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白猫夢 第7部


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    麒麟の話、第7話。
    すべては既に、選ぶ前から。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     すべてがはっきりと、鮮やかに、クリアに映し出されている。

     ボクの予知能力はここ数年で、今までにないほど研ぎ澄まされている。
     原因ははっきりしている。アオイのおかげだ。
     ボクと彼女の能力が干渉し合い、増幅されているんだ。



     あ、そうだ。
     ココで一度、説明しておこう。
     ボクたちの持つ「予知能力」って、具体的にどんなモノなのかってコトを。

     ボクたちの能力は、視覚的に言えば「目の前いっぱいに並んだ、いくつものスクリーン」なんだ。
     普通の人には、そのスクリーンは1枚しか与えられていない。そのスクリーンには、単純に、次に起こるコトだけが映し出されている。
     例えば目の前に2つドアがあったとする。スクリーン1枚の人の場合、右のドアを開ければ右の部屋の映像が移る。左のドアを開けたなら、左の部屋の映像が映る。一方を選択したら、もう片方は映せないワケだ。
     だけどボクたちの場合、右のドアを開けたとしても、右の部屋と同時に、左の部屋の様子も、別のスクリーンに映し出されているんだ。逆も然りで、左を開けても右の様子が見えてる。
     勿論、ドアが3つであっても4つであっても同じコト。ドレを選んでも、選ばなかったドアの先にあるモノが、別々のスクリーンに映っているんだ。

     その選択肢をもっと広げた状態が、現実の状態だ。
     ある選択をしようとしたその瞬間、ボクたちの持つ「スクリーン」には、選択した場合と選択しなかった場合の様子が映し出される。さらに、そのスクリーンの奥に見える選択肢についても、選んだ場合と選ばなかった場合が、また別のスクリーンに映っている。
     ボク自身も、アオイも、はっきり自分の能力の最大値を把握してるワケじゃないけど、……そうだな、数で言うなら、アオイはスクリーンを一度に15、6枚くらい。ボクは一度に30枚くらい、かな。
     単純な2択を選択していく場合なら、アオイは6手先まで、ボクは7か8手先まで、すべての組み合わせの結果が見える。
     ま、今のは視覚的な部分だけをざっくり説明しただけだ。実際にボクたちが感じてるモノは、もっと複雑で精密で繊細だ。
     ソコまでは、流石に口で説明するのはめんどくさい。勝手に妄想してくれ。



     話を元に戻そう。
     ボクの力とアオイの力による相乗効果で、ボクたちはあらゆる物事の未来を予測・予知するコトができた。
     その力で何をしたと思う? 大抵の人が思い付くコトさ。
     そう、金儲けだ。と言っても、宝くじや競馬で一山当てたとか、そんなチャチな次元じゃない。
     もっともっとハイリスクでハイリターンなコトをノーリスクでやってのけて、莫大な金を稼ぎ出した。
     ボクたちの力があれば、「リスク(不確実性)」なんて言葉は意味を成さない。

     続いて人集め。ボクが何故、わざわざあんなところにアオイを行かせたと思う? その時に出会った子たちを後々アオイの配下に、自然に加えるためさ。
     誰だっていきなり「おいお前、仲間になれ」なんて言ったって、ボクみたいなのでもない限り、説得力なんて無い。
     だからボクやアオイ以外には、ひどく遠回りに思えるような方法を執ったのさ。

     その2つは完全に成功した。
     今やアオイは莫大な資産と、世界の陰の、そのさらに奥に潜んでいながら、世界中を操れるような人脈を獲得した。
     最早誰が何をどうしようと、彼女を傷つけることはおろか、触れるコトさえできはしない。
     彼女は既に、無敵だ。



     誰にも邪魔はさせない。邪魔なんかさせやしない。できるはずも無い。
     ボクたちが負ける未来なんか、ひと欠片だって見えやしない。

     ボクたちがこのゲームの、最終勝者だ。
    白猫夢・麒麟抄 7
    »»  2014.01.19.
    麒麟を巡る話、第310話。
    善悪の結論と、未来への第一歩。

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    1.
    「……」
     若き天才、葵・ハーミットの突然の失踪から3年半が経過した、双月暦565年の暮れ。
     葵と同期だったゼミ生もそのほとんどが卒業、あるいは今期、卒業を迎えていた。
    「……」
     そしてこの日――10代生と呼ばれていた最後の一人が、その判定を心待ちにしていた。
    「……うー」
     椅子に座ったり、窓の外を見たり、眼鏡を拭いたり、自分の尻尾の毛づくろいをしたり、ベッドに寝転んだり――手持無沙汰にしているうちに、いつしか彼は眠りに落ち、夢を見ていた。



    「アオイさんは、攻撃魔術を研究してるんですよね」
    「うん」
     それはまだ、葵がゼミに在籍していた頃の夢だった。
     当時まだ幼かった彼は、この一見ぼんやりとした少女が何故、攻撃魔術などと言う、無骨でいかつく、恐ろしげな印象の強い、危険極まりないものを研究テーマとして選んでいるのか、不思議でならなかったのだ。
    「どうしてそのテーマを?」
    「んー、……そうだね」
     葵は一瞬言いよどみ――彼の知る限り、聡明な彼女が言葉に詰まったのは、この一度きりだった――やがてこう返した。
    「誰にも負けないように、かな」
    「誰にも? 昔、何かあったんですか?」
    「そんなところ」
     その「何か」については、彼女は何も語らなかったが、この時にした会話を、彼は鮮明に覚えていた。
     いつも眠たげな葵の目が、その時に限って、どこか鋭い輝きを放っていたからだ。

     夢の内容が変わる。
    「じゃあ……、じゃあ、アオイさんは悪者だって言うんですかッ!」
     当時よりいくらか大人になった今だからこそ、こうしてその黒い大男に食ってかかったのはとんでもない暴挙であったと、今の彼には分かる。
     そしてその恐ろしさをすぐ見せ付けられる――あの「黒い悪魔」克大火は、自分を怒鳴りつけてきた彼を、ギロリとにらんできた。
    「……っ、な、なん、ですか、っ」
     彼の声が、恐怖で上ずる。
    「僕はっ、僕は信じないっ! アオイさんが……、アオイさんが、わっ、悪者だなんてッ!」
     震える声でなおもそう叫んだ彼に、大火は小さくため息をつきつつ、こう返してきた。
    「信じる信じないはお前の勝手だ。そもそも善悪などと言うものに、絶対的な基準など存在しない。
     お前がそいつから被害を被り、著しく傷つけられたならば、お前はそいつを悪と見なし、憎むだろう。
     逆にお前がそいつから利潤と幸福を得たと感じ、信じる限り、そいつはお前の中で善性を帯び、光を放ち続けるだろう。
     善悪の基準など、つまるところそいつの主観に過ぎん。それを理解した上で、俺の言うことをよく検討するがいい。
     葵は師である天狐をはじめ、このゼミのすべての人間に対し、己の高い能力と稀有な才能の大部分を隠して暮らしていた。ここで暮らす必要など一切無かったにもかかわらず、だ。既にこのゼミで教わる以上のものを手に入れていたのだからな。
     葵が何故、どんな理由から、ここにいたのか? それをよく、考えるがいい。いつかまた葵に相対したその時、その思考によって得た結論が、葵・ハーミットと言う人間を善、もしくは悪の存在であるか判ずる、大きな材料となるだろう、な」



    「……ん、ん」
     ドアをノックする音で、彼は目を覚ました。
    「はい、今開けます」
     ばっと飛び起き、ドアを開ける。
    「先輩! 卒論の評価、掲示されてるよ!」
     年齢では3歳上、18歳のゼミ生に先輩と呼ばれ、彼は苦笑する。
    「ありがとうございます。見てきます」
    「あ、先輩」
     呼び止められ、彼は振り返る。
    「なんでしょう?」
    「あたしも付いていっていい?」
    「え? ええ、どうぞ」
     特に断るような理由も無いため、彼は了承した。
     二人は寮を出て天狐の屋敷へと向かい、その壁に張られた掲示板の前に立つ。
    「これ、これ!」
    「……」
     後輩が指し示すが、彼は一旦背を向け、深呼吸する。
    「ちょっと待ってください……。不安なので」
    「落ち着いたら言ってね」
    「え? あ、はい」
     もう一度深呼吸し、彼は掲示板の方へ振り向く。
     と――顔を両手で覆い、狼耳をプルプルさせている後輩の姿が目に入る。
    「……どうしたんです?」
    「あ、落ち着いた?」
    「ええ、まあ」
     彼の返答に、後輩は顔を見せ、にこっと笑う。
    「じゃ、一緒に見よっか」
    「はあ」
     彼は後輩の横に立ち、掲示板に張られた自分のレポートと、天狐の評価を確認した。



    「マーク・セブルス著 『植物生長促進術の人体欠損部位に対する応用の考察』

     評価:優
     当ゼミの卒業資格を与えるものとする」
    白猫夢・悩狼抄 1
    »»  2014.01.20.
    麒麟を巡る話、第311話。
    ゼミ生活の終わり。

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    2.
    「……は、ははっ」
     掲示板を確認した途端、マークは腰を抜かしてしまった。
    「大丈夫、先輩?」
     尻餅を着きかけるところで、後輩の狼獣人、シャラン・ネールが手を引き、肩を貸した。
    「だ、大丈夫です。ちょっと気が抜けてしまって」
     マークの返事に、シャランはクスクス笑う。
    「うふふ、おめでとっ。……もう立てる?」
    「あ、はい。……あ、わ、わわっ」
     シャランから手を放した途端、マークは前のめりに倒れてしまった。
    「……あはは、ダメだ、膝がカクカクしちゃってる」
    「部屋まで運ぶよ」
    「すみません、シャランさん」
     シャランに引き続き肩を貸してもらい、マークはどうにかよたよたとした足取りで歩く。
     と、天狐の屋敷からその主、克天狐が現れた。
    「よお、マーク。その様子だと、評価は確認したみてーだな」
    「はい。……すみません、こんな格好で」
    「ケケケ」
     天狐はマークを見て、ケタケタ笑い出す。
    「掲示板見て、合格だってのに腰抜かしたのは、お前で4人目だ。
     ま、ともかくお前は今期で卒業だ。この後の進路は考えてあるか?」
    「はい。故郷に戻ろうと思います。
     まずは母に、僕が培った治療術を施してあげたいと考えているので」
    「そっか。実はな、お前のレポート見て、雇いたいってトコがいくつかあったんだが……」
    「参考までに、お名前だけ教えていただけますか?」
    「でかいトコを挙げると、央中のネール職人組合傷病対策局と、同じく央中のコールマイン医療研究局、ソレから西方プラティノアール王立大学病院だな。ドコも指やら脚やら千切れる大ケガが頻繁に起こるからな、再生医療ってヤツを特に研究してるところだ。
     他にも大小合わせて20近くの医療関係から求人が出てる。引く手あまただぜ、お前」
    「身に余る光栄です」
     話しているうちに、足の震えが収まってくる。
     マークはシャランから腕を離し、深々と頭を下げた。
    「折角ですが、まずは故郷の母を、第一の治療成功者にしたいんです」
    「そっか。ま、今後また話を聞いてみたいってコトがあれば、オレに言ってくれ」
    「はい。……3年半の細微にわたるご指導ご鞭撻、誠にありがとうございました」
    「ケケケケ……、ま、コレからも精進しろよ。うまく行けば、歴史に名が残るかも知れねーぜ?」

     厳しかった天狐から賞賛され、マークは部屋に戻ってからも、顔をほころばせていた。
    「僕の研究がそこまで評価されていたなんて、まったく思いもよりませんでした、本当」
    「あたしは最初っからすごいと思ってたよ。
     だってあたしの故郷――ほら、テンコちゃんも言ってたけど、大ケガする人が多いんだ」
    「ああ……、ネール公国でしたね」
    「そ、そ。でさ、ひどい時には手首の先から無くなっちゃったり、足がグチャグチャになっちゃったりって人もいたし……。
     あたしも小さい頃から、そう言う人たちの手とか足とか、元通りにしてあげたいって思ってたから。
     だから先輩の研究、応援してるんだ。あたしも同じテーマを選んでるしさ」
    「卒業レポートでは、本当に助かりました。僕一人じゃ評価『優』どころか、『可』さえ怪しかったかも知れません。
     最初にまとめたのを見せた時のシャランさんの言葉には、泣きそうになりましたし」
     これを聞いて、シャランは不安げな顔になる。
    「え、そんなにひどいこと言っちゃってた?」
    「いえ、今にして思えば的を得た意見でした。本当にシャランさんには感謝してもしきれません」
    「……えへへ、ありがとね」
     一転、シャランは顔を真っ赤にして嬉しそうにする。
    「あたしも来年か、再来年の上半期には、卒業を目指すつもりなんだ。……で、……あのさ」
     と、今度は真剣な目つきになり――これほど表情をコロコロ変える人間には、マークは自分の父以外には、彼女しか会ったことが無い――シャランは机から身を乗り出した。
    「卒業できたら、……今度は先輩のところに、……あの、そのね、勉強しに行きたいんだ」
    「ええ、大歓迎で……」「……ううん、違う」
     シャランは顔を伏せ、ぼそぼそと何かをつぶやいた。
    「なんですか?」
    「……ほしいなって」
    「何が欲しいんです?」
    「……あのね、……お付き合いして、……ほしいな」
    「……へっ?」
     思いもよらない彼女の言葉に、マークは面食らった。
    「お、お付き合い? 僕と、ですか?」
    「うん」
     顔を挙げたシャランは、耳まで真っ赤にしてこう続ける。
    「先輩のこと、……まだ15なのに、年下なのに、すっごくかっこよく感じてて。一緒にレポートまとめてたら、本当に、その、……好きに、なっちゃって」
    「……あ、あは」
     マークも自分自身、顔が紅潮しているのを感じている。
    「ぼ、僕も、シャランさんみたいな可憐な方に、そんな風に想っていただけるなんて、本当、身に余る光栄です。
     是非、僕からもお願いさせてください」
    「……ありがと」



     こうしてマークのゼミ生活は万事満足行く結果、有終の美を以て、終わりを告げた。
    白猫夢・悩狼抄 2
    »»  2014.01.21.
    麒麟を巡る話、第312話。
    マークの両親。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     年が明けた双月暦566年、マークは故郷、央北トラス王国へと戻った。
    「ただいま戻りました、父上」
    「おう、マーク! お前随分、背が高くなったなぁ」
     今や2代目国王となったかつての大蔵大臣、ショウ・トラスは、4年ぶりに見る自分の息子を見て、嬉しそうに笑った。
    「どうだった、天狐ゼミとやらは?」
    「ええ、とても充実した4年間でした。十分な成果を達成できたと自負しています」
    「そうか、そうか。……ふむ」
     トラス王は一歩、二歩マークへ寄り、神妙な声で尋ねる。
    「4年前、お前が宣言した『あれ』は果たせると言うことか?」
    「……まだ臨床試験、つまり人を相手に施術したことはありません。しかし父上の許可さえ下りれば、すぐにでもと考えています」
    「むう……。流石にぶっつけ本番となると不安ではあるな。もしものことがあっては困る。……そうだな、よし、軍の中から臨床試験に志願してくれる者を募るとするか」
    「いえ、父上」
     マークは強い口調で願い出る。
    「僕の治療術の成功第一例は、母上であってほしいと考えてきました。どうか願いを叶えていただけないでしょうか?」
    「ううむ……、しかしなぁ」
    「お願いいたします」
     マークは深く頭を下げ、なおも頼み込む。
     頑ななその姿勢に、トラス王がついに折れた。
    「……分かった。母さんがいいと言ったら、私も許可しよう」
    「ありがとうございます」

    「ただいま戻りました、母上」
    「……」
     声をかけたが、相手の返事が無い。
     マークは母親が眠っているのかと思ったが、上体を起こしているし、起きているのは間違いない。
    (……あ、と。そうだった)
     そこでようやく、声をかける位置、そして立っている位置が悪かったことに気付き、マークは母親の左側に回り込んだ。
    「あら」
     彼女の方も、自分の息子が周囲をうろうろしていることに、ようやく気付いたらしい。
    「おかえりなさい、マーク」
    「あ、ただいま戻りました」
     マークは母親――トラス王国の王妃プレタの、まだ健常な左耳に向かって声をかけた。
    「お加減はいかがですか? 体調を崩されたと聞きましたが……」
    「ええ、大丈夫よ。ただの風邪くらい。
     でもお父さんが、『ただの風邪と思って油断してはならん』と言って聞かないから。
     退屈ね、部屋でじっとしているのは」
    「……母上にとってとても面白いことが起こる、と言ったら?」
     マークの言葉に、プレタ王妃はきょとんとした。
    「どう言う意味かしら?」
    「僕は4年間かけて、失った肉体を再生する治療術を研究しました。この治療術が成功すれば、母上の失われた耳と目、そして顔に残った傷を癒し、元通りにすることができるはずです。
     どうか母上、僕の治療を受けていただけませんか?」
     これを聞いて、プレタ王妃は残っている左目で優しく微笑む。
    「もうとっくに諦めているわ。今さら治したって……」
    「お願いです。僕は昔の、母上が健常であった頃の顔を知りません。
     どうか僕に、その美しい顔を見せてはいただけないでしょうか」
    「あら。今のわたしは、醜いのかしら」
     そう問われ、マークは慌てて言い繕う。
    「いっ、いえ! そんなことは! ……そんなことはありません。今の母上も大変、お美しゅうございます。でも、それは半分ではないですか。
     もしも空に浮かぶあの二つの月が、常にどちらか一つしか姿を見せないと言うのならば、両方を同時に拝してみたいと考えるのは、決して不自然なことではないでしょう?」
    「変な例えをするのね。4年以上も家から離れていたのに、あなた何故か、お父さんに似てきたわね」
     プレタ王妃は、今度は顔全体をほころばせた。
    「いいわ。あなたの努力がどれだけ実ったのか、わたしに見せてちょうだい」
    「……ありがとうございます、母上」
     マークは母の手を握り、深く頭を下げた。
    白猫夢・悩狼抄 3
    »»  2014.01.22.
    麒麟を巡る話、第313話。
    白猫党。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     己の研究成果である治療術を母に施すことを強く推したものの、いざそれが現実のものとなった途端、マークは不安になった。
    「はあ……」
     4年ぶりに自分の部屋に戻り、ベッドに横たわるが、まったくくつろげない。
     頭の中に浮かぶのは、万が一自分が施術に失敗してしまい、母の顔を醜く歪めてしまうのではないかと言う不安ばかりである。
    (やっぱり父上が提案した通り、志願者を募った方が良かったかな……。
     いや、まず第一に母を治したいと思ったからこそ、僕は天狐ゼミへ行ったんじゃないか。今さらそれを曲げてどうする)
     そうしてひたすら、悶々としているところで――トントン、とドアがノックされた。
    「はい」
     マークはベッドから起き上がり、ドアを開ける。
    「私だ」
     訪ねてきたのは父、トラス王だった。
    「お前、母さんからの返事を、私に報告してなかっただろう?」
    「あ」
    「まったく……! 大事なことなんだから、そう言うことはきちんと報告しなきゃならんだろう」
    「すみません……」
     ぺこっと頭を下げたところで、トラス王がふっと笑った。
    「私への報告を怠るほど高揚していたか? それとも緊張したのか?」
    「……両方です」
     マークの答えに、トラス王は今度は、はっきりと声を上げて笑う。
    「ははは……、だろうな。しかしそのまま浮足立って、自分の部屋に閉じこもる、と言うのは困る。
     こう言うことは言いたくないが、お前はそそっかしいところが多いからな。こう言う些細なところでミスするような者に、人の体を弄ると言った大事を任せるのは、不安になってしまうではないか」
    「反省します……」
    「……ん、まあ、なんだ。そう落ち込むな。
     あれだけ頑固に自分の意見を推したくらいだ、成功する自信は十分にあるのだろう?」
    「はい」
    「ならば良し。私も許可しよう。で、いつ行う予定だ?」
    「準備もありますし、あと、僕自身も少し休んで調子を整えておきたいので、一週間後に行おうかと」
    「うむ、分かった。必要なものがあれば、何でも言ってくれ」
    「ありがとうございます」
    「では、今日はもう休むがいい」
     そう言ってドアを閉めかけ――「おっと」とつぶやいて、もう一度ドアを開けた。
    「もう一つ用事があったのを忘れていた」
    「何でしょう?」
    「お前、エルナンド・イビーザと言う男を知っているか?」
    「イビーザ……?」
     そう問われ、マークは記憶を掘り起こしてみるが、全く思い当たる節は無い。
    「いえ、存じません」
    「ふむ? ……そうか、知らんか」
     トラス王は神妙な顔をし、懐から何通かの封筒を取り出した。
    「いやな、お前が不在の間――ここ半年くらいだが――そのイビーザと言う男から、お前宛に手紙が来ていたのだ。
     私が妙だと思ったのは、イビーザ氏があの『白猫党』の幹事長であることだ」
    「白猫……党?」
     聞きなれない言葉に、今度はマークが首をかしげた。
    「ん、知らんのか? ……いや、そうか。彼奴らが台頭し始めたのはここ1年くらいだからな。4年離れていたお前が知るはずもあるまい」
    「一体なんですか、それは?」
     何の気なしにマークはそう尋ねたが、トラス王は苦い顔を返した。
    「正式名称は何であったか……、確か、『白猫原理主義世界共和党』、……だったかな。
     何とも胡散臭い連中だよ。何でも『白猫の夢』を自由自在に見られるとか言う眉唾者を『預言者』などと称して祀り上げ、その預言とやらを党是・方針として臆面も無く掲げ、あちこちで政治活動めいた振る舞いをしていると言う、凡そまともとは言い難い奴らだ。
     ところが不思議なことに、人気と資金を集めているとの報告もある。既に央北の小国2、3ヶ国においては、議会や内閣の過半数を党員が占め、政権を掌握されているとのことだ。
     その何とも名状し難き連中の幹部となっている者が何故、お前に手紙を送ってくるのか。これが分からんのだ」
     父の評価を聞き、マークも胡散臭いものを感じる。
    「確かに……。ちょっと、不気味ですね」
    「私にとってはちょっとどころじゃない程度に不気味だ。まさかこの国の王子、第一後継者であるお前を党に勧誘しようとしているのではあるまいか、と言う懸念もあるからな。
     もしもそんなところに加入したら、私は即刻、お前を勘当するからな」
    「ご心配なく。僕だってそんな気味の悪いところは御免蒙ります」
    「ならばよし」
     トラス王は手紙をぐしゃ、と握り潰し、懐に収め直した。
    「これは捨てておく。もう忘れて構わんぞ。
     ではマーク、ゆっくり休むが良い」
    「はい。おやすみなさい、父上」
    白猫夢・悩狼抄 4
    »»  2014.01.23.
    麒麟を巡る話、第314話。
    魔術が魔法に昇華する時。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     帰国から1週間後、マークは母、プレタ王妃の失われた耳と目を再生する魔術治療に執りかかった。

    「では、……施術を、開始、します」
     マークは強張った声で、自ら招集した魔術治療チームに宣言した。
     と――被験者である母が、クスクスと笑いだした。
    「し、静かにお願いします」
    「ごめんなさい、ふふ……。
     でもね、マーク。ちょっと、肩の力を抜きなさい。これからあなたに手術してもらうのに、そんな怖い顔でずっとにらまれていたくは無いもの」
    「……し、失礼、しました」
     マークは目を閉じて深呼吸し、落ち着きを取り戻そうと試みる。
    (母上の仰る通りだ。落ち着け、マーク。
     大丈夫、理論上では何の問題も無いんだ。例え失敗しても、後遺症や副作用なんてものはこの治療術には無い。実験でもそんなことにはならなかった。
     いや、成功する。させてみせる。絶対にだ! 成功して、母上の喜ぶ顔を――欠けの無いそのご尊顔を、この目でしっかりと見てやろうじゃないか!)
     もう一度深呼吸し、マークは落ち着いた声で、再度宣言した。
    「お待たせしました。それでは、開始します」



     この双月世界における治療術と言うと、一般には「普通には到底治せないケガや病気を、瞬時に完治させてしまえる魔術」と認識されがちであるが、そんな夢のような話を現実にできる者は――「賢者」モールと「悪魔」大火を除き――実際にはいない。
     双月暦6世紀の現実においては、それは「通常の医療行為で治療を受けた後に使われる、完治するまでの時間をいくらか短縮できるもの」と言う、平凡に定義されるものでしか無い。
     治療術の世界において、夢が現実となることはこの数百年、決して無かった。

     マークはその高き壁、不可能と言われてきた険阻に挑んだのだ。
     マークが今行っている「それ」は、これまでの治療術の常識を、夢物語へと一歩、確実に近付けるものだった。
     失ったものを取り戻せる――それは万人が望み、恋い焦がれ、渇望さえ覚える、究極の夢なのだ。
     マークの手により、魔術はまた一歩「魔法」に――即ち人が操れぬ法則・真理の領域に、踏み入ろうとしている。



    「……以上で施術を終わります。今回被験者に接合させた組織を定着させるため、最低でも術後4週間は、絶対安静とします。
     また、その間にも術後経過は1日ごとに観察および聴取し、レポートとしてまとめ、チーム内で意見交換を行うものとします。
     本日は被験者を寝室に移送し、終了とします。皆さん、本日はお疲れ様でした」
     マークは一息にそう並べ立てた途端、がくりと膝を着いてしまった。
    「殿下!」
    「だ、……大丈夫です。気が抜けました」
     マークはなお床に崩れたまま、こう命じた。
    「すみませんが母上の移送をお願いします。僕はもう少し、ここで休んでいます」
    「分かりました」
     治療用の椅子から車椅子に移される途中、プレタ王妃はマークに、優しく声をかけた。
    「4週間後を楽しみにしているわ、マーク」
    「僕もです」
     マークはうなだれたまま、そう返した。
     やがて部屋の中にはマーク一人だけとなり、マークはごろん、と床に寝転がった。
    「……後は……、祈ることしかできないな」

     まだ己の施術に不安を残していたマークではあったが、その翌日からプレタ王妃の身には、一つの変化が表れていた。
    「不思議ね」
    「うん?」
     まだ顔に包帯を巻いたままのプレタ王妃が、夫にこうつぶやいた。
    「あなたの声が20年ぶりに、しっかりと聞こえている気がするわ」
    「ほう……? もう耳が治ったのか?」
    「かも知れないわね。まあ、まだ楽観はできないでしょうけれど。マークが」
    「違いないな、ははは……」
    白猫夢・悩狼抄 5
    »»  2014.01.24.
    麒麟を巡る話、第315話。
    研究の成果。

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    6.
     マークの施術から4週間が経ち、ついにプレタ王妃の包帯が解かれる日がやって来た。
    「では、……解きます」
    「お願いね」
     絶対安静にするため、魔術を使ってしっかりと固定していた包帯を、マークは慎重に解いていく。
     はじめに現れたのは――突起しているから当然なのだが――右耳だった。
    「……っ」
     息を呑んだマークの気配が伝わったらしく、プレタ王妃が尋ねる。
    「何かおかしくなってるかしら」
    「いえ、……えっと、その、……しょ、触診を」
    「その言い方は少し気持ち悪いわ、マーク」
    「す、すみません。……では、さ、触らせて下さい」
    「どうぞ」
     触った感触は、施術の際に触媒として用いた藁と樹脂の混合物のそれでは無く、もっと自然な、ふさふさとした、弾力あるものだった。
     そして見た目も、猫のものと思える耳の形をしていた。
    「どうかしら?」
    「……僕の声は、聞こえますか?」
    「ええ。よく聞こえるわ」
    「……良かった。……成功です」
    「そう」
     あまり感情を現さず、大抵は薄く笑って返す母が、この時は本当に嬉しそうに微笑むのを見て、マークはこれ以上ないくらいの安堵と、達成感を覚えていた。
    「でも」
     が――プレタ王妃のその笑顔が、わずかに曇る。
    「……今、触ってる?」
    「え?」
     そう問われたまさに現在、マークは母の右耳をつかんでいる。
    「触られてる感じが無いの」
    「……そんな?」
     マークは思い切って耳をつねってみたが、母は痛がる様子を見せない。
     そして力を入れたことではっきりと分かったが――耳の軟骨と思しきものがほとんど無い。大部分がまるで裸耳の耳たぶの如く、妙にぶよぶよと、頼りないのだ。
    「……っ」
     マークの背中に、ぶわっと冷汗が湧く。
    「目も……、確認します」
     マークは恐る恐る、右目を覆う包帯を解いた。

     20秒後、マークは部屋を飛び出し、手洗いに駆け込み、胃の中のものを残らずぶちまけた。
     2分後、戻って来たマークの指示で、プレタ王妃の緊急手術が行われた。
     そして4時間後――プレタ王妃の右目があった場所から、半分腐りかけた、クルミ大の腫瘍が摘出された。

     マークの初めての施術は、失敗に終わった。



    「気分はどうだ、プレタ」
     手術から3日後、トラス王が妻を見舞いに来た。
    「麻酔でぼんやりしてるわ。でも気分が悪かったりって言うのは無いわね」
    「そうか。……ふむ」
     トラス王はプレタ王妃の右耳に手をやり、ぎゅっとつかんでみた。
    「どうしたの?」
    「こうして触る分には本物と思うのだが……」
    「あの子の話だと、元通りになったのは皮膚と毛並み、肉だけらしいわ。血管は本来の半分くらい、骨もほとんど無くて、神経に関してはまったく無いって言ってたわ」
    「こうして声が聞こえるのにか?」
    「中耳・内耳部分に損傷は無かったし、銃撃された時に破れた鼓膜も、もう20年経っているから、とっくに治ってたのよ。だから外耳が形だけでも元に戻れば、聞こえるようにはなる、……って説明されたわ。
     目については、外耳と違って神経の塊だから……」
    「他の部位のように肉で補うわけには行かなかった、と言うわけか。残念だったな、プレタ」
    「いいえ。耳が元に戻っただけでも、わたしは満足よ。目は元通り、髪と眼帯で隠せばいいんだし。
     ……ところで、マークは?」
    「落ち込んでいる。この3日と言うもの、部屋に籠りっ放しだ」
    「そう……」
    「用事もあるから、後で私が声をかけておくよ」

     マークはすべての気力を失い、ベッドに横たわっていた。
    (僕の研究は……、母をいたずらに切り刻んだだけだった)
     部屋の中は瓦礫の山と化している。怒りと深い失望に任せてありとあらゆるものをひっくり返し、叩き壊し、破り散らしたためだ。
    (僕の3年間は一体、何だったんだ……! 結局、母を苦しめただけじゃないか!)
     失敗に打ちのめされ、マークは絶望していた。
     と――トントン、とドアがノックされる。
    「私だ。入って構わんか?」
     父の声に、マークは一言「嫌です」と返したが、声が小さ過ぎて、ドアを通らなかったらしい。
    「入るぞ」
     ドアを開けたトラス王が、「おわっ」と小さく叫んだ。
    「ひどい有様だな。爆弾でも破裂したかのようだ。……いや、したようなものか。まあ、この惨状については何も言わん。後で片付けなさい。
     それよりもマーク、また白猫党から手紙が来たんだが……」
    「読みません」
    「そうか。いや、今回は差出人がイビーザ氏では無かったのでな。一応聞いておきたかっただけだ。
     チューリン党首とあるが、こっちも知らんだろうな」
    「……チューリン?」
     マークはのそ、と上半身を起こし、父に尋ねた。
    「チューリン……、シエナ・チューリンですか?」
    「うん? ……ああ、そうだ。知っているのか?」
    「ゼミの同期生です」
     マークは瓦礫を踏み越え、父から手紙を受け取った。
    白猫夢・悩狼抄 6
    »»  2014.01.25.
    麒麟を巡る話、第316話。
    マークへの啓示。

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    7.
    「親愛なる同窓生 マークへ

     イビーザに何度か手紙を出させたけど、一向に返事が無いってコトだから、今回はアタシが出したわ。
     アタシは今、アオイと一緒にいるの。今、彼女は『突発性睡眠発作症』だか何だかって言う病気を患ってるの。普通に起きてると思ったら、いきなりパタッと倒れて眠り出す。そう言う病気。
     ひどい時には三日間眠り通しってコトもあるし、そんな状態で一人にしてちゃ到底生きてられないから、今はアタシが身柄を預かり、世話してるのよ。
     そんな状態だから、アイツは手紙を書くコトができない。だから、アタシやイビーザが代筆してたんだけど、やっぱりアタシが出した方が早かったかしらね?

     本題、アオイからの伝言内容。
     アイツによれば、コレを読んでる今、アンタはものすごく落ち込んでるって言ってた。
     で、その解決方法も、こんな感じで伝えられたわ。『木のことは木に聞け、石のことは石に聞け、目のことは目に聞け』だって。何だか分かんないけど、アンタは分かる?
     それからもう一つ、『お母さんを早く治してあげたいって気持ちは分かるけど、臨床実験も無しにいきなり施術しちゃ駄目だよ』って伝えろって。

     ココからはアタシたちの話。
     アタシたちは今、ヘブン王国にいる。
     今年中は滞在する予定。良かったら会わない? 色々話もしたいし。
     今度こそ、返事ちょうだいね。

    白猫原理主義世界共和党 党首 シエナ・チューリン」



     手紙を読み終えたマークは絶句していた。
    (アオイさんが、シエナさんと一緒に……!? ずっと行方不明だったのに、まさかこんな形で居場所が分かるなんて……。
     いや、それよりも。『目のことは目に』って、一体……? それに僕が今まさに落ち込んでいることを、どうやって彼女は知ったんだろう。
     勇み足で母に施術したことまで、……いや。施術してから一ヶ月経ってるんだから、どこかに話が漏れていてもおかしくはないか。
     だとすると多分、アオイさんは僕が施術に失敗することを読んでたんだな。であれば、僕がこうして落ち込んでいることも当然、察しが付く。失敗するであろう理由も分かっていたからこそ、こうして手紙を送ってくれたんだろうな。
     ……となると、この『目のことは目に』って言うのは、その失敗点を指摘してくれているんだろう。でも、意味がよく分からない。確かに失敗したのは目だけど、耳だって成功とは言えない。そっちについても教えてほしいくらいなのに)
    「マーク?」
     父に声をかけられ、マークは我に返る。
    「あ、はい」
    「何と書いてあった?」
    「えっと……」
     マークは葵からの伝言内容を省いて、手紙の内容を伝えた。
    「ヘブン王国に? ……ふーむ」
    「どうしたんですか、父上?」
    「白猫党がヘブン王国に乗り込んだと言うのは、あからさまに不穏な事態だと思ってな。
     以前にも言っていたと思うが、白猫党は央北各国の議会に党員を送り込み、あるいは在来の議員を党に引き込んで、その行政機能を掌握して回っているのだ。
     そんな彼らが何のために、ヘブン王国に滞在しているのか。理由は明白だろう?」
    「ヘブン王国の議会を乗っ取ろう、……と?」
    「恐らくはそうだろう。
     そしてその最中にお前を呼ぶ、と言うのも気になる。お前を政治的に利用しようとしているのかも知れん。
     悪いことは言わん。行かん方が賢明だ」
    「……そうですね。ただ、やはり昔のよしみもありますから、返事だけは出しておこうと思います」
    「そうだな、ここまで何度も無視してしまったこともあるし、出しておいた方が礼を失せんだろう」

     翌日、マークは部屋を片付け、それからシエナ宛に手紙を送り、破り捨てたレポートを別の紙に書き写し――そして葵の助言について考えた。
    (『目のことは目に』、……か。つまり、僕が目の復元に失敗した原因は、目のことを完全には理解できていなかったから――目の構造を、実際の目を参照にして熟知しなかったから、その結果あんな肉塊と化してしまった、……と考えるべきだ。
     そう考えれば、耳に対しても同じことが言える。形をそっくりに作っただけで、中身のことなんか考えてなかった。そのせいで母の右耳は外側、上っ面だけが出来上がった状態になり、骨や神経の形成にまでは至らなかったんだろう。
     ……僕がまったく眼中に無かったその問題を、アオイさんは遠く離れた場所で、こうも簡単に見抜いていたなんて。つくづく驚かされるな、アオイさんには)
     父には「行かない」と同意したものの、葵から受けたこの助言のことを考えると、マークには抑えがたい知識欲が湧き上がってくる。
    (もっと助言を仰ぎたい。もっと話がしたい。アオイさんと意見を交わせば、僕のこの研究はもっと、完成に近付くはずだ。
     ……会わなきゃ)

     マークは密かに、ヘブン王国へと赴くことを決意した。

    白猫夢・悩狼抄 終
    白猫夢・悩狼抄 7
    »»  2014.01.26.
    麒麟を巡る話、第317話。
    明暗が分かれた、その後。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    (き、来ちゃった。……本当に)
     マークがこの、クラム経済圏の中心地であるヘブン王国を訪れたのは、今回が初めてである。
     元々、央北ではクラム通貨を軸とする「天政会」勢と、コノン通貨を軸とする「新央北」勢が長い間争っており、20年前に停戦を迎えて以降も、交流はほとんど絶えていた。
     そのため、「新央北」の宗主国王子であるマークは、内心おどおどとしながら往来を歩いている。
    (一応、王国の紋章とか、そう言うのを付けてないコートで来たけど……、不安だなぁ)
     とは言え、実際に交戦していたのは一世代前の話である。現世代は別の問題――国家規模の賠償金を背負わされたことによる大不況に苦しんでいるため、かつての戦争相手のことなど構っていられない。
     事実、大通りに並ぶ店は、どこを見ても活気が無い。店のメニューや張り紙には、何度も値を書き換えた跡が付けられている。
     ヘブン王国の近年最大の失策によって発生した、深刻なインフレの影響である。



     20年前、泥沼化した戦争の果てに、「天政会」と「新央北」は調停者を立て、停戦交渉を行った。
     ところがその交渉を、調停者である金火狐財団と黄商会が牛耳り、なんと600億エルと言う途方もない額の賠償金を両者に背負わせたのである。

     その莫大な賠償金を、「新央北」側はとある機転を用い、かなり早期に、その大部分を消化していた。
     賠償金を命じた大元、黄商会を窓口として央南と貿易為替協定を結び、事実上外貨を用意すること無く――コノンをわざわざエル通貨に換えると言う手段を用いること無く――600億エルを返済したのである。
     この方法による、「新央北」にとっての最大の利点は、「自国通貨であるコノンを自ら大量にバラ撒いて、その信用を落とす危険」が少なかったことである。
     もしこれが、コノンをエルに換えての返済と言う手段を採っていた場合、「新央北」はコノンを市場へ大量にバラ撒き、一方でエルを大量に集める必要が生じる。そうなると市場全体にエル高、コノン安と言う流れが生じ、コノンの価値は大幅に下落する。
     協定を結ぶのには相当の労力と手間、コストと各種手数料を必要としたが――まだ新興通貨であったコノンを自ら貶めることを嫌ったトラス王の英断は、結果的に功を奏したと言える。

     一方、600億エルを背負うことを嫌った「天政会」は、別の方法を採った。
     元々から、クラム通貨の管理者は「天政会」では無く、その傘下のヘブン王国である。そこを逆手に取り、「通貨管理国に金融・貨幣調整の全裁量を返還する」などと言い訳し、ヘブン王国にこの賠償金の支払いを丸投げしたのである。
     この莫大な賠償金を返済するため、拙い経済・金融手腕しか持たないヘブン王国は、自国で大量にクラムを発行し、それを市場でエル通貨に換えての返済と言う、「新央北」が回避した手法を執ってしまった。
     この悪手により、クラムの信用が重篤なほどに損なわれ、インフレが高速で進行。近年立て続けに失策を繰り返していたヘブン王国は、いよいよ窮地に陥った。



     このインフレにより、かつては肩を並べていたはずのコノンとは、既に100倍近い差が付いている。
     ヘブン王国に入る前にコノンから両替したクラム通貨は、マークの財布から溢れそうになっていた。
    (大体1500万クラムって言われたけど……、元が1万エルだったから、実はそんなに価値があるわけじゃないんだよな……?)
     重たすぎる財布を多少軽くしようと、マークは適当な店に入ろうと、再度辺りを見回した。
     と――その中の一軒に、いかにも金を持っていそうな、身なりのいい男たちがたむろしている。
    「いや、しかしこの国は財布が重たくなって困るね」
    「全くだ。しかもこの貨幣ときたら、一応金や銀でメッキはしてあるが、実質、鉛だろう?」
    「らしいな。このままうっかり池にでも落ちたりしようものなら、浮かんでこれまいよ」
    「いやぁ、景気が悪いもんでね……」
     しょんぼりした顔をしている店主に、そのスーツ姿の者たちは一様にため息をつく。
    「全く、仰る通り。つくづく、この国の王や大臣、役人の無能っぷりが目に見えるようだ」
    「いや、諸悪の根源はこの国の人間よりむしろ、『天政会』ではないかな」
    「確かに。しかもその原因を作った『天政会』の奴らは、まだのうのうと政治中枢に収まっていると言うじゃないか」
    「なんと厚顔無恥な連中だ!」
    「いよいよもって、例の選挙を勝利せねばと言う気持ちが募ると言うものだ」
     側で話を聞いていたマークは、彼らの素性を察した。
    (もしかしてこの人たちが、白猫党……、かな?)
    白猫夢・堕天抄 1
    »»  2014.01.28.
    麒麟を巡る話、第318話。
    白猫党との接触。

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    2.
    「あ、……あのー」
     マークは恐る恐る、スーツの男たちに声をかける。
    「うん? 僕たちに用かな?」
    「あ、えーと、あなたたちって、白猫党の方でしょうか?」
    「いかにも」
     紳士たちは恭しくうなずき、自己紹介した。
    「我々は白猫党政務対策部の者だ。
     近日、この王国において第一議会の選挙が行われると言うことで、こうして応援に来ているんだ」
    「応援ですか?」
     聞き返したマークに、白猫党員の一人がこう返した。
    「ああ。我々は政治・経済面から国家的・国際的に抑圧を受けている国や市町村を訪ね、その不正・不義を是正するべく活動している。
     ここ、ヘブン王国もそうした国の一つと我々は考えている。事実、『天政会』からの度重なる不当な指示・圧力により、半世紀前の威光など拝むべくもない有様だ。
     この鉛でごまかされた金貨・銀貨はその象徴と言えよう。『天政会』によって骨抜きにされ、今や国家としての体面は、うわべだけに過ぎない。この国は内情を少し探れば、一つの国として満たしているべき素養を、ほとんど有していないのだ。
     ……と、少し話が過ぎたな。初対面の少年にするような話では無かった。退屈してしまっただろう?」
    「いえ、とんでもありません。含蓄のあるお話を拝聴させていただきました」
    「うん?」
    「……ふむ」
     マークの少年らしからぬ返し方に、党員の一人が何かを感じ取ったらしい。
    「君の名前を聞かせてもらってもいいかな?」
    「あ、マーク、……セブルスです」
    「セブルス君か」
     名前を聞くなり、彼は他の党員たちに向き直った。
    「殿下が来られたと、総裁に伝えてきてくれないか?」
    「では私が」
     党員が一人、店を離れる。
    「あ、……と」
     取り繕おうとしたが、使いに行かせた短耳の紳士は、それをやんわり遮った。
    「申し遅れた。私は白猫党政務対策本部長、フリオン・トレッドだ。党内の階級は第二位、チューリン総裁の直下の人間と思ってくれれば構わない。
     よろしくお見知り置きを、マーク殿下」

     マークは白猫党の者たちに連れられ、高級ホテルに入った。
    「マーク! 久しぶり!」
     と、ロビーに立っていたスーツ姿の女性が、マークを見て嬉しそうな声を上げた。
    「……シエナさん?」
     1年半前、天狐ゼミを卒業した当時の彼女を思い出していたマークは、内心とても驚いていた。
     当時は苦学生然とした、ひっつめ髪に地味なカーディガン姿だったが、今目の前にいるシエナはどう見ても、新進気鋭の政治家にしか見えない。
    「随分、何と言うか……、あの頃と変わりましたね」
    「もう学生じゃないもの。今は地位もあるし。
     ソレにしても、……いつも驚かされるわね、アオイには」
    「と言うと?」
     マークは辺りを見回したが、葵の姿は見当たらない。
    「アンタが今日来るコト、一昨日聞かされたのよ」
    「え? 今日、来る、……って?」
     シエナの言葉に、マークは戸惑った。
    「あの、一応お断りのお手紙を送ったんですが……」
    「ええ、受け取ってるわ。
     でもアオイは、『今日の昼過ぎ、フリオンさんがマークくんに会うよ』ってよげ、……言ってたのよ」
    「言ってた、って……?
     僕がどうして今日、ここに来ると分かったんですか? それにトレッドさんに会ったのは、偶然で……」
    「ま、いいじゃない、細かいコトは。とりあえず上の階に来てちょうだい」

     ホテルの3階および4階は、白猫党の全室貸切となっていた。
    「お金持ってるんですね、……すごく」
    「ええ、すっごく。ウチには優秀な財務担当者がいるから」
     3階へ上がったところで、シエナはある部屋の前に立ち、鍵を開けた。
    「マーク君、泊まるところ決めてないでしょ?」
    「ええ、まあ」
    「ココ、良かったら使って」
     シエナから鍵を手渡され、マークは面食らう。
    「えっ?」
    「手紙に書いてたアレがあるから、アオイに会うのはもうちょっとかかりそうなのよ。アタシにもいつ、あの子が起きるか分からないし」
    「ああ、確か『突発性睡眠発作症』でしたっけ。突然、眠りに落ちてしまうとか」
    「そ、そ。今もこのホテルで寝てるのよ。
     でも、ま、寝始めてからもう2日経ってるから、もうそろそろ起きるわ。……て言うか、明日くらいには起きてもらわないと困るんだけどね」
    「明日何か?」
    「ちょっと、ね。
     ま、長旅ご苦労様ってコトで、とりあえず今日は、ゆっくり休んで。ご飯とかは後でルームサービスが持って来るから」
     シエナはそこで話を切り上げ、階段を上って行った。
    白猫夢・堕天抄 2
    »»  2014.01.29.
    麒麟を巡る話、第319話。
    選挙戦。

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    3.
     ホテルに宿泊した、その翌日。
    「……?」
     マークはホテルの異様な静けさに、またも困惑していた。
     昨夜は廊下を歩けば、白猫党のバッジを付けた党員たちと何度もすれ違っていたが、今朝は誰にも出会わない。
     思い切って4階にも足を運んでみたが、やはり人の姿は無い。
    「……えーと」
     どうしていいか分からず、マークは立ち尽くしていた。
     と、廊下の奥から、ホテルの従業員らしき女性が現れる。
    「あのー」
    「はい」
    「白猫党の人たちって、もうチェックアウトしちゃったんですか?」
    「しろねこ……? ああ、あの猫ちゃんのバッジ付けてる人たちですか?
     今日は皆さん、選挙に向かわれてるみたいですよ」
    「選挙?」
     尋ね返したマークに、従業員は部屋から回収してきたらしき新聞を広げて見せる。
    「捨ててあったもので恐縮ですけど……、ほら、これ」
    「……『ヘブン王国第一議会選挙 本日投票日』?
     と言うことは皆さん、投票に? でも白猫党の人たちって、王国にとっては外国の人じゃないんですか? 普通、外国人に投票権って与えられないんじゃ……?」
    「ええ、こちらで党員を集めたりもされてるみたいですけど、ほとんど外国の方ですよ。
     でも……」
     従業員は小声で、マークに耳打ちした。
    「この国ってそう言うところがおかしいらしくって、王様は外国人に参政させても平気みたいなんですって。今だって『天政会』筋の人を大臣に据えたりされてますもん。……って白猫党? でしたっけ、みなさん仰ってました。
     だからみなさんも、こぞって立候補したみたいですよ」
    「え? 投票じゃなくて……、立候補したんですか!?」
    「はい。チラッと聞いた話では、85議席獲得が目標だって仰ってました」
    「その第一議会って、議席は全部でいくつなんですか?」
    「さあ? ……あ、書いてありました。150だそうです」
    「議席の過半数を……? いくらなんでも無茶じゃ……」
    「でもみなさん、『勝てる』って言ってましたねぇ」
    「……どうやって勝つつもりなんでしょう」
    「さあ?」



     マークの心配をよそに、選挙は例年にない熱気を見せていた。
    「ああ、疲れた……」
     例年、ほとんど暇を潰すのに終始していた選挙管理委員は、思いもよらない事態を迎えていた。
     いつもならば1時間にせいぜい1人か2人と言う程度の投票者が、今年は何十人も押しかけてきていたためだ。
    「い、忙しい」
    「腹減った……。ゆっくり弁当も食べられない」
    「何で今年はこんなに一杯……?」
    「分からん」

     その様子を離れて眺めていたシエナとトレッドは、嬉しそうに笑っていた。
    「まさかここまで忙殺されるとは思っていなかったようですな、彼らも」
    「でしょーね。多分、今回の投票数は7~8万を超えるんじゃないかしら」
    「彼らにそれを集計できる能力がありますかね」
     トレッドは肩をすくめ、こう続ける。
    「投票数自体、『天政会』の指示で仕方なく算出している数字でしょう? 実際のところ、実数を無視した適当な数字でしたし」
    「ま、そうね。前回までに出てた数字も、9割9分水増しって話だったし」
    「それがどうだ、今回はここまで大勢押しかけてきたわけだ。彼らの処理能力では、本日中に開票しきるのは難しいでしょうね」
    「そのためにも、あたしたちがテコ入れしてるのよ」
    「ええ、分かっておりますとも」



     通常であれば一部の関係者のみが細々投票していたこの選挙は、今回は王国各地から多数の国民が押し寄せた。
     シエナたちの予想通り、今回の選挙の投票数は、王国としては異例の10万票を超える結果となった。
     ちなみに前回の投票数は――「天政会」からの圧力による、公表時点での水増しを加えても――わずか400票足らずである。

     この騒ぎは、これから起こる一大政変の幕開けとなった。
    白猫夢・堕天抄 3
    »»  2014.01.30.
    麒麟を巡る話、第320話。
    大勝利。

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    4.
     ヘブン王国の主権、即ちその国のトップは、「王国」の名の通り、国王である。
     しかし王国が「天政会」に下って以降、国王および配下の人間には事実上、政治権力が与えられていなかった。「天政会」から人員が送られ、政権を掌握されていたのだ。
     とは言え、ここでも「天政会」は自らの責任を問われないよう、逃げ道を用意していた。それが「議会」である。

    「独立国家」である以上、国政はその国の人間、その国の組織・機関が執り行うべきものである。その観点に立てば「天政会」は国外の組織であり、その彼らが直接、王国の大臣たちを追い払ってその座に就くようなことをすれば、それはもはや「独立国家」の体を成さず、「天政会」の領地、所有物と同様の扱いとなる。
     この状態では、先の賠償金などのように、王国に対して何らかの問題に対し責任を問われた場合、「天政会」も連帯で責任を負うことになる。
     それを回避するため、「天政会」は「王国の凋落は国王による専制に原因がある。民主的な構造改革が必要だ」などともっともらしい理由を付けて議会を設置させ、その上で「国民から『公正な選挙によって』選出された」と言う大義名分を掲げて議会を掌握、政治上の要職を独占した。
     これにより、もしも問題が発生した場合、即座に王国から議員たちを退かせ、王国に責任を丸投げすることができると言う、とんでもない逃げ道を用意したのである。
     ちなみに選挙自体、名目上では国民全員に投票権があるとしているものの、ほとんどの国民に対してはまともに公示などされておらず、議会設置から約20年・6期の間、「天政会」が内々で密かに投票し、密かに議席を分配すると言う阿漕(あこぎ)な方法を執っていた。

     この国家的矛盾を、白猫党は突いた。
     まず、「外国人に参政させている」と言う事実を逆手に取り、自分たちが立候補したのである。この一件が、「天政会」の言いなりになっている現状を打破する材料と見られ、国民を刺激した。
     さらに王国各地を回り、選挙と言うものがあるなどと思ってもおらず、これまで投票していなかった者たちに、この存在を知らせて回った。
     それが功を奏し、今回の投票数大幅増につながったのだ。
     また、従来の投票数の少なさから、密かに「天政会」が投票結果を自分たちに都合のいいように水増ししていることも突き止めており、白猫党は選挙管理委員会にも人員を送り込んでいる。
     万が一この投票結果が「天政会」にとってマイナスとなる結果を示した場合、「天政会」がそれを誤魔化し、揉み消すのを阻止するためである。

     そしてこの選挙は、白猫党にとっては予想通りであり、一方で王国、および「天政会」には青天の霹靂とも言うべき結果となった。
     選挙前には150議席中、105議席が「天政会」、残る45議席は王国の権力者が握っていた。
     ところがこの選挙により、「天政会」は大幅に議席を減らし、わずか8議席の獲得にしか至らなかった。
     一方、王国側は73議席と大幅増。そして突如現れた白猫党が、残る69議席を獲得した。



    「ばんざーい!」「ばんざーい!」
     選挙後、ホテルでは祝勝会が催された。
    「みんな、本当にお疲れ様! これで『第一段階』完了よ!」
    「おつかれさまです!」「おつかれさまです!」
     シエナが壇上に立ち、皆を労っている。
     それを傍から眺める形で、マークは一人、ぼんやりと突っ立っていた。
    (まさか……、としか思って無かったけど、まさか本当に、半数近くも議席を獲得してしまうだなんて。
     でも、流石に過半数なんて無理だったみたいだな。多分今回初めて投票に来た人たちだって、そこまで白猫党を信じ切れなかったんだろう。
    『天政会』も白猫党も外国人であることに変わりはないし、それよりも――ずっと日陰者だったにせよ――国内の人間に任せたいと思うだろうし、それが王国側の議席増にもつながったんだろうな。
     とは言え、王国側と手を組めば、確実に『天政会』を王国から追い出すことができるはずだ。多分、明日にでもその話が出るだろう)
     マークの予想通り、大量の議席を得た白猫党は、翌日から動き出した。
    白猫夢・堕天抄 4
    »»  2014.01.31.
    麒麟を巡る話、第321話。
    悪法の成立。

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    5.
     議席の内容が一新されてすぐに会議が開かれることになり、第一議会は騒然としていた。
    「いや、まさか私なんかが議席を得られるとは、思ってもみませんでした」
    「いやいや、あの目障りな坊主共が割り込んでさえいなければ、こうなって当然でしょう」
     議会の席から「天政会」筋の人間が一掃され、開会前の時点で既に、「天政会」排斥の雰囲気が漂っていた。
     そして同時に――。
    「しかし不気味なのは、あの白猫党だ」
    「確かに。突然現れるなり、なんと69議席も手中に収めるとは」
     王国側の議員たちにとっては、白猫党もまた、軽視できない存在であった。
    「わしには不安でならんよ……。『天政会』がそのまま白猫党に代わっただけではないか、とな」
    「何としてでも、この機会に我々の復権を成さねばなりませんな」

     会議が始められ、すぐさま白猫党が議題を挙げた。
    「我々は貴国の政治的安定を確立すべく、以下の法案を提言いたします。
     まず、当議会のシステムについて確認いたしますが、前期まで事実上、当議会において多数派となっている派閥が舵取りを行い、それに則って執政を行っていたと、我々は認識しております。
     この認識に間違いはございますか?」
     党側の問いに、王国側の代表が応じる。
    「その認識に、事実と異なる点は無いものと思われます」
    「ご回答ありがとうございます。
     しかしこれを容認する法律は定められていません。これは当議会における理念、貴国の安寧秩序の向上および維持と言う目標・目的に照らし合わせますと、この状態・状況を甚だ不安定にさせている要素、重大な原因ではないかと、我々は憂慮しております。
     つきましてはこの権利・権限を明文化し、確固たる法として示すべきではないかと、我々は当議会に検討をお願いしたく存じます」
    「……っ」
     この提言に慌てたのは、わずかに残った「天政会」の議員たちである。これが通れば、彼らの発言権は完全に封殺されるからである。
    「反対します!」
    「理由をどうぞ」
    「1つの派閥に権力を集中させることは、議会の存在をないがしろにするものであり、それは従来の王政と何ら変わりません! 議会と言うものの存在を鑑みれば、そのような法を制定すべきではありません!」
    「しかし前期まで、多数派であるあなた方が議会の主導権を担っていたのは事実です。その事実を明文化し、あなた方の行為の正当性を認めようと、我々は述べているつもりです。
     これを否定されるのであれば、あなた方はこの20年間における、王国での行為の一切を自ら否定することとなります」
    「詭弁だ!」
    「詭弁かどうかはともかく、この法案を否決するのであれば、あなた方がこれまで当議会において行ってきた行為は、法的根拠・制約の無いものであったことを認めることとなります」
     あからさまに「天政会」を糾弾する白猫党の動きに、王国側も同じ始めた。
    「そ……、そうだそうだ!」
    「今まであんたたちがやってきたことだ!」
    「今までしてきたことを無かったことにはさせんぞ!」
     議会は一瞬、騒然としかけたが――。
    「静粛にお願いします」
    「あ、……うむ」
     終始冷静な姿勢を見せた白猫党の対応により、場はあっさりと静まる。
     結局、王国側と白猫党によって賛成多数となり、白猫党が提言したこの法案――議会内の多数派派閥が議会における最高権力を持つことを明文化した「議会与党委任法」は可決され、その日のうちに発効となった。



     議会での経緯を夕刊の新聞で知ったマークは、さらに不安を覚えた。
    (何て言うか……、確かにこの法案によって、晴れて王国側の人たちが合法的に参政できるようにはなったわけだけど、『天政会』から報復を受ける可能性を忘れてるんじゃないだろうか……?
     いや、それよりも、……どうして白猫党は自分たちに利益の出ない、こんな法案を通したのか、すごく気になる。元々は『議席の過半数を』って言ってたんだから、この国で権力を手に入れようとしていたのは明白だ。
     考えられることとしては……、これから王国の人たちに取り入って、連立的に政権を、……とか?)
     新聞を眺めながら、ロビーのソファにもたれかかった、その時だった。

    「違うよ」
    白猫夢・堕天抄 5
    »»  2014.02.01.
    麒麟を巡る話、第322話。
    堕天の夜。

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    6.
    「ひゃっ!?」
     ソファの裏側から聞こえてきたその声に、マークは飛び上がりそうになった。
    「……あ、え?」
    「マークくんの予想、違うよ」
     眠たげなその声は、確かにマークが昔、天狐ゼミで聞いたことのある、あの少女のものだった。
    「ち、違うって?」
     しかしマークには、彼女が突然現れたことよりも、口に出していなかった自分の考えを否定されたことの方が、気になった。
    「マークくん」
     しかし、声はマークの問いに応じない。
    「今夜からしばらく、このホテルから出ないでね。ううん、ロビーにもいない方がいい。部屋に戻ってて」
    「え?」
    「今日の夜は長くなるよ。そして、とっても危険になる。うっかり外に出たらきっと」
     そして眠たげなその声は、恐ろしいことを告げた。
    「殺されるよ」
    「なっ……」
    「それが嫌なら、絶対に外に出ないで。窓も開けちゃダメだよ」
    「ちょ、ちょっと、……っ」
     マークは新聞を放り投げ、慌ててソファの背後に目をやる。
     しかし既に、そこには誰もいなかった。



     議会の閉会後、屋敷に戻った王国の要人たちは、いずれも明日から訪れるであろう多忙の日々を思い、嬉しそうに笑いながら晩餐の席に着いていた。
     と、そのうちの一人の家で――使用人が顔を真っ蒼にし、主の元にやって来る。
    「だ、旦那様……」
    「うん?」
    「そ、その、お客様、……がお見えです」
    「どうした? そんなに震えて……」
    「……」
     使用人の様子に首をかしげている間に、廊下の奥からバタバタと、人が大勢詰めかけてくる音が響いて来た。
    「な、なんだ?」
    「夜分遅くに失礼いたします、子爵閣下」
     現れたのは、白猫党の党章を付けたスーツ姿の男と、武装した党員十数名だった。
    「な、なんだね君たちは!?」
    「本日の会議、お疲れ様でした。我々の提言した法案に対して賛成票を投じていただき、誠に感謝いたします。
     なお別件ですが、第一議会の議席構成について、本日、以下の変遷があったことをお伝えします」
     そう前置きし、男はこう続けた。
    「本日、サントス・マルコ伯爵以下16名の第一議会議員が、我が白猫党に入党いたしました。
     これにより、我が党の議席数は69から85となり、本日を以て我が党が第一議会の最大派閥、即ち与党となりました」
    「は……?」
     状況が呑み込めないらしく、子爵は唖然としている。
    「また、貴国の安寧秩序の向上と維持を私たちなりに真剣に検討しておりましたが、まずは議会の構造から是正すべきではないかとの案が出ました。
     現在の議席数では政治的判断を行うに当たり、意見調整に時間がかかり過ぎるのではないかと言う意見があり、私たちはこれを鑑みた結果、議席数の削減を行うことにいたしました」
    「つまり……、どう言うことだ」
    「議席数を現在の150から、85にいたします」
    「なっ……!? 85とはつまり、あなた方の議席数で全てではないか!」
    「ええ。その数であれば円滑な運営ができるだろうと、政務対策本部が偶然にもそう結論付けました。
     ですので閣下」
     男は右手を挙げて党員に指示しつつ、子爵にこう告げた。
    「本日付で議員の職を辞していただくよう、勧告申し上げます」
    「ばっ、馬鹿な! わしは昨日やっと……」
    「残念ですが拒否権はございません。これは議会与党委任法に則った、『法律上』至極正当な命令です。
     議員である以上、いいえ、この国の民である以上、従っていただきます」
     党員は武器を子爵に向ける。
     子爵はしばらくうなっていたが――結局、うなずくしかなかった。

     白猫党はこの夜のうちに各地の議員宅を回り、同様の勧告を突き付け、そしてその全員から承諾を得た。
     勿論中には法案を反故にすべく、軍や国王に働きかけようとする者もいたが――。
    「う……っ」
     国王が住む城にも、軍本営にも、白猫党の私兵が陣取っている。
     そしてその前面に立つ党員たちが、口々にこう宣言していた。
    「議会与党委任法により、当国における国王の政治的権限を停止する! 並びに同法により、当国における全軍に対し、待機を命ずる!」
    「ふ、ふざけるなッ!」
     軍に手を回そうとした者の一人が、たまらず本営の前に飛び出した。
    「こんな余所者共の言いなりになるのか、お前ら!」
    「なりますとも」
     党員が代わりに、こう答えた。
    「軍の将軍・幹部らも、大半が既に、我が党に入党していますからね」



     ヘブン王国は選挙からわずか2日で、白猫党の支配下に収まることとなった。

    白猫夢・堕天抄 終
    白猫夢・堕天抄 6
    »»  2014.02.02.
    麒麟を巡る話、第323話。
    夜が明けて。

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    1.
     ガラスや床板の割れる音、扉を蹴る音、怒鳴り声――その度に銃声が数度響き渡り、そして静寂が訪れる。
    「ひ……い……」
     喧騒に怯み、窓を閉めるが、騒ぎはなお聞こえてくる。
    (怖い……怖い、怖い……!)
     マークは怯えていた。自分が投宿し、白猫党が本拠地にしていたホテルに、暴徒が幾度となく押しかけてきていたためである。
     白猫党による政権奪取と同時に独裁状態となった後、議会を追われた貴族や白猫党に招かれなかった軍幹部、そして国王に信頼を寄せる市民などが団結し、実力行使で彼らを排除しようとした。
     しかし白猫党も、自前の私兵――彼らは「党防衛隊」と呼んでいる――に加え、王国軍幹部らの大半を党員にしたことで事実上、王国軍を傘下に収めている。
     白猫党に襲い掛かった暴徒たちは、党防衛隊と王国軍が合わさったこの大軍にことごとく返り討ちにされ、その結果、この2日でホテル周辺は修羅場と化していた。
    (もう勘弁してくれ……! こんな狂乱が、いつまで続くって言うんだ!?)
     マークは頭から布団を被り、ベッドの中で震えていた。

     ホテルの2階から下には党防衛隊が配備され、ホテルに押し入った暴徒たちを次々に射殺していた。
    「『預言者』によれば、今日が襲撃のピークよ。今日を凌げば、この騒ぎは鎮静化に向かうわ。みんな、油断しないで!」
    「はい、総裁!」
     党首シエナの応援を受け、党員たちの士気が上がる。
    「まとめてかかって来い!」
    「全員蜂の巣にしてやる!」
     拳銃や小銃だけでは無く、最新鋭の重機関銃までも持ち出し、党員たちはホテルの床をさらに、赤く染め上げていった。
     と――その様子を確認したところで、シエナは同じように横で状況を見守っていた幹部たちに、静かに手招きする。
    「『預言者』から啓示があったわ。作戦会議よ」
    「かしこまりました、総裁」
     シエナたちは4階に上がり、会議室として使っている部屋へ向かった。
    「みんないるわね?」
     幹部全員が揃っていることを確認し、シエナは席に着く。
    「それじゃ、今回の啓示について説明と指示を行うわね。
     第1に、アタシたちが議会から追い出した『天政会』側の議員について。
    『預言』では彼らは今後、天帝教直轄領、マーソルへ帰還した後に態勢を整え、『天政会』配下国を通じて威圧、および政権奪還を試みるそうよ。
     この『預言』を実現させないよう、早急に元議員たちを排除すること」
    「了解しました」
    「第2に、現在の戦闘状況について。
     アタシたちが政権奪取してから既に2日が経過し、襲撃も下火になり始めてる。もう一両日中には鎮静化するでしょうね。『預言者』もそう言ってたわ。
     それを受けて、現在拘束中の王族から、自分たちの身柄解放および統治権についての話し合いの場を設けるよう、打診されるそうよ。
     勿論コレに関しては、全面的にノーを突きつけるように。彼らの統治能力に任せては、王国は10年と持たないわ。『預言者』もコレは断言してる。
     百歩譲って身柄を解放、軟禁状態に移すのはいいとしても、彼らには一切、政治に関わらせないように手を回してちょうだい」
    「承りました」
    「第3、現在このホテルにて保護および監視しているマーク・トラス殿下について。
     今のところは外の状況に怯え、部屋に閉じこもってるみたいだけど、『預言者』によれば明日、逃亡を試みるそうよ。
     今後の『新央北』側との政治的交渉を行う上で、彼はかなり重要な『カード』になる。ココで手放すわけには行かないわ。
     監視の目を増やして、逃げ出さないよう見張ってて」
    「分かりました」
    「それから、……ああ、まあ、コレはいいわ」
     シエナは4つ目の啓示については言わず、会議を締めた。
    「これからの2日間が、我々がこの央北全土を掌握できるかどうかの分かれ目になるわ。
     みんな、まだまだ気を抜けない局面は続くけど、頑張ってちょうだい」
    白猫夢・逃狼抄 1
    »»  2014.02.04.
    麒麟を巡る話、第324話。
    ジャミング。

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    2.
     白猫党により政治権力を奪われた「天政会」の僧侶たちは、独裁状態に移行したその日、本拠地へ「魔術頭巾」による通信を試み、指示を仰ごうとした。
    「と言うわけでして、早急にご指示をいただきたく……」
    《なるほど。確かに由々しき事態です。
     ともかく聞く限りでは、王国は早晩、内戦が勃発してもおかしくない状況になるでしょう。密かに王国を脱出し、本国へ帰還してください、……とのことです》
    「え? もうご指示が出ているのですか……?」
     早い対応に、僧侶たちは驚く。
    《あ、いや……、白猫党なる者たちのことは、我々も聞き及んでいます。これくらいのことはやってのけるだろうと、予想は付いていました。
     そこで万が一このような事態が起こった場合について、議長はあらかじめ、対策を検討されていらっしゃいました》
    「なるほど……。では今後についても、対策を?」
    《ええ。それを詳しく協議するため、皆さんには早急に戻ってきてほしい、とも仰られています》
    「分かりました。では、すぐに」
    《ええ。お待ちしています》



    「頭巾」で受けた指示により、僧侶たち105名はヘブン王国を密かに抜け、馬車を使って天帝教の本拠地であるマーソルへと向かった。
    「しかし、一時はどうなることかと……」
    「うむ、全くだ」
    「だが議長の慧眼には流石と言う他無いな」
    「ああ。まさかこんな大変な事態を予測していらっしゃったとは」
    「……でも、腑に落ちないところはありますね」
     若い僧侶の言葉に、周囲が怪訝な顔を並べる。
    「と言うと?」
    「あらかじめ予測できていたなら、もっと早い段階で手を打てたのではないか、と。
     例えば白猫党を入国させないようにし、選挙にすら参加させないよう手配しておくとか」
    「……ふーむ」
    「言われてみれば」
    「それに『頭巾』で通信した際も、応答していた方がいつもと違っていたような……」
    「そう、……だったか?」
    「杞憂であればいいのですが……、何か胸騒ぎがするのです」
    「確かに……」
     この意見を受け、皆が妙な不安を覚えた。

     そしてその直後、不安は――彼らにとっては最も予想外であり、かつ、最も起こってほしくない形で――現実のものとなった。
    「……!?」
     前を行く馬車が突然、爆発・炎上する。
    「なっ……」
     前方を塞がれ、一行が立ち往生したところで、最後尾の馬車も燃え上がる。
    「何だ、これは!?」
     慌てて馬車の外に出た彼らは、瞬時に血まみれになった。
    「……!」
     まだ馬車の中に残っていた者たちが、恐る恐る外の様子を確かめる。
    「あれは……」
    「まさか、……白猫党」
     逃げ道を完全に塞がれた彼らを囲むように、猫を模した銀製のバッジを付けた、スーツ姿の者たちが、軽機関銃を手に続々と現れた。



    「閣下。党防衛隊内突撃隊からの報告がありました。『天政会』側の元議員105名、全員を射殺したとのことです」
     党員からの報告を受け、シエナはニヤ、と笑った。
    「そう。……うふふ」
     シエナは自分の机から、ごそ……、と「頭巾」を取り出した。
    「うまく行ったみたいね」
    「ええ。流石でございます。
     閣下お手製の通信傍受・妨害用魔術――最早、『魔術頭巾』などと言うものは、あと数年で過去の遺物となるでしょうね」
    「あら、『頭巾』だけじゃないわよ」
     シエナは党員に、「頭巾」をぴらぴらと振って見せた。
    「アタシが天狐ゼミ時代に開発したこの魔術を応用すれば、次世代技術の電信・電話だって思いのままに操れるわ。そうなればもう、アタシたち以外の誰も、情報をまともに受け取れも、送れもしなくなる。
     みんな大混乱するわ。アタシたち以外の、世界中のみんなが。そしてソレこそが、我が白猫党の世界的大勝利――『新・世界平定』につながるのよ」
     シエナは心底愉快そうに、クスクスと笑っていた。
    白猫夢・逃狼抄 2
    »»  2014.02.05.
    麒麟を巡る話、第325話。
    党からの逃亡。

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    3.
     市街戦の勃発から3日が経過し――「預言者」による啓示の通りに――あれだけ激しかった襲撃は、急に鎮まり始めていた。
    「分かり切ってるコトだけど、あえて分析するとすれば、コレは恐らく、相手側の人員の疲弊・死傷、それと物資の不足が原因ね。
     平たく言えば、相手はもう戦える状態じゃないのよ」
    「元々が市民や貴族、そして除け者にされた末端将校の集まりですからね。我々の装備と陣容をもってすれば、3日や4日防衛することなど、たやすいことです」
     この日も幹部による会議が開かれ、シエナが今後の対応について指示を送った。
    「と言うワケだから、マラガは残存勢力の掃討を。アローサもソレに同行し、残存勢力の中で、我が党に恭順する意思を示した者については武装を解除して連行した上で、然るべき地位もしくは処分を与えるコト」
    「了解であります」
    「分かりました」
     党防衛隊隊長のエンリケ・マラガと、党員管理部長のミリアム・アローサは同時にシエナへ敬礼し、会議の場を後にしようとした。
    「あ、マラガ」
     と、それをシエナが呼び止める。
    「はい」
    「トラス殿下はどうしてる?」
    「政権奪取から以後、ずっと寝室内に籠っているとの報告を受けております。いやはや、風雲児と称されたあのトラス王の子息にしてはいささか、臆病者であると……」「マラガ」
     シエナはマラガをにらみ、発言をたしなめた。
    「彼は人質である前に、アタシの友人よ。それを忘れないでちょうだい」
    「……失礼いたしました」



     2時間後――シエナの命令に従い、党防衛隊と党員管理部の者たちが、ホテルを出た。
    (あれ……?)
     この時、静かになった外を恐る恐る眺めていたマークは、この一行を目にし、彼らの身に何も起こらないことをいぶかしんでいた。
    (白猫党の徽章や腕章を付けて、あんなに堂々と歩いてるのに、襲撃を受けるどころか、誰も寄ってすら来ないなんて……?
     いや、そもそもつい昨日まで、あれほど銃弾が飛び交っていたのに、今日はまだ、一発も銃声が聞こえない。
     もしかして、国民側はもう、襲撃を諦めたんだろうか? ……だとしたら)
     マークは音を立てないよう、こそこそと荷物をまとめ、窓を覆うカーテンを裂き、長いロープを作った。
    (多分、この状況になっても、僕が平然と外に出ることはできないだろう。2階から降りようものなら、即座に止められる。『まだ安全が確認できない』とか何とか言われて。
     だって、明らかだもの。白猫党が僕を拘束しようとしているのは、間違い無い。でなければ、あんなに執拗に手紙を送ってきたり、半ば強制的にホテルに泊めたりなんてしない。
     党は恐らく、父上の言っていた通り、僕を党に引き込むか、さもなくば今後『新央北』へ攻め入る際の足がかりにしようとしているか、そう言う類の意図を持っているんだ。
     それは父上同様、決して容認・看過できない話だ。この街の惨状を見れば、そうとしか判断できない。もしこのまま僕が白猫党に取り込まれるようなことがあれば、いつかはトラス王国が、この国と同じ目に遭う。
     逃げよう。このままこのホテルに留まっていたらいずれ、党に入れられることになる。
     ……アオイさんと、ちゃんと話ができなかったのは残念だけど、睡眠発作症を患っているって話だったし、こっちから話をしようとしても、多分できないだろう。未練は無いな)
     かばんを背中に括りつけ、マークはもう一度、窓の外を確認する。
    (人の姿は無い。今なら脱出できるかも)
     マークはベッドにカーテンの一端を巻きつけ、もう一端を窓の外に垂らして、それを掴んで窓の外に出た。

     この時、マークの体重は51キロであり、16歳・164センチの少年としては、少々軽めと言える。
     しかしこれにかばんの重さ2キロ半を足した総重量は、カーテンで作った間に合わせのロープには到底、耐えられるものではなかった。
    「……えっ」
     3階から2階部分へと下った辺りで、びり……、と布が裂ける音が聞こえてきた。
    「ちょ、ちょっ、まっ」
     待って、と言う間もなく――カーテンは無常にも千切れ、マークを空中へ放り出した。
    「うわっ、わっ、わああああー……ッ!」
    白猫夢・逃狼抄 3
    »»  2014.02.06.
    麒麟を巡る話、第326話。
    救出者の登場。

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    4.
     落ちていくその瞬間、マークの脳裏に様々な記憶が蘇ってくる。
     幼い頃から見てきた、ひょうきんな父の顔。あまり感情を表さず、常に薄く笑っていた、母の半顔。
     8歳の頃、怪我をした自分に治療術をかけてくれた、母――いや、母に似ているが――。
    (……あれ?)
     地面へ激突するかと言うその刹那、マークの脳内は記憶の彼方に一瞬浮かんだ、その猫獣人のことで一杯になった。
    (誰だっけ……? 母上に、似ている。でも母上じゃない。
     だって、顔が全部ある。そうだ、僕はあの人の顔を見て、きっと母上が顔をすべて取り戻したら、こんな凛々しい顔になるだろうって、そう思ったんだ。
     だから僕は、再生医療術の道を志した。きっと母の顔を、あの人のように、してみせるって、だから、アオイさんの、でも、今、ダメ、会えない、逃げ、……落ちる……ッ)
     マークの眼前に、血と硝煙で汚れた地面が迫ってきた。

     が――あと1メートルで衝突するかと言うところで、がくん、と体に衝撃が走った。
    「うげ……っ、……え?」
     自分の代わりにかばんが落ち、中身が地面にぶち撒けられる。
    「……な、なに? なんで?」
    「マーク、君がこんな無茶をするなんて思ってなかった。ゼミにいたあの時は」
     上から声が聞こえてくる。
     マークが顔を上げると、そこには淡い水色の髪の、長耳の少年が浮かんでいた。
    「……フィオ、くん? フィオリーノ・ギアト?」
    「そうだよ、フィオだ。……重たいから下ろすよ」
    「あ、う、うん」
     ゆっくりと着地し、マークは角がへこんだかばんを手に取りながら、まだ空中に浮いたままのフィオに尋ねた。
     フィオが浮いているのは魔術によるものかと思ったが、よく見れば彼の腰からホテルの屋上にかけて、鋼線が伸びている。
     どうやら屋上から飛び降り、落下しかけたマークをつかんでくれたらしい。
    「助けてくれたの?」
    「この行為を助けるって、君は言わないのか?」
    「いや、言うよ。ありがとう、フィオくん。でも今、僕は疑心暗鬼なんだ」
     マークがかばんの中身を拾い集めたところで、フィオも腰の鋼線を外し、着地する。
    「僕が白猫党の一員かも、ってこと? それなら答えはノーだ。僕は純粋に、君を助けるためにここに来たんだ」
    「助けに?」
     マークはその返答に、腑に落ちないものを感じた。
    「どう言うこと? 僕がここに閉じ込められてたこと、知ってたの?」
    「それは後で説明するよ。君の落としたかばんの音で多分、党員は君が逃げたことに気付く。囲まれる前に逃げよう」
    「あ、……そうだね、うん」
     マークは留め金が壊れたかばんを抱え、フィオとともに、その場から走り去った。



     王国首都、クロスセントラルから離れ、郊外の森林地帯に到達したところで、二人は立ち止まった。
    「はぁ、はぁ……。ここまで来れば多分、安全だろう」
    「ぜぇ、ぜぇ……、ねえ、フィオくん」
     マークは気になっていたことを、フィオに尋ねる。
    「さっきの話だけど、どうして僕があそこにいると知ってたのさ? 僕のことを監視したり、尾行したりしていた、ってこと?」
    「いや」
     と、フィオは大きく首を振り、否定した。
    「君がここに来ることは知っていたんだ。そして『僕の知識』では、君は今日死んでいたはずなんだ」
    「え?」
    「それが『元々の流れ』なんだ」
    「どう言うこと?」
     尋ねられたフィオは一瞬困った顔をしたが、やがて意を決したように、語り始めた。
    「まず、僕がこれからする話はすべて本当だと言うことを、分かってほしい。嘘はひとつも無い。
     僕の母は、とてつもない魔術を発明したんだ。それは時間の跳躍――究極の魔術だ。だけどそれは、単純な学術的興味や、ファンタジックな妄想から作られたんじゃない。必要に迫られて作り上げたものなんだ。
     過去に誰かを送り込む。そう言う必要があったから。そして送られたのは、僕だった」
    「えっ……?」
     突拍子も無い話に、マークは言葉を失う。
    「僕の母がそんな魔術を作り上げたのは、僕が元いた世界が、壊滅的被害を受けていたからだ。
     そう、アオイ・ハーミットによって」
    「アオイさんによって? アオイさんが、何をしたと?」
     マークの言葉に、フィオは表情を暗くする。
    「白猫党だよ。彼らはアオイの指示の下、この中央大陸各地で戦争を繰り広げた。まずはこの央北全土を掌握し、続いて央中を攻め、果てには西方や央南にも戦火を広げた。
     僕らの時代では、その大戦禍を『世界大戦』と呼んでいる。まさに世界的な戦争だった。そしてその戦争は、結果的には白猫党の勝利で終わる。でもあまりにも被害が大きすぎたために、白猫党はその責任を巡って内部分裂を起こし、彼らも自壊する。
     後に残ったのはアオイただ一人だ。彼女はその荒廃した世界において、女王として君臨するのさ」
    「そんな……」
    「嘘じゃないと言ったはずだ」
     フィオは自分の持っていたかばんから、何枚かの写真を取り出した。
    「……っ」
     フィオから手渡されたその写真には、今より大分年を取った葵が、どこかの玉座に座っている様子が写されていた。
     だが――その背後にもう一人、銀髪の猫獣人が立っている。写真の中の、葵のうつろな顔とあいまって、それはまるで、その「猫」が彼女を操っているようにも見えた。
    白猫夢・逃狼抄 4
    »»  2014.02.07.
    麒麟を巡る話、第327話。
    央北征服計画。

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    5.
    「未来――いや、もう変化は起こってるから、『元の世界』とでも言った方が適切なのかな」
     マークは写真をフィオに返し、話の続きを聞くことにした。
    「まず、今日。双月歴566年3月3日、午後。
     君、マーク・トラスはあのホテルから転落し、即死した。しかしその事実は白猫党によって隠され、君は白猫党党員に仕立て上げられる。その『影武者』に言われるがままトラス王国は操作され、最終的に『新央北』の勢力圏はそっくり、白猫党のものになる。
     一方で今回のクーデターによりヘブン王国は陥落し、王国を牛耳っていた『天政会』議員も全員、暗殺されている。
     これについては、君の場合とは逆に、大々的に公表されることになる」
    「え……、どうして?」
    「公表された方が、『天政会』にとっては結局、都合が悪いからさ。
     105名もの犠牲者を出した以上、通常の国家であれば何らかの報復を行うことになる。しかし『天政会』にはそれができない。『天政会』自体には軍事組織が無いから、報復するとなれば傘下にある国から、軍を引っ張ってこなきゃならない。
     しかしそれをすれば、その国に対して『借り』を作ることになるし、報復行動中は軍部の意見を大なり小なり聞き入れる必要も生じる。それは『天政会』にとって、傘下国に対する大きな弱み、隙を作ることになる。それ故に、絶対的上位に立ちたがる『天政会』は報復策を取りたがらないんだ。
     でも、かと言って百を超える人的被害、一国を失う政治的被害を被っておいて何もしない、動かないなんて言うんじゃ、それこそ体制維持に関わる。傘下国からも不興を買うだろうし、何かしら行動を起こさなきゃいけない。
     その焦り、ジレンマで身動きできなくなっているところを、白猫党は密かに襲撃する。その結果、『天政会』は瓦解する。
     そして関係を解消した各国は順次、白猫党の傘下に収められていくことになり……」
    「『新央北』と『天政会』の両陣営の掌握――それが央北全土の、征服」
    「そう言うことさ。
     だけどもう、その未来は訪れない。何故なら君が、生きているからだ」
    「僕が……?」
    「君が生きている以上、白猫党が君を騙ってトラス王を操ることはできないからさ。
     それどころか、君がトラス王国に戻り、ヘブン王国の惨状をトラス王に伝えれば、トラス王はきっと白猫党を『新央北』圏内に入れさせないよう、全力で対策を講じるはずだ。彼の政治力を以ってすれば、それは容易だろう」
    「うん、確かに。父上なら、やろうと思えばやってくれるはずだ」
    「と言うわけで」
     フィオは立ち上がり、マークに手を差し伸べた。
    「次は君を、故郷に送る。そしてこの現状を伝えて欲しい。
     彼らの計画は、決して実現させてはいけないんだ。そのために僕は、未来から送り込まれたんだ」
    「……分かった。
     息も大分整ってきたし、そろそろ行こう」

     フィオを先頭にし、マークがそれに付いていく形で、二人は森を進む。
    「フィオくん、……は」
    「ん?」
     その途中、マークがぽつぽつと尋ねる。
    「未来人なんだよね?」
    「そうだ」
    「どれくらい未来から?」
    「さっき、アオイの写真を見たろ?」
    「うん。30歳くらい……、に見えた」
    「それくらい先ってことさ」
     それを受けて、マークはゼミ時代の記憶をたどる。
    「今、……確かアオイさんは、19歳だったから」
    「そうだ。もっともあの写真の時代のアオイは、魔術で肉体年齢をある程度いじってるだろうけど、だからってそんなに遠い話じゃない。
     大体、僕が生まれたのが……」
     と、ここでフィオが立ち止まる。
    「……マーク。僕には色々やらなきゃいけないことがあるし、だから当然、ここで死にたくは無い。
     でも万が一、僕が死ぬことがあったら、君が遺志を継いでくれ」
    「え?」
    「囲まれた。まずいかも知れない」
     その言葉と同時に、前後左右からガサガサと音を立て、軽機関銃を手にした党員たちが現れた。
    「よお、マーク。……それからそっちは、もしかしてフィオか?」
     と、その先頭に立つ形で、赤いメッシュが入った金髪の狐獣人が現れた。
    「君は……」
    「久しぶりやなぁ、1年ぶりくらいか?」
    「……っ」
     白猫党の党章を付けたその狐獣人――かつての同窓生、マロがニヤニヤと笑いながら、二人の前に立ちはだかった。
    白猫夢・逃狼抄 5
    »»  2014.02.08.
    麒麟を巡る話、第328話。
    党防衛隊の追撃。

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    6.
    「まさかマークだけやなくて、フィオにまで会うとは思てへんかったわ」
     マロはニヤニヤと暗い笑みを浮かべたまま、党員たちに無言で腕を振り、指示を送る。
    「マーク、お前を逃がすなっちゅう総裁閣下サマのご命令や。ホンマはこんなもん、党防衛隊の仕事やけど、お前と俺には色々しがらみがあるからな。
     俺は忘れてへんで。4年前、お前が俺を殺そうとしとったこと」
    「う……」
     一瞬、マークは後ずさろうとしたが、背後からも銃を突き付けられていることを思い出し、その場に留まる。
    「ホンマやったら拘束して、ホテルに連れ戻すところやねんけども、ちょっと『手違い』があってしもた、……っちゅうことにするわ。
     別に構へんからな、お前が生きてようと生きてまいと。お前がこっち来て、国に帰らへんっちゅう事実さえあればええねんし」
     そう前置きし、マロはす、と手を挙げる。
     それを受け、党員たちが銃を構えた。
    「させるものかッ!」
     次の瞬間、フィオは魔法陣の描かれた剣を取り出し、呪文を唱える。
    「凍れ、『バーストチリング』ッ!」
     呪文が発動すると同時に、マークの狼耳に、ひや……、とした風が当たった。
    「うっ……」「マーク、僕のそばに! そこにいると巻き添えを食う!」
     フィオが左手でぐい、とマークを抱き込みつつ、剣を持ったもう一方の手を掲げる。
    「なんや……?」
     マロはきょとんとしていたが、すぐに異変が起こっていることに気付く。
    「お、おい! 銃、なんや白くなっとるぞ!?」
    「え? ……うわっ!?」
     党員たちが手にしていた銃が、銃口から銃身にかけて凍りつき、びっしりと霜が付いていた。
    「う、撃て、撃てっ!」
     慌ててマロが命じるが、既に内部も凍りついているらしく、引き金を引いてもビクともしない。
    「う、撃てません!」
    「攻撃不能です!」
    「う、さ、寒、っ……」
     さらには党員数名が真っ蒼な顔でばたばたと倒れ、銃同様に凍りついていく。
    「くそ、……ふざけんなッ!」
     マロは倒れた党員から銃を奪い、火術を唱えて銃を温めようとした。
    「さっさと融けろや!」
    「あ」
     その様子を見ていたマークが、思わず声を漏らす。
    「マロ、ダメだ!」
    「知るかッ! そこでじっとしてろ、さっさと殺して……」
     マロが怒鳴り返していたその途中、ばごん、と鈍い音が轟いた。
    「うおわあッ!?」
     どうやら弾薬に熱が移り、腔発したらしい。
     マロは顔面から血を流し、その場に倒れた。
    「今だ! 逃げよう!」
     フィオはマークを抱えたまま、マロの横を抜け、その場から走り去った。
     それと同時にフィオの術が解け、周囲は元の気温に戻る。
    「にっ……、逃すな、逃すな……っ」
     マロは血まみれになった顔を覆ったまま、党員たちに命じる。
     復活した党員たちは銃を取り、フィオたちを追った。

     マークとフィオは、全速力で森の中を駆ける。
    「はぁっ、はぁっ、……」
    「止まったらダメだ、マーク! 止まったら撃ち殺されるぞ!」
    「わっ、分かってる、分かってるよっ!」
     既に党員たちから300メートル程度は離れたものの、背後からはぱぱぱ……、と軽機関銃の掃射音が響いてくる。
     その内の一発が、ちゅん、と音を立てて、マークのすぐ横にある木をえぐった。
    「うわっ……」
     それに気を取られ、マークの姿勢が崩れる。
    「マーク!」
     連鎖的に、フィオも気を取られる。
     次の瞬間――フィオの右肩から、血しぶきが上がった。
    「うっ、ぐ……」
     フィオが膝を付く。
    「ふぃ、フィオくん!」
    「ぼっ、僕に構うな! 行くんだ!」
     フィオは肩を押さえたまま、その場にうずくまった。
    「い、行けるもんか! 君を置いては……」
    「さっきも言ったはずだ! ここで君が死んだら、何にもならない! 行け! 行くんだ、マーク!」
    「……~ッ」
     マークはフィオの腕をつかみ、引き寄せた。
    「できない! 君を犠牲になんて!」
    「馬鹿っ……!」
     フィオは手を振りほどこうとしたが、マークはがっちりと掴んで離さない。
     そのうちに党員たちが追いつき、銃を構えて駆け込んできた。
    「撃てッ! 撃ち殺せッ!」
     マロの声が、その背後から聞こえてくる。
    「絶対許さへんぞ、コラ……! ぐっちゃぐちゃのミンチにしたるッ!」
    「……!」
     殺意をぶつけられ、マークはその場に立ち竦むしかなかった。

     その時だった。
    「やらせないわよ、そんなこと」
     マークの前に、とん、とんと軽い音を立てて、何者かが2人、降り立った。
    白猫夢・逃狼抄 6
    »»  2014.02.09.
    麒麟を巡る話、第329話。
    猫とドレス。

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    7.
    「え……?」
     目の前に現れたその猫獣人に、マークは既視感を覚えていた。
    「なんや、お前……! 自殺するんやったら他を当たれ! こっちゃ忙しいんじゃ、ボケ!」
     顔に布を当てたまま、マロが怒鳴る。
     しかし猫獣人の方は意に介する様子もなく、こう返した。
    「死ぬのはアンタよ。あたしを相手にすれば、だけど」
    「は……!?」
     マロは怒りに任せ、党員たちに命じる。
    「構うな、殺せッ!」
    「了解!」
     党員たちは軽機関銃を構え、猫獣人と、その横に立つ派手なドレスの女性に向けて発砲した。
     しかしその手前で、銃弾はことごとく弾かれる。
    「……チッ、『マジックシールド』か! けったいな術使いよって」
     弾丸が弾かれたのを見て、マロが怒鳴る。
    「やめ、やめっ! 撃つな撃つな! 今解呪したるから……」
     マロは顔に手を当てたまま、呪文を唱える。
     この時顔半分以上が布で覆われており、彼の視界は非常に狭くなっていた。それに加え、呪文に集中したこともあってか――猫獣人は彼のすぐ眼前にまで、やすやすと迫ることができた。
    「……えっ」
    「アンタ、間抜けね」
     猫獣人がそう言い放った次の瞬間、マロは3メートルは弾き飛ばされ、背後の木に叩きつけられていた。
    「ごっ、……」
     マロは木の根元にうずくまったまま、ピクリとも動かなくなる。どうやら気を失ったらしい。
    「こっ、このっ」
     残る党員らが軽機関銃を向けたが、猫獣人は依然、意に介した様子を見せない。
    「マーク。それから……、誰かしら」
    「……フィオだ。あなたは?」
    「あたしのことは後でいいわ。マークとフィオ、二人ともこっちに来なさい」
     言われるがまま、マークたちは猫獣人の方へ歩み寄る。
    「う、動くな! 動くと撃つぞ!」
     猫獣人に気圧されつつもなお、党員たちは銃を構える。
     それを見て、猫獣人ははーっ、と呆れ気味にため息をついた。
    「パラ。殺さない程度にはフッ飛ばしていいわ」
    「承知いたしました」
     猫獣人に命じられ、パラと呼ばれたドレスの女性はしゃなりとお辞儀を返し、ぼそ、と何かを唱えた。
    「うわあ……っ」「ぐえ……っ」
     突然、党員たちがほとんど真上に向かって飛んで行く。まるではるか上空から釣り上げられたかのように、次々と姿を消す。
     10秒もしないうちに、そこにはマークたちと猫獣人、そしてパラと、未だ気を失ったままのマロだけになった。
    「な、なにを……?」
     唖然としているマークの問いに、フィオが彼女たちの代わりに答えた。
    「高出力の風術だ。下から上に突き上げるように、吹き上げさせたんだろう」
    「ご明察で……」「パラ」
     恭しくお辞儀をしかけたパラを、猫獣人が咎めた。
    「もっと簡単でいいって言ったでしょ。誰に対しても慇懃なのは却って無礼よ」
    「失礼いたしました」
     パラは猫獣人にぺこ、と頭を下げ、マークたちにこう言い直した。
    「当たりです」
    「……ぷっ」
     妙に三文芝居じみたパラの挙動に、マークは思わず噴き出した。

     5分後――マロが目を覚ます頃には、既に彼らの姿は無かった。



    「つまり、取り逃がしたと言うわけか」
     さらに1時間後、マロは白猫党幹部から詰問を受けていた。
    「わざわざ財務対策本部長、即ち本来ならばこんな現場作業に携わる必要のない君が出張っておいて、そしてその結果、死者は出さないまでも部隊を全滅させた、と」
     中心的にマロを問いただしているのは党幹事長、エルナンド・イビーザである。
    「……間違いありまへん」
     党内の階級ではマロよりイビーザの方が高く、マロは叱られた犬のようにしょんぼりとしていた。
    「はっきり言おう。君は阿呆だ」
    「言葉もありまへん」
    「無い? 言ってもらわなければ困る。君の権限に無い行為をしてくれた上に、本来出るはずのない被害を出したのだから、それなりに言い繕ってもらわねば。
     でなければ即、除名だ」
    「いや、それは……」「イビーザ」
     と、党首シエナが口を挟む。
    「構わないわよ」
    「と仰いますと?」
    「釈明の必要は無い、ってコトよ。『預言者』から既に、こうなるコトは聞いていたもの」
    「へっ?」「何ですって?」
     シエナの言葉に、マロもイビーザも、目を丸くする。
    「閣下、何故それを我々に教えて下さらなかったのです?」
    「『預言者』からそう託ったからよ。『言っても未来が変わるわけじゃないし、この啓示を無視した分、マロの処分が重くなるだけだ』ってね。
     だから既にゴールドマン、あなたの処分は決定しています。あなたが行動を起こす前から」
    「と言うと……」
     かつての同窓生から乞うような目で見つめられたシエナは、軽いため息とともにこう返した。
    「給与3ヶ月分のカット。この分の給与は今回あなたの指示によって傷害を負った党員たちへ、特別手当として支給します」
    「う……、分かりました」
     苦い顔をするが、マロはそれ以上抗弁することも無く、その処分を受け入れた。

    白猫夢・逃狼抄 終
    白猫夢・逃狼抄 7
    »»  2014.02.10.
    麒麟を巡る話、第330話。
    フィオからの福音。

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    1.
    「馬鹿者め」
     マークは故郷、トラス王国に戻ってくるなり父、トラス王から叱咤された。
    「私があれほど、あんな正体の分からぬ有象無象と関わるなと言ったにもかかわらず、お前自らのこのこと敵陣奥深くへ入り込み、あまつさえ罠にかかるとは!
     これが馬鹿者でなくて何だ!」
    「申し訳ございません、父上」
    「……」
     深々と頭を下げ、謝ったマークに対し、トラス王はしばらく無言で睨みつけていたが、やがて顔をくしゃ、と崩し、心底悲しそうな顔をして見せた。
    「まったく、お前という奴は! どれだけこの半月、私たちが心配したと思っているのだ!
     いいか、今度からはちゃんと私や母さんと相談してから国外へ出るんだ。今度のようなことが起こってからでは遅いのだ。
     こう言うことが起こった上でなお、ここに戻って来られたと言うのは、奇跡以外の何物でもないのだからな」
    「はい……」
     叱責が一通り終わったところで、トラス王はずい、とマークに歩み寄った。
    「それでマーク。お前もただ、いたずらに危険へ身を投じに行ったわけではあるまい? 何か成果はあったのか?」
    「残念ながら、まったく。……いえ、ひとつだけ」
     マークは横に引き、自分の後ろに佇んでいたフィオを紹介した。
    「僕を助けてくれた旧友、フィオリーノ・ギアトと会いました。彼がいなければ僕は、2回は死んでいたでしょう」
     これを聞き、今度はトラス王が、フィオに向かって深々と頭を下げた。
    「うむ。ギアト君、息子を助けてくれて、本当にありがとう」
    「いえ、彼が生きていてくれなくては、今後の世界情勢が大きく変わりますから」
    「うん?」
     一転、きょとんとした顔をしたトラス王に、フィオはマークを交え、自分が未来から来た人間であることを説明した。
    「……なんと。いや、ううむ、……何と言えば良いか」
    「僕を胡散臭い人間とお考えであること、重々承知しております」
    「いやいや、息子を助けてくれた恩人だ。胡散臭いなどと思うものか。……まあ、多少は思ったのは確かであるが。
     いや、……そうだな、率直に言おう。容易には信じ難い話だ。何か信じるに足る証拠を提示して欲しいのだが」
    「……では」
     フィオはチラ、とマークを見、それからトラス王を見て、こんなことを言い始めた。
    「国王陛下。今年2月、20年ぶりに后妃陛下が見目麗しいお顔を取り戻されたこと、誠に心躍る出来事だったでしょう」
    「うん? まあ、うむ、確かにな」
    「その凛々しき美貌を久方ぶりに目にし、心燃えるものがあったのでは?」
    「……う、うむ? まあ、……まあ、な」
    「やはり」
     フィオはニヤッと笑い、トラス王に耳打ちした。
    「……なにっ!?」
     耳打ちされた途端、トラス王の狼耳がぴん、と直立した。
    「僕の知る限りでは4日後、后妃陛下から伝えられるはずです」
    「う、うむ。そ、そうであるか」
     トラス王は顔を真っ赤にし、ぼそ、と答えた。
    「父上? どうされたのです?」
     何が何だか分からず、マークは父に尋ねる。
     代わりにフィオが、こう返した。
    「君、妹がいたね」
    「うん。2人いるよ」
    「今年の暮れには3人になるよ。ちなみに君と妹2人は『狼』だったけど、今度の妹は『猫』だ」
    「……えっ?」
     これを聞き、マークは顔を赤くして、父に尋ねた。
    「本当に?」
     息子に尋ねられ、トラス王は顔を真っ赤にしたまま、しどろもどろに答えた。
    「ま、まだ分からん。だが、彼の言う通り、……まあ、……思い当たる節は、無くはないと言うか、その、まあ、うむ。
     まあ、なんだ、確かにそれがすべて事実であれば、君は本当に未来人なのだろう。そんなことを言い当てられるのは神か、未来を知る者だけだからな」

     フィオの予言通り――4日後、プレタ王妃が懐妊したことがトラス王に伝えられ、その日のうちに、トラス王はこれを公表。王国は歓喜の声に包まれた。
    「でもなんで、そんなこと知ってたの? 細かい日にちまで……」
     後日、マークからそう尋ねられ、フィオは笑いながら答えた。
    「今、トラス王が大喜びであっちこっちに公表してるだろ? 僕の元いた世界でも、同じ様に公表して回っていたんだ。
     ……ま、『こっちの世界』では、君が行方知れずになっていた時だからね。君の不在をごまかすために使われた話題だったし、それに比べたら、トラス王の喜び方も断然違うよ」
    白猫夢・帰郷抄 1
    »»  2014.02.11.
    麒麟を巡る話、第331話。
    放浪の魔術剣士。

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    2.
     王室に起こった吉事に国中が喜ぶ中、マークとフィオは街の宿へ赴き、自分たちを助けてくれた猫獣人の旅人、ルナ・フラウスと、その同行者である長耳、パラの二人と会っていた。
    「改めて、助けていただいたこと、感謝します」
    「いいわよ、別に。アンタに感謝なんて、してもらう気は無いわ」
     マークたちをヘブン王国で助け、さらには『テレポート』まで使ってトラス王国まで運んでくれたルナたちだったが――マークから感謝の意を伝えられ、王宮に案内すると提案した途端、彼女はそれをすべて拒否したのである。
    「そんな……。ルナさんたちがいなかったら、僕たちは……」
    「あたしが好きでやったことよ」
    「どう言うことです?」
     ルナの返答に、マークは首を傾げる。
    「僕とフィオくんを助けたのは、単に親切心か何かでやったことだと?
     大変失礼な物言いであるのは承知ですが――ルナさんはあまり、何と言うか、そんなタイプには……」
    「失礼ね。でも確かにそうよ。そう言うタイプ。
     でもそれ以上に、あたしの気質は気紛れなの。たまには酔狂にも、か弱い子犬を助ける気になってた、ってことよ。
     ま、事実がどうだったとしても、結果的にはアンタたちが助かってるんだから、それでいいじゃない」
    「……まあ、そうですね」
     マークが黙ったところで、今度はフィオが口を開く。
    「質問がある」
    「なに? ヘンなこと聞かないでよ」
    「そちらの……、パラ、だっけ。その人……」
    「パラがどうしたの?」
    「……」
     ルナの横には、パラが無言で佇んでいる。
    「隠す様子が無いから率直に聞くけど、その人、人形だよね?」
    「え?」
     フィオの質問に、マークはぎょっとした。
    「人形だって? パラさんが?」
    「……」
     パラは何も答えず、依然、直立したままでいる。
    「フィオくん、いくらなんでも失礼じゃないか。人のことを人形だなんて」「いいえ」
     と、ルナが薄く笑みを浮かべながら答える。
    「そうよ、パラは人形。それもただの木偶なんかじゃないわ。自分で考えて自分で動く、自律人形よ」
    「仰る通りでございます」
     ぺこ、と大仰に頭を下げ、パラもそれに同じる。
    「やっぱり」
    「え? え?」
     話の展開が自分の常識を飛び越え、マークは呆然としている。
     その様子を見たルナが、クスクス笑いながら声をかけた。
    「マーク、ちょっとこっち、来なさい」
    「え? は、はい?」
     マークが素直にルナのそばに寄ったところで、ルナはパラに声をかけた。
    「パラ。上、脱いで。マークに観察させてあげなさい」
    「かしこまりました」
    「え、ちょ、ちょっ、ちょおっ!?」
     顔を真っ赤にしてうろたえるマークに構わず、パラはドレスの胸部分をはだけさせ、肌着だけになった上半身を見せた。
    「……!」
     その肌を見て、マークは絶句する。
     マークも自分の魔術研究を進めるにあたって、人体の構造や機能についても、相応に知識を蓄えている。
     その深い知識が、彼女の透き通るような肌の下に仄見える骨の不自然な配置、そしてどこにも血管が見当たらないことに、強い違和感を抱かせた。
    「……これは……」
    「実はね、マーク。あたしたちはアンタの特殊な治療術研究のうわさを聞いて、後を追ってきたのよ。理由は、分かってもらえたかしら?」
    「いえ……?」
     パラが元通り服を着直してもなお、上の空になっているマークの代わりに、フィオが答えた。
    「パラさんを人間にしたい、と?」
    「ご明察。実は一度、半分人形で半分人間だって言うのを完璧な人間にした、って人にお願いしたことがあるのよ。
     でもその人、ケチ臭くてね。人間にするのは可能だけど、代わりに何か差し出せって言ってきたのよ。でもあたしもパラも素寒貧だから、渡せるようなものは無し。
     結局その人には、にべもなく断られた。だから仕方なく、自分で研究することにしたんだけど……」
     何とか平静を取り戻したマークが、ようやく話の輪に入る。
    「人形を人間にする、ですか。おとぎ話程度には聞いたことはありますけど、それは非常に難しいこと、……と言うより、到底非現実的な話と思うんですけど。
     少なくとも、普通の人間が軽々とできるようなことじゃ無いですよね?」
    「ええ。色々調べてやってみたけど、全然ダメ。古代の魔術書がある遺跡を回ったりとか錬金術の研究してる人に相談したりとか、この20年近く色々当たってみたけど、今のところ全部空振りよ。
     そんな時に聞いたのが、アンタの治療術だったのよ」
    「……なるほど。つまり僕の研究成果が、パラさんの人間化に応用できるのではないか、と」
    「実際、皮膚程度は成功してるんでしょ?」
    「ええ、確かに。しかし筋肉や骨、神経、血管などの、生物として活動するために必要な他の組織を再現することは、まだできていません。
     現状の技術でパラさんに施術を行っても、血の通わない皮膚が張り付くだけです。恐らく2日も経たないうちに、ことごとく腐り落ちてしまうでしょう」
    「そこでマーク、そしてフィオ」
     ルナはマークの手を取り、にやっと笑った。
    「交換条件よ。アンタたちの戦いに、あたしとパラが手を貸してあげる。
     その代わりアンタと共同で、あたしにその治療術を研究させなさい」
    白猫夢・帰郷抄 2
    »»  2014.02.12.
    麒麟を巡る話、第332話。
    チーム結成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「共同で……、研究を?」
     きょとんとしたマークに、ルナはニヤッと笑って見せる。
    「これでも魔術の腕は相当よ。アンタたち、克天狐のところで勉強してたんでしょ?」
    「え? ええ、はい」
    「あたしもね、別の克一門の人に修行を付けてもらった身なのよ。言ってみればあたしとアンタとは、遠縁の同門って言えるのよ」
    「強引な理屈だなぁ」
     そうつぶやくフィオをよそに、ルナはマークの手をぎゅっと握ったまま、頼み込んでくる。
    「だから、ね? そのよしみもあるし、一緒に研究しましょうよ。間違いなく、アンタの研究にとってプラスになるわよ」
    「でも、……その、交換条件って言うのが、よく分からないんですが」
    「ん?」
     マークは手をつかまれたまま、ルナに尋ねる。
    「僕たちの戦いって、何ですか?」
    「え」「あら?」
     マークのその問いに、フィオとルナが同時に驚いたような声を上げた。
    「な、何ですか?」
    「マーク、君は……」「まだ自覚してないのね」
     そして同時に、二人はマークを責める。
    「アンタまさか、このまま王国に引き籠もっていられる、なんて思ってたんじゃないでしょうね?」
    「だとしたら相当、楽天家だ。
     君は白猫党の実情を知り、そして彼らの手から逃げ延びた。彼らが君を狙わないはずがないじゃないか」
    「そうよ。恐らく『天政会』潰しが終わり次第、白猫党は今度は『新央北』、いいえ、この国に照準を定めてくるわ。
     元より央北全土の征服を狙っている上に、アンタの存在もある」
    「王国は早晩、危険にさらされることになるだろう。
     ……だと言うのに、君はのんき過ぎるよ!」
    「ご、ごめん」
     二人に挟まれ、マークは頭を下げるしかない。
    「……ま、そんなわけだから、アンタの身柄は今、とてつもなく危険なのよ。
     と言って、アンタを守ってくれるのは王国の兵士たちと、フィオだけ。これじゃ、殺されるのを待ってるも同様よ」
    「ひどい言い草だ」
     ルナの言葉に、フィオがむくれる。
    「僕だってマーク同様、テンコちゃんのところで魔術を研究した身だ。それも攻撃魔術をね」
    「え? 君って確か、神器研究してたんじゃなかったっけ?」
     マークにそう問われ、フィオは肩をすくめる。
    「表向きはね。みんなに――特にアオイに――気付かれないよう、こっそり修行してたのさ」
    「その割にはアンタ、死にそうになってたじゃない」
     ルナに突っ込まれ、フィオは顔をしかめた。
    「……あれは、その、慢心があったから」
    「そんな言い訳で流せる話かしら? アンタ、マークを守りたいっつって、その結果があのザマじゃない。
     あたしがいなかったらアンタたち、間違いなく殺されてたわよ。アンタの言う『未来』を回避するどころか、自分もろとも突っ込んでいくところだったじゃないの」
    「……」
     何も言い返せず、フィオはうつむいた。
    「ともかく、アンタたちにとって、これは決して悪い話じゃないはずよ。
     マークにとっては、より精度の高い研究ができる。フィオにとっては頼もしい味方が増える。まさか断ろうだなんて、思ってないわよね?」
    「……正直に言わせてもらえば、思ってないことは、……無い」
     まだ若干へこんだ様子が残っているものの、フィオはなお強情を張る。
    「あまりにも僕たちにとって話がうますぎるし、出来すぎてる。
     第一、あんなにタイミング良く現れたこと自体、僕には納得が行かない。たまたまだなんて、いくらなんでも……」
    「ふーん」
     ルナは薄く笑い、こう返した。
    「フィオ、アンタはこの世の因果が、何から何まで見えてるって言うの?」
    「ん、……え?」
    「未来人って話だし、そりゃこの先、何が起こるかは知ってるんでしょうね。それ自体は特に否定しないし、信じてあげてもいい。
     でもだからって、アンタは未来が『読める』わけじゃない。ただ『知ってる』ってだけでしょ?」
    「まあ……、そうだ」
    「その『知識』としてのアンタの未来視に無い、あたし。次にどう出るのか、まったく見通せない、解せない、不確定の存在。
     さぞ、不安でならないでしょうね。もしや白猫党が放った刺客じゃないのか、と思ってるんでしょう?」
    「思わない人間はいない」
    「一理あり、ね。だけど大丈夫よ、あたしは信用を得た途端に掌返すような、そんなせこい奴じゃないわ。……って言っても、証拠なんてものも持ってないけどね。
     ま、本当にまったく信用ならない、こんな怪しい女は近くに置いておけない、……って言うんなら、あたしたちはこれで失礼するわ。二度とアンタたちの前に現れない。
     あたしと組むか、それとも組まないか。マーク、アンタが決めなさい」
    「ぼ、僕? いや、フィオの意見も……」
    「……いや、マーク」
     フィオは神妙な顔で、こう返した。
    「今、ルナさんが言ったことは、そっくりそのまま、僕にも当てはまることだ。
    『未来を知っている』といくら僕が主張したところで、他人にとっては信じ難い話だ。怪しいと言う点で言えば、僕もルナさんも同列だ。
     だからマーク、僕も含めて、組むかどうかを決めて欲しい。もし少しでも僕のことを疑っているのなら、はっきりノーと言ってくれて構わない」
    「……」
     マークは二人をチラチラと見て、そしてうなずいた。
    「居て欲しいです。フィオくんのことは勿論、信用してるし、ルナさんにも感謝しています。
     その二人が僕を助けてくれると言うのなら、それを無碍にはできません。是非、お願いします」
    「……ありがとう」
    「よろしく、マーク」
     フィオもルナも、どことなくほっとした様子で、マークと握手を交わした。
    白猫夢・帰郷抄 3
    »»  2014.02.13.
    麒麟を巡る話、第333話。
    20年ぶりの再会。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     協力し合うことを約束した後、研究を行う場所や今後の白猫党、および葵への対策などを簡単に相談したところで、マークとフィオはルナたちの宿を後にした。
    「……ふー」
     パラと二人きりになったところで、ルナは軽くため息をついた。
    「……」
     無言で自分の様子を眺めていたパラに、ルナはにこっと笑ってみせる。
    「何でもないわよ。……ただ、ちょっと居心地悪いなーってね」
    「居心地が悪い、と申しますと」
    「知ってるでしょ? あたしは昔、この国で暮らしてた。今更戻ってきちゃったって言うのが、なーんか、……ね」
    「非論理的です」
     パラは眉をひそめ、ルナに尋ねる。
    「それならば何故、マークにあんな提案をなさったのですか。あんなことを言わず、早急に街を去ればよろしかったのに」
    「さっき言った通りよ。あのパステルブルーの髪した鼻っ柱の強いお子ちゃまだけじゃ、マークは到底守れないわ。
     それに、マークに言った通りの事情もあるもの。あなただって、人形のままでいたくないでしょ?」
    「……否定はしかねます。しかし」「ふふっ」
     うつむいたパラの頭を、ルナはぽんぽんと優しく撫でる。
    「合理的なアンタの考えは十分、分かってるわ。人形のままなら、修理や換装ができる分、まだ多少はあたしを守れる可能性が高まるかも、って思ってるんでしょう?
     でもあたしたちは、半人半人形から人間になった、あの百戦錬磨の騎士団長を知ってるじゃない。半端に人形でいるより、きっちり人間になってくれた方がよっぽど、助けになりそうよ。
     それにあたし、元々から人間だけど、もう人形のアンタより桁違いに強いし、そうそう死なない体になってる。アンタもさっさと人間になって、めいっぱい修行して、あたしと並んで立ってくれた方が、断然嬉しいわ。
     来てよ、パラ。あたしのところに」
    「……努力いたします」
     パラはぎゅっと、ルナに抱きついた。

     と――ルナはパラを押し、離れるよう促す。
     そして同時に、ドアに向かって声をかけた。
    「誰?」
     声をかけてから一瞬間を置いて、トントンとノックが返ってくる。
    「……」
     しかしそれ以上の反応が無く、ふたたび沈黙が訪れる。
    「……開けるわ」
     ルナはパラに目配せし、ドアを開けさせた。
    「こんばんは。ルナで良かったのかしら、今は?」
     入ってきたのは――マークの母、プレタ王妃だった。
    「……っ」
     その姿を目にした途端、ルナは絶句した。
     その間にプレタはドアを後ろ手に閉め、ルナに近付く。
    「……あんまり、動き回らない方が、いいんじゃないの?」
     絞り出すようにそう声をかけたルナに、プレタはにこ、と微笑む。
    「これくらい、大した運動じゃないわ。若い頃はそれなりに鍛えていたもの」
    「そうじゃないわよ。今や一国の妃になったご身分で、こんな裏町の安宿にホイホイ来ていいの、って意味よ」
    「誰にも見られてないわ。まだスニーキング(潜伏術)の腕は衰えてないわよ。
     わたしがここに来ているのを知ってるのは、あなたとわたしだけよ。……それと、このお嬢さんね」
    「……」
     パラにも軽く会釈し、プレタはルナのすぐそばに寄る。
    「あなたがマークに会ったのは、これが二回目よね」
    「……!」
     たじろいだルナを見て、プレタはもう一度、にこ、と笑った。
    「10年位前かしら、あの子が『わたしみたいな人に会った』って言っていたから。……ふふ、そう、それなんだけどね。あの子、あなたのことを『顔が全部あるわたし』って言ってたのよ」
    「笑えないわよ」
     ルナは顔をしかめさせるが、プレタはクスクス笑っている。
    「笑い話よ。もうあれから20年も経ってるんだから。
     ……そう、20年。わたしも相応に歳を取ったし、夫ももう、おじいちゃんに片足突っ込んでるわ。白髪も多くなってきたし、後ろから見ると、……ちょっとハゲてきてるし」
    「ぷっ」
    「なのにあなた、……変わらないわね。あの頃のまま」
    「色々やってたからね。そのついでで、歳を取らない術も手に入れたから」
    「聞いてみたいところだけど……」
    「アンタはやらない方がいいかもね。子供、できたんでしょ?」
    「ええ」
    「施術の初期段階で代謝異常やら自家中毒やらバンバン起こるから最悪、流産しかねないわよ」
    「あら、怖い。……ま、元々やるつもりはないけど」
    「……そう」
    「わたしは普通の人間のままで人生、終えるわ。そうじゃないと、夫があの世で寂しがるもの」
    「あはは、そうね。そんなタイプよね、あの人」
    「でしょう?」
     二人でひとしきり笑ったところで、ルナはプレタから目をそらし、うつむいた。
    「どうしたの?」
    「……今更、会える義理なんて無いのに。まさかアンタから会いに来るなんて、思わなかったわ」
    「あら、そんなこと気にしてたの?」
    「気にしてたわよ」
     あっけらかんとしたプレタの応答に、ルナは口をとがらせた。
    白猫夢・帰郷抄 4
    »»  2014.02.14.
    麒麟を巡る話、第334話。
    ルナの胸中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「パラと一緒に行動し始めた辺りで、ようやくあたし、アンタやトラス卿にまともな挨拶しないまま、この国を出たことに気付いたのよね。
     だから多分、トラス卿はあたしのことを、『姉を見捨てて逃げた、ひどい女』って思ってるんじゃないかしら。
     それに、アンタもきっと、あたしに対していい気はしてないだろう、……って思ってたのよ。アンタにしてみれば、勝手に刀は持っていくし、瀕死のアンタを放ってどこかに消えるし」
     そうこぼしたルナに、プレタは肩をすくめた。
    「ま、あの人については、ね。確かにそう嘆いてたこともあるわ。
     でもわたしはそんなこと、一度も思ったことが無いわ。刀は餞別と思ってたし、あなたはわたしを見捨てるようなタイプじゃないもの。きっと大きな事情があってのことだろうと、そう思っていたわ。
     ねえ、マロン。教えてくれるんでしょう? あの時、何があったのか。それからその後、何をしていたのか、も」
     20年ぶりのその呼び方に、ルナは口ごもりつつ、歯切れ悪く答えた。
    「……ん、まあ、そうね。
     今更でホントにごめん。教えるわ、あの時、それからあの後にも、何があったか」



     彼女の師匠となった克渾沌がかつてそうであったように、黄月乃もまた、何度と無く名前を変える人生を送っていた。
     彼女の本名である、黄月乃。故郷、央南から逃げ出して以降は、ユエ、フアン、ジアラ、セレナ――そしてマロンと、様々な名前を使っていた。
     そうして自分が元々誰であったのかと言う感覚が、半ば朧と化した頃になって、彼女はプレタと出会った。

     その頃には、黄月乃は自分と言うものが、何より嫌いになっていた。
     己の母に唾を吐く自分。下劣な策略を成就すべく、頭を働かせる自分。その策略を考えた下劣な男に惚れ込んでいた自分。その男が廃人となった瞬間、手の平を返した自分。故郷から逃げた自分。
     そして今も逃げ続ける、自分。
     薄っぺらい正義論や、鼻に付くような人情話以上に、黄月乃は自分のことが心底、嫌いになっていた。

     トラス王国でプレタと出会い、共に戦うことで、その悪感情をしばらく、忘れることができた。
     実の兄弟以上に慕っていたプレタが側に居たことも理由の一つだが、それよりも、自分の働きによって一地域の情勢が左右されることが、何より楽しく、誇らしかったのだ。
    「自分は世界の役に立っているのだ」と言うその達成感、高揚感が、黄月乃や他の雑多な名前で生きてきた頃の自己嫌悪を、紛らわせてくれていたのだ。

     しかしその心地よさも、プレタの負傷と部隊の壊滅により、再び霧散した。すべてを失った黄月乃は、前よりさらに深い嫌悪と、底知れぬ絶望に襲われた。
     だが――そこにあの難訓の下僕、人形姉妹シェベルとインパラが現れた。そしてシェベルは、黄月乃にインパラを託し、この世を去った。

     絶望し、再び自分を嫌い始めていた黄月乃に、生きる目的が新たにできた。インパラを人間に近付け、そしていずれは、彼女を人間そのものにすることである。
     黄月乃は再び、自分への嫌悪を和らげ、絶望の淵から這い上がる機会を得た。



    「……そのために、あたしは色んなことを試してみたし、色んなところに行ったわ。色んな術も覚えた。
     でも、まだその宿願は達成できない。今のあたしには、マークの術が完成することこそが、唯一の希望なのよ」
    「それだけかしら?」
     プレタの問いに、ルナはけげんな顔になる。
    「って言うと?」
    「あなたがマークの前に二度も現れ、そして身を挺して助けた理由よ。
     わたしにはあなたの心の奥底にある本当の願いが、痛いほど良く分かるわ」
    「何よ、それ?」
    「あなたは、家族が欲しいのよ。
     それも、自分を上から縛り付けるような親やお兄さんとかじゃなく、あなた自身が暖かく包み込んであげたいと願う、子供みたいな存在が」
    「……」
    「だから、マークを助けたのよ。あなたにとっては、甥っ子みたいなものだから」
    「……ん」
     ルナはぷい、と、プレタから顔を背けた。
    「否定はしないわ。ううん、アンタの一言で、自覚したわ。
     確かにあたしは、家族が欲しいのね。こんなあたしを頼りにしてくれるような、そんな家族が」
    「増えるといいわね」
     プレタは微笑み、未だドアの横に立ったままのパラにも会釈した。
    「パラちゃん。あなたのお母さん、寂しがり屋だから、ちょくちょく話しかけてあげてね」
    「……」
     そのまま部屋を後にするプレタに、パラは無言で、深々とお辞儀した。

    白猫夢・帰郷抄 終
    白猫夢・帰郷抄 5
    »»  2014.02.15.
    麒麟を巡る話、第335話。
    二つの敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「『預言者』から啓示があったわ」
     党首シエナの言葉に、白猫党の幹部たちは背筋を正した。
     彼らにとって預言者からの言葉は、間違いなく、自分たちに並々ならぬ益と幸福を与えてくれるものだったからである。
    「今回の啓示は2つよ。
     まず、『天政会』の今後の動向について。こないだの元議員105名の排除が、彼らに大きな波紋を起こしていることは想像に難くないわ。でも、彼らは動かないそうよ」
    「なに……?」「んなアホな」「何もしないわけが……」
     この報告に、幹部の半分はけげんな顔をする。
     しかし政務部長トレッドは、「ふむ」とうなずいて返した。
    「納得が行ったような顔をしていらっしゃいますな、政務部長」
     けげんな顔をしていた党防衛隊長マラガに、トレッドはもう一度うなずいてみせた。
    「ええ。彼らならそうするだろう、と思っていたので」
    「それは何故に……?」
    「彼らは極力、軍組織との関わりを避けたい。恐らくはそうした意向からでしょう」
    「ええ、その通りよ」
     シエナもうなずいて返し、こう説明した。
    「知っての通り『天政会』は、天帝教を母体とした政治結社よ。平和的に支配圏を拡げたいと言う意図があるから、その行動はあくまで政治的、あるいは経済的な力によるものにするよう努めてる。
     でも結成初期、対抗組織だった『新央北』と戦うに当たって、傘下に置いた国から軍組織を借りたことがある。そのツケが今、回ってきてるのよ」
    「存じております。その件のためか年々、軍事組織からの圧力が高まっており、近年では『天政会』の、傘下国へおける態度が非常に軟化、弱体化しているとか」
    「『天政会』としては、政治や経済で動かせない敵を作りたく無かったでしょうに。目先に囚われた結果ね。……ま、ソレは置いといて。
    今言ってた通り、近年の『天政会』には結成当初の積極性が無く、逃げ腰の組織になってる。ヘブン王国の諸問題を丸投げしたのは、その証拠と言えるわね。
     そしてそれ故に、今回の議員排除も半ば見て見ぬ振り、対外的には『無かったこと』にして処理しようとしてるらしいわ。……と、ココまでが『預言者』の話。
     ココからは実際に、アタシたちが動く話よ。この件が内部で封殺された場合、『天政会』に穴は開けられないわ。いいえ、正確に言えば『内部から穴が開くコトは無い』のよ。
     この件は大々的に吹聴するわ。そうすれば『天政会』傘下国は騒然とするでしょうね」
    「でしょうな。新興勢力、新参者たる我々からこれほどの大打撃を受けたのですから、組織として体面を大きく損ねたと軍事勢力、特にタカ派の者たちは考えるはず。
     しかし中枢である『天政会』は逃げ腰の上、そうした軍事組織との関係を避けようとする。そうなれば、彼らと軋轢が生じることは明白でしょう。
     ここ数年で関係が脆くなりつつある『天政会』とその傘下国に、決定的なヒビが入ることは確実でしょうな」
    「そう言うコト。敵が内輪もめすればするほど、アタシたちは奴らを攻略しやすくなる。実際に戦うまでに、徹底的に相手を弱めるのよ」
    「承知しました。では政務部は今回の件を、央北全域に喧伝するとしましょう」
     うなずいたトレッドに、シエナはニヤッと笑って返した。
    「ええ、頼んだわ。
     そしてもう一つの啓示だけど、コレは『反対側』の敵についてよ」
    「ほう……、つまり『新央北』の件ですな」
     これを聞いて、マラガの目が光る。
    「どのように攻略すると?」
    「そうじゃないのよ」
    「うん?」
     対するシエナは、肩をすくめて見せた。
    「『しばらくの間は一切、攻め込むな』と伝えられたわ。今は何をどうしたとしても、我々にとってマイナスにしかならないそうよ」
    「何ですと?」
     マラガはいかにも腑に落ちなさげに、声を荒らげた。
    「ではトラス王子の件も放っておけと言うのですか?」
    「『新央北』関係は全面的に保留するように、と言ってたから、マークの件もそうでしょうね」
    「そんな馬鹿な! 彼は我々白猫党の内部事情を知っているのですぞ!? もしそれがあのトラス王の耳に入れば……」
    「とっくに知ってるでしょうね。かれこれ、もう1週間は経ってるんだし。だから今更マークを襲ったって、もう遅いのよ」
    「いやいや、常識的に考えれば、まだ彼奴らは我々の支配圏内にいるはず!
     こんなこともあろうかと、私はかねてより『新央北』との境界近辺に兵力を置いております! 今から命じれば、トラス王子らを迎え撃つことは十分に……」「マラガ」
     シエナは冷たい目で、マラガをにらんだ。
    「あなたは『預言者』の言葉に背く、と言うのね?」
    「そうではなく、これは極めて常識的な戦術、戦略の問題で……」
    「常識が通用するの? 『預言者』の言葉に対して」
    「……うぐ……」
     抗える雰囲気ではないことを察したらしく、マラガは口をつぐんだ。
    白猫夢・密襲抄 1
    »»  2014.02.18.
    麒麟を巡る話、第336話。
    暴虐の隊長。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     会議を終えた後、シエナは密かに、トレッドと会話を交わした。
    「どう思う?」
    「何をでしょう」
    「マラガのコトよ。アイツは独断専行をしないと思う?」
    「いや……」
     トレッドは苦い顔を返す。
    「私の口からは、断言できかねますな。
     元々が、ノリエ王国の陸軍大佐です。自尊心や戦闘に対する衝動の強さは、決して小さいものではないでしょう。自制してくれるかどうか……」
    「そうね。党役第三位、幹部の中でも下位と言うコトもあるし、勲功を焦って勝手に動くおそれも十分あるでしょうね」
    「監視しておかねばなりませんな」
    「……んー」
     と、シエナは首を横に振る。
    「いいわ。実を言うと、『預言者』は……」
    「……フフ。ちょっと、シエナ」
     シエナの言葉に、トレッドが笑う。
    「私とあなたの仲です。わざわざ彼女のことを、『預言者』と言い直す必要は無いでしょう」
    「ふふ、そうね。つい、クセで。
     ええ、アオイはこうも言ってたのよ。『一応シエナからみんなに伝えてもらうけど、無駄になるよ』ってね」
    「ほう? ……ふむ」
     トレッドは一瞬思案する様子を見せ、すぐにこう返した。
    「従わぬ者は去るよう仕向けよ、と言うご意向でしょうか」
    「多分ね。アタシが今日、あえて釘を差しておいたコトで、後でアイツが勝手な行動を起こしたその時、『命令に背いた』と糾弾できるもの。
     アイツにとっては結局、自分の地位を揺らす結果にしかならないでしょうね」
    「恐ろしいお方だ。アオイさんと、そしてあなたは」
    「……ふふ」

     シエナたちの懸念、そして預言の通り――マラガは密かに、「新央北」との境に駐留していた私兵と連絡を取っていた。
    「いいか、マーク・トラス王子がやって来次第、速やかに殺害しろ! 決して王子を、『新央北』内に入れてはならん!」
    《了解しました。……しかしですね》
     が、相手の反応が悪い。
    「なんだ!? 何か問題でもあるのか!?」
    《我々の情報網によれば、既に王子はトラス王国内に戻っている可能性が》
    「……何だと!?」
    《まだ確定的な情報ではありませんが、つい先程、トラス王自身から王子が戻ってきたとの声明がありました。
     後、新たなお世継ぎができたと……》「そんなことはどうでもいい!」
     マラガは憤り、怒鳴りつけた。
    「王子が戻ってきたと言う、その情報が確かかどうか確認しろ! そして本当に王子が国内に戻っていると言うのならば、何としてでも殺せ!」
    《む、無茶な! 国境を越えて『新央北』中枢に押し入り、第一王子を暗殺しろと仰るのですか!?》
    「無茶だろうが無謀だろうが、やれッ! やらなければ俺がお前を撃ち殺すぞッ!」
    《りょ、了解で……》
     相手の返事を待たず、マラガは電話を乱暴に切り、机から払いのけた。
    「ふんッ! ……しかし本当に、既にトラス王国に戻っていると言うのか? ここから王国まで、いくら何でも3週間近くかかるはずだが……」
     と、マラガの背後から、声がかけられる。
    「可能な手段はある。ある以上、それを使って帰国したのだろう。そうとしか考えられまい?」
    「手段? どんな手段だ? まさか空でも飛んだか?」
    「それも可能性の一つだ。実際に飛行術『エアリアル』は存在する。もっとも、黒炎教団の人間くらいしか、使う者はいないらしいがね。
     他の手段としても、黒炎教団がらみになるな。最も考えられるのは、瞬間移動術『テレポート』だ。あれなら一瞬で帰国可能だろう」
    「はっ、逃げた先に偶然、教団員が居合わせたと言うのか?」
    「可能性はある」
    「あってたまるか! そんなに都合よく、あんな引き籠もり共がポコポコ湧くわけが無いだろうが!」
     声を荒げるマラガに、その長耳は肩をすくめて見せる。
    「実行可能な手段がある以上、可能性は否定できまい。本当に不可能なことを除外していけば、それが如何に信じられずとも、真実であると……」「うるさい!」
     苛立ったマラガは、その長耳に向かって怒鳴りつける。
    「お前は研究だけしていればいいんだ! 俺に説教なんかするな!」
    「……いいとも」
     長耳は憮然とした顔をしつつも、それ以上何も言うこと無く、机に視線を戻した。
    白猫夢・密襲抄 2
    »»  2014.02.19.
    麒麟を巡る話、第337話。
    叔母と甥っぽい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     トラス王国郊外。
    「この小屋なんかどうでしょう?」
    「小さいわね」
     マークは新たな共同研究者、ルナと共に、研究に使うための施設を探していた。
     元々、マークは自分の住む屋敷の一室を研究室にしていたのだが、ルナが「もっと人のいないところで静かに研究したい」と願い出たため、こうして郊外の空き家や小屋を見て回っているのだ。
    「小さいって……。ざっと見た感じ、設備は全部入りそうな程度には大きいと思いますけど。僕が元々抱えてた研究チームを全員入れても、十分な余裕は……」
    「あたしとパラが住めないじゃない。まさかビーカー眺めながら寝ろって言うの?」
    「ああ、そう言うつもりで……。なるほど、それだと確かに小さいかも知れませんね」
    「できれば4、5部屋は欲しいわね。寝室とキッチンと研究室と、あと休憩室とお風呂と」
    「研究室さえ無ければ、市内で条件を満たせそうですけどね」
    「それ無かったら意味無いじゃない」
    「そうでした」
     マークがぺろ、と舌を出し、二人でクスクス笑っていた。

     と――その様子を、離れた林の中から眺めている者がいた。
    (確かにトラス王子のようだ。隣にいるのは……)
    (分からん。どうやら猫獣人のようだが、顔をマフラーで覆っていて、良く見えん。まさかプレタ王妃か……?)
    (いや、報告によれば王妃は静養中とのことだ。それに両目があるようだし)
    (そうだな。……では誰だ?)
    (さあ……?)
     彼らは互いに顔を見合わせ、間を置いて会話を続ける。
    (とにかく、王子がこの国内にいるのは確かだ。となれば……)
    (ああ。一度基地に戻り、暗殺部隊を組織しよう)
     そこで互いにうなずき、その場から立ち去った。

    「じゃあ、ここから南の方にある家なんかどうでしょう?」
    「……」
    「……ルナさん?」
     相手の反応がなかったため、マークはちょん、とルナの肩を叩いた。
    「ん? ああ、ごめん。ボーっとしてたわ」
    「大丈夫ですか?」
    「ええ、大丈夫よ。ちょっと気になったことがあったから」
    「どうしたんです?」
    「何でもないわ。で、どこって?」
    「南です。あっちの、あの白い屋根の家」
     マークが示した家を見て、ルナは小さくうなずいた。
    「確かにここより大きそうね。行ってみましょ」
     ルナはマークの手を引き、歩き出した。
    「ちょ、ちょっとルナさん」
    「なに?」
    「一人で歩けますよ」
    「いいじゃない。まだ寒いんだし」
    「手袋してるじゃないですか」
    「じゃあ冷え性なの」
    「手、ぽっかぽかですよ? 『じゃあ』って何ですか」
    「なんだっていいじゃない。それともあなた、女の子の手を握ったことも無いの?」
    「子?」
    「なによ」
    「いえ。……まあ、はい。手を握るくらいなら、別に」
    「じゃ、行きましょ」
    「ええ」
     二人で手をつなぎながら、目的の家の前まで歩く。
    「ふーん……。確かに大きめね」
    「元々は牛小屋だったみたいですね。ちょっと改装すれば、きちんとした研究所になりそうですよ」
    「牛? 牧場があったようには、……見えないわね」
    「元々この街って、扱う産業が色々と変わってたらしいですから。
     麦農業が盛んだった時もあれば、酪農したり軽工業に走ったり、……と、主軸産業がコロコロ変わってたそうです」
    「へえ? 初めて聞いたわね」
    「僕も街の歴史を勉強した時、初めて知りました。生まれも育ちもここですけど、先祖代々住んでたわけじゃないですから」
     マークの話を聞き、ルナは建物の壁を、ちょんとつついてみる。
    「じゃあ、この建物って相当古いのかしら」
    「うろ覚えですけど……、酪農が盛んだったのは、1世紀の半ばと3世紀後半、それと今世紀はじめの頃、まだ中央政府があった頃に、らしいです。
     だから現存してる建物のほとんどは多分、今世紀に造られたものだと思います」
    「じゃ、建て付けの心配は無さそうね。……臭いとか大丈夫かしら」
     ルナはマフラーを外し、くんくんと鼻をひくつかせる。
     と、その横顔を見て、マークがうなった。
    「うーん……」
    「ん? どうしたの?」
    「不思議なんですよね。なんでルナさん、母上とそんなに顔が似てるんだろうなって」
    「……うーん」
     ルナはふたたびマフラーで顔を隠すが、マークは追求をやめない。
    「もしかしてルナさん、母の妹に当たる、……とか」
    「ぶっ、……んなわけないじゃない。そんな偶然、あってたまるもんですか」
    「でも、似てる説明が……」
    「他人の空似ってこともあるじゃないの。あたしも初めて会った時、マジかって思ったくらいだし」
    「え? 母と会ったことが……?」
    「あー、ほら、トラス卿、……じゃない、トラス王がアンタのお母さんと一緒に懐妊報告してたじゃない。あの時見たのよ」
    「卿? 父がそう呼ばれていたのは、随分前の話と聞いてますが……?」
    「……ああ、もぉ! めんどくさいわね!」
     ルナはマークの両方の狼耳を、ぐにっとつねる。
    「いたっ、いたたたっ!?」
    「なんだっていいじゃないのよ、もう! 細かい質問しないの!」
    「あいだだだだ、わかっ、分かりましたっ」

     30分後、マークとルナはこの小屋を購入した。
    白猫夢・密襲抄 3
    »»  2014.02.20.
    麒麟を巡る話、第338話。
    研究所の確立。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     研究所兼ルナの家が決まり、購入の翌日から改築工事が進められた。
    「誰よ、建て付けの心配が無いって言ったの」
    「ルナさんですよ」
    「……むー」
     だが、購入したその日に小屋の鍵を開けて中を確認した瞬間、二人は絶句していた。小屋内部が、尋常ではない規模で荒れていたからだ。
    「まさか床下に、あんなにシロアリ……」「言わないで」
     ルナは猫耳の毛を逆立たせ、マークの言葉を遮る。
    「……シロ……」「言うなっつってんでしょ」「……い屋根は素敵だと思ったんですけどね」
     引っ掛けたマークに、ルナは目を吊り上げさせる。
    「アンタ、いい根性してんじゃない」
    「ルナさんの弱点が、ようやく一つ見つかりましたからね」
    「……今度あたしの前で虫の話題出したら、耳をもいでやるからね」
    「勘弁して下さい。……まあ、これでルナさんの思い通りにリフォームできると思えば」
    「リフォームって言うより、ほとんど建て直しじゃないの」
    「まあ、他にいい家もありませんでしたしね。全部やられてたみたいです。
     業者の方に聞いたんですが、この辺り一帯、土地的にシロ……」「なに?」「……いえ、『あれ』が繁殖しやすいそうです」
    「マジで?」
     ルナは辺りの地面や、自分の靴の裏を見回す。
    「何度か駆除は行ってるらしいんですが、ずっと残ってる家とかに逃げてるみたいですね」
    「……くっそ、あの不動産屋。道理で割安だったのね」
    「朝一で父上に訴えましたから、早晩何かしらの処罰を受けるでしょう。契約金や敷金も戻ってくると思いますよ」
    「倍返ししてほしいわ」
    「同感です」
     と、二人で愚痴を言い合っているところに、フィオとパラの2人がやって来た。
    「災難だったね、ルナさん」
    「本当にね」
    「マークも、結構高く付いたんじゃないか?」
    「まあね。予算の3割増しくらいだ」
    「きついなぁ」
    「父上には本当に済まなく思ってるよ……。半ば僕の道楽に近いし」
    「道楽?」
     これを聞いたルナが、またマークをにらんだ。
    「アンタは道楽かも知れないけど、あたしは本気で研究するつもりよ」
    「あ、いや、研究自体は勿論、真面目にやります。研究室を移すのが、半分道楽だってことです。元々、あっちで普通に研究できてたんですし」
    「……ん、まあ、確かにこれは、あたしの我がままだけどさ」
    「研究室が完成したら、頑張ってもらいますからね」
    「ええ、当然よ。今にこの改築費用、ノシ付けて返してやるわ。研究成果で稼いで、ね」
    「期待してます」
     二人のやり取りを聞いていたフィオが、こそ、とパラに耳打ちする。
    「何かさ、仲いいよね」
    「左様でございますね」
    「結構歳が離れてると思ってたけど……、ルナさんっていくつくらいなの?」
    「お答えいたしかねます。主様の重要機密でございますので」
    「ありゃ、そっか」
     一瞬間を置いて、今度はパラが尋ねてくる。
    「フィオ様。主様にご興味がおありですか」
    「それなりには」
    「それはどのような類のご興味でしょうか」
    「どのような、って言っても……。まあ、今までに見たことのないタイプだから」
    「恋愛の対象となっているのでしょうか」
    「へ?」
     また間を置いて、フィオは腹を抱えて笑い出した。
    「ぷ、くくく……。それは無い、無いよ、パラ。絶対無い」
    「左様でございますか」
    「ちょっと?」
     と、ルナがフィオの方を向く。
    「なに笑ってんのよ。そこまで恋愛対象外ってこと?」
    「あ、いや。別におばさんとかそう言う意味じゃ、……あ、いや」
    「ほーぉ」
     ルナはパラに、こう命じる。
    「パラ。フィオを羽交い締めして」
    「承知いたしました」
     パラは言われるがまま、フィオを拘束する。
    「え、ちょ」
    「誰がおばさんですってぇぇ!?」
     ルナは拳骨を、グリグリとフィオの鳩尾にねじ込んだ。
    「うあっ、だっ、いたっ、マジでいたいっ」
     悶絶するフィオを見て、マークが噴き出した。
    白猫夢・密襲抄 4
    »»  2014.02.21.
    麒麟を巡る話、第339話。
    真夜中の密かな襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     紆余曲折を経たものの、どうにか研究所が完成したため、ルナたちはその新研究所で、祝賀会を催した。
    「それではあたしたちチームの本拠地となる、この研究所の完成を祝して……、乾杯!」
    「かんぱーい!」
     人形であるパラを除く3人はグラスをあおり、一息に酒を飲み干す。
    「しかし、見違えたね。半分腐った牛小屋が、こんな綺麗になるなんて」
    「ええ、本当にね。これでようやく、研究が始められるわね」
    「一応今も継続してます。旧研究室で。明日からは僕の持ってた旧チームも合流させます」
     マークが報告するが、二人は聞いていない。
    「ところでルナさん」
    「なに?」
    「事後報告になっちゃうんだけど、パラを借りてもいい?」
    「事後? デキてたの、あんたたち?」
    「違うっ」
     フィオは顔を赤くしつつ、話を続ける。
    「鍛錬の相手にってことだよ。ルナさんたちが物件探してた間も、僕たち二人で稽古してたんだ」
    「ああ、そう言うこと。いいわよ、別に」
     ルナは二つ返事で、それを承諾した。
    「アンタも強くなってもらわなきゃ、これからが心配だしね」
    「ご理解いただけて助かるよ、リーダー」
    そう返したフィオに、マークが目を丸くした。
    「リーダー?」
    「だろ?」
    「……うん」
     反論したい気持ちは大きかったが、一方で貫禄負けしていることも、心のどこかで認めている。
     マークは素直にうなずくしかなかった。
    「……まあ、その。これだけははっきりさせておきたい。
     リーダー、つまり所長の座は僕よりルナさんが適任であるのは認めるとして、チームの主任研究員は僕だからね。そこだけは絶対譲らないよ」
    「分かってるよ、勿論。君抜きじゃ研究が進められるわけ無い」
    「そう言うことよ。アンタの存在価値は誰も否定してないわ。あたしも頼りにしてるわよ、主任」
    「ええ、そりゃもう、ね!」
     マークは勢いに任せ、グラスをあおった。



     その晩――。
     結局、マークはそのまま酔いつぶれ、ルナの家で寝てしまっていた。
    「……ん、ん」
     と、不意に眠りから覚める。
    (しまった……、家に帰りそびれちゃったよ。父上たちが心配してるだろうな)
     慌てて床から起き上がりかけて、自分の体にシーツがかけられていることに気付く。
    (あれ……。誰だろ? フィオじゃないよな。ルナさんも考え辛いし、まあ、パラさんか)
     マークは周囲を見回し、パラの姿を探すが――。
    「……?」
     部屋の中には、誰もいない。出来たてのフローリングには、空になった酒瓶とグラス、そして皿からこぼれたおつまみが、点々と転がっているだけだ。
    「変だな」
     不思議に思ったマークはふらふらと立ち上がり、辺りを探してみた。
    (研究室は、鍵がかかってる。休憩室にもお風呂にもいない。時間が時間だし、寝室かな?)
     しかし寝室にも、人がいるような気配は無い。
    (どこだろう……?)
     屋内すべての部屋を回ったが、どこにもルナたちの姿は無かった。
     と――玄関の方から、物音が聞こえてくる。
    (え……? 今のって、叫び声、みたいな)
     マークは恐る恐る玄関に近付き、そっとドアを開けた。

    「……!」
     マークは約一ヶ月ぶりに、修羅場を目にした。
    (ひっ……)
     ルナとフィオ、そしてパラの3人が、黒ずくめの者たちに囲まれていた。しかし既に、同様の装備を身に付けた者たちが4名、地面に倒れている。
    「さっさと来なさいよ。夜は案外、短いわよ?」
    「くそ……ッ」
     黒ずくめたちは小銃を構えてはいるが、発砲して来ない。ルナたちの、いや、ルナ一人の殺気に圧されているのだ。
     夜空にうっすらと浮かぶ赤い月も、ルナの周りに漂う雰囲気を、さらに冷たくあおり立てる舞台照明と化している。
     あまりにも恐ろしげなその光景に、動けるような者は、彼女をおいて誰もいなかった。
    「来ないの? じゃあこっちから行くわよ」
     そう言い放った次の瞬間、彼女の正面に立っていた男が突然、倒れた。
    「ぐふっ……」
     続いてその右隣の者も、弾かれたように横へ跳んでいく。
    「がはっ」
    「うっ、うわ、う」
     その隣にいた者が、叫びきらないうちに事切れる。
    「これで7人。残りは5人。どうするの、アンタたち?」
    「う……ぬ……」
     戦い慣れていないマークの目にも、彼らの戦意が削がれ、逃げ腰になっているのがありありと分かった。
    「こ、ここで引き下がれるか! ここで逃げても、どっちみち……」
     しかし1人がそう叫び、ルナへ向かって駆け出す。
     だが――それもルナの手によって、あっさり返り討ちにされた。
    「げぼっ……」
     瞬く間に敵を斬り伏せたルナは、残った4人にこう告げた。
    「今あたしの手で死ぬか、本拠地に戻って死ぬか、それとも雲隠れして人生をそれなりに謳歌してから、のんびり死ぬか。好きなの選びなさい。あたしはどれでも構わないわよ」
    「……」
     残った4人は顔を見合わせ――小銃を捨て、そのまま逃げ去った。

     それを確認した途端、マークは慌ててドアを閉め、キッチンへと駆け込み、シーツを頭からがば、と覆い被せて狸寝入りし――一睡もできないまま、朝を迎えた。
     どうやらルナたち3人もそれなりに疲れていたらしく、彼女らも朝までキッチンに入ってくることは無かった。
    白猫夢・密襲抄 5
    »»  2014.02.22.
    麒麟を巡る話、第340話。
    慌ただしい朝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     とん、とんと正確なリズムを刻む、極めて機械的な足音を聞きつけ、マークはがば、と起き上がった。
    「おっ、おはっ、よう、ございます」
    「おはようございます、マーク様」
     メトロノームのような足音が止まり、その音源であるパラがぺこりと頭を下げ、マークに挨拶する。
    「顔色がよろしくないようです。十分な睡眠を取られなかったご様子ですね」
    「え、ええ、まあ、なんか、ええ。……あの、パラさん」
    「はい、なんでしょう」
    「あの、……ゆうべ、僕が寝ちゃった後、何か有りました?」
    「はい」
     パラは抑揚のない、ピアノのような声で、こう答えた。
    「昨夜11時26分、当研究所付近に複数の敵性対象を感知いたしました。
     主様とフィオ様、そしてわたくしは状況の確認および解決のために付近を捜索し、11時29分に敵性対象12名を確認。主様はうち8名を殺害し、残る4名も全員、11時32分に排除いたしました。
     その後、死亡した敵性対象8名を埋葬し終えた11時47分、研究所内へ戻り、主様とフィオ様より就寝する旨を告げられました。わたくしは11時49分より今朝6時00分まで、待機状態に入っておりました」
    「そ、そう。……ん?」
     パラの正確無比な報告に圧倒されつつも、マークはその情報の中に一つ、気になる点を見付ける。
    「どういたしました」
    「ルナさんとフィオ、一緒に寝てるの? 2人ともこっち来てないし、休憩室はキッチン通らないと行けないし、寝室って一部屋しか無いよね?」
    「えっ」
     マークがこの疑問を告げた途端、ピアノの調律が狂った。
    「確認してまいります」
     パラの顔に、うっすら困ったような表情が浮かび、そのままそそくさと、廊下へ戻っていく。
     マークも立ち上がり、彼女の後を追いかけた。
    「ど、どう?」
    「確認してまいります」
     パラはトン、トンと短くノックし、寝室のドアを開けた。
    「……」
     パラは無言のまま、室内に入っていく。
    「……」
     マークも息を呑みながら、パラの後に続く。
     が――部屋の中には、ベッドにうつ伏せになったルナしかいなかった。
    「……だ、だよね」
    「わたくしが保持する主様の基本情報から想定および算出されていた通りの結果となっております」
     先程よりいくらか早口に、パラはそう返した。
    「……ん? じゃあフィオはどこ?」
    「……んあ……っ」
     と、ルナがのろのろと顔を上げる。
    「おはようございます」
    「おはよー……うるさい……おやすみ……」
     ルナがふたたびベッドに顔を埋めようとしたところで、パラが尋ねた。
    「申し訳ございません。しかし屋内にフィオ様のお姿が見当たらなかったため、確認を行っておりました」
    「フィオぉ……? んなの、知らないわよ……。お風呂入りたい……、っつってたから……そこじゃない……?」
    「ありがとうございます。おやすみなさいませ」
    「……んー……」

     ルナの言っていた通り、その直後に浴室を確認したところ、湯船に浸かったまま爆睡しているフィオを見つけたため――マークと、そしてパラは、フィオの額をべちっ、と叩いて起こした。



     一方――作戦に失敗したマラガは、ぎりぎりと歯噛みしていた。
    「くそッ! 何故だ……! 何故ガキ一人殺せんのだ! しかも生き残った奴らも基地にいた奴らも、全員逃亡だと……!?」
    「隊長。あんたは多少、加虐嗜好が強すぎるようだと、私は見てるんだがね」
     話しかけてきた長耳に、マラガは顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
    「それとこれに何の関係があるッ!」
    「あんた、部下の失敗にかこつけて、その倒錯趣味に走ってるだろう? そもそも作戦前に『失敗したら撃ち殺す』とまで言っている。
     誰だってそんな目に遭いたくない。逃げるに決まってるさ」
    「きさまッ……!」
     いきり立ったマラガは机の上にあった灰皿を手にし、長耳に投げつけかけたが――長耳はマラガに拳銃を向けていた。
    「落ち着きたまえ。私一人を殺したら、それこそ千人や二千人殺すことなんて、不可能になるんだぞ」
    「……ぐっ」
     マラガは長耳にではなく、壁に向かって灰皿を投げつける。
     灰皿が豪快な音を立てて粉々になったことを確認した長耳は、静かに拳銃の撃鉄を戻し、机に向かい直した。
    「論理的に、……などと諭すのは概ね無駄だろうが、それでもこの案くらいは聞いてもらいたいね。
     今回の件、あんたは党幹部に説明を行わず、完全に独断で動いていた。動かしたのも党防衛隊ではなく、あんたの私兵の一つだ。
     ならば党幹部には一切、情報は漏れちゃいないはずだ。全員逃亡してて、却って助かったくらいじゃないのか?」
    「……ふ、む」
     それを聞いたマラガはどすん、と椅子に腰掛ける。
    「なるほど。つまり今回の件は……」
    「ああ。何も無かったと言うことにしておけばいい。あの胡散臭い『預言者』様の言に従っていましたと、ふんぞり返っていればいいんだ」
    「そうしておこう。助かったよ、博士」
    「私は何もしちゃいない」
     博士と呼ばれた長耳は、それきりしゃべらなくなった。

    白猫夢・密襲抄 終
    白猫夢・密襲抄 6
    »»  2014.02.23.
    麒麟を巡る話、第341話。
    逃げ腰の「天政会」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     白猫党によるヘブン王国の議員、「天政会」傘下105名の虐殺は、央北の西側世界――「天政会」の支配圏に、大きな波紋を起こした。
     あらゆる点から鑑みても、これは紛れも無い、最低最悪の所業である。まともな政治交渉と評価できる点は一切存在せず、軍事行為とも言えない。
     倫理的にも、道義的にも悖(もと)る、おおよそ「政治結社」と名乗る団体が起こすような、まともな行動ではなかった。



     だが、明らかに相手側に非のあるこの行為に対し、「天政会」は報復するような姿勢を見せず、くすぶっていた。
    「猊下、傘下国からまた、抗議声明が……」
     多大な被害を出しておきながら、全く対応する姿勢を見せない「天政会」に、傘下国が一斉に「消極的」「逃げ腰」であると遺憾の意を表し、こぞって抗議したのである。
    「……はぁ」
    「天政会」を立ち上げた初代議長であり、現在は天帝教の教皇となったカメオ・タイムズは、四代目議長の枢機卿から受けた、この何度目かの相談に、明らかに不快そうなため息を漏らした。
    「その件は既に私の手から離れています。あなたの裁量に一任しています。……と、何度あなたにそう返答したか、覚えていますか?」
    「そう仰られましても、これ以上はもう、私の手には……」「よいですか」
     カメオは心底うざったそうに、こう言い捨てた。
    「『大卿行北記』、第5章第1節の3。
    『エリザが言われた、あなたはくじけてはならない。また、逃げてはならない。あなたの後ろを見よ、あなたには幾百の、幾千の兵士が付いている。彼らは皆、あなたが命を下すことを望んでいる。繰り返し、はっきりと言う。あなたは逃げてはならない』。
     あなたも既に、数多くの人の上に立つ身。『自分の手には負えない』などと、泣き言を言っても許されはしないのです。
     どんな決断であれ、あなた自身が成さねばならないのです」
    「……っ」
     傍から見れば、その言葉はそっくり、カメオ自身に跳ね返っているのは明白だった。
     しかしここには、上位にふんぞり返るカメオ教皇と、下位に佇む枢機卿しか居ない。何の反論も許されず、枢機卿はただ、頭を下げることしかできなかった。
    「……御意」
    「期待していますよ、枢機卿」
    「はい……」
     半ば涙声で答えつつ、枢機卿はカメオの前から去った。
    「……ふん」
     一人になったカメオは、忌々しそうにつぶやいた。
    「もう私にそんな汚れを押し付けないでもらいたいものだ。
     もう『天政会』の『て』の字さえ、私は見たくない……」



     クラム暴落や莫大な借款の返済、さらには「天政会」そのものの責任からも――「新央北」との停戦以後、カメオが見せてきた逃げ腰の姿勢はそのまま、「天政会」の行動そのものと言えた。

     創始者であるカメオの興味と情熱を失った「天政会」は、年を追うごとにその勢いを落とし続けていた。
     しかし一方で「央北全域を政治的・経済的に、天帝教の傘下に収める」と言う当初の目的は未だ果たされていないため、無碍に解散させることもできない。
     求心力、活気が失われているにもかかわらず、冗長的に延命させ続けられた結果、「天政会」は機能不全に陥っていた。

     カメオ以降に就いた議長は軒並み心身を患い、引退を余儀なくされている。そのため設立直後から懸念されていた、傘下国の政府を始めとする各組織、とくに軍事勢力からの圧力に毅然と対抗できる者が無く、その力関係は対等になりつつある。
     また、傘下国から集めるだけ集めた資金も、積極的な投資にはほとんど回されず、一部を申し訳程度に借款返済に宛てるばかりで、結果的に溜まっていく一方である。そして溜まれば溜まった分、管理も甘くなり、不明瞭な入出金も増えていく。近年においては天帝教における、新たな疑惑を生み続ける温床となっていた。
     最早「天政会」は、対内的には余計な仕事と疑惑を増やし、有能な僧侶の将来を奪うだけの暗黒機関、対外的にはただ金を吸い上げ、右往左往するばかりの迷惑組織と化していた。
    白猫夢・悖乱抄 1
    »»  2014.02.25.
    麒麟を巡る話、第342話。
    上下の亀裂。

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    2.
     双月暦566年の後半に入った頃、白猫党の暴挙に対して声明一つ発表しない「天政会」の本拠地マーソルに、傘下各国の有力者たちが詰めかけてきた。
     ひたすら事なかれ主義を通そうとする「天政会」の態度に、傘下各国の怒りがついに噴出したのだ。
    「あんたたちは、平気だと言うのか!?」
    「そうだ、こんなことを見過ごしていいわけが無い!」
    「今後の対応を是非、はっきりと、答えていただきたい!」
    「それは……、その……、現在検討中でありまして……」
     対応に追われた枢機卿は勿論、冷汗を流すばかりでろくな応答ができない。
    「何が『検討中でありまして』だ!」
    「あれから何ヶ月経ったと思ってるんだ!?」
    「もういい加減、結論なり何なりは出ているはずだ!」
    「それとも何か、もう忘れたとでも言うつもりか!? 最早過去のことと、切り捨てたのか!?」
     徹底的に糾弾を受け、枢機卿は縮こまっている。
    「いえ……、関係先とですね、穏便かつ平和的な対応ができるようにと、内々で協議を重ねてはおりますが、複雑な事情もあることですし、少なくとも我々の間では、皆さん全体に納得いただけるような結論には至っていないと言うのが、今現在の認識でして……」
    「複雑な事情!?」
    「単にあんたらのところの坊さんが殺されたと言う話ではないか! どこに複雑な事情がある!?」
    「いや、あんたらだけじゃない! 殺されたヘブン王国議員の中には、当国出身の人間もいたんだぞ!?」
    「そうだ! 我が国からも少なからず、ここへ移った者がいるのだ!
     もしまた今回のようにあなた方や我々が、奴らからの、いいや、どんな敵からも、不当な圧力や襲撃を受け、被害に遭ったその時!
     あなた方はまた今回のように、知らぬ存ぜぬで黙りこむ気であるか!?」
    「いや……、そのようなことは、全く……」
    「全く無いと言うのなら、今、どうするつもりであるかを、この場ではっきり、回答してもらおうか!?」
     有力者たちに散々詰問され、枢機卿の顔色は目に見えて悪くなっていた。
    「と、ともかくですね、その、……上と、相談してまいりますので」

     そしてこれにも、カメオ教皇は逃げの一手で通そうとした。
    「何度も言ったはずです。それはあなたの裁量であると」
    「……そうは仰いますが、……しかし」
     だが、精神状態が限界にあったためか、枢機卿は粘る。
    「もし仮に、私が傘下各国から軍事勢力を借り、白猫党に報復を行った場合、猊下は何かしら、私を叱咤なさるでしょう?」
    「それは当然です。会本来の姿勢ではありません」
    「また、このまま報復しないとしても、叱咤なさるでしょう?」
    「ええ。何かしら行動しなければ、沽券に関わりますから」
    「じゃあ何をしろと言うのですかッ!」
     突然、枢機卿が怒鳴りだした。
    「君?」
    「私が何かしようとすれば、あなたがあれは駄目だ、これも駄目だと口を出してくる! じゃあ一体、私に何が出来ると言うのですか!?
     私の裁量に任せると言っておきながら、結局はあなたに決定権があるではないですか! それなら私のいる意味が無い! あなたが元通り、会の舵を取るべきでは無いのですか!?」
    「いや、君、そうではなくて、君に何か打開策を……」
    「打開策!? できるわけない! 出せるもんか! もう無理だ! 私にそんなことできない! 何でもかんでも他人任せにしないでくれっ!」
    「ちょっと、君ね……」「うわあ、ああ、ああああーッ!」
     相当参っていたのだろう――枢機卿はカメオの執務室を飛び出し、絶叫しながら、どこかへ走り去ってしまった。
    「……」
     カメオはしばらく呆然としていたが、やがて落胆したようにため息をついた。
    「……はぁ。あいつももう、駄目か」



     結局、枢機卿はこの日以来、傘下各国の要人たちの前に――いや、他の誰の前にも、姿を現すことは無かった。
    白猫夢・悖乱抄 2
    »»  2014.02.26.
    麒麟を巡る話、第343話。
    会の破綻。

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    3.
     会の代表者がいなくなったとは言え、依然として各国要人たちはマーソルに陣取っている。何らかの回答をせねばならず、「天政会」は急遽、次の議長を決めなければならなかった。
     しかし――。
    「……君?」
     カメオが会員全員を会議室へ招集したが、誰一人、その場に現れない。
     横にいた秘書に尋ねたが、彼も首を降るばかりである。
    「分かりかねます」
    「分かりませんでは、困るよ」
    「そう仰られましても……。会の方全員に、漏れ無く、すぐ来るように伝えております」
    「直接伝えているか?」
    「ええ、勿論」
    「では、何故誰も現れない?」
    「私には分かりかねます」
    「……ぐっ」
     10分、20分と待つが、誰一人現れない。
    「……もういい!」
    「えっ」
     ついにしびれを切らし、カメオは席を立った。
    「君が代わりにやりなさい!」
    「え? いや、む、無理です!」
    「無理でも何でも、やるんだ! 君が議長だ!」
    「そんな! 私にはとても……」
     困り果てる秘書に背を向け、カメオは会議室を出て行った。

     あらゆる手を失い、カメオは追い詰められていた。
    「もういい加減にしてくれ……! 私が何をしたと!?」
     彼自身も精神的に行き詰まりつつあり、私室へ戻る途中ずっと、ブツブツとつぶやき続けていた。
    「忌々しい……! 何もかも忌々しい!
     もうこれ以上、私に責任を負わせないでくれ!」
     どうにか私室の前に到着し、カメオはドアノブに手をかけた。
     だが、やけに手応えが軽い。回してみても、カラカラと音がするばかりである。
    「何だ……? 壊れているのか? ……くそっ」
     何度か回してみるが、ドアが開くような気配は無い。
    「おい、誰か……」
     誰かに開けさせようと、カメオはドアに背を向け、声を上げかけた。
     その瞬間――ドアの向こうから、ぱす、と音を立てて、何かが突き抜けてきた。
    「……が、は?」
     大きく広げた口から、赤い塊が飛び散る。自分の足元に目を向けると、自分の腹部から、まるで滝のように血が流れ出ていた。
    「……な……んだ……これ……っ」
     ぐら、とカメオの体が揺れ、その場に崩れ落ちる。
    「……」
     音もなく、ドアが開く。
    「……ごぼっ……、こ……こ……これは……いったい……」
     ドアの向こうに立っていた者は、静かにカメオを見下ろしている。
    「……」
     と、右手に持っていた拳銃を、カメオの頭に向ける。
    「……っ……ぁ……ぇ……」
     それを目にし、カメオがもがく。どうやら逃げようとしているらしかったが、既にその四肢に力は無く、かくかくと揺れているだけだ。
    「……」
     消音装置が装着された拳銃から、ぱす、ぱすと乾いた音を立てて弾丸が発射される。
    「がっ……」
     その直後、カメオはピクリとも動かなくなった。
     その体を二、三度蹴り、何の反応も示さないのを見て、男はぽつりとつぶやく。
    「死亡、確認した」
     ドアの向こうにいた男は、そのままドアの向こうに消えた。



     30分後、カメオ・タイムズ第20代天帝教教皇が暗殺されたことがマーソル全体に伝わり、僧侶たちにも、そして各国要人たちにも衝撃が走った。
    「何だと……!? 教皇が!?」
    「い、一体どうして!?」
     騒ぐ一方で、誰からとも無く、こんなつぶやきが漏れた。
    「……まさか、誰かが」
    「だ、誰かだと? なっ、何のことだ?」
    「あまりにも、タイミングが異様ではないか……。まるでここにいる誰かが」
    「誰かが、密かに暗殺者を差し向けた、……と言うのか」
    「……」
     つい先程まで騒々しかった彼らは、一瞬のうちに静まり返った。
    「……だ、だが」
     そしてまた、一人がぽつりとこぼす。
    「何のために?」
    「……分からん……」
    「そもそも、我々がやったとは……」
    「……うむ」

     結局、これ以上滞在すれば、逆に自分たちが疑われかねない状況になったために、要人たちは詰問を切り上げ、そそくさと帰国していった。



     議長を含めた全会員の所在が不明となったこと、そして、これまで強固に存続を支持し続けていたカメオが死亡したことにより、「天政会」は事実上の解散となった。
    白猫夢・悖乱抄 3
    »»  2014.02.27.
    麒麟を巡る話、第344話。
    消えた資金。

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    4.
    「天政会」が解散となったものの、これまでその傘下にあった各国がそのまま、元のように独立独歩の道を歩むようなことにはならなかった。
     元々、経済難から「天政会」に援助を求めてきた各国である。このまま瓦解しては、またも経済危機を迎えかねない。
     そのため彼らは、今度は「央北西部連合」と名乗って結託し、「天政会」が蓄えているはずの運営資金を手に入れようと、再度マーソルに押しかけた。

     ところが――。
    「無い!?」
    「何をふざけておるか!」
     詰めかけた連合に対し、「天政会」の後処理を行っていた枢機卿は、思いもよらないことを告げた。
     なんと「天政会」が蓄えていたはずの運用資金数十億エルが、一切残っていないと言うのだ。
    「申し訳ございません……。
     元々『天政会』はかなり独立性・機密性が高く、母体たる我々にも知らせていない情報が多数、あったようでして。
     運営資金についても、その大部分が、どこの銀行や金融機関、投資筋に預けたのか――いえ、それ以前に、総額がいくらであったのかも、我々には一切知らされていないのです」
    「あなた方が知る知らないは、我々には関係ない。
     我々にとって重要なのは、その運営資金が、我々の手に戻ってくるか否かだ。何しろ、我々の国から各個、拠出されたものなのだからな。
     それが戻ってこないと言うのならば、あなた方には何らかの補償をしてもらわねばならない」
    「それについては……、本当に、申し訳ないとしか、言いようが……」
     枢機卿は深々と頭を下げ、こう返した。
    「申し上げました通り、運営資金はその全てが、所在も運用先も不明瞭なものとなっておりまして……。
     恐らくは全額、元会員らが持ち逃げしたものと……」
    「なんと……」
    「確かに仰る通り、本来であれば我々が、何らかの補償をしてしかるべきであるとは思っているのですが、なにぶん、額が額でありまして……。
     支払えるとしても、恐らくは数千万が限界かと」
    「……むう」
     これ以上この枢機卿を責めたとしても、大した額を回収できないであろうことは明白である。
    「もういい。済まなかったな」
     資金回収を諦めた連合は、今後の方針を定めるべく、ひとまず会議を開くことになった。



     一方、白猫党が本拠を移したここ、クロスセントラルに、その行方不明となった元「天政会」会員20余名が集められていた。
     と言っても、彼らの意思で集まってきたのではない。教皇暗殺の前後に、白猫党の防衛隊員が拉致したのである。
    「吐け」
    「ひぐっ……」
     散々に合金製ロッドで打ち据えられ、全身痣(あざ)だらけになったその僧侶に、隊員が冷たく言い放つ。
    「お前が任されていた資金はいくらだ? どこに預けていた?」
    「ふぁ、ひぁ……」
     何かを言うが、口の中はズタズタに切れており、また、歯も半分近く折られているため、まともな言葉にならない。
    「はっきり言えッ!」
     もう一度ロッドで頬を殴られ、さらに歯が一本飛ぶ。
    「ひぃ、ひぃ……。ほぅひゅうほ……」
    「ん? おい、止めろ」
     と、拷問の様子を眺めていたマラガ隊長が、隊員を止める。
    「口が利けんらしい。筆談させろ」
    「はい」
     隊員は僧侶にペンを握らせ、彼が言おうとしていた内容を書かせた。
    「ふむ……。ゴールドマン部長、これで分かるか?」
    「へー、へー」
     マラガと同じように眺めていたマロは、紙に書かれた内容を確認する。
    「ああ、バッチリですわ。市国の信用金庫ですな。このくらいの額やったら、ちょっと一筆書いてもろてサイン見せたら、受け取りが代理人であっても、すぐ引き出せますわ」
    「なるほど。おい、書かせろ」
    「はい」
     もう一度ペンを握らせ、サインと預金引き出しを願う旨の文章を書かせたところで、マラガはこう言い放った。
    「次に行くぞ。椅子を開けろ」
    「了解であります」
     隊員は胸のホルスターから拳銃を取り出し、僧侶の頭に押し当てる。
     その様子を見たマロは、直後の銃声に紛れるように、こうつぶやいた。
    「えげつないわ……」



     双月暦566年の暮れまでに、白猫党は「天政会」が運用していた資金の大部分を回収した。
    白猫夢・悖乱抄 4
    »»  2014.02.28.
    麒麟を巡る話、第345話。
    白猫党、開戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「天政会」からの資金回収に失敗したものの、連合にはまだ若干の、資金の余裕があった。
     傘下に収まってしばらくは、曲がりなりにも「天政会」の政治・経済的指導が行き届いており、順調な歳入が確保できていたためである。
    「一応、白猫党の奴らに対抗するだけの力はある、と言うわけだ」
    「となれば、まず行うべきは……」
    「うむ。我が連合の人間が若干ながら犠牲になったことは事実であり、これに対して白猫党には、何らかの謝罪と賠償を行ってもらうべきだ」
    「確かに。ではまず、白猫党に打診を行うとしよう。
     相手が誠実に謝罪・賠償すると言うのならば、よし。今後の関係も、それなりに築けよう。だがもし、謝罪も賠償もせず、無視してかかるような輩であれば……」
    「報復行動もやむなしだ。既にヘブン王国およびその周辺を傘下に収め、侮りがたい勢力となってはいるが……」
    「同等、いや、それ以上の戦力および経済力を有する我々が前体制の如く何もせぬまま、では沽券に関わる。毅然とした行動が求められるだろう」
    「無論だ」
     長年、共通の厄介者に苦しめられてきただけに、連合の結束力は決して弱いものではなかった。
     連合は急速に報復体制を整え、白猫党に向けて両陣営の姿勢を明確にする協議と、議員虐殺事件における謝罪と賠償を求めるべく、それらを打診した。



     だが――。
    「『天政会』を前身とする組織、『央北西部連合』から我が党との関係についての協議と、以前の『天政会』議員排除による人的被害に対する謝罪・賠償を求められたわ。
     だけどコレについては、全面的にノーよ」
     党首シエナは、これをにべもなく却下した。
    「何故なら連合は、『天政会』を前身としていると建前上で言ってはいるけれど、実質的には全く無関係の組織だからよ。
     連合には『天政会』から引き継いだ利権および資産・負債が何ら存在せず、実情は『天政会』の束縛から解放された奴らが、勝手に徒党を組んでるだけ。そんな身上で『天政会』に代わって賠償請求するだなんて、無権代理もいいところ。
     こんな筋違いの要求、呑む方がおかしいわよ」
    「そらそうですな」
    「うむ、違いないでしょう」
    「異議なしであります」
     この意見に、マロや幹事長のイビーザ、マラガと言った強硬派は一様にうなずいたが、穏健派の政務部長トレッドと、党員管理部長アローサは苦い顔を返した。
    「しかし総裁、彼らの要求をすべてはね付けると言うのは、今後の関係にひびを入れることになります。
     連合国内出身の僧侶が、あの排除対象者の中に若干名含まれていたのは事実ですし、それに対する謝罪も一切無いと言うのはどうかと……」
    「わたしも同感です。まだ党の手が加えられていない国に対し、あまりに強すぎる強硬路線を貫いては、今後の支援者や党員の獲得に、悪影響を及ぼします」
    「いいのよ。結局最後には、アタシたちが全部を奪うんだから。
     もう央北諸国に対して顔色をうかがうようなコトは、一切する必要は無いわ。もう支援者も党員も十分に集まった。コレ以上の『同志』の獲得は、必要ない。
     ココから確立していく関係は『対等』ではなく、『従属』よ」
    「それも、『預言』ですか?」
     そう尋ねたトレッドに、シエナは大仰にうなずいて見せた。
    「そうよ。今まで『預言』と言ったものが、アタシたちの介入なしに外れたコトがあった?」
    「……いいえ。異存ございません、総裁。元より総裁決定と『預言』には、従う所存であります」
    「右に同じく」
     穏健派も折れ、白猫党は正式に、連合の要求を却下することを相手に伝えた。



     白猫党からの返答を送りつけられた連合は当然、激怒した。
     そして、連合は何としてでも白猫党に、謝罪と賠償をさせるために。一方の白猫党は、央北全土を征服するために――必然的に、戦争が勃発した。

    白猫夢・悖乱抄 終
    白猫夢・悖乱抄 5
    »»  2014.03.01.
    麒麟を巡る話、第346話。
    戦争準備。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     本拠地をヘブン王国首都、クロスセントラルに移して以降、白猫党はさらに勢いを増していた。

    「本当に大丈夫?」
    「任してください。俺にはご先祖秘伝の策がありますよって」
    「先祖秘伝?」
     白猫党が実権を握るまで開店休業状態にあった造幣局で、マロはニヤッと笑って見せる。
    「ニコル3世伝説ですわ。北方でも今みたいな、いや、今よりもっとえげつないインフレが起こっとった時があったっちゅう話なんですが……」
    「まあ、何でもいいわよ」
     先祖の自慢話を切り上げさせ、シエナは真面目な顔で尋ねる。
    「うまく行く確証があるのね?」
    「歴史が証明しとります」
    「いいわ。それじゃ後は任せたわよ」
    「ええ」
     シエナが踵を返したところで、マロが大声で叫ぶ。
    「よっしゃ、刷れ刷れ! ガンガン行ったれ! 『ホワイト・クラム』のお目見えや!」
     間もなくして、あちこちで製造機が音を立てて動き出した。
     それを背にしつつ、シエナは今後の展望を考えていた。
    (経済に関しては、確かにアタシには分からないコトだらけだけど、それでも最早ゴミクズと化した『ヘブンズ・クラム』をいくら刷ったって、アタシたちには何の得にもなりゃしないって言うコトくらいは、十分把握できてる。
     それに今現在、ウチの資金はエル建てで用意されてるけれど、今後の活動を考えれば、いつまでも央中通貨に頼るワケには行かない。いずれは央中をも攻略する予定だし、央中の都合で変動するカネを持ってちゃ危ないわ。
     そこら辺の問題を経済通のアイツに一任したけど、……大丈夫よね?)
     と、そこへ造幣局員が一人、小走りで駆けつけてきた。
    「総裁閣下!」
    「え? ……ん、何?」
    「第一号が完成しました。お受け取り下さい」
     局員はそう言って、一枚のコインを差し出した。シエナはそれを取りかけたが、途中で手を引く。
    「……ん、まあ、気持ちはありがたいけど、……横領になるし」
    「ええですよ、別に」
     シエナと局員のやり取りを見ていたらしく、マロが声をかける。
    「それが『カネ』になるんは、ここを出てからです。まだ造幣局の刻印入れてませんし、それはまだ、ただの『コイン』ですわ」
    「そう……? ま、財務部長がそう言うのなら、受け取るわ」
     シエナは素直に、局員からできたての貨幣――白猫党が発行する新たな通貨、「ホワイト・クラム」を受け取った。

     党防衛隊も兵器廠を市内に新設し、兵器開発を急がせていた。
    「調子はどうだ、博士」
    「見ての通りだ」
     博士と呼ばれたその長耳は、机に貼られた設計書をマラガに示した。
    「俺がそんな紙切れを見て、分かると思ってるのか?」
     悪びれもせずそう返したマラガに、博士は舌打ちする。
    「脳筋には分からんようだな」
    「そうとも。説明してくれ」
    「……フン。
     まず歩兵の主力兵器。ゴールドマン商会兵器開発局の軽機関銃『レイブンレインV4』のコピー品だが、本物より部品数を減らし、軽量化および整備性の向上に特化させた」
    「うん? 部品が減っては、性能が下がるではないか」
    「安全性や使用感については問題ない。減らしたのは主に、命中精度に関わる部品だ。
     しかし私の意見としては、大量に弾をバラ撒く銃火器には、命中精度はさほど必要ではないと……」「ああ、いい、いい。とにかく次の戦争には使えると言うことだな。
     で、次は?」
     持論を途中でさえぎられ、博士はむっとした顔をしつつも、説明を続ける。
    「他の歩兵用兵器としては、拳銃や小銃も重要な要素になる。こちらも金火狐方面から技術を流用し、それぞれ近接戦闘に特化させている」
    「ふむ。……こいつは? 歩兵が持つには、いささか大き過ぎるようだが」
     その設計書を指摘され、博士は嬉しそうに笑う。
    「こいつは私のオリジナルだ。親父の……、いや、金火狐のアイデアではない」
    「なるほど?」
     マラガはその設計書を手にし、ニヤニヤ笑う。
    「こいつが実戦投入され成果を収めれば、あの『死の博士』を名実共に超えられると言うわけだな、デリック・ヴィッカー博士」
    「そうとも。私こそが新たな『死の博士』だ。
     そうなるためには、私の功績を戦場で余すところなく宣伝してくれたまえよ、エンリケ・マラガ隊長」
    「ふっふっふ……、任せとけ」
    白猫夢・蹂躙抄 1
    »»  2014.03.03.
    麒麟を巡る話、第347話。
    盤外戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     元々、傍系とは言え金火狐一族であり、経済に明るいマロが党内におり、彼が「預言」を元に順調な投資・投機を繰り返していたことから、白猫党には相応の資金があった。
     それに加え、「天政会」会員を拉致・拷問して得た情報により、その運営資金を強奪したことで、白猫党はさらに潤沢な軍資金を獲得していた。
     その金に物を言わせ、白猫党は双月暦567年初頭――央北西部連合との戦争を間近に控えたこの時、半端な国家よりもよほど堅固な装備を整えていた。
     しかし、それだけ派手な運用をしていたにもかかわらず、相手側にはその情報は、まったく伝わっていなかった。
     これは白猫党の対情報の堅牢さ――兵器設計・開発・製造から兵士の訓練内容はおろか、その組織と配備に至るまで、すべて本拠地内でのみ完結させていたためである。



     さらにその上で、対外的には大量の偽情報を流し、相手である連合を混乱させていた。
    「我が国の諜報部が集めた情報によれば、白猫党はヴァーチャスボックスに巨大な兵器廠を建設し、小銃を月間一千挺単位で製造しているとのことだ」
    「うん? 我々の情報では、兵器廠はアークフォードに建設中であると……」
    「いや? 既に完成していると聞いているぞ?」
    「……? 情報がまったく統一できないな。
     皆、もう一度教えてくれ。兵器はどこで製造されていると?」
     何度聞いても、敵の重要拠点を何一つ、正確に割り出すことができない。
    「疑わしい箇所を、全て回ることは?」
    「難しいでしょう。何しろ敵の勢力圏は既に、央北の3分の1に及んでいます。
     確かに我々の兵力を総合すれば20万を超えますが、それを疑わしいところへすべて行き渡らせた場合、一箇所につき3~4000名を割るような配置となってしまいます」
    「うーむ……。敵兵力がどれだけあるかによるが、重要拠点を防衛しているとなれば、少なく見積もっても5000以上は確実だろう」
    「我々の情報網によれば、敵兵力は10万とのことです」
    「いや、5万程度であるとの調べが付いている。これは確かな筋からの……」
    「いやいや、我々の方ではもっと多いと聞いているし、近代装備で武装していることを考えれば……」
    「その装備だが、ほとんどが金火狐のコピー品らしいぞ。性能は高くあるまい」
    「いや……、独自設計のものも多数あるとのことだ」
    「それについてだが、まだ開発段階であり、大部分は従来使用していた金火狐製品をコピー中であると……」
     あまりに錯綜する情報に、議長はついに頭を抱えた。
    「……何が本当なんだ?」

     このように、相手の状況がほとんどつかめず、明確な攻撃目標が定められないでいた連合に、さらに頭を悩ませる事態が発生した。
     いよいよ戦争が始まるかと言う双月暦567年のはじめになって、連合加盟国のうち3ヶ国が突然、白猫党の傘下に収まったと公表したのである。
     これは白猫党が「天政会」の解散騒ぎ以前から仕掛けていた罠であり、相手の情報を本営から堂々と盗み取ると言う、大胆不敵な策略だった。
     しかもこの3ヶ国はいずれも小国とは言え、白猫党の有する領地のすぐ隣にあった、交戦地と目されていた地域である。土壇場で配備体制を整え直さねばならなくなり、連合は大慌てとなった。
     さらにこの「裏切り」は、連合全体の士気を大きく落とし、互いに疑い合う状況を作り出した。連合側の陣営にはいつ、どの国が裏切るか分からないと言う疑心暗鬼の空気が漂い、最早一致団結し、戦争に迷いなく臨めるような環境ではなくなっていた。

     開戦までに相手を徹底的にやり込め、極限まで弱体化させた白猫党にとって、連合との実戦はほとんど遊びにも近いもの――いや、言うなれば「軍事演習」にも等しいものとなった。



     双月暦567年2月、ついに白猫党と連合との戦争が始まった。
     だが事前の、白猫党からの執拗な戦外工作により、連合の士気は緒戦から低かった。
    「……」
    「……」
    「……」
     様々な国からの兵士で構成された連合軍は、一様に憮然とした顔で行軍している。
    「……ざけんなって話だよ」
     どこからともなく、声が漏れる。
    「あ?」
    「ボンド王国の奴らだよ。開戦直前に、敵に寝返ったんだろ?」
    「ああ……、クソだな」
    「フンク王国とサヴェジ王国もだろ?」
    「ああ、そいつらもだ。本気でクズだな、マジ」
     行軍中に出る話題は、決まって寝返った3ヶ国となる。
    「あいつらのせいで、折角造ってた砦が無駄になったんだろ?」
    「いや、無駄って言うより、分捕られたって感じだろ、白猫党に」
    「裏切り者の上に泥棒、ってか?」
    「マジふざけんなよ……」
     本来ならば私語厳禁であるはずの行軍中でさえ、こうしてダラダラとした会話が続く。
     この一事をとっても、統率が乱れているのは明らかだった。
    白猫夢・蹂躙抄 2
    »»  2014.03.04.
    麒麟を巡る話、第348話。
    新兵器。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     それでも連合は、どうにか急ごしらえの砦に軍を集結させ、守りを固めさせた。
    「敵の姿は?」
    「まだありません」
    「了解した。引き続き、警戒してくれ」
     砦の指揮を任された将校も、兵士たちと同様、はじめは愚痴をこぼしていたものの、いざ防衛に着手したところで、ようやくそれらしい態度になった。
    「繰り返すが、ここは交通の要所だ。そのため広域にわたって整備されており、この周辺には身を隠しつつ、ここを攻撃できるような場所は無い。最も近隣の森からも1キロ以上は離れているし、南にある丘陵地帯も、ここからその状況を確認することが容易だ。
     ……まあ、はっきり言って、こんなところを攻めるのは阿呆のやることだ。そんなものは100%確実に迎撃される。自分たちから死にに来るとしか思えん」
    「はは……」
     冗談めかした上官の言葉に、兵士たちから笑いが漏れる。それを受けて上官もニヤッとしたが、すぐ真面目な顔に戻る。
    「とは言え、今後の戦況を考えれば、物資の補給路として活躍するであろうと予測されている。万が一、ここを落とされるようなことがあれば、連合軍の兵站に重大な支障をきたす。
     全員、気を抜かず防衛に当たるように」
    「了解であります!」
     上官・兵卒共に、どうにかそれらしい雰囲気を作り、ようやく両者の士気も上がってくる。
    「散々振り回されてきたが……、ともかく、我々はこの砦を守りきり、勝利すれば……」
     さらに気合を入れようと、上官が扇動しかけた、その時だった。
    「南、丘陵地帯に不審な影、多数確認! 敵と思われます!」
     伝令から、報告が飛んでくる。
     上官は演説できず、多少残念そうな様子を見せたが、すぐに応じた。
    「……っと。よし、すぐに警戒態勢を取れ! 追い返してやるんだ!」
    「了解!」
     命令は各部署に伝えられ、あちこちで準備が整えられた。



     その、丘陵地帯。
     到着した白猫党の軍小隊は、本営と連絡を取っていた。
    《様子は?》
    「我々に気付いた模様。迎撃準備を整えています」
    《ククク……、悠長なことだ》
     本営内で状況を伝え聞いていたマラガは、笑いながら命令した。
    《新兵器のお披露目と行こうか。たっぷりお見舞いしてやれ!》
    「了解!」
     命令を受け、兵士たちは「装置」の組み立てを始めた。

     命令を下したところで、マラガは隣で様子を見守っていたデリック博士に尋ねた。
    「で、今回の新兵器についてだが、詳しいことを聞いていなかったな、博士」
    「説明したはずだが」
    「お前はしただろうが、俺は聞いとらん。改めてしてもらおう」
    「……」
     いつものように憮然とした顔をしつつも、デリック博士は説明する。
    「発射機構自体は、そんなに複雑なものではない。従来の高射砲とほとんど同じものだ。無論、携行性を高めるために若干の軽量化は行っているが。
    『新兵器』としているのは弾の方だ。発射される砲弾が、従来のような弾ではないのだ」
    「どう違う?」
    「大まかに分類するならば榴散弾、即ち命中すれば炸裂し、周囲に猛スピードで鉛弾をバラ撒くタイプの砲弾と言える。
     しかし今回の新兵器がバラ撒くのは、鉛ではない」



     迎撃準備が整えられている間も当然、連合軍側は白猫軍の動きを監視していた。
    「敵影、依然動きません」
    「了解した」
     そう返したところで、上官はいぶかしがる。
    「敵の数は小隊程度、と言っていたな?」
    「はい」
    「既に我々に動きを捉えられているであろうことは明白だ。だが、そのまま動きが無いと言うのは、妙だな?」
    「斥候、……にしては多過ぎますし」
    「向こうも砦を構える気だろうか? ……とすれば、相当準備が遅いが」
    「案外、戦下手なのかも」
    「いや」
     楽観的じみた側近の意見を、上官は首を振って否定する。
    「これまでの盤外戦の周到さを考えてみろ。実際に戦闘が行われる前に、あれだけ我々連合軍をやり込めてきた奴らだ。
     何か、我々の予想をはるかに超えるような手段で攻撃してくるのでは……」
     と、その時――ポン、と鼓を打つような音が、砦中に響いた。
    「……? 今のは?」
    「確認します!」
     待機していた伝令が、大急ぎで司令室から出て行った。
     だが、5分経っても、10分経っても、伝令は戻ってこない。それどころか、立て続けにポンポンと音が繰り返されているにもかかわらず、砦内には動きが見られない。
    「おかしい……。どうしたんだ、一体?」
     しびれを切らし、上官が窓の外を見ようと動きかける。
    「あ、いや、私が」
     それを側近が制し、代わりに窓を開けた。

     それが地獄の始まりだった。
    「……」
    「何か見えるか?」
    「……」
     上官が尋ねたが、側近は答えない。ずっと窓の外を眺めている。
     いや――窓枠にかけていた手が、ブルブルと震えている。
    「どうした?」
     やがてその震えは、肩、頭、そして全身に回り、側近は両手をだらりと下げ、窓枠に首をかけて痙攣し始めた。
    「おい!? どうしっ、た、た、たたっ、た……」
     そして窓の付近にいた者たちも、同様にビクビクと震え、倒れていく。
    「……!」
     異常事態に気付き、上官は慌てて部屋から出た。
    「……が、……っ、……」
     その直後――上官も同様に、全身を痙攣させて倒れた。

    「撃ち方やめ!」
     30発ほど撃ち込んだところで、白猫軍は砲弾の発射をやめた。
    《状況はどうだ?》
    「敵拠点、完全に沈黙しました」
    《分かった。博士によれば、効果は30分くらいとのことだ。
     ああ、そうそう。まだ突入はするなよ。うかつに近付けば、お前らも死ぬぞ》
    「了解です。待機します」
    《そうしてくれ。突入は1時間後でいい。それまでコーヒーでも飲んでろ》
    「ありがとうございます」
    白猫夢・蹂躙抄 3
    »»  2014.03.05.
    麒麟を巡る話、第349話。
    ワンサイドゲーム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     緒戦は白猫党の勝利に終わった。
     デリック博士の開発した、毒ガス弾をはじめとする数々の新兵器が、攻城戦において絶大な効果を発揮したこと。加えて、連合が想定していたよりもはるかに長距離からの攻撃手段を有していたことにより、前線に配備されていた連合軍兵士は、その半分以上が敵と接触すること無く、全滅。連合軍は前線全域からの撤退を余儀なくされた。
     そのため前線が置かれていた連合側の数ヶ国は、そのまま白猫党に占領されることとなった。

     出鼻をくじかれ、連合側の首脳陣は戦々恐々としていた。
    「ここまで一方的な結果になろうとは……」
    「まったくだ」
    「現状、奇妙なことに防御を固めれば固めるほど、大ダメージを受ける結果となっている。
     かと言って無計画に攻めるなど、それこそ自殺行為だ」
    「戦闘による状況の打開は難しい、と言うことか」
     序盤から敗色濃厚な空気が漂い、首脳陣は揃って頭を抱える。
    「これでは戦うどころではない……」
    「ああ、確かに。どうにか白猫党と交渉し、停戦に持ち込まねば」
    「しかし、前回の交渉は決裂している。同条件で望んでも無意味だろう」
    「……仕方がない。虐殺事件における謝罪・賠償は諦めざるを得ん。占領された数ヶ国も、放棄しよう。
     これ以上攻めこまれ、残る陣地までもが占領されるよりはましだ」

     だが、前回よりはるかに下手に出たこの条件でも、白猫党は納得しなかった。
     圧倒的優位を確信していた白猫党は、連合を解体した上で、その領地をすべて党の支配下に置くことを、停戦の条件として突きつけてきた。
     到底、こんな条件は納得できるものではなく、連合は戦争を継続せざるを得なくなり――その後の戦争は、白猫党による侵略戦争と化した。
     連合の総合的な軍事力は、最新鋭の兵器で武装した白猫党に到底対抗できるものでないことは明らかであり、連合側は最後まで、白猫党の嬲り者にされることとなった。



     勿論その間にも、政治的な駆け引きにより停戦に持ち込もうとしなかったわけではない。だが連合単体の交渉はことごとく蹴られ、まったく成立しなかった。
     そのため、「新央北」やその他の大規模な政治組織と協力、あるいは停戦交渉の仲裁を申し込んだが――。

    「お前が聞いた通りだ。彼らに手を貸したり、あまつさえ仲裁するなどと言うことは、今はとてもできんのだ」
    「新央北」の宗主、トラス王は、これを拒否した。
    「何故ですか、父上!? 同じ央北の人間を、見捨てると言うのですか!?」
     この決定を聞いたマークは憤り、その怒りをトラス王にぶつけたが、彼は渋い顔をしつつ、こう答えた。
    「まず第一に、形勢を見ての結論である、と言うことだ。
     連合が白猫党に、軍事的に劣っていることは明白だ。戦争全体を鑑みても、局地の戦いぶりを見ても、白猫党に蹴散らされ、ことごとく敗走していることは広く知られている。
     彼らと組み、我々の兵力を付加し、最大限協力したとしても、情況を覆すことは不可能だろう。
     一方で停戦交渉の仲裁役を買って出たとしても、我々では今の、波に乗った白猫党に言うことを聞かせることはできん。恥をかかされるのがオチだろう。
     冷たい言い方をすれば、我々が動いたとしても、戦費や外交費の無駄になるだけだ」
    「……本当に、冷たい言い方ですね」
    「お前に、そして連合の人間に非道と思われるのは承知だ。
     だが、私にもこの共同体を維持し、域内の安寧秩序を守る責任がある。道連れになって共に崩壊し、白猫党に支配されるなどと言う道は、到底選べん。
     そして第二の理由だが、我々の側の体力の温存と、敵側の消耗を狙ってのことだ。残念ながら我々の総力は、現在の白猫党に劣っていることは明白だ。今戦えば確実に、我々は負ける。
     だが白猫党が連合を下し、彼らを支配下に置き、そして統治していくとなれば、彼らの組織・領地は肥大化し、維持するにも拡大するにも、相当の疲労が発生するだろう。
     その疲労が蓄積し、白猫党の動きが鈍りきったその時にしか、我々の勝機は到来し得ない。その機が来るまで、我々は体力を温存しておかねばならないのだ。
     分かってくれ、マーク。この戦いに、負けるわけにはいかんのだ。どんな犠牲を払ってでも、……だ」
    「……はい」
     マークはそう返し、うなだれるしかなかった。



    「新央北」の拒否に続き、他の政治組織も、敗色濃厚な連合と関係することを嫌ったため、連合はさらに窮地に立たされた。
     そのうちに、連合内でも「早めに白猫党に下った方が被害が少なくて済む」として、次々と離反が起こった。

     そして双月暦567年、暮れ。結成当初20以上加盟していた央北西部連合は、そのすべてが白猫党の支配下に置かれることとなり、解体。
     戦争は白猫党の圧倒的勝利となった。
    白猫夢・蹂躙抄 4
    »»  2014.03.06.
    麒麟を巡る話、第350話。
    不協和音の排除。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     央北の3分の2を手にし、白猫党と、そして彼らの本拠地であるヘブン王国は、戦勝ムードに酔いしれていた。
    「白猫党、万歳!」「チューリン総裁、万歳!」
     党は凱旋パレードを催し、国民を労っていた。
     シエナ自身も、西方から輸入してきた自動車に乗ってパレードに参加し、勝利の味を噛み締めていた。
    「素敵ね。今なら水飲んだだけでも酔っ払っちゃいそう」
    「全くです」
     車内にはシエナとトレッド、イビーザ――そして、葵の姿があった。
    「ぐー」
     葵はシエナにもたれかかり、いつものように眠りこけている。その様子を見て、イビーザが顔をしかめる。
    「しかし総裁、アオイ嬢を連れてくる必要は無かったのでは?」
    「アタシもそう思ったけど、彼女がどうしても来たいって言うから」
    「ふむ……?」
     これを聞き、トレッドが意外そうな顔をする。
    「珍しいですな。アオイ嬢がそんなことを仰るとは」
    「ええ、アタシもそう思うわ。……たまには目立ってみたいのかしら?」
    「……むにゃ」
     と、唐突に葵が目を覚ました。
    「おはよ、アオイ」
    「……いま、どこ?」
     尋ねた葵に、イビーザが答える。
    「間もなくパレードを終え、ドミニオン城に戻るところでございます」
    「停めて。ここで、すぐに」
     そう返され、全員が面食らう。
    「え?」
    「一体何故……」
    「早く」
     強い口調で命じられ、シエナが渋々従った。
    「……分かったわ。停めてちょうだい」
     シエナに命じられ、車はドミニオン城の門前で停まる。
    「どうしたの? 気分悪いの?」
    「違う」
     葵は三人をじっと眺め、こう続けた。
    「この車から絶対出ないで。城内に入るか車を降りたら、エンリケさんが銃撃してくる」
    「……え?」
    「エンリケとは、エンリケ・マラガのことですか?」
    「そう」
    「何故です? いや、それよりもこれは、まさか『預言』なのですか?」
     トレッドの問いに、葵は小さくうなずいた。
    「そう」
    「どうして!? 何故マラガがアタシたちを……!?」
     蒼ざめるシエナに対し、イビーザが「……いや」と続けた。
    「確かに彼奴が反旗を翻すには、絶好の機会でしょう。戦勝ムードにあてられ、我々も少なからず油断しておりました。
     それに今下克上し、それが成功されれば、彼奴には央北3分の2が手に入るわけですからな」
    「……なるほど、そう、ね」
     イビーザの言葉に納得しつつ、シエナは葵の方を向く。
    「でも、どうするの? このまま停まってたら、怪しまれるんじゃ」
    「あたしが何とかする。
     エンリケさんは行方不明になったって、公表しておいて」
     そう返し、葵はその場から姿を消した。
    「……!? き、消えた!?」
    「『テレポート』よ」
    「て、『テレポート』ですって? そんな術があるとは、聞いたことはありますが……」
     混乱する様子を見せつつもそう尋ねたトレッドに、シエナは首を振って答える。
    「アタシも見るのは初めてよ。……ドコで学んだのかは、同窓だったアタシも知らないけどね」

     一向に車が城内へ入ってこないため、城内中庭で待ち構えていたマラガは苛立っていた。
    「どうした、どうした!? さっさと来やがれ、雌豚め」
     マラガの背後には、彼が囲い込んだ党防衛隊の一小隊が整列している。葵の言った通り、シエナたち党の最高幹部を襲うためである。
     マラガ自身も新型の小銃を肩に提げ、いつでも攻撃できるよう備えていた。
    「……来ない。とっくにパレードは終わっているはず、……だが」
     きょろきょろと辺りを見回したり、小銃を構えたり提げ直したりするが、依然として車は入ってこない。
    「まさか……、感付かれたか?」
     マラガの顔に、焦りの色が浮かぶ。
     そしてその懸念を肯定する者が、突然現れた。
    「そうだよ」
    「……!」
     一瞬前まで誰もいなかった中庭に、いつの間にか葵が立っている。
    「だ、誰だ貴様は!」
    「あなたの企みは『見えてた』。シエナたちを殺させたりなんか、絶対させない」
    「見え……? 何を言っている?」
     葵は腰に佩いた刀を抜き、マラガとその背後に立つ小隊に向けて構えた。
    「それにあなた、本当はあの方を、『白猫の夢』を信じてない。シエナたちの方便だと思ってる」
    「……っ」
    「そう言う人が党の幹部にいたら、党はいつか、おかしくなる。一緒に同じ方を向いてくれない人がぽろぽろ出たら、組織はバラバラに千切れちゃうよ。
     ううん、このままだと『そうなる』。だからその前に、あなたを消す」
     そう言って、葵はマラガに向かって駆け出した。
    白猫夢・蹂躙抄 5
    »»  2014.03.07.
    麒麟を巡る話、第351話。
    預言者の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     一直線に向かってくる葵を見て、マラガは引きつった声で怒鳴る。
    「……う、撃て! 撃てッ!」
     マラガに命じられ、小隊は一斉に銃を構え、葵に向かって発砲する。
     だが――まっすぐ向かってくるはずの葵に、弾は一発も当たらない。あっと言う間に距離を詰められ、葵はマラガのすぐ目の前まで迫る。
    「ひっ……」
     マラガも慌てて小銃を構え、葵に向ける。
     だが葵は、その小銃をいとも簡単に叩き斬った。
    「なっ、なんだと!?」
    「……」
     武器を失い、丸腰になったマラガに、葵は刀を向ける。
    「選んで。ここで殺されるか、自分で立ち去るか」
    「……ふ、フン」
     だが、マラガは馬鹿にしたような目を向ける。
    「こ、この土壇場でそんな台詞を吐くってことは、……お前、人を殺したことが無いな? 怖いんだろう、え? 本当に俺を殺せるわけがない、そんなつもりはない、ただのこけおどし、……そ、そうだろう?」
    「……」
    「い、いいとも! 殺してみろ! ほれ、やってみやがれ! さあ! さあ、さ……」「分かった」
     ざく、と音を立てて、マラガの額に刀が突き刺さった。
    「ほげっ……」
     マラガの鼻と口から、間の抜けた音と、大量の血が噴き出す。
    「ひっ……」
     その光景を見ていた兵士たちから、悲鳴が漏れる。
    「言ったはずだよ。選んでって」
     マラガに刀を刺したまま、葵はつぶやいた。
    「逃げたいって言ったら、逃してあげるつもりだったのに」
    「……ごぼ、ぼ、っ、……」
     マラガの目がぐるんと白目をむき、四肢から力が抜ける。それを見た葵は、刀をマラガの額から抜いた。

    「あなたたちに」「……っ!」
     葵は倒れたマラガに目もくれず、刀を拭きながら、呆然と立ち尽くしたままの兵士たちに声をかけた。
    「ちょっとだけ、未来を教えてあげる」
    「な、……え?」
    「あなたは半年後、結婚するよ。相手は今あなたが片思いしてる、喫茶店の子。明後日告白したら、上手く行くよ。明日じゃダメだからね」
     葵に指を差された兵士は、目を丸くする。
    「な、何……?」
    「隣の、あなた。半月後、脚を大ケガする。でも来週いっぱい演習場に行かなきゃ、大丈夫だよ。
     その隣。あなたは10日後、目を患う。ううん、今も右目がかゆいはず。でも今日この後、すぐ治療に行けば治るよ。病院嫌いみたいだけど、行かなきゃ失明するよ」
    「……まさか……」
    「あなたは今すぐ、無理にでも休暇を取って、明日の昼までには家に帰って。そうしないと6日後、冷たくなったお母さんの前で大泣きしなきゃならなくなるよ。明日だったら、助けられるからね。
     あなたは今日から3日間、いつものバーに行って呑んじゃダメだよ。あなたをだまそうとして、待ち構えてる人がいるから。4日目にはその人、別の詐欺で捕まるから、その後でなら、いくらでも呑んでもいいけど。
     それから、あなた。験担ぎするのはあなたの勝手だけど、明日だけはやらない方がいいよ。いつも狙ってるのと逆のことをしたら、きっと楽しいことが起きるから」
    「あなた……は……」
     次々に自分たちの未来を告げられ、兵士たちは小銃を足元に落とし、戦意を失う。
    「……あなたは……預言者……!」
    「そう」
     その場に居た兵士全員に未来を告げ終えた葵は、こう締めくくった。
    「でも今の未来は、これから入ってくるシエナたちに、ちゃんと挨拶しないと起こらないよ。
     エンリケさんは行方不明になったって、口裏を合わせておいてね」
    「……りょ」
     兵士たちはかかとを揃え、背をぴんと伸ばし、葵に向けて最敬礼し、大声を上げて返事を返した。
    「了解であります、預言者殿!」
    「ん」
     葵は短くうなずき、次の瞬間、ふっと姿を消した。

     5分後、小隊による万雷の拍手を以って、パレードを終えたシエナたちが出迎えられた。



     この事件以降、それまで幹部以外には、それほど信じられてこなかった「預言者」の存在が、党全体に広く、そして明確なものとして伝わった。
     党員たちの大多数は「白猫の夢」と、そしてその夢を自在に見られると言う「預言者」を、強く信じるようになった。
     その様子はまるで――神に深い祈りを捧げ、無償・無限の信頼を貫く、敬虔な信者のようにも見えた。
    白猫夢・蹂躙抄 6
    »»  2014.03.08.
    麒麟を巡る話、第352話。
    党内刷新。

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    7.
     マラガが「行方不明」になった後、巨大化した党防衛隊は正式に、「白猫軍」と改められた。それと同時に、新たに司令官が選出されることとなった。
     新任の司令官には、敬虔と言えるほどに「白猫」を信じる者が着任した。

     その新たな司令官とデリック博士との間に、やがて深い亀裂が生じることとなった。
     今回の戦争で使用された新兵器は多大な成果を上げたものの、酸鼻をきわめる結果を招いたことも多く、その開発者である博士は「人道的・人間的に悖る冷血漢」として、疎まれていたのだ。
     さらにはその開発を、前任者マラガが嬉々として容認していたこともあり、博士と関係を持つことでマラガと同じ印象を抱かれることを嫌った司令官は、徹底的に博士を遠ざけたのである。
     その確執はやがて博士から研究の場を奪うこととなり、存在理由を失った博士は双月暦568年に党を脱退し、央北から姿を消した。



     央北の3分の2を手中に収めた白猫党だったが、そこからすぐに「新央北」へ侵攻するようなことはしなかった。
     まだ占領して間もない央北西部地域に対し、統治体制が整えきれていなかったためである。
    「今あいつらに背を向けて『新央北』と、……なんてコトをしたら、その背中をグサっと刺されちゃうかも知れないからね」
    「仰る通りですな」
     シエナの言葉に、イビーザは深々とうなずく。一方で、トレッドもこう提案した。
    「占領地域を円滑に統治できるまで、ひとまず『新央北』とは国境の通行規制や為替相場など、必要最低限の取り決めだけしておきましょう。
     向こうも我々に対し、うかつな手出しをしてくることはありますまい。我々の情況をある程度見定めた上で、同様の取り決めを申し出てくることでしょう」
    「ええ、任せたわ。
     続いて、ゴールドマン財務部長が指揮していたデノミ(通貨切り上げ調整)政策だけど……」
     シエナが途中で言葉を切り、そこで当幹部たちが一斉に、マロの方を見る。
     マロは憮然とした顔で、自分が携わっていた政策の成果を発表した。
    「……ま、そのですな。インフレ抑制と我々の資産創出を目的として、従来使われとった『ヘブンズ・クラム』を『ホワイト・クラム』へと切り替え、その新クラムを我が党が発行および管理するよう手配しました。
     しかし、……何ちゅうか、まあ、東側の通貨であるコノンが予想以上に出回っとる、と言うか、信用がありまして。うまく行けば、新クラムは央北の経済成長と連動して価値を高め、我々にはエル建てで抱えとる資産以上のカネが手に入る、……予定、でしたけども」
    「実際のところは、央北の成長はコノンの価値を高めこそすれ、新クラムの価値高騰には結びつかなかったと言うわけか」
     イビーザににらまれ、マロはぽつりと、「……はい」とだけ返す。追い打ちをかける形で、トレッドが口を挟む。
    「央北域外もそうそう、ここの事情を知らない者ばかりではないからな。
     同じ央北とは言え、戦乱の渦中にあった西部・中部で発行されるクラムを忌避するのは当然だ。
     そんな不安定な通貨より、平和の保たれている東部で発行されているコノンの方が信用されるのは、誰の目にも明らかだろう」
    「……ええ」
    「おかしな話だな」
     二人のやり取りに、イビーザがフン、と鼻を鳴らす。
    「私はトレッド君よりゴールドマン君の方が、経済に通じていると思っていたのだが。こうして会話している内容を聞けば、まるで逆ではないか」
    「……」
     うつむくマロに対し、イビーザは辛辣に吐き捨てた。
    「ご先祖様の功績が聞いて呆れるな。本当に君は、金火狐一族なのかね?」
    「……っ」
    「その辺でいいわよ」
     険悪になりかけた場を、シエナが遮る。
    「結論としては、ゴールドマン財務部長の行った政策は、本来の効果を発揮しなかった。そうよね?」
    「……はい」
    「でも逆に、特に大きな損害も今のところ、生じてはいない。これも間違いないかしら」
    「ええ」
    「なら、別にいいわ。今後はそのご自慢の知恵を絞って、新クラムの価値を上げてちょうだい」
    「……努力します」



     この後、双月暦570年に至るまで白猫党、および央北に、目立った動きが見られることは無かった。
     あくまで白猫党による支配の下ではあったが――央北西部には、しばしの平穏が訪れることとなった。

    白猫夢・蹂躙抄 終
    白猫夢・蹂躙抄 7
    »»  2014.03.09.
    麒麟を巡る話、第353話。
    対岸の2年間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦568年、トラス王国。
    「これが分からないんですよね。だって、結局は人形と人間って、基礎構造からして違うわけですし……」
    「ま、こじつけみたいな箇所はあるわよね」
     魔術による再生医療の研究者、マークと、放浪の魔術剣士、ルナとの共同研究が始まってから、既に2年近くが経過していた。
     しかし、その進捗はあまり芳しいものではなく、大きな成果は挙げられないでいた。
    「……はーぁ」
     その日も錬金術関係の文献を検討するだけで日が暮れてしまい、ルナの方が根負けした。
    「何か疲れちゃったわ。今日はこの辺にしない?」
    「いえ……」
     しかし、マークは席を立とうとしない。
    「もう少しで何かつかめそうな気がするんです。あ、でもルナさんは先に休んでいただいて結構ですよ。もう他の研究員も帰っちゃいましたし」
    「……あーのーねー」
     ルナは口をとがらせ、席に座り直す。
    「そう言う言われ方して、じゃあ先にお風呂入ってるわーって、そんなの言えないじゃない。どうせパラだってまだ、この時間じゃフィオと稽古してるだろうし」
    「そうかも知れませんね。……じゃあ、もう一度全体を見直すところから行きましょう」
    「はーい、はい」



     白猫党が央北西部と戦っていたこの約2年間、マークたちはその戦いを対岸で見守りつつ、自分たちの技術を磨いて過ごしていた。
     ルナとマークは前述のように日々研究に勤しみ、一方でフィオとパラは、修行に明け暮れていた。
     たまに気紛れで、ルナがフィオの相手をしてやったり、マークやフィオがパラに柔らかい言葉遣いを教えたり、はたまた、チームの構成員全員で観光に出かけたりと――4人はこの2年、実にのんきに暮らしていた。



    マークは「もう少しで何かがつかめそう」と言ったものの、それから1時間経ってもやはり、思うような成果は上がらなかった。
    「どうする? もうちょい粘る?」
    「……いえ。流石にお腹が空きました。今日はもう、おしまいにしましょう」
    「そーね」
     立ち上がったところで、ルナが提案する。
    「どこか食べに行く? それともパラに作ってもらう?」
    「うーん」
     少し悩んだ後、マークはこう返した。
    「じゃあ、こっちで」
    「いいわよ。じゃ、パラが戻ってくる前に、食材の買い出しに行きましょ」
    「はい」

     研究所の玄関を締め、二人は市街地へと向かった。
    「ところでさ」
     と、その途中でルナが、ニヤニヤと笑いながらこんなことを言った。
    「最近フィオが、パラをチラチラ見たり、目をそらしたりしてることがあるのよね」
    「はあ」
    「パラの方もね、『フィオがお疲れ気味のご様子ですので、彼の好物などあれば調理して差し上げたいと思うのですが』なんて言ってんのよ」
    「そうなんですか」
    「なんかさ、脈、あるんじゃないかなーって」
    「人形ですよね? 脈は無いはず……」
     マークの返答に、笑っていたルナは一転、はーっとため息をつく。
    「……アンタさぁ。他に思うことは無いの?」
    「え? 今のって、フィオくんのことでした?」
    「おバカっ」
     ルナは肩をすくめ、こう続けた。
    「アンタ、恋愛経験無いでしょ? ぜーんぜん、こう言う話に乗れてないじゃない」
    「そ、そんなことありませんよ」
    「いや、無いわ。間違いない」
    「証拠も無しに否定しないでください! ありますって、本当に」
     マークに強く反論され、ルナも強情になる。
    「じゃあ証拠出しなさいよ。誰と、いつ、どこで、どーゆー風にイチャイチャしてたのか、言ってみなさいよ」
    「それは、……その、何と言うか、えーと」
     口ごもるマークを見て、ルナは「ほーら、やっぱり!」と言いたげな目を向ける。
     それが癇に障り、マークは大声で返した。
    「あっ、ありますから! 僕だって浮いた話の一つや二つあります!」
    「いつよ?」
    「……て、天狐ゼミの時にです。そっ、そりゃあもう、色んな女の子と遊びまくってましたよ!」
     ルナに馬鹿にされるのを嫌ったマークは、大ぼらを吹こうとした。
    「毎晩ラウンジに行ってましたし、高級レストランでご飯食べたりもして……」「えっ」
     と――でたらめを並べていたところに、突然、横から声が聞こえてきた。
    「……して、……いや、いや、……え?」
     声のした方を向いた途端、マークは硬直した。
    「い、今の話って、……あたし、知らないよ?」
    「ちょっ、ま、いやっ」
     マークは慌てて、弁解しようとする。
    「だましてたんだ、……うるっ」
     しかしその間も与えられず、そこに立っていた狼獣人の女の子は、泣きながら走り去ってしまった。
    「……誰?」
     ルナに尋ねられたが、マークは答えず、慌てて後を追いかけた。
    白猫夢・再悩抄 1
    »»  2014.03.11.
    麒麟を巡る話、第354話。
    人形との稽古。

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    2.
    「よし、今度はラッシュだ!」「分かりました」
     フィオの命令に従い、パラは木刀を構え、間合いを詰める。
    「やあッ! それッ! りゃあッ!」
     パラが打ち込んでくる打撃、斬撃をかわしつつ、フィオが切り返す。
    「パラ! もっと踏み込んできてくれ!」「はい」
     フィオの命令通りに、パラは一際速く打ち込む。
    「ふん……ッ!」
     普通の人間であれば反応しきれないようなその一撃を、フィオはなんと白刃取りし、左に受け流す。
     同時に、体全体で円を描くように右脚を上げ、足先をパラの眼前に突きつけた。
    「素晴らしい腕前です」
    「……ありがとう」
     パラの木刀から手を離し、フィオは剣を収める。
    「今日はこのくらいにしよう。もう大分、暗くなってきたし」
    「はい」
     それを受けて、パラも納刀する。
    「……あ、あのさ」
    「なんでしょう」
     フィオが口を開きかけたが、途中で止まる。
    「……あー、……いや、なんでもない。帰ろうか」
    「はい」

     帰路についたところで、フィオが再度、口を開く。
    「その……、どう、かな」
    「どう、と申しますと」
    「僕の腕は、上がっただろうか」
    「本日のわたくしの出力は全速の85%、時速約180キロでございます。それに対応していることから、少なくともこの国の特殊部隊レベルの実力を備えていると比較できます。
     わたくしと訓練を始めた頃と比較すれば、飛躍的な上達と言えるでしょう」
    「上達したって言ってもらえるのはうれしいけど、……基準がよく分からないな」
    「ちなみに主様は、わたくしの出力130%、時速約270キロでの稼働にも対応していらっしゃいます。
     もっともオーバードライブ(想定された限界・基準点を超えての、過度の運用)であったため、わたくしの方が15秒程度しか稼働できず、主様がその速度に長時間対応できるかどうかは、判断いたしかねますが」
    「うへぇ……。改めて思うよ、ルナさんは人間離れしてるなって」
    「同感です。あまつさえ、主様はわたくしがその水準に達することを望んでいらっしゃいます。婉曲的に、わたくしに人間になってほしいと願っていらっしゃるようです」
    「ん? 人間離れしてるって……、なのに、人間に?」
    「主様の持論によれば、人間を超えられるのは元々人間であった者だけだ、とのことです」
    「屈折してるなぁ」
    「同感です。困った主様です」
     いつも無表情のパラが、珍しく呆れたような顔を見せる。
    「……はぁ」
     それを見たフィオが、小さくため息をついた。
    「どうされました」
    「あ、いや。……いいなって」
    「いいな、と申しますと」
    「僕が何を言ってもパラは表情を変えないのに、ルナさんのことになると、コロコロ変わるなって。ちょっと、うらやましいよ」
    「左様ですか」
     フィオの言葉に対し、パラはいつものように、無表情だった。
    「……はぁ。どうしたら僕は、君の表情を変えられるんだろうか」
    「分かりかねます」
    「だろうね……」
     フィオが黙りこみ、無言になったところで、今度はパラがしゃべり出す。
    「フィオ。何か好物はありますか」
    「へ?」
    「お疲れのご様子なので、気晴らしになればと思いまして。本日の夕食に参加していただければ、用意します」
    「作ってくれるの? うーん、……でもなぁ」
    「どうされました」
    「好きな物はあるんだけど、晩ご飯向けじゃないんだよな」
    「何でしょうか」
    「……チョコバナナクレープ。生クリームがたっぷり入ってるやつ」
     顔を赤くし、ぼそっと答えたフィオに、パラは小さくうなずいて見せた。
    「分かりました。夕食とは別に、デザートとして用意します」
    「いいの?」
    「フィオに喜んでもらえるのであれば」
    「ありがとう、パラ」
     フィオは嬉しそうに、パラに笑いかけた。

     と――パラに振り向いたところで、その向こう側を、銀髪の狼獣人が泣きながら走っているのが視界に入った。
    「……ん? なんだあれ?」
    「分かりかねます」
     そしてその後ろを、マークが血相を変えて追っているのに気付く。
    「マークだ」
    「そうですね」
    「何してるんだろう?」
    「分かりかねます」
    「……追いかけてみようか」
    「ええ」
    白猫夢・再悩抄 2
    »»  2014.03.12.
    麒麟を巡る話、第355話。
    追いかけてきた狼娘。

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    3.
     フィオとパラがマークの後を追いかけていると、後ろからルナが追い付いてきた。
    「あら、二人ともどうしたの?」
    「マークが誰かを追いかけてから、僕たちも後を」
    「そう。前にいるのって、誰だか知ってる?」
    「いや、……あ、いや」
     フィオは否定しかけ、途中で言い直す。
    「見覚えはある。どこでだったかは忘れたけど」
    「ふーん」
     ルナは一瞬、口元に手を当て、それからこう返した。
    「天狐ゼミ関係?」
    「……あ。そうだ、確かにその辺りで見た記憶がある。でも、どうして?」
    「マークがあたしに、『ゼミではラウンジや高級レストランで毎晩女の子と遊んでた』って大ボラ吹いてたところで『そんなの知らなかった。だまされた!』って、あの子が叫んだから」
    「ぷっ」
     マークの話を聞き、フィオが笑い出す。
    「それ、マークじゃなくて、同窓生のマロの話だ」
    「だろうと思ったわ。あの子のキャラじゃないもの」
    「……ああ、それで思い出した。あの『狼』、確かマークと一緒に勉強してた子だ」
    「へぇ」

     市街地に入ろうかと言う辺りで、マークはようやく、狼獣人の女の子をつかまえた。
    「ま、待って……、ください……」
    「離して、ウソつきっ!」
    「いや、……その、あれは確かにウソですけど……」
    「うあーん!」
    「いや、違うんです、ルナさん、いや、あの人に見栄張って……」
    「やだー、はなじでー、うええええん」
     二人の様子は、傍から見れば痴話ゲンカのように見えた。
     ルナたちにもそう見えたため、彼女は遠巻きにゲラゲラと笑っていた。
    「あははは、あー、おかしっ」
    「ちょっと……。誤解解いてやりなよ、ルナさん」
    「あはは、はは、あー、そーね、うん、……ぷふっ」
     ルナは笑いをこらえながら、マークたちに近付いた。
    「余計な見栄、張るもんじゃないわよ。これで懲りたでしょ、マーク」
    「う、……ルナさん」
    「ちょっと、あなた」
     ルナはまだクスクス笑いながら、うずくまっている狼獣人に声をかけた。
    「こいつが言ってたのは全部でたらめ、別人の話よ。そうでしょ、フィオ?」
    「ああ、そうだ。大丈夫だよ、シャランさん。マークは君が思ってる通りの真面目なお坊ちゃんだから」
    「……へっ?」
     女の子――マークとフィオの後輩、シャラン・ネールが顔を上げる。
    「ぷっ」
     彼女の、化粧が涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て、ルナはまた笑い出した。

     一行はとりあえず、シャランをルナの家まで連れて行き、落ち着かせた。
    「ぐす……、ごめんね、みんな」
    「いえ、そんな」
    「そうよ。元はといえばアンタが見栄張ったせいなんだから」
    「……うぐぅ」
     マークが渋い顔をしたが、ルナは意に介した様子を見せず、シャランにタオルを差し出した。
    「とりあえず、お化粧落としちゃいなさい。そんなにグチャグチャじゃ、まるでオバケの仮装よ」
    「すみません……」
     シャランは素直に顔を拭き、すっぴんになる。
    「あら、……ま、ちょこっと眉毛は薄いかもだけど、可愛い顔じゃないの」
    「そ、そうですか?」
     ルナにほめられ、シャランは顔を赤くする。
    「で、シャランちゃん。どうしてここに?」
    「あ、えっと……」
     シャランはチラ、とマークを見て、はっきりと答えた。
    「マーク先輩とお付き合いするために来ました」
    「……へぇ?」
     その返事を聞き、またもルナがニヤニヤ笑い出す。
    「なるほど、なーるほどー、確かに浮いた話の一個くらいはあったみたいね、マーク」
    「……ウソついてませんよ」
    「いいから、それはもう。
     で、お付き合いってことは、しばらくはこっちに住むつもりで来たってこと?」
    「はい」
    「引越し先は?」
    「これから探そうと思ってました」
    「じゃ、仕事も無いわよね?」
    「一応、実家の紹介状は持ってきてます。
     先輩がトラス王家の方と聞いていたので、建前上はネール公家として訪問し、その席で、何かの仕事を斡旋していただけないかとお願いする予定でした」
    「しっかりしてるわね、結構。そそっかしいところはあるみたいだけど」
    「よく言われます」
     そう言ってにっこり笑ったシャランに、ルナも笑みを返す。
    「天狐ゼミでの研究は? マークと同じ再生医療かしら?」
    「はい。……あの?」
    「なに?」
    「ルナさんは、マーク先輩とどう言う関係なんでしょうか?」
     問われたルナは、チラ、とマークを見て、こう答えた。
    「叔母さんみたいなもんね。と言っても、トラス王家とは関係ないけど」
    「へ? 叔母?」
     きょとんとしているマークをよそに、ルナは話を続ける。
    「実はね、マークとあたしは共同で研究してるの。そこにいる、パラを人間にするためにね」
    「えっと……? それって、どう言う意味ですか?」
     これまではきはきと、歯切れよく応答していたシャランだったが、ルナの話には付いて行ききれなくなったらしく、ぽかんとした顔になった。
    白猫夢・再悩抄 3
    »»  2014.03.13.
    麒麟を巡る話、第356話。
    チーム「フェニックス」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ルナから自律人形パラについての話と、ついでにフィオの正体が未来人であることを聞かされたシャランは、若干戸惑った様子を見せながらも、素直に信じてくれた。
    「ちょっとビックリしちゃう話ばかりでしたけど……、でも、はい。
     確かにパラさんは見た感じ、人間じゃないみたいですし、フィオ先輩もゼミに居た頃、ずっと浮世離れしてるなーって思ってましたし、信じます」
    「信じちゃうの!? そんなあっさり!?」
     マークが目を丸くしていたが、ルナは構わず話を続ける。
    「ありがとう、話が早いわ。
     で、ここからが本題だけど、今ね、あたしたちの共同研究ははっきり言って、行き詰まってるのよ。残念ながら、再生医療術はマークが独自構築した地点から、ほとんど進んでいないわ。精々、皮膚と筋肉が形成できるようになっただけ。
     神経が無いから動かすこともできないし、血管や骨もまともに造れないから、造っても元地が無ければ、そう長くないうちに腐る。
     被験者第1号であるプレタ、……王妃への施術は、右頬と右耳部分の成功に留まってるのが現状よ」
    「そうなんですか……」
     しょんぼりとした顔になったシャランに、今度はマークが声をかけようとする。
    「……で、でもですね、もしここでシャランさんが協力してくれたら……」「黙ってて、マーク。あたしが話をしてるの」「……す、すみません」
     マークが顔を背けたところで、ルナが再度、話を続けた。
    「ま、そう言う話よ。あなたも天狐ゼミ、卒業してきたんでしょ?」
    「はい。テンコちゃんからは『優』評価をいただきました」
    「すごいじゃない。それならなおさら、『フェニックス』に欲しくなったわ」
    「ふぇ、……え?」
     聞き返したマークに、ルナはフン、と鼻を鳴らす。
    「あたしたちのチーム名よ。チーム『フェニックス』。再生医療魔術研究チームよ」
    「チーム名なんて初めて聞いたぞ……?」
    「左様でございますね」
     フィオとパラも、寝耳に水、と言いたげな顔をしている。
     それを受けて、ルナはこう言い放った。
    「今決めたわ。文句ある?」
    「いや、別に」
    「異存ありません」
     フィオたちは素直にうなずいて返すが、マークだけは反論しようとする。
    「……ちょっとくらい……僕の名前が入ってもいいんじゃ、とは……」「何か言った?」「……いえ」
     マークが再度黙り込んだところで、ルナはシャランに手を差し出した。
    「そう言うわけで、シャラン・ネールちゃん。うちのチームに来ない?」
    「はい!」
     二つ返事で、シャランはこの申し出を受けた。

     話がまとまった後も、マークはブツブツと文句を言っていた。
    「なんでルナさん、僕を無視してあれこれ決めるのかなぁ……。僕、共同研究者なのに」
     そこへ、フィオがやって来る。
    「気持ちは分かるけど、リーダーはルナさんだ。諦めた方がいい」
    「……納得行かないなぁ」
    「いやいや、あの姉御肌っぷりと跳ね回るような話術、僕やパラを凌駕する腕っ節、謎に満ちた人生経験、……どれを取っても君が勝てる要素、あるか?」
    「無いけどさぁ……」
    「ま、もう気にしない方がいいよ。
     例え君が『僕がボスだ! リーダーなんだ!』って怒鳴り散らしていばっても、ルナさんはきっと『はーいはい、分かったわよ、ボ・ス・ちゃん★』つって、ケラケラ笑いながら流してくるぜ、きっと」
    「……ありありと想像できてしまった自分が情けないよ」
     マークがしゅんとしたところで、フィオが耳打ちする。
    (ま、落ち込むなって。明日から君、カノジョと一緒に研究するんだろ? オトコがそんな情けない格好、見せてどうするんだ)
    「……あー……」
     マークは振り返り、パラと話しているシャランを肩越しに覗き見た。
    「頑張れって、マーク。確かにルナさんからの扱いはぞんざいかも知れないけど、すごいことをやってるってことに変わりは無いんだぜ? 僕はあんまり研究室に入らないけど、それでも他の研究者が、君を尊敬してるのは分かってる。
     もっと君、自信持っていいって」
    「……うん」
     マークは多少顔をひきつらせつつも、ニッと笑って見せた。
    「ま、……うん、頑張るよ。そのうちルナさんの鼻を明かしてやる」
    「その意気だ。期待してるぜ」



     こうしてマークたちのチーム――「フェニックス」に、心強い研究者が加わった。

    白猫夢・再悩抄 終
    白猫夢・再悩抄 4
    »»  2014.03.14.

    麒麟の話、第7話。
    すべては既に、選ぶ前から。

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    7.
     すべてがはっきりと、鮮やかに、クリアに映し出されている。

     ボクの予知能力はここ数年で、今までにないほど研ぎ澄まされている。
     原因ははっきりしている。アオイのおかげだ。
     ボクと彼女の能力が干渉し合い、増幅されているんだ。



     あ、そうだ。
     ココで一度、説明しておこう。
     ボクたちの持つ「予知能力」って、具体的にどんなモノなのかってコトを。

     ボクたちの能力は、視覚的に言えば「目の前いっぱいに並んだ、いくつものスクリーン」なんだ。
     普通の人には、そのスクリーンは1枚しか与えられていない。そのスクリーンには、単純に、次に起こるコトだけが映し出されている。
     例えば目の前に2つドアがあったとする。スクリーン1枚の人の場合、右のドアを開ければ右の部屋の映像が移る。左のドアを開けたなら、左の部屋の映像が映る。一方を選択したら、もう片方は映せないワケだ。
     だけどボクたちの場合、右のドアを開けたとしても、右の部屋と同時に、左の部屋の様子も、別のスクリーンに映し出されているんだ。逆も然りで、左を開けても右の様子が見えてる。
     勿論、ドアが3つであっても4つであっても同じコト。ドレを選んでも、選ばなかったドアの先にあるモノが、別々のスクリーンに映っているんだ。

     その選択肢をもっと広げた状態が、現実の状態だ。
     ある選択をしようとしたその瞬間、ボクたちの持つ「スクリーン」には、選択した場合と選択しなかった場合の様子が映し出される。さらに、そのスクリーンの奥に見える選択肢についても、選んだ場合と選ばなかった場合が、また別のスクリーンに映っている。
     ボク自身も、アオイも、はっきり自分の能力の最大値を把握してるワケじゃないけど、……そうだな、数で言うなら、アオイはスクリーンを一度に15、6枚くらい。ボクは一度に30枚くらい、かな。
     単純な2択を選択していく場合なら、アオイは6手先まで、ボクは7か8手先まで、すべての組み合わせの結果が見える。
     ま、今のは視覚的な部分だけをざっくり説明しただけだ。実際にボクたちが感じてるモノは、もっと複雑で精密で繊細だ。
     ソコまでは、流石に口で説明するのはめんどくさい。勝手に妄想してくれ。



     話を元に戻そう。
     ボクの力とアオイの力による相乗効果で、ボクたちはあらゆる物事の未来を予測・予知するコトができた。
     その力で何をしたと思う? 大抵の人が思い付くコトさ。
     そう、金儲けだ。と言っても、宝くじや競馬で一山当てたとか、そんなチャチな次元じゃない。
     もっともっとハイリスクでハイリターンなコトをノーリスクでやってのけて、莫大な金を稼ぎ出した。
     ボクたちの力があれば、「リスク(不確実性)」なんて言葉は意味を成さない。

     続いて人集め。ボクが何故、わざわざあんなところにアオイを行かせたと思う? その時に出会った子たちを後々アオイの配下に、自然に加えるためさ。
     誰だっていきなり「おいお前、仲間になれ」なんて言ったって、ボクみたいなのでもない限り、説得力なんて無い。
     だからボクやアオイ以外には、ひどく遠回りに思えるような方法を執ったのさ。

     その2つは完全に成功した。
     今やアオイは莫大な資産と、世界の陰の、そのさらに奥に潜んでいながら、世界中を操れるような人脈を獲得した。
     最早誰が何をどうしようと、彼女を傷つけることはおろか、触れるコトさえできはしない。
     彼女は既に、無敵だ。



     誰にも邪魔はさせない。邪魔なんかさせやしない。できるはずも無い。
     ボクたちが負ける未来なんか、ひと欠片だって見えやしない。

     ボクたちがこのゲームの、最終勝者だ。

    白猫夢・麒麟抄 7

    2014.01.19.[Edit]
    麒麟の話、第7話。すべては既に、選ぶ前から。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. すべてがはっきりと、鮮やかに、クリアに映し出されている。 ボクの予知能力はここ数年で、今までにないほど研ぎ澄まされている。 原因ははっきりしている。アオイのおかげだ。 ボクと彼女の能力が干渉し合い、増幅されているんだ。 あ、そうだ。 ココで一度、説明しておこう。 ボクたちの持つ「予知能力」って、具体的にどんなモ...

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    麒麟を巡る話、第310話。
    善悪の結論と、未来への第一歩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「……」
     若き天才、葵・ハーミットの突然の失踪から3年半が経過した、双月暦565年の暮れ。
     葵と同期だったゼミ生もそのほとんどが卒業、あるいは今期、卒業を迎えていた。
    「……」
     そしてこの日――10代生と呼ばれていた最後の一人が、その判定を心待ちにしていた。
    「……うー」
     椅子に座ったり、窓の外を見たり、眼鏡を拭いたり、自分の尻尾の毛づくろいをしたり、ベッドに寝転んだり――手持無沙汰にしているうちに、いつしか彼は眠りに落ち、夢を見ていた。



    「アオイさんは、攻撃魔術を研究してるんですよね」
    「うん」
     それはまだ、葵がゼミに在籍していた頃の夢だった。
     当時まだ幼かった彼は、この一見ぼんやりとした少女が何故、攻撃魔術などと言う、無骨でいかつく、恐ろしげな印象の強い、危険極まりないものを研究テーマとして選んでいるのか、不思議でならなかったのだ。
    「どうしてそのテーマを?」
    「んー、……そうだね」
     葵は一瞬言いよどみ――彼の知る限り、聡明な彼女が言葉に詰まったのは、この一度きりだった――やがてこう返した。
    「誰にも負けないように、かな」
    「誰にも? 昔、何かあったんですか?」
    「そんなところ」
     その「何か」については、彼女は何も語らなかったが、この時にした会話を、彼は鮮明に覚えていた。
     いつも眠たげな葵の目が、その時に限って、どこか鋭い輝きを放っていたからだ。

     夢の内容が変わる。
    「じゃあ……、じゃあ、アオイさんは悪者だって言うんですかッ!」
     当時よりいくらか大人になった今だからこそ、こうしてその黒い大男に食ってかかったのはとんでもない暴挙であったと、今の彼には分かる。
     そしてその恐ろしさをすぐ見せ付けられる――あの「黒い悪魔」克大火は、自分を怒鳴りつけてきた彼を、ギロリとにらんできた。
    「……っ、な、なん、ですか、っ」
     彼の声が、恐怖で上ずる。
    「僕はっ、僕は信じないっ! アオイさんが……、アオイさんが、わっ、悪者だなんてッ!」
     震える声でなおもそう叫んだ彼に、大火は小さくため息をつきつつ、こう返してきた。
    「信じる信じないはお前の勝手だ。そもそも善悪などと言うものに、絶対的な基準など存在しない。
     お前がそいつから被害を被り、著しく傷つけられたならば、お前はそいつを悪と見なし、憎むだろう。
     逆にお前がそいつから利潤と幸福を得たと感じ、信じる限り、そいつはお前の中で善性を帯び、光を放ち続けるだろう。
     善悪の基準など、つまるところそいつの主観に過ぎん。それを理解した上で、俺の言うことをよく検討するがいい。
     葵は師である天狐をはじめ、このゼミのすべての人間に対し、己の高い能力と稀有な才能の大部分を隠して暮らしていた。ここで暮らす必要など一切無かったにもかかわらず、だ。既にこのゼミで教わる以上のものを手に入れていたのだからな。
     葵が何故、どんな理由から、ここにいたのか? それをよく、考えるがいい。いつかまた葵に相対したその時、その思考によって得た結論が、葵・ハーミットと言う人間を善、もしくは悪の存在であるか判ずる、大きな材料となるだろう、な」



    「……ん、ん」
     ドアをノックする音で、彼は目を覚ました。
    「はい、今開けます」
     ばっと飛び起き、ドアを開ける。
    「先輩! 卒論の評価、掲示されてるよ!」
     年齢では3歳上、18歳のゼミ生に先輩と呼ばれ、彼は苦笑する。
    「ありがとうございます。見てきます」
    「あ、先輩」
     呼び止められ、彼は振り返る。
    「なんでしょう?」
    「あたしも付いていっていい?」
    「え? ええ、どうぞ」
     特に断るような理由も無いため、彼は了承した。
     二人は寮を出て天狐の屋敷へと向かい、その壁に張られた掲示板の前に立つ。
    「これ、これ!」
    「……」
     後輩が指し示すが、彼は一旦背を向け、深呼吸する。
    「ちょっと待ってください……。不安なので」
    「落ち着いたら言ってね」
    「え? あ、はい」
     もう一度深呼吸し、彼は掲示板の方へ振り向く。
     と――顔を両手で覆い、狼耳をプルプルさせている後輩の姿が目に入る。
    「……どうしたんです?」
    「あ、落ち着いた?」
    「ええ、まあ」
     彼の返答に、後輩は顔を見せ、にこっと笑う。
    「じゃ、一緒に見よっか」
    「はあ」
     彼は後輩の横に立ち、掲示板に張られた自分のレポートと、天狐の評価を確認した。



    「マーク・セブルス著 『植物生長促進術の人体欠損部位に対する応用の考察』

     評価:優
     当ゼミの卒業資格を与えるものとする」

    白猫夢・悩狼抄 1

    2014.01.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第310話。善悪の結論と、未来への第一歩。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「……」 若き天才、葵・ハーミットの突然の失踪から3年半が経過した、双月暦565年の暮れ。 葵と同期だったゼミ生もそのほとんどが卒業、あるいは今期、卒業を迎えていた。「……」 そしてこの日――10代生と呼ばれていた最後の一人が、その判定を心待ちにしていた。「……うー」 椅子に座ったり、窓の外を見たり、眼鏡を拭い...

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    麒麟を巡る話、第311話。
    ゼミ生活の終わり。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「……は、ははっ」
     掲示板を確認した途端、マークは腰を抜かしてしまった。
    「大丈夫、先輩?」
     尻餅を着きかけるところで、後輩の狼獣人、シャラン・ネールが手を引き、肩を貸した。
    「だ、大丈夫です。ちょっと気が抜けてしまって」
     マークの返事に、シャランはクスクス笑う。
    「うふふ、おめでとっ。……もう立てる?」
    「あ、はい。……あ、わ、わわっ」
     シャランから手を放した途端、マークは前のめりに倒れてしまった。
    「……あはは、ダメだ、膝がカクカクしちゃってる」
    「部屋まで運ぶよ」
    「すみません、シャランさん」
     シャランに引き続き肩を貸してもらい、マークはどうにかよたよたとした足取りで歩く。
     と、天狐の屋敷からその主、克天狐が現れた。
    「よお、マーク。その様子だと、評価は確認したみてーだな」
    「はい。……すみません、こんな格好で」
    「ケケケ」
     天狐はマークを見て、ケタケタ笑い出す。
    「掲示板見て、合格だってのに腰抜かしたのは、お前で4人目だ。
     ま、ともかくお前は今期で卒業だ。この後の進路は考えてあるか?」
    「はい。故郷に戻ろうと思います。
     まずは母に、僕が培った治療術を施してあげたいと考えているので」
    「そっか。実はな、お前のレポート見て、雇いたいってトコがいくつかあったんだが……」
    「参考までに、お名前だけ教えていただけますか?」
    「でかいトコを挙げると、央中のネール職人組合傷病対策局と、同じく央中のコールマイン医療研究局、ソレから西方プラティノアール王立大学病院だな。ドコも指やら脚やら千切れる大ケガが頻繁に起こるからな、再生医療ってヤツを特に研究してるところだ。
     他にも大小合わせて20近くの医療関係から求人が出てる。引く手あまただぜ、お前」
    「身に余る光栄です」
     話しているうちに、足の震えが収まってくる。
     マークはシャランから腕を離し、深々と頭を下げた。
    「折角ですが、まずは故郷の母を、第一の治療成功者にしたいんです」
    「そっか。ま、今後また話を聞いてみたいってコトがあれば、オレに言ってくれ」
    「はい。……3年半の細微にわたるご指導ご鞭撻、誠にありがとうございました」
    「ケケケケ……、ま、コレからも精進しろよ。うまく行けば、歴史に名が残るかも知れねーぜ?」

     厳しかった天狐から賞賛され、マークは部屋に戻ってからも、顔をほころばせていた。
    「僕の研究がそこまで評価されていたなんて、まったく思いもよりませんでした、本当」
    「あたしは最初っからすごいと思ってたよ。
     だってあたしの故郷――ほら、テンコちゃんも言ってたけど、大ケガする人が多いんだ」
    「ああ……、ネール公国でしたね」
    「そ、そ。でさ、ひどい時には手首の先から無くなっちゃったり、足がグチャグチャになっちゃったりって人もいたし……。
     あたしも小さい頃から、そう言う人たちの手とか足とか、元通りにしてあげたいって思ってたから。
     だから先輩の研究、応援してるんだ。あたしも同じテーマを選んでるしさ」
    「卒業レポートでは、本当に助かりました。僕一人じゃ評価『優』どころか、『可』さえ怪しかったかも知れません。
     最初にまとめたのを見せた時のシャランさんの言葉には、泣きそうになりましたし」
     これを聞いて、シャランは不安げな顔になる。
    「え、そんなにひどいこと言っちゃってた?」
    「いえ、今にして思えば的を得た意見でした。本当にシャランさんには感謝してもしきれません」
    「……えへへ、ありがとね」
     一転、シャランは顔を真っ赤にして嬉しそうにする。
    「あたしも来年か、再来年の上半期には、卒業を目指すつもりなんだ。……で、……あのさ」
     と、今度は真剣な目つきになり――これほど表情をコロコロ変える人間には、マークは自分の父以外には、彼女しか会ったことが無い――シャランは机から身を乗り出した。
    「卒業できたら、……今度は先輩のところに、……あの、そのね、勉強しに行きたいんだ」
    「ええ、大歓迎で……」「……ううん、違う」
     シャランは顔を伏せ、ぼそぼそと何かをつぶやいた。
    「なんですか?」
    「……ほしいなって」
    「何が欲しいんです?」
    「……あのね、……お付き合いして、……ほしいな」
    「……へっ?」
     思いもよらない彼女の言葉に、マークは面食らった。
    「お、お付き合い? 僕と、ですか?」
    「うん」
     顔を挙げたシャランは、耳まで真っ赤にしてこう続ける。
    「先輩のこと、……まだ15なのに、年下なのに、すっごくかっこよく感じてて。一緒にレポートまとめてたら、本当に、その、……好きに、なっちゃって」
    「……あ、あは」
     マークも自分自身、顔が紅潮しているのを感じている。
    「ぼ、僕も、シャランさんみたいな可憐な方に、そんな風に想っていただけるなんて、本当、身に余る光栄です。
     是非、僕からもお願いさせてください」
    「……ありがと」



     こうしてマークのゼミ生活は万事満足行く結果、有終の美を以て、終わりを告げた。

    白猫夢・悩狼抄 2

    2014.01.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第311話。ゼミ生活の終わり。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「……は、ははっ」 掲示板を確認した途端、マークは腰を抜かしてしまった。「大丈夫、先輩?」 尻餅を着きかけるところで、後輩の狼獣人、シャラン・ネールが手を引き、肩を貸した。「だ、大丈夫です。ちょっと気が抜けてしまって」 マークの返事に、シャランはクスクス笑う。「うふふ、おめでとっ。……もう立てる?」「あ、はい。……あ、わ...

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    麒麟を巡る話、第312話。
    マークの両親。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     年が明けた双月暦566年、マークは故郷、央北トラス王国へと戻った。
    「ただいま戻りました、父上」
    「おう、マーク! お前随分、背が高くなったなぁ」
     今や2代目国王となったかつての大蔵大臣、ショウ・トラスは、4年ぶりに見る自分の息子を見て、嬉しそうに笑った。
    「どうだった、天狐ゼミとやらは?」
    「ええ、とても充実した4年間でした。十分な成果を達成できたと自負しています」
    「そうか、そうか。……ふむ」
     トラス王は一歩、二歩マークへ寄り、神妙な声で尋ねる。
    「4年前、お前が宣言した『あれ』は果たせると言うことか?」
    「……まだ臨床試験、つまり人を相手に施術したことはありません。しかし父上の許可さえ下りれば、すぐにでもと考えています」
    「むう……。流石にぶっつけ本番となると不安ではあるな。もしものことがあっては困る。……そうだな、よし、軍の中から臨床試験に志願してくれる者を募るとするか」
    「いえ、父上」
     マークは強い口調で願い出る。
    「僕の治療術の成功第一例は、母上であってほしいと考えてきました。どうか願いを叶えていただけないでしょうか?」
    「ううむ……、しかしなぁ」
    「お願いいたします」
     マークは深く頭を下げ、なおも頼み込む。
     頑ななその姿勢に、トラス王がついに折れた。
    「……分かった。母さんがいいと言ったら、私も許可しよう」
    「ありがとうございます」

    「ただいま戻りました、母上」
    「……」
     声をかけたが、相手の返事が無い。
     マークは母親が眠っているのかと思ったが、上体を起こしているし、起きているのは間違いない。
    (……あ、と。そうだった)
     そこでようやく、声をかける位置、そして立っている位置が悪かったことに気付き、マークは母親の左側に回り込んだ。
    「あら」
     彼女の方も、自分の息子が周囲をうろうろしていることに、ようやく気付いたらしい。
    「おかえりなさい、マーク」
    「あ、ただいま戻りました」
     マークは母親――トラス王国の王妃プレタの、まだ健常な左耳に向かって声をかけた。
    「お加減はいかがですか? 体調を崩されたと聞きましたが……」
    「ええ、大丈夫よ。ただの風邪くらい。
     でもお父さんが、『ただの風邪と思って油断してはならん』と言って聞かないから。
     退屈ね、部屋でじっとしているのは」
    「……母上にとってとても面白いことが起こる、と言ったら?」
     マークの言葉に、プレタ王妃はきょとんとした。
    「どう言う意味かしら?」
    「僕は4年間かけて、失った肉体を再生する治療術を研究しました。この治療術が成功すれば、母上の失われた耳と目、そして顔に残った傷を癒し、元通りにすることができるはずです。
     どうか母上、僕の治療を受けていただけませんか?」
     これを聞いて、プレタ王妃は残っている左目で優しく微笑む。
    「もうとっくに諦めているわ。今さら治したって……」
    「お願いです。僕は昔の、母上が健常であった頃の顔を知りません。
     どうか僕に、その美しい顔を見せてはいただけないでしょうか」
    「あら。今のわたしは、醜いのかしら」
     そう問われ、マークは慌てて言い繕う。
    「いっ、いえ! そんなことは! ……そんなことはありません。今の母上も大変、お美しゅうございます。でも、それは半分ではないですか。
     もしも空に浮かぶあの二つの月が、常にどちらか一つしか姿を見せないと言うのならば、両方を同時に拝してみたいと考えるのは、決して不自然なことではないでしょう?」
    「変な例えをするのね。4年以上も家から離れていたのに、あなた何故か、お父さんに似てきたわね」
     プレタ王妃は、今度は顔全体をほころばせた。
    「いいわ。あなたの努力がどれだけ実ったのか、わたしに見せてちょうだい」
    「……ありがとうございます、母上」
     マークは母の手を握り、深く頭を下げた。

    白猫夢・悩狼抄 3

    2014.01.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第312話。マークの両親。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 年が明けた双月暦566年、マークは故郷、央北トラス王国へと戻った。「ただいま戻りました、父上」「おう、マーク! お前随分、背が高くなったなぁ」 今や2代目国王となったかつての大蔵大臣、ショウ・トラスは、4年ぶりに見る自分の息子を見て、嬉しそうに笑った。「どうだった、天狐ゼミとやらは?」「ええ、とても充実した4年間でし...

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    麒麟を巡る話、第313話。
    白猫党。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     己の研究成果である治療術を母に施すことを強く推したものの、いざそれが現実のものとなった途端、マークは不安になった。
    「はあ……」
     4年ぶりに自分の部屋に戻り、ベッドに横たわるが、まったくくつろげない。
     頭の中に浮かぶのは、万が一自分が施術に失敗してしまい、母の顔を醜く歪めてしまうのではないかと言う不安ばかりである。
    (やっぱり父上が提案した通り、志願者を募った方が良かったかな……。
     いや、まず第一に母を治したいと思ったからこそ、僕は天狐ゼミへ行ったんじゃないか。今さらそれを曲げてどうする)
     そうしてひたすら、悶々としているところで――トントン、とドアがノックされた。
    「はい」
     マークはベッドから起き上がり、ドアを開ける。
    「私だ」
     訪ねてきたのは父、トラス王だった。
    「お前、母さんからの返事を、私に報告してなかっただろう?」
    「あ」
    「まったく……! 大事なことなんだから、そう言うことはきちんと報告しなきゃならんだろう」
    「すみません……」
     ぺこっと頭を下げたところで、トラス王がふっと笑った。
    「私への報告を怠るほど高揚していたか? それとも緊張したのか?」
    「……両方です」
     マークの答えに、トラス王は今度は、はっきりと声を上げて笑う。
    「ははは……、だろうな。しかしそのまま浮足立って、自分の部屋に閉じこもる、と言うのは困る。
     こう言うことは言いたくないが、お前はそそっかしいところが多いからな。こう言う些細なところでミスするような者に、人の体を弄ると言った大事を任せるのは、不安になってしまうではないか」
    「反省します……」
    「……ん、まあ、なんだ。そう落ち込むな。
     あれだけ頑固に自分の意見を推したくらいだ、成功する自信は十分にあるのだろう?」
    「はい」
    「ならば良し。私も許可しよう。で、いつ行う予定だ?」
    「準備もありますし、あと、僕自身も少し休んで調子を整えておきたいので、一週間後に行おうかと」
    「うむ、分かった。必要なものがあれば、何でも言ってくれ」
    「ありがとうございます」
    「では、今日はもう休むがいい」
     そう言ってドアを閉めかけ――「おっと」とつぶやいて、もう一度ドアを開けた。
    「もう一つ用事があったのを忘れていた」
    「何でしょう?」
    「お前、エルナンド・イビーザと言う男を知っているか?」
    「イビーザ……?」
     そう問われ、マークは記憶を掘り起こしてみるが、全く思い当たる節は無い。
    「いえ、存じません」
    「ふむ? ……そうか、知らんか」
     トラス王は神妙な顔をし、懐から何通かの封筒を取り出した。
    「いやな、お前が不在の間――ここ半年くらいだが――そのイビーザと言う男から、お前宛に手紙が来ていたのだ。
     私が妙だと思ったのは、イビーザ氏があの『白猫党』の幹事長であることだ」
    「白猫……党?」
     聞きなれない言葉に、今度はマークが首をかしげた。
    「ん、知らんのか? ……いや、そうか。彼奴らが台頭し始めたのはここ1年くらいだからな。4年離れていたお前が知るはずもあるまい」
    「一体なんですか、それは?」
     何の気なしにマークはそう尋ねたが、トラス王は苦い顔を返した。
    「正式名称は何であったか……、確か、『白猫原理主義世界共和党』、……だったかな。
     何とも胡散臭い連中だよ。何でも『白猫の夢』を自由自在に見られるとか言う眉唾者を『預言者』などと称して祀り上げ、その預言とやらを党是・方針として臆面も無く掲げ、あちこちで政治活動めいた振る舞いをしていると言う、凡そまともとは言い難い奴らだ。
     ところが不思議なことに、人気と資金を集めているとの報告もある。既に央北の小国2、3ヶ国においては、議会や内閣の過半数を党員が占め、政権を掌握されているとのことだ。
     その何とも名状し難き連中の幹部となっている者が何故、お前に手紙を送ってくるのか。これが分からんのだ」
     父の評価を聞き、マークも胡散臭いものを感じる。
    「確かに……。ちょっと、不気味ですね」
    「私にとってはちょっとどころじゃない程度に不気味だ。まさかこの国の王子、第一後継者であるお前を党に勧誘しようとしているのではあるまいか、と言う懸念もあるからな。
     もしもそんなところに加入したら、私は即刻、お前を勘当するからな」
    「ご心配なく。僕だってそんな気味の悪いところは御免蒙ります」
    「ならばよし」
     トラス王は手紙をぐしゃ、と握り潰し、懐に収め直した。
    「これは捨てておく。もう忘れて構わんぞ。
     ではマーク、ゆっくり休むが良い」
    「はい。おやすみなさい、父上」

    白猫夢・悩狼抄 4

    2014.01.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第313話。白猫党。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 己の研究成果である治療術を母に施すことを強く推したものの、いざそれが現実のものとなった途端、マークは不安になった。「はあ……」 4年ぶりに自分の部屋に戻り、ベッドに横たわるが、まったくくつろげない。 頭の中に浮かぶのは、万が一自分が施術に失敗してしまい、母の顔を醜く歪めてしまうのではないかと言う不安ばかりである。(やっぱり父...

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    麒麟を巡る話、第314話。
    魔術が魔法に昇華する時。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     帰国から1週間後、マークは母、プレタ王妃の失われた耳と目を再生する魔術治療に執りかかった。

    「では、……施術を、開始、します」
     マークは強張った声で、自ら招集した魔術治療チームに宣言した。
     と――被験者である母が、クスクスと笑いだした。
    「し、静かにお願いします」
    「ごめんなさい、ふふ……。
     でもね、マーク。ちょっと、肩の力を抜きなさい。これからあなたに手術してもらうのに、そんな怖い顔でずっとにらまれていたくは無いもの」
    「……し、失礼、しました」
     マークは目を閉じて深呼吸し、落ち着きを取り戻そうと試みる。
    (母上の仰る通りだ。落ち着け、マーク。
     大丈夫、理論上では何の問題も無いんだ。例え失敗しても、後遺症や副作用なんてものはこの治療術には無い。実験でもそんなことにはならなかった。
     いや、成功する。させてみせる。絶対にだ! 成功して、母上の喜ぶ顔を――欠けの無いそのご尊顔を、この目でしっかりと見てやろうじゃないか!)
     もう一度深呼吸し、マークは落ち着いた声で、再度宣言した。
    「お待たせしました。それでは、開始します」



     この双月世界における治療術と言うと、一般には「普通には到底治せないケガや病気を、瞬時に完治させてしまえる魔術」と認識されがちであるが、そんな夢のような話を現実にできる者は――「賢者」モールと「悪魔」大火を除き――実際にはいない。
     双月暦6世紀の現実においては、それは「通常の医療行為で治療を受けた後に使われる、完治するまでの時間をいくらか短縮できるもの」と言う、平凡に定義されるものでしか無い。
     治療術の世界において、夢が現実となることはこの数百年、決して無かった。

     マークはその高き壁、不可能と言われてきた険阻に挑んだのだ。
     マークが今行っている「それ」は、これまでの治療術の常識を、夢物語へと一歩、確実に近付けるものだった。
     失ったものを取り戻せる――それは万人が望み、恋い焦がれ、渇望さえ覚える、究極の夢なのだ。
     マークの手により、魔術はまた一歩「魔法」に――即ち人が操れぬ法則・真理の領域に、踏み入ろうとしている。



    「……以上で施術を終わります。今回被験者に接合させた組織を定着させるため、最低でも術後4週間は、絶対安静とします。
     また、その間にも術後経過は1日ごとに観察および聴取し、レポートとしてまとめ、チーム内で意見交換を行うものとします。
     本日は被験者を寝室に移送し、終了とします。皆さん、本日はお疲れ様でした」
     マークは一息にそう並べ立てた途端、がくりと膝を着いてしまった。
    「殿下!」
    「だ、……大丈夫です。気が抜けました」
     マークはなお床に崩れたまま、こう命じた。
    「すみませんが母上の移送をお願いします。僕はもう少し、ここで休んでいます」
    「分かりました」
     治療用の椅子から車椅子に移される途中、プレタ王妃はマークに、優しく声をかけた。
    「4週間後を楽しみにしているわ、マーク」
    「僕もです」
     マークはうなだれたまま、そう返した。
     やがて部屋の中にはマーク一人だけとなり、マークはごろん、と床に寝転がった。
    「……後は……、祈ることしかできないな」

     まだ己の施術に不安を残していたマークではあったが、その翌日からプレタ王妃の身には、一つの変化が表れていた。
    「不思議ね」
    「うん?」
     まだ顔に包帯を巻いたままのプレタ王妃が、夫にこうつぶやいた。
    「あなたの声が20年ぶりに、しっかりと聞こえている気がするわ」
    「ほう……? もう耳が治ったのか?」
    「かも知れないわね。まあ、まだ楽観はできないでしょうけれど。マークが」
    「違いないな、ははは……」

    白猫夢・悩狼抄 5

    2014.01.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第314話。魔術が魔法に昇華する時。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 帰国から1週間後、マークは母、プレタ王妃の失われた耳と目を再生する魔術治療に執りかかった。「では、……施術を、開始、します」 マークは強張った声で、自ら招集した魔術治療チームに宣言した。 と――被験者である母が、クスクスと笑いだした。「し、静かにお願いします」「ごめんなさい、ふふ……。 でもね、マーク。ちょっと、...

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    麒麟を巡る話、第315話。
    研究の成果。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     マークの施術から4週間が経ち、ついにプレタ王妃の包帯が解かれる日がやって来た。
    「では、……解きます」
    「お願いね」
     絶対安静にするため、魔術を使ってしっかりと固定していた包帯を、マークは慎重に解いていく。
     はじめに現れたのは――突起しているから当然なのだが――右耳だった。
    「……っ」
     息を呑んだマークの気配が伝わったらしく、プレタ王妃が尋ねる。
    「何かおかしくなってるかしら」
    「いえ、……えっと、その、……しょ、触診を」
    「その言い方は少し気持ち悪いわ、マーク」
    「す、すみません。……では、さ、触らせて下さい」
    「どうぞ」
     触った感触は、施術の際に触媒として用いた藁と樹脂の混合物のそれでは無く、もっと自然な、ふさふさとした、弾力あるものだった。
     そして見た目も、猫のものと思える耳の形をしていた。
    「どうかしら?」
    「……僕の声は、聞こえますか?」
    「ええ。よく聞こえるわ」
    「……良かった。……成功です」
    「そう」
     あまり感情を現さず、大抵は薄く笑って返す母が、この時は本当に嬉しそうに微笑むのを見て、マークはこれ以上ないくらいの安堵と、達成感を覚えていた。
    「でも」
     が――プレタ王妃のその笑顔が、わずかに曇る。
    「……今、触ってる?」
    「え?」
     そう問われたまさに現在、マークは母の右耳をつかんでいる。
    「触られてる感じが無いの」
    「……そんな?」
     マークは思い切って耳をつねってみたが、母は痛がる様子を見せない。
     そして力を入れたことではっきりと分かったが――耳の軟骨と思しきものがほとんど無い。大部分がまるで裸耳の耳たぶの如く、妙にぶよぶよと、頼りないのだ。
    「……っ」
     マークの背中に、ぶわっと冷汗が湧く。
    「目も……、確認します」
     マークは恐る恐る、右目を覆う包帯を解いた。

     20秒後、マークは部屋を飛び出し、手洗いに駆け込み、胃の中のものを残らずぶちまけた。
     2分後、戻って来たマークの指示で、プレタ王妃の緊急手術が行われた。
     そして4時間後――プレタ王妃の右目があった場所から、半分腐りかけた、クルミ大の腫瘍が摘出された。

     マークの初めての施術は、失敗に終わった。



    「気分はどうだ、プレタ」
     手術から3日後、トラス王が妻を見舞いに来た。
    「麻酔でぼんやりしてるわ。でも気分が悪かったりって言うのは無いわね」
    「そうか。……ふむ」
     トラス王はプレタ王妃の右耳に手をやり、ぎゅっとつかんでみた。
    「どうしたの?」
    「こうして触る分には本物と思うのだが……」
    「あの子の話だと、元通りになったのは皮膚と毛並み、肉だけらしいわ。血管は本来の半分くらい、骨もほとんど無くて、神経に関してはまったく無いって言ってたわ」
    「こうして声が聞こえるのにか?」
    「中耳・内耳部分に損傷は無かったし、銃撃された時に破れた鼓膜も、もう20年経っているから、とっくに治ってたのよ。だから外耳が形だけでも元に戻れば、聞こえるようにはなる、……って説明されたわ。
     目については、外耳と違って神経の塊だから……」
    「他の部位のように肉で補うわけには行かなかった、と言うわけか。残念だったな、プレタ」
    「いいえ。耳が元に戻っただけでも、わたしは満足よ。目は元通り、髪と眼帯で隠せばいいんだし。
     ……ところで、マークは?」
    「落ち込んでいる。この3日と言うもの、部屋に籠りっ放しだ」
    「そう……」
    「用事もあるから、後で私が声をかけておくよ」

     マークはすべての気力を失い、ベッドに横たわっていた。
    (僕の研究は……、母をいたずらに切り刻んだだけだった)
     部屋の中は瓦礫の山と化している。怒りと深い失望に任せてありとあらゆるものをひっくり返し、叩き壊し、破り散らしたためだ。
    (僕の3年間は一体、何だったんだ……! 結局、母を苦しめただけじゃないか!)
     失敗に打ちのめされ、マークは絶望していた。
     と――トントン、とドアがノックされる。
    「私だ。入って構わんか?」
     父の声に、マークは一言「嫌です」と返したが、声が小さ過ぎて、ドアを通らなかったらしい。
    「入るぞ」
     ドアを開けたトラス王が、「おわっ」と小さく叫んだ。
    「ひどい有様だな。爆弾でも破裂したかのようだ。……いや、したようなものか。まあ、この惨状については何も言わん。後で片付けなさい。
     それよりもマーク、また白猫党から手紙が来たんだが……」
    「読みません」
    「そうか。いや、今回は差出人がイビーザ氏では無かったのでな。一応聞いておきたかっただけだ。
     チューリン党首とあるが、こっちも知らんだろうな」
    「……チューリン?」
     マークはのそ、と上半身を起こし、父に尋ねた。
    「チューリン……、シエナ・チューリンですか?」
    「うん? ……ああ、そうだ。知っているのか?」
    「ゼミの同期生です」
     マークは瓦礫を踏み越え、父から手紙を受け取った。

    白猫夢・悩狼抄 6

    2014.01.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第315話。研究の成果。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. マークの施術から4週間が経ち、ついにプレタ王妃の包帯が解かれる日がやって来た。「では、……解きます」「お願いね」 絶対安静にするため、魔術を使ってしっかりと固定していた包帯を、マークは慎重に解いていく。 はじめに現れたのは――突起しているから当然なのだが――右耳だった。「……っ」 息を呑んだマークの気配が伝わったらしく、プレタ...

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    麒麟を巡る話、第316話。
    マークへの啓示。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「親愛なる同窓生 マークへ

     イビーザに何度か手紙を出させたけど、一向に返事が無いってコトだから、今回はアタシが出したわ。
     アタシは今、アオイと一緒にいるの。今、彼女は『突発性睡眠発作症』だか何だかって言う病気を患ってるの。普通に起きてると思ったら、いきなりパタッと倒れて眠り出す。そう言う病気。
     ひどい時には三日間眠り通しってコトもあるし、そんな状態で一人にしてちゃ到底生きてられないから、今はアタシが身柄を預かり、世話してるのよ。
     そんな状態だから、アイツは手紙を書くコトができない。だから、アタシやイビーザが代筆してたんだけど、やっぱりアタシが出した方が早かったかしらね?

     本題、アオイからの伝言内容。
     アイツによれば、コレを読んでる今、アンタはものすごく落ち込んでるって言ってた。
     で、その解決方法も、こんな感じで伝えられたわ。『木のことは木に聞け、石のことは石に聞け、目のことは目に聞け』だって。何だか分かんないけど、アンタは分かる?
     それからもう一つ、『お母さんを早く治してあげたいって気持ちは分かるけど、臨床実験も無しにいきなり施術しちゃ駄目だよ』って伝えろって。

     ココからはアタシたちの話。
     アタシたちは今、ヘブン王国にいる。
     今年中は滞在する予定。良かったら会わない? 色々話もしたいし。
     今度こそ、返事ちょうだいね。

    白猫原理主義世界共和党 党首 シエナ・チューリン」



     手紙を読み終えたマークは絶句していた。
    (アオイさんが、シエナさんと一緒に……!? ずっと行方不明だったのに、まさかこんな形で居場所が分かるなんて……。
     いや、それよりも。『目のことは目に』って、一体……? それに僕が今まさに落ち込んでいることを、どうやって彼女は知ったんだろう。
     勇み足で母に施術したことまで、……いや。施術してから一ヶ月経ってるんだから、どこかに話が漏れていてもおかしくはないか。
     だとすると多分、アオイさんは僕が施術に失敗することを読んでたんだな。であれば、僕がこうして落ち込んでいることも当然、察しが付く。失敗するであろう理由も分かっていたからこそ、こうして手紙を送ってくれたんだろうな。
     ……となると、この『目のことは目に』って言うのは、その失敗点を指摘してくれているんだろう。でも、意味がよく分からない。確かに失敗したのは目だけど、耳だって成功とは言えない。そっちについても教えてほしいくらいなのに)
    「マーク?」
     父に声をかけられ、マークは我に返る。
    「あ、はい」
    「何と書いてあった?」
    「えっと……」
     マークは葵からの伝言内容を省いて、手紙の内容を伝えた。
    「ヘブン王国に? ……ふーむ」
    「どうしたんですか、父上?」
    「白猫党がヘブン王国に乗り込んだと言うのは、あからさまに不穏な事態だと思ってな。
     以前にも言っていたと思うが、白猫党は央北各国の議会に党員を送り込み、あるいは在来の議員を党に引き込んで、その行政機能を掌握して回っているのだ。
     そんな彼らが何のために、ヘブン王国に滞在しているのか。理由は明白だろう?」
    「ヘブン王国の議会を乗っ取ろう、……と?」
    「恐らくはそうだろう。
     そしてその最中にお前を呼ぶ、と言うのも気になる。お前を政治的に利用しようとしているのかも知れん。
     悪いことは言わん。行かん方が賢明だ」
    「……そうですね。ただ、やはり昔のよしみもありますから、返事だけは出しておこうと思います」
    「そうだな、ここまで何度も無視してしまったこともあるし、出しておいた方が礼を失せんだろう」

     翌日、マークは部屋を片付け、それからシエナ宛に手紙を送り、破り捨てたレポートを別の紙に書き写し――そして葵の助言について考えた。
    (『目のことは目に』、……か。つまり、僕が目の復元に失敗した原因は、目のことを完全には理解できていなかったから――目の構造を、実際の目を参照にして熟知しなかったから、その結果あんな肉塊と化してしまった、……と考えるべきだ。
     そう考えれば、耳に対しても同じことが言える。形をそっくりに作っただけで、中身のことなんか考えてなかった。そのせいで母の右耳は外側、上っ面だけが出来上がった状態になり、骨や神経の形成にまでは至らなかったんだろう。
     ……僕がまったく眼中に無かったその問題を、アオイさんは遠く離れた場所で、こうも簡単に見抜いていたなんて。つくづく驚かされるな、アオイさんには)
     父には「行かない」と同意したものの、葵から受けたこの助言のことを考えると、マークには抑えがたい知識欲が湧き上がってくる。
    (もっと助言を仰ぎたい。もっと話がしたい。アオイさんと意見を交わせば、僕のこの研究はもっと、完成に近付くはずだ。
     ……会わなきゃ)

     マークは密かに、ヘブン王国へと赴くことを決意した。

    白猫夢・悩狼抄 終

    白猫夢・悩狼抄 7

    2014.01.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第316話。マークへの啓示。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「親愛なる同窓生 マークへ イビーザに何度か手紙を出させたけど、一向に返事が無いってコトだから、今回はアタシが出したわ。 アタシは今、アオイと一緒にいるの。今、彼女は『突発性睡眠発作症』だか何だかって言う病気を患ってるの。普通に起きてると思ったら、いきなりパタッと倒れて眠り出す。そう言う病気。 ひどい時には三日間眠り...

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    麒麟を巡る話、第317話。
    明暗が分かれた、その後。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    (き、来ちゃった。……本当に)
     マークがこの、クラム経済圏の中心地であるヘブン王国を訪れたのは、今回が初めてである。
     元々、央北ではクラム通貨を軸とする「天政会」勢と、コノン通貨を軸とする「新央北」勢が長い間争っており、20年前に停戦を迎えて以降も、交流はほとんど絶えていた。
     そのため、「新央北」の宗主国王子であるマークは、内心おどおどとしながら往来を歩いている。
    (一応、王国の紋章とか、そう言うのを付けてないコートで来たけど……、不安だなぁ)
     とは言え、実際に交戦していたのは一世代前の話である。現世代は別の問題――国家規模の賠償金を背負わされたことによる大不況に苦しんでいるため、かつての戦争相手のことなど構っていられない。
     事実、大通りに並ぶ店は、どこを見ても活気が無い。店のメニューや張り紙には、何度も値を書き換えた跡が付けられている。
     ヘブン王国の近年最大の失策によって発生した、深刻なインフレの影響である。



     20年前、泥沼化した戦争の果てに、「天政会」と「新央北」は調停者を立て、停戦交渉を行った。
     ところがその交渉を、調停者である金火狐財団と黄商会が牛耳り、なんと600億エルと言う途方もない額の賠償金を両者に背負わせたのである。

     その莫大な賠償金を、「新央北」側はとある機転を用い、かなり早期に、その大部分を消化していた。
     賠償金を命じた大元、黄商会を窓口として央南と貿易為替協定を結び、事実上外貨を用意すること無く――コノンをわざわざエル通貨に換えると言う手段を用いること無く――600億エルを返済したのである。
     この方法による、「新央北」にとっての最大の利点は、「自国通貨であるコノンを自ら大量にバラ撒いて、その信用を落とす危険」が少なかったことである。
     もしこれが、コノンをエルに換えての返済と言う手段を採っていた場合、「新央北」はコノンを市場へ大量にバラ撒き、一方でエルを大量に集める必要が生じる。そうなると市場全体にエル高、コノン安と言う流れが生じ、コノンの価値は大幅に下落する。
     協定を結ぶのには相当の労力と手間、コストと各種手数料を必要としたが――まだ新興通貨であったコノンを自ら貶めることを嫌ったトラス王の英断は、結果的に功を奏したと言える。

     一方、600億エルを背負うことを嫌った「天政会」は、別の方法を採った。
     元々から、クラム通貨の管理者は「天政会」では無く、その傘下のヘブン王国である。そこを逆手に取り、「通貨管理国に金融・貨幣調整の全裁量を返還する」などと言い訳し、ヘブン王国にこの賠償金の支払いを丸投げしたのである。
     この莫大な賠償金を返済するため、拙い経済・金融手腕しか持たないヘブン王国は、自国で大量にクラムを発行し、それを市場でエル通貨に換えての返済と言う、「新央北」が回避した手法を執ってしまった。
     この悪手により、クラムの信用が重篤なほどに損なわれ、インフレが高速で進行。近年立て続けに失策を繰り返していたヘブン王国は、いよいよ窮地に陥った。



     このインフレにより、かつては肩を並べていたはずのコノンとは、既に100倍近い差が付いている。
     ヘブン王国に入る前にコノンから両替したクラム通貨は、マークの財布から溢れそうになっていた。
    (大体1500万クラムって言われたけど……、元が1万エルだったから、実はそんなに価値があるわけじゃないんだよな……?)
     重たすぎる財布を多少軽くしようと、マークは適当な店に入ろうと、再度辺りを見回した。
     と――その中の一軒に、いかにも金を持っていそうな、身なりのいい男たちがたむろしている。
    「いや、しかしこの国は財布が重たくなって困るね」
    「全くだ。しかもこの貨幣ときたら、一応金や銀でメッキはしてあるが、実質、鉛だろう?」
    「らしいな。このままうっかり池にでも落ちたりしようものなら、浮かんでこれまいよ」
    「いやぁ、景気が悪いもんでね……」
     しょんぼりした顔をしている店主に、そのスーツ姿の者たちは一様にため息をつく。
    「全く、仰る通り。つくづく、この国の王や大臣、役人の無能っぷりが目に見えるようだ」
    「いや、諸悪の根源はこの国の人間よりむしろ、『天政会』ではないかな」
    「確かに。しかもその原因を作った『天政会』の奴らは、まだのうのうと政治中枢に収まっていると言うじゃないか」
    「なんと厚顔無恥な連中だ!」
    「いよいよもって、例の選挙を勝利せねばと言う気持ちが募ると言うものだ」
     側で話を聞いていたマークは、彼らの素性を察した。
    (もしかしてこの人たちが、白猫党……、かな?)

    白猫夢・堕天抄 1

    2014.01.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第317話。明暗が分かれた、その後。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.(き、来ちゃった。……本当に) マークがこの、クラム経済圏の中心地であるヘブン王国を訪れたのは、今回が初めてである。 元々、央北ではクラム通貨を軸とする「天政会」勢と、コノン通貨を軸とする「新央北」勢が長い間争っており、20年前に停戦を迎えて以降も、交流はほとんど絶えていた。 そのため、「新央北」の宗主国王子で...

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    麒麟を巡る話、第318話。
    白猫党との接触。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「あ、……あのー」
     マークは恐る恐る、スーツの男たちに声をかける。
    「うん? 僕たちに用かな?」
    「あ、えーと、あなたたちって、白猫党の方でしょうか?」
    「いかにも」
     紳士たちは恭しくうなずき、自己紹介した。
    「我々は白猫党政務対策部の者だ。
     近日、この王国において第一議会の選挙が行われると言うことで、こうして応援に来ているんだ」
    「応援ですか?」
     聞き返したマークに、白猫党員の一人がこう返した。
    「ああ。我々は政治・経済面から国家的・国際的に抑圧を受けている国や市町村を訪ね、その不正・不義を是正するべく活動している。
     ここ、ヘブン王国もそうした国の一つと我々は考えている。事実、『天政会』からの度重なる不当な指示・圧力により、半世紀前の威光など拝むべくもない有様だ。
     この鉛でごまかされた金貨・銀貨はその象徴と言えよう。『天政会』によって骨抜きにされ、今や国家としての体面は、うわべだけに過ぎない。この国は内情を少し探れば、一つの国として満たしているべき素養を、ほとんど有していないのだ。
     ……と、少し話が過ぎたな。初対面の少年にするような話では無かった。退屈してしまっただろう?」
    「いえ、とんでもありません。含蓄のあるお話を拝聴させていただきました」
    「うん?」
    「……ふむ」
     マークの少年らしからぬ返し方に、党員の一人が何かを感じ取ったらしい。
    「君の名前を聞かせてもらってもいいかな?」
    「あ、マーク、……セブルスです」
    「セブルス君か」
     名前を聞くなり、彼は他の党員たちに向き直った。
    「殿下が来られたと、総裁に伝えてきてくれないか?」
    「では私が」
     党員が一人、店を離れる。
    「あ、……と」
     取り繕おうとしたが、使いに行かせた短耳の紳士は、それをやんわり遮った。
    「申し遅れた。私は白猫党政務対策本部長、フリオン・トレッドだ。党内の階級は第二位、チューリン総裁の直下の人間と思ってくれれば構わない。
     よろしくお見知り置きを、マーク殿下」

     マークは白猫党の者たちに連れられ、高級ホテルに入った。
    「マーク! 久しぶり!」
     と、ロビーに立っていたスーツ姿の女性が、マークを見て嬉しそうな声を上げた。
    「……シエナさん?」
     1年半前、天狐ゼミを卒業した当時の彼女を思い出していたマークは、内心とても驚いていた。
     当時は苦学生然とした、ひっつめ髪に地味なカーディガン姿だったが、今目の前にいるシエナはどう見ても、新進気鋭の政治家にしか見えない。
    「随分、何と言うか……、あの頃と変わりましたね」
    「もう学生じゃないもの。今は地位もあるし。
     ソレにしても、……いつも驚かされるわね、アオイには」
    「と言うと?」
     マークは辺りを見回したが、葵の姿は見当たらない。
    「アンタが今日来るコト、一昨日聞かされたのよ」
    「え? 今日、来る、……って?」
     シエナの言葉に、マークは戸惑った。
    「あの、一応お断りのお手紙を送ったんですが……」
    「ええ、受け取ってるわ。
     でもアオイは、『今日の昼過ぎ、フリオンさんがマークくんに会うよ』ってよげ、……言ってたのよ」
    「言ってた、って……?
     僕がどうして今日、ここに来ると分かったんですか? それにトレッドさんに会ったのは、偶然で……」
    「ま、いいじゃない、細かいコトは。とりあえず上の階に来てちょうだい」

     ホテルの3階および4階は、白猫党の全室貸切となっていた。
    「お金持ってるんですね、……すごく」
    「ええ、すっごく。ウチには優秀な財務担当者がいるから」
     3階へ上がったところで、シエナはある部屋の前に立ち、鍵を開けた。
    「マーク君、泊まるところ決めてないでしょ?」
    「ええ、まあ」
    「ココ、良かったら使って」
     シエナから鍵を手渡され、マークは面食らう。
    「えっ?」
    「手紙に書いてたアレがあるから、アオイに会うのはもうちょっとかかりそうなのよ。アタシにもいつ、あの子が起きるか分からないし」
    「ああ、確か『突発性睡眠発作症』でしたっけ。突然、眠りに落ちてしまうとか」
    「そ、そ。今もこのホテルで寝てるのよ。
     でも、ま、寝始めてからもう2日経ってるから、もうそろそろ起きるわ。……て言うか、明日くらいには起きてもらわないと困るんだけどね」
    「明日何か?」
    「ちょっと、ね。
     ま、長旅ご苦労様ってコトで、とりあえず今日は、ゆっくり休んで。ご飯とかは後でルームサービスが持って来るから」
     シエナはそこで話を切り上げ、階段を上って行った。

    白猫夢・堕天抄 2

    2014.01.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第318話。白猫党との接触。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「あ、……あのー」 マークは恐る恐る、スーツの男たちに声をかける。「うん? 僕たちに用かな?」「あ、えーと、あなたたちって、白猫党の方でしょうか?」「いかにも」 紳士たちは恭しくうなずき、自己紹介した。「我々は白猫党政務対策部の者だ。 近日、この王国において第一議会の選挙が行われると言うことで、こうして応援に来ているん...

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    麒麟を巡る話、第319話。
    選挙戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     ホテルに宿泊した、その翌日。
    「……?」
     マークはホテルの異様な静けさに、またも困惑していた。
     昨夜は廊下を歩けば、白猫党のバッジを付けた党員たちと何度もすれ違っていたが、今朝は誰にも出会わない。
     思い切って4階にも足を運んでみたが、やはり人の姿は無い。
    「……えーと」
     どうしていいか分からず、マークは立ち尽くしていた。
     と、廊下の奥から、ホテルの従業員らしき女性が現れる。
    「あのー」
    「はい」
    「白猫党の人たちって、もうチェックアウトしちゃったんですか?」
    「しろねこ……? ああ、あの猫ちゃんのバッジ付けてる人たちですか?
     今日は皆さん、選挙に向かわれてるみたいですよ」
    「選挙?」
     尋ね返したマークに、従業員は部屋から回収してきたらしき新聞を広げて見せる。
    「捨ててあったもので恐縮ですけど……、ほら、これ」
    「……『ヘブン王国第一議会選挙 本日投票日』?
     と言うことは皆さん、投票に? でも白猫党の人たちって、王国にとっては外国の人じゃないんですか? 普通、外国人に投票権って与えられないんじゃ……?」
    「ええ、こちらで党員を集めたりもされてるみたいですけど、ほとんど外国の方ですよ。
     でも……」
     従業員は小声で、マークに耳打ちした。
    「この国ってそう言うところがおかしいらしくって、王様は外国人に参政させても平気みたいなんですって。今だって『天政会』筋の人を大臣に据えたりされてますもん。……って白猫党? でしたっけ、みなさん仰ってました。
     だからみなさんも、こぞって立候補したみたいですよ」
    「え? 投票じゃなくて……、立候補したんですか!?」
    「はい。チラッと聞いた話では、85議席獲得が目標だって仰ってました」
    「その第一議会って、議席は全部でいくつなんですか?」
    「さあ? ……あ、書いてありました。150だそうです」
    「議席の過半数を……? いくらなんでも無茶じゃ……」
    「でもみなさん、『勝てる』って言ってましたねぇ」
    「……どうやって勝つつもりなんでしょう」
    「さあ?」



     マークの心配をよそに、選挙は例年にない熱気を見せていた。
    「ああ、疲れた……」
     例年、ほとんど暇を潰すのに終始していた選挙管理委員は、思いもよらない事態を迎えていた。
     いつもならば1時間にせいぜい1人か2人と言う程度の投票者が、今年は何十人も押しかけてきていたためだ。
    「い、忙しい」
    「腹減った……。ゆっくり弁当も食べられない」
    「何で今年はこんなに一杯……?」
    「分からん」

     その様子を離れて眺めていたシエナとトレッドは、嬉しそうに笑っていた。
    「まさかここまで忙殺されるとは思っていなかったようですな、彼らも」
    「でしょーね。多分、今回の投票数は7~8万を超えるんじゃないかしら」
    「彼らにそれを集計できる能力がありますかね」
     トレッドは肩をすくめ、こう続ける。
    「投票数自体、『天政会』の指示で仕方なく算出している数字でしょう? 実際のところ、実数を無視した適当な数字でしたし」
    「ま、そうね。前回までに出てた数字も、9割9分水増しって話だったし」
    「それがどうだ、今回はここまで大勢押しかけてきたわけだ。彼らの処理能力では、本日中に開票しきるのは難しいでしょうね」
    「そのためにも、あたしたちがテコ入れしてるのよ」
    「ええ、分かっておりますとも」



     通常であれば一部の関係者のみが細々投票していたこの選挙は、今回は王国各地から多数の国民が押し寄せた。
     シエナたちの予想通り、今回の選挙の投票数は、王国としては異例の10万票を超える結果となった。
     ちなみに前回の投票数は――「天政会」からの圧力による、公表時点での水増しを加えても――わずか400票足らずである。

     この騒ぎは、これから起こる一大政変の幕開けとなった。

    白猫夢・堕天抄 3

    2014.01.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第319話。選挙戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. ホテルに宿泊した、その翌日。「……?」 マークはホテルの異様な静けさに、またも困惑していた。 昨夜は廊下を歩けば、白猫党のバッジを付けた党員たちと何度もすれ違っていたが、今朝は誰にも出会わない。 思い切って4階にも足を運んでみたが、やはり人の姿は無い。「……えーと」 どうしていいか分からず、マークは立ち尽くしていた。 と、廊下...

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    麒麟を巡る話、第320話。
    大勝利。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ヘブン王国の主権、即ちその国のトップは、「王国」の名の通り、国王である。
     しかし王国が「天政会」に下って以降、国王および配下の人間には事実上、政治権力が与えられていなかった。「天政会」から人員が送られ、政権を掌握されていたのだ。
     とは言え、ここでも「天政会」は自らの責任を問われないよう、逃げ道を用意していた。それが「議会」である。

    「独立国家」である以上、国政はその国の人間、その国の組織・機関が執り行うべきものである。その観点に立てば「天政会」は国外の組織であり、その彼らが直接、王国の大臣たちを追い払ってその座に就くようなことをすれば、それはもはや「独立国家」の体を成さず、「天政会」の領地、所有物と同様の扱いとなる。
     この状態では、先の賠償金などのように、王国に対して何らかの問題に対し責任を問われた場合、「天政会」も連帯で責任を負うことになる。
     それを回避するため、「天政会」は「王国の凋落は国王による専制に原因がある。民主的な構造改革が必要だ」などともっともらしい理由を付けて議会を設置させ、その上で「国民から『公正な選挙によって』選出された」と言う大義名分を掲げて議会を掌握、政治上の要職を独占した。
     これにより、もしも問題が発生した場合、即座に王国から議員たちを退かせ、王国に責任を丸投げすることができると言う、とんでもない逃げ道を用意したのである。
     ちなみに選挙自体、名目上では国民全員に投票権があるとしているものの、ほとんどの国民に対してはまともに公示などされておらず、議会設置から約20年・6期の間、「天政会」が内々で密かに投票し、密かに議席を分配すると言う阿漕(あこぎ)な方法を執っていた。

     この国家的矛盾を、白猫党は突いた。
     まず、「外国人に参政させている」と言う事実を逆手に取り、自分たちが立候補したのである。この一件が、「天政会」の言いなりになっている現状を打破する材料と見られ、国民を刺激した。
     さらに王国各地を回り、選挙と言うものがあるなどと思ってもおらず、これまで投票していなかった者たちに、この存在を知らせて回った。
     それが功を奏し、今回の投票数大幅増につながったのだ。
     また、従来の投票数の少なさから、密かに「天政会」が投票結果を自分たちに都合のいいように水増ししていることも突き止めており、白猫党は選挙管理委員会にも人員を送り込んでいる。
     万が一この投票結果が「天政会」にとってマイナスとなる結果を示した場合、「天政会」がそれを誤魔化し、揉み消すのを阻止するためである。

     そしてこの選挙は、白猫党にとっては予想通りであり、一方で王国、および「天政会」には青天の霹靂とも言うべき結果となった。
     選挙前には150議席中、105議席が「天政会」、残る45議席は王国の権力者が握っていた。
     ところがこの選挙により、「天政会」は大幅に議席を減らし、わずか8議席の獲得にしか至らなかった。
     一方、王国側は73議席と大幅増。そして突如現れた白猫党が、残る69議席を獲得した。



    「ばんざーい!」「ばんざーい!」
     選挙後、ホテルでは祝勝会が催された。
    「みんな、本当にお疲れ様! これで『第一段階』完了よ!」
    「おつかれさまです!」「おつかれさまです!」
     シエナが壇上に立ち、皆を労っている。
     それを傍から眺める形で、マークは一人、ぼんやりと突っ立っていた。
    (まさか……、としか思って無かったけど、まさか本当に、半数近くも議席を獲得してしまうだなんて。
     でも、流石に過半数なんて無理だったみたいだな。多分今回初めて投票に来た人たちだって、そこまで白猫党を信じ切れなかったんだろう。
    『天政会』も白猫党も外国人であることに変わりはないし、それよりも――ずっと日陰者だったにせよ――国内の人間に任せたいと思うだろうし、それが王国側の議席増にもつながったんだろうな。
     とは言え、王国側と手を組めば、確実に『天政会』を王国から追い出すことができるはずだ。多分、明日にでもその話が出るだろう)
     マークの予想通り、大量の議席を得た白猫党は、翌日から動き出した。

    白猫夢・堕天抄 4

    2014.01.31.[Edit]
    麒麟を巡る話、第320話。大勝利。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ヘブン王国の主権、即ちその国のトップは、「王国」の名の通り、国王である。 しかし王国が「天政会」に下って以降、国王および配下の人間には事実上、政治権力が与えられていなかった。「天政会」から人員が送られ、政権を掌握されていたのだ。 とは言え、ここでも「天政会」は自らの責任を問われないよう、逃げ道を用意していた。それが「議会」...

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    麒麟を巡る話、第321話。
    悪法の成立。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     議席の内容が一新されてすぐに会議が開かれることになり、第一議会は騒然としていた。
    「いや、まさか私なんかが議席を得られるとは、思ってもみませんでした」
    「いやいや、あの目障りな坊主共が割り込んでさえいなければ、こうなって当然でしょう」
     議会の席から「天政会」筋の人間が一掃され、開会前の時点で既に、「天政会」排斥の雰囲気が漂っていた。
     そして同時に――。
    「しかし不気味なのは、あの白猫党だ」
    「確かに。突然現れるなり、なんと69議席も手中に収めるとは」
     王国側の議員たちにとっては、白猫党もまた、軽視できない存在であった。
    「わしには不安でならんよ……。『天政会』がそのまま白猫党に代わっただけではないか、とな」
    「何としてでも、この機会に我々の復権を成さねばなりませんな」

     会議が始められ、すぐさま白猫党が議題を挙げた。
    「我々は貴国の政治的安定を確立すべく、以下の法案を提言いたします。
     まず、当議会のシステムについて確認いたしますが、前期まで事実上、当議会において多数派となっている派閥が舵取りを行い、それに則って執政を行っていたと、我々は認識しております。
     この認識に間違いはございますか?」
     党側の問いに、王国側の代表が応じる。
    「その認識に、事実と異なる点は無いものと思われます」
    「ご回答ありがとうございます。
     しかしこれを容認する法律は定められていません。これは当議会における理念、貴国の安寧秩序の向上および維持と言う目標・目的に照らし合わせますと、この状態・状況を甚だ不安定にさせている要素、重大な原因ではないかと、我々は憂慮しております。
     つきましてはこの権利・権限を明文化し、確固たる法として示すべきではないかと、我々は当議会に検討をお願いしたく存じます」
    「……っ」
     この提言に慌てたのは、わずかに残った「天政会」の議員たちである。これが通れば、彼らの発言権は完全に封殺されるからである。
    「反対します!」
    「理由をどうぞ」
    「1つの派閥に権力を集中させることは、議会の存在をないがしろにするものであり、それは従来の王政と何ら変わりません! 議会と言うものの存在を鑑みれば、そのような法を制定すべきではありません!」
    「しかし前期まで、多数派であるあなた方が議会の主導権を担っていたのは事実です。その事実を明文化し、あなた方の行為の正当性を認めようと、我々は述べているつもりです。
     これを否定されるのであれば、あなた方はこの20年間における、王国での行為の一切を自ら否定することとなります」
    「詭弁だ!」
    「詭弁かどうかはともかく、この法案を否決するのであれば、あなた方がこれまで当議会において行ってきた行為は、法的根拠・制約の無いものであったことを認めることとなります」
     あからさまに「天政会」を糾弾する白猫党の動きに、王国側も同じ始めた。
    「そ……、そうだそうだ!」
    「今まであんたたちがやってきたことだ!」
    「今までしてきたことを無かったことにはさせんぞ!」
     議会は一瞬、騒然としかけたが――。
    「静粛にお願いします」
    「あ、……うむ」
     終始冷静な姿勢を見せた白猫党の対応により、場はあっさりと静まる。
     結局、王国側と白猫党によって賛成多数となり、白猫党が提言したこの法案――議会内の多数派派閥が議会における最高権力を持つことを明文化した「議会与党委任法」は可決され、その日のうちに発効となった。



     議会での経緯を夕刊の新聞で知ったマークは、さらに不安を覚えた。
    (何て言うか……、確かにこの法案によって、晴れて王国側の人たちが合法的に参政できるようにはなったわけだけど、『天政会』から報復を受ける可能性を忘れてるんじゃないだろうか……?
     いや、それよりも、……どうして白猫党は自分たちに利益の出ない、こんな法案を通したのか、すごく気になる。元々は『議席の過半数を』って言ってたんだから、この国で権力を手に入れようとしていたのは明白だ。
     考えられることとしては……、これから王国の人たちに取り入って、連立的に政権を、……とか?)
     新聞を眺めながら、ロビーのソファにもたれかかった、その時だった。

    「違うよ」

    白猫夢・堕天抄 5

    2014.02.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第321話。悪法の成立。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 議席の内容が一新されてすぐに会議が開かれることになり、第一議会は騒然としていた。「いや、まさか私なんかが議席を得られるとは、思ってもみませんでした」「いやいや、あの目障りな坊主共が割り込んでさえいなければ、こうなって当然でしょう」 議会の席から「天政会」筋の人間が一掃され、開会前の時点で既に、「天政会」排斥の雰囲気が漂...

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    麒麟を巡る話、第322話。
    堕天の夜。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「ひゃっ!?」
     ソファの裏側から聞こえてきたその声に、マークは飛び上がりそうになった。
    「……あ、え?」
    「マークくんの予想、違うよ」
     眠たげなその声は、確かにマークが昔、天狐ゼミで聞いたことのある、あの少女のものだった。
    「ち、違うって?」
     しかしマークには、彼女が突然現れたことよりも、口に出していなかった自分の考えを否定されたことの方が、気になった。
    「マークくん」
     しかし、声はマークの問いに応じない。
    「今夜からしばらく、このホテルから出ないでね。ううん、ロビーにもいない方がいい。部屋に戻ってて」
    「え?」
    「今日の夜は長くなるよ。そして、とっても危険になる。うっかり外に出たらきっと」
     そして眠たげなその声は、恐ろしいことを告げた。
    「殺されるよ」
    「なっ……」
    「それが嫌なら、絶対に外に出ないで。窓も開けちゃダメだよ」
    「ちょ、ちょっと、……っ」
     マークは新聞を放り投げ、慌ててソファの背後に目をやる。
     しかし既に、そこには誰もいなかった。



     議会の閉会後、屋敷に戻った王国の要人たちは、いずれも明日から訪れるであろう多忙の日々を思い、嬉しそうに笑いながら晩餐の席に着いていた。
     と、そのうちの一人の家で――使用人が顔を真っ蒼にし、主の元にやって来る。
    「だ、旦那様……」
    「うん?」
    「そ、その、お客様、……がお見えです」
    「どうした? そんなに震えて……」
    「……」
     使用人の様子に首をかしげている間に、廊下の奥からバタバタと、人が大勢詰めかけてくる音が響いて来た。
    「な、なんだ?」
    「夜分遅くに失礼いたします、子爵閣下」
     現れたのは、白猫党の党章を付けたスーツ姿の男と、武装した党員十数名だった。
    「な、なんだね君たちは!?」
    「本日の会議、お疲れ様でした。我々の提言した法案に対して賛成票を投じていただき、誠に感謝いたします。
     なお別件ですが、第一議会の議席構成について、本日、以下の変遷があったことをお伝えします」
     そう前置きし、男はこう続けた。
    「本日、サントス・マルコ伯爵以下16名の第一議会議員が、我が白猫党に入党いたしました。
     これにより、我が党の議席数は69から85となり、本日を以て我が党が第一議会の最大派閥、即ち与党となりました」
    「は……?」
     状況が呑み込めないらしく、子爵は唖然としている。
    「また、貴国の安寧秩序の向上と維持を私たちなりに真剣に検討しておりましたが、まずは議会の構造から是正すべきではないかとの案が出ました。
     現在の議席数では政治的判断を行うに当たり、意見調整に時間がかかり過ぎるのではないかと言う意見があり、私たちはこれを鑑みた結果、議席数の削減を行うことにいたしました」
    「つまり……、どう言うことだ」
    「議席数を現在の150から、85にいたします」
    「なっ……!? 85とはつまり、あなた方の議席数で全てではないか!」
    「ええ。その数であれば円滑な運営ができるだろうと、政務対策本部が偶然にもそう結論付けました。
     ですので閣下」
     男は右手を挙げて党員に指示しつつ、子爵にこう告げた。
    「本日付で議員の職を辞していただくよう、勧告申し上げます」
    「ばっ、馬鹿な! わしは昨日やっと……」
    「残念ですが拒否権はございません。これは議会与党委任法に則った、『法律上』至極正当な命令です。
     議員である以上、いいえ、この国の民である以上、従っていただきます」
     党員は武器を子爵に向ける。
     子爵はしばらくうなっていたが――結局、うなずくしかなかった。

     白猫党はこの夜のうちに各地の議員宅を回り、同様の勧告を突き付け、そしてその全員から承諾を得た。
     勿論中には法案を反故にすべく、軍や国王に働きかけようとする者もいたが――。
    「う……っ」
     国王が住む城にも、軍本営にも、白猫党の私兵が陣取っている。
     そしてその前面に立つ党員たちが、口々にこう宣言していた。
    「議会与党委任法により、当国における国王の政治的権限を停止する! 並びに同法により、当国における全軍に対し、待機を命ずる!」
    「ふ、ふざけるなッ!」
     軍に手を回そうとした者の一人が、たまらず本営の前に飛び出した。
    「こんな余所者共の言いなりになるのか、お前ら!」
    「なりますとも」
     党員が代わりに、こう答えた。
    「軍の将軍・幹部らも、大半が既に、我が党に入党していますからね」



     ヘブン王国は選挙からわずか2日で、白猫党の支配下に収まることとなった。

    白猫夢・堕天抄 終

    白猫夢・堕天抄 6

    2014.02.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第322話。堕天の夜。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「ひゃっ!?」 ソファの裏側から聞こえてきたその声に、マークは飛び上がりそうになった。「……あ、え?」「マークくんの予想、違うよ」 眠たげなその声は、確かにマークが昔、天狐ゼミで聞いたことのある、あの少女のものだった。「ち、違うって?」 しかしマークには、彼女が突然現れたことよりも、口に出していなかった自分の考えを否定された...

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    麒麟を巡る話、第323話。
    夜が明けて。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ガラスや床板の割れる音、扉を蹴る音、怒鳴り声――その度に銃声が数度響き渡り、そして静寂が訪れる。
    「ひ……い……」
     喧騒に怯み、窓を閉めるが、騒ぎはなお聞こえてくる。
    (怖い……怖い、怖い……!)
     マークは怯えていた。自分が投宿し、白猫党が本拠地にしていたホテルに、暴徒が幾度となく押しかけてきていたためである。
     白猫党による政権奪取と同時に独裁状態となった後、議会を追われた貴族や白猫党に招かれなかった軍幹部、そして国王に信頼を寄せる市民などが団結し、実力行使で彼らを排除しようとした。
     しかし白猫党も、自前の私兵――彼らは「党防衛隊」と呼んでいる――に加え、王国軍幹部らの大半を党員にしたことで事実上、王国軍を傘下に収めている。
     白猫党に襲い掛かった暴徒たちは、党防衛隊と王国軍が合わさったこの大軍にことごとく返り討ちにされ、その結果、この2日でホテル周辺は修羅場と化していた。
    (もう勘弁してくれ……! こんな狂乱が、いつまで続くって言うんだ!?)
     マークは頭から布団を被り、ベッドの中で震えていた。

     ホテルの2階から下には党防衛隊が配備され、ホテルに押し入った暴徒たちを次々に射殺していた。
    「『預言者』によれば、今日が襲撃のピークよ。今日を凌げば、この騒ぎは鎮静化に向かうわ。みんな、油断しないで!」
    「はい、総裁!」
     党首シエナの応援を受け、党員たちの士気が上がる。
    「まとめてかかって来い!」
    「全員蜂の巣にしてやる!」
     拳銃や小銃だけでは無く、最新鋭の重機関銃までも持ち出し、党員たちはホテルの床をさらに、赤く染め上げていった。
     と――その様子を確認したところで、シエナは同じように横で状況を見守っていた幹部たちに、静かに手招きする。
    「『預言者』から啓示があったわ。作戦会議よ」
    「かしこまりました、総裁」
     シエナたちは4階に上がり、会議室として使っている部屋へ向かった。
    「みんないるわね?」
     幹部全員が揃っていることを確認し、シエナは席に着く。
    「それじゃ、今回の啓示について説明と指示を行うわね。
     第1に、アタシたちが議会から追い出した『天政会』側の議員について。
    『預言』では彼らは今後、天帝教直轄領、マーソルへ帰還した後に態勢を整え、『天政会』配下国を通じて威圧、および政権奪還を試みるそうよ。
     この『預言』を実現させないよう、早急に元議員たちを排除すること」
    「了解しました」
    「第2に、現在の戦闘状況について。
     アタシたちが政権奪取してから既に2日が経過し、襲撃も下火になり始めてる。もう一両日中には鎮静化するでしょうね。『預言者』もそう言ってたわ。
     それを受けて、現在拘束中の王族から、自分たちの身柄解放および統治権についての話し合いの場を設けるよう、打診されるそうよ。
     勿論コレに関しては、全面的にノーを突きつけるように。彼らの統治能力に任せては、王国は10年と持たないわ。『預言者』もコレは断言してる。
     百歩譲って身柄を解放、軟禁状態に移すのはいいとしても、彼らには一切、政治に関わらせないように手を回してちょうだい」
    「承りました」
    「第3、現在このホテルにて保護および監視しているマーク・トラス殿下について。
     今のところは外の状況に怯え、部屋に閉じこもってるみたいだけど、『預言者』によれば明日、逃亡を試みるそうよ。
     今後の『新央北』側との政治的交渉を行う上で、彼はかなり重要な『カード』になる。ココで手放すわけには行かないわ。
     監視の目を増やして、逃げ出さないよう見張ってて」
    「分かりました」
    「それから、……ああ、まあ、コレはいいわ」
     シエナは4つ目の啓示については言わず、会議を締めた。
    「これからの2日間が、我々がこの央北全土を掌握できるかどうかの分かれ目になるわ。
     みんな、まだまだ気を抜けない局面は続くけど、頑張ってちょうだい」

    白猫夢・逃狼抄 1

    2014.02.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第323話。夜が明けて。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ガラスや床板の割れる音、扉を蹴る音、怒鳴り声――その度に銃声が数度響き渡り、そして静寂が訪れる。「ひ……い……」 喧騒に怯み、窓を閉めるが、騒ぎはなお聞こえてくる。(怖い……怖い、怖い……!) マークは怯えていた。自分が投宿し、白猫党が本拠地にしていたホテルに、暴徒が幾度となく押しかけてきていたためである。 白猫党による政権奪取...

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    麒麟を巡る話、第324話。
    ジャミング。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     白猫党により政治権力を奪われた「天政会」の僧侶たちは、独裁状態に移行したその日、本拠地へ「魔術頭巾」による通信を試み、指示を仰ごうとした。
    「と言うわけでして、早急にご指示をいただきたく……」
    《なるほど。確かに由々しき事態です。
     ともかく聞く限りでは、王国は早晩、内戦が勃発してもおかしくない状況になるでしょう。密かに王国を脱出し、本国へ帰還してください、……とのことです》
    「え? もうご指示が出ているのですか……?」
     早い対応に、僧侶たちは驚く。
    《あ、いや……、白猫党なる者たちのことは、我々も聞き及んでいます。これくらいのことはやってのけるだろうと、予想は付いていました。
     そこで万が一このような事態が起こった場合について、議長はあらかじめ、対策を検討されていらっしゃいました》
    「なるほど……。では今後についても、対策を?」
    《ええ。それを詳しく協議するため、皆さんには早急に戻ってきてほしい、とも仰られています》
    「分かりました。では、すぐに」
    《ええ。お待ちしています》



    「頭巾」で受けた指示により、僧侶たち105名はヘブン王国を密かに抜け、馬車を使って天帝教の本拠地であるマーソルへと向かった。
    「しかし、一時はどうなることかと……」
    「うむ、全くだ」
    「だが議長の慧眼には流石と言う他無いな」
    「ああ。まさかこんな大変な事態を予測していらっしゃったとは」
    「……でも、腑に落ちないところはありますね」
     若い僧侶の言葉に、周囲が怪訝な顔を並べる。
    「と言うと?」
    「あらかじめ予測できていたなら、もっと早い段階で手を打てたのではないか、と。
     例えば白猫党を入国させないようにし、選挙にすら参加させないよう手配しておくとか」
    「……ふーむ」
    「言われてみれば」
    「それに『頭巾』で通信した際も、応答していた方がいつもと違っていたような……」
    「そう、……だったか?」
    「杞憂であればいいのですが……、何か胸騒ぎがするのです」
    「確かに……」
     この意見を受け、皆が妙な不安を覚えた。

     そしてその直後、不安は――彼らにとっては最も予想外であり、かつ、最も起こってほしくない形で――現実のものとなった。
    「……!?」
     前を行く馬車が突然、爆発・炎上する。
    「なっ……」
     前方を塞がれ、一行が立ち往生したところで、最後尾の馬車も燃え上がる。
    「何だ、これは!?」
     慌てて馬車の外に出た彼らは、瞬時に血まみれになった。
    「……!」
     まだ馬車の中に残っていた者たちが、恐る恐る外の様子を確かめる。
    「あれは……」
    「まさか、……白猫党」
     逃げ道を完全に塞がれた彼らを囲むように、猫を模した銀製のバッジを付けた、スーツ姿の者たちが、軽機関銃を手に続々と現れた。



    「閣下。党防衛隊内突撃隊からの報告がありました。『天政会』側の元議員105名、全員を射殺したとのことです」
     党員からの報告を受け、シエナはニヤ、と笑った。
    「そう。……うふふ」
     シエナは自分の机から、ごそ……、と「頭巾」を取り出した。
    「うまく行ったみたいね」
    「ええ。流石でございます。
     閣下お手製の通信傍受・妨害用魔術――最早、『魔術頭巾』などと言うものは、あと数年で過去の遺物となるでしょうね」
    「あら、『頭巾』だけじゃないわよ」
     シエナは党員に、「頭巾」をぴらぴらと振って見せた。
    「アタシが天狐ゼミ時代に開発したこの魔術を応用すれば、次世代技術の電信・電話だって思いのままに操れるわ。そうなればもう、アタシたち以外の誰も、情報をまともに受け取れも、送れもしなくなる。
     みんな大混乱するわ。アタシたち以外の、世界中のみんなが。そしてソレこそが、我が白猫党の世界的大勝利――『新・世界平定』につながるのよ」
     シエナは心底愉快そうに、クスクスと笑っていた。

    白猫夢・逃狼抄 2

    2014.02.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第324話。ジャミング。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 白猫党により政治権力を奪われた「天政会」の僧侶たちは、独裁状態に移行したその日、本拠地へ「魔術頭巾」による通信を試み、指示を仰ごうとした。「と言うわけでして、早急にご指示をいただきたく……」《なるほど。確かに由々しき事態です。 ともかく聞く限りでは、王国は早晩、内戦が勃発してもおかしくない状況になるでしょう。密かに王国を...

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    麒麟を巡る話、第325話。
    党からの逃亡。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     市街戦の勃発から3日が経過し――「預言者」による啓示の通りに――あれだけ激しかった襲撃は、急に鎮まり始めていた。
    「分かり切ってるコトだけど、あえて分析するとすれば、コレは恐らく、相手側の人員の疲弊・死傷、それと物資の不足が原因ね。
     平たく言えば、相手はもう戦える状態じゃないのよ」
    「元々が市民や貴族、そして除け者にされた末端将校の集まりですからね。我々の装備と陣容をもってすれば、3日や4日防衛することなど、たやすいことです」
     この日も幹部による会議が開かれ、シエナが今後の対応について指示を送った。
    「と言うワケだから、マラガは残存勢力の掃討を。アローサもソレに同行し、残存勢力の中で、我が党に恭順する意思を示した者については武装を解除して連行した上で、然るべき地位もしくは処分を与えるコト」
    「了解であります」
    「分かりました」
     党防衛隊隊長のエンリケ・マラガと、党員管理部長のミリアム・アローサは同時にシエナへ敬礼し、会議の場を後にしようとした。
    「あ、マラガ」
     と、それをシエナが呼び止める。
    「はい」
    「トラス殿下はどうしてる?」
    「政権奪取から以後、ずっと寝室内に籠っているとの報告を受けております。いやはや、風雲児と称されたあのトラス王の子息にしてはいささか、臆病者であると……」「マラガ」
     シエナはマラガをにらみ、発言をたしなめた。
    「彼は人質である前に、アタシの友人よ。それを忘れないでちょうだい」
    「……失礼いたしました」



     2時間後――シエナの命令に従い、党防衛隊と党員管理部の者たちが、ホテルを出た。
    (あれ……?)
     この時、静かになった外を恐る恐る眺めていたマークは、この一行を目にし、彼らの身に何も起こらないことをいぶかしんでいた。
    (白猫党の徽章や腕章を付けて、あんなに堂々と歩いてるのに、襲撃を受けるどころか、誰も寄ってすら来ないなんて……?
     いや、そもそもつい昨日まで、あれほど銃弾が飛び交っていたのに、今日はまだ、一発も銃声が聞こえない。
     もしかして、国民側はもう、襲撃を諦めたんだろうか? ……だとしたら)
     マークは音を立てないよう、こそこそと荷物をまとめ、窓を覆うカーテンを裂き、長いロープを作った。
    (多分、この状況になっても、僕が平然と外に出ることはできないだろう。2階から降りようものなら、即座に止められる。『まだ安全が確認できない』とか何とか言われて。
     だって、明らかだもの。白猫党が僕を拘束しようとしているのは、間違い無い。でなければ、あんなに執拗に手紙を送ってきたり、半ば強制的にホテルに泊めたりなんてしない。
     党は恐らく、父上の言っていた通り、僕を党に引き込むか、さもなくば今後『新央北』へ攻め入る際の足がかりにしようとしているか、そう言う類の意図を持っているんだ。
     それは父上同様、決して容認・看過できない話だ。この街の惨状を見れば、そうとしか判断できない。もしこのまま僕が白猫党に取り込まれるようなことがあれば、いつかはトラス王国が、この国と同じ目に遭う。
     逃げよう。このままこのホテルに留まっていたらいずれ、党に入れられることになる。
     ……アオイさんと、ちゃんと話ができなかったのは残念だけど、睡眠発作症を患っているって話だったし、こっちから話をしようとしても、多分できないだろう。未練は無いな)
     かばんを背中に括りつけ、マークはもう一度、窓の外を確認する。
    (人の姿は無い。今なら脱出できるかも)
     マークはベッドにカーテンの一端を巻きつけ、もう一端を窓の外に垂らして、それを掴んで窓の外に出た。

     この時、マークの体重は51キロであり、16歳・164センチの少年としては、少々軽めと言える。
     しかしこれにかばんの重さ2キロ半を足した総重量は、カーテンで作った間に合わせのロープには到底、耐えられるものではなかった。
    「……えっ」
     3階から2階部分へと下った辺りで、びり……、と布が裂ける音が聞こえてきた。
    「ちょ、ちょっ、まっ」
     待って、と言う間もなく――カーテンは無常にも千切れ、マークを空中へ放り出した。
    「うわっ、わっ、わああああー……ッ!」

    白猫夢・逃狼抄 3

    2014.02.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第325話。党からの逃亡。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 市街戦の勃発から3日が経過し――「預言者」による啓示の通りに――あれだけ激しかった襲撃は、急に鎮まり始めていた。「分かり切ってるコトだけど、あえて分析するとすれば、コレは恐らく、相手側の人員の疲弊・死傷、それと物資の不足が原因ね。 平たく言えば、相手はもう戦える状態じゃないのよ」「元々が市民や貴族、そして除け者にされた末...

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    麒麟を巡る話、第326話。
    救出者の登場。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     落ちていくその瞬間、マークの脳裏に様々な記憶が蘇ってくる。
     幼い頃から見てきた、ひょうきんな父の顔。あまり感情を表さず、常に薄く笑っていた、母の半顔。
     8歳の頃、怪我をした自分に治療術をかけてくれた、母――いや、母に似ているが――。
    (……あれ?)
     地面へ激突するかと言うその刹那、マークの脳内は記憶の彼方に一瞬浮かんだ、その猫獣人のことで一杯になった。
    (誰だっけ……? 母上に、似ている。でも母上じゃない。
     だって、顔が全部ある。そうだ、僕はあの人の顔を見て、きっと母上が顔をすべて取り戻したら、こんな凛々しい顔になるだろうって、そう思ったんだ。
     だから僕は、再生医療術の道を志した。きっと母の顔を、あの人のように、してみせるって、だから、アオイさんの、でも、今、ダメ、会えない、逃げ、……落ちる……ッ)
     マークの眼前に、血と硝煙で汚れた地面が迫ってきた。

     が――あと1メートルで衝突するかと言うところで、がくん、と体に衝撃が走った。
    「うげ……っ、……え?」
     自分の代わりにかばんが落ち、中身が地面にぶち撒けられる。
    「……な、なに? なんで?」
    「マーク、君がこんな無茶をするなんて思ってなかった。ゼミにいたあの時は」
     上から声が聞こえてくる。
     マークが顔を上げると、そこには淡い水色の髪の、長耳の少年が浮かんでいた。
    「……フィオ、くん? フィオリーノ・ギアト?」
    「そうだよ、フィオだ。……重たいから下ろすよ」
    「あ、う、うん」
     ゆっくりと着地し、マークは角がへこんだかばんを手に取りながら、まだ空中に浮いたままのフィオに尋ねた。
     フィオが浮いているのは魔術によるものかと思ったが、よく見れば彼の腰からホテルの屋上にかけて、鋼線が伸びている。
     どうやら屋上から飛び降り、落下しかけたマークをつかんでくれたらしい。
    「助けてくれたの?」
    「この行為を助けるって、君は言わないのか?」
    「いや、言うよ。ありがとう、フィオくん。でも今、僕は疑心暗鬼なんだ」
     マークがかばんの中身を拾い集めたところで、フィオも腰の鋼線を外し、着地する。
    「僕が白猫党の一員かも、ってこと? それなら答えはノーだ。僕は純粋に、君を助けるためにここに来たんだ」
    「助けに?」
     マークはその返答に、腑に落ちないものを感じた。
    「どう言うこと? 僕がここに閉じ込められてたこと、知ってたの?」
    「それは後で説明するよ。君の落としたかばんの音で多分、党員は君が逃げたことに気付く。囲まれる前に逃げよう」
    「あ、……そうだね、うん」
     マークは留め金が壊れたかばんを抱え、フィオとともに、その場から走り去った。



     王国首都、クロスセントラルから離れ、郊外の森林地帯に到達したところで、二人は立ち止まった。
    「はぁ、はぁ……。ここまで来れば多分、安全だろう」
    「ぜぇ、ぜぇ……、ねえ、フィオくん」
     マークは気になっていたことを、フィオに尋ねる。
    「さっきの話だけど、どうして僕があそこにいると知ってたのさ? 僕のことを監視したり、尾行したりしていた、ってこと?」
    「いや」
     と、フィオは大きく首を振り、否定した。
    「君がここに来ることは知っていたんだ。そして『僕の知識』では、君は今日死んでいたはずなんだ」
    「え?」
    「それが『元々の流れ』なんだ」
    「どう言うこと?」
     尋ねられたフィオは一瞬困った顔をしたが、やがて意を決したように、語り始めた。
    「まず、僕がこれからする話はすべて本当だと言うことを、分かってほしい。嘘はひとつも無い。
     僕の母は、とてつもない魔術を発明したんだ。それは時間の跳躍――究極の魔術だ。だけどそれは、単純な学術的興味や、ファンタジックな妄想から作られたんじゃない。必要に迫られて作り上げたものなんだ。
     過去に誰かを送り込む。そう言う必要があったから。そして送られたのは、僕だった」
    「えっ……?」
     突拍子も無い話に、マークは言葉を失う。
    「僕の母がそんな魔術を作り上げたのは、僕が元いた世界が、壊滅的被害を受けていたからだ。
     そう、アオイ・ハーミットによって」
    「アオイさんによって? アオイさんが、何をしたと?」
     マークの言葉に、フィオは表情を暗くする。
    「白猫党だよ。彼らはアオイの指示の下、この中央大陸各地で戦争を繰り広げた。まずはこの央北全土を掌握し、続いて央中を攻め、果てには西方や央南にも戦火を広げた。
     僕らの時代では、その大戦禍を『世界大戦』と呼んでいる。まさに世界的な戦争だった。そしてその戦争は、結果的には白猫党の勝利で終わる。でもあまりにも被害が大きすぎたために、白猫党はその責任を巡って内部分裂を起こし、彼らも自壊する。
     後に残ったのはアオイただ一人だ。彼女はその荒廃した世界において、女王として君臨するのさ」
    「そんな……」
    「嘘じゃないと言ったはずだ」
     フィオは自分の持っていたかばんから、何枚かの写真を取り出した。
    「……っ」
     フィオから手渡されたその写真には、今より大分年を取った葵が、どこかの玉座に座っている様子が写されていた。
     だが――その背後にもう一人、銀髪の猫獣人が立っている。写真の中の、葵のうつろな顔とあいまって、それはまるで、その「猫」が彼女を操っているようにも見えた。

    白猫夢・逃狼抄 4

    2014.02.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第326話。救出者の登場。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 落ちていくその瞬間、マークの脳裏に様々な記憶が蘇ってくる。 幼い頃から見てきた、ひょうきんな父の顔。あまり感情を表さず、常に薄く笑っていた、母の半顔。 8歳の頃、怪我をした自分に治療術をかけてくれた、母――いや、母に似ているが――。(……あれ?) 地面へ激突するかと言うその刹那、マークの脳内は記憶の彼方に一瞬浮かんだ、その...

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    麒麟を巡る話、第327話。
    央北征服計画。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「未来――いや、もう変化は起こってるから、『元の世界』とでも言った方が適切なのかな」
     マークは写真をフィオに返し、話の続きを聞くことにした。
    「まず、今日。双月歴566年3月3日、午後。
     君、マーク・トラスはあのホテルから転落し、即死した。しかしその事実は白猫党によって隠され、君は白猫党党員に仕立て上げられる。その『影武者』に言われるがままトラス王国は操作され、最終的に『新央北』の勢力圏はそっくり、白猫党のものになる。
     一方で今回のクーデターによりヘブン王国は陥落し、王国を牛耳っていた『天政会』議員も全員、暗殺されている。
     これについては、君の場合とは逆に、大々的に公表されることになる」
    「え……、どうして?」
    「公表された方が、『天政会』にとっては結局、都合が悪いからさ。
     105名もの犠牲者を出した以上、通常の国家であれば何らかの報復を行うことになる。しかし『天政会』にはそれができない。『天政会』自体には軍事組織が無いから、報復するとなれば傘下にある国から、軍を引っ張ってこなきゃならない。
     しかしそれをすれば、その国に対して『借り』を作ることになるし、報復行動中は軍部の意見を大なり小なり聞き入れる必要も生じる。それは『天政会』にとって、傘下国に対する大きな弱み、隙を作ることになる。それ故に、絶対的上位に立ちたがる『天政会』は報復策を取りたがらないんだ。
     でも、かと言って百を超える人的被害、一国を失う政治的被害を被っておいて何もしない、動かないなんて言うんじゃ、それこそ体制維持に関わる。傘下国からも不興を買うだろうし、何かしら行動を起こさなきゃいけない。
     その焦り、ジレンマで身動きできなくなっているところを、白猫党は密かに襲撃する。その結果、『天政会』は瓦解する。
     そして関係を解消した各国は順次、白猫党の傘下に収められていくことになり……」
    「『新央北』と『天政会』の両陣営の掌握――それが央北全土の、征服」
    「そう言うことさ。
     だけどもう、その未来は訪れない。何故なら君が、生きているからだ」
    「僕が……?」
    「君が生きている以上、白猫党が君を騙ってトラス王を操ることはできないからさ。
     それどころか、君がトラス王国に戻り、ヘブン王国の惨状をトラス王に伝えれば、トラス王はきっと白猫党を『新央北』圏内に入れさせないよう、全力で対策を講じるはずだ。彼の政治力を以ってすれば、それは容易だろう」
    「うん、確かに。父上なら、やろうと思えばやってくれるはずだ」
    「と言うわけで」
     フィオは立ち上がり、マークに手を差し伸べた。
    「次は君を、故郷に送る。そしてこの現状を伝えて欲しい。
     彼らの計画は、決して実現させてはいけないんだ。そのために僕は、未来から送り込まれたんだ」
    「……分かった。
     息も大分整ってきたし、そろそろ行こう」

     フィオを先頭にし、マークがそれに付いていく形で、二人は森を進む。
    「フィオくん、……は」
    「ん?」
     その途中、マークがぽつぽつと尋ねる。
    「未来人なんだよね?」
    「そうだ」
    「どれくらい未来から?」
    「さっき、アオイの写真を見たろ?」
    「うん。30歳くらい……、に見えた」
    「それくらい先ってことさ」
     それを受けて、マークはゼミ時代の記憶をたどる。
    「今、……確かアオイさんは、19歳だったから」
    「そうだ。もっともあの写真の時代のアオイは、魔術で肉体年齢をある程度いじってるだろうけど、だからってそんなに遠い話じゃない。
     大体、僕が生まれたのが……」
     と、ここでフィオが立ち止まる。
    「……マーク。僕には色々やらなきゃいけないことがあるし、だから当然、ここで死にたくは無い。
     でも万が一、僕が死ぬことがあったら、君が遺志を継いでくれ」
    「え?」
    「囲まれた。まずいかも知れない」
     その言葉と同時に、前後左右からガサガサと音を立て、軽機関銃を手にした党員たちが現れた。
    「よお、マーク。……それからそっちは、もしかしてフィオか?」
     と、その先頭に立つ形で、赤いメッシュが入った金髪の狐獣人が現れた。
    「君は……」
    「久しぶりやなぁ、1年ぶりくらいか?」
    「……っ」
     白猫党の党章を付けたその狐獣人――かつての同窓生、マロがニヤニヤと笑いながら、二人の前に立ちはだかった。

    白猫夢・逃狼抄 5

    2014.02.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第327話。央北征服計画。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「未来――いや、もう変化は起こってるから、『元の世界』とでも言った方が適切なのかな」 マークは写真をフィオに返し、話の続きを聞くことにした。「まず、今日。双月歴566年3月3日、午後。 君、マーク・トラスはあのホテルから転落し、即死した。しかしその事実は白猫党によって隠され、君は白猫党党員に仕立て上げられる。その『影武者...

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    麒麟を巡る話、第328話。
    党防衛隊の追撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「まさかマークだけやなくて、フィオにまで会うとは思てへんかったわ」
     マロはニヤニヤと暗い笑みを浮かべたまま、党員たちに無言で腕を振り、指示を送る。
    「マーク、お前を逃がすなっちゅう総裁閣下サマのご命令や。ホンマはこんなもん、党防衛隊の仕事やけど、お前と俺には色々しがらみがあるからな。
     俺は忘れてへんで。4年前、お前が俺を殺そうとしとったこと」
    「う……」
     一瞬、マークは後ずさろうとしたが、背後からも銃を突き付けられていることを思い出し、その場に留まる。
    「ホンマやったら拘束して、ホテルに連れ戻すところやねんけども、ちょっと『手違い』があってしもた、……っちゅうことにするわ。
     別に構へんからな、お前が生きてようと生きてまいと。お前がこっち来て、国に帰らへんっちゅう事実さえあればええねんし」
     そう前置きし、マロはす、と手を挙げる。
     それを受け、党員たちが銃を構えた。
    「させるものかッ!」
     次の瞬間、フィオは魔法陣の描かれた剣を取り出し、呪文を唱える。
    「凍れ、『バーストチリング』ッ!」
     呪文が発動すると同時に、マークの狼耳に、ひや……、とした風が当たった。
    「うっ……」「マーク、僕のそばに! そこにいると巻き添えを食う!」
     フィオが左手でぐい、とマークを抱き込みつつ、剣を持ったもう一方の手を掲げる。
    「なんや……?」
     マロはきょとんとしていたが、すぐに異変が起こっていることに気付く。
    「お、おい! 銃、なんや白くなっとるぞ!?」
    「え? ……うわっ!?」
     党員たちが手にしていた銃が、銃口から銃身にかけて凍りつき、びっしりと霜が付いていた。
    「う、撃て、撃てっ!」
     慌ててマロが命じるが、既に内部も凍りついているらしく、引き金を引いてもビクともしない。
    「う、撃てません!」
    「攻撃不能です!」
    「う、さ、寒、っ……」
     さらには党員数名が真っ蒼な顔でばたばたと倒れ、銃同様に凍りついていく。
    「くそ、……ふざけんなッ!」
     マロは倒れた党員から銃を奪い、火術を唱えて銃を温めようとした。
    「さっさと融けろや!」
    「あ」
     その様子を見ていたマークが、思わず声を漏らす。
    「マロ、ダメだ!」
    「知るかッ! そこでじっとしてろ、さっさと殺して……」
     マロが怒鳴り返していたその途中、ばごん、と鈍い音が轟いた。
    「うおわあッ!?」
     どうやら弾薬に熱が移り、腔発したらしい。
     マロは顔面から血を流し、その場に倒れた。
    「今だ! 逃げよう!」
     フィオはマークを抱えたまま、マロの横を抜け、その場から走り去った。
     それと同時にフィオの術が解け、周囲は元の気温に戻る。
    「にっ……、逃すな、逃すな……っ」
     マロは血まみれになった顔を覆ったまま、党員たちに命じる。
     復活した党員たちは銃を取り、フィオたちを追った。

     マークとフィオは、全速力で森の中を駆ける。
    「はぁっ、はぁっ、……」
    「止まったらダメだ、マーク! 止まったら撃ち殺されるぞ!」
    「わっ、分かってる、分かってるよっ!」
     既に党員たちから300メートル程度は離れたものの、背後からはぱぱぱ……、と軽機関銃の掃射音が響いてくる。
     その内の一発が、ちゅん、と音を立てて、マークのすぐ横にある木をえぐった。
    「うわっ……」
     それに気を取られ、マークの姿勢が崩れる。
    「マーク!」
     連鎖的に、フィオも気を取られる。
     次の瞬間――フィオの右肩から、血しぶきが上がった。
    「うっ、ぐ……」
     フィオが膝を付く。
    「ふぃ、フィオくん!」
    「ぼっ、僕に構うな! 行くんだ!」
     フィオは肩を押さえたまま、その場にうずくまった。
    「い、行けるもんか! 君を置いては……」
    「さっきも言ったはずだ! ここで君が死んだら、何にもならない! 行け! 行くんだ、マーク!」
    「……~ッ」
     マークはフィオの腕をつかみ、引き寄せた。
    「できない! 君を犠牲になんて!」
    「馬鹿っ……!」
     フィオは手を振りほどこうとしたが、マークはがっちりと掴んで離さない。
     そのうちに党員たちが追いつき、銃を構えて駆け込んできた。
    「撃てッ! 撃ち殺せッ!」
     マロの声が、その背後から聞こえてくる。
    「絶対許さへんぞ、コラ……! ぐっちゃぐちゃのミンチにしたるッ!」
    「……!」
     殺意をぶつけられ、マークはその場に立ち竦むしかなかった。

     その時だった。
    「やらせないわよ、そんなこと」
     マークの前に、とん、とんと軽い音を立てて、何者かが2人、降り立った。

    白猫夢・逃狼抄 6

    2014.02.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第328話。党防衛隊の追撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「まさかマークだけやなくて、フィオにまで会うとは思てへんかったわ」 マロはニヤニヤと暗い笑みを浮かべたまま、党員たちに無言で腕を振り、指示を送る。「マーク、お前を逃がすなっちゅう総裁閣下サマのご命令や。ホンマはこんなもん、党防衛隊の仕事やけど、お前と俺には色々しがらみがあるからな。 俺は忘れてへんで。4年前、お前が俺...

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    麒麟を巡る話、第329話。
    猫とドレス。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「え……?」
     目の前に現れたその猫獣人に、マークは既視感を覚えていた。
    「なんや、お前……! 自殺するんやったら他を当たれ! こっちゃ忙しいんじゃ、ボケ!」
     顔に布を当てたまま、マロが怒鳴る。
     しかし猫獣人の方は意に介する様子もなく、こう返した。
    「死ぬのはアンタよ。あたしを相手にすれば、だけど」
    「は……!?」
     マロは怒りに任せ、党員たちに命じる。
    「構うな、殺せッ!」
    「了解!」
     党員たちは軽機関銃を構え、猫獣人と、その横に立つ派手なドレスの女性に向けて発砲した。
     しかしその手前で、銃弾はことごとく弾かれる。
    「……チッ、『マジックシールド』か! けったいな術使いよって」
     弾丸が弾かれたのを見て、マロが怒鳴る。
    「やめ、やめっ! 撃つな撃つな! 今解呪したるから……」
     マロは顔に手を当てたまま、呪文を唱える。
     この時顔半分以上が布で覆われており、彼の視界は非常に狭くなっていた。それに加え、呪文に集中したこともあってか――猫獣人は彼のすぐ眼前にまで、やすやすと迫ることができた。
    「……えっ」
    「アンタ、間抜けね」
     猫獣人がそう言い放った次の瞬間、マロは3メートルは弾き飛ばされ、背後の木に叩きつけられていた。
    「ごっ、……」
     マロは木の根元にうずくまったまま、ピクリとも動かなくなる。どうやら気を失ったらしい。
    「こっ、このっ」
     残る党員らが軽機関銃を向けたが、猫獣人は依然、意に介した様子を見せない。
    「マーク。それから……、誰かしら」
    「……フィオだ。あなたは?」
    「あたしのことは後でいいわ。マークとフィオ、二人ともこっちに来なさい」
     言われるがまま、マークたちは猫獣人の方へ歩み寄る。
    「う、動くな! 動くと撃つぞ!」
     猫獣人に気圧されつつもなお、党員たちは銃を構える。
     それを見て、猫獣人ははーっ、と呆れ気味にため息をついた。
    「パラ。殺さない程度にはフッ飛ばしていいわ」
    「承知いたしました」
     猫獣人に命じられ、パラと呼ばれたドレスの女性はしゃなりとお辞儀を返し、ぼそ、と何かを唱えた。
    「うわあ……っ」「ぐえ……っ」
     突然、党員たちがほとんど真上に向かって飛んで行く。まるではるか上空から釣り上げられたかのように、次々と姿を消す。
     10秒もしないうちに、そこにはマークたちと猫獣人、そしてパラと、未だ気を失ったままのマロだけになった。
    「な、なにを……?」
     唖然としているマークの問いに、フィオが彼女たちの代わりに答えた。
    「高出力の風術だ。下から上に突き上げるように、吹き上げさせたんだろう」
    「ご明察で……」「パラ」
     恭しくお辞儀をしかけたパラを、猫獣人が咎めた。
    「もっと簡単でいいって言ったでしょ。誰に対しても慇懃なのは却って無礼よ」
    「失礼いたしました」
     パラは猫獣人にぺこ、と頭を下げ、マークたちにこう言い直した。
    「当たりです」
    「……ぷっ」
     妙に三文芝居じみたパラの挙動に、マークは思わず噴き出した。

     5分後――マロが目を覚ます頃には、既に彼らの姿は無かった。



    「つまり、取り逃がしたと言うわけか」
     さらに1時間後、マロは白猫党幹部から詰問を受けていた。
    「わざわざ財務対策本部長、即ち本来ならばこんな現場作業に携わる必要のない君が出張っておいて、そしてその結果、死者は出さないまでも部隊を全滅させた、と」
     中心的にマロを問いただしているのは党幹事長、エルナンド・イビーザである。
    「……間違いありまへん」
     党内の階級ではマロよりイビーザの方が高く、マロは叱られた犬のようにしょんぼりとしていた。
    「はっきり言おう。君は阿呆だ」
    「言葉もありまへん」
    「無い? 言ってもらわなければ困る。君の権限に無い行為をしてくれた上に、本来出るはずのない被害を出したのだから、それなりに言い繕ってもらわねば。
     でなければ即、除名だ」
    「いや、それは……」「イビーザ」
     と、党首シエナが口を挟む。
    「構わないわよ」
    「と仰いますと?」
    「釈明の必要は無い、ってコトよ。『預言者』から既に、こうなるコトは聞いていたもの」
    「へっ?」「何ですって?」
     シエナの言葉に、マロもイビーザも、目を丸くする。
    「閣下、何故それを我々に教えて下さらなかったのです?」
    「『預言者』からそう託ったからよ。『言っても未来が変わるわけじゃないし、この啓示を無視した分、マロの処分が重くなるだけだ』ってね。
     だから既にゴールドマン、あなたの処分は決定しています。あなたが行動を起こす前から」
    「と言うと……」
     かつての同窓生から乞うような目で見つめられたシエナは、軽いため息とともにこう返した。
    「給与3ヶ月分のカット。この分の給与は今回あなたの指示によって傷害を負った党員たちへ、特別手当として支給します」
    「う……、分かりました」
     苦い顔をするが、マロはそれ以上抗弁することも無く、その処分を受け入れた。

    白猫夢・逃狼抄 終

    白猫夢・逃狼抄 7

    2014.02.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第329話。猫とドレス。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「え……?」 目の前に現れたその猫獣人に、マークは既視感を覚えていた。「なんや、お前……! 自殺するんやったら他を当たれ! こっちゃ忙しいんじゃ、ボケ!」 顔に布を当てたまま、マロが怒鳴る。 しかし猫獣人の方は意に介する様子もなく、こう返した。「死ぬのはアンタよ。あたしを相手にすれば、だけど」「は……!?」 マロは怒りに任せ、...

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    麒麟を巡る話、第330話。
    フィオからの福音。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「馬鹿者め」
     マークは故郷、トラス王国に戻ってくるなり父、トラス王から叱咤された。
    「私があれほど、あんな正体の分からぬ有象無象と関わるなと言ったにもかかわらず、お前自らのこのこと敵陣奥深くへ入り込み、あまつさえ罠にかかるとは!
     これが馬鹿者でなくて何だ!」
    「申し訳ございません、父上」
    「……」
     深々と頭を下げ、謝ったマークに対し、トラス王はしばらく無言で睨みつけていたが、やがて顔をくしゃ、と崩し、心底悲しそうな顔をして見せた。
    「まったく、お前という奴は! どれだけこの半月、私たちが心配したと思っているのだ!
     いいか、今度からはちゃんと私や母さんと相談してから国外へ出るんだ。今度のようなことが起こってからでは遅いのだ。
     こう言うことが起こった上でなお、ここに戻って来られたと言うのは、奇跡以外の何物でもないのだからな」
    「はい……」
     叱責が一通り終わったところで、トラス王はずい、とマークに歩み寄った。
    「それでマーク。お前もただ、いたずらに危険へ身を投じに行ったわけではあるまい? 何か成果はあったのか?」
    「残念ながら、まったく。……いえ、ひとつだけ」
     マークは横に引き、自分の後ろに佇んでいたフィオを紹介した。
    「僕を助けてくれた旧友、フィオリーノ・ギアトと会いました。彼がいなければ僕は、2回は死んでいたでしょう」
     これを聞き、今度はトラス王が、フィオに向かって深々と頭を下げた。
    「うむ。ギアト君、息子を助けてくれて、本当にありがとう」
    「いえ、彼が生きていてくれなくては、今後の世界情勢が大きく変わりますから」
    「うん?」
     一転、きょとんとした顔をしたトラス王に、フィオはマークを交え、自分が未来から来た人間であることを説明した。
    「……なんと。いや、ううむ、……何と言えば良いか」
    「僕を胡散臭い人間とお考えであること、重々承知しております」
    「いやいや、息子を助けてくれた恩人だ。胡散臭いなどと思うものか。……まあ、多少は思ったのは確かであるが。
     いや、……そうだな、率直に言おう。容易には信じ難い話だ。何か信じるに足る証拠を提示して欲しいのだが」
    「……では」
     フィオはチラ、とマークを見、それからトラス王を見て、こんなことを言い始めた。
    「国王陛下。今年2月、20年ぶりに后妃陛下が見目麗しいお顔を取り戻されたこと、誠に心躍る出来事だったでしょう」
    「うん? まあ、うむ、確かにな」
    「その凛々しき美貌を久方ぶりに目にし、心燃えるものがあったのでは?」
    「……う、うむ? まあ、……まあ、な」
    「やはり」
     フィオはニヤッと笑い、トラス王に耳打ちした。
    「……なにっ!?」
     耳打ちされた途端、トラス王の狼耳がぴん、と直立した。
    「僕の知る限りでは4日後、后妃陛下から伝えられるはずです」
    「う、うむ。そ、そうであるか」
     トラス王は顔を真っ赤にし、ぼそ、と答えた。
    「父上? どうされたのです?」
     何が何だか分からず、マークは父に尋ねる。
     代わりにフィオが、こう返した。
    「君、妹がいたね」
    「うん。2人いるよ」
    「今年の暮れには3人になるよ。ちなみに君と妹2人は『狼』だったけど、今度の妹は『猫』だ」
    「……えっ?」
     これを聞き、マークは顔を赤くして、父に尋ねた。
    「本当に?」
     息子に尋ねられ、トラス王は顔を真っ赤にしたまま、しどろもどろに答えた。
    「ま、まだ分からん。だが、彼の言う通り、……まあ、……思い当たる節は、無くはないと言うか、その、まあ、うむ。
     まあ、なんだ、確かにそれがすべて事実であれば、君は本当に未来人なのだろう。そんなことを言い当てられるのは神か、未来を知る者だけだからな」

     フィオの予言通り――4日後、プレタ王妃が懐妊したことがトラス王に伝えられ、その日のうちに、トラス王はこれを公表。王国は歓喜の声に包まれた。
    「でもなんで、そんなこと知ってたの? 細かい日にちまで……」
     後日、マークからそう尋ねられ、フィオは笑いながら答えた。
    「今、トラス王が大喜びであっちこっちに公表してるだろ? 僕の元いた世界でも、同じ様に公表して回っていたんだ。
     ……ま、『こっちの世界』では、君が行方知れずになっていた時だからね。君の不在をごまかすために使われた話題だったし、それに比べたら、トラス王の喜び方も断然違うよ」

    白猫夢・帰郷抄 1

    2014.02.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第330話。フィオからの福音。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「馬鹿者め」 マークは故郷、トラス王国に戻ってくるなり父、トラス王から叱咤された。「私があれほど、あんな正体の分からぬ有象無象と関わるなと言ったにもかかわらず、お前自らのこのこと敵陣奥深くへ入り込み、あまつさえ罠にかかるとは! これが馬鹿者でなくて何だ!」「申し訳ございません、父上」「……」 深々と頭を下げ、謝ったマ...

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    麒麟を巡る話、第331話。
    放浪の魔術剣士。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     王室に起こった吉事に国中が喜ぶ中、マークとフィオは街の宿へ赴き、自分たちを助けてくれた猫獣人の旅人、ルナ・フラウスと、その同行者である長耳、パラの二人と会っていた。
    「改めて、助けていただいたこと、感謝します」
    「いいわよ、別に。アンタに感謝なんて、してもらう気は無いわ」
     マークたちをヘブン王国で助け、さらには『テレポート』まで使ってトラス王国まで運んでくれたルナたちだったが――マークから感謝の意を伝えられ、王宮に案内すると提案した途端、彼女はそれをすべて拒否したのである。
    「そんな……。ルナさんたちがいなかったら、僕たちは……」
    「あたしが好きでやったことよ」
    「どう言うことです?」
     ルナの返答に、マークは首を傾げる。
    「僕とフィオくんを助けたのは、単に親切心か何かでやったことだと?
     大変失礼な物言いであるのは承知ですが――ルナさんはあまり、何と言うか、そんなタイプには……」
    「失礼ね。でも確かにそうよ。そう言うタイプ。
     でもそれ以上に、あたしの気質は気紛れなの。たまには酔狂にも、か弱い子犬を助ける気になってた、ってことよ。
     ま、事実がどうだったとしても、結果的にはアンタたちが助かってるんだから、それでいいじゃない」
    「……まあ、そうですね」
     マークが黙ったところで、今度はフィオが口を開く。
    「質問がある」
    「なに? ヘンなこと聞かないでよ」
    「そちらの……、パラ、だっけ。その人……」
    「パラがどうしたの?」
    「……」
     ルナの横には、パラが無言で佇んでいる。
    「隠す様子が無いから率直に聞くけど、その人、人形だよね?」
    「え?」
     フィオの質問に、マークはぎょっとした。
    「人形だって? パラさんが?」
    「……」
     パラは何も答えず、依然、直立したままでいる。
    「フィオくん、いくらなんでも失礼じゃないか。人のことを人形だなんて」「いいえ」
     と、ルナが薄く笑みを浮かべながら答える。
    「そうよ、パラは人形。それもただの木偶なんかじゃないわ。自分で考えて自分で動く、自律人形よ」
    「仰る通りでございます」
     ぺこ、と大仰に頭を下げ、パラもそれに同じる。
    「やっぱり」
    「え? え?」
     話の展開が自分の常識を飛び越え、マークは呆然としている。
     その様子を見たルナが、クスクス笑いながら声をかけた。
    「マーク、ちょっとこっち、来なさい」
    「え? は、はい?」
     マークが素直にルナのそばに寄ったところで、ルナはパラに声をかけた。
    「パラ。上、脱いで。マークに観察させてあげなさい」
    「かしこまりました」
    「え、ちょ、ちょっ、ちょおっ!?」
     顔を真っ赤にしてうろたえるマークに構わず、パラはドレスの胸部分をはだけさせ、肌着だけになった上半身を見せた。
    「……!」
     その肌を見て、マークは絶句する。
     マークも自分の魔術研究を進めるにあたって、人体の構造や機能についても、相応に知識を蓄えている。
     その深い知識が、彼女の透き通るような肌の下に仄見える骨の不自然な配置、そしてどこにも血管が見当たらないことに、強い違和感を抱かせた。
    「……これは……」
    「実はね、マーク。あたしたちはアンタの特殊な治療術研究のうわさを聞いて、後を追ってきたのよ。理由は、分かってもらえたかしら?」
    「いえ……?」
     パラが元通り服を着直してもなお、上の空になっているマークの代わりに、フィオが答えた。
    「パラさんを人間にしたい、と?」
    「ご明察。実は一度、半分人形で半分人間だって言うのを完璧な人間にした、って人にお願いしたことがあるのよ。
     でもその人、ケチ臭くてね。人間にするのは可能だけど、代わりに何か差し出せって言ってきたのよ。でもあたしもパラも素寒貧だから、渡せるようなものは無し。
     結局その人には、にべもなく断られた。だから仕方なく、自分で研究することにしたんだけど……」
     何とか平静を取り戻したマークが、ようやく話の輪に入る。
    「人形を人間にする、ですか。おとぎ話程度には聞いたことはありますけど、それは非常に難しいこと、……と言うより、到底非現実的な話と思うんですけど。
     少なくとも、普通の人間が軽々とできるようなことじゃ無いですよね?」
    「ええ。色々調べてやってみたけど、全然ダメ。古代の魔術書がある遺跡を回ったりとか錬金術の研究してる人に相談したりとか、この20年近く色々当たってみたけど、今のところ全部空振りよ。
     そんな時に聞いたのが、アンタの治療術だったのよ」
    「……なるほど。つまり僕の研究成果が、パラさんの人間化に応用できるのではないか、と」
    「実際、皮膚程度は成功してるんでしょ?」
    「ええ、確かに。しかし筋肉や骨、神経、血管などの、生物として活動するために必要な他の組織を再現することは、まだできていません。
     現状の技術でパラさんに施術を行っても、血の通わない皮膚が張り付くだけです。恐らく2日も経たないうちに、ことごとく腐り落ちてしまうでしょう」
    「そこでマーク、そしてフィオ」
     ルナはマークの手を取り、にやっと笑った。
    「交換条件よ。アンタたちの戦いに、あたしとパラが手を貸してあげる。
     その代わりアンタと共同で、あたしにその治療術を研究させなさい」

    白猫夢・帰郷抄 2

    2014.02.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第331話。放浪の魔術剣士。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 王室に起こった吉事に国中が喜ぶ中、マークとフィオは街の宿へ赴き、自分たちを助けてくれた猫獣人の旅人、ルナ・フラウスと、その同行者である長耳、パラの二人と会っていた。「改めて、助けていただいたこと、感謝します」「いいわよ、別に。アンタに感謝なんて、してもらう気は無いわ」 マークたちをヘブン王国で助け、さらには『テレポ...

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    麒麟を巡る話、第332話。
    チーム結成。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「共同で……、研究を?」
     きょとんとしたマークに、ルナはニヤッと笑って見せる。
    「これでも魔術の腕は相当よ。アンタたち、克天狐のところで勉強してたんでしょ?」
    「え? ええ、はい」
    「あたしもね、別の克一門の人に修行を付けてもらった身なのよ。言ってみればあたしとアンタとは、遠縁の同門って言えるのよ」
    「強引な理屈だなぁ」
     そうつぶやくフィオをよそに、ルナはマークの手をぎゅっと握ったまま、頼み込んでくる。
    「だから、ね? そのよしみもあるし、一緒に研究しましょうよ。間違いなく、アンタの研究にとってプラスになるわよ」
    「でも、……その、交換条件って言うのが、よく分からないんですが」
    「ん?」
     マークは手をつかまれたまま、ルナに尋ねる。
    「僕たちの戦いって、何ですか?」
    「え」「あら?」
     マークのその問いに、フィオとルナが同時に驚いたような声を上げた。
    「な、何ですか?」
    「マーク、君は……」「まだ自覚してないのね」
     そして同時に、二人はマークを責める。
    「アンタまさか、このまま王国に引き籠もっていられる、なんて思ってたんじゃないでしょうね?」
    「だとしたら相当、楽天家だ。
     君は白猫党の実情を知り、そして彼らの手から逃げ延びた。彼らが君を狙わないはずがないじゃないか」
    「そうよ。恐らく『天政会』潰しが終わり次第、白猫党は今度は『新央北』、いいえ、この国に照準を定めてくるわ。
     元より央北全土の征服を狙っている上に、アンタの存在もある」
    「王国は早晩、危険にさらされることになるだろう。
     ……だと言うのに、君はのんき過ぎるよ!」
    「ご、ごめん」
     二人に挟まれ、マークは頭を下げるしかない。
    「……ま、そんなわけだから、アンタの身柄は今、とてつもなく危険なのよ。
     と言って、アンタを守ってくれるのは王国の兵士たちと、フィオだけ。これじゃ、殺されるのを待ってるも同様よ」
    「ひどい言い草だ」
     ルナの言葉に、フィオがむくれる。
    「僕だってマーク同様、テンコちゃんのところで魔術を研究した身だ。それも攻撃魔術をね」
    「え? 君って確か、神器研究してたんじゃなかったっけ?」
     マークにそう問われ、フィオは肩をすくめる。
    「表向きはね。みんなに――特にアオイに――気付かれないよう、こっそり修行してたのさ」
    「その割にはアンタ、死にそうになってたじゃない」
     ルナに突っ込まれ、フィオは顔をしかめた。
    「……あれは、その、慢心があったから」
    「そんな言い訳で流せる話かしら? アンタ、マークを守りたいっつって、その結果があのザマじゃない。
     あたしがいなかったらアンタたち、間違いなく殺されてたわよ。アンタの言う『未来』を回避するどころか、自分もろとも突っ込んでいくところだったじゃないの」
    「……」
     何も言い返せず、フィオはうつむいた。
    「ともかく、アンタたちにとって、これは決して悪い話じゃないはずよ。
     マークにとっては、より精度の高い研究ができる。フィオにとっては頼もしい味方が増える。まさか断ろうだなんて、思ってないわよね?」
    「……正直に言わせてもらえば、思ってないことは、……無い」
     まだ若干へこんだ様子が残っているものの、フィオはなお強情を張る。
    「あまりにも僕たちにとって話がうますぎるし、出来すぎてる。
     第一、あんなにタイミング良く現れたこと自体、僕には納得が行かない。たまたまだなんて、いくらなんでも……」
    「ふーん」
     ルナは薄く笑い、こう返した。
    「フィオ、アンタはこの世の因果が、何から何まで見えてるって言うの?」
    「ん、……え?」
    「未来人って話だし、そりゃこの先、何が起こるかは知ってるんでしょうね。それ自体は特に否定しないし、信じてあげてもいい。
     でもだからって、アンタは未来が『読める』わけじゃない。ただ『知ってる』ってだけでしょ?」
    「まあ……、そうだ」
    「その『知識』としてのアンタの未来視に無い、あたし。次にどう出るのか、まったく見通せない、解せない、不確定の存在。
     さぞ、不安でならないでしょうね。もしや白猫党が放った刺客じゃないのか、と思ってるんでしょう?」
    「思わない人間はいない」
    「一理あり、ね。だけど大丈夫よ、あたしは信用を得た途端に掌返すような、そんなせこい奴じゃないわ。……って言っても、証拠なんてものも持ってないけどね。
     ま、本当にまったく信用ならない、こんな怪しい女は近くに置いておけない、……って言うんなら、あたしたちはこれで失礼するわ。二度とアンタたちの前に現れない。
     あたしと組むか、それとも組まないか。マーク、アンタが決めなさい」
    「ぼ、僕? いや、フィオの意見も……」
    「……いや、マーク」
     フィオは神妙な顔で、こう返した。
    「今、ルナさんが言ったことは、そっくりそのまま、僕にも当てはまることだ。
    『未来を知っている』といくら僕が主張したところで、他人にとっては信じ難い話だ。怪しいと言う点で言えば、僕もルナさんも同列だ。
     だからマーク、僕も含めて、組むかどうかを決めて欲しい。もし少しでも僕のことを疑っているのなら、はっきりノーと言ってくれて構わない」
    「……」
     マークは二人をチラチラと見て、そしてうなずいた。
    「居て欲しいです。フィオくんのことは勿論、信用してるし、ルナさんにも感謝しています。
     その二人が僕を助けてくれると言うのなら、それを無碍にはできません。是非、お願いします」
    「……ありがとう」
    「よろしく、マーク」
     フィオもルナも、どことなくほっとした様子で、マークと握手を交わした。

    白猫夢・帰郷抄 3

    2014.02.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第332話。チーム結成。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「共同で……、研究を?」 きょとんとしたマークに、ルナはニヤッと笑って見せる。「これでも魔術の腕は相当よ。アンタたち、克天狐のところで勉強してたんでしょ?」「え? ええ、はい」「あたしもね、別の克一門の人に修行を付けてもらった身なのよ。言ってみればあたしとアンタとは、遠縁の同門って言えるのよ」「強引な理屈だなぁ」 そうつぶ...

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    麒麟を巡る話、第333話。
    20年ぶりの再会。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     協力し合うことを約束した後、研究を行う場所や今後の白猫党、および葵への対策などを簡単に相談したところで、マークとフィオはルナたちの宿を後にした。
    「……ふー」
     パラと二人きりになったところで、ルナは軽くため息をついた。
    「……」
     無言で自分の様子を眺めていたパラに、ルナはにこっと笑ってみせる。
    「何でもないわよ。……ただ、ちょっと居心地悪いなーってね」
    「居心地が悪い、と申しますと」
    「知ってるでしょ? あたしは昔、この国で暮らしてた。今更戻ってきちゃったって言うのが、なーんか、……ね」
    「非論理的です」
     パラは眉をひそめ、ルナに尋ねる。
    「それならば何故、マークにあんな提案をなさったのですか。あんなことを言わず、早急に街を去ればよろしかったのに」
    「さっき言った通りよ。あのパステルブルーの髪した鼻っ柱の強いお子ちゃまだけじゃ、マークは到底守れないわ。
     それに、マークに言った通りの事情もあるもの。あなただって、人形のままでいたくないでしょ?」
    「……否定はしかねます。しかし」「ふふっ」
     うつむいたパラの頭を、ルナはぽんぽんと優しく撫でる。
    「合理的なアンタの考えは十分、分かってるわ。人形のままなら、修理や換装ができる分、まだ多少はあたしを守れる可能性が高まるかも、って思ってるんでしょう?
     でもあたしたちは、半人半人形から人間になった、あの百戦錬磨の騎士団長を知ってるじゃない。半端に人形でいるより、きっちり人間になってくれた方がよっぽど、助けになりそうよ。
     それにあたし、元々から人間だけど、もう人形のアンタより桁違いに強いし、そうそう死なない体になってる。アンタもさっさと人間になって、めいっぱい修行して、あたしと並んで立ってくれた方が、断然嬉しいわ。
     来てよ、パラ。あたしのところに」
    「……努力いたします」
     パラはぎゅっと、ルナに抱きついた。

     と――ルナはパラを押し、離れるよう促す。
     そして同時に、ドアに向かって声をかけた。
    「誰?」
     声をかけてから一瞬間を置いて、トントンとノックが返ってくる。
    「……」
     しかしそれ以上の反応が無く、ふたたび沈黙が訪れる。
    「……開けるわ」
     ルナはパラに目配せし、ドアを開けさせた。
    「こんばんは。ルナで良かったのかしら、今は?」
     入ってきたのは――マークの母、プレタ王妃だった。
    「……っ」
     その姿を目にした途端、ルナは絶句した。
     その間にプレタはドアを後ろ手に閉め、ルナに近付く。
    「……あんまり、動き回らない方が、いいんじゃないの?」
     絞り出すようにそう声をかけたルナに、プレタはにこ、と微笑む。
    「これくらい、大した運動じゃないわ。若い頃はそれなりに鍛えていたもの」
    「そうじゃないわよ。今や一国の妃になったご身分で、こんな裏町の安宿にホイホイ来ていいの、って意味よ」
    「誰にも見られてないわ。まだスニーキング(潜伏術)の腕は衰えてないわよ。
     わたしがここに来ているのを知ってるのは、あなたとわたしだけよ。……それと、このお嬢さんね」
    「……」
     パラにも軽く会釈し、プレタはルナのすぐそばに寄る。
    「あなたがマークに会ったのは、これが二回目よね」
    「……!」
     たじろいだルナを見て、プレタはもう一度、にこ、と笑った。
    「10年位前かしら、あの子が『わたしみたいな人に会った』って言っていたから。……ふふ、そう、それなんだけどね。あの子、あなたのことを『顔が全部あるわたし』って言ってたのよ」
    「笑えないわよ」
     ルナは顔をしかめさせるが、プレタはクスクス笑っている。
    「笑い話よ。もうあれから20年も経ってるんだから。
     ……そう、20年。わたしも相応に歳を取ったし、夫ももう、おじいちゃんに片足突っ込んでるわ。白髪も多くなってきたし、後ろから見ると、……ちょっとハゲてきてるし」
    「ぷっ」
    「なのにあなた、……変わらないわね。あの頃のまま」
    「色々やってたからね。そのついでで、歳を取らない術も手に入れたから」
    「聞いてみたいところだけど……」
    「アンタはやらない方がいいかもね。子供、できたんでしょ?」
    「ええ」
    「施術の初期段階で代謝異常やら自家中毒やらバンバン起こるから最悪、流産しかねないわよ」
    「あら、怖い。……ま、元々やるつもりはないけど」
    「……そう」
    「わたしは普通の人間のままで人生、終えるわ。そうじゃないと、夫があの世で寂しがるもの」
    「あはは、そうね。そんなタイプよね、あの人」
    「でしょう?」
     二人でひとしきり笑ったところで、ルナはプレタから目をそらし、うつむいた。
    「どうしたの?」
    「……今更、会える義理なんて無いのに。まさかアンタから会いに来るなんて、思わなかったわ」
    「あら、そんなこと気にしてたの?」
    「気にしてたわよ」
     あっけらかんとしたプレタの応答に、ルナは口をとがらせた。

    白猫夢・帰郷抄 4

    2014.02.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第333話。20年ぶりの再会。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 協力し合うことを約束した後、研究を行う場所や今後の白猫党、および葵への対策などを簡単に相談したところで、マークとフィオはルナたちの宿を後にした。「……ふー」 パラと二人きりになったところで、ルナは軽くため息をついた。「……」 無言で自分の様子を眺めていたパラに、ルナはにこっと笑ってみせる。「何でもないわよ。……ただ、ち...

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    麒麟を巡る話、第334話。
    ルナの胸中。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「パラと一緒に行動し始めた辺りで、ようやくあたし、アンタやトラス卿にまともな挨拶しないまま、この国を出たことに気付いたのよね。
     だから多分、トラス卿はあたしのことを、『姉を見捨てて逃げた、ひどい女』って思ってるんじゃないかしら。
     それに、アンタもきっと、あたしに対していい気はしてないだろう、……って思ってたのよ。アンタにしてみれば、勝手に刀は持っていくし、瀕死のアンタを放ってどこかに消えるし」
     そうこぼしたルナに、プレタは肩をすくめた。
    「ま、あの人については、ね。確かにそう嘆いてたこともあるわ。
     でもわたしはそんなこと、一度も思ったことが無いわ。刀は餞別と思ってたし、あなたはわたしを見捨てるようなタイプじゃないもの。きっと大きな事情があってのことだろうと、そう思っていたわ。
     ねえ、マロン。教えてくれるんでしょう? あの時、何があったのか。それからその後、何をしていたのか、も」
     20年ぶりのその呼び方に、ルナは口ごもりつつ、歯切れ悪く答えた。
    「……ん、まあ、そうね。
     今更でホントにごめん。教えるわ、あの時、それからあの後にも、何があったか」



     彼女の師匠となった克渾沌がかつてそうであったように、黄月乃もまた、何度と無く名前を変える人生を送っていた。
     彼女の本名である、黄月乃。故郷、央南から逃げ出して以降は、ユエ、フアン、ジアラ、セレナ――そしてマロンと、様々な名前を使っていた。
     そうして自分が元々誰であったのかと言う感覚が、半ば朧と化した頃になって、彼女はプレタと出会った。

     その頃には、黄月乃は自分と言うものが、何より嫌いになっていた。
     己の母に唾を吐く自分。下劣な策略を成就すべく、頭を働かせる自分。その策略を考えた下劣な男に惚れ込んでいた自分。その男が廃人となった瞬間、手の平を返した自分。故郷から逃げた自分。
     そして今も逃げ続ける、自分。
     薄っぺらい正義論や、鼻に付くような人情話以上に、黄月乃は自分のことが心底、嫌いになっていた。

     トラス王国でプレタと出会い、共に戦うことで、その悪感情をしばらく、忘れることができた。
     実の兄弟以上に慕っていたプレタが側に居たことも理由の一つだが、それよりも、自分の働きによって一地域の情勢が左右されることが、何より楽しく、誇らしかったのだ。
    「自分は世界の役に立っているのだ」と言うその達成感、高揚感が、黄月乃や他の雑多な名前で生きてきた頃の自己嫌悪を、紛らわせてくれていたのだ。

     しかしその心地よさも、プレタの負傷と部隊の壊滅により、再び霧散した。すべてを失った黄月乃は、前よりさらに深い嫌悪と、底知れぬ絶望に襲われた。
     だが――そこにあの難訓の下僕、人形姉妹シェベルとインパラが現れた。そしてシェベルは、黄月乃にインパラを託し、この世を去った。

     絶望し、再び自分を嫌い始めていた黄月乃に、生きる目的が新たにできた。インパラを人間に近付け、そしていずれは、彼女を人間そのものにすることである。
     黄月乃は再び、自分への嫌悪を和らげ、絶望の淵から這い上がる機会を得た。



    「……そのために、あたしは色んなことを試してみたし、色んなところに行ったわ。色んな術も覚えた。
     でも、まだその宿願は達成できない。今のあたしには、マークの術が完成することこそが、唯一の希望なのよ」
    「それだけかしら?」
     プレタの問いに、ルナはけげんな顔になる。
    「って言うと?」
    「あなたがマークの前に二度も現れ、そして身を挺して助けた理由よ。
     わたしにはあなたの心の奥底にある本当の願いが、痛いほど良く分かるわ」
    「何よ、それ?」
    「あなたは、家族が欲しいのよ。
     それも、自分を上から縛り付けるような親やお兄さんとかじゃなく、あなた自身が暖かく包み込んであげたいと願う、子供みたいな存在が」
    「……」
    「だから、マークを助けたのよ。あなたにとっては、甥っ子みたいなものだから」
    「……ん」
     ルナはぷい、と、プレタから顔を背けた。
    「否定はしないわ。ううん、アンタの一言で、自覚したわ。
     確かにあたしは、家族が欲しいのね。こんなあたしを頼りにしてくれるような、そんな家族が」
    「増えるといいわね」
     プレタは微笑み、未だドアの横に立ったままのパラにも会釈した。
    「パラちゃん。あなたのお母さん、寂しがり屋だから、ちょくちょく話しかけてあげてね」
    「……」
     そのまま部屋を後にするプレタに、パラは無言で、深々とお辞儀した。

    白猫夢・帰郷抄 終

    白猫夢・帰郷抄 5

    2014.02.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第334話。ルナの胸中。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「パラと一緒に行動し始めた辺りで、ようやくあたし、アンタやトラス卿にまともな挨拶しないまま、この国を出たことに気付いたのよね。 だから多分、トラス卿はあたしのことを、『姉を見捨てて逃げた、ひどい女』って思ってるんじゃないかしら。 それに、アンタもきっと、あたしに対していい気はしてないだろう、……って思ってたのよ。アンタにし...

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    麒麟を巡る話、第335話。
    二つの敵。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「『預言者』から啓示があったわ」
     党首シエナの言葉に、白猫党の幹部たちは背筋を正した。
     彼らにとって預言者からの言葉は、間違いなく、自分たちに並々ならぬ益と幸福を与えてくれるものだったからである。
    「今回の啓示は2つよ。
     まず、『天政会』の今後の動向について。こないだの元議員105名の排除が、彼らに大きな波紋を起こしていることは想像に難くないわ。でも、彼らは動かないそうよ」
    「なに……?」「んなアホな」「何もしないわけが……」
     この報告に、幹部の半分はけげんな顔をする。
     しかし政務部長トレッドは、「ふむ」とうなずいて返した。
    「納得が行ったような顔をしていらっしゃいますな、政務部長」
     けげんな顔をしていた党防衛隊長マラガに、トレッドはもう一度うなずいてみせた。
    「ええ。彼らならそうするだろう、と思っていたので」
    「それは何故に……?」
    「彼らは極力、軍組織との関わりを避けたい。恐らくはそうした意向からでしょう」
    「ええ、その通りよ」
     シエナもうなずいて返し、こう説明した。
    「知っての通り『天政会』は、天帝教を母体とした政治結社よ。平和的に支配圏を拡げたいと言う意図があるから、その行動はあくまで政治的、あるいは経済的な力によるものにするよう努めてる。
     でも結成初期、対抗組織だった『新央北』と戦うに当たって、傘下に置いた国から軍組織を借りたことがある。そのツケが今、回ってきてるのよ」
    「存じております。その件のためか年々、軍事組織からの圧力が高まっており、近年では『天政会』の、傘下国へおける態度が非常に軟化、弱体化しているとか」
    「『天政会』としては、政治や経済で動かせない敵を作りたく無かったでしょうに。目先に囚われた結果ね。……ま、ソレは置いといて。
    今言ってた通り、近年の『天政会』には結成当初の積極性が無く、逃げ腰の組織になってる。ヘブン王国の諸問題を丸投げしたのは、その証拠と言えるわね。
     そしてそれ故に、今回の議員排除も半ば見て見ぬ振り、対外的には『無かったこと』にして処理しようとしてるらしいわ。……と、ココまでが『預言者』の話。
     ココからは実際に、アタシたちが動く話よ。この件が内部で封殺された場合、『天政会』に穴は開けられないわ。いいえ、正確に言えば『内部から穴が開くコトは無い』のよ。
     この件は大々的に吹聴するわ。そうすれば『天政会』傘下国は騒然とするでしょうね」
    「でしょうな。新興勢力、新参者たる我々からこれほどの大打撃を受けたのですから、組織として体面を大きく損ねたと軍事勢力、特にタカ派の者たちは考えるはず。
     しかし中枢である『天政会』は逃げ腰の上、そうした軍事組織との関係を避けようとする。そうなれば、彼らと軋轢が生じることは明白でしょう。
     ここ数年で関係が脆くなりつつある『天政会』とその傘下国に、決定的なヒビが入ることは確実でしょうな」
    「そう言うコト。敵が内輪もめすればするほど、アタシたちは奴らを攻略しやすくなる。実際に戦うまでに、徹底的に相手を弱めるのよ」
    「承知しました。では政務部は今回の件を、央北全域に喧伝するとしましょう」
     うなずいたトレッドに、シエナはニヤッと笑って返した。
    「ええ、頼んだわ。
     そしてもう一つの啓示だけど、コレは『反対側』の敵についてよ」
    「ほう……、つまり『新央北』の件ですな」
     これを聞いて、マラガの目が光る。
    「どのように攻略すると?」
    「そうじゃないのよ」
    「うん?」
     対するシエナは、肩をすくめて見せた。
    「『しばらくの間は一切、攻め込むな』と伝えられたわ。今は何をどうしたとしても、我々にとってマイナスにしかならないそうよ」
    「何ですと?」
     マラガはいかにも腑に落ちなさげに、声を荒らげた。
    「ではトラス王子の件も放っておけと言うのですか?」
    「『新央北』関係は全面的に保留するように、と言ってたから、マークの件もそうでしょうね」
    「そんな馬鹿な! 彼は我々白猫党の内部事情を知っているのですぞ!? もしそれがあのトラス王の耳に入れば……」
    「とっくに知ってるでしょうね。かれこれ、もう1週間は経ってるんだし。だから今更マークを襲ったって、もう遅いのよ」
    「いやいや、常識的に考えれば、まだ彼奴らは我々の支配圏内にいるはず!
     こんなこともあろうかと、私はかねてより『新央北』との境界近辺に兵力を置いております! 今から命じれば、トラス王子らを迎え撃つことは十分に……」「マラガ」
     シエナは冷たい目で、マラガをにらんだ。
    「あなたは『預言者』の言葉に背く、と言うのね?」
    「そうではなく、これは極めて常識的な戦術、戦略の問題で……」
    「常識が通用するの? 『預言者』の言葉に対して」
    「……うぐ……」
     抗える雰囲気ではないことを察したらしく、マラガは口をつぐんだ。

    白猫夢・密襲抄 1

    2014.02.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第335話。二つの敵。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「『預言者』から啓示があったわ」 党首シエナの言葉に、白猫党の幹部たちは背筋を正した。 彼らにとって預言者からの言葉は、間違いなく、自分たちに並々ならぬ益と幸福を与えてくれるものだったからである。「今回の啓示は2つよ。 まず、『天政会』の今後の動向について。こないだの元議員105名の排除が、彼らに大きな波紋を起こしているこ...

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    麒麟を巡る話、第336話。
    暴虐の隊長。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     会議を終えた後、シエナは密かに、トレッドと会話を交わした。
    「どう思う?」
    「何をでしょう」
    「マラガのコトよ。アイツは独断専行をしないと思う?」
    「いや……」
     トレッドは苦い顔を返す。
    「私の口からは、断言できかねますな。
     元々が、ノリエ王国の陸軍大佐です。自尊心や戦闘に対する衝動の強さは、決して小さいものではないでしょう。自制してくれるかどうか……」
    「そうね。党役第三位、幹部の中でも下位と言うコトもあるし、勲功を焦って勝手に動くおそれも十分あるでしょうね」
    「監視しておかねばなりませんな」
    「……んー」
     と、シエナは首を横に振る。
    「いいわ。実を言うと、『預言者』は……」
    「……フフ。ちょっと、シエナ」
     シエナの言葉に、トレッドが笑う。
    「私とあなたの仲です。わざわざ彼女のことを、『預言者』と言い直す必要は無いでしょう」
    「ふふ、そうね。つい、クセで。
     ええ、アオイはこうも言ってたのよ。『一応シエナからみんなに伝えてもらうけど、無駄になるよ』ってね」
    「ほう? ……ふむ」
     トレッドは一瞬思案する様子を見せ、すぐにこう返した。
    「従わぬ者は去るよう仕向けよ、と言うご意向でしょうか」
    「多分ね。アタシが今日、あえて釘を差しておいたコトで、後でアイツが勝手な行動を起こしたその時、『命令に背いた』と糾弾できるもの。
     アイツにとっては結局、自分の地位を揺らす結果にしかならないでしょうね」
    「恐ろしいお方だ。アオイさんと、そしてあなたは」
    「……ふふ」

     シエナたちの懸念、そして預言の通り――マラガは密かに、「新央北」との境に駐留していた私兵と連絡を取っていた。
    「いいか、マーク・トラス王子がやって来次第、速やかに殺害しろ! 決して王子を、『新央北』内に入れてはならん!」
    《了解しました。……しかしですね》
     が、相手の反応が悪い。
    「なんだ!? 何か問題でもあるのか!?」
    《我々の情報網によれば、既に王子はトラス王国内に戻っている可能性が》
    「……何だと!?」
    《まだ確定的な情報ではありませんが、つい先程、トラス王自身から王子が戻ってきたとの声明がありました。
     後、新たなお世継ぎができたと……》「そんなことはどうでもいい!」
     マラガは憤り、怒鳴りつけた。
    「王子が戻ってきたと言う、その情報が確かかどうか確認しろ! そして本当に王子が国内に戻っていると言うのならば、何としてでも殺せ!」
    《む、無茶な! 国境を越えて『新央北』中枢に押し入り、第一王子を暗殺しろと仰るのですか!?》
    「無茶だろうが無謀だろうが、やれッ! やらなければ俺がお前を撃ち殺すぞッ!」
    《りょ、了解で……》
     相手の返事を待たず、マラガは電話を乱暴に切り、机から払いのけた。
    「ふんッ! ……しかし本当に、既にトラス王国に戻っていると言うのか? ここから王国まで、いくら何でも3週間近くかかるはずだが……」
     と、マラガの背後から、声がかけられる。
    「可能な手段はある。ある以上、それを使って帰国したのだろう。そうとしか考えられまい?」
    「手段? どんな手段だ? まさか空でも飛んだか?」
    「それも可能性の一つだ。実際に飛行術『エアリアル』は存在する。もっとも、黒炎教団の人間くらいしか、使う者はいないらしいがね。
     他の手段としても、黒炎教団がらみになるな。最も考えられるのは、瞬間移動術『テレポート』だ。あれなら一瞬で帰国可能だろう」
    「はっ、逃げた先に偶然、教団員が居合わせたと言うのか?」
    「可能性はある」
    「あってたまるか! そんなに都合よく、あんな引き籠もり共がポコポコ湧くわけが無いだろうが!」
     声を荒げるマラガに、その長耳は肩をすくめて見せる。
    「実行可能な手段がある以上、可能性は否定できまい。本当に不可能なことを除外していけば、それが如何に信じられずとも、真実であると……」「うるさい!」
     苛立ったマラガは、その長耳に向かって怒鳴りつける。
    「お前は研究だけしていればいいんだ! 俺に説教なんかするな!」
    「……いいとも」
     長耳は憮然とした顔をしつつも、それ以上何も言うこと無く、机に視線を戻した。

    白猫夢・密襲抄 2

    2014.02.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第336話。暴虐の隊長。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 会議を終えた後、シエナは密かに、トレッドと会話を交わした。「どう思う?」「何をでしょう」「マラガのコトよ。アイツは独断専行をしないと思う?」「いや……」 トレッドは苦い顔を返す。「私の口からは、断言できかねますな。 元々が、ノリエ王国の陸軍大佐です。自尊心や戦闘に対する衝動の強さは、決して小さいものではないでしょう。自制...

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    麒麟を巡る話、第337話。
    叔母と甥っぽい。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     トラス王国郊外。
    「この小屋なんかどうでしょう?」
    「小さいわね」
     マークは新たな共同研究者、ルナと共に、研究に使うための施設を探していた。
     元々、マークは自分の住む屋敷の一室を研究室にしていたのだが、ルナが「もっと人のいないところで静かに研究したい」と願い出たため、こうして郊外の空き家や小屋を見て回っているのだ。
    「小さいって……。ざっと見た感じ、設備は全部入りそうな程度には大きいと思いますけど。僕が元々抱えてた研究チームを全員入れても、十分な余裕は……」
    「あたしとパラが住めないじゃない。まさかビーカー眺めながら寝ろって言うの?」
    「ああ、そう言うつもりで……。なるほど、それだと確かに小さいかも知れませんね」
    「できれば4、5部屋は欲しいわね。寝室とキッチンと研究室と、あと休憩室とお風呂と」
    「研究室さえ無ければ、市内で条件を満たせそうですけどね」
    「それ無かったら意味無いじゃない」
    「そうでした」
     マークがぺろ、と舌を出し、二人でクスクス笑っていた。

     と――その様子を、離れた林の中から眺めている者がいた。
    (確かにトラス王子のようだ。隣にいるのは……)
    (分からん。どうやら猫獣人のようだが、顔をマフラーで覆っていて、良く見えん。まさかプレタ王妃か……?)
    (いや、報告によれば王妃は静養中とのことだ。それに両目があるようだし)
    (そうだな。……では誰だ?)
    (さあ……?)
     彼らは互いに顔を見合わせ、間を置いて会話を続ける。
    (とにかく、王子がこの国内にいるのは確かだ。となれば……)
    (ああ。一度基地に戻り、暗殺部隊を組織しよう)
     そこで互いにうなずき、その場から立ち去った。

    「じゃあ、ここから南の方にある家なんかどうでしょう?」
    「……」
    「……ルナさん?」
     相手の反応がなかったため、マークはちょん、とルナの肩を叩いた。
    「ん? ああ、ごめん。ボーっとしてたわ」
    「大丈夫ですか?」
    「ええ、大丈夫よ。ちょっと気になったことがあったから」
    「どうしたんです?」
    「何でもないわ。で、どこって?」
    「南です。あっちの、あの白い屋根の家」
     マークが示した家を見て、ルナは小さくうなずいた。
    「確かにここより大きそうね。行ってみましょ」
     ルナはマークの手を引き、歩き出した。
    「ちょ、ちょっとルナさん」
    「なに?」
    「一人で歩けますよ」
    「いいじゃない。まだ寒いんだし」
    「手袋してるじゃないですか」
    「じゃあ冷え性なの」
    「手、ぽっかぽかですよ? 『じゃあ』って何ですか」
    「なんだっていいじゃない。それともあなた、女の子の手を握ったことも無いの?」
    「子?」
    「なによ」
    「いえ。……まあ、はい。手を握るくらいなら、別に」
    「じゃ、行きましょ」
    「ええ」
     二人で手をつなぎながら、目的の家の前まで歩く。
    「ふーん……。確かに大きめね」
    「元々は牛小屋だったみたいですね。ちょっと改装すれば、きちんとした研究所になりそうですよ」
    「牛? 牧場があったようには、……見えないわね」
    「元々この街って、扱う産業が色々と変わってたらしいですから。
     麦農業が盛んだった時もあれば、酪農したり軽工業に走ったり、……と、主軸産業がコロコロ変わってたそうです」
    「へえ? 初めて聞いたわね」
    「僕も街の歴史を勉強した時、初めて知りました。生まれも育ちもここですけど、先祖代々住んでたわけじゃないですから」
     マークの話を聞き、ルナは建物の壁を、ちょんとつついてみる。
    「じゃあ、この建物って相当古いのかしら」
    「うろ覚えですけど……、酪農が盛んだったのは、1世紀の半ばと3世紀後半、それと今世紀はじめの頃、まだ中央政府があった頃に、らしいです。
     だから現存してる建物のほとんどは多分、今世紀に造られたものだと思います」
    「じゃ、建て付けの心配は無さそうね。……臭いとか大丈夫かしら」
     ルナはマフラーを外し、くんくんと鼻をひくつかせる。
     と、その横顔を見て、マークがうなった。
    「うーん……」
    「ん? どうしたの?」
    「不思議なんですよね。なんでルナさん、母上とそんなに顔が似てるんだろうなって」
    「……うーん」
     ルナはふたたびマフラーで顔を隠すが、マークは追求をやめない。
    「もしかしてルナさん、母の妹に当たる、……とか」
    「ぶっ、……んなわけないじゃない。そんな偶然、あってたまるもんですか」
    「でも、似てる説明が……」
    「他人の空似ってこともあるじゃないの。あたしも初めて会った時、マジかって思ったくらいだし」
    「え? 母と会ったことが……?」
    「あー、ほら、トラス卿、……じゃない、トラス王がアンタのお母さんと一緒に懐妊報告してたじゃない。あの時見たのよ」
    「卿? 父がそう呼ばれていたのは、随分前の話と聞いてますが……?」
    「……ああ、もぉ! めんどくさいわね!」
     ルナはマークの両方の狼耳を、ぐにっとつねる。
    「いたっ、いたたたっ!?」
    「なんだっていいじゃないのよ、もう! 細かい質問しないの!」
    「あいだだだだ、わかっ、分かりましたっ」

     30分後、マークとルナはこの小屋を購入した。

    白猫夢・密襲抄 3

    2014.02.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第337話。叔母と甥っぽい。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. トラス王国郊外。「この小屋なんかどうでしょう?」「小さいわね」 マークは新たな共同研究者、ルナと共に、研究に使うための施設を探していた。 元々、マークは自分の住む屋敷の一室を研究室にしていたのだが、ルナが「もっと人のいないところで静かに研究したい」と願い出たため、こうして郊外の空き家や小屋を見て回っているのだ。「小...

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    麒麟を巡る話、第338話。
    研究所の確立。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     研究所兼ルナの家が決まり、購入の翌日から改築工事が進められた。
    「誰よ、建て付けの心配が無いって言ったの」
    「ルナさんですよ」
    「……むー」
     だが、購入したその日に小屋の鍵を開けて中を確認した瞬間、二人は絶句していた。小屋内部が、尋常ではない規模で荒れていたからだ。
    「まさか床下に、あんなにシロアリ……」「言わないで」
     ルナは猫耳の毛を逆立たせ、マークの言葉を遮る。
    「……シロ……」「言うなっつってんでしょ」「……い屋根は素敵だと思ったんですけどね」
     引っ掛けたマークに、ルナは目を吊り上げさせる。
    「アンタ、いい根性してんじゃない」
    「ルナさんの弱点が、ようやく一つ見つかりましたからね」
    「……今度あたしの前で虫の話題出したら、耳をもいでやるからね」
    「勘弁して下さい。……まあ、これでルナさんの思い通りにリフォームできると思えば」
    「リフォームって言うより、ほとんど建て直しじゃないの」
    「まあ、他にいい家もありませんでしたしね。全部やられてたみたいです。
     業者の方に聞いたんですが、この辺り一帯、土地的にシロ……」「なに?」「……いえ、『あれ』が繁殖しやすいそうです」
    「マジで?」
     ルナは辺りの地面や、自分の靴の裏を見回す。
    「何度か駆除は行ってるらしいんですが、ずっと残ってる家とかに逃げてるみたいですね」
    「……くっそ、あの不動産屋。道理で割安だったのね」
    「朝一で父上に訴えましたから、早晩何かしらの処罰を受けるでしょう。契約金や敷金も戻ってくると思いますよ」
    「倍返ししてほしいわ」
    「同感です」
     と、二人で愚痴を言い合っているところに、フィオとパラの2人がやって来た。
    「災難だったね、ルナさん」
    「本当にね」
    「マークも、結構高く付いたんじゃないか?」
    「まあね。予算の3割増しくらいだ」
    「きついなぁ」
    「父上には本当に済まなく思ってるよ……。半ば僕の道楽に近いし」
    「道楽?」
     これを聞いたルナが、またマークをにらんだ。
    「アンタは道楽かも知れないけど、あたしは本気で研究するつもりよ」
    「あ、いや、研究自体は勿論、真面目にやります。研究室を移すのが、半分道楽だってことです。元々、あっちで普通に研究できてたんですし」
    「……ん、まあ、確かにこれは、あたしの我がままだけどさ」
    「研究室が完成したら、頑張ってもらいますからね」
    「ええ、当然よ。今にこの改築費用、ノシ付けて返してやるわ。研究成果で稼いで、ね」
    「期待してます」
     二人のやり取りを聞いていたフィオが、こそ、とパラに耳打ちする。
    「何かさ、仲いいよね」
    「左様でございますね」
    「結構歳が離れてると思ってたけど……、ルナさんっていくつくらいなの?」
    「お答えいたしかねます。主様の重要機密でございますので」
    「ありゃ、そっか」
     一瞬間を置いて、今度はパラが尋ねてくる。
    「フィオ様。主様にご興味がおありですか」
    「それなりには」
    「それはどのような類のご興味でしょうか」
    「どのような、って言っても……。まあ、今までに見たことのないタイプだから」
    「恋愛の対象となっているのでしょうか」
    「へ?」
     また間を置いて、フィオは腹を抱えて笑い出した。
    「ぷ、くくく……。それは無い、無いよ、パラ。絶対無い」
    「左様でございますか」
    「ちょっと?」
     と、ルナがフィオの方を向く。
    「なに笑ってんのよ。そこまで恋愛対象外ってこと?」
    「あ、いや。別におばさんとかそう言う意味じゃ、……あ、いや」
    「ほーぉ」
     ルナはパラに、こう命じる。
    「パラ。フィオを羽交い締めして」
    「承知いたしました」
     パラは言われるがまま、フィオを拘束する。
    「え、ちょ」
    「誰がおばさんですってぇぇ!?」
     ルナは拳骨を、グリグリとフィオの鳩尾にねじ込んだ。
    「うあっ、だっ、いたっ、マジでいたいっ」
     悶絶するフィオを見て、マークが噴き出した。

    白猫夢・密襲抄 4

    2014.02.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第338話。研究所の確立。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 研究所兼ルナの家が決まり、購入の翌日から改築工事が進められた。「誰よ、建て付けの心配が無いって言ったの」「ルナさんですよ」「……むー」 だが、購入したその日に小屋の鍵を開けて中を確認した瞬間、二人は絶句していた。小屋内部が、尋常ではない規模で荒れていたからだ。「まさか床下に、あんなにシロアリ……」「言わないで」 ルナは猫...

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    麒麟を巡る話、第339話。
    真夜中の密かな襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     紆余曲折を経たものの、どうにか研究所が完成したため、ルナたちはその新研究所で、祝賀会を催した。
    「それではあたしたちチームの本拠地となる、この研究所の完成を祝して……、乾杯!」
    「かんぱーい!」
     人形であるパラを除く3人はグラスをあおり、一息に酒を飲み干す。
    「しかし、見違えたね。半分腐った牛小屋が、こんな綺麗になるなんて」
    「ええ、本当にね。これでようやく、研究が始められるわね」
    「一応今も継続してます。旧研究室で。明日からは僕の持ってた旧チームも合流させます」
     マークが報告するが、二人は聞いていない。
    「ところでルナさん」
    「なに?」
    「事後報告になっちゃうんだけど、パラを借りてもいい?」
    「事後? デキてたの、あんたたち?」
    「違うっ」
     フィオは顔を赤くしつつ、話を続ける。
    「鍛錬の相手にってことだよ。ルナさんたちが物件探してた間も、僕たち二人で稽古してたんだ」
    「ああ、そう言うこと。いいわよ、別に」
     ルナは二つ返事で、それを承諾した。
    「アンタも強くなってもらわなきゃ、これからが心配だしね」
    「ご理解いただけて助かるよ、リーダー」
    そう返したフィオに、マークが目を丸くした。
    「リーダー?」
    「だろ?」
    「……うん」
     反論したい気持ちは大きかったが、一方で貫禄負けしていることも、心のどこかで認めている。
     マークは素直にうなずくしかなかった。
    「……まあ、その。これだけははっきりさせておきたい。
     リーダー、つまり所長の座は僕よりルナさんが適任であるのは認めるとして、チームの主任研究員は僕だからね。そこだけは絶対譲らないよ」
    「分かってるよ、勿論。君抜きじゃ研究が進められるわけ無い」
    「そう言うことよ。アンタの存在価値は誰も否定してないわ。あたしも頼りにしてるわよ、主任」
    「ええ、そりゃもう、ね!」
     マークは勢いに任せ、グラスをあおった。



     その晩――。
     結局、マークはそのまま酔いつぶれ、ルナの家で寝てしまっていた。
    「……ん、ん」
     と、不意に眠りから覚める。
    (しまった……、家に帰りそびれちゃったよ。父上たちが心配してるだろうな)
     慌てて床から起き上がりかけて、自分の体にシーツがかけられていることに気付く。
    (あれ……。誰だろ? フィオじゃないよな。ルナさんも考え辛いし、まあ、パラさんか)
     マークは周囲を見回し、パラの姿を探すが――。
    「……?」
     部屋の中には、誰もいない。出来たてのフローリングには、空になった酒瓶とグラス、そして皿からこぼれたおつまみが、点々と転がっているだけだ。
    「変だな」
     不思議に思ったマークはふらふらと立ち上がり、辺りを探してみた。
    (研究室は、鍵がかかってる。休憩室にもお風呂にもいない。時間が時間だし、寝室かな?)
     しかし寝室にも、人がいるような気配は無い。
    (どこだろう……?)
     屋内すべての部屋を回ったが、どこにもルナたちの姿は無かった。
     と――玄関の方から、物音が聞こえてくる。
    (え……? 今のって、叫び声、みたいな)
     マークは恐る恐る玄関に近付き、そっとドアを開けた。

    「……!」
     マークは約一ヶ月ぶりに、修羅場を目にした。
    (ひっ……)
     ルナとフィオ、そしてパラの3人が、黒ずくめの者たちに囲まれていた。しかし既に、同様の装備を身に付けた者たちが4名、地面に倒れている。
    「さっさと来なさいよ。夜は案外、短いわよ?」
    「くそ……ッ」
     黒ずくめたちは小銃を構えてはいるが、発砲して来ない。ルナたちの、いや、ルナ一人の殺気に圧されているのだ。
     夜空にうっすらと浮かぶ赤い月も、ルナの周りに漂う雰囲気を、さらに冷たくあおり立てる舞台照明と化している。
     あまりにも恐ろしげなその光景に、動けるような者は、彼女をおいて誰もいなかった。
    「来ないの? じゃあこっちから行くわよ」
     そう言い放った次の瞬間、彼女の正面に立っていた男が突然、倒れた。
    「ぐふっ……」
     続いてその右隣の者も、弾かれたように横へ跳んでいく。
    「がはっ」
    「うっ、うわ、う」
     その隣にいた者が、叫びきらないうちに事切れる。
    「これで7人。残りは5人。どうするの、アンタたち?」
    「う……ぬ……」
     戦い慣れていないマークの目にも、彼らの戦意が削がれ、逃げ腰になっているのがありありと分かった。
    「こ、ここで引き下がれるか! ここで逃げても、どっちみち……」
     しかし1人がそう叫び、ルナへ向かって駆け出す。
     だが――それもルナの手によって、あっさり返り討ちにされた。
    「げぼっ……」
     瞬く間に敵を斬り伏せたルナは、残った4人にこう告げた。
    「今あたしの手で死ぬか、本拠地に戻って死ぬか、それとも雲隠れして人生をそれなりに謳歌してから、のんびり死ぬか。好きなの選びなさい。あたしはどれでも構わないわよ」
    「……」
     残った4人は顔を見合わせ――小銃を捨て、そのまま逃げ去った。

     それを確認した途端、マークは慌ててドアを閉め、キッチンへと駆け込み、シーツを頭からがば、と覆い被せて狸寝入りし――一睡もできないまま、朝を迎えた。
     どうやらルナたち3人もそれなりに疲れていたらしく、彼女らも朝までキッチンに入ってくることは無かった。

    白猫夢・密襲抄 5

    2014.02.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第339話。真夜中の密かな襲撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 紆余曲折を経たものの、どうにか研究所が完成したため、ルナたちはその新研究所で、祝賀会を催した。「それではあたしたちチームの本拠地となる、この研究所の完成を祝して……、乾杯!」「かんぱーい!」 人形であるパラを除く3人はグラスをあおり、一息に酒を飲み干す。「しかし、見違えたね。半分腐った牛小屋が、こんな綺麗になるな...

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    麒麟を巡る話、第340話。
    慌ただしい朝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     とん、とんと正確なリズムを刻む、極めて機械的な足音を聞きつけ、マークはがば、と起き上がった。
    「おっ、おはっ、よう、ございます」
    「おはようございます、マーク様」
     メトロノームのような足音が止まり、その音源であるパラがぺこりと頭を下げ、マークに挨拶する。
    「顔色がよろしくないようです。十分な睡眠を取られなかったご様子ですね」
    「え、ええ、まあ、なんか、ええ。……あの、パラさん」
    「はい、なんでしょう」
    「あの、……ゆうべ、僕が寝ちゃった後、何か有りました?」
    「はい」
     パラは抑揚のない、ピアノのような声で、こう答えた。
    「昨夜11時26分、当研究所付近に複数の敵性対象を感知いたしました。
     主様とフィオ様、そしてわたくしは状況の確認および解決のために付近を捜索し、11時29分に敵性対象12名を確認。主様はうち8名を殺害し、残る4名も全員、11時32分に排除いたしました。
     その後、死亡した敵性対象8名を埋葬し終えた11時47分、研究所内へ戻り、主様とフィオ様より就寝する旨を告げられました。わたくしは11時49分より今朝6時00分まで、待機状態に入っておりました」
    「そ、そう。……ん?」
     パラの正確無比な報告に圧倒されつつも、マークはその情報の中に一つ、気になる点を見付ける。
    「どういたしました」
    「ルナさんとフィオ、一緒に寝てるの? 2人ともこっち来てないし、休憩室はキッチン通らないと行けないし、寝室って一部屋しか無いよね?」
    「えっ」
     マークがこの疑問を告げた途端、ピアノの調律が狂った。
    「確認してまいります」
     パラの顔に、うっすら困ったような表情が浮かび、そのままそそくさと、廊下へ戻っていく。
     マークも立ち上がり、彼女の後を追いかけた。
    「ど、どう?」
    「確認してまいります」
     パラはトン、トンと短くノックし、寝室のドアを開けた。
    「……」
     パラは無言のまま、室内に入っていく。
    「……」
     マークも息を呑みながら、パラの後に続く。
     が――部屋の中には、ベッドにうつ伏せになったルナしかいなかった。
    「……だ、だよね」
    「わたくしが保持する主様の基本情報から想定および算出されていた通りの結果となっております」
     先程よりいくらか早口に、パラはそう返した。
    「……ん? じゃあフィオはどこ?」
    「……んあ……っ」
     と、ルナがのろのろと顔を上げる。
    「おはようございます」
    「おはよー……うるさい……おやすみ……」
     ルナがふたたびベッドに顔を埋めようとしたところで、パラが尋ねた。
    「申し訳ございません。しかし屋内にフィオ様のお姿が見当たらなかったため、確認を行っておりました」
    「フィオぉ……? んなの、知らないわよ……。お風呂入りたい……、っつってたから……そこじゃない……?」
    「ありがとうございます。おやすみなさいませ」
    「……んー……」

     ルナの言っていた通り、その直後に浴室を確認したところ、湯船に浸かったまま爆睡しているフィオを見つけたため――マークと、そしてパラは、フィオの額をべちっ、と叩いて起こした。



     一方――作戦に失敗したマラガは、ぎりぎりと歯噛みしていた。
    「くそッ! 何故だ……! 何故ガキ一人殺せんのだ! しかも生き残った奴らも基地にいた奴らも、全員逃亡だと……!?」
    「隊長。あんたは多少、加虐嗜好が強すぎるようだと、私は見てるんだがね」
     話しかけてきた長耳に、マラガは顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
    「それとこれに何の関係があるッ!」
    「あんた、部下の失敗にかこつけて、その倒錯趣味に走ってるだろう? そもそも作戦前に『失敗したら撃ち殺す』とまで言っている。
     誰だってそんな目に遭いたくない。逃げるに決まってるさ」
    「きさまッ……!」
     いきり立ったマラガは机の上にあった灰皿を手にし、長耳に投げつけかけたが――長耳はマラガに拳銃を向けていた。
    「落ち着きたまえ。私一人を殺したら、それこそ千人や二千人殺すことなんて、不可能になるんだぞ」
    「……ぐっ」
     マラガは長耳にではなく、壁に向かって灰皿を投げつける。
     灰皿が豪快な音を立てて粉々になったことを確認した長耳は、静かに拳銃の撃鉄を戻し、机に向かい直した。
    「論理的に、……などと諭すのは概ね無駄だろうが、それでもこの案くらいは聞いてもらいたいね。
     今回の件、あんたは党幹部に説明を行わず、完全に独断で動いていた。動かしたのも党防衛隊ではなく、あんたの私兵の一つだ。
     ならば党幹部には一切、情報は漏れちゃいないはずだ。全員逃亡してて、却って助かったくらいじゃないのか?」
    「……ふ、む」
     それを聞いたマラガはどすん、と椅子に腰掛ける。
    「なるほど。つまり今回の件は……」
    「ああ。何も無かったと言うことにしておけばいい。あの胡散臭い『預言者』様の言に従っていましたと、ふんぞり返っていればいいんだ」
    「そうしておこう。助かったよ、博士」
    「私は何もしちゃいない」
     博士と呼ばれた長耳は、それきりしゃべらなくなった。

    白猫夢・密襲抄 終

    白猫夢・密襲抄 6

    2014.02.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第340話。慌ただしい朝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. とん、とんと正確なリズムを刻む、極めて機械的な足音を聞きつけ、マークはがば、と起き上がった。「おっ、おはっ、よう、ございます」「おはようございます、マーク様」 メトロノームのような足音が止まり、その音源であるパラがぺこりと頭を下げ、マークに挨拶する。「顔色がよろしくないようです。十分な睡眠を取られなかったご様子ですね...

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    麒麟を巡る話、第341話。
    逃げ腰の「天政会」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     白猫党によるヘブン王国の議員、「天政会」傘下105名の虐殺は、央北の西側世界――「天政会」の支配圏に、大きな波紋を起こした。
     あらゆる点から鑑みても、これは紛れも無い、最低最悪の所業である。まともな政治交渉と評価できる点は一切存在せず、軍事行為とも言えない。
     倫理的にも、道義的にも悖(もと)る、おおよそ「政治結社」と名乗る団体が起こすような、まともな行動ではなかった。



     だが、明らかに相手側に非のあるこの行為に対し、「天政会」は報復するような姿勢を見せず、くすぶっていた。
    「猊下、傘下国からまた、抗議声明が……」
     多大な被害を出しておきながら、全く対応する姿勢を見せない「天政会」に、傘下国が一斉に「消極的」「逃げ腰」であると遺憾の意を表し、こぞって抗議したのである。
    「……はぁ」
    「天政会」を立ち上げた初代議長であり、現在は天帝教の教皇となったカメオ・タイムズは、四代目議長の枢機卿から受けた、この何度目かの相談に、明らかに不快そうなため息を漏らした。
    「その件は既に私の手から離れています。あなたの裁量に一任しています。……と、何度あなたにそう返答したか、覚えていますか?」
    「そう仰られましても、これ以上はもう、私の手には……」「よいですか」
     カメオは心底うざったそうに、こう言い捨てた。
    「『大卿行北記』、第5章第1節の3。
    『エリザが言われた、あなたはくじけてはならない。また、逃げてはならない。あなたの後ろを見よ、あなたには幾百の、幾千の兵士が付いている。彼らは皆、あなたが命を下すことを望んでいる。繰り返し、はっきりと言う。あなたは逃げてはならない』。
     あなたも既に、数多くの人の上に立つ身。『自分の手には負えない』などと、泣き言を言っても許されはしないのです。
     どんな決断であれ、あなた自身が成さねばならないのです」
    「……っ」
     傍から見れば、その言葉はそっくり、カメオ自身に跳ね返っているのは明白だった。
     しかしここには、上位にふんぞり返るカメオ教皇と、下位に佇む枢機卿しか居ない。何の反論も許されず、枢機卿はただ、頭を下げることしかできなかった。
    「……御意」
    「期待していますよ、枢機卿」
    「はい……」
     半ば涙声で答えつつ、枢機卿はカメオの前から去った。
    「……ふん」
     一人になったカメオは、忌々しそうにつぶやいた。
    「もう私にそんな汚れを押し付けないでもらいたいものだ。
     もう『天政会』の『て』の字さえ、私は見たくない……」



     クラム暴落や莫大な借款の返済、さらには「天政会」そのものの責任からも――「新央北」との停戦以後、カメオが見せてきた逃げ腰の姿勢はそのまま、「天政会」の行動そのものと言えた。

     創始者であるカメオの興味と情熱を失った「天政会」は、年を追うごとにその勢いを落とし続けていた。
     しかし一方で「央北全域を政治的・経済的に、天帝教の傘下に収める」と言う当初の目的は未だ果たされていないため、無碍に解散させることもできない。
     求心力、活気が失われているにもかかわらず、冗長的に延命させ続けられた結果、「天政会」は機能不全に陥っていた。

     カメオ以降に就いた議長は軒並み心身を患い、引退を余儀なくされている。そのため設立直後から懸念されていた、傘下国の政府を始めとする各組織、とくに軍事勢力からの圧力に毅然と対抗できる者が無く、その力関係は対等になりつつある。
     また、傘下国から集めるだけ集めた資金も、積極的な投資にはほとんど回されず、一部を申し訳程度に借款返済に宛てるばかりで、結果的に溜まっていく一方である。そして溜まれば溜まった分、管理も甘くなり、不明瞭な入出金も増えていく。近年においては天帝教における、新たな疑惑を生み続ける温床となっていた。
     最早「天政会」は、対内的には余計な仕事と疑惑を増やし、有能な僧侶の将来を奪うだけの暗黒機関、対外的にはただ金を吸い上げ、右往左往するばかりの迷惑組織と化していた。

    白猫夢・悖乱抄 1

    2014.02.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第341話。逃げ腰の「天政会」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 白猫党によるヘブン王国の議員、「天政会」傘下105名の虐殺は、央北の西側世界――「天政会」の支配圏に、大きな波紋を起こした。 あらゆる点から鑑みても、これは紛れも無い、最低最悪の所業である。まともな政治交渉と評価できる点は一切存在せず、軍事行為とも言えない。 倫理的にも、道義的にも悖(もと)る、おおよそ「政治結社...

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    麒麟を巡る話、第342話。
    上下の亀裂。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     双月暦566年の後半に入った頃、白猫党の暴挙に対して声明一つ発表しない「天政会」の本拠地マーソルに、傘下各国の有力者たちが詰めかけてきた。
     ひたすら事なかれ主義を通そうとする「天政会」の態度に、傘下各国の怒りがついに噴出したのだ。
    「あんたたちは、平気だと言うのか!?」
    「そうだ、こんなことを見過ごしていいわけが無い!」
    「今後の対応を是非、はっきりと、答えていただきたい!」
    「それは……、その……、現在検討中でありまして……」
     対応に追われた枢機卿は勿論、冷汗を流すばかりでろくな応答ができない。
    「何が『検討中でありまして』だ!」
    「あれから何ヶ月経ったと思ってるんだ!?」
    「もういい加減、結論なり何なりは出ているはずだ!」
    「それとも何か、もう忘れたとでも言うつもりか!? 最早過去のことと、切り捨てたのか!?」
     徹底的に糾弾を受け、枢機卿は縮こまっている。
    「いえ……、関係先とですね、穏便かつ平和的な対応ができるようにと、内々で協議を重ねてはおりますが、複雑な事情もあることですし、少なくとも我々の間では、皆さん全体に納得いただけるような結論には至っていないと言うのが、今現在の認識でして……」
    「複雑な事情!?」
    「単にあんたらのところの坊さんが殺されたと言う話ではないか! どこに複雑な事情がある!?」
    「いや、あんたらだけじゃない! 殺されたヘブン王国議員の中には、当国出身の人間もいたんだぞ!?」
    「そうだ! 我が国からも少なからず、ここへ移った者がいるのだ!
     もしまた今回のようにあなた方や我々が、奴らからの、いいや、どんな敵からも、不当な圧力や襲撃を受け、被害に遭ったその時!
     あなた方はまた今回のように、知らぬ存ぜぬで黙りこむ気であるか!?」
    「いや……、そのようなことは、全く……」
    「全く無いと言うのなら、今、どうするつもりであるかを、この場ではっきり、回答してもらおうか!?」
     有力者たちに散々詰問され、枢機卿の顔色は目に見えて悪くなっていた。
    「と、ともかくですね、その、……上と、相談してまいりますので」

     そしてこれにも、カメオ教皇は逃げの一手で通そうとした。
    「何度も言ったはずです。それはあなたの裁量であると」
    「……そうは仰いますが、……しかし」
     だが、精神状態が限界にあったためか、枢機卿は粘る。
    「もし仮に、私が傘下各国から軍事勢力を借り、白猫党に報復を行った場合、猊下は何かしら、私を叱咤なさるでしょう?」
    「それは当然です。会本来の姿勢ではありません」
    「また、このまま報復しないとしても、叱咤なさるでしょう?」
    「ええ。何かしら行動しなければ、沽券に関わりますから」
    「じゃあ何をしろと言うのですかッ!」
     突然、枢機卿が怒鳴りだした。
    「君?」
    「私が何かしようとすれば、あなたがあれは駄目だ、これも駄目だと口を出してくる! じゃあ一体、私に何が出来ると言うのですか!?
     私の裁量に任せると言っておきながら、結局はあなたに決定権があるではないですか! それなら私のいる意味が無い! あなたが元通り、会の舵を取るべきでは無いのですか!?」
    「いや、君、そうではなくて、君に何か打開策を……」
    「打開策!? できるわけない! 出せるもんか! もう無理だ! 私にそんなことできない! 何でもかんでも他人任せにしないでくれっ!」
    「ちょっと、君ね……」「うわあ、ああ、ああああーッ!」
     相当参っていたのだろう――枢機卿はカメオの執務室を飛び出し、絶叫しながら、どこかへ走り去ってしまった。
    「……」
     カメオはしばらく呆然としていたが、やがて落胆したようにため息をついた。
    「……はぁ。あいつももう、駄目か」



     結局、枢機卿はこの日以来、傘下各国の要人たちの前に――いや、他の誰の前にも、姿を現すことは無かった。

    白猫夢・悖乱抄 2

    2014.02.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第342話。上下の亀裂。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 双月暦566年の後半に入った頃、白猫党の暴挙に対して声明一つ発表しない「天政会」の本拠地マーソルに、傘下各国の有力者たちが詰めかけてきた。 ひたすら事なかれ主義を通そうとする「天政会」の態度に、傘下各国の怒りがついに噴出したのだ。「あんたたちは、平気だと言うのか!?」「そうだ、こんなことを見過ごしていいわけが無い!」「...

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    麒麟を巡る話、第343話。
    会の破綻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     会の代表者がいなくなったとは言え、依然として各国要人たちはマーソルに陣取っている。何らかの回答をせねばならず、「天政会」は急遽、次の議長を決めなければならなかった。
     しかし――。
    「……君?」
     カメオが会員全員を会議室へ招集したが、誰一人、その場に現れない。
     横にいた秘書に尋ねたが、彼も首を降るばかりである。
    「分かりかねます」
    「分かりませんでは、困るよ」
    「そう仰られましても……。会の方全員に、漏れ無く、すぐ来るように伝えております」
    「直接伝えているか?」
    「ええ、勿論」
    「では、何故誰も現れない?」
    「私には分かりかねます」
    「……ぐっ」
     10分、20分と待つが、誰一人現れない。
    「……もういい!」
    「えっ」
     ついにしびれを切らし、カメオは席を立った。
    「君が代わりにやりなさい!」
    「え? いや、む、無理です!」
    「無理でも何でも、やるんだ! 君が議長だ!」
    「そんな! 私にはとても……」
     困り果てる秘書に背を向け、カメオは会議室を出て行った。

     あらゆる手を失い、カメオは追い詰められていた。
    「もういい加減にしてくれ……! 私が何をしたと!?」
     彼自身も精神的に行き詰まりつつあり、私室へ戻る途中ずっと、ブツブツとつぶやき続けていた。
    「忌々しい……! 何もかも忌々しい!
     もうこれ以上、私に責任を負わせないでくれ!」
     どうにか私室の前に到着し、カメオはドアノブに手をかけた。
     だが、やけに手応えが軽い。回してみても、カラカラと音がするばかりである。
    「何だ……? 壊れているのか? ……くそっ」
     何度か回してみるが、ドアが開くような気配は無い。
    「おい、誰か……」
     誰かに開けさせようと、カメオはドアに背を向け、声を上げかけた。
     その瞬間――ドアの向こうから、ぱす、と音を立てて、何かが突き抜けてきた。
    「……が、は?」
     大きく広げた口から、赤い塊が飛び散る。自分の足元に目を向けると、自分の腹部から、まるで滝のように血が流れ出ていた。
    「……な……んだ……これ……っ」
     ぐら、とカメオの体が揺れ、その場に崩れ落ちる。
    「……」
     音もなく、ドアが開く。
    「……ごぼっ……、こ……こ……これは……いったい……」
     ドアの向こうに立っていた者は、静かにカメオを見下ろしている。
    「……」
     と、右手に持っていた拳銃を、カメオの頭に向ける。
    「……っ……ぁ……ぇ……」
     それを目にし、カメオがもがく。どうやら逃げようとしているらしかったが、既にその四肢に力は無く、かくかくと揺れているだけだ。
    「……」
     消音装置が装着された拳銃から、ぱす、ぱすと乾いた音を立てて弾丸が発射される。
    「がっ……」
     その直後、カメオはピクリとも動かなくなった。
     その体を二、三度蹴り、何の反応も示さないのを見て、男はぽつりとつぶやく。
    「死亡、確認した」
     ドアの向こうにいた男は、そのままドアの向こうに消えた。



     30分後、カメオ・タイムズ第20代天帝教教皇が暗殺されたことがマーソル全体に伝わり、僧侶たちにも、そして各国要人たちにも衝撃が走った。
    「何だと……!? 教皇が!?」
    「い、一体どうして!?」
     騒ぐ一方で、誰からとも無く、こんなつぶやきが漏れた。
    「……まさか、誰かが」
    「だ、誰かだと? なっ、何のことだ?」
    「あまりにも、タイミングが異様ではないか……。まるでここにいる誰かが」
    「誰かが、密かに暗殺者を差し向けた、……と言うのか」
    「……」
     つい先程まで騒々しかった彼らは、一瞬のうちに静まり返った。
    「……だ、だが」
     そしてまた、一人がぽつりとこぼす。
    「何のために?」
    「……分からん……」
    「そもそも、我々がやったとは……」
    「……うむ」

     結局、これ以上滞在すれば、逆に自分たちが疑われかねない状況になったために、要人たちは詰問を切り上げ、そそくさと帰国していった。



     議長を含めた全会員の所在が不明となったこと、そして、これまで強固に存続を支持し続けていたカメオが死亡したことにより、「天政会」は事実上の解散となった。

    白猫夢・悖乱抄 3

    2014.02.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第343話。会の破綻。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 会の代表者がいなくなったとは言え、依然として各国要人たちはマーソルに陣取っている。何らかの回答をせねばならず、「天政会」は急遽、次の議長を決めなければならなかった。 しかし――。「……君?」 カメオが会員全員を会議室へ招集したが、誰一人、その場に現れない。 横にいた秘書に尋ねたが、彼も首を降るばかりである。「分かりかねます」...

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    麒麟を巡る話、第344話。
    消えた資金。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「天政会」が解散となったものの、これまでその傘下にあった各国がそのまま、元のように独立独歩の道を歩むようなことにはならなかった。
     元々、経済難から「天政会」に援助を求めてきた各国である。このまま瓦解しては、またも経済危機を迎えかねない。
     そのため彼らは、今度は「央北西部連合」と名乗って結託し、「天政会」が蓄えているはずの運営資金を手に入れようと、再度マーソルに押しかけた。

     ところが――。
    「無い!?」
    「何をふざけておるか!」
     詰めかけた連合に対し、「天政会」の後処理を行っていた枢機卿は、思いもよらないことを告げた。
     なんと「天政会」が蓄えていたはずの運用資金数十億エルが、一切残っていないと言うのだ。
    「申し訳ございません……。
     元々『天政会』はかなり独立性・機密性が高く、母体たる我々にも知らせていない情報が多数、あったようでして。
     運営資金についても、その大部分が、どこの銀行や金融機関、投資筋に預けたのか――いえ、それ以前に、総額がいくらであったのかも、我々には一切知らされていないのです」
    「あなた方が知る知らないは、我々には関係ない。
     我々にとって重要なのは、その運営資金が、我々の手に戻ってくるか否かだ。何しろ、我々の国から各個、拠出されたものなのだからな。
     それが戻ってこないと言うのならば、あなた方には何らかの補償をしてもらわねばならない」
    「それについては……、本当に、申し訳ないとしか、言いようが……」
     枢機卿は深々と頭を下げ、こう返した。
    「申し上げました通り、運営資金はその全てが、所在も運用先も不明瞭なものとなっておりまして……。
     恐らくは全額、元会員らが持ち逃げしたものと……」
    「なんと……」
    「確かに仰る通り、本来であれば我々が、何らかの補償をしてしかるべきであるとは思っているのですが、なにぶん、額が額でありまして……。
     支払えるとしても、恐らくは数千万が限界かと」
    「……むう」
     これ以上この枢機卿を責めたとしても、大した額を回収できないであろうことは明白である。
    「もういい。済まなかったな」
     資金回収を諦めた連合は、今後の方針を定めるべく、ひとまず会議を開くことになった。



     一方、白猫党が本拠を移したここ、クロスセントラルに、その行方不明となった元「天政会」会員20余名が集められていた。
     と言っても、彼らの意思で集まってきたのではない。教皇暗殺の前後に、白猫党の防衛隊員が拉致したのである。
    「吐け」
    「ひぐっ……」
     散々に合金製ロッドで打ち据えられ、全身痣(あざ)だらけになったその僧侶に、隊員が冷たく言い放つ。
    「お前が任されていた資金はいくらだ? どこに預けていた?」
    「ふぁ、ひぁ……」
     何かを言うが、口の中はズタズタに切れており、また、歯も半分近く折られているため、まともな言葉にならない。
    「はっきり言えッ!」
     もう一度ロッドで頬を殴られ、さらに歯が一本飛ぶ。
    「ひぃ、ひぃ……。ほぅひゅうほ……」
    「ん? おい、止めろ」
     と、拷問の様子を眺めていたマラガ隊長が、隊員を止める。
    「口が利けんらしい。筆談させろ」
    「はい」
     隊員は僧侶にペンを握らせ、彼が言おうとしていた内容を書かせた。
    「ふむ……。ゴールドマン部長、これで分かるか?」
    「へー、へー」
     マラガと同じように眺めていたマロは、紙に書かれた内容を確認する。
    「ああ、バッチリですわ。市国の信用金庫ですな。このくらいの額やったら、ちょっと一筆書いてもろてサイン見せたら、受け取りが代理人であっても、すぐ引き出せますわ」
    「なるほど。おい、書かせろ」
    「はい」
     もう一度ペンを握らせ、サインと預金引き出しを願う旨の文章を書かせたところで、マラガはこう言い放った。
    「次に行くぞ。椅子を開けろ」
    「了解であります」
     隊員は胸のホルスターから拳銃を取り出し、僧侶の頭に押し当てる。
     その様子を見たマロは、直後の銃声に紛れるように、こうつぶやいた。
    「えげつないわ……」



     双月暦566年の暮れまでに、白猫党は「天政会」が運用していた資金の大部分を回収した。

    白猫夢・悖乱抄 4

    2014.02.28.[Edit]
    麒麟を巡る話、第344話。消えた資金。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「天政会」が解散となったものの、これまでその傘下にあった各国がそのまま、元のように独立独歩の道を歩むようなことにはならなかった。 元々、経済難から「天政会」に援助を求めてきた各国である。このまま瓦解しては、またも経済危機を迎えかねない。 そのため彼らは、今度は「央北西部連合」と名乗って結託し、「天政会」が蓄えているはずの...

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    麒麟を巡る話、第345話。
    白猫党、開戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「天政会」からの資金回収に失敗したものの、連合にはまだ若干の、資金の余裕があった。
     傘下に収まってしばらくは、曲がりなりにも「天政会」の政治・経済的指導が行き届いており、順調な歳入が確保できていたためである。
    「一応、白猫党の奴らに対抗するだけの力はある、と言うわけだ」
    「となれば、まず行うべきは……」
    「うむ。我が連合の人間が若干ながら犠牲になったことは事実であり、これに対して白猫党には、何らかの謝罪と賠償を行ってもらうべきだ」
    「確かに。ではまず、白猫党に打診を行うとしよう。
     相手が誠実に謝罪・賠償すると言うのならば、よし。今後の関係も、それなりに築けよう。だがもし、謝罪も賠償もせず、無視してかかるような輩であれば……」
    「報復行動もやむなしだ。既にヘブン王国およびその周辺を傘下に収め、侮りがたい勢力となってはいるが……」
    「同等、いや、それ以上の戦力および経済力を有する我々が前体制の如く何もせぬまま、では沽券に関わる。毅然とした行動が求められるだろう」
    「無論だ」
     長年、共通の厄介者に苦しめられてきただけに、連合の結束力は決して弱いものではなかった。
     連合は急速に報復体制を整え、白猫党に向けて両陣営の姿勢を明確にする協議と、議員虐殺事件における謝罪と賠償を求めるべく、それらを打診した。



     だが――。
    「『天政会』を前身とする組織、『央北西部連合』から我が党との関係についての協議と、以前の『天政会』議員排除による人的被害に対する謝罪・賠償を求められたわ。
     だけどコレについては、全面的にノーよ」
     党首シエナは、これをにべもなく却下した。
    「何故なら連合は、『天政会』を前身としていると建前上で言ってはいるけれど、実質的には全く無関係の組織だからよ。
     連合には『天政会』から引き継いだ利権および資産・負債が何ら存在せず、実情は『天政会』の束縛から解放された奴らが、勝手に徒党を組んでるだけ。そんな身上で『天政会』に代わって賠償請求するだなんて、無権代理もいいところ。
     こんな筋違いの要求、呑む方がおかしいわよ」
    「そらそうですな」
    「うむ、違いないでしょう」
    「異議なしであります」
     この意見に、マロや幹事長のイビーザ、マラガと言った強硬派は一様にうなずいたが、穏健派の政務部長トレッドと、党員管理部長アローサは苦い顔を返した。
    「しかし総裁、彼らの要求をすべてはね付けると言うのは、今後の関係にひびを入れることになります。
     連合国内出身の僧侶が、あの排除対象者の中に若干名含まれていたのは事実ですし、それに対する謝罪も一切無いと言うのはどうかと……」
    「わたしも同感です。まだ党の手が加えられていない国に対し、あまりに強すぎる強硬路線を貫いては、今後の支援者や党員の獲得に、悪影響を及ぼします」
    「いいのよ。結局最後には、アタシたちが全部を奪うんだから。
     もう央北諸国に対して顔色をうかがうようなコトは、一切する必要は無いわ。もう支援者も党員も十分に集まった。コレ以上の『同志』の獲得は、必要ない。
     ココから確立していく関係は『対等』ではなく、『従属』よ」
    「それも、『預言』ですか?」
     そう尋ねたトレッドに、シエナは大仰にうなずいて見せた。
    「そうよ。今まで『預言』と言ったものが、アタシたちの介入なしに外れたコトがあった?」
    「……いいえ。異存ございません、総裁。元より総裁決定と『預言』には、従う所存であります」
    「右に同じく」
     穏健派も折れ、白猫党は正式に、連合の要求を却下することを相手に伝えた。



     白猫党からの返答を送りつけられた連合は当然、激怒した。
     そして、連合は何としてでも白猫党に、謝罪と賠償をさせるために。一方の白猫党は、央北全土を征服するために――必然的に、戦争が勃発した。

    白猫夢・悖乱抄 終

    白猫夢・悖乱抄 5

    2014.03.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第345話。白猫党、開戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「天政会」からの資金回収に失敗したものの、連合にはまだ若干の、資金の余裕があった。 傘下に収まってしばらくは、曲がりなりにも「天政会」の政治・経済的指導が行き届いており、順調な歳入が確保できていたためである。「一応、白猫党の奴らに対抗するだけの力はある、と言うわけだ」「となれば、まず行うべきは……」「うむ。我が連合の人間...

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    麒麟を巡る話、第346話。
    戦争準備。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     本拠地をヘブン王国首都、クロスセントラルに移して以降、白猫党はさらに勢いを増していた。

    「本当に大丈夫?」
    「任してください。俺にはご先祖秘伝の策がありますよって」
    「先祖秘伝?」
     白猫党が実権を握るまで開店休業状態にあった造幣局で、マロはニヤッと笑って見せる。
    「ニコル3世伝説ですわ。北方でも今みたいな、いや、今よりもっとえげつないインフレが起こっとった時があったっちゅう話なんですが……」
    「まあ、何でもいいわよ」
     先祖の自慢話を切り上げさせ、シエナは真面目な顔で尋ねる。
    「うまく行く確証があるのね?」
    「歴史が証明しとります」
    「いいわ。それじゃ後は任せたわよ」
    「ええ」
     シエナが踵を返したところで、マロが大声で叫ぶ。
    「よっしゃ、刷れ刷れ! ガンガン行ったれ! 『ホワイト・クラム』のお目見えや!」
     間もなくして、あちこちで製造機が音を立てて動き出した。
     それを背にしつつ、シエナは今後の展望を考えていた。
    (経済に関しては、確かにアタシには分からないコトだらけだけど、それでも最早ゴミクズと化した『ヘブンズ・クラム』をいくら刷ったって、アタシたちには何の得にもなりゃしないって言うコトくらいは、十分把握できてる。
     それに今現在、ウチの資金はエル建てで用意されてるけれど、今後の活動を考えれば、いつまでも央中通貨に頼るワケには行かない。いずれは央中をも攻略する予定だし、央中の都合で変動するカネを持ってちゃ危ないわ。
     そこら辺の問題を経済通のアイツに一任したけど、……大丈夫よね?)
     と、そこへ造幣局員が一人、小走りで駆けつけてきた。
    「総裁閣下!」
    「え? ……ん、何?」
    「第一号が完成しました。お受け取り下さい」
     局員はそう言って、一枚のコインを差し出した。シエナはそれを取りかけたが、途中で手を引く。
    「……ん、まあ、気持ちはありがたいけど、……横領になるし」
    「ええですよ、別に」
     シエナと局員のやり取りを見ていたらしく、マロが声をかける。
    「それが『カネ』になるんは、ここを出てからです。まだ造幣局の刻印入れてませんし、それはまだ、ただの『コイン』ですわ」
    「そう……? ま、財務部長がそう言うのなら、受け取るわ」
     シエナは素直に、局員からできたての貨幣――白猫党が発行する新たな通貨、「ホワイト・クラム」を受け取った。

     党防衛隊も兵器廠を市内に新設し、兵器開発を急がせていた。
    「調子はどうだ、博士」
    「見ての通りだ」
     博士と呼ばれたその長耳は、机に貼られた設計書をマラガに示した。
    「俺がそんな紙切れを見て、分かると思ってるのか?」
     悪びれもせずそう返したマラガに、博士は舌打ちする。
    「脳筋には分からんようだな」
    「そうとも。説明してくれ」
    「……フン。
     まず歩兵の主力兵器。ゴールドマン商会兵器開発局の軽機関銃『レイブンレインV4』のコピー品だが、本物より部品数を減らし、軽量化および整備性の向上に特化させた」
    「うん? 部品が減っては、性能が下がるではないか」
    「安全性や使用感については問題ない。減らしたのは主に、命中精度に関わる部品だ。
     しかし私の意見としては、大量に弾をバラ撒く銃火器には、命中精度はさほど必要ではないと……」「ああ、いい、いい。とにかく次の戦争には使えると言うことだな。
     で、次は?」
     持論を途中でさえぎられ、博士はむっとした顔をしつつも、説明を続ける。
    「他の歩兵用兵器としては、拳銃や小銃も重要な要素になる。こちらも金火狐方面から技術を流用し、それぞれ近接戦闘に特化させている」
    「ふむ。……こいつは? 歩兵が持つには、いささか大き過ぎるようだが」
     その設計書を指摘され、博士は嬉しそうに笑う。
    「こいつは私のオリジナルだ。親父の……、いや、金火狐のアイデアではない」
    「なるほど?」
     マラガはその設計書を手にし、ニヤニヤ笑う。
    「こいつが実戦投入され成果を収めれば、あの『死の博士』を名実共に超えられると言うわけだな、デリック・ヴィッカー博士」
    「そうとも。私こそが新たな『死の博士』だ。
     そうなるためには、私の功績を戦場で余すところなく宣伝してくれたまえよ、エンリケ・マラガ隊長」
    「ふっふっふ……、任せとけ」

    白猫夢・蹂躙抄 1

    2014.03.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第346話。戦争準備。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 本拠地をヘブン王国首都、クロスセントラルに移して以降、白猫党はさらに勢いを増していた。「本当に大丈夫?」「任してください。俺にはご先祖秘伝の策がありますよって」「先祖秘伝?」 白猫党が実権を握るまで開店休業状態にあった造幣局で、マロはニヤッと笑って見せる。「ニコル3世伝説ですわ。北方でも今みたいな、いや、今よりもっとえげ...

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    麒麟を巡る話、第347話。
    盤外戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     元々、傍系とは言え金火狐一族であり、経済に明るいマロが党内におり、彼が「預言」を元に順調な投資・投機を繰り返していたことから、白猫党には相応の資金があった。
     それに加え、「天政会」会員を拉致・拷問して得た情報により、その運営資金を強奪したことで、白猫党はさらに潤沢な軍資金を獲得していた。
     その金に物を言わせ、白猫党は双月暦567年初頭――央北西部連合との戦争を間近に控えたこの時、半端な国家よりもよほど堅固な装備を整えていた。
     しかし、それだけ派手な運用をしていたにもかかわらず、相手側にはその情報は、まったく伝わっていなかった。
     これは白猫党の対情報の堅牢さ――兵器設計・開発・製造から兵士の訓練内容はおろか、その組織と配備に至るまで、すべて本拠地内でのみ完結させていたためである。



     さらにその上で、対外的には大量の偽情報を流し、相手である連合を混乱させていた。
    「我が国の諜報部が集めた情報によれば、白猫党はヴァーチャスボックスに巨大な兵器廠を建設し、小銃を月間一千挺単位で製造しているとのことだ」
    「うん? 我々の情報では、兵器廠はアークフォードに建設中であると……」
    「いや? 既に完成していると聞いているぞ?」
    「……? 情報がまったく統一できないな。
     皆、もう一度教えてくれ。兵器はどこで製造されていると?」
     何度聞いても、敵の重要拠点を何一つ、正確に割り出すことができない。
    「疑わしい箇所を、全て回ることは?」
    「難しいでしょう。何しろ敵の勢力圏は既に、央北の3分の1に及んでいます。
     確かに我々の兵力を総合すれば20万を超えますが、それを疑わしいところへすべて行き渡らせた場合、一箇所につき3~4000名を割るような配置となってしまいます」
    「うーむ……。敵兵力がどれだけあるかによるが、重要拠点を防衛しているとなれば、少なく見積もっても5000以上は確実だろう」
    「我々の情報網によれば、敵兵力は10万とのことです」
    「いや、5万程度であるとの調べが付いている。これは確かな筋からの……」
    「いやいや、我々の方ではもっと多いと聞いているし、近代装備で武装していることを考えれば……」
    「その装備だが、ほとんどが金火狐のコピー品らしいぞ。性能は高くあるまい」
    「いや……、独自設計のものも多数あるとのことだ」
    「それについてだが、まだ開発段階であり、大部分は従来使用していた金火狐製品をコピー中であると……」
     あまりに錯綜する情報に、議長はついに頭を抱えた。
    「……何が本当なんだ?」

     このように、相手の状況がほとんどつかめず、明確な攻撃目標が定められないでいた連合に、さらに頭を悩ませる事態が発生した。
     いよいよ戦争が始まるかと言う双月暦567年のはじめになって、連合加盟国のうち3ヶ国が突然、白猫党の傘下に収まったと公表したのである。
     これは白猫党が「天政会」の解散騒ぎ以前から仕掛けていた罠であり、相手の情報を本営から堂々と盗み取ると言う、大胆不敵な策略だった。
     しかもこの3ヶ国はいずれも小国とは言え、白猫党の有する領地のすぐ隣にあった、交戦地と目されていた地域である。土壇場で配備体制を整え直さねばならなくなり、連合は大慌てとなった。
     さらにこの「裏切り」は、連合全体の士気を大きく落とし、互いに疑い合う状況を作り出した。連合側の陣営にはいつ、どの国が裏切るか分からないと言う疑心暗鬼の空気が漂い、最早一致団結し、戦争に迷いなく臨めるような環境ではなくなっていた。

     開戦までに相手を徹底的にやり込め、極限まで弱体化させた白猫党にとって、連合との実戦はほとんど遊びにも近いもの――いや、言うなれば「軍事演習」にも等しいものとなった。



     双月暦567年2月、ついに白猫党と連合との戦争が始まった。
     だが事前の、白猫党からの執拗な戦外工作により、連合の士気は緒戦から低かった。
    「……」
    「……」
    「……」
     様々な国からの兵士で構成された連合軍は、一様に憮然とした顔で行軍している。
    「……ざけんなって話だよ」
     どこからともなく、声が漏れる。
    「あ?」
    「ボンド王国の奴らだよ。開戦直前に、敵に寝返ったんだろ?」
    「ああ……、クソだな」
    「フンク王国とサヴェジ王国もだろ?」
    「ああ、そいつらもだ。本気でクズだな、マジ」
     行軍中に出る話題は、決まって寝返った3ヶ国となる。
    「あいつらのせいで、折角造ってた砦が無駄になったんだろ?」
    「いや、無駄って言うより、分捕られたって感じだろ、白猫党に」
    「裏切り者の上に泥棒、ってか?」
    「マジふざけんなよ……」
     本来ならば私語厳禁であるはずの行軍中でさえ、こうしてダラダラとした会話が続く。
     この一事をとっても、統率が乱れているのは明らかだった。

    白猫夢・蹂躙抄 2

    2014.03.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第347話。盤外戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 元々、傍系とは言え金火狐一族であり、経済に明るいマロが党内におり、彼が「預言」を元に順調な投資・投機を繰り返していたことから、白猫党には相応の資金があった。 それに加え、「天政会」会員を拉致・拷問して得た情報により、その運営資金を強奪したことで、白猫党はさらに潤沢な軍資金を獲得していた。 その金に物を言わせ、白猫党は双月暦...

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    麒麟を巡る話、第348話。
    新兵器。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     それでも連合は、どうにか急ごしらえの砦に軍を集結させ、守りを固めさせた。
    「敵の姿は?」
    「まだありません」
    「了解した。引き続き、警戒してくれ」
     砦の指揮を任された将校も、兵士たちと同様、はじめは愚痴をこぼしていたものの、いざ防衛に着手したところで、ようやくそれらしい態度になった。
    「繰り返すが、ここは交通の要所だ。そのため広域にわたって整備されており、この周辺には身を隠しつつ、ここを攻撃できるような場所は無い。最も近隣の森からも1キロ以上は離れているし、南にある丘陵地帯も、ここからその状況を確認することが容易だ。
     ……まあ、はっきり言って、こんなところを攻めるのは阿呆のやることだ。そんなものは100%確実に迎撃される。自分たちから死にに来るとしか思えん」
    「はは……」
     冗談めかした上官の言葉に、兵士たちから笑いが漏れる。それを受けて上官もニヤッとしたが、すぐ真面目な顔に戻る。
    「とは言え、今後の戦況を考えれば、物資の補給路として活躍するであろうと予測されている。万が一、ここを落とされるようなことがあれば、連合軍の兵站に重大な支障をきたす。
     全員、気を抜かず防衛に当たるように」
    「了解であります!」
     上官・兵卒共に、どうにかそれらしい雰囲気を作り、ようやく両者の士気も上がってくる。
    「散々振り回されてきたが……、ともかく、我々はこの砦を守りきり、勝利すれば……」
     さらに気合を入れようと、上官が扇動しかけた、その時だった。
    「南、丘陵地帯に不審な影、多数確認! 敵と思われます!」
     伝令から、報告が飛んでくる。
     上官は演説できず、多少残念そうな様子を見せたが、すぐに応じた。
    「……っと。よし、すぐに警戒態勢を取れ! 追い返してやるんだ!」
    「了解!」
     命令は各部署に伝えられ、あちこちで準備が整えられた。



     その、丘陵地帯。
     到着した白猫党の軍小隊は、本営と連絡を取っていた。
    《様子は?》
    「我々に気付いた模様。迎撃準備を整えています」
    《ククク……、悠長なことだ》
     本営内で状況を伝え聞いていたマラガは、笑いながら命令した。
    《新兵器のお披露目と行こうか。たっぷりお見舞いしてやれ!》
    「了解!」
     命令を受け、兵士たちは「装置」の組み立てを始めた。

     命令を下したところで、マラガは隣で様子を見守っていたデリック博士に尋ねた。
    「で、今回の新兵器についてだが、詳しいことを聞いていなかったな、博士」
    「説明したはずだが」
    「お前はしただろうが、俺は聞いとらん。改めてしてもらおう」
    「……」
     いつものように憮然とした顔をしつつも、デリック博士は説明する。
    「発射機構自体は、そんなに複雑なものではない。従来の高射砲とほとんど同じものだ。無論、携行性を高めるために若干の軽量化は行っているが。
    『新兵器』としているのは弾の方だ。発射される砲弾が、従来のような弾ではないのだ」
    「どう違う?」
    「大まかに分類するならば榴散弾、即ち命中すれば炸裂し、周囲に猛スピードで鉛弾をバラ撒くタイプの砲弾と言える。
     しかし今回の新兵器がバラ撒くのは、鉛ではない」



     迎撃準備が整えられている間も当然、連合軍側は白猫軍の動きを監視していた。
    「敵影、依然動きません」
    「了解した」
     そう返したところで、上官はいぶかしがる。
    「敵の数は小隊程度、と言っていたな?」
    「はい」
    「既に我々に動きを捉えられているであろうことは明白だ。だが、そのまま動きが無いと言うのは、妙だな?」
    「斥候、……にしては多過ぎますし」
    「向こうも砦を構える気だろうか? ……とすれば、相当準備が遅いが」
    「案外、戦下手なのかも」
    「いや」
     楽観的じみた側近の意見を、上官は首を振って否定する。
    「これまでの盤外戦の周到さを考えてみろ。実際に戦闘が行われる前に、あれだけ我々連合軍をやり込めてきた奴らだ。
     何か、我々の予想をはるかに超えるような手段で攻撃してくるのでは……」
     と、その時――ポン、と鼓を打つような音が、砦中に響いた。
    「……? 今のは?」
    「確認します!」
     待機していた伝令が、大急ぎで司令室から出て行った。
     だが、5分経っても、10分経っても、伝令は戻ってこない。それどころか、立て続けにポンポンと音が繰り返されているにもかかわらず、砦内には動きが見られない。
    「おかしい……。どうしたんだ、一体?」
     しびれを切らし、上官が窓の外を見ようと動きかける。
    「あ、いや、私が」
     それを側近が制し、代わりに窓を開けた。

     それが地獄の始まりだった。
    「……」
    「何か見えるか?」
    「……」
     上官が尋ねたが、側近は答えない。ずっと窓の外を眺めている。
     いや――窓枠にかけていた手が、ブルブルと震えている。
    「どうした?」
     やがてその震えは、肩、頭、そして全身に回り、側近は両手をだらりと下げ、窓枠に首をかけて痙攣し始めた。
    「おい!? どうしっ、た、た、たたっ、た……」
     そして窓の付近にいた者たちも、同様にビクビクと震え、倒れていく。
    「……!」
     異常事態に気付き、上官は慌てて部屋から出た。
    「……が、……っ、……」
     その直後――上官も同様に、全身を痙攣させて倒れた。

    「撃ち方やめ!」
     30発ほど撃ち込んだところで、白猫軍は砲弾の発射をやめた。
    《状況はどうだ?》
    「敵拠点、完全に沈黙しました」
    《分かった。博士によれば、効果は30分くらいとのことだ。
     ああ、そうそう。まだ突入はするなよ。うかつに近付けば、お前らも死ぬぞ》
    「了解です。待機します」
    《そうしてくれ。突入は1時間後でいい。それまでコーヒーでも飲んでろ》
    「ありがとうございます」

    白猫夢・蹂躙抄 3

    2014.03.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第348話。新兵器。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. それでも連合は、どうにか急ごしらえの砦に軍を集結させ、守りを固めさせた。「敵の姿は?」「まだありません」「了解した。引き続き、警戒してくれ」 砦の指揮を任された将校も、兵士たちと同様、はじめは愚痴をこぼしていたものの、いざ防衛に着手したところで、ようやくそれらしい態度になった。「繰り返すが、ここは交通の要所だ。そのため広域...

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    麒麟を巡る話、第349話。
    ワンサイドゲーム。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     緒戦は白猫党の勝利に終わった。
     デリック博士の開発した、毒ガス弾をはじめとする数々の新兵器が、攻城戦において絶大な効果を発揮したこと。加えて、連合が想定していたよりもはるかに長距離からの攻撃手段を有していたことにより、前線に配備されていた連合軍兵士は、その半分以上が敵と接触すること無く、全滅。連合軍は前線全域からの撤退を余儀なくされた。
     そのため前線が置かれていた連合側の数ヶ国は、そのまま白猫党に占領されることとなった。

     出鼻をくじかれ、連合側の首脳陣は戦々恐々としていた。
    「ここまで一方的な結果になろうとは……」
    「まったくだ」
    「現状、奇妙なことに防御を固めれば固めるほど、大ダメージを受ける結果となっている。
     かと言って無計画に攻めるなど、それこそ自殺行為だ」
    「戦闘による状況の打開は難しい、と言うことか」
     序盤から敗色濃厚な空気が漂い、首脳陣は揃って頭を抱える。
    「これでは戦うどころではない……」
    「ああ、確かに。どうにか白猫党と交渉し、停戦に持ち込まねば」
    「しかし、前回の交渉は決裂している。同条件で望んでも無意味だろう」
    「……仕方がない。虐殺事件における謝罪・賠償は諦めざるを得ん。占領された数ヶ国も、放棄しよう。
     これ以上攻めこまれ、残る陣地までもが占領されるよりはましだ」

     だが、前回よりはるかに下手に出たこの条件でも、白猫党は納得しなかった。
     圧倒的優位を確信していた白猫党は、連合を解体した上で、その領地をすべて党の支配下に置くことを、停戦の条件として突きつけてきた。
     到底、こんな条件は納得できるものではなく、連合は戦争を継続せざるを得なくなり――その後の戦争は、白猫党による侵略戦争と化した。
     連合の総合的な軍事力は、最新鋭の兵器で武装した白猫党に到底対抗できるものでないことは明らかであり、連合側は最後まで、白猫党の嬲り者にされることとなった。



     勿論その間にも、政治的な駆け引きにより停戦に持ち込もうとしなかったわけではない。だが連合単体の交渉はことごとく蹴られ、まったく成立しなかった。
     そのため、「新央北」やその他の大規模な政治組織と協力、あるいは停戦交渉の仲裁を申し込んだが――。

    「お前が聞いた通りだ。彼らに手を貸したり、あまつさえ仲裁するなどと言うことは、今はとてもできんのだ」
    「新央北」の宗主、トラス王は、これを拒否した。
    「何故ですか、父上!? 同じ央北の人間を、見捨てると言うのですか!?」
     この決定を聞いたマークは憤り、その怒りをトラス王にぶつけたが、彼は渋い顔をしつつ、こう答えた。
    「まず第一に、形勢を見ての結論である、と言うことだ。
     連合が白猫党に、軍事的に劣っていることは明白だ。戦争全体を鑑みても、局地の戦いぶりを見ても、白猫党に蹴散らされ、ことごとく敗走していることは広く知られている。
     彼らと組み、我々の兵力を付加し、最大限協力したとしても、情況を覆すことは不可能だろう。
     一方で停戦交渉の仲裁役を買って出たとしても、我々では今の、波に乗った白猫党に言うことを聞かせることはできん。恥をかかされるのがオチだろう。
     冷たい言い方をすれば、我々が動いたとしても、戦費や外交費の無駄になるだけだ」
    「……本当に、冷たい言い方ですね」
    「お前に、そして連合の人間に非道と思われるのは承知だ。
     だが、私にもこの共同体を維持し、域内の安寧秩序を守る責任がある。道連れになって共に崩壊し、白猫党に支配されるなどと言う道は、到底選べん。
     そして第二の理由だが、我々の側の体力の温存と、敵側の消耗を狙ってのことだ。残念ながら我々の総力は、現在の白猫党に劣っていることは明白だ。今戦えば確実に、我々は負ける。
     だが白猫党が連合を下し、彼らを支配下に置き、そして統治していくとなれば、彼らの組織・領地は肥大化し、維持するにも拡大するにも、相当の疲労が発生するだろう。
     その疲労が蓄積し、白猫党の動きが鈍りきったその時にしか、我々の勝機は到来し得ない。その機が来るまで、我々は体力を温存しておかねばならないのだ。
     分かってくれ、マーク。この戦いに、負けるわけにはいかんのだ。どんな犠牲を払ってでも、……だ」
    「……はい」
     マークはそう返し、うなだれるしかなかった。



    「新央北」の拒否に続き、他の政治組織も、敗色濃厚な連合と関係することを嫌ったため、連合はさらに窮地に立たされた。
     そのうちに、連合内でも「早めに白猫党に下った方が被害が少なくて済む」として、次々と離反が起こった。

     そして双月暦567年、暮れ。結成当初20以上加盟していた央北西部連合は、そのすべてが白猫党の支配下に置かれることとなり、解体。
     戦争は白猫党の圧倒的勝利となった。

    白猫夢・蹂躙抄 4

    2014.03.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第349話。ワンサイドゲーム。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 緒戦は白猫党の勝利に終わった。 デリック博士の開発した、毒ガス弾をはじめとする数々の新兵器が、攻城戦において絶大な効果を発揮したこと。加えて、連合が想定していたよりもはるかに長距離からの攻撃手段を有していたことにより、前線に配備されていた連合軍兵士は、その半分以上が敵と接触すること無く、全滅。連合軍は前線全域から...

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    麒麟を巡る話、第350話。
    不協和音の排除。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     央北の3分の2を手にし、白猫党と、そして彼らの本拠地であるヘブン王国は、戦勝ムードに酔いしれていた。
    「白猫党、万歳!」「チューリン総裁、万歳!」
     党は凱旋パレードを催し、国民を労っていた。
     シエナ自身も、西方から輸入してきた自動車に乗ってパレードに参加し、勝利の味を噛み締めていた。
    「素敵ね。今なら水飲んだだけでも酔っ払っちゃいそう」
    「全くです」
     車内にはシエナとトレッド、イビーザ――そして、葵の姿があった。
    「ぐー」
     葵はシエナにもたれかかり、いつものように眠りこけている。その様子を見て、イビーザが顔をしかめる。
    「しかし総裁、アオイ嬢を連れてくる必要は無かったのでは?」
    「アタシもそう思ったけど、彼女がどうしても来たいって言うから」
    「ふむ……?」
     これを聞き、トレッドが意外そうな顔をする。
    「珍しいですな。アオイ嬢がそんなことを仰るとは」
    「ええ、アタシもそう思うわ。……たまには目立ってみたいのかしら?」
    「……むにゃ」
     と、唐突に葵が目を覚ました。
    「おはよ、アオイ」
    「……いま、どこ?」
     尋ねた葵に、イビーザが答える。
    「間もなくパレードを終え、ドミニオン城に戻るところでございます」
    「停めて。ここで、すぐに」
     そう返され、全員が面食らう。
    「え?」
    「一体何故……」
    「早く」
     強い口調で命じられ、シエナが渋々従った。
    「……分かったわ。停めてちょうだい」
     シエナに命じられ、車はドミニオン城の門前で停まる。
    「どうしたの? 気分悪いの?」
    「違う」
     葵は三人をじっと眺め、こう続けた。
    「この車から絶対出ないで。城内に入るか車を降りたら、エンリケさんが銃撃してくる」
    「……え?」
    「エンリケとは、エンリケ・マラガのことですか?」
    「そう」
    「何故です? いや、それよりもこれは、まさか『預言』なのですか?」
     トレッドの問いに、葵は小さくうなずいた。
    「そう」
    「どうして!? 何故マラガがアタシたちを……!?」
     蒼ざめるシエナに対し、イビーザが「……いや」と続けた。
    「確かに彼奴が反旗を翻すには、絶好の機会でしょう。戦勝ムードにあてられ、我々も少なからず油断しておりました。
     それに今下克上し、それが成功されれば、彼奴には央北3分の2が手に入るわけですからな」
    「……なるほど、そう、ね」
     イビーザの言葉に納得しつつ、シエナは葵の方を向く。
    「でも、どうするの? このまま停まってたら、怪しまれるんじゃ」
    「あたしが何とかする。
     エンリケさんは行方不明になったって、公表しておいて」
     そう返し、葵はその場から姿を消した。
    「……!? き、消えた!?」
    「『テレポート』よ」
    「て、『テレポート』ですって? そんな術があるとは、聞いたことはありますが……」
     混乱する様子を見せつつもそう尋ねたトレッドに、シエナは首を振って答える。
    「アタシも見るのは初めてよ。……ドコで学んだのかは、同窓だったアタシも知らないけどね」

     一向に車が城内へ入ってこないため、城内中庭で待ち構えていたマラガは苛立っていた。
    「どうした、どうした!? さっさと来やがれ、雌豚め」
     マラガの背後には、彼が囲い込んだ党防衛隊の一小隊が整列している。葵の言った通り、シエナたち党の最高幹部を襲うためである。
     マラガ自身も新型の小銃を肩に提げ、いつでも攻撃できるよう備えていた。
    「……来ない。とっくにパレードは終わっているはず、……だが」
     きょろきょろと辺りを見回したり、小銃を構えたり提げ直したりするが、依然として車は入ってこない。
    「まさか……、感付かれたか?」
     マラガの顔に、焦りの色が浮かぶ。
     そしてその懸念を肯定する者が、突然現れた。
    「そうだよ」
    「……!」
     一瞬前まで誰もいなかった中庭に、いつの間にか葵が立っている。
    「だ、誰だ貴様は!」
    「あなたの企みは『見えてた』。シエナたちを殺させたりなんか、絶対させない」
    「見え……? 何を言っている?」
     葵は腰に佩いた刀を抜き、マラガとその背後に立つ小隊に向けて構えた。
    「それにあなた、本当はあの方を、『白猫の夢』を信じてない。シエナたちの方便だと思ってる」
    「……っ」
    「そう言う人が党の幹部にいたら、党はいつか、おかしくなる。一緒に同じ方を向いてくれない人がぽろぽろ出たら、組織はバラバラに千切れちゃうよ。
     ううん、このままだと『そうなる』。だからその前に、あなたを消す」
     そう言って、葵はマラガに向かって駆け出した。

    白猫夢・蹂躙抄 5

    2014.03.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第350話。不協和音の排除。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 央北の3分の2を手にし、白猫党と、そして彼らの本拠地であるヘブン王国は、戦勝ムードに酔いしれていた。「白猫党、万歳!」「チューリン総裁、万歳!」 党は凱旋パレードを催し、国民を労っていた。 シエナ自身も、西方から輸入してきた自動車に乗ってパレードに参加し、勝利の味を噛み締めていた。「素敵ね。今なら水飲んだだけでも酔...

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    麒麟を巡る話、第351話。
    預言者の降臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     一直線に向かってくる葵を見て、マラガは引きつった声で怒鳴る。
    「……う、撃て! 撃てッ!」
     マラガに命じられ、小隊は一斉に銃を構え、葵に向かって発砲する。
     だが――まっすぐ向かってくるはずの葵に、弾は一発も当たらない。あっと言う間に距離を詰められ、葵はマラガのすぐ目の前まで迫る。
    「ひっ……」
     マラガも慌てて小銃を構え、葵に向ける。
     だが葵は、その小銃をいとも簡単に叩き斬った。
    「なっ、なんだと!?」
    「……」
     武器を失い、丸腰になったマラガに、葵は刀を向ける。
    「選んで。ここで殺されるか、自分で立ち去るか」
    「……ふ、フン」
     だが、マラガは馬鹿にしたような目を向ける。
    「こ、この土壇場でそんな台詞を吐くってことは、……お前、人を殺したことが無いな? 怖いんだろう、え? 本当に俺を殺せるわけがない、そんなつもりはない、ただのこけおどし、……そ、そうだろう?」
    「……」
    「い、いいとも! 殺してみろ! ほれ、やってみやがれ! さあ! さあ、さ……」「分かった」
     ざく、と音を立てて、マラガの額に刀が突き刺さった。
    「ほげっ……」
     マラガの鼻と口から、間の抜けた音と、大量の血が噴き出す。
    「ひっ……」
     その光景を見ていた兵士たちから、悲鳴が漏れる。
    「言ったはずだよ。選んでって」
     マラガに刀を刺したまま、葵はつぶやいた。
    「逃げたいって言ったら、逃してあげるつもりだったのに」
    「……ごぼ、ぼ、っ、……」
     マラガの目がぐるんと白目をむき、四肢から力が抜ける。それを見た葵は、刀をマラガの額から抜いた。

    「あなたたちに」「……っ!」
     葵は倒れたマラガに目もくれず、刀を拭きながら、呆然と立ち尽くしたままの兵士たちに声をかけた。
    「ちょっとだけ、未来を教えてあげる」
    「な、……え?」
    「あなたは半年後、結婚するよ。相手は今あなたが片思いしてる、喫茶店の子。明後日告白したら、上手く行くよ。明日じゃダメだからね」
     葵に指を差された兵士は、目を丸くする。
    「な、何……?」
    「隣の、あなた。半月後、脚を大ケガする。でも来週いっぱい演習場に行かなきゃ、大丈夫だよ。
     その隣。あなたは10日後、目を患う。ううん、今も右目がかゆいはず。でも今日この後、すぐ治療に行けば治るよ。病院嫌いみたいだけど、行かなきゃ失明するよ」
    「……まさか……」
    「あなたは今すぐ、無理にでも休暇を取って、明日の昼までには家に帰って。そうしないと6日後、冷たくなったお母さんの前で大泣きしなきゃならなくなるよ。明日だったら、助けられるからね。
     あなたは今日から3日間、いつものバーに行って呑んじゃダメだよ。あなたをだまそうとして、待ち構えてる人がいるから。4日目にはその人、別の詐欺で捕まるから、その後でなら、いくらでも呑んでもいいけど。
     それから、あなた。験担ぎするのはあなたの勝手だけど、明日だけはやらない方がいいよ。いつも狙ってるのと逆のことをしたら、きっと楽しいことが起きるから」
    「あなた……は……」
     次々に自分たちの未来を告げられ、兵士たちは小銃を足元に落とし、戦意を失う。
    「……あなたは……預言者……!」
    「そう」
     その場に居た兵士全員に未来を告げ終えた葵は、こう締めくくった。
    「でも今の未来は、これから入ってくるシエナたちに、ちゃんと挨拶しないと起こらないよ。
     エンリケさんは行方不明になったって、口裏を合わせておいてね」
    「……りょ」
     兵士たちはかかとを揃え、背をぴんと伸ばし、葵に向けて最敬礼し、大声を上げて返事を返した。
    「了解であります、預言者殿!」
    「ん」
     葵は短くうなずき、次の瞬間、ふっと姿を消した。

     5分後、小隊による万雷の拍手を以って、パレードを終えたシエナたちが出迎えられた。



     この事件以降、それまで幹部以外には、それほど信じられてこなかった「預言者」の存在が、党全体に広く、そして明確なものとして伝わった。
     党員たちの大多数は「白猫の夢」と、そしてその夢を自在に見られると言う「預言者」を、強く信じるようになった。
     その様子はまるで――神に深い祈りを捧げ、無償・無限の信頼を貫く、敬虔な信者のようにも見えた。

    白猫夢・蹂躙抄 6

    2014.03.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第351話。預言者の降臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 一直線に向かってくる葵を見て、マラガは引きつった声で怒鳴る。「……う、撃て! 撃てッ!」 マラガに命じられ、小隊は一斉に銃を構え、葵に向かって発砲する。 だが――まっすぐ向かってくるはずの葵に、弾は一発も当たらない。あっと言う間に距離を詰められ、葵はマラガのすぐ目の前まで迫る。「ひっ……」 マラガも慌てて小銃を構え、葵に向...

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    麒麟を巡る話、第352話。
    党内刷新。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     マラガが「行方不明」になった後、巨大化した党防衛隊は正式に、「白猫軍」と改められた。それと同時に、新たに司令官が選出されることとなった。
     新任の司令官には、敬虔と言えるほどに「白猫」を信じる者が着任した。

     その新たな司令官とデリック博士との間に、やがて深い亀裂が生じることとなった。
     今回の戦争で使用された新兵器は多大な成果を上げたものの、酸鼻をきわめる結果を招いたことも多く、その開発者である博士は「人道的・人間的に悖る冷血漢」として、疎まれていたのだ。
     さらにはその開発を、前任者マラガが嬉々として容認していたこともあり、博士と関係を持つことでマラガと同じ印象を抱かれることを嫌った司令官は、徹底的に博士を遠ざけたのである。
     その確執はやがて博士から研究の場を奪うこととなり、存在理由を失った博士は双月暦568年に党を脱退し、央北から姿を消した。



     央北の3分の2を手中に収めた白猫党だったが、そこからすぐに「新央北」へ侵攻するようなことはしなかった。
     まだ占領して間もない央北西部地域に対し、統治体制が整えきれていなかったためである。
    「今あいつらに背を向けて『新央北』と、……なんてコトをしたら、その背中をグサっと刺されちゃうかも知れないからね」
    「仰る通りですな」
     シエナの言葉に、イビーザは深々とうなずく。一方で、トレッドもこう提案した。
    「占領地域を円滑に統治できるまで、ひとまず『新央北』とは国境の通行規制や為替相場など、必要最低限の取り決めだけしておきましょう。
     向こうも我々に対し、うかつな手出しをしてくることはありますまい。我々の情況をある程度見定めた上で、同様の取り決めを申し出てくることでしょう」
    「ええ、任せたわ。
     続いて、ゴールドマン財務部長が指揮していたデノミ(通貨切り上げ調整)政策だけど……」
     シエナが途中で言葉を切り、そこで当幹部たちが一斉に、マロの方を見る。
     マロは憮然とした顔で、自分が携わっていた政策の成果を発表した。
    「……ま、そのですな。インフレ抑制と我々の資産創出を目的として、従来使われとった『ヘブンズ・クラム』を『ホワイト・クラム』へと切り替え、その新クラムを我が党が発行および管理するよう手配しました。
     しかし、……何ちゅうか、まあ、東側の通貨であるコノンが予想以上に出回っとる、と言うか、信用がありまして。うまく行けば、新クラムは央北の経済成長と連動して価値を高め、我々にはエル建てで抱えとる資産以上のカネが手に入る、……予定、でしたけども」
    「実際のところは、央北の成長はコノンの価値を高めこそすれ、新クラムの価値高騰には結びつかなかったと言うわけか」
     イビーザににらまれ、マロはぽつりと、「……はい」とだけ返す。追い打ちをかける形で、トレッドが口を挟む。
    「央北域外もそうそう、ここの事情を知らない者ばかりではないからな。
     同じ央北とは言え、戦乱の渦中にあった西部・中部で発行されるクラムを忌避するのは当然だ。
     そんな不安定な通貨より、平和の保たれている東部で発行されているコノンの方が信用されるのは、誰の目にも明らかだろう」
    「……ええ」
    「おかしな話だな」
     二人のやり取りに、イビーザがフン、と鼻を鳴らす。
    「私はトレッド君よりゴールドマン君の方が、経済に通じていると思っていたのだが。こうして会話している内容を聞けば、まるで逆ではないか」
    「……」
     うつむくマロに対し、イビーザは辛辣に吐き捨てた。
    「ご先祖様の功績が聞いて呆れるな。本当に君は、金火狐一族なのかね?」
    「……っ」
    「その辺でいいわよ」
     険悪になりかけた場を、シエナが遮る。
    「結論としては、ゴールドマン財務部長の行った政策は、本来の効果を発揮しなかった。そうよね?」
    「……はい」
    「でも逆に、特に大きな損害も今のところ、生じてはいない。これも間違いないかしら」
    「ええ」
    「なら、別にいいわ。今後はそのご自慢の知恵を絞って、新クラムの価値を上げてちょうだい」
    「……努力します」



     この後、双月暦570年に至るまで白猫党、および央北に、目立った動きが見られることは無かった。
     あくまで白猫党による支配の下ではあったが――央北西部には、しばしの平穏が訪れることとなった。

    白猫夢・蹂躙抄 終

    白猫夢・蹂躙抄 7

    2014.03.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第352話。党内刷新。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. マラガが「行方不明」になった後、巨大化した党防衛隊は正式に、「白猫軍」と改められた。それと同時に、新たに司令官が選出されることとなった。 新任の司令官には、敬虔と言えるほどに「白猫」を信じる者が着任した。 その新たな司令官とデリック博士との間に、やがて深い亀裂が生じることとなった。 今回の戦争で使用された新兵器は多大な成...

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    麒麟を巡る話、第353話。
    対岸の2年間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦568年、トラス王国。
    「これが分からないんですよね。だって、結局は人形と人間って、基礎構造からして違うわけですし……」
    「ま、こじつけみたいな箇所はあるわよね」
     魔術による再生医療の研究者、マークと、放浪の魔術剣士、ルナとの共同研究が始まってから、既に2年近くが経過していた。
     しかし、その進捗はあまり芳しいものではなく、大きな成果は挙げられないでいた。
    「……はーぁ」
     その日も錬金術関係の文献を検討するだけで日が暮れてしまい、ルナの方が根負けした。
    「何か疲れちゃったわ。今日はこの辺にしない?」
    「いえ……」
     しかし、マークは席を立とうとしない。
    「もう少しで何かつかめそうな気がするんです。あ、でもルナさんは先に休んでいただいて結構ですよ。もう他の研究員も帰っちゃいましたし」
    「……あーのーねー」
     ルナは口をとがらせ、席に座り直す。
    「そう言う言われ方して、じゃあ先にお風呂入ってるわーって、そんなの言えないじゃない。どうせパラだってまだ、この時間じゃフィオと稽古してるだろうし」
    「そうかも知れませんね。……じゃあ、もう一度全体を見直すところから行きましょう」
    「はーい、はい」



     白猫党が央北西部と戦っていたこの約2年間、マークたちはその戦いを対岸で見守りつつ、自分たちの技術を磨いて過ごしていた。
     ルナとマークは前述のように日々研究に勤しみ、一方でフィオとパラは、修行に明け暮れていた。
     たまに気紛れで、ルナがフィオの相手をしてやったり、マークやフィオがパラに柔らかい言葉遣いを教えたり、はたまた、チームの構成員全員で観光に出かけたりと――4人はこの2年、実にのんきに暮らしていた。



    マークは「もう少しで何かがつかめそう」と言ったものの、それから1時間経ってもやはり、思うような成果は上がらなかった。
    「どうする? もうちょい粘る?」
    「……いえ。流石にお腹が空きました。今日はもう、おしまいにしましょう」
    「そーね」
     立ち上がったところで、ルナが提案する。
    「どこか食べに行く? それともパラに作ってもらう?」
    「うーん」
     少し悩んだ後、マークはこう返した。
    「じゃあ、こっちで」
    「いいわよ。じゃ、パラが戻ってくる前に、食材の買い出しに行きましょ」
    「はい」

     研究所の玄関を締め、二人は市街地へと向かった。
    「ところでさ」
     と、その途中でルナが、ニヤニヤと笑いながらこんなことを言った。
    「最近フィオが、パラをチラチラ見たり、目をそらしたりしてることがあるのよね」
    「はあ」
    「パラの方もね、『フィオがお疲れ気味のご様子ですので、彼の好物などあれば調理して差し上げたいと思うのですが』なんて言ってんのよ」
    「そうなんですか」
    「なんかさ、脈、あるんじゃないかなーって」
    「人形ですよね? 脈は無いはず……」
     マークの返答に、笑っていたルナは一転、はーっとため息をつく。
    「……アンタさぁ。他に思うことは無いの?」
    「え? 今のって、フィオくんのことでした?」
    「おバカっ」
     ルナは肩をすくめ、こう続けた。
    「アンタ、恋愛経験無いでしょ? ぜーんぜん、こう言う話に乗れてないじゃない」
    「そ、そんなことありませんよ」
    「いや、無いわ。間違いない」
    「証拠も無しに否定しないでください! ありますって、本当に」
     マークに強く反論され、ルナも強情になる。
    「じゃあ証拠出しなさいよ。誰と、いつ、どこで、どーゆー風にイチャイチャしてたのか、言ってみなさいよ」
    「それは、……その、何と言うか、えーと」
     口ごもるマークを見て、ルナは「ほーら、やっぱり!」と言いたげな目を向ける。
     それが癇に障り、マークは大声で返した。
    「あっ、ありますから! 僕だって浮いた話の一つや二つあります!」
    「いつよ?」
    「……て、天狐ゼミの時にです。そっ、そりゃあもう、色んな女の子と遊びまくってましたよ!」
     ルナに馬鹿にされるのを嫌ったマークは、大ぼらを吹こうとした。
    「毎晩ラウンジに行ってましたし、高級レストランでご飯食べたりもして……」「えっ」
     と――でたらめを並べていたところに、突然、横から声が聞こえてきた。
    「……して、……いや、いや、……え?」
     声のした方を向いた途端、マークは硬直した。
    「い、今の話って、……あたし、知らないよ?」
    「ちょっ、ま、いやっ」
     マークは慌てて、弁解しようとする。
    「だましてたんだ、……うるっ」
     しかしその間も与えられず、そこに立っていた狼獣人の女の子は、泣きながら走り去ってしまった。
    「……誰?」
     ルナに尋ねられたが、マークは答えず、慌てて後を追いかけた。

    白猫夢・再悩抄 1

    2014.03.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第353話。対岸の2年間。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦568年、トラス王国。「これが分からないんですよね。だって、結局は人形と人間って、基礎構造からして違うわけですし……」「ま、こじつけみたいな箇所はあるわよね」 魔術による再生医療の研究者、マークと、放浪の魔術剣士、ルナとの共同研究が始まってから、既に2年近くが経過していた。 しかし、その進捗はあまり芳しいものでは...

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    麒麟を巡る話、第354話。
    人形との稽古。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「よし、今度はラッシュだ!」「分かりました」
     フィオの命令に従い、パラは木刀を構え、間合いを詰める。
    「やあッ! それッ! りゃあッ!」
     パラが打ち込んでくる打撃、斬撃をかわしつつ、フィオが切り返す。
    「パラ! もっと踏み込んできてくれ!」「はい」
     フィオの命令通りに、パラは一際速く打ち込む。
    「ふん……ッ!」
     普通の人間であれば反応しきれないようなその一撃を、フィオはなんと白刃取りし、左に受け流す。
     同時に、体全体で円を描くように右脚を上げ、足先をパラの眼前に突きつけた。
    「素晴らしい腕前です」
    「……ありがとう」
     パラの木刀から手を離し、フィオは剣を収める。
    「今日はこのくらいにしよう。もう大分、暗くなってきたし」
    「はい」
     それを受けて、パラも納刀する。
    「……あ、あのさ」
    「なんでしょう」
     フィオが口を開きかけたが、途中で止まる。
    「……あー、……いや、なんでもない。帰ろうか」
    「はい」

     帰路についたところで、フィオが再度、口を開く。
    「その……、どう、かな」
    「どう、と申しますと」
    「僕の腕は、上がっただろうか」
    「本日のわたくしの出力は全速の85%、時速約180キロでございます。それに対応していることから、少なくともこの国の特殊部隊レベルの実力を備えていると比較できます。
     わたくしと訓練を始めた頃と比較すれば、飛躍的な上達と言えるでしょう」
    「上達したって言ってもらえるのはうれしいけど、……基準がよく分からないな」
    「ちなみに主様は、わたくしの出力130%、時速約270キロでの稼働にも対応していらっしゃいます。
     もっともオーバードライブ(想定された限界・基準点を超えての、過度の運用)であったため、わたくしの方が15秒程度しか稼働できず、主様がその速度に長時間対応できるかどうかは、判断いたしかねますが」
    「うへぇ……。改めて思うよ、ルナさんは人間離れしてるなって」
    「同感です。あまつさえ、主様はわたくしがその水準に達することを望んでいらっしゃいます。婉曲的に、わたくしに人間になってほしいと願っていらっしゃるようです」
    「ん? 人間離れしてるって……、なのに、人間に?」
    「主様の持論によれば、人間を超えられるのは元々人間であった者だけだ、とのことです」
    「屈折してるなぁ」
    「同感です。困った主様です」
     いつも無表情のパラが、珍しく呆れたような顔を見せる。
    「……はぁ」
     それを見たフィオが、小さくため息をついた。
    「どうされました」
    「あ、いや。……いいなって」
    「いいな、と申しますと」
    「僕が何を言ってもパラは表情を変えないのに、ルナさんのことになると、コロコロ変わるなって。ちょっと、うらやましいよ」
    「左様ですか」
     フィオの言葉に対し、パラはいつものように、無表情だった。
    「……はぁ。どうしたら僕は、君の表情を変えられるんだろうか」
    「分かりかねます」
    「だろうね……」
     フィオが黙りこみ、無言になったところで、今度はパラがしゃべり出す。
    「フィオ。何か好物はありますか」
    「へ?」
    「お疲れのご様子なので、気晴らしになればと思いまして。本日の夕食に参加していただければ、用意します」
    「作ってくれるの? うーん、……でもなぁ」
    「どうされました」
    「好きな物はあるんだけど、晩ご飯向けじゃないんだよな」
    「何でしょうか」
    「……チョコバナナクレープ。生クリームがたっぷり入ってるやつ」
     顔を赤くし、ぼそっと答えたフィオに、パラは小さくうなずいて見せた。
    「分かりました。夕食とは別に、デザートとして用意します」
    「いいの?」
    「フィオに喜んでもらえるのであれば」
    「ありがとう、パラ」
     フィオは嬉しそうに、パラに笑いかけた。

     と――パラに振り向いたところで、その向こう側を、銀髪の狼獣人が泣きながら走っているのが視界に入った。
    「……ん? なんだあれ?」
    「分かりかねます」
     そしてその後ろを、マークが血相を変えて追っているのに気付く。
    「マークだ」
    「そうですね」
    「何してるんだろう?」
    「分かりかねます」
    「……追いかけてみようか」
    「ええ」

    白猫夢・再悩抄 2

    2014.03.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第354話。人形との稽古。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「よし、今度はラッシュだ!」「分かりました」 フィオの命令に従い、パラは木刀を構え、間合いを詰める。「やあッ! それッ! りゃあッ!」 パラが打ち込んでくる打撃、斬撃をかわしつつ、フィオが切り返す。「パラ! もっと踏み込んできてくれ!」「はい」 フィオの命令通りに、パラは一際速く打ち込む。「ふん……ッ!」 普通の人間であ...

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    麒麟を巡る話、第355話。
    追いかけてきた狼娘。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     フィオとパラがマークの後を追いかけていると、後ろからルナが追い付いてきた。
    「あら、二人ともどうしたの?」
    「マークが誰かを追いかけてから、僕たちも後を」
    「そう。前にいるのって、誰だか知ってる?」
    「いや、……あ、いや」
     フィオは否定しかけ、途中で言い直す。
    「見覚えはある。どこでだったかは忘れたけど」
    「ふーん」
     ルナは一瞬、口元に手を当て、それからこう返した。
    「天狐ゼミ関係?」
    「……あ。そうだ、確かにその辺りで見た記憶がある。でも、どうして?」
    「マークがあたしに、『ゼミではラウンジや高級レストランで毎晩女の子と遊んでた』って大ボラ吹いてたところで『そんなの知らなかった。だまされた!』って、あの子が叫んだから」
    「ぷっ」
     マークの話を聞き、フィオが笑い出す。
    「それ、マークじゃなくて、同窓生のマロの話だ」
    「だろうと思ったわ。あの子のキャラじゃないもの」
    「……ああ、それで思い出した。あの『狼』、確かマークと一緒に勉強してた子だ」
    「へぇ」

     市街地に入ろうかと言う辺りで、マークはようやく、狼獣人の女の子をつかまえた。
    「ま、待って……、ください……」
    「離して、ウソつきっ!」
    「いや、……その、あれは確かにウソですけど……」
    「うあーん!」
    「いや、違うんです、ルナさん、いや、あの人に見栄張って……」
    「やだー、はなじでー、うええええん」
     二人の様子は、傍から見れば痴話ゲンカのように見えた。
     ルナたちにもそう見えたため、彼女は遠巻きにゲラゲラと笑っていた。
    「あははは、あー、おかしっ」
    「ちょっと……。誤解解いてやりなよ、ルナさん」
    「あはは、はは、あー、そーね、うん、……ぷふっ」
     ルナは笑いをこらえながら、マークたちに近付いた。
    「余計な見栄、張るもんじゃないわよ。これで懲りたでしょ、マーク」
    「う、……ルナさん」
    「ちょっと、あなた」
     ルナはまだクスクス笑いながら、うずくまっている狼獣人に声をかけた。
    「こいつが言ってたのは全部でたらめ、別人の話よ。そうでしょ、フィオ?」
    「ああ、そうだ。大丈夫だよ、シャランさん。マークは君が思ってる通りの真面目なお坊ちゃんだから」
    「……へっ?」
     女の子――マークとフィオの後輩、シャラン・ネールが顔を上げる。
    「ぷっ」
     彼女の、化粧が涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て、ルナはまた笑い出した。

     一行はとりあえず、シャランをルナの家まで連れて行き、落ち着かせた。
    「ぐす……、ごめんね、みんな」
    「いえ、そんな」
    「そうよ。元はといえばアンタが見栄張ったせいなんだから」
    「……うぐぅ」
     マークが渋い顔をしたが、ルナは意に介した様子を見せず、シャランにタオルを差し出した。
    「とりあえず、お化粧落としちゃいなさい。そんなにグチャグチャじゃ、まるでオバケの仮装よ」
    「すみません……」
     シャランは素直に顔を拭き、すっぴんになる。
    「あら、……ま、ちょこっと眉毛は薄いかもだけど、可愛い顔じゃないの」
    「そ、そうですか?」
     ルナにほめられ、シャランは顔を赤くする。
    「で、シャランちゃん。どうしてここに?」
    「あ、えっと……」
     シャランはチラ、とマークを見て、はっきりと答えた。
    「マーク先輩とお付き合いするために来ました」
    「……へぇ?」
     その返事を聞き、またもルナがニヤニヤ笑い出す。
    「なるほど、なーるほどー、確かに浮いた話の一個くらいはあったみたいね、マーク」
    「……ウソついてませんよ」
    「いいから、それはもう。
     で、お付き合いってことは、しばらくはこっちに住むつもりで来たってこと?」
    「はい」
    「引越し先は?」
    「これから探そうと思ってました」
    「じゃ、仕事も無いわよね?」
    「一応、実家の紹介状は持ってきてます。
     先輩がトラス王家の方と聞いていたので、建前上はネール公家として訪問し、その席で、何かの仕事を斡旋していただけないかとお願いする予定でした」
    「しっかりしてるわね、結構。そそっかしいところはあるみたいだけど」
    「よく言われます」
     そう言ってにっこり笑ったシャランに、ルナも笑みを返す。
    「天狐ゼミでの研究は? マークと同じ再生医療かしら?」
    「はい。……あの?」
    「なに?」
    「ルナさんは、マーク先輩とどう言う関係なんでしょうか?」
     問われたルナは、チラ、とマークを見て、こう答えた。
    「叔母さんみたいなもんね。と言っても、トラス王家とは関係ないけど」
    「へ? 叔母?」
     きょとんとしているマークをよそに、ルナは話を続ける。
    「実はね、マークとあたしは共同で研究してるの。そこにいる、パラを人間にするためにね」
    「えっと……? それって、どう言う意味ですか?」
     これまではきはきと、歯切れよく応答していたシャランだったが、ルナの話には付いて行ききれなくなったらしく、ぽかんとした顔になった。

    白猫夢・再悩抄 3

    2014.03.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第355話。追いかけてきた狼娘。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. フィオとパラがマークの後を追いかけていると、後ろからルナが追い付いてきた。「あら、二人ともどうしたの?」「マークが誰かを追いかけてから、僕たちも後を」「そう。前にいるのって、誰だか知ってる?」「いや、……あ、いや」 フィオは否定しかけ、途中で言い直す。「見覚えはある。どこでだったかは忘れたけど」「ふーん」 ルナは...

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    麒麟を巡る話、第356話。
    チーム「フェニックス」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     ルナから自律人形パラについての話と、ついでにフィオの正体が未来人であることを聞かされたシャランは、若干戸惑った様子を見せながらも、素直に信じてくれた。
    「ちょっとビックリしちゃう話ばかりでしたけど……、でも、はい。
     確かにパラさんは見た感じ、人間じゃないみたいですし、フィオ先輩もゼミに居た頃、ずっと浮世離れしてるなーって思ってましたし、信じます」
    「信じちゃうの!? そんなあっさり!?」
     マークが目を丸くしていたが、ルナは構わず話を続ける。
    「ありがとう、話が早いわ。
     で、ここからが本題だけど、今ね、あたしたちの共同研究ははっきり言って、行き詰まってるのよ。残念ながら、再生医療術はマークが独自構築した地点から、ほとんど進んでいないわ。精々、皮膚と筋肉が形成できるようになっただけ。
     神経が無いから動かすこともできないし、血管や骨もまともに造れないから、造っても元地が無ければ、そう長くないうちに腐る。
     被験者第1号であるプレタ、……王妃への施術は、右頬と右耳部分の成功に留まってるのが現状よ」
    「そうなんですか……」
     しょんぼりとした顔になったシャランに、今度はマークが声をかけようとする。
    「……で、でもですね、もしここでシャランさんが協力してくれたら……」「黙ってて、マーク。あたしが話をしてるの」「……す、すみません」
     マークが顔を背けたところで、ルナが再度、話を続けた。
    「ま、そう言う話よ。あなたも天狐ゼミ、卒業してきたんでしょ?」
    「はい。テンコちゃんからは『優』評価をいただきました」
    「すごいじゃない。それならなおさら、『フェニックス』に欲しくなったわ」
    「ふぇ、……え?」
     聞き返したマークに、ルナはフン、と鼻を鳴らす。
    「あたしたちのチーム名よ。チーム『フェニックス』。再生医療魔術研究チームよ」
    「チーム名なんて初めて聞いたぞ……?」
    「左様でございますね」
     フィオとパラも、寝耳に水、と言いたげな顔をしている。
     それを受けて、ルナはこう言い放った。
    「今決めたわ。文句ある?」
    「いや、別に」
    「異存ありません」
     フィオたちは素直にうなずいて返すが、マークだけは反論しようとする。
    「……ちょっとくらい……僕の名前が入ってもいいんじゃ、とは……」「何か言った?」「……いえ」
     マークが再度黙り込んだところで、ルナはシャランに手を差し出した。
    「そう言うわけで、シャラン・ネールちゃん。うちのチームに来ない?」
    「はい!」
     二つ返事で、シャランはこの申し出を受けた。

     話がまとまった後も、マークはブツブツと文句を言っていた。
    「なんでルナさん、僕を無視してあれこれ決めるのかなぁ……。僕、共同研究者なのに」
     そこへ、フィオがやって来る。
    「気持ちは分かるけど、リーダーはルナさんだ。諦めた方がいい」
    「……納得行かないなぁ」
    「いやいや、あの姉御肌っぷりと跳ね回るような話術、僕やパラを凌駕する腕っ節、謎に満ちた人生経験、……どれを取っても君が勝てる要素、あるか?」
    「無いけどさぁ……」
    「ま、もう気にしない方がいいよ。
     例え君が『僕がボスだ! リーダーなんだ!』って怒鳴り散らしていばっても、ルナさんはきっと『はーいはい、分かったわよ、ボ・ス・ちゃん★』つって、ケラケラ笑いながら流してくるぜ、きっと」
    「……ありありと想像できてしまった自分が情けないよ」
     マークがしゅんとしたところで、フィオが耳打ちする。
    (ま、落ち込むなって。明日から君、カノジョと一緒に研究するんだろ? オトコがそんな情けない格好、見せてどうするんだ)
    「……あー……」
     マークは振り返り、パラと話しているシャランを肩越しに覗き見た。
    「頑張れって、マーク。確かにルナさんからの扱いはぞんざいかも知れないけど、すごいことをやってるってことに変わりは無いんだぜ? 僕はあんまり研究室に入らないけど、それでも他の研究者が、君を尊敬してるのは分かってる。
     もっと君、自信持っていいって」
    「……うん」
     マークは多少顔をひきつらせつつも、ニッと笑って見せた。
    「ま、……うん、頑張るよ。そのうちルナさんの鼻を明かしてやる」
    「その意気だ。期待してるぜ」



     こうしてマークたちのチーム――「フェニックス」に、心強い研究者が加わった。

    白猫夢・再悩抄 終

    白猫夢・再悩抄 4

    2014.03.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第356話。チーム「フェニックス」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. ルナから自律人形パラについての話と、ついでにフィオの正体が未来人であることを聞かされたシャランは、若干戸惑った様子を見せながらも、素直に信じてくれた。「ちょっとビックリしちゃう話ばかりでしたけど……、でも、はい。 確かにパラさんは見た感じ、人間じゃないみたいですし、フィオ先輩もゼミに居た頃、ずっと浮世離れして...

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