黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第10部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 2113
    • 2114
    • 2115
      
    麒麟の話、第10話。
    悪魔のような恫喝。

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    10.
     予想外のコトばかりだ!

     はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく!
     こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当!



     カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。
     でもソレによって生じる結果を見るコトが、ボクには――ソレにキミもか――できなかった。
     ボクもキミも、この世界の事柄についてあらゆる未来を予知するコトができる。その力は紛れも無く絶大だ。揺らぐコトなど微塵も考えられなかった。
     だのにカズラときたら、その絶大な力が及ばないところにまで跳躍し、ボクらの能力を無力化するなんて! ああ、本当にあの技は、あの力は忌々しいよ!
     なんでカズラをちゃんと殺さなかった? 本気でイラつくよ、なあ、アオイ!?



     そう、ソレだ。
     キミの変調もまた、ボクが予想し得ないものだった。

     ボクが思っていたより、キミは案外繊細だったらしいねぇ?
     ボクの命令に忠実に従ってくれていたのに、ココ最近、ソレを全うできなくなり始めている。
     おかげで白猫党は大混乱だ! 党首はプルプル子犬みたいに震え、幹事長やら軍司令やらは、密かに反乱を企ててる始末。ソレもコレもみんな、お前が寝込んじゃったせいだよ!
     なあ、アオイ!? いつまで寝てるつもりだよ!? いい加減にしてくれよ! なあ? なあ!? なあって! なんか言えよ!?



     アオイ、いよいよキミもダメなのか? ダメになるのか? なってるのか?
     はっ、どうやら買いかぶりすぎたらしいね! ガッカリだよ、まったく! もっとちゃんと仕事してくれると思ってたんだけどなぁ!?
     まさかこんなに早く、参っちゃうなんてね! 折角ボクが徴用してやったってのに、その責務を果たせないだなんて! あーあ、ボクがバカだったのか? 案外ボクも見る目が無いもんだね、ねえ!? キミを「天使」と思ったのに、損したよ、まったくさぁ!?

     ……なに? なんだよ、その目は? なんか文句でもあるのか?
     あるなら言ってみろよ。言いたきゃ言えよ。ほら。ほら。言えって。ほら。ほら! 言えよ! 言わないのか!? じゃあ何なんだよその目は! ……あ? ふざけるな! ボクに文句なんか言える立場だと思ってるのか!? わきまえろよ、クズがッ! 分からせてやろうか!?
     ……フン。無いならいい。無いならそんな目なんかするんじゃない。お前はボクのしもべであって、対等な関係では決して無いってコトを、忘れるなよ。



     もう一度言うけどな。さっさと起きろよ。じゃないと白猫党が潰れるぞ。
     潰れていいのか? ココまで周到に準備してきたコトが全部ダメになってもいいって言うのか?
     じゃあまたやり直しだ。お前なんかさっさと見限って、別のヤツをつかまえるだけだぜ?
     そうされたくないんだろ?



     じゃあ、やれよ。
    白猫夢・麒麟抄 10
    »»  2015.04.01.
    麒麟を巡る話、第487話。
    ある夫婦。

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    1.
    「お帰りなさい。おつかれさま」
    「うん……、ありがとう」
     夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。
    「あれからずっと?」
    「ずっと」
    「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」
    「うん」
    「もう午前様になってますけど」
    「まとめるのに手間取っちゃってね」
    「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」
    「ごめん」
    「食べます?」
    「勿論。腹ペコなんだ」
    「それはそうでしょう。あなた、お昼も抜いてらしたもの。お弁当も手付かずでしたから、そのまま持って帰ってきましたよ」
    「そうだったっけ……。ごめん、本当」
    「わたしのおゆはんにしましたから、それはいいです。でもちゃんと食べないと、お体、壊しちゃいますよ?」
    「気を付ける」
    「付けてらっしゃらないじゃないですか。明日はちゃんと食べて下さいよ。
     じゃ、ご飯あっためてきますから、その間にお風呂入ってきて下さいね」
    「うん」
     のろのろと風呂場へ向かう夫を見て、彼女はいたずらめかして声をかける。
    「かけあしっ」
    「あ、うん」
     慌てて駆け込んだ夫の後ろ姿を眺めながら、彼女はクスクス笑っていた。

     30分後、風呂から上がった夫に、彼女は熱燗を差し出した。
    「今夜も冷えるそうですから」
    「ありがとう、ハル」
    「いえいえ、お粗末さまです。……じゃ、わたしもお相伴、と」
     食卓の対面に座り、彼女も酒に口を付ける。
    「……あつっ」
    「大丈夫?」
    「ええ、わたしちょっと猫舌なので。でも、ちょっとあっため過ぎたかしら」
    「丁度いいよ、僕には」
    「良かったです。……わたしは、もうちょっと冷ましてからいただきます」
    「うん。……あ」
     と、夫が慌てて立ち上がる。
    「どうしたんですか?」
    「いやさ、今日遅くなったのって――勿論、研究室にいたのも一因なんだけど――これを買いに寄ったのもあったから。閉店間際だったけど、何とか買えたんだ」
    「え?」
    「ほら、今日って確か、君の……」
     そう説明しながら、夫が小さな包みを手に戻ってきた。
    「わたしの?」
    「いや、ほら、その……、誕生日だったなって」
    「……」
    「だから、プレゼントを」
    「ルシオ」
     彼女は呆れた声を漏らした。
    「わたしの誕生日は、昨日ですよ」
    「え」
     それを聞いた夫、ルシオの顔から、ざっと血の気が引く。
    「あ……、ご、ごめん。そっか、昨日だったんだね。ごめん、本当。……本当に悪かった」
    「これが可愛いから、許します」
    「……そ、そう。良かった」
    「でも、欲を言うなら」
     夫から受け取った指輪をはめながら、彼女――紺納春はにこっと笑って、こう付け加えた。
    「明日、一緒にお食事に行けたらなって思ってます」
    「そ、そっか。うん、じゃ、明日行こう。予約しとく」
    「はい、楽しみにしてますね。
     くれぐれも今日みたいに午前様だなんてこと、しないで下さいね?」
    「勿論さ。今日はちょっと、手間取っただけで」
    「そうかしら?」
     春は口を尖らせ、ルシオに釘を差す。
    「あなた、後片付けが下手ですもの。
     わたしも同じ研究室で、同じ内容の研究をしていたのに、6時に上がれたわたしに対して、あなたはこんな時間になるまでですもの。
     早め早めに行動して下さいなって、いつも言ってるのに」
    「……気を付ける。明日こそは、本当」
     ルシオはばつが悪そうに、肩をすくめて返す。
     それを受けて、春はまた、クスクスと笑みを浮かべた。
    「『本当』、楽しみにしてますからね。昨日みたいに、がっかりさせないで下さいな」
    「もっ、……勿論」
    白猫夢・博侶抄 1
    »»  2015.04.02.
    麒麟を巡る話、第488話。
    博士夫妻への訪問者。

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    2.
     かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。
     その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って研究を行っていた。
     その央北において一定の成果を挙げ、学者としての地位を確立した後、二人は春の故郷である央南へと移り住み、大学で教鞭を執りつつ、より精密な研究に没頭していた。

     こうして極めて穏やかに生活していた、幸せ一杯の二人だったが――外で夕食を取った、その帰りの出来事から、央南全体を揺るがす大騒動に巻き込まれることとなった。



    「ごちそうさまでした」
    「いやいや……。本当にごめんね」
    「もう、そればっかり」
     家への帰り道でも謝ってくる夫に、春はぷく、と頬をふくらませた。
    「ご飯は美味しかったですし、指輪も可愛かったです。わたし、十分に満足してますよ。何も謝ることなんか、ありませんから。
     もっと堂々としていて下さいな」
    「あ、……うん」
     またも頭を下げかけたルシオの額にちょん、と人差し指を置き、春はこう続ける。
    「胸を張って」
    「う、うん」
    「お顔を上げて」
    「こう?」
    「はい。バッチリです」
     言われるがままに胸を張り、頭を反らしたルシオを確認し、春は満足気にうなずく。
    「わたしは、あなたの困った顔より、しゃきっとしたお顔の方が好きです」
    「気を付けるよ……」
     若干憮然としつつも、ルシオは言われた通りに表情を直した。

     と――彼らの前から、ふた昔は古く感じられる外套と紋付袴を身にまとった、剣士風の男たちが歩いてきた。
    (なんか……、時代錯誤って言うか)
     その二人を見て、ルシオは思わず横に目をやる。すると自分と同様、面食らった顔をした妻と目が合ったので、二人は目配せだけで応答する。
    (ええ、……変な人たちですね)
    「もし」
     と、その時代錯誤で変な男たちから声をかけられてしまった。
    「……はい」
     無視するわけにも行かず、ルシオが応える。
    「お尋ねしますが、お二人はブロッツォ博士夫妻で相違ないでしょうか」
    「え、……ええ。私がブロッツォです」
     自分の名を呼ばれ、ルシオは思わず顔をしかめた。
     それを見た男たちの片方、頭の薄くなった初老の狐耳が、慌てた様子で手を振る。
    「あ、いや。小生らは怪しい者ではございません。
     こんな道端で声をかけたこと、どうかご容赦いただきたい。何しろお住まいにも大学にもいらっしゃらなかったもので、こうして足取りをたどるほか無かったもので」
    「はあ」
     ルシオがぼんやりとした返事をしたところで、もう一方の、強面でがっしりとした体つきの、短耳の青年が口を開く。
    「我々は焔紅王国から参りました。博士にどうか、お頼みしたい件がございまして」
    「えん、こう? ……って?」
     ルシオが尋ねたところで、春がぐい、と彼の袖を引いた。
    「行きましょう、あなた」
    「え? ちょ、ちょっと待ってよ。いきなりそんな……」
    「いやいや、奥方のお気持ちは十分に分かります」
     狐耳が申し訳無さそうに頭を下げる。
    「央南連合と袂を分かって二十余年、我々に抱く印象はすこぶる不快なものであること、十分に承知しておるつもりです。
     しかしどうか、お話だけでも聞いてはいただけませんでしょうか」
    「結構です。お帰り下さい」
     男たちの要求をにべもなく突っぱねる妻に、ルシオはぎょっとしていた。
    「ハル? なんでそんなに冷たいのさ?」
    「あなた、本当に焔紅王国のことをご存知無いのですか?」
     春は表情を強張らせたまま、ルシオにそう尋ねる。
    「うん、全然知らない」
    「……わたしが知る限りでは」
     春は男たちを一瞥し、冷たく言い放った。
    「焔紅王国は四半世紀前に央南西部を蹂躙しようと画策した、悪人たちの巣窟です」
    白猫夢・博侶抄 2
    »»  2015.04.03.
    麒麟を巡る話、第489話。
    招聘状。

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    3.
     普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。
    「ハル……」
     春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。
    「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」
    「……」
     男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。
    「承知いたしました。突然のご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
     狐耳はそう言いながら、懐から手紙を取り出す。
    「ですが――ご無礼を重ねますこと、重々承知してはおりますが――どうかこの手紙だけは、お読みいただけませんでしょうか」
    「……まあ……、はい」
     春が露骨に嫌悪感を表しているのを横目で確かめつつも、ルシオはその手紙を受け取った。
    「ありがとうございます。……では小生らは、これにて失礼いたします。
     不躾な訪問、本当に申し訳ございませんでした」
     狐耳と短耳は何度も頭を下げつつ、その場から立ち去った。

    「……」
     夕食の直後とは一転して、春は不機嫌になっていた。
    「あの……、何て言うか」
    「……」
    「受け取らない方が良かった、……よね」
    「……」
    「悪かったよ。でも何か、あの人たちが可哀想になって……」
    「……」
     春はぶすっとした表情を崩さず、ルシオに背を向けた。
    「先に休みます。おやすみなさい」
    「……あ、うん。おやすみ」
     一人、居間に残され、ルシオは頭を抱えた。
    (参ったなぁ……。こうなると翌朝まであのまんまだし。今夜はこっちで寝るしかないか)
     ルシオはとりあえず、ソファに座り――コートに入れたままにしていたあの手紙を取り出した。
    (焔紅王国って、そんなにひどいところなのかな。ハルがあんなに怒るなんて、よっぽどらしい)
     手紙が納められた封筒をひらっと返してみると、差出人の名前が確認できた。
    「えー、……と、これって『えん』でいいのかな、読み方。……『えんさくらゆき』さん、かな?」
     央南に移って数年経つが、ルシオはあまり央南語が得意ではない。現在においても、大学の講義で学生の名前や地名、史実の名称を呼び間違うことがしばしばあり、学生たちから「カタコト教授」と苦笑されているくらいである。
     ルシオは多少辟易しつつ、手紙の封を開けた。
    (……良かった、中身は央中語で書かれてた。どうやら僕に合わせてくれたみたいだな)



    「ルシオ・ブロッツォ並びに紺納春 農学・魔術学両博士へ

     我が国、焔紅王国は長年、慢性的な食糧難に見舞われております。
     その原因は我が国における食糧生産技術、取り分け穀類をはじめとする各種農業に関する技術が、他国と比較してのみならず、現代の水準と比較しても、著しく劣後していることに大きく起因しております。
     近年においては政治的安定が保たれていることもあり、建国当初に比べればはるかに生産性が上がってきていることは事実ですが、残念ながら王国全土に不足なく行き渡らせられるほどには、未だ生産技術、そして生産力を向上・確保できてはおりません。
     そこで農業研究者として名高い両氏のご助力を賜り、我が国に農業指導を行ってはいただけないかと、ご相談をさせていただきたく存じます。

     我が国の風評は、央南連合下においては著しく劣悪なものであることは十分に承知しているつもりであり、そのような印象のある国から突然このような申し出をされ、不審・不快に思われていらっしゃるであろうことは、十分に察しております。
     ですが現在の我が国においては、長年にわたって安寧秩序が堅く保たれていることは確かであり、決して悪漢や不義の徒が跋扈するような場所ではございません。我が国にご滞在中、決して不快な思いをさせることは無いと、確約いたします。
     どうか我々の願いを聞き届け、我が国にご足労いただけることを願っております。

    焔紅王国 第2代国王 焔桜雪」



    (……うーん?)
     手紙を読み終え、ルシオは首を傾げた。
    (真面目な印象は受けるけど、……なんか、ハルが言ってたみたいなワルモノっぽさは全然感じないんだよなぁ。
     もしもハルの機嫌が直ってたら、手紙見せてみようかな)
     ルシオは手紙を元通りに封筒へとしまい、コートを布団代わりにしてソファに寝転んだ。
    白猫夢・博侶抄 3
    »»  2015.04.04.
    麒麟を巡る話、第490話。
    王国の変遷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     翌朝。
    「おはようございます」
    「おはよう、ハル」
     妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。
    「ハル、あのさ……」
    「なんでしょう?」
    「昨夜のことだけど、……これ」
     ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。
    「王国の方からの?」
    「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目だったよ」
    「真面目?」
    「うん。何て言うか、君が言ってたみたいな、すごく悪い奴らって感じじゃ全然無かった」
    「……」
     春は手紙を手に取り、内容を確かめる。
    「……そうですね。確かにこの文章からは、悪い印象を受けません」
    「だろ?」
    「確かに、わたしにしても王国に対する風評は、昔に聞いたっきりですから。今は違うのかも知れませんね。
     一度、王国の状況を調べてみた方がいいですね」
    「うん、そうだね」
     どうにか妻の機嫌を損ねずに手紙のことを話し合うことができ、ルシオは内心ほっとしていた。

    《おう、久しぶりだな》
     その日の夕方、ルシオは何年かぶりに、恩師へ連絡を取った。
    「お久しぶりです、テンコちゃん。お変わりありませんか?」
    《全然変わんねーぜ。ソッチはどうだ? 子供できたりしたか?》
    「いや、なかなか恵まれなくて……。
     いえ、それよりもテンコちゃん。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
    《ん? どうした、改まって》
    「テンコちゃんのゼミで今、央南から来てる子っていますか?」
    《ボチボチいるぜ。ソレがどうした?》
    「その中に、焔紅王国から来たって言うのは……」
    《えんこー? なんだソレ?》
     天狐の返答に、ルシオはがっかりする。
    「あ、いえ。知らないなら……」
    《待て》
     と、ルシオが話を切り上げようとしたとことで、天狐が引き止める。
    《わざわざ数年ぶりにオレに電話かけてくるよーなコトだろ? ってコトは、自分たちの周りじゃ調べられねーような、面倒な話をしようとしたんじゃねーのか?》
    「ええ、まあ」
    《央南関係か?》
    「はい」
    《んー……え、何?》
     と、受話器の向こうでボソボソと話し声が聞こえてくる。
    《……ああ……知ってんの……いや……へー……うわ、バッカでー……あ、なるほど……へー……マジでか……すげーなソイツ……あ、悪り悪り。ちょっと知り合いに聞いてた。
     ちっと代わるわ。ソイツの方が詳しいし》
    「え?」
     聞き返す間も無く、電話の向こうから聞こえてきた声が、天狐のものから別の者へと変わる。
    《電話代わったね。えーと、ルシオ? だっけね?》
    「あ、はい。ルシオ・ブロッツォです」
    《おう。んで、焔紅王国のコト聞きたいってね?》
    「ええ。詳しく伺いたいのですが……」
    《長くなるけどいいかね?》
    「どれくらいですか?」
    《んー、複雑だから結構かかるかもね。あ、電話代気にしてるね?》
    「ちょっと。国際電話ですし」
    《分かった、コッチからかけ直すね。一旦受話器置いてね》
    「すみません、どうも」
     一旦相手からかけ直してもらったところで、ルシオはその相手から、焔紅王国についての経緯を詳しく聞くことができた。
    《まあ、その焔紅王国ってのがそもそも、544年だか545年だかに建国したばっかりの、結構新しい国なんだよね。
     ただ、建国に行き着くまでが最悪の道のりでね。元は央南連合の一角、紅州だったんだけども、その中にある紅蓮塞ってトコで武力蜂起があって、ソレが元で央南連合と揉めまくった結果、連合側がこんなバカで無謀で野蛮なヤツらに構ってらんないっつって分割したのさ。
     そんな風にしてできた国だから勿論、まともな政治体制なんか無いも同然。治安もインフラも壊滅的、財政はグズグズに腐りまくりで、悪の巣窟なんて言われてた。初代国王、焔小雪の時代は『最低最悪』以外の評価は皆無、正真正銘のならず者国家って評されてたね。
     でも――鳶が鷹を生むって言うヤツかねぇ――その娘の焔桜雪が国王になって以降、王国は大転換したんだよね》

    白猫夢・博侶抄 終
    白猫夢・博侶抄 4
    »»  2015.04.05.
    麒麟を巡る話、第491話。
    女王の醜聞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。

     焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもやはり、単なる「お神輿」のままであった。
     建国直後こそ、何とかその役目を果たそうと奮闘していたものの、何年も経たぬうちに生来の性格――面倒事を片っ端から他人任せにし、その利益だけを掠め取り、独占しようとする悪癖が現れ始め、次第に実務から手を引くようになった。
     さらに元々有していた地位、焔流家元についても、この頃にはほとんど刀を握ることが無くなっていたにもかかわらず、弟やその家族、またはその他の有力者に譲ることを一切拒否。ろくに指導も鍛錬も行わない、こちらも名ばかりの地位となっていた。

     国家元首であり、その国内における社会規範の鑑となる人間がその体たらくである。当然、焔紅王国は荒れ放題であった。
     巷には焔流の名を傘に着た、半ばならず者と化した剣士たちがうろつき回り、地場代や税金と称した略奪・徴発を勝手気ままに行っていたし、農耕や漁業に精を出すよりも近隣都市へ盗みに行った方が早いとして、州境で乱暴狼藉を働く輩が後を絶たない。
     国家としての規範や規律、秩序など微塵も無い、紛うことなき「ならず者国家」が、そこには形成されていた。



     そしてさらにもう一つ、女王小雪には新たな悪癖が現れていた。
     腐っても「国王」であるため、その地位を狙うべく求婚する者が、建国以降から数多く現れるようになった。
     それを自分個人の魅力に対してのものであると勘違いした小雪は嬉々として彼らを囲い、彼らからの口先と上辺ばかりの愛をむさぼるようになった。
     そしてその結果、当然の帰結として――。

    「は?」
    「だから、できたって言ってんのよ」
    「できたって、……子供がか?」
     建国から4年が経った、双月暦549年。
     王国内の政府における最高位、左大臣の任に就いていた深見豪一は、女王からの突然の告白に戸惑っていた。
    「相手は?」
    「分かんないわよ、そんなの。一杯いたし」
    「アホか」
     深見は頭を抱え、呆れた様子でうめく。
    「お前さあ……、本当に自分が王様って自覚、あんのかよ?」
    「女王じゃなきゃオトコの取っ替え引っ替えなんてできないわよ」
    「ざけんなよ、マジで……。
     この話が巷に広まったら、また大騒ぎになるじゃねーかよ。『あのおバカ女王が、今度は誰が父親とも分からない子供を産んだ』って。
     ただでさえお前のバカ三昧のせいで国内の統制が取れてねーってのに、またこんな醜聞を広める気かよ?」
    「それなのよ。ね、豪一」
     と、小雪は深見の手を取る。
    「あんたが父親ってことにしといてよ。で、今すぐ結婚して。相手、短耳ばっかりだったから、多分子供も短耳か長耳のどっちかだと思うし、辻褄合うから」
    「……はぁ!?」
     唖然とする深見に、小雪はイタズラっぽく笑いかけた。
    「ね、いいでしょ? 顔と筋肉しか取り柄の無い奴らより、あんたが相手だって公表するならまだマシだし。あんたも『女王の婿』ってことで、色々便利でしょ?」
    「てめーなんか女としてこれっぽっちも見てねーよ」
    「あたしだって正直、あんたなんか旦那にしたくないわよ。でも『相手が分かりません』よりはさ、まだマシかなって」
    「……バカ女め……」



     あまりにも異常な頼みではあったが、仮にも女王である小雪からの命令を無視しては、深見が懸念している国内秩序の崩壊に拍車がかかってしまう。やむなく、深見は小雪と結婚することになった。
     そして約半年が過ぎ、双月暦550年に年が改まってすぐ――その事実上の私生児は、小雪と深見の子供として誕生した。
    白猫夢・桜燃抄 1
    »»  2015.04.07.
    麒麟を巡る話、第492話。
    悖乱の中で。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。
     そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そのどちらにも世話をしてもらえず、小雪の側近であった虎獣人の将軍、九鬼彩(くぎ さやか)の元へと預けられた。



     両親の愛を受けることは少しもできなかったが、その子供が彩に預けられたことは、結果としてその子の人格形成には、とてつもなく大きく、そして極めて良好な効果をもたらしたと言えた。
     何故なら九鬼彩と言う女性は、堕落と腐敗の渦中にあった焔紅王国において、古き善き焔流の精神を受け継ぐ清廉な剣士だったからである。
    「次は素振り三十回! 始めッ!」
    「はいっ! 一! 二! 三……」
     彩はその短耳の子を桜雪(さゆき)と名付け、自分の養子にした。
     彩は桜雪のことを、女王の娘と言って甘やかすことをしなかったし、かと言って何の関係もない厄介者としてあしらうこともしなかった。
     彼女は桜雪を正しい焔流剣士とすべく、自分の弟子として扱ったのだ。
    「……にじゅく、さんじゅっ!」
    「よし」
     素振りを終え、汗だくになった桜雪に、彩は手拭いを投げる。
    「息が整ったら、次は軽く走るぞ。
     私は10周するが、お前はまだ小さいからな。1周でいいぞ。終わったら先に部屋へ戻っていい」
    「はい!」
     既に修行場としての意義をほぼ失い、無人となっている堂の周囲を二人で走る。
    「苦しくないか?」
    「だいじょうぶです!」
    「そうか。……無理はするなよ」
    「はい!」
     堂を一周し、桜雪が離れる。
    「ではかあさま、わたしは先にもどります」
    「ああ。そうだ、桜雪」
     彩は立ち止まり、にっと笑う。
    「米を研いでおいてくれるか? 私が帰って来るまでには間に合うようにな」
    「はい! いつもどおり、三合ですか?」
    「うむ、頼んだ」
    「わかりました! それではお先にしつれいします!」
     ぺこっと頭を下げ、その場から走り去る桜雪の後ろ姿を眺めつつ、彩は心の中に湧いた複雑な思いを整理していた。
    (いつの間にか……、『かあさま』と呼ばれ慣れてしまったな。夫もいないのに、私が母になってしまうとは。……いや、仕方の無いことか。あの子は親が無いも同然だからな。誰かが養ってやらねばならぬのだ。
     それを思うと、まこと、殿と深見には腹が立つ! いや、わけの分からぬ役目を押し付けられたと言うことを考えれば、深見には同情の余地がある。だが全ての原因である殿はどうだ!?
     私が桜雪を預かってから6年、あの後さらに父親の分からぬ子が2人も産まれ――私が桜雪をああ扱っているのが目障りなのか――私以外の側近に預けられたと聞く。しかも最近また、桜雪の弟妹ができたと言うではないか。まったく、犬や猫ではあるまいし、野放図にも程がある!
     一体殿は後何人、親の愛を受けられぬ不憫な子供を設けるつもりであるか)
     再び走り込みに入るが、頭の中は依然、もやもやとしたままである。
    (深見も深見だ。あやつも仮初の奥方にあてられたか、同様に女を囲い始めたと聞く。
     確かに左大臣としての責務を全うしている分、殿よりはましであると言えなくはないが、それでも公序良俗を乱す原因となっていることは確かだ。
     つくづく思う――私は果たしてあの時、深見と黄月乃の言葉に耳を傾けるべきではなかったのではないか、と。あんな戯言に惑わされず、深見を殴り倒し、黄を斬って、身命を賭して殿をお諌めするべきではなかったのか、とな。
     ……すべては過ぎたこと。もう、遅過ぎるのだ)
     5周したがそれ以上気が乗らず、彩は走るのをやめた。

    「あれ?」
     家に戻ったところで、米を研いでいる最中の桜雪と目が合う。
    「……あっ」
    「わたし、がんばってといでたんですが……。ごめんなさい、間に合いませんでした」
     困った顔をした桜雪を見て、彩は慌てて言い繕った。
    「あ、いや、そんなことは無い。……あー、と、腹が減ってな、たまらず切り上げて帰ってきてしまった。しまった、早過ぎたな、……あはは」
    白猫夢・桜燃抄 2
    »»  2015.04.08.
    麒麟を巡る話、第493話。
    泥中之蓮。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     さらに年月が過ぎ、双月暦565年。
     九鬼桜雪は15歳になっていた。

    「……」
     この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。
     自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。
    「桜雪」
    「……」
    「おーい、桜雪」
    「あ、はい」
     部屋の外から何度か呼びかけ、ようやく振り向いた桜雪に、彩は苦々しく続ける。
    「もう夕飯の時間だぞ。鍛錬から帰ってずっと、そんな調子ではないか」
    「すみません、母様」
     ぺこっと頭を下げた桜雪に、彩は腕組みしつつ尋ねる。
    「何か思い煩っているようだが、懸想でもしたか?」
    「い、いえいえ! そのようなことは決して!」
     顔を赤くした娘に苦笑しつつ、彩は真面目な顔になった。
    「察してはいる。……霧蔵のことだろう?」
    「……!」
     一転、桜雪の顔から紅が引いた。
    「父親違いとは言え、お前の弟だった。……私が引き取ると言えば、ああはならなかったかも知れん」
    「……」
    「だが、全ては終わったことだ」
     彩がそう言った途端、桜雪の頬にぽろぽろと涙がこぼれだした。
    「母様はいつもそう」
    「え?」
    「事が終わってから、そんなことを仰います。何故、事が起こる前に手を打たないのですか?」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪はがばっと頭を下げ、平伏した。
    「……申し訳ありません。出過ぎた言葉でした」
    「いや」
     彩も同様に頭を下げ、こう返した。
    「お前の言う通りだ。私はいつも、終わってからしか行動しない。愚か者の見本だ」
    「そんな……」
    「……飯に、しよう」



     桜雪以後、小雪が産んだ子供は6人いた。
     しかし一人として自分が育てるようなことをせず、彼女はすべて臣下の者に預けていた。そのうちの一人が霧蔵である。
     だが、預けられた先で家庭内の諍いが起こり、霧蔵は間に挟まれる形で何年も過ごし――そしてつい先日、その境遇に耐えかね、わずか12歳の身で自殺したのである。

     その諍いの根源が他ならぬ霧蔵にあったことは、誰の目にも明らかだった。
     女王から無理矢理に押し付けられ、それまで円満だった家庭にいらぬ波風を立て、崩壊に導いたであろうことを、周囲の者は皆、察していた。
     預けた張本人、小雪を除いて。



    「……」
    「……」
     いつになく重苦しい空気の中、彩と桜雪は夕食をとっていた。
     食事の最中に会話するようなことは、央南における礼儀上、はしたないとされてきたことであったし、真面目な二人はこれまでの15年間きちんと、その礼儀を守ってきた。
     だがこの日――桜雪が、それを破った。
    「母様」
    「……」
    「わたしは、愚か者になろうと思います」
    「え?」
     顔を挙げた彩に、桜雪は涙で腫れた、しかし熱い光のこもる目を向けた。
    「諸悪の根源は、我が実の母にあります。
     わたしはその母を――この国の女王、焔小雪を討ちます。親を殺すなど愚行以外の何者でもありませんが、しかしそれをしなければ、何も変わりはしないでしょうから」
    「ばっ、……馬鹿を言うな!」
     面食らった彩は、茶碗を落としてしまう。
    「いくら堕落の極みにあるとは言え、我らが主君であるぞ!」
    「主君であれば何をしても良いと言うのですか!?」
    「……っ」
    「このまま看過し続ければ、どうなると思いますか? また我が弟妹が死に、また母様は後になってから愚痴をこぼすでしょう。
     それはこの国の未来と同様ではないでしょうか?」
    「どう言う意味だ?」
    「女王の愚行で人が死に、焔流が乱れ、国が傾く。その惨状を、残った者が『仕方の無いこと』と諦め、また次の悲劇が緩慢に起こる。
     わたしが知る限り、焔紅王国の20年は、その緩慢なる悲劇の繰り返しです。此度の件は、その縮図と言えるでしょう」
    「……」
    「どうして誰も焔小雪を咎めないのですか? 女王だから? 家元だから?
     わたしにはその言い訳が納得できません。余計な面倒事に首を突っ込みたくないと言う、怠け者たちの逃げ口上にしか思えません」
    「桜雪ッ!」
     一瞬憤り、彩は桜雪に平手を食らわそうとした。
     ところが桜雪はその手をつかみ、なおも熱く語る。
    「しかしわたしは、母様だけはそうではないと信じております。
     母様はただ楽して生きたいだけの怠け者であるとは、到底思えません。いずれ機が来れば立ち上がってくれる、憂国の士と信じております。
     一度でいいのです。後悔ではなく、満足をしていただけませんか? 『あれを省みるには遅かった』などと仰らず、『あれをやって良かったと思っている』と、わたしに堂々と、胸を張って仰って下さい」
    「……私に、何をしろと言うのだ」
    「わたしと共に、戦って下さい。
     この腐った国を糺(ただ)すために」
    「桜雪……」
     娘の熱い瞳に射抜かれ、彩の心に、20年振りに火が灯った。

     これが九鬼桜雪による、焔紅王国に対する謀反の始まりである。
    白猫夢・桜燃抄 3
    »»  2015.04.09.
    麒麟を巡る話、第494話。
    五人抜き。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。
    「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」
     彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。
    「娘が戦うと言ったのだ」
    「娘? ……ああ、と言うと」
     その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の子供を臣下の者に厄介払いしていることは知っており、憎むべき相手とそう似ていなくもない、この短耳の少女に対し、冷淡な態度を執ってみせた。
    「いやいや、閣下も打算的な方のようで」
    「打算? 何のことだ」
    「おとぼけにならずとも……。その娘御を神輿と立てて、戦いの大義名分にしようと言うおつもりでしょう?」
    「なるほど、そう捉えるか」
     うなずくなり、彩は相手の胸倉をぐい、とつかんだ。
    「うえっ!? な……なにを……」
    「見た目が同じと言って、中身も一緒であるとは限らんぞ。桜雪は見た目こそ女王に似てはいるが、中身は天と地ほどに違う。
     何なら試してみるか?」
    「と言うと?」
    「この子が3歳の頃から、私が鍛え上げたのだ。当然、私に並ぶ腕前を持っている。
     この子が単なるお神輿で終わる器か、お前らの剣の腕で測ってみればいい」
    「……やれと言うならやりますよ」

     彩に言われるまま、彼らの中でも指折りの手練が桜雪と対峙する。
    「では、参る」
     と、一人が前に出たところで、桜雪は首を振った。
    「あ……?」
     怖気づいたかと、相手が嘲った表情を向けたところで、桜雪が口を開いた。
    「現実的では無いと思います」
    「……は?」
    「いざ戦となれば、こんな一対一の戦いなど、そうそうあり得ないのでは?
     来るなら全員で来てください。実際と沿わないような状況で私の腕を見せても、何ら意味がありませんから」
    「……チッ」
     元々質がいいとは言えない彼らは、この一言で豹変した。
    「偉そうな態度は『お母ちゃん』譲りってか、あぁ? びーびー泣かせてやってもいいんだぜ?」
     一方、成り行きを静観していた彩は、娘の態度を咎めたり、剣士らに苦言を呈したりもせず、淡々と言い放った。
    「やれるものならな。もし娘が負けるようなことがあれば、その時はあいつを、お前たちの好きにして構わんぞ」
    「ま、……マジですか?」
     男たちは一様にぎょっとした表情で彩を振り返り、そして一転、舐めるように桜雪を眺め――一斉に襲いかかった。
    「やっちまえッ!」
     剣士5人が、我先にと桜雪との間合いを詰める。
     ところが次の瞬間、桜雪は目の前から消えた。
    「……えっ?」
     気付いた時には、桜雪の木刀が一人の背中にぐりっとねじ込まれていた。
    「ぐえ……っ」
     木刀をねじ込まれた剣士は一転、顔を真っ青にし、その場に倒れる。
    「まず1人」
    「な、なめやがってッ!」
     残る4人が一斉に振り返ったところで、またも桜雪が消える。
    「……!?」
     この時点で4人とも、桜雪の動きを捉えられていないことに気付く。
    「がッ……」
     また一人、頭を抱えてうずくまる。頭から血を流しており、桜雪に叩かれたことは明白だった。
    「残り3人。どうしました?」
     姿を見せた桜雪は左手を木刀から離し、くい、と手招きする。
    「わたしを手篭めにするのでは無かったのですか?」
    「……く」
     挑発に乗り、一人が一足飛びに間合いを詰める。
    「やったらあッ!」「粗忽者!」
     が、飛び込んだところでボキ、と痛々しい音が場に響き渡る。
    「うおお、あ、あぁ……」
     襲いかかった剣士が肩を抑え、のたうち回る。
    「これだけ技を見せておいたと言うのに、真正面からかかってどうこうできる相手と思っているのですか!」
    「いい加減にしやがれええ……っ」
     と、頭を打たれて倒れていた一人が起き上がり、桜雪を羽交い締めにする。
    「やれ! やっちまえ!」
    「お、……おうっ!」
     残る2人が木刀を構え直し、桜雪に迫る。
     ところがすぐ眼前まで間合いが詰まったところで、桜雪がその一方を蹴り倒す。
    「うぐっ!?」
     もう一方にも足を付いて足場にし、桜雪は宙に浮く。
    「あ……」
     桜雪を羽交い締めにしていた者が、一瞬にして桜雪に背後を取られる。
    「終わりです」
     桜雪は渾身の力を込めて相手に体全体をぶつけ、残っていた剣士2人もろとも突き飛ばした。
    「おわあああっ!?」
    「ぐげ……っ」
    「ま、じ……かよ」
     3人同時に転げ回り、そのまま動かなくなる。
     一人その場に残った桜雪が、周りに怒鳴った。
    「他にはいないのですか!? わたしを叩きのめしてやろうと言う気骨、気概のある者はッ!」
    「まあ、そのくらいでいいだろう」
     成り行きを眺めていた彩が、そこで桜雪を止めようとする。
     ところが、桜雪は続けてこう怒鳴った。
    「このくらいで!? もしこの程度でやめると言うのならば、あなた方は口先ばかりの軟弱者です!
     この国を力ずくで変えようと言う者が、たった15歳の小娘一人止められずに、一体何をしようと言うのですかッ!」
    (まったく……。やり過ぎだ、桜雪)
     怒鳴り倒す娘に、彩は内心、呆れ返っていた。
    白猫夢・桜燃抄 4
    »»  2015.04.10.
    麒麟を巡る話、第495話。
    桜花、燃え咲く。

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    5.
     当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。
    「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」
     桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。
    「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に現実と沿わぬものであるかを痛感させられた」
    「どうか我々と戦うと共に、我々の至らぬ部分について、ご指導・ご鞭撻の程を願いたい」
    「……」
     そう請われ、桜雪は面食らう様子も見せず、素直にうなずいて返した。
    「頭を上げて下さい。わたし自身まだまだ有学の徒ですし、軽々と人に物を教えられるような身ではありません。共に修行し、研鑽し合うと言うことであれば、喜んでお受けいたします」
     その落ち着いた物腰と謙虚な態度、一方でいざ機に差し掛かった時の勇猛果敢な姿勢は、同志たちの心をいつしか、がっちりとつかんでいた。

     15歳にして既に優れた剣才を発揮し、その言動と物腰に人を惹きつけてやまぬ魅力を持っていた彼女は、瞬く間に多くの剣士たちから人望を集めた。
     それは紛れもない「カリスマ」――王となる者に求められる、類稀なる才能であり、彼女は自覚してか、それとも無自覚のままか、この頃からその才能を発揮・行使し始めた。
     事実、それまで「反女王」を掲げていながら、何らまともな活動を行わず、有名無実の組織となっていた彼らは、桜雪が加盟してからわずか半年後――彼女を旗頭にして、最初の攻撃を行った。



    「大変です、左大臣閣下!」
     双月暦566年。王国にとってのその凶報が左大臣、深見の元に届けられた。
    「王国東国境付近、梅宿を反女王派と名乗る連中が占拠しました! 謀反にございます!」
    「なっ……!? 謀反だとぉ!?」
     囲っていた女の膝に頭を預けていた深見は慌てて起き上がり、乱れた衣服を整える。
    「……いや、無い方がおかしいか。むしろ『ようやくかよ』って感じだな。
     で、相手の情報は?」
    「謀反の中心人物となっているのは、九鬼桜雪と名乗る短耳です。兵の数はおよそ200ほどであると」
    「……ん、んん? 九鬼って、……あの九鬼か? いや、九鬼は九鬼でも名前が違うな」
     眉間にしわを寄せた深見に、伝令はこくっと短くうなずく。
    「ええ、九鬼彩中将の娘御とのことです」
    「むすめぇ?」
     深見は腑に落ちない、と言う顔をする。
    「あの剣術一本バカに男や夫がいるとは思えんが。養子か何かか? それともあの単細胞のことだし、細胞分裂でもしたか? ひひひ……」
    「……いや、あの、ほら、閣下」
     伝令が額の汗を拭きつつ、恐る恐るこう返す。
    「九鬼中将に、預けたではないですか」
    「何を?」
    「ですから、ほら、あの、……ごにょごにょ、……の娘を」
    「……あー、はいはいはい。そう言えばいたな、そんなの」
     ようやく桜雪の素性を思い出したらしく、途端に深見は大欠伸をして見せた。
    「ふあー、あーぁ……。適当に兵隊を送っとけ。……んだよ、びっくりさせやがって」
    「閣下?」
    「九鬼んとこに預けた娘って言や、まだ15か16ってとこだろ? そんな小娘に何ができるんだっつの。しかもあのバカ殿の血ぃ引いてんだぜ?」
    「……なるほど。それもそうですな。
     ではあの近隣の基地に駐留している者に連絡し、殲滅してもらいましょう。……あ、いや、それではまずいですな」
    「あ? 何がまずいって?」
    「いや、ですから、……ごにょごにょ、の娘となると」
    「いーって」
     深見は面倒臭そうにぱたぱたと手を振り、こう言い放った。
    「どうせあいつも忘れてるさ、産んだこと自体。俺にしても今更構うの、かったるいし。殺しちまった方が後腐れなくていい。
     いや、むしろきっちり殺せ。だがくれぐれも、あいつの娘だってことが漏れないようにしろ。それが広まると面倒だしな」
    「御意」



     結論から言えば、この時深見は桜雪本人の才能と能力、そして彼女が起こした謀反による影響に対して、致命的な判断ミスを犯していた。
     簡単に蹴散らせると踏んで差し向けた兵隊はあっと言う間に全滅し――その上、この敗残兵たちは一人残らず、桜雪に下ってしまったのだ。
    白猫夢・桜燃抄 5
    »»  2015.04.11.
    麒麟を巡る話、第496話。
    栄枯盛衰。

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    6.
     蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。
     当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。
     その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。

     そんな芸当ができた背景には無論、現女王である小雪の体制があまりにも悲惨なものであり、一方で桜雪側には寄り沿い、共闘するに十分な理由と大義があったからだが、それを差し引いてもなお、敵方が簡単に寝返ってしまう、いや、「寝返りたくなる」誘因があった。
     それは紛れも無く、桜雪本人の「魅力」だった。
    「我々の組織は非常に大きく成長し、既に軍と呼べる規模に達しています。
     故に、これより我々の組織を『九鬼軍』と改称することとし、併せて然るべき軍規を設け、軍としてより厳格かつ廉潔な、即ち焔流剣士の名に恥じぬ行動を執るべく、これを徹底することとします」
     全軍を集めて行われた桜雪の演説に、剣士たちは歓声を以って応える。
    「それでは、本日はこれにて解散です。今日一日は十分な休養を取り、明日からの戦いに備えて下さい」
     壇上で深々と頭を下げ、話を切り上げたが、何故か剣士たちは微動だにしない。
    「……?」
     桜雪が顔を挙げ、それに気付いたところで、剣士たちが口々に尋ねた。
    「九鬼頭領! 我々より質問がございます!」
    「何でしょうか」
     応じた桜雪に、彼らはこう続けた。
    「我々は頭領が焔女王の血を引いていると存じております! 頭領にとって、それは恥でしょうか、誇りでしょうか?」
    「……」
     数秒の沈黙の後、桜雪が答えた。
    「率直な感想を述べるとするならば、焔小雪を実の母とすることは、わたしにとっては紛れも無く、恥であると言えます。
     しかし血統そのものについては、万世に広く誇れるものであると堅く信じています。何故なら我が血統、焔家は――焔小雪を除けば――長年にわたり焔流を正しく導き、正しき仁義と礼節を央南に確固として示し続けてきた、由緒ある一族だからです。
     そして、もう一方の血統。かつて焔小雪の後見であり、今なお多くの剣士より『大先生』として慕われ、尊敬を集める剣聖、柊雪乃。
     彼女の血もまた、わたしの中に受け継がれています。それもまた、大いに誇るべきものであると、わたしは信じています」
     桜雪の返答に、剣士たちはまた歓声を挙げた。
    「万歳!」
    「九鬼頭領、万歳!」
    「九鬼御大将、万歳!」
     高まる声援に、桜雪はただ無言で、深々と頭を下げた。



     当初は桜雪を過小評価していた深見だったが、最初の戦いから2年、3年と過ぎ、王国東部が九鬼軍によってほぼ制圧された頃になって、その認識をようやく改めた。
    「……こりゃまずいぜ」
     初動の遅さと拙さ、そして度重なる戦闘でことごとく相手を測り損ねたためにみるみるうちに敗戦を重ね、深見は苦境に立たされていた。
     ここに至り、深見は側近たちを集めて、こそこそと密談を始めた。
    「九鬼軍は今、どこまで来てる?」
    「拙者の情報によれば、北は若叉、南は三浜までを陥落させたとのことです」
    「じゃあ、山丹方向に逃げればかち合わないな。あの辺りならバカ殿の側近もいねー。気付きやしねーだろう」
    「……閣下? まさか?」
    「そのまさかだよ。このままここにいたんじゃ、命がいくつあっても足んねーぞ」
     逐電をほのめかした深見の言葉に、側近たちは青ざめる。
     それを一瞥し、深見はこう続けた。
    「お前らも一緒に来いよ。今までかき集めた金がありゃ、西辺州の片田舎にでもこもって一生楽しく過ごせるぜ?
     それにだ。こうなった以上、あのバカ殿の下に律儀に居続けたって、美味い汁なんか吸えねーだろ?
     精々『わたしのために盾になって死になさいよ、ブヒブヒ』なんてわめかれるだけだぜ」
    「……」
    「……」
    「……然り」
     元々から自己中心的で欲深い深見と、その子飼いたちである。
     彼らは早々に小雪と現王国を見限り、逃げ去った。
    白猫夢・桜燃抄 6
    »»  2015.04.12.
    麒麟を巡る話、第497話。
    母と娘、ただ一度の邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     双月暦569年、桜雪が19歳の頃。
     桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。

    「状況をお願いします」
     本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。
    「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております」
    「ありがとう、渋坂。三の門については、どのくらいで破れそうでしょうか?」
    「持って30分かと。基礎構造こそしっかりしてはおりますが、魔術対策が塞内のそこかしこで破綻していたことから、恐らくは三の門も、じきに焼けるものと思われます」
    「そう。では、わたしも参りましょう」
    「御意」
     彩を含めた側近らを伴い、桜雪も塞に踏み込む。
    「存じているかも知れませんが」
     紅蓮塞の入口、一の門をくぐり、桜雪はこう続ける。
    「わたしは今日、初めて紅蓮塞の本丸に足を踏み入れます」
    「そうだな……。そうだった」
     応じた彩に、桜雪はくる、と振り返る。
    「母様と共に塞内の各堂で修行こそすれ、女王の邸宅となっていた本丸には、決して入ることが許されませんでした。
     その一事だけでも、どれだけ実の母がわたしを疎んじていたかが、良く、分かります」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪は小さく首を振った。
    「今更ごまかしなどいりません」
     桜雪は煙を上げる本丸に目をやり、こう続ける。
    「わたしにとっての母は、彩母様のみ。わたしは、それで良いのです。
     そしてこれから討つのは、わたしの母では無い。この国における最大最悪の賊将、焔小雪です」
    「失礼ながら頭領」
     壮年の狐獣人、渋坂が桜雪にこう返した。
    「御心に迷いがあるように感じられます。どうか今、この場で、心の内を素直に晒していただきたく存じます。
     でなければ、いざと言う時になって頭領ご自身がお困りになられるかと」
    「……」
     桜雪の足が止まる。
    「あなたの言う通りです、渋坂。
     確かに、わたしは迷っています。最早母でも娘でもないと、頭では割り切っていても、我が心の内では納得できてはいません。
     巷の人間は皆、わたしが焔小雪のことを憎んでいるだろうと考えていると思いますが――正直に言えば、わたしは焔小雪とどう接すればいいのか、分からないのです」
    「と言うと……?」
    「19年の間、一度も顔を合わせたことの無い実母を、わたしは憎むことができるのだろうか、と。もしかしたら目にした瞬間、それとは逆の感情が芽生えるのではないか、と。
     そんな不安が、わたしにはあるのです」
    「しかし頭領……」
     反論しかけた他の側近たちを、渋坂が制する。
    「頭領。もし憐憫の情、親愛の情を抱いたとしても、それは人間として正しきことです。
     一方で、やはり憎むべき敵であると捉えたままであっても、それもまた、軍の頭領として正しきご判断でしょう。
     小生は頭領がどのような結論をお出しになったとしても、それは至極正しきものであると信じております。……そうであろう、皆の者?」
     渋坂に問われ、側近たちは一様にうなずいた。
    「無論にございますとも」
    「頭領が間違っているはずなど!」
    「どうか、ご自身を信じて下さい」
    「……ありがとうございます。
     もう三の門も破られた頃でしょう。急ぎましょう、皆」
     桜雪は側近たちに深く頭を下げ、早足で本丸へと向かった。

     桜雪の予想通り、彼女たちが本丸の前に到着する頃には既に、三の門は炭と化していた。
    「女王は?」
     尋ねた桜雪に、門を破った隊の隊長が答える。
    「現在、兵卒らが本丸内を回り、捜索している最中です。間もなく発見し、こちらへ連行するものと思われます」
    「そう。では、ここで待ちま……」
     言い終わらないうちに、剣士たちが布団を引きずりながら、本丸から姿を表した。
    「うっ……」
    「ま、……まさか」
    「あれ、……が、か?」
     その様子に側近たちも、そして桜雪も、言葉を失った。
     剣士らに引きずられて現れたのは、まるで伸びきった風船のようにぶくぶくとだらしなく太った初老の女――焔紅王国の現女王、焔小雪だった。
    白猫夢・桜燃抄 7
    »»  2015.04.13.
    麒麟を巡る話、第498話。
    女王襲名。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「その女が女王で、……間違い、無いのか?」
     渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。
    「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。
     なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここまで引っ張ってきました」
    「そう、か」
     予想外の状況に皆が戸惑う中、桜雪が一歩、前に踏み出した。
    「確認します。あなたが焔小雪で、間違いないのですか?」
    「……そうよ」
     べちゃりと布団に張り付いていた女が、くぐもった声で答える。
    「……」
     桜雪はそれ以上、何も尋ねない。どうやら彼女も相当の衝撃を受けているようだった。
    「意外?」
     と、小雪の方から声をかけてくる。
    「……っ」
    「まさか、遊んで、食っちゃ寝、してるだけの女が、20年前、30年前の、美貌を、留めてると、思ってた?」
     小雪は切れ切れに、苦しそうな様子で話している。
     その顔は土気色に沈んでおり、髪はほとんど白く、そして地肌が見えるほどに細く、少ない。目は黄色く濁り、膨れ上がった手と足は到底、人の体と思えない色に染まっている。
     どうやら長年の自堕落な生活のために、体のあちこちを病んでいるようだった。
    「……」
     最早人と思えぬほどに形の崩れた小雪を目にした桜雪の顔色が、どんどん悪くなってくる。
    「桜雪!」
     それに気付いた彩が、後ろから桜雪を抱き留める。
     その様子を見て、小雪がクスクスと笑う。
    「あら、九鬼。久しぶりね」
    「え、ええ」
    「あなたは、あんまり、変わらないの、ね。そうよね、わたしと、違って、毎日鍛錬、してたんで、しょうしね」
    「……」
    「ご覧の、通り、よ。わたしは、こんなに、なっちゃった」
     小雪は桜雪に目をやり、淡々としゃべりだした。
    「あなたが、わたしの、子供だってことは、深見から、聞いてた気が、するわ。そうね、面影がある。あなたにとっては、おばあちゃん、わたしにとっては、母だった、人に。
     ……もう、いいでしょ? わたしから、聞くことは、もう無い、でしょ? さっさと、終わらせ、なさいよ」
    「……~っ」
     桜雪の唇から、つつ……、と血が滴る。どうやら極度の混乱・動揺を、唇を噛むことで無理矢理にこらえたらしい。
     その血を手の甲で拭い、桜雪は乾いた声で命じる。
    「誰か……刀を……貸して下さい」
    「と、頭領」
    「わたしが……討ち取ります」
    「……これを使え」
     彩が腰から刀を抜き、桜雪に渡す。
    「あなたが、やって、くれるのね」
    「……はい……」
     絞り出すような声で、桜雪が応じる。
    「どうぞ。……新しい、女王さま」
    「……覚悟っ……」
     桜雪は刀を手に、ぼたぼたと涙を流しながら、小雪に近付いた。

     その日のうちに、桜雪は焔紅王国の新たな女王となった。
     また、この日から桜雪は自分の姓を「焔」と改め、焔桜雪と名乗るようになった。



    《……ってのが現体制に至るまでの、大体の顛末だね。
     その後についてはそんなに特筆するコトは無いね。真面目で優秀で誰からも好かれる女王様の下、みんなが幸せに暮らしましたとさ、……って感じだね》
    「いや、そうじゃないみたいですよ」
     のんきそうに語った電話の相手に、ルシオは反論する。
    《って言うと?》
    「実はそのサユキ女王から、招待を受けまして。何でも、農業指導をしてほしいとか」
    《ふーん……? 農業指導ってコトは、やっぱりまだ、土地が荒れてるのかねぇ》
    「だと思いますよ。サユキ女王の体制になってからまだ5年とのことですし、農地改革は一朝一夕にできることではありませんから」
    《まあ、私から言えるコトとしては、その焔桜雪って子は十分、信用に値するだろうってコトだね。
     わずか19歳で国一つ引っくり返すくらいの働きをしたんだし、どうあれ傑物にゃ違いないね。そんな大人物が『助けてくれ』って願い出てるんだ、行って損は無いと思うけどねぇ?》
    「非常に参考になりました。ありがとうございます。……あの、ところで」
    《ん?》
    「お名前を伺っても……?」
     ルシオにそう問われ、相手は《あー》と声を漏らす。
    《そう言や忘れてたね。モールさ。賢者モール・リッチと言えば私のコトだね》
    「はあ」
     ルシオのぼんやりした返事に、呆れた声が返って来る。
    《え、もしかして知らないね?》
    「ええ。もしかして高名な方でしたか……?」
    《……ちぇ》
    白猫夢・桜燃抄 8
    »»  2015.04.14.
    麒麟を巡る話、第499話。
    農学博士の見解。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。
    「そのお話、本当でしょうか……?」
     だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。
    「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」
    「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはずだよ。
     一応、大学の方でも調べてはみるけど……」「あ、それなら」
     と、春が顔を上げる。
    「わたしの方で調べてみました。でも、焔紅王国に関する書物は全て、央南連合下では発行も所有も禁じられているので……」
    「やっぱりそうか。と言うことは、あの二人も相当な危険を冒してここに来てるってことになるな。……逆にそれが、彼らの真剣さを伝えていることにはならないだろうか?」
    「あなた、妙に王国の肩を持つんですね?」
     春にそう問われ、ルシオは小さく首を振る。
    「そう言うわけじゃないさ。もしも本当に、王国が農地改革を求めていると言うのなら、僕たちにとっては研究成果を示す、またとない場になる。そう思ってるんだ。
     少なくとも僕は学問のために学問を修めているわけじゃない。実際の状況に対して適用されるためにこそ、学問はあるべきだと考えてる。ハル、君もそうじゃないのか?」
    「……そうですね。そう問われれば、はいと答えます。でもやっぱり……」
    「ともかく、二人で話しているだけじゃ埒が明かない。この手紙を渡した、あの『狐』の人に詳しく話を聞いた方がいいんじゃないかな?」
     多少強引ではあったが、ルシオのこの主張に対し、春は渋々と言う様子でうなずいた。
    「分かりました、それで判断しましょう。もしそこで『やっぱりおかしい』と感じた時は、今度こそ、この話は無かったことにして下さいね?」
    「勿論さ」

     既に夜の9時を回ってはいたが、それでも彼らを訪ねたところ、快く出迎えてくれた。
    「ありがとうございます、ブロッツォ博士、紺納博士」
     深々と頭を下げた狐獣人の剣士、渋坂に対し、ルシオは「いや」と手を振る。
    「まだお受けすると決めたわけではありません。王国について、現在どのような環境であるのか確認したいと思いまして」
    「なるほど、確かにあの手紙だけでは実情を測ることはできませんな。……これ、千谷」
    「はっ」
     千谷と呼ばれた短耳の青年が、数枚の写真を机の上に置く。
    「こちらが王国内の、ある農村を撮影したものです」
    「ふむ」
     ルシオたちは写真を受け取り、互いに意見を述べる。
    「画像は粗いけれど……、確かに荒れ果てているのがよく分かる」
    「そうですね。土が、とっても白い。栄養がほとんど無いようですね」
    「恐らく、これは白砂(シラス)のような火山性土だろう。
     紅州は温泉が豊富にあるって話だから、マグマ層が比較的地表に近いんだろう。噴火や溶岩の露出と言った大規模災害なんかは発生しないまでも、土の性質は火山地帯のそれと、かなり近くなってるんじゃないかな。
     ……ふむ、とすると」
     ルシオは渋坂たちに向き直り、こう尋ねた。
    「王国で主だって栽培している作物は、もしかして米や麦と言った穀類でしょうか?」
    「ええ、まあ」
    「それをこの土壌で育てようとした、と?」
    「はい」
    「それは無理です」
     ルシオは頭を抱え、深いため息をついた。
    「何故に?」
    「穀物を育てるのに必要な栄養素が、この種類の土には存在しないからです」
    「なんと」
    「紅州のほとんどが、こうした土壌でしょうか?」
    「いや、白ではなく、むしろ真っ黒なところもあります。ですがそこも同様に、作物が実ったことがありません」
    「と言うことは十中八九、黒ボク土(くろぼくど。こちらも火山性土の一種)だろうな……。なるほど、農業をやるには致命的に条件が悪過ぎる。
     褐色土なんかはありますか? この辺りではよく見かける類の土ですが……」
    「いや、あまり見ません。紅州の北、黄州との国境付近には多少あるようですが」
    「ふーむ……。なるほど、よく分かりました」
     ルシオは苦り切った顔で、こう続けた。
    「はっきり申し上げましょう。現状、紅州で米や麦を栽培しても、成果は望むべくもありません」
    「むう……」
    「ですが、私にはその現状を打破できる策がいくつかあります。私が赴けば、4~5年でほぼ自給できる程度には、農業事情を改善することができると思います」
     ルシオの弁に、渋坂の目が輝く。
    「では……」「ですが」
     と、ルシオが手を挙げて制する。
    「央南連合下に住まう我々が王国へ指導に向かうとなれば、様々な弊害があります。それについては、どのような対策を?」
    「我々も、無計画に玄州に飛び込み、あなた方の前に転がり出たわけではございません。
     入出国の問題につきましては、玄州と何度と無く交渉を行い、どうにか制限付きながらも行き来できる条約を締結しております。通行許可証さえ発行できれば、問題なく通行可能であることを保証します。
     その他、滞在に関わる様々な問題に対しても、我々が全面的に対処する所存です」
    「……だ、そうだけど」
     ルシオは恐る恐る、妻の顔を伺う。
    「はぁ」
     春は呆れた表情を浮かべつつも、夫の要望を聞き入れた。
    「つまり、行きたいんでしょう?」
    「う、……うん」
    「……と言うことです。夫も、そしてわたしも、お話をお受けいたします」



     こうしてルシオ・春夫妻は農業指導を行うため、焔紅王国へ向かうこととなった。

    白猫夢・桜燃抄 終
    白猫夢・桜燃抄 9
    »»  2015.04.15.
    麒麟を巡る話、第500話。
    人懐っこい女王陛下。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ようこそ、おいで下さいました」
     その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。
    「っ、あ、あの」
     面食らったルシオは、慌てて応じようとする。
     しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。
    「こうしてはるばる、我が王国までご足労いただけましたことに、深い感謝の意を表します。どうか我々を助けて下さいますよう、何卒、何卒お願いいたします」
    「は、はい。勿論です、ええ」
     これほど丁寧に出迎えられるとは思わず、ルシオは終始、目を白黒させていた。
     一方、妻の春は冷静に構えている。
    「早速ですが、お仕事の話をしたいと思います。ご用意はよろしいでしょうか?」
    「はい。では、こちらへ」
     女王、焔桜雪はにこっと笑みを浮かべ、二人を案内した。

     場所を応接間に移し、桜雪は書類の束が入った箱を差し出した。
    「こちらが、過去2年間に我々が行った農業活動と、その経過・結果を記したものです」
    「ふむ」
     ある程度の落ち着きを取り戻し、ルシオは書類に目を通す。
    「……やはり、芳しくないようですね」
    「はい。我が国の近隣州や央中から購入した種苗の8割が満足に育たず、また、残り2割も到底、国民全体に行き渡る程には生長しませんでした」
    「原因の大部分は恐らく、土壌によるものでしょう。
     玄州からこの国に入り、この城に到着するまでに何度か田畑を見る機会がありましたが、一目見ただけでも農作物が育つものではないだろうと、妻と話し合っていました」
    「ええ。詳しい調査は後程行う予定ですが、紅州の大部分が火山性土に覆われており、そのために、作物にとって非常に厳しい環境になっているようです」
     ルシオと春からそう告げられ、これまで毅然とした、それでいて穏やかな態度で接してきた桜雪の顔に影が差す。
    「では、今後も我が国では農業を行うことは不可能、と言うことでしょうか」
    「調査しなければ、断言はできません。しかし現段階での我々の見立てとしては、仰る通り非常に難しいと思います」
    「そうですか……」
     が、桜雪はすぐに表情を改め、にっこりした顔を見せる。
    「ともかく、長旅でお疲れのことと思います。ひとまず、今日のところはお休みになっては如何でしょうか?」
     この提案に、ルシオたちは素直にうなずいた。
    「ええ、そうしたいです。流石に疲れていますし」
    「お言葉に甘えます」
    「では、我が塞内に宿泊場所を設けておりますので、滞在中はそちらをお使い下さい。温泉地ですので、湯船はいつでもお使いいただいて構いません。お食事については寝室にお運びする予定ですが、何か希望や食べつけないものはございますか?」
    「いえ、特には」
    「それでは、宿となる場所にご案内いたします」
     誰かを呼ぶでもなく立ち上がった桜雪に、春がきょとんとした顔を向けた。
    「え?」
    「如何されましたか?」
     尋ねた桜雪に、春は眉間にしわを寄せつつ尋ね返す。
    「あなたが案内を?」
    「はい。そのつもりでしたが、何か不都合がございましたか?」
    「いえ、女王のあなたがそんなことを、……と言う意味で尋ねたのですが」
    「お客様ですから」
     桜雪はにこっと笑い、こう続けた。
    「我々に少なからず救いの手を差し伸べて下さるのです。であれば、でき得る限り丁寧に応対したいと考えております故」
    「そこまでされなくても……」
     面食らっている様子の春に、桜雪はまた、にっこりと――恥ずかしそうに、顔を赤らめながら言った。
    「それに、ご存じかと思いますが、我が国は他国、取り分け央南連合領地との交流がほとんどございません。
     ですから、国外の方と接する機会があれば、……少しでも仲良くしたいのです」
    「そうですか」
     春は表情を堅くし、無感情そうに返した。
    白猫夢・揺春抄 1
    »»  2015.04.17.
    麒麟を巡る話、第501話。
    ずれる想い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。
    「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」
    「ん?」
    「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」
    「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」
     ルシオの言葉に、春は一瞬、不快そうな表情を浮かべたが、すぐにしゅんとなる。
    「そうかも知れません。もしかしたら本当に、焔女王はただ真剣に、農業指導を求めているだけなのかも、……と思い始めてきました。
     でもわたしは央南でずっと、『焔紅王国は悪の巣窟』であると聞かされて育ってきたせいか、どうしても信じ切れないんです。もしかしたら、もしかしたら、……と、ずっと心のどこかで考えてしまっていて」
    「もし、本当に君の言う通り、ホムラ女王が何か企んでるって言うならさ」
     ルシオは春の手を握り、こううそぶく。
    「僕が何としてでも、君を連れて央南に逃げ帰って見せるよ」
     春は呆れたようにくすっと笑って返した。
    「期待はしてませんけど、……でも、その時は頼みますね」



     翌日からルシオ夫妻の農業指導が開始されたが、ほとんど毎日のように、桜雪は現場に現れた。
    「よろしくお願いいたします」
    「あ、……はい」
     無論、国王である桜雪にそうそう暇があるわけでは無いらしく、やって来て5分もしないうちに渋坂が呼び戻しに来たり、そもそも来られない日もあった。
     それでも、桜雪はちょくちょく現場を訪れ、嬉しそうに夫妻の仕事ぶりを眺めていた。
    「あの」
     それが春には気に入らなかったらしく――ある日、いつものようににこにこしている桜雪に向かって、春が苛立たしげに尋ねた。
    「何かわたしたちに、滑稽な点があるのでしょうか?」
    「いえ、とんでもありません」
     ところがにらまれた途端、桜雪は目を丸くし、驚いたような顔をした。
    「もしかして、お気に障りましたか?」
    「正直に言いますと、そうです」
     春が畳み掛ける。
    「わたしも夫も真剣に、仕事に取り組んでいます。それを笑われて、快いと思われるんですか?」
    「あ……」
     これを聞いて、桜雪は深々と頭を下げた。
    「すみません。そんなつもりではなかったのです。ただ……」
    「ただ?」
     なおも苛立った目を向ける春に、桜雪は申し訳無さそうにこう続けた。
    「高名な博士ご夫妻が、この国のために尽力して下さっていると考えたら、とても嬉しくて」
    「……」
     しばらく沈黙した後、春がふーっ、とため息をついた。
    「ではできるだけ、真面目に拝見なさって下さい。繰り返しますが、わたしたちは真面目に仕事をしてますから」
    「気を付けます」

    「あれは無いんじゃない?」
     その日の晩、春の言動をルシオが咎めた。
    「いくらなんでも、相手は女王だよ? それも、良識ある名君だ。そんな人に対して『真面目にしろ』は言い過ぎだよ」
    「あなたもあの人の肩を持つんですか?」
     だが、春はまったく譲らない。
    「いや、そう言うわけじゃなくてさ……」
    「こっちに来てからずっとそう! 何かにつけて女王、女王って! そんなに女王様が好きなら、わたしのことなんか放っておけばいいでしょう!?」
    「バカなこと言わないでくれよ。君への愛情と女王への敬意は別物だ。君のことは妻として、女性として好きだけど、女王に対してそんなこと思ったりなんかするもんか!」
    「……」
     一転、春はボタボタと涙を流す。
    「そんなに怒鳴らなくったっていいでしょう!?」
    「怒鳴ってるのは君じゃないか。落ち着きなよ、ハル。君、最近なんか変だよ?」
    「それはもう、変にもなってしまいますよ! 連合から離れて、こんな寂れたところで何週間も過ごしてたら、そうなりますっ!」
     ついに春はルシオに背を向け、そのまま寝室に駆け込んでしまった。
    「……あー……」
     一人残されたルシオは顔を両手で覆い、うめくしか無くなった。
    (ハル、限界かなー……。一回玄州に戻った方がいいだろうな、これは)
    白猫夢・揺春抄 2
    »»  2015.04.18.
    麒麟を巡る話、第502話。
    焔紅王国の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。
     寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。

    (すぐ眼鏡が曇っちゃうな……)
     温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んでいる。
     眼鏡の曇りを拭き、視界が明瞭になったところで、ルシオはそれらの店を一瞥する。
    (そう言えば、ご飯食べる前にお堂を出ちゃったなぁ)
     確認したところで、ぐう、と腹が鳴る。
     ルシオはとりあえず、すぐ横に構えていた店へと入ることにした。
    「いらっしゃっせー、1名様どうぞ!」
     大きく粗雑な挨拶に出迎えられ、ルシオはカウンター席に着く。
    「何にしやしょ?」
    「えー、と……」
     卓上や壁に貼られたメニューを見るが、当然どれも央南語で書かれており、ルシオは閉口する。
     と、横に座っていた狐獣人の客が、チラ、とルシオを横目で見、ぼそっと店主に告げた。
    「僕と同じもん食べさせとき。同じ央中人やろし、好みがえらい合わんっちゅうことは無いやろから」
    「へぇ、承知しました」
    「え? え?」
     ぎょっとしているルシオに、その金髪に赤メッシュの「狐」は央中語で話しかけてきた。
    「見た感じそのまま、央中南部生まれって顔や。グラーナ王国かバイエル共和国っちゅうところやろ」
    「え? ええ、確かにそうです。バイエルのセサミパスって村の生まれです」
    「ド田舎やな。確かミッドランド市国のある、フォルピア湖の南淵辺りやったな」
    「よくご存知ですね」
    「僕らにとったら央中は、自分の庭みたいなもんやからな。それこそどこの街にどんな産物があるかくらい、ソラで言えるんは当然のことや。
     でも……」
     狐獣人はルシオをじろじろと眺めつつ、首を傾げる。
    「なんでこんなとこにおるん? 央中人なんか、僕だけや思てたけど」
    「仕事です」
    「貿易関係か?」
    「いえ、農業指導で」
    「ほー……。道理で学者っぽいなとは思てたわ。浮世離れした格好しとるし。
     あ、ちゅうことはアンタ、ルシオ・ブロッツォ博士か?」
    「あ、はい」
    「女王さんから名前だけは聞いとったわ。ああ、アンタがそうやったんか」
     狐獣人は懐から名刺を取り出し、ルシオに差し出した。
    「僕は金火狐商会系列、トーナ物産社長のレオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンや。
     長いからエミリオでええで」
    「どうも、エミリオさん」

     故郷から遠く離れたこの地で同郷の人間に出会ったことで、ルシオはすっかり高揚していた。
    「いやぁ……、それにしても懐かしいです。当たり前ですけど、央南はどこに言っても央南語で会話してますからね」
     何年か振りに央中語での会話を交わし、ルシオは上機嫌になっている。対するエミリオも、ニコニコしながらこう返す。
    「そらそやろ。僕かて央中語でこんだけ話すんの、何ヶ月ぶりやろって感じやし」
    「ここ、長いんですか?」
    「まあ……、色々あってな。市国には居辛いねん。ちょくちょく理由付けて、こっちに渡っとる感じや」
    「そうなんですか……。うちの妻が聞いたら、『勿体無い』とか言いそうですね」
    「ん?」
     酒に酔っているらしい、とろんとした目を向けてきたエミリオに、ルシオは春のことを話した。
    「まあ、僕らの目から見たら同じ央南でも、ちょっと違うやろしな。何かとイライラすることもあるやろな。
     ……でも、僕に言わせたら連合も大概やけどな」
    「と言うと?」
    「あんな、これはあんまり大っぴらには言えへんのやけど……」
     エミリオはチラ、と店主や他の客を眺め、小声で話し――かけて、途中で笑い出した。
    「……ちゅうても央中語で話したら問題無いか。抜けとるな、ははは……。
     いやな、今の央南連合の主席しとる女。博士は知っとるか?」
    「ええ、名前だけは。アスカ・タチバナ女史でしたっけ」
    「そや、その女。……そいつがな、旦那と組んで阿漕なことばっかりしとるんよ」
    「旦那さん?」
    「西大海洋同盟の現総長、シュンジ・ナイジェルっちゅうやつや。こいつとタチバナが裏で表で色々アレコレ何やかやと、えげつない条約・密約を交わしとってな。
     一例を言うと、北方と央南間以外の貿易には1000%やら2000%になるような、とんでもない関税かけとるんよ。おかげでウチの対央南、対北方貿易は壊滅状態や。
     勿論、何度と無く抗議してはいるんやけどもな、あいつら聞く耳持ってへんねん。あーだこーだ理由付けて、結局税率も差別的措置もそのまんまや」
    「あんまり貿易とかは詳しくないですけど、2000%ってなんか、ひどそうですね」
    「ひどそうやなくて、ひどいんや。ひどいにも程があるっちゅうもんや。
     考えてみいや、ウチで一個3エルくらいの蜜柑を央中から央南に卸すだけで、こっちで一個100玄超えるんやで。レート自体、エルと玄はトントンなはずやのに、やで?」
     その額を聞き、ルシオは声を上げて驚く。
    「30倍ですか!?」
    「関税に加えてコストやらリベートやら加えると、どうしてもそうなるんよ。誰がそんなバカみたいに高い蜜柑買う?
     ちゅうわけで、央中・央南間での貿易は完全に死に体や。焔紅王国以外ではな」
    「なるほど……。だからエミリオさん、こちらで商売されてるんですね」
    「ま、そこはそれ、僕に先見の明があった、ちゅうやつや。
     連合がそうなる前から、この国には目ぇ付けてたんよ。ホムラ女王がやり手そうやっちゅうことは、即位辺りからピンと来てたからな」
    「流石、金火狐ですね」
    「……まあ、な。……まだ一族ん中では、パチモンのアホ扱いやけどな」
    「え?」
    「……いや、何でもあらへん」
    白猫夢・揺春抄 3
    »»  2015.04.19.
    麒麟を巡る話、第503話。
    不穏なうわさ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。
    「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。
     ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」
    「はあ」
    「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白猫党っちゅう輩のせいや。あいつら中央大陸のあっちこっちで好き放題やっとる上に、西方まで手ぇ伸ばしたやろ?」
    「らしいですね」
    「ほんで、北方を政治基盤にしとるナイジェルと、連合主席のタチバナは揃って慌てよったんや。『何としてでも自分の領土を死守せな』ちゅうことで、徹底的に他地域の勢力を追い払っとるっちゅうわけやな。
     まあ、気持ちは分かる。あいつらも容赦無いからな、いざ傘下に下ったら権力者層は軒並みえらい目に遭うやろし、そら徹底的に排除せなっちゅうのんは分かる」
    「はあ」
    「せやけど、連合も連合やで! えげつなさで言うたら、あいつらも同類や!
     博士も気ぃ付けた方がええで――あいつら、自分の身と利益守るためやったら、どんなえげつない悪事も平気でやりよるからな」
    「……え?」
     ぼんやりと生返事を続けていたルシオだったが、穏やかでないエミリオの話に、思わず尋ね返していた。
    「悪事って?」
    「元々な、連合と王国――ちゅうても前体制、コユキ時代の話やけど――には色々、秘密協定があってん。
     重犯罪者を王国に『処理』してもらうとか、王国の地下深くに溜まっとるマグマを利用して、連合専用の産業廃棄物処理場を造ってもらうとかする代わりに、前女王は連合からたんまり、裏でカネもろてたらしいねん。
     で、サユキ時代になってからすぐ、現女王はその密約を全部破棄、反故にした上に、その事実を世界に向けて公表しよったんや。
     女王からすれば『自分らはどこまでもクリーンやで』っちゅうイメージをアピールしたかったみたいやけど、連合からすればたまったもんやない。向こうにしてみれば、『秘密にしとった悪事をバラされた』やからな。
     それもあって、連合の国際的なイメージは今、めっちゃ悪いねん。おまけに『腐敗・堕落した権力者層の排除』を謳う白猫党に対して、攻めさせる格好の口実を与えたことになるわけやしな。
     とは言え、そう言う恨みつらみはあるけども、連合は王国を容易に攻撃でけへん。さんざ悪い印象与えとるところで主だって王国に制裁なんかしようもんなら、それこそ連合にとっては、致命的に悪いイメージを広めることになるからな。
     ちゅうわけで、連合は陰でこそこそっと報復しとるらしいわ。連合軍に身分隠させて、王国から出とる船を襲撃したり、王国と連合を行き来しとる人間を秘密裏に拘束したりな」
    「拘束……!?」
    「ああ。ほんで有ること無いこと立て並べて犯罪者に仕立て上げて、『王国は犯罪者の温床や』と言いふらしとるらしいわ。
     あくまで『王国は悪の巣窟、連合は嘘を言いふらされて被害を受けとる』っちゅう話にしたいらしいわ。……ま、僕も聞いただけやし、実際に被害に遭ったっちゅうことは、まだ無いけどな」



     途中まで程よく酩酊していたものの、エミリオが最後にした話で水を差され、ルシオの酔いはすっかり醒めてしまっていた。
    「……」
     活気ある温泉街から戻り、紅蓮塞への若干寂しい道中に差し掛かったところで、ルシオは不安に苛まれる。
    (王国に関係した人間は連合から報復、……か。『まさか』とは思うけど、……でも、『もしかして』って言う不安を捨て切れない。
     明日には暇を願い出ようと考えてたけど、そんな事情があるなら、やっぱり帰国を延期すべきじゃないだろうか。
     説得には骨が折れるだろうけど、一応、ハルに伝えておこう)
     考えをまとめているうちに紅蓮塞の門前に着き、ルシオは立番らに会釈する。
    「戻りました」
    「お帰りなさいませ、博士」
     立番二人は深々と頭を下げ、そしてこう尋ねてきた。
    「奥方はご一緒ではないのですか?」
    「え?」
     きょとんとしたルシオに、立番が怪訝な顔を向ける。
    「先程、奥方が出て行かれましたが……?」
    「てっきり博士と街で落ち合うものと思っておりましたが、お会いにならなかったのですか?」
    「いや、妻は寝てた、はず、……だけ、ど」
     ルシオの背中に、冷たいものが走る。
    「いつの話ですか?」
    「1時間ほど前です」
    「何か、荷物とかは……」
    「ええ。かばんを提げていらっしゃいました。……うん?」
    「まさか、博士? 奥方は……」
     途端に、ルシオはその場にへたり込んだ。
    「……そんな、……ハル!」
    白猫夢・揺春抄 4
    »»  2015.04.20.
    麒麟を巡る話、第504話。
    情緒不安定。

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    5.
     ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。
    (……?)
     そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。
    (ルシオ? ……どこへいったのかしら?)
     春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。
     ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換えれば冷静さが著しく欠けていた。
    (日も暮れたと言うのに、あの人は一体どこへ? わたしに隠れて、何かやましいことをしようとしているのでは? いえ、きっとそう。きっとあの女王のところよ。間違いないわ。
     ああ……、なんてことかしら! こんな国に来てしまったせいで、あの人が女王に盗られてしまうなんて! いえ、あの人は元々からこの国に行きたいと言っていたもの、ずっと前から籠絡されていたに違いないわ! きっと裏で口裏を合わせて、適当な理由を付けてこの国に来る口実を立てて……)
     考えれば考えるほど、整合性の無い、春の妄想にとってのみ都合のいい、荒唐無稽な論理が組み立てられていく。
     だが、冷静さを欠いた春には、その理屈がどんな言葉よりも正当性を持っているように感じてしまっている。
    (もう嫌! これ以上、こんなところにいたくなんかない!)
     春は無意識に自分のかばんを抱きかかえ、お堂を飛び出していた。



     はっと我に返った時には、春は既に紅蓮塞の灯りが見えないところまで逃げていた。
    「……あ」
     そこでようやく、春は自分が部屋着のままであることに気が付いた。
    「さむ……」
     吐く息は白く、手も真っ青になっている。慌ててかばんを開け、上着や手袋を探すが――。
    (置いてきちゃったみたい。……どうしようかしら)
     両手に吐息を当てて温めようとするが、あまり効果が感じられない。足元にかばんを置き、両手をこすり合わせても、掌も指も冷たく、温まってこない。
    (……戻ろうかしら?
     さっきの、よく考えてみたら無茶苦茶だし。どうして夫と女王が会う前から通じているなんて思ったりしたのかしら。連合と王国が国交断絶してた状態で交流なんて、できるはずがないのに。
     誰にも何も言わずに飛び出したから、今ならまだ恥をかかずに戻れるでしょうし)
     外気で冷えた頭が、ようやくまともな思考を始める。
     春は足元に置いたままのかばんを手に取ろうと、しゃがみ込んだ。

     その時だった。
    「紺納博士ですか?」
    「え?」
     しゃがんだまま振り向くと、そこにはスーツを着た男が2人、並んで立っていた。
    「えっと……、王国の方、ですか?」
     尋ねつつも、春は彼らが王国の関係者ではないことを悟っていた。
     王国の人間は皆、昔ながらの和装を着ており、洋装をした人間は自分が知る限り、夫のルシオか、温泉街でちらほら見かける観光客くらいしかいない。
     それ以前に、彼らの胸に付けられた徽章は――。
    「我々は央南連合の者です」
    「です、よね」
     彼らの素性には納得したものの、春の中には次の疑問が浮かんでいた。
    「あの、連合の方が何故、この国にいらっしゃるのでしょうか? それに、わたしのことを何故ご存じなのでしょう?」
    「説明が足りませんでしたね」
     男たちは一瞬、顔を見合わせ、こう続けた。
    「我々の所属は、正式には央南連合軍諜報部、特殊工作課と申します。
     具体的に言えば、この焔紅王国に対して何か、政治的・国際的に不利な材料が無いか調査し、上層部に報告することを任務としています。……ここまでが諜報部の主な仕事です」
    「そして特殊工作課の仕事ですが、その不利な材料が無いようならば」
     男たちはそこで銃を懐から取り出し、春に向けた。
    「捏造するように命令されています。
     紺納博士。あなたは連合下の人間でありながら王国の人間と通じ、諜報活動を行っているものと設定……、いえ、判断し、連合へ連行します」
    「え……!?」
     やってもいない罪を宣告され、春はうろたえる。
    「な、何を仰って、あの、わたしは……」
    「抵抗は無用です。もしも抵抗されるのであれば、我々はここであなたを射殺し、適当にでっち上げた証拠をそのかばんに詰めておいて、国境辺りに放置するだけですが」
    「無論、それだと我々の仕業と勘繰られて、王国側に陰謀だとして吹聴されるおそれもある。となると逆効果になるでしょうし、それはしたくない。
     それよりも連合までご足労いただき、そこで『正当な裁判の結果』、政治犯となっていただく方が、我々には何かと都合がいい。
     と言うわけで、ご同行を」
     そう言って、男たちは銃の撃鉄を起こす。
    「……」
     春はそれ以上何も反論できず、従うしか無かった。

    白猫夢・揺春抄 終
    白猫夢・揺春抄 5
    »»  2015.04.21.
    麒麟を巡る話、第505話。
    罪の仕立て屋。

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    1.
    「こちらへ」
     諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。
    「どうも、博士」
     諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。
    「……」
     応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。
    「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」
     イライラしながら答え、春は続けて問う。
    「あなたは?」
    「安楽と申します。博士を連行させた者の上司に当たります」
    「つまり、あなたも諜報部の方と言うことでしょうか」
    「それは申し上げられません。公的には、あなたとお会いしたと言う記録も残さないつもりですので」
    「わたしを犯罪者に仕立て上げるつもりだ、と伺いましたが」
    「ええ、その通りです。具体的には央南連合の機密を焔紅王国へ流したことによる、情報漏洩と治安侵害罪。そして国交を断絶している王国に侵入したことによる、領地保安法の違反。そして王国に対し不当に援助を行ったことによる、連合通商法の違反。
     すべて付けば、懲役100年は免れないでしょう。無論これは、博士ご自身が存じていらっしゃるように、無実の罪と言うものですが。ま、諜報部の手練手管を用いれば、いくらでも罪を作ることは可能です。お望みなら後100年でも200年でも、罪を追加することもできますが」
     薄笑いを浮かべながら答える安楽に、春は気味の悪いものを感じていた。
    「そんなことが許されると思っているのですか?」
    「許す、許さないを決めるのは、権力者のやることです。そして私はそう言った権力者たちと懇意にしております。
     あなたに罪が有るか無いかは、私の機嫌次第と言えます」
    「……っ」
     にやぁ、と笑った安楽に、春は思わず立ち上がり、車の扉に手をかけていた。
    「おや、お逃げになりますか?」
     だが、扉を開けるその直前、安楽があざけるように声をかける。
    「公務執行妨害。逃走罪。今お逃げになると、それだけの罪が発生しますよ。さて、何年ほど投獄されるやら。10年でしょうか、20年でしょうか。それとももっと多くなるかも知れません」
    「……」
    「どうしますか? まあ、選択の余地は無いですがね」
     安楽の言葉とともに、自動車がぶるっと震え、動き出す。
    「この車輌は最新鋭の悪路走破機能を有しております。あぜ道だらけの焔紅王国といえど、ここから国境を越えるまでに4時間もかかりません。
     ま、それまでに覚悟を決めるなり、諦めるなり、ご自由にどうぞ。それとも命乞いをなさるか、と言う選択肢もございますが」
    「い、命乞い?」
     次々に安楽の口から飛び出す物騒な言葉の数々に、春は次第に憔悴し始めていた。
    「ええ。司法取引とも言いますかね。ま、簡単な話です。
     あなたの口から焔紅王国女王および大臣、高官らの不正行為についてお話いただき、それが国際社会に広く信用されるようであれば、その効果に応じて刑期を減免いたします。
     ま、それに加えて私に対し、個人的に何かしらの『お心付け』をいただけるなら、刑務所などに入れるようなことはせず、私の監視下に置くと言う措置も取れますがね」
    「……それ、って」
     安楽の言葉の裏にあるものを察し、春は狼狽する。
    「わたしは夫のある身です! そんなこと、できるはずが……」
    「いやいや、無理にとは申しませんよ。どうしても無理だと言うことであれば、それは仕方ありません。正規の手続きに従い、あなたは投獄されると言う、それだけの話です」
    「正規ですって!? すべてあなた方の捏造でしょう!?」
    「何度も申し上げたように」
     安楽はニヤニヤ笑いを下卑たものに変え、春の腕を取った。
    「罪の有る無しは我々の胸三寸で決まります。あなたが我々の、いいえ、私の機嫌を損ねれば……」
     安楽は春をぐいっと引き寄せ、がらりと声色を変えた。
    「央南連合では表向き、容認されていない罰を与えることもできるんだぞ? 鞭打ち千回でも銃殺でも、断頭台でもな」
    「いやっ……、嫌あっ!」
     春は泣き喚き、懸命に抵抗しようとする。
     しかし春の細腕では、大の男の腕力には当然、敵わない。
    「うるさい! びーびー喚くんじゃないッ!」
     安楽は空いていたもう一方の手をぐっと握りしめ、春を殴りつけた。
    「ひう……っ」
    「もうお前はおしまいなんだ! 大人しく私に従った方が……」
     怒鳴りながら、安楽はまた拳を振り上げた。
    白猫夢・乱南抄 1
    »»  2015.04.22.
    麒麟を巡る話、第506話。
    誘拐返し。

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    2.
     と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。
    「おう……っ!?」
    「きゃあっ!」
     斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。
    「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転せんかッ!」
     安楽はよろよろと立ち上がり、運転席に向かって怒鳴りつける。
     だが、運転席からは返事が無い。
    「……? おい? どうした? 何かあったのか!?」
     安楽は春の方を一瞬確かめ、車の外に出た。

     その瞬間、安楽の首に刃が突きつけられていた。
    「央南連合の官房局次官、タツノリ・アンラクさん?」
    「う……っ」
     安楽の目の前に、にゅっと刀の切っ先が突きつけられる。その刀を握る、緑髪に三毛の毛並みをした猫獣人が、淡々とした口調で続ける。
    「答えて」
    「い、いや、私は」
    「嘘をついてもごまかせないよ。仮にもし、あなたがアンラクさんじゃないなら、斬るだけだし。アンラクさんじゃなければ、生かしても意味が無いもの」
    「……わ、私が安楽達典だ」
     観念したらしく、がっくりとうなだれた安楽に、猫獣人はこう続けた。
    「あなたがこうやって、こっそり焔紅王国に来ることは『見えてた』。丁度良かったよ」
    「な、なに? 何のことだ?」
    「あなたはハルを使って王国の評判を落とそうとしてたみたいだけど、あたしはあなたを使って央南連合の評判を落とさせてもらうよ。
     あたしたちの党のために」
    「党? お前は一体、何者だ?」
     安楽が問いかけたが、猫獣人は名乗らない。
    「とりあえず拘束させてもらうよ。それから、あなたたちの車で連行させてもらうから」
    「連行? どこへ連れて行くつもりだ?」
    「まず、紅蓮塞。そこに女王と、央中の権力者に近い人がいるから、その人たちに事情を話して、投獄してもらうよ」
    「投獄? 何の罪でだ? 私は何もした覚えは無い!」
    「あるはずだよ。それにその証拠もある。
     あなたは上から指示を受け、無実の人たちに罪を着せて王国に対する虚偽の非難中傷をしてた。
     その証拠はあたしたちが握ってる。後はあなた自身の証言と一緒に、世界中にその内容を公表するだけ」
    「な……んっ……」
     強情を張っていた安楽の顔が、一転して真っ青になる。
    「そ、そんなことをしてみろ! 央南は、央南連合は……っ」
    「公表し次第すぐに、世界中から壮絶に非難されるよ。
     そして央南連合は孤立する――あらゆる交通・交流は停止する。勿論、経済も封鎖される。通貨をはじめとする、あらゆる取引が止められる。連合内の主要都市はほとんど貿易で稼いでるし、連合内の政治経済は一気に大混乱、衰退するよ。
     後はあたしたちが央南に乗り込み、連合を排除するだけ」
    「貴様ら、……白猫党か!」
     安楽にそれ以上応じること無く、猫獣人は車の中に声をかけた。
    「ハル、大丈夫?」
    「え、ええ」
     恐る恐る出てきた春に、猫獣人は手を差し伸べた。
    「危ないところだったね」
    「はい、ええ」
     春はへたり込んだ安楽を一瞥し、もう一度猫獣人に向き直った。
    「あの」
    「話は後で。とりあえずこの人と、運転席にいる人たちを車の中に入れるよ」
     そう説明しながら、猫獣人は春の頬に手を当てる。
    「えっ?」
    「治してあげる。痛々しいもの。……『キュア』」
    「あ……、ありがとうございます。
     ……あの、葵さん、ですよね?」
    「うん」
     猫獣人――葵・ハーミットは小さくうなずき、それから運転席へ向かい、気絶した諜報員たちを引っ張り出す。
     安楽も含めて縄で縛り、後部座席へ放り込んだところで、葵が再び口を開く。
    「ハル、こっちに乗って。紅蓮塞まで送るよ」
    「あ、はい」
     半ば呆然としていた春は、たどたどしく助手席に乗り込む。
    「葵さん、運転できるんですか?」
    「たぶん」
     その返答に春は不安を覚えたが、それはすぐに吹き飛んだ。
     葵は淡々とサイドブレーキを外し、ギアを入れ、クラッチをつなぎ、程よくアクセルを踏み込んで、何の失敗もなく車を発進させたからである。
    「……上手、ですね」
    「そうかな」
    「わたし、自動車って初めて乗るんですけど、でもきっと葵さん、すごくお上手だと思います」
    「ありがと」
    白猫夢・乱南抄 2
    »»  2015.04.23.
    麒麟を巡る話、第507話。
    プロパガンダ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。
    「葵さん、……えっと、お久しぶりです」
    「うん」
    「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」
    「そうだね」
    「今まで、どこで何を?」
    「いろいろ」
    「今、お仕事は?」
    「一応あるよ」
    「何をされてるんでしょう?
     諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経済に詳しくて、しかも車の運転までされるなんて。とても一人の人間がやっていることとは、わたしにはすぐには信じられないです。
     葵さんが一体どんなお仕事に就かれているのか、わたしにはまったく想像できません」
    「一言では説明できないよ。しなきゃ駄目?」
    「時間はたっぷり有りますよ。ずっと黙ったままと言うのも、あまりいい気分では無いでしょうし」
    「……ハルは相変わらずだね。優しくておっとりしてるように見えて、でも実は芯が強くて折れない性格。12年前と変わらないみたいだね」
    「ええ。三つ子の魂なんとやら、と言いますから」
    「……」
     しばらく沈黙が続いた後、葵が観念したように話し出した。
    「白猫党ってところにいるよ。シエナと一緒に仕事してる」
    「シエナ……、と言うと、ゼミにいたシエナさん?」
    「うん」
    「ずっと一緒に?」
    「うん。結党からずっと一緒だよ」
    「そうですか。
     ……葵さんがいなくなった時は、本当に驚きました。いなくなった直後、誰が天狐ゼミを訪れたと思います?」
    「さあ?」
    「神話やお伽話に出てくるような方です」
    「誰?」
    「克大火さん。天狐ちゃんのお父様です」
    「そう」
    「その大火さんが、あなたのことを『実力を偽り、ゼミの皆を騙すために編入した』と仰っていました。
     それは、本当のことなんですか?」
    「……」
     答えない葵に、春は畳み掛ける。
    「それに白猫党と言う組織も、わたしはあまり良い評判を聞いていません。
     過去に存在したと言う『中央政府』のように、世界中で侵略行為を繰り返し、『世界平定』を企んでいる悪の組織、……と言うような話を何度も聞いています。それも、本当のことなんですか?」
     この質問については、葵はすぐに応じた。
    「どこから聞いたの?」
    「新聞です。それに央南連合の広報でも何度か。『白猫党を名乗る輩に応じないよう』と注意されています」
    「あんなことされて、連合が吹聴してる話をまだ信じてるの?」
    「……!」
     そう返され、春は言葉に詰まる。
    「それに新聞って言ってたけど、もしかして橘喜新聞?」
    「え、ええ」
    「橘喜の社長はアスカ・タチバナって人だけど、央南連合の主席でもあるって知ってた?」
    「え?」
    「央南連合は自分たちの利益を死守するために、色んなうわさを流してるんだよ。王国を悪者に仕立て上げてることとかも、その一部。
     橘喜新聞社は、その道具なんだよ。こんなこと言ったらショックを受けると思うけど、ハルも央南連合領に住んでる皆も、騙されてるんだよ」
    「……」
     葵の言うことが簡単に信じられず、春の頭に言葉が浮かんでこない。
    「それが、本当のことだとして」
     それでもどうにか頭を動かし、春は尋ねる。
    「何故、連合はそんなことを? 葵さんは『自分たちの利益を守るため』と言っていましたが、それが本当であれば、どこかから攻撃を受けていると言うことになります。
     それが即ち、白猫党なのでは?」
    「半分は正解。でも半分違うよ」
    「半分?」
     葵は運転席にかけられた時計をチラ、と見て、話を続ける。
    「まだ時間ありそうだし、きっちり話せるかな。
     そもそもは、央南連合が加盟してた西大海洋同盟って言うところで、仲違いがあったことが原因なんだ。
     元々は日上戦争って言う大きな戦争があった時に、北方と央中、央南の3地域が連携して同盟を結成したんだけど、その戦争が終わって10年、20年経って、その存在意義があやふやになり始めたんだ。だってとっくの昔に戦争が終わって、結成する理由になってた相手国が今はもう、散り散りに分裂しちゃってるんだもの。
     で、存続させるか否かって話が央中の加盟諸国から出たんだけど、無くなったら無くなったで、困る人たちも結構いたみたい。そのほとんどが北方の人たち。北方は元々、他の国や大陸から地理的にも政治的にも離れてたし、北方の中だけで話をしてたんだけど、同盟ができてからは、その力を後ろ盾にした政治派閥ができてたんだ。
     そう言う人たちは同盟の解消を望まず、無理無理存続させようとしてた。そしてその20年、あんまり関わってこなかった央南も、ある事件以降から同盟と密に連携し始めた。その事件が何か、分かる?」
    「焔紅王国独立、ですか?」
    「そう。その独立の裏で、連合は王国にある取引を持ちかけてた。
     央南で持て余してた犯罪者を引き渡したり、産業の近代化に伴って出てきた、燃やしたり埋めたりして処理できないゴミ、いわゆる産業廃棄物を王国の地中深くに投棄させる見返りに、多額のお金を出すって言うような、そんな裏の取引」
    「そんなことを、連合が……」
    「連合だけじゃ無くなった。これが金儲けになるって分かって、連合は同盟を通じて、北方からもその『負の資源』を引き受け始めた。
     さっき言ってた北方の、同盟をバックに付けてた政治家たちも、連携がより密になる、パイプが太くなるって思って、取引を喜んで継続させてきた。
     それが王国の革命まで続いてた、裏の話」
    白猫夢・乱南抄 3
    »»  2015.04.24.
    麒麟を巡る話、第508話。
    キューピッド葵、再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。
     ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」
    「そんな話、聞いたことが……」
    「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、央南の新聞じゃ報道できない話だよ。
     連合は大慌てで、その話が嘘だと主張するために、王国を悪者に仕立て上げようとしてる。ハルがさらわれそうになったのも、その一環。
     結局、自分たちが裏で汚いことをしてたのに、それを嘘だ、無かったことだ、向こうが嘘をついてるって言い訳してるんだよ」
    「半分、と言っていたのは……」
    「うん。連合に対する世論から攻撃されてるんだよ。結局、自業自得」
     話している間に、相当の距離を進んでいたらしい。遠くに、温泉街と思われる灯りがちらほらと見え始めた。
    「そろそろ着くね」
    「ええ」
    「落ち着いてきた?」
    「そうですね」
    「良かった。今、体調崩したりしたら大変だもの」
    「え?」
     思いもよらない、葵の温かい一言に、春は面食らう。
    「ハルとルシオの未来も『見えた』んだけど、幸せそうだったよ」
    「『見えた』って、どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味。あたしの目に、それが映ったってこと。
     ハル。明日、お医者さんのところに行ってみて。すごくいいことを教えてもらえるよ。それからここ数週間、急に理由もなく不安になったり、突然吐き気とか立ちくらみとか、体調が悪くなったりしてた理由も」
    「え? え?」
     動揺する春を横目で眺めつつ、葵は淡々と続けた。
    「それからね、ルシオが女王と愛し合うみたいな、そう言う関係になったって未来は、一つも『見えなかった』よ。ルシオは本当に、あなたのことが大好きみたい。
     信じていいよ、ルシオのことは。何があってもルシオはあなたのこと、ずっと愛してくれるみたいだし」
    「……そ、そうですか」
     春は自分の頬が真っ赤になっているのを自覚し、葵から顔を背けた。

     車が街に着いたところで、その車に近付いて来る者が二人現れた。
    「あなた!」
     一人は、ルシオである。
    「ハル! 無事だったんだ」
     慌てて車から降りた春を、ルシオががばっと抱きしめた。
    「ああ、良かった……! 君に何かあったんじゃないかと、心配で心配で……」
    「いえ、あの、あったと言えば、あったと言うか」
    「らしいですな」
     そしてもう一人は、あの央中から来た商人、エミリオだった。
    「アオイさん、ホンマにあんたが言うてた通りになっとったみたいですな」
    「そうだね。後は頼むよ」
    「お任せあれ、ですわ」
     抱き合っていた二人は葵たちのやり取りを見て、揃ってけげんな顔を向ける。
    「知り合いだったんですか?」
    「ちょっと前にね」
     葵はエミリオに車の鍵を渡し、こう続けた。
    「エミリオさんに連絡して、連合の人たちを受け渡して裏取引を暴いてもらうようにお願いしたんだよ。信じてもらうために、先物取引の話を色々教えたげた」
    「あれはホンマにビビりましたわ。おかげでガッツリ儲けさせてもらいましたけどな。
     これにしたって、もう一儲けでけるでしょうな」
    「その代わり」
     言いかけた葵に、エミリオは肩をすくめて返す。
    「分かってます、分かってます。アオイさんが関わったっちゅうことは、どこにも言うたりしませんわ」
    「なら、いい。じゃあね」
     葵は皆に背を向け、そのままどこかへ消えた。



     この半月後――西大海洋同盟から、央中の全加盟国が挙って脱退した。
     その理由は同じく加盟組織である央南連合が、あまりにも非人道的な方法で権益を獲得していたこと、即ちこれまで単なるうわさとして扱われていた件の「裏取引」と、その隠蔽工作が行われていた事実が、確たる証拠と共に公表されたためである。
     この大規模な脱退により、同盟の権力は著しく低下。同時に央中、央北にとって、同盟および連合は信用ならない輩として敵視され、一挙に国交が断絶されることとなった。

     また、この一件を葵に委託され、「暗躍」していたエミリオは、金火狐一族から大きく評価され、商会における要職を与えられた。
    白猫夢・乱南抄 4
    »»  2015.04.25.
    麒麟を巡る話、第509話。
    北方の巨魁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「本当に、よろしいのですか?」
    「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」
     そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。
    「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。
     まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」
    「わたしも当初は、そんなことはありえないと考えていましたが」
     春は気恥ずかしそうに、こう返した。
    「連合が仕掛けたあの一件で、わたしが抱いていた連合と王国の評価は、180度覆りましたから。もう、連合領内に住んでいたいとは思えません。
     一方で、この国に大きな可能性を感じたのも事実ですし、……それに、しばらくは落ち着いて暮らしたいですから」
     にこっと微笑み、自分の腹に手を当てた春に、ルシオも嬉しそうに笑う。
    「妻のためにも、この子のためにも、この国を豊かにできるよう、私は全知、全力を尽くす所存です」
    「期待しております」

     央南連合の国家的な犯罪・陰謀を知り、また、巻き込まれたこと、そして春に子供ができたことが判明したため、春・ルシオ夫妻は焔紅王国に定住することを決めた。
     この後、夫妻は火山性土壌においても作物を育成できる技術を王国に広め、王国の農業生産力は大きく向上。エミリオが主導する央中との貿易成功も相まって、王国は飛躍的な成長を遂げた。



     一方で央南連合、そして西大海洋同盟に依存している北方、ジーン王国は同盟結成以来の、とてつもない打撃を受けていた。
    「閣下、一体我々はどうすれば……」
    「貿易の大半が停止され、我が国の食料供給は半分以下に激減しております」
    「それだけではありません。その他の貿易路も閉ざされ、莫大な被害を計上しているとの報告が寄せられております」
    「まだ央南との取引で必要最低限、ギリギリのラインは維持できてはおりますが……」
     寄せられた数々の悲惨な報告に、その白地に黒斑の毛並みをした猫獣人は、こくこくと鷹揚にうなずいて返す。
    「ええ、確かに大変な事態です。我が国が被る被害は、今世紀最大級と言っても過言ではないでしょう。
     しかし、まだ打開策はいくらでもあります。私の命令に従っていただければ、この苦境を脱することは十分に可能です。
     ですので閣僚諸君、どうか必要以上に騒がないよう、よろしくお願いいたします」
     猫獣人の、その自信ありげな表情と言葉に、場は自然に静まる。
    「ではナイジェル閣下、我々はまず、どうすればよろしいのでしょうか?」
    「いいですか。我々と同じくらい、央南連合も混乱しているはずです。であればより一層の相互協力を申し出、関係を密にすることを最優先にするべきです。
     央南も今頃、貿易網が壊滅しかかっていることと思われます。何としてでも取引相手を見付け、利潤・権益を復旧させたいと願っているはず。そこで同様に窮している我々が、改めてパートナーとなる。
     我々も連合以外の諸国と取引をしていたように、連合も我々以外と取引をしていたはずです。それらを我々と連合の一本に絞れば、従来の需要と供給を十分にバランスさせることが可能でしょう。
     この辺りがまとまり次第、混乱はまず、収まります。心配は無用です」
    「なるほど……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「しかし混乱の収束ができたとして、依然として国際的な世論は我々に厳しいままでは?」
    「ええ、確かに憂慮すべき事態です。現状のままでは、覆すことは非常に難しいでしょう」
     依然として、猫獣人は鷹揚に――と言うよりもどこか、現状を侮っているような態度で――話し続ける。
    「とは言え世論などと言うものは、概してよりセンセーショナルでホットな話題に注目していくものです。
     我々の評価が低下した今、世論の傾きに乗じて台頭してきたあの卑賤卑劣の輩、即ち白猫党が央南、もしくはこの北方に歩を進めてくるのはほぼ間違いないでしょう。しかし一方で、この白猫党は国際的に忌み嫌われている面が、決して少なくない。
     であれば積極的に彼らと戦闘を行い、話題を連合や同盟から、白猫党にすり替えてしまえばいいのです。それも、『邪知暴虐の徒が我々を襲っている』と言う、いかにもセンセーショナルな話題として喧伝すれば、大衆はころっと我々の評判など忘れ、白猫党の『ご活躍』に挙って目を向けるようになるでしょう。
     既に私の持つコネクションを使い、その喧伝の下準備を整えています。後は相手が手を出して来次第、大々的に報じればよいのです」
    「ふーむ……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「いやいや、とんでもない。恐るるに足りず、と言うだけです。
     ともかく、そのように図っていますので、閣僚諸君は安心していてくれて問題ありません」
     場の空気が完全に自分の統制下に入ったことを察したらしく、その猫獣人――西大海洋同盟総長、ジーン王国外務大臣、その他様々な肩書きをその身に飾りつけた春司・ナイジェル氏はまたも、鷹揚に笑みを浮かべて見せた。
    白猫夢・乱南抄 5
    »»  2015.04.26.
    麒麟を巡る話、第510話。
    情報戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「仕掛けはできてるだろうね?」
     公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。
    《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》
    「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」
    《あの件?》
    「『桜の伐採』だよ」
    《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への迎撃準備と並行して、秘密裏に整えさせてるわ》
    「うん、それでいい。……ああ、そうそう。これはまだ内々の話なんだけど、僕たちが央南連合を訪ねようかって話が出てるんだ。いつくらいが丁度いいかな?」
    《そうね、3週間後なら空いてるわ。ソレくらいなら、あなたが前回指示してた件が全部片付けられそうだし》
    「分かった、3週間後だね。じゃあ皆にも、そう言っておくよ」
    《コッチも言っとくわ。……んふふ》
    「どうしたの?」
    《久々にあなたに逢えるな、って。子供たちなんかヘタしたら、あなたの顔忘れてそうだし》
    「ありえそうで怖いな。じゃ、お土産もどっさり買っていくよ。無論、君にもね」
    《楽しみにしてるわ。じゃ、ね》
    「ああ、それじゃね、飛鳥。愛してるよ」
     そこで電話を切り、春司は自室の壁に掛けた世界地図を眺める。
    「……ふふふ」
     春司は指で北方大陸と央南をなぞり、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
    「ほんの偶然からだったが……、まさかこうまで、事態が都合よく動くとは思わなかった。
     今後、うまく立ち回っていけば、央南は我が北方の『植民地』にすることが可能だろう。長らく氷と岩山に閉じ込められ、世界から隔絶されてきた我が国が、これでようやく世界一の大国になれるわけだ」



    「なーにが『それじゃね、アスカ。愛してるよ』だっつーの」
     傍受された電話通信の再生が終わるなり、白猫党党首、シエナ・チューリンは大仰に肩をすくめ、渋い顔をした。
    「ま、この通りよ。シュンジ・ナイジェルは同盟のホットラインがアタシたちに掌握されてるコトすら、まったく気付いてる様子が無いわ。こんな悠長なラブコールするくらいだもの。
     つまり今後の作戦行動は、全部コイツが漏らしてくれるってワケよ」
    「今回も難なく、陥落できるでしょうな」
    「無駄な戦いはしないに越したコトは無いわ。そうでしょ、ロンダ」
    「左様ですな。流れる血は少なければ少ないほど良いのです」
     白猫党の最高幹部たちは、揃って笑顔を浮かべている。
     数ヶ月前には茫然自失だったシエナですらも、今は活き活きとした表情で会議を進めていた。
    「『預言』にもあった通り、ナイジェル氏が央南を来訪するのは3週間後の4月16日、天曜よ。となればその前、13日から15日は西大海洋を縦断中のはず。両地域の通信範囲を離れ、身動きが取れない状態になってるわ。
     だからこの間に我々は央南東部、青州をはじめとする主要都市を占拠する。そうすればナイジェル氏は到着寸前で慌てて引き返さざるを得なくなり、さらに不在期間は伸びる。
     同盟と央南連合の連携は、この数日で壊滅的な状態に陥るでしょうね」
     シエナの説明に、幹事長のイビーザが深々とうなずく。
    「央中攻略の際にも、同盟の武力は決して侮れぬ存在でしたからな。
     特に今回は、両組織が懇意にしている関係もあり、うかつな攻めは即座に北方からの攻撃を受ける恐れがあったわけです。が……」
    「そう、その通りよ。コレで北方の動きを止め、残る西部の各主要都市を電撃的に制圧してしまえば、戦況は一気に我々の有利に傾くわ。
     ナイジェル氏が画策しているようなアタシたちへの非難宣伝作戦なんて、何の意味も成さなくなる。そんな悠長なコトなんか、やってる暇は与えやしないわ。
     そうでしょ、アオイ?」
     シエナの言葉に、幹部陣の目は一斉に、卓から離れた場所にぽつんと座っていた葵に向けられる。
     それに対し、葵はこくんとうなずいて返す。
    「ん」
    「と言うワケよ。早速、準備を進めてちょうだい」
    「承知いたしました、総裁」
     幹部陣は揃って席を立ち、ぞろぞろと会議室を後にした。

     と――政務部長のトレッドが踵を返し、戻ってくる。
    「シエナ」
    「なに?」
    「その……、ご気分の方は、もう大丈夫なのですか?」
    「アタシの? まあ、……そうね。もう不安は無くなったわ。こうしてアオイが、元通りに『預言』をくれるようになったんだし」
    「それを聞いて安心しました」
     トレッドはにこ、と笑みを浮かべる。
    「この数ヶ月、我が党は本当に、危険なバランスの上にありましたからね。
     いつシエナが伏せってしまうか、いつイビーザやロンダが独断専行を始めるか、……と、気が気でなりませんでしたよ」
    「心配かけたわね」
     シエナもにっと、口角を上げて返す。
    「ところで、アオイ。アンタ、なんか変わったわね?」
    「そう?」
    「そうよ。そもそも会議に出席なんて、今まで一度もやらなかったじゃない」
    「……色々、考えて。これからも出るつもり」
    「まあ、ソレならソレでいいわ。一々何があったって、報告する手間が省けるから」
    「ん」
    「……」
     二人のやり取りを見ていたトレッドは、にこにこと笑ってはいたが、その胸中には不安が渦巻いていた。
    (何も変わってなどいない……。
     シエナが元気になったのは、結局はアオイ嬢が復帰したからに過ぎないのだ。またアオイ嬢が寝込んだり、行方を眩ませたりでもすれば、また以前の繰り返しになるだろう。
     シエナには変わってもらわねば――アオイ嬢が不在でも、党首として一人で、自信を持って立ち回れるように)
    「どうしたの?」
     いつの間にか顔から笑みが消えてしまっていたらしく、シエナがきょとんとした顔で見つめている。
    「ああ、いえ、何でも」
     トレッドは再度、笑顔を浮かべた。

    白猫夢・乱南抄 終
    白猫夢・乱南抄 6
    »»  2015.04.27.
    麒麟を巡る話、第511話。
    救出と復活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「じゃ、やってみるよ」
    「ああ。成功を祈るぜ」
     葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。
    「それッ!」
     とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。
    「……」
     一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。
    「……」
     そのまま、扉をにらみ続ける。
     と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。
    「……お? まさか?」
     やがてすべての機械は完全に停止し、一聖の足元に周囲のガラス瓶から漏れ出たらしい水が、ドロドロと流れ始めた。
    「やったのか、葛?」
    「やったよー!」
     明るい声と共に、扉が開く。
    「できたー! できたよカズセちゃん!」
    「マジか! マジなんだな!?」
    「うん、マジでま……」
     言いかけた葛が、途中でぴたっと静止する。
    「……葛?」
     一聖は、まだ魔法陣の魔力が残っていたのかと警戒するが、そうではないと言うことがすぐに分かった。
     葛が前のめりに、ばちゃっと水の中に倒れてしまったからである。
    「おいおい……。またかよ」
    「またって?」
     扉の向こうから、懐かしい声が聞こえてきた。
    「よお、ルナ。無事だったか?」
    「ええ、何とかね。……その子、誰?」
    「コイツは葛。葵の妹だよ。コイツがこの施設の装置を、全部止めてくれたんだ」
    「へぇ」
     一聖に助け起こされた葛の顔を見て、ルナが小さくうなずく。
    「似てないわね、葵には。……むしろアイツにそっくり」
    「アイツ?」
    「それより、この子大丈夫なの?」
     尋ね返され、一聖は「おう」と返す。
    「なんつーか、まだ完全にはモノにしきってねーらしくて、な。
     あの技を一回使っただけで、体力と魔力がすっからかんになるらしいんだ。まだ実戦にゃ、使えそうにねーよ」
    「あの技って?」
     そう尋ねたルナに、一聖は得意満面の笑みを浮かべて返した。
    「『星剣舞』だよ」



     双月暦574年、春。
     一聖と一対一での、半年以上に渡る壮絶な修行の末、葛はどうにか「星剣舞」を使えるようになっていた。
     しかし前述の通り、この技を使うと数分で体力・魔力を失い、糸が切れるように気絶してしまうのである。
    「真っ青じゃない、顔」
     パラの膝に頭を乗せて倒れ込んでいる葛を、ルナが心配そうに見つめている。
     その間に、パラが診断を終える。
    「血糖値40mg/dl未満、極度の低血糖症状を起こしています」
    「オレのかばんにチョコあったろ、1枚全部食わしてやれ。ミルクたっぷり入ったヤツだから、すぐ元気になる」
    「でさ、カズセちゃん」
     こちらも心配そうに、フィオが尋ねてくる。
    「あの二人は大丈夫なのかな。さっきからピクリとも動かないんだけど」
     フィオが示した先には、大火と渾沌が並んで横たわっていた。
    「少なくとも死んじゃいない。オレの見た限りじゃ、葛と同じよーな症状だな」
    「はい。克大火様とコントンもカズラと同様、衰弱状態にあります。特に魔力の枯渇が、両者とも著しく見受けられます」
    「ってコトは、『システム』だな」
    「システムって?」
    「魔力を吸い取って特定の何かに送り込む装置だ。親父と渾沌はどうもその装置に延々、魔力を吸われてたらしいな」
    「大丈夫なの?」
     ルナのその問いに、一聖は首を横に振った。
    「死にゃしねーが、魔力ってのは人間の精神力、言い換えれば脳の活動に関係するからな。魔力が空になってるってんなら、意識なんてはるか彼方にブッ飛んじまってるだろう。
     しばらくは昏睡状態が続くだろうな」
    「復活するのか?」
    「病院かどっかで点滴打って安静にさせりゃ、そのうち目覚めるさ。結局は葛と同じで、体に栄養が全くない状態だから、な」
    「……うー……きもちわるいよー……めがまわるー……」
     と、葛がか細い声でうめく。
    「目ぇ覚ましたか。しばらくじっとしてな」
    「……きーてたけどさー……はやくびょういんに……つれてったげたほうが……よくないー……?」
     のろのろとした声で提案され、一聖は苦笑した。
    「……ま、そりゃな。じゃ、オレとルナは一旦、親父と渾沌連れてトラス王国に戻るわ。お二人さんはココで、葛が元気になるまで看ててくれ」
    「ああ、分かった」「承知しました」
     パラとフィオがうなずいたところで、一聖たちはその場から姿を消した。
    白猫夢・既朔抄 1
    »»  2015.04.29.
    麒麟を巡る話、第512話。
    未人間。

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    2.
     一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。
    「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」
    「いいえ」
     が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。
    「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」
    「あ、……そう」
     堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。
    「えーと、パラさん、だっけ」
    「はい。パラと申しております」
    「フィオさんと恋人だって聞いてたけどー、その話ホント?」
    「えっ、……あ、ええ、はい、その認識で、問題ありません」
     フィオとの関係を尋ねた途端、パラの挙動がかくかくと乱れる。
    「……うふふっ」
     その慌てぶりを見て、葛が笑う。
    「何かおかしい点がございましたか」
    「パラさんが面白かった」
    「わたくしは取り立てて、何もいたしておりませんが」
    「今の反応が、よ。
     ね、パラさん。もうタイカさん見つけたんだから、フィオさんと結婚できるんだよね?」
    「いいえ。わたくしとフィオが人間にならなければ、それは不可能です」
    「あ、そーそー、そーだったね。まあ、結果的にはできるよね?」
    「カズセちゃんからの依頼を遂行しておりますので、契約は履行されると見て間違い無いものと思われます」
    「人間になって、フィオさんと結婚してさー」
     葛は唇を尖らせ、こう尋ねた。
    「きっといつか、子供ができるよね? そしたらさ、その子供にも、今みたいなしゃべり方で接する気?」
    「恐らく、現状のままであることが予測されます」
    「僕も同意見」
     二人のやり取りを見ていたフィオが、肩をすくめる。
    「彼女のお母さんだって『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』って言ってたし」
    「なーんかソレ、違う気がするんだよねー」
     葛は横になったままで、フィオをにらむ。
    「『長生きしてるから生き方変えられない』なんて、ただの言い訳だと思うよー。変わろうと思ったら、変われるはずだって。
     そうじゃなきゃ、パラさんは『インパラ』のままのはずでしょ? でもルナさんのコトを素敵だーって思って、フィオさんのコトが好きだーって思って、ソレでパラさんは今のパラさんになったんでしょ?」
    「……」
     葛の言葉に、表情の乏しかったパラの顔が、きょとんとしたものになる。
    「確かにわたくしの認識より、カズラの主張に正当性があると考えられます」
    「違うって」
     葛は再度口を尖らせる。
     しばらく間を置いて、パラは葛に微笑みかけつつ、こう言い直した。
    「……カズラの言うことが、素敵だと思います」
    「よーし」
     葛はにこっと笑い、起き上がる。
    「そろそろ帰ろっか。もう大丈夫でしょ?」
    「はい。正常値に戻っています」
    「じゃ、帰ろ帰ろっ」
    「準備いたします。少々お待ちください」
     立ち上がり、呪文を唱え始めたパラを眺めながら、フィオはぼそっとつぶやいていた。
    「今のパラの方がよっぽど可愛いと思うんだけどなぁ。正直、ルナさんみたいになったら怖いし」
    「アンタも変な人だよねー」
     と、背後から葛に小突かれる。
    「おわっ」
    「確かにあんな感じのパラさんも可愛いと思うけどさー、はっきり言って趣味が変だよー。ワンピースだけじゃなくてさ、他にも色々贈ったげればいいのに」
    「……どこまで聞いてるんだよ、僕たちの話」
    「全部聞いたと思うよー。カズセちゃんから3巡は聞いた」
    「マジで?」
    「修行しかしてなかったワケじゃないし」
     そう聞くなり、フィオは顔をしかめた。
    「やれやれ、大変なのがもう一人増えたってわけか」
    白猫夢・既朔抄 2
    »»  2015.04.30.
    麒麟を巡る話、第513話。
    過放出。

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    3.
    「天狐」
     病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。
     傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。
    「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」
    「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」
     一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。
    「あ、そうそう、ソレな。……んで、まあ、この通り。一聖に戻ったよ」
    「ふむ」
     大火は上半身を起こし、一聖をじっと見つめる。
    「な、なんだよ」
    「お前のことは、一聖と呼べばいいのか?」
    「お、おう。一聖で」
    「それで」
     大火は一聖を見つめたまま、続いてこう尋ねてきた。
    「もう一方のお前は?」
    「……なんで造ったってコトが分かんだよ」
    「自ら『天狐』と号を付けたお前だ。あの姿はお前自身が気に入っていた節があるから、な。それにあの金毛九尾と似ても似つかぬその姿でミッドランドに戻って、元通りに受け入れられるとは思えん。
     であれば再度あの体を造り直し、自律させて送り込んだ方が、何かと手間がかからんだろう。お前は策を弄し趣向を凝らすより、簡潔に済ませるのを好む性格だから、な」
    「やーれやれ」
     一聖は肩をすくめ、大火にぎゅっと抱きついた。
    「全っ然、変わんねーな。前のまんまじゃねーか。マジで安心したぜ」
    「……」
     大火は一聖の頭にとん、と手を載せつつ、こう返した。
    「一聖。お前の性格についてさらに言及しておくが」
    「あん?」
    「こんな姿を見られるのを、嫌がる方だろう?」
    「……たまにはいいじゃん」
    「そうか。笑みを浮かべてドアの向こうから様子を伺っている奴がいるが、構わないのか?」
    「え」
     一聖は慌てて大火から離れ、ドアの方に振り向く。
    「うふふふ」
     ドアの隙間に、ルナがニヤニヤと笑った顔で立っているのが見えた。

    「うあー……」
     赤面した顔を両手で覆い、がっくりとうなだれている一聖を横目に眺めつつ、ルナは大火に尋ねる。
    「それで、伝説の奸雄さんがどうして、あんなところで罠にかかっていたのかしら?」
    「そう複雑な話ではない。
     麒麟とその従者が何かを企てていることを察知し、痕跡をたどっていた。その結果あの施設を発見し、侵入したところで罠に落ちた。お前たちも同様だろう?」
    「そうね。じゃあ、あなたたちも麒麟と葵がホムンクルスを造ってることを……?」
    「ああ。元々、いずれ麒麟がこの世に舞い戻るだろうと言う予測は立てていた。
     そして近年、奴は葵・ハーミットと言う優秀な駒を手に入れている。己の魔術知識を十分に理解し、実践できる程度に優秀な駒を、な。
     であれば、ああして実験施設を密かに築き、己が復活する手筈を整えさせるだろう、……と言うことまでは、容易に想像できた。
     そして実際に探し発見したが、罠にかかった。……と言うわけだ」
    「なるほどね」
     そこで話が途切れ、ルナはじっと大火を眺めている。
    「……なんだ?」
    「大先生、もしかして」
     一転、ルナは心配そうな目を向けてきた。
    「魔力は全然、回復してないんじゃないの?」
    「え?」
     目を丸くする一聖に対し、大火は平然とうなずいた。
    「ああ。回復には、もうしばらくの時間を要するだろう」
    「やっぱり。前に会った時は、これだけ近付けば肌がぴりぴりするくらいに強い魔力を感じてたのに、今はまったく、何にも感じないもの。
     一聖ちゃんの場合は元々、大先生とそんなに大差ないくらい魔力があったから、そう言うのを感じて無かったかも知れないけど」
    「まあ……、な」
    「体力に関しては既に、出歩くのに支障の無い程度には回復している」
     大火は肩をすくめ、こう続けた。
    「だが恐らく、これだけ魔力が枯渇しているとなれば、従来の状態に戻るまで少なくとも、数週間は要するだろう。
     水瓶の体積が大きければ大きいほど、水が貯まるのには時間がかかるから、な」
    「でしょうね。じゃ、しばらくはあなたのこと、誰にも知らせない方がいいわね。強襲されたら困るでしょ?」
    「俺は構わん。強襲されて困るのはむしろ、お前たちの方だろう?」
    「え?」
     面食らうルナや一聖に、大火は肩をすくめて返した。
    「俺が魔力を失った程度で、誰かに不覚を取ったり、ましてや負けると思うのか?」
    「……大した自信家だこと。看病し甲斐が無いわね」
     口ではそう言いつつも、ルナの顔は笑っていた。
    白猫夢・既朔抄 3
    »»  2015.05.01.
    麒麟を巡る話、第514話。
    「オリハルコン」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「実際、魔力が俺自身に無くとも」
     大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。
    「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。
     とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、な」
    「そんなら、魔力結晶かなんか持ってきた方がいいか? 高出力のヤツ」
     尋ねた一聖に、大火は小さくうなずいて返す。
    「ああ。できれば……」「『オリハルコンMS―216』だろ?」「……そうだ」
     再度うなずいた大火に、一聖は得意げに笑う。
    「あのシリーズが何だかんだ言って一番だしな。マコトさんの……」「一聖」
     が、大火はどこか、不機嫌そうな目を向ける。それを見た一聖は一瞬、慌てた様子を見せ、自分の唇に人差し指を当てた。
    「……ま、うん、余計なコトは、だな。分かった、持ってくる。
     あ、ついでにさ。天狐も連れて来ようか?」
    「ああ、顔を合わせておこう」
    「じゃ、ちょっと待っててくれよ」
     そう言って、一聖はその場から瞬時に姿を消した。
    「『オリハルコン』って?」
     二人きりになったところで、ルナが尋ねる。
    「魔力結晶と呼ばれている物質だ。魔力を蓄積・放出できる性質を持っている」
    「ふーん……。天狐ちゃんの尻尾とかも、魔力結晶って話を聞いたけど。あれがオリハルコン?」
    「いや、あれは『オリハルコン』ではない。だが、一房で約1000MPPの魔力を蓄積できる。
     だが『オリハルコン』シリーズ、特に『216』は1万MPP以上の魔力蓄積量を誇る」
    「1万! 大工場並みね」
    「それだけに保管も難しい。放置すれば蓄積した魔力を維持できず劣化・崩壊してしまう。
     本来ならばミッドランド島地下の巨大魔法陣など、大規模な施設に使用するものだ」
    「あ、なるほど。じゃあ取ってきてって言ったのは……」
    「そうだ。一聖がここにいる以上、あいつを封じていた魔法陣はその機能を失っている。ならばそこに使用していたものを使うことも可能だろうと踏んだ。
     それに一聖ならば、万全な状態で保管しているだろうから、な」
    「ま、その通りだな」
     姿を消した時と同様、一聖が「テレポート」により戻ってくる。
     その背後には、天狐が気まずそうな顔で立っていた。
    「あ、あのー……」
    「ほれ、お前が渡せって」
     一聖が天狐の後ろに回り、彼女の背中を押す。
    「分かったよ、押すなよ……。
     その、えーと、お、おや、……お師匠」
    「……クッ」
     天狐の様子を眺めていた大火が、口に拳を当てて小さく吹き出した。
    「どの道、お前の中身は一聖と同じだろう? 親父で構わん」
    「……お、おう。じゃあ親父、コレ。ちょっと重たいかも知れねーけど、ベルトにでも掛けてくれれば、普段通り魔術が使えるはずだ」
     ぼんやり橙色に光る金属片をそろそろと差し出した天狐に、大火は右手を差し出し――天狐の頭に乗せた。
    「ひゃっ!?」
    「一聖にもしてやったからな。お前にもしてやろう」
    「……恥ずいって……アンタ、そんなキャラじゃないだろ……」
     顔を真っ赤にしつつも、天狐はその手を払ったりせず、なすがままにされていた。

     さらに1時間後、大火はルナと娘「たち」を伴い、病院を後にした。
    「流石にあのまま寝ているのも、退屈だからな」
    「まーな」
     4人で連れ立って市街地をうろついているところで、大火が足を止める。
    「……」
    「どうした、親父?」
     尋ねた一聖に、大火が応じる。
    「渾沌のことを忘れていた。あいつは無事なのか?」
    「無事よ」
     これにはルナが答えた。
    「でも『たまにはぐっすり眠りたい』って、病院で寝てるわ」
    「そうか」
    「……忘れてんなよ、親父。アイツ、泣くぜ?」
    「泣きはしない。拗ねはするが、な」
    「分かってんじゃない」
    「差し入れでも買って帰るとしよう。ついでに何か食べるか?」
     そう提案した大火に、天狐が心配そうな目を向ける。
    「カネあんの?」
    「俺が金を払わず盗むとでも? 『契約』と名のつくもので俺がそれを違えることは、決して無い。商売事も取引、契約の一つだ」
    「いや、まあ、ソレは分かってっけどさ。親父がふつーにカネ出すイメージ、無いし」
    「ふざけたことを」
     大火はコートの懐から、普通に財布を取り出した。
    「ここの通貨はコノンだったな? 手持ちは30万ほどある」
    「十分過ぎるぜ。じゃ、あの店とかどーよ?」
    「ああ、そうしよう」
     一聖と天狐に引かれる形で、一行は露店へ向かった。
    白猫夢・既朔抄 4
    »»  2015.05.02.
    麒麟を巡る話、第515話。
    罠の理由。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。
     が、当然――。
    「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」
    「……ま、そうよね」
     受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。
    「流石に買い過ぎたな」
    「へへへ……」
     と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包みを取り出す。
    「こーなると思って、隠しといた」
    「抜け目ないわね」
    「クク……」

     2階へ上がり、渾沌のいる病室に入ったところで、一行は葛たちが先に来ていたのに気付いた。
    「あら。もう帰ってきたのね」
    「うん。いつまでも寝てらんないしー」
     と、横になっていた渾沌が口を開く。
    「無事みたいですね、先生」
    「ああ。お前も無事なようだな」
     近付き、傍らに置いてあった仮面を手に取った大火に、渾沌は「あ」と声をかける。
    「置いといて下さい」
    「うん?」
    「かけたところで、看護婦さんたちに外されますし」
    「分かった。……このまま、ここで寝ているつもりか?」
    「少なくとも、今日一日はゆっくりしたいですね。
     あそこで罠にはまる前まで、世界中あっちこっち飛び回ってましたし、罠にかかってた間は意識が全く無かったですし。
     ここを離れたらまた、先生に引きずり回されるでしょうしね」
     大火は肩をすくめ、仮面を机に置く。
    「俺も多少疲れがある。しばらくはここに逗留するつもりだ。
     と言うより、本拠に戻れるだけの魔力が無い、と言うのが実際のところだが、な」
    「あら、先生もですか?」
     渾沌は寝癖でくしゃくしゃになった髪を手で簡単に梳かしつつ、師匠と同じように肩をすくめて返した。
    「私もすっからかんです。目一杯吸い尽くされたみたいですね。
     でもああして封じられたのは、麒麟の意趣返しや魔力供給手段、対抗勢力の殲滅と言う目的だけでは無いでしょうね」
    「だろうな。恐らくはあのホムンクルス研究に使われたのだろう」
    「って言うと?」
     尋ねたルナに、渾沌が答える。
    「あれが未完成のものだってことは、あなたも分かってるでしょ?」
    「ええ」
    「私や師匠の体をお手本にして、完成を目指そうとしてた可能性があるわ。
     この世界で現在、桁違いの魔力を身に有している人間は、私や師匠くらいしかいないもの。サンプルにするにはうってつけってわけよ」
    「じゃあ、もしかして……」「いや」
     大火が首を横に振り、皆の懸念を否定する。
    「完成した可能性は低い。もしも本当に完成していたとなれば、あの研究所を保全・運用する理由が無い。同時に俺たちを生かしておく理由も、な。今日まで俺たちが封じられていたことから考えて、まだ研究途中であることは間違いないはずだ。
     とは言え、何の成果も収められていないとも、考え辛い。葵の才覚は並外れている。最終目的である『麒麟の器造り』に至らぬまでも、何かしら麒麟や、あるいは自分にとって有益な結果を得ているかも知れん」
    「ソレって……?」
     不安げに見上げる葛に、大火はまた首を振った。
    「何とも答えられん。あの研究所の機能が停止したことで、研究資料もまた、揮発・霧散しているだろう。
     麒麟や葵が万一の事態を想定しない、とは考えられんから、な。手がかりを追わせぬよう、策を講じているはずだ」
    「実際、葛が魔力源を破壊した途端にホムンクルスの培養槽が全部止まって、全滅してたしな。手がかりはもう無いだろう」
    「……ごめん」
     謝る葛に、大火が肩をすくめる。
    「責めるつもりは微塵も無い。むしろお前が魔力源を破壊しなければ、俺たちは復活できなかったわけだから、な。
     ……ふむ」
     と、大火が腕を組み、考える仕草を見せる。
    「どうしたんですか?」
    「考えてみれば、俺たちは葛、お前に助けられたわけだな」
    「……あ」
     大火の言葉に、全員の視線が彼と、葛に集中する。
    「まあ、そうなるのかなー……?」
     のんきに応じた葛に対し、大火は腕を組んだまま、こう返した。
    「であれば、相応の対価を支払ってしかるべきだな」
    白猫夢・既朔抄 5
    »»  2015.05.03.

    麒麟の話、第10話。
    悪魔のような恫喝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     予想外のコトばかりだ!

     はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく!
     こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当!



     カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。
     でもソレによって生じる結果を見るコトが、ボクには――ソレにキミもか――できなかった。
     ボクもキミも、この世界の事柄についてあらゆる未来を予知するコトができる。その力は紛れも無く絶大だ。揺らぐコトなど微塵も考えられなかった。
     だのにカズラときたら、その絶大な力が及ばないところにまで跳躍し、ボクらの能力を無力化するなんて! ああ、本当にあの技は、あの力は忌々しいよ!
     なんでカズラをちゃんと殺さなかった? 本気でイラつくよ、なあ、アオイ!?



     そう、ソレだ。
     キミの変調もまた、ボクが予想し得ないものだった。

     ボクが思っていたより、キミは案外繊細だったらしいねぇ?
     ボクの命令に忠実に従ってくれていたのに、ココ最近、ソレを全うできなくなり始めている。
     おかげで白猫党は大混乱だ! 党首はプルプル子犬みたいに震え、幹事長やら軍司令やらは、密かに反乱を企ててる始末。ソレもコレもみんな、お前が寝込んじゃったせいだよ!
     なあ、アオイ!? いつまで寝てるつもりだよ!? いい加減にしてくれよ! なあ? なあ!? なあって! なんか言えよ!?



     アオイ、いよいよキミもダメなのか? ダメになるのか? なってるのか?
     はっ、どうやら買いかぶりすぎたらしいね! ガッカリだよ、まったく! もっとちゃんと仕事してくれると思ってたんだけどなぁ!?
     まさかこんなに早く、参っちゃうなんてね! 折角ボクが徴用してやったってのに、その責務を果たせないだなんて! あーあ、ボクがバカだったのか? 案外ボクも見る目が無いもんだね、ねえ!? キミを「天使」と思ったのに、損したよ、まったくさぁ!?

     ……なに? なんだよ、その目は? なんか文句でもあるのか?
     あるなら言ってみろよ。言いたきゃ言えよ。ほら。ほら。言えって。ほら。ほら! 言えよ! 言わないのか!? じゃあ何なんだよその目は! ……あ? ふざけるな! ボクに文句なんか言える立場だと思ってるのか!? わきまえろよ、クズがッ! 分からせてやろうか!?
     ……フン。無いならいい。無いならそんな目なんかするんじゃない。お前はボクのしもべであって、対等な関係では決して無いってコトを、忘れるなよ。



     もう一度言うけどな。さっさと起きろよ。じゃないと白猫党が潰れるぞ。
     潰れていいのか? ココまで周到に準備してきたコトが全部ダメになってもいいって言うのか?
     じゃあまたやり直しだ。お前なんかさっさと見限って、別のヤツをつかまえるだけだぜ?
     そうされたくないんだろ?



     じゃあ、やれよ。

    白猫夢・麒麟抄 10

    2015.04.01.[Edit]
    麒麟の話、第10話。悪魔のような恫喝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. 予想外のコトばかりだ! はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく! こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当! カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。 でもソレによって...

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    麒麟を巡る話、第487話。
    ある夫婦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「お帰りなさい。おつかれさま」
    「うん……、ありがとう」
     夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。
    「あれからずっと?」
    「ずっと」
    「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」
    「うん」
    「もう午前様になってますけど」
    「まとめるのに手間取っちゃってね」
    「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」
    「ごめん」
    「食べます?」
    「勿論。腹ペコなんだ」
    「それはそうでしょう。あなた、お昼も抜いてらしたもの。お弁当も手付かずでしたから、そのまま持って帰ってきましたよ」
    「そうだったっけ……。ごめん、本当」
    「わたしのおゆはんにしましたから、それはいいです。でもちゃんと食べないと、お体、壊しちゃいますよ?」
    「気を付ける」
    「付けてらっしゃらないじゃないですか。明日はちゃんと食べて下さいよ。
     じゃ、ご飯あっためてきますから、その間にお風呂入ってきて下さいね」
    「うん」
     のろのろと風呂場へ向かう夫を見て、彼女はいたずらめかして声をかける。
    「かけあしっ」
    「あ、うん」
     慌てて駆け込んだ夫の後ろ姿を眺めながら、彼女はクスクス笑っていた。

     30分後、風呂から上がった夫に、彼女は熱燗を差し出した。
    「今夜も冷えるそうですから」
    「ありがとう、ハル」
    「いえいえ、お粗末さまです。……じゃ、わたしもお相伴、と」
     食卓の対面に座り、彼女も酒に口を付ける。
    「……あつっ」
    「大丈夫?」
    「ええ、わたしちょっと猫舌なので。でも、ちょっとあっため過ぎたかしら」
    「丁度いいよ、僕には」
    「良かったです。……わたしは、もうちょっと冷ましてからいただきます」
    「うん。……あ」
     と、夫が慌てて立ち上がる。
    「どうしたんですか?」
    「いやさ、今日遅くなったのって――勿論、研究室にいたのも一因なんだけど――これを買いに寄ったのもあったから。閉店間際だったけど、何とか買えたんだ」
    「え?」
    「ほら、今日って確か、君の……」
     そう説明しながら、夫が小さな包みを手に戻ってきた。
    「わたしの?」
    「いや、ほら、その……、誕生日だったなって」
    「……」
    「だから、プレゼントを」
    「ルシオ」
     彼女は呆れた声を漏らした。
    「わたしの誕生日は、昨日ですよ」
    「え」
     それを聞いた夫、ルシオの顔から、ざっと血の気が引く。
    「あ……、ご、ごめん。そっか、昨日だったんだね。ごめん、本当。……本当に悪かった」
    「これが可愛いから、許します」
    「……そ、そう。良かった」
    「でも、欲を言うなら」
     夫から受け取った指輪をはめながら、彼女――紺納春はにこっと笑って、こう付け加えた。
    「明日、一緒にお食事に行けたらなって思ってます」
    「そ、そっか。うん、じゃ、明日行こう。予約しとく」
    「はい、楽しみにしてますね。
     くれぐれも今日みたいに午前様だなんてこと、しないで下さいね?」
    「勿論さ。今日はちょっと、手間取っただけで」
    「そうかしら?」
     春は口を尖らせ、ルシオに釘を差す。
    「あなた、後片付けが下手ですもの。
     わたしも同じ研究室で、同じ内容の研究をしていたのに、6時に上がれたわたしに対して、あなたはこんな時間になるまでですもの。
     早め早めに行動して下さいなって、いつも言ってるのに」
    「……気を付ける。明日こそは、本当」
     ルシオはばつが悪そうに、肩をすくめて返す。
     それを受けて、春はまた、クスクスと笑みを浮かべた。
    「『本当』、楽しみにしてますからね。昨日みたいに、がっかりさせないで下さいな」
    「もっ、……勿論」

    白猫夢・博侶抄 1

    2015.04.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第487話。ある夫婦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「お帰りなさい。おつかれさま」「うん……、ありがとう」 夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。「あれからずっと?」「ずっと」「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」「うん」「もう午前様になってますけど」「まとめるのに手間取っちゃってね」「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」「ごめん」「食べます?」「勿論。腹...

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    麒麟を巡る話、第488話。
    博士夫妻への訪問者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。
     その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って研究を行っていた。
     その央北において一定の成果を挙げ、学者としての地位を確立した後、二人は春の故郷である央南へと移り住み、大学で教鞭を執りつつ、より精密な研究に没頭していた。

     こうして極めて穏やかに生活していた、幸せ一杯の二人だったが――外で夕食を取った、その帰りの出来事から、央南全体を揺るがす大騒動に巻き込まれることとなった。



    「ごちそうさまでした」
    「いやいや……。本当にごめんね」
    「もう、そればっかり」
     家への帰り道でも謝ってくる夫に、春はぷく、と頬をふくらませた。
    「ご飯は美味しかったですし、指輪も可愛かったです。わたし、十分に満足してますよ。何も謝ることなんか、ありませんから。
     もっと堂々としていて下さいな」
    「あ、……うん」
     またも頭を下げかけたルシオの額にちょん、と人差し指を置き、春はこう続ける。
    「胸を張って」
    「う、うん」
    「お顔を上げて」
    「こう?」
    「はい。バッチリです」
     言われるがままに胸を張り、頭を反らしたルシオを確認し、春は満足気にうなずく。
    「わたしは、あなたの困った顔より、しゃきっとしたお顔の方が好きです」
    「気を付けるよ……」
     若干憮然としつつも、ルシオは言われた通りに表情を直した。

     と――彼らの前から、ふた昔は古く感じられる外套と紋付袴を身にまとった、剣士風の男たちが歩いてきた。
    (なんか……、時代錯誤って言うか)
     その二人を見て、ルシオは思わず横に目をやる。すると自分と同様、面食らった顔をした妻と目が合ったので、二人は目配せだけで応答する。
    (ええ、……変な人たちですね)
    「もし」
     と、その時代錯誤で変な男たちから声をかけられてしまった。
    「……はい」
     無視するわけにも行かず、ルシオが応える。
    「お尋ねしますが、お二人はブロッツォ博士夫妻で相違ないでしょうか」
    「え、……ええ。私がブロッツォです」
     自分の名を呼ばれ、ルシオは思わず顔をしかめた。
     それを見た男たちの片方、頭の薄くなった初老の狐耳が、慌てた様子で手を振る。
    「あ、いや。小生らは怪しい者ではございません。
     こんな道端で声をかけたこと、どうかご容赦いただきたい。何しろお住まいにも大学にもいらっしゃらなかったもので、こうして足取りをたどるほか無かったもので」
    「はあ」
     ルシオがぼんやりとした返事をしたところで、もう一方の、強面でがっしりとした体つきの、短耳の青年が口を開く。
    「我々は焔紅王国から参りました。博士にどうか、お頼みしたい件がございまして」
    「えん、こう? ……って?」
     ルシオが尋ねたところで、春がぐい、と彼の袖を引いた。
    「行きましょう、あなた」
    「え? ちょ、ちょっと待ってよ。いきなりそんな……」
    「いやいや、奥方のお気持ちは十分に分かります」
     狐耳が申し訳無さそうに頭を下げる。
    「央南連合と袂を分かって二十余年、我々に抱く印象はすこぶる不快なものであること、十分に承知しておるつもりです。
     しかしどうか、お話だけでも聞いてはいただけませんでしょうか」
    「結構です。お帰り下さい」
     男たちの要求をにべもなく突っぱねる妻に、ルシオはぎょっとしていた。
    「ハル? なんでそんなに冷たいのさ?」
    「あなた、本当に焔紅王国のことをご存知無いのですか?」
     春は表情を強張らせたまま、ルシオにそう尋ねる。
    「うん、全然知らない」
    「……わたしが知る限りでは」
     春は男たちを一瞥し、冷たく言い放った。
    「焔紅王国は四半世紀前に央南西部を蹂躙しようと画策した、悪人たちの巣窟です」

    白猫夢・博侶抄 2

    2015.04.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第488話。博士夫妻への訪問者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。 その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って...

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    麒麟を巡る話、第489話。
    招聘状。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。
    「ハル……」
     春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。
    「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」
    「……」
     男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。
    「承知いたしました。突然のご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
     狐耳はそう言いながら、懐から手紙を取り出す。
    「ですが――ご無礼を重ねますこと、重々承知してはおりますが――どうかこの手紙だけは、お読みいただけませんでしょうか」
    「……まあ……、はい」
     春が露骨に嫌悪感を表しているのを横目で確かめつつも、ルシオはその手紙を受け取った。
    「ありがとうございます。……では小生らは、これにて失礼いたします。
     不躾な訪問、本当に申し訳ございませんでした」
     狐耳と短耳は何度も頭を下げつつ、その場から立ち去った。

    「……」
     夕食の直後とは一転して、春は不機嫌になっていた。
    「あの……、何て言うか」
    「……」
    「受け取らない方が良かった、……よね」
    「……」
    「悪かったよ。でも何か、あの人たちが可哀想になって……」
    「……」
     春はぶすっとした表情を崩さず、ルシオに背を向けた。
    「先に休みます。おやすみなさい」
    「……あ、うん。おやすみ」
     一人、居間に残され、ルシオは頭を抱えた。
    (参ったなぁ……。こうなると翌朝まであのまんまだし。今夜はこっちで寝るしかないか)
     ルシオはとりあえず、ソファに座り――コートに入れたままにしていたあの手紙を取り出した。
    (焔紅王国って、そんなにひどいところなのかな。ハルがあんなに怒るなんて、よっぽどらしい)
     手紙が納められた封筒をひらっと返してみると、差出人の名前が確認できた。
    「えー、……と、これって『えん』でいいのかな、読み方。……『えんさくらゆき』さん、かな?」
     央南に移って数年経つが、ルシオはあまり央南語が得意ではない。現在においても、大学の講義で学生の名前や地名、史実の名称を呼び間違うことがしばしばあり、学生たちから「カタコト教授」と苦笑されているくらいである。
     ルシオは多少辟易しつつ、手紙の封を開けた。
    (……良かった、中身は央中語で書かれてた。どうやら僕に合わせてくれたみたいだな)



    「ルシオ・ブロッツォ並びに紺納春 農学・魔術学両博士へ

     我が国、焔紅王国は長年、慢性的な食糧難に見舞われております。
     その原因は我が国における食糧生産技術、取り分け穀類をはじめとする各種農業に関する技術が、他国と比較してのみならず、現代の水準と比較しても、著しく劣後していることに大きく起因しております。
     近年においては政治的安定が保たれていることもあり、建国当初に比べればはるかに生産性が上がってきていることは事実ですが、残念ながら王国全土に不足なく行き渡らせられるほどには、未だ生産技術、そして生産力を向上・確保できてはおりません。
     そこで農業研究者として名高い両氏のご助力を賜り、我が国に農業指導を行ってはいただけないかと、ご相談をさせていただきたく存じます。

     我が国の風評は、央南連合下においては著しく劣悪なものであることは十分に承知しているつもりであり、そのような印象のある国から突然このような申し出をされ、不審・不快に思われていらっしゃるであろうことは、十分に察しております。
     ですが現在の我が国においては、長年にわたって安寧秩序が堅く保たれていることは確かであり、決して悪漢や不義の徒が跋扈するような場所ではございません。我が国にご滞在中、決して不快な思いをさせることは無いと、確約いたします。
     どうか我々の願いを聞き届け、我が国にご足労いただけることを願っております。

    焔紅王国 第2代国王 焔桜雪」



    (……うーん?)
     手紙を読み終え、ルシオは首を傾げた。
    (真面目な印象は受けるけど、……なんか、ハルが言ってたみたいなワルモノっぽさは全然感じないんだよなぁ。
     もしもハルの機嫌が直ってたら、手紙見せてみようかな)
     ルシオは手紙を元通りに封筒へとしまい、コートを布団代わりにしてソファに寝転んだ。

    白猫夢・博侶抄 3

    2015.04.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第489話。招聘状。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。「ハル……」 春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」「……」 男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。「承知いたしました。突然のご無礼...

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    麒麟を巡る話、第490話。
    王国の変遷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     翌朝。
    「おはようございます」
    「おはよう、ハル」
     妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。
    「ハル、あのさ……」
    「なんでしょう?」
    「昨夜のことだけど、……これ」
     ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。
    「王国の方からの?」
    「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目だったよ」
    「真面目?」
    「うん。何て言うか、君が言ってたみたいな、すごく悪い奴らって感じじゃ全然無かった」
    「……」
     春は手紙を手に取り、内容を確かめる。
    「……そうですね。確かにこの文章からは、悪い印象を受けません」
    「だろ?」
    「確かに、わたしにしても王国に対する風評は、昔に聞いたっきりですから。今は違うのかも知れませんね。
     一度、王国の状況を調べてみた方がいいですね」
    「うん、そうだね」
     どうにか妻の機嫌を損ねずに手紙のことを話し合うことができ、ルシオは内心ほっとしていた。

    《おう、久しぶりだな》
     その日の夕方、ルシオは何年かぶりに、恩師へ連絡を取った。
    「お久しぶりです、テンコちゃん。お変わりありませんか?」
    《全然変わんねーぜ。ソッチはどうだ? 子供できたりしたか?》
    「いや、なかなか恵まれなくて……。
     いえ、それよりもテンコちゃん。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
    《ん? どうした、改まって》
    「テンコちゃんのゼミで今、央南から来てる子っていますか?」
    《ボチボチいるぜ。ソレがどうした?》
    「その中に、焔紅王国から来たって言うのは……」
    《えんこー? なんだソレ?》
     天狐の返答に、ルシオはがっかりする。
    「あ、いえ。知らないなら……」
    《待て》
     と、ルシオが話を切り上げようとしたとことで、天狐が引き止める。
    《わざわざ数年ぶりにオレに電話かけてくるよーなコトだろ? ってコトは、自分たちの周りじゃ調べられねーような、面倒な話をしようとしたんじゃねーのか?》
    「ええ、まあ」
    《央南関係か?》
    「はい」
    《んー……え、何?》
     と、受話器の向こうでボソボソと話し声が聞こえてくる。
    《……ああ……知ってんの……いや……へー……うわ、バッカでー……あ、なるほど……へー……マジでか……すげーなソイツ……あ、悪り悪り。ちょっと知り合いに聞いてた。
     ちっと代わるわ。ソイツの方が詳しいし》
    「え?」
     聞き返す間も無く、電話の向こうから聞こえてきた声が、天狐のものから別の者へと変わる。
    《電話代わったね。えーと、ルシオ? だっけね?》
    「あ、はい。ルシオ・ブロッツォです」
    《おう。んで、焔紅王国のコト聞きたいってね?》
    「ええ。詳しく伺いたいのですが……」
    《長くなるけどいいかね?》
    「どれくらいですか?」
    《んー、複雑だから結構かかるかもね。あ、電話代気にしてるね?》
    「ちょっと。国際電話ですし」
    《分かった、コッチからかけ直すね。一旦受話器置いてね》
    「すみません、どうも」
     一旦相手からかけ直してもらったところで、ルシオはその相手から、焔紅王国についての経緯を詳しく聞くことができた。
    《まあ、その焔紅王国ってのがそもそも、544年だか545年だかに建国したばっかりの、結構新しい国なんだよね。
     ただ、建国に行き着くまでが最悪の道のりでね。元は央南連合の一角、紅州だったんだけども、その中にある紅蓮塞ってトコで武力蜂起があって、ソレが元で央南連合と揉めまくった結果、連合側がこんなバカで無謀で野蛮なヤツらに構ってらんないっつって分割したのさ。
     そんな風にしてできた国だから勿論、まともな政治体制なんか無いも同然。治安もインフラも壊滅的、財政はグズグズに腐りまくりで、悪の巣窟なんて言われてた。初代国王、焔小雪の時代は『最低最悪』以外の評価は皆無、正真正銘のならず者国家って評されてたね。
     でも――鳶が鷹を生むって言うヤツかねぇ――その娘の焔桜雪が国王になって以降、王国は大転換したんだよね》

    白猫夢・博侶抄 終

    白猫夢・博侶抄 4

    2015.04.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第490話。王国の変遷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 翌朝。「おはようございます」「おはよう、ハル」 妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。「ハル、あのさ……」「なんでしょう?」「昨夜のことだけど、……これ」 ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。「王国の方からの?」「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目...

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    麒麟を巡る話、第491話。
    女王の醜聞。

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    1.
     紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。

     焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもやはり、単なる「お神輿」のままであった。
     建国直後こそ、何とかその役目を果たそうと奮闘していたものの、何年も経たぬうちに生来の性格――面倒事を片っ端から他人任せにし、その利益だけを掠め取り、独占しようとする悪癖が現れ始め、次第に実務から手を引くようになった。
     さらに元々有していた地位、焔流家元についても、この頃にはほとんど刀を握ることが無くなっていたにもかかわらず、弟やその家族、またはその他の有力者に譲ることを一切拒否。ろくに指導も鍛錬も行わない、こちらも名ばかりの地位となっていた。

     国家元首であり、その国内における社会規範の鑑となる人間がその体たらくである。当然、焔紅王国は荒れ放題であった。
     巷には焔流の名を傘に着た、半ばならず者と化した剣士たちがうろつき回り、地場代や税金と称した略奪・徴発を勝手気ままに行っていたし、農耕や漁業に精を出すよりも近隣都市へ盗みに行った方が早いとして、州境で乱暴狼藉を働く輩が後を絶たない。
     国家としての規範や規律、秩序など微塵も無い、紛うことなき「ならず者国家」が、そこには形成されていた。



     そしてさらにもう一つ、女王小雪には新たな悪癖が現れていた。
     腐っても「国王」であるため、その地位を狙うべく求婚する者が、建国以降から数多く現れるようになった。
     それを自分個人の魅力に対してのものであると勘違いした小雪は嬉々として彼らを囲い、彼らからの口先と上辺ばかりの愛をむさぼるようになった。
     そしてその結果、当然の帰結として――。

    「は?」
    「だから、できたって言ってんのよ」
    「できたって、……子供がか?」
     建国から4年が経った、双月暦549年。
     王国内の政府における最高位、左大臣の任に就いていた深見豪一は、女王からの突然の告白に戸惑っていた。
    「相手は?」
    「分かんないわよ、そんなの。一杯いたし」
    「アホか」
     深見は頭を抱え、呆れた様子でうめく。
    「お前さあ……、本当に自分が王様って自覚、あんのかよ?」
    「女王じゃなきゃオトコの取っ替え引っ替えなんてできないわよ」
    「ざけんなよ、マジで……。
     この話が巷に広まったら、また大騒ぎになるじゃねーかよ。『あのおバカ女王が、今度は誰が父親とも分からない子供を産んだ』って。
     ただでさえお前のバカ三昧のせいで国内の統制が取れてねーってのに、またこんな醜聞を広める気かよ?」
    「それなのよ。ね、豪一」
     と、小雪は深見の手を取る。
    「あんたが父親ってことにしといてよ。で、今すぐ結婚して。相手、短耳ばっかりだったから、多分子供も短耳か長耳のどっちかだと思うし、辻褄合うから」
    「……はぁ!?」
     唖然とする深見に、小雪はイタズラっぽく笑いかけた。
    「ね、いいでしょ? 顔と筋肉しか取り柄の無い奴らより、あんたが相手だって公表するならまだマシだし。あんたも『女王の婿』ってことで、色々便利でしょ?」
    「てめーなんか女としてこれっぽっちも見てねーよ」
    「あたしだって正直、あんたなんか旦那にしたくないわよ。でも『相手が分かりません』よりはさ、まだマシかなって」
    「……バカ女め……」



     あまりにも異常な頼みではあったが、仮にも女王である小雪からの命令を無視しては、深見が懸念している国内秩序の崩壊に拍車がかかってしまう。やむなく、深見は小雪と結婚することになった。
     そして約半年が過ぎ、双月暦550年に年が改まってすぐ――その事実上の私生児は、小雪と深見の子供として誕生した。

    白猫夢・桜燃抄 1

    2015.04.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第491話。女王の醜聞。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。 焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもや...

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    麒麟を巡る話、第492話。
    悖乱の中で。

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    2.
     結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。
     そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そのどちらにも世話をしてもらえず、小雪の側近であった虎獣人の将軍、九鬼彩(くぎ さやか)の元へと預けられた。



     両親の愛を受けることは少しもできなかったが、その子供が彩に預けられたことは、結果としてその子の人格形成には、とてつもなく大きく、そして極めて良好な効果をもたらしたと言えた。
     何故なら九鬼彩と言う女性は、堕落と腐敗の渦中にあった焔紅王国において、古き善き焔流の精神を受け継ぐ清廉な剣士だったからである。
    「次は素振り三十回! 始めッ!」
    「はいっ! 一! 二! 三……」
     彩はその短耳の子を桜雪(さゆき)と名付け、自分の養子にした。
     彩は桜雪のことを、女王の娘と言って甘やかすことをしなかったし、かと言って何の関係もない厄介者としてあしらうこともしなかった。
     彼女は桜雪を正しい焔流剣士とすべく、自分の弟子として扱ったのだ。
    「……にじゅく、さんじゅっ!」
    「よし」
     素振りを終え、汗だくになった桜雪に、彩は手拭いを投げる。
    「息が整ったら、次は軽く走るぞ。
     私は10周するが、お前はまだ小さいからな。1周でいいぞ。終わったら先に部屋へ戻っていい」
    「はい!」
     既に修行場としての意義をほぼ失い、無人となっている堂の周囲を二人で走る。
    「苦しくないか?」
    「だいじょうぶです!」
    「そうか。……無理はするなよ」
    「はい!」
     堂を一周し、桜雪が離れる。
    「ではかあさま、わたしは先にもどります」
    「ああ。そうだ、桜雪」
     彩は立ち止まり、にっと笑う。
    「米を研いでおいてくれるか? 私が帰って来るまでには間に合うようにな」
    「はい! いつもどおり、三合ですか?」
    「うむ、頼んだ」
    「わかりました! それではお先にしつれいします!」
     ぺこっと頭を下げ、その場から走り去る桜雪の後ろ姿を眺めつつ、彩は心の中に湧いた複雑な思いを整理していた。
    (いつの間にか……、『かあさま』と呼ばれ慣れてしまったな。夫もいないのに、私が母になってしまうとは。……いや、仕方の無いことか。あの子は親が無いも同然だからな。誰かが養ってやらねばならぬのだ。
     それを思うと、まこと、殿と深見には腹が立つ! いや、わけの分からぬ役目を押し付けられたと言うことを考えれば、深見には同情の余地がある。だが全ての原因である殿はどうだ!?
     私が桜雪を預かってから6年、あの後さらに父親の分からぬ子が2人も産まれ――私が桜雪をああ扱っているのが目障りなのか――私以外の側近に預けられたと聞く。しかも最近また、桜雪の弟妹ができたと言うではないか。まったく、犬や猫ではあるまいし、野放図にも程がある!
     一体殿は後何人、親の愛を受けられぬ不憫な子供を設けるつもりであるか)
     再び走り込みに入るが、頭の中は依然、もやもやとしたままである。
    (深見も深見だ。あやつも仮初の奥方にあてられたか、同様に女を囲い始めたと聞く。
     確かに左大臣としての責務を全うしている分、殿よりはましであると言えなくはないが、それでも公序良俗を乱す原因となっていることは確かだ。
     つくづく思う――私は果たしてあの時、深見と黄月乃の言葉に耳を傾けるべきではなかったのではないか、と。あんな戯言に惑わされず、深見を殴り倒し、黄を斬って、身命を賭して殿をお諌めするべきではなかったのか、とな。
     ……すべては過ぎたこと。もう、遅過ぎるのだ)
     5周したがそれ以上気が乗らず、彩は走るのをやめた。

    「あれ?」
     家に戻ったところで、米を研いでいる最中の桜雪と目が合う。
    「……あっ」
    「わたし、がんばってといでたんですが……。ごめんなさい、間に合いませんでした」
     困った顔をした桜雪を見て、彩は慌てて言い繕った。
    「あ、いや、そんなことは無い。……あー、と、腹が減ってな、たまらず切り上げて帰ってきてしまった。しまった、早過ぎたな、……あはは」

    白猫夢・桜燃抄 2

    2015.04.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第492話。悖乱の中で。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。 そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そ...

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    麒麟を巡る話、第493話。
    泥中之蓮。

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    3.
     さらに年月が過ぎ、双月暦565年。
     九鬼桜雪は15歳になっていた。

    「……」
     この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。
     自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。
    「桜雪」
    「……」
    「おーい、桜雪」
    「あ、はい」
     部屋の外から何度か呼びかけ、ようやく振り向いた桜雪に、彩は苦々しく続ける。
    「もう夕飯の時間だぞ。鍛錬から帰ってずっと、そんな調子ではないか」
    「すみません、母様」
     ぺこっと頭を下げた桜雪に、彩は腕組みしつつ尋ねる。
    「何か思い煩っているようだが、懸想でもしたか?」
    「い、いえいえ! そのようなことは決して!」
     顔を赤くした娘に苦笑しつつ、彩は真面目な顔になった。
    「察してはいる。……霧蔵のことだろう?」
    「……!」
     一転、桜雪の顔から紅が引いた。
    「父親違いとは言え、お前の弟だった。……私が引き取ると言えば、ああはならなかったかも知れん」
    「……」
    「だが、全ては終わったことだ」
     彩がそう言った途端、桜雪の頬にぽろぽろと涙がこぼれだした。
    「母様はいつもそう」
    「え?」
    「事が終わってから、そんなことを仰います。何故、事が起こる前に手を打たないのですか?」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪はがばっと頭を下げ、平伏した。
    「……申し訳ありません。出過ぎた言葉でした」
    「いや」
     彩も同様に頭を下げ、こう返した。
    「お前の言う通りだ。私はいつも、終わってからしか行動しない。愚か者の見本だ」
    「そんな……」
    「……飯に、しよう」



     桜雪以後、小雪が産んだ子供は6人いた。
     しかし一人として自分が育てるようなことをせず、彼女はすべて臣下の者に預けていた。そのうちの一人が霧蔵である。
     だが、預けられた先で家庭内の諍いが起こり、霧蔵は間に挟まれる形で何年も過ごし――そしてつい先日、その境遇に耐えかね、わずか12歳の身で自殺したのである。

     その諍いの根源が他ならぬ霧蔵にあったことは、誰の目にも明らかだった。
     女王から無理矢理に押し付けられ、それまで円満だった家庭にいらぬ波風を立て、崩壊に導いたであろうことを、周囲の者は皆、察していた。
     預けた張本人、小雪を除いて。



    「……」
    「……」
     いつになく重苦しい空気の中、彩と桜雪は夕食をとっていた。
     食事の最中に会話するようなことは、央南における礼儀上、はしたないとされてきたことであったし、真面目な二人はこれまでの15年間きちんと、その礼儀を守ってきた。
     だがこの日――桜雪が、それを破った。
    「母様」
    「……」
    「わたしは、愚か者になろうと思います」
    「え?」
     顔を挙げた彩に、桜雪は涙で腫れた、しかし熱い光のこもる目を向けた。
    「諸悪の根源は、我が実の母にあります。
     わたしはその母を――この国の女王、焔小雪を討ちます。親を殺すなど愚行以外の何者でもありませんが、しかしそれをしなければ、何も変わりはしないでしょうから」
    「ばっ、……馬鹿を言うな!」
     面食らった彩は、茶碗を落としてしまう。
    「いくら堕落の極みにあるとは言え、我らが主君であるぞ!」
    「主君であれば何をしても良いと言うのですか!?」
    「……っ」
    「このまま看過し続ければ、どうなると思いますか? また我が弟妹が死に、また母様は後になってから愚痴をこぼすでしょう。
     それはこの国の未来と同様ではないでしょうか?」
    「どう言う意味だ?」
    「女王の愚行で人が死に、焔流が乱れ、国が傾く。その惨状を、残った者が『仕方の無いこと』と諦め、また次の悲劇が緩慢に起こる。
     わたしが知る限り、焔紅王国の20年は、その緩慢なる悲劇の繰り返しです。此度の件は、その縮図と言えるでしょう」
    「……」
    「どうして誰も焔小雪を咎めないのですか? 女王だから? 家元だから?
     わたしにはその言い訳が納得できません。余計な面倒事に首を突っ込みたくないと言う、怠け者たちの逃げ口上にしか思えません」
    「桜雪ッ!」
     一瞬憤り、彩は桜雪に平手を食らわそうとした。
     ところが桜雪はその手をつかみ、なおも熱く語る。
    「しかしわたしは、母様だけはそうではないと信じております。
     母様はただ楽して生きたいだけの怠け者であるとは、到底思えません。いずれ機が来れば立ち上がってくれる、憂国の士と信じております。
     一度でいいのです。後悔ではなく、満足をしていただけませんか? 『あれを省みるには遅かった』などと仰らず、『あれをやって良かったと思っている』と、わたしに堂々と、胸を張って仰って下さい」
    「……私に、何をしろと言うのだ」
    「わたしと共に、戦って下さい。
     この腐った国を糺(ただ)すために」
    「桜雪……」
     娘の熱い瞳に射抜かれ、彩の心に、20年振りに火が灯った。

     これが九鬼桜雪による、焔紅王国に対する謀反の始まりである。

    白猫夢・桜燃抄 3

    2015.04.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第493話。泥中之蓮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. さらに年月が過ぎ、双月暦565年。 九鬼桜雪は15歳になっていた。「……」 この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。 自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。「桜雪」「……」「おーい、桜雪」「あ、はい」 部屋の外から何度か呼びかけ、よう...

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    麒麟を巡る話、第494話。
    五人抜き。

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    4.
     桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。
    「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」
     彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。
    「娘が戦うと言ったのだ」
    「娘? ……ああ、と言うと」
     その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の子供を臣下の者に厄介払いしていることは知っており、憎むべき相手とそう似ていなくもない、この短耳の少女に対し、冷淡な態度を執ってみせた。
    「いやいや、閣下も打算的な方のようで」
    「打算? 何のことだ」
    「おとぼけにならずとも……。その娘御を神輿と立てて、戦いの大義名分にしようと言うおつもりでしょう?」
    「なるほど、そう捉えるか」
     うなずくなり、彩は相手の胸倉をぐい、とつかんだ。
    「うえっ!? な……なにを……」
    「見た目が同じと言って、中身も一緒であるとは限らんぞ。桜雪は見た目こそ女王に似てはいるが、中身は天と地ほどに違う。
     何なら試してみるか?」
    「と言うと?」
    「この子が3歳の頃から、私が鍛え上げたのだ。当然、私に並ぶ腕前を持っている。
     この子が単なるお神輿で終わる器か、お前らの剣の腕で測ってみればいい」
    「……やれと言うならやりますよ」

     彩に言われるまま、彼らの中でも指折りの手練が桜雪と対峙する。
    「では、参る」
     と、一人が前に出たところで、桜雪は首を振った。
    「あ……?」
     怖気づいたかと、相手が嘲った表情を向けたところで、桜雪が口を開いた。
    「現実的では無いと思います」
    「……は?」
    「いざ戦となれば、こんな一対一の戦いなど、そうそうあり得ないのでは?
     来るなら全員で来てください。実際と沿わないような状況で私の腕を見せても、何ら意味がありませんから」
    「……チッ」
     元々質がいいとは言えない彼らは、この一言で豹変した。
    「偉そうな態度は『お母ちゃん』譲りってか、あぁ? びーびー泣かせてやってもいいんだぜ?」
     一方、成り行きを静観していた彩は、娘の態度を咎めたり、剣士らに苦言を呈したりもせず、淡々と言い放った。
    「やれるものならな。もし娘が負けるようなことがあれば、その時はあいつを、お前たちの好きにして構わんぞ」
    「ま、……マジですか?」
     男たちは一様にぎょっとした表情で彩を振り返り、そして一転、舐めるように桜雪を眺め――一斉に襲いかかった。
    「やっちまえッ!」
     剣士5人が、我先にと桜雪との間合いを詰める。
     ところが次の瞬間、桜雪は目の前から消えた。
    「……えっ?」
     気付いた時には、桜雪の木刀が一人の背中にぐりっとねじ込まれていた。
    「ぐえ……っ」
     木刀をねじ込まれた剣士は一転、顔を真っ青にし、その場に倒れる。
    「まず1人」
    「な、なめやがってッ!」
     残る4人が一斉に振り返ったところで、またも桜雪が消える。
    「……!?」
     この時点で4人とも、桜雪の動きを捉えられていないことに気付く。
    「がッ……」
     また一人、頭を抱えてうずくまる。頭から血を流しており、桜雪に叩かれたことは明白だった。
    「残り3人。どうしました?」
     姿を見せた桜雪は左手を木刀から離し、くい、と手招きする。
    「わたしを手篭めにするのでは無かったのですか?」
    「……く」
     挑発に乗り、一人が一足飛びに間合いを詰める。
    「やったらあッ!」「粗忽者!」
     が、飛び込んだところでボキ、と痛々しい音が場に響き渡る。
    「うおお、あ、あぁ……」
     襲いかかった剣士が肩を抑え、のたうち回る。
    「これだけ技を見せておいたと言うのに、真正面からかかってどうこうできる相手と思っているのですか!」
    「いい加減にしやがれええ……っ」
     と、頭を打たれて倒れていた一人が起き上がり、桜雪を羽交い締めにする。
    「やれ! やっちまえ!」
    「お、……おうっ!」
     残る2人が木刀を構え直し、桜雪に迫る。
     ところがすぐ眼前まで間合いが詰まったところで、桜雪がその一方を蹴り倒す。
    「うぐっ!?」
     もう一方にも足を付いて足場にし、桜雪は宙に浮く。
    「あ……」
     桜雪を羽交い締めにしていた者が、一瞬にして桜雪に背後を取られる。
    「終わりです」
     桜雪は渾身の力を込めて相手に体全体をぶつけ、残っていた剣士2人もろとも突き飛ばした。
    「おわあああっ!?」
    「ぐげ……っ」
    「ま、じ……かよ」
     3人同時に転げ回り、そのまま動かなくなる。
     一人その場に残った桜雪が、周りに怒鳴った。
    「他にはいないのですか!? わたしを叩きのめしてやろうと言う気骨、気概のある者はッ!」
    「まあ、そのくらいでいいだろう」
     成り行きを眺めていた彩が、そこで桜雪を止めようとする。
     ところが、桜雪は続けてこう怒鳴った。
    「このくらいで!? もしこの程度でやめると言うのならば、あなた方は口先ばかりの軟弱者です!
     この国を力ずくで変えようと言う者が、たった15歳の小娘一人止められずに、一体何をしようと言うのですかッ!」
    (まったく……。やり過ぎだ、桜雪)
     怒鳴り倒す娘に、彩は内心、呆れ返っていた。

    白猫夢・桜燃抄 4

    2015.04.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第494話。五人抜き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」 彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。「娘が戦うと言ったのだ」「娘? ……ああ、と言うと」 その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の...

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    麒麟を巡る話、第495話。
    桜花、燃え咲く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。
    「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」
     桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。
    「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に現実と沿わぬものであるかを痛感させられた」
    「どうか我々と戦うと共に、我々の至らぬ部分について、ご指導・ご鞭撻の程を願いたい」
    「……」
     そう請われ、桜雪は面食らう様子も見せず、素直にうなずいて返した。
    「頭を上げて下さい。わたし自身まだまだ有学の徒ですし、軽々と人に物を教えられるような身ではありません。共に修行し、研鑽し合うと言うことであれば、喜んでお受けいたします」
     その落ち着いた物腰と謙虚な態度、一方でいざ機に差し掛かった時の勇猛果敢な姿勢は、同志たちの心をいつしか、がっちりとつかんでいた。

     15歳にして既に優れた剣才を発揮し、その言動と物腰に人を惹きつけてやまぬ魅力を持っていた彼女は、瞬く間に多くの剣士たちから人望を集めた。
     それは紛れもない「カリスマ」――王となる者に求められる、類稀なる才能であり、彼女は自覚してか、それとも無自覚のままか、この頃からその才能を発揮・行使し始めた。
     事実、それまで「反女王」を掲げていながら、何らまともな活動を行わず、有名無実の組織となっていた彼らは、桜雪が加盟してからわずか半年後――彼女を旗頭にして、最初の攻撃を行った。



    「大変です、左大臣閣下!」
     双月暦566年。王国にとってのその凶報が左大臣、深見の元に届けられた。
    「王国東国境付近、梅宿を反女王派と名乗る連中が占拠しました! 謀反にございます!」
    「なっ……!? 謀反だとぉ!?」
     囲っていた女の膝に頭を預けていた深見は慌てて起き上がり、乱れた衣服を整える。
    「……いや、無い方がおかしいか。むしろ『ようやくかよ』って感じだな。
     で、相手の情報は?」
    「謀反の中心人物となっているのは、九鬼桜雪と名乗る短耳です。兵の数はおよそ200ほどであると」
    「……ん、んん? 九鬼って、……あの九鬼か? いや、九鬼は九鬼でも名前が違うな」
     眉間にしわを寄せた深見に、伝令はこくっと短くうなずく。
    「ええ、九鬼彩中将の娘御とのことです」
    「むすめぇ?」
     深見は腑に落ちない、と言う顔をする。
    「あの剣術一本バカに男や夫がいるとは思えんが。養子か何かか? それともあの単細胞のことだし、細胞分裂でもしたか? ひひひ……」
    「……いや、あの、ほら、閣下」
     伝令が額の汗を拭きつつ、恐る恐るこう返す。
    「九鬼中将に、預けたではないですか」
    「何を?」
    「ですから、ほら、あの、……ごにょごにょ、……の娘を」
    「……あー、はいはいはい。そう言えばいたな、そんなの」
     ようやく桜雪の素性を思い出したらしく、途端に深見は大欠伸をして見せた。
    「ふあー、あーぁ……。適当に兵隊を送っとけ。……んだよ、びっくりさせやがって」
    「閣下?」
    「九鬼んとこに預けた娘って言や、まだ15か16ってとこだろ? そんな小娘に何ができるんだっつの。しかもあのバカ殿の血ぃ引いてんだぜ?」
    「……なるほど。それもそうですな。
     ではあの近隣の基地に駐留している者に連絡し、殲滅してもらいましょう。……あ、いや、それではまずいですな」
    「あ? 何がまずいって?」
    「いや、ですから、……ごにょごにょ、の娘となると」
    「いーって」
     深見は面倒臭そうにぱたぱたと手を振り、こう言い放った。
    「どうせあいつも忘れてるさ、産んだこと自体。俺にしても今更構うの、かったるいし。殺しちまった方が後腐れなくていい。
     いや、むしろきっちり殺せ。だがくれぐれも、あいつの娘だってことが漏れないようにしろ。それが広まると面倒だしな」
    「御意」



     結論から言えば、この時深見は桜雪本人の才能と能力、そして彼女が起こした謀反による影響に対して、致命的な判断ミスを犯していた。
     簡単に蹴散らせると踏んで差し向けた兵隊はあっと言う間に全滅し――その上、この敗残兵たちは一人残らず、桜雪に下ってしまったのだ。

    白猫夢・桜燃抄 5

    2015.04.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第495話。桜花、燃え咲く。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」 桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に...

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    麒麟を巡る話、第496話。
    栄枯盛衰。

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    6.
     蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。
     当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。
     その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。

     そんな芸当ができた背景には無論、現女王である小雪の体制があまりにも悲惨なものであり、一方で桜雪側には寄り沿い、共闘するに十分な理由と大義があったからだが、それを差し引いてもなお、敵方が簡単に寝返ってしまう、いや、「寝返りたくなる」誘因があった。
     それは紛れも無く、桜雪本人の「魅力」だった。
    「我々の組織は非常に大きく成長し、既に軍と呼べる規模に達しています。
     故に、これより我々の組織を『九鬼軍』と改称することとし、併せて然るべき軍規を設け、軍としてより厳格かつ廉潔な、即ち焔流剣士の名に恥じぬ行動を執るべく、これを徹底することとします」
     全軍を集めて行われた桜雪の演説に、剣士たちは歓声を以って応える。
    「それでは、本日はこれにて解散です。今日一日は十分な休養を取り、明日からの戦いに備えて下さい」
     壇上で深々と頭を下げ、話を切り上げたが、何故か剣士たちは微動だにしない。
    「……?」
     桜雪が顔を挙げ、それに気付いたところで、剣士たちが口々に尋ねた。
    「九鬼頭領! 我々より質問がございます!」
    「何でしょうか」
     応じた桜雪に、彼らはこう続けた。
    「我々は頭領が焔女王の血を引いていると存じております! 頭領にとって、それは恥でしょうか、誇りでしょうか?」
    「……」
     数秒の沈黙の後、桜雪が答えた。
    「率直な感想を述べるとするならば、焔小雪を実の母とすることは、わたしにとっては紛れも無く、恥であると言えます。
     しかし血統そのものについては、万世に広く誇れるものであると堅く信じています。何故なら我が血統、焔家は――焔小雪を除けば――長年にわたり焔流を正しく導き、正しき仁義と礼節を央南に確固として示し続けてきた、由緒ある一族だからです。
     そして、もう一方の血統。かつて焔小雪の後見であり、今なお多くの剣士より『大先生』として慕われ、尊敬を集める剣聖、柊雪乃。
     彼女の血もまた、わたしの中に受け継がれています。それもまた、大いに誇るべきものであると、わたしは信じています」
     桜雪の返答に、剣士たちはまた歓声を挙げた。
    「万歳!」
    「九鬼頭領、万歳!」
    「九鬼御大将、万歳!」
     高まる声援に、桜雪はただ無言で、深々と頭を下げた。



     当初は桜雪を過小評価していた深見だったが、最初の戦いから2年、3年と過ぎ、王国東部が九鬼軍によってほぼ制圧された頃になって、その認識をようやく改めた。
    「……こりゃまずいぜ」
     初動の遅さと拙さ、そして度重なる戦闘でことごとく相手を測り損ねたためにみるみるうちに敗戦を重ね、深見は苦境に立たされていた。
     ここに至り、深見は側近たちを集めて、こそこそと密談を始めた。
    「九鬼軍は今、どこまで来てる?」
    「拙者の情報によれば、北は若叉、南は三浜までを陥落させたとのことです」
    「じゃあ、山丹方向に逃げればかち合わないな。あの辺りならバカ殿の側近もいねー。気付きやしねーだろう」
    「……閣下? まさか?」
    「そのまさかだよ。このままここにいたんじゃ、命がいくつあっても足んねーぞ」
     逐電をほのめかした深見の言葉に、側近たちは青ざめる。
     それを一瞥し、深見はこう続けた。
    「お前らも一緒に来いよ。今までかき集めた金がありゃ、西辺州の片田舎にでもこもって一生楽しく過ごせるぜ?
     それにだ。こうなった以上、あのバカ殿の下に律儀に居続けたって、美味い汁なんか吸えねーだろ?
     精々『わたしのために盾になって死になさいよ、ブヒブヒ』なんてわめかれるだけだぜ」
    「……」
    「……」
    「……然り」
     元々から自己中心的で欲深い深見と、その子飼いたちである。
     彼らは早々に小雪と現王国を見限り、逃げ去った。

    白猫夢・桜燃抄 6

    2015.04.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第496話。栄枯盛衰。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。 当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。 その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。 そんな芸当が...

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    麒麟を巡る話、第497話。
    母と娘、ただ一度の邂逅。

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    7.
     双月暦569年、桜雪が19歳の頃。
     桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。

    「状況をお願いします」
     本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。
    「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております」
    「ありがとう、渋坂。三の門については、どのくらいで破れそうでしょうか?」
    「持って30分かと。基礎構造こそしっかりしてはおりますが、魔術対策が塞内のそこかしこで破綻していたことから、恐らくは三の門も、じきに焼けるものと思われます」
    「そう。では、わたしも参りましょう」
    「御意」
     彩を含めた側近らを伴い、桜雪も塞に踏み込む。
    「存じているかも知れませんが」
     紅蓮塞の入口、一の門をくぐり、桜雪はこう続ける。
    「わたしは今日、初めて紅蓮塞の本丸に足を踏み入れます」
    「そうだな……。そうだった」
     応じた彩に、桜雪はくる、と振り返る。
    「母様と共に塞内の各堂で修行こそすれ、女王の邸宅となっていた本丸には、決して入ることが許されませんでした。
     その一事だけでも、どれだけ実の母がわたしを疎んじていたかが、良く、分かります」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪は小さく首を振った。
    「今更ごまかしなどいりません」
     桜雪は煙を上げる本丸に目をやり、こう続ける。
    「わたしにとっての母は、彩母様のみ。わたしは、それで良いのです。
     そしてこれから討つのは、わたしの母では無い。この国における最大最悪の賊将、焔小雪です」
    「失礼ながら頭領」
     壮年の狐獣人、渋坂が桜雪にこう返した。
    「御心に迷いがあるように感じられます。どうか今、この場で、心の内を素直に晒していただきたく存じます。
     でなければ、いざと言う時になって頭領ご自身がお困りになられるかと」
    「……」
     桜雪の足が止まる。
    「あなたの言う通りです、渋坂。
     確かに、わたしは迷っています。最早母でも娘でもないと、頭では割り切っていても、我が心の内では納得できてはいません。
     巷の人間は皆、わたしが焔小雪のことを憎んでいるだろうと考えていると思いますが――正直に言えば、わたしは焔小雪とどう接すればいいのか、分からないのです」
    「と言うと……?」
    「19年の間、一度も顔を合わせたことの無い実母を、わたしは憎むことができるのだろうか、と。もしかしたら目にした瞬間、それとは逆の感情が芽生えるのではないか、と。
     そんな不安が、わたしにはあるのです」
    「しかし頭領……」
     反論しかけた他の側近たちを、渋坂が制する。
    「頭領。もし憐憫の情、親愛の情を抱いたとしても、それは人間として正しきことです。
     一方で、やはり憎むべき敵であると捉えたままであっても、それもまた、軍の頭領として正しきご判断でしょう。
     小生は頭領がどのような結論をお出しになったとしても、それは至極正しきものであると信じております。……そうであろう、皆の者?」
     渋坂に問われ、側近たちは一様にうなずいた。
    「無論にございますとも」
    「頭領が間違っているはずなど!」
    「どうか、ご自身を信じて下さい」
    「……ありがとうございます。
     もう三の門も破られた頃でしょう。急ぎましょう、皆」
     桜雪は側近たちに深く頭を下げ、早足で本丸へと向かった。

     桜雪の予想通り、彼女たちが本丸の前に到着する頃には既に、三の門は炭と化していた。
    「女王は?」
     尋ねた桜雪に、門を破った隊の隊長が答える。
    「現在、兵卒らが本丸内を回り、捜索している最中です。間もなく発見し、こちらへ連行するものと思われます」
    「そう。では、ここで待ちま……」
     言い終わらないうちに、剣士たちが布団を引きずりながら、本丸から姿を表した。
    「うっ……」
    「ま、……まさか」
    「あれ、……が、か?」
     その様子に側近たちも、そして桜雪も、言葉を失った。
     剣士らに引きずられて現れたのは、まるで伸びきった風船のようにぶくぶくとだらしなく太った初老の女――焔紅王国の現女王、焔小雪だった。

    白猫夢・桜燃抄 7

    2015.04.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第497話。母と娘、ただ一度の邂逅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 双月暦569年、桜雪が19歳の頃。 桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。「状況をお願いします」 本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております...

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    麒麟を巡る話、第498話。
    女王襲名。

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    8.
    「その女が女王で、……間違い、無いのか?」
     渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。
    「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。
     なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここまで引っ張ってきました」
    「そう、か」
     予想外の状況に皆が戸惑う中、桜雪が一歩、前に踏み出した。
    「確認します。あなたが焔小雪で、間違いないのですか?」
    「……そうよ」
     べちゃりと布団に張り付いていた女が、くぐもった声で答える。
    「……」
     桜雪はそれ以上、何も尋ねない。どうやら彼女も相当の衝撃を受けているようだった。
    「意外?」
     と、小雪の方から声をかけてくる。
    「……っ」
    「まさか、遊んで、食っちゃ寝、してるだけの女が、20年前、30年前の、美貌を、留めてると、思ってた?」
     小雪は切れ切れに、苦しそうな様子で話している。
     その顔は土気色に沈んでおり、髪はほとんど白く、そして地肌が見えるほどに細く、少ない。目は黄色く濁り、膨れ上がった手と足は到底、人の体と思えない色に染まっている。
     どうやら長年の自堕落な生活のために、体のあちこちを病んでいるようだった。
    「……」
     最早人と思えぬほどに形の崩れた小雪を目にした桜雪の顔色が、どんどん悪くなってくる。
    「桜雪!」
     それに気付いた彩が、後ろから桜雪を抱き留める。
     その様子を見て、小雪がクスクスと笑う。
    「あら、九鬼。久しぶりね」
    「え、ええ」
    「あなたは、あんまり、変わらないの、ね。そうよね、わたしと、違って、毎日鍛錬、してたんで、しょうしね」
    「……」
    「ご覧の、通り、よ。わたしは、こんなに、なっちゃった」
     小雪は桜雪に目をやり、淡々としゃべりだした。
    「あなたが、わたしの、子供だってことは、深見から、聞いてた気が、するわ。そうね、面影がある。あなたにとっては、おばあちゃん、わたしにとっては、母だった、人に。
     ……もう、いいでしょ? わたしから、聞くことは、もう無い、でしょ? さっさと、終わらせ、なさいよ」
    「……~っ」
     桜雪の唇から、つつ……、と血が滴る。どうやら極度の混乱・動揺を、唇を噛むことで無理矢理にこらえたらしい。
     その血を手の甲で拭い、桜雪は乾いた声で命じる。
    「誰か……刀を……貸して下さい」
    「と、頭領」
    「わたしが……討ち取ります」
    「……これを使え」
     彩が腰から刀を抜き、桜雪に渡す。
    「あなたが、やって、くれるのね」
    「……はい……」
     絞り出すような声で、桜雪が応じる。
    「どうぞ。……新しい、女王さま」
    「……覚悟っ……」
     桜雪は刀を手に、ぼたぼたと涙を流しながら、小雪に近付いた。

     その日のうちに、桜雪は焔紅王国の新たな女王となった。
     また、この日から桜雪は自分の姓を「焔」と改め、焔桜雪と名乗るようになった。



    《……ってのが現体制に至るまでの、大体の顛末だね。
     その後についてはそんなに特筆するコトは無いね。真面目で優秀で誰からも好かれる女王様の下、みんなが幸せに暮らしましたとさ、……って感じだね》
    「いや、そうじゃないみたいですよ」
     のんきそうに語った電話の相手に、ルシオは反論する。
    《って言うと?》
    「実はそのサユキ女王から、招待を受けまして。何でも、農業指導をしてほしいとか」
    《ふーん……? 農業指導ってコトは、やっぱりまだ、土地が荒れてるのかねぇ》
    「だと思いますよ。サユキ女王の体制になってからまだ5年とのことですし、農地改革は一朝一夕にできることではありませんから」
    《まあ、私から言えるコトとしては、その焔桜雪って子は十分、信用に値するだろうってコトだね。
     わずか19歳で国一つ引っくり返すくらいの働きをしたんだし、どうあれ傑物にゃ違いないね。そんな大人物が『助けてくれ』って願い出てるんだ、行って損は無いと思うけどねぇ?》
    「非常に参考になりました。ありがとうございます。……あの、ところで」
    《ん?》
    「お名前を伺っても……?」
     ルシオにそう問われ、相手は《あー》と声を漏らす。
    《そう言や忘れてたね。モールさ。賢者モール・リッチと言えば私のコトだね》
    「はあ」
     ルシオのぼんやりした返事に、呆れた声が返って来る。
    《え、もしかして知らないね?》
    「ええ。もしかして高名な方でしたか……?」
    《……ちぇ》

    白猫夢・桜燃抄 8

    2015.04.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第498話。女王襲名。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「その女が女王で、……間違い、無いのか?」 渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。 なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここ...

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    麒麟を巡る話、第499話。
    農学博士の見解。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。
    「そのお話、本当でしょうか……?」
     だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。
    「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」
    「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはずだよ。
     一応、大学の方でも調べてはみるけど……」「あ、それなら」
     と、春が顔を上げる。
    「わたしの方で調べてみました。でも、焔紅王国に関する書物は全て、央南連合下では発行も所有も禁じられているので……」
    「やっぱりそうか。と言うことは、あの二人も相当な危険を冒してここに来てるってことになるな。……逆にそれが、彼らの真剣さを伝えていることにはならないだろうか?」
    「あなた、妙に王国の肩を持つんですね?」
     春にそう問われ、ルシオは小さく首を振る。
    「そう言うわけじゃないさ。もしも本当に、王国が農地改革を求めていると言うのなら、僕たちにとっては研究成果を示す、またとない場になる。そう思ってるんだ。
     少なくとも僕は学問のために学問を修めているわけじゃない。実際の状況に対して適用されるためにこそ、学問はあるべきだと考えてる。ハル、君もそうじゃないのか?」
    「……そうですね。そう問われれば、はいと答えます。でもやっぱり……」
    「ともかく、二人で話しているだけじゃ埒が明かない。この手紙を渡した、あの『狐』の人に詳しく話を聞いた方がいいんじゃないかな?」
     多少強引ではあったが、ルシオのこの主張に対し、春は渋々と言う様子でうなずいた。
    「分かりました、それで判断しましょう。もしそこで『やっぱりおかしい』と感じた時は、今度こそ、この話は無かったことにして下さいね?」
    「勿論さ」

     既に夜の9時を回ってはいたが、それでも彼らを訪ねたところ、快く出迎えてくれた。
    「ありがとうございます、ブロッツォ博士、紺納博士」
     深々と頭を下げた狐獣人の剣士、渋坂に対し、ルシオは「いや」と手を振る。
    「まだお受けすると決めたわけではありません。王国について、現在どのような環境であるのか確認したいと思いまして」
    「なるほど、確かにあの手紙だけでは実情を測ることはできませんな。……これ、千谷」
    「はっ」
     千谷と呼ばれた短耳の青年が、数枚の写真を机の上に置く。
    「こちらが王国内の、ある農村を撮影したものです」
    「ふむ」
     ルシオたちは写真を受け取り、互いに意見を述べる。
    「画像は粗いけれど……、確かに荒れ果てているのがよく分かる」
    「そうですね。土が、とっても白い。栄養がほとんど無いようですね」
    「恐らく、これは白砂(シラス)のような火山性土だろう。
     紅州は温泉が豊富にあるって話だから、マグマ層が比較的地表に近いんだろう。噴火や溶岩の露出と言った大規模災害なんかは発生しないまでも、土の性質は火山地帯のそれと、かなり近くなってるんじゃないかな。
     ……ふむ、とすると」
     ルシオは渋坂たちに向き直り、こう尋ねた。
    「王国で主だって栽培している作物は、もしかして米や麦と言った穀類でしょうか?」
    「ええ、まあ」
    「それをこの土壌で育てようとした、と?」
    「はい」
    「それは無理です」
     ルシオは頭を抱え、深いため息をついた。
    「何故に?」
    「穀物を育てるのに必要な栄養素が、この種類の土には存在しないからです」
    「なんと」
    「紅州のほとんどが、こうした土壌でしょうか?」
    「いや、白ではなく、むしろ真っ黒なところもあります。ですがそこも同様に、作物が実ったことがありません」
    「と言うことは十中八九、黒ボク土(くろぼくど。こちらも火山性土の一種)だろうな……。なるほど、農業をやるには致命的に条件が悪過ぎる。
     褐色土なんかはありますか? この辺りではよく見かける類の土ですが……」
    「いや、あまり見ません。紅州の北、黄州との国境付近には多少あるようですが」
    「ふーむ……。なるほど、よく分かりました」
     ルシオは苦り切った顔で、こう続けた。
    「はっきり申し上げましょう。現状、紅州で米や麦を栽培しても、成果は望むべくもありません」
    「むう……」
    「ですが、私にはその現状を打破できる策がいくつかあります。私が赴けば、4~5年でほぼ自給できる程度には、農業事情を改善することができると思います」
     ルシオの弁に、渋坂の目が輝く。
    「では……」「ですが」
     と、ルシオが手を挙げて制する。
    「央南連合下に住まう我々が王国へ指導に向かうとなれば、様々な弊害があります。それについては、どのような対策を?」
    「我々も、無計画に玄州に飛び込み、あなた方の前に転がり出たわけではございません。
     入出国の問題につきましては、玄州と何度と無く交渉を行い、どうにか制限付きながらも行き来できる条約を締結しております。通行許可証さえ発行できれば、問題なく通行可能であることを保証します。
     その他、滞在に関わる様々な問題に対しても、我々が全面的に対処する所存です」
    「……だ、そうだけど」
     ルシオは恐る恐る、妻の顔を伺う。
    「はぁ」
     春は呆れた表情を浮かべつつも、夫の要望を聞き入れた。
    「つまり、行きたいんでしょう?」
    「う、……うん」
    「……と言うことです。夫も、そしてわたしも、お話をお受けいたします」



     こうしてルシオ・春夫妻は農業指導を行うため、焔紅王国へ向かうこととなった。

    白猫夢・桜燃抄 終

    白猫夢・桜燃抄 9

    2015.04.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第499話。農学博士の見解。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。「そのお話、本当でしょうか……?」 だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはず...

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    麒麟を巡る話、第500話。
    人懐っこい女王陛下。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ようこそ、おいで下さいました」
     その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。
    「っ、あ、あの」
     面食らったルシオは、慌てて応じようとする。
     しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。
    「こうしてはるばる、我が王国までご足労いただけましたことに、深い感謝の意を表します。どうか我々を助けて下さいますよう、何卒、何卒お願いいたします」
    「は、はい。勿論です、ええ」
     これほど丁寧に出迎えられるとは思わず、ルシオは終始、目を白黒させていた。
     一方、妻の春は冷静に構えている。
    「早速ですが、お仕事の話をしたいと思います。ご用意はよろしいでしょうか?」
    「はい。では、こちらへ」
     女王、焔桜雪はにこっと笑みを浮かべ、二人を案内した。

     場所を応接間に移し、桜雪は書類の束が入った箱を差し出した。
    「こちらが、過去2年間に我々が行った農業活動と、その経過・結果を記したものです」
    「ふむ」
     ある程度の落ち着きを取り戻し、ルシオは書類に目を通す。
    「……やはり、芳しくないようですね」
    「はい。我が国の近隣州や央中から購入した種苗の8割が満足に育たず、また、残り2割も到底、国民全体に行き渡る程には生長しませんでした」
    「原因の大部分は恐らく、土壌によるものでしょう。
     玄州からこの国に入り、この城に到着するまでに何度か田畑を見る機会がありましたが、一目見ただけでも農作物が育つものではないだろうと、妻と話し合っていました」
    「ええ。詳しい調査は後程行う予定ですが、紅州の大部分が火山性土に覆われており、そのために、作物にとって非常に厳しい環境になっているようです」
     ルシオと春からそう告げられ、これまで毅然とした、それでいて穏やかな態度で接してきた桜雪の顔に影が差す。
    「では、今後も我が国では農業を行うことは不可能、と言うことでしょうか」
    「調査しなければ、断言はできません。しかし現段階での我々の見立てとしては、仰る通り非常に難しいと思います」
    「そうですか……」
     が、桜雪はすぐに表情を改め、にっこりした顔を見せる。
    「ともかく、長旅でお疲れのことと思います。ひとまず、今日のところはお休みになっては如何でしょうか?」
     この提案に、ルシオたちは素直にうなずいた。
    「ええ、そうしたいです。流石に疲れていますし」
    「お言葉に甘えます」
    「では、我が塞内に宿泊場所を設けておりますので、滞在中はそちらをお使い下さい。温泉地ですので、湯船はいつでもお使いいただいて構いません。お食事については寝室にお運びする予定ですが、何か希望や食べつけないものはございますか?」
    「いえ、特には」
    「それでは、宿となる場所にご案内いたします」
     誰かを呼ぶでもなく立ち上がった桜雪に、春がきょとんとした顔を向けた。
    「え?」
    「如何されましたか?」
     尋ねた桜雪に、春は眉間にしわを寄せつつ尋ね返す。
    「あなたが案内を?」
    「はい。そのつもりでしたが、何か不都合がございましたか?」
    「いえ、女王のあなたがそんなことを、……と言う意味で尋ねたのですが」
    「お客様ですから」
     桜雪はにこっと笑い、こう続けた。
    「我々に少なからず救いの手を差し伸べて下さるのです。であれば、でき得る限り丁寧に応対したいと考えております故」
    「そこまでされなくても……」
     面食らっている様子の春に、桜雪はまた、にっこりと――恥ずかしそうに、顔を赤らめながら言った。
    「それに、ご存じかと思いますが、我が国は他国、取り分け央南連合領地との交流がほとんどございません。
     ですから、国外の方と接する機会があれば、……少しでも仲良くしたいのです」
    「そうですか」
     春は表情を堅くし、無感情そうに返した。

    白猫夢・揺春抄 1

    2015.04.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第500話。人懐っこい女王陛下。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ようこそ、おいで下さいました」 その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。「っ、あ、あの」 面食らったルシオは、慌てて応じようとする。 しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。「こうしては...

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    麒麟を巡る話、第501話。
    ずれる想い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。
    「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」
    「ん?」
    「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」
    「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」
     ルシオの言葉に、春は一瞬、不快そうな表情を浮かべたが、すぐにしゅんとなる。
    「そうかも知れません。もしかしたら本当に、焔女王はただ真剣に、農業指導を求めているだけなのかも、……と思い始めてきました。
     でもわたしは央南でずっと、『焔紅王国は悪の巣窟』であると聞かされて育ってきたせいか、どうしても信じ切れないんです。もしかしたら、もしかしたら、……と、ずっと心のどこかで考えてしまっていて」
    「もし、本当に君の言う通り、ホムラ女王が何か企んでるって言うならさ」
     ルシオは春の手を握り、こううそぶく。
    「僕が何としてでも、君を連れて央南に逃げ帰って見せるよ」
     春は呆れたようにくすっと笑って返した。
    「期待はしてませんけど、……でも、その時は頼みますね」



     翌日からルシオ夫妻の農業指導が開始されたが、ほとんど毎日のように、桜雪は現場に現れた。
    「よろしくお願いいたします」
    「あ、……はい」
     無論、国王である桜雪にそうそう暇があるわけでは無いらしく、やって来て5分もしないうちに渋坂が呼び戻しに来たり、そもそも来られない日もあった。
     それでも、桜雪はちょくちょく現場を訪れ、嬉しそうに夫妻の仕事ぶりを眺めていた。
    「あの」
     それが春には気に入らなかったらしく――ある日、いつものようににこにこしている桜雪に向かって、春が苛立たしげに尋ねた。
    「何かわたしたちに、滑稽な点があるのでしょうか?」
    「いえ、とんでもありません」
     ところがにらまれた途端、桜雪は目を丸くし、驚いたような顔をした。
    「もしかして、お気に障りましたか?」
    「正直に言いますと、そうです」
     春が畳み掛ける。
    「わたしも夫も真剣に、仕事に取り組んでいます。それを笑われて、快いと思われるんですか?」
    「あ……」
     これを聞いて、桜雪は深々と頭を下げた。
    「すみません。そんなつもりではなかったのです。ただ……」
    「ただ?」
     なおも苛立った目を向ける春に、桜雪は申し訳無さそうにこう続けた。
    「高名な博士ご夫妻が、この国のために尽力して下さっていると考えたら、とても嬉しくて」
    「……」
     しばらく沈黙した後、春がふーっ、とため息をついた。
    「ではできるだけ、真面目に拝見なさって下さい。繰り返しますが、わたしたちは真面目に仕事をしてますから」
    「気を付けます」

    「あれは無いんじゃない?」
     その日の晩、春の言動をルシオが咎めた。
    「いくらなんでも、相手は女王だよ? それも、良識ある名君だ。そんな人に対して『真面目にしろ』は言い過ぎだよ」
    「あなたもあの人の肩を持つんですか?」
     だが、春はまったく譲らない。
    「いや、そう言うわけじゃなくてさ……」
    「こっちに来てからずっとそう! 何かにつけて女王、女王って! そんなに女王様が好きなら、わたしのことなんか放っておけばいいでしょう!?」
    「バカなこと言わないでくれよ。君への愛情と女王への敬意は別物だ。君のことは妻として、女性として好きだけど、女王に対してそんなこと思ったりなんかするもんか!」
    「……」
     一転、春はボタボタと涙を流す。
    「そんなに怒鳴らなくったっていいでしょう!?」
    「怒鳴ってるのは君じゃないか。落ち着きなよ、ハル。君、最近なんか変だよ?」
    「それはもう、変にもなってしまいますよ! 連合から離れて、こんな寂れたところで何週間も過ごしてたら、そうなりますっ!」
     ついに春はルシオに背を向け、そのまま寝室に駆け込んでしまった。
    「……あー……」
     一人残されたルシオは顔を両手で覆い、うめくしか無くなった。
    (ハル、限界かなー……。一回玄州に戻った方がいいだろうな、これは)

    白猫夢・揺春抄 2

    2015.04.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第501話。ずれる想い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」「ん?」「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」...

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    麒麟を巡る話、第502話。
    焔紅王国の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。
     寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。

    (すぐ眼鏡が曇っちゃうな……)
     温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んでいる。
     眼鏡の曇りを拭き、視界が明瞭になったところで、ルシオはそれらの店を一瞥する。
    (そう言えば、ご飯食べる前にお堂を出ちゃったなぁ)
     確認したところで、ぐう、と腹が鳴る。
     ルシオはとりあえず、すぐ横に構えていた店へと入ることにした。
    「いらっしゃっせー、1名様どうぞ!」
     大きく粗雑な挨拶に出迎えられ、ルシオはカウンター席に着く。
    「何にしやしょ?」
    「えー、と……」
     卓上や壁に貼られたメニューを見るが、当然どれも央南語で書かれており、ルシオは閉口する。
     と、横に座っていた狐獣人の客が、チラ、とルシオを横目で見、ぼそっと店主に告げた。
    「僕と同じもん食べさせとき。同じ央中人やろし、好みがえらい合わんっちゅうことは無いやろから」
    「へぇ、承知しました」
    「え? え?」
     ぎょっとしているルシオに、その金髪に赤メッシュの「狐」は央中語で話しかけてきた。
    「見た感じそのまま、央中南部生まれって顔や。グラーナ王国かバイエル共和国っちゅうところやろ」
    「え? ええ、確かにそうです。バイエルのセサミパスって村の生まれです」
    「ド田舎やな。確かミッドランド市国のある、フォルピア湖の南淵辺りやったな」
    「よくご存知ですね」
    「僕らにとったら央中は、自分の庭みたいなもんやからな。それこそどこの街にどんな産物があるかくらい、ソラで言えるんは当然のことや。
     でも……」
     狐獣人はルシオをじろじろと眺めつつ、首を傾げる。
    「なんでこんなとこにおるん? 央中人なんか、僕だけや思てたけど」
    「仕事です」
    「貿易関係か?」
    「いえ、農業指導で」
    「ほー……。道理で学者っぽいなとは思てたわ。浮世離れした格好しとるし。
     あ、ちゅうことはアンタ、ルシオ・ブロッツォ博士か?」
    「あ、はい」
    「女王さんから名前だけは聞いとったわ。ああ、アンタがそうやったんか」
     狐獣人は懐から名刺を取り出し、ルシオに差し出した。
    「僕は金火狐商会系列、トーナ物産社長のレオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンや。
     長いからエミリオでええで」
    「どうも、エミリオさん」

     故郷から遠く離れたこの地で同郷の人間に出会ったことで、ルシオはすっかり高揚していた。
    「いやぁ……、それにしても懐かしいです。当たり前ですけど、央南はどこに言っても央南語で会話してますからね」
     何年か振りに央中語での会話を交わし、ルシオは上機嫌になっている。対するエミリオも、ニコニコしながらこう返す。
    「そらそやろ。僕かて央中語でこんだけ話すんの、何ヶ月ぶりやろって感じやし」
    「ここ、長いんですか?」
    「まあ……、色々あってな。市国には居辛いねん。ちょくちょく理由付けて、こっちに渡っとる感じや」
    「そうなんですか……。うちの妻が聞いたら、『勿体無い』とか言いそうですね」
    「ん?」
     酒に酔っているらしい、とろんとした目を向けてきたエミリオに、ルシオは春のことを話した。
    「まあ、僕らの目から見たら同じ央南でも、ちょっと違うやろしな。何かとイライラすることもあるやろな。
     ……でも、僕に言わせたら連合も大概やけどな」
    「と言うと?」
    「あんな、これはあんまり大っぴらには言えへんのやけど……」
     エミリオはチラ、と店主や他の客を眺め、小声で話し――かけて、途中で笑い出した。
    「……ちゅうても央中語で話したら問題無いか。抜けとるな、ははは……。
     いやな、今の央南連合の主席しとる女。博士は知っとるか?」
    「ええ、名前だけは。アスカ・タチバナ女史でしたっけ」
    「そや、その女。……そいつがな、旦那と組んで阿漕なことばっかりしとるんよ」
    「旦那さん?」
    「西大海洋同盟の現総長、シュンジ・ナイジェルっちゅうやつや。こいつとタチバナが裏で表で色々アレコレ何やかやと、えげつない条約・密約を交わしとってな。
     一例を言うと、北方と央南間以外の貿易には1000%やら2000%になるような、とんでもない関税かけとるんよ。おかげでウチの対央南、対北方貿易は壊滅状態や。
     勿論、何度と無く抗議してはいるんやけどもな、あいつら聞く耳持ってへんねん。あーだこーだ理由付けて、結局税率も差別的措置もそのまんまや」
    「あんまり貿易とかは詳しくないですけど、2000%ってなんか、ひどそうですね」
    「ひどそうやなくて、ひどいんや。ひどいにも程があるっちゅうもんや。
     考えてみいや、ウチで一個3エルくらいの蜜柑を央中から央南に卸すだけで、こっちで一個100玄超えるんやで。レート自体、エルと玄はトントンなはずやのに、やで?」
     その額を聞き、ルシオは声を上げて驚く。
    「30倍ですか!?」
    「関税に加えてコストやらリベートやら加えると、どうしてもそうなるんよ。誰がそんなバカみたいに高い蜜柑買う?
     ちゅうわけで、央中・央南間での貿易は完全に死に体や。焔紅王国以外ではな」
    「なるほど……。だからエミリオさん、こちらで商売されてるんですね」
    「ま、そこはそれ、僕に先見の明があった、ちゅうやつや。
     連合がそうなる前から、この国には目ぇ付けてたんよ。ホムラ女王がやり手そうやっちゅうことは、即位辺りからピンと来てたからな」
    「流石、金火狐ですね」
    「……まあ、な。……まだ一族ん中では、パチモンのアホ扱いやけどな」
    「え?」
    「……いや、何でもあらへん」

    白猫夢・揺春抄 3

    2015.04.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第502話。焔紅王国の異邦人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。 寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。(すぐ眼鏡が曇っちゃうな……) 温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んで...

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    麒麟を巡る話、第503話。
    不穏なうわさ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。
    「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。
     ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」
    「はあ」
    「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白猫党っちゅう輩のせいや。あいつら中央大陸のあっちこっちで好き放題やっとる上に、西方まで手ぇ伸ばしたやろ?」
    「らしいですね」
    「ほんで、北方を政治基盤にしとるナイジェルと、連合主席のタチバナは揃って慌てよったんや。『何としてでも自分の領土を死守せな』ちゅうことで、徹底的に他地域の勢力を追い払っとるっちゅうわけやな。
     まあ、気持ちは分かる。あいつらも容赦無いからな、いざ傘下に下ったら権力者層は軒並みえらい目に遭うやろし、そら徹底的に排除せなっちゅうのんは分かる」
    「はあ」
    「せやけど、連合も連合やで! えげつなさで言うたら、あいつらも同類や!
     博士も気ぃ付けた方がええで――あいつら、自分の身と利益守るためやったら、どんなえげつない悪事も平気でやりよるからな」
    「……え?」
     ぼんやりと生返事を続けていたルシオだったが、穏やかでないエミリオの話に、思わず尋ね返していた。
    「悪事って?」
    「元々な、連合と王国――ちゅうても前体制、コユキ時代の話やけど――には色々、秘密協定があってん。
     重犯罪者を王国に『処理』してもらうとか、王国の地下深くに溜まっとるマグマを利用して、連合専用の産業廃棄物処理場を造ってもらうとかする代わりに、前女王は連合からたんまり、裏でカネもろてたらしいねん。
     で、サユキ時代になってからすぐ、現女王はその密約を全部破棄、反故にした上に、その事実を世界に向けて公表しよったんや。
     女王からすれば『自分らはどこまでもクリーンやで』っちゅうイメージをアピールしたかったみたいやけど、連合からすればたまったもんやない。向こうにしてみれば、『秘密にしとった悪事をバラされた』やからな。
     それもあって、連合の国際的なイメージは今、めっちゃ悪いねん。おまけに『腐敗・堕落した権力者層の排除』を謳う白猫党に対して、攻めさせる格好の口実を与えたことになるわけやしな。
     とは言え、そう言う恨みつらみはあるけども、連合は王国を容易に攻撃でけへん。さんざ悪い印象与えとるところで主だって王国に制裁なんかしようもんなら、それこそ連合にとっては、致命的に悪いイメージを広めることになるからな。
     ちゅうわけで、連合は陰でこそこそっと報復しとるらしいわ。連合軍に身分隠させて、王国から出とる船を襲撃したり、王国と連合を行き来しとる人間を秘密裏に拘束したりな」
    「拘束……!?」
    「ああ。ほんで有ること無いこと立て並べて犯罪者に仕立て上げて、『王国は犯罪者の温床や』と言いふらしとるらしいわ。
     あくまで『王国は悪の巣窟、連合は嘘を言いふらされて被害を受けとる』っちゅう話にしたいらしいわ。……ま、僕も聞いただけやし、実際に被害に遭ったっちゅうことは、まだ無いけどな」



     途中まで程よく酩酊していたものの、エミリオが最後にした話で水を差され、ルシオの酔いはすっかり醒めてしまっていた。
    「……」
     活気ある温泉街から戻り、紅蓮塞への若干寂しい道中に差し掛かったところで、ルシオは不安に苛まれる。
    (王国に関係した人間は連合から報復、……か。『まさか』とは思うけど、……でも、『もしかして』って言う不安を捨て切れない。
     明日には暇を願い出ようと考えてたけど、そんな事情があるなら、やっぱり帰国を延期すべきじゃないだろうか。
     説得には骨が折れるだろうけど、一応、ハルに伝えておこう)
     考えをまとめているうちに紅蓮塞の門前に着き、ルシオは立番らに会釈する。
    「戻りました」
    「お帰りなさいませ、博士」
     立番二人は深々と頭を下げ、そしてこう尋ねてきた。
    「奥方はご一緒ではないのですか?」
    「え?」
     きょとんとしたルシオに、立番が怪訝な顔を向ける。
    「先程、奥方が出て行かれましたが……?」
    「てっきり博士と街で落ち合うものと思っておりましたが、お会いにならなかったのですか?」
    「いや、妻は寝てた、はず、……だけ、ど」
     ルシオの背中に、冷たいものが走る。
    「いつの話ですか?」
    「1時間ほど前です」
    「何か、荷物とかは……」
    「ええ。かばんを提げていらっしゃいました。……うん?」
    「まさか、博士? 奥方は……」
     途端に、ルシオはその場にへたり込んだ。
    「……そんな、……ハル!」

    白猫夢・揺春抄 4

    2015.04.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第503話。不穏なうわさ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。 ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」「はあ」「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白...

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    麒麟を巡る話、第504話。
    情緒不安定。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。
    (……?)
     そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。
    (ルシオ? ……どこへいったのかしら?)
     春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。
     ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換えれば冷静さが著しく欠けていた。
    (日も暮れたと言うのに、あの人は一体どこへ? わたしに隠れて、何かやましいことをしようとしているのでは? いえ、きっとそう。きっとあの女王のところよ。間違いないわ。
     ああ……、なんてことかしら! こんな国に来てしまったせいで、あの人が女王に盗られてしまうなんて! いえ、あの人は元々からこの国に行きたいと言っていたもの、ずっと前から籠絡されていたに違いないわ! きっと裏で口裏を合わせて、適当な理由を付けてこの国に来る口実を立てて……)
     考えれば考えるほど、整合性の無い、春の妄想にとってのみ都合のいい、荒唐無稽な論理が組み立てられていく。
     だが、冷静さを欠いた春には、その理屈がどんな言葉よりも正当性を持っているように感じてしまっている。
    (もう嫌! これ以上、こんなところにいたくなんかない!)
     春は無意識に自分のかばんを抱きかかえ、お堂を飛び出していた。



     はっと我に返った時には、春は既に紅蓮塞の灯りが見えないところまで逃げていた。
    「……あ」
     そこでようやく、春は自分が部屋着のままであることに気が付いた。
    「さむ……」
     吐く息は白く、手も真っ青になっている。慌ててかばんを開け、上着や手袋を探すが――。
    (置いてきちゃったみたい。……どうしようかしら)
     両手に吐息を当てて温めようとするが、あまり効果が感じられない。足元にかばんを置き、両手をこすり合わせても、掌も指も冷たく、温まってこない。
    (……戻ろうかしら?
     さっきの、よく考えてみたら無茶苦茶だし。どうして夫と女王が会う前から通じているなんて思ったりしたのかしら。連合と王国が国交断絶してた状態で交流なんて、できるはずがないのに。
     誰にも何も言わずに飛び出したから、今ならまだ恥をかかずに戻れるでしょうし)
     外気で冷えた頭が、ようやくまともな思考を始める。
     春は足元に置いたままのかばんを手に取ろうと、しゃがみ込んだ。

     その時だった。
    「紺納博士ですか?」
    「え?」
     しゃがんだまま振り向くと、そこにはスーツを着た男が2人、並んで立っていた。
    「えっと……、王国の方、ですか?」
     尋ねつつも、春は彼らが王国の関係者ではないことを悟っていた。
     王国の人間は皆、昔ながらの和装を着ており、洋装をした人間は自分が知る限り、夫のルシオか、温泉街でちらほら見かける観光客くらいしかいない。
     それ以前に、彼らの胸に付けられた徽章は――。
    「我々は央南連合の者です」
    「です、よね」
     彼らの素性には納得したものの、春の中には次の疑問が浮かんでいた。
    「あの、連合の方が何故、この国にいらっしゃるのでしょうか? それに、わたしのことを何故ご存じなのでしょう?」
    「説明が足りませんでしたね」
     男たちは一瞬、顔を見合わせ、こう続けた。
    「我々の所属は、正式には央南連合軍諜報部、特殊工作課と申します。
     具体的に言えば、この焔紅王国に対して何か、政治的・国際的に不利な材料が無いか調査し、上層部に報告することを任務としています。……ここまでが諜報部の主な仕事です」
    「そして特殊工作課の仕事ですが、その不利な材料が無いようならば」
     男たちはそこで銃を懐から取り出し、春に向けた。
    「捏造するように命令されています。
     紺納博士。あなたは連合下の人間でありながら王国の人間と通じ、諜報活動を行っているものと設定……、いえ、判断し、連合へ連行します」
    「え……!?」
     やってもいない罪を宣告され、春はうろたえる。
    「な、何を仰って、あの、わたしは……」
    「抵抗は無用です。もしも抵抗されるのであれば、我々はここであなたを射殺し、適当にでっち上げた証拠をそのかばんに詰めておいて、国境辺りに放置するだけですが」
    「無論、それだと我々の仕業と勘繰られて、王国側に陰謀だとして吹聴されるおそれもある。となると逆効果になるでしょうし、それはしたくない。
     それよりも連合までご足労いただき、そこで『正当な裁判の結果』、政治犯となっていただく方が、我々には何かと都合がいい。
     と言うわけで、ご同行を」
     そう言って、男たちは銃の撃鉄を起こす。
    「……」
     春はそれ以上何も反論できず、従うしか無かった。

    白猫夢・揺春抄 終

    白猫夢・揺春抄 5

    2015.04.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第504話。情緒不安定。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。(……?) そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。(ルシオ? ……どこへいったのかしら?) 春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。 ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換...

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    麒麟を巡る話、第505話。
    罪の仕立て屋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「こちらへ」
     諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。
    「どうも、博士」
     諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。
    「……」
     応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。
    「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」
     イライラしながら答え、春は続けて問う。
    「あなたは?」
    「安楽と申します。博士を連行させた者の上司に当たります」
    「つまり、あなたも諜報部の方と言うことでしょうか」
    「それは申し上げられません。公的には、あなたとお会いしたと言う記録も残さないつもりですので」
    「わたしを犯罪者に仕立て上げるつもりだ、と伺いましたが」
    「ええ、その通りです。具体的には央南連合の機密を焔紅王国へ流したことによる、情報漏洩と治安侵害罪。そして国交を断絶している王国に侵入したことによる、領地保安法の違反。そして王国に対し不当に援助を行ったことによる、連合通商法の違反。
     すべて付けば、懲役100年は免れないでしょう。無論これは、博士ご自身が存じていらっしゃるように、無実の罪と言うものですが。ま、諜報部の手練手管を用いれば、いくらでも罪を作ることは可能です。お望みなら後100年でも200年でも、罪を追加することもできますが」
     薄笑いを浮かべながら答える安楽に、春は気味の悪いものを感じていた。
    「そんなことが許されると思っているのですか?」
    「許す、許さないを決めるのは、権力者のやることです。そして私はそう言った権力者たちと懇意にしております。
     あなたに罪が有るか無いかは、私の機嫌次第と言えます」
    「……っ」
     にやぁ、と笑った安楽に、春は思わず立ち上がり、車の扉に手をかけていた。
    「おや、お逃げになりますか?」
     だが、扉を開けるその直前、安楽があざけるように声をかける。
    「公務執行妨害。逃走罪。今お逃げになると、それだけの罪が発生しますよ。さて、何年ほど投獄されるやら。10年でしょうか、20年でしょうか。それとももっと多くなるかも知れません」
    「……」
    「どうしますか? まあ、選択の余地は無いですがね」
     安楽の言葉とともに、自動車がぶるっと震え、動き出す。
    「この車輌は最新鋭の悪路走破機能を有しております。あぜ道だらけの焔紅王国といえど、ここから国境を越えるまでに4時間もかかりません。
     ま、それまでに覚悟を決めるなり、諦めるなり、ご自由にどうぞ。それとも命乞いをなさるか、と言う選択肢もございますが」
    「い、命乞い?」
     次々に安楽の口から飛び出す物騒な言葉の数々に、春は次第に憔悴し始めていた。
    「ええ。司法取引とも言いますかね。ま、簡単な話です。
     あなたの口から焔紅王国女王および大臣、高官らの不正行為についてお話いただき、それが国際社会に広く信用されるようであれば、その効果に応じて刑期を減免いたします。
     ま、それに加えて私に対し、個人的に何かしらの『お心付け』をいただけるなら、刑務所などに入れるようなことはせず、私の監視下に置くと言う措置も取れますがね」
    「……それ、って」
     安楽の言葉の裏にあるものを察し、春は狼狽する。
    「わたしは夫のある身です! そんなこと、できるはずが……」
    「いやいや、無理にとは申しませんよ。どうしても無理だと言うことであれば、それは仕方ありません。正規の手続きに従い、あなたは投獄されると言う、それだけの話です」
    「正規ですって!? すべてあなた方の捏造でしょう!?」
    「何度も申し上げたように」
     安楽はニヤニヤ笑いを下卑たものに変え、春の腕を取った。
    「罪の有る無しは我々の胸三寸で決まります。あなたが我々の、いいえ、私の機嫌を損ねれば……」
     安楽は春をぐいっと引き寄せ、がらりと声色を変えた。
    「央南連合では表向き、容認されていない罰を与えることもできるんだぞ? 鞭打ち千回でも銃殺でも、断頭台でもな」
    「いやっ……、嫌あっ!」
     春は泣き喚き、懸命に抵抗しようとする。
     しかし春の細腕では、大の男の腕力には当然、敵わない。
    「うるさい! びーびー喚くんじゃないッ!」
     安楽は空いていたもう一方の手をぐっと握りしめ、春を殴りつけた。
    「ひう……っ」
    「もうお前はおしまいなんだ! 大人しく私に従った方が……」
     怒鳴りながら、安楽はまた拳を振り上げた。

    白猫夢・乱南抄 1

    2015.04.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第505話。罪の仕立て屋。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「こちらへ」 諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。「どうも、博士」 諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。「……」 応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」 イライラしながら答え...

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    麒麟を巡る話、第506話。
    誘拐返し。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。
    「おう……っ!?」
    「きゃあっ!」
     斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。
    「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転せんかッ!」
     安楽はよろよろと立ち上がり、運転席に向かって怒鳴りつける。
     だが、運転席からは返事が無い。
    「……? おい? どうした? 何かあったのか!?」
     安楽は春の方を一瞬確かめ、車の外に出た。

     その瞬間、安楽の首に刃が突きつけられていた。
    「央南連合の官房局次官、タツノリ・アンラクさん?」
    「う……っ」
     安楽の目の前に、にゅっと刀の切っ先が突きつけられる。その刀を握る、緑髪に三毛の毛並みをした猫獣人が、淡々とした口調で続ける。
    「答えて」
    「い、いや、私は」
    「嘘をついてもごまかせないよ。仮にもし、あなたがアンラクさんじゃないなら、斬るだけだし。アンラクさんじゃなければ、生かしても意味が無いもの」
    「……わ、私が安楽達典だ」
     観念したらしく、がっくりとうなだれた安楽に、猫獣人はこう続けた。
    「あなたがこうやって、こっそり焔紅王国に来ることは『見えてた』。丁度良かったよ」
    「な、なに? 何のことだ?」
    「あなたはハルを使って王国の評判を落とそうとしてたみたいだけど、あたしはあなたを使って央南連合の評判を落とさせてもらうよ。
     あたしたちの党のために」
    「党? お前は一体、何者だ?」
     安楽が問いかけたが、猫獣人は名乗らない。
    「とりあえず拘束させてもらうよ。それから、あなたたちの車で連行させてもらうから」
    「連行? どこへ連れて行くつもりだ?」
    「まず、紅蓮塞。そこに女王と、央中の権力者に近い人がいるから、その人たちに事情を話して、投獄してもらうよ」
    「投獄? 何の罪でだ? 私は何もした覚えは無い!」
    「あるはずだよ。それにその証拠もある。
     あなたは上から指示を受け、無実の人たちに罪を着せて王国に対する虚偽の非難中傷をしてた。
     その証拠はあたしたちが握ってる。後はあなた自身の証言と一緒に、世界中にその内容を公表するだけ」
    「な……んっ……」
     強情を張っていた安楽の顔が、一転して真っ青になる。
    「そ、そんなことをしてみろ! 央南は、央南連合は……っ」
    「公表し次第すぐに、世界中から壮絶に非難されるよ。
     そして央南連合は孤立する――あらゆる交通・交流は停止する。勿論、経済も封鎖される。通貨をはじめとする、あらゆる取引が止められる。連合内の主要都市はほとんど貿易で稼いでるし、連合内の政治経済は一気に大混乱、衰退するよ。
     後はあたしたちが央南に乗り込み、連合を排除するだけ」
    「貴様ら、……白猫党か!」
     安楽にそれ以上応じること無く、猫獣人は車の中に声をかけた。
    「ハル、大丈夫?」
    「え、ええ」
     恐る恐る出てきた春に、猫獣人は手を差し伸べた。
    「危ないところだったね」
    「はい、ええ」
     春はへたり込んだ安楽を一瞥し、もう一度猫獣人に向き直った。
    「あの」
    「話は後で。とりあえずこの人と、運転席にいる人たちを車の中に入れるよ」
     そう説明しながら、猫獣人は春の頬に手を当てる。
    「えっ?」
    「治してあげる。痛々しいもの。……『キュア』」
    「あ……、ありがとうございます。
     ……あの、葵さん、ですよね?」
    「うん」
     猫獣人――葵・ハーミットは小さくうなずき、それから運転席へ向かい、気絶した諜報員たちを引っ張り出す。
     安楽も含めて縄で縛り、後部座席へ放り込んだところで、葵が再び口を開く。
    「ハル、こっちに乗って。紅蓮塞まで送るよ」
    「あ、はい」
     半ば呆然としていた春は、たどたどしく助手席に乗り込む。
    「葵さん、運転できるんですか?」
    「たぶん」
     その返答に春は不安を覚えたが、それはすぐに吹き飛んだ。
     葵は淡々とサイドブレーキを外し、ギアを入れ、クラッチをつなぎ、程よくアクセルを踏み込んで、何の失敗もなく車を発進させたからである。
    「……上手、ですね」
    「そうかな」
    「わたし、自動車って初めて乗るんですけど、でもきっと葵さん、すごくお上手だと思います」
    「ありがと」

    白猫夢・乱南抄 2

    2015.04.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第506話。誘拐返し。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。「おう……っ!?」「きゃあっ!」 斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転...

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    麒麟を巡る話、第507話。
    プロパガンダ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。
    「葵さん、……えっと、お久しぶりです」
    「うん」
    「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」
    「そうだね」
    「今まで、どこで何を?」
    「いろいろ」
    「今、お仕事は?」
    「一応あるよ」
    「何をされてるんでしょう?
     諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経済に詳しくて、しかも車の運転までされるなんて。とても一人の人間がやっていることとは、わたしにはすぐには信じられないです。
     葵さんが一体どんなお仕事に就かれているのか、わたしにはまったく想像できません」
    「一言では説明できないよ。しなきゃ駄目?」
    「時間はたっぷり有りますよ。ずっと黙ったままと言うのも、あまりいい気分では無いでしょうし」
    「……ハルは相変わらずだね。優しくておっとりしてるように見えて、でも実は芯が強くて折れない性格。12年前と変わらないみたいだね」
    「ええ。三つ子の魂なんとやら、と言いますから」
    「……」
     しばらく沈黙が続いた後、葵が観念したように話し出した。
    「白猫党ってところにいるよ。シエナと一緒に仕事してる」
    「シエナ……、と言うと、ゼミにいたシエナさん?」
    「うん」
    「ずっと一緒に?」
    「うん。結党からずっと一緒だよ」
    「そうですか。
     ……葵さんがいなくなった時は、本当に驚きました。いなくなった直後、誰が天狐ゼミを訪れたと思います?」
    「さあ?」
    「神話やお伽話に出てくるような方です」
    「誰?」
    「克大火さん。天狐ちゃんのお父様です」
    「そう」
    「その大火さんが、あなたのことを『実力を偽り、ゼミの皆を騙すために編入した』と仰っていました。
     それは、本当のことなんですか?」
    「……」
     答えない葵に、春は畳み掛ける。
    「それに白猫党と言う組織も、わたしはあまり良い評判を聞いていません。
     過去に存在したと言う『中央政府』のように、世界中で侵略行為を繰り返し、『世界平定』を企んでいる悪の組織、……と言うような話を何度も聞いています。それも、本当のことなんですか?」
     この質問については、葵はすぐに応じた。
    「どこから聞いたの?」
    「新聞です。それに央南連合の広報でも何度か。『白猫党を名乗る輩に応じないよう』と注意されています」
    「あんなことされて、連合が吹聴してる話をまだ信じてるの?」
    「……!」
     そう返され、春は言葉に詰まる。
    「それに新聞って言ってたけど、もしかして橘喜新聞?」
    「え、ええ」
    「橘喜の社長はアスカ・タチバナって人だけど、央南連合の主席でもあるって知ってた?」
    「え?」
    「央南連合は自分たちの利益を死守するために、色んなうわさを流してるんだよ。王国を悪者に仕立て上げてることとかも、その一部。
     橘喜新聞社は、その道具なんだよ。こんなこと言ったらショックを受けると思うけど、ハルも央南連合領に住んでる皆も、騙されてるんだよ」
    「……」
     葵の言うことが簡単に信じられず、春の頭に言葉が浮かんでこない。
    「それが、本当のことだとして」
     それでもどうにか頭を動かし、春は尋ねる。
    「何故、連合はそんなことを? 葵さんは『自分たちの利益を守るため』と言っていましたが、それが本当であれば、どこかから攻撃を受けていると言うことになります。
     それが即ち、白猫党なのでは?」
    「半分は正解。でも半分違うよ」
    「半分?」
     葵は運転席にかけられた時計をチラ、と見て、話を続ける。
    「まだ時間ありそうだし、きっちり話せるかな。
     そもそもは、央南連合が加盟してた西大海洋同盟って言うところで、仲違いがあったことが原因なんだ。
     元々は日上戦争って言う大きな戦争があった時に、北方と央中、央南の3地域が連携して同盟を結成したんだけど、その戦争が終わって10年、20年経って、その存在意義があやふやになり始めたんだ。だってとっくの昔に戦争が終わって、結成する理由になってた相手国が今はもう、散り散りに分裂しちゃってるんだもの。
     で、存続させるか否かって話が央中の加盟諸国から出たんだけど、無くなったら無くなったで、困る人たちも結構いたみたい。そのほとんどが北方の人たち。北方は元々、他の国や大陸から地理的にも政治的にも離れてたし、北方の中だけで話をしてたんだけど、同盟ができてからは、その力を後ろ盾にした政治派閥ができてたんだ。
     そう言う人たちは同盟の解消を望まず、無理無理存続させようとしてた。そしてその20年、あんまり関わってこなかった央南も、ある事件以降から同盟と密に連携し始めた。その事件が何か、分かる?」
    「焔紅王国独立、ですか?」
    「そう。その独立の裏で、連合は王国にある取引を持ちかけてた。
     央南で持て余してた犯罪者を引き渡したり、産業の近代化に伴って出てきた、燃やしたり埋めたりして処理できないゴミ、いわゆる産業廃棄物を王国の地中深くに投棄させる見返りに、多額のお金を出すって言うような、そんな裏の取引」
    「そんなことを、連合が……」
    「連合だけじゃ無くなった。これが金儲けになるって分かって、連合は同盟を通じて、北方からもその『負の資源』を引き受け始めた。
     さっき言ってた北方の、同盟をバックに付けてた政治家たちも、連携がより密になる、パイプが太くなるって思って、取引を喜んで継続させてきた。
     それが王国の革命まで続いてた、裏の話」

    白猫夢・乱南抄 3

    2015.04.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第507話。プロパガンダ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。「葵さん、……えっと、お久しぶりです」「うん」「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」「そうだね」「今まで、どこで何を?」「いろいろ」「今、お仕事は?」「一応あるよ」「何をされてるんでしょう? 諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経...

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    麒麟を巡る話、第508話。
    キューピッド葵、再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。
     ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」
    「そんな話、聞いたことが……」
    「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、央南の新聞じゃ報道できない話だよ。
     連合は大慌てで、その話が嘘だと主張するために、王国を悪者に仕立て上げようとしてる。ハルがさらわれそうになったのも、その一環。
     結局、自分たちが裏で汚いことをしてたのに、それを嘘だ、無かったことだ、向こうが嘘をついてるって言い訳してるんだよ」
    「半分、と言っていたのは……」
    「うん。連合に対する世論から攻撃されてるんだよ。結局、自業自得」
     話している間に、相当の距離を進んでいたらしい。遠くに、温泉街と思われる灯りがちらほらと見え始めた。
    「そろそろ着くね」
    「ええ」
    「落ち着いてきた?」
    「そうですね」
    「良かった。今、体調崩したりしたら大変だもの」
    「え?」
     思いもよらない、葵の温かい一言に、春は面食らう。
    「ハルとルシオの未来も『見えた』んだけど、幸せそうだったよ」
    「『見えた』って、どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味。あたしの目に、それが映ったってこと。
     ハル。明日、お医者さんのところに行ってみて。すごくいいことを教えてもらえるよ。それからここ数週間、急に理由もなく不安になったり、突然吐き気とか立ちくらみとか、体調が悪くなったりしてた理由も」
    「え? え?」
     動揺する春を横目で眺めつつ、葵は淡々と続けた。
    「それからね、ルシオが女王と愛し合うみたいな、そう言う関係になったって未来は、一つも『見えなかった』よ。ルシオは本当に、あなたのことが大好きみたい。
     信じていいよ、ルシオのことは。何があってもルシオはあなたのこと、ずっと愛してくれるみたいだし」
    「……そ、そうですか」
     春は自分の頬が真っ赤になっているのを自覚し、葵から顔を背けた。

     車が街に着いたところで、その車に近付いて来る者が二人現れた。
    「あなた!」
     一人は、ルシオである。
    「ハル! 無事だったんだ」
     慌てて車から降りた春を、ルシオががばっと抱きしめた。
    「ああ、良かった……! 君に何かあったんじゃないかと、心配で心配で……」
    「いえ、あの、あったと言えば、あったと言うか」
    「らしいですな」
     そしてもう一人は、あの央中から来た商人、エミリオだった。
    「アオイさん、ホンマにあんたが言うてた通りになっとったみたいですな」
    「そうだね。後は頼むよ」
    「お任せあれ、ですわ」
     抱き合っていた二人は葵たちのやり取りを見て、揃ってけげんな顔を向ける。
    「知り合いだったんですか?」
    「ちょっと前にね」
     葵はエミリオに車の鍵を渡し、こう続けた。
    「エミリオさんに連絡して、連合の人たちを受け渡して裏取引を暴いてもらうようにお願いしたんだよ。信じてもらうために、先物取引の話を色々教えたげた」
    「あれはホンマにビビりましたわ。おかげでガッツリ儲けさせてもらいましたけどな。
     これにしたって、もう一儲けでけるでしょうな」
    「その代わり」
     言いかけた葵に、エミリオは肩をすくめて返す。
    「分かってます、分かってます。アオイさんが関わったっちゅうことは、どこにも言うたりしませんわ」
    「なら、いい。じゃあね」
     葵は皆に背を向け、そのままどこかへ消えた。



     この半月後――西大海洋同盟から、央中の全加盟国が挙って脱退した。
     その理由は同じく加盟組織である央南連合が、あまりにも非人道的な方法で権益を獲得していたこと、即ちこれまで単なるうわさとして扱われていた件の「裏取引」と、その隠蔽工作が行われていた事実が、確たる証拠と共に公表されたためである。
     この大規模な脱退により、同盟の権力は著しく低下。同時に央中、央北にとって、同盟および連合は信用ならない輩として敵視され、一挙に国交が断絶されることとなった。

     また、この一件を葵に委託され、「暗躍」していたエミリオは、金火狐一族から大きく評価され、商会における要職を与えられた。

    白猫夢・乱南抄 4

    2015.04.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第508話。キューピッド葵、再臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。 ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」「そんな話、聞いたことが……」「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、...

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    麒麟を巡る話、第509話。
    北方の巨魁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「本当に、よろしいのですか?」
    「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」
     そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。
    「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。
     まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」
    「わたしも当初は、そんなことはありえないと考えていましたが」
     春は気恥ずかしそうに、こう返した。
    「連合が仕掛けたあの一件で、わたしが抱いていた連合と王国の評価は、180度覆りましたから。もう、連合領内に住んでいたいとは思えません。
     一方で、この国に大きな可能性を感じたのも事実ですし、……それに、しばらくは落ち着いて暮らしたいですから」
     にこっと微笑み、自分の腹に手を当てた春に、ルシオも嬉しそうに笑う。
    「妻のためにも、この子のためにも、この国を豊かにできるよう、私は全知、全力を尽くす所存です」
    「期待しております」

     央南連合の国家的な犯罪・陰謀を知り、また、巻き込まれたこと、そして春に子供ができたことが判明したため、春・ルシオ夫妻は焔紅王国に定住することを決めた。
     この後、夫妻は火山性土壌においても作物を育成できる技術を王国に広め、王国の農業生産力は大きく向上。エミリオが主導する央中との貿易成功も相まって、王国は飛躍的な成長を遂げた。



     一方で央南連合、そして西大海洋同盟に依存している北方、ジーン王国は同盟結成以来の、とてつもない打撃を受けていた。
    「閣下、一体我々はどうすれば……」
    「貿易の大半が停止され、我が国の食料供給は半分以下に激減しております」
    「それだけではありません。その他の貿易路も閉ざされ、莫大な被害を計上しているとの報告が寄せられております」
    「まだ央南との取引で必要最低限、ギリギリのラインは維持できてはおりますが……」
     寄せられた数々の悲惨な報告に、その白地に黒斑の毛並みをした猫獣人は、こくこくと鷹揚にうなずいて返す。
    「ええ、確かに大変な事態です。我が国が被る被害は、今世紀最大級と言っても過言ではないでしょう。
     しかし、まだ打開策はいくらでもあります。私の命令に従っていただければ、この苦境を脱することは十分に可能です。
     ですので閣僚諸君、どうか必要以上に騒がないよう、よろしくお願いいたします」
     猫獣人の、その自信ありげな表情と言葉に、場は自然に静まる。
    「ではナイジェル閣下、我々はまず、どうすればよろしいのでしょうか?」
    「いいですか。我々と同じくらい、央南連合も混乱しているはずです。であればより一層の相互協力を申し出、関係を密にすることを最優先にするべきです。
     央南も今頃、貿易網が壊滅しかかっていることと思われます。何としてでも取引相手を見付け、利潤・権益を復旧させたいと願っているはず。そこで同様に窮している我々が、改めてパートナーとなる。
     我々も連合以外の諸国と取引をしていたように、連合も我々以外と取引をしていたはずです。それらを我々と連合の一本に絞れば、従来の需要と供給を十分にバランスさせることが可能でしょう。
     この辺りがまとまり次第、混乱はまず、収まります。心配は無用です」
    「なるほど……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「しかし混乱の収束ができたとして、依然として国際的な世論は我々に厳しいままでは?」
    「ええ、確かに憂慮すべき事態です。現状のままでは、覆すことは非常に難しいでしょう」
     依然として、猫獣人は鷹揚に――と言うよりもどこか、現状を侮っているような態度で――話し続ける。
    「とは言え世論などと言うものは、概してよりセンセーショナルでホットな話題に注目していくものです。
     我々の評価が低下した今、世論の傾きに乗じて台頭してきたあの卑賤卑劣の輩、即ち白猫党が央南、もしくはこの北方に歩を進めてくるのはほぼ間違いないでしょう。しかし一方で、この白猫党は国際的に忌み嫌われている面が、決して少なくない。
     であれば積極的に彼らと戦闘を行い、話題を連合や同盟から、白猫党にすり替えてしまえばいいのです。それも、『邪知暴虐の徒が我々を襲っている』と言う、いかにもセンセーショナルな話題として喧伝すれば、大衆はころっと我々の評判など忘れ、白猫党の『ご活躍』に挙って目を向けるようになるでしょう。
     既に私の持つコネクションを使い、その喧伝の下準備を整えています。後は相手が手を出して来次第、大々的に報じればよいのです」
    「ふーむ……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「いやいや、とんでもない。恐るるに足りず、と言うだけです。
     ともかく、そのように図っていますので、閣僚諸君は安心していてくれて問題ありません」
     場の空気が完全に自分の統制下に入ったことを察したらしく、その猫獣人――西大海洋同盟総長、ジーン王国外務大臣、その他様々な肩書きをその身に飾りつけた春司・ナイジェル氏はまたも、鷹揚に笑みを浮かべて見せた。

    白猫夢・乱南抄 5

    2015.04.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第509話。北方の巨魁。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「本当に、よろしいのですか?」「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」 そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。 まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」「わたしも当初は、そんなこ...

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    麒麟を巡る話、第510話。
    情報戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「仕掛けはできてるだろうね?」
     公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。
    《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》
    「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」
    《あの件?》
    「『桜の伐採』だよ」
    《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への迎撃準備と並行して、秘密裏に整えさせてるわ》
    「うん、それでいい。……ああ、そうそう。これはまだ内々の話なんだけど、僕たちが央南連合を訪ねようかって話が出てるんだ。いつくらいが丁度いいかな?」
    《そうね、3週間後なら空いてるわ。ソレくらいなら、あなたが前回指示してた件が全部片付けられそうだし》
    「分かった、3週間後だね。じゃあ皆にも、そう言っておくよ」
    《コッチも言っとくわ。……んふふ》
    「どうしたの?」
    《久々にあなたに逢えるな、って。子供たちなんかヘタしたら、あなたの顔忘れてそうだし》
    「ありえそうで怖いな。じゃ、お土産もどっさり買っていくよ。無論、君にもね」
    《楽しみにしてるわ。じゃ、ね》
    「ああ、それじゃね、飛鳥。愛してるよ」
     そこで電話を切り、春司は自室の壁に掛けた世界地図を眺める。
    「……ふふふ」
     春司は指で北方大陸と央南をなぞり、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
    「ほんの偶然からだったが……、まさかこうまで、事態が都合よく動くとは思わなかった。
     今後、うまく立ち回っていけば、央南は我が北方の『植民地』にすることが可能だろう。長らく氷と岩山に閉じ込められ、世界から隔絶されてきた我が国が、これでようやく世界一の大国になれるわけだ」



    「なーにが『それじゃね、アスカ。愛してるよ』だっつーの」
     傍受された電話通信の再生が終わるなり、白猫党党首、シエナ・チューリンは大仰に肩をすくめ、渋い顔をした。
    「ま、この通りよ。シュンジ・ナイジェルは同盟のホットラインがアタシたちに掌握されてるコトすら、まったく気付いてる様子が無いわ。こんな悠長なラブコールするくらいだもの。
     つまり今後の作戦行動は、全部コイツが漏らしてくれるってワケよ」
    「今回も難なく、陥落できるでしょうな」
    「無駄な戦いはしないに越したコトは無いわ。そうでしょ、ロンダ」
    「左様ですな。流れる血は少なければ少ないほど良いのです」
     白猫党の最高幹部たちは、揃って笑顔を浮かべている。
     数ヶ月前には茫然自失だったシエナですらも、今は活き活きとした表情で会議を進めていた。
    「『預言』にもあった通り、ナイジェル氏が央南を来訪するのは3週間後の4月16日、天曜よ。となればその前、13日から15日は西大海洋を縦断中のはず。両地域の通信範囲を離れ、身動きが取れない状態になってるわ。
     だからこの間に我々は央南東部、青州をはじめとする主要都市を占拠する。そうすればナイジェル氏は到着寸前で慌てて引き返さざるを得なくなり、さらに不在期間は伸びる。
     同盟と央南連合の連携は、この数日で壊滅的な状態に陥るでしょうね」
     シエナの説明に、幹事長のイビーザが深々とうなずく。
    「央中攻略の際にも、同盟の武力は決して侮れぬ存在でしたからな。
     特に今回は、両組織が懇意にしている関係もあり、うかつな攻めは即座に北方からの攻撃を受ける恐れがあったわけです。が……」
    「そう、その通りよ。コレで北方の動きを止め、残る西部の各主要都市を電撃的に制圧してしまえば、戦況は一気に我々の有利に傾くわ。
     ナイジェル氏が画策しているようなアタシたちへの非難宣伝作戦なんて、何の意味も成さなくなる。そんな悠長なコトなんか、やってる暇は与えやしないわ。
     そうでしょ、アオイ?」
     シエナの言葉に、幹部陣の目は一斉に、卓から離れた場所にぽつんと座っていた葵に向けられる。
     それに対し、葵はこくんとうなずいて返す。
    「ん」
    「と言うワケよ。早速、準備を進めてちょうだい」
    「承知いたしました、総裁」
     幹部陣は揃って席を立ち、ぞろぞろと会議室を後にした。

     と――政務部長のトレッドが踵を返し、戻ってくる。
    「シエナ」
    「なに?」
    「その……、ご気分の方は、もう大丈夫なのですか?」
    「アタシの? まあ、……そうね。もう不安は無くなったわ。こうしてアオイが、元通りに『預言』をくれるようになったんだし」
    「それを聞いて安心しました」
     トレッドはにこ、と笑みを浮かべる。
    「この数ヶ月、我が党は本当に、危険なバランスの上にありましたからね。
     いつシエナが伏せってしまうか、いつイビーザやロンダが独断専行を始めるか、……と、気が気でなりませんでしたよ」
    「心配かけたわね」
     シエナもにっと、口角を上げて返す。
    「ところで、アオイ。アンタ、なんか変わったわね?」
    「そう?」
    「そうよ。そもそも会議に出席なんて、今まで一度もやらなかったじゃない」
    「……色々、考えて。これからも出るつもり」
    「まあ、ソレならソレでいいわ。一々何があったって、報告する手間が省けるから」
    「ん」
    「……」
     二人のやり取りを見ていたトレッドは、にこにこと笑ってはいたが、その胸中には不安が渦巻いていた。
    (何も変わってなどいない……。
     シエナが元気になったのは、結局はアオイ嬢が復帰したからに過ぎないのだ。またアオイ嬢が寝込んだり、行方を眩ませたりでもすれば、また以前の繰り返しになるだろう。
     シエナには変わってもらわねば――アオイ嬢が不在でも、党首として一人で、自信を持って立ち回れるように)
    「どうしたの?」
     いつの間にか顔から笑みが消えてしまっていたらしく、シエナがきょとんとした顔で見つめている。
    「ああ、いえ、何でも」
     トレッドは再度、笑顔を浮かべた。

    白猫夢・乱南抄 終

    白猫夢・乱南抄 6

    2015.04.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第510話。情報戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「仕掛けはできてるだろうね?」 公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」《あの件?》「『桜の伐採』だよ」《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への...

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    麒麟を巡る話、第511話。
    救出と復活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「じゃ、やってみるよ」
    「ああ。成功を祈るぜ」
     葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。
    「それッ!」
     とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。
    「……」
     一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。
    「……」
     そのまま、扉をにらみ続ける。
     と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。
    「……お? まさか?」
     やがてすべての機械は完全に停止し、一聖の足元に周囲のガラス瓶から漏れ出たらしい水が、ドロドロと流れ始めた。
    「やったのか、葛?」
    「やったよー!」
     明るい声と共に、扉が開く。
    「できたー! できたよカズセちゃん!」
    「マジか! マジなんだな!?」
    「うん、マジでま……」
     言いかけた葛が、途中でぴたっと静止する。
    「……葛?」
     一聖は、まだ魔法陣の魔力が残っていたのかと警戒するが、そうではないと言うことがすぐに分かった。
     葛が前のめりに、ばちゃっと水の中に倒れてしまったからである。
    「おいおい……。またかよ」
    「またって?」
     扉の向こうから、懐かしい声が聞こえてきた。
    「よお、ルナ。無事だったか?」
    「ええ、何とかね。……その子、誰?」
    「コイツは葛。葵の妹だよ。コイツがこの施設の装置を、全部止めてくれたんだ」
    「へぇ」
     一聖に助け起こされた葛の顔を見て、ルナが小さくうなずく。
    「似てないわね、葵には。……むしろアイツにそっくり」
    「アイツ?」
    「それより、この子大丈夫なの?」
     尋ね返され、一聖は「おう」と返す。
    「なんつーか、まだ完全にはモノにしきってねーらしくて、な。
     あの技を一回使っただけで、体力と魔力がすっからかんになるらしいんだ。まだ実戦にゃ、使えそうにねーよ」
    「あの技って?」
     そう尋ねたルナに、一聖は得意満面の笑みを浮かべて返した。
    「『星剣舞』だよ」



     双月暦574年、春。
     一聖と一対一での、半年以上に渡る壮絶な修行の末、葛はどうにか「星剣舞」を使えるようになっていた。
     しかし前述の通り、この技を使うと数分で体力・魔力を失い、糸が切れるように気絶してしまうのである。
    「真っ青じゃない、顔」
     パラの膝に頭を乗せて倒れ込んでいる葛を、ルナが心配そうに見つめている。
     その間に、パラが診断を終える。
    「血糖値40mg/dl未満、極度の低血糖症状を起こしています」
    「オレのかばんにチョコあったろ、1枚全部食わしてやれ。ミルクたっぷり入ったヤツだから、すぐ元気になる」
    「でさ、カズセちゃん」
     こちらも心配そうに、フィオが尋ねてくる。
    「あの二人は大丈夫なのかな。さっきからピクリとも動かないんだけど」
     フィオが示した先には、大火と渾沌が並んで横たわっていた。
    「少なくとも死んじゃいない。オレの見た限りじゃ、葛と同じよーな症状だな」
    「はい。克大火様とコントンもカズラと同様、衰弱状態にあります。特に魔力の枯渇が、両者とも著しく見受けられます」
    「ってコトは、『システム』だな」
    「システムって?」
    「魔力を吸い取って特定の何かに送り込む装置だ。親父と渾沌はどうもその装置に延々、魔力を吸われてたらしいな」
    「大丈夫なの?」
     ルナのその問いに、一聖は首を横に振った。
    「死にゃしねーが、魔力ってのは人間の精神力、言い換えれば脳の活動に関係するからな。魔力が空になってるってんなら、意識なんてはるか彼方にブッ飛んじまってるだろう。
     しばらくは昏睡状態が続くだろうな」
    「復活するのか?」
    「病院かどっかで点滴打って安静にさせりゃ、そのうち目覚めるさ。結局は葛と同じで、体に栄養が全くない状態だから、な」
    「……うー……きもちわるいよー……めがまわるー……」
     と、葛がか細い声でうめく。
    「目ぇ覚ましたか。しばらくじっとしてな」
    「……きーてたけどさー……はやくびょういんに……つれてったげたほうが……よくないー……?」
     のろのろとした声で提案され、一聖は苦笑した。
    「……ま、そりゃな。じゃ、オレとルナは一旦、親父と渾沌連れてトラス王国に戻るわ。お二人さんはココで、葛が元気になるまで看ててくれ」
    「ああ、分かった」「承知しました」
     パラとフィオがうなずいたところで、一聖たちはその場から姿を消した。

    白猫夢・既朔抄 1

    2015.04.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第511話。救出と復活。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「じゃ、やってみるよ」「ああ。成功を祈るぜ」 葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。「それッ!」 とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。「……」 一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。「……」 そのまま、扉をにらみ続ける。 と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。...

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    麒麟を巡る話、第512話。
    未人間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。
    「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」
    「いいえ」
     が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。
    「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」
    「あ、……そう」
     堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。
    「えーと、パラさん、だっけ」
    「はい。パラと申しております」
    「フィオさんと恋人だって聞いてたけどー、その話ホント?」
    「えっ、……あ、ええ、はい、その認識で、問題ありません」
     フィオとの関係を尋ねた途端、パラの挙動がかくかくと乱れる。
    「……うふふっ」
     その慌てぶりを見て、葛が笑う。
    「何かおかしい点がございましたか」
    「パラさんが面白かった」
    「わたくしは取り立てて、何もいたしておりませんが」
    「今の反応が、よ。
     ね、パラさん。もうタイカさん見つけたんだから、フィオさんと結婚できるんだよね?」
    「いいえ。わたくしとフィオが人間にならなければ、それは不可能です」
    「あ、そーそー、そーだったね。まあ、結果的にはできるよね?」
    「カズセちゃんからの依頼を遂行しておりますので、契約は履行されると見て間違い無いものと思われます」
    「人間になって、フィオさんと結婚してさー」
     葛は唇を尖らせ、こう尋ねた。
    「きっといつか、子供ができるよね? そしたらさ、その子供にも、今みたいなしゃべり方で接する気?」
    「恐らく、現状のままであることが予測されます」
    「僕も同意見」
     二人のやり取りを見ていたフィオが、肩をすくめる。
    「彼女のお母さんだって『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』って言ってたし」
    「なーんかソレ、違う気がするんだよねー」
     葛は横になったままで、フィオをにらむ。
    「『長生きしてるから生き方変えられない』なんて、ただの言い訳だと思うよー。変わろうと思ったら、変われるはずだって。
     そうじゃなきゃ、パラさんは『インパラ』のままのはずでしょ? でもルナさんのコトを素敵だーって思って、フィオさんのコトが好きだーって思って、ソレでパラさんは今のパラさんになったんでしょ?」
    「……」
     葛の言葉に、表情の乏しかったパラの顔が、きょとんとしたものになる。
    「確かにわたくしの認識より、カズラの主張に正当性があると考えられます」
    「違うって」
     葛は再度口を尖らせる。
     しばらく間を置いて、パラは葛に微笑みかけつつ、こう言い直した。
    「……カズラの言うことが、素敵だと思います」
    「よーし」
     葛はにこっと笑い、起き上がる。
    「そろそろ帰ろっか。もう大丈夫でしょ?」
    「はい。正常値に戻っています」
    「じゃ、帰ろ帰ろっ」
    「準備いたします。少々お待ちください」
     立ち上がり、呪文を唱え始めたパラを眺めながら、フィオはぼそっとつぶやいていた。
    「今のパラの方がよっぽど可愛いと思うんだけどなぁ。正直、ルナさんみたいになったら怖いし」
    「アンタも変な人だよねー」
     と、背後から葛に小突かれる。
    「おわっ」
    「確かにあんな感じのパラさんも可愛いと思うけどさー、はっきり言って趣味が変だよー。ワンピースだけじゃなくてさ、他にも色々贈ったげればいいのに」
    「……どこまで聞いてるんだよ、僕たちの話」
    「全部聞いたと思うよー。カズセちゃんから3巡は聞いた」
    「マジで?」
    「修行しかしてなかったワケじゃないし」
     そう聞くなり、フィオは顔をしかめた。
    「やれやれ、大変なのがもう一人増えたってわけか」

    白猫夢・既朔抄 2

    2015.04.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第512話。未人間。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」「いいえ」 が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」「あ、……そう」 堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。...

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    麒麟を巡る話、第513話。
    過放出。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「天狐」
     病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。
     傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。
    「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」
    「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」
     一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。
    「あ、そうそう、ソレな。……んで、まあ、この通り。一聖に戻ったよ」
    「ふむ」
     大火は上半身を起こし、一聖をじっと見つめる。
    「な、なんだよ」
    「お前のことは、一聖と呼べばいいのか?」
    「お、おう。一聖で」
    「それで」
     大火は一聖を見つめたまま、続いてこう尋ねてきた。
    「もう一方のお前は?」
    「……なんで造ったってコトが分かんだよ」
    「自ら『天狐』と号を付けたお前だ。あの姿はお前自身が気に入っていた節があるから、な。それにあの金毛九尾と似ても似つかぬその姿でミッドランドに戻って、元通りに受け入れられるとは思えん。
     であれば再度あの体を造り直し、自律させて送り込んだ方が、何かと手間がかからんだろう。お前は策を弄し趣向を凝らすより、簡潔に済ませるのを好む性格だから、な」
    「やーれやれ」
     一聖は肩をすくめ、大火にぎゅっと抱きついた。
    「全っ然、変わんねーな。前のまんまじゃねーか。マジで安心したぜ」
    「……」
     大火は一聖の頭にとん、と手を載せつつ、こう返した。
    「一聖。お前の性格についてさらに言及しておくが」
    「あん?」
    「こんな姿を見られるのを、嫌がる方だろう?」
    「……たまにはいいじゃん」
    「そうか。笑みを浮かべてドアの向こうから様子を伺っている奴がいるが、構わないのか?」
    「え」
     一聖は慌てて大火から離れ、ドアの方に振り向く。
    「うふふふ」
     ドアの隙間に、ルナがニヤニヤと笑った顔で立っているのが見えた。

    「うあー……」
     赤面した顔を両手で覆い、がっくりとうなだれている一聖を横目に眺めつつ、ルナは大火に尋ねる。
    「それで、伝説の奸雄さんがどうして、あんなところで罠にかかっていたのかしら?」
    「そう複雑な話ではない。
     麒麟とその従者が何かを企てていることを察知し、痕跡をたどっていた。その結果あの施設を発見し、侵入したところで罠に落ちた。お前たちも同様だろう?」
    「そうね。じゃあ、あなたたちも麒麟と葵がホムンクルスを造ってることを……?」
    「ああ。元々、いずれ麒麟がこの世に舞い戻るだろうと言う予測は立てていた。
     そして近年、奴は葵・ハーミットと言う優秀な駒を手に入れている。己の魔術知識を十分に理解し、実践できる程度に優秀な駒を、な。
     であれば、ああして実験施設を密かに築き、己が復活する手筈を整えさせるだろう、……と言うことまでは、容易に想像できた。
     そして実際に探し発見したが、罠にかかった。……と言うわけだ」
    「なるほどね」
     そこで話が途切れ、ルナはじっと大火を眺めている。
    「……なんだ?」
    「大先生、もしかして」
     一転、ルナは心配そうな目を向けてきた。
    「魔力は全然、回復してないんじゃないの?」
    「え?」
     目を丸くする一聖に対し、大火は平然とうなずいた。
    「ああ。回復には、もうしばらくの時間を要するだろう」
    「やっぱり。前に会った時は、これだけ近付けば肌がぴりぴりするくらいに強い魔力を感じてたのに、今はまったく、何にも感じないもの。
     一聖ちゃんの場合は元々、大先生とそんなに大差ないくらい魔力があったから、そう言うのを感じて無かったかも知れないけど」
    「まあ……、な」
    「体力に関しては既に、出歩くのに支障の無い程度には回復している」
     大火は肩をすくめ、こう続けた。
    「だが恐らく、これだけ魔力が枯渇しているとなれば、従来の状態に戻るまで少なくとも、数週間は要するだろう。
     水瓶の体積が大きければ大きいほど、水が貯まるのには時間がかかるから、な」
    「でしょうね。じゃ、しばらくはあなたのこと、誰にも知らせない方がいいわね。強襲されたら困るでしょ?」
    「俺は構わん。強襲されて困るのはむしろ、お前たちの方だろう?」
    「え?」
     面食らうルナや一聖に、大火は肩をすくめて返した。
    「俺が魔力を失った程度で、誰かに不覚を取ったり、ましてや負けると思うのか?」
    「……大した自信家だこと。看病し甲斐が無いわね」
     口ではそう言いつつも、ルナの顔は笑っていた。

    白猫夢・既朔抄 3

    2015.05.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第513話。過放出。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「天狐」 病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。 傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」 一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。「あ...

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    麒麟を巡る話、第514話。
    「オリハルコン」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「実際、魔力が俺自身に無くとも」
     大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。
    「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。
     とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、な」
    「そんなら、魔力結晶かなんか持ってきた方がいいか? 高出力のヤツ」
     尋ねた一聖に、大火は小さくうなずいて返す。
    「ああ。できれば……」「『オリハルコンMS―216』だろ?」「……そうだ」
     再度うなずいた大火に、一聖は得意げに笑う。
    「あのシリーズが何だかんだ言って一番だしな。マコトさんの……」「一聖」
     が、大火はどこか、不機嫌そうな目を向ける。それを見た一聖は一瞬、慌てた様子を見せ、自分の唇に人差し指を当てた。
    「……ま、うん、余計なコトは、だな。分かった、持ってくる。
     あ、ついでにさ。天狐も連れて来ようか?」
    「ああ、顔を合わせておこう」
    「じゃ、ちょっと待っててくれよ」
     そう言って、一聖はその場から瞬時に姿を消した。
    「『オリハルコン』って?」
     二人きりになったところで、ルナが尋ねる。
    「魔力結晶と呼ばれている物質だ。魔力を蓄積・放出できる性質を持っている」
    「ふーん……。天狐ちゃんの尻尾とかも、魔力結晶って話を聞いたけど。あれがオリハルコン?」
    「いや、あれは『オリハルコン』ではない。だが、一房で約1000MPPの魔力を蓄積できる。
     だが『オリハルコン』シリーズ、特に『216』は1万MPP以上の魔力蓄積量を誇る」
    「1万! 大工場並みね」
    「それだけに保管も難しい。放置すれば蓄積した魔力を維持できず劣化・崩壊してしまう。
     本来ならばミッドランド島地下の巨大魔法陣など、大規模な施設に使用するものだ」
    「あ、なるほど。じゃあ取ってきてって言ったのは……」
    「そうだ。一聖がここにいる以上、あいつを封じていた魔法陣はその機能を失っている。ならばそこに使用していたものを使うことも可能だろうと踏んだ。
     それに一聖ならば、万全な状態で保管しているだろうから、な」
    「ま、その通りだな」
     姿を消した時と同様、一聖が「テレポート」により戻ってくる。
     その背後には、天狐が気まずそうな顔で立っていた。
    「あ、あのー……」
    「ほれ、お前が渡せって」
     一聖が天狐の後ろに回り、彼女の背中を押す。
    「分かったよ、押すなよ……。
     その、えーと、お、おや、……お師匠」
    「……クッ」
     天狐の様子を眺めていた大火が、口に拳を当てて小さく吹き出した。
    「どの道、お前の中身は一聖と同じだろう? 親父で構わん」
    「……お、おう。じゃあ親父、コレ。ちょっと重たいかも知れねーけど、ベルトにでも掛けてくれれば、普段通り魔術が使えるはずだ」
     ぼんやり橙色に光る金属片をそろそろと差し出した天狐に、大火は右手を差し出し――天狐の頭に乗せた。
    「ひゃっ!?」
    「一聖にもしてやったからな。お前にもしてやろう」
    「……恥ずいって……アンタ、そんなキャラじゃないだろ……」
     顔を真っ赤にしつつも、天狐はその手を払ったりせず、なすがままにされていた。

     さらに1時間後、大火はルナと娘「たち」を伴い、病院を後にした。
    「流石にあのまま寝ているのも、退屈だからな」
    「まーな」
     4人で連れ立って市街地をうろついているところで、大火が足を止める。
    「……」
    「どうした、親父?」
     尋ねた一聖に、大火が応じる。
    「渾沌のことを忘れていた。あいつは無事なのか?」
    「無事よ」
     これにはルナが答えた。
    「でも『たまにはぐっすり眠りたい』って、病院で寝てるわ」
    「そうか」
    「……忘れてんなよ、親父。アイツ、泣くぜ?」
    「泣きはしない。拗ねはするが、な」
    「分かってんじゃない」
    「差し入れでも買って帰るとしよう。ついでに何か食べるか?」
     そう提案した大火に、天狐が心配そうな目を向ける。
    「カネあんの?」
    「俺が金を払わず盗むとでも? 『契約』と名のつくもので俺がそれを違えることは、決して無い。商売事も取引、契約の一つだ」
    「いや、まあ、ソレは分かってっけどさ。親父がふつーにカネ出すイメージ、無いし」
    「ふざけたことを」
     大火はコートの懐から、普通に財布を取り出した。
    「ここの通貨はコノンだったな? 手持ちは30万ほどある」
    「十分過ぎるぜ。じゃ、あの店とかどーよ?」
    「ああ、そうしよう」
     一聖と天狐に引かれる形で、一行は露店へ向かった。

    白猫夢・既朔抄 4

    2015.05.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第514話。「オリハルコン」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「実際、魔力が俺自身に無くとも」 大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。 とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、...

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    麒麟を巡る話、第515話。
    罠の理由。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。
     が、当然――。
    「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」
    「……ま、そうよね」
     受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。
    「流石に買い過ぎたな」
    「へへへ……」
     と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包みを取り出す。
    「こーなると思って、隠しといた」
    「抜け目ないわね」
    「クク……」

     2階へ上がり、渾沌のいる病室に入ったところで、一行は葛たちが先に来ていたのに気付いた。
    「あら。もう帰ってきたのね」
    「うん。いつまでも寝てらんないしー」
     と、横になっていた渾沌が口を開く。
    「無事みたいですね、先生」
    「ああ。お前も無事なようだな」
     近付き、傍らに置いてあった仮面を手に取った大火に、渾沌は「あ」と声をかける。
    「置いといて下さい」
    「うん?」
    「かけたところで、看護婦さんたちに外されますし」
    「分かった。……このまま、ここで寝ているつもりか?」
    「少なくとも、今日一日はゆっくりしたいですね。
     あそこで罠にはまる前まで、世界中あっちこっち飛び回ってましたし、罠にかかってた間は意識が全く無かったですし。
     ここを離れたらまた、先生に引きずり回されるでしょうしね」
     大火は肩をすくめ、仮面を机に置く。
    「俺も多少疲れがある。しばらくはここに逗留するつもりだ。
     と言うより、本拠に戻れるだけの魔力が無い、と言うのが実際のところだが、な」
    「あら、先生もですか?」
     渾沌は寝癖でくしゃくしゃになった髪を手で簡単に梳かしつつ、師匠と同じように肩をすくめて返した。
    「私もすっからかんです。目一杯吸い尽くされたみたいですね。
     でもああして封じられたのは、麒麟の意趣返しや魔力供給手段、対抗勢力の殲滅と言う目的だけでは無いでしょうね」
    「だろうな。恐らくはあのホムンクルス研究に使われたのだろう」
    「って言うと?」
     尋ねたルナに、渾沌が答える。
    「あれが未完成のものだってことは、あなたも分かってるでしょ?」
    「ええ」
    「私や師匠の体をお手本にして、完成を目指そうとしてた可能性があるわ。
     この世界で現在、桁違いの魔力を身に有している人間は、私や師匠くらいしかいないもの。サンプルにするにはうってつけってわけよ」
    「じゃあ、もしかして……」「いや」
     大火が首を横に振り、皆の懸念を否定する。
    「完成した可能性は低い。もしも本当に完成していたとなれば、あの研究所を保全・運用する理由が無い。同時に俺たちを生かしておく理由も、な。今日まで俺たちが封じられていたことから考えて、まだ研究途中であることは間違いないはずだ。
     とは言え、何の成果も収められていないとも、考え辛い。葵の才覚は並外れている。最終目的である『麒麟の器造り』に至らぬまでも、何かしら麒麟や、あるいは自分にとって有益な結果を得ているかも知れん」
    「ソレって……?」
     不安げに見上げる葛に、大火はまた首を振った。
    「何とも答えられん。あの研究所の機能が停止したことで、研究資料もまた、揮発・霧散しているだろう。
     麒麟や葵が万一の事態を想定しない、とは考えられんから、な。手がかりを追わせぬよう、策を講じているはずだ」
    「実際、葛が魔力源を破壊した途端にホムンクルスの培養槽が全部止まって、全滅してたしな。手がかりはもう無いだろう」
    「……ごめん」
     謝る葛に、大火が肩をすくめる。
    「責めるつもりは微塵も無い。むしろお前が魔力源を破壊しなければ、俺たちは復活できなかったわけだから、な。
     ……ふむ」
     と、大火が腕を組み、考える仕草を見せる。
    「どうしたんですか?」
    「考えてみれば、俺たちは葛、お前に助けられたわけだな」
    「……あ」
     大火の言葉に、全員の視線が彼と、葛に集中する。
    「まあ、そうなるのかなー……?」
     のんきに応じた葛に対し、大火は腕を組んだまま、こう返した。
    「であれば、相応の対価を支払ってしかるべきだな」

    白猫夢・既朔抄 5

    2015.05.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第515話。罠の理由。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。 が、当然――。「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」「……ま、そうよね」 受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。「流石に買い過ぎたな」「へへへ……」 と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包...

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