黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第6部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 1774
    • 1775
      
    麒麟の話、第6話。
    次の波。

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    6.
    「景気循環」って言葉がある。
     景気はある一定の期間で循環している。好景気がいつしか山を迎えて後退し、不景気になって谷底を打ち、そしてまた回復していく。その流れをそう呼ぶんだ。
     ちなみにこの期間には、長いモノと短いモノがいくつか存在するらしい。
     短いモノでは3年か4年。もうちょっと長くなると10年、20年。最長では50年ほどの周期で循環するそうだ。
     言い換えれば、「時代の波」ってトコかな。

     思えば中央政府が崩壊し、「ヘブン」が生まれ、そしてそれも滅んだこと。アレは時代の波だったんだろう。ソレも、ものすごく大きな波だ。
     あの一大事件で、世界のすべてが変わった。世界の中心は央北から央中・央南に移り、莫大な富や権力を築いた者、ソレを失った者は数多く現れた。



     ソレからもう、40年以上が経った。
     そろそろ次の波が、来ようとしている。

     中央政府崩壊からの半世紀を築き、率いてきた人たちも、少しずついなくなってきている。次の主役たちが登場するのは、もう間もなくだ。

     そしてまた――ボクとアイツらとの戦いが、始まろうとしている。
     アイツらもこの40年、大した動きを見せなかった。アイツらもこの波が後退していたコトに気付いていたんだろう。
     言い換えれば、「不作」だったんだ。ボクやアイツらの眼鏡に適う素晴らしい人材を、この40年、どっちも見付けられなかったんだ。
     いや、ボクは違う。人材を見付けられなかったんじゃない。見付からないコトが、最初から分かっていたからだ。

     ソレもまた不思議な符合だ――世界を変えるほどのすごい人物もまた、何十年かの周期でしか現れない。
     考えてみればコレも、不思議な話だ。ソイツのせいで時代が変わるのか? 時代の波が、ソイツを作るのか?
     どっちが先なのかな? ……残念だけどこの答えはまだ、出そうにないな。



     ともかく、次の戦いはもう間もなく、始まろうとしている。敵もそろそろ、動き出すだろう。
     とは言え――今のところ、ボクが一歩リードしている。ソレだけは確実に言える。
    白猫夢・麒麟抄 6
    »»  2013.09.29.
    麒麟を巡る話、第260話。
    老宰相、いまだ現役。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     歴史が動く年、あるいは激動の時代と言うものは、確かに存在する。

     その一つが、双月暦520年代である。
     政治的にはこの頃、あの超大国「中央政府」が崩壊し、「ヘブン」が誕生した。しかしそれも別の超巨大組織「西大海洋同盟」によって倒され、彼らが取って代わった。
     経済もそれにつれて激変した。かつて基軸通貨として権勢を奮ったクラムはみるみるうちに影を潜め、代わりに央中のエルや央南の玄銭が台頭した。
     人間の面でも、この頃に様々な偉人、才人が姿を現した。「同盟」を築き上げたグラッドとナイジェル。自動車や機関砲、電気通信を創り出したスタッガートやヴィッカー、トポリーノ。
     そして6世紀、いや、それまでの世界史上、最も大出世し、後年に語り継がれる偉業を成した人物として知られるのが――西方の宰相にして戦略理論の第一人者、ネロ・ハーミット卿である。



     そんな彼らも歳を取り、隠棲し、あるいは既に鬼籍に入り――彼らの活躍も半ば伝説や物語、逸話に変わりつつあった、双月暦562年。
     この年より、新たな伝説が幕開けつつあった。

     プラティノアール王国、御前議事堂。
    「以上で今年度の予算決議を終了します」
     議長の言葉と共に会議が閉会され、ぞろぞろと大臣、閣僚たちが議事堂から出てくる。
    「卿、卿! ハーミット卿!」
     と、その奥から人をかき分けるように、一人の兎獣人が飛び出してきた。
    「うん?」
     次の執務のため、足早に歩いていたハーミット卿の元にたどり着いたところで、彼がぺこ、と頭を下げた。
    「君は?」
     尋ねたハーミット卿に対し、彼はにこっと笑って見せる。
    「私、本日の会議を公聴しておりました、ミシェル・ロッジと申します」
    「ロッジ? と言うと、もしかしてあなたは、……ええと」
     ハーミット卿はそこで言葉を切り、少し間を置いて尋ねる。
    「そう、確か……、ロージュマーブル公国の、……公子殿下でしたか?」
    「その通りです。本日、後学のためにと父より命じられ、こちらに参りまして」
    「そうですか、なるほど」
     ハーミット卿は会釈を返し、彼に右手を差し出した。
    「ようこそいらっしゃいました、公子殿下。私の拙い答弁で、退屈致しませんでしたか?」
    「いいえ、まさか! やはり卿は優れた御方であるとの思いを、新たにいたしました!
     西方三国和平の立役者と言われた政治手腕は、なお健在のご様子で」
    「それはどうも。お父上……、大公陛下はお変わりありませんか?」
     そう聞いたところで、ミシェルは表情を曇らせた。
    「あの、それについては……」「ああ」
     彼の言わんとすることを察し、ハーミット卿はこう続けた。
    「立ち話もなんですし、私の執務室でお話ししましょう。
     ちなみに殿下、囲碁はご存知ですか?」
    「え? ええ、多少は」
    「それなら良かった」

     あの事件の後――「グリスロージュ帝国」は事実上、二つの国に分裂した。
     名前を「グリスロージュ帝政連邦」と変え、元々あったグリサルジャン王国とロージュマーブル王国の領地をそれぞれ、帝国最大の権力者2名――モダス帝の片腕的存在だったロガン卿と、帝国における宰相、総理大臣の地位にあったロッジ卿に分割して与えられ、モダス帝は「連邦の象徴」として両者の上に君臨するのみとなった。
     そのロッジ大公の長男が、このミシェルである。
    「……こ、降参です」
     対局から5分も経たないうちにミシェルの負けが決定し、ハーミット卿は軽く頭を下げた。
    「ありがとうございました。……ふむ」
     ハーミット卿は対局中にミシェルから聞いた話を、頭の中で簡単にまとめ直す。
    「先程の話でしたが、つまり現大公陛下の容体が優れないため、早いうちに殿下が次の大公に選ばれるかも知れない、と?」
    「ええ、まあ」
    「しかし、もしかしたら御次男様、あるいは御長女様が選ばれるかも知れない。何とか自分の優位性を高めたい、と」
    「そうです」
    「そこで友好国の宰相たる私と、何らかのつながりがほしい。そうお考えですね」
    「ふえっ」
     核心を突かれ、ミシェルは困った顔になる。
    「え、あ、まあ、有り体に言えばそうなっちゃうんですけども」
    「そして手っ取り早い手段として、私の孫とあなたのお子さんとで婚姻関係を結びたいと?」
    「ふええっ」
    「正解ですか?」
    「……仰る通りです」
     これを聞いて、ハーミット卿はす、と立ち上がった。
    「お話は以上ですか?」
    「え?」
    「これ以上話すことが無ければ、私は執務に移りたいのですが」
    「え、あの……」
     ハーミット卿は黒眼鏡越しに相手をにらみ、冷たく言い放った。
    「返事はノーです。お帰り下さい」
    「で、でも私と関係を結べば、あなたの政治的地位も……」
    「私は既に王国の宰相です。これ以上欲する椅子などありません。
     何より人を政治的な道具扱いするような方に差し出すほど、アオイやカズラは安い子ではありませんよ」
    「アオイ? カズラ? 何です、それは?」
     きょとんとするミシェルに、ハーミット卿は凛とした声で叱りつけた。
    「相手の名前も調べず縁談を持ち込むのですか、あなたは!? 馬鹿も休み休み言いなさい!」「ひゃ、……しっ、失礼しましたっ!」
     ミシェルはバタバタと足音を立て、執務室から出て行った。
    「……まったく。そんな曲がった性根だから、後継争いで泣きを見るのが分からないんだ」
     ハーミット卿はフン、と鼻を鳴らし、それからいつも通りに、午後の執務に着いた。
    白猫夢・宰孫抄 1
    »»  2013.09.30.
    麒麟を巡る話、第261話。
    孫との一局。

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    2.
     青年期の長い長耳といえども、流石に齢70を超えれば相応に老けてくる。
     ハーミット卿も既に老境を迎え、さっぱりとまとめていた金髪も、その大部分は既に白髪へと変わっていたし、顔にもしわが刻まれていた。
     しかしその優れた頭脳も、あっけらかんとした性格も、宰相に就任した頃とほとんど変わっていなかった。
    「そもそも相手のことをまったく調べようともせず、そのくせ自分の都合を押し付けるなんてところから、まずおかしいんだ」
    「うんうん」
    「仮にミシェル殿下が大公になったとしたら、きっとロージュマーブルはがっくり傾いちゃうよ。こんな小さな下調べも、まともな根回しもできない人間を国王に据えては、ね」
    「だよねー」
     ハーミット卿は対面に座る三毛耳の猫獣人と碁を囲みながら、昼の珍事を彼女に話していた。
    「じゃーさおじーちゃん、ロージュマーブル公国を継ぐのって、誰になると思うー?」
    「うーん……、そうだな。恐らく次男のレネになるんじゃないかな。
     彼はまだ若いけれど、既にロ国議会でも無視できない発言力を持ってきてるし、主義・主張にもブレが無い。
     それを頑固、人の意見を聞かない奴だと言う判断材料にする人も少なくないけど、今のところ主張する内容に不当な、あるいはおかしい点は見られないし、リーダーになる人間なら、それくらいには芯が通ってる方がいいと思う」
    「ふーん。おじーちゃんの意見だし、やっぱりそうなるのかなー」
    「まあ、まだ分からないけどね」
     そう返しながら、ハーミット卿は碁石をパチ、と置く。
    「あー……」
     対する彼女は、困った顔になる。
    「どうする? 投了するかい?」
    「えー、えっとー……」
     と、彼女はくる、と後ろを向いた。
    「お姉ちゃーん、どーしたらいいかなー?」
    「んー」
     ソファに寝そべっていた、こちらも三毛耳の猫獣人が、むくりと起き上がる。
    「ドコ打ったら勝てそうー?」
    「ちょっと待って……、ふあぁ」
     彼女は癖のある、くすんだ緑髪をもしゃ、と適当に撫でつけながら、妹の背中越しに盤面を眺めた。
    「……んー、……右隅くらいかな。その、並んでるとこ」
    「ココ?」
    「もいっこ下」
    「ココ?」
    「そこ。んで、そこ打つとじいちゃん、寄せに来るけど、それは5手先までほっといても余裕があるから、出てるところ叩く感じで。そこから上の方をうまいこと凌いでいけば、3目半であんたが勝つよ」
    「う、うん。……やってみるー」
     妹は恐る恐る、姉に言われた通りに石を置く。
    「……」
     一方、のんきに打っていたハーミット卿は神妙な顔になり、盤面に目を凝らしている。
    「ココだよねー?」
    「そこ」
    「ちょっと、アオイ」
     と、ハーミット卿が顔を挙げる。
    「ヒントは一回がマナーじゃないかな」
    「そだね。……じゃ、あたし寝る。頑張れ、カズラ」
    「う、うん」
     と、姉の方――葵(アオイ)・ハーミットがソファに寝転んだところで、ぼそぼそと彼女の声が返って来た。
    「さっきの話だけどさ」
    「うん?」
    「あたしの意見だと、長女のカーラさんが大公になるんじゃないかなって」
    「どうして?」
    「現大公の一番お気にだもん。レネさん、大公に嫌われてるし。
     それにミシェルさんは失敗したけど、カーラさんはうまいことやったらしいよ、根回し。こないだグ国将軍の息子さんと婚約したってさ。あと1年か2年経てば結婚するだろうし、その時現大公がまだ生きてたら、きっと指名するよ。
     あとはあたしの勘」
    「……ふむ」
     アオイの話に、ハーミット卿は素直に感心した。
    (素晴らしいとしか言いようが無いな。
     まだ15歳と言うのに、政治・経済観が飛び抜けて優れている。『勘』と彼女は言っているが、それは恐らく、彼女があちこちで見聞きした情報を無意識的に整理、取捨選択した結果、導き出されたものなんだろう。
     ……この一局にしても)
     ハーミット卿はアオイのヒントにより突如、難局の様相を見せた盤面に目を凝らし、道筋を懸命に探っていた。
    「……ここ、……かな」
     どうにかアオイの示した局面を乗り切り、ハーミット卿が2目半で勝利を収めた。
    「あー、負けちゃったー」
    「負けたの? 残念だったね」
     しょんぼりとする妹、葛(カズラ)・ハーミットに、葵はやはり寝転んだまま、労いの言葉をかけた。
    白猫夢・宰孫抄 2
    »»  2013.10.01.
    麒麟を巡る話、第262話。
    眠り猫、飛び猫。

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    3.
     葵・ハーミットと言う少女は、確かに天才の部類に入る人間と言えた。

    「えやあッ!」「てい」
     黄派焔流、シルバーレイク道場。
     練習相手の、気合の入った初太刀をすい、と避け、葵が竹刀でぺち、と面を小突く。それを確認した師範代が、苦い顔をしてこう告げた。
    「一本! ……と言いたいが、ハーミット」
    「はい?」
    「もっと気合を入れてくれ。確かに有効打だが、なんだ『てい』って」
    「一応頑張ったんですけど」
    「もっと声を張ってくれないと、こっちも張り切って『一本』って言い辛い」
    「分かりました。気を付けます」

    「おーい、ハーミット、起きてるかー」
     王立高等学校。
     授業中に爆睡する葵に、教師がトントンと肩を叩く。
    「むにゃ……ふぁい?」
    「聞いてたか? 銅の炎色反応を言ってみろ」「青色です」「ナトリウムは?」「黄色」「マグネシウム」「白」「……」「ぐー」
     教師からの質問が止まるなり、また葵の寝息が聞こえてくる。
    「起きんかーッ!」「ふぇ?」

     確かに文武両道であり、「起きている時」にはそれなりに親しみやすい子なのだが、いつもどこか無気力で、気が付けば眠っている。
     いつしか彼女には、「眠り猫」のあだ名が付いていた。



     一方、妹の葛・ハーミットの方は、まるで姉の気力を吸収したかのような性格だった。

    「えーいっ!」「はあッ!」
     目一杯振りかぶった竹刀を止められ、返す刀でぱこん、と胴を打たれる。
    「一本!」
    「あー、やられちゃったー。
     ね、ね、もっかい、もっかいやろ!」

    「次、ハーミット」「はーいっ!」
     教師に指名され、勢いよく立ち上がって朗読を始める。
    「『すると狐の女神様は仰いました、これから私の言うことを』、……えーと」
    「『誦め(よめ)』だ」
    「あー、そだったそだった。『言うことを誦め、しかし苦者は』、……にがもの?」
    「若者だ。どんな目してるんだ、お前……」
    「えへへ、すいませーん。『しかし若者はきょとんとするばかり。そこで狐の女神様は……』」

     姉のように際立った才覚は無く、どこか抜けたところがあるものの、多少の失敗は気にせず邁進する、非常に前向きで明るい性格だったため、こちらも周りの人気は高かった。
     姉と比較して、こちらは「飛び猫」と呼ばれていた。



     優秀だが積極性の無い姉。行動的だがおっちょこちょいの妹。
     互いを補うような一長一短の特徴を持つからか、二人は非常に仲のいい姉妹であり、周りからもそう見られていた。



     そんな二人を特に気に入っていたのは、祖父のハーミット卿である。
    「パパ、またそんなにお土産……」
    「まあ、いいじゃないか」
     その日もハーミット卿は、沢山の本を抱えて娘夫婦の家を訪ねてきた。
     ニコニコ微笑みながら本をテーブルに置く父を見て、卿の娘であるベルが口を尖らせる。
    「ママが寂しがるよ」
    「まあ、うん。……そうだね、10時、いや、9時前には帰るよ。
     二人はまだ帰ってきてないのかな」
    「ええ。試験が近いから、図書館で一緒に勉強するって言ってた」
    「そっか。シュウヤ君は?」
    「今日は特に何もないはずだから、そろそろ帰ってくる頃かな」
    「彼もなかなか忙しそうだね」
     そう返した卿に、ベルは肩をすくめて見せる。
    「ちょっと寂しいけどね。道場が成功してくれたのはホントにうれしいけど、そっちにばっかり熱中されると、なんか、ちょっとね」
    「やんわり諭しておこうか?」
    「パパじゃ説得力ないって。パパだってもうおじいちゃんなのに、いまだに仕事一筋だし」
    「……参ったね。説得は得意なつもりだったんだけど」
     と、卿が苦い顔をしたところで、玄関をノックする音が聞こえる。
    「あ、はーい、おかえりー」
     ベルが玄関を開け、夫の秋也が入ってきた。
    「ただいま。……あ、お義父さん、ども」
    「邪魔してるよ。順調そうで何よりだ」
    「ええ、まあ。あ、そうだ」
     秋也はくたびれたかばんからごそごそとチラシを取り出し、卿に渡す。
    「来月、剣術大会を開くんです。並行して色々催し物もあるんで、その、もしお暇なら……」
    「ああ、来月ならまだ何とか、予定を空けられるかも知れない。調整しておくよ」
    「ありがとうございます」
     ぺこ、と頭を下げた秋也に、卿はこんな質問をした。
    「で……、これって、アオイたちも出るのかな」
    「え? ええ、葵はオレの道場じゃ一番強いですし。葛も一応出ますよ」
    「それは楽しみだ。
     ……ん、うわさをすれば、だね」
     卿は窓の外に、葵たちがこちらに向かって歩いてくるのを見付けた。
    白猫夢・宰孫抄 3
    »»  2013.10.02.
    麒麟を巡る話、第263話。
    静かで不穏な夜。

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    4.
    「わー、『央南八朝志』! あたし、一度読んでみたかったの!」
    「だろうと思ってね」
     葛の反応に、ハーミット卿はにっこりと笑う。
     そして葵の方を向き、反応を伺ってみると――。
    「……どうかな? 僕の読みだと、君はこれを気に入ると思ったんだけど」
    「うん」
     葵は顔こそ無表情に近い、ぽやっとしたものだったが、尻尾の方は正直に、ピコピコ揺れている。
    「『6世紀諸産業の転回』。現在評判の経済学者、マリー・ローザン女史の新著だ」
    「ありがと」
     そう答えた葵の目は、いつもぼんやりした眼差しの彼女には珍しく、活き活きとしていた。
     その様子を見た卿が、こんな質問をした。
    「アオイ。君は将来、こう言う道に行きたい感じなのかな」
    「ん? んー……」
     本を脇に抱え、葵はゆっくりとした口調で答える。
    「ん、そうかも」
    「僕も合ってると思うよ。何ならまた今度、同じようなのを持って来るけど」
    「ありがと、じいちゃん」
     と、横でそれを聞いていた葛が手を挙げる。
    「じーちゃん、じーちゃん! あたしにも持ってきてね!」
    「勿論。でもちゃんと、それを読み終わってからだよ」
    「分かってるって」

     結局、ハーミット卿が秋也家を出たのは9時を大分回ってからになった。
    (参ったな、またジーナやベルに小言を言われそうだ)
     腕時計を確認しつつ、卿は辺りを見回す。
    「……うーん。この時間だとやっぱり、見当たらないな」
     自動車技術の普及により、現在のプラティノアール王国およびその近隣諸国では、軍用車輌だけではなく、業務用・商用の自動車も街を行き来するようになっていた。
     当然の流れとして、人間の送迎・輸送を目的とした商売――いわゆるタクシー業にも自動車が使われるようになっており、ピーク時には街道が自動車で埋まることも、珍しいことでは無くなった。
     とは言え、既にほとんどの店が閉まっている、利用客が極めて少ないこの時間帯に、わざわざそう安くもないガソリン代をはたいて車を出すような酔狂な御者など、そうそういるはずも無い。
    「……歩くしかないか。歳だし、あんまり歩きたくないんだけどなぁ。
     まあ、自業自得なんだけど」
     卿はフロックコートをしっかりと羽織り、夜道を歩き始めた。
    (今度から御者を予約しておこうかなぁ。……いや、これが常習化したら、それこそジーナを本気で怒らせちゃうな。
     いやいや、でも今ももう既に常習化してるようなもんだし、……いやいやいや)
     と、古女房のことをぼんやり考えていると――前から車が一台、やって来るのが見えた。
    「あ、タクシーだ。……おーい!」
     卿は右手を挙げ、タクシーを止める。
    「まだやってる?」
    「ああ、今日はもうアガリにしようと思ってたところでさ。でもまあ、まだ一回くらいなら運びやすぜ」
    「そりゃ良かった。アニェント通りの1丁目12番地にお願いできるかな」
    「あいよ」
     卿はタクシーに乗り込み、御者に金を渡す。
     タクシーが黒煙を噴き上げ、走り出したところで、卿もふう、とため息をついた。
    「いや、助かったよ。こんな老人がとぼとぼ歩いて帰るには、もう寒いからね」
    「……」
    「いくつになってもここの冬には慣れないけど、最近は特に身にしみる。つくづく自分が歳を取ったもんだと思うよ。
     ……ん?」
     卿はこの時、このタクシーが自分の屋敷の前を、猛スピードで通り過ぎていくのを確認した。
    「あれ、ちょっと?」
    「……」
    「今のところだよ? ねえ?」
    「……」
     御者は答えず、さらにアクセルを踏み込んだ。
    「どう言うことだい?」
    「ちょっと付き合ってもらいますぜ、ネロ・ハーミット卿。
     とあるやんごと……お方の……命令……でさ……」
     御者の声が、途中で聞き辛くなる。
     何故ならタクシーの前後を別の車が固め、そのエンジン音でかき消されたからだ。
    「……参ったね、どうも」
     老いたとは言え今なお聡明な卿は、この時自分が拉致されたことを悟った。

    白猫夢・宰孫抄 終
    白猫夢・宰孫抄 4
    »»  2013.10.03.
    麒麟を巡る話、第264話。
    電話連絡。

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    1.
    「え? まだパパ、帰ってないの?」
     秋也の家にかかってきた電話によって、このハーミット卿誘拐事件は発覚した。
    「……遅すぎるよね?」
    《確かにのう。どんなに遅くとも、10時には家に着かねば、明日の公務に差し支えると言うのに》
     ベルの母であるジーナが電話の向こうで、心配そうな声を上げる。
    《もしやと思うが、何かあったのかも知れん》
    「……ちょっと調べてみる。また後で電話するね」
     ベルは一旦電話を切り、すぐ受話器を上げる。ぷつ、と音が鳴り、電話交換手の声が聞こえてくる。
    《シルバーレイク第2通信局です》
    「電話お願い。軍電信局に」
    《分かりました、おつなぎします》
     ぷつ、ぷつと音が鳴った後、男性の声に変わった。
    《こちらはプラティノアール軍電信局です。名前と所属コードを》
    「こちらはベル・ハーミット少佐。所属コード、542-022-SS-11」
    《……SS!? 失礼いたしました!》
     ベルの所属を聞いた途端、局員の声が上ずったものに変わる。
    「『SS』本部につないでもらえる? パスワードは、『F・7・H・5・6・R』」
    《かしこまりました!》
     再度、ぷつ、と音が鳴り、今度はまた、女性の声が返ってきた。
    《はい、セクレタ・セルヴィス本部です》
    「キュビス?」
    《ええ》
    「すぐ調べてほしいことがあるの。アニェント通りからオリビア通りまで、パパ……、いえ、ネロ・ハーミット卿がいないかどうか」
    《卿を?》
    「9時ちょっと過ぎに家を出て、まだ自分の家に戻ってないみたいだから。単に疲れてベンチに座り込んで、そのままうたた寝しちゃってるくらいならいいんだけど」
    《探してみます》
     もう一度ぷつ、と音を立てて、電話は切れた。
    「……あー、もー」
    「どうした?」
     耳を押さえる妻を見て、秋也が声をかける。
    「電話ってなんで、こんなぷつぷつ音が鳴るんだろ。すっごく耳障り!」
    「さあ……?」
     とぼけた返答をした秋也に代わり、葵が答える。
    「回線をつなぎ直す時の音だよね。一瞬、信号が切れちゃうから」
    「便利だとは思うんだけどさ……。あたし、あの音だけはホントに嫌」
     と、苦い顔をしていたベルが、真剣な表情になる。
    「ねえシュウヤ、もしもだけど」
    「ん?」
    「もしもさっきあたしが言ってたみたいに、ベンチでうたた寝みたいなことになってなかった場合は――可能性は何が考えられるかな」
    「そうだな……」
     一転、秋也も真面目な顔になる。
    「現実的に考えれば、2つあるな。
     1つは、義父さんが倒れてるかもって可能性だな。もう大分歳だし、それにこの寒さだ。死んではいないまでも、何かしらの急病でうずくまってるってことは、十分にあると思う。
     もう1つとしては、……やっぱり、誘拐されたか」
    「そうだよね。あたしもどっちかだと思う。どっちも、あってほしくないけど」
    「オレも同感だ」
     と、電話がじりりん……、とけたたましく鳴る。
    「もしもし」
     電話に出たベルの耳に、先程応対した女性の声が聞こえてきた。
    《現場周辺を警邏していた兵士たちと連絡を取り、捜索を行わせました。しかしそれらしい人物はいなかった、とのことです。
     それと……、その兵士たちから気になる情報が》
    「何かあったの?」
    《1時間半ほど前、猛スピードで道を駆けるタクシー3台とすれ違ったとのことです。
     とても人を丁重に運ぶような速度では無く、そもそもタクシー自体、その時間帯には大半の業者が、とっくに営業を終了しているはずです》
    「怪しいね。……どちらにしても、卿がその周辺で見つからなかったのはおかしい。
     もうおじいちゃんだし、仕事が趣味みたいな人だから、どこかのバーへ突然遊びに行ったなんてことは考えにくい。そのタクシーのことも、無関係とは思えない。1時間半前ならちょうど、あたしの家を出た時刻だもん。
     ……間違いなく緊急事態だね。SS隊員を、全員招集して」
    《了解しました。エトワール参事官も?》
    「勿論、呼んで。あたしとシュウヤも、これから向かうから」
     今度はベルの方から電話を切り、秋也に目配せした。
    「おう」
     つい先程まで西方風のゆったりしたシャツを着ていた秋也は、今はびしっとしたスーツ姿になり、腰には刀を佩いていた。
    白猫夢・捜卿抄 1
    »»  2013.10.05.
    麒麟を巡る話、第265話。
    セクレタ・セルヴィス。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     さらに1時間進み、真夜中近くになった頃。
     プラティノアール王宮、ブローネ城の一室に、秋也・ベル夫妻と、十数名の将校・兵士が集まっていた。
    「まず、緊急招集した理由から説明するよ」
     ベルが場の中心に立つ形で、まずは背後の黒板に、自宅周辺の地図と、自分の父の名前を書き付けた。
    「2時間半前、我が国の総理大臣であるネロ・ハーミット卿があたしの家から自宅へ帰る途中、行方不明になった。卿の自宅からあたしの家までを捜索させたけど、卿は発見できなかった。
     さらに現場付近を警邏していた兵士の証言によれば、同時刻に猛スピードで街道を走るタクシー3台を目撃したとのこと。
     これらの事実から、卿が誘拐された可能性は、極めて高いものと思われる。だからみんなは、より広範囲での捜索および情報収集をお願い。
     すぐ街へ向かって」
    「了解しました!」
     ベルの命令を受け、彼ら――プラティノアール軍要人警護部隊、通称「セクレタ・セルヴィス(SS)」の隊員たちは、足早に本部を後にした。



     20年前――現SSの隊長であるベルがまだ訓練生の頃、とある事情により誘拐された。
     この時は後に夫となる秋也をはじめとする、急造の救出チームの活躍により、事なきを得た。
     しかしこの事件で、「今後急成長していく我が国では、少なからず今回のように厄介な事件が起こっていくだろう」と国家の将来を危惧したハーミット卿により、軍に要人警護および、特に凶悪な犯罪に対抗するための部隊が設置されることになった。これがSSである。



     隊員たちを街に向かわせたところで、ベルは残っていた秋也と、そして部隊の参事官である長耳、アテナ・エトワール女史とで、状況の整理を行うことにした。
    「今回の事件、どう思う?」
     尋ねたベルに対し、アテナは眼鏡越しに、ひんやりとした目を向けた。
    「どう、とは?」
    「単なる金目的の犯行か、それとも何かしら政治的な陰謀からか、……って面からは?」
    「つまり動機ですね」
     アテナはつい、と眼鏡を直し、こう返した。
    「情報が不足していますので、まだ明確な回答はできかねます。
     しかし金銭を奪う目的であるなら、卿はとっくに解放されているはずです。金を奪った上に殺害する、もしくは身柄を拘束しどこかへ連れ去ったとすれば、犯人にとっては罪が重くなるばかりで、何の利益も発生しません。著しく非合理的であるため、可能性は無いに等しいものと思われます。
     身代金目的での誘拐であれば、発生から3時間近く経った現在、何らかの連絡が来て然るべきですが、一向にそれが無いことから、こちらの可能性も低いと見ていいでしょう。
     一方、政治的陰謀である場合には、さらに2種類の動機が考えられます。1つは卿を誘拐し、王国議会における彼の不在を発生させようとするもの。もう1つは、卿を誘拐した上で拘束し、彼に何らかの脅迫を行い、それにより何らかの利益、権益を得ようとするもの。
     もし前者であれば、卿は殺害されていてもおかしくありません。それ故、まだ死体が発見されていない現状では、この可能性は極めて低いと考えられます。
     一方、後者の場合であるなら、今のところは現状と合致しています。現時点で最も可能性の高い動機であると考えられます」
    「……さっすがー」
     ベルは辟易した顔で、そう返した。



     ちなみにこのSS――設立して間も無く、とある事件の捜査に乗り出したのだが、隊員たちには高い身体能力と精神力こそあったものの、その反面、思考力と推理力に欠けていたために、危うく迷宮入りしかけた。
     結局はハーミット卿の入れ知恵で解決したものの、「要人警護の仕事をお願いしてるのに、なんで要人の僕を頼るのさ。もし僕が誘拐されたらどうするんだい?」と彼からきつくたしなめられ、その直後に事務兼頭脳担当のため、アテナが参事官として投入されることとなった。
     ちなみに彼女は通常、ハーミット卿の秘書を務めており、卿の後継者の最有力候補としても注目を集めている。
    白猫夢・捜卿抄 2
    »»  2013.10.06.
    麒麟を巡る話、第266話。
    目標捕捉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     SS招集から1時間後、隊員たちが集めてきた情報と、アテナの判断・推理とで、誘拐犯らの居場所を、ほぼ特定することができた。
    「3台のタクシーについてですが、アニェント通りから中央大通りへ抜けたのち、数ヶ所の街道を渡って、そのまま郊外、西の方へ向かったとのことでしたね?
     その後は目撃情報が無い、とのことでしたが、そのことから逆に、場所を絞れます」
    「と言うと?」
     隊員の一人が発した言葉に、アテナはいつものように、冷ややかに答える。
    「街の西側郊外まで向かったとなると、その後彼らが執るであろう手段は2つあります。1つはそのまま西へ向かって走り続ける。もう1つは、どこかへ駐停車する。
     前者を選択するのは、あまりにも無計画かつ無謀です。一般的なタクシー車輌はコストダウンのため軽量化されており、街の外まで長々と走行できるほどの燃料を詰めるような構造にはなっていません。加えて現在は夜であり、走行するにはライトを点ける必要があります。
     もしライトを点けて走行していた場合、確実に近隣の町村で目撃されることになります。その情報が無いと言うことは、この方法を執っている可能性は極めて低いものと思われます」
    「ライト消して走行してたら……」
     隊員の間抜けな発言に、ベルが頭を抱えて反論する。
    「できるわけないでしょ。こんな真夜中に、灯りも何もない道を爆走なんてしてたら、即クラッシュするってば」
    「ええ、私もそうなる可能性は極めて高いと思われます。また、いずれの場合にせよ、エンジン音で気付く人間は少なくないでしょう」
     アテナにも否定され、隊員は顔を真っ赤にしてうつむく。
    「……すんません」
    「一方、後者を選択した可能性は、少なからずあるでしょう。
     前述の通り、このまま夜間に走行し続けていれば、新たな目撃情報が発生するのは確実です。それが無いと言うことは、何らかの『隠れ家』を有している可能性が高いものと思われます。
     それを前提として、街の西側近辺にその用途に適う施設が無いか、地図上で検索したところ……」
     アテナは机に広げた地図を、指示棒で示す。
    「ここに、廃棄車輌を解体する工場があります。通常時より、ここには多数の車輌が集まっているため、タクシー3台程度であれば、簡単に隠すことができるでしょう。
     一方、夜間は基本的に無人であるとの情報も得ていますし、また、廃車から抜き取ったガソリンも、多く備蓄されているとのことです。
     恐らくはここで給油すると共に夜が明けるのを待ち、他のタクシー車輌の出勤時間に紛れて、さらに逃走するものと思われます。
     即ち、逆に考えれば――朝まで犯人たちは、ここを動くことは不可能です。早急に現場へ向かい、取り囲めば、ハーミット卿の奪還は容易でしょう」

     アテナの言に従い、SS部隊は自動車廃棄工場へと急行した。
    「……流石、アテナ。いるみたいだよ、犯人」
     ベルが中の様子を密かに伺い、工場内にうっすらと灯りが点っていることを確認する。
     そして工場の前には、まだ廃棄処分にするには早過ぎる、現行のタクシー車輌が3台、乱雑に停められている。
    「どうしますか、隊長?」
    「そうだね……。まず、第一に考えるべきはパパ、……じゃない、ハーミット卿の確保。それから第二、犯人は極力殺さず、確保すること。これは戦争じゃないからね。
     まず、フレッドとキトンは工場裏手に回り、そこから内部に進入。卿の位置を確かめ、可能であれば救出・保護し、工場から脱出して。
     遂行でき次第、『頭巾』で合図してね」
    「はい」「了解です」
    「その間にあたしたちは、あのタクシーまで進む。そこで犯人らの姿を確認し、卿の姿が見えないようであれば、催涙弾を投げ込み相手を無力化。
     卿が近くにいる場合は、……そうだな、この場合はフレッドたちにもそれは確認できてるだろうから、『頭巾』で状況を報告後、陽動に回って。
     犯人がフレッドたちに気を取られたところで、あたしたちが強襲。そのまま確保する。……これで行こう」
    「了解」
    白猫夢・捜卿抄 3
    »»  2013.10.07.
    麒麟を巡る話、第267話。
    犯人確保、……か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     隊員2名を裏手に回らせた後、ベルは残りの隊員たちを一人ずつ、工場の敷地内に送る。
    (……よし)
     全員を静かに張り込ませてから、ベルと、そして秋也が最後に門をくぐる。
    (パパは、……いないか)
     タクシーの陰に隠れ、工場の中を覗き見たが、ハーミット卿らしき姿は無い。
    (となると、そろそろフレッドたちがパパを救出してくれてる頃、……かな)
     と、軍帽に仕込んでおいた「魔術頭巾」から、隊員の声が聞こえてきた。
    《こちらSS-18。こちらSS-18。応答願います》
    「こちらSS-11。どうぞ」
    《救助対象、いません》
    「……えっ?」
     思わず聞き返したが、隊員は困惑した声色で、同じことを返す。
    《ハーミット卿は、いません》
    「……え、じゃあまさか、人違い? いや、でもタクシーはここだし、……ええ?」
     困惑するベルの肩を、秋也がとん、とんと軽く叩く。
    「落ち着けって。とにかく、ここに怪しいタクシーがあるのは確かだ。何にせよ、突入した方がいいと思うぜ。もし間違ってたら、平謝りして撤収したらいいんだし」
    「う、うん」
     ベルは呼吸を整え、全員に命令した。
    「SS全隊員、突入せよ! 相手が抵抗しない限り、銃は使うな!」
    《了解!》
     号令と共に隊員たちが立ち上がり、一斉に工場内へと駆け込んでいく。
    「ひゃ、ひゃああっ!?」
     その直後――間の抜けた叫び声が、工場から聞こえてきた。

     工場内にいた男たち4人を拘束し、ベルは事情を聴くことにした。
    「まず聞くけど、あなたたちは、何故ここに? ここは夜、稼働してないはずだし、あなたたちはどう見ても工員じゃない。……それどころか」
     男たちの中に、場違いな服装をした兎獣人が1名いた。あからさまに豪奢な身なりをしており、どう見ても王侯貴族の類である。
    「あなたの名前から聞かせてもらえる?」
    「……その、……いや、……言えない」
    「言ってもらわなきゃ困るわ。
     現時点であなたたちには不法侵入、不法占拠の容疑がかかってる。黙秘するなら拘置所に行ってもらうことになる。
     当然、取り調べを受けることになるし、豪華な服を着てるあなたの素性がそこで明らかになったら、国際問題になりそうだもの」
    「う……」
     兎獣人は顔を真っ蒼にし、ぼそぼそと答えた。
    「……み、……ミシェルです」
    「ミシェル、何さん?」
    「……ミシェル・ロッジです」
    「え、……ロッジ? ロッジってロ国大公の?」
    「はい……」
     今にも泣きそうな顔をしているミシェルに対し、ベルは詰問を続ける。
    「じゃあ、さっきタクシーで街中を爆走してたのも、あなたたち?」
    「はい……」
    「その目的は?」
    「……え、……えー」
    「言わないとより面倒なことになるけど、それでいいの?」
    「……言った方が面倒になりそうですし、……あ、いや」
     慌てて口を押さえたミシェルに、ベルはきつい口調で尋ねる。
    「あなたたちがハーミット卿を誘拐したの?」
    「……は、はい。あ、いや、ちょっと違うかな、ちょっと」
    「どう言うこと?」
     と、ついにミシェルは泣き出してしまった。
    「そ、そのですね、えっと、……うっ、……うぅー」
    「ちょっと……。いい歳したおじさんが泣かないでよ。
     じゃあ最初から、一つずつ聞くから。ゆっくりでいいから答えてよ?」
    「うっ、うっ、……はい」
    「ハーミット卿をタクシーに乗せたのは、あなたたち?」
    「は、はい」
    「ここまで連れてきたの?」
    「そ、それが、うっ、うっ」
    「違うの?」
    「は、半分」
    「半分って?」
    「と、突然なんです。うっ、うう……」
    「何が?」
    「タクシーに乗せたのは確かなんです。でもここに着く直前、……ひっく、ひっく」
    「直前に、突然何があったの?」
    「ひっく……、ここの門を開けようとした時なんです。
     タクシーを停めてたら、そこに、なんか、……ひっく、……なんか、変な人たちが来て」
    「変な、人?」
    「真っ白い、うっ、魔術師みたいなローブ着た人と、ひっく、赤と青の、派手な服を着た女の子が、ひっく、タクシー、開けて、中からハーミット卿を、うぐっ、連れ出したんです……」
    「……どこから嘘?」
    「ぜ、全部、本当なんです! ひっく、だから、ひっく、もうどうしたらいいか分からなくて、……うえーん」
     とうとう子供のように大泣きしだしたミシェルに、ベルたちは呆れるしかなかった。
    白猫夢・捜卿抄 4
    »»  2013.10.08.
    麒麟を巡る話、第268話。
    二つ目の誘拐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ともかくハーミット卿を誘拐した事実から、ミシェル氏と、彼に金で雇われたタクシー業者3名は、即座に逮捕・連行された。
     その途中で彼から動機を問いただしたところ――以前に断られた縁談を何としてでもまとめるため、ハーミット卿を拘束して脅迫しようとしたのだと言う。

    「ミシェルさん、バカ過ぎるよね……」
    「ええ、単純に愚かと言うには、度をはるかに超していると言っていいでしょう」
     ミシェルたちを連行した後、ベルたち夫妻はSS本部に戻り、改めてアテナと共に状況の整理を行うことにした。
    「今回の件がきっかけになり、ロージュマーブルとの関係がこじれることは確実でしょう。このまま看過すれば、ですが」
    「って言うと?」
    「卿は三国和平が崩れることを望んでいません。もし今回のケースで卿が第三者の立場にいたとすれば、必ず関係修復に努めるでしょう。
     であれば、恐らく卿はこの時点で秘密裏にロ国大公ないしは公太子と連絡を取り、今回の件を公にしないよう、働きかけているでしょう。
     とは言え卿はミシェル氏に対して好意的ではありませんでしたし、彼の存在は三国和平において悪影響を及ぼすものと考えているようでしたから、ロ国と話し合った上で、彼の身分を我が国において抹消し、身元不明の人間として終身刑に処するよう、提案すると思います」
    「そこまでする、……かなぁ。いくらなんでも」
     顔をしかめた秋也に、アテナは冷たい目をしたまま、首を横に振る。
    「いいえ、卿であればその処置はしかるべきものと思われます。
     そして事実、ロ国から『貴国の裁量にて処置されたし。当国はいずれの判決にも同意する』との返答が来ています」
    「え?」
     アテナの発言に、二人は面食らう。
    「まさか、アテナ?」
    「なんでしょう」
    「今言ってたソレ、独断でやったって言うのか?」
    「日が経てば騒ぎは大きくなります。可及的速やかに処置すべきと判断したので」
    「……」
     無表情でそう返したアテナに、ベルたちは何とも言えない嫌悪感を覚えた。
    「……まあ、政治に関してはあたしたちじゃ意見できないから、もう何も言わないよ。
     あたしたちにとっての問題は、まだハーミット卿の身柄を保護できていないってこと」
    「そうだったな……。にしてもアイツが言ってた謎の女とかって、マジなのかな」
    「話を聞く限りでは、事実とは捉え難いですね。唐突、かつ荒唐無稽です」
     またもアテナが口をはさむ。
    「しかし矛盾は見当たりません。
     ミシェル氏に身柄拘束と郊外への移送を実行させ――言い換えれば最も面倒な作業を行わせて――目標だけを奪う。効率的と言えます。その観点からすれば、信憑性は少なくないと思われます」
    「あのさ。ミシェルさんの話が事実っぽいかどうかなんて、考えるだけ無駄じゃないの?」
     多少頭に来ていたらしく、ベルが話を遮る。
    「今、パパは見付かってない。これは事実でしょ? 実際起こってることを『本当のことだろうか』なんてあーだこーだ考えるのなんて、無意味じゃない?」
    「……そうですね」
    「今あなたに考えてほしいのは、パパの居場所だよ」
    「……」
     先程とは打って変わって、アテナは黙り込んでしまった。
    「何か無いの? そっちの方が百倍重要じゃない」
    「判断材料がありません。である以上、何もお話しできることは……」
     そう返したアテナを、ベルがなじった。
    「はぁ!? どうでもいいことについてはあれだけ偉そうにベラベラベラベラしゃべっておいて、ホントの本当に大事なことは何もわからないって言うの!? あんた、何のためにここにいるの!?」
    「そう言われましても」
     アテナも――依然無表情ながら――不愉快な様子をちらつかせ、反論する。
    「判断材料があれば、お答えできます。ご意見やご批判があるのであれば、まずはあなた方が手がかりを探してからにしていただきたいです。
     それも無しにわたしを非難するのは、職務怠慢ではないのですか?」
    「……~ッ」
     拳を振り上げかけたベルを、秋也が後ろから羽交い絞めにする。
    「落ち着けって、ベル! 確かにムカつくのは分かるけど、今はソレどころじゃないだろ?」
    「……ああ、分かってるよ。分かってるけどさ」
     悔しそうな顔をするベルを、アテナは依然、冷淡な目で見つめていた。

     と――電話がじりりん、と鳴り響く。
    「……もしもし」
     ベルから手を離し、秋也が電話を取る。
    「ん? え、もしかして葵か? お前なんでココの番号知ってん、……え? え、ちょ、おい?」
     秋也が目を丸くし、こう叫んだ。
    「は!? お前が!? なんで!? マジで!?」
     そして一瞬間を置き、また声色が変わる。
    「……お、お義父さん! 無事だったんですね!?」
    「へ?」「……!」
     秋也の言葉に、ベルとアテナが顔を挙げる。
     一方、しばらく電話に耳を傾けていた秋也は、やがて唖然とした顔になる。
    「どう言うこと?」「今の電話は?」
    「……葵が、卿を助けた、……ってさ」
    「葵って、うちの葵のこと?」
    「あ、ああ」
    「あり得ません」
     アテナがガタ、と音を立て、椅子から立ち上がる。
    「経緯を説明してください」
    「……あー、と。どう説明したらいいんだろ、……あ、はい、代わります」
     ここで秋也が受話器から耳を離し、アテナに渡す。
    「お前が卿から経緯を聞いて、皆に説明してくれ。ソレが一番手っ取り早いってさ」
    「分かりました」
     受話器を受け取ったアテナは、淡々とした様子で話を聞いていた。
     その顔は――やはり無表情ながらも――どことなく、悔しそうだった。

    白猫夢・捜卿抄 終
    白猫夢・捜卿抄 5
    »»  2013.10.09.
    麒麟を巡る話、第269話。
    誘拐されて、また誘拐されて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     時間は日付が変わる前、夜10時頃に戻る。

     ハーミット卿を乗せたタクシーが廃車工場の前で停車し、先頭のタクシーからミシェルが降りてきた。
    「あ、門お願いしますね。私、ハーミット卿と話しますので」
    「へい」
     タクシーの御者たちに門を開けてもらう間に、ミシェルはハーミット卿の乗るタクシーに駆け寄る。
    「あの、今回は本当にすみません。どうしてもあのお話、承諾していただきたくて」
    「……」
     ドア越しに、ハーミット卿の不機嫌な顔が見える。
    「君ですか。まったく……、呆れ果てますよ」
    「すみません……」
    「『すみません』、じゃもう済みませんよ? 子供のいたずらじゃないんですから」
    「それはもう、重々承知を……」「してませんよね、あなた?」
     ドアの窓を開け、ハーミット卿はミシェルをにらみつける。
    「重要な立場にある人間が、友好国の宰相を誘拐しておいて、後は万事つつがなく……、なんてことがあるはず無いと、何故分からないんです?
     恐らく今現在、我が国の当局は大騒ぎになっています。もう捜索が始まっているでしょう。優秀な人間が揃っていますから、1時間以内にはここに私が囚われていることを看破するでしょう。そうなれば当然、私の身柄を奪還し、併せてあなた方を逮捕するため、こちらに向かってくるはずです。
     そうなった場合、あなたはどうされるおつもりですか? まさか『自分はロ国の公太子である。逮捕や身柄拘束などもっての外。あるはずが無い』などと思っていらっしゃるのではないですか?」
    「ふえっ」
    「そんな言い訳が通用するレベルの行為ではありませんよ? こんなことが露見したら、両国にとってみっともない椿事、醜聞以外の何物でもありません。
     ほぼ間違いなく、ロ国はあなたの存在を抹消しようと工作にかかりますよ」
    「ま、まさか」
    「まさか、ですって? そんなことをひょいとされてしまう身分であることをあなた自身分かっているからこそ、私の孫に縁談を持ってきたのでしょう?」
    「あは、は……」
    「笑いごとではないと、いい加減理解しなさい!」
     ハーミット卿はいよいよ怒り出し、持っていた杖でミシェルの肩を叩いた。
    「いたっ!? な、何をなさるんですか!」
    「そんなことが言える立場ですか!?
     目を醒ましなさい! あなたは今、人としてあるまじき行為を行っているのですよ!?」
     ハーミット卿は怒りに任せ、タクシーから降りてさらに叱咤しようと、口を開きかけた。

     その時だった。
    「……」
     まず、門の近くに集まっていた御者たち3名が、ぱたぱたと倒れて行く。
    「え……あれ」
     続いてミシェルもかくんと膝を着き、そのまま横に倒れた。
    「なんだ……?」
     突然の事態に、流石のハーミット卿も戸惑う。
     と――背後からがし、がしと両手をつかまれた。
    「……?」
     とっさに振り払おうとしたが、びくともしない。
     何とか首だけを後ろに向けると、そこには2人の少女が、薄ら笑いを浮かべて立っていた。そしてその、奇抜な色合いのドレスを見て、ハーミット卿に昔の記憶がよみがえる。
    「……既視感があるな、なんか」
    「左様でございますか」
    「うん。『すっごく昔』、同じ目に遭った気がする。その時は一人だけだったけど。
     もしかして君たち、人形かい?」
     黒と赤のドレスを着た少女が、こくりとうなずく。
    「仰る通りでございます」
    「ミシェルさんとかは、生きてるのかな。気絶とか、動けなくしただけ?」
    「仰る通りでございます」
     今度は黒と青のドレスを着た少女が答える。
    「気絶させたのって、君たち?」
    「いいえ、わたくし共ではございません」
    「じゃ、誰が?」
    「わたくしです」
     タクシーの裏手から、白いローブを深く被った女性が現れた。
    「何故僕を助けた、……わけじゃないな。君たちも僕をさらいに?」
    「ええ。お前には再教育の必要があるようですから」
    「再教育?」
     尋ねたハーミット卿に、女性はこう返した。
    「あのお方にまんまとお前を奪われ、あまつさえわたくしの制御プログラムを一つ残らず解除・改変されてしまうとは、まったく思いもよりませんでした。
     よしんば、されるにしても、もう100年はかかると思っていたのですが。やはりあの方は、この世で唯一わたくしが認めたお方、と言うところでしょうか。
     しかしあの方も詰めが甘いこと」
     女性はクスクスと笑いながら、ハーミット卿の胸倉をつかむ。
    「おめおめとお前を生かしておくなど。わたくしに奪い返されるとは、思わなかったのでしょうか。
     いくら人となり、人のように老いさばらえていようと、お前はわたくしのもの、素晴らしき傑作であることに変わりはない。オーバーホールし、再度この世界を統べる『装置』となってもらいます」
     次の瞬間、ハーミット卿と人形たち、そして女性の姿は、そこから消えた。

     そして――残されたミシェルたち4人はどうしていいか分からなくなり、工場でただただ茫然とするしかなくなった。
    白猫夢・立葵抄 1
    »»  2013.10.11.
    麒麟を巡る話、第270話。
    思いもよらない、あの子の参上。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一瞬のうちに、ハーミット卿はどこかの小屋の中に立っていた。
    「ここは?」
    「答える理由がありません。どこであろうと、お前には関係のないこと」
    「再教育って、具体的には何をするつもりだい?」
    「お前を一度人形に戻し、老朽化した各部品を取り換えると共に、制御・演算機構を初期化後、再インストールします」
    「もっと分かりやすい説明をお願いしたいんだけど」
    「これ以上の説明をする理由はありません」
    「それ以上のことは、『今の僕には関係のないこと』、ってことか」
    「そうです。
     さあ、お話は以上です。もう眠りなさい。いつ何時、あの方がわたくしのしようとしていることに気付き、強襲してくるか分かりませんから」
    「あの方、あの方って」
     ハーミット卿はくっくっと、笑い声を漏らした。
    「君にとってタイカは名前を言うのも畏れ多い奴なのかい?」
    「……」
     が、こう言い放った瞬間、女性はビク、と震え、何も言わなくなった。
    「ん?」
     そして一瞬の間を置き、女性はいきなり、ハーミット卿の顔面を殴りつけた。
    「はう……っ!?」
    「黙りなさい」
     女性はもう一度、拳を振り上げる。
     その瞬間に、チラリとのぞいた顔は――憤怒に塗り固められていた。
    (あ、これ結構まずい怒らせ方しちゃったかも)
     口の端から血を流しながら、ハーミット卿はこの後に来るであろう、激しい折檻を覚悟した。

     が――。
    「あぅ」
     ハーミット卿を羽交い絞めにしていた人形二人のうち、赤と黒のドレスの方が、突然横に飛んで行く。
    「きゃ」
     そして真横に立っていた青と黒のドレスを着た人形にぶつかり、二人は絡まるように転がっていった。
    「えっ」
     怒髪天を衝いていた女性もこれには虚を突かれたらしく、拳を振り上げたまま、またも硬直する。
     そして――唐突に小屋の窓をぶち破り、人形たちを攻撃した少女が、木刀を女性に向けた。
    「じいちゃん、解放して」
    「……あ、アオイ……?」
     人形たちから解放されたハーミット卿は、両腕をさすりながら、その少女――葵・ハーミットに声をかけた。
    「助けに来たよ」
    「ちょっと待ってくれ、アオイ」
     流石のハーミット卿も困惑・混乱が頂点に達し、こう尋ねた。
    「どうやってここに? 僕だって、ここがどこなんだか分からないって言うのに」
    「んー」
     葵は木刀を構えたまま、こう返す。
    「SSの人たちがね、何度も街を行き来してたから、それがまず、おかしいなって。もうじいちゃんが見つかってたら、そんなことしないもん。
     実際、一度ママたちもうちに電話かけてきてさ、『もう解決したようなもんだから、安心して寝てていいよ』って言ってたけど、どう見てもそんな感じじゃなかったもん。
     だからSSの人に詳しく聞いてみたら、『誘拐途中で誘拐されたみたい』って。……あ、ごめん」
    「うん?」
     葵は小さく頭を下げ、こう続ける。
    「その人から秘密にしててって言われてた。内緒ね、じいちゃん」
    「はは、いいとも。それよりも続きが聞きたい。僕が依然、誘拐されたままだって状況を君が知ったって言うのは分かった。
     その先を聞きたいな。2度目の誘拐からまだ30分も経ってないのに、どうやって君はここを突き止めたんだい?」
    「じいちゃんが誘拐される理由なんて、2つしかないもん。じいちゃんのことを嫌ってる人がさらって暗殺しようとするか、じいちゃんに無理矢理言うこと聞かせようとして監禁するか、くらいでしょ。
     もし暗殺目的なら、誘拐された人をさらに誘拐するようなこと、しないと思う。殺しておいて、最初に誘拐した人に罪を被せればいいんだもん。でもじいちゃんが殺されてるって話じゃないっぽいから、2番目の方だろうなって。
     でもさ、監禁場所があんまり遠くても意味無いよね?」
    「なるほど。プラティノアール総理の僕に言うことを聞かせ、政治的に操るのに、わざわざプ国国境を越えさせるようなことをしても、確かに意味が無い。
     そうさせるには国内の、どこか近場で洗脳させて、さも何事も無かったかのように、平然と戻ってこさせなきゃ意味が無いからね。
     散々騒ぎになった後で、いかにも『洗脳されました』って状態でのこのこ帰ってきたんじゃ、城に入れてもらえるわけが無いもの」
    「でしょ? まあ、もうSSの人たちが最初の誘拐犯捕まえて、大騒ぎになってるけどね。
     もっと解決に時間、かかると思ってたみたいだけど、そこのおばちゃん、その点は読み間違えたみたいだね」
    「……っ」
     己の不足を指摘されたからか、それとも「おばちゃん」と呼ばれたからか――女性に、明らかに苛立たしげな様子が現れたが、葵とハーミット卿は意に介さず、会話を続ける。
    「じゃあ、シルバーレイク郊外のどこか、って辺りまでは見当が付いたわけだ」
    「うん。で、『突然消えた』って言ってたから、多分『テレポート』使ったんだろうなって。
     そんなのを何の準備もせずに使える人って、この世に数えるほどしかいないって、コントンさんに聞いたことあったし。カツミさんか、コントンさんか、さもなければナン……」「わたくしのその穢れた名を、貴様如き小娘が軽々に呼ぶんじゃないッ!」
     ついに女性の、それまでのしゃなりとした慇懃な口調が、猛々しいものへと変わる。
    「その名はわたくしが蛇蝎の如く忌み嫌う言葉だ! それ以上口にするならば、お前の舌を膾(なます)にしてやるぞ!」
    「……あ、うん。コントンさんもそう言ってた。適当にこっちで名前付けて読んだ方がいいって。
     じゃ、とりあえずおばちゃん、『リンネル(麻織物)』って呼ぶね。色がそれっぽいし」
    「ふざけるな、小娘風情が!
     トリノ! フュージョン! いつまで寝転がっているのです!? さっさとそこの小娘を殺しなさいッ!」
    白猫夢・立葵抄 2
    »»  2013.10.12.
    麒麟を巡る話、第271話。
    目覚めた眠り猫。

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    3.
     葵の木刀でこめかみを打たれて転がっていた、赤と黒のドレスを着た人形――トリノが立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜く。
    「主様のご命令により、始末いたします」
    「やだ」
     葵は木刀をトリノに向け、構え直す。
     と、青と黒のドレス――フュージョンも立ち上がり、魔杖を構えてくる。
    「重ねて申し上げます。始末いたします」
    「やだってば」
     葵は一言、それだけ返し、木刀を正眼に構えたまま静止する。
    「アオイ、気を付けるんだ。『リンネル』氏もいる」
     ハーミット卿は心配になり、葵に声をかけたが、葵は顔を向けずにこう返した。
    「その人、多分攻撃してこないよ。少なくともあたしが、この子たちと戦ってる間は」
    「……」
     葵がトリノの初太刀をかわしたところで、ハーミット卿は続けて尋ねる。
    「どうして?」
    「その人ね、自分の『何か』を見せるのが、すごく嫌いなんだって」
     続いて迫ってきたフュージョンの土術の槍も、葵はひらりと避ける。
    「多分、自分の魔術も見せたくないだろうから、少なくともこの子たちが戦闘してる間は、じっとしててくれるよ。
     もし不意打ちしようとしても」
     前からトリノ、背後からフュージョンが攻撃を仕掛けてくるが、これも葵は横に跳んで避ける。
    「『万が一』かわされたらさ、その魔術、見られることになるよね。
     だから『リンネル』さんは、攻撃してこない。それに、それよりもこの子たちが、あたしを仕留める確率の方が高いと思ってるから、なおさら自分で手を下そうとしないよ」
    「……!」
     この返答に、ハーミット卿はぞくりとしたものを感じた。
    (だからこの間、攻撃せずにかわしてるってことか! 攻撃をかわされる可能性を示唆して、『リンネル』が動かないよう、牽制してるんだ!
     ……すごいな。すごすぎるよ、僕の孫は。居場所を看破し、敵の動きを測り切る推理力・論理性だけじゃない。相手の攻撃を――僕と会話しながらだよ――ひらひらとかわして見せる、この並外れた運動神経!)
     そしてさらに――ハーミット卿は驚愕させられた。

     何十合もの斬撃・打突をすべてかわされたところで、トリノの動きが突然止まる。そしてもう一方のフュージョンも、杖を構えたまま静止する。
    「……」
     それに合わせるように、葵も木刀を右手一本で構え、ぴたりと立ち止まる。
     しばらくにらみ合ったところで、トリノとフュージョンが動いた。
    「……ぃやああああッ!」「食らええええッ!」
     それまでに放ったことの無い、小屋全体を奮わせる怒声を発し、二人が同時に襲い掛かる。
     だが――葵はなんと、剣を構え飛び込んできたトリノに向かって駆け出した。
    「!?」
     しかし、ハーミット卿が声を挙げる間も無く、状況は一変する。
     葵はトリノの間合いに入るかと言うその直前、斜め上に跳躍したのだ。
    「な……」
     着地した先は、トリノの脳天――腰だめに剣を構えていたため、トリノの重心は下に下がっている。
    「はっ……、ゴガッ」
     葵の体重を支え切れず、トリノの頭部はそのまま、床に埋まり込んだ。
     そしてトリノが突っ伏したその時には既に、葵の姿はそこには無い。フュージョンの放った火球が壁に当たり、空振りに終わるとほぼ同時に、葵は空中でくるりと一回転し、逆に相手の背後を取っていた。
    「え……」
     フュージョンが振り向こうとした瞬間、葵は伸びたままの彼女の腕をつかみつつ、素早く懐に入って、そのまま立ち上がる。
     一本背負いの形になり、フュージョンの体が豪快に宙を舞う。
    「ひっ、……グエッ」
     フュージョンは壁に叩きつけられ、そのまま逆さにめり込んだ。
    「……ふぅ」
     葵は床に投げていた木刀を拾い、軽く息を吐いた。

    「なん……ですって」
     ハーミット卿の背後に立っていた「リンネル」は、明らかにうろたえていた。
    「わたくしの人形が……あんな……あんな小娘如きに」
    「もが……もが……」
    「う……く……」
     トリノもフュージョンも、床や壁に埋まったまま、身動きできないでいる。
    「さてと」
     葵はもう一度「リンネル」に木刀を向け、こう言った。
    「『リンネル』さん。交渉しない?」
    白猫夢・立葵抄 3
    »»  2013.10.13.
    麒麟を巡る話、第272話。
    妖魔撃退。

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    4.
    「交渉だと!? ……コホン、交渉ですか」
     どうにかしゃなりとした声色を出して、「リンネル」が応じる。
    「あなた方とわたくしが、何を交渉すると言うのです」
    「じいちゃんを解放して、この先一生、二度と手を出さないで。
    その代わりあたしは、あなたに手を出させないから」
    「そんな内容のどこが、交渉と言うのです」
    「じゃああたしと戦う? もしかしたらあなたは初弾をかわされて、あたしにその術を見られるかも知れないよね。『もしも』って思わない?」
    「あなた如き小娘がわたくしの術を回避することなど、例え天地が引っくり返ったとしても起こり得ないことです」
     そう答えた「リンネル」はハーミット卿の前に進み、手を掲げた。
    「そんなに死にたいと言うのならば、望み通りに殺して差し上げましょう」
    「リンネル」の手中に、白木の杖が生じる。
    「……」
     短く呪文を唱え、「リンネル」は魔術を放った。
    「『ネメシスバルド』」
     次の瞬間、葵を取り囲むように、四方八方から紫色に光る魔術の槍が現れる。
    「かわせると言うのなら、かわして御覧なさい」
    「ん」
     葵がうなずいた瞬間――紫色の槍は、葵を目がけて飛んで行った。

    「で?」
     そう尋ねた葵に、「リンネル」は何も言えなかった。
    「……」
    「かわして見せたよ。この通り」
     まだ残っている紫色の槍の上に、葵はちょこんと立っていた。その体には傷どころか、服が破れた様子も無い。
    「……何かの間違いでしょう。そんなことが起こり得るはずなど、到底ございません」
    「でもこの通りだよ」
    「……虚仮にしているおつもりですか」
     ふたたび「リンネル」が呪文を唱え、魔術を放つ。
    「今度こそ……死ねえッ! 『ピアシングクロス』!」
    「ほい」
     交差する光弾を、これも事もなげにかわす。
    「な……、何故だッ!? 何故当たらない!? ……ぐっ、……」
     立て続けにかわされ、打つ手を見失ったためか、「リンネル」の動きが止まる。
    「これで交渉する気に、なってくれた?」
     すとんと床に降り立った葵が、再度そう尋ねる。
    「この交渉を呑んでくれないと、あなたにとってもっと、困ったことになると思う」
    「わたくしが、何を困ると言うのです」
    「だって……」
     葵は木刀を杖のように構え、ぼそぼそと何かを唱え出した。
    「……え」
     その状況は恐らく「リンネル」にとって、最も現実に起こってほしくなかったものであっただろう。
    「『ピアシングクロス』、……だっけ?」
     葵が放った術は紛れも無く、「リンネル」の使った術だった。

    「はっ、……あ……」
    「リンネル」のローブに、赤い点が飛び散る。
    「そ……んな……馬鹿なことが……」
    「ちなみにだけど、もういっこの方もあたし、覚えたよ。
     あなたきっと、今の時点でもう、すっごく嫌な気分になってるはずだよ。これ以上何かしたいって、きっと思ってない。
     それでもあたしと戦う?」
    「……ごふっ……く……く……クス……クスクス……」
     血を吐いてはいるが、「リンネル」は倒れもしなければ、体勢を崩してもいない。
    「……いいでしょう。今回ばかりはお前が提示した条件、呑みましょう」
    「今回だけじゃないってば」
     折れかけた「リンネル」に対し、葵はもう一度条件を確認させる。
    「もうこの先一生、じいちゃんに手を出さないでって言ったはずだよ? それが呑めないなら、あたしは無理やりにでもあなたと戦う。
     別にさ、あなたに呑めない条件じゃないでしょ? あなたの話はコントンさん……、カツミさんのお弟子さんから聞いてるもん。カツミさんが唯一、同格と認めたほどの人だって。
     そんなあなたがじいちゃん一人操るのに、そこまで犠牲を払う必要、無いと思うんだけど」
    「……」
     ローブの奥に見えた「リンネル」の顔が、怒りで再び歪みかけるが――やがてローブを深く被り直し、その顔を隠す。
    「よろしい。その条件で、引き下がるといたしましょう。
     克の名において確約いたしましょう。わたくしは今後、お前の祖父を付け狙う行為は一切、いたしません。そしてその死後においても、指一本触れることはしないと、誓いましょう」
    「良かった」
    「ただし小娘」
    「リンネル」は魔杖を葵に向け、こう告げた。
    「お前とはいずれ、決着を付けさせていただきます。
     わたくしの術を盗んだお前を、わたくしは何があろうと許しはしませんし、のうのうと生かしておくつもりもありません」
    「分かった。いいよ、それで」
    「それでは失礼いたします。
     また、いつか」
     最後にそう返し、「リンネル」と人形たちは、小屋から姿を消した。
    白猫夢・立葵抄 4
    »»  2013.10.14.
    麒麟を巡る話、第273話。
    SS、面目丸つぶれ。

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    5.
    「以上です」
     アテナから顛末を伝え聞いた秋也たち夫妻は、揃って怪訝な表情を浮かべていた。
    「『以上』って言われても……」
    「わたしが卿から伺った内容は、先程の説明ですべてです」
     そう返したアテナに、夫妻はまたも、揃って首を横に振る。
    「んなこと聞いてるんじゃないよ。あたしたちが言いたいのは、話の内容が信じられないってことだってば」
    「ああ、そう言うコトだ。
     精鋭であるはずのオレたちSSを完璧に出し抜いて、いつの間にか事件が解決してた。しかも解決したのがオレたちの娘って、……三文芝居だぜ、話が」
    「しかし卿本人からの連絡であったことは事実です。ここ、SS本部への連絡が可能であったことからも、本人であることは否定しようが無いものと思われます」
    「……パパが戻ってきたら、もう一回話を聞いてみなきゃ、気持ちが収まりそうもないね」
    「その点については同感です」

     葵からの連絡から30分後――SSが手配した軍用車に乗って、ハーミット卿と葵が帰ってきた。
    「ありがとう、皆。本当に心配をかけた」
    「……」
     柔らかい口調で感謝と謝罪の言葉をかけた卿に対し、SS隊員らは揃って、沈んだ顔をしていた。
    「確かに僕の身柄を保護してくれたのは君たちでは無く、一般人によるものだった。忸怩(じくじ)たる思いをしていることは、察するに余りある。
     とは言え今回のケースはひどく特異な状況だったし、仮に僕が今回の事件に巻き込まれていない無事な立場にあり、君たちに十分な助言をできる状態にあったとしても、これほどのスピード解決は望むべくも無かっただろう。
     そもそも本来の誘拐事件――ミシェル・ロッジ氏が起こした第一の誘拐事件においては、君たちが完璧に、間違いの一切無い、素晴らしい仕事をしていたことは、万人が認めるところだろう。異様な第二の事件が無ければ、君たちの職務は全うされ、君たちの手によって、僕は助け出されていたはずだ。
     ……それに関してだけど」
     卿は一瞬、葵の方をチラ、と見て、こう続けた。
    「第二の事件については、一切公表を控えようと考えているんだ」
    「……」
     葵は眠たそうに目をこすりながら、ぼんやり立っている。
    「何度も言ったけど、第二の事件については僕たちの常識、一般認識を大きく逸脱した超常的な事態であり、はっきり言って僕や君たちのような、一般的な人間が扱える事件では無かった。
     これを公表することは、社会不安を煽るばかりで何の効果も得られない、誰一人として得をしない、あらゆる面から考えても無意味な行為であるのは明白だ。
     だから公には第一の事件のみが発生し、それを君たちSSが見事に解決したとする。……よって」
     卿自身も気まずさを覚えつつ――こう命令した。
    「君たちには『事件を解決した』と胸を張っていてもらわないと困る。落ち込むのは今晩だけにしてほしい。
     明日の朝からは、首相誘拐事件を解決した英雄として振る舞ってくれ」

     秋也夫妻と葵、そしてハーミット卿は軍用車で、家まで送られることになった。
    「そう言えば、アオイ」
    「むにゃ」
     半分眠っていた葵が、だるそうに返事をする。
    「小屋でした話がまだ、途中だったよね」
    「……ん」
    「『テレポート』を使える人間を特定できたことまでは分かった。十分に納得行ってる。
     その先も見当は付く。恐らく『リンネル』氏の『知られることを極端に嫌う』性格と、事件性の無さを偽装すると言う都合上、人通りのほとんどない、しかし僕が歩いて家に帰って来られる程度には近い場所に連れて行ったであろうこと、……ここまでは推理できる。実際、僕が連れて行かれたのは市内の倉庫だったし、おかげですぐ帰って来られた。
     でもそこからの話を展開するにあたって、不確実性の高い点があるよね――どうして君は街の中の、数多くある倉庫や空き家の中から、あんな短時間で僕を見付けられたんだい?」
    「……ん……」
     葵は薄く目を開き、ぼそ、とこう答えて、また目を閉じてしまった。
    「あたしの、……勘」
    「勘って、おい」「ちゃんと説明しなさいって、もう」
     両親の突っ込みも空しく、葵は既に寝息を立てていた。
    「いや」
     と、ハーミット卿が口を開く。
    「彼女の言ってることは恐らく本当なんだろう。それで説明のつくことが、他にあるから。……いや、こんなのを『説明』だなんて言ってしまっていいのかどうか」
    「え?」
    「ナンクン氏や人形と戦った時の、アオイの動きは異様だったよ。まるでタイカか誰かを見ている気分だった。
     と言って、タイカ並みの実力があるだなんてことはまず、あり得ない。別の手段によって、タイカ並みの行動を執ることができたと考えるのが最も自然な帰結だ。
     恐らく彼女は本当に、『勘』で相手の攻撃を見切っていたんだ。……それ以外に説明が付けられない」
    「マジっスか」「パパがそんなこと言うなんて……」
    「いやいや、表現の問題だよ」
     ハーミット卿はそう前置きし、持論を話した。
    白猫夢・立葵抄 5
    »»  2013.10.15.
    麒麟を巡る話、第274話。
    「勘」の考察。

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    6.
    「『勘』ってものを砕いて言い換えるとするなら、『あっちとこっちを比較したら、何となくあっちの方が怪しそうな気がする』って表現になるだろう。
     しかしそもそも、その『何となくそんな気がする』って言う判断基準は、二人はどうやって付けてると思う?」
    「え? んー……」
     ハーミット卿の問いに、秋也とベルが異口同音に答える。
    「ソレこそ『勘』って言うか、何て言うか」「何となく、は何となくでしょ?」
    「ま、そうだろうね。それは本当に、『何となく』感じたものでしかないだろう。
     じゃあ、論じ方を変えてみよう。コイントスをして、1回目は表。2回目も表。じゃあ、3回目はどっちが出ると思う?」
    「んー……、表っスかね。1回目も2回目も表が出たんなら」
    「あたしは裏かなー。3回目くらいには裏が出るんじゃない?」
    「そう、それだ。その推察が、『勘』の本質だろう」
    「『勘』の本質?」
     揃って眉間にしわを寄せる娘夫婦に、卿はこう説明した。
    「『勘』は決して、『現実を無視した超常的な判断』ではないってことさ。
     1回目は表。2回目も表。2回の試行で得られたデータを基に、二人は3回目にはそれぞれ表、もしくは裏が出ると推量した。
     この試行回数が10回、20回と増えて行けば、よりそのデータは蓄積される。二人の頭の片隅にね」
    「片隅?」
    「コインの出目をはっきり覚えていないまでも、『3回連続で表が出た後に裏が出たことが2回あった』だとか、『表と裏が交互に出続けたことは一度もない』だとか、コイントス全体の大まかな傾向については、ぼんやりとながらも把握はするだろう。
     その大まかな把握が、何十回目、何百回目のコイントスを行う時に記憶の片隅から読み出され、『この回は表が出そうな気がする』とか、何となく感じるようになる。
     でもその根拠を説明しろと言われても、はっきり認識しているわけじゃないから、明確には答えられない。それこそ『勘』と説明する以外にはないだろう」
    「つ……、つまり?」
    「簡単に言えば、『これまでの人生経験の積み重ねによって、勘は研ぎ澄まされる』、……と言うのが、僕の持論だ。
     何十局、何百局も碁を囲んでいれば、最初のほんの数手で相手の打ち筋が読めるようになる。高段者が素人を相手する時には、その数手で相手とどう戦い、どう決着が付くかまで、まるでとっくに体験し終えたかのように、完璧に読み切ってしまえることすらあると言う。
     アオイにとっては、今夜の戦いはそんなものだったんだ。相手の動きは既に見えていた。どう動き、どう攻めてくるかが分かり切っていたからこそ、どんな攻撃をもかわし、見切り、さらにはそれを盗むことさえ可能だったんだ」
    「いや……、その話だと、前提がまず無理なんじゃ?」
     秋也が口を尖らせ、反論する。
    「初めて会った敵の動きを、会う前から既に見切っていたなんて、話が前後、無茶苦茶じゃないっスか。
     そもそも葵には戦闘経験なんて無いんですよ? お義父さんの言う『経験の積み重ね』なんて、一つも無いはずっスよ」
    「確かに『会う』のは初めてだったろう。でも『聞く』ことなら、もう何度もやっていたはずだよ」
     これを聞いて、ベルがポン、と手を叩いた。
    「あ、そっか。つまり、コントンさんから聞いた話から、アオイは敵の動きを予測したって言うこと?」
    「恐らくはね。それにもしかしたら、コントンさんは密かに、アオイに稽古を付けてくれていたかも知れない。あの人は女の子とシュウヤくんの血筋に優しいから。
     ……おっと、もう着いちゃったか。やっぱり最新鋭の軍用車輌は速いね」
     車がハーミット邸の前で停まる。卿は自分にもたれかかって寝ていた葵の体を起こしながら、話を締めた。
    「ともかく、事実として――アオイは何十戸もの建物の中から僕を一発で見つけ出し、悪魔的な強さを有していたはずの『リンネル』氏らを退けて、僕を見事、救出してくれた。
     この事実は、どんな推量や思索を以てしても否定しようが無いことだ」
    白猫夢・立葵抄 6
    »»  2013.10.16.
    麒麟を巡る話、第275話。
    千年級の会話;人形遣い二人。

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    7.
     同日、明け方。
     どこか、遠い場所で。

     難訓は激怒していた。
    「アウ……アウ……」
    「ガガ……ガピー……」
     伴っていた人形たちにあらん限りの「折檻」を加えてもなお、怒りが収まらない。
    「……」
     一言でも耳にすればたちまち心が張り裂け、脳が溶け腐りそうな悪口雑言を、喉がかれるほどに吐き散らしても、難訓のほとぼりが冷める様子は無かった。
    「……ッ」
     そのうちに――あまりに打ち据えたためか――ついに「フュージョン」の頭半分が砕け散った。
    「ガー……ピ……ピガ……ガー……」
     甲高い金属音をガリガリと立て始めた「フュージョン」を見て、難訓の手が止まる。
    「……(いけない、やり過ぎたか)」
     潰れた喉からわずかに声を漏らして、そこでようやく難訓は杖を下ろした。
    「(修復には……、相当手間がかかるか。……わたくし自身の修復にも)」
     呪文を唱えようにも、喉からはガラガラとした、血の味が混じる声しか出てこない。
    「……」
     難訓は杖を放り投げ、その場にとぐろを巻くようにして座り込んだ。
    「(どうしてくれようか……、あの小娘)」
    《どうしたいです?》
    「……!?」
     突然かけられた男の声に、難訓は驚き、立ち上がった。
    「(誰だ!?)……ケホ、ケホッ」
     痛む喉から無理矢理に声を絞り出して尋ねたが、声が聞こえてきた方には、ただただ闇が広がっているだけだった。
     いや――よく見てみれば、その闇の中に何かが立っている。難訓のようにフードを深く被った何かが、そこにいた。
    《あ、ご無理なさらず。僕の質問に首を振っていただければ、事足りると思いますので。
     おっと、自己紹介もしてませんでしたね。すみません、不躾なことばかりしてしまって》
     闇の中に立つ「それ」は、いつも難訓がして見せるように、恭しい態度で応対する。
    《あなたの後輩に当たる者です。と言っても、あなたの師匠兼配偶者とは、あなた同様に断絶した身でありますが》
     ただし難訓とは違い、男の声はどことなく、慣れ慣れしい雰囲気を帯びている。
    「……」
     難訓は口を開くが、声が出ない。
    《ん、……僕の名前でしょうか?》
     うなずく難訓に、男はこう返した。
    《推理していただければ、結構簡単に判明すると思います。あ、『六番』じゃないですよ》
    「……」
     難訓は口を開く代わりに左手を挙げ、回答を示した。
    《ご明察です。では僕の素性も分かっていただけたところで、ちょっと『取引』の話をしたいな、と思うんですが》
    「……」
     これにも難訓はうなずき、男の声はより、やんわりしたものになる。
    《ありがとうございます、先輩。
     それでですね、『取引』と言うのはズバリ、あなたを虚仮にしたあの猫娘のことについて、……なんです。
     いやね、僕の方の計画でも、あの小娘君はなかなか使えそうだな、と思っていたんですが――あなたも経験した通り――相当に手強そうですからね。いつもの僕のやり方をしようにも、うまく行くかどうか。
     一方で、あなたはあの猫娘を亡き者にしたいと考えているご様子ですけど、実際のところ、相当に難しいだろうと感じていらっしゃるんじゃないかな、って。
     そこで、今回は一緒に協力して……》
     と、男がここまでしゃべったところで、難訓は首を横に振った。
    《ありゃ》
    「……ケホッ、ケホ……、不要だ」
     どうにか声を出し、難訓は男の提案を却下した。
    「わたくしにはこの木偶がいれば十分。お前如き三下の手を借りる気など、毛頭無い」
    《そうですか、それは残念だ。同じ人形遣い同士、今回をきっかけに仲良くしたいなと思っていたんですが》
    「戯言を吐くな、若輩。今までわたくしの人形と何度戦ってきたか、覚えていないのか?」
    《覚えてますよ、勿論。ただ、それは今までうまく理解し合えなかっただけであって、今回のように利害関係が一致すれば、手を組んでもいいじゃないかな、と思って……》「それ以上口を開くつもりなら」
     難訓の周りに、腕の折れたトリノと、顔が半分欠けたフュージョンが立ち並ぶ。
    「お前のその、お気に入りの木偶を破壊する。お前の下らぬ与太話なぞ、これ以上は不要だ」
    《……クス》
     男は短く笑う。
    《どうせ僕が黙っても、壊すおつもりでしょう?》
     男の言葉通り――次の瞬間、闇の中に立っていたその影は、粉々に吹き飛んだ。
    「……さて。喉も落ち着いてきたところですし、お前たちの修理を行うとしましょう。
     ああ、そうそう。忘れるところでした」
     難訓はパチッ、と指を鳴らした。
    「これでよし。これでこの国においてわたくしの姿を見た者は、あの木偶の成れの果てと、その孫娘だけになりました」



     結局――ハーミット卿誘拐事件は公にされること無く、一切が秘密裏に処理された。

     友好国の公太子が主犯であったことや、その直後に解明しがたい不可解な事件が絡んだことなど、隠蔽理由は数多くあったが――その最たる理由が、ミシェル氏をはじめとする犯人4名が、拘置所において謎の死を遂げたためである。
     4名が4名とも、まるで体の中に爆弾を埋め込まれていたかのごとく、全身が木端微塵に爆裂しており、拘置所は血の海と化していたと言う。
     この異様な死を難訓からの警告と捉えたハーミット卿は、関係者全員に「この事件は最初から無かったものとして処理するように」と、異例の通達を下した。

    白猫夢・立葵抄 終
    白猫夢・立葵抄 7
    »»  2013.10.17.
    麒麟を巡る話、第276話。
    諭す渾沌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦542年以降、ハーミット卿と大火は密かに友好関係を築いていた。
     この関係を公にしていないのは、排他意識が強く、かつ多くの宗教・宗派が存在する西方において、黒炎教団の現人神である大火とつながりがあると知られれば、無用な宗教対立を生じさせかねないためである。
     そしてもう一つ、公にしない理由として、卿が自身を「大火との連絡役」に使われることを嫌ったためである。今なお悪魔として伝説的に君臨する大火を利用しようとする者は決して少なくなく、そんな輩にあれやこれやと言い寄られることを、清廉かつさっぱりした性格の卿が容認できるはずも無い。

     そしてさらに、これは卿も知らされていない、大火側の理由だが――卿が大火と通じていると公に知られることで、大火と対立関係にある者たちが、直接的・間接的に狙ってくると言う可能性を潰すためである。



    「……大変だったわね」
     師匠から聞かされていたその密かな理由を思い浮かべながら、克渾沌は葵から、今回の事件の顛末を聞いていた。
     ちなみに渾沌がここにいるのは、卿と大火とが取り交わした「契約」のためである。20年前に起こっていた「鉄の悪魔」アルの暗躍がまた起こらないよう、彼女をこの地に駐留させているのである。
     と言ってもずっと住み着いているわけでは無く、彼女が西方にいるのは1年のうち、4ヶ月弱と言うところである。その他の期間に彼女がどこへ滞在しているのかは、卿や、彼女と親しい葵でさえも知らない。
    「ほんとにね。……ふあ、っ」
     いつにも増して、葵は眠たそうにしている。
    「欠伸、多くなったわね?」
     そう尋ねた渾沌に、葵はこくんとうなずく。
    「その事件から、……なんか、眠たいんだよね」
    「いつになく気合入れ過ぎたからじゃない?」
    「そうかも」
     話している合間にも、葵は目をこすったり、猫耳をもしゃもしゃと掻いたりと、今にもこてんと寝ころびそうな様子を見せている。
    「……んもう」
     あまりにも眠たそうにしていたため、呆れた渾沌は葵に手招きした。
    「こっち、来なさいな」
    「ふぁ~……い」
     渾沌の膝の上に頭を乗せ、葵はぱたんと横になる。
    「あなた変わらないわね、子供の頃から。いっつも眠たそう」
    「ん……」
    「でも、こうやって寝ボケてても、不思議と私の言ってること、ちゃんと聞いてるのよね。寝てても耳だけは覚めてるって感じ。
     ま、このままでいいから聞きなさい」
    「んー」
     葵がぼんやりとながらも返事したのを確認し、渾沌は話を切り出した。
    「あなた、このままじゃ死ぬわよ」
    「んー……?」
    「いいえ、正確にはあなたの、周りの人が」
    「……なんで?」
    「確かにあなたは強い。まだ15歳なのに、その身体能力と思考力の高さ、そしていざ動いた時の勢いは、この世のどんな兵(つわもの)とも張り合えるほど。恐らくあなたに勝てるような奴なんて、現時点でも私たち克一門くらいでしょうね。
     でも経験と見識に関しては、まだ幼すぎるわ。敵が真っ向勝負じゃなく、搦手で攻めて来たら、あなたは間違いなく負ける。周りを巻き込みに巻き込んだ形で。
     あなたが本気になるのは――言い換えれば、あなたが行動を起こす理由は、あなたの家族が危険に晒された時。あなたを焚き付けようと、敵の誰かがあなたの大好きな妹ちゃんをさらうかも、とは考えない?」
    「……」
     ぱち、と葵の目が開く。
    「そんなことさせない」
    「でしょうね。そりゃあなたの性格なら、そうさせまいと動くでしょうね。
     そしてそれが、あなたを打ち負かすための勝機にもなる。あなたは単身、敵陣に乗り込む。向こうはそんなあなたを、盤石の態勢で迎え撃つ。
     それはそれは、激しい戦いになるでしょうね。それこそ、辺り一面草も生えないような、壮絶な殺し合いになる。そんな中であなたと、あなたの妹だけが無事でいられるなんて、都合のいいことが起こると思うの?」
    「起こすよ」
    「無理ね」
     そう断言して――渾沌は、自分の膝に頭を乗せたままの葵目がけて、手刀を振り下ろした。
    白猫夢・離西抄 1
    »»  2013.10.18.
    麒麟を巡る話、第277話。
    修行の誘い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     自分の膝を打つ寸前で手刀を止め、渾沌はソファの裏まで跳んだ葵に、仮面越しにチラ、と目をやる。
    「傷、治してあげるわよ」
    「……うん」
     葵の額に、じわ……、と血が垂れている。渾沌の放った手刀で切られたらしい。
     もう一度自分の膝に頭を乗せた葵に、渾沌はにたぁ、と笑って見せた。
    「難訓と戦った時は、相手に慢心があったし、標的はあなたじゃなかった。だからこそこの前は退けることができたでしょうけど、いざ、あなた自身が標的とされたら、……その時はどうなるかしらね?」
    「ん……」
     傷が消え、綺麗になった葵の額を、渾沌は指先で撫でる。
    「こんなに親しくしてて、手の内も多少知ってる。難訓の時より条件は易しいはずなのに、あなたはこうして後れを取った。
     もし私が本気であなたと戦ったら、その時はこんな可愛い傷じゃ済まないわよ」
     ちゅ、と額にキスし、渾沌はクスクス笑う。
    「で、提案があるんだけど」
    「なに?」
     額を拭きながら尋ねた葵に、渾沌はぴん、と人差し指を立てて見せた。
    「あなた、この国から出なさい」
    「え」
    「あなたを狙う奴の可能性を考えれば、あなたがここにいる限り、常に危険に晒されることになる。
     あなたはまだまだ未熟者。敵が現れたその時、戦って勝てる可能性は0ではないけど、100だなんて到底言えない。
     私がいる時なら守ってあげられるけど、敵だって攻めやすい時を狙って攻めてくるでしょうしね。あなた一人になったところで、ガンガン強襲してくるのは目に見えてる。
     防御・攻撃の両面から考えて、ここにいたら命がいくつあっても足りなくなるわ。ここを出て、私たちが守れる場所で修行を積む必要があるわよ」
    「……ん」
     小さくうなずいた葵に、渾沌は続けてこう伝えた。
    「そう言ってくれると思って、場所は押さえてあるのよ。すっごくいいトレーナーがいるところよ。ちょうど、次期ゼミ生を募集してるところだし」



    「あー……、うん、まあ、『あそこ』ならまあ、確かに」
     場所を聞き、秋也は複雑な表情でうなずいた。
    「でもなぁ……、きっついぞ、『あそこ』は」
    「そなの?」
     きょとんとしている葵に、秋也はポリポリと頭を掻きながら説明する。
    「昔オレもソコで修行したんだけどな、相っ当しんどかったぞ」
    「あー、昔言ってたトコ?」
     と、話の輪に葛が割って入ってきた。
    「そう、ソレだ。3人で一緒に修行したんだけど、一番出来が悪いのがオレでさ。
     成績が悪いと夕メシ抜きにされたんだけど、オレが三食全部出してもらえるようになったの、修行始めてから半月たってようやくだったし。
     まあ、でも。その代わり、確かに学べたことはすごく多かった。渾沌を倒せたのも、その時の経験が無きゃ無理だったろうし。
     ……でもさ、渾沌」
     秋也は真面目な顔になり、渾沌にこう言った。
    「あんまり……、葵にアレコレ教えるのも、どうかって思うんだ」
    「どうして?」
    「だってさ、もしあんたが葵に剣術とか格闘術を教えてなかったら、葵は現場に突っ込んでいかなかっただろうし、目を付けられるようなコトだって……」
     これを聞いて、渾沌は肩をすくめて苦笑した。
    「秋也、あなたの頭が決していい方じゃないのは知ってるけど、それでもちょっと考えてモノを言いなさいな。
     もし葵が突っ込んでなければ、あなたのお義父さんは今頃、国会で答弁なんかしてないわよ」
    「……だよな。……いや、そうじゃなくてさ、オレが言いたいのは」
    「分かってるわよ。大事な愛娘を危険に晒したくないって言うことでしょ?
     でももし、私が何も教えてなくても、葵はきっと突っ込んでいったはずよ。対応できる能力が無かったとしても、よ。
     逆に考えてほしいわね。この子が徒手空拳で突っ込んであえなく死ぬところだったのを、死なないようにしておいたんだ、って風にね」
    「んー……むう」
     言いくるめられ、秋也は苦い顔をしたまま口をつぐんだ。
    白猫夢・離西抄 2
    »»  2013.10.19.
    麒麟を巡る話、第278話。
    故郷を離れる前に。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵がプラティノアールを離れることになり、彼女が通っていた学校や道場では一時、その話題で持ち切りになった。
    「聞いた? ハーミット姉のこと」
    「あー、聞いた聞いた。中央大陸に行くらしいって」
    「そうそう。なんかすごい難しいゼミに行くって言ってた」
    「うんうん、で、学校の方は退学するって。びっくりだよねー」
    「って言ってもさ、そのゼミって俺も聞いたことあるけど、下手な大学より入るのも、勉強するのも大変だって聞いたぜ」
    「じゃあ将来は卿みたいになるのかなー」
    「いや、魔術専門らしいから、そっち方面の研究者とかになるんじゃないかなぁ」
    「じゃ、5年後か10年後には『賢者アオイ・ハーミット』ってこと?」
    「……なりそうだなぁ、ハーミット姉なら」
     と、こんな風にうわさをしているところに、妹の方が通りかかった。
    「あ、カズラ」
    「ん? どしたのー?」
     寄ってきた葛に、学友たちが口々に質問する。
    「お前の姉ちゃん、退学するって本当?」
    「うん。中央の魔術ゼミに行くコトになったってー」
    「何てトコ?」
    「えーと、天狐ゼミってところ。実はうちのパパも行ったことあるんだって」
    「へぇ、コウ先生もなんだ……。だからあんなに強いのかなぁ」
    「かもしんない」
    「じゃ、さ、アオイさんっていつくらいに帰ってくるの?」
    「分かんない。結構長い間いるっては聞いたけど。少なくとも5年は向こうだって」
    「5年かー……」
     年数を聞き、一同は揃ってがっかりした表情を浮かべる。
    「となると、もうアオイさんの学生服姿なんて、そんなに見られないよなぁ」
    「……確かに。今のうちにじっくり目に焼き付けとかないとな」
    「何バカな話してんのよ……」
     一方で、葛も落ち込んでいた。
    「でも本当、そうなんだよねー……。来週にはお姉ちゃん、もう行っちゃうから。
     大会にも出ないままだよ。本当、残念」
    「あ、そっか……」
    「道場でも一番人気だもんな。強さも」
    「なんか寂しい大会になりそうだよなぁ……」
    「うん……」
     うなずいた葛に、学友の一人がぽん、と彼女の方を叩いた。
    「あんたまでしょんぼりしてどうすんのよ。お姉ちゃんの分まで、あんたが活躍すればいいじゃない。同じハーミット家なんだから」
    「でもあたしとお姉ちゃんとじゃ、全然実力が違うしなー」
    「そりゃハーミット姉は別格だけど、あんただってそこそこ強いじゃない。
     あんただって頑張ったらできるって」
    「……ん、まあ、頑張ってみるよー」

     道場での稽古も終え、葛が帰宅したところで、荷物をまとめていた葵が声をかけてきた。
    「おかえり」
    「ただいまー」
     誘拐事件の後処理や道場の事務整理などで、この時間帯、両親はまだ家に戻っていない。
     二人きりのこの状況で、葛は葵の手伝いをしながら、彼女にぽつぽつと質問する。
    「お姉ちゃん」
    「ん」
    「もう道場には出ないの?」
    「うん」
    「学校は?」
    「明後日くらいには退学届出す」
    「そっか。じゃ、本当に来週にはいなくなっちゃうんだね」
    「うん」
    「……ねえ、お姉ちゃん」
    「ん」
    「もったいなくない?」
    「何が?」
    「だって、学校とか、道場のみんなと、来週には離れ離れになっちゃうんだよ。
     そりゃ、もう二度と会えないってわけじゃないだろうけど、でも、……でも、5年も経ったらきっと、みんな別人になっちゃってるよ」
    「かもね」
    「5年経って、『ただいまー』って帰って来ても、お姉ちゃんのこと、みんなにとっては『ずっと一緒に過ごした子』じゃなくて、『うっすら思い出に残ってる子』になっちゃうんだよ」
    「うん」
    「……いいの?」
    「……」
     葵は手を止め、葛の手をぎゅっと握った。
    「あたしも、それは寂しい。特にパパやママ、おじいちゃん、おばあちゃん、それにあんたとも、5年も会えなくなるのは、すごく寂しい。
     でもこのままここで暮らせば、きっと何か嫌な事件が起きる。あたしのせいで。もしそれにあんたやママたちが巻き込まれたら、……って考えたら、そっちの方が100倍、嫌」
    「……でも、ソレはさ、あくまで渾沌さんの話じゃないの? 渾沌さんの思い過ごしってコトも、あるかも知れないじゃない」
    「ううん。あたしの勘も、きっと起こると感じてる。あたしの勘、外れたことあった?」
    「……無いけど」
    「だから、あたしは行くの。これから何が起こっても、あたしが全部、解決できるように」
    「……」
     ぽた、と音を立て、葛の足元に涙が落ちた。
    「あたしも行けるなら行きたい……。でも分かってる。あたしはお姉ちゃんみたいにすごくないもん。
     天狐ゼミには入れないし、修行にも付いていけない。渾沌さんみたいなめちゃくちゃ強い人が襲ってきたとしても、あたしは絶対勝てない。
     どうしてあたしは、お姉ちゃんみたいになれないのかなぁ……」
     ボタボタと涙をこぼす葛の手を、葵はずっと握っていた。
    白猫夢・離西抄 3
    »»  2013.10.20.
    麒麟を巡る話、第279話。
    お別れ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「カズラ」
     葛が泣き止んだところで、葵が口を開いた。
    「なに……?」
    「最後に、一回だけ仕合しよっか」
    「え?」
     葵は葛から手を放し、まとめていた荷物の中から竹刀と道着を取り出した。
    「だめ?」
    「……ううん、やる」
     葛はぐしぐしと顔を拭き、葵の誘いに応じた。



     門下生が全員帰った後の、既に夕日も落ち、暗くなった道場を、葵と葛が訪れた。
    「防具、どうする?」
     夜間用の火術灯を設置しつつ尋ねてきた葵に、葛は首を横に振る。
    「いい。寸止めで行こ」
    「分かった」
     勿論、防具なしでの練習・試合は非常に危険な行為であり、通常は師範の秋也からも、「遊びや冗談でも絶対すんなよ」と厳しく止められている。
     しかしこの時は何故か、葛は道着だけで打ち合いたい気になっていた。
    (お姉ちゃんの顔をじっくり見られる、最後のチャンスかも知れないもん)
     まず先に、葵が道着にたすきを掛け、道場の中央に立つ。
    「ちょっと待ってね」「うん」
     その間に葛も髪をアップにまとめ、それから同じようにたすきを掛けて中央に向かう。
    「一本勝負ね」
    「分かった」
     それだけ言って、二人は構え合った。

     姉の陰に隠れがちではあるが、葛も13歳にしては、相当な剣の腕を持っている。もしも葵がいなければ、葛こそ「『蒼天剣』の生き写し」と呼ばれていたかも知れない。
     しかし――姉、葵の存在はあまりにも大き過ぎた。例えるなら、月ひとつと太陽ほどの別格、いや、揃え並べることすら無為、ナンセンスと言っていいほどの、壮絶に桁の外れた違いだったのだ。
    (勝てないのは分かってる。
     お姉ちゃんほどじゃないけど、あたしも、1分くらい後には竹刀を頭すれすれに突きつけられてるだろうなってコト、勘で分かるもん。
     ……でも、あたしはやる。勝つとか負けるとか、この仕合はそう言うコトじゃないもん)
     まず、葛が一歩、間合いを詰めた。しかし、葵は動かない。それを確認し、さらに葛がもう一歩詰める。
     それでも葛を眺めたまま微動だにしない葵に、葛はしびれを切らした。
    「……えやああああッ!」
     バン、と床を踏み鳴らし、葛は一気に間合いを詰め、上段から振りかぶった。
     だが――葛も予想できたことだったが――葵はす、と一歩退き、妹の初太刀をすれすれでかわす。
    「やっ」
     そして葛の竹刀が下を向いたところで右へ回り込み、竹刀を必要最小限であろう挙動で振り、葛の額ギリギリでぴた、と止めた。
    「……やっぱ、そうだよね」
     葛は竹刀を納め、ため息をついた。
    「お姉ちゃんとあたしじゃ、勝負なんかできない。挑めるほどあたしに、実力無いもんね。こうやって簡単にいなされるコトは、最初から分かってたよ。
     でも」
     葛は葵に向き直り、こう続けた。
    「5年後はどうか分からないよ」
    「……」
    「2年経ったら、今のお姉ちゃんと同じ15歳になる。その上もう3年も頑張ったら、もしかしたら今のお姉ちゃんより強くなれるかも知れないもん。
     だからお姉ちゃん、……こんなので勝ったと思わないでよ。この勝負の決着は、5年後に付けるからね」
    「……」
     葵も竹刀を納め、こくんとうなずいた。
    「分かった。5年後、もう一回やろ」
    「うん」
    「あたしも頑張るから」
    「じゃああたしはもっと頑張る」
    「……分かった。楽しみにしてる」
    「あたしも」
     二人は竹刀を置き、がっしりと抱きしめ合った。

     ちなみに――この時、道場主である秋也は事務処理を終え、帰る前に道場の見回りと戸締りをしていたのだが、そこでこの仕合に出くわした。
     本来ならば防具なしで打ち合う彼女たちを止め、咎めなければいけないのだが――。
    (……野暮だな、そりゃ。それにあいつらなら、滅多なコトはしないだろうし)
     秋也は二人に気付かれないよう、そっと道場から出た。
    (ま、……しっかりやれよ)



     4日後――葵は渾沌に伴われ、央中・ミッドランドに渡った。

    白猫夢・離西抄 終
    白猫夢・離西抄 4
    »»  2013.10.21.
    麒麟を巡る話、第280話。
    天狐の面接。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「姉(あね)さんにゃ似てねーな。親父さんの面影は割かしあるけど」
     それが天狐ゼミ塾長、克天狐が葵に向けて放った第一声だった。
    「あねさん?」
    「ん……、お前さんの父方のお婆ちゃんに当たる人のコトだ。その人とオレとは、色々あってな。
     ……で、だ。渾沌、何でコイツをオレんトコに連れてきたんだ? ココは魔術塾であって、訓練所じゃねーんだぞ」
     ギロ、とにらみつけてきた天狐に、渾沌は肩をすくめて返す。
    「いいじゃない。晴奈のよしみよ」
    「程があるぜ。姉さん本人から頼まれたんならそりゃ、特別に引き受けもするさ。だがお前からの頼みってなると、無性に癇に障るんだよ」
    「でしょうね。でも天狐ちゃん、あなたのその魔術指導の腕を見込んで、私は彼女の指導を頼みに来たのよ」
    「ん?」
     怪訝な表情を浮かべた天狐に、渾沌はこう続けた。
    「難訓の魔術を盗んだのよ、この子」
     天狐の怪訝な表情が、唖然としたものに変わる。
    「……いっつもいつも思うが、何でお前、眉唾な話ばっかり持って来んだよ。来る話来る話、一々嘘臭えっつーの」
    「あら、からかうことはちょくちょくあるけど、こう言う話はいつも本当だったでしょ?」
    「……つっても『あいつ』の話だろ? オレ、『あいつ』に遭ったコトすら無いしなぁ」
    「あら、そうなの?」
    「お前もだろ?」
    「まあ、そうね。本人に遭ったことは一度も無いわ」
    「そう言うヤツだろ、『あいつ』は。魔術を食らう、盗む以前に、ヤツと遭遇するコト自体がまずありえねー。
     そんな絶滅危惧種みてーなヤツから魔術を盗んだなんて、どう信用しろってんだ」
    「……その証明は難しいわね。でも彼女がすごいって証明は、すぐにできるわよ」
    「見りゃ分かるさ」
     天狐はフン、と鼻を鳴らし、葵を指差した。
    「今まで見た中じゃ、鈴林並に魔力持ってやがる。あと……、何つったか、昔、姉さんと戦った時にいた緑髪の、……猫、……ん?」
     天狐は突然立ち上がり、葵の顔とくすんだ緑髪とを、しげしげと眺め出した。
    「……あれ?」
    「なに?」
    「……ちょっと待てよ?
     ……アレが40年くらい前だよな、……で、……一緒にいたのがあの金髪エルフで、……そいつが20年くらい前にもこっち来て、……そう言やあの時、指輪してたし、あいつの娘っつってたのも緑髪の『猫』で、……んん?」
    「その金髪のエルフって、もしかしてじいちゃんかな。ネロ・ハーミットって言うんだけど」
    「ぶっ」
     葵からその名前を聞いた途端、天狐が噴き出す。
    「……すると、お前の母方のばーちゃんって、まさかその、緑髪の『猫』なのか?」
    「うん。多分それ、ばーちゃん」
    「……まだそっちの方が信用できるな、ケケっ」
     天狐は額を抱え、ゲラゲラ笑いだした。
    「ケケケケ……、なるほどなるほど、ソイツの孫かぁ。
     面白えな、お前さん。とんだサラブレッドじゃねーか! 片や姉さんの血筋、片やあの緑髪の女とネロの血筋かぁ!」
    「パパとママ、飛ばさないで」
    「おう、悪い悪い。
     ともかく……、難訓云々より、そっちの方がよっぽど興味をそそられたぜ。いいぜ、入塾を許可してやる。
     後は研究テーマの設定だな。ウチは三流大学の一般教養みてーに、ぼーっと講義聞かせるよーなトコじゃねー。お前さんがやりたいコトを、まず最初に決める」
    「ん」
     葵は淀みなく、こう答えた。
    「攻撃魔術の研究したい。どんな奴が相手でも勝てるように」
    「分かった。ま、ソレこそウチの、……いや、克一門の本領だ。
     親父も目を丸くするよーな、すげー魔術師にしてやんよ」



     天狐からの話がひと段落し、葵が鈴林から寄宿場所などの説明を受けている間に、渾沌は密かに、天狐に尋ねていた。
    「師匠のことは『親父』って呼ぶのに、お母さんはそう呼ばないの?」
    「産んですぐにオレを捨てたクソ女だぜ?
     あんなクズの腹から産まれたってだけで、何であんなのを母親と思わなきゃならねーんだよ。
     向こうだってオレのコトは、『出来損ないのゴミ』だって思ってるぜ」
    「でしょうね」
     あまりに刺々しい天狐の物言いに、流石の渾沌もそう返すしかなかった。
    白猫夢・五雛抄 1
    »»  2013.10.23.
    麒麟を巡る話、第281話。
    葵の入寮。

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    2.
     20年前の、秋也たちが「特別集中講義」を受けた際には、彼らは天狐と鈴林の家に寄宿していた。
     しかしそれは、寄宿する人数が非常に少なかったことと、通常時には寄宿場所として使われている宿が、休講中につき休館していたためであり、562年上半期講義が始まろうとしている今は、普通に営業している。
     よって鈴林も、葵をその宿――「エルガ亭」まで案内していた。
    「葵ちゃんはココの部屋だよっ」
    「ありがと」
     葵がぺこっと頭を下げ、挙げたところで、彼女は静止した。
    「んっ?」
     鈴林がその視線の先を追うと、隣の部屋に入ろうとしていた、黒髪に茶と銀の毛並みをした狼獣人の少年がこちらを見ているのに気が付いた。
    「レイリンさん、そちらのすっごく綺麗なお姉さんは?」
    「今日、入塾した子だよっ。葵・ハーミットちゃんって言うんだよっ。
     でも口説いちゃダメだよ、おませさんっ」
    「あはは、分かってます。
     ああ、申し遅れました、アオイさん。僕はマーク・セブルスと言います。マークと呼んでくださいね」
     葵よりもまだ身長の低い、葛と同い年くらいに見えるその少年は、馴れ馴れしく手を差し出してきた。
    「ども」
     葵も手を差し出したところで、マークはニコニコ笑いながら握手を交わした。
     と、マークは眼鏡越しに、不思議そうな顔を見せる。
    「なんだろ……? アオイさんって、初めて会った気がしないんですよね」
    「だーかーらー」
     鈴林はマークの狼耳を、ぐにっとつまむ。
    「あいてて」
    「まだ12歳なのにもう女の子口説いちゃうなんて、おませもいいトコだよ、もうっ」
    「いえ、そんなんじゃ……、いてて」
     耳をさすりながら、マークはぺこ、と頭を下げた。
    「えっと、まあ、会っていきなり変なこと言っちゃってごめんなさい。でも、アオイさんとは仲良くなれそうな気がするんです。部屋もすぐ隣だし。
     よろしくお願いします、アオイさん」
    「うん。あたしも、君と同じくらいの妹がいるから、きっと仲良くなれそう。よろしくね、マークくん」

     部屋に入ったところで、葵が尋ねてきた。
    「12歳って言ってたけど、そんなに頭いいんだね、あの子」
    「んっ? あー、マークくんっ? うん、頭いいよっ。央北から来た子なんだけどねっ、天狐の姉さんも『すげー早熟だな』って感心してたのっ。
     葵ちゃんも研究テーマ選んだよねっ? あの子も勿論、テーマを決めてるのっ。『高度傷病用治療術』を研究したいんだってさっ」
    「治療術?」
    「あの子のお母さんが重い病気にかかってるんだってさっ」
    「大変なんだね」
    「でねっ、他にも2人、葵ちゃんやマークくんと同じ、10代の子がいるんだよっ。あ、そうそうっ」
     鈴林はしゃん、と手を打ち、ニコニコと笑う。
    「明後日で募集期間終わりだから、その夜には新入生歓迎会やるよっ。ごちそうもいっぱい出るから、お楽しみにねっ」
    「うん」
    「……葵ちゃんっ」
     葵の淡々とした返答に、鈴林は口を尖らせた。
    「はい」
    「しゃべるの苦手っ?」
    「ううん」
    「じゃさ、なんでそんなに口数少ないのっ?」
    「そう?」
     きょとんとした顔で返され、鈴林はむくれる。
    「……いいや、もうっ。
     とりあえず今日は、ゆっくり休んでねっ。それじゃっ」
     話を切り上げ、鈴林はそそくさと部屋を出て行った。

     鈴林が部屋を出てからしばらくして、とんとん、とドアがノックされる。
    「はい」
     葵の返事に、マークの声が応じた。
    「僕です。あの……、入ってもいいですか?」
    「いいよ」
     部屋に入るなり、マークはぺこ、と頭を下げる。
    「あんまり長居すると、またレイリンさんに怒られちゃうんで、簡単に言います」
    「なに?」
    「……その」
     先程の屈託のない笑顔とかけ離れた、憂いと迷いを帯びた表情で、マークはぽつぽつと話し始めた。
    「もうレイリンさんに聞いたと思いますが、今期入塾した人の中に、アオイさんや僕みたいに、10代で入って来たのもいるんです。
     その中の……、その、マラネロと言う狐獣人がいます。あの、ゴールドマン一族の一人です。なので、あの……、そいつ、……いえ、その子とは、仲良くしない方がいいです」
    「なんで?」
    「……西方人のアオイさんにはよく分からないかも知れませんが、金火狐は基本、悪人しかいませんから。気を許したら最後、骨までしゃぶり尽されますよ」
    「ん、覚えとく」
    「……えっと、じゃあ、……失礼します」
     忠告したマーク自身、あまりいい気はしていなかったのだろう。
     マークも身を翻し、さっさと部屋を出て行ってしまった。
    白猫夢・五雛抄 2
    »»  2013.10.24.
    麒麟を巡る話、第282話。
    狐と狼の少年。

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    3.
     葵が入寮したその晩、食堂にて。
     彼女は早速、マークが「気を許すな」と忠告していた少年、マラネロと出会った。
     葵より1歳か2歳程度年下に見える彼は、葵ににこっと屈託なく笑い、声をかけてきた。
    「あのー、今日入った方、……ですよね?」
    「うん」
     遠くでマークが目を白黒させて眺めていたが、葵は彼の正面に座る。
    「はじめまして、よろしゅう。マラネロ・アキュラ・ゴールドマンと言います。周りからはマラネロ、もしくはもっと縮めてマロと呼ばれてます」
    「あたしは葵・ハーミット。よろしくね、マロくん」
    「……んん?」
     葵の名前を聞いた途端、マロは怪訝な表情を浮かべる。
    「どこの人です?」
    「西方の、プラティノアールって国から来た」
    「……ん、んん?」
     葵の返答を受け、マロの眉間にさらにしわが寄る。
    「西方語って確か、『H』を抜いて発音するんや無かったでしたっけ」
    「うちのじーちゃんが元々、他の国の人だったから。マロくんの言う通り、向こうでは『ハーミット(Hermit)』を『エルミット』って呼ぶ人もいたよ」
    「あと、名前が何か、央南風な感じするんですけど」
    「パパが央南の人だったから」
    「……えらい変な生まれですな」
    「そう?」
    「し、失礼じゃないですか!」
     と、二人のやり取りを聞いていたマークが、夕食を乗せた盆を持ってやって来た。
    「え、失礼やった? ……そうかなぁ」
    「人の出自にあれこれケチを付けるなんて、失礼じゃなかったら何だと言うんですか!」
    「いや、そんなつもり無いんよ。変わっとるなー、くらいで」
    「……なら、……いいです。僕の思い過ごしです。すみません、お騒がせして」
     盆を持ったまま踵を返そうとしたマークを、葵が呼び止める。
    「一緒に食べないの?」
    「えっ、……あ、じゃあ、まあ、はい」
     マークは葵と、マロとを交互に見ていたが、やがて恥ずかしそうに、葵の横に座った。
    「お邪魔します」
    「どうぞ」
     が、座ってもチラチラと葵やマロを眺めるばかりで、フォークを取ろうとしない。
    「食べないの?」
    「あ、……食べます」
     葵に尋ねられ、マークはようやく食器を取った。
    「……お、美味しいですね、この鮭」
    「鱒だよ」
    「え、……あ、は、はい。鱒ですね。湖の中ですもんね、はい」
    「具合悪いの?」
    「だ、大丈夫です! ピンピンしてます!」
     淡々と尋ねる葵に対し、マークはしどろもどろに答えている。
     その様子を見ていたマロが、ぷっと噴き出した。
    「な、何がおかしいんですかっ」
    「いや、悪い悪い。いやな、べっぴんさんが近くにいるだけで、そんなにうろたえへんでもええやろ思て」
    「うろたえてなんかっ、……あっ」
     あからさまに狼狽していたマークは、袖を皿の縁に引っ掛けてしまう。
     鱒のムニエルが乗った皿が宙を舞い、葵の方に飛んで――行ったが、葵はひょい、とその皿をつかみ、その上に乗っていた鱒ごと、無事にテーブルへと着地させた。
    「はい」
    「えっ? ……あ、はい」
    「……アオイちゃん、めっちゃ反射神経ええやないですか」
    「うん。何か飛んできそうって思ったから」
    「へ?」
     唖然とするマークに、葵はこう続ける。
    「あたし、勘がいい方だから」
    「……ど、どうも」
     葵から皿を受け取り、マークは依然困惑した顔をしつつも、それ以上何も言わなくなった。
     一方で、マロは興味津々と言う目つきで、葵を眺めている。
    「なに?」
    「いや、ホンマにええ勘しとるわ、……と思てたんです。もしかしてこう言うのん、やらはります?」
     そう言ってマロは、懐からカードを取り出す。
    「うん、学校で友達と、ちょっと遊ぶくらいはやってた。でも一番好きなのは、囲碁かな」
    「イゴ?」
    「央南のボードゲーム。白と黒の石を置き合って、自分の陣地を増やすゲーム」
    「よぉ分かりませんけど……、そっちも面白そうですな。
     ま、それはまた、今度教えてもらうとして。腹ごなしと仲良くなるのんを兼ねて、カードやりません?」
     そう提案したマロに、葵は「ん」とうなずいて応じた。
    「マークくんは?」
    「……僕はいいです。ごちそうさまでした」
     マークは席を立ち、急ぎ足で去って行ってしまった。
    「ありゃ、残念。……でも2人でやるっちゅうのんもちょっと味気ないですしな。
     ……あ、そうや」
     マロもカードを置いて席を立ち、食堂に残っていたゼミ生たちに声をかける。
    「なーなー、こっち来て一緒にゲームしません?」
    「お、いいね」
    「やるやる」
     すぐに人が集まり、ゲームが始まった。
    白猫夢・五雛抄 3
    »»  2013.10.25.
    麒麟を巡る話、第283話。
    モール・ホールデム。

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    4.
     マロが開いたカードゲームの場は、大いに盛り上がっていた。

     今宵行われていたのは、「ウィザード・ホールデム」、もしくは「モール・ホールデム」と呼ばれているカードゲームである。この名称は言うまでも無くあのギャンブル好きの賢者、モール・リッチに由来する。
     使用されるのは、1~9の数字にそれぞれ魔術の6属性(火・氷・水・雷・土・風)が1枚ずつ割り振られた計54枚に、ワイルドカードとして「天」「冥」が付加された、通称「56枚式」カード。(ただし今回は、マロが『無い方が面白いですて』と強く推したため、ワイルドカードは抜かれている)

     ゲームの進行方法だが、まず、ディーラーがプレイヤー1名に対し、3枚カードを配る。それからプレイヤーに配るのとは別に、卓上に2枚、表を向けて配る。
     この時点でプレイヤーは、自分のカードと卓上のカードとを組み合わせ、手役を作る。作れない、もしくは小さな手役しか作れないと判断した場合は、さらにもう1枚をディーラーに要求できる。

     手役については、一番小さなものから順に、以下の通り。まず、手札5枚中2枚が同じ数字である「1ペア」。1ペアが2組できれば「2ペア」。
     5枚中3枚が同じ数字であれば「3カード」。数字が途切れること無く並んでいれば「ストレート」。5枚すべてが同じ属性であれば「フラッシュ」。
     1ペアと3カードが同時に揃っていれば「フルハウス」。5枚中4枚が同じ数字であれば「4カード」。ストレートとフラッシュの条件を同時に満たせば、「ストレートフラッシュ」。
     そして5枚すべてが同じ数字であれば、最大役である「5カード」となる。



    「こっちは4から8のストレート。どうです、そっちは?」
    「……す、3カード」
    「よっしゃ、ペナルティや!」
    「うへぇ」
     新入生、在来生が入り混じり、食堂内は非常に騒々しい。
     そんな中で一際、盛り上がっているのが――本人こそ静かなものだが――葵の周囲である。
    「こいつすげーなー」
    「一回も負けてないもんねぇ」
    「ビートなんて無謀な勝負ばっかりして、もう洗濯ばさみ付けるとこないもんなぁ」
    「うっせぇ」
     既に20回近くもペナルティを課された真横の先輩、ビートに比べ、葵は未だ、綺麗な顔のままである。
    「……でも、あいつもすげぇよ」
     そしてもう一人、まだ一つも洗濯ばさみを付けていないゼミ生がいる。
     件の10代入塾生の残る1人――短耳の央南人、17歳の紺納春(こんの・はる)である。
     が――春はカードをテーブルに置き、席を立とうとした。
    「もう大分遅いですから、そろそろわたし、休みますね」
     若干たどたどしい央中語でそう述べた春に対し、周りは納得しない。
    「えー」
    「まだ10時だぜ?」
    「勝ち逃げするのかよぉ」
    「そう言われても、ちょっと眠くなってきてしまって」
    「……じゃー、最後に一勝負だけ。な?」
     一番洗濯ばさみを付けているビートからそう頼まれ、春も渋々と承知した。
    「分かりました。それじゃ、これが本当に最後と言うことで」
    「ありがとう。そんで、さ」
     ビートは皆からカードを集め、春と、葵にだけ配った。
    「え?」
    「ここまでどっちも負けなしだろ? みんなもさ、どっちが強いのかって思ってるぜ。そうだろ、みんな?」
    「うんうん」
    「そこは決着、見てみたい」
    「見なきゃ今夜、眠れないよー」
    「はあ……」
     その場の流れに逆らえず、春はカードを取り、葵に向き直った。
    「それじゃ、ハーミットさん。よろしくお願いします」
    「ん」
     葵も応じ、この晩最後の勝負が始まった。

     卓上にカードを配ったところで、ディーラー役のビートが尋ねる。
    「どうする、二人とも? 勝負するか?」
    「ううん」「いえ」
     二人同時に、カードを要求する。
    「それじゃ、もう一枚、……と」
     ビートがもう一枚卓上に配ったところで、春がにこっと笑う。
    「勝負します」
    「おっ」
     ゼミ生たちは先制した春の方へ一斉に顔を向け、続いて対面の葵へと、揃って向き直る。
    「ハーミットは?」
    「あたしも行けるよ」
    「……っ」
     葵の返答に、春の顔色が曇る。
    「じゃあ、オープンだ」
    「は、……い」
     先に宣言した春が、恐る恐るカードを開く。
    「えっと……、フラッシュ、です。土の」
    「おぉ~」
    「最後の最後でいいの引いて来たなぁ」
    「で、で? ハーミットの方は……?」
    「はい」
     葵も卓上に、ぱら、とカードを置く。
    「残念。6の3カード」
    「あちゃー」
    「ってことは、コンノの勝ちだな!」
    「おめでとー」
     春がぱちぱちと拍手を受ける一方、ビートはニヤニヤしながら、自分のあごを挟んでいた洗濯ばさみを手に取り、葵の方を向く。
    「さーて、と。初のペナルティだな、ハーミットぉ」
    「んー」
     ところが――葵は食堂の隅に目を向けている。
    「ん? どうし……」
     その視線を追ったところで、その場にいた全員が硬直した。
    「あんたら、今何時だと思ってんだ!?」
     狼獣人の、いかにも怖そうな宿主のおかみが、パジャマ姿で仁王立ちしていたからだ。
    「とっとと寝なッ!」
    「は、はーいっ」
     ゼミ生たちは慌ててカードをまとめ、何名かは洗濯ばさみを付けたまま、バタバタと食堂を後にした。
    「危なかったですね」
     と、部屋に戻る途中、春が葵に声をかける。
    「んー」
     これに対し、葵はこう答えた。
    「こうなる気がしてた」
    「あら、そうなんですか?」
    「大分遅かったし」
    「クス、そうですね」
    白猫夢・五雛抄 4
    »»  2013.10.26.
    麒麟を巡る話、第284話。
    克大火の六人弟子。

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    5.
     葵が入寮してから2日が経ち、563年度上半期ゼミ生の募集も、この日に最終日を迎えた。
    「今期の入塾生は、……9名、と。平年よりちょっと少な目だな」
    「だねっ」
     名簿を付けながら、天狐と鈴林は今期生について感想を交わす。
    「数は少ないが、内容はかなり珍しいよな。何たって、9名中4名が10代だからな」
    「うんうんっ。前期も前々期もその前も、20歳以上ばっかりだったのにねっ」
    「こりゃ、予兆ってヤツだな」
     天狐の言葉に、鈴林は首を傾げる。
    「予兆ってっ?」
    「目を引くようなヤツはここ数期、あんまり現れなかった。ところがその反動みてーに、今期はドッとやって来た。
     こりゃ近いうち、何かデカいコトが起こるぜ」
    「ふうん……?」
     きょとんとしている鈴林を見て、天狐はケラケラと笑う。
    「つっても今日、明日の話じゃねーさ。5年か10年か、それかもうちょいかかるくらい、……ってところだな」
    「ぼんやりだねっ」
    「分析はオレの得意分野じゃねーからな。
     そーゆーのは、虹龍の兄(あに)さんの仕事だし」
    「こう……りゅう?」
     初めて耳にするその名前に、鈴林はまたもきょとんとした。
    「ん……、言ってなかったっけか?」
    「克一門の人なのっ?」
    「ああ。克虹龍(こうりゅう)、親父の四番弟子さ。
     元はマコトさん……、親父の親友の助手だったんだが、色々見どころがあるってんで、弟子になったそうだ」
    「……そう言う話、もっとしてほしいなっ」
     鈴林は天狐の側へ寄り、膝立ちになってこう続ける。
    「アタシ、克一門って名乗ってるけどっ、姉さんより上の兄弟子さんに会ったコト、一度もないもんっ。
     お師匠とまともに話したのだって、創ってもらった時だけだし。コッチに寄っても、いっつも姉さんと話してばっかりだしっ」
    「……そうだったな。いくらオレが教えたって、そんなんじゃ堂々と、『八番弟子』って言えないよな」
    「うん」
    「今度、親父に頼んでみるか。お前にも弟子らしく、色々教えてやってくれって」
    「うん、お願いだよ、姉さんっ。
     ……て、ソレも重要だけど、アタシが聞きたいのは……」
    「あ、そうだった。兄さん方の話だったっけか。
     ちょっと待ってな」
     そう言うなり、天狐は手をパン、と合わせ、離す。すると両手の間に、紫と金とに光る金属板が現れた。
    「コレ、何っ?」
    「『黄金の目録』ってヤツさ。簡単に言えば、超絶大容量の百科事典みたいなもんだ。ちなみに親父も持ってるが、造ったのはオレだ。
     そう……、克一門は一人一人、得意分野を持っててな。オレはモノを造らせたら、他の弟子の誰よりもうまかった。親父の刀を打ったコトもあるし、やろうと思えば鈴林、お前の妹だっていっぱい創れるんだぜ?」
    「いいよ、そんなのっ。もしも2人で手が足りなくなった時は、創ったらいいと思うけど」
    「ま、そん時はそん時だな。……っと、いけね。まーた話が逸れちまった。
     さっき話した虹龍の兄さんは、情報収集と分析を得意としてた。兄さんにかかりゃ、世界の裏側で今まさにクシャミしたヤツの名前や職業、年齢、趣味やら持病やらまで、何でも調べ上げちまえるんだ」
    「すごいねっ。じゃ、一番、……は飛ばして、二番弟子さんはっ?」
    「克窮奇(きゅうき)、剣術の達人だった。純粋に剣術の腕だけで言えば、親父をはるかに凌ぐ。得意技は、……ケケケ」
    「どしたのっ?」
    「いや、思い出し笑いさ。
     そう、その得意技と来たら! 台所に食材を並べて、剣で全部叩っ斬って鍋にブチ込んで、ものの1分で豚汁作っちまうなんて言う、……今思い出しても笑っちまう技だったな。
     で、十人前は作ったはずのその豚汁を、半分以上ぺろっと平らげちまうのが三番弟子、克饕餮(とうてつ)の兄さんだった。よく皆から怒られてたぜ、『オレたちの食べる分が無くなっちまったぞ』ってな。
     でもその分、体はすげーでかくて怪力自慢。あれやこれやの戦いの時は、窮奇の兄さんと二枚看板で活躍してたんだ。……グス」
     楽しそうに話していた天狐の目から突然、ぽたぽたと涙がこぼれる。
    「姉さんっ?」
    「悪り、ちょっと切なくなっちまった。オレも案外歳取ってっからな、こーゆー話すると結構、来ちまうんだ。
     ……コホン。虹龍の兄さんはどうだか分からねーが、少なくとも窮奇の兄さんは間違いなく死んでる。あと親父から聞いた話じゃ、饕餮の兄さんと麒麟の姉さんも既に、この世にゃいないらしい。
     色々……、あったからな」
    「そっか……」
    「で、この写真が皆で集まった時のヤツだ」
     天狐は袖口で顔を拭きながら、「黄金の目録」に浮かび上がった画像を見せる。
    「真ん中にいるのが親父だ。ま、今と全然変わんねーな。隣が、マコトさんと奥さん。反対側のコイツが、オレだ。まだ11歳だか12歳くらいの時だったかな。
     で、後ろにいるのが左から、窮奇の兄さん、饕餮の兄さん、虹龍の兄さん、そして麒麟の姉さんだ」
    「へぇ……。あれっ?」
     と、鈴林は写真の中の天狐の横に立っている、当時の彼女と同い年くらいの少年を見付けた。
    「この子はっ?」
    「ん? ああ、こいつは……」
     天狐が説明しかけたその時――玄関をノックする音が聞こえてきた。
    「あっ、はーい」
     鈴林が応え、玄関へと向かう。
     その間に天狐は「目録」を収め、ふう、とため息をついた。
    「……鳳凰(ほうおう)、か。アイツ、生きてんのかなぁ」
    白猫夢・五雛抄 5
    »»  2013.10.27.
    麒麟を巡る話、第285話。
    ふしぎな少年。

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    6.
     玄関に向かった鈴林が、ニコニコと笑いながら戻って来た。
    「姉さん姉さんっ、も一人受講希望者が来たよっ」
    「お、そっか。……ギリギリだな」
     目の端でチラ、と確認すると、時計は締切の5分前を指している。
    「でねっ、その子も……」「子? ……って言うと、また10代のヤツか?」
    「うんうんっ」
    「……ま、とにかく面接だな」

     やって来たのは、10代半ばと言うくらいの長耳で、淡い青髪の少年だった。
    「じゃ、まず名前から聞かせてもらおうか」
    「はい。フィオリーノ・ギアトです」
    「央中人か? 東部っぽい名前だが」
    「いえ、先祖は東部の人だったそうですが、祖父の代からゴールドコースト市国に引っ越したらしいです」
    「ココには誰の紹介で?」
    「ここの関係者だった、カンパーナ・フォレスター・コンキストさんです。あ、これ、紹介状です」
    「あ?」
     名前を聞くなり、天狐は怪訝な顔をした。
    「誰だって? 聞いたコトねー名前だな」
    「えっと、紹介状……」
     おずおずと差し出されたその紹介状を受け取り、天狐は中身を確認する。
    「……」
     読み終えるなり――何故か天狐は立ち上がり、「テレポート」でその場から消えた。
     突然の行動に、鈴林は面食らう。
    「えっ……? あ、姉さん!? ドコ行っちゃったのっ!?」
    「騒ぐな」
     と、すぐに天狐が姿を現す。
    「ちっと、……な。
     ああ、何て言ったっけ、お前。フィオでいいか?」
    「はい」
    「研究したいテーマは? ゼミに入れるってのに、お前だけ設定しない理由はねーからな」
    「え?」
     天狐のこの言葉に、鈴林は戸惑った。
    「姉さん? 面接もせずに入れるのっ?」
    「ああ。『そうしなきゃいけない』らしいからな」
    「え? え?」
     天狐の真意が分からず、鈴林がうろたえている間に、フィオは研究テーマを決めた。
    「じゃあ、金属加工で。神器技術を僕なりに研究したいです」
    「分かった。ただし、分かってると思うが、克一門は神器造りに関しては秘密にしてるコトが多い。オレもその例に漏れず、だ。
     神器関係については、助言はするが指導はできねーからな。お前の試行錯誤に任せる形になる。それでいいか?」
    「はい。問題ありません」
    「だろうな」
    「え? ……えー、それでいいの……?」
     通常の面接とは明らかに異なる二人のやり取りに結局、異を唱えることができず、鈴林は不満げな声を挙げるしかなかった。

     フィオを寮へ案内した後、鈴林は天狐に詰め寄った。
    「どう言うコトなの、姉さんっ? なんでちゃんと面接しなかったのっ? しかも途中で席を立っちゃうし!」
    「色々あんだよ。悪いが今は、ソレ以上の説明ができねー」
    「ナニソレ」
     いつも笑顔でいる鈴林には珍しく、苛立った目つきになっている。
    「ホントにお師匠のわるーいトコ受け継いでるね、姉さんって! 大事な話に限って、アタシに教えてくれないっ!」
    「……教えたいさ。お前の機嫌損ねたって、晩飯がしょぼくなるだけだからな。オレとお前の仲だし、秘密は無しにしたいってのは、マジに思ってる。
     だがコレに限っては――マジで悪いと思ってるが――今はまだ、何も聞かないでくれ」
    「今は?」
    「コレに関しては今、詳しく話すと、色々まずいコトになりそうなんだ。本当だったらオレにすら、教えたくないコトだったろうし、な」
    「姉さんにすら? ……あの紹介状? 何て書いてあったのっ?」
    「だからソレは、今は言えねーんだよ。時が来るまで、誰にも言えねーコトなんだ」
    「時って、いつ来るの?」
    「今じゃない。近い将来でもない。今はソレしか言えない」
    「……むー」
     頬を膨らませる鈴林を見て、天狐はもう一度、「悪いな」と言った。

     そして――むくれる鈴林はまったく気づいていなかったが――二人のやり取りを、フィオが何故か嬉しそうに、そして、どこか意外そうな様子で眺めていた。
    白猫夢・五雛抄 6
    »»  2013.10.28.
    麒麟を巡る話、第286話。
    新入生歓迎会。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     フィオへの面接を最後に、562年上半期のゼミ生募集は終了時刻を迎えた。
     それと同時に、ゼミ生たちの寮「エルガ亭」では、今期入塾生の歓迎会を開く準備が整えられていた。
    「あの、わたしも何かお手伝いを……」
     申し出た春に、先輩たちは「いやいや」とやんわり首を振る。
    「新入生はじっとしてな」
    「そうそう、ゲストなんだから」
    「いいんですか?」
    「勿論さ。来期になったら、一緒に手伝ってくれればいいから」
    「あ……、はい。それじゃ」
     言われるまま、春は席に着く。
    「よー、ハルちゃん」
     先に席に着いていたマロが、にへらとした顔であいさつしてくる。
    「こんばんは、ゴールドマンさん」
    「あ、マロでええですよ。俺、年下ですし」
    「え、……あ、うん」
     マロの態度に何となくわだかまったものを感じつつも、春はそれに応じる。
    「じゃあ、マロくん」
    「どもー」
     と、その様子を横目でにらんでいたマークが、苦々しげに口を開いた。
    「相変わらず失礼な人ですね」
    「ん? 何かしたっけ……?」
    「年上の方に対して『ちゃん』付けだなんて、どこからどう見ても失礼じゃないですか!」
    「あ、いえ、気にしてませんから」
     春がやんわりと諭したが、揚げ足を取る形で、マークはとげとげしく続ける。
    「気にしてないだなんて! つまり気にかかったことがあったけれど、不問にすると言うことでしょう!? やっぱり失礼だと……」「いえ、そんな、本当に違うんですっ」
     春が止めようとするが、マークに応じる気配はない。
    「いいえ! こう言うことは一度、きっちりと……」「こら」
     そこに、葵がやって来る。
    「それ以上騒がないの。ハルさん、困ってるよ」
    「えっ」
    「きみ、思ったことを片っ端から口に出すタイプでしょ」
    「まあ、はい」
    「全部言ってったら、うるさすぎるよ。もうちょっと静かにしよう?」
    「……はい」
    「むくれない」
    「……ええ」
     まるで姉が弟を諭すような会話に、またマロが口を挟もうとする。
    「おーおー、ホンマにマークはアオイちゃんに……」「マロくん」「ん」
     こちらも、葵がたしなめた。
    「きみも余計なこと言い過ぎ。マークくんの言う通り、ちょっと失礼なとこ多いよ」
    「……ん、……ですかね」
    「二人とも反省」
     そう言って、葵も着席する。
     しばらく沈黙が流れたが、やがてマロの方から折れた。
    「まあ……、ちょっと調子乗ってたかも知れません。すんません、ハルさん、アオイさん」
     これを受けて、マークも頭を下げる。
    「僕も細かいことを言い過ぎたみたいです。お騒がせしました」
    「ん、よし」
     二人の様子を見て、葵は薄く、しかし優しげな笑みを浮かべた。

     と――固まっていた4人のところに、フィオもやって来た。
    「はじめまして」
    「ん?」「誰?」
     たった1時間前に同級生になった彼を見て、4人とも怪訝な顔を並べた。
    「今日、562年上半期のゼミ生になった、フィオリーノ・ギアトです。フィオと呼んでください」
    「あ、そうなんだ。よろしくね」
     葵がにこっと笑い、会釈を返した。
    「……」
     ところが葵と目が合った途端、フィオの顔色が目に見えて悪くなった。
    「えっ……? どうしたの、フィオくん?」
     いつも飄々とした態度を崩さない葵も、この時は流石にうろたえて見えた。
    「あ、……いえ、今日、こっちに着いたばっかりなので、ちょっと疲れちゃったみたいです。ごめんなさい、ぼうっとしちゃいました。
     よろしくお願いします、……アオイ、さん」
    「え?」
     そしてもう一度、葵がわずかに驚いた様子を見せる。
    「あたし、きみとどこかで会ったっけ?」
    「え、……あ、……ええと」
     葵に問われ、フィオはいかにもしまったと言いたげな顔で、口をつぐんでしまった。
    「初対面だよね? 見た覚え、無いし。なんであたしの名前、知ってるの?」
    「いや、えっと、その……」
     と、ここでゼミの先輩たちが5人を呼ぶ。
    「準備できたよー」
    「あ、はーい」
    「今行きまーす」
     春たち3人が席を立つ。
    「あ、ぼ、僕たちも行きましょ! ねっ!」
    「う……ん」
     結局、何故フィオが初対面のはずの葵を知っていたのか――うやむやになったまま、歓迎会が始まった。



     今はまだ、一見無垢に見えるこの五人の鳳雛たちの中に、後に世界的な騒乱の主役となる者がいたとは――天狐にも、鈴林にも、そしてゼミの先輩たちも。
     その場の誰にも、予想すらできるはずもなかった。

    白猫夢・五雛抄 終
    白猫夢・五雛抄 7
    »»  2013.10.29.
    麒麟を巡る話、第287話。
    初日の講義。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     562年上半期の天狐ゼミ、開講初日。
    「おっす、お前ら。昨夜も大騒ぎしてたみてーだな。エルガのおばちゃん、またイライラしてたぜ。ま、いつものコトだから気にするほどでもねーけど、一応、会ったら謝っとけよ。
     ……っと、初回だからな。ちゃんと挨拶しとくか」
     講義室に現れた天狐が、軽く会釈する。
    「改めて自己紹介させてもらうぜ。オレの名は克天狐。気軽に『天狐ちゃん』って呼んでくれればいい。先生とか師匠とか、堅っ苦しい肩書き付けて呼ばなくていいからな。
     まず、この半年間の講義についてだが、一日に4回開く。そのうち2回の内容については、基本的には概論を話していく。魔術の基本的な使用方法から、その論理的性質、解析や証明、現代の技術においてどう利用されているか、とかだな。
     残りの2回だが、お前らの質問に答え、詳しく解説するコトにしてる。おっと、『何にも質問が無かった時はどうするんですか?』なんてバカなコトは聞くなよ? 基本、質問は考えるようにさせるからな。
     一回の説明で『全部分かりました!』……なんてほざくヤツは、ほとんどの場合『分かった気になってる』だけだ。そーゆー勘違いしてっと、期末で泣きを見る羽目になるからな。
     ちなみに週末、風曜と天曜は休講だ。ある程度好きに遊んでいい。とは言え学生ってコトは忘れんなよ? くだらねー遊びに没頭してるってコトが発覚したら、問答無用で退講処分にするからな。
     ……ゼミについての説明はこんくらいかな。何か質問はあるか?」
     これに対し、マークが手を挙げた。
    「開講期間外、ゼミが休講の間はどうすれば?」
    「ああ、そうか。言ってなかったな。
     その間は故郷に帰るも良し、島で自主勉強するも良し、だ。その間も質問は受け付けてるから、気軽に聞きに来ていいぜ」
     続いてマロも質問する。
    「在籍期間はどんくらいでしょ? 聞いた話では3年とか4年とか、まちまちでしたけど」
    「特に決めてない。講義内容についてけそうにない、もしくはもう十分研究テーマを掘り下げ尽したと思ったら、ソコでやめりゃいい。
     設定したテーマが相当難しくて、オレがしょっちゅう手を貸さないと完遂できそうにねー、……とかだったら、5年や10年在籍するかも知れねーが、今のところはソコまで身の丈に合ってない研究テーマを設定したヤツはいない。最長でも4年半だった。
     今期入塾生も、今のところソコまで無茶な研究テーマを選んだヤツはいない。多分お前の言った通り、3年か4年で全うするだろう。
     他にはあるか?」
    「あの」
     恐る恐ると言った感じで、春が挙手する。
    「お月謝は、いつお支払いすれば?」
     と、これを聞いた天狐が怪訝な顔になる。
    「あ? ……誰からソレ聞いた?」
    「ここを紹介してくださった方から……」
    「後でソイツの名前教えろ。
     他にいるか? オレが金取るって聞いたヤツは?」
    「えっ」
     春は目を丸くし、辺りをきょろきょろと見回す。
     ところが、ゼミ生の誰もが首を横に振っているばかりである。
    「ソイツに金渡したのか?」
    「ええ、『入学金を預かっておく』と仰られたので……」
    「チッ、ゲス野郎め。……紺納のために、はっきり説明しとくか。
     ウチは金、取らねーんだよ。何故ならこのゼミは、島の収入で賄われてるからだ。オレ自身も含め、このゼミは立派な観光資源だからな。
     お前らが払うのは渡航費用と、休みの時に遊びで使う金くらいだ。寮の運営とゼミの学費は全額免除、ミッドランド市が支払ってくれてるから、な。
     ソイツにはきっちり金を返させる。心配しなくていいぜ、紺納」
    「は、はい」
    「他に質問はあるか?」
     そう尋ね、誰も手を挙げなくなったところで、天狐はどこからか教鞭を取り出した。
    「じゃ、早速講義開始だ。ちゃんとノート、取れよ」
    白猫夢・分派抄 1
    »»  2013.10.30.
    麒麟を巡る話、第288話。
    2つの派閥。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     第1日目の講義が終わり、新しく入ったゼミ生の何人かは、茫然としていた。
    「……すげえ難しい」
    「うん……」
    「やべー……。何言ってるか全然分かんなかった」
     早くも挫折気味になっている者もいたが、大多数のゼミ生は早速、今日の受講内容を復習していた。
    「トポリーノ親子ってすごい方たちなんですね、本当」
    「ホンマになぁ。ポスター見る限りでは、ただのぽっちゃり兎獣人にしか見えへんかったけど」
    「電話があんな風に造られていたなんて、初めて知りました」
    「でもまだ、改良の余地いっぱいあるよ。かける時、プツプツうるさいもん」
     元々歳が近いせいか、葵・春・マロ・フィオの4人は、一緒に固まって話し合っていた。
    「……」
     一方、10代組の残る1人、マークは、その輪に溶け込めないでいるようだった。
     いや――その中の一人を殊更に避けているのだ。
    「お、どうした? 一人でぼーっとして」
     マークの様子を見ていた他のゼミ生が声をかける。
    「話し相手がいないのか? 良かったら……」「いえ、大丈夫です」
     反射的にそう返し、すぐにマークは首を振り、改める。
    「あ、……すみません。やっぱりお願いしていいですか?」
    「ん、おう。まあ、気を遣わなくていいぜ」
    「はい、ありがとうございます」
     マークは同級生にぺこ、と頭を下げ、その直後にチラ、と葵の方に目をやった。
    「どうした?」
    「……いえ」

     マークはゼミ内の、もう一つの教室――こちらは鈴林が講義を行っていた――へと連れて行かれ、そこで短耳の青年に紹介された。
    「ども、ブロッツォさん。彼が今期の10代生の、セブルス君です」
    「ありがとう」
     短耳はマークに手を差し出し、握手を求める。
    「よろしく。3回生のルシオ・ブロッツォだ」
    「よ、よろしくお願いします」
     握手を交わしたところで、ルシオはマークに尋ねる。
    「他の10代生はみんな固まって復習してるって聞いたけど……、君はどうして一人でいたの?」
    「いえ、特に、……理由は」
    「そっか。まあ、これからよろしく。今後も一緒に勉強していければ幸いだ」
    「あ、はい」
     マークが辺りを見回すと、開講前に寮の方で見かけたことのあるゼミ生の半数が、教室内にいるのが確認できた。
    「あの……、皆さんは?」
    「ああ」
     ルシオはにこっと笑い、状況を説明した。
    「なに、怪しい集まりじゃないさ。ただ『みんなで一緒に勉強しよう』って言う、グループみたいなもんだよ。
     基本的に、天狐ゼミに来る人は頭がいい人ばかりだけど、それでもやっぱり難しく感じることはちょくちょくあるし、あんまりテンコちゃんやレイリンさんに質問してばっかりじゃ、手を煩わせちゃうからね。
     そこでゼミ生同士が集まって、互助的に勉強会をしてるんだ。折角この名誉あるゼミに入れたのに、ついてけなくなって退講なんてもったいないからね」
     言われてもう一度周りに目をやると、先程一緒に講義を受け、茫然としていた同級生の姿も見える。
    「無論、君が勉強できなさそうに見えたなんてことは毛頭考えてない。むしろ、僕たちに至らないことがあれば、どんどん教えてほしいなって」
    「いや、そんな。こちらこそ若輩者ですので、よろしくご指導いただければ幸いです」
    「うん、うん。
     じゃ早速、今日の勉強会を始めようか」



     一方――葵たち10代生の周りには、いつの間にか20代の同期生たちも集まっていた。
    「ねえねえ、ハーミットさん」
    「ん」
    「好きな料理は?」
    「トマト煮。特に魚を煮たやつ」
    「コンノさんは?」
    「鶏の炊き込みご飯、ですね」
     最初は教室に残っていた者たちで真面目に講義内容の復習を行っていたのだが、いつの間にか、葵と春への質問の場へと変わっていた。
     そしてもう一人――今期入って来た20代生の女性、短耳のシエナ・チューリンも、周りのゼミ生から色々と尋ねられていた。
    「シエナさんは?」
    「特に好き嫌いないよー」
    「強いて言えば?」
    「うーん……、市国で食べてたワッフルかなぁ」
    「美味しそうですね。甘いもの、わたしも大好きですよ」
     マークがルシオたちのグループに参加する一方、こちらも和気あいあいとしたグループを形成しつつあった。
    白猫夢・分派抄 2
    »»  2013.10.31.

    麒麟の話、第6話。
    次の波。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「景気循環」って言葉がある。
     景気はある一定の期間で循環している。好景気がいつしか山を迎えて後退し、不景気になって谷底を打ち、そしてまた回復していく。その流れをそう呼ぶんだ。
     ちなみにこの期間には、長いモノと短いモノがいくつか存在するらしい。
     短いモノでは3年か4年。もうちょっと長くなると10年、20年。最長では50年ほどの周期で循環するそうだ。
     言い換えれば、「時代の波」ってトコかな。

     思えば中央政府が崩壊し、「ヘブン」が生まれ、そしてそれも滅んだこと。アレは時代の波だったんだろう。ソレも、ものすごく大きな波だ。
     あの一大事件で、世界のすべてが変わった。世界の中心は央北から央中・央南に移り、莫大な富や権力を築いた者、ソレを失った者は数多く現れた。



     ソレからもう、40年以上が経った。
     そろそろ次の波が、来ようとしている。

     中央政府崩壊からの半世紀を築き、率いてきた人たちも、少しずついなくなってきている。次の主役たちが登場するのは、もう間もなくだ。

     そしてまた――ボクとアイツらとの戦いが、始まろうとしている。
     アイツらもこの40年、大した動きを見せなかった。アイツらもこの波が後退していたコトに気付いていたんだろう。
     言い換えれば、「不作」だったんだ。ボクやアイツらの眼鏡に適う素晴らしい人材を、この40年、どっちも見付けられなかったんだ。
     いや、ボクは違う。人材を見付けられなかったんじゃない。見付からないコトが、最初から分かっていたからだ。

     ソレもまた不思議な符合だ――世界を変えるほどのすごい人物もまた、何十年かの周期でしか現れない。
     考えてみればコレも、不思議な話だ。ソイツのせいで時代が変わるのか? 時代の波が、ソイツを作るのか?
     どっちが先なのかな? ……残念だけどこの答えはまだ、出そうにないな。



     ともかく、次の戦いはもう間もなく、始まろうとしている。敵もそろそろ、動き出すだろう。
     とは言え――今のところ、ボクが一歩リードしている。ソレだけは確実に言える。

    白猫夢・麒麟抄 6

    2013.09.29.[Edit]
    麒麟の話、第6話。次の波。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「景気循環」って言葉がある。 景気はある一定の期間で循環している。好景気がいつしか山を迎えて後退し、不景気になって谷底を打ち、そしてまた回復していく。その流れをそう呼ぶんだ。 ちなみにこの期間には、長いモノと短いモノがいくつか存在するらしい。 短いモノでは3年か4年。もうちょっと長くなると10年、20年。最長では50年ほどの周期で...

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    麒麟を巡る話、第260話。
    老宰相、いまだ現役。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     歴史が動く年、あるいは激動の時代と言うものは、確かに存在する。

     その一つが、双月暦520年代である。
     政治的にはこの頃、あの超大国「中央政府」が崩壊し、「ヘブン」が誕生した。しかしそれも別の超巨大組織「西大海洋同盟」によって倒され、彼らが取って代わった。
     経済もそれにつれて激変した。かつて基軸通貨として権勢を奮ったクラムはみるみるうちに影を潜め、代わりに央中のエルや央南の玄銭が台頭した。
     人間の面でも、この頃に様々な偉人、才人が姿を現した。「同盟」を築き上げたグラッドとナイジェル。自動車や機関砲、電気通信を創り出したスタッガートやヴィッカー、トポリーノ。
     そして6世紀、いや、それまでの世界史上、最も大出世し、後年に語り継がれる偉業を成した人物として知られるのが――西方の宰相にして戦略理論の第一人者、ネロ・ハーミット卿である。



     そんな彼らも歳を取り、隠棲し、あるいは既に鬼籍に入り――彼らの活躍も半ば伝説や物語、逸話に変わりつつあった、双月暦562年。
     この年より、新たな伝説が幕開けつつあった。

     プラティノアール王国、御前議事堂。
    「以上で今年度の予算決議を終了します」
     議長の言葉と共に会議が閉会され、ぞろぞろと大臣、閣僚たちが議事堂から出てくる。
    「卿、卿! ハーミット卿!」
     と、その奥から人をかき分けるように、一人の兎獣人が飛び出してきた。
    「うん?」
     次の執務のため、足早に歩いていたハーミット卿の元にたどり着いたところで、彼がぺこ、と頭を下げた。
    「君は?」
     尋ねたハーミット卿に対し、彼はにこっと笑って見せる。
    「私、本日の会議を公聴しておりました、ミシェル・ロッジと申します」
    「ロッジ? と言うと、もしかしてあなたは、……ええと」
     ハーミット卿はそこで言葉を切り、少し間を置いて尋ねる。
    「そう、確か……、ロージュマーブル公国の、……公子殿下でしたか?」
    「その通りです。本日、後学のためにと父より命じられ、こちらに参りまして」
    「そうですか、なるほど」
     ハーミット卿は会釈を返し、彼に右手を差し出した。
    「ようこそいらっしゃいました、公子殿下。私の拙い答弁で、退屈致しませんでしたか?」
    「いいえ、まさか! やはり卿は優れた御方であるとの思いを、新たにいたしました!
     西方三国和平の立役者と言われた政治手腕は、なお健在のご様子で」
    「それはどうも。お父上……、大公陛下はお変わりありませんか?」
     そう聞いたところで、ミシェルは表情を曇らせた。
    「あの、それについては……」「ああ」
     彼の言わんとすることを察し、ハーミット卿はこう続けた。
    「立ち話もなんですし、私の執務室でお話ししましょう。
     ちなみに殿下、囲碁はご存知ですか?」
    「え? ええ、多少は」
    「それなら良かった」

     あの事件の後――「グリスロージュ帝国」は事実上、二つの国に分裂した。
     名前を「グリスロージュ帝政連邦」と変え、元々あったグリサルジャン王国とロージュマーブル王国の領地をそれぞれ、帝国最大の権力者2名――モダス帝の片腕的存在だったロガン卿と、帝国における宰相、総理大臣の地位にあったロッジ卿に分割して与えられ、モダス帝は「連邦の象徴」として両者の上に君臨するのみとなった。
     そのロッジ大公の長男が、このミシェルである。
    「……こ、降参です」
     対局から5分も経たないうちにミシェルの負けが決定し、ハーミット卿は軽く頭を下げた。
    「ありがとうございました。……ふむ」
     ハーミット卿は対局中にミシェルから聞いた話を、頭の中で簡単にまとめ直す。
    「先程の話でしたが、つまり現大公陛下の容体が優れないため、早いうちに殿下が次の大公に選ばれるかも知れない、と?」
    「ええ、まあ」
    「しかし、もしかしたら御次男様、あるいは御長女様が選ばれるかも知れない。何とか自分の優位性を高めたい、と」
    「そうです」
    「そこで友好国の宰相たる私と、何らかのつながりがほしい。そうお考えですね」
    「ふえっ」
     核心を突かれ、ミシェルは困った顔になる。
    「え、あ、まあ、有り体に言えばそうなっちゃうんですけども」
    「そして手っ取り早い手段として、私の孫とあなたのお子さんとで婚姻関係を結びたいと?」
    「ふええっ」
    「正解ですか?」
    「……仰る通りです」
     これを聞いて、ハーミット卿はす、と立ち上がった。
    「お話は以上ですか?」
    「え?」
    「これ以上話すことが無ければ、私は執務に移りたいのですが」
    「え、あの……」
     ハーミット卿は黒眼鏡越しに相手をにらみ、冷たく言い放った。
    「返事はノーです。お帰り下さい」
    「で、でも私と関係を結べば、あなたの政治的地位も……」
    「私は既に王国の宰相です。これ以上欲する椅子などありません。
     何より人を政治的な道具扱いするような方に差し出すほど、アオイやカズラは安い子ではありませんよ」
    「アオイ? カズラ? 何です、それは?」
     きょとんとするミシェルに、ハーミット卿は凛とした声で叱りつけた。
    「相手の名前も調べず縁談を持ち込むのですか、あなたは!? 馬鹿も休み休み言いなさい!」「ひゃ、……しっ、失礼しましたっ!」
     ミシェルはバタバタと足音を立て、執務室から出て行った。
    「……まったく。そんな曲がった性根だから、後継争いで泣きを見るのが分からないんだ」
     ハーミット卿はフン、と鼻を鳴らし、それからいつも通りに、午後の執務に着いた。

    白猫夢・宰孫抄 1

    2013.09.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第260話。老宰相、いまだ現役。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 歴史が動く年、あるいは激動の時代と言うものは、確かに存在する。 その一つが、双月暦520年代である。 政治的にはこの頃、あの超大国「中央政府」が崩壊し、「ヘブン」が誕生した。しかしそれも別の超巨大組織「西大海洋同盟」によって倒され、彼らが取って代わった。 経済もそれにつれて激変した。かつて基軸通貨として権勢を奮...

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    麒麟を巡る話、第261話。
    孫との一局。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     青年期の長い長耳といえども、流石に齢70を超えれば相応に老けてくる。
     ハーミット卿も既に老境を迎え、さっぱりとまとめていた金髪も、その大部分は既に白髪へと変わっていたし、顔にもしわが刻まれていた。
     しかしその優れた頭脳も、あっけらかんとした性格も、宰相に就任した頃とほとんど変わっていなかった。
    「そもそも相手のことをまったく調べようともせず、そのくせ自分の都合を押し付けるなんてところから、まずおかしいんだ」
    「うんうん」
    「仮にミシェル殿下が大公になったとしたら、きっとロージュマーブルはがっくり傾いちゃうよ。こんな小さな下調べも、まともな根回しもできない人間を国王に据えては、ね」
    「だよねー」
     ハーミット卿は対面に座る三毛耳の猫獣人と碁を囲みながら、昼の珍事を彼女に話していた。
    「じゃーさおじーちゃん、ロージュマーブル公国を継ぐのって、誰になると思うー?」
    「うーん……、そうだな。恐らく次男のレネになるんじゃないかな。
     彼はまだ若いけれど、既にロ国議会でも無視できない発言力を持ってきてるし、主義・主張にもブレが無い。
     それを頑固、人の意見を聞かない奴だと言う判断材料にする人も少なくないけど、今のところ主張する内容に不当な、あるいはおかしい点は見られないし、リーダーになる人間なら、それくらいには芯が通ってる方がいいと思う」
    「ふーん。おじーちゃんの意見だし、やっぱりそうなるのかなー」
    「まあ、まだ分からないけどね」
     そう返しながら、ハーミット卿は碁石をパチ、と置く。
    「あー……」
     対する彼女は、困った顔になる。
    「どうする? 投了するかい?」
    「えー、えっとー……」
     と、彼女はくる、と後ろを向いた。
    「お姉ちゃーん、どーしたらいいかなー?」
    「んー」
     ソファに寝そべっていた、こちらも三毛耳の猫獣人が、むくりと起き上がる。
    「ドコ打ったら勝てそうー?」
    「ちょっと待って……、ふあぁ」
     彼女は癖のある、くすんだ緑髪をもしゃ、と適当に撫でつけながら、妹の背中越しに盤面を眺めた。
    「……んー、……右隅くらいかな。その、並んでるとこ」
    「ココ?」
    「もいっこ下」
    「ココ?」
    「そこ。んで、そこ打つとじいちゃん、寄せに来るけど、それは5手先までほっといても余裕があるから、出てるところ叩く感じで。そこから上の方をうまいこと凌いでいけば、3目半であんたが勝つよ」
    「う、うん。……やってみるー」
     妹は恐る恐る、姉に言われた通りに石を置く。
    「……」
     一方、のんきに打っていたハーミット卿は神妙な顔になり、盤面に目を凝らしている。
    「ココだよねー?」
    「そこ」
    「ちょっと、アオイ」
     と、ハーミット卿が顔を挙げる。
    「ヒントは一回がマナーじゃないかな」
    「そだね。……じゃ、あたし寝る。頑張れ、カズラ」
    「う、うん」
     と、姉の方――葵(アオイ)・ハーミットがソファに寝転んだところで、ぼそぼそと彼女の声が返って来た。
    「さっきの話だけどさ」
    「うん?」
    「あたしの意見だと、長女のカーラさんが大公になるんじゃないかなって」
    「どうして?」
    「現大公の一番お気にだもん。レネさん、大公に嫌われてるし。
     それにミシェルさんは失敗したけど、カーラさんはうまいことやったらしいよ、根回し。こないだグ国将軍の息子さんと婚約したってさ。あと1年か2年経てば結婚するだろうし、その時現大公がまだ生きてたら、きっと指名するよ。
     あとはあたしの勘」
    「……ふむ」
     アオイの話に、ハーミット卿は素直に感心した。
    (素晴らしいとしか言いようが無いな。
     まだ15歳と言うのに、政治・経済観が飛び抜けて優れている。『勘』と彼女は言っているが、それは恐らく、彼女があちこちで見聞きした情報を無意識的に整理、取捨選択した結果、導き出されたものなんだろう。
     ……この一局にしても)
     ハーミット卿はアオイのヒントにより突如、難局の様相を見せた盤面に目を凝らし、道筋を懸命に探っていた。
    「……ここ、……かな」
     どうにかアオイの示した局面を乗り切り、ハーミット卿が2目半で勝利を収めた。
    「あー、負けちゃったー」
    「負けたの? 残念だったね」
     しょんぼりとする妹、葛(カズラ)・ハーミットに、葵はやはり寝転んだまま、労いの言葉をかけた。

    白猫夢・宰孫抄 2

    2013.10.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第261話。孫との一局。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 青年期の長い長耳といえども、流石に齢70を超えれば相応に老けてくる。 ハーミット卿も既に老境を迎え、さっぱりとまとめていた金髪も、その大部分は既に白髪へと変わっていたし、顔にもしわが刻まれていた。 しかしその優れた頭脳も、あっけらかんとした性格も、宰相に就任した頃とほとんど変わっていなかった。「そもそも相手のことをまっ...

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    麒麟を巡る話、第262話。
    眠り猫、飛び猫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵・ハーミットと言う少女は、確かに天才の部類に入る人間と言えた。

    「えやあッ!」「てい」
     黄派焔流、シルバーレイク道場。
     練習相手の、気合の入った初太刀をすい、と避け、葵が竹刀でぺち、と面を小突く。それを確認した師範代が、苦い顔をしてこう告げた。
    「一本! ……と言いたいが、ハーミット」
    「はい?」
    「もっと気合を入れてくれ。確かに有効打だが、なんだ『てい』って」
    「一応頑張ったんですけど」
    「もっと声を張ってくれないと、こっちも張り切って『一本』って言い辛い」
    「分かりました。気を付けます」

    「おーい、ハーミット、起きてるかー」
     王立高等学校。
     授業中に爆睡する葵に、教師がトントンと肩を叩く。
    「むにゃ……ふぁい?」
    「聞いてたか? 銅の炎色反応を言ってみろ」「青色です」「ナトリウムは?」「黄色」「マグネシウム」「白」「……」「ぐー」
     教師からの質問が止まるなり、また葵の寝息が聞こえてくる。
    「起きんかーッ!」「ふぇ?」

     確かに文武両道であり、「起きている時」にはそれなりに親しみやすい子なのだが、いつもどこか無気力で、気が付けば眠っている。
     いつしか彼女には、「眠り猫」のあだ名が付いていた。



     一方、妹の葛・ハーミットの方は、まるで姉の気力を吸収したかのような性格だった。

    「えーいっ!」「はあッ!」
     目一杯振りかぶった竹刀を止められ、返す刀でぱこん、と胴を打たれる。
    「一本!」
    「あー、やられちゃったー。
     ね、ね、もっかい、もっかいやろ!」

    「次、ハーミット」「はーいっ!」
     教師に指名され、勢いよく立ち上がって朗読を始める。
    「『すると狐の女神様は仰いました、これから私の言うことを』、……えーと」
    「『誦め(よめ)』だ」
    「あー、そだったそだった。『言うことを誦め、しかし苦者は』、……にがもの?」
    「若者だ。どんな目してるんだ、お前……」
    「えへへ、すいませーん。『しかし若者はきょとんとするばかり。そこで狐の女神様は……』」

     姉のように際立った才覚は無く、どこか抜けたところがあるものの、多少の失敗は気にせず邁進する、非常に前向きで明るい性格だったため、こちらも周りの人気は高かった。
     姉と比較して、こちらは「飛び猫」と呼ばれていた。



     優秀だが積極性の無い姉。行動的だがおっちょこちょいの妹。
     互いを補うような一長一短の特徴を持つからか、二人は非常に仲のいい姉妹であり、周りからもそう見られていた。



     そんな二人を特に気に入っていたのは、祖父のハーミット卿である。
    「パパ、またそんなにお土産……」
    「まあ、いいじゃないか」
     その日もハーミット卿は、沢山の本を抱えて娘夫婦の家を訪ねてきた。
     ニコニコ微笑みながら本をテーブルに置く父を見て、卿の娘であるベルが口を尖らせる。
    「ママが寂しがるよ」
    「まあ、うん。……そうだね、10時、いや、9時前には帰るよ。
     二人はまだ帰ってきてないのかな」
    「ええ。試験が近いから、図書館で一緒に勉強するって言ってた」
    「そっか。シュウヤ君は?」
    「今日は特に何もないはずだから、そろそろ帰ってくる頃かな」
    「彼もなかなか忙しそうだね」
     そう返した卿に、ベルは肩をすくめて見せる。
    「ちょっと寂しいけどね。道場が成功してくれたのはホントにうれしいけど、そっちにばっかり熱中されると、なんか、ちょっとね」
    「やんわり諭しておこうか?」
    「パパじゃ説得力ないって。パパだってもうおじいちゃんなのに、いまだに仕事一筋だし」
    「……参ったね。説得は得意なつもりだったんだけど」
     と、卿が苦い顔をしたところで、玄関をノックする音が聞こえる。
    「あ、はーい、おかえりー」
     ベルが玄関を開け、夫の秋也が入ってきた。
    「ただいま。……あ、お義父さん、ども」
    「邪魔してるよ。順調そうで何よりだ」
    「ええ、まあ。あ、そうだ」
     秋也はくたびれたかばんからごそごそとチラシを取り出し、卿に渡す。
    「来月、剣術大会を開くんです。並行して色々催し物もあるんで、その、もしお暇なら……」
    「ああ、来月ならまだ何とか、予定を空けられるかも知れない。調整しておくよ」
    「ありがとうございます」
     ぺこ、と頭を下げた秋也に、卿はこんな質問をした。
    「で……、これって、アオイたちも出るのかな」
    「え? ええ、葵はオレの道場じゃ一番強いですし。葛も一応出ますよ」
    「それは楽しみだ。
     ……ん、うわさをすれば、だね」
     卿は窓の外に、葵たちがこちらに向かって歩いてくるのを見付けた。

    白猫夢・宰孫抄 3

    2013.10.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第262話。眠り猫、飛び猫。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 葵・ハーミットと言う少女は、確かに天才の部類に入る人間と言えた。「えやあッ!」「てい」 黄派焔流、シルバーレイク道場。 練習相手の、気合の入った初太刀をすい、と避け、葵が竹刀でぺち、と面を小突く。それを確認した師範代が、苦い顔をしてこう告げた。「一本! ……と言いたいが、ハーミット」「はい?」「もっと気合を入れてくれ...

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    麒麟を巡る話、第263話。
    静かで不穏な夜。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「わー、『央南八朝志』! あたし、一度読んでみたかったの!」
    「だろうと思ってね」
     葛の反応に、ハーミット卿はにっこりと笑う。
     そして葵の方を向き、反応を伺ってみると――。
    「……どうかな? 僕の読みだと、君はこれを気に入ると思ったんだけど」
    「うん」
     葵は顔こそ無表情に近い、ぽやっとしたものだったが、尻尾の方は正直に、ピコピコ揺れている。
    「『6世紀諸産業の転回』。現在評判の経済学者、マリー・ローザン女史の新著だ」
    「ありがと」
     そう答えた葵の目は、いつもぼんやりした眼差しの彼女には珍しく、活き活きとしていた。
     その様子を見た卿が、こんな質問をした。
    「アオイ。君は将来、こう言う道に行きたい感じなのかな」
    「ん? んー……」
     本を脇に抱え、葵はゆっくりとした口調で答える。
    「ん、そうかも」
    「僕も合ってると思うよ。何ならまた今度、同じようなのを持って来るけど」
    「ありがと、じいちゃん」
     と、横でそれを聞いていた葛が手を挙げる。
    「じーちゃん、じーちゃん! あたしにも持ってきてね!」
    「勿論。でもちゃんと、それを読み終わってからだよ」
    「分かってるって」

     結局、ハーミット卿が秋也家を出たのは9時を大分回ってからになった。
    (参ったな、またジーナやベルに小言を言われそうだ)
     腕時計を確認しつつ、卿は辺りを見回す。
    「……うーん。この時間だとやっぱり、見当たらないな」
     自動車技術の普及により、現在のプラティノアール王国およびその近隣諸国では、軍用車輌だけではなく、業務用・商用の自動車も街を行き来するようになっていた。
     当然の流れとして、人間の送迎・輸送を目的とした商売――いわゆるタクシー業にも自動車が使われるようになっており、ピーク時には街道が自動車で埋まることも、珍しいことでは無くなった。
     とは言え、既にほとんどの店が閉まっている、利用客が極めて少ないこの時間帯に、わざわざそう安くもないガソリン代をはたいて車を出すような酔狂な御者など、そうそういるはずも無い。
    「……歩くしかないか。歳だし、あんまり歩きたくないんだけどなぁ。
     まあ、自業自得なんだけど」
     卿はフロックコートをしっかりと羽織り、夜道を歩き始めた。
    (今度から御者を予約しておこうかなぁ。……いや、これが常習化したら、それこそジーナを本気で怒らせちゃうな。
     いやいや、でも今ももう既に常習化してるようなもんだし、……いやいやいや)
     と、古女房のことをぼんやり考えていると――前から車が一台、やって来るのが見えた。
    「あ、タクシーだ。……おーい!」
     卿は右手を挙げ、タクシーを止める。
    「まだやってる?」
    「ああ、今日はもうアガリにしようと思ってたところでさ。でもまあ、まだ一回くらいなら運びやすぜ」
    「そりゃ良かった。アニェント通りの1丁目12番地にお願いできるかな」
    「あいよ」
     卿はタクシーに乗り込み、御者に金を渡す。
     タクシーが黒煙を噴き上げ、走り出したところで、卿もふう、とため息をついた。
    「いや、助かったよ。こんな老人がとぼとぼ歩いて帰るには、もう寒いからね」
    「……」
    「いくつになってもここの冬には慣れないけど、最近は特に身にしみる。つくづく自分が歳を取ったもんだと思うよ。
     ……ん?」
     卿はこの時、このタクシーが自分の屋敷の前を、猛スピードで通り過ぎていくのを確認した。
    「あれ、ちょっと?」
    「……」
    「今のところだよ? ねえ?」
    「……」
     御者は答えず、さらにアクセルを踏み込んだ。
    「どう言うことだい?」
    「ちょっと付き合ってもらいますぜ、ネロ・ハーミット卿。
     とあるやんごと……お方の……命令……でさ……」
     御者の声が、途中で聞き辛くなる。
     何故ならタクシーの前後を別の車が固め、そのエンジン音でかき消されたからだ。
    「……参ったね、どうも」
     老いたとは言え今なお聡明な卿は、この時自分が拉致されたことを悟った。

    白猫夢・宰孫抄 終

    白猫夢・宰孫抄 4

    2013.10.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第263話。静かで不穏な夜。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「わー、『央南八朝志』! あたし、一度読んでみたかったの!」「だろうと思ってね」 葛の反応に、ハーミット卿はにっこりと笑う。 そして葵の方を向き、反応を伺ってみると――。「……どうかな? 僕の読みだと、君はこれを気に入ると思ったんだけど」「うん」 葵は顔こそ無表情に近い、ぽやっとしたものだったが、尻尾の方は正直に、ピコピ...

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    麒麟を巡る話、第264話。
    電話連絡。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「え? まだパパ、帰ってないの?」
     秋也の家にかかってきた電話によって、このハーミット卿誘拐事件は発覚した。
    「……遅すぎるよね?」
    《確かにのう。どんなに遅くとも、10時には家に着かねば、明日の公務に差し支えると言うのに》
     ベルの母であるジーナが電話の向こうで、心配そうな声を上げる。
    《もしやと思うが、何かあったのかも知れん》
    「……ちょっと調べてみる。また後で電話するね」
     ベルは一旦電話を切り、すぐ受話器を上げる。ぷつ、と音が鳴り、電話交換手の声が聞こえてくる。
    《シルバーレイク第2通信局です》
    「電話お願い。軍電信局に」
    《分かりました、おつなぎします》
     ぷつ、ぷつと音が鳴った後、男性の声に変わった。
    《こちらはプラティノアール軍電信局です。名前と所属コードを》
    「こちらはベル・ハーミット少佐。所属コード、542-022-SS-11」
    《……SS!? 失礼いたしました!》
     ベルの所属を聞いた途端、局員の声が上ずったものに変わる。
    「『SS』本部につないでもらえる? パスワードは、『F・7・H・5・6・R』」
    《かしこまりました!》
     再度、ぷつ、と音が鳴り、今度はまた、女性の声が返ってきた。
    《はい、セクレタ・セルヴィス本部です》
    「キュビス?」
    《ええ》
    「すぐ調べてほしいことがあるの。アニェント通りからオリビア通りまで、パパ……、いえ、ネロ・ハーミット卿がいないかどうか」
    《卿を?》
    「9時ちょっと過ぎに家を出て、まだ自分の家に戻ってないみたいだから。単に疲れてベンチに座り込んで、そのままうたた寝しちゃってるくらいならいいんだけど」
    《探してみます》
     もう一度ぷつ、と音を立てて、電話は切れた。
    「……あー、もー」
    「どうした?」
     耳を押さえる妻を見て、秋也が声をかける。
    「電話ってなんで、こんなぷつぷつ音が鳴るんだろ。すっごく耳障り!」
    「さあ……?」
     とぼけた返答をした秋也に代わり、葵が答える。
    「回線をつなぎ直す時の音だよね。一瞬、信号が切れちゃうから」
    「便利だとは思うんだけどさ……。あたし、あの音だけはホントに嫌」
     と、苦い顔をしていたベルが、真剣な表情になる。
    「ねえシュウヤ、もしもだけど」
    「ん?」
    「もしもさっきあたしが言ってたみたいに、ベンチでうたた寝みたいなことになってなかった場合は――可能性は何が考えられるかな」
    「そうだな……」
     一転、秋也も真面目な顔になる。
    「現実的に考えれば、2つあるな。
     1つは、義父さんが倒れてるかもって可能性だな。もう大分歳だし、それにこの寒さだ。死んではいないまでも、何かしらの急病でうずくまってるってことは、十分にあると思う。
     もう1つとしては、……やっぱり、誘拐されたか」
    「そうだよね。あたしもどっちかだと思う。どっちも、あってほしくないけど」
    「オレも同感だ」
     と、電話がじりりん……、とけたたましく鳴る。
    「もしもし」
     電話に出たベルの耳に、先程応対した女性の声が聞こえてきた。
    《現場周辺を警邏していた兵士たちと連絡を取り、捜索を行わせました。しかしそれらしい人物はいなかった、とのことです。
     それと……、その兵士たちから気になる情報が》
    「何かあったの?」
    《1時間半ほど前、猛スピードで道を駆けるタクシー3台とすれ違ったとのことです。
     とても人を丁重に運ぶような速度では無く、そもそもタクシー自体、その時間帯には大半の業者が、とっくに営業を終了しているはずです》
    「怪しいね。……どちらにしても、卿がその周辺で見つからなかったのはおかしい。
     もうおじいちゃんだし、仕事が趣味みたいな人だから、どこかのバーへ突然遊びに行ったなんてことは考えにくい。そのタクシーのことも、無関係とは思えない。1時間半前ならちょうど、あたしの家を出た時刻だもん。
     ……間違いなく緊急事態だね。SS隊員を、全員招集して」
    《了解しました。エトワール参事官も?》
    「勿論、呼んで。あたしとシュウヤも、これから向かうから」
     今度はベルの方から電話を切り、秋也に目配せした。
    「おう」
     つい先程まで西方風のゆったりしたシャツを着ていた秋也は、今はびしっとしたスーツ姿になり、腰には刀を佩いていた。

    白猫夢・捜卿抄 1

    2013.10.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第264話。電話連絡。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「え? まだパパ、帰ってないの?」 秋也の家にかかってきた電話によって、このハーミット卿誘拐事件は発覚した。「……遅すぎるよね?」《確かにのう。どんなに遅くとも、10時には家に着かねば、明日の公務に差し支えると言うのに》 ベルの母であるジーナが電話の向こうで、心配そうな声を上げる。《もしやと思うが、何かあったのかも知れん》「...

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    麒麟を巡る話、第265話。
    セクレタ・セルヴィス。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     さらに1時間進み、真夜中近くになった頃。
     プラティノアール王宮、ブローネ城の一室に、秋也・ベル夫妻と、十数名の将校・兵士が集まっていた。
    「まず、緊急招集した理由から説明するよ」
     ベルが場の中心に立つ形で、まずは背後の黒板に、自宅周辺の地図と、自分の父の名前を書き付けた。
    「2時間半前、我が国の総理大臣であるネロ・ハーミット卿があたしの家から自宅へ帰る途中、行方不明になった。卿の自宅からあたしの家までを捜索させたけど、卿は発見できなかった。
     さらに現場付近を警邏していた兵士の証言によれば、同時刻に猛スピードで街道を走るタクシー3台を目撃したとのこと。
     これらの事実から、卿が誘拐された可能性は、極めて高いものと思われる。だからみんなは、より広範囲での捜索および情報収集をお願い。
     すぐ街へ向かって」
    「了解しました!」
     ベルの命令を受け、彼ら――プラティノアール軍要人警護部隊、通称「セクレタ・セルヴィス(SS)」の隊員たちは、足早に本部を後にした。



     20年前――現SSの隊長であるベルがまだ訓練生の頃、とある事情により誘拐された。
     この時は後に夫となる秋也をはじめとする、急造の救出チームの活躍により、事なきを得た。
     しかしこの事件で、「今後急成長していく我が国では、少なからず今回のように厄介な事件が起こっていくだろう」と国家の将来を危惧したハーミット卿により、軍に要人警護および、特に凶悪な犯罪に対抗するための部隊が設置されることになった。これがSSである。



     隊員たちを街に向かわせたところで、ベルは残っていた秋也と、そして部隊の参事官である長耳、アテナ・エトワール女史とで、状況の整理を行うことにした。
    「今回の事件、どう思う?」
     尋ねたベルに対し、アテナは眼鏡越しに、ひんやりとした目を向けた。
    「どう、とは?」
    「単なる金目的の犯行か、それとも何かしら政治的な陰謀からか、……って面からは?」
    「つまり動機ですね」
     アテナはつい、と眼鏡を直し、こう返した。
    「情報が不足していますので、まだ明確な回答はできかねます。
     しかし金銭を奪う目的であるなら、卿はとっくに解放されているはずです。金を奪った上に殺害する、もしくは身柄を拘束しどこかへ連れ去ったとすれば、犯人にとっては罪が重くなるばかりで、何の利益も発生しません。著しく非合理的であるため、可能性は無いに等しいものと思われます。
     身代金目的での誘拐であれば、発生から3時間近く経った現在、何らかの連絡が来て然るべきですが、一向にそれが無いことから、こちらの可能性も低いと見ていいでしょう。
     一方、政治的陰謀である場合には、さらに2種類の動機が考えられます。1つは卿を誘拐し、王国議会における彼の不在を発生させようとするもの。もう1つは、卿を誘拐した上で拘束し、彼に何らかの脅迫を行い、それにより何らかの利益、権益を得ようとするもの。
     もし前者であれば、卿は殺害されていてもおかしくありません。それ故、まだ死体が発見されていない現状では、この可能性は極めて低いと考えられます。
     一方、後者の場合であるなら、今のところは現状と合致しています。現時点で最も可能性の高い動機であると考えられます」
    「……さっすがー」
     ベルは辟易した顔で、そう返した。



     ちなみにこのSS――設立して間も無く、とある事件の捜査に乗り出したのだが、隊員たちには高い身体能力と精神力こそあったものの、その反面、思考力と推理力に欠けていたために、危うく迷宮入りしかけた。
     結局はハーミット卿の入れ知恵で解決したものの、「要人警護の仕事をお願いしてるのに、なんで要人の僕を頼るのさ。もし僕が誘拐されたらどうするんだい?」と彼からきつくたしなめられ、その直後に事務兼頭脳担当のため、アテナが参事官として投入されることとなった。
     ちなみに彼女は通常、ハーミット卿の秘書を務めており、卿の後継者の最有力候補としても注目を集めている。

    白猫夢・捜卿抄 2

    2013.10.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第265話。セクレタ・セルヴィス。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. さらに1時間進み、真夜中近くになった頃。 プラティノアール王宮、ブローネ城の一室に、秋也・ベル夫妻と、十数名の将校・兵士が集まっていた。「まず、緊急招集した理由から説明するよ」 ベルが場の中心に立つ形で、まずは背後の黒板に、自宅周辺の地図と、自分の父の名前を書き付けた。「2時間半前、我が国の総理大臣であるネロ...

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    麒麟を巡る話、第266話。
    目標捕捉。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     SS招集から1時間後、隊員たちが集めてきた情報と、アテナの判断・推理とで、誘拐犯らの居場所を、ほぼ特定することができた。
    「3台のタクシーについてですが、アニェント通りから中央大通りへ抜けたのち、数ヶ所の街道を渡って、そのまま郊外、西の方へ向かったとのことでしたね?
     その後は目撃情報が無い、とのことでしたが、そのことから逆に、場所を絞れます」
    「と言うと?」
     隊員の一人が発した言葉に、アテナはいつものように、冷ややかに答える。
    「街の西側郊外まで向かったとなると、その後彼らが執るであろう手段は2つあります。1つはそのまま西へ向かって走り続ける。もう1つは、どこかへ駐停車する。
     前者を選択するのは、あまりにも無計画かつ無謀です。一般的なタクシー車輌はコストダウンのため軽量化されており、街の外まで長々と走行できるほどの燃料を詰めるような構造にはなっていません。加えて現在は夜であり、走行するにはライトを点ける必要があります。
     もしライトを点けて走行していた場合、確実に近隣の町村で目撃されることになります。その情報が無いと言うことは、この方法を執っている可能性は極めて低いものと思われます」
    「ライト消して走行してたら……」
     隊員の間抜けな発言に、ベルが頭を抱えて反論する。
    「できるわけないでしょ。こんな真夜中に、灯りも何もない道を爆走なんてしてたら、即クラッシュするってば」
    「ええ、私もそうなる可能性は極めて高いと思われます。また、いずれの場合にせよ、エンジン音で気付く人間は少なくないでしょう」
     アテナにも否定され、隊員は顔を真っ赤にしてうつむく。
    「……すんません」
    「一方、後者を選択した可能性は、少なからずあるでしょう。
     前述の通り、このまま夜間に走行し続けていれば、新たな目撃情報が発生するのは確実です。それが無いと言うことは、何らかの『隠れ家』を有している可能性が高いものと思われます。
     それを前提として、街の西側近辺にその用途に適う施設が無いか、地図上で検索したところ……」
     アテナは机に広げた地図を、指示棒で示す。
    「ここに、廃棄車輌を解体する工場があります。通常時より、ここには多数の車輌が集まっているため、タクシー3台程度であれば、簡単に隠すことができるでしょう。
     一方、夜間は基本的に無人であるとの情報も得ていますし、また、廃車から抜き取ったガソリンも、多く備蓄されているとのことです。
     恐らくはここで給油すると共に夜が明けるのを待ち、他のタクシー車輌の出勤時間に紛れて、さらに逃走するものと思われます。
     即ち、逆に考えれば――朝まで犯人たちは、ここを動くことは不可能です。早急に現場へ向かい、取り囲めば、ハーミット卿の奪還は容易でしょう」

     アテナの言に従い、SS部隊は自動車廃棄工場へと急行した。
    「……流石、アテナ。いるみたいだよ、犯人」
     ベルが中の様子を密かに伺い、工場内にうっすらと灯りが点っていることを確認する。
     そして工場の前には、まだ廃棄処分にするには早過ぎる、現行のタクシー車輌が3台、乱雑に停められている。
    「どうしますか、隊長?」
    「そうだね……。まず、第一に考えるべきはパパ、……じゃない、ハーミット卿の確保。それから第二、犯人は極力殺さず、確保すること。これは戦争じゃないからね。
     まず、フレッドとキトンは工場裏手に回り、そこから内部に進入。卿の位置を確かめ、可能であれば救出・保護し、工場から脱出して。
     遂行でき次第、『頭巾』で合図してね」
    「はい」「了解です」
    「その間にあたしたちは、あのタクシーまで進む。そこで犯人らの姿を確認し、卿の姿が見えないようであれば、催涙弾を投げ込み相手を無力化。
     卿が近くにいる場合は、……そうだな、この場合はフレッドたちにもそれは確認できてるだろうから、『頭巾』で状況を報告後、陽動に回って。
     犯人がフレッドたちに気を取られたところで、あたしたちが強襲。そのまま確保する。……これで行こう」
    「了解」

    白猫夢・捜卿抄 3

    2013.10.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第266話。目標捕捉。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. SS招集から1時間後、隊員たちが集めてきた情報と、アテナの判断・推理とで、誘拐犯らの居場所を、ほぼ特定することができた。「3台のタクシーについてですが、アニェント通りから中央大通りへ抜けたのち、数ヶ所の街道を渡って、そのまま郊外、西の方へ向かったとのことでしたね? その後は目撃情報が無い、とのことでしたが、そのことから逆...

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    麒麟を巡る話、第267話。
    犯人確保、……か?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     隊員2名を裏手に回らせた後、ベルは残りの隊員たちを一人ずつ、工場の敷地内に送る。
    (……よし)
     全員を静かに張り込ませてから、ベルと、そして秋也が最後に門をくぐる。
    (パパは、……いないか)
     タクシーの陰に隠れ、工場の中を覗き見たが、ハーミット卿らしき姿は無い。
    (となると、そろそろフレッドたちがパパを救出してくれてる頃、……かな)
     と、軍帽に仕込んでおいた「魔術頭巾」から、隊員の声が聞こえてきた。
    《こちらSS-18。こちらSS-18。応答願います》
    「こちらSS-11。どうぞ」
    《救助対象、いません》
    「……えっ?」
     思わず聞き返したが、隊員は困惑した声色で、同じことを返す。
    《ハーミット卿は、いません》
    「……え、じゃあまさか、人違い? いや、でもタクシーはここだし、……ええ?」
     困惑するベルの肩を、秋也がとん、とんと軽く叩く。
    「落ち着けって。とにかく、ここに怪しいタクシーがあるのは確かだ。何にせよ、突入した方がいいと思うぜ。もし間違ってたら、平謝りして撤収したらいいんだし」
    「う、うん」
     ベルは呼吸を整え、全員に命令した。
    「SS全隊員、突入せよ! 相手が抵抗しない限り、銃は使うな!」
    《了解!》
     号令と共に隊員たちが立ち上がり、一斉に工場内へと駆け込んでいく。
    「ひゃ、ひゃああっ!?」
     その直後――間の抜けた叫び声が、工場から聞こえてきた。

     工場内にいた男たち4人を拘束し、ベルは事情を聴くことにした。
    「まず聞くけど、あなたたちは、何故ここに? ここは夜、稼働してないはずだし、あなたたちはどう見ても工員じゃない。……それどころか」
     男たちの中に、場違いな服装をした兎獣人が1名いた。あからさまに豪奢な身なりをしており、どう見ても王侯貴族の類である。
    「あなたの名前から聞かせてもらえる?」
    「……その、……いや、……言えない」
    「言ってもらわなきゃ困るわ。
     現時点であなたたちには不法侵入、不法占拠の容疑がかかってる。黙秘するなら拘置所に行ってもらうことになる。
     当然、取り調べを受けることになるし、豪華な服を着てるあなたの素性がそこで明らかになったら、国際問題になりそうだもの」
    「う……」
     兎獣人は顔を真っ蒼にし、ぼそぼそと答えた。
    「……み、……ミシェルです」
    「ミシェル、何さん?」
    「……ミシェル・ロッジです」
    「え、……ロッジ? ロッジってロ国大公の?」
    「はい……」
     今にも泣きそうな顔をしているミシェルに対し、ベルは詰問を続ける。
    「じゃあ、さっきタクシーで街中を爆走してたのも、あなたたち?」
    「はい……」
    「その目的は?」
    「……え、……えー」
    「言わないとより面倒なことになるけど、それでいいの?」
    「……言った方が面倒になりそうですし、……あ、いや」
     慌てて口を押さえたミシェルに、ベルはきつい口調で尋ねる。
    「あなたたちがハーミット卿を誘拐したの?」
    「……は、はい。あ、いや、ちょっと違うかな、ちょっと」
    「どう言うこと?」
     と、ついにミシェルは泣き出してしまった。
    「そ、そのですね、えっと、……うっ、……うぅー」
    「ちょっと……。いい歳したおじさんが泣かないでよ。
     じゃあ最初から、一つずつ聞くから。ゆっくりでいいから答えてよ?」
    「うっ、うっ、……はい」
    「ハーミット卿をタクシーに乗せたのは、あなたたち?」
    「は、はい」
    「ここまで連れてきたの?」
    「そ、それが、うっ、うっ」
    「違うの?」
    「は、半分」
    「半分って?」
    「と、突然なんです。うっ、うう……」
    「何が?」
    「タクシーに乗せたのは確かなんです。でもここに着く直前、……ひっく、ひっく」
    「直前に、突然何があったの?」
    「ひっく……、ここの門を開けようとした時なんです。
     タクシーを停めてたら、そこに、なんか、……ひっく、……なんか、変な人たちが来て」
    「変な、人?」
    「真っ白い、うっ、魔術師みたいなローブ着た人と、ひっく、赤と青の、派手な服を着た女の子が、ひっく、タクシー、開けて、中からハーミット卿を、うぐっ、連れ出したんです……」
    「……どこから嘘?」
    「ぜ、全部、本当なんです! ひっく、だから、ひっく、もうどうしたらいいか分からなくて、……うえーん」
     とうとう子供のように大泣きしだしたミシェルに、ベルたちは呆れるしかなかった。

    白猫夢・捜卿抄 4

    2013.10.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第267話。犯人確保、……か?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 隊員2名を裏手に回らせた後、ベルは残りの隊員たちを一人ずつ、工場の敷地内に送る。(……よし) 全員を静かに張り込ませてから、ベルと、そして秋也が最後に門をくぐる。(パパは、……いないか) タクシーの陰に隠れ、工場の中を覗き見たが、ハーミット卿らしき姿は無い。(となると、そろそろフレッドたちがパパを救出してくれてる頃、……...

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    麒麟を巡る話、第268話。
    二つ目の誘拐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ともかくハーミット卿を誘拐した事実から、ミシェル氏と、彼に金で雇われたタクシー業者3名は、即座に逮捕・連行された。
     その途中で彼から動機を問いただしたところ――以前に断られた縁談を何としてでもまとめるため、ハーミット卿を拘束して脅迫しようとしたのだと言う。

    「ミシェルさん、バカ過ぎるよね……」
    「ええ、単純に愚かと言うには、度をはるかに超していると言っていいでしょう」
     ミシェルたちを連行した後、ベルたち夫妻はSS本部に戻り、改めてアテナと共に状況の整理を行うことにした。
    「今回の件がきっかけになり、ロージュマーブルとの関係がこじれることは確実でしょう。このまま看過すれば、ですが」
    「って言うと?」
    「卿は三国和平が崩れることを望んでいません。もし今回のケースで卿が第三者の立場にいたとすれば、必ず関係修復に努めるでしょう。
     であれば、恐らく卿はこの時点で秘密裏にロ国大公ないしは公太子と連絡を取り、今回の件を公にしないよう、働きかけているでしょう。
     とは言え卿はミシェル氏に対して好意的ではありませんでしたし、彼の存在は三国和平において悪影響を及ぼすものと考えているようでしたから、ロ国と話し合った上で、彼の身分を我が国において抹消し、身元不明の人間として終身刑に処するよう、提案すると思います」
    「そこまでする、……かなぁ。いくらなんでも」
     顔をしかめた秋也に、アテナは冷たい目をしたまま、首を横に振る。
    「いいえ、卿であればその処置はしかるべきものと思われます。
     そして事実、ロ国から『貴国の裁量にて処置されたし。当国はいずれの判決にも同意する』との返答が来ています」
    「え?」
     アテナの発言に、二人は面食らう。
    「まさか、アテナ?」
    「なんでしょう」
    「今言ってたソレ、独断でやったって言うのか?」
    「日が経てば騒ぎは大きくなります。可及的速やかに処置すべきと判断したので」
    「……」
     無表情でそう返したアテナに、ベルたちは何とも言えない嫌悪感を覚えた。
    「……まあ、政治に関してはあたしたちじゃ意見できないから、もう何も言わないよ。
     あたしたちにとっての問題は、まだハーミット卿の身柄を保護できていないってこと」
    「そうだったな……。にしてもアイツが言ってた謎の女とかって、マジなのかな」
    「話を聞く限りでは、事実とは捉え難いですね。唐突、かつ荒唐無稽です」
     またもアテナが口をはさむ。
    「しかし矛盾は見当たりません。
     ミシェル氏に身柄拘束と郊外への移送を実行させ――言い換えれば最も面倒な作業を行わせて――目標だけを奪う。効率的と言えます。その観点からすれば、信憑性は少なくないと思われます」
    「あのさ。ミシェルさんの話が事実っぽいかどうかなんて、考えるだけ無駄じゃないの?」
     多少頭に来ていたらしく、ベルが話を遮る。
    「今、パパは見付かってない。これは事実でしょ? 実際起こってることを『本当のことだろうか』なんてあーだこーだ考えるのなんて、無意味じゃない?」
    「……そうですね」
    「今あなたに考えてほしいのは、パパの居場所だよ」
    「……」
     先程とは打って変わって、アテナは黙り込んでしまった。
    「何か無いの? そっちの方が百倍重要じゃない」
    「判断材料がありません。である以上、何もお話しできることは……」
     そう返したアテナを、ベルがなじった。
    「はぁ!? どうでもいいことについてはあれだけ偉そうにベラベラベラベラしゃべっておいて、ホントの本当に大事なことは何もわからないって言うの!? あんた、何のためにここにいるの!?」
    「そう言われましても」
     アテナも――依然無表情ながら――不愉快な様子をちらつかせ、反論する。
    「判断材料があれば、お答えできます。ご意見やご批判があるのであれば、まずはあなた方が手がかりを探してからにしていただきたいです。
     それも無しにわたしを非難するのは、職務怠慢ではないのですか?」
    「……~ッ」
     拳を振り上げかけたベルを、秋也が後ろから羽交い絞めにする。
    「落ち着けって、ベル! 確かにムカつくのは分かるけど、今はソレどころじゃないだろ?」
    「……ああ、分かってるよ。分かってるけどさ」
     悔しそうな顔をするベルを、アテナは依然、冷淡な目で見つめていた。

     と――電話がじりりん、と鳴り響く。
    「……もしもし」
     ベルから手を離し、秋也が電話を取る。
    「ん? え、もしかして葵か? お前なんでココの番号知ってん、……え? え、ちょ、おい?」
     秋也が目を丸くし、こう叫んだ。
    「は!? お前が!? なんで!? マジで!?」
     そして一瞬間を置き、また声色が変わる。
    「……お、お義父さん! 無事だったんですね!?」
    「へ?」「……!」
     秋也の言葉に、ベルとアテナが顔を挙げる。
     一方、しばらく電話に耳を傾けていた秋也は、やがて唖然とした顔になる。
    「どう言うこと?」「今の電話は?」
    「……葵が、卿を助けた、……ってさ」
    「葵って、うちの葵のこと?」
    「あ、ああ」
    「あり得ません」
     アテナがガタ、と音を立て、椅子から立ち上がる。
    「経緯を説明してください」
    「……あー、と。どう説明したらいいんだろ、……あ、はい、代わります」
     ここで秋也が受話器から耳を離し、アテナに渡す。
    「お前が卿から経緯を聞いて、皆に説明してくれ。ソレが一番手っ取り早いってさ」
    「分かりました」
     受話器を受け取ったアテナは、淡々とした様子で話を聞いていた。
     その顔は――やはり無表情ながらも――どことなく、悔しそうだった。

    白猫夢・捜卿抄 終

    白猫夢・捜卿抄 5

    2013.10.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第268話。二つ目の誘拐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ともかくハーミット卿を誘拐した事実から、ミシェル氏と、彼に金で雇われたタクシー業者3名は、即座に逮捕・連行された。 その途中で彼から動機を問いただしたところ――以前に断られた縁談を何としてでもまとめるため、ハーミット卿を拘束して脅迫しようとしたのだと言う。「ミシェルさん、バカ過ぎるよね……」「ええ、単純に愚かと言うには、...

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    麒麟を巡る話、第269話。
    誘拐されて、また誘拐されて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     時間は日付が変わる前、夜10時頃に戻る。

     ハーミット卿を乗せたタクシーが廃車工場の前で停車し、先頭のタクシーからミシェルが降りてきた。
    「あ、門お願いしますね。私、ハーミット卿と話しますので」
    「へい」
     タクシーの御者たちに門を開けてもらう間に、ミシェルはハーミット卿の乗るタクシーに駆け寄る。
    「あの、今回は本当にすみません。どうしてもあのお話、承諾していただきたくて」
    「……」
     ドア越しに、ハーミット卿の不機嫌な顔が見える。
    「君ですか。まったく……、呆れ果てますよ」
    「すみません……」
    「『すみません』、じゃもう済みませんよ? 子供のいたずらじゃないんですから」
    「それはもう、重々承知を……」「してませんよね、あなた?」
     ドアの窓を開け、ハーミット卿はミシェルをにらみつける。
    「重要な立場にある人間が、友好国の宰相を誘拐しておいて、後は万事つつがなく……、なんてことがあるはず無いと、何故分からないんです?
     恐らく今現在、我が国の当局は大騒ぎになっています。もう捜索が始まっているでしょう。優秀な人間が揃っていますから、1時間以内にはここに私が囚われていることを看破するでしょう。そうなれば当然、私の身柄を奪還し、併せてあなた方を逮捕するため、こちらに向かってくるはずです。
     そうなった場合、あなたはどうされるおつもりですか? まさか『自分はロ国の公太子である。逮捕や身柄拘束などもっての外。あるはずが無い』などと思っていらっしゃるのではないですか?」
    「ふえっ」
    「そんな言い訳が通用するレベルの行為ではありませんよ? こんなことが露見したら、両国にとってみっともない椿事、醜聞以外の何物でもありません。
     ほぼ間違いなく、ロ国はあなたの存在を抹消しようと工作にかかりますよ」
    「ま、まさか」
    「まさか、ですって? そんなことをひょいとされてしまう身分であることをあなた自身分かっているからこそ、私の孫に縁談を持ってきたのでしょう?」
    「あは、は……」
    「笑いごとではないと、いい加減理解しなさい!」
     ハーミット卿はいよいよ怒り出し、持っていた杖でミシェルの肩を叩いた。
    「いたっ!? な、何をなさるんですか!」
    「そんなことが言える立場ですか!?
     目を醒ましなさい! あなたは今、人としてあるまじき行為を行っているのですよ!?」
     ハーミット卿は怒りに任せ、タクシーから降りてさらに叱咤しようと、口を開きかけた。

     その時だった。
    「……」
     まず、門の近くに集まっていた御者たち3名が、ぱたぱたと倒れて行く。
    「え……あれ」
     続いてミシェルもかくんと膝を着き、そのまま横に倒れた。
    「なんだ……?」
     突然の事態に、流石のハーミット卿も戸惑う。
     と――背後からがし、がしと両手をつかまれた。
    「……?」
     とっさに振り払おうとしたが、びくともしない。
     何とか首だけを後ろに向けると、そこには2人の少女が、薄ら笑いを浮かべて立っていた。そしてその、奇抜な色合いのドレスを見て、ハーミット卿に昔の記憶がよみがえる。
    「……既視感があるな、なんか」
    「左様でございますか」
    「うん。『すっごく昔』、同じ目に遭った気がする。その時は一人だけだったけど。
     もしかして君たち、人形かい?」
     黒と赤のドレスを着た少女が、こくりとうなずく。
    「仰る通りでございます」
    「ミシェルさんとかは、生きてるのかな。気絶とか、動けなくしただけ?」
    「仰る通りでございます」
     今度は黒と青のドレスを着た少女が答える。
    「気絶させたのって、君たち?」
    「いいえ、わたくし共ではございません」
    「じゃ、誰が?」
    「わたくしです」
     タクシーの裏手から、白いローブを深く被った女性が現れた。
    「何故僕を助けた、……わけじゃないな。君たちも僕をさらいに?」
    「ええ。お前には再教育の必要があるようですから」
    「再教育?」
     尋ねたハーミット卿に、女性はこう返した。
    「あのお方にまんまとお前を奪われ、あまつさえわたくしの制御プログラムを一つ残らず解除・改変されてしまうとは、まったく思いもよりませんでした。
     よしんば、されるにしても、もう100年はかかると思っていたのですが。やはりあの方は、この世で唯一わたくしが認めたお方、と言うところでしょうか。
     しかしあの方も詰めが甘いこと」
     女性はクスクスと笑いながら、ハーミット卿の胸倉をつかむ。
    「おめおめとお前を生かしておくなど。わたくしに奪い返されるとは、思わなかったのでしょうか。
     いくら人となり、人のように老いさばらえていようと、お前はわたくしのもの、素晴らしき傑作であることに変わりはない。オーバーホールし、再度この世界を統べる『装置』となってもらいます」
     次の瞬間、ハーミット卿と人形たち、そして女性の姿は、そこから消えた。

     そして――残されたミシェルたち4人はどうしていいか分からなくなり、工場でただただ茫然とするしかなくなった。

    白猫夢・立葵抄 1

    2013.10.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第269話。誘拐されて、また誘拐されて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 時間は日付が変わる前、夜10時頃に戻る。 ハーミット卿を乗せたタクシーが廃車工場の前で停車し、先頭のタクシーからミシェルが降りてきた。「あ、門お願いしますね。私、ハーミット卿と話しますので」「へい」 タクシーの御者たちに門を開けてもらう間に、ミシェルはハーミット卿の乗るタクシーに駆け寄る。「あの、今回は...

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    麒麟を巡る話、第270話。
    思いもよらない、あの子の参上。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一瞬のうちに、ハーミット卿はどこかの小屋の中に立っていた。
    「ここは?」
    「答える理由がありません。どこであろうと、お前には関係のないこと」
    「再教育って、具体的には何をするつもりだい?」
    「お前を一度人形に戻し、老朽化した各部品を取り換えると共に、制御・演算機構を初期化後、再インストールします」
    「もっと分かりやすい説明をお願いしたいんだけど」
    「これ以上の説明をする理由はありません」
    「それ以上のことは、『今の僕には関係のないこと』、ってことか」
    「そうです。
     さあ、お話は以上です。もう眠りなさい。いつ何時、あの方がわたくしのしようとしていることに気付き、強襲してくるか分かりませんから」
    「あの方、あの方って」
     ハーミット卿はくっくっと、笑い声を漏らした。
    「君にとってタイカは名前を言うのも畏れ多い奴なのかい?」
    「……」
     が、こう言い放った瞬間、女性はビク、と震え、何も言わなくなった。
    「ん?」
     そして一瞬の間を置き、女性はいきなり、ハーミット卿の顔面を殴りつけた。
    「はう……っ!?」
    「黙りなさい」
     女性はもう一度、拳を振り上げる。
     その瞬間に、チラリとのぞいた顔は――憤怒に塗り固められていた。
    (あ、これ結構まずい怒らせ方しちゃったかも)
     口の端から血を流しながら、ハーミット卿はこの後に来るであろう、激しい折檻を覚悟した。

     が――。
    「あぅ」
     ハーミット卿を羽交い絞めにしていた人形二人のうち、赤と黒のドレスの方が、突然横に飛んで行く。
    「きゃ」
     そして真横に立っていた青と黒のドレスを着た人形にぶつかり、二人は絡まるように転がっていった。
    「えっ」
     怒髪天を衝いていた女性もこれには虚を突かれたらしく、拳を振り上げたまま、またも硬直する。
     そして――唐突に小屋の窓をぶち破り、人形たちを攻撃した少女が、木刀を女性に向けた。
    「じいちゃん、解放して」
    「……あ、アオイ……?」
     人形たちから解放されたハーミット卿は、両腕をさすりながら、その少女――葵・ハーミットに声をかけた。
    「助けに来たよ」
    「ちょっと待ってくれ、アオイ」
     流石のハーミット卿も困惑・混乱が頂点に達し、こう尋ねた。
    「どうやってここに? 僕だって、ここがどこなんだか分からないって言うのに」
    「んー」
     葵は木刀を構えたまま、こう返す。
    「SSの人たちがね、何度も街を行き来してたから、それがまず、おかしいなって。もうじいちゃんが見つかってたら、そんなことしないもん。
     実際、一度ママたちもうちに電話かけてきてさ、『もう解決したようなもんだから、安心して寝てていいよ』って言ってたけど、どう見てもそんな感じじゃなかったもん。
     だからSSの人に詳しく聞いてみたら、『誘拐途中で誘拐されたみたい』って。……あ、ごめん」
    「うん?」
     葵は小さく頭を下げ、こう続ける。
    「その人から秘密にしててって言われてた。内緒ね、じいちゃん」
    「はは、いいとも。それよりも続きが聞きたい。僕が依然、誘拐されたままだって状況を君が知ったって言うのは分かった。
     その先を聞きたいな。2度目の誘拐からまだ30分も経ってないのに、どうやって君はここを突き止めたんだい?」
    「じいちゃんが誘拐される理由なんて、2つしかないもん。じいちゃんのことを嫌ってる人がさらって暗殺しようとするか、じいちゃんに無理矢理言うこと聞かせようとして監禁するか、くらいでしょ。
     もし暗殺目的なら、誘拐された人をさらに誘拐するようなこと、しないと思う。殺しておいて、最初に誘拐した人に罪を被せればいいんだもん。でもじいちゃんが殺されてるって話じゃないっぽいから、2番目の方だろうなって。
     でもさ、監禁場所があんまり遠くても意味無いよね?」
    「なるほど。プラティノアール総理の僕に言うことを聞かせ、政治的に操るのに、わざわざプ国国境を越えさせるようなことをしても、確かに意味が無い。
     そうさせるには国内の、どこか近場で洗脳させて、さも何事も無かったかのように、平然と戻ってこさせなきゃ意味が無いからね。
     散々騒ぎになった後で、いかにも『洗脳されました』って状態でのこのこ帰ってきたんじゃ、城に入れてもらえるわけが無いもの」
    「でしょ? まあ、もうSSの人たちが最初の誘拐犯捕まえて、大騒ぎになってるけどね。
     もっと解決に時間、かかると思ってたみたいだけど、そこのおばちゃん、その点は読み間違えたみたいだね」
    「……っ」
     己の不足を指摘されたからか、それとも「おばちゃん」と呼ばれたからか――女性に、明らかに苛立たしげな様子が現れたが、葵とハーミット卿は意に介さず、会話を続ける。
    「じゃあ、シルバーレイク郊外のどこか、って辺りまでは見当が付いたわけだ」
    「うん。で、『突然消えた』って言ってたから、多分『テレポート』使ったんだろうなって。
     そんなのを何の準備もせずに使える人って、この世に数えるほどしかいないって、コントンさんに聞いたことあったし。カツミさんか、コントンさんか、さもなければナン……」「わたくしのその穢れた名を、貴様如き小娘が軽々に呼ぶんじゃないッ!」
     ついに女性の、それまでのしゃなりとした慇懃な口調が、猛々しいものへと変わる。
    「その名はわたくしが蛇蝎の如く忌み嫌う言葉だ! それ以上口にするならば、お前の舌を膾(なます)にしてやるぞ!」
    「……あ、うん。コントンさんもそう言ってた。適当にこっちで名前付けて読んだ方がいいって。
     じゃ、とりあえずおばちゃん、『リンネル(麻織物)』って呼ぶね。色がそれっぽいし」
    「ふざけるな、小娘風情が!
     トリノ! フュージョン! いつまで寝転がっているのです!? さっさとそこの小娘を殺しなさいッ!」

    白猫夢・立葵抄 2

    2013.10.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第270話。思いもよらない、あの子の参上。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一瞬のうちに、ハーミット卿はどこかの小屋の中に立っていた。「ここは?」「答える理由がありません。どこであろうと、お前には関係のないこと」「再教育って、具体的には何をするつもりだい?」「お前を一度人形に戻し、老朽化した各部品を取り換えると共に、制御・演算機構を初期化後、再インストールします」「もっと分か...

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    麒麟を巡る話、第271話。
    目覚めた眠り猫。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵の木刀でこめかみを打たれて転がっていた、赤と黒のドレスを着た人形――トリノが立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜く。
    「主様のご命令により、始末いたします」
    「やだ」
     葵は木刀をトリノに向け、構え直す。
     と、青と黒のドレス――フュージョンも立ち上がり、魔杖を構えてくる。
    「重ねて申し上げます。始末いたします」
    「やだってば」
     葵は一言、それだけ返し、木刀を正眼に構えたまま静止する。
    「アオイ、気を付けるんだ。『リンネル』氏もいる」
     ハーミット卿は心配になり、葵に声をかけたが、葵は顔を向けずにこう返した。
    「その人、多分攻撃してこないよ。少なくともあたしが、この子たちと戦ってる間は」
    「……」
     葵がトリノの初太刀をかわしたところで、ハーミット卿は続けて尋ねる。
    「どうして?」
    「その人ね、自分の『何か』を見せるのが、すごく嫌いなんだって」
     続いて迫ってきたフュージョンの土術の槍も、葵はひらりと避ける。
    「多分、自分の魔術も見せたくないだろうから、少なくともこの子たちが戦闘してる間は、じっとしててくれるよ。
     もし不意打ちしようとしても」
     前からトリノ、背後からフュージョンが攻撃を仕掛けてくるが、これも葵は横に跳んで避ける。
    「『万が一』かわされたらさ、その魔術、見られることになるよね。
     だから『リンネル』さんは、攻撃してこない。それに、それよりもこの子たちが、あたしを仕留める確率の方が高いと思ってるから、なおさら自分で手を下そうとしないよ」
    「……!」
     この返答に、ハーミット卿はぞくりとしたものを感じた。
    (だからこの間、攻撃せずにかわしてるってことか! 攻撃をかわされる可能性を示唆して、『リンネル』が動かないよう、牽制してるんだ!
     ……すごいな。すごすぎるよ、僕の孫は。居場所を看破し、敵の動きを測り切る推理力・論理性だけじゃない。相手の攻撃を――僕と会話しながらだよ――ひらひらとかわして見せる、この並外れた運動神経!)
     そしてさらに――ハーミット卿は驚愕させられた。

     何十合もの斬撃・打突をすべてかわされたところで、トリノの動きが突然止まる。そしてもう一方のフュージョンも、杖を構えたまま静止する。
    「……」
     それに合わせるように、葵も木刀を右手一本で構え、ぴたりと立ち止まる。
     しばらくにらみ合ったところで、トリノとフュージョンが動いた。
    「……ぃやああああッ!」「食らええええッ!」
     それまでに放ったことの無い、小屋全体を奮わせる怒声を発し、二人が同時に襲い掛かる。
     だが――葵はなんと、剣を構え飛び込んできたトリノに向かって駆け出した。
    「!?」
     しかし、ハーミット卿が声を挙げる間も無く、状況は一変する。
     葵はトリノの間合いに入るかと言うその直前、斜め上に跳躍したのだ。
    「な……」
     着地した先は、トリノの脳天――腰だめに剣を構えていたため、トリノの重心は下に下がっている。
    「はっ……、ゴガッ」
     葵の体重を支え切れず、トリノの頭部はそのまま、床に埋まり込んだ。
     そしてトリノが突っ伏したその時には既に、葵の姿はそこには無い。フュージョンの放った火球が壁に当たり、空振りに終わるとほぼ同時に、葵は空中でくるりと一回転し、逆に相手の背後を取っていた。
    「え……」
     フュージョンが振り向こうとした瞬間、葵は伸びたままの彼女の腕をつかみつつ、素早く懐に入って、そのまま立ち上がる。
     一本背負いの形になり、フュージョンの体が豪快に宙を舞う。
    「ひっ、……グエッ」
     フュージョンは壁に叩きつけられ、そのまま逆さにめり込んだ。
    「……ふぅ」
     葵は床に投げていた木刀を拾い、軽く息を吐いた。

    「なん……ですって」
     ハーミット卿の背後に立っていた「リンネル」は、明らかにうろたえていた。
    「わたくしの人形が……あんな……あんな小娘如きに」
    「もが……もが……」
    「う……く……」
     トリノもフュージョンも、床や壁に埋まったまま、身動きできないでいる。
    「さてと」
     葵はもう一度「リンネル」に木刀を向け、こう言った。
    「『リンネル』さん。交渉しない?」

    白猫夢・立葵抄 3

    2013.10.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第271話。目覚めた眠り猫。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 葵の木刀でこめかみを打たれて転がっていた、赤と黒のドレスを着た人形――トリノが立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜く。「主様のご命令により、始末いたします」「やだ」 葵は木刀をトリノに向け、構え直す。 と、青と黒のドレス――フュージョンも立ち上がり、魔杖を構えてくる。「重ねて申し上げます。始末いたします」「やだってば」 葵...

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    麒麟を巡る話、第272話。
    妖魔撃退。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「交渉だと!? ……コホン、交渉ですか」
     どうにかしゃなりとした声色を出して、「リンネル」が応じる。
    「あなた方とわたくしが、何を交渉すると言うのです」
    「じいちゃんを解放して、この先一生、二度と手を出さないで。
    その代わりあたしは、あなたに手を出させないから」
    「そんな内容のどこが、交渉と言うのです」
    「じゃああたしと戦う? もしかしたらあなたは初弾をかわされて、あたしにその術を見られるかも知れないよね。『もしも』って思わない?」
    「あなた如き小娘がわたくしの術を回避することなど、例え天地が引っくり返ったとしても起こり得ないことです」
     そう答えた「リンネル」はハーミット卿の前に進み、手を掲げた。
    「そんなに死にたいと言うのならば、望み通りに殺して差し上げましょう」
    「リンネル」の手中に、白木の杖が生じる。
    「……」
     短く呪文を唱え、「リンネル」は魔術を放った。
    「『ネメシスバルド』」
     次の瞬間、葵を取り囲むように、四方八方から紫色に光る魔術の槍が現れる。
    「かわせると言うのなら、かわして御覧なさい」
    「ん」
     葵がうなずいた瞬間――紫色の槍は、葵を目がけて飛んで行った。

    「で?」
     そう尋ねた葵に、「リンネル」は何も言えなかった。
    「……」
    「かわして見せたよ。この通り」
     まだ残っている紫色の槍の上に、葵はちょこんと立っていた。その体には傷どころか、服が破れた様子も無い。
    「……何かの間違いでしょう。そんなことが起こり得るはずなど、到底ございません」
    「でもこの通りだよ」
    「……虚仮にしているおつもりですか」
     ふたたび「リンネル」が呪文を唱え、魔術を放つ。
    「今度こそ……死ねえッ! 『ピアシングクロス』!」
    「ほい」
     交差する光弾を、これも事もなげにかわす。
    「な……、何故だッ!? 何故当たらない!? ……ぐっ、……」
     立て続けにかわされ、打つ手を見失ったためか、「リンネル」の動きが止まる。
    「これで交渉する気に、なってくれた?」
     すとんと床に降り立った葵が、再度そう尋ねる。
    「この交渉を呑んでくれないと、あなたにとってもっと、困ったことになると思う」
    「わたくしが、何を困ると言うのです」
    「だって……」
     葵は木刀を杖のように構え、ぼそぼそと何かを唱え出した。
    「……え」
     その状況は恐らく「リンネル」にとって、最も現実に起こってほしくなかったものであっただろう。
    「『ピアシングクロス』、……だっけ?」
     葵が放った術は紛れも無く、「リンネル」の使った術だった。

    「はっ、……あ……」
    「リンネル」のローブに、赤い点が飛び散る。
    「そ……んな……馬鹿なことが……」
    「ちなみにだけど、もういっこの方もあたし、覚えたよ。
     あなたきっと、今の時点でもう、すっごく嫌な気分になってるはずだよ。これ以上何かしたいって、きっと思ってない。
     それでもあたしと戦う?」
    「……ごふっ……く……く……クス……クスクス……」
     血を吐いてはいるが、「リンネル」は倒れもしなければ、体勢を崩してもいない。
    「……いいでしょう。今回ばかりはお前が提示した条件、呑みましょう」
    「今回だけじゃないってば」
     折れかけた「リンネル」に対し、葵はもう一度条件を確認させる。
    「もうこの先一生、じいちゃんに手を出さないでって言ったはずだよ? それが呑めないなら、あたしは無理やりにでもあなたと戦う。
     別にさ、あなたに呑めない条件じゃないでしょ? あなたの話はコントンさん……、カツミさんのお弟子さんから聞いてるもん。カツミさんが唯一、同格と認めたほどの人だって。
     そんなあなたがじいちゃん一人操るのに、そこまで犠牲を払う必要、無いと思うんだけど」
    「……」
     ローブの奥に見えた「リンネル」の顔が、怒りで再び歪みかけるが――やがてローブを深く被り直し、その顔を隠す。
    「よろしい。その条件で、引き下がるといたしましょう。
     克の名において確約いたしましょう。わたくしは今後、お前の祖父を付け狙う行為は一切、いたしません。そしてその死後においても、指一本触れることはしないと、誓いましょう」
    「良かった」
    「ただし小娘」
    「リンネル」は魔杖を葵に向け、こう告げた。
    「お前とはいずれ、決着を付けさせていただきます。
     わたくしの術を盗んだお前を、わたくしは何があろうと許しはしませんし、のうのうと生かしておくつもりもありません」
    「分かった。いいよ、それで」
    「それでは失礼いたします。
     また、いつか」
     最後にそう返し、「リンネル」と人形たちは、小屋から姿を消した。

    白猫夢・立葵抄 4

    2013.10.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第272話。妖魔撃退。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「交渉だと!? ……コホン、交渉ですか」 どうにかしゃなりとした声色を出して、「リンネル」が応じる。「あなた方とわたくしが、何を交渉すると言うのです」「じいちゃんを解放して、この先一生、二度と手を出さないで。その代わりあたしは、あなたに手を出させないから」「そんな内容のどこが、交渉と言うのです」「じゃああたしと戦う? もしか...

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    麒麟を巡る話、第273話。
    SS、面目丸つぶれ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「以上です」
     アテナから顛末を伝え聞いた秋也たち夫妻は、揃って怪訝な表情を浮かべていた。
    「『以上』って言われても……」
    「わたしが卿から伺った内容は、先程の説明ですべてです」
     そう返したアテナに、夫妻はまたも、揃って首を横に振る。
    「んなこと聞いてるんじゃないよ。あたしたちが言いたいのは、話の内容が信じられないってことだってば」
    「ああ、そう言うコトだ。
     精鋭であるはずのオレたちSSを完璧に出し抜いて、いつの間にか事件が解決してた。しかも解決したのがオレたちの娘って、……三文芝居だぜ、話が」
    「しかし卿本人からの連絡であったことは事実です。ここ、SS本部への連絡が可能であったことからも、本人であることは否定しようが無いものと思われます」
    「……パパが戻ってきたら、もう一回話を聞いてみなきゃ、気持ちが収まりそうもないね」
    「その点については同感です」

     葵からの連絡から30分後――SSが手配した軍用車に乗って、ハーミット卿と葵が帰ってきた。
    「ありがとう、皆。本当に心配をかけた」
    「……」
     柔らかい口調で感謝と謝罪の言葉をかけた卿に対し、SS隊員らは揃って、沈んだ顔をしていた。
    「確かに僕の身柄を保護してくれたのは君たちでは無く、一般人によるものだった。忸怩(じくじ)たる思いをしていることは、察するに余りある。
     とは言え今回のケースはひどく特異な状況だったし、仮に僕が今回の事件に巻き込まれていない無事な立場にあり、君たちに十分な助言をできる状態にあったとしても、これほどのスピード解決は望むべくも無かっただろう。
     そもそも本来の誘拐事件――ミシェル・ロッジ氏が起こした第一の誘拐事件においては、君たちが完璧に、間違いの一切無い、素晴らしい仕事をしていたことは、万人が認めるところだろう。異様な第二の事件が無ければ、君たちの職務は全うされ、君たちの手によって、僕は助け出されていたはずだ。
     ……それに関してだけど」
     卿は一瞬、葵の方をチラ、と見て、こう続けた。
    「第二の事件については、一切公表を控えようと考えているんだ」
    「……」
     葵は眠たそうに目をこすりながら、ぼんやり立っている。
    「何度も言ったけど、第二の事件については僕たちの常識、一般認識を大きく逸脱した超常的な事態であり、はっきり言って僕や君たちのような、一般的な人間が扱える事件では無かった。
     これを公表することは、社会不安を煽るばかりで何の効果も得られない、誰一人として得をしない、あらゆる面から考えても無意味な行為であるのは明白だ。
     だから公には第一の事件のみが発生し、それを君たちSSが見事に解決したとする。……よって」
     卿自身も気まずさを覚えつつ――こう命令した。
    「君たちには『事件を解決した』と胸を張っていてもらわないと困る。落ち込むのは今晩だけにしてほしい。
     明日の朝からは、首相誘拐事件を解決した英雄として振る舞ってくれ」

     秋也夫妻と葵、そしてハーミット卿は軍用車で、家まで送られることになった。
    「そう言えば、アオイ」
    「むにゃ」
     半分眠っていた葵が、だるそうに返事をする。
    「小屋でした話がまだ、途中だったよね」
    「……ん」
    「『テレポート』を使える人間を特定できたことまでは分かった。十分に納得行ってる。
     その先も見当は付く。恐らく『リンネル』氏の『知られることを極端に嫌う』性格と、事件性の無さを偽装すると言う都合上、人通りのほとんどない、しかし僕が歩いて家に帰って来られる程度には近い場所に連れて行ったであろうこと、……ここまでは推理できる。実際、僕が連れて行かれたのは市内の倉庫だったし、おかげですぐ帰って来られた。
     でもそこからの話を展開するにあたって、不確実性の高い点があるよね――どうして君は街の中の、数多くある倉庫や空き家の中から、あんな短時間で僕を見付けられたんだい?」
    「……ん……」
     葵は薄く目を開き、ぼそ、とこう答えて、また目を閉じてしまった。
    「あたしの、……勘」
    「勘って、おい」「ちゃんと説明しなさいって、もう」
     両親の突っ込みも空しく、葵は既に寝息を立てていた。
    「いや」
     と、ハーミット卿が口を開く。
    「彼女の言ってることは恐らく本当なんだろう。それで説明のつくことが、他にあるから。……いや、こんなのを『説明』だなんて言ってしまっていいのかどうか」
    「え?」
    「ナンクン氏や人形と戦った時の、アオイの動きは異様だったよ。まるでタイカか誰かを見ている気分だった。
     と言って、タイカ並みの実力があるだなんてことはまず、あり得ない。別の手段によって、タイカ並みの行動を執ることができたと考えるのが最も自然な帰結だ。
     恐らく彼女は本当に、『勘』で相手の攻撃を見切っていたんだ。……それ以外に説明が付けられない」
    「マジっスか」「パパがそんなこと言うなんて……」
    「いやいや、表現の問題だよ」
     ハーミット卿はそう前置きし、持論を話した。

    白猫夢・立葵抄 5

    2013.10.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第273話。SS、面目丸つぶれ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「以上です」 アテナから顛末を伝え聞いた秋也たち夫妻は、揃って怪訝な表情を浮かべていた。「『以上』って言われても……」「わたしが卿から伺った内容は、先程の説明ですべてです」 そう返したアテナに、夫妻はまたも、揃って首を横に振る。「んなこと聞いてるんじゃないよ。あたしたちが言いたいのは、話の内容が信じられないってこと...

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    麒麟を巡る話、第274話。
    「勘」の考察。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「『勘』ってものを砕いて言い換えるとするなら、『あっちとこっちを比較したら、何となくあっちの方が怪しそうな気がする』って表現になるだろう。
     しかしそもそも、その『何となくそんな気がする』って言う判断基準は、二人はどうやって付けてると思う?」
    「え? んー……」
     ハーミット卿の問いに、秋也とベルが異口同音に答える。
    「ソレこそ『勘』って言うか、何て言うか」「何となく、は何となくでしょ?」
    「ま、そうだろうね。それは本当に、『何となく』感じたものでしかないだろう。
     じゃあ、論じ方を変えてみよう。コイントスをして、1回目は表。2回目も表。じゃあ、3回目はどっちが出ると思う?」
    「んー……、表っスかね。1回目も2回目も表が出たんなら」
    「あたしは裏かなー。3回目くらいには裏が出るんじゃない?」
    「そう、それだ。その推察が、『勘』の本質だろう」
    「『勘』の本質?」
     揃って眉間にしわを寄せる娘夫婦に、卿はこう説明した。
    「『勘』は決して、『現実を無視した超常的な判断』ではないってことさ。
     1回目は表。2回目も表。2回の試行で得られたデータを基に、二人は3回目にはそれぞれ表、もしくは裏が出ると推量した。
     この試行回数が10回、20回と増えて行けば、よりそのデータは蓄積される。二人の頭の片隅にね」
    「片隅?」
    「コインの出目をはっきり覚えていないまでも、『3回連続で表が出た後に裏が出たことが2回あった』だとか、『表と裏が交互に出続けたことは一度もない』だとか、コイントス全体の大まかな傾向については、ぼんやりとながらも把握はするだろう。
     その大まかな把握が、何十回目、何百回目のコイントスを行う時に記憶の片隅から読み出され、『この回は表が出そうな気がする』とか、何となく感じるようになる。
     でもその根拠を説明しろと言われても、はっきり認識しているわけじゃないから、明確には答えられない。それこそ『勘』と説明する以外にはないだろう」
    「つ……、つまり?」
    「簡単に言えば、『これまでの人生経験の積み重ねによって、勘は研ぎ澄まされる』、……と言うのが、僕の持論だ。
     何十局、何百局も碁を囲んでいれば、最初のほんの数手で相手の打ち筋が読めるようになる。高段者が素人を相手する時には、その数手で相手とどう戦い、どう決着が付くかまで、まるでとっくに体験し終えたかのように、完璧に読み切ってしまえることすらあると言う。
     アオイにとっては、今夜の戦いはそんなものだったんだ。相手の動きは既に見えていた。どう動き、どう攻めてくるかが分かり切っていたからこそ、どんな攻撃をもかわし、見切り、さらにはそれを盗むことさえ可能だったんだ」
    「いや……、その話だと、前提がまず無理なんじゃ?」
     秋也が口を尖らせ、反論する。
    「初めて会った敵の動きを、会う前から既に見切っていたなんて、話が前後、無茶苦茶じゃないっスか。
     そもそも葵には戦闘経験なんて無いんですよ? お義父さんの言う『経験の積み重ね』なんて、一つも無いはずっスよ」
    「確かに『会う』のは初めてだったろう。でも『聞く』ことなら、もう何度もやっていたはずだよ」
     これを聞いて、ベルがポン、と手を叩いた。
    「あ、そっか。つまり、コントンさんから聞いた話から、アオイは敵の動きを予測したって言うこと?」
    「恐らくはね。それにもしかしたら、コントンさんは密かに、アオイに稽古を付けてくれていたかも知れない。あの人は女の子とシュウヤくんの血筋に優しいから。
     ……おっと、もう着いちゃったか。やっぱり最新鋭の軍用車輌は速いね」
     車がハーミット邸の前で停まる。卿は自分にもたれかかって寝ていた葵の体を起こしながら、話を締めた。
    「ともかく、事実として――アオイは何十戸もの建物の中から僕を一発で見つけ出し、悪魔的な強さを有していたはずの『リンネル』氏らを退けて、僕を見事、救出してくれた。
     この事実は、どんな推量や思索を以てしても否定しようが無いことだ」

    白猫夢・立葵抄 6

    2013.10.16.[Edit]
    麒麟を巡る話、第274話。「勘」の考察。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「『勘』ってものを砕いて言い換えるとするなら、『あっちとこっちを比較したら、何となくあっちの方が怪しそうな気がする』って表現になるだろう。 しかしそもそも、その『何となくそんな気がする』って言う判断基準は、二人はどうやって付けてると思う?」「え? んー……」 ハーミット卿の問いに、秋也とベルが異口同音に答える。「ソレこそ...

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    麒麟を巡る話、第275話。
    千年級の会話;人形遣い二人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     同日、明け方。
     どこか、遠い場所で。

     難訓は激怒していた。
    「アウ……アウ……」
    「ガガ……ガピー……」
     伴っていた人形たちにあらん限りの「折檻」を加えてもなお、怒りが収まらない。
    「……」
     一言でも耳にすればたちまち心が張り裂け、脳が溶け腐りそうな悪口雑言を、喉がかれるほどに吐き散らしても、難訓のほとぼりが冷める様子は無かった。
    「……ッ」
     そのうちに――あまりに打ち据えたためか――ついに「フュージョン」の頭半分が砕け散った。
    「ガー……ピ……ピガ……ガー……」
     甲高い金属音をガリガリと立て始めた「フュージョン」を見て、難訓の手が止まる。
    「……(いけない、やり過ぎたか)」
     潰れた喉からわずかに声を漏らして、そこでようやく難訓は杖を下ろした。
    「(修復には……、相当手間がかかるか。……わたくし自身の修復にも)」
     呪文を唱えようにも、喉からはガラガラとした、血の味が混じる声しか出てこない。
    「……」
     難訓は杖を放り投げ、その場にとぐろを巻くようにして座り込んだ。
    「(どうしてくれようか……、あの小娘)」
    《どうしたいです?》
    「……!?」
     突然かけられた男の声に、難訓は驚き、立ち上がった。
    「(誰だ!?)……ケホ、ケホッ」
     痛む喉から無理矢理に声を絞り出して尋ねたが、声が聞こえてきた方には、ただただ闇が広がっているだけだった。
     いや――よく見てみれば、その闇の中に何かが立っている。難訓のようにフードを深く被った何かが、そこにいた。
    《あ、ご無理なさらず。僕の質問に首を振っていただければ、事足りると思いますので。
     おっと、自己紹介もしてませんでしたね。すみません、不躾なことばかりしてしまって》
     闇の中に立つ「それ」は、いつも難訓がして見せるように、恭しい態度で応対する。
    《あなたの後輩に当たる者です。と言っても、あなたの師匠兼配偶者とは、あなた同様に断絶した身でありますが》
     ただし難訓とは違い、男の声はどことなく、慣れ慣れしい雰囲気を帯びている。
    「……」
     難訓は口を開くが、声が出ない。
    《ん、……僕の名前でしょうか?》
     うなずく難訓に、男はこう返した。
    《推理していただければ、結構簡単に判明すると思います。あ、『六番』じゃないですよ》
    「……」
     難訓は口を開く代わりに左手を挙げ、回答を示した。
    《ご明察です。では僕の素性も分かっていただけたところで、ちょっと『取引』の話をしたいな、と思うんですが》
    「……」
     これにも難訓はうなずき、男の声はより、やんわりしたものになる。
    《ありがとうございます、先輩。
     それでですね、『取引』と言うのはズバリ、あなたを虚仮にしたあの猫娘のことについて、……なんです。
     いやね、僕の方の計画でも、あの小娘君はなかなか使えそうだな、と思っていたんですが――あなたも経験した通り――相当に手強そうですからね。いつもの僕のやり方をしようにも、うまく行くかどうか。
     一方で、あなたはあの猫娘を亡き者にしたいと考えているご様子ですけど、実際のところ、相当に難しいだろうと感じていらっしゃるんじゃないかな、って。
     そこで、今回は一緒に協力して……》
     と、男がここまでしゃべったところで、難訓は首を横に振った。
    《ありゃ》
    「……ケホッ、ケホ……、不要だ」
     どうにか声を出し、難訓は男の提案を却下した。
    「わたくしにはこの木偶がいれば十分。お前如き三下の手を借りる気など、毛頭無い」
    《そうですか、それは残念だ。同じ人形遣い同士、今回をきっかけに仲良くしたいなと思っていたんですが》
    「戯言を吐くな、若輩。今までわたくしの人形と何度戦ってきたか、覚えていないのか?」
    《覚えてますよ、勿論。ただ、それは今までうまく理解し合えなかっただけであって、今回のように利害関係が一致すれば、手を組んでもいいじゃないかな、と思って……》「それ以上口を開くつもりなら」
     難訓の周りに、腕の折れたトリノと、顔が半分欠けたフュージョンが立ち並ぶ。
    「お前のその、お気に入りの木偶を破壊する。お前の下らぬ与太話なぞ、これ以上は不要だ」
    《……クス》
     男は短く笑う。
    《どうせ僕が黙っても、壊すおつもりでしょう?》
     男の言葉通り――次の瞬間、闇の中に立っていたその影は、粉々に吹き飛んだ。
    「……さて。喉も落ち着いてきたところですし、お前たちの修理を行うとしましょう。
     ああ、そうそう。忘れるところでした」
     難訓はパチッ、と指を鳴らした。
    「これでよし。これでこの国においてわたくしの姿を見た者は、あの木偶の成れの果てと、その孫娘だけになりました」



     結局――ハーミット卿誘拐事件は公にされること無く、一切が秘密裏に処理された。

     友好国の公太子が主犯であったことや、その直後に解明しがたい不可解な事件が絡んだことなど、隠蔽理由は数多くあったが――その最たる理由が、ミシェル氏をはじめとする犯人4名が、拘置所において謎の死を遂げたためである。
     4名が4名とも、まるで体の中に爆弾を埋め込まれていたかのごとく、全身が木端微塵に爆裂しており、拘置所は血の海と化していたと言う。
     この異様な死を難訓からの警告と捉えたハーミット卿は、関係者全員に「この事件は最初から無かったものとして処理するように」と、異例の通達を下した。

    白猫夢・立葵抄 終

    白猫夢・立葵抄 7

    2013.10.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第275話。千年級の会話;人形遣い二人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 同日、明け方。 どこか、遠い場所で。 難訓は激怒していた。「アウ……アウ……」「ガガ……ガピー……」 伴っていた人形たちにあらん限りの「折檻」を加えてもなお、怒りが収まらない。「……」 一言でも耳にすればたちまち心が張り裂け、脳が溶け腐りそうな悪口雑言を、喉がかれるほどに吐き散らしても、難訓のほとぼりが冷める様子...

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    麒麟を巡る話、第276話。
    諭す渾沌。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦542年以降、ハーミット卿と大火は密かに友好関係を築いていた。
     この関係を公にしていないのは、排他意識が強く、かつ多くの宗教・宗派が存在する西方において、黒炎教団の現人神である大火とつながりがあると知られれば、無用な宗教対立を生じさせかねないためである。
     そしてもう一つ、公にしない理由として、卿が自身を「大火との連絡役」に使われることを嫌ったためである。今なお悪魔として伝説的に君臨する大火を利用しようとする者は決して少なくなく、そんな輩にあれやこれやと言い寄られることを、清廉かつさっぱりした性格の卿が容認できるはずも無い。

     そしてさらに、これは卿も知らされていない、大火側の理由だが――卿が大火と通じていると公に知られることで、大火と対立関係にある者たちが、直接的・間接的に狙ってくると言う可能性を潰すためである。



    「……大変だったわね」
     師匠から聞かされていたその密かな理由を思い浮かべながら、克渾沌は葵から、今回の事件の顛末を聞いていた。
     ちなみに渾沌がここにいるのは、卿と大火とが取り交わした「契約」のためである。20年前に起こっていた「鉄の悪魔」アルの暗躍がまた起こらないよう、彼女をこの地に駐留させているのである。
     と言ってもずっと住み着いているわけでは無く、彼女が西方にいるのは1年のうち、4ヶ月弱と言うところである。その他の期間に彼女がどこへ滞在しているのかは、卿や、彼女と親しい葵でさえも知らない。
    「ほんとにね。……ふあ、っ」
     いつにも増して、葵は眠たそうにしている。
    「欠伸、多くなったわね?」
     そう尋ねた渾沌に、葵はこくんとうなずく。
    「その事件から、……なんか、眠たいんだよね」
    「いつになく気合入れ過ぎたからじゃない?」
    「そうかも」
     話している合間にも、葵は目をこすったり、猫耳をもしゃもしゃと掻いたりと、今にもこてんと寝ころびそうな様子を見せている。
    「……んもう」
     あまりにも眠たそうにしていたため、呆れた渾沌は葵に手招きした。
    「こっち、来なさいな」
    「ふぁ~……い」
     渾沌の膝の上に頭を乗せ、葵はぱたんと横になる。
    「あなた変わらないわね、子供の頃から。いっつも眠たそう」
    「ん……」
    「でも、こうやって寝ボケてても、不思議と私の言ってること、ちゃんと聞いてるのよね。寝てても耳だけは覚めてるって感じ。
     ま、このままでいいから聞きなさい」
    「んー」
     葵がぼんやりとながらも返事したのを確認し、渾沌は話を切り出した。
    「あなた、このままじゃ死ぬわよ」
    「んー……?」
    「いいえ、正確にはあなたの、周りの人が」
    「……なんで?」
    「確かにあなたは強い。まだ15歳なのに、その身体能力と思考力の高さ、そしていざ動いた時の勢いは、この世のどんな兵(つわもの)とも張り合えるほど。恐らくあなたに勝てるような奴なんて、現時点でも私たち克一門くらいでしょうね。
     でも経験と見識に関しては、まだ幼すぎるわ。敵が真っ向勝負じゃなく、搦手で攻めて来たら、あなたは間違いなく負ける。周りを巻き込みに巻き込んだ形で。
     あなたが本気になるのは――言い換えれば、あなたが行動を起こす理由は、あなたの家族が危険に晒された時。あなたを焚き付けようと、敵の誰かがあなたの大好きな妹ちゃんをさらうかも、とは考えない?」
    「……」
     ぱち、と葵の目が開く。
    「そんなことさせない」
    「でしょうね。そりゃあなたの性格なら、そうさせまいと動くでしょうね。
     そしてそれが、あなたを打ち負かすための勝機にもなる。あなたは単身、敵陣に乗り込む。向こうはそんなあなたを、盤石の態勢で迎え撃つ。
     それはそれは、激しい戦いになるでしょうね。それこそ、辺り一面草も生えないような、壮絶な殺し合いになる。そんな中であなたと、あなたの妹だけが無事でいられるなんて、都合のいいことが起こると思うの?」
    「起こすよ」
    「無理ね」
     そう断言して――渾沌は、自分の膝に頭を乗せたままの葵目がけて、手刀を振り下ろした。

    白猫夢・離西抄 1

    2013.10.18.[Edit]
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    麒麟を巡る話、第277話。
    修行の誘い。

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    2.
     自分の膝を打つ寸前で手刀を止め、渾沌はソファの裏まで跳んだ葵に、仮面越しにチラ、と目をやる。
    「傷、治してあげるわよ」
    「……うん」
     葵の額に、じわ……、と血が垂れている。渾沌の放った手刀で切られたらしい。
     もう一度自分の膝に頭を乗せた葵に、渾沌はにたぁ、と笑って見せた。
    「難訓と戦った時は、相手に慢心があったし、標的はあなたじゃなかった。だからこそこの前は退けることができたでしょうけど、いざ、あなた自身が標的とされたら、……その時はどうなるかしらね?」
    「ん……」
     傷が消え、綺麗になった葵の額を、渾沌は指先で撫でる。
    「こんなに親しくしてて、手の内も多少知ってる。難訓の時より条件は易しいはずなのに、あなたはこうして後れを取った。
     もし私が本気であなたと戦ったら、その時はこんな可愛い傷じゃ済まないわよ」
     ちゅ、と額にキスし、渾沌はクスクス笑う。
    「で、提案があるんだけど」
    「なに?」
     額を拭きながら尋ねた葵に、渾沌はぴん、と人差し指を立てて見せた。
    「あなた、この国から出なさい」
    「え」
    「あなたを狙う奴の可能性を考えれば、あなたがここにいる限り、常に危険に晒されることになる。
     あなたはまだまだ未熟者。敵が現れたその時、戦って勝てる可能性は0ではないけど、100だなんて到底言えない。
     私がいる時なら守ってあげられるけど、敵だって攻めやすい時を狙って攻めてくるでしょうしね。あなた一人になったところで、ガンガン強襲してくるのは目に見えてる。
     防御・攻撃の両面から考えて、ここにいたら命がいくつあっても足りなくなるわ。ここを出て、私たちが守れる場所で修行を積む必要があるわよ」
    「……ん」
     小さくうなずいた葵に、渾沌は続けてこう伝えた。
    「そう言ってくれると思って、場所は押さえてあるのよ。すっごくいいトレーナーがいるところよ。ちょうど、次期ゼミ生を募集してるところだし」



    「あー……、うん、まあ、『あそこ』ならまあ、確かに」
     場所を聞き、秋也は複雑な表情でうなずいた。
    「でもなぁ……、きっついぞ、『あそこ』は」
    「そなの?」
     きょとんとしている葵に、秋也はポリポリと頭を掻きながら説明する。
    「昔オレもソコで修行したんだけどな、相っ当しんどかったぞ」
    「あー、昔言ってたトコ?」
     と、話の輪に葛が割って入ってきた。
    「そう、ソレだ。3人で一緒に修行したんだけど、一番出来が悪いのがオレでさ。
     成績が悪いと夕メシ抜きにされたんだけど、オレが三食全部出してもらえるようになったの、修行始めてから半月たってようやくだったし。
     まあ、でも。その代わり、確かに学べたことはすごく多かった。渾沌を倒せたのも、その時の経験が無きゃ無理だったろうし。
     ……でもさ、渾沌」
     秋也は真面目な顔になり、渾沌にこう言った。
    「あんまり……、葵にアレコレ教えるのも、どうかって思うんだ」
    「どうして?」
    「だってさ、もしあんたが葵に剣術とか格闘術を教えてなかったら、葵は現場に突っ込んでいかなかっただろうし、目を付けられるようなコトだって……」
     これを聞いて、渾沌は肩をすくめて苦笑した。
    「秋也、あなたの頭が決していい方じゃないのは知ってるけど、それでもちょっと考えてモノを言いなさいな。
     もし葵が突っ込んでなければ、あなたのお義父さんは今頃、国会で答弁なんかしてないわよ」
    「……だよな。……いや、そうじゃなくてさ、オレが言いたいのは」
    「分かってるわよ。大事な愛娘を危険に晒したくないって言うことでしょ?
     でももし、私が何も教えてなくても、葵はきっと突っ込んでいったはずよ。対応できる能力が無かったとしても、よ。
     逆に考えてほしいわね。この子が徒手空拳で突っ込んであえなく死ぬところだったのを、死なないようにしておいたんだ、って風にね」
    「んー……むう」
     言いくるめられ、秋也は苦い顔をしたまま口をつぐんだ。

    白猫夢・離西抄 2

    2013.10.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第277話。修行の誘い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 自分の膝を打つ寸前で手刀を止め、渾沌はソファの裏まで跳んだ葵に、仮面越しにチラ、と目をやる。「傷、治してあげるわよ」「……うん」 葵の額に、じわ……、と血が垂れている。渾沌の放った手刀で切られたらしい。 もう一度自分の膝に頭を乗せた葵に、渾沌はにたぁ、と笑って見せた。「難訓と戦った時は、相手に慢心があったし、標的はあなたじ...

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    麒麟を巡る話、第278話。
    故郷を離れる前に。

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    3.
     葵がプラティノアールを離れることになり、彼女が通っていた学校や道場では一時、その話題で持ち切りになった。
    「聞いた? ハーミット姉のこと」
    「あー、聞いた聞いた。中央大陸に行くらしいって」
    「そうそう。なんかすごい難しいゼミに行くって言ってた」
    「うんうん、で、学校の方は退学するって。びっくりだよねー」
    「って言ってもさ、そのゼミって俺も聞いたことあるけど、下手な大学より入るのも、勉強するのも大変だって聞いたぜ」
    「じゃあ将来は卿みたいになるのかなー」
    「いや、魔術専門らしいから、そっち方面の研究者とかになるんじゃないかなぁ」
    「じゃ、5年後か10年後には『賢者アオイ・ハーミット』ってこと?」
    「……なりそうだなぁ、ハーミット姉なら」
     と、こんな風にうわさをしているところに、妹の方が通りかかった。
    「あ、カズラ」
    「ん? どしたのー?」
     寄ってきた葛に、学友たちが口々に質問する。
    「お前の姉ちゃん、退学するって本当?」
    「うん。中央の魔術ゼミに行くコトになったってー」
    「何てトコ?」
    「えーと、天狐ゼミってところ。実はうちのパパも行ったことあるんだって」
    「へぇ、コウ先生もなんだ……。だからあんなに強いのかなぁ」
    「かもしんない」
    「じゃ、さ、アオイさんっていつくらいに帰ってくるの?」
    「分かんない。結構長い間いるっては聞いたけど。少なくとも5年は向こうだって」
    「5年かー……」
     年数を聞き、一同は揃ってがっかりした表情を浮かべる。
    「となると、もうアオイさんの学生服姿なんて、そんなに見られないよなぁ」
    「……確かに。今のうちにじっくり目に焼き付けとかないとな」
    「何バカな話してんのよ……」
     一方で、葛も落ち込んでいた。
    「でも本当、そうなんだよねー……。来週にはお姉ちゃん、もう行っちゃうから。
     大会にも出ないままだよ。本当、残念」
    「あ、そっか……」
    「道場でも一番人気だもんな。強さも」
    「なんか寂しい大会になりそうだよなぁ……」
    「うん……」
     うなずいた葛に、学友の一人がぽん、と彼女の方を叩いた。
    「あんたまでしょんぼりしてどうすんのよ。お姉ちゃんの分まで、あんたが活躍すればいいじゃない。同じハーミット家なんだから」
    「でもあたしとお姉ちゃんとじゃ、全然実力が違うしなー」
    「そりゃハーミット姉は別格だけど、あんただってそこそこ強いじゃない。
     あんただって頑張ったらできるって」
    「……ん、まあ、頑張ってみるよー」

     道場での稽古も終え、葛が帰宅したところで、荷物をまとめていた葵が声をかけてきた。
    「おかえり」
    「ただいまー」
     誘拐事件の後処理や道場の事務整理などで、この時間帯、両親はまだ家に戻っていない。
     二人きりのこの状況で、葛は葵の手伝いをしながら、彼女にぽつぽつと質問する。
    「お姉ちゃん」
    「ん」
    「もう道場には出ないの?」
    「うん」
    「学校は?」
    「明後日くらいには退学届出す」
    「そっか。じゃ、本当に来週にはいなくなっちゃうんだね」
    「うん」
    「……ねえ、お姉ちゃん」
    「ん」
    「もったいなくない?」
    「何が?」
    「だって、学校とか、道場のみんなと、来週には離れ離れになっちゃうんだよ。
     そりゃ、もう二度と会えないってわけじゃないだろうけど、でも、……でも、5年も経ったらきっと、みんな別人になっちゃってるよ」
    「かもね」
    「5年経って、『ただいまー』って帰って来ても、お姉ちゃんのこと、みんなにとっては『ずっと一緒に過ごした子』じゃなくて、『うっすら思い出に残ってる子』になっちゃうんだよ」
    「うん」
    「……いいの?」
    「……」
     葵は手を止め、葛の手をぎゅっと握った。
    「あたしも、それは寂しい。特にパパやママ、おじいちゃん、おばあちゃん、それにあんたとも、5年も会えなくなるのは、すごく寂しい。
     でもこのままここで暮らせば、きっと何か嫌な事件が起きる。あたしのせいで。もしそれにあんたやママたちが巻き込まれたら、……って考えたら、そっちの方が100倍、嫌」
    「……でも、ソレはさ、あくまで渾沌さんの話じゃないの? 渾沌さんの思い過ごしってコトも、あるかも知れないじゃない」
    「ううん。あたしの勘も、きっと起こると感じてる。あたしの勘、外れたことあった?」
    「……無いけど」
    「だから、あたしは行くの。これから何が起こっても、あたしが全部、解決できるように」
    「……」
     ぽた、と音を立て、葛の足元に涙が落ちた。
    「あたしも行けるなら行きたい……。でも分かってる。あたしはお姉ちゃんみたいにすごくないもん。
     天狐ゼミには入れないし、修行にも付いていけない。渾沌さんみたいなめちゃくちゃ強い人が襲ってきたとしても、あたしは絶対勝てない。
     どうしてあたしは、お姉ちゃんみたいになれないのかなぁ……」
     ボタボタと涙をこぼす葛の手を、葵はずっと握っていた。

    白猫夢・離西抄 3

    2013.10.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第278話。故郷を離れる前に。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 葵がプラティノアールを離れることになり、彼女が通っていた学校や道場では一時、その話題で持ち切りになった。「聞いた? ハーミット姉のこと」「あー、聞いた聞いた。中央大陸に行くらしいって」「そうそう。なんかすごい難しいゼミに行くって言ってた」「うんうん、で、学校の方は退学するって。びっくりだよねー」「って言ってもさ、...

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    麒麟を巡る話、第279話。
    お別れ。

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    4.
    「カズラ」
     葛が泣き止んだところで、葵が口を開いた。
    「なに……?」
    「最後に、一回だけ仕合しよっか」
    「え?」
     葵は葛から手を放し、まとめていた荷物の中から竹刀と道着を取り出した。
    「だめ?」
    「……ううん、やる」
     葛はぐしぐしと顔を拭き、葵の誘いに応じた。



     門下生が全員帰った後の、既に夕日も落ち、暗くなった道場を、葵と葛が訪れた。
    「防具、どうする?」
     夜間用の火術灯を設置しつつ尋ねてきた葵に、葛は首を横に振る。
    「いい。寸止めで行こ」
    「分かった」
     勿論、防具なしでの練習・試合は非常に危険な行為であり、通常は師範の秋也からも、「遊びや冗談でも絶対すんなよ」と厳しく止められている。
     しかしこの時は何故か、葛は道着だけで打ち合いたい気になっていた。
    (お姉ちゃんの顔をじっくり見られる、最後のチャンスかも知れないもん)
     まず先に、葵が道着にたすきを掛け、道場の中央に立つ。
    「ちょっと待ってね」「うん」
     その間に葛も髪をアップにまとめ、それから同じようにたすきを掛けて中央に向かう。
    「一本勝負ね」
    「分かった」
     それだけ言って、二人は構え合った。

     姉の陰に隠れがちではあるが、葛も13歳にしては、相当な剣の腕を持っている。もしも葵がいなければ、葛こそ「『蒼天剣』の生き写し」と呼ばれていたかも知れない。
     しかし――姉、葵の存在はあまりにも大き過ぎた。例えるなら、月ひとつと太陽ほどの別格、いや、揃え並べることすら無為、ナンセンスと言っていいほどの、壮絶に桁の外れた違いだったのだ。
    (勝てないのは分かってる。
     お姉ちゃんほどじゃないけど、あたしも、1分くらい後には竹刀を頭すれすれに突きつけられてるだろうなってコト、勘で分かるもん。
     ……でも、あたしはやる。勝つとか負けるとか、この仕合はそう言うコトじゃないもん)
     まず、葛が一歩、間合いを詰めた。しかし、葵は動かない。それを確認し、さらに葛がもう一歩詰める。
     それでも葛を眺めたまま微動だにしない葵に、葛はしびれを切らした。
    「……えやああああッ!」
     バン、と床を踏み鳴らし、葛は一気に間合いを詰め、上段から振りかぶった。
     だが――葛も予想できたことだったが――葵はす、と一歩退き、妹の初太刀をすれすれでかわす。
    「やっ」
     そして葛の竹刀が下を向いたところで右へ回り込み、竹刀を必要最小限であろう挙動で振り、葛の額ギリギリでぴた、と止めた。
    「……やっぱ、そうだよね」
     葛は竹刀を納め、ため息をついた。
    「お姉ちゃんとあたしじゃ、勝負なんかできない。挑めるほどあたしに、実力無いもんね。こうやって簡単にいなされるコトは、最初から分かってたよ。
     でも」
     葛は葵に向き直り、こう続けた。
    「5年後はどうか分からないよ」
    「……」
    「2年経ったら、今のお姉ちゃんと同じ15歳になる。その上もう3年も頑張ったら、もしかしたら今のお姉ちゃんより強くなれるかも知れないもん。
     だからお姉ちゃん、……こんなので勝ったと思わないでよ。この勝負の決着は、5年後に付けるからね」
    「……」
     葵も竹刀を納め、こくんとうなずいた。
    「分かった。5年後、もう一回やろ」
    「うん」
    「あたしも頑張るから」
    「じゃああたしはもっと頑張る」
    「……分かった。楽しみにしてる」
    「あたしも」
     二人は竹刀を置き、がっしりと抱きしめ合った。

     ちなみに――この時、道場主である秋也は事務処理を終え、帰る前に道場の見回りと戸締りをしていたのだが、そこでこの仕合に出くわした。
     本来ならば防具なしで打ち合う彼女たちを止め、咎めなければいけないのだが――。
    (……野暮だな、そりゃ。それにあいつらなら、滅多なコトはしないだろうし)
     秋也は二人に気付かれないよう、そっと道場から出た。
    (ま、……しっかりやれよ)



     4日後――葵は渾沌に伴われ、央中・ミッドランドに渡った。

    白猫夢・離西抄 終

    白猫夢・離西抄 4

    2013.10.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第279話。お別れ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「カズラ」 葛が泣き止んだところで、葵が口を開いた。「なに……?」「最後に、一回だけ仕合しよっか」「え?」 葵は葛から手を放し、まとめていた荷物の中から竹刀と道着を取り出した。「だめ?」「……ううん、やる」 葛はぐしぐしと顔を拭き、葵の誘いに応じた。 門下生が全員帰った後の、既に夕日も落ち、暗くなった道場を、葵と葛が訪れた。「防...

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    麒麟を巡る話、第280話。
    天狐の面接。

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    1.
    「姉(あね)さんにゃ似てねーな。親父さんの面影は割かしあるけど」
     それが天狐ゼミ塾長、克天狐が葵に向けて放った第一声だった。
    「あねさん?」
    「ん……、お前さんの父方のお婆ちゃんに当たる人のコトだ。その人とオレとは、色々あってな。
     ……で、だ。渾沌、何でコイツをオレんトコに連れてきたんだ? ココは魔術塾であって、訓練所じゃねーんだぞ」
     ギロ、とにらみつけてきた天狐に、渾沌は肩をすくめて返す。
    「いいじゃない。晴奈のよしみよ」
    「程があるぜ。姉さん本人から頼まれたんならそりゃ、特別に引き受けもするさ。だがお前からの頼みってなると、無性に癇に障るんだよ」
    「でしょうね。でも天狐ちゃん、あなたのその魔術指導の腕を見込んで、私は彼女の指導を頼みに来たのよ」
    「ん?」
     怪訝な表情を浮かべた天狐に、渾沌はこう続けた。
    「難訓の魔術を盗んだのよ、この子」
     天狐の怪訝な表情が、唖然としたものに変わる。
    「……いっつもいつも思うが、何でお前、眉唾な話ばっかり持って来んだよ。来る話来る話、一々嘘臭えっつーの」
    「あら、からかうことはちょくちょくあるけど、こう言う話はいつも本当だったでしょ?」
    「……つっても『あいつ』の話だろ? オレ、『あいつ』に遭ったコトすら無いしなぁ」
    「あら、そうなの?」
    「お前もだろ?」
    「まあ、そうね。本人に遭ったことは一度も無いわ」
    「そう言うヤツだろ、『あいつ』は。魔術を食らう、盗む以前に、ヤツと遭遇するコト自体がまずありえねー。
     そんな絶滅危惧種みてーなヤツから魔術を盗んだなんて、どう信用しろってんだ」
    「……その証明は難しいわね。でも彼女がすごいって証明は、すぐにできるわよ」
    「見りゃ分かるさ」
     天狐はフン、と鼻を鳴らし、葵を指差した。
    「今まで見た中じゃ、鈴林並に魔力持ってやがる。あと……、何つったか、昔、姉さんと戦った時にいた緑髪の、……猫、……ん?」
     天狐は突然立ち上がり、葵の顔とくすんだ緑髪とを、しげしげと眺め出した。
    「……あれ?」
    「なに?」
    「……ちょっと待てよ?
     ……アレが40年くらい前だよな、……で、……一緒にいたのがあの金髪エルフで、……そいつが20年くらい前にもこっち来て、……そう言やあの時、指輪してたし、あいつの娘っつってたのも緑髪の『猫』で、……んん?」
    「その金髪のエルフって、もしかしてじいちゃんかな。ネロ・ハーミットって言うんだけど」
    「ぶっ」
     葵からその名前を聞いた途端、天狐が噴き出す。
    「……すると、お前の母方のばーちゃんって、まさかその、緑髪の『猫』なのか?」
    「うん。多分それ、ばーちゃん」
    「……まだそっちの方が信用できるな、ケケっ」
     天狐は額を抱え、ゲラゲラ笑いだした。
    「ケケケケ……、なるほどなるほど、ソイツの孫かぁ。
     面白えな、お前さん。とんだサラブレッドじゃねーか! 片や姉さんの血筋、片やあの緑髪の女とネロの血筋かぁ!」
    「パパとママ、飛ばさないで」
    「おう、悪い悪い。
     ともかく……、難訓云々より、そっちの方がよっぽど興味をそそられたぜ。いいぜ、入塾を許可してやる。
     後は研究テーマの設定だな。ウチは三流大学の一般教養みてーに、ぼーっと講義聞かせるよーなトコじゃねー。お前さんがやりたいコトを、まず最初に決める」
    「ん」
     葵は淀みなく、こう答えた。
    「攻撃魔術の研究したい。どんな奴が相手でも勝てるように」
    「分かった。ま、ソレこそウチの、……いや、克一門の本領だ。
     親父も目を丸くするよーな、すげー魔術師にしてやんよ」



     天狐からの話がひと段落し、葵が鈴林から寄宿場所などの説明を受けている間に、渾沌は密かに、天狐に尋ねていた。
    「師匠のことは『親父』って呼ぶのに、お母さんはそう呼ばないの?」
    「産んですぐにオレを捨てたクソ女だぜ?
     あんなクズの腹から産まれたってだけで、何であんなのを母親と思わなきゃならねーんだよ。
     向こうだってオレのコトは、『出来損ないのゴミ』だって思ってるぜ」
    「でしょうね」
     あまりに刺々しい天狐の物言いに、流石の渾沌もそう返すしかなかった。

    白猫夢・五雛抄 1

    2013.10.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第280話。天狐の面接。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「姉(あね)さんにゃ似てねーな。親父さんの面影は割かしあるけど」 それが天狐ゼミ塾長、克天狐が葵に向けて放った第一声だった。「あねさん?」「ん……、お前さんの父方のお婆ちゃんに当たる人のコトだ。その人とオレとは、色々あってな。 ……で、だ。渾沌、何でコイツをオレんトコに連れてきたんだ? ココは魔術塾であって、訓練所じゃねーん...

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    麒麟を巡る話、第281話。
    葵の入寮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     20年前の、秋也たちが「特別集中講義」を受けた際には、彼らは天狐と鈴林の家に寄宿していた。
     しかしそれは、寄宿する人数が非常に少なかったことと、通常時には寄宿場所として使われている宿が、休講中につき休館していたためであり、562年上半期講義が始まろうとしている今は、普通に営業している。
     よって鈴林も、葵をその宿――「エルガ亭」まで案内していた。
    「葵ちゃんはココの部屋だよっ」
    「ありがと」
     葵がぺこっと頭を下げ、挙げたところで、彼女は静止した。
    「んっ?」
     鈴林がその視線の先を追うと、隣の部屋に入ろうとしていた、黒髪に茶と銀の毛並みをした狼獣人の少年がこちらを見ているのに気が付いた。
    「レイリンさん、そちらのすっごく綺麗なお姉さんは?」
    「今日、入塾した子だよっ。葵・ハーミットちゃんって言うんだよっ。
     でも口説いちゃダメだよ、おませさんっ」
    「あはは、分かってます。
     ああ、申し遅れました、アオイさん。僕はマーク・セブルスと言います。マークと呼んでくださいね」
     葵よりもまだ身長の低い、葛と同い年くらいに見えるその少年は、馴れ馴れしく手を差し出してきた。
    「ども」
     葵も手を差し出したところで、マークはニコニコ笑いながら握手を交わした。
     と、マークは眼鏡越しに、不思議そうな顔を見せる。
    「なんだろ……? アオイさんって、初めて会った気がしないんですよね」
    「だーかーらー」
     鈴林はマークの狼耳を、ぐにっとつまむ。
    「あいてて」
    「まだ12歳なのにもう女の子口説いちゃうなんて、おませもいいトコだよ、もうっ」
    「いえ、そんなんじゃ……、いてて」
     耳をさすりながら、マークはぺこ、と頭を下げた。
    「えっと、まあ、会っていきなり変なこと言っちゃってごめんなさい。でも、アオイさんとは仲良くなれそうな気がするんです。部屋もすぐ隣だし。
     よろしくお願いします、アオイさん」
    「うん。あたしも、君と同じくらいの妹がいるから、きっと仲良くなれそう。よろしくね、マークくん」

     部屋に入ったところで、葵が尋ねてきた。
    「12歳って言ってたけど、そんなに頭いいんだね、あの子」
    「んっ? あー、マークくんっ? うん、頭いいよっ。央北から来た子なんだけどねっ、天狐の姉さんも『すげー早熟だな』って感心してたのっ。
     葵ちゃんも研究テーマ選んだよねっ? あの子も勿論、テーマを決めてるのっ。『高度傷病用治療術』を研究したいんだってさっ」
    「治療術?」
    「あの子のお母さんが重い病気にかかってるんだってさっ」
    「大変なんだね」
    「でねっ、他にも2人、葵ちゃんやマークくんと同じ、10代の子がいるんだよっ。あ、そうそうっ」
     鈴林はしゃん、と手を打ち、ニコニコと笑う。
    「明後日で募集期間終わりだから、その夜には新入生歓迎会やるよっ。ごちそうもいっぱい出るから、お楽しみにねっ」
    「うん」
    「……葵ちゃんっ」
     葵の淡々とした返答に、鈴林は口を尖らせた。
    「はい」
    「しゃべるの苦手っ?」
    「ううん」
    「じゃさ、なんでそんなに口数少ないのっ?」
    「そう?」
     きょとんとした顔で返され、鈴林はむくれる。
    「……いいや、もうっ。
     とりあえず今日は、ゆっくり休んでねっ。それじゃっ」
     話を切り上げ、鈴林はそそくさと部屋を出て行った。

     鈴林が部屋を出てからしばらくして、とんとん、とドアがノックされる。
    「はい」
     葵の返事に、マークの声が応じた。
    「僕です。あの……、入ってもいいですか?」
    「いいよ」
     部屋に入るなり、マークはぺこ、と頭を下げる。
    「あんまり長居すると、またレイリンさんに怒られちゃうんで、簡単に言います」
    「なに?」
    「……その」
     先程の屈託のない笑顔とかけ離れた、憂いと迷いを帯びた表情で、マークはぽつぽつと話し始めた。
    「もうレイリンさんに聞いたと思いますが、今期入塾した人の中に、アオイさんや僕みたいに、10代で入って来たのもいるんです。
     その中の……、その、マラネロと言う狐獣人がいます。あの、ゴールドマン一族の一人です。なので、あの……、そいつ、……いえ、その子とは、仲良くしない方がいいです」
    「なんで?」
    「……西方人のアオイさんにはよく分からないかも知れませんが、金火狐は基本、悪人しかいませんから。気を許したら最後、骨までしゃぶり尽されますよ」
    「ん、覚えとく」
    「……えっと、じゃあ、……失礼します」
     忠告したマーク自身、あまりいい気はしていなかったのだろう。
     マークも身を翻し、さっさと部屋を出て行ってしまった。

    白猫夢・五雛抄 2

    2013.10.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第281話。葵の入寮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 20年前の、秋也たちが「特別集中講義」を受けた際には、彼らは天狐と鈴林の家に寄宿していた。 しかしそれは、寄宿する人数が非常に少なかったことと、通常時には寄宿場所として使われている宿が、休講中につき休館していたためであり、562年上半期講義が始まろうとしている今は、普通に営業している。 よって鈴林も、葵をその宿――「エルガ...

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    麒麟を巡る話、第282話。
    狐と狼の少年。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵が入寮したその晩、食堂にて。
     彼女は早速、マークが「気を許すな」と忠告していた少年、マラネロと出会った。
     葵より1歳か2歳程度年下に見える彼は、葵ににこっと屈託なく笑い、声をかけてきた。
    「あのー、今日入った方、……ですよね?」
    「うん」
     遠くでマークが目を白黒させて眺めていたが、葵は彼の正面に座る。
    「はじめまして、よろしゅう。マラネロ・アキュラ・ゴールドマンと言います。周りからはマラネロ、もしくはもっと縮めてマロと呼ばれてます」
    「あたしは葵・ハーミット。よろしくね、マロくん」
    「……んん?」
     葵の名前を聞いた途端、マロは怪訝な表情を浮かべる。
    「どこの人です?」
    「西方の、プラティノアールって国から来た」
    「……ん、んん?」
     葵の返答を受け、マロの眉間にさらにしわが寄る。
    「西方語って確か、『H』を抜いて発音するんや無かったでしたっけ」
    「うちのじーちゃんが元々、他の国の人だったから。マロくんの言う通り、向こうでは『ハーミット(Hermit)』を『エルミット』って呼ぶ人もいたよ」
    「あと、名前が何か、央南風な感じするんですけど」
    「パパが央南の人だったから」
    「……えらい変な生まれですな」
    「そう?」
    「し、失礼じゃないですか!」
     と、二人のやり取りを聞いていたマークが、夕食を乗せた盆を持ってやって来た。
    「え、失礼やった? ……そうかなぁ」
    「人の出自にあれこれケチを付けるなんて、失礼じゃなかったら何だと言うんですか!」
    「いや、そんなつもり無いんよ。変わっとるなー、くらいで」
    「……なら、……いいです。僕の思い過ごしです。すみません、お騒がせして」
     盆を持ったまま踵を返そうとしたマークを、葵が呼び止める。
    「一緒に食べないの?」
    「えっ、……あ、じゃあ、まあ、はい」
     マークは葵と、マロとを交互に見ていたが、やがて恥ずかしそうに、葵の横に座った。
    「お邪魔します」
    「どうぞ」
     が、座ってもチラチラと葵やマロを眺めるばかりで、フォークを取ろうとしない。
    「食べないの?」
    「あ、……食べます」
     葵に尋ねられ、マークはようやく食器を取った。
    「……お、美味しいですね、この鮭」
    「鱒だよ」
    「え、……あ、は、はい。鱒ですね。湖の中ですもんね、はい」
    「具合悪いの?」
    「だ、大丈夫です! ピンピンしてます!」
     淡々と尋ねる葵に対し、マークはしどろもどろに答えている。
     その様子を見ていたマロが、ぷっと噴き出した。
    「な、何がおかしいんですかっ」
    「いや、悪い悪い。いやな、べっぴんさんが近くにいるだけで、そんなにうろたえへんでもええやろ思て」
    「うろたえてなんかっ、……あっ」
     あからさまに狼狽していたマークは、袖を皿の縁に引っ掛けてしまう。
     鱒のムニエルが乗った皿が宙を舞い、葵の方に飛んで――行ったが、葵はひょい、とその皿をつかみ、その上に乗っていた鱒ごと、無事にテーブルへと着地させた。
    「はい」
    「えっ? ……あ、はい」
    「……アオイちゃん、めっちゃ反射神経ええやないですか」
    「うん。何か飛んできそうって思ったから」
    「へ?」
     唖然とするマークに、葵はこう続ける。
    「あたし、勘がいい方だから」
    「……ど、どうも」
     葵から皿を受け取り、マークは依然困惑した顔をしつつも、それ以上何も言わなくなった。
     一方で、マロは興味津々と言う目つきで、葵を眺めている。
    「なに?」
    「いや、ホンマにええ勘しとるわ、……と思てたんです。もしかしてこう言うのん、やらはります?」
     そう言ってマロは、懐からカードを取り出す。
    「うん、学校で友達と、ちょっと遊ぶくらいはやってた。でも一番好きなのは、囲碁かな」
    「イゴ?」
    「央南のボードゲーム。白と黒の石を置き合って、自分の陣地を増やすゲーム」
    「よぉ分かりませんけど……、そっちも面白そうですな。
     ま、それはまた、今度教えてもらうとして。腹ごなしと仲良くなるのんを兼ねて、カードやりません?」
     そう提案したマロに、葵は「ん」とうなずいて応じた。
    「マークくんは?」
    「……僕はいいです。ごちそうさまでした」
     マークは席を立ち、急ぎ足で去って行ってしまった。
    「ありゃ、残念。……でも2人でやるっちゅうのんもちょっと味気ないですしな。
     ……あ、そうや」
     マロもカードを置いて席を立ち、食堂に残っていたゼミ生たちに声をかける。
    「なーなー、こっち来て一緒にゲームしません?」
    「お、いいね」
    「やるやる」
     すぐに人が集まり、ゲームが始まった。

    白猫夢・五雛抄 3

    2013.10.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第282話。狐と狼の少年。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 葵が入寮したその晩、食堂にて。 彼女は早速、マークが「気を許すな」と忠告していた少年、マラネロと出会った。 葵より1歳か2歳程度年下に見える彼は、葵ににこっと屈託なく笑い、声をかけてきた。「あのー、今日入った方、……ですよね?」「うん」 遠くでマークが目を白黒させて眺めていたが、葵は彼の正面に座る。「はじめまして、よろ...

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    麒麟を巡る話、第283話。
    モール・ホールデム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     マロが開いたカードゲームの場は、大いに盛り上がっていた。

     今宵行われていたのは、「ウィザード・ホールデム」、もしくは「モール・ホールデム」と呼ばれているカードゲームである。この名称は言うまでも無くあのギャンブル好きの賢者、モール・リッチに由来する。
     使用されるのは、1~9の数字にそれぞれ魔術の6属性(火・氷・水・雷・土・風)が1枚ずつ割り振られた計54枚に、ワイルドカードとして「天」「冥」が付加された、通称「56枚式」カード。(ただし今回は、マロが『無い方が面白いですて』と強く推したため、ワイルドカードは抜かれている)

     ゲームの進行方法だが、まず、ディーラーがプレイヤー1名に対し、3枚カードを配る。それからプレイヤーに配るのとは別に、卓上に2枚、表を向けて配る。
     この時点でプレイヤーは、自分のカードと卓上のカードとを組み合わせ、手役を作る。作れない、もしくは小さな手役しか作れないと判断した場合は、さらにもう1枚をディーラーに要求できる。

     手役については、一番小さなものから順に、以下の通り。まず、手札5枚中2枚が同じ数字である「1ペア」。1ペアが2組できれば「2ペア」。
     5枚中3枚が同じ数字であれば「3カード」。数字が途切れること無く並んでいれば「ストレート」。5枚すべてが同じ属性であれば「フラッシュ」。
     1ペアと3カードが同時に揃っていれば「フルハウス」。5枚中4枚が同じ数字であれば「4カード」。ストレートとフラッシュの条件を同時に満たせば、「ストレートフラッシュ」。
     そして5枚すべてが同じ数字であれば、最大役である「5カード」となる。



    「こっちは4から8のストレート。どうです、そっちは?」
    「……す、3カード」
    「よっしゃ、ペナルティや!」
    「うへぇ」
     新入生、在来生が入り混じり、食堂内は非常に騒々しい。
     そんな中で一際、盛り上がっているのが――本人こそ静かなものだが――葵の周囲である。
    「こいつすげーなー」
    「一回も負けてないもんねぇ」
    「ビートなんて無謀な勝負ばっかりして、もう洗濯ばさみ付けるとこないもんなぁ」
    「うっせぇ」
     既に20回近くもペナルティを課された真横の先輩、ビートに比べ、葵は未だ、綺麗な顔のままである。
    「……でも、あいつもすげぇよ」
     そしてもう一人、まだ一つも洗濯ばさみを付けていないゼミ生がいる。
     件の10代入塾生の残る1人――短耳の央南人、17歳の紺納春(こんの・はる)である。
     が――春はカードをテーブルに置き、席を立とうとした。
    「もう大分遅いですから、そろそろわたし、休みますね」
     若干たどたどしい央中語でそう述べた春に対し、周りは納得しない。
    「えー」
    「まだ10時だぜ?」
    「勝ち逃げするのかよぉ」
    「そう言われても、ちょっと眠くなってきてしまって」
    「……じゃー、最後に一勝負だけ。な?」
     一番洗濯ばさみを付けているビートからそう頼まれ、春も渋々と承知した。
    「分かりました。それじゃ、これが本当に最後と言うことで」
    「ありがとう。そんで、さ」
     ビートは皆からカードを集め、春と、葵にだけ配った。
    「え?」
    「ここまでどっちも負けなしだろ? みんなもさ、どっちが強いのかって思ってるぜ。そうだろ、みんな?」
    「うんうん」
    「そこは決着、見てみたい」
    「見なきゃ今夜、眠れないよー」
    「はあ……」
     その場の流れに逆らえず、春はカードを取り、葵に向き直った。
    「それじゃ、ハーミットさん。よろしくお願いします」
    「ん」
     葵も応じ、この晩最後の勝負が始まった。

     卓上にカードを配ったところで、ディーラー役のビートが尋ねる。
    「どうする、二人とも? 勝負するか?」
    「ううん」「いえ」
     二人同時に、カードを要求する。
    「それじゃ、もう一枚、……と」
     ビートがもう一枚卓上に配ったところで、春がにこっと笑う。
    「勝負します」
    「おっ」
     ゼミ生たちは先制した春の方へ一斉に顔を向け、続いて対面の葵へと、揃って向き直る。
    「ハーミットは?」
    「あたしも行けるよ」
    「……っ」
     葵の返答に、春の顔色が曇る。
    「じゃあ、オープンだ」
    「は、……い」
     先に宣言した春が、恐る恐るカードを開く。
    「えっと……、フラッシュ、です。土の」
    「おぉ~」
    「最後の最後でいいの引いて来たなぁ」
    「で、で? ハーミットの方は……?」
    「はい」
     葵も卓上に、ぱら、とカードを置く。
    「残念。6の3カード」
    「あちゃー」
    「ってことは、コンノの勝ちだな!」
    「おめでとー」
     春がぱちぱちと拍手を受ける一方、ビートはニヤニヤしながら、自分のあごを挟んでいた洗濯ばさみを手に取り、葵の方を向く。
    「さーて、と。初のペナルティだな、ハーミットぉ」
    「んー」
     ところが――葵は食堂の隅に目を向けている。
    「ん? どうし……」
     その視線を追ったところで、その場にいた全員が硬直した。
    「あんたら、今何時だと思ってんだ!?」
     狼獣人の、いかにも怖そうな宿主のおかみが、パジャマ姿で仁王立ちしていたからだ。
    「とっとと寝なッ!」
    「は、はーいっ」
     ゼミ生たちは慌ててカードをまとめ、何名かは洗濯ばさみを付けたまま、バタバタと食堂を後にした。
    「危なかったですね」
     と、部屋に戻る途中、春が葵に声をかける。
    「んー」
     これに対し、葵はこう答えた。
    「こうなる気がしてた」
    「あら、そうなんですか?」
    「大分遅かったし」
    「クス、そうですね」

    白猫夢・五雛抄 4

    2013.10.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第283話。モール・ホールデム。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. マロが開いたカードゲームの場は、大いに盛り上がっていた。 今宵行われていたのは、「ウィザード・ホールデム」、もしくは「モール・ホールデム」と呼ばれているカードゲームである。この名称は言うまでも無くあのギャンブル好きの賢者、モール・リッチに由来する。 使用されるのは、1~9の数字にそれぞれ魔術の6属性(火・氷・水...

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    麒麟を巡る話、第284話。
    克大火の六人弟子。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     葵が入寮してから2日が経ち、563年度上半期ゼミ生の募集も、この日に最終日を迎えた。
    「今期の入塾生は、……9名、と。平年よりちょっと少な目だな」
    「だねっ」
     名簿を付けながら、天狐と鈴林は今期生について感想を交わす。
    「数は少ないが、内容はかなり珍しいよな。何たって、9名中4名が10代だからな」
    「うんうんっ。前期も前々期もその前も、20歳以上ばっかりだったのにねっ」
    「こりゃ、予兆ってヤツだな」
     天狐の言葉に、鈴林は首を傾げる。
    「予兆ってっ?」
    「目を引くようなヤツはここ数期、あんまり現れなかった。ところがその反動みてーに、今期はドッとやって来た。
     こりゃ近いうち、何かデカいコトが起こるぜ」
    「ふうん……?」
     きょとんとしている鈴林を見て、天狐はケラケラと笑う。
    「つっても今日、明日の話じゃねーさ。5年か10年か、それかもうちょいかかるくらい、……ってところだな」
    「ぼんやりだねっ」
    「分析はオレの得意分野じゃねーからな。
     そーゆーのは、虹龍の兄(あに)さんの仕事だし」
    「こう……りゅう?」
     初めて耳にするその名前に、鈴林はまたもきょとんとした。
    「ん……、言ってなかったっけか?」
    「克一門の人なのっ?」
    「ああ。克虹龍(こうりゅう)、親父の四番弟子さ。
     元はマコトさん……、親父の親友の助手だったんだが、色々見どころがあるってんで、弟子になったそうだ」
    「……そう言う話、もっとしてほしいなっ」
     鈴林は天狐の側へ寄り、膝立ちになってこう続ける。
    「アタシ、克一門って名乗ってるけどっ、姉さんより上の兄弟子さんに会ったコト、一度もないもんっ。
     お師匠とまともに話したのだって、創ってもらった時だけだし。コッチに寄っても、いっつも姉さんと話してばっかりだしっ」
    「……そうだったな。いくらオレが教えたって、そんなんじゃ堂々と、『八番弟子』って言えないよな」
    「うん」
    「今度、親父に頼んでみるか。お前にも弟子らしく、色々教えてやってくれって」
    「うん、お願いだよ、姉さんっ。
     ……て、ソレも重要だけど、アタシが聞きたいのは……」
    「あ、そうだった。兄さん方の話だったっけか。
     ちょっと待ってな」
     そう言うなり、天狐は手をパン、と合わせ、離す。すると両手の間に、紫と金とに光る金属板が現れた。
    「コレ、何っ?」
    「『黄金の目録』ってヤツさ。簡単に言えば、超絶大容量の百科事典みたいなもんだ。ちなみに親父も持ってるが、造ったのはオレだ。
     そう……、克一門は一人一人、得意分野を持っててな。オレはモノを造らせたら、他の弟子の誰よりもうまかった。親父の刀を打ったコトもあるし、やろうと思えば鈴林、お前の妹だっていっぱい創れるんだぜ?」
    「いいよ、そんなのっ。もしも2人で手が足りなくなった時は、創ったらいいと思うけど」
    「ま、そん時はそん時だな。……っと、いけね。まーた話が逸れちまった。
     さっき話した虹龍の兄さんは、情報収集と分析を得意としてた。兄さんにかかりゃ、世界の裏側で今まさにクシャミしたヤツの名前や職業、年齢、趣味やら持病やらまで、何でも調べ上げちまえるんだ」
    「すごいねっ。じゃ、一番、……は飛ばして、二番弟子さんはっ?」
    「克窮奇(きゅうき)、剣術の達人だった。純粋に剣術の腕だけで言えば、親父をはるかに凌ぐ。得意技は、……ケケケ」
    「どしたのっ?」
    「いや、思い出し笑いさ。
     そう、その得意技と来たら! 台所に食材を並べて、剣で全部叩っ斬って鍋にブチ込んで、ものの1分で豚汁作っちまうなんて言う、……今思い出しても笑っちまう技だったな。
     で、十人前は作ったはずのその豚汁を、半分以上ぺろっと平らげちまうのが三番弟子、克饕餮(とうてつ)の兄さんだった。よく皆から怒られてたぜ、『オレたちの食べる分が無くなっちまったぞ』ってな。
     でもその分、体はすげーでかくて怪力自慢。あれやこれやの戦いの時は、窮奇の兄さんと二枚看板で活躍してたんだ。……グス」
     楽しそうに話していた天狐の目から突然、ぽたぽたと涙がこぼれる。
    「姉さんっ?」
    「悪り、ちょっと切なくなっちまった。オレも案外歳取ってっからな、こーゆー話すると結構、来ちまうんだ。
     ……コホン。虹龍の兄さんはどうだか分からねーが、少なくとも窮奇の兄さんは間違いなく死んでる。あと親父から聞いた話じゃ、饕餮の兄さんと麒麟の姉さんも既に、この世にゃいないらしい。
     色々……、あったからな」
    「そっか……」
    「で、この写真が皆で集まった時のヤツだ」
     天狐は袖口で顔を拭きながら、「黄金の目録」に浮かび上がった画像を見せる。
    「真ん中にいるのが親父だ。ま、今と全然変わんねーな。隣が、マコトさんと奥さん。反対側のコイツが、オレだ。まだ11歳だか12歳くらいの時だったかな。
     で、後ろにいるのが左から、窮奇の兄さん、饕餮の兄さん、虹龍の兄さん、そして麒麟の姉さんだ」
    「へぇ……。あれっ?」
     と、鈴林は写真の中の天狐の横に立っている、当時の彼女と同い年くらいの少年を見付けた。
    「この子はっ?」
    「ん? ああ、こいつは……」
     天狐が説明しかけたその時――玄関をノックする音が聞こえてきた。
    「あっ、はーい」
     鈴林が応え、玄関へと向かう。
     その間に天狐は「目録」を収め、ふう、とため息をついた。
    「……鳳凰(ほうおう)、か。アイツ、生きてんのかなぁ」

    白猫夢・五雛抄 5

    2013.10.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第284話。克大火の六人弟子。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 葵が入寮してから2日が経ち、563年度上半期ゼミ生の募集も、この日に最終日を迎えた。「今期の入塾生は、……9名、と。平年よりちょっと少な目だな」「だねっ」 名簿を付けながら、天狐と鈴林は今期生について感想を交わす。「数は少ないが、内容はかなり珍しいよな。何たって、9名中4名が10代だからな」「うんうんっ。前期も前々...

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    麒麟を巡る話、第285話。
    ふしぎな少年。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     玄関に向かった鈴林が、ニコニコと笑いながら戻って来た。
    「姉さん姉さんっ、も一人受講希望者が来たよっ」
    「お、そっか。……ギリギリだな」
     目の端でチラ、と確認すると、時計は締切の5分前を指している。
    「でねっ、その子も……」「子? ……って言うと、また10代のヤツか?」
    「うんうんっ」
    「……ま、とにかく面接だな」

     やって来たのは、10代半ばと言うくらいの長耳で、淡い青髪の少年だった。
    「じゃ、まず名前から聞かせてもらおうか」
    「はい。フィオリーノ・ギアトです」
    「央中人か? 東部っぽい名前だが」
    「いえ、先祖は東部の人だったそうですが、祖父の代からゴールドコースト市国に引っ越したらしいです」
    「ココには誰の紹介で?」
    「ここの関係者だった、カンパーナ・フォレスター・コンキストさんです。あ、これ、紹介状です」
    「あ?」
     名前を聞くなり、天狐は怪訝な顔をした。
    「誰だって? 聞いたコトねー名前だな」
    「えっと、紹介状……」
     おずおずと差し出されたその紹介状を受け取り、天狐は中身を確認する。
    「……」
     読み終えるなり――何故か天狐は立ち上がり、「テレポート」でその場から消えた。
     突然の行動に、鈴林は面食らう。
    「えっ……? あ、姉さん!? ドコ行っちゃったのっ!?」
    「騒ぐな」
     と、すぐに天狐が姿を現す。
    「ちっと、……な。
     ああ、何て言ったっけ、お前。フィオでいいか?」
    「はい」
    「研究したいテーマは? ゼミに入れるってのに、お前だけ設定しない理由はねーからな」
    「え?」
     天狐のこの言葉に、鈴林は戸惑った。
    「姉さん? 面接もせずに入れるのっ?」
    「ああ。『そうしなきゃいけない』らしいからな」
    「え? え?」
     天狐の真意が分からず、鈴林がうろたえている間に、フィオは研究テーマを決めた。
    「じゃあ、金属加工で。神器技術を僕なりに研究したいです」
    「分かった。ただし、分かってると思うが、克一門は神器造りに関しては秘密にしてるコトが多い。オレもその例に漏れず、だ。
     神器関係については、助言はするが指導はできねーからな。お前の試行錯誤に任せる形になる。それでいいか?」
    「はい。問題ありません」
    「だろうな」
    「え? ……えー、それでいいの……?」
     通常の面接とは明らかに異なる二人のやり取りに結局、異を唱えることができず、鈴林は不満げな声を挙げるしかなかった。

     フィオを寮へ案内した後、鈴林は天狐に詰め寄った。
    「どう言うコトなの、姉さんっ? なんでちゃんと面接しなかったのっ? しかも途中で席を立っちゃうし!」
    「色々あんだよ。悪いが今は、ソレ以上の説明ができねー」
    「ナニソレ」
     いつも笑顔でいる鈴林には珍しく、苛立った目つきになっている。
    「ホントにお師匠のわるーいトコ受け継いでるね、姉さんって! 大事な話に限って、アタシに教えてくれないっ!」
    「……教えたいさ。お前の機嫌損ねたって、晩飯がしょぼくなるだけだからな。オレとお前の仲だし、秘密は無しにしたいってのは、マジに思ってる。
     だがコレに限っては――マジで悪いと思ってるが――今はまだ、何も聞かないでくれ」
    「今は?」
    「コレに関しては今、詳しく話すと、色々まずいコトになりそうなんだ。本当だったらオレにすら、教えたくないコトだったろうし、な」
    「姉さんにすら? ……あの紹介状? 何て書いてあったのっ?」
    「だからソレは、今は言えねーんだよ。時が来るまで、誰にも言えねーコトなんだ」
    「時って、いつ来るの?」
    「今じゃない。近い将来でもない。今はソレしか言えない」
    「……むー」
     頬を膨らませる鈴林を見て、天狐はもう一度、「悪いな」と言った。

     そして――むくれる鈴林はまったく気づいていなかったが――二人のやり取りを、フィオが何故か嬉しそうに、そして、どこか意外そうな様子で眺めていた。

    白猫夢・五雛抄 6

    2013.10.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第285話。ふしぎな少年。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 玄関に向かった鈴林が、ニコニコと笑いながら戻って来た。「姉さん姉さんっ、も一人受講希望者が来たよっ」「お、そっか。……ギリギリだな」 目の端でチラ、と確認すると、時計は締切の5分前を指している。「でねっ、その子も……」「子? ……って言うと、また10代のヤツか?」「うんうんっ」「……ま、とにかく面接だな」 やって来たのは、1...

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    麒麟を巡る話、第286話。
    新入生歓迎会。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     フィオへの面接を最後に、562年上半期のゼミ生募集は終了時刻を迎えた。
     それと同時に、ゼミ生たちの寮「エルガ亭」では、今期入塾生の歓迎会を開く準備が整えられていた。
    「あの、わたしも何かお手伝いを……」
     申し出た春に、先輩たちは「いやいや」とやんわり首を振る。
    「新入生はじっとしてな」
    「そうそう、ゲストなんだから」
    「いいんですか?」
    「勿論さ。来期になったら、一緒に手伝ってくれればいいから」
    「あ……、はい。それじゃ」
     言われるまま、春は席に着く。
    「よー、ハルちゃん」
     先に席に着いていたマロが、にへらとした顔であいさつしてくる。
    「こんばんは、ゴールドマンさん」
    「あ、マロでええですよ。俺、年下ですし」
    「え、……あ、うん」
     マロの態度に何となくわだかまったものを感じつつも、春はそれに応じる。
    「じゃあ、マロくん」
    「どもー」
     と、その様子を横目でにらんでいたマークが、苦々しげに口を開いた。
    「相変わらず失礼な人ですね」
    「ん? 何かしたっけ……?」
    「年上の方に対して『ちゃん』付けだなんて、どこからどう見ても失礼じゃないですか!」
    「あ、いえ、気にしてませんから」
     春がやんわりと諭したが、揚げ足を取る形で、マークはとげとげしく続ける。
    「気にしてないだなんて! つまり気にかかったことがあったけれど、不問にすると言うことでしょう!? やっぱり失礼だと……」「いえ、そんな、本当に違うんですっ」
     春が止めようとするが、マークに応じる気配はない。
    「いいえ! こう言うことは一度、きっちりと……」「こら」
     そこに、葵がやって来る。
    「それ以上騒がないの。ハルさん、困ってるよ」
    「えっ」
    「きみ、思ったことを片っ端から口に出すタイプでしょ」
    「まあ、はい」
    「全部言ってったら、うるさすぎるよ。もうちょっと静かにしよう?」
    「……はい」
    「むくれない」
    「……ええ」
     まるで姉が弟を諭すような会話に、またマロが口を挟もうとする。
    「おーおー、ホンマにマークはアオイちゃんに……」「マロくん」「ん」
     こちらも、葵がたしなめた。
    「きみも余計なこと言い過ぎ。マークくんの言う通り、ちょっと失礼なとこ多いよ」
    「……ん、……ですかね」
    「二人とも反省」
     そう言って、葵も着席する。
     しばらく沈黙が流れたが、やがてマロの方から折れた。
    「まあ……、ちょっと調子乗ってたかも知れません。すんません、ハルさん、アオイさん」
     これを受けて、マークも頭を下げる。
    「僕も細かいことを言い過ぎたみたいです。お騒がせしました」
    「ん、よし」
     二人の様子を見て、葵は薄く、しかし優しげな笑みを浮かべた。

     と――固まっていた4人のところに、フィオもやって来た。
    「はじめまして」
    「ん?」「誰?」
     たった1時間前に同級生になった彼を見て、4人とも怪訝な顔を並べた。
    「今日、562年上半期のゼミ生になった、フィオリーノ・ギアトです。フィオと呼んでください」
    「あ、そうなんだ。よろしくね」
     葵がにこっと笑い、会釈を返した。
    「……」
     ところが葵と目が合った途端、フィオの顔色が目に見えて悪くなった。
    「えっ……? どうしたの、フィオくん?」
     いつも飄々とした態度を崩さない葵も、この時は流石にうろたえて見えた。
    「あ、……いえ、今日、こっちに着いたばっかりなので、ちょっと疲れちゃったみたいです。ごめんなさい、ぼうっとしちゃいました。
     よろしくお願いします、……アオイ、さん」
    「え?」
     そしてもう一度、葵がわずかに驚いた様子を見せる。
    「あたし、きみとどこかで会ったっけ?」
    「え、……あ、……ええと」
     葵に問われ、フィオはいかにもしまったと言いたげな顔で、口をつぐんでしまった。
    「初対面だよね? 見た覚え、無いし。なんであたしの名前、知ってるの?」
    「いや、えっと、その……」
     と、ここでゼミの先輩たちが5人を呼ぶ。
    「準備できたよー」
    「あ、はーい」
    「今行きまーす」
     春たち3人が席を立つ。
    「あ、ぼ、僕たちも行きましょ! ねっ!」
    「う……ん」
     結局、何故フィオが初対面のはずの葵を知っていたのか――うやむやになったまま、歓迎会が始まった。



     今はまだ、一見無垢に見えるこの五人の鳳雛たちの中に、後に世界的な騒乱の主役となる者がいたとは――天狐にも、鈴林にも、そしてゼミの先輩たちも。
     その場の誰にも、予想すらできるはずもなかった。

    白猫夢・五雛抄 終

    白猫夢・五雛抄 7

    2013.10.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第286話。新入生歓迎会。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. フィオへの面接を最後に、562年上半期のゼミ生募集は終了時刻を迎えた。 それと同時に、ゼミ生たちの寮「エルガ亭」では、今期入塾生の歓迎会を開く準備が整えられていた。「あの、わたしも何かお手伝いを……」 申し出た春に、先輩たちは「いやいや」とやんわり首を振る。「新入生はじっとしてな」「そうそう、ゲストなんだから」「いいん...

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    麒麟を巡る話、第287話。
    初日の講義。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     562年上半期の天狐ゼミ、開講初日。
    「おっす、お前ら。昨夜も大騒ぎしてたみてーだな。エルガのおばちゃん、またイライラしてたぜ。ま、いつものコトだから気にするほどでもねーけど、一応、会ったら謝っとけよ。
     ……っと、初回だからな。ちゃんと挨拶しとくか」
     講義室に現れた天狐が、軽く会釈する。
    「改めて自己紹介させてもらうぜ。オレの名は克天狐。気軽に『天狐ちゃん』って呼んでくれればいい。先生とか師匠とか、堅っ苦しい肩書き付けて呼ばなくていいからな。
     まず、この半年間の講義についてだが、一日に4回開く。そのうち2回の内容については、基本的には概論を話していく。魔術の基本的な使用方法から、その論理的性質、解析や証明、現代の技術においてどう利用されているか、とかだな。
     残りの2回だが、お前らの質問に答え、詳しく解説するコトにしてる。おっと、『何にも質問が無かった時はどうするんですか?』なんてバカなコトは聞くなよ? 基本、質問は考えるようにさせるからな。
     一回の説明で『全部分かりました!』……なんてほざくヤツは、ほとんどの場合『分かった気になってる』だけだ。そーゆー勘違いしてっと、期末で泣きを見る羽目になるからな。
     ちなみに週末、風曜と天曜は休講だ。ある程度好きに遊んでいい。とは言え学生ってコトは忘れんなよ? くだらねー遊びに没頭してるってコトが発覚したら、問答無用で退講処分にするからな。
     ……ゼミについての説明はこんくらいかな。何か質問はあるか?」
     これに対し、マークが手を挙げた。
    「開講期間外、ゼミが休講の間はどうすれば?」
    「ああ、そうか。言ってなかったな。
     その間は故郷に帰るも良し、島で自主勉強するも良し、だ。その間も質問は受け付けてるから、気軽に聞きに来ていいぜ」
     続いてマロも質問する。
    「在籍期間はどんくらいでしょ? 聞いた話では3年とか4年とか、まちまちでしたけど」
    「特に決めてない。講義内容についてけそうにない、もしくはもう十分研究テーマを掘り下げ尽したと思ったら、ソコでやめりゃいい。
     設定したテーマが相当難しくて、オレがしょっちゅう手を貸さないと完遂できそうにねー、……とかだったら、5年や10年在籍するかも知れねーが、今のところはソコまで身の丈に合ってない研究テーマを設定したヤツはいない。最長でも4年半だった。
     今期入塾生も、今のところソコまで無茶な研究テーマを選んだヤツはいない。多分お前の言った通り、3年か4年で全うするだろう。
     他にはあるか?」
    「あの」
     恐る恐ると言った感じで、春が挙手する。
    「お月謝は、いつお支払いすれば?」
     と、これを聞いた天狐が怪訝な顔になる。
    「あ? ……誰からソレ聞いた?」
    「ここを紹介してくださった方から……」
    「後でソイツの名前教えろ。
     他にいるか? オレが金取るって聞いたヤツは?」
    「えっ」
     春は目を丸くし、辺りをきょろきょろと見回す。
     ところが、ゼミ生の誰もが首を横に振っているばかりである。
    「ソイツに金渡したのか?」
    「ええ、『入学金を預かっておく』と仰られたので……」
    「チッ、ゲス野郎め。……紺納のために、はっきり説明しとくか。
     ウチは金、取らねーんだよ。何故ならこのゼミは、島の収入で賄われてるからだ。オレ自身も含め、このゼミは立派な観光資源だからな。
     お前らが払うのは渡航費用と、休みの時に遊びで使う金くらいだ。寮の運営とゼミの学費は全額免除、ミッドランド市が支払ってくれてるから、な。
     ソイツにはきっちり金を返させる。心配しなくていいぜ、紺納」
    「は、はい」
    「他に質問はあるか?」
     そう尋ね、誰も手を挙げなくなったところで、天狐はどこからか教鞭を取り出した。
    「じゃ、早速講義開始だ。ちゃんとノート、取れよ」

    白猫夢・分派抄 1

    2013.10.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第287話。初日の講義。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 562年上半期の天狐ゼミ、開講初日。「おっす、お前ら。昨夜も大騒ぎしてたみてーだな。エルガのおばちゃん、またイライラしてたぜ。ま、いつものコトだから気にするほどでもねーけど、一応、会ったら謝っとけよ。 ……っと、初回だからな。ちゃんと挨拶しとくか」 講義室に現れた天狐が、軽く会釈する。「改めて自己紹介させてもらうぜ。オレ...

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    麒麟を巡る話、第288話。
    2つの派閥。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     第1日目の講義が終わり、新しく入ったゼミ生の何人かは、茫然としていた。
    「……すげえ難しい」
    「うん……」
    「やべー……。何言ってるか全然分かんなかった」
     早くも挫折気味になっている者もいたが、大多数のゼミ生は早速、今日の受講内容を復習していた。
    「トポリーノ親子ってすごい方たちなんですね、本当」
    「ホンマになぁ。ポスター見る限りでは、ただのぽっちゃり兎獣人にしか見えへんかったけど」
    「電話があんな風に造られていたなんて、初めて知りました」
    「でもまだ、改良の余地いっぱいあるよ。かける時、プツプツうるさいもん」
     元々歳が近いせいか、葵・春・マロ・フィオの4人は、一緒に固まって話し合っていた。
    「……」
     一方、10代組の残る1人、マークは、その輪に溶け込めないでいるようだった。
     いや――その中の一人を殊更に避けているのだ。
    「お、どうした? 一人でぼーっとして」
     マークの様子を見ていた他のゼミ生が声をかける。
    「話し相手がいないのか? 良かったら……」「いえ、大丈夫です」
     反射的にそう返し、すぐにマークは首を振り、改める。
    「あ、……すみません。やっぱりお願いしていいですか?」
    「ん、おう。まあ、気を遣わなくていいぜ」
    「はい、ありがとうございます」
     マークは同級生にぺこ、と頭を下げ、その直後にチラ、と葵の方に目をやった。
    「どうした?」
    「……いえ」

     マークはゼミ内の、もう一つの教室――こちらは鈴林が講義を行っていた――へと連れて行かれ、そこで短耳の青年に紹介された。
    「ども、ブロッツォさん。彼が今期の10代生の、セブルス君です」
    「ありがとう」
     短耳はマークに手を差し出し、握手を求める。
    「よろしく。3回生のルシオ・ブロッツォだ」
    「よ、よろしくお願いします」
     握手を交わしたところで、ルシオはマークに尋ねる。
    「他の10代生はみんな固まって復習してるって聞いたけど……、君はどうして一人でいたの?」
    「いえ、特に、……理由は」
    「そっか。まあ、これからよろしく。今後も一緒に勉強していければ幸いだ」
    「あ、はい」
     マークが辺りを見回すと、開講前に寮の方で見かけたことのあるゼミ生の半数が、教室内にいるのが確認できた。
    「あの……、皆さんは?」
    「ああ」
     ルシオはにこっと笑い、状況を説明した。
    「なに、怪しい集まりじゃないさ。ただ『みんなで一緒に勉強しよう』って言う、グループみたいなもんだよ。
     基本的に、天狐ゼミに来る人は頭がいい人ばかりだけど、それでもやっぱり難しく感じることはちょくちょくあるし、あんまりテンコちゃんやレイリンさんに質問してばっかりじゃ、手を煩わせちゃうからね。
     そこでゼミ生同士が集まって、互助的に勉強会をしてるんだ。折角この名誉あるゼミに入れたのに、ついてけなくなって退講なんてもったいないからね」
     言われてもう一度周りに目をやると、先程一緒に講義を受け、茫然としていた同級生の姿も見える。
    「無論、君が勉強できなさそうに見えたなんてことは毛頭考えてない。むしろ、僕たちに至らないことがあれば、どんどん教えてほしいなって」
    「いや、そんな。こちらこそ若輩者ですので、よろしくご指導いただければ幸いです」
    「うん、うん。
     じゃ早速、今日の勉強会を始めようか」



     一方――葵たち10代生の周りには、いつの間にか20代の同期生たちも集まっていた。
    「ねえねえ、ハーミットさん」
    「ん」
    「好きな料理は?」
    「トマト煮。特に魚を煮たやつ」
    「コンノさんは?」
    「鶏の炊き込みご飯、ですね」
     最初は教室に残っていた者たちで真面目に講義内容の復習を行っていたのだが、いつの間にか、葵と春への質問の場へと変わっていた。
     そしてもう一人――今期入って来た20代生の女性、短耳のシエナ・チューリンも、周りのゼミ生から色々と尋ねられていた。
    「シエナさんは?」
    「特に好き嫌いないよー」
    「強いて言えば?」
    「うーん……、市国で食べてたワッフルかなぁ」
    「美味しそうですね。甘いもの、わたしも大好きですよ」
     マークがルシオたちのグループに参加する一方、こちらも和気あいあいとしたグループを形成しつつあった。

    白猫夢・分派抄 2

    2013.10.31.[Edit]
    麒麟を巡る話、第288話。2つの派閥。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 第1日目の講義が終わり、新しく入ったゼミ生の何人かは、茫然としていた。「……すげえ難しい」「うん……」「やべー……。何言ってるか全然分かんなかった」 早くも挫折気味になっている者もいたが、大多数のゼミ生は早速、今日の受講内容を復習していた。「トポリーノ親子ってすごい方たちなんですね、本当」「ホンマになぁ。ポスター見る限りでは...

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