黄輪雑貨本店 新館

蒼天剣 第9部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    晴奈の話、第525話。
    傀儡のフー。

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    1.
    「号外! 号外!」
     街中に、新聞とビラが飛び交っている。
    「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」
     ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。
    「またなの……?」
    「もう終わったって言ったじゃないか」
     新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。
    「何を考えているんだ!」
    「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか!?」
     やがてその怒りは熱に換わる。
    「もう放っては置けない!」
    「『ヘブン』の横暴、許すまじ!」
     熱気が街中に伝播し、狂気を帯びていく。
    「『ヘブン』打倒だ! 今こそ、この央北を正すのだ!」
    「おうッ!」
     クロスセントラルの市民たちは手に武器を取り、「ヘブン」の居城、ドミニオン城へとなだれ込んだ。
    「ヒノカミ陛下を倒せーッ!」
    「倒せーッ!」
     だが、その怒号は突然かき消された。
    「ぎゃッ!?」
     突然、暴徒の一人が、胸から血を噴き出して倒れたのだ。
    「な、なん……、ごはッ!?」
     別の暴徒の頭が、粉々になる。
    「ひ、ひい……、ぎゃあああーっ!?」
     また別の暴徒が、突然燃え上がる。
    「に、逃げろ! 殺される!」
     勢いづいていた暴徒たちはあっと言う間に、城の前から消えた。

    「……片付けとけ」
    「はっ……」
     城の窓から様子を見ていたフーは、短く命じてその場を歩き去った。
    (くそ、くそ、くそ……)
     フーは内心、毒づいていた。
     無理矢理に戦争を始めさせたアランに。
    (俺の……俺のことを……何だと……)
     それに追従していった側近たちに。
    (俺は……お前らにとって……王じゃないってのかよ……)
     戦争が始まると知った途端、暴徒と化した民衆に。
    (俺は……何なんだよ……)
     そしてそれを、止められなかった自分に。
    (俺は……道化か? 道化だって言うのか?
     悪魔を倒したのは俺だ。軍を率いたのも俺だ。『ヘブン』を築いたのも俺なんだ!
     それがどうだ! 俺は今、バカみてーなマント羽織って、バカみてーな王冠載せて、バカみてーに『片付けろ』なんて命令してやがる!
     バカだ、バカなんだよ俺は……ッ! 何にも決定権の無い、何も動かすことのできない、ろくでなしの大バカ大王だッ!)
     フーは万物に対し、底知れぬ怒りを覚えていた。
    「アランッ!」
    「どうした」
     呼べばすぐ、アランはやってくる。それだけが、以前と変わらないものだった。
    「兵の数は!」
    「およそ13万だ」
    「13だと!? 以前の調べでは、15万を超えると言っていただろうが!」
    「ここ数日、各地で起きた暴動により、死傷者が出ている。さらに、その事態の収拾に当たらせているため、手の空いている兵士は13万程度になっている」
     それを聞いて、フーの怒りはさらに燃え上がる。
    「はぁ!? 何寝言吹かしてんだ!? そもそもお前が、お前、が! 戦争やるぞっつったんだろうが! こうなるって分からなかったのかよ!?」
    「想定の範囲内だ。13万でも、十分に用は成す」
    「……チッ。じゃあ、戦艦の数は」
    「旗艦6隻に、巡洋艦24隻。駆逐艦10隻。その他諸々を合わせれば、50隻程度の戦力となる」
    「じゃあ、……ああ、もういい。下がれ」
    「分かった」
     アランはすっと、フーの側を離れた。
     と、アランが廊下の角を曲がろうとしたところで、フーはもう一つ尋ねた。
    「アラン」
    「何だ」
    「……俺は何者だ?」
    「王だ。この世界の、頂点に立つ王者だ」
    「本当かよ」
    「それ以外に何だと言うのだ?」
    「偉そうにしてりゃ、それだけで王様か?
     じゃ、お前の方が王様だろ。俺より偉そうにしやがって」
     フーはブチブチと文句を言いながら、自分の部屋へと足を向けた。
    蒼天剣・孤王録 1
    »»  2010.04.15.
    晴奈の話、第526話。
    襲われた王。

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    2.
     城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。
     そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。
    「おい、そこの!」
    「あ、……何、でしょうか」
     門に差し掛かってすぐ、門番に呼び止められるが――。
    「現在、城の出入りは制限されている! 城から出る用件を述べよ!」
    「あ? ……あー、はい、ああ。(よし、全然バレてねーな。まあ、まさか王様がノコノコ門前に来たりするなんて思わねーよなぁ)
     日上陛下より市街の様子を見てきてほしいとの、直々の命令を受けた次第であります」
     元々一兵卒の身であるフーにとっては、これくらいの対応は事前に予測できていたし、応対に関しても、何の問題も無かった。
     フーの答えに納得したらしく、門番は軽く敬礼しつつ応じてくれた。
    「そうか。……まあ、気を付けろ。言うまでもないことだが、城外は危険だからな」
     フーもぴしっと敬礼し返し、門番に礼を述べる。
    「はっ、ご配意いただき、恐縮であります。では、行って参ります」
     こうして難なく、フーは城から出ることができた。

    (ははっ……。ひでー荒れよう)
     自分たちが攻め落とした直後はそれなりに整備・清掃されていたはずの町並みは、今はぐちゃぐちゃに踏み潰されたビラと、あちこちで粛清された者たちの血で汚されていた。
    (これが、俺が王になった結果か。なんて情けねえ)
     市民たちは幾度にも渡る暴動と粛清の繰り返しで、兵士に恐れと、少なからぬ敵意を抱いているのは明らかだった。
     兵卒姿のフーが通り過ぎるのを、誰も彼もが店の奥や窓の裏、裏路地の陰で遠巻きに見つめながら、じっと待っていたからだ。
    (やめときゃ良かったんだ――カツミを倒した時点で戻っておけば、俺は祖国の英雄でいられたんだ。それかトモを更迭するってアランが言い出した時、俺がきっぱりそれを拒否しとけば、戦争やろうなんて話にならなかったはずだ。
     俺は、こんなひでー目に遭わせるために戦ったんじゃない。ましてや、王様になんて)
     フーは道の真ん中で立ち止まり、自責の念に震えた。

     と――。
    「……!?」
     がつっ、と言う音がフーの被っていた軍帽から響き、続いて鋭い痛みが走る。
    「が、……っ」
     ぐらりと視界が歪み、フーの姿勢は崩れた。
    「今だ! 畳み掛けろ!」
    「おうッ!」
     あちこちに隠れていた市民たちが一斉に飛び出し、棒やレンガを手に襲ってきた。
    (ま、まずい……っ)
     頭からボタボタと血を流しながらも、フーは彼らから逃げ出した。
     だが、暴徒の動きは止まらない。
    「逃がすなーッ!」
    「追え! 殺せ!」
    「我々の仇だ、絶対に逃がさないぞ!」
     聞こえてきた怒号に、フーは愕然とする。
    (か、仇だと? 俺が? い、いや、軍か。軍全体、ひいては『ヘブン』が、敵と見られてるのか……。
     わけが分からない。俺たちはこの国を、政争でドロドロになってたこの央北一帯を救うために来たってのに。
     ……違う)
     フーははた、と気付かされる。
    (俺は何のために戦った?
     世界を救うとか、そんなのはアランのたわごと。権力を手に入れるとか、それも俺が望んだことじゃない。
     俺は……、俺は、まったく)
     また、頭にレンガがぶつけられる。
    「う、ぐっ」
     後頭部に命中し、フーの意識は飛び散った。
    (俺は……まったく……俺自身の目的なく……他人の言いなりで……戦った……だけ……)



    「気が付いたか」
    「……!」
     フーが目を覚ますと、そこは城の医務室だった。
    「お、俺は」
    「城下町で教われ、倒れていた。暴動に気付いた軍が鎮圧に向かった際、お前がいるのに気付き、ここまで搬送した。
     何故外にいた? こうなると、分かっていただろうに」
    「分かるもんかよ」
     フーは後頭部をさすりながら、ぼそっと答えた。
    「様子が分からないから、俺は外に出たんだ。お前らだけで、話が進んでたからな。
     それで、……市民はどうなった?」
    「制圧した」
    「……殺したのか」
    「必要なだけは」
    「必要って何だよ?」
     フーは目を剥き、叫んだ。
    「何だよ、『必要』って!?
     殺すなよ! あいつらは本来なら、俺たちが護る相手だろ!? 何で殺す必要がある!? 護ってもらう奴に殺されるって、意味が分かんねーよ!」
    「我々に刃向かったからだ。完全に統制するためには、しかるべき威圧も必要だ」
    「……へっ、『統制』かよ。そうだよな、お前は何から何でも自分の思う通りコントロールしなきゃ気が済まないんだよな」
     フーはベッドから抜け出し、医務室を後にする。
    「軍も、『ヘブン』も、そして俺までも、何もかもを自分の思い通りに動かして、お前は何がしたいんだ?」
     フーは医務室の扉の前で振り向き、アランに尋ねる。
    「お前を王にする。それが私の意志だ」
    「王にして、それから?」
    「……」
     それ以上、アランは答えなかった。
    蒼天剣・孤王録 2
    »»  2010.04.16.
    晴奈の話、第527話。
    王者の矜持。

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    3.
     市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。
     国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。



    「……」
     フーが市街地で襲われて以降、彼の周囲は以前にも増して静かになっていた。
    「……へへ……へっ……」
     フーはその晩も、浴びるように酒を飲んでいた。
     それ以外に、することが無いのだ。政務も、財務も、軍への指揮も、その他諸々、すべてアランと、彼が掌握した側近とがこなしている。
     彼は書類一つ触らせてもらえず、また、前回のように袋叩きに遭うことを懸念された結果、ずっと城の中に閉じ込められていた。
    「俺は一体、何なんだろうな……」
     酒浸しになった脳みそでぼんやり考えるが、思考はまとまらない。
    「あなた……、飲み過ぎよ」
     と、背後からそっと声がかけられる。
    「ランニャか……。何の用だ?」
     そう応え、振り向いた瞬間、ランニャの平手打ちがフーの頬をえぐった。
    「ぐえっ……!?」
    「何の用、ですって? 私に、妃の私に向かって、何て言い方をするの? 私は兵士や側近じゃないのよ? 用がなきゃ、夫のあなたに声をかけちゃいけないって言うの?」
    「お、怒るなよ、ランニャ。……俺が悪かったよ、変な言い方して」
    「……ごめんなさい。私も少し、イライラとしていたから」
     しゅんとなり、耳と尻尾を垂らすランニャを見て、フーの頭も冷える。
    「いや、悪いのは俺だって。……そうだよ、こんな風に、お前まで縮こまらせるような目に遭わせたのは、他でも無い俺なんだから」
    「あなた……」
     目を赤くするランニャを見て、フーは思わず抱きしめた。
    「悪い、本当に」
    「……ねえ、お話があるの」
     ランニャはフーから離れ、一瞬窓に目を向けた。
    「何だ? 改まって」
    「……もう、逃げない?」
    「え……」
     発言の意図が分からず、フーは硬直した。それを察して、ランニャが言葉を続ける。
    「この城から逃げないかと、そう言う意味よ。
     遠慮なく言ってしまえば、あなたはもう『お飾り』でしょう? あなたにはこの流れを……、戦争を止められない。かと言って、戦争に参加しようとも思っていない」
    「その……、通り、だけど」
    「それならいっそ、もう何もかも捨てて、私の国に戻らない?
     あなたが望むなら、前大公である私の力を使って、央中で平和に暮らすことができる。いいえ、ネール公国で重要な地位に就くこともできるわ。私がもう一度、大公に復位して、その片腕となることも」
    「それ、は……」
     フーは答えられず、うつむく。
    「……私はもう、あなたがしおれていくのを見ていたくないのよ。もうこれ以上、この『ヘブン』に未練なんて、ないでしょう?」
     未練、と言われてフーの頭に、何かが瞬いた。
    「未練……?」
     フーは頭の中から酒を払い、深く考え込んだ。
    (そうだ……俺はまだ……)
    「ねえ、フー。一緒に、行きましょう?」
     ランニャが呼びかけるが、フーは答えない。
    (……俺は……日上風。『風』が、流されてどうするんだ?)
    「フー?」
    (俺が、風を流さなきゃダメだ。……少なくとも今吹いてる風は、俺の望みじゃない。
     王様なんだ。俺はこの国を動かせる力がある。そう、力があるのはアランじゃない。俺なんだ!)
    「どうしたの、フー?」
    「……悪い、ランニャ。もう少しだけ、ここに居させてくれ」
    「えっ……」
     意外そうな顔をするランニャの頭を、フーは優しく撫でた。
    「心配するなって。……どうしても、やっておきたいことがあるんだ」



     翌朝、フーは側近とアランを集め、会議の場を開いた。
    「諸君。俺は、何だ?」
    「は……?」
     ハインツはぽかんとする。
    「王、でしょう」
    「そうだ。俺は、この『ヘブン』の王なのだ。であれば、すべての選択権は俺にある。そうだな?」
    「まあ、そうなりますね」
     ルドルフが半ば面倒くさそうに返答する。
    「だから、改めて俺は命じよう。西大海洋同盟に宣戦布告せよ、と」
    蒼天剣・孤王録 3
    »»  2010.04.17.
    晴奈の話、第528話。
    実権再奪取。

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    4.
    「ちょっ……」
     フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。
    「異論があるのか?」
    「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」
    「そうか。おい、連行しろ」
    「え」
     フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。
    「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」
    「な、なに、かんがえてんのよ……」
     ドールは信じられないと言う顔のまま、連行されていく。
    「じゃあ」
     と、ずっとうつむいていたノーラが立ち上がる。
    「私も牢に行くわ。あなたには付いていく気にはなれない」
    「そうか。連れて行け。ドールと同じ扱いをしろ」
     続いて、別の兵士がノーラを連行する。
     静まり返った場に、フーは威圧的な声を投げかける。
    「他に反対する者は? いれば今すぐ言え。言わなければ同意したと考える。
     どうだ? いないのか?」
    「……」
     誰も、何も言わず、静寂が続く。
     それを確認し、フーはふたたび口を開いた。
    「では、会議を再開する」

    「一体どうした? 突然、乗り気になったようだが」
     会議の後、アランがフーに尋ねてきた。
    「思ったんだよ。『このまんまお前に任せて、俺は平然としていられるか?』ってな」
    「意味が分からない。何を言いたい?」
     淡々と尋ねるアランを、フーはにらみつける。
    「お前に何もかもを任せれば、きっと俺の望むような結末にはならない。お前は、何もかもをやりすぎるからな。それも最悪な状況にまで」
    「うん? やりすぎる、とは?」
    「お前は俺や側近が必要だと思う以上に兵士を送り込んで滅茶苦茶に戦火を拡げて、敵も味方も、すべてを見殺しにするだろう。それで遺族から恨まれるのは、誰だ? お前か?」
    「そうではないだろうな」
    「だろう? それは間違いなく、俺になる。
     お前に任せた分の責任は全部、俺が被ることになる。と言って俺が自分で命じても、その責任はお前が負うことは絶対にない。どっちみち、俺が、負うんだ。
     お前に任せても、俺がやっても、結局すべての責任は俺に来る。なら最初っから俺が、全部やりゃいいんだ」
     フーはそこでアランに背を向け、こう続ける。
    「もうお前には何も任せない。俺が全部、指揮する。お前は黙って見てろ」
    「しかし……」
    「二度も言わせるのか? 黙れと言ったんだ」
    「……」
     アランはそれ以上何も言わず、その場を去った。

    「おいおい……、御大、ノリノリだぜ」
    「その様であるな」
     隠れて見ていたハインツとルドルフが、フーの振る舞いに感心していた。
    「ここんところずっと腑抜けになっちまってて、どうなることやらと思ってたけど」
    「やる時はやる、と言うことであろうな」
    「しっかし、スカッとしたなぁ。あのアランが、ぐうの音も出せなかったってのは」
     ルドルフはニヤニヤしながら、その場を離れた。
    「へへへ……、みんなに言いふらしてやろう。久々に御大がアランをヘコましたって」
    「かっか、それは面白い」
     ハインツもニヤリと笑い、ルドルフに同意した。



     フーがアランを叱咤し、事実上の更迭処分を下して以降、「ヘブン」内の風向きが変化した。
     理不尽な制圧・掃討を繰り返したことで軍内から忌み嫌われていたアランが消えたこと、名目上のトップであったフーが実権を取り戻し、明確に指揮を執り始めたことが好判断の材料となり、軍も、そして央北の世論も、次第に「ヘブン」を容認し始めた。

    「やっぱり、やってみて正解だった」
    「そう、ね」
     実権を取り戻して以降、フーは一滴も酒を飲まなくなった。
     フーは素面の状態で、妃と夕食を楽しんでいた。
    「でも不思議ね。あなたが行動した途端、すべてが円満に動き出すなんて」
    「俺は『風』だからさ。俺が動けば、風車も風見鶏も、止まっていたものは全部動くんだ」
    「クス、良く分からない例えね。……でも」
     ランニャはすっと、真面目な顔になる。
    「あなたは、戦争をしたくないんじゃなかったの?」
    「そうさ。したくなんかない。……だからこそ、『やる』と公言したんだ」
    「……? 分からないことばかりね」
     きょとんとする妻を見て、フーはニヤッと笑った。
    「すげー簡単で、単純なことなんだよ。
     例えばさ、俺が兵卒の食糧運搬担当で、全部で100キロ分あるジャガイモを運ぶことになったとする。嫌だなぁと思ってそのままにしてたら、上官から『10キロずつでもいいからさっさと運べ!』って指示されて、10キロ運ばされる羽目になるだろう。
     んでもそうなる前にさ、嫌々でも5キロずつ、5キロずつこまめに運んでおいたら、上官は『ちゃんと仕事してるな』と思って、文句は言わない。全体から見たら10キロを一度に運ばなくて良くなるから、楽もできる。
     何が言いたいかって言うとさ、つまり、悪いことが一度に、でっかく起こる前に少しずつ、少しずつ、こまめに消化して行けば、結果は同じだったとしても、過程はちょっとくらいは楽になるだろってことだよ。
     戦争は最悪の結果になるだろう。きっと、『ヘブン』は負ける。俺も無事じゃすまない。かと言って、止めさせることもできない。それならいっそ、俺がコントロールできるだけコントロールする。
     んで、できるだけ傷つく人を減らしておきたいんだ。俺が痛い目に遭うのは確実としても、俺以外のヤツが少しでも、死なないようにしていきたいんだ。
     俺一人が、責任を取ればいい。巻き込まないで済むヤツは、そのまま巻き込ませないようにしたいんだ」
    「何だか、王様らしくなったわね、フー」
     うなずくランニャを見て、フーは精悍な笑顔を作り、さらに続ける。
    「ランニャ、俺がどうなろうと、お前には何も追及されないようにする。
     ……だからずっと、俺の側にいてほしい。お前がいれば、俺は頑張れる」
    「ええ。付いていきます、あなた」
    「……ありがとよ」



     この後、投獄されていたドールとノーラもフーの意図に気付き、意見を翻した。フーは彼女たちを許し、改めて側近に加えた。
     フーの復活により、「ヘブン」は固い決意の元、西大海洋同盟と戦うことになった。

    蒼天剣・孤王録 終
    蒼天剣・孤王録 4
    »»  2010.04.18.
    晴奈の話、第529話。
    モールの災難。

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    1.
     央中、ゴールドコースト。
    「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」
     人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。
    「……! ったく、身軽にも程があるってね」
     一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。
    「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」
     モールの持つ杖から、ぱぱぱ……、と紫色の光線が飛び散り、もう一方の女に向かって飛んで行く。
    「……ッ」
     女はほとんど声を発さず、剣でその光線を受ける。
    「……うっそぉ!?」
     それを見たモールが、驚いた声を上げる。盤石の自信を持っていた自分の魔術が、どこの誰とも分からぬような相手に跳ね返されたからだ。
    「あ、まず……」
     その一部――光線の一本が、モールに戻ってくる。
    (何なんだってね、ホントに……! 今日はカジノでボロ勝ちして、さー帰って寝よう寝ようって思ってたところに、こんな……こんな面倒なヤツ……!)
     光線はモールの体を貫き、そのまま背後へと飛んでいった。
    「ぐ、っふ」
     血がパタパタと飛び散るが、モールは倒れない。瞬時に治療術を使って回復し、そのまま空き倉庫の中へ、転がるように逃げ込んだ。
    (あー、痛い痛い、痛いって! すっげ痛いってね、もおっ!)
     回復したとは言え、その痛みはまだ残る。モールはよろめきつつ、倉庫の床にへたり込んだ。
    「はーっ、はーっ……」
     モールは荒い息を整えつつ、床に魔法陣を描き始めた。
    (こうなりゃ、『取って置き』しかないね)
     フラフラになりながらも、どうにか完成させ、相手を待ち構える。
    (この床全部、爆弾にしてやったね! さあ入って来い、仮面女……ッ)
     モールは目をぎらつかせて、敵が入ってくるのを待つ。
    「……?」
     だが、一向に入ってくる気配は無い。
    (おかしいね……? 私がここに入ってくるの、見えてたはずだけど)
     と、首をかしげた次の瞬間――。
    「……えっ」
     モールの目の前、鼻先から数センチも離れていない空間を、何かが通り抜けた。続いて、壁から入口に向かって、一直線にヒビが走る。
    「……そうだ……、思い出した」
     仕掛けていた魔法陣も、そのヒビと衝撃に巻き込まれ、壊れる。
    「この技……、あの仮面……」
     壊れた魔法陣は暴走し、充填されていた魔力が単純なエネルギーへと変化し、爆発に変わる。
    (そうだ……! 晴奈をてこずらせた、あの女……!)
     爆発はモールを巻き込み、倉庫全体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

    「……なかなか、てこずった方かしら」
     モールと戦っていた巴景は剣を納め、跡形もなく吹き飛んだ倉庫を眺めた。
    「ま、それでも10分持たないか」
     ニヤリと笑い――相変わらず、口元以外は仮面で覆われているが――倉庫跡に背を向ける。
    「……あら」
     振り向いた先に、倉庫の瓦礫をぱたぱたとはたくモールが立っていた。
    「何のつもりだね、仮面女」
    「流石、賢者と名乗るだけはあるわね。どんな術を使ったのかしら?」
    「言う必要ないね」
     モールは恨めしそうな目を、巴景に向けてきた。
    「君のおかげで、今日カジノで稼いできた50万エル、全部どっかに散らばっちゃったね。50万だよ、50万。どうしてくれるね、本当に……」
    「あら、ごめんなさい」
     巴景はまた、ニヤニヤと口元を歪ませる。
     それを見たモールは、眉間にしわを寄せた。
    「謝る気、さらっさら無いってか」
    「いいえ? 多少はあるわよ。
     えーと……、50万? クラム換算だと、おいくらかしら」
    「は?」
    「まとまったお金、クラムしか持ち合わせてないの。……3万クラムくらい?」
     そう言って、巴景は背負っていたかばんから財布を取り出し、クラム金貨を3枚取り出した。
     そんな対応をされるとは思っていなかったらしく、モールは一転、目を丸くしている。
    「え? どう言う……?」
    「あなたと勝負がしたかった。それだけよ」
     そう言って巴景は、唖然とするモールの横を通り抜け、そのまま去っていこうとした。
    「ちょ、待てってね」
     モールは我に返り、巴景を呼び止めた。
    「なに?」
    「じゃ、君って、ただ私と戦うためだけに、倉庫一個、丸ごと吹っ飛ばしたっての?」
    「そうよ。それがどうかした?」
    「……バカじゃない、君?」
     モールの言葉を鼻で笑い飛ばし、巴景は答える。
    「私は私自身にとって、最も必要で、最も意義のあることをしているだけよ。それを愚かと言うなら、食べることや家を建てること、お金を稼ぐことも愚かな行為になるわ」
    「……」
     黙りこんだモールに再度背を向け、巴景はそのまま立ち去った。

     残されたモールは、渡された金貨を眺めながら、ぼそっとつぶやいた。
    「戦うために生きる。それがすべて、……か。
     厄介だよ、晴奈。あの女は本気で、君を潰そうとしてるね。それ以外まるで、眼中にないって態度だ。
     ……楓藤巴景、か。覚えておいてやるね」
    蒼天剣・無頼録 1
    »»  2010.04.20.
    晴奈の話、第530話。
    巴景の武者修行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」
     そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。
    「ウチから?」
    「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」
    「ああ、ルードおじさんですか」
    「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」
     フォルナの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「ええ。以前の……、フォルナさんが入る前の、518下半期エリザリーグ直後と似たような事件が、発生しているのよ」
    「って言うと、また誘拐っスか」
     そう言ったフェリオに、今度は首を横に振る。
    「いいえ、傷害事件ね。エリザリーグ出場者を狙った辻斬りが、これまでに5件発生しているの。
     特に520年からは、これまで『キング』の圧力で出場できなかった人たちが多数詰め掛けてきて、闘技場側もやむなく出場枠を5名から8名に拡大したから、被害に遭うと思われる人間は多数出てくるでしょうね」
    「出場者……って」
     それを聞いて、フェリオの顔が青くなる。
    「ウチのも、狙われそうっスね」
    「そうね。帰ったら、気をつけるよう声をかけておいた方がいいわ。まだ生まれたばかりでしょう、娘さん」
    「ええ。……まあ、ウチのに限って、そのままやられちゃうなんてコトはないでしょうけどね、ハハ……」
    「お前は頭が間抜けか?」
     バートが呆れた顔で、フェリオの頭をはたいた。
    「いてっ」
    「『傷害事件の被害者はエリザリーグ出場者』っつってんだろ。逆に言えば、エリザリーグまで行った強豪が大ケガしてるってことだぞ」
    「あ……」
     それを聞いて、フェリオの顔がまた青くなった。
    「……あのー」
     申し訳無さそうに口を開いたフェリオに、バートがうなずいた。
    「いいよな、ジュリア?」
    「ええ。注意は早めに呼びかけておいた方が、効果的だもの。今日は早めに帰って、奥さんに気をつけるよう言っておきなさい」
    「あざっす!」
     フェリオはぺこぺこと頭を下げ、飛び去るように公安局を後にした。



    「こんにちは」
    「ん? こんち、……は?」
     往来で声をかけられ、シリンは振り向いて挨拶をしかけた――が、声をかけてきたのは仮面を被った、いかにも怪しげな女だったため、途中で言葉に詰まる。
    「あなた、シリン・ミーシャさんよね?」
    「……そうですけど、どちらさん?」
     シリンは相手の風体を見て露骨に怪しがり、子供をぎゅっと抱きしめて後ろに下がる。
    「ちょっと、お話を、ね。……えーと」
     仮面の女――巴景は、シリンの抱えている子供を見て、躊躇した様子を見せる。
    「……とりあえず、本当にお話からしましょうか。
     ミーシャさん、お家は近くかしら。お子さんが一緒だと、動きにくいでしょう?」
    「……? まあ、うん。……あのー」
    「単刀直入に言うと」
     シリンが巴景の意図を図りかねているのを察したらしく、巴景は剣をわずかに抜き、刀身を見せてきた。
    「『これ』のお相手を、お願いしたいの。
     私は今ここで、無理矢理にでもいいけれど、お子さんを傷つけたくないでしょう? お子さんを安全なところに置いてから、の方がいいわよね?」
    「……せやな。ついてき」

     シリンの家に通された巴景は、シリンが荷物と子供を置いて戻ってくるのを待った。
    「茶、いるかー?」
     シリンの方も、単なる暴漢の類ではないと察したらしい。まだ警戒している様子はあるが、明るく声をかけてくる。
    「ええ、いただくわ。……私の知っている情報だと、エリザリーグに2回出場し、公安に捜査協力したことがある虎獣人の格闘家、としか聞いてなかったけど」
     家の中を見回すと、あちこちに人形やぬいぐるみが置いてあるのが目に付く。
    「いつ、結婚したの?」
    「去年やな。んー、と……、一昨年にダンナと知りおうて、その後ちょっと、一緒に央北に行ってる間に仲良うなってん。その、さっきアンタが言うてた、公安の協力しとった関係で」
    「じゃ、結婚したのは殺刹峰事件の後?」
    「ふぇ?」
     カチャカチャと、茶の用意をしていたらしい音がやむ。
    「覚えてないかしら? 私、晴奈と戦ったのよ」
    「……あー、あー! なんや見た覚えあるかも思てたけど、そやったそやった!」
     少しして、シリンが茶を二人分用意して戻ってきた。
    「ウチ、忘れっぽいねん」
    「あら、そうなの。……じゃ、私が名乗ってたのも忘れた?」
    「……ゴメン」
     巴景は肩をすくめ、改めて名乗る。
    「私の名前は、トモエ・ホウドウ。ちょっと前まで色々やってたけど、旅の剣士よ、今は」
    「あいあい。ま、茶でも……」
    「いただきます」
     と、巴景が茶に口をつけようとした、その時だった。
    「ただいま、シリン! 無事……」
     居間に入ってきたフェリオが、巴景を見て硬直した。
    蒼天剣・無頼録 2
    »»  2010.04.21.
    晴奈の話、第531話。
    もっと強い子に会いに行く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……あー」
     巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。
    (話がややこしくなりそうね)
     状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。
     一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。
    「誰だ、お前?」
    「旅の剣士」
    「ウチに何の用だ?」
    「奥さんに、用事があって」
    「……」
     フェリオは拳銃を取り出し、巴景に向かって構えた。
    「……手を、挙げろ」
    「いいけど」
     巴景はひょい、と両手を挙げる。フェリオは警戒しつつ、巴景が腰に佩いていた剣を取る。
    「満足した?」
    「……名前は」
     緊張を崩さないフェリオに、巴景はため息をつく。
    「トモエ・ホウドウよ。……ねえ、ミーシャさん。この人が、あなたの旦那さん?」
    「うん」
     シリンも緊張した目を向けつつ、茶をすする。
    「私、この人の顔見た覚え無いし、私のこと知らないみたいよ。あの時、いなかったみたいだけど」
    「あー。あん時、腕に大ケガしとって、屋敷ん奥で寝ててん」
    「あら、そうなの」
     そう聞いて、巴景はフェリオの腕をひょいと取る。
    「う、動くな!」
    「いい加減にしなさいよ。そんなの屋内で撃って、跳弾で子供に当たるかもって思わない?」
    「……っ」
     巴景の言葉に、フェリオの視線は一瞬泳ぐ。
    「ほら、離しなさいよ」
     巴景はその隙を狙ってフェリオの手首をつかみ、ギリギリと締め上げる。
    「う、あ……っ」
     たまらず、フェリオは拳銃を落とした。
    「ふーん、確かにアザみたいなのがあるわね。……ああ、これってあのネイビーの?」
    「うんうん」
     フェリオに興味を失い、巴景はフェリオから手を離した。
    「良く生きてられたわね。腕も、ちゃんと残ってるみたいだし」
    「色々あってん」
     手首を押さえてうずくまるフェリオを尻目に、巴景とシリンは会話を続ける。
    「でも何や、トモエさんて結構度胸あるねんな。拳銃向けられて、平然としとるし」
    「伊達に修羅場は潜ってないわ。拳銃向けられるよりもっと怖い体験、したことがあるもの」
    「そーなんやー」
    「……クス」
     シリンと話しているうち、巴景は笑い出した。
    「楽しい人ね、シリンさん」
    「え、そお?」
    「戦おうと思ってたけど、毒気抜かれちゃったわ。お茶いただいたら、帰るわね」
     それを聞いて、シリンはきょとんとする。
    「ええのん?」
    「ええ。まあ、……こんなこと言ってしまうと気分悪くしちゃうかも知れないけど、元々から期待外れだったのよね、この街」
     巴景はパタパタと手を振り、これまでの対戦を語る。
    「私、武者修行と思って、エリザリーグ出場者なら骨のある人がいるだろうと思って声をかけて、手合わせしてもらってたのよ。
     そしたらみんなあっけなくやられちゃうし、『剣なんか使って』とか『女のクセに』とか、泣き言をびーびー言ってくるのよ。武器なら晴奈だって、これまでの優勝者だって使ってたのに」
    「あー……。それはちょっと思たなぁ。
     ウチも去年のんは、子供生まれる前やったから観戦だけしとってんけど、あの519年上半期のんに比べたら、まるでママゴトやチャンバラやなーて思たわ。
     そら、クラウンににらまれただけでスゴスゴ引き下がる奴らやな、てな」
    「でしょうね、ふふ……」
     巴景は茶を飲み干し、立ち上がって床に置かれた剣を取る。
    「それじゃ私、そろそろお暇するわね」
    「……あー。ウチ、まだ本調子ちゃうから、今やってもつまらへんかもやろけど」
     シリンも立ち上がり、すっと右手を差し出す。
    「522年からは、復帰するつもり満々やしな。そん時、やろ」
    「いいわね。それじゃ、楽しみにしてるわ」
     巴景はシリンの手を握り、堅く握手した。
     と、すっかり意気消沈したフェリオを見て、巴景が声をかけた。
    「いきなり拘束しようとした、ってことは、公安が追ってるのね。さっき言ったリーグ出場者から、被害届でも出たのかしら。
     ま、これ以上被害者は増えないわ。飽きたから」
    「あ……、飽きた?」
     顔を上げたフェリオに、巴景は口元をわずかに曲げてこう言った。
    「もっと強い人に、会いたいの。さっき言った通り、ここの人じゃ相手にならないし。
     もうここには、用は無いわ」
    「……そうか」
     フェリオはまたうなだれ、ソファにぐったりと腰かけた。
    「じゃあ、とびっきり強いヤツが、ミッドランドにいる。そいつと会ってみたらどうだ?」
    「へえ?」
    「名前はテンコ。あのタイカ・カツミの弟子だそうだ。セイナさんも苦戦した相手だぜ」
    「……いいわね。ありがとうね、ダンナさん」
     巴景は会釈し、シリンの家を出た。



    「はい?」「何言ってんだ?」
     翌日、フェリオはジュリアに、公安への辞職願を提出した。
    「俺……、もうダメっス」
    「何があったんだ?」
    「昨日、家に帰ったら……、いたんスよ、犯人」
    「犯人って、リーグ出場者の傷害事件の?」
     ジュリアの問いに、フェリオは力なくうなずき、経緯を説明した。
    「そうか……」
    「……俺、公安に向いてないみたいっス。殺刹峰ん時も、ミッドランドん時も、捜査、とことん足引っ張ってるし」
     落ち込むフェリオを見て、ジュリアは煙草をくわえた。
    「……あのね、フェリオ君。それを言ってしまったら、エラン君の方がひどいわよ」
    「いきなり人を名指しでけなさんといてくださいよ……」
     エランがむくれるが、ジュリアは構わず話を進める。
    「それでもエラン君は、十分に職員の資格有りと私は思ってるわ。彼、どんなに下手を打ってもへこたれないもの」
    「……」
     ジュリアは手にしていたフェリオの辞職願を燃やし、それを使って煙草に火を点けた。
    「あなたは良くやったわ。あなたがテンコさんのことを教え、犯人を遠ざけたおかげで、被害はこれ以上拡大しないんだから」
    「あ……」
    「あなたはちゃんと街を護ったわ。自信、持ちなさい」
     ジュリアは灰になった辞職願をペール缶に捨て、話を切り上げた。
    「テンコさんが相手なら、犯人への制裁になるでしょう。
     さ、次の案件よ」
    蒼天剣・無頼録 3
    »»  2010.04.22.
    晴奈の話、第532話。
    ミッドランドのアイドル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央中中部、ミッドランド。
     街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。
    「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」
    「ふむ」
     彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。
     事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物になり、この日も魔術師たちに自分の得た秘術を教えていた。
     天狐は妹弟子のレイリン――最近、天狐から「お前も克って名乗れよー、妹弟子なんだからよー」と言われたので、克鈴林と名乗るようになった――を助手に従え、講義を進めていく。
    「ってワケだから、術式も互換性は高い。だから、ほれ」
     天狐は空に向け、火の槍を放つ。
    「えいっ」
     そこに鈴林が手を加え、雷の槍へと姿を変えさせた。
    「おお~……」
    「な? こーゆー面白いワザもできんだよ。他にもな、氷と土は固化、水と風は流体って言う相似点があるんだ。そこら辺を色々いじくってみたら、何か発見できるかもな。
     んじゃ今日はここまで。おつかれさん」
     天狐の講義が終わり、魔術師たちは深々と礼をする。
    「ありがとうございました、テンコ様」
    「サマとかいらねーよ、照れるぜ。……呼ぶなら天狐ちゃんって呼びな、ケケ」
     天狐は狐耳をコリコリかきながら、その場を後にした。

     天狐は現在、鈴林と共にラーガ邸に居候している。とは言え、彼女が街にいることで入る観光収入などの間接的な利益は非常に大きいものなので、当主のトラムは彼女を厚遇していた。
    「おっ、見ろよ鈴林」
    「どうしたの、姉(あね)さんっ?」
    「おっちゃん、今日のおやつにショコラシフォンケーキ用意してるってさ」
     天狐は自分と鈴林に当てられた部屋に残されたメモを読み、九尾の尻尾をパタパタさせている。
    「好きだねぇ、チョコ」
    「へへっ」
     天狐はニコニコと笑いながら、食堂に足を運んだ。
     と――。
    「……ん」
    「どしたのっ?」
    「なんか、感じねーか?」
     天狐はどこからか鉄扇「傾国」を取り出し、警戒する。鈴林も天狐の後ろに付き、その気配を感じ取ろうと集中した。
    「……っ! 窓っ!」
     そして、天狐より一瞬早く鈴林がその気配の元に感づき、魔術で盾を作る。
     次の瞬間、ラーガ邸の庭を見渡すことのできる、廊下一面に張られた大きな窓の一枚に、縦一直線に亀裂が走った。
    「……っ、と」
     続いてやって来た衝撃波が、鈴林の術で防御される。
    「何だぁ……?」
     鈴林が術を解いた瞬間、天狐はばっと庭先に飛び出す。
    「いきなり何すんだよ、お前? 庭、メチャメチャにしやがって! トラムのおっちゃん、泣くぜ?」
    「知らないわよ、そんなこと」
     庭の中央に立っていた巴景が、肩をすくめる。
     その周囲には兵士たちが倒れている。どうやら警備網を無理矢理に突っ切って、屋敷に侵入したようだ。
    「あなたが、克天狐ちゃん?」
    「そーだよ。天狐サマって呼べ」
    「あら? さっき講義してた時、ちゃん付けしろって言ってなかった?」
    「オレと仲良くするヤツは、な。テメーは、敵だ」
    「なおさら呼びたくないわよ。なんで敵に様付けしなきゃいけないのよ」
     巴景はそう言って、次の攻撃を放った。
    「チッ……、話する気、ゼロか」
     天狐は鉄扇で防ぎつつ、雷の術を放つ。
    「『サンダースピア』!」
     雷の槍が巴景に向かって飛んで行く。が、巴景は剣を構えただけで、動こうとしない。
    (……っ、なんか見た覚えがある気がするぜ、こんな光景)
     天狐は嫌な予感を覚え、続けてもう一発放とうと呪文を唱える。
     その間に、雷の槍が巴景に到達する。だが、予想通り槍は巴景の剣に弾かれ、四散する。
    「えっ」
     背後で鈴林が声を上げて驚いていたが、天狐は構わず二撃目を放った。
    「もいっちょ! 『サンダースピア』!」
    「同じことよ」
     二度目の電撃も、巴景は同じように防ごうと構えた。
    「鈴林! 変換!」
     と、天狐は鈴林に向かって命じる。
    「え? あっ、はいっ!」
     鈴林は即座に応じ、先程講義で見せたように、天狐の術に手を加える。
     雷の槍はギチ、と妙な音を立てて、空中で実体に変化した。
    「……!」
    「ケケ、ちょっと術を組み替えさせてもらったぜ」
     雷の槍は重量ある石の槍に変化し、巴景に直撃した。
    蒼天剣・無頼録 4
    »»  2010.04.23.
    晴奈の話、第533話。
    混沌の巴景。

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    5.
     槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。
    「よっしゃ!」
    「うまく行ったねっ!」
     天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。
    「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」
    「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」
    「お、そうだった。確認しな……」
     振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。
    「……いねえ?」
     先程まで巴景が倒れていた場所には、自分たちが放った石の槍しかない。
    「ドコ行った……?」
     天狐は辺りを見回すが、巴景の姿は無い。
    「鈴林、ちょっと貸せ」
    「あ、はいっ」
     天狐は鈴林の魔力を借り、索敵術を試みた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……えっ?」
     天狐の脳内に、周囲の情報が入ってくる。
     その情報が、すぐ目の前に――丁度、槍がある場所に人がいると告げていた。
    「どうしたの?」
    「……まだ、そこにいるらしい、ぜ?」
    「えっ?」
     二人は無言で顔を見合わせ、恐る恐る槍へと近付く。
    「……いない、よな」
    「う、ん」
     すぐ近くまで迫っても、誰の姿も見つけられない。それどころか、魔術で風を起こし、土ぼこりを舞わせても、素通りする。
    「ドコに……?」
     天狐はわけが分からず、槍に手を伸ばした。
     次の瞬間――。
    「アンタのおかげで、いい技思い付いたわ」
    「……ッ」
     天狐の目の前に突然、巴景が現れた。
    「あ、が……っ」
     天狐の胴に、深々と剣が突き刺さる。
    「属性の変換、ね。なかなか面白いじゃない」
    「て、てめ、っ、どう、やって」
     天狐には、何が起きていたのか把握できない。
     が、横で成り行きを見ていた鈴林には、巴景が何をしていたのか理解できた。
    「そんな、まさか……、自分の体を」
    「ふふ、あははは……」
     巴景の足から下は、まったく目視できない。
    「ありがとうね、天狐『サマ』」
     巴景は自分にかけていた術を解き、そのまま天狐を剣先から振り飛ばした。



     30分後。
    「て、テンコちゃん! 襲われたと聞きましたが、大丈夫ですか!?」
     騒ぎを聞きつけたミッドランドの主、トラムが、兵士を引き連れて屋敷へと戻ってきた。
    「おう、おっちゃん。おせーよ、つつ……」
     天狐は鈴林に抱きかかえられる形で、庭の中央で横になっていた。
    「怪我を!? 誰か、担架を……」「いらねーよ。オレは大魔術師だぜ、……あいたた」
     天狐は腹を押さえ、顔をしかめていた。
    「しばらくしてりゃ治るから、心配すんなって。
     ……しっかしあの女、滅茶苦茶な魔術センス持ってやがる。まさか一回、二回オレの技を見ただけで、それを把握するとはな」
     天狐は苦い顔をしながら、ぼそっとつぶやいた。
    「うー……。トラムのおっちゃんよー」
    「はい、何でしょう?」
    「ゴメンな、庭こんなにしちまって」
    「いえ……。庭なら、直せば済みますから」
    「オレも直すの、手伝うよ」
    「いえいえ、テンコちゃんはゆっくり休んでいてください。そんな体じゃ、動くのも辛いでしょう?」
     トラムに諭され、天狐はポリポリと頭をかいてうなずいた。
    「……うん。ホント、ゴメンな」

     それから2日ほど、天狐の魔術講座は休講となった。



     ミッドランドを離れた巴景は近隣の森に逗留し、天狐の術にヒントを得て編み出した技を推敲していた。
    「ふふ……」
     殺刹峰で得た強化術――神経の反応速度や筋力を増強させる通常の強化術とは一線を画す、肉や骨の組織そのものを鋼鉄やバネのように変質・変形させる術――をベースに、巴景は自分の腕を変換させていた。
    「人間離れしちゃったわね、少し」
     巴景の左腕は、煌々と燃え盛っている。自分の腕を、「火の術そのもの」に変えたのだ。
     術を解くと、腕は元に戻る。火傷もしていない。
    「戦った価値は、十分すぎるほどあったわね」
     続いて、風の術に変換させる。腕は見えなくなったが、感覚も触感も確かにある。試しに落ちていた枝を拾うと、普通につかむことができた。
     空中にふよふよと浮かぶ枝を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    「……いいわね」
     巴景は見えない左腕にぐっと力を込め、枝をぽきりと折った。
    蒼天剣・無頼録 5
    »»  2010.04.24.
    晴奈の話、第534話。
    鬼がやってくる。

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    6.
     屏風山脈、黒鳥宮。
    「侵入者! 侵入者だーッ!」
     その夜、宮内は騒然としていた。
     突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。
    「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」
     ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニオン・ウィルソン大司教は、この異状を聞きつけて即座に動いた。
    「……まったく、こんな時を狙って来なくてもいいだろうに!」
     現在、黒炎教団では一つの問題が起こっていた。
     教主ウィリアムが重い病に臥せっており――ここ数年、弟が惨殺されたり、息子が遠い地で亡くなったと聞かされたりと、心労が重なったせいだろう――もってあと数週間かと言う状態にある。これ以上ストレスが重なれば、命に関わる。
     ウィリアムを何より慕うワニオンとしては、これ以上心配させたくなかったのだ。
    「報告します!」
     と、僧兵長の一人がワニオンの前にやってくる。
    「どうした? 捕まえたか?」
    「いえ、それが……」

    「ハァ、ハァ……」
     ウィルの姉、ウェンディは肩で息をしながら、目の前の敵――巴景に矛を向けていた。
    「く……、強い」
     横にはすぐ下の弟、ウォルターが同様に息を切らしながら、三節棍を構えている。
    「何が目的なの?」
     ウェンディはずれた眼鏡を直しつつ、巴景に尋ねる。
    「目的? そうね……、武者修行、かしらね。この黒鳥宮の中で一番強い人、出してほしいんだけど」
    「なら、……まずは僕たちを倒してみろッ!」
     ウォルターがいきり立ち、巴景に向かって棍を放つ。
    「いいわよ」
     巴景は向かってきた棍に、全力で剣を振り下ろす。ガイン、とけたたましい音を立てて、金属製の棍は真っ二つに割れた。
    「なっ……」
     目を丸くしたウォルターの前に、巴景が迫る。
    「まず、一人」
     巴景は剣を離した左腕をウォルターの首に回し、そのまま旋回する。
    「げ……っ」
     首を軸にして縦回転したウォルターは地面に頭を叩きつけられ、そのまま気絶した。
    「次はあなた?」
     巴景は再び剣を構え、ウェンディに向き直る。
    「……ええ。行くわよ!」
     ウェンディは大きく深呼吸し、巴景に向かって走り出した。ゴウ、ゴウと矛を唸らせ、巴景を捉えようと迫るが、巴景は間一髪で――文字通り、髪一本ほどのギリギリで避け、ウェンディのすぐ前に立った。
    「……ッ」
    「この距離なら、もう矛は役立たずね」
     巴景はすとんと、ウェンディの鳩尾に貫手を放った。
    「は、う……」
     ウェンディの目がひっくり返り、そのまま前のめりに倒れた。
     巴景は倒れたウェンディに目もくれず、くるりと振り返る。
    「……それで、あなたがこの教団で一番強い人かしら?」
    「そうだ。覚悟しろ、仮面の剣士」
     騒ぎを聞きつけたワニオンが、大剣を手に駆けつけてきていた。

     ワニオンは大剣を振り上げ、巴景に向かって飛び掛る。
    「へ、え……」
     巴景はその姿を見て、感嘆の声を上げる。
    (背はざっと見て190以上、体重は100キロ超えてるでしょうね。なのに、とても軽やかな動き。大剣が、まるで子供のオモチャを振り回してるみたいに見えるわ)
    「うりゃあーッ!」
     ワニオンの振り下ろした剣が、一瞬前まで巴景が立っていた地面を削る。
    「む、う」
     ワニオンは素早く身を翻し、次の攻撃に移る。
    「ふふ、流石ね」
     巴景もひらりと体勢を変え、ワニオンと再び対峙する。
    「これなら十分、相手になりそうね」
    「何……?」
     ワニオンの狼耳が、ピクと動く。
    「相手とは、何のことだ」
    「私の技の、練習相手。……いきなり仕掛けるのも剣士としてはアンフェアだろうし、教えてあげるわ」
     そう言って巴景は、左手を火に変えた。
    「なっ……?」
     それを見たワニオンが目を丸くする。僧兵たちに助け起こされたウェンディ、ウォルターも、巴景の技に驚いていた。
    「腕が燃えている……!?」
    「焔? いや、あいつらのは剣を、か。じゃああれは、一体……?」
     驚くウィルソン家の面々を見て、巴景は高らかに笑う。
    「ふふっ、あははは……。驚いてくれて嬉しいわ。これが私の技よ。名付けて、『人鬼』」
     巴景は両手を炎に変え、剣を構える。
    「あなたは鬼が倒せるかしら?」
    「……~ッ」
     巴景の尋常ではない気迫に威圧され、巨漢のワニオンがたじろいだ。
     だが、それでも無理矢理に奮い立ち、大剣を正眼に構えて精神集中する。
    (黒炎様……、無闇に祈られることを、あなた様は嫌うと仰られました。
     しかし、どうか、どうか祈らせてください)
    「さ、行くわよ」
     巴景が仮面の口に空いた穴から、ふーっと息を吐く。
     その息さえも、まるでドラゴンの息吹のように赤く燃え盛り、空気をちりちりと熱していた。
    (どうか黒炎様、目の前の悪鬼をこの私めが征伐できるよう、力をお与えください……ッ)
    「はああああッ!」
     巴景が恐るべき速さで、ワニオンの間合いに飛び込んでくる。
    「……黒炎様あああッ!」
     ワニオンは意を決し、巴景を迎え撃った。



     1時間後、教主ウィリアムの耳に、息子たちが謎の剣士に大ケガを負わされたと、また、剣士は捕まることなく逃げてしまったと伝えられた。
    「おお……」
     それを聞いたウィリアムは上半身を起こし、従者につぶやいた。
    「神は……」
     従者は慌てて「お休みください」と伝えたが、ウィリアムは応えない。
    「神は、もういないようだ……」
     そのままウィリアムはうなだれ、二度と動くことはなかった。
    蒼天剣・無頼録 6
    »»  2010.04.25.
    晴奈の話、第535話。
    聖人の死と、悪魔の再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。
    「ああ、父上……」
    「どうして、こんなことばかりが……」
     ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。
    「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」
     その列の真ん中に、他の兄弟たちよりも一層包帯まみれになったワニオンが立ち、他の者たちよりも一際嘆き悲しんでいた。
    「……ううっ」
     こらえきれなくなり、ウェンディはその場から一旦離れ、聖堂の裏でボタボタと涙を流し始めた。
    「どうして……、どうしてこんなこと……」
    「……」
     と、顔を覆ってしゃがみ込んだ彼女は、自分の前に誰かが立っているのに気が付いた。

    「誰……?」
     顔を挙げるが、自分が眼鏡を外しているのと、相手が陰に紛れるような黒い服装を着ているのとで、そこにいるのが誰なのか、良く分からない。
    「好人物だったな、良くも悪くも」
    「え……?」
    「お前の父のことだ。
     とても人のいい、無欲で穏やかな男だった。そのせいで、あいつの知らないところで何かとゴタゴタは起こったが、それでも十分に教主の務めを果たしていただろう。
     亡くなったのは残念だが、お前たちのせいではない。天命だろう。必要以上に嘆き悲しむ必要は無い」
    「あの……、あなたは……?」
     ウェンディは眼鏡をかけ、その男の姿と顔を確認する。
     目の細い、鴉のように真っ黒な衣服と髪の、色黒の男がそこにいた。
    「あいつの友人だ。あいつが教主になってから23年、あいつは俺の、一番の話し相手だったのだ」
    「父上が、あなたの……?」
     言い方がひどく尊大だと感じ、ウェンディは涙を拭いて立ち上がった。
    「こんな言い方をするのは、好きではありませんが」
    「うん?」
    「私の父上、ウィリアム・ウィルソン4世は、この黒炎教団の頂点に立った偉大な人物、聖人と言ってもいいほどの人物です。
     それを単なる話し相手、自分と同列の友人だなど、烏滸がましいとは……」「烏滸がましい?」
     男はそれを聞き、クックッと鳥のような笑い方をした。
    「クク……、そうか、烏滸がましいと」
     男の細い目が、じわりと開く。
    「……っ」
     それを見たウェンディの背筋に、冷たいものが流れた。
    「そう言えば、教主以外には俺のことは、単なる黒子としか伝えられていないのだったな」
    「……まさか」
     男の目の冷たさは、巴景の燃え盛る体を見た時よりもさらに恐ろしく、畏れ深いものをウェンディに感じさせた。
     と、男は開いた目を、元通りの細さに戻す。
    「もう一度聞くが、烏滸がましいことだったか?」
    「……いいえ。失礼いたしました」
     ウェンディはす、と頭を垂れた。
    「分かればいい。
     それでだ、ウェンディ。ウィリアムから、遺言を預かっている」
    「遺言、ですか?」
    「これだ」
     男は一通の封筒をウェンディに差し出した。
    「……え、えっ!?」
     手紙に目を通したウェンディは、男と手紙を交互に見て驚いた。
    「これは、本当に、……いいえ、あなた様が預かられたお手紙であれば、本当なのでしょうね」
    「本当だとも」
    「し、しかし」
     ウェンディは眼鏡を直し、男に尋ねる。
    「何故、私なのですか? 序列で言えば、私よりも兄のワニオンの方が適当では」
    「これだけの大組織を治めるのに、単純で血気盛んな武人では役が合わんと言うことだ。
     それよりも、卒なく管理のできる人間が好ましい。そう考えての、前教主の決定だろう」
    「……そうですか」
     ウェンディは手紙に視線を落とし、ぼそっとつぶやいた。
    「しかし、私に務まるかどうか。私はまだ38歳です。とても、父上のようには……」
    「ウィリアムは46歳の時に就いたが、それはワッツ……、先々代の長寿のためだ。90歳の大往生だったからな、あの女は。もし先々代が短命であれば、ウィリアムはもっと早く就いていただろう、な。
     お前の働き振りであれば、十二分に役目を果たせる」
    「……」
     逡巡するウェンディに背を見せ、男は立ち去りながらこう言い残した。
    「明日には、他の大司教にも同様の通達が出る。お前の器ならば、皆も納得するだろう。
     今後はお前が俺の話し相手になれ、ウェンディ・ウィルソン教主」
    蒼天剣・無頼録 7
    »»  2010.04.26.
    晴奈の話、第536話。
    古戦場への帰郷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     巴景は央南に戻ってきていた。
    (何年ぶりかしらね?
     お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね)
     5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。
    (……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった)
     とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。
    「……ただいま」
     巴景はぼそっとつぶやき、半ば苔むした畳の上に座り込んだ。

     既に天玄には立ち寄っており、そこで篠原が死んだことも、朔美が投獄されたことも聞いている。
     そして、妹のように思っていた霙子が、晴奈の手引きで紅蓮塞に入ったことも。
    (ま、裏切りとは言わないわ。むしろあなたが、お頭たちに裏切られていたんだし)
     紅蓮塞に行き、霙子の顔を見てみようかとも一瞬思ったが、巴景の方には会わせる「顔」が無い。
    (霙子は晴奈がいた柊一門――ああ、今は焔本家一門だっけ――に付いたって言うし、晴奈の敵である私は、一門の敵でもある。会っても霙子は、困った顔をするだけでしょうね)
     畳から腰を上げ、巴景は地下へ足を向けた。
    (この場所で、晴奈は功名を立てた。
     敵に捕まりながらも、それを逆手にとって殲滅へと導いた、『縛返しの猫侍』。……フン)
     晴奈が捕まっていた倉庫の前を通り、晴奈とウィルが敵から刀を奪った曲がり角を通り、そして――。
    (そう、ここ。ここが、私と晴奈が、初めに戦った場所)
     いまだ焦げ跡と、炭になった木箱が残る倉庫の中に入り、巴景はしゃがみ込んだ。
    「……ふふっ。私がつけた、『地断』の跡。まだ残ってる」
     その切れ目を撫で、巴景は懐かしさに浸る。
    (そう言えば、あの時一緒に戦った柳って、本当は殺刹峰の手先だったのよね。今、どうしてるのかしら? 金火公安に協力してたって言うし、もう保釈されてるかしら)
     同僚の顔を思い出し、巴景の足は幼い頃からずっと使っていた、自分の寝室だった場所に向かう。
    (みんな、どうしてるかしら? 何人かは、おかみさんと同じように央南で投獄されたと思うけど、残りはみんな、殺刹峰に連れて行かれたのかしらね。……となると、やっぱり央北に投獄されたか、フローラに殺されたか、それともペルシェと一緒に抜けてしまったか。
     ……どの場合にせよ、もう会えないでしょうね)
     自分の部屋に着き、巴景は床に溜まった5年分のほこりを、「人鬼」で変化させた風の脚で払う。
    「……ケホ。流石、5年分ね」
     巴景は床に座り込み、仮面を外した。
    「5年、かぁ」
     仮面を外し、その下に残る火傷を撫でながら、巴景は自分の部屋を見渡す。
    (私がここに住んだのは507年、13歳の時。
     それから22歳までの9年間、ここに住んで修行を重ねて。お頭の奥義、『地断』を会得したのは確か、17歳の時だったっけ。
     その1年後に、初任務。妖狐になった天原櫟の、暗殺。……そっか、そこから晴奈との縁が生まれたのね。
     ……今一度、強まったわ。晴奈を倒したいと言う、その思いが)
     巴景は仮面を付け直し、部屋を出た。

    (『地断』、『人鬼』。地、人と来れば、もう一つほしいところ、よね?)
     巴景は「ビュート」を抜き、精神を集中する。
    (そう、天。天をつかまなければ、あの女には届かない。そんな気がするのよ)
     先程立ち寄った因縁の倉庫に、もう一度足を運ぶ。
    (……いいえ。つかむんじゃない)
     巴景は倉庫の中央で、剣を上段に構える。
    (破壊してやる。天を、衝く)
     その時、巴景は不意に、晴奈と戦った時に述べた一言を思い出した。
    ――ここは私たちが殿の財産をたっぷり使って築いた要塞よ? これしきのことで崩れたりなんかしないわ――
    (そう、アンタには崩せないわ。『巴美』、アンタにはね。
     でも、私は崩せるわ。この『巴景』は、この要塞を崩せるのよ)
     巴景の中で、急速に力が膨れ上がる。それに呼応し、「ビュート」が菫色の光を放つ。
    「『天衝』!」
     巴景は天井に向かって、ゴッと音を立てて打突を放った。



     アジト跡から程近い、天神湖。
    「お、引いてるぞ」
    「えっ、えっ?」
     湖に釣りに出かけていた焔流剣士、梶原謙は、傍らの娘、桃の竿に手を貸した。
    「ほら、頑張れー」
    「うっ、うん」
     父娘二人で力を合わせ、湖中の魚と格闘する。
    「ほれ、もうちょい、もうちょい」
    「重いよー……」
    「もうちょいだから、頑張れ、な? お母さんに、自慢してやれるぞ」
    「……がんばるっ」
     桃は尻尾をバタバタと振るわせ、力を振り絞る。その甲斐あって、どうにか魚は釣り上げられた。
    「よーっしゃ、やったな桃」
    「うんっ!」
     釣り糸の先でもがく、桃のふかふかした尻尾と同じくらいに大きな魚を捕まえようと、謙は網を伸ばした。
     と――グラ、と周囲が激しく揺れる。
    「う、うわっ!?」
    「あ、お父さーん!?」
     その振動で体勢を崩した謙は足を滑らせ、湖に落っこちてしまった。それと同時に、折角釣った魚も湖へ戻ってしまう。
    「あー……」
     桃は逃した魚を見て、がっかりした声をあげかけた。
     が、その声は途中で詰まった。目の端に、異様なものを捉えたからだ。
    「……な、に、あれ?」
     桃は確かにその時、森から空に向かって伸びる、一条の真っ赤な光を見た。
     光は空遠くに飛んで行き、雲をも突き抜けて、そのまま見えなくなった。
    「桃ぉー……、すまん、魚逃しちまった」
     ようやく這い上がってきた謙が声をかけたが、呆然とする桃の耳には入らなかった。



     天井に開いた穴を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    (一点集中。『地断』の衝撃を、一点に絞った突き。……まるで大砲ね)
     巴景の握りしめていた「ビュート」からは、チリチリと灼ける音が聞こえていた。
    「……待ってなさい、晴奈。今から、アンタのところに行ってやるから。
     今こそ、決着を付けてやるわ! 最強の剣士は、この私よ!」

    蒼天剣・無頼録 終
    蒼天剣・無頼録 8
    »»  2010.04.27.
    晴奈の話、第537話。
    宿敵の故郷で出会った、意外な人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。
    (さあ……! 今こそ決着の時よ!)
     既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。
     身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。
     勿論、そんなことに構う巴景ではない。
    「ちょっと」
    「は、はい」
     通りがかりの人間をつかまえ、道を尋ねる。
    「黄屋敷って、どこかしら?」
    「え、えっと。この道を真っ直ぐ行くと、左手に大きな屋敷が見えます。そこが……」
    「ありがと」
     黄家の場所を尋ねたことで、街に巴景のうわさが伝播する。
    「あの仮面、黄屋敷の場所を尋ねてたな」
    「となると黄家の長女、黄晴奈に用事か?」
    「でしょうね。武芸者っぽい身なりですし……」
    「知り合いの剣士が旧交を温めに来たか」
    「はたまた、異流派からの果し合いか」
     が、そこで人々は顔を見合わせ、安心したような、しかしどことなくがっかりしたような表情を浮かべた。
    「でもなあ……」

    「いないの?」
     黄屋敷に到着し、屋敷の使用人たちに晴奈の所在を尋ねたところ、晴奈は不在だと返された。それどころか黄州、いや、央南にすらいないのだと言う。
    「はい、グラッド大将と、ナイジェル博士さんと言う方と一緒に、北方へ。何でも、軍事演習がどう、とか」
    「そうなの……」
     巴景はがっかりし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
    「ありがとね、それじゃ……」「あ、ちょっとお待ちになって」
     と、屋敷の奥から巴景に声がかけられる。
    「え?」
    「あなた、晴ちゃんのお友達?」
     奥から姿を表したのは、三毛耳の、年配の猫獣人の婦人だった。
    「友達、じゃないけど。ちょっと、因縁があってね」
    「あら、そうなの。……お名前、聞かせてもらってもいいかしら?」
     巴景はこの婦人が誰なのか、直感的に察した。
    「巴景よ。楓藤巴景。……あの、もしかして」
    「ええ、そう。わたしは、桜三晴(みはる)。晴ちゃんのお母さんです」
     三晴はそう言って、にっこりと笑った。

     三晴は「折角来てもらったんだし、おもてなしくらいしないと」と、帰ろうとする巴景を引き止め、茶を振舞った。
    「さ、どうぞどうぞ」
    「はあ……、ども」
     巴景は多少面食らいながらも、素直に茶を飲む。
    「仮面、お取りにならないの?」
    「ええ、……あなたの娘さんに、顔を傷つけられたもので」
     嫌味のつもりでそう言ったが、三晴はこう返した。
    「あら、そうなの。晴ちゃん、あなたにちゃんと謝ったかしら」
    「いいえ」
    「それじゃ帰ってきたら、叱らないといけませんね」
    「へ」
     まるで子供同士の他愛も無いケンカを見守るようなその口調に、巴景は二の句が継げない。
    (まあ、確かにこの人は晴奈のお母さん、なんだけど。……調子狂うわね)
     顔の傷がむずがゆくなり、巴景は仮面の下に指を入れてかこうとする。それを見た三晴が、「あら」と声を上げた。
    「仮面、お取りになればよろしいのに」
     三晴はひょいと、巴景の仮面に手を伸ばした。
    「えっ」
     あまりに唐突な行動だったため、巴景はまったく反応できず、仮面を剥ぎ取られてしまう。
    「ちょ、ちょっと。返してよ」
    「あら、綺麗なお顔」
    「返してってば……」
     仮面を取られ、巴景の態度は途端に弱々しくなる。
    「隠す必要、無いんじゃない?」
    「あ、あるわよっ。だって、醜いじゃない」
    「そうかしら……」
    「そうよ、だから返してよ、早く……」
     ところが、三晴は「ちょっと待っててくださいね」と言って、仮面を持ったまま席を立ってしまった。
    「な、何でよぉ……」
     一人残された巴景は顔を手で覆い隠し、三晴が戻ってくるのを待つしかなかった。
    蒼天剣・訪黄録 1
    »»  2010.04.30.
    晴奈の話、第538話。
    お芝居の中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。
    「お待たせしちゃってごめんなさいね」
    「早く返してよ……」
     顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。
    「ええ。でも、その前にちょっと」
     三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。
    「な、何? 何する気?」
    「あなた、お歳はおいくつ?」
    「に、27よ。それが、何?」
    「まあ、そんな年頃の娘がすっぴんだなんて」
     そう言いながら、三晴は白粉を巴景の頬に付け始めた。
    「ちょ、何よ」
    「じっとしてちょうだい」
    「だから、何するのって……」
    「じっとしてちょうだい、ね?」
     やんわり諭されてしまっては、巴景は無理矢理に撥ね付ける気になれない。
    「……」
     仕方なく、巴景は三晴にされるがままになっていた。

    「はい、できた」
     三晴がぱちん、と化粧箱の蓋を閉じ、鏡を渡す。
    「ほら、御覧なさい」
     鏡を手に取った巴景は、恐る恐る自分の顔を確認した。
    「……え」
     鏡の中の巴景には、傷が見当たらない。いや、よく確認すれば残っているのは分かるのだが、ちょっと見た程度ではあると気付かない。
    「この歳になるとシミとか、……ちょこっと、出てきますから」
     三晴は頬に手を当て、やんわりと語る。
    「お化粧品、手放せないんですよ。綺麗に隠れるでしょう?」
    「……そうね」
    「生きていたら、シミやそばかすも出ますし、ケガして消えない傷が残ることもあります。そう言うものですからね、人間って。
     それを隠したいと思うのは当然。でも、こんな綺麗な顔を、丸ごと隠すなんて。もったいないわ、可愛い女の子なのに」
     可愛い、と言われ、巴景の心臓がドキッ、と脈打った。
    「かわ、いい? 私が?」
    「ええ。どこからどう見ても、可愛い女の子。仮面を付けなければ、ね」
     そう言って、三晴は仮面を巴景に返した。が、巴景はそれを手に取ったまま、付けようとはしない。
    (可愛いって、言われた……。そんな風に呼ばれたこと、全然無かった)
     一度も言われたことのないその言葉に、巴景の思考はそこで止まる。
    「ね、ちょっとみんなに見せてあげなさい」
    「え? 皆?」
    「ちょっと、みなさーん」
     巴景が唖然としている間に、三晴は使用人たちを呼びつけた。
    「ご用でしょうか」
    「ね、ね。トモちゃん、可愛くなったでしょ?」
     やってきた使用人たちは、揃って巴景の顔を見る。
    「へえ……」
    「美人ですね」
    「ね、可愛いでしょ? こんな美人さんの顔を、仮面で隠すなんてねぇ」
    「……っ」
     巴景は恥ずかしくなり、うつむいてしまった。

     すっかり大人しくなった巴景に、三晴は依然やんわりと話を続ける。
    「わたしね、晴ちゃんが剣士さんやってるの、あんまり好きじゃないのよ。
     確かにりりしくてかっこ良くて、これはこれでと思ってた時期もあったけど、最近の晴ちゃんは辛そうにしてることが多いから」
    「辛そうにしてる……?」
     思いもよらない意見に、巴景は顔を挙げた。
    「ええ。何だか寂しそうにしてたことが、時々あったの。
     確かに、皆からは慕われてるし、『かっこいい自分』に誇りを持ってるって感じではあったけど、……そうね、何て言うか、孤独な感じだったわ」
    「孤独? 晴奈が?」
     巴景は前回晴奈と戦った時、周りにできた人だかりを思い出していた。
    (孤独だって言うなら、あの時周りに人がいたのは何で? ただの見物?)
    「こんな言い方をしてしまうと、少しどうかなって思うけど。……見物されてるような感じなのよ」
    「……っ」
     半分冗談で思った感想を真顔で口にされ、巴景は言葉を失う。
    「あの子は強いと、みんな言うけど。かっこいいと、みんな言うけど。それはみんな、演劇や舞台なんかで、人気の俳優さん、女優さんにかけられてるような言葉なの。
     あの子の間近に、人はいないのよ。周りみんな、観客席から見物してるような、そんな感じ」
    「……」
    「ねえ、トモちゃん」
     三晴は巴景の手を取り、頼み込むような口調でこう言った。
    「あの子の近くに、いてあげてね。いがみ合っていてもいいから」
    「え……」
    「もちろん、仲良くしてくれるなら、その方がいいけれど。でも、トモちゃんは晴ちゃん、そんなに好きじゃないだろうし。それは無理なお願いだって、分かってるわ。
     それでも、近くにいてあげてほしいの。でないとあの子、どんどん孤立していってしまうから」
    「……」
     三晴は巴景から手を離し、深々と頭を下げた。
    「どうかよろしく、お願いしますね」
    蒼天剣・訪黄録 2
    »»  2010.05.01.
    晴奈の話、第539話。
    宿敵の妹との交渉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。
     手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。
    「どうしろと……」
     化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。
     仮面も、何だか付ける気にならなかった。化粧で彩られた顔が、自分でも気に入ってしまったからだ。
    「……どうしよう」

     ともかく巴景は晴奈の足取りをつかむため、港や央南連合軍の詰所で情報収集を行った。
     その結果、やはり黄屋敷で聞いた通り、晴奈は西大海洋同盟が行う合同軍事演習に参加するため、北方ジーン王国に渡っていることが分かった。
    「やっぱり、北方か。……行かなきゃいけないわね」
     巴景は北方へ渡る準備を整えるため、商店街へと踵を返した。
     と――。
    「あの」
     ハァハァと、息を切らしながら声をかけてくる者がいる。
    「何……?」
     振り向くと、先程の三晴にどことなく似た顔立ちの「猫」が立っていた。
    「あの、巴景さん、ですよね」
    「そう、だけど」
    「わたし、黄明奈って、言います。黄晴奈の、妹です。……すーはー」
     肩で息をする明奈を見て、巴景は困惑する。
    「え、っと……。妹さんが、私に何の用?」
    「今しがた、母からあなたのこと、伺ったんです。……北方へ、向かわれるんですよね? 姉を追って」
    「そのつもりだけど」
     ようやく呼吸の整ってきた明奈は、巴景に深々と頭を下げた。
    「一緒に、連れて行ってください!」
    「はい?」
    「姉は『いつ戦争状態に入るかも分からぬ。危険だから、お前は来るな』と言って、わたしを置いてけぼりにしたんです」
    「まあ、普通そうでしょうね」
    「でも」
     明奈は真剣な面持ちで、巴景に頼み込む。
    「わたし、どうしても一緒に行きたいんです! 姉は優れた剣士だって、色んなこと任せて大丈夫な人だって、みんな言いますけど」
     優れた剣士と評したところで巴景は顔をしかめたが、明奈は構わず続ける。
    「本当は、もっと脆い人なんです。一回失敗したらつまずく人なんです。困ったらへこむ人なんです。誰かが側にいなきゃ、元気になれない人なんです」
    「……で?」
    「きっと姉は、疲れてきてると思います。エルスさんや他のみんなの前では、弱いところなんか見せられないって思ってるでしょうから。
     戦争が間もなく始まる今だからこそ、誰か、何でも気兼ねなく相談できる人間が近くに付いていなきゃ、心が折れてしまうと思うんです」
    「それが、あなただと?」
    「はい。……でも、わたし一人で北方に行くのは、不安で」
    「だから、私と一緒に行きたいと」
     巴景はフンと鼻を鳴らし、即座に断った。
    「嫌よ」
    「お願いします」
    「嫌だってば」
     嫌がる巴景に、明奈は切り札を出した。
    「……お化粧、教えますから」
    「……」
     明奈は一歩にじり寄り、一層強い口調で交渉する。
    「母から、巴景さんは化粧されたことが無いと聞いてます。わたしは、得意ですよ」
    「大きなお世話よ。……まあ、でも」
     巴景は眉間にシワを寄せながらも、渋々承諾した。
    「アンタの言う通り、晴奈が今頃へこんでたりなんかしてたら、何のために私が北方へ行くのか、わけが分からなくなるわ。
     無駄足踏むのも嫌だし、もしもの時のために連れて行った方がいいわね、そう言うことなら」
    「……ありがとうございます!」
     ぺこりと頭を下げた明奈に、巴景は肩をすくめながらこう言った。
    「でも私、基本的に自分のことしか考えないわよ。
     例えばアンタが船から海に落っこちても、私は助けないから」
    「構いません」
    「そ。……なら、ちゃっちゃと身支度して付いてきなさい」
    「はいっ!」

     こうして巴景は明奈と共に、北方へ渡ることとなった。
    蒼天剣・訪黄録 3
    »»  2010.05.02.
    晴奈の話、第540話。
    巴景と明奈の船旅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」
    「でも、傷が気になるし……」
    「大丈夫ですって。ほら、鏡」
    「……うーん、まあ、確かに」
     北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。
    「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」
    「ん、……まあ、空いてるわね」
    「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」
    「いいけど」
     船旅の間中、巴景は明奈のペースに乗せられていた。
     食堂に付いたところで、明奈が声をかける。
    「今日は何食べますか?」
    「そうね、魚系で」
    「取ってきますね」
    「いいわよ、たまには自分で……」
    「いいですよ。その代わり、席取っておいてくださいね」
    「あ、うん」
     やんわりと、しかしがっちりと主導権を握られ、巴景はされるがままになっている。
    (調子狂うわ……。まだ三晴さんが側にいるみたい)
    「取ってきましたよ、ご飯。アジで良かったですか?」
    「ええ、ありがと」
     同じことを、例えばむさ苦しい男が高圧的にしてくるのなら、撥ね付けたりぶちのめしたりするところなのだが、明奈はあくまでやんわりと、下手に接してくる。
    「あ、お茶も持ってきますね。巴景さん、先にどうぞ」
    「いいわ、待ってるから。一緒に食べましょう」
    「はーい」
     最初のうちは、晴奈の妹だからと半ば邪険に扱っていたが、いつの間にか仲良くなっていたりする。
    (……どうしちゃったのかしらね、私。何だか自分が自分じゃないみたい。
     あの子と一緒にいると、何だか憎しみで凝り固まってた自分の心の中が、解されていくような気がする。
     あの子といると、……心が安らぐ)
     巴景は仮面を付けない裸の顔で、明奈が戻ってくるのを待っていた。

    「ねえ、明奈」
     食事から戻った後、巴景は明奈に尋ねてみた。
    「何ですか?」
    「私、あなたのお姉さんを、殺すつもりしてるんだけど」
    「はい」
     何の含みも無い返事で返され、巴景は少し面食らう。
    「はい、って……。いいの?」
    「良くないですけど、そんな気がしないんです」
    「……なめてるの? 私、本気よ」
     にらみつける巴景に、明奈はふるふると首を振る。
    「いいえ、なめてません。ただわたしは、姉が勝つと信じていますから」
    「はっ」
     その答えが癇に障り、巴景は「人鬼」で中指を火に変えた。
    「私は全身、武器に変えられるのよ。今、あなたにこの指でデコピンして、そのまま額を焼くこともできる」
    「だから、姉に勝てると?」
    「そうよ」
    「理屈になってないじゃないですか」
     明奈はまるで怯まず、巴景に食って掛かってきた。
    「巴景さんの言っていることは、『私はこんなに強いのだから、誰にでも勝てる』と言うことでしょう?
     でもそんなの、『お金持ちは誰でも言うことを聞かせられる』とうそぶくのと一緒です。わたしが『いくらでも金をやるから自分を北方に連れて行け』と言ったら、巴景さんは一緒に行きましたか?」
    「……そう言われていたら、行く気にならなかったわね」
    「でしょう? どんなに力があっても、勝てるかどうかは別の話です」
     そこで一旦言葉を切り、明奈はじっと巴景を見つめる。
    「それに、わたしは姉が勝つと、『信じている』だけです。それは理屈でもなんでもなく、わたしの、ただの勝手な思い込みでしょう?」
    「……」
     巴景は怒りに満ちた目を向けつつ右手全体を火に変え、その手を明奈の顔へ寄せる。
    「……」「……」
     真っ赤な炎が、明奈のすぐ鼻先にまで迫る。
    「……フン」
     巴景はそこで火を収め、右手を元に戻した。
    「ま、そうね。信じるだけなら勝手だし」
    「ええ。わたしの勝手です」
    「……ちょっと外、出てくる。鍵かけないでね」
    「はい」
     巴景は眉間を揉みながら、船室を出て行った。

    (強いことと、勝つことは別、か。言ってくれるじゃない)
     甲板に立ち、水平線を眺めながら、巴景は明奈の気丈さに感心していた。
    (やっぱり、晴奈の妹ね。気、強いわ。……あははっ)
     と、背後に気配を感じる。
    「明奈?」
     巴景は背を向けたまま、声をかける。
    「はい」
    「何の用?」
    「私も風に当たりに」
    「そう。……ねえ、明奈」
     ここで振り返り、巴景はニヤリと笑った。
    「賭け、しない?」
    「何を賭けるんですか?」
    「もし私が晴奈に勝ったら」
     巴景は明奈の頭にポン、と手を乗せる。
    「アンタ私の妹になって、これから私の旅にずっと付いてきなさい」
    「はい?」
    「気に入ったし」
     この提案に明奈は目を丸くしていたが、やがて何かを思い付いたらしい。
    「……では、姉があなたに勝ったら」
     手を乗せられたまま、明奈もにっこり笑う。
    「姉のこと、『姉さん』と呼んでくださいね」
    「ねっ……」
     この提案に、巴景の顔が引きつった。
    「……い、いいわよ。どうせ、私が、勝つんだし」
    「ええ、楽しみにしておきます」
     にっこりと笑う明奈に、巴景は内心舌打ちした。
    (……やっぱり調子狂うわ。やるわね、この子)



     521年、3月。
     巴景と明奈は晴奈の後を追い、北方の地に到着した。

    蒼天剣・訪黄録 終
    蒼天剣・訪黄録 4
    »»  2010.05.03.
    晴奈の話、第541話。
    英雄の凱旋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。
    「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」
     央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。
    「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ少尉」
    「へ? ……大尉、じゃなくてぇ、エルスさん、アタシのコトぉ、覚えてるんですかぁ?」
     驚いた顔になったミラに、エルスはヘラヘラと笑顔を向ける。
    「もちろん。君みたいに、魅力的な子はね」
    「……あのぅ、すみませんでしたぁ」
     ミラはぺこりと、エルスに頭を下げた。
    「うん?」
    「アタシたちみんな、あなたのコト、犯罪者だって。……妹さん、そのせいで、ふさぎ込んでしまうしぃ」
    「……やっぱり、そっか。悪いことをしたよ、そう言う意味では。もっとちゃんと、説明ができれば良かったんだけどな」
     と、ミラの後ろに立っていたバリーも同様に頭を下げる。
    「すみません、でした。俺が、その、中佐と一緒に、その、盗んでしまって」
    「ううん、むしろ個人的には感謝すべきかな。そのおかげで、僕の疑いが晴れたんだし。ありがとう、バリー軍曹」
    「お、俺のことも、覚えてくださってた、ですか」
    「うん。あれから通打、うまくなった? 投げ技の方が得意だったみたいだけど」
    「は、はい!」
    「……あの」
     エルスとミラたちの様子を見ていた他の兵士たちが、恐る恐る近づいてきた。
    「自分のことも、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
    「うん。ボリス軍曹だったよね。奥さん、元気してる?」
    「お、俺は?」
    「もちろん覚えてるよ、ジェイク伍長。……あ、もう曹長になったんだね、おめでとう」
    「私のことは……」
    「うん、ユリア准尉だったよね。どう、氷の術? もうマスターしたの?」
     エルスは近寄ってきた、かつて指導していた兵士たちすべての素性を覚えていた。
     そして戦犯として侮蔑されていたことや、現在は央南連合の軍責任者であることなどに自分から触れようとせず、ただにこやかに振舞う様に安堵したのか、かつて彼を慕っていた兵士たちが皆、続々と集まってきた。
     彼らは一様に敬礼し、エルスを出迎えてくれた。
    「おかえりなさい、グラッドさん」
    「うん、ただいま」



     戦犯として扱われていたエルスがすんなり故郷に戻れたのには、理由がある。
     元々、「ヘブン」の前身である日上軍閥が黒炎戦争時、央北と北方の緩衝地帯となっていた北海諸島すべてを手中に収めていたため、兵が差し向けられる以前より、北海はすでに「ヘブン」の管理下にあった。
     王国側としては、目と鼻の先に敵が陣取っている状態である。好戦的傾向の強い王国軍としては、相当にプライドを刺激される状況だった。
     そこで同盟が成立してすぐ、央中・央南に対し「合同軍事演習」を申し出たのだ。

     一方、エルスの処遇に関しては、既にフーが「バニッシャー」を手にし、暴走した事実がある。「あのまま放っておけばフーと同様に暴走する者が現れていただろう。515年当時の状況から言って、使わず封印することは軍陣営が許さなかったであろうし、他に方法は無かっただろう」と判断され、軍から盗み出し国外逃亡した件は不問に処されることとなった。
     軍からの指名手配が無くなったことで、元々からエルスを慕っていた兵士たちが、貶められていた彼の名誉を挽回しようと運動を起こした。
     この運動と、エルスが央南連合軍の責任者となり、今回の軍事演習で不可欠な存在になっていたこともあり、軍本営も彼の地位復権に尽力する姿勢を見せた。
     その「証明」が、この出迎えである。



    「ついでに『中佐に格上げするから戻って来い』みたいなことまで言われたけどね」
    「へぇ」
     約半年ぶりに自分の家に戻ったトマスは、晴奈とともにエルスの、軍本部での顛末を聞いていた。
    「でもそれってさ、『お前の罪を許してやるから、央南連合軍を抜けて自分たちの軍に戻れ』って言ってるよね」
    「それはまた、上から目線もはなはだしい、と言うか」
    「だろうね。だから、丁重に断ったよ」
     エルスはへらへらと笑って、自分の意志を改めて表明した。
    「僕はもう、央南連合の人間だよ。戦争が終わったらすぐ帰って、央南でのんびり暮らすつもりさ」
     晴奈はそれを聞き、にっこりと笑い返した。
    「はは、歓迎するよ」
    「じゃ、僕も央南に行こうかなぁ」
     トマスもそう言ったところで、エルスは深くうなずいた。
    「うんうん、おいでおいで。君が来てくれたら、本当に嬉しい。二人でのんびり、囲碁でも打って暮らそうよ」
    「いいね。是非行きたい」
     と、不意にエルスが晴奈の方を向く。
    「……セイナ? どしたの?」
    「ぅへ?」
    「顔赤いけど」
    「顔? 赤いか?」
    「うん。何か……」
     そこでエルスは、チラ、とトマスを見て、もう一度晴奈を見た。
    「……何か、想像してた?」
    「していない。何も」
     晴奈は手をぱたぱたと振り、否定した。
    蒼天剣・帰北録 1
    »»  2010.05.04.
    晴奈の話、第542話。
    駄々っ子リスト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。
     前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。
     流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。
     もちろん、リストとしては正当な理由があっての行動である。と言っても、自分の故郷に戻りたいと思っていたわけでもなく、ましてや、軍事国である故郷が戦火にさらされるのが不安だったわけでも無い。
     エルスのすぐ側に、央南でのんびり看過してはいられない「要因」がいたからである。



    「……」
    「……」
     晴奈たちの北方での宿として、トマスの家――元々祖父のエド博士が使っていたものであり、敷地はかなり広い――が使われている。
     その一室で、リストとある女性とが向かい合って座っていた。
    「……にらまないでよ」
    「にらむようなコトしてるからでしょ」
     リストの目の前には、赤毛のエルフが座っていた。小鈴である。
    「大体さ、なんでアンタ、一緒に付いてきちゃったのよ。アタシらと関係ないじゃない」
    「旅できなくてヒマだし。実家にいても母さんから『アンタもそろそろ、お兄ちゃんみたいにいつまでも一人でブラブラしてないで、結婚しなさい、結婚』って言われるし。
     ……それにさー」
     小鈴はリストの長い耳に口を寄せ、そっとつぶやいた。
    「あたし、エルス狙ってんのよ。どーせ結婚すんなら、玉の輿狙いたいじゃん」
    「……っ」
    「アンタも、狙ってんでしょ?」
    「だ、誰がっ!」
     リストは顔を真っ赤にし、ぷいと横を向く。
    「じゃ、あたしがココにいてもいーじゃん」
    「良くないっ」
    「何でよ?」
    「それは、だって、……好きでも無い奴と結婚とか、倫理的に」
    「ん、好きよ?」
     さらりと答えられ、リストは硬直した。
    「あの人もお酒強いし、色んなコト詳しいし、気が合うのよね。それに何より、腕っ節も強いし。やっぱオトコは強くなきゃダメじゃん?」
    「……」
     リストはフラフラと、席を立った。
    「……勝手にすれば」
    「うん。そーするわ」

     5分後、トマスの部屋。
    「痛い、痛いって」
    「うるさいっ」
     リストは従兄弟のトマスの背中を、ガツガツと殴っていた。
    「もう、何であの女っ、エルスにっ」
    「げほ、誰だよ、あの女って……」
     気が強いリストに、トマスは昔から頭が上がらない。
    「暴力はやめてくれって、昔から言ってるだろう」
    「うるさいうるさい、うるさあああいっ」
    「……あーあー」
     そして昔から、こんな風に八つ当たりしてくると、やがて泣き出すことも知っている。
    「うっ、エルスの、ば、バカぁ、グスっ」
    「……いてて」
     トマスの予想通り、リストは殴りつけるのに疲れ、うずくまって泣き出した。
    「ほら、タオル」
    「グス、グス……」
    「それで、あの女って誰? コスズさん?」
    「うん……」
    「そっか、やっぱり。言ってることが途切れ途切れで分かんなかったけど、でも何で……」
     話を続けようとしたトマスを、晴奈が止めた。
    (トマス、それ以上はまだ、進めない方がいい)
    (ん? 何で?)
    (また癇癪を起こすぞ)
    (ああ、そうかも)
     トマスは言おうとしていたことを飲み込み、リストの肩をポンポンと優しく叩く。
    「まあ、落ち着いたらゆっくり話そうよ。ね?」
    「うぐっ、うぐっ、……うん」

     しばらくして、ようやくリストは泣き止んだ。
    「それでさ、何でリストはコスズさんがリロイを狙ってるからって、泣き喚いたの?」
    「……トマス。分からないのか?」
     呆れる晴奈に、トマスはきょとんとした顔を返す。
    「何が?」
    「……リスト。今、ここには私とトマスしかいない。正直に、答えてほしいのだが」
     晴奈は床に座り込んだままのリストの側に屈みこみ、ゆっくりと尋ねた。
    「昔からそう思っていたが、お主はエルスのことを、好きなのだな?」
    「……うん」
     リストは顔にタオルを当てたまま、コクリとうなずいた。
    「ああ、なるほど」
    「何がなるほどだ。気付かなかったのか?」
    「だって、リストいっつもリロイにツンツンしてるからさ。逆に、嫌いなんだと思ってた」
    「阿呆」
     晴奈はそう言ってから、思い直して自分の意見を翻した。
    「……いや、そう言えばエルス自身もそう言っていたな。紛らわしいと言えば、紛らわしい」
    「やっぱりアタシじゃ、ダメなのかな……」
     落ち込んだ口調のリストに、晴奈は優しく声をかける。
    「そうは思わぬ。知っているか、リスト」
    「何……?」
    「かつて天玄で、篠原一派が襲ってきた時のことだ。
     エルスはお主を拉致した奴らを、あっと言う間に倒したそうだ。それも、こう言いながらだ。『僕にとってリストは大事な子なんだ。彼女に手を出す奴は僕が許さない』と」
    「それ……、ホント?」
    「ああ、本当だ。もっとも、私も人から又聞きしたのだが。まあ、それでもだ」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめた。
    「エルスの方でも、お主を憎からず思っているのは確かだ。それは今までの、あいつの所作に現れている」
     と、その時。トマスの部屋の戸がノックされた。
    「入るよ」
     エルスの声だ。
    「あ、……むぐ?」
     返事しかけたトマスの口を、晴奈が手でふさぐ。
    (リスト、隠れていろ)
     晴奈は小声で、リストに指示する。
    (う、うん)
     リストは慌てて、クローゼットの中に隠れた。
    蒼天剣・帰北録 2
    »»  2010.05.05.
    晴奈の話、第543話。
    変人職人からの打診。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。
    「あれ? お邪魔しちゃったかな」
     エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。
    「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」
    「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」
     それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける。
    (お、っとと)
     が、何とか視線を晴奈の方に向け、ごまかす。
    「どしたの?」
    「ああ、いや。リストがどうかした?」
    「うん。ほら、アニェッリ先生っていたよね」
     エルスの質問に、トマスはしばらく間を置いて「ああ」とうなずいた。
    「北方における銃開発の第一人者、デーノ・アニェッリさんのこと?」
    「そうそう、その人。彼と、コンタクトが取れたんだ」
    「へぇ?」
     珍しそうな声を上げるトマスに、晴奈が尋ねた。
    「誰だ、そのデーノと言うのは」
    「ああ、……えーと、銃が北方でも開発されてるのは知ってるよね?」
    「ああ」
    「元々、銃開発は央中の金火狐財団が490年末から行ってたんだけど、残念ながら財団は『銃器は刀剣類の威力、魔術の攻撃レンジに勝るものではない』と考えて、数年で開発を中断させたんだ。その責任者だったのが、狐獣人のアニェッリ先生。
     でも、どうしても銃開発を諦めきれなかった先生は、奥さんと子供を置いて北方に渡り、軍の重鎮だったおじい様に銃の有用性を説いたんだ。
     おじい様も、『確かに刀剣や魔術に比べれば、その威力・攻撃レンジは比べるべくもない。が、使いこなせるようになるまでに必要な訓練量は、前者二つとは比べ物にならないほど早い。優れた軍隊を作る上で、かなり有用になる』と同意して、先生を責任者に据えて銃開発を始めさせたんだ。
     でも、このアニェッリ先生って、変わり者で……」
     そこでトマスの説明を、エルスが次いだ。
    「銃開発が一段落したところで、『銃も一通り作りきった感があるし、他の研究に移りたい』って言ってね。首都を離れて、ミラーフィールドって街にこもって毎日、変なモノを開発してるらしいよ。
     そんなだから、軍からの招聘(しょうへい)も散々断ってたんだけど……」
     そこでエルスは、晴奈の方を見た。
    「最近になって突然、先生の方から声をかけてきたんだ。何でも、君に聞きたいことがあるんだってさ」
    「私に?」
     思いもよらない話に、晴奈は目を丸くした。
    「そう。それで、僕は交換条件に、『リストに合う銃を作ってほしい』って頼んだんだ。これからの戦争で、必要になるだろうからね」
    「なるほど……」
    「ねえ、リロイ」
     そこで、トマスが質問してきた。
    「リロイはさ、リストのことをどう思ってるの?」
    「ん?」
    「いやね、以前にリストが敵にさらわれた時に、君が助けようと躍起になったって話を聞いたことがあるんだ。それで、どうなのかなーって」
    「ああ……」
     エルスの回答を、晴奈も、トマスも、そしてクローゼットの中に潜むリストも、じっと黙って待っていた。
    「……そうだなぁ、一言で言うと」
    「言うと?」
    「手のかかる妹、かな」
     その答えに、クローゼットの中のリストはがっくりとうなだれた。
     そして、エルスも彼女に気付いていたらしい。
    「二十歳超えてまだ、クローゼットの中で遊んでたりするしね、はは……」



     ともかく、エルスはリストと晴奈、トマス、そして小鈴を連れて、北方山間部の観光都市、ミラーフィールドにやって来た。
    「へー、流石『鏡』って言うだけあるわね」
     小鈴が街の中央にある塩湖を見て、感慨深くつぶやく。
     塩湖には薄く水が張り、それが鏡の役目を果たしているのだ。そしてその鏡には空が映し出されており、中に立つ人間はまるで、空に浮かんでいるように錯覚するのだと言う。
     と、通りに央中でよく見かけた施設が建っているのが、晴奈の視界に入る。
    「ほう……、ここにも金火狐の銀行が」
    「銀行だけじゃないよ。この街は昔、まだ中央政府が世界中を支配していた時に、金火狐一族が開発したんだ。銀行やお店なんかがあるのは、その名残なんだ」
     トマスが説明している間に、一行は目的の家に到着した。
    「と、ここだ。ここが、アニェッリ先生の自宅兼、研究所」
     研究所、と言われたものの、傍目には普通の家にしか見えない。
     と――カリカリと、妙な音が聞こえてきた。
    「何だ……?」
    「あ、耳ふさいだ方がいいよ。キツいらしい」
    「え?」
     晴奈と小鈴がきょとんとしている間に、家の2階窓からにょきにょきと、何かが出てきた。
    「……あっ」
     その先端にあるものを見て、晴奈もそれが何だか分かった。
    《ポッポー!》
    「ぐあ……」
     が、耳をふさぐのが一瞬遅かった。
    《ポッポー!》
    「う、うるさっ」
    《ポッポー!》
     三回鳴いたところで、家から飛び出してきた鳩は元通り、家の中に収まった。
    「う、は……、耳が……」
    「ば、バカじゃないの……、一軒家サイズの鳩時計とか……」
     晴奈と小鈴は、耳を押さえてうずくまった。
    蒼天剣・帰北録 3
    »»  2010.05.06.
    晴奈の話、第544話。
    銃の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」
     家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。
    「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。
     ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」
     その狐獣人は、うずくまった晴奈に声をかけた。
    「……そう、だが」
    「初めまして、セイナさん。僕の名前はディーノ・アグネリと言います。あ、北方風に言うと、デーノ・アニェッリですね」

     ようやく耳が落ち着いたところで、晴奈一行はディーノの家に入った。
    「それで、あぐ、……アニェッリ先生、と呼べばよろしいか?」
     かしこまった態度の晴奈に、ディーノは恥ずかしそうに手を振った。
    「いやいや、ディーノで結構です。先生と呼ばれるのは、どうにも尻尾がかゆくなっちゃって、あはは……」
     年齢は40半ばと言うことだったが、その頼りなさげな風貌は、もっと若く見させている。
    「では、ディーノ殿。私に聞きたいこととは、一体?」
    「ああ、うん……。妻のことを、聞きたくて」
    「妻?」
     一体誰のことを指しているのかと、晴奈はいぶかしがる。
    「ええ。その……」
     ディーノは全員を見回し、それから晴奈にそっと耳打ちした。
    「……はい?」
    「だから、その……」
     もう一度伝えようとしたディーノに、晴奈はぽんと手を打った。
    「……ああ、なるほど」
    「へ?」
    「そう言われるよりも、エランの父親と言われた方が、納得が行きます」
     そう返され、ディーノはきょとんとする。
    「……そんなに似てるんですか?」
    「はい。そっくりです」
     それを聞いて、小鈴が目を丸くする。
    「え、ちょっと待ってよ。エランのお父さんって、つまり、……総帥の?」
    「……はは、そうなんです。……ええ、金火狐財団の現総帥、ヘレン・ゴールドマンは、僕の奥さんだった人です」
    「そ、そうだったんですか」
     思いもよらない話に、エルスとトマス、リストは驚いている。
    「でも、僕がゴールドコーストを出た頃は、まだそんなに偉くなくって。
     どうしても研究を続けたいと頼み込んだんですが、当時の妻の力じゃどうにもならなかったんです。だから軍事立国であるこの国に渡り、ナイジェル博士の協力で研究を続けることにしたんですよ。
     ただ、どうしても気になるのが、やっぱり家族のことです。うわさには総帥に就任し、やり手の女ボスになったと聞きますが、遠く離れたこの街じゃ、それ以上のことはさっぱりですから。
     それで、今回の西大海洋同盟が成立したのは、央南と央中の権力者と親しくしてたセイナさんのおかげだと聞きまして。それなら妻のこと、色々知ってるんじゃないかな、って」
    「なるほど……」
     晴奈と小鈴は、央中での出来事をディーノに語って聞かせた。ディーノは顔をほころばせ、始終嬉しそうにうなずいていた。
    「そうですか、そうですか。エランが、銃をね……」
    「やはり、銃がゴールドコーストでも広まったのは嬉しいんですか?」
     そう尋ねたエルスに、ディーノは深々とうなずく。
    「ええ。ようやく、故郷で僕の研究成果が認められたと言うことでしょうね。
     ……いや、広めてくれたのは間違いなく、妻のおかげでしょう。彼女は若い頃から公安に思い入れがありましたし、それを息子に持たせたと言うのも、彼女らしいと言えば、らしいです」
    「その……、ディーノ殿は」
     晴奈はふと、こんなことを尋ねてみた。
    「今でも奥さんのことを?」
    「ええ、大好きですよ。もし彼女が『戻ってきてもええよ』って言ってくれたら、即、戻ります」
    「ほう……」
     ディーノは顔を赤くしながら、ぽつりとこう言った。
    「もうここでの銃の研究は、僕の手から離れましたからね。後は若い技術者が、頑張ってくれるでしょう」
     それを聞いて、晴奈はディーノとじっくり話をしてみたいと感じた。
    (この人は、既に『頂点』を過ぎた人なのだな。私も、もう数年すればこの人と同じところに行き着くのかも知れない。
     今、その心境はどうなっているのだろうか? ……もっと詳しく、聞いてみたい)
    蒼天剣・帰北録 4
    »»  2010.05.07.
    晴奈の話、第545話。
    高みを降りた人から、高みに達した人へ。

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    5.
     晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。
    「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」
    「ありがとうございます」
    「いただきまーすっ」
     食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。
     ゴールドコーストで公安チームと出会い、彼らと共に央北を回り、殺刹峰と戦った話を聞き、ディーノの目はキラキラと輝く。
    「へぇ……、散弾銃、ですか。確かに公安の機動部とか制圧戦とかには、うってつけの装備ですね」
    「ええ、殺刹峰に潜入した時も、それで修羅場をしのいだとか。
     ……あの、ディーノ殿」
    「はい?」
    「その……、会って間もないあなたにこんな話をして、戸惑われるかも知れませんが」
    「何でしょう?」
     晴奈は周りの皆が食事に気を取られているのを確認し、ディーノに相談してみた。
    「私は……、その、もう27歳でして、そろそろ、……ここが、剣士としての頂点では無いかと考えているのです」
    「ふむ」
    「しかし、不安もあります。この後、剣士としては緩やかに下るだけ。今まで剣の道一本だった私は、どう生きていけばいいのかと」
    「……なるほど。僕にも、似た点はありますね」
     ディーノはコップを机に置き、真面目な、しかし優しげな顔になった。
    「僕も、研究と発明ばかりの人生でした。その道、一本だったわけです。そう考えればその点、あなたと似ていますね。
     でも最近じゃ、なかなかいいものが作れません。ただ、それはスランプってわけじゃなくて、やっぱりセイナさんが言うみたいに、頂点を過ぎてしまったんだと思います。もう昔みたいに、次から次に研究・開発を進めて成功していくことは難しいでしょうね。
     でもそのことは悔しくも、悲しくも無いんです。思うに、それは……」
     ディーノはそこで、コップに入った酒をくい、と飲み干す。
    「それは頂点の時――自分が最高の仕事ができる時に、最高の仕事をしたからだと思います。その証明と言うか、成果と言うか、……そんな感じのものは、今、この国のあちこちで見られますし。それを見ていると、本当に自分はいい仕事をしたと、そう実感できるんです。
     過去の栄光に浸っているとか、そう思われるかも知れません。でも、僕はもう、それでいいんです。自分がやるべきことを、やれる時にやりきったんですから」
    「なる、ほど……」
    「セイナさん」
     ディーノはにっこりと笑い、こう締めくくった。
    「今があなたの人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事ができるよう努力してください。
     そうすれば頂点を過ぎた後、悔やむことは何も無いと思います。きっとみんな、仕事をやりきったあなたを祝福してくれるはずです。
     その後の人生、きっといいものになりますよ」
    「……はい」
     晴奈は目から涙がこぼれそうになるのをこらえながら、小さくうなずいた。



     3日後、ディーノはリストのために、銃を作ってくれた。
    「ベースはGAI(ジーン王国兵器開発局)の狙撃銃、GAI‐SR(スナイパーライフル)511型です。
     それの命中精度改良版がSR511P(Prime:最上級)型と呼ばれていますが、僕はその命中精度をさらに向上させ、さらに長い銃身と特製調合の装薬とで、射程距離も大幅に伸ばしてみました。
     名付けて、GAI‐SR511PPLR(Prime of Prime and Long Range)」
    「うん、ありがと」
     リストは銃が入ったかばんを受け取り、ニコニコと笑いながら銃に向かってつぶやいた。
    「よろしくね、ポプラちゃん」
    「ポプラ?」
     尋ねたトマスに、リストは指を立てて答えた。
    「PPLRだから、語感でポプラ(Poplar)かなって」
    「なるほど、いいですね」
     作った本人も、嬉しそうにうなずいた。
     と、ここでエルスがディーノに、あることを伝えた。
    「そうだ、アニェッリ先生。奥さんに会いたがってましたが、もしかしたら近いうち、会えるかも知れませんよ」
    「と言うと?」
    「同盟が成立しはしましたが、まだそれぞれの首脳が顔を合わせてませんからね。近いうち、同盟を発案したこの国で、首脳会談の場が開かれると思います。
     となれば当然、奥さんもその場に……」
    「そうか、なるほど……。そうですか、ふむ」
     ディーノは嬉しそうに顔をほころばせた。
    「いいですね。会えるかどうかは分かりませんが、楽しみにしておきます」

     帰りの道中、晴奈はディーノから言われたことを何度も、心の中で繰り返していた。
    (『人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事を』か。……そう、今が私の頂点、剣士としての人生、最高の時なのだ。
     確かに私は、最早戦うことに疲れてきている。だが、ディーノ殿の言う通り、今、最高の仕事をしなければ、私はきっと後悔する。巴景やアランと戦うことを避ければきっと、終生『何故あの時、戦わなかったのだ』と悔やむだろう。
     それだけはしたくない。後々に禍根など、残してはならぬ。今ここで、きっちりと決着を付けねば)
     晴奈はこれから来る、最後の戦いを前に、決意を新たにした。

    蒼天剣・帰北録 終
    蒼天剣・帰北録 5
    »»  2010.05.08.
    晴奈の話、第546話。
    凍った海でスケート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、12月。
     晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。
    「それにしても」
     その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。
    「見事に凍っているな」
    「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」
    「ほう」
     試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った海を突いてみる。
    「来た時はまだ氷が張っていなかったから、まさかこれほどとは思っても見なかった」
    「でしょうね。アニェッリ先生も、フーのおばあちゃん夫婦も、こっちに移り住んだ時はみんな驚いてたらしいわよ」
     そう言って、リストはひょいと氷の上へと降りる。
    「ほら。人が乗れるくらい分厚いのよ」
    「なんと……。話には聞いていたが、本当に乗れるとは」
    「セイナも来てみなさいよ」
     リストに手招きされ、晴奈も恐る恐る氷の上に足を乗せた。
    「……確かに」
    「じーちゃん、グリーンプールにも別荘持っててさ。アタシ、何度かこっちに、遊びに行ったコトあったのよ。楽しかったなー……」
     と、リストは埠頭に上がり、「ちょっと待っててね」と言って姿を消した。
     晴奈は水平線の向こうまで凍った海を見渡し、ため息をつく。
    (ウインドフォートで聞いた、巴景の話。彼奴は、この凍った海を歩いて渡ってきたと言う。考えもしなかったな、そんな手段は。
     恐らく、殺刹峰で得た強化魔術があったからこそ、取った手段ではあろうが――私には、到底真似ができぬ。その術と、型破り・非常識な発想力は、私を凌駕する。それこそが、巴景の強みであり、二つと無い武器なのだろうな。
     だが、私も人知を超えた経験を、いくつも重ねてきた。経験の量と深さは、負けていないはずだ。それに私にはこの『蒼天』と、十余年鍛え、高みに達した剣術が付いている。
     敵わないと言うことは、無いはずだ。十分、十二分に対抗できる。……いや、勝ってみせるさ。
     この因縁には、きっちりと決着を付けてみせる)
     と、リストが靴を二足抱えて戻ってきた。
    「お待たせー」
    「それは?」
    「スケート靴。サイズ合うかしら?」
    「すけ、と?」
    「氷の上を滑れる靴よ。……ほら、見てて」
     リストはスケート靴を履き、氷の上をすいすいと走る。
    「楽しいわよ、けっこー」
    「ふむ」
     晴奈もスケート靴を履き、氷の上に立とうとしたが――。
    「わ、と、とと、……にゃっ」
     バランスを崩し、べちゃりと前のめりに倒れてしまった。
    「あいたた……」
    「ふふ、あははっ」
    「参ったな、はは……」
     晴奈は埠頭にしがみつき、何とか立ち上がる。
    「足は揃えて立たないと、がくっと体の軸ブレるわよ」
    「ふむ。こう、か?」
    「そうそう、そんな感じ。で、こーゆー風に、右脚に体重かけてー、次は左脚にかけてー」
    「右、左、右、左、……こんな感じか」
    「そ、そ。うまいじゃない」
     運動神経のいい晴奈は、すぐにコツを飲み込む。
    「なるほど、面白い」
    「ね、セイナ。ちょっと、沖の方まで行こ?」
    「沖に?」
     聞き返したが、リストは理由を言わない。
    「……ダメ?」
    「いや、構わぬ。行ってみようか」
    「ありがと」
     リストは礼を言うと、晴奈の手をつかんですい、と滑り始めた。
    「滅多に割れないから、安心して」
    「ああ」
     しゃ、しゃ……と、スケートの滑る音だけが聞こえる。
    「わあ……、真っ白。ミラーフィールドじゃないけど、雲の中にいるみたいね」
    「そうだな、白い雲の上を滑っているようだ」
    「アハハ、雲ってツルツルなのね」
     滑る間に他愛も無いことを話しながら、二人は街が彼方に見えるくらいのところで止まった。
    「……さて、と。ココなら二人っきりで話せるよね」
    「うん?」
    「聞いて、セイナ。アタシの話」
    「どうした、改まって」
     リストはうつむき、スケート靴を脱ぎ始める。
    「あのね」
     脱ぎ終わるなり、リストは座り込んだ。つられて、晴奈も横に座る。
    「あの、……あのね」
    「……」
     リストはもごもごと、言葉を詰まらせる。そこで、晴奈が尋ねてみた。
    「エルスのことか?」
    「……そう」
     リストは顔を挙げる。やや吊り上がったその目は、今にも泣きそうに潤んでいた。
    「こないだ、ミラと、話をしたの」
    蒼天剣・傷心録 1
    »»  2010.05.10.
    晴奈の話、第547話。
    名狙撃手。

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    2.
     晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。
    「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」
    「いえいえー」
     人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。
    「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」
    「うん、また連れてってほしいわ」
     以前のリストであれば、こんな風に誘われてもつっけんどんに断るばかりだった。
     だが、央南での生活ですっかり丸くなり――と言うよりも、攻撃性が敵とエルスにのみ向けられるようになったと言うべきか――他者との人付き合いも、円滑にこなすことができるようになっていた。
    「それでぇ、ちょっと聞きたいなってコト、あるんですがぁ」
    「何?」
    「あのぅ、リストさんって銃、うまいんですよねぇ?」
    「うん、超得意よ」
    「でもですねぇ、あのぉ、アタシがヒノカミ中佐の側近してた時にぃ、ブリッツェン准尉って人がぁ、『俺が一番、銃の腕はいい』って自慢されてたんですよぉ」
     その名前を聞き、リストはある人物を思い出す。
    「ブリッツェンって、茶髪で赤耳の狐獣人の、ルドルフ・ブリッツェン?」
    「はぁい、その人ですぅ」
    「はっ」
     リストは鼻で笑い飛ばす。
    「あんなのタダのトリガーハッピー、銃をバカスカ撃てりゃ満足ってだけのバカよ」
    「そうなんですかぁ? アタシが聞いた話では、結構すごい成績出してたらしいですよぉ?」
    「訓練って、『5スナイプ』の?」
    「はぁい。460点出してたらしいですよぅ」
     それを聞くなり、リストは立ち上がった。
    「ふっ、そんならアタシの腕、見せてあげようじゃないの」



     リストはミラを連れて、軍の射撃訓練場に向かった。
    「で、あの乱射バカ、何使ってた? 511P?」
    「えーとぉ……」
     と、銃の管理をしている将校が、それに答える。
    「乱射バカって、ブリッツェン准尉か? ここで最高記録出した時のだったら確か、511だったぞ。P付いてない、無印版のやつ」
    「じゃ、ソレ貸して」
    「おっ、挑戦する気か? ……って、そう言やお前、ナイジェル博士の孫だっけ。
     ナイジェル一族の若い奴の中に銃の達人がいるとか聞いたことがあったけど、それ、お前のことか?」
    「そうよ。早く貸してよ」
     そう答えたリストに、将校はニヤリと笑って返した。
    「面白い。何点出せるか、見せてもらおうじゃないか」

     ちなみに、この射撃訓練は次のようなシステムになっている。
     100メートル離れた場所にある的を狙撃し、的の中心を打ち抜けば100点。そこから15センチ離れれば、90点。さらに、5センチ離れるごとに10点ずつ減点され、中心から60センチ離れれば、無得点となる。
     それを5セット行い、その総合点を命中精度として評価する。この訓練は王国軍の中では、通称「5スナイプ」と呼ばれている。
     ルドルフの460点とはつまり、1発が中心に命中し、残り4発もすべて、15センチ以内に納めたと言うことである。

    「ま、見てなさいよ」
     狙撃銃を受け取ったリストは早速、伏射体勢を取って構える。
    「じゃ、お願い。……はい!」
     リストのかけ声に合わせ、的が立ち上がる。少し間を置いて、リストが狙撃した。
    「どうだ? ……へぇ」
     的側にいた兵士から、100点であると言う返事が返ってくる。
    「まずは、満点か」「黙ってて。気が散る」「おっと」
     リストににらまれ、将校は口をつぐんだ。
    「次!」
     リストが声をかけ、二枚目の的が立ち上がった。今度は間を置かずに、すぐに狙撃する。
    「……ほう」
     これも100点だと、返事が返ってくる。
    「次!」
     三枚目も、100点。
    「……マジか」
    「次!」
     これも中心を撃ち抜き、100点。
     これに気が付いた兵士たちが、ゾロゾロと集まってきた。
    「『5スナイプ』で連続100点!?」
    「どんな銃だよ……」
    「511の無印だってさ」
    「嘘だろ、もう型落ちだってそれ」
    「でも、ブリッツェン准尉も同じ銃で460でしょ?」
    「……もしかしたら」
    「もしかするかも」
     ざわめく兵士たちを、リストが怒鳴りつけた。
    「うるさい! 邪魔!」
    「……っ」
     兵士たちは一斉に押し黙り、リストの挙動に注目した。
    「次!」
     リストの声に応じ、最後の的が立ち上がる。
     最後の一枚は、先の4回よりも時間をかけて狙撃された。
    「……っ」
     その直後、リストが小さくうめき、床をドカドカと叩きつけて悔しがった。
    「どうなった……?」
    「出るぞ、結果出るぞ」
    「……あ」
    「90、……か」
     リストは振り返り、もう一度兵士たちに怒鳴りつけた。
    「アンタらがうるさいからよ、ホント邪魔っ!」

     最後にケチが付いたとは言え、総合で490点となった。
    蒼天剣・傷心録 2
    »»  2010.05.11.
    晴奈の話、第548話。
    恋焦がれて。

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    3.
     元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。
     ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。

     それが、「5スナイプ」を行った、たった2分間で逆転した。
    「490って、すげえな」
    「うわさも案外、間違ってないってことか」
    「向こうじゃ、彼女に感化されて銃開発が始まったらしい」
    「それも流石、エド博士の孫って感じだな」
    「そう言えば、チェスターはアニェッリ先生に会ったらしいぞ」
    「先生に? じゃあ……」
    「らしいですよ。銃を、オーダーメイドで作ってもらったとか」
     どうも、北方人はうわさ好きな性分を持っているらしい。あっと言う間に、リストが「ポプラ」を持っていることまで伝わってしまった。



     数日が過ぎ、うわさはエルスの耳にも入った。
    「へぇ、あの子がねぇ」
    「今はもう、リストさんのことで持ちきりですよぉ」
    「馴染めたみたいで良かったよ、はは……」
     その口ぶりが、ミラの中で引っかかった。
    「……エルスさんってぇ、なんだかお兄ちゃんみたいな言い方しますねぇ?」
    「ん?」
    「リストさんのコト、どう思ってるんですかぁ?」
     そう尋ねられ、エルスは笑顔のままポリポリと頭をかき、困った様子を見せた。
    「うーん……、それも良く聞かれるんだけどねぇ。あの子、僕の周りをいっつもウロウロしてるから」
    「え……」
    「あの子は妹みたいなもんだよ。君の言ったこと、間違ってない」
    「そう、なんですかぁ」
     エルスの回答に、ミラはがっかりした。

     ミラが失望したのには、理由がある。
     リストと喫茶店で話をした時に、リストはエルスに好意を抱いていると気付いていたからだ。
    「……ですって」
    「そう」
     グリーンプールでの演習の合間に、ミラはエルスの、リストに対する感想を、本人にそのまま伝えた。
    「で?」
     だが、リストは無反応を装う。
    「えっ?」
     リストの、気の無さそうなその口ぶりを、ミラは一瞬意外に思った。しかし――。
    「それが、どうしたのよ」
    「……リストさん」
     リストの目は、小刻みに震えている。
    「何よ」
    「……好きなんでしょ?」
    「何が」
    「エルスさんのコト」
    「……んなワケっ、ないじゃないの……っ」
     そう言った途端、リストの目からボタボタと涙がこぼれる。
    「アタシがっ、……あんなっ、いっつも、ヘラヘラしてるヤツ、好きなっ、ワケ、ないじゃない……っ!」
    「あ、あのぅ」
    「そうよ、いっつも、ポカポカ殴ってっ、ひどいコトばっか言ってる、アタシのコトなんて……っ、好きで、好きでいてっ、くれるワケっ、……ない、し、っ」
     言葉とは裏腹に、リストの涙はとめどなく流れ続ける。
    「そりゃ、手のかかるっ、いも、とっ、……妹でしょ、そりゃ、ね……っ」
    「あ、あのぅ、リストさん」
    「ま、マシよね、ホント……っ! 嫌ってない、なんて、逆にっ、おかしい、くらい、じゃ、ないっ……」
    「も、もういいですからぁ」
    「なっ、何が、いいのよっ、……グス、グスっ」
     リストの声に、嗚咽が混じり出す。
    「グス、……帰ってっ」
    「え、え……」
    「帰ってよっ!」
    「……はい、あのぅ、……失礼しましたぁ」
     これ以上どうにも応えきれなくなり、ミラはそそくさとリストの前から姿を消した。



    「……そうか」
    「アタシ、さ……」
     ミラとの会話を晴奈に伝え、リストはまた泣き出しそうに、顔を歪めていた。
    「どうして、こんななのかな」
    「こんな?」
    「ちょっと、何かあると、滅茶苦茶なコト言って、みんな困らせてさ。ミラにも、怒鳴って追い返しちゃったし。
     こんなだから、エルスはアタシのコト、好きでいてくれないんだよね」
    「……そんなことは」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめる。
    「そんなことは、無いさ。嫌いなわけが無い。でなければ天玄の時、お主を助けようなどとするものか」
    「でも、アイツは、コスズと……」
    「……どうなるか、まだ分からないさ。いっそのこと、言ってみたらどうだ?」
     リストは顔を挙げ、晴奈の顔をじっと見た。
    「え?」
    「お主の胸のうちを、まだ、エルスと小鈴が結ばれないうちに」
    蒼天剣・傷心録 3
    »»  2010.05.12.
    晴奈の話、第549話。
    大人デートと、少女の抵抗。

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    4.
    「んっふふー」
     グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。
    「気に入ってもらえたかな?」
    「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」
    「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」
    「あーら、ありがと」
     ちなみに今日の小鈴は、普段の巫女服ではなく、北方風のドレスを着ている。これも、エルスからの贈り物である。
     エルスの方も普段着ではなくスーツを着ており、二人の様子は店内の上品な雰囲気に、ぴったり合っていた。
    「ところでさ、エルスって」
    「ん?」
    「この戦争終わったら央南に永住する気らしいけど、ホント?」
     エルスはワインをくい、と呑み、小さくうなずいた。
    「うん、そのつもりだよ。もう北方に戻る気は無いし、今は央南でかなりいい仕事に就いてるからね」
    「んじゃさ、奥さんとかも向こうで探す感じ?」
    「……あー、どうなのかな」
     エルスは小鈴にワイン瓶の口を向けながら、首をわずかに傾ける。
    「まだそんな気、無いかな。今結婚しても、何だか持て余しそうだし」
    「んふふ、晴奈には『子供作ろう』とか言ったクセに」
    「はは、あれは冗談だって」
    「30超えたオジサンがそんなコト言ったら、冗談じゃすまないわよ」
     そう言われ、エルスは黙り込んだ。
    「……あれ? 何か変なコト言っちゃった?」
    「あ、いや。……確かにもうおじさんなんだよな、僕って」
     エルスはにこやかな表情のまま、自分の手をじっと見つめる。
    「若いつもりしてたけど、確かに手は、10代、20代の頃に比べて張りが無くなった気がする。アケミさんにも言われたけど、歳、取ってるんだなぁ……」
    「アハハ、何を今さら」
     と、小鈴も自分の胸に手を当てる。
    「……あたしも歳取っちゃったかなぁ。エルフだけど」
    「大丈夫、そこは歳取ったように見えないよ。全然若い」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく尋ねる。
    「あら、ドコ見て言ってるのかなー?」
    「大渓谷、だね」
    「んもう、……ぷ、ふふふっ」
    「ははは……」
     二人は楽しげに、食事と会話を楽しんでいた。

     店を出た後も、エルスと小鈴は並んで道を歩いていた。
    「はー……。美味しかったわー、ワインとご飯」
    「気に入ってもらえて何より、かな」
     エルスはニコニコと笑いながら、小鈴の手を取って歩く。小鈴もうれしそうに笑い、手を任せている。
    「……ねー、エルス」
    「ん?」
    「また連れてってね、美味しいお店とか」
    「ああ、もちろん。僕も君と、色んなところ行きたいからね」
    「……ふふ」
     小鈴はエルスの腕を、ぎゅっと抱きしめた。
    「にしてもさ、最初に会った時はそんなにエルスのコト、気にしてなかったんだけどな」
    「そうなの?」
    「うん、ふつーに『晴奈の友達』くらいにしか思ってなかったし」
    「……そうだな、僕もコスズのことは同じようにしか思ってなかったかも」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく笑う。
    「晴奈のおかげね、こうしてるのって」
    「はは、そうだね」
     そこで、エルスが立ち止まる。
    「……どしたの?」
    「ああ、うん。……うーん」
    「ん?」
    「……リスト」
     エルスは背後の物陰から見守っていたリストに声をかけた。
    「何か、用?」
    「……」
     声をかけられ、リストは仕方なく物陰から出てくる。
    「何かあったの?」
    「……」
    「黙ってちゃ分からない」
     エルスは依然ニコニコとしているが、その口ぶりはどことなく迷惑そうだった。
    「……ばか」
    「うん?」
    「どうして、アタシじゃないの」
    「……」
     今度は、エルスの方が黙る。
    「そんなに、アタシには魅力無いの?」
    「……」
    「そんなに、アタシのコト、邪魔?」
    「……」
    「ねえ、そんなに嫌いなの?」
    「……あのね」
     エルスはネクタイを緩めつつ、優しく返答した。
    「嫌ってなんか、いるわけないさ。ちょっと口は悪いけど明るい子だし、自分の好きなものにはすごく熱心になれる真面目さがある。それに、顔だって可愛い。嫌ってなんか、いない」
    「じゃあ、なんで……」
    「でもねリスト」
     エルスはそこで言葉を切り、じっとリストの顔を見つめた。
    蒼天剣・傷心録 4
    »»  2010.05.13.
    晴奈の話、第550話。
    好意のベクトル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。
    「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」
    「え……?」
    「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。
     でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に思ってる。でも、君と付き合いたいかって言われたら、それは違うんだ。
     だって、妹だもの」
    「……っ」
     エルスの言葉に、リストの目からぽろっと涙がこぼれる。
    「……君をできるだけ傷つけたくなかったから、今まで言わないようにしてたけど。でも、僕にとってはそうなんだよ、リスト。
     僕は君を、女として見れない」
    「……うっ、……」
     リストののどから、嗚咽が漏れ始める。
    「……本当に、ごめん。長い間、君をだましていたも同然だ」
    「……なんで……ぐす……」
     リストは泣きながらも、なお話を続けようとする。
    「なんでっ、……あ、謝る、のよっ……」
    「それは……」
    「謝ら、ないでよ、ぐすっ……」
     リストはその場にしゃがみ込み、本格的に泣き出した。
    「アタシが、迷惑、ひっく、かけまくって、それで、ぐすっ、謝られ、たら、……うっ、う……、アタシ、ただ、のっ、バカじゃ、ない……、ひっく」
    「……ごめんね」
     エルスはただただその場で硬直していた小鈴の手を引き、リストの前から姿を消した。
    「……ばかっ……」

     それから2日、リストは演習に姿を見せなかった。



    「リスト、大丈夫か?」
     ずっと部屋にこもりっきりになっていたリストを心配し、晴奈が訪ねた。
    「……」
     部屋の中からは、返事が無い。
    「入ってもいいか?」
    「……」
     何度か呼びかけたが、反応は返ってこない。
    「……では、ここで話すぞ」
     晴奈はドアの前に座り、中のリストにぽつりぽつりと声をかけた。
    「その、……顛末は、聞いた。……残念だったな。まあ、その、気を落とすな、と言うのは無理だろうが、……その」
     晴奈はドアに向かって、深々と土下座した。
    「……すまぬ! 私が、お主をたきつけたりしなければ、このようなことには」「いいわよ」
     き、と音を立てて、わずかにドアが開いた。
    「セイナ、そんなに謝んないでよ。どっちにしろ、エルスがアタシを、付き合う相手って見てなかったんだから。遅かれ早かれ、こーなってたわよ」
    「リスト……」
    「ね、こっち来て?」
    「あ、うむ」
     晴奈は立ち上がり、部屋の中に入る。
     部屋の中はぐちゃぐちゃに汚れており、この2日間の荒れようが見て取れた。
    「ゴメンね、汚くしてて」
    「あ、いや」
    「……やっぱり、ショックだったわ」
     リストはベッドの上に腰かけ、クシャクシャになった髪を簡単にまとめながら話し始めた。
    「ずっと、ずーっと好きだったのに。アイツ、全然そんな風には見てくれなかったなんてね。
     ……ううん、実はちょっと前から、気付いてた。アイツは、アタシのコト、そこまで好きじゃないって。ホントのホント、妹だったんだなってさ。
     でも、実際言われると、……こたえたわ、かなり。やっぱりさ、ハッキリ言われるまでは、心のどっかで『もしかしたら』とは思ってたわけよ」
     そこでリストは立ち上がり、服を脱ぎ始めた。
    「え、おい?」
    「あ、……ちょっと、お風呂入ろうかなって。2日、泣きっぱなしだったから。……そんでさ、後でまた、一緒にスケート行かない?」
    「ああ、それはいいが」
    「よろしくね。……じゃ、お風呂入るから」
    「ああ、うむ」

     1時間後、晴奈とリストは再び、沖の方へとやって来た。
    「今日、何日?」
    「12月20日だ」
    「そっか、もう年も変わる頃ね」
    「そうだな。後10日ほどで、双月節となる」
    「来年は、どんな年になるかしらね」
    「さて、何とも言えぬな。恐らくはまた、戦いの日々になるだろう」
    「そうね」
     リストはふーっ、と白い息を吐き、座り込む。
    「どうしよっかな」
    「うん?」
    「アタシさ、央南の黄州司令官、辞めちゃったでしょ? そんで、エルスにもフラれちゃったし。戦争が終わったら、どうしようかなって」
    「ああ……」
     晴奈もリストの横に座り込み、腕組みをして考える。
    「そうだな、しばらくはうちにいればいい」
    「セイナんち?」
    「ああ。父上の手助けなどすれば、しばらくは食うに困らぬだろう」
    「そうね、ソレいいかも。……んじゃさ、よろしく言っといて」
    「ああ、承知した」
     そこで、会話が途切れる。
     二人はそのまま、真っ白な水平線を眺めていた。
    蒼天剣・傷心録 5
    »»  2010.05.14.
    晴奈の話、第551話。
    女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。

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    6.
    「……そ、言やさ」
     不意に、リストが口を開いた。
    「セイナ、どうなの?」
    「うん?」
    「最近、トマスと仲いいみたいだけど」
    「えっ」
     聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。
    「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」
    「……いーわね」
    「な、何が、だ?」
    「アンタ、好きなんでしょ?」
    「そ、それは……」
     晴奈はかけていたマフラーをいじりながら、ボソボソと答える。
    「……少なくとも、憎からず思っている」
    「そっか。……なんで?」
    「なんで、って」
    「アイツ、頭いいけどすぐ人のコトにケチつけるし、自慢したがりだし。ドコがいいの?」
    「ああ、えー……、と」
     なお、晴奈は口をもごもごとさせる。
    「そうだな、私のことを、気にかけてくれるから、かな」
    「アンタを?」
     言いかけて、リストは「ああ」と納得したような声を出した。
    「そうね。アンタもエルスみたいに、『何でもできますよ』って感じのヒトだもん。自信家だし、実際腕もいいし、オマケに料理もうまいしね。
     でも、……そうよね。だからアンタのコト、ちゃんと見てないのかもね、みんな」
    「……」
    「……じゃ、さ」
     リストはいたずらっぽく、こう言った。
    「アタシもアンタのコト、気にかけるようにしたらさ、アンタもアタシを、好きでいてくれる?」
    「へ?」
    「……なんてね」
     リストはクスクスと笑い、手を振る。
    「他の誰よりも、トマスが一番にアンタのコト、思ってくれたからよね。他の人が『自分もあなたのコト、見てますから』ってアプローチしたって、遅いわよね」
    「あ、いや、リスト」
     晴奈は慌てて、リストの言葉に付け加える。
    「そんなことをせずとも、お主のことは嫌ってなどいない。お主も大事な友人だ」
    「……友人?」
     リストは晴奈に顔を向け――笑い出した。
    「……ぷっ、ちょ、セイナってば。なんで顔にそんな、マフラーぐるぐる巻きにしてんのよっ、あは、ははっ」
    「あ、いや、これは、……その、恥ず、いや、……うー」
    「あは、はは……、はー、何か久々に笑い転げた」
     リストは笑って出た涙を拭きながら、ぽつりとこう返した。
    「……友達、かぁ」
    「ん?」
    「そうよね、アンタはずっと、アタシの友達だった。改めて言われて、やっと実感したわ」
     そう言うとリストは、突然晴奈に抱きついた。
    「うわっ!? な、何だ!?」
    「セイナっ」
     リストは嬉しそうに、晴奈を抱きしめたままゴロゴロと氷の上を転がる。
    「ずーっと、友達でいてよね」
    「え? あ、ああ。もちろん」
    「約束よ」
    「う、うむ」
     ようやく解放され、晴奈は軽く目を回しながらもうなずく。
    「約束するさ。お主はずっと、私の友人だ。これまでも、そしてこれからも、な」
    「……うん」

     その時だった。
    「……ッ!」
     晴奈は自分と、横に寝転がっているリストとに、どこかから鋭く、貫くような殺意をぶつけられたのを感じ取った。
    「リスト、転がれッ!」
    「えっ」
     言うが早いか、晴奈はリストの襟元を引っ張って、無理矢理に体を横転させた。
     次の瞬間、今まで二人が寝そべっていた氷が、バシッと言う音とともに砕けた。
    「え……、銃撃!?」
     リストは自分たちが攻撃されていることに気付いたが、起き上がろうとはしない。
    「セイナ、伏せてて!」
    「ああ、分かっている」
     起き上がればそのまま、格好の的になるからだ。
     二人は寝そべった格好のまま、攻撃された方向を見定める。
    「……まさか、そんな!?」
     すぐに二人は、攻撃された方角を察知した。
     それは西南西の方角――即ち、あと半年ほど後に「ヘブン」が攻めてくるであろう方角からだった。
    「ウソでしょ……、歩いてきたって言うの!?」
    「いや、無理な話では無い。巴景が、それをやったのだ。最早、絵空事ではないのだ」
     二人の目には、斥候と思われる者三名が、銃を構えてしゃがんでいるのが見えていた。
    「どうしよう、セイナ?」
    「……念のため、刀を佩いていて助かった」
     晴奈はうつ伏せのまま、刀を抜いて火を灯す。
    「『火閃』」
     冷え切った周囲の空気が熱され、氷をわずかに溶かして真っ白な水蒸気を生む。
    「……っ」
     湯気の向こうで、斥候がたじろぐのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「今だリスト、走るぞ!」
    「うんっ」
     二人は立ち上がり、スケート靴で走り去った。

    「あっ、くそッ!」
     晴奈たちを狙撃した斥候は狙っていた相手が逃げたのを見て、舌打ちする。
    「い、今ならっ」
     もう一名が慌てて銃を構えたが、それを背後から止める者がいた。
    「やめとけ。当たるワケねー」
    「えっ」
     狙撃を止めさせたのは、フーの側近である銃士――ルドルフだった。
    「『ヘブン』じゃ、まともに銃を作ってねーからな。整備も適当なもんだ。そんな銃であの距離じゃ、かすりもしねーよ」
     斥候たちは不満そうに、逃げていく二人を眺めている。
    「しかし少尉、このまま逃がせば……」
    「いいんだよ、別に」
     ルドルフは肩をすくめ、ニヤリと笑う。
    「もうどうしようもねーよ、この距離まで来られちゃな。後は……」
     ルドルフは踵を返し、自分たちが元来た方向へと戻り始めた。
    「この凍った海を大量の歩兵で渡って、ブッ潰すだけだ。『トモエ作戦』、いよいよ本番ってワケだ」

    蒼天剣・傷心録 終
    蒼天剣・傷心録 6
    »»  2010.05.15.
    晴奈の話、第552話。
    トモエ作戦の始まり。

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    1.
     北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。
    「相手は、油断しきってたんだな?」
    「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」
    「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」
     斥候からの報告を聞き終えたフーは、ニヤリと笑った。
    「今から1時間で準備を整えろ! すぐにグリーンプールへ攻め込む!」
    「はっ!」
     フーの号令に、将校たちはバタバタと会議室を出て行った。
    「いよいよ、か」
    「そーね」
     フーの横には、ドールとノーラが座っている。
     本来ならば参謀のアランがそこにいるはずだが、フーは何としてもアランをこの場に居させたくなかったため、彼女らを今回、参謀扱いとしたのだ。
    「ま、奇襲とか強襲、電撃戦は俺たちの得意技だ。兵隊の大半は、蹴散らせるだろう。
     後は、敵主力への対策だな」
     その発言に、ドールが口を開く。
    「まず、リロイよね。アイツは確実に出張ってくるわ。アイツを放っておいたら、十中八九撃退されるわよ」
    「それと、トマス・ナイジェル博士ですね」
     ドールの所見を、ノーラが次ぐ。
    「この両氏は、『知多星』エドムント・ナイジェル博士の愛弟子です。手を組まれれば、どんな奇手・奇策で翻弄されるか」
    「あと、気になるのがあの『央南の猫侍』、セイナ・コウよ。実は央南抗黒戦争時代からの、リロイの腹心なんですって。当然、この場にも来てるわ。相手にするには、相当てこずるわよ」
    「だな」
     以前に晴奈に叩きのめされた覚えのあるフーは、短くうなる。
    「てこずると言えば、リスト・チェスターも懸念すべき相手です。央南での職を辞してまで、参戦したとか。その気概と腕前、それに指揮官・狙撃手としての手腕は警戒が必要です」
    「やれやれ、スター揃いだな」
     首をポキポキと鳴らしながら、フーはまた短くうなる。
    「それから、我々の元側近のトラックス少尉とブライアン軍曹も、リロイのそばにいるらしいわ。まさか、敵に回すコトになるなんて思いもしなかったわね」
    「あいつらも、か。……真っ先に潰すべきヤツは、全部で6人か。
     対策は?」
    「できてるわ。『ヘブン』のアッチコッチから、いいのを揃えてるわよ。それで精鋭部隊を組織してるからね」
    「そっか。……お前に任せっきりにしてたが、どんな奴らなんだ?」
     聞かれたドールは、にんまりと微笑んだ。
    「現在の側近であるアタシたち4名と、前政府の頃に投獄された囚人が3名、それから央北を旅してた手練の傭兵が3名。
     こんだけ集めれば、どーにでもなるでしょ」



    「確認したよ。確かに敵は、すぐそこまで来てた」
     晴奈たちからの報告を受けたエルスは、すぐ氷海に兵士を送り、偵察させていた。
     その結果、多数の軍勢がスタリー島に駐留していることが判明し、王国軍と、演習に来ていた同盟軍は騒然となった。
    「どうする?」
     尋ねた晴奈に、トマスが緊張した面持ちで答える。
    「迎え撃つしかないよ」
    「しかし、軍備はまだ整っていない。真冬で漁業や農業が閑散期にある現在、沿岸部の備蓄の半分以上は民間に供給されている。
     無理矢理引き上げ、徴発するにしても、足りるとは……」
    「分かってるよ、そんなことは! でも、やるしか……、っと」
     トマスは顔をしかめつつ、晴奈に怒鳴りかけて、途中で頭を下げた。
    「……ごめん。イライラしてた」
    「ああ、いや、……確かに、事態はかなり悪い。備蓄で不利な点ひとつ取っても、このまま攻め続けられれば、押し負けるのは明白だからな」
    「うん。それに『この地域』で、そして『この時期』で敗北することは、僕らにとって非常に痛手過ぎる。
    『まさかこの、海が凍りついたこの時期にむざむざ攻め込まれ、北方では裕福なはずの沿岸部において、物資不足で負けた』なんて聞いたら、軍の士気は著しく下がるだろう。
     そうなればこの後、僕らが勢力を盛り返すことは非常に難しくなる。折角の同盟も、無駄になってしまう」
    「むう……」
     晴奈とトマスは、互いに腕を組んでうなった。
     と、リストがエルスに顔を向け、平然とした顔で尋ねた。
    「エルス、対策は?」
     うろたえたのは、エルスの方だった。
    「えっ、……ああ、うん。これから検討する。……えっと、リスト?」
    「何?」
    「その……、この前は……」
    「ああ、アレ? 今そんなコト、考えてる場合じゃないでしょ?
     ソレともこの大銃士、リスト・チェスターに、この切羽詰った状況でまだ、引きこもっててほしかった?」
    「あ、いや。……分かった。よろしく頼んだよ、リスト」
     リストは小さくうなずき、エルスに背を向けてこうつぶやいた。
    「アンタ、ココで負けて死んだりしたら、承知しないわよ。アタシも、コスズもね」
    「……もちろんさ。負けたりしない」
    蒼天剣・氷景録 1
    »»  2010.05.17.
    晴奈の話、第553話。
    リストの扇動演説。

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    2.
     同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。
     通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集まらないだろう」と、トマスやエルスと言った司令陣が判断し、残った軍備で対処することとなった。
     また、通常ならば沿岸部の護りの要となっている軍艦も、氷結のために一切動かすことができない。また、軍艦に配備される兵士も、攻め込むのを基本とする海兵隊ばかりであり、防衛向きの人材ではない。
     これほどネガティブな要素が揃ってはいるが、同盟軍には防衛以外の選択肢はなかった。沿岸部における最大の軍事拠点、グリーンプールを落とされれば、ジーン王国の兵士は皆、士気を大きく落とすことになる。そしてそれは、同盟全体の士気にも関わってくるのだ。
     兵士が活力を失えば、今後の戦いは非常に苦しくなる。今ここで敵の猛攻を防ぎ切るしか、同盟軍に活路は無かった。



    「銃士隊、全12分隊、配置整いました!」
    「術士隊、全10分隊、配置整いました!」
    「海兵隊、全16分隊、配置整いました!」
    「歩兵隊、全24分隊……」
     港に敷かれた防衛線に兵士が集まったことが、作戦本部内に陣取るエルスに次々報告される。
    「ありがとう。総数は1500ってところかな。敵の数はどれくらい?」
     尋ねたエルスに、斥候が答える。
    「5000弱と思われます」
    「……ありがとう」
     圧倒的な差を聞かされ、流石のエルスも笑顔をこわばらせている。
    「やれることは全部やろう」
     エルスは晴奈たち主力を集め、会議を開いた。
    「作戦を一つ、考えてはいるんだ」
    「何だ?」
    「氷海さ。人が乗れるとは言え、氷は氷だよ。しっかりした大地じゃない。それを割ることができれば、いくら兵士の数があっても役に立たなくなる。
     それに、敵の中核は元北方人だ。この凍った海にはみんな、畏怖の念がある。ここで氷が割れ、敗走することになれば、逆にあっちの士気が大きく落ちるだろう。
     この戦いは、兵力対兵力じゃない。士気対士気の戦いなんだ」
    「なるほど。しかしどうやって割る?」
     晴奈の質問に、ミラがひょいと手を挙げる。
    「それはですねぇ、術士隊が引き受けますぅ。
     物理的にぃ、氷を割るのは難しいと思うのでぇ、魔術で氷を溶かすなりぃ、変形させるなりしてぇ、割ろうと考えてますぅ」
    「だから、僕たちはできるかぎり沖合には出ない。もしあんまり遠くに出ていたら、巻き込まれるか、分断される恐れがあるからね」
    「しかし、それには不安があるよ」
     ここでトマスが、眼鏡を直しながら反論する。
    「その作戦は、僕らの行動範囲が著しく制限される。いくら防衛戦だからって、じっと固まっているわけにも行かないだろう?」
    「もちろん割れる際には、合図を送る。それまでは、ある程度前に出てもらうつもりだよ」
    「氷が割れるのは、どのくらいかな。厚いところでは、2メートルはあると聞くけど」
     この問いに、ミラは表情を曇らせる。
    「……多分、12時間くらいだと。……早くて」
    「12時間か……。それまで、兵士が持つだろうか」
    「持たせるしかあるまい」
     晴奈の言葉を最後に、作戦会議は締めくくられた。

     銃士隊にとって幸運なことに、日中は無風だった。
    「いい? とにかく、近寄らせないコト。この防衛戦は、アタシたちの頑張りで結果が変わってくるって言っても過言じゃないわよ。
     そりゃ相手の数は半端じゃないし、いずれは押し切られるわ。でもそうなるまでに、どれだけ相手が減ってるかで、この後戦うみんなの負担が変わってくる。負担が軽くなればなるだけ、この街を守り切れる確率も上がってくるのよ。
     今日、ココが落とされなければ、この後あいつらがいくら攻撃してこようと、陥落するコトはまずない。今日の戦いにはかかってるのよ、色んな大事なモノが」
     銃士隊の指揮権を任されたリストは彼らの前に立ち、士気をあげるべく演説する。
    「絶対諦めず、最後の一発まで撃ちつくして。後から戦う、皆のためにも。
     それじゃ全員、構えて!」
     リストの命令に従い、銃士たちはそれぞれ射撃体勢に入った。
    「……頼んだわよ、『ポプラ』、それからみんな」
     リストもディーノから贈られた狙撃銃、「ポプラ」の安全装置を外し、氷原の向こうから来る敵を待ち構えた。

     銃士隊全員は静止したまま、凍った海の向こうをにらみ続ける。
     やがて、太陽が彼らのにらむ方向に、傾きかけた頃――。
    「……来たぞ!」
     誰かが叫ぶ。
     それと同時に、リストの目が、遠くから列を成して歩いてくる、黒い影を捉えた。
     だが、まだ引き金を絞らない。
    「みんな、待ちなさいよ! まだ、当たる距離じゃない」
     皆もそれを分かっており、銃声はどこからも聞こえない。
    「まだよ、まだ……」
     黒い影は続々、水平線の向こうからやってくる。
    「もう少しよ……」
     その大量の黒い影は、やがてそれぞれが人の形と確認できるまでに近付いた。
    「用意!」
     リストの声と同時に、あちこちから銃を構え直す音が響く。
    「……」
     黒い影は足を止め、背負っていた盾をかざし始めた。
    「……」
     それでもまだ、リストは撃たない。
    「……」
     盾をかざしたまま静止していた敵軍がまた、ゆっくり、ゆっくりと歩を進め始めた。
    「……」
     その速度がじわじわと増していき、ついには走り始めた。
    「……撃てーッ!」
     リストは叫ぶとともに、「ポプラ」の引き金を絞った。
    蒼天剣・氷景録 2
    »»  2010.05.18.
    晴奈の話、第554話。
    割れない氷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。
     あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。
    「撃て、撃て、撃てええーッ!」
     リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。
     だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。
    「くそ、効かない!」
     銃士たちの中から、苦々しい声が漏れる。それを聞いたリストが、怒鳴りつける。
    「効く! そのまま撃ち続けなさい!」
    「し、しかし」
    「いくら人が乗れるからって言っても!」
     リストの「ポプラ」が、何発目かの銃弾を吐き出す。
    「氷の上よ! そんなに重たいもの、持ってけるワケない!」
     その言葉を裏付けるように、リストの放った銃弾が敵兵の持っていた盾を貫通した。
    「ぐふっ……」
    「ほら見なさい! 薄いのよ、あの盾は!」
     あちこちからボゴボゴと、盾に穴が空く音が響き始める。そして最前列にいた敵兵たちが、ガタガタと崩れ始めた。
    「さあ、撃って! 銃が灼けつこうが、何しようが、とにかく撃つ! 撃ちまくるのよ!」
     一旦敵が崩れ始めると、銃士たちの士気も上がり始める。
    「うおおおお……ッ!」
     銃士たちは咆哮を上げ、さらに銃を乱射していった。

    「予想通り、であるな」
    「そっスね」
     ハインツとルドルフ、そして2名の傭兵が単眼鏡を使い、離れた場所で第一陣の様子を観察していた。
    「あやつらで押し切るのは、やはり難しいだろうな」
    「まー、無理っしょ。元々、第一陣は敵の弾を消費させるのが目的ですから」
    「ではそろそろ、第二陣と言うわけか」
    「いや、それはまだっス。あのイケイケちゃんなら、目の前の敵をとりあえず殲滅させなきゃ気が済まないでしょーし、このまんま一旦弾が切れるとこまで、持ち込ませときましょ」
    「ふむ。……退却させなくていいのか?」
     ハインツの発言に、ルドルフはコリコリと狐耳をかく。
    「んー、そりゃ得策とは言えないっしょ」
    「何故だ? 犬死にさせる気か?」
    「軽量化重視のせいで、あいつらの防具はせいぜい盾だけっスよ? 後ろ向いて退却したら、蜂の巣じゃないっスか」
    「……あ、なるほど」
    「それよりか、このまんま弾が切れるまでじっとしてた方が、ずっと生き残れる可能性が、……って、おいおい」
     ルドルフの目論見をよそに、第一陣の兵士たちはじわじわと下がり始めた。
    「……あーあ、撃たれちまってる」
     ルドルフはくわえていた煙草を捨て、背中に提げていた銃を手に取った。
    「んじゃ、ま、しゃーない。第二陣、用意させますか」
     ルドルフは空包を銃に込め、空に向けて撃った。
    「じゃ、ハインツの旦那。よろしく頼みましたよ」
    「うむ。……ではお主ら、行こうか」
     ハインツは傭兵たちを引き連れ、敵陣へと向かっていった。



     戦闘が始まってから、あっと言う間に1時間が経過した。
    「どうって?」
    「まだ全然」
    「そっか」
     港の両端にいる術士隊から、「思った以上に氷が分厚く、現状において割れる気配はまったくない」との報告を受け、トマスが不安がっていた。
    「間に合うかな……」
    「間に合わなきゃ困る。間に合わせてくれるさ」
    「そうだけども」
     おろおろとしているトマスに対し、エルスは泰然自若と構えている。
    「落ち着きなよ」
    「そ、そうは言っても」
    「エドさんも言ってたろ? トップが慌ててたら、組織全体もガタガタになる」
    「……そうだね。うん」
     トマスは椅子に座り、コーヒーを手に取った。
    「大丈夫かな」
    「また言ってる」
    「いや、術士隊の方もだけど、それを守るセイナたちもさ」
    「それこそ、心配無用ってもんさ。北端にはセイナとコスズのコンビ、南端にはミラとバリーのコンビを筆頭として防衛線を敷いている。
     何があっても、彼らの敗北は無いさ。ってことは、時間さえかけられればこの作戦は成功するってことになる」
    「……うまくいけばいいけど」

     グリーンプール港、北端。
    「どうだ?」
     晴奈に尋ねられ、術士の一人が答える。
    「術式の方は順調に作動しております。しかし、効果が今ひとつと言うか……」
    「って言うと?」
     今度は小鈴に声をかけられ、術士は困った顔を向ける。
    「想定されていたより、氷が分厚いようです。それに気温が時間を追うごとに段々と下がっているため、厚さがジワジワと増しているようで……」
    「あっちゃー……、そー言やそーよね」
     頭を抱えてうなる小鈴に、術士が説明を継ぎ足す。
    「ただ、それもある程度は想定内と言いますか、半日経てば朝日の昇る時刻が近付き、気温も上がってきます。
     氷の下を流れる海流も温められるので、氷もその時間には割れやすくなるかと」
     報告を受け、晴奈は肩をすくめる。
    「どうあっても、残り11時間はかかると言うわけか。
     まあ、計画に変更は無いのだから、何も悩むことはないか。守りには専念できそうだな」
    「頼んだわよ、晴奈」
    「ああ、任せろ」
     晴奈は小鈴と手をばしっと合わせ、気合を入れ直した。
     と――晴奈の視界の端に、氷海の向こうからぞろぞろと歩いてくる影が映る。
    「……やはり来たか」
    「みたいね」
     二人は迫り来る敵兵たちに向き直り、身構えた。
    蒼天剣・氷景録 3
    »»  2010.05.19.

    晴奈の話、第525話。
    傀儡のフー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「号外! 号外!」
     街中に、新聞とビラが飛び交っている。
    「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」
     ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。
    「またなの……?」
    「もう終わったって言ったじゃないか」
     新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。
    「何を考えているんだ!」
    「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか!?」
     やがてその怒りは熱に換わる。
    「もう放っては置けない!」
    「『ヘブン』の横暴、許すまじ!」
     熱気が街中に伝播し、狂気を帯びていく。
    「『ヘブン』打倒だ! 今こそ、この央北を正すのだ!」
    「おうッ!」
     クロスセントラルの市民たちは手に武器を取り、「ヘブン」の居城、ドミニオン城へとなだれ込んだ。
    「ヒノカミ陛下を倒せーッ!」
    「倒せーッ!」
     だが、その怒号は突然かき消された。
    「ぎゃッ!?」
     突然、暴徒の一人が、胸から血を噴き出して倒れたのだ。
    「な、なん……、ごはッ!?」
     別の暴徒の頭が、粉々になる。
    「ひ、ひい……、ぎゃあああーっ!?」
     また別の暴徒が、突然燃え上がる。
    「に、逃げろ! 殺される!」
     勢いづいていた暴徒たちはあっと言う間に、城の前から消えた。

    「……片付けとけ」
    「はっ……」
     城の窓から様子を見ていたフーは、短く命じてその場を歩き去った。
    (くそ、くそ、くそ……)
     フーは内心、毒づいていた。
     無理矢理に戦争を始めさせたアランに。
    (俺の……俺のことを……何だと……)
     それに追従していった側近たちに。
    (俺は……お前らにとって……王じゃないってのかよ……)
     戦争が始まると知った途端、暴徒と化した民衆に。
    (俺は……何なんだよ……)
     そしてそれを、止められなかった自分に。
    (俺は……道化か? 道化だって言うのか?
     悪魔を倒したのは俺だ。軍を率いたのも俺だ。『ヘブン』を築いたのも俺なんだ!
     それがどうだ! 俺は今、バカみてーなマント羽織って、バカみてーな王冠載せて、バカみてーに『片付けろ』なんて命令してやがる!
     バカだ、バカなんだよ俺は……ッ! 何にも決定権の無い、何も動かすことのできない、ろくでなしの大バカ大王だッ!)
     フーは万物に対し、底知れぬ怒りを覚えていた。
    「アランッ!」
    「どうした」
     呼べばすぐ、アランはやってくる。それだけが、以前と変わらないものだった。
    「兵の数は!」
    「およそ13万だ」
    「13だと!? 以前の調べでは、15万を超えると言っていただろうが!」
    「ここ数日、各地で起きた暴動により、死傷者が出ている。さらに、その事態の収拾に当たらせているため、手の空いている兵士は13万程度になっている」
     それを聞いて、フーの怒りはさらに燃え上がる。
    「はぁ!? 何寝言吹かしてんだ!? そもそもお前が、お前、が! 戦争やるぞっつったんだろうが! こうなるって分からなかったのかよ!?」
    「想定の範囲内だ。13万でも、十分に用は成す」
    「……チッ。じゃあ、戦艦の数は」
    「旗艦6隻に、巡洋艦24隻。駆逐艦10隻。その他諸々を合わせれば、50隻程度の戦力となる」
    「じゃあ、……ああ、もういい。下がれ」
    「分かった」
     アランはすっと、フーの側を離れた。
     と、アランが廊下の角を曲がろうとしたところで、フーはもう一つ尋ねた。
    「アラン」
    「何だ」
    「……俺は何者だ?」
    「王だ。この世界の、頂点に立つ王者だ」
    「本当かよ」
    「それ以外に何だと言うのだ?」
    「偉そうにしてりゃ、それだけで王様か?
     じゃ、お前の方が王様だろ。俺より偉そうにしやがって」
     フーはブチブチと文句を言いながら、自分の部屋へと足を向けた。

    蒼天剣・孤王録 1

    2010.04.15.[Edit]
    晴奈の話、第525話。傀儡のフー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「号外! 号外!」 街中に、新聞とビラが飛び交っている。「戦争だ! また戦争が始まったぞ!」 ビラを見た者たちは皆、一様にビラを握りつぶして嘆く。「またなの……?」「もう終わったって言ったじゃないか」 新聞を読み終えた者たちは皆、一様に新聞を地面に叩きつけて憤る。「何を考えているんだ!」「これ以上なお、我々を苦しめると言うのか...

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    晴奈の話、第526話。
    襲われた王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。
     そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。
    「おい、そこの!」
    「あ、……何、でしょうか」
     門に差し掛かってすぐ、門番に呼び止められるが――。
    「現在、城の出入りは制限されている! 城から出る用件を述べよ!」
    「あ? ……あー、はい、ああ。(よし、全然バレてねーな。まあ、まさか王様がノコノコ門前に来たりするなんて思わねーよなぁ)
     日上陛下より市街の様子を見てきてほしいとの、直々の命令を受けた次第であります」
     元々一兵卒の身であるフーにとっては、これくらいの対応は事前に予測できていたし、応対に関しても、何の問題も無かった。
     フーの答えに納得したらしく、門番は軽く敬礼しつつ応じてくれた。
    「そうか。……まあ、気を付けろ。言うまでもないことだが、城外は危険だからな」
     フーもぴしっと敬礼し返し、門番に礼を述べる。
    「はっ、ご配意いただき、恐縮であります。では、行って参ります」
     こうして難なく、フーは城から出ることができた。

    (ははっ……。ひでー荒れよう)
     自分たちが攻め落とした直後はそれなりに整備・清掃されていたはずの町並みは、今はぐちゃぐちゃに踏み潰されたビラと、あちこちで粛清された者たちの血で汚されていた。
    (これが、俺が王になった結果か。なんて情けねえ)
     市民たちは幾度にも渡る暴動と粛清の繰り返しで、兵士に恐れと、少なからぬ敵意を抱いているのは明らかだった。
     兵卒姿のフーが通り過ぎるのを、誰も彼もが店の奥や窓の裏、裏路地の陰で遠巻きに見つめながら、じっと待っていたからだ。
    (やめときゃ良かったんだ――カツミを倒した時点で戻っておけば、俺は祖国の英雄でいられたんだ。それかトモを更迭するってアランが言い出した時、俺がきっぱりそれを拒否しとけば、戦争やろうなんて話にならなかったはずだ。
     俺は、こんなひでー目に遭わせるために戦ったんじゃない。ましてや、王様になんて)
     フーは道の真ん中で立ち止まり、自責の念に震えた。

     と――。
    「……!?」
     がつっ、と言う音がフーの被っていた軍帽から響き、続いて鋭い痛みが走る。
    「が、……っ」
     ぐらりと視界が歪み、フーの姿勢は崩れた。
    「今だ! 畳み掛けろ!」
    「おうッ!」
     あちこちに隠れていた市民たちが一斉に飛び出し、棒やレンガを手に襲ってきた。
    (ま、まずい……っ)
     頭からボタボタと血を流しながらも、フーは彼らから逃げ出した。
     だが、暴徒の動きは止まらない。
    「逃がすなーッ!」
    「追え! 殺せ!」
    「我々の仇だ、絶対に逃がさないぞ!」
     聞こえてきた怒号に、フーは愕然とする。
    (か、仇だと? 俺が? い、いや、軍か。軍全体、ひいては『ヘブン』が、敵と見られてるのか……。
     わけが分からない。俺たちはこの国を、政争でドロドロになってたこの央北一帯を救うために来たってのに。
     ……違う)
     フーははた、と気付かされる。
    (俺は何のために戦った?
     世界を救うとか、そんなのはアランのたわごと。権力を手に入れるとか、それも俺が望んだことじゃない。
     俺は……、俺は、まったく)
     また、頭にレンガがぶつけられる。
    「う、ぐっ」
     後頭部に命中し、フーの意識は飛び散った。
    (俺は……まったく……俺自身の目的なく……他人の言いなりで……戦った……だけ……)



    「気が付いたか」
    「……!」
     フーが目を覚ますと、そこは城の医務室だった。
    「お、俺は」
    「城下町で教われ、倒れていた。暴動に気付いた軍が鎮圧に向かった際、お前がいるのに気付き、ここまで搬送した。
     何故外にいた? こうなると、分かっていただろうに」
    「分かるもんかよ」
     フーは後頭部をさすりながら、ぼそっと答えた。
    「様子が分からないから、俺は外に出たんだ。お前らだけで、話が進んでたからな。
     それで、……市民はどうなった?」
    「制圧した」
    「……殺したのか」
    「必要なだけは」
    「必要って何だよ?」
     フーは目を剥き、叫んだ。
    「何だよ、『必要』って!?
     殺すなよ! あいつらは本来なら、俺たちが護る相手だろ!? 何で殺す必要がある!? 護ってもらう奴に殺されるって、意味が分かんねーよ!」
    「我々に刃向かったからだ。完全に統制するためには、しかるべき威圧も必要だ」
    「……へっ、『統制』かよ。そうだよな、お前は何から何でも自分の思う通りコントロールしなきゃ気が済まないんだよな」
     フーはベッドから抜け出し、医務室を後にする。
    「軍も、『ヘブン』も、そして俺までも、何もかもを自分の思い通りに動かして、お前は何がしたいんだ?」
     フーは医務室の扉の前で振り向き、アランに尋ねる。
    「お前を王にする。それが私の意志だ」
    「王にして、それから?」
    「……」
     それ以上、アランは答えなかった。

    蒼天剣・孤王録 2

    2010.04.16.[Edit]
    晴奈の話、第526話。襲われた王。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 城内におけるフーの影響力は、既に無いも同然だった。アランにも、側近たちにもまともに相手にされず、毎日を無為に過ごしていた。 そんな日々が続き、ついに居ても立ってもいられなくなったフーは、一兵卒に変装して城を抜け出し、自分の目で現状を見て回ろうと考えた。「おい、そこの!」「あ、……何、でしょうか」 門に差し掛かってすぐ、門番に...

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    晴奈の話、第527話。
    王者の矜持。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。
     国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。



    「……」
     フーが市街地で襲われて以降、彼の周囲は以前にも増して静かになっていた。
    「……へへ……へっ……」
     フーはその晩も、浴びるように酒を飲んでいた。
     それ以外に、することが無いのだ。政務も、財務も、軍への指揮も、その他諸々、すべてアランと、彼が掌握した側近とがこなしている。
     彼は書類一つ触らせてもらえず、また、前回のように袋叩きに遭うことを懸念された結果、ずっと城の中に閉じ込められていた。
    「俺は一体、何なんだろうな……」
     酒浸しになった脳みそでぼんやり考えるが、思考はまとまらない。
    「あなた……、飲み過ぎよ」
     と、背後からそっと声がかけられる。
    「ランニャか……。何の用だ?」
     そう応え、振り向いた瞬間、ランニャの平手打ちがフーの頬をえぐった。
    「ぐえっ……!?」
    「何の用、ですって? 私に、妃の私に向かって、何て言い方をするの? 私は兵士や側近じゃないのよ? 用がなきゃ、夫のあなたに声をかけちゃいけないって言うの?」
    「お、怒るなよ、ランニャ。……俺が悪かったよ、変な言い方して」
    「……ごめんなさい。私も少し、イライラとしていたから」
     しゅんとなり、耳と尻尾を垂らすランニャを見て、フーの頭も冷える。
    「いや、悪いのは俺だって。……そうだよ、こんな風に、お前まで縮こまらせるような目に遭わせたのは、他でも無い俺なんだから」
    「あなた……」
     目を赤くするランニャを見て、フーは思わず抱きしめた。
    「悪い、本当に」
    「……ねえ、お話があるの」
     ランニャはフーから離れ、一瞬窓に目を向けた。
    「何だ? 改まって」
    「……もう、逃げない?」
    「え……」
     発言の意図が分からず、フーは硬直した。それを察して、ランニャが言葉を続ける。
    「この城から逃げないかと、そう言う意味よ。
     遠慮なく言ってしまえば、あなたはもう『お飾り』でしょう? あなたにはこの流れを……、戦争を止められない。かと言って、戦争に参加しようとも思っていない」
    「その……、通り、だけど」
    「それならいっそ、もう何もかも捨てて、私の国に戻らない?
     あなたが望むなら、前大公である私の力を使って、央中で平和に暮らすことができる。いいえ、ネール公国で重要な地位に就くこともできるわ。私がもう一度、大公に復位して、その片腕となることも」
    「それ、は……」
     フーは答えられず、うつむく。
    「……私はもう、あなたがしおれていくのを見ていたくないのよ。もうこれ以上、この『ヘブン』に未練なんて、ないでしょう?」
     未練、と言われてフーの頭に、何かが瞬いた。
    「未練……?」
     フーは頭の中から酒を払い、深く考え込んだ。
    (そうだ……俺はまだ……)
    「ねえ、フー。一緒に、行きましょう?」
     ランニャが呼びかけるが、フーは答えない。
    (……俺は……日上風。『風』が、流されてどうするんだ?)
    「フー?」
    (俺が、風を流さなきゃダメだ。……少なくとも今吹いてる風は、俺の望みじゃない。
     王様なんだ。俺はこの国を動かせる力がある。そう、力があるのはアランじゃない。俺なんだ!)
    「どうしたの、フー?」
    「……悪い、ランニャ。もう少しだけ、ここに居させてくれ」
    「えっ……」
     意外そうな顔をするランニャの頭を、フーは優しく撫でた。
    「心配するなって。……どうしても、やっておきたいことがあるんだ」



     翌朝、フーは側近とアランを集め、会議の場を開いた。
    「諸君。俺は、何だ?」
    「は……?」
     ハインツはぽかんとする。
    「王、でしょう」
    「そうだ。俺は、この『ヘブン』の王なのだ。であれば、すべての選択権は俺にある。そうだな?」
    「まあ、そうなりますね」
     ルドルフが半ば面倒くさそうに返答する。
    「だから、改めて俺は命じよう。西大海洋同盟に宣戦布告せよ、と」

    蒼天剣・孤王録 3

    2010.04.17.[Edit]
    晴奈の話、第527話。王者の矜持。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 市民の暴動は日を追うごとに静まっていった。幾度にも渡る制圧・粛清の結果、暴動を指揮・扇動していた者たちが殺され、市民たちが行動の指針を失ったからである。 国内の混乱が収まった頃、ようやく「ヘブン」は北方・央中・央南の三地域同盟――通称、「西大海洋同盟」に対しての、戦闘準備を調え始めた。「……」 フーが市街地で襲われて以降、彼の...

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    晴奈の話、第528話。
    実権再奪取。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ちょっ……」
     フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。
    「異論があるのか?」
    「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」
    「そうか。おい、連行しろ」
    「え」
     フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。
    「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」
    「な、なに、かんがえてんのよ……」
     ドールは信じられないと言う顔のまま、連行されていく。
    「じゃあ」
     と、ずっとうつむいていたノーラが立ち上がる。
    「私も牢に行くわ。あなたには付いていく気にはなれない」
    「そうか。連れて行け。ドールと同じ扱いをしろ」
     続いて、別の兵士がノーラを連行する。
     静まり返った場に、フーは威圧的な声を投げかける。
    「他に反対する者は? いれば今すぐ言え。言わなければ同意したと考える。
     どうだ? いないのか?」
    「……」
     誰も、何も言わず、静寂が続く。
     それを確認し、フーはふたたび口を開いた。
    「では、会議を再開する」

    「一体どうした? 突然、乗り気になったようだが」
     会議の後、アランがフーに尋ねてきた。
    「思ったんだよ。『このまんまお前に任せて、俺は平然としていられるか?』ってな」
    「意味が分からない。何を言いたい?」
     淡々と尋ねるアランを、フーはにらみつける。
    「お前に何もかもを任せれば、きっと俺の望むような結末にはならない。お前は、何もかもをやりすぎるからな。それも最悪な状況にまで」
    「うん? やりすぎる、とは?」
    「お前は俺や側近が必要だと思う以上に兵士を送り込んで滅茶苦茶に戦火を拡げて、敵も味方も、すべてを見殺しにするだろう。それで遺族から恨まれるのは、誰だ? お前か?」
    「そうではないだろうな」
    「だろう? それは間違いなく、俺になる。
     お前に任せた分の責任は全部、俺が被ることになる。と言って俺が自分で命じても、その責任はお前が負うことは絶対にない。どっちみち、俺が、負うんだ。
     お前に任せても、俺がやっても、結局すべての責任は俺に来る。なら最初っから俺が、全部やりゃいいんだ」
     フーはそこでアランに背を向け、こう続ける。
    「もうお前には何も任せない。俺が全部、指揮する。お前は黙って見てろ」
    「しかし……」
    「二度も言わせるのか? 黙れと言ったんだ」
    「……」
     アランはそれ以上何も言わず、その場を去った。

    「おいおい……、御大、ノリノリだぜ」
    「その様であるな」
     隠れて見ていたハインツとルドルフが、フーの振る舞いに感心していた。
    「ここんところずっと腑抜けになっちまってて、どうなることやらと思ってたけど」
    「やる時はやる、と言うことであろうな」
    「しっかし、スカッとしたなぁ。あのアランが、ぐうの音も出せなかったってのは」
     ルドルフはニヤニヤしながら、その場を離れた。
    「へへへ……、みんなに言いふらしてやろう。久々に御大がアランをヘコましたって」
    「かっか、それは面白い」
     ハインツもニヤリと笑い、ルドルフに同意した。



     フーがアランを叱咤し、事実上の更迭処分を下して以降、「ヘブン」内の風向きが変化した。
     理不尽な制圧・掃討を繰り返したことで軍内から忌み嫌われていたアランが消えたこと、名目上のトップであったフーが実権を取り戻し、明確に指揮を執り始めたことが好判断の材料となり、軍も、そして央北の世論も、次第に「ヘブン」を容認し始めた。

    「やっぱり、やってみて正解だった」
    「そう、ね」
     実権を取り戻して以降、フーは一滴も酒を飲まなくなった。
     フーは素面の状態で、妃と夕食を楽しんでいた。
    「でも不思議ね。あなたが行動した途端、すべてが円満に動き出すなんて」
    「俺は『風』だからさ。俺が動けば、風車も風見鶏も、止まっていたものは全部動くんだ」
    「クス、良く分からない例えね。……でも」
     ランニャはすっと、真面目な顔になる。
    「あなたは、戦争をしたくないんじゃなかったの?」
    「そうさ。したくなんかない。……だからこそ、『やる』と公言したんだ」
    「……? 分からないことばかりね」
     きょとんとする妻を見て、フーはニヤッと笑った。
    「すげー簡単で、単純なことなんだよ。
     例えばさ、俺が兵卒の食糧運搬担当で、全部で100キロ分あるジャガイモを運ぶことになったとする。嫌だなぁと思ってそのままにしてたら、上官から『10キロずつでもいいからさっさと運べ!』って指示されて、10キロ運ばされる羽目になるだろう。
     んでもそうなる前にさ、嫌々でも5キロずつ、5キロずつこまめに運んでおいたら、上官は『ちゃんと仕事してるな』と思って、文句は言わない。全体から見たら10キロを一度に運ばなくて良くなるから、楽もできる。
     何が言いたいかって言うとさ、つまり、悪いことが一度に、でっかく起こる前に少しずつ、少しずつ、こまめに消化して行けば、結果は同じだったとしても、過程はちょっとくらいは楽になるだろってことだよ。
     戦争は最悪の結果になるだろう。きっと、『ヘブン』は負ける。俺も無事じゃすまない。かと言って、止めさせることもできない。それならいっそ、俺がコントロールできるだけコントロールする。
     んで、できるだけ傷つく人を減らしておきたいんだ。俺が痛い目に遭うのは確実としても、俺以外のヤツが少しでも、死なないようにしていきたいんだ。
     俺一人が、責任を取ればいい。巻き込まないで済むヤツは、そのまま巻き込ませないようにしたいんだ」
    「何だか、王様らしくなったわね、フー」
     うなずくランニャを見て、フーは精悍な笑顔を作り、さらに続ける。
    「ランニャ、俺がどうなろうと、お前には何も追及されないようにする。
     ……だからずっと、俺の側にいてほしい。お前がいれば、俺は頑張れる」
    「ええ。付いていきます、あなた」
    「……ありがとよ」



     この後、投獄されていたドールとノーラもフーの意図に気付き、意見を翻した。フーは彼女たちを許し、改めて側近に加えた。
     フーの復活により、「ヘブン」は固い決意の元、西大海洋同盟と戦うことになった。

    蒼天剣・孤王録 終

    蒼天剣・孤王録 4

    2010.04.18.[Edit]
    晴奈の話、第528話。実権再奪取。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ちょっ……」 フーの発言に、ドールが目を丸くして立ち上がる。「異論があるのか?」「あ、あるに決まってんじゃない! アンタが、コレ止めるんじゃないかって思ってたのに、アタシ」「そうか。おい、連行しろ」「え」 フーの命令に、会議室の前で立番していた兵士たちが応じる。「牢に閉じ込めておけ。俺に従うまでだ。だが手荒にはするな」「な、...

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    晴奈の話、第529話。
    モールの災難。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央中、ゴールドコースト。
    「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」
     人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。
    「……! ったく、身軽にも程があるってね」
     一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。
    「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」
     モールの持つ杖から、ぱぱぱ……、と紫色の光線が飛び散り、もう一方の女に向かって飛んで行く。
    「……ッ」
     女はほとんど声を発さず、剣でその光線を受ける。
    「……うっそぉ!?」
     それを見たモールが、驚いた声を上げる。盤石の自信を持っていた自分の魔術が、どこの誰とも分からぬような相手に跳ね返されたからだ。
    「あ、まず……」
     その一部――光線の一本が、モールに戻ってくる。
    (何なんだってね、ホントに……! 今日はカジノでボロ勝ちして、さー帰って寝よう寝ようって思ってたところに、こんな……こんな面倒なヤツ……!)
     光線はモールの体を貫き、そのまま背後へと飛んでいった。
    「ぐ、っふ」
     血がパタパタと飛び散るが、モールは倒れない。瞬時に治療術を使って回復し、そのまま空き倉庫の中へ、転がるように逃げ込んだ。
    (あー、痛い痛い、痛いって! すっげ痛いってね、もおっ!)
     回復したとは言え、その痛みはまだ残る。モールはよろめきつつ、倉庫の床にへたり込んだ。
    「はーっ、はーっ……」
     モールは荒い息を整えつつ、床に魔法陣を描き始めた。
    (こうなりゃ、『取って置き』しかないね)
     フラフラになりながらも、どうにか完成させ、相手を待ち構える。
    (この床全部、爆弾にしてやったね! さあ入って来い、仮面女……ッ)
     モールは目をぎらつかせて、敵が入ってくるのを待つ。
    「……?」
     だが、一向に入ってくる気配は無い。
    (おかしいね……? 私がここに入ってくるの、見えてたはずだけど)
     と、首をかしげた次の瞬間――。
    「……えっ」
     モールの目の前、鼻先から数センチも離れていない空間を、何かが通り抜けた。続いて、壁から入口に向かって、一直線にヒビが走る。
    「……そうだ……、思い出した」
     仕掛けていた魔法陣も、そのヒビと衝撃に巻き込まれ、壊れる。
    「この技……、あの仮面……」
     壊れた魔法陣は暴走し、充填されていた魔力が単純なエネルギーへと変化し、爆発に変わる。
    (そうだ……! 晴奈をてこずらせた、あの女……!)
     爆発はモールを巻き込み、倉庫全体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

    「……なかなか、てこずった方かしら」
     モールと戦っていた巴景は剣を納め、跡形もなく吹き飛んだ倉庫を眺めた。
    「ま、それでも10分持たないか」
     ニヤリと笑い――相変わらず、口元以外は仮面で覆われているが――倉庫跡に背を向ける。
    「……あら」
     振り向いた先に、倉庫の瓦礫をぱたぱたとはたくモールが立っていた。
    「何のつもりだね、仮面女」
    「流石、賢者と名乗るだけはあるわね。どんな術を使ったのかしら?」
    「言う必要ないね」
     モールは恨めしそうな目を、巴景に向けてきた。
    「君のおかげで、今日カジノで稼いできた50万エル、全部どっかに散らばっちゃったね。50万だよ、50万。どうしてくれるね、本当に……」
    「あら、ごめんなさい」
     巴景はまた、ニヤニヤと口元を歪ませる。
     それを見たモールは、眉間にしわを寄せた。
    「謝る気、さらっさら無いってか」
    「いいえ? 多少はあるわよ。
     えーと……、50万? クラム換算だと、おいくらかしら」
    「は?」
    「まとまったお金、クラムしか持ち合わせてないの。……3万クラムくらい?」
     そう言って、巴景は背負っていたかばんから財布を取り出し、クラム金貨を3枚取り出した。
     そんな対応をされるとは思っていなかったらしく、モールは一転、目を丸くしている。
    「え? どう言う……?」
    「あなたと勝負がしたかった。それだけよ」
     そう言って巴景は、唖然とするモールの横を通り抜け、そのまま去っていこうとした。
    「ちょ、待てってね」
     モールは我に返り、巴景を呼び止めた。
    「なに?」
    「じゃ、君って、ただ私と戦うためだけに、倉庫一個、丸ごと吹っ飛ばしたっての?」
    「そうよ。それがどうかした?」
    「……バカじゃない、君?」
     モールの言葉を鼻で笑い飛ばし、巴景は答える。
    「私は私自身にとって、最も必要で、最も意義のあることをしているだけよ。それを愚かと言うなら、食べることや家を建てること、お金を稼ぐことも愚かな行為になるわ」
    「……」
     黙りこんだモールに再度背を向け、巴景はそのまま立ち去った。

     残されたモールは、渡された金貨を眺めながら、ぼそっとつぶやいた。
    「戦うために生きる。それがすべて、……か。
     厄介だよ、晴奈。あの女は本気で、君を潰そうとしてるね。それ以外まるで、眼中にないって態度だ。
     ……楓藤巴景、か。覚えておいてやるね」

    蒼天剣・無頼録 1

    2010.04.20.[Edit]
    晴奈の話、第529話。モールの災難。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 央中、ゴールドコースト。「『フレイムドラゴン』、吹っ飛べーッ!」 人通りのない、寂れた港の一区域で、二人の女が戦っていた。「……! ったく、身軽にも程があるってね」 一方は古ぼけたローブに身を包み、少年のように高いソプラノを発している――「旅の賢者」、モールである。「んじゃ、コレはどうだッ! 『フォックスアロー』!」 モール...

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    晴奈の話、第530話。
    巴景の武者修行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」
     そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。
    「ウチから?」
    「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」
    「ああ、ルードおじさんですか」
    「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」
     フォルナの言葉に、ジュリアは小さくうなずいた。
    「ええ。以前の……、フォルナさんが入る前の、518下半期エリザリーグ直後と似たような事件が、発生しているのよ」
    「って言うと、また誘拐っスか」
     そう言ったフェリオに、今度は首を横に振る。
    「いいえ、傷害事件ね。エリザリーグ出場者を狙った辻斬りが、これまでに5件発生しているの。
     特に520年からは、これまで『キング』の圧力で出場できなかった人たちが多数詰め掛けてきて、闘技場側もやむなく出場枠を5名から8名に拡大したから、被害に遭うと思われる人間は多数出てくるでしょうね」
    「出場者……って」
     それを聞いて、フェリオの顔が青くなる。
    「ウチのも、狙われそうっスね」
    「そうね。帰ったら、気をつけるよう声をかけておいた方がいいわ。まだ生まれたばかりでしょう、娘さん」
    「ええ。……まあ、ウチのに限って、そのままやられちゃうなんてコトはないでしょうけどね、ハハ……」
    「お前は頭が間抜けか?」
     バートが呆れた顔で、フェリオの頭をはたいた。
    「いてっ」
    「『傷害事件の被害者はエリザリーグ出場者』っつってんだろ。逆に言えば、エリザリーグまで行った強豪が大ケガしてるってことだぞ」
    「あ……」
     それを聞いて、フェリオの顔がまた青くなった。
    「……あのー」
     申し訳無さそうに口を開いたフェリオに、バートがうなずいた。
    「いいよな、ジュリア?」
    「ええ。注意は早めに呼びかけておいた方が、効果的だもの。今日は早めに帰って、奥さんに気をつけるよう言っておきなさい」
    「あざっす!」
     フェリオはぺこぺこと頭を下げ、飛び去るように公安局を後にした。



    「こんにちは」
    「ん? こんち、……は?」
     往来で声をかけられ、シリンは振り向いて挨拶をしかけた――が、声をかけてきたのは仮面を被った、いかにも怪しげな女だったため、途中で言葉に詰まる。
    「あなた、シリン・ミーシャさんよね?」
    「……そうですけど、どちらさん?」
     シリンは相手の風体を見て露骨に怪しがり、子供をぎゅっと抱きしめて後ろに下がる。
    「ちょっと、お話を、ね。……えーと」
     仮面の女――巴景は、シリンの抱えている子供を見て、躊躇した様子を見せる。
    「……とりあえず、本当にお話からしましょうか。
     ミーシャさん、お家は近くかしら。お子さんが一緒だと、動きにくいでしょう?」
    「……? まあ、うん。……あのー」
    「単刀直入に言うと」
     シリンが巴景の意図を図りかねているのを察したらしく、巴景は剣をわずかに抜き、刀身を見せてきた。
    「『これ』のお相手を、お願いしたいの。
     私は今ここで、無理矢理にでもいいけれど、お子さんを傷つけたくないでしょう? お子さんを安全なところに置いてから、の方がいいわよね?」
    「……せやな。ついてき」

     シリンの家に通された巴景は、シリンが荷物と子供を置いて戻ってくるのを待った。
    「茶、いるかー?」
     シリンの方も、単なる暴漢の類ではないと察したらしい。まだ警戒している様子はあるが、明るく声をかけてくる。
    「ええ、いただくわ。……私の知っている情報だと、エリザリーグに2回出場し、公安に捜査協力したことがある虎獣人の格闘家、としか聞いてなかったけど」
     家の中を見回すと、あちこちに人形やぬいぐるみが置いてあるのが目に付く。
    「いつ、結婚したの?」
    「去年やな。んー、と……、一昨年にダンナと知りおうて、その後ちょっと、一緒に央北に行ってる間に仲良うなってん。その、さっきアンタが言うてた、公安の協力しとった関係で」
    「じゃ、結婚したのは殺刹峰事件の後?」
    「ふぇ?」
     カチャカチャと、茶の用意をしていたらしい音がやむ。
    「覚えてないかしら? 私、晴奈と戦ったのよ」
    「……あー、あー! なんや見た覚えあるかも思てたけど、そやったそやった!」
     少しして、シリンが茶を二人分用意して戻ってきた。
    「ウチ、忘れっぽいねん」
    「あら、そうなの。……じゃ、私が名乗ってたのも忘れた?」
    「……ゴメン」
     巴景は肩をすくめ、改めて名乗る。
    「私の名前は、トモエ・ホウドウ。ちょっと前まで色々やってたけど、旅の剣士よ、今は」
    「あいあい。ま、茶でも……」
    「いただきます」
     と、巴景が茶に口をつけようとした、その時だった。
    「ただいま、シリン! 無事……」
     居間に入ってきたフェリオが、巴景を見て硬直した。

    蒼天剣・無頼録 2

    2010.04.21.[Edit]
    晴奈の話、第530話。巴景の武者修行。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「今回の案件は、ゴールドマン家からも依頼を受けているわ」 そう切り出したジュリアに、エランがきょとんとする。「ウチから?」「ええ。エラン君の、……いえ、親族関係を長々説明するよりも、九尾闘技場の主宰と言った方が分かりやすいわね」「ああ、ルードおじさんですか」「それでは、今回の調査依頼は闘技場関連、と言うことでしょうか?」 ...

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    晴奈の話、第531話。
    もっと強い子に会いに行く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「……あー」
     巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。
    (話がややこしくなりそうね)
     状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。
     一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。
    「誰だ、お前?」
    「旅の剣士」
    「ウチに何の用だ?」
    「奥さんに、用事があって」
    「……」
     フェリオは拳銃を取り出し、巴景に向かって構えた。
    「……手を、挙げろ」
    「いいけど」
     巴景はひょい、と両手を挙げる。フェリオは警戒しつつ、巴景が腰に佩いていた剣を取る。
    「満足した?」
    「……名前は」
     緊張を崩さないフェリオに、巴景はため息をつく。
    「トモエ・ホウドウよ。……ねえ、ミーシャさん。この人が、あなたの旦那さん?」
    「うん」
     シリンも緊張した目を向けつつ、茶をすする。
    「私、この人の顔見た覚え無いし、私のこと知らないみたいよ。あの時、いなかったみたいだけど」
    「あー。あん時、腕に大ケガしとって、屋敷ん奥で寝ててん」
    「あら、そうなの」
     そう聞いて、巴景はフェリオの腕をひょいと取る。
    「う、動くな!」
    「いい加減にしなさいよ。そんなの屋内で撃って、跳弾で子供に当たるかもって思わない?」
    「……っ」
     巴景の言葉に、フェリオの視線は一瞬泳ぐ。
    「ほら、離しなさいよ」
     巴景はその隙を狙ってフェリオの手首をつかみ、ギリギリと締め上げる。
    「う、あ……っ」
     たまらず、フェリオは拳銃を落とした。
    「ふーん、確かにアザみたいなのがあるわね。……ああ、これってあのネイビーの?」
    「うんうん」
     フェリオに興味を失い、巴景はフェリオから手を離した。
    「良く生きてられたわね。腕も、ちゃんと残ってるみたいだし」
    「色々あってん」
     手首を押さえてうずくまるフェリオを尻目に、巴景とシリンは会話を続ける。
    「でも何や、トモエさんて結構度胸あるねんな。拳銃向けられて、平然としとるし」
    「伊達に修羅場は潜ってないわ。拳銃向けられるよりもっと怖い体験、したことがあるもの」
    「そーなんやー」
    「……クス」
     シリンと話しているうち、巴景は笑い出した。
    「楽しい人ね、シリンさん」
    「え、そお?」
    「戦おうと思ってたけど、毒気抜かれちゃったわ。お茶いただいたら、帰るわね」
     それを聞いて、シリンはきょとんとする。
    「ええのん?」
    「ええ。まあ、……こんなこと言ってしまうと気分悪くしちゃうかも知れないけど、元々から期待外れだったのよね、この街」
     巴景はパタパタと手を振り、これまでの対戦を語る。
    「私、武者修行と思って、エリザリーグ出場者なら骨のある人がいるだろうと思って声をかけて、手合わせしてもらってたのよ。
     そしたらみんなあっけなくやられちゃうし、『剣なんか使って』とか『女のクセに』とか、泣き言をびーびー言ってくるのよ。武器なら晴奈だって、これまでの優勝者だって使ってたのに」
    「あー……。それはちょっと思たなぁ。
     ウチも去年のんは、子供生まれる前やったから観戦だけしとってんけど、あの519年上半期のんに比べたら、まるでママゴトやチャンバラやなーて思たわ。
     そら、クラウンににらまれただけでスゴスゴ引き下がる奴らやな、てな」
    「でしょうね、ふふ……」
     巴景は茶を飲み干し、立ち上がって床に置かれた剣を取る。
    「それじゃ私、そろそろお暇するわね」
    「……あー。ウチ、まだ本調子ちゃうから、今やってもつまらへんかもやろけど」
     シリンも立ち上がり、すっと右手を差し出す。
    「522年からは、復帰するつもり満々やしな。そん時、やろ」
    「いいわね。それじゃ、楽しみにしてるわ」
     巴景はシリンの手を握り、堅く握手した。
     と、すっかり意気消沈したフェリオを見て、巴景が声をかけた。
    「いきなり拘束しようとした、ってことは、公安が追ってるのね。さっき言ったリーグ出場者から、被害届でも出たのかしら。
     ま、これ以上被害者は増えないわ。飽きたから」
    「あ……、飽きた?」
     顔を上げたフェリオに、巴景は口元をわずかに曲げてこう言った。
    「もっと強い人に、会いたいの。さっき言った通り、ここの人じゃ相手にならないし。
     もうここには、用は無いわ」
    「……そうか」
     フェリオはまたうなだれ、ソファにぐったりと腰かけた。
    「じゃあ、とびっきり強いヤツが、ミッドランドにいる。そいつと会ってみたらどうだ?」
    「へえ?」
    「名前はテンコ。あのタイカ・カツミの弟子だそうだ。セイナさんも苦戦した相手だぜ」
    「……いいわね。ありがとうね、ダンナさん」
     巴景は会釈し、シリンの家を出た。



    「はい?」「何言ってんだ?」
     翌日、フェリオはジュリアに、公安への辞職願を提出した。
    「俺……、もうダメっス」
    「何があったんだ?」
    「昨日、家に帰ったら……、いたんスよ、犯人」
    「犯人って、リーグ出場者の傷害事件の?」
     ジュリアの問いに、フェリオは力なくうなずき、経緯を説明した。
    「そうか……」
    「……俺、公安に向いてないみたいっス。殺刹峰ん時も、ミッドランドん時も、捜査、とことん足引っ張ってるし」
     落ち込むフェリオを見て、ジュリアは煙草をくわえた。
    「……あのね、フェリオ君。それを言ってしまったら、エラン君の方がひどいわよ」
    「いきなり人を名指しでけなさんといてくださいよ……」
     エランがむくれるが、ジュリアは構わず話を進める。
    「それでもエラン君は、十分に職員の資格有りと私は思ってるわ。彼、どんなに下手を打ってもへこたれないもの」
    「……」
     ジュリアは手にしていたフェリオの辞職願を燃やし、それを使って煙草に火を点けた。
    「あなたは良くやったわ。あなたがテンコさんのことを教え、犯人を遠ざけたおかげで、被害はこれ以上拡大しないんだから」
    「あ……」
    「あなたはちゃんと街を護ったわ。自信、持ちなさい」
     ジュリアは灰になった辞職願をペール缶に捨て、話を切り上げた。
    「テンコさんが相手なら、犯人への制裁になるでしょう。
     さ、次の案件よ」

    蒼天剣・無頼録 3

    2010.04.22.[Edit]
    晴奈の話、第531話。もっと強い子に会いに行く。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「……あー」 巴景はスーツに山折れ帽を被ったフェリオを見て、公安職員だと悟ったが――。(話がややこしくなりそうね) 状況を面倒と感じこそすれ、相手が脅威であるとは微塵も考えていない。 一方、仮面を付け、剣を佩いた、いかにも危険人物然とした巴景を目にし、フェリオはにらみつけてくる。「誰だ、お前?」「旅の剣士」「ウチに...

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    晴奈の話、第532話。
    ミッドランドのアイドル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     央中中部、ミッドランド。
     街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。
    「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」
    「ふむ」
     彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。
     事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物になり、この日も魔術師たちに自分の得た秘術を教えていた。
     天狐は妹弟子のレイリン――最近、天狐から「お前も克って名乗れよー、妹弟子なんだからよー」と言われたので、克鈴林と名乗るようになった――を助手に従え、講義を進めていく。
    「ってワケだから、術式も互換性は高い。だから、ほれ」
     天狐は空に向け、火の槍を放つ。
    「えいっ」
     そこに鈴林が手を加え、雷の槍へと姿を変えさせた。
    「おお~……」
    「な? こーゆー面白いワザもできんだよ。他にもな、氷と土は固化、水と風は流体って言う相似点があるんだ。そこら辺を色々いじくってみたら、何か発見できるかもな。
     んじゃ今日はここまで。おつかれさん」
     天狐の講義が終わり、魔術師たちは深々と礼をする。
    「ありがとうございました、テンコ様」
    「サマとかいらねーよ、照れるぜ。……呼ぶなら天狐ちゃんって呼びな、ケケ」
     天狐は狐耳をコリコリかきながら、その場を後にした。

     天狐は現在、鈴林と共にラーガ邸に居候している。とは言え、彼女が街にいることで入る観光収入などの間接的な利益は非常に大きいものなので、当主のトラムは彼女を厚遇していた。
    「おっ、見ろよ鈴林」
    「どうしたの、姉(あね)さんっ?」
    「おっちゃん、今日のおやつにショコラシフォンケーキ用意してるってさ」
     天狐は自分と鈴林に当てられた部屋に残されたメモを読み、九尾の尻尾をパタパタさせている。
    「好きだねぇ、チョコ」
    「へへっ」
     天狐はニコニコと笑いながら、食堂に足を運んだ。
     と――。
    「……ん」
    「どしたのっ?」
    「なんか、感じねーか?」
     天狐はどこからか鉄扇「傾国」を取り出し、警戒する。鈴林も天狐の後ろに付き、その気配を感じ取ろうと集中した。
    「……っ! 窓っ!」
     そして、天狐より一瞬早く鈴林がその気配の元に感づき、魔術で盾を作る。
     次の瞬間、ラーガ邸の庭を見渡すことのできる、廊下一面に張られた大きな窓の一枚に、縦一直線に亀裂が走った。
    「……っ、と」
     続いてやって来た衝撃波が、鈴林の術で防御される。
    「何だぁ……?」
     鈴林が術を解いた瞬間、天狐はばっと庭先に飛び出す。
    「いきなり何すんだよ、お前? 庭、メチャメチャにしやがって! トラムのおっちゃん、泣くぜ?」
    「知らないわよ、そんなこと」
     庭の中央に立っていた巴景が、肩をすくめる。
     その周囲には兵士たちが倒れている。どうやら警備網を無理矢理に突っ切って、屋敷に侵入したようだ。
    「あなたが、克天狐ちゃん?」
    「そーだよ。天狐サマって呼べ」
    「あら? さっき講義してた時、ちゃん付けしろって言ってなかった?」
    「オレと仲良くするヤツは、な。テメーは、敵だ」
    「なおさら呼びたくないわよ。なんで敵に様付けしなきゃいけないのよ」
     巴景はそう言って、次の攻撃を放った。
    「チッ……、話する気、ゼロか」
     天狐は鉄扇で防ぎつつ、雷の術を放つ。
    「『サンダースピア』!」
     雷の槍が巴景に向かって飛んで行く。が、巴景は剣を構えただけで、動こうとしない。
    (……っ、なんか見た覚えがある気がするぜ、こんな光景)
     天狐は嫌な予感を覚え、続けてもう一発放とうと呪文を唱える。
     その間に、雷の槍が巴景に到達する。だが、予想通り槍は巴景の剣に弾かれ、四散する。
    「えっ」
     背後で鈴林が声を上げて驚いていたが、天狐は構わず二撃目を放った。
    「もいっちょ! 『サンダースピア』!」
    「同じことよ」
     二度目の電撃も、巴景は同じように防ごうと構えた。
    「鈴林! 変換!」
     と、天狐は鈴林に向かって命じる。
    「え? あっ、はいっ!」
     鈴林は即座に応じ、先程講義で見せたように、天狐の術に手を加える。
     雷の槍はギチ、と妙な音を立てて、空中で実体に変化した。
    「……!」
    「ケケ、ちょっと術を組み替えさせてもらったぜ」
     雷の槍は重量ある石の槍に変化し、巴景に直撃した。

    蒼天剣・無頼録 4

    2010.04.23.[Edit]
    晴奈の話、第532話。ミッドランドのアイドル。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 央中中部、ミッドランド。 街の主が住むラーガ邸の丘の前に、魔術師たちが集まって座っている。「だからよー、火の術も雷の術も、根っこは一緒なんだ。熱エネルギーを操るか、電気エネルギーを操るかの違いだけなんだよ」「ふむ」 彼らの前に立ち、講義しているのは、あの克天狐である。 事件の後、彼女はすっかりミッドランドの名物...

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    晴奈の話、第533話。
    混沌の巴景。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。
    「よっしゃ!」
    「うまく行ったねっ!」
     天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。
    「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」
    「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」
    「お、そうだった。確認しな……」
     振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。
    「……いねえ?」
     先程まで巴景が倒れていた場所には、自分たちが放った石の槍しかない。
    「ドコ行った……?」
     天狐は辺りを見回すが、巴景の姿は無い。
    「鈴林、ちょっと貸せ」
    「あ、はいっ」
     天狐は鈴林の魔力を借り、索敵術を試みた。
    「『ナインアイドチャーミング』、……えっ?」
     天狐の脳内に、周囲の情報が入ってくる。
     その情報が、すぐ目の前に――丁度、槍がある場所に人がいると告げていた。
    「どうしたの?」
    「……まだ、そこにいるらしい、ぜ?」
    「えっ?」
     二人は無言で顔を見合わせ、恐る恐る槍へと近付く。
    「……いない、よな」
    「う、ん」
     すぐ近くまで迫っても、誰の姿も見つけられない。それどころか、魔術で風を起こし、土ぼこりを舞わせても、素通りする。
    「ドコに……?」
     天狐はわけが分からず、槍に手を伸ばした。
     次の瞬間――。
    「アンタのおかげで、いい技思い付いたわ」
    「……ッ」
     天狐の目の前に突然、巴景が現れた。
    「あ、が……っ」
     天狐の胴に、深々と剣が突き刺さる。
    「属性の変換、ね。なかなか面白いじゃない」
    「て、てめ、っ、どう、やって」
     天狐には、何が起きていたのか把握できない。
     が、横で成り行きを見ていた鈴林には、巴景が何をしていたのか理解できた。
    「そんな、まさか……、自分の体を」
    「ふふ、あははは……」
     巴景の足から下は、まったく目視できない。
    「ありがとうね、天狐『サマ』」
     巴景は自分にかけていた術を解き、そのまま天狐を剣先から振り飛ばした。



     30分後。
    「て、テンコちゃん! 襲われたと聞きましたが、大丈夫ですか!?」
     騒ぎを聞きつけたミッドランドの主、トラムが、兵士を引き連れて屋敷へと戻ってきた。
    「おう、おっちゃん。おせーよ、つつ……」
     天狐は鈴林に抱きかかえられる形で、庭の中央で横になっていた。
    「怪我を!? 誰か、担架を……」「いらねーよ。オレは大魔術師だぜ、……あいたた」
     天狐は腹を押さえ、顔をしかめていた。
    「しばらくしてりゃ治るから、心配すんなって。
     ……しっかしあの女、滅茶苦茶な魔術センス持ってやがる。まさか一回、二回オレの技を見ただけで、それを把握するとはな」
     天狐は苦い顔をしながら、ぼそっとつぶやいた。
    「うー……。トラムのおっちゃんよー」
    「はい、何でしょう?」
    「ゴメンな、庭こんなにしちまって」
    「いえ……。庭なら、直せば済みますから」
    「オレも直すの、手伝うよ」
    「いえいえ、テンコちゃんはゆっくり休んでいてください。そんな体じゃ、動くのも辛いでしょう?」
     トラムに諭され、天狐はポリポリと頭をかいてうなずいた。
    「……うん。ホント、ゴメンな」

     それから2日ほど、天狐の魔術講座は休講となった。



     ミッドランドを離れた巴景は近隣の森に逗留し、天狐の術にヒントを得て編み出した技を推敲していた。
    「ふふ……」
     殺刹峰で得た強化術――神経の反応速度や筋力を増強させる通常の強化術とは一線を画す、肉や骨の組織そのものを鋼鉄やバネのように変質・変形させる術――をベースに、巴景は自分の腕を変換させていた。
    「人間離れしちゃったわね、少し」
     巴景の左腕は、煌々と燃え盛っている。自分の腕を、「火の術そのもの」に変えたのだ。
     術を解くと、腕は元に戻る。火傷もしていない。
    「戦った価値は、十分すぎるほどあったわね」
     続いて、風の術に変換させる。腕は見えなくなったが、感覚も触感も確かにある。試しに落ちていた枝を拾うと、普通につかむことができた。
     空中にふよふよと浮かぶ枝を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    「……いいわね」
     巴景は見えない左腕にぐっと力を込め、枝をぽきりと折った。

    蒼天剣・無頼録 5

    2010.04.24.[Edit]
    晴奈の話、第533話。混沌の巴景。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 槍を食らい、巴景は一言も発さず後ろに吹っ飛んだ。「よっしゃ!」「うまく行ったねっ!」 天狐と鈴林は両手をぺち、と合わせて大喜びする。「なかなかいいタイミングだったぜ、鈴林」「えへへっ……。っと、姉さんっ。ちゃんととどめ、刺したっ?」「お、そうだった。確認しな……」 振り向いたところで、天狐の笑顔が凍りつく。「……いねえ?」 先程...

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    晴奈の話、第534話。
    鬼がやってくる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     屏風山脈、黒鳥宮。
    「侵入者! 侵入者だーッ!」
     その夜、宮内は騒然としていた。
     突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。
    「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」
     ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニオン・ウィルソン大司教は、この異状を聞きつけて即座に動いた。
    「……まったく、こんな時を狙って来なくてもいいだろうに!」
     現在、黒炎教団では一つの問題が起こっていた。
     教主ウィリアムが重い病に臥せっており――ここ数年、弟が惨殺されたり、息子が遠い地で亡くなったと聞かされたりと、心労が重なったせいだろう――もってあと数週間かと言う状態にある。これ以上ストレスが重なれば、命に関わる。
     ウィリアムを何より慕うワニオンとしては、これ以上心配させたくなかったのだ。
    「報告します!」
     と、僧兵長の一人がワニオンの前にやってくる。
    「どうした? 捕まえたか?」
    「いえ、それが……」

    「ハァ、ハァ……」
     ウィルの姉、ウェンディは肩で息をしながら、目の前の敵――巴景に矛を向けていた。
    「く……、強い」
     横にはすぐ下の弟、ウォルターが同様に息を切らしながら、三節棍を構えている。
    「何が目的なの?」
     ウェンディはずれた眼鏡を直しつつ、巴景に尋ねる。
    「目的? そうね……、武者修行、かしらね。この黒鳥宮の中で一番強い人、出してほしいんだけど」
    「なら、……まずは僕たちを倒してみろッ!」
     ウォルターがいきり立ち、巴景に向かって棍を放つ。
    「いいわよ」
     巴景は向かってきた棍に、全力で剣を振り下ろす。ガイン、とけたたましい音を立てて、金属製の棍は真っ二つに割れた。
    「なっ……」
     目を丸くしたウォルターの前に、巴景が迫る。
    「まず、一人」
     巴景は剣を離した左腕をウォルターの首に回し、そのまま旋回する。
    「げ……っ」
     首を軸にして縦回転したウォルターは地面に頭を叩きつけられ、そのまま気絶した。
    「次はあなた?」
     巴景は再び剣を構え、ウェンディに向き直る。
    「……ええ。行くわよ!」
     ウェンディは大きく深呼吸し、巴景に向かって走り出した。ゴウ、ゴウと矛を唸らせ、巴景を捉えようと迫るが、巴景は間一髪で――文字通り、髪一本ほどのギリギリで避け、ウェンディのすぐ前に立った。
    「……ッ」
    「この距離なら、もう矛は役立たずね」
     巴景はすとんと、ウェンディの鳩尾に貫手を放った。
    「は、う……」
     ウェンディの目がひっくり返り、そのまま前のめりに倒れた。
     巴景は倒れたウェンディに目もくれず、くるりと振り返る。
    「……それで、あなたがこの教団で一番強い人かしら?」
    「そうだ。覚悟しろ、仮面の剣士」
     騒ぎを聞きつけたワニオンが、大剣を手に駆けつけてきていた。

     ワニオンは大剣を振り上げ、巴景に向かって飛び掛る。
    「へ、え……」
     巴景はその姿を見て、感嘆の声を上げる。
    (背はざっと見て190以上、体重は100キロ超えてるでしょうね。なのに、とても軽やかな動き。大剣が、まるで子供のオモチャを振り回してるみたいに見えるわ)
    「うりゃあーッ!」
     ワニオンの振り下ろした剣が、一瞬前まで巴景が立っていた地面を削る。
    「む、う」
     ワニオンは素早く身を翻し、次の攻撃に移る。
    「ふふ、流石ね」
     巴景もひらりと体勢を変え、ワニオンと再び対峙する。
    「これなら十分、相手になりそうね」
    「何……?」
     ワニオンの狼耳が、ピクと動く。
    「相手とは、何のことだ」
    「私の技の、練習相手。……いきなり仕掛けるのも剣士としてはアンフェアだろうし、教えてあげるわ」
     そう言って巴景は、左手を火に変えた。
    「なっ……?」
     それを見たワニオンが目を丸くする。僧兵たちに助け起こされたウェンディ、ウォルターも、巴景の技に驚いていた。
    「腕が燃えている……!?」
    「焔? いや、あいつらのは剣を、か。じゃああれは、一体……?」
     驚くウィルソン家の面々を見て、巴景は高らかに笑う。
    「ふふっ、あははは……。驚いてくれて嬉しいわ。これが私の技よ。名付けて、『人鬼』」
     巴景は両手を炎に変え、剣を構える。
    「あなたは鬼が倒せるかしら?」
    「……~ッ」
     巴景の尋常ではない気迫に威圧され、巨漢のワニオンがたじろいだ。
     だが、それでも無理矢理に奮い立ち、大剣を正眼に構えて精神集中する。
    (黒炎様……、無闇に祈られることを、あなた様は嫌うと仰られました。
     しかし、どうか、どうか祈らせてください)
    「さ、行くわよ」
     巴景が仮面の口に空いた穴から、ふーっと息を吐く。
     その息さえも、まるでドラゴンの息吹のように赤く燃え盛り、空気をちりちりと熱していた。
    (どうか黒炎様、目の前の悪鬼をこの私めが征伐できるよう、力をお与えください……ッ)
    「はああああッ!」
     巴景が恐るべき速さで、ワニオンの間合いに飛び込んでくる。
    「……黒炎様あああッ!」
     ワニオンは意を決し、巴景を迎え撃った。



     1時間後、教主ウィリアムの耳に、息子たちが謎の剣士に大ケガを負わされたと、また、剣士は捕まることなく逃げてしまったと伝えられた。
    「おお……」
     それを聞いたウィリアムは上半身を起こし、従者につぶやいた。
    「神は……」
     従者は慌てて「お休みください」と伝えたが、ウィリアムは応えない。
    「神は、もういないようだ……」
     そのままウィリアムはうなだれ、二度と動くことはなかった。

    蒼天剣・無頼録 6

    2010.04.25.[Edit]
    晴奈の話、第534話。鬼がやってくる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 屏風山脈、黒鳥宮。「侵入者! 侵入者だーッ!」 その夜、宮内は騒然としていた。 突如門前に現れた侵入者が、目にもとまらぬ速さで門番3名を倒し、そのまま侵入してきたと言うのだ。「直ちに僧兵全員で、くまなく探し出せ! 教団のメンツにかけて、絶対に逃がすなッ!」 ウィルとウェンディの兄であり、僧兵団のすべてを掌握しているワニ...

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    晴奈の話、第535話。
    聖人の死と、悪魔の再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。
    「ああ、父上……」
    「どうして、こんなことばかりが……」
     ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。
    「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」
     その列の真ん中に、他の兄弟たちよりも一層包帯まみれになったワニオンが立ち、他の者たちよりも一際嘆き悲しんでいた。
    「……ううっ」
     こらえきれなくなり、ウェンディはその場から一旦離れ、聖堂の裏でボタボタと涙を流し始めた。
    「どうして……、どうしてこんなこと……」
    「……」
     と、顔を覆ってしゃがみ込んだ彼女は、自分の前に誰かが立っているのに気が付いた。

    「誰……?」
     顔を挙げるが、自分が眼鏡を外しているのと、相手が陰に紛れるような黒い服装を着ているのとで、そこにいるのが誰なのか、良く分からない。
    「好人物だったな、良くも悪くも」
    「え……?」
    「お前の父のことだ。
     とても人のいい、無欲で穏やかな男だった。そのせいで、あいつの知らないところで何かとゴタゴタは起こったが、それでも十分に教主の務めを果たしていただろう。
     亡くなったのは残念だが、お前たちのせいではない。天命だろう。必要以上に嘆き悲しむ必要は無い」
    「あの……、あなたは……?」
     ウェンディは眼鏡をかけ、その男の姿と顔を確認する。
     目の細い、鴉のように真っ黒な衣服と髪の、色黒の男がそこにいた。
    「あいつの友人だ。あいつが教主になってから23年、あいつは俺の、一番の話し相手だったのだ」
    「父上が、あなたの……?」
     言い方がひどく尊大だと感じ、ウェンディは涙を拭いて立ち上がった。
    「こんな言い方をするのは、好きではありませんが」
    「うん?」
    「私の父上、ウィリアム・ウィルソン4世は、この黒炎教団の頂点に立った偉大な人物、聖人と言ってもいいほどの人物です。
     それを単なる話し相手、自分と同列の友人だなど、烏滸がましいとは……」「烏滸がましい?」
     男はそれを聞き、クックッと鳥のような笑い方をした。
    「クク……、そうか、烏滸がましいと」
     男の細い目が、じわりと開く。
    「……っ」
     それを見たウェンディの背筋に、冷たいものが流れた。
    「そう言えば、教主以外には俺のことは、単なる黒子としか伝えられていないのだったな」
    「……まさか」
     男の目の冷たさは、巴景の燃え盛る体を見た時よりもさらに恐ろしく、畏れ深いものをウェンディに感じさせた。
     と、男は開いた目を、元通りの細さに戻す。
    「もう一度聞くが、烏滸がましいことだったか?」
    「……いいえ。失礼いたしました」
     ウェンディはす、と頭を垂れた。
    「分かればいい。
     それでだ、ウェンディ。ウィリアムから、遺言を預かっている」
    「遺言、ですか?」
    「これだ」
     男は一通の封筒をウェンディに差し出した。
    「……え、えっ!?」
     手紙に目を通したウェンディは、男と手紙を交互に見て驚いた。
    「これは、本当に、……いいえ、あなた様が預かられたお手紙であれば、本当なのでしょうね」
    「本当だとも」
    「し、しかし」
     ウェンディは眼鏡を直し、男に尋ねる。
    「何故、私なのですか? 序列で言えば、私よりも兄のワニオンの方が適当では」
    「これだけの大組織を治めるのに、単純で血気盛んな武人では役が合わんと言うことだ。
     それよりも、卒なく管理のできる人間が好ましい。そう考えての、前教主の決定だろう」
    「……そうですか」
     ウェンディは手紙に視線を落とし、ぼそっとつぶやいた。
    「しかし、私に務まるかどうか。私はまだ38歳です。とても、父上のようには……」
    「ウィリアムは46歳の時に就いたが、それはワッツ……、先々代の長寿のためだ。90歳の大往生だったからな、あの女は。もし先々代が短命であれば、ウィリアムはもっと早く就いていただろう、な。
     お前の働き振りであれば、十二分に役目を果たせる」
    「……」
     逡巡するウェンディに背を見せ、男は立ち去りながらこう言い残した。
    「明日には、他の大司教にも同様の通達が出る。お前の器ならば、皆も納得するだろう。
     今後はお前が俺の話し相手になれ、ウェンディ・ウィルソン教主」

    蒼天剣・無頼録 7

    2010.04.26.[Edit]
    晴奈の話、第535話。聖人の死と、悪魔の再臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 巴景の襲撃から二日後、黒炎教団では宮内全体を挙げて、教主ウィリアムの葬儀が行われた。「ああ、父上……」「どうして、こんなことばかりが……」 ウイリアムの棺の横には、傷だらけになった教主の子供たちが並んで立ち、別れを惜しんでいた。「私のせいだ……! 私があの鬼を取り逃がしたせいで、父上を殊更に苦しめてしまったのだ……!」...

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    晴奈の話、第536話。
    古戦場への帰郷。

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    8.
     巴景は央南に戻ってきていた。
    (何年ぶりかしらね?
     お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね)
     5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。
    (……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった)
     とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。
    「……ただいま」
     巴景はぼそっとつぶやき、半ば苔むした畳の上に座り込んだ。

     既に天玄には立ち寄っており、そこで篠原が死んだことも、朔美が投獄されたことも聞いている。
     そして、妹のように思っていた霙子が、晴奈の手引きで紅蓮塞に入ったことも。
    (ま、裏切りとは言わないわ。むしろあなたが、お頭たちに裏切られていたんだし)
     紅蓮塞に行き、霙子の顔を見てみようかとも一瞬思ったが、巴景の方には会わせる「顔」が無い。
    (霙子は晴奈がいた柊一門――ああ、今は焔本家一門だっけ――に付いたって言うし、晴奈の敵である私は、一門の敵でもある。会っても霙子は、困った顔をするだけでしょうね)
     畳から腰を上げ、巴景は地下へ足を向けた。
    (この場所で、晴奈は功名を立てた。
     敵に捕まりながらも、それを逆手にとって殲滅へと導いた、『縛返しの猫侍』。……フン)
     晴奈が捕まっていた倉庫の前を通り、晴奈とウィルが敵から刀を奪った曲がり角を通り、そして――。
    (そう、ここ。ここが、私と晴奈が、初めに戦った場所)
     いまだ焦げ跡と、炭になった木箱が残る倉庫の中に入り、巴景はしゃがみ込んだ。
    「……ふふっ。私がつけた、『地断』の跡。まだ残ってる」
     その切れ目を撫で、巴景は懐かしさに浸る。
    (そう言えば、あの時一緒に戦った柳って、本当は殺刹峰の手先だったのよね。今、どうしてるのかしら? 金火公安に協力してたって言うし、もう保釈されてるかしら)
     同僚の顔を思い出し、巴景の足は幼い頃からずっと使っていた、自分の寝室だった場所に向かう。
    (みんな、どうしてるかしら? 何人かは、おかみさんと同じように央南で投獄されたと思うけど、残りはみんな、殺刹峰に連れて行かれたのかしらね。……となると、やっぱり央北に投獄されたか、フローラに殺されたか、それともペルシェと一緒に抜けてしまったか。
     ……どの場合にせよ、もう会えないでしょうね)
     自分の部屋に着き、巴景は床に溜まった5年分のほこりを、「人鬼」で変化させた風の脚で払う。
    「……ケホ。流石、5年分ね」
     巴景は床に座り込み、仮面を外した。
    「5年、かぁ」
     仮面を外し、その下に残る火傷を撫でながら、巴景は自分の部屋を見渡す。
    (私がここに住んだのは507年、13歳の時。
     それから22歳までの9年間、ここに住んで修行を重ねて。お頭の奥義、『地断』を会得したのは確か、17歳の時だったっけ。
     その1年後に、初任務。妖狐になった天原櫟の、暗殺。……そっか、そこから晴奈との縁が生まれたのね。
     ……今一度、強まったわ。晴奈を倒したいと言う、その思いが)
     巴景は仮面を付け直し、部屋を出た。

    (『地断』、『人鬼』。地、人と来れば、もう一つほしいところ、よね?)
     巴景は「ビュート」を抜き、精神を集中する。
    (そう、天。天をつかまなければ、あの女には届かない。そんな気がするのよ)
     先程立ち寄った因縁の倉庫に、もう一度足を運ぶ。
    (……いいえ。つかむんじゃない)
     巴景は倉庫の中央で、剣を上段に構える。
    (破壊してやる。天を、衝く)
     その時、巴景は不意に、晴奈と戦った時に述べた一言を思い出した。
    ――ここは私たちが殿の財産をたっぷり使って築いた要塞よ? これしきのことで崩れたりなんかしないわ――
    (そう、アンタには崩せないわ。『巴美』、アンタにはね。
     でも、私は崩せるわ。この『巴景』は、この要塞を崩せるのよ)
     巴景の中で、急速に力が膨れ上がる。それに呼応し、「ビュート」が菫色の光を放つ。
    「『天衝』!」
     巴景は天井に向かって、ゴッと音を立てて打突を放った。



     アジト跡から程近い、天神湖。
    「お、引いてるぞ」
    「えっ、えっ?」
     湖に釣りに出かけていた焔流剣士、梶原謙は、傍らの娘、桃の竿に手を貸した。
    「ほら、頑張れー」
    「うっ、うん」
     父娘二人で力を合わせ、湖中の魚と格闘する。
    「ほれ、もうちょい、もうちょい」
    「重いよー……」
    「もうちょいだから、頑張れ、な? お母さんに、自慢してやれるぞ」
    「……がんばるっ」
     桃は尻尾をバタバタと振るわせ、力を振り絞る。その甲斐あって、どうにか魚は釣り上げられた。
    「よーっしゃ、やったな桃」
    「うんっ!」
     釣り糸の先でもがく、桃のふかふかした尻尾と同じくらいに大きな魚を捕まえようと、謙は網を伸ばした。
     と――グラ、と周囲が激しく揺れる。
    「う、うわっ!?」
    「あ、お父さーん!?」
     その振動で体勢を崩した謙は足を滑らせ、湖に落っこちてしまった。それと同時に、折角釣った魚も湖へ戻ってしまう。
    「あー……」
     桃は逃した魚を見て、がっかりした声をあげかけた。
     が、その声は途中で詰まった。目の端に、異様なものを捉えたからだ。
    「……な、に、あれ?」
     桃は確かにその時、森から空に向かって伸びる、一条の真っ赤な光を見た。
     光は空遠くに飛んで行き、雲をも突き抜けて、そのまま見えなくなった。
    「桃ぉー……、すまん、魚逃しちまった」
     ようやく這い上がってきた謙が声をかけたが、呆然とする桃の耳には入らなかった。



     天井に開いた穴を見て、巴景はほくそ笑んだ。
    (一点集中。『地断』の衝撃を、一点に絞った突き。……まるで大砲ね)
     巴景の握りしめていた「ビュート」からは、チリチリと灼ける音が聞こえていた。
    「……待ってなさい、晴奈。今から、アンタのところに行ってやるから。
     今こそ、決着を付けてやるわ! 最強の剣士は、この私よ!」

    蒼天剣・無頼録 終

    蒼天剣・無頼録 8

    2010.04.27.[Edit]
    晴奈の話、第536話。古戦場への帰郷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 巴景は央南に戻ってきていた。(何年ぶりかしらね? お頭のアジトから殺刹峰に運ばれたのが、確か516年。ああ、もう5年も経ってしまったのね) 5年の歳月が流れ、そのアジト――天原桂の隠れ家だった場所は、既に朽ち果てていた。(……懐かしい。そう、ここが私の故郷だった) とうに腐り落ちた扉を踏み越え、巴景はアジトの中に入った。「...

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    晴奈の話、第537話。
    宿敵の故郷で出会った、意外な人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。
    (さあ……! 今こそ決着の時よ!)
     既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。
     身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。
     勿論、そんなことに構う巴景ではない。
    「ちょっと」
    「は、はい」
     通りがかりの人間をつかまえ、道を尋ねる。
    「黄屋敷って、どこかしら?」
    「え、えっと。この道を真っ直ぐ行くと、左手に大きな屋敷が見えます。そこが……」
    「ありがと」
     黄家の場所を尋ねたことで、街に巴景のうわさが伝播する。
    「あの仮面、黄屋敷の場所を尋ねてたな」
    「となると黄家の長女、黄晴奈に用事か?」
    「でしょうね。武芸者っぽい身なりですし……」
    「知り合いの剣士が旧交を温めに来たか」
    「はたまた、異流派からの果し合いか」
     が、そこで人々は顔を見合わせ、安心したような、しかしどことなくがっかりしたような表情を浮かべた。
    「でもなあ……」

    「いないの?」
     黄屋敷に到着し、屋敷の使用人たちに晴奈の所在を尋ねたところ、晴奈は不在だと返された。それどころか黄州、いや、央南にすらいないのだと言う。
    「はい、グラッド大将と、ナイジェル博士さんと言う方と一緒に、北方へ。何でも、軍事演習がどう、とか」
    「そうなの……」
     巴景はがっかりし、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
    「ありがとね、それじゃ……」「あ、ちょっとお待ちになって」
     と、屋敷の奥から巴景に声がかけられる。
    「え?」
    「あなた、晴ちゃんのお友達?」
     奥から姿を表したのは、三毛耳の、年配の猫獣人の婦人だった。
    「友達、じゃないけど。ちょっと、因縁があってね」
    「あら、そうなの。……お名前、聞かせてもらってもいいかしら?」
     巴景はこの婦人が誰なのか、直感的に察した。
    「巴景よ。楓藤巴景。……あの、もしかして」
    「ええ、そう。わたしは、桜三晴(みはる)。晴ちゃんのお母さんです」
     三晴はそう言って、にっこりと笑った。

     三晴は「折角来てもらったんだし、おもてなしくらいしないと」と、帰ろうとする巴景を引き止め、茶を振舞った。
    「さ、どうぞどうぞ」
    「はあ……、ども」
     巴景は多少面食らいながらも、素直に茶を飲む。
    「仮面、お取りにならないの?」
    「ええ、……あなたの娘さんに、顔を傷つけられたもので」
     嫌味のつもりでそう言ったが、三晴はこう返した。
    「あら、そうなの。晴ちゃん、あなたにちゃんと謝ったかしら」
    「いいえ」
    「それじゃ帰ってきたら、叱らないといけませんね」
    「へ」
     まるで子供同士の他愛も無いケンカを見守るようなその口調に、巴景は二の句が継げない。
    (まあ、確かにこの人は晴奈のお母さん、なんだけど。……調子狂うわね)
     顔の傷がむずがゆくなり、巴景は仮面の下に指を入れてかこうとする。それを見た三晴が、「あら」と声を上げた。
    「仮面、お取りになればよろしいのに」
     三晴はひょいと、巴景の仮面に手を伸ばした。
    「えっ」
     あまりに唐突な行動だったため、巴景はまったく反応できず、仮面を剥ぎ取られてしまう。
    「ちょ、ちょっと。返してよ」
    「あら、綺麗なお顔」
    「返してってば……」
     仮面を取られ、巴景の態度は途端に弱々しくなる。
    「隠す必要、無いんじゃない?」
    「あ、あるわよっ。だって、醜いじゃない」
    「そうかしら……」
    「そうよ、だから返してよ、早く……」
     ところが、三晴は「ちょっと待っててくださいね」と言って、仮面を持ったまま席を立ってしまった。
    「な、何でよぉ……」
     一人残された巴景は顔を手で覆い隠し、三晴が戻ってくるのを待つしかなかった。

    蒼天剣・訪黄録 1

    2010.04.30.[Edit]
    晴奈の話、第537話。宿敵の故郷で出会った、意外な人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 必殺の技を完成させた巴景は、足早に黄海へと向かった。(さあ……! 今こそ決着の時よ!) 既に前回の、晴奈との対決から1年半が経過し、巴景の「剣士」としての技量も、完成しつつあった。 身にまとう空気は、それそのものが凶器のような凄味を帯びている。道行く人々は皆、巴景の仮面と気迫に驚き、距離を取る。 勿論、そ...

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    晴奈の話、第538話。
    お芝居の中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。
    「お待たせしちゃってごめんなさいね」
    「早く返してよ……」
     顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。
    「ええ。でも、その前にちょっと」
     三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。
    「な、何? 何する気?」
    「あなた、お歳はおいくつ?」
    「に、27よ。それが、何?」
    「まあ、そんな年頃の娘がすっぴんだなんて」
     そう言いながら、三晴は白粉を巴景の頬に付け始めた。
    「ちょ、何よ」
    「じっとしてちょうだい」
    「だから、何するのって……」
    「じっとしてちょうだい、ね?」
     やんわり諭されてしまっては、巴景は無理矢理に撥ね付ける気になれない。
    「……」
     仕方なく、巴景は三晴にされるがままになっていた。

    「はい、できた」
     三晴がぱちん、と化粧箱の蓋を閉じ、鏡を渡す。
    「ほら、御覧なさい」
     鏡を手に取った巴景は、恐る恐る自分の顔を確認した。
    「……え」
     鏡の中の巴景には、傷が見当たらない。いや、よく確認すれば残っているのは分かるのだが、ちょっと見た程度ではあると気付かない。
    「この歳になるとシミとか、……ちょこっと、出てきますから」
     三晴は頬に手を当て、やんわりと語る。
    「お化粧品、手放せないんですよ。綺麗に隠れるでしょう?」
    「……そうね」
    「生きていたら、シミやそばかすも出ますし、ケガして消えない傷が残ることもあります。そう言うものですからね、人間って。
     それを隠したいと思うのは当然。でも、こんな綺麗な顔を、丸ごと隠すなんて。もったいないわ、可愛い女の子なのに」
     可愛い、と言われ、巴景の心臓がドキッ、と脈打った。
    「かわ、いい? 私が?」
    「ええ。どこからどう見ても、可愛い女の子。仮面を付けなければ、ね」
     そう言って、三晴は仮面を巴景に返した。が、巴景はそれを手に取ったまま、付けようとはしない。
    (可愛いって、言われた……。そんな風に呼ばれたこと、全然無かった)
     一度も言われたことのないその言葉に、巴景の思考はそこで止まる。
    「ね、ちょっとみんなに見せてあげなさい」
    「え? 皆?」
    「ちょっと、みなさーん」
     巴景が唖然としている間に、三晴は使用人たちを呼びつけた。
    「ご用でしょうか」
    「ね、ね。トモちゃん、可愛くなったでしょ?」
     やってきた使用人たちは、揃って巴景の顔を見る。
    「へえ……」
    「美人ですね」
    「ね、可愛いでしょ? こんな美人さんの顔を、仮面で隠すなんてねぇ」
    「……っ」
     巴景は恥ずかしくなり、うつむいてしまった。

     すっかり大人しくなった巴景に、三晴は依然やんわりと話を続ける。
    「わたしね、晴ちゃんが剣士さんやってるの、あんまり好きじゃないのよ。
     確かにりりしくてかっこ良くて、これはこれでと思ってた時期もあったけど、最近の晴ちゃんは辛そうにしてることが多いから」
    「辛そうにしてる……?」
     思いもよらない意見に、巴景は顔を挙げた。
    「ええ。何だか寂しそうにしてたことが、時々あったの。
     確かに、皆からは慕われてるし、『かっこいい自分』に誇りを持ってるって感じではあったけど、……そうね、何て言うか、孤独な感じだったわ」
    「孤独? 晴奈が?」
     巴景は前回晴奈と戦った時、周りにできた人だかりを思い出していた。
    (孤独だって言うなら、あの時周りに人がいたのは何で? ただの見物?)
    「こんな言い方をしてしまうと、少しどうかなって思うけど。……見物されてるような感じなのよ」
    「……っ」
     半分冗談で思った感想を真顔で口にされ、巴景は言葉を失う。
    「あの子は強いと、みんな言うけど。かっこいいと、みんな言うけど。それはみんな、演劇や舞台なんかで、人気の俳優さん、女優さんにかけられてるような言葉なの。
     あの子の間近に、人はいないのよ。周りみんな、観客席から見物してるような、そんな感じ」
    「……」
    「ねえ、トモちゃん」
     三晴は巴景の手を取り、頼み込むような口調でこう言った。
    「あの子の近くに、いてあげてね。いがみ合っていてもいいから」
    「え……」
    「もちろん、仲良くしてくれるなら、その方がいいけれど。でも、トモちゃんは晴ちゃん、そんなに好きじゃないだろうし。それは無理なお願いだって、分かってるわ。
     それでも、近くにいてあげてほしいの。でないとあの子、どんどん孤立していってしまうから」
    「……」
     三晴は巴景から手を離し、深々と頭を下げた。
    「どうかよろしく、お願いしますね」

    蒼天剣・訪黄録 2

    2010.05.01.[Edit]
    晴奈の話、第538話。お芝居の中。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 5分後、三晴は巴景の仮面と小さめの箱を持って、巴景のところに戻ってきた。「お待たせしちゃってごめんなさいね」「早く返してよ……」 顔を手で隠したまま、巴景は三晴に困った目を向けた。「ええ。でも、その前にちょっと」 三晴はひょいと巴景の手をはがし、顔を向けさせた。「な、何? 何する気?」「あなた、お歳はおいくつ?」「に、27よ...

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    晴奈の話、第539話。
    宿敵の妹との交渉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。
     手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。
    「どうしろと……」
     化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。
     仮面も、何だか付ける気にならなかった。化粧で彩られた顔が、自分でも気に入ってしまったからだ。
    「……どうしよう」

     ともかく巴景は晴奈の足取りをつかむため、港や央南連合軍の詰所で情報収集を行った。
     その結果、やはり黄屋敷で聞いた通り、晴奈は西大海洋同盟が行う合同軍事演習に参加するため、北方ジーン王国に渡っていることが分かった。
    「やっぱり、北方か。……行かなきゃいけないわね」
     巴景は北方へ渡る準備を整えるため、商店街へと踵を返した。
     と――。
    「あの」
     ハァハァと、息を切らしながら声をかけてくる者がいる。
    「何……?」
     振り向くと、先程の三晴にどことなく似た顔立ちの「猫」が立っていた。
    「あの、巴景さん、ですよね」
    「そう、だけど」
    「わたし、黄明奈って、言います。黄晴奈の、妹です。……すーはー」
     肩で息をする明奈を見て、巴景は困惑する。
    「え、っと……。妹さんが、私に何の用?」
    「今しがた、母からあなたのこと、伺ったんです。……北方へ、向かわれるんですよね? 姉を追って」
    「そのつもりだけど」
     ようやく呼吸の整ってきた明奈は、巴景に深々と頭を下げた。
    「一緒に、連れて行ってください!」
    「はい?」
    「姉は『いつ戦争状態に入るかも分からぬ。危険だから、お前は来るな』と言って、わたしを置いてけぼりにしたんです」
    「まあ、普通そうでしょうね」
    「でも」
     明奈は真剣な面持ちで、巴景に頼み込む。
    「わたし、どうしても一緒に行きたいんです! 姉は優れた剣士だって、色んなこと任せて大丈夫な人だって、みんな言いますけど」
     優れた剣士と評したところで巴景は顔をしかめたが、明奈は構わず続ける。
    「本当は、もっと脆い人なんです。一回失敗したらつまずく人なんです。困ったらへこむ人なんです。誰かが側にいなきゃ、元気になれない人なんです」
    「……で?」
    「きっと姉は、疲れてきてると思います。エルスさんや他のみんなの前では、弱いところなんか見せられないって思ってるでしょうから。
     戦争が間もなく始まる今だからこそ、誰か、何でも気兼ねなく相談できる人間が近くに付いていなきゃ、心が折れてしまうと思うんです」
    「それが、あなただと?」
    「はい。……でも、わたし一人で北方に行くのは、不安で」
    「だから、私と一緒に行きたいと」
     巴景はフンと鼻を鳴らし、即座に断った。
    「嫌よ」
    「お願いします」
    「嫌だってば」
     嫌がる巴景に、明奈は切り札を出した。
    「……お化粧、教えますから」
    「……」
     明奈は一歩にじり寄り、一層強い口調で交渉する。
    「母から、巴景さんは化粧されたことが無いと聞いてます。わたしは、得意ですよ」
    「大きなお世話よ。……まあ、でも」
     巴景は眉間にシワを寄せながらも、渋々承諾した。
    「アンタの言う通り、晴奈が今頃へこんでたりなんかしてたら、何のために私が北方へ行くのか、わけが分からなくなるわ。
     無駄足踏むのも嫌だし、もしもの時のために連れて行った方がいいわね、そう言うことなら」
    「……ありがとうございます!」
     ぺこりと頭を下げた明奈に、巴景は肩をすくめながらこう言った。
    「でも私、基本的に自分のことしか考えないわよ。
     例えばアンタが船から海に落っこちても、私は助けないから」
    「構いません」
    「そ。……なら、ちゃっちゃと身支度して付いてきなさい」
    「はいっ!」

     こうして巴景は明奈と共に、北方へ渡ることとなった。

    蒼天剣・訪黄録 3

    2010.05.02.[Edit]
    晴奈の話、第539話。宿敵の妹との交渉。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 狐につままれたような気分のまま、巴景は黄屋敷を後にした。 手には仮面と、化粧箱が握られている。三晴が「古いもので悪いけれど」と言いつつ、巴景に譲ったのだ。「どうしろと……」 化粧箱をそこらに捨ててしまおうかとも思ったが、三晴のやんわりとした笑顔を思い出すと、そんな気にはなれない。 仮面も、何だか付ける気にならなかった。...

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    晴奈の話、第540話。
    巴景と明奈の船旅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」
    「でも、傷が気になるし……」
    「大丈夫ですって。ほら、鏡」
    「……うーん、まあ、確かに」
     北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。
    「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」
    「ん、……まあ、空いてるわね」
    「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」
    「いいけど」
     船旅の間中、巴景は明奈のペースに乗せられていた。
     食堂に付いたところで、明奈が声をかける。
    「今日は何食べますか?」
    「そうね、魚系で」
    「取ってきますね」
    「いいわよ、たまには自分で……」
    「いいですよ。その代わり、席取っておいてくださいね」
    「あ、うん」
     やんわりと、しかしがっちりと主導権を握られ、巴景はされるがままになっている。
    (調子狂うわ……。まだ三晴さんが側にいるみたい)
    「取ってきましたよ、ご飯。アジで良かったですか?」
    「ええ、ありがと」
     同じことを、例えばむさ苦しい男が高圧的にしてくるのなら、撥ね付けたりぶちのめしたりするところなのだが、明奈はあくまでやんわりと、下手に接してくる。
    「あ、お茶も持ってきますね。巴景さん、先にどうぞ」
    「いいわ、待ってるから。一緒に食べましょう」
    「はーい」
     最初のうちは、晴奈の妹だからと半ば邪険に扱っていたが、いつの間にか仲良くなっていたりする。
    (……どうしちゃったのかしらね、私。何だか自分が自分じゃないみたい。
     あの子と一緒にいると、何だか憎しみで凝り固まってた自分の心の中が、解されていくような気がする。
     あの子といると、……心が安らぐ)
     巴景は仮面を付けない裸の顔で、明奈が戻ってくるのを待っていた。

    「ねえ、明奈」
     食事から戻った後、巴景は明奈に尋ねてみた。
    「何ですか?」
    「私、あなたのお姉さんを、殺すつもりしてるんだけど」
    「はい」
     何の含みも無い返事で返され、巴景は少し面食らう。
    「はい、って……。いいの?」
    「良くないですけど、そんな気がしないんです」
    「……なめてるの? 私、本気よ」
     にらみつける巴景に、明奈はふるふると首を振る。
    「いいえ、なめてません。ただわたしは、姉が勝つと信じていますから」
    「はっ」
     その答えが癇に障り、巴景は「人鬼」で中指を火に変えた。
    「私は全身、武器に変えられるのよ。今、あなたにこの指でデコピンして、そのまま額を焼くこともできる」
    「だから、姉に勝てると?」
    「そうよ」
    「理屈になってないじゃないですか」
     明奈はまるで怯まず、巴景に食って掛かってきた。
    「巴景さんの言っていることは、『私はこんなに強いのだから、誰にでも勝てる』と言うことでしょう?
     でもそんなの、『お金持ちは誰でも言うことを聞かせられる』とうそぶくのと一緒です。わたしが『いくらでも金をやるから自分を北方に連れて行け』と言ったら、巴景さんは一緒に行きましたか?」
    「……そう言われていたら、行く気にならなかったわね」
    「でしょう? どんなに力があっても、勝てるかどうかは別の話です」
     そこで一旦言葉を切り、明奈はじっと巴景を見つめる。
    「それに、わたしは姉が勝つと、『信じている』だけです。それは理屈でもなんでもなく、わたしの、ただの勝手な思い込みでしょう?」
    「……」
     巴景は怒りに満ちた目を向けつつ右手全体を火に変え、その手を明奈の顔へ寄せる。
    「……」「……」
     真っ赤な炎が、明奈のすぐ鼻先にまで迫る。
    「……フン」
     巴景はそこで火を収め、右手を元に戻した。
    「ま、そうね。信じるだけなら勝手だし」
    「ええ。わたしの勝手です」
    「……ちょっと外、出てくる。鍵かけないでね」
    「はい」
     巴景は眉間を揉みながら、船室を出て行った。

    (強いことと、勝つことは別、か。言ってくれるじゃない)
     甲板に立ち、水平線を眺めながら、巴景は明奈の気丈さに感心していた。
    (やっぱり、晴奈の妹ね。気、強いわ。……あははっ)
     と、背後に気配を感じる。
    「明奈?」
     巴景は背を向けたまま、声をかける。
    「はい」
    「何の用?」
    「私も風に当たりに」
    「そう。……ねえ、明奈」
     ここで振り返り、巴景はニヤリと笑った。
    「賭け、しない?」
    「何を賭けるんですか?」
    「もし私が晴奈に勝ったら」
     巴景は明奈の頭にポン、と手を乗せる。
    「アンタ私の妹になって、これから私の旅にずっと付いてきなさい」
    「はい?」
    「気に入ったし」
     この提案に明奈は目を丸くしていたが、やがて何かを思い付いたらしい。
    「……では、姉があなたに勝ったら」
     手を乗せられたまま、明奈もにっこり笑う。
    「姉のこと、『姉さん』と呼んでくださいね」
    「ねっ……」
     この提案に、巴景の顔が引きつった。
    「……い、いいわよ。どうせ、私が、勝つんだし」
    「ええ、楽しみにしておきます」
     にっこりと笑う明奈に、巴景は内心舌打ちした。
    (……やっぱり調子狂うわ。やるわね、この子)



     521年、3月。
     巴景と明奈は晴奈の後を追い、北方の地に到着した。

    蒼天剣・訪黄録 終

    蒼天剣・訪黄録 4

    2010.05.03.[Edit]
    晴奈の話、第540話。巴景と明奈の船旅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「ね、ここは薄めにした方が、全体的にまとまるんです」「でも、傷が気になるし……」「大丈夫ですって。ほら、鏡」「……うーん、まあ、確かに」 北方へ向かう船の中で、巴景は明奈から化粧の仕方について学んでいた。「今日はこんなところですね。……お腹、空きませんか?」「ん、……まあ、空いてるわね」「じゃ、ご飯食べに行きませんか?」「いい...

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    晴奈の話、第541話。
    英雄の凱旋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。
    「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」
     央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。
    「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ少尉」
    「へ? ……大尉、じゃなくてぇ、エルスさん、アタシのコトぉ、覚えてるんですかぁ?」
     驚いた顔になったミラに、エルスはヘラヘラと笑顔を向ける。
    「もちろん。君みたいに、魅力的な子はね」
    「……あのぅ、すみませんでしたぁ」
     ミラはぺこりと、エルスに頭を下げた。
    「うん?」
    「アタシたちみんな、あなたのコト、犯罪者だって。……妹さん、そのせいで、ふさぎ込んでしまうしぃ」
    「……やっぱり、そっか。悪いことをしたよ、そう言う意味では。もっとちゃんと、説明ができれば良かったんだけどな」
     と、ミラの後ろに立っていたバリーも同様に頭を下げる。
    「すみません、でした。俺が、その、中佐と一緒に、その、盗んでしまって」
    「ううん、むしろ個人的には感謝すべきかな。そのおかげで、僕の疑いが晴れたんだし。ありがとう、バリー軍曹」
    「お、俺のことも、覚えてくださってた、ですか」
    「うん。あれから通打、うまくなった? 投げ技の方が得意だったみたいだけど」
    「は、はい!」
    「……あの」
     エルスとミラたちの様子を見ていた他の兵士たちが、恐る恐る近づいてきた。
    「自分のことも、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
    「うん。ボリス軍曹だったよね。奥さん、元気してる?」
    「お、俺は?」
    「もちろん覚えてるよ、ジェイク伍長。……あ、もう曹長になったんだね、おめでとう」
    「私のことは……」
    「うん、ユリア准尉だったよね。どう、氷の術? もうマスターしたの?」
     エルスは近寄ってきた、かつて指導していた兵士たちすべての素性を覚えていた。
     そして戦犯として侮蔑されていたことや、現在は央南連合の軍責任者であることなどに自分から触れようとせず、ただにこやかに振舞う様に安堵したのか、かつて彼を慕っていた兵士たちが皆、続々と集まってきた。
     彼らは一様に敬礼し、エルスを出迎えてくれた。
    「おかえりなさい、グラッドさん」
    「うん、ただいま」



     戦犯として扱われていたエルスがすんなり故郷に戻れたのには、理由がある。
     元々、「ヘブン」の前身である日上軍閥が黒炎戦争時、央北と北方の緩衝地帯となっていた北海諸島すべてを手中に収めていたため、兵が差し向けられる以前より、北海はすでに「ヘブン」の管理下にあった。
     王国側としては、目と鼻の先に敵が陣取っている状態である。好戦的傾向の強い王国軍としては、相当にプライドを刺激される状況だった。
     そこで同盟が成立してすぐ、央中・央南に対し「合同軍事演習」を申し出たのだ。

     一方、エルスの処遇に関しては、既にフーが「バニッシャー」を手にし、暴走した事実がある。「あのまま放っておけばフーと同様に暴走する者が現れていただろう。515年当時の状況から言って、使わず封印することは軍陣営が許さなかったであろうし、他に方法は無かっただろう」と判断され、軍から盗み出し国外逃亡した件は不問に処されることとなった。
     軍からの指名手配が無くなったことで、元々からエルスを慕っていた兵士たちが、貶められていた彼の名誉を挽回しようと運動を起こした。
     この運動と、エルスが央南連合軍の責任者となり、今回の軍事演習で不可欠な存在になっていたこともあり、軍本営も彼の地位復権に尽力する姿勢を見せた。
     その「証明」が、この出迎えである。



    「ついでに『中佐に格上げするから戻って来い』みたいなことまで言われたけどね」
    「へぇ」
     約半年ぶりに自分の家に戻ったトマスは、晴奈とともにエルスの、軍本部での顛末を聞いていた。
    「でもそれってさ、『お前の罪を許してやるから、央南連合軍を抜けて自分たちの軍に戻れ』って言ってるよね」
    「それはまた、上から目線もはなはだしい、と言うか」
    「だろうね。だから、丁重に断ったよ」
     エルスはへらへらと笑って、自分の意志を改めて表明した。
    「僕はもう、央南連合の人間だよ。戦争が終わったらすぐ帰って、央南でのんびり暮らすつもりさ」
     晴奈はそれを聞き、にっこりと笑い返した。
    「はは、歓迎するよ」
    「じゃ、僕も央南に行こうかなぁ」
     トマスもそう言ったところで、エルスは深くうなずいた。
    「うんうん、おいでおいで。君が来てくれたら、本当に嬉しい。二人でのんびり、囲碁でも打って暮らそうよ」
    「いいね。是非行きたい」
     と、不意にエルスが晴奈の方を向く。
    「……セイナ? どしたの?」
    「ぅへ?」
    「顔赤いけど」
    「顔? 赤いか?」
    「うん。何か……」
     そこでエルスは、チラ、とトマスを見て、もう一度晴奈を見た。
    「……何か、想像してた?」
    「していない。何も」
     晴奈は手をぱたぱたと振り、否定した。

    蒼天剣・帰北録 1

    2010.05.04.[Edit]
    晴奈の話、第541話。英雄の凱旋。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年11月末、北方、ジーン王国の首都、フェルタイル。「お久しぶりですぅ、トマスさん、セイナさん、……あの、それから、グラッド、大尉も」 央南から戻ってきたトマスたちを出迎えたミラが、かつての戦犯、エルスを見て複雑な表情を浮かべた。「ああ……、もうこっちの軍籍は抹消されてるから、普通にエルスって呼んでくれていいよ、ミラ...

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    晴奈の話、第542話。
    駄々っ子リスト。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。
     前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。
     流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。
     もちろん、リストとしては正当な理由があっての行動である。と言っても、自分の故郷に戻りたいと思っていたわけでもなく、ましてや、軍事国である故郷が戦火にさらされるのが不安だったわけでも無い。
     エルスのすぐ側に、央南でのんびり看過してはいられない「要因」がいたからである。



    「……」
    「……」
     晴奈たちの北方での宿として、トマスの家――元々祖父のエド博士が使っていたものであり、敷地はかなり広い――が使われている。
     その一室で、リストとある女性とが向かい合って座っていた。
    「……にらまないでよ」
    「にらむようなコトしてるからでしょ」
     リストの目の前には、赤毛のエルフが座っていた。小鈴である。
    「大体さ、なんでアンタ、一緒に付いてきちゃったのよ。アタシらと関係ないじゃない」
    「旅できなくてヒマだし。実家にいても母さんから『アンタもそろそろ、お兄ちゃんみたいにいつまでも一人でブラブラしてないで、結婚しなさい、結婚』って言われるし。
     ……それにさー」
     小鈴はリストの長い耳に口を寄せ、そっとつぶやいた。
    「あたし、エルス狙ってんのよ。どーせ結婚すんなら、玉の輿狙いたいじゃん」
    「……っ」
    「アンタも、狙ってんでしょ?」
    「だ、誰がっ!」
     リストは顔を真っ赤にし、ぷいと横を向く。
    「じゃ、あたしがココにいてもいーじゃん」
    「良くないっ」
    「何でよ?」
    「それは、だって、……好きでも無い奴と結婚とか、倫理的に」
    「ん、好きよ?」
     さらりと答えられ、リストは硬直した。
    「あの人もお酒強いし、色んなコト詳しいし、気が合うのよね。それに何より、腕っ節も強いし。やっぱオトコは強くなきゃダメじゃん?」
    「……」
     リストはフラフラと、席を立った。
    「……勝手にすれば」
    「うん。そーするわ」

     5分後、トマスの部屋。
    「痛い、痛いって」
    「うるさいっ」
     リストは従兄弟のトマスの背中を、ガツガツと殴っていた。
    「もう、何であの女っ、エルスにっ」
    「げほ、誰だよ、あの女って……」
     気が強いリストに、トマスは昔から頭が上がらない。
    「暴力はやめてくれって、昔から言ってるだろう」
    「うるさいうるさい、うるさあああいっ」
    「……あーあー」
     そして昔から、こんな風に八つ当たりしてくると、やがて泣き出すことも知っている。
    「うっ、エルスの、ば、バカぁ、グスっ」
    「……いてて」
     トマスの予想通り、リストは殴りつけるのに疲れ、うずくまって泣き出した。
    「ほら、タオル」
    「グス、グス……」
    「それで、あの女って誰? コスズさん?」
    「うん……」
    「そっか、やっぱり。言ってることが途切れ途切れで分かんなかったけど、でも何で……」
     話を続けようとしたトマスを、晴奈が止めた。
    (トマス、それ以上はまだ、進めない方がいい)
    (ん? 何で?)
    (また癇癪を起こすぞ)
    (ああ、そうかも)
     トマスは言おうとしていたことを飲み込み、リストの肩をポンポンと優しく叩く。
    「まあ、落ち着いたらゆっくり話そうよ。ね?」
    「うぐっ、うぐっ、……うん」

     しばらくして、ようやくリストは泣き止んだ。
    「それでさ、何でリストはコスズさんがリロイを狙ってるからって、泣き喚いたの?」
    「……トマス。分からないのか?」
     呆れる晴奈に、トマスはきょとんとした顔を返す。
    「何が?」
    「……リスト。今、ここには私とトマスしかいない。正直に、答えてほしいのだが」
     晴奈は床に座り込んだままのリストの側に屈みこみ、ゆっくりと尋ねた。
    「昔からそう思っていたが、お主はエルスのことを、好きなのだな?」
    「……うん」
     リストは顔にタオルを当てたまま、コクリとうなずいた。
    「ああ、なるほど」
    「何がなるほどだ。気付かなかったのか?」
    「だって、リストいっつもリロイにツンツンしてるからさ。逆に、嫌いなんだと思ってた」
    「阿呆」
     晴奈はそう言ってから、思い直して自分の意見を翻した。
    「……いや、そう言えばエルス自身もそう言っていたな。紛らわしいと言えば、紛らわしい」
    「やっぱりアタシじゃ、ダメなのかな……」
     落ち込んだ口調のリストに、晴奈は優しく声をかける。
    「そうは思わぬ。知っているか、リスト」
    「何……?」
    「かつて天玄で、篠原一派が襲ってきた時のことだ。
     エルスはお主を拉致した奴らを、あっと言う間に倒したそうだ。それも、こう言いながらだ。『僕にとってリストは大事な子なんだ。彼女に手を出す奴は僕が許さない』と」
    「それ……、ホント?」
    「ああ、本当だ。もっとも、私も人から又聞きしたのだが。まあ、それでもだ」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめた。
    「エルスの方でも、お主を憎からず思っているのは確かだ。それは今までの、あいつの所作に現れている」
     と、その時。トマスの部屋の戸がノックされた。
    「入るよ」
     エルスの声だ。
    「あ、……むぐ?」
     返事しかけたトマスの口を、晴奈が手でふさぐ。
    (リスト、隠れていろ)
     晴奈は小声で、リストに指示する。
    (う、うん)
     リストは慌てて、クローゼットの中に隠れた。

    蒼天剣・帰北録 2

    2010.05.05.[Edit]
    晴奈の話、第542話。駄々っ子リスト。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一方、リストもエルスとともに、北方へと戻って来ていた。 前回の央中出向の時のように、エルスはリストが央南・黄州方面の司令官であり、その職務を優先すべきだと、彼女が付いてくるのを反対していたのだが、なんとリストはその職を辞してしまったのだ。 流石のエルスも、そこまでされてしまっては反対するわけにも行かず、渋々承諾した。 ...

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    晴奈の話、第543話。
    変人職人からの打診。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。
    「あれ? お邪魔しちゃったかな」
     エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。
    「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」
    「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」
     それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける。
    (お、っとと)
     が、何とか視線を晴奈の方に向け、ごまかす。
    「どしたの?」
    「ああ、いや。リストがどうかした?」
    「うん。ほら、アニェッリ先生っていたよね」
     エルスの質問に、トマスはしばらく間を置いて「ああ」とうなずいた。
    「北方における銃開発の第一人者、デーノ・アニェッリさんのこと?」
    「そうそう、その人。彼と、コンタクトが取れたんだ」
    「へぇ?」
     珍しそうな声を上げるトマスに、晴奈が尋ねた。
    「誰だ、そのデーノと言うのは」
    「ああ、……えーと、銃が北方でも開発されてるのは知ってるよね?」
    「ああ」
    「元々、銃開発は央中の金火狐財団が490年末から行ってたんだけど、残念ながら財団は『銃器は刀剣類の威力、魔術の攻撃レンジに勝るものではない』と考えて、数年で開発を中断させたんだ。その責任者だったのが、狐獣人のアニェッリ先生。
     でも、どうしても銃開発を諦めきれなかった先生は、奥さんと子供を置いて北方に渡り、軍の重鎮だったおじい様に銃の有用性を説いたんだ。
     おじい様も、『確かに刀剣や魔術に比べれば、その威力・攻撃レンジは比べるべくもない。が、使いこなせるようになるまでに必要な訓練量は、前者二つとは比べ物にならないほど早い。優れた軍隊を作る上で、かなり有用になる』と同意して、先生を責任者に据えて銃開発を始めさせたんだ。
     でも、このアニェッリ先生って、変わり者で……」
     そこでトマスの説明を、エルスが次いだ。
    「銃開発が一段落したところで、『銃も一通り作りきった感があるし、他の研究に移りたい』って言ってね。首都を離れて、ミラーフィールドって街にこもって毎日、変なモノを開発してるらしいよ。
     そんなだから、軍からの招聘(しょうへい)も散々断ってたんだけど……」
     そこでエルスは、晴奈の方を見た。
    「最近になって突然、先生の方から声をかけてきたんだ。何でも、君に聞きたいことがあるんだってさ」
    「私に?」
     思いもよらない話に、晴奈は目を丸くした。
    「そう。それで、僕は交換条件に、『リストに合う銃を作ってほしい』って頼んだんだ。これからの戦争で、必要になるだろうからね」
    「なるほど……」
    「ねえ、リロイ」
     そこで、トマスが質問してきた。
    「リロイはさ、リストのことをどう思ってるの?」
    「ん?」
    「いやね、以前にリストが敵にさらわれた時に、君が助けようと躍起になったって話を聞いたことがあるんだ。それで、どうなのかなーって」
    「ああ……」
     エルスの回答を、晴奈も、トマスも、そしてクローゼットの中に潜むリストも、じっと黙って待っていた。
    「……そうだなぁ、一言で言うと」
    「言うと?」
    「手のかかる妹、かな」
     その答えに、クローゼットの中のリストはがっくりとうなだれた。
     そして、エルスも彼女に気付いていたらしい。
    「二十歳超えてまだ、クローゼットの中で遊んでたりするしね、はは……」



     ともかく、エルスはリストと晴奈、トマス、そして小鈴を連れて、北方山間部の観光都市、ミラーフィールドにやって来た。
    「へー、流石『鏡』って言うだけあるわね」
     小鈴が街の中央にある塩湖を見て、感慨深くつぶやく。
     塩湖には薄く水が張り、それが鏡の役目を果たしているのだ。そしてその鏡には空が映し出されており、中に立つ人間はまるで、空に浮かんでいるように錯覚するのだと言う。
     と、通りに央中でよく見かけた施設が建っているのが、晴奈の視界に入る。
    「ほう……、ここにも金火狐の銀行が」
    「銀行だけじゃないよ。この街は昔、まだ中央政府が世界中を支配していた時に、金火狐一族が開発したんだ。銀行やお店なんかがあるのは、その名残なんだ」
     トマスが説明している間に、一行は目的の家に到着した。
    「と、ここだ。ここが、アニェッリ先生の自宅兼、研究所」
     研究所、と言われたものの、傍目には普通の家にしか見えない。
     と――カリカリと、妙な音が聞こえてきた。
    「何だ……?」
    「あ、耳ふさいだ方がいいよ。キツいらしい」
    「え?」
     晴奈と小鈴がきょとんとしている間に、家の2階窓からにょきにょきと、何かが出てきた。
    「……あっ」
     その先端にあるものを見て、晴奈もそれが何だか分かった。
    《ポッポー!》
    「ぐあ……」
     が、耳をふさぐのが一瞬遅かった。
    《ポッポー!》
    「う、うるさっ」
    《ポッポー!》
     三回鳴いたところで、家から飛び出してきた鳩は元通り、家の中に収まった。
    「う、は……、耳が……」
    「ば、バカじゃないの……、一軒家サイズの鳩時計とか……」
     晴奈と小鈴は、耳を押さえてうずくまった。

    蒼天剣・帰北録 3

    2010.05.06.[Edit]
    晴奈の話、第543話。変人職人からの打診。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. リストがクローゼットに隠れたところで、トマスは改めてエルスを招き入れた。「あれ? お邪魔しちゃったかな」 エルスは中にいたトマスと晴奈を交互に見て、やや申し訳無さそうに笑った。「いや、大丈夫だ。それより、どうした?」「ああ、うん。リストのことで、ちょっとね」 それを聞いて、トマスの視線がクローゼットの方に泳ぎかける...

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    晴奈の話、第544話。
    銃の神様。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。
    「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」
     家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。
    「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。
     ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」
     その狐獣人は、うずくまった晴奈に声をかけた。
    「……そう、だが」
    「初めまして、セイナさん。僕の名前はディーノ・アグネリと言います。あ、北方風に言うと、デーノ・アニェッリですね」

     ようやく耳が落ち着いたところで、晴奈一行はディーノの家に入った。
    「それで、あぐ、……アニェッリ先生、と呼べばよろしいか?」
     かしこまった態度の晴奈に、ディーノは恥ずかしそうに手を振った。
    「いやいや、ディーノで結構です。先生と呼ばれるのは、どうにも尻尾がかゆくなっちゃって、あはは……」
     年齢は40半ばと言うことだったが、その頼りなさげな風貌は、もっと若く見させている。
    「では、ディーノ殿。私に聞きたいこととは、一体?」
    「ああ、うん……。妻のことを、聞きたくて」
    「妻?」
     一体誰のことを指しているのかと、晴奈はいぶかしがる。
    「ええ。その……」
     ディーノは全員を見回し、それから晴奈にそっと耳打ちした。
    「……はい?」
    「だから、その……」
     もう一度伝えようとしたディーノに、晴奈はぽんと手を打った。
    「……ああ、なるほど」
    「へ?」
    「そう言われるよりも、エランの父親と言われた方が、納得が行きます」
     そう返され、ディーノはきょとんとする。
    「……そんなに似てるんですか?」
    「はい。そっくりです」
     それを聞いて、小鈴が目を丸くする。
    「え、ちょっと待ってよ。エランのお父さんって、つまり、……総帥の?」
    「……はは、そうなんです。……ええ、金火狐財団の現総帥、ヘレン・ゴールドマンは、僕の奥さんだった人です」
    「そ、そうだったんですか」
     思いもよらない話に、エルスとトマス、リストは驚いている。
    「でも、僕がゴールドコーストを出た頃は、まだそんなに偉くなくって。
     どうしても研究を続けたいと頼み込んだんですが、当時の妻の力じゃどうにもならなかったんです。だから軍事立国であるこの国に渡り、ナイジェル博士の協力で研究を続けることにしたんですよ。
     ただ、どうしても気になるのが、やっぱり家族のことです。うわさには総帥に就任し、やり手の女ボスになったと聞きますが、遠く離れたこの街じゃ、それ以上のことはさっぱりですから。
     それで、今回の西大海洋同盟が成立したのは、央南と央中の権力者と親しくしてたセイナさんのおかげだと聞きまして。それなら妻のこと、色々知ってるんじゃないかな、って」
    「なるほど……」
     晴奈と小鈴は、央中での出来事をディーノに語って聞かせた。ディーノは顔をほころばせ、始終嬉しそうにうなずいていた。
    「そうですか、そうですか。エランが、銃をね……」
    「やはり、銃がゴールドコーストでも広まったのは嬉しいんですか?」
     そう尋ねたエルスに、ディーノは深々とうなずく。
    「ええ。ようやく、故郷で僕の研究成果が認められたと言うことでしょうね。
     ……いや、広めてくれたのは間違いなく、妻のおかげでしょう。彼女は若い頃から公安に思い入れがありましたし、それを息子に持たせたと言うのも、彼女らしいと言えば、らしいです」
    「その……、ディーノ殿は」
     晴奈はふと、こんなことを尋ねてみた。
    「今でも奥さんのことを?」
    「ええ、大好きですよ。もし彼女が『戻ってきてもええよ』って言ってくれたら、即、戻ります」
    「ほう……」
     ディーノは顔を赤くしながら、ぽつりとこう言った。
    「もうここでの銃の研究は、僕の手から離れましたからね。後は若い技術者が、頑張ってくれるでしょう」
     それを聞いて、晴奈はディーノとじっくり話をしてみたいと感じた。
    (この人は、既に『頂点』を過ぎた人なのだな。私も、もう数年すればこの人と同じところに行き着くのかも知れない。
     今、その心境はどうなっているのだろうか? ……もっと詳しく、聞いてみたい)

    蒼天剣・帰北録 4

    2010.05.07.[Edit]
    晴奈の話、第544話。銃の神様。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 晴奈たちがうずくまっているところに、家の中から申し訳無さそうな声が飛んできた。「ああ、ごめんなさい。やっぱりうるさかったかな」 家の中から、耳当てを付けた狐獣人が出てくる。「あれ、故障しちゃってるんです。音量の調整が、どうしてもうまく行かなくって。 ……えーと、あなたがセイナ・コウさん?」 その狐獣人は、うずくまった晴奈に声を...

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    晴奈の話、第545話。
    高みを降りた人から、高みに達した人へ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。
    「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」
    「ありがとうございます」
    「いただきまーすっ」
     食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。
     ゴールドコーストで公安チームと出会い、彼らと共に央北を回り、殺刹峰と戦った話を聞き、ディーノの目はキラキラと輝く。
    「へぇ……、散弾銃、ですか。確かに公安の機動部とか制圧戦とかには、うってつけの装備ですね」
    「ええ、殺刹峰に潜入した時も、それで修羅場をしのいだとか。
     ……あの、ディーノ殿」
    「はい?」
    「その……、会って間もないあなたにこんな話をして、戸惑われるかも知れませんが」
    「何でしょう?」
     晴奈は周りの皆が食事に気を取られているのを確認し、ディーノに相談してみた。
    「私は……、その、もう27歳でして、そろそろ、……ここが、剣士としての頂点では無いかと考えているのです」
    「ふむ」
    「しかし、不安もあります。この後、剣士としては緩やかに下るだけ。今まで剣の道一本だった私は、どう生きていけばいいのかと」
    「……なるほど。僕にも、似た点はありますね」
     ディーノはコップを机に置き、真面目な、しかし優しげな顔になった。
    「僕も、研究と発明ばかりの人生でした。その道、一本だったわけです。そう考えればその点、あなたと似ていますね。
     でも最近じゃ、なかなかいいものが作れません。ただ、それはスランプってわけじゃなくて、やっぱりセイナさんが言うみたいに、頂点を過ぎてしまったんだと思います。もう昔みたいに、次から次に研究・開発を進めて成功していくことは難しいでしょうね。
     でもそのことは悔しくも、悲しくも無いんです。思うに、それは……」
     ディーノはそこで、コップに入った酒をくい、と飲み干す。
    「それは頂点の時――自分が最高の仕事ができる時に、最高の仕事をしたからだと思います。その証明と言うか、成果と言うか、……そんな感じのものは、今、この国のあちこちで見られますし。それを見ていると、本当に自分はいい仕事をしたと、そう実感できるんです。
     過去の栄光に浸っているとか、そう思われるかも知れません。でも、僕はもう、それでいいんです。自分がやるべきことを、やれる時にやりきったんですから」
    「なる、ほど……」
    「セイナさん」
     ディーノはにっこりと笑い、こう締めくくった。
    「今があなたの人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事ができるよう努力してください。
     そうすれば頂点を過ぎた後、悔やむことは何も無いと思います。きっとみんな、仕事をやりきったあなたを祝福してくれるはずです。
     その後の人生、きっといいものになりますよ」
    「……はい」
     晴奈は目から涙がこぼれそうになるのをこらえながら、小さくうなずいた。



     3日後、ディーノはリストのために、銃を作ってくれた。
    「ベースはGAI(ジーン王国兵器開発局)の狙撃銃、GAI‐SR(スナイパーライフル)511型です。
     それの命中精度改良版がSR511P(Prime:最上級)型と呼ばれていますが、僕はその命中精度をさらに向上させ、さらに長い銃身と特製調合の装薬とで、射程距離も大幅に伸ばしてみました。
     名付けて、GAI‐SR511PPLR(Prime of Prime and Long Range)」
    「うん、ありがと」
     リストは銃が入ったかばんを受け取り、ニコニコと笑いながら銃に向かってつぶやいた。
    「よろしくね、ポプラちゃん」
    「ポプラ?」
     尋ねたトマスに、リストは指を立てて答えた。
    「PPLRだから、語感でポプラ(Poplar)かなって」
    「なるほど、いいですね」
     作った本人も、嬉しそうにうなずいた。
     と、ここでエルスがディーノに、あることを伝えた。
    「そうだ、アニェッリ先生。奥さんに会いたがってましたが、もしかしたら近いうち、会えるかも知れませんよ」
    「と言うと?」
    「同盟が成立しはしましたが、まだそれぞれの首脳が顔を合わせてませんからね。近いうち、同盟を発案したこの国で、首脳会談の場が開かれると思います。
     となれば当然、奥さんもその場に……」
    「そうか、なるほど……。そうですか、ふむ」
     ディーノは嬉しそうに顔をほころばせた。
    「いいですね。会えるかどうかは分かりませんが、楽しみにしておきます」

     帰りの道中、晴奈はディーノから言われたことを何度も、心の中で繰り返していた。
    (『人生最高の時と言うのなら、是非、いい仕事を』か。……そう、今が私の頂点、剣士としての人生、最高の時なのだ。
     確かに私は、最早戦うことに疲れてきている。だが、ディーノ殿の言う通り、今、最高の仕事をしなければ、私はきっと後悔する。巴景やアランと戦うことを避ければきっと、終生『何故あの時、戦わなかったのだ』と悔やむだろう。
     それだけはしたくない。後々に禍根など、残してはならぬ。今ここで、きっちりと決着を付けねば)
     晴奈はこれから来る、最後の戦いを前に、決意を新たにした。

    蒼天剣・帰北録 終

    蒼天剣・帰北録 5

    2010.05.08.[Edit]
    晴奈の話、第545話。高みを降りた人から、高みに達した人へ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 晴奈たちはミラーフィールドの宿に宿泊し、近くの食堂でディーノとともに夕食を取ることになった。「さ、もっとお話、聞かせてください。ここは僕がおごりますから」「ありがとうございます」「いただきまーすっ」 食事が始まったところで、晴奈はディーノに旅での話をし始めた。 ゴールドコーストで公安チームと出会い...

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    晴奈の話、第546話。
    凍った海でスケート。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦520年、12月。
     晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。
    「それにしても」
     その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。
    「見事に凍っているな」
    「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」
    「ほう」
     試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った海を突いてみる。
    「来た時はまだ氷が張っていなかったから、まさかこれほどとは思っても見なかった」
    「でしょうね。アニェッリ先生も、フーのおばあちゃん夫婦も、こっちに移り住んだ時はみんな驚いてたらしいわよ」
     そう言って、リストはひょいと氷の上へと降りる。
    「ほら。人が乗れるくらい分厚いのよ」
    「なんと……。話には聞いていたが、本当に乗れるとは」
    「セイナも来てみなさいよ」
     リストに手招きされ、晴奈も恐る恐る氷の上に足を乗せた。
    「……確かに」
    「じーちゃん、グリーンプールにも別荘持っててさ。アタシ、何度かこっちに、遊びに行ったコトあったのよ。楽しかったなー……」
     と、リストは埠頭に上がり、「ちょっと待っててね」と言って姿を消した。
     晴奈は水平線の向こうまで凍った海を見渡し、ため息をつく。
    (ウインドフォートで聞いた、巴景の話。彼奴は、この凍った海を歩いて渡ってきたと言う。考えもしなかったな、そんな手段は。
     恐らく、殺刹峰で得た強化魔術があったからこそ、取った手段ではあろうが――私には、到底真似ができぬ。その術と、型破り・非常識な発想力は、私を凌駕する。それこそが、巴景の強みであり、二つと無い武器なのだろうな。
     だが、私も人知を超えた経験を、いくつも重ねてきた。経験の量と深さは、負けていないはずだ。それに私にはこの『蒼天』と、十余年鍛え、高みに達した剣術が付いている。
     敵わないと言うことは、無いはずだ。十分、十二分に対抗できる。……いや、勝ってみせるさ。
     この因縁には、きっちりと決着を付けてみせる)
     と、リストが靴を二足抱えて戻ってきた。
    「お待たせー」
    「それは?」
    「スケート靴。サイズ合うかしら?」
    「すけ、と?」
    「氷の上を滑れる靴よ。……ほら、見てて」
     リストはスケート靴を履き、氷の上をすいすいと走る。
    「楽しいわよ、けっこー」
    「ふむ」
     晴奈もスケート靴を履き、氷の上に立とうとしたが――。
    「わ、と、とと、……にゃっ」
     バランスを崩し、べちゃりと前のめりに倒れてしまった。
    「あいたた……」
    「ふふ、あははっ」
    「参ったな、はは……」
     晴奈は埠頭にしがみつき、何とか立ち上がる。
    「足は揃えて立たないと、がくっと体の軸ブレるわよ」
    「ふむ。こう、か?」
    「そうそう、そんな感じ。で、こーゆー風に、右脚に体重かけてー、次は左脚にかけてー」
    「右、左、右、左、……こんな感じか」
    「そ、そ。うまいじゃない」
     運動神経のいい晴奈は、すぐにコツを飲み込む。
    「なるほど、面白い」
    「ね、セイナ。ちょっと、沖の方まで行こ?」
    「沖に?」
     聞き返したが、リストは理由を言わない。
    「……ダメ?」
    「いや、構わぬ。行ってみようか」
    「ありがと」
     リストは礼を言うと、晴奈の手をつかんですい、と滑り始めた。
    「滅多に割れないから、安心して」
    「ああ」
     しゃ、しゃ……と、スケートの滑る音だけが聞こえる。
    「わあ……、真っ白。ミラーフィールドじゃないけど、雲の中にいるみたいね」
    「そうだな、白い雲の上を滑っているようだ」
    「アハハ、雲ってツルツルなのね」
     滑る間に他愛も無いことを話しながら、二人は街が彼方に見えるくらいのところで止まった。
    「……さて、と。ココなら二人っきりで話せるよね」
    「うん?」
    「聞いて、セイナ。アタシの話」
    「どうした、改まって」
     リストはうつむき、スケート靴を脱ぎ始める。
    「あのね」
     脱ぎ終わるなり、リストは座り込んだ。つられて、晴奈も横に座る。
    「あの、……あのね」
    「……」
     リストはもごもごと、言葉を詰まらせる。そこで、晴奈が尋ねてみた。
    「エルスのことか?」
    「……そう」
     リストは顔を挙げる。やや吊り上がったその目は、今にも泣きそうに潤んでいた。
    「こないだ、ミラと、話をしたの」

    蒼天剣・傷心録 1

    2010.05.10.[Edit]
    晴奈の話、第546話。凍った海でスケート。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦520年、12月。 晴奈たち一行が北方に到着してから半月が経ち、沿岸部での軍事演習も軌道に乗り始めていた。「それにしても」 その日、晴奈はリストとともに、グリーンプールの港に立っていた。「見事に凍っているな」「そうね。これから4ヶ月は、こんな感じよ」「ほう」 試しに埠頭から身を乗り出し、刀の鞘でこつんと凍った...

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    晴奈の話、第547話。
    名狙撃手。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。
    「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」
    「いえいえー」
     人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。
    「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」
    「うん、また連れてってほしいわ」
     以前のリストであれば、こんな風に誘われてもつっけんどんに断るばかりだった。
     だが、央南での生活ですっかり丸くなり――と言うよりも、攻撃性が敵とエルスにのみ向けられるようになったと言うべきか――他者との人付き合いも、円滑にこなすことができるようになっていた。
    「それでぇ、ちょっと聞きたいなってコト、あるんですがぁ」
    「何?」
    「あのぅ、リストさんって銃、うまいんですよねぇ?」
    「うん、超得意よ」
    「でもですねぇ、あのぉ、アタシがヒノカミ中佐の側近してた時にぃ、ブリッツェン准尉って人がぁ、『俺が一番、銃の腕はいい』って自慢されてたんですよぉ」
     その名前を聞き、リストはある人物を思い出す。
    「ブリッツェンって、茶髪で赤耳の狐獣人の、ルドルフ・ブリッツェン?」
    「はぁい、その人ですぅ」
    「はっ」
     リストは鼻で笑い飛ばす。
    「あんなのタダのトリガーハッピー、銃をバカスカ撃てりゃ満足ってだけのバカよ」
    「そうなんですかぁ? アタシが聞いた話では、結構すごい成績出してたらしいですよぉ?」
    「訓練って、『5スナイプ』の?」
    「はぁい。460点出してたらしいですよぅ」
     それを聞くなり、リストは立ち上がった。
    「ふっ、そんならアタシの腕、見せてあげようじゃないの」



     リストはミラを連れて、軍の射撃訓練場に向かった。
    「で、あの乱射バカ、何使ってた? 511P?」
    「えーとぉ……」
     と、銃の管理をしている将校が、それに答える。
    「乱射バカって、ブリッツェン准尉か? ここで最高記録出した時のだったら確か、511だったぞ。P付いてない、無印版のやつ」
    「じゃ、ソレ貸して」
    「おっ、挑戦する気か? ……って、そう言やお前、ナイジェル博士の孫だっけ。
     ナイジェル一族の若い奴の中に銃の達人がいるとか聞いたことがあったけど、それ、お前のことか?」
    「そうよ。早く貸してよ」
     そう答えたリストに、将校はニヤリと笑って返した。
    「面白い。何点出せるか、見せてもらおうじゃないか」

     ちなみに、この射撃訓練は次のようなシステムになっている。
     100メートル離れた場所にある的を狙撃し、的の中心を打ち抜けば100点。そこから15センチ離れれば、90点。さらに、5センチ離れるごとに10点ずつ減点され、中心から60センチ離れれば、無得点となる。
     それを5セット行い、その総合点を命中精度として評価する。この訓練は王国軍の中では、通称「5スナイプ」と呼ばれている。
     ルドルフの460点とはつまり、1発が中心に命中し、残り4発もすべて、15センチ以内に納めたと言うことである。

    「ま、見てなさいよ」
     狙撃銃を受け取ったリストは早速、伏射体勢を取って構える。
    「じゃ、お願い。……はい!」
     リストのかけ声に合わせ、的が立ち上がる。少し間を置いて、リストが狙撃した。
    「どうだ? ……へぇ」
     的側にいた兵士から、100点であると言う返事が返ってくる。
    「まずは、満点か」「黙ってて。気が散る」「おっと」
     リストににらまれ、将校は口をつぐんだ。
    「次!」
     リストが声をかけ、二枚目の的が立ち上がった。今度は間を置かずに、すぐに狙撃する。
    「……ほう」
     これも100点だと、返事が返ってくる。
    「次!」
     三枚目も、100点。
    「……マジか」
    「次!」
     これも中心を撃ち抜き、100点。
     これに気が付いた兵士たちが、ゾロゾロと集まってきた。
    「『5スナイプ』で連続100点!?」
    「どんな銃だよ……」
    「511の無印だってさ」
    「嘘だろ、もう型落ちだってそれ」
    「でも、ブリッツェン准尉も同じ銃で460でしょ?」
    「……もしかしたら」
    「もしかするかも」
     ざわめく兵士たちを、リストが怒鳴りつけた。
    「うるさい! 邪魔!」
    「……っ」
     兵士たちは一斉に押し黙り、リストの挙動に注目した。
    「次!」
     リストの声に応じ、最後の的が立ち上がる。
     最後の一枚は、先の4回よりも時間をかけて狙撃された。
    「……っ」
     その直後、リストが小さくうめき、床をドカドカと叩きつけて悔しがった。
    「どうなった……?」
    「出るぞ、結果出るぞ」
    「……あ」
    「90、……か」
     リストは振り返り、もう一度兵士たちに怒鳴りつけた。
    「アンタらがうるさいからよ、ホント邪魔っ!」

     最後にケチが付いたとは言え、総合で490点となった。

    蒼天剣・傷心録 2

    2010.05.11.[Edit]
    晴奈の話、第547話。名狙撃手。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈たちがミラーフィールドから戻って、二日後のこと。「うん、ホント美味しかった。ありがとね、ミラ」「いえいえー」 人懐っこいミラに誘われて人気の喫茶店を訪れたリストは、すっかり上機嫌になってミラと話をしていた。「自慢じゃありませんがぁ、アタシ、この街の甘いものは食べつくしてますから、何でも聞いてくださいねぇ」「うん、また連れ...

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    晴奈の話、第548話。
    恋焦がれて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。
     ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。

     それが、「5スナイプ」を行った、たった2分間で逆転した。
    「490って、すげえな」
    「うわさも案外、間違ってないってことか」
    「向こうじゃ、彼女に感化されて銃開発が始まったらしい」
    「それも流石、エド博士の孫って感じだな」
    「そう言えば、チェスターはアニェッリ先生に会ったらしいぞ」
    「先生に? じゃあ……」
    「らしいですよ。銃を、オーダーメイドで作ってもらったとか」
     どうも、北方人はうわさ好きな性分を持っているらしい。あっと言う間に、リストが「ポプラ」を持っていることまで伝わってしまった。



     数日が過ぎ、うわさはエルスの耳にも入った。
    「へぇ、あの子がねぇ」
    「今はもう、リストさんのことで持ちきりですよぉ」
    「馴染めたみたいで良かったよ、はは……」
     その口ぶりが、ミラの中で引っかかった。
    「……エルスさんってぇ、なんだかお兄ちゃんみたいな言い方しますねぇ?」
    「ん?」
    「リストさんのコト、どう思ってるんですかぁ?」
     そう尋ねられ、エルスは笑顔のままポリポリと頭をかき、困った様子を見せた。
    「うーん……、それも良く聞かれるんだけどねぇ。あの子、僕の周りをいっつもウロウロしてるから」
    「え……」
    「あの子は妹みたいなもんだよ。君の言ったこと、間違ってない」
    「そう、なんですかぁ」
     エルスの回答に、ミラはがっかりした。

     ミラが失望したのには、理由がある。
     リストと喫茶店で話をした時に、リストはエルスに好意を抱いていると気付いていたからだ。
    「……ですって」
    「そう」
     グリーンプールでの演習の合間に、ミラはエルスの、リストに対する感想を、本人にそのまま伝えた。
    「で?」
     だが、リストは無反応を装う。
    「えっ?」
     リストの、気の無さそうなその口ぶりを、ミラは一瞬意外に思った。しかし――。
    「それが、どうしたのよ」
    「……リストさん」
     リストの目は、小刻みに震えている。
    「何よ」
    「……好きなんでしょ?」
    「何が」
    「エルスさんのコト」
    「……んなワケっ、ないじゃないの……っ」
     そう言った途端、リストの目からボタボタと涙がこぼれる。
    「アタシがっ、……あんなっ、いっつも、ヘラヘラしてるヤツ、好きなっ、ワケ、ないじゃない……っ!」
    「あ、あのぅ」
    「そうよ、いっつも、ポカポカ殴ってっ、ひどいコトばっか言ってる、アタシのコトなんて……っ、好きで、好きでいてっ、くれるワケっ、……ない、し、っ」
     言葉とは裏腹に、リストの涙はとめどなく流れ続ける。
    「そりゃ、手のかかるっ、いも、とっ、……妹でしょ、そりゃ、ね……っ」
    「あ、あのぅ、リストさん」
    「ま、マシよね、ホント……っ! 嫌ってない、なんて、逆にっ、おかしい、くらい、じゃ、ないっ……」
    「も、もういいですからぁ」
    「なっ、何が、いいのよっ、……グス、グスっ」
     リストの声に、嗚咽が混じり出す。
    「グス、……帰ってっ」
    「え、え……」
    「帰ってよっ!」
    「……はい、あのぅ、……失礼しましたぁ」
     これ以上どうにも応えきれなくなり、ミラはそそくさとリストの前から姿を消した。



    「……そうか」
    「アタシ、さ……」
     ミラとの会話を晴奈に伝え、リストはまた泣き出しそうに、顔を歪めていた。
    「どうして、こんななのかな」
    「こんな?」
    「ちょっと、何かあると、滅茶苦茶なコト言って、みんな困らせてさ。ミラにも、怒鳴って追い返しちゃったし。
     こんなだから、エルスはアタシのコト、好きでいてくれないんだよね」
    「……そんなことは」
     晴奈は優しく、リストの肩を抱きしめる。
    「そんなことは、無いさ。嫌いなわけが無い。でなければ天玄の時、お主を助けようなどとするものか」
    「でも、アイツは、コスズと……」
    「……どうなるか、まだ分からないさ。いっそのこと、言ってみたらどうだ?」
     リストは顔を挙げ、晴奈の顔をじっと見た。
    「え?」
    「お主の胸のうちを、まだ、エルスと小鈴が結ばれないうちに」

    蒼天剣・傷心録 3

    2010.05.12.[Edit]
    晴奈の話、第548話。恋焦がれて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 元々から、リストの銃の腕前が非常に優れていることと、ルドルフもそれに比肩する腕を持っていると言ううわさは、王国軍の間では有名だった。 ただ、「バニッシャー」強奪事件でリストが北方を離れたことや、ルドルフが日上軍閥で要職に就いたことなどから、うわさ上での力関係はルドルフの方が上だった。 それが、「5スナイプ」を行った、たった...

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    晴奈の話、第549話。
    大人デートと、少女の抵抗。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「んっふふー」
     グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。
    「気に入ってもらえたかな?」
    「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」
    「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」
    「あーら、ありがと」
     ちなみに今日の小鈴は、普段の巫女服ではなく、北方風のドレスを着ている。これも、エルスからの贈り物である。
     エルスの方も普段着ではなくスーツを着ており、二人の様子は店内の上品な雰囲気に、ぴったり合っていた。
    「ところでさ、エルスって」
    「ん?」
    「この戦争終わったら央南に永住する気らしいけど、ホント?」
     エルスはワインをくい、と呑み、小さくうなずいた。
    「うん、そのつもりだよ。もう北方に戻る気は無いし、今は央南でかなりいい仕事に就いてるからね」
    「んじゃさ、奥さんとかも向こうで探す感じ?」
    「……あー、どうなのかな」
     エルスは小鈴にワイン瓶の口を向けながら、首をわずかに傾ける。
    「まだそんな気、無いかな。今結婚しても、何だか持て余しそうだし」
    「んふふ、晴奈には『子供作ろう』とか言ったクセに」
    「はは、あれは冗談だって」
    「30超えたオジサンがそんなコト言ったら、冗談じゃすまないわよ」
     そう言われ、エルスは黙り込んだ。
    「……あれ? 何か変なコト言っちゃった?」
    「あ、いや。……確かにもうおじさんなんだよな、僕って」
     エルスはにこやかな表情のまま、自分の手をじっと見つめる。
    「若いつもりしてたけど、確かに手は、10代、20代の頃に比べて張りが無くなった気がする。アケミさんにも言われたけど、歳、取ってるんだなぁ……」
    「アハハ、何を今さら」
     と、小鈴も自分の胸に手を当てる。
    「……あたしも歳取っちゃったかなぁ。エルフだけど」
    「大丈夫、そこは歳取ったように見えないよ。全然若い」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく尋ねる。
    「あら、ドコ見て言ってるのかなー?」
    「大渓谷、だね」
    「んもう、……ぷ、ふふふっ」
    「ははは……」
     二人は楽しげに、食事と会話を楽しんでいた。

     店を出た後も、エルスと小鈴は並んで道を歩いていた。
    「はー……。美味しかったわー、ワインとご飯」
    「気に入ってもらえて何より、かな」
     エルスはニコニコと笑いながら、小鈴の手を取って歩く。小鈴もうれしそうに笑い、手を任せている。
    「……ねー、エルス」
    「ん?」
    「また連れてってね、美味しいお店とか」
    「ああ、もちろん。僕も君と、色んなところ行きたいからね」
    「……ふふ」
     小鈴はエルスの腕を、ぎゅっと抱きしめた。
    「にしてもさ、最初に会った時はそんなにエルスのコト、気にしてなかったんだけどな」
    「そうなの?」
    「うん、ふつーに『晴奈の友達』くらいにしか思ってなかったし」
    「……そうだな、僕もコスズのことは同じようにしか思ってなかったかも」
     それを聞いて、小鈴はいたずらっぽく笑う。
    「晴奈のおかげね、こうしてるのって」
    「はは、そうだね」
     そこで、エルスが立ち止まる。
    「……どしたの?」
    「ああ、うん。……うーん」
    「ん?」
    「……リスト」
     エルスは背後の物陰から見守っていたリストに声をかけた。
    「何か、用?」
    「……」
     声をかけられ、リストは仕方なく物陰から出てくる。
    「何かあったの?」
    「……」
    「黙ってちゃ分からない」
     エルスは依然ニコニコとしているが、その口ぶりはどことなく迷惑そうだった。
    「……ばか」
    「うん?」
    「どうして、アタシじゃないの」
    「……」
     今度は、エルスの方が黙る。
    「そんなに、アタシには魅力無いの?」
    「……」
    「そんなに、アタシのコト、邪魔?」
    「……」
    「ねえ、そんなに嫌いなの?」
    「……あのね」
     エルスはネクタイを緩めつつ、優しく返答した。
    「嫌ってなんか、いるわけないさ。ちょっと口は悪いけど明るい子だし、自分の好きなものにはすごく熱心になれる真面目さがある。それに、顔だって可愛い。嫌ってなんか、いない」
    「じゃあ、なんで……」
    「でもねリスト」
     エルスはそこで言葉を切り、じっとリストの顔を見つめた。

    蒼天剣・傷心録 4

    2010.05.13.[Edit]
    晴奈の話、第549話。大人デートと、少女の抵抗。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「んっふふー」 グリーンプールのレストランで、小鈴はエルスと食事を楽しんでいた。「気に入ってもらえたかな?」「もちろんよ、んふふ……。エルスって、ホントに博識よね。こーんなワインの銘柄まで、しっかり知ってるんだから」「そりゃまあ、女の子をいいお店に誘うんなら、これくらいは知ってないと」「あーら、ありがと」 ちなみ...

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    晴奈の話、第550話。
    好意のベクトル。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。
    「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」
    「え……?」
    「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。
     でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に思ってる。でも、君と付き合いたいかって言われたら、それは違うんだ。
     だって、妹だもの」
    「……っ」
     エルスの言葉に、リストの目からぽろっと涙がこぼれる。
    「……君をできるだけ傷つけたくなかったから、今まで言わないようにしてたけど。でも、僕にとってはそうなんだよ、リスト。
     僕は君を、女として見れない」
    「……うっ、……」
     リストののどから、嗚咽が漏れ始める。
    「……本当に、ごめん。長い間、君をだましていたも同然だ」
    「……なんで……ぐす……」
     リストは泣きながらも、なお話を続けようとする。
    「なんでっ、……あ、謝る、のよっ……」
    「それは……」
    「謝ら、ないでよ、ぐすっ……」
     リストはその場にしゃがみ込み、本格的に泣き出した。
    「アタシが、迷惑、ひっく、かけまくって、それで、ぐすっ、謝られ、たら、……うっ、う……、アタシ、ただ、のっ、バカじゃ、ない……、ひっく」
    「……ごめんね」
     エルスはただただその場で硬直していた小鈴の手を引き、リストの前から姿を消した。
    「……ばかっ……」

     それから2日、リストは演習に姿を見せなかった。



    「リスト、大丈夫か?」
     ずっと部屋にこもりっきりになっていたリストを心配し、晴奈が訪ねた。
    「……」
     部屋の中からは、返事が無い。
    「入ってもいいか?」
    「……」
     何度か呼びかけたが、反応は返ってこない。
    「……では、ここで話すぞ」
     晴奈はドアの前に座り、中のリストにぽつりぽつりと声をかけた。
    「その、……顛末は、聞いた。……残念だったな。まあ、その、気を落とすな、と言うのは無理だろうが、……その」
     晴奈はドアに向かって、深々と土下座した。
    「……すまぬ! 私が、お主をたきつけたりしなければ、このようなことには」「いいわよ」
     き、と音を立てて、わずかにドアが開いた。
    「セイナ、そんなに謝んないでよ。どっちにしろ、エルスがアタシを、付き合う相手って見てなかったんだから。遅かれ早かれ、こーなってたわよ」
    「リスト……」
    「ね、こっち来て?」
    「あ、うむ」
     晴奈は立ち上がり、部屋の中に入る。
     部屋の中はぐちゃぐちゃに汚れており、この2日間の荒れようが見て取れた。
    「ゴメンね、汚くしてて」
    「あ、いや」
    「……やっぱり、ショックだったわ」
     リストはベッドの上に腰かけ、クシャクシャになった髪を簡単にまとめながら話し始めた。
    「ずっと、ずーっと好きだったのに。アイツ、全然そんな風には見てくれなかったなんてね。
     ……ううん、実はちょっと前から、気付いてた。アイツは、アタシのコト、そこまで好きじゃないって。ホントのホント、妹だったんだなってさ。
     でも、実際言われると、……こたえたわ、かなり。やっぱりさ、ハッキリ言われるまでは、心のどっかで『もしかしたら』とは思ってたわけよ」
     そこでリストは立ち上がり、服を脱ぎ始めた。
    「え、おい?」
    「あ、……ちょっと、お風呂入ろうかなって。2日、泣きっぱなしだったから。……そんでさ、後でまた、一緒にスケート行かない?」
    「ああ、それはいいが」
    「よろしくね。……じゃ、お風呂入るから」
    「ああ、うむ」

     1時間後、晴奈とリストは再び、沖の方へとやって来た。
    「今日、何日?」
    「12月20日だ」
    「そっか、もう年も変わる頃ね」
    「そうだな。後10日ほどで、双月節となる」
    「来年は、どんな年になるかしらね」
    「さて、何とも言えぬな。恐らくはまた、戦いの日々になるだろう」
    「そうね」
     リストはふーっ、と白い息を吐き、座り込む。
    「どうしよっかな」
    「うん?」
    「アタシさ、央南の黄州司令官、辞めちゃったでしょ? そんで、エルスにもフラれちゃったし。戦争が終わったら、どうしようかなって」
    「ああ……」
     晴奈もリストの横に座り込み、腕組みをして考える。
    「そうだな、しばらくはうちにいればいい」
    「セイナんち?」
    「ああ。父上の手助けなどすれば、しばらくは食うに困らぬだろう」
    「そうね、ソレいいかも。……んじゃさ、よろしく言っといて」
    「ああ、承知した」
     そこで、会話が途切れる。
     二人はそのまま、真っ白な水平線を眺めていた。

    蒼天剣・傷心録 5

    2010.05.14.[Edit]
    晴奈の話、第550話。好意のベクトル。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 10秒ほどリストの顔を見つめていたエルスは、再び口を開いた。「君と僕の、『好き』って感情は、違うんだ」「え……?」「君が僕のことを好きでいてくれるって言うのは、昔からずっと知ってるよ。異性として見てくれてるって言うのは、ね。 でも、僕は君に対して、妹とか、戦友とか、そう言う目でしか見られないんだ。君のことは本当に、大事に...

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    晴奈の話、第551話。
    女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「……そ、言やさ」
     不意に、リストが口を開いた。
    「セイナ、どうなの?」
    「うん?」
    「最近、トマスと仲いいみたいだけど」
    「えっ」
     聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。
    「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」
    「……いーわね」
    「な、何が、だ?」
    「アンタ、好きなんでしょ?」
    「そ、それは……」
     晴奈はかけていたマフラーをいじりながら、ボソボソと答える。
    「……少なくとも、憎からず思っている」
    「そっか。……なんで?」
    「なんで、って」
    「アイツ、頭いいけどすぐ人のコトにケチつけるし、自慢したがりだし。ドコがいいの?」
    「ああ、えー……、と」
     なお、晴奈は口をもごもごとさせる。
    「そうだな、私のことを、気にかけてくれるから、かな」
    「アンタを?」
     言いかけて、リストは「ああ」と納得したような声を出した。
    「そうね。アンタもエルスみたいに、『何でもできますよ』って感じのヒトだもん。自信家だし、実際腕もいいし、オマケに料理もうまいしね。
     でも、……そうよね。だからアンタのコト、ちゃんと見てないのかもね、みんな」
    「……」
    「……じゃ、さ」
     リストはいたずらっぽく、こう言った。
    「アタシもアンタのコト、気にかけるようにしたらさ、アンタもアタシを、好きでいてくれる?」
    「へ?」
    「……なんてね」
     リストはクスクスと笑い、手を振る。
    「他の誰よりも、トマスが一番にアンタのコト、思ってくれたからよね。他の人が『自分もあなたのコト、見てますから』ってアプローチしたって、遅いわよね」
    「あ、いや、リスト」
     晴奈は慌てて、リストの言葉に付け加える。
    「そんなことをせずとも、お主のことは嫌ってなどいない。お主も大事な友人だ」
    「……友人?」
     リストは晴奈に顔を向け――笑い出した。
    「……ぷっ、ちょ、セイナってば。なんで顔にそんな、マフラーぐるぐる巻きにしてんのよっ、あは、ははっ」
    「あ、いや、これは、……その、恥ず、いや、……うー」
    「あは、はは……、はー、何か久々に笑い転げた」
     リストは笑って出た涙を拭きながら、ぽつりとこう返した。
    「……友達、かぁ」
    「ん?」
    「そうよね、アンタはずっと、アタシの友達だった。改めて言われて、やっと実感したわ」
     そう言うとリストは、突然晴奈に抱きついた。
    「うわっ!? な、何だ!?」
    「セイナっ」
     リストは嬉しそうに、晴奈を抱きしめたままゴロゴロと氷の上を転がる。
    「ずーっと、友達でいてよね」
    「え? あ、ああ。もちろん」
    「約束よ」
    「う、うむ」
     ようやく解放され、晴奈は軽く目を回しながらもうなずく。
    「約束するさ。お主はずっと、私の友人だ。これまでも、そしてこれからも、な」
    「……うん」

     その時だった。
    「……ッ!」
     晴奈は自分と、横に寝転がっているリストとに、どこかから鋭く、貫くような殺意をぶつけられたのを感じ取った。
    「リスト、転がれッ!」
    「えっ」
     言うが早いか、晴奈はリストの襟元を引っ張って、無理矢理に体を横転させた。
     次の瞬間、今まで二人が寝そべっていた氷が、バシッと言う音とともに砕けた。
    「え……、銃撃!?」
     リストは自分たちが攻撃されていることに気付いたが、起き上がろうとはしない。
    「セイナ、伏せてて!」
    「ああ、分かっている」
     起き上がればそのまま、格好の的になるからだ。
     二人は寝そべった格好のまま、攻撃された方向を見定める。
    「……まさか、そんな!?」
     すぐに二人は、攻撃された方角を察知した。
     それは西南西の方角――即ち、あと半年ほど後に「ヘブン」が攻めてくるであろう方角からだった。
    「ウソでしょ……、歩いてきたって言うの!?」
    「いや、無理な話では無い。巴景が、それをやったのだ。最早、絵空事ではないのだ」
     二人の目には、斥候と思われる者三名が、銃を構えてしゃがんでいるのが見えていた。
    「どうしよう、セイナ?」
    「……念のため、刀を佩いていて助かった」
     晴奈はうつ伏せのまま、刀を抜いて火を灯す。
    「『火閃』」
     冷え切った周囲の空気が熱され、氷をわずかに溶かして真っ白な水蒸気を生む。
    「……っ」
     湯気の向こうで、斥候がたじろぐのが、ぼんやりとだが確認できた。
    「今だリスト、走るぞ!」
    「うんっ」
     二人は立ち上がり、スケート靴で走り去った。

    「あっ、くそッ!」
     晴奈たちを狙撃した斥候は狙っていた相手が逃げたのを見て、舌打ちする。
    「い、今ならっ」
     もう一名が慌てて銃を構えたが、それを背後から止める者がいた。
    「やめとけ。当たるワケねー」
    「えっ」
     狙撃を止めさせたのは、フーの側近である銃士――ルドルフだった。
    「『ヘブン』じゃ、まともに銃を作ってねーからな。整備も適当なもんだ。そんな銃であの距離じゃ、かすりもしねーよ」
     斥候たちは不満そうに、逃げていく二人を眺めている。
    「しかし少尉、このまま逃がせば……」
    「いいんだよ、別に」
     ルドルフは肩をすくめ、ニヤリと笑う。
    「もうどうしようもねーよ、この距離まで来られちゃな。後は……」
     ルドルフは踵を返し、自分たちが元来た方向へと戻り始めた。
    「この凍った海を大量の歩兵で渡って、ブッ潰すだけだ。『トモエ作戦』、いよいよ本番ってワケだ」

    蒼天剣・傷心録 終

    蒼天剣・傷心録 6

    2010.05.15.[Edit]
    晴奈の話、第551話。女の子の友情と、現れるはずのない敵軍。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「……そ、言やさ」 不意に、リストが口を開いた。「セイナ、どうなの?」「うん?」「最近、トマスと仲いいみたいだけど」「えっ」 聞かれた晴奈は、もごもごと口ごもる。「あー、それは、うむ、確かに、いいと言えばいい、な」「……いーわね」「な、何が、だ?」「アンタ、好きなんでしょ?」「そ、それは……」 晴奈はかけ...

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    晴奈の話、第552話。
    トモエ作戦の始まり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。
    「相手は、油断しきってたんだな?」
    「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」
    「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」
     斥候からの報告を聞き終えたフーは、ニヤリと笑った。
    「今から1時間で準備を整えろ! すぐにグリーンプールへ攻め込む!」
    「はっ!」
     フーの号令に、将校たちはバタバタと会議室を出て行った。
    「いよいよ、か」
    「そーね」
     フーの横には、ドールとノーラが座っている。
     本来ならば参謀のアランがそこにいるはずだが、フーは何としてもアランをこの場に居させたくなかったため、彼女らを今回、参謀扱いとしたのだ。
    「ま、奇襲とか強襲、電撃戦は俺たちの得意技だ。兵隊の大半は、蹴散らせるだろう。
     後は、敵主力への対策だな」
     その発言に、ドールが口を開く。
    「まず、リロイよね。アイツは確実に出張ってくるわ。アイツを放っておいたら、十中八九撃退されるわよ」
    「それと、トマス・ナイジェル博士ですね」
     ドールの所見を、ノーラが次ぐ。
    「この両氏は、『知多星』エドムント・ナイジェル博士の愛弟子です。手を組まれれば、どんな奇手・奇策で翻弄されるか」
    「あと、気になるのがあの『央南の猫侍』、セイナ・コウよ。実は央南抗黒戦争時代からの、リロイの腹心なんですって。当然、この場にも来てるわ。相手にするには、相当てこずるわよ」
    「だな」
     以前に晴奈に叩きのめされた覚えのあるフーは、短くうなる。
    「てこずると言えば、リスト・チェスターも懸念すべき相手です。央南での職を辞してまで、参戦したとか。その気概と腕前、それに指揮官・狙撃手としての手腕は警戒が必要です」
    「やれやれ、スター揃いだな」
     首をポキポキと鳴らしながら、フーはまた短くうなる。
    「それから、我々の元側近のトラックス少尉とブライアン軍曹も、リロイのそばにいるらしいわ。まさか、敵に回すコトになるなんて思いもしなかったわね」
    「あいつらも、か。……真っ先に潰すべきヤツは、全部で6人か。
     対策は?」
    「できてるわ。『ヘブン』のアッチコッチから、いいのを揃えてるわよ。それで精鋭部隊を組織してるからね」
    「そっか。……お前に任せっきりにしてたが、どんな奴らなんだ?」
     聞かれたドールは、にんまりと微笑んだ。
    「現在の側近であるアタシたち4名と、前政府の頃に投獄された囚人が3名、それから央北を旅してた手練の傭兵が3名。
     こんだけ集めれば、どーにでもなるでしょ」



    「確認したよ。確かに敵は、すぐそこまで来てた」
     晴奈たちからの報告を受けたエルスは、すぐ氷海に兵士を送り、偵察させていた。
     その結果、多数の軍勢がスタリー島に駐留していることが判明し、王国軍と、演習に来ていた同盟軍は騒然となった。
    「どうする?」
     尋ねた晴奈に、トマスが緊張した面持ちで答える。
    「迎え撃つしかないよ」
    「しかし、軍備はまだ整っていない。真冬で漁業や農業が閑散期にある現在、沿岸部の備蓄の半分以上は民間に供給されている。
     無理矢理引き上げ、徴発するにしても、足りるとは……」
    「分かってるよ、そんなことは! でも、やるしか……、っと」
     トマスは顔をしかめつつ、晴奈に怒鳴りかけて、途中で頭を下げた。
    「……ごめん。イライラしてた」
    「ああ、いや、……確かに、事態はかなり悪い。備蓄で不利な点ひとつ取っても、このまま攻め続けられれば、押し負けるのは明白だからな」
    「うん。それに『この地域』で、そして『この時期』で敗北することは、僕らにとって非常に痛手過ぎる。
    『まさかこの、海が凍りついたこの時期にむざむざ攻め込まれ、北方では裕福なはずの沿岸部において、物資不足で負けた』なんて聞いたら、軍の士気は著しく下がるだろう。
     そうなればこの後、僕らが勢力を盛り返すことは非常に難しくなる。折角の同盟も、無駄になってしまう」
    「むう……」
     晴奈とトマスは、互いに腕を組んでうなった。
     と、リストがエルスに顔を向け、平然とした顔で尋ねた。
    「エルス、対策は?」
     うろたえたのは、エルスの方だった。
    「えっ、……ああ、うん。これから検討する。……えっと、リスト?」
    「何?」
    「その……、この前は……」
    「ああ、アレ? 今そんなコト、考えてる場合じゃないでしょ?
     ソレともこの大銃士、リスト・チェスターに、この切羽詰った状況でまだ、引きこもっててほしかった?」
    「あ、いや。……分かった。よろしく頼んだよ、リスト」
     リストは小さくうなずき、エルスに背を向けてこうつぶやいた。
    「アンタ、ココで負けて死んだりしたら、承知しないわよ。アタシも、コスズもね」
    「……もちろんさ。負けたりしない」

    蒼天剣・氷景録 1

    2010.05.17.[Edit]
    晴奈の話、第552話。トモエ作戦の始まり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 北海の凍結海域と、そうでない海域の境となっている北海諸島第4島、スタリー島。「相手は、油断しきってたんだな?」「はい。しかし、離れていたのではっきりとは判断できませんが、どうやら兵士と思われる者二名に、我々の姿を見られました」「そっか。……ま、いい。今から突っ込めば、まともに対応できねーだろ」 斥候からの報告を聞き終...

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    晴奈の話、第553話。
    リストの扇動演説。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。
     通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集まらないだろう」と、トマスやエルスと言った司令陣が判断し、残った軍備で対処することとなった。
     また、通常ならば沿岸部の護りの要となっている軍艦も、氷結のために一切動かすことができない。また、軍艦に配備される兵士も、攻め込むのを基本とする海兵隊ばかりであり、防衛向きの人材ではない。
     これほどネガティブな要素が揃ってはいるが、同盟軍には防衛以外の選択肢はなかった。沿岸部における最大の軍事拠点、グリーンプールを落とされれば、ジーン王国の兵士は皆、士気を大きく落とすことになる。そしてそれは、同盟全体の士気にも関わってくるのだ。
     兵士が活力を失えば、今後の戦いは非常に苦しくなる。今ここで敵の猛攻を防ぎ切るしか、同盟軍に活路は無かった。



    「銃士隊、全12分隊、配置整いました!」
    「術士隊、全10分隊、配置整いました!」
    「海兵隊、全16分隊、配置整いました!」
    「歩兵隊、全24分隊……」
     港に敷かれた防衛線に兵士が集まったことが、作戦本部内に陣取るエルスに次々報告される。
    「ありがとう。総数は1500ってところかな。敵の数はどれくらい?」
     尋ねたエルスに、斥候が答える。
    「5000弱と思われます」
    「……ありがとう」
     圧倒的な差を聞かされ、流石のエルスも笑顔をこわばらせている。
    「やれることは全部やろう」
     エルスは晴奈たち主力を集め、会議を開いた。
    「作戦を一つ、考えてはいるんだ」
    「何だ?」
    「氷海さ。人が乗れるとは言え、氷は氷だよ。しっかりした大地じゃない。それを割ることができれば、いくら兵士の数があっても役に立たなくなる。
     それに、敵の中核は元北方人だ。この凍った海にはみんな、畏怖の念がある。ここで氷が割れ、敗走することになれば、逆にあっちの士気が大きく落ちるだろう。
     この戦いは、兵力対兵力じゃない。士気対士気の戦いなんだ」
    「なるほど。しかしどうやって割る?」
     晴奈の質問に、ミラがひょいと手を挙げる。
    「それはですねぇ、術士隊が引き受けますぅ。
     物理的にぃ、氷を割るのは難しいと思うのでぇ、魔術で氷を溶かすなりぃ、変形させるなりしてぇ、割ろうと考えてますぅ」
    「だから、僕たちはできるかぎり沖合には出ない。もしあんまり遠くに出ていたら、巻き込まれるか、分断される恐れがあるからね」
    「しかし、それには不安があるよ」
     ここでトマスが、眼鏡を直しながら反論する。
    「その作戦は、僕らの行動範囲が著しく制限される。いくら防衛戦だからって、じっと固まっているわけにも行かないだろう?」
    「もちろん割れる際には、合図を送る。それまでは、ある程度前に出てもらうつもりだよ」
    「氷が割れるのは、どのくらいかな。厚いところでは、2メートルはあると聞くけど」
     この問いに、ミラは表情を曇らせる。
    「……多分、12時間くらいだと。……早くて」
    「12時間か……。それまで、兵士が持つだろうか」
    「持たせるしかあるまい」
     晴奈の言葉を最後に、作戦会議は締めくくられた。

     銃士隊にとって幸運なことに、日中は無風だった。
    「いい? とにかく、近寄らせないコト。この防衛戦は、アタシたちの頑張りで結果が変わってくるって言っても過言じゃないわよ。
     そりゃ相手の数は半端じゃないし、いずれは押し切られるわ。でもそうなるまでに、どれだけ相手が減ってるかで、この後戦うみんなの負担が変わってくる。負担が軽くなればなるだけ、この街を守り切れる確率も上がってくるのよ。
     今日、ココが落とされなければ、この後あいつらがいくら攻撃してこようと、陥落するコトはまずない。今日の戦いにはかかってるのよ、色んな大事なモノが」
     銃士隊の指揮権を任されたリストは彼らの前に立ち、士気をあげるべく演説する。
    「絶対諦めず、最後の一発まで撃ちつくして。後から戦う、皆のためにも。
     それじゃ全員、構えて!」
     リストの命令に従い、銃士たちはそれぞれ射撃体勢に入った。
    「……頼んだわよ、『ポプラ』、それからみんな」
     リストもディーノから贈られた狙撃銃、「ポプラ」の安全装置を外し、氷原の向こうから来る敵を待ち構えた。

     銃士隊全員は静止したまま、凍った海の向こうをにらみ続ける。
     やがて、太陽が彼らのにらむ方向に、傾きかけた頃――。
    「……来たぞ!」
     誰かが叫ぶ。
     それと同時に、リストの目が、遠くから列を成して歩いてくる、黒い影を捉えた。
     だが、まだ引き金を絞らない。
    「みんな、待ちなさいよ! まだ、当たる距離じゃない」
     皆もそれを分かっており、銃声はどこからも聞こえない。
    「まだよ、まだ……」
     黒い影は続々、水平線の向こうからやってくる。
    「もう少しよ……」
     その大量の黒い影は、やがてそれぞれが人の形と確認できるまでに近付いた。
    「用意!」
     リストの声と同時に、あちこちから銃を構え直す音が響く。
    「……」
     黒い影は足を止め、背負っていた盾をかざし始めた。
    「……」
     それでもまだ、リストは撃たない。
    「……」
     盾をかざしたまま静止していた敵軍がまた、ゆっくり、ゆっくりと歩を進め始めた。
    「……」
     その速度がじわじわと増していき、ついには走り始めた。
    「……撃てーッ!」
     リストは叫ぶとともに、「ポプラ」の引き金を絞った。

    蒼天剣・氷景録 2

    2010.05.18.[Edit]
    晴奈の話、第553話。リストの扇動演説。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 同盟軍は迫り来る日上軍に対し、「一切の上陸を許さず、順次迎撃する」と言う、五月雨式の防衛作戦を執ることになった。 通常、防衛戦においては備蓄が物を言うのだが、今回は前述の通り、冬に起こる物資不足に備えて、軍が有していた備蓄の半分以上は民間に流れてしまっている。「間も無く敵が来る現状で無理矢理回収しようとしても、まず集...

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    晴奈の話、第554話。
    割れない氷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。
     あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。
    「撃て、撃て、撃てええーッ!」
     リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。
     だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。
    「くそ、効かない!」
     銃士たちの中から、苦々しい声が漏れる。それを聞いたリストが、怒鳴りつける。
    「効く! そのまま撃ち続けなさい!」
    「し、しかし」
    「いくら人が乗れるからって言っても!」
     リストの「ポプラ」が、何発目かの銃弾を吐き出す。
    「氷の上よ! そんなに重たいもの、持ってけるワケない!」
     その言葉を裏付けるように、リストの放った銃弾が敵兵の持っていた盾を貫通した。
    「ぐふっ……」
    「ほら見なさい! 薄いのよ、あの盾は!」
     あちこちからボゴボゴと、盾に穴が空く音が響き始める。そして最前列にいた敵兵たちが、ガタガタと崩れ始めた。
    「さあ、撃って! 銃が灼けつこうが、何しようが、とにかく撃つ! 撃ちまくるのよ!」
     一旦敵が崩れ始めると、銃士たちの士気も上がり始める。
    「うおおおお……ッ!」
     銃士たちは咆哮を上げ、さらに銃を乱射していった。

    「予想通り、であるな」
    「そっスね」
     ハインツとルドルフ、そして2名の傭兵が単眼鏡を使い、離れた場所で第一陣の様子を観察していた。
    「あやつらで押し切るのは、やはり難しいだろうな」
    「まー、無理っしょ。元々、第一陣は敵の弾を消費させるのが目的ですから」
    「ではそろそろ、第二陣と言うわけか」
    「いや、それはまだっス。あのイケイケちゃんなら、目の前の敵をとりあえず殲滅させなきゃ気が済まないでしょーし、このまんま一旦弾が切れるとこまで、持ち込ませときましょ」
    「ふむ。……退却させなくていいのか?」
     ハインツの発言に、ルドルフはコリコリと狐耳をかく。
    「んー、そりゃ得策とは言えないっしょ」
    「何故だ? 犬死にさせる気か?」
    「軽量化重視のせいで、あいつらの防具はせいぜい盾だけっスよ? 後ろ向いて退却したら、蜂の巣じゃないっスか」
    「……あ、なるほど」
    「それよりか、このまんま弾が切れるまでじっとしてた方が、ずっと生き残れる可能性が、……って、おいおい」
     ルドルフの目論見をよそに、第一陣の兵士たちはじわじわと下がり始めた。
    「……あーあ、撃たれちまってる」
     ルドルフはくわえていた煙草を捨て、背中に提げていた銃を手に取った。
    「んじゃ、ま、しゃーない。第二陣、用意させますか」
     ルドルフは空包を銃に込め、空に向けて撃った。
    「じゃ、ハインツの旦那。よろしく頼みましたよ」
    「うむ。……ではお主ら、行こうか」
     ハインツは傭兵たちを引き連れ、敵陣へと向かっていった。



     戦闘が始まってから、あっと言う間に1時間が経過した。
    「どうって?」
    「まだ全然」
    「そっか」
     港の両端にいる術士隊から、「思った以上に氷が分厚く、現状において割れる気配はまったくない」との報告を受け、トマスが不安がっていた。
    「間に合うかな……」
    「間に合わなきゃ困る。間に合わせてくれるさ」
    「そうだけども」
     おろおろとしているトマスに対し、エルスは泰然自若と構えている。
    「落ち着きなよ」
    「そ、そうは言っても」
    「エドさんも言ってたろ? トップが慌ててたら、組織全体もガタガタになる」
    「……そうだね。うん」
     トマスは椅子に座り、コーヒーを手に取った。
    「大丈夫かな」
    「また言ってる」
    「いや、術士隊の方もだけど、それを守るセイナたちもさ」
    「それこそ、心配無用ってもんさ。北端にはセイナとコスズのコンビ、南端にはミラとバリーのコンビを筆頭として防衛線を敷いている。
     何があっても、彼らの敗北は無いさ。ってことは、時間さえかけられればこの作戦は成功するってことになる」
    「……うまくいけばいいけど」

     グリーンプール港、北端。
    「どうだ?」
     晴奈に尋ねられ、術士の一人が答える。
    「術式の方は順調に作動しております。しかし、効果が今ひとつと言うか……」
    「って言うと?」
     今度は小鈴に声をかけられ、術士は困った顔を向ける。
    「想定されていたより、氷が分厚いようです。それに気温が時間を追うごとに段々と下がっているため、厚さがジワジワと増しているようで……」
    「あっちゃー……、そー言やそーよね」
     頭を抱えてうなる小鈴に、術士が説明を継ぎ足す。
    「ただ、それもある程度は想定内と言いますか、半日経てば朝日の昇る時刻が近付き、気温も上がってきます。
     氷の下を流れる海流も温められるので、氷もその時間には割れやすくなるかと」
     報告を受け、晴奈は肩をすくめる。
    「どうあっても、残り11時間はかかると言うわけか。
     まあ、計画に変更は無いのだから、何も悩むことはないか。守りには専念できそうだな」
    「頼んだわよ、晴奈」
    「ああ、任せろ」
     晴奈は小鈴と手をばしっと合わせ、気合を入れ直した。
     と――晴奈の視界の端に、氷海の向こうからぞろぞろと歩いてくる影が映る。
    「……やはり来たか」
    「みたいね」
     二人は迫り来る敵兵たちに向き直り、身構えた。

    蒼天剣・氷景録 3

    2010.05.19.[Edit]
    晴奈の話、第554話。割れない氷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ぱ、ぱぱ……、と、グリーンプールの沖合いに火薬の炸裂音が響き渡る。 あっと言う間に、港は硝煙で白く染まった。「撃て、撃て、撃てええーッ!」 リストが喉も潰れんばかりの大声で、叫び続ける。周りの銃士もそれに合わせ、叫びながら銃を乱射する。 だが、日上軍は盾を用意しており、初めの数発はそれに弾かれてしまった。「くそ、効かない!」...

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