきた。
    「お待たせー」
    「それは?」
    「スケート靴。サイズ合うかしら?」
    「すけ、と?」
    「氷の上を滑れる靴よ。……ほら、見てて」
     リストはスケート靴を履き、氷の上をすいすいと走る。
    「楽しいわよ、けっこー」
    「ふむ」
     晴奈もスケート靴を履き、氷の上に立とうとしたが――。
    「わ、と、とと、……にゃっ」
     バランスを崩し、べちゃりと前のめりに倒れてしまった。
    「あいたた……」
    「ふふ、あははっ」
    「参ったな、はは……」
     晴奈は埠頭にしがみつき、何とか立ち上がる。
    「足は揃えて立たないと、がくっと体の軸ブレるわよ」
    「ふむ。こう、か?」
    「そうそう、そんな感じ。で、こーゆー風に、右脚に体重かけてー、次は左脚にかけてー」
    「右、左、右、左、……こんな感じか」
    「そ、そ。うまいじゃない」
     運動神経のいい晴奈は、すぐにコツを飲み込む。
    「なるほど、面白い」
    「ね、セイナ。ちょっと、沖の方まで行こ?」
    「沖に?」
     聞き返したが、リストは理由を言わない。
    「……ダメ?」
    「いや、構わぬ。行ってみようか」
    「ありがと」
     リストは礼を言うと、晴奈の手をつかんですい、と滑り始めた。
    「滅多に割れないから、安心して」
    「ああ」
     しゃ、しゃ……と、スケートの滑る音だけが聞こえる。
    「わあ……、真っ白。ミラーフィールドじゃないけど、雲の中にいるみたいね」
    「そうだな、白い雲の上を滑っているようだ」
    「アハハ、雲ってツルツルなのね」
     滑る間に他愛も無いことを話しながら、二人は街が彼方に見えるくらいのところで止まった。
    「……さて、と。ココなら二人っきりで話せるよね」
    「うん?」
    「聞いて、セイナ。アタシの話」
    「どうした、改まって」
     リストはうつむき、スケート靴を脱ぎ始める。
    「あのね」
     脱ぎ終わるなり、リストは座り込んだ。つられて、晴奈も横に座る。
    「あの、……あのね」
    「……」
     リストはもごもごと、言葉を詰まらせる。そこで、晴奈が尋ねてみた。
    「エルスのことか?」
    「……そう」
     リストは顔を挙げる。やや吊り上がったその目は、今にも泣きそうに潤んでいた。
    「こないだ、ミラと、話をしたの」

    蒼天剣・傷心録 1

    2010.05.10.[Edit]
    晴奈の話、第546話。凍った海でスケート。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年、12月。 晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。「それにしても」 その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。「見事に凍っているな」「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」「ほう」 試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第547話。
    名狙撃手。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。
    「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」
    「いえいえー」
     人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。
    「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」
    「うん、また連れてってほしいわ」
     以前のリストであれば、こんな風に誘われてもつっけんどんに断るばかりだった。
     だが、央南での生活ですっかり丸くなり――と言うよりも、攻撃性が敵とエルスにのみ向けられるようになったと言うべきか――他者との人付き合いも、円滑にこなすことができるようになっていた。
    「それでぇ、ちょっと聞きたいなってコト、あるんですがぁ」
    「何?」
    「あのぅ、リストさんって銃、うまいんですよねぇ?」
    「うん、超得意よ」
    「でもですねぇ、あのぉ、アタシがヒノカミ中佐の側近してた時にぃ、ブリッツェン准尉って人がぁ、『俺が一番、銃の腕はいい』って自慢されてたんですよぉ」
     その名前を聞き、リストはある人物を思い出す。
    「ブリッツェンって、茶髪で赤耳の狐獣人の、ルドルフ・ブリッツェン?」
    「はぁい、その人ですぅ」
    「はっ」
     リストは鼻で笑い飛ばす。
    「あんなのタダのトリガーハッピー、銃をバカスカ撃てりゃ満足ってだけのバカよ」
    「そうなんですかぁ? アタシが聞いた話では、結構すごい成績出してたらしいですよぉ?」
    「訓練って、『5スナイプ』の?」
    「はぁい。460点出してたらしいですよぅ」
     それを聞くなり、リストは立ち上がった。
    「ふっ、そんならアタシの腕、見せてあげようじゃないの」



     リストはミラを連れて、軍の射撃訓練場に向かった。
    「で、あの乱射バカ、何使ってた? 511P?」
    「えーとぉ……」
     と、銃の管理をしている将校が、それに答える。
    「乱射バカって、ブリッツェン准尉か? ここで最高記録出した時のだったら確か、511だったぞ。P付いてない、無印版のやつ」
    「じゃ、ソレ貸して」
    「おっ、挑戦する気か? ……って、そう言やお前、ナイジェル博士の孫だっけ。
     ナイジェル一族の若い奴の中に銃の達人がいるとか聞いたことがあったけど、それ、お前のことか?」
    「そうよ。早く貸してよ」
     そう答えたリストに、将校はニヤリと笑って返した。
    「面白い。何点出せるか、見せてもらおうじゃないか」

     ちなみに、この射撃訓練は次のようなシステムになっている。
     100メートル離れた場所にある的を狙撃し、的の中心を打ち抜けば100点。そこから15センチ離れれば、90点。さらに、5センチ離れるごとに10点ずつ減点され、中心から60センチ離れれば、無得点となる。
     それを5セット行い、その総合点を命中精度として評価する。この訓練は王国軍の中では、通称「5スナイプ」と呼ばれている。
     ルドルフの460点とはつまり、1発が中心に命中し、残り4発もすべて、15センチ以内に納めたと言うことである。

    「ま、見てなさいよ」
     狙撃銃を受け取ったリストは早速、伏射体勢を取って構える。
    「じゃ、お願い。……はい!」
     リストのかけ声に合わせ、的が立ち上がる。少し間を置いて、リストが狙撃した。
    「どうだ? ……へぇ」
     的側にいた兵士から、100点であると言う返事が返ってくる。
    「まずは、満点か」「黙ってて。気が散る」「おっと」
     リストににらまれ、将校は口をつぐんだ。
    「次!」
     リストが声をかけ、二枚目の的が立ち上がった。今度は間を置かずに、すぐに狙撃する。
    「……ほう」
     これも100点だと、返事が返ってくる。
    「次!」
     三枚目も、100点。
    「……マジか」
    「次!」
     これも中心を撃ち抜き、100点。
     これに気が付いた兵士たちが、ゾロゾロと集まってきた。
    「『5スナイプ』で連続100点!?」
    「どんな銃だよ……」
    「511の無印だってさ」
    「嘘だろ、もう型落ちだってそれ」
    「でも、ブリッツェン准尉も同じ銃で460でしょ?」
    「……もしかしたら」
    「もしかするかも」
     ざわめく兵士たちを、リストが怒鳴りつけた。
    「うるさい! 邪魔!」
    「……っ」
     兵士たちは一斉に押し黙り、リストの挙動に注目した。
    「次!」
     リストの声に応じ、最後の的が立ち上がる。
     最後の一枚は、先の4回よりも時間をかけて狙撃された。
    「……っ」
     その直後、リストが小さくうめき、床をドカドカと叩きつけて悔しがった。
    「どうなった……?」
    「出るぞ、結果出るぞ」
    「……あ」
    「90、……か」
     リストは振り返り、もう一度兵士たちに怒鳴りつけた。
    「アンタらがうるさいからよ、ホント邪魔っ!」

     最後にケチが付いたとは言え、総合で490点となった。

    蒼天剣・傷心録 2

    2010.05.11.[Edit]
    晴奈の話、第547話。名狙撃手。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」「いえいえー」 人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」「うん、また連れ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第548話。
    恋焦がれて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。
     ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。

     それが、「5スナイプ」を行った、たった2分間で逆転した。
    「490って、すげえな」
    「うわさも案外、間違ってないってことか」
    「向こうじゃ、彼女に感化されて銃開発が始まったらしい」
    「それも流石、エド博士の孫って感じだな」
    「そう言えば、チェスターはアニェッリ先生に会ったらしいぞ」
    「先生に? じゃあ……」
    「らしいですよ。銃を、オーダーメイドで作ってもらったとか」
     どうも、北方人はうわさ好きな性分を持っているらしい。あっと言う間に、リストが「ポプラ」を持っていることまで伝わってしまった。



     数日が過ぎ、うわさはエルスの耳にも入った。
    「へぇ、あの子がねぇ」
    「今はもう、リストさんのことで持ちきりですよぉ」
    「馴染めたみたいで良かったよ、はは……」
     その口ぶりが、ミラの中で引っかかった。
    「……エルスさんってぇ、なんだかお兄ちゃんみたいな言い方しますねぇ?」
    「ん?」
    「リストさんのコト、どう思ってるんですかぁ?」
     そう尋ねられ、エルスは笑顔のままポリポリと頭をかき、困った様子を見せた。
    「うーん……、それも良く聞かれるんだけどねぇ。あの子、僕の周りをいっつもウロウロしてるから」
    「え……」
    「あの子は妹みたいなもんだよ。君の言ったこと、間違ってない」
    「そう、なんですかぁ」
     エルスの回答に、ミラはがっかりした。

     ミラが失望したのには、理由がある。
     リストと喫茶店で話をした時に、リストはエルスに好意を抱いていると気付いていたからだ。
    「……ですって」
    「そう」
     グリーンプールでの演習の合間に、ミラはエルスの、リストに対する感想を、本人にそのまま伝えた。
    「で?」
     だが、リストは無反応を装う。
    「えっ?」
     リストの、気の無さそうなその口ぶりを、ミラは一瞬意外に思った。しかし――。
    「それが、どうしたのよ」
    「……リストさん」
     リストの目は、小刻みに震えている。
    「何よ」
    「……好きなんでしょ?」
    「何が」
    「エルスさんのコト」
    「……んなワケっ、ないじゃないの……っ」
     そう言った途端、リストの目からボタボタと涙がこぼれる。
    「アタシがっ、……あんなっ、いっつも、ヘラヘラしてるヤツ、好きなっ、ワケ、ないじゃない……っ!」
    「あ、あのぅ」
    「そうよ、いっつも、ポカポカ殴ってっ、ひどいコトばっか言ってる、アタシのコトなんて……っ、好きで、好きでいてっ、くれるワケっ、……ない、し、っ」
     言葉とは裏腹に、リストの涙はとめどなく流れ続ける。
    「そりゃ、手のかかるっ、いも、とっ、……妹でしょ、そりゃ、ね……っ」
    「あ、あのぅ、リストさん」
    「ま、マシよね、ホント……っ! 嫌ってない、なんて、逆にっ、おかしい、くらい、じゃ、ないっ……」
    「も、もういいですからぁ」
    「なっ、何が、いいのよっ、……グス、グスっ」
     リストの声に、嗚咽が混じり出す。
    「グス、……帰ってっ」
    「え、え……」
    「帰ってよっ!」
    「……はい、あのぅ、……失礼しましたぁ」
     これ以上どうにも応えきれなくなり、ミラはそそくさとリストの前から姿を消した。



    「……そうか」
    「アタシ、さ……」
     ミラとの会話を晴奈に伝え、リストはまた泣き出しそうに、顔を歪めていた。
    「どうして、こんななのかな」
    「こんな?」
    「ちょっと、何かあると、滅茶苦茶なコト言って、みんな困らせてさ。ミラにも、怒鳴って追い返しちゃったし。
     こんなだから、エルスはアタシのコト、好きでいてくれないんだよね」
    「……そんなことは」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめる。
    「そんなことは、無いさ。嫌いなわけが無い。でなければ天玄の時、お主を助けようなどとするものか」
    「でも、アイツは、コスズと……」
    「……どうなるか、まだ分からないさ。いっそのこと、言ってみたらどうだ?」
     リストは顔を挙げ、晴奈の顔をじっと見た。
    「え?」
    「お主の胸のうちを、まだ、エルスと小鈴が結ばれないうちに」

    蒼天剣・傷心録 3

    2010.05.12.[Edit]
    晴奈の話、第548話。恋焦がれて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。 ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。 それが、「5スナイプ」を行った、たった...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第549話。
    大人デートと、少女の抵抗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「んっふふー」
     グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。
    「気に入ってもらえたかな?」
    「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」
    「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」
    「あーら、ありがと」
     ちなみに今日の小鈴は、普段の巫女服ではなく、北方風のドレスを着ている。これも、エルスからの贈り物である。
     エルスの方も普段着ではなくスーツを着ており、二人の様子は店内の上品な雰囲気に、ぴったり合っていた。
    「ところでさ、エルスって」
    「ん?」
    「この戦争終わったら央南に永住する気らしいけど、ホント?」
     エルスはワインをくい、と呑み、小さくうなずいた。
    「うん、そのつもりだよ。もう北方に戻る気は無いし、今は央南でかなりいい仕事に就いてるからね」
    「んじゃさ、奥さんとかも向こうで探す感じ?」
    「……あー、どうなのかな」
     エルスは小鈴にワイン瓶の口を向けながら、首をわずかに傾ける。
    「まだそんな気、無いかな。今結婚しても、何だか持て余しそうだし」
    「んふふ、晴奈には『子供作ろう』とか言ったクセに」
    「はは、あれは冗談だって」
    「30超えたオジサンがそんなコト言ったら、冗談じゃすまないわよ」
     そう言われ、エルスは黙り込んだ。
    「……あれ? 何か変なコト言っちゃった?」
    「あ、いや。……確かにもうおじさんなんだよな、僕って」
     エルスはにこやかな表情のまま、自分の手をじっと見つめる。
    「若いつもりしてたけど、確かに手は、10代、20代の頃に比べて張りが無くなった気がする。アケミさんにも言われたけど、歳、取ってるんだなぁ……」
    「アハハ、何を今さら」
     と、小鈴も自分の胸に手を当てる。
    「……あたしも歳取っちゃったかなぁ。エルフだけど」
    「大丈夫、そこは歳取ったように見えないよ。全然若い」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく尋ねる。
    「あら、ドコ見て言ってるのかなー?」
    「大渓谷、だね」
    「んもう、……ぷ、ふふふっ」
    「ははは……」
     二人は楽しげに、食事と会話を楽しんでいた。

     店を出た後も、エルスと小鈴は並んで道を歩いていた。
    「はー……。美味しかったわー、ワインとご飯」
    「気に入ってもらえて何より、かな」
     エルスはニコニコと笑いながら、小鈴の手を取って歩く。小鈴もうれしそうに笑い、手を任せている。
    「……ねー、エルス」
    「ん?」
    「また連れてってね、美味しいお店とか」
    「ああ、もちろん。僕も君と、色んなところ行きたいからね」
    「……ふふ」
     小鈴はエルスの腕を、ぎゅっと抱きしめた。
    「にしてもさ、最初に会った時はそんなにエルスのコト、気にしてなかったんだけどな」
    「そうなの?」
    「うん、ふつーに『晴奈の友達』くらいにしか思ってなかったし」
    「……そうだな、僕もコスズのことは同じようにしか思ってなかったかも」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく笑う。
    「晴奈のおかげね、こうしてるのって」
    「はは、そうだね」
     そこで、エルスが立ち止まる。
    「……どしたの?」
    「ああ、うん。……うーん」
    「ん?」
    「……リスト」
     エルスは背後の物陰から見守っていたリストに声をかけた。
    「何か、用?」
    「……」
     声をかけられ、リストは仕方なく物陰から出てくる。
    「何かあったの?」
    「……」
    「黙ってちゃ分からない」
     エルスは依然ニコニコとしているが、その口ぶりはどことなく迷惑そうだった。
    「……ばか」
    「うん?」
    「どうして、アタシじゃないの」
    「……」
     今度は、エルスの方が黙る。
    「そんなに、アタシには魅力無いの?」
    「……」
    「そんなに、アタシのコト、邪魔?」
    「……」
    「ねえ、そんなに嫌いなの?」
    「……あのね」
     エルスはネクタイを緩めつつ、優しく返答した。
    「嫌ってなんか、いるわけないさ。ちょっと口は悪いけど明るい子だし、自分の好きなものにはすごく熱心になれる真面目さがある。それに、顔だって可愛い。嫌ってなんか、いない」
    「じゃあ、なんで……」
    「でもねリスト」
     エルスはそこで言葉を切り、じっとリストの顔を見つめた。

    蒼天剣・傷心録 4

    2010.05.13.[Edit]
    晴奈の話、第549話。大人デートと、少女の抵抗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「んっふふー」 グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。「気に入ってもらえたかな?」「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」「あーら、ありがと」 ちなみ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第550話。
    好意のベクトル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。
    「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」
    「え……?」
    「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。
     でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に思ってる。でも、君と付き合いたいかって言われたら、それは違うんだ。
     だって、妹だもの」
    「……っ」
     エルスの言葉に、リストの目からぽろっと涙がこぼれる。
    「……君をできるだけ傷つけたくなかったから、今まで言わないようにしてたけど。でも、僕にとってはそうなんだよ、リスト。
     僕は君を、女として見れない」
    「……うっ、……」
     リストののどから、嗚咽が漏れ始める。
    「……本当に、ごめん。長い間、君をだましていたも同然だ」
    「……なんで……ぐす……」
     リストは泣きながらも、なお話を続けようとする。
    「なんでっ、……あ、謝る、のよっ……」
    「それは……」
    「謝ら、ないでよ、ぐすっ……」
     リストはその場にしゃがみ込み、本格的に泣き出した。
    「アタシが、迷惑、ひっく、かけまくって、それで、ぐすっ、謝られ、たら、……うっ、う……、アタシ、ただ、のっ、バカじゃ、ない……、ひっく」
    「……ごめんね」
     エルスはただただその場で硬直していた小鈴の手を引き、リストの前から姿を消した。
    「……ばかっ……」

     それから2日、リストは演習に姿を見せなかった。



    「リスト、大丈夫か?」
     ずっと部屋にこもりっきりになっていたリストを心配し、晴奈が訪ねた。
    「……」
     部屋の中からは、返事が無い。
    「入ってもいいか?」
    「……」
     何度か呼びかけたが、反応は返ってこない。
    「……では、ここで話すぞ」
     晴奈はドアの前に座り、中のリストにぽつりぽつりと声をかけた。
    「その、……顛末は、聞いた。……残念だったな。まあ、その、気を落とすな、と言うのは無理だろうが、……その」
     晴奈はドアに向かって、深々と土下座した。
    「……すまぬ! 私が、お主をたきつけたりしなければ、このようなことには」「いいわよ」
     き、と音を立てて、わずかにドアが開いた。
    「セイナ、そんなに謝んないでよ。どっちにしろ、エルスがアタシを、付き合う相手って見てなかったんだから。遅かれ早かれ、こーなってたわよ」
    「リスト……」
    「ね、こっち来て?」
    「あ、うむ」
     晴奈は立ち上がり、部屋の中に入る。
     部屋の中はぐちゃぐちゃに汚れており、この2日間の荒れようが見て取れた。
    「ゴメンね、汚くしてて」
    「あ、いや」
    「……やっぱり、ショックだったわ」
     リストはベッドの上に腰かけ、クシャクシャになった髪を簡単にまとめながら話し始めた。
    「ずっと、ずーっと好きだったのに。アイツ、全然そんな風には見てくれなかったなんてね。
     ……ううん、実はちょっと前から、気付いてた。アイツは、アタシのコト、そこまで好きじゃないって。ホントのホント、妹だったんだなってさ。
     でも、実際言われると、……こたえたわ、かなり。やっぱりさ、ハッキリ言われるまでは、心のどっかで『もしかしたら』とは思ってたわけよ」
     そこでリストは立ち上がり、服を脱ぎ始めた。
    「え、おい?」
    「あ、……ちょっと、お風呂入ろうかなって。2日、泣きっぱなしだったから。……そんでさ、後でまた、一緒にスケート行かない?」
    「ああ、それはいいが」
    「よろしくね。……じゃ、お風呂入るから」
    「ああ、うむ」

     1時間後、晴奈とリストは再び、沖の方へとやって来た。
    「今日、何日?」
    「12月20日だ」
    「そっか、もう年も変わる頃ね」
    「そうだな。後10日ほどで、双月節となる」
    「来年は、どんな年になるかしらね」
    「さて、何とも言えぬな。恐らくはまた、戦いの日々になるだろう」
    「そうね」
     リストはふーっ、と白い息を吐き、座り込む。
    「どうしよっかな」
    「うん?」
    「アタシさ、央南の黄州司令官、辞めちゃったでしょ? そんで、エルスにもフラれちゃったし。戦争が終わったら、どうしようかなって」
    「ああ……」
     晴奈もリストの横に座り込み、腕組みをして考える。
    「そうだな、しばらくはうちにいればいい」
    「セイナんち?」
    「ああ。父上の手助けなどすれば、しばらくは食うに困らぬだろう」
    「そうね、ソレいいかも。……んじゃさ、よろしく言っといて」
    「ああ、承知した」
     そこで、会話が途切れる。
     二人はそのまま、真っ白な水平線を眺めていた。

    蒼天剣・傷心録 5

    2010.05.14.[Edit]
    晴奈の話、第550話。好意のベクトル。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」「え……?」「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。 でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第551話。
    女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……そ、言やさ」
     不意に、リストが口を開いた。
    「セイナ、どうなの?」
    「うん?」
    「最近、トマスと仲いいみたいだけど」
    「えっ」
     聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。
    「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」
    「……いーわね」
    「な、何が、だ?」
    「アンタ、好きなんでしょ?」
    「そ、それは……」
     晴奈はかけていたマフラーをいじりながら、ボソボソと答える。
    「……少なくとも、憎からず思っている」
    「そっか。……なんで?」
    「なんで、って」
    「アイツ、頭いいけどすぐ人のコトにケチつけるし、自慢したがりだし。ドコがいいの?」
    「ああ、えー……、と」
     なお、晴奈は口をもごもごとさせる。
    「そうだな、私のことを、気にかけてくれるから、かな」
    「アンタを?」
     言いかけて、リストは「ああ」と納得したような声を出した。
    「そうね。アンタもエルスみたいに、『何でもできますよ』って感じのヒトだもん。自信家だし、実際腕もいいし、オマケに料理もうまいしね。
     でも、……そうよね。だからアンタのコト、ちゃんと見てないのかもね、みんな」
    「……」
    「……じゃ、さ」
     リストはいたずらっぽく、こう言った。
    「アタシもアンタのコト、気にかけるようにしたらさ、アンタもアタシを、好きでいてくれる?」
    「へ?」
    「……なんてね」
     リストはクスクスと笑い、手を振る。
    「他の誰よりも、トマスが一番にアンタのコト、思ってくれたからよね。他の人が『自分もあなたのコト、見てますから』ってアプローチしたって、遅いわよね」
    「あ、いや、リスト」
     晴奈は慌てて、リストの言葉に付け加える。
    「そんなことをせずとも、お主のことは嫌ってなどいない。お主も大事な友人だ」
    「……友人?」
     リストは晴奈に顔を向け――笑い出した。
    「……ぷっ、ちょ、セイナってば。なんで顔にそんな、マフラーぐるぐる巻きにしてんのよっ、あは、ははっ」
    「あ、いや、これは、……その、恥ず、いや、……うー」
    「あは、はは……、はー、何か久々に笑い転げた」
     リストは笑って出た涙を拭きながら、ぽつりとこう返した。
    「……友達、かぁ」
    「ん?」
    「そうよね、アンタはずっと、アタシの友達だった。改めて言われて、やっと実感したわ」
     そう言うとリストは、突然晴奈に抱きついた。
    「うわっ!? な、何だ!?」
    「セイナっ」
     リストは嬉しそうに、晴奈を抱きしめたままゴロゴロと氷の上を転がる。
    「ずーっと、友達でいてよね」
    「え? あ、ああ。もちろん」
    「約束よ」
    「う、うむ」
     ようやく解放され、晴奈は軽く目を回しながらもうなずく。
    「約束するさ。お主はずっと、私の友人だ。これまでも、そしてこれからも、な」
    「……うん」

     その時だった。
    「……ッ!」
     晴奈は自分と、横に寝転がっているリストとに、どこかから鋭く、貫くような殺意をぶつけられたのを感じ取った。
    「リスト、転がれッ!」
    「えっ」
     言うが早いか、晴奈はリストの襟元を引っ張って、無理矢理に体を横転させた。
     次の瞬間、今まで二人が寝そべっていた氷が、バシッと言う音とともに砕けた。
    「え……、銃撃!?」
     リストは自分たちが攻撃されていることに気付いたが、起き上がろうとはしない。
    「セイナ、伏せてて!」
    「ああ、分かっている」
     起き上がればそのまま、格好の的になるからだ。
     二人は寝そべった格好のまま、攻撃された方向を見定める。
    「……まさか、そんな!?」
     すぐに二人は、攻撃された方角を察知した。
     それは西南西の方角――即ち、あと半年ほど後に「ヘブン」が攻めてくるであろう方角からだった。
    「ウソでしょ……、歩いてきたって言うの!?」
    「いや、無理な話では無い。巴景が、それをやったのだ。最早、絵空事ではないのだ」
     二人の目には、斥候と思われる者三名が、銃を構えてしゃがんでいるのが見えていた。
    「どうしよう、セイナ?」
    「……念のため、刀を佩いていて助かった」
     晴奈はうつ伏せのまま、刀を抜いて火を灯す。
    「『火閃』」
     冷え切った周囲の空気が熱され、氷をわずかに溶かして真っ白な水蒸気を生む。
    「……っ」
     湯気の向こうで、斥候がたじろぐのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「今だリスト、走るぞ!」
    「うんっ」
     二人は立ち上がり、スケート靴で走り去った。

    「あっ、くそッ!」
     晴奈たちを狙撃した斥候は狙っていた相手が逃げたのを見て、舌打ちする。
    「い、今ならっ」
     もう一名が慌てて銃を構えたが、それを背後から止める者がいた。
    「やめとけ。当たるワケねー」
    「えっ」
     狙撃を止めさせたのは、フーの側近である銃士――ルドルフだった。
    「『ヘブン』じゃ、まともに銃を作ってねーからな。整備も適当なもんだ。そんな銃であの距離じゃ、かすりもしねーよ」
     斥候たちは不満そうに、逃げていく二人を眺めている。
    「しかし少尉、このまま逃がせば……」
    「いいんだよ、別に」
     ルドルフは肩をすくめ、ニヤリと笑う。
    「もうどうしようもねーよ、この距離まで来られちゃな。後は……」
     ルドルフは踵を返し、自分たちが元来た方向へと戻り始めた。
    「この凍った海を大量の歩兵で渡って、ブッ潰すだけだ。『トモエ作戦』、いよいよ本番ってワケだ」

    蒼天剣・傷心録 終

    蒼天剣・傷心録 6

    2010.05.15.[Edit]
    晴奈の話、第551話。女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「……そ、言やさ」 不意に、リストが口を開いた。「セイナ、どうなの?」「うん?」「最近、トマスと仲いいみたいだけど」「えっ」 聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」「……いーわね」「な、何が、だ?」「アンタ、好きなんでしょ?」「そ、それは……」 晴奈はかけ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第552話。
    トモエ作戦の始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。
    「相手は、油断しきってたんだな?」
    「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」
    「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」
     斥候からの報告を聞き終えたフーは、ニヤリと笑った。
    「今から1時間で準備を整えろ! すぐにグリーンプールへ攻め込む!」
    「はっ!」
     フーの号令に、将校たちはバタバタと会議室を出て行った。
    「いよいよ、か」
    「そーね」
     フーの横には、ドールとノーラが座っている。
     本来ならば参謀のアランがそこにいるはずだが、フーは何としてもアランをこの場に居させたくなかったため、彼女らを今回、参謀扱いとしたのだ。
    「ま、奇襲とか強襲、電撃戦は俺たちの得意技だ。兵隊の大半は、蹴散らせるだろう。
     後は、敵主力への対策だな」
     その発言に、ドールが口を開く。
    「まず、リロイよね。アイツは確実に出張ってくるわ。アイツを放っておいたら、十中八九撃退されるわよ」
    「それと、トマス・ナイジェル博士ですね」
     ドールの所見を、ノーラが次ぐ。
    「この両氏は、『知多星』エドムント・ナイジェル博士の愛弟子です。手を組まれれば、どんな奇手・奇策で翻弄されるか」
    「あと、気になるのがあの『央南の猫侍』、セイナ・コウよ。実は央南抗黒戦争時代からの、リロイの腹心なんですって。当然、この場にも来てるわ。相手にするには、相当てこずるわよ」
    「だな」
     以前に晴奈に叩きのめされた覚えのあるフーは、短くうなる。
    「てこずると言えば、リスト・チェスターも懸念すべき相手です。央南での職を辞してまで、参戦したとか。その気概と腕前、それに指揮官・狙撃手としての手腕は警戒が必要です」
    「やれやれ、スター揃いだな」
     首をポキポキと鳴らしながら、フーはまた短くうなる。
    「それから、我々の元側近のトラックス少尉とブライアン軍曹も、リロイのそばにいるらしいわ。まさか、敵に回すコトになるなんて思いもしなかったわね」
    「あいつらも、か。……真っ先に潰すべきヤツは、全部で6人か。
     対策は?」
    「できてるわ。『ヘブン』のアッチコッチから、いいのを揃えてるわよ。それで精鋭部隊を組織してるからね」
    「そっか。……お前に任せっきりにしてたが、どんな奴らなんだ?」
     聞かれたドールは、にんまりと微笑んだ。
    「現在の側近であるアタシたち4名と、前政府の頃に投獄された囚人が3名、それから央北を旅してた手練の傭兵が3名。
     こんだけ集めれば、どーにでもなるでしょ」



    「確認したよ。確かに敵は、すぐそこまで来てた」
     晴奈たちからの報告を受けたエルスは、すぐ氷海に兵士を送り、偵察させていた。
     その結果、多数の軍勢がスタリー島に駐留していることが判明し、王国軍と、演習に来ていた同盟軍は騒然となった。
    「どうする?」
     尋ねた晴奈に、トマスが緊張した面持ちで答える。
    「迎え撃つしかないよ」
    「しかし、軍備はまだ整っていない。真冬で漁業や農業が閑散期にある現在、沿岸部の備蓄の半分以上は民間に供給されている。
     無理矢理引き上げ、徴発するにしても、足りるとは……」
    「分かってるよ、そんなことは! でも、やるしか……、っと」
     トマスは顔をしかめつつ、晴奈に怒鳴りかけて、途中で頭を下げた。
    「……ごめん。イライラしてた」
    「ああ、いや、……確かに、事態はかなり悪い。備蓄で不利な点ひとつ取っても、このまま攻め続けられれば、押し負けるのは明白だからな」
    「うん。それに『この地域』で、そして『この時期』で敗北することは、僕らにとって非常に痛手過ぎる。
    『まさかこの、海が凍りついたこの時期にむざむざ攻め込まれ、北方では裕福なはずの沿岸部において、物資不足で負けた』なんて聞いたら、軍の士気は著しく下がるだろう。
     そうなればこの後、僕らが勢力を盛り返すことは非常に難しくなる。折角の同盟も、無駄になってしまう」
    「むう……」
     晴奈とトマスは、互いに腕を組んでうなった。
     と、リストがエルスに顔を向け、平然とした顔で尋ねた。
    「エルス、対策は?」
     うろたえたのは、エルスの方だった。
    「えっ、……ああ、うん。これから検討する。……えっと、リスト?」
    「何?」
    「その……、この前は……」
    「ああ、アレ? 今そんなコト、考えてる場合じゃないでしょ?
     ソレともこの大銃士、リスト・チェスターに、この切羽詰った状況でまだ、引きこもっててほしかった?」
    「あ、いや。……分かった。よろしく頼んだよ、リスト」
     リストは小さくうなずき、エルスに背を向けてこうつぶやいた。
    「アンタ、ココで負けて死んだりしたら、承知しないわよ。アタシも、コスズもね」
    「……もちろんさ。負けたりしない」

    蒼天剣・氷景録 1

    2010.05.17.[Edit]
    晴奈の話、第552話。トモエ作戦の始まり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。「相手は、油断しきってたんだな?」「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」 斥候からの報告を聞き終...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第553話。
    リストの扇動演説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。
     通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集まらないだろう」と、トマスやエルスと言った司令陣が判断し、残った軍備で対処することとなった。
     また、通常ならば沿岸部の護りの要となっている軍艦も、氷結のために一切動かすことができない。また、軍艦に配備される兵士も、攻め込むのを基本とする海兵隊ばかりであり、防衛向きの人材ではない。
     これほどネガティブな要素が揃ってはいるが、同盟軍には防衛以外の選択肢はなかった。沿岸部における最大の軍事拠点、グリーンプールを落とされれば、ジーン王国の兵士は皆、士気を大きく落とすことになる。そしてそれは、同盟全体の士気にも関わってくるのだ。
     兵士が活力を失えば、今後の戦いは非常に苦しくなる。今ここで敵の猛攻を防ぎ切るしか、同盟軍に活路は無かった。



    「銃士隊、全12分隊、配置整いました!」
    「術士隊、全10分隊、配置整いました!」
    「海兵隊、全16分隊、配置整いました!」
    「歩兵隊、全24分隊……」
     港に敷かれた防衛線に兵士が集まったことが、作戦本部内に陣取るエルスに次々報告される。
    「ありがとう。総数は1500ってところかな。敵の数はどれくらい?」
     尋ねたエルスに、斥候が答える。
    「5000弱と思われます」
    「……ありがとう」
     圧倒的な差を聞かされ、流石のエルスも笑顔をこわばらせている。
    「やれることは全部やろう」
     エルスは晴奈たち主力を集め、会議を開いた。
    「作戦を一つ、考えてはいるんだ」
    「何だ?」
    「氷海さ。人が乗れるとは言え、氷は氷だよ。しっかりした大地じゃない。それを割ることができれば、いくら兵士の数があっても役に立たなくなる。
     それに、敵の中核は元北方人だ。この凍った海にはみんな、畏怖の念がある。ここで氷が割れ、敗走することになれば、逆にあっちの士気が大きく落ちるだろう。
     この戦いは、兵力対兵力じゃない。士気対士気の戦いなんだ」
    「なるほど。しかしどうやって割る?」
     晴奈の質問に、ミラがひょいと手を挙げる。
    「それはですねぇ、術士隊が引き受けますぅ。
     物理的にぃ、氷を割るのは難しいと思うのでぇ、魔術で氷を溶かすなりぃ、変形させるなりしてぇ、割ろうと考えてますぅ」
    「だから、僕たちはできるかぎり沖合には出ない。もしあんまり遠くに出ていたら、巻き込まれるか、分断される恐れがあるからね」
    「しかし、それには不安があるよ」
     ここでトマスが、眼鏡を直しながら反論する。
    「その作戦は、僕らの行動範囲が著しく制限される。いくら防衛戦だからって、じっと固まっているわけにも行かないだろう?」
    「もちろん割れる際には、合図を送る。それまでは、ある程度前に出てもらうつもりだよ」
    「氷が割れるのは、どのくらいかな。厚いところでは、2メートルはあると聞くけど」
     この問いに、ミラは表情を曇らせる。
    「……多分、12時間くらいだと。……早くて」
    「12時間か……。それまで、兵士が持つだろうか」
    「持たせるしかあるまい」
     晴奈の言葉を最後に、作戦会議は締めくくられた。

     銃士隊にとって幸運なことに、日中は無風だった。
    「いい? とにかく、近寄らせないコト。この防衛戦は、アタシたちの頑張りで結果が変わってくるって言っても過言じゃないわよ。
     そりゃ相手の数は半端じゃないし、いずれは押し切られるわ。でもそうなるまでに、どれだけ相手が減ってるかで、この後戦うみんなの負担が変わってくる。負担が軽くなればなるだけ、この街を守り切れる確率も上がってくるのよ。
     今日、ココが落とされなければ、この後あいつらがいくら攻撃してこようと、陥落するコトはまずない。今日の戦いにはかかってるのよ、色んな大事なモノが」
     銃士隊の指揮権を任されたリストは彼らの前に立ち、士気をあげるべく演説する。
    「絶対諦めず、最後の一発まで撃ちつくして。後から戦う、皆のためにも。
     それじゃ全員、構えて!」
     リストの命令に従い、銃士たちはそれぞれ射撃体勢に入った。
    「……頼んだわよ、『ポプラ』、それからみんな」
     リストもディーノから贈られた狙撃銃、「ポプラ」の安全装置を外し、氷原の向こうから来る敵を待ち構えた。

     銃士隊全員は静止したまま、凍った海の向こうをにらみ続ける。
     やがて、太陽が彼らのにらむ方向に、傾きかけた頃――。
    「……来たぞ!」
     誰かが叫ぶ。
     それと同時に、リストの目が、遠くから列を成して歩いてくる、黒い影を捉えた。
     だが、まだ引き金を絞らない。
    「みんな、待ちなさいよ! まだ、当たる距離じゃない」
     皆もそれを分かっており、銃声はどこからも聞こえない。
    「まだよ、まだ……」
     黒い影は続々、水平線の向こうからやってくる。
    「もう少しよ……」
     その大量の黒い影は、やがてそれぞれが人の形と確認できるまでに近付いた。
    「用意!」
     リストの声と同時に、あちこちから銃を構え直す音が響く。
    「……」
     黒い影は足を止め、背負っていた盾をかざし始めた。
    「……」
     それでもまだ、リストは撃たない。
    「……」
     盾をかざしたまま静止していた敵軍がまた、ゆっくり、ゆっくりと歩を進め始めた。
    「……」
     その速度がじわじわと増していき、ついには走り始めた。
    「……撃てーッ!」
     リストは叫ぶとともに、「ポプラ」の引き金を絞った。

    蒼天剣・氷景録 2

    2010.05.18.[Edit]
    晴奈の話、第553話。リストの扇動演説。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。 通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第554話。
    割れない氷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。
     あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。
    「撃て、撃て、撃てええーッ!」
     リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。
     だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。
    「くそ、効かない!」
     銃士たちの中から、苦々しい声が漏れる。それを聞いたリストが、怒鳴りつける。
    「効く! そのまま撃ち続けなさい!」
    「し、しかし」
    「いくら人が乗れるからって言っても!」
     リストの「ポプラ」が、何発目かの銃弾を吐き出す。
    「氷の上よ! そんなに重たいもの、持ってけるワケない!」
     その言葉を裏付けるように、リストの放った銃弾が敵兵の持っていた盾を貫通した。
    「ぐふっ……」
    「ほら見なさい! 薄いのよ、あの盾は!」
     あちこちからボゴボゴと、盾に穴が空く音が響き始める。そして最前列にいた敵兵たちが、ガタガタと崩れ始めた。
    「さあ、撃って! 銃が灼けつこうが、何しようが、とにかく撃つ! 撃ちまくるのよ!」
     一旦敵が崩れ始めると、銃士たちの士気も上がり始める。
    「うおおおお……ッ!」
     銃士たちは咆哮を上げ、さらに銃を乱射していった。

    「予想通り、であるな」
    「そっスね」
     ハインツとルドルフ、そして2名の傭兵が単眼鏡を使い、離れた場所で第一陣の様子を観察していた。
    「あやつらで押し切るのは、やはり難しいだろうな」
    「まー、無理っしょ。元々、第一陣は敵の弾を消費させるのが目的ですから」
    「ではそろそろ、第二陣と言うわけか」
    「いや、それはまだっス。あのイケイケちゃんなら、目の前の敵をとりあえず殲滅させなきゃ気が済まないでしょーし、このまんま一旦弾が切れるとこまで、持ち込ませときましょ」
    「ふむ。……退却させなくていいのか?」
     ハインツの発言に、ルドルフはコリコリと狐耳をかく。
    「んー、そりゃ得策とは言えないっしょ」
    「何故だ? 犬死にさせる気か?」
    「軽量化重視のせいで、あいつらの防具はせいぜい盾だけっスよ? 後ろ向いて退却したら、蜂の巣じゃないっスか」
    「……あ、なるほど」
    「それよりか、このまんま弾が切れるまでじっとしてた方が、ずっと生き残れる可能性が、……って、おいおい」
     ルドルフの目論見をよそに、第一陣の兵士たちはじわじわと下がり始めた。
    「……あーあ、撃たれちまってる」
     ルドルフはくわえていた煙草を捨て、背中に提げていた銃を手に取った。
    「んじゃ、ま、しゃーない。第二陣、用意させますか」
     ルドルフは空包を銃に込め、空に向けて撃った。
    「じゃ、ハインツの旦那。よろしく頼みましたよ」
    「うむ。……ではお主ら、行こうか」
     ハインツは傭兵たちを引き連れ、敵陣へと向かっていった。



     戦闘が始まってから、あっと言う間に1時間が経過した。
    「どうって?」
    「まだ全然」
    「そっか」
     港の両端にいる術士隊から、「思った以上に氷が分厚く、現状において割れる気配はまったくない」との報告を受け、トマスが不安がっていた。
    「間に合うかな……」
    「間に合わなきゃ困る。間に合わせてくれるさ」
    「そうだけども」
     おろおろとしているトマスに対し、エルスは泰然自若と構えている。
    「落ち着きなよ」
    「そ、そうは言っても」
    「エドさんも言ってたろ? トップが慌ててたら、組織全体もガタガタになる」
    「……そうだね。うん」
     トマスは椅子に座り、コーヒーを手に取った。
    「大丈夫かな」
    「また言ってる」
    「いや、術士隊の方もだけど、それを守るセイナたちもさ」
    「それこそ、心配無用ってもんさ。北端にはセイナとコスズのコンビ、南端にはミラとバリーのコンビを筆頭として防衛線を敷いている。
     何があっても、彼らの敗北は無いさ。ってことは、時間さえかけられればこの作戦は成功するってことになる」
    「……うまくいけばいいけど」

     グリーンプール港、北端。
    「どうだ?」
     晴奈に尋ねられ、術士の一人が答える。
    「術式の方は順調に作動しております。しかし、効果が今ひとつと言うか……」
    「って言うと?」
     今度は小鈴に声をかけられ、術士は困った顔を向ける。
    「想定されていたより、氷が分厚いようです。それに気温が時間を追うごとに段々と下がっているため、厚さがジワジワと増しているようで……」
    「あっちゃー……、そー言やそーよね」
     頭を抱えてうなる小鈴に、術士が説明を継ぎ足す。
    「ただ、それもある程度は想定内と言いますか、半日経てば朝日の昇る時刻が近付き、気温も上がってきます。
     氷の下を流れる海流も温められるので、氷もその時間には割れやすくなるかと」
     報告を受け、晴奈は肩をすくめる。
    「どうあっても、残り11時間はかかると言うわけか。
     まあ、計画に変更は無いのだから、何も悩むことはないか。守りには専念できそうだな」
    「頼んだわよ、晴奈」
    「ああ、任せろ」
     晴奈は小鈴と手をばしっと合わせ、気合を入れ直した。
     と――晴奈の視界の端に、氷海の向こうからぞろぞろと歩いてくる影が映る。
    「……やはり来たか」
    「みたいね」
     二人は迫り来る敵兵たちに向き直り、身構えた。

    蒼天剣・氷景録 3

    2010.05.19.[Edit]
    晴奈の話、第554話。割れない氷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。 あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。「撃て、撃て、撃てええーッ!」 リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。 だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。「くそ、効かない!」...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第555話。
    賞金稼ぎと人間武器庫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちが気付くと同時に、敵兵たちはこちらに向かって駆け出してきた。
    「来るぞ! 迎え撃てッ!」
     晴奈の号令に従い、剣士隊も走り出す。互いの分隊が衝突し、場は瞬く間に騒がしくなった。
    「行くぞ、小鈴!」
    「ええ!」
     指揮していた晴奈たちも、その喧騒の中へと飛び込んでいった。
    「りゃあッ!」「ぐあッ!?」
     30人以上の敵兵たちに、晴奈は小鈴の助けを借りて立ち向かう。晴奈の率いる兵士たちも果敢に攻め込み、倍以上いる敵を押し返していく。
    「だ、ダメだ!」「進めない!」
     数の上で有利なはずの敵兵の士気が、みるみる下がっていく。それを感じ取った晴奈は、一気に追い払おうと大技を見せ付けた。
    「これ以上寄れば命は無いぞ、雑兵どもッ! この炎の餌食になりたいかッ!?」
     晴奈の剣術、「火閃」で空気が燃え上がり、けたたましい音を立てて爆ぜる。
    「う……」「ひ、いっ」
     同盟軍の猛攻と晴奈の威嚇で、敵のほとんどは後退し、攻めを止めた。
    「さあ……! どうする、お前らッ!?」
     ここでダメ押しとばかりに、晴奈は凄んで見せた。

     ところが――。
    「ならば吾輩が相手だ、セイナ・コウ!」
     敵兵たちの後ろから、槍を抱えたヒゲ面の短耳が姿を表した。
    「貴様は……、見覚えがあるな」
    「忘れたとは言わせんぞ、猫侍。そして背後の紅白女もだ」
     紅白女、と呼ばれて小鈴が相手を指差す。
    「晴奈、アイツよアイツ。グリーンプールで叩きのめしたヤツ」
    「ああ。……何と言ったかな」
    「さあ? わめいてた以外に印象薄いし」
    「ハインツ、だ! ハインツ・シュトルム! ちなみに昇進して大尉になったぞ!」
     名前を忘れられたハインツは、顔を真っ赤にして怒る。
    「あの時は不覚を取ったが、今度はそうは行かんぞ! 今度は容赦せん、3対1の布陣でねじ伏せてやるぞ!」
    「1?」
     小鈴が口をとがらせたが、反論する間も与えられず、ハインツの背後にいた2人が前に進んだ。
    「アンタが『縛返し』とか『央南の猫侍』とか言われてる、コウっておねーさん?」
    「む……?」
    「んー……、聞いた以上に、んー……、強そう」
     ハインツの横に並び立ったのは、大剣を持った銀髪の狼獣人と、口元をストールで覆い隠した茶髪の短耳だった。
    「シュトルム大尉が自己紹介したし、俺たちもさせてもらうぜ。俺はデニス・キャンバー。央北じゃちょこっと有名だ」
    「んー……、ミール・ノヴァ。んー……、相棒、んー……、デニスの」
     二人の自己紹介が終わったところで、再びハインツが胸を張って語る。
    「今回、このトモエ作戦を円滑に遂行するため、お前やグラッド元大尉に対抗しうる人材を募ったのだ。
     前回のようには行かんぞ、コウ!」
    「……アンタらねー」
     散々無視された小鈴が、苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。
    「あたしが見えないのかっての、ったく。このコスズ・タチバナさまを無視するなんて、いー度胸してんじゃないの。
     んで晴奈、あの二人確かに有名人よ。『銀旋風』つって、央北と南海を行き来する、賞金稼ぎコンビ。今までに極悪人とか海賊とかを倒して得た賞金額は、130万クラムとか140万クラムとか」
     小鈴の説明に、デニスが付け加えた。
    「157万クラムだ。で、コウを倒せば、それが倍になる」
    「と言うことは、私の首には150万の値が付いているわけか」
     これを聞いた晴奈は、鼻をフンと鳴らした。
    「安い。私の首は、もっと価値がある」
    「んー……、自信家」
    「だなぁ。ま、高いか安いか……」
     デニスは剣を構え、晴奈に斬りかかった。
    「一戦交えて、試してみるかっ」

     晴奈がデニスの初太刀をかわしたところで、ハインツがナイフを投げてきた。
    「お、っと」
     晴奈はこれもかわし、「火射」をハインツに向けて放つ。
    「おうっ!?」
     燃える剣閃が伸び、ハインツはうろたえる。
     と、彼の前面に薄い魔術の盾が張られ、それを防ぐ。敵の魔術師、ミールが前もって防御術を仕掛けていたのだ。
    「んー……、『マジックシールド』」
    「……こしゃくな」
     舌打ちした晴奈に、デニスが襲い掛かる。
    「オラ、ぼーっとしてんなよ!」
    「しているように見えるか?」
     が、晴奈はデニスの方を振り向きもせず、それをかわす。
    「あ、れっ?」
    「お主の腕前は分かった」
     晴奈はひょいと一歩退き、刀を納めた。
    「え? 何で刀、しまう……?」
     きょとんとしたミールに対し、デニスはごくりと唾を飲んだ。
    「……居合い抜きってヤツだな。喰らった覚えがある」
    「ほう、知っているか」
    「いいねぇ、サムライ。あこがれるぜ、ホント!」
     デニスも剣を構え直し、晴奈と対峙した。
    「何て言うんだっけ、こう言う時って」
    「『いざ、尋常に……』か?」「あ、そうそう、そんなだったな」
     両者はにらみ合い、同時に叫んだ。
    「いざ、尋常に勝負ッ!」
     叫びきり、駆け出し、両者は衝突した。
    「……ッ」「……ぅ」
     晴奈が肩を押さえ、小さくうめく。
    「晴奈!?」
    「……心配無用」
     晴奈は二の腕を押さえたまま、立ち上がる。
    「……やっぱ、サムライ、すげえ」
     倒れたのは、デニスの方だった。
    「あ、あ……、デニス……」
     相棒を倒されたミールは青ざめ、その場に立ち尽くす。
    「……さあどうする?」
     晴奈は左腕から手を離し、ハインツに向かって刀を構える。
    「やるしかなかろう。……容赦せん!」
    「してもらっては困る」
     晴奈はニヤリと笑い、飛び掛った。

    蒼天剣・氷景録 4

    2010.05.20.[Edit]
    晴奈の話、第555話。賞金稼ぎと人間武器庫。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 晴奈たちが気付くと同時に、敵兵たちはこちらに向かって駆け出してきた。「来るぞ! 迎え撃てッ!」 晴奈の号令に従い、剣士隊も走り出す。互いの分隊が衝突し、場は瞬く間に騒がしくなった。「行くぞ、小鈴!」「ええ!」 指揮していた晴奈たちも、その喧騒の中へと飛び込んでいった。「りゃあッ!」「ぐあッ!?」 30人以上の敵兵...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第556話。
    男ヤンデレ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     一方、こちらはミラたちが詰める海港南端。
    「やっぱりぃ、寒くなってきましたねぇ」
    「そう、だな」
     ミラはバリーにくっつき、暖を取っている。
    「その、ミラ」
    「何でしょぅ?」
    「離れて、ほしい」
    「そんなコト言わないでくださいよぅ。寒いんですからぁ」
    「……はぁ」
     バリーは辟易した顔を浮かべながらも、ミラにされるがままになっていた。
     と、バリーの丸い熊耳がぴく、と動く。
    「……ミラ」
    「はい?」
    「何か、来る」
    「へ?」
     言われて、ミラもそれに気付く。
    「……強いですけどぉ、でも、にごったような魔力ですねぇ」
     ミラはバリーから離れ、その気配を探る。
    「まっすぐ歩いてきてるみたいですねぇ。……バリー、頼みましたよぉ」
    「ああ」
     バリーはグラブをはめた拳を握りしめ、立ち上がった。
     と、その巨体がぐら、と揺れる。
    「……バリー?」
    「ミラ、……癒しの、術を」
     バリーは右脇腹を押さえ、うめく。
    「撃たれた」
    「え、えぇ!?」
     ミラが青ざめると同時に、周囲の兵士たちが次々に腕や足、腹を押さえて倒れていく。
    「早く」
    「は、はいっ」
     ミラの術で傷をふさいだバリーは、脂汗を浮かべながらも駆け出す。
    「援護を!」
    「は、はいっ! 『フィジカルブースト』! 『ロックガード』!」
     ミラの術がバリーの身体能力を引き上げ、身に付けている防具の強度を高める。
    「突っ込む!」
    「分かりましたぁ!」
     バリーとミラは、弾丸の飛んできた方へと走っていった。

    「突っ込んできた……、か」
     離れた場所から膝立ちで狙撃していたルドルフは、淡々と構えていた。
    「くそ、風が出てきたな……。弾が逸れる、逸れる。
     もう少し近付いてあの二人を仕留めてから、残りを一掃するぞ」
    「分かりました……」
    「うむ」
     ルドルフの背後にいた、首輪を付けられた赤毛の短耳と、体中に鎖を巻いたエルフは小さくうなずき、ルドルフに続いた。

     やがてミラたちの視界にも、敵の姿が捉えられた。
    「……ブリッツェン准尉さんですねぇ」
    「やっぱり、撃ってきたのは、ルドルフか」
    「でも風が強くなってきましたしぃ、銃弾は多分撃てないでしょうからぁ、あの人の後ろにいる人たちが来るんでしょうねぇ。
     ……バリー、止まって!」
     ミラは敵の攻撃を察知し、バリーを呼び止める。
     素直に従ったバリーのすぐ目の前の氷が、ガリッと言う音を立てて削られた。
    「……!」
    「風の術ですぅ」
    「……かわされたみたいですね」
     互いの声が聞こえる程度にまで近付いたところで、相手の短耳が、うつろな目で話しかけてきた。
    「あの、少し尋ねても?」
    「……何でしょぅ?」
    「あなた 方の軍に今、コウと言う央南人の剣士がいると聞きました。こちらにいらっしゃいますか?」
    「いいえぇ、セイナさんはぁ、北端の方ですぅ」
    「……あの『狐』め。つまらない方に僕を連れてきたな」
     ミラの返答に、短耳はうつむいてブツブツとつぶやき始めた。
    「セイナさんに会えるって言うからついてきたのに何だよ期待はずれじゃないか折角牢屋から出たって言うのに骨折り損だくそくそくそくそ……」
    「あ、あのぅ?」
    「何だようざいな話しかけるなようっとうしいよ邪魔だよ邪魔だ邪魔だ邪魔邪魔邪魔……」
     短耳はうつむいたまま、手をかざして魔術を放ってきた。
    「『ハルバードウイング』」
    「……!」
     飛んできた風の槍を、ミラは防御術で防ごうとした。
    「『マジックシールド』ぉ!」
     だが、予想以上に強い魔力が込められており、ミラの防御はやすやすと貫かれた。
    「ひっ」「危ない!」
     飛んできた槍を、バリーが全身で受ける。
    「う、ぐ」
     風の槍はバリーの右腕を、ざくりとえぐった。
    「バリー!」
    「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔」
     依然、短耳は魔術を放ち続ける。
    「……あの人、危ない人ですよぅ」
    「ああ。……ちょっと離れる」
     バリーはそう言って、短耳に突っ込んでいく。
    「邪魔邪魔邪魔じゃ……」「うるさい!」「あぐっ……」
     短耳は突っ込んできたバリーに、まったく目を向けない。と言うよりも、虚ろに槍をばら撒いていただけらしく、相手はあっさりと、バリーの右ストレートで吹き飛ばされた。
    「……マヌケか、あいつ。やっぱ使えねーな、いくらすごい魔術師っつっても頭おかしくなったヤツじゃ」
     ルドルフは呆れ、もう一人に声をかけた。
    「アンタが頼りだ、『スティングレイ』の御大」
    「……」
     スティングレイと呼ばれたエルフは無言で、コクリとうなずいた。

    蒼天剣・氷景録 5

    2010.05.21.[Edit]
    晴奈の話、第556話。男ヤンデレ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 一方、こちらはミラたちが詰める海港南端。「やっぱりぃ、寒くなってきましたねぇ」「そう、だな」 ミラはバリーにくっつき、暖を取っている。「その、ミラ」「何でしょぅ?」「離れて、ほしい」「そんなコト言わないでくださいよぅ。寒いんですからぁ」「……はぁ」 バリーは辟易した顔を浮かべながらも、ミラにされるがままになっていた。 と、バ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第557話。
    狙われた司令。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     グリーンプール港と市街の境、エルスたちのいる作戦本部。
    「作戦完了まで残り8時間、か」
    「夜も更けてきた……」
     エルスとトマスの二人は高見台に昇り、港の様子を眺めていた。
    「銃声が随分少なくなったね」
    「最初に用意した弾が切れたらしい。まだ備蓄はあるはずだから、全滅ってことはないだろうけど」
    「していたら、とっくの昔にここまで攻め込まれてるさ」
    「だね」
     依然不安そうに眉をひそめるトマスに対し、エルスは穏やかに見下ろしている。
    「……しかめっ面だなぁ」
    「そりゃ、仕方ないさ。心配性だしね」
    「じゃ、いいこと教えてあげようか? 不安が一気に吹き飛ぶよ」
    「え……?」
     ニヤリと笑うエルスに、トマスはきょとんとした顔を見せた。

     その時だった。
    「……」
     エルスが突然、トマスの胸倉をぐい、とつかんで引き寄せた。
    「お、おい?」
     突然のことで、トマスはそのまま前のめりに倒れた。
    「な、なにす……」
     トマスは顔を挙げ、文句を言いかけたが、途中で止める。
    「……っ」
     目の前にいたエルスが、ナイフを握った何者かの腕を、トマスの頭上で止めていたからだ。
    「暗殺者、か。まずトマスを刺して、次に……」
     エルスは敵の腕を取ったままくるりと右に半回転しつつ、空いていた左手で敵のベルトをつかみ、そのまま投げ飛ばした。
    「僕も背後からさくり、……かな?」
    「うわ……っ」
     投げ飛ばされた敵と、エルスの背後にいた何者かが、もつれ合って高見台から落ちていった。
    「た、助かったよ、リロイ」
     トマスは恐る恐る立ち上がり、礼を言う。
     だがエルスはトマスに応じず、そのまま高見台から飛び降りた。

     着地したエルスの前に、先程エルスたちを襲った暗殺者二名が待ち構えていた。両者とも顔をフードで覆い、ナイフを構えている。
    「んー、と。名前、聞いてもいいかな?」
    「……」「……」
     やんわりと尋ねたエルスに対し、どちらも無言でにらみつける。
    「答えてくれないかな。じゃ、当ててみようか。
     僕がまだスパイやってた頃、前中央政府の要人を狙って暗殺を続け、逮捕・投獄された兄弟がいるって聞いたことがある。『阿修羅』ドミニクと並んで恐れられた、凄腕の暗殺者だとか。
     通称、『前鬼後鬼』のアペックス。……どうかな?」
    「……正解だ」
     暗殺者たちがフードを下げる。片方は猫耳、もう一方には虎耳が付いている。猫獣人の方が、先に名前を明かした。
    「私が兄の、ホン・アペックス」
     続いて、虎獣人の方が自己紹介する。
    「俺が弟、バイ・アペックス」
     二人はすっと離れ、エルスを囲んだ。
    「我々に恩赦を与えた『ヘブン』に報いるため、貴様の命をもらい受ける」
    「覚悟しろ、エルス・グラッド」
    「……」
     エルスはコキ、と首を鳴らし、トンファーを構えようとした。
     だが構え切る前に、背後にいたバイが襲い掛かる。
    「おっと」
     エルスは事も無げに、ひょいとかわす。そこを狙って、ホンの方がナイフを投げてきた。
    「参るなぁ」
     これも、エルスは避けきる。
    「昔っから、ナイフ使いは苦手なんだよねぇ。相性が悪いって言うか」
    「それは好都合」
     ホンが投げたナイフをバイが空中でキャッチし、もう一度エルスに投げつける。
    「相性悪いんならさっさと死んでくれや、大将さんよぉ!」
    「うーん」
     が、何度投げてもエルスに当たらない。
    「まだ死ぬわけには行かないなぁ」
     エルスは兄弟が投げた何度目かのナイフを、トンファーで弾き飛ばした。
    「戦争はこれからが本番だし、折角話とお酒の趣味の合う恋人もできたのに。ここで死ぬなんて、もったいなさ過ぎるよ」
    「叩くな、軽口を!」
    「チャラチャラしてんじゃねえッ!」
     アペックス兄弟は大量のナイフを取り出し、エルスの前後から滅多やたらに投げた。今度は流石に全弾弾くことはできず、エルスは体を目一杯ひねってかわす。
     だが、外れたナイフは兄弟たちがそれぞれキャッチして回収し、再度投げ続ける。いつまでも止まないナイフの十字砲火に、エルスは小さくうなる。
    (うーん……、流石に名の通った刺客兄弟だ。いいコンビネーションしてるし、隙が無いなぁ。避けるので精一杯って感じだ。
     逆に考えれば、そのコンビネーションこそが最大の強みってことだ。それを崩せれば……)
     エルスは避けながらも呪文を唱え、両目を左腕で覆って魔術を放つ。
    「『ライトボール』!」
     曇天の夜間に突然現れた強い光に、アペックス兄弟は幻惑される。
    「う、っ……」「目、目がっ」
     視界が失われ、互いの投げたナイフはキャッチされること無く四方に散乱する。
    「畜生、ナイフが……! こうなりゃ肉弾戦だ!」
    「早まるな、バイ! 視界が戻るまで距離を……」
     ホンが止めるが、バイは虎耳でエルスの位置を察したしく、まっすぐ突っ込んできた。
    「よし」
     エルスはバイの拳をかわし、がら空きになった胸倉と腰布をぐいとつかんで、体をひねりながら足払いをかける。
    「しまっ……」
    「……で、ダブルノックアウトだ」
     倒れ込んだバイの胸倉をつかんだまま、エルスはぐりんと回転し、投げ飛ばした。
    「……ッ!」
     ようやく視界が戻ってきたホンの眼前に、弟の顔が迫ってきた。

     もつれ合って建物の壁に突っ込み、暗殺者兄弟が動かなくなったのを確認し、エルスは安堵のため息を漏らした。
    「……ふう」
     エルスは高見台に置いてきたトマスの無事を確認しようと振り向き――もう一度、今度はがっかりしたため息を漏らした。
    「……はあ。まだ、頑張らなきゃいけないみたいだね」
     エルスの前に、先程のアペックス兄弟のように、フードで顔を隠したエルフが立っていた。

    蒼天剣・氷景録 6

    2010.05.22.[Edit]
    晴奈の話、第557話。狙われた司令。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. グリーンプール港と市街の境、エルスたちのいる作戦本部。「作戦完了まで残り8時間、か」「夜も更けてきた……」 エルスとトマスの二人は高見台に昇り、港の様子を眺めていた。「銃声が随分少なくなったね」「最初に用意した弾が切れたらしい。まだ備蓄はあるはずだから、全滅ってことはないだろうけど」「していたら、とっくの昔にここまで攻め込...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第558話。
    王とは何か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     戦いが始まって、6時間が経過した。

     北海第4島、スタリー島。
    「どうだ、戦況は」
    「依然、正面突破はできていないわ。北端・南端からも返事は返ってこない。市街地に送ったリロイ暗殺班も、戻ってないわ」
     ドールの報告に、フーは腕を組んでうつむいた。
    「そうか。目処は立ちそうなのか?」
    「目処?」
    「グリーンプールを落とせそうなのか、って意味だ」
    「何でそんなコト……」
     ドールの問いに、フーは静かな眼差しで答える。
    「もし成功しない、無駄に終わったってんなら、全員が犬死にするってことだ。それは、いいことか?」
    「……そりゃ、よかないケド」
    「ドール。俺がなんで、戦いを主導してるか分かってるよな?」
    「ええ、まあ。アランに好き勝手させたくないんでしょ?」
    「そう、あの悪魔にこれ以上、皆を嬲り者にされたくないんだ」
     フーの言い回しに、ドールは首をかしげた。
    「嬲り者?」
    「考えてもみろ。あいつが参謀に復帰して以降、『ヘブン』では何が起こってた?」
    「……ま、確かに。アンタが頑張り出すまで、反乱と粛清の繰り返しだったわね」
    「だろ? それで結局戦争は始まらないし、国内の混乱は収まらない、憎まれるのは俺ばっかり。……誰にも、何にも、いいことなんか起こってなかった。
     あいつは目的と、それを達成するための手段とが食い違って、滅茶苦茶なんだ。きっとこの戦いにあいつが出張ったら結局、皆殺しになっちまうだろうな」
    「敵だけじゃなく、味方まで、ね」
    「そうだ。俺はな、ドール」
     フーは真剣な眼差しで、己の信念を説いた。
    「元はどうあれ、今は王様なんだ。
     上に立つ王様が、自分の国のために頑張ってくれてる奴らを見捨てて、見殺しにしてどうする? それが国のため、皆のためになるってのか? 俺は違うと思う。
     王様は皆がいてくれるから王様なんだ。俺を王様でいさせてくれる皆を見殺しにしたら、俺はもう王様じゃない」
    「……テツガク的ねぇ」
     ドールはクスクス笑いながらも、フーの意見にうなずいてくれた。
    「ま、言いたいコトはよぉく分かるわ。それじゃ、状況が悪化し始めたらまた伝えるわ。
     アンタの大事な皆を、少しでも生かすために、ね」
    「……頼んだ」



     北海第5島、フロスト島。
    「……」
     灯りのない、真っ暗な森の中に、アランが立っていた。
    「……ぬるい。あまりにぬるすぎる」
     アランの目には、はるか十数キロ先で戦う同盟軍と日上軍の姿が映っていた。
    「私を差し置いて、己自身で軍を率いての行動が、この体たらくか。
     ……だめだ。まだ、あいつには『王』が何であるか、欠片も理解できてはいないようだ」
     アランはのそりと、森の中から姿を表した。
    「王とは一人であるべきなのだ……!
     一人であるからこそ、貴く。一人であるからこそ、尊ばれる。
     ただ一人であるから、どんなに我侭でも許される。ただ一人であるから、どんなに貪欲でも許される。
     その一人のために民の皆が汗を流し、涙を流し、血を流すのだ。
     その民のことなど、ただ一人の存在たる王が気にかけて、どうすると言うのだ。
     民を愛する王など、民を気遣う王など、あってはならない……!」
     アランは懐から、一枚の金属板を取り出した。
    「民こそは王の玉座である。民こそは王の道具である」
     アランは金属板を手に、氷原へと歩き出した。
    「民こそは王の――食糧である」

    蒼天剣・氷景録 終

    蒼天剣・氷景録 7

    2010.05.23.[Edit]
    晴奈の話、第558話。王とは何か?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 戦いが始まって、6時間が経過した。 北海第4島、スタリー島。「どうだ、戦況は」「依然、正面突破はできていないわ。北端・南端からも返事は返ってこない。市街地に送ったリロイ暗殺班も、戻ってないわ」 ドールの報告に、フーは腕を組んでうつむいた。「そうか。目処は立ちそうなのか?」「目処?」「グリーンプールを落とせそうなのか、って意...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第559話。
    兄妹の死闘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フーによる「トモエ作戦」が開始されてから、6時間が経過していた。
    「どうなってます……?」
     ディーノは周りにいた兵士たちに、戦況を尋ねていた。
    「依然、膠着状態にあるとのことです」
    「そうですか……」
     ディーノたちは現在、交戦中であるグリーンプールの郊外に留まっていた。
     元々、ディーノがミラーフィールドからこちらまで下りて来たのは、リストへある物を渡すのが目的だった。新しい銃技術を考案し、その試験と実用を兼ね、リストに使ってみてもらおうと考えていたのだ。
     ところが街外れで、兵士たちに足止めされてしまった。「トモエ作戦」により日上軍がグリーンプールに現れたため、街への出入りが制限されてしまったからである。
     無理矢理入るわけにも行かず、仕方なくディーノは兵士たちと共に、戦況を見守っていた。
    「こう言う時にこそ、使ってほしかったんですけどねぇ」
    「それが、その新兵器なんですか?」
     兵士の質問に、ディーノは首をわずかにかしげる。
    「あー、新兵器、と言うのとは、ちょっと違うんです。既存の武器にですね、ちょっとプラスすると言うか、補助する道具なんですよ」
    「は、あ……?」
     ディーノの説明が分からず、兵士は狐につままれたような顔を向けた。

     と、別の兵士も狐につままれたような顔をしながら、ディーノに近付いてきた。
    「あの、アニェッリ先生。『頭巾通信』が入っております」
    「え? 僕にですか?」
    「はあ、そうでして」
    「誰でしょう……? 僕がここにいるなんて、どうやって」
    「あ、それはですね、通信している間に、先生のことが話題に上りまして」
    「そうなんですか。それで、誰から?」
    「相手の方は、『話せば分かる』と」
    「はあ……?」
     ともかくディーノは頭巾を受け取り、頭に巻いた。
    「……え? その声……、えっ」
     途端に、ディーノの目が見開かれる。
    「そんな、でも君、……そうなんですか。じゃ、……あ、そうですか。え? ……へえ。それは楽しみですね」
     話しているうちに、ディーノの顔がほころんでくる。
    「じゃあ今、海上に? ……なるほど。……あ、それで僕に? ……はは、ありがとう。分かりました。計算してみます」
     ディーノは頭巾を巻いたまま、兵士に声をかけた。
    「すみません、紙とペンを。弾道計算しなきゃいけないので」
    「弾道、計算?」
    「ええ。戦況を覆す、大きな一手です」
     紙とペンを渡されたディーノは、楽しそうに計算式を並べていった。



     同時刻、グリーンプール港と市街の境。
    「君も、僕を狙ってるのかな」
     エルスは目の前の、フードを被った長耳に声をかける。
    「そうよ」
     声を聞いたエルスの笑顔が薄れる。
    「……その声。まさか、君は?」
    「そうよ、兄さん」
     長耳はフードを取り払う。そこには怒りに満ちた、エルスの実妹――ノーラの顔があった。
    「何年ぶりかしら? 5年?」
    「そのくらい、かな」
    「会いたかったわ」
     ノーラはコートを脱ぎ、体術の構えを取る。その構えはエルスのそれと遜色ない、達人級の気迫を放っていた。
    「嬉しいことを言ってくれるね、ノーラ」
    「……あなたはいつもそう」
     ノーラは地面を蹴り、エルスとの間合いを詰める。
    「いつも軽口ばかり。その口からは、まったく真実を出さない。薄っぺらな台詞ばかり吐く」
    「そんなつもりはないよ」
     ノーラの正拳突きを、エルスは後ろに退きつつ受ける。
    「僕はいつも真面目さ。真面目に答えてるつもりだよ」
    「どこがよッ!」
     正拳突きを止められたノーラは拳を引くと同時に左脚を挙げ、エルスの頭を狙う。
    「父さんが失脚した時、あなたは私に何て言った!? 『僕が付いててあげる』って言ったわよね!?」
     この蹴りも、エルスは紙一重でかわす。ノーラは空振りした脚をそのまま着地させ、軸足にして右脚を挙げる。
    「その後いきなり、無責任に姿を消したのは、どこのどいつよッ!? あなたでしょ!?」
    「それは、まあ、うん」
    「その後私がどんな目に遭ったか、知らないでしょう!?
     毎日、地獄だったわ! どこへ行っても『罪人の娘』『罪人の妹』って! 一々頭に『罪人』と付けられて、嬲られて、蔑まれて、疎まれて!」
     二段目の蹴りが、エルスの右手首をかする。蹴ったとは思えない、ビシッと言う鞭のような音を立てて、エルスの右手首から血が弾ける。
    「……っ」
    「ひどい時なんか、売女扱いよ!? 私は何も、悪いことなんかしてないのに、よ!?」
     ノーラの攻勢は止まらない。
    「それもこれも全部、全部、全部ッ!」
     ノーラは右脚をこれでもかと強く地面に落とし、叩きつけるように踏み込む。
    「アンタのせいよ! この、疫病神ッ!」
     踏み込んだ勢いを背中に移し、そのままエルスに体当たりした。
    「が、ッ」
     エルスの肺や胃、横隔膜、内臓に強烈な圧力がかかり、口から勝手に息と胃液が漏れる。
    (てっ、鉄山靠……ッ)
     ノーラより二周りは重たいはずのエルスが、易々と弾き飛ばされた。

    蒼天剣・晴海録 1

    2010.05.25.[Edit]
    晴奈の話、第559話。兄妹の死闘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. フーによる「トモエ作戦」が開始されてから、6時間が経過していた。「どうなってます……?」 ディーノは周りにいた兵士たちに、戦況を尋ねていた。「依然、膠着状態にあるとのことです」「そうですか……」 ディーノたちは現在、交戦中であるグリーンプールの郊外に留まっていた。 元々、ディーノがミラーフィールドからこちらまで下りて来たのは、...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第560話。
    紳士の戦い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ノーラの攻撃を受けたエルスは地面につんのめりながら、そのままずるずると後ろに飛ばされていった。
    「がっ、かふっ、げ、ぐ、っふ」
     ようやく体が止まるが、呼吸しようにも、肺が広がってくれない。立ち上がることもできず、そのまま咳き込んでいた。
    (ああ、やばいなぁ……。これは予想以上だ)
     倒れたままのエルスに、ノーラは容赦なく蹴りを浴びせる。
    「立ちなさいよ、クズ……ッ!」
    「がっ、うあっ」
     何度目かの蹴りで、エルスは自分の左奥歯と頬骨が折れ、右肩が外れるのを感じた。
    (うう、痛い。まだ呼吸もままならないし、これはちょっときついかもなぁ)
    「ほら、アンタ最強の諜報員だったんでしょ!? 英雄だったんでしょ!?」
     ノーラはピクリとも動かないエルスを、なお踏みつける。
    「その英雄サマが、最強の男が、私にいいようにやられるのッ!?」
    (……何だかなぁ)
     と、地面にへばりついていたエルスが突然消え、ノーラの足が地面を蹴る。
    「い、った……っ!?」
    「ノーラ、君は一体何が言いたいの?」
     いつの間にか、エルスはノーラから2メートルほど離れた場所に立っている。左顔面が腫れ上がっているが、その口からはいつものように軽妙な言葉が飛び出す。
    「僕を馬鹿にしてるの? それとも尊敬してるの?
     英雄サマ、英雄サマって称えながら蹴りを浴びせるって、屈折してるね」
    「い、いつの間に……?」
     エルスは外れた肩を戻しながら、鼻血まみれの顔でにっこりと笑った。
    「確かに僕は、適当なことばかり言っているように見られる。いつもヘラヘラしてるし、口から出るのは軽口ばかりだ。
     だけどね、僕は今まで適当に生きてたことは、一瞬たりとも無い。どんな時だって、何をどうすれば最もいい結果が出るかを考えて、動いている。
     本当は君のことも、央南に連れて行きたかったんだ。だけど運悪く、君は遠出していた。『バニッシャー』の再強奪は急ぎでやらなきゃならないことだったし、僕はそっちを選んだ。
     でも君のことは、いつかどうにかして、迎えに行きたかった」
    「……嘘よ」
     ノーラはきっとエルスをにらみつけ、再度構える。
    「本当さ。そのために、僕は央南での地位を確立した。今こうして、北方で指揮を執っていることこそ、その証明だ。
     僕が何の権力も無い、一兵卒のままであったなら、こうして北方の土を踏むことはできなかっただろう?」
    「……詭弁よ。だったら何で、もっと早く迎えに来てくれなかったのよ!」
     ノーラが再度、間合いを詰める。
    「その点は、本当に心から謝りたい。僕にもっと手腕があれば、もっと早く迎えに来られたのに、と悔やんでいる」
    「口ばっかり!」
     ノーラは下段、上段、中段と、エルスを惑わせるように蹴りを放つ。だが、そのどれもが空を切り、エルスには当たらない。
    「本当さ。信じてほしい。……まあ、何を言っても結果は結果だね。君を助けられなかった」
    「……っ」
     ノーラの何度目かの蹴りがエルスの胸を突くが、ぺた、と軽い音が響くだけに留まる。エルスが後ろに退くことで、威力が削がれたのだ。
    「……ねえ、ノーラ。まだやり直しは効くかい?」
    「えっ?」
    「今ここで、僕を許してほしい。僕のことを許して、僕たちの側に来てくれないか?」
    「なっ……」
     ノーラはエルスをにらみつけるが、声には今までのとげとげしさが感じられない。
    「できるわけ、ない……っ」
    「本当に?」
    「……できない。できないわよ、もう。だってもう、アンタをボコボコにしてる、し……」
    「許してほしいんだ。今までのことは、全身全霊をもって謝る。君の望むことなら、何でもする。
     だから僕を許して、僕に付いてきてよ、ノーラ」
    「……できないッ!」
     ノーラは声を荒げ、両手を突き出した。
    「『サンダースピア』!」
    「……っ」
     ノーラの掌から放たれた雷の槍が、エルスに向かって伸びる。
     だが――。
    「……ぐすっ」
     槍はエルスの頭上はるか上を過ぎ、夜空の彼方へと飛んでいった。
     エルスはそれを見上げもせず、目を赤くしているノーラへ、優しげに声をかける。
    「もう一度聞いていい?」
    「……いいわ」
    「許してくれる?」
    「……逆じゃ、ないの?」
     ノーラはその場に座り込み、グスグスと鼻を鳴らす。
    「私は、アンタの命を狙ったのよ? それを詰問するどころか、『許してくれ』? 逆でしょ、普通……」
    「いや、普通なら」
     エルスはノーラを、そっと抱きしめた。
    「先に悪いことをした方が非難されるはずだろ? だったら僕が許される方が、先ってもんさ」
    「……ばか」

    蒼天剣・晴海録 2

    2010.05.26.[Edit]
    晴奈の話、第560話。紳士の戦い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ノーラの攻撃を受けたエルスは地面につんのめりながら、そのままずるずると後ろに飛ばされていった。「がっ、かふっ、げ、ぐ、っふ」 ようやく体が止まるが、呼吸しようにも、肺が広がってくれない。立ち上がることもできず、そのまま咳き込んでいた。(ああ、やばいなぁ……。これは予想以上だ) 倒れたままのエルスに、ノーラは容赦なく蹴りを浴び...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第561話。
    侍と騎士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「はあ、はあ……」
    「どうだ、猫侍……! 前のような不覚なぞ、取りはせんぞ……!」
     晴奈とハインツの戦いが始まって、既に2時間以上が経過していた。
     ハインツなりに、前回の敗北から学んだらしい。無理矢理に晴奈を追いかけることはせず、長い槍で間合いを取り、晴奈を牽制している。
     晴奈も背が高いため、それなりに手足のリーチはあるのだが、刀では槍の長さには対抗できない。一向に有効打を入れられず、構えたまま動けずにいた。
     と言って、ハインツが優勢だったわけでもない。一瞬でも気を抜けば、晴奈は容赦なく槍を「燃える剣閃」で切り落として仕掛けてくる。そうなれば前回の繰り返しになり、ハインツの敗北は確定してしまう。
     互いに牽制し合い、一向に決着は付かなかった。

    「……う……」
     その合間に、晴奈に倒されたデニスが目を覚ましていた。
    「あ、起きた」
    「峰打ちだもんね」
     横には小鈴と、ストールを脱いだミールが座っていた。
    「峰打ち? ……くそう、カッコよすぎるぜ」
     デニスは上半身を起こし、頭を抱える。
    「大丈夫、デニス?」
    「ああ。肋骨が折れてるみたいだけど、それ以外は何とも」
    「治療してあげなさいよ、ミールちゃん」
    「んー……」
     いつの間にか仲良くしている二人を見て、デニスが呆れる。
    「おいおいミール、何してんだよ。敵だぞ、そいつ」
    「んー……、でも、悪い人じゃない」
    「んふふ、デニス君」
     小鈴はニヤニヤしながら、デニスの額をつつく。
    「こーんな可愛いカノジョ、心配させちゃダメでしょ」
    「う……、うるせえ。敵に心配される筋合い、ねーよ」
     顔を真っ赤にしたデニスに、小鈴はもう一度ニヤリと笑う。
    「いーじゃん。もう戦線離脱したんだし、敵も味方もないわよ」
    「……だなぁ。相手が悪すぎた」
     デニスは武具を脱ぎ、ミールの治療を受ける。
    「んー……、『キュア』。んー……、痛くない、デニス?」
    「大丈夫、効いてるよ。……折角、300万溜まると思ったのになぁ。悪いな、ミール」
    「んーん、デニスが無事ならいい」
    「んなこと言ったって、これでようやく土地と家が買えるトコだったんだぜ」
    「いいってば」
     二人の様子を眺めていた小鈴は、ポンと手を打った。
    「んじゃ、さ。アンタらもこっち来れば?」
    「は?」
     小鈴の提案に、デニスは目を丸くする。
    「何言ってんの、アンタ?」
    「ウチのリーダーはいい人だから、二つ返事で入れてくれるわよ。でっかいスポンサー付いてるから、お給料もいいし」
    「給料?」
     金の話になり、デニスの目の色が変わる。
    「……ちなみに聞いとくけど、いくら?」
    「こんくらい」
     小鈴は指で、額を示す。
    「う」
    「あ、アンタら強そうだし、もっと行くかな? こんくらいかも」
    「うっ」
     デニスは小鈴から目をそらし、ミールと小声で話し合う。
    「……いいよな……」「んー……」「半年くらい続くって考えたら……」「いーかも」
    「あと、北方は土地安いわよ。坪当たりの単価、山間部だと央北首都圏の3分の1くらいよ。寒いけどね」
    「ううっ」
    「北方は軍事国だし、傭兵が食いっぱぐれる心配ゼロよ」
    「……もうちょっと、話をさせてくれ」
     二人は再度こそこそと話し合い、揃って小鈴にぺこりと頭を下げた。
    「お話、通しておいてください」
     小鈴はニヤッと笑い、承諾した。
    「いーわよ」

     膠着した状況に、晴奈もハインツも憔悴し始めていた。
    「はぁ……はぁ……」
    「ふう……ふう……」
     互いに相手をにらみ、刃を向け合っている。両者にかかるストレスは、相当なものだった。
    「……ぐっ」
     その重圧に、先に痺れを切らしたのは、ハインツの方だった。
    「でえやああああッ!」
     槍をうならせ、晴奈との間合いを詰めていく。
    「はッ!」
     晴奈も間合いを詰め、ハインツの持つ槍の間合いから外れようとする。
    「させるかああッ!」
     だが、ハインツは一瞬早く、ぐりっと槍を薙いで、晴奈の胴を狙った。
    「甘い!」
     晴奈は刀を地面に突き刺し、くるりと半回転して空中に浮かぶ。槍は晴奈の胴を切り裂くことなく流れ、ハインツの胴ががら空きになった。
    「りゃあッ!」
     晴奈は飛び上がった勢いのまま、両脚を揃えてハインツの脇腹を蹴り飛ばした。
    「ゲボッ……!?」
     ハインツの肋骨がボキボキと音を立てて折れ、口からわずかに血が噴き出る。
     晴奈は静かに着地し、刀をハインツの首に当てた。
    「勝負あったな、シュトルム大尉」
    「く、そっ。吾輩が二度も、同じ相手に後れを取るとは」
    「……いや、お主も相当の腕前だった。ほんの少し手を打ち間違えれば、倒れ伏したのは私の方だったろうな」
     そう返した晴奈の左肩は、赤く濡れていた。

    蒼天剣・晴海録 3

    2010.05.27.[Edit]
    晴奈の話、第561話。侍と騎士。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「はあ、はあ……」「どうだ、猫侍……! 前のような不覚なぞ、取りはせんぞ……!」 晴奈とハインツの戦いが始まって、既に2時間以上が経過していた。 ハインツなりに、前回の敗北から学んだらしい。無理矢理に晴奈を追いかけることはせず、長い槍で間合いを取り、晴奈を牽制している。 晴奈も背が高いため、それなりに手足のリーチはあるのだが、刀では...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第562話。
    氷上の赤エイ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     バリーは荒い息を立てながら、目の前に浮かぶ壮年のエルフをにらんでいた。
    「ふっ……ふっ……」
    「そんなものか、元側近とやら」
     エルフは表情をピクリとも変えず、鎖の付いた分銅を投げつける。
    「ぐっ……」
     分銅はバリーの腹に当たり、バリーは重たくうめく。
    「この『スティングレイ(赤エイ)』の敵ではないな」
     その呼び名の通り、スティングレイは体中のいたるところから、まるでトゲや触手のように分銅を投げつけ、攻撃してくる。
     さらには、己の体も鎖で吊り上げ、空中に浮かんでいた。
    (金属を操るとなるとぉ、磁気を司る土の術ですよねぇ。でもぉ……)
     バリーの背後で構えていたミラは、スティングレイの術を破ろうと画策している。
     しかし、土の術を打ち消せる雷の術を、彼女は習得していない。半ばバリーに任せるしかなく、ミラは回復に専念するしかなかった。
    「く、くそっ」
     バリーも、飛んでくる分銅をどうにかしようと奮闘していた。
     しかし分銅が飛んでくる速さは尋常ではなく、避けるのは難しい。ダメージ覚悟で、体にぶつかった分銅をつかんで引っ張ろうとしても、逆にバリーの巨体が引きずられ、振り回される。

     成り行きを見守っていたルドルフは、スティングレイの働き振りにニヤニヤしていた。
    (いやぁ、80超えてるじーさんとは言え、流石に名前の通った傭兵だなぁ。あのデカブツが、いいようにやられちまってる。こりゃ、期待大だな。
     ……それに引き換え、なんなんだコイツは?)
     ルドルフはバリーのパンチを受けて伸びている、赤毛の魔術師に舌打ちした。
    (魔力は相当なもんだって言うから連れて来たのに、役に立ちゃしねー。連れて来る間も『セイナさん』『セイナさん』ってブツブツつぶやきやがって、気持ち悪いっつーの。
     誰だよセイナって? まさか敵将の、セイナ・コウのことか? だとしたら身の程知らずのアホだな。単騎で敵うわけねーだろ)
     心の中で倒れた赤毛にケチをつけながら、ルドルフは傍観し続けていた。
     と、スティングレイが声をかけてくる。
    「ところでブリッツェン少尉」
    「んあ?」
    「貴君は戦わぬのか? わし一人に任せ切りにするな」
    「ああ、悪い悪い。でも風が強くってさ、俺の持ってる銃じゃまともに弾、飛ばねーんだ」
    「……屁理屈を」
     スティングレイは小さく鼻を鳴らし、バリーの方に向き直った。
    「わしは老体だからな。いい加減、こんな寒い中を浮いているのにも飽きた。さっさと仕事を終えさせてもらおう」
     スティングレイは体中の鎖をすべて外して着地し、バリーに向かって投げつけた。

    「……っ」
     バリーは目を見開き、腕を交差させて防御姿勢を取る。バチバチと、バリーの体中に鎖と分銅がぶつかり、みるみるうちに青アザが広がっていく。
    「ぐ、く……」
    (な、何とかしなきゃ! でもどうしたら……)
     ミラはきょろきょろと辺りを見回しながら、対抗する方法は無いか考える。
    (アタシにできるコトは、水の術と、土の術と、癒しの術くらいですよぅ。その中から、使えそうなのって……)
     だが、見渡しても視界に入るのは、バリーの傷つく姿と、氷原ばかりである。
    (氷が無ければ、海水を水の術で槍にできるんですけどぉ……。土の術も、相手さんの方が強くて、干渉できないですしぃ……。
     ああもう、どうすればいいんですかぁ~)
     と、ミラはスティングレイの鎖が、先程から火花を立てていることに気が付いた。
    (火花……。と言うコトはぁ、ちょっとずつ、ちょっとずつあの鎖、削れてるんですよねぇ? 削れた欠片は、ドコに?
     ……足元、ですよねぇ? あの人の)
     ある作戦を思いついたミラは、そっと土の術を唱える。
    「『グレイブファング』」
    「気が狂ったか、娘」
     ミラの行動に気付いたスティングレイが、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
    「ここは氷の上ぞ? 土などどこにあると言うのだ」
    「土の術はぁ、土じゃなくてぇ、厳密には鉱物とか、金属とかを操る術ですぅ」
    「わしに魔術講義か? そんなことは百も承知だ」
    「……ですからぁ」
     突然、スティングレイの足元の氷にヒビが入った。
    「ぬおっ!?」
    「鎖が削れてできた鉄粉もぉ、操れるんですよぅ。それを小さい針にしてぇ、ヒビを入れるくらいのコトはできると思ったんですぅ」
    「うお、お、おおおっ……」
     ヒビの入った氷はあっと言う間に割れ、スティングレイを極寒の海に引きずり込んだ。
    「……やべっ」
     今だ風は強いままである。対抗手段の無いルドルフは慌てた様子で、その場から逃げ出していった。
    「ま、待て!」「いいですバリー、追わなくて!」
     追おうとしたバリーを、ミラが止めた。
    「それよりもぉ、手当ての方が先ですよぅ。それに作戦も随分、中断してしまいましたぁ。急がないと夜明けまでに間に合いませんよぅ」
    「……そう、だな」
     ミラたちは倒れたままの赤毛と、海に沈んだスティングレイを放って、持ち場へと戻っていった。

    蒼天剣・晴海録 4

    2010.05.28.[Edit]
    晴奈の話、第562話。氷上の赤エイ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. バリーは荒い息を立てながら、目の前に浮かぶ壮年のエルフをにらんでいた。「ふっ……ふっ……」「そんなものか、元側近とやら」 エルフは表情をピクリとも変えず、鎖の付いた分銅を投げつける。「ぐっ……」 分銅はバリーの腹に当たり、バリーは重たくうめく。「この『スティングレイ(赤エイ)』の敵ではないな」 その呼び名の通り、スティングレイ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第563話。
    防衛戦、佳境へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     明け方が近付く頃、兵士たちの疲労はピークに達していた。既に半数以上が氷原から退却し、最終防衛線である港に上がり、再度守りを固めようとしている。
     リストも持っていた銃弾を撃ち尽くしていたため、港で補給を受けていた。
    「こんだけあれば、まだ十分戦えるわ。ありがと」
    「あの、チェスター指揮官。お休みになっては?」
     再び戦いに赴こうとするリストを、補給兵が引き止める。
    「もう9時間以上、戦い通しです。これ以上は……」
    「これ以上? まだできるわよ」
    「いいや、リスト」
     そこに、顔面に大きな湿布を貼ったエルスがやってきた。
    「目にクマができてる。顔色も悪い。今は興奮で疲れを忘れてるだけさ。そのうちにドッと、疲れの波が押し寄せてくる。休んだ方がいいよ」
    「……そうね。否定はしないわ。多分コレ終わったら、バタッと倒れちゃうでしょうね」
    「休みなよ。幸いと言うか、戦いは現在、膠着状態にある。今なら30分くらい、小休憩が取れる。それくらい休めば、多少はすっきりするはずさ」
    「ん、分かった。……ところでエルス」
     そこでリストが、エルスの顔面について尋ねてきた。
    「どしたの、その顔? 何で戦線に出てないアンタが負傷してんの?」
    「ま、ちょっとね」

     港の北端。
    「……ん、了解了解」
    「通信頭巾」で南端との連絡を取っていた小鈴が顔を挙げる。
    「邪魔が入ったけど、今んトコ順調だってさ。んで、簡単に氷を割るいい方法も教えてもらったわ」
    「そうか」
     晴奈たちが守る北端側も、ハインツたちを退けて以降は積極的な攻めが行われず、術士隊による砕氷作戦は順調に進められていた。
    「司令本部によれば、敵は正面突破一本に絞ってきたそーよ。こっちにいた敵も、そっちの方に集まってるみたい」
    「と言うことは、我々の仕事は大方終わったわけか」
    「そーなるわね。ま、後はじっくり腰を据えてましょ」
    「ああ」
     と、小鈴の説得で寝返った賞金稼ぎ二人も、晴奈たちの元にやってくる。
    「お茶入りました、タチバナさん、コウさん」
    「ん、ありがと」
     小鈴に大口の仕事と土地を紹介してもらえるとあって、二人は小鈴に愛想よく振舞っている。
    「……まあ、助けになるからいいが、腰の軽い奴らだな」
    「いーじゃん。悪いヤツらじゃないし」
    「そうだな」

     南端。
    「いい感じですねぇ」
     スティングレイとの戦いでヒントを得たミラは、銃士たちに頼んで火薬を集め、それを土の術で細長い針に変形させ、それを縦に発火・爆発させることで立て続けにヒビを入れ、割ると言う方法を考案した。
     これにより、想定していたよりももっと早く作戦遂行ができると判断し、ミラは北端の術士隊にも同様の方法を伝えていた。
     そして現在、ミラたちの眼前には横一線に、針状になった火薬を差した、細い穴が並んでいた。
    「後は、コレを爆破させるだけですねぇ」
    「そう、だな」
     二人は安堵のため息を、ほっとつきかけた。
     と――。
    「……っ」
    「な、……んだ?」
     薄闇の向こうから、何かが歩いてきていた。
     その赤い何かは、あまりにも禍々しいオーラを放っていた。



     時間は1時間前にさかのぼる。
    「……ぷはっ!」
     氷原の割れ目から鎖が飛び出し、続いてスティングレイが這い上がってきた。
    「し、死ぬかと、思った」
     彼はガチガチと歯を震わせながら、何とか氷原の上に戻ってきた。
    「わ、わしとしたことが、ま、まさかあんな手に、してやられるとは」
     体をこすり、暖を取ろうとしたその時だった。
    「……うん?」
     未だ倒れたままの、赤毛の魔術師の横に、フードを被った何者かが屈み込んでいた。
    「さあ、目覚めろ。王の糧となるために」
    「……っ、……ぁ、……ぃっ」
     赤毛の背中には、紫色に光る金属板が突き立てられていた。
     魔術に長けたスティングレイには、その金属板に彫られている絵が魔法陣だろうと言うことは分かったが、何が起ころうとしているのかまでは推測できなかった。
    「何を……、している?」
    「うん?」
     フードの男が立ち上がり、スティングレイを見る。
    「丁度いい。こいつで、己の力を試してみるがいい」
    「……ハイ……」
     背中に金属板を突きたてられたまま、赤毛は立ち上がった。
     その瞬間、スティングレイの全身に、極寒の海中に沈んだ時以上の怖気が走った。
    「なんだ……こいつは……!?」
    「……ア……ウア……」
     赤毛はまるで操り人形のように、かくんと右腕を掲げた。
    「……~ッ!」
     スティングレイは全身の鎖を前方に集め、防御姿勢を取る。
    「……がはッ……ば……馬鹿な……このわしが……」
     だがその鎖は粉々に割られ、化物のような爪の生えた赤毛の右腕が、スティングレイの胸に深々と突き刺さっていた。
    「さあ行け、王の奴隷。奴らを一人残らず、殺せ」
    「……ハイ……」
     赤毛は掲げたままの右腕からずるりとスティングレイの体を降ろし、ズルズルと音を立てて歩き始めた。

    蒼天剣・晴海録 5

    2010.05.29.[Edit]
    晴奈の話、第563話。防衛戦、佳境へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 明け方が近付く頃、兵士たちの疲労はピークに達していた。既に半数以上が氷原から退却し、最終防衛線である港に上がり、再度守りを固めようとしている。 リストも持っていた銃弾を撃ち尽くしていたため、港で補給を受けていた。「こんだけあれば、まだ十分戦えるわ。ありがと」「あの、チェスター指揮官。お休みになっては?」 再び戦いに赴こ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第564話。
    魔獣の呪。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「で、まーたお前は負けて戻ってきたのか。連れて行った傭兵にも裏切られて」
    「……面目ありません」
     ブルー島、救護所。
     包帯でぐるぐる巻きにされ、横になっていたハインツの前に、フーが呆れ顔で立っていた。
    「つくづく運がねーな、お前。腕はいいのになぁ」
    「……うう」
    「ま、じっくり休んで傷、治しといてくれや。何だかんだ言っても、お前は俺に付いてきてくれるしな。頼りにしてるんだぜ、これでも」
    「ありがたき、幸せです……」
     ハインツを元気付けた後も、フーは救護所を回って兵士たちに声をかけ続ける。その間にも、フーはドールに現状を確認していた。
    「戦況はどうなってるんだ?」
    「良くないわね。北端はさっき伝えた通り。南端も、ルドルフ君と兵士数人だけで、ボロッボロになって逃げ帰ってきたわ。
     リロイを狙った『前鬼後鬼』とノーラは戻ってこないし、コッチが送った刺客は全滅でしょーね。
     今は残ってる兵士を集めて、正面突破に切り替えてる最中よ」
    「そっか。……参ったなぁ。奇襲作戦、うまく行くかと思ったんだけど」
    「ええ。まさか『銀旋風』が裏切り、凄腕の『スティングレイ』もやられるなんてねぇ。この分じゃ、ノーラたちもやられちゃったかも」
    「うーん……」
     救護所を一通り回ったフーは自室に戻り、頭を抱えてうなる。
    「正面突破が成功する可能性はどれくらいだ?」
    「五分五分ってトコね。相手側が考えてる砕氷作戦のリミットは、日の出と海水温度の上昇を考えれば後、2時間半くらいでしょうね。それまでに港を制圧できれば、アタシたちの勝ちなんだけどね」
    「2時間半か。皆の疲労を考えれば、厳しいところだな」
    「どうする、ヒノカミ君?」
    「……そうだな。その2時間半を、俺たちとしてもリミットとしよう。それまでに制圧の目処が立たなけりゃ、撤退しよう」
    「ん、伝えとくわ」
     ドールはうなずき、トテトテとした足取りでフーの部屋を離れた。
     一人になったフーは机に突っ伏し、悪態をついた。
    「……くそっ。やっちまったか」
     頭を抱えてうなるが、失敗したことは取り消せない。
    (どうすっかな……。うまく行けばそのまんま攻めてくだけだけど、負けたらかなりきついな。兵士の皆も、大きく士気を落とす。それを引き上げ直して再度戦いに行かせるってのがもう、至難の業だ。
     そもそもこの戦争、負けたら大損、勝ってもうまみは少ない。そう言う戦争なんだよな。何でこんなこと、しなきゃいけねーんだ? つくづくロクなことしやがらねーな、アランは)
     重たいため息をつき、フーは顔を挙げた。

    「……っ」
     いつの間にか目の前には、そのろくでもない男――アランが立っていた。
    「フー。戦況は思わしくないようだな」
    「ああ。……だから何だ? 『責任とって王様辞めろ』とか言うつもりか? だったら大歓迎だけどな」
    「そんなことを言うものか。お前は純然たる王なのだ。地位として王にあるのではない」
    「知るか。……で、何の用だ?」
     フーの問いに、アランは懐から金属板を取り出して答えた。
    「これをある傭兵に取り付けた」
    「何だそれ?」
    「人間を魔獣にする代物だ」
    「……は?」
     言っている意味が分からず、フーは聞き返す。
    「人間を、魔獣に? 何言ってんだ?」
    「そのままの意味だ。今頃、一匹のモンスターが戦場に現れている頃だろう」
    「……モンスターに、か。元に戻せるのか?」
    「いいや」
     アランは何を言っているのか、と言いたげな様子で答える。
    「一度モンスターになってしまえば、そのままだ。本能の赴くまま、破壊の限りを尽くすだろう」
    「……それを、お前がやったってのか」
     フーの頭に、ドクドクと血が昇ってくる。
    「人間をモンスターにして、けしかけたってのか」
    「そうだ。今頃は、絶大な効果を……」「ふざけんなあああッ!」
     フーは怒りに任せ、アランを殴り飛ばした。
    「何考えてんだ!? 兵士を前後見境の無い化物にして、特攻させたってのか!?」
    「……そうだ。効果はあるのだぞ。何を怒る?」
    「これが怒らずにいられるかッ! てめえ、自分が何をやったか分かってんのかッ!?」
    「ど、どうしたのヒノカミ君!?」
     フーの剣幕に驚いたドールが、部屋に入ってくる。
    「こいつが、兵士をモンスターに変えて戦場に送ったって言ったんだ!」
    「……マジ?」
     これを聞いて、ドールの顔色が変わる。
    「たった今、正体不明のモンスターが南端に現れて、敵味方構わず襲ってるって連絡、入ってきたのよ。何ソレって思ってたんだけど、……本当、なのね」
    「ほら見ろ、アラン! 何が絶大な効果だ! 味方まで殺してるって言ってるんだぞ!」
    「それがどうした? すべては作戦成功のためだ。多少の犠牲など、戦争には付き物だろう?」
    「……何が作戦だッ」
     フーは再度アランを蹴り倒し、部屋を出た。
    「作戦は中止だ! 今すぐ、モンスター討伐に切り替えろ!」
    「えっ? えっ?」
    「そんな敵味方構わず皆殺しにするようなモノ使ってまで、成功させる意義のある作戦なんてあるわけねえッ! やめだ、やめ! それよりもケジメをつける!
     こんなことが皆に知れ渡ってみろ――俺は王様どころか、世界最大の罪人だ!」

    蒼天剣・晴海録 6

    2010.05.30.[Edit]
    晴奈の話、第564話。魔獣の呪。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「で、まーたお前は負けて戻ってきたのか。連れて行った傭兵にも裏切られて」「……面目ありません」 ブルー島、救護所。 包帯でぐるぐる巻きにされ、横になっていたハインツの前に、フーが呆れ顔で立っていた。「つくづく運がねーな、お前。腕はいいのになぁ」「……うう」「ま、じっくり休んで傷、治しといてくれや。何だかんだ言っても、お前は俺に付い...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第565話。
    総員集合。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     エルスの指示に従い、ゆっくりと茶を飲んでいたリストの元に、血まみれの伝令が駆けつけた。
    「た、大変です! モンスターが!」
    「モンスター……?」
    「現在港南端で暴れており、敵・味方問わず死傷者が多数発生しています!
     とても日上軍と交戦を続けられる状態ではなく、敵兵士は既に撤退! 残った自軍で撃退しようと、戦闘が続いています!」
    「……何だか良く分かんないけど、ヤバいのね?」
    「はい! 私も、攻撃を受けまし……」
     と、伝令の口が止まる。
    「……っ」
     次の瞬間、伝令は大量の血を吐いて倒れた。
     その背中には、真っ赤な爪跡が深々と付けられていた。

    「怪物だと……!?」
    「一体、何が?」
     北端でも、この異様な報告は伝えられていた。
    「敵は撤退したと言っていたな。周りに潜む気配もなし。……ならばここを離れ、南端に向かっても問題はあるまい」
    「ええ。あたしは作戦続行するから、頼んだわよ」
    「相分かった。皆の者、向かうぞ!」
     晴奈も兵士を引き連れ、南端へと向かった。

    「何なんだ、コイツはッ!?」
    「ひい、いいっ……」
     突如現れた真っ赤な怪物によって、港南端は修羅場と化していた。
    「……ウ……アア……」
     最初は辛うじて人間らしい形を残していた怪物だったが、時間が経つにつれてより獣らしい形状を帯び、その爪と牙で次々に兵士たちを惨殺していく。
    「わ、わああーッ……」
    「ひっ、ひ、っ、……」
     ある者は体を二つに裂かれ、ある者は首から上が弾け飛び、またある者は腹を割かれ、見るも無残な姿に変えられていく。
     対人戦闘に慣れた兵士たちも、この地獄絵図には呆然としていた。
    「……逃げろ! 逃げるんだ!」
    「しかし敵が……」
    「どこにいるって言うんだ! もうあいつらも逃げた! 俺たちも……」「ダメですぅ!」
     及び腰になる兵士たちを、バリーの手当てをしていたミラが一喝した。
    「あの赤い怪物、このまま放っておいたら港に来ちゃいますぅ!
     アタシたちがぁ、ココで止めなくてどうするんですかぁ!? グリーンプールの皆、殺されちゃいますよぅ!?」
    「……そ、そうだっ」
    「逃げてどうする……!」
    「だ、だけど」
    「どうやって倒せば……!?」
     兵士たちは逃げるのをやめたが、打つ手が無く遠巻きに囲むことしかできない。
     と、怪物が両手を挙げ、ぼそっとつぶやいた。
    「……ウ……ウア……『ハルバード……ウイング』……」
     極太の風の槍が、兵士たちに向かって飛んで行く。
    「ぐはあ……ッ」
    「ごばッ……」
     離れていた兵士たちも、真っ赤な肉塊に変わっていく。
    「ひい、ひいい……」
    「だ、ダメだ……勝てない……」
     兵士たちの顔に、絶望の気配が色濃く漂った。

     その時だった。
    「……ア……ウッ……?」
     怪物のこめかみから、ほんのわずかだが血しぶきが弾けた。
    「……えっ?」
     きょとんとする兵士たちの目に、体中のあちこちから血しぶきを漏らす怪物の姿が映る。
    「……銃撃?」
    「まさか、こんな強風の中で……」
    「……いや、あの人なら」
     兵士たちは一斉に、港の方に顔を向ける。そこには皆の期待通りの人間が、膝立ちで銃を構えていた。
    「アンタら、動くんじゃないわよ! 当たっても知らないわよ!?」
    「チェ……」「チェスター指揮官!」
     リストは怪物に向かって、立て続けに「ポプラ」の引き金を絞る。ルドルフが「撃てない」と諦めた強風の中、銃弾は見事に怪物の体へと飛んで行った。
    「おお……」
    「当たってる……!」
    「……すっげ」
     この攻勢に、兵士たちも戦う気力を取り戻す。
    「援護するんだ!」
    「チェスター指揮官を守れ!」
     兵士たちは武器を怪物に向けたままそっと後退し、リストの周囲に集まる。
    「お守りします!」
    「……ありがと!」
     リストはそれに応えるように、さらに弾を放った。

     そして氷海の向こう側からも、バタバタと兵士がやってきた。
    「チッ……、また来やがった」
    「……あれ?」
    「でも、モンスターの方に向かってないか?」
    「みたい、だな……?」
     迫ってくる敵兵の先頭には、フーの姿があった。
    「それ以上港に迫るんじゃねえッ! この俺が相手になってやる!」
     これを見て、同盟軍はどよめく。
    「……え」
    「あれって、ヒノカミ元中佐じゃ」
    「敵の総大将自らって、どう言うことなの……」
     唖然とする兵士たちに構わず、フーは「バニッシャー」を振り上げて怪物に襲い掛かった。
    「うりゃあッ!」
    「……ア……ギッ……」
     剣は怪物の胸に突き刺さり、真っ赤な血が噴き出す。
    「やった、か……!?」
    「……いや、まだだ!」
     それでも怪物は止まらず、腕を振り上げる。
    「うぐ……ッ」
     フーはその腕になぎ倒され、氷原を滑る。
    「あのヒノカミがぶっ飛ばされた……」
    「やばいって、やっぱり」
     一方、リストの方も――。
    「……くっ」
    「ポプラ」の銃身は真っ赤に灼け、チリチリと音を発している。これ以上弾を撃てば、暴発しかねない状態だった。

     だが、それでも怪物は倒れない。状況は一向に好転せず、絶望的な空気を誰も拭えない。
    「……あっ!」
     と、北の方からも兵士たちと、それを率いる晴奈がやって来た。
    「コウ指揮官だ!」
    「すまぬ! 待たせたな、お主ら! 私が相手をするッ!」
     晴奈は駆け出し、怪物の前に躍り出た。
    「そこの怪物! この黄晴奈が相手だッ!」
     と、怪物の体がビクッと揺れる。
    「……セイナ……サン……」
    「……何?
     ……! その顔……、まさか」
     怪物の、まだ辛うじて人間の名残を残す顔を見て、晴奈はゴクリと息を呑んだ。
    「……雨宮、か?」

    蒼天剣・晴海録 7

    2010.05.31.[Edit]
    晴奈の話、第565話。総員集合。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. エルスの指示に従い、ゆっくりと茶を飲んでいたリストの元に、血まみれの伝令が駆けつけた。「た、大変です! モンスターが!」「モンスター……?」「現在港南端で暴れており、敵・味方問わず死傷者が多数発生しています! とても日上軍と交戦を続けられる状態ではなく、敵兵士は既に撤退! 残った自軍で撃退しようと、戦闘が続いています!」「……何...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第566話。
    晴奈の一分。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     晴奈は確かに、その顔に見覚えがあった。

     央北を旅し、殺刹峰を探していた頃。
    ――ファンだから――
     その青年は、敵として晴奈の前に現れた。
    ――一目見た時から、いえ、あなたの伝説を聞いた時から、ずっとずっと好きでした!――
     半ば偏執的に、その青年は晴奈に告白してきた。
    ――始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言います――
     しかし結局、その想いに晴奈が応えることは無く、彼はそのまま投獄された。



    「……何故貴様が……」
    「……ウ……ウウ……セイナ……サン……」
     怪物となったレンマは、ヨタヨタとした足取りで晴奈に近付いてくる。
    「……」
    「……ウー……アー……」
     その醜い姿に、晴奈はめまいを覚える。
    (一体何故、奴がここにいる? そして何故、怪物と成り果てた? 何もかもが分からぬ)
     と、晴奈の横に、弾き飛ばされていたフーが戻ってきた。
    「コウ、コイツを知ってるのか?」
    「……ああ。人間だった頃の、奴はな」
    「そうか。……聞いてくれ」
     フーは小声で、晴奈に真相を告げた。
    「俺の側近のアランが、アイツをモンスターにしちまったんだ」
    「何……?」
    「アランは滅茶苦茶だ……! 味方をムチャクチャにして、敵を、……いいや、かつて俺の同僚だった奴らを皆殺しにすることを、征服することだと、王としてやるべきことだと言ってやがるんだ」
     フーは悔しそうな表情を浮かべ、晴奈に頼み込んだ。
    「これは俺の責任だ。俺に、討たせてくれ」
    「それは、……呑めぬ」
     晴奈も、小声で返す。
    「彼奴は私に討たれたがっている。そう……、感じるのだ」
    「え……?」
    「今こうして対峙している間、奴は己の体を抑え、目で訴えかけてきていた――自分を、殺してくれと」
    「……分かった」
     フーは一歩、後ろに退く。
    「すまない、コウ。よろしく頼んだ」
    「ありがとう」
     晴奈は刀を抜き、レンマに近付いた。
    「雨宮。私が……、相手、だ」
    「……ウ……ン……」
     レンマはすっと、両手を挙げる。
    「『火刃』」
     晴奈の刀に、炎が灯る。
    「……行くぞ!」

     恐らく、レンマの自我は既に消えかかっていたのだろう。戦い始めてから、二度と晴奈の名を呼ぶことは無かった。
    「グ、アアアアッ!」
     両腕を千切れんばかりに振り回し、晴奈に襲い掛かる。晴奈はそれをかいくぐり、「燃える刀」で袈裟切りにする。
    「アアア、……ガアッ!」
     だが、一太刀、二太刀程度では倒れない。依然力一杯に、腕を振り回す。
    「……りゃああッ!」
     晴奈も紙一重、紙一重で攻撃をかわし、懸命に斬り付けていく。両者の戦いを、周囲の全軍は固唾を呑んで見守っていた。
     と、フーは率いてきた軍に、静かに号令をかける。
    「……スタリー島に戻るぞ」
     戻っていくフーに、兵士たちは従う。
    「……アラン……」
     帰途に着いたフーは側近の名を、憎々しげにつぶやいた。
    「絶対許さねえ……! 今度と言う今度は、アイツに愛想が尽きた」
     横に並んで歩いていたドールは、不安げな表情でフーの顔を見ていた。

     そして、日の差し始めた頃。
    「ふっ……ふっ……」
     レンマの攻撃を何度も避け、流石の晴奈も顔や腕に、うっすらと爪痕が付き始めている。だがレンマの方はそれ以上のダメージを受けており、その体中に幾筋もの刀傷・火傷が深々と付けられている。
     後一太刀、二太刀で決着が付こうかと言う状態になり、晴奈はレンマに向かって叫んだ。
    「……雨宮! これで仕舞いだッ!」
     晴奈は「蒼天」に、あらん限りの気を込める。
    「『炎剣舞』ッ!」
     レンマの周囲が、真っ赤に燃え上がる。その炎は足元の氷を溶かし、やがて完全に液化させる。
    「グ……ウア……アア……アー……」
     レンマはそのまま、海中に沈んでいった。
    「……さらばだ、雨宮」
     晴奈はレンマが沈んでいった海に背を向け、刀を納めた。

    蒼天剣・晴海録 8

    2010.06.01.[Edit]
    晴奈の話、第566話。晴奈の一分。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 晴奈は確かに、その顔に見覚えがあった。 央北を旅し、殺刹峰を探していた頃。――ファンだから―― その青年は、敵として晴奈の前に現れた。――一目見た時から、いえ、あなたの伝説を聞いた時から、ずっとずっと好きでした!―― 半ば偏執的に、その青年は晴奈に告白してきた。――始めまして、コウさん。僕の名前はレンマ・『マゼンタ』・アメミヤと言い...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第567話。
    軋む心。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     戦闘開始から12時間が経ち、作戦終了時刻がすぐそこまで迫っている頃――。
    「大丈夫、セイナ?」
    「……」
     港に戻り、休憩を取っていたリストは、同じく休憩室で休む晴奈に声をかける。だが、反応は返ってこない。
    「セイナ?」
     もう一度声をかけたところで、晴奈が顔を挙げた。
    「……ん。何だ?」
    「顔色、めちゃめちゃ悪いわよ」
    「……ああ。そうだな、あまり気分は良くない」
     晴奈はカップを抱えたまま、どんよりとした目で話し始めた。
    「あの赤い怪物。聞けば、元は央北で投獄されていた、雨宮蓮馬と言う魔術師だったそうだ」
    「央南人? 同郷だったの?」
    「いいや、名前こそ央南風だが、実際は別の国の人間だと言っていた。……以前に、会ったことがあったのだ」
    「へぇ……?」
     晴奈はカップの茶を一息に飲み、話を続ける。
    「その時も奴は敵方だったが、私に惚れていたと告白された」
    「は? 敵なのに?」
    「おかしな話だろう? 挙句、『投降して妻になってくれ』と抜かす始末だ。気味が悪すぎて即、断ったが。
     ……それでも、だ。私のことを、慕っていてくれたのだ。その、慕ってくれた者を私は、自らの手で、斬り捨てた」
    「そう……」
     かしゃ、とカップの割れる音がする。見ると、晴奈がカップを落とし、顔を両手で覆っていた。

    「……もう、御免だ」
    「セイナ?」
    「……リスト。私は心に決めたことがある」
     晴奈は顔を覆ったまま、ぽつりとつぶやいた。
    「……この戦争が終わったら、私は二度と戦わない」
    「え?」
    「もうこれ以上、人を斬っていくのは耐えられぬ。もうこれ以上、業を背負いたくないのだ」
    「業、……って、何言ってんの? アンタほどの剣士が、そんなコト言うなんて……?」
    「……私が、まだ若い、少女の頃の時分は」
     晴奈は顔から手を離し、真っ赤になった目を向ける。
    「信条の相容れぬ『敵』とは単に戦う相手であり、それ以外の選択肢など無いと、そう考えていた。敵の素性など、考えもしていなかった。私の目には敵はただ、『敵』と名の付けられた物体でしかなかった。
     だが敵方であったウィルと知り合い、親しくなってからの日々は、とても心地良いものだった。価値観の違う者と出会い、語らい、遊び、仲が深まるにつれ、私はそれまで感じたことの無い楽しさ、喜び、温かみをひしひしと感じていた。
     だが奴が死に、復讐すると誓ってから、私の中に重たく、苦々しく、冷たいものを感じずにはいられなくなった。その存在はまさに『修羅』である私――戦いを欲し、戦いに明け暮れ、戦いによって己の心身を削っていく、私が忌避しつつ、その一方で、私を縛り付けていた、もう一人の私だったのだ」
    「……」
    「だが、死から蘇り、夢の内で白猫からの赦しを得て、その『修羅』はどこかに去って行ってくれた。そう、思って、いたのだ。
     しかし……! しかし、つい今しがた、私がやったことは……っ」
     晴奈の目から、つつ、と涙がこぼれる。
    「修羅、そのものだ……! 戦うことでしか物事を解決できぬ、愚かな生き方だ!
     そんな生き方はもう、こりごりだ。これ以上私は、修羅の道を歩みたくないのだ。
     もう私には、戦える気力が無い」
    「……そう……」
     リストは沈みきった瞳で見つめてくる晴奈に、何の言葉もかけられなかった。



    「準備、整いましたよぉ~!」
     グリーンプール沿岸の氷を割り、日上軍を退ける作戦は、最終段階に入った。
     氷原には針状に加工された火薬が一列に差し込まれ、南端から北端まで一直線に並んでいた。
    「後は、火ぃ点けるだけね」
     北端から作戦を進めてきた小鈴も、ようやくミラと合流することができた。
    「ですねぇ。……じゃあ、早速行きますよぉ!」
     ミラは術士隊に命じ、並んだ火薬に火の術をかけさせる。
    「3……、2……、1……、発破ぁ!」
     火はしゅるる……、と火薬に向かって伸び、間を置いて爆発し始めた。バン、バンと言うけたたましい音が、南北の二手に伸びていく。
    「うまく行け……、うまく行け……!」
     小鈴は両手を合わせ、祈る。
    「大丈夫、きっと……!」
     ミラも固唾を呑んで、成り行きを見守る。
     やがて爆発は港の両端に達し、すべての火薬が燃え尽きた。
    「……」
    「……」
    「……えっ」
     だが――。
    「割れた、けど……」
    「こんなん、ひょいと乗り越えたらおしまいじゃない!」
     爆発はたった数センチ程度しか、氷に亀裂を入れることができなかった。
    「ダメ、だったか……!」
     小鈴は顔をしかめ、その場に座り込んだ。

    蒼天剣・晴海録 9

    2010.06.02.[Edit]
    晴奈の話、第567話。軋む心。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 戦闘開始から12時間が経ち、作戦終了時刻がすぐそこまで迫っている頃――。「大丈夫、セイナ?」「……」 港に戻り、休憩を取っていたリストは、同じく休憩室で休む晴奈に声をかける。だが、反応は返ってこない。「セイナ?」 もう一度声をかけたところで、晴奈が顔を挙げた。「……ん。何だ?」「顔色、めちゃめちゃ悪いわよ」「……ああ。そうだな、あまり...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第568話。
    海の晴れる時。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     皆が落胆し、絶望しかけたその時だった。
    「コスズ、ミラ少尉、みんなそこから離れて!」
     エルスが港から、大急ぎでやって来た。
    「え?」
    「そこは危ない! 早く!」
     一体何が起きるのか分からなかったが、ともかくエルスの指示に従い、そこにいた全員が港へ戻る。
    「何なの? まだ氷は……」
    「それを今からやるのさ。
     6時間くらい前だけど、『通信頭巾』で僕の方に、連絡が入ったんだ。最新鋭の軍艦が、こっちに向かってるってね」
    「軍艦? でも氷海の中じゃ……」
    「うん。確かにその軍艦は現在、凍結した海域の手前にいる。でも海戦のために来てもらったんじゃない」
     エルスがそこまで説明した時だった。
     ズガンと言う、とんでもない爆音が沖合いから聞こえてきた。
    「な、何?」
    「砲弾さ。あれを撃ち込んで、氷を割るのさ。
     まったく、スケールがでかいことをさらっとやってくれるね、金火狐の総帥は」

    「おぉ、ズバズバ割れとりますわ」
    《良かった。計算、ピッタリだったんですね》
     ヘレンの歓声に、ディーノが頭巾越しにほっとした声を送った。
     北方近海まで来ていたヘレンは通信により、この作戦を伝え聞いていた。しかし、魔術や少量の爆薬でどうにかなるか、エルスにも確証は無かった。そんなエルスの不安を聞いたヘレンは、「砲弾を撃ち込み、その衝撃で割れないだろうか」と提案した。
     勿論、滅多やたらに撃ち込むだけでは穴が空くばかりで、大した効果は得られない。そこで偶然グリーンプール郊外に来ていたディーノの知恵を借り、効果的な砲撃を計算してもらっていたのだ。

     この作戦は功を奏し、やがて港全体に、ビキビキと氷の割れる音が響き始めた。
    「海が……、割れる」
    「すげえ……」
     港にいた兵士たちは、感嘆の声をあげる。
    「……やった!」
     港と氷の間は500メートルを裕に超え、人が渡れる状態ではなくなった。勿論、「ヘブン」からの軍艦も、この距離では進めない。
     歓喜の声が、港中に響き渡った。
    「さあ、これだけで終わりじゃないよ」
    「え、まだぁ?」
     呆れる小鈴に、エルスはピンと人差し指を立てる。
    「このまま放っておいたら、また凍って人が乗れるようになるからね。その前に、鉄柵やら何やらを敷いて、侵入不可能にしておかなきゃ」
    「後一踏ん張りってコトね」
    「そう言うこと」



    「うっ……、うっ……」
     全兵士が防衛成功に歓喜し、事後の作業に取り掛かってもなお、晴奈は港の休憩室で一人、沈んでいた。
    (私はまた、人を斬った……。どうすればこの業から、抜け出せる……?)
     晴奈の脳内は後悔と慙愧の念で乱れ、思考はひたすら暗がりへと落ち込んでいく。
     と、遠慮がちなノックの音が、休憩室の中に響く。
    「セイナ、いる?」
     トマスの声だ。
    「……っ」
     晴奈は慌てて涙を拭き、喉を鳴らす。
    「ん、んん、……ああ、ここにいる」
     晴奈が応じると、そっとドアを開けて、トマスが入ってきた。
    「ごめんね、休憩中に」
    「ああ、いや。構わない。何か用か?」
    「えーと、その、さ。君が落ち込んでるって、リストから聞いたんだ」
    「……そうか」
     晴奈はトマスから顔を背けようとする。だが、トマスは背けた方に回り込み、晴奈の顔を見つめてきた。
    「な、何だ?」
    「泣いてた?」
    「……泣いてない」
     晴奈は顔を伏せ、トマスの視線から逃れようとする。それでも、トマスは追及をやめようとしない。
    「泣いてたよね? 目、真っ赤だよ」
    「……泣いてなんか」
     と、トマスが突然、晴奈の肩をぎゅっと抱きしめてきた。
    「……えっ」
    「セイナ。前に君自身が言ってたじゃないか。僕の側で、休ませてほしいって」
    「……」
    「ゆっくり、休んでよ。今ならみんな忙しいし、こっちには来やしないさ。……あ、それより」
     トマスは立ち上がり、ドアに鍵をかけた。
    「これで心配ないよ。さ、休んで」
    「……ああ」
     今度は、晴奈の方がトマスに抱きついた。
    「ありがとう、トマス。……一人でいるより、心が落ち着く」
    「そりゃそうだよ」
     トマスは冗談めかして、こう返した。
    「『修羅』は他人と相容れられない。ってことは、他人の温かみを知らないんだよ。
     二人でいれば、そんなの寄ってきやしないさ」
    「……うん」

    蒼天剣・晴海録 10

    2010.06.03.[Edit]
    晴奈の話、第568話。海の晴れる時。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. 皆が落胆し、絶望しかけたその時だった。「コスズ、ミラ少尉、みんなそこから離れて!」 エルスが港から、大急ぎでやって来た。「え?」「そこは危ない! 早く!」 一体何が起きるのか分からなかったが、ともかくエルスの指示に従い、そこにいた全員が港へ戻る。「何なの? まだ氷は……」「それを今からやるのさ。 6時間くらい前だけど、『...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第569話。
    王と参謀の決裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    11.
    「ヘブン」のトモエ作戦は、失敗に終わった。
     かつて巴景が実証したように、凍った海の上を歩き、北方大陸に到達することは確かに可能だった。
     しかし、その重厚長大な氷を割ると言う、想定外の上に想定外を重ねた奇策により、ついに日上軍は北方の港を制圧することはできなかった。

     これにより、スタリー島に駐留する日上軍の士気は、大きく下がっていた。
     中でも、最もやる気を失ったのは――。
    「アラン。お前にはもう、うんざりだ」
     フーはアランを自室に呼びつけ、今回の凶行を糾弾していた。
    「お前には人間は、ただの家畜くらいにしか見えてないみたいだな」
    「……」
    「皆殺しにしてもいい。自分のための糧。どうなろうと知ったこっちゃ無い。そう思ってることが、今回の戦いでハッキリした。
     もうお前とは、縁を切る」
    「ほう?」
     怒りに燃え上がるフーに対し、アランは冷静な口調で返す。
    「私と縁を切って、どうしようと言うのだ?」
    「決まってる。鎖国状態を解き、断絶した各国との関係を回復するんだ。お前抜きでな。
     それから反乱や戦争で荒廃した『ヘブン』を復興させる。お前抜きでな。
     そしてその先のことは全部、俺が主導で行う。お前、抜きで、な」
    「三度も言わずとも聞こえている」
    「なら理解したよな。出てけ」
     部屋の戸を指差したフーに対し、アランは微動だにしない。
    「……聞こえてるんだろ?」
    「ああ」
    「出てけ」
    「……」
    「出てけって言ったろ?」
    「……」
    「出てけッ! 今、すぐにだッ!」
     フーはアランの胸倉をつかみ、体をゆする。
    「これ以上お前が関わると、何もかも滅茶苦茶になっちまうんだよ! 人は死ぬ、国は傾く、誰も彼も不幸になるッ!
     もうお前に付き合ってなんかいられねーんだよ、この疫病神がッ!」
     フーはアランの顔のすぐ前で叫んだが、アランに反応は無かった。
    「……っ」
     フーはアランの胸倉から手を離し、背を向けた。
    「出てけよ、もう……!」
    「いいのか?」
     と、アランが立ち上がる。
    「これから私が行うことを聞かずして、放逐していいのか?」
     アランのその一言に、熱くなっていたフーの頭は一転、冷水をかけられたように凍りついた。
    「……何をする気だ?」
     振り向いたフーの目に、レンマをモンスターに変えた金属板をアランが抱えている姿が映る。
    「……まさか、てめえ」
    「お前が私を放逐するならば、今から私は単身グリーンプールに向かい、これを住民や兵士に使う。ここには6枚の魔法陣がある。
     6体のモンスターが、敵陣を闊歩するのだ。効果的だろう?」
    「……気ぃ狂ってんのか、アラン。俺の軍から放逐された後で、何故そんなことをする?」
    「私はお前を王にするために存在する。であれば、お前の敵となる存在を消すことが、私にとって最優先事項だ」
    「俺が、お前と縁を切っても、か」
    「そうだ」
     フーはこの返事に、とてつもないめまいを感じた。
    (ダメだ、コイツは……! 悪魔だ、どこまでも……ッ!
     俺が本当に、世界を支配する王になるまで、どこまでもコイツはついてくる。それこそ、命すらかけて。
     放逐しても離れない。殺しても死なない。一体俺は、どうすればコイツから離れられるんだ……!?)
    「フー」
     アランが声をかける。
    「もっと効果的な方法が、ウインドフォートに納められている。こんなちっぽけな魔法陣よりも、もっと効果のあるものがな」
    「……あ?」
    「今はまだ、氷に阻まれている。年が明け、小舟で上陸できるようになった頃に、ウインドフォートに向かい、それを発動させよう」
    「……ノーと言ったら?」
    「先程提示した作戦を開始する」
    「……つまり、無闇にモンスターを暴れさせたくなかったら、大人しくお前に従え、と? 脅迫だな、まるで」
    「脅迫? 私がお前を?」
     そのまま、フーとアランは無言で向かい合う。
    「……行け、ってことだな」
    「私としては、それが望ましい」
    「分かった」
     フーはアランに背を向けたまま、ギリギリと歯軋りを立てた。
    (くそっ……! くそっ……! くそっ……!
     どうにかできないのかよ……っ! こいつをこのまんま、放っておいたら……! 世界がおかしくなっちまう……!
     誰か、どうにかしてくれ……っ!)
     フーは心の中で、悲痛な叫びを上げていた。

    蒼天剣・晴海録 終

    蒼天剣・晴海録 11

    2010.06.04.[Edit]
    晴奈の話、第569話。王と参謀の決裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -11.「ヘブン」のトモエ作戦は、失敗に終わった。 かつて巴景が実証したように、凍った海の上を歩き、北方大陸に到達することは確かに可能だった。 しかし、その重厚長大な氷を割ると言う、想定外の上に想定外を重ねた奇策により、ついに日上軍は北方の港を制圧することはできなかった。 これにより、スタリー島に駐留する日上軍の士気は、大きく...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第570話。
    未来への展望。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「トモエ作戦」以後、ジーン王国と「ヘブン」との戦いは、事実上の休戦状態が続いていた。
    「ヘブン」は氷の上を進むと言う作戦を二度繰り返そうとはせず、ずっとスタリー島に駐留し続けていた。一方で王国軍側も、港前に防衛線を敷いたものの、それ以上の活動は行わず、軍備を蓄え、訓練を行うことに専念していた。

     よって、年明けからの3ヶ月――平和な日々が、続いていた。



     山間部、ミラーフィールド。
    「さ、さ。遠慮しないで」
    「ども」「いいんですか、本当に?」
    「銀旋風」コンビは、ディーノの家を買うことになった。
     ディーノの先導に恐縮する二人の背後から、小鈴がニヤニヤしながら声をかける。
    「いいんじゃない? 先生、もうこの家引き払うって言ってるんだし」
    「え?」「なんで」
    「去年の戦いの時、奥さんと復縁したのよ。戦争終わり次第、央中に帰るんだってさ」
    「そうだったんですか」「おめ」
     ぺこりと頭を下げるデニスとミールに、ディーノは顔を赤らめながら手を振る。
    「いや、そんな。まあ、その、元々一人暮らしをするための家ですから、若いご夫婦さんだとちょっと手狭になってしまうかも知れませんけど」
    「ちょ、ちょ、まだ俺たち、そんなんじゃ」
     顔を真っ赤にするデニスに、小鈴が突っ込む。
    「またまた。どーせこの家に住み始めたら、そのうち結婚するつもりでしょ?」
    「……ん、まあ、……うん」

     王国首都、フェルタイル。
    「またこの家に帰るなんて、思わなかった」
     エルスとノーラは、幼い頃自分たちが住んでいた家を訪れていた。
     エルスたちの母は7年前に亡くなっており、父も行方知れずになってしまっていたため、家は荒れに荒れていた。
    「ここは今、誰の手にも渡ってないし、僕は使わない。君にあげるよ」
    「でも、今さらこの家に戻ったって……」
    「いいじゃないか」
     エルスは色あせた椅子に座り、にっこりと笑う。
    「やり直してみようよ。何の苦労も無かった、昔に」
    「……そうね。頑張って、みようかな」
    「うん。……おわっ」
     エルスの座っていた椅子が、バキ、と音を立てて折れ、エルスがひっくり返った。
    「あいたた……」
    「……クスっ」
    「あはは、やっと笑ってくれた」



     そして――同市、トマス・ナイジェルの屋敷。
    「穏やかだな……」
    「そうだね」
     トマスと二人きりでソファに座っていた晴奈は、トマスの肩に寄りかかっていた。
    「温かいな……」
    「……ぷっ」
     突然、トマスが笑い出す。
    「ん?」
    「何だかセイナ、おばーちゃんみたいだよ」
    「なっ」
     晴奈は目を見開き、トマスを軽くにらむ。
    「誰がおばーちゃんだ」
    「だって、僕のところに来ては『温かいなー』『安らぐなー』って」
    「……うーん。言われてみればそうだな」
    「毎日そんなんじゃ、がくっと老けこんじゃうよ?」
    「何を言うか」
     晴奈はばし、と自分の腕を叩く。
    「鍛錬は欠かしてない」
    「……そっか。でもさ」
     トマスは晴奈にきょとんとした顔を向ける。
    「戦うの、嫌って言ってなかった? なのになんで、戦いに結びつくことを?」
    「……ああ。確かにもう、戦うのは辛い。でも日々の鍛錬を怠ると、どうにも体がうずく。やらずにはいられないんだ」
    「習慣、か。君はずっと、戦ってきたんだもんね。
     ねえ、セイナ。この戦いが終わったら、どうするの?」
    「……どうしようか、ずっと悩んでいる」
     晴奈はソファにもたれかかり、額に手を当てる。
    「でも、一つだけはっきりしていることはある。戦いをやめても、私は刀を置かない。生涯、剣士であり続けるだろうな」
    「戦いたくないのに? なんで?」
    「剣士が皆、殺伐と暮らしているわけじゃない。道場を開き、若い者を道に誤らせないよう鍛え、教えている者もいる」
    「道に? どう言うこと?」
    「何度も話した、篠原と言う者の話だが――奴は慢心と欲情のために堕落し、渇望と欲望にまみれた人生を送っていた。優れた剣士だったのに、だ。
     技量と才能にあふれる人間を、正しく導くことができたなら。篠原のように獣道に迷い込むことなんか無く、素晴らしい人生を送れるだろう。いいや、正しく生きればどんな人間でも、幸せに生きていられるはずなんだ。
     私は後輩の剣士たち、剣士になろうとする者たちが正しい道を進んでいけるよう、教えていきたいんだ」
    「ふーん……。それじゃセイナは、先生になりたいんだね」
    「先生? ……そうか。そうだな、それは先生、なんだな」

     晴奈の脳裏に師匠・雪乃の顔が浮かぶ。
    (そうだ……。師匠も、『わたしは生涯刀を置かない』と宣言していた。そして今、私がやりたいと思ったことを、師匠は今なお続けている。
     ああ……。やっぱり師匠は、私にとって最も尊敬すべき方なんだな)
     師匠のことを思い、トマスに指摘されたことを省みたその時、晴奈の心はこれまでになく満たされた。
    (私は生涯、師匠に憧れるんだな。……そうか、そうだったんだ。
     私が目指していたのは――師匠だったんだ。あの、強く、りりしく、かっこいい剣士。
     私の目標は焔雪乃師匠、そのものだったんだ。
     ……ははっ、今さらだな。今さら、そんなことに気付くなんて)

    「……あの、さ。セイナ」
     思いふけっていたところに、トマスが真面目な、赤い顔をして口を開いた。
    「その、先生になるって言う夢、僕は応援するよ。……で、でもさ、その、……僕にも、協力させてほしいなって言うか、側で見ていたいなって言うか、……いや、あの」
    「……ん? 何が言いたいんだ、トマス?」
     晴奈がきょとんとした顔をトマスに向けた、その時だった。
     玄関の扉が、慌てた様子でノックされた。

    蒼天剣・獄下録 1

    2010.06.06.[Edit]
    晴奈の話、第570話。未来への展望。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「トモエ作戦」以後、ジーン王国と「ヘブン」との戦いは、事実上の休戦状態が続いていた。「ヘブン」は氷の上を進むと言う作戦を二度繰り返そうとはせず、ずっとスタリー島に駐留し続けていた。一方で王国軍側も、港前に防衛線を敷いたものの、それ以上の活動は行わず、軍備を蓄え、訓練を行うことに専念していた。 よって、年明けからの3ヶ月――平...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第571話。
    両女傑、向かう。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     トマスが扉を開けると、慌てた様子の兵士数名と、信じられないと言いたげな顔をした小鈴、苦笑しているエルスの姿がそこにあった。
    「お休み中、大変失礼いたします!」
    「いいよ、休み中声をかけられるのには慣れてる。で、どうしたの?」
    「沿岸部、ウインドフォートが襲撃を受け、ヒノカミ元中佐と思われる人物が侵入した模様です!」
    「襲撃? ……おまけにフーが侵入? ……まだ、氷は割れてないはずだよね」
    「はい、辛うじてグリーンプール―央南航路は巡航を再開したばかりですが、『ヘブン』から向かえる航路は依然、凍結中です。しかしウインドフォート郊外の岸に小型舟艇があったことから、恐らく少数で氷海を迂回し、襲撃したものと思われます」
    「……意味が分からない。何故今になって、自分たちが捨てた拠点に? しかも小型舟艇だといいとこ、12、3名くらいしか上陸できないし、何でそんなことを……?」
    「まったくもって不明、だねぇ」
     エルスは肩をすくめ、苦々しく笑う。
    「とにかく向かうから、セイナを呼んできてくれ。もし本当にフーが来ていたのなら、決着させられるかも知れないからね」
    「分かった。呼んでくるよ」

     トマスは居間に戻り、晴奈に声をかけた。
    「セイナ。今……」「ああ、聞こえていた」
     晴奈はすっと立ち上がり、小さくため息をついた。
    「……これが最後の戦いになればいいんだが」
    「そうあってほしいね。……まあ、いくらなんでも敵の総大将が単身渡るなんて、まず有り得ない話なんだけど」
    「そうだな。……トマス」
     晴奈は真面目な顔になり、トマスに尋ねた。
    「さっき、何を言おうとしていた?」
    「へ?」
    「私が先生になりたいと言った、その矢先。『協力させてほしい』と、言わなかったか」
    「……あ、うん。でも今、そんな話」
    「いいから教えてくれ、その先に何を言おうとしていたのか」
    「……僕もさ、央南に住むことにした。リロイみたいに。だからさ、君とはずっと一緒にいられる。君が央南で道場を開くなら、僕はそれを、ずっと手助けできるよ。
     だからさ、だから……、ずっと、一緒にいたいんだ。戦争が終わっても、央南に戻っても、ずっと」
    「それは、……求婚と、受け取っていいのか」
     晴奈は自分で、自分の顔が赤くなっているのが分かった。恥ずかしさで逃げ出しそうだったが、懸命にこらえてトマスの顔を伺う。
     トマスも、先程にも増して真っ赤な顔をしていた。
    「……うん。きゅ、求婚だ」
    「そうか。……なら、……じゃあ」
     晴奈はトマスに歩み寄り、彼の体をぎゅっと抱きしめる。
    「……その」
     晴奈はトマスの肩に首を乗せ、つぶやいた。
    「帰ってきたら、ちゃんと、言葉で返事する。だから待っていてくれよ、トマス」
    「……もちろんさ。必ず帰ってきてくれよ」

     晴奈には直感があった。
     このウインドフォートでの戦いが、自分にとって最後の戦いになると。
     即ち――アラン、そして巴景との戦いに、決着が付けられると確信していたのだ。



     同日、昼。
    「やっぱり、寒いですね」
    「そりゃ、『雪と星の世界』だしね」
     巴景と明奈は、グリーンプールに到着していた。
    「戦争中のはずですけど、どう見ても平和そのものですね」
    「まだ海が凍ってる時期だもの。戦争なんてやってるわけが、……と思ったけれど」
     巴景は港に目を向け、フンと鼻を鳴らした。
    「やったみたいね」
    「えっ?」
    「この時期に、港に防衛線が敷かれてるわ。来たのね、日上が。
     大方、私がやったことをそのまんま真似したんでしょうね」
    「どう言う意味ですか?」
    「ま、昔の話だし。
     それよりも、晴奈よ。まだ訓練中でしょうから、グリーンプール基地にいるわね、きっと。さっさと行って、決着付けましょ」
     そう言って巴景は明奈の手を引き、基地へと向かった。
     基地に着くなりすぐ、立番していた兵士が目を丸くした。
    「ほ、ホウドウさん!?」
    「あら? 私を知ってるの、あなた?」
    「え、ええ。昨年までウインドフォートに配属されてたので。てっきり元中佐と海を渡ったものと思ってましたが」
    「色々あったのよ」
    「そ、そうですか。……それでホウドウさん、どうしてここに?」
    「黄晴奈と果たし合いに来たのよ。どこにいるの?」
    「コウ指揮官なら、フェルタイルの方に」
    「首都に? 訓練中じゃないの?」
    「いえ、理由は不明ですが、そちらにいるとのことです」
    「ふーん」
     それだけ聞いて、巴景は踵を返して立ち去ろうとした。
    「あの、ホウドウさんでしたっけ」
     と、別の兵士が声をかけてきた。
    「何?」
    「コウ指揮官ですけど、ウインドフォートの方に招集されたそうですよ。今朝方、軍本部から連絡が入りました」
    「へぇ……?」
     巴景はその兵士から、フーがウインドフォート砦に侵入したらしいと言う情報を入手した。
    「じゃあ、晴奈は日上を討つため、そっちに向かったってことね」
    「ええ」
    「ありがと。……さ、急ぐわよ明奈。朝連絡が入ったってことは、もう晴奈は到着してるかも知れないし」
    「あ、はい」
     巴景は明奈の手を引き、ウインドフォートへの街道へと急いだ。

    蒼天剣・獄下録 2

    2010.06.07.[Edit]
    晴奈の話、第571話。両女傑、向かう。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. トマスが扉を開けると、慌てた様子の兵士数名と、信じられないと言いたげな顔をした小鈴、苦笑しているエルスの姿がそこにあった。「お休み中、大変失礼いたします!」「いいよ、休み中声をかけられるのには慣れてる。で、どうしたの?」「沿岸部、ウインドフォートが襲撃を受け、ヒノカミ元中佐と思われる人物が侵入した模様です!」「襲撃? ...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第572話。
    地の底へと。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「一体何だったのだ、あの大木は?」
    「俺たちのいない間に、サプライズパーティでもやってたんでしょーかね」
    「ソレにしちゃやり過ぎよ。アレじゃヒノカミ君の部屋、グチャグチャでしょうね」
    「ま、捨てた部屋だからいいけどな」
    「……」
     ウインドフォート、砦内地下。
    「しかし何でまた、こんな牢屋の中に?」
     フーとアランに同行するルドルフが、腑に落ちない様子で尋ねてくる。
    「てっきり俺は、軍備でも奪うもんかと」
    「いいや、必要な物は下にあるのだ」
     アランはそれだけ答え、先を急ごうとする。と、続いてドールも質問をぶつけてきた。
    「下に? この牢屋のあるフロアが、最下層じゃないの?」
    「いいや」
     アランは再度歩を止め、それに答える。
    「この下にも秘密裏に、ある施設を造っているのだ。そこに、目的の物がある」
    「秘密裏に? 吾輩たち側近も知らぬものを、ですか」
    「そうだ」
    「……」「……」「……」
     アランの回答に、側近たちは皆憮然とした表情を浮かべる。
    「俺も聞いてないぞ、アラン」
     そんな彼らよりも一層苛立っていたフーが、アランにとげとげしい語調で尋ねる。
    「何故この軍閥のトップだった俺にすら、そんな重大なことを伝えなかったんだ?」
    「……」
    「答えろよ」
     何度か尋ね、ようやくアランが答える。
    「知っていたら、どうした?」
    「封印するに決まってんだろ。モンスターをそんな、滅多やたらに作られてたまるかってんだ」
    「だろう? だから言わなかったのだ」
     そこでアランは説明を切り、それ以上何も言わなくなる。
     その態度がさらに、フーたち4人を怒らせていた。



     フーたちが侵入した日の夕方、晴奈たち一行はウインドフォート砦前に到着していた。
    「状況について、もう一度説明をお願いできるかな?」
    「はい。本日早朝、ヒノカミ元中佐及び、その側近と思しき者たちが正面より現れまして。抵抗したのですがあえなく突破され、現在その行方を捜索している状態です」
     報告に、エルスは首をかしげる。
    「どう言うことかな? 占拠したとか、そう言うことじゃなくて、ただ侵入しただけ?」
    「はい。現在、砦内のどこにも、元中佐の姿は発見できておりません」
    「ふーん……?」
     砦内に通された晴奈たちも、フーの私室や側近の寝室、武器庫など、それらしいところを回ってみたが、フーの姿はどこにも見当たらなかった。
    「もう既に出た、ってコトはないわよね?」
     エルスは砦の見取り図を眺めながら、小鈴の問いに答える。
    「無いと思うよ。門番の数は増員されてるから、正面からの脱出は難しいだろうし、砦内の軍艦ドックからも、船は出てない。それ以外の脱出路は、無いらしいし……」
     と、エルスの言葉が途切れる。
    「……ん?」
    「どしたの?」
    「ちょっとコスズ、これとこれを見てみて」
    「え?」
     エルスに2枚の見取り図を渡された小鈴は、少し見て首をかしげた。
    「……合わないわね」
    「だろ?」
    「どう言うコトですかぁ?」
     尋ねてきたミラに、エルスが答える。
    「この、地下2階の見取り図。砦全体の見取り図と合わせて見てみると、微妙に一部屋、一部屋の大きさが合わないんだ。
     その微妙なズレをつなげてみると、長細い空間が浮かび上がってくる」
    「……つまり?」
    「牢屋と貯蔵庫以外の、別の区画が地下に存在している可能性が高い。地上階のどこにもいないって言うなら、そこしかない」

     エルスの読み通り、地下牢をくまなく捜索したところ、隠し扉を発見することができた。
     中を覗くと、積もりに積もったほこりの上に、点々と足跡が残っている。
    「ここだ。……皆、準備は万全かな」
     エルスの言葉に、全員が無言でうなずく。
    「じゃあ、行こう」
    「ああ」エルスの後に、晴奈が続く。
    「いよいよ、って感じね」小鈴も晴奈の横に並んで続く。
    「……」リストは無言で腰に提げた銃を撫で、歩き出す。
    「離れないでくださいよぅ」「ああ」最後に、ミラとバリーが続いた。
     隠し通路は、途中まではレンガ造りの長い通路だったが、奥にあった階段を半ば降りた辺りから洞窟状の場所につながっていた。
    「……暑い……」
     洞窟の中は、外とは打って変わって煮えたぎるような熱気がこもっている。
    「これは……、もしかして」
     そして、硫黄のような臭いも立ち込めている。
    「どうやら、地下の水脈とつながっていたみたいだ。気を付けて、この暑さと湿気からすると……」
     そう言ったエルスの数メートル前から、ブシュ、と蒸気が噴き出た。
    「……間欠泉や蒸気だまりが、どこにあってもおかしくない。触れたら大火傷じゃ済まないよ」
    「ああ」
     進んでいくうち、一行は大きく開けた場所に出た。
    「……あっ」
     その中ほどに、槍を握りしめたハインツが座っていた。

    蒼天剣・獄下録 3

    2010.06.08.[Edit]
    晴奈の話、第572話。地の底へと。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「一体何だったのだ、あの大木は?」「俺たちのいない間に、サプライズパーティでもやってたんでしょーかね」「ソレにしちゃやり過ぎよ。アレじゃヒノカミ君の部屋、グチャグチャでしょうね」「ま、捨てた部屋だからいいけどな」「……」 ウインドフォート、砦内地下。「しかし何でまた、こんな牢屋の中に?」 フーとアランに同行するルドルフが、腑に...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第573話。
    ハインツの騎士道。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「……貴様らか。待っていたぞ」
     ハインツは立ち上がり、槍を構えてにらみつける。
    「これ以上、進ませはせん。一人残らず、撃退してくれる」
     一方、エルスは静かに声をかけた。
    「シュトルム少尉、……ああ、昇進して大尉になったんだってね」
    「いかにも」
    「僕のこと、覚えているかな」
    「……勿論だ。グラッド、……大尉」
    「お願いがある。このまま、進ませてくれないか?」
    「何を馬鹿なっ!」
     エルスの願いを、ハインツは首をブンブンと振って却下する。
    「吾輩は、陛下より全幅の信頼を寄せられてここの守りを仰せつかっている! 誰一人、通すわけには行かんのだ!」
    「……」
     エルスは一歩、ハインツとの距離を詰める。
    「それが君の本心かい?」
    「……っ」
    「君は本心から、フーの、ヒノカミ陛下のために戦っているの?」
    「も、勿論、だ」
    「それとも、君は君の騎士道を全うするために戦っているのかな」
    「……そうだ! 吾輩はそのつもりで戦っている」
    「それなら」
     エルスはもう一歩、距離を詰める。
    「僕との約束、覚えていてくれてるかな」
    「約束?」
     ハインツの持つ槍が、わずかに揺れる。
    「僕と、ノーラとが、何かしら困った時、助けてくれるって。そう、約束してくれたよね」
    「……うっ」
     ハインツは困った顔をし、一歩退く。
    「それは……、確かにそう、約束はしたが……」
    「今、僕は困っている。フーを、追っているから。いるんだろう、この先に?」
    「……ああ、そうだ」
    「じゃあ、頼むよ。会わせてほしいんだ」
     エルスが一歩進む。ハインツは一歩下がる。
    「お願いする。これは、妹の願いでもある」
    「な、に?」
    「妹は今、フェルタイルの僕の実家に住み、人生をやり直そうとしているんだ。この言葉の意味、ずっと同僚、側近として過ごしてきた君は、分かるよね?」
    「む、うぅ」
    「今まであの子は不幸だった。色んな人からいわれ無き糾弾を受け、心が傷つけられた。だから僕はあの子を今度こそ守ってやって、いい人生を歩ませてやりたいんだよ。
     でもそれには、この戦争が終わることが必須条件だ。戦争が続く限りあの子には、今度は『敵国の人間』と言うレッテルが貼られ続ける。
     また、レッテルなんだ。あの子は色んなレッテルをべったりと貼られて、窒息しそうになってる。
     お願いだ。このまま進ませて、戦争を終えさせてほしい」
    「……」
     ハインツはうつむき、逡巡した様子を見せる。
    「……吾輩は、主君から命じられたのだ。それを、曲げるなど」
    「それは本当に、フーからの命令なの?」
     この言葉に、ハインツは顔を挙げた。
    「……!」
    「今ここに来ているのは、フーと側近、そして参謀のグレイ氏だと聞いた。グレイ氏が、フーを先導しているんじゃないか?
     いいや、これだけじゃない。フーは今まで、グレイ氏の言いなりになって、戦争やら軍閥やら、何から何まで進めてきたんじゃないか?」
    「……確かに、その通りだ」
    「だったらこれは、主君の命令、いや、願いだと言えるのかな?」
    「……」
     ハインツはしばらく、黙り込み――やがて、槍を捨てた。
    「真の騎士、忠臣であるならば、主の口ではなく、心に従うべき、……と聞いた。我が主の真の願いは、戦争を止めることだ。
     ……通れ」
    「ありがとう、大尉」
     エルスたちはそのまま、歩き出した。
    「……大尉。その言葉は、僕も聞いたことがある。28年前に、ね」
    「……うむ」

     空洞を抜けてしばらくして、一行はごうごうと温水の流れる地下水脈に差し掛かった。とは言え温水は道の横を流れており、それを横切る手間は必要なかった。
    「蒸し暑い……」
    「どんどん、下へと下っていくみたいだ。水の流れる方向が、僕らの進行方向と一緒だ」
    「そのようだな」
     やがて流れていた温水は、深い縦穴に落ち込んでいく。一行はまた、開けた場所に出た。
    「よお」
     先程のハインツと同じように、そこにはルドルフが拳銃を二挺抱えて座っていた。
    「ハインツの旦那を破ったみたいだな。俺も、はりきらねーとな」
    「いいや、ブリッツェン少尉。僕らは話し合いで、通させてもらったんだ。君もできれば、穏便に進めさせてほしいんだ」
    「……ふーん」
     だが、ルドルフは銃の安全装置を外し、立ち上がる。
    「嫌だね」
    「え……」
    「大尉をどうやって説き伏せたか知らねーけどな、俺にはアンタらを通す義理はねーんだよ。特にその、青い長耳さんはよぉ」
     ルドルフは銃口をリストに向け、話を続ける。
    「そうか……」
    「ああ、勘違いすんなよ、グラッドの大将。通してやってもいいんだ、別によ?
     ただ、『その女だけは』通させねー。そう言ってるんだ」
    「……つまり、一騎打ちがしたいと」
    「そう言う、こ、と」
     ルドルフは銃をリストに向けたまま、くわえ煙草でニヤニヤと笑う。
    「……いいわ。受けて立つ」
     リストも銃を取り出し、それに応じた。
    「分かった。……それじゃ通させてもらうよ、少尉」
    「おう」
     一行はリストを残し、先へと進んだ。
    「久しぶりだな、リスト」
    「そうね。……で、やるんでしょ?」
    「ああ。俺とお前、どっちの腕が上か……」
     ルドルフは煙草を吐き捨て、拳銃の引き金を絞った。
    「今ここで、ハッキリさせてやらあッ!」

    蒼天剣・獄下録 4

    2010.06.09.[Edit]
    晴奈の話、第573話。ハインツの騎士道。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「……貴様らか。待っていたぞ」 ハインツは立ち上がり、槍を構えてにらみつける。「これ以上、進ませはせん。一人残らず、撃退してくれる」 一方、エルスは静かに声をかけた。「シュトルム少尉、……ああ、昇進して大尉になったんだってね」「いかにも」「僕のこと、覚えているかな」「……勿論だ。グラッド、……大尉」「お願いがある。このまま、進...

    »» 続きを読む

    ▲page top

    晴奈の話、第574話。
    銃士対銃士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     昨年末。グリーンプールの、ディーノとヘレンが宿泊していた宿にて。
     リストはまた、ディーノと会っていた。
    「アツアツね、先生」
    「いやぁ、はは……」
     ディーノの横には、嬉しそうに笑うヘレンの姿がある。
    「それでアンタ、なんでこの子呼んだん?」
    「あ、そうでした」
     ディーノは一瞬席を離れ、一つの箱を持って戻ってきた。
    「何、コレ?」
    「拳銃に使う装置です」
     ディーノが箱を開くと、そこには銃弾を6発つかむ、ドラム状の物体が入っていた。
    「リストさんの使ってる『黄光一〇七号』って、銃弾はGAI―Hシリーズと同じ、9ミリ通常拳銃弾を使ってますよね?」
    「ええ。コレね」
     リストは持っていた拳銃から銃弾を1発抜き取り、拳銃と一緒にディーノの前に置く。
    「ふむ、……うん。確かに、これと同じです。良かった、弾倉の径も一緒ですし、使えそうですね」
    「使えそうって、……この、ドラムに?」
    「いえ、ドラム『が』、ですね。
     ほら、銃の難点って、いくつかありますよね。命中精度とか、魔術に対する飛距離だとか、色々」
    「そうね。後言われるのが、刀剣より威力が劣るとか、再装填がめんどくさいとか」
    「そう、それなんです。基本的に銃は、1発ごとに弾込めしなきゃいけません。弾倉が回転して弾を連続で送れる、この銃みたいなリボルバー式なんてのができましたけど、それでも撃ち尽くしたら5発も、6発も弾を込め直す動作が、必ずいります。
     そこで考えたのが、これなんですよ」



     ルドルフは両手に持った拳銃を立て続けに撃ち、リストを牽制する。
    「オラオラどうした、大銃士さんよぉ!?」
     あっと言う間に、場は硝煙で白く濁る。だが隠れられるほどではなく、依然両者の姿ははっきりと見えている。
    「逃げてばっかりかぁ!? 来いよ、オラッ!」
     ルドルフが左手に持つ銃が立て続けに火を噴き、あっと言う間に6発全弾が撃ち尽くされた。それを確認したリストが、攻勢に移る。
    「じゃ、行かせてもらうわよ!」
     リストも拳銃を構え、ルドルフを狙って撃ち込んでいく。だが、機敏に動き回る両者に、それぞれが放つ銃弾はまったく、かすりもしない。
     あっと言う間に、リストも銃弾を消費した。
    「くっく、それじゃこっちのターンだ!」
     ルドルフは残っていた右手側の銃弾を、リストに向けて放った。リストは転がり、それを辛うじてかわす。
    「……チッ、弾切れか」
     そのまま両者は岩陰に潜み、消費した銃弾を込め直して、相手が出てくるのを待つ。
    (相手は6発×2で12発、コッチは6発。一度に撃てるのはそこまで。……と思わせる)
     リストは再装填を終え、サイドバッグに納めている、ディーノからもらった「ドラム」を布越しにポンと叩く。
    (コレを使うのは、もうちょっと先よ)
    「さあ、準備できたか、リスト!? こっちはもう万全だぜぇッ!」
     ルドルフの叫ぶ声が聞こえてくるが、相手は姿を見せない。見せれば格好の的になるのが分かっているからだ。当然、リストも岩陰から出ようとしない。
    「来ないの?」
     今度はリストが挑発する。
    「お前から来い」
     ルドルフは応じない。
    「あら、あれだけ啖呵切っといて、攻めるのが怖いって? とんだ腰抜け狐ね、アンタ」
    「んだと? じゃあお前が来いよ、口先女」
    「フン」
     リストも、相手の挑発に応じない。
     長い膠着状態の後、同時に両者が飛び出した。
    「この……ッ!」
     ルドルフはリストの足を狙って、全弾撃ち尽くす。その甲斐あってか、1発、2発とリストの脚をえぐり、リストの右腿から血が弾けた。
    「う……っ」
     リストは顔をしかめ、その場に倒れこむ。
    「よっしゃ……!」
     既にこの時、リストも6発全弾を撃ち尽くしていたが、ルドルフには一発も当てられなかった。
     ルドルフは勝利を確信し、弾を込め直さずにリストの側へと近付く。
    「これで決まりだな、リスト。俺の方が、上だ」
    「どう、かしらね」
     リストは上半身を起こし、銃を構える。
    「無駄に虚勢張るなよ。もう空なんだろ、その銃。お前が歯を食いしばって弾を込める前に、俺の方が余裕で弾を込め終わって、その頭を撃ち抜けるんだぜ?」
    「フ、……ン」
     リストは素早く腰のサイドバッグに手を入れ、中から「ドラム」を取り出した。
    「ん……?」
     その物体が何か分からず、ルドルフは虚を突かれる。その一瞬の隙に、リストは弾倉を外し、「ドラム」を押し付ける。
     ルドルフがその「ドラム」の使い方に気が付くより早く、リストの銃に6発全弾が再装填された。
    「あっ……」
     ルドルフは慌てて弾を込め直そうとする。だがようやく1発込め直したところで、リストの銃が火を噴いた。
    「ぎゃ……っ」
     1発目がルドルフの右肩を撃ち抜く。2発目、3発目がルドルフの持っていた銃を弾き、遠くに飛ばす。
    「アタシの方が、上よ」
     残る3発もルドルフの両脚と左手に撃ち込まれ、ルドルフは戦闘不能になる。
    「うぐっ、あぁ……っ」
     リストは右腿を押さえつつ、立ち上がった。
    「……ありがとう、アニェッリ先生。この『クイックローダー』、すごく役に立ったわ」
     リストは左手に持っていた「ドラム」――リボルバーに素早く弾を込められる器械を、サイドバッグにしまいこんだ。

    蒼天剣・獄下録 5

    2010.06.10.[Edit]
    晴奈の話、第574話。銃士対銃士。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 昨年末。グリーンプールの、ディーノとヘレンが宿泊していた宿にて。 リストはまた、ディーノと会っていた。「アツアツね、先生」「いやぁ、はは……」 ディーノの横には、嬉しそうに笑うヘレンの姿がある。「それでアンタ、なんでこの子呼んだん?」「あ、そうでした」 ディーノは一瞬席を離れ、一つの箱を持って戻ってきた。「何、コレ?」「拳銃...

    »» 続きを読む

    ▲page top