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黄輪雑貨本店 新館

火紅狐 第6部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 1192
    • 1193
    • 1194
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    • 1229
    • 1230
    • 1231
    • 1232
      
    フォコの話、304話目。
    大勝負の幕開け。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたちの深遠な企みはようやく実を結び、この広大なカジノ潰し計画はついに、フォコとトランプ翁との直接対決へと持ち込まれた。



     カードを配りながら、トランプ翁はルールの追加を提案した。
    「と、そうだ。賭け金、ってか賭け点だが、一律100点にしねえか?」
    「え?」
     きょとんとするランニャに、トランプ翁はニヤニヤしつつ、肩をすくめる。
    「あの姐ちゃんみたいに、変なところで一発逆転の勝負なんて仕掛けられて、万が一それが通っちまったりしたら、それまで血道を上げて打ってた勝負が、バカバカしくなって仕方がねえ。
     賭けるのは100点のみ、そこから倍付け、三倍付けと進めて、点数をデカくする。構わねえかい?」
    「分かりました」
     ランニャの代わりに、フォコが同意する。
    「ありがとよ。……さ、やるか」
     勝負は、まずは静かに始められた。

     モールに期待を寄せられたフォコだったが、出だしは好調とは言い難かった。
    「ほれ」
     トランプ翁が「親」で始まり、引いたカードをそのまま、隣のランニャに渡す。
    「んー……」
     ランニャが悩んでいる短い間に、フォコは手を推察する。
    (引いたカードをそのまんま捨てたっちゅうことは、トランプ翁、もう揃っとったんやな。
     ……流石にカジノの大親分やっとるだけはあるわ。博打運が太い)
    「はい」
     ランニャから受け取ったカードを手に、フォコは自分の手をどう進めていくか思案した。
    (僕の手元にあるんは、『水・水・雷・雷・土・風』、……に、今来たんは『火』か。
     うーん……。『七種七枚』なんて狙うには被りすぎやし、普通に役無し和了も、3枚バラバラでは遅すぎる。
     対する翁はもう手がまとまっとるし、翁の子分さんがカードを渡す位置にあるっちゅうことを考えたら、差し込んで即和了、も非常に簡単や。
     ……この局は、落とすしかないか)
     フォコはランニャから受け取った「火」をそのまま、右隣のバルトロに渡す。
    「……どうぞ」
    「おう」
     バルトロはチラ、とトランプ翁を見て、手持ちのカードを出した。
     フォコの予想通り、バルトロは「差し込み」――和了できるように、カードを送ったらしい。
    「……よし」
     トランプ翁はぱら、とカードを卓に並べ、ヒッヒッと笑った。
    「アガったぜ。『極刻子』と和了で、3倍付けだ」
     トランプ翁の先制で、130億の大勝負は幕を開けた。

     とは言え、フォコも負けてはいない。
     次局、トランプ翁の一本場(1.5倍付け)で始まったが――。
    「……アガリです」
    「なに?」
     1巡目ですぐ、フォコは和了した。
    「『地和』に『天対子』、……で、一本場ですから、6払いですね。一人600、いただきます」
    「……なかなかやるじゃねえか、兄ちゃん」
     トランプ翁はニヤリと笑い、チップ6枚をフォコの方へ差し出した。
    「ほれ、バルトロ。お前さんも払いな」
     その一方で、トランプ翁はほんの一瞬だが、チラ、と後ろに立つ、魔杖を持った子分に視線を向けた。
    (そんな心配せんでもええですよ、トランプ翁。イカサマも魔術も、ありませんて)
     トランプ翁のその仕草を見て、フォコは思わず噴き出しそうになった。
     一方で、視線を向けられた子分がコク、とうなずくのを見て、トランプ翁はイカサマが無かったことを信じたらしい。それ以上特に、フォコへ何も言うことなく、次の「親」であるランニャにカードを渡した。
    「じゃあ、次、行くよ」
    「おう」
     配られたカードを見て、フォコは思わずため息をつきそうになった。
    (ランニャ……、もうちょい、ええのん配ってほしいんやけどなぁ。『天・火・火・水・雷・土』て、またバラバラやん)
     そう思ったが、続いてランニャから回されたカードを受け取って、その思いは反転した。
    (あれ、……そーゆーことか。ええね、ありがと)
     3巡ほどして、またもフォコがアガった。
    「アガリです、『七種七枚』」
    「むう……」
     二回続けて和了され、トランプ翁は流石に顔をしかめた。
    火紅狐・不癲記 1
    »»  2011.09.29.
    フォコの話、305話目。
    賭場のヤクザたち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     勝負を見守っていた茶髪で短耳の若者は、隣の、銀髪の狼獣人の様子がおかしいことを尋ねた。
    「どうした? 顔色が悪いみてーだけど」
    「……ん、あ、……いや」
     そこで短耳は、卓に着いているランニャと、博打仲間であるその「狼」とが同じ銀髪であることに気付いた。
    「あれ? そう言やあの娘、顔もお前に、どっか似て……」「それ以上言うな」
     言葉を遮られ、短耳は改めて、狼獣人に尋ねる。
    「知り合い、って程度じゃなさそうだな。もしかして親戚か?」
    「……かも知れない」
    「そっか。
     にしても、災難だなぁ、あの娘も、隣の小汚い『狐』も。ただの用心棒なのに、まさかヤクザの親分と130億なんてふざけた勝負をする羽目になるなんて。
     こりゃ、腕の一本か二本、それどころか尻尾まで取られるんじゃ……」「……ねーよ」
     真っ向から否定され、短耳は面食らう。
    「なんで言い切れる?」
    「あいつは……、俺の記憶が確かなら」
     狼獣人は、苛立たしげな、しかし、どこか期待に満ちた目で、フォコの方を見ていた。
    「とんでもない奴だった、……はず、だ」



     一回り「親」が替わり、またトランプ翁が「親」になったところでの各自持ち点は、次の通り。

     フォコ:11800 ランニャ:8600 トランプ翁:10600 バルトロ:9000

     フォコ、トランプ翁ともに、この場は「見」――大きな勝負には出ず、敵の動きや自分のツキ具合を確かめる、肩慣らしじみた打ち方を行っていた。
     また、トランプ翁の相方を務めるバルトロは、ここまでほとんど動かず、一回アガったのみである。
     そしてランニャはと言えば――。
    「むー」
     一度もアガれず、頬をふくらませていた。
    (ランニャ、どっかでちょこっとくらいはアガっとかんかったら、箱割れしてまうで)
    (分かってるよっ、そんなこと)



     場が動いたのは、この2周目からだった。
    「アガリだ。……アガリのみ、だがな」
     「親」のトランプ翁が、早々と和了した。そして、トランプ翁が初めに配ったカードが、そのままトランプ翁のところへ集め直される。
    「次は、一本場だな」
     ふたたびカードが配られ、トランプ翁が一枚、ランニャへと渡す。
    「はい」
     ランニャは手持ちのカードから一枚抜き、フォコへと送る。
    (……『天・天・火・火・水・土』に、今来たのんが『水』か。よし、三面待ちや)
     フォコは「土」のカードを抜き取り、隣のバルトロへと渡した。
     と――この時、フォコはバルトロの動きに、違和感を覚えた。
    (……ん?)
     素早く記憶を巻き戻してみるが、今度は特に引っかかるようなものはない。
    (気のせい……、かな)
     フォコがそう思った、次の瞬間だった。
    「アガリ、二連荘だ」
     トランプ翁が、カードを開示して手を見せた。
    「『極刻子』で2倍付けだから、合計で4.5払いだな」
    「あちゃー」
     ランニャはがっかりした顔で、チップをトランプ翁へ送る。一方、フォコもチップを渡しながら、先程の違和感を考えていた。
    (何やろう……?)

     その違和感の正体には、少ししてから気付いた。
     いや、気付かせられるを得なかったのだ。
    「またアガリだ、悪いな」
    「うっ……!」「げぇっ」
     2周目、トランプ翁が「親」になってから以降、連荘が止まらなかったのだ。
    「3倍付けで四本場だから……、18払いだな」
     フォコはチップを払いながら、違和感の正体を探る。
    (そうや……! ここ数局、隣におるバルトロっちゅう若頭、自分のカードを配られてからすぐ見てへん、いや、厳密に言うと、確認してへんねや。ほぼ決まって、僕がカードを渡して、それからトランプ翁を見てから、ようやく確認しとる。
     それはなんでか? 言うまでもない、親分のトランプ翁にカードを差し込んどるんや。自分の勝ち点なんか、どうでもええっちゅうことや。
     そしてその戦法、この『誰かが箱割れした時点でトップの奴が勝ち』っちゅうルールでは、強い攻撃力を持つ。自分が飛んでも、親分勝たせたらええんやもんな。
     それどころか、今はランニャが思いっきしへこんどる。このまま攻め倒したら、そのまま勝ってしまえるからな)
     そこでフォコは、ランニャを見る。
    「ど、どど、どうしよ、フォコくぅん……」
     ランニャは今にも泣きそうな顔になっていた。
    「……ふう」
     が、フォコは特に狼狽も、悲観もしていない。
    「ランニャ、ちょと」
     そう言ってフォコは、ランニャの狼耳に顔を寄せた。

     フォコ:7950 ランニャ:4750 トランプ翁:22150 バルトロ:5150
    火紅狐・不癲記 2
    »»  2011.09.30.
    フォコの話、306話目。
    イカサマを押さえて、さらにイカサマを。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フォコがランニャに近寄ったのを見て、トランプ翁は神経質に尋ねた。
    「おい兄ちゃん、どうした? 作戦会議か? それともカノジョさんとこっそり逃げようってのか?」
    「彼女とちゃいます。仕事のパートナーですわ。……まあ、作戦会議ですな」
     そう返したフォコに、トランプ翁は手を掲げて制する。
    「イカサマやろうって相談なら、承知しねえぜ」
    「分かってますて」
     そう返してから、フォコは改めてランニャに耳打ちした。
    (ランニャ、向こうはあんなこと言うてるけどな、相方と組んで『通し』しとるわ)
    (と、『通し』? って、何のカードが欲しいか内緒で伝える、アレのコト?)
    (そうや。……でな)
     その後二言、三言かわし、フォコは自分の席へと戻る。
    「口説き終わったかい、兄ちゃん」
    「せやからちゃいますて。……さ、勝負の腰を折ってしまいましたな。続き、行きましょ」
    「おう。……次は五本場、7.5倍だからな。そろそろ覚悟しとけよ」
     そう言って、トランプ翁はカードを配り始めた。

     そこでフォコが、ランニャだけに見えるよう、卓の下でサインを出した。
    「……!」
     それを見たランニャも、トランプ翁たちに気付かれないように、ふわ、と尻尾をわずかに揺らす。
    「ほれ、お姉ちゃん」
     トランプ翁から差し出されたカードを受け取り、ランニャはすぐさまフォコへと渡す。
    「ありがと。……はい」
     フォコもさっと、バルトロへと手渡した。
    「どうぞ」
     バルトロは今までと同じように、自分の手持ちとトランプ翁の仕草を確認してから、トランプ翁へとカードを手渡す。
    「……ほれ」
     と、回ってきたカードを受け取ったランニャは、また素早くフォコへと送る。
    「はいっ!」
    「と、と。そんな焦らんでも、ランニャ」
    「5000割ってたら焦るってば」
     フォコは面食らったような顔をしつつ、カードをバルトロへと送る。
    「……」
     が、ここでバルトロの手が止まった。
    「どうした? ……まあ、何でもいいから早く寄越せ」
    「……は、はい」
     若頭の困った顔で、トランプ翁も察したらしい。受け取ったカードはそのまま、ランニャへと流れてしまった。

     と――そこでランニャが嬉々とした声を上げた。
    「アガリ、アガリだよっ! 和了と『天刻子』と、それから『槓子』で5倍! 全部で37.5払いだねっ!」
    「ぬな……!?」
     この宣言に、トランプ翁は目を剥いた。
    「ぐっ……!」
     ランニャが開示したカードは確かに「天・天・天・氷・氷・氷・氷」となっており、ランニャの宣言した通りである。
    「……っ、この」
     額に青筋を浮かべたトランプ翁は――傍から見た場の状況ならば、和了したランニャに怒鳴りそうなものだったが――バルトロに向かって、怒りに満ちた目を向けた。
    「す、すみませ……」「謝る必要なんかないですわ」「……え?」
     フォコは謝りかけたバルトロを遮り、悪辣な顔で笑いかけた。
    「あなたの当たりカード、止めてたんは僕ですしな」
     そう言って、フォコはぱら……、と持っていたカードを卓に撒く。
    「なん……っ!?」
     カードを握りしめていたトランプ翁の手が緩み、ばさっと卓へと落ちる。
     フォコの見せたカードは「火・火・土・土・風・風」、そしてトランプ翁の手持ちもまた、「火・火・土・土・風・風」だった。
    「何故だ……!? 何故、俺のカードが分かった!?」
    「貧乏揺すりに見せてたみたいですけども、いつも決まって脚、5回から11回までしか揺すらせてませんでしたな。5が『天』で、11が『風』でしょ?」
    「……っ!」
     フォコの返しに、トランプ翁とバルトロは青ざめた。
    「まあ、こうして三面待ち、全部止めに入ったわけですわ。流石に三面やと、手を変えるにはキッチリ固まり過ぎてますもんな。
     こうして待ち待ちにしてしまえば、いくら待っても出えへんでしょうな」
    「……やられたぜ、見事に。そりゃあ、バルトロの奴も困った顔するってわけだ。送ろうにも回ってこねえんだからな」
     トランプ翁はヒッヒッと笑い、後ろにいたディーラー、カルロスに命じる。
    「悪い、カードを握り潰しちまった。新しいの、持ってきてくんな」
     口調は穏やかだったが、目は全く笑っていない。
    「は、はいっ! すぐ持ってきますっ!」
     その顔を見て、カルロスは慌てて駆け出した。

     新しいカードが用意されるまでのわずかな間、フォコとランニャは短めのアイコンタクトで、密かに仕掛けていた企みが実ったことを喜んだ。
     トランプ翁の「通し」を見破っただけでは、ただ単に彼が和了するのを阻止しただけに過ぎない。フォコはこの看破に加え、もう一つ、ランニャが勝てるように仕組んでいたのだ。
     ランニャにわざと急いた打ち回しをさせ、老体で動体視力の劣るトランプ翁と、トランプ翁の「通し」に集中し、目を向けていないバルトロに気付かれないよう、受け渡しの瞬間に1枚ではなく、2枚、3枚と交換していたのだ。
     だからこそ、ある程度自在にトランプ翁と同じ目を揃えることもでき、また、ランニャが早く、大きな手を和了することもできたのである。
    (まあ、ヒヤヒヤしたけども、よーやってくれたわ。ホンマにありがとな、ランニャ)
    (ううん、いいよ。フォコ君のためだもん)

     フォコ:4200 ランニャ:16000 トランプ翁:18400 バルトロ:1400
    火紅狐・不癲記 3
    »»  2011.10.01.
    フォコの話、307話目。
    狼狽する狼娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フォコの看破と企みにより、形勢はほぼ互角、かつ、一触即発の状況へと変わった。

     ランニャが16000点、トランプ翁が18400点と、ランニャが700点以上奪取すれば、逆転できる。
     しかしこのままランニャが和了せず場が流れれば、その差を縮めることは、恐らくは二度とできない。残り1400点と瀕死の状態にあるバルトロが、わざとトランプ翁に差し込んで自爆する可能性が、非常に高いからだ。
     ランニャが逆転する前にバルトロが箱割れすれば、その時点でトップであるトランプ翁の勝ちとなってしまう。
     それを避けるためにも、ランニャは何としてでもここで和了する必要があった。



     ランニャに新品のカードが入った箱が渡されたところで、ランニャは先程と同様、素早くカードを渡し、その隙にフォコとカードを交換するイカサマをしようと考えていた。
     それを伝えようと、ランニャはフォコに目を向ける。
    (コレで決まりだねっ)
     が、フォコは顔をわずかにこわばらせ、それを止めさせようとする。
    (アカン! 今それやったら確実にバレてまう!)
    (えっ?)
     そこでくる、とトランプ翁に目を向けると――。
    「……どうした、姉ちゃん。早く配ってくんな」
     トランプ翁もバルトロも、鬼も泣き出すかと思うほどの形相で、こちらをにらんでいることに気付いた。
    「あ、……うん、ちょっと待ってね。箱のシールが剥がしにくくって」
    「セキュリティシール(誰もその箱を開けていない、新品であることを証明するシール)付いとるからな。そら簡単に、つるっと剥がれてしもたら困るやろし。……ほい、ナイフ」
    「あ、ありがと……」
     会話を交わしながら、フォコたち二人はまた、アイコンタクトで戦略を練る。
    (ど、どうする? めっちゃめちゃ、にらんでるよ)
    (あんだけ注視されとったら、さっきのイカサマは使えへんわ。かと言って、使える状況まで待ってもいられへん。……どうにかしてランニャ、君が連荘するしかない)
    (……分かった。頑張るよ)
     無役でも連荘であれば、初回は100点ずつ、一本場は150点ずつとなり、二本場では300点ずつとなる。合計すれば550点となり、トランプ翁との差は200点までに縮まる。これにどこかで一役でも絡めば、その差を完全に埋めることが可能なのだ。
     だが、これほど緊張の煮詰まった場で、それだけの運を引き寄せられるか――ランニャには今、非常に高い水準が要求されていた。
    (うぅー……、神様ぁ、あたし今までそんなに真面目に祈ったコトないから聞いてくれないかもだけど、頼むからあたしを今、ココで助けてぇ! 助けてくれたらマジでこれから、毎日お祈りするからさぁぁ!)
     ランニャは震える手で、カードを配る。
    (来て来て来て来てぇぇぇぇ……ッ!)
     心の中で、声を大にして祈りを捧げ、ランニャはカードを確認する。
    (……あうあうあぁぁ)
     手の中にあったのは、「天・天・火・氷・氷・土・風」だった。
    (バラバラ……、だけど、そこまでバラバラでもない、中途半端な手。……うわぁぁん神様ぁーっ)
     ランニャの様子を見て、フォコの額に汗が浮かぶ。
    「……は、早よ進めよう、ランニャ。トランプ翁もバルトロさんも、待ってはるし」
    「あー……、うー、……」
    「ランニャっ!」
     フォコが大声で呼ぶが、彼女の耳には入っていない。
    (どうしよ、どうしよ? どうしよどうしよ? コレどっちに進めたらいいの? 『天対子』とか『天刻子』狙い? それとも『七種七枚』?
     どっち? どっちに進めたらいい? あたし、どっちに行けばいい?)
    「ランニャ、しっかりせえ!」
     もう一度、フォコが叫ぶ。
    「……おいおい、ここに来てそこまで泡食うかよ」
     トランプ翁は呆れた顔で、ランニャの動揺する様を眺めている。
    (どっち? 『天』集めで行く? それとも『七』で? どっちが正解なの?)
     ランニャはカードを握りしめたまま、硬直する。その口からは、ぶつぶつと思念が漏れていた。
    「どっち、どっちにすれば……? うう……、神様、教えて……」
     ランニャはブルブルと震えるばかりで、一向にカードを切ろうとしなかった。
    火紅狐・不癲記 4
    »»  2011.10.02.
    フォコの話、308話目。
    神様なんて来てくれないから。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     と、その時だった。
    「ランニャ! こっち向き!」
     フォコが立ち上がり、ランニャの肩をつかむ。
    「え、……ええ、え!? な、何、なに、フォコくん!?」
    「こっち向く! ええか、こっちや!」
    「あ、え、あ、……うん」
     そこでようやく、ランニャの視点がぼんやりとだが定まる。
    「今どんな手が、なんて聞かへん。聞かへんけども、これだけは言うとくで」
    「う、うん」
    「今、君がその手に握っとるんは、カードやない」
    「へっ?」
    「今握っとるんは、僕たちの運命や。切るのを間違えたら地獄、正しかったら天国。二者択一の極致みたいなもんや。
     そんな大切なものを君、ここに居らへん神様かなんかに『どっちがいい?』なんて聞くんか」
    「だ、だって」
    「ええか!? 神様が山の向こうや墓ん中からわざわざこんなゴテゴテしたカジノへ乗り込んできて、君一人にわざわざ道を示しに来てくれるほど、暇やと思うんか!?
     毎日毎日、世界中の人から『なんとかしてー』『なんとかしてー』て祈られとるのに、なんで君一人なんかの声を、丁寧に聴くと思うんや!? 他にいくらでも、やることあるやろ!?
     そんな遠くの遠くの神様なんか、こんなところでアテにすんなや!」
    「……」
     フォコの剣幕に、ランニャは黙り込む。
    「……せやからな、ランニャ」
     フォコは一転、静かな口調になる。
    「自分が困って、どっちがええかな? と悩んだ時は、その困っとる自分の心、自分自身に相談するんや。
     仮に神様が来たところで、所詮は何百万、何千万人のうちの一人のこと、言うてしまえば他人事なんやし、第一、神様は特に困ってへんのやから、ろくすっぽ考えもせず『あっち』『いやこっち』くらいにしか、言うてくれへんで。
     困りきっとる自分に聞くからこそ、自分は悩んで悩んで、ええ答えを出してくれるはずや」
    「……分かった」
     そこで、フォコはランニャから手を放す。
    「御託は終わったかい、兄ちゃんよ」
    「ええ、終わりました。……さ、ランニャ。早よ切って」
    「……うん」
     ランニャはカードを、静かにフォコへと渡した。

     フォコの叱咤で我に返り、ランニャは冷静さを取り戻していた。
    (……自分に……、聞く)
     カードの流れが一巡し、ランニャはじっくりと、自分の手を確認する。
    「……はい」
     ランニャの仕草を見て、フォコは内心、ほっとする。
    (ええで、ランニャ。その調子や。
     僕に見破られとるから、相手はさっきの『通し』は使えへん。それに向こうがにらんできとる代わりに、僕も他の『通し』を使われへんよう、にらみ返しとる。
     僕と向こうとで、3人が牽制し合っとる今、自由なんは君だけや。今やったら、デカいアガリもでけるかも知れへんで)
     もう一巡、ニ巡し、ランニャはそこで、深いため息をついた。
    「……はーっ……」
     ランニャはぱさ、と卓にカードを置く。
    「『天・天・天・氷・氷・土・土』、『天刻子』と『極対子』と和了で、4払いだよ」
    「チッ……」
     トランプ翁とバルトロは、苦々しい顔でチップを4枚ずつ払った。

     フォコ:3800 ランニャ:17200 トランプ翁:18000 バルトロ:1000



     ランニャとトランプ翁との差が800に縮まり、いよいよ場の緊張は最高潮に達した。
    「もう一回や、ランニャ。一役付けてアガれば、勝ちはほぼ確定や」
    「頑張るよ、あたし」
     ここで和了と一倍付け以上の役が絡んだ場合、一本場も加わるため、各自300点支払いとなる。そうなればランニャが逆転し、フォコたちにとって非常に有利な展開となる。
     だがもし、フォコかトランプ翁のどちらかが7倍付け以上で和了すれば、最下位のバルトロが飛び、ランニャは差を縮められないまま敗北することになる。ましてやバルトロが同じ条件で和了すれば3150点が彼に入り、決着しかけた勝負が振出しに戻ってしまう。
    (今度のカードは……、よっし、『氷・氷・水・雷・風・土・土』! 『極対子』が付くから、コレで逆転できる!
     よーし……、コレだっ)
     ランニャは「雷」を抜き取り、フォコに渡した。
     と――。
    「……」
     フォコは一瞬だが、困った顔をした。
    「……はい」
     だが再び無表情を作り、受け取ったカードをそのままバルトロに送る。
    (どしたんだろ、フォコくん……?)
     ランニャの疑問は、すぐに解決した。
    (……あれっ)
     自分がフォコへ送ったカードが、自分の元へと戻ってきてしまったからだ。
    (ってことは、つまり――みんなもう、揃ってる?)
    火紅狐・不癲記 5
    »»  2011.10.03.
    フォコの話、309話目。
    三家W立直。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     フォコはカードを配られた後、トランプ翁とバルトロの様子を観察していた。そして一瞬ではあるが二人の頬が緩むのを確認し、両者とも既にカードを揃えていることに気付いた。
     そして自分のカードも――。
    (『水・水・水・雷・雷・雷』か。僕のんも、いきなり揃ってしもたか。……ランニャはまだ揃ってる気配が無い、か)
     と、そこへ来たのがランニャの「雷」である。
    (うわぁ……。どないしようかな)
     揃った今、和了は簡単にできる。しかしこの時点で和了し、自分が2250点を得ても、ランニャとトランプ翁との持ち点はそれぞれ16450点と17250点とに下がるだけであり、800点の差は縮まらない。
     それどころかバルトロの点数がいたずらに削られる上に、ランニャの連荘が消えてしまう。連荘の1.5倍付け無しに役のみで和了し、トランプ翁を下そうにも、子の最大役「地和」「七種七枚」を以てしても700点となり、わずかに足りないのだ。
    (今、僕の手元に『雷』は3枚あるから、これを切っても当たられることは、まず無い。……無いからこそ、アホな結果にしかならんわけやけどな)
     この時点で、「雷」が当たりカードになることは、「七種七枚」以外に無い。だがそれも、フォコが「水」を3枚持っているため、可能性は非常に低い(残り1枚をランニャが持っているのは前述の通りだが、フォコは知らない)。
     そうにらんでフォコは「雷」を切ったが、既に「雷」を必要としない形で揃えているバルトロも、トランプ翁も、フォコが予想した通り、そのカードを受け取ってすぐに渡してしまった。
    (……どないしようか)

     自分の手元に戻ってきてしまった「雷」を見て、ランニャはまた動揺し始めた。
    (揃ってないの、あたしだけみたいだ。……で、多分、フォコくんは自分がアガってもどうしようもないと思って、当たりカードをそのまま流して、あたしに返した。
     この『雷』は確実に、フォコくんの当たりカード。それは確かだ。だけど、今フォコくんがアガっても、後でめちゃくちゃ困るコトになる。
     だからって、他の『水』とか『風』を切る? ……いいや、ダメだ! もしトランプ翁にアガられたら、それこそまずいコトになる!
     でも、……じゃあ、……どうすりゃいいのさ?)
     このまま「雷」を回し続け、場を止めることは可能ではある。だが、それは解決にはならない。
     しかしランニャには、いい打開策が思いつかない。
    「……ごめん、はい」
    「……うん」
     ランニャから回されてきた「雷」を取り、フォコも思案に暮れる。
    (どないする……!? どないしてこの膠着状態を破り、かつ、ランニャがアガれるようにしたらええんや?)
     フォコは手持ちのカードを、とりあえず混ぜてみる。
    (……こんなことしとっても、解決はせえへん。カードが混ざっていくだけ、……あっ!)
     と、そこでフォコにある閃きが走った。
    (せや、これなら……!)
     そう考え、フォコはランニャをじっと見た。
    「……?」
     じっと見つめられ、ランニャは怪訝な顔をする。
    (ランニャ、今からもっかい『雷』渡すからな)
     フォコは強く念じつつ、バルトロへと「雷」を渡した。
    「……またかよ!」
     バルトロも、トランプ翁も呆れがちにカードを流す。
     ランニャもそれを受け取り、困った顔になった。
    (気付いてくれ、ランニャ……!)
     フォコはもう一度、ランニャを見つめた。
    「……えー、と、……はい」
     ランニャは困った顔のまま、フォコにカードを渡した。
    「……」
     フォコはチラ、と受け取ったカードを確認し、「雷」を渡す。
    「お前ら、さっきから同じカードぐるぐる回してんじゃねーよ!」
     三度も同じカードを渡され、二人は流石に苛立っている。
    「ほれ、もう一度回すか、姉ちゃんよ!?」
    「……、あ、うーん」
     受け取ったカードをまとめ、ランニャはうなる。
    「……はい」
     そして先程と同じように、ランニャは困った様子でフォコにカードを渡す。
    「……」
     フォコも呆れ返った表情になり、無造作にカードを渡した。
    「いい加減にしろよお前ら……」
     バルトロは相当苛ついているらしく、バリバリと頭をかいている。
    「まったく、なめた真似してますやね、親父……」
    「……」
     と、バルトロからカードを受け取ったトランプ翁は、けげんな顔になった。
    「……まあ、滅多にありゃしねえからな、3人同時に揃うなんてのはな」
    「え、……まあ」
     そう返したフォコに、トランプ翁はぺら、と回ってきたカードを見せた。
    「それでもよ、兄ちゃんがさっき言った通り、だが。
     大抵の奴は、いっぺん手が固まっちまったら、『受け身』になっちまうよな。もう攻めの手は打ち終わった、後はアガるのを待つだけ、……って風にな。
     だからこそ、『雷』が3順、4順と、グルグル回る羽目になっちまったわけだが、……いくらなんでも露骨だぜ、兄ちゃんよ?」
     その回ってきた『雷』のカードを、トランプ翁はす、と自分の手札に引き入れた。
    火紅狐・不癲記 6
    »»  2011.10.04.
    フォコの話、310話目。
    カードカウンティング。

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    7.
    「う……」
     トランプ翁の指摘と行動に、フォコは短くうめき声を漏らした。
    「この『雷』、最初と、2順目に回ってきた奴とは違うな? そう――隣の姉ちゃんが、同じもんを渡す振りをして、別なカードをしれっと、お前さんに渡してやがったんだ。
     となれば姉ちゃんのところには、『雷』が既に2枚あるはずだ。このまま俺が、ひょいと今来た『雷』を渡しちまったら、それで恐らくアガられちまってただろうな。
     ってわけで、この『雷』は俺が抱え込む」
     トランプ翁はニヤリと笑い、手持ちのカードを卓に置いた。
    「兄ちゃんの手持ちは揃ってたはずだが、『雷』を流したことで、バラバラのはずだ。残るは姉ちゃんの手札だが……、三面待ちにはなってるだろうな。
     それが何なのかは、突き詰めていきゃ、大体は見当が付けられる」
     トランプ翁は額をゴシゴシとこすりながら、バルトロに目を向ける。
    「ま、手札を開いて説明できりゃ丸分かりなんだが、流石にそれはご法度だ。だから、ま、仮にABCで、推理してみようか。
     俺は今現在、『雷』と、ABCがそれぞれ2枚ずつの、三面待ちだ。で、姉ちゃんは『雷』を2枚渡されてるから、6枚中2枚はこれで分かる。
     で、そもそもの話として、最初に姉ちゃんが『雷』を切ったのは、何故か? まだまとまってない自分の手札に、組み込めなかったからだろう。となると『雷』は2枚無かっただろうし、3人揃ってる状況で、『七種七枚』が作れるわけが無え。
     そう考えれば、やっぱ姉ちゃんの手は、既に対子が1つか2つはあったはずだ。そこからカードを有効的に残すのを前提として、不要カードを2枚、兄ちゃんに渡したとなれば、三面待ちは確実。この2種を、D、Eとしようか。
     兄ちゃんは、『雷』を3枚渡せて、既に揃ってたようだから、残りは何らかの刻子、仮にFとしようか。だが3枚渡した分、残りはバラバラか、槓子ができてるかのどっちかのはずだ。となると、一属性が丸ごと、お前さんの手に渡ってておかしくねえ。
     とは言え、もしも4枚入ってたとしたら、いざと言う時の緊急手段として、お前さんはそのまま抱えておくはずだ。それも仮定するとして、話を進めるぜ。
     一方で、揃ってたってことを考えれば、最初に『雷』を2枚、あるいは3枚持っていたはずだ。手持ち分をすべて渡したって可能性もあるが、もしかするとまだ1枚、持ってるかもな。ま、どっちにしてもお前さんの手持ち6枚中4枚については、ある程度の見当は付けられる。
     で、バルトロの手札については、三面待ちしてた俺に差し込めねえんだし、ABCじゃ無え。そしてお前さんが抱え込んでいる、Fでも無い。となれば残りは3種。
     だが『雷』も、こいつの手札にゃ無いことは明白だ。アガってねえんだからよ。そう考えると、こいつの手持ちは2種、つまり刻子2組か、槓子と対子で持ってたはずだ。これをF、Gとしておく。
     と言うわけで、『雷』の在り処については、ある程度の見当は付けられる。三面待ちになった姉ちゃんが『雷』でアガれず、俺とバルトロの手持ちにも無いからな。兄ちゃんが持ってるか、卓上の3枚のうちどれかに入ってるか、だ」



     トランプ翁:A A B B C C   雷
     ランニャ :雷 雷 D D E E
     フォコ  :雷 F F F F ? / 雷 F F F ? ?
     バルトロ :G G G H H H / G G H H H H
     (A、B、C)≠(G、H)
    (28枚中24枚はプレイヤーの手にあるが、残り4枚中1枚はプレイヤー間を巡っており、さらに残りの3枚は卓上に置かれたまま、そのゲーム中には使われない)



    「それで、だ。この推理を立てた上で、肝心な答えが――つまり姉ちゃんの手札の残り4枚が、一体何か? これが分からなきゃ、何の意味も無え。
     で、7種中2種、あるいは3種は、兄ちゃんとバルトロがほとんど握ってるはずだ。これは除外していい(F、G、Hが3枚以上。1枚以下では対子が作れない)。
     残る4種で、俺と姉ちゃんがそれぞれ3面待ちになってるはずだ。となれば、A~CとD・Eの中で、1種類以上は確実に重複していることになる。
     だからここで俺が、うまく姉ちゃんの待ちを外せば、俺たちの勝ちが決まる」
    「……なるほど。私がランニャに、遠回しにカードを送るより、若頭さんがトランプ翁に直で送る方が、そら早いに決まってますな。
     となると、ここはギャンブルの中の、さらにギャンブルやっちゅうわけですな」
    「そう言うことだ。姉ちゃんの待ちを振っちまえば俺の負け。うまく外せば俺の勝ちだ」
     そこでトランプ翁は言葉を切り、自分の手札に視線を落とした。
    「……」
     ここまで読み切ったトランプ翁でも、流石に不確定要素――卓上に置かれたカード3枚が何なのか、ランニャの三面待ちの構成までは、どうしても推理し切れなかった。
    「……こいつに、賭けるぜ」
     トランプ翁はカードを一枚引き、ランニャに差し出した。
    「さあ、どうだ姉ちゃん? こいつは、当たりか?」
    「……」
     ランニャは額に汗を浮かべつつ、そのカードを受け取る。
    「どうだ……!?」
     ランニャは受け取ったカードを――卓の上に置いた。
    火紅狐・不癲記 7
    »»  2011.10.05.
    フォコの話、311話目。
    130億勝負、決着。

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    8.
     卓の上に置かれたカードの絵柄は、「氷」を示していた。
    「……アガ、った」
     ランニャは持っていた残りのカードを、ばさ、と続けて卓に撒いた。
    「……く、っ」
     その内容を見て、トランプ翁は短くうめき、次いで笑い出した。
    「くっ、くっくっ、……ヒヒ、俺も、……ヤキが回っちまったか」
     トランプ翁も、カードを卓に捨てる。そこにあったのは――。
    「『天・天・氷・土・土・雷』、……だ。3分の2だったな、やっぱり」
    「そだ、ね。……『氷・氷・雷・雷・土・土』だったもん、な」
     トランプ翁は顔を真っ赤にし、笑っているのか落胆しているのか分からないような表情を浮かべながら、卓に残されていたカードをめくった。
    「『風・天・天』、……だったか。欲が、出ちまったんだな」
    「『天対子』を崩すのんは、惜しいですからな。……私でも、それはよお切れませんわ」
    「……まあ、しゃあねえ。『極刻子』と和了で三倍付けに一本場の1.5倍で、450払いだな」
     トランプ翁は両手で顔をゴシゴシとこすり、それからチップを渡した。

     フォコ:3350 ランニャ:18550 トランプ翁:17550 バルトロ:550



     逆転はしたものの、まだ勝負は付いていない。
     ここでフォコかランニャが二倍付け以上で和了すれば、二本場の3倍が加算され、一人当たり600点を支払うことになる。そうなればバルトロは飛び、ランニャの勝利が確定する。
     一方でトランプ翁も、同じように和了すれば再度逆転し、そのまま逃げ切ることができる。また、バルトロがここで和了すれば、箱割れの危険から多少遠ざかることができ、勝負はもう少し続行されることになる。
    「まだだ、まだ負けてねえぞ……!」
     トランプ翁は先程の落胆ぶりから一転、ギラついた目をフォコたちに向けてくる。
     その精力的な目つきは確かに、ヤクザの大親分にふさわしい殺気を放っていた。
    「……ええ、まだ、ですな」
     フォコもランニャも、その眼光に少なからず竦みつつも、落ち着いてカードを確認する。
    「はい」
     ランニャからカードを受け取り、フォコはそのままそのカードを流した。
    「……!」
     その様子に、バルトロが戦慄する。
    「また揃ってやがるか、クソっ……!」
    「慌てんな、バルトロ」
     対するトランプ翁も、バルトロから受け取ったカードをそのままランニャへと流す。
    「……お互い、もう手はできとるみたいですな。それも飛ばすのんに十分な、デカいのんが」
    「みたいだな。お前か俺か、どっちかの和了で、この勝負は決着だ」
     二人は同時に、憔悴しきった笑みを浮かべていた。
    「……」
     場の空気がまた、一気に煮え立つ。
    「……」
     フォコもトランプ翁も、互いに互いをにらみ合い、自分の持つ情報を相方に伝えることを制している。ランニャとバルトロは、自分の手持ちのどれが二人の当たりカードであるのか、判断が付かなかった。
    「……」
     ランニャが、恐る恐るカードをフォコへと渡す。
    「……」
     そのカードはバルトロへと流れ、彼もまた、そろそろとした手つきでトランプ翁へと、手持ちの中からカードを差し出す。
    「……」
     トランプ翁は静かに首を振り、カードをそのままランニャへと渡す。
    「……」
     ランニャはそこで、自分の手を見直す。
    「……コレは、……どう?」
     ランニャはそっと、フォコに手持ちのカードを差し出した。
    「……トランプ翁」
     フォコは顔を上げ、トランプ翁をじっと見据えた。
    「何だ……?」
    「自己紹介を、してませんでしたな」
    「……そうだな。聞いてなかった」
    「改めて、させていただきます」
     フォコは額の汗を拭い、カードを伏せて卓に置く。
    「私の名前は、ニコル・フォコ・ゴールドマン。ゴールドマン家の、人間でした」
    「ゴールドマン……。『あいつ』の、家系か」
    「その、そいつに。私の家は乗っ取られました。あの悪逆かつ卑劣な男、非道な冷血漢、ケネス・エンターゲートに。
     私は宣言します。そいつから、家を奪い返すことを」
     フォコは伏せたカードを、ばっと引っくり返した。
    「……この、200億余の金を以てッ!」
     開かれたカードは「火・火・火・火・雷・雷・雷」――まさに「火紅狐」フォコを示すような、燃え上がるような7枚だった。



     フォコ:6950 ランニャ:17350 トランプ翁:16350 バルトロ:-650
     バルトロの箱割れにより、ランニャのトップで終局。
    火紅狐・不癲記 8
    »»  2011.10.06.
    フォコの話、312話目。
    悪夢から目覚めて。

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    9.
     オークボックスのあちこちで、工事の音が鳴り響く。
     その裏手――数日前まで日の当たらない、じめじめとした路地裏だった場所に、あの若者二人が寝転がっていた。
    「……悪い夢……だったのかな……」
     性質の悪いカビのようにぞわぞわとその領域を広げていた歓楽街は、強力無比なカジノ荒らしによって、その根を断たれた。
     そして130億の勝負が決着したその翌日から、街は大きく造り替えられることとなった。
    「……もう何が何だか、分かんねえよ、俺……」
    「……奇遇だな……俺もだよ……」
     公序良俗を著しく損なっていた数々の店は外装から内装、上下水道設備に至るまですべてを作り変えられ、極めて健全で健康的・建設的な店へと姿を変えた。
     再開発からたったの半月で、この若者二人のような、醒めない悪夢を見続けていたはぐれ者やチンピラがいる余地は、どこにも存在しなくなった。
    「……なあ……ビート……」
     名前を呼ばれ、横になっていた茶髪の短耳はのろのろと、狼獣人の方へ顔を向ける。
    「……なんだ……?」
    「……俺、実家に帰るわ」
    「……そっか」
     ビートは立ち上がった狼獣人の背を、ぼんやりと見ていた。
    「実家って……?」
    「ここからすぐ先の、クラフトランド。伯母さ、……総長に謝って、何とか職場に復帰させてもらおうかと思う。
     ヨメさんもずっと放っぽったまんまだし、めちゃくちゃ怒られる、……だけじゃ、済まないと思うけど。……マジで尻尾切られるくらいは、覚悟しねーとな」
    「そっか……。
     ……なあ、俺も行っていい……? 流石に素寒貧のまんまじゃ……、故郷に帰れねーし……」
    「……いいよ。ほら、立てよ」
     狼獣人が差し出した手を握り、ビートはむにゃむにゃと何かをつぶやいた。
    「……なんだ? 何て言った、今?」
    「ありがとよガルフ、……って言ったんだ」
    「……おう」
     こうして若者二人――ビートとガルフは、クラフトランドへと足を向けた。



     一方――。
    「私は言ったよな」
    「はい」
    「言ったって、覚えてるよな」
    「はい」
    「私が何を言ったか、復唱してくれるか?」
    「えー、と。『ネール職人組合の問題だから、首を突っ込むな』と」
    「覚えてるじゃないか」
    「はい」
    「じゃあ聞こう。なんで、こんなことしたんだ」
    「……すんません」
     フォコは「ゴールドパレス」跡にて、ルピアにこってりと絞られていた。
    「すげえ剣幕だな……。ありゃあ、どこの姐御さんだい?」
     その様子を見て、トランプ翁がランニャに尋ねる。
    「……うちの母さん。ネール職人組合の総長」
    「本当かよ……? 凄味がまるで違うぜ。とてもカタギのお偉いさんとは思えん」
    「よく言われるよ」
     ランニャは力なく笑い、プルプルと首を振る。
    「……っと。もうそろそろいいだろ、母さん。フォコくんは、あたしたちのためを思ってやってくれたんだしさー……」「うるさい。黙ってろ」「……はぅー」

     130億勝負に勝利し、フォコは合計245億と言う途方もない大金を手に入れた。
     また、トランプ翁側はマイナス10億の負債を抱えることとなったが、これはある条件をトランプ翁が呑めば帳消しにすると、フォコが提案していた。
     その条件と言うのが――。
    「しかし、あんな様子で話がまとまるもんかねえ……?」
    「フォコくんは口がうまいから、何とでもするさ。それよりさ、『町長』さん。ココ、議事堂にするつもりなんだって?」
    「町長はまだ勘弁してくれや、ランニャちゃん。尻がかゆくならあ。
     まあ、壁の装飾と塗装を落として、中を多少入れ替えりゃ、立派な建物になりそうだからよ」
    「ふーん」
     この街は歓楽街の浸食によって政治機能が失われてしまっており、無秩序な状態となっていた。そこでトランプ翁を街の長に置いて、再開発を進めさせようとしたのだ。
     元々、央北イーストフィールドにおいて影の支配者として君臨していたトランプ組の長であり、統治能力は十分にある。彼にとっても、実質的に故郷を追い出された身であるし、「ここで今まで通りに落ち着けるなら」と、その提案を快諾した。

    「……まあ、小言はこのくらいだ。もう二度と、私にお節介なんか焼くなよ」
    「重々、反省してます」
     フォコが深々と頭を下げたところで、ルピアはくる、とトランプ翁の方に向き直った。
    「ヨセフ・カラタ・トランプ翁、……で良かったかな」
    「おう」
    「私はネール職人組合の、ルピア・『プラチナテイル』・ネール組合総長だ。
     早速だが、クラフトランドに職人たちが戻ってきている一方で、ここでの住処を失い、あふれ出したはぐれ者も多数、こちらへ流れ込んできているのが現状だ。この半月で人口は、カジノ建設前の2倍近くになっているとの報告も受けている。
     このまま彼らを放置しても、何の得にもならん。だから私の方で、彼らがちゃんとした仕事に就けるよう、世話してやろうと思っている。そこでトランプ翁、あなたには彼らがクラフトランドの近郊であるこの街に住めるよう、住宅地を多数造成していただきたいのだが、よろしいか?」
    「お任せあれ、ネール卿。開発資金は、ニコル卿からたっぷりと得ております故、……ヒヒヒ」
     トランプ翁は恭しく、ルピアに頭を下げた。



     この後、ネール職人組合は多数の職人、即ち上質の生産能力を得たため、これまでの低迷から一転、業績を著しく回復させた。
     また一方で、オークボックスにおける、住宅地造成を中心とした再開発も成功。労働力と供給力を獲得したクラフトランド周辺の経済は、急速に温まった。

    火紅狐・不癲記 終
    火紅狐・不癲記 9
    »»  2011.10.07.
    フォコの話、313話目。
    ゲームオーバー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ちゅうわけですわ」
     話は313年――オークボックス再開発が一段落したその一方で、西方でスパス産業破綻の報告を受けたフォコが、満を持してイエローコーストへ乗り込んだ時点に戻る。
    「何が『ちゅうわけ』だ、この悪魔めッ!」
     ケネスの罵りを、フォコは鼻で笑う。
    「悪魔はどっちだか。
     あんたはこの十数年間、あちこちに戦争の火種を撒き、そこへ火薬を降り注いで加熱に加熱を加え、世界中を燃やし尽くそうとした男や。そんな所業をしといて今更、他人のことを『悪魔』やて?
     はっ、呆れるわ! 何万、何十万もの人間を散々虐げて平然としとったお前が、虐げられた途端にみっともなく、被害者面しよるんか!」
    「う、ぐ……っ」
     フォコの、怒りのこもった言葉に、ケネスの顔色はみるみるうちに悪くなる。
    「いい機会や。誰も言えへんことやったから、今、私が直に言うてやる!
     ケネス、お前は商人として、人間として、最低のクズやッ! お前は自分の利益のためだけに人を殺し、街を壊し、国を傾けた! それが人間として、商人として誇れることやなんて、私も、誰も思わへんぞッ!
     ……いいや、そもそもお前は、自分の利益すら守れへん、商人として失格な男や」
    「そ、それはお前のせい……」
     反論しかけたケネスを、フォコは怒鳴りつけた。
    「何が私のせいやッ!? 商売するんやったら競合なり競争なり、あるんが普通やろが!?
     そうや、それがそもそも、お前が商人として、人間としていびつな、何よりの証拠――あらゆる競争相手を完膚なきまでに潰し、自分のみがのうのうと勝ち続けよう、生き残ろうとする、どこまでも意地汚く、下劣な商業モデル。こんなことを考え付くお前の方が、お前こそが悪魔やッ!
     もうお前にこれ以上、ゴールドマンの名は名乗らせへんからな。……今のうち、荷物の整理をしとくんやな」
     それだけ言って、フォコはその場を去った。



     一人残されたケネスは、フラフラと寝室へ戻る。
    「……他に……他に策は……」
     あらゆる金策を潰され、ケネスはいよいよ行き詰った。
    「……駄目元で中央軍にかけあうか……いや駄目だ……軍本部に入った途端に蜂の巣にされるのがオチだ……では私の手であいつを……む、無理だ……そんなことは……しかし……」
     脂汗を流し、部屋中をうろつき回って対策を練ろうとするが、到底現状を打開できるような策は思いつかない。
    「……こんな時こそ……あのお方が……」
     思考の泥濘の中で、ケネスは30年前のことを思い出していた。
    「……そうだ……! あの方は仰った……いずれまた、私の前に姿を現しになると。
     そう、それは確か……」
     一縷の望みを見出し、ケネスは顔を上げた。

    「クスクスクスクス」
     その先に、彼女は立っていた。
    「……ああ……!」
     ケネスは思わず、その場に膝まづいた。
    「お待ちしておりました……お待ちしておりました……!」
    「クスクスクスクス」
    「きっと窮した私を、30年前のように助けてくださるものと……」「ええと」
     と、白いフードを深く被ったその女は、わずかに首をかしげた。
    「お名前は、何と仰いましたか」
    「ケネスです! ケネス・エンターゲート=ゴー……、ああいや、ケネス・エンターゲートです!」
     半泣きの顔でそう名乗ったケネスに対し、女はまた、首をかしげた。
    「それは、あなたの名前ではございませんでしょう」
    「……え?」
    「あなたが初めて奪ったもの。他の方の名前でしょう」
    「い、いや、私がケネスです。それ以外の何者でも……」
     呆然とするケネスを眺めていた女は、そこでわざとらしくポン、と手を叩いた。
    「ああ、なるほど、なるほど。あなたはなりきってしまったご様子。だから覚えていらっしゃらないと」
    「それは、どう言う……?」
    「おお、何と哀れな子羊でございましょうか」
     女はす、とケネスの顔に手をやり、眼鏡を奪い去る。
    「な、何を?」
    「クスクスクスクス」
     女は手に取った眼鏡を、ぱきんと音を立てて握り潰した。
    「あなたは何者でもなかったのですよ」
    火紅狐・金火記 1
    »»  2011.10.12.
    フォコの話、314話目。
    Who done it?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     半ばからかうような、そして半ば憐れむような女の口調に、ケネスはめまいを覚える。
    「じょ、冗談はそれくらいにしていただきたい、白金の君」
    「クスクスクスクス」
     白金の君と呼ばれ、女はまた笑いだす。
    「そうでございました、わたくしはあなたにそう呼ばれていたのでした」
     そこでパサ、と女はフードを脱ぐ。ほんのりと青白い、プラチナブロンドの髪が、さらさらと揺れていた。
    「そう。そう呼んでいた当時のあなたは、何者でもなかった。
     家を飛び出し、定職にも就かない、言うならば『死と』」「『死と隣り合わせの生活を』、……!?」
     勝手に口をついて出た言葉に驚き、ケネスは口を押さえた。
    「そう、そう。最初に会った時、あなたはそう仰っていました。そしてあなたは、こうも仰っていた。『世界を』」「『世界を操れる力が手に入るんなら、俺は喜んで、命だってなんだってくれてやる』、……う、うう!?」
    「記憶が反復されたご様子ですね。
     そう、思い出してきたでしょう。あなたが願い、そして、わたくしがお助けした内容も」
     口を押さえられず、半端に持ち上げられたままのケネスの手を、「白金」はふわりとつかむ。
    「あなたの願いを、わたくしは聞き届けました。そしてまず、わたくしが与えたのは」
     「白金」はケネスの額に、自分の額を当てた。
    「知恵。世界をがらりと変貌させてしまえるだけの、知恵を授けました。それから次に」
     ケネスから離れ、「白金」は額を拭う。
    「名前。偶然にもあの時、あなたと同じ街にいらした、駆け出しの商人。彼の名前と商売を、あなたに与えました」
    「……な……何だ、……これは……」
     ケネスは頭に、不快なものを感じた。
     まるで頭蓋が裂け、中から何かがどろどろと流れ出て行くような感覚を覚え、ケネスは額に手をやる。だが、傷は無く、血に濡れているような感触もない。
     それでも、頭の中からの漏れ出す感覚は消えない。
    「あなたはそこから駆け出しの武器商人、『ケネス・エンターゲート』なる人物にすり替わった。
     それからあなたは、わたくしから得た知恵を使い、若くして世間に広く認められる地位を確立した」
     気味の悪い感覚をどうにか抑えようと、ケネスは頭をべたべたと押さえつける。
    「うう、う、あああ……」
    「そうするうち、世界に強い影響を及ぼすような人間が、あなたに接触してくる。そう、予言したのを覚えておいででしょうか」
    「うう……ああ……、バーミー……卿だ、……う、あ、……カーチス・バーミー卿……」
    「その通りでございます」
     うめき、のた打ち回るケネスを眺めながら、「白金」は話を続ける。
    「彼と接触したあなたは、ある提案をするように、わたくしに命じられていました」
    「はっ……はっ、ああ、……はあ、……天帝陛下と、っ、……う、……密かに盟約を、……おお、おああ……」
    「そう、そう。その通りでございます。
     政治的権力と軍事的権力。その上に、あなたが築き上げた経済的権力を合体させれば、非常に強い権力を操ることができる。そう、あなたにお伝えいたしました。
     それから四半世紀――あなたはご自分で望んだ通り、莫大な富を得ました。わたくしとの約束は、無事に果たされました」
    「ぶ、……無事、なっ、……ものかっ、……うげええええ」
     こらえきれず、ケネスは嘔吐する。
     だが吐いた感覚はあるのに、絨毯には染み一つ付いていない。
    「わたくしとの約束は、富を与えるまででございましょう。富を得てからのことは、わたくしの存ずるところではございません」
    「ふ、ざ、……ける、……なっ、……助け、て、くれても、……もう、いっ、か、い……」
    「何故でしょう」
     「白金」は倒れ込んだケネスの横に屈み込み、にっこりと笑う。
    「あなたから得られるものは既に何もございません。交換できるものが無い以上、取引などできようはずが、ございませんでしょう」
    「そっ……、ん……、な、っ……」
     そこで「白金」は、ケネスの耳元につぶやいた。
    「あなたはもう、何もお持ちでいらっしゃらない。
     知恵も、地位も、名声も、富も、伴侶も、子も。
     そしてお名前も」
     それを聞き、彼は反論しようとする。
    「なま、え、……だとっ、……わたし、はっ……、わたしは……」
     だが、そこで思考が凍りついた。
    「……わたしは……だれだ……」
    「すべて失ったご様子ですね。あとはあなたの老いた、醜い肉体だけでございますが」
     女はフードを下ろし、横たわったままの男から離れた。
    「わたくしには不要のものでございます」
     女がそう言い放った瞬間、世界は崩れ落ちた。



     翌日――改めて弾劾会議に出席を求めようと、ジャンニがケネスの寝室を訪れた。
    「総帥さんよ、そろそろ、……ッ!?」
     だが、そこには何もなかった。
     家具どころか床板も天井板も、窓も壁も無く、まるで積木が抜き取られたかのように、ドアの向こうには外の景色が広がっているだけだった。
    火紅狐・金火記 2
    »»  2011.10.13.
    フォコの話、315話目。
    金火狐になった火紅狐。

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    3.
     ケネスの寝室に起こった異常事態を検分するため、ジャンニは慌てて、フォコに随行していたモールを呼び出した。
    「何なの何なの、もう……」
    「モールさん、あんた賢者とか、大魔法使いとかみたいなこと言うてはったよな」
    「ああ、そう言ったねぇ、……ふあああ」
     いかにも眠たそうに大欠伸をするモールの手を引っ張りつつ、ジャンニはたどたどしく経緯を説明する。
    「ちょっと調べてほしいねん。俺には何が起こっとるか、よお分からへんし」
    「分かんないのはこっちだね。ふあ……、一体何が?」
    「ケネスの部屋がな、無いねん」
    「はぁ?」
    「さっき部屋に行って叩き起こそう思て、ドア開けたら、部屋ごと消えとったんや」
    「なんのこっちゃ」
     要領を得ず、モールは怪訝な顔をしていたが、ケネスの部屋の扉を開けたところで、事態を把握した。
    「……わーぉ」
    「な? あらへんやろ?」
    「見事にスッポリ抜けてるねぇ。煉瓦の壁から一個、煉瓦を抜き取ったみたいな感じだね」
    「何が起こっとるんやろか? ケネスはどこへ……?」
    「質問は一個ずつにしてほしいんだけどね。
     まず一つ目、『起こってる』、じゃなくて、もう『起こった』、終わった話だね。私にも何が起こったか、判断は付けらんないね。すべてが終わった後だから。
     二つ目、ケネスの居場所とかだけど、それもさっぱり。部屋ごと痕跡が消えてしまってるし、どこに行ったかどころか、生きてるとかを判断することすらも無理だね」
     モールは床板がはがされ、下の階の天井裏が剥き出しになったところに降り、辺りを見回す。
    「……ただ、一つ言えるのは」
    「言えるんは?」
    「人間業じゃないね。何らかの魔術を使ったにせよ、こうまで綺麗さっぱりにくり抜くような術は、私も知らない」

     会議室に集められた金火狐の面々は、この異常な失踪事件を伝え聞いたものの、結局これについては、特に対策などを執ろうとしなかった。
    「まあ、総帥から降ろそうとしとったところで、勝手に消えてくれたわけやしな」
    「探す気にもならんわ。放っといてええんちゃう?」
    「せやな。賛成、賛成」
     ケネスに対する処置はたったの10秒で決まり、皆はすぐさま本題に入った。
    「……ほんで、ニコル。総帥になりたいっちゅうことやったけども」
    「はい」
     末席に座っていたフォコがうなずいたところで、ジャンニは総帥の席を指差した。
    「座ってええで。皆もええよな、それで」
    「ええよ」
    「賛成」
     満場一致を受け、フォコは恐る恐る立ち上がった。
    「ホンマにええですな?」
    「ええよ」
    「……ほんなら」
     フォコは皆に向かって一礼し、その席に座った。
    「えー、コホン」
     と、ジャンニが空咳をし、立ち上がる。
    「まあ、決めるところはビシッと決めたらなな。ほれみんな、立って立って」
     促された面々は素直に立ち上がり、総帥席に座るフォコに、一様に向き直った。
    「本日を以て、我々金火狐一族の宗主、および、ゴールドマン商会の総帥を、ニコル・フォコ・ゴールドマン氏に決定するものとする。
     全員、礼!」
     それを受けて、全員が深々と頭を下げる。
    「……ありがとうございます。これから総帥として、職務を全うするとともに、金火狐一族の繁栄のため、世界にあまねく人々の生活に貢献するため、粉骨砕身の努力を致す所存です。
     よろしく、お願いします」
     フォコも立ち上がり、頭を下げて返した。



     双月暦313年、こうして第10代金火狐総帥が誕生した。
     なお――これまでに、初代総帥エリザの弟「ニコル」の名を受け、また、金火狐の総帥となった人物はもう1名おり、彼は「ニコル2世」と呼ばれていた。
     それに倣い、フォコもこの時期から「ニコル3世」と呼ばれるようになった。

     フォコはようやく、血と涙のにじんだ「火紅・ソレイユ」の名を捨て、誇りある己本来の名を名乗ることができた。
    火紅狐・金火記 3
    »»  2011.10.14.
    フォコの話、316話目。
    恩人たちからの激励。

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    4.
     フォコの総帥就任後、ゴールドマン家は改めて、その報告を各取引筋に伝えた。

    「偉くなったもんだ、あのへたれ坊ちゃんがなぁ」
     その知らせを受け、真っ先に駆けつけてきてくれたのは、ルピアだった。
    「はは……、恐縮です」
    「しなくていい、そんなもの。へたれなのは前のままだが、君は商人として素晴らしい成長を遂げたんだ。これからは私とも、対等の付き合いだな」
    「いや、そんな。私にとってルピアさんは、商人としていつまでも鑑のような存在です」
     堅い口調で話すフォコに、ルピアはフンと鼻で笑う。
    「何が『私』だよ、青二才のくせに」
    「ふひゃっ!?」
     ルピアはフォコの鼻をつかみ、ニヤニヤと笑う。
    「そんな堅っ苦しい話し方なんぞ、10年早いっての。まだ26だろ、そんなおっさん臭い話し方なんぞ、30超えて子供の一人でもできるまで封印しとけ」
    「ひょ、ひょんひゃんひぅははへ、はひへんほははひはぅひ……(そんなん言うたかて、体面とかありますし)」
    「生意気にしか見えんっつの」
     フォコがふがふがと反論していたところで、ルピアはぴっと鼻から手を放す。
    「ぷひゃっ!」
    「おいおい、なんだよ今の、くっく、『ぷひゃ』って、はははは……」
     ひとしきり笑った後、ルピアはこれからの活動を尋ねた。
    「で、総帥君。今後はどうするんだ? またカレイドマインに本拠地を戻すか?」
    「いえ、……まあ、多少忌々しい思いが無いわけではないですけども、ケネスの目論んどった通り、ここには金をはじめとする大規模な貴金属の鉱床がありますし、鉱業を本業としとるゴールドマン商会としては、ここから離れるのんは非常に心苦しいところではあります。
     なので、金が掘り尽くされるまでは当面、ここに留まるつもりです」
    「ふむ、そっか。……しかしな、フォコ君。それじゃあ、視野が狭いってもんだ」
    「え?」
     きょとんとするフォコに、ルピアはニヤッと笑いかける。
    「この街は海に面してて、一応ながら央南との交通路も通じている。こんないい場所をただ、金を掘るためだけに開発するなんて、勿体ないぞ。
     君は折角、世界中にコネクションを築いたんだ。貿易都市を想定しての開発、なんてのもいいと思うが、な」
    「なんかルピアさん、オークボックス以降から都市開発にハマってはりません?」
     そう突っ込まれ、ルピアは顔を赤くした。
    「……はは、否定はできないな。ハマり症なんだよ、どうにも」

     続いてやって来たのは、西方に一度戻っていたカントだった。
    「就任おめでとう、総帥君」
    「はは……」
     軽い挨拶を交わし、カントは西方での首尾を伝えてくれた。
    「スパス産業が破綻したことは前回伝えた通りだが、その後進展があった。……とは言え、あまり喜ばしいものでないものばかりだけどね」
    「と言うと……?」
    「旧エール家――語弊があるだろうけれども、ミシェル・エールが当主に就いていた方をそう呼ぶことにする――を無力化するため、我々はルシアン・エールを擁立・援助し、新たなエール家当主として、『大三角形』に迎え入れた。
     これにより旧エール家の権威は完全に失墜し、エール商会もまた、破綻の憂き目を見ることになった。……そして残念なことに」
     カントはハンチングを深めに被り直し、悲惨な結末を述べた。
    「ミシェルは自殺した。執務室の窓から飛び降りたらしい」
    「それは……、気の毒な」
    「我々が追い込んだ結果であるし、責任が無いとは言えない。とは言え調べたところ、エール・ゼネストを陰で扇動し、ルシアンを失脚させたことも明らかになっている。
     これらの因果関係をつぶさに追及するのはナンセンスだが、これは自業自得の範疇だろうね。手を汚して手に入れた地位に苦しめられた、その結果なのだから」
    「まあ、……まあ、そう言うしかないでしょうな」
     カントは手帳をチラチラと眺め、今後の対応についてフォコに尋ねた。
    「それで、卿。まだ現時点では君がジョーヌ海運の、実質的な主なわけだが、この度ルシアンから申し出があった。ジョーヌ海運を買い取らせてはくれないか、と」
    「ふむ」
    「君には大変な無礼を申し出ているのは重々承知しているが、やはり西方は閉鎖的な世界らしい。どうしても西方人による経営でないと、取引も難航するようだから。
     それに何より、商業を中核にしている『大三角形』の一角が、何の商会も持っていないと言うのは格好が付かないからね」
    「仕方ないですな。でも、そんなに安くはできませんで」
    「それも承知している。なので、10年ないし20年程度で分割して支払うことはできないか、とのことだ」
    「んー……」
     フォコの方も手帳を開き、ジョーヌ海運の資産価値や事業の規模などを確認し、買収額を検討する。
    「まあ、10年払いの場合やと、1年あたり4、5000万クラムくらいやないですか?」
    「僕にはその辺りの勘定がピンと来ないから、とりあえずそのまま伝えておくよ」
     と、カントはハンチングを浅めに被り直し、いつもの飄々とした雰囲気に戻った。
    「辛気臭い話をしてしまったね。改めて、賛辞を述べさせていただこう。
     就任おめでとうございます、ニコル・フォコ・ゴールドマン総帥」
    火紅狐・金火記 4
    »»  2011.10.15.
    フォコの話、317話目。
    堕ちたアバント。

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    5.
     フォコが総帥に就任し、商人としての頂点に立った、丁度その頃――。



    「ぜっ……、ぜっ……」
     西方、スカーレットヒルの裏町。
     スパス産業が破綻し、債権者に追われる身となったアバントは、そこに身を潜めていた。
    「畜生……! なんでこの俺が、こんな惨めな目にッ……!」
     かつて西方の急先鋒として栄華を極めていた頃の面影は既に無く、その姿は浮浪者そのものだった。
     だが放漫な生活が長かったためか、彼は一向に反省も、立ち直る努力もしなかった。
    「今に見てやがれ、ブタどもめ……! 金と権力とを取り戻した暁には、一人残らず袋叩きにして、嬲り殺しにして、血祭りに上げてやる……!
     俺にはあの、エンターゲートの御大が付いているんだからな! きっと後悔させてやるぞッ!」
     この時点で既にケネスは行方不明になっているが、それを彼が知る術は無い。
    「……、ふぅ」
     一息つこうと、アバントは煙草を口にくわえ、火を点けようとする。
    「クソ、クソ、クソッ……、忌々しい、忌々しい! いつまでも俺が、こんな腐ったところでじっとしてると、……あああ、クソッ!」
     だが南海で受けた怪我の上に、この数年、傲慢に酒をあおる生活を続けていたために、彼の手は思うように動かなくなってしまっていた。
     口元に持って行こうとしたところで、火が点いたままの燐寸はぼたっと、彼の垢じみたコートのポケットに入ってしまった。
    「うわ……!? わ、わっ……、やば、うわっ、わーっ!」
     彼は慌てふためき、わめきながらコートを脱いで逆さにし、バタバタと振って燐寸を出そうとする。
     と、そこへ――。
    「いたぞ、スパスだ!」「逃がすな、捕まえろッ!」
     アバントのわめき声を聞きつけた借金取りたちが、ワラワラと路地裏へ押し込んできた。
    「う、……うううっ」
     アバントはどうにか燐寸と煙草を捨て、転がるようにその場から逃げ出した。

     どうにか借金取りを撒き、アバントは廃屋に転がり込んだ。
    「ぜっ……、ぜっ……、ぜえ……」
     呼吸を落ち着かせながら、アバントはぼんやりと、今後のことを考える。
    (いずれ総帥に助けてもらうとして、……それまでどうするかな。
     もう国境を越えるのは難しいだろうな。商会の破綻は知れ渡っているし、前みたいな顔パスはできない。いや、できたところで、壁の向こうで借金取りが待ち構えているかも知れん。
     かと言って、ここみたいな廃屋なんて、そう都合よくあったりもしないしな……。いつまでも身を潜めてもいられん。
     この後、どうするか……?)
     寝転がったまま、アバントはまた煙草を口にくわえようとした。

     と――。
    「お控えくださいませ。わたくしにとって、あまり好ましい香りではございません故」
     震える手でようやく口に運んだ煙草を、誰かにひょいと取り上げられた。
    「う……!」
     アバントはバタバタと起き上がり、煙草を取り上げた白いフードの女から遠ざかる。
    「お、俺を捕まえようとしても、無駄だぞ! 俺はもう払うもんなんか無い! 若くもないから肉体労働もご免だ! お前らに捕まるくらいなら死んでやる!」
    「あらあら、勿体ない」
     女はぽい、と煙草を投げ捨てる。煙草は空中で、ぱす、と軽い音を立てて粉々になった。
    「あなたはまだ一つ、価値のあるものをお持ちでございましょう」
    「な、なに?」
    「あの方を呼ぶ口実でございます」
    「あの、方……? エンターゲート総帥か?」
    「彼は既に、この世におりません」
    「何だと!?」
     青ざめるアバントに、女はすい、と近寄る。
    「あなたにしていただきたいこと。それは克大火様を呼び寄せることでございます」
    「かつ、みたい、か? 誰だそりゃ」
    「わたくしが最も憎むお方でございます。
     あなたには克大火様を呼び出し、この剣を以て殺していただきたいのです」
     そう言って女は、どこからか直剣を取り出した。
    「う……っ」
     その剣には呪文や魔法陣らしきものがびっしりと刃に描かれており、普通の剣には見えない。
     魔力のないアバントでさえも、その剣から発せられる、深い穴のような、引力じみたものを感じずにはいられなかった。
    「この剣にはどこどこまでも魔力を吸着し、霧散させる力が付加されております。この剣を以てすれば、どんな魔術障壁や強化術も、例外なく無効化されます。
     名付けて、『魔絶剣 バニッシャー』」
    「その、カツミとかってのは、魔術師なのか?」
    「ご明察でございます。わたくしが知る限りで、最も優れた魔術師。ですが尊敬・敬愛の念とともに、言葉では言い表せぬ程の侮蔑・忌避の念も抱かずにはいられないお方。
     そのため、わたくしはあなたに殺害を依頼するのです」
    「だ、だが、何故俺に? 俺はこれから逃げなきゃ……」
    「報酬は勿論ございますとも」
     そう言って、女はくる、と背中を向ける。
    「このように」
     女が右手を、す、と上から下に振り下ろす。太い鋼線がちぎれるようなミチミチと言う音がしたかと思うと、空中に、紫色に光る亀裂が走った。
     女はそこに、ひょいと手を伸ばす。
    「別の場所へお送りすることも可能でございますし」
     亀裂の向こうで何かをつかんだらしく、女はそれを引っ張り上げた。
    「この十数年の騒乱の陰で、わたくしには小国を2、3買える程度の資金を築いております。逃走経路の確保と逃走資金3億クラムで、いかがでしょうか?」
     女の言葉は非常に魅力的なものだったが、アバントの耳にはほとんど入らなかった。
    「あ……あ……」
     女が亀裂の向こうから引っ張り出したものは、あの「骸骨兎」――サザリー・エールの、腐乱した死体だったからだ。
    火紅狐・金火記 5
    »»  2011.10.16.
    フォコの話、318話目。
    白い妖魔からの取引。

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    6.
    「そ、そい、そいつはっ……!?」
     ガタガタと震えだすアバントに対し、女は淡々とした口調で説明した。
    「2ヶ月ほど前に、彼は逃走中、山道から転落いたしました。顔が背中の方を向いておりますから、恐らく即死でございましょう」
    「そ、そいつは子供を連れていたはずだ! その子らは……!?」
    「存じ上げません。同様に転落したはずですが、姿はございまませんでした。とは言え恐らく、同様に死んでいるものと思われます」
     その言葉の行間から、アバントは彼女がサザリーたちを山道から突き落とし、殺害したことを悟った。
    「何故そんなことを……!?」
    「計画に邪魔でございますから。いつまでもふらふらと逃げ回っていらっしゃると、見つかってしまう可能性もございます。あのお方を呼ぶためには、行方不明のままであってもらわねば」
    「計画、……って、何がどうなるんだ? そのカツミってのと清家姉弟が、何か関係が?」
     女は芝居がかった仕草で両手を挙げ、それを否定した。
    「いいえ、いいえ。まったくございません。関係があるのは、克大火様が護衛をなさっているランド・ファスタ卿でございます」
    「ファスタ卿……、確か、清王朝に対する反乱軍の参謀をしてたとかって、その……、そいつから聞いたな。西方に来て、行方を追ってるとか」
     アバントはそう言って、サザリーの腐った頭を指差す。
    「分かってきたぞ……。そのファスタ卿に、俺がその、清家姉弟の居場所を知ってるとリークして、どこかにおびき寄せる。そしたらファスタ卿は……」
    「きっと克大火様を連れて、そこへと現れるでしょう。そこで、殺害していただきたいのです」
    「なるほどな」
     アバントはふらりと立ち上がり、女にこう尋ねた。
    「そう言えばあんた、名前は?」
    「わたくしに名前はございません。好きなように呼んでいただいて構いません」
    「そうか。じゃあ、……ティナとでも」
    「承知いたしました」
     そう言うと、女はフードを脱ぐ。
    「……!?」
     その下に現れた顔を見て、アバントはまた腰を抜かした。
    「て、てて、てぃ、……っ、そ、そんな!?」
    「どういたしました」
     フードの下から現れたのは、かつて南海で共に仕事をしていた、あのティナ・サフランの顔だった。
     だが、アバントはすぐに別人だと判断した。
    「……い、いや、似ている、だけか。声が違う。傷もないし、髪の色も違う」
    「わたくしはこの、雪のように白い髪が気に入っております故。
     それよりもアバント様。承諾していただけますか」
     アバントは呆然としていたが、「ティナ」のその顔を見て、ふつふつと沸き上がってくるものを感じていた。
    「……条件を付けても、いいか?」
    「仰ってみてください」
    「ホコウ・ソレイユってのも、一緒に殺したい」
    「一緒に呼べるのであれば、どなたでも、何人でも呼んでいただいて構いません。わたくしの方でも数名、援護をお付けいたしますので」
    「いや、そいつだけだ。そいつだけは、何としてでも俺がブッ殺す」
    「承知いたしました。ではこの剣と」
     「ティナ」はアバントに「バニッシャー」を手渡し、彼の額にちょん、と人差し指を置く。
    「少しばかりの魔力と、魔術も」
    「うお……っ!?」
     アバントは額から全身にかけて、何か猛々しいものがドクドクと流れ込んでくるのを感じた。



    「アバントから……!?」
     313年、3月。
     フォコが総帥としての新体制を整えている最中に、その報せは入った。
    《ああ、本人からの手紙が密かに、ランドへと送られた》
     フォコはイエローコーストの総帥用執務室から、「魔術頭巾」で大火からの連絡を受けていた。
    「その内容は……?」
    《『清双葉、清三守姉弟は自分が預かっている。彼らの身柄を引き渡すのと引き換えに、現在自分にかけられている負債、指名手配、および懸賞金を全面解除しろ』、……と要求してきた。
     ランドはこのことを『大三角形』筋に報告し、現在彼らと協議中だ。だが恐らく、要求は却下されるだろう》
    「そらそうでしょうな。西方商人にとってあいつは、海外資本を楯に威張り散らした、憎き裏切り者ですからな。
     でも清家の身柄を確保するんはランドさんの目的ですし、そこは通さなあきませんな」
    《ああ。だから今、ランドは『要求を呑むふりをしてアバントと接触し、拘束してはどうか』と提案している。恐らくそれで、話がまとまるだろう》
    「でしょうな。……で、タイカさん。何故それを僕に?」
    《アバント・スパスの要求はもう一つある。お前と話がしたいそうだ。ティナ・サフランなる人物のことで》
    「……!」
     その名前を聞き、フォコは椅子を倒して立ち上がった。
    「それは本当に……!?」
    《こんなことで嘘を言ってどうなる?》
    「あ、いや、タイカさんに言うたんやなくて、……ああ、まあ、何でもないです。
     タイカさん、すぐに連れてってください!」
    《分かった、1時間後に向かう。用意をしておけ》
    「ありがとうございます」
     フォコは「頭巾」を被ったまま執務室を飛び出し、自分の書斎へと向かった。
    (話だのなんだの、……ちゅうのは方便や。アバントは恐らく、僕と決着を付けるつもりなんや。
     恐らくは、命の取り合いと言う意味での、決着を)
     フォコは書斎に入り、クローゼットに押し込んでいた、昔の服や武器を取り出した。

    火紅狐・金火記 終
    火紅狐・金火記 6
    »»  2011.10.17.
    フォコの話、319話目。
    「火紅」の、最後の因縁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     大火の魔術により、フォコはまた西方、セラーパークへと召喚された。
    「ランドさん、お久しぶりです」
    「久しぶり。変わりなさそうだね」
    「まあ、たかだか半年ぶりですからな。ランドさんの方も変わりなさそ、……て」
     挨拶を返そうとしたところで、フォコはランドの背後からひょい、と姿を現したランニャを見て驚いた。
    「やっほ」
    「な、何でおんの?」
    「ご挨拶だなぁ。母さんとタイカさんを通じて、あたしにも話が来たんだよ。このヤマはあたしも結構関わってるし、決着は最後まできちっと付けたいんだよ」
    「……まあ、ええけど」
    「それよりもホコウ」
     ランドはフォコの格好を見て、険しい表情になる。
    「やっぱり君も、そうなると予想してるみたいだね」
    「そら、まあ」
     フォコは魔杖に曲刀、ナイフ、ターバン、厚手のローブと、総帥以前によく着ていた、戦闘を重視した格好をしていた。
    「西方中の債権者から狙われとるあいつが、わざわざ自分から名乗りを上げるなんて、怪しいにも程があります。
     恐らくは何らかの罠を仕掛けていると見て、間違いないでしょう」
    「罠? 誰に? ……いや、聞くまでもないか。君だ」
    「ええ、多分。進退窮まり、このまま拘束されるくらいならいっそ、堕ちる原因を作った僕を亡き者にしたい、と思うてるんでしょうな。
     もしかしたら清家姉弟を匿っとるっちゅうのんは、嘘かも知れませんな」
    「恐らくはね。それに、まだ商会が残っていた頃に、僕と君とがつながっているのはエール氏辺りから聞いているだろうし、僕も狙われているのかもね。だから僕に、手紙を出したんだろうけど」
    「……ここまで殺意が見え見えやと、正直、行きたくない気持ちもありますな。『大三角形』の方から国の方に頼んで、軍の出動を要請した方がええんやないです?」
    「僕もそう思ったし、『大三角形』筋も最初、その線で通そうとしていたんだ。
     だけど残念なことに、『たかが一破産者の拿捕に駆り出されるほど、我々は安くない』って怒られたらしい」
    「まあ、とんでもない怪物が現れて船が出されへん、……とかならともかくですけど、流石に人ひとりのためには動いてくれませんか。しゃあないですな」
    「まあ、嘘か本当か、どちらにせよ、僕にとっては清家姉弟の情報を知っている人間だし、何としても拘束したいところだ。
     それに君にとっても、大恩ある人間を殺した仇敵だろう? 居場所が分かっている以上、追わないわけには行かない」
    「……ええ、勿論。この因縁は、何が何でも決着を付けなあきません」
     フォコがそう意気込んだところで、ランニャがバタバタと手を振った。
    「勿論あたしも行くよ!」
    「なんでやねん」
    「当たり前じゃんか。フォコくんを危ない所へ、一人では行かせらんないもん」
    「あのなあ……」
     呆れるフォコに対し、ランドは妹の意見を汲む。
    「いや、相手が罠を仕掛けて待ち構えている可能性が高い今回、戦闘要員は多い方がいい。ランニャは戦いに長けた人材だし、むしろ居てくれた方が助かるだろう」
    「ありがと、お兄ちゃん」
    「どういたしまして。
     それから、同じ理由から大火とイール、レブも勿論連れて行く。後、マフシード殿下も魔術に心得があると言うことだから、後方支援をお願いした。
     あとは……、モール卿がいれば良かったんだけど」
    「モールさんやったら、僕が総帥になる直前に、妙な事件がありまして。それを詳しく調べたいと言って、そのまま行方が分からなくなりました」
    「そっか、残念だな。
     じゃあこの7名で、彼が指定した待ち合わせ場所へ向かう。みんな、準備はできてるかい?」
     ランドの問いかけに、そこにいた全員がうなずいた。
    「ちなみに待ち合わせ場所は、どこなんです?」
    「彼が元々有していた、エカルラット王国内、スカーレットヒルにある軍需工場。そこで僕と君を、待っているそうだ」
    「言わば、敵の本丸ですな。……重々、気を付けなあきませんな」
    「ああ。……まあ、とは言え」
     ランドは傍らの大火に目をやり、にっこりと笑う。
    「タイカがいれば、大体のことは問題無いだろう。彼に敵う人間は、モール卿くらいだし」
    「……」
     大火は何も言わず、代わりにニヤリと笑って返した。
    火紅狐・昔讐記 1
    »»  2011.10.20.
    フォコの話、320話目。
    ゴーレム製造工場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フォコたち一行はすぐに、スカーレットヒルへと飛んだ。
    「ここ?」
    「ここのはず」
     フォコとランドは、夜の闇を背にして立つ目の前の建物を見て首をかしげた。
    「……明かりが煌々と点いとりますな。それにあちこちから蒸気が漏れてますし」
    「工場を持っていた商会が破綻した以上、稼働させる人間はまず、いないはずだ。
     論理的に考えるなら、ここに潜んでいるであろうスパス氏が動かしているんだろうけど……」
    「こんな大規模な工場やと、一人では無理でしょうな。誰か協力する人間がおる、と見て間違いないと思いますわ」
    「しかしそうなると、協力者が気になるところだ。破産した人間にわざわざ手を貸す人がいるとは思えないけど……。何かの恩義からかな?」
    「それはないですわ。あいつが偉くなってから一度、直に会うたことありますけど、とても人気・人望を集められるような態度やありませんでしたしな」
    「……まあ、門前であれこれ言っても、事態の進展は望めないな。ともかく中に入ろう」
     一行はそっと門を開け、敷地内へと足を踏み入れた。

     と――。
    「下がれ!」
     大火がぐい、とフォコたち二人の襟を引っ張り、門の外へと戻した。
    「うわっ!?」「きゅっ!?」
     次の瞬間、フォコたちがいた場所に、大人の背くらいはあろうかと言う長さの槍が二本、突き立てられていた。
    「グルル……」「グゴゴ……」
     そして槍を、工員のような格好をした「何か」がつかんでいる。どうやらどこかから跳躍し、二人を串刺しにしようとしたらしい。
     その「工員」たちの顔は、目や鼻が無く、のっぺりとしている。ただ一つ、口だけがぽっかりと空いており、それが顔全体の異様さを際立たせている。
     明らかに人ならざるその姿に、ランニャが声を上げた。
    「な、何だよコレ!?」
    「あ、コレってもしかして!?」
     すぐさまイールが前に飛び出し、雷の術を唱えた。
    「『スパークウィップ』!」
     パン、パンと音を立てて青白い電撃が飛び、「工員」たちを弾き飛ばす。
    「ガガ、ガッ……」「ググ、ゴバ……」
     弾かれた「工員」は地面に叩き付けられると同時に、粉々になった。
    「やっぱり、ゴーレムね!?」
    「ああ。しかし青江の時に見た『将校』よりも大分、造りは荒いな。
     だが、恐らくは同一人物が造ったか、もしくは、造り方を教えていたのだろう。こんな技術を持つ人間は、そうそういないから、な」
    「教えていた、って……、アバントにですか?」
     フォコの問いに、大火は小さく首を振る。
    「その可能性もあるが、教わった人間がアバントに協力している、と言うことも考えられる。
     何にせよ、この工場が稼働している理由は恐らく、そこにあるだろう、な」
    「何だっけ、ミスリル化けーそ、だっけ? ソレを製造して、ゴーレムを造ってるのね」
     大火は残った槍を引き抜き、それを眺めながら、全員に注意を促した。
    「やはり火紅、お前の読みの通りだったな。最初から、まともに取引などする気は毛頭無いらしい。
     最大限、警戒しておくことだ」
     そのまま中へ入る大火を先頭に、皆が続いた。



    「お越しになったようです」
    「全員、戦闘配置に付きました」
    「……そうか」
     工場の上層、溶鉱炉を迂回するために張られた空中通路で、「工員」たちを使って守りを固めていたアバントのところに、それぞれ緑と黒、青と黒、橙と黒のストライプになったピエロ服を着た子供たちが三人、やって来た。
    「それでジャガー、何人やって来た? ホコウとファスタ卿、それからタイカってのは、その中にいるのか?」
     問われた緑黒のピエロは、憮然とした顔で答えた。
    「大火『様』、でございます。主様の尊敬を無碍にされぬこと、くれぐれもお願い申し上げます。
     ええ、ええ、来ていらっしゃいます。その他に有象無象の方々が、4名」
    「全部で7名か。どんな奴らだ?」
     今度は青黒のピエロが答える。
    「猫獣人の女と虎獣人の男、軍人風の方が1名ずつ。短耳の女、瀟洒な身なりの方が1名。後は狼獣人の女、お転婆そうな方が1名。
     猫獣人と短耳は、魔術を使うようです」
    「そうか。そいつらも、強そうなのか?」
    「あえて数値化するならば――この近辺を巡回する兵士の強さの度合いを10前後とした場合ですが――ニコル卿は40~70程度、ファスタ卿は1~2、猫獣人は80~150、虎獣人は90~130、短耳は8~11、狼獣人は60~100。
     そして大火様は13000~15000程度と思われます」
    「タイカ、……様だけ桁が違うな。そこまで強いのか?」
    「ええ、非常に。ちなみに、ご参考までに申し上げますと、わたくしマスタングが250程度。そちらのクーガーは280。それからこちらのジャガーは、320程度にチューニングされております」
    「……ちょっと待て」
     数値を聞いたアバントは、顔を青ざめさせる。
    「1万対、200や300じゃ、どうあがいても勝ち目がない! どうやって俺が、そのタイカ様を倒すって言うんだ!? まさか俺の強さが、100万あるわけじゃないだろ!?」
    「ええ。アバント様は――主様から貸与された魔力がなければ――20~40程度でございます」
    「……ホコウより弱いのか、俺は。……い、いや、それより。
     そこまで桁違いに強い奴を、どうやって殺せって言うんだ!? 数値のデカさが、まるで蟻と象だ! 無理だろ、どう考えても!?」
    「いえいえ、アバント様。大火様にはある、致命的な欠点がございます」
     わめくアバントに、橙黒のピエロ、クーガーが答えた。
    「彼は『自分は何よりも強い、絶対的な存在である』と自負していらっしゃいます故」
    「……?」
    火紅狐・昔讐記 2
    »»  2011.10.21.
    フォコの話、321話目。
    空気清浄講習。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     工場入口のすぐ側、工員用の食堂に入ったところで、どこか膠(にかわ)やニスに似た臭いがフォコたちを出迎えた。
    「うえ……っ」
    「何よ、この臭い?」
     普段から仏頂面の大火も流石に顔をしかめながら、その答えを告げる。
    「ミスリル化珪素の精製過程に発生する、アルデヒド系の臭いだな。
     長時間、大量に吸引しない限り無害ではある。だが、精製設備の無いこの区域でこの濃度であれば、恐らく施設内は、さらに濃い状態にあるだろう。健康に差し支えのある可能性は十分高いだろう、な」
     大火はぼそ、と何かを唱える。
    「あまり得意としない術ではあるが――『フィールドウォッシュ』」
     途端に周囲の空気が、焦げた樹脂のような臭いから、滝の近くのように清涼なものへと変化した。
    「これは一体……?」
    「浄化術、と言うものだ。詳しい説明は省くが、人間にとって『負(マイナス)』に作用する場や物質を、『正(プラス)』に転換する働きがある。
     端的には、毒気のある空気を心地良いものに変える、などの効果を生ずる」
    「なるほど、それでこのような澄んだ空気が……。
     大変興味を惹かれました。良ければご教授願いたいのですが」
     そう願い出たマフスに、大火は一瞬顔をしかめる。
    「断る。そう得意ではない……、いや」
     が、少し間を置いて撤回した。
    「この場所では、少なからず必要になる、か。いいだろう、不十分な要素はあるが一応、教えておこう。
     イール、フォコ。お前たちも覚えておいたほうがいい。まとめて教授してやる」
    「どうもです」
    「ありがと」

     フォコたち3人が大火から術を学んでいる間に、ランドたち兄妹とレブは壁に貼られた工場見取り図を確認していた。
    「基本的には4階建て。だけど2階と3階の大部分は空洞、か。1階の真ん中に溶鉱炉があるみたいだし、排気のために吹き抜けにしてあるのかな」
    「多分そうだよ。こんだけでっかい設備だと熱、めっちゃめちゃ籠りそうだもん。……あー、ヤな思い出がよみがえるぅ」
    「ヤな思い出って?」
    「小っちゃかった頃、ウチにあった高炉で迷子になって、干からびかけたコトがあってさー……。そん時はもう、母さんに滅茶苦茶怒られたよ」
    「ああ、聞いたことがあるな。まあ、小っちゃい頃のことだし、今なら笑い話だよ」
     ランドはなぐさめのつもりでそう言ったが、ランニャはぺたりと狼耳を伏せ、頭を抱えてしまった。
    「そうなんだよなぁ……、確かに笑い話なんだ。母さんお得意の『三大笑い噺』にされてるんだもん。酔っぱらうといっつも、その話するんだよなぁ」
    「ちなみに他の2つは何なんだ?」
    「従兄弟のガルフが結婚式で酔い潰れて、酒樽に頭突っ込んだ話と、兄ちゃんが小っちゃい頃、どっかに落としたメガネを探してる最中に、柱に頭ぶつけた話」
    「……とんだ藪蛇だよ」
     顔を赤くするランドを見て、レブは思わず噴き出した。



     アバントは空中通路から、眼下の溶鉱炉や生産ラインを眺めていた。
    (正直に言って、……気味が悪い)
     ゴーレム製造にあたって改造された溶鉱炉からは、気持ちの悪い臭いがもくもくと立ち上り、鈍色の、高温のために薄ぼんやりと光る液体をドロドロと攪拌(かくはん)している。
     それが鋳型に流し込まれ、外から取り込んだ水と空気とで急速に冷やされ、鈍色の、半透明なビレット(加工のため棒状に固められた素材)になって、コンベアの上をゴロゴロと転がっていく。
     その先には裁断機が待ち構えており、ビレットはそこで細切れにされた後、また熱加工と鋳型とで、人型へと形成されていく。
     形成されたその鈍色の塊は紫色の、魔力を帯びた光を数回、パシャパシャと断続的に当てられ、それにより自分から、のろのろと動き始める。
     そのうちに表面の鈍色は人に似た肌色に変わり、工員用に用意された作業服を身に着け、余った在庫の中から武器を取り出して、どこかへと去っていく。
    (ゴーレム、……とか言っていたが、最終工程の時点ではほとんど、人間とそっくりだ。それがわらわらと湧き、ひとりでに服を着て、武器を手に外へ……。
     駄目だ、考えると吐きそうになる)
     アバントは見下ろすのをやめ、新鮮な空気を吸おうと通気口へ向かった。
    (ここにいれば下からの強襲は防げるのは確かだが、……この濁った、焼けた空気が延々と上がってくるのが敵わん! マジで吐きそうだ……)
    火紅狐・昔讐記 3
    »»  2011.10.22.
    フォコの話、322話目。
    ゴーレム部隊との衝突。

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    4.
     大火からの講習を終え、フォコとイール、マフスは浄化術を習得した。
    「え、と……、『ホワイトブリーズ』」
     マフスが魔杖を振った途端、周りの焼け濁った空気が、清浄なものへと変わる。
    「できました!」
    「上出来だ。お前には浄化術の素質があるらしい」
    「光栄です」
     大火にほめられ、マフスは嬉しそうに笑う。
     反面、フォコもイールも、憮然とした顔をしている。
    「どないです?」
    「あんまり……、変わんないかも。もっかい、……『ホワイトブリーズ』!」
     イールは魔杖代わりの鞭を何度か振ってみるが、マフスのようにガラリと空気が変わるまでには至らず、ふわっとした風が立つ程度だった。
     フォコの方はそれより悪く、何の変化も見受けられない。
    「間違うてませんよね、術式とか呪文の構文とか」
    「俺が聞く限り、おかしな部分はない。単純に素質の問題だろう。浄化術や治療術などは、極端に使い手を選ぶから、な」
    「そら残念ですな。……となると、実質使えるのんは、マフスさんとタイカさんだけですな」
    「行動がかなり制限されるね、そうなると」
     地図を写し終えたランドが、話の輪に加わる。
    「万が一、毒ガスの濃度の高い施設内で分断された場合、タイカやマフス殿下とはぐれてしまうと、生命維持に関わってくる。極力、固まって行動した方がいい」
    「賛成ですな。何より、ゴーレムは大量製造が可能なんでしたな、タイカさん」
    「ああ。この工場の規模であれば、設備を改造して1時間当たり30~40体は製造可能だろう」
    「人目がありますし、改造を終えて製造し始めたんは恐らく、今日からでしょう。
     昼から製造を始めたとして、今はもう夜の8時。200体以上はいると見て、間違いないでしょうな」
    「恐らく、な。対するこちら側は、ゴーレム破壊に有効な、雷の術が使える者は2名。同様に浄化術が使えるのも、2名。
     奴らに強襲され、分断された場合、このガスと敵の多さは非常に危険だ。くれぐれも、離れるなよ」
    「ええ」
     そこでランドが手を挙げ、地図の写しを皆に見せる。
    「4階に総裁室がある。施設内をうろうろして、こんなガスを自分から吸ってちゃ世話無いし、恐らくここに籠っているだろう」
    「食堂からやと……、あの階段を上がっていけば、すぐですな」

     階段を上がったところで、猛烈な毒気がフォコたち一行にまとわりついてくる。
    「うえ……っ」
    「あっ、あっ……、『フィールドウォッシュ』!」
     マフスが慌てて浄化術を唱え、周囲の空気が浄化された。
    「ふむ……。効果範囲は大体、半径10メートルと言うところか。手早く回らないとまずい、な」
    「わたしの力が足りなかったのでしょうか……」
     しゅんとするマフスに、大火は小さく首を振る。
    「いや、俺が唱えたものと相違は無い。ガスがあまりにも濃すぎるのだ」
     と、レブが通路の先に、うごめくものを発見する。
    「っと、来やがったぞ!」
     その声に、全員が武器を構え、警戒する。
     次の瞬間、通路の奥からぺたぺたと音を立てて、「工員」たちが駆け寄ってきた。
    「グウオオオオ!」「ガアアアアウウ!」
     「工員」たちは獣のような咆哮を上げながら、フォコたちとの距離を詰めていく。
    「真っ正面から考え無しに突撃、……ホントに能無しなのね。……『スパークウィップ』!」
     イールが雷の術を放ち、迎撃する。
     それをまともに受けた「工員」たちは、その場で四散した。
    「よっし! 一丁あがりっ!」「まだだ!」
     反対側からも、「工員」たちが武器を手に走ってくる。
    「今度は僕が! 『ファイアランス』!」
     後方からの敵には、フォコが応戦する。
     発射された炎の槍に、「工員」たちは縦に並んで4体、一直線に貫かれる。
    「グボッ!?」「ゴボボボ……」
     「工員」たちは一瞬で燃え上がり、液状になって溶けていく。
    「火の術にも弱いみたいですな」
    「ああ。極端なエネルギーの上昇・加圧に、非常に弱い」
    「ま、また来たよ!?」
     今度は前後両方から、「工員」たちが押し寄せてくる。
    「前は俺に任せろ」
     大火が刀を抜き、「工員」たちの前に立ちはだかる。
    「『五月雨』ッ!」
     ぱぱぱ……、と空気を切り裂く音が立て続けに響き渡り、「工員」たちを一人残らず細切れにする。
    「ほな、後ろは僕たちで!」「行くわよッ!」
     後方から迫りくる「工員」たちに、フォコとイールは魔術を連射する。
    「『ブレイズウォール』!」「『スパークウィップ』!」
     火の術と雷の術の波状攻撃に、大量に湧いて出た「工員」たちは、あっと言う間に消滅した。
     一行はそのまま警戒態勢を続けるが、新手が来る気配は無かった。
    「……もう、来ないみたいね」
    「ふう……」
     思わず、誰ともなくため息が漏れてくる。
     マフスのおかげで、吸い込んだ空気は心地の良いものだった。
    火紅狐・昔讐記 4
    »»  2011.10.23.
    フォコの話、323話目。
    分断される一行。

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    5.
     一行は廊下を進み、3階へとつながる階段を探していた。
    「なんで階段が続いてないのかしらね。進みにくいったら無いわ」
     頬を膨らませるイールに、ランニャが説明する。
    「多分増設の時、パイプとかダクトとかを通す関係で、階段を連結できなかったんだよ。
     こーゆー乱暴な建物見るとさ、いっつも思うんだよな。もーちょっとくらい計画的に改築しろよ、って」
    「まったく同感やな。もし火事とか起きたら、ささっと外に出られへんやんなぁ」
    「危ないにもホドがあるってもんだよ」
     工場の構造にケチを付け合う二人のやり取りに、イールはクスっと笑う。
    「仲いいわねぇ、あんたたち」
    「え? そ、そうかな、えへへ」
     ランニャは顔を真っ赤にし、嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振る。一方、フォコは複雑な気持ちになった。
    「……まあ、ええ方ですな」
     ぷいと顔を背けるフォコに、ランニャは一転、寂しそうな顔になる。
    「え、何? どうかした……?」
    「別に」
     フォコの態度に、イールはカチンと来る。
    「ちょっとホコウ、つれないじゃないの」
    「何がやねんな」
    「女の子が折角慕ってくれてるってのに、邪険にするコトないでしょ、って言ってんのよ」
    「そんなつもりはありまへん。それよりも、今は大事な仕事中です。真面目にやって下さい」
    「……はーいはい」
     イールとランニャは、揃って口を尖らせた。

     その会話を一歩離れて聞いていたマフスは、「はあ……」とため息を漏らした。
    「どうした?」
     と、それを聞いたレブが、心配そうにマフスを見つめる。
    「いえ、何でもありません」
    「そっか。まあ、疲れてきてるとは思うが、休憩できそうな場所が無いからな。もうちょい、辛抱してくれ」
    「ええ。……あの、レブさん」
    「ん?」
     マフスは肩を怒らせて歩くフォコを眺めながら、恐る恐る尋ねる。
    「ホコウさんとは、長いお付き合いをされているんですよね?」
    「ああ、まあな。初めて会ったのが308年だから……、もう5年か」
    「昔から、あのように……、その、女の方に冷たい態度を? 南海でもあのような素振りを、何度かお見かけしたのですが」
    「……そう言うんじゃないな、あれは。きっと相手がランニャちゃんだからだよ」
    「え?」
    「それともう一つ。あいつにはランニャちゃんとは別に、10年近く想ってる人がいるからな。その板挟みなんだろ」
     レブの話の本意が分からず、マフスは首をかしげるしかない。
    「板挟み……? それは、どう言う……?」
    「……まあ、女の子に冷たいかそうじゃないか、って話については、マフス殿下。あんたにはそんな態度は、きっと執らないだろうよ」
    「はあ……」



     どうにか3階に上がる階段を見つけ、一行はそのまま上がろうとした。
    「やれやれ、参るわねホント。何回ゴーレムを吹っ飛ばしたか」
    「これでようやく半分か。思ったより難航してるなぁ」
     そうこぼし、ランドが階段に一歩、足をかける。
     と――次の瞬間、足元の床が突然、崩れ落ちた。
    「な……!?」
     ランドはとっさに階段を駆け上がり、下には落ちずに済む。最後尾にいた大火もバックステップで崩落をかわし、難を逃れる。
     しかし残りの5人は、そのまま下へと落ちてしまった。
    「……参ったな。下に助けに行かなきゃ」
    「いや、それは得策とは言えん」
     大火はぼそ、と土の術を唱え、抜けた床の上に、板状の岩を形成する。
    「既にここに侵入し、30分以上が経っている。これ以上長居すれば、ガスによる中毒症状で、行動不能に陥る奴も出てくるだろう。
     それよりも速やかに元凶を倒し、ガスの発生を止めた方がいい」
    「そう言う考え方もあるな……。よし、君がいることだし、このまま進もう。
     一応、下に声をかけてみるよ」
     ランドは床の隙間から、下を覗き見た。

    「いってぇ……」
    「あいたたた……」
     1階、倉庫。
     3階に上がる階段を直前にして、フォコ、ランニャ、レブ、イール、マフスの5人は、ここへと落とされてしまった。
    「だ、大丈夫か、みんな? ランニャは?」
    「ケガとかはないけど、早めにどいてくれないかな。袋ん中の粉が、かなり煙たい」
    「あ、……ごめん」
     フォコは慌てて立ち上がり、自分の下敷きになってしまったランニャに手を差し伸べ、布袋の中から助け起こす。
    「ほい、っと」
     身軽な猫獣人であるイールは、ひらりと木箱から飛び降りる。
    「だ、大丈夫、か?」
    「え、ええ」
     レブ自体は普通に、床へと着地したものの、直後に降ってきたマフスをとっさに抱きかかえたため、両手足がプルプルと震えている。
    「……遠っ」
     ランニャが天井に空いた穴を見上げ、ため息をつく。
    「倉庫やからなぁ。地下1階分くらい、掘り下げてあるんやな」
    「コレじゃ、登るのは無理ね。……また同じルート、通らないといけないのね」
     と、その穴から声が聞こえてくる。
    「みんな、無事かい!?」
    「あ、ランドだ。こっちは無事よ!」
     ランドの呼びかけに、イールが手を振って応える。
    「良かった! 流石に下までは遠すぎるから、僕とタイカは先に行くよ! 君たちも早めに来てくれ!」
    「分かった! すぐ追いかけるわ! 先行ってて!」
     それに応じたらしく、ランドの姿は穴から見えなくなった。
    「急ぎましょ、みんな。毒ガスのコトもあるし、のんびりもしてらんないわ」
    「だな。……殿下、もう降りてもらっていいか?」
     レブに抱きかかえられたままだったマフスは、そこで我に返った。
    「……あっ、す、すみません!」
     マフスは慌てて、レブの懐から離れようとした。
    火紅狐・昔讐記 5
    »»  2011.10.24.
    フォコの話、324話目。
    北方紳士の矜持。

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    6.
     だが突然、レブはまた、マフスを抱きしめてきた。
    「えっ、あの、な、何を?」
     レブはそれに答える代わりに、ばっと後ろへ跳ぶ。
     最初に工場の門を潜ろうとした時と同様、そこへ槍が飛んできた。
    「……チッ、ここまで追ってくるかよ!」
     レブはマフスを抱えたまま、槍が飛んできた方向に目をやる。
    「クスクスクスクス」
     積み上げられた木箱の上に、青と黒のストライプのピエロ服を着た子供が立っていた。
    「誰だ、お前は!?」
    「わたくしの名前は、マスタング。アバント・スパス様を支援している者でございます」
    「お前がゴーレムを……!?」
     そう問いかけたフォコに、マスタングはチラ、とだけ目をやり、すぐまたレブの方を向いた。
    「わたくしの役目は、こうして『アリジゴク』にかかった蟻たちを抹殺すること。
     さあ、頭を垂れて膝まづきなさい、哀れな子羊たちよ!」
     そう叫び、マスタングは飛び降りる。
    「蟻だの子羊だの、一々うっとおしい物言いしやがって……!」
     レブはひょい、と体勢を落とし、マフスを一瞬宙へと浮かす。
    「ぁゎわわ……」
     マフスの体の下を潜り、レブはそのまま彼女を背負う。
    「しっかり捕まってろよ、殿下」
    「あ、ああ、はいっ!」
     マフスがぎゅっとしがみついたところで、レブは腰に佩いていた直剣を抜き払った。
    「やってみろよ、クソガキ!」
    「あまりわたくしを、見た目で判断されない方が賢明かと」
     マスタングは――その少女じみた顔に似つかわしくない、汚泥を見るかのような目つきで――ニタニタと笑いながら、槍を手に取った。
    「えい」
     身長の2倍はあろうかと言う長さの槍を、マスタングは片手で、事もなげに抜く。
    「……なるほど、確かに強そうだな」
    「ご忠告しておきますと」
     マスタングは槍を構え、慇懃な口調でこう諭した。
    「その『お荷物』を背負われたままでは、到底わたくしの槍を受けることなどできませんよ」
    「ご忠告、どうも」
     レブはマフスを背負ったまま、マスタングに向かって剣を構えた。
    「だがこんな敵地のど真ん中、か弱いお姫様を一人ぼっちにゃできないぜ。
     俺はこれでも北方紳士だ。女子供は身を賭してでも守らなきゃ、名折れってもんだ」
    「クスクスクスクス」
     マスタングは口をパカリと開け、気味の悪い笑いを漏らした。

     と――。
    「『サンダースピア』!」
     マスタングの背後に回っていたイールが、雷の槍を発射した。
    「あ……」
     くる、と振り向いたところで、マスタングの腹に、深々と槍が突き刺さる。
    「敵が真ん前にいるのに、チラ見で済ませてんじゃないわよ!」
    「あ、ふ……、ゆ、油断、いたしました」
     マスタングはがくりと膝を着くが、口調に変化はない。
    「なるほど、あなたは、雷の術を、お使いに、なるのですね」
    「それが何よ!? ……って、アンタ、生きてるの?」
    「わたくし、このくらいでは、壊れたりなど、いたしません」
     マスタングはゆらりと立ち上がり、槍を構える。
    「ご忠告いたします。もう一度、同じ術を撃っておいた方が賢明でございますよ」
    「そうか」
     ぎち、とマスタングの首から音が響く。
    「じゃあ俺からも、ご忠告。後ろにも気を付けるべきだな」
    「あなた方は、不意打ち、ばかりなさる」
    「敵を目の前にして、とぼけたことばっかり言いやがって」
     レブの剣が、マスタングの首の3分の1のところで止まる。
    「硬てぇな……!」
    「わたくし、少しばかり、骨が、鋼で、できて、いるもので」
     口ぶりこそ平然としたものだが、実際のところ、ダメージは蓄積されているらしい。
     見下していたような目が、忙しなくギョロギョロと動いており、また、斬り付けられた首の右側面につながる右腕が、だらんとしたまま動かなくなっている。
    「イール」
    「ええ」
     レブが剣を首から離すと同時に、イールがもう一度雷の術を放つ。
    「う、あああ、……あアアうアあウあアっ!」
     今度はしっかり効いたらしい――首から上がパンと弾け、あの鈍色に照り光る小石となって飛び散った。
    「……これも、ゴーレムね。でも、性能は今までのと比べ物にならないくらい」
    「二人がかりで、目一杯剣と術を叩き付けて、ようやく首だけか……。チッ、刃こぼれしてやがる」
     レブは忌々しげに刃を拭い、鞘に納める。
     と、背負われたままだったマフスが、ここで恐る恐る声をかけてきた。
    「あの、レブさん。もう、大丈夫です……」
    「あ、そうだった。……よ、っと」
     レブはしゃがみ込み、マフスを下ろしてやる。
    「ありがとうございます、レブさん。……あ、あの」
    「ん?」
    「……ありがとうございます」
    「おう」
     頬を真っ赤に染めるマフスを遠目に眺めていたイールは、ほんの少しニヤニヤと笑った。
    (あらあらぁ……?)
    火紅狐・昔讐記 6
    »»  2011.10.25.
    フォコの話、325話目。
    大火の弱点。

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    7.
     倉庫を抜け出したところで、フォコたちは溶鉱炉の前に出た。
    「う、わ……」
    「こりゃ、きつい、ってか、ヤバっ」
     溶鉱炉周辺は、視界がかすむほどの毒ガスが充満していた。
    「も、戻って戻って! マフスさん、お願いします!」
     慌てて引き返し、マフスに浄化術を発動してもらってからもう一度、溶鉱炉へと向かう。
    「……ぶはあっ! し、死ぬかと思った」
    「こ、コレはたまんないわね」
     大火が急激なエネルギーの上昇、即ち加熱にも弱いと言っていた通り、溶鉱炉の周辺に「工員」の姿は無い。
    「居てへんで良かった。こんなところで戦闘しとったら、敵にやられる前に死んでまうわ……」
    「ホントだよ。……あれ?」
     と、上を向いたランニャが、天井近くに張られた通路に、何らかの影を見つける。
    「ねえフォコくん、アレって」
    「ん……?」
     ランニャが指し示した方を見てみると、フォコにも確かに、影のようなものが確認できた。

     その、空中通路。
    「あらあらあらあら」
     唐突に、ジャガーが口を開く。
    「な、なんだ? どうした?」
    「マスタングが潰されました」
    「何だと!?」
    「まあ、しかし。潰される直前、わたくしとクーガーの方へ、敵の情報を送ってくれました。これで二の轍を踏むことはまず、ございません。
     とは言え情報によれば、克大火様以外にもわたくし共の弱点とする、雷の術を使う人間がいるとのこと。であれば予想以上に早く、ゴーレムたちの防衛網は突破されてしまうでしょう」
    「ど、どうするんだ!?」
     狼狽するアバントに対し、ジャガーはニコニコと笑っている。
    「迎撃いたします。クーガー、お願いいたします」
    「承知いたしました、ジャガー」
     ジャガーとクーガーは互いにぺこりと頭を下げ、クーガーはその場を離れた。
    「……もうお前らのうち、一人が消えたのか。200だの300だのと言っていたのに」
    「最初から、マスタングは情報収集および解析のための要員でございました故。いわゆる『当て馬』でございます」
    「お前ら……。仲間を捨て駒にするとは」
    「クスクスクスクス」
     アバントの言葉に、ジャガーは気味の悪い笑いを浮かべる。
    「あなた様も、同じではないですか。雇い主を拉致し、かつての同僚も手にかけ……」「やめろッ!」
     アバントは思わず、ジャガーの頬を引っぱたいていた。
    「何をなさいますか」
    「お、俺の前で、あいつの話は、するな……ッ!」
    「あいつとは、クリオ・ジョーヌ氏のことでございましょうか。それとも、ティナ・サフラン氏の……」「やめろと言ったのが聞こえなかったのか!?」
     アバントはブルブルと震え、通路の手すりにしがみついた。
    「俺は、俺は……っ!」
     と、そこでジャガーが、突然天井へと跳んだ。
    「え……?」
     アバントは突然消えたジャガーを見つけようと、辺りをきょろきょろと見回す。
     と、視界の端――空中通路の、総裁室へつながる地点から、二人の男が近付いてくるのを捉えた。

    「……っ」
    「アバント・スパスさんですね? 私はランド・ファスタです。
     あなたから受け取った手紙に従い、こうしてこちらまで伺いましたが、工場内に入ってからの対応を見るに、あなたはどうやら、姉弟の引き渡しや、交渉をするつもりは無いようですね。
     ご同行を願います。抵抗される場合、実力行使もやむなしと考えています」
     そうランドが告げたところで、大火がずい、と前に出て刀を向けた。
    「そう言うわけだ。大人しく投降しろ」
     だが――アバントはそれに従わず、真っ白な「ティナ」から預かったあの剣、「バニッシャー」を構えた。
    「こっ、断る! それ以上近付くな! 近付いたら斬るぞ!」
     しかし、大火はそれに耳を貸さない。
    「ランド。生きていれば構わんな?」
    「ああ。口が利ける程度であれば、多少は傷を負わせていい」
    「分かった」



     百戦錬磨、古今無双の猛者である大火は、剣を構えてはいても、ブルブルと震えるアバントを、まったく敵などとは見ていなかった。
     大火にとってそれは、縁日での射的や酒場でのダーツ遊びの如く、何ら危険要素の無い、他愛も無い遊び同然の戦闘だったのだろう。

     だからこそ大火は、一直線にアバントの間合いまで踏み込み、何の疑いもなしに、袈裟斬りにアバントの肩を狙ったのだ。

     だからこそ、アバントが「バニッシャー」を振り上げても、大火はまるで警戒しなかった。
     自慢の神器「黒花刀 夜桜」を以てすれば、剣ごとアバントを叩き斬るのは容易だと考え、そのまま振り下ろしてしまった。



     その後の流れは、だからこそ、必然と言えた。
    「え?」
     その言葉は、いつも仏頂面で平然としている大火には、似つかわしくない疑問符だった。
    「ばかな」
     大火の右側面を、「バニッシャー」によって断ち切られた「夜桜」の破片が、くるくると回って飛んでいく。
     チン、と高い音を立てて、破片は通路の淵で一度跳ね、そのまま下へと落ちていく。
    「う、ぐ……っ」
     一瞬の間を置いて、通路には続いて、大量の血が飛び散った。
    「は、ははは、はは……、や、やった、やったぞ!」
     アバントはずるりと、大火の脇腹から「バニッシャー」を引き抜いた。
    火紅狐・昔讐記 7
    »»  2011.10.26.
    フォコの話、326話目。
    業火に焼かれた黒い悪魔。

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    8.
    「ば、かな、……何故、『夜桜』が」
     大火は口から、おびただしい量の血を吐いた。
     その血をボタボタと浴びながら、アバントは勝ち誇った。
    「し、知ったことか! この剣の方が、お前の得物より優れてたんだろ!?」
    「ありえん……! この、『夜桜』は、俺のむす、……っ!?」
     大火の背後、右肩甲骨下から鳩尾辺りにかけて、槍が突き立てられる。
    「物事に『絶対』など無いのですよ、克大火様」
    「おま、え、はっ……!」
     大火は振り向こうとしたが、そこで力尽きたらしい。
     突き立てられた槍と、右手に握っていた「夜桜」の残骸と共に、大火は通路から転落した。



     2階から3階へ上がったところで、フォコたちは妙な音を聞いた。
    「……今なんか、ドボンって音しなかった? 水ん中に人が飛び込んだよーな」
    「したような」
     3階に上がり、一行は下の溶鉱炉を見下ろした。
    「……?」
    「波立っている、……のはさっきと同じみたいですけれど」
    「あっ!? みんな、アレ!」
     ランニャが指差し、皆は「夜桜」の柄部分を、沈む直前のほんの一瞬だが、確認することができた。
    「あれって、タイカさんの……、ですよね?」
    「その、はず」
     一行は顔を見合わせ、何が起こったかを推察した。
    「まさかタイカさんが……!?」
    「なワケないじゃない! あんだけ強いのよ!?」
    「でも今見たのは、確かにあの刀のだよ!? よっぽどのコトが無くちゃ、愛刀を落とすなんてありえないじゃないか!」
    「……先を急ぎましょう!」
     フォコは身を翻し、4階へと急ごうとした。だが――。
    「クスクスクスクス」
    「……!」
     通路の奥から、橙と黒のストライプ柄のピエロがやって来るのが見えた。
    「新手か……!」
    「その通りでございます。わたくしの名は、クーガー。
     皆様、残念ですが。ここで追走劇はおしまいでございます」
     クーガーは両手に剣を持ち、襲いかかってきた。



     目の前で起こった光景に、ランドは呆然とするしかなかった。
    「……そんな、……ありえない……!」
    「何寝ぼけてやがる、ファスタの御大さんよぉ!?」
     大火と対峙していた時とは一転、アバントは居丈高に振る舞ってくる。
    「あのタイカ様とやらは、俺がブッ殺してやったぜ!? 次はお前の番だ!」
    「……っ」
     ランドは退却しようと、足を一歩後ろに引こうとする。ところが、いつの間にかジャガーが背後に回り込み、がっしりと腰をつかんでくる。
    「どこへ行かれるのです、ファスタ卿。目の前に、拿捕しなければならぬ敵がいらっしゃるではないですか」
    「はっ、離せっ!」
     ランドはもがき、振り払おうとするが、自分より二回りも小さなこのピエロは、まるで地面に深く突き刺さった岩のように、ビクともしない。
    「アバント様。ついでと言ってはなんですが、彼もお願いいたします」
    「おう」
     アバントは剣に付いた大火の血を拭い、構え直す。
    「お前らがアレコレと追い回してくれたせいでよ、サザリーの奴は死んじまったぜ? そしてこの俺も、ヒィヒィ言わなきゃならない生活を送る羽目になったんだ。
     命の一つくらいもらっとかねえと、割に合わねえよなぁ?」
    「エール氏が死んだ!? じゃ、じゃあ清姉弟は……」「知るか、タコ! どうせ一緒に野垂れ死にしてるさ。
     お前はタイカの御大と一緒に、あの世でそいつらの行方を追えばいい」
    「や、やめろ……!」
     ランドは必死にもがき、アバントとジャガーから逃れようとした。

     と、その時だった。
    「うわ、……っと!?」
     突然、ジャガーの戒めが外れ、ランドはごろんと転がる。
    「おい、ジャガー!? なに手を放して、……!?」
     アバントは怒鳴りかけたが、事態を把握した途端、凍りついた。
    「あれ。わたくしの手は、どちらに」
     いつの間にかジャガーの右腕が、ばっさりと断たれていたのだ。
    「こ、ここ、だ」
     びちゃ、びちゃっと音を立てながら、大火の声が聞こえてくる。
    「生きていらっしゃいましたか」
    「さ、さす、流石に……、ま、魔力、は、か、空、に、な、なった、が、……な」
     ランドが声をのした方を向くと、そこには鈍色の液体を滴らせながら、ガクガクと痙攣(けいれん)する大火の姿があった。
    「タイカ!」
    「し、しっ、失敬、した。こ、このっ……、俺、が、ふ、ふかっ、不覚、をっ、と、取ろ、ろう、と……、と、とは」
     そう言うと、大火はガクリと崩れ落ちた。
     その手には金と紫とに光る手帳らしきものと、ジャガーのものらしい右腕が握られている。
    「なるほど、『黄金の目録』でご自身の魔力をブーストし、溶鉱炉内で受けたダメージを多少は軽減することができた、と言うところでございましょうか。
     ですが、それで精一杯のご様子。到底、戦闘のできる状態にはございますまい」
     ジャガーの言う通り、大火の痙攣はまったく収まる様子を見せない。肩が大きく上下し、顔を挙げようともしない。
     どう見ても、致命傷を受けたのは明らかだった。
    「……ま、まったく、驚かせやがる。どっちにしろ、死にかけじゃないか! 俺の相手なんぞ、できそうに無いな、え、おい!?」
     アバントは再び居丈高になり、剣を構え直して大火に近付いた。
    火紅狐・昔讐記 8
    »»  2011.10.27.
    フォコの話、327話目。
    物理学実験対決。

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    9.
    「しぇあッ! りゃあッ! せやあッ!」
     二刀流で攻め立てるクーガーの前に、フォコたちは苦戦していた。
    「くそ、速えぇ……!」
     レブやランニャが攻撃しようとしても、恐ろしく動きが速く、捉えきれない。何とかすれ違いざまに斬り付けても、ガリガリと金属音が鳴るばかりで、一向に致命傷に至らない。それどころか――。
    「あ、ああっ!?」
    「どうした!?」
    「剣、折れた……」
    「マジかよ……」
     マスタング同様、クーガーも体内に鋼芯を埋め込まれているらしく、斬り付けた剣の方が痛むと言う有様だった。
     一方、マスタングには有効だった雷の術も――。
    「ああっ、もう! 何でまっすぐ行かないのよ!?」
     どうやらフォコたちが3階へ上がる前に、何らかの細工がされていたらしい。電撃は一向にクーガーへ向かうことなく、ぐねぐねと軌道を曲げ、壁や床に落ちていく。
    「ほんなら、僕がッ! 『ファイアランス』!」
     フォコの放った炎の槍も、クーガーはひらりとかわしていく。
    「あなた方の攻撃手段はすべて、解析済みでございます。
     物理攻撃は元より、関節部分以外には対して効き目はございませんし、そこを狙った攻撃のみかわせば、問題は無し。
     雷の術に関しては、電気の性質を利用すれば回避は容易なこと。周辺に磁性体を撒いておきました故、わたくしに当てることは非常に困難。
     火の術もまた然り。高エネルギーで指向性の強い術は、極めて直線的な軌道になる。目と手、体の動きを観察すれば、どこへ発射されるかは明確。また『ブレイズウォール』など、一定の範囲に渡って火を撒く術に関しても、この接近戦で使用すれば、自身にダメージを受けることは明白、よって使うことはありえない。
     さあ、他にわたくしを倒す手立てはございますか」
     クーガーの言う通り、フォコたちの得意とする攻撃手段はすべて、封じられてしまっている。
     打つ手が無くなり、フォコたちは立ちすくむしかなかった。
    「それではお覚悟のほど、よろしくお願いいたします」
     クーガーは両手に握った剣を掲げ、威圧の姿勢を執った。

     と――どこからか、声が飛んできた。
    「『レイブンストーム』!」
     次の瞬間、クーガーの左側面から大量の、黒い何かが飛んでくる。
    「わ、わ、わ、わわわわ」
     大火の「五月雨」以上の猛烈な連射に、クーガーの体勢は崩れ、その場から吹き飛ぶ。
    「大層な講釈、ご苦労さん。お返しに私も、いっちょ授業をしてあげようかね」
     掃射された方角から、いかにも魔法使い然とした風体の、赤毛の長耳が現れた。
    「も、モールさん!」
    「待たせたね。ま、話は後だ。そこのピエロちゃんを、ちゃっちゃとやっつけたげるね」
    「あなたが、モール・リッチ、でございますか」
     弾き飛ばされたクーガーが、横になったままそう尋ねる。
     だがモールは答える代わりに、「授業」を開始した。
    「まず一個目」
     モールは魔杖「ナインテール」をクーガーに向けながら、距離を詰めていく。
    「薄い金属板や液化した金属を、強力な衝撃波とか遠心力とかで弾き飛ばすと、面白いコトになる。丁度、今のキミみたいにね」
    「これ、でしょうか」
     クーガーは自分の体に張り付いた、薄い金属板をはがそうとする。
     だが板は幾重にも折り重なり、関節を曲げることを阻害しているため、はがせるほどの力を発生させるに至らない。
     それどころか立ち上がることすらできず、浜辺に打ち上げられた海老のように、ピクピクとしか動けないでいる。
    「今回用いたのは、土の術で周囲から精製した軟鉄。そう、キミが撒いたって言う磁性体だね。ソレを、キミにこれでもかって貼り付けてやった。遠目に見ると鴉の大群に見えたろ? だから『レイブン(鴉)』って名付けたんだけども、ま、ソコはどーでもいーから飛ばすね。
     やらかい金属を硬いモノに超スピードでぶつけると、そんな風にぺっちゃりと貼り付いて硬化するのさ。もっとも、ふつーの人間や何かにこんなもん浴びせたら、固まる前にミンチになっちゃうし、むしろこの術の本来の使い方はそっちなんだけどね」
     ニヤニヤとフォコたちに笑いかけながら、モールはさらにクーガーとの距離を詰める。
    「二個目。下の溶鉱炉を見ても分かるように、キミたちゴーレムの体は可燃性の、ミスリル化珪素で形成されてる。
     珪素(シリコン)、つまり不導体だけども、コレ自体はあるエネルギー波の影響を受けない。でも今のキミみたいに大量の導体、即ち軟鉄に囲まれてる状態で『ソレ』を浴びたら、どーなるかなー?」
    「導体に干渉する、あるエネルギー波、……え、……ああああ」
     クーガーの目にはじめて、恐怖の色が浮かぶ。
    「答えはマイクロ波。……『ジャガーノート』!」
     モールが呪文を唱えた瞬間、クーガーの体全体に、ビチビチっと気味の悪い音を立てて火花が走り、瞬時に燃え上がった。
    「くぎゅううううううええええええ」
     軟鉄の板に包まれたクーガーの体のあちこちから、ほとんど真っ白に近い炎が噴き上がる。10秒と経たず、クーガーはその場から蒸発した。
    「ピエロの包み焼き、完成だね。
     以上、本日の講義は終わりってね。なんか質問は? されても困るけど」
     モールはニヤニヤ笑いながらそう尋ねたが、フォコたちはモールが何を言っているのか分からず、呆然としていた。
    「……今のん、分かった?」
    「分かんない」
    「分かんなくていい。どーせ後300年は使わない知識だしね」
     モールは残った鉄板の残骸を魔杖の先で突きながら、ケタケタと笑っていた。
    火紅狐・昔讐記 9
    »»  2011.10.28.
    フォコの話、328話目。
    決着の時。

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    10.
     辛うじてジャガーの腕を落としたものの、ランドと大火の形勢は依然、最悪のままだった。
     大火は依然、半ば這いつくばった状態で、まともに動くこともできない。ランドに怪我は無いものの、武器など扱ったことはなく、魔術も使えない。
     ランドは大火を助け起こそうと、彼に近寄る。だが大火は、それを震える声で制止した。
    「さ、わる、な」
    「えっ、でも……」
     ランドは肩を貸そうと、彼のコートに降れる。
    「……あつっ!?」
    「さ、さわ、るなと、言っ、た、だ、ろう」
     まだ彼の体にこびりついていたミスリル化珪素が冷め切っておらず、ランドは指先に軽い火傷を負ってしまう。
    「クスクスクスクス」
     二人の様子を見て、ジャガーはあの、気味の悪い笑いを浮かべる。
    「惨めでございますね、克大火様。あれほど傲慢に振る舞い、刃向かう者すべて返り討ちにするあなた様が、この体たらく。
     これでようやく、わたくしたち兄弟の犠牲が報われると言うもの。主様も、喜ばれることでしょう」
    「おしゃべりはその辺でいいだろ、ジャガー。そろそろ、とどめを刺すぜ」
    「ええ、お願いいたします」
     ジャガーの許可を得て、アバントが「バニッシャー」を上段に構え、蔑んだ目でランドたちを見る。
    「観念しやがれ、このカスどもめ……!」
    「……クッ、クク、ククク」
     と、倒れ伏したままの大火が――もしかしたら痙攣のせいなのかもしれないが――肩を震わせて笑う。
    「カスと、き、来たか。み、身の、程を、し、し、知らん、な」
    「あぁん?」
    「ジャガー、と、やら。お前、も、同類、だ」
    「何を仰るかと思えば。身の程知らずは、あなたの……」
     そこでジャガーの言葉が止まり、ごとん、と重たい音が通路に響く。
    「……え?」
     音のした方に目をやると、ジャガーの首がごろごろと転がり、通路の淵を落ちていくのが目に入った。
    「な、何をした、てめえ!?」
    「お、俺が、ただ落ちて、戻って、きた、だけ、だ、だと、お、思う、のか」
     そこでようやく、ランドとアバントは通路のあちこちに、薄く刃状になったミスリル化珪素が散らばっているのに気付いた。
    「ど、どんな形に、でも、か、加工、できる、ものが、これだけ、ある、なら、使わん、手は、あ、あるまい?」
     それだけ言って、大火は黙り込む。流石に精根尽き果てたらしく、ピクリとも動けないらしい。
     だが、小心者のアバントを怯ませるには、それだけで十分だった。
    「ち、畜生ッ……!」
     アバントはランドたちに背を向け、逃げ出した。

     しかし空中通路の、その中程で、アバントは立ち止まらざるを得なくなる。
    「あ……、う……」
     クーガーを撃退したフォコたちが、通路へ進入してきたからだ。
    「アバント、……観念せえや」
     フォコはレブから先の折れた剣を借り、アバントの前に歩み出る。
    「ホコウ……」
    「僕と、お前とで一騎打ちや。決着、付けるで」
    「……やって、どうするってんだ」
     アバントはフォコの背後に並ぶ一行と、自分の後方でうずくまる二人とを交互に見て、悪態をつく。
    「お前を殺しても、他の奴らが俺を逃がしゃしない。もうどうしようもあるかってんだ」
    「……まあ、そうやな。やっても、意味は無い」
     フォコは剣を下ろし、アバントに近付く。
    「それよりも話を聞かせてほしい、っちゅうのんが僕の本意や。
     お前はティナのことを知っとる言うてたけど、ホンマか?」
    「……ああ」
     アバントも剣を下ろして、その場に立ちすくむ。
    「何を知っとる?」
    「……ちょうど、ここだ」
     アバントは剣を持っていない左手で、空中通路の手すりを指差した。
    「ここ? 何のことや?」
    「……したのは」
    「何やて?」
     何を言ったのか聞き取れず、フォコはさらに近付く。
     と――アバントの表情が読み取れるくらいの距離で、フォコは、彼がニヤリと笑ったのに気付き、警戒した。
    「……ッ」
    「ここだよ、ここ。
     ここで俺は、あのアバズレを――突き落してやったのさああああッ!」
     アバントは左手をフォコへとかざし、火の術を放った。
    火紅狐・昔讐記 10
    »»  2011.10.29.
    フォコの話、329話目。
    灼熱の黄金卿。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    11.
    「なっ、……!?」
     フォコは耳と目から入ってきた、どちらの情報に対しても驚愕していた。
     しかし無理矢理に冷静さを取り戻し、とっさに火球をかわして、もう一度尋ねる。
    「い、今、何て言うた!? ティナのことか!?」
    「そうだよ、ボンクラあッ! この俺が、ティナをブッ殺したんだよッ!
     お前もとっとと後を追え、『ファイアボール』!」
     アバントは立て続けに、火の術でフォコを狙う。
    「ホンマに……、ホンマにっ……! お前が殺したんか!?」
    「何べん言えば分かる? 脳みそが塩漬けにでもなっちまってんのか?
     分かんなきゃ、何度でも言ってやるぜ? 俺だよ! 俺が! ここから! あいつを突き落したんだよッ!」
     何度言われても、フォコの頭の奥に、その言葉が入っていかない。
     いや、無意識に拒否しているのだ――自分の最愛の人、ティナが死んだと言うその情報を。
    「アホな……! 何で、何で……っ!」

    「火紅! ボーっとしてる場合じゃない! ……ええいくそ、こうなりゃ」
     遠巻きに見ていたモールが飛び出そうとしたところで、それをランニャが止める。
    「やめて」
    「何で止めるね!?」
    「フォコくんの戦いなんだ。大丈夫、あいつは勝つよ」
    「……」
     モールはランニャの手を振りほどくのをやめ、そのまま立ち止まる。
    「……勝つって、信じてるから」

     フォコが知る限り、アバントに魔術の素質は皆無だった。
     しかし今、目の前にいるこの老いたアバントは、事もなげに火球を打ち出してくる。
    「どうしたホコウ? ヨメさんの仇だぜ、俺は? 来いよ、一騎打ちだ!」
    「……ううう」
     フォコの口から、勝手に声が漏れてくる。
     それは怒りと悲しみとが混じり合った、激情と混乱の叫びだった。
    「うああ、ああああーッ!」
     フォコも魔杖をかざし、アバントに向かって火の槍を撃ち込む。
    「『ファイアランス』、あいつを消せええええーッ!」
     フォコの怒りが込められた魔術の塊は、アバントの頬をかすめて飛んで行った。
    「うおお!? ……な、なんて威力だ!?」
    「許さへん、許さへんぞアバント! お前だけは、僕がこの手で地獄に送ってやるうあああああッ!」
     アバントが怯んだ隙に、フォコは剣を振り上げて突撃する。
    「く……ッ」
     アバントもとっさに「バニッシャー」を構え、攻撃を防ぐ。
    「お前は骨も残さへん……! 残してたまるか……! 『ファイアランス』!」
     離れざまに、フォコはまた高出力の術を放つ。
     激情に任せて放たれた火の槍は、工場のあちこちに衝突していく。
    「お、おい! やめろ、それ以上撃ったら引火しちまう! お前もただじゃ……!」「死ねええええッ!」
     元々、フォコを挑発して前後不覚にさせ、そこを突く作戦だったのだろうが、アバントのこの企みは逆効果となった。
     怒りに我を忘れ、復讐鬼と化したフォコの魔力は、アバントの予想と対応力をはるかに超えていたからだ。
    「ひっ……!」
     フォコの放った火の槍がぢりっ、と音を立ててアバントの頭をかすめ、残り少ない髪の毛を焦がす。
    「わ、分かった! 俺の負けだ! 投降する!」「知るかボケえええッ! ここで死ねええーッ!」
     アバントが泣きを入れても、フォコは止まろうとしない。
     と――ボン、と何かが破裂する音が、工場のあちこちから響いた。

     怒りで自失状態だったフォコも、その音で動きを止めた。
    「……!?」
    「い、言わんこっちゃねえ! てめえの術が、引火しやがったんだ!」
     そう言われ、フォコは下を向く。
    「……っ!」
     鈍色に光っていた溶鉱炉が、いつの間にか炎の海と化している。どうやらミスリル化珪素の原料を流し込むパイプに「ファイアランス」が直撃し、そこから引火したようだった。
     下の溶鉱炉、そして側面の壁に広がる地獄絵図に、フォコは一瞬気を取られてしまう。
    「『ファイアボール』!」
     その一瞬を狙い、アバントが火球を放った。
    「しまっ……!」
     叫び切る間もなく、アバントの術はフォコの肩を直撃する。
    「ぐあ……っ」
     フォコはこらえきれず、その場に尻餅をついた。
    「へへ、へ、へへ……」
     アバントは勝利を確信し、フォコへと近付いた。
    火紅狐・昔讐記 11
    »»  2011.10.30.
    フォコの話、330話目。
    燃え落ちた結末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    12.
     その時――。
    「……う、……なんだ?」
     アバントがフラ、とよろける。
     どうにか立ち上がったフォコは、アバントを見て硬直した。
    「……え……」
     アバントのすぐ後ろに、人が立っているのが見えたからだ。
    「なんら……? あたまが、いた……っ」
     アバントの呂律がおかしくなり、がくんと膝を着く。
    《……》
     アバントの背後に立つその女性は、フォコを見て悲しそうな顔をした。
    「い、いまがちゃんすなんら……。ほこうろぶっころる……ひゃんす……」
     アバントは無理矢理立ち上がろうとし、また体勢を崩す。
    《……ん……ね……》
     フォコはその時、確かに女性の声を聴いた。
     それは懐かしく、この10年近くもの間、ずっと聴きたかった声だった。
    「……うあ……んふ……なん……ら……」
     次の瞬間、女性は再び立ち上がりかけたアバントを、羽交い絞めにした。
    「うえ……かららら……うろか……ね……」
     そしてフォコに向かって、女性はこう言って――。
    《ごめんね……さよなら》
    「……ティナ……!」
     フォコが立ち上がると同時に、女性も、アバントも、通路から飛んで行った。



    「あ、あいつ!? 自分から落っこちたぞ!?」
     成り行きを見守っていたランニャたちは、アバントがふらふらと倒れこみ、空中通路から落ちて行くのを見ていた。
    「あーあ……、ありゃ毒ガスの吸い過ぎだね。
     脳みそが比喩じゃなく、マジで溶けてたんだろうね。多分平衡感覚やら言語機能やら、全部頭蓋の中でシェイクされてブッ壊れてたろうね、あの様子じゃ」
    「うげぇ、キモっ。……って、講釈聞いてる場合じゃない! 早くフォコくん、助けに行こう!」
    「あ、そうだったそうだった。私は克の方助けに行くよ。動けそうにないっぽいし」

     ドタドタと仲間たちが駆け付ける音で、フォコは我に返った。
    「……いたんや……」
    「え? 何が?」
     手を差し伸べたランニャに、フォコはぼそっと返した。
    「……今、見たんや。通路の上に、……ティナが」
    「何言ってんだよ! 君もガスの吸い過ぎだ! 早くここから脱出しないと!」
    「いたんや……」
     そう繰り返すフォコに構わず、ランニャとレブは彼に肩を貸して、無理矢理に立たせる。
    「確保した! そっちはどうだ!?」
    「全身大火傷だね。しかも腹に穴まで開いてるし。よくコレで生きてられるね、ホント。……っと、ソレどこじゃないね。
     克、術は使えそう!?」
    「……」
    「ダメだ、気絶してる。……んじゃ、勝手に調べさせてもらうよ」
     モールは大火のコートを調べ、紫と金に輝く手帳を見つけた。
    「へー、こんなのあるんだねぇ。便利なもんだ」
    「……?」
     傍らにいたランドには、モールが何を感じ取ったのかは理解できなかった。
    「克、悪いけどキミの『神器』、勝手に使わせてもらうね。
     全員コッチ集合! 術で脱出するね!」
     全員が集まったところで、モールは「目録」を掲げ、呪文を発動した。
    「『テレポート』!」
     その場から脱出すると同時に溶鉱炉と工場全体のパイプが爆発し、空中通路を飲み込んだ。



     一行は工場から大分離れた、郊外の丘に瞬間移動していた。
    「うわ……、すげー爆発」
     燃え盛る工場を眺め、レブがつぶやく。
    「本当、……恐ろしい光景ですね」
     その横にいたマフスが、レブの手を取る。
    「ん?」
    「まだ心の中が落ち着きません。握っていてくれますか?」
    「いいけど」

     その背後で、モールが癒しの術を使い、大火を蘇生させる。
    「……げほ、ごほっ」
    「よお克、しぶといね」
    「……お前が助けてくれたか。感謝する」
    「へへ、一つ貸しだね」

     一方、ランニャはいまだ呆然自失のフォコに声をかける。
    「フォコくん、大丈夫?」
    「……」
    「大丈夫かってば!」
    「……あ、うん。……肩がめっちゃ痛い」
    「焼けちゃってるもんな、ローブ。マフス呼んでこようか? モールさんは忙しそうだし」
    「いや、後でええ。……なあ、ランニャ」
     フォコはくい、とランニャの服の裾をつかんだ。
    「何? どしたの?」
    「……ホンマに、いたんや」
    「ゴメン、フォコくん。あたしには、……見えなかったんだ。モールさんにも、見えてなかったみたいだよ」
    「……それでも、僕は確かに、見たんや。ティナが、僕を助けてくれた」
    「そっか。……そうかもね」
    「……っく」
     フォコは顔を伏せ、ランニャの裾をつかんだまま、嗚咽の声を漏らす。
    「……ひっく、……ぐす、……ぐすっ、……ホンマに、ホンマに死んだんやな……」
    「フォコくん……」
    「……うう、ああああー……っ」
     泣き叫ぶフォコを、ランニャは優しく抱きしめることしかできなかった。

    火紅狐・昔讐記 終
    火紅狐・昔讐記 12
    »»  2011.10.31.
    フォコの話、331話目。
    療養と報告。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     アバントとの戦いが終わり、フォコはセラーパークに新しく建てられたエール家屋敷に留まり、療養していた。

     戦いで負った刀傷や火傷はモールの術で治ったものの、その心にはぽっかりと、大穴が開いていた。
     最愛の人が死んだと、殺した張本人から聞かされたフォコのショックは相当なものであり、到底すぐに央中に返って総帥の執務をこなせるような精神状態にはなく、しばらくランニャに介抱してもらいつつ、逗留することになったのだ。

     なので、本来なら誰とも会わず、安静にしているべきなのだが――。
    「いいの、本当に?」
    「ええよ。一人でおると、逆に参ってしまいそうやし」
     フォコは友人や商売仲間との会話を望み、人を呼んだ。



     最初に来てくれたのはこの屋敷の主であり、新エール家当主となったルシアンと、その姪のペルシェ。
    「君から買ったジョーヌ海運を軸にして、エール家を再興しようと思うんだ。で、軌道に乗ったら僕は隠居して、彼女にすべて引き継いでもらう予定なんだ」
    「ふむ、ええですな。となると今後は『ペルシェ・エール』と?」
    「そのつもり。まあ、父さんの苗字も捨てがたいから、まだ迷ってるんだけどね」
    「せやったら、『ペルシェ・ジョーヌ=エール』でええんやないですか?」
    「あ、いいなそれ。使わせてもらうよ。ありがとね、ホコウ兄ちゃん」
     ペルシェはにっこり笑ったかと思うと、一転、沈んだ顔になった。
    「母さんも心配してたよ。……ティナさん、亡くなってたんだってね」
    「……らしいなぁ」
    「気、落とさないでね」
    「それは難しいわ。結構、……ズキンときたからな」
    「そっか……」
     困った顔をするペルシェの頭を、フォコは優しく撫でてやった。
    「まあ、頑張りや」

     続いてやって来たのは、モール。
    「イエローコーストの屋敷で起きた事件の調査の話からなんだけどね。
     ほんのちょこっとだけ残ってた痕跡を追究してみたら、どうも克の術に似たトコがあるっぽかったんだよね。
     で、克にソレを尋ねようかと思ってコッチに来たら、あの工場に向かったって言うし。んで向かってみたら、キミたちがピンチだったから手を貸した、……ってワケさ」
    「なるほど、それでですか。助かりました、あの時は」
     フォコがぺこりと頭を下げる一方、ランニャは気にかかっていたことを質問した。
    「前にさ、南海から西方へタイカさんに連れてってもらった時、なんだっけ、『テレポート』? アレ教えてくれって言って、断られてたよね」
    「そんなコトもあったねぇ」
    「でもなんで工場から脱出した時、モールさんは『テレポート』使えたの? 後で教えてもらったりしてたのかなって」
    「あー……。んー、コレ克に内緒で言っちゃうと怒られそうだしなぁ。……内緒だよ?
     あの時私、克の懐から手帳みたいなの取り出してたの、見た?」
    「うん。なんか金ピカで、紫色の光もチラチラ見えてた」
    「アレは一種の『神器』なんだ。
     言うなれば、めちゃめちゃページ数が多くて一枚当たりの文字数が死ぬほど濃い本、みたいなもんでね。あいつが今までに研究した魔術の記録が、アレ一冊に収められてるんだよね」
    「じゃあ、その中に『テレポート』も?」
    「ああ。他にも色々と機能があってね……」「そこまでだ」
     部屋の扉を開け、大火が憮然とした顔で入ってきた。
    「ありゃ、聞かれちゃってたね」
    「……モール。貸しはあれで帳消しだぞ」
    「ま、仕方ないね」

     今度は、ランドがやって来た。
    「見つかったよ、清姉弟が」
    「無事やったんですか?」
    「ああ、かなり衰弱してたけど、命に別状は無いらしい。……ただ、残念ながら」
     ランドは肩をすくめ、二人の状態を伝える。
    「そもそもの経緯から話せば――姉弟とも、山道を歩いていたらエール氏ごと、誰かに突き落されたそうなんだ。
     そのせいで弟のミツモリくんは両脚を骨折。しかも処置が遅れたせいで、両脚とも壊死。発見された時には既に手遅れで、切り落とすしかなかったらしい。
     姉のフタバちゃんも、目の前でエール氏が死ぬところを見たのが相当ショックだったらしい。ケガ自体は大したことはないんだけど、どうしても目を開けることができなくなっちゃったんだって」
    「モールさんに治療を頼んだら?」
    「僕もそう思ってお願いしてみたんだけど、『完璧にこの世から無くなってしまったモノを元に戻すのは不可能だね。それに私の治療術は、身体的なダメージにしか効果が無い。心の病は適用外だね』だってさ」
    「そっかー……」
    「僕はこれから、二人を連れて央南に向かうよ。清王朝の後継者を保護できたし、これでようやく戦後処理ができそうだ」

     イールとレブ、マフスからも、帰郷の旨を伝えられた。
    「ずいぶん長い間、北方から遠ざかっちゃったからね。そろそろ戻らないと、将軍職から解任されかねないわ」
    「イールさんとレブさんやったら大丈夫やと思いますけどなぁ。
     マフスさんも、このまま南海へ?」
    「……えっと、その」
     と、マフスはレブの腕を取り、顔を真っ赤にして宣言した。
    「わたし、彼に付いていきます!」
    「えっ」
     目を丸くしたフォコとランニャに、レブも顔を真っ赤にしながら答える。
    「なんかさ……、ホレられた」
    「マジですか」
    「まー、いいんじゃん? でも国はどうすんの、お姫様なのに」
    「国のことは、わたしの兄や姉がおりますから。死んだ兄も含めると上から5番目なので、結構身軽なんですよ」
    「そっかー……。まあ、お幸せに」
     ランニャから祝福の言葉を受け、レブとマフスは幸せそうに笑った。
    火紅狐・抱罪記 1
    »»  2011.11.02.
    フォコの話、332話目。
    旧名宛の手紙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     皆が去り、エール家屋敷は静けさを取り戻した。
     とは言え、フォコとランニャはまだ、ここに留まっていた。
    「ねー、フォコくん」
    「ん……?」
    「いつ、央中に戻るのさ?」
    「……せやね、そろそろ戻らへんとな」
     そう言ってみたが、その後の言葉が続かない。
    「いつくらい?」
    「……いつがええかな」
    「フォコくん」
     ランニャはむに、とフォコの頬をつねった。
    「あいたっ」
    「いい加減、シャッキリしなよ。そりゃ辛いのは分かるけどさ、央中じゃ君の帰りを、今か今かって、みんな待ってるんだよ?」
    「……うん。……そうやんな」
     フォコは視線を落とし、ぼそぼそと、こうつぶやいた。
    「……一緒に、央中に連れて帰りたかったんや。『どうや、これが僕の屋敷なんや!』って、自慢したかった。見て、喜んで欲しかったんや。それが、夢やってん。
     せやのに……、その相手がもう、おらへんなんて。……このまま帰っても、何もやる気にならへんのや」
    「……」
     励ましも叱咤もできず、ランニャはじっとフォコの横顔を見ているしかできなかった。

     と――扉がノックされ、ルシアンの声が聞こえてきた。
    「ニコル卿、君に手紙が届いてるよ」
    「……? 僕に、手紙?」
    「ああ。宛先は『ホコウ・ソレイユ』様になってるけど」
     フォコの代わりに、ランニャが扉を開け、手紙を受け取る。
    「差出人は、……『チャット・ル・エジテ修道院』だって」
    「修道院?」
     思ってもみないところからの手紙に、フォコは首をかしげる。
    「何やろ……? 寄進とかにしても、西方の人がわざわざ外国人の僕に、そんなんお願いするわけも無いし」
    「開けてみたら?」
     ランニャにペーパーナイフを渡され、フォコは手紙を開けた。



    「ホコウ・ソレイユ様へ

     突然、このような手紙をお送りすることをご容赦ください。
     巷であなたのお名前を耳にし、それが以前、私共のところへ身を寄せていたご婦人がよく話していたお名前と同じだったので、もしやと思い、こうして手紙にて、ご連絡させていただきました。
     お伝えしたい件がございます。よろしければ私共の教会へ、ご足労いただけませんでしょうか?
     よろしくお願いいたします。

    チャット・ル・エジテ修道院 院長 バネッサ・カング」



    「僕の名前を……?」
     手紙の内容を見ても、フォコにはまるでピンと来ない。
    「ルシアンさん、この修道院て、どこにあるんです?」
    「分からないな……。調べてみようか」
    「ええ」
     ランニャとペルシェを交え、4人で地図を探したところ、その修道院はエカルラット王国の北に位置する山国、ネージュ王国にあることが分かった。
    「マチェレ王国からは、大分遠いな……。だから君の名前が伝わるのに、相当の時間がかかったんだろうな。
     君が人前で、最後にホコウと名乗っていたのは、もう半年近くも前だから」
    「そう言えば、もうそんなに経つんですな……。
     とりあえず、行ってみましょか」

     一行はネージュ王国を訪れ、その修道院に到着した。
    「結構な山登りでしたな……」
    「だねぇ」
     自分たちが今来た道を振り返ると、雪に覆われた山道が延々と続くのが見えた。
    「あの……」
     と、声をかけてくる者がいる。
    「お客さまでしょうか」
     振り返ると、帽子をかぶった猫獣人の少女が、こちらを見上げているのが目に入った。
    「あ、うん。君、この修道院の子?」
    「はい。イヴォラと言います」
    「そっか。イヴォラちゃん、バネッサ・カングって人、知ってはるかな?」
    「……こっちです」
     イヴォラはこく、とうなずき、そのまま修道院の中へと走り去ってしまった。
    「ありゃ、すごい駆け足」
    「人見知りさんなのかな。……フォコくん、どうかした?」
     神妙な顔をしていたフォコに、ランニャが尋ねる。
    「いや……、帽子、どこかで見たようなと思て」
    「あの型の帽子は、西方ではメジャーな帽子だからね。ほら、リオン家のカント君も被ってたろ?」
     ルシアンにそう言われ、フォコはぎこちなくうなずいた。
    「まあ……、そうでしたな。どこにでもあるようなもん、……でしょうな。
     寒いですし、中、行きましょか」
    火紅狐・抱罪記 2
    »»  2011.11.03.
    フォコの話、333話目。
    西方での、彼女の3年間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     修道院の中、礼拝堂に入ったところで、奥から年配の、兎獣人の女性が現れた。
    「ようこそおいでくださいました。わたしがここの院長をしております、バネッサ・カングです。
    「初めまして。……えーと、あなたからお手紙をいただきまして」
     そう返したフォコに、バネッサは「まあ」と声を上げた。
    「それではあなたが、ホコウ・ソレイユさん?」
    「ええ、まあ」
    「……」
     バネッサはフォコの後ろにいる3人をチラ、と見て、申し訳なさそうな顔をする。
    「すみません。二人だけで話を」
    「あ、はい」
     人払いをし、フォコとバネッサは礼拝堂の椅子に座った。
    「お伝えしたいこと、と手紙にありましたけども、それは一体……?」
    「……あなたは、ティナ・サフランと言う女性に、心当たりはありませんか?」
    「えっ……!?」
     意外な質問に、フォコは思わず立ち上がった。
    「し、知ってます! でも、……彼女は、死んだと」
    「……やはり、そうでしたか」
     その反応に、フォコはけげんな表情を浮かべた。
    「えーと……? 院長、あなたもそのことは存じなかったと?」
    「ええ。わたしが知るのは8年前から、5年前までのこと。
     彼女がここに居た、その間のことだけです」
    「ここに、居たんですか……!」
     驚くフォコに、バネッサは座るよう促した。
    「すみません、ソレイユさん。わたしはあまり、座高が高くないの」
    「あ、すんまへん」
    「……彼女が来たのは、305年のことでした。
     ここへ来た時の彼女はひどくやつれ、着ていたのは薄いコートと、ボロボロになった衣服1枚。とてもこのような、雪深い場所へ来られるような服装ではありませんでした。
     彼女はわたしたちに何度も頭を下げ、こうお願いされました。『もう行くところがどこにも無いの。あたしたちを助けて下さい』と。
     わたしたちは当然、彼女らを助けました」
    「彼女、……ら?」
     そう尋ねたフォコに、バネッサは小さくうなずいた。
    「やはり、ご存じでは無かったのですね」
    「何をです?」
    「……ティナはここへ来た時、女の子を抱いていました。だから、『彼女たち』と」
    「……ちゅうことは」
    「ええ、恐らくそう。恐らく、あなたとティナの子供です」
     突然の事実を伝えられ、フォコはひどく混乱する。
    「え、そんな、……いや、……え、……えぇ!?」
    「驚かれるのも、無理はありませんね。でも、これは事実。
     ティナは、女の子と一緒にここを訪れました。必死だったのでしょう。その時彼女はたったの、23キューしか持っていなかったのですから。
     それから3年ほど、彼女は娘と共に、ここで暮らしていました」
     そこでバネッサは立ち上がり、フォコに付いてくるよう促した。

     修道院の奥へと進みながら、バネッサはティナのいた3年間を話してくれた。
    「ティナは器用な人でした。元々、船を造っていたと聞いています。うわさに聞けば、あなたも海運業に携わっているとか」
    「ええ。同じ職場で働いとりました。ただ、ある事情で生き別れになってしまって」
    「なるほど」
    「ホンマやったら結婚するはず、……やったんです」
    「事情はあの子からも聞いています。当時、職場の上司だった、あのスパスと言う商人によって、罠にかけられたのではないか、と」
    「仰る通りです」
     そこで一旦、バネッサは立ち止まる。
    「……お聞きしたいのですが、すぐには戻れなかったのですか?」
    「僕とティナが仕事をしてたんは、南海でした。僕が北方で身を立てた後、南海に戻ってみたら、あちらでは既に行方知れずで、こちらへ来ても、手掛かりはまったくつかめず……、と言う有様で」
    「なるほど。……話を、続けましょう」
     バネッサはふたたび、歩き出す。
    「迎え入れた当初、彼女のことを悪く言う者も、確かにおりました。
     母娘共に、あまり人付き合いが得意ではない様子でしたし、何より体のあちこちに、数多くの傷。あの子が話した事情さえ、嘘ではないかと疑う者さえおりました。
     しかし日が経つにつれ、彼女たちは少しずつ、受け入れられてきました。先程申し上げた通り器用な人でしたし、何より仕事熱心で誠実な人でしたから。この修道院のあちこちを、丁寧に修繕していただきましたし、掃除や洗濯など、家事も積極的にこなしてくださいました。
     わたしたちも、このまま母娘共々、この修道院で共に、平穏に暮らしていければと、そう考えるようになりました。ところが……」
     やがてバネッサはある部屋の前で立ち止まり、フォコに入るよう促した。
    「ここが、ティナが使っていた部屋です」
    火紅狐・抱罪記 3
    »»  2011.11.04.
    フォコの話、334話目。
    彼女の遺していったもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     部屋に入ったところで、バネッサは話を再開する。
    「5年前、どこから嗅ぎつけてきたのか、あのアバント・スパスと言う男はここへ、ティナ宛に手紙を送ってきました。
     内容は、……口にするのも汚らわしいような、下卑た内容でした。かいつまんで言えば、『自分と結婚すれば、修道院ごと世話をしてやる』と。
     確かにわたしたちの暮らしぶりは、悠々自適とは行かないものです。寄進だけではとても生活は成り立ちませんから、ワインを細々と造って、どうにか生計を立てている状態。
     ですからその申し出は、確かに魅力的と言えました。しかし、あなたもご存じの通り、スパスには到底、良識や節度、慈愛の心などありません。その約束を果たしてくれるとは、とても思えませんでした。
     それでも、ティナはわたしたちのため、『話だけでもしてくる』と言って飛び出し、……それから5年。ティナは戻らず、また、スパスはそれについても、援助についても何も言わないまま、今に至ります」
    「そんなことが……」
     話を聞き、フォコはそれからティナに、何があったのかを推理した。
    (工場の空中通路で、アバントは『ここからティナを突き落とした』と言うてた。……多分、結婚と援助の交渉に失敗するかなんかして、ティナは総裁室を飛び出したんや。
     当然、アバントは逆上しとったやろうな。追いかけて、ティナを説得しようとした。……恐らくは、力づくで。
     そうして揉み合ううち、アバントはティナを……)
    「……ソレイユさん?」
     バネッサに声をかけられ、フォコは我に返る。
    「あ、はい」
    「不躾かも知れませんが、良ければ娘さんと、この部屋の遺品を、引き取ってはいただけませんか? もしも難しいと言うのであれば、この部屋ごと、彼女に与えますが」
    「……少し、考えさせて下さい」
    「分かりました。わたしは先程の礼拝堂におります。ご同行されていた方たちにも、経緯を説明しておきましょうか?」
    「……ええ、お願いします」
     バネッサはそのまま、部屋を出ようとする。
    「あ、すみません」
    「なんでしょう?」
    「その、……娘の、名前は、何と?」
    「ああ、紹介を忘れていましたね。
     イヴォラと言います。あなたもお会いになったと思いますが……」
    「……どうもです」

     部屋の中央、テーブルに備え付けられていた椅子に座り、フォコはここでの、彼女の生活を想像する。
    (この椅子に座って、……そうやな、編み棒と毛玉があるし、編み物でもしとったんやろな。寒いところやし、娘の……、イヴォラちゃんに、マフラーとか手袋とか。
     あ、そうか。ここで、二人で生活しとったんやろな。あのベッドに、二人で寄り添うようにして。
     ほな……、そしたら、ティナがいなくなってからは、ずっと一人で? いや、まだ小っちゃかったし、シスターたちと一緒に寝るようになったんやろな。
     ……イヴォラ、か。さっきはちゃんと見てへんかったけど、……そうや、あのハンチングは)
     と、フォコはバネッサがしっかり閉めたはずの扉が、ほんの少し開いているのに気付く。
     その扉の向こうから、ハンチング帽を被った猫獣人の少女――イヴォラが、恐る恐るこちらを覗いているのが見えた。
    「……こっち、来る?」
     思わず、フォコはそう問いかけた。
    「あっ」
     イヴォラは慌てて扉を閉めようとしたが、一瞬早く、フォコがそれをさえぎった。
    「イヴォラちゃん、やったっけ。ちょと、……お母さんのこと、聞きたいねんけど」
    「……あたしより、……あなたのほうが、知ってると思う」
    「……バレとったか。……と言うよりも、僕と院長さんの話、こっそり聞いてたやろ」
    「うん」
     そっと扉を開け、イヴォラが中に入ってきた。
     それに応じ、フォコはイヴォラと同じ目線になるようにしゃがみ込む。



    「帽子、見せてもろてもええかな?」
    「いいよ」
     イヴォラは素直に、被っていた帽子を差し出す。
     帽子の下には、自分によく似た頼りなさげな赤い目と、金色に赤いメッシュの混ざった、癖っ毛の髪があった。
    「……お母さんの、帽子やね」
    「うん」
    「……僕と、髪の色そっくりやね」
    「うん」
    「……なあ」
    「なに?」
    「……ゴメンな……」
     フォコはイヴォラの手を取り、ボタボタと涙を流した。
    火紅狐・抱罪記 4
    »»  2011.11.05.
    フォコの話、335話目。
    寡のニコル3世。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「ゴメンな、ホンマ……! 僕がもっと早く、お母さんのこと見つけられたら……!」
    「……」
     泣き出したフォコを見て、イヴォラも顔をしかめ始めた。
    「今更、どの面下げて来れるかっちゅうもんや……! 僕には、僕には……!」
    「……泣いちゃいや」
     イヴォラもぐずりながら、フォコの手からハンチングを取って被る。
    「あたしは来てほしかったもん」
    「え……?」
    「ほんと言うとね、あたし、お母さんのこと、おぼえてないの。だからお父さんがいたらいいなって思ってたの」
    「……」
    「……ホコウさん。……お父さんって呼んでいい?」
    「……ええよ」
     イヴォラはフォコにしがみつき、泣き出した。
    「うう、うえっ、うえっ……、ありがとう、お父さん、ぐすっ、……来てくれて、ひっく、うれしい」
    「イヴォラちゃ、……イヴォラ」
     フォコもイヴォラの背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。

     フォコはイヴォラを連れ、鞄一つに収まってしまったティナの遺品と共に、皆のところに戻った。
    「院長から事情は聴いたよ。……その子が?」
    「ええ」
    「連れて行くことにしたのかい?」
    「この子も、それを望んでますしな」
     ルシアンとペルシェは、イヴォラに向かって親しげに挨拶した。
    「初めまして、イヴォラちゃん。お父さんの仕事仲間の、ルシアン・エールだ」
    「あたしはペルシェ・ジョーヌ=エール。よろしくね」
    「よろしく、ルシアンさん、ペルシェさん」
     一方、ランニャは複雑な表情を浮かべている。
    「……ランニャ」
    「何?」
    「……なんか、その」「何も言わないでくれるかな」
     ランニャはフォコとイヴォラから背を向け、苛立たしげに促す。
    「早く帰ろう」
    「あ、ああ」
     その後下山し、国境を越え、エール家屋敷に戻ってからもずっと、ランニャはフォコと、まともに口を利かなかった。



     エール家屋敷に戻ったフォコは、何とかランニャと話そうと努力した。
    「あの、ランニャ……」
    「……」
     だが話しかけても、ランニャはまるで応じようとしない。
    「なあ、そんな邪険にせんといてって」
    「うるさい」
     何度声をかけても、ランニャは苛立たしげにフォコをにらむばかりで、一向に会話が成立しない。
    「……言いたいことがあるんやったら、言うたらええやんか」
    「無い」
    「嘘言うなや、どう見ても文句ありますっちゅう顔しとるやん」
    「してない。……フォコくん」
     と、ようやくランニャの方から話しかけてきたかと思うと――。
    「あたし、先に帰る」
    「え」
    「もう用は無さそうだし。帰って母さんの手伝いしないと」
    「ランニャ……」
    「明日の朝一番で、船に乗る。じゃあね、フォコくん。さよなら。見送りはいらない」
     ランニャは淡々と言い放ち、自分の部屋に籠ってしまった。
    「……」
     扉越しに何か言おうかと思ったが、何の言葉も出てこない。
     仕方なくフォコは、娘の待つ自分の部屋に戻った。
    「はあ……」
    「どうしたの?」
     部屋に戻るなりため息をついたフォコに、イヴォラが不安そうな目を向けてくる。
    「ん、……何でもないで」
    「ほんとに?」
    「まあ、大人の事情ってやつやから」
    「……」
     イヴォラの困る顔を見て、フォコは今一度、彼女が自分の娘なのだと確信していた。
    (一緒やな。困っとる時、言葉がよお出て来いひん)
    「……あ、あの」
    「ん?」
    「めいわく、……だったかな」
    「あらへんて、そんなん。……さ、もう寝よか」
    「……うん」
     フォコは娘を優しく抱きかかえ、ベッドに入った。



    (……ん……)
     フォコは誰かに呼ばれたように感じ、うっすら目を開けた。
    《やっと起きよったか。えらいお疲れさんやなぁ、自分》
    「……ッ!?」
     目を開けると、そこにはかつて失意に溺れていたフォコを叱咤激励した、あの神々しくもけばけばしい、狐獣人の女性がいた。



    「かっ、開祖様!」
    《そんな堅っ苦しい呼び方せんでええて。気楽に『エリザさん』でええがな》
    「あ、す、すんまへん、エリザさん!」
     と、ぺこぺこと頭を下げるフォコの背後から、イヴォラの声が聞こえてきた。
    「だあれ……?」
    《わー、この子がアンタの娘ちゃんかー、かっわええなー》
     エリザは喜色満面で、イヴォラに近付いて頬ずりする。
    「な、なに? 苦しいよ、おばちゃん」
    《あーゴメンなぁ、アタシ昔っから、『猫』の子がえらい好きでなー。
     ……て、言うてる場合とちゃうかったな》
     エリザはイヴォラから離れ、フォコをビシ、と指差した。
    《アンタはコレから、どないする気や?》
    火紅狐・抱罪記 5
    »»  2011.11.06.
    フォコの話、336話目。
    抱えた罪を、はなす。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「どないする気、……っちゅうと?」
     尋ね返したフォコに、エリザは呆れたようなため息を漏らす。
    《っはー……、ようやく総帥になったっちゅうのに、まだボンクラなトコが残っとるわ。
     えーか、よー考えてみ? 敵討ちを全部終わらして見事、商会の総帥になった。6年前、アンタが諦めてしもた野望、コレで全部達成でけたワケや。まあ、ちょっと残念なコトに、お嫁さんを亡くしてしもたんはあるけども。
     さ、ココや。アンタの願いは一通り達成でけたワケやけども、そしたらこの先、アンタはどうするつもりなんかな、と。アタシは気になったワケや》
    「ああ……。そうですな、今のところはまだ、何にも」
    《は? なんも考えてへんの? 何をぼさっとしてんねんな》
     にらみつけてくるエリザに、フォコはしどろもどろながら、自分の考えを説明する。
    「これからのことを考えるに、やはり僕ではその、器やないなと思っとるんです。
     これまで散々、血なまぐさいことに触れてきましたし、僕の手は真っ赤っかですわ。それに今回、ひょんなことから寡(やもめ)になってしまいましたし。そもそも金火狐の本拠から、何年も離れてしもてますし。
     そんな僕が、商会の総帥をやってええもんかと。そう考えると、どうしても先のことなんか……」
    《で?》
    「で、って」
     唖然とするフォコに、エリザはケタケタと笑いかけた。
    《アッハッハッハ……、アンタ、アタシのコト知らんな?》
    「て言うと?」
    《まずな、アタシも戦争に参加しとったし、手を汚したコトは一回や二回やあらへん。
     後な、寡や言うたけど、アタシもそやねんで? ダンナおらんのに、子供だけおったし。
     その上旅したり、中央以外の大陸探ししとったりで、通算10年か15年か、ソレ以上は、本拠のカレイドマインから離れとった。
     そ、れ、で、も。アタシは死ぬまでずーっと、総帥やってたんやで》
    「で、でも時代が違いますし」
    《何も違うコトあるかいな。アンタもアタシも、同じ総帥や。
     もしも文句言う奴がおったらな、堂々と言うたったらええねん。『開祖さんも同じコトしとったんや! 僕が同じコトやったかて、何も問題あるかいな!?』てな。
     あ、ついでに言うとくとな。ニコル――アンタちゃうで、アタシの弟の方や――もお嫁さん、猫獣人やってん。スナちゃん言うてな、またコレがかわええ……、って、どうでもええな。ま、ともかく。その点も、気にせんでええコトや。
     アンタが汚点や、罪やと思っとるコトは、大体『ご先祖様』がやっとるわ。その上でアタシが居座っとったんやし、ほんなら堂々と、『僕が総帥です。僕が金火狐のルールです』って胸張ったらええねん。
     ……ま、せやからな》
     エリザはニヤニヤと笑いながら、フォコに耳打ちした。
    《まだまだわだかまりもあるやろけども、自分の気持ちに素直になってみても、誰も文句言わんで。
     『あの子』もアンタやイヴォラちゃんの幸せを喜びこそすれ、悲しんだり妬んだりなんてせえへんよ、きっと。ま、もしそんなんあったとしても、アタシが説得したるって》
    「あ……、その」
     フォコは顔を赤くしながら、エリザに尋ねた。
    「滅多に無い機会ですし、お名残惜しいんですけども、……もう目、覚ましてええですか?」
    《えーよ。アタシはもうちょい、イヴォラちゃんと話するさかい》
    「ありがとうございました、エリザさん」
    《当たって砕けろ、や。頑張ってきーやー》
    「……はい!」
     フォコは慌てて、その場から立ち去った。



     フォコは勢い良く、ベッドから飛び起きた。
    「……だーッ!」
     乾いたのどを無理矢理に震わせ、自分の頬をべちべちと叩いて、まだ半分眠ったままの頭を、何とか目覚めさせる。
    (あ、うるさかったかな)
     そう思い、イヴォラの方を確認する。
    「……むにゃ……うん……すきー……」
     どうやら、まだ夢の中にいるようだ。
    「……っと、アカン! 早よ追いかけへんと!」
     フォコは慌てて着替えを済ませ、部屋を飛び出した。
    火紅狐・抱罪記 6
    »»  2011.11.07.
    フォコの話、337話目。
    大声一杯の謝罪、……と。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     朝の5時少し前。
     始発便は出航の準備を終え、港を離れようとしていた。
    「……」
     ランニャは船員が舫い綱を解く様子を、甲板からぼんやりと眺めていた。
    「……」
     時折、市街地につながる道へ目を向けるが、まだ朝市も完全には立っておらず、街は静まり返っている。
    「……ばかやろ……」
     これ以上、船に人が乗り込む様子も無く、ランニャはがっかりとした表情で手すりに背を向け、三角座りでもたれかかる。
    「……ばか……」
     ランニャは膝に顔を埋め、ぼそぼそとつぶやく。
    「……ううん……バカはあたしだよな……」
     ランニャは頭を抱えたまま、グスグスと鼻を鳴らしていた。

     その時だった。
    「ゴメン!」
     港中に、フォコの声が響き渡った。
    「……え、っ?」
     ランニャは顔を挙げ、港に顔を向ける。
    「……ふぉ、フォコくん!?」
    「ホンマにゴメン! 成り行きとは言え、勝手に子供連れてきたこと、誠心誠意、謝るから!」
     港の淵で、フォコがランニャに向かって土下座している様子が、ランニャの視界に入った。
    「……っ、見送りに、来なくていいって、言ったじゃないか」
    「それもゴメン! 見送りとちゃうねん!」
    「は!?」
     フォコはがばっと立ち上がり、大声で叫んだ。
    「君を、迎えに来た!」
    「あたしを、迎えに?」
     きょとんとするランニャの耳に、さらにフォコの叫び声が届く。
    「こんなん言えた義理やないっちゅうのんは、分かってる! 分かってるけども、言わずにおれへんから、思い切って言うてしまうわ!
     ランニャ、どうか僕のところに、来てくれへんやろか!?」
    「来て、……って」
     思わず、ランニャは手すりから身を乗り出す。
    「ソレ、……ソレって、もしかして、……そのっ」
    「そうや! 僕と、結婚してくれへんか!?」
    「なっ」
     この言葉に、ランニャの顔は真っ赤に染まった。
    「この通りや! お願いします!」
     もう一度、深々と頭を下げたフォコに、ランニャは口をぱくぱくと震わせることしかできないでいる。
    「あ、そ、その、え、や、ちょ、……きゃっ!?」
     あまりに狼狽していたために、ランニャは手すりから落っこちてしまった。
    「わ、わわわっ!?」
     それを見たフォコは、慌てて港から海へと飛び込んだ。



    「……ぷはっ!」
     フォコは海中に潜り、船から落ちたランニャをがっしりと抱きしめ、浮上した。
    「げほ、げほっ」
    「だ、大丈夫か、ランニャ?」
    「……もお! ビックリさせるからだよ!」
     ランニャは抱きかかえられたまま、フォコにがなり立てた。
    「恥ずかしいコトし過ぎだ! 朝とは言え、なんで大声であんなコト言うんだよ!? 顔から火が出るかと思った!
     それからあたし、君のパートナーずっとやってきたじゃないか! 子供を引き取るくらい重要なコト、なんで相談しない!? してくれよ、ちゃんと!
     この際だ、まだまだ言うコトある! いっつもいっつも、あたしを邪険にして! あたしの気持ちに気付いておいて、なんでそんな、ヤな態度執るんだよ!? もっと優しくしてよ、あたしに!
     それから! 君はホントに、本っ当に! 自分勝手過ぎるんだ! 遠ざけたりウザがったりしたと思えば、今度は結婚してくれ!? あたしに対して、あんまりにも自分の都合をべったべった押し付けてばっかり! あたしの気持ちも都合も何もかも、無視しまくりじゃないか!
     あたしの話、ちょっとくらいは聞いてくれてもいいだろ!?」
    「ご、ゴメン、ホンマにゴメン」
    「……条件、3つ付けるよ」
    「えっ?」
     ランニャはフォコから離れ、海に浮かんだままで、フォコを指差した。
    「一つ、今後はあたしの意見をちゃんと聞く。あたしにちゃんと相談する。守れる?」
    「う、うん。よほど的外れやなかったら聞く」
    「一つ、コレから目一杯忙しくなるし、そうそう構ってらんないだろうけど、あたしにもイヴォラちゃんにも、八つ当たりなんかするなよ? アレ、マジで嫌な気持ちになるんだからな」
    「き、気を付けます」
    「それから最後に!」
     ランニャはフォコに抱きつき、強く口付けした。
    「ん……っ」
     唇を離したランニャの顔は、真っ赤になっていた。
    「幸せにしてよ? してくれないと、マジぶん殴るからな」
    「……それは絶対、約束するわ」

     ボタボタと海水を滴らせながら港に戻ったところで、ランニャは「あっ」と声を上げた。
    「しまった、船にあたしの荷物置いてきちゃった!」
    「え? ……うわぁ」
     既に船は沖の方にあり、到底追いつけそうにはない。
    「どうしよ、フォコくん」
    「どないしよかな……。あれってジョーヌ海運の船?」
    「だったと思うけど」
    「ほな、後でルシアンさんから連絡入れてもろて……」「……あ、えーとね」
     と、二人の背後から、申し訳なさそうな声がかかった。
    「ん?」
    「これ、君のだよね。騒いでたみたいだし、一応持ってきたんだけど」
     振り向くと、帽子を深くかぶった金髪の狼獣人が、ランニャの荷物を持って立っていた。
    「あっ! すみません、ありが……」「ちょっと待ち、ランニャ」
     そこでフォコは、その「狼」をにらみつけた。
    「な、何かな? ち、ちなみに私は、えーと、ただの通りすがりの旅人だから、その、気にしないでくれ」
    「……シロッコさんやろ。帽子被っても、モロバレですがな」
     その言葉に、ランニャも「狼」も硬直する。
    「マジで? ……うわ、マジだ」
     フォコとランニャ、二人ににらまれ、シロッコはランニャの荷物を置いて、そろそろと後ずさりし始めた。
    「あのね、なんで僕がいるかって言うとね、その、まあ、こっちでも仕事やってて、まあ、一段落したから、ちょっと他のところに行こうかなって、うん、そうしようかなってところだったんだ。そしたらまあ、僕もちょっとね、あの、忘れ物と言うか、最後に食べて行きたいなってものがあったから、やっぱり、ね、食べてから行こうかなと思って、ね、それで、降りようとしたところで、あれだ、ホコウくんと、その、ランニャが、あの、騒いでるのを見て、ああ、これは荷物を下ろしといた方がいいな、って、その、なんだ、気を利かして、いや、利かしたつもりなんだけども、……とにかくおめでとう」
    「……フォコくん」「うん」
     フォコとランニャは同時に、シロッコへとパンチを見舞った。
    火紅狐・抱罪記 7
    »»  2011.11.08.
    フォコの話、338話目。
    未来へ向けて。

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    8.
     エール家屋敷に戻って水を浴びた後、フォコとランニャは改めて、結婚する旨を伝えた。
    「そうか、やっぱり! おめでとう、お二人さん!」
     ルシアンに祝福を受け、二人は揃って照れ笑いを浮かべた。
    「と言うわけで」
     ランニャはイヴォラの前にしゃがみ込み、挨拶した。
    「ごめんな、会った時にちゃんと挨拶してなくて。あたしはランニャ・ネール。よろしくな、イヴォラちゃん」
    「よろしく、……えっと」
     イヴォラは少し逡巡する様子を見せ、恐る恐るランニャをこう呼んだ。
    「お母さん、……って呼んでいいのかな」
    「……ダメだ、尻尾がムズっと来た。ごめん、当面はランニャでいい、って言うか、ランニャって呼んでくれた方がいいかな、……まだ、その、今のトコは」
    「うん、ランニャ。よろしくね」
    「……へへ、よろしく、イヴォラ」
    「で」
     フォコは縄で拘束したシロッコをべちべちと叩き、呆れた目を向けた。連れて帰る途中に二度、逃げ出そうとしたからである。
    「このおっさん、どうしましょかね」
    「ひ、ひどいな二人とも」
    「ひどいはどっちだよ。この10年、まーた世界中ふらっふらしやがって」
    「だから、それは性分なんだって」
    「性分って言っときゃ何でも許されると思うなよ」
    「……はい」
     娘ににらまれ、シロッコはしゅんとなる。
    「とりあえず、捕まえたっちゅう報告、ルピアさんにしときましょか」
    「そうだね。母さんも喜ぶよ。折角の娘の結婚式に父親が欠席だなんて、ありえないしな」
    「僕の方は両親とも居てませんし、是非参加してほしいですしな」
    「……分かった。頑張る」
    「頑張る頑張らないの問題じゃないだろ!?」
    「……はい」
     このままでは、結婚式を待たずしてシロッコが逃亡するのは明白だった。

     ところが、ルピアに連絡を入れたところで、その問題はあっさり解消した。
    《何!? シロッコがいるのか、そこに!?》
    「ええ、まあ」
     ルピアに「頭巾」で通信を入れたところ、彼女は嬉しそうな声を上げた。
    《……カツミくん、渡りに船ってやつだぞ、こりゃ》
    「何ですて?」
    《ああ、いや。今な、カツミくんがこっちに来てるんだ。刀が折れたから、新しいのを造ってほしいって。
     ただ、確かに私も武器職人の端くれではあるし、新しい武器の製造に手を付けてみたい気持ちは強くあるんだが、カツミくんの要求を満たすには、人手と材料が足りんからな》
    《そこで俺は》
     と、通信に大火が割って入る。
    《当代最高の名工と称される、シロッコ・ファスタ氏の捜索を行おうとしていたのだが、まさかお前が見つけるとは、思いもよらなかった。
     そうだ火紅、良ければお前にも協力してほしいことがあるのだが、構わないか?》
    「僕に? なんでしょ?」
    《刀製作に使うミスリル化鋼を製造するのに、数種類の原料が必要になるのだが、その調達を頼みたい。鉱業を営むゴールドマン家であれば、容易だろうと思って、な》
    「なるほど、分かりました。央中へ戻り次第、手配しておきます」
    《どうせだからカツミくんに、迎えに来てもらえばいい。構わないよな、カツミくん?》
    《ああ。協力してくれると言うのであれば、それくらいのことは吝かではない》
     通信を終え、フォコはランニャに経緯を説明した。
    「……じゃあ、父さんが逃げることはまず無いだろうな。なんだかんだ言って職人だし、仕事を放っぽって旅に出るようなコトはしないだろうし」
    「ええタイミングでの依頼でしたな。旅費もかかりませんし」
    「……コレでさ」
     ランニャはそこで、フォコの腕に抱きつく。
    「コレで、気持ちよく帰れるよな、フォコくん」
    「……そうやね。ありがとな、ランニャ」
    「お二人さん、邪魔して悪いんだけども」
     と、シロッコが口を挟む。
    「もう逃げないことがはっきりしたわけだし、ほどいてもらっても……」
    「おっさん、あんた本当にダメ人間なんだね。ちっと空気読もうか」
     見かねたペルシェが、シロッコを引っ張っていった。



     フォコとランニャ、そしてイヴォラの三人になったところで、フォコはこんなことを言い出した。
    「帰ったら、やってみよかなって思てることがあんねん」
    「なに?」
    「今、金火狐の本拠になっとるイエローコーストやけど、今のところはただの鉱山都市でしかないんよ。
     でもあそこ、央南からも結構人が来る街やし、海に面しとるから交通の便もええ。そのまんま金掘り尽くして終わり、っちゅうのんは勿体ないなって。
     せやから僕は、あそこを一大貿易都市にしてみたいなと思てるねん」
    「いいじゃないか」
    「せやろ? きっとその街は、世界一の大都市になる。色んな人が集まって、色んな物売り買いして、それはそれは楽しい街になる。そう、僕は確信しとる。
     で、いつか僕はランニャ、そしてイヴォラ。君らに、『どうや、これが僕の街なんや!』って自慢する。
     それが僕の、新しい夢や」
     フォコの夢を聞き、ランニャとイヴォラは、嬉しそうに笑う。
    「楽しみにしてる。きっと成し遂げてくれよ、フォコくん」
    「あたしも楽しみにしてる。ううん、大きくなったらお手伝いする」
    「……そやね」
     フォコは二人を抱きしめ、こう言った。
    「頑張ろう、みんなで」

    火紅狐・抱罪記 終
    火紅狐・抱罪記 8
    »»  2011.11.09.

    フォコの話、304話目。
    大勝負の幕開け。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     フォコたちの深遠な企みはようやく実を結び、この広大なカジノ潰し計画はついに、フォコとトランプ翁との直接対決へと持ち込まれた。



     カードを配りながら、トランプ翁はルールの追加を提案した。
    「と、そうだ。賭け金、ってか賭け点だが、一律100点にしねえか?」
    「え?」
     きょとんとするランニャに、トランプ翁はニヤニヤしつつ、肩をすくめる。
    「あの姐ちゃんみたいに、変なところで一発逆転の勝負なんて仕掛けられて、万が一それが通っちまったりしたら、それまで血道を上げて打ってた勝負が、バカバカしくなって仕方がねえ。
     賭けるのは100点のみ、そこから倍付け、三倍付けと進めて、点数をデカくする。構わねえかい?」
    「分かりました」
     ランニャの代わりに、フォコが同意する。
    「ありがとよ。……さ、やるか」
     勝負は、まずは静かに始められた。

     モールに期待を寄せられたフォコだったが、出だしは好調とは言い難かった。
    「ほれ」
     トランプ翁が「親」で始まり、引いたカードをそのまま、隣のランニャに渡す。
    「んー……」
     ランニャが悩んでいる短い間に、フォコは手を推察する。
    (引いたカードをそのまんま捨てたっちゅうことは、トランプ翁、もう揃っとったんやな。
     ……流石にカジノの大親分やっとるだけはあるわ。博打運が太い)
    「はい」
     ランニャから受け取ったカードを手に、フォコは自分の手をどう進めていくか思案した。
    (僕の手元にあるんは、『水・水・雷・雷・土・風』、……に、今来たんは『火』か。
     うーん……。『七種七枚』なんて狙うには被りすぎやし、普通に役無し和了も、3枚バラバラでは遅すぎる。
     対する翁はもう手がまとまっとるし、翁の子分さんがカードを渡す位置にあるっちゅうことを考えたら、差し込んで即和了、も非常に簡単や。
     ……この局は、落とすしかないか)
     フォコはランニャから受け取った「火」をそのまま、右隣のバルトロに渡す。
    「……どうぞ」
    「おう」
     バルトロはチラ、とトランプ翁を見て、手持ちのカードを出した。
     フォコの予想通り、バルトロは「差し込み」――和了できるように、カードを送ったらしい。
    「……よし」
     トランプ翁はぱら、とカードを卓に並べ、ヒッヒッと笑った。
    「アガったぜ。『極刻子』と和了で、3倍付けだ」
     トランプ翁の先制で、130億の大勝負は幕を開けた。

     とは言え、フォコも負けてはいない。
     次局、トランプ翁の一本場(1.5倍付け)で始まったが――。
    「……アガリです」
    「なに?」
     1巡目ですぐ、フォコは和了した。
    「『地和』に『天対子』、……で、一本場ですから、6払いですね。一人600、いただきます」
    「……なかなかやるじゃねえか、兄ちゃん」
     トランプ翁はニヤリと笑い、チップ6枚をフォコの方へ差し出した。
    「ほれ、バルトロ。お前さんも払いな」
     その一方で、トランプ翁はほんの一瞬だが、チラ、と後ろに立つ、魔杖を持った子分に視線を向けた。
    (そんな心配せんでもええですよ、トランプ翁。イカサマも魔術も、ありませんて)
     トランプ翁のその仕草を見て、フォコは思わず噴き出しそうになった。
     一方で、視線を向けられた子分がコク、とうなずくのを見て、トランプ翁はイカサマが無かったことを信じたらしい。それ以上特に、フォコへ何も言うことなく、次の「親」であるランニャにカードを渡した。
    「じゃあ、次、行くよ」
    「おう」
     配られたカードを見て、フォコは思わずため息をつきそうになった。
    (ランニャ……、もうちょい、ええのん配ってほしいんやけどなぁ。『天・火・火・水・雷・土』て、またバラバラやん)
     そう思ったが、続いてランニャから回されたカードを受け取って、その思いは反転した。
    (あれ、……そーゆーことか。ええね、ありがと)
     3巡ほどして、またもフォコがアガった。
    「アガリです、『七種七枚』」
    「むう……」
     二回続けて和了され、トランプ翁は流石に顔をしかめた。

    火紅狐・不癲記 1

    2011.09.29.[Edit]
    フォコの話、304話目。大勝負の幕開け。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. フォコたちの深遠な企みはようやく実を結び、この広大なカジノ潰し計画はついに、フォコとトランプ翁との直接対決へと持ち込まれた。 カードを配りながら、トランプ翁はルールの追加を提案した。「と、そうだ。賭け金、ってか賭け点だが、一律100点にしねえか?」「え?」 きょとんとするランニャに、トランプ翁はニヤニヤしつつ、肩をす...

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    フォコの話、305話目。
    賭場のヤクザたち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     勝負を見守っていた茶髪で短耳の若者は、隣の、銀髪の狼獣人の様子がおかしいことを尋ねた。
    「どうした? 顔色が悪いみてーだけど」
    「……ん、あ、……いや」
     そこで短耳は、卓に着いているランニャと、博打仲間であるその「狼」とが同じ銀髪であることに気付いた。
    「あれ? そう言やあの娘、顔もお前に、どっか似て……」「それ以上言うな」
     言葉を遮られ、短耳は改めて、狼獣人に尋ねる。
    「知り合い、って程度じゃなさそうだな。もしかして親戚か?」
    「……かも知れない」
    「そっか。
     にしても、災難だなぁ、あの娘も、隣の小汚い『狐』も。ただの用心棒なのに、まさかヤクザの親分と130億なんてふざけた勝負をする羽目になるなんて。
     こりゃ、腕の一本か二本、それどころか尻尾まで取られるんじゃ……」「……ねーよ」
     真っ向から否定され、短耳は面食らう。
    「なんで言い切れる?」
    「あいつは……、俺の記憶が確かなら」
     狼獣人は、苛立たしげな、しかし、どこか期待に満ちた目で、フォコの方を見ていた。
    「とんでもない奴だった、……はず、だ」



     一回り「親」が替わり、またトランプ翁が「親」になったところでの各自持ち点は、次の通り。

     フォコ:11800 ランニャ:8600 トランプ翁:10600 バルトロ:9000

     フォコ、トランプ翁ともに、この場は「見」――大きな勝負には出ず、敵の動きや自分のツキ具合を確かめる、肩慣らしじみた打ち方を行っていた。
     また、トランプ翁の相方を務めるバルトロは、ここまでほとんど動かず、一回アガったのみである。
     そしてランニャはと言えば――。
    「むー」
     一度もアガれず、頬をふくらませていた。
    (ランニャ、どっかでちょこっとくらいはアガっとかんかったら、箱割れしてまうで)
    (分かってるよっ、そんなこと)



     場が動いたのは、この2周目からだった。
    「アガリだ。……アガリのみ、だがな」
     「親」のトランプ翁が、早々と和了した。そして、トランプ翁が初めに配ったカードが、そのままトランプ翁のところへ集め直される。
    「次は、一本場だな」
     ふたたびカードが配られ、トランプ翁が一枚、ランニャへと渡す。
    「はい」
     ランニャは手持ちのカードから一枚抜き、フォコへと送る。
    (……『天・天・火・火・水・土』に、今来たのんが『水』か。よし、三面待ちや)
     フォコは「土」のカードを抜き取り、隣のバルトロへと渡した。
     と――この時、フォコはバルトロの動きに、違和感を覚えた。
    (……ん?)
     素早く記憶を巻き戻してみるが、今度は特に引っかかるようなものはない。
    (気のせい……、かな)
     フォコがそう思った、次の瞬間だった。
    「アガリ、二連荘だ」
     トランプ翁が、カードを開示して手を見せた。
    「『極刻子』で2倍付けだから、合計で4.5払いだな」
    「あちゃー」
     ランニャはがっかりした顔で、チップをトランプ翁へ送る。一方、フォコもチップを渡しながら、先程の違和感を考えていた。
    (何やろう……?)

     その違和感の正体には、少ししてから気付いた。
     いや、気付かせられるを得なかったのだ。
    「またアガリだ、悪いな」
    「うっ……!」「げぇっ」
     2周目、トランプ翁が「親」になってから以降、連荘が止まらなかったのだ。
    「3倍付けで四本場だから……、18払いだな」
     フォコはチップを払いながら、違和感の正体を探る。
    (そうや……! ここ数局、隣におるバルトロっちゅう若頭、自分のカードを配られてからすぐ見てへん、いや、厳密に言うと、確認してへんねや。ほぼ決まって、僕がカードを渡して、それからトランプ翁を見てから、ようやく確認しとる。
     それはなんでか? 言うまでもない、親分のトランプ翁にカードを差し込んどるんや。自分の勝ち点なんか、どうでもええっちゅうことや。
     そしてその戦法、この『誰かが箱割れした時点でトップの奴が勝ち』っちゅうルールでは、強い攻撃力を持つ。自分が飛んでも、親分勝たせたらええんやもんな。
     それどころか、今はランニャが思いっきしへこんどる。このまま攻め倒したら、そのまま勝ってしまえるからな)
     そこでフォコは、ランニャを見る。
    「ど、どど、どうしよ、フォコくぅん……」
     ランニャは今にも泣きそうな顔になっていた。
    「……ふう」
     が、フォコは特に狼狽も、悲観もしていない。
    「ランニャ、ちょと」
     そう言ってフォコは、ランニャの狼耳に顔を寄せた。

     フォコ:7950 ランニャ:4750 トランプ翁:22150 バルトロ:5150

    火紅狐・不癲記 2

    2011.09.30.[Edit]
    フォコの話、305話目。賭場のヤクザたち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 勝負を見守っていた茶髪で短耳の若者は、隣の、銀髪の狼獣人の様子がおかしいことを尋ねた。「どうした? 顔色が悪いみてーだけど」「……ん、あ、……いや」 そこで短耳は、卓に着いているランニャと、博打仲間であるその「狼」とが同じ銀髪であることに気付いた。「あれ? そう言やあの娘、顔もお前に、どっか似て……」「それ以上言うな」 ...

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    フォコの話、306話目。
    イカサマを押さえて、さらにイカサマを。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フォコがランニャに近寄ったのを見て、トランプ翁は神経質に尋ねた。
    「おい兄ちゃん、どうした? 作戦会議か? それともカノジョさんとこっそり逃げようってのか?」
    「彼女とちゃいます。仕事のパートナーですわ。……まあ、作戦会議ですな」
     そう返したフォコに、トランプ翁は手を掲げて制する。
    「イカサマやろうって相談なら、承知しねえぜ」
    「分かってますて」
     そう返してから、フォコは改めてランニャに耳打ちした。
    (ランニャ、向こうはあんなこと言うてるけどな、相方と組んで『通し』しとるわ)
    (と、『通し』? って、何のカードが欲しいか内緒で伝える、アレのコト?)
    (そうや。……でな)
     その後二言、三言かわし、フォコは自分の席へと戻る。
    「口説き終わったかい、兄ちゃん」
    「せやからちゃいますて。……さ、勝負の腰を折ってしまいましたな。続き、行きましょ」
    「おう。……次は五本場、7.5倍だからな。そろそろ覚悟しとけよ」
     そう言って、トランプ翁はカードを配り始めた。

     そこでフォコが、ランニャだけに見えるよう、卓の下でサインを出した。
    「……!」
     それを見たランニャも、トランプ翁たちに気付かれないように、ふわ、と尻尾をわずかに揺らす。
    「ほれ、お姉ちゃん」
     トランプ翁から差し出されたカードを受け取り、ランニャはすぐさまフォコへと渡す。
    「ありがと。……はい」
     フォコもさっと、バルトロへと手渡した。
    「どうぞ」
     バルトロは今までと同じように、自分の手持ちとトランプ翁の仕草を確認してから、トランプ翁へとカードを手渡す。
    「……ほれ」
     と、回ってきたカードを受け取ったランニャは、また素早くフォコへと送る。
    「はいっ!」
    「と、と。そんな焦らんでも、ランニャ」
    「5000割ってたら焦るってば」
     フォコは面食らったような顔をしつつ、カードをバルトロへと送る。
    「……」
     が、ここでバルトロの手が止まった。
    「どうした? ……まあ、何でもいいから早く寄越せ」
    「……は、はい」
     若頭の困った顔で、トランプ翁も察したらしい。受け取ったカードはそのまま、ランニャへと流れてしまった。

     と――そこでランニャが嬉々とした声を上げた。
    「アガリ、アガリだよっ! 和了と『天刻子』と、それから『槓子』で5倍! 全部で37.5払いだねっ!」
    「ぬな……!?」
     この宣言に、トランプ翁は目を剥いた。
    「ぐっ……!」
     ランニャが開示したカードは確かに「天・天・天・氷・氷・氷・氷」となっており、ランニャの宣言した通りである。
    「……っ、この」
     額に青筋を浮かべたトランプ翁は――傍から見た場の状況ならば、和了したランニャに怒鳴りそうなものだったが――バルトロに向かって、怒りに満ちた目を向けた。
    「す、すみませ……」「謝る必要なんかないですわ」「……え?」
     フォコは謝りかけたバルトロを遮り、悪辣な顔で笑いかけた。
    「あなたの当たりカード、止めてたんは僕ですしな」
     そう言って、フォコはぱら……、と持っていたカードを卓に撒く。
    「なん……っ!?」
     カードを握りしめていたトランプ翁の手が緩み、ばさっと卓へと落ちる。
     フォコの見せたカードは「火・火・土・土・風・風」、そしてトランプ翁の手持ちもまた、「火・火・土・土・風・風」だった。
    「何故だ……!? 何故、俺のカードが分かった!?」
    「貧乏揺すりに見せてたみたいですけども、いつも決まって脚、5回から11回までしか揺すらせてませんでしたな。5が『天』で、11が『風』でしょ?」
    「……っ!」
     フォコの返しに、トランプ翁とバルトロは青ざめた。
    「まあ、こうして三面待ち、全部止めに入ったわけですわ。流石に三面やと、手を変えるにはキッチリ固まり過ぎてますもんな。
     こうして待ち待ちにしてしまえば、いくら待っても出えへんでしょうな」
    「……やられたぜ、見事に。そりゃあ、バルトロの奴も困った顔するってわけだ。送ろうにも回ってこねえんだからな」
     トランプ翁はヒッヒッと笑い、後ろにいたディーラー、カルロスに命じる。
    「悪い、カードを握り潰しちまった。新しいの、持ってきてくんな」
     口調は穏やかだったが、目は全く笑っていない。
    「は、はいっ! すぐ持ってきますっ!」
     その顔を見て、カルロスは慌てて駆け出した。

     新しいカードが用意されるまでのわずかな間、フォコとランニャは短めのアイコンタクトで、密かに仕掛けていた企みが実ったことを喜んだ。
     トランプ翁の「通し」を見破っただけでは、ただ単に彼が和了するのを阻止しただけに過ぎない。フォコはこの看破に加え、もう一つ、ランニャが勝てるように仕組んでいたのだ。
     ランニャにわざと急いた打ち回しをさせ、老体で動体視力の劣るトランプ翁と、トランプ翁の「通し」に集中し、目を向けていないバルトロに気付かれないよう、受け渡しの瞬間に1枚ではなく、2枚、3枚と交換していたのだ。
     だからこそ、ある程度自在にトランプ翁と同じ目を揃えることもでき、また、ランニャが早く、大きな手を和了することもできたのである。
    (まあ、ヒヤヒヤしたけども、よーやってくれたわ。ホンマにありがとな、ランニャ)
    (ううん、いいよ。フォコ君のためだもん)

     フォコ:4200 ランニャ:16000 トランプ翁:18400 バルトロ:1400

    火紅狐・不癲記 3

    2011.10.01.[Edit]
    フォコの話、306話目。イカサマを押さえて、さらにイカサマを。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. フォコがランニャに近寄ったのを見て、トランプ翁は神経質に尋ねた。「おい兄ちゃん、どうした? 作戦会議か? それともカノジョさんとこっそり逃げようってのか?」「彼女とちゃいます。仕事のパートナーですわ。……まあ、作戦会議ですな」 そう返したフォコに、トランプ翁は手を掲げて制する。「イカサマやろうって...

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    フォコの話、307話目。
    狼狽する狼娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フォコの看破と企みにより、形勢はほぼ互角、かつ、一触即発の状況へと変わった。

     ランニャが16000点、トランプ翁が18400点と、ランニャが700点以上奪取すれば、逆転できる。
     しかしこのままランニャが和了せず場が流れれば、その差を縮めることは、恐らくは二度とできない。残り1400点と瀕死の状態にあるバルトロが、わざとトランプ翁に差し込んで自爆する可能性が、非常に高いからだ。
     ランニャが逆転する前にバルトロが箱割れすれば、その時点でトップであるトランプ翁の勝ちとなってしまう。
     それを避けるためにも、ランニャは何としてでもここで和了する必要があった。



     ランニャに新品のカードが入った箱が渡されたところで、ランニャは先程と同様、素早くカードを渡し、その隙にフォコとカードを交換するイカサマをしようと考えていた。
     それを伝えようと、ランニャはフォコに目を向ける。
    (コレで決まりだねっ)
     が、フォコは顔をわずかにこわばらせ、それを止めさせようとする。
    (アカン! 今それやったら確実にバレてまう!)
    (えっ?)
     そこでくる、とトランプ翁に目を向けると――。
    「……どうした、姉ちゃん。早く配ってくんな」
     トランプ翁もバルトロも、鬼も泣き出すかと思うほどの形相で、こちらをにらんでいることに気付いた。
    「あ、……うん、ちょっと待ってね。箱のシールが剥がしにくくって」
    「セキュリティシール(誰もその箱を開けていない、新品であることを証明するシール)付いとるからな。そら簡単に、つるっと剥がれてしもたら困るやろし。……ほい、ナイフ」
    「あ、ありがと……」
     会話を交わしながら、フォコたち二人はまた、アイコンタクトで戦略を練る。
    (ど、どうする? めっちゃめちゃ、にらんでるよ)
    (あんだけ注視されとったら、さっきのイカサマは使えへんわ。かと言って、使える状況まで待ってもいられへん。……どうにかしてランニャ、君が連荘するしかない)
    (……分かった。頑張るよ)
     無役でも連荘であれば、初回は100点ずつ、一本場は150点ずつとなり、二本場では300点ずつとなる。合計すれば550点となり、トランプ翁との差は200点までに縮まる。これにどこかで一役でも絡めば、その差を完全に埋めることが可能なのだ。
     だが、これほど緊張の煮詰まった場で、それだけの運を引き寄せられるか――ランニャには今、非常に高い水準が要求されていた。
    (うぅー……、神様ぁ、あたし今までそんなに真面目に祈ったコトないから聞いてくれないかもだけど、頼むからあたしを今、ココで助けてぇ! 助けてくれたらマジでこれから、毎日お祈りするからさぁぁ!)
     ランニャは震える手で、カードを配る。
    (来て来て来て来てぇぇぇぇ……ッ!)
     心の中で、声を大にして祈りを捧げ、ランニャはカードを確認する。
    (……あうあうあぁぁ)
     手の中にあったのは、「天・天・火・氷・氷・土・風」だった。
    (バラバラ……、だけど、そこまでバラバラでもない、中途半端な手。……うわぁぁん神様ぁーっ)
     ランニャの様子を見て、フォコの額に汗が浮かぶ。
    「……は、早よ進めよう、ランニャ。トランプ翁もバルトロさんも、待ってはるし」
    「あー……、うー、……」
    「ランニャっ!」
     フォコが大声で呼ぶが、彼女の耳には入っていない。
    (どうしよ、どうしよ? どうしよどうしよ? コレどっちに進めたらいいの? 『天対子』とか『天刻子』狙い? それとも『七種七枚』?
     どっち? どっちに進めたらいい? あたし、どっちに行けばいい?)
    「ランニャ、しっかりせえ!」
     もう一度、フォコが叫ぶ。
    「……おいおい、ここに来てそこまで泡食うかよ」
     トランプ翁は呆れた顔で、ランニャの動揺する様を眺めている。
    (どっち? 『天』集めで行く? それとも『七』で? どっちが正解なの?)
     ランニャはカードを握りしめたまま、硬直する。その口からは、ぶつぶつと思念が漏れていた。
    「どっち、どっちにすれば……? うう……、神様、教えて……」
     ランニャはブルブルと震えるばかりで、一向にカードを切ろうとしなかった。

    火紅狐・不癲記 4

    2011.10.02.[Edit]
    フォコの話、307話目。狼狽する狼娘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. フォコの看破と企みにより、形勢はほぼ互角、かつ、一触即発の状況へと変わった。 ランニャが16000点、トランプ翁が18400点と、ランニャが700点以上奪取すれば、逆転できる。 しかしこのままランニャが和了せず場が流れれば、その差を縮めることは、恐らくは二度とできない。残り1400点と瀕死の状態にあるバルトロが、わざと...

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    フォコの話、308話目。
    神様なんて来てくれないから。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     と、その時だった。
    「ランニャ! こっち向き!」
     フォコが立ち上がり、ランニャの肩をつかむ。
    「え、……ええ、え!? な、何、なに、フォコくん!?」
    「こっち向く! ええか、こっちや!」
    「あ、え、あ、……うん」
     そこでようやく、ランニャの視点がぼんやりとだが定まる。
    「今どんな手が、なんて聞かへん。聞かへんけども、これだけは言うとくで」
    「う、うん」
    「今、君がその手に握っとるんは、カードやない」
    「へっ?」
    「今握っとるんは、僕たちの運命や。切るのを間違えたら地獄、正しかったら天国。二者択一の極致みたいなもんや。
     そんな大切なものを君、ここに居らへん神様かなんかに『どっちがいい?』なんて聞くんか」
    「だ、だって」
    「ええか!? 神様が山の向こうや墓ん中からわざわざこんなゴテゴテしたカジノへ乗り込んできて、君一人にわざわざ道を示しに来てくれるほど、暇やと思うんか!?
     毎日毎日、世界中の人から『なんとかしてー』『なんとかしてー』て祈られとるのに、なんで君一人なんかの声を、丁寧に聴くと思うんや!? 他にいくらでも、やることあるやろ!?
     そんな遠くの遠くの神様なんか、こんなところでアテにすんなや!」
    「……」
     フォコの剣幕に、ランニャは黙り込む。
    「……せやからな、ランニャ」
     フォコは一転、静かな口調になる。
    「自分が困って、どっちがええかな? と悩んだ時は、その困っとる自分の心、自分自身に相談するんや。
     仮に神様が来たところで、所詮は何百万、何千万人のうちの一人のこと、言うてしまえば他人事なんやし、第一、神様は特に困ってへんのやから、ろくすっぽ考えもせず『あっち』『いやこっち』くらいにしか、言うてくれへんで。
     困りきっとる自分に聞くからこそ、自分は悩んで悩んで、ええ答えを出してくれるはずや」
    「……分かった」
     そこで、フォコはランニャから手を放す。
    「御託は終わったかい、兄ちゃんよ」
    「ええ、終わりました。……さ、ランニャ。早よ切って」
    「……うん」
     ランニャはカードを、静かにフォコへと渡した。

     フォコの叱咤で我に返り、ランニャは冷静さを取り戻していた。
    (……自分に……、聞く)
     カードの流れが一巡し、ランニャはじっくりと、自分の手を確認する。
    「……はい」
     ランニャの仕草を見て、フォコは内心、ほっとする。
    (ええで、ランニャ。その調子や。
     僕に見破られとるから、相手はさっきの『通し』は使えへん。それに向こうがにらんできとる代わりに、僕も他の『通し』を使われへんよう、にらみ返しとる。
     僕と向こうとで、3人が牽制し合っとる今、自由なんは君だけや。今やったら、デカいアガリもでけるかも知れへんで)
     もう一巡、ニ巡し、ランニャはそこで、深いため息をついた。
    「……はーっ……」
     ランニャはぱさ、と卓にカードを置く。
    「『天・天・天・氷・氷・土・土』、『天刻子』と『極対子』と和了で、4払いだよ」
    「チッ……」
     トランプ翁とバルトロは、苦々しい顔でチップを4枚ずつ払った。

     フォコ:3800 ランニャ:17200 トランプ翁:18000 バルトロ:1000



     ランニャとトランプ翁との差が800に縮まり、いよいよ場の緊張は最高潮に達した。
    「もう一回や、ランニャ。一役付けてアガれば、勝ちはほぼ確定や」
    「頑張るよ、あたし」
     ここで和了と一倍付け以上の役が絡んだ場合、一本場も加わるため、各自300点支払いとなる。そうなればランニャが逆転し、フォコたちにとって非常に有利な展開となる。
     だがもし、フォコかトランプ翁のどちらかが7倍付け以上で和了すれば、最下位のバルトロが飛び、ランニャは差を縮められないまま敗北することになる。ましてやバルトロが同じ条件で和了すれば3150点が彼に入り、決着しかけた勝負が振出しに戻ってしまう。
    (今度のカードは……、よっし、『氷・氷・水・雷・風・土・土』! 『極対子』が付くから、コレで逆転できる!
     よーし……、コレだっ)
     ランニャは「雷」を抜き取り、フォコに渡した。
     と――。
    「……」
     フォコは一瞬だが、困った顔をした。
    「……はい」
     だが再び無表情を作り、受け取ったカードをそのままバルトロに送る。
    (どしたんだろ、フォコくん……?)
     ランニャの疑問は、すぐに解決した。
    (……あれっ)
     自分がフォコへ送ったカードが、自分の元へと戻ってきてしまったからだ。
    (ってことは、つまり――みんなもう、揃ってる?)

    火紅狐・不癲記 5

    2011.10.03.[Edit]
    フォコの話、308話目。神様なんて来てくれないから。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. と、その時だった。「ランニャ! こっち向き!」 フォコが立ち上がり、ランニャの肩をつかむ。「え、……ええ、え!? な、何、なに、フォコくん!?」「こっち向く! ええか、こっちや!」「あ、え、あ、……うん」 そこでようやく、ランニャの視点がぼんやりとだが定まる。「今どんな手が、なんて聞かへん。聞かへんけども、こ...

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    フォコの話、309話目。
    三家W立直。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     フォコはカードを配られた後、トランプ翁とバルトロの様子を観察していた。そして一瞬ではあるが二人の頬が緩むのを確認し、両者とも既にカードを揃えていることに気付いた。
     そして自分のカードも――。
    (『水・水・水・雷・雷・雷』か。僕のんも、いきなり揃ってしもたか。……ランニャはまだ揃ってる気配が無い、か)
     と、そこへ来たのがランニャの「雷」である。
    (うわぁ……。どないしようかな)
     揃った今、和了は簡単にできる。しかしこの時点で和了し、自分が2250点を得ても、ランニャとトランプ翁との持ち点はそれぞれ16450点と17250点とに下がるだけであり、800点の差は縮まらない。
     それどころかバルトロの点数がいたずらに削られる上に、ランニャの連荘が消えてしまう。連荘の1.5倍付け無しに役のみで和了し、トランプ翁を下そうにも、子の最大役「地和」「七種七枚」を以てしても700点となり、わずかに足りないのだ。
    (今、僕の手元に『雷』は3枚あるから、これを切っても当たられることは、まず無い。……無いからこそ、アホな結果にしかならんわけやけどな)
     この時点で、「雷」が当たりカードになることは、「七種七枚」以外に無い。だがそれも、フォコが「水」を3枚持っているため、可能性は非常に低い(残り1枚をランニャが持っているのは前述の通りだが、フォコは知らない)。
     そうにらんでフォコは「雷」を切ったが、既に「雷」を必要としない形で揃えているバルトロも、トランプ翁も、フォコが予想した通り、そのカードを受け取ってすぐに渡してしまった。
    (……どないしようか)

     自分の手元に戻ってきてしまった「雷」を見て、ランニャはまた動揺し始めた。
    (揃ってないの、あたしだけみたいだ。……で、多分、フォコくんは自分がアガってもどうしようもないと思って、当たりカードをそのまま流して、あたしに返した。
     この『雷』は確実に、フォコくんの当たりカード。それは確かだ。だけど、今フォコくんがアガっても、後でめちゃくちゃ困るコトになる。
     だからって、他の『水』とか『風』を切る? ……いいや、ダメだ! もしトランプ翁にアガられたら、それこそまずいコトになる!
     でも、……じゃあ、……どうすりゃいいのさ?)
     このまま「雷」を回し続け、場を止めることは可能ではある。だが、それは解決にはならない。
     しかしランニャには、いい打開策が思いつかない。
    「……ごめん、はい」
    「……うん」
     ランニャから回されてきた「雷」を取り、フォコも思案に暮れる。
    (どないする……!? どないしてこの膠着状態を破り、かつ、ランニャがアガれるようにしたらええんや?)
     フォコは手持ちのカードを、とりあえず混ぜてみる。
    (……こんなことしとっても、解決はせえへん。カードが混ざっていくだけ、……あっ!)
     と、そこでフォコにある閃きが走った。
    (せや、これなら……!)
     そう考え、フォコはランニャをじっと見た。
    「……?」
     じっと見つめられ、ランニャは怪訝な顔をする。
    (ランニャ、今からもっかい『雷』渡すからな)
     フォコは強く念じつつ、バルトロへと「雷」を渡した。
    「……またかよ!」
     バルトロも、トランプ翁も呆れがちにカードを流す。
     ランニャもそれを受け取り、困った顔になった。
    (気付いてくれ、ランニャ……!)
     フォコはもう一度、ランニャを見つめた。
    「……えー、と、……はい」
     ランニャは困った顔のまま、フォコにカードを渡した。
    「……」
     フォコはチラ、と受け取ったカードを確認し、「雷」を渡す。
    「お前ら、さっきから同じカードぐるぐる回してんじゃねーよ!」
     三度も同じカードを渡され、二人は流石に苛立っている。
    「ほれ、もう一度回すか、姉ちゃんよ!?」
    「……、あ、うーん」
     受け取ったカードをまとめ、ランニャはうなる。
    「……はい」
     そして先程と同じように、ランニャは困った様子でフォコにカードを渡す。
    「……」
     フォコも呆れ返った表情になり、無造作にカードを渡した。
    「いい加減にしろよお前ら……」
     バルトロは相当苛ついているらしく、バリバリと頭をかいている。
    「まったく、なめた真似してますやね、親父……」
    「……」
     と、バルトロからカードを受け取ったトランプ翁は、けげんな顔になった。
    「……まあ、滅多にありゃしねえからな、3人同時に揃うなんてのはな」
    「え、……まあ」
     そう返したフォコに、トランプ翁はぺら、と回ってきたカードを見せた。
    「それでもよ、兄ちゃんがさっき言った通り、だが。
     大抵の奴は、いっぺん手が固まっちまったら、『受け身』になっちまうよな。もう攻めの手は打ち終わった、後はアガるのを待つだけ、……って風にな。
     だからこそ、『雷』が3順、4順と、グルグル回る羽目になっちまったわけだが、……いくらなんでも露骨だぜ、兄ちゃんよ?」
     その回ってきた『雷』のカードを、トランプ翁はす、と自分の手札に引き入れた。

    火紅狐・不癲記 6

    2011.10.04.[Edit]
    フォコの話、309話目。三家W立直。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. フォコはカードを配られた後、トランプ翁とバルトロの様子を観察していた。そして一瞬ではあるが二人の頬が緩むのを確認し、両者とも既にカードを揃えていることに気付いた。 そして自分のカードも――。(『水・水・水・雷・雷・雷』か。僕のんも、いきなり揃ってしもたか。……ランニャはまだ揃ってる気配が無い、か) と、そこへ来たのがランニャ...

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    フォコの話、310話目。
    カードカウンティング。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「う……」
     トランプ翁の指摘と行動に、フォコは短くうめき声を漏らした。
    「この『雷』、最初と、2順目に回ってきた奴とは違うな? そう――隣の姉ちゃんが、同じもんを渡す振りをして、別なカードをしれっと、お前さんに渡してやがったんだ。
     となれば姉ちゃんのところには、『雷』が既に2枚あるはずだ。このまま俺が、ひょいと今来た『雷』を渡しちまったら、それで恐らくアガられちまってただろうな。
     ってわけで、この『雷』は俺が抱え込む」
     トランプ翁はニヤリと笑い、手持ちのカードを卓に置いた。
    「兄ちゃんの手持ちは揃ってたはずだが、『雷』を流したことで、バラバラのはずだ。残るは姉ちゃんの手札だが……、三面待ちにはなってるだろうな。
     それが何なのかは、突き詰めていきゃ、大体は見当が付けられる」
     トランプ翁は額をゴシゴシとこすりながら、バルトロに目を向ける。
    「ま、手札を開いて説明できりゃ丸分かりなんだが、流石にそれはご法度だ。だから、ま、仮にABCで、推理してみようか。
     俺は今現在、『雷』と、ABCがそれぞれ2枚ずつの、三面待ちだ。で、姉ちゃんは『雷』を2枚渡されてるから、6枚中2枚はこれで分かる。
     で、そもそもの話として、最初に姉ちゃんが『雷』を切ったのは、何故か? まだまとまってない自分の手札に、組み込めなかったからだろう。となると『雷』は2枚無かっただろうし、3人揃ってる状況で、『七種七枚』が作れるわけが無え。
     そう考えれば、やっぱ姉ちゃんの手は、既に対子が1つか2つはあったはずだ。そこからカードを有効的に残すのを前提として、不要カードを2枚、兄ちゃんに渡したとなれば、三面待ちは確実。この2種を、D、Eとしようか。
     兄ちゃんは、『雷』を3枚渡せて、既に揃ってたようだから、残りは何らかの刻子、仮にFとしようか。だが3枚渡した分、残りはバラバラか、槓子ができてるかのどっちかのはずだ。となると、一属性が丸ごと、お前さんの手に渡ってておかしくねえ。
     とは言え、もしも4枚入ってたとしたら、いざと言う時の緊急手段として、お前さんはそのまま抱えておくはずだ。それも仮定するとして、話を進めるぜ。
     一方で、揃ってたってことを考えれば、最初に『雷』を2枚、あるいは3枚持っていたはずだ。手持ち分をすべて渡したって可能性もあるが、もしかするとまだ1枚、持ってるかもな。ま、どっちにしてもお前さんの手持ち6枚中4枚については、ある程度の見当は付けられる。
     で、バルトロの手札については、三面待ちしてた俺に差し込めねえんだし、ABCじゃ無え。そしてお前さんが抱え込んでいる、Fでも無い。となれば残りは3種。
     だが『雷』も、こいつの手札にゃ無いことは明白だ。アガってねえんだからよ。そう考えると、こいつの手持ちは2種、つまり刻子2組か、槓子と対子で持ってたはずだ。これをF、Gとしておく。
     と言うわけで、『雷』の在り処については、ある程度の見当は付けられる。三面待ちになった姉ちゃんが『雷』でアガれず、俺とバルトロの手持ちにも無いからな。兄ちゃんが持ってるか、卓上の3枚のうちどれかに入ってるか、だ」



     トランプ翁:A A B B C C   雷
     ランニャ :雷 雷 D D E E
     フォコ  :雷 F F F F ? / 雷 F F F ? ?
     バルトロ :G G G H H H / G G H H H H
     (A、B、C)≠(G、H)
    (28枚中24枚はプレイヤーの手にあるが、残り4枚中1枚はプレイヤー間を巡っており、さらに残りの3枚は卓上に置かれたまま、そのゲーム中には使われない)



    「それで、だ。この推理を立てた上で、肝心な答えが――つまり姉ちゃんの手札の残り4枚が、一体何か? これが分からなきゃ、何の意味も無え。
     で、7種中2種、あるいは3種は、兄ちゃんとバルトロがほとんど握ってるはずだ。これは除外していい(F、G、Hが3枚以上。1枚以下では対子が作れない)。
     残る4種で、俺と姉ちゃんがそれぞれ3面待ちになってるはずだ。となれば、A~CとD・Eの中で、1種類以上は確実に重複していることになる。
     だからここで俺が、うまく姉ちゃんの待ちを外せば、俺たちの勝ちが決まる」
    「……なるほど。私がランニャに、遠回しにカードを送るより、若頭さんがトランプ翁に直で送る方が、そら早いに決まってますな。
     となると、ここはギャンブルの中の、さらにギャンブルやっちゅうわけですな」
    「そう言うことだ。姉ちゃんの待ちを振っちまえば俺の負け。うまく外せば俺の勝ちだ」
     そこでトランプ翁は言葉を切り、自分の手札に視線を落とした。
    「……」
     ここまで読み切ったトランプ翁でも、流石に不確定要素――卓上に置かれたカード3枚が何なのか、ランニャの三面待ちの構成までは、どうしても推理し切れなかった。
    「……こいつに、賭けるぜ」
     トランプ翁はカードを一枚引き、ランニャに差し出した。
    「さあ、どうだ姉ちゃん? こいつは、当たりか?」
    「……」
     ランニャは額に汗を浮かべつつ、そのカードを受け取る。
    「どうだ……!?」
     ランニャは受け取ったカードを――卓の上に置いた。

    火紅狐・不癲記 7

    2011.10.05.[Edit]
    フォコの話、310話目。カードカウンティング。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「う……」 トランプ翁の指摘と行動に、フォコは短くうめき声を漏らした。「この『雷』、最初と、2順目に回ってきた奴とは違うな? そう――隣の姉ちゃんが、同じもんを渡す振りをして、別なカードをしれっと、お前さんに渡してやがったんだ。 となれば姉ちゃんのところには、『雷』が既に2枚あるはずだ。このまま俺が、ひょいと今来た『...

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    フォコの話、311話目。
    130億勝負、決着。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     卓の上に置かれたカードの絵柄は、「氷」を示していた。
    「……アガ、った」
     ランニャは持っていた残りのカードを、ばさ、と続けて卓に撒いた。
    「……く、っ」
     その内容を見て、トランプ翁は短くうめき、次いで笑い出した。
    「くっ、くっくっ、……ヒヒ、俺も、……ヤキが回っちまったか」
     トランプ翁も、カードを卓に捨てる。そこにあったのは――。
    「『天・天・氷・土・土・雷』、……だ。3分の2だったな、やっぱり」
    「そだ、ね。……『氷・氷・雷・雷・土・土』だったもん、な」
     トランプ翁は顔を真っ赤にし、笑っているのか落胆しているのか分からないような表情を浮かべながら、卓に残されていたカードをめくった。
    「『風・天・天』、……だったか。欲が、出ちまったんだな」
    「『天対子』を崩すのんは、惜しいですからな。……私でも、それはよお切れませんわ」
    「……まあ、しゃあねえ。『極刻子』と和了で三倍付けに一本場の1.5倍で、450払いだな」
     トランプ翁は両手で顔をゴシゴシとこすり、それからチップを渡した。

     フォコ:3350 ランニャ:18550 トランプ翁:17550 バルトロ:550



     逆転はしたものの、まだ勝負は付いていない。
     ここでフォコかランニャが二倍付け以上で和了すれば、二本場の3倍が加算され、一人当たり600点を支払うことになる。そうなればバルトロは飛び、ランニャの勝利が確定する。
     一方でトランプ翁も、同じように和了すれば再度逆転し、そのまま逃げ切ることができる。また、バルトロがここで和了すれば、箱割れの危険から多少遠ざかることができ、勝負はもう少し続行されることになる。
    「まだだ、まだ負けてねえぞ……!」
     トランプ翁は先程の落胆ぶりから一転、ギラついた目をフォコたちに向けてくる。
     その精力的な目つきは確かに、ヤクザの大親分にふさわしい殺気を放っていた。
    「……ええ、まだ、ですな」
     フォコもランニャも、その眼光に少なからず竦みつつも、落ち着いてカードを確認する。
    「はい」
     ランニャからカードを受け取り、フォコはそのままそのカードを流した。
    「……!」
     その様子に、バルトロが戦慄する。
    「また揃ってやがるか、クソっ……!」
    「慌てんな、バルトロ」
     対するトランプ翁も、バルトロから受け取ったカードをそのままランニャへと流す。
    「……お互い、もう手はできとるみたいですな。それも飛ばすのんに十分な、デカいのんが」
    「みたいだな。お前か俺か、どっちかの和了で、この勝負は決着だ」
     二人は同時に、憔悴しきった笑みを浮かべていた。
    「……」
     場の空気がまた、一気に煮え立つ。
    「……」
     フォコもトランプ翁も、互いに互いをにらみ合い、自分の持つ情報を相方に伝えることを制している。ランニャとバルトロは、自分の手持ちのどれが二人の当たりカードであるのか、判断が付かなかった。
    「……」
     ランニャが、恐る恐るカードをフォコへと渡す。
    「……」
     そのカードはバルトロへと流れ、彼もまた、そろそろとした手つきでトランプ翁へと、手持ちの中からカードを差し出す。
    「……」
     トランプ翁は静かに首を振り、カードをそのままランニャへと渡す。
    「……」
     ランニャはそこで、自分の手を見直す。
    「……コレは、……どう?」
     ランニャはそっと、フォコに手持ちのカードを差し出した。
    「……トランプ翁」
     フォコは顔を上げ、トランプ翁をじっと見据えた。
    「何だ……?」
    「自己紹介を、してませんでしたな」
    「……そうだな。聞いてなかった」
    「改めて、させていただきます」
     フォコは額の汗を拭い、カードを伏せて卓に置く。
    「私の名前は、ニコル・フォコ・ゴールドマン。ゴールドマン家の、人間でした」
    「ゴールドマン……。『あいつ』の、家系か」
    「その、そいつに。私の家は乗っ取られました。あの悪逆かつ卑劣な男、非道な冷血漢、ケネス・エンターゲートに。
     私は宣言します。そいつから、家を奪い返すことを」
     フォコは伏せたカードを、ばっと引っくり返した。
    「……この、200億余の金を以てッ!」
     開かれたカードは「火・火・火・火・雷・雷・雷」――まさに「火紅狐」フォコを示すような、燃え上がるような7枚だった。



     フォコ:6950 ランニャ:17350 トランプ翁:16350 バルトロ:-650
     バルトロの箱割れにより、ランニャのトップで終局。

    火紅狐・不癲記 8

    2011.10.06.[Edit]
    フォコの話、311話目。130億勝負、決着。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 卓の上に置かれたカードの絵柄は、「氷」を示していた。「……アガ、った」 ランニャは持っていた残りのカードを、ばさ、と続けて卓に撒いた。「……く、っ」 その内容を見て、トランプ翁は短くうめき、次いで笑い出した。「くっ、くっくっ、……ヒヒ、俺も、……ヤキが回っちまったか」 トランプ翁も、カードを卓に捨てる。そこにあったのは――...

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    フォコの話、312話目。
    悪夢から目覚めて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     オークボックスのあちこちで、工事の音が鳴り響く。
     その裏手――数日前まで日の当たらない、じめじめとした路地裏だった場所に、あの若者二人が寝転がっていた。
    「……悪い夢……だったのかな……」
     性質の悪いカビのようにぞわぞわとその領域を広げていた歓楽街は、強力無比なカジノ荒らしによって、その根を断たれた。
     そして130億の勝負が決着したその翌日から、街は大きく造り替えられることとなった。
    「……もう何が何だか、分かんねえよ、俺……」
    「……奇遇だな……俺もだよ……」
     公序良俗を著しく損なっていた数々の店は外装から内装、上下水道設備に至るまですべてを作り変えられ、極めて健全で健康的・建設的な店へと姿を変えた。
     再開発からたったの半月で、この若者二人のような、醒めない悪夢を見続けていたはぐれ者やチンピラがいる余地は、どこにも存在しなくなった。
    「……なあ……ビート……」
     名前を呼ばれ、横になっていた茶髪の短耳はのろのろと、狼獣人の方へ顔を向ける。
    「……なんだ……?」
    「……俺、実家に帰るわ」
    「……そっか」
     ビートは立ち上がった狼獣人の背を、ぼんやりと見ていた。
    「実家って……?」
    「ここからすぐ先の、クラフトランド。伯母さ、……総長に謝って、何とか職場に復帰させてもらおうかと思う。
     ヨメさんもずっと放っぽったまんまだし、めちゃくちゃ怒られる、……だけじゃ、済まないと思うけど。……マジで尻尾切られるくらいは、覚悟しねーとな」
    「そっか……。
     ……なあ、俺も行っていい……? 流石に素寒貧のまんまじゃ……、故郷に帰れねーし……」
    「……いいよ。ほら、立てよ」
     狼獣人が差し出した手を握り、ビートはむにゃむにゃと何かをつぶやいた。
    「……なんだ? 何て言った、今?」
    「ありがとよガルフ、……って言ったんだ」
    「……おう」
     こうして若者二人――ビートとガルフは、クラフトランドへと足を向けた。



     一方――。
    「私は言ったよな」
    「はい」
    「言ったって、覚えてるよな」
    「はい」
    「私が何を言ったか、復唱してくれるか?」
    「えー、と。『ネール職人組合の問題だから、首を突っ込むな』と」
    「覚えてるじゃないか」
    「はい」
    「じゃあ聞こう。なんで、こんなことしたんだ」
    「……すんません」
     フォコは「ゴールドパレス」跡にて、ルピアにこってりと絞られていた。
    「すげえ剣幕だな……。ありゃあ、どこの姐御さんだい?」
     その様子を見て、トランプ翁がランニャに尋ねる。
    「……うちの母さん。ネール職人組合の総長」
    「本当かよ……? 凄味がまるで違うぜ。とてもカタギのお偉いさんとは思えん」
    「よく言われるよ」
     ランニャは力なく笑い、プルプルと首を振る。
    「……っと。もうそろそろいいだろ、母さん。フォコくんは、あたしたちのためを思ってやってくれたんだしさー……」「うるさい。黙ってろ」「……はぅー」

     130億勝負に勝利し、フォコは合計245億と言う途方もない大金を手に入れた。
     また、トランプ翁側はマイナス10億の負債を抱えることとなったが、これはある条件をトランプ翁が呑めば帳消しにすると、フォコが提案していた。
     その条件と言うのが――。
    「しかし、あんな様子で話がまとまるもんかねえ……?」
    「フォコくんは口がうまいから、何とでもするさ。それよりさ、『町長』さん。ココ、議事堂にするつもりなんだって?」
    「町長はまだ勘弁してくれや、ランニャちゃん。尻がかゆくならあ。
     まあ、壁の装飾と塗装を落として、中を多少入れ替えりゃ、立派な建物になりそうだからよ」
    「ふーん」
     この街は歓楽街の浸食によって政治機能が失われてしまっており、無秩序な状態となっていた。そこでトランプ翁を街の長に置いて、再開発を進めさせようとしたのだ。
     元々、央北イーストフィールドにおいて影の支配者として君臨していたトランプ組の長であり、統治能力は十分にある。彼にとっても、実質的に故郷を追い出された身であるし、「ここで今まで通りに落ち着けるなら」と、その提案を快諾した。

    「……まあ、小言はこのくらいだ。もう二度と、私にお節介なんか焼くなよ」
    「重々、反省してます」
     フォコが深々と頭を下げたところで、ルピアはくる、とトランプ翁の方に向き直った。
    「ヨセフ・カラタ・トランプ翁、……で良かったかな」
    「おう」
    「私はネール職人組合の、ルピア・『プラチナテイル』・ネール組合総長だ。
     早速だが、クラフトランドに職人たちが戻ってきている一方で、ここでの住処を失い、あふれ出したはぐれ者も多数、こちらへ流れ込んできているのが現状だ。この半月で人口は、カジノ建設前の2倍近くになっているとの報告も受けている。
     このまま彼らを放置しても、何の得にもならん。だから私の方で、彼らがちゃんとした仕事に就けるよう、世話してやろうと思っている。そこでトランプ翁、あなたには彼らがクラフトランドの近郊であるこの街に住めるよう、住宅地を多数造成していただきたいのだが、よろしいか?」
    「お任せあれ、ネール卿。開発資金は、ニコル卿からたっぷりと得ております故、……ヒヒヒ」
     トランプ翁は恭しく、ルピアに頭を下げた。



     この後、ネール職人組合は多数の職人、即ち上質の生産能力を得たため、これまでの低迷から一転、業績を著しく回復させた。
     また一方で、オークボックスにおける、住宅地造成を中心とした再開発も成功。労働力と供給力を獲得したクラフトランド周辺の経済は、急速に温まった。

    火紅狐・不癲記 終

    火紅狐・不癲記 9

    2011.10.07.[Edit]
    フォコの話、312話目。悪夢から目覚めて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. オークボックスのあちこちで、工事の音が鳴り響く。 その裏手――数日前まで日の当たらない、じめじめとした路地裏だった場所に、あの若者二人が寝転がっていた。「……悪い夢……だったのかな……」 性質の悪いカビのようにぞわぞわとその領域を広げていた歓楽街は、強力無比なカジノ荒らしによって、その根を断たれた。 そして130億の勝負が...

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    フォコの話、313話目。
    ゲームオーバー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ちゅうわけですわ」
     話は313年――オークボックス再開発が一段落したその一方で、西方でスパス産業破綻の報告を受けたフォコが、満を持してイエローコーストへ乗り込んだ時点に戻る。
    「何が『ちゅうわけ』だ、この悪魔めッ!」
     ケネスの罵りを、フォコは鼻で笑う。
    「悪魔はどっちだか。
     あんたはこの十数年間、あちこちに戦争の火種を撒き、そこへ火薬を降り注いで加熱に加熱を加え、世界中を燃やし尽くそうとした男や。そんな所業をしといて今更、他人のことを『悪魔』やて?
     はっ、呆れるわ! 何万、何十万もの人間を散々虐げて平然としとったお前が、虐げられた途端にみっともなく、被害者面しよるんか!」
    「う、ぐ……っ」
     フォコの、怒りのこもった言葉に、ケネスの顔色はみるみるうちに悪くなる。
    「いい機会や。誰も言えへんことやったから、今、私が直に言うてやる!
     ケネス、お前は商人として、人間として、最低のクズやッ! お前は自分の利益のためだけに人を殺し、街を壊し、国を傾けた! それが人間として、商人として誇れることやなんて、私も、誰も思わへんぞッ!
     ……いいや、そもそもお前は、自分の利益すら守れへん、商人として失格な男や」
    「そ、それはお前のせい……」
     反論しかけたケネスを、フォコは怒鳴りつけた。
    「何が私のせいやッ!? 商売するんやったら競合なり競争なり、あるんが普通やろが!?
     そうや、それがそもそも、お前が商人として、人間としていびつな、何よりの証拠――あらゆる競争相手を完膚なきまでに潰し、自分のみがのうのうと勝ち続けよう、生き残ろうとする、どこまでも意地汚く、下劣な商業モデル。こんなことを考え付くお前の方が、お前こそが悪魔やッ!
     もうお前にこれ以上、ゴールドマンの名は名乗らせへんからな。……今のうち、荷物の整理をしとくんやな」
     それだけ言って、フォコはその場を去った。



     一人残されたケネスは、フラフラと寝室へ戻る。
    「……他に……他に策は……」
     あらゆる金策を潰され、ケネスはいよいよ行き詰った。
    「……駄目元で中央軍にかけあうか……いや駄目だ……軍本部に入った途端に蜂の巣にされるのがオチだ……では私の手であいつを……む、無理だ……そんなことは……しかし……」
     脂汗を流し、部屋中をうろつき回って対策を練ろうとするが、到底現状を打開できるような策は思いつかない。
    「……こんな時こそ……あのお方が……」
     思考の泥濘の中で、ケネスは30年前のことを思い出していた。
    「……そうだ……! あの方は仰った……いずれまた、私の前に姿を現しになると。
     そう、それは確か……」
     一縷の望みを見出し、ケネスは顔を上げた。

    「クスクスクスクス」
     その先に、彼女は立っていた。
    「……ああ……!」
     ケネスは思わず、その場に膝まづいた。
    「お待ちしておりました……お待ちしておりました……!」
    「クスクスクスクス」
    「きっと窮した私を、30年前のように助けてくださるものと……」「ええと」
     と、白いフードを深く被ったその女は、わずかに首をかしげた。
    「お名前は、何と仰いましたか」
    「ケネスです! ケネス・エンターゲート=ゴー……、ああいや、ケネス・エンターゲートです!」
     半泣きの顔でそう名乗ったケネスに対し、女はまた、首をかしげた。
    「それは、あなたの名前ではございませんでしょう」
    「……え?」
    「あなたが初めて奪ったもの。他の方の名前でしょう」
    「い、いや、私がケネスです。それ以外の何者でも……」
     呆然とするケネスを眺めていた女は、そこでわざとらしくポン、と手を叩いた。
    「ああ、なるほど、なるほど。あなたはなりきってしまったご様子。だから覚えていらっしゃらないと」
    「それは、どう言う……?」
    「おお、何と哀れな子羊でございましょうか」
     女はす、とケネスの顔に手をやり、眼鏡を奪い去る。
    「な、何を?」
    「クスクスクスクス」
     女は手に取った眼鏡を、ぱきんと音を立てて握り潰した。
    「あなたは何者でもなかったのですよ」

    火紅狐・金火記 1

    2011.10.12.[Edit]
    フォコの話、313話目。ゲームオーバー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ちゅうわけですわ」 話は313年――オークボックス再開発が一段落したその一方で、西方でスパス産業破綻の報告を受けたフォコが、満を持してイエローコーストへ乗り込んだ時点に戻る。「何が『ちゅうわけ』だ、この悪魔めッ!」 ケネスの罵りを、フォコは鼻で笑う。「悪魔はどっちだか。 あんたはこの十数年間、あちこちに戦争の火種を撒き...

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    フォコの話、314話目。
    Who done it?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     半ばからかうような、そして半ば憐れむような女の口調に、ケネスはめまいを覚える。
    「じょ、冗談はそれくらいにしていただきたい、白金の君」
    「クスクスクスクス」
     白金の君と呼ばれ、女はまた笑いだす。
    「そうでございました、わたくしはあなたにそう呼ばれていたのでした」
     そこでパサ、と女はフードを脱ぐ。ほんのりと青白い、プラチナブロンドの髪が、さらさらと揺れていた。
    「そう。そう呼んでいた当時のあなたは、何者でもなかった。
     家を飛び出し、定職にも就かない、言うならば『死と』」「『死と隣り合わせの生活を』、……!?」
     勝手に口をついて出た言葉に驚き、ケネスは口を押さえた。
    「そう、そう。最初に会った時、あなたはそう仰っていました。そしてあなたは、こうも仰っていた。『世界を』」「『世界を操れる力が手に入るんなら、俺は喜んで、命だってなんだってくれてやる』、……う、うう!?」
    「記憶が反復されたご様子ですね。
     そう、思い出してきたでしょう。あなたが願い、そして、わたくしがお助けした内容も」
     口を押さえられず、半端に持ち上げられたままのケネスの手を、「白金」はふわりとつかむ。
    「あなたの願いを、わたくしは聞き届けました。そしてまず、わたくしが与えたのは」
     「白金」はケネスの額に、自分の額を当てた。
    「知恵。世界をがらりと変貌させてしまえるだけの、知恵を授けました。それから次に」
     ケネスから離れ、「白金」は額を拭う。
    「名前。偶然にもあの時、あなたと同じ街にいらした、駆け出しの商人。彼の名前と商売を、あなたに与えました」
    「……な……何だ、……これは……」
     ケネスは頭に、不快なものを感じた。
     まるで頭蓋が裂け、中から何かがどろどろと流れ出て行くような感覚を覚え、ケネスは額に手をやる。だが、傷は無く、血に濡れているような感触もない。
     それでも、頭の中からの漏れ出す感覚は消えない。
    「あなたはそこから駆け出しの武器商人、『ケネス・エンターゲート』なる人物にすり替わった。
     それからあなたは、わたくしから得た知恵を使い、若くして世間に広く認められる地位を確立した」
     気味の悪い感覚をどうにか抑えようと、ケネスは頭をべたべたと押さえつける。
    「うう、う、あああ……」
    「そうするうち、世界に強い影響を及ぼすような人間が、あなたに接触してくる。そう、予言したのを覚えておいででしょうか」
    「うう……ああ……、バーミー……卿だ、……う、あ、……カーチス・バーミー卿……」
    「その通りでございます」
     うめき、のた打ち回るケネスを眺めながら、「白金」は話を続ける。
    「彼と接触したあなたは、ある提案をするように、わたくしに命じられていました」
    「はっ……はっ、ああ、……はあ、……天帝陛下と、っ、……う、……密かに盟約を、……おお、おああ……」
    「そう、そう。その通りでございます。
     政治的権力と軍事的権力。その上に、あなたが築き上げた経済的権力を合体させれば、非常に強い権力を操ることができる。そう、あなたにお伝えいたしました。
     それから四半世紀――あなたはご自分で望んだ通り、莫大な富を得ました。わたくしとの約束は、無事に果たされました」
    「ぶ、……無事、なっ、……ものかっ、……うげええええ」
     こらえきれず、ケネスは嘔吐する。
     だが吐いた感覚はあるのに、絨毯には染み一つ付いていない。
    「わたくしとの約束は、富を与えるまででございましょう。富を得てからのことは、わたくしの存ずるところではございません」
    「ふ、ざ、……ける、……なっ、……助け、て、くれても、……もう、いっ、か、い……」
    「何故でしょう」
     「白金」は倒れ込んだケネスの横に屈み込み、にっこりと笑う。
    「あなたから得られるものは既に何もございません。交換できるものが無い以上、取引などできようはずが、ございませんでしょう」
    「そっ……、ん……、な、っ……」
     そこで「白金」は、ケネスの耳元につぶやいた。
    「あなたはもう、何もお持ちでいらっしゃらない。
     知恵も、地位も、名声も、富も、伴侶も、子も。
     そしてお名前も」
     それを聞き、彼は反論しようとする。
    「なま、え、……だとっ、……わたし、はっ……、わたしは……」
     だが、そこで思考が凍りついた。
    「……わたしは……だれだ……」
    「すべて失ったご様子ですね。あとはあなたの老いた、醜い肉体だけでございますが」
     女はフードを下ろし、横たわったままの男から離れた。
    「わたくしには不要のものでございます」
     女がそう言い放った瞬間、世界は崩れ落ちた。



     翌日――改めて弾劾会議に出席を求めようと、ジャンニがケネスの寝室を訪れた。
    「総帥さんよ、そろそろ、……ッ!?」
     だが、そこには何もなかった。
     家具どころか床板も天井板も、窓も壁も無く、まるで積木が抜き取られたかのように、ドアの向こうには外の景色が広がっているだけだった。

    火紅狐・金火記 2

    2011.10.13.[Edit]
    フォコの話、314話目。Who done it?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 半ばからかうような、そして半ば憐れむような女の口調に、ケネスはめまいを覚える。「じょ、冗談はそれくらいにしていただきたい、白金の君」「クスクスクスクス」 白金の君と呼ばれ、女はまた笑いだす。「そうでございました、わたくしはあなたにそう呼ばれていたのでした」 そこでパサ、と女はフードを脱ぐ。ほんのりと青白い、プラチナブロン...

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    フォコの話、315話目。
    金火狐になった火紅狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ケネスの寝室に起こった異常事態を検分するため、ジャンニは慌てて、フォコに随行していたモールを呼び出した。
    「何なの何なの、もう……」
    「モールさん、あんた賢者とか、大魔法使いとかみたいなこと言うてはったよな」
    「ああ、そう言ったねぇ、……ふあああ」
     いかにも眠たそうに大欠伸をするモールの手を引っ張りつつ、ジャンニはたどたどしく経緯を説明する。
    「ちょっと調べてほしいねん。俺には何が起こっとるか、よお分からへんし」
    「分かんないのはこっちだね。ふあ……、一体何が?」
    「ケネスの部屋がな、無いねん」
    「はぁ?」
    「さっき部屋に行って叩き起こそう思て、ドア開けたら、部屋ごと消えとったんや」
    「なんのこっちゃ」
     要領を得ず、モールは怪訝な顔をしていたが、ケネスの部屋の扉を開けたところで、事態を把握した。
    「……わーぉ」
    「な? あらへんやろ?」
    「見事にスッポリ抜けてるねぇ。煉瓦の壁から一個、煉瓦を抜き取ったみたいな感じだね」
    「何が起こっとるんやろか? ケネスはどこへ……?」
    「質問は一個ずつにしてほしいんだけどね。
     まず一つ目、『起こってる』、じゃなくて、もう『起こった』、終わった話だね。私にも何が起こったか、判断は付けらんないね。すべてが終わった後だから。
     二つ目、ケネスの居場所とかだけど、それもさっぱり。部屋ごと痕跡が消えてしまってるし、どこに行ったかどころか、生きてるとかを判断することすらも無理だね」
     モールは床板がはがされ、下の階の天井裏が剥き出しになったところに降り、辺りを見回す。
    「……ただ、一つ言えるのは」
    「言えるんは?」
    「人間業じゃないね。何らかの魔術を使ったにせよ、こうまで綺麗さっぱりにくり抜くような術は、私も知らない」

     会議室に集められた金火狐の面々は、この異常な失踪事件を伝え聞いたものの、結局これについては、特に対策などを執ろうとしなかった。
    「まあ、総帥から降ろそうとしとったところで、勝手に消えてくれたわけやしな」
    「探す気にもならんわ。放っといてええんちゃう?」
    「せやな。賛成、賛成」
     ケネスに対する処置はたったの10秒で決まり、皆はすぐさま本題に入った。
    「……ほんで、ニコル。総帥になりたいっちゅうことやったけども」
    「はい」
     末席に座っていたフォコがうなずいたところで、ジャンニは総帥の席を指差した。
    「座ってええで。皆もええよな、それで」
    「ええよ」
    「賛成」
     満場一致を受け、フォコは恐る恐る立ち上がった。
    「ホンマにええですな?」
    「ええよ」
    「……ほんなら」
     フォコは皆に向かって一礼し、その席に座った。
    「えー、コホン」
     と、ジャンニが空咳をし、立ち上がる。
    「まあ、決めるところはビシッと決めたらなな。ほれみんな、立って立って」
     促された面々は素直に立ち上がり、総帥席に座るフォコに、一様に向き直った。
    「本日を以て、我々金火狐一族の宗主、および、ゴールドマン商会の総帥を、ニコル・フォコ・ゴールドマン氏に決定するものとする。
     全員、礼!」
     それを受けて、全員が深々と頭を下げる。
    「……ありがとうございます。これから総帥として、職務を全うするとともに、金火狐一族の繁栄のため、世界にあまねく人々の生活に貢献するため、粉骨砕身の努力を致す所存です。
     よろしく、お願いします」
     フォコも立ち上がり、頭を下げて返した。



     双月暦313年、こうして第10代金火狐総帥が誕生した。
     なお――これまでに、初代総帥エリザの弟「ニコル」の名を受け、また、金火狐の総帥となった人物はもう1名おり、彼は「ニコル2世」と呼ばれていた。
     それに倣い、フォコもこの時期から「ニコル3世」と呼ばれるようになった。

     フォコはようやく、血と涙のにじんだ「火紅・ソレイユ」の名を捨て、誇りある己本来の名を名乗ることができた。

    火紅狐・金火記 3

    2011.10.14.[Edit]
    フォコの話、315話目。金火狐になった火紅狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ケネスの寝室に起こった異常事態を検分するため、ジャンニは慌てて、フォコに随行していたモールを呼び出した。「何なの何なの、もう……」「モールさん、あんた賢者とか、大魔法使いとかみたいなこと言うてはったよな」「ああ、そう言ったねぇ、……ふあああ」 いかにも眠たそうに大欠伸をするモールの手を引っ張りつつ、ジャンニはたどた...

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    フォコの話、316話目。
    恩人たちからの激励。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     フォコの総帥就任後、ゴールドマン家は改めて、その報告を各取引筋に伝えた。

    「偉くなったもんだ、あのへたれ坊ちゃんがなぁ」
     その知らせを受け、真っ先に駆けつけてきてくれたのは、ルピアだった。
    「はは……、恐縮です」
    「しなくていい、そんなもの。へたれなのは前のままだが、君は商人として素晴らしい成長を遂げたんだ。これからは私とも、対等の付き合いだな」
    「いや、そんな。私にとってルピアさんは、商人としていつまでも鑑のような存在です」
     堅い口調で話すフォコに、ルピアはフンと鼻で笑う。
    「何が『私』だよ、青二才のくせに」
    「ふひゃっ!?」
     ルピアはフォコの鼻をつかみ、ニヤニヤと笑う。
    「そんな堅っ苦しい話し方なんぞ、10年早いっての。まだ26だろ、そんなおっさん臭い話し方なんぞ、30超えて子供の一人でもできるまで封印しとけ」
    「ひょ、ひょんひゃんひぅははへ、はひへんほははひはぅひ……(そんなん言うたかて、体面とかありますし)」
    「生意気にしか見えんっつの」
     フォコがふがふがと反論していたところで、ルピアはぴっと鼻から手を放す。
    「ぷひゃっ!」
    「おいおい、なんだよ今の、くっく、『ぷひゃ』って、はははは……」
     ひとしきり笑った後、ルピアはこれからの活動を尋ねた。
    「で、総帥君。今後はどうするんだ? またカレイドマインに本拠地を戻すか?」
    「いえ、……まあ、多少忌々しい思いが無いわけではないですけども、ケネスの目論んどった通り、ここには金をはじめとする大規模な貴金属の鉱床がありますし、鉱業を本業としとるゴールドマン商会としては、ここから離れるのんは非常に心苦しいところではあります。
     なので、金が掘り尽くされるまでは当面、ここに留まるつもりです」
    「ふむ、そっか。……しかしな、フォコ君。それじゃあ、視野が狭いってもんだ」
    「え?」
     きょとんとするフォコに、ルピアはニヤッと笑いかける。
    「この街は海に面してて、一応ながら央南との交通路も通じている。こんないい場所をただ、金を掘るためだけに開発するなんて、勿体ないぞ。
     君は折角、世界中にコネクションを築いたんだ。貿易都市を想定しての開発、なんてのもいいと思うが、な」
    「なんかルピアさん、オークボックス以降から都市開発にハマってはりません?」
     そう突っ込まれ、ルピアは顔を赤くした。
    「……はは、否定はできないな。ハマり症なんだよ、どうにも」

     続いてやって来たのは、西方に一度戻っていたカントだった。
    「就任おめでとう、総帥君」
    「はは……」
     軽い挨拶を交わし、カントは西方での首尾を伝えてくれた。
    「スパス産業が破綻したことは前回伝えた通りだが、その後進展があった。……とは言え、あまり喜ばしいものでないものばかりだけどね」
    「と言うと……?」
    「旧エール家――語弊があるだろうけれども、ミシェル・エールが当主に就いていた方をそう呼ぶことにする――を無力化するため、我々はルシアン・エールを擁立・援助し、新たなエール家当主として、『大三角形』に迎え入れた。
     これにより旧エール家の権威は完全に失墜し、エール商会もまた、破綻の憂き目を見ることになった。……そして残念なことに」
     カントはハンチングを深めに被り直し、悲惨な結末を述べた。
    「ミシェルは自殺した。執務室の窓から飛び降りたらしい」
    「それは……、気の毒な」
    「我々が追い込んだ結果であるし、責任が無いとは言えない。とは言え調べたところ、エール・ゼネストを陰で扇動し、ルシアンを失脚させたことも明らかになっている。
     これらの因果関係をつぶさに追及するのはナンセンスだが、これは自業自得の範疇だろうね。手を汚して手に入れた地位に苦しめられた、その結果なのだから」
    「まあ、……まあ、そう言うしかないでしょうな」
     カントは手帳をチラチラと眺め、今後の対応についてフォコに尋ねた。
    「それで、卿。まだ現時点では君がジョーヌ海運の、実質的な主なわけだが、この度ルシアンから申し出があった。ジョーヌ海運を買い取らせてはくれないか、と」
    「ふむ」
    「君には大変な無礼を申し出ているのは重々承知しているが、やはり西方は閉鎖的な世界らしい。どうしても西方人による経営でないと、取引も難航するようだから。
     それに何より、商業を中核にしている『大三角形』の一角が、何の商会も持っていないと言うのは格好が付かないからね」
    「仕方ないですな。でも、そんなに安くはできませんで」
    「それも承知している。なので、10年ないし20年程度で分割して支払うことはできないか、とのことだ」
    「んー……」
     フォコの方も手帳を開き、ジョーヌ海運の資産価値や事業の規模などを確認し、買収額を検討する。
    「まあ、10年払いの場合やと、1年あたり4、5000万クラムくらいやないですか?」
    「僕にはその辺りの勘定がピンと来ないから、とりあえずそのまま伝えておくよ」
     と、カントはハンチングを浅めに被り直し、いつもの飄々とした雰囲気に戻った。
    「辛気臭い話をしてしまったね。改めて、賛辞を述べさせていただこう。
     就任おめでとうございます、ニコル・フォコ・ゴールドマン総帥」

    火紅狐・金火記 4

    2011.10.15.[Edit]
    フォコの話、316話目。恩人たちからの激励。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. フォコの総帥就任後、ゴールドマン家は改めて、その報告を各取引筋に伝えた。「偉くなったもんだ、あのへたれ坊ちゃんがなぁ」 その知らせを受け、真っ先に駆けつけてきてくれたのは、ルピアだった。「はは……、恐縮です」「しなくていい、そんなもの。へたれなのは前のままだが、君は商人として素晴らしい成長を遂げたんだ。これからは私...

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    フォコの話、317話目。
    堕ちたアバント。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     フォコが総帥に就任し、商人としての頂点に立った、丁度その頃――。



    「ぜっ……、ぜっ……」
     西方、スカーレットヒルの裏町。
     スパス産業が破綻し、債権者に追われる身となったアバントは、そこに身を潜めていた。
    「畜生……! なんでこの俺が、こんな惨めな目にッ……!」
     かつて西方の急先鋒として栄華を極めていた頃の面影は既に無く、その姿は浮浪者そのものだった。
     だが放漫な生活が長かったためか、彼は一向に反省も、立ち直る努力もしなかった。
    「今に見てやがれ、ブタどもめ……! 金と権力とを取り戻した暁には、一人残らず袋叩きにして、嬲り殺しにして、血祭りに上げてやる……!
     俺にはあの、エンターゲートの御大が付いているんだからな! きっと後悔させてやるぞッ!」
     この時点で既にケネスは行方不明になっているが、それを彼が知る術は無い。
    「……、ふぅ」
     一息つこうと、アバントは煙草を口にくわえ、火を点けようとする。
    「クソ、クソ、クソッ……、忌々しい、忌々しい! いつまでも俺が、こんな腐ったところでじっとしてると、……あああ、クソッ!」
     だが南海で受けた怪我の上に、この数年、傲慢に酒をあおる生活を続けていたために、彼の手は思うように動かなくなってしまっていた。
     口元に持って行こうとしたところで、火が点いたままの燐寸はぼたっと、彼の垢じみたコートのポケットに入ってしまった。
    「うわ……!? わ、わっ……、やば、うわっ、わーっ!」
     彼は慌てふためき、わめきながらコートを脱いで逆さにし、バタバタと振って燐寸を出そうとする。
     と、そこへ――。
    「いたぞ、スパスだ!」「逃がすな、捕まえろッ!」
     アバントのわめき声を聞きつけた借金取りたちが、ワラワラと路地裏へ押し込んできた。
    「う、……うううっ」
     アバントはどうにか燐寸と煙草を捨て、転がるようにその場から逃げ出した。

     どうにか借金取りを撒き、アバントは廃屋に転がり込んだ。
    「ぜっ……、ぜっ……、ぜえ……」
     呼吸を落ち着かせながら、アバントはぼんやりと、今後のことを考える。
    (いずれ総帥に助けてもらうとして、……それまでどうするかな。
     もう国境を越えるのは難しいだろうな。商会の破綻は知れ渡っているし、前みたいな顔パスはできない。いや、できたところで、壁の向こうで借金取りが待ち構えているかも知れん。
     かと言って、ここみたいな廃屋なんて、そう都合よくあったりもしないしな……。いつまでも身を潜めてもいられん。
     この後、どうするか……?)
     寝転がったまま、アバントはまた煙草を口にくわえようとした。

     と――。
    「お控えくださいませ。わたくしにとって、あまり好ましい香りではございません故」
     震える手でようやく口に運んだ煙草を、誰かにひょいと取り上げられた。
    「う……!」
     アバントはバタバタと起き上がり、煙草を取り上げた白いフードの女から遠ざかる。
    「お、俺を捕まえようとしても、無駄だぞ! 俺はもう払うもんなんか無い! 若くもないから肉体労働もご免だ! お前らに捕まるくらいなら死んでやる!」
    「あらあら、勿体ない」
     女はぽい、と煙草を投げ捨てる。煙草は空中で、ぱす、と軽い音を立てて粉々になった。
    「あなたはまだ一つ、価値のあるものをお持ちでございましょう」
    「な、なに?」
    「あの方を呼ぶ口実でございます」
    「あの、方……? エンターゲート総帥か?」
    「彼は既に、この世におりません」
    「何だと!?」
     青ざめるアバントに、女はすい、と近寄る。
    「あなたにしていただきたいこと。それは克大火様を呼び寄せることでございます」
    「かつ、みたい、か? 誰だそりゃ」
    「わたくしが最も憎むお方でございます。
     あなたには克大火様を呼び出し、この剣を以て殺していただきたいのです」
     そう言って女は、どこからか直剣を取り出した。
    「う……っ」
     その剣には呪文や魔法陣らしきものがびっしりと刃に描かれており、普通の剣には見えない。
     魔力のないアバントでさえも、その剣から発せられる、深い穴のような、引力じみたものを感じずにはいられなかった。
    「この剣にはどこどこまでも魔力を吸着し、霧散させる力が付加されております。この剣を以てすれば、どんな魔術障壁や強化術も、例外なく無効化されます。
     名付けて、『魔絶剣 バニッシャー』」
    「その、カツミとかってのは、魔術師なのか?」
    「ご明察でございます。わたくしが知る限りで、最も優れた魔術師。ですが尊敬・敬愛の念とともに、言葉では言い表せぬ程の侮蔑・忌避の念も抱かずにはいられないお方。
     そのため、わたくしはあなたに殺害を依頼するのです」
    「だ、だが、何故俺に? 俺はこれから逃げなきゃ……」
    「報酬は勿論ございますとも」
     そう言って、女はくる、と背中を向ける。
    「このように」
     女が右手を、す、と上から下に振り下ろす。太い鋼線がちぎれるようなミチミチと言う音がしたかと思うと、空中に、紫色に光る亀裂が走った。
     女はそこに、ひょいと手を伸ばす。
    「別の場所へお送りすることも可能でございますし」
     亀裂の向こうで何かをつかんだらしく、女はそれを引っ張り上げた。
    「この十数年の騒乱の陰で、わたくしには小国を2、3買える程度の資金を築いております。逃走経路の確保と逃走資金3億クラムで、いかがでしょうか?」
     女の言葉は非常に魅力的なものだったが、アバントの耳にはほとんど入らなかった。
    「あ……あ……」
     女が亀裂の向こうから引っ張り出したものは、あの「骸骨兎」――サザリー・エールの、腐乱した死体だったからだ。

    火紅狐・金火記 5

    2011.10.16.[Edit]
    フォコの話、317話目。堕ちたアバント。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. フォコが総帥に就任し、商人としての頂点に立った、丁度その頃――。「ぜっ……、ぜっ……」 西方、スカーレットヒルの裏町。 スパス産業が破綻し、債権者に追われる身となったアバントは、そこに身を潜めていた。「畜生……! なんでこの俺が、こんな惨めな目にッ……!」 かつて西方の急先鋒として栄華を極めていた頃の面影は既に無く、その姿は浮...

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    フォコの話、318話目。
    白い妖魔からの取引。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「そ、そい、そいつはっ……!?」
     ガタガタと震えだすアバントに対し、女は淡々とした口調で説明した。
    「2ヶ月ほど前に、彼は逃走中、山道から転落いたしました。顔が背中の方を向いておりますから、恐らく即死でございましょう」
    「そ、そいつは子供を連れていたはずだ! その子らは……!?」
    「存じ上げません。同様に転落したはずですが、姿はございまませんでした。とは言え恐らく、同様に死んでいるものと思われます」
     その言葉の行間から、アバントは彼女がサザリーたちを山道から突き落とし、殺害したことを悟った。
    「何故そんなことを……!?」
    「計画に邪魔でございますから。いつまでもふらふらと逃げ回っていらっしゃると、見つかってしまう可能性もございます。あのお方を呼ぶためには、行方不明のままであってもらわねば」
    「計画、……って、何がどうなるんだ? そのカツミってのと清家姉弟が、何か関係が?」
     女は芝居がかった仕草で両手を挙げ、それを否定した。
    「いいえ、いいえ。まったくございません。関係があるのは、克大火様が護衛をなさっているランド・ファスタ卿でございます」
    「ファスタ卿……、確か、清王朝に対する反乱軍の参謀をしてたとかって、その……、そいつから聞いたな。西方に来て、行方を追ってるとか」
     アバントはそう言って、サザリーの腐った頭を指差す。
    「分かってきたぞ……。そのファスタ卿に、俺がその、清家姉弟の居場所を知ってるとリークして、どこかにおびき寄せる。そしたらファスタ卿は……」
    「きっと克大火様を連れて、そこへと現れるでしょう。そこで、殺害していただきたいのです」
    「なるほどな」
     アバントはふらりと立ち上がり、女にこう尋ねた。
    「そう言えばあんた、名前は?」
    「わたくしに名前はございません。好きなように呼んでいただいて構いません」
    「そうか。じゃあ、……ティナとでも」
    「承知いたしました」
     そう言うと、女はフードを脱ぐ。
    「……!?」
     その下に現れた顔を見て、アバントはまた腰を抜かした。
    「て、てて、てぃ、……っ、そ、そんな!?」
    「どういたしました」
     フードの下から現れたのは、かつて南海で共に仕事をしていた、あのティナ・サフランの顔だった。
     だが、アバントはすぐに別人だと判断した。
    「……い、いや、似ている、だけか。声が違う。傷もないし、髪の色も違う」
    「わたくしはこの、雪のように白い髪が気に入っております故。
     それよりもアバント様。承諾していただけますか」
     アバントは呆然としていたが、「ティナ」のその顔を見て、ふつふつと沸き上がってくるものを感じていた。
    「……条件を付けても、いいか?」
    「仰ってみてください」
    「ホコウ・ソレイユってのも、一緒に殺したい」
    「一緒に呼べるのであれば、どなたでも、何人でも呼んでいただいて構いません。わたくしの方でも数名、援護をお付けいたしますので」
    「いや、そいつだけだ。そいつだけは、何としてでも俺がブッ殺す」
    「承知いたしました。ではこの剣と」
     「ティナ」はアバントに「バニッシャー」を手渡し、彼の額にちょん、と人差し指を置く。
    「少しばかりの魔力と、魔術も」
    「うお……っ!?」
     アバントは額から全身にかけて、何か猛々しいものがドクドクと流れ込んでくるのを感じた。



    「アバントから……!?」
     313年、3月。
     フォコが総帥としての新体制を整えている最中に、その報せは入った。
    《ああ、本人からの手紙が密かに、ランドへと送られた》
     フォコはイエローコーストの総帥用執務室から、「魔術頭巾」で大火からの連絡を受けていた。
    「その内容は……?」
    《『清双葉、清三守姉弟は自分が預かっている。彼らの身柄を引き渡すのと引き換えに、現在自分にかけられている負債、指名手配、および懸賞金を全面解除しろ』、……と要求してきた。
     ランドはこのことを『大三角形』筋に報告し、現在彼らと協議中だ。だが恐らく、要求は却下されるだろう》
    「そらそうでしょうな。西方商人にとってあいつは、海外資本を楯に威張り散らした、憎き裏切り者ですからな。
     でも清家の身柄を確保するんはランドさんの目的ですし、そこは通さなあきませんな」
    《ああ。だから今、ランドは『要求を呑むふりをしてアバントと接触し、拘束してはどうか』と提案している。恐らくそれで、話がまとまるだろう》
    「でしょうな。……で、タイカさん。何故それを僕に?」
    《アバント・スパスの要求はもう一つある。お前と話がしたいそうだ。ティナ・サフランなる人物のことで》
    「……!」
     その名前を聞き、フォコは椅子を倒して立ち上がった。
    「それは本当に……!?」
    《こんなことで嘘を言ってどうなる?》
    「あ、いや、タイカさんに言うたんやなくて、……ああ、まあ、何でもないです。
     タイカさん、すぐに連れてってください!」
    《分かった、1時間後に向かう。用意をしておけ》
    「ありがとうございます」
     フォコは「頭巾」を被ったまま執務室を飛び出し、自分の書斎へと向かった。
    (話だのなんだの、……ちゅうのは方便や。アバントは恐らく、僕と決着を付けるつもりなんや。
     恐らくは、命の取り合いと言う意味での、決着を)
     フォコは書斎に入り、クローゼットに押し込んでいた、昔の服や武器を取り出した。

    火紅狐・金火記 終

    火紅狐・金火記 6

    2011.10.17.[Edit]
    フォコの話、318話目。白い妖魔からの取引。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「そ、そい、そいつはっ……!?」 ガタガタと震えだすアバントに対し、女は淡々とした口調で説明した。「2ヶ月ほど前に、彼は逃走中、山道から転落いたしました。顔が背中の方を向いておりますから、恐らく即死でございましょう」「そ、そいつは子供を連れていたはずだ! その子らは……!?」「存じ上げません。同様に転落したはずですが、...

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    フォコの話、319話目。
    「火紅」の、最後の因縁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     大火の魔術により、フォコはまた西方、セラーパークへと召喚された。
    「ランドさん、お久しぶりです」
    「久しぶり。変わりなさそうだね」
    「まあ、たかだか半年ぶりですからな。ランドさんの方も変わりなさそ、……て」
     挨拶を返そうとしたところで、フォコはランドの背後からひょい、と姿を現したランニャを見て驚いた。
    「やっほ」
    「な、何でおんの?」
    「ご挨拶だなぁ。母さんとタイカさんを通じて、あたしにも話が来たんだよ。このヤマはあたしも結構関わってるし、決着は最後まできちっと付けたいんだよ」
    「……まあ、ええけど」
    「それよりもホコウ」
     ランドはフォコの格好を見て、険しい表情になる。
    「やっぱり君も、そうなると予想してるみたいだね」
    「そら、まあ」
     フォコは魔杖に曲刀、ナイフ、ターバン、厚手のローブと、総帥以前によく着ていた、戦闘を重視した格好をしていた。
    「西方中の債権者から狙われとるあいつが、わざわざ自分から名乗りを上げるなんて、怪しいにも程があります。
     恐らくは何らかの罠を仕掛けていると見て、間違いないでしょう」
    「罠? 誰に? ……いや、聞くまでもないか。君だ」
    「ええ、多分。進退窮まり、このまま拘束されるくらいならいっそ、堕ちる原因を作った僕を亡き者にしたい、と思うてるんでしょうな。
     もしかしたら清家姉弟を匿っとるっちゅうのんは、嘘かも知れませんな」
    「恐らくはね。それに、まだ商会が残っていた頃に、僕と君とがつながっているのはエール氏辺りから聞いているだろうし、僕も狙われているのかもね。だから僕に、手紙を出したんだろうけど」
    「……ここまで殺意が見え見えやと、正直、行きたくない気持ちもありますな。『大三角形』の方から国の方に頼んで、軍の出動を要請した方がええんやないです?」
    「僕もそう思ったし、『大三角形』筋も最初、その線で通そうとしていたんだ。
     だけど残念なことに、『たかが一破産者の拿捕に駆り出されるほど、我々は安くない』って怒られたらしい」
    「まあ、とんでもない怪物が現れて船が出されへん、……とかならともかくですけど、流石に人ひとりのためには動いてくれませんか。しゃあないですな」
    「まあ、嘘か本当か、どちらにせよ、僕にとっては清家姉弟の情報を知っている人間だし、何としても拘束したいところだ。
     それに君にとっても、大恩ある人間を殺した仇敵だろう? 居場所が分かっている以上、追わないわけには行かない」
    「……ええ、勿論。この因縁は、何が何でも決着を付けなあきません」
     フォコがそう意気込んだところで、ランニャがバタバタと手を振った。
    「勿論あたしも行くよ!」
    「なんでやねん」
    「当たり前じゃんか。フォコくんを危ない所へ、一人では行かせらんないもん」
    「あのなあ……」
     呆れるフォコに対し、ランドは妹の意見を汲む。
    「いや、相手が罠を仕掛けて待ち構えている可能性が高い今回、戦闘要員は多い方がいい。ランニャは戦いに長けた人材だし、むしろ居てくれた方が助かるだろう」
    「ありがと、お兄ちゃん」
    「どういたしまして。
     それから、同じ理由から大火とイール、レブも勿論連れて行く。後、マフシード殿下も魔術に心得があると言うことだから、後方支援をお願いした。
     あとは……、モール卿がいれば良かったんだけど」
    「モールさんやったら、僕が総帥になる直前に、妙な事件がありまして。それを詳しく調べたいと言って、そのまま行方が分からなくなりました」
    「そっか、残念だな。
     じゃあこの7名で、彼が指定した待ち合わせ場所へ向かう。みんな、準備はできてるかい?」
     ランドの問いかけに、そこにいた全員がうなずいた。
    「ちなみに待ち合わせ場所は、どこなんです?」
    「彼が元々有していた、エカルラット王国内、スカーレットヒルにある軍需工場。そこで僕と君を、待っているそうだ」
    「言わば、敵の本丸ですな。……重々、気を付けなあきませんな」
    「ああ。……まあ、とは言え」
     ランドは傍らの大火に目をやり、にっこりと笑う。
    「タイカがいれば、大体のことは問題無いだろう。彼に敵う人間は、モール卿くらいだし」
    「……」
     大火は何も言わず、代わりにニヤリと笑って返した。

    火紅狐・昔讐記 1

    2011.10.20.[Edit]
    フォコの話、319話目。「火紅」の、最後の因縁。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 大火の魔術により、フォコはまた西方、セラーパークへと召喚された。「ランドさん、お久しぶりです」「久しぶり。変わりなさそうだね」「まあ、たかだか半年ぶりですからな。ランドさんの方も変わりなさそ、……て」 挨拶を返そうとしたところで、フォコはランドの背後からひょい、と姿を現したランニャを見て驚いた。「やっほ」「な、...

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    フォコの話、320話目。
    ゴーレム製造工場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     フォコたち一行はすぐに、スカーレットヒルへと飛んだ。
    「ここ?」
    「ここのはず」
     フォコとランドは、夜の闇を背にして立つ目の前の建物を見て首をかしげた。
    「……明かりが煌々と点いとりますな。それにあちこちから蒸気が漏れてますし」
    「工場を持っていた商会が破綻した以上、稼働させる人間はまず、いないはずだ。
     論理的に考えるなら、ここに潜んでいるであろうスパス氏が動かしているんだろうけど……」
    「こんな大規模な工場やと、一人では無理でしょうな。誰か協力する人間がおる、と見て間違いないと思いますわ」
    「しかしそうなると、協力者が気になるところだ。破産した人間にわざわざ手を貸す人がいるとは思えないけど……。何かの恩義からかな?」
    「それはないですわ。あいつが偉くなってから一度、直に会うたことありますけど、とても人気・人望を集められるような態度やありませんでしたしな」
    「……まあ、門前であれこれ言っても、事態の進展は望めないな。ともかく中に入ろう」
     一行はそっと門を開け、敷地内へと足を踏み入れた。

     と――。
    「下がれ!」
     大火がぐい、とフォコたち二人の襟を引っ張り、門の外へと戻した。
    「うわっ!?」「きゅっ!?」
     次の瞬間、フォコたちがいた場所に、大人の背くらいはあろうかと言う長さの槍が二本、突き立てられていた。
    「グルル……」「グゴゴ……」
     そして槍を、工員のような格好をした「何か」がつかんでいる。どうやらどこかから跳躍し、二人を串刺しにしようとしたらしい。
     その「工員」たちの顔は、目や鼻が無く、のっぺりとしている。ただ一つ、口だけがぽっかりと空いており、それが顔全体の異様さを際立たせている。
     明らかに人ならざるその姿に、ランニャが声を上げた。
    「な、何だよコレ!?」
    「あ、コレってもしかして!?」
     すぐさまイールが前に飛び出し、雷の術を唱えた。
    「『スパークウィップ』!」
     パン、パンと音を立てて青白い電撃が飛び、「工員」たちを弾き飛ばす。
    「ガガ、ガッ……」「ググ、ゴバ……」
     弾かれた「工員」は地面に叩き付けられると同時に、粉々になった。
    「やっぱり、ゴーレムね!?」
    「ああ。しかし青江の時に見た『将校』よりも大分、造りは荒いな。
     だが、恐らくは同一人物が造ったか、もしくは、造り方を教えていたのだろう。こんな技術を持つ人間は、そうそういないから、な」
    「教えていた、って……、アバントにですか?」
     フォコの問いに、大火は小さく首を振る。
    「その可能性もあるが、教わった人間がアバントに協力している、と言うことも考えられる。
     何にせよ、この工場が稼働している理由は恐らく、そこにあるだろう、な」
    「何だっけ、ミスリル化けーそ、だっけ? ソレを製造して、ゴーレムを造ってるのね」
     大火は残った槍を引き抜き、それを眺めながら、全員に注意を促した。
    「やはり火紅、お前の読みの通りだったな。最初から、まともに取引などする気は毛頭無いらしい。
     最大限、警戒しておくことだ」
     そのまま中へ入る大火を先頭に、皆が続いた。



    「お越しになったようです」
    「全員、戦闘配置に付きました」
    「……そうか」
     工場の上層、溶鉱炉を迂回するために張られた空中通路で、「工員」たちを使って守りを固めていたアバントのところに、それぞれ緑と黒、青と黒、橙と黒のストライプになったピエロ服を着た子供たちが三人、やって来た。
    「それでジャガー、何人やって来た? ホコウとファスタ卿、それからタイカってのは、その中にいるのか?」
     問われた緑黒のピエロは、憮然とした顔で答えた。
    「大火『様』、でございます。主様の尊敬を無碍にされぬこと、くれぐれもお願い申し上げます。
     ええ、ええ、来ていらっしゃいます。その他に有象無象の方々が、4名」
    「全部で7名か。どんな奴らだ?」
     今度は青黒のピエロが答える。
    「猫獣人の女と虎獣人の男、軍人風の方が1名ずつ。短耳の女、瀟洒な身なりの方が1名。後は狼獣人の女、お転婆そうな方が1名。
     猫獣人と短耳は、魔術を使うようです」
    「そうか。そいつらも、強そうなのか?」
    「あえて数値化するならば――この近辺を巡回する兵士の強さの度合いを10前後とした場合ですが――ニコル卿は40~70程度、ファスタ卿は1~2、猫獣人は80~150、虎獣人は90~130、短耳は8~11、狼獣人は60~100。
     そして大火様は13000~15000程度と思われます」
    「タイカ、……様だけ桁が違うな。そこまで強いのか?」
    「ええ、非常に。ちなみに、ご参考までに申し上げますと、わたくしマスタングが250程度。そちらのクーガーは280。それからこちらのジャガーは、320程度にチューニングされております」
    「……ちょっと待て」
     数値を聞いたアバントは、顔を青ざめさせる。
    「1万対、200や300じゃ、どうあがいても勝ち目がない! どうやって俺が、そのタイカ様を倒すって言うんだ!? まさか俺の強さが、100万あるわけじゃないだろ!?」
    「ええ。アバント様は――主様から貸与された魔力がなければ――20~40程度でございます」
    「……ホコウより弱いのか、俺は。……い、いや、それより。
     そこまで桁違いに強い奴を、どうやって殺せって言うんだ!? 数値のデカさが、まるで蟻と象だ! 無理だろ、どう考えても!?」
    「いえいえ、アバント様。大火様にはある、致命的な欠点がございます」
     わめくアバントに、橙黒のピエロ、クーガーが答えた。
    「彼は『自分は何よりも強い、絶対的な存在である』と自負していらっしゃいます故」
    「……?」

    火紅狐・昔讐記 2

    2011.10.21.[Edit]
    フォコの話、320話目。ゴーレム製造工場。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. フォコたち一行はすぐに、スカーレットヒルへと飛んだ。「ここ?」「ここのはず」 フォコとランドは、夜の闇を背にして立つ目の前の建物を見て首をかしげた。「……明かりが煌々と点いとりますな。それにあちこちから蒸気が漏れてますし」「工場を持っていた商会が破綻した以上、稼働させる人間はまず、いないはずだ。 論理的に考えるなら、...

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    フォコの話、321話目。
    空気清浄講習。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     工場入口のすぐ側、工員用の食堂に入ったところで、どこか膠(にかわ)やニスに似た臭いがフォコたちを出迎えた。
    「うえ……っ」
    「何よ、この臭い?」
     普段から仏頂面の大火も流石に顔をしかめながら、その答えを告げる。
    「ミスリル化珪素の精製過程に発生する、アルデヒド系の臭いだな。
     長時間、大量に吸引しない限り無害ではある。だが、精製設備の無いこの区域でこの濃度であれば、恐らく施設内は、さらに濃い状態にあるだろう。健康に差し支えのある可能性は十分高いだろう、な」
     大火はぼそ、と何かを唱える。
    「あまり得意としない術ではあるが――『フィールドウォッシュ』」
     途端に周囲の空気が、焦げた樹脂のような臭いから、滝の近くのように清涼なものへと変化した。
    「これは一体……?」
    「浄化術、と言うものだ。詳しい説明は省くが、人間にとって『負(マイナス)』に作用する場や物質を、『正(プラス)』に転換する働きがある。
     端的には、毒気のある空気を心地良いものに変える、などの効果を生ずる」
    「なるほど、それでこのような澄んだ空気が……。
     大変興味を惹かれました。良ければご教授願いたいのですが」
     そう願い出たマフスに、大火は一瞬顔をしかめる。
    「断る。そう得意ではない……、いや」
     が、少し間を置いて撤回した。
    「この場所では、少なからず必要になる、か。いいだろう、不十分な要素はあるが一応、教えておこう。
     イール、フォコ。お前たちも覚えておいたほうがいい。まとめて教授してやる」
    「どうもです」
    「ありがと」

     フォコたち3人が大火から術を学んでいる間に、ランドたち兄妹とレブは壁に貼られた工場見取り図を確認していた。
    「基本的には4階建て。だけど2階と3階の大部分は空洞、か。1階の真ん中に溶鉱炉があるみたいだし、排気のために吹き抜けにしてあるのかな」
    「多分そうだよ。こんだけでっかい設備だと熱、めっちゃめちゃ籠りそうだもん。……あー、ヤな思い出がよみがえるぅ」
    「ヤな思い出って?」
    「小っちゃかった頃、ウチにあった高炉で迷子になって、干からびかけたコトがあってさー……。そん時はもう、母さんに滅茶苦茶怒られたよ」
    「ああ、聞いたことがあるな。まあ、小っちゃい頃のことだし、今なら笑い話だよ」
     ランドはなぐさめのつもりでそう言ったが、ランニャはぺたりと狼耳を伏せ、頭を抱えてしまった。
    「そうなんだよなぁ……、確かに笑い話なんだ。母さんお得意の『三大笑い噺』にされてるんだもん。酔っぱらうといっつも、その話するんだよなぁ」
    「ちなみに他の2つは何なんだ?」
    「従兄弟のガルフが結婚式で酔い潰れて、酒樽に頭突っ込んだ話と、兄ちゃんが小っちゃい頃、どっかに落としたメガネを探してる最中に、柱に頭ぶつけた話」
    「……とんだ藪蛇だよ」
     顔を赤くするランドを見て、レブは思わず噴き出した。



     アバントは空中通路から、眼下の溶鉱炉や生産ラインを眺めていた。
    (正直に言って、……気味が悪い)
     ゴーレム製造にあたって改造された溶鉱炉からは、気持ちの悪い臭いがもくもくと立ち上り、鈍色の、高温のために薄ぼんやりと光る液体をドロドロと攪拌(かくはん)している。
     それが鋳型に流し込まれ、外から取り込んだ水と空気とで急速に冷やされ、鈍色の、半透明なビレット(加工のため棒状に固められた素材)になって、コンベアの上をゴロゴロと転がっていく。
     その先には裁断機が待ち構えており、ビレットはそこで細切れにされた後、また熱加工と鋳型とで、人型へと形成されていく。
     形成されたその鈍色の塊は紫色の、魔力を帯びた光を数回、パシャパシャと断続的に当てられ、それにより自分から、のろのろと動き始める。
     そのうちに表面の鈍色は人に似た肌色に変わり、工員用に用意された作業服を身に着け、余った在庫の中から武器を取り出して、どこかへと去っていく。
    (ゴーレム、……とか言っていたが、最終工程の時点ではほとんど、人間とそっくりだ。それがわらわらと湧き、ひとりでに服を着て、武器を手に外へ……。
     駄目だ、考えると吐きそうになる)
     アバントは見下ろすのをやめ、新鮮な空気を吸おうと通気口へ向かった。
    (ここにいれば下からの強襲は防げるのは確かだが、……この濁った、焼けた空気が延々と上がってくるのが敵わん! マジで吐きそうだ……)

    火紅狐・昔讐記 3

    2011.10.22.[Edit]
    フォコの話、321話目。空気清浄講習。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 工場入口のすぐ側、工員用の食堂に入ったところで、どこか膠(にかわ)やニスに似た臭いがフォコたちを出迎えた。「うえ……っ」「何よ、この臭い?」 普段から仏頂面の大火も流石に顔をしかめながら、その答えを告げる。「ミスリル化珪素の精製過程に発生する、アルデヒド系の臭いだな。 長時間、大量に吸引しない限り無害ではある。だが、精製...

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    フォコの話、322話目。
    ゴーレム部隊との衝突。

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    4.
     大火からの講習を終え、フォコとイール、マフスは浄化術を習得した。
    「え、と……、『ホワイトブリーズ』」
     マフスが魔杖を振った途端、周りの焼け濁った空気が、清浄なものへと変わる。
    「できました!」
    「上出来だ。お前には浄化術の素質があるらしい」
    「光栄です」
     大火にほめられ、マフスは嬉しそうに笑う。
     反面、フォコもイールも、憮然とした顔をしている。
    「どないです?」
    「あんまり……、変わんないかも。もっかい、……『ホワイトブリーズ』!」
     イールは魔杖代わりの鞭を何度か振ってみるが、マフスのようにガラリと空気が変わるまでには至らず、ふわっとした風が立つ程度だった。
     フォコの方はそれより悪く、何の変化も見受けられない。
    「間違うてませんよね、術式とか呪文の構文とか」
    「俺が聞く限り、おかしな部分はない。単純に素質の問題だろう。浄化術や治療術などは、極端に使い手を選ぶから、な」
    「そら残念ですな。……となると、実質使えるのんは、マフスさんとタイカさんだけですな」
    「行動がかなり制限されるね、そうなると」
     地図を写し終えたランドが、話の輪に加わる。
    「万が一、毒ガスの濃度の高い施設内で分断された場合、タイカやマフス殿下とはぐれてしまうと、生命維持に関わってくる。極力、固まって行動した方がいい」
    「賛成ですな。何より、ゴーレムは大量製造が可能なんでしたな、タイカさん」
    「ああ。この工場の規模であれば、設備を改造して1時間当たり30~40体は製造可能だろう」
    「人目がありますし、改造を終えて製造し始めたんは恐らく、今日からでしょう。
     昼から製造を始めたとして、今はもう夜の8時。200体以上はいると見て、間違いないでしょうな」
    「恐らく、な。対するこちら側は、ゴーレム破壊に有効な、雷の術が使える者は2名。同様に浄化術が使えるのも、2名。
     奴らに強襲され、分断された場合、このガスと敵の多さは非常に危険だ。くれぐれも、離れるなよ」
    「ええ」
     そこでランドが手を挙げ、地図の写しを皆に見せる。
    「4階に総裁室がある。施設内をうろうろして、こんなガスを自分から吸ってちゃ世話無いし、恐らくここに籠っているだろう」
    「食堂からやと……、あの階段を上がっていけば、すぐですな」

     階段を上がったところで、猛烈な毒気がフォコたち一行にまとわりついてくる。
    「うえ……っ」
    「あっ、あっ……、『フィールドウォッシュ』!」
     マフスが慌てて浄化術を唱え、周囲の空気が浄化された。
    「ふむ……。効果範囲は大体、半径10メートルと言うところか。手早く回らないとまずい、な」
    「わたしの力が足りなかったのでしょうか……」
     しゅんとするマフスに、大火は小さく首を振る。
    「いや、俺が唱えたものと相違は無い。ガスがあまりにも濃すぎるのだ」
     と、レブが通路の先に、うごめくものを発見する。
    「っと、来やがったぞ!」
     その声に、全員が武器を構え、警戒する。
     次の瞬間、通路の奥からぺたぺたと音を立てて、「工員」たちが駆け寄ってきた。
    「グウオオオオ!」「ガアアアアウウ!」
     「工員」たちは獣のような咆哮を上げながら、フォコたちとの距離を詰めていく。
    「真っ正面から考え無しに突撃、……ホントに能無しなのね。……『スパークウィップ』!」
     イールが雷の術を放ち、迎撃する。
     それをまともに受けた「工員」たちは、その場で四散した。
    「よっし! 一丁あがりっ!」「まだだ!」
     反対側からも、「工員」たちが武器を手に走ってくる。
    「今度は僕が! 『ファイアランス』!」
     後方からの敵には、フォコが応戦する。
     発射された炎の槍に、「工員」たちは縦に並んで4体、一直線に貫かれる。
    「グボッ!?」「ゴボボボ……」
     「工員」たちは一瞬で燃え上がり、液状になって溶けていく。
    「火の術にも弱いみたいですな」
    「ああ。極端なエネルギーの上昇・加圧に、非常に弱い」
    「ま、また来たよ!?」
     今度は前後両方から、「工員」たちが押し寄せてくる。
    「前は俺に任せろ」
     大火が刀を抜き、「工員」たちの前に立ちはだかる。
    「『五月雨』ッ!」
     ぱぱぱ……、と空気を切り裂く音が立て続けに響き渡り、「工員」たちを一人残らず細切れにする。
    「ほな、後ろは僕たちで!」「行くわよッ!」
     後方から迫りくる「工員」たちに、フォコとイールは魔術を連射する。
    「『ブレイズウォール』!」「『スパークウィップ』!」
     火の術と雷の術の波状攻撃に、大量に湧いて出た「工員」たちは、あっと言う間に消滅した。
     一行はそのまま警戒態勢を続けるが、新手が来る気配は無かった。
    「……もう、来ないみたいね」
    「ふう……」
     思わず、誰ともなくため息が漏れてくる。
     マフスのおかげで、吸い込んだ空気は心地の良いものだった。

    火紅狐・昔讐記 4

    2011.10.23.[Edit]
    フォコの話、322話目。ゴーレム部隊との衝突。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 大火からの講習を終え、フォコとイール、マフスは浄化術を習得した。「え、と……、『ホワイトブリーズ』」 マフスが魔杖を振った途端、周りの焼け濁った空気が、清浄なものへと変わる。「できました!」「上出来だ。お前には浄化術の素質があるらしい」「光栄です」 大火にほめられ、マフスは嬉しそうに笑う。 反面、フォコもイールも...

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    フォコの話、323話目。
    分断される一行。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     一行は廊下を進み、3階へとつながる階段を探していた。
    「なんで階段が続いてないのかしらね。進みにくいったら無いわ」
     頬を膨らませるイールに、ランニャが説明する。
    「多分増設の時、パイプとかダクトとかを通す関係で、階段を連結できなかったんだよ。
     こーゆー乱暴な建物見るとさ、いっつも思うんだよな。もーちょっとくらい計画的に改築しろよ、って」
    「まったく同感やな。もし火事とか起きたら、ささっと外に出られへんやんなぁ」
    「危ないにもホドがあるってもんだよ」
     工場の構造にケチを付け合う二人のやり取りに、イールはクスっと笑う。
    「仲いいわねぇ、あんたたち」
    「え? そ、そうかな、えへへ」
     ランニャは顔を真っ赤にし、嬉しそうに尻尾をぱたぱたと振る。一方、フォコは複雑な気持ちになった。
    「……まあ、ええ方ですな」
     ぷいと顔を背けるフォコに、ランニャは一転、寂しそうな顔になる。
    「え、何? どうかした……?」
    「別に」
     フォコの態度に、イールはカチンと来る。
    「ちょっとホコウ、つれないじゃないの」
    「何がやねんな」
    「女の子が折角慕ってくれてるってのに、邪険にするコトないでしょ、って言ってんのよ」
    「そんなつもりはありまへん。それよりも、今は大事な仕事中です。真面目にやって下さい」
    「……はーいはい」
     イールとランニャは、揃って口を尖らせた。

     その会話を一歩離れて聞いていたマフスは、「はあ……」とため息を漏らした。
    「どうした?」
     と、それを聞いたレブが、心配そうにマフスを見つめる。
    「いえ、何でもありません」
    「そっか。まあ、疲れてきてるとは思うが、休憩できそうな場所が無いからな。もうちょい、辛抱してくれ」
    「ええ。……あの、レブさん」
    「ん?」
     マフスは肩を怒らせて歩くフォコを眺めながら、恐る恐る尋ねる。
    「ホコウさんとは、長いお付き合いをされているんですよね?」
    「ああ、まあな。初めて会ったのが308年だから……、もう5年か」
    「昔から、あのように……、その、女の方に冷たい態度を? 南海でもあのような素振りを、何度かお見かけしたのですが」
    「……そう言うんじゃないな、あれは。きっと相手がランニャちゃんだからだよ」
    「え?」
    「それともう一つ。あいつにはランニャちゃんとは別に、10年近く想ってる人がいるからな。その板挟みなんだろ」
     レブの話の本意が分からず、マフスは首をかしげるしかない。
    「板挟み……? それは、どう言う……?」
    「……まあ、女の子に冷たいかそうじゃないか、って話については、マフス殿下。あんたにはそんな態度は、きっと執らないだろうよ」
    「はあ……」



     どうにか3階に上がる階段を見つけ、一行はそのまま上がろうとした。
    「やれやれ、参るわねホント。何回ゴーレムを吹っ飛ばしたか」
    「これでようやく半分か。思ったより難航してるなぁ」
     そうこぼし、ランドが階段に一歩、足をかける。
     と――次の瞬間、足元の床が突然、崩れ落ちた。
    「な……!?」
     ランドはとっさに階段を駆け上がり、下には落ちずに済む。最後尾にいた大火もバックステップで崩落をかわし、難を逃れる。
     しかし残りの5人は、そのまま下へと落ちてしまった。
    「……参ったな。下に助けに行かなきゃ」
    「いや、それは得策とは言えん」
     大火はぼそ、と土の術を唱え、抜けた床の上に、板状の岩を形成する。
    「既にここに侵入し、30分以上が経っている。これ以上長居すれば、ガスによる中毒症状で、行動不能に陥る奴も出てくるだろう。
     それよりも速やかに元凶を倒し、ガスの発生を止めた方がいい」
    「そう言う考え方もあるな……。よし、君がいることだし、このまま進もう。
     一応、下に声をかけてみるよ」
     ランドは床の隙間から、下を覗き見た。

    「いってぇ……」
    「あいたたた……」
     1階、倉庫。
     3階に上がる階段を直前にして、フォコ、ランニャ、レブ、イール、マフスの5人は、ここへと落とされてしまった。
    「だ、大丈夫か、みんな? ランニャは?」
    「ケガとかはないけど、早めにどいてくれないかな。袋ん中の粉が、かなり煙たい」
    「あ、……ごめん」
     フォコは慌てて立ち上がり、自分の下敷きになってしまったランニャに手を差し伸べ、布袋の中から助け起こす。
    「ほい、っと」
     身軽な猫獣人であるイールは、ひらりと木箱から飛び降りる。
    「だ、大丈夫、か?」
    「え、ええ」
     レブ自体は普通に、床へと着地したものの、直後に降ってきたマフスをとっさに抱きかかえたため、両手足がプルプルと震えている。
    「……遠っ」
     ランニャが天井に空いた穴を見上げ、ため息をつく。
    「倉庫やからなぁ。地下1階分くらい、掘り下げてあるんやな」
    「コレじゃ、登るのは無理ね。……また同じルート、通らないといけないのね」
     と、その穴から声が聞こえてくる。
    「みんな、無事かい!?」
    「あ、ランドだ。こっちは無事よ!」
     ランドの呼びかけに、イールが手を振って応える。
    「良かった! 流石に下までは遠すぎるから、僕とタイカは先に行くよ! 君たちも早めに来てくれ!」
    「分かった! すぐ追いかけるわ! 先行ってて!」
     それに応じたらしく、ランドの姿は穴から見えなくなった。
    「急ぎましょ、みんな。毒ガスのコトもあるし、のんびりもしてらんないわ」
    「だな。……殿下、もう降りてもらっていいか?」
     レブに抱きかかえられたままだったマフスは、そこで我に返った。
    「……あっ、す、すみません!」
     マフスは慌てて、レブの懐から離れようとした。

    火紅狐・昔讐記 5

    2011.10.24.[Edit]
    フォコの話、323話目。分断される一行。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 一行は廊下を進み、3階へとつながる階段を探していた。「なんで階段が続いてないのかしらね。進みにくいったら無いわ」 頬を膨らませるイールに、ランニャが説明する。「多分増設の時、パイプとかダクトとかを通す関係で、階段を連結できなかったんだよ。 こーゆー乱暴な建物見るとさ、いっつも思うんだよな。もーちょっとくらい計画的に改...

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    フォコの話、324話目。
    北方紳士の矜持。

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    6.
     だが突然、レブはまた、マフスを抱きしめてきた。
    「えっ、あの、な、何を?」
     レブはそれに答える代わりに、ばっと後ろへ跳ぶ。
     最初に工場の門を潜ろうとした時と同様、そこへ槍が飛んできた。
    「……チッ、ここまで追ってくるかよ!」
     レブはマフスを抱えたまま、槍が飛んできた方向に目をやる。
    「クスクスクスクス」
     積み上げられた木箱の上に、青と黒のストライプのピエロ服を着た子供が立っていた。
    「誰だ、お前は!?」
    「わたくしの名前は、マスタング。アバント・スパス様を支援している者でございます」
    「お前がゴーレムを……!?」
     そう問いかけたフォコに、マスタングはチラ、とだけ目をやり、すぐまたレブの方を向いた。
    「わたくしの役目は、こうして『アリジゴク』にかかった蟻たちを抹殺すること。
     さあ、頭を垂れて膝まづきなさい、哀れな子羊たちよ!」
     そう叫び、マスタングは飛び降りる。
    「蟻だの子羊だの、一々うっとおしい物言いしやがって……!」
     レブはひょい、と体勢を落とし、マフスを一瞬宙へと浮かす。
    「ぁゎわわ……」
     マフスの体の下を潜り、レブはそのまま彼女を背負う。
    「しっかり捕まってろよ、殿下」
    「あ、ああ、はいっ!」
     マフスがぎゅっとしがみついたところで、レブは腰に佩いていた直剣を抜き払った。
    「やってみろよ、クソガキ!」
    「あまりわたくしを、見た目で判断されない方が賢明かと」
     マスタングは――その少女じみた顔に似つかわしくない、汚泥を見るかのような目つきで――ニタニタと笑いながら、槍を手に取った。
    「えい」
     身長の2倍はあろうかと言う長さの槍を、マスタングは片手で、事もなげに抜く。
    「……なるほど、確かに強そうだな」
    「ご忠告しておきますと」
     マスタングは槍を構え、慇懃な口調でこう諭した。
    「その『お荷物』を背負われたままでは、到底わたくしの槍を受けることなどできませんよ」
    「ご忠告、どうも」
     レブはマフスを背負ったまま、マスタングに向かって剣を構えた。
    「だがこんな敵地のど真ん中、か弱いお姫様を一人ぼっちにゃできないぜ。
     俺はこれでも北方紳士だ。女子供は身を賭してでも守らなきゃ、名折れってもんだ」
    「クスクスクスクス」
     マスタングは口をパカリと開け、気味の悪い笑いを漏らした。

     と――。
    「『サンダースピア』!」
     マスタングの背後に回っていたイールが、雷の槍を発射した。
    「あ……」
     くる、と振り向いたところで、マスタングの腹に、深々と槍が突き刺さる。
    「敵が真ん前にいるのに、チラ見で済ませてんじゃないわよ!」
    「あ、ふ……、ゆ、油断、いたしました」
     マスタングはがくりと膝を着くが、口調に変化はない。
    「なるほど、あなたは、雷の術を、お使いに、なるのですね」
    「それが何よ!? ……って、アンタ、生きてるの?」
    「わたくし、このくらいでは、壊れたりなど、いたしません」
     マスタングはゆらりと立ち上がり、槍を構える。
    「ご忠告いたします。もう一度、同じ術を撃っておいた方が賢明でございますよ」
    「そうか」
     ぎち、とマスタングの首から音が響く。
    「じゃあ俺からも、ご忠告。後ろにも気を付けるべきだな」
    「あなた方は、不意打ち、ばかりなさる」
    「敵を目の前にして、とぼけたことばっかり言いやがって」
     レブの剣が、マスタングの首の3分の1のところで止まる。
    「硬てぇな……!」
    「わたくし、少しばかり、骨が、鋼で、できて、いるもので」
     口ぶりこそ平然としたものだが、実際のところ、ダメージは蓄積されているらしい。
     見下していたような目が、忙しなくギョロギョロと動いており、また、斬り付けられた首の右側面につながる右腕が、だらんとしたまま動かなくなっている。
    「イール」
    「ええ」
     レブが剣を首から離すと同時に、イールがもう一度雷の術を放つ。
    「う、あああ、……あアアうアあウあアっ!」
     今度はしっかり効いたらしい――首から上がパンと弾け、あの鈍色に照り光る小石となって飛び散った。
    「……これも、ゴーレムね。でも、性能は今までのと比べ物にならないくらい」
    「二人がかりで、目一杯剣と術を叩き付けて、ようやく首だけか……。チッ、刃こぼれしてやがる」
     レブは忌々しげに刃を拭い、鞘に納める。
     と、背負われたままだったマフスが、ここで恐る恐る声をかけてきた。
    「あの、レブさん。もう、大丈夫です……」
    「あ、そうだった。……よ、っと」
     レブはしゃがみ込み、マフスを下ろしてやる。
    「ありがとうございます、レブさん。……あ、あの」
    「ん?」
    「……ありがとうございます」
    「おう」
     頬を真っ赤に染めるマフスを遠目に眺めていたイールは、ほんの少しニヤニヤと笑った。
    (あらあらぁ……?)

    火紅狐・昔讐記 6

    2011.10.25.[Edit]
    フォコの話、324話目。北方紳士の矜持。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. だが突然、レブはまた、マフスを抱きしめてきた。「えっ、あの、な、何を?」 レブはそれに答える代わりに、ばっと後ろへ跳ぶ。 最初に工場の門を潜ろうとした時と同様、そこへ槍が飛んできた。「……チッ、ここまで追ってくるかよ!」 レブはマフスを抱えたまま、槍が飛んできた方向に目をやる。「クスクスクスクス」 積み上げられた木箱の...

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    フォコの話、325話目。
    大火の弱点。

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    7.
     倉庫を抜け出したところで、フォコたちは溶鉱炉の前に出た。
    「う、わ……」
    「こりゃ、きつい、ってか、ヤバっ」
     溶鉱炉周辺は、視界がかすむほどの毒ガスが充満していた。
    「も、戻って戻って! マフスさん、お願いします!」
     慌てて引き返し、マフスに浄化術を発動してもらってからもう一度、溶鉱炉へと向かう。
    「……ぶはあっ! し、死ぬかと思った」
    「こ、コレはたまんないわね」
     大火が急激なエネルギーの上昇、即ち加熱にも弱いと言っていた通り、溶鉱炉の周辺に「工員」の姿は無い。
    「居てへんで良かった。こんなところで戦闘しとったら、敵にやられる前に死んでまうわ……」
    「ホントだよ。……あれ?」
     と、上を向いたランニャが、天井近くに張られた通路に、何らかの影を見つける。
    「ねえフォコくん、アレって」
    「ん……?」
     ランニャが指し示した方を見てみると、フォコにも確かに、影のようなものが確認できた。

     その、空中通路。
    「あらあらあらあら」
     唐突に、ジャガーが口を開く。
    「な、なんだ? どうした?」
    「マスタングが潰されました」
    「何だと!?」
    「まあ、しかし。潰される直前、わたくしとクーガーの方へ、敵の情報を送ってくれました。これで二の轍を踏むことはまず、ございません。
     とは言え情報によれば、克大火様以外にもわたくし共の弱点とする、雷の術を使う人間がいるとのこと。であれば予想以上に早く、ゴーレムたちの防衛網は突破されてしまうでしょう」
    「ど、どうするんだ!?」
     狼狽するアバントに対し、ジャガーはニコニコと笑っている。
    「迎撃いたします。クーガー、お願いいたします」
    「承知いたしました、ジャガー」
     ジャガーとクーガーは互いにぺこりと頭を下げ、クーガーはその場を離れた。
    「……もうお前らのうち、一人が消えたのか。200だの300だのと言っていたのに」
    「最初から、マスタングは情報収集および解析のための要員でございました故。いわゆる『当て馬』でございます」
    「お前ら……。仲間を捨て駒にするとは」
    「クスクスクスクス」
     アバントの言葉に、ジャガーは気味の悪い笑いを浮かべる。
    「あなた様も、同じではないですか。雇い主を拉致し、かつての同僚も手にかけ……」「やめろッ!」
     アバントは思わず、ジャガーの頬を引っぱたいていた。
    「何をなさいますか」
    「お、俺の前で、あいつの話は、するな……ッ!」
    「あいつとは、クリオ・ジョーヌ氏のことでございましょうか。それとも、ティナ・サフラン氏の……」「やめろと言ったのが聞こえなかったのか!?」
     アバントはブルブルと震え、通路の手すりにしがみついた。
    「俺は、俺は……っ!」
     と、そこでジャガーが、突然天井へと跳んだ。
    「え……?」
     アバントは突然消えたジャガーを見つけようと、辺りをきょろきょろと見回す。
     と、視界の端――空中通路の、総裁室へつながる地点から、二人の男が近付いてくるのを捉えた。

    「……っ」
    「アバント・スパスさんですね? 私はランド・ファスタです。
     あなたから受け取った手紙に従い、こうしてこちらまで伺いましたが、工場内に入ってからの対応を見るに、あなたはどうやら、姉弟の引き渡しや、交渉をするつもりは無いようですね。
     ご同行を願います。抵抗される場合、実力行使もやむなしと考えています」
     そうランドが告げたところで、大火がずい、と前に出て刀を向けた。
    「そう言うわけだ。大人しく投降しろ」
     だが――アバントはそれに従わず、真っ白な「ティナ」から預かったあの剣、「バニッシャー」を構えた。
    「こっ、断る! それ以上近付くな! 近付いたら斬るぞ!」
     しかし、大火はそれに耳を貸さない。
    「ランド。生きていれば構わんな?」
    「ああ。口が利ける程度であれば、多少は傷を負わせていい」
    「分かった」



     百戦錬磨、古今無双の猛者である大火は、剣を構えてはいても、ブルブルと震えるアバントを、まったく敵などとは見ていなかった。
     大火にとってそれは、縁日での射的や酒場でのダーツ遊びの如く、何ら危険要素の無い、他愛も無い遊び同然の戦闘だったのだろう。

     だからこそ大火は、一直線にアバントの間合いまで踏み込み、何の疑いもなしに、袈裟斬りにアバントの肩を狙ったのだ。

     だからこそ、アバントが「バニッシャー」を振り上げても、大火はまるで警戒しなかった。
     自慢の神器「黒花刀 夜桜」を以てすれば、剣ごとアバントを叩き斬るのは容易だと考え、そのまま振り下ろしてしまった。



     その後の流れは、だからこそ、必然と言えた。
    「え?」
     その言葉は、いつも仏頂面で平然としている大火には、似つかわしくない疑問符だった。
    「ばかな」
     大火の右側面を、「バニッシャー」によって断ち切られた「夜桜」の破片が、くるくると回って飛んでいく。
     チン、と高い音を立てて、破片は通路の淵で一度跳ね、そのまま下へと落ちていく。
    「う、ぐ……っ」
     一瞬の間を置いて、通路には続いて、大量の血が飛び散った。
    「は、ははは、はは……、や、やった、やったぞ!」
     アバントはずるりと、大火の脇腹から「バニッシャー」を引き抜いた。

    火紅狐・昔讐記 7

    2011.10.26.[Edit]
    フォコの話、325話目。大火の弱点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 倉庫を抜け出したところで、フォコたちは溶鉱炉の前に出た。「う、わ……」「こりゃ、きつい、ってか、ヤバっ」 溶鉱炉周辺は、視界がかすむほどの毒ガスが充満していた。「も、戻って戻って! マフスさん、お願いします!」 慌てて引き返し、マフスに浄化術を発動してもらってからもう一度、溶鉱炉へと向かう。「……ぶはあっ! し、死ぬかと思っ...

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    フォコの話、326話目。
    業火に焼かれた黒い悪魔。

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    8.
    「ば、かな、……何故、『夜桜』が」
     大火は口から、おびただしい量の血を吐いた。
     その血をボタボタと浴びながら、アバントは勝ち誇った。
    「し、知ったことか! この剣の方が、お前の得物より優れてたんだろ!?」
    「ありえん……! この、『夜桜』は、俺のむす、……っ!?」
     大火の背後、右肩甲骨下から鳩尾辺りにかけて、槍が突き立てられる。
    「物事に『絶対』など無いのですよ、克大火様」
    「おま、え、はっ……!」
     大火は振り向こうとしたが、そこで力尽きたらしい。
     突き立てられた槍と、右手に握っていた「夜桜」の残骸と共に、大火は通路から転落した。



     2階から3階へ上がったところで、フォコたちは妙な音を聞いた。
    「……今なんか、ドボンって音しなかった? 水ん中に人が飛び込んだよーな」
    「したような」
     3階に上がり、一行は下の溶鉱炉を見下ろした。
    「……?」
    「波立っている、……のはさっきと同じみたいですけれど」
    「あっ!? みんな、アレ!」
     ランニャが指差し、皆は「夜桜」の柄部分を、沈む直前のほんの一瞬だが、確認することができた。
    「あれって、タイカさんの……、ですよね?」
    「その、はず」
     一行は顔を見合わせ、何が起こったかを推察した。
    「まさかタイカさんが……!?」
    「なワケないじゃない! あんだけ強いのよ!?」
    「でも今見たのは、確かにあの刀のだよ!? よっぽどのコトが無くちゃ、愛刀を落とすなんてありえないじゃないか!」
    「……先を急ぎましょう!」
     フォコは身を翻し、4階へと急ごうとした。だが――。
    「クスクスクスクス」
    「……!」
     通路の奥から、橙と黒のストライプ柄のピエロがやって来るのが見えた。
    「新手か……!」
    「その通りでございます。わたくしの名は、クーガー。
     皆様、残念ですが。ここで追走劇はおしまいでございます」
     クーガーは両手に剣を持ち、襲いかかってきた。



     目の前で起こった光景に、ランドは呆然とするしかなかった。
    「……そんな、……ありえない……!」
    「何寝ぼけてやがる、ファスタの御大さんよぉ!?」
     大火と対峙していた時とは一転、アバントは居丈高に振る舞ってくる。
    「あのタイカ様とやらは、俺がブッ殺してやったぜ!? 次はお前の番だ!」
    「……っ」
     ランドは退却しようと、足を一歩後ろに引こうとする。ところが、いつの間にかジャガーが背後に回り込み、がっしりと腰をつかんでくる。
    「どこへ行かれるのです、ファスタ卿。目の前に、拿捕しなければならぬ敵がいらっしゃるではないですか」
    「はっ、離せっ!」
     ランドはもがき、振り払おうとするが、自分より二回りも小さなこのピエロは、まるで地面に深く突き刺さった岩のように、ビクともしない。
    「アバント様。ついでと言ってはなんですが、彼もお願いいたします」
    「おう」
     アバントは剣に付いた大火の血を拭い、構え直す。
    「お前らがアレコレと追い回してくれたせいでよ、サザリーの奴は死んじまったぜ? そしてこの俺も、ヒィヒィ言わなきゃならない生活を送る羽目になったんだ。
     命の一つくらいもらっとかねえと、割に合わねえよなぁ?」
    「エール氏が死んだ!? じゃ、じゃあ清姉弟は……」「知るか、タコ! どうせ一緒に野垂れ死にしてるさ。
     お前はタイカの御大と一緒に、あの世でそいつらの行方を追えばいい」
    「や、やめろ……!」
     ランドは必死にもがき、アバントとジャガーから逃れようとした。

     と、その時だった。
    「うわ、……っと!?」
     突然、ジャガーの戒めが外れ、ランドはごろんと転がる。
    「おい、ジャガー!? なに手を放して、……!?」
     アバントは怒鳴りかけたが、事態を把握した途端、凍りついた。
    「あれ。わたくしの手は、どちらに」
     いつの間にかジャガーの右腕が、ばっさりと断たれていたのだ。
    「こ、ここ、だ」
     びちゃ、びちゃっと音を立てながら、大火の声が聞こえてくる。
    「生きていらっしゃいましたか」
    「さ、さす、流石に……、ま、魔力、は、か、空、に、な、なった、が、……な」
     ランドが声をのした方を向くと、そこには鈍色の液体を滴らせながら、ガクガクと痙攣(けいれん)する大火の姿があった。
    「タイカ!」
    「し、しっ、失敬、した。こ、このっ……、俺、が、ふ、ふかっ、不覚、をっ、と、取ろ、ろう、と……、と、とは」
     そう言うと、大火はガクリと崩れ落ちた。
     その手には金と紫とに光る手帳らしきものと、ジャガーのものらしい右腕が握られている。
    「なるほど、『黄金の目録』でご自身の魔力をブーストし、溶鉱炉内で受けたダメージを多少は軽減することができた、と言うところでございましょうか。
     ですが、それで精一杯のご様子。到底、戦闘のできる状態にはございますまい」
     ジャガーの言う通り、大火の痙攣はまったく収まる様子を見せない。肩が大きく上下し、顔を挙げようともしない。
     どう見ても、致命傷を受けたのは明らかだった。
    「……ま、まったく、驚かせやがる。どっちにしろ、死にかけじゃないか! 俺の相手なんぞ、できそうに無いな、え、おい!?」
     アバントは再び居丈高になり、剣を構え直して大火に近付いた。

    火紅狐・昔讐記 8

    2011.10.27.[Edit]
    フォコの話、326話目。業火に焼かれた黒い悪魔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「ば、かな、……何故、『夜桜』が」 大火は口から、おびただしい量の血を吐いた。 その血をボタボタと浴びながら、アバントは勝ち誇った。「し、知ったことか! この剣の方が、お前の得物より優れてたんだろ!?」「ありえん……! この、『夜桜』は、俺のむす、……っ!?」 大火の背後、右肩甲骨下から鳩尾辺りにかけて、槍が突き立て...

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    フォコの話、327話目。
    物理学実験対決。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    「しぇあッ! りゃあッ! せやあッ!」
     二刀流で攻め立てるクーガーの前に、フォコたちは苦戦していた。
    「くそ、速えぇ……!」
     レブやランニャが攻撃しようとしても、恐ろしく動きが速く、捉えきれない。何とかすれ違いざまに斬り付けても、ガリガリと金属音が鳴るばかりで、一向に致命傷に至らない。それどころか――。
    「あ、ああっ!?」
    「どうした!?」
    「剣、折れた……」
    「マジかよ……」
     マスタング同様、クーガーも体内に鋼芯を埋め込まれているらしく、斬り付けた剣の方が痛むと言う有様だった。
     一方、マスタングには有効だった雷の術も――。
    「ああっ、もう! 何でまっすぐ行かないのよ!?」
     どうやらフォコたちが3階へ上がる前に、何らかの細工がされていたらしい。電撃は一向にクーガーへ向かうことなく、ぐねぐねと軌道を曲げ、壁や床に落ちていく。
    「ほんなら、僕がッ! 『ファイアランス』!」
     フォコの放った炎の槍も、クーガーはひらりとかわしていく。
    「あなた方の攻撃手段はすべて、解析済みでございます。
     物理攻撃は元より、関節部分以外には対して効き目はございませんし、そこを狙った攻撃のみかわせば、問題は無し。
     雷の術に関しては、電気の性質を利用すれば回避は容易なこと。周辺に磁性体を撒いておきました故、わたくしに当てることは非常に困難。
     火の術もまた然り。高エネルギーで指向性の強い術は、極めて直線的な軌道になる。目と手、体の動きを観察すれば、どこへ発射されるかは明確。また『ブレイズウォール』など、一定の範囲に渡って火を撒く術に関しても、この接近戦で使用すれば、自身にダメージを受けることは明白、よって使うことはありえない。
     さあ、他にわたくしを倒す手立てはございますか」
     クーガーの言う通り、フォコたちの得意とする攻撃手段はすべて、封じられてしまっている。
     打つ手が無くなり、フォコたちは立ちすくむしかなかった。
    「それではお覚悟のほど、よろしくお願いいたします」
     クーガーは両手に握った剣を掲げ、威圧の姿勢を執った。

     と――どこからか、声が飛んできた。
    「『レイブンストーム』!」
     次の瞬間、クーガーの左側面から大量の、黒い何かが飛んでくる。
    「わ、わ、わ、わわわわ」
     大火の「五月雨」以上の猛烈な連射に、クーガーの体勢は崩れ、その場から吹き飛ぶ。
    「大層な講釈、ご苦労さん。お返しに私も、いっちょ授業をしてあげようかね」
     掃射された方角から、いかにも魔法使い然とした風体の、赤毛の長耳が現れた。
    「も、モールさん!」
    「待たせたね。ま、話は後だ。そこのピエロちゃんを、ちゃっちゃとやっつけたげるね」
    「あなたが、モール・リッチ、でございますか」
     弾き飛ばされたクーガーが、横になったままそう尋ねる。
     だがモールは答える代わりに、「授業」を開始した。
    「まず一個目」
     モールは魔杖「ナインテール」をクーガーに向けながら、距離を詰めていく。
    「薄い金属板や液化した金属を、強力な衝撃波とか遠心力とかで弾き飛ばすと、面白いコトになる。丁度、今のキミみたいにね」
    「これ、でしょうか」
     クーガーは自分の体に張り付いた、薄い金属板をはがそうとする。
     だが板は幾重にも折り重なり、関節を曲げることを阻害しているため、はがせるほどの力を発生させるに至らない。
     それどころか立ち上がることすらできず、浜辺に打ち上げられた海老のように、ピクピクとしか動けないでいる。
    「今回用いたのは、土の術で周囲から精製した軟鉄。そう、キミが撒いたって言う磁性体だね。ソレを、キミにこれでもかって貼り付けてやった。遠目に見ると鴉の大群に見えたろ? だから『レイブン(鴉)』って名付けたんだけども、ま、ソコはどーでもいーから飛ばすね。
     やらかい金属を硬いモノに超スピードでぶつけると、そんな風にぺっちゃりと貼り付いて硬化するのさ。もっとも、ふつーの人間や何かにこんなもん浴びせたら、固まる前にミンチになっちゃうし、むしろこの術の本来の使い方はそっちなんだけどね」
     ニヤニヤとフォコたちに笑いかけながら、モールはさらにクーガーとの距離を詰める。
    「二個目。下の溶鉱炉を見ても分かるように、キミたちゴーレムの体は可燃性の、ミスリル化珪素で形成されてる。
     珪素(シリコン)、つまり不導体だけども、コレ自体はあるエネルギー波の影響を受けない。でも今のキミみたいに大量の導体、即ち軟鉄に囲まれてる状態で『ソレ』を浴びたら、どーなるかなー?」
    「導体に干渉する、あるエネルギー波、……え、……ああああ」
     クーガーの目にはじめて、恐怖の色が浮かぶ。
    「答えはマイクロ波。……『ジャガーノート』!」
     モールが呪文を唱えた瞬間、クーガーの体全体に、ビチビチっと気味の悪い音を立てて火花が走り、瞬時に燃え上がった。
    「くぎゅううううううええええええ」
     軟鉄の板に包まれたクーガーの体のあちこちから、ほとんど真っ白に近い炎が噴き上がる。10秒と経たず、クーガーはその場から蒸発した。
    「ピエロの包み焼き、完成だね。
     以上、本日の講義は終わりってね。なんか質問は? されても困るけど」
     モールはニヤニヤ笑いながらそう尋ねたが、フォコたちはモールが何を言っているのか分からず、呆然としていた。
    「……今のん、分かった?」
    「分かんない」
    「分かんなくていい。どーせ後300年は使わない知識だしね」
     モールは残った鉄板の残骸を魔杖の先で突きながら、ケタケタと笑っていた。

    火紅狐・昔讐記 9

    2011.10.28.[Edit]
    フォコの話、327話目。物理学実験対決。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9.「しぇあッ! りゃあッ! せやあッ!」 二刀流で攻め立てるクーガーの前に、フォコたちは苦戦していた。「くそ、速えぇ……!」 レブやランニャが攻撃しようとしても、恐ろしく動きが速く、捉えきれない。何とかすれ違いざまに斬り付けても、ガリガリと金属音が鳴るばかりで、一向に致命傷に至らない。それどころか――。「あ、ああっ!?」「ど...

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    フォコの話、328話目。
    決着の時。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     辛うじてジャガーの腕を落としたものの、ランドと大火の形勢は依然、最悪のままだった。
     大火は依然、半ば這いつくばった状態で、まともに動くこともできない。ランドに怪我は無いものの、武器など扱ったことはなく、魔術も使えない。
     ランドは大火を助け起こそうと、彼に近寄る。だが大火は、それを震える声で制止した。
    「さ、わる、な」
    「えっ、でも……」
     ランドは肩を貸そうと、彼のコートに降れる。
    「……あつっ!?」
    「さ、さわ、るなと、言っ、た、だ、ろう」
     まだ彼の体にこびりついていたミスリル化珪素が冷め切っておらず、ランドは指先に軽い火傷を負ってしまう。
    「クスクスクスクス」
     二人の様子を見て、ジャガーはあの、気味の悪い笑いを浮かべる。
    「惨めでございますね、克大火様。あれほど傲慢に振る舞い、刃向かう者すべて返り討ちにするあなた様が、この体たらく。
     これでようやく、わたくしたち兄弟の犠牲が報われると言うもの。主様も、喜ばれることでしょう」
    「おしゃべりはその辺でいいだろ、ジャガー。そろそろ、とどめを刺すぜ」
    「ええ、お願いいたします」
     ジャガーの許可を得て、アバントが「バニッシャー」を上段に構え、蔑んだ目でランドたちを見る。
    「観念しやがれ、このカスどもめ……!」
    「……クッ、クク、ククク」
     と、倒れ伏したままの大火が――もしかしたら痙攣のせいなのかもしれないが――肩を震わせて笑う。
    「カスと、き、来たか。み、身の、程を、し、し、知らん、な」
    「あぁん?」
    「ジャガー、と、やら。お前、も、同類、だ」
    「何を仰るかと思えば。身の程知らずは、あなたの……」
     そこでジャガーの言葉が止まり、ごとん、と重たい音が通路に響く。
    「……え?」
     音のした方に目をやると、ジャガーの首がごろごろと転がり、通路の淵を落ちていくのが目に入った。
    「な、何をした、てめえ!?」
    「お、俺が、ただ落ちて、戻って、きた、だけ、だ、だと、お、思う、のか」
     そこでようやく、ランドとアバントは通路のあちこちに、薄く刃状になったミスリル化珪素が散らばっているのに気付いた。
    「ど、どんな形に、でも、か、加工、できる、ものが、これだけ、ある、なら、使わん、手は、あ、あるまい?」
     それだけ言って、大火は黙り込む。流石に精根尽き果てたらしく、ピクリとも動けないらしい。
     だが、小心者のアバントを怯ませるには、それだけで十分だった。
    「ち、畜生ッ……!」
     アバントはランドたちに背を向け、逃げ出した。

     しかし空中通路の、その中程で、アバントは立ち止まらざるを得なくなる。
    「あ……、う……」
     クーガーを撃退したフォコたちが、通路へ進入してきたからだ。
    「アバント、……観念せえや」
     フォコはレブから先の折れた剣を借り、アバントの前に歩み出る。
    「ホコウ……」
    「僕と、お前とで一騎打ちや。決着、付けるで」
    「……やって、どうするってんだ」
     アバントはフォコの背後に並ぶ一行と、自分の後方でうずくまる二人とを交互に見て、悪態をつく。
    「お前を殺しても、他の奴らが俺を逃がしゃしない。もうどうしようもあるかってんだ」
    「……まあ、そうやな。やっても、意味は無い」
     フォコは剣を下ろし、アバントに近付く。
    「それよりも話を聞かせてほしい、っちゅうのんが僕の本意や。
     お前はティナのことを知っとる言うてたけど、ホンマか?」
    「……ああ」
     アバントも剣を下ろして、その場に立ちすくむ。
    「何を知っとる?」
    「……ちょうど、ここだ」
     アバントは剣を持っていない左手で、空中通路の手すりを指差した。
    「ここ? 何のことや?」
    「……したのは」
    「何やて?」
     何を言ったのか聞き取れず、フォコはさらに近付く。
     と――アバントの表情が読み取れるくらいの距離で、フォコは、彼がニヤリと笑ったのに気付き、警戒した。
    「……ッ」
    「ここだよ、ここ。
     ここで俺は、あのアバズレを――突き落してやったのさああああッ!」
     アバントは左手をフォコへとかざし、火の術を放った。

    火紅狐・昔讐記 10

    2011.10.29.[Edit]
    フォコの話、328話目。決着の時。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. 辛うじてジャガーの腕を落としたものの、ランドと大火の形勢は依然、最悪のままだった。 大火は依然、半ば這いつくばった状態で、まともに動くこともできない。ランドに怪我は無いものの、武器など扱ったことはなく、魔術も使えない。 ランドは大火を助け起こそうと、彼に近寄る。だが大火は、それを震える声で制止した。「さ、わる、な」「えっ...

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    フォコの話、329話目。
    灼熱の黄金卿。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    11.
    「なっ、……!?」
     フォコは耳と目から入ってきた、どちらの情報に対しても驚愕していた。
     しかし無理矢理に冷静さを取り戻し、とっさに火球をかわして、もう一度尋ねる。
    「い、今、何て言うた!? ティナのことか!?」
    「そうだよ、ボンクラあッ! この俺が、ティナをブッ殺したんだよッ!
     お前もとっとと後を追え、『ファイアボール』!」
     アバントは立て続けに、火の術でフォコを狙う。
    「ホンマに……、ホンマにっ……! お前が殺したんか!?」
    「何べん言えば分かる? 脳みそが塩漬けにでもなっちまってんのか?
     分かんなきゃ、何度でも言ってやるぜ? 俺だよ! 俺が! ここから! あいつを突き落したんだよッ!」
     何度言われても、フォコの頭の奥に、その言葉が入っていかない。
     いや、無意識に拒否しているのだ――自分の最愛の人、ティナが死んだと言うその情報を。
    「アホな……! 何で、何で……っ!」

    「火紅! ボーっとしてる場合じゃない! ……ええいくそ、こうなりゃ」
     遠巻きに見ていたモールが飛び出そうとしたところで、それをランニャが止める。
    「やめて」
    「何で止めるね!?」
    「フォコくんの戦いなんだ。大丈夫、あいつは勝つよ」
    「……」
     モールはランニャの手を振りほどくのをやめ、そのまま立ち止まる。
    「……勝つって、信じてるから」

     フォコが知る限り、アバントに魔術の素質は皆無だった。
     しかし今、目の前にいるこの老いたアバントは、事もなげに火球を打ち出してくる。
    「どうしたホコウ? ヨメさんの仇だぜ、俺は? 来いよ、一騎打ちだ!」
    「……ううう」
     フォコの口から、勝手に声が漏れてくる。
     それは怒りと悲しみとが混じり合った、激情と混乱の叫びだった。
    「うああ、ああああーッ!」
     フォコも魔杖をかざし、アバントに向かって火の槍を撃ち込む。
    「『ファイアランス』、あいつを消せええええーッ!」
     フォコの怒りが込められた魔術の塊は、アバントの頬をかすめて飛んで行った。
    「うおお!? ……な、なんて威力だ!?」
    「許さへん、許さへんぞアバント! お前だけは、僕がこの手で地獄に送ってやるうあああああッ!」
     アバントが怯んだ隙に、フォコは剣を振り上げて突撃する。
    「く……ッ」
     アバントもとっさに「バニッシャー」を構え、攻撃を防ぐ。
    「お前は骨も残さへん……! 残してたまるか……! 『ファイアランス』!」
     離れざまに、フォコはまた高出力の術を放つ。
     激情に任せて放たれた火の槍は、工場のあちこちに衝突していく。
    「お、おい! やめろ、それ以上撃ったら引火しちまう! お前もただじゃ……!」「死ねええええッ!」
     元々、フォコを挑発して前後不覚にさせ、そこを突く作戦だったのだろうが、アバントのこの企みは逆効果となった。
     怒りに我を忘れ、復讐鬼と化したフォコの魔力は、アバントの予想と対応力をはるかに超えていたからだ。
    「ひっ……!」
     フォコの放った火の槍がぢりっ、と音を立ててアバントの頭をかすめ、残り少ない髪の毛を焦がす。
    「わ、分かった! 俺の負けだ! 投降する!」「知るかボケえええッ! ここで死ねええーッ!」
     アバントが泣きを入れても、フォコは止まろうとしない。
     と――ボン、と何かが破裂する音が、工場のあちこちから響いた。

     怒りで自失状態だったフォコも、その音で動きを止めた。
    「……!?」
    「い、言わんこっちゃねえ! てめえの術が、引火しやがったんだ!」
     そう言われ、フォコは下を向く。
    「……っ!」
     鈍色に光っていた溶鉱炉が、いつの間にか炎の海と化している。どうやらミスリル化珪素の原料を流し込むパイプに「ファイアランス」が直撃し、そこから引火したようだった。
     下の溶鉱炉、そして側面の壁に広がる地獄絵図に、フォコは一瞬気を取られてしまう。
    「『ファイアボール』!」
     その一瞬を狙い、アバントが火球を放った。
    「しまっ……!」
     叫び切る間もなく、アバントの術はフォコの肩を直撃する。
    「ぐあ……っ」
     フォコはこらえきれず、その場に尻餅をついた。
    「へへ、へ、へへ……」
     アバントは勝利を確信し、フォコへと近付いた。

    火紅狐・昔讐記 11

    2011.10.30.[Edit]
    フォコの話、329話目。灼熱の黄金卿。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -11.「なっ、……!?」 フォコは耳と目から入ってきた、どちらの情報に対しても驚愕していた。 しかし無理矢理に冷静さを取り戻し、とっさに火球をかわして、もう一度尋ねる。「い、今、何て言うた!? ティナのことか!?」「そうだよ、ボンクラあッ! この俺が、ティナをブッ殺したんだよッ! お前もとっとと後を追え、『ファイアボール』!」...

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    フォコの話、330話目。
    燃え落ちた結末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    12.
     その時――。
    「……う、……なんだ?」
     アバントがフラ、とよろける。
     どうにか立ち上がったフォコは、アバントを見て硬直した。
    「……え……」
     アバントのすぐ後ろに、人が立っているのが見えたからだ。
    「なんら……? あたまが、いた……っ」
     アバントの呂律がおかしくなり、がくんと膝を着く。
    《……》
     アバントの背後に立つその女性は、フォコを見て悲しそうな顔をした。
    「い、いまがちゃんすなんら……。ほこうろぶっころる……ひゃんす……」
     アバントは無理矢理立ち上がろうとし、また体勢を崩す。
    《……ん……ね……》
     フォコはその時、確かに女性の声を聴いた。
     それは懐かしく、この10年近くもの間、ずっと聴きたかった声だった。
    「……うあ……んふ……なん……ら……」
     次の瞬間、女性は再び立ち上がりかけたアバントを、羽交い絞めにした。
    「うえ……かららら……うろか……ね……」
     そしてフォコに向かって、女性はこう言って――。
    《ごめんね……さよなら》
    「……ティナ……!」
     フォコが立ち上がると同時に、女性も、アバントも、通路から飛んで行った。



    「あ、あいつ!? 自分から落っこちたぞ!?」
     成り行きを見守っていたランニャたちは、アバントがふらふらと倒れこみ、空中通路から落ちて行くのを見ていた。
    「あーあ……、ありゃ毒ガスの吸い過ぎだね。
     脳みそが比喩じゃなく、マジで溶けてたんだろうね。多分平衡感覚やら言語機能やら、全部頭蓋の中でシェイクされてブッ壊れてたろうね、あの様子じゃ」
    「うげぇ、キモっ。……って、講釈聞いてる場合じゃない! 早くフォコくん、助けに行こう!」
    「あ、そうだったそうだった。私は克の方助けに行くよ。動けそうにないっぽいし」

     ドタドタと仲間たちが駆け付ける音で、フォコは我に返った。
    「……いたんや……」
    「え? 何が?」
     手を差し伸べたランニャに、フォコはぼそっと返した。
    「……今、見たんや。通路の上に、……ティナが」
    「何言ってんだよ! 君もガスの吸い過ぎだ! 早くここから脱出しないと!」
    「いたんや……」
     そう繰り返すフォコに構わず、ランニャとレブは彼に肩を貸して、無理矢理に立たせる。
    「確保した! そっちはどうだ!?」
    「全身大火傷だね。しかも腹に穴まで開いてるし。よくコレで生きてられるね、ホント。……っと、ソレどこじゃないね。
     克、術は使えそう!?」
    「……」
    「ダメだ、気絶してる。……んじゃ、勝手に調べさせてもらうよ」
     モールは大火のコートを調べ、紫と金に輝く手帳を見つけた。
    「へー、こんなのあるんだねぇ。便利なもんだ」
    「……?」
     傍らにいたランドには、モールが何を感じ取ったのかは理解できなかった。
    「克、悪いけどキミの『神器』、勝手に使わせてもらうね。
     全員コッチ集合! 術で脱出するね!」
     全員が集まったところで、モールは「目録」を掲げ、呪文を発動した。
    「『テレポート』!」
     その場から脱出すると同時に溶鉱炉と工場全体のパイプが爆発し、空中通路を飲み込んだ。



     一行は工場から大分離れた、郊外の丘に瞬間移動していた。
    「うわ……、すげー爆発」
     燃え盛る工場を眺め、レブがつぶやく。
    「本当、……恐ろしい光景ですね」
     その横にいたマフスが、レブの手を取る。
    「ん?」
    「まだ心の中が落ち着きません。握っていてくれますか?」
    「いいけど」

     その背後で、モールが癒しの術を使い、大火を蘇生させる。
    「……げほ、ごほっ」
    「よお克、しぶといね」
    「……お前が助けてくれたか。感謝する」
    「へへ、一つ貸しだね」

     一方、ランニャはいまだ呆然自失のフォコに声をかける。
    「フォコくん、大丈夫?」
    「……」
    「大丈夫かってば!」
    「……あ、うん。……肩がめっちゃ痛い」
    「焼けちゃってるもんな、ローブ。マフス呼んでこようか? モールさんは忙しそうだし」
    「いや、後でええ。……なあ、ランニャ」
     フォコはくい、とランニャの服の裾をつかんだ。
    「何? どしたの?」
    「……ホンマに、いたんや」
    「ゴメン、フォコくん。あたしには、……見えなかったんだ。モールさんにも、見えてなかったみたいだよ」
    「……それでも、僕は確かに、見たんや。ティナが、僕を助けてくれた」
    「そっか。……そうかもね」
    「……っく」
     フォコは顔を伏せ、ランニャの裾をつかんだまま、嗚咽の声を漏らす。
    「……ひっく、……ぐす、……ぐすっ、……ホンマに、ホンマに死んだんやな……」
    「フォコくん……」
    「……うう、ああああー……っ」
     泣き叫ぶフォコを、ランニャは優しく抱きしめることしかできなかった。

    火紅狐・昔讐記 終

    火紅狐・昔讐記 12

    2011.10.31.[Edit]
    フォコの話、330話目。燃え落ちた結末。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -12. その時――。「……う、……なんだ?」 アバントがフラ、とよろける。 どうにか立ち上がったフォコは、アバントを見て硬直した。「……え……」 アバントのすぐ後ろに、人が立っているのが見えたからだ。「なんら……? あたまが、いた……っ」 アバントの呂律がおかしくなり、がくんと膝を着く。《……》 アバントの背後に立つその女性は、フォコを見...

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    フォコの話、331話目。
    療養と報告。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     アバントとの戦いが終わり、フォコはセラーパークに新しく建てられたエール家屋敷に留まり、療養していた。

     戦いで負った刀傷や火傷はモールの術で治ったものの、その心にはぽっかりと、大穴が開いていた。
     最愛の人が死んだと、殺した張本人から聞かされたフォコのショックは相当なものであり、到底すぐに央中に返って総帥の執務をこなせるような精神状態にはなく、しばらくランニャに介抱してもらいつつ、逗留することになったのだ。

     なので、本来なら誰とも会わず、安静にしているべきなのだが――。
    「いいの、本当に?」
    「ええよ。一人でおると、逆に参ってしまいそうやし」
     フォコは友人や商売仲間との会話を望み、人を呼んだ。



     最初に来てくれたのはこの屋敷の主であり、新エール家当主となったルシアンと、その姪のペルシェ。
    「君から買ったジョーヌ海運を軸にして、エール家を再興しようと思うんだ。で、軌道に乗ったら僕は隠居して、彼女にすべて引き継いでもらう予定なんだ」
    「ふむ、ええですな。となると今後は『ペルシェ・エール』と?」
    「そのつもり。まあ、父さんの苗字も捨てがたいから、まだ迷ってるんだけどね」
    「せやったら、『ペルシェ・ジョーヌ=エール』でええんやないですか?」
    「あ、いいなそれ。使わせてもらうよ。ありがとね、ホコウ兄ちゃん」
     ペルシェはにっこり笑ったかと思うと、一転、沈んだ顔になった。
    「母さんも心配してたよ。……ティナさん、亡くなってたんだってね」
    「……らしいなぁ」
    「気、落とさないでね」
    「それは難しいわ。結構、……ズキンときたからな」
    「そっか……」
     困った顔をするペルシェの頭を、フォコは優しく撫でてやった。
    「まあ、頑張りや」

     続いてやって来たのは、モール。
    「イエローコーストの屋敷で起きた事件の調査の話からなんだけどね。
     ほんのちょこっとだけ残ってた痕跡を追究してみたら、どうも克の術に似たトコがあるっぽかったんだよね。
     で、克にソレを尋ねようかと思ってコッチに来たら、あの工場に向かったって言うし。んで向かってみたら、キミたちがピンチだったから手を貸した、……ってワケさ」
    「なるほど、それでですか。助かりました、あの時は」
     フォコがぺこりと頭を下げる一方、ランニャは気にかかっていたことを質問した。
    「前にさ、南海から西方へタイカさんに連れてってもらった時、なんだっけ、『テレポート』? アレ教えてくれって言って、断られてたよね」
    「そんなコトもあったねぇ」
    「でもなんで工場から脱出した時、モールさんは『テレポート』使えたの? 後で教えてもらったりしてたのかなって」
    「あー……。んー、コレ克に内緒で言っちゃうと怒られそうだしなぁ。……内緒だよ?
     あの時私、克の懐から手帳みたいなの取り出してたの、見た?」
    「うん。なんか金ピカで、紫色の光もチラチラ見えてた」
    「アレは一種の『神器』なんだ。
     言うなれば、めちゃめちゃページ数が多くて一枚当たりの文字数が死ぬほど濃い本、みたいなもんでね。あいつが今までに研究した魔術の記録が、アレ一冊に収められてるんだよね」
    「じゃあ、その中に『テレポート』も?」
    「ああ。他にも色々と機能があってね……」「そこまでだ」
     部屋の扉を開け、大火が憮然とした顔で入ってきた。
    「ありゃ、聞かれちゃってたね」
    「……モール。貸しはあれで帳消しだぞ」
    「ま、仕方ないね」

     今度は、ランドがやって来た。
    「見つかったよ、清姉弟が」
    「無事やったんですか?」
    「ああ、かなり衰弱してたけど、命に別状は無いらしい。……ただ、残念ながら」
     ランドは肩をすくめ、二人の状態を伝える。
    「そもそもの経緯から話せば――姉弟とも、山道を歩いていたらエール氏ごと、誰かに突き落されたそうなんだ。
     そのせいで弟のミツモリくんは両脚を骨折。しかも処置が遅れたせいで、両脚とも壊死。発見された時には既に手遅れで、切り落とすしかなかったらしい。
     姉のフタバちゃんも、目の前でエール氏が死ぬところを見たのが相当ショックだったらしい。ケガ自体は大したことはないんだけど、どうしても目を開けることができなくなっちゃったんだって」
    「モールさんに治療を頼んだら?」
    「僕もそう思ってお願いしてみたんだけど、『完璧にこの世から無くなってしまったモノを元に戻すのは不可能だね。それに私の治療術は、身体的なダメージにしか効果が無い。心の病は適用外だね』だってさ」
    「そっかー……」
    「僕はこれから、二人を連れて央南に向かうよ。清王朝の後継者を保護できたし、これでようやく戦後処理ができそうだ」

     イールとレブ、マフスからも、帰郷の旨を伝えられた。
    「ずいぶん長い間、北方から遠ざかっちゃったからね。そろそろ戻らないと、将軍職から解任されかねないわ」
    「イールさんとレブさんやったら大丈夫やと思いますけどなぁ。
     マフスさんも、このまま南海へ?」
    「……えっと、その」
     と、マフスはレブの腕を取り、顔を真っ赤にして宣言した。
    「わたし、彼に付いていきます!」
    「えっ」
     目を丸くしたフォコとランニャに、レブも顔を真っ赤にしながら答える。
    「なんかさ……、ホレられた」
    「マジですか」
    「まー、いいんじゃん? でも国はどうすんの、お姫様なのに」
    「国のことは、わたしの兄や姉がおりますから。死んだ兄も含めると上から5番目なので、結構身軽なんですよ」
    「そっかー……。まあ、お幸せに」
     ランニャから祝福の言葉を受け、レブとマフスは幸せそうに笑った。

    火紅狐・抱罪記 1

    2011.11.02.[Edit]
    フォコの話、331話目。療養と報告。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. アバントとの戦いが終わり、フォコはセラーパークに新しく建てられたエール家屋敷に留まり、療養していた。 戦いで負った刀傷や火傷はモールの術で治ったものの、その心にはぽっかりと、大穴が開いていた。 最愛の人が死んだと、殺した張本人から聞かされたフォコのショックは相当なものであり、到底すぐに央中に返って総帥の執務をこなせるよう...

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    フォコの話、332話目。
    旧名宛の手紙。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     皆が去り、エール家屋敷は静けさを取り戻した。
     とは言え、フォコとランニャはまだ、ここに留まっていた。
    「ねー、フォコくん」
    「ん……?」
    「いつ、央中に戻るのさ?」
    「……せやね、そろそろ戻らへんとな」
     そう言ってみたが、その後の言葉が続かない。
    「いつくらい?」
    「……いつがええかな」
    「フォコくん」
     ランニャはむに、とフォコの頬をつねった。
    「あいたっ」
    「いい加減、シャッキリしなよ。そりゃ辛いのは分かるけどさ、央中じゃ君の帰りを、今か今かって、みんな待ってるんだよ?」
    「……うん。……そうやんな」
     フォコは視線を落とし、ぼそぼそと、こうつぶやいた。
    「……一緒に、央中に連れて帰りたかったんや。『どうや、これが僕の屋敷なんや!』って、自慢したかった。見て、喜んで欲しかったんや。それが、夢やってん。
     せやのに……、その相手がもう、おらへんなんて。……このまま帰っても、何もやる気にならへんのや」
    「……」
     励ましも叱咤もできず、ランニャはじっとフォコの横顔を見ているしかできなかった。

     と――扉がノックされ、ルシアンの声が聞こえてきた。
    「ニコル卿、君に手紙が届いてるよ」
    「……? 僕に、手紙?」
    「ああ。宛先は『ホコウ・ソレイユ』様になってるけど」
     フォコの代わりに、ランニャが扉を開け、手紙を受け取る。
    「差出人は、……『チャット・ル・エジテ修道院』だって」
    「修道院?」
     思ってもみないところからの手紙に、フォコは首をかしげる。
    「何やろ……? 寄進とかにしても、西方の人がわざわざ外国人の僕に、そんなんお願いするわけも無いし」
    「開けてみたら?」
     ランニャにペーパーナイフを渡され、フォコは手紙を開けた。



    「ホコウ・ソレイユ様へ

     突然、このような手紙をお送りすることをご容赦ください。
     巷であなたのお名前を耳にし、それが以前、私共のところへ身を寄せていたご婦人がよく話していたお名前と同じだったので、もしやと思い、こうして手紙にて、ご連絡させていただきました。
     お伝えしたい件がございます。よろしければ私共の教会へ、ご足労いただけませんでしょうか?
     よろしくお願いいたします。

    チャット・ル・エジテ修道院 院長 バネッサ・カング」



    「僕の名前を……?」
     手紙の内容を見ても、フォコにはまるでピンと来ない。
    「ルシアンさん、この修道院て、どこにあるんです?」
    「分からないな……。調べてみようか」
    「ええ」
     ランニャとペルシェを交え、4人で地図を探したところ、その修道院はエカルラット王国の北に位置する山国、ネージュ王国にあることが分かった。
    「マチェレ王国からは、大分遠いな……。だから君の名前が伝わるのに、相当の時間がかかったんだろうな。
     君が人前で、最後にホコウと名乗っていたのは、もう半年近くも前だから」
    「そう言えば、もうそんなに経つんですな……。
     とりあえず、行ってみましょか」

     一行はネージュ王国を訪れ、その修道院に到着した。
    「結構な山登りでしたな……」
    「だねぇ」
     自分たちが今来た道を振り返ると、雪に覆われた山道が延々と続くのが見えた。
    「あの……」
     と、声をかけてくる者がいる。
    「お客さまでしょうか」
     振り返ると、帽子をかぶった猫獣人の少女が、こちらを見上げているのが目に入った。
    「あ、うん。君、この修道院の子?」
    「はい。イヴォラと言います」
    「そっか。イヴォラちゃん、バネッサ・カングって人、知ってはるかな?」
    「……こっちです」
     イヴォラはこく、とうなずき、そのまま修道院の中へと走り去ってしまった。
    「ありゃ、すごい駆け足」
    「人見知りさんなのかな。……フォコくん、どうかした?」
     神妙な顔をしていたフォコに、ランニャが尋ねる。
    「いや……、帽子、どこかで見たようなと思て」
    「あの型の帽子は、西方ではメジャーな帽子だからね。ほら、リオン家のカント君も被ってたろ?」
     ルシアンにそう言われ、フォコはぎこちなくうなずいた。
    「まあ……、そうでしたな。どこにでもあるようなもん、……でしょうな。
     寒いですし、中、行きましょか」

    火紅狐・抱罪記 2

    2011.11.03.[Edit]
    フォコの話、332話目。旧名宛の手紙。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 皆が去り、エール家屋敷は静けさを取り戻した。 とは言え、フォコとランニャはまだ、ここに留まっていた。「ねー、フォコくん」「ん……?」「いつ、央中に戻るのさ?」「……せやね、そろそろ戻らへんとな」 そう言ってみたが、その後の言葉が続かない。「いつくらい?」「……いつがええかな」「フォコくん」 ランニャはむに、とフォコの頬をつね...

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    フォコの話、333話目。
    西方での、彼女の3年間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     修道院の中、礼拝堂に入ったところで、奥から年配の、兎獣人の女性が現れた。
    「ようこそおいでくださいました。わたしがここの院長をしております、バネッサ・カングです。
    「初めまして。……えーと、あなたからお手紙をいただきまして」
     そう返したフォコに、バネッサは「まあ」と声を上げた。
    「それではあなたが、ホコウ・ソレイユさん?」
    「ええ、まあ」
    「……」
     バネッサはフォコの後ろにいる3人をチラ、と見て、申し訳なさそうな顔をする。
    「すみません。二人だけで話を」
    「あ、はい」
     人払いをし、フォコとバネッサは礼拝堂の椅子に座った。
    「お伝えしたいこと、と手紙にありましたけども、それは一体……?」
    「……あなたは、ティナ・サフランと言う女性に、心当たりはありませんか?」
    「えっ……!?」
     意外な質問に、フォコは思わず立ち上がった。
    「し、知ってます! でも、……彼女は、死んだと」
    「……やはり、そうでしたか」
     その反応に、フォコはけげんな表情を浮かべた。
    「えーと……? 院長、あなたもそのことは存じなかったと?」
    「ええ。わたしが知るのは8年前から、5年前までのこと。
     彼女がここに居た、その間のことだけです」
    「ここに、居たんですか……!」
     驚くフォコに、バネッサは座るよう促した。
    「すみません、ソレイユさん。わたしはあまり、座高が高くないの」
    「あ、すんまへん」
    「……彼女が来たのは、305年のことでした。
     ここへ来た時の彼女はひどくやつれ、着ていたのは薄いコートと、ボロボロになった衣服1枚。とてもこのような、雪深い場所へ来られるような服装ではありませんでした。
     彼女はわたしたちに何度も頭を下げ、こうお願いされました。『もう行くところがどこにも無いの。あたしたちを助けて下さい』と。
     わたしたちは当然、彼女らを助けました」
    「彼女、……ら?」
     そう尋ねたフォコに、バネッサは小さくうなずいた。
    「やはり、ご存じでは無かったのですね」
    「何をです?」
    「……ティナはここへ来た時、女の子を抱いていました。だから、『彼女たち』と」
    「……ちゅうことは」
    「ええ、恐らくそう。恐らく、あなたとティナの子供です」
     突然の事実を伝えられ、フォコはひどく混乱する。
    「え、そんな、……いや、……え、……えぇ!?」
    「驚かれるのも、無理はありませんね。でも、これは事実。
     ティナは、女の子と一緒にここを訪れました。必死だったのでしょう。その時彼女はたったの、23キューしか持っていなかったのですから。
     それから3年ほど、彼女は娘と共に、ここで暮らしていました」
     そこでバネッサは立ち上がり、フォコに付いてくるよう促した。

     修道院の奥へと進みながら、バネッサはティナのいた3年間を話してくれた。
    「ティナは器用な人でした。元々、船を造っていたと聞いています。うわさに聞けば、あなたも海運業に携わっているとか」
    「ええ。同じ職場で働いとりました。ただ、ある事情で生き別れになってしまって」
    「なるほど」
    「ホンマやったら結婚するはず、……やったんです」
    「事情はあの子からも聞いています。当時、職場の上司だった、あのスパスと言う商人によって、罠にかけられたのではないか、と」
    「仰る通りです」
     そこで一旦、バネッサは立ち止まる。
    「……お聞きしたいのですが、すぐには戻れなかったのですか?」
    「僕とティナが仕事をしてたんは、南海でした。僕が北方で身を立てた後、南海に戻ってみたら、あちらでは既に行方知れずで、こちらへ来ても、手掛かりはまったくつかめず……、と言う有様で」
    「なるほど。……話を、続けましょう」
     バネッサはふたたび、歩き出す。
    「迎え入れた当初、彼女のことを悪く言う者も、確かにおりました。
     母娘共に、あまり人付き合いが得意ではない様子でしたし、何より体のあちこちに、数多くの傷。あの子が話した事情さえ、嘘ではないかと疑う者さえおりました。
     しかし日が経つにつれ、彼女たちは少しずつ、受け入れられてきました。先程申し上げた通り器用な人でしたし、何より仕事熱心で誠実な人でしたから。この修道院のあちこちを、丁寧に修繕していただきましたし、掃除や洗濯など、家事も積極的にこなしてくださいました。
     わたしたちも、このまま母娘共々、この修道院で共に、平穏に暮らしていければと、そう考えるようになりました。ところが……」
     やがてバネッサはある部屋の前で立ち止まり、フォコに入るよう促した。
    「ここが、ティナが使っていた部屋です」

    火紅狐・抱罪記 3

    2011.11.04.[Edit]
    フォコの話、333話目。西方での、彼女の3年間。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 修道院の中、礼拝堂に入ったところで、奥から年配の、兎獣人の女性が現れた。「ようこそおいでくださいました。わたしがここの院長をしております、バネッサ・カングです。「初めまして。……えーと、あなたからお手紙をいただきまして」 そう返したフォコに、バネッサは「まあ」と声を上げた。「それではあなたが、ホコウ・ソレイユさ...

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    フォコの話、334話目。
    彼女の遺していったもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     部屋に入ったところで、バネッサは話を再開する。
    「5年前、どこから嗅ぎつけてきたのか、あのアバント・スパスと言う男はここへ、ティナ宛に手紙を送ってきました。
     内容は、……口にするのも汚らわしいような、下卑た内容でした。かいつまんで言えば、『自分と結婚すれば、修道院ごと世話をしてやる』と。
     確かにわたしたちの暮らしぶりは、悠々自適とは行かないものです。寄進だけではとても生活は成り立ちませんから、ワインを細々と造って、どうにか生計を立てている状態。
     ですからその申し出は、確かに魅力的と言えました。しかし、あなたもご存じの通り、スパスには到底、良識や節度、慈愛の心などありません。その約束を果たしてくれるとは、とても思えませんでした。
     それでも、ティナはわたしたちのため、『話だけでもしてくる』と言って飛び出し、……それから5年。ティナは戻らず、また、スパスはそれについても、援助についても何も言わないまま、今に至ります」
    「そんなことが……」
     話を聞き、フォコはそれからティナに、何があったのかを推理した。
    (工場の空中通路で、アバントは『ここからティナを突き落とした』と言うてた。……多分、結婚と援助の交渉に失敗するかなんかして、ティナは総裁室を飛び出したんや。
     当然、アバントは逆上しとったやろうな。追いかけて、ティナを説得しようとした。……恐らくは、力づくで。
     そうして揉み合ううち、アバントはティナを……)
    「……ソレイユさん?」
     バネッサに声をかけられ、フォコは我に返る。
    「あ、はい」
    「不躾かも知れませんが、良ければ娘さんと、この部屋の遺品を、引き取ってはいただけませんか? もしも難しいと言うのであれば、この部屋ごと、彼女に与えますが」
    「……少し、考えさせて下さい」
    「分かりました。わたしは先程の礼拝堂におります。ご同行されていた方たちにも、経緯を説明しておきましょうか?」
    「……ええ、お願いします」
     バネッサはそのまま、部屋を出ようとする。
    「あ、すみません」
    「なんでしょう?」
    「その、……娘の、名前は、何と?」
    「ああ、紹介を忘れていましたね。
     イヴォラと言います。あなたもお会いになったと思いますが……」
    「……どうもです」

     部屋の中央、テーブルに備え付けられていた椅子に座り、フォコはここでの、彼女の生活を想像する。
    (この椅子に座って、……そうやな、編み棒と毛玉があるし、編み物でもしとったんやろな。寒いところやし、娘の……、イヴォラちゃんに、マフラーとか手袋とか。
     あ、そうか。ここで、二人で生活しとったんやろな。あのベッドに、二人で寄り添うようにして。
     ほな……、そしたら、ティナがいなくなってからは、ずっと一人で? いや、まだ小っちゃかったし、シスターたちと一緒に寝るようになったんやろな。
     ……イヴォラ、か。さっきはちゃんと見てへんかったけど、……そうや、あのハンチングは)
     と、フォコはバネッサがしっかり閉めたはずの扉が、ほんの少し開いているのに気付く。
     その扉の向こうから、ハンチング帽を被った猫獣人の少女――イヴォラが、恐る恐るこちらを覗いているのが見えた。
    「……こっち、来る?」
     思わず、フォコはそう問いかけた。
    「あっ」
     イヴォラは慌てて扉を閉めようとしたが、一瞬早く、フォコがそれをさえぎった。
    「イヴォラちゃん、やったっけ。ちょと、……お母さんのこと、聞きたいねんけど」
    「……あたしより、……あなたのほうが、知ってると思う」
    「……バレとったか。……と言うよりも、僕と院長さんの話、こっそり聞いてたやろ」
    「うん」
     そっと扉を開け、イヴォラが中に入ってきた。
     それに応じ、フォコはイヴォラと同じ目線になるようにしゃがみ込む。



    「帽子、見せてもろてもええかな?」
    「いいよ」
     イヴォラは素直に、被っていた帽子を差し出す。
     帽子の下には、自分によく似た頼りなさげな赤い目と、金色に赤いメッシュの混ざった、癖っ毛の髪があった。
    「……お母さんの、帽子やね」
    「うん」
    「……僕と、髪の色そっくりやね」
    「うん」
    「……なあ」
    「なに?」
    「……ゴメンな……」
     フォコはイヴォラの手を取り、ボタボタと涙を流した。

    火紅狐・抱罪記 4

    2011.11.05.[Edit]
    フォコの話、334話目。彼女の遺していったもの。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 部屋に入ったところで、バネッサは話を再開する。「5年前、どこから嗅ぎつけてきたのか、あのアバント・スパスと言う男はここへ、ティナ宛に手紙を送ってきました。 内容は、……口にするのも汚らわしいような、下卑た内容でした。かいつまんで言えば、『自分と結婚すれば、修道院ごと世話をしてやる』と。 確かにわたしたちの暮らし...

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    フォコの話、335話目。
    寡のニコル3世。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「ゴメンな、ホンマ……! 僕がもっと早く、お母さんのこと見つけられたら……!」
    「……」
     泣き出したフォコを見て、イヴォラも顔をしかめ始めた。
    「今更、どの面下げて来れるかっちゅうもんや……! 僕には、僕には……!」
    「……泣いちゃいや」
     イヴォラもぐずりながら、フォコの手からハンチングを取って被る。
    「あたしは来てほしかったもん」
    「え……?」
    「ほんと言うとね、あたし、お母さんのこと、おぼえてないの。だからお父さんがいたらいいなって思ってたの」
    「……」
    「……ホコウさん。……お父さんって呼んでいい?」
    「……ええよ」
     イヴォラはフォコにしがみつき、泣き出した。
    「うう、うえっ、うえっ……、ありがとう、お父さん、ぐすっ、……来てくれて、ひっく、うれしい」
    「イヴォラちゃ、……イヴォラ」
     フォコもイヴォラの背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。

     フォコはイヴォラを連れ、鞄一つに収まってしまったティナの遺品と共に、皆のところに戻った。
    「院長から事情は聴いたよ。……その子が?」
    「ええ」
    「連れて行くことにしたのかい?」
    「この子も、それを望んでますしな」
     ルシアンとペルシェは、イヴォラに向かって親しげに挨拶した。
    「初めまして、イヴォラちゃん。お父さんの仕事仲間の、ルシアン・エールだ」
    「あたしはペルシェ・ジョーヌ=エール。よろしくね」
    「よろしく、ルシアンさん、ペルシェさん」
     一方、ランニャは複雑な表情を浮かべている。
    「……ランニャ」
    「何?」
    「……なんか、その」「何も言わないでくれるかな」
     ランニャはフォコとイヴォラから背を向け、苛立たしげに促す。
    「早く帰ろう」
    「あ、ああ」
     その後下山し、国境を越え、エール家屋敷に戻ってからもずっと、ランニャはフォコと、まともに口を利かなかった。



     エール家屋敷に戻ったフォコは、何とかランニャと話そうと努力した。
    「あの、ランニャ……」
    「……」
     だが話しかけても、ランニャはまるで応じようとしない。
    「なあ、そんな邪険にせんといてって」
    「うるさい」
     何度声をかけても、ランニャは苛立たしげにフォコをにらむばかりで、一向に会話が成立しない。
    「……言いたいことがあるんやったら、言うたらええやんか」
    「無い」
    「嘘言うなや、どう見ても文句ありますっちゅう顔しとるやん」
    「してない。……フォコくん」
     と、ようやくランニャの方から話しかけてきたかと思うと――。
    「あたし、先に帰る」
    「え」
    「もう用は無さそうだし。帰って母さんの手伝いしないと」
    「ランニャ……」
    「明日の朝一番で、船に乗る。じゃあね、フォコくん。さよなら。見送りはいらない」
     ランニャは淡々と言い放ち、自分の部屋に籠ってしまった。
    「……」
     扉越しに何か言おうかと思ったが、何の言葉も出てこない。
     仕方なくフォコは、娘の待つ自分の部屋に戻った。
    「はあ……」
    「どうしたの?」
     部屋に戻るなりため息をついたフォコに、イヴォラが不安そうな目を向けてくる。
    「ん、……何でもないで」
    「ほんとに?」
    「まあ、大人の事情ってやつやから」
    「……」
     イヴォラの困る顔を見て、フォコは今一度、彼女が自分の娘なのだと確信していた。
    (一緒やな。困っとる時、言葉がよお出て来いひん)
    「……あ、あの」
    「ん?」
    「めいわく、……だったかな」
    「あらへんて、そんなん。……さ、もう寝よか」
    「……うん」
     フォコは娘を優しく抱きかかえ、ベッドに入った。



    (……ん……)
     フォコは誰かに呼ばれたように感じ、うっすら目を開けた。
    《やっと起きよったか。えらいお疲れさんやなぁ、自分》
    「……ッ!?」
     目を開けると、そこにはかつて失意に溺れていたフォコを叱咤激励した、あの神々しくもけばけばしい、狐獣人の女性がいた。



    「かっ、開祖様!」
    《そんな堅っ苦しい呼び方せんでええて。気楽に『エリザさん』でええがな》
    「あ、す、すんまへん、エリザさん!」
     と、ぺこぺこと頭を下げるフォコの背後から、イヴォラの声が聞こえてきた。
    「だあれ……?」
    《わー、この子がアンタの娘ちゃんかー、かっわええなー》
     エリザは喜色満面で、イヴォラに近付いて頬ずりする。
    「な、なに? 苦しいよ、おばちゃん」
    《あーゴメンなぁ、アタシ昔っから、『猫』の子がえらい好きでなー。
     ……て、言うてる場合とちゃうかったな》
     エリザはイヴォラから離れ、フォコをビシ、と指差した。
    《アンタはコレから、どないする気や?》

    火紅狐・抱罪記 5

    2011.11.06.[Edit]
    フォコの話、335話目。寡のニコル3世。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「ゴメンな、ホンマ……! 僕がもっと早く、お母さんのこと見つけられたら……!」「……」 泣き出したフォコを見て、イヴォラも顔をしかめ始めた。「今更、どの面下げて来れるかっちゅうもんや……! 僕には、僕には……!」「……泣いちゃいや」 イヴォラもぐずりながら、フォコの手からハンチングを取って被る。「あたしは来てほしかったもん」「え……...

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    フォコの話、336話目。
    抱えた罪を、はなす。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「どないする気、……っちゅうと?」
     尋ね返したフォコに、エリザは呆れたようなため息を漏らす。
    《っはー……、ようやく総帥になったっちゅうのに、まだボンクラなトコが残っとるわ。
     えーか、よー考えてみ? 敵討ちを全部終わらして見事、商会の総帥になった。6年前、アンタが諦めてしもた野望、コレで全部達成でけたワケや。まあ、ちょっと残念なコトに、お嫁さんを亡くしてしもたんはあるけども。
     さ、ココや。アンタの願いは一通り達成でけたワケやけども、そしたらこの先、アンタはどうするつもりなんかな、と。アタシは気になったワケや》
    「ああ……。そうですな、今のところはまだ、何にも」
    《は? なんも考えてへんの? 何をぼさっとしてんねんな》
     にらみつけてくるエリザに、フォコはしどろもどろながら、自分の考えを説明する。
    「これからのことを考えるに、やはり僕ではその、器やないなと思っとるんです。
     これまで散々、血なまぐさいことに触れてきましたし、僕の手は真っ赤っかですわ。それに今回、ひょんなことから寡(やもめ)になってしまいましたし。そもそも金火狐の本拠から、何年も離れてしもてますし。
     そんな僕が、商会の総帥をやってええもんかと。そう考えると、どうしても先のことなんか……」
    《で?》
    「で、って」
     唖然とするフォコに、エリザはケタケタと笑いかけた。
    《アッハッハッハ……、アンタ、アタシのコト知らんな?》
    「て言うと?」
    《まずな、アタシも戦争に参加しとったし、手を汚したコトは一回や二回やあらへん。
     後な、寡や言うたけど、アタシもそやねんで? ダンナおらんのに、子供だけおったし。
     その上旅したり、中央以外の大陸探ししとったりで、通算10年か15年か、ソレ以上は、本拠のカレイドマインから離れとった。
     そ、れ、で、も。アタシは死ぬまでずーっと、総帥やってたんやで》
    「で、でも時代が違いますし」
    《何も違うコトあるかいな。アンタもアタシも、同じ総帥や。
     もしも文句言う奴がおったらな、堂々と言うたったらええねん。『開祖さんも同じコトしとったんや! 僕が同じコトやったかて、何も問題あるかいな!?』てな。
     あ、ついでに言うとくとな。ニコル――アンタちゃうで、アタシの弟の方や――もお嫁さん、猫獣人やってん。スナちゃん言うてな、またコレがかわええ……、って、どうでもええな。ま、ともかく。その点も、気にせんでええコトや。
     アンタが汚点や、罪やと思っとるコトは、大体『ご先祖様』がやっとるわ。その上でアタシが居座っとったんやし、ほんなら堂々と、『僕が総帥です。僕が金火狐のルールです』って胸張ったらええねん。
     ……ま、せやからな》
     エリザはニヤニヤと笑いながら、フォコに耳打ちした。
    《まだまだわだかまりもあるやろけども、自分の気持ちに素直になってみても、誰も文句言わんで。
     『あの子』もアンタやイヴォラちゃんの幸せを喜びこそすれ、悲しんだり妬んだりなんてせえへんよ、きっと。ま、もしそんなんあったとしても、アタシが説得したるって》
    「あ……、その」
     フォコは顔を赤くしながら、エリザに尋ねた。
    「滅多に無い機会ですし、お名残惜しいんですけども、……もう目、覚ましてええですか?」
    《えーよ。アタシはもうちょい、イヴォラちゃんと話するさかい》
    「ありがとうございました、エリザさん」
    《当たって砕けろ、や。頑張ってきーやー》
    「……はい!」
     フォコは慌てて、その場から立ち去った。



     フォコは勢い良く、ベッドから飛び起きた。
    「……だーッ!」
     乾いたのどを無理矢理に震わせ、自分の頬をべちべちと叩いて、まだ半分眠ったままの頭を、何とか目覚めさせる。
    (あ、うるさかったかな)
     そう思い、イヴォラの方を確認する。
    「……むにゃ……うん……すきー……」
     どうやら、まだ夢の中にいるようだ。
    「……っと、アカン! 早よ追いかけへんと!」
     フォコは慌てて着替えを済ませ、部屋を飛び出した。

    火紅狐・抱罪記 6

    2011.11.07.[Edit]
    フォコの話、336話目。抱えた罪を、はなす。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「どないする気、……っちゅうと?」 尋ね返したフォコに、エリザは呆れたようなため息を漏らす。《っはー……、ようやく総帥になったっちゅうのに、まだボンクラなトコが残っとるわ。 えーか、よー考えてみ? 敵討ちを全部終わらして見事、商会の総帥になった。6年前、アンタが諦めてしもた野望、コレで全部達成でけたワケや。まあ、ちょっ...

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    フォコの話、337話目。
    大声一杯の謝罪、……と。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     朝の5時少し前。
     始発便は出航の準備を終え、港を離れようとしていた。
    「……」
     ランニャは船員が舫い綱を解く様子を、甲板からぼんやりと眺めていた。
    「……」
     時折、市街地につながる道へ目を向けるが、まだ朝市も完全には立っておらず、街は静まり返っている。
    「……ばかやろ……」
     これ以上、船に人が乗り込む様子も無く、ランニャはがっかりとした表情で手すりに背を向け、三角座りでもたれかかる。
    「……ばか……」
     ランニャは膝に顔を埋め、ぼそぼそとつぶやく。
    「……ううん……バカはあたしだよな……」
     ランニャは頭を抱えたまま、グスグスと鼻を鳴らしていた。

     その時だった。
    「ゴメン!」
     港中に、フォコの声が響き渡った。
    「……え、っ?」
     ランニャは顔を挙げ、港に顔を向ける。
    「……ふぉ、フォコくん!?」
    「ホンマにゴメン! 成り行きとは言え、勝手に子供連れてきたこと、誠心誠意、謝るから!」
     港の淵で、フォコがランニャに向かって土下座している様子が、ランニャの視界に入った。
    「……っ、見送りに、来なくていいって、言ったじゃないか」
    「それもゴメン! 見送りとちゃうねん!」
    「は!?」
     フォコはがばっと立ち上がり、大声で叫んだ。
    「君を、迎えに来た!」
    「あたしを、迎えに?」
     きょとんとするランニャの耳に、さらにフォコの叫び声が届く。
    「こんなん言えた義理やないっちゅうのんは、分かってる! 分かってるけども、言わずにおれへんから、思い切って言うてしまうわ!
     ランニャ、どうか僕のところに、来てくれへんやろか!?」
    「来て、……って」
     思わず、ランニャは手すりから身を乗り出す。
    「ソレ、……ソレって、もしかして、……そのっ」
    「そうや! 僕と、結婚してくれへんか!?」
    「なっ」
     この言葉に、ランニャの顔は真っ赤に染まった。
    「この通りや! お願いします!」
     もう一度、深々と頭を下げたフォコに、ランニャは口をぱくぱくと震わせることしかできないでいる。
    「あ、そ、その、え、や、ちょ、……きゃっ!?」
     あまりに狼狽していたために、ランニャは手すりから落っこちてしまった。
    「わ、わわわっ!?」
     それを見たフォコは、慌てて港から海へと飛び込んだ。



    「……ぷはっ!」
     フォコは海中に潜り、船から落ちたランニャをがっしりと抱きしめ、浮上した。
    「げほ、げほっ」
    「だ、大丈夫か、ランニャ?」
    「……もお! ビックリさせるからだよ!」
     ランニャは抱きかかえられたまま、フォコにがなり立てた。
    「恥ずかしいコトし過ぎだ! 朝とは言え、なんで大声であんなコト言うんだよ!? 顔から火が出るかと思った!
     それからあたし、君のパートナーずっとやってきたじゃないか! 子供を引き取るくらい重要なコト、なんで相談しない!? してくれよ、ちゃんと!
     この際だ、まだまだ言うコトある! いっつもいっつも、あたしを邪険にして! あたしの気持ちに気付いておいて、なんでそんな、ヤな態度執るんだよ!? もっと優しくしてよ、あたしに!
     それから! 君はホントに、本っ当に! 自分勝手過ぎるんだ! 遠ざけたりウザがったりしたと思えば、今度は結婚してくれ!? あたしに対して、あんまりにも自分の都合をべったべった押し付けてばっかり! あたしの気持ちも都合も何もかも、無視しまくりじゃないか!
     あたしの話、ちょっとくらいは聞いてくれてもいいだろ!?」
    「ご、ゴメン、ホンマにゴメン」
    「……条件、3つ付けるよ」
    「えっ?」
     ランニャはフォコから離れ、海に浮かんだままで、フォコを指差した。
    「一つ、今後はあたしの意見をちゃんと聞く。あたしにちゃんと相談する。守れる?」
    「う、うん。よほど的外れやなかったら聞く」
    「一つ、コレから目一杯忙しくなるし、そうそう構ってらんないだろうけど、あたしにもイヴォラちゃんにも、八つ当たりなんかするなよ? アレ、マジで嫌な気持ちになるんだからな」
    「き、気を付けます」
    「それから最後に!」
     ランニャはフォコに抱きつき、強く口付けした。
    「ん……っ」
     唇を離したランニャの顔は、真っ赤になっていた。
    「幸せにしてよ? してくれないと、マジぶん殴るからな」
    「……それは絶対、約束するわ」

     ボタボタと海水を滴らせながら港に戻ったところで、ランニャは「あっ」と声を上げた。
    「しまった、船にあたしの荷物置いてきちゃった!」
    「え? ……うわぁ」
     既に船は沖の方にあり、到底追いつけそうにはない。
    「どうしよ、フォコくん」
    「どないしよかな……。あれってジョーヌ海運の船?」
    「だったと思うけど」
    「ほな、後でルシアンさんから連絡入れてもろて……」「……あ、えーとね」
     と、二人の背後から、申し訳なさそうな声がかかった。
    「ん?」
    「これ、君のだよね。騒いでたみたいだし、一応持ってきたんだけど」
     振り向くと、帽子を深くかぶった金髪の狼獣人が、ランニャの荷物を持って立っていた。
    「あっ! すみません、ありが……」「ちょっと待ち、ランニャ」
     そこでフォコは、その「狼」をにらみつけた。
    「な、何かな? ち、ちなみに私は、えーと、ただの通りすがりの旅人だから、その、気にしないでくれ」
    「……シロッコさんやろ。帽子被っても、モロバレですがな」
     その言葉に、ランニャも「狼」も硬直する。
    「マジで? ……うわ、マジだ」
     フォコとランニャ、二人ににらまれ、シロッコはランニャの荷物を置いて、そろそろと後ずさりし始めた。
    「あのね、なんで僕がいるかって言うとね、その、まあ、こっちでも仕事やってて、まあ、一段落したから、ちょっと他のところに行こうかなって、うん、そうしようかなってところだったんだ。そしたらまあ、僕もちょっとね、あの、忘れ物と言うか、最後に食べて行きたいなってものがあったから、やっぱり、ね、食べてから行こうかなと思って、ね、それで、降りようとしたところで、あれだ、ホコウくんと、その、ランニャが、あの、騒いでるのを見て、ああ、これは荷物を下ろしといた方がいいな、って、その、なんだ、気を利かして、いや、利かしたつもりなんだけども、……とにかくおめでとう」
    「……フォコくん」「うん」
     フォコとランニャは同時に、シロッコへとパンチを見舞った。

    火紅狐・抱罪記 7

    2011.11.08.[Edit]
    フォコの話、337話目。大声一杯の謝罪、……と。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 朝の5時少し前。 始発便は出航の準備を終え、港を離れようとしていた。「……」 ランニャは船員が舫い綱を解く様子を、甲板からぼんやりと眺めていた。「……」 時折、市街地につながる道へ目を向けるが、まだ朝市も完全には立っておらず、街は静まり返っている。「……ばかやろ……」 これ以上、船に人が乗り込む様子も無く、ランニャはが...

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    フォコの話、338話目。
    未来へ向けて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     エール家屋敷に戻って水を浴びた後、フォコとランニャは改めて、結婚する旨を伝えた。
    「そうか、やっぱり! おめでとう、お二人さん!」
     ルシアンに祝福を受け、二人は揃って照れ笑いを浮かべた。
    「と言うわけで」
     ランニャはイヴォラの前にしゃがみ込み、挨拶した。
    「ごめんな、会った時にちゃんと挨拶してなくて。あたしはランニャ・ネール。よろしくな、イヴォラちゃん」
    「よろしく、……えっと」
     イヴォラは少し逡巡する様子を見せ、恐る恐るランニャをこう呼んだ。
    「お母さん、……って呼んでいいのかな」
    「……ダメだ、尻尾がムズっと来た。ごめん、当面はランニャでいい、って言うか、ランニャって呼んでくれた方がいいかな、……まだ、その、今のトコは」
    「うん、ランニャ。よろしくね」
    「……へへ、よろしく、イヴォラ」
    「で」
     フォコは縄で拘束したシロッコをべちべちと叩き、呆れた目を向けた。連れて帰る途中に二度、逃げ出そうとしたからである。
    「このおっさん、どうしましょかね」
    「ひ、ひどいな二人とも」
    「ひどいはどっちだよ。この10年、まーた世界中ふらっふらしやがって」
    「だから、それは性分なんだって」
    「性分って言っときゃ何でも許されると思うなよ」
    「……はい」
     娘ににらまれ、シロッコはしゅんとなる。
    「とりあえず、捕まえたっちゅう報告、ルピアさんにしときましょか」
    「そうだね。母さんも喜ぶよ。折角の娘の結婚式に父親が欠席だなんて、ありえないしな」
    「僕の方は両親とも居てませんし、是非参加してほしいですしな」
    「……分かった。頑張る」
    「頑張る頑張らないの問題じゃないだろ!?」
    「……はい」
     このままでは、結婚式を待たずしてシロッコが逃亡するのは明白だった。

     ところが、ルピアに連絡を入れたところで、その問題はあっさり解消した。
    《何!? シロッコがいるのか、そこに!?》
    「ええ、まあ」
     ルピアに「頭巾」で通信を入れたところ、彼女は嬉しそうな声を上げた。
    《……カツミくん、渡りに船ってやつだぞ、こりゃ》
    「何ですて?」
    《ああ、いや。今な、カツミくんがこっちに来てるんだ。刀が折れたから、新しいのを造ってほしいって。
     ただ、確かに私も武器職人の端くれではあるし、新しい武器の製造に手を付けてみたい気持ちは強くあるんだが、カツミくんの要求を満たすには、人手と材料が足りんからな》
    《そこで俺は》
     と、通信に大火が割って入る。
    《当代最高の名工と称される、シロッコ・ファスタ氏の捜索を行おうとしていたのだが、まさかお前が見つけるとは、思いもよらなかった。
     そうだ火紅、良ければお前にも協力してほしいことがあるのだが、構わないか?》
    「僕に? なんでしょ?」
    《刀製作に使うミスリル化鋼を製造するのに、数種類の原料が必要になるのだが、その調達を頼みたい。鉱業を営むゴールドマン家であれば、容易だろうと思って、な》
    「なるほど、分かりました。央中へ戻り次第、手配しておきます」
    《どうせだからカツミくんに、迎えに来てもらえばいい。構わないよな、カツミくん?》
    《ああ。協力してくれると言うのであれば、それくらいのことは吝かではない》
     通信を終え、フォコはランニャに経緯を説明した。
    「……じゃあ、父さんが逃げることはまず無いだろうな。なんだかんだ言って職人だし、仕事を放っぽって旅に出るようなコトはしないだろうし」
    「ええタイミングでの依頼でしたな。旅費もかかりませんし」
    「……コレでさ」
     ランニャはそこで、フォコの腕に抱きつく。
    「コレで、気持ちよく帰れるよな、フォコくん」
    「……そうやね。ありがとな、ランニャ」
    「お二人さん、邪魔して悪いんだけども」
     と、シロッコが口を挟む。
    「もう逃げないことがはっきりしたわけだし、ほどいてもらっても……」
    「おっさん、あんた本当にダメ人間なんだね。ちっと空気読もうか」
     見かねたペルシェが、シロッコを引っ張っていった。



     フォコとランニャ、そしてイヴォラの三人になったところで、フォコはこんなことを言い出した。
    「帰ったら、やってみよかなって思てることがあんねん」
    「なに?」
    「今、金火狐の本拠になっとるイエローコーストやけど、今のところはただの鉱山都市でしかないんよ。
     でもあそこ、央南からも結構人が来る街やし、海に面しとるから交通の便もええ。そのまんま金掘り尽くして終わり、っちゅうのんは勿体ないなって。
     せやから僕は、あそこを一大貿易都市にしてみたいなと思てるねん」
    「いいじゃないか」
    「せやろ? きっとその街は、世界一の大都市になる。色んな人が集まって、色んな物売り買いして、それはそれは楽しい街になる。そう、僕は確信しとる。
     で、いつか僕はランニャ、そしてイヴォラ。君らに、『どうや、これが僕の街なんや!』って自慢する。
     それが僕の、新しい夢や」
     フォコの夢を聞き、ランニャとイヴォラは、嬉しそうに笑う。
    「楽しみにしてる。きっと成し遂げてくれよ、フォコくん」
    「あたしも楽しみにしてる。ううん、大きくなったらお手伝いする」
    「……そやね」
     フォコは二人を抱きしめ、こう言った。
    「頑張ろう、みんなで」

    火紅狐・抱罪記 終

    火紅狐・抱罪記 8

    2011.11.09.[Edit]
    フォコの話、338話目。未来へ向けて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. エール家屋敷に戻って水を浴びた後、フォコとランニャは改めて、結婚する旨を伝えた。「そうか、やっぱり! おめでとう、お二人さん!」 ルシアンに祝福を受け、二人は揃って照れ笑いを浮かべた。「と言うわけで」 ランニャはイヴォラの前にしゃがみ込み、挨拶した。「ごめんな、会った時にちゃんと挨拶してなくて。あたしはランニャ・ネール...

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