黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第4部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 1593
    • 1594
      
    麒麟の話、第4話。
    秒速1センチの奇跡。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     もしもセイナが。あの英雄、セイナ・コウが。
     もしも、秒速1センチでも歩くのが早かったら。
     あるいはもしも、秒速1センチでも歩くのが遅かったら。
     さて、世界はどうなっただろう?

     もしも秒速1センチ早かったら、彼女は剣士にはならなかった。
     だってそうだろ? 彼女が13歳の時、後に自分の師匠となる人間が酔っ払いに絡まれてるのを何とかしようとして騒ぎに割り込んだのが、出会いのきっかけだった。
     もし秒速1センチ早かったら、彼女はその場に偶然居合わせるコトは無く、そして剣豪セイナが誕生するコトは無かったのさ。

     じゃあ逆に、秒速1センチ遅かったらどうなっていたか?
     そしたらセイナは、あの無双の奥義「星剣舞」を得ることはできず、死んでいただろう。
     その技を会得するコトができたのは、死の淵で友人と最期の邂逅があったから。だけどソイツと友人になれたきっかけは、ゴールドコーストで、とってもいい形で再会できたからだ。
     そのいい形に持ってこれたのは、万全のサポートで闘技場に臨めたからこそ。それより前にゴールドコーストを訪れた時に出会った狐のお姫様や狼のお嬢ちゃんと偶然、出会うコトができたからだ。
     狼ちゃんは後にセイナが闘技場に参加するきっかけをくれたし、その両親はセイナを十二分にサポートしてくれた。狐ちゃんはその友人と仲良くできるきっかけをくれたし、「妹」としてずっと、セイナを支えてくれていた。
     その二人との出会いが無かったら、セイナはきっと不完全な形で闘技場に臨み、そして「友人」と仲良くする機会になんか、絶対に巡り合えなかったはずさ。
     その結果「星剣舞」は永遠に手にできず、そしてあの闇の奥底で半人半人形の女に返り討ちにされて、死んでいただろう。

     だからもし、秒速1センチでも彼女の歩みが早く、あるいは遅ければ。
     たったソレだけで、世界はまるで違うものになっていたんだよ。



     ボクの持論になるけど、世界は言わば、無数の歯車の集合体だと思っている。

     無数の人間が、無数の出会いをし、無数の行動を重ねた末に、無数の結果を生んでいる。
     ソコに人ひとりいないだけで、あるいは人ひとり増えただけで、結末は大きく変わっていくんだ。
     でも、いるコトでその影響が大きい人と、少ない人って言う違い、差異は確かにある。

     コレは、ボクにとっては一つの実験だ。
     その、影響の大きい人間を、故意に作り出せるか? 元々影響の少ない、演劇で言うところの「端役」「脇役」がボクの操作によって、果たして「主役」を食える働きをしてくれるか? そう言う実験だ。
     そしてその結果が、ボクの計画の練り直しを行うにあたって、重要な要素になってくる。



     繰り返すよ。コレはただの、人体実験。
     いや、「人生実験」とでも言うのかな?
    白猫夢・麒麟抄 4
    »»  2013.01.13.
    麒麟を巡る話、第158話。
    道を誤る者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央南の大都市、黄海の街はずれ。
     黄派焔流剣術の門下生が5人、隠れるように集まっていた。
    「秋也のヤツ、本当に持って来てくれるのかな……?」
    「どーだろーなー」
    「先生の息子ったって、流石に『アレ』持って来るなんて……」
     こそこそとそんな話をしていたところに、その本人――「黄先生」の息子、黄秋也がやって来た。
    「いやー、苦労したぜ」
    「お、もしかして本当に?」
    「おう」
     秋也は抱えていた風呂敷包みからごそ、と刀を取り出した。
    「これが、『御神体』か?」
    「おう。いっつも床の間に飾ってあった、アレだよ」
     秋也はニヤニヤ笑いながら、その刀を自分の腰に佩く。
    「どーだ」
    「どーだっつってもなぁ」
     門下生たちは苦笑いを返す。
    「やっぱ抜いてみなきゃなぁ」
    「……だな」
     秋也の方も苦笑いを返しつつ、柄に手をかけた。
     と――。
    「あ、あのっ」
     それを止める者が出た。
    「ん? どした、朱明(しゅめい)?」
    「なんか、嫌な予感がするんです」
    「つってもなぁ」
     止めた朱明に対し、他の門下生たちは肩をすくめる。
    「やっぱ見たいじゃん?」
    「なぁ。ここまで来といて抜かないってのは、味気無いぜ」
    「抜いちゃえよ、秋也」
    「ん、ああ」
     その場の流れに逆らえず、朱明は黙って見守ることしかできない。
    (なんか……なんか、怖い)
     朱明はいつの間にか、自分の袴の裾を堅く握りしめていた。

     その間に、秋也は散々もったいぶった後、すらりと刀を抜いていた。
    「……」
     その刀身を目にした途端、門下生たちは絶句する。
    「な、……んだ?」
    「……」
    「き、気味、悪りっ……」
     刀からにじむ青い光が、その場にいた全員の心をさくりと刺す。
    「……うえ、げっ、げろっ」
     不意に、一人が吐く。
    「お、おい、どうし、……うげえええっ」
     もう一人、顔を紫色にし、嘔吐しながら倒れる。
     他の二人も、袴をびしょびしょに濡らして崩れ落ちる。
    「しゅ、しゅ、秋也さん、か、か、かたっ、刀、早く、しまって……」
     朱明も吐き気と虚脱感をこらえながら、刀を抜いたままの秋也に、どうにか声をかける。
    「……」
     しかし、秋也は答えない。
     彼は立ったまま、気を失っているようだった。
     そして朱明の意識も、そこで途切れた。

     朱明が目を覚ましたのは、3日ほど後だった。
     その時には既に、秋也が道場から刀を盗んだことは発覚しており、秋也は師匠であり母である黄晴奈から、相当の叱咤と折檻を受けたと聞かされた。
     朱明を含めた門下生5名は揃って丸坊主にされた後、一ヶ月の謹慎を言い渡された。



     この事件以来――黄晴奈の甥、黄朱明は、目に見えて物静かな性格になったと言う。
     元々から温和で大人しい少年だったのだが、この事件を境に、常に「一歩引いた」態度を執るようになった。
     それを一度、師匠の晴奈から「剣士にしてはいささか消極的ではないか」と、やんわりと咎められたことがあったが――。
    「時には勇気、勇者がただの蛮勇、荒くれ者になることもあります。
     いえ、その人物が元より悪いと言うわけでは無いのです。どれほど高潔で素晴らしい人格者であっても、周りの空気に流されて、あるいは親しき人間にそれとなく唆されて、やむなく道を外すこともある、……と僕は考えているのです。
     それは伯母さん、……あ、いえ、師匠が何度も仰っていた、篠原龍明と言う剣士のそれに近いものでは無いでしょうか? 彼も優れた剣士であったのに、ちょっとした誘惑で自分の道を踏み外してしまったと仰っていたでしょう?
     師匠がいつになく激怒し、僕たちを叱り飛ばしたあの事件も、成り行きは同じでした。秋也さんは確かに優れた剣士だと思いますし、僕も少なからず目標に、そして誇りにしている人です。しかしあの時、秋也さんは仲間のちょっとした冗談に付き合い、そしてあの愚行を犯してしまった。
     それを僕は、危惧しているのです。ですから周りの空気に流されないよう、僕は常に一歩後ろから、状況を見定めようと心得ている。そのつもりなのです」
     毅然とこう返され、晴奈も「あ、うむ」とうなずくしかなかった。



     10代の頃からこれだけ達観した性格を有していたこと、また、己の息子や娘たちと疎遠にになってしまったこともあって、晴奈はまだぼんやりとではあるが、朱明を己の後継者にしようかと考え始めていた。
    白猫夢・逐雪抄 1
    »»  2013.01.14.
    麒麟を巡る話、第159話。
    黄家の談義、焔流の謀議。

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    2.
     晴奈は甥の朱明を後継者にしてもよいかと、まずは彼の母、即ち己の妹である当代黄家宗主、黄明奈に打診した。
    「どうだろう? いや、明奈が自分の後継者にと考えているなら、そちらを優先するが」
    「お姉様」
     これを受けた明奈は眉をひそめ、あからさまに嫌そうな顔を見せた。
    「昔、ご自分にされたこと、忘れてらっしゃるのね」
    「うん?」
    「赤ん坊の頃からお父様に『婿を取り、黄家を継いでもらう』と決められて幼い頃から花嫁修業させられて、それに反発して黄海を出て行ったのは、一体どなたでしたかしら?」
    「う」
     古い記憶を突かれ、晴奈は閉口する。
    「人間、歳をとると親と似たようなことをすると言いますが、まさかお姉様ともあろう方がそれをなさるとは思いませんでしたわ。
     朱くんにも朱くんの考えがあるはずです。それを無視してまず自分の展望を押し付けようだなんて、あの頃のお姉様が今のお姉様を見たら、どんな顔をなさるでしょうね?」
    「す、すまない」
    「……とは言え、確かに朱くんももう20歳を迎えましたし、そろそろ自分の生きる道を定めないといけない頃ではありますね。
     それとなく聞いてみても、いいかも知れません。ただ、今も言ったように朱くんの考えは尊重してくださいね」
    「む、無論だ」
     晴奈はばつの悪い思いをしながらも、小さくうなずいた。



     一方、その頃――。

    「では、いよいよ計画を実行するのですね?」
     晴奈の娘、黄月乃と他数名が、本家焔流家元である焔小雪の前に跪き、紅蓮塞のどこか、暗く締め切った堂の中でこそこそと話し合っていた。
    「ええ。これで我が焔流の屈辱を、余すところなく雪(そそ)ぐことができるはずよ。
     黄。笠尾。深見。御経。九鬼。やって、くれるわね?」
    「勿論です」
     小雪と最も近い位置に並ぶ五名が、揃ってうなずく。
    「よろしい。……まずは、そうね」
     小雪は立ち上がり、そっと小窓を開ける。
    「まずは塞内の体制一新、統一からよ。今のように、わたしがただのお飾りにさせられているこの状況を打破しなければ、何も動きはしないわ。
     そのために、何をすべきか。黄、あなたはどう思う?」
     問われた月乃は、こう答えた。
    「そもそも、この塞内の長たる家元を差し置き、そのさらに上に立つ人間がのうのうと存在していることが、諸悪の根源かと存じます」
    「そうね」
     小雪は窓を閉め、続いて月乃の右隣にいる短耳の男性に尋ねる。
    「笠尾。その諸悪の根源たる者とは、誰のことか分かる?」
    「大先生夫妻……、もとい、焔雪乃と焔良太、両名であるかと」
    「そうね。では深見」
    「はっ」
     笠尾からさらに右隣にいた、これも短耳の男性が応じる。
    「その、諸悪の根源。どうすべきかしら?」
    「論じるまでも無く。亡き者にすべきかと」
    「いや、それは駄目だ」
     と、その意見に、月乃の左隣にいた長耳の男性がが反論した。
    「確かに家元の地位をぼかしている原因ではあることは否めぬが、その前にお二人は、家元の御両親だ。子が親を殺めるなど、どんな道理を用いたとしても正当化されるわけが無い」
    「御経の言うことも一理かと」
     笠尾が続く。
    「我々はあくまで家元を唯一無二、絶対の存在にするのが目的であり、それを貶めては何の意味も成さぬ」
    「ぬう……」
    「……では、御経。次善の策としては、どうすべきかしら」
    「平和的にその存在を封じるとあれば、どこかに幽閉した後、『夫妻は病に伏せり面会できぬ状態である』、とでも広めれば良いかと」
    「そうね。それがいいわ」
    「場所には心当たりがあります」
     五人の中で最も左に座っていた虎獣人の女性が、手を挙げた。
    「それはどこかしら、九鬼?」
    「偶然見付けたのですが、疎星堂に地下があります。恐らく大多数の門下生も、あるいは錬士(れんし:作中においては免許皆伝者)や範士(はんし:作中においては錬士の中でも特に秀でた者)でも、その存在を知らぬ者も多いのではないかと」
    「ふむ。そうね、わたしも初めて聞いたわ。
     ではそこに、焔夫妻を幽閉することにしましょう」
     冷たくそう言い放ち、小雪はにやぁ、と悪辣に笑って見せた。
    白猫夢・逐雪抄 2
    »»  2013.01.15.
    麒麟を巡る話、第160話。
    大先生、雪乃の逐電。

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    3.
     謀議を終え、小雪に追従していた者たちはバラバラと離れ、明日の計画実行の準備へと向かっていた。
     と――その一人であった笠尾が、辺りを伺いつつ紅蓮塞の本堂裏手、焔雪乃・良太夫妻の住む離れを訪れた。
    「もし、大先生……」
     辺りに漏れないよう、そっと声をかける。
    「起きていらっしゃいますか」
    「ええ。今開けるわ」
     少し間を置いて、雪乃が顔を出す。
    「あら、松くん?」
    「はい、笠尾松寿にございます。……失敬」
     笠尾はもう一度辺りを伺い、小雪派の者がいないことを確認してから、ひょいと中へ入った。
    「どうしたの、こんな夜中に?」
     既に真夜中近くであり、奥では雪乃の夫、良太がすやすやと眠っている。
    「その……」
    「ん?」
    「……た、単刀直入に、申し上げます。
     大先生ご夫妻は、お命を狙われております」
     笠尾の話を聞くなり、雪乃はため息をついた。
    「……小雪ね?」
    「左様でございます」
    「でも、あなたは何故それをわたしに?」
     己の立場を暗に問われ、笠尾は額に浮き出た汗を拭う。
    「……確かに小生は、現家元の立身を願っている者の一人ではございます。しかし同時に大先生にも、並々ならぬ大恩がございます。
     いや、……何より、家元ともあろう方が、こんな孝も忠も無い所業をするのか、と考えるに……、あ、いや、その。決して家元のことを悪く言うわけでは無いのですが、しかし……」
    「いいわ、それ以上言わなくて。気持ちは、分かってるつもりだから」
     そう言って雪乃は、笠尾の両手をふんわりと握る。
    「あっ、え、あの……」
    「ありがとね、松くん」
     雪乃はにっこりと微笑み、それから奥に戻りつつ、話を続ける。
    「すぐ発つわ。伝えてくれてありがとう」
    「た、発つ? そんな、急に……」
    「いいえ、急な話では無かったはずよ。
     去年、いえ、一昨年くらいから、我が焔流の風潮は悪い方へ、悪い方へと流れていた。いつか小雪は重圧と我欲に耐えかねて、こんなことをするんじゃないか、とは思っていたのよ。
     だから準備は万全よ。ね、良さん」
    「ふあ……、うん、ばっちりだ」
     眠っていたはずの良太が、雪乃と共に玄関へとやって来る。
    「でも、……まだ一つ、いや、二つ、……じゃないや、ふああ……、二人だ、残してる」
    「良蔵様と、晶奈様ですね」
    「ええ。ここに残したら、きっと小雪はただでは置いておかないでしょうね。
     ねえ、松くん。二人を呼んで来てもらっても、いいかしら?」
     良蔵と晶菜とは、雪乃たちの第二子と第三子、つまり小雪の弟妹である。
     小雪と同様、幼い頃から紅蓮塞で修行を積ませていたが、この数年は二人とも門下生用の寮に住んでおり、この離れからは遠い。
    「承知しました。しかし……」
    「そうね、恐らく見つかったら危険でしょうね。
     ……あ、逆にすればいいかしら」
    「と、言うと?」
    「わたしが迎えに行けばいいのよ。
     いくらなんでも、明日襲う予定の人間を今夜、独断で、しかも単騎で襲うなんて度胸と無鉄砲さは、小雪にも、お付きたちにも無いでしょう?」
    「そ、れは……、そう、かも」
    「それにわたし、こう言う時にうってつけの、『とっておき』の術があるから」
    「とっておき、……ですか?」
     面食らう笠尾を尻目に、雪乃は羽織と刀を身に付ける。
    「松くん。夫を塞外の、安全なところまで運んでくれるかしら?」
    「いや、しかし……」
    「お願い」
     雪乃はそう言って、笠尾に頭を下げて見せた。
     笠尾は当然、狼狽する。
    「せっ、先生! そんな、頭をお上げください!
     ……わ、分かりました。この笠尾、責任持って塞外までお送りいたします」
    「ありがとね」
     雪乃は頭を上げ、再度にっこりと微笑んだ。
    「……ところで」
     と、雪乃は表情を変える。
    「松くん、あなたはその後、どうするの?」
    「その後、……と言うと?」
    「わたしたちを逃がしてくれるのは、本当に助かるわ。でもこれが発覚すれば、あなたはきっとただでは済まないはずよね?
     あなたさえ良ければ、一緒に来てくれると、もっと助かるんだけど」
    「……考えさせてください」
    「いいわ。塞を出たところで、答えを聞きましょ」
     雪乃はもう一度微笑み、それからそっと、離れを出た。
    白猫夢・逐雪抄 3
    »»  2013.01.16.
    麒麟を巡る話、第161話。
    雪乃の子供たち。

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    4.
     修行場まで近付いたところで、雪乃は魔術を唱えた。
    「『インビジブル』」
     かつて親友、橘小鈴から又聞きした、「旅の賢者」の秘術である。
     唱えると同時に雪乃の姿が消え、誰にも視認できなくなる。
    (これ教わった時、小鈴、むくれてたわね。治療術だけじゃなく、これもわたしの方がうまく使えたから)
     雪乃が使う魔術はほとんど小鈴から伝授されたものだったが、その大半が彼女より、自分の方が得意になってしまった。
    (もし、わたしが本気で剣じゃなく、魔術を学んでいたら。そしたら、大魔術師になっちゃってたのかしら?
     ……なんて、ね。剣士じゃないわたしなんて、わたしじゃないわ)
     透明になった雪乃のすぐ側を、門下生らを連れた範士が仰々しく歩いていく。その手には恐らく明日使う予定であろう刀や槍、刺又が握られていた。
    (小雪派の子たちね。……はぁ)
     彼らとすれ違う度、雪乃の気分は重くなる。
    (どうしてこうなっちゃったのかな。小雪も、昔はいい子だったのに)
     そう思うと同時に、門下生たちの顔を見て、雪乃はこうも思う。
    (いい子、って言えば、……多分、この子たちもそうなんでしょうね。上からの言葉を純粋に信じる、根のまっすぐな子たちなんでしょう。
     でも、……それがいつもいいことだとは、限らないのよ)
     恐らく、普段から小雪派によって黄派焔流や、雪乃らに対する誹謗中傷を聞かされ、それが真実だと信じ切っているのだろう――彼らの目にはこれから行われようとする悪事に対する戸惑いや迷い、良心の呵責などの感情は、ほとんど感じることができなかった。
    (……やはり、わたしが10年、いえ、5年だけでも、家元代理として治めるべきだったのかしら。
     体つきを見れば、ちゃんと剣の修行を積んだのは分かる。でも心の修行は、果たしてどうだったのか?
     どの子も、『先生からこれが正しいと教わったから間違いなく正しいんだ』と言いたげな顔つき。自分がこれから人を殺すかも知れないと言う恐ろしい行為に対してすら、『家元が正しいことだと言ったから』で通そうとしているように見える。
     みんな、ちゃんと心が鍛えられていないんじゃないかしら。自分で『正しい』とは何かって考えること、してないんじゃ無いかしら)



     修行場を抜けて寮に入り、雪乃はようやく、次女の晶奈がいる部屋までたどり着いた。
    「晶奈、まだ起きてる?」
     トントンと戸を叩き、雪乃は反応を伺う。
     しばらくして、眠たげな声が帰って来た。
    「母上……?」
    「ええ、そう。開けてもらって、いい?」
    「はい、ただいま」
     す……、と戸を開け、自分に似た濃い緑髪の、長耳の少女が顔を見せた。
    「ちょっと、入るわね」
    「はい」
     中に入ったところで、雪乃はそっと、晶奈に耳打ちする。
    「お母さんね、今、小雪から狙われてるの」
    「え?」「しー」
     晶奈の口にとん、と人差し指を当て、雪乃は話を続ける。
    「それでね、襲われる前に逃げようってことになったんだけど、晶ちゃん、一緒に来る?」
    「そ、それは、ええ、勿論です」
     晶奈の反応を見て、雪乃はほっとした。
    (良かった……。この子はどうやら、小雪派に取り込まれてはいないみたいね)

     雪乃は晶奈を連れ、今度は良蔵の部屋を訪れた。
    「良蔵、まだ……」
     呼びかけようとしたところで、雪乃は部屋の中からある気配を感じ取った。
    「……」
    「どうされたのですか、母上?」
    「……ねえ、晶ちゃん」
     雪乃は晶奈の手を引き、良蔵の部屋の戸から二歩離れる。
    「お母さんね、今、……ここを開けると、すごくびっくりしそうな気がするの」
    「は、はい?」
    「多分、晶ちゃんもびっくりするんじゃないかな、って」
    「どう言う……、ことですか?」
     さらに二歩離れ、雪乃は小声でぼそ、と応じる。
    「良ちゃん、もう19歳だから、誰かを好きになるとか、女の子と一緒に遊びに行ったりとか、するかも知れないなーって、まあ、それは分かるんだけど。
     ……でも、でもね。女の子と一緒の部屋で生活するって、まだ、ちょっと、良ちゃんには早いんじゃないかなって思うの。晶ちゃんは、どう思う?」
    「そ、そ、それは、……まさか、良お兄様が?」
    「晶ちゃん」
     と、雪乃の顔が強張る。
    「ちょっと、口を閉じていて。今からお母さん、しゃべっちゃいけない術を使うから」
    「……」
     娘が両手を口に当てたのを確認したところで、雪乃は「インビジブル」を発動する。
     それとほぼ同時に――良蔵の部屋から、顔を真っ赤にした寝間着姿の月乃が、刀を持って飛び出してきた。
    「だ、誰だっ!? 誰が覗いていたッ!?」
    「……!」
     自分の背後で、晶奈が息を呑む気配が伝わるが、彼女はちゃんと黙っている。雪乃自身も、パニックを起こしそうな頭を冷静にさせようと努める。
    「……気のせい、……かしら?」
     そのうちに、月乃は誰もいないと判断したらしく、辺りを見回しつつ、良蔵の部屋に戻って行った。
    (……遅かったみたい、ね。良ちゃんはもう、小雪側にいるわ)
     雪乃は晶奈の袖を引いて、その場を後にした。
    白猫夢・逐雪抄 4
    »»  2013.01.17.
    麒麟を巡る話、第162話。
    獣道に迷い込んだ「猫」。

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    5.
     そのまま寮を後にし、二人は紅蓮塞の門前に向かう。
    「……あのっ、母上」
     と、晶奈が思いつめたような声色で、雪乃に話しかけてきた。
    「ん? どうしたの、晶ちゃん」
    「母上は良お兄様が、……あのような、自堕落な生活を送っていたことに、……その、どうお考えでしょうか?」
    「……」
     雪乃は立ち止まり、そして笑って見せた。
    「そうね、びっくりしたわ。『いつの間にか大人になっちゃったのね』、……なんて、軽く笑ってやりたいけれど。
     でも、……正直に言えば、小雪が謀反を起こそうとしていると聞いた時より、心が痛んだわね」
    「そうですか……」
    「もしも、今が内輪揉めしてる時じゃなくて、それに、5年くらい後になって、そう言うことになったのであれば、確かに笑い話、おめでたい話にできたかも知れないけれど、今は、……落ち込んじゃいそうよ」
    「母上……」
     沈痛な面持ちになる娘を見て、雪乃はもう一度笑う。
    「仕方の無いこと、……と諦めるしか無いわ。良くんも、雪ちゃんも、もうわたしとは違う道を選んでしまったようだから」
    「……私には、踏み外したとしか思えません」
    「そんな風に……」
     雪乃が思わず否定しようとした、その時だった。
    「外れて結構。あなたの道は、苔むした古道よ。歩きたくも無いわ」
     じゃり、と足音を立て、二人の前に月乃が現れた。
    「あなた……」
    「やっぱり先程の闖入者は、大先生でしたか。大方、我々の計画を察知し、ご自身の子供たち共々ここから逃げようとしていたのでしょうが、……残念でしたね」
     月乃はにやぁ、と笑い、自分の唇を指差した。
    「あたしと良は、もう1年半以上も前から、ああ言う関係だったんですけどね。大先生も晶奈も、まったく知らなかったんですね。
     自分の子供のことも把握できない奴が、大先生だなんて!」
    「月乃……ッ!」
     母を嘲られ、晶奈が憤る。
    「いいの晶ちゃん、下がっていて」
     と、それを雪乃が制した。
    「あら、反論もされないんで……」「月ちゃん」
     雪乃は凍りつくような冷たい声で、月乃の話を遮った。
    「あなたも道を踏み外した一人よ。
     あなたの道には仁も礼儀も、貞節も無い。徳も無い。孝も悌も無い。あなたの道は、おおよそ人の歩むような、正しき道では無いわ。
     あなたの歩んでいるそれは、獣道よ!」
    「だから言ってるじゃないですか」
     月乃は刀を抜き、それに火を灯す。
    「あたしはあなたみたいな、時代遅れの道なんか歩いてられないんですよ!」
     襲いかかってきた月乃に、雪乃も刀を抜いて応戦する。
    「道を外した者は皆、そう言うわ。
     古くより大切にされてきた、人の信念と美徳で築かれてきた道を否定し、自分たちの浅ましい、身勝手で利己的な思想で塗り固めた道が真理だと言う。
     それがどれほど愚かで、浅ましいことか!」
     雪乃の刀をすい、すいと避けながら、月乃はこう応じる。
    「あなたは分かってない! あなたたちがそううそぶいて八方美人的に導いてきたせいで、あたしも、家元も、どれほど窮屈な思いをしてきたか!
     上の者にこびへつらい、下の者の顔色を窺ってばかりいた! 同輩にも馬鹿にされないよう、手本であろうと無理な努力ばかりさせられて!
     その結果を見た!? 家元は、名ばかりのお飾りにさせられた! 何か成そうとする度に陰口を叩かれ、成さなければ嘲られ、成功すれば妬まれて、失敗すれば貶められて! いつもいつも、『先代は立派な方だったのに』とか、『当代は器では無かった』とか、何をやっても、やらなくても、家元は傷付けられてばかりいたのよ!
     そしてそれは、あたしも同じだった……! キレイゴトばかり言う母のせいで、バカなことばかりする兄のせいで、あたしはどれだけ嫌な思いをしてきたか、あなたに分かる!? 分からないでしょう!? それを分かってくれたのは、家元たちだけよ!
     だからあたしたちは決別するのよ――あんたたちみたいな上っ面の安い道徳授業ばっかり吹聴する、似非人格者の道とはね!」
     月乃の激情に任せた攻撃を三太刀、四太刀とかわし、雪乃はさらにこう返した。
    「似非と言うなら、あなたたちこそが似非よ。自分の言いたいことばかり言って、それがさも正しいことのように主張している。
     その行為は、あなたたちのことを貶して、それで自分たちが上等な人間になれたと勘違いするような小人たちのそれと、何が違うと言うの?」
    「違う! 違う、違うッ! そんなクズ共と一緒にするなああッ!」
     月乃の刀が、雪乃の左肩をわずかにかすめる。ぢりっ、と羽織の焦げる音と共に、雪乃の左肩から血が飛び散った。
    「うっ……!」
    「これが答えよ! 何十年もキレイゴト抜かしたあんたの剣術より、新しい道を行くあたしの剣術の方、が、……っ」
     勝ち誇りかけた月乃の声が、そこで止まる。
    「これが答え、よ」
     それを継ぐように、雪乃がそう返した。
     ほんの数瞬前まで勝利を確信していたであろう月乃は、今は白目をむいて倒れている。月乃が勝ち誇ったその一瞬の隙を突き、雪乃が急所へ居合を放ったのだ。
    「他人を見下す生き方が正しい、と答えるような人はいないわ。
     前を向かず、下ばかり眺めている人間が、前へ進めるわけが無いでしょう――前から何が来るか、分からなくなるのだから。
     あなたが入り込んでしまったその道が、あなたの剣術を歪めたのよ」
     雪乃は静かに刀を収め、月乃に背を向けた。
    白猫夢・逐雪抄 5
    »»  2013.01.18.
    麒麟を巡る話、第163話。
    人望と指導の賜物。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     月乃と戦っている間に、どうやら相手方も雪乃たちの動きに気付き始めたらしい。
    (塞の上の方に、どんどん灯りが点ってるわね。のんびりしてたら、ここまで来ちゃうかも)
     雪乃は晶奈へ振り返り、声をかける。
    「晶ちゃん、そろそろ行こっか」
    「あ、は、はい」
     晶奈は目を白黒させ、雪乃の後に付く。
    「大丈夫? どこか怪我したの?」
    「い、いえ。……その、母上があれほど怒りをあらわにされるとは思わず」
    「うーん……、怒りって言えば怒りだけど、晶ちゃんが思ってるのとはちょっと違うかしら」
    「と言いますと?」
     きょとんとする娘に、雪乃はこう続ける。
    「あれはちょっと『きつめの』お説教よ。と言っても相手は多分、聞く耳を持ってはくれないでしょうけどね」
    「な、るほど」
    「さ、もう行きましょ」
     雪乃は晶奈の手を引き、門前へと急いだ。

     雪乃にとってこの騒動は、非常に心を痛めるものとなった。
     よりによって現家元であり、己の血を分けた娘でもある小雪が、親である、そして師匠でもある自分に刃を向けたのである。
    「……ねえ、晶ちゃん」
    「はい」
    「お母さん、どこを失敗しちゃったのかしらね」
    「え?」
    「……ううん、何でもないわ」
     そう返したが――横から唐突に、返事が返って来た。
    「師匠は何も間違ってなどいない。あたしはそう信じてますよ」
    「え? ……もしかして、霙ちゃん?」
    「はい、藤川霙子にございます」
     そう言ってひょいと、霙子が姿を現す。
    「微力ながらお助けに参りました。ちなみに」
     そして霙子の背後から、6、7人ほどの人間が続く。
    「我らが焔雪乃門下は全員、師匠の味方ですよ」
    「……ありがとね、霙ちゃん、それからみんな」
     礼を言った雪乃に、愛弟子たちは笑って答える。
    「水臭いっスよ、師匠」
    「そうですよ、礼なんかこっちが言うべきです」
    「俺たちはみんな、先生を剣士の鑑として、ずっと鍛錬積んできたんですから」
    「……うん」
     雪乃は小さくうなずき、そしてきりっと表情を正した。
    「じゃあみんな、これからもわたしに付いてきてくれるかしら?」
    「勿論です」
     弟子たちは異口同音に同意し、雪乃の周りを囲んだ。
    「先生には指一本触れさせやしませんよ!」
    「来るなら来てみろってんだ!」
    「さあ、急ぎましょう先生!」
     雪乃母娘は弟子たちに護られる形で、門までの道を進んだ。
     そしてこれが、騒動に揺れる塞内に強い抑止力と、小雪への反発を生んだらしい――雪乃たちの周りに、続々と門下生や師範格の者たちが集まり始めた。
    「大先生、私もお供します!」
    「あれほど孝の無い者を手本、家元と仰ぐことは、最早できません!」
    「どうか俺たちが付いていくことを、お許しください!」
     集まってくる者たちに、雪乃はしずかにうなずき返す。それを受け、彼らも静かに同行していく。
     そして門に到着する頃には、それは50人、60人を優に超える大所帯になっていた。

     小雪とその取り巻きは、その騒ぎを塞の最上部から眺めていた。
     いや、眺めることしかできなかったのだ。
    「家元、早く騒ぎを収めねば……!」
     そう進言する深見に、小雪は苦々しい顔でこう返した。
    「そんなことしてみなさいよ――わたしは親殺しの上に、同門殺し、大量虐殺者の汚名まで着せられるのよ!? もうあんな人だかりになってしまったら、打つ手は無いわよ!
     一体あんたたち、こんなになるまで何してたのよ……ッ!?」
     怒りに満ちた顔で怒鳴られ、一同は口ごもる。
    「い、いや、明日の準備をと」
    「明日!? 今日起こってることをほっといて、明日の準備をしてたって言うの!?」
    「いや、ですから我々が騒ぎに気付いた時はもう、あのような状態で……」
    「そ、それにそんなことを仰るなら、家元だって」
    「は!? わたしに単身、あの集団の中に飛び込めって言うの!?」
    「いや、その……」
     と、怒鳴り散らしていた小雪は一転、黙り込む。
    「……」
    「……家元?」
    「ま、いいわ」
     けろっとした声でそう返され、一同はきょとんとする。
    「いい、とは?」
    「あっちの方から勝手に出て行ってくれるって言うなら、それでいいわ。ごめんね、ちょっとイラっと来ちゃったから、ひどいこと言っちゃったわ」
    「は、はあ」
    「いえ、我々はそんな、気になどしていないので」
    「そ」
     今度は素っ気なく応じ、それからにやっと笑う。
    「そもそも、あいつらが出て行ったところで、わたしたちには何の被害も無いのよ。何人出て行こうが、本家はうちなんだから。
     あいつらはいずれ、わたしたちのところに頭を下げに来るしか無いのよ。だってそうじゃない? 入門試験と免許皆伝試験を受けさせる場所はここにしか無いし、そしてその免許皆伝者を登録し、認可するのも、この紅蓮塞だけなのよ。
     伏鬼心克堂と、この……」
     小雪は書架から取り出した巻物を、自慢げに振った。
    「『焔流免許皆伝者証書』があれば、あいつらなんてただの、刀を持った難民よ」
    白猫夢・逐雪抄 6
    »»  2013.01.19.
    麒麟を巡る話、第164話。
    焔流の分裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     門を抜け、街道を進んでしばらくしたところで、雪乃たちは良太と笠尾の二人と合流した。
    「無事で良かった、雪さん。そうそう、松さんもやっぱり、僕たちと一緒に来るってさ」
    「良かったわ。でも……」
     雪乃は良蔵が既に小雪派に付いていたこと、そして月乃が襲いかかって来たことを話した。
    「そうか……、なんか、悲しいな」
     良太はそうつぶやき、雪乃に背を向ける。
    「小雪も良蔵も、僕たちを『親』じゃなく、『敵』だと見なしてしまったんだね。そっか……」
    「良さん……」
     がっくりと肩を落とす夫を見て、雪乃の心にはまた、悲しみがぶり返しかける。
     ところが――その良太の袖口から、にゅっと何かが出て来た。
    「……じゃあ、……残念だけど、これはもう、あの子たちの元には置いておけないんだね」
    「それって、……まさか?」
     良太は振り返り、袖口から巻物を取り出して見せた。
    「うん。最早紅蓮塞にいる焔流は、『本家』とは呼べないよ。
     いや、呼ばせたくない。おじい様の代まで厳格に守ってきた規律・規範を穢されたとあっちゃ、少なくとも『これ』は死守しておかないとね」
     良太が見せた巻物を見て、霙子が「えっ?」と声を挙げる。
    「まさか……、証書ですか?」
    「うん。こんなこともいつかあるんじゃないかと思って、こっそり偽物を作っておいてたんだ。
     これがこっちにある限り、『小雪派焔流』は絶対に、本家を名乗れない」

    「……?」
     雪乃らを追い出し、小雪が有頂天になっていたところで、御経が首を傾げた。
    「家元。ちょっと……、失礼いたします」
    「え、なに?」
     小雪がひらひらと振っていた証書を取り、御経がぱら、とそれを開く。
    「……大変、まずいです、家元」
    「なにが?」
    「これは、偽物です」
    「……なにが?」
    「証書が偽物なのです!」
    「……うそ」
     げらげらと笑っていた小雪の顔が一転、蒼ざめる。
    「み、見せなさいっ!」
     御経から手渡された「証書」を乱暴に広げ、小雪は中に一筆だけ、こう書かれていることを確認した。

    「此を揚々と広げ威張り散らし者 贋(にせ)を贋と見抜けぬ未熟者なり
    紅蓮塞書庫番 焔良太」

    「……ぐ、……っ、あ、のッ」
     小雪は巻物を壁に叩き付け、窓の外に向かって怒鳴りつけた。
    「青瓢箪のクソ親父めえええッ! よくもわたしを、このわたしをッ……、騙したなああああーッ!」



     焔流分裂のニュースは、瞬く間に央南中を駆け巡った。
     央南有数の武力組織であり、伝統ある剣術一派である。その本拠地で騒動が起こり、二分されたとあって、央南中に散っている焔流剣士たち、そして焔流に献金してきた者たちは騒然としていた。
    「御免ね、晴奈」
     師匠にぺこりと頭を下げて謝られ、晴奈は目を白黒させている。
    「いえ、そんな。師匠が困っていると言うのに、何もせぬ弟子などおりません」
     雪乃たちはひとまず同輩の中で最も富と名声、政治的権力を持っている晴奈のところへと身を寄せた。
     勿論晴奈の生家であり、焔流に対して多額の献金および援助を行っていた黄家も、今回の騒動にも敏感に反応していた。
    「とりあえず、わたしのところの対応としては、紅蓮塞への援助は全面的に止めております。他の主だった焔流道場への援助についても、現在は見合わせている状態です」
     黄家当主である明奈は雪乃らにそう説明し、そしてこう続けた。
    「とは言え恐らく紅蓮塞以外の、ほとんどの焔流道場には、元通りお金を出すのでは無いかと思いますが」
    「ふむ?」
    「今回の騒動、橘喜新聞社をはじめとして、あちこちで内情が暴露されておりますし、そうなると紅蓮塞側に付くような道場は、そうそう無いでしょう。
     恐らく大部分、ほとんどの道場が雪乃さんたちの側に付くと思います。となれば援助の流れに関しては実質上、元通りになるかと」
    「だろうな。まさか親殺しを仕掛けようと言うような輩に、……っと、失礼いたしました」
     晴奈は雪乃をチラ、と見て、言葉を切った。
     しかしその後を、雪乃本人が継ぐ。
    「構わないわ。本当のことだもの。
     小雪はやってはならないことを、ついに犯してしまった。その報いはこれから、受けることになる。
     今回の件で、間違いなく紅蓮塞は孤立するわ」
    「経済的にも、政治的にも、あらゆる面において、……ですね」
     そう返した明奈に、晴奈が首を傾げた。
    「どう言うことだ?」
    白猫夢・逐雪抄 7
    »»  2013.01.20.
    麒麟を巡る話、第165話。
    アナリスト、明奈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「まず、経済面ですけれど」
     明奈は自分を指差し、こう説明した。
    「焔流の収入・運営資金は、本拠の紅蓮塞周辺における温泉街からの献金が3割。央南連合軍をはじめとする、武力を必要とする各組織からの報酬と謝礼金が5割。そして残りの2割ですけれど、わたしみたいな央南各都市の有力商人、商家からの献金・援助金です。
     今回の件で、3つ目に関してはほぼ全滅するでしょう。最も多く出資している黄家が止めるのですから、他も追従するでしょうし」
    「確かに。うちがやめれば、他も出し渋るだろうな」
     晴奈がうなずいたところで、明奈もうなずきつつ、こう続ける。
    「軍などからの報酬および謝礼も同様です。
     央南連合軍は年々、剣士の採用および運用の枠を狭めています。近年推し進められてきた軍備近代化に当たり――お姉さまや雪乃さんにこう言っては大変失礼とは思いますが――旧態依然とした白兵戦重視の戦術によって運用されてきた剣士をこのまま置くことは、その目的にそぐわないからです」
    「確かに時節の面、時代の流れから言えば、不本意ではあるが当然だな」
     晴奈は憮然としつつ、妹の意見に同意する。
    「とは言えこれまでのしがらみなり、縁故なりがありますから、何か突飛なことでも起こらない限り、ばっさり手を切るようなこともなかなかできない。軍本営も頭を悩ませていた問題のはずです。
     そこに、今回の一件です。軍本営にしてみれば、これは剣士の大量解雇を行う、格好の口実となります。ついでに剣士たちの総本山、焔流とも手を切り、彼らとの古い慣習・約定を一掃する機会でもあります。
     恐らく今回の件を楯に、央南連合軍は焔流との交流を、完全に絶とうとするでしょうね」
    「なんと利己的な、……とも言い切れぬか。軍には軍の事情もあることであるし。
     ふむ……、となると政治面においても孤立する、とは」
    「ええ。これまで最大の需要を持っていた、言い換えれば『剣士をどこよりも必要としていた』組織、央南連合軍から『もういらない』と手を切られれば、州軍などの他の武力組織も挙って、『剣士切り』に走るでしょう。
     これは言ってみれば、商人と商売の関係に似ています――どこにも自分の作った商品を卸せなくなり、商売の場が立てられなくなった商人は、やがて破産の憂き目を見ることになるでしょう」
    「それが政治的孤立となるわけか」
    「ええ、その通りです。
     資金源を大幅に失い、育ててきた剣士たちを主要武力組織から一挙に追い払われれば、紅蓮塞は資金難と職にあぶれた大勢の剣士たちを抱えることになり、いずれ破産・破滅するでしょうね」



     雪乃らを追い出し、晴れて名実ともに紅蓮塞の主となったものの、小雪は頭を抱えていた。
    「出戻りなんかされたって困るわよ……」
     明奈の読み通り、今回の事件を口実に、央南連合軍や各州の州軍から一斉に、焔流剣士の排斥・解雇が行われ、路頭に迷った剣士たちの半分近くが紅蓮塞へと戻ってきてしまったのだ。
     商人たちからの援助も切られたこともあり、紅蓮塞の経済事情は早くも逼迫しつつあった。
    「出納係に試算を行わせたところ、既に収入の15倍以上の支出が発生しているとのことです。
     このままの財政状況が続けば、紅蓮塞の持つ資金・資産は、来年末には空になってしまいます」
     御経からの報告を、小雪は終始顔をしかめて聞いていた。
    「じゃあ仮に、戻ってきた剣士たちを追い出した場合は?」
    「支出額が多少抑えられるだけで、収入面の激減に変化はありませんから、結果は同じです」
    「収入で賄えるのは、何人くらいになるの?」
    「月当たり60、70名が限界かと。しかし現在の収入は温泉街にしかなく、それもこの一件で客足が遠のいているとのことで……」
    「ジリ貧ってこと、……ね」
     小雪は顔をしかめたまま、取り巻きたちを一瞥する。
    「……どうすべきかしら。策は誰か、無い?」
    「畏れながら」
     と、月乃が手を挙げた。
    「金が無いのなら、あるところへ取りに行けば良いかと」
     その言葉に、小雪の顔が一層強張った。
    「まさか、あなた」
    「ええ。今回の一件に至った原因の一つは、我が母である黄晴奈にもあるはず。彼女に鉄槌を下すと共に、本来我々が受け取るはずだった金を、受け取りに行けば良いのです」
     そう言ってのけた月乃に、取り巻きたちも苦い顔を見せる。
    「黄、その理屈はいくらなんでも無理矢理すぎる」
    「此度の件に加え、さらに黄先生にまで刃を向けるとあっては……」
    「いよいよ我々の立場を危うくするぞ」
     だが――。
    「……乗るしかないわね、その策に」
    「い、家元!?」
     青ざめる御経らに対し、小雪はこう言い放った。
    「どの道『証書』がここに無ければ、わたしたちは本家を名乗れないわ。その『証書』は黄海にある。黄の言う因縁と金も、そこにある。
     すべての絡み、関係がそこにあるのなら、わたしたちは万難を排してでもそこへ押し入らなきゃならないのよ」
    「……」
     確実に、かつ、恐るべき速さで歪みゆく自分たちの道、そして歪めていく張本人を前に、誰も諌めることはできなかった。

    白猫夢・逐雪抄 終
    白猫夢・逐雪抄 8
    »»  2013.01.21.
    麒麟を巡る話、第166話。
    神器の書、信念の書、矜持の書。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     焔流分裂から1週間が経った、双月節も間近のある夜。
    「すみません、質問させていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
     そう挨拶して朱明が、黄屋敷内の雪乃一家が仮住まいしている部屋へと訪ねてきた。
    「あら、朱明くん。質問って、わたしに?」
    「ええ。あ、もしかしたらこの話は、良太先生の方が詳しいかも知れませんが」
    「僕?」
     娘の晶奈と囲碁に興じていた良太が、顔を挙げる。
    「はい。腑に落ちないことが一点あったので、確認したいのですが」
    「って言うと?」
    「『証書』のことです。
     試験会場が特殊であることは、僕も『向こう』で入門試験を受けた身なので分かっています。確かにあのお堂は二つとない施設であり、本家焔流の証となるでしょう。
     でも証書もまた、本家本元の焔流であることの証明であると言うのが、どうも腑に落ちないのです」
     質問を受け、良太はコクリとうなずく。
    「なるほど。普通の書であれば確かに、複製もできる。そうしてしまえば済む話なのに、どうしてこれに固執するのか、と」
    「ええ」
     これを受け、良太は金庫から証書を取り出し、雪乃に声をかける。
    「雪さん。ちょっとこれを『火刃』で斬ってみて」
    「えっ!?」
     面食らう朱明に構わず、雪乃が応じる。
    「ええ。……はあッ!」
     雪乃が用いたのは刀ではなく、玄関に立てかけていた番傘だったが、それでも相手は「紙」である。
     良太がぽんと投げた証書が一瞬のうちに炎に包まれたのを見て、朱明は珍しく声を荒げた。
    「な、何をするんですか!?」
    「でも、ほら」
     良太が指差した先には、何事も無かったかのように証書が転がっていた。
    「……あ、あれ? 燃えて、……ないですね?」
    「と言うわけなんだ。つまり、これはいわゆる『神器』の一種で、複製のしようが無い、つまりこれもこれで、元祖の焔流だって言う証明になるんだよ。
     もっとも、それを差し引いても」
     良太は証書を広げ、そこに連ねられた名前を朱明に見せる。
    「これだけの人数が焔流の名前を背負ってくれてきたんだ。
     焔流と言うのは『焔玄蔵からの血筋が代々受け継いできた剣術一派』じゃない。これら数百、いや、千にも届こうかと言う数の人間が仁義と礼節の元に紡いできた、真に世界に誇れる『生き方』なんだ。
     これを複製してごまかそうなんて言う輩は、それこそ本家焔流の人間じゃない。その歴史を顧みず、嘘をついてその誇りを貶めるような者が、焔流と名乗ってはいけない」
    「なるほど……。ありがとうございます、良太先生」
    「いやいや」
     良太は肩をすくめ、こう返した。
    「僕は先生じゃないよ。ただの書庫番のおじさんさ」
     と、ここまで会話を傍で聞いていた晶奈が、ぽつりとこうつぶやく。
    「父上の人柄と知性であれば、とてもいい先生になれると思います。と言っても剣の、ではなく、学問の方のですが」
    「はは、それもいいね」
     良太は笑って返すが、雪乃がこれを聞いて、意外なことに顔を曇らせていた。
    「……」
    「どうされました、大先生?」
    「……ねえ?」
     雪乃は神妙な顔をし、良太と晶奈にこう尋ねた。
    「二人とも、まさか盗み聞きなんてしてない、……わよね?」
    「え?」「何を?」
     きょとんとする二人を見て、雪乃は一転、顔を赤らめさせた。
    「あっ、……ううん、なんでも。わたしの勘違いだったみたい。ゴメンね」
    「ん……?」
     怪訝な顔をする皆に、雪乃はいたたまれなくなったらしい。
    「……あ、あのね。実はまだ話がまとまってないから、まだもしかしたら、仮にって、そんなくらいの話なんだけどね。
     晴奈と明奈さんから、こんな話を打診されたの」
    白猫夢・明察抄 1
    »»  2013.01.23.
    麒麟を巡る話、第167話。
    テイク・オフを目の前にして。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     職にあぶれた焔流剣士たちが紅蓮塞に流れてきたのと同様に、黄海にも剣士たちの姿がちらほらと、目に付くようになった。
    「師匠。昔、青江へ旅をした際に楢崎派道場で会った虎獣人のことを、覚えておいででしょうか?」
     明奈を交えて三人で茶を飲んでいたところで晴奈にそう尋ねられ、雪乃はコクリとうなずく。
    「ええ、柏木くんね」
    「彼の息子だと言う子と、つい昨日くらいに話をしまして」
    「へぇ? じゃあ、その子も……」
    「ええ、焔流の免許皆伝を得た後、央南連合軍に就いたそうなのですが、就いて1年も経たぬうちに唐突に除隊されて路頭に迷い、こちらを訪れたとのことでした。
    『このままでは親に合わせる顔がない、どうにか仕事の口を与えてくれないだろうか』、と懇願されたものの……」
     晴奈は表情を曇らせ、こう続ける。
    「既に同様の話が、十件以上にも上っている状態でして。ともかく探してみよう、とはそれぞれに答えておいたものの、私の人脈ではなかなか……」
    「小雪派のせいで、今、焔流の評判は悪くなっていますものね」
     明奈は茶をすすりながら、それに応じる。
    「既存の需要では、対応はできないでしょうね。何か新しい雇用口を考えないと、折角の剣士たちが立ち枯れてしまいます」
    「新しい雇用口……、ねぇ」
     雪乃がそう返したが、いい案は無いらしく、言葉は続かない。
     代わりに明奈が、こう続けた。
    「一応、案は考えています。
     考えてみれば、焔流の剣士さんってみんな、囲碁も打てますし写本や写経もよくされてますし、武芸だけではなく、教養も高いですよね。
     人を『ちゃんと』育てる、と言うことに着目すれば、非常に優れた人材ではないかと思うんです」
    「ふーむ……?」
    「わたし、常々からこう考えているんです」
     そう前置きし、明奈は自分の考えを話す。
    「ここ数年、世界は急に成長した気がします。いえ、今後さらに、もっと成長していくでしょうね。
     この十数年、央南連合や西大海洋同盟は積極的に学校を作ったり、道を整備したりと、様々な社会整備を行ってきました。それは言わば、『下準備』であったと思います」
    「下準備? 何の?」
    「うまく説明はしにくいのですが……、言うなれば、社会をこれまでよりもう一段、優れたものにする、と言う感じでしょうか。
     実際、人の行き来は昔、父が当主であった頃よりもずっと多くなっていますし、輸入品も今まで見たことの無い、目新しいものが次々と現れています。
     今後さらにその勢いは増していくでしょう。そして我々央南の人間は、その勢いに付いていけるのだろうかと、不安にならずにはいられません。
     そう考えると今回の騒動は、単に一つの巨大組織が一地方で混乱をきたした、と言うものに留まらないような、そんな危機感を覚えるんです」
    「十分に大事だと思うんだけど……」
     頬を膨らませる雪乃に、明奈は深々とうなずいて見せる。
    「ええ、それは勿論。その重要性は十分に承知しています。
     でも、このまま放っておけば、今認識しているより一層の、悪い事態に発展しかねない。今後の対応で下手を打てば、央南の世界的地位は一挙に墜落することになる、……と言う意味です」
    「そこまで……?」
     一転、雪乃は怪訝な顔になる。
    「確かに央南随一の剣術一派だけど、この騒動はそこまで波及するものかしら」
    「問題なのは分裂したことではなく、分裂させた小雪派が今後、どう動くかです。
     恐らく資金難と『証書』を取り返そうと言う欲求から、彼らはここ、黄海に攻めて来るでしょう」
    「なに……!?」
    「まあ、無理な話では無いわね。今の小雪は、何をしでかすか分からないくらいに暴走してしまっているもの。金と権威のためであれば、多少の道理は踏み外すでしょうね」
    「それをそのまま看過していれば、焔流に対する世間の評判は、より一層悪い方へ傾くでしょう。
     もし戦いが起こり、小雪派とわたしたち、どちらが勝ったとしても、『焔流は地に堕ちた』と言う悪評の後押しをするだけです。
     絶対に、事態を戦う方向へ持って行ってはいけません。黄海やその周辺、衆人環視の状況で無暗に争うような姿勢を見せれば、それこそ悪評通りの破落戸と見られてしまいます」
    「ふむ……」
    「それよりも元々の評判通りの姿勢を見せ、『焔流はやはり優れた集団なのだ』と広く認識してもらう。これが今後の、あらゆることに関して、最も良い結果につながるものだと考えています。
     そこで考えた案が、『学校』なんです」
    白猫夢・明察抄 2
    »»  2013.01.24.
    麒麟を巡る話、第168話。
    方向転換。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「学校?」
     思ってもみない提案に、晴奈も雪乃も面食らう。
    「学校って、つまり、わたしたちが勉強を教えるってこと?」
    「ちょっと違います。確かにそれも多少はやってもらおうとは考えていますが、基本的には元々、紅蓮塞でされていた指導・鍛錬とほぼ変わりません。
     ただ、主旨を少し変えるつもりですが」
    「主旨、……と言うと?」
    「指導の重点を剣術中心のものから、心身育成を重視したものに変えてはどうか、と。
     本当に失礼を承知で言えば、剣術に関する需要は底を打ってしまっている状態です。そんな時勢に、なお『剣術集団』として名を売ろうとしても、評判が上がることはまず、無いでしょう」
    「本当に失礼だな」
     苦い顔をする姉に構わず、明奈は話を続ける。
    「それに今現在の、小雪派が暴走しかねないような状況で、剣術を主体とした指導を行ったとして、それがいい方向に転じるでしょうか?」
    「そうね……、戦争準備とか思われそう」
    「それもありますし、非常に若い方であれば、腕試しなどされたくなるかも知れません。その傾向が強まってしまうと、いくら『上』で戦争を回避しようとしても、『下』が無理やり開戦しようとするでしょう。
     今後の平和と焔流の存続・繁栄を考えれば、思い切った方向転換を考えなければならない。わたしはそう考えています」



    「……と言うのが、打診された話なんだけどね」
    「学校かー」
     話を聞き終えた良太と晶奈は、揃ってうなずいた。
    「いいんじゃない?」「私もそう思います」
    「えっ」
     すんなり賛成されるとは思わず、雪乃は面食らう。
    「え、でも……」
    「元々からおじい様も、武術偏重的な指導・鍛錬は望んでなかったからね。
     それよりも明奈大人の言う、心身育成を重要視してたと思うよ。雪さんも思い当たるところ、あるんじゃないかな」
    「そう、ね。確かにわたし自身も、小手先の技術・技量にはこだわらず、まず心身を鍛えることを第一として指導してたつもりだし。
     でも、他の焔流剣士たちがこれを聞いて、同意して教師になってくれるかどうか」
    「案外、納得するんじゃないかな。
     だって心身育成を第一義として長年指導を続けてきた君を慕って、ここまで一緒にやって来たくらいだもの。
     むしろ今更になって、武術主体に方向転換すると言っちゃったら、みんながっかりしちゃうんじゃないかなぁ」
    「……そうかしら?」
     夫の言葉に勇気づけられたのか、雪乃のその返事は、話し始めた当初より幾分軽い雰囲気となっていた。



     数日後、晴奈と明奈、そして雪乃夫妻は黄海に流れてきた剣士たちを集め、学校設立の旨を打診した。
     雪乃が不安視していた反発は確かにあったものの、半数以上は同意してくれた。
    「先代も『無暗な争いは避けるべし』と仰っていましたし」
    「それに我々だって、何も人を殺す術を指導していたつもりは無い」
    「うむ。人殺し云々が焔流の第一義であったなら、あの免許皆伝試験は何だったのかと言う話になる」
    「学問を教えると言うことには多少の不安はありますが、心身育成ならば喜んで引き受けましょうぞ」
     剣士たちの快い反応を受け、晴奈がこう応える。
    「皆の心意気、そして気概、誠にありがたい限りだ。
     ではこれより学校設立のため、まずはその首長、即ち学校長を選出したいと思うのだが」
     この問いに、剣士たちはしばらく沈黙した後、二者を指し示した。
    「私は黄晴奈範士を推します」
    「いや、俺は焔雪乃大先生が適任ではないかと思っている」
     ほぼ半分に意見が分かれ、雪乃の方も面食らっている様子を見せる。
    「え、いや、わたしはそんな……」「いえ」
     と、晴奈が頭を下げ、雪乃を推した。
    「私などより、師匠の方がその任にふさわしい方であることは、自明のことと思います。
     私も『先生』などと称されて久しくありますが、そもそも私がそう呼ばれるだけの実績、勲功を挙げることができたのは、ひとえに師匠の篤く細微にわたるご指導、ご鞭撻の賜物です。
     それを差し置いて私が皆の長と名乗るなど誠に烏滸がましいことであり、何より師匠の方が、私などよりもっと、大勢の者を正しく導くお力を持っていらっしゃいます。
     どうか師匠、皆を導く大役、今一度引き受けてはいただけないでしょうか」
    「……」
     雪乃は困った顔を浮かべていたが、やがて剣士たちに顔を向け、こう述べた。
    「『焔』の名を授かってから30余年、わたしはこの名を穢さぬよう努めてきました。
     しかし此度の一件で、あろうことかわたしの不肖の娘がこの名に大きな瑕(きず)を付けることとなり、誠に申し訳なく思っていました。
     それでもなお、わたしを推挙してくれること。本当にありがたく、そして、光栄なことと受け止めています。
     その任、謹んでお受けします」
     雪乃は皆に向かって、深々と頭を下げた。
    白猫夢・明察抄 3
    »»  2013.01.25.
    麒麟を巡る話、第169話。
    昔に戻って、昔に戻れなくて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     雪乃が学校長に選ばれてから数日後、雪乃および経営陣(勿論、明奈率いる黄商会のことである)は次のことを発表した。
     まず、開校の予定日。教員や事務員の募集、校舎建設などの準備があるため、開校は翌545年の4月からとなった。
     その他建設地や募集要項などを黄州全体に発表するとともに、雪乃から己自身の身の振りについての公表があった。



    「このような――焔流分裂と言う一大騒動の――事態を引き起こした原因の一つは、当代家元の母親であり、かつ、後見人でもあるわたしにあります。
     そのような身で焔流の宗家たる名、『焔』を名乗ることは、先代ならびに代々の焔流家元の皆様に大変なご迷惑をかける。……今回の騒動で逐電して以降、強く、そう感じていました。
     付きましては、これを機会として『焔』の名を返上することにし、以後はわたしの旧姓、『柊』を名乗ることにいたします」



     この発表に関しても、明奈からの一声が事前にあった。
     雪乃が発言した内容に加え、明奈は徹底的に小雪派焔流との差別化を図っていたのである。どこまでも「武力主義に傾倒した小雪派とは違う」「あくまで心身育成を第一義とした教育を目指す」と言う姿勢を見せるための、一種のパフォーマンスでもあった。

    「……私はまだ納得行かない気分です。姓まで変える必要があったのか、と」
     一人、晴奈は雪乃にそう告げたが、雪乃はそれに対し、首を横に振った。
    「いいのよ。わたしの気持ちに嘘は無いわ。
     娘がしたこととは言え、それを防げなかったのは親のわたしの責任だもの。これは当然すべきことだったと、わたしはそう思っているわ。
     ただ、これで責任をすべて取ったとは思ってないわ」
    「いや、そんな……ことは……」
     否定しようと口を動かそうとするが、晴奈には二の句が継げなかった。
    「……晴奈」
     雪乃はぎゅっと、晴奈の手を握ってきた。
    「師匠?」
    「……これからわたしは、許されざることをするかも知れない。娘と決定的に、もう後戻りできないくらいの対立を、別離をすることになるかも知れないわ。
     その結末にはもう、仁義も礼節も無いでしょうね。この戦いが終わる時、わたしは焔流剣士として、真っ当な人間として、落第・失格することになるかも、……知れない。
     それでも、……それでも晴奈、あなたはわたしの側にいてくれる?」
     雪乃の震える手を握り返し、晴奈は応える。
    「……無論です。私は終生、師匠の弟子であり、そして」
     そこで晴奈はうつむき、小さな声でこう続けた。
    「唯一私が姉と思い、慕ったのは、師匠のみでございます故」
    「……ありがとう、晴奈」



     明奈の講じた数々の試みは、結果から見れば一応以上の成功を見た。
     新たに設立された学校――「柊学園」にはほぼ予定通りの数の入学希望者が集まり、一方で、黄州内にあぶれていた焔流剣士たちを一括雇用することもできた。
    「これで長期的には成功した、……と考えられますね。
     ただ、短期的な面を考えた場合、大きな問題が一つ残ってはいますが」
    「小雪派がいつ攻めてくるか、だな」
    「ええ」
     明奈はうなずき、卓上に地図を広げる。
    「情報によれば、やはり小雪派は孤立の一途をたどっているようです。
     当座の資金確保と今後の戦線拡大をにらんでか、小雪派は既に武力蜂起し、紅州内の主要都市を制圧したと聞いています。
     しかしその乱暴な行動のため、隣接する西辺州および玄州、白州、そしてわたしたちの統べる黄州との緊張が高まっています。
     わたしとしては、このままその4州が紅州と急速に対立を深め、いっそ断絶・孤立してくれればと考えています」
    「どう言うことだ?」
    「もし万が一、紅州と結託するような州が出た場合、これは央南連合結成以来の、央南分裂の危機につながります。
     そうなれば良くて央南域内の交流停滞、悪くて内戦となり、それはわたしの願う央南の環境向上と、正反対の流れになります。
     だから紅州はこのまま孤立させ、央南連合から弾き出してしまった方がいいのでは、とさえ考えています」
    「明奈、お前は……、徹底的に小雪を悪者にしたいのか?」
     そう尋ねた晴奈に、明奈は暗い顔でこう返した。
    「したい、……ではもうありません。もう、小雪さんは完全な悪者です。
     私利私欲のためいたずらに街を襲い、不法に占拠しているのですから。そのせいで、既に央南連合でも小雪派討伐が検討されています。
     わたしだって、昔の小雪さんの顔を思えば、心が痛まないわけではありません。でも、彼女はもう既に、わたしやお姉様の知る童女の頃の小雪さんではないのですよ」
    「……ああ。……ああ、分かって、……いるさ」
     晴奈は苦々しくそう言って、それきり口をつぐんだ。

    白猫夢・明察抄 終
    白猫夢・明察抄 4
    »»  2013.01.26.
    麒麟を巡る話、第170話。
    交流戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     柊学園の設立も決まり、その準備も順調に進んでいた、双月暦544年の春間近の頃。
     この頃には、元々から黄派焔流道場に在籍していた者と、紅蓮塞から移ってきた者との境目も薄くなってきており、その両門下生らが稽古終わりに入り混じって歓談することも、まったく珍しい光景ではなくなっていた。
    「大分空気がしっとりしてきたよなー」
    「だなぁ。先週だったらあんだけ打ち込んでも、汗が垂れたりしなかったもんなぁ」
    「汗かく端から乾いてましたもんね」
    「『狐』とか『猫』にとっちゃ、段々うっとうしい季節になってきたな」
    「そんなコト言ってアンタ、冬は冬で静電気やだって言ってなかった?」
    「言ってた言ってた、あはは……」
     汗でぺったりとした髪と狐耳を拭く同輩を囲み、皆で笑い合う。

     と――その「狐」がこう反論したのが、その後の「お祭り騒ぎ」の発端となった。
    「うっせ。狐獣人はみんなそーなんだよ。『うち』の紀伊見さんだって俺と同じこと言ってたぜ。きっと『そっち』の関戸さんだって、梅雨の時とか『尻尾の付け根が蒸れるっスわぁ』とか言ったりするんじゃね?」
    「言うワケないでしょ」
    「……いや、紅蓮塞の時に結構近いこと言ってた気がする」
    「えー……」
     口を尖らせた同輩に、またも皆が笑う。
     そこへ、今まさに噂に上った張本人――「柊派」の錬士、狐獣人の関戸が現れた。
    「うんうん言ってた言ってた、俺も『狐』だからねぇ」
    「あ、先生」
    「お疲れ様です!」
     門下生たちに並んでぺこ、と頭を下げられ、関戸もぺこりと返す。
    「お疲れー。ってか紀伊見さんもやっぱりそんなこと言ってたんだねぇ。稽古中はツンっとしてちょっと取っ付きにくい感じだったけど、それを聞いたら親近感湧くなー」
    「え、もしかして先生……」
     邪推され、関戸はぱたぱたと手を振って否定する。
    「いやいや、何言ってんの。そんなんじゃないよ。単にさ、『向こう』の人とも仲良くしたいなって、そーゆー話だから」
     そう返した関戸に、門下生の一人がこう尋ねた。
    「仲良くできてないんですか?」
    「ん? あ、いや、仲良くはしてるよ?
     たださ、暮れに押しかけてからずっとバタバタしっぱなしだし、何て言うか、交流を深められるような機会がなかなか作れないなー、って」
    「あー」
     門下生たちは揃ってうなずき、それから間をおいて、一人が手を挙げた。
    「あ、じゃあ……」

    「交流戦?」
     十分後、道場主の晴奈は門下生から、こんな提案を受けた。
    「はい! 柊派の方が来られてからずっと、黙々と稽古を続けておりましたが、よくよく考えてみれば歓迎も何もしてないじゃないですか」
    「成り行きとは言え、折角遠路はるばるお越しいただいたと言うのに、何のお持て成しもしないまま3ヶ月、4ヶ月も経ってしまってますし」
    「ふむ。確かに言う通りだ。このまま何もせずと言うのは、礼儀に欠ける。
     その点は納得できる。だがそれで交流戦を催すと言うのは、相手を差し図るようで失礼ではないだろうか?」
    「いえ、柊派の同輩たちや先生とも話をしてみたんですけども、『単に酒を酌み交わしたりするだけでは面白くない。やはりそれぞれが名にし負う剣術一派で腕を磨いてきた身なのだから、多少は腕比べもしてみたい気持ちはある』と仰っていました」
    「ふーむ……、まあ、多少不純な風も無くはないが……、皆がそう言うのであれば、取り計らってみようか」
    「本当ですか!」
    「やったー!」
     晴奈の返答に、門下生たちは一様に満面の笑みを浮かべ、小躍りした。
    白猫夢・剣宴抄 1
    »»  2013.01.28.
    麒麟を巡る話、第171話。
    お祭り騒ぎ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     昔から、黄晴奈と言う人物は一つの「悪い癖」を持っていた。
     自分の考えと違うこと、意に沿わないことが起こると、それについて小声でブチブチと文句をこぼす点である。
    「……確かに交流戦を承知しはしたが、こんなお祭り騒ぎにするとは聞いておらぬ。内輪で催すのならまだしも、街中巻き込んでの宴会にするなどとは」「まあまあ」
     そして姉のそう言う性分を、周囲に不快感を与える前にやんわり鎮静させるのが、昔からの明奈の役割である。
    「街の人たちにとっても、柊派の人たちを歓迎したい気持ちは一緒ですよ。ちょうどいい機会ではありませんか。
     それに門下生の方に、こうして街の人たちにも知らせてはどうか、と入れ知恵したのは、実はわたしですし」
    「なに?」
    「内輪で楽しんで終わり、じゃ勿体無いですよ。街にとっても、焔流の剣士さんたちがこんなに大勢いらっしゃることは、誇りでもありますし。
     その敬意をないがしろにして、いつの間にか内輪で集まっていつの間にか終わりだなんて、そっちの方が無礼じゃありません?」
    「……うまく言いくるめられている気がする。……が、まあ、そうだな。折角慕って集まってくれた皆を今更追い返すなど」
    「でしょう?
     さ、お姉様。いつまでも腐ってないで、一緒に楽しみましょう」
     明奈は姉の手を引き、祭りの中へと連れて行った。

     前述の通り、最初は焔流剣士だけで集まり、簡単に技量を競い合って終わり、と言うくらいの規模を予定していたのだが、そこにこの話を聞きつけた明奈が介入。
     黄海全体を巻き込んだ、一大イベントに変えてしまったのである。しかも――。
    「……明奈?」
    「なんでしょう?」
    「あの黒髪に茶白の毛並みの狼獣人、見覚えがあるのだが」
    「ええ。央中からお呼びしました」
    「何のためにだ?」
    「交流戦を盛り上げてくださるとのことで」
    「……賭けなど図ってはいないだろうな?」
    「流石にそこまでできませんよ」
     小声で話しているうちに、その狼獣人――央中の興行家(プロモーター)、プレア・チェイサー女史が晴奈たちに気付き、手を振って近付いてきた。
    「お久しぶりです、セイナさん、メイナさん!」
    「ああ、久しぶりだなプレア」
     握手を交わしたところで、プレアはニコニコと笑みを浮かべながら説明し始めた。
    「今回ですね、メイナさんから『街の人々にも交流戦を楽しんでもらうには、どのように進めればいいか』とご相談をいただきまして。
     それでですね、やっぱり単純に試合をして、その勝敗を予想……」「お、おいおい」
     それを遮り、晴奈は慌てて確認する。
    「賭けは困る。これはあくまで焔流剣士同士の腕を競う試合であって、市国の闘技場ではないのだから」
    「ええ、ええ。勿論承知してます。ただですね、漫然と打ち合いを見てるだけじゃやっぱり飽きてしまうと思いますし、それじゃ場が冷えちゃってつまらないですよ。
     そこでですね、まず第一に試合の密度を濃くしようと思います」
    「密度を濃く?」
    「はい。黄派の方と柊派の方とで5名ずつ代表を選んでいただいて、5対5の団体戦の形式を採ります。
     で、賭けって程ではないんですが、街の皆さんがより盛り上がるように、色々、付け足そうかなーなんて。
    勿論、お金は賭けてません。安心してください」
    「……まあ、金が絡まぬのであれば、許容範囲だな」
     晴奈の許しを受け、プレアはにっこり笑う。
    「ありがとうございます、セイナさん!
     それじゃそろそろ、出場する方に連絡してきますねっ」
     その場を後にするプレアを見送ったところで、晴奈は再度、明奈に耳打ちする。
    「本当に金は、賭けてないんだな?」
    「あら、わたしをお疑いに?」
    「……いや。そうではない。
     だが明奈、お前は存外したたかで、抜け目のない性格をしているからな。金でなくとも、何か賭けているのではないかと思ってな」
    「うふふ」
     晴奈の問いに対し、明奈は笑ってごまかした。
    白猫夢・剣宴抄 2
    »»  2013.01.29.
    麒麟を巡る話、第172話。
    剣士たちの宴、始まる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     事前に明奈とプレアは試合形式と出場者の選出方法を、両陣営に伝えていた。
     まず前述の通り、試合形式は5対5の勝ち抜き団体戦。先鋒対先鋒から進め、三本勝負の二本先取で勝利。負けた先鋒は次鋒に交代し、同様に負けた側が中堅、副将、大将と交代していき、先に相手側の大将を倒した方が勝利となる。
     そして選出される者については、門下生2名(先鋒・次鋒)と錬士を2名(中堅・副将)、そして範士を1名(大将)ずつとした。これは先鋒や次鋒が大将を倒してしまうような、一方的な試合になってしまうのを避けるためである。
     そして事前に剣士内で集計した人気投票により、出場者が決定された。

     黄派焔流からは、以下の5名。
      先鋒:鍋谷輿生(猫獣人、男性)
      次鋒:黄朱明(猫獣人、男性)
      中堅:紀伊見奈々子(狐獣人、女性)
      副将:水越兵治(長耳、男性)
      大将:清滝敬史(短耳、男性)

     そして柊派からは、以下の5名が選出された。
      先鋒:楠瑛吉(狐獣人、男性)
      次鋒:柊晶奈(長耳、女性)
      中堅:関戸侍郎(狐獣人、男性)
      副将:笠尾松寿(短耳、男性)
      大将:藤川霙子(短耳、女性)

    (ちなみに人気投票において、晴奈と雪乃は対象外となっていた。『選出してしまうと、後でお姉様からものすごく文句を言われそうだから』、……と明奈が判断したためである)



     黄海の広場に作られた特設会場に、この10名が揃う。
     そして司会役を買って出た明奈が彼らの前に立ち、マイクを片手に開会宣言した。
    「黄海市民の紳士、淑女の皆様。そして誇り高き焔流剣士の皆様。本日はこの催しにご参加いただき、誠にありがとうございます!
     さてさて、本日のこの交流戦、市民の皆様方にとってはその焔流の技と精神との結実、その鍛錬の成果を実際に目にするまたと無い機会であり、また、剣士の皆様方にとっては、それを発揮する絶好の機会でもあります!
     どうぞ、市民の皆様方はご声援を! どうぞ、剣士の皆様方はご奮戦を!」
     明奈にあおられる形で、街の者たちは盛り上がりを見せる。そして剣士たちも、多少の差はあるが、一様にワクワクとした様子を見せていた。
    「それでは両陣、先鋒のみ残してひとまずご退場ください! 早速第一回戦、始めさせていただきます!」
     明奈のアナウンスに従い、壇上に鍋谷と楠が残って、竹刀を提げて向かい合う。
    「両者、礼!」
     互いに礼をし、そこで互いに竹刀を構える。
    「……始めっ!」

     先に初太刀を放ったのは、鍋谷の方だった。
    「うりゃああッ!」
     ブン、と竹刀をうならせ、楠の頭を狙う。
     しかし楠はそれをくい、と身をひねってかわし、鍋谷の左に回り込む。
    「やあッ」
     パン、と乾いた小気味の良い音が響き、楠の竹刀が鍋谷の籠手を打った。
    「う……っ」
    「一本!」
     開始からたったの5秒足らずで勝ちを奪われ、鍋谷は絶句した。
    「強え……」
     ぽろ、とそんな弱気の言葉が漏れる。
     それ自体は聞こえはしなかったが、鍋谷の動揺を察した晴奈が、観客席から叱咤する。
    「うろたえるな、輿生! 冷静に構えて行け!」
    「はっ、はい!」
     一方、柊派では雪乃の二番弟子であり、大将でもある霙子が、楠をほめている。
    「やるじゃない、瑛くん! このまま勝っちゃいなさいよ!」
    「はい!」
     再び鍋谷と楠が構え、二戦目が始まる。
    「……ッ、これならどうだーッ!」
     鍋谷は全力で踏み込み、突きを放つ。
     しかしこれも楠はひょいとかわし、鍋谷の背後に回り込む。
    (あ、馬鹿……)
     無防備になった鍋谷を見て、晴奈も、黄派陣営も頭を抱える。
     鍋谷がきょろきょろと辺りを見回した次の瞬間、すぱん、とまたも鋭い音を立てて、その面が叩かれた。
    「勝負あり! 勝者、楠暎吉!」
    「うそだろ……」
     二度も瞬殺され、鍋谷はがくりと膝を着いた。
    「やったー! 万歳、暎くん!」
    「へへ……、ちょっと恥ずかしいです、母上。落ち着いて下さい」
     そして楠の勝利を一番喜んだのは――実は彼の母でもある、霙子だった。
    白猫夢・剣宴抄 3
    »»  2013.01.30.
    麒麟を巡る話、第173話。
    冷静対冷静。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     霙子の息子、暎吉(あきよし)が勝利し、第二回戦は黄派の次鋒、朱明との対決となった。
    「よろしくお願いします」
     そろってぺこ、と頭を下げ、竹刀を構える。
     この対戦は知る人ぞ知る、面白い組み合わせだった。片や雪乃の一番弟子、晴奈の甥であり、片や雪乃の二番弟子、霙子の息子である。
     雪乃の一番弟子と二番弟子の、それぞれの孫弟子同士の戦いとなり、それを知る者たちにとっては非常に興味深い一戦でもあった。
    「どっちが勝つと思う?」
    「そりゃ、格で言ったら朱明だろ」
    「いや、あの輿生が惨敗だったし、暎吉が勝つんじゃね?」
    「……うっせぇ」
     凹む鍋谷をよそに、門下生たちは予想し合う。
    「目立たないヤツだけどさ、朱明はふつーに強いし」
    「そうよね。ナベ、一度も朱くんに勝ったコトないし」
    「ほっとけ」
    「……ま、どっちにしても俺たちとしちゃ、朱明を応援したいよな」
    「だね」
     そうこうしているうちに試合が始まっていたが、両者はまだにらみ合っていた。
    「……」「……」
     先程とは打って変わり、どちらも慎重に間合いを詰めつつ、攻撃の機会を伺っている。
     見守っていた晴奈は、冷静に分析した。
    (先程の輿生と暎吉とでは、相性が悪過ぎたな。
     血気盛んで思い切りのいい性格は剣士として申し分ない素質だが、朱明や暎吉のような冷静沈着な者が相手では格好の的、餌食も同然だ。
     一転、この対決は両者とも似通った性質だ。うかつに飛び込んで返り討ちになるような展開にはなるまい。
     となると……、純粋に技量で競り合って倒すか、それとも搦手で油断を誘うか)
     じりじりと間合いを詰めていた朱明が、先に動いた。
    「はあッ!」
     朱明は一気に間合いを詰め、暎吉の面を狙って――いるように見せる。
    「……っ」
     一方、暎吉もこのフェイントが来ることは予想していたのだろう。詰められた間合いを後ろに跳んで広げ直し、朱明の射程から外れる。
    「ありゃ……」
     振り上げていた竹刀を正眼に構え直し、朱明はぽつりと残念そうな声を漏らした。
    「そう簡単には引っかかりません、僕」
     暎吉にそう返され、朱明はクスっと笑う。
    「それは残念です」
     そう言うと朱明は、ほとんど予備動作を見せず、まるで滑るかのようにもう一度、間合いを詰めた。
    (なに、無拍子……!?)
     高等技術を披露して見せた朱明に、観戦していた晴奈も相当面食らっていたが、もっと度肝を抜かれたのは、目の前でそれを見せられた暎吉の方だっただろう。
    「な……!?」
     先程のようなすんなりとした動きではなく、露骨に慌てた様子で横へ引く。
    「そこだッ!」
     無拍子で歩み寄った朱明が、くん、とほぼ直角に曲がる。
    「……!」
     すぱん、と音を立て、暎吉の面に朱明の竹刀が当てられた。
    「と、……取られましたね」
    「何とか上手く行きました」
     まだ目を白黒させる暎吉に、朱明はもう一度笑って返した。

     その後暎吉が何とか一勝したものの、さらにもう一勝朱明が奪い、暎吉は敗退した。
    「やるな、朱明」
     晴奈は汗を拭いていた朱明のところを訪ね、彼を労った。
    「20そこそこであの動きができるとは、恐れ入ったよ」
    「いえ、そんな……。拙い技でしたし、成功した方が奇跡ですよ」
    「謙遜するな、朱明。あれが拙いと言うことがあるか。誰にだってできることでは無い。
     お前は少しくらい自信を持った方がいい。こうして代表に選ばれたのも、実力あってのことなのだから、それで謙遜されたら、選ばれなかった者に失礼だぞ」
    「あ、……はい」
    「さ、間も無く次の試合だ。胸を張って行け」
    「はい」
     小さく頭を下げ、ふたたび壇上に上がる朱明を見送りながら、晴奈は一人、眉をひそめていた。
    (昔、当事者から一歩引いて眺めるとあいつから言われたが……、剣士としてあいつを見るに、その態度には不安がある。己に自信を持っていないことが、うっすらと透けて見えるようだ。
     今一つ自信を出せないあいつには、どうにも覇気が無い。自発性、積極性にも欠ける。技術は人一倍優れているが――自信の無さがここぞと言う時、その長所を抑え込むような気がしてならない)
    白猫夢・剣宴抄 4
    »»  2013.01.31.
    麒麟を巡る話、第174話。
    朱明、策を弄す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     両陣とも先鋒が敗れ、三回戦は次鋒対次鋒、朱明と晶奈との戦いとなった。
    「よろしくお願いします」
     朱明と晶奈が、互いに礼をする。
     柔らかい印象を与える朱明に比べ、晶奈は凛とした空気を漂わせていた。
    (小雪や良蔵と比べて、晶奈が刀を振るうところはあまり目にしてはいないが……、一見したところ、16歳にしてはなかなか鍛錬を積んでいると見える。身のこなし、そして構えには堂に入った感がある。
     小雪も10年前は、あのように一片の曇りも迷いも無い、純粋に光るものを見せていたのにな)
     試合が始まり、二回戦と同様に、両者ともじりじりと間合いを詰めていく。
    「……」
     晶奈の方が若干、詰め方が強い。竹刀がぎりぎり交わるか交わらないかのところで、晶奈が仕掛けた。
    「りゃあッ!」
     晶奈は勢いよく竹刀を振り上げ、朱明の面を狙う。それをかわし、朱明は後ろに退く。
     しかしそれをさらに追い込み、晶奈が胴を払った。
    「えやああッ!」「……っ」
     ばし、と若干鈍めな音ではあったが、晶奈の竹刀はしっかりと朱明を捉えていた。
    「一本!」
    (ふむ……。ここは強気の攻めが功を奏したか。
     朱明の悪いところが足を引っ張った形だな。初手で『見』に回ったのが敗因だろう。
     ……うん? と考えると……?)
     両者とも開始位置に戻り、もう一度構える。
    「始め!」
     先程と同じく、晶奈の方から間合いを詰めていく。
    「どうした、朱明! 攻めて来い!」
     優勢と感じたらしく、晶奈が挑発してくる。
    「……」
     朱明は何も返さず、じっと構えている。
    (二回戦の時は、先に輿生と暎吉の戦いを見られたからな。ある程度、対策は取れていたのだろう。
     しかし晶奈の戦い方を見るのは、これが初めて。故に一本捨てる形で、どう動くのかを見定めていたのかも知れん)
     挑発に動じない朱明に、晶奈は痺れを切らしたらしい。
    「せやあッ!」
     一本目と同様、晶奈がぐいと踏み込み、面を狙いに行く。朱明はそれを、これもまた同様に退いてかわす。
     朱明のこの反応で、どうやら晶奈は朱明を侮ったらしい。先程と全く同じ形で、胴を狙いに来た。
    「はあッ!」「やッ」
     朱明は右に回り、晶奈の竹刀をかわす。
    「……!」
     晶奈が振り返るその直前に、朱明はすぱん、と彼女の籠手を弾いた。
    「一本!」
    (……巧者と言うべきか。相手の癖を即座に見抜き、攻めに組み込むその感性は素晴らしい。
     しかし……、私がそう言うことをしないからだろうか、何と言うか、小狡い気もしないではないな)
     朱明はこの試合の流れをつかんだらしく、その後もう一勝を挙げ、柊側の二連敗となった。



     交流戦は四回戦に移り、次鋒・朱明と中堅・関戸とが対峙した。
    「さーて、と」
     開始前、面を被る直前――関戸は朱明にこう声をかけた。
    「やるねぇ、お前さん」
    「え? あ、はい」
    「ま、よろしく」
     それだけ返して関戸は面を被る。
    試合が始まり、朱明は先程と同様に竹刀を構え、じりじりと間合いを詰める。関戸の方も同様に間合いを詰めていたが、やがてぐい、と一挙に間合いを詰め、攻撃を仕掛ける。
    「おりゃっ!」
     朱明は、今度は竹刀で相手の初太刀を受ける。が、受けられたところで関戸は退き、同時に胴を狙う。
     これも朱明はわざと打たせたらしく、ぼこ、と鈍い音が響く。有効打とはならず、審判から勝負ありとの声はかからなかった。
    「……」
     両者とも退き、互いに構え直す。
    「そらッ!」
     もう一度関戸が仕掛ける。それを朱明は受け、それを受けてもう二度、三度と関戸が打ち込む。
     これを何度か繰り返したところで、ようやく関戸が有効打を当て、長い一本目が終わった。
    「関戸先生が苦戦してる……?」
    「あんなに強かったっけ、朱明くんって」
    「すげーなぁ、先生相手に」
     門下生たちは朱明の健闘をほめていたが、晴奈は苦々しく思っていた。
    (……なんだろうな。やはり剣士として、いい姿勢では無い気がする。
     無暗やたらに飛び込むのが良いこととは言わないが、それでも目上、格上の人間を相手にし、罠に嵌めようとする朱明の姿勢・態度は、礼儀を欠いているように感じられる)
     二本目に移る直前、関戸がまた声をかけてきた。
    「ありがとよ、朱明くん」
    「いえ」
    「それじゃあこのまま、二本目も行かせてもらうか」
     二本目が始まり、これも関戸が先に仕掛けてきた。
    「だあッ!」
     ところが――朱明がそれを受けようと動いた瞬間、関戸は掛け声を出しただけでピタ、と止まる。
    「え」
     虚を突かれ、朱明は竹刀を上げた状態で止まってしまった。
     その一瞬の隙を、関戸が突く。
    「そらよッ」
     上がったままの右籠手を打ち、続いて胴を打って抜ける。
    「二本!」
     一瞬で二太刀食らい、朱明はまだ竹刀を上に構えたまま、茫然としている。
    「はっは、しつこいくらい面を狙ったからな。今のも面狙いだと思っただろ?
     あんまり人をはかるもんじゃねーぜ、朱明くん」
    「……う、……はい」
     背中から声をかけられ、朱明はようやく構えを解いた。
    白猫夢・剣宴抄 5
    »»  2013.02.01.
    麒麟を巡る話、第175話。
    シーソーゲーム。

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    6.
     悔しそうな顔で壇上から戻ってきた朱明に、晴奈は声をかけた。
    「なかなか善戦したが、最後は逆に罠にかけられる形となったな」
    「そう……、ですね」
    「説教するようだが、朱明」
     晴奈は朱明を自分の横に座るよう促し、先程の戦い方をとがめる。
    「ここぞと言うところで策を弄する人間は、自信と実力が付かんぞ。ましてや目上を嵌めようなど、褒められたものでは無い」
    「……逆に嵌められましたからね。自分の不足、思い知りました」
    「小手先で凌ごうとする前に、実力を付けた方がいい」
    「と言って伯母さん、大体力技で解決するじゃないですか。それはそれで無粋と思いますけど」
    「口答えするな、まったく」
    「はは……」
     話しているうちに黄側の中堅、紀伊見の準備が整い、壇上に上がる。
    「よろしくお願いします」
     す、と頭を下げる紀伊見に対し、関戸も礼で返しながら、こう声をかけた。
    「よろしく、紀伊見さん。へへ、同じ『狐』同士だな」
    「そうですね」
    「色々気が合いそう……」「そう言う話でしたら私より兵治さん、……水越の方が合いますよ。あの人も軟派ですから」
     にべもなく返されたところで、試合開始となった。

     先程は朱明を嵌め返すために搦手を使った関戸だったが、今度は正攻法で仕掛けた。
    「うりゃっ!」
     正面から面を狙いに行った関戸の竹刀を、紀伊見はがっちりと己の竹刀で受け、退きざまに胴を打つ。しかし関戸も退き、その太刀をかわす。
     かわした直後にもう一度踏み込み、今度ももう一度、面を狙う。これを紀伊見は、今度は右にかわし、直後に胴を狙おうと構える。
    「はあッ!」
     しかし紀伊見が竹刀を払ったところで関戸が左斜め後ろに退いてそれをかわし、きっちり対峙する形に戻して、そのまま面を打って抜けて行った。
    「一本!」
    「……っ」
     まるで型稽古でもしていたかのような流れる展開に、会場は一瞬静まり返り、そして割れんばかりの声援が沸き起こった。
    「流石だな……」
     晴奈も拍手し、二人の戦いを賞賛した。

     この後も紀伊見の挙動を読み切り、彼女を圧倒する形で関戸が勝ち切り、黄派の二連敗となった。
    「ありがとうございました」
     互いに礼をした後、紀伊見が壇上から降りようとする。
     と、そこでまた関戸が声をかけた。
    「これでもただの軟派野郎かな、俺」
    「……元よりそうは思っていません。実力は認めていますし、結果もそれを示しています」
    「そっか。まあ、また機会があったら手合わせ願いたいね」
    「望むところです。今度は勝ちますから」
     紀伊見はもう一度会釈し、壇上から降りた。



     試合は六回戦に移り、黄派の副将、水越が壇上に上がった。
    「紀伊見さんから聞いたけど、あんた、俺と似てるらしいな」
    「かもな。ま、そんな話は終わってからしようや。
     乗っかりたい気持ちはあるが、こっちはいよいよ後二人になっちまったからな」
    「おう」
     思ったより馴れ合った空気は立たず、二人は淡々と開始位置に移動する。
    「始め!」
     そして試合が始まった途端、両者とも一気に間合いを詰め、鍔迫り合いになった。
    「せやッ!」「おりゃあッ!」
     一旦は離れたものの、すぐに攻撃を仕掛け直し、二、三合打ち合ったところでまた、鍔迫り合いになる。
    「はーっ、はーっ……」「ふう、はあ……」
     しかし、序盤は互角に思われたが、連戦した上、朱明といたずらに打ち合いをさせられ、既に相当疲労していたせいか、関戸の動きは次第に精彩を欠き始めた。
    「だああッ!」
     そして試合開始から両者とも有効打の無いまま時間が過ぎ、5分、6分と経った頃になって、ようやく水越の竹刀が関戸の面を打ち抜いた。
    「く、っそ」
     関戸はゼエゼエと肩で息をしつつ、開始位置に戻る。
     一方の水越も息は荒いものの、関戸ほどには疲れていないように見えた。
    「確かに、似たり寄ったりかもな。連戦が無かったら、きつかったよ」
     水越にそう声をかけられたが、関戸は「……ああ」としぼり出すような声を挙げるのが精一杯だった。

     二本目に移っても依然、関戸の動きには四戦目、五戦目での切れは見られず、水越に引っ張り回されるような形で決着が付いた。
    白猫夢・剣宴抄 6
    »»  2013.02.02.
    麒麟を巡る話、第176話。
    酣(たけなわ)。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     両陣とも中堅までの三人が敗れ、七回戦は副将同士の対決となった。
    「……」
     柊派の中堅、笠尾は礼以外に言葉を発さず、静かに構える。
    「始め!」
     そして一本目が始まっても笠尾は動かず、じっと正眼に構えていた。
    「りゃあッ!」
     当然、水越が先に仕掛ける形となる。
     しかしこれもほとんど最小限の動作で受け切り、それでもなお迫ってくる水越を、竹刀ごと弾く。
    「うおっ、……お、お」
     しかし弾かれたものの、笠尾はそれに乗じて打ち込んでくるような様子も見せず、再び正眼に構え直す。
    「……らああッ!」
     それを相手の傲慢と見たのか、水越の掛け声に、わずかながら怒りの色が差す。
     先程より勢いをつけ、水越は懸命に打ち込んでいく。しかしこれも受け切られ、攻めあぐねた水越の動きに、次第に淀みが現れ始めた。
     と、ここで笠尾が構えを正眼から上段に変える。
    「……行くぞ!」
     笠尾はそう言い放ち、ばん、と重く、そして荒々しい音を立てて踏み込んだ。
    「……っ」
     この一瞬――水越も、会場の最前列で観戦していた者も、ぞくりとした怖気を覚えた。
    「せいっ! でやっ! うりゃあああッ!」
     それまでまるで、銅像のようにじっと構えていた笠尾は竹刀をぶんぶんとうならせ、怒涛のごとく打ち込んでくる。
     水越はその一太刀目、二太刀目はなんとか受け切ったが、三太刀目を受けたところで体勢を崩し、胴ががら空きになる。
    「そこだあッ!」
     ばぢん、と重い音を響かせ、水越の胴が叩かれる。勢いを殺し切れず、水越は仰向けにひっくり返ってしまった。
    「い、一本!」
    「ぉ……、っう」
     何とか起き上がった水越から、半ば悲鳴じみたうめき声が漏れる。
     それを見た笠尾が、深々と頭を下げた。
    「すまん! 気合が入り過ぎた!」
    「……いえ、……大丈夫、……っス」
     額に脂汗を浮かべながらも水越はそう答えたが、胴越しでも相当響いたらしい。
     その後の二本目には先程までの軽快かつ胆力のある動きは見られず、そのまま笠尾の勝利が決まった。

     ここまで一進一退の攻防が続いてきたが、笠尾の登場により黄派の空気は、一気に重たくなってしまった。
    「無茶苦茶強ええ……」
    「ゾッとしたぜ、見てて」
    「水越先生がブッ飛ばされるのなんて、初めて見たわよ」
    「清滝先生、勝てるのかな……」
    「先生、確かに強いけどさ……。笠尾先生の方が修行積んでるし、あの動き見たら、自信無くなるよ」
     門下生たちのそんな不安を背に、黄派大将の清滝範士が壇に上がった。
    「よろしくお願いします」
     互いに、静かに礼を交わす。
    「始め!」
     一本目開始が告げられたが、両者とも動かない。
    「……」
     間合いを詰めることすらせず、正眼に構えたままである。
    「行け、行け、先生!」
    「このまま決めちゃえ!」
     柊派からも、黄派からも声援が飛び交う。
     しかし――それでも二人は動かない。
    「……」
     そして開始から1分以上が経過して、笠尾の方が動いた。
    「……いざ、参る!」
    「受けて立ちます」
     先程と同様、笠尾は銅像から一挙に、獅子へと勢いを変える。
    「うおりゃああッ!」
     猛然と竹刀を振るい、笠尾が攻め込んでくる。それに対し、清滝は必要最小限と言っていい程度の動作でさらりと受け流し、かわしていく。
     清滝の華麗な捌き方に、意気消沈しかかっていた黄派の者は色めき立つ。
    「すっげ……」
    「まさに柔と剛、って感じだ」
    「行ける、清滝先生なら行けるっ!」
     黄派の応援に圧されてか、それともあまりに受け流され、業を煮やしたか――笠尾の動きが、ほんの一瞬ではあるが止まる。
    「……~っ」
     そのわずかな隙を突き、清滝が仕掛けた。
    「はあッ!」
     まるで弓で射るかのように、清滝の竹刀の先が笠尾の喉を突く。
    「ぐっ……、う……」
     正確には突くと言うよりも多少強めに押す程度に留まったが、それでも急所である。
     笠尾は倒れたりうずくまったりはせず、そのまま仁王立ちでこらえたものの、顔は真っ青になっており、構えが取れるような状態ではなさそうだった。
    「いささか乱暴な技ではありましたが……、うちの水越を滅多打ちにしたお返しです」
    「む、う……」
     笠尾は竹刀を下ろして頭を下げ、降参の意思を示した。
    白猫夢・剣宴抄 7
    »»  2013.02.03.
    麒麟を巡る話、第177話。
    宴が終わって。

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    8.
     柊派も副将が敗れ、いよいよ大将戦、範士同士の大一番となった。
    「よろしくお願いします」
     どちらも大将に選ばれた者同士とは言え、霙子の方が年齢も経験量も、子弟の筋で言っても格上であり、黄派の不利は明らかだった。
    「やあッ!」
     清滝は先程の防戦姿勢とは逆に、果敢に間合いへ踏み込み、霙子に仕掛けていく。一方、霙子はそれをきっちりと受け、盤石の防御を見せる。
    「……」
     それでも連綿と続くかのような清滝の長い攻めに、次第に霙子が押され始めた。
    「先生、頑張れー!」
    「勝って、勝ってー!」
     それを心配してか、柊派から不安げな声援が聞こえ始めた。
    「……っと」
     と、霙子が清滝の面狙いを竹刀の鍔元でがっちりと受けて、鍔迫り合いに持ち込む。
    「む……」
     これを見た晴奈は――今回は敵方とは言え、妹弟子のことであるため――不安になった。
    「力量だけで見れば、あれは霙子に不利な形になる。鍛えているとは言え、女の腕力では同様に鍛えた男の力を押し返すのに不足だ」
    「え、伯母さんがそんなこと言うんですか?」
     傍らの朱明が、意外そうな声を出す。
    「私だから、だ。元々筋肉のあまり付かぬ猫獣人であるし、霙子以上に私は筋力に欠ける。こう言う経験は割と多い方だ。
     ……とは言え、筋力で勝る相手に勝つ方法は少なくない。恐らく霙子もそれを狙うだろう」
     晴奈の言う通り、鍔迫り合いに持ち込んだことで清滝に圧される形となり、霙子の体勢がみるみる反り返る。
     ところが――。
    「……りゃあッ!」
     霙子は突然、ぐりん、と身をひねり、清滝の左に踏み込んだ。目一杯に彼女を圧していた清滝は当然、前のめりになって大きく体勢を崩す。
    「う……っ」「たあッ!」
     ぐるりと転回し、霙子は清滝の面、そして左籠手を打って抜けた。
    「に、二本! 勝負あり!」
     一度に二回も有効打を決められ、清滝の敗北が決定した。
    「……参りました」
    「うふふ……」
     膝を着いた清滝を助け起こしながら、霙子はにこっと笑って見せた。

     大将同士の対戦にまでもつれにもつれ込んだ交流戦は、柊派の勝利で幕を閉じた。



     この交流戦により、柊派と黄派はより一層親しくなった。
    「やあ、朱明。今日も稽古、付き合ってもらうからな」
    「あ、はい」
     交流戦以来、晶奈は朱明を己の稽古相手に、よく誘うようになった。
     彼女曰く「わたしをあんなにあっさり負かしたのは、同輩では朱明だけだ。学ぶものがある」とのことだったが、傍目には別の、好意的な雰囲気も見て取れていた。
    「ちょ、ちょっと待てよぉ! たまにはさ、そのさ、俺とか……」
     晶奈のその様子を見て、鍋谷が慌てて口を挟んでくるが――。
    「君はいい。学べそうな点が無い。もっと強くならないとわたしも相手し辛いし」
    「うぐ……」
     晶奈に素っ気なくあしらわれ、鍋谷はその場に崩れる。
    「ま、まあまあ、輿生くん。……僕が相手しますよ」
     暎吉がそう申し出るが、鍋谷は猫耳をぺちゃりと伏せて首を横に振る。
    「男とやってもむさ苦しいだけなんだよぉ……。俺は晶ちゃんとやりてぇ」
     この様子に周りの門下生は呆れ返り、クスクス笑っていた。
    「……アホね」
    「うん、あいつアホだ」

     一方、この様子を眺めていた晴奈はまた、小声でブチブチと文句を垂れていた。
    (確かに双方の交流に一役買ったのは認めるが……、結局賭けていたではないか。いや、確かに金、『現金』は賭けていない。それは明奈の言う通りではあったさ。
     だが金の代わりに、柊学園に入学ないし勤務を予定している人間に対し、入学金の一部免除や給与増額などの権利を賭けていたと言うではないか。それでは結局金を賭けたのと一緒だ。
     我が妹ながら……、此度ばかりはやけに、癇に障ることばかりしてくれるな)
    白猫夢・剣宴抄 8
    »»  2013.02.04.
    麒麟を巡る話、第178話。
    妹たちの懸念。

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    9.
     晴奈の怒りに対し、明奈はこう返した。
    「確かに賭けはしておりました。けれどお姉様、それが何か、いけない結果を生じさせましたか?」
    「市民はともかくとしてもだ、剣士や門下生に対してまで射幸心をあおるようなことを仕掛けるなど、剣士としての誇り、理念を惑わせるようなものだ」
     晴奈はそう反論したが、明奈はふるふると首を振った。
    「わたしにはそうは思えません。むしろ柊派と黄派、両者の結束を高める上でいい『つなぎ』の役割を果たしたと思っています。
     そもそも、わたしは常々思っていたのですけれど」
     明奈はキッと、晴奈をにらむ。
    「お姉様は堅いことが随分お好きのようですけれど、それを自分の中で守るだけならまだしも、他人にまでその生き方を押し付けたことが結局、月乃ちゃんを困らせ、黄海から離れさせる結果となったことに、まだお気付きにならないの?」
    「なに……っ」
     憤る晴奈に、明奈は珍しくきつい口調で対してくる。
    「お姉様はさぞ正しいことを実践されているかのように、ご自分の振る舞い方を考えているご様子ですけれど、わたしには自分勝手な正義の押し売りにしか感じられません。
     やれ正しい道を歩むべきだ、やれ真っ当に生きるべきだと、そう何べんも何べんも頭ごなしに言いつけられ、命じられて、はい分かりましたと素直に、愚直に応じる人間が当たり前のようにいると思ってらっしゃるの?
     何度も何度もわたし、言いましたけれど――お姉様自身、親からのああしろこうしろ、これがお前の行くべき道なのだ、お前にとって正しい人生なのだと、そう言う『真っ当な』命令に反発して出て行ったくせに、親になった今、全く同じことをしてらっしゃるのよ!
     その体たらくで『剣士としての誇り、理念』云々ですって? お姉様、一体あなた、何様になったおつもりなの!?」
    「ぐ……っ」
    「お姉様自身が30年以上も前にやったことを、今、他の誰もやってはいけないだなんて、烏滸がましいにも程があります!」
    「……」
     ぐうの音も出ない程に叱咤され、晴奈は黙るしか無かった。
    「……これ以上責めるのは心苦しいですけれど、もう一つだけ言わせてください」
     晴奈の様子を見た明奈は、一転、やんわりとした口調になった。
    「昔のお姉様の方がもっと、融通無碍な方でしたよ。長い旅を終えられて、様々な経験を積んで人間が磨かれたばかりの頃の方がよっぽど、気軽に話せる人でした」
    「……人は変わるさ。変わるものだ」
    「変わってほしくないところもあります。ありましたのに」
    「……」
     晴奈はうなだれたまま、明奈の部屋を後にした。



     姉が眠りに就いた後、明奈は己の執務室で密かに、ある剣士と会っていた。
    「……それは、本当に?」
    「ええ」
     晴奈の妹弟子、藤川霙子である。
     明奈は彼女から、「気になることがあるが現時点では確信が持てないため、晴奈の耳には入れたくない」と相談され、こうして密談することになったのだ。
    「しかし、それが本当なら、大変なことになります。でも確かに、今は姉に聞かせられるようなお話ではありませんね。
     まさか姉も、自分の身内にそんな者がいるとは夢にも思ってもいないでしょうし、何より今、姉は精神的に不安定です。そんなことを聞けば前後の見境を失うほどに激昂するか、卒倒するかしてしまうでしょう」
    「ええ、あたしもそう思うわ。姉(あね)さん、結構そう言うの弱そうだし」
    「『妹』ですものね、分かってしまいますよね」
    「そりゃ、ねぇ」
     二人でクスっと笑い、互いに真顔に戻す。
    「……コホン。ともかく一度、調べてみなくてはなりませんね。
     幸い調べものに関しては、うってつけの友人がいます。彼に頼めばすぐにでも、『その剣士』の生い立ちや素性を調べてくれるでしょう。
     そしてもし、霙子さんの懸念が本物であった場合――即座に手を打たなければいけません」
    「そうね。この差し迫りつつある状況下で、本当に『あいつ』がそうだった場合、この状況は『あいつ』にとってまたとない、復讐の機会だもの」
    「……ふむ」
     明奈は机から離れ、窓の外に目をやる。
    「むしろ、もしかしたら『その人』が今回の騒動の主犯、……なのかも知れませんよ」
    「え?」
    「狙い澄ましたように、時期が重なり過ぎていますもの。
     小雪さんの蹶起や月乃ちゃんの反発、……すべて『その人』にとって、あんまりにも都合がいい話ばかりですしね」
    「まさか……」
     顔を蒼くした霙子に、明奈は振り返ってこう続けた。
    「一人の怨念で歴史が動くこともあります。
     わたしたちは今まさに、岐路に立たされているのでしょうね――央南興亡の、岐路に」

    白猫夢・剣宴抄 終
    白猫夢・剣宴抄 9
    »»  2013.02.05.
    麒麟を巡る話、第179話。
    仁義と礼節なき乱暴者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     柊派の離反以降、紅蓮塞における「本家」焔流――小雪派は、混乱と暴走の一途をたどっていた。

     まず、紅蓮塞の台所事情が既に火急の状況であったことが、冷静になる機会を失わせた。
     柊派離反以前の資金源の7割に上る、軍や商家からの謝礼や献金、援助金を差し止められた上に、軍をはじめとする武力組織からの強制的な解雇・排斥を受けた剣士たちが集まり、収入の無い浪人と化したために、離反から一ヶ月もしないうちに、早くも紅蓮塞の有する資産は半分近くまで削られていた。
    「これでは黄州に攻め入るどころの話ではございません、家元」
    「じゃあ、どうするのよ?」
     財政状況を報告してきた御経に対し、小雪は苛立った声で尋ねる。
    「その……、現状といたしましては資金の確保が、何より優先されるべきではないかと」
    「だから?」
    「軍からの献金は恐らく、送られてくることは最早無いでしょう。近年の銃武装計画推進がございますし、剣士を追い出したがっていた傾向もありましたから。
     とは言え商家らの方にはまだ、話を付ける余地はございます。これまで献金額の筆頭でございました黄家の方に交渉を行い、資金を融通していただくのがよろしいのではないかと……」「よろしいのではないかと、ですって?」
     御経の言葉を遮り、小雪はまくし立てる。
    「黄家と交渉!? 我が本家焔流を差し置いて売名行為にひた走ったあの駄猫に、このわたしが頭を下げろと言うの!? はっ、御免だわ! 誰があんな奴に!」
    「し、しかし黄家が金を出さねば、他の商家も出そうとはしないでしょう。となればここはうわべだけでも……」「御経おおッ」
     小雪は御経の胸倉をつかみ、その顔に拳骨を叩き付けた。
    「ぶげ……っ」
    「べちゃくちゃべちゃくちゃと、情けないことばかりさえずってんじゃないわよッ!
     いい? わたしが家元なのよ? わたしが、上なの! あいつは、その下! なのにわたしがあいつに頭を下げて、金をくれと頼めって言うの? ふざけてんじゃないわよ!」
     小雪は御経を蹴り倒し、他の者をにらむ。
    「他には? もっとましな案は無いの? とりあえず当座の資金を手に入れられる、手っ取り早い方法は無いの!?」
    「手っ取り早いかどうかは、断言しかねますが」
     そう前置きし、深見が手を挙げた。
    「紅州の各都市は観光地として、それなりに稼いでいます。これまでにも多少ながら、献金はありました。
     現在は先の件で他と同様、資金を止めてきていますが、しかしこちらは緊急事態であるわけで」
    「で?」
    「武力組織の最たるものである軍隊は、何かしら不足があれば支配下の地域において徴発を行い、それを補います。これは非常時においては至極当然に行われている措置です。
     我々も非常時。ならばそれに倣えばよろしいのではないかと」
    「つまり、……襲えと言うのね? その各都市を」
    「そうです」
     うなずいて見せた深見に対し、小雪は顔をしかめた。
    「いくらなんでも、それはできないわよ」
    「何故です?」
    「だって、それをやったら、いよいよ周囲はわたしたちを、ただの破落戸として……」「ちょっと借りるだけじゃないですか」
     弱気になる小雪を奮い立たせるように、月乃が口を挟んできた。
    「黄海を落とし、黄家の財産を没収してしまえば、そんな借金はいくらでも返せるはずです。確実に返す当てがあるんですし、多少の無理くらい聞いてもらっても、全然問題ないじゃないですか」
    「……」
    「それ以外に家元が誇りを失わずに済む道はありません。頭、下げたくないんでしょう?」
    「……ええ」
     小雪は結局、側近に誘導される形で、紅州各地の都市を襲撃することを承諾した。



     この荒唐無稽かつ粗暴な企みは、結果的にはあっさりと成功した。
     元より焔流の本拠地であるため、州軍そのものや央南連合軍の駐屯地などが無く、紅州における軍事勢力は紅蓮塞ただ一つだけだったためである。
     抗う術を持たない紅州各都市は、瞬く間に陥落。当初の目論見通り、紅蓮塞は大量の剣士たちを悠々と養えるだけの資金源を手に入れることができた。
     そして今後も徴収を継続させるため、陥落させた各都市には焔流剣士たちが詰め、統制・統治する形となり――事実上、紅州は紅蓮塞に支配されることとなった。
    白猫夢・暗計抄 1
    »»  2013.02.07.
    麒麟を巡る話、第180話。
    連合の不安。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     小雪派による紅州実効支配を受け、央南連合は戦々恐々としていた。
     央南連合は元々、各州間で起こる諸問題を、戦争と言う最終的・暴力的手段を使わず解決するために設立された機関である。
     そのため今回のように、一つの州が不当な暴力を以て占拠・征服され、近隣州にまで危害が及ぶことなど、あってはならない事態だったからである。

    「奴らの目的は黄州征服とまで聞いている。このまま看過していてはその周辺にも害が及ぶぞ」
    「事実、既に西辺州や白州との境に位置する都市へも侵攻しようとしているとか」
    「関係者筋からの情報だが、これはほとんど金目当ての行動らしい」
    「ええ、相当の資金難にあるとのことです」
    「地に落ちたな……、焔流も」
     玄州、天玄の央南連合本部に集まった、紅州を除く各州の代表たちは、揃って頭を抱えていた。
     この会議に、黄州の代表として出席していた明奈は、この騒動について対策を述べた。
    「黄州征服と仰っていましたが、正確には黄海に逗留する、昨年暮れに離反した柊派焔流剣士らの抹殺と、彼らが本拠地から持ち出した宝物の奪還が目的のようです。
     とは言え、確かに現在の彼らが金品目的に行動していることは明らかです。先程も申し上げたように、彼らは現在資金難であり、略奪しなければその体面を保てない状態に陥っているためです。
     となれば彼らの侵略を止める手段は、やはりその資金難の解消にあるのではないかと」
    「どうすると? まさか乱暴狼藉を繰り返す輩に、金を送れと言うのか?」
    「それは論外でしょう。わたしとしても、その手段は採りたくありません。
     問題をもう一段踏み込んで考えるに、その資金難は大量の剣士が失職し、浪人となって出戻ったことに一因があります。
     ならば逆に、この浪人たちが紅蓮塞からいなくなれば、紅蓮塞の資金難は解消。同時に機動力を失い、これ以上の侵攻を止めることができるのではないかと」
    「ふむ……」
     一方で、央南連合軍の司令官が手を挙げる。
    「しかし既に、我々のところで使役できるような部署は存在しない」
    「ええ、存じております。さぞやお気軽に厄介払いをなさったことでしょうね。こうなることも予想されずに」
    「……オホ、オホン」
     ばつの悪い顔をした司令から顔を背け、明奈はこう続けた。
    「私事ですけれど、我が黄州にも一時、浪人たちが多数詰めかけておりました。
     しかし現在ではその浪人たちを教員とした学校を設立し、彼らの雇用安定を確立しております。その他にもわたしの有する商会で様々な雇用策を講じ、浪人があぶれるような事態はどうにか収まっています。
     どうでしょう、他の州でも同じように学校など設立して、雇用口の拡大を試みては?」
    「なるほど……」
    「いや、しかしそれは金がかかる。よしんば設立したとして運営なり、維持ができるかどうか」
    「いやいや、このまま看過していてはいずれ黄州以外にも侵攻するのは明白。その被害額や州軍、連合軍を動員する経費、実際に交戦まで事態が発展した場合の戦費や損害を考えれば、そっちの方が金銭面でも、人的・物的被害の面でも圧倒的に安く上がるはずだ」
    「それも一理あるな」
    「では、どうやって紅蓮塞内の浪人たちを寝返らせる? まさか向こうまで足を運び、引っ張り出すわけにもいくまい?」
     これについては央南連合の現首席、三国が案を出した。
    「いえ、公式に出向き、これ以上の侵攻を行わないよう話し合う機会を設けること自体については、元より考えていました。このまま連合が何も言わず、遠巻きに見つめているだけでは、状況の打開は難しいでしょう。
     その合間に浪人ら、ないし彼らを説得できる人物と接触し、黄氏の案を遂行しましょう。ただ、出向いて正面から説得……、では効果は期待できないと思います。
     本営は元より、集まってきた浪人たちも既に悪事に手を染めた身であるでしょうし、『もう後戻りはできない』と考え、こちらの説得に耳を貸そうとしないことは、十分に考えられますから」
     三国の言葉を継ぐ形で、さらに明奈がこう述べた。
    「確かにその通りです。安易な説得や、ましてや強引に連れ戻すような対応は、却って事態を悪化させかねません。
     ここは彼ら自ら『本拠地を蹴ってでも話に乗りたい』と思わせるような話を持ち掛けないと」
    白猫夢・暗計抄 2
    »»  2013.02.08.
    麒麟を巡る話、第181話。
    馬脚を露した家元。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     央南連合は紅蓮塞に対し、これ以上の侵略行為を行わないことと、占拠した都市を解放することを要請した。
    「『なお、従わない場合には実力行使もやむを得ないものとする』、……ですって? 従う義理なんか無いわよ!」
     これを受けて、小雪はあからさまに不快感を示した。しかしそれを、御経が平伏してなだめる。
    「いや、ここは聞き分けていただかねばなりません」
    「なんでわたしが……」
    「家元だからです」
    「えっ?」
    「我が紅蓮塞は現時点で事実上、紅州を治めているも同然の状況です。そして紅州が央南連合に属する以上、彼らとの付き合いを確立しておかねば、最悪の場合、問答無用で攻め込まれてもおかしくはないのです。
     その紅蓮塞の長たる家元はもう既に、それだけのことをなさっていらっしゃるのですから」
    「は? え、ちょっと待ってよ? 攻めろって言ったのは、わたしじゃないわよ」
    「襲撃は家元の名において行われたこと。であればその責は、家元に帰属します」
    「な、なに、それ? 知らないわよ、何を勝手なこと……」「もし責任を負いたくないと言うことであれば」
     と、やり取りを眺めていた月乃がニヤ、と笑う。
    「家元の座を降りていただくしかありませんね」
    「なっ……」
     面食らう小雪に対し、月乃が嘲るようにこう続ける。
    「だってそうじゃないですか?
     我々焔流剣士すべてを指導・監督する立場にある、ひいては我々の合意、総意の上に起こした行動に対する全責任を負う。家元はそう言う立場にあるはずです。
     ところが『小雪さん』、あなたは責任なんか知らないと言う。じゃあ家元失格、その器じゃないってことですよ。
     もっとふさわしい人間に託してもらうしかありませんねぇ……?」
    「つ、きの……ッ!」
     この物言いに、小雪の頭に血が上りかける。
     だが――遠巻きに見つめる御経をはじめ、この場に集まった側近らの顔色を見て、小雪はぎくりとさせられた。
     側近らが皆一様に、半ば呆れたような、そして半ば失望したような顔を、自分に向けていたからである。
    (それが狙いか……、月乃!
     わたしに難癖をつけて家元の座から引きずり降ろし、籠絡した良蔵を傀儡にして、自分がその座に成り替わろうとしているのかッ!
     さ、させるものか……!)
     小雪はギリギリと歯ぎしりを立てながら、こう返した。
    「せ、責任はわたしが取るわよ! 取ればいいんでしょ!?
     分かったわよ、御経! 央南連合と話し合いをするわ! そう返事を送りなさい!」
    「御意」
     ほっとした顔をして、御経はうなずいた。

     それと同時に――御経は内心、これ以上無いくらいの落胆を感じていた。
    (資金源が一斉に消えた時、これは紅蓮塞にとって、焔流にとって、最悪の事態になったと嘆いていたが……! この逆境はさらにまだ、一段と深く底を打つと言うのか!
     今のやり取りで、拙者のみならず、皆が失望したであろう。我らが主君と仰いできたこの方が、ただの考えなしの、小心者の、そしてあの小娘の操り人形に過ぎぬ凡君、愚君であると、皆が悟ってしまったのだからな。
     もはやこの先、焔小雪を塞の主軸に据えては立ち行かぬだろう。あれはもう、本当に本当の、お神輿人間だ。この先一生、あの娘は黄月乃に操られることになろう。
     そんなものは――拙者の思い描いていた焔流の未来では、決して無い!)
     御経はこの時、小雪に対する忠誠心を失った。

     とは言え御経には範士としての、かつ、塞内の家宰役としての矜持もある。
     小雪に命じられたことを反故にはせず、律儀に央南連合との交渉の場を立て、小雪、深見と共にその場へ臨むことにした。



     この一件により、小雪と彼女率いる紅蓮塞は、さらに混迷の度合いを強めることになった。
     そしてこの後の交渉と、その裏で行われた「取引」とが、紅蓮塞の暴走をより一層激しくさせた。
    白猫夢・暗計抄 3
    »»  2013.02.09.
    麒麟を巡る話、第182話。
    紅蓮塞と連合の交渉。

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    4.
     連合と紅蓮塞との交渉は紅州と白州の境にある街、椛町で行われることとなった。

    「ではまず、現在起こっている問題の確認を行い、そしてそれについて対応策を検討したいと思います」
     連合主席、三国が連合側の代表となり、交渉が始められる。
    「現在、紅州は武力組織、紅蓮塞がその実力を行使し、不当に支配している状態である。これが我々の見解です。相違はございますか?」
    「あんた、もっと言い方ってもんが……」「家元、我々が話をしますので」
     いきなり声を荒げようとした小雪を抑え、御経が応答する。
    「その見解には若干の誤りがございます。
     確かに現在、紅蓮塞は紅州の主要都市に対し実効支配の形をとってはおりますが、これは我々への資金供与を不当な形で打ち切った商家らに対する報復行為であります。
    勿論その問題が解決し次第、即ちこれまで通り資金供給を行っていただきさえすれば、すぐにでも剣士らを撤退させ、従来通りの統治体制に戻すことを検討しております」
    「資金供給を行ってもらうと言うのは紅州下の商家の方に対して、でしょうか」
    「それもありますが、あなた方央南連合からの供給も考慮に入れていただきたく存じます。何しろ昨年まで、その供給額は我々の歳入の2割弱に相当しておりました故」
    「なるほど。しかし我々の方から資金を融通することはしていないはずです」
     こう返され、またも小雪が噛みつこうとする。
    「寝言言ってんじゃないわよ!? 金送ってたのは事実……」「家元、家元」
     再度それを抑え、御経が質問を返す。
    「家元からの指摘があったように、我々に多額の資金を送っていたのは事実のはずですが?」
    「無条件での融通はしていません。これまでの供給は央南連合軍に対する奉仕、協力の見返りとしての謝礼金であり、援助金や献金の類ではありません。有り体に言えば仕事をしていただいた分の報酬としてです。
     それを踏まえた上で再度、我々からの資金を受けたいと言うことであれば、それに見合う働きができるかどうか、と言うことになります。
     どんな形でももう一度軍に入り、我々の姿勢、体制の元に勤務していただく、と言う条件であれば、謝礼金の件は吝かではありませんが」
     これを受け、御経と深見は揃って眉をひそめた。
     一方、この言葉を今一つ理解できていない小雪は、応じようとする。
    「なにゴチャゴチャ言ってんのかワケ分かんないけど、うちの剣士もう一回引き取ってくれるんなら……」「家元、家元。お待ちください」「何よ?」
     深見がそれを止め、小雪に耳打ちする。
    (彼らの主張は、言わば『焔流の剣士として雇う気は無い。剣を握らせることは絶対無いが、それでもよろしいか』と言うことです)
    (どう言うこと?)
    (現在の連合軍は銃武装を推進しております。であれば、軍に入れば否応なく銃を装備させられることになります。
     軍に入れば剣士として扱われることはまず、ありませんでしょう。せいぜい最低格に毛の生えた程度の、事実上の一兵卒扱いの待遇。であれば、以前のように剣士の腕を見込んだ分を含めての豊富な謝礼金はまず、出ません。
     そうなるとその額は恐らく、昨年の3分の2、いえ、2分の1にも満たないものになるかと)
    (つまりわたしたちの門下をはした金で買い取ろうとしてる、ってこと?)
    (平たく言えばそうなります。
     こんな条件で剣士らを引き渡したことが公になれば、『紅蓮塞は身を寄せてきた剣士たちを二束三文で売り払った』とうわさを立てられるでしょう)
     こう説明され、悪評に耳ざとい小雪は当然、突っぱねた。
    「ふ、ふざけんじゃないわよ! そんな条件呑めるわけないじゃない!」
    「なるほど」
     三国は肩をすくめ、こう続けた。
    「我々にはそれ以上の条件での引き受けはいたしかねます。残念ですがそれ以外の打開策を見付けなければいけませんね」
     その後も何点かの提案はあったものの、互いに妥協点を見出すことができず、話し合いは一向にまとまらなかった。
    白猫夢・暗計抄 4
    »»  2013.02.10.
    麒麟を巡る話、第183話。
    おてがみ?

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    5.
     交渉に進展が見られないまま、3日が過ぎた。

    「侵略を行ったのは資金不足によるもの。それを央南連合が補うなら紅州解放を約束する」として金を要求する紅蓮塞と、「我々の提示した内容に従うなら、資金供給は吝かではない」として、紅蓮塞にとってひどく分の悪い条件を突きつけてくる央南連合との話し合いは平行線をたどるばかりであり、紅蓮塞側の交渉の主軸となっていた御経は疲れ果てていた。
     その上、相手とろくに対話もしようともせず、自分勝手に口を挟もうとする小雪を何とか抑え込むため、余計な気遣いまでさせられていたため、御経の心労は極限に達しつつあった。
    「はあ……」
     3日目の交渉も物別れに終わり、御経は定食屋で一人、黄昏ていた。
     一応、好物であるすき焼き風定食を注文したものの、胃の辺りがキリキリと痛み、膳が運ばれてから15分ほどが経っても、一向に箸を付けられない。
    (もっとあっさりしたものにした方が良かったか……)
     そんなことをぼんやり考えながら、御経はどんよりとした心持ちで座っていた。

     と――店に一人、客が入ってくる。
    「あら、あなたは……」
    「うん?」
     御経が振り返ると、そこには連合側の人間として交渉に参加していた、明奈の姿があった。
    「ああ、黄大人。本日はどうも」
    「どうも、御経範士。……相席、よろしいかしら」
    「え? ええ、構いません」
     自分の向かいに座った明奈を、御経は訝しむ。
    「拙者に何か御用が?」
    「いいえ? わたしもお腹空いちゃったので。それに、知った方がいらっしゃるのに相席もせず背を向けるなんて、無粋じゃありませんか?」
    「はあ……、まあ、そうですな」
     明奈はニコニコと笑いながら丼物を注文し、もう一度御経に向き直る。
    「大変ですね」
    「ええ、まあ」
    「わたしが何とかできるのなら、してあげたいのですけれどね。焔流の方とは、並々ならぬ付き合いがございますし」
    「ああ、そうでしたな。黄……、範士の妹御でいらっしゃいましたね」
    「ええ。姉も此度の一件、ひどく胸を痛めておりました」
    「でしょうな。まさか自分の娘御がこんな醜聞に関わって、……あ、いや」
    「ふふ、大丈夫です。ここにはわたしとあなたしかいませんから」
     明奈はいたずらっぽく笑い、片目を閉じて見せる。
    「ああ、そうそう。用が無いとは言いましたが、姉から『機会があれば御経に渡しておいてくれ』と、こんなものを渡されていました」
    「え?」
     御経は晴奈と同年代であり、面識も少なからずある。若い頃には共に修行したり、碁を囲んだ覚えもあって、決して疎遠な関係ではない。
     しかしここ数年は会っておらず、小雪の一件もあったため、そんな彼女が自分のことを気にかけているとは思ってもいなかった御経は、虚を突かれる。
    「黄が、拙者にですか?」
    「ええ」
     明奈は鞄から一通の手紙を取り、御経に渡した。



    「敬愛する我が同輩 御経周志へ

     此度の一件、家宰役を務めるお主にとっては誠に心痛め、頭悩ます事態であろうと察する。
     それは私にとっても同じことだ。
     だが一方で、なるべくしてなったことでもあろうと、割り切ってもいる。
     小雪も月乃も、その道を選んだが故の結果であろう。
     心痛むことであるが、そう考えるしかないと、今では諦めている。

     しかし一方で、望まずして巻き込まれた者たちの多さにも憂いている。
     そのような者たちをただ見過ごすのは、私にとってはなお心を苦しめることになる。
     然らばその者たちに手を差し伸べるべきではないかと思い立ち、こうして筆を取った。

     周志。お主の力で、左様な者たちを我が黄海に引き込むことは可能だろうか?
     無論、お主自身もこちらへ来てくれると言うのなら、これほど喜ばしいことは無い。
     もしこれが成れば、手厚く保護し、然るべき待遇を以て……」



     ここまで読んだところで、御経は手紙をぐしゃ、と握り潰した。
    「えっ」
    「黄大人。人をからかわないでいただきたい」
     御経は手紙をくしゃくしゃに丸め、机の上に捨てた。
    白猫夢・暗計抄 5
    »»  2013.02.11.
    麒麟を巡る話、第184話。
    定食屋での密談。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「共に修行した頃から数十年が経てども、拙者は黄の字を忘れてはおりませんし、奴の言いそうなこと、言わなさそうなことも見当が付きます。
     黄がこんな、人を利、不利で誘うようなことを言うはずが無い」
    「あら……、バレちゃいましたか」
     明奈はぺろ、と舌を出して見せた。
    「姉の字を真似るの、得意だと思っていたんですけどね」
    「ええ、字は割合似ておりましたな。ただ、内容は似ても似つかない」
    「……では正直に」
     運ばれてきた鯛まぶし丼に目もくれず、明奈は自分の狙いを打ち明けた。
    「その手紙の内容、ほとんどわたしがお願いしたいことなんです。
     御経範士、あなたのお力で浪人たちを紅蓮塞から逃がし、我が黄海に送ることは可能でしょうか?」
    「何故それを拙者に……、もとい、そんなことができるはずも無いでしょう」
    「あら」
     明奈はニコ、とまたもいたずらっぽい笑いを見せる。
    「何故ですか?」
    「拙者は紅蓮塞の家宰、即ち紅蓮塞を取りまとめる役目を先代の頃より仰せつかっております。そんな拙者が『紅蓮塞から出よ』などと言えるはずも……」
    「そのお言葉、本心ですか?」
    「……!」
     明奈は依然笑顔のまま、こう続ける。
    「失礼を承知で申し上げるのはわたしの悪い癖なんですが、それでも一つ、言わせてくださいな。
     今の紅蓮塞、あなたが家宰を務めたいと思うほど、格の高い組織ではなくなっているはずです。
     今の紅蓮塞はまるで野武士や山賊の隠れ家のごとく、滅多やたらに街を襲い、その金品を強奪して回っている、地に落ちた存在。
     さらに言えば、その上に立つ家元はそれ以下の所業を繰り返している。親を殺そうと画策し、街を襲うことを咎めようとせず、揚句に……」
     明奈は机に身を乗り出し、御経にひそ……、とつぶやく。
    「その責任から逃れようとされた」
    「なっ……! 何故それを、……う、う」
     慌てて口をつぐんだが、明奈は見透かしていたことを告げる。
    「この3日間の彼女の態度を見ていれば、そんなことは手に取るように分かります。
     まるで余所事のような応対でしたものね。自分が手を汚したと、心の奥ではまったく思ってらっしゃらないみたい」
    「……でしょう、……な。拙者もそれは、……ええ、少なからず感じておりました」
    「その誇りを失った紅蓮塞に」
     明奈は座り直し、こう尋ねる。
    「義理立てをする理由があるんですか?」
    「……紅蓮塞は、……代々、焔流剣士が守ってきた、伝統ある城です。その家宰役を命じられた以上、裏切ることなど」
    「それについても、あなたは疑問を抱いているはずです。
     今の焔流家元が、その伝統を受け継ぐに相応しい人間であると、あなたはそう思っていますか?」
    「……っ」
    「失礼が過ぎているのは、十分に弁えているつもりです。
     でも、あなたの本心もわたしには、見えていましたから」
    「……」
     黙り込んだ御経に、明奈は優しく、しかし凛とした声でこう続けた。
    「御経範士。あなたの悩み、迷いに対する最上の解答は、わたしたちに、密かに協力することです。
     あなたが『紅蓮塞を出よう』と声をかければ、大勢の方が付いてきてくれるはずです。そうして紅蓮塞の機動力を弱め、動けなくしたところで、わたしたちが逆に攻め落とすんです」
    「な……」
    「そして現家元を追い出し、今、黄海にいる焔家の血を持つ人間を改めて、家元として立てる。そうすれば……」
    「……なるほど。……なるほど、確かに」
     これを聞いた御経は、久々に心の晴れた気持ちになった。
    「少なくとも今、わたしのところにいる晶奈ちゃんは、今の小雪さんとは比べ物にならないほど出来た子ですよ。より相応しい人間だと思います。
     ……さて、と」
     明奈は箸を手に取り、御経に促した。
    「食べましょ、御経さん。わたしもういい加減、お腹が鳴っちゃいそうですもの」
    「え? ……そ、そうですな、うむ」
     先程までまったく手を付ける気にならなかったすき焼き風定食を、御経はこの時、すんなりと口に運ぶことができた。
    白猫夢・暗計抄 6
    »»  2013.02.12.
    麒麟を巡る話、第185話。
    剣士にあるまじき者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     御経と明奈が密談を交わした翌日――これまで無理難題に近い提案をし続けてきた央南連合が突如、こんな案を出してきた。
    「これまでの3日、交渉を続けて参りましたが、どちらの意にも沿わない案ばかりが出ており、まったく進展が無いまま過ぎました。
     これでは互いに時間を浪費するばかりです。心苦しいですが、我々が多少、譲歩しようかと考えています」
    「え?」
    突然こんなことを言われ、面食らう御経らに対し、三国はこう続けた。
    「やはり今回の騒動の発端において、央南連合軍が過敏に反応したことが、ここまで騒動を広げた一因であるかと思います。
     軽率に措置を下し、これまで長らく関係を保ち続けてきたあなた方紅蓮塞と無理矢理に手を切ろうとし、このような結果になったこと。そのお詫びも兼ねまして」
     そこで三国が言葉を切り――何故か明奈がその後を継いだ。
    「央南連合軍に働きかけ、従来通りの待遇で軍に戻っていただけるよう説得しようと考えております。また、他の武力組織から戻られ、他の職に就けないでいる方につきましても、連合の方で新職を設置し、出来る限り雇用したいと考えております。
     簡単に申し上げれば、従来通りの状況に可能な限り戻せるよう、我々の方で最大限努力させていただく、と言うところです」
    「ふ、む……」
     この案を提示され、御経は考える。
    (確かに軍や新職とやらで、紅蓮塞に溢れていた浪人らを吸収してもらえるのであれば、資金難は解消される。特に軍の方は『従来通り』と言うことであれば、金も概ね元通り入ってくるようになる、……か?
     しかし何故だ? これまで散々、こちらの人材を元通りに採ることを避けてきた連合が何故、今になってこんな案を、……ぬっ?)
     その時、御経は確かに明奈が、自分に向かってにっこりと笑いかけて来るのを見た。
    (……そう言うことか。この案に乗り浪人らを集めさせ、そして拙者ごと紅蓮塞から抜けさせようとしているのだな?)
     御経はもう一度、明奈をチラ、と見る。
     それに応じるかのように――明奈は御経だけに見えるよう、指で「○」を作って見せた。
    (やはり、そうか……。
     元々、家元にはうんざりしていたのだ。……是非も無し。乗るが吉、か)
     御経は体面上、適当に質問や意見のすり合わせなどをし、その案を呑むと返答した。
     そして交渉の結果、連合側が提示した案が実現し次第、紅蓮塞による紅州支配を解くことが約束された。

     紅蓮塞に戻ったところで、小雪がはーっ、と疲れ切ったため息を吐いた。
    「4日もうだうだ、うだうだと……。ちゃっちゃとまとめなさい、っての!」
    「まあまあ、家元。これでどうにか問題は解決いたします」
    「そうね。これでようやく、黄州に攻め込めるわ」
    「……あの?」
     ぎょっとする御経に、小雪は馬鹿にしたような目つきで、こう返した。
    「振り出しに戻ったってだけじゃない。余計な問題がすっきりしたんでしょ? じゃあ元々考えてた通り、黄のところに押し入るだけじゃないの」
    「お、お待ちください、家元! それでは約束が反故になってしまいます!」
    「反故? 紅州解放だけでしょ? 黄州をこれからどうするかなんて、誰も話してないわよ」
    「攻めれば同じことです! 攻めればまた今回のように、連合が押しかけてきますぞ!?」
    「その時はその時じゃない。また今回みたいにあんたが話まとめて、黙らせりゃいいのよ」
    「はい?」
     御経は小雪の傍若無人な態度に怒りを覚えたが、小雪はそんな御経に目もくれず、こう言い捨てて自室に戻っていった。
    「何でわたしがあんなしみったれた下衆共なんかとの約束を、まともに守らなきゃならないのよ。馬鹿馬鹿しい」
    「……」
     一人残された御経は――それでも小雪に聞かれないように――こうつぶやいた。
    「約束も守れぬ、……と言うのか。左様な性根でよくも剣士だ、家元だなどと……ッ!
     もう沢山だ。拙者、貴様のような馬鹿殿には、これ以上付き合っていられん」



     4時間後――御経は浪人230名余を連れ、紅蓮塞を後にした。
    白猫夢・暗計抄 7
    »»  2013.02.13.
    麒麟を巡る話、第186話。
    仄見える、悲惨な結末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     明奈は、きっちりと約束を守った。

     御経をはじめ、紅蓮塞から黄海へ逐電した浪人たちに、明奈は柊学園での教職や用務員、黄商会関係の用心棒、黄州軍での指導教官など、様々な職をあてがった。
     そして御経自身にも柊学園における教頭職が打診され、御経はこれを快諾した。



    「黄、まさかお前とまた、こうして碁を囲むことができようとは」
    「全くだ」
     晴奈とも十数年ぶりに再会し、御経は久々に彼女と囲碁を打っていた。
    「となると、御経範士」
     それを眺めていた明奈が、御経に現在の状況を尋ねる。
    「現在の紅蓮塞に、浪人の方はほぼ残ってらっしゃらないと言うことでしょうか」
    「ええ、塞内にいた者はほぼ全員、拙者と共にここへ。
     ただ、紅州各都市の制圧要員として出た者は、まだ200名近くおります」
    「それについては……、今後の展開に絡んできそうには無いですね」
    「うん?」
     明奈は苦い顔をしつつ、それについて語った。
    「今回の『裏』の交渉が実ったことにより、紅蓮塞の力が著しく弱まったのは事実です。
     資金繰りをしてくれていた御経範士がいなくなり、経済面では最大級の混乱をきたすでしょう。
     そして多数の兵力を以て、これまで抑え付けてきた各都市も、本拠に人がいなくなったこの機に乗じて、反旗を翻すはず。隣州の州軍や駐屯している連合軍に働きかけ、街を解放しようとするでしょう。
     その2つの混乱に呑まれず、逆にこの黄海にまで押しかけられるような機略と度量が小雪さんやその側近にあるとは、非常に考えにくいですし」
    「然り。知恵者と言えば深見がまだ残ってはいるが、彼奴一人でどうにかできるとは思えん。ましてやあの馬鹿殿がいるとなれば、そのお守りで手一杯だろう」
    「恐らく小雪さんにできることは、紅州各都市を占拠させていた浪人たちを呼び戻し、紅蓮塞の守りを固めさせることくらいでしょう。それ以外に体面を保ち、小雪さんの社会的・肉体的生命を維持する手段はありません。
     ですが恐らく、それは実らないでしょう。今にも連合軍が攻めて来ようと言う時に、形勢の傾いた本拠地から遠く離れた浪人たちが、わざわざ小雪さんの言うことを聞くとは思えません。十中八九見捨て、連合軍に投降するでしょう。
     となれば――今回の騒動は、ほぼ終息したと言ってもいいでしょう」
    「うん……?」
     この結論に対し、御経が質問する。
    「黄大人、定食屋で言っていたあの件は、いつになるのです?」
    「あの件? ああ、新しい家元を、と言う話でしょうか」
    「ええ。黄大人の今の話だと、結局焔小雪が残っているではないですか」
    「それも風前の灯でしょう。わたしの話の通りに事が進み、紅蓮塞が連合軍に包囲されることになれば、間違いなく塞内で争いが起こります。
     それを収める方法は一つしかありません。即ち、争いを起こした張本人を引きずり出し、塞外に放逐するか、軍に引き渡すか、それとも内々で処刑するかです」
    「……なるほど。無残と言う他ないが、自業自得ですな」
    「……」
     と、ここで晴奈が席を立つ。
    「どうした、黄? まだ勝負は……」「お主の勝ちでいい。私は寝る」
     そう言い捨て、晴奈は部屋を出て行ってしまった。
    「どうしたと言うのだ……?」
    「無理もありません。わたしの言う通りになれば、処刑されるのは小雪さんだけでは済まないはずですから」
    「……黄月乃か。あの娘も同じ目に遭うでしょうな」
    「失礼なことを平然と言ってしまうのはわたしの悪い癖、と承知してはおりますが、それでも今のは失言でしたね。
     ……まあ、でも。丁度良く人払いができました」
    「え?」
     きょとんとする御経に構わず、明奈は辺りを見回した。
    「霙子さん、いらっしゃるんでしょう?」
    「ええ」
     窓が開き、霙子が音も無く、するりと入ってきた。
    「流石ですね。それで、エルスさんと小鈴さんは何と?」
    「あたしの言う通りだった、と。いえ、それ以上に悪いことになっていた、と言ってました」
    「それ以上に?」
    「ち、ちと待って下さい、黄大人。一体、何の話なのです?」
    「この騒動を裏で操っていた、ある男の話です」
     これを聞いて、御経は唖然とした。
    「操っていた……? この、央南西部全体を引っ掻き回すような大騒動を、操っていた男がいると言うのですか!?」
    「ええ。恐ろしく狡猾で、残忍で、その冷血振りは、他に類を見ないほど。
     そして黄家と焔流に対し、底知れぬ恨みを抱いている。両家の徹底的な、完膚無きまでの破滅を、何より願ってやまない。
     まさに悪魔と称するべき、そう言う男です」
     霙子の説明に、御経はぶる……、と身震いする。
    「何と言う奴ですか、それは……?」
    「御経範士、あなたも耳にしたことがあるはずです。
     篠原、と言う男のことを」

    白猫夢・暗計抄 終
    白猫夢・暗計抄 8
    »»  2013.02.14.

    麒麟の話、第4話。
    秒速1センチの奇跡。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     もしもセイナが。あの英雄、セイナ・コウが。
     もしも、秒速1センチでも歩くのが早かったら。
     あるいはもしも、秒速1センチでも歩くのが遅かったら。
     さて、世界はどうなっただろう?

     もしも秒速1センチ早かったら、彼女は剣士にはならなかった。
     だってそうだろ? 彼女が13歳の時、後に自分の師匠となる人間が酔っ払いに絡まれてるのを何とかしようとして騒ぎに割り込んだのが、出会いのきっかけだった。
     もし秒速1センチ早かったら、彼女はその場に偶然居合わせるコトは無く、そして剣豪セイナが誕生するコトは無かったのさ。

     じゃあ逆に、秒速1センチ遅かったらどうなっていたか?
     そしたらセイナは、あの無双の奥義「星剣舞」を得ることはできず、死んでいただろう。
     その技を会得するコトができたのは、死の淵で友人と最期の邂逅があったから。だけどソイツと友人になれたきっかけは、ゴールドコーストで、とってもいい形で再会できたからだ。
     そのいい形に持ってこれたのは、万全のサポートで闘技場に臨めたからこそ。それより前にゴールドコーストを訪れた時に出会った狐のお姫様や狼のお嬢ちゃんと偶然、出会うコトができたからだ。
     狼ちゃんは後にセイナが闘技場に参加するきっかけをくれたし、その両親はセイナを十二分にサポートしてくれた。狐ちゃんはその友人と仲良くできるきっかけをくれたし、「妹」としてずっと、セイナを支えてくれていた。
     その二人との出会いが無かったら、セイナはきっと不完全な形で闘技場に臨み、そして「友人」と仲良くする機会になんか、絶対に巡り合えなかったはずさ。
     その結果「星剣舞」は永遠に手にできず、そしてあの闇の奥底で半人半人形の女に返り討ちにされて、死んでいただろう。

     だからもし、秒速1センチでも彼女の歩みが早く、あるいは遅ければ。
     たったソレだけで、世界はまるで違うものになっていたんだよ。



     ボクの持論になるけど、世界は言わば、無数の歯車の集合体だと思っている。

     無数の人間が、無数の出会いをし、無数の行動を重ねた末に、無数の結果を生んでいる。
     ソコに人ひとりいないだけで、あるいは人ひとり増えただけで、結末は大きく変わっていくんだ。
     でも、いるコトでその影響が大きい人と、少ない人って言う違い、差異は確かにある。

     コレは、ボクにとっては一つの実験だ。
     その、影響の大きい人間を、故意に作り出せるか? 元々影響の少ない、演劇で言うところの「端役」「脇役」がボクの操作によって、果たして「主役」を食える働きをしてくれるか? そう言う実験だ。
     そしてその結果が、ボクの計画の練り直しを行うにあたって、重要な要素になってくる。



     繰り返すよ。コレはただの、人体実験。
     いや、「人生実験」とでも言うのかな?

    白猫夢・麒麟抄 4

    2013.01.13.[Edit]
    麒麟の話、第4話。秒速1センチの奇跡。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. もしもセイナが。あの英雄、セイナ・コウが。 もしも、秒速1センチでも歩くのが早かったら。 あるいはもしも、秒速1センチでも歩くのが遅かったら。 さて、世界はどうなっただろう? もしも秒速1センチ早かったら、彼女は剣士にはならなかった。 だってそうだろ? 彼女が13歳の時、後に自分の師匠となる人間が酔っ払いに絡まれてる...

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    麒麟を巡る話、第158話。
    道を誤る者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     央南の大都市、黄海の街はずれ。
     黄派焔流剣術の門下生が5人、隠れるように集まっていた。
    「秋也のヤツ、本当に持って来てくれるのかな……?」
    「どーだろーなー」
    「先生の息子ったって、流石に『アレ』持って来るなんて……」
     こそこそとそんな話をしていたところに、その本人――「黄先生」の息子、黄秋也がやって来た。
    「いやー、苦労したぜ」
    「お、もしかして本当に?」
    「おう」
     秋也は抱えていた風呂敷包みからごそ、と刀を取り出した。
    「これが、『御神体』か?」
    「おう。いっつも床の間に飾ってあった、アレだよ」
     秋也はニヤニヤ笑いながら、その刀を自分の腰に佩く。
    「どーだ」
    「どーだっつってもなぁ」
     門下生たちは苦笑いを返す。
    「やっぱ抜いてみなきゃなぁ」
    「……だな」
     秋也の方も苦笑いを返しつつ、柄に手をかけた。
     と――。
    「あ、あのっ」
     それを止める者が出た。
    「ん? どした、朱明(しゅめい)?」
    「なんか、嫌な予感がするんです」
    「つってもなぁ」
     止めた朱明に対し、他の門下生たちは肩をすくめる。
    「やっぱ見たいじゃん?」
    「なぁ。ここまで来といて抜かないってのは、味気無いぜ」
    「抜いちゃえよ、秋也」
    「ん、ああ」
     その場の流れに逆らえず、朱明は黙って見守ることしかできない。
    (なんか……なんか、怖い)
     朱明はいつの間にか、自分の袴の裾を堅く握りしめていた。

     その間に、秋也は散々もったいぶった後、すらりと刀を抜いていた。
    「……」
     その刀身を目にした途端、門下生たちは絶句する。
    「な、……んだ?」
    「……」
    「き、気味、悪りっ……」
     刀からにじむ青い光が、その場にいた全員の心をさくりと刺す。
    「……うえ、げっ、げろっ」
     不意に、一人が吐く。
    「お、おい、どうし、……うげえええっ」
     もう一人、顔を紫色にし、嘔吐しながら倒れる。
     他の二人も、袴をびしょびしょに濡らして崩れ落ちる。
    「しゅ、しゅ、秋也さん、か、か、かたっ、刀、早く、しまって……」
     朱明も吐き気と虚脱感をこらえながら、刀を抜いたままの秋也に、どうにか声をかける。
    「……」
     しかし、秋也は答えない。
     彼は立ったまま、気を失っているようだった。
     そして朱明の意識も、そこで途切れた。

     朱明が目を覚ましたのは、3日ほど後だった。
     その時には既に、秋也が道場から刀を盗んだことは発覚しており、秋也は師匠であり母である黄晴奈から、相当の叱咤と折檻を受けたと聞かされた。
     朱明を含めた門下生5名は揃って丸坊主にされた後、一ヶ月の謹慎を言い渡された。



     この事件以来――黄晴奈の甥、黄朱明は、目に見えて物静かな性格になったと言う。
     元々から温和で大人しい少年だったのだが、この事件を境に、常に「一歩引いた」態度を執るようになった。
     それを一度、師匠の晴奈から「剣士にしてはいささか消極的ではないか」と、やんわりと咎められたことがあったが――。
    「時には勇気、勇者がただの蛮勇、荒くれ者になることもあります。
     いえ、その人物が元より悪いと言うわけでは無いのです。どれほど高潔で素晴らしい人格者であっても、周りの空気に流されて、あるいは親しき人間にそれとなく唆されて、やむなく道を外すこともある、……と僕は考えているのです。
     それは伯母さん、……あ、いえ、師匠が何度も仰っていた、篠原龍明と言う剣士のそれに近いものでは無いでしょうか? 彼も優れた剣士であったのに、ちょっとした誘惑で自分の道を踏み外してしまったと仰っていたでしょう?
     師匠がいつになく激怒し、僕たちを叱り飛ばしたあの事件も、成り行きは同じでした。秋也さんは確かに優れた剣士だと思いますし、僕も少なからず目標に、そして誇りにしている人です。しかしあの時、秋也さんは仲間のちょっとした冗談に付き合い、そしてあの愚行を犯してしまった。
     それを僕は、危惧しているのです。ですから周りの空気に流されないよう、僕は常に一歩後ろから、状況を見定めようと心得ている。そのつもりなのです」
     毅然とこう返され、晴奈も「あ、うむ」とうなずくしかなかった。



     10代の頃からこれだけ達観した性格を有していたこと、また、己の息子や娘たちと疎遠にになってしまったこともあって、晴奈はまだぼんやりとではあるが、朱明を己の後継者にしようかと考え始めていた。

    白猫夢・逐雪抄 1

    2013.01.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第158話。道を誤る者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 央南の大都市、黄海の街はずれ。 黄派焔流剣術の門下生が5人、隠れるように集まっていた。「秋也のヤツ、本当に持って来てくれるのかな……?」「どーだろーなー」「先生の息子ったって、流石に『アレ』持って来るなんて……」 こそこそとそんな話をしていたところに、その本人――「黄先生」の息子、黄秋也がやって来た。「いやー、苦労したぜ」「...

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    麒麟を巡る話、第159話。
    黄家の談義、焔流の謀議。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     晴奈は甥の朱明を後継者にしてもよいかと、まずは彼の母、即ち己の妹である当代黄家宗主、黄明奈に打診した。
    「どうだろう? いや、明奈が自分の後継者にと考えているなら、そちらを優先するが」
    「お姉様」
     これを受けた明奈は眉をひそめ、あからさまに嫌そうな顔を見せた。
    「昔、ご自分にされたこと、忘れてらっしゃるのね」
    「うん?」
    「赤ん坊の頃からお父様に『婿を取り、黄家を継いでもらう』と決められて幼い頃から花嫁修業させられて、それに反発して黄海を出て行ったのは、一体どなたでしたかしら?」
    「う」
     古い記憶を突かれ、晴奈は閉口する。
    「人間、歳をとると親と似たようなことをすると言いますが、まさかお姉様ともあろう方がそれをなさるとは思いませんでしたわ。
     朱くんにも朱くんの考えがあるはずです。それを無視してまず自分の展望を押し付けようだなんて、あの頃のお姉様が今のお姉様を見たら、どんな顔をなさるでしょうね?」
    「す、すまない」
    「……とは言え、確かに朱くんももう20歳を迎えましたし、そろそろ自分の生きる道を定めないといけない頃ではありますね。
     それとなく聞いてみても、いいかも知れません。ただ、今も言ったように朱くんの考えは尊重してくださいね」
    「む、無論だ」
     晴奈はばつの悪い思いをしながらも、小さくうなずいた。



     一方、その頃――。

    「では、いよいよ計画を実行するのですね?」
     晴奈の娘、黄月乃と他数名が、本家焔流家元である焔小雪の前に跪き、紅蓮塞のどこか、暗く締め切った堂の中でこそこそと話し合っていた。
    「ええ。これで我が焔流の屈辱を、余すところなく雪(そそ)ぐことができるはずよ。
     黄。笠尾。深見。御経。九鬼。やって、くれるわね?」
    「勿論です」
     小雪と最も近い位置に並ぶ五名が、揃ってうなずく。
    「よろしい。……まずは、そうね」
     小雪は立ち上がり、そっと小窓を開ける。
    「まずは塞内の体制一新、統一からよ。今のように、わたしがただのお飾りにさせられているこの状況を打破しなければ、何も動きはしないわ。
     そのために、何をすべきか。黄、あなたはどう思う?」
     問われた月乃は、こう答えた。
    「そもそも、この塞内の長たる家元を差し置き、そのさらに上に立つ人間がのうのうと存在していることが、諸悪の根源かと存じます」
    「そうね」
     小雪は窓を閉め、続いて月乃の右隣にいる短耳の男性に尋ねる。
    「笠尾。その諸悪の根源たる者とは、誰のことか分かる?」
    「大先生夫妻……、もとい、焔雪乃と焔良太、両名であるかと」
    「そうね。では深見」
    「はっ」
     笠尾からさらに右隣にいた、これも短耳の男性が応じる。
    「その、諸悪の根源。どうすべきかしら?」
    「論じるまでも無く。亡き者にすべきかと」
    「いや、それは駄目だ」
     と、その意見に、月乃の左隣にいた長耳の男性がが反論した。
    「確かに家元の地位をぼかしている原因ではあることは否めぬが、その前にお二人は、家元の御両親だ。子が親を殺めるなど、どんな道理を用いたとしても正当化されるわけが無い」
    「御経の言うことも一理かと」
     笠尾が続く。
    「我々はあくまで家元を唯一無二、絶対の存在にするのが目的であり、それを貶めては何の意味も成さぬ」
    「ぬう……」
    「……では、御経。次善の策としては、どうすべきかしら」
    「平和的にその存在を封じるとあれば、どこかに幽閉した後、『夫妻は病に伏せり面会できぬ状態である』、とでも広めれば良いかと」
    「そうね。それがいいわ」
    「場所には心当たりがあります」
     五人の中で最も左に座っていた虎獣人の女性が、手を挙げた。
    「それはどこかしら、九鬼?」
    「偶然見付けたのですが、疎星堂に地下があります。恐らく大多数の門下生も、あるいは錬士(れんし:作中においては免許皆伝者)や範士(はんし:作中においては錬士の中でも特に秀でた者)でも、その存在を知らぬ者も多いのではないかと」
    「ふむ。そうね、わたしも初めて聞いたわ。
     ではそこに、焔夫妻を幽閉することにしましょう」
     冷たくそう言い放ち、小雪はにやぁ、と悪辣に笑って見せた。

    白猫夢・逐雪抄 2

    2013.01.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第159話。黄家の談義、焔流の謀議。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 晴奈は甥の朱明を後継者にしてもよいかと、まずは彼の母、即ち己の妹である当代黄家宗主、黄明奈に打診した。「どうだろう? いや、明奈が自分の後継者にと考えているなら、そちらを優先するが」「お姉様」 これを受けた明奈は眉をひそめ、あからさまに嫌そうな顔を見せた。「昔、ご自分にされたこと、忘れてらっしゃるのね」「う...

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    麒麟を巡る話、第160話。
    大先生、雪乃の逐電。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     謀議を終え、小雪に追従していた者たちはバラバラと離れ、明日の計画実行の準備へと向かっていた。
     と――その一人であった笠尾が、辺りを伺いつつ紅蓮塞の本堂裏手、焔雪乃・良太夫妻の住む離れを訪れた。
    「もし、大先生……」
     辺りに漏れないよう、そっと声をかける。
    「起きていらっしゃいますか」
    「ええ。今開けるわ」
     少し間を置いて、雪乃が顔を出す。
    「あら、松くん?」
    「はい、笠尾松寿にございます。……失敬」
     笠尾はもう一度辺りを伺い、小雪派の者がいないことを確認してから、ひょいと中へ入った。
    「どうしたの、こんな夜中に?」
     既に真夜中近くであり、奥では雪乃の夫、良太がすやすやと眠っている。
    「その……」
    「ん?」
    「……た、単刀直入に、申し上げます。
     大先生ご夫妻は、お命を狙われております」
     笠尾の話を聞くなり、雪乃はため息をついた。
    「……小雪ね?」
    「左様でございます」
    「でも、あなたは何故それをわたしに?」
     己の立場を暗に問われ、笠尾は額に浮き出た汗を拭う。
    「……確かに小生は、現家元の立身を願っている者の一人ではございます。しかし同時に大先生にも、並々ならぬ大恩がございます。
     いや、……何より、家元ともあろう方が、こんな孝も忠も無い所業をするのか、と考えるに……、あ、いや、その。決して家元のことを悪く言うわけでは無いのですが、しかし……」
    「いいわ、それ以上言わなくて。気持ちは、分かってるつもりだから」
     そう言って雪乃は、笠尾の両手をふんわりと握る。
    「あっ、え、あの……」
    「ありがとね、松くん」
     雪乃はにっこりと微笑み、それから奥に戻りつつ、話を続ける。
    「すぐ発つわ。伝えてくれてありがとう」
    「た、発つ? そんな、急に……」
    「いいえ、急な話では無かったはずよ。
     去年、いえ、一昨年くらいから、我が焔流の風潮は悪い方へ、悪い方へと流れていた。いつか小雪は重圧と我欲に耐えかねて、こんなことをするんじゃないか、とは思っていたのよ。
     だから準備は万全よ。ね、良さん」
    「ふあ……、うん、ばっちりだ」
     眠っていたはずの良太が、雪乃と共に玄関へとやって来る。
    「でも、……まだ一つ、いや、二つ、……じゃないや、ふああ……、二人だ、残してる」
    「良蔵様と、晶奈様ですね」
    「ええ。ここに残したら、きっと小雪はただでは置いておかないでしょうね。
     ねえ、松くん。二人を呼んで来てもらっても、いいかしら?」
     良蔵と晶菜とは、雪乃たちの第二子と第三子、つまり小雪の弟妹である。
     小雪と同様、幼い頃から紅蓮塞で修行を積ませていたが、この数年は二人とも門下生用の寮に住んでおり、この離れからは遠い。
    「承知しました。しかし……」
    「そうね、恐らく見つかったら危険でしょうね。
     ……あ、逆にすればいいかしら」
    「と、言うと?」
    「わたしが迎えに行けばいいのよ。
     いくらなんでも、明日襲う予定の人間を今夜、独断で、しかも単騎で襲うなんて度胸と無鉄砲さは、小雪にも、お付きたちにも無いでしょう?」
    「そ、れは……、そう、かも」
    「それにわたし、こう言う時にうってつけの、『とっておき』の術があるから」
    「とっておき、……ですか?」
     面食らう笠尾を尻目に、雪乃は羽織と刀を身に付ける。
    「松くん。夫を塞外の、安全なところまで運んでくれるかしら?」
    「いや、しかし……」
    「お願い」
     雪乃はそう言って、笠尾に頭を下げて見せた。
     笠尾は当然、狼狽する。
    「せっ、先生! そんな、頭をお上げください!
     ……わ、分かりました。この笠尾、責任持って塞外までお送りいたします」
    「ありがとね」
     雪乃は頭を上げ、再度にっこりと微笑んだ。
    「……ところで」
     と、雪乃は表情を変える。
    「松くん、あなたはその後、どうするの?」
    「その後、……と言うと?」
    「わたしたちを逃がしてくれるのは、本当に助かるわ。でもこれが発覚すれば、あなたはきっとただでは済まないはずよね?
     あなたさえ良ければ、一緒に来てくれると、もっと助かるんだけど」
    「……考えさせてください」
    「いいわ。塞を出たところで、答えを聞きましょ」
     雪乃はもう一度微笑み、それからそっと、離れを出た。

    白猫夢・逐雪抄 3

    2013.01.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第160話。大先生、雪乃の逐電。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 謀議を終え、小雪に追従していた者たちはバラバラと離れ、明日の計画実行の準備へと向かっていた。 と――その一人であった笠尾が、辺りを伺いつつ紅蓮塞の本堂裏手、焔雪乃・良太夫妻の住む離れを訪れた。「もし、大先生……」 辺りに漏れないよう、そっと声をかける。「起きていらっしゃいますか」「ええ。今開けるわ」 少し間を置いて...

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    麒麟を巡る話、第161話。
    雪乃の子供たち。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     修行場まで近付いたところで、雪乃は魔術を唱えた。
    「『インビジブル』」
     かつて親友、橘小鈴から又聞きした、「旅の賢者」の秘術である。
     唱えると同時に雪乃の姿が消え、誰にも視認できなくなる。
    (これ教わった時、小鈴、むくれてたわね。治療術だけじゃなく、これもわたしの方がうまく使えたから)
     雪乃が使う魔術はほとんど小鈴から伝授されたものだったが、その大半が彼女より、自分の方が得意になってしまった。
    (もし、わたしが本気で剣じゃなく、魔術を学んでいたら。そしたら、大魔術師になっちゃってたのかしら?
     ……なんて、ね。剣士じゃないわたしなんて、わたしじゃないわ)
     透明になった雪乃のすぐ側を、門下生らを連れた範士が仰々しく歩いていく。その手には恐らく明日使う予定であろう刀や槍、刺又が握られていた。
    (小雪派の子たちね。……はぁ)
     彼らとすれ違う度、雪乃の気分は重くなる。
    (どうしてこうなっちゃったのかな。小雪も、昔はいい子だったのに)
     そう思うと同時に、門下生たちの顔を見て、雪乃はこうも思う。
    (いい子、って言えば、……多分、この子たちもそうなんでしょうね。上からの言葉を純粋に信じる、根のまっすぐな子たちなんでしょう。
     でも、……それがいつもいいことだとは、限らないのよ)
     恐らく、普段から小雪派によって黄派焔流や、雪乃らに対する誹謗中傷を聞かされ、それが真実だと信じ切っているのだろう――彼らの目にはこれから行われようとする悪事に対する戸惑いや迷い、良心の呵責などの感情は、ほとんど感じることができなかった。
    (……やはり、わたしが10年、いえ、5年だけでも、家元代理として治めるべきだったのかしら。
     体つきを見れば、ちゃんと剣の修行を積んだのは分かる。でも心の修行は、果たしてどうだったのか?
     どの子も、『先生からこれが正しいと教わったから間違いなく正しいんだ』と言いたげな顔つき。自分がこれから人を殺すかも知れないと言う恐ろしい行為に対してすら、『家元が正しいことだと言ったから』で通そうとしているように見える。
     みんな、ちゃんと心が鍛えられていないんじゃないかしら。自分で『正しい』とは何かって考えること、してないんじゃ無いかしら)



     修行場を抜けて寮に入り、雪乃はようやく、次女の晶奈がいる部屋までたどり着いた。
    「晶奈、まだ起きてる?」
     トントンと戸を叩き、雪乃は反応を伺う。
     しばらくして、眠たげな声が帰って来た。
    「母上……?」
    「ええ、そう。開けてもらって、いい?」
    「はい、ただいま」
     す……、と戸を開け、自分に似た濃い緑髪の、長耳の少女が顔を見せた。
    「ちょっと、入るわね」
    「はい」
     中に入ったところで、雪乃はそっと、晶奈に耳打ちする。
    「お母さんね、今、小雪から狙われてるの」
    「え?」「しー」
     晶奈の口にとん、と人差し指を当て、雪乃は話を続ける。
    「それでね、襲われる前に逃げようってことになったんだけど、晶ちゃん、一緒に来る?」
    「そ、それは、ええ、勿論です」
     晶奈の反応を見て、雪乃はほっとした。
    (良かった……。この子はどうやら、小雪派に取り込まれてはいないみたいね)

     雪乃は晶奈を連れ、今度は良蔵の部屋を訪れた。
    「良蔵、まだ……」
     呼びかけようとしたところで、雪乃は部屋の中からある気配を感じ取った。
    「……」
    「どうされたのですか、母上?」
    「……ねえ、晶ちゃん」
     雪乃は晶奈の手を引き、良蔵の部屋の戸から二歩離れる。
    「お母さんね、今、……ここを開けると、すごくびっくりしそうな気がするの」
    「は、はい?」
    「多分、晶ちゃんもびっくりするんじゃないかな、って」
    「どう言う……、ことですか?」
     さらに二歩離れ、雪乃は小声でぼそ、と応じる。
    「良ちゃん、もう19歳だから、誰かを好きになるとか、女の子と一緒に遊びに行ったりとか、するかも知れないなーって、まあ、それは分かるんだけど。
     ……でも、でもね。女の子と一緒の部屋で生活するって、まだ、ちょっと、良ちゃんには早いんじゃないかなって思うの。晶ちゃんは、どう思う?」
    「そ、そ、それは、……まさか、良お兄様が?」
    「晶ちゃん」
     と、雪乃の顔が強張る。
    「ちょっと、口を閉じていて。今からお母さん、しゃべっちゃいけない術を使うから」
    「……」
     娘が両手を口に当てたのを確認したところで、雪乃は「インビジブル」を発動する。
     それとほぼ同時に――良蔵の部屋から、顔を真っ赤にした寝間着姿の月乃が、刀を持って飛び出してきた。
    「だ、誰だっ!? 誰が覗いていたッ!?」
    「……!」
     自分の背後で、晶奈が息を呑む気配が伝わるが、彼女はちゃんと黙っている。雪乃自身も、パニックを起こしそうな頭を冷静にさせようと努める。
    「……気のせい、……かしら?」
     そのうちに、月乃は誰もいないと判断したらしく、辺りを見回しつつ、良蔵の部屋に戻って行った。
    (……遅かったみたい、ね。良ちゃんはもう、小雪側にいるわ)
     雪乃は晶奈の袖を引いて、その場を後にした。

    白猫夢・逐雪抄 4

    2013.01.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第161話。雪乃の子供たち。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 修行場まで近付いたところで、雪乃は魔術を唱えた。「『インビジブル』」 かつて親友、橘小鈴から又聞きした、「旅の賢者」の秘術である。 唱えると同時に雪乃の姿が消え、誰にも視認できなくなる。(これ教わった時、小鈴、むくれてたわね。治療術だけじゃなく、これもわたしの方がうまく使えたから) 雪乃が使う魔術はほとんど小鈴から...

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    麒麟を巡る話、第162話。
    獣道に迷い込んだ「猫」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     そのまま寮を後にし、二人は紅蓮塞の門前に向かう。
    「……あのっ、母上」
     と、晶奈が思いつめたような声色で、雪乃に話しかけてきた。
    「ん? どうしたの、晶ちゃん」
    「母上は良お兄様が、……あのような、自堕落な生活を送っていたことに、……その、どうお考えでしょうか?」
    「……」
     雪乃は立ち止まり、そして笑って見せた。
    「そうね、びっくりしたわ。『いつの間にか大人になっちゃったのね』、……なんて、軽く笑ってやりたいけれど。
     でも、……正直に言えば、小雪が謀反を起こそうとしていると聞いた時より、心が痛んだわね」
    「そうですか……」
    「もしも、今が内輪揉めしてる時じゃなくて、それに、5年くらい後になって、そう言うことになったのであれば、確かに笑い話、おめでたい話にできたかも知れないけれど、今は、……落ち込んじゃいそうよ」
    「母上……」
     沈痛な面持ちになる娘を見て、雪乃はもう一度笑う。
    「仕方の無いこと、……と諦めるしか無いわ。良くんも、雪ちゃんも、もうわたしとは違う道を選んでしまったようだから」
    「……私には、踏み外したとしか思えません」
    「そんな風に……」
     雪乃が思わず否定しようとした、その時だった。
    「外れて結構。あなたの道は、苔むした古道よ。歩きたくも無いわ」
     じゃり、と足音を立て、二人の前に月乃が現れた。
    「あなた……」
    「やっぱり先程の闖入者は、大先生でしたか。大方、我々の計画を察知し、ご自身の子供たち共々ここから逃げようとしていたのでしょうが、……残念でしたね」
     月乃はにやぁ、と笑い、自分の唇を指差した。
    「あたしと良は、もう1年半以上も前から、ああ言う関係だったんですけどね。大先生も晶奈も、まったく知らなかったんですね。
     自分の子供のことも把握できない奴が、大先生だなんて!」
    「月乃……ッ!」
     母を嘲られ、晶奈が憤る。
    「いいの晶ちゃん、下がっていて」
     と、それを雪乃が制した。
    「あら、反論もされないんで……」「月ちゃん」
     雪乃は凍りつくような冷たい声で、月乃の話を遮った。
    「あなたも道を踏み外した一人よ。
     あなたの道には仁も礼儀も、貞節も無い。徳も無い。孝も悌も無い。あなたの道は、おおよそ人の歩むような、正しき道では無いわ。
     あなたの歩んでいるそれは、獣道よ!」
    「だから言ってるじゃないですか」
     月乃は刀を抜き、それに火を灯す。
    「あたしはあなたみたいな、時代遅れの道なんか歩いてられないんですよ!」
     襲いかかってきた月乃に、雪乃も刀を抜いて応戦する。
    「道を外した者は皆、そう言うわ。
     古くより大切にされてきた、人の信念と美徳で築かれてきた道を否定し、自分たちの浅ましい、身勝手で利己的な思想で塗り固めた道が真理だと言う。
     それがどれほど愚かで、浅ましいことか!」
     雪乃の刀をすい、すいと避けながら、月乃はこう応じる。
    「あなたは分かってない! あなたたちがそううそぶいて八方美人的に導いてきたせいで、あたしも、家元も、どれほど窮屈な思いをしてきたか!
     上の者にこびへつらい、下の者の顔色を窺ってばかりいた! 同輩にも馬鹿にされないよう、手本であろうと無理な努力ばかりさせられて!
     その結果を見た!? 家元は、名ばかりのお飾りにさせられた! 何か成そうとする度に陰口を叩かれ、成さなければ嘲られ、成功すれば妬まれて、失敗すれば貶められて! いつもいつも、『先代は立派な方だったのに』とか、『当代は器では無かった』とか、何をやっても、やらなくても、家元は傷付けられてばかりいたのよ!
     そしてそれは、あたしも同じだった……! キレイゴトばかり言う母のせいで、バカなことばかりする兄のせいで、あたしはどれだけ嫌な思いをしてきたか、あなたに分かる!? 分からないでしょう!? それを分かってくれたのは、家元たちだけよ!
     だからあたしたちは決別するのよ――あんたたちみたいな上っ面の安い道徳授業ばっかり吹聴する、似非人格者の道とはね!」
     月乃の激情に任せた攻撃を三太刀、四太刀とかわし、雪乃はさらにこう返した。
    「似非と言うなら、あなたたちこそが似非よ。自分の言いたいことばかり言って、それがさも正しいことのように主張している。
     その行為は、あなたたちのことを貶して、それで自分たちが上等な人間になれたと勘違いするような小人たちのそれと、何が違うと言うの?」
    「違う! 違う、違うッ! そんなクズ共と一緒にするなああッ!」
     月乃の刀が、雪乃の左肩をわずかにかすめる。ぢりっ、と羽織の焦げる音と共に、雪乃の左肩から血が飛び散った。
    「うっ……!」
    「これが答えよ! 何十年もキレイゴト抜かしたあんたの剣術より、新しい道を行くあたしの剣術の方、が、……っ」
     勝ち誇りかけた月乃の声が、そこで止まる。
    「これが答え、よ」
     それを継ぐように、雪乃がそう返した。
     ほんの数瞬前まで勝利を確信していたであろう月乃は、今は白目をむいて倒れている。月乃が勝ち誇ったその一瞬の隙を突き、雪乃が急所へ居合を放ったのだ。
    「他人を見下す生き方が正しい、と答えるような人はいないわ。
     前を向かず、下ばかり眺めている人間が、前へ進めるわけが無いでしょう――前から何が来るか、分からなくなるのだから。
     あなたが入り込んでしまったその道が、あなたの剣術を歪めたのよ」
     雪乃は静かに刀を収め、月乃に背を向けた。

    白猫夢・逐雪抄 5

    2013.01.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第162話。獣道に迷い込んだ「猫」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. そのまま寮を後にし、二人は紅蓮塞の門前に向かう。「……あのっ、母上」 と、晶奈が思いつめたような声色で、雪乃に話しかけてきた。「ん? どうしたの、晶ちゃん」「母上は良お兄様が、……あのような、自堕落な生活を送っていたことに、……その、どうお考えでしょうか?」「……」 雪乃は立ち止まり、そして笑って見せた。「そうね、...

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    麒麟を巡る話、第163話。
    人望と指導の賜物。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     月乃と戦っている間に、どうやら相手方も雪乃たちの動きに気付き始めたらしい。
    (塞の上の方に、どんどん灯りが点ってるわね。のんびりしてたら、ここまで来ちゃうかも)
     雪乃は晶奈へ振り返り、声をかける。
    「晶ちゃん、そろそろ行こっか」
    「あ、は、はい」
     晶奈は目を白黒させ、雪乃の後に付く。
    「大丈夫? どこか怪我したの?」
    「い、いえ。……その、母上があれほど怒りをあらわにされるとは思わず」
    「うーん……、怒りって言えば怒りだけど、晶ちゃんが思ってるのとはちょっと違うかしら」
    「と言いますと?」
     きょとんとする娘に、雪乃はこう続ける。
    「あれはちょっと『きつめの』お説教よ。と言っても相手は多分、聞く耳を持ってはくれないでしょうけどね」
    「な、るほど」
    「さ、もう行きましょ」
     雪乃は晶奈の手を引き、門前へと急いだ。

     雪乃にとってこの騒動は、非常に心を痛めるものとなった。
     よりによって現家元であり、己の血を分けた娘でもある小雪が、親である、そして師匠でもある自分に刃を向けたのである。
    「……ねえ、晶ちゃん」
    「はい」
    「お母さん、どこを失敗しちゃったのかしらね」
    「え?」
    「……ううん、何でもないわ」
     そう返したが――横から唐突に、返事が返って来た。
    「師匠は何も間違ってなどいない。あたしはそう信じてますよ」
    「え? ……もしかして、霙ちゃん?」
    「はい、藤川霙子にございます」
     そう言ってひょいと、霙子が姿を現す。
    「微力ながらお助けに参りました。ちなみに」
     そして霙子の背後から、6、7人ほどの人間が続く。
    「我らが焔雪乃門下は全員、師匠の味方ですよ」
    「……ありがとね、霙ちゃん、それからみんな」
     礼を言った雪乃に、愛弟子たちは笑って答える。
    「水臭いっスよ、師匠」
    「そうですよ、礼なんかこっちが言うべきです」
    「俺たちはみんな、先生を剣士の鑑として、ずっと鍛錬積んできたんですから」
    「……うん」
     雪乃は小さくうなずき、そしてきりっと表情を正した。
    「じゃあみんな、これからもわたしに付いてきてくれるかしら?」
    「勿論です」
     弟子たちは異口同音に同意し、雪乃の周りを囲んだ。
    「先生には指一本触れさせやしませんよ!」
    「来るなら来てみろってんだ!」
    「さあ、急ぎましょう先生!」
     雪乃母娘は弟子たちに護られる形で、門までの道を進んだ。
     そしてこれが、騒動に揺れる塞内に強い抑止力と、小雪への反発を生んだらしい――雪乃たちの周りに、続々と門下生や師範格の者たちが集まり始めた。
    「大先生、私もお供します!」
    「あれほど孝の無い者を手本、家元と仰ぐことは、最早できません!」
    「どうか俺たちが付いていくことを、お許しください!」
     集まってくる者たちに、雪乃はしずかにうなずき返す。それを受け、彼らも静かに同行していく。
     そして門に到着する頃には、それは50人、60人を優に超える大所帯になっていた。

     小雪とその取り巻きは、その騒ぎを塞の最上部から眺めていた。
     いや、眺めることしかできなかったのだ。
    「家元、早く騒ぎを収めねば……!」
     そう進言する深見に、小雪は苦々しい顔でこう返した。
    「そんなことしてみなさいよ――わたしは親殺しの上に、同門殺し、大量虐殺者の汚名まで着せられるのよ!? もうあんな人だかりになってしまったら、打つ手は無いわよ!
     一体あんたたち、こんなになるまで何してたのよ……ッ!?」
     怒りに満ちた顔で怒鳴られ、一同は口ごもる。
    「い、いや、明日の準備をと」
    「明日!? 今日起こってることをほっといて、明日の準備をしてたって言うの!?」
    「いや、ですから我々が騒ぎに気付いた時はもう、あのような状態で……」
    「そ、それにそんなことを仰るなら、家元だって」
    「は!? わたしに単身、あの集団の中に飛び込めって言うの!?」
    「いや、その……」
     と、怒鳴り散らしていた小雪は一転、黙り込む。
    「……」
    「……家元?」
    「ま、いいわ」
     けろっとした声でそう返され、一同はきょとんとする。
    「いい、とは?」
    「あっちの方から勝手に出て行ってくれるって言うなら、それでいいわ。ごめんね、ちょっとイラっと来ちゃったから、ひどいこと言っちゃったわ」
    「は、はあ」
    「いえ、我々はそんな、気になどしていないので」
    「そ」
     今度は素っ気なく応じ、それからにやっと笑う。
    「そもそも、あいつらが出て行ったところで、わたしたちには何の被害も無いのよ。何人出て行こうが、本家はうちなんだから。
     あいつらはいずれ、わたしたちのところに頭を下げに来るしか無いのよ。だってそうじゃない? 入門試験と免許皆伝試験を受けさせる場所はここにしか無いし、そしてその免許皆伝者を登録し、認可するのも、この紅蓮塞だけなのよ。
     伏鬼心克堂と、この……」
     小雪は書架から取り出した巻物を、自慢げに振った。
    「『焔流免許皆伝者証書』があれば、あいつらなんてただの、刀を持った難民よ」

    白猫夢・逐雪抄 6

    2013.01.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第163話。人望と指導の賜物。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 月乃と戦っている間に、どうやら相手方も雪乃たちの動きに気付き始めたらしい。(塞の上の方に、どんどん灯りが点ってるわね。のんびりしてたら、ここまで来ちゃうかも) 雪乃は晶奈へ振り返り、声をかける。「晶ちゃん、そろそろ行こっか」「あ、は、はい」 晶奈は目を白黒させ、雪乃の後に付く。「大丈夫? どこか怪我したの?」「い...

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    麒麟を巡る話、第164話。
    焔流の分裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     門を抜け、街道を進んでしばらくしたところで、雪乃たちは良太と笠尾の二人と合流した。
    「無事で良かった、雪さん。そうそう、松さんもやっぱり、僕たちと一緒に来るってさ」
    「良かったわ。でも……」
     雪乃は良蔵が既に小雪派に付いていたこと、そして月乃が襲いかかって来たことを話した。
    「そうか……、なんか、悲しいな」
     良太はそうつぶやき、雪乃に背を向ける。
    「小雪も良蔵も、僕たちを『親』じゃなく、『敵』だと見なしてしまったんだね。そっか……」
    「良さん……」
     がっくりと肩を落とす夫を見て、雪乃の心にはまた、悲しみがぶり返しかける。
     ところが――その良太の袖口から、にゅっと何かが出て来た。
    「……じゃあ、……残念だけど、これはもう、あの子たちの元には置いておけないんだね」
    「それって、……まさか?」
     良太は振り返り、袖口から巻物を取り出して見せた。
    「うん。最早紅蓮塞にいる焔流は、『本家』とは呼べないよ。
     いや、呼ばせたくない。おじい様の代まで厳格に守ってきた規律・規範を穢されたとあっちゃ、少なくとも『これ』は死守しておかないとね」
     良太が見せた巻物を見て、霙子が「えっ?」と声を挙げる。
    「まさか……、証書ですか?」
    「うん。こんなこともいつかあるんじゃないかと思って、こっそり偽物を作っておいてたんだ。
     これがこっちにある限り、『小雪派焔流』は絶対に、本家を名乗れない」

    「……?」
     雪乃らを追い出し、小雪が有頂天になっていたところで、御経が首を傾げた。
    「家元。ちょっと……、失礼いたします」
    「え、なに?」
     小雪がひらひらと振っていた証書を取り、御経がぱら、とそれを開く。
    「……大変、まずいです、家元」
    「なにが?」
    「これは、偽物です」
    「……なにが?」
    「証書が偽物なのです!」
    「……うそ」
     げらげらと笑っていた小雪の顔が一転、蒼ざめる。
    「み、見せなさいっ!」
     御経から手渡された「証書」を乱暴に広げ、小雪は中に一筆だけ、こう書かれていることを確認した。

    「此を揚々と広げ威張り散らし者 贋(にせ)を贋と見抜けぬ未熟者なり
    紅蓮塞書庫番 焔良太」

    「……ぐ、……っ、あ、のッ」
     小雪は巻物を壁に叩き付け、窓の外に向かって怒鳴りつけた。
    「青瓢箪のクソ親父めえええッ! よくもわたしを、このわたしをッ……、騙したなああああーッ!」



     焔流分裂のニュースは、瞬く間に央南中を駆け巡った。
     央南有数の武力組織であり、伝統ある剣術一派である。その本拠地で騒動が起こり、二分されたとあって、央南中に散っている焔流剣士たち、そして焔流に献金してきた者たちは騒然としていた。
    「御免ね、晴奈」
     師匠にぺこりと頭を下げて謝られ、晴奈は目を白黒させている。
    「いえ、そんな。師匠が困っていると言うのに、何もせぬ弟子などおりません」
     雪乃たちはひとまず同輩の中で最も富と名声、政治的権力を持っている晴奈のところへと身を寄せた。
     勿論晴奈の生家であり、焔流に対して多額の献金および援助を行っていた黄家も、今回の騒動にも敏感に反応していた。
    「とりあえず、わたしのところの対応としては、紅蓮塞への援助は全面的に止めております。他の主だった焔流道場への援助についても、現在は見合わせている状態です」
     黄家当主である明奈は雪乃らにそう説明し、そしてこう続けた。
    「とは言え恐らく紅蓮塞以外の、ほとんどの焔流道場には、元通りお金を出すのでは無いかと思いますが」
    「ふむ?」
    「今回の騒動、橘喜新聞社をはじめとして、あちこちで内情が暴露されておりますし、そうなると紅蓮塞側に付くような道場は、そうそう無いでしょう。
     恐らく大部分、ほとんどの道場が雪乃さんたちの側に付くと思います。となれば援助の流れに関しては実質上、元通りになるかと」
    「だろうな。まさか親殺しを仕掛けようと言うような輩に、……っと、失礼いたしました」
     晴奈は雪乃をチラ、と見て、言葉を切った。
     しかしその後を、雪乃本人が継ぐ。
    「構わないわ。本当のことだもの。
     小雪はやってはならないことを、ついに犯してしまった。その報いはこれから、受けることになる。
     今回の件で、間違いなく紅蓮塞は孤立するわ」
    「経済的にも、政治的にも、あらゆる面において、……ですね」
     そう返した明奈に、晴奈が首を傾げた。
    「どう言うことだ?」

    白猫夢・逐雪抄 7

    2013.01.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第164話。焔流の分裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 門を抜け、街道を進んでしばらくしたところで、雪乃たちは良太と笠尾の二人と合流した。「無事で良かった、雪さん。そうそう、松さんもやっぱり、僕たちと一緒に来るってさ」「良かったわ。でも……」 雪乃は良蔵が既に小雪派に付いていたこと、そして月乃が襲いかかって来たことを話した。「そうか……、なんか、悲しいな」 良太はそうつぶやき、...

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    麒麟を巡る話、第165話。
    アナリスト、明奈。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「まず、経済面ですけれど」
     明奈は自分を指差し、こう説明した。
    「焔流の収入・運営資金は、本拠の紅蓮塞周辺における温泉街からの献金が3割。央南連合軍をはじめとする、武力を必要とする各組織からの報酬と謝礼金が5割。そして残りの2割ですけれど、わたしみたいな央南各都市の有力商人、商家からの献金・援助金です。
     今回の件で、3つ目に関してはほぼ全滅するでしょう。最も多く出資している黄家が止めるのですから、他も追従するでしょうし」
    「確かに。うちがやめれば、他も出し渋るだろうな」
     晴奈がうなずいたところで、明奈もうなずきつつ、こう続ける。
    「軍などからの報酬および謝礼も同様です。
     央南連合軍は年々、剣士の採用および運用の枠を狭めています。近年推し進められてきた軍備近代化に当たり――お姉さまや雪乃さんにこう言っては大変失礼とは思いますが――旧態依然とした白兵戦重視の戦術によって運用されてきた剣士をこのまま置くことは、その目的にそぐわないからです」
    「確かに時節の面、時代の流れから言えば、不本意ではあるが当然だな」
     晴奈は憮然としつつ、妹の意見に同意する。
    「とは言えこれまでのしがらみなり、縁故なりがありますから、何か突飛なことでも起こらない限り、ばっさり手を切るようなこともなかなかできない。軍本営も頭を悩ませていた問題のはずです。
     そこに、今回の一件です。軍本営にしてみれば、これは剣士の大量解雇を行う、格好の口実となります。ついでに剣士たちの総本山、焔流とも手を切り、彼らとの古い慣習・約定を一掃する機会でもあります。
     恐らく今回の件を楯に、央南連合軍は焔流との交流を、完全に絶とうとするでしょうね」
    「なんと利己的な、……とも言い切れぬか。軍には軍の事情もあることであるし。
     ふむ……、となると政治面においても孤立する、とは」
    「ええ。これまで最大の需要を持っていた、言い換えれば『剣士をどこよりも必要としていた』組織、央南連合軍から『もういらない』と手を切られれば、州軍などの他の武力組織も挙って、『剣士切り』に走るでしょう。
     これは言ってみれば、商人と商売の関係に似ています――どこにも自分の作った商品を卸せなくなり、商売の場が立てられなくなった商人は、やがて破産の憂き目を見ることになるでしょう」
    「それが政治的孤立となるわけか」
    「ええ、その通りです。
     資金源を大幅に失い、育ててきた剣士たちを主要武力組織から一挙に追い払われれば、紅蓮塞は資金難と職にあぶれた大勢の剣士たちを抱えることになり、いずれ破産・破滅するでしょうね」



     雪乃らを追い出し、晴れて名実ともに紅蓮塞の主となったものの、小雪は頭を抱えていた。
    「出戻りなんかされたって困るわよ……」
     明奈の読み通り、今回の事件を口実に、央南連合軍や各州の州軍から一斉に、焔流剣士の排斥・解雇が行われ、路頭に迷った剣士たちの半分近くが紅蓮塞へと戻ってきてしまったのだ。
     商人たちからの援助も切られたこともあり、紅蓮塞の経済事情は早くも逼迫しつつあった。
    「出納係に試算を行わせたところ、既に収入の15倍以上の支出が発生しているとのことです。
     このままの財政状況が続けば、紅蓮塞の持つ資金・資産は、来年末には空になってしまいます」
     御経からの報告を、小雪は終始顔をしかめて聞いていた。
    「じゃあ仮に、戻ってきた剣士たちを追い出した場合は?」
    「支出額が多少抑えられるだけで、収入面の激減に変化はありませんから、結果は同じです」
    「収入で賄えるのは、何人くらいになるの?」
    「月当たり60、70名が限界かと。しかし現在の収入は温泉街にしかなく、それもこの一件で客足が遠のいているとのことで……」
    「ジリ貧ってこと、……ね」
     小雪は顔をしかめたまま、取り巻きたちを一瞥する。
    「……どうすべきかしら。策は誰か、無い?」
    「畏れながら」
     と、月乃が手を挙げた。
    「金が無いのなら、あるところへ取りに行けば良いかと」
     その言葉に、小雪の顔が一層強張った。
    「まさか、あなた」
    「ええ。今回の一件に至った原因の一つは、我が母である黄晴奈にもあるはず。彼女に鉄槌を下すと共に、本来我々が受け取るはずだった金を、受け取りに行けば良いのです」
     そう言ってのけた月乃に、取り巻きたちも苦い顔を見せる。
    「黄、その理屈はいくらなんでも無理矢理すぎる」
    「此度の件に加え、さらに黄先生にまで刃を向けるとあっては……」
    「いよいよ我々の立場を危うくするぞ」
     だが――。
    「……乗るしかないわね、その策に」
    「い、家元!?」
     青ざめる御経らに対し、小雪はこう言い放った。
    「どの道『証書』がここに無ければ、わたしたちは本家を名乗れないわ。その『証書』は黄海にある。黄の言う因縁と金も、そこにある。
     すべての絡み、関係がそこにあるのなら、わたしたちは万難を排してでもそこへ押し入らなきゃならないのよ」
    「……」
     確実に、かつ、恐るべき速さで歪みゆく自分たちの道、そして歪めていく張本人を前に、誰も諌めることはできなかった。

    白猫夢・逐雪抄 終

    白猫夢・逐雪抄 8

    2013.01.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第165話。アナリスト、明奈。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「まず、経済面ですけれど」 明奈は自分を指差し、こう説明した。「焔流の収入・運営資金は、本拠の紅蓮塞周辺における温泉街からの献金が3割。央南連合軍をはじめとする、武力を必要とする各組織からの報酬と謝礼金が5割。そして残りの2割ですけれど、わたしみたいな央南各都市の有力商人、商家からの献金・援助金です。 今回の件で、...

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    麒麟を巡る話、第166話。
    神器の書、信念の書、矜持の書。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     焔流分裂から1週間が経った、双月節も間近のある夜。
    「すみません、質問させていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
     そう挨拶して朱明が、黄屋敷内の雪乃一家が仮住まいしている部屋へと訪ねてきた。
    「あら、朱明くん。質問って、わたしに?」
    「ええ。あ、もしかしたらこの話は、良太先生の方が詳しいかも知れませんが」
    「僕?」
     娘の晶奈と囲碁に興じていた良太が、顔を挙げる。
    「はい。腑に落ちないことが一点あったので、確認したいのですが」
    「って言うと?」
    「『証書』のことです。
     試験会場が特殊であることは、僕も『向こう』で入門試験を受けた身なので分かっています。確かにあのお堂は二つとない施設であり、本家焔流の証となるでしょう。
     でも証書もまた、本家本元の焔流であることの証明であると言うのが、どうも腑に落ちないのです」
     質問を受け、良太はコクリとうなずく。
    「なるほど。普通の書であれば確かに、複製もできる。そうしてしまえば済む話なのに、どうしてこれに固執するのか、と」
    「ええ」
     これを受け、良太は金庫から証書を取り出し、雪乃に声をかける。
    「雪さん。ちょっとこれを『火刃』で斬ってみて」
    「えっ!?」
     面食らう朱明に構わず、雪乃が応じる。
    「ええ。……はあッ!」
     雪乃が用いたのは刀ではなく、玄関に立てかけていた番傘だったが、それでも相手は「紙」である。
     良太がぽんと投げた証書が一瞬のうちに炎に包まれたのを見て、朱明は珍しく声を荒げた。
    「な、何をするんですか!?」
    「でも、ほら」
     良太が指差した先には、何事も無かったかのように証書が転がっていた。
    「……あ、あれ? 燃えて、……ないですね?」
    「と言うわけなんだ。つまり、これはいわゆる『神器』の一種で、複製のしようが無い、つまりこれもこれで、元祖の焔流だって言う証明になるんだよ。
     もっとも、それを差し引いても」
     良太は証書を広げ、そこに連ねられた名前を朱明に見せる。
    「これだけの人数が焔流の名前を背負ってくれてきたんだ。
     焔流と言うのは『焔玄蔵からの血筋が代々受け継いできた剣術一派』じゃない。これら数百、いや、千にも届こうかと言う数の人間が仁義と礼節の元に紡いできた、真に世界に誇れる『生き方』なんだ。
     これを複製してごまかそうなんて言う輩は、それこそ本家焔流の人間じゃない。その歴史を顧みず、嘘をついてその誇りを貶めるような者が、焔流と名乗ってはいけない」
    「なるほど……。ありがとうございます、良太先生」
    「いやいや」
     良太は肩をすくめ、こう返した。
    「僕は先生じゃないよ。ただの書庫番のおじさんさ」
     と、ここまで会話を傍で聞いていた晶奈が、ぽつりとこうつぶやく。
    「父上の人柄と知性であれば、とてもいい先生になれると思います。と言っても剣の、ではなく、学問の方のですが」
    「はは、それもいいね」
     良太は笑って返すが、雪乃がこれを聞いて、意外なことに顔を曇らせていた。
    「……」
    「どうされました、大先生?」
    「……ねえ?」
     雪乃は神妙な顔をし、良太と晶奈にこう尋ねた。
    「二人とも、まさか盗み聞きなんてしてない、……わよね?」
    「え?」「何を?」
     きょとんとする二人を見て、雪乃は一転、顔を赤らめさせた。
    「あっ、……ううん、なんでも。わたしの勘違いだったみたい。ゴメンね」
    「ん……?」
     怪訝な顔をする皆に、雪乃はいたたまれなくなったらしい。
    「……あ、あのね。実はまだ話がまとまってないから、まだもしかしたら、仮にって、そんなくらいの話なんだけどね。
     晴奈と明奈さんから、こんな話を打診されたの」

    白猫夢・明察抄 1

    2013.01.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第166話。神器の書、信念の書、矜持の書。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 焔流分裂から1週間が経った、双月節も間近のある夜。「すみません、質問させていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」 そう挨拶して朱明が、黄屋敷内の雪乃一家が仮住まいしている部屋へと訪ねてきた。「あら、朱明くん。質問って、わたしに?」「ええ。あ、もしかしたらこの話は、良太先生の方が詳しいか...

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    麒麟を巡る話、第167話。
    テイク・オフを目の前にして。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     職にあぶれた焔流剣士たちが紅蓮塞に流れてきたのと同様に、黄海にも剣士たちの姿がちらほらと、目に付くようになった。
    「師匠。昔、青江へ旅をした際に楢崎派道場で会った虎獣人のことを、覚えておいででしょうか?」
     明奈を交えて三人で茶を飲んでいたところで晴奈にそう尋ねられ、雪乃はコクリとうなずく。
    「ええ、柏木くんね」
    「彼の息子だと言う子と、つい昨日くらいに話をしまして」
    「へぇ? じゃあ、その子も……」
    「ええ、焔流の免許皆伝を得た後、央南連合軍に就いたそうなのですが、就いて1年も経たぬうちに唐突に除隊されて路頭に迷い、こちらを訪れたとのことでした。
    『このままでは親に合わせる顔がない、どうにか仕事の口を与えてくれないだろうか』、と懇願されたものの……」
     晴奈は表情を曇らせ、こう続ける。
    「既に同様の話が、十件以上にも上っている状態でして。ともかく探してみよう、とはそれぞれに答えておいたものの、私の人脈ではなかなか……」
    「小雪派のせいで、今、焔流の評判は悪くなっていますものね」
     明奈は茶をすすりながら、それに応じる。
    「既存の需要では、対応はできないでしょうね。何か新しい雇用口を考えないと、折角の剣士たちが立ち枯れてしまいます」
    「新しい雇用口……、ねぇ」
     雪乃がそう返したが、いい案は無いらしく、言葉は続かない。
     代わりに明奈が、こう続けた。
    「一応、案は考えています。
     考えてみれば、焔流の剣士さんってみんな、囲碁も打てますし写本や写経もよくされてますし、武芸だけではなく、教養も高いですよね。
     人を『ちゃんと』育てる、と言うことに着目すれば、非常に優れた人材ではないかと思うんです」
    「ふーむ……?」
    「わたし、常々からこう考えているんです」
     そう前置きし、明奈は自分の考えを話す。
    「ここ数年、世界は急に成長した気がします。いえ、今後さらに、もっと成長していくでしょうね。
     この十数年、央南連合や西大海洋同盟は積極的に学校を作ったり、道を整備したりと、様々な社会整備を行ってきました。それは言わば、『下準備』であったと思います」
    「下準備? 何の?」
    「うまく説明はしにくいのですが……、言うなれば、社会をこれまでよりもう一段、優れたものにする、と言う感じでしょうか。
     実際、人の行き来は昔、父が当主であった頃よりもずっと多くなっていますし、輸入品も今まで見たことの無い、目新しいものが次々と現れています。
     今後さらにその勢いは増していくでしょう。そして我々央南の人間は、その勢いに付いていけるのだろうかと、不安にならずにはいられません。
     そう考えると今回の騒動は、単に一つの巨大組織が一地方で混乱をきたした、と言うものに留まらないような、そんな危機感を覚えるんです」
    「十分に大事だと思うんだけど……」
     頬を膨らませる雪乃に、明奈は深々とうなずいて見せる。
    「ええ、それは勿論。その重要性は十分に承知しています。
     でも、このまま放っておけば、今認識しているより一層の、悪い事態に発展しかねない。今後の対応で下手を打てば、央南の世界的地位は一挙に墜落することになる、……と言う意味です」
    「そこまで……?」
     一転、雪乃は怪訝な顔になる。
    「確かに央南随一の剣術一派だけど、この騒動はそこまで波及するものかしら」
    「問題なのは分裂したことではなく、分裂させた小雪派が今後、どう動くかです。
     恐らく資金難と『証書』を取り返そうと言う欲求から、彼らはここ、黄海に攻めて来るでしょう」
    「なに……!?」
    「まあ、無理な話では無いわね。今の小雪は、何をしでかすか分からないくらいに暴走してしまっているもの。金と権威のためであれば、多少の道理は踏み外すでしょうね」
    「それをそのまま看過していれば、焔流に対する世間の評判は、より一層悪い方へ傾くでしょう。
     もし戦いが起こり、小雪派とわたしたち、どちらが勝ったとしても、『焔流は地に堕ちた』と言う悪評の後押しをするだけです。
     絶対に、事態を戦う方向へ持って行ってはいけません。黄海やその周辺、衆人環視の状況で無暗に争うような姿勢を見せれば、それこそ悪評通りの破落戸と見られてしまいます」
    「ふむ……」
    「それよりも元々の評判通りの姿勢を見せ、『焔流はやはり優れた集団なのだ』と広く認識してもらう。これが今後の、あらゆることに関して、最も良い結果につながるものだと考えています。
     そこで考えた案が、『学校』なんです」

    白猫夢・明察抄 2

    2013.01.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第167話。テイク・オフを目の前にして。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 職にあぶれた焔流剣士たちが紅蓮塞に流れてきたのと同様に、黄海にも剣士たちの姿がちらほらと、目に付くようになった。「師匠。昔、青江へ旅をした際に楢崎派道場で会った虎獣人のことを、覚えておいででしょうか?」 明奈を交えて三人で茶を飲んでいたところで晴奈にそう尋ねられ、雪乃はコクリとうなずく。「ええ、柏木くん...

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    麒麟を巡る話、第168話。
    方向転換。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「学校?」
     思ってもみない提案に、晴奈も雪乃も面食らう。
    「学校って、つまり、わたしたちが勉強を教えるってこと?」
    「ちょっと違います。確かにそれも多少はやってもらおうとは考えていますが、基本的には元々、紅蓮塞でされていた指導・鍛錬とほぼ変わりません。
     ただ、主旨を少し変えるつもりですが」
    「主旨、……と言うと?」
    「指導の重点を剣術中心のものから、心身育成を重視したものに変えてはどうか、と。
     本当に失礼を承知で言えば、剣術に関する需要は底を打ってしまっている状態です。そんな時勢に、なお『剣術集団』として名を売ろうとしても、評判が上がることはまず、無いでしょう」
    「本当に失礼だな」
     苦い顔をする姉に構わず、明奈は話を続ける。
    「それに今現在の、小雪派が暴走しかねないような状況で、剣術を主体とした指導を行ったとして、それがいい方向に転じるでしょうか?」
    「そうね……、戦争準備とか思われそう」
    「それもありますし、非常に若い方であれば、腕試しなどされたくなるかも知れません。その傾向が強まってしまうと、いくら『上』で戦争を回避しようとしても、『下』が無理やり開戦しようとするでしょう。
     今後の平和と焔流の存続・繁栄を考えれば、思い切った方向転換を考えなければならない。わたしはそう考えています」



    「……と言うのが、打診された話なんだけどね」
    「学校かー」
     話を聞き終えた良太と晶奈は、揃ってうなずいた。
    「いいんじゃない?」「私もそう思います」
    「えっ」
     すんなり賛成されるとは思わず、雪乃は面食らう。
    「え、でも……」
    「元々からおじい様も、武術偏重的な指導・鍛錬は望んでなかったからね。
     それよりも明奈大人の言う、心身育成を重要視してたと思うよ。雪さんも思い当たるところ、あるんじゃないかな」
    「そう、ね。確かにわたし自身も、小手先の技術・技量にはこだわらず、まず心身を鍛えることを第一として指導してたつもりだし。
     でも、他の焔流剣士たちがこれを聞いて、同意して教師になってくれるかどうか」
    「案外、納得するんじゃないかな。
     だって心身育成を第一義として長年指導を続けてきた君を慕って、ここまで一緒にやって来たくらいだもの。
     むしろ今更になって、武術主体に方向転換すると言っちゃったら、みんながっかりしちゃうんじゃないかなぁ」
    「……そうかしら?」
     夫の言葉に勇気づけられたのか、雪乃のその返事は、話し始めた当初より幾分軽い雰囲気となっていた。



     数日後、晴奈と明奈、そして雪乃夫妻は黄海に流れてきた剣士たちを集め、学校設立の旨を打診した。
     雪乃が不安視していた反発は確かにあったものの、半数以上は同意してくれた。
    「先代も『無暗な争いは避けるべし』と仰っていましたし」
    「それに我々だって、何も人を殺す術を指導していたつもりは無い」
    「うむ。人殺し云々が焔流の第一義であったなら、あの免許皆伝試験は何だったのかと言う話になる」
    「学問を教えると言うことには多少の不安はありますが、心身育成ならば喜んで引き受けましょうぞ」
     剣士たちの快い反応を受け、晴奈がこう応える。
    「皆の心意気、そして気概、誠にありがたい限りだ。
     ではこれより学校設立のため、まずはその首長、即ち学校長を選出したいと思うのだが」
     この問いに、剣士たちはしばらく沈黙した後、二者を指し示した。
    「私は黄晴奈範士を推します」
    「いや、俺は焔雪乃大先生が適任ではないかと思っている」
     ほぼ半分に意見が分かれ、雪乃の方も面食らっている様子を見せる。
    「え、いや、わたしはそんな……」「いえ」
     と、晴奈が頭を下げ、雪乃を推した。
    「私などより、師匠の方がその任にふさわしい方であることは、自明のことと思います。
     私も『先生』などと称されて久しくありますが、そもそも私がそう呼ばれるだけの実績、勲功を挙げることができたのは、ひとえに師匠の篤く細微にわたるご指導、ご鞭撻の賜物です。
     それを差し置いて私が皆の長と名乗るなど誠に烏滸がましいことであり、何より師匠の方が、私などよりもっと、大勢の者を正しく導くお力を持っていらっしゃいます。
     どうか師匠、皆を導く大役、今一度引き受けてはいただけないでしょうか」
    「……」
     雪乃は困った顔を浮かべていたが、やがて剣士たちに顔を向け、こう述べた。
    「『焔』の名を授かってから30余年、わたしはこの名を穢さぬよう努めてきました。
     しかし此度の一件で、あろうことかわたしの不肖の娘がこの名に大きな瑕(きず)を付けることとなり、誠に申し訳なく思っていました。
     それでもなお、わたしを推挙してくれること。本当にありがたく、そして、光栄なことと受け止めています。
     その任、謹んでお受けします」
     雪乃は皆に向かって、深々と頭を下げた。

    白猫夢・明察抄 3

    2013.01.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第168話。方向転換。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「学校?」 思ってもみない提案に、晴奈も雪乃も面食らう。「学校って、つまり、わたしたちが勉強を教えるってこと?」「ちょっと違います。確かにそれも多少はやってもらおうとは考えていますが、基本的には元々、紅蓮塞でされていた指導・鍛錬とほぼ変わりません。 ただ、主旨を少し変えるつもりですが」「主旨、……と言うと?」「指導の重点を剣...

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    麒麟を巡る話、第169話。
    昔に戻って、昔に戻れなくて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     雪乃が学校長に選ばれてから数日後、雪乃および経営陣(勿論、明奈率いる黄商会のことである)は次のことを発表した。
     まず、開校の予定日。教員や事務員の募集、校舎建設などの準備があるため、開校は翌545年の4月からとなった。
     その他建設地や募集要項などを黄州全体に発表するとともに、雪乃から己自身の身の振りについての公表があった。



    「このような――焔流分裂と言う一大騒動の――事態を引き起こした原因の一つは、当代家元の母親であり、かつ、後見人でもあるわたしにあります。
     そのような身で焔流の宗家たる名、『焔』を名乗ることは、先代ならびに代々の焔流家元の皆様に大変なご迷惑をかける。……今回の騒動で逐電して以降、強く、そう感じていました。
     付きましては、これを機会として『焔』の名を返上することにし、以後はわたしの旧姓、『柊』を名乗ることにいたします」



     この発表に関しても、明奈からの一声が事前にあった。
     雪乃が発言した内容に加え、明奈は徹底的に小雪派焔流との差別化を図っていたのである。どこまでも「武力主義に傾倒した小雪派とは違う」「あくまで心身育成を第一義とした教育を目指す」と言う姿勢を見せるための、一種のパフォーマンスでもあった。

    「……私はまだ納得行かない気分です。姓まで変える必要があったのか、と」
     一人、晴奈は雪乃にそう告げたが、雪乃はそれに対し、首を横に振った。
    「いいのよ。わたしの気持ちに嘘は無いわ。
     娘がしたこととは言え、それを防げなかったのは親のわたしの責任だもの。これは当然すべきことだったと、わたしはそう思っているわ。
     ただ、これで責任をすべて取ったとは思ってないわ」
    「いや、そんな……ことは……」
     否定しようと口を動かそうとするが、晴奈には二の句が継げなかった。
    「……晴奈」
     雪乃はぎゅっと、晴奈の手を握ってきた。
    「師匠?」
    「……これからわたしは、許されざることをするかも知れない。娘と決定的に、もう後戻りできないくらいの対立を、別離をすることになるかも知れないわ。
     その結末にはもう、仁義も礼節も無いでしょうね。この戦いが終わる時、わたしは焔流剣士として、真っ当な人間として、落第・失格することになるかも、……知れない。
     それでも、……それでも晴奈、あなたはわたしの側にいてくれる?」
     雪乃の震える手を握り返し、晴奈は応える。
    「……無論です。私は終生、師匠の弟子であり、そして」
     そこで晴奈はうつむき、小さな声でこう続けた。
    「唯一私が姉と思い、慕ったのは、師匠のみでございます故」
    「……ありがとう、晴奈」



     明奈の講じた数々の試みは、結果から見れば一応以上の成功を見た。
     新たに設立された学校――「柊学園」にはほぼ予定通りの数の入学希望者が集まり、一方で、黄州内にあぶれていた焔流剣士たちを一括雇用することもできた。
    「これで長期的には成功した、……と考えられますね。
     ただ、短期的な面を考えた場合、大きな問題が一つ残ってはいますが」
    「小雪派がいつ攻めてくるか、だな」
    「ええ」
     明奈はうなずき、卓上に地図を広げる。
    「情報によれば、やはり小雪派は孤立の一途をたどっているようです。
     当座の資金確保と今後の戦線拡大をにらんでか、小雪派は既に武力蜂起し、紅州内の主要都市を制圧したと聞いています。
     しかしその乱暴な行動のため、隣接する西辺州および玄州、白州、そしてわたしたちの統べる黄州との緊張が高まっています。
     わたしとしては、このままその4州が紅州と急速に対立を深め、いっそ断絶・孤立してくれればと考えています」
    「どう言うことだ?」
    「もし万が一、紅州と結託するような州が出た場合、これは央南連合結成以来の、央南分裂の危機につながります。
     そうなれば良くて央南域内の交流停滞、悪くて内戦となり、それはわたしの願う央南の環境向上と、正反対の流れになります。
     だから紅州はこのまま孤立させ、央南連合から弾き出してしまった方がいいのでは、とさえ考えています」
    「明奈、お前は……、徹底的に小雪を悪者にしたいのか?」
     そう尋ねた晴奈に、明奈は暗い顔でこう返した。
    「したい、……ではもうありません。もう、小雪さんは完全な悪者です。
     私利私欲のためいたずらに街を襲い、不法に占拠しているのですから。そのせいで、既に央南連合でも小雪派討伐が検討されています。
     わたしだって、昔の小雪さんの顔を思えば、心が痛まないわけではありません。でも、彼女はもう既に、わたしやお姉様の知る童女の頃の小雪さんではないのですよ」
    「……ああ。……ああ、分かって、……いるさ」
     晴奈は苦々しくそう言って、それきり口をつぐんだ。

    白猫夢・明察抄 終

    白猫夢・明察抄 4

    2013.01.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第169話。昔に戻って、昔に戻れなくて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 雪乃が学校長に選ばれてから数日後、雪乃および経営陣(勿論、明奈率いる黄商会のことである)は次のことを発表した。 まず、開校の予定日。教員や事務員の募集、校舎建設などの準備があるため、開校は翌545年の4月からとなった。 その他建設地や募集要項などを黄州全体に発表するとともに、雪乃から己自身の身の振りにつ...

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    麒麟を巡る話、第170話。
    交流戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     柊学園の設立も決まり、その準備も順調に進んでいた、双月暦544年の春間近の頃。
     この頃には、元々から黄派焔流道場に在籍していた者と、紅蓮塞から移ってきた者との境目も薄くなってきており、その両門下生らが稽古終わりに入り混じって歓談することも、まったく珍しい光景ではなくなっていた。
    「大分空気がしっとりしてきたよなー」
    「だなぁ。先週だったらあんだけ打ち込んでも、汗が垂れたりしなかったもんなぁ」
    「汗かく端から乾いてましたもんね」
    「『狐』とか『猫』にとっちゃ、段々うっとうしい季節になってきたな」
    「そんなコト言ってアンタ、冬は冬で静電気やだって言ってなかった?」
    「言ってた言ってた、あはは……」
     汗でぺったりとした髪と狐耳を拭く同輩を囲み、皆で笑い合う。

     と――その「狐」がこう反論したのが、その後の「お祭り騒ぎ」の発端となった。
    「うっせ。狐獣人はみんなそーなんだよ。『うち』の紀伊見さんだって俺と同じこと言ってたぜ。きっと『そっち』の関戸さんだって、梅雨の時とか『尻尾の付け根が蒸れるっスわぁ』とか言ったりするんじゃね?」
    「言うワケないでしょ」
    「……いや、紅蓮塞の時に結構近いこと言ってた気がする」
    「えー……」
     口を尖らせた同輩に、またも皆が笑う。
     そこへ、今まさに噂に上った張本人――「柊派」の錬士、狐獣人の関戸が現れた。
    「うんうん言ってた言ってた、俺も『狐』だからねぇ」
    「あ、先生」
    「お疲れ様です!」
     門下生たちに並んでぺこ、と頭を下げられ、関戸もぺこりと返す。
    「お疲れー。ってか紀伊見さんもやっぱりそんなこと言ってたんだねぇ。稽古中はツンっとしてちょっと取っ付きにくい感じだったけど、それを聞いたら親近感湧くなー」
    「え、もしかして先生……」
     邪推され、関戸はぱたぱたと手を振って否定する。
    「いやいや、何言ってんの。そんなんじゃないよ。単にさ、『向こう』の人とも仲良くしたいなって、そーゆー話だから」
     そう返した関戸に、門下生の一人がこう尋ねた。
    「仲良くできてないんですか?」
    「ん? あ、いや、仲良くはしてるよ?
     たださ、暮れに押しかけてからずっとバタバタしっぱなしだし、何て言うか、交流を深められるような機会がなかなか作れないなー、って」
    「あー」
     門下生たちは揃ってうなずき、それから間をおいて、一人が手を挙げた。
    「あ、じゃあ……」

    「交流戦?」
     十分後、道場主の晴奈は門下生から、こんな提案を受けた。
    「はい! 柊派の方が来られてからずっと、黙々と稽古を続けておりましたが、よくよく考えてみれば歓迎も何もしてないじゃないですか」
    「成り行きとは言え、折角遠路はるばるお越しいただいたと言うのに、何のお持て成しもしないまま3ヶ月、4ヶ月も経ってしまってますし」
    「ふむ。確かに言う通りだ。このまま何もせずと言うのは、礼儀に欠ける。
     その点は納得できる。だがそれで交流戦を催すと言うのは、相手を差し図るようで失礼ではないだろうか?」
    「いえ、柊派の同輩たちや先生とも話をしてみたんですけども、『単に酒を酌み交わしたりするだけでは面白くない。やはりそれぞれが名にし負う剣術一派で腕を磨いてきた身なのだから、多少は腕比べもしてみたい気持ちはある』と仰っていました」
    「ふーむ……、まあ、多少不純な風も無くはないが……、皆がそう言うのであれば、取り計らってみようか」
    「本当ですか!」
    「やったー!」
     晴奈の返答に、門下生たちは一様に満面の笑みを浮かべ、小躍りした。

    白猫夢・剣宴抄 1

    2013.01.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第170話。交流戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 柊学園の設立も決まり、その準備も順調に進んでいた、双月暦544年の春間近の頃。 この頃には、元々から黄派焔流道場に在籍していた者と、紅蓮塞から移ってきた者との境目も薄くなってきており、その両門下生らが稽古終わりに入り混じって歓談することも、まったく珍しい光景ではなくなっていた。「大分空気がしっとりしてきたよなー」「だなぁ。...

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    麒麟を巡る話、第171話。
    お祭り騒ぎ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     昔から、黄晴奈と言う人物は一つの「悪い癖」を持っていた。
     自分の考えと違うこと、意に沿わないことが起こると、それについて小声でブチブチと文句をこぼす点である。
    「……確かに交流戦を承知しはしたが、こんなお祭り騒ぎにするとは聞いておらぬ。内輪で催すのならまだしも、街中巻き込んでの宴会にするなどとは」「まあまあ」
     そして姉のそう言う性分を、周囲に不快感を与える前にやんわり鎮静させるのが、昔からの明奈の役割である。
    「街の人たちにとっても、柊派の人たちを歓迎したい気持ちは一緒ですよ。ちょうどいい機会ではありませんか。
     それに門下生の方に、こうして街の人たちにも知らせてはどうか、と入れ知恵したのは、実はわたしですし」
    「なに?」
    「内輪で楽しんで終わり、じゃ勿体無いですよ。街にとっても、焔流の剣士さんたちがこんなに大勢いらっしゃることは、誇りでもありますし。
     その敬意をないがしろにして、いつの間にか内輪で集まっていつの間にか終わりだなんて、そっちの方が無礼じゃありません?」
    「……うまく言いくるめられている気がする。……が、まあ、そうだな。折角慕って集まってくれた皆を今更追い返すなど」
    「でしょう?
     さ、お姉様。いつまでも腐ってないで、一緒に楽しみましょう」
     明奈は姉の手を引き、祭りの中へと連れて行った。

     前述の通り、最初は焔流剣士だけで集まり、簡単に技量を競い合って終わり、と言うくらいの規模を予定していたのだが、そこにこの話を聞きつけた明奈が介入。
     黄海全体を巻き込んだ、一大イベントに変えてしまったのである。しかも――。
    「……明奈?」
    「なんでしょう?」
    「あの黒髪に茶白の毛並みの狼獣人、見覚えがあるのだが」
    「ええ。央中からお呼びしました」
    「何のためにだ?」
    「交流戦を盛り上げてくださるとのことで」
    「……賭けなど図ってはいないだろうな?」
    「流石にそこまでできませんよ」
     小声で話しているうちに、その狼獣人――央中の興行家(プロモーター)、プレア・チェイサー女史が晴奈たちに気付き、手を振って近付いてきた。
    「お久しぶりです、セイナさん、メイナさん!」
    「ああ、久しぶりだなプレア」
     握手を交わしたところで、プレアはニコニコと笑みを浮かべながら説明し始めた。
    「今回ですね、メイナさんから『街の人々にも交流戦を楽しんでもらうには、どのように進めればいいか』とご相談をいただきまして。
     それでですね、やっぱり単純に試合をして、その勝敗を予想……」「お、おいおい」
     それを遮り、晴奈は慌てて確認する。
    「賭けは困る。これはあくまで焔流剣士同士の腕を競う試合であって、市国の闘技場ではないのだから」
    「ええ、ええ。勿論承知してます。ただですね、漫然と打ち合いを見てるだけじゃやっぱり飽きてしまうと思いますし、それじゃ場が冷えちゃってつまらないですよ。
     そこでですね、まず第一に試合の密度を濃くしようと思います」
    「密度を濃く?」
    「はい。黄派の方と柊派の方とで5名ずつ代表を選んでいただいて、5対5の団体戦の形式を採ります。
     で、賭けって程ではないんですが、街の皆さんがより盛り上がるように、色々、付け足そうかなーなんて。
    勿論、お金は賭けてません。安心してください」
    「……まあ、金が絡まぬのであれば、許容範囲だな」
     晴奈の許しを受け、プレアはにっこり笑う。
    「ありがとうございます、セイナさん!
     それじゃそろそろ、出場する方に連絡してきますねっ」
     その場を後にするプレアを見送ったところで、晴奈は再度、明奈に耳打ちする。
    「本当に金は、賭けてないんだな?」
    「あら、わたしをお疑いに?」
    「……いや。そうではない。
     だが明奈、お前は存外したたかで、抜け目のない性格をしているからな。金でなくとも、何か賭けているのではないかと思ってな」
    「うふふ」
     晴奈の問いに対し、明奈は笑ってごまかした。

    白猫夢・剣宴抄 2

    2013.01.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第171話。お祭り騒ぎ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 昔から、黄晴奈と言う人物は一つの「悪い癖」を持っていた。 自分の考えと違うこと、意に沿わないことが起こると、それについて小声でブチブチと文句をこぼす点である。「……確かに交流戦を承知しはしたが、こんなお祭り騒ぎにするとは聞いておらぬ。内輪で催すのならまだしも、街中巻き込んでの宴会にするなどとは」「まあまあ」 そして姉のそ...

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    麒麟を巡る話、第172話。
    剣士たちの宴、始まる。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     事前に明奈とプレアは試合形式と出場者の選出方法を、両陣営に伝えていた。
     まず前述の通り、試合形式は5対5の勝ち抜き団体戦。先鋒対先鋒から進め、三本勝負の二本先取で勝利。負けた先鋒は次鋒に交代し、同様に負けた側が中堅、副将、大将と交代していき、先に相手側の大将を倒した方が勝利となる。
     そして選出される者については、門下生2名(先鋒・次鋒)と錬士を2名(中堅・副将)、そして範士を1名(大将)ずつとした。これは先鋒や次鋒が大将を倒してしまうような、一方的な試合になってしまうのを避けるためである。
     そして事前に剣士内で集計した人気投票により、出場者が決定された。

     黄派焔流からは、以下の5名。
      先鋒:鍋谷輿生(猫獣人、男性)
      次鋒:黄朱明(猫獣人、男性)
      中堅:紀伊見奈々子(狐獣人、女性)
      副将:水越兵治(長耳、男性)
      大将:清滝敬史(短耳、男性)

     そして柊派からは、以下の5名が選出された。
      先鋒:楠瑛吉(狐獣人、男性)
      次鋒:柊晶奈(長耳、女性)
      中堅:関戸侍郎(狐獣人、男性)
      副将:笠尾松寿(短耳、男性)
      大将:藤川霙子(短耳、女性)

    (ちなみに人気投票において、晴奈と雪乃は対象外となっていた。『選出してしまうと、後でお姉様からものすごく文句を言われそうだから』、……と明奈が判断したためである)



     黄海の広場に作られた特設会場に、この10名が揃う。
     そして司会役を買って出た明奈が彼らの前に立ち、マイクを片手に開会宣言した。
    「黄海市民の紳士、淑女の皆様。そして誇り高き焔流剣士の皆様。本日はこの催しにご参加いただき、誠にありがとうございます!
     さてさて、本日のこの交流戦、市民の皆様方にとってはその焔流の技と精神との結実、その鍛錬の成果を実際に目にするまたと無い機会であり、また、剣士の皆様方にとっては、それを発揮する絶好の機会でもあります!
     どうぞ、市民の皆様方はご声援を! どうぞ、剣士の皆様方はご奮戦を!」
     明奈にあおられる形で、街の者たちは盛り上がりを見せる。そして剣士たちも、多少の差はあるが、一様にワクワクとした様子を見せていた。
    「それでは両陣、先鋒のみ残してひとまずご退場ください! 早速第一回戦、始めさせていただきます!」
     明奈のアナウンスに従い、壇上に鍋谷と楠が残って、竹刀を提げて向かい合う。
    「両者、礼!」
     互いに礼をし、そこで互いに竹刀を構える。
    「……始めっ!」

     先に初太刀を放ったのは、鍋谷の方だった。
    「うりゃああッ!」
     ブン、と竹刀をうならせ、楠の頭を狙う。
     しかし楠はそれをくい、と身をひねってかわし、鍋谷の左に回り込む。
    「やあッ」
     パン、と乾いた小気味の良い音が響き、楠の竹刀が鍋谷の籠手を打った。
    「う……っ」
    「一本!」
     開始からたったの5秒足らずで勝ちを奪われ、鍋谷は絶句した。
    「強え……」
     ぽろ、とそんな弱気の言葉が漏れる。
     それ自体は聞こえはしなかったが、鍋谷の動揺を察した晴奈が、観客席から叱咤する。
    「うろたえるな、輿生! 冷静に構えて行け!」
    「はっ、はい!」
     一方、柊派では雪乃の二番弟子であり、大将でもある霙子が、楠をほめている。
    「やるじゃない、瑛くん! このまま勝っちゃいなさいよ!」
    「はい!」
     再び鍋谷と楠が構え、二戦目が始まる。
    「……ッ、これならどうだーッ!」
     鍋谷は全力で踏み込み、突きを放つ。
     しかしこれも楠はひょいとかわし、鍋谷の背後に回り込む。
    (あ、馬鹿……)
     無防備になった鍋谷を見て、晴奈も、黄派陣営も頭を抱える。
     鍋谷がきょろきょろと辺りを見回した次の瞬間、すぱん、とまたも鋭い音を立てて、その面が叩かれた。
    「勝負あり! 勝者、楠暎吉!」
    「うそだろ……」
     二度も瞬殺され、鍋谷はがくりと膝を着いた。
    「やったー! 万歳、暎くん!」
    「へへ……、ちょっと恥ずかしいです、母上。落ち着いて下さい」
     そして楠の勝利を一番喜んだのは――実は彼の母でもある、霙子だった。

    白猫夢・剣宴抄 3

    2013.01.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第172話。剣士たちの宴、始まる。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 事前に明奈とプレアは試合形式と出場者の選出方法を、両陣営に伝えていた。 まず前述の通り、試合形式は5対5の勝ち抜き団体戦。先鋒対先鋒から進め、三本勝負の二本先取で勝利。負けた先鋒は次鋒に交代し、同様に負けた側が中堅、副将、大将と交代していき、先に相手側の大将を倒した方が勝利となる。 そして選出される者について...

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    麒麟を巡る話、第173話。
    冷静対冷静。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     霙子の息子、暎吉(あきよし)が勝利し、第二回戦は黄派の次鋒、朱明との対決となった。
    「よろしくお願いします」
     そろってぺこ、と頭を下げ、竹刀を構える。
     この対戦は知る人ぞ知る、面白い組み合わせだった。片や雪乃の一番弟子、晴奈の甥であり、片や雪乃の二番弟子、霙子の息子である。
     雪乃の一番弟子と二番弟子の、それぞれの孫弟子同士の戦いとなり、それを知る者たちにとっては非常に興味深い一戦でもあった。
    「どっちが勝つと思う?」
    「そりゃ、格で言ったら朱明だろ」
    「いや、あの輿生が惨敗だったし、暎吉が勝つんじゃね?」
    「……うっせぇ」
     凹む鍋谷をよそに、門下生たちは予想し合う。
    「目立たないヤツだけどさ、朱明はふつーに強いし」
    「そうよね。ナベ、一度も朱くんに勝ったコトないし」
    「ほっとけ」
    「……ま、どっちにしても俺たちとしちゃ、朱明を応援したいよな」
    「だね」
     そうこうしているうちに試合が始まっていたが、両者はまだにらみ合っていた。
    「……」「……」
     先程とは打って変わり、どちらも慎重に間合いを詰めつつ、攻撃の機会を伺っている。
     見守っていた晴奈は、冷静に分析した。
    (先程の輿生と暎吉とでは、相性が悪過ぎたな。
     血気盛んで思い切りのいい性格は剣士として申し分ない素質だが、朱明や暎吉のような冷静沈着な者が相手では格好の的、餌食も同然だ。
     一転、この対決は両者とも似通った性質だ。うかつに飛び込んで返り討ちになるような展開にはなるまい。
     となると……、純粋に技量で競り合って倒すか、それとも搦手で油断を誘うか)
     じりじりと間合いを詰めていた朱明が、先に動いた。
    「はあッ!」
     朱明は一気に間合いを詰め、暎吉の面を狙って――いるように見せる。
    「……っ」
     一方、暎吉もこのフェイントが来ることは予想していたのだろう。詰められた間合いを後ろに跳んで広げ直し、朱明の射程から外れる。
    「ありゃ……」
     振り上げていた竹刀を正眼に構え直し、朱明はぽつりと残念そうな声を漏らした。
    「そう簡単には引っかかりません、僕」
     暎吉にそう返され、朱明はクスっと笑う。
    「それは残念です」
     そう言うと朱明は、ほとんど予備動作を見せず、まるで滑るかのようにもう一度、間合いを詰めた。
    (なに、無拍子……!?)
     高等技術を披露して見せた朱明に、観戦していた晴奈も相当面食らっていたが、もっと度肝を抜かれたのは、目の前でそれを見せられた暎吉の方だっただろう。
    「な……!?」
     先程のようなすんなりとした動きではなく、露骨に慌てた様子で横へ引く。
    「そこだッ!」
     無拍子で歩み寄った朱明が、くん、とほぼ直角に曲がる。
    「……!」
     すぱん、と音を立て、暎吉の面に朱明の竹刀が当てられた。
    「と、……取られましたね」
    「何とか上手く行きました」
     まだ目を白黒させる暎吉に、朱明はもう一度笑って返した。

     その後暎吉が何とか一勝したものの、さらにもう一勝朱明が奪い、暎吉は敗退した。
    「やるな、朱明」
     晴奈は汗を拭いていた朱明のところを訪ね、彼を労った。
    「20そこそこであの動きができるとは、恐れ入ったよ」
    「いえ、そんな……。拙い技でしたし、成功した方が奇跡ですよ」
    「謙遜するな、朱明。あれが拙いと言うことがあるか。誰にだってできることでは無い。
     お前は少しくらい自信を持った方がいい。こうして代表に選ばれたのも、実力あってのことなのだから、それで謙遜されたら、選ばれなかった者に失礼だぞ」
    「あ、……はい」
    「さ、間も無く次の試合だ。胸を張って行け」
    「はい」
     小さく頭を下げ、ふたたび壇上に上がる朱明を見送りながら、晴奈は一人、眉をひそめていた。
    (昔、当事者から一歩引いて眺めるとあいつから言われたが……、剣士としてあいつを見るに、その態度には不安がある。己に自信を持っていないことが、うっすらと透けて見えるようだ。
     今一つ自信を出せないあいつには、どうにも覇気が無い。自発性、積極性にも欠ける。技術は人一倍優れているが――自信の無さがここぞと言う時、その長所を抑え込むような気がしてならない)

    白猫夢・剣宴抄 4

    2013.01.31.[Edit]
    麒麟を巡る話、第173話。冷静対冷静。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 霙子の息子、暎吉(あきよし)が勝利し、第二回戦は黄派の次鋒、朱明との対決となった。「よろしくお願いします」 そろってぺこ、と頭を下げ、竹刀を構える。 この対戦は知る人ぞ知る、面白い組み合わせだった。片や雪乃の一番弟子、晴奈の甥であり、片や雪乃の二番弟子、霙子の息子である。 雪乃の一番弟子と二番弟子の、それぞれの孫弟子同...

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    麒麟を巡る話、第174話。
    朱明、策を弄す。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     両陣とも先鋒が敗れ、三回戦は次鋒対次鋒、朱明と晶奈との戦いとなった。
    「よろしくお願いします」
     朱明と晶奈が、互いに礼をする。
     柔らかい印象を与える朱明に比べ、晶奈は凛とした空気を漂わせていた。
    (小雪や良蔵と比べて、晶奈が刀を振るうところはあまり目にしてはいないが……、一見したところ、16歳にしてはなかなか鍛錬を積んでいると見える。身のこなし、そして構えには堂に入った感がある。
     小雪も10年前は、あのように一片の曇りも迷いも無い、純粋に光るものを見せていたのにな)
     試合が始まり、二回戦と同様に、両者ともじりじりと間合いを詰めていく。
    「……」
     晶奈の方が若干、詰め方が強い。竹刀がぎりぎり交わるか交わらないかのところで、晶奈が仕掛けた。
    「りゃあッ!」
     晶奈は勢いよく竹刀を振り上げ、朱明の面を狙う。それをかわし、朱明は後ろに退く。
     しかしそれをさらに追い込み、晶奈が胴を払った。
    「えやああッ!」「……っ」
     ばし、と若干鈍めな音ではあったが、晶奈の竹刀はしっかりと朱明を捉えていた。
    「一本!」
    (ふむ……。ここは強気の攻めが功を奏したか。
     朱明の悪いところが足を引っ張った形だな。初手で『見』に回ったのが敗因だろう。
     ……うん? と考えると……?)
     両者とも開始位置に戻り、もう一度構える。
    「始め!」
     先程と同じく、晶奈の方から間合いを詰めていく。
    「どうした、朱明! 攻めて来い!」
     優勢と感じたらしく、晶奈が挑発してくる。
    「……」
     朱明は何も返さず、じっと構えている。
    (二回戦の時は、先に輿生と暎吉の戦いを見られたからな。ある程度、対策は取れていたのだろう。
     しかし晶奈の戦い方を見るのは、これが初めて。故に一本捨てる形で、どう動くのかを見定めていたのかも知れん)
     挑発に動じない朱明に、晶奈は痺れを切らしたらしい。
    「せやあッ!」
     一本目と同様、晶奈がぐいと踏み込み、面を狙いに行く。朱明はそれを、これもまた同様に退いてかわす。
     朱明のこの反応で、どうやら晶奈は朱明を侮ったらしい。先程と全く同じ形で、胴を狙いに来た。
    「はあッ!」「やッ」
     朱明は右に回り、晶奈の竹刀をかわす。
    「……!」
     晶奈が振り返るその直前に、朱明はすぱん、と彼女の籠手を弾いた。
    「一本!」
    (……巧者と言うべきか。相手の癖を即座に見抜き、攻めに組み込むその感性は素晴らしい。
     しかし……、私がそう言うことをしないからだろうか、何と言うか、小狡い気もしないではないな)
     朱明はこの試合の流れをつかんだらしく、その後もう一勝を挙げ、柊側の二連敗となった。



     交流戦は四回戦に移り、次鋒・朱明と中堅・関戸とが対峙した。
    「さーて、と」
     開始前、面を被る直前――関戸は朱明にこう声をかけた。
    「やるねぇ、お前さん」
    「え? あ、はい」
    「ま、よろしく」
     それだけ返して関戸は面を被る。
    試合が始まり、朱明は先程と同様に竹刀を構え、じりじりと間合いを詰める。関戸の方も同様に間合いを詰めていたが、やがてぐい、と一挙に間合いを詰め、攻撃を仕掛ける。
    「おりゃっ!」
     朱明は、今度は竹刀で相手の初太刀を受ける。が、受けられたところで関戸は退き、同時に胴を狙う。
     これも朱明はわざと打たせたらしく、ぼこ、と鈍い音が響く。有効打とはならず、審判から勝負ありとの声はかからなかった。
    「……」
     両者とも退き、互いに構え直す。
    「そらッ!」
     もう一度関戸が仕掛ける。それを朱明は受け、それを受けてもう二度、三度と関戸が打ち込む。
     これを何度か繰り返したところで、ようやく関戸が有効打を当て、長い一本目が終わった。
    「関戸先生が苦戦してる……?」
    「あんなに強かったっけ、朱明くんって」
    「すげーなぁ、先生相手に」
     門下生たちは朱明の健闘をほめていたが、晴奈は苦々しく思っていた。
    (……なんだろうな。やはり剣士として、いい姿勢では無い気がする。
     無暗やたらに飛び込むのが良いこととは言わないが、それでも目上、格上の人間を相手にし、罠に嵌めようとする朱明の姿勢・態度は、礼儀を欠いているように感じられる)
     二本目に移る直前、関戸がまた声をかけてきた。
    「ありがとよ、朱明くん」
    「いえ」
    「それじゃあこのまま、二本目も行かせてもらうか」
     二本目が始まり、これも関戸が先に仕掛けてきた。
    「だあッ!」
     ところが――朱明がそれを受けようと動いた瞬間、関戸は掛け声を出しただけでピタ、と止まる。
    「え」
     虚を突かれ、朱明は竹刀を上げた状態で止まってしまった。
     その一瞬の隙を、関戸が突く。
    「そらよッ」
     上がったままの右籠手を打ち、続いて胴を打って抜ける。
    「二本!」
     一瞬で二太刀食らい、朱明はまだ竹刀を上に構えたまま、茫然としている。
    「はっは、しつこいくらい面を狙ったからな。今のも面狙いだと思っただろ?
     あんまり人をはかるもんじゃねーぜ、朱明くん」
    「……う、……はい」
     背中から声をかけられ、朱明はようやく構えを解いた。

    白猫夢・剣宴抄 5

    2013.02.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第174話。朱明、策を弄す。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 両陣とも先鋒が敗れ、三回戦は次鋒対次鋒、朱明と晶奈との戦いとなった。「よろしくお願いします」 朱明と晶奈が、互いに礼をする。 柔らかい印象を与える朱明に比べ、晶奈は凛とした空気を漂わせていた。(小雪や良蔵と比べて、晶奈が刀を振るうところはあまり目にしてはいないが……、一見したところ、16歳にしてはなかなか鍛錬を積んで...

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    麒麟を巡る話、第175話。
    シーソーゲーム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     悔しそうな顔で壇上から戻ってきた朱明に、晴奈は声をかけた。
    「なかなか善戦したが、最後は逆に罠にかけられる形となったな」
    「そう……、ですね」
    「説教するようだが、朱明」
     晴奈は朱明を自分の横に座るよう促し、先程の戦い方をとがめる。
    「ここぞと言うところで策を弄する人間は、自信と実力が付かんぞ。ましてや目上を嵌めようなど、褒められたものでは無い」
    「……逆に嵌められましたからね。自分の不足、思い知りました」
    「小手先で凌ごうとする前に、実力を付けた方がいい」
    「と言って伯母さん、大体力技で解決するじゃないですか。それはそれで無粋と思いますけど」
    「口答えするな、まったく」
    「はは……」
     話しているうちに黄側の中堅、紀伊見の準備が整い、壇上に上がる。
    「よろしくお願いします」
     す、と頭を下げる紀伊見に対し、関戸も礼で返しながら、こう声をかけた。
    「よろしく、紀伊見さん。へへ、同じ『狐』同士だな」
    「そうですね」
    「色々気が合いそう……」「そう言う話でしたら私より兵治さん、……水越の方が合いますよ。あの人も軟派ですから」
     にべもなく返されたところで、試合開始となった。

     先程は朱明を嵌め返すために搦手を使った関戸だったが、今度は正攻法で仕掛けた。
    「うりゃっ!」
     正面から面を狙いに行った関戸の竹刀を、紀伊見はがっちりと己の竹刀で受け、退きざまに胴を打つ。しかし関戸も退き、その太刀をかわす。
     かわした直後にもう一度踏み込み、今度ももう一度、面を狙う。これを紀伊見は、今度は右にかわし、直後に胴を狙おうと構える。
    「はあッ!」
     しかし紀伊見が竹刀を払ったところで関戸が左斜め後ろに退いてそれをかわし、きっちり対峙する形に戻して、そのまま面を打って抜けて行った。
    「一本!」
    「……っ」
     まるで型稽古でもしていたかのような流れる展開に、会場は一瞬静まり返り、そして割れんばかりの声援が沸き起こった。
    「流石だな……」
     晴奈も拍手し、二人の戦いを賞賛した。

     この後も紀伊見の挙動を読み切り、彼女を圧倒する形で関戸が勝ち切り、黄派の二連敗となった。
    「ありがとうございました」
     互いに礼をした後、紀伊見が壇上から降りようとする。
     と、そこでまた関戸が声をかけた。
    「これでもただの軟派野郎かな、俺」
    「……元よりそうは思っていません。実力は認めていますし、結果もそれを示しています」
    「そっか。まあ、また機会があったら手合わせ願いたいね」
    「望むところです。今度は勝ちますから」
     紀伊見はもう一度会釈し、壇上から降りた。



     試合は六回戦に移り、黄派の副将、水越が壇上に上がった。
    「紀伊見さんから聞いたけど、あんた、俺と似てるらしいな」
    「かもな。ま、そんな話は終わってからしようや。
     乗っかりたい気持ちはあるが、こっちはいよいよ後二人になっちまったからな」
    「おう」
     思ったより馴れ合った空気は立たず、二人は淡々と開始位置に移動する。
    「始め!」
     そして試合が始まった途端、両者とも一気に間合いを詰め、鍔迫り合いになった。
    「せやッ!」「おりゃあッ!」
     一旦は離れたものの、すぐに攻撃を仕掛け直し、二、三合打ち合ったところでまた、鍔迫り合いになる。
    「はーっ、はーっ……」「ふう、はあ……」
     しかし、序盤は互角に思われたが、連戦した上、朱明といたずらに打ち合いをさせられ、既に相当疲労していたせいか、関戸の動きは次第に精彩を欠き始めた。
    「だああッ!」
     そして試合開始から両者とも有効打の無いまま時間が過ぎ、5分、6分と経った頃になって、ようやく水越の竹刀が関戸の面を打ち抜いた。
    「く、っそ」
     関戸はゼエゼエと肩で息をしつつ、開始位置に戻る。
     一方の水越も息は荒いものの、関戸ほどには疲れていないように見えた。
    「確かに、似たり寄ったりかもな。連戦が無かったら、きつかったよ」
     水越にそう声をかけられたが、関戸は「……ああ」としぼり出すような声を挙げるのが精一杯だった。

     二本目に移っても依然、関戸の動きには四戦目、五戦目での切れは見られず、水越に引っ張り回されるような形で決着が付いた。

    白猫夢・剣宴抄 6

    2013.02.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第175話。シーソーゲーム。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 悔しそうな顔で壇上から戻ってきた朱明に、晴奈は声をかけた。「なかなか善戦したが、最後は逆に罠にかけられる形となったな」「そう……、ですね」「説教するようだが、朱明」 晴奈は朱明を自分の横に座るよう促し、先程の戦い方をとがめる。「ここぞと言うところで策を弄する人間は、自信と実力が付かんぞ。ましてや目上を嵌めようなど、褒...

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    麒麟を巡る話、第176話。
    酣(たけなわ)。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     両陣とも中堅までの三人が敗れ、七回戦は副将同士の対決となった。
    「……」
     柊派の中堅、笠尾は礼以外に言葉を発さず、静かに構える。
    「始め!」
     そして一本目が始まっても笠尾は動かず、じっと正眼に構えていた。
    「りゃあッ!」
     当然、水越が先に仕掛ける形となる。
     しかしこれもほとんど最小限の動作で受け切り、それでもなお迫ってくる水越を、竹刀ごと弾く。
    「うおっ、……お、お」
     しかし弾かれたものの、笠尾はそれに乗じて打ち込んでくるような様子も見せず、再び正眼に構え直す。
    「……らああッ!」
     それを相手の傲慢と見たのか、水越の掛け声に、わずかながら怒りの色が差す。
     先程より勢いをつけ、水越は懸命に打ち込んでいく。しかしこれも受け切られ、攻めあぐねた水越の動きに、次第に淀みが現れ始めた。
     と、ここで笠尾が構えを正眼から上段に変える。
    「……行くぞ!」
     笠尾はそう言い放ち、ばん、と重く、そして荒々しい音を立てて踏み込んだ。
    「……っ」
     この一瞬――水越も、会場の最前列で観戦していた者も、ぞくりとした怖気を覚えた。
    「せいっ! でやっ! うりゃあああッ!」
     それまでまるで、銅像のようにじっと構えていた笠尾は竹刀をぶんぶんとうならせ、怒涛のごとく打ち込んでくる。
     水越はその一太刀目、二太刀目はなんとか受け切ったが、三太刀目を受けたところで体勢を崩し、胴ががら空きになる。
    「そこだあッ!」
     ばぢん、と重い音を響かせ、水越の胴が叩かれる。勢いを殺し切れず、水越は仰向けにひっくり返ってしまった。
    「い、一本!」
    「ぉ……、っう」
     何とか起き上がった水越から、半ば悲鳴じみたうめき声が漏れる。
     それを見た笠尾が、深々と頭を下げた。
    「すまん! 気合が入り過ぎた!」
    「……いえ、……大丈夫、……っス」
     額に脂汗を浮かべながらも水越はそう答えたが、胴越しでも相当響いたらしい。
     その後の二本目には先程までの軽快かつ胆力のある動きは見られず、そのまま笠尾の勝利が決まった。

     ここまで一進一退の攻防が続いてきたが、笠尾の登場により黄派の空気は、一気に重たくなってしまった。
    「無茶苦茶強ええ……」
    「ゾッとしたぜ、見てて」
    「水越先生がブッ飛ばされるのなんて、初めて見たわよ」
    「清滝先生、勝てるのかな……」
    「先生、確かに強いけどさ……。笠尾先生の方が修行積んでるし、あの動き見たら、自信無くなるよ」
     門下生たちのそんな不安を背に、黄派大将の清滝範士が壇に上がった。
    「よろしくお願いします」
     互いに、静かに礼を交わす。
    「始め!」
     一本目開始が告げられたが、両者とも動かない。
    「……」
     間合いを詰めることすらせず、正眼に構えたままである。
    「行け、行け、先生!」
    「このまま決めちゃえ!」
     柊派からも、黄派からも声援が飛び交う。
     しかし――それでも二人は動かない。
    「……」
     そして開始から1分以上が経過して、笠尾の方が動いた。
    「……いざ、参る!」
    「受けて立ちます」
     先程と同様、笠尾は銅像から一挙に、獅子へと勢いを変える。
    「うおりゃああッ!」
     猛然と竹刀を振るい、笠尾が攻め込んでくる。それに対し、清滝は必要最小限と言っていい程度の動作でさらりと受け流し、かわしていく。
     清滝の華麗な捌き方に、意気消沈しかかっていた黄派の者は色めき立つ。
    「すっげ……」
    「まさに柔と剛、って感じだ」
    「行ける、清滝先生なら行けるっ!」
     黄派の応援に圧されてか、それともあまりに受け流され、業を煮やしたか――笠尾の動きが、ほんの一瞬ではあるが止まる。
    「……~っ」
     そのわずかな隙を突き、清滝が仕掛けた。
    「はあッ!」
     まるで弓で射るかのように、清滝の竹刀の先が笠尾の喉を突く。
    「ぐっ……、う……」
     正確には突くと言うよりも多少強めに押す程度に留まったが、それでも急所である。
     笠尾は倒れたりうずくまったりはせず、そのまま仁王立ちでこらえたものの、顔は真っ青になっており、構えが取れるような状態ではなさそうだった。
    「いささか乱暴な技ではありましたが……、うちの水越を滅多打ちにしたお返しです」
    「む、う……」
     笠尾は竹刀を下ろして頭を下げ、降参の意思を示した。

    白猫夢・剣宴抄 7

    2013.02.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第176話。酣(たけなわ)。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 両陣とも中堅までの三人が敗れ、七回戦は副将同士の対決となった。「……」 柊派の中堅、笠尾は礼以外に言葉を発さず、静かに構える。「始め!」 そして一本目が始まっても笠尾は動かず、じっと正眼に構えていた。「りゃあッ!」 当然、水越が先に仕掛ける形となる。 しかしこれもほとんど最小限の動作で受け切り、それでもなお迫ってくる...

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    麒麟を巡る話、第177話。
    宴が終わって。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     柊派も副将が敗れ、いよいよ大将戦、範士同士の大一番となった。
    「よろしくお願いします」
     どちらも大将に選ばれた者同士とは言え、霙子の方が年齢も経験量も、子弟の筋で言っても格上であり、黄派の不利は明らかだった。
    「やあッ!」
     清滝は先程の防戦姿勢とは逆に、果敢に間合いへ踏み込み、霙子に仕掛けていく。一方、霙子はそれをきっちりと受け、盤石の防御を見せる。
    「……」
     それでも連綿と続くかのような清滝の長い攻めに、次第に霙子が押され始めた。
    「先生、頑張れー!」
    「勝って、勝ってー!」
     それを心配してか、柊派から不安げな声援が聞こえ始めた。
    「……っと」
     と、霙子が清滝の面狙いを竹刀の鍔元でがっちりと受けて、鍔迫り合いに持ち込む。
    「む……」
     これを見た晴奈は――今回は敵方とは言え、妹弟子のことであるため――不安になった。
    「力量だけで見れば、あれは霙子に不利な形になる。鍛えているとは言え、女の腕力では同様に鍛えた男の力を押し返すのに不足だ」
    「え、伯母さんがそんなこと言うんですか?」
     傍らの朱明が、意外そうな声を出す。
    「私だから、だ。元々筋肉のあまり付かぬ猫獣人であるし、霙子以上に私は筋力に欠ける。こう言う経験は割と多い方だ。
     ……とは言え、筋力で勝る相手に勝つ方法は少なくない。恐らく霙子もそれを狙うだろう」
     晴奈の言う通り、鍔迫り合いに持ち込んだことで清滝に圧される形となり、霙子の体勢がみるみる反り返る。
     ところが――。
    「……りゃあッ!」
     霙子は突然、ぐりん、と身をひねり、清滝の左に踏み込んだ。目一杯に彼女を圧していた清滝は当然、前のめりになって大きく体勢を崩す。
    「う……っ」「たあッ!」
     ぐるりと転回し、霙子は清滝の面、そして左籠手を打って抜けた。
    「に、二本! 勝負あり!」
     一度に二回も有効打を決められ、清滝の敗北が決定した。
    「……参りました」
    「うふふ……」
     膝を着いた清滝を助け起こしながら、霙子はにこっと笑って見せた。

     大将同士の対戦にまでもつれにもつれ込んだ交流戦は、柊派の勝利で幕を閉じた。



     この交流戦により、柊派と黄派はより一層親しくなった。
    「やあ、朱明。今日も稽古、付き合ってもらうからな」
    「あ、はい」
     交流戦以来、晶奈は朱明を己の稽古相手に、よく誘うようになった。
     彼女曰く「わたしをあんなにあっさり負かしたのは、同輩では朱明だけだ。学ぶものがある」とのことだったが、傍目には別の、好意的な雰囲気も見て取れていた。
    「ちょ、ちょっと待てよぉ! たまにはさ、そのさ、俺とか……」
     晶奈のその様子を見て、鍋谷が慌てて口を挟んでくるが――。
    「君はいい。学べそうな点が無い。もっと強くならないとわたしも相手し辛いし」
    「うぐ……」
     晶奈に素っ気なくあしらわれ、鍋谷はその場に崩れる。
    「ま、まあまあ、輿生くん。……僕が相手しますよ」
     暎吉がそう申し出るが、鍋谷は猫耳をぺちゃりと伏せて首を横に振る。
    「男とやってもむさ苦しいだけなんだよぉ……。俺は晶ちゃんとやりてぇ」
     この様子に周りの門下生は呆れ返り、クスクス笑っていた。
    「……アホね」
    「うん、あいつアホだ」

     一方、この様子を眺めていた晴奈はまた、小声でブチブチと文句を垂れていた。
    (確かに双方の交流に一役買ったのは認めるが……、結局賭けていたではないか。いや、確かに金、『現金』は賭けていない。それは明奈の言う通りではあったさ。
     だが金の代わりに、柊学園に入学ないし勤務を予定している人間に対し、入学金の一部免除や給与増額などの権利を賭けていたと言うではないか。それでは結局金を賭けたのと一緒だ。
     我が妹ながら……、此度ばかりはやけに、癇に障ることばかりしてくれるな)

    白猫夢・剣宴抄 8

    2013.02.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第177話。宴が終わって。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 柊派も副将が敗れ、いよいよ大将戦、範士同士の大一番となった。「よろしくお願いします」 どちらも大将に選ばれた者同士とは言え、霙子の方が年齢も経験量も、子弟の筋で言っても格上であり、黄派の不利は明らかだった。「やあッ!」 清滝は先程の防戦姿勢とは逆に、果敢に間合いへ踏み込み、霙子に仕掛けていく。一方、霙子はそれをきっち...

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    麒麟を巡る話、第178話。
    妹たちの懸念。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     晴奈の怒りに対し、明奈はこう返した。
    「確かに賭けはしておりました。けれどお姉様、それが何か、いけない結果を生じさせましたか?」
    「市民はともかくとしてもだ、剣士や門下生に対してまで射幸心をあおるようなことを仕掛けるなど、剣士としての誇り、理念を惑わせるようなものだ」
     晴奈はそう反論したが、明奈はふるふると首を振った。
    「わたしにはそうは思えません。むしろ柊派と黄派、両者の結束を高める上でいい『つなぎ』の役割を果たしたと思っています。
     そもそも、わたしは常々思っていたのですけれど」
     明奈はキッと、晴奈をにらむ。
    「お姉様は堅いことが随分お好きのようですけれど、それを自分の中で守るだけならまだしも、他人にまでその生き方を押し付けたことが結局、月乃ちゃんを困らせ、黄海から離れさせる結果となったことに、まだお気付きにならないの?」
    「なに……っ」
     憤る晴奈に、明奈は珍しくきつい口調で対してくる。
    「お姉様はさぞ正しいことを実践されているかのように、ご自分の振る舞い方を考えているご様子ですけれど、わたしには自分勝手な正義の押し売りにしか感じられません。
     やれ正しい道を歩むべきだ、やれ真っ当に生きるべきだと、そう何べんも何べんも頭ごなしに言いつけられ、命じられて、はい分かりましたと素直に、愚直に応じる人間が当たり前のようにいると思ってらっしゃるの?
     何度も何度もわたし、言いましたけれど――お姉様自身、親からのああしろこうしろ、これがお前の行くべき道なのだ、お前にとって正しい人生なのだと、そう言う『真っ当な』命令に反発して出て行ったくせに、親になった今、全く同じことをしてらっしゃるのよ!
     その体たらくで『剣士としての誇り、理念』云々ですって? お姉様、一体あなた、何様になったおつもりなの!?」
    「ぐ……っ」
    「お姉様自身が30年以上も前にやったことを、今、他の誰もやってはいけないだなんて、烏滸がましいにも程があります!」
    「……」
     ぐうの音も出ない程に叱咤され、晴奈は黙るしか無かった。
    「……これ以上責めるのは心苦しいですけれど、もう一つだけ言わせてください」
     晴奈の様子を見た明奈は、一転、やんわりとした口調になった。
    「昔のお姉様の方がもっと、融通無碍な方でしたよ。長い旅を終えられて、様々な経験を積んで人間が磨かれたばかりの頃の方がよっぽど、気軽に話せる人でした」
    「……人は変わるさ。変わるものだ」
    「変わってほしくないところもあります。ありましたのに」
    「……」
     晴奈はうなだれたまま、明奈の部屋を後にした。



     姉が眠りに就いた後、明奈は己の執務室で密かに、ある剣士と会っていた。
    「……それは、本当に?」
    「ええ」
     晴奈の妹弟子、藤川霙子である。
     明奈は彼女から、「気になることがあるが現時点では確信が持てないため、晴奈の耳には入れたくない」と相談され、こうして密談することになったのだ。
    「しかし、それが本当なら、大変なことになります。でも確かに、今は姉に聞かせられるようなお話ではありませんね。
     まさか姉も、自分の身内にそんな者がいるとは夢にも思ってもいないでしょうし、何より今、姉は精神的に不安定です。そんなことを聞けば前後の見境を失うほどに激昂するか、卒倒するかしてしまうでしょう」
    「ええ、あたしもそう思うわ。姉(あね)さん、結構そう言うの弱そうだし」
    「『妹』ですものね、分かってしまいますよね」
    「そりゃ、ねぇ」
     二人でクスっと笑い、互いに真顔に戻す。
    「……コホン。ともかく一度、調べてみなくてはなりませんね。
     幸い調べものに関しては、うってつけの友人がいます。彼に頼めばすぐにでも、『その剣士』の生い立ちや素性を調べてくれるでしょう。
     そしてもし、霙子さんの懸念が本物であった場合――即座に手を打たなければいけません」
    「そうね。この差し迫りつつある状況下で、本当に『あいつ』がそうだった場合、この状況は『あいつ』にとってまたとない、復讐の機会だもの」
    「……ふむ」
     明奈は机から離れ、窓の外に目をやる。
    「むしろ、もしかしたら『その人』が今回の騒動の主犯、……なのかも知れませんよ」
    「え?」
    「狙い澄ましたように、時期が重なり過ぎていますもの。
     小雪さんの蹶起や月乃ちゃんの反発、……すべて『その人』にとって、あんまりにも都合がいい話ばかりですしね」
    「まさか……」
     顔を蒼くした霙子に、明奈は振り返ってこう続けた。
    「一人の怨念で歴史が動くこともあります。
     わたしたちは今まさに、岐路に立たされているのでしょうね――央南興亡の、岐路に」

    白猫夢・剣宴抄 終

    白猫夢・剣宴抄 9

    2013.02.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第178話。妹たちの懸念。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 晴奈の怒りに対し、明奈はこう返した。「確かに賭けはしておりました。けれどお姉様、それが何か、いけない結果を生じさせましたか?」「市民はともかくとしてもだ、剣士や門下生に対してまで射幸心をあおるようなことを仕掛けるなど、剣士としての誇り、理念を惑わせるようなものだ」 晴奈はそう反論したが、明奈はふるふると首を振った。「...

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    麒麟を巡る話、第179話。
    仁義と礼節なき乱暴者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     柊派の離反以降、紅蓮塞における「本家」焔流――小雪派は、混乱と暴走の一途をたどっていた。

     まず、紅蓮塞の台所事情が既に火急の状況であったことが、冷静になる機会を失わせた。
     柊派離反以前の資金源の7割に上る、軍や商家からの謝礼や献金、援助金を差し止められた上に、軍をはじめとする武力組織からの強制的な解雇・排斥を受けた剣士たちが集まり、収入の無い浪人と化したために、離反から一ヶ月もしないうちに、早くも紅蓮塞の有する資産は半分近くまで削られていた。
    「これでは黄州に攻め入るどころの話ではございません、家元」
    「じゃあ、どうするのよ?」
     財政状況を報告してきた御経に対し、小雪は苛立った声で尋ねる。
    「その……、現状といたしましては資金の確保が、何より優先されるべきではないかと」
    「だから?」
    「軍からの献金は恐らく、送られてくることは最早無いでしょう。近年の銃武装計画推進がございますし、剣士を追い出したがっていた傾向もありましたから。
     とは言え商家らの方にはまだ、話を付ける余地はございます。これまで献金額の筆頭でございました黄家の方に交渉を行い、資金を融通していただくのがよろしいのではないかと……」「よろしいのではないかと、ですって?」
     御経の言葉を遮り、小雪はまくし立てる。
    「黄家と交渉!? 我が本家焔流を差し置いて売名行為にひた走ったあの駄猫に、このわたしが頭を下げろと言うの!? はっ、御免だわ! 誰があんな奴に!」
    「し、しかし黄家が金を出さねば、他の商家も出そうとはしないでしょう。となればここはうわべだけでも……」「御経おおッ」
     小雪は御経の胸倉をつかみ、その顔に拳骨を叩き付けた。
    「ぶげ……っ」
    「べちゃくちゃべちゃくちゃと、情けないことばかりさえずってんじゃないわよッ!
     いい? わたしが家元なのよ? わたしが、上なの! あいつは、その下! なのにわたしがあいつに頭を下げて、金をくれと頼めって言うの? ふざけてんじゃないわよ!」
     小雪は御経を蹴り倒し、他の者をにらむ。
    「他には? もっとましな案は無いの? とりあえず当座の資金を手に入れられる、手っ取り早い方法は無いの!?」
    「手っ取り早いかどうかは、断言しかねますが」
     そう前置きし、深見が手を挙げた。
    「紅州の各都市は観光地として、それなりに稼いでいます。これまでにも多少ながら、献金はありました。
     現在は先の件で他と同様、資金を止めてきていますが、しかしこちらは緊急事態であるわけで」
    「で?」
    「武力組織の最たるものである軍隊は、何かしら不足があれば支配下の地域において徴発を行い、それを補います。これは非常時においては至極当然に行われている措置です。
     我々も非常時。ならばそれに倣えばよろしいのではないかと」
    「つまり、……襲えと言うのね? その各都市を」
    「そうです」
     うなずいて見せた深見に対し、小雪は顔をしかめた。
    「いくらなんでも、それはできないわよ」
    「何故です?」
    「だって、それをやったら、いよいよ周囲はわたしたちを、ただの破落戸として……」「ちょっと借りるだけじゃないですか」
     弱気になる小雪を奮い立たせるように、月乃が口を挟んできた。
    「黄海を落とし、黄家の財産を没収してしまえば、そんな借金はいくらでも返せるはずです。確実に返す当てがあるんですし、多少の無理くらい聞いてもらっても、全然問題ないじゃないですか」
    「……」
    「それ以外に家元が誇りを失わずに済む道はありません。頭、下げたくないんでしょう?」
    「……ええ」
     小雪は結局、側近に誘導される形で、紅州各地の都市を襲撃することを承諾した。



     この荒唐無稽かつ粗暴な企みは、結果的にはあっさりと成功した。
     元より焔流の本拠地であるため、州軍そのものや央南連合軍の駐屯地などが無く、紅州における軍事勢力は紅蓮塞ただ一つだけだったためである。
     抗う術を持たない紅州各都市は、瞬く間に陥落。当初の目論見通り、紅蓮塞は大量の剣士たちを悠々と養えるだけの資金源を手に入れることができた。
     そして今後も徴収を継続させるため、陥落させた各都市には焔流剣士たちが詰め、統制・統治する形となり――事実上、紅州は紅蓮塞に支配されることとなった。

    白猫夢・暗計抄 1

    2013.02.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第179話。仁義と礼節なき乱暴者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 柊派の離反以降、紅蓮塞における「本家」焔流――小雪派は、混乱と暴走の一途をたどっていた。 まず、紅蓮塞の台所事情が既に火急の状況であったことが、冷静になる機会を失わせた。 柊派離反以前の資金源の7割に上る、軍や商家からの謝礼や献金、援助金を差し止められた上に、軍をはじめとする武力組織からの強制的な解雇・排斥を受...

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    麒麟を巡る話、第180話。
    連合の不安。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     小雪派による紅州実効支配を受け、央南連合は戦々恐々としていた。
     央南連合は元々、各州間で起こる諸問題を、戦争と言う最終的・暴力的手段を使わず解決するために設立された機関である。
     そのため今回のように、一つの州が不当な暴力を以て占拠・征服され、近隣州にまで危害が及ぶことなど、あってはならない事態だったからである。

    「奴らの目的は黄州征服とまで聞いている。このまま看過していてはその周辺にも害が及ぶぞ」
    「事実、既に西辺州や白州との境に位置する都市へも侵攻しようとしているとか」
    「関係者筋からの情報だが、これはほとんど金目当ての行動らしい」
    「ええ、相当の資金難にあるとのことです」
    「地に落ちたな……、焔流も」
     玄州、天玄の央南連合本部に集まった、紅州を除く各州の代表たちは、揃って頭を抱えていた。
     この会議に、黄州の代表として出席していた明奈は、この騒動について対策を述べた。
    「黄州征服と仰っていましたが、正確には黄海に逗留する、昨年暮れに離反した柊派焔流剣士らの抹殺と、彼らが本拠地から持ち出した宝物の奪還が目的のようです。
     とは言え、確かに現在の彼らが金品目的に行動していることは明らかです。先程も申し上げたように、彼らは現在資金難であり、略奪しなければその体面を保てない状態に陥っているためです。
     となれば彼らの侵略を止める手段は、やはりその資金難の解消にあるのではないかと」
    「どうすると? まさか乱暴狼藉を繰り返す輩に、金を送れと言うのか?」
    「それは論外でしょう。わたしとしても、その手段は採りたくありません。
     問題をもう一段踏み込んで考えるに、その資金難は大量の剣士が失職し、浪人となって出戻ったことに一因があります。
     ならば逆に、この浪人たちが紅蓮塞からいなくなれば、紅蓮塞の資金難は解消。同時に機動力を失い、これ以上の侵攻を止めることができるのではないかと」
    「ふむ……」
     一方で、央南連合軍の司令官が手を挙げる。
    「しかし既に、我々のところで使役できるような部署は存在しない」
    「ええ、存じております。さぞやお気軽に厄介払いをなさったことでしょうね。こうなることも予想されずに」
    「……オホ、オホン」
     ばつの悪い顔をした司令から顔を背け、明奈はこう続けた。
    「私事ですけれど、我が黄州にも一時、浪人たちが多数詰めかけておりました。
     しかし現在ではその浪人たちを教員とした学校を設立し、彼らの雇用安定を確立しております。その他にもわたしの有する商会で様々な雇用策を講じ、浪人があぶれるような事態はどうにか収まっています。
     どうでしょう、他の州でも同じように学校など設立して、雇用口の拡大を試みては?」
    「なるほど……」
    「いや、しかしそれは金がかかる。よしんば設立したとして運営なり、維持ができるかどうか」
    「いやいや、このまま看過していてはいずれ黄州以外にも侵攻するのは明白。その被害額や州軍、連合軍を動員する経費、実際に交戦まで事態が発展した場合の戦費や損害を考えれば、そっちの方が金銭面でも、人的・物的被害の面でも圧倒的に安く上がるはずだ」
    「それも一理あるな」
    「では、どうやって紅蓮塞内の浪人たちを寝返らせる? まさか向こうまで足を運び、引っ張り出すわけにもいくまい?」
     これについては央南連合の現首席、三国が案を出した。
    「いえ、公式に出向き、これ以上の侵攻を行わないよう話し合う機会を設けること自体については、元より考えていました。このまま連合が何も言わず、遠巻きに見つめているだけでは、状況の打開は難しいでしょう。
     その合間に浪人ら、ないし彼らを説得できる人物と接触し、黄氏の案を遂行しましょう。ただ、出向いて正面から説得……、では効果は期待できないと思います。
     本営は元より、集まってきた浪人たちも既に悪事に手を染めた身であるでしょうし、『もう後戻りはできない』と考え、こちらの説得に耳を貸そうとしないことは、十分に考えられますから」
     三国の言葉を継ぐ形で、さらに明奈がこう述べた。
    「確かにその通りです。安易な説得や、ましてや強引に連れ戻すような対応は、却って事態を悪化させかねません。
     ここは彼ら自ら『本拠地を蹴ってでも話に乗りたい』と思わせるような話を持ち掛けないと」

    白猫夢・暗計抄 2

    2013.02.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第180話。連合の不安。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 小雪派による紅州実効支配を受け、央南連合は戦々恐々としていた。 央南連合は元々、各州間で起こる諸問題を、戦争と言う最終的・暴力的手段を使わず解決するために設立された機関である。 そのため今回のように、一つの州が不当な暴力を以て占拠・征服され、近隣州にまで危害が及ぶことなど、あってはならない事態だったからである。「奴らの...

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    麒麟を巡る話、第181話。
    馬脚を露した家元。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     央南連合は紅蓮塞に対し、これ以上の侵略行為を行わないことと、占拠した都市を解放することを要請した。
    「『なお、従わない場合には実力行使もやむを得ないものとする』、……ですって? 従う義理なんか無いわよ!」
     これを受けて、小雪はあからさまに不快感を示した。しかしそれを、御経が平伏してなだめる。
    「いや、ここは聞き分けていただかねばなりません」
    「なんでわたしが……」
    「家元だからです」
    「えっ?」
    「我が紅蓮塞は現時点で事実上、紅州を治めているも同然の状況です。そして紅州が央南連合に属する以上、彼らとの付き合いを確立しておかねば、最悪の場合、問答無用で攻め込まれてもおかしくはないのです。
     その紅蓮塞の長たる家元はもう既に、それだけのことをなさっていらっしゃるのですから」
    「は? え、ちょっと待ってよ? 攻めろって言ったのは、わたしじゃないわよ」
    「襲撃は家元の名において行われたこと。であればその責は、家元に帰属します」
    「な、なに、それ? 知らないわよ、何を勝手なこと……」「もし責任を負いたくないと言うことであれば」
     と、やり取りを眺めていた月乃がニヤ、と笑う。
    「家元の座を降りていただくしかありませんね」
    「なっ……」
     面食らう小雪に対し、月乃が嘲るようにこう続ける。
    「だってそうじゃないですか?
     我々焔流剣士すべてを指導・監督する立場にある、ひいては我々の合意、総意の上に起こした行動に対する全責任を負う。家元はそう言う立場にあるはずです。
     ところが『小雪さん』、あなたは責任なんか知らないと言う。じゃあ家元失格、その器じゃないってことですよ。
     もっとふさわしい人間に託してもらうしかありませんねぇ……?」
    「つ、きの……ッ!」
     この物言いに、小雪の頭に血が上りかける。
     だが――遠巻きに見つめる御経をはじめ、この場に集まった側近らの顔色を見て、小雪はぎくりとさせられた。
     側近らが皆一様に、半ば呆れたような、そして半ば失望したような顔を、自分に向けていたからである。
    (それが狙いか……、月乃!
     わたしに難癖をつけて家元の座から引きずり降ろし、籠絡した良蔵を傀儡にして、自分がその座に成り替わろうとしているのかッ!
     さ、させるものか……!)
     小雪はギリギリと歯ぎしりを立てながら、こう返した。
    「せ、責任はわたしが取るわよ! 取ればいいんでしょ!?
     分かったわよ、御経! 央南連合と話し合いをするわ! そう返事を送りなさい!」
    「御意」
     ほっとした顔をして、御経はうなずいた。

     それと同時に――御経は内心、これ以上無いくらいの落胆を感じていた。
    (資金源が一斉に消えた時、これは紅蓮塞にとって、焔流にとって、最悪の事態になったと嘆いていたが……! この逆境はさらにまだ、一段と深く底を打つと言うのか!
     今のやり取りで、拙者のみならず、皆が失望したであろう。我らが主君と仰いできたこの方が、ただの考えなしの、小心者の、そしてあの小娘の操り人形に過ぎぬ凡君、愚君であると、皆が悟ってしまったのだからな。
     もはやこの先、焔小雪を塞の主軸に据えては立ち行かぬだろう。あれはもう、本当に本当の、お神輿人間だ。この先一生、あの娘は黄月乃に操られることになろう。
     そんなものは――拙者の思い描いていた焔流の未来では、決して無い!)
     御経はこの時、小雪に対する忠誠心を失った。

     とは言え御経には範士としての、かつ、塞内の家宰役としての矜持もある。
     小雪に命じられたことを反故にはせず、律儀に央南連合との交渉の場を立て、小雪、深見と共にその場へ臨むことにした。



     この一件により、小雪と彼女率いる紅蓮塞は、さらに混迷の度合いを強めることになった。
     そしてこの後の交渉と、その裏で行われた「取引」とが、紅蓮塞の暴走をより一層激しくさせた。

    白猫夢・暗計抄 3

    2013.02.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第181話。馬脚を露した家元。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 央南連合は紅蓮塞に対し、これ以上の侵略行為を行わないことと、占拠した都市を解放することを要請した。「『なお、従わない場合には実力行使もやむを得ないものとする』、……ですって? 従う義理なんか無いわよ!」 これを受けて、小雪はあからさまに不快感を示した。しかしそれを、御経が平伏してなだめる。「いや、ここは聞き分けてい...

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    麒麟を巡る話、第182話。
    紅蓮塞と連合の交渉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     連合と紅蓮塞との交渉は紅州と白州の境にある街、椛町で行われることとなった。

    「ではまず、現在起こっている問題の確認を行い、そしてそれについて対応策を検討したいと思います」
     連合主席、三国が連合側の代表となり、交渉が始められる。
    「現在、紅州は武力組織、紅蓮塞がその実力を行使し、不当に支配している状態である。これが我々の見解です。相違はございますか?」
    「あんた、もっと言い方ってもんが……」「家元、我々が話をしますので」
     いきなり声を荒げようとした小雪を抑え、御経が応答する。
    「その見解には若干の誤りがございます。
     確かに現在、紅蓮塞は紅州の主要都市に対し実効支配の形をとってはおりますが、これは我々への資金供与を不当な形で打ち切った商家らに対する報復行為であります。
    勿論その問題が解決し次第、即ちこれまで通り資金供給を行っていただきさえすれば、すぐにでも剣士らを撤退させ、従来通りの統治体制に戻すことを検討しております」
    「資金供給を行ってもらうと言うのは紅州下の商家の方に対して、でしょうか」
    「それもありますが、あなた方央南連合からの供給も考慮に入れていただきたく存じます。何しろ昨年まで、その供給額は我々の歳入の2割弱に相当しておりました故」
    「なるほど。しかし我々の方から資金を融通することはしていないはずです」
     こう返され、またも小雪が噛みつこうとする。
    「寝言言ってんじゃないわよ!? 金送ってたのは事実……」「家元、家元」
     再度それを抑え、御経が質問を返す。
    「家元からの指摘があったように、我々に多額の資金を送っていたのは事実のはずですが?」
    「無条件での融通はしていません。これまでの供給は央南連合軍に対する奉仕、協力の見返りとしての謝礼金であり、援助金や献金の類ではありません。有り体に言えば仕事をしていただいた分の報酬としてです。
     それを踏まえた上で再度、我々からの資金を受けたいと言うことであれば、それに見合う働きができるかどうか、と言うことになります。
     どんな形でももう一度軍に入り、我々の姿勢、体制の元に勤務していただく、と言う条件であれば、謝礼金の件は吝かではありませんが」
     これを受け、御経と深見は揃って眉をひそめた。
     一方、この言葉を今一つ理解できていない小雪は、応じようとする。
    「なにゴチャゴチャ言ってんのかワケ分かんないけど、うちの剣士もう一回引き取ってくれるんなら……」「家元、家元。お待ちください」「何よ?」
     深見がそれを止め、小雪に耳打ちする。
    (彼らの主張は、言わば『焔流の剣士として雇う気は無い。剣を握らせることは絶対無いが、それでもよろしいか』と言うことです)
    (どう言うこと?)
    (現在の連合軍は銃武装を推進しております。であれば、軍に入れば否応なく銃を装備させられることになります。
     軍に入れば剣士として扱われることはまず、ありませんでしょう。せいぜい最低格に毛の生えた程度の、事実上の一兵卒扱いの待遇。であれば、以前のように剣士の腕を見込んだ分を含めての豊富な謝礼金はまず、出ません。
     そうなるとその額は恐らく、昨年の3分の2、いえ、2分の1にも満たないものになるかと)
    (つまりわたしたちの門下をはした金で買い取ろうとしてる、ってこと?)
    (平たく言えばそうなります。
     こんな条件で剣士らを引き渡したことが公になれば、『紅蓮塞は身を寄せてきた剣士たちを二束三文で売り払った』とうわさを立てられるでしょう)
     こう説明され、悪評に耳ざとい小雪は当然、突っぱねた。
    「ふ、ふざけんじゃないわよ! そんな条件呑めるわけないじゃない!」
    「なるほど」
     三国は肩をすくめ、こう続けた。
    「我々にはそれ以上の条件での引き受けはいたしかねます。残念ですがそれ以外の打開策を見付けなければいけませんね」
     その後も何点かの提案はあったものの、互いに妥協点を見出すことができず、話し合いは一向にまとまらなかった。

    白猫夢・暗計抄 4

    2013.02.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第182話。紅蓮塞と連合の交渉。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 連合と紅蓮塞との交渉は紅州と白州の境にある街、椛町で行われることとなった。「ではまず、現在起こっている問題の確認を行い、そしてそれについて対応策を検討したいと思います」 連合主席、三国が連合側の代表となり、交渉が始められる。「現在、紅州は武力組織、紅蓮塞がその実力を行使し、不当に支配している状態である。これが我...

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    麒麟を巡る話、第183話。
    おてがみ?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     交渉に進展が見られないまま、3日が過ぎた。

    「侵略を行ったのは資金不足によるもの。それを央南連合が補うなら紅州解放を約束する」として金を要求する紅蓮塞と、「我々の提示した内容に従うなら、資金供給は吝かではない」として、紅蓮塞にとってひどく分の悪い条件を突きつけてくる央南連合との話し合いは平行線をたどるばかりであり、紅蓮塞側の交渉の主軸となっていた御経は疲れ果てていた。
     その上、相手とろくに対話もしようともせず、自分勝手に口を挟もうとする小雪を何とか抑え込むため、余計な気遣いまでさせられていたため、御経の心労は極限に達しつつあった。
    「はあ……」
     3日目の交渉も物別れに終わり、御経は定食屋で一人、黄昏ていた。
     一応、好物であるすき焼き風定食を注文したものの、胃の辺りがキリキリと痛み、膳が運ばれてから15分ほどが経っても、一向に箸を付けられない。
    (もっとあっさりしたものにした方が良かったか……)
     そんなことをぼんやり考えながら、御経はどんよりとした心持ちで座っていた。

     と――店に一人、客が入ってくる。
    「あら、あなたは……」
    「うん?」
     御経が振り返ると、そこには連合側の人間として交渉に参加していた、明奈の姿があった。
    「ああ、黄大人。本日はどうも」
    「どうも、御経範士。……相席、よろしいかしら」
    「え? ええ、構いません」
     自分の向かいに座った明奈を、御経は訝しむ。
    「拙者に何か御用が?」
    「いいえ? わたしもお腹空いちゃったので。それに、知った方がいらっしゃるのに相席もせず背を向けるなんて、無粋じゃありませんか?」
    「はあ……、まあ、そうですな」
     明奈はニコニコと笑いながら丼物を注文し、もう一度御経に向き直る。
    「大変ですね」
    「ええ、まあ」
    「わたしが何とかできるのなら、してあげたいのですけれどね。焔流の方とは、並々ならぬ付き合いがございますし」
    「ああ、そうでしたな。黄……、範士の妹御でいらっしゃいましたね」
    「ええ。姉も此度の一件、ひどく胸を痛めておりました」
    「でしょうな。まさか自分の娘御がこんな醜聞に関わって、……あ、いや」
    「ふふ、大丈夫です。ここにはわたしとあなたしかいませんから」
     明奈はいたずらっぽく笑い、片目を閉じて見せる。
    「ああ、そうそう。用が無いとは言いましたが、姉から『機会があれば御経に渡しておいてくれ』と、こんなものを渡されていました」
    「え?」
     御経は晴奈と同年代であり、面識も少なからずある。若い頃には共に修行したり、碁を囲んだ覚えもあって、決して疎遠な関係ではない。
     しかしここ数年は会っておらず、小雪の一件もあったため、そんな彼女が自分のことを気にかけているとは思ってもいなかった御経は、虚を突かれる。
    「黄が、拙者にですか?」
    「ええ」
     明奈は鞄から一通の手紙を取り、御経に渡した。



    「敬愛する我が同輩 御経周志へ

     此度の一件、家宰役を務めるお主にとっては誠に心痛め、頭悩ます事態であろうと察する。
     それは私にとっても同じことだ。
     だが一方で、なるべくしてなったことでもあろうと、割り切ってもいる。
     小雪も月乃も、その道を選んだが故の結果であろう。
     心痛むことであるが、そう考えるしかないと、今では諦めている。

     しかし一方で、望まずして巻き込まれた者たちの多さにも憂いている。
     そのような者たちをただ見過ごすのは、私にとってはなお心を苦しめることになる。
     然らばその者たちに手を差し伸べるべきではないかと思い立ち、こうして筆を取った。

     周志。お主の力で、左様な者たちを我が黄海に引き込むことは可能だろうか?
     無論、お主自身もこちらへ来てくれると言うのなら、これほど喜ばしいことは無い。
     もしこれが成れば、手厚く保護し、然るべき待遇を以て……」



     ここまで読んだところで、御経は手紙をぐしゃ、と握り潰した。
    「えっ」
    「黄大人。人をからかわないでいただきたい」
     御経は手紙をくしゃくしゃに丸め、机の上に捨てた。

    白猫夢・暗計抄 5

    2013.02.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第183話。おてがみ?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 交渉に進展が見られないまま、3日が過ぎた。「侵略を行ったのは資金不足によるもの。それを央南連合が補うなら紅州解放を約束する」として金を要求する紅蓮塞と、「我々の提示した内容に従うなら、資金供給は吝かではない」として、紅蓮塞にとってひどく分の悪い条件を突きつけてくる央南連合との話し合いは平行線をたどるばかりであり、紅蓮塞側...

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    麒麟を巡る話、第184話。
    定食屋での密談。

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    6.
    「共に修行した頃から数十年が経てども、拙者は黄の字を忘れてはおりませんし、奴の言いそうなこと、言わなさそうなことも見当が付きます。
     黄がこんな、人を利、不利で誘うようなことを言うはずが無い」
    「あら……、バレちゃいましたか」
     明奈はぺろ、と舌を出して見せた。
    「姉の字を真似るの、得意だと思っていたんですけどね」
    「ええ、字は割合似ておりましたな。ただ、内容は似ても似つかない」
    「……では正直に」
     運ばれてきた鯛まぶし丼に目もくれず、明奈は自分の狙いを打ち明けた。
    「その手紙の内容、ほとんどわたしがお願いしたいことなんです。
     御経範士、あなたのお力で浪人たちを紅蓮塞から逃がし、我が黄海に送ることは可能でしょうか?」
    「何故それを拙者に……、もとい、そんなことができるはずも無いでしょう」
    「あら」
     明奈はニコ、とまたもいたずらっぽい笑いを見せる。
    「何故ですか?」
    「拙者は紅蓮塞の家宰、即ち紅蓮塞を取りまとめる役目を先代の頃より仰せつかっております。そんな拙者が『紅蓮塞から出よ』などと言えるはずも……」
    「そのお言葉、本心ですか?」
    「……!」
     明奈は依然笑顔のまま、こう続ける。
    「失礼を承知で申し上げるのはわたしの悪い癖なんですが、それでも一つ、言わせてくださいな。
     今の紅蓮塞、あなたが家宰を務めたいと思うほど、格の高い組織ではなくなっているはずです。
     今の紅蓮塞はまるで野武士や山賊の隠れ家のごとく、滅多やたらに街を襲い、その金品を強奪して回っている、地に落ちた存在。
     さらに言えば、その上に立つ家元はそれ以下の所業を繰り返している。親を殺そうと画策し、街を襲うことを咎めようとせず、揚句に……」
     明奈は机に身を乗り出し、御経にひそ……、とつぶやく。
    「その責任から逃れようとされた」
    「なっ……! 何故それを、……う、う」
     慌てて口をつぐんだが、明奈は見透かしていたことを告げる。
    「この3日間の彼女の態度を見ていれば、そんなことは手に取るように分かります。
     まるで余所事のような応対でしたものね。自分が手を汚したと、心の奥ではまったく思ってらっしゃらないみたい」
    「……でしょう、……な。拙者もそれは、……ええ、少なからず感じておりました」
    「その誇りを失った紅蓮塞に」
     明奈は座り直し、こう尋ねる。
    「義理立てをする理由があるんですか?」
    「……紅蓮塞は、……代々、焔流剣士が守ってきた、伝統ある城です。その家宰役を命じられた以上、裏切ることなど」
    「それについても、あなたは疑問を抱いているはずです。
     今の焔流家元が、その伝統を受け継ぐに相応しい人間であると、あなたはそう思っていますか?」
    「……っ」
    「失礼が過ぎているのは、十分に弁えているつもりです。
     でも、あなたの本心もわたしには、見えていましたから」
    「……」
     黙り込んだ御経に、明奈は優しく、しかし凛とした声でこう続けた。
    「御経範士。あなたの悩み、迷いに対する最上の解答は、わたしたちに、密かに協力することです。
     あなたが『紅蓮塞を出よう』と声をかければ、大勢の方が付いてきてくれるはずです。そうして紅蓮塞の機動力を弱め、動けなくしたところで、わたしたちが逆に攻め落とすんです」
    「な……」
    「そして現家元を追い出し、今、黄海にいる焔家の血を持つ人間を改めて、家元として立てる。そうすれば……」
    「……なるほど。……なるほど、確かに」
     これを聞いた御経は、久々に心の晴れた気持ちになった。
    「少なくとも今、わたしのところにいる晶奈ちゃんは、今の小雪さんとは比べ物にならないほど出来た子ですよ。より相応しい人間だと思います。
     ……さて、と」
     明奈は箸を手に取り、御経に促した。
    「食べましょ、御経さん。わたしもういい加減、お腹が鳴っちゃいそうですもの」
    「え? ……そ、そうですな、うむ」
     先程までまったく手を付ける気にならなかったすき焼き風定食を、御経はこの時、すんなりと口に運ぶことができた。

    白猫夢・暗計抄 6

    2013.02.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第184話。定食屋での密談。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「共に修行した頃から数十年が経てども、拙者は黄の字を忘れてはおりませんし、奴の言いそうなこと、言わなさそうなことも見当が付きます。 黄がこんな、人を利、不利で誘うようなことを言うはずが無い」「あら……、バレちゃいましたか」 明奈はぺろ、と舌を出して見せた。「姉の字を真似るの、得意だと思っていたんですけどね」「ええ、字は...

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    麒麟を巡る話、第185話。
    剣士にあるまじき者。

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    7.
     御経と明奈が密談を交わした翌日――これまで無理難題に近い提案をし続けてきた央南連合が突如、こんな案を出してきた。
    「これまでの3日、交渉を続けて参りましたが、どちらの意にも沿わない案ばかりが出ており、まったく進展が無いまま過ぎました。
     これでは互いに時間を浪費するばかりです。心苦しいですが、我々が多少、譲歩しようかと考えています」
    「え?」
    突然こんなことを言われ、面食らう御経らに対し、三国はこう続けた。
    「やはり今回の騒動の発端において、央南連合軍が過敏に反応したことが、ここまで騒動を広げた一因であるかと思います。
     軽率に措置を下し、これまで長らく関係を保ち続けてきたあなた方紅蓮塞と無理矢理に手を切ろうとし、このような結果になったこと。そのお詫びも兼ねまして」
     そこで三国が言葉を切り――何故か明奈がその後を継いだ。
    「央南連合軍に働きかけ、従来通りの待遇で軍に戻っていただけるよう説得しようと考えております。また、他の武力組織から戻られ、他の職に就けないでいる方につきましても、連合の方で新職を設置し、出来る限り雇用したいと考えております。
     簡単に申し上げれば、従来通りの状況に可能な限り戻せるよう、我々の方で最大限努力させていただく、と言うところです」
    「ふ、む……」
     この案を提示され、御経は考える。
    (確かに軍や新職とやらで、紅蓮塞に溢れていた浪人らを吸収してもらえるのであれば、資金難は解消される。特に軍の方は『従来通り』と言うことであれば、金も概ね元通り入ってくるようになる、……か?
     しかし何故だ? これまで散々、こちらの人材を元通りに採ることを避けてきた連合が何故、今になってこんな案を、……ぬっ?)
     その時、御経は確かに明奈が、自分に向かってにっこりと笑いかけて来るのを見た。
    (……そう言うことか。この案に乗り浪人らを集めさせ、そして拙者ごと紅蓮塞から抜けさせようとしているのだな?)
     御経はもう一度、明奈をチラ、と見る。
     それに応じるかのように――明奈は御経だけに見えるよう、指で「○」を作って見せた。
    (やはり、そうか……。
     元々、家元にはうんざりしていたのだ。……是非も無し。乗るが吉、か)
     御経は体面上、適当に質問や意見のすり合わせなどをし、その案を呑むと返答した。
     そして交渉の結果、連合側が提示した案が実現し次第、紅蓮塞による紅州支配を解くことが約束された。

     紅蓮塞に戻ったところで、小雪がはーっ、と疲れ切ったため息を吐いた。
    「4日もうだうだ、うだうだと……。ちゃっちゃとまとめなさい、っての!」
    「まあまあ、家元。これでどうにか問題は解決いたします」
    「そうね。これでようやく、黄州に攻め込めるわ」
    「……あの?」
     ぎょっとする御経に、小雪は馬鹿にしたような目つきで、こう返した。
    「振り出しに戻ったってだけじゃない。余計な問題がすっきりしたんでしょ? じゃあ元々考えてた通り、黄のところに押し入るだけじゃないの」
    「お、お待ちください、家元! それでは約束が反故になってしまいます!」
    「反故? 紅州解放だけでしょ? 黄州をこれからどうするかなんて、誰も話してないわよ」
    「攻めれば同じことです! 攻めればまた今回のように、連合が押しかけてきますぞ!?」
    「その時はその時じゃない。また今回みたいにあんたが話まとめて、黙らせりゃいいのよ」
    「はい?」
     御経は小雪の傍若無人な態度に怒りを覚えたが、小雪はそんな御経に目もくれず、こう言い捨てて自室に戻っていった。
    「何でわたしがあんなしみったれた下衆共なんかとの約束を、まともに守らなきゃならないのよ。馬鹿馬鹿しい」
    「……」
     一人残された御経は――それでも小雪に聞かれないように――こうつぶやいた。
    「約束も守れぬ、……と言うのか。左様な性根でよくも剣士だ、家元だなどと……ッ!
     もう沢山だ。拙者、貴様のような馬鹿殿には、これ以上付き合っていられん」



     4時間後――御経は浪人230名余を連れ、紅蓮塞を後にした。

    白猫夢・暗計抄 7

    2013.02.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第185話。剣士にあるまじき者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 御経と明奈が密談を交わした翌日――これまで無理難題に近い提案をし続けてきた央南連合が突如、こんな案を出してきた。「これまでの3日、交渉を続けて参りましたが、どちらの意にも沿わない案ばかりが出ており、まったく進展が無いまま過ぎました。 これでは互いに時間を浪費するばかりです。心苦しいですが、我々が多少、譲歩しようか...

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    麒麟を巡る話、第186話。
    仄見える、悲惨な結末。

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    8.
     明奈は、きっちりと約束を守った。

     御経をはじめ、紅蓮塞から黄海へ逐電した浪人たちに、明奈は柊学園での教職や用務員、黄商会関係の用心棒、黄州軍での指導教官など、様々な職をあてがった。
     そして御経自身にも柊学園における教頭職が打診され、御経はこれを快諾した。



    「黄、まさかお前とまた、こうして碁を囲むことができようとは」
    「全くだ」
     晴奈とも十数年ぶりに再会し、御経は久々に彼女と囲碁を打っていた。
    「となると、御経範士」
     それを眺めていた明奈が、御経に現在の状況を尋ねる。
    「現在の紅蓮塞に、浪人の方はほぼ残ってらっしゃらないと言うことでしょうか」
    「ええ、塞内にいた者はほぼ全員、拙者と共にここへ。
     ただ、紅州各都市の制圧要員として出た者は、まだ200名近くおります」
    「それについては……、今後の展開に絡んできそうには無いですね」
    「うん?」
     明奈は苦い顔をしつつ、それについて語った。
    「今回の『裏』の交渉が実ったことにより、紅蓮塞の力が著しく弱まったのは事実です。
     資金繰りをしてくれていた御経範士がいなくなり、経済面では最大級の混乱をきたすでしょう。
     そして多数の兵力を以て、これまで抑え付けてきた各都市も、本拠に人がいなくなったこの機に乗じて、反旗を翻すはず。隣州の州軍や駐屯している連合軍に働きかけ、街を解放しようとするでしょう。
     その2つの混乱に呑まれず、逆にこの黄海にまで押しかけられるような機略と度量が小雪さんやその側近にあるとは、非常に考えにくいですし」
    「然り。知恵者と言えば深見がまだ残ってはいるが、彼奴一人でどうにかできるとは思えん。ましてやあの馬鹿殿がいるとなれば、そのお守りで手一杯だろう」
    「恐らく小雪さんにできることは、紅州各都市を占拠させていた浪人たちを呼び戻し、紅蓮塞の守りを固めさせることくらいでしょう。それ以外に体面を保ち、小雪さんの社会的・肉体的生命を維持する手段はありません。
     ですが恐らく、それは実らないでしょう。今にも連合軍が攻めて来ようと言う時に、形勢の傾いた本拠地から遠く離れた浪人たちが、わざわざ小雪さんの言うことを聞くとは思えません。十中八九見捨て、連合軍に投降するでしょう。
     となれば――今回の騒動は、ほぼ終息したと言ってもいいでしょう」
    「うん……?」
     この結論に対し、御経が質問する。
    「黄大人、定食屋で言っていたあの件は、いつになるのです?」
    「あの件? ああ、新しい家元を、と言う話でしょうか」
    「ええ。黄大人の今の話だと、結局焔小雪が残っているではないですか」
    「それも風前の灯でしょう。わたしの話の通りに事が進み、紅蓮塞が連合軍に包囲されることになれば、間違いなく塞内で争いが起こります。
     それを収める方法は一つしかありません。即ち、争いを起こした張本人を引きずり出し、塞外に放逐するか、軍に引き渡すか、それとも内々で処刑するかです」
    「……なるほど。無残と言う他ないが、自業自得ですな」
    「……」
     と、ここで晴奈が席を立つ。
    「どうした、黄? まだ勝負は……」「お主の勝ちでいい。私は寝る」
     そう言い捨て、晴奈は部屋を出て行ってしまった。
    「どうしたと言うのだ……?」
    「無理もありません。わたしの言う通りになれば、処刑されるのは小雪さんだけでは済まないはずですから」
    「……黄月乃か。あの娘も同じ目に遭うでしょうな」
    「失礼なことを平然と言ってしまうのはわたしの悪い癖、と承知してはおりますが、それでも今のは失言でしたね。
     ……まあ、でも。丁度良く人払いができました」
    「え?」
     きょとんとする御経に構わず、明奈は辺りを見回した。
    「霙子さん、いらっしゃるんでしょう?」
    「ええ」
     窓が開き、霙子が音も無く、するりと入ってきた。
    「流石ですね。それで、エルスさんと小鈴さんは何と?」
    「あたしの言う通りだった、と。いえ、それ以上に悪いことになっていた、と言ってました」
    「それ以上に?」
    「ち、ちと待って下さい、黄大人。一体、何の話なのです?」
    「この騒動を裏で操っていた、ある男の話です」
     これを聞いて、御経は唖然とした。
    「操っていた……? この、央南西部全体を引っ掻き回すような大騒動を、操っていた男がいると言うのですか!?」
    「ええ。恐ろしく狡猾で、残忍で、その冷血振りは、他に類を見ないほど。
     そして黄家と焔流に対し、底知れぬ恨みを抱いている。両家の徹底的な、完膚無きまでの破滅を、何より願ってやまない。
     まさに悪魔と称するべき、そう言う男です」
     霙子の説明に、御経はぶる……、と身震いする。
    「何と言う奴ですか、それは……?」
    「御経範士、あなたも耳にしたことがあるはずです。
     篠原、と言う男のことを」

    白猫夢・暗計抄 終

    白猫夢・暗計抄 8

    2013.02.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第186話。仄見える、悲惨な結末。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 明奈は、きっちりと約束を守った。 御経をはじめ、紅蓮塞から黄海へ逐電した浪人たちに、明奈は柊学園での教職や用務員、黄商会関係の用心棒、黄州軍での指導教官など、様々な職をあてがった。 そして御経自身にも柊学園における教頭職が打診され、御経はこれを快諾した。「黄、まさかお前とまた、こうして碁を囲むことができようと...

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