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黄輪雑貨本店 新館

白猫夢 第10部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    • 2135
    • 2136
    • 2138
      
    麒麟の話、第10話。
    悪魔のような恫喝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     予想外のコトばかりだ!

     はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく!
     こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当!



     カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。
     でもソレによって生じる結果を見るコトが、ボクには――ソレにキミもか――できなかった。
     ボクもキミも、この世界の事柄についてあらゆる未来を予知するコトができる。その力は紛れも無く絶大だ。揺らぐコトなど微塵も考えられなかった。
     だのにカズラときたら、その絶大な力が及ばないところにまで跳躍し、ボクらの能力を無力化するなんて! ああ、本当にあの技は、あの力は忌々しいよ!
     なんでカズラをちゃんと殺さなかった? 本気でイラつくよ、なあ、アオイ!?



     そう、ソレだ。
     キミの変調もまた、ボクが予想し得ないものだった。

     ボクが思っていたより、キミは案外繊細だったらしいねぇ?
     ボクの命令に忠実に従ってくれていたのに、ココ最近、ソレを全うできなくなり始めている。
     おかげで白猫党は大混乱だ! 党首はプルプル子犬みたいに震え、幹事長やら軍司令やらは、密かに反乱を企ててる始末。ソレもコレもみんな、お前が寝込んじゃったせいだよ!
     なあ、アオイ!? いつまで寝てるつもりだよ!? いい加減にしてくれよ! なあ? なあ!? なあって! なんか言えよ!?



     アオイ、いよいよキミもダメなのか? ダメになるのか? なってるのか?
     はっ、どうやら買いかぶりすぎたらしいね! ガッカリだよ、まったく! もっとちゃんと仕事してくれると思ってたんだけどなぁ!?
     まさかこんなに早く、参っちゃうなんてね! 折角ボクが徴用してやったってのに、その責務を果たせないだなんて! あーあ、ボクがバカだったのか? 案外ボクも見る目が無いもんだね、ねえ!? キミを「天使」と思ったのに、損したよ、まったくさぁ!?

     ……なに? なんだよ、その目は? なんか文句でもあるのか?
     あるなら言ってみろよ。言いたきゃ言えよ。ほら。ほら。言えって。ほら。ほら! 言えよ! 言わないのか!? じゃあ何なんだよその目は! ……あ? ふざけるな! ボクに文句なんか言える立場だと思ってるのか!? わきまえろよ、クズがッ! 分からせてやろうか!?
     ……フン。無いならいい。無いならそんな目なんかするんじゃない。お前はボクのしもべであって、対等な関係では決して無いってコトを、忘れるなよ。



     もう一度言うけどな。さっさと起きろよ。じゃないと白猫党が潰れるぞ。
     潰れていいのか? ココまで周到に準備してきたコトが全部ダメになってもいいって言うのか?
     じゃあまたやり直しだ。お前なんかさっさと見限って、別のヤツをつかまえるだけだぜ?
     そうされたくないんだろ?



     じゃあ、やれよ。
    白猫夢・麒麟抄 10
    »»  2015.04.01.
    麒麟を巡る話、第487話。
    ある夫婦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「お帰りなさい。おつかれさま」
    「うん……、ありがとう」
     夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。
    「あれからずっと?」
    「ずっと」
    「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」
    「うん」
    「もう午前様になってますけど」
    「まとめるのに手間取っちゃってね」
    「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」
    「ごめん」
    「食べます?」
    「勿論。腹ペコなんだ」
    「それはそうでしょう。あなた、お昼も抜いてらしたもの。お弁当も手付かずでしたから、そのまま持って帰ってきましたよ」
    「そうだったっけ……。ごめん、本当」
    「わたしのおゆはんにしましたから、それはいいです。でもちゃんと食べないと、お体、壊しちゃいますよ?」
    「気を付ける」
    「付けてらっしゃらないじゃないですか。明日はちゃんと食べて下さいよ。
     じゃ、ご飯あっためてきますから、その間にお風呂入ってきて下さいね」
    「うん」
     のろのろと風呂場へ向かう夫を見て、彼女はいたずらめかして声をかける。
    「かけあしっ」
    「あ、うん」
     慌てて駆け込んだ夫の後ろ姿を眺めながら、彼女はクスクス笑っていた。

     30分後、風呂から上がった夫に、彼女は熱燗を差し出した。
    「今夜も冷えるそうですから」
    「ありがとう、ハル」
    「いえいえ、お粗末さまです。……じゃ、わたしもお相伴、と」
     食卓の対面に座り、彼女も酒に口を付ける。
    「……あつっ」
    「大丈夫?」
    「ええ、わたしちょっと猫舌なので。でも、ちょっとあっため過ぎたかしら」
    「丁度いいよ、僕には」
    「良かったです。……わたしは、もうちょっと冷ましてからいただきます」
    「うん。……あ」
     と、夫が慌てて立ち上がる。
    「どうしたんですか?」
    「いやさ、今日遅くなったのって――勿論、研究室にいたのも一因なんだけど――これを買いに寄ったのもあったから。閉店間際だったけど、何とか買えたんだ」
    「え?」
    「ほら、今日って確か、君の……」
     そう説明しながら、夫が小さな包みを手に戻ってきた。
    「わたしの?」
    「いや、ほら、その……、誕生日だったなって」
    「……」
    「だから、プレゼントを」
    「ルシオ」
     彼女は呆れた声を漏らした。
    「わたしの誕生日は、昨日ですよ」
    「え」
     それを聞いた夫、ルシオの顔から、ざっと血の気が引く。
    「あ……、ご、ごめん。そっか、昨日だったんだね。ごめん、本当。……本当に悪かった」
    「これが可愛いから、許します」
    「……そ、そう。良かった」
    「でも、欲を言うなら」
     夫から受け取った指輪をはめながら、彼女――紺納春はにこっと笑って、こう付け加えた。
    「明日、一緒にお食事に行けたらなって思ってます」
    「そ、そっか。うん、じゃ、明日行こう。予約しとく」
    「はい、楽しみにしてますね。
     くれぐれも今日みたいに午前様だなんてこと、しないで下さいね?」
    「勿論さ。今日はちょっと、手間取っただけで」
    「そうかしら?」
     春は口を尖らせ、ルシオに釘を差す。
    「あなた、後片付けが下手ですもの。
     わたしも同じ研究室で、同じ内容の研究をしていたのに、6時に上がれたわたしに対して、あなたはこんな時間になるまでですもの。
     早め早めに行動して下さいなって、いつも言ってるのに」
    「……気を付ける。明日こそは、本当」
     ルシオはばつが悪そうに、肩をすくめて返す。
     それを受けて、春はまた、クスクスと笑みを浮かべた。
    「『本当』、楽しみにしてますからね。昨日みたいに、がっかりさせないで下さいな」
    「もっ、……勿論」
    白猫夢・博侶抄 1
    »»  2015.04.02.
    麒麟を巡る話、第488話。
    博士夫妻への訪問者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。
     その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って研究を行っていた。
     その央北において一定の成果を挙げ、学者としての地位を確立した後、二人は春の故郷である央南へと移り住み、大学で教鞭を執りつつ、より精密な研究に没頭していた。

     こうして極めて穏やかに生活していた、幸せ一杯の二人だったが――外で夕食を取った、その帰りの出来事から、央南全体を揺るがす大騒動に巻き込まれることとなった。



    「ごちそうさまでした」
    「いやいや……。本当にごめんね」
    「もう、そればっかり」
     家への帰り道でも謝ってくる夫に、春はぷく、と頬をふくらませた。
    「ご飯は美味しかったですし、指輪も可愛かったです。わたし、十分に満足してますよ。何も謝ることなんか、ありませんから。
     もっと堂々としていて下さいな」
    「あ、……うん」
     またも頭を下げかけたルシオの額にちょん、と人差し指を置き、春はこう続ける。
    「胸を張って」
    「う、うん」
    「お顔を上げて」
    「こう?」
    「はい。バッチリです」
     言われるがままに胸を張り、頭を反らしたルシオを確認し、春は満足気にうなずく。
    「わたしは、あなたの困った顔より、しゃきっとしたお顔の方が好きです」
    「気を付けるよ……」
     若干憮然としつつも、ルシオは言われた通りに表情を直した。

     と――彼らの前から、ふた昔は古く感じられる外套と紋付袴を身にまとった、剣士風の男たちが歩いてきた。
    (なんか……、時代錯誤って言うか)
     その二人を見て、ルシオは思わず横に目をやる。すると自分と同様、面食らった顔をした妻と目が合ったので、二人は目配せだけで応答する。
    (ええ、……変な人たちですね)
    「もし」
     と、その時代錯誤で変な男たちから声をかけられてしまった。
    「……はい」
     無視するわけにも行かず、ルシオが応える。
    「お尋ねしますが、お二人はブロッツォ博士夫妻で相違ないでしょうか」
    「え、……ええ。私がブロッツォです」
     自分の名を呼ばれ、ルシオは思わず顔をしかめた。
     それを見た男たちの片方、頭の薄くなった初老の狐耳が、慌てた様子で手を振る。
    「あ、いや。小生らは怪しい者ではございません。
     こんな道端で声をかけたこと、どうかご容赦いただきたい。何しろお住まいにも大学にもいらっしゃらなかったもので、こうして足取りをたどるほか無かったもので」
    「はあ」
     ルシオがぼんやりとした返事をしたところで、もう一方の、強面でがっしりとした体つきの、短耳の青年が口を開く。
    「我々は焔紅王国から参りました。博士にどうか、お頼みしたい件がございまして」
    「えん、こう? ……って?」
     ルシオが尋ねたところで、春がぐい、と彼の袖を引いた。
    「行きましょう、あなた」
    「え? ちょ、ちょっと待ってよ。いきなりそんな……」
    「いやいや、奥方のお気持ちは十分に分かります」
     狐耳が申し訳無さそうに頭を下げる。
    「央南連合と袂を分かって二十余年、我々に抱く印象はすこぶる不快なものであること、十分に承知しておるつもりです。
     しかしどうか、お話だけでも聞いてはいただけませんでしょうか」
    「結構です。お帰り下さい」
     男たちの要求をにべもなく突っぱねる妻に、ルシオはぎょっとしていた。
    「ハル? なんでそんなに冷たいのさ?」
    「あなた、本当に焔紅王国のことをご存知無いのですか?」
     春は表情を強張らせたまま、ルシオにそう尋ねる。
    「うん、全然知らない」
    「……わたしが知る限りでは」
     春は男たちを一瞥し、冷たく言い放った。
    「焔紅王国は四半世紀前に央南西部を蹂躙しようと画策した、悪人たちの巣窟です」
    白猫夢・博侶抄 2
    »»  2015.04.03.
    麒麟を巡る話、第489話。
    招聘状。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。
    「ハル……」
     春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。
    「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」
    「……」
     男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。
    「承知いたしました。突然のご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
     狐耳はそう言いながら、懐から手紙を取り出す。
    「ですが――ご無礼を重ねますこと、重々承知してはおりますが――どうかこの手紙だけは、お読みいただけませんでしょうか」
    「……まあ……、はい」
     春が露骨に嫌悪感を表しているのを横目で確かめつつも、ルシオはその手紙を受け取った。
    「ありがとうございます。……では小生らは、これにて失礼いたします。
     不躾な訪問、本当に申し訳ございませんでした」
     狐耳と短耳は何度も頭を下げつつ、その場から立ち去った。

    「……」
     夕食の直後とは一転して、春は不機嫌になっていた。
    「あの……、何て言うか」
    「……」
    「受け取らない方が良かった、……よね」
    「……」
    「悪かったよ。でも何か、あの人たちが可哀想になって……」
    「……」
     春はぶすっとした表情を崩さず、ルシオに背を向けた。
    「先に休みます。おやすみなさい」
    「……あ、うん。おやすみ」
     一人、居間に残され、ルシオは頭を抱えた。
    (参ったなぁ……。こうなると翌朝まであのまんまだし。今夜はこっちで寝るしかないか)
     ルシオはとりあえず、ソファに座り――コートに入れたままにしていたあの手紙を取り出した。
    (焔紅王国って、そんなにひどいところなのかな。ハルがあんなに怒るなんて、よっぽどらしい)
     手紙が納められた封筒をひらっと返してみると、差出人の名前が確認できた。
    「えー、……と、これって『えん』でいいのかな、読み方。……『えんさくらゆき』さん、かな?」
     央南に移って数年経つが、ルシオはあまり央南語が得意ではない。現在においても、大学の講義で学生の名前や地名、史実の名称を呼び間違うことがしばしばあり、学生たちから「カタコト教授」と苦笑されているくらいである。
     ルシオは多少辟易しつつ、手紙の封を開けた。
    (……良かった、中身は央中語で書かれてた。どうやら僕に合わせてくれたみたいだな)



    「ルシオ・ブロッツォ並びに紺納春 農学・魔術学両博士へ

     我が国、焔紅王国は長年、慢性的な食糧難に見舞われております。
     その原因は我が国における食糧生産技術、取り分け穀類をはじめとする各種農業に関する技術が、他国と比較してのみならず、現代の水準と比較しても、著しく劣後していることに大きく起因しております。
     近年においては政治的安定が保たれていることもあり、建国当初に比べればはるかに生産性が上がってきていることは事実ですが、残念ながら王国全土に不足なく行き渡らせられるほどには、未だ生産技術、そして生産力を向上・確保できてはおりません。
     そこで農業研究者として名高い両氏のご助力を賜り、我が国に農業指導を行ってはいただけないかと、ご相談をさせていただきたく存じます。

     我が国の風評は、央南連合下においては著しく劣悪なものであることは十分に承知しているつもりであり、そのような印象のある国から突然このような申し出をされ、不審・不快に思われていらっしゃるであろうことは、十分に察しております。
     ですが現在の我が国においては、長年にわたって安寧秩序が堅く保たれていることは確かであり、決して悪漢や不義の徒が跋扈するような場所ではございません。我が国にご滞在中、決して不快な思いをさせることは無いと、確約いたします。
     どうか我々の願いを聞き届け、我が国にご足労いただけることを願っております。

    焔紅王国 第2代国王 焔桜雪」



    (……うーん?)
     手紙を読み終え、ルシオは首を傾げた。
    (真面目な印象は受けるけど、……なんか、ハルが言ってたみたいなワルモノっぽさは全然感じないんだよなぁ。
     もしもハルの機嫌が直ってたら、手紙見せてみようかな)
     ルシオは手紙を元通りに封筒へとしまい、コートを布団代わりにしてソファに寝転んだ。
    白猫夢・博侶抄 3
    »»  2015.04.04.
    麒麟を巡る話、第490話。
    王国の変遷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     翌朝。
    「おはようございます」
    「おはよう、ハル」
     妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。
    「ハル、あのさ……」
    「なんでしょう?」
    「昨夜のことだけど、……これ」
     ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。
    「王国の方からの?」
    「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目だったよ」
    「真面目?」
    「うん。何て言うか、君が言ってたみたいな、すごく悪い奴らって感じじゃ全然無かった」
    「……」
     春は手紙を手に取り、内容を確かめる。
    「……そうですね。確かにこの文章からは、悪い印象を受けません」
    「だろ?」
    「確かに、わたしにしても王国に対する風評は、昔に聞いたっきりですから。今は違うのかも知れませんね。
     一度、王国の状況を調べてみた方がいいですね」
    「うん、そうだね」
     どうにか妻の機嫌を損ねずに手紙のことを話し合うことができ、ルシオは内心ほっとしていた。

    《おう、久しぶりだな》
     その日の夕方、ルシオは何年かぶりに、恩師へ連絡を取った。
    「お久しぶりです、テンコちゃん。お変わりありませんか?」
    《全然変わんねーぜ。ソッチはどうだ? 子供できたりしたか?》
    「いや、なかなか恵まれなくて……。
     いえ、それよりもテンコちゃん。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
    《ん? どうした、改まって》
    「テンコちゃんのゼミで今、央南から来てる子っていますか?」
    《ボチボチいるぜ。ソレがどうした?》
    「その中に、焔紅王国から来たって言うのは……」
    《えんこー? なんだソレ?》
     天狐の返答に、ルシオはがっかりする。
    「あ、いえ。知らないなら……」
    《待て》
     と、ルシオが話を切り上げようとしたとことで、天狐が引き止める。
    《わざわざ数年ぶりにオレに電話かけてくるよーなコトだろ? ってコトは、自分たちの周りじゃ調べられねーような、面倒な話をしようとしたんじゃねーのか?》
    「ええ、まあ」
    《央南関係か?》
    「はい」
    《んー……え、何?》
     と、受話器の向こうでボソボソと話し声が聞こえてくる。
    《……ああ……知ってんの……いや……へー……うわ、バッカでー……あ、なるほど……へー……マジでか……すげーなソイツ……あ、悪り悪り。ちょっと知り合いに聞いてた。
     ちっと代わるわ。ソイツの方が詳しいし》
    「え?」
     聞き返す間も無く、電話の向こうから聞こえてきた声が、天狐のものから別の者へと変わる。
    《電話代わったね。えーと、ルシオ? だっけね?》
    「あ、はい。ルシオ・ブロッツォです」
    《おう。んで、焔紅王国のコト聞きたいってね?》
    「ええ。詳しく伺いたいのですが……」
    《長くなるけどいいかね?》
    「どれくらいですか?」
    《んー、複雑だから結構かかるかもね。あ、電話代気にしてるね?》
    「ちょっと。国際電話ですし」
    《分かった、コッチからかけ直すね。一旦受話器置いてね》
    「すみません、どうも」
     一旦相手からかけ直してもらったところで、ルシオはその相手から、焔紅王国についての経緯を詳しく聞くことができた。
    《まあ、その焔紅王国ってのがそもそも、544年だか545年だかに建国したばっかりの、結構新しい国なんだよね。
     ただ、建国に行き着くまでが最悪の道のりでね。元は央南連合の一角、紅州だったんだけども、その中にある紅蓮塞ってトコで武力蜂起があって、ソレが元で央南連合と揉めまくった結果、連合側がこんなバカで無謀で野蛮なヤツらに構ってらんないっつって分割したのさ。
     そんな風にしてできた国だから勿論、まともな政治体制なんか無いも同然。治安もインフラも壊滅的、財政はグズグズに腐りまくりで、悪の巣窟なんて言われてた。初代国王、焔小雪の時代は『最低最悪』以外の評価は皆無、正真正銘のならず者国家って評されてたね。
     でも――鳶が鷹を生むって言うヤツかねぇ――その娘の焔桜雪が国王になって以降、王国は大転換したんだよね》

    白猫夢・博侶抄 終
    白猫夢・博侶抄 4
    »»  2015.04.05.
    麒麟を巡る話、第491話。
    女王の醜聞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。

     焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもやはり、単なる「お神輿」のままであった。
     建国直後こそ、何とかその役目を果たそうと奮闘していたものの、何年も経たぬうちに生来の性格――面倒事を片っ端から他人任せにし、その利益だけを掠め取り、独占しようとする悪癖が現れ始め、次第に実務から手を引くようになった。
     さらに元々有していた地位、焔流家元についても、この頃にはほとんど刀を握ることが無くなっていたにもかかわらず、弟やその家族、またはその他の有力者に譲ることを一切拒否。ろくに指導も鍛錬も行わない、こちらも名ばかりの地位となっていた。

     国家元首であり、その国内における社会規範の鑑となる人間がその体たらくである。当然、焔紅王国は荒れ放題であった。
     巷には焔流の名を傘に着た、半ばならず者と化した剣士たちがうろつき回り、地場代や税金と称した略奪・徴発を勝手気ままに行っていたし、農耕や漁業に精を出すよりも近隣都市へ盗みに行った方が早いとして、州境で乱暴狼藉を働く輩が後を絶たない。
     国家としての規範や規律、秩序など微塵も無い、紛うことなき「ならず者国家」が、そこには形成されていた。



     そしてさらにもう一つ、女王小雪には新たな悪癖が現れていた。
     腐っても「国王」であるため、その地位を狙うべく求婚する者が、建国以降から数多く現れるようになった。
     それを自分個人の魅力に対してのものであると勘違いした小雪は嬉々として彼らを囲い、彼らからの口先と上辺ばかりの愛をむさぼるようになった。
     そしてその結果、当然の帰結として――。

    「は?」
    「だから、できたって言ってんのよ」
    「できたって、……子供がか?」
     建国から4年が経った、双月暦549年。
     王国内の政府における最高位、左大臣の任に就いていた深見豪一は、女王からの突然の告白に戸惑っていた。
    「相手は?」
    「分かんないわよ、そんなの。一杯いたし」
    「アホか」
     深見は頭を抱え、呆れた様子でうめく。
    「お前さあ……、本当に自分が王様って自覚、あんのかよ?」
    「女王じゃなきゃオトコの取っ替え引っ替えなんてできないわよ」
    「ざけんなよ、マジで……。
     この話が巷に広まったら、また大騒ぎになるじゃねーかよ。『あのおバカ女王が、今度は誰が父親とも分からない子供を産んだ』って。
     ただでさえお前のバカ三昧のせいで国内の統制が取れてねーってのに、またこんな醜聞を広める気かよ?」
    「それなのよ。ね、豪一」
     と、小雪は深見の手を取る。
    「あんたが父親ってことにしといてよ。で、今すぐ結婚して。相手、短耳ばっかりだったから、多分子供も短耳か長耳のどっちかだと思うし、辻褄合うから」
    「……はぁ!?」
     唖然とする深見に、小雪はイタズラっぽく笑いかけた。
    「ね、いいでしょ? 顔と筋肉しか取り柄の無い奴らより、あんたが相手だって公表するならまだマシだし。あんたも『女王の婿』ってことで、色々便利でしょ?」
    「てめーなんか女としてこれっぽっちも見てねーよ」
    「あたしだって正直、あんたなんか旦那にしたくないわよ。でも『相手が分かりません』よりはさ、まだマシかなって」
    「……バカ女め……」



     あまりにも異常な頼みではあったが、仮にも女王である小雪からの命令を無視しては、深見が懸念している国内秩序の崩壊に拍車がかかってしまう。やむなく、深見は小雪と結婚することになった。
     そして約半年が過ぎ、双月暦550年に年が改まってすぐ――その事実上の私生児は、小雪と深見の子供として誕生した。
    白猫夢・桜燃抄 1
    »»  2015.04.07.
    麒麟を巡る話、第492話。
    悖乱の中で。

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    2.
     結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。
     そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そのどちらにも世話をしてもらえず、小雪の側近であった虎獣人の将軍、九鬼彩(くぎ さやか)の元へと預けられた。



     両親の愛を受けることは少しもできなかったが、その子供が彩に預けられたことは、結果としてその子の人格形成には、とてつもなく大きく、そして極めて良好な効果をもたらしたと言えた。
     何故なら九鬼彩と言う女性は、堕落と腐敗の渦中にあった焔紅王国において、古き善き焔流の精神を受け継ぐ清廉な剣士だったからである。
    「次は素振り三十回! 始めッ!」
    「はいっ! 一! 二! 三……」
     彩はその短耳の子を桜雪(さゆき)と名付け、自分の養子にした。
     彩は桜雪のことを、女王の娘と言って甘やかすことをしなかったし、かと言って何の関係もない厄介者としてあしらうこともしなかった。
     彼女は桜雪を正しい焔流剣士とすべく、自分の弟子として扱ったのだ。
    「……にじゅく、さんじゅっ!」
    「よし」
     素振りを終え、汗だくになった桜雪に、彩は手拭いを投げる。
    「息が整ったら、次は軽く走るぞ。
     私は10周するが、お前はまだ小さいからな。1周でいいぞ。終わったら先に部屋へ戻っていい」
    「はい!」
     既に修行場としての意義をほぼ失い、無人となっている堂の周囲を二人で走る。
    「苦しくないか?」
    「だいじょうぶです!」
    「そうか。……無理はするなよ」
    「はい!」
     堂を一周し、桜雪が離れる。
    「ではかあさま、わたしは先にもどります」
    「ああ。そうだ、桜雪」
     彩は立ち止まり、にっと笑う。
    「米を研いでおいてくれるか? 私が帰って来るまでには間に合うようにな」
    「はい! いつもどおり、三合ですか?」
    「うむ、頼んだ」
    「わかりました! それではお先にしつれいします!」
     ぺこっと頭を下げ、その場から走り去る桜雪の後ろ姿を眺めつつ、彩は心の中に湧いた複雑な思いを整理していた。
    (いつの間にか……、『かあさま』と呼ばれ慣れてしまったな。夫もいないのに、私が母になってしまうとは。……いや、仕方の無いことか。あの子は親が無いも同然だからな。誰かが養ってやらねばならぬのだ。
     それを思うと、まこと、殿と深見には腹が立つ! いや、わけの分からぬ役目を押し付けられたと言うことを考えれば、深見には同情の余地がある。だが全ての原因である殿はどうだ!?
     私が桜雪を預かってから6年、あの後さらに父親の分からぬ子が2人も産まれ――私が桜雪をああ扱っているのが目障りなのか――私以外の側近に預けられたと聞く。しかも最近また、桜雪の弟妹ができたと言うではないか。まったく、犬や猫ではあるまいし、野放図にも程がある!
     一体殿は後何人、親の愛を受けられぬ不憫な子供を設けるつもりであるか)
     再び走り込みに入るが、頭の中は依然、もやもやとしたままである。
    (深見も深見だ。あやつも仮初の奥方にあてられたか、同様に女を囲い始めたと聞く。
     確かに左大臣としての責務を全うしている分、殿よりはましであると言えなくはないが、それでも公序良俗を乱す原因となっていることは確かだ。
     つくづく思う――私は果たしてあの時、深見と黄月乃の言葉に耳を傾けるべきではなかったのではないか、と。あんな戯言に惑わされず、深見を殴り倒し、黄を斬って、身命を賭して殿をお諌めするべきではなかったのか、とな。
     ……すべては過ぎたこと。もう、遅過ぎるのだ)
     5周したがそれ以上気が乗らず、彩は走るのをやめた。

    「あれ?」
     家に戻ったところで、米を研いでいる最中の桜雪と目が合う。
    「……あっ」
    「わたし、がんばってといでたんですが……。ごめんなさい、間に合いませんでした」
     困った顔をした桜雪を見て、彩は慌てて言い繕った。
    「あ、いや、そんなことは無い。……あー、と、腹が減ってな、たまらず切り上げて帰ってきてしまった。しまった、早過ぎたな、……あはは」
    白猫夢・桜燃抄 2
    »»  2015.04.08.
    麒麟を巡る話、第493話。
    泥中之蓮。

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    3.
     さらに年月が過ぎ、双月暦565年。
     九鬼桜雪は15歳になっていた。

    「……」
     この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。
     自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。
    「桜雪」
    「……」
    「おーい、桜雪」
    「あ、はい」
     部屋の外から何度か呼びかけ、ようやく振り向いた桜雪に、彩は苦々しく続ける。
    「もう夕飯の時間だぞ。鍛錬から帰ってずっと、そんな調子ではないか」
    「すみません、母様」
     ぺこっと頭を下げた桜雪に、彩は腕組みしつつ尋ねる。
    「何か思い煩っているようだが、懸想でもしたか?」
    「い、いえいえ! そのようなことは決して!」
     顔を赤くした娘に苦笑しつつ、彩は真面目な顔になった。
    「察してはいる。……霧蔵のことだろう?」
    「……!」
     一転、桜雪の顔から紅が引いた。
    「父親違いとは言え、お前の弟だった。……私が引き取ると言えば、ああはならなかったかも知れん」
    「……」
    「だが、全ては終わったことだ」
     彩がそう言った途端、桜雪の頬にぽろぽろと涙がこぼれだした。
    「母様はいつもそう」
    「え?」
    「事が終わってから、そんなことを仰います。何故、事が起こる前に手を打たないのですか?」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪はがばっと頭を下げ、平伏した。
    「……申し訳ありません。出過ぎた言葉でした」
    「いや」
     彩も同様に頭を下げ、こう返した。
    「お前の言う通りだ。私はいつも、終わってからしか行動しない。愚か者の見本だ」
    「そんな……」
    「……飯に、しよう」



     桜雪以後、小雪が産んだ子供は6人いた。
     しかし一人として自分が育てるようなことをせず、彼女はすべて臣下の者に預けていた。そのうちの一人が霧蔵である。
     だが、預けられた先で家庭内の諍いが起こり、霧蔵は間に挟まれる形で何年も過ごし――そしてつい先日、その境遇に耐えかね、わずか12歳の身で自殺したのである。

     その諍いの根源が他ならぬ霧蔵にあったことは、誰の目にも明らかだった。
     女王から無理矢理に押し付けられ、それまで円満だった家庭にいらぬ波風を立て、崩壊に導いたであろうことを、周囲の者は皆、察していた。
     預けた張本人、小雪を除いて。



    「……」
    「……」
     いつになく重苦しい空気の中、彩と桜雪は夕食をとっていた。
     食事の最中に会話するようなことは、央南における礼儀上、はしたないとされてきたことであったし、真面目な二人はこれまでの15年間きちんと、その礼儀を守ってきた。
     だがこの日――桜雪が、それを破った。
    「母様」
    「……」
    「わたしは、愚か者になろうと思います」
    「え?」
     顔を挙げた彩に、桜雪は涙で腫れた、しかし熱い光のこもる目を向けた。
    「諸悪の根源は、我が実の母にあります。
     わたしはその母を――この国の女王、焔小雪を討ちます。親を殺すなど愚行以外の何者でもありませんが、しかしそれをしなければ、何も変わりはしないでしょうから」
    「ばっ、……馬鹿を言うな!」
     面食らった彩は、茶碗を落としてしまう。
    「いくら堕落の極みにあるとは言え、我らが主君であるぞ!」
    「主君であれば何をしても良いと言うのですか!?」
    「……っ」
    「このまま看過し続ければ、どうなると思いますか? また我が弟妹が死に、また母様は後になってから愚痴をこぼすでしょう。
     それはこの国の未来と同様ではないでしょうか?」
    「どう言う意味だ?」
    「女王の愚行で人が死に、焔流が乱れ、国が傾く。その惨状を、残った者が『仕方の無いこと』と諦め、また次の悲劇が緩慢に起こる。
     わたしが知る限り、焔紅王国の20年は、その緩慢なる悲劇の繰り返しです。此度の件は、その縮図と言えるでしょう」
    「……」
    「どうして誰も焔小雪を咎めないのですか? 女王だから? 家元だから?
     わたしにはその言い訳が納得できません。余計な面倒事に首を突っ込みたくないと言う、怠け者たちの逃げ口上にしか思えません」
    「桜雪ッ!」
     一瞬憤り、彩は桜雪に平手を食らわそうとした。
     ところが桜雪はその手をつかみ、なおも熱く語る。
    「しかしわたしは、母様だけはそうではないと信じております。
     母様はただ楽して生きたいだけの怠け者であるとは、到底思えません。いずれ機が来れば立ち上がってくれる、憂国の士と信じております。
     一度でいいのです。後悔ではなく、満足をしていただけませんか? 『あれを省みるには遅かった』などと仰らず、『あれをやって良かったと思っている』と、わたしに堂々と、胸を張って仰って下さい」
    「……私に、何をしろと言うのだ」
    「わたしと共に、戦って下さい。
     この腐った国を糺(ただ)すために」
    「桜雪……」
     娘の熱い瞳に射抜かれ、彩の心に、20年振りに火が灯った。

     これが九鬼桜雪による、焔紅王国に対する謀反の始まりである。
    白猫夢・桜燃抄 3
    »»  2015.04.09.
    麒麟を巡る話、第494話。
    五人抜き。

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    4.
     桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。
    「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」
     彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。
    「娘が戦うと言ったのだ」
    「娘? ……ああ、と言うと」
     その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の子供を臣下の者に厄介払いしていることは知っており、憎むべき相手とそう似ていなくもない、この短耳の少女に対し、冷淡な態度を執ってみせた。
    「いやいや、閣下も打算的な方のようで」
    「打算? 何のことだ」
    「おとぼけにならずとも……。その娘御を神輿と立てて、戦いの大義名分にしようと言うおつもりでしょう?」
    「なるほど、そう捉えるか」
     うなずくなり、彩は相手の胸倉をぐい、とつかんだ。
    「うえっ!? な……なにを……」
    「見た目が同じと言って、中身も一緒であるとは限らんぞ。桜雪は見た目こそ女王に似てはいるが、中身は天と地ほどに違う。
     何なら試してみるか?」
    「と言うと?」
    「この子が3歳の頃から、私が鍛え上げたのだ。当然、私に並ぶ腕前を持っている。
     この子が単なるお神輿で終わる器か、お前らの剣の腕で測ってみればいい」
    「……やれと言うならやりますよ」

     彩に言われるまま、彼らの中でも指折りの手練が桜雪と対峙する。
    「では、参る」
     と、一人が前に出たところで、桜雪は首を振った。
    「あ……?」
     怖気づいたかと、相手が嘲った表情を向けたところで、桜雪が口を開いた。
    「現実的では無いと思います」
    「……は?」
    「いざ戦となれば、こんな一対一の戦いなど、そうそうあり得ないのでは?
     来るなら全員で来てください。実際と沿わないような状況で私の腕を見せても、何ら意味がありませんから」
    「……チッ」
     元々質がいいとは言えない彼らは、この一言で豹変した。
    「偉そうな態度は『お母ちゃん』譲りってか、あぁ? びーびー泣かせてやってもいいんだぜ?」
     一方、成り行きを静観していた彩は、娘の態度を咎めたり、剣士らに苦言を呈したりもせず、淡々と言い放った。
    「やれるものならな。もし娘が負けるようなことがあれば、その時はあいつを、お前たちの好きにして構わんぞ」
    「ま、……マジですか?」
     男たちは一様にぎょっとした表情で彩を振り返り、そして一転、舐めるように桜雪を眺め――一斉に襲いかかった。
    「やっちまえッ!」
     剣士5人が、我先にと桜雪との間合いを詰める。
     ところが次の瞬間、桜雪は目の前から消えた。
    「……えっ?」
     気付いた時には、桜雪の木刀が一人の背中にぐりっとねじ込まれていた。
    「ぐえ……っ」
     木刀をねじ込まれた剣士は一転、顔を真っ青にし、その場に倒れる。
    「まず1人」
    「な、なめやがってッ!」
     残る4人が一斉に振り返ったところで、またも桜雪が消える。
    「……!?」
     この時点で4人とも、桜雪の動きを捉えられていないことに気付く。
    「がッ……」
     また一人、頭を抱えてうずくまる。頭から血を流しており、桜雪に叩かれたことは明白だった。
    「残り3人。どうしました?」
     姿を見せた桜雪は左手を木刀から離し、くい、と手招きする。
    「わたしを手篭めにするのでは無かったのですか?」
    「……く」
     挑発に乗り、一人が一足飛びに間合いを詰める。
    「やったらあッ!」「粗忽者!」
     が、飛び込んだところでボキ、と痛々しい音が場に響き渡る。
    「うおお、あ、あぁ……」
     襲いかかった剣士が肩を抑え、のたうち回る。
    「これだけ技を見せておいたと言うのに、真正面からかかってどうこうできる相手と思っているのですか!」
    「いい加減にしやがれええ……っ」
     と、頭を打たれて倒れていた一人が起き上がり、桜雪を羽交い締めにする。
    「やれ! やっちまえ!」
    「お、……おうっ!」
     残る2人が木刀を構え直し、桜雪に迫る。
     ところがすぐ眼前まで間合いが詰まったところで、桜雪がその一方を蹴り倒す。
    「うぐっ!?」
     もう一方にも足を付いて足場にし、桜雪は宙に浮く。
    「あ……」
     桜雪を羽交い締めにしていた者が、一瞬にして桜雪に背後を取られる。
    「終わりです」
     桜雪は渾身の力を込めて相手に体全体をぶつけ、残っていた剣士2人もろとも突き飛ばした。
    「おわあああっ!?」
    「ぐげ……っ」
    「ま、じ……かよ」
     3人同時に転げ回り、そのまま動かなくなる。
     一人その場に残った桜雪が、周りに怒鳴った。
    「他にはいないのですか!? わたしを叩きのめしてやろうと言う気骨、気概のある者はッ!」
    「まあ、そのくらいでいいだろう」
     成り行きを眺めていた彩が、そこで桜雪を止めようとする。
     ところが、桜雪は続けてこう怒鳴った。
    「このくらいで!? もしこの程度でやめると言うのならば、あなた方は口先ばかりの軟弱者です!
     この国を力ずくで変えようと言う者が、たった15歳の小娘一人止められずに、一体何をしようと言うのですかッ!」
    (まったく……。やり過ぎだ、桜雪)
     怒鳴り倒す娘に、彩は内心、呆れ返っていた。
    白猫夢・桜燃抄 4
    »»  2015.04.10.
    麒麟を巡る話、第495話。
    桜花、燃え咲く。

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    5.
     当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。
    「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」
     桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。
    「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に現実と沿わぬものであるかを痛感させられた」
    「どうか我々と戦うと共に、我々の至らぬ部分について、ご指導・ご鞭撻の程を願いたい」
    「……」
     そう請われ、桜雪は面食らう様子も見せず、素直にうなずいて返した。
    「頭を上げて下さい。わたし自身まだまだ有学の徒ですし、軽々と人に物を教えられるような身ではありません。共に修行し、研鑽し合うと言うことであれば、喜んでお受けいたします」
     その落ち着いた物腰と謙虚な態度、一方でいざ機に差し掛かった時の勇猛果敢な姿勢は、同志たちの心をいつしか、がっちりとつかんでいた。

     15歳にして既に優れた剣才を発揮し、その言動と物腰に人を惹きつけてやまぬ魅力を持っていた彼女は、瞬く間に多くの剣士たちから人望を集めた。
     それは紛れもない「カリスマ」――王となる者に求められる、類稀なる才能であり、彼女は自覚してか、それとも無自覚のままか、この頃からその才能を発揮・行使し始めた。
     事実、それまで「反女王」を掲げていながら、何らまともな活動を行わず、有名無実の組織となっていた彼らは、桜雪が加盟してからわずか半年後――彼女を旗頭にして、最初の攻撃を行った。



    「大変です、左大臣閣下!」
     双月暦566年。王国にとってのその凶報が左大臣、深見の元に届けられた。
    「王国東国境付近、梅宿を反女王派と名乗る連中が占拠しました! 謀反にございます!」
    「なっ……!? 謀反だとぉ!?」
     囲っていた女の膝に頭を預けていた深見は慌てて起き上がり、乱れた衣服を整える。
    「……いや、無い方がおかしいか。むしろ『ようやくかよ』って感じだな。
     で、相手の情報は?」
    「謀反の中心人物となっているのは、九鬼桜雪と名乗る短耳です。兵の数はおよそ200ほどであると」
    「……ん、んん? 九鬼って、……あの九鬼か? いや、九鬼は九鬼でも名前が違うな」
     眉間にしわを寄せた深見に、伝令はこくっと短くうなずく。
    「ええ、九鬼彩中将の娘御とのことです」
    「むすめぇ?」
     深見は腑に落ちない、と言う顔をする。
    「あの剣術一本バカに男や夫がいるとは思えんが。養子か何かか? それともあの単細胞のことだし、細胞分裂でもしたか? ひひひ……」
    「……いや、あの、ほら、閣下」
     伝令が額の汗を拭きつつ、恐る恐るこう返す。
    「九鬼中将に、預けたではないですか」
    「何を?」
    「ですから、ほら、あの、……ごにょごにょ、……の娘を」
    「……あー、はいはいはい。そう言えばいたな、そんなの」
     ようやく桜雪の素性を思い出したらしく、途端に深見は大欠伸をして見せた。
    「ふあー、あーぁ……。適当に兵隊を送っとけ。……んだよ、びっくりさせやがって」
    「閣下?」
    「九鬼んとこに預けた娘って言や、まだ15か16ってとこだろ? そんな小娘に何ができるんだっつの。しかもあのバカ殿の血ぃ引いてんだぜ?」
    「……なるほど。それもそうですな。
     ではあの近隣の基地に駐留している者に連絡し、殲滅してもらいましょう。……あ、いや、それではまずいですな」
    「あ? 何がまずいって?」
    「いや、ですから、……ごにょごにょ、の娘となると」
    「いーって」
     深見は面倒臭そうにぱたぱたと手を振り、こう言い放った。
    「どうせあいつも忘れてるさ、産んだこと自体。俺にしても今更構うの、かったるいし。殺しちまった方が後腐れなくていい。
     いや、むしろきっちり殺せ。だがくれぐれも、あいつの娘だってことが漏れないようにしろ。それが広まると面倒だしな」
    「御意」



     結論から言えば、この時深見は桜雪本人の才能と能力、そして彼女が起こした謀反による影響に対して、致命的な判断ミスを犯していた。
     簡単に蹴散らせると踏んで差し向けた兵隊はあっと言う間に全滅し――その上、この敗残兵たちは一人残らず、桜雪に下ってしまったのだ。
    白猫夢・桜燃抄 5
    »»  2015.04.11.
    麒麟を巡る話、第496話。
    栄枯盛衰。

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    6.
     蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。
     当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。
     その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。

     そんな芸当ができた背景には無論、現女王である小雪の体制があまりにも悲惨なものであり、一方で桜雪側には寄り沿い、共闘するに十分な理由と大義があったからだが、それを差し引いてもなお、敵方が簡単に寝返ってしまう、いや、「寝返りたくなる」誘因があった。
     それは紛れも無く、桜雪本人の「魅力」だった。
    「我々の組織は非常に大きく成長し、既に軍と呼べる規模に達しています。
     故に、これより我々の組織を『九鬼軍』と改称することとし、併せて然るべき軍規を設け、軍としてより厳格かつ廉潔な、即ち焔流剣士の名に恥じぬ行動を執るべく、これを徹底することとします」
     全軍を集めて行われた桜雪の演説に、剣士たちは歓声を以って応える。
    「それでは、本日はこれにて解散です。今日一日は十分な休養を取り、明日からの戦いに備えて下さい」
     壇上で深々と頭を下げ、話を切り上げたが、何故か剣士たちは微動だにしない。
    「……?」
     桜雪が顔を挙げ、それに気付いたところで、剣士たちが口々に尋ねた。
    「九鬼頭領! 我々より質問がございます!」
    「何でしょうか」
     応じた桜雪に、彼らはこう続けた。
    「我々は頭領が焔女王の血を引いていると存じております! 頭領にとって、それは恥でしょうか、誇りでしょうか?」
    「……」
     数秒の沈黙の後、桜雪が答えた。
    「率直な感想を述べるとするならば、焔小雪を実の母とすることは、わたしにとっては紛れも無く、恥であると言えます。
     しかし血統そのものについては、万世に広く誇れるものであると堅く信じています。何故なら我が血統、焔家は――焔小雪を除けば――長年にわたり焔流を正しく導き、正しき仁義と礼節を央南に確固として示し続けてきた、由緒ある一族だからです。
     そして、もう一方の血統。かつて焔小雪の後見であり、今なお多くの剣士より『大先生』として慕われ、尊敬を集める剣聖、柊雪乃。
     彼女の血もまた、わたしの中に受け継がれています。それもまた、大いに誇るべきものであると、わたしは信じています」
     桜雪の返答に、剣士たちはまた歓声を挙げた。
    「万歳!」
    「九鬼頭領、万歳!」
    「九鬼御大将、万歳!」
     高まる声援に、桜雪はただ無言で、深々と頭を下げた。



     当初は桜雪を過小評価していた深見だったが、最初の戦いから2年、3年と過ぎ、王国東部が九鬼軍によってほぼ制圧された頃になって、その認識をようやく改めた。
    「……こりゃまずいぜ」
     初動の遅さと拙さ、そして度重なる戦闘でことごとく相手を測り損ねたためにみるみるうちに敗戦を重ね、深見は苦境に立たされていた。
     ここに至り、深見は側近たちを集めて、こそこそと密談を始めた。
    「九鬼軍は今、どこまで来てる?」
    「拙者の情報によれば、北は若叉、南は三浜までを陥落させたとのことです」
    「じゃあ、山丹方向に逃げればかち合わないな。あの辺りならバカ殿の側近もいねー。気付きやしねーだろう」
    「……閣下? まさか?」
    「そのまさかだよ。このままここにいたんじゃ、命がいくつあっても足んねーぞ」
     逐電をほのめかした深見の言葉に、側近たちは青ざめる。
     それを一瞥し、深見はこう続けた。
    「お前らも一緒に来いよ。今までかき集めた金がありゃ、西辺州の片田舎にでもこもって一生楽しく過ごせるぜ?
     それにだ。こうなった以上、あのバカ殿の下に律儀に居続けたって、美味い汁なんか吸えねーだろ?
     精々『わたしのために盾になって死になさいよ、ブヒブヒ』なんてわめかれるだけだぜ」
    「……」
    「……」
    「……然り」
     元々から自己中心的で欲深い深見と、その子飼いたちである。
     彼らは早々に小雪と現王国を見限り、逃げ去った。
    白猫夢・桜燃抄 6
    »»  2015.04.12.
    麒麟を巡る話、第497話。
    母と娘、ただ一度の邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     双月暦569年、桜雪が19歳の頃。
     桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。

    「状況をお願いします」
     本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。
    「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております」
    「ありがとう、渋坂。三の門については、どのくらいで破れそうでしょうか?」
    「持って30分かと。基礎構造こそしっかりしてはおりますが、魔術対策が塞内のそこかしこで破綻していたことから、恐らくは三の門も、じきに焼けるものと思われます」
    「そう。では、わたしも参りましょう」
    「御意」
     彩を含めた側近らを伴い、桜雪も塞に踏み込む。
    「存じているかも知れませんが」
     紅蓮塞の入口、一の門をくぐり、桜雪はこう続ける。
    「わたしは今日、初めて紅蓮塞の本丸に足を踏み入れます」
    「そうだな……。そうだった」
     応じた彩に、桜雪はくる、と振り返る。
    「母様と共に塞内の各堂で修行こそすれ、女王の邸宅となっていた本丸には、決して入ることが許されませんでした。
     その一事だけでも、どれだけ実の母がわたしを疎んじていたかが、良く、分かります」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪は小さく首を振った。
    「今更ごまかしなどいりません」
     桜雪は煙を上げる本丸に目をやり、こう続ける。
    「わたしにとっての母は、彩母様のみ。わたしは、それで良いのです。
     そしてこれから討つのは、わたしの母では無い。この国における最大最悪の賊将、焔小雪です」
    「失礼ながら頭領」
     壮年の狐獣人、渋坂が桜雪にこう返した。
    「御心に迷いがあるように感じられます。どうか今、この場で、心の内を素直に晒していただきたく存じます。
     でなければ、いざと言う時になって頭領ご自身がお困りになられるかと」
    「……」
     桜雪の足が止まる。
    「あなたの言う通りです、渋坂。
     確かに、わたしは迷っています。最早母でも娘でもないと、頭では割り切っていても、我が心の内では納得できてはいません。
     巷の人間は皆、わたしが焔小雪のことを憎んでいるだろうと考えていると思いますが――正直に言えば、わたしは焔小雪とどう接すればいいのか、分からないのです」
    「と言うと……?」
    「19年の間、一度も顔を合わせたことの無い実母を、わたしは憎むことができるのだろうか、と。もしかしたら目にした瞬間、それとは逆の感情が芽生えるのではないか、と。
     そんな不安が、わたしにはあるのです」
    「しかし頭領……」
     反論しかけた他の側近たちを、渋坂が制する。
    「頭領。もし憐憫の情、親愛の情を抱いたとしても、それは人間として正しきことです。
     一方で、やはり憎むべき敵であると捉えたままであっても、それもまた、軍の頭領として正しきご判断でしょう。
     小生は頭領がどのような結論をお出しになったとしても、それは至極正しきものであると信じております。……そうであろう、皆の者?」
     渋坂に問われ、側近たちは一様にうなずいた。
    「無論にございますとも」
    「頭領が間違っているはずなど!」
    「どうか、ご自身を信じて下さい」
    「……ありがとうございます。
     もう三の門も破られた頃でしょう。急ぎましょう、皆」
     桜雪は側近たちに深く頭を下げ、早足で本丸へと向かった。

     桜雪の予想通り、彼女たちが本丸の前に到着する頃には既に、三の門は炭と化していた。
    「女王は?」
     尋ねた桜雪に、門を破った隊の隊長が答える。
    「現在、兵卒らが本丸内を回り、捜索している最中です。間もなく発見し、こちらへ連行するものと思われます」
    「そう。では、ここで待ちま……」
     言い終わらないうちに、剣士たちが布団を引きずりながら、本丸から姿を表した。
    「うっ……」
    「ま、……まさか」
    「あれ、……が、か?」
     その様子に側近たちも、そして桜雪も、言葉を失った。
     剣士らに引きずられて現れたのは、まるで伸びきった風船のようにぶくぶくとだらしなく太った初老の女――焔紅王国の現女王、焔小雪だった。
    白猫夢・桜燃抄 7
    »»  2015.04.13.
    麒麟を巡る話、第498話。
    女王襲名。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「その女が女王で、……間違い、無いのか?」
     渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。
    「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。
     なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここまで引っ張ってきました」
    「そう、か」
     予想外の状況に皆が戸惑う中、桜雪が一歩、前に踏み出した。
    「確認します。あなたが焔小雪で、間違いないのですか?」
    「……そうよ」
     べちゃりと布団に張り付いていた女が、くぐもった声で答える。
    「……」
     桜雪はそれ以上、何も尋ねない。どうやら彼女も相当の衝撃を受けているようだった。
    「意外?」
     と、小雪の方から声をかけてくる。
    「……っ」
    「まさか、遊んで、食っちゃ寝、してるだけの女が、20年前、30年前の、美貌を、留めてると、思ってた?」
     小雪は切れ切れに、苦しそうな様子で話している。
     その顔は土気色に沈んでおり、髪はほとんど白く、そして地肌が見えるほどに細く、少ない。目は黄色く濁り、膨れ上がった手と足は到底、人の体と思えない色に染まっている。
     どうやら長年の自堕落な生活のために、体のあちこちを病んでいるようだった。
    「……」
     最早人と思えぬほどに形の崩れた小雪を目にした桜雪の顔色が、どんどん悪くなってくる。
    「桜雪!」
     それに気付いた彩が、後ろから桜雪を抱き留める。
     その様子を見て、小雪がクスクスと笑う。
    「あら、九鬼。久しぶりね」
    「え、ええ」
    「あなたは、あんまり、変わらないの、ね。そうよね、わたしと、違って、毎日鍛錬、してたんで、しょうしね」
    「……」
    「ご覧の、通り、よ。わたしは、こんなに、なっちゃった」
     小雪は桜雪に目をやり、淡々としゃべりだした。
    「あなたが、わたしの、子供だってことは、深見から、聞いてた気が、するわ。そうね、面影がある。あなたにとっては、おばあちゃん、わたしにとっては、母だった、人に。
     ……もう、いいでしょ? わたしから、聞くことは、もう無い、でしょ? さっさと、終わらせ、なさいよ」
    「……~っ」
     桜雪の唇から、つつ……、と血が滴る。どうやら極度の混乱・動揺を、唇を噛むことで無理矢理にこらえたらしい。
     その血を手の甲で拭い、桜雪は乾いた声で命じる。
    「誰か……刀を……貸して下さい」
    「と、頭領」
    「わたしが……討ち取ります」
    「……これを使え」
     彩が腰から刀を抜き、桜雪に渡す。
    「あなたが、やって、くれるのね」
    「……はい……」
     絞り出すような声で、桜雪が応じる。
    「どうぞ。……新しい、女王さま」
    「……覚悟っ……」
     桜雪は刀を手に、ぼたぼたと涙を流しながら、小雪に近付いた。

     その日のうちに、桜雪は焔紅王国の新たな女王となった。
     また、この日から桜雪は自分の姓を「焔」と改め、焔桜雪と名乗るようになった。



    《……ってのが現体制に至るまでの、大体の顛末だね。
     その後についてはそんなに特筆するコトは無いね。真面目で優秀で誰からも好かれる女王様の下、みんなが幸せに暮らしましたとさ、……って感じだね》
    「いや、そうじゃないみたいですよ」
     のんきそうに語った電話の相手に、ルシオは反論する。
    《って言うと?》
    「実はそのサユキ女王から、招待を受けまして。何でも、農業指導をしてほしいとか」
    《ふーん……? 農業指導ってコトは、やっぱりまだ、土地が荒れてるのかねぇ》
    「だと思いますよ。サユキ女王の体制になってからまだ5年とのことですし、農地改革は一朝一夕にできることではありませんから」
    《まあ、私から言えるコトとしては、その焔桜雪って子は十分、信用に値するだろうってコトだね。
     わずか19歳で国一つ引っくり返すくらいの働きをしたんだし、どうあれ傑物にゃ違いないね。そんな大人物が『助けてくれ』って願い出てるんだ、行って損は無いと思うけどねぇ?》
    「非常に参考になりました。ありがとうございます。……あの、ところで」
    《ん?》
    「お名前を伺っても……?」
     ルシオにそう問われ、相手は《あー》と声を漏らす。
    《そう言や忘れてたね。モールさ。賢者モール・リッチと言えば私のコトだね》
    「はあ」
     ルシオのぼんやりした返事に、呆れた声が返って来る。
    《え、もしかして知らないね?》
    「ええ。もしかして高名な方でしたか……?」
    《……ちぇ》
    白猫夢・桜燃抄 8
    »»  2015.04.14.
    麒麟を巡る話、第499話。
    農学博士の見解。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。
    「そのお話、本当でしょうか……?」
     だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。
    「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」
    「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはずだよ。
     一応、大学の方でも調べてはみるけど……」「あ、それなら」
     と、春が顔を上げる。
    「わたしの方で調べてみました。でも、焔紅王国に関する書物は全て、央南連合下では発行も所有も禁じられているので……」
    「やっぱりそうか。と言うことは、あの二人も相当な危険を冒してここに来てるってことになるな。……逆にそれが、彼らの真剣さを伝えていることにはならないだろうか?」
    「あなた、妙に王国の肩を持つんですね?」
     春にそう問われ、ルシオは小さく首を振る。
    「そう言うわけじゃないさ。もしも本当に、王国が農地改革を求めていると言うのなら、僕たちにとっては研究成果を示す、またとない場になる。そう思ってるんだ。
     少なくとも僕は学問のために学問を修めているわけじゃない。実際の状況に対して適用されるためにこそ、学問はあるべきだと考えてる。ハル、君もそうじゃないのか?」
    「……そうですね。そう問われれば、はいと答えます。でもやっぱり……」
    「ともかく、二人で話しているだけじゃ埒が明かない。この手紙を渡した、あの『狐』の人に詳しく話を聞いた方がいいんじゃないかな?」
     多少強引ではあったが、ルシオのこの主張に対し、春は渋々と言う様子でうなずいた。
    「分かりました、それで判断しましょう。もしそこで『やっぱりおかしい』と感じた時は、今度こそ、この話は無かったことにして下さいね?」
    「勿論さ」

     既に夜の9時を回ってはいたが、それでも彼らを訪ねたところ、快く出迎えてくれた。
    「ありがとうございます、ブロッツォ博士、紺納博士」
     深々と頭を下げた狐獣人の剣士、渋坂に対し、ルシオは「いや」と手を振る。
    「まだお受けすると決めたわけではありません。王国について、現在どのような環境であるのか確認したいと思いまして」
    「なるほど、確かにあの手紙だけでは実情を測ることはできませんな。……これ、千谷」
    「はっ」
     千谷と呼ばれた短耳の青年が、数枚の写真を机の上に置く。
    「こちらが王国内の、ある農村を撮影したものです」
    「ふむ」
     ルシオたちは写真を受け取り、互いに意見を述べる。
    「画像は粗いけれど……、確かに荒れ果てているのがよく分かる」
    「そうですね。土が、とっても白い。栄養がほとんど無いようですね」
    「恐らく、これは白砂(シラス)のような火山性土だろう。
     紅州は温泉が豊富にあるって話だから、マグマ層が比較的地表に近いんだろう。噴火や溶岩の露出と言った大規模災害なんかは発生しないまでも、土の性質は火山地帯のそれと、かなり近くなってるんじゃないかな。
     ……ふむ、とすると」
     ルシオは渋坂たちに向き直り、こう尋ねた。
    「王国で主だって栽培している作物は、もしかして米や麦と言った穀類でしょうか?」
    「ええ、まあ」
    「それをこの土壌で育てようとした、と?」
    「はい」
    「それは無理です」
     ルシオは頭を抱え、深いため息をついた。
    「何故に?」
    「穀物を育てるのに必要な栄養素が、この種類の土には存在しないからです」
    「なんと」
    「紅州のほとんどが、こうした土壌でしょうか?」
    「いや、白ではなく、むしろ真っ黒なところもあります。ですがそこも同様に、作物が実ったことがありません」
    「と言うことは十中八九、黒ボク土(くろぼくど。こちらも火山性土の一種)だろうな……。なるほど、農業をやるには致命的に条件が悪過ぎる。
     褐色土なんかはありますか? この辺りではよく見かける類の土ですが……」
    「いや、あまり見ません。紅州の北、黄州との国境付近には多少あるようですが」
    「ふーむ……。なるほど、よく分かりました」
     ルシオは苦り切った顔で、こう続けた。
    「はっきり申し上げましょう。現状、紅州で米や麦を栽培しても、成果は望むべくもありません」
    「むう……」
    「ですが、私にはその現状を打破できる策がいくつかあります。私が赴けば、4~5年でほぼ自給できる程度には、農業事情を改善することができると思います」
     ルシオの弁に、渋坂の目が輝く。
    「では……」「ですが」
     と、ルシオが手を挙げて制する。
    「央南連合下に住まう我々が王国へ指導に向かうとなれば、様々な弊害があります。それについては、どのような対策を?」
    「我々も、無計画に玄州に飛び込み、あなた方の前に転がり出たわけではございません。
     入出国の問題につきましては、玄州と何度と無く交渉を行い、どうにか制限付きながらも行き来できる条約を締結しております。通行許可証さえ発行できれば、問題なく通行可能であることを保証します。
     その他、滞在に関わる様々な問題に対しても、我々が全面的に対処する所存です」
    「……だ、そうだけど」
     ルシオは恐る恐る、妻の顔を伺う。
    「はぁ」
     春は呆れた表情を浮かべつつも、夫の要望を聞き入れた。
    「つまり、行きたいんでしょう?」
    「う、……うん」
    「……と言うことです。夫も、そしてわたしも、お話をお受けいたします」



     こうしてルシオ・春夫妻は農業指導を行うため、焔紅王国へ向かうこととなった。

    白猫夢・桜燃抄 終
    白猫夢・桜燃抄 9
    »»  2015.04.15.
    麒麟を巡る話、第500話。
    人懐っこい女王陛下。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ようこそ、おいで下さいました」
     その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。
    「っ、あ、あの」
     面食らったルシオは、慌てて応じようとする。
     しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。
    「こうしてはるばる、我が王国までご足労いただけましたことに、深い感謝の意を表します。どうか我々を助けて下さいますよう、何卒、何卒お願いいたします」
    「は、はい。勿論です、ええ」
     これほど丁寧に出迎えられるとは思わず、ルシオは終始、目を白黒させていた。
     一方、妻の春は冷静に構えている。
    「早速ですが、お仕事の話をしたいと思います。ご用意はよろしいでしょうか?」
    「はい。では、こちらへ」
     女王、焔桜雪はにこっと笑みを浮かべ、二人を案内した。

     場所を応接間に移し、桜雪は書類の束が入った箱を差し出した。
    「こちらが、過去2年間に我々が行った農業活動と、その経過・結果を記したものです」
    「ふむ」
     ある程度の落ち着きを取り戻し、ルシオは書類に目を通す。
    「……やはり、芳しくないようですね」
    「はい。我が国の近隣州や央中から購入した種苗の8割が満足に育たず、また、残り2割も到底、国民全体に行き渡る程には生長しませんでした」
    「原因の大部分は恐らく、土壌によるものでしょう。
     玄州からこの国に入り、この城に到着するまでに何度か田畑を見る機会がありましたが、一目見ただけでも農作物が育つものではないだろうと、妻と話し合っていました」
    「ええ。詳しい調査は後程行う予定ですが、紅州の大部分が火山性土に覆われており、そのために、作物にとって非常に厳しい環境になっているようです」
     ルシオと春からそう告げられ、これまで毅然とした、それでいて穏やかな態度で接してきた桜雪の顔に影が差す。
    「では、今後も我が国では農業を行うことは不可能、と言うことでしょうか」
    「調査しなければ、断言はできません。しかし現段階での我々の見立てとしては、仰る通り非常に難しいと思います」
    「そうですか……」
     が、桜雪はすぐに表情を改め、にっこりした顔を見せる。
    「ともかく、長旅でお疲れのことと思います。ひとまず、今日のところはお休みになっては如何でしょうか?」
     この提案に、ルシオたちは素直にうなずいた。
    「ええ、そうしたいです。流石に疲れていますし」
    「お言葉に甘えます」
    「では、我が塞内に宿泊場所を設けておりますので、滞在中はそちらをお使い下さい。温泉地ですので、湯船はいつでもお使いいただいて構いません。お食事については寝室にお運びする予定ですが、何か希望や食べつけないものはございますか?」
    「いえ、特には」
    「それでは、宿となる場所にご案内いたします」
     誰かを呼ぶでもなく立ち上がった桜雪に、春がきょとんとした顔を向けた。
    「え?」
    「如何されましたか?」
     尋ねた桜雪に、春は眉間にしわを寄せつつ尋ね返す。
    「あなたが案内を?」
    「はい。そのつもりでしたが、何か不都合がございましたか?」
    「いえ、女王のあなたがそんなことを、……と言う意味で尋ねたのですが」
    「お客様ですから」
     桜雪はにこっと笑い、こう続けた。
    「我々に少なからず救いの手を差し伸べて下さるのです。であれば、でき得る限り丁寧に応対したいと考えております故」
    「そこまでされなくても……」
     面食らっている様子の春に、桜雪はまた、にっこりと――恥ずかしそうに、顔を赤らめながら言った。
    「それに、ご存じかと思いますが、我が国は他国、取り分け央南連合領地との交流がほとんどございません。
     ですから、国外の方と接する機会があれば、……少しでも仲良くしたいのです」
    「そうですか」
     春は表情を堅くし、無感情そうに返した。
    白猫夢・揺春抄 1
    »»  2015.04.17.
    麒麟を巡る話、第501話。
    ずれる想い。

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    2.
     ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。
    「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」
    「ん?」
    「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」
    「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」
     ルシオの言葉に、春は一瞬、不快そうな表情を浮かべたが、すぐにしゅんとなる。
    「そうかも知れません。もしかしたら本当に、焔女王はただ真剣に、農業指導を求めているだけなのかも、……と思い始めてきました。
     でもわたしは央南でずっと、『焔紅王国は悪の巣窟』であると聞かされて育ってきたせいか、どうしても信じ切れないんです。もしかしたら、もしかしたら、……と、ずっと心のどこかで考えてしまっていて」
    「もし、本当に君の言う通り、ホムラ女王が何か企んでるって言うならさ」
     ルシオは春の手を握り、こううそぶく。
    「僕が何としてでも、君を連れて央南に逃げ帰って見せるよ」
     春は呆れたようにくすっと笑って返した。
    「期待はしてませんけど、……でも、その時は頼みますね」



     翌日からルシオ夫妻の農業指導が開始されたが、ほとんど毎日のように、桜雪は現場に現れた。
    「よろしくお願いいたします」
    「あ、……はい」
     無論、国王である桜雪にそうそう暇があるわけでは無いらしく、やって来て5分もしないうちに渋坂が呼び戻しに来たり、そもそも来られない日もあった。
     それでも、桜雪はちょくちょく現場を訪れ、嬉しそうに夫妻の仕事ぶりを眺めていた。
    「あの」
     それが春には気に入らなかったらしく――ある日、いつものようににこにこしている桜雪に向かって、春が苛立たしげに尋ねた。
    「何かわたしたちに、滑稽な点があるのでしょうか?」
    「いえ、とんでもありません」
     ところがにらまれた途端、桜雪は目を丸くし、驚いたような顔をした。
    「もしかして、お気に障りましたか?」
    「正直に言いますと、そうです」
     春が畳み掛ける。
    「わたしも夫も真剣に、仕事に取り組んでいます。それを笑われて、快いと思われるんですか?」
    「あ……」
     これを聞いて、桜雪は深々と頭を下げた。
    「すみません。そんなつもりではなかったのです。ただ……」
    「ただ?」
     なおも苛立った目を向ける春に、桜雪は申し訳無さそうにこう続けた。
    「高名な博士ご夫妻が、この国のために尽力して下さっていると考えたら、とても嬉しくて」
    「……」
     しばらく沈黙した後、春がふーっ、とため息をついた。
    「ではできるだけ、真面目に拝見なさって下さい。繰り返しますが、わたしたちは真面目に仕事をしてますから」
    「気を付けます」

    「あれは無いんじゃない?」
     その日の晩、春の言動をルシオが咎めた。
    「いくらなんでも、相手は女王だよ? それも、良識ある名君だ。そんな人に対して『真面目にしろ』は言い過ぎだよ」
    「あなたもあの人の肩を持つんですか?」
     だが、春はまったく譲らない。
    「いや、そう言うわけじゃなくてさ……」
    「こっちに来てからずっとそう! 何かにつけて女王、女王って! そんなに女王様が好きなら、わたしのことなんか放っておけばいいでしょう!?」
    「バカなこと言わないでくれよ。君への愛情と女王への敬意は別物だ。君のことは妻として、女性として好きだけど、女王に対してそんなこと思ったりなんかするもんか!」
    「……」
     一転、春はボタボタと涙を流す。
    「そんなに怒鳴らなくったっていいでしょう!?」
    「怒鳴ってるのは君じゃないか。落ち着きなよ、ハル。君、最近なんか変だよ?」
    「それはもう、変にもなってしまいますよ! 連合から離れて、こんな寂れたところで何週間も過ごしてたら、そうなりますっ!」
     ついに春はルシオに背を向け、そのまま寝室に駆け込んでしまった。
    「……あー……」
     一人残されたルシオは顔を両手で覆い、うめくしか無くなった。
    (ハル、限界かなー……。一回玄州に戻った方がいいだろうな、これは)
    白猫夢・揺春抄 2
    »»  2015.04.18.
    麒麟を巡る話、第502話。
    焔紅王国の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。
     寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。

    (すぐ眼鏡が曇っちゃうな……)
     温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んでいる。
     眼鏡の曇りを拭き、視界が明瞭になったところで、ルシオはそれらの店を一瞥する。
    (そう言えば、ご飯食べる前にお堂を出ちゃったなぁ)
     確認したところで、ぐう、と腹が鳴る。
     ルシオはとりあえず、すぐ横に構えていた店へと入ることにした。
    「いらっしゃっせー、1名様どうぞ!」
     大きく粗雑な挨拶に出迎えられ、ルシオはカウンター席に着く。
    「何にしやしょ?」
    「えー、と……」
     卓上や壁に貼られたメニューを見るが、当然どれも央南語で書かれており、ルシオは閉口する。
     と、横に座っていた狐獣人の客が、チラ、とルシオを横目で見、ぼそっと店主に告げた。
    「僕と同じもん食べさせとき。同じ央中人やろし、好みがえらい合わんっちゅうことは無いやろから」
    「へぇ、承知しました」
    「え? え?」
     ぎょっとしているルシオに、その金髪に赤メッシュの「狐」は央中語で話しかけてきた。
    「見た感じそのまま、央中南部生まれって顔や。グラーナ王国かバイエル共和国っちゅうところやろ」
    「え? ええ、確かにそうです。バイエルのセサミパスって村の生まれです」
    「ド田舎やな。確かミッドランド市国のある、フォルピア湖の南淵辺りやったな」
    「よくご存知ですね」
    「僕らにとったら央中は、自分の庭みたいなもんやからな。それこそどこの街にどんな産物があるかくらい、ソラで言えるんは当然のことや。
     でも……」
     狐獣人はルシオをじろじろと眺めつつ、首を傾げる。
    「なんでこんなとこにおるん? 央中人なんか、僕だけや思てたけど」
    「仕事です」
    「貿易関係か?」
    「いえ、農業指導で」
    「ほー……。道理で学者っぽいなとは思てたわ。浮世離れした格好しとるし。
     あ、ちゅうことはアンタ、ルシオ・ブロッツォ博士か?」
    「あ、はい」
    「女王さんから名前だけは聞いとったわ。ああ、アンタがそうやったんか」
     狐獣人は懐から名刺を取り出し、ルシオに差し出した。
    「僕は金火狐商会系列、トーナ物産社長のレオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンや。
     長いからエミリオでええで」
    「どうも、エミリオさん」

     故郷から遠く離れたこの地で同郷の人間に出会ったことで、ルシオはすっかり高揚していた。
    「いやぁ……、それにしても懐かしいです。当たり前ですけど、央南はどこに言っても央南語で会話してますからね」
     何年か振りに央中語での会話を交わし、ルシオは上機嫌になっている。対するエミリオも、ニコニコしながらこう返す。
    「そらそやろ。僕かて央中語でこんだけ話すんの、何ヶ月ぶりやろって感じやし」
    「ここ、長いんですか?」
    「まあ……、色々あってな。市国には居辛いねん。ちょくちょく理由付けて、こっちに渡っとる感じや」
    「そうなんですか……。うちの妻が聞いたら、『勿体無い』とか言いそうですね」
    「ん?」
     酒に酔っているらしい、とろんとした目を向けてきたエミリオに、ルシオは春のことを話した。
    「まあ、僕らの目から見たら同じ央南でも、ちょっと違うやろしな。何かとイライラすることもあるやろな。
     ……でも、僕に言わせたら連合も大概やけどな」
    「と言うと?」
    「あんな、これはあんまり大っぴらには言えへんのやけど……」
     エミリオはチラ、と店主や他の客を眺め、小声で話し――かけて、途中で笑い出した。
    「……ちゅうても央中語で話したら問題無いか。抜けとるな、ははは……。
     いやな、今の央南連合の主席しとる女。博士は知っとるか?」
    「ええ、名前だけは。アスカ・タチバナ女史でしたっけ」
    「そや、その女。……そいつがな、旦那と組んで阿漕なことばっかりしとるんよ」
    「旦那さん?」
    「西大海洋同盟の現総長、シュンジ・ナイジェルっちゅうやつや。こいつとタチバナが裏で表で色々アレコレ何やかやと、えげつない条約・密約を交わしとってな。
     一例を言うと、北方と央南間以外の貿易には1000%やら2000%になるような、とんでもない関税かけとるんよ。おかげでウチの対央南、対北方貿易は壊滅状態や。
     勿論、何度と無く抗議してはいるんやけどもな、あいつら聞く耳持ってへんねん。あーだこーだ理由付けて、結局税率も差別的措置もそのまんまや」
    「あんまり貿易とかは詳しくないですけど、2000%ってなんか、ひどそうですね」
    「ひどそうやなくて、ひどいんや。ひどいにも程があるっちゅうもんや。
     考えてみいや、ウチで一個3エルくらいの蜜柑を央中から央南に卸すだけで、こっちで一個100玄超えるんやで。レート自体、エルと玄はトントンなはずやのに、やで?」
     その額を聞き、ルシオは声を上げて驚く。
    「30倍ですか!?」
    「関税に加えてコストやらリベートやら加えると、どうしてもそうなるんよ。誰がそんなバカみたいに高い蜜柑買う?
     ちゅうわけで、央中・央南間での貿易は完全に死に体や。焔紅王国以外ではな」
    「なるほど……。だからエミリオさん、こちらで商売されてるんですね」
    「ま、そこはそれ、僕に先見の明があった、ちゅうやつや。
     連合がそうなる前から、この国には目ぇ付けてたんよ。ホムラ女王がやり手そうやっちゅうことは、即位辺りからピンと来てたからな」
    「流石、金火狐ですね」
    「……まあ、な。……まだ一族ん中では、パチモンのアホ扱いやけどな」
    「え?」
    「……いや、何でもあらへん」
    白猫夢・揺春抄 3
    »»  2015.04.19.
    麒麟を巡る話、第503話。
    不穏なうわさ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。
    「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。
     ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」
    「はあ」
    「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白猫党っちゅう輩のせいや。あいつら中央大陸のあっちこっちで好き放題やっとる上に、西方まで手ぇ伸ばしたやろ?」
    「らしいですね」
    「ほんで、北方を政治基盤にしとるナイジェルと、連合主席のタチバナは揃って慌てよったんや。『何としてでも自分の領土を死守せな』ちゅうことで、徹底的に他地域の勢力を追い払っとるっちゅうわけやな。
     まあ、気持ちは分かる。あいつらも容赦無いからな、いざ傘下に下ったら権力者層は軒並みえらい目に遭うやろし、そら徹底的に排除せなっちゅうのんは分かる」
    「はあ」
    「せやけど、連合も連合やで! えげつなさで言うたら、あいつらも同類や!
     博士も気ぃ付けた方がええで――あいつら、自分の身と利益守るためやったら、どんなえげつない悪事も平気でやりよるからな」
    「……え?」
     ぼんやりと生返事を続けていたルシオだったが、穏やかでないエミリオの話に、思わず尋ね返していた。
    「悪事って?」
    「元々な、連合と王国――ちゅうても前体制、コユキ時代の話やけど――には色々、秘密協定があってん。
     重犯罪者を王国に『処理』してもらうとか、王国の地下深くに溜まっとるマグマを利用して、連合専用の産業廃棄物処理場を造ってもらうとかする代わりに、前女王は連合からたんまり、裏でカネもろてたらしいねん。
     で、サユキ時代になってからすぐ、現女王はその密約を全部破棄、反故にした上に、その事実を世界に向けて公表しよったんや。
     女王からすれば『自分らはどこまでもクリーンやで』っちゅうイメージをアピールしたかったみたいやけど、連合からすればたまったもんやない。向こうにしてみれば、『秘密にしとった悪事をバラされた』やからな。
     それもあって、連合の国際的なイメージは今、めっちゃ悪いねん。おまけに『腐敗・堕落した権力者層の排除』を謳う白猫党に対して、攻めさせる格好の口実を与えたことになるわけやしな。
     とは言え、そう言う恨みつらみはあるけども、連合は王国を容易に攻撃でけへん。さんざ悪い印象与えとるところで主だって王国に制裁なんかしようもんなら、それこそ連合にとっては、致命的に悪いイメージを広めることになるからな。
     ちゅうわけで、連合は陰でこそこそっと報復しとるらしいわ。連合軍に身分隠させて、王国から出とる船を襲撃したり、王国と連合を行き来しとる人間を秘密裏に拘束したりな」
    「拘束……!?」
    「ああ。ほんで有ること無いこと立て並べて犯罪者に仕立て上げて、『王国は犯罪者の温床や』と言いふらしとるらしいわ。
     あくまで『王国は悪の巣窟、連合は嘘を言いふらされて被害を受けとる』っちゅう話にしたいらしいわ。……ま、僕も聞いただけやし、実際に被害に遭ったっちゅうことは、まだ無いけどな」



     途中まで程よく酩酊していたものの、エミリオが最後にした話で水を差され、ルシオの酔いはすっかり醒めてしまっていた。
    「……」
     活気ある温泉街から戻り、紅蓮塞への若干寂しい道中に差し掛かったところで、ルシオは不安に苛まれる。
    (王国に関係した人間は連合から報復、……か。『まさか』とは思うけど、……でも、『もしかして』って言う不安を捨て切れない。
     明日には暇を願い出ようと考えてたけど、そんな事情があるなら、やっぱり帰国を延期すべきじゃないだろうか。
     説得には骨が折れるだろうけど、一応、ハルに伝えておこう)
     考えをまとめているうちに紅蓮塞の門前に着き、ルシオは立番らに会釈する。
    「戻りました」
    「お帰りなさいませ、博士」
     立番二人は深々と頭を下げ、そしてこう尋ねてきた。
    「奥方はご一緒ではないのですか?」
    「え?」
     きょとんとしたルシオに、立番が怪訝な顔を向ける。
    「先程、奥方が出て行かれましたが……?」
    「てっきり博士と街で落ち合うものと思っておりましたが、お会いにならなかったのですか?」
    「いや、妻は寝てた、はず、……だけ、ど」
     ルシオの背中に、冷たいものが走る。
    「いつの話ですか?」
    「1時間ほど前です」
    「何か、荷物とかは……」
    「ええ。かばんを提げていらっしゃいました。……うん?」
    「まさか、博士? 奥方は……」
     途端に、ルシオはその場にへたり込んだ。
    「……そんな、……ハル!」
    白猫夢・揺春抄 4
    »»  2015.04.20.
    麒麟を巡る話、第504話。
    情緒不安定。

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    5.
     ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。
    (……?)
     そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。
    (ルシオ? ……どこへいったのかしら?)
     春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。
     ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換えれば冷静さが著しく欠けていた。
    (日も暮れたと言うのに、あの人は一体どこへ? わたしに隠れて、何かやましいことをしようとしているのでは? いえ、きっとそう。きっとあの女王のところよ。間違いないわ。
     ああ……、なんてことかしら! こんな国に来てしまったせいで、あの人が女王に盗られてしまうなんて! いえ、あの人は元々からこの国に行きたいと言っていたもの、ずっと前から籠絡されていたに違いないわ! きっと裏で口裏を合わせて、適当な理由を付けてこの国に来る口実を立てて……)
     考えれば考えるほど、整合性の無い、春の妄想にとってのみ都合のいい、荒唐無稽な論理が組み立てられていく。
     だが、冷静さを欠いた春には、その理屈がどんな言葉よりも正当性を持っているように感じてしまっている。
    (もう嫌! これ以上、こんなところにいたくなんかない!)
     春は無意識に自分のかばんを抱きかかえ、お堂を飛び出していた。



     はっと我に返った時には、春は既に紅蓮塞の灯りが見えないところまで逃げていた。
    「……あ」
     そこでようやく、春は自分が部屋着のままであることに気が付いた。
    「さむ……」
     吐く息は白く、手も真っ青になっている。慌ててかばんを開け、上着や手袋を探すが――。
    (置いてきちゃったみたい。……どうしようかしら)
     両手に吐息を当てて温めようとするが、あまり効果が感じられない。足元にかばんを置き、両手をこすり合わせても、掌も指も冷たく、温まってこない。
    (……戻ろうかしら?
     さっきの、よく考えてみたら無茶苦茶だし。どうして夫と女王が会う前から通じているなんて思ったりしたのかしら。連合と王国が国交断絶してた状態で交流なんて、できるはずがないのに。
     誰にも何も言わずに飛び出したから、今ならまだ恥をかかずに戻れるでしょうし)
     外気で冷えた頭が、ようやくまともな思考を始める。
     春は足元に置いたままのかばんを手に取ろうと、しゃがみ込んだ。

     その時だった。
    「紺納博士ですか?」
    「え?」
     しゃがんだまま振り向くと、そこにはスーツを着た男が2人、並んで立っていた。
    「えっと……、王国の方、ですか?」
     尋ねつつも、春は彼らが王国の関係者ではないことを悟っていた。
     王国の人間は皆、昔ながらの和装を着ており、洋装をした人間は自分が知る限り、夫のルシオか、温泉街でちらほら見かける観光客くらいしかいない。
     それ以前に、彼らの胸に付けられた徽章は――。
    「我々は央南連合の者です」
    「です、よね」
     彼らの素性には納得したものの、春の中には次の疑問が浮かんでいた。
    「あの、連合の方が何故、この国にいらっしゃるのでしょうか? それに、わたしのことを何故ご存じなのでしょう?」
    「説明が足りませんでしたね」
     男たちは一瞬、顔を見合わせ、こう続けた。
    「我々の所属は、正式には央南連合軍諜報部、特殊工作課と申します。
     具体的に言えば、この焔紅王国に対して何か、政治的・国際的に不利な材料が無いか調査し、上層部に報告することを任務としています。……ここまでが諜報部の主な仕事です」
    「そして特殊工作課の仕事ですが、その不利な材料が無いようならば」
     男たちはそこで銃を懐から取り出し、春に向けた。
    「捏造するように命令されています。
     紺納博士。あなたは連合下の人間でありながら王国の人間と通じ、諜報活動を行っているものと設定……、いえ、判断し、連合へ連行します」
    「え……!?」
     やってもいない罪を宣告され、春はうろたえる。
    「な、何を仰って、あの、わたしは……」
    「抵抗は無用です。もしも抵抗されるのであれば、我々はここであなたを射殺し、適当にでっち上げた証拠をそのかばんに詰めておいて、国境辺りに放置するだけですが」
    「無論、それだと我々の仕業と勘繰られて、王国側に陰謀だとして吹聴されるおそれもある。となると逆効果になるでしょうし、それはしたくない。
     それよりも連合までご足労いただき、そこで『正当な裁判の結果』、政治犯となっていただく方が、我々には何かと都合がいい。
     と言うわけで、ご同行を」
     そう言って、男たちは銃の撃鉄を起こす。
    「……」
     春はそれ以上何も反論できず、従うしか無かった。

    白猫夢・揺春抄 終
    白猫夢・揺春抄 5
    »»  2015.04.21.
    麒麟を巡る話、第505話。
    罪の仕立て屋。

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    1.
    「こちらへ」
     諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。
    「どうも、博士」
     諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。
    「……」
     応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。
    「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」
     イライラしながら答え、春は続けて問う。
    「あなたは?」
    「安楽と申します。博士を連行させた者の上司に当たります」
    「つまり、あなたも諜報部の方と言うことでしょうか」
    「それは申し上げられません。公的には、あなたとお会いしたと言う記録も残さないつもりですので」
    「わたしを犯罪者に仕立て上げるつもりだ、と伺いましたが」
    「ええ、その通りです。具体的には央南連合の機密を焔紅王国へ流したことによる、情報漏洩と治安侵害罪。そして国交を断絶している王国に侵入したことによる、領地保安法の違反。そして王国に対し不当に援助を行ったことによる、連合通商法の違反。
     すべて付けば、懲役100年は免れないでしょう。無論これは、博士ご自身が存じていらっしゃるように、無実の罪と言うものですが。ま、諜報部の手練手管を用いれば、いくらでも罪を作ることは可能です。お望みなら後100年でも200年でも、罪を追加することもできますが」
     薄笑いを浮かべながら答える安楽に、春は気味の悪いものを感じていた。
    「そんなことが許されると思っているのですか?」
    「許す、許さないを決めるのは、権力者のやることです。そして私はそう言った権力者たちと懇意にしております。
     あなたに罪が有るか無いかは、私の機嫌次第と言えます」
    「……っ」
     にやぁ、と笑った安楽に、春は思わず立ち上がり、車の扉に手をかけていた。
    「おや、お逃げになりますか?」
     だが、扉を開けるその直前、安楽があざけるように声をかける。
    「公務執行妨害。逃走罪。今お逃げになると、それだけの罪が発生しますよ。さて、何年ほど投獄されるやら。10年でしょうか、20年でしょうか。それとももっと多くなるかも知れません」
    「……」
    「どうしますか? まあ、選択の余地は無いですがね」
     安楽の言葉とともに、自動車がぶるっと震え、動き出す。
    「この車輌は最新鋭の悪路走破機能を有しております。あぜ道だらけの焔紅王国といえど、ここから国境を越えるまでに4時間もかかりません。
     ま、それまでに覚悟を決めるなり、諦めるなり、ご自由にどうぞ。それとも命乞いをなさるか、と言う選択肢もございますが」
    「い、命乞い?」
     次々に安楽の口から飛び出す物騒な言葉の数々に、春は次第に憔悴し始めていた。
    「ええ。司法取引とも言いますかね。ま、簡単な話です。
     あなたの口から焔紅王国女王および大臣、高官らの不正行為についてお話いただき、それが国際社会に広く信用されるようであれば、その効果に応じて刑期を減免いたします。
     ま、それに加えて私に対し、個人的に何かしらの『お心付け』をいただけるなら、刑務所などに入れるようなことはせず、私の監視下に置くと言う措置も取れますがね」
    「……それ、って」
     安楽の言葉の裏にあるものを察し、春は狼狽する。
    「わたしは夫のある身です! そんなこと、できるはずが……」
    「いやいや、無理にとは申しませんよ。どうしても無理だと言うことであれば、それは仕方ありません。正規の手続きに従い、あなたは投獄されると言う、それだけの話です」
    「正規ですって!? すべてあなた方の捏造でしょう!?」
    「何度も申し上げたように」
     安楽はニヤニヤ笑いを下卑たものに変え、春の腕を取った。
    「罪の有る無しは我々の胸三寸で決まります。あなたが我々の、いいえ、私の機嫌を損ねれば……」
     安楽は春をぐいっと引き寄せ、がらりと声色を変えた。
    「央南連合では表向き、容認されていない罰を与えることもできるんだぞ? 鞭打ち千回でも銃殺でも、断頭台でもな」
    「いやっ……、嫌あっ!」
     春は泣き喚き、懸命に抵抗しようとする。
     しかし春の細腕では、大の男の腕力には当然、敵わない。
    「うるさい! びーびー喚くんじゃないッ!」
     安楽は空いていたもう一方の手をぐっと握りしめ、春を殴りつけた。
    「ひう……っ」
    「もうお前はおしまいなんだ! 大人しく私に従った方が……」
     怒鳴りながら、安楽はまた拳を振り上げた。
    白猫夢・乱南抄 1
    »»  2015.04.22.
    麒麟を巡る話、第506話。
    誘拐返し。

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    2.
     と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。
    「おう……っ!?」
    「きゃあっ!」
     斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。
    「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転せんかッ!」
     安楽はよろよろと立ち上がり、運転席に向かって怒鳴りつける。
     だが、運転席からは返事が無い。
    「……? おい? どうした? 何かあったのか!?」
     安楽は春の方を一瞬確かめ、車の外に出た。

     その瞬間、安楽の首に刃が突きつけられていた。
    「央南連合の官房局次官、タツノリ・アンラクさん?」
    「う……っ」
     安楽の目の前に、にゅっと刀の切っ先が突きつけられる。その刀を握る、緑髪に三毛の毛並みをした猫獣人が、淡々とした口調で続ける。
    「答えて」
    「い、いや、私は」
    「嘘をついてもごまかせないよ。仮にもし、あなたがアンラクさんじゃないなら、斬るだけだし。アンラクさんじゃなければ、生かしても意味が無いもの」
    「……わ、私が安楽達典だ」
     観念したらしく、がっくりとうなだれた安楽に、猫獣人はこう続けた。
    「あなたがこうやって、こっそり焔紅王国に来ることは『見えてた』。丁度良かったよ」
    「な、なに? 何のことだ?」
    「あなたはハルを使って王国の評判を落とそうとしてたみたいだけど、あたしはあなたを使って央南連合の評判を落とさせてもらうよ。
     あたしたちの党のために」
    「党? お前は一体、何者だ?」
     安楽が問いかけたが、猫獣人は名乗らない。
    「とりあえず拘束させてもらうよ。それから、あなたたちの車で連行させてもらうから」
    「連行? どこへ連れて行くつもりだ?」
    「まず、紅蓮塞。そこに女王と、央中の権力者に近い人がいるから、その人たちに事情を話して、投獄してもらうよ」
    「投獄? 何の罪でだ? 私は何もした覚えは無い!」
    「あるはずだよ。それにその証拠もある。
     あなたは上から指示を受け、無実の人たちに罪を着せて王国に対する虚偽の非難中傷をしてた。
     その証拠はあたしたちが握ってる。後はあなた自身の証言と一緒に、世界中にその内容を公表するだけ」
    「な……んっ……」
     強情を張っていた安楽の顔が、一転して真っ青になる。
    「そ、そんなことをしてみろ! 央南は、央南連合は……っ」
    「公表し次第すぐに、世界中から壮絶に非難されるよ。
     そして央南連合は孤立する――あらゆる交通・交流は停止する。勿論、経済も封鎖される。通貨をはじめとする、あらゆる取引が止められる。連合内の主要都市はほとんど貿易で稼いでるし、連合内の政治経済は一気に大混乱、衰退するよ。
     後はあたしたちが央南に乗り込み、連合を排除するだけ」
    「貴様ら、……白猫党か!」
     安楽にそれ以上応じること無く、猫獣人は車の中に声をかけた。
    「ハル、大丈夫?」
    「え、ええ」
     恐る恐る出てきた春に、猫獣人は手を差し伸べた。
    「危ないところだったね」
    「はい、ええ」
     春はへたり込んだ安楽を一瞥し、もう一度猫獣人に向き直った。
    「あの」
    「話は後で。とりあえずこの人と、運転席にいる人たちを車の中に入れるよ」
     そう説明しながら、猫獣人は春の頬に手を当てる。
    「えっ?」
    「治してあげる。痛々しいもの。……『キュア』」
    「あ……、ありがとうございます。
     ……あの、葵さん、ですよね?」
    「うん」
     猫獣人――葵・ハーミットは小さくうなずき、それから運転席へ向かい、気絶した諜報員たちを引っ張り出す。
     安楽も含めて縄で縛り、後部座席へ放り込んだところで、葵が再び口を開く。
    「ハル、こっちに乗って。紅蓮塞まで送るよ」
    「あ、はい」
     半ば呆然としていた春は、たどたどしく助手席に乗り込む。
    「葵さん、運転できるんですか?」
    「たぶん」
     その返答に春は不安を覚えたが、それはすぐに吹き飛んだ。
     葵は淡々とサイドブレーキを外し、ギアを入れ、クラッチをつなぎ、程よくアクセルを踏み込んで、何の失敗もなく車を発進させたからである。
    「……上手、ですね」
    「そうかな」
    「わたし、自動車って初めて乗るんですけど、でもきっと葵さん、すごくお上手だと思います」
    「ありがと」
    白猫夢・乱南抄 2
    »»  2015.04.23.
    麒麟を巡る話、第507話。
    プロパガンダ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。
    「葵さん、……えっと、お久しぶりです」
    「うん」
    「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」
    「そうだね」
    「今まで、どこで何を?」
    「いろいろ」
    「今、お仕事は?」
    「一応あるよ」
    「何をされてるんでしょう?
     諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経済に詳しくて、しかも車の運転までされるなんて。とても一人の人間がやっていることとは、わたしにはすぐには信じられないです。
     葵さんが一体どんなお仕事に就かれているのか、わたしにはまったく想像できません」
    「一言では説明できないよ。しなきゃ駄目?」
    「時間はたっぷり有りますよ。ずっと黙ったままと言うのも、あまりいい気分では無いでしょうし」
    「……ハルは相変わらずだね。優しくておっとりしてるように見えて、でも実は芯が強くて折れない性格。12年前と変わらないみたいだね」
    「ええ。三つ子の魂なんとやら、と言いますから」
    「……」
     しばらく沈黙が続いた後、葵が観念したように話し出した。
    「白猫党ってところにいるよ。シエナと一緒に仕事してる」
    「シエナ……、と言うと、ゼミにいたシエナさん?」
    「うん」
    「ずっと一緒に?」
    「うん。結党からずっと一緒だよ」
    「そうですか。
     ……葵さんがいなくなった時は、本当に驚きました。いなくなった直後、誰が天狐ゼミを訪れたと思います?」
    「さあ?」
    「神話やお伽話に出てくるような方です」
    「誰?」
    「克大火さん。天狐ちゃんのお父様です」
    「そう」
    「その大火さんが、あなたのことを『実力を偽り、ゼミの皆を騙すために編入した』と仰っていました。
     それは、本当のことなんですか?」
    「……」
     答えない葵に、春は畳み掛ける。
    「それに白猫党と言う組織も、わたしはあまり良い評判を聞いていません。
     過去に存在したと言う『中央政府』のように、世界中で侵略行為を繰り返し、『世界平定』を企んでいる悪の組織、……と言うような話を何度も聞いています。それも、本当のことなんですか?」
     この質問については、葵はすぐに応じた。
    「どこから聞いたの?」
    「新聞です。それに央南連合の広報でも何度か。『白猫党を名乗る輩に応じないよう』と注意されています」
    「あんなことされて、連合が吹聴してる話をまだ信じてるの?」
    「……!」
     そう返され、春は言葉に詰まる。
    「それに新聞って言ってたけど、もしかして橘喜新聞?」
    「え、ええ」
    「橘喜の社長はアスカ・タチバナって人だけど、央南連合の主席でもあるって知ってた?」
    「え?」
    「央南連合は自分たちの利益を死守するために、色んなうわさを流してるんだよ。王国を悪者に仕立て上げてることとかも、その一部。
     橘喜新聞社は、その道具なんだよ。こんなこと言ったらショックを受けると思うけど、ハルも央南連合領に住んでる皆も、騙されてるんだよ」
    「……」
     葵の言うことが簡単に信じられず、春の頭に言葉が浮かんでこない。
    「それが、本当のことだとして」
     それでもどうにか頭を動かし、春は尋ねる。
    「何故、連合はそんなことを? 葵さんは『自分たちの利益を守るため』と言っていましたが、それが本当であれば、どこかから攻撃を受けていると言うことになります。
     それが即ち、白猫党なのでは?」
    「半分は正解。でも半分違うよ」
    「半分?」
     葵は運転席にかけられた時計をチラ、と見て、話を続ける。
    「まだ時間ありそうだし、きっちり話せるかな。
     そもそもは、央南連合が加盟してた西大海洋同盟って言うところで、仲違いがあったことが原因なんだ。
     元々は日上戦争って言う大きな戦争があった時に、北方と央中、央南の3地域が連携して同盟を結成したんだけど、その戦争が終わって10年、20年経って、その存在意義があやふやになり始めたんだ。だってとっくの昔に戦争が終わって、結成する理由になってた相手国が今はもう、散り散りに分裂しちゃってるんだもの。
     で、存続させるか否かって話が央中の加盟諸国から出たんだけど、無くなったら無くなったで、困る人たちも結構いたみたい。そのほとんどが北方の人たち。北方は元々、他の国や大陸から地理的にも政治的にも離れてたし、北方の中だけで話をしてたんだけど、同盟ができてからは、その力を後ろ盾にした政治派閥ができてたんだ。
     そう言う人たちは同盟の解消を望まず、無理無理存続させようとしてた。そしてその20年、あんまり関わってこなかった央南も、ある事件以降から同盟と密に連携し始めた。その事件が何か、分かる?」
    「焔紅王国独立、ですか?」
    「そう。その独立の裏で、連合は王国にある取引を持ちかけてた。
     央南で持て余してた犯罪者を引き渡したり、産業の近代化に伴って出てきた、燃やしたり埋めたりして処理できないゴミ、いわゆる産業廃棄物を王国の地中深くに投棄させる見返りに、多額のお金を出すって言うような、そんな裏の取引」
    「そんなことを、連合が……」
    「連合だけじゃ無くなった。これが金儲けになるって分かって、連合は同盟を通じて、北方からもその『負の資源』を引き受け始めた。
     さっき言ってた北方の、同盟をバックに付けてた政治家たちも、連携がより密になる、パイプが太くなるって思って、取引を喜んで継続させてきた。
     それが王国の革命まで続いてた、裏の話」
    白猫夢・乱南抄 3
    »»  2015.04.24.
    麒麟を巡る話、第508話。
    キューピッド葵、再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。
     ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」
    「そんな話、聞いたことが……」
    「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、央南の新聞じゃ報道できない話だよ。
     連合は大慌てで、その話が嘘だと主張するために、王国を悪者に仕立て上げようとしてる。ハルがさらわれそうになったのも、その一環。
     結局、自分たちが裏で汚いことをしてたのに、それを嘘だ、無かったことだ、向こうが嘘をついてるって言い訳してるんだよ」
    「半分、と言っていたのは……」
    「うん。連合に対する世論から攻撃されてるんだよ。結局、自業自得」
     話している間に、相当の距離を進んでいたらしい。遠くに、温泉街と思われる灯りがちらほらと見え始めた。
    「そろそろ着くね」
    「ええ」
    「落ち着いてきた?」
    「そうですね」
    「良かった。今、体調崩したりしたら大変だもの」
    「え?」
     思いもよらない、葵の温かい一言に、春は面食らう。
    「ハルとルシオの未来も『見えた』んだけど、幸せそうだったよ」
    「『見えた』って、どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味。あたしの目に、それが映ったってこと。
     ハル。明日、お医者さんのところに行ってみて。すごくいいことを教えてもらえるよ。それからここ数週間、急に理由もなく不安になったり、突然吐き気とか立ちくらみとか、体調が悪くなったりしてた理由も」
    「え? え?」
     動揺する春を横目で眺めつつ、葵は淡々と続けた。
    「それからね、ルシオが女王と愛し合うみたいな、そう言う関係になったって未来は、一つも『見えなかった』よ。ルシオは本当に、あなたのことが大好きみたい。
     信じていいよ、ルシオのことは。何があってもルシオはあなたのこと、ずっと愛してくれるみたいだし」
    「……そ、そうですか」
     春は自分の頬が真っ赤になっているのを自覚し、葵から顔を背けた。

     車が街に着いたところで、その車に近付いて来る者が二人現れた。
    「あなた!」
     一人は、ルシオである。
    「ハル! 無事だったんだ」
     慌てて車から降りた春を、ルシオががばっと抱きしめた。
    「ああ、良かった……! 君に何かあったんじゃないかと、心配で心配で……」
    「いえ、あの、あったと言えば、あったと言うか」
    「らしいですな」
     そしてもう一人は、あの央中から来た商人、エミリオだった。
    「アオイさん、ホンマにあんたが言うてた通りになっとったみたいですな」
    「そうだね。後は頼むよ」
    「お任せあれ、ですわ」
     抱き合っていた二人は葵たちのやり取りを見て、揃ってけげんな顔を向ける。
    「知り合いだったんですか?」
    「ちょっと前にね」
     葵はエミリオに車の鍵を渡し、こう続けた。
    「エミリオさんに連絡して、連合の人たちを受け渡して裏取引を暴いてもらうようにお願いしたんだよ。信じてもらうために、先物取引の話を色々教えたげた」
    「あれはホンマにビビりましたわ。おかげでガッツリ儲けさせてもらいましたけどな。
     これにしたって、もう一儲けでけるでしょうな」
    「その代わり」
     言いかけた葵に、エミリオは肩をすくめて返す。
    「分かってます、分かってます。アオイさんが関わったっちゅうことは、どこにも言うたりしませんわ」
    「なら、いい。じゃあね」
     葵は皆に背を向け、そのままどこかへ消えた。



     この半月後――西大海洋同盟から、央中の全加盟国が挙って脱退した。
     その理由は同じく加盟組織である央南連合が、あまりにも非人道的な方法で権益を獲得していたこと、即ちこれまで単なるうわさとして扱われていた件の「裏取引」と、その隠蔽工作が行われていた事実が、確たる証拠と共に公表されたためである。
     この大規模な脱退により、同盟の権力は著しく低下。同時に央中、央北にとって、同盟および連合は信用ならない輩として敵視され、一挙に国交が断絶されることとなった。

     また、この一件を葵に委託され、「暗躍」していたエミリオは、金火狐一族から大きく評価され、商会における要職を与えられた。
    白猫夢・乱南抄 4
    »»  2015.04.25.
    麒麟を巡る話、第509話。
    北方の巨魁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「本当に、よろしいのですか?」
    「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」
     そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。
    「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。
     まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」
    「わたしも当初は、そんなことはありえないと考えていましたが」
     春は気恥ずかしそうに、こう返した。
    「連合が仕掛けたあの一件で、わたしが抱いていた連合と王国の評価は、180度覆りましたから。もう、連合領内に住んでいたいとは思えません。
     一方で、この国に大きな可能性を感じたのも事実ですし、……それに、しばらくは落ち着いて暮らしたいですから」
     にこっと微笑み、自分の腹に手を当てた春に、ルシオも嬉しそうに笑う。
    「妻のためにも、この子のためにも、この国を豊かにできるよう、私は全知、全力を尽くす所存です」
    「期待しております」

     央南連合の国家的な犯罪・陰謀を知り、また、巻き込まれたこと、そして春に子供ができたことが判明したため、春・ルシオ夫妻は焔紅王国に定住することを決めた。
     この後、夫妻は火山性土壌においても作物を育成できる技術を王国に広め、王国の農業生産力は大きく向上。エミリオが主導する央中との貿易成功も相まって、王国は飛躍的な成長を遂げた。



     一方で央南連合、そして西大海洋同盟に依存している北方、ジーン王国は同盟結成以来の、とてつもない打撃を受けていた。
    「閣下、一体我々はどうすれば……」
    「貿易の大半が停止され、我が国の食料供給は半分以下に激減しております」
    「それだけではありません。その他の貿易路も閉ざされ、莫大な被害を計上しているとの報告が寄せられております」
    「まだ央南との取引で必要最低限、ギリギリのラインは維持できてはおりますが……」
     寄せられた数々の悲惨な報告に、その白地に黒斑の毛並みをした猫獣人は、こくこくと鷹揚にうなずいて返す。
    「ええ、確かに大変な事態です。我が国が被る被害は、今世紀最大級と言っても過言ではないでしょう。
     しかし、まだ打開策はいくらでもあります。私の命令に従っていただければ、この苦境を脱することは十分に可能です。
     ですので閣僚諸君、どうか必要以上に騒がないよう、よろしくお願いいたします」
     猫獣人の、その自信ありげな表情と言葉に、場は自然に静まる。
    「ではナイジェル閣下、我々はまず、どうすればよろしいのでしょうか?」
    「いいですか。我々と同じくらい、央南連合も混乱しているはずです。であればより一層の相互協力を申し出、関係を密にすることを最優先にするべきです。
     央南も今頃、貿易網が壊滅しかかっていることと思われます。何としてでも取引相手を見付け、利潤・権益を復旧させたいと願っているはず。そこで同様に窮している我々が、改めてパートナーとなる。
     我々も連合以外の諸国と取引をしていたように、連合も我々以外と取引をしていたはずです。それらを我々と連合の一本に絞れば、従来の需要と供給を十分にバランスさせることが可能でしょう。
     この辺りがまとまり次第、混乱はまず、収まります。心配は無用です」
    「なるほど……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「しかし混乱の収束ができたとして、依然として国際的な世論は我々に厳しいままでは?」
    「ええ、確かに憂慮すべき事態です。現状のままでは、覆すことは非常に難しいでしょう」
     依然として、猫獣人は鷹揚に――と言うよりもどこか、現状を侮っているような態度で――話し続ける。
    「とは言え世論などと言うものは、概してよりセンセーショナルでホットな話題に注目していくものです。
     我々の評価が低下した今、世論の傾きに乗じて台頭してきたあの卑賤卑劣の輩、即ち白猫党が央南、もしくはこの北方に歩を進めてくるのはほぼ間違いないでしょう。しかし一方で、この白猫党は国際的に忌み嫌われている面が、決して少なくない。
     であれば積極的に彼らと戦闘を行い、話題を連合や同盟から、白猫党にすり替えてしまえばいいのです。それも、『邪知暴虐の徒が我々を襲っている』と言う、いかにもセンセーショナルな話題として喧伝すれば、大衆はころっと我々の評判など忘れ、白猫党の『ご活躍』に挙って目を向けるようになるでしょう。
     既に私の持つコネクションを使い、その喧伝の下準備を整えています。後は相手が手を出して来次第、大々的に報じればよいのです」
    「ふーむ……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「いやいや、とんでもない。恐るるに足りず、と言うだけです。
     ともかく、そのように図っていますので、閣僚諸君は安心していてくれて問題ありません」
     場の空気が完全に自分の統制下に入ったことを察したらしく、その猫獣人――西大海洋同盟総長、ジーン王国外務大臣、その他様々な肩書きをその身に飾りつけた春司・ナイジェル氏はまたも、鷹揚に笑みを浮かべて見せた。
    白猫夢・乱南抄 5
    »»  2015.04.26.
    麒麟を巡る話、第510話。
    情報戦。

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    6.
    「仕掛けはできてるだろうね?」
     公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。
    《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》
    「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」
    《あの件?》
    「『桜の伐採』だよ」
    《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への迎撃準備と並行して、秘密裏に整えさせてるわ》
    「うん、それでいい。……ああ、そうそう。これはまだ内々の話なんだけど、僕たちが央南連合を訪ねようかって話が出てるんだ。いつくらいが丁度いいかな?」
    《そうね、3週間後なら空いてるわ。ソレくらいなら、あなたが前回指示してた件が全部片付けられそうだし》
    「分かった、3週間後だね。じゃあ皆にも、そう言っておくよ」
    《コッチも言っとくわ。……んふふ》
    「どうしたの?」
    《久々にあなたに逢えるな、って。子供たちなんかヘタしたら、あなたの顔忘れてそうだし》
    「ありえそうで怖いな。じゃ、お土産もどっさり買っていくよ。無論、君にもね」
    《楽しみにしてるわ。じゃ、ね》
    「ああ、それじゃね、飛鳥。愛してるよ」
     そこで電話を切り、春司は自室の壁に掛けた世界地図を眺める。
    「……ふふふ」
     春司は指で北方大陸と央南をなぞり、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
    「ほんの偶然からだったが……、まさかこうまで、事態が都合よく動くとは思わなかった。
     今後、うまく立ち回っていけば、央南は我が北方の『植民地』にすることが可能だろう。長らく氷と岩山に閉じ込められ、世界から隔絶されてきた我が国が、これでようやく世界一の大国になれるわけだ」



    「なーにが『それじゃね、アスカ。愛してるよ』だっつーの」
     傍受された電話通信の再生が終わるなり、白猫党党首、シエナ・チューリンは大仰に肩をすくめ、渋い顔をした。
    「ま、この通りよ。シュンジ・ナイジェルは同盟のホットラインがアタシたちに掌握されてるコトすら、まったく気付いてる様子が無いわ。こんな悠長なラブコールするくらいだもの。
     つまり今後の作戦行動は、全部コイツが漏らしてくれるってワケよ」
    「今回も難なく、陥落できるでしょうな」
    「無駄な戦いはしないに越したコトは無いわ。そうでしょ、ロンダ」
    「左様ですな。流れる血は少なければ少ないほど良いのです」
     白猫党の最高幹部たちは、揃って笑顔を浮かべている。
     数ヶ月前には茫然自失だったシエナですらも、今は活き活きとした表情で会議を進めていた。
    「『預言』にもあった通り、ナイジェル氏が央南を来訪するのは3週間後の4月16日、天曜よ。となればその前、13日から15日は西大海洋を縦断中のはず。両地域の通信範囲を離れ、身動きが取れない状態になってるわ。
     だからこの間に我々は央南東部、青州をはじめとする主要都市を占拠する。そうすればナイジェル氏は到着寸前で慌てて引き返さざるを得なくなり、さらに不在期間は伸びる。
     同盟と央南連合の連携は、この数日で壊滅的な状態に陥るでしょうね」
     シエナの説明に、幹事長のイビーザが深々とうなずく。
    「央中攻略の際にも、同盟の武力は決して侮れぬ存在でしたからな。
     特に今回は、両組織が懇意にしている関係もあり、うかつな攻めは即座に北方からの攻撃を受ける恐れがあったわけです。が……」
    「そう、その通りよ。コレで北方の動きを止め、残る西部の各主要都市を電撃的に制圧してしまえば、戦況は一気に我々の有利に傾くわ。
     ナイジェル氏が画策しているようなアタシたちへの非難宣伝作戦なんて、何の意味も成さなくなる。そんな悠長なコトなんか、やってる暇は与えやしないわ。
     そうでしょ、アオイ?」
     シエナの言葉に、幹部陣の目は一斉に、卓から離れた場所にぽつんと座っていた葵に向けられる。
     それに対し、葵はこくんとうなずいて返す。
    「ん」
    「と言うワケよ。早速、準備を進めてちょうだい」
    「承知いたしました、総裁」
     幹部陣は揃って席を立ち、ぞろぞろと会議室を後にした。

     と――政務部長のトレッドが踵を返し、戻ってくる。
    「シエナ」
    「なに?」
    「その……、ご気分の方は、もう大丈夫なのですか?」
    「アタシの? まあ、……そうね。もう不安は無くなったわ。こうしてアオイが、元通りに『預言』をくれるようになったんだし」
    「それを聞いて安心しました」
     トレッドはにこ、と笑みを浮かべる。
    「この数ヶ月、我が党は本当に、危険なバランスの上にありましたからね。
     いつシエナが伏せってしまうか、いつイビーザやロンダが独断専行を始めるか、……と、気が気でなりませんでしたよ」
    「心配かけたわね」
     シエナもにっと、口角を上げて返す。
    「ところで、アオイ。アンタ、なんか変わったわね?」
    「そう?」
    「そうよ。そもそも会議に出席なんて、今まで一度もやらなかったじゃない」
    「……色々、考えて。これからも出るつもり」
    「まあ、ソレならソレでいいわ。一々何があったって、報告する手間が省けるから」
    「ん」
    「……」
     二人のやり取りを見ていたトレッドは、にこにこと笑ってはいたが、その胸中には不安が渦巻いていた。
    (何も変わってなどいない……。
     シエナが元気になったのは、結局はアオイ嬢が復帰したからに過ぎないのだ。またアオイ嬢が寝込んだり、行方を眩ませたりでもすれば、また以前の繰り返しになるだろう。
     シエナには変わってもらわねば――アオイ嬢が不在でも、党首として一人で、自信を持って立ち回れるように)
    「どうしたの?」
     いつの間にか顔から笑みが消えてしまっていたらしく、シエナがきょとんとした顔で見つめている。
    「ああ、いえ、何でも」
     トレッドは再度、笑顔を浮かべた。

    白猫夢・乱南抄 終
    白猫夢・乱南抄 6
    »»  2015.04.27.
    麒麟を巡る話、第511話。
    救出と復活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「じゃ、やってみるよ」
    「ああ。成功を祈るぜ」
     葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。
    「それッ!」
     とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。
    「……」
     一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。
    「……」
     そのまま、扉をにらみ続ける。
     と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。
    「……お? まさか?」
     やがてすべての機械は完全に停止し、一聖の足元に周囲のガラス瓶から漏れ出たらしい水が、ドロドロと流れ始めた。
    「やったのか、葛?」
    「やったよー!」
     明るい声と共に、扉が開く。
    「できたー! できたよカズセちゃん!」
    「マジか! マジなんだな!?」
    「うん、マジでま……」
     言いかけた葛が、途中でぴたっと静止する。
    「……葛?」
     一聖は、まだ魔法陣の魔力が残っていたのかと警戒するが、そうではないと言うことがすぐに分かった。
     葛が前のめりに、ばちゃっと水の中に倒れてしまったからである。
    「おいおい……。またかよ」
    「またって?」
     扉の向こうから、懐かしい声が聞こえてきた。
    「よお、ルナ。無事だったか?」
    「ええ、何とかね。……その子、誰?」
    「コイツは葛。葵の妹だよ。コイツがこの施設の装置を、全部止めてくれたんだ」
    「へぇ」
     一聖に助け起こされた葛の顔を見て、ルナが小さくうなずく。
    「似てないわね、葵には。……むしろアイツにそっくり」
    「アイツ?」
    「それより、この子大丈夫なの?」
     尋ね返され、一聖は「おう」と返す。
    「なんつーか、まだ完全にはモノにしきってねーらしくて、な。
     あの技を一回使っただけで、体力と魔力がすっからかんになるらしいんだ。まだ実戦にゃ、使えそうにねーよ」
    「あの技って?」
     そう尋ねたルナに、一聖は得意満面の笑みを浮かべて返した。
    「『星剣舞』だよ」



     双月暦574年、春。
     一聖と一対一での、半年以上に渡る壮絶な修行の末、葛はどうにか「星剣舞」を使えるようになっていた。
     しかし前述の通り、この技を使うと数分で体力・魔力を失い、糸が切れるように気絶してしまうのである。
    「真っ青じゃない、顔」
     パラの膝に頭を乗せて倒れ込んでいる葛を、ルナが心配そうに見つめている。
     その間に、パラが診断を終える。
    「血糖値40mg/dl未満、極度の低血糖症状を起こしています」
    「オレのかばんにチョコあったろ、1枚全部食わしてやれ。ミルクたっぷり入ったヤツだから、すぐ元気になる」
    「でさ、カズセちゃん」
     こちらも心配そうに、フィオが尋ねてくる。
    「あの二人は大丈夫なのかな。さっきからピクリとも動かないんだけど」
     フィオが示した先には、大火と渾沌が並んで横たわっていた。
    「少なくとも死んじゃいない。オレの見た限りじゃ、葛と同じよーな症状だな」
    「はい。克大火様とコントンもカズラと同様、衰弱状態にあります。特に魔力の枯渇が、両者とも著しく見受けられます」
    「ってコトは、『システム』だな」
    「システムって?」
    「魔力を吸い取って特定の何かに送り込む装置だ。親父と渾沌はどうもその装置に延々、魔力を吸われてたらしいな」
    「大丈夫なの?」
     ルナのその問いに、一聖は首を横に振った。
    「死にゃしねーが、魔力ってのは人間の精神力、言い換えれば脳の活動に関係するからな。魔力が空になってるってんなら、意識なんてはるか彼方にブッ飛んじまってるだろう。
     しばらくは昏睡状態が続くだろうな」
    「復活するのか?」
    「病院かどっかで点滴打って安静にさせりゃ、そのうち目覚めるさ。結局は葛と同じで、体に栄養が全くない状態だから、な」
    「……うー……きもちわるいよー……めがまわるー……」
     と、葛がか細い声でうめく。
    「目ぇ覚ましたか。しばらくじっとしてな」
    「……きーてたけどさー……はやくびょういんに……つれてったげたほうが……よくないー……?」
     のろのろとした声で提案され、一聖は苦笑した。
    「……ま、そりゃな。じゃ、オレとルナは一旦、親父と渾沌連れてトラス王国に戻るわ。お二人さんはココで、葛が元気になるまで看ててくれ」
    「ああ、分かった」「承知しました」
     パラとフィオがうなずいたところで、一聖たちはその場から姿を消した。
    白猫夢・既朔抄 1
    »»  2015.04.29.
    麒麟を巡る話、第512話。
    未人間。

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    2.
     一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。
    「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」
    「いいえ」
     が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。
    「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」
    「あ、……そう」
     堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。
    「えーと、パラさん、だっけ」
    「はい。パラと申しております」
    「フィオさんと恋人だって聞いてたけどー、その話ホント?」
    「えっ、……あ、ええ、はい、その認識で、問題ありません」
     フィオとの関係を尋ねた途端、パラの挙動がかくかくと乱れる。
    「……うふふっ」
     その慌てぶりを見て、葛が笑う。
    「何かおかしい点がございましたか」
    「パラさんが面白かった」
    「わたくしは取り立てて、何もいたしておりませんが」
    「今の反応が、よ。
     ね、パラさん。もうタイカさん見つけたんだから、フィオさんと結婚できるんだよね?」
    「いいえ。わたくしとフィオが人間にならなければ、それは不可能です」
    「あ、そーそー、そーだったね。まあ、結果的にはできるよね?」
    「カズセちゃんからの依頼を遂行しておりますので、契約は履行されると見て間違い無いものと思われます」
    「人間になって、フィオさんと結婚してさー」
     葛は唇を尖らせ、こう尋ねた。
    「きっといつか、子供ができるよね? そしたらさ、その子供にも、今みたいなしゃべり方で接する気?」
    「恐らく、現状のままであることが予測されます」
    「僕も同意見」
     二人のやり取りを見ていたフィオが、肩をすくめる。
    「彼女のお母さんだって『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』って言ってたし」
    「なーんかソレ、違う気がするんだよねー」
     葛は横になったままで、フィオをにらむ。
    「『長生きしてるから生き方変えられない』なんて、ただの言い訳だと思うよー。変わろうと思ったら、変われるはずだって。
     そうじゃなきゃ、パラさんは『インパラ』のままのはずでしょ? でもルナさんのコトを素敵だーって思って、フィオさんのコトが好きだーって思って、ソレでパラさんは今のパラさんになったんでしょ?」
    「……」
     葛の言葉に、表情の乏しかったパラの顔が、きょとんとしたものになる。
    「確かにわたくしの認識より、カズラの主張に正当性があると考えられます」
    「違うって」
     葛は再度口を尖らせる。
     しばらく間を置いて、パラは葛に微笑みかけつつ、こう言い直した。
    「……カズラの言うことが、素敵だと思います」
    「よーし」
     葛はにこっと笑い、起き上がる。
    「そろそろ帰ろっか。もう大丈夫でしょ?」
    「はい。正常値に戻っています」
    「じゃ、帰ろ帰ろっ」
    「準備いたします。少々お待ちください」
     立ち上がり、呪文を唱え始めたパラを眺めながら、フィオはぼそっとつぶやいていた。
    「今のパラの方がよっぽど可愛いと思うんだけどなぁ。正直、ルナさんみたいになったら怖いし」
    「アンタも変な人だよねー」
     と、背後から葛に小突かれる。
    「おわっ」
    「確かにあんな感じのパラさんも可愛いと思うけどさー、はっきり言って趣味が変だよー。ワンピースだけじゃなくてさ、他にも色々贈ったげればいいのに」
    「……どこまで聞いてるんだよ、僕たちの話」
    「全部聞いたと思うよー。カズセちゃんから3巡は聞いた」
    「マジで?」
    「修行しかしてなかったワケじゃないし」
     そう聞くなり、フィオは顔をしかめた。
    「やれやれ、大変なのがもう一人増えたってわけか」
    白猫夢・既朔抄 2
    »»  2015.04.30.
    麒麟を巡る話、第513話。
    過放出。

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    3.
    「天狐」
     病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。
     傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。
    「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」
    「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」
     一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。
    「あ、そうそう、ソレな。……んで、まあ、この通り。一聖に戻ったよ」
    「ふむ」
     大火は上半身を起こし、一聖をじっと見つめる。
    「な、なんだよ」
    「お前のことは、一聖と呼べばいいのか?」
    「お、おう。一聖で」
    「それで」
     大火は一聖を見つめたまま、続いてこう尋ねてきた。
    「もう一方のお前は?」
    「……なんで造ったってコトが分かんだよ」
    「自ら『天狐』と号を付けたお前だ。あの姿はお前自身が気に入っていた節があるから、な。それにあの金毛九尾と似ても似つかぬその姿でミッドランドに戻って、元通りに受け入れられるとは思えん。
     であれば再度あの体を造り直し、自律させて送り込んだ方が、何かと手間がかからんだろう。お前は策を弄し趣向を凝らすより、簡潔に済ませるのを好む性格だから、な」
    「やーれやれ」
     一聖は肩をすくめ、大火にぎゅっと抱きついた。
    「全っ然、変わんねーな。前のまんまじゃねーか。マジで安心したぜ」
    「……」
     大火は一聖の頭にとん、と手を載せつつ、こう返した。
    「一聖。お前の性格についてさらに言及しておくが」
    「あん?」
    「こんな姿を見られるのを、嫌がる方だろう?」
    「……たまにはいいじゃん」
    「そうか。笑みを浮かべてドアの向こうから様子を伺っている奴がいるが、構わないのか?」
    「え」
     一聖は慌てて大火から離れ、ドアの方に振り向く。
    「うふふふ」
     ドアの隙間に、ルナがニヤニヤと笑った顔で立っているのが見えた。

    「うあー……」
     赤面した顔を両手で覆い、がっくりとうなだれている一聖を横目に眺めつつ、ルナは大火に尋ねる。
    「それで、伝説の奸雄さんがどうして、あんなところで罠にかかっていたのかしら?」
    「そう複雑な話ではない。
     麒麟とその従者が何かを企てていることを察知し、痕跡をたどっていた。その結果あの施設を発見し、侵入したところで罠に落ちた。お前たちも同様だろう?」
    「そうね。じゃあ、あなたたちも麒麟と葵がホムンクルスを造ってることを……?」
    「ああ。元々、いずれ麒麟がこの世に舞い戻るだろうと言う予測は立てていた。
     そして近年、奴は葵・ハーミットと言う優秀な駒を手に入れている。己の魔術知識を十分に理解し、実践できる程度に優秀な駒を、な。
     であれば、ああして実験施設を密かに築き、己が復活する手筈を整えさせるだろう、……と言うことまでは、容易に想像できた。
     そして実際に探し発見したが、罠にかかった。……と言うわけだ」
    「なるほどね」
     そこで話が途切れ、ルナはじっと大火を眺めている。
    「……なんだ?」
    「大先生、もしかして」
     一転、ルナは心配そうな目を向けてきた。
    「魔力は全然、回復してないんじゃないの?」
    「え?」
     目を丸くする一聖に対し、大火は平然とうなずいた。
    「ああ。回復には、もうしばらくの時間を要するだろう」
    「やっぱり。前に会った時は、これだけ近付けば肌がぴりぴりするくらいに強い魔力を感じてたのに、今はまったく、何にも感じないもの。
     一聖ちゃんの場合は元々、大先生とそんなに大差ないくらい魔力があったから、そう言うのを感じて無かったかも知れないけど」
    「まあ……、な」
    「体力に関しては既に、出歩くのに支障の無い程度には回復している」
     大火は肩をすくめ、こう続けた。
    「だが恐らく、これだけ魔力が枯渇しているとなれば、従来の状態に戻るまで少なくとも、数週間は要するだろう。
     水瓶の体積が大きければ大きいほど、水が貯まるのには時間がかかるから、な」
    「でしょうね。じゃ、しばらくはあなたのこと、誰にも知らせない方がいいわね。強襲されたら困るでしょ?」
    「俺は構わん。強襲されて困るのはむしろ、お前たちの方だろう?」
    「え?」
     面食らうルナや一聖に、大火は肩をすくめて返した。
    「俺が魔力を失った程度で、誰かに不覚を取ったり、ましてや負けると思うのか?」
    「……大した自信家だこと。看病し甲斐が無いわね」
     口ではそう言いつつも、ルナの顔は笑っていた。
    白猫夢・既朔抄 3
    »»  2015.05.01.
    麒麟を巡る話、第514話。
    「オリハルコン」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「実際、魔力が俺自身に無くとも」
     大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。
    「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。
     とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、な」
    「そんなら、魔力結晶かなんか持ってきた方がいいか? 高出力のヤツ」
     尋ねた一聖に、大火は小さくうなずいて返す。
    「ああ。できれば……」「『オリハルコンMS―216』だろ?」「……そうだ」
     再度うなずいた大火に、一聖は得意げに笑う。
    「あのシリーズが何だかんだ言って一番だしな。マコトさんの……」「一聖」
     が、大火はどこか、不機嫌そうな目を向ける。それを見た一聖は一瞬、慌てた様子を見せ、自分の唇に人差し指を当てた。
    「……ま、うん、余計なコトは、だな。分かった、持ってくる。
     あ、ついでにさ。天狐も連れて来ようか?」
    「ああ、顔を合わせておこう」
    「じゃ、ちょっと待っててくれよ」
     そう言って、一聖はその場から瞬時に姿を消した。
    「『オリハルコン』って?」
     二人きりになったところで、ルナが尋ねる。
    「魔力結晶と呼ばれている物質だ。魔力を蓄積・放出できる性質を持っている」
    「ふーん……。天狐ちゃんの尻尾とかも、魔力結晶って話を聞いたけど。あれがオリハルコン?」
    「いや、あれは『オリハルコン』ではない。だが、一房で約1000MPPの魔力を蓄積できる。
     だが『オリハルコン』シリーズ、特に『216』は1万MPP以上の魔力蓄積量を誇る」
    「1万! 大工場並みね」
    「それだけに保管も難しい。放置すれば蓄積した魔力を維持できず劣化・崩壊してしまう。
     本来ならばミッドランド島地下の巨大魔法陣など、大規模な施設に使用するものだ」
    「あ、なるほど。じゃあ取ってきてって言ったのは……」
    「そうだ。一聖がここにいる以上、あいつを封じていた魔法陣はその機能を失っている。ならばそこに使用していたものを使うことも可能だろうと踏んだ。
     それに一聖ならば、万全な状態で保管しているだろうから、な」
    「ま、その通りだな」
     姿を消した時と同様、一聖が「テレポート」により戻ってくる。
     その背後には、天狐が気まずそうな顔で立っていた。
    「あ、あのー……」
    「ほれ、お前が渡せって」
     一聖が天狐の後ろに回り、彼女の背中を押す。
    「分かったよ、押すなよ……。
     その、えーと、お、おや、……お師匠」
    「……クッ」
     天狐の様子を眺めていた大火が、口に拳を当てて小さく吹き出した。
    「どの道、お前の中身は一聖と同じだろう? 親父で構わん」
    「……お、おう。じゃあ親父、コレ。ちょっと重たいかも知れねーけど、ベルトにでも掛けてくれれば、普段通り魔術が使えるはずだ」
     ぼんやり橙色に光る金属片をそろそろと差し出した天狐に、大火は右手を差し出し――天狐の頭に乗せた。
    「ひゃっ!?」
    「一聖にもしてやったからな。お前にもしてやろう」
    「……恥ずいって……アンタ、そんなキャラじゃないだろ……」
     顔を真っ赤にしつつも、天狐はその手を払ったりせず、なすがままにされていた。

     さらに1時間後、大火はルナと娘「たち」を伴い、病院を後にした。
    「流石にあのまま寝ているのも、退屈だからな」
    「まーな」
     4人で連れ立って市街地をうろついているところで、大火が足を止める。
    「……」
    「どうした、親父?」
     尋ねた一聖に、大火が応じる。
    「渾沌のことを忘れていた。あいつは無事なのか?」
    「無事よ」
     これにはルナが答えた。
    「でも『たまにはぐっすり眠りたい』って、病院で寝てるわ」
    「そうか」
    「……忘れてんなよ、親父。アイツ、泣くぜ?」
    「泣きはしない。拗ねはするが、な」
    「分かってんじゃない」
    「差し入れでも買って帰るとしよう。ついでに何か食べるか?」
     そう提案した大火に、天狐が心配そうな目を向ける。
    「カネあんの?」
    「俺が金を払わず盗むとでも? 『契約』と名のつくもので俺がそれを違えることは、決して無い。商売事も取引、契約の一つだ」
    「いや、まあ、ソレは分かってっけどさ。親父がふつーにカネ出すイメージ、無いし」
    「ふざけたことを」
     大火はコートの懐から、普通に財布を取り出した。
    「ここの通貨はコノンだったな? 手持ちは30万ほどある」
    「十分過ぎるぜ。じゃ、あの店とかどーよ?」
    「ああ、そうしよう」
     一聖と天狐に引かれる形で、一行は露店へ向かった。
    白猫夢・既朔抄 4
    »»  2015.05.02.
    麒麟を巡る話、第515話。
    罠の理由。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。
     が、当然――。
    「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」
    「……ま、そうよね」
     受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。
    「流石に買い過ぎたな」
    「へへへ……」
     と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包みを取り出す。
    「こーなると思って、隠しといた」
    「抜け目ないわね」
    「クク……」

     2階へ上がり、渾沌のいる病室に入ったところで、一行は葛たちが先に来ていたのに気付いた。
    「あら。もう帰ってきたのね」
    「うん。いつまでも寝てらんないしー」
     と、横になっていた渾沌が口を開く。
    「無事みたいですね、先生」
    「ああ。お前も無事なようだな」
     近付き、傍らに置いてあった仮面を手に取った大火に、渾沌は「あ」と声をかける。
    「置いといて下さい」
    「うん?」
    「かけたところで、看護婦さんたちに外されますし」
    「分かった。……このまま、ここで寝ているつもりか?」
    「少なくとも、今日一日はゆっくりしたいですね。
     あそこで罠にはまる前まで、世界中あっちこっち飛び回ってましたし、罠にかかってた間は意識が全く無かったですし。
     ここを離れたらまた、先生に引きずり回されるでしょうしね」
     大火は肩をすくめ、仮面を机に置く。
    「俺も多少疲れがある。しばらくはここに逗留するつもりだ。
     と言うより、本拠に戻れるだけの魔力が無い、と言うのが実際のところだが、な」
    「あら、先生もですか?」
     渾沌は寝癖でくしゃくしゃになった髪を手で簡単に梳かしつつ、師匠と同じように肩をすくめて返した。
    「私もすっからかんです。目一杯吸い尽くされたみたいですね。
     でもああして封じられたのは、麒麟の意趣返しや魔力供給手段、対抗勢力の殲滅と言う目的だけでは無いでしょうね」
    「だろうな。恐らくはあのホムンクルス研究に使われたのだろう」
    「って言うと?」
     尋ねたルナに、渾沌が答える。
    「あれが未完成のものだってことは、あなたも分かってるでしょ?」
    「ええ」
    「私や師匠の体をお手本にして、完成を目指そうとしてた可能性があるわ。
     この世界で現在、桁違いの魔力を身に有している人間は、私や師匠くらいしかいないもの。サンプルにするにはうってつけってわけよ」
    「じゃあ、もしかして……」「いや」
     大火が首を横に振り、皆の懸念を否定する。
    「完成した可能性は低い。もしも本当に完成していたとなれば、あの研究所を保全・運用する理由が無い。同時に俺たちを生かしておく理由も、な。今日まで俺たちが封じられていたことから考えて、まだ研究途中であることは間違いないはずだ。
     とは言え、何の成果も収められていないとも、考え辛い。葵の才覚は並外れている。最終目的である『麒麟の器造り』に至らぬまでも、何かしら麒麟や、あるいは自分にとって有益な結果を得ているかも知れん」
    「ソレって……?」
     不安げに見上げる葛に、大火はまた首を振った。
    「何とも答えられん。あの研究所の機能が停止したことで、研究資料もまた、揮発・霧散しているだろう。
     麒麟や葵が万一の事態を想定しない、とは考えられんから、な。手がかりを追わせぬよう、策を講じているはずだ」
    「実際、葛が魔力源を破壊した途端にホムンクルスの培養槽が全部止まって、全滅してたしな。手がかりはもう無いだろう」
    「……ごめん」
     謝る葛に、大火が肩をすくめる。
    「責めるつもりは微塵も無い。むしろお前が魔力源を破壊しなければ、俺たちは復活できなかったわけだから、な。
     ……ふむ」
     と、大火が腕を組み、考える仕草を見せる。
    「どうしたんですか?」
    「考えてみれば、俺たちは葛、お前に助けられたわけだな」
    「……あ」
     大火の言葉に、全員の視線が彼と、葛に集中する。
    「まあ、そうなるのかなー……?」
     のんきに応じた葛に対し、大火は腕を組んだまま、こう返した。
    「であれば、相応の対価を支払ってしかるべきだな」
    白猫夢・既朔抄 5
    »»  2015.05.03.
    麒麟を巡る話、第516話。
    克の契約。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     大火の言葉に、その場にいた全員が息を呑む。
     何故なら大火が放ったその一言は――一切の比喩無く――どんな途方も無い望みでも叶えてくれることを約束するものだったからである。
    「え……、マジで?」
    「ああ。俺と渾沌を窮地から救ったと言う、その行為。俺にとってはこの世界一つにも等しい価値ある行動だと断言しよう。
     であれば、どんな願いも聞き届けてやらねばなるまい」
    「えー……、うーん……」
     葛は自分の尻尾を撫でながら、考え込む。
    「んー、何にも思い付かないなー。あたし特に、欲しいモノって無いんだよねー」
    「……えー」「ぷ、くく……」
     葛の言葉に、半分は落胆し、残る半分は笑い出す。
    「なんでだよ? お金とかあるだろ?」
    「別にお金に困って無いしなー」
    「一般的な20代女性であれば、美貌などを望むと予想されますが」
    「あたし、別に自分の顔も体型も嫌いじゃないもん。気に入ってるよー?」
    「力が欲しいとか思わねーのか?」
    「力? カズセちゃんに修行付けてもらってるしなー」
    「刀とかどーよ? 晴奈の姉さんみたいに」
    「ソレもカズセちゃんからもらったしなー」
    「……もったいねー」
     葛のあまりに気の無い返答に、一聖と天狐が揃って残念そうな声を上げる。
    「まー、確かにね。もしかしたらまた後で何か、お願いしたくなるかも知れないし。
     だから今のところは、保留でいい?」
    「構わん。どの道、魔力が無い今、願いを聞いてもすぐには叶えられんから、な。魔力が回復し、その上で何か叶えてほしい願いができたら、何でも伝えてくれ」
    「ありがとね、タイカさん」

     話が途切れたところで、今度はルナが一聖に声をかけた。
    「ところで、一聖ちゃん」
    「ん?」
    「約束、守ってくれるわよね?」
    「ああ、アレな。勿論だ。いつやる?」
    「いつでも。本人次第ね」
     そう言って、ルナはパラとフィオに目をやる。
    「……」「あー、と」
    「言っとくけど、ここまで来て『やっぱりやめ』とかは無しよ?」
    「な、無い無い。無いけど」
    「けど?」
    「その前にさ、何て言うか、……心の準備を付けたいなって」
    「心の準備ぃ?」
     ルナはフィオの鼻をぐに、とつまむ。
    「ふがっ」
    「なーにが心の準備よ。一聖ちゃんに『人間にしてもらえる』って話聞いて、何年経ったと思ってんのよ? マークじゃあるまいし。
     パラ。アンタはすぐしてもらうわよね?」
    「いえ」
     が、パラもフィオと同様、うなずこうとしない。
    「はぁ? アンタも心の準備がどーのこーの言うつもりなの?」
    「はい。人間になるにあたり、不安な要素が数多くあります。そしてその不安を解消できる回答を、わたくしはほとんど得ておりません」
    「……んー」
     ルナはフィオから手を離し、肩をすくめる。
    「ま、今はまだ暇があるし、2日でも3日でも悩みなさいな。二人で話し合うなり、どっか遊びに出かけるなりしてね」
    「……ああ、分かった。パラと二人で、まずは話し合ってみるよ」
    「では、しばらく二人きりに……」
     二人が揃ってルナにお辞儀し、その場を離れかけた、その時だった。

    「ルナさん! フィオ! パラ! 帰ってきてたんだね!」
     病室のドアをガタガタと開け、マークが入ってきた。
    「マーク!」
     フィオはドアの方に振り返り、入ってきたマークに駆け寄った。
    「しばらくぶりだったね、本当」
    「ああ、最後に会ったのは半年……、いや、もっとだっけか。……いや、罠にかかってた時間を考えたら、もっとになるのか」
    「そうだね。僕の記憶じゃ1年以上は優に超えてるよ」
    「そっか。……じゃ、その間に結婚も?」
     マークの左薬指にはまった指輪を見て、フィオが尋ねる。
    「あ、ああ。そうなんだ。……ごめんよ、本当。君には不義理なことをしてしまって」
    「まさか! おめでたいことじゃないか。僕のことなんか気にしなくたって……」
     言いかけて、フィオは傍らのパラに目をやった。
    「……いや、まあ、できるだけ待っていてくれたことは嬉しい。『人間になってから結婚したい』って言ってた僕たちの事情を考えてくれていたんだし」
    「それでも結局、押し切られたけどね……」
    「相手がシャランなら、仕方無いさ。子供ももう、産まれたんだろ?」
    「うん。実はまだ、シャランも子供も病院にいるんだ」
    「そうなのか?」
     フィオはもう一度、パラと顔を見合わせ――。
    「もし良ければ、見せてもらっていい?」
    「勿論さ。是非見て欲しい」
    白猫夢・既朔抄 6
    »»  2015.05.04.
    麒麟を巡る話、第517話。
    成人宣言。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     病院を3階に移り、フィオとパラはマークに先導される形で保育室を訪ねた。
    「この子?」
    「そう」
     乳児用のベッドに寝かされた狼耳の赤ん坊を囲みつつ、フィオが尋ねる。
    「名前は?」
    「ルー。シャランが『男の子でも女の子でも絶対コレっ』って聞かなかった」
    「えーと……、男の子?」
    「うん」
    「愛称は確実に『ルーたん』とかになりそうだね」
    「なるだろうなぁ」
    「シャランは?」
    「この階の、端の病室。って言っても、明日退院の予定」
    「……君って今、いくつだったっけ」
    「え? 24だよ」
    「若いパパだね」
    「へへ、まあ、うん」
     マークの顔がふにゃ、とにやけたところで、フィオとパラは揃って祝いの言葉を述べた。
    「今更になっちゃったけど、結婚と出産おめでとう、マーク」
    「おめでとうございます」
    「ありがとう、フィオ、パラ。
     できればすぐにでも、お礼を返したいな。二人はいつ結婚、……いや、人間になるの?」
    「……」
     マークに尋ねられ、二人は黙り込んだ。
    「どうしたの?」
    「実はまだ、迷ってるんだ。いや、迷ってるわけじゃない。いつかなりたいと思ってるのは確かだ。
     でもその『いつか』がいきなり目の前に来ちゃったもんだから、僕もパラも、踏ん切りがつかないでいるんだ」
    「そっか」
     フィオの話を聞き、マークはくる、と踵を返してドアに向かう。
    「隣、行こうか。シャランにも顔を見せてあげて」
    「ああ」「はい」

     廊下に出たところで、マークは肩をすくめてみせた。
    「本当にさ、僕はどうしようもない臆病者だって実感したよ」
    「え?」
    「シャランから子供ができたって聞かされて、結婚しようって迫られたその時、僕はとっさに『でも、フィオたちもまだ結婚してないから』って言ってしまった。
     きっとルナさんとか両親からは、『何だかんだと理由を付けて先延ばしにしようとしてるだけだ』って思われただろうな。いや、僕自身もそう思ってた。……そう、自分でもそのことが良く分かってた。
     結局、君たちのことを案じてる振りをして、自分の身の振りをいつまでも先延ばしにしようとしてただけなんだ。……それを謝りたい」
    「別にそんなの……」
    「いや、謝らせてくれ。君たちのことを言い訳にしてたにもかかわらず、結局僕は、それをないがしろにして、結婚することにしたんだから。
     僕はいつもこうだ――言い訳ばかりして、自分に降りかかる色んな重要なことから、いつでも逃げていた。王位を継ぐのが嫌だから、母のことを言い訳にして学者になった。一方で経営だ管理だって話も嫌がって、ルナさんがやってくれるって申し出たのに乗っかって丸投げした。結婚だってそうだ。ほとんど全部、シャランの言うことにはい、はいって言っただけだもの。
     本当に僕は、逃げてばかりの奴だ。自分のやりたいことしかやらない、卑怯者だよ」
    「マーク……」
     と、マークは眼鏡を外し、裸眼でフィオたちをまじまじと見つめてきた。
    「だけどもう、逃げないようにしたいんだ。このまま何年も経って、ルーが大きくなって、彼に学校とか王位継承とか色々、また面倒な話が起こった時、僕はまた逃げるのか? あの子を見捨てて自分の殻に閉じこもるのか? ……なんて考えた時、本当にもう、このまま生きてちゃ駄目だって思った。
     僕は変わるよ。責任を負う。シャランを最期まで幸せにする責任を負う。ルーを立派な人間に育てる責任を負う。
     君たちが『人間に生まれ変わる』と言ったように、僕も今日、生まれ変わるつもりだ」
    「……そっか」
     フィオはそう返し、黙り込む。マークは顔を赤らめながら眼鏡をかけ直し、にこっと笑った。
    「じゃ、行こうか」
    「ああ」
     そのまま廊下を十数歩進み、端の病室に到着する。
    「入るよ」
     声をかけ、軽くノックをして、マークがドアに手をかける。
    「マーク」
     そこで突然、フィオとパラが同時に、口を開いた。
    「え?」
     ドアに手をかけたまま振り返ったマークに、二人はまた同時に、こう告げた。
    「決めたよ」「決意しました」
    「……そっか。いつ?」
    「今日だ。僕たちも今日、生まれ変わる」
    「右に同じです」
    「分かった。……じゃあ、今日が3人の記念日だね」
     マークは二人の手を取り、うつむく。
    「約束する。さっき言ったことを、何があっても守る」
    「僕も、君にかけて約束する。人間になった暁には、パラをずっと幸せにすると」
    「わたくしもマーク、あなたにかけて約束いたします。人間になった暁には終生、フィオの幸福を第一命題として行動いたします」
     と――3人の背後から、ニヤニヤしながらシャランが現れた。
    「マーク、あなたまるで、神父さんみたいだね」
    「おわっ」
    「シャラン? 寝てなくて大丈夫なの?」
     目を白黒させながらも尋ねたフィオに、シャランがにっこり笑って返す。
    「退屈してたもん。うろうろ動き回ってたよ。
     ……あたし、嬉しいな。マークがあんな風に思ってたなんて」
    「え? き、聞いてたの、まさか」
    「うん」
    「あああぁ……」
     マークは顔を真っ赤にし、その場にしゃがみ込んでしまった。
    白猫夢・既朔抄 7
    »»  2015.05.05.
    麒麟を巡る話、第518話。
    合縁奇縁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    (オレは変に他人から恭しく扱われんの、イヤなんだけどな)
     一聖はその様子を眺めながら、傍らの葛にそうつぶやく。
    (うん。ウォーレンさんに怒ってたもんねー)
    (いや、怒るってほどじゃねーんだけど、まあ、いきなりアイツみたいに幸甚云々、重畳云々って並べ立てられると、頭っから爪先までぞわーっとするんだよ。
     もっと簡単に、『会えて嬉しいです』の一言でいいじゃんって思うんだよな)
    (あたしはカズセちゃんのそーゆー気取らないトコ、好きだけどねー)
    (そりゃどーも)
     二人が眺めているのは、その堅苦しくて暑苦しいウォーレンの所作である。
     彼も大火たちの救出に向かうことを強く要望していたのだが、一聖がそれを拒否した。理由は前述の通り、暑苦しい振る舞いをすることが目に見えており、それが彼女の癪に障るからである。
     事実、こうして静養中の大火に面会した途端、ウォーレンはがばっと平伏し、かつて一聖が自分の正体を明かした際のように、長々と堅苦しい挨拶を述べていた。
    「畏れ多くも黒炎様の御面前に拝しまして、恐悦至極に存じます。甚だ不肖、未熟な身でありながら、こうしてお目通りが適いましたこと、大変ありがたき幸せと心得ます」
    「うむ」
     娘の一聖は毛嫌いするその大仰な挨拶を、大火は泰然と受け流していた。いや――。
    「楽にして構わん」
     表情こそ変えないものの、大火は早々にそう言って返した。
    (でもさ、タイカさんもじゃない? 堅苦しいの、好きじゃないみたいだよー)
    (そうかぁ?)
    (今のさー、『いいから普通に話せ』って言ってるようにも聞こえるんだけど)
    (あー……、言われてみりゃ、確かにそうかも)
     それを裏付けるかのように、顔を上げ、床に正座したウォーレンに対し、大火はうざったそうに椅子を指差した。
    「そんなところで畏まるな」
    「はっ、失礼いたしました」
     おずおずと立ち上がり、カチコチとした仕草で椅子に座ったウォーレンを眺めていた葛たちは、思わず噴き出した。
    「な、なんですか?」
     聞かれたらしく、ウォーレンがぎょっとした顔を向けてくる。
    「……ク、ククク、……いやいや、ウォーレンよぉ」
     一聖は笑いをこらえながら、ウォーレンに突っ込んだ。
    「なんでお前、そんな緊張しまくってんだよ」
    「い、いや、それは当然でしょう。我々にとって黒炎様は……」
    「分かってるよ、んなこたぁ。でもさ、オレも親父も、そーゆー堅っ苦しいのは好きじゃねーんだよ。な、親父?」
    「ああ」
     娘の問いに、大火はあっさりとうなずいて返した。
    「えっ」
     その返事を聞いたウォーレンは一転、顔を青ざめさせる。
    「……こ、これはとんだご無礼を!」
    「いや、構わん。お前の敬意・誠意の現れであると捉えこそすれ、無礼だなどとはこれっぽっちも思っていない。
     ウォーレンと言ったな?」
    「は、はい。ウォーレン・ウィルソンにございます」
    「お前のことは良く覚えておこう。希望があれば教団に口添えするが、どうだ?」
    「と、言いますと?」
     口ではそう言いつつも、ウォーレンの顔に紅が差している。
    「こうして話している限りでは、そう粗忽者とも、腕っ節だけの荒くれ者とも思えん。一聖に聞いた限りでは人材の管理能力も悪くなさそうであるし、教団で然るべき地位を与えるよう、教主に指示しても構わんが、どうだ?」
    「そっ……、そうですか」
     ウォーレンの顔に一瞬、これまでにないくらい嬉しそうな表情が浮かぶ。
     だが――すぐにぺこ、と頭を下げた。
    「お気持ちは非常に嬉しいのですが、私にはまだ、やらねばならぬことがございます」
    「ふむ」
    「私は娘御のカズセちゃ、……様より、カズラ君を守るよう仰せつかっております。彼女が今まさにその渦中にいる、アオイ氏との戦いを終えるまで、私はカズラ君の側に付いてやりたいのです」
    「分かった」
     大火は小さくうなずき、「目録」に何かを書き付けた。
    「ではこの話は、戦いが終わってから改めてすることとしよう。
     カズラ」
     急に話を振られ、葛はきょとんとする。
    「はい?」
    「お前や、お前の叔母には人が集まってくる縁があるな。良い資質だ」
    「へ?」
    「大事にするといい」
    「は、はいっ」
     大火にそう言われたものの――正直な話、葛には何がなんだか分かっていなかった。
    (人が集まってくる資質を大事に、……って言われてもなー。どうしろって言うのよ?
     て言うか、叔母って誰のコトだろ? いないんだけどなぁ、あたしに叔母さんって)
     葛はそれを大火の勘違いと思い、問いただしはしなかった。
    白猫夢・既朔抄 8
    »»  2015.05.06.
    麒麟を巡る話、第519話。
    新しい朝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     数日後、「フェニックス」研究所。
    「おはよう、パラ、フィオ」
    「おっ、……は、よう」
     ルナの寝室に寝かされていたフィオが、ゆっくり上半身を起こす。
    「いでててっ」
     と、フィオが両腕を上げる。
    「大丈夫?」
    「いや、痛いって言うか、すごいビクってきたって言うか、ぞわって言うか」
    「し、神経が、び、敏感に、なっ、なっている、ようです」
     一方のパラは、未だ横になったままである。
    「……パラ」
    「は、はひっ」
    「イタズラしていい?」
    「い、やです」
    「いや、する」
     ルナはニヤニヤしながら、パラの腕に人差し指を当て、すーっと肩に向かってなぞる。
    「ひひゃはあっ!?」
    「ん~、いい反応っ」
     嬉しそうに笑うルナに、パラが――昨日までには一度も見せることの無かった――恨みがましい目を向けてきた。
    「ひ、ひどいれす、主様ぁ」
    「あ・る・じ・さ・まぁ?」
     ルナは一転、口を尖らせ、パラの長い耳にふーっ、と息をかけた。
    「ふひぇへええっ」
    「アンタ言ったじゃない。人間になったら、あたしのことを何て言おうって言ってた?」
    「……あ」
     パラは目を白黒させながらも、どうにか声を絞り出した。
    「お、……お母様。……いいえ、……あの、……あの」
    「うふふふっ」
     ルナはパラの横にしゃがみ込み、嬉しそうに笑う。
    「あなたが本当に呼びたかった感じでいいわよ。フィオだって内緒にしてくれるだろうし」
    「え?」
     フィオがきょとんとしている間に、パラも意を決したらしい。
    「……お、……お母さん」
    「はーい、パラちゃん」
     ルナはニコニコ笑いながら――突然、ぽろっと涙を流した。
    「あっ……」
    「ど、どうされたのですか?」
    「ううん、何でも無いわ。ちょっと、じーんと来ちゃっただけ。ずーっと一緒にいてくれたあなたが、あたしのことをそう呼んでくれる日を、ずっとずっと待ってたから。
     なんだか、救われた気すらするわ」
    「救われた……?」
     同時に尋ねたフィオとパラに、ルナは涙を拭きながら立ち上がり、背を向ける。
    「秘密よ。これはあたしが一人で背負ってきた罪。そしてこれからも、秘密のまま背負い続けるつもりよ。
     そうでなければ、あたしは母にも、トラス王家にも、葛にも顔向けができないもの」
    「その人たちの関連性が分かりません」
     パラが不審そうに、そう尋ねる。
    「お母さんの母と言うのは、つまりわたくしにとっては祖母に当たる方ですね?」
    「ええ。葛にとってもね」
    「え? ……え!?」
     フィオとパラは同時に体を起こし、そして同時に顔をしかめる。
    「うあ……」「いたっ」
    「秘密よ? 特に、葛には」
    「なんでさ?」
    「葛はあたしの母に、良く似てるもの。性格も多分、一緒だろうし。
     知ればきっと、あたしが何者かってことを探るわ。そして絶対に軽蔑する。そう言う生き方をしてきたからね」
    「思い出しました」
     パラがぽつりとつぶやく。
    「かつてコントンがお母さんのことを、『ツキノ』と呼んでいたことがありました。央南風の名称です。そこから推理すると、お母さんは央南人だったのですね?」
    「ええ」
    「そしてカズラの父方の祖母は央南人、『蒼天剣』のセイナ・コウです。祖母とお母さんの母が同一人物であると言うことは、お母さんはカズラの父親、即ちシュウヤ・コウの兄弟なのですね?」
    「……ええ、そうよ」
    「どこでそんなの調べたの?」
     尋ねたフィオに、パラが小さい声で答える。
    「アオイのことを調べていた折に。そしてシュウヤ氏の兄弟には、妹が一名いたとのことです。それが黄月乃、即ちお母さんの本名、……ですね」
    「ご明察よ」
     ルナはベッドの端に腰を落とし、寂しそうに笑った。
    「『いた』よね、本当。そう言われても仕方無いわ。
     そう。それだけ調べたあなたなら、あたしが、つまり『黄月乃』がしてきたことも知ってるわね」
    「はい、存じています」
    「あたしは焔流を潰しかけた。いいえ、央南西部そのものを潰しかけた。
     そんなあたしが今更正体を明かしても、何やってんのよって話よ」
    「お母さん」
     パラが心配そうに、顔を上げる。
    「お母さんはずっと、後悔されているのですね」
    「そうね。……本当、そう。あんなことをしなければ良かったって、この30年ずっと、後悔してるわ。
     でももう、償うには遅すぎる。これからもあたしは、この罪を背負い続けるのよ」
    「いいえ」
     が、パラは首を横に振り、そろそろとした手つきで傍らの新聞を手に取り、ルナに差し出した。
    「もしかしたら、罪を償う機会が訪れたのかも知れません」
    「どう言うこと?」
    「央南にまた、不穏が訪れようとしています」
    「……」
     ルナは神妙な顔つきで、新聞を受け取った。

    白猫夢・既朔抄 終
    白猫夢・既朔抄 9
    »»  2015.05.07.
    麒麟を巡る話、第520話。
    もはや一枚岩ではなく。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     白猫党の幹部陣が、揃って通信機の前に並んでいる。
    「ロンダ。首尾はどうかしら?」
     間を置いて、通信機から白猫軍司令、ロンダの声が返って来た。
    《上々であります。
     まず現時点で青州の主要港湾都市の掌握に成功しており、各都市の港も封鎖完了しております。北方からの大型旅客船『アイリーン』の央南圏内への到着には、十分間に合いました。
     後は洋上にてナイジェル卿を待ち構えるだけ、と言う状況であります》
    「そう。……問題無しね。
     分かったわ、船が来るまでそのまま待機してちょうだい」
    《了解であります》
     通信が切れたところで、幹部陣が口々に今後の展望を語り始めた。
    「後は兵をけしかけてナイジェル卿を追い返し、西大海洋で右往左往させる、と」
    「その間に我々の前線を青州から翠州、白州方面へと展開し、央南東部全域を掌握すれば……」
    「央南連合の支配圏は半減し、連合が発行・管理する玄銭は著しく暴落するでしょう」
    「それに加え、国際的な地位も失墜するでしょうな。件の『裏取引』で焦げ付いているところに、『央南全域の安寧秩序の維持』を掲げる彼らが、こうまで我々に易々と侵略を許してしまっては」
    「となればその責を巡り――いくら連合主席と同盟総長が蜜月関係にあるとは言え――両組織が仲違いすることは必須。我々がどう攻めようとも、連携を取って迎撃することなど、まずありえんでしょうな」
    「同盟の一角、軍事国であるジーン王国の後ろ盾が無い連合の兵力なんて、恐るるに足らずよ。央南連合は本年中を以って、我々白猫党の傘下に下るでしょうね」
    「すべて我々の思い通り、どこを取っても有益な展開、と言うところですな。
     ところで総裁」
     と、幹事長イビーザが手を挙げて尋ねる。
    「央南連合を下したとして、それで央南全土が支配下に収まるわけではありません。焔紅王国については、どういたしましょうか?」
    「ソレについては、当面は攻めない方針で行くつもりよ」
    「それは何故です?」
    「5年前、10年前の悪政下ならまだしも、今は政治的安定を保ってる状態にある。アタシたちは『腐敗・堕落した権力者層の排除』を公約してるし、今の王国を攻めれば矛盾するコトになるわ。
     ソレに彼らが参戦してきたら、被害は飛躍的に大きくなるコトが予想されるわ。アタシたちがやりたいのはあくまで『権力者の排除』であって、『無分別な殺戮』じゃないもの。
     だから王国とは、できるだけ距離をとっておくつもりよ。勿論今後、王国が失策を続けて腐敗し、国民の不満が噴出するようなコトがあれば、攻め落とす算段を協議するつもりではあるけど」
    「ふむ……、承知いたしました」
     特に固執する様子も見せず、すんなりとイビーザが引き下がる。
     このやり取りに、政務部長トレッドは内心、ほっとしていた。
    (まだ不安が残るとは言え、曲がりなりにも現在、シエナは党を掌握できているようだ。
     これが以前の、シエナがアオイ嬢の後ろ盾を失いかけ、うろたえていた状況であれば、イビーザは強固に王国侵攻を主張していただろう。
     できることならイビーザ幹事長にはこのまま、大人しくしていてほしいものだが……。どうも彼は、良からぬ野心を抱いているようだからな。『隙あらばシエナを党首の座から引きずり下ろし、自分がその座に就こう』と言う思惑が、少なからず透けて見える。
     かつては私と同様、穏健派であったはずの彼が、何故こんなにがらりと、急戦派に変貌してしまったのだろうか……? いや、恐らくは央中と西方における侵略の成功が、彼に良からぬ変化を与えてしまったのだろう。
     勝利はあまりに甘美な毒だ――人の上に立ち、人を下したことが、彼の人となりを著しく損ねてしまったのだろうな)
     と、トレッドの肩をとん、と葵が叩く。
    「……ん、どうされましたか、アオイ嬢?」
    「あなたもいずれ、同じ道をたどるよ」
    「え? ど、どう言う意味でしょう?」
     尋ねたが、葵はそれ以上何も言わず、シエナと話をし始めた。
    (『あなたもいずれ同じ』……、まさか、私が考えていたことを?
     いや、それよりも今のは、まさか、『預言』だったのだろうか? 私もいずれはイビーザのように、人を虐げることを厭わぬような冷血漢になると、そう言うのか、アオイ嬢?)
     不安に駆られ、トレッドが葵に声をかけようとした、丁度その時だった。

     通信機から、悲痛な声が発せられた。
    白猫夢・紅丹抄 1
    »»  2015.05.09.
    麒麟を巡る話、第521話。
    強襲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    《きっ、緊急連絡! 緊急連絡!》
     焦りと恐怖の入り混じったその声に、幹部陣は一様にぎょっとした顔を並べる。
    「だ、誰だ?」
    「この声は一体……?」
    「あなたは?」
     マイクを取り、尋ねたシエナに、相手はガタガタと震えた声で応答する。
    《白猫軍海軍局第3師団付属第16大隊指揮官、ボリス・ガルベス中佐であります! 至急、応援を要請します!》
    「応援?」
     もう一度尋ねたところで、ロンダからの応答が入る。
    《何があった、ガルベス中佐? 貴官らはダイゲツの制圧に向かわせていたと記憶しているが……?》
    《その通りであります! しかし制圧したと思われた直後、突如として謎の集団が……》
     そのうちに、中佐の背後から爆発音が立て続けに響く。
    《うっ……》
    《どうした!? 大丈夫か!?》
    《も、問題ありません。破片が飛んできましたが、何とか直撃は免れました》
    《もう少し詳しく状況を説明して欲しい》
    《了解であります!
     30分ほど前、ダイゲツの制圧作戦を完了し、我が軍は港へと移動し、友軍支援の準備に取り掛かっておりました。
     ところが突如、市街地で多数の敵性勢力が出現、市街地に駐留していた我が軍を攻撃し、市街地にいた我が軍勢力は壊滅しました!》
    「壊滅!?」
     マイクを握りしめ、シエナが叫ぶ。
    「どう言うコトよ!?」
    《壊滅したのです! 我が軍の武装では、まるで太刀打ちできなかったとの報告を受けております。
     現在、残存する我が軍勢力を港方面に集結させ、抗戦を続けておりますが、次第に圧されつつあります!》
    「な……、何故だ!?」
     たまらずと言う顔で、イビーザが声を上げる。
    「我々の装備は最新鋭、かつ大規模に用意している! それが何故、そうも簡単に蹴散らされると言うのだ!?」
     この間にもマイクのスイッチは入りっぱなしになっていたため、中佐の応答が返って来る。
    《こんな……、こんな報告は『彼女』を目にした私自身ですら、到底信じられないのですが……。
     確かに敵兵力のほとんどは、我々の装備や人員と比較するに、まったく相手にならない程度のものでした。
     しかし、……たった1名、恐るべき突破力と速度を以って、我が軍の防衛線をことごとく破る者がいるのです!》
    「い、……1名?」
    《たった1人に、敗れたと言うのか!?》
    《まるで悪夢です……! こんなことがあっていいのか……、うぐっ!?》
     突然、びちゃびちゃと言う水音と共に、中佐の声が途切れる。
    《中佐! どうした、応答しろ!》
    《……ガ……ガガ……あら?》
     ノイズ混じりに聞こえてきたのは、中佐とは似ても似つかぬ女性の声だった。
    《ちょっと……ガッ……濡れたくら……ガピ……れるなんて……ガー……白猫党とやらの……ガ……も、大した……ガガー……ございませんのね》
    「誰!?」
     語気荒く尋ねたシエナに、声は嘲るような口調で答える。
    《……るほどの者では……ガッ……いませんけれど……ガ……たくし、辰沙(しんさ)と呼ばれておりますわ。
     大月はあたくしたちが奪還させ……ザー……だきました。あなた方のような……ザザー……に、これ以上、好き勝手……ザー……る……ザザー……には……ザー……》
     どうやら通信機が完全に壊れてしまったらしく、これ以降はザーザーと言うノイズしか聞こえなくなった。
    《……総裁》
     と、ロンダの声が返って来る。
    《早急に部隊を編成し、ダイゲツ再奪還を行いたいと思うのですが、よろしいでしょうか》
     ロンダの声には、少なからず怒りが混じっている。
     シエナも怒りに任せ、こう答えた。
    「勿論よ。このクソ女を叩きのめして来なさいッ!」
    《了解いたしました》
     ロンダが答えると共に、シエナはマイクを振り上げ、机に叩きつけようとした。
     だが、シエナが手を離したその瞬間に、葵がマイクをつかむ。
    「ミゲルさん」
    《は、はい? アオイ嬢でございますか?》
    「うん。部隊の編成だけど、もう少し待って。多分、白猫軍の人たちじゃ手に負えない。
     あたしが行く」
    《な、なんですと!?》
    「何言ってんのよ、アオイ!?」
     驚く幹部陣らに構わず、葵はその場から姿を消した。
    白猫夢・紅丹抄 2
    »»  2015.05.10.
    麒麟を巡る話、第522話。
    謎の勢力。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵に止められたものの、ロンダは突撃部隊を編成し、自ら大月に向かっていた。
    「いくらアオイ嬢のお言葉でも、女性を一人戦地に送って、軍人たる我々が平然とふんぞり返っているなど、とてもできませんからな」
     青州と玄州を結ぶ青玄街道を大型軍用トラックで突き進みつつ、ロンダとシエナは通信機で連絡をとっていた。
    《ええ。アタシとしても、このままあの子に任せっきりにしたら、何がどうなったのか分かんなくなりそうだしね。あの子、眠たい時とかだとろくに説明しないし。できるだけ細かく、状況を報告してちょうだい。
     勿論、アオイが危なそうだってなったら、アンタたちも援護してよ》
    「承知しております」
    《後、どのくらいで到着しそう?》
    「恐らく15分もかからないかと。ただ、アオイ嬢が『テレポート』により現地へ出向いてから既に30分以上は経過しておりますし、もう既に決着しているかも知れません」
    《そうね、あの子は恐ろしく強いもの。
     ソレでも万が一ってコトはあるし、十分気を付けてちょうだい》
    「はい」

     ロンダが予測した通り、トラックは間もなく大月に到着した。
    「ふーむ……、確かにあちこちで交戦した跡が見受けられる。我が軍による制圧行動だけでは、あれほど火が上がるわけも無い」
     街のあちこちから黒煙が上がっており、様々なものが焼ける臭いが立ち込めている。ロンダは顔をしかめつつ、通信機を使って指示を送った。
    「各指揮官に告ぐ。先刻通知したように、この都市は約1時間前に海軍局第3師団付属第16大隊が制圧したが、当該作戦が終了した直後に正体不明の勢力によって襲撃され、あえなく壊滅したとの情報が入っている。
     我々の目的は第一に、その敵性勢力が何者であるかの確認、そして可能ならば殲滅もしくは撃退すること。第二に、先だって進入した預言者殿を支援すること。第三に、我が軍の生存者がいれば、その保護も行うこと。
     説明は以上だ。各部隊、最大限に注意して散開し、行動を開始せよ」
     ロンダの命令に従い、兵士たちが街中に散る。
    (私も市街地に赴きたいところだが、私に何かあれば、それこそ全軍の危機だからな。ここはじっと、報告を待つしかあるまい。
     しかし……、女性一人に我が軍が壊滅させられただと? 馬鹿な、と言いたいところだが、我々にしてもアオイ嬢をたのみにしている体たらくだ。
     現実に、途方も無い才と力を持つアオイ嬢がいるのだから、もう一人や二人、同様の存在がいたとしても、決しておかしな話ではない。昨今はうわさを聞かんが、『黒い悪魔』などの例もある。ミッドランドのテンコ氏と『旅の賢者』にしてやられた覚えもあるからな。
     だがそんな存在がこの央南にいるなどとは、まったく聞き及んでいない。我々の情報網にも無かった存在だ。まるで突然、湧いて出たような……。
     確か『シンサ』と名乗っていたが……、一体何者なのだ?)
     思案に暮れていたところに、進入していた兵士たちから報告が入る。
    《第1小隊、市街地南側に到着しました。現在、敵性勢力と思しき者は見当たりません》
    《第2小隊、市街地中央に到着しました。異常ありません》
    《第3小隊、市街地北側に……》
     だが、どの隊からも敵と遭遇したり、葵を見つけたと言うような報告は無い。
    「全隊、預言者殿は見つかったか? 緑髪に三毛耳の猫獣人だが……」
    《いえ》
    《見つかりません》
     尋ねてみても、それらしい回答が無い。
     と、恐る恐ると言った声色で、返事が返って来た。
    《緑髪に三毛耳の、女性の猫獣人でしょうか? 20代半ばくらいの》
    「うん? ……それだ! 彼女に違いない。どこで見つけた?」
    《港にて発見しました。気を失っているようです》
    「気を? その、……眠っている、とかではなく?」
    《あちこちに傷を負っており、気絶しているように見受けられます》
    「なんと……!?」
    《なお、港にも敵性勢力は確認できませんでした。恐らく撤退したのではと思われるのですが》
    「いや、性急な判断は禁物だ。まずは彼女が預言者殿であるか、私が確認に向かおう」
    白猫夢・紅丹抄 3
    »»  2015.05.11.
    麒麟を巡る話、第523話。
    辰沙先生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     報告を受けた通り、既に大月には敵がおらず、ロンダと彼を守る兵士たちは、すんなりと港に着くことができた。
    「預言者殿は?」
    「こちらで手当しております。既に目を覚ましております」
    「ふむ、そうか」
     港に駐留していた兵士たちに尋ね、即席の救護用テントに案内される。
     すぐにあちこちに包帯を巻いた葵を見つけ、ロンダは小走りに駆け寄る。
    「預言者殿、ご無事でしたか!」
    「うん」
    「一体、その傷は?」
    「シンサって人にやられた。でも何とか追い返したよ」
    「そうでしたか」
     敵を撃退したと聞き、ロンダの顔がほころびかける。
     だが次に葵が発した言葉に、その笑みが凍りついた。
    「18時までに撤退して。そう話が付いたから」
    「……なんですと?」
     思いもよらない話に、ロンダは慌てて尋ねる。
    「どう言うことです? 敵を退けたのではないのですか?」
    「あと一歩って感じだったけど、力負けした」
    「……馬鹿な!」
    「事実だよ。前よりずっと強くなってた。簡単に勝てる相手じゃなくなってた」
    「む……? シンサと言う女に、以前に会ったことがあるのですか?」
    「うん」
     葵はすっと立ち上がり、ロンダに付いてくるよう促す。
    「もう一度言うよ。18時までに撤退して。それが約束だから。もし撤退が完了してなかったら、もう一度襲ってくる」
    「……我々がいたとしても、勝てませんか?」
    「シンサがいなかったら勝てるよ。あたしがいなくても」
    「納得が行きません」
     ロンダは悔しそうに顔を歪め、食い下がる。
    「アオイ嬢ともあろう方が、どこの誰とも分からぬ輩に後塵を拝すなどと言うことがあるのですか!?」
    「あるよ」
    「……っ」
     葵のそっけない返答に、ロンダは顔を真っ赤にして憤慨する。
    「そんな……っ! どれほど、どれほど私は、あなたを信頼・信奉してきたと……!」「でも」
     葵はロンダに振り返り、こう付け加えた。
    「二度も負けたりはしない。次に会った時は必ず、この借りは返すつもりだよ」
    「……信じておりますぞ」



     白猫軍は手際よく撤退の手筈を整え、ロンダ到着から30分後には、大月に兵士の姿は――生きている者、そうでないもの問わず――一人もいなくなった。
    「ちゃんと約束を守って下さったようですわね」
     そこへぞろぞろと、刀や小銃を手にした者たちが現れる。
     彼らは皆軍服を着ており、その上に紋の付いた羽織をかけている。その紋は紛れも無く剣術一派の名門、焔流のものだった。
    「それでもあたくしたちの土地を不当に襲う、非道で卑劣な輩。こんな約束一つ守った程度で、紳士だなどと思わないこと。皆さん、承知しておりますわね?」
    「勿論です、先生」
     羽織を着た者は異口同音に、先頭の女性にうなずいて返す。
    「よろしい。では今度は、政治のお仕事に取り掛かるといたしましょう」
     彼らを率いてきた、薄桃色の毛並をした狐獣人は、街の奥を刀で指し示す。
    「役場と軍の駐屯所、警察当局、それからこの街に駐在している報道機関と回ります。
     彼らにあたくしたちがこの街を解放したことを伝え、そして軍とお役所に対し、あたくしたちの中から若干名を防衛目的で街に駐留させる旨を伝え、了承させます」
    「できるのでしょうか? 我々のほとんどが焔流、それもこうして武装した、あからさまに武闘派の人間の言うことを、そう簡単に聞いてくれるとは思えませんが……」
    「平時、平常の場合でなら、そうなって然るでしょう。
     けれどこの街は今、白猫党に襲われたばかり。あたくしたちはそれを追い払った英雄ですのよ? その恩人まで追い払うようなことを、果たしてこの街の皆さんは容認なさるかしら?」
    「なるほど。流石は辰沙先生だ」
    「それほどでも」
     辰沙はにこ、と薄く笑みを浮かべた。

     と――辰沙の元に、黒いフードを頭からすっぽりかぶった者が現れる。
    「上出来だな、シンサ」
    「ええ、有矢(ありや)。これであたくしたちの英雄譚の、第一歩が刻まれたと言うわけね」
    「そうだ。今後も白猫党との戦いは続くだろう。
     そしてシンサ、お前がそれを全て撃破し、央南の……」「『央南の女王として君臨するのだ』、……でしょう? 聞き飽きたわ。
     いつもながら誇大妄想の激しいこと。よほど子供の頃、益体もない夢想ばっかりしていたのね、あなた」「……」
     有矢と呼ばれた黒フードの話を軽くあしらい、辰沙はすたすたと大通りを闊歩していった。
    白猫夢・紅丹抄 4
    »»  2015.05.12.
    麒麟を巡る話、第524話。
    苛立つシエナ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     大月侵攻戦にて起こった数々の出来事は、各方面に著しい衝撃を与えた。

     まず、白猫党。
    《目に見えて、軍の士気が下がっております》
     ロンダ司令の声には若干ながらも、憔悴している雰囲気が漂っている。
    《緒戦で不覚を取り、あまつさえ撤退したことなど、これまで我が軍には無かったことですからな。
     それに加え、これまで絶対無敵、不敗、守護神の如く慕われてきたアオイ嬢が敗北すると言う、あまりにショッキングな一件が……》「その辺でいいわよ。ソレ以上の愚痴は、聞く気無いから」
     報告を受けるシエナも、苦々しい表情を浮かべている。
    「とにかく現状で確かなコトとして、ダイゲツ以外の主要都市は押さえてあるんでしょ?」
    《はい。そちらに関しては今のところ、敵性勢力の出現は確認できておりません。ですが、また彼奴らが現れた場合、……到底、守りきれる確証は無いと言わざるを得ません。
     甚だ不本意ですがヴィッカー博士に、最新鋭の防衛兵器を開発していただくよう要請しようと考えております》
    「そうね。アタシから言っておくわ。必要ならアオイに協力してもらって、博士本人を央南にすぐ送るから」
    《了解いたしました》
     通信が切れたところで、シエナはギロ、と背後の葵をにらむ。
    「……で、アレはマジなの?」
    「どれ?」
    「色々あるけど……」
     シエナは額に手を当てたり、拳を握ったり開いたりしながら、苛立たしげに問い詰める。
    「マジでアイツ?」
    「うん」
    「なんで? この数年うわさも何にも聞かなかったのに、なんでいきなりアタシたちの邪魔しに来たの?」
    「知らない」
    「で、あのクソ女に負けたって、本当にホントなの?」
    「うん」
     葵がそう答えた瞬間、シエナは自分が座っていた椅子を蹴っ飛ばした。
    「っざけんなあああッ!」
    「……」
     シエナは葵に詰めより、彼女のシャツの襟をつかんでギリギリと音を立てて握りしめる。
    「痛いよ」
    「アタシはね、アンタがドコのダレにも負けたりあしらわれたりしない、絶対に無敵なんだって信じて、アンタの言うコトに従ってやってたのよ!?
     ソレが負けるって、一体何なのよ!? しかもあのクソ女に!? アンタ、昔勝ったじゃないの!? 余裕綽々で!」
    「うん」
    「このままじゃ、全部おじゃんになるじゃないの!
     白猫党がこのまま央南侵攻に失敗したら、間違いなくアタシは責任を問われる! そうなればイビーザやロンダがアタシに反目しかかってる今、確実に党が真っ二つ、真三つに割れるわ!
     そうなったら全部おしまいよ――世界の舞台に片足乗っけてたアタシたち白猫党は一転、みっともない内部抗争に突入するコトになるわ! 味方同士で、ドロッドロの泥沼戦を始めるコトになるのよ!?」
    「……」
     いまだ襟を締め付けるシエナに、葵は若干顔を青ざめさせつつも、淡々と返す。
    「手を離して」
    「アンタまだそんな、平気な顔をしてられると思ってんの!?」
    「思ってるよ」
    「何でよ!?」
    「これも前々から『見えてた』ことだから」
    「……!?」
     ようやく襟から手を離したシエナに、葵は立ち上がって説明を始める。
    「あたしがあの人に負けることは、前々から分かってた。彼女は超人になってるから。今のあたしには、まだ勝てない。
     でももう一つ、『見えてる』ことがある。あたしが今度あの人に出会った時、あたしはあの人を八つ裂きにしてるよ」
    「……本当?」
    「あたしが言ったことに、嘘があった? 不足はあったかも知れないけど」
     シエナは黙り込み、蹴っ飛ばした椅子を元の位置に戻し――しかし依然としてイライラとした口ぶりで、こう尋ねた。
    「信じていいのね?」
    「あたしを信じて党首になったんでしょ?」
    「……そうね。いいわ、信じてあげる」
     シエナは葵に背を向け、そのまま部屋から出て行った。
     残った葵は、ゆるゆるになった自分の襟元に手を当て、短くため息をついた。
    「結構気に入ってたんだけどな、このシャツ」
    白猫夢・紅丹抄 5
    »»  2015.05.13.
    麒麟を巡る話、第525話。
    腐臭漂う連合。

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    6.
     非難の風は、西大海洋同盟と央南連合の間にも吹き荒んでいた。
    「いつになったら到着するんですか、ナイジェル総長は!?」
    「ですから、到着の直前に東部の主要港湾都市が封鎖され、そこからの敵船団に阻まれ……」
    「そんなことはもう何度も聞いています! 我々が聞きたいのはいつ到着するか、いつ、この混迷しつつある状況を打破できうる対策を授けていただけるか、です!」
     会議の面々から詰問され、連合の主席、橘飛鳥は表情を堅くして黙っている。
    「現在、西大海洋上を航行中につき、ナイジェル卿の乗る船は、あらゆる通信手段の範囲外にあります。即ち現在、ナイジェル卿とは連絡が付かず、彼から意見を聞くことも不可能です。
     だからと言ってこのまま手をこまねいているわけには行きませんぞ、橘主席!?」
    「……では」
     自分の名を呼ばれ、そこでようやく飛鳥が口を開く。
    「こんな事態も想定し、ナイジェル総長より策を伝えられております」
    「ほう……」
    「まず、白猫党が武力を伴って央南圏内に出現した場合、高い確率で同盟の要である自分の行動を阻みに来るだろうと、ナイジェル卿は予測しておりました。
     そしてその場合、白猫党はどこに拠点を持ち、どこから攻めてくるか? ナイジェル卿はその予想をまとめています」
     飛鳥は席を立ち、かばんの中から書類を取り出して、黒板に貼り付けていく。
    「こちらがその予想される拠点と、侵攻箇所の一覧です。これによればしばらくは、東部地域を中心に攻めて回るだろうとされております」
    「それは何故です?」
    「東部は三方を海に囲まれており、敵の海軍勢力にとっては攻めやすいからです。また、連合に強い影響力を与えうる商家や軍閥も少なく、守りも万全とは言えません。
     逆に西部となれば西側に屏風山脈があり、そこからの侵攻は困難。また、我が橘家や黄家をはじめとして大きな勢力が多数存在するため、容易に攻めることはできません。
     そう考えれば西部より東部、誰もがそう結論づけるでしょう」
    「ふむ、確かに」
    「少なくとも今年中においては、彼らは東部に留まっているはずです。いくらなんでも今年一杯、ナイジェル卿を海の上に縛り付け続けることは難しい。ナイジェル卿にしてみれば、央南に入れないのであれば戻る、それだけのことですから。
     いずれナイジェル卿は数日以内に北方へ戻り、我々にさらなる献策をしてくれるでしょう」
     ここで話を切り上げようとした飛鳥に、東部を本拠にしている有力者たちが手を挙げる。
    「お待ち下さい、主席。ではナイジェル卿の指示があるまで、白猫党に対して何ら手を打たないと言うのですか?」
    「うかつに動き、情況が悪化するよりも、有識者より然るべき判断を授けてもらう方が賢明と思われます」
    「何を馬鹿な!」
     飛鳥の言葉を皮切りに、場は騒然となる。
    「今まさに襲われ、征服されていると言うのに、この期に及んで海の向こうの人間を頼りにすると言うのですか!?」
    「そんなふざけた判断など、我々は到底納得しませんぞ! 早急に現実的、建設的な対策を実施していただきたいのです!」
    「いや、しかし主席の主張ももっともだ。万一、我々が独自に動き、失態を犯した場合、不要な責任を負う危険性もある。それよりもこうした状況・情勢を熟知した人間に判断を仰ぐ方が堅実、かつ確実だろう」
    「不要な危険性!? ふざけないでいただきたい! 今まさに危険にさらされている人々が少なからずいると言うのに、保身に走るおつもりですか!?」
    「いや、保身と言うのではなく、あくまで全体的、巨視的に、全体の被害を少なくすることを考えれば……」
     本拠を襲われ、自身の抱える資産や人民が危うくなっている東部陣が対策を乞うも、直接被害を受けたわけではない西部陣は、彼らとは真逆の、消極的な主張を繰り返している。
     特に西部陣の中心であり、連合の主席である飛鳥にとっては、自身のコネクションや利権が東部に存在しないため、積極的に介入する意味が無い。
     また、かねてからの「裏取引」問題がまだ片付かないでいる今、他に話題があれば――それが自身にとって大して害の無いものであれば尚更――「できる限りそちらに目を向けていて欲しい」と言う思惑もあり、飛鳥は軍を動員する姿勢をほんの少しも見せなかった。
    「ともかく現時点における最善策は、状況の静観でしょう。
     敵軍の兵力および技術力は極めて高いものであると報告されています。今ここで、いたずらに我々の軍を投下したとしても、成果が挙げられる可能性は低いものと考えられます。無策同然の命令で兵士を犬死にさせて、それでよしとされる方はまず、いらっしゃらないはずです。
     実際に動くべきとされるならば、まず先に情報収集を行い、より詳しい情況を把握することが先決です」



     西部陣、そして主席である飛鳥のあまりに非協力的な姿勢に、東部陣は少なからず落胆していた。
     そしてそれが、後の破局――央南連合分裂の契機となった。
    白猫夢・紅丹抄 6
    »»  2015.05.14.
    麒麟を巡る話、第526話。
    紅丹党の台頭。

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    7.
     内部の問題にかまけ、白猫党に対して積極的な姿勢を執らない央南連合に対し、央南東部の者たちは次第に、連合に対して反感を覚え始めていた。
    「新聞読んだか?」
    「読んだけど、……笑っちゃうよな」
    「何がおかしいんだよ」
    「読み比べてみたんだけどさ、西部の橘喜新聞と東部の青東新報を。
     橘喜の方もさ、確かに白猫党の奴らがどうだこうだって話は書いてるんだけどさ、自分らの社長の話とかは全く触れず。記事自体も地方欄にちょろっとだよ。
     だけど青東は一面記事の見出しにこうだよ。『橘主席 “軍は動かさない”明言 問われる央南の安全』だってさ」
    「露骨だなぁ、橘喜」
    「経済欄も露骨だぜ?
     大体さ、今じゃ誰だって玄銭暴落の原因は『白猫党が東部を侵略してるせい』だって知ってんのに、橘喜と来たら暴落の原因は『西方の作物が』とか、『央北の為替が』とか、見当違いの理由ばっか挙げてんだよ。
     本当、腐ってやがる。もうこれ、『橘喜』じゃなくて『汚忌』だな」
    「ああ、本当に汚い女だよな、橘主席」
    「……でさ。あのうわさ、聞いた?」
    「どの?」
    「その、白猫党に襲われてる東部で、何か別の軍が動いてるって」
    「なにそれ」
    「こんだけ動かさない動かさないって言ってるから、間違いなく央南連合軍じゃない。州軍ってことも考えられるけど、白猫党の攻撃で壊滅状態だって話もよく聞くし、多分違う。
     それ以外の勢力が、白猫党相手に戦ってるらしい。実際、青州の大月とかはそいつらが奪還したって話だぜ」
    「へー……」
    「何て言ってたかな……。確か青東新報か何かに、取材記事があったと思うんだけど」
    「あー、何か読んだ気する。その新聞、まだ持ってたかも。……あ、これこれ。
     そうそう、紅丹(くたん)党だってさ。謎の女流剣術家『辰沙先生』ってのを筆頭に、焔流の奴らを中心として結成したんだって」
    「胡散臭いなー」
    「いやいや、それでも白猫党の奴らに好き勝手されるよりは全然ましだって。同じ央南の人間が奪還してくれてるんだから、俺は支持するな」
    「うーん」



     央南連合が諸問題で信用を落とし、白猫党が侵攻を続ける、その間隙を縫うようにして、この頃新たな政治結社「紅丹党」のうわさが、東部を中心に広がり始めていた。
     特にこれまで連戦連勝、緒戦負け無しと言う無敵ぶりを誇った白猫党が占拠した都市を瞬時に奪還したと言う武勇伝は、紅丹党に強い信頼感を与えていた。
     その紅丹党は現在、自らが奪還した都市、大月に本部を構え、さらなる勢力拡大を目指していた。

    「状況は依然、あたくしたちにとって有利なままです」
     その紅丹党の幹部会議において、辰沙は弁舌を振るっていた。
    「白猫軍については、あれ以降進軍した様子は無いとのこと。恐らくこれまでにない展開に幹部陣が面食らい、次の手を打ちあぐねているのでしょう。言い換えればこうした事態に対し、彼らは免疫が無いのです。
     相手が茫然自失、ただただ突っ立っているだけと言う今、あたくしたちが何を仕掛けようと、難なく成功する可能性は非常に高いと言えます。……と、これがまず、一つ目。
     もう一つ、あたくしたちにとって有利なのは、央南連合の混乱に付け入ることができると言うこと。現体制において既に東部が離反し、残った西部も内部分裂しかかっています。ですが、あたくしと懇意にしているある人物が連合の中枢におり、しかもこの混乱を収められる策を有しております。
     そしてあたくしとその人物とで、密約をかわしております。彼が主席になった暁には、紅丹党を此度の戦いの旗頭にすると。
     即ちあたくしたちが、央南連合軍を率いる権限を手に入れられるのです」
     自信満々に、そして雄弁に展望を語る辰沙に、幹部たちは一様に賛辞を贈る。
    「素晴らしい!」
    「流石は先生だ!」
    「ふふ、それほどでも」
     取り巻く歓声に、辰沙はにこにこと笑って応えていた。



     三者三様の事情と感情がぶつかり、混ざり合いながら、央南は連合成立以来、最大の転換期を迎えつつあった。

    白猫夢・紅丹抄 終
    白猫夢・紅丹抄 7
    »»  2015.05.15.
    麒麟を巡る話、第527話。
    占領地懐柔。

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    1.
     緒戦で紅丹党に出鼻をくじかれたものの、白猫党は東部主要都市を占領後、予定されていた通りに、次の行動を開始した。

    「つ、つまり?」
    《申し上げた通りです》
     青州の州都、青江。
     その街の主、ひいては青州の統治者である長浜氏は、連合の会議から本拠地に戻るなり、白猫党から通信機を渡され、話をしていた。
     会話の相手は勿論、白猫党の党首シエナである。
    《繰り返しになりますが、我々は何が何でも『我々の手で青州を統治したい』、などとは考えておりません。有識、かつ良識を持つ方が元々の領主であるならば、その方にこれまで通りに統治をお任せして然るべき、と考えております。
     そして我々が行った調査により、ナガハマ大人はその評価に値する方であるとの確証を得ております。であれば、これまで通りに統治権をお任せしたいと考えております》
    「そう、です、か」
     長浜は複雑な表情を浮かべつつ、シエナの言葉に聞き入っている。
    「しかし……、無論、何かしらの交換条件と言うか、見返りは要求されるのでしょう?」
    《ええ、ソレは無論》
    「……やはり」
     長浜は周りに並ぶ白猫党員を見渡し、ため息をつく。
    「はあ……」
    《如何されましたか?》
    「ため息も出ると言うものです。
     そもそもこうして街を襲い、占拠すると言う時点でまともな事態ではないと言うのに、その張本人であるあなた方から、取引めいた話を持ち掛けてくるとは。
     盗人猛々しいと言う他ありません」
    《ソレについては申し訳がない、……としか。とは言え、ソコまで非道を働いたつもりはありません。
     事実、我々は無抵抗の者を嬲ったり、抵抗した兵士を殺害したりと言うコトは一切しておりません。主要施設と街道の封鎖も行っていますが、大人ご自身が戻れる程度には、警戒を緩めておりますし。
     実際、今現在は何の苦労や代償もなく、お屋敷に戻られているでしょう?》
    「それは……、まあ」
    《ともかく交換条件については、次の通りです。
     まず第一、必須として、我々に恭順していただくこと。即ち、央南連合を脱退していただくことです》
    「何ですって?」
    《コレが成されなければ、統治権を認めるわけには参りません。
     ですが冷静に考えれば、コレは至極当たり前の話。町長が二人いては、街が治まるわけが無い。それと同じ話ですから。納得していただけますか?》
    「理解はできます。ですが納得はしかねます」
     長浜は依然として、表情を崩さない。
    「確かに長が二人では、どんな組織もまとまりはしないでしょう。
     仮に私があなた方と連合、両方に与せば、この青江と言う大都市ですら半年と経たず混乱をきたし、破綻してしまうのは目に見えたことです。その理屈は理解できます。
     ですが一方、あなた方に与せず、これまで通り連合に属しても、理屈は通る。違いますか?」
    《そうですね、理屈は。しかし安全性、そして誇りと正当性はどうでしょうか?》
    「どう言う意味です?」
    《我々が言うまでも無いコトですが、今回こうして、対外的な勢力によって襲撃を受けたにもかかわらず、あなた方はほとんど抵抗もできず、そして今でさえも、央南連合軍による奪還の動きは無い。この認識に誤りがありますか?》
    「無いです」
    《おかしい話ではないのですか?》
    「あなた方からそんな話をされることがですか?」
    《確かにまあ、ソコもおかしいと言えばおかしいですが、ソレは置いておいて下さい。問題はソコではありません。
     そう、最も問題なのはこうして襲われているにもかかわらず、『取り返す』と言う話が現実化しないコトです。橘喜新聞社を除く多くの報道機関が報せているように、連合は極端に消極的であり、奪還に動く気配は微塵も無い。
     ソレとも実は報道管制を敷いていて、連合は奪還の計画を練っている、とでも?》
    「それは、……いや、そんな話をあなた方にすることはできません」
    《隠さなくても結構です。実を言えば我々は連合に関する会議・会話をある程度、把握しております》
    「え……!?」
    《ですので先日の会議における央南東部陣からの要請、即ち奪還のために挙兵を要請したにもかかわらず、ああだこうだとタチバナ主席に言い訳をされ、結局は却下された。
     その辺りの事情は十分に存じております》
    「……」
     一転、長浜の顔は蒼白になる。それを見透かしているかのように、シエナが畳み掛けてきた。
    《そもそも、タチバナ氏が主席の座にいるコト。ソレ自体、ナガハマ大人は良しとはされていらっしゃらないのでは?》
    「う……っ」
    白猫夢・背談抄 1
    »»  2015.05.17.
    麒麟を巡る話、第528話。
    ねじ曲げられる規範。

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    2.
     シエナの看破に対し、妙な声を漏らした長浜は口を抑える。
     しかしそんな動揺も、シエナは通信機越しに見透かしたらしい。
    《思っていない、……と言うコトは無いはずです。
     現状の連合はソレこそ、先程の『町長二人』の例えに近い状況でしょう? 組織のただ一人の長であるはずの主席の隣に、別の長がいるような状態。統治と言う面から考えれば、コレは異常な事態にあるのではないでしょうか。
     もっとはっきり言えば、主席は共に連合を担うべきあなた方を、まるで信用も信頼もしていない。単なる金ヅル、手駒、緩衝材と言う程度にしか考えていないはずです。そして今後もその扱いは変わらない。
     そしてもっと、もっと、はっきり言えば。タチバナがいる限りあなたは、いいえ、連合に属する誰もが未来永劫、主席にはなれない》
    「なん……っ」
     声を荒らげかけるが、長浜は再度口を抑え、黙り込む。
    《絶対になれるとは考えていないまでも、もしかしたら、とは思っていらっしゃったはず。しかしその仄かな目論見、可愛げある野心も、決して実りはしないのです。
     何故ならタチバナは、今後何年、何十年も、自分が主席であり続けようと画策しているからです》
    「まっ、……まさか」
     長浜の額から、ぽた、と汗が垂れる。
    《コレは適当に言っているワケでも、タチバナを無理に貶めようとしているワケでもありません。確証があって申しているコトです。
     大人、あなたも薄々とは感じていらっしゃったのでは?》
    「仮にそうだと、……いえ」
     何度も心中を看破されたためか、長浜は一旦言葉を濁しかけたが、やがて率直にうなずいた。
    「そうですね、もしかしたらそうではないか、……と言う思いは、ええ、あります」
    《素直になっていただけて、ほっとしています。であれば、根拠は申し上げるまでも無いようですね》
    「いえ、聞いておきたいところです。私個人としての予感はあっても、客観的で納得の行く根拠は持っていませんから」
    《では、申し上げましょう。
     現在、タチバナは既に主席を3期努めています。連合法やこれまでの慣習では、4選以降は禁止であり、3選以降は名誉職に退き、自分が元いた席には後任を立てる、とされています。
     ところが3選目にあり、そろそろ後任を立てねばと言う時期にあるはずのタチバナは、それらしい措置を何ら執っていません。主席の座に就くほど優秀な方が、何故何の用意もされていないのでしょうか》
    「それだけでは、ただの推測では……」
    《勿論、他にも根拠はあります。
     いわゆる同盟との『裏取引』問題の裏、彼女はその取引に関わった者たちをすべて調査・記録しています。その反面、彼女自身は取引に手を付けていない。何故だか分かりますか?》
    「潔癖だから、……では無いですよね」
    《自分の有する新聞社で世論操作を試みるような人間が潔癖だとは、私には思えませんね。ですが近いと言えます。潔癖なのではなく、潔癖に見せたいのです。
     つまり主席は、自分は責められず、かつ、他人を責められる立場に回りたいのです。言い換えれば……》
    「……恐喝、ですか」
    《そうでしょうね。機あれば『裏取引』を材料にゆすりを働き、己の要求を通すつもりなのでしょう。
     そう、その要求とは即ち、法改正。連合の規則を己の都合良いように捻じ曲げる際、彼らをそれに賛成させようと言う算段を整えているのでしょう。それが4選禁止の解除であろうと、終身制の採択であろうと》
    「しかし連合法は現在、幹部陣の過半数の賛成を得られなければ改正することはできません。私もすべてを知っているわけではありませんが、『裏取引』に関わっていた幹部はせいぜい、3分の1程度であると……」
    《ええ、最高幹部における30議席のうち12名、過半数には至りません。それだけでは改正など不可能。
     そこで同盟の力、です》
    「同盟総長である夫の政治権力を後ろ盾に、……力ずくで、ですか」
    白猫夢・背談抄 2
    »»  2015.05.18.
    麒麟を巡る話、第529話。
    連合崩壊。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     長浜の声には、最初にあった張りが失われている。シエナの言っていることを彼女自身、薄々勘付いていたのだろう。
    《実際、ここ数年はその傾向が強まりつつあったはずです》
    「ええ。そうです、確かに」
    《タチバナと、そして夫ナイジェルの企みだったのでしょう。
     連合の権力者たちに汚い金儲けをさせ、腐った利権で私腹を肥やさせ、そしてそれらを糾弾するコトで、連合を牛耳ろうとした。ですが連合の誰もが薄々とこのからくり、罠に勘付いていながら、しかしソレを主だって指摘することはできなかった。
     ソレは結局のところ、タチバナに同盟と言う後ろ盾があり、あなた方には無かったコト。ソレに尽きるのではないですか?》
    「……だからあなた方へ付き、同盟に反抗しろと?」
     強張った声で尋ねた長浜に、シエナはやんわりとした声で返す。
    《戦おうと、戦うまいと、どちらでも構いません。
     私たちは間違いなく、連合と戦うつもりです。しかし私たちと手を組むあなた方にまで、ソレを強制などはしません》
    「と言うと、つまり?」
    《そのままです。我々に協力するからと言って、そのまま白猫党の傘下になれと言う話ではありません。言うなれば協力、業務提携です。
     我々は連合と戦い、最終的に彼らの持つ全権力を奪取する。あなた方は私たちからソレを借り受ける代わりに、我々に物資を供給するコトを約束する。
     取引としては極めて健全、公正なものと思われますが、如何でしょうか?》
    「そんな都合のいい……」
    《ええ、都合のいい話です。あなた方にとっても、そして私たちにとっても。
     考えても見て下さい。私たちの本拠地は央北にあります。コレは物理的に、あまりに遠い距離。私たちが直接統治しようものなら、コレはもう、目隠しした状態で人形劇をするようなもの。ミスによる嘲笑こそ誘えど、狙い通りの芸を見せて感動させるコトなど、とてもとても。
     そしてもう一方、今現在の問題として、兵站(へいたん)面での問題もあります。繰り返しますが、あまりに遠すぎるために、物資の供給や兵士・党員の治療や保養も、十分な水準にはありません。
     その問題を解決する最良の方法は、あなた方からの協力を得るコト。今は物資を補給し、そしてゆくゆくは『新たな央南連合』の一員として、我々と協力関係を築いてもらう。
     あなた方にお願いするのは、そんな簡単なお話です》
    「……」
     長浜はすぐには答えず、沈黙が流れる。
     そして1分か、2分か経って――長浜は乾いた声で答えた。
    「……どの道、今の連合には疑念と嫌悪感しか抱きません。連合の体制が清浄になると言うなら、願ってもない話です。
     分かりました。青江は連合を脱し、あなた方に協力いたします」
    《ありがとうございます》
     間を置かず、シエナの嬉しそうな声が返って来た。



     長浜女史に打診したこの話同様、白猫党はこれまでのように各都市を占領後、そのまま既存の政治権力を抑え込むようなことをせず、「後方支援を白猫党に行う代わり、後に白猫党が央南連合より統治権を剥奪した時、これを貸与される」と言う条件の下、東部各地の権力者たちと相互協力の関係構築を申し出ていた。
     元より現在の央南連合に嫌気が差していた東部陣の面々は、ことごとく白猫党と協力を結び――結果、央南連合から青州、翠州、白州の東部3州が脱退することとなり、2世紀以上続いてきた央南の統治体制が崩壊した。
     これにより連合の支配圏、ひいては経済圏が大幅に縮小することとなり、玄銭は著しい大暴落を記録。それを皮切りに、白猫党が事前に予想していた数々の混乱・凋落が、央南連合に次々と表れた。

     そしてこれは、ある面においては非常に小さな、しかし別の面では国際的に大きな影響のある問題を発生させた。
     連合主席である橘飛鳥と、同盟総長である春司・ナイジェルの不和である。
    白猫夢・背談抄 3
    »»  2015.05.19.
    麒麟を巡る話、第530話。
    央南を巻き込む夫婦喧嘩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    《いい加減にしてよッ!》
     電話口からキンキンと聞こえてくる怒鳴り声に顔をしかめつつ、春司は弁解しようとする。
    「確かに君の怒りは分かる。僕だって現在の状況を鑑みるに、憤懣やるかたないと言うしか……」《ゴチャゴチャうるさいッ! 要は来るのか来ないのかって言ってんのよ!》
     しかし飛鳥は相当頭にきているらしく、春司の言葉を遮ってくる。
    「行くよ、行くつもりだって。でも前回はさ、白猫党に邪魔されちゃったし。だから今度は王国から兵士を連れて、強行突破するつもりさ」
    《ソレ、いつの話になんのよ?》
    「そんなに待たせないさ。今ちょっと、王国との交渉が長引いてるけど、一両日中、遅くてももう一日プラスくらいでまとめる。
     まとまり次第すぐ、出発するよ。大丈夫、白猫党だろうが何だろうが、王国の装備なら蹴散らせてしまえる」
    《いつ着くの?》
    「首尾よく行けば軍用の高速艇も借りられるだろう。そうなれば1週間もかからない。全部合わせて10日ってところだろう」
    《アンタって毎度毎度そうよね》
     と、飛鳥の刺々しい声が返って来る。
    《楽観的推測をさも当然起こるように言うわよね? 上手くいかないコトだってあるでしょ?
     もし王国との交渉がまとまんなかったら? もし高速艇が借りられなかったら? もし、白猫党に王国軍も負けたら? アンタ、来られるの?》
    「心配性だな。僕が交渉事で失敗するようなことは、今まで無かった。そうだろ?」
    《よしんば交渉がまとまるとしても、ソレがアンタの狙い通り、2日や3日でまとまる保証は無いわ。ソレとも確証があるの?》
    「あるとも。僕は王国、それも議会をはじめとする政界に対し、豊富なコネクションを有している。それを利用すれば、どんな願いだって――まあ、流石に『僕を王にしろ』と言うのは無理だけど、それ以外なら――叶う。
     王国は実質、僕が牛耳っているようなものさ」
    《大した自信家ね。じゃあもう一つの、王国軍が白猫党に勝つ保証は?》
    「確かに白猫党のここ数年の勢いは、圧倒的な軍事力に寄るところが大きい。名だたる先進国が敗北していることを考えても、相当な実力を持っていることは否めない。
     だけど王国だって、軍事技術に関しては最先端を行く。白猫党に一方的にやられるようなことは、まず無いさ。どれほど最悪でも、上陸できないなんてことは絶対ありえない」
    《……》
     飛鳥からの応答が切れる。
    「まだ不安?」
    《不安よ》
     返って来た声には、未だ苛立ちの色が抜けていない。
    《白猫党に対しての具体的対策が、まるで見えてこないじゃん。『王国は強いんだから誰にも負けたりしない』って、そんなの雪国でぬくぬく過ごしてるアンタの、一方的な理想や希望でしょ?
     教えなさいよ。アンタはどうやって、白猫党の海上封鎖を破るつもりなのよ?》
    「それこそ、それは交渉が実ってからの話だよ。今あれこれ考えても、現実に則したものになるかどうかはまだ分からないからね。
     その話は最低限、交渉が実り、南下するための陣容が定まってからじゃなきゃ」
    《……》
     再び、飛鳥の応答が途絶える。
    「それより、君に頼んでた件はどうなったのかな」
    《……》
    「ほら、『桜切り』の話。僕が到着してすぐ、取り掛かりたいくらいなんだけど。行けそう?」
    《……ざけんな》
    「え?」
     次の瞬間、飛鳥の怒鳴り声が電話機の容量を超え、ビリビリと音割れして轟いてきた。
    《ふざけんなって言ってんのよおおおおーッ!》
    「……っ、な、なんだよっ、急に」
    《いっこも現実的なコトを言いもしないで、あたしにアレやれコレしろって偉そうに命令して、何様のつもりよッ!?
     アンタ、マジで王様にでもなったつもりなの!? あたしを何だと思ってんのよ!?》
     薄々、飛鳥自身も春司が自分を見下していたことを感じていたのだろう――その叫びに近い怒鳴り声には、夫に対する嫌悪感がにじんでいた。
    《あたしはアンタの何!? 奴隷とでも思ってんの!? アンタから全然、あたしと対等だって考えが伝わんない! 命令、命令、命令! 全部命令ばっかり!
     もういい! アンタと話なんかしてらんない! 勝手にやらせてもらうわッ!》
    「飛鳥? ちょっと、飛鳥!? ねえ、ねえって!」



    「……くっ」
     この会話を傍受していたシエナは、口に手を当てつつ、肩をプルプルと震わせる。しかしやがて我慢しきれなくなったらしく、大笑いし始めた。
    「あっは、……はは、あははははっ、ば、バカ、……っひ、ひはは、バカじゃない、コイツ、くっく、く、ふっ、あはははははっ」
    「何と言うか……、まあ、総裁御自らの重要な仕事とは言え……」
    「あはは……、ええ、言いたいコトは分かるわよ。確かに趣味が悪いわね、こんなコトで笑っちゃうって言うのも。
     でも、本当、バカ過ぎて、……ぷぷっ」
     シエナとともに会話を聞いていたトレッドは、肩をすくめる。
    「その点については、一部同意せざるを得ませんな。
     ナイジェル卿の隙と言うか急所と言うか、弱点が今の会話に凝縮されていたこと。確かに失笑を禁じえません」
    「でしょう? ……さてと、ココからが裏工作の動かしどころよ。
     気を取り直して、仕掛けてもらうとしましょうか」
     シエナは爆笑でにじみ出た涙を拭きながら、電話の受話器を手に取った。
    白猫夢・背談抄 4
    »»  2015.05.20.
    麒麟を巡る話、第531話。
    春司、孤立。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     春司が「自分の思い通りに事が運ぶ」と高をくくっていた王国首脳陣との交渉は、結果的に言えば失敗に終わった。
     彼が動き出す前に、白猫党がそれら首脳陣に対して、工作を仕掛けていたからである。

    「君の要請は却下だ」
    「いやいや、そんなことを仰らずに」
     国王ですら言うことを聞かせられると侮っている春司は、笑みを浮かべて主張する。
    「これは王国にとって利、意味のある行為です。
     同盟の片翼である央南連合を助け、恩を売っておくことで、同盟における王国の、今後の立場を向上させることにつながります。今は内輪もめし、分裂・破断の危機にあるとは言え、それは白猫党からの干渉によるもの。
     我々が白猫党を駆逐し、央南を元の状況に戻せば、分裂している意義を失い、元の結束を取り戻すことは明白。その時には我々は、混乱の渦中にあった央南を再統一させた立役者として高く評価され、混乱以前よりもっと良いパートナーとして……」「だから参戦せよと言うのか?」
     べらべらとまくしたてる春司をさえぎり、王国のカートマン首相は首を大きく横に振る。
    「なるほど、確かに今は央南連合は同盟の片翼、同盟の大部分を占める要所だ。だが君の言う通り、今は混乱に飲み込まれ、崩れ去ろうとしているのが目に見えている」
    「そうでしょう? そこを救って……」
    「だが結局は対岸の火事、そして彼らの自業自得であることも事実だ。いくら同盟と言うものがあるとは言え、これは過度の内政干渉、国際面から見ても不必要な横槍でしか無い。
     これは私一人の意見では無い。内閣閣僚の総意であり、そして陛下のお気持ちでもあるのだ。無闇に救え救えと主張しているのは結局、君一人なのだ」
    「いやいや、私だけでは……」
     否定しようとした春司に、首相は一通の手紙を差し出す。
    「陛下からのお達しだ。『今後一切、シュンジ・ナイジェル卿の意見を排すべし』と言う内容のものだ」
    「……は?」
     そんなことを言われるどは思ってもいなかったのだろう――春司は何を言っているのか分からないと言いたげな、ぽかんとした顔になった。
    「我々はある筋よりナイジェル卿、君が央南侵攻を目論んでいることを伺っている。
     君のこれまでの、同盟と央南連合に関する発言および行動を鑑みるに、その意思があることはあまりにも明白、疑いようが無いのだ。
     我々は央南を自分たちの支配下に置こう、などと言う荒唐無稽なことは考えもしていない。そんなことをする意義も無い」
    「意義はありま、……い、いや」
     これまでのように、春司はとっさに首相の意見を否定しようとする。だがそれは自分の野心を肯定することにつながる。
     慌てて口をつぐんだが、時既に遅かった。
    「馬脚を現したな、ナイジェル卿」
    「……っ」
    「君のとんでもない目論見は既に明らかとなったし、君と話をする理由は無くなったが、あえて、我々の主張を続けようか。
     確かに政治・経済面において、我々は今現在、大きな危機を迎えている。すべては同盟内で行われた『裏取引』のためだ。この一件において潔白を証明できないがために、我々は諸外国との取引をことごとく停止させられ、残るは央南連合とのパイプだけと言う、極めて危うい状況にある。
     そう、その点が大いに問題なのだ。我々の顔に泥を塗った同盟に参加し続ける意味など、最早無い。潔く脱退すると共に『裏取引』に関わった者を一掃し、我々の潔白を広く知らしめることが最善であると考えている。
     ところが唯一、君だけが強固に同盟存続、連合への介入を主張し続けていた。その主張を、君はあれやこれやと理屈を並べ立て、まるで最善の策、それどころか公然の事実であるかのようにつくろってはいたが、君のの立場に焦点を当てて考え直せば、これは結局、君の私利私欲から来ている話であることは、やはり疑いようが無いのだ」
    「……」
     春司の額に、汗が浮き出ている。
     それまでとは打って変わって一言も発さなくなった春司の背後に、官吏が2名、そっと佇む。
     それを受けて、カートマン首相は春司に言い放った。
    「シュンジ・ナイジェル卿。たった今を以って貴君は、外務大臣の任を解く。その他、王室政府において就いていた要職に関しても、すべて更迭・罷免する。
     貴様のような卑劣漢に、これ以上寄生はさせん」
     春司は官吏に両脇を固められ、そのまま部屋の外へと引きずられた。



     その後のジーン王国の行動は、非常に素早かった。
     春司が更迭されるや否や、「裏取引」に関わっていた国内の人間をすべて検挙し、軒並み厳罰を加えると共に、西大海洋同盟からの脱退を発表。
     これにより、国際的な評価は若干ながらも回復。停止していた貿易網の3割が復活し、王国はどうにか窮地からの脱出の、足がかりを得ることとなった。

     一方、春司は王国とのパイプを全て断たれ、残った地位は西大海洋同盟の総長だけとなった。しかし既に主要国がことごとく脱退しており、残る加盟者は、転落の渦中にある央南連合のみである。
     最早「裸の王様」でしか無くなった春司は――大臣更迭から間もなく、失踪した。
    白猫夢・背談抄 5
    »»  2015.05.21.
    麒麟を巡る話、第532話。
    極秘電話会談。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     春司自身にとっては青天の霹靂としか思えなかったであろうこの更迭劇も、実は数週間前――白猫党が央南東部へ侵攻する前から、入念に工作された結果であった。
    「裏取引」問題が表面化し、ジーン王国が糾弾された直後、シエナをはじめとする白猫党の幹部陣は密かに、王国と連絡を取っていたのだ。

    《今度は我々を侵攻の標的にする、……と言うことでしょうか?》
     重い口調でそう尋ねたカートマン首相に、シエナも堅めの口調で返す。
    「今後の、あなた方の対応次第です」
    《対応、……交換条件と言うことでしょうか》
    「そう言う見方もできます。しかし丸っきり、取引と言う話でもありません。具体的に、我々に対して何かをしろと言う話ではないですし」
    《どう言う意味です?》
     首相の声が、けげんなものになる。
    「一つ一つ要素を確かめていけば、結局は単純な話です。
     まず第一、我々が現在標的にしているのは、中枢の不正が明るみになり、人民の信頼を急速に失いつつある央南連合です。
     反面、あなた方の中にもその不正に加担した者はいますが、ソレはごく少数であり、決して王国の屋台骨から腐っている、と言うような事態には至っていない、……と言うコトも把握しております。
     つまり『腐敗・堕落した支配層を打倒する』コトを党是・目標とする我々があなた方を標的にする可能性は、現時点においては極めて少ないのです」
    《……ふむ》
    「第二に、今は混乱の渦中にあるとは言え、このまま央南連合を相手にすれば、かなりの抵抗を受けるおそれがあります。
     西大海洋同盟と言う協力関係、縛りがある以上、連合が攻撃を受ければ、王国は手を貸さざるを得ないでしょう?」
    《ええ、そうなります》
    「はっきり申し上げれば、ソレはあなた方にとって無駄な出費以外の何物でもないのでは?」
    《本当にはっきり申しますな。……これは私見ですが》
    「ええ、存じております」
    《確かに貴君が仰るように、連合の紛糾は対岸の火事もいいところ。そこへわざわざ兵を派遣することは、我々にとっては取引相手の維持以外に、大した意味は無いでしょうな》
    「その取引も、ケチが付いているはずです。正直、今後の関係も見直さねばならないとお考えでは?」
    《確かに。今後また、彼らとの関係において後ろめたい状況が発生することも、十分に考えられますからな》
    「我々にとっては敵の強大化につながり、あなた方にとっては遠慮したい出動。となれば双方の思惑が一致するコトになります」
    《なるほど。つまりあなた方が央南への侵攻を開始する際、我々に動かないでほしい、と》
    「そう言うコトです」
    《確かに『何かをしろ』と言う話ではないですな。しかし……》
     シエナの申し出に対し、首相は渋る様子を見せる。
    《現在、我が国の重鎮であるナイジェル卿が、それを容認するかどうか。
     彼は同盟の総長であり、央南の血を引いている。連合が危機に見舞われたとなれば、強固に援護を主張するでしょう》
    「ソレについて、第三の要素ですが。
     コレは私たちとあなただけの秘密にしていただきたいのですが――我々は現在、ナイジェル卿と、その妻であり連合主席であるタチバナ氏とのホットラインを、秘密裏に傍受しています」
    《なんと》
    「そしてその内容から、彼がかなり危険な思想を抱いているコトを突き止めています。
     ナイジェル卿はタチバナ主席と共謀し、央南を王国の支配下に、……いいえ、『自分の』支配下に置こうと画策しているのです」
    《馬鹿な!》
    「証拠があります。先程お伝えした会話の傍受内容を録音しており、その中で何度も言及されています。
     また、『桜の伐採』と称して、焔紅王国を侵略する計画も、かなり入念に練っています。このまま彼の言うコトに従えば、いずれ『裏取引』以上の暴挙に出るであろうコトは、目に見えています」
    《むう……》
    「そうでなくとも、彼はタチバナ主席との会話において『自分の思い通りにならないことなど何一つ無い』『王でさえもひざまずかせられる』と放言しています。
     まあ、ソレだけなら思い上がりと一笑に付すコトもできますが、彼には実際、その力があります。このまま彼を放っておけば、その言葉通りの事態を招きかねないと思うのですが」
    《確かに……、否定はできかねますな》
    「そこで、協力です」
     シエナはにやりと笑みを浮かべながら、こんな提案をした。
    「彼の権力の根源は、西大海洋同盟にあります。しかし『裏取引』の発覚により、同盟からは加盟国が次々と撤退しています。即ち今、同盟の力は弱まっているのです。
     今こそ、ナイジェル卿を排除する絶好の機会です。むしろ今排除しなければ、彼は必ず何らかの形で、勢力を盛り返すでしょう。
     彼は紛れも無く智者であり、多少不利な形勢でも覆しうる力を持った巨魁です。となればこの機に乗じ、徹底的に彼から逆転の機会を奪わなければ、彼を止めるコトは不可能でしょう。
     幸い、我々には彼を2週間は身動きできなくさせる策があります。その後はあなた方で、彼の動きを止められるように取り計らった下さい」
    《……分かりました。ご厚意に感謝いたします》



     そしてシエナが予告した通り、春司はこの極秘会談の後、央南上陸を阻まれて西大海洋上で立ち往生。
     その間隙を縫うように、王国側も北方における春司の牙城を崩すべく動いた。

     白猫党と王国の密かな企みは、春司の落魄と失踪と言う結果を以って、実を結んだ。
    白猫夢・背談抄 6
    »»  2015.05.22.
    麒麟を巡る話、第533話。
    飛鳥失脚、そして……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     春司の失踪は、一時彼を疎んじた飛鳥にとっても、致命的な痛手となった。
    「橘主席!? これは一体、何なのですか!?」
    「な、何がでしょうか?」
     飛鳥は平静を装って応じるが、その声は浮ついており、視線も定まらない。
    「東部陣営が白猫党に寝返った今、我々が行うべきは制裁! しかし主席のこの案は、奪還にしか言及されていないではないですか!
     状況はとっくに変わっているのです! 主席、あなたはこの数週間、何を聞いていらっしゃったのですか!?」
    「あ……、いえ、その、……その」
     弁解もままならず、飛鳥はうつむいてしまう。
     既にこの時、飛鳥は精神的に相当参っており、まともな思考ができるような状況ではなかったが、周囲は容赦なく飛鳥を突き回してくる。
    「その……、その……」
     会議を二回、三回と繰り返す内に、飛鳥は目に見えて衰弱していった。

     そして574年の半ば、心労を募らせた橘飛鳥はついに倒れ、そのまま主席の座から離れることとなった。
     ちなみに彼女は後任を立てていなかったため、橘家、そして橘家に近しい者は連合の中枢に入ることができず、連合に関する利権を失った。



     そして橘飛鳥の失脚後、連合は次の主席を立てるべく、新たに会議を催すこととなった。
    「立候補される方はいらっしゃいますか?」
    「……」
    「……」
     だが、議長の言葉に手を挙げる者は現れない。国際的に信用を問われ、白猫党が迫る今、この席に就けばその責を一手に問われることになるからだ。
     と――薄桃色の毛並みをした、30代半ば辺りの狐獣人が手を挙げる。
    「天原さん、あなたが?」
    「ええ」
     手を挙げた彼自身もその懸念を抱いているのだろう。挙手したものの、その目にはわずかに迷いが見て取れる。
     しかしその口からは、毅然とした声が発せられた。
    「誰かがやらねばならぬこと。誰もやらないのであれば、私がやりましょう。
     私が一連の問題に対し、可能な限りの収拾を付けます」
    「策はあるのですか?」
     尋ねた一人に、天原と呼ばれた狐獣人は小さくうなずいた。
    「十全とは言えませんが、有効と思われるものはいくつか。
     私の情報網によれば、既に北方における『裏取引』関係者は、すべて処分されているとのことです。一方、連合に残る方々の中に未だ責任を果たさず、罰も受けていない方がいることは事実です。
     とは言え今、それをどうのこうのと取り沙汰しては、まとまるものもまとまらないでしょう。何より避けなければならないのは、白猫党と戦う前に我々が分裂し、攻撃も防衛もできなくなってしまうことです。
     ついてはこの問題を、期限付きで不問とすることを提案します」
     天原の発言に、場は騒然となる。
    「そんなことが許されるものか!」
    「責任を問わず、のうのうと過ごさせると!?」
    「ですから期限付きです。私とて、不義や不正に対し何の罰も与えず、与えられずでは、納得が行くはずも無い。
     しかし重ねて申し上げますが、我々がバラバラになってしまうことは、白猫党にとっては思う壺。連合と言う巨岩を受け止めることは困難ですが、それが分裂・分断して小石となった時、白猫党がそれを脅威だなどと思うことはありえません。
     それは白猫党の基本戦略なのです。強い敵はまず、弱らせる。巨大な敵はまず、小分けにする。白猫党の常勝無敗の秘密は、最新鋭の兵器にあるのでも、ましてや『預言』などと言う怪奇にあるのでもない。『強大を弱小に変える』と言う作戦、これにこそあるのです。
     であれば、どんな理由であれ分裂することは、結果的に連合の敗北、ひいては央南全土の敗北につながります。その分裂の阻止。これを第一に考えねばなりません」
    白猫夢・背談抄 7
    »»  2015.05.23.
    麒麟を巡る話、第534話。
    央南の内乱、ふたたび。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     未だ納得の行かなさそうな面々に、天原は続けてこう主張する。
    「ともかく眼前にある問題を片付け次第、『裏取引』について徹底的に関係者を洗い出し、糾弾することを提案します。
     まず第一に、白猫党と戦う姿勢を整えること。それが最優先であることは、皆さんも納得していただけると思われますが、如何でしょうか」
    「……」
    「……むう」
    「仕方無いか」
     天原の意見に、皆が渋々同意する。
     しかし一方で、安堵したような空気もほのかに漂っている。それは間違いなく「裏取引」に加担していた者たちが発したものである。
     それを感じてか、天原の狐耳がピク、と動く。
    「同意していただけて何よりです。
     では2つ目の策について説明します。『紅丹党』と名乗る者たちについて、うわさなり何なりを耳にした方はいらっしゃるでしょうか?」
    「くたん……区担当?」
    「いや、知らないな」
    「聞いたことがあるような……」
    「確か唯一、白猫党を追い返したと」
     天原はうなずき、さらに言及する。
    「そう、その彼らです。いや、彼女らと言うべきか」
    「彼女ら?」
     尋ねられ、天原はこう返した。
    「実を申しますと、その紅丹党を率いているのは私の妹なのです」
    「ほう?」
    「現在、央南に陣取っている白猫党に唯一、対抗しうる戦力です。
     彼女らと央南連合軍、そして州軍およびあなた方が有する私兵を合わせれば、私は白猫党を央南から完全に一掃することすら可能であると、確信しております。
     私を主席に推薦・任命していただければ、私はきっと、央南全土を我々の手に取り戻すことができると、確約いたします」
     自信満々に宣言した天原に強い信頼感を抱いたらしく、賛成多数で彼が新たな主席となることが決定した。



    「兄上から連絡がありました」
     大月、紅丹党本部。
     辰沙は同志を集め、央南連合で決定した内容を伝えていた、
    「既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、あたくしの兄、天原柏は央南連合における最高幹部の一人です。
     その兄が本日、央南連合の主席に就任いたしました」
    「重畳!」
    「天原家、万歳!」
    「おめでとうございます!」
     一同に頭を下げられ、辰沙はにこにこと笑う。
    「ありがとう。ですが本題は、ここからです。
     兄上によれば、近いうちに西部各州の州軍と央南連合軍が合同で、この大月に集結するとのことです。
     つまり彼らは、あたくしたちと共に戦うことになります。無論、あたくしたちを旗頭にして」
    「おおっ……!」
     この発表に、同志たちがどよめく。
    「兵の総数は?」
    「まだはっきりと確定してはおりませんが、最低でも10万とのことです。対する白猫党は、どんなに多くとも2万以下であると推察されます。
     もっとも、白猫党が増援を送る可能性もありますけれど、彼らの本拠地は遠い央北の地。到着には時間がかかります。どれほど早くとも、2週間以上は必須。それよりあたくしたちが攻め込む方が、圧倒的に早いはずです。
     後は首尾よく兄、いいえ、天原主席が兵をこの大月に送ってくれれば、あたくしたちの白猫党駆逐は現実のものとなるでしょう」
     これを聞くなり、同志たちが騒ぎ出す。
    「なんと心躍ることか!」
    「我々がたのみにされているとは……!」
    「冥利に尽きる……!」
     彼らの反応に気を良くしたのか、辰沙も饒舌になる。
    「ここがあたくしたちの転換点となるでしょう。これまで不当な扱いを受けてきたあたくしたち焔流の剣士たち、そして様々な理由で冷遇されてきた兵卒の皆さん。
     それが今、白猫党駆逐の急先鋒、要の戦力として期待されております。そして実際に駆逐すれば、あたくしたちは英雄として絶大な賞賛を受けるのです」
    「うおおっ……!」
    「勝つっ……! 絶対勝つぞっ……!」
    「見返してやるっ……!」
     同志たちの中には、涙を流す者さえいる。
     そんな彼らを、辰沙は依然にこにこと笑みを浮かべ、どこか嬉しそうに眺めていた。

    白猫夢・背談抄 終
    白猫夢・背談抄 8
    »»  2015.05.24.
    麒麟を巡る話、第535話。
    兄妹の冷たい会話。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     双月暦574年6月末。
     新主席天原の指示の下、央南連合下の各州軍と央南連合軍による混成軍が、玄州の北東端の街、大月に到着した。
    「ようこそおいで下さいました」
     大軍を伴って現れた自分の兄、天原柏に、辰沙はにこにこと笑って挨拶する。
    「元気そうで何よりだ。一時期のお前と言ったら、本当にどうしようもなく……」「昔のことですわ」
     兄の話を遮り、辰沙が尋ねる。
    「それでお兄さま、詳しいことについては結局、電話でほとんどご連絡下さらなかったけれど、どれくらいの規模でお越しになられたのかしら?」
    「兵の数は約12万だ。それに加え、西方随一の豪商、黄商会から多数の武器供与を受けている。銃器や刀剣類は言うに及ばず、かなりの数の戦術兵器と軍用車輌、さらに軍艦も借り受けることができた」
     話しながら、柏と辰沙は紅丹党の本部へ向かって歩き出す。
    「これなら白猫党の軍事力に対抗、いいや、凌駕することさえ可能だろう。
     事実、お前たちがこの街を奪還した際に鹵獲した武器と黄商会のものとを比較してみたが、後者のものがより高威力、かつ高精度だった。
     恐らく彼らが央北で戦っていた頃から、ほとんど改良を行っていないのだろう」
    「央北での戦争は567年のこと。もう7年も前ですから、陳腐化していてもおかしくないですものね」
    「そう言うことだ。一方の黄商会は積極的に貿易を行い、西方や央中の技術も少なからず供与され、柔軟に吸収している。言い換えれば技術を磨く機会に恵まれていたわけだ。
     だが他方、白猫党にそうした機会が訪れたことは、結党以来一度も無い。何故なら『現状の装備で攻略できない』と言うような、強大な相手に出くわさなかったがために、技術向上の必要も無かったからだ。となれば必然、改良するような理由もなく、白猫党の幹部や軍司令は7年前の装備のままで問題ない、……と考えるだろう。
     当然の帰結として、装備の陳腐化は免れない。白猫党は己の優位に甘え過ぎた、と言うわけだ」
    「確かにそれは感じられますわね。あたくしたちが戦った時も、最初のうちは侮ってらっしゃる雰囲気がぷんぷんと臭っておりましたもの。
     それが驚愕、そして恐怖へと変わった時の表情と言ったら、もう……」
     にこにこと笑う辰沙を、柏が咎める。
    「人に向けられる顔になっていないぞ。上流階級の人間がする顔ではない」
    「あら、ごめん遊ばせ」
    「たった今、白猫党を『己の優位に』云々と言ったが、それは今のお前も同じだ。たった一度、白猫党に勝ったからと言って、次も同様に勝利するとは限らん。
     むしろ次に敗北するようなことがあれば、お前たちは二度と立ち直れんだろう」
    「……」
     辰沙の笑みが消える。
    「考えてもみろ。所詮、お前が集めた紅丹党とやらは烏合の衆、寄せ集めの野武士風情に過ぎんのだ。
     お前たちに今集まっている期待と信頼は、白猫党に勝利したからこそ得られたものだ。それが負けるようなことがあれば、その勝利もただの偶然、身の丈に合わぬ幸運が降っただけと見なされ、元の野武士に逆戻りだ。
     くれぐれも油断はするな」
    「十分承知しておりますわ」
     辰沙は不機嫌そうな目で、柏をにらむ。
    「あたくし、敗北の苦しみは嫌と言うほど味わっておりますの。お兄さまに言われずとも、あのような苦杯を何度も喫する気は毛頭ございませんわ。
     あたくしには勝利しかふさわしくありません」
    「慢心するなと今言ったばかりだが」
    「これは慢心ではございません。根拠のある自信です」
    「どうだかな」
     肩をすくめた柏に、辰沙はフンと鼻を鳴らす。
    「お兄さまはこの30余年、ずっとあたくしのことを役立たずのゴミ扱いしていらっしゃいましたけれど、今度ばかりはその評価、撤回させてあげますわ。
     あたくしと、そしてあたくしの率いる紅丹党の活躍。とくとご覧遊ばせ」
     そう言い放ち、辰沙は柏を置いてスタスタと歩き去ってしまった。
    「……あいつと来たら。兄とは言え、今回は連合主席として訪れたのだがな。
     それを放っておくとは、やはりろくでなしのゴミだ」
     往来にぽつんと取り残された柏は、悪態をつきながら、彼女の跡を追っていった。
    白猫夢・紅白抄 1
    »»  2015.05.26.

    麒麟の話、第10話。
    悪魔のような恫喝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     予想外のコトばかりだ!

     はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく!
     こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当!



     カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。
     でもソレによって生じる結果を見るコトが、ボクには――ソレにキミもか――できなかった。
     ボクもキミも、この世界の事柄についてあらゆる未来を予知するコトができる。その力は紛れも無く絶大だ。揺らぐコトなど微塵も考えられなかった。
     だのにカズラときたら、その絶大な力が及ばないところにまで跳躍し、ボクらの能力を無力化するなんて! ああ、本当にあの技は、あの力は忌々しいよ!
     なんでカズラをちゃんと殺さなかった? 本気でイラつくよ、なあ、アオイ!?



     そう、ソレだ。
     キミの変調もまた、ボクが予想し得ないものだった。

     ボクが思っていたより、キミは案外繊細だったらしいねぇ?
     ボクの命令に忠実に従ってくれていたのに、ココ最近、ソレを全うできなくなり始めている。
     おかげで白猫党は大混乱だ! 党首はプルプル子犬みたいに震え、幹事長やら軍司令やらは、密かに反乱を企ててる始末。ソレもコレもみんな、お前が寝込んじゃったせいだよ!
     なあ、アオイ!? いつまで寝てるつもりだよ!? いい加減にしてくれよ! なあ? なあ!? なあって! なんか言えよ!?



     アオイ、いよいよキミもダメなのか? ダメになるのか? なってるのか?
     はっ、どうやら買いかぶりすぎたらしいね! ガッカリだよ、まったく! もっとちゃんと仕事してくれると思ってたんだけどなぁ!?
     まさかこんなに早く、参っちゃうなんてね! 折角ボクが徴用してやったってのに、その責務を果たせないだなんて! あーあ、ボクがバカだったのか? 案外ボクも見る目が無いもんだね、ねえ!? キミを「天使」と思ったのに、損したよ、まったくさぁ!?

     ……なに? なんだよ、その目は? なんか文句でもあるのか?
     あるなら言ってみろよ。言いたきゃ言えよ。ほら。ほら。言えって。ほら。ほら! 言えよ! 言わないのか!? じゃあ何なんだよその目は! ……あ? ふざけるな! ボクに文句なんか言える立場だと思ってるのか!? わきまえろよ、クズがッ! 分からせてやろうか!?
     ……フン。無いならいい。無いならそんな目なんかするんじゃない。お前はボクのしもべであって、対等な関係では決して無いってコトを、忘れるなよ。



     もう一度言うけどな。さっさと起きろよ。じゃないと白猫党が潰れるぞ。
     潰れていいのか? ココまで周到に準備してきたコトが全部ダメになってもいいって言うのか?
     じゃあまたやり直しだ。お前なんかさっさと見限って、別のヤツをつかまえるだけだぜ?
     そうされたくないんだろ?



     じゃあ、やれよ。

    白猫夢・麒麟抄 10

    2015.04.01.[Edit]
    麒麟の話、第10話。悪魔のような恫喝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. 予想外のコトばかりだ! はっ、「よ・そ・う・が・い」! このボクが「予想外」なんて言葉を使うとはね! 何百年ぶりだっけねえ、まったく! こんな何もかも思い通りにならないコトばかり続くのは、タイカさんと戦って以来かも知れないよ、本当! カズラが「星剣舞」を手に入れるであろうコト。コレは予想していた。 でもソレによって...

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    麒麟を巡る話、第487話。
    ある夫婦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「お帰りなさい。おつかれさま」
    「うん……、ありがとう」
     夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。
    「あれからずっと?」
    「ずっと」
    「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」
    「うん」
    「もう午前様になってますけど」
    「まとめるのに手間取っちゃってね」
    「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」
    「ごめん」
    「食べます?」
    「勿論。腹ペコなんだ」
    「それはそうでしょう。あなた、お昼も抜いてらしたもの。お弁当も手付かずでしたから、そのまま持って帰ってきましたよ」
    「そうだったっけ……。ごめん、本当」
    「わたしのおゆはんにしましたから、それはいいです。でもちゃんと食べないと、お体、壊しちゃいますよ?」
    「気を付ける」
    「付けてらっしゃらないじゃないですか。明日はちゃんと食べて下さいよ。
     じゃ、ご飯あっためてきますから、その間にお風呂入ってきて下さいね」
    「うん」
     のろのろと風呂場へ向かう夫を見て、彼女はいたずらめかして声をかける。
    「かけあしっ」
    「あ、うん」
     慌てて駆け込んだ夫の後ろ姿を眺めながら、彼女はクスクス笑っていた。

     30分後、風呂から上がった夫に、彼女は熱燗を差し出した。
    「今夜も冷えるそうですから」
    「ありがとう、ハル」
    「いえいえ、お粗末さまです。……じゃ、わたしもお相伴、と」
     食卓の対面に座り、彼女も酒に口を付ける。
    「……あつっ」
    「大丈夫?」
    「ええ、わたしちょっと猫舌なので。でも、ちょっとあっため過ぎたかしら」
    「丁度いいよ、僕には」
    「良かったです。……わたしは、もうちょっと冷ましてからいただきます」
    「うん。……あ」
     と、夫が慌てて立ち上がる。
    「どうしたんですか?」
    「いやさ、今日遅くなったのって――勿論、研究室にいたのも一因なんだけど――これを買いに寄ったのもあったから。閉店間際だったけど、何とか買えたんだ」
    「え?」
    「ほら、今日って確か、君の……」
     そう説明しながら、夫が小さな包みを手に戻ってきた。
    「わたしの?」
    「いや、ほら、その……、誕生日だったなって」
    「……」
    「だから、プレゼントを」
    「ルシオ」
     彼女は呆れた声を漏らした。
    「わたしの誕生日は、昨日ですよ」
    「え」
     それを聞いた夫、ルシオの顔から、ざっと血の気が引く。
    「あ……、ご、ごめん。そっか、昨日だったんだね。ごめん、本当。……本当に悪かった」
    「これが可愛いから、許します」
    「……そ、そう。良かった」
    「でも、欲を言うなら」
     夫から受け取った指輪をはめながら、彼女――紺納春はにこっと笑って、こう付け加えた。
    「明日、一緒にお食事に行けたらなって思ってます」
    「そ、そっか。うん、じゃ、明日行こう。予約しとく」
    「はい、楽しみにしてますね。
     くれぐれも今日みたいに午前様だなんてこと、しないで下さいね?」
    「勿論さ。今日はちょっと、手間取っただけで」
    「そうかしら?」
     春は口を尖らせ、ルシオに釘を差す。
    「あなた、後片付けが下手ですもの。
     わたしも同じ研究室で、同じ内容の研究をしていたのに、6時に上がれたわたしに対して、あなたはこんな時間になるまでですもの。
     早め早めに行動して下さいなって、いつも言ってるのに」
    「……気を付ける。明日こそは、本当」
     ルシオはばつが悪そうに、肩をすくめて返す。
     それを受けて、春はまた、クスクスと笑みを浮かべた。
    「『本当』、楽しみにしてますからね。昨日みたいに、がっかりさせないで下さいな」
    「もっ、……勿論」

    白猫夢・博侶抄 1

    2015.04.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第487話。ある夫婦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「お帰りなさい。おつかれさま」「うん……、ありがとう」 夜遅くに帰ってきた夫に、彼女は優しく笑いかけていた。「あれからずっと?」「ずっと」「わたしが研究室出たのって、6時でしたよね?」「うん」「もう午前様になってますけど」「まとめるのに手間取っちゃってね」「……もう。ご飯冷めちゃいましたよ?」「ごめん」「食べます?」「勿論。腹...

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    麒麟を巡る話、第488話。
    博士夫妻への訪問者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。
     その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って研究を行っていた。
     その央北において一定の成果を挙げ、学者としての地位を確立した後、二人は春の故郷である央南へと移り住み、大学で教鞭を執りつつ、より精密な研究に没頭していた。

     こうして極めて穏やかに生活していた、幸せ一杯の二人だったが――外で夕食を取った、その帰りの出来事から、央南全体を揺るがす大騒動に巻き込まれることとなった。



    「ごちそうさまでした」
    「いやいや……。本当にごめんね」
    「もう、そればっかり」
     家への帰り道でも謝ってくる夫に、春はぷく、と頬をふくらませた。
    「ご飯は美味しかったですし、指輪も可愛かったです。わたし、十分に満足してますよ。何も謝ることなんか、ありませんから。
     もっと堂々としていて下さいな」
    「あ、……うん」
     またも頭を下げかけたルシオの額にちょん、と人差し指を置き、春はこう続ける。
    「胸を張って」
    「う、うん」
    「お顔を上げて」
    「こう?」
    「はい。バッチリです」
     言われるがままに胸を張り、頭を反らしたルシオを確認し、春は満足気にうなずく。
    「わたしは、あなたの困った顔より、しゃきっとしたお顔の方が好きです」
    「気を付けるよ……」
     若干憮然としつつも、ルシオは言われた通りに表情を直した。

     と――彼らの前から、ふた昔は古く感じられる外套と紋付袴を身にまとった、剣士風の男たちが歩いてきた。
    (なんか……、時代錯誤って言うか)
     その二人を見て、ルシオは思わず横に目をやる。すると自分と同様、面食らった顔をした妻と目が合ったので、二人は目配せだけで応答する。
    (ええ、……変な人たちですね)
    「もし」
     と、その時代錯誤で変な男たちから声をかけられてしまった。
    「……はい」
     無視するわけにも行かず、ルシオが応える。
    「お尋ねしますが、お二人はブロッツォ博士夫妻で相違ないでしょうか」
    「え、……ええ。私がブロッツォです」
     自分の名を呼ばれ、ルシオは思わず顔をしかめた。
     それを見た男たちの片方、頭の薄くなった初老の狐耳が、慌てた様子で手を振る。
    「あ、いや。小生らは怪しい者ではございません。
     こんな道端で声をかけたこと、どうかご容赦いただきたい。何しろお住まいにも大学にもいらっしゃらなかったもので、こうして足取りをたどるほか無かったもので」
    「はあ」
     ルシオがぼんやりとした返事をしたところで、もう一方の、強面でがっしりとした体つきの、短耳の青年が口を開く。
    「我々は焔紅王国から参りました。博士にどうか、お頼みしたい件がございまして」
    「えん、こう? ……って?」
     ルシオが尋ねたところで、春がぐい、と彼の袖を引いた。
    「行きましょう、あなた」
    「え? ちょ、ちょっと待ってよ。いきなりそんな……」
    「いやいや、奥方のお気持ちは十分に分かります」
     狐耳が申し訳無さそうに頭を下げる。
    「央南連合と袂を分かって二十余年、我々に抱く印象はすこぶる不快なものであること、十分に承知しておるつもりです。
     しかしどうか、お話だけでも聞いてはいただけませんでしょうか」
    「結構です。お帰り下さい」
     男たちの要求をにべもなく突っぱねる妻に、ルシオはぎょっとしていた。
    「ハル? なんでそんなに冷たいのさ?」
    「あなた、本当に焔紅王国のことをご存知無いのですか?」
     春は表情を強張らせたまま、ルシオにそう尋ねる。
    「うん、全然知らない」
    「……わたしが知る限りでは」
     春は男たちを一瞥し、冷たく言い放った。
    「焔紅王国は四半世紀前に央南西部を蹂躙しようと画策した、悪人たちの巣窟です」

    白猫夢・博侶抄 2

    2015.04.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第488話。博士夫妻への訪問者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. かつて天狐ゼミにおいて葵と共に魔術を学んでいた紺納春は、その在籍中に現在の夫、ルシオに出会った。葵の口添えで彼の卒論を手伝ったことがきっかけとなり、二人は交際を始めた。 その後、一旦はルシオの卒業により疎遠になりかけたのだが、春は卒業してすぐにルシオの元へ赴き、そのまま結婚。その後は央北の研究機関で、夫婦揃って...

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    麒麟を巡る話、第489話。
    招聘状。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。
    「ハル……」
     春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。
    「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」
    「……」
     男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。
    「承知いたしました。突然のご無礼、誠に申し訳ございませんでした」
     狐耳はそう言いながら、懐から手紙を取り出す。
    「ですが――ご無礼を重ねますこと、重々承知してはおりますが――どうかこの手紙だけは、お読みいただけませんでしょうか」
    「……まあ……、はい」
     春が露骨に嫌悪感を表しているのを横目で確かめつつも、ルシオはその手紙を受け取った。
    「ありがとうございます。……では小生らは、これにて失礼いたします。
     不躾な訪問、本当に申し訳ございませんでした」
     狐耳と短耳は何度も頭を下げつつ、その場から立ち去った。

    「……」
     夕食の直後とは一転して、春は不機嫌になっていた。
    「あの……、何て言うか」
    「……」
    「受け取らない方が良かった、……よね」
    「……」
    「悪かったよ。でも何か、あの人たちが可哀想になって……」
    「……」
     春はぶすっとした表情を崩さず、ルシオに背を向けた。
    「先に休みます。おやすみなさい」
    「……あ、うん。おやすみ」
     一人、居間に残され、ルシオは頭を抱えた。
    (参ったなぁ……。こうなると翌朝まであのまんまだし。今夜はこっちで寝るしかないか)
     ルシオはとりあえず、ソファに座り――コートに入れたままにしていたあの手紙を取り出した。
    (焔紅王国って、そんなにひどいところなのかな。ハルがあんなに怒るなんて、よっぽどらしい)
     手紙が納められた封筒をひらっと返してみると、差出人の名前が確認できた。
    「えー、……と、これって『えん』でいいのかな、読み方。……『えんさくらゆき』さん、かな?」
     央南に移って数年経つが、ルシオはあまり央南語が得意ではない。現在においても、大学の講義で学生の名前や地名、史実の名称を呼び間違うことがしばしばあり、学生たちから「カタコト教授」と苦笑されているくらいである。
     ルシオは多少辟易しつつ、手紙の封を開けた。
    (……良かった、中身は央中語で書かれてた。どうやら僕に合わせてくれたみたいだな)



    「ルシオ・ブロッツォ並びに紺納春 農学・魔術学両博士へ

     我が国、焔紅王国は長年、慢性的な食糧難に見舞われております。
     その原因は我が国における食糧生産技術、取り分け穀類をはじめとする各種農業に関する技術が、他国と比較してのみならず、現代の水準と比較しても、著しく劣後していることに大きく起因しております。
     近年においては政治的安定が保たれていることもあり、建国当初に比べればはるかに生産性が上がってきていることは事実ですが、残念ながら王国全土に不足なく行き渡らせられるほどには、未だ生産技術、そして生産力を向上・確保できてはおりません。
     そこで農業研究者として名高い両氏のご助力を賜り、我が国に農業指導を行ってはいただけないかと、ご相談をさせていただきたく存じます。

     我が国の風評は、央南連合下においては著しく劣悪なものであることは十分に承知しているつもりであり、そのような印象のある国から突然このような申し出をされ、不審・不快に思われていらっしゃるであろうことは、十分に察しております。
     ですが現在の我が国においては、長年にわたって安寧秩序が堅く保たれていることは確かであり、決して悪漢や不義の徒が跋扈するような場所ではございません。我が国にご滞在中、決して不快な思いをさせることは無いと、確約いたします。
     どうか我々の願いを聞き届け、我が国にご足労いただけることを願っております。

    焔紅王国 第2代国王 焔桜雪」



    (……うーん?)
     手紙を読み終え、ルシオは首を傾げた。
    (真面目な印象は受けるけど、……なんか、ハルが言ってたみたいなワルモノっぽさは全然感じないんだよなぁ。
     もしもハルの機嫌が直ってたら、手紙見せてみようかな)
     ルシオは手紙を元通りに封筒へとしまい、コートを布団代わりにしてソファに寝転んだ。

    白猫夢・博侶抄 3

    2015.04.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第489話。招聘状。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 普段の春が温和な性格であることを知っているルシオは、あまりにもとげとげしい彼女の言葉に面食らった。「ハル……」 春はルシオに顔を向けず、依然として男たちに冷たく言い放つ。「お帰り下さい。お話しすることなど、何もありません」「……」 男たちは困った様子で顔を見合わせたが、やがて諦めた様子を見せた。「承知いたしました。突然のご無礼...

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    麒麟を巡る話、第490話。
    王国の変遷。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     翌朝。
    「おはようございます」
    「おはよう、ハル」
     妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。
    「ハル、あのさ……」
    「なんでしょう?」
    「昨夜のことだけど、……これ」
     ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。
    「王国の方からの?」
    「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目だったよ」
    「真面目?」
    「うん。何て言うか、君が言ってたみたいな、すごく悪い奴らって感じじゃ全然無かった」
    「……」
     春は手紙を手に取り、内容を確かめる。
    「……そうですね。確かにこの文章からは、悪い印象を受けません」
    「だろ?」
    「確かに、わたしにしても王国に対する風評は、昔に聞いたっきりですから。今は違うのかも知れませんね。
     一度、王国の状況を調べてみた方がいいですね」
    「うん、そうだね」
     どうにか妻の機嫌を損ねずに手紙のことを話し合うことができ、ルシオは内心ほっとしていた。

    《おう、久しぶりだな》
     その日の夕方、ルシオは何年かぶりに、恩師へ連絡を取った。
    「お久しぶりです、テンコちゃん。お変わりありませんか?」
    《全然変わんねーぜ。ソッチはどうだ? 子供できたりしたか?》
    「いや、なかなか恵まれなくて……。
     いえ、それよりもテンコちゃん。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
    《ん? どうした、改まって》
    「テンコちゃんのゼミで今、央南から来てる子っていますか?」
    《ボチボチいるぜ。ソレがどうした?》
    「その中に、焔紅王国から来たって言うのは……」
    《えんこー? なんだソレ?》
     天狐の返答に、ルシオはがっかりする。
    「あ、いえ。知らないなら……」
    《待て》
     と、ルシオが話を切り上げようとしたとことで、天狐が引き止める。
    《わざわざ数年ぶりにオレに電話かけてくるよーなコトだろ? ってコトは、自分たちの周りじゃ調べられねーような、面倒な話をしようとしたんじゃねーのか?》
    「ええ、まあ」
    《央南関係か?》
    「はい」
    《んー……え、何?》
     と、受話器の向こうでボソボソと話し声が聞こえてくる。
    《……ああ……知ってんの……いや……へー……うわ、バッカでー……あ、なるほど……へー……マジでか……すげーなソイツ……あ、悪り悪り。ちょっと知り合いに聞いてた。
     ちっと代わるわ。ソイツの方が詳しいし》
    「え?」
     聞き返す間も無く、電話の向こうから聞こえてきた声が、天狐のものから別の者へと変わる。
    《電話代わったね。えーと、ルシオ? だっけね?》
    「あ、はい。ルシオ・ブロッツォです」
    《おう。んで、焔紅王国のコト聞きたいってね?》
    「ええ。詳しく伺いたいのですが……」
    《長くなるけどいいかね?》
    「どれくらいですか?」
    《んー、複雑だから結構かかるかもね。あ、電話代気にしてるね?》
    「ちょっと。国際電話ですし」
    《分かった、コッチからかけ直すね。一旦受話器置いてね》
    「すみません、どうも」
     一旦相手からかけ直してもらったところで、ルシオはその相手から、焔紅王国についての経緯を詳しく聞くことができた。
    《まあ、その焔紅王国ってのがそもそも、544年だか545年だかに建国したばっかりの、結構新しい国なんだよね。
     ただ、建国に行き着くまでが最悪の道のりでね。元は央南連合の一角、紅州だったんだけども、その中にある紅蓮塞ってトコで武力蜂起があって、ソレが元で央南連合と揉めまくった結果、連合側がこんなバカで無謀で野蛮なヤツらに構ってらんないっつって分割したのさ。
     そんな風にしてできた国だから勿論、まともな政治体制なんか無いも同然。治安もインフラも壊滅的、財政はグズグズに腐りまくりで、悪の巣窟なんて言われてた。初代国王、焔小雪の時代は『最低最悪』以外の評価は皆無、正真正銘のならず者国家って評されてたね。
     でも――鳶が鷹を生むって言うヤツかねぇ――その娘の焔桜雪が国王になって以降、王国は大転換したんだよね》

    白猫夢・博侶抄 終

    白猫夢・博侶抄 4

    2015.04.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第490話。王国の変遷。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 翌朝。「おはようございます」「おはよう、ハル」 妻の機嫌が直っていることを確認し、ルシオは恐る恐る話を切り出した。「ハル、あのさ……」「なんでしょう?」「昨夜のことだけど、……これ」 ルシオがおずおずと手紙を差し出した途端、春はまた、不機嫌な表情を浮かべた。「王国の方からの?」「うん、……で、読んでみたんだけど、なんか真面目...

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    麒麟を巡る話、第491話。
    女王の醜聞。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。

     焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもやはり、単なる「お神輿」のままであった。
     建国直後こそ、何とかその役目を果たそうと奮闘していたものの、何年も経たぬうちに生来の性格――面倒事を片っ端から他人任せにし、その利益だけを掠め取り、独占しようとする悪癖が現れ始め、次第に実務から手を引くようになった。
     さらに元々有していた地位、焔流家元についても、この頃にはほとんど刀を握ることが無くなっていたにもかかわらず、弟やその家族、またはその他の有力者に譲ることを一切拒否。ろくに指導も鍛錬も行わない、こちらも名ばかりの地位となっていた。

     国家元首であり、その国内における社会規範の鑑となる人間がその体たらくである。当然、焔紅王国は荒れ放題であった。
     巷には焔流の名を傘に着た、半ばならず者と化した剣士たちがうろつき回り、地場代や税金と称した略奪・徴発を勝手気ままに行っていたし、農耕や漁業に精を出すよりも近隣都市へ盗みに行った方が早いとして、州境で乱暴狼藉を働く輩が後を絶たない。
     国家としての規範や規律、秩序など微塵も無い、紛うことなき「ならず者国家」が、そこには形成されていた。



     そしてさらにもう一つ、女王小雪には新たな悪癖が現れていた。
     腐っても「国王」であるため、その地位を狙うべく求婚する者が、建国以降から数多く現れるようになった。
     それを自分個人の魅力に対してのものであると勘違いした小雪は嬉々として彼らを囲い、彼らからの口先と上辺ばかりの愛をむさぼるようになった。
     そしてその結果、当然の帰結として――。

    「は?」
    「だから、できたって言ってんのよ」
    「できたって、……子供がか?」
     建国から4年が経った、双月暦549年。
     王国内の政府における最高位、左大臣の任に就いていた深見豪一は、女王からの突然の告白に戸惑っていた。
    「相手は?」
    「分かんないわよ、そんなの。一杯いたし」
    「アホか」
     深見は頭を抱え、呆れた様子でうめく。
    「お前さあ……、本当に自分が王様って自覚、あんのかよ?」
    「女王じゃなきゃオトコの取っ替え引っ替えなんてできないわよ」
    「ざけんなよ、マジで……。
     この話が巷に広まったら、また大騒ぎになるじゃねーかよ。『あのおバカ女王が、今度は誰が父親とも分からない子供を産んだ』って。
     ただでさえお前のバカ三昧のせいで国内の統制が取れてねーってのに、またこんな醜聞を広める気かよ?」
    「それなのよ。ね、豪一」
     と、小雪は深見の手を取る。
    「あんたが父親ってことにしといてよ。で、今すぐ結婚して。相手、短耳ばっかりだったから、多分子供も短耳か長耳のどっちかだと思うし、辻褄合うから」
    「……はぁ!?」
     唖然とする深見に、小雪はイタズラっぽく笑いかけた。
    「ね、いいでしょ? 顔と筋肉しか取り柄の無い奴らより、あんたが相手だって公表するならまだマシだし。あんたも『女王の婿』ってことで、色々便利でしょ?」
    「てめーなんか女としてこれっぽっちも見てねーよ」
    「あたしだって正直、あんたなんか旦那にしたくないわよ。でも『相手が分かりません』よりはさ、まだマシかなって」
    「……バカ女め……」



     あまりにも異常な頼みではあったが、仮にも女王である小雪からの命令を無視しては、深見が懸念している国内秩序の崩壊に拍車がかかってしまう。やむなく、深見は小雪と結婚することになった。
     そして約半年が過ぎ、双月暦550年に年が改まってすぐ――その事実上の私生児は、小雪と深見の子供として誕生した。

    白猫夢・桜燃抄 1

    2015.04.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第491話。女王の醜聞。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 紅蓮塞における家元の親殺し未遂から焔流本家による紅州の武力制圧、度重なる連合との意見対立、黄州襲撃未遂、そして央南連合から半ば見限られたような独立――紆余曲折を経て建国された焔紅王国は、成立したその当初から混迷を極めていた。 焔流家元であった頃からその地位に吊り合わない器であると評されていた焔小雪は、国王となってからもや...

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    麒麟を巡る話、第492話。
    悖乱の中で。

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    2.
     結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。
     そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そのどちらにも世話をしてもらえず、小雪の側近であった虎獣人の将軍、九鬼彩(くぎ さやか)の元へと預けられた。



     両親の愛を受けることは少しもできなかったが、その子供が彩に預けられたことは、結果としてその子の人格形成には、とてつもなく大きく、そして極めて良好な効果をもたらしたと言えた。
     何故なら九鬼彩と言う女性は、堕落と腐敗の渦中にあった焔紅王国において、古き善き焔流の精神を受け継ぐ清廉な剣士だったからである。
    「次は素振り三十回! 始めッ!」
    「はいっ! 一! 二! 三……」
     彩はその短耳の子を桜雪(さゆき)と名付け、自分の養子にした。
     彩は桜雪のことを、女王の娘と言って甘やかすことをしなかったし、かと言って何の関係もない厄介者としてあしらうこともしなかった。
     彼女は桜雪を正しい焔流剣士とすべく、自分の弟子として扱ったのだ。
    「……にじゅく、さんじゅっ!」
    「よし」
     素振りを終え、汗だくになった桜雪に、彩は手拭いを投げる。
    「息が整ったら、次は軽く走るぞ。
     私は10周するが、お前はまだ小さいからな。1周でいいぞ。終わったら先に部屋へ戻っていい」
    「はい!」
     既に修行場としての意義をほぼ失い、無人となっている堂の周囲を二人で走る。
    「苦しくないか?」
    「だいじょうぶです!」
    「そうか。……無理はするなよ」
    「はい!」
     堂を一周し、桜雪が離れる。
    「ではかあさま、わたしは先にもどります」
    「ああ。そうだ、桜雪」
     彩は立ち止まり、にっと笑う。
    「米を研いでおいてくれるか? 私が帰って来るまでには間に合うようにな」
    「はい! いつもどおり、三合ですか?」
    「うむ、頼んだ」
    「わかりました! それではお先にしつれいします!」
     ぺこっと頭を下げ、その場から走り去る桜雪の後ろ姿を眺めつつ、彩は心の中に湧いた複雑な思いを整理していた。
    (いつの間にか……、『かあさま』と呼ばれ慣れてしまったな。夫もいないのに、私が母になってしまうとは。……いや、仕方の無いことか。あの子は親が無いも同然だからな。誰かが養ってやらねばならぬのだ。
     それを思うと、まこと、殿と深見には腹が立つ! いや、わけの分からぬ役目を押し付けられたと言うことを考えれば、深見には同情の余地がある。だが全ての原因である殿はどうだ!?
     私が桜雪を預かってから6年、あの後さらに父親の分からぬ子が2人も産まれ――私が桜雪をああ扱っているのが目障りなのか――私以外の側近に預けられたと聞く。しかも最近また、桜雪の弟妹ができたと言うではないか。まったく、犬や猫ではあるまいし、野放図にも程がある!
     一体殿は後何人、親の愛を受けられぬ不憫な子供を設けるつもりであるか)
     再び走り込みに入るが、頭の中は依然、もやもやとしたままである。
    (深見も深見だ。あやつも仮初の奥方にあてられたか、同様に女を囲い始めたと聞く。
     確かに左大臣としての責務を全うしている分、殿よりはましであると言えなくはないが、それでも公序良俗を乱す原因となっていることは確かだ。
     つくづく思う――私は果たしてあの時、深見と黄月乃の言葉に耳を傾けるべきではなかったのではないか、と。あんな戯言に惑わされず、深見を殴り倒し、黄を斬って、身命を賭して殿をお諌めするべきではなかったのか、とな。
     ……すべては過ぎたこと。もう、遅過ぎるのだ)
     5周したがそれ以上気が乗らず、彩は走るのをやめた。

    「あれ?」
     家に戻ったところで、米を研いでいる最中の桜雪と目が合う。
    「……あっ」
    「わたし、がんばってといでたんですが……。ごめんなさい、間に合いませんでした」
     困った顔をした桜雪を見て、彩は慌てて言い繕った。
    「あ、いや、そんなことは無い。……あー、と、腹が減ってな、たまらず切り上げて帰ってきてしまった。しまった、早過ぎたな、……あはは」

    白猫夢・桜燃抄 2

    2015.04.08.[Edit]
    麒麟を巡る話、第492話。悖乱の中で。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 結婚したとは言え、実際には女王が私生児を産んだことを隠蔽するための偽装である。小雪は深見を自分の伴侶として相手にすることは無かったし、深見も小雪を女として見ることは無かった。 そして、自分のことしか考えず、相変わらず男漁りを続ける母と、偽装結婚した相手の子供などに欠片も興味を持たない、義理の父との間にいたその子供は、そ...

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    麒麟を巡る話、第493話。
    泥中之蓮。

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    3.
     さらに年月が過ぎ、双月暦565年。
     九鬼桜雪は15歳になっていた。

    「……」
     この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。
     自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。
    「桜雪」
    「……」
    「おーい、桜雪」
    「あ、はい」
     部屋の外から何度か呼びかけ、ようやく振り向いた桜雪に、彩は苦々しく続ける。
    「もう夕飯の時間だぞ。鍛錬から帰ってずっと、そんな調子ではないか」
    「すみません、母様」
     ぺこっと頭を下げた桜雪に、彩は腕組みしつつ尋ねる。
    「何か思い煩っているようだが、懸想でもしたか?」
    「い、いえいえ! そのようなことは決して!」
     顔を赤くした娘に苦笑しつつ、彩は真面目な顔になった。
    「察してはいる。……霧蔵のことだろう?」
    「……!」
     一転、桜雪の顔から紅が引いた。
    「父親違いとは言え、お前の弟だった。……私が引き取ると言えば、ああはならなかったかも知れん」
    「……」
    「だが、全ては終わったことだ」
     彩がそう言った途端、桜雪の頬にぽろぽろと涙がこぼれだした。
    「母様はいつもそう」
    「え?」
    「事が終わってから、そんなことを仰います。何故、事が起こる前に手を打たないのですか?」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪はがばっと頭を下げ、平伏した。
    「……申し訳ありません。出過ぎた言葉でした」
    「いや」
     彩も同様に頭を下げ、こう返した。
    「お前の言う通りだ。私はいつも、終わってからしか行動しない。愚か者の見本だ」
    「そんな……」
    「……飯に、しよう」



     桜雪以後、小雪が産んだ子供は6人いた。
     しかし一人として自分が育てるようなことをせず、彼女はすべて臣下の者に預けていた。そのうちの一人が霧蔵である。
     だが、預けられた先で家庭内の諍いが起こり、霧蔵は間に挟まれる形で何年も過ごし――そしてつい先日、その境遇に耐えかね、わずか12歳の身で自殺したのである。

     その諍いの根源が他ならぬ霧蔵にあったことは、誰の目にも明らかだった。
     女王から無理矢理に押し付けられ、それまで円満だった家庭にいらぬ波風を立て、崩壊に導いたであろうことを、周囲の者は皆、察していた。
     預けた張本人、小雪を除いて。



    「……」
    「……」
     いつになく重苦しい空気の中、彩と桜雪は夕食をとっていた。
     食事の最中に会話するようなことは、央南における礼儀上、はしたないとされてきたことであったし、真面目な二人はこれまでの15年間きちんと、その礼儀を守ってきた。
     だがこの日――桜雪が、それを破った。
    「母様」
    「……」
    「わたしは、愚か者になろうと思います」
    「え?」
     顔を挙げた彩に、桜雪は涙で腫れた、しかし熱い光のこもる目を向けた。
    「諸悪の根源は、我が実の母にあります。
     わたしはその母を――この国の女王、焔小雪を討ちます。親を殺すなど愚行以外の何者でもありませんが、しかしそれをしなければ、何も変わりはしないでしょうから」
    「ばっ、……馬鹿を言うな!」
     面食らった彩は、茶碗を落としてしまう。
    「いくら堕落の極みにあるとは言え、我らが主君であるぞ!」
    「主君であれば何をしても良いと言うのですか!?」
    「……っ」
    「このまま看過し続ければ、どうなると思いますか? また我が弟妹が死に、また母様は後になってから愚痴をこぼすでしょう。
     それはこの国の未来と同様ではないでしょうか?」
    「どう言う意味だ?」
    「女王の愚行で人が死に、焔流が乱れ、国が傾く。その惨状を、残った者が『仕方の無いこと』と諦め、また次の悲劇が緩慢に起こる。
     わたしが知る限り、焔紅王国の20年は、その緩慢なる悲劇の繰り返しです。此度の件は、その縮図と言えるでしょう」
    「……」
    「どうして誰も焔小雪を咎めないのですか? 女王だから? 家元だから?
     わたしにはその言い訳が納得できません。余計な面倒事に首を突っ込みたくないと言う、怠け者たちの逃げ口上にしか思えません」
    「桜雪ッ!」
     一瞬憤り、彩は桜雪に平手を食らわそうとした。
     ところが桜雪はその手をつかみ、なおも熱く語る。
    「しかしわたしは、母様だけはそうではないと信じております。
     母様はただ楽して生きたいだけの怠け者であるとは、到底思えません。いずれ機が来れば立ち上がってくれる、憂国の士と信じております。
     一度でいいのです。後悔ではなく、満足をしていただけませんか? 『あれを省みるには遅かった』などと仰らず、『あれをやって良かったと思っている』と、わたしに堂々と、胸を張って仰って下さい」
    「……私に、何をしろと言うのだ」
    「わたしと共に、戦って下さい。
     この腐った国を糺(ただ)すために」
    「桜雪……」
     娘の熱い瞳に射抜かれ、彩の心に、20年振りに火が灯った。

     これが九鬼桜雪による、焔紅王国に対する謀反の始まりである。

    白猫夢・桜燃抄 3

    2015.04.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第493話。泥中之蓮。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. さらに年月が過ぎ、双月暦565年。 九鬼桜雪は15歳になっていた。「……」 この頃から度々、桜雪は悩む仕草を見せるようになった。 自室で静かに正座し、両手を膝にずっと置いたまま、無言で目を閉じて考え事にふける彼女の姿に、彩はしばしば気を揉んでいた。「桜雪」「……」「おーい、桜雪」「あ、はい」 部屋の外から何度か呼びかけ、よう...

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    麒麟を巡る話、第494話。
    五人抜き。

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    4.
     桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。
    「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」
     彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。
    「娘が戦うと言ったのだ」
    「娘? ……ああ、と言うと」
     その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の子供を臣下の者に厄介払いしていることは知っており、憎むべき相手とそう似ていなくもない、この短耳の少女に対し、冷淡な態度を執ってみせた。
    「いやいや、閣下も打算的な方のようで」
    「打算? 何のことだ」
    「おとぼけにならずとも……。その娘御を神輿と立てて、戦いの大義名分にしようと言うおつもりでしょう?」
    「なるほど、そう捉えるか」
     うなずくなり、彩は相手の胸倉をぐい、とつかんだ。
    「うえっ!? な……なにを……」
    「見た目が同じと言って、中身も一緒であるとは限らんぞ。桜雪は見た目こそ女王に似てはいるが、中身は天と地ほどに違う。
     何なら試してみるか?」
    「と言うと?」
    「この子が3歳の頃から、私が鍛え上げたのだ。当然、私に並ぶ腕前を持っている。
     この子が単なるお神輿で終わる器か、お前らの剣の腕で測ってみればいい」
    「……やれと言うならやりますよ」

     彩に言われるまま、彼らの中でも指折りの手練が桜雪と対峙する。
    「では、参る」
     と、一人が前に出たところで、桜雪は首を振った。
    「あ……?」
     怖気づいたかと、相手が嘲った表情を向けたところで、桜雪が口を開いた。
    「現実的では無いと思います」
    「……は?」
    「いざ戦となれば、こんな一対一の戦いなど、そうそうあり得ないのでは?
     来るなら全員で来てください。実際と沿わないような状況で私の腕を見せても、何ら意味がありませんから」
    「……チッ」
     元々質がいいとは言えない彼らは、この一言で豹変した。
    「偉そうな態度は『お母ちゃん』譲りってか、あぁ? びーびー泣かせてやってもいいんだぜ?」
     一方、成り行きを静観していた彩は、娘の態度を咎めたり、剣士らに苦言を呈したりもせず、淡々と言い放った。
    「やれるものならな。もし娘が負けるようなことがあれば、その時はあいつを、お前たちの好きにして構わんぞ」
    「ま、……マジですか?」
     男たちは一様にぎょっとした表情で彩を振り返り、そして一転、舐めるように桜雪を眺め――一斉に襲いかかった。
    「やっちまえッ!」
     剣士5人が、我先にと桜雪との間合いを詰める。
     ところが次の瞬間、桜雪は目の前から消えた。
    「……えっ?」
     気付いた時には、桜雪の木刀が一人の背中にぐりっとねじ込まれていた。
    「ぐえ……っ」
     木刀をねじ込まれた剣士は一転、顔を真っ青にし、その場に倒れる。
    「まず1人」
    「な、なめやがってッ!」
     残る4人が一斉に振り返ったところで、またも桜雪が消える。
    「……!?」
     この時点で4人とも、桜雪の動きを捉えられていないことに気付く。
    「がッ……」
     また一人、頭を抱えてうずくまる。頭から血を流しており、桜雪に叩かれたことは明白だった。
    「残り3人。どうしました?」
     姿を見せた桜雪は左手を木刀から離し、くい、と手招きする。
    「わたしを手篭めにするのでは無かったのですか?」
    「……く」
     挑発に乗り、一人が一足飛びに間合いを詰める。
    「やったらあッ!」「粗忽者!」
     が、飛び込んだところでボキ、と痛々しい音が場に響き渡る。
    「うおお、あ、あぁ……」
     襲いかかった剣士が肩を抑え、のたうち回る。
    「これだけ技を見せておいたと言うのに、真正面からかかってどうこうできる相手と思っているのですか!」
    「いい加減にしやがれええ……っ」
     と、頭を打たれて倒れていた一人が起き上がり、桜雪を羽交い締めにする。
    「やれ! やっちまえ!」
    「お、……おうっ!」
     残る2人が木刀を構え直し、桜雪に迫る。
     ところがすぐ眼前まで間合いが詰まったところで、桜雪がその一方を蹴り倒す。
    「うぐっ!?」
     もう一方にも足を付いて足場にし、桜雪は宙に浮く。
    「あ……」
     桜雪を羽交い締めにしていた者が、一瞬にして桜雪に背後を取られる。
    「終わりです」
     桜雪は渾身の力を込めて相手に体全体をぶつけ、残っていた剣士2人もろとも突き飛ばした。
    「おわあああっ!?」
    「ぐげ……っ」
    「ま、じ……かよ」
     3人同時に転げ回り、そのまま動かなくなる。
     一人その場に残った桜雪が、周りに怒鳴った。
    「他にはいないのですか!? わたしを叩きのめしてやろうと言う気骨、気概のある者はッ!」
    「まあ、そのくらいでいいだろう」
     成り行きを眺めていた彩が、そこで桜雪を止めようとする。
     ところが、桜雪は続けてこう怒鳴った。
    「このくらいで!? もしこの程度でやめると言うのならば、あなた方は口先ばかりの軟弱者です!
     この国を力ずくで変えようと言う者が、たった15歳の小娘一人止められずに、一体何をしようと言うのですかッ!」
    (まったく……。やり過ぎだ、桜雪)
     怒鳴り倒す娘に、彩は内心、呆れ返っていた。

    白猫夢・桜燃抄 4

    2015.04.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第494話。五人抜き。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 桜雪の意気に応じるべく、彩は彼女を伴い、密かに反女王を唱える地下組織と接触した。「九鬼中将! まさか我らの活動に、閣下が参加して下さるとは……」「私が、ではない」 彩は首を振り、傍らにいた娘の肩を叩く。「娘が戦うと言ったのだ」「娘? ……ああ、と言うと」 その場にいた剣士たちは、一様に複雑な表情を浮かべる。彼らも女王が自分の...

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    麒麟を巡る話、第495話。
    桜花、燃え咲く。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。
    「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」
     桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。
    「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に現実と沿わぬものであるかを痛感させられた」
    「どうか我々と戦うと共に、我々の至らぬ部分について、ご指導・ご鞭撻の程を願いたい」
    「……」
     そう請われ、桜雪は面食らう様子も見せず、素直にうなずいて返した。
    「頭を上げて下さい。わたし自身まだまだ有学の徒ですし、軽々と人に物を教えられるような身ではありません。共に修行し、研鑽し合うと言うことであれば、喜んでお受けいたします」
     その落ち着いた物腰と謙虚な態度、一方でいざ機に差し掛かった時の勇猛果敢な姿勢は、同志たちの心をいつしか、がっちりとつかんでいた。

     15歳にして既に優れた剣才を発揮し、その言動と物腰に人を惹きつけてやまぬ魅力を持っていた彼女は、瞬く間に多くの剣士たちから人望を集めた。
     それは紛れもない「カリスマ」――王となる者に求められる、類稀なる才能であり、彼女は自覚してか、それとも無自覚のままか、この頃からその才能を発揮・行使し始めた。
     事実、それまで「反女王」を掲げていながら、何らまともな活動を行わず、有名無実の組織となっていた彼らは、桜雪が加盟してからわずか半年後――彼女を旗頭にして、最初の攻撃を行った。



    「大変です、左大臣閣下!」
     双月暦566年。王国にとってのその凶報が左大臣、深見の元に届けられた。
    「王国東国境付近、梅宿を反女王派と名乗る連中が占拠しました! 謀反にございます!」
    「なっ……!? 謀反だとぉ!?」
     囲っていた女の膝に頭を預けていた深見は慌てて起き上がり、乱れた衣服を整える。
    「……いや、無い方がおかしいか。むしろ『ようやくかよ』って感じだな。
     で、相手の情報は?」
    「謀反の中心人物となっているのは、九鬼桜雪と名乗る短耳です。兵の数はおよそ200ほどであると」
    「……ん、んん? 九鬼って、……あの九鬼か? いや、九鬼は九鬼でも名前が違うな」
     眉間にしわを寄せた深見に、伝令はこくっと短くうなずく。
    「ええ、九鬼彩中将の娘御とのことです」
    「むすめぇ?」
     深見は腑に落ちない、と言う顔をする。
    「あの剣術一本バカに男や夫がいるとは思えんが。養子か何かか? それともあの単細胞のことだし、細胞分裂でもしたか? ひひひ……」
    「……いや、あの、ほら、閣下」
     伝令が額の汗を拭きつつ、恐る恐るこう返す。
    「九鬼中将に、預けたではないですか」
    「何を?」
    「ですから、ほら、あの、……ごにょごにょ、……の娘を」
    「……あー、はいはいはい。そう言えばいたな、そんなの」
     ようやく桜雪の素性を思い出したらしく、途端に深見は大欠伸をして見せた。
    「ふあー、あーぁ……。適当に兵隊を送っとけ。……んだよ、びっくりさせやがって」
    「閣下?」
    「九鬼んとこに預けた娘って言や、まだ15か16ってとこだろ? そんな小娘に何ができるんだっつの。しかもあのバカ殿の血ぃ引いてんだぜ?」
    「……なるほど。それもそうですな。
     ではあの近隣の基地に駐留している者に連絡し、殲滅してもらいましょう。……あ、いや、それではまずいですな」
    「あ? 何がまずいって?」
    「いや、ですから、……ごにょごにょ、の娘となると」
    「いーって」
     深見は面倒臭そうにぱたぱたと手を振り、こう言い放った。
    「どうせあいつも忘れてるさ、産んだこと自体。俺にしても今更構うの、かったるいし。殺しちまった方が後腐れなくていい。
     いや、むしろきっちり殺せ。だがくれぐれも、あいつの娘だってことが漏れないようにしろ。それが広まると面倒だしな」
    「御意」



     結論から言えば、この時深見は桜雪本人の才能と能力、そして彼女が起こした謀反による影響に対して、致命的な判断ミスを犯していた。
     簡単に蹴散らせると踏んで差し向けた兵隊はあっと言う間に全滅し――その上、この敗残兵たちは一人残らず、桜雪に下ってしまったのだ。

    白猫夢・桜燃抄 5

    2015.04.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第495話。桜花、燃え咲く。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 当初こそ、桜雪は地下組織の面々に反感を買ったものの、次第に認められるようになった。「お前みたいな小娘は気に入らん。……だがその小娘に、いいように倒されたのも事実だ」 桜雪と戦ったあの剣士たちが、彼女の前に並んで立ち、そして揃って頭を下げた。「お前に負けたことで、我々の力が如何に至らぬものであるか、我々の心構えが如何に...

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    麒麟を巡る話、第496話。
    栄枯盛衰。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。
     当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。
     その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。

     そんな芸当ができた背景には無論、現女王である小雪の体制があまりにも悲惨なものであり、一方で桜雪側には寄り沿い、共闘するに十分な理由と大義があったからだが、それを差し引いてもなお、敵方が簡単に寝返ってしまう、いや、「寝返りたくなる」誘因があった。
     それは紛れも無く、桜雪本人の「魅力」だった。
    「我々の組織は非常に大きく成長し、既に軍と呼べる規模に達しています。
     故に、これより我々の組織を『九鬼軍』と改称することとし、併せて然るべき軍規を設け、軍としてより厳格かつ廉潔な、即ち焔流剣士の名に恥じぬ行動を執るべく、これを徹底することとします」
     全軍を集めて行われた桜雪の演説に、剣士たちは歓声を以って応える。
    「それでは、本日はこれにて解散です。今日一日は十分な休養を取り、明日からの戦いに備えて下さい」
     壇上で深々と頭を下げ、話を切り上げたが、何故か剣士たちは微動だにしない。
    「……?」
     桜雪が顔を挙げ、それに気付いたところで、剣士たちが口々に尋ねた。
    「九鬼頭領! 我々より質問がございます!」
    「何でしょうか」
     応じた桜雪に、彼らはこう続けた。
    「我々は頭領が焔女王の血を引いていると存じております! 頭領にとって、それは恥でしょうか、誇りでしょうか?」
    「……」
     数秒の沈黙の後、桜雪が答えた。
    「率直な感想を述べるとするならば、焔小雪を実の母とすることは、わたしにとっては紛れも無く、恥であると言えます。
     しかし血統そのものについては、万世に広く誇れるものであると堅く信じています。何故なら我が血統、焔家は――焔小雪を除けば――長年にわたり焔流を正しく導き、正しき仁義と礼節を央南に確固として示し続けてきた、由緒ある一族だからです。
     そして、もう一方の血統。かつて焔小雪の後見であり、今なお多くの剣士より『大先生』として慕われ、尊敬を集める剣聖、柊雪乃。
     彼女の血もまた、わたしの中に受け継がれています。それもまた、大いに誇るべきものであると、わたしは信じています」
     桜雪の返答に、剣士たちはまた歓声を挙げた。
    「万歳!」
    「九鬼頭領、万歳!」
    「九鬼御大将、万歳!」
     高まる声援に、桜雪はただ無言で、深々と頭を下げた。



     当初は桜雪を過小評価していた深見だったが、最初の戦いから2年、3年と過ぎ、王国東部が九鬼軍によってほぼ制圧された頃になって、その認識をようやく改めた。
    「……こりゃまずいぜ」
     初動の遅さと拙さ、そして度重なる戦闘でことごとく相手を測り損ねたためにみるみるうちに敗戦を重ね、深見は苦境に立たされていた。
     ここに至り、深見は側近たちを集めて、こそこそと密談を始めた。
    「九鬼軍は今、どこまで来てる?」
    「拙者の情報によれば、北は若叉、南は三浜までを陥落させたとのことです」
    「じゃあ、山丹方向に逃げればかち合わないな。あの辺りならバカ殿の側近もいねー。気付きやしねーだろう」
    「……閣下? まさか?」
    「そのまさかだよ。このままここにいたんじゃ、命がいくつあっても足んねーぞ」
     逐電をほのめかした深見の言葉に、側近たちは青ざめる。
     それを一瞥し、深見はこう続けた。
    「お前らも一緒に来いよ。今までかき集めた金がありゃ、西辺州の片田舎にでもこもって一生楽しく過ごせるぜ?
     それにだ。こうなった以上、あのバカ殿の下に律儀に居続けたって、美味い汁なんか吸えねーだろ?
     精々『わたしのために盾になって死になさいよ、ブヒブヒ』なんてわめかれるだけだぜ」
    「……」
    「……」
    「……然り」
     元々から自己中心的で欲深い深見と、その子飼いたちである。
     彼らは早々に小雪と現王国を見限り、逃げ去った。

    白猫夢・桜燃抄 6

    2015.04.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第496話。栄枯盛衰。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 蹶起(けっき)して以降、桜雪の擁する勢力は拡大する一方だった。 当初は200人足らずだった兵の数も、近隣の町村を回り、王国軍の駐屯基地を1つ2つ制圧したところで、1万を超す大軍勢へと変貌した。 その最大の理由は――戦った相手をほとんど被害の出ない形で敗北させ、その上で懐柔・感化させ、丸ごと吸収したからである。 そんな芸当が...

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    麒麟を巡る話、第497話。
    母と娘、ただ一度の邂逅。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     双月暦569年、桜雪が19歳の頃。
     桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。

    「状況をお願いします」
     本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。
    「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております」
    「ありがとう、渋坂。三の門については、どのくらいで破れそうでしょうか?」
    「持って30分かと。基礎構造こそしっかりしてはおりますが、魔術対策が塞内のそこかしこで破綻していたことから、恐らくは三の門も、じきに焼けるものと思われます」
    「そう。では、わたしも参りましょう」
    「御意」
     彩を含めた側近らを伴い、桜雪も塞に踏み込む。
    「存じているかも知れませんが」
     紅蓮塞の入口、一の門をくぐり、桜雪はこう続ける。
    「わたしは今日、初めて紅蓮塞の本丸に足を踏み入れます」
    「そうだな……。そうだった」
     応じた彩に、桜雪はくる、と振り返る。
    「母様と共に塞内の各堂で修行こそすれ、女王の邸宅となっていた本丸には、決して入ることが許されませんでした。
     その一事だけでも、どれだけ実の母がわたしを疎んじていたかが、良く、分かります」
    「それは……」
     言い淀んだ彩に、桜雪は小さく首を振った。
    「今更ごまかしなどいりません」
     桜雪は煙を上げる本丸に目をやり、こう続ける。
    「わたしにとっての母は、彩母様のみ。わたしは、それで良いのです。
     そしてこれから討つのは、わたしの母では無い。この国における最大最悪の賊将、焔小雪です」
    「失礼ながら頭領」
     壮年の狐獣人、渋坂が桜雪にこう返した。
    「御心に迷いがあるように感じられます。どうか今、この場で、心の内を素直に晒していただきたく存じます。
     でなければ、いざと言う時になって頭領ご自身がお困りになられるかと」
    「……」
     桜雪の足が止まる。
    「あなたの言う通りです、渋坂。
     確かに、わたしは迷っています。最早母でも娘でもないと、頭では割り切っていても、我が心の内では納得できてはいません。
     巷の人間は皆、わたしが焔小雪のことを憎んでいるだろうと考えていると思いますが――正直に言えば、わたしは焔小雪とどう接すればいいのか、分からないのです」
    「と言うと……?」
    「19年の間、一度も顔を合わせたことの無い実母を、わたしは憎むことができるのだろうか、と。もしかしたら目にした瞬間、それとは逆の感情が芽生えるのではないか、と。
     そんな不安が、わたしにはあるのです」
    「しかし頭領……」
     反論しかけた他の側近たちを、渋坂が制する。
    「頭領。もし憐憫の情、親愛の情を抱いたとしても、それは人間として正しきことです。
     一方で、やはり憎むべき敵であると捉えたままであっても、それもまた、軍の頭領として正しきご判断でしょう。
     小生は頭領がどのような結論をお出しになったとしても、それは至極正しきものであると信じております。……そうであろう、皆の者?」
     渋坂に問われ、側近たちは一様にうなずいた。
    「無論にございますとも」
    「頭領が間違っているはずなど!」
    「どうか、ご自身を信じて下さい」
    「……ありがとうございます。
     もう三の門も破られた頃でしょう。急ぎましょう、皆」
     桜雪は側近たちに深く頭を下げ、早足で本丸へと向かった。

     桜雪の予想通り、彼女たちが本丸の前に到着する頃には既に、三の門は炭と化していた。
    「女王は?」
     尋ねた桜雪に、門を破った隊の隊長が答える。
    「現在、兵卒らが本丸内を回り、捜索している最中です。間もなく発見し、こちらへ連行するものと思われます」
    「そう。では、ここで待ちま……」
     言い終わらないうちに、剣士たちが布団を引きずりながら、本丸から姿を表した。
    「うっ……」
    「ま、……まさか」
    「あれ、……が、か?」
     その様子に側近たちも、そして桜雪も、言葉を失った。
     剣士らに引きずられて現れたのは、まるで伸びきった風船のようにぶくぶくとだらしなく太った初老の女――焔紅王国の現女王、焔小雪だった。

    白猫夢・桜燃抄 7

    2015.04.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第497話。母と娘、ただ一度の邂逅。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 双月暦569年、桜雪が19歳の頃。 桜雪率いる九鬼軍は、ついに紅蓮塞へと攻め入った。「状況をお願いします」 本陣で静かに動向を伺っていた桜雪に、彼女の側近が平伏して答える。「はっ……。ただいま本殿を囲み、三の門を攻めている最中にございます。二の丸より以前、そして周囲の堂については、すべて制圧が完了しております...

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    麒麟を巡る話、第498話。
    女王襲名。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    「その女が女王で、……間違い、無いのか?」
     渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。
    「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。
     なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここまで引っ張ってきました」
    「そう、か」
     予想外の状況に皆が戸惑う中、桜雪が一歩、前に踏み出した。
    「確認します。あなたが焔小雪で、間違いないのですか?」
    「……そうよ」
     べちゃりと布団に張り付いていた女が、くぐもった声で答える。
    「……」
     桜雪はそれ以上、何も尋ねない。どうやら彼女も相当の衝撃を受けているようだった。
    「意外?」
     と、小雪の方から声をかけてくる。
    「……っ」
    「まさか、遊んで、食っちゃ寝、してるだけの女が、20年前、30年前の、美貌を、留めてると、思ってた?」
     小雪は切れ切れに、苦しそうな様子で話している。
     その顔は土気色に沈んでおり、髪はほとんど白く、そして地肌が見えるほどに細く、少ない。目は黄色く濁り、膨れ上がった手と足は到底、人の体と思えない色に染まっている。
     どうやら長年の自堕落な生活のために、体のあちこちを病んでいるようだった。
    「……」
     最早人と思えぬほどに形の崩れた小雪を目にした桜雪の顔色が、どんどん悪くなってくる。
    「桜雪!」
     それに気付いた彩が、後ろから桜雪を抱き留める。
     その様子を見て、小雪がクスクスと笑う。
    「あら、九鬼。久しぶりね」
    「え、ええ」
    「あなたは、あんまり、変わらないの、ね。そうよね、わたしと、違って、毎日鍛錬、してたんで、しょうしね」
    「……」
    「ご覧の、通り、よ。わたしは、こんなに、なっちゃった」
     小雪は桜雪に目をやり、淡々としゃべりだした。
    「あなたが、わたしの、子供だってことは、深見から、聞いてた気が、するわ。そうね、面影がある。あなたにとっては、おばあちゃん、わたしにとっては、母だった、人に。
     ……もう、いいでしょ? わたしから、聞くことは、もう無い、でしょ? さっさと、終わらせ、なさいよ」
    「……~っ」
     桜雪の唇から、つつ……、と血が滴る。どうやら極度の混乱・動揺を、唇を噛むことで無理矢理にこらえたらしい。
     その血を手の甲で拭い、桜雪は乾いた声で命じる。
    「誰か……刀を……貸して下さい」
    「と、頭領」
    「わたしが……討ち取ります」
    「……これを使え」
     彩が腰から刀を抜き、桜雪に渡す。
    「あなたが、やって、くれるのね」
    「……はい……」
     絞り出すような声で、桜雪が応じる。
    「どうぞ。……新しい、女王さま」
    「……覚悟っ……」
     桜雪は刀を手に、ぼたぼたと涙を流しながら、小雪に近付いた。

     その日のうちに、桜雪は焔紅王国の新たな女王となった。
     また、この日から桜雪は自分の姓を「焔」と改め、焔桜雪と名乗るようになった。



    《……ってのが現体制に至るまでの、大体の顛末だね。
     その後についてはそんなに特筆するコトは無いね。真面目で優秀で誰からも好かれる女王様の下、みんなが幸せに暮らしましたとさ、……って感じだね》
    「いや、そうじゃないみたいですよ」
     のんきそうに語った電話の相手に、ルシオは反論する。
    《って言うと?》
    「実はそのサユキ女王から、招待を受けまして。何でも、農業指導をしてほしいとか」
    《ふーん……? 農業指導ってコトは、やっぱりまだ、土地が荒れてるのかねぇ》
    「だと思いますよ。サユキ女王の体制になってからまだ5年とのことですし、農地改革は一朝一夕にできることではありませんから」
    《まあ、私から言えるコトとしては、その焔桜雪って子は十分、信用に値するだろうってコトだね。
     わずか19歳で国一つ引っくり返すくらいの働きをしたんだし、どうあれ傑物にゃ違いないね。そんな大人物が『助けてくれ』って願い出てるんだ、行って損は無いと思うけどねぇ?》
    「非常に参考になりました。ありがとうございます。……あの、ところで」
    《ん?》
    「お名前を伺っても……?」
     ルシオにそう問われ、相手は《あー》と声を漏らす。
    《そう言や忘れてたね。モールさ。賢者モール・リッチと言えば私のコトだね》
    「はあ」
     ルシオのぼんやりした返事に、呆れた声が返って来る。
    《え、もしかして知らないね?》
    「ええ。もしかして高名な方でしたか……?」
    《……ちぇ》

    白猫夢・桜燃抄 8

    2015.04.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第498話。女王襲名。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.「その女が女王で、……間違い、無いのか?」 渋坂が恐る恐る尋ねるほどに、焔小雪の姿は醜く崩れていた。「間違いありません。女中やその他、女王の側近などから確認済みです。 なお、お付きの者からは『女王はここ数年、床から動いていない』と。両足が半ば壊死しているらしいとのことです。自分の足では歩けないようでしたので、布団を使ってここ...

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    麒麟を巡る話、第499話。
    農学博士の見解。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。
    「そのお話、本当でしょうか……?」
     だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。
    「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」
    「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはずだよ。
     一応、大学の方でも調べてはみるけど……」「あ、それなら」
     と、春が顔を上げる。
    「わたしの方で調べてみました。でも、焔紅王国に関する書物は全て、央南連合下では発行も所有も禁じられているので……」
    「やっぱりそうか。と言うことは、あの二人も相当な危険を冒してここに来てるってことになるな。……逆にそれが、彼らの真剣さを伝えていることにはならないだろうか?」
    「あなた、妙に王国の肩を持つんですね?」
     春にそう問われ、ルシオは小さく首を振る。
    「そう言うわけじゃないさ。もしも本当に、王国が農地改革を求めていると言うのなら、僕たちにとっては研究成果を示す、またとない場になる。そう思ってるんだ。
     少なくとも僕は学問のために学問を修めているわけじゃない。実際の状況に対して適用されるためにこそ、学問はあるべきだと考えてる。ハル、君もそうじゃないのか?」
    「……そうですね。そう問われれば、はいと答えます。でもやっぱり……」
    「ともかく、二人で話しているだけじゃ埒が明かない。この手紙を渡した、あの『狐』の人に詳しく話を聞いた方がいいんじゃないかな?」
     多少強引ではあったが、ルシオのこの主張に対し、春は渋々と言う様子でうなずいた。
    「分かりました、それで判断しましょう。もしそこで『やっぱりおかしい』と感じた時は、今度こそ、この話は無かったことにして下さいね?」
    「勿論さ」

     既に夜の9時を回ってはいたが、それでも彼らを訪ねたところ、快く出迎えてくれた。
    「ありがとうございます、ブロッツォ博士、紺納博士」
     深々と頭を下げた狐獣人の剣士、渋坂に対し、ルシオは「いや」と手を振る。
    「まだお受けすると決めたわけではありません。王国について、現在どのような環境であるのか確認したいと思いまして」
    「なるほど、確かにあの手紙だけでは実情を測ることはできませんな。……これ、千谷」
    「はっ」
     千谷と呼ばれた短耳の青年が、数枚の写真を机の上に置く。
    「こちらが王国内の、ある農村を撮影したものです」
    「ふむ」
     ルシオたちは写真を受け取り、互いに意見を述べる。
    「画像は粗いけれど……、確かに荒れ果てているのがよく分かる」
    「そうですね。土が、とっても白い。栄養がほとんど無いようですね」
    「恐らく、これは白砂(シラス)のような火山性土だろう。
     紅州は温泉が豊富にあるって話だから、マグマ層が比較的地表に近いんだろう。噴火や溶岩の露出と言った大規模災害なんかは発生しないまでも、土の性質は火山地帯のそれと、かなり近くなってるんじゃないかな。
     ……ふむ、とすると」
     ルシオは渋坂たちに向き直り、こう尋ねた。
    「王国で主だって栽培している作物は、もしかして米や麦と言った穀類でしょうか?」
    「ええ、まあ」
    「それをこの土壌で育てようとした、と?」
    「はい」
    「それは無理です」
     ルシオは頭を抱え、深いため息をついた。
    「何故に?」
    「穀物を育てるのに必要な栄養素が、この種類の土には存在しないからです」
    「なんと」
    「紅州のほとんどが、こうした土壌でしょうか?」
    「いや、白ではなく、むしろ真っ黒なところもあります。ですがそこも同様に、作物が実ったことがありません」
    「と言うことは十中八九、黒ボク土(くろぼくど。こちらも火山性土の一種)だろうな……。なるほど、農業をやるには致命的に条件が悪過ぎる。
     褐色土なんかはありますか? この辺りではよく見かける類の土ですが……」
    「いや、あまり見ません。紅州の北、黄州との国境付近には多少あるようですが」
    「ふーむ……。なるほど、よく分かりました」
     ルシオは苦り切った顔で、こう続けた。
    「はっきり申し上げましょう。現状、紅州で米や麦を栽培しても、成果は望むべくもありません」
    「むう……」
    「ですが、私にはその現状を打破できる策がいくつかあります。私が赴けば、4~5年でほぼ自給できる程度には、農業事情を改善することができると思います」
     ルシオの弁に、渋坂の目が輝く。
    「では……」「ですが」
     と、ルシオが手を挙げて制する。
    「央南連合下に住まう我々が王国へ指導に向かうとなれば、様々な弊害があります。それについては、どのような対策を?」
    「我々も、無計画に玄州に飛び込み、あなた方の前に転がり出たわけではございません。
     入出国の問題につきましては、玄州と何度と無く交渉を行い、どうにか制限付きながらも行き来できる条約を締結しております。通行許可証さえ発行できれば、問題なく通行可能であることを保証します。
     その他、滞在に関わる様々な問題に対しても、我々が全面的に対処する所存です」
    「……だ、そうだけど」
     ルシオは恐る恐る、妻の顔を伺う。
    「はぁ」
     春は呆れた表情を浮かべつつも、夫の要望を聞き入れた。
    「つまり、行きたいんでしょう?」
    「う、……うん」
    「……と言うことです。夫も、そしてわたしも、お話をお受けいたします」



     こうしてルシオ・春夫妻は農業指導を行うため、焔紅王国へ向かうこととなった。

    白猫夢・桜燃抄 終

    白猫夢・桜燃抄 9

    2015.04.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第499話。農学博士の見解。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 焔紅王国についての情報を得たルシオは、早速春にこれを伝えた。「そのお話、本当でしょうか……?」 だが、春はこの話に首を傾げ、懐疑的な様子を見せる。「そんな英雄譚が、あんな国で繰り広げられたとは到底……」「とは言っても、話の中心となった人物と、あの手紙にあった名前とは一致しているし、テンコちゃんの友人だから信用できるはず...

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    麒麟を巡る話、第500話。
    人懐っこい女王陛下。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ようこそ、おいで下さいました」
     その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。
    「っ、あ、あの」
     面食らったルシオは、慌てて応じようとする。
     しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。
    「こうしてはるばる、我が王国までご足労いただけましたことに、深い感謝の意を表します。どうか我々を助けて下さいますよう、何卒、何卒お願いいたします」
    「は、はい。勿論です、ええ」
     これほど丁寧に出迎えられるとは思わず、ルシオは終始、目を白黒させていた。
     一方、妻の春は冷静に構えている。
    「早速ですが、お仕事の話をしたいと思います。ご用意はよろしいでしょうか?」
    「はい。では、こちらへ」
     女王、焔桜雪はにこっと笑みを浮かべ、二人を案内した。

     場所を応接間に移し、桜雪は書類の束が入った箱を差し出した。
    「こちらが、過去2年間に我々が行った農業活動と、その経過・結果を記したものです」
    「ふむ」
     ある程度の落ち着きを取り戻し、ルシオは書類に目を通す。
    「……やはり、芳しくないようですね」
    「はい。我が国の近隣州や央中から購入した種苗の8割が満足に育たず、また、残り2割も到底、国民全体に行き渡る程には生長しませんでした」
    「原因の大部分は恐らく、土壌によるものでしょう。
     玄州からこの国に入り、この城に到着するまでに何度か田畑を見る機会がありましたが、一目見ただけでも農作物が育つものではないだろうと、妻と話し合っていました」
    「ええ。詳しい調査は後程行う予定ですが、紅州の大部分が火山性土に覆われており、そのために、作物にとって非常に厳しい環境になっているようです」
     ルシオと春からそう告げられ、これまで毅然とした、それでいて穏やかな態度で接してきた桜雪の顔に影が差す。
    「では、今後も我が国では農業を行うことは不可能、と言うことでしょうか」
    「調査しなければ、断言はできません。しかし現段階での我々の見立てとしては、仰る通り非常に難しいと思います」
    「そうですか……」
     が、桜雪はすぐに表情を改め、にっこりした顔を見せる。
    「ともかく、長旅でお疲れのことと思います。ひとまず、今日のところはお休みになっては如何でしょうか?」
     この提案に、ルシオたちは素直にうなずいた。
    「ええ、そうしたいです。流石に疲れていますし」
    「お言葉に甘えます」
    「では、我が塞内に宿泊場所を設けておりますので、滞在中はそちらをお使い下さい。温泉地ですので、湯船はいつでもお使いいただいて構いません。お食事については寝室にお運びする予定ですが、何か希望や食べつけないものはございますか?」
    「いえ、特には」
    「それでは、宿となる場所にご案内いたします」
     誰かを呼ぶでもなく立ち上がった桜雪に、春がきょとんとした顔を向けた。
    「え?」
    「如何されましたか?」
     尋ねた桜雪に、春は眉間にしわを寄せつつ尋ね返す。
    「あなたが案内を?」
    「はい。そのつもりでしたが、何か不都合がございましたか?」
    「いえ、女王のあなたがそんなことを、……と言う意味で尋ねたのですが」
    「お客様ですから」
     桜雪はにこっと笑い、こう続けた。
    「我々に少なからず救いの手を差し伸べて下さるのです。であれば、でき得る限り丁寧に応対したいと考えております故」
    「そこまでされなくても……」
     面食らっている様子の春に、桜雪はまた、にっこりと――恥ずかしそうに、顔を赤らめながら言った。
    「それに、ご存じかと思いますが、我が国は他国、取り分け央南連合領地との交流がほとんどございません。
     ですから、国外の方と接する機会があれば、……少しでも仲良くしたいのです」
    「そうですか」
     春は表情を堅くし、無感情そうに返した。

    白猫夢・揺春抄 1

    2015.04.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第500話。人懐っこい女王陛下。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ようこそ、おいで下さいました」 その国で最も高い位に就くとされているはずのその女性は、ルシオたち夫妻と面会するなり玉座を離れ、彼らの眼前に迫り、深々とお辞儀をして見せた。「っ、あ、あの」 面食らったルシオは、慌てて応じようとする。 しかしその前に、相手は頭を上げ、ルシオの右手を両手で握りしめてきた。「こうしては...

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    麒麟を巡る話、第501話。
    ずれる想い。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。
    「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」
    「ん?」
    「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」
    「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」
     ルシオの言葉に、春は一瞬、不快そうな表情を浮かべたが、すぐにしゅんとなる。
    「そうかも知れません。もしかしたら本当に、焔女王はただ真剣に、農業指導を求めているだけなのかも、……と思い始めてきました。
     でもわたしは央南でずっと、『焔紅王国は悪の巣窟』であると聞かされて育ってきたせいか、どうしても信じ切れないんです。もしかしたら、もしかしたら、……と、ずっと心のどこかで考えてしまっていて」
    「もし、本当に君の言う通り、ホムラ女王が何か企んでるって言うならさ」
     ルシオは春の手を握り、こううそぶく。
    「僕が何としてでも、君を連れて央南に逃げ帰って見せるよ」
     春は呆れたようにくすっと笑って返した。
    「期待はしてませんけど、……でも、その時は頼みますね」



     翌日からルシオ夫妻の農業指導が開始されたが、ほとんど毎日のように、桜雪は現場に現れた。
    「よろしくお願いいたします」
    「あ、……はい」
     無論、国王である桜雪にそうそう暇があるわけでは無いらしく、やって来て5分もしないうちに渋坂が呼び戻しに来たり、そもそも来られない日もあった。
     それでも、桜雪はちょくちょく現場を訪れ、嬉しそうに夫妻の仕事ぶりを眺めていた。
    「あの」
     それが春には気に入らなかったらしく――ある日、いつものようににこにこしている桜雪に向かって、春が苛立たしげに尋ねた。
    「何かわたしたちに、滑稽な点があるのでしょうか?」
    「いえ、とんでもありません」
     ところがにらまれた途端、桜雪は目を丸くし、驚いたような顔をした。
    「もしかして、お気に障りましたか?」
    「正直に言いますと、そうです」
     春が畳み掛ける。
    「わたしも夫も真剣に、仕事に取り組んでいます。それを笑われて、快いと思われるんですか?」
    「あ……」
     これを聞いて、桜雪は深々と頭を下げた。
    「すみません。そんなつもりではなかったのです。ただ……」
    「ただ?」
     なおも苛立った目を向ける春に、桜雪は申し訳無さそうにこう続けた。
    「高名な博士ご夫妻が、この国のために尽力して下さっていると考えたら、とても嬉しくて」
    「……」
     しばらく沈黙した後、春がふーっ、とため息をついた。
    「ではできるだけ、真面目に拝見なさって下さい。繰り返しますが、わたしたちは真面目に仕事をしてますから」
    「気を付けます」

    「あれは無いんじゃない?」
     その日の晩、春の言動をルシオが咎めた。
    「いくらなんでも、相手は女王だよ? それも、良識ある名君だ。そんな人に対して『真面目にしろ』は言い過ぎだよ」
    「あなたもあの人の肩を持つんですか?」
     だが、春はまったく譲らない。
    「いや、そう言うわけじゃなくてさ……」
    「こっちに来てからずっとそう! 何かにつけて女王、女王って! そんなに女王様が好きなら、わたしのことなんか放っておけばいいでしょう!?」
    「バカなこと言わないでくれよ。君への愛情と女王への敬意は別物だ。君のことは妻として、女性として好きだけど、女王に対してそんなこと思ったりなんかするもんか!」
    「……」
     一転、春はボタボタと涙を流す。
    「そんなに怒鳴らなくったっていいでしょう!?」
    「怒鳴ってるのは君じゃないか。落ち着きなよ、ハル。君、最近なんか変だよ?」
    「それはもう、変にもなってしまいますよ! 連合から離れて、こんな寂れたところで何週間も過ごしてたら、そうなりますっ!」
     ついに春はルシオに背を向け、そのまま寝室に駆け込んでしまった。
    「……あー……」
     一人残されたルシオは顔を両手で覆い、うめくしか無くなった。
    (ハル、限界かなー……。一回玄州に戻った方がいいだろうな、これは)

    白猫夢・揺春抄 2

    2015.04.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第501話。ずれる想い。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ルシオ夫妻の宿として宛てがわれた修行場の一つ、浦月堂に移り、二人きりになったところで、春が口を開く。「位ある人間に、あれだけ露骨ににこにこと振る舞われたら」「ん?」「大抵の人は何か裏でもあるのかと勘繰るところですけれど、……自分でも驚いてますが、素直にあの人の言葉を信じそうになりました」「……疑い過ぎだと思うんだけどなぁ」...

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    麒麟を巡る話、第502話。
    焔紅王国の異邦人。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。
     寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。

    (すぐ眼鏡が曇っちゃうな……)
     温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んでいる。
     眼鏡の曇りを拭き、視界が明瞭になったところで、ルシオはそれらの店を一瞥する。
    (そう言えば、ご飯食べる前にお堂を出ちゃったなぁ)
     確認したところで、ぐう、と腹が鳴る。
     ルシオはとりあえず、すぐ横に構えていた店へと入ることにした。
    「いらっしゃっせー、1名様どうぞ!」
     大きく粗雑な挨拶に出迎えられ、ルシオはカウンター席に着く。
    「何にしやしょ?」
    「えー、と……」
     卓上や壁に貼られたメニューを見るが、当然どれも央南語で書かれており、ルシオは閉口する。
     と、横に座っていた狐獣人の客が、チラ、とルシオを横目で見、ぼそっと店主に告げた。
    「僕と同じもん食べさせとき。同じ央中人やろし、好みがえらい合わんっちゅうことは無いやろから」
    「へぇ、承知しました」
    「え? え?」
     ぎょっとしているルシオに、その金髪に赤メッシュの「狐」は央中語で話しかけてきた。
    「見た感じそのまま、央中南部生まれって顔や。グラーナ王国かバイエル共和国っちゅうところやろ」
    「え? ええ、確かにそうです。バイエルのセサミパスって村の生まれです」
    「ド田舎やな。確かミッドランド市国のある、フォルピア湖の南淵辺りやったな」
    「よくご存知ですね」
    「僕らにとったら央中は、自分の庭みたいなもんやからな。それこそどこの街にどんな産物があるかくらい、ソラで言えるんは当然のことや。
     でも……」
     狐獣人はルシオをじろじろと眺めつつ、首を傾げる。
    「なんでこんなとこにおるん? 央中人なんか、僕だけや思てたけど」
    「仕事です」
    「貿易関係か?」
    「いえ、農業指導で」
    「ほー……。道理で学者っぽいなとは思てたわ。浮世離れした格好しとるし。
     あ、ちゅうことはアンタ、ルシオ・ブロッツォ博士か?」
    「あ、はい」
    「女王さんから名前だけは聞いとったわ。ああ、アンタがそうやったんか」
     狐獣人は懐から名刺を取り出し、ルシオに差し出した。
    「僕は金火狐商会系列、トーナ物産社長のレオン・エミリオ・トーナ・ゴールドマンや。
     長いからエミリオでええで」
    「どうも、エミリオさん」

     故郷から遠く離れたこの地で同郷の人間に出会ったことで、ルシオはすっかり高揚していた。
    「いやぁ……、それにしても懐かしいです。当たり前ですけど、央南はどこに言っても央南語で会話してますからね」
     何年か振りに央中語での会話を交わし、ルシオは上機嫌になっている。対するエミリオも、ニコニコしながらこう返す。
    「そらそやろ。僕かて央中語でこんだけ話すんの、何ヶ月ぶりやろって感じやし」
    「ここ、長いんですか?」
    「まあ……、色々あってな。市国には居辛いねん。ちょくちょく理由付けて、こっちに渡っとる感じや」
    「そうなんですか……。うちの妻が聞いたら、『勿体無い』とか言いそうですね」
    「ん?」
     酒に酔っているらしい、とろんとした目を向けてきたエミリオに、ルシオは春のことを話した。
    「まあ、僕らの目から見たら同じ央南でも、ちょっと違うやろしな。何かとイライラすることもあるやろな。
     ……でも、僕に言わせたら連合も大概やけどな」
    「と言うと?」
    「あんな、これはあんまり大っぴらには言えへんのやけど……」
     エミリオはチラ、と店主や他の客を眺め、小声で話し――かけて、途中で笑い出した。
    「……ちゅうても央中語で話したら問題無いか。抜けとるな、ははは……。
     いやな、今の央南連合の主席しとる女。博士は知っとるか?」
    「ええ、名前だけは。アスカ・タチバナ女史でしたっけ」
    「そや、その女。……そいつがな、旦那と組んで阿漕なことばっかりしとるんよ」
    「旦那さん?」
    「西大海洋同盟の現総長、シュンジ・ナイジェルっちゅうやつや。こいつとタチバナが裏で表で色々アレコレ何やかやと、えげつない条約・密約を交わしとってな。
     一例を言うと、北方と央南間以外の貿易には1000%やら2000%になるような、とんでもない関税かけとるんよ。おかげでウチの対央南、対北方貿易は壊滅状態や。
     勿論、何度と無く抗議してはいるんやけどもな、あいつら聞く耳持ってへんねん。あーだこーだ理由付けて、結局税率も差別的措置もそのまんまや」
    「あんまり貿易とかは詳しくないですけど、2000%ってなんか、ひどそうですね」
    「ひどそうやなくて、ひどいんや。ひどいにも程があるっちゅうもんや。
     考えてみいや、ウチで一個3エルくらいの蜜柑を央中から央南に卸すだけで、こっちで一個100玄超えるんやで。レート自体、エルと玄はトントンなはずやのに、やで?」
     その額を聞き、ルシオは声を上げて驚く。
    「30倍ですか!?」
    「関税に加えてコストやらリベートやら加えると、どうしてもそうなるんよ。誰がそんなバカみたいに高い蜜柑買う?
     ちゅうわけで、央中・央南間での貿易は完全に死に体や。焔紅王国以外ではな」
    「なるほど……。だからエミリオさん、こちらで商売されてるんですね」
    「ま、そこはそれ、僕に先見の明があった、ちゅうやつや。
     連合がそうなる前から、この国には目ぇ付けてたんよ。ホムラ女王がやり手そうやっちゅうことは、即位辺りからピンと来てたからな」
    「流石、金火狐ですね」
    「……まあ、な。……まだ一族ん中では、パチモンのアホ扱いやけどな」
    「え?」
    「……いや、何でもあらへん」

    白猫夢・揺春抄 3

    2015.04.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第502話。焔紅王国の異邦人。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. もうじき冬が終わる頃とは言え、床の間やお堂で毛布も無しに寝転ぶには、あまりにも寒い。 寝室から締め出されたルシオは、仕方なく温泉街へと繰り出した。(すぐ眼鏡が曇っちゃうな……) 温泉街はあちこちに湯気が立っており、ほんのりと暖かい。そして体の外からだけではなく、内側からも温めようとする施設――即ち、飲食店も立ち並んで...

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    麒麟を巡る話、第503話。
    不穏なうわさ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。
    「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。
     ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」
    「はあ」
    「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白猫党っちゅう輩のせいや。あいつら中央大陸のあっちこっちで好き放題やっとる上に、西方まで手ぇ伸ばしたやろ?」
    「らしいですね」
    「ほんで、北方を政治基盤にしとるナイジェルと、連合主席のタチバナは揃って慌てよったんや。『何としてでも自分の領土を死守せな』ちゅうことで、徹底的に他地域の勢力を追い払っとるっちゅうわけやな。
     まあ、気持ちは分かる。あいつらも容赦無いからな、いざ傘下に下ったら権力者層は軒並みえらい目に遭うやろし、そら徹底的に排除せなっちゅうのんは分かる」
    「はあ」
    「せやけど、連合も連合やで! えげつなさで言うたら、あいつらも同類や!
     博士も気ぃ付けた方がええで――あいつら、自分の身と利益守るためやったら、どんなえげつない悪事も平気でやりよるからな」
    「……え?」
     ぼんやりと生返事を続けていたルシオだったが、穏やかでないエミリオの話に、思わず尋ね返していた。
    「悪事って?」
    「元々な、連合と王国――ちゅうても前体制、コユキ時代の話やけど――には色々、秘密協定があってん。
     重犯罪者を王国に『処理』してもらうとか、王国の地下深くに溜まっとるマグマを利用して、連合専用の産業廃棄物処理場を造ってもらうとかする代わりに、前女王は連合からたんまり、裏でカネもろてたらしいねん。
     で、サユキ時代になってからすぐ、現女王はその密約を全部破棄、反故にした上に、その事実を世界に向けて公表しよったんや。
     女王からすれば『自分らはどこまでもクリーンやで』っちゅうイメージをアピールしたかったみたいやけど、連合からすればたまったもんやない。向こうにしてみれば、『秘密にしとった悪事をバラされた』やからな。
     それもあって、連合の国際的なイメージは今、めっちゃ悪いねん。おまけに『腐敗・堕落した権力者層の排除』を謳う白猫党に対して、攻めさせる格好の口実を与えたことになるわけやしな。
     とは言え、そう言う恨みつらみはあるけども、連合は王国を容易に攻撃でけへん。さんざ悪い印象与えとるところで主だって王国に制裁なんかしようもんなら、それこそ連合にとっては、致命的に悪いイメージを広めることになるからな。
     ちゅうわけで、連合は陰でこそこそっと報復しとるらしいわ。連合軍に身分隠させて、王国から出とる船を襲撃したり、王国と連合を行き来しとる人間を秘密裏に拘束したりな」
    「拘束……!?」
    「ああ。ほんで有ること無いこと立て並べて犯罪者に仕立て上げて、『王国は犯罪者の温床や』と言いふらしとるらしいわ。
     あくまで『王国は悪の巣窟、連合は嘘を言いふらされて被害を受けとる』っちゅう話にしたいらしいわ。……ま、僕も聞いただけやし、実際に被害に遭ったっちゅうことは、まだ無いけどな」



     途中まで程よく酩酊していたものの、エミリオが最後にした話で水を差され、ルシオの酔いはすっかり醒めてしまっていた。
    「……」
     活気ある温泉街から戻り、紅蓮塞への若干寂しい道中に差し掛かったところで、ルシオは不安に苛まれる。
    (王国に関係した人間は連合から報復、……か。『まさか』とは思うけど、……でも、『もしかして』って言う不安を捨て切れない。
     明日には暇を願い出ようと考えてたけど、そんな事情があるなら、やっぱり帰国を延期すべきじゃないだろうか。
     説得には骨が折れるだろうけど、一応、ハルに伝えておこう)
     考えをまとめているうちに紅蓮塞の門前に着き、ルシオは立番らに会釈する。
    「戻りました」
    「お帰りなさいませ、博士」
     立番二人は深々と頭を下げ、そしてこう尋ねてきた。
    「奥方はご一緒ではないのですか?」
    「え?」
     きょとんとしたルシオに、立番が怪訝な顔を向ける。
    「先程、奥方が出て行かれましたが……?」
    「てっきり博士と街で落ち合うものと思っておりましたが、お会いにならなかったのですか?」
    「いや、妻は寝てた、はず、……だけ、ど」
     ルシオの背中に、冷たいものが走る。
    「いつの話ですか?」
    「1時間ほど前です」
    「何か、荷物とかは……」
    「ええ。かばんを提げていらっしゃいました。……うん?」
    「まさか、博士? 奥方は……」
     途端に、ルシオはその場にへたり込んだ。
    「……そんな、……ハル!」

    白猫夢・揺春抄 4

    2015.04.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第503話。不穏なうわさ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 酒が回り出したのか、エミリオは饒舌になり始めた。「そんな事情があるからな、じわじわ他の国・地域も央南と北方から撤退し始めとる。 ちゅうても明らかに、『向こう』から縁切ろうとしとるからな。こっちにしたら『そんなら出てったるわボケ』っちゅう感じや」「はあ」「そもそも、なんでこんな『追い出し』政策しとるかちゅうとな、あの白...

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    麒麟を巡る話、第504話。
    情緒不安定。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。
    (……?)
     そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。
    (ルシオ? ……どこへいったのかしら?)
     春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。
     ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換えれば冷静さが著しく欠けていた。
    (日も暮れたと言うのに、あの人は一体どこへ? わたしに隠れて、何かやましいことをしようとしているのでは? いえ、きっとそう。きっとあの女王のところよ。間違いないわ。
     ああ……、なんてことかしら! こんな国に来てしまったせいで、あの人が女王に盗られてしまうなんて! いえ、あの人は元々からこの国に行きたいと言っていたもの、ずっと前から籠絡されていたに違いないわ! きっと裏で口裏を合わせて、適当な理由を付けてこの国に来る口実を立てて……)
     考えれば考えるほど、整合性の無い、春の妄想にとってのみ都合のいい、荒唐無稽な論理が組み立てられていく。
     だが、冷静さを欠いた春には、その理屈がどんな言葉よりも正当性を持っているように感じてしまっている。
    (もう嫌! これ以上、こんなところにいたくなんかない!)
     春は無意識に自分のかばんを抱きかかえ、お堂を飛び出していた。



     はっと我に返った時には、春は既に紅蓮塞の灯りが見えないところまで逃げていた。
    「……あ」
     そこでようやく、春は自分が部屋着のままであることに気が付いた。
    「さむ……」
     吐く息は白く、手も真っ青になっている。慌ててかばんを開け、上着や手袋を探すが――。
    (置いてきちゃったみたい。……どうしようかしら)
     両手に吐息を当てて温めようとするが、あまり効果が感じられない。足元にかばんを置き、両手をこすり合わせても、掌も指も冷たく、温まってこない。
    (……戻ろうかしら?
     さっきの、よく考えてみたら無茶苦茶だし。どうして夫と女王が会う前から通じているなんて思ったりしたのかしら。連合と王国が国交断絶してた状態で交流なんて、できるはずがないのに。
     誰にも何も言わずに飛び出したから、今ならまだ恥をかかずに戻れるでしょうし)
     外気で冷えた頭が、ようやくまともな思考を始める。
     春は足元に置いたままのかばんを手に取ろうと、しゃがみ込んだ。

     その時だった。
    「紺納博士ですか?」
    「え?」
     しゃがんだまま振り向くと、そこにはスーツを着た男が2人、並んで立っていた。
    「えっと……、王国の方、ですか?」
     尋ねつつも、春は彼らが王国の関係者ではないことを悟っていた。
     王国の人間は皆、昔ながらの和装を着ており、洋装をした人間は自分が知る限り、夫のルシオか、温泉街でちらほら見かける観光客くらいしかいない。
     それ以前に、彼らの胸に付けられた徽章は――。
    「我々は央南連合の者です」
    「です、よね」
     彼らの素性には納得したものの、春の中には次の疑問が浮かんでいた。
    「あの、連合の方が何故、この国にいらっしゃるのでしょうか? それに、わたしのことを何故ご存じなのでしょう?」
    「説明が足りませんでしたね」
     男たちは一瞬、顔を見合わせ、こう続けた。
    「我々の所属は、正式には央南連合軍諜報部、特殊工作課と申します。
     具体的に言えば、この焔紅王国に対して何か、政治的・国際的に不利な材料が無いか調査し、上層部に報告することを任務としています。……ここまでが諜報部の主な仕事です」
    「そして特殊工作課の仕事ですが、その不利な材料が無いようならば」
     男たちはそこで銃を懐から取り出し、春に向けた。
    「捏造するように命令されています。
     紺納博士。あなたは連合下の人間でありながら王国の人間と通じ、諜報活動を行っているものと設定……、いえ、判断し、連合へ連行します」
    「え……!?」
     やってもいない罪を宣告され、春はうろたえる。
    「な、何を仰って、あの、わたしは……」
    「抵抗は無用です。もしも抵抗されるのであれば、我々はここであなたを射殺し、適当にでっち上げた証拠をそのかばんに詰めておいて、国境辺りに放置するだけですが」
    「無論、それだと我々の仕業と勘繰られて、王国側に陰謀だとして吹聴されるおそれもある。となると逆効果になるでしょうし、それはしたくない。
     それよりも連合までご足労いただき、そこで『正当な裁判の結果』、政治犯となっていただく方が、我々には何かと都合がいい。
     と言うわけで、ご同行を」
     そう言って、男たちは銃の撃鉄を起こす。
    「……」
     春はそれ以上何も反論できず、従うしか無かった。

    白猫夢・揺春抄 終

    白猫夢・揺春抄 5

    2015.04.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第504話。情緒不安定。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ひとしきり泣ききったところで、春は寝室の襖越しに、お堂の戸が開く音を聞いた。(……?) そっと襖を開け、居間として使っていた部屋を覗いてみたが、夫がいる様子は無い。(ルシオ? ……どこへいったのかしら?) 春はそのまま居間へ移り、夫の行方を推理しようとする。 ただし、この時の春は情緒不安定であり、推理に必要な客観性、言い換...

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    麒麟を巡る話、第505話。
    罪の仕立て屋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「こちらへ」
     諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。
    「どうも、博士」
     諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。
    「……」
     応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。
    「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」
     イライラしながら答え、春は続けて問う。
    「あなたは?」
    「安楽と申します。博士を連行させた者の上司に当たります」
    「つまり、あなたも諜報部の方と言うことでしょうか」
    「それは申し上げられません。公的には、あなたとお会いしたと言う記録も残さないつもりですので」
    「わたしを犯罪者に仕立て上げるつもりだ、と伺いましたが」
    「ええ、その通りです。具体的には央南連合の機密を焔紅王国へ流したことによる、情報漏洩と治安侵害罪。そして国交を断絶している王国に侵入したことによる、領地保安法の違反。そして王国に対し不当に援助を行ったことによる、連合通商法の違反。
     すべて付けば、懲役100年は免れないでしょう。無論これは、博士ご自身が存じていらっしゃるように、無実の罪と言うものですが。ま、諜報部の手練手管を用いれば、いくらでも罪を作ることは可能です。お望みなら後100年でも200年でも、罪を追加することもできますが」
     薄笑いを浮かべながら答える安楽に、春は気味の悪いものを感じていた。
    「そんなことが許されると思っているのですか?」
    「許す、許さないを決めるのは、権力者のやることです。そして私はそう言った権力者たちと懇意にしております。
     あなたに罪が有るか無いかは、私の機嫌次第と言えます」
    「……っ」
     にやぁ、と笑った安楽に、春は思わず立ち上がり、車の扉に手をかけていた。
    「おや、お逃げになりますか?」
     だが、扉を開けるその直前、安楽があざけるように声をかける。
    「公務執行妨害。逃走罪。今お逃げになると、それだけの罪が発生しますよ。さて、何年ほど投獄されるやら。10年でしょうか、20年でしょうか。それとももっと多くなるかも知れません」
    「……」
    「どうしますか? まあ、選択の余地は無いですがね」
     安楽の言葉とともに、自動車がぶるっと震え、動き出す。
    「この車輌は最新鋭の悪路走破機能を有しております。あぜ道だらけの焔紅王国といえど、ここから国境を越えるまでに4時間もかかりません。
     ま、それまでに覚悟を決めるなり、諦めるなり、ご自由にどうぞ。それとも命乞いをなさるか、と言う選択肢もございますが」
    「い、命乞い?」
     次々に安楽の口から飛び出す物騒な言葉の数々に、春は次第に憔悴し始めていた。
    「ええ。司法取引とも言いますかね。ま、簡単な話です。
     あなたの口から焔紅王国女王および大臣、高官らの不正行為についてお話いただき、それが国際社会に広く信用されるようであれば、その効果に応じて刑期を減免いたします。
     ま、それに加えて私に対し、個人的に何かしらの『お心付け』をいただけるなら、刑務所などに入れるようなことはせず、私の監視下に置くと言う措置も取れますがね」
    「……それ、って」
     安楽の言葉の裏にあるものを察し、春は狼狽する。
    「わたしは夫のある身です! そんなこと、できるはずが……」
    「いやいや、無理にとは申しませんよ。どうしても無理だと言うことであれば、それは仕方ありません。正規の手続きに従い、あなたは投獄されると言う、それだけの話です」
    「正規ですって!? すべてあなた方の捏造でしょう!?」
    「何度も申し上げたように」
     安楽はニヤニヤ笑いを下卑たものに変え、春の腕を取った。
    「罪の有る無しは我々の胸三寸で決まります。あなたが我々の、いいえ、私の機嫌を損ねれば……」
     安楽は春をぐいっと引き寄せ、がらりと声色を変えた。
    「央南連合では表向き、容認されていない罰を与えることもできるんだぞ? 鞭打ち千回でも銃殺でも、断頭台でもな」
    「いやっ……、嫌あっ!」
     春は泣き喚き、懸命に抵抗しようとする。
     しかし春の細腕では、大の男の腕力には当然、敵わない。
    「うるさい! びーびー喚くんじゃないッ!」
     安楽は空いていたもう一方の手をぐっと握りしめ、春を殴りつけた。
    「ひう……っ」
    「もうお前はおしまいなんだ! 大人しく私に従った方が……」
     怒鳴りながら、安楽はまた拳を振り上げた。

    白猫夢・乱南抄 1

    2015.04.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第505話。罪の仕立て屋。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「こちらへ」 諜報員たちに連れられ、春は大型の自動車に乗り込む。「どうも、博士」 諜報員たちと同様に洋装を着た、車の中に座っていた男が、薄く笑いつつ春に会釈する。「……」 応じない春に、男はまるで幼児に言葉を教えるような口調で、会釈を繰り返す。「ど・う・も、は・か・せ。ご・き・げ・ん……」「最悪です」 イライラしながら答え...

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    麒麟を巡る話、第506話。
    誘拐返し。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。
    「おう……っ!?」
    「きゃあっ!」
     斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。
    「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転せんかッ!」
     安楽はよろよろと立ち上がり、運転席に向かって怒鳴りつける。
     だが、運転席からは返事が無い。
    「……? おい? どうした? 何かあったのか!?」
     安楽は春の方を一瞬確かめ、車の外に出た。

     その瞬間、安楽の首に刃が突きつけられていた。
    「央南連合の官房局次官、タツノリ・アンラクさん?」
    「う……っ」
     安楽の目の前に、にゅっと刀の切っ先が突きつけられる。その刀を握る、緑髪に三毛の毛並みをした猫獣人が、淡々とした口調で続ける。
    「答えて」
    「い、いや、私は」
    「嘘をついてもごまかせないよ。仮にもし、あなたがアンラクさんじゃないなら、斬るだけだし。アンラクさんじゃなければ、生かしても意味が無いもの」
    「……わ、私が安楽達典だ」
     観念したらしく、がっくりとうなだれた安楽に、猫獣人はこう続けた。
    「あなたがこうやって、こっそり焔紅王国に来ることは『見えてた』。丁度良かったよ」
    「な、なに? 何のことだ?」
    「あなたはハルを使って王国の評判を落とそうとしてたみたいだけど、あたしはあなたを使って央南連合の評判を落とさせてもらうよ。
     あたしたちの党のために」
    「党? お前は一体、何者だ?」
     安楽が問いかけたが、猫獣人は名乗らない。
    「とりあえず拘束させてもらうよ。それから、あなたたちの車で連行させてもらうから」
    「連行? どこへ連れて行くつもりだ?」
    「まず、紅蓮塞。そこに女王と、央中の権力者に近い人がいるから、その人たちに事情を話して、投獄してもらうよ」
    「投獄? 何の罪でだ? 私は何もした覚えは無い!」
    「あるはずだよ。それにその証拠もある。
     あなたは上から指示を受け、無実の人たちに罪を着せて王国に対する虚偽の非難中傷をしてた。
     その証拠はあたしたちが握ってる。後はあなた自身の証言と一緒に、世界中にその内容を公表するだけ」
    「な……んっ……」
     強情を張っていた安楽の顔が、一転して真っ青になる。
    「そ、そんなことをしてみろ! 央南は、央南連合は……っ」
    「公表し次第すぐに、世界中から壮絶に非難されるよ。
     そして央南連合は孤立する――あらゆる交通・交流は停止する。勿論、経済も封鎖される。通貨をはじめとする、あらゆる取引が止められる。連合内の主要都市はほとんど貿易で稼いでるし、連合内の政治経済は一気に大混乱、衰退するよ。
     後はあたしたちが央南に乗り込み、連合を排除するだけ」
    「貴様ら、……白猫党か!」
     安楽にそれ以上応じること無く、猫獣人は車の中に声をかけた。
    「ハル、大丈夫?」
    「え、ええ」
     恐る恐る出てきた春に、猫獣人は手を差し伸べた。
    「危ないところだったね」
    「はい、ええ」
     春はへたり込んだ安楽を一瞥し、もう一度猫獣人に向き直った。
    「あの」
    「話は後で。とりあえずこの人と、運転席にいる人たちを車の中に入れるよ」
     そう説明しながら、猫獣人は春の頬に手を当てる。
    「えっ?」
    「治してあげる。痛々しいもの。……『キュア』」
    「あ……、ありがとうございます。
     ……あの、葵さん、ですよね?」
    「うん」
     猫獣人――葵・ハーミットは小さくうなずき、それから運転席へ向かい、気絶した諜報員たちを引っ張り出す。
     安楽も含めて縄で縛り、後部座席へ放り込んだところで、葵が再び口を開く。
    「ハル、こっちに乗って。紅蓮塞まで送るよ」
    「あ、はい」
     半ば呆然としていた春は、たどたどしく助手席に乗り込む。
    「葵さん、運転できるんですか?」
    「たぶん」
     その返答に春は不安を覚えたが、それはすぐに吹き飛んだ。
     葵は淡々とサイドブレーキを外し、ギアを入れ、クラッチをつなぎ、程よくアクセルを踏み込んで、何の失敗もなく車を発進させたからである。
    「……上手、ですね」
    「そうかな」
    「わたし、自動車って初めて乗るんですけど、でもきっと葵さん、すごくお上手だと思います」
    「ありがと」

    白猫夢・乱南抄 2

    2015.04.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第506話。誘拐返し。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. と――車が突然、がくがくと大きく揺れ、春の上に馬乗りになろうとしていた安楽の体勢が大きく崩れる。「おう……っ!?」「きゃあっ!」 斜めに立っていた安楽はふんばることができず、車の壁に叩き付けられる。一方、春は安楽に押さえつけられていたために、そのまま座席にしがみつくことができた。「うう……、な、なんだ? お前たち、ちゃんと運転...

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    麒麟を巡る話、第507話。
    プロパガンダ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。
    「葵さん、……えっと、お久しぶりです」
    「うん」
    「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」
    「そうだね」
    「今まで、どこで何を?」
    「いろいろ」
    「今、お仕事は?」
    「一応あるよ」
    「何をされてるんでしょう?
     諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経済に詳しくて、しかも車の運転までされるなんて。とても一人の人間がやっていることとは、わたしにはすぐには信じられないです。
     葵さんが一体どんなお仕事に就かれているのか、わたしにはまったく想像できません」
    「一言では説明できないよ。しなきゃ駄目?」
    「時間はたっぷり有りますよ。ずっと黙ったままと言うのも、あまりいい気分では無いでしょうし」
    「……ハルは相変わらずだね。優しくておっとりしてるように見えて、でも実は芯が強くて折れない性格。12年前と変わらないみたいだね」
    「ええ。三つ子の魂なんとやら、と言いますから」
    「……」
     しばらく沈黙が続いた後、葵が観念したように話し出した。
    「白猫党ってところにいるよ。シエナと一緒に仕事してる」
    「シエナ……、と言うと、ゼミにいたシエナさん?」
    「うん」
    「ずっと一緒に?」
    「うん。結党からずっと一緒だよ」
    「そうですか。
     ……葵さんがいなくなった時は、本当に驚きました。いなくなった直後、誰が天狐ゼミを訪れたと思います?」
    「さあ?」
    「神話やお伽話に出てくるような方です」
    「誰?」
    「克大火さん。天狐ちゃんのお父様です」
    「そう」
    「その大火さんが、あなたのことを『実力を偽り、ゼミの皆を騙すために編入した』と仰っていました。
     それは、本当のことなんですか?」
    「……」
     答えない葵に、春は畳み掛ける。
    「それに白猫党と言う組織も、わたしはあまり良い評判を聞いていません。
     過去に存在したと言う『中央政府』のように、世界中で侵略行為を繰り返し、『世界平定』を企んでいる悪の組織、……と言うような話を何度も聞いています。それも、本当のことなんですか?」
     この質問については、葵はすぐに応じた。
    「どこから聞いたの?」
    「新聞です。それに央南連合の広報でも何度か。『白猫党を名乗る輩に応じないよう』と注意されています」
    「あんなことされて、連合が吹聴してる話をまだ信じてるの?」
    「……!」
     そう返され、春は言葉に詰まる。
    「それに新聞って言ってたけど、もしかして橘喜新聞?」
    「え、ええ」
    「橘喜の社長はアスカ・タチバナって人だけど、央南連合の主席でもあるって知ってた?」
    「え?」
    「央南連合は自分たちの利益を死守するために、色んなうわさを流してるんだよ。王国を悪者に仕立て上げてることとかも、その一部。
     橘喜新聞社は、その道具なんだよ。こんなこと言ったらショックを受けると思うけど、ハルも央南連合領に住んでる皆も、騙されてるんだよ」
    「……」
     葵の言うことが簡単に信じられず、春の頭に言葉が浮かんでこない。
    「それが、本当のことだとして」
     それでもどうにか頭を動かし、春は尋ねる。
    「何故、連合はそんなことを? 葵さんは『自分たちの利益を守るため』と言っていましたが、それが本当であれば、どこかから攻撃を受けていると言うことになります。
     それが即ち、白猫党なのでは?」
    「半分は正解。でも半分違うよ」
    「半分?」
     葵は運転席にかけられた時計をチラ、と見て、話を続ける。
    「まだ時間ありそうだし、きっちり話せるかな。
     そもそもは、央南連合が加盟してた西大海洋同盟って言うところで、仲違いがあったことが原因なんだ。
     元々は日上戦争って言う大きな戦争があった時に、北方と央中、央南の3地域が連携して同盟を結成したんだけど、その戦争が終わって10年、20年経って、その存在意義があやふやになり始めたんだ。だってとっくの昔に戦争が終わって、結成する理由になってた相手国が今はもう、散り散りに分裂しちゃってるんだもの。
     で、存続させるか否かって話が央中の加盟諸国から出たんだけど、無くなったら無くなったで、困る人たちも結構いたみたい。そのほとんどが北方の人たち。北方は元々、他の国や大陸から地理的にも政治的にも離れてたし、北方の中だけで話をしてたんだけど、同盟ができてからは、その力を後ろ盾にした政治派閥ができてたんだ。
     そう言う人たちは同盟の解消を望まず、無理無理存続させようとしてた。そしてその20年、あんまり関わってこなかった央南も、ある事件以降から同盟と密に連携し始めた。その事件が何か、分かる?」
    「焔紅王国独立、ですか?」
    「そう。その独立の裏で、連合は王国にある取引を持ちかけてた。
     央南で持て余してた犯罪者を引き渡したり、産業の近代化に伴って出てきた、燃やしたり埋めたりして処理できないゴミ、いわゆる産業廃棄物を王国の地中深くに投棄させる見返りに、多額のお金を出すって言うような、そんな裏の取引」
    「そんなことを、連合が……」
    「連合だけじゃ無くなった。これが金儲けになるって分かって、連合は同盟を通じて、北方からもその『負の資源』を引き受け始めた。
     さっき言ってた北方の、同盟をバックに付けてた政治家たちも、連携がより密になる、パイプが太くなるって思って、取引を喜んで継続させてきた。
     それが王国の革命まで続いてた、裏の話」

    白猫夢・乱南抄 3

    2015.04.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第507話。プロパガンダ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 車が順調に走り出したところで、春は恐る恐る、葵に話しかけた。「葵さん、……えっと、お久しぶりです」「うん」「最後に会ったのが天狐ゼミですから、12年ぶりですよね」「そうだね」「今まで、どこで何を?」「いろいろ」「今、お仕事は?」「一応あるよ」「何をされてるんでしょう? 諜報員の方たちをあっさりと倒して、あれほど政治や経...

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    麒麟を巡る話、第508話。
    キューピッド葵、再臨。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。
     ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」
    「そんな話、聞いたことが……」
    「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、央南の新聞じゃ報道できない話だよ。
     連合は大慌てで、その話が嘘だと主張するために、王国を悪者に仕立て上げようとしてる。ハルがさらわれそうになったのも、その一環。
     結局、自分たちが裏で汚いことをしてたのに、それを嘘だ、無かったことだ、向こうが嘘をついてるって言い訳してるんだよ」
    「半分、と言っていたのは……」
    「うん。連合に対する世論から攻撃されてるんだよ。結局、自業自得」
     話している間に、相当の距離を進んでいたらしい。遠くに、温泉街と思われる灯りがちらほらと見え始めた。
    「そろそろ着くね」
    「ええ」
    「落ち着いてきた?」
    「そうですね」
    「良かった。今、体調崩したりしたら大変だもの」
    「え?」
     思いもよらない、葵の温かい一言に、春は面食らう。
    「ハルとルシオの未来も『見えた』んだけど、幸せそうだったよ」
    「『見えた』って、どう言う意味ですか?」
    「そのままの意味。あたしの目に、それが映ったってこと。
     ハル。明日、お医者さんのところに行ってみて。すごくいいことを教えてもらえるよ。それからここ数週間、急に理由もなく不安になったり、突然吐き気とか立ちくらみとか、体調が悪くなったりしてた理由も」
    「え? え?」
     動揺する春を横目で眺めつつ、葵は淡々と続けた。
    「それからね、ルシオが女王と愛し合うみたいな、そう言う関係になったって未来は、一つも『見えなかった』よ。ルシオは本当に、あなたのことが大好きみたい。
     信じていいよ、ルシオのことは。何があってもルシオはあなたのこと、ずっと愛してくれるみたいだし」
    「……そ、そうですか」
     春は自分の頬が真っ赤になっているのを自覚し、葵から顔を背けた。

     車が街に着いたところで、その車に近付いて来る者が二人現れた。
    「あなた!」
     一人は、ルシオである。
    「ハル! 無事だったんだ」
     慌てて車から降りた春を、ルシオががばっと抱きしめた。
    「ああ、良かった……! 君に何かあったんじゃないかと、心配で心配で……」
    「いえ、あの、あったと言えば、あったと言うか」
    「らしいですな」
     そしてもう一人は、あの央中から来た商人、エミリオだった。
    「アオイさん、ホンマにあんたが言うてた通りになっとったみたいですな」
    「そうだね。後は頼むよ」
    「お任せあれ、ですわ」
     抱き合っていた二人は葵たちのやり取りを見て、揃ってけげんな顔を向ける。
    「知り合いだったんですか?」
    「ちょっと前にね」
     葵はエミリオに車の鍵を渡し、こう続けた。
    「エミリオさんに連絡して、連合の人たちを受け渡して裏取引を暴いてもらうようにお願いしたんだよ。信じてもらうために、先物取引の話を色々教えたげた」
    「あれはホンマにビビりましたわ。おかげでガッツリ儲けさせてもらいましたけどな。
     これにしたって、もう一儲けでけるでしょうな」
    「その代わり」
     言いかけた葵に、エミリオは肩をすくめて返す。
    「分かってます、分かってます。アオイさんが関わったっちゅうことは、どこにも言うたりしませんわ」
    「なら、いい。じゃあね」
     葵は皆に背を向け、そのままどこかへ消えた。



     この半月後――西大海洋同盟から、央中の全加盟国が挙って脱退した。
     その理由は同じく加盟組織である央南連合が、あまりにも非人道的な方法で権益を獲得していたこと、即ちこれまで単なるうわさとして扱われていた件の「裏取引」と、その隠蔽工作が行われていた事実が、確たる証拠と共に公表されたためである。
     この大規模な脱退により、同盟の権力は著しく低下。同時に央中、央北にとって、同盟および連合は信用ならない輩として敵視され、一挙に国交が断絶されることとなった。

     また、この一件を葵に委託され、「暗躍」していたエミリオは、金火狐一族から大きく評価され、商会における要職を与えられた。

    白猫夢・乱南抄 4

    2015.04.25.[Edit]
    麒麟を巡る話、第508話。キューピッド葵、再臨。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「でもその『裏の話』も、サユキ・ホムラが女王になってから、おかしくなり始めた。 ホムラ女王はすごく真面目で、汚いことを徹底的に嫌ってた。だからこの裏取引を全部停止するとともに、世界中に公表したんだ」「そんな話、聞いたことが……」「『央南連合は汚いことをやってた』なんて、連合自身が吹聴するはずが無いもの。それこそ、...

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    麒麟を巡る話、第509話。
    北方の巨魁。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    「本当に、よろしいのですか?」
    「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」
     そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。
    「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。
     まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」
    「わたしも当初は、そんなことはありえないと考えていましたが」
     春は気恥ずかしそうに、こう返した。
    「連合が仕掛けたあの一件で、わたしが抱いていた連合と王国の評価は、180度覆りましたから。もう、連合領内に住んでいたいとは思えません。
     一方で、この国に大きな可能性を感じたのも事実ですし、……それに、しばらくは落ち着いて暮らしたいですから」
     にこっと微笑み、自分の腹に手を当てた春に、ルシオも嬉しそうに笑う。
    「妻のためにも、この子のためにも、この国を豊かにできるよう、私は全知、全力を尽くす所存です」
    「期待しております」

     央南連合の国家的な犯罪・陰謀を知り、また、巻き込まれたこと、そして春に子供ができたことが判明したため、春・ルシオ夫妻は焔紅王国に定住することを決めた。
     この後、夫妻は火山性土壌においても作物を育成できる技術を王国に広め、王国の農業生産力は大きく向上。エミリオが主導する央中との貿易成功も相まって、王国は飛躍的な成長を遂げた。



     一方で央南連合、そして西大海洋同盟に依存している北方、ジーン王国は同盟結成以来の、とてつもない打撃を受けていた。
    「閣下、一体我々はどうすれば……」
    「貿易の大半が停止され、我が国の食料供給は半分以下に激減しております」
    「それだけではありません。その他の貿易路も閉ざされ、莫大な被害を計上しているとの報告が寄せられております」
    「まだ央南との取引で必要最低限、ギリギリのラインは維持できてはおりますが……」
     寄せられた数々の悲惨な報告に、その白地に黒斑の毛並みをした猫獣人は、こくこくと鷹揚にうなずいて返す。
    「ええ、確かに大変な事態です。我が国が被る被害は、今世紀最大級と言っても過言ではないでしょう。
     しかし、まだ打開策はいくらでもあります。私の命令に従っていただければ、この苦境を脱することは十分に可能です。
     ですので閣僚諸君、どうか必要以上に騒がないよう、よろしくお願いいたします」
     猫獣人の、その自信ありげな表情と言葉に、場は自然に静まる。
    「ではナイジェル閣下、我々はまず、どうすればよろしいのでしょうか?」
    「いいですか。我々と同じくらい、央南連合も混乱しているはずです。であればより一層の相互協力を申し出、関係を密にすることを最優先にするべきです。
     央南も今頃、貿易網が壊滅しかかっていることと思われます。何としてでも取引相手を見付け、利潤・権益を復旧させたいと願っているはず。そこで同様に窮している我々が、改めてパートナーとなる。
     我々も連合以外の諸国と取引をしていたように、連合も我々以外と取引をしていたはずです。それらを我々と連合の一本に絞れば、従来の需要と供給を十分にバランスさせることが可能でしょう。
     この辺りがまとまり次第、混乱はまず、収まります。心配は無用です」
    「なるほど……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「しかし混乱の収束ができたとして、依然として国際的な世論は我々に厳しいままでは?」
    「ええ、確かに憂慮すべき事態です。現状のままでは、覆すことは非常に難しいでしょう」
     依然として、猫獣人は鷹揚に――と言うよりもどこか、現状を侮っているような態度で――話し続ける。
    「とは言え世論などと言うものは、概してよりセンセーショナルでホットな話題に注目していくものです。
     我々の評価が低下した今、世論の傾きに乗じて台頭してきたあの卑賤卑劣の輩、即ち白猫党が央南、もしくはこの北方に歩を進めてくるのはほぼ間違いないでしょう。しかし一方で、この白猫党は国際的に忌み嫌われている面が、決して少なくない。
     であれば積極的に彼らと戦闘を行い、話題を連合や同盟から、白猫党にすり替えてしまえばいいのです。それも、『邪知暴虐の徒が我々を襲っている』と言う、いかにもセンセーショナルな話題として喧伝すれば、大衆はころっと我々の評判など忘れ、白猫党の『ご活躍』に挙って目を向けるようになるでしょう。
     既に私の持つコネクションを使い、その喧伝の下準備を整えています。後は相手が手を出して来次第、大々的に報じればよいのです」
    「ふーむ……」
    「流石はナイジェル閣下ですな」
    「いやいや、とんでもない。恐るるに足りず、と言うだけです。
     ともかく、そのように図っていますので、閣僚諸君は安心していてくれて問題ありません」
     場の空気が完全に自分の統制下に入ったことを察したらしく、その猫獣人――西大海洋同盟総長、ジーン王国外務大臣、その他様々な肩書きをその身に飾りつけた春司・ナイジェル氏はまたも、鷹揚に笑みを浮かべて見せた。

    白猫夢・乱南抄 5

    2015.04.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第509話。北方の巨魁。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.「本当に、よろしいのですか?」「ええ。むしろ、このようなお願いを聞き入れていただき、感謝してもし切れません」 そう言って、深々と頭を下げた春とルシオに、桜雪女王も礼を返した。「感謝を申し上げるのは、わたしの方です。 まさかあなた方ご夫妻がこの国に移住されるとは、夢にも思っておりませんでしたから」「わたしも当初は、そんなこ...

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    麒麟を巡る話、第510話。
    情報戦。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
    「仕掛けはできてるだろうね?」
     公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。
    《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》
    「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」
    《あの件?》
    「『桜の伐採』だよ」
    《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への迎撃準備と並行して、秘密裏に整えさせてるわ》
    「うん、それでいい。……ああ、そうそう。これはまだ内々の話なんだけど、僕たちが央南連合を訪ねようかって話が出てるんだ。いつくらいが丁度いいかな?」
    《そうね、3週間後なら空いてるわ。ソレくらいなら、あなたが前回指示してた件が全部片付けられそうだし》
    「分かった、3週間後だね。じゃあ皆にも、そう言っておくよ」
    《コッチも言っとくわ。……んふふ》
    「どうしたの?」
    《久々にあなたに逢えるな、って。子供たちなんかヘタしたら、あなたの顔忘れてそうだし》
    「ありえそうで怖いな。じゃ、お土産もどっさり買っていくよ。無論、君にもね」
    《楽しみにしてるわ。じゃ、ね》
    「ああ、それじゃね、飛鳥。愛してるよ」
     そこで電話を切り、春司は自室の壁に掛けた世界地図を眺める。
    「……ふふふ」
     春司は指で北方大陸と央南をなぞり、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
    「ほんの偶然からだったが……、まさかこうまで、事態が都合よく動くとは思わなかった。
     今後、うまく立ち回っていけば、央南は我が北方の『植民地』にすることが可能だろう。長らく氷と岩山に閉じ込められ、世界から隔絶されてきた我が国が、これでようやく世界一の大国になれるわけだ」



    「なーにが『それじゃね、アスカ。愛してるよ』だっつーの」
     傍受された電話通信の再生が終わるなり、白猫党党首、シエナ・チューリンは大仰に肩をすくめ、渋い顔をした。
    「ま、この通りよ。シュンジ・ナイジェルは同盟のホットラインがアタシたちに掌握されてるコトすら、まったく気付いてる様子が無いわ。こんな悠長なラブコールするくらいだもの。
     つまり今後の作戦行動は、全部コイツが漏らしてくれるってワケよ」
    「今回も難なく、陥落できるでしょうな」
    「無駄な戦いはしないに越したコトは無いわ。そうでしょ、ロンダ」
    「左様ですな。流れる血は少なければ少ないほど良いのです」
     白猫党の最高幹部たちは、揃って笑顔を浮かべている。
     数ヶ月前には茫然自失だったシエナですらも、今は活き活きとした表情で会議を進めていた。
    「『預言』にもあった通り、ナイジェル氏が央南を来訪するのは3週間後の4月16日、天曜よ。となればその前、13日から15日は西大海洋を縦断中のはず。両地域の通信範囲を離れ、身動きが取れない状態になってるわ。
     だからこの間に我々は央南東部、青州をはじめとする主要都市を占拠する。そうすればナイジェル氏は到着寸前で慌てて引き返さざるを得なくなり、さらに不在期間は伸びる。
     同盟と央南連合の連携は、この数日で壊滅的な状態に陥るでしょうね」
     シエナの説明に、幹事長のイビーザが深々とうなずく。
    「央中攻略の際にも、同盟の武力は決して侮れぬ存在でしたからな。
     特に今回は、両組織が懇意にしている関係もあり、うかつな攻めは即座に北方からの攻撃を受ける恐れがあったわけです。が……」
    「そう、その通りよ。コレで北方の動きを止め、残る西部の各主要都市を電撃的に制圧してしまえば、戦況は一気に我々の有利に傾くわ。
     ナイジェル氏が画策しているようなアタシたちへの非難宣伝作戦なんて、何の意味も成さなくなる。そんな悠長なコトなんか、やってる暇は与えやしないわ。
     そうでしょ、アオイ?」
     シエナの言葉に、幹部陣の目は一斉に、卓から離れた場所にぽつんと座っていた葵に向けられる。
     それに対し、葵はこくんとうなずいて返す。
    「ん」
    「と言うワケよ。早速、準備を進めてちょうだい」
    「承知いたしました、総裁」
     幹部陣は揃って席を立ち、ぞろぞろと会議室を後にした。

     と――政務部長のトレッドが踵を返し、戻ってくる。
    「シエナ」
    「なに?」
    「その……、ご気分の方は、もう大丈夫なのですか?」
    「アタシの? まあ、……そうね。もう不安は無くなったわ。こうしてアオイが、元通りに『預言』をくれるようになったんだし」
    「それを聞いて安心しました」
     トレッドはにこ、と笑みを浮かべる。
    「この数ヶ月、我が党は本当に、危険なバランスの上にありましたからね。
     いつシエナが伏せってしまうか、いつイビーザやロンダが独断専行を始めるか、……と、気が気でなりませんでしたよ」
    「心配かけたわね」
     シエナもにっと、口角を上げて返す。
    「ところで、アオイ。アンタ、なんか変わったわね?」
    「そう?」
    「そうよ。そもそも会議に出席なんて、今まで一度もやらなかったじゃない」
    「……色々、考えて。これからも出るつもり」
    「まあ、ソレならソレでいいわ。一々何があったって、報告する手間が省けるから」
    「ん」
    「……」
     二人のやり取りを見ていたトレッドは、にこにこと笑ってはいたが、その胸中には不安が渦巻いていた。
    (何も変わってなどいない……。
     シエナが元気になったのは、結局はアオイ嬢が復帰したからに過ぎないのだ。またアオイ嬢が寝込んだり、行方を眩ませたりでもすれば、また以前の繰り返しになるだろう。
     シエナには変わってもらわねば――アオイ嬢が不在でも、党首として一人で、自信を持って立ち回れるように)
    「どうしたの?」
     いつの間にか顔から笑みが消えてしまっていたらしく、シエナがきょとんとした顔で見つめている。
    「ああ、いえ、何でも」
     トレッドは再度、笑顔を浮かべた。

    白猫夢・乱南抄 終

    白猫夢・乱南抄 6

    2015.04.27.[Edit]
    麒麟を巡る話、第510話。情報戦。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6.「仕掛けはできてるだろうね?」 公の場とは打って変わって、春司は甘い声で電話の向こうの相手に尋ねる。相手もそれに応じるように、とろっとした声で返す。《ええ、もうバッチリよ。時期が来ればいつでも行けるわ》「流石だね。じゃあ、あの件も問題ないってことでいいかな?」《あの件?》「『桜の伐採』だよ」《ああ、アレね。勿論よ。白猫党への...

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    麒麟を巡る話、第511話。
    救出と復活。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「じゃ、やってみるよ」
    「ああ。成功を祈るぜ」
     葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。
    「それッ!」
     とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。
    「……」
     一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。
    「……」
     そのまま、扉をにらみ続ける。
     と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。
    「……お? まさか?」
     やがてすべての機械は完全に停止し、一聖の足元に周囲のガラス瓶から漏れ出たらしい水が、ドロドロと流れ始めた。
    「やったのか、葛?」
    「やったよー!」
     明るい声と共に、扉が開く。
    「できたー! できたよカズセちゃん!」
    「マジか! マジなんだな!?」
    「うん、マジでま……」
     言いかけた葛が、途中でぴたっと静止する。
    「……葛?」
     一聖は、まだ魔法陣の魔力が残っていたのかと警戒するが、そうではないと言うことがすぐに分かった。
     葛が前のめりに、ばちゃっと水の中に倒れてしまったからである。
    「おいおい……。またかよ」
    「またって?」
     扉の向こうから、懐かしい声が聞こえてきた。
    「よお、ルナ。無事だったか?」
    「ええ、何とかね。……その子、誰?」
    「コイツは葛。葵の妹だよ。コイツがこの施設の装置を、全部止めてくれたんだ」
    「へぇ」
     一聖に助け起こされた葛の顔を見て、ルナが小さくうなずく。
    「似てないわね、葵には。……むしろアイツにそっくり」
    「アイツ?」
    「それより、この子大丈夫なの?」
     尋ね返され、一聖は「おう」と返す。
    「なんつーか、まだ完全にはモノにしきってねーらしくて、な。
     あの技を一回使っただけで、体力と魔力がすっからかんになるらしいんだ。まだ実戦にゃ、使えそうにねーよ」
    「あの技って?」
     そう尋ねたルナに、一聖は得意満面の笑みを浮かべて返した。
    「『星剣舞』だよ」



     双月暦574年、春。
     一聖と一対一での、半年以上に渡る壮絶な修行の末、葛はどうにか「星剣舞」を使えるようになっていた。
     しかし前述の通り、この技を使うと数分で体力・魔力を失い、糸が切れるように気絶してしまうのである。
    「真っ青じゃない、顔」
     パラの膝に頭を乗せて倒れ込んでいる葛を、ルナが心配そうに見つめている。
     その間に、パラが診断を終える。
    「血糖値40mg/dl未満、極度の低血糖症状を起こしています」
    「オレのかばんにチョコあったろ、1枚全部食わしてやれ。ミルクたっぷり入ったヤツだから、すぐ元気になる」
    「でさ、カズセちゃん」
     こちらも心配そうに、フィオが尋ねてくる。
    「あの二人は大丈夫なのかな。さっきからピクリとも動かないんだけど」
     フィオが示した先には、大火と渾沌が並んで横たわっていた。
    「少なくとも死んじゃいない。オレの見た限りじゃ、葛と同じよーな症状だな」
    「はい。克大火様とコントンもカズラと同様、衰弱状態にあります。特に魔力の枯渇が、両者とも著しく見受けられます」
    「ってコトは、『システム』だな」
    「システムって?」
    「魔力を吸い取って特定の何かに送り込む装置だ。親父と渾沌はどうもその装置に延々、魔力を吸われてたらしいな」
    「大丈夫なの?」
     ルナのその問いに、一聖は首を横に振った。
    「死にゃしねーが、魔力ってのは人間の精神力、言い換えれば脳の活動に関係するからな。魔力が空になってるってんなら、意識なんてはるか彼方にブッ飛んじまってるだろう。
     しばらくは昏睡状態が続くだろうな」
    「復活するのか?」
    「病院かどっかで点滴打って安静にさせりゃ、そのうち目覚めるさ。結局は葛と同じで、体に栄養が全くない状態だから、な」
    「……うー……きもちわるいよー……めがまわるー……」
     と、葛がか細い声でうめく。
    「目ぇ覚ましたか。しばらくじっとしてな」
    「……きーてたけどさー……はやくびょういんに……つれてったげたほうが……よくないー……?」
     のろのろとした声で提案され、一聖は苦笑した。
    「……ま、そりゃな。じゃ、オレとルナは一旦、親父と渾沌連れてトラス王国に戻るわ。お二人さんはココで、葛が元気になるまで看ててくれ」
    「ああ、分かった」「承知しました」
     パラとフィオがうなずいたところで、一聖たちはその場から姿を消した。

    白猫夢・既朔抄 1

    2015.04.29.[Edit]
    麒麟を巡る話、第511話。救出と復活。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「じゃ、やってみるよ」「ああ。成功を祈るぜ」 葛は扉の前で立ち止まり、精神を集中させる。「それッ!」 とん、と前に一歩踏み出し――葛はその場から消えた。「……」 一人残った一聖は、ごくん、と固唾をのむ。「……」 そのまま、扉をにらみ続ける。 と――周囲でうなっていた機械群が、ぐうううん……、と沈むような音を立てて、光を失っていく。...

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    麒麟を巡る話、第512話。
    未人間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。
    「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」
    「いいえ」
     が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。
    「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」
    「あ、……そう」
     堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。
    「えーと、パラさん、だっけ」
    「はい。パラと申しております」
    「フィオさんと恋人だって聞いてたけどー、その話ホント?」
    「えっ、……あ、ええ、はい、その認識で、問題ありません」
     フィオとの関係を尋ねた途端、パラの挙動がかくかくと乱れる。
    「……うふふっ」
     その慌てぶりを見て、葛が笑う。
    「何かおかしい点がございましたか」
    「パラさんが面白かった」
    「わたくしは取り立てて、何もいたしておりませんが」
    「今の反応が、よ。
     ね、パラさん。もうタイカさん見つけたんだから、フィオさんと結婚できるんだよね?」
    「いいえ。わたくしとフィオが人間にならなければ、それは不可能です」
    「あ、そーそー、そーだったね。まあ、結果的にはできるよね?」
    「カズセちゃんからの依頼を遂行しておりますので、契約は履行されると見て間違い無いものと思われます」
    「人間になって、フィオさんと結婚してさー」
     葛は唇を尖らせ、こう尋ねた。
    「きっといつか、子供ができるよね? そしたらさ、その子供にも、今みたいなしゃべり方で接する気?」
    「恐らく、現状のままであることが予測されます」
    「僕も同意見」
     二人のやり取りを見ていたフィオが、肩をすくめる。
    「彼女のお母さんだって『長生きすればするほど、生き方を変えるのは難しいもんよ』って言ってたし」
    「なーんかソレ、違う気がするんだよねー」
     葛は横になったままで、フィオをにらむ。
    「『長生きしてるから生き方変えられない』なんて、ただの言い訳だと思うよー。変わろうと思ったら、変われるはずだって。
     そうじゃなきゃ、パラさんは『インパラ』のままのはずでしょ? でもルナさんのコトを素敵だーって思って、フィオさんのコトが好きだーって思って、ソレでパラさんは今のパラさんになったんでしょ?」
    「……」
     葛の言葉に、表情の乏しかったパラの顔が、きょとんとしたものになる。
    「確かにわたくしの認識より、カズラの主張に正当性があると考えられます」
    「違うって」
     葛は再度口を尖らせる。
     しばらく間を置いて、パラは葛に微笑みかけつつ、こう言い直した。
    「……カズラの言うことが、素敵だと思います」
    「よーし」
     葛はにこっと笑い、起き上がる。
    「そろそろ帰ろっか。もう大丈夫でしょ?」
    「はい。正常値に戻っています」
    「じゃ、帰ろ帰ろっ」
    「準備いたします。少々お待ちください」
     立ち上がり、呪文を唱え始めたパラを眺めながら、フィオはぼそっとつぶやいていた。
    「今のパラの方がよっぽど可愛いと思うんだけどなぁ。正直、ルナさんみたいになったら怖いし」
    「アンタも変な人だよねー」
     と、背後から葛に小突かれる。
    「おわっ」
    「確かにあんな感じのパラさんも可愛いと思うけどさー、はっきり言って趣味が変だよー。ワンピースだけじゃなくてさ、他にも色々贈ったげればいいのに」
    「……どこまで聞いてるんだよ、僕たちの話」
    「全部聞いたと思うよー。カズセちゃんから3巡は聞いた」
    「マジで?」
    「修行しかしてなかったワケじゃないし」
     そう聞くなり、フィオは顔をしかめた。
    「やれやれ、大変なのがもう一人増えたってわけか」

    白猫夢・既朔抄 2

    2015.04.30.[Edit]
    麒麟を巡る話、第512話。未人間。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 一聖の言った通り、パラに膝枕をしてもらってから20分もすると、葛の顔色は元通りになった。「あ、もうそろそろ大丈夫だと思うんでー」「いいえ」 が、葛が起き上がろうとしたところで、パラがそれを制止した。「血糖値はまだ正常値に戻っておりません。もうしばらくお休み下さい」「あ、……そう」 堅い言葉に面食らいつつも、葛はそれに応じる。...

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    麒麟を巡る話、第513話。
    過放出。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「天狐」
     病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。
     傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。
    「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」
    「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」
     一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。
    「あ、そうそう、ソレな。……んで、まあ、この通り。一聖に戻ったよ」
    「ふむ」
     大火は上半身を起こし、一聖をじっと見つめる。
    「な、なんだよ」
    「お前のことは、一聖と呼べばいいのか?」
    「お、おう。一聖で」
    「それで」
     大火は一聖を見つめたまま、続いてこう尋ねてきた。
    「もう一方のお前は?」
    「……なんで造ったってコトが分かんだよ」
    「自ら『天狐』と号を付けたお前だ。あの姿はお前自身が気に入っていた節があるから、な。それにあの金毛九尾と似ても似つかぬその姿でミッドランドに戻って、元通りに受け入れられるとは思えん。
     であれば再度あの体を造り直し、自律させて送り込んだ方が、何かと手間がかからんだろう。お前は策を弄し趣向を凝らすより、簡潔に済ませるのを好む性格だから、な」
    「やーれやれ」
     一聖は肩をすくめ、大火にぎゅっと抱きついた。
    「全っ然、変わんねーな。前のまんまじゃねーか。マジで安心したぜ」
    「……」
     大火は一聖の頭にとん、と手を載せつつ、こう返した。
    「一聖。お前の性格についてさらに言及しておくが」
    「あん?」
    「こんな姿を見られるのを、嫌がる方だろう?」
    「……たまにはいいじゃん」
    「そうか。笑みを浮かべてドアの向こうから様子を伺っている奴がいるが、構わないのか?」
    「え」
     一聖は慌てて大火から離れ、ドアの方に振り向く。
    「うふふふ」
     ドアの隙間に、ルナがニヤニヤと笑った顔で立っているのが見えた。

    「うあー……」
     赤面した顔を両手で覆い、がっくりとうなだれている一聖を横目に眺めつつ、ルナは大火に尋ねる。
    「それで、伝説の奸雄さんがどうして、あんなところで罠にかかっていたのかしら?」
    「そう複雑な話ではない。
     麒麟とその従者が何かを企てていることを察知し、痕跡をたどっていた。その結果あの施設を発見し、侵入したところで罠に落ちた。お前たちも同様だろう?」
    「そうね。じゃあ、あなたたちも麒麟と葵がホムンクルスを造ってることを……?」
    「ああ。元々、いずれ麒麟がこの世に舞い戻るだろうと言う予測は立てていた。
     そして近年、奴は葵・ハーミットと言う優秀な駒を手に入れている。己の魔術知識を十分に理解し、実践できる程度に優秀な駒を、な。
     であれば、ああして実験施設を密かに築き、己が復活する手筈を整えさせるだろう、……と言うことまでは、容易に想像できた。
     そして実際に探し発見したが、罠にかかった。……と言うわけだ」
    「なるほどね」
     そこで話が途切れ、ルナはじっと大火を眺めている。
    「……なんだ?」
    「大先生、もしかして」
     一転、ルナは心配そうな目を向けてきた。
    「魔力は全然、回復してないんじゃないの?」
    「え?」
     目を丸くする一聖に対し、大火は平然とうなずいた。
    「ああ。回復には、もうしばらくの時間を要するだろう」
    「やっぱり。前に会った時は、これだけ近付けば肌がぴりぴりするくらいに強い魔力を感じてたのに、今はまったく、何にも感じないもの。
     一聖ちゃんの場合は元々、大先生とそんなに大差ないくらい魔力があったから、そう言うのを感じて無かったかも知れないけど」
    「まあ……、な」
    「体力に関しては既に、出歩くのに支障の無い程度には回復している」
     大火は肩をすくめ、こう続けた。
    「だが恐らく、これだけ魔力が枯渇しているとなれば、従来の状態に戻るまで少なくとも、数週間は要するだろう。
     水瓶の体積が大きければ大きいほど、水が貯まるのには時間がかかるから、な」
    「でしょうね。じゃ、しばらくはあなたのこと、誰にも知らせない方がいいわね。強襲されたら困るでしょ?」
    「俺は構わん。強襲されて困るのはむしろ、お前たちの方だろう?」
    「え?」
     面食らうルナや一聖に、大火は肩をすくめて返した。
    「俺が魔力を失った程度で、誰かに不覚を取ったり、ましてや負けると思うのか?」
    「……大した自信家だこと。看病し甲斐が無いわね」
     口ではそう言いつつも、ルナの顔は笑っていた。

    白猫夢・既朔抄 3

    2015.05.01.[Edit]
    麒麟を巡る話、第513話。過放出。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「天狐」 病院に運ばれ、点滴をつながれて1時間ほどしたところで、克大火が目を覚ました。 傍らに座って様子を見ていた一聖が、ばつの悪そうな顔で応じる。「あー、……と、まあ、とりあえず、おはよう。目ぇ覚まして良かったぜ。……あのさ」「ミッドランドの『システム』は破壊されたようだな」 一聖が説明するよりも早く、大火が状況を察する。「あ...

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    麒麟を巡る話、第514話。
    「オリハルコン」。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    「実際、魔力が俺自身に無くとも」
     大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。
    「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。
     とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、な」
    「そんなら、魔力結晶かなんか持ってきた方がいいか? 高出力のヤツ」
     尋ねた一聖に、大火は小さくうなずいて返す。
    「ああ。できれば……」「『オリハルコンMS―216』だろ?」「……そうだ」
     再度うなずいた大火に、一聖は得意げに笑う。
    「あのシリーズが何だかんだ言って一番だしな。マコトさんの……」「一聖」
     が、大火はどこか、不機嫌そうな目を向ける。それを見た一聖は一瞬、慌てた様子を見せ、自分の唇に人差し指を当てた。
    「……ま、うん、余計なコトは、だな。分かった、持ってくる。
     あ、ついでにさ。天狐も連れて来ようか?」
    「ああ、顔を合わせておこう」
    「じゃ、ちょっと待っててくれよ」
     そう言って、一聖はその場から瞬時に姿を消した。
    「『オリハルコン』って?」
     二人きりになったところで、ルナが尋ねる。
    「魔力結晶と呼ばれている物質だ。魔力を蓄積・放出できる性質を持っている」
    「ふーん……。天狐ちゃんの尻尾とかも、魔力結晶って話を聞いたけど。あれがオリハルコン?」
    「いや、あれは『オリハルコン』ではない。だが、一房で約1000MPPの魔力を蓄積できる。
     だが『オリハルコン』シリーズ、特に『216』は1万MPP以上の魔力蓄積量を誇る」
    「1万! 大工場並みね」
    「それだけに保管も難しい。放置すれば蓄積した魔力を維持できず劣化・崩壊してしまう。
     本来ならばミッドランド島地下の巨大魔法陣など、大規模な施設に使用するものだ」
    「あ、なるほど。じゃあ取ってきてって言ったのは……」
    「そうだ。一聖がここにいる以上、あいつを封じていた魔法陣はその機能を失っている。ならばそこに使用していたものを使うことも可能だろうと踏んだ。
     それに一聖ならば、万全な状態で保管しているだろうから、な」
    「ま、その通りだな」
     姿を消した時と同様、一聖が「テレポート」により戻ってくる。
     その背後には、天狐が気まずそうな顔で立っていた。
    「あ、あのー……」
    「ほれ、お前が渡せって」
     一聖が天狐の後ろに回り、彼女の背中を押す。
    「分かったよ、押すなよ……。
     その、えーと、お、おや、……お師匠」
    「……クッ」
     天狐の様子を眺めていた大火が、口に拳を当てて小さく吹き出した。
    「どの道、お前の中身は一聖と同じだろう? 親父で構わん」
    「……お、おう。じゃあ親父、コレ。ちょっと重たいかも知れねーけど、ベルトにでも掛けてくれれば、普段通り魔術が使えるはずだ」
     ぼんやり橙色に光る金属片をそろそろと差し出した天狐に、大火は右手を差し出し――天狐の頭に乗せた。
    「ひゃっ!?」
    「一聖にもしてやったからな。お前にもしてやろう」
    「……恥ずいって……アンタ、そんなキャラじゃないだろ……」
     顔を真っ赤にしつつも、天狐はその手を払ったりせず、なすがままにされていた。

     さらに1時間後、大火はルナと娘「たち」を伴い、病院を後にした。
    「流石にあのまま寝ているのも、退屈だからな」
    「まーな」
     4人で連れ立って市街地をうろついているところで、大火が足を止める。
    「……」
    「どうした、親父?」
     尋ねた一聖に、大火が応じる。
    「渾沌のことを忘れていた。あいつは無事なのか?」
    「無事よ」
     これにはルナが答えた。
    「でも『たまにはぐっすり眠りたい』って、病院で寝てるわ」
    「そうか」
    「……忘れてんなよ、親父。アイツ、泣くぜ?」
    「泣きはしない。拗ねはするが、な」
    「分かってんじゃない」
    「差し入れでも買って帰るとしよう。ついでに何か食べるか?」
     そう提案した大火に、天狐が心配そうな目を向ける。
    「カネあんの?」
    「俺が金を払わず盗むとでも? 『契約』と名のつくもので俺がそれを違えることは、決して無い。商売事も取引、契約の一つだ」
    「いや、まあ、ソレは分かってっけどさ。親父がふつーにカネ出すイメージ、無いし」
    「ふざけたことを」
     大火はコートの懐から、普通に財布を取り出した。
    「ここの通貨はコノンだったな? 手持ちは30万ほどある」
    「十分過ぎるぜ。じゃ、あの店とかどーよ?」
    「ああ、そうしよう」
     一聖と天狐に引かれる形で、一行は露店へ向かった。

    白猫夢・既朔抄 4

    2015.05.02.[Edit]
    麒麟を巡る話、第514話。「オリハルコン」。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.「実際、魔力が俺自身に無くとも」 大火は壁にかけられていた自分のコートから、金と紫とに光る金属板――「黄金の目録」を取り出した。「魔術書や魔杖など、他に魔力を蓄積したものがあれば、使用するのに問題は無い。この『目録』も、そうした事態に備えての機能を有している。 とは言え普段の俺のように、野放図に使うわけにはいかんが、...

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    麒麟を巡る話、第515話。
    罠の理由。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。
     が、当然――。
    「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」
    「……ま、そうよね」
     受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。
    「流石に買い過ぎたな」
    「へへへ……」
     と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包みを取り出す。
    「こーなると思って、隠しといた」
    「抜け目ないわね」
    「クク……」

     2階へ上がり、渾沌のいる病室に入ったところで、一行は葛たちが先に来ていたのに気付いた。
    「あら。もう帰ってきたのね」
    「うん。いつまでも寝てらんないしー」
     と、横になっていた渾沌が口を開く。
    「無事みたいですね、先生」
    「ああ。お前も無事なようだな」
     近付き、傍らに置いてあった仮面を手に取った大火に、渾沌は「あ」と声をかける。
    「置いといて下さい」
    「うん?」
    「かけたところで、看護婦さんたちに外されますし」
    「分かった。……このまま、ここで寝ているつもりか?」
    「少なくとも、今日一日はゆっくりしたいですね。
     あそこで罠にはまる前まで、世界中あっちこっち飛び回ってましたし、罠にかかってた間は意識が全く無かったですし。
     ここを離れたらまた、先生に引きずり回されるでしょうしね」
     大火は肩をすくめ、仮面を机に置く。
    「俺も多少疲れがある。しばらくはここに逗留するつもりだ。
     と言うより、本拠に戻れるだけの魔力が無い、と言うのが実際のところだが、な」
    「あら、先生もですか?」
     渾沌は寝癖でくしゃくしゃになった髪を手で簡単に梳かしつつ、師匠と同じように肩をすくめて返した。
    「私もすっからかんです。目一杯吸い尽くされたみたいですね。
     でもああして封じられたのは、麒麟の意趣返しや魔力供給手段、対抗勢力の殲滅と言う目的だけでは無いでしょうね」
    「だろうな。恐らくはあのホムンクルス研究に使われたのだろう」
    「って言うと?」
     尋ねたルナに、渾沌が答える。
    「あれが未完成のものだってことは、あなたも分かってるでしょ?」
    「ええ」
    「私や師匠の体をお手本にして、完成を目指そうとしてた可能性があるわ。
     この世界で現在、桁違いの魔力を身に有している人間は、私や師匠くらいしかいないもの。サンプルにするにはうってつけってわけよ」
    「じゃあ、もしかして……」「いや」
     大火が首を横に振り、皆の懸念を否定する。
    「完成した可能性は低い。もしも本当に完成していたとなれば、あの研究所を保全・運用する理由が無い。同時に俺たちを生かしておく理由も、な。今日まで俺たちが封じられていたことから考えて、まだ研究途中であることは間違いないはずだ。
     とは言え、何の成果も収められていないとも、考え辛い。葵の才覚は並外れている。最終目的である『麒麟の器造り』に至らぬまでも、何かしら麒麟や、あるいは自分にとって有益な結果を得ているかも知れん」
    「ソレって……?」
     不安げに見上げる葛に、大火はまた首を振った。
    「何とも答えられん。あの研究所の機能が停止したことで、研究資料もまた、揮発・霧散しているだろう。
     麒麟や葵が万一の事態を想定しない、とは考えられんから、な。手がかりを追わせぬよう、策を講じているはずだ」
    「実際、葛が魔力源を破壊した途端にホムンクルスの培養槽が全部止まって、全滅してたしな。手がかりはもう無いだろう」
    「……ごめん」
     謝る葛に、大火が肩をすくめる。
    「責めるつもりは微塵も無い。むしろお前が魔力源を破壊しなければ、俺たちは復活できなかったわけだから、な。
     ……ふむ」
     と、大火が腕を組み、考える仕草を見せる。
    「どうしたんですか?」
    「考えてみれば、俺たちは葛、お前に助けられたわけだな」
    「……あ」
     大火の言葉に、全員の視線が彼と、葛に集中する。
    「まあ、そうなるのかなー……?」
     のんきに応じた葛に対し、大火は腕を組んだまま、こう返した。
    「であれば、相応の対価を支払ってしかるべきだな」

    白猫夢・既朔抄 5

    2015.05.03.[Edit]
    麒麟を巡る話、第515話。罠の理由。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 袋一杯に焼き菓子を買い、一行は病院に戻る。 が、当然――。「困ります。病院にそんな一杯、持ち込まれても」「……ま、そうよね」 受付で職員らに止められたため、やむなく袋ごと、職員らに差し入れることにした。「流石に買い過ぎたな」「へへへ……」 と、受付から離れ、階段の踊り場に差し掛かったところで、一聖と天狐が服の中から、それぞれ包...

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    麒麟を巡る話、第516話。
    克の契約。

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    6.
     大火の言葉に、その場にいた全員が息を呑む。
     何故なら大火が放ったその一言は――一切の比喩無く――どんな途方も無い望みでも叶えてくれることを約束するものだったからである。
    「え……、マジで?」
    「ああ。俺と渾沌を窮地から救ったと言う、その行為。俺にとってはこの世界一つにも等しい価値ある行動だと断言しよう。
     であれば、どんな願いも聞き届けてやらねばなるまい」
    「えー……、うーん……」
     葛は自分の尻尾を撫でながら、考え込む。
    「んー、何にも思い付かないなー。あたし特に、欲しいモノって無いんだよねー」
    「……えー」「ぷ、くく……」
     葛の言葉に、半分は落胆し、残る半分は笑い出す。
    「なんでだよ? お金とかあるだろ?」
    「別にお金に困って無いしなー」
    「一般的な20代女性であれば、美貌などを望むと予想されますが」
    「あたし、別に自分の顔も体型も嫌いじゃないもん。気に入ってるよー?」
    「力が欲しいとか思わねーのか?」
    「力? カズセちゃんに修行付けてもらってるしなー」
    「刀とかどーよ? 晴奈の姉さんみたいに」
    「ソレもカズセちゃんからもらったしなー」
    「……もったいねー」
     葛のあまりに気の無い返答に、一聖と天狐が揃って残念そうな声を上げる。
    「まー、確かにね。もしかしたらまた後で何か、お願いしたくなるかも知れないし。
     だから今のところは、保留でいい?」
    「構わん。どの道、魔力が無い今、願いを聞いてもすぐには叶えられんから、な。魔力が回復し、その上で何か叶えてほしい願いができたら、何でも伝えてくれ」
    「ありがとね、タイカさん」

     話が途切れたところで、今度はルナが一聖に声をかけた。
    「ところで、一聖ちゃん」
    「ん?」
    「約束、守ってくれるわよね?」
    「ああ、アレな。勿論だ。いつやる?」
    「いつでも。本人次第ね」
     そう言って、ルナはパラとフィオに目をやる。
    「……」「あー、と」
    「言っとくけど、ここまで来て『やっぱりやめ』とかは無しよ?」
    「な、無い無い。無いけど」
    「けど?」
    「その前にさ、何て言うか、……心の準備を付けたいなって」
    「心の準備ぃ?」
     ルナはフィオの鼻をぐに、とつまむ。
    「ふがっ」
    「なーにが心の準備よ。一聖ちゃんに『人間にしてもらえる』って話聞いて、何年経ったと思ってんのよ? マークじゃあるまいし。
     パラ。アンタはすぐしてもらうわよね?」
    「いえ」
     が、パラもフィオと同様、うなずこうとしない。
    「はぁ? アンタも心の準備がどーのこーの言うつもりなの?」
    「はい。人間になるにあたり、不安な要素が数多くあります。そしてその不安を解消できる回答を、わたくしはほとんど得ておりません」
    「……んー」
     ルナはフィオから手を離し、肩をすくめる。
    「ま、今はまだ暇があるし、2日でも3日でも悩みなさいな。二人で話し合うなり、どっか遊びに出かけるなりしてね」
    「……ああ、分かった。パラと二人で、まずは話し合ってみるよ」
    「では、しばらく二人きりに……」
     二人が揃ってルナにお辞儀し、その場を離れかけた、その時だった。

    「ルナさん! フィオ! パラ! 帰ってきてたんだね!」
     病室のドアをガタガタと開け、マークが入ってきた。
    「マーク!」
     フィオはドアの方に振り返り、入ってきたマークに駆け寄った。
    「しばらくぶりだったね、本当」
    「ああ、最後に会ったのは半年……、いや、もっとだっけか。……いや、罠にかかってた時間を考えたら、もっとになるのか」
    「そうだね。僕の記憶じゃ1年以上は優に超えてるよ」
    「そっか。……じゃ、その間に結婚も?」
     マークの左薬指にはまった指輪を見て、フィオが尋ねる。
    「あ、ああ。そうなんだ。……ごめんよ、本当。君には不義理なことをしてしまって」
    「まさか! おめでたいことじゃないか。僕のことなんか気にしなくたって……」
     言いかけて、フィオは傍らのパラに目をやった。
    「……いや、まあ、できるだけ待っていてくれたことは嬉しい。『人間になってから結婚したい』って言ってた僕たちの事情を考えてくれていたんだし」
    「それでも結局、押し切られたけどね……」
    「相手がシャランなら、仕方無いさ。子供ももう、産まれたんだろ?」
    「うん。実はまだ、シャランも子供も病院にいるんだ」
    「そうなのか?」
     フィオはもう一度、パラと顔を見合わせ――。
    「もし良ければ、見せてもらっていい?」
    「勿論さ。是非見て欲しい」

    白猫夢・既朔抄 6

    2015.05.04.[Edit]
    麒麟を巡る話、第516話。克の契約。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 大火の言葉に、その場にいた全員が息を呑む。 何故なら大火が放ったその一言は――一切の比喩無く――どんな途方も無い望みでも叶えてくれることを約束するものだったからである。「え……、マジで?」「ああ。俺と渾沌を窮地から救ったと言う、その行為。俺にとってはこの世界一つにも等しい価値ある行動だと断言しよう。 であれば、どんな願いも聞き...

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    麒麟を巡る話、第517話。
    成人宣言。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     病院を3階に移り、フィオとパラはマークに先導される形で保育室を訪ねた。
    「この子?」
    「そう」
     乳児用のベッドに寝かされた狼耳の赤ん坊を囲みつつ、フィオが尋ねる。
    「名前は?」
    「ルー。シャランが『男の子でも女の子でも絶対コレっ』って聞かなかった」
    「えーと……、男の子?」
    「うん」
    「愛称は確実に『ルーたん』とかになりそうだね」
    「なるだろうなぁ」
    「シャランは?」
    「この階の、端の病室。って言っても、明日退院の予定」
    「……君って今、いくつだったっけ」
    「え? 24だよ」
    「若いパパだね」
    「へへ、まあ、うん」
     マークの顔がふにゃ、とにやけたところで、フィオとパラは揃って祝いの言葉を述べた。
    「今更になっちゃったけど、結婚と出産おめでとう、マーク」
    「おめでとうございます」
    「ありがとう、フィオ、パラ。
     できればすぐにでも、お礼を返したいな。二人はいつ結婚、……いや、人間になるの?」
    「……」
     マークに尋ねられ、二人は黙り込んだ。
    「どうしたの?」
    「実はまだ、迷ってるんだ。いや、迷ってるわけじゃない。いつかなりたいと思ってるのは確かだ。
     でもその『いつか』がいきなり目の前に来ちゃったもんだから、僕もパラも、踏ん切りがつかないでいるんだ」
    「そっか」
     フィオの話を聞き、マークはくる、と踵を返してドアに向かう。
    「隣、行こうか。シャランにも顔を見せてあげて」
    「ああ」「はい」

     廊下に出たところで、マークは肩をすくめてみせた。
    「本当にさ、僕はどうしようもない臆病者だって実感したよ」
    「え?」
    「シャランから子供ができたって聞かされて、結婚しようって迫られたその時、僕はとっさに『でも、フィオたちもまだ結婚してないから』って言ってしまった。
     きっとルナさんとか両親からは、『何だかんだと理由を付けて先延ばしにしようとしてるだけだ』って思われただろうな。いや、僕自身もそう思ってた。……そう、自分でもそのことが良く分かってた。
     結局、君たちのことを案じてる振りをして、自分の身の振りをいつまでも先延ばしにしようとしてただけなんだ。……それを謝りたい」
    「別にそんなの……」
    「いや、謝らせてくれ。君たちのことを言い訳にしてたにもかかわらず、結局僕は、それをないがしろにして、結婚することにしたんだから。
     僕はいつもこうだ――言い訳ばかりして、自分に降りかかる色んな重要なことから、いつでも逃げていた。王位を継ぐのが嫌だから、母のことを言い訳にして学者になった。一方で経営だ管理だって話も嫌がって、ルナさんがやってくれるって申し出たのに乗っかって丸投げした。結婚だってそうだ。ほとんど全部、シャランの言うことにはい、はいって言っただけだもの。
     本当に僕は、逃げてばかりの奴だ。自分のやりたいことしかやらない、卑怯者だよ」
    「マーク……」
     と、マークは眼鏡を外し、裸眼でフィオたちをまじまじと見つめてきた。
    「だけどもう、逃げないようにしたいんだ。このまま何年も経って、ルーが大きくなって、彼に学校とか王位継承とか色々、また面倒な話が起こった時、僕はまた逃げるのか? あの子を見捨てて自分の殻に閉じこもるのか? ……なんて考えた時、本当にもう、このまま生きてちゃ駄目だって思った。
     僕は変わるよ。責任を負う。シャランを最期まで幸せにする責任を負う。ルーを立派な人間に育てる責任を負う。
     君たちが『人間に生まれ変わる』と言ったように、僕も今日、生まれ変わるつもりだ」
    「……そっか」
     フィオはそう返し、黙り込む。マークは顔を赤らめながら眼鏡をかけ直し、にこっと笑った。
    「じゃ、行こうか」
    「ああ」
     そのまま廊下を十数歩進み、端の病室に到着する。
    「入るよ」
     声をかけ、軽くノックをして、マークがドアに手をかける。
    「マーク」
     そこで突然、フィオとパラが同時に、口を開いた。
    「え?」
     ドアに手をかけたまま振り返ったマークに、二人はまた同時に、こう告げた。
    「決めたよ」「決意しました」
    「……そっか。いつ?」
    「今日だ。僕たちも今日、生まれ変わる」
    「右に同じです」
    「分かった。……じゃあ、今日が3人の記念日だね」
     マークは二人の手を取り、うつむく。
    「約束する。さっき言ったことを、何があっても守る」
    「僕も、君にかけて約束する。人間になった暁には、パラをずっと幸せにすると」
    「わたくしもマーク、あなたにかけて約束いたします。人間になった暁には終生、フィオの幸福を第一命題として行動いたします」
     と――3人の背後から、ニヤニヤしながらシャランが現れた。
    「マーク、あなたまるで、神父さんみたいだね」
    「おわっ」
    「シャラン? 寝てなくて大丈夫なの?」
     目を白黒させながらも尋ねたフィオに、シャランがにっこり笑って返す。
    「退屈してたもん。うろうろ動き回ってたよ。
     ……あたし、嬉しいな。マークがあんな風に思ってたなんて」
    「え? き、聞いてたの、まさか」
    「うん」
    「あああぁ……」
     マークは顔を真っ赤にし、その場にしゃがみ込んでしまった。

    白猫夢・既朔抄 7

    2015.05.05.[Edit]
    麒麟を巡る話、第517話。成人宣言。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 病院を3階に移り、フィオとパラはマークに先導される形で保育室を訪ねた。「この子?」「そう」 乳児用のベッドに寝かされた狼耳の赤ん坊を囲みつつ、フィオが尋ねる。「名前は?」「ルー。シャランが『男の子でも女の子でも絶対コレっ』って聞かなかった」「えーと……、男の子?」「うん」「愛称は確実に『ルーたん』とかになりそうだね」「なる...

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    麒麟を巡る話、第518話。
    合縁奇縁。

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    8.
    (オレは変に他人から恭しく扱われんの、イヤなんだけどな)
     一聖はその様子を眺めながら、傍らの葛にそうつぶやく。
    (うん。ウォーレンさんに怒ってたもんねー)
    (いや、怒るってほどじゃねーんだけど、まあ、いきなりアイツみたいに幸甚云々、重畳云々って並べ立てられると、頭っから爪先までぞわーっとするんだよ。
     もっと簡単に、『会えて嬉しいです』の一言でいいじゃんって思うんだよな)
    (あたしはカズセちゃんのそーゆー気取らないトコ、好きだけどねー)
    (そりゃどーも)
     二人が眺めているのは、その堅苦しくて暑苦しいウォーレンの所作である。
     彼も大火たちの救出に向かうことを強く要望していたのだが、一聖がそれを拒否した。理由は前述の通り、暑苦しい振る舞いをすることが目に見えており、それが彼女の癪に障るからである。
     事実、こうして静養中の大火に面会した途端、ウォーレンはがばっと平伏し、かつて一聖が自分の正体を明かした際のように、長々と堅苦しい挨拶を述べていた。
    「畏れ多くも黒炎様の御面前に拝しまして、恐悦至極に存じます。甚だ不肖、未熟な身でありながら、こうしてお目通りが適いましたこと、大変ありがたき幸せと心得ます」
    「うむ」
     娘の一聖は毛嫌いするその大仰な挨拶を、大火は泰然と受け流していた。いや――。
    「楽にして構わん」
     表情こそ変えないものの、大火は早々にそう言って返した。
    (でもさ、タイカさんもじゃない? 堅苦しいの、好きじゃないみたいだよー)
    (そうかぁ?)
    (今のさー、『いいから普通に話せ』って言ってるようにも聞こえるんだけど)
    (あー……、言われてみりゃ、確かにそうかも)
     それを裏付けるかのように、顔を上げ、床に正座したウォーレンに対し、大火はうざったそうに椅子を指差した。
    「そんなところで畏まるな」
    「はっ、失礼いたしました」
     おずおずと立ち上がり、カチコチとした仕草で椅子に座ったウォーレンを眺めていた葛たちは、思わず噴き出した。
    「な、なんですか?」
     聞かれたらしく、ウォーレンがぎょっとした顔を向けてくる。
    「……ク、ククク、……いやいや、ウォーレンよぉ」
     一聖は笑いをこらえながら、ウォーレンに突っ込んだ。
    「なんでお前、そんな緊張しまくってんだよ」
    「い、いや、それは当然でしょう。我々にとって黒炎様は……」
    「分かってるよ、んなこたぁ。でもさ、オレも親父も、そーゆー堅っ苦しいのは好きじゃねーんだよ。な、親父?」
    「ああ」
     娘の問いに、大火はあっさりとうなずいて返した。
    「えっ」
     その返事を聞いたウォーレンは一転、顔を青ざめさせる。
    「……こ、これはとんだご無礼を!」
    「いや、構わん。お前の敬意・誠意の現れであると捉えこそすれ、無礼だなどとはこれっぽっちも思っていない。
     ウォーレンと言ったな?」
    「は、はい。ウォーレン・ウィルソンにございます」
    「お前のことは良く覚えておこう。希望があれば教団に口添えするが、どうだ?」
    「と、言いますと?」
     口ではそう言いつつも、ウォーレンの顔に紅が差している。
    「こうして話している限りでは、そう粗忽者とも、腕っ節だけの荒くれ者とも思えん。一聖に聞いた限りでは人材の管理能力も悪くなさそうであるし、教団で然るべき地位を与えるよう、教主に指示しても構わんが、どうだ?」
    「そっ……、そうですか」
     ウォーレンの顔に一瞬、これまでにないくらい嬉しそうな表情が浮かぶ。
     だが――すぐにぺこ、と頭を下げた。
    「お気持ちは非常に嬉しいのですが、私にはまだ、やらねばならぬことがございます」
    「ふむ」
    「私は娘御のカズセちゃ、……様より、カズラ君を守るよう仰せつかっております。彼女が今まさにその渦中にいる、アオイ氏との戦いを終えるまで、私はカズラ君の側に付いてやりたいのです」
    「分かった」
     大火は小さくうなずき、「目録」に何かを書き付けた。
    「ではこの話は、戦いが終わってから改めてすることとしよう。
     カズラ」
     急に話を振られ、葛はきょとんとする。
    「はい?」
    「お前や、お前の叔母には人が集まってくる縁があるな。良い資質だ」
    「へ?」
    「大事にするといい」
    「は、はいっ」
     大火にそう言われたものの――正直な話、葛には何がなんだか分かっていなかった。
    (人が集まってくる資質を大事に、……って言われてもなー。どうしろって言うのよ?
     て言うか、叔母って誰のコトだろ? いないんだけどなぁ、あたしに叔母さんって)
     葛はそれを大火の勘違いと思い、問いただしはしなかった。

    白猫夢・既朔抄 8

    2015.05.06.[Edit]
    麒麟を巡る話、第518話。合縁奇縁。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.(オレは変に他人から恭しく扱われんの、イヤなんだけどな) 一聖はその様子を眺めながら、傍らの葛にそうつぶやく。(うん。ウォーレンさんに怒ってたもんねー)(いや、怒るってほどじゃねーんだけど、まあ、いきなりアイツみたいに幸甚云々、重畳云々って並べ立てられると、頭っから爪先までぞわーっとするんだよ。 もっと簡単に、『会えて嬉し...

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    麒麟を巡る話、第519話。
    新しい朝。

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    9.
     数日後、「フェニックス」研究所。
    「おはよう、パラ、フィオ」
    「おっ、……は、よう」
     ルナの寝室に寝かされていたフィオが、ゆっくり上半身を起こす。
    「いでててっ」
     と、フィオが両腕を上げる。
    「大丈夫?」
    「いや、痛いって言うか、すごいビクってきたって言うか、ぞわって言うか」
    「し、神経が、び、敏感に、なっ、なっている、ようです」
     一方のパラは、未だ横になったままである。
    「……パラ」
    「は、はひっ」
    「イタズラしていい?」
    「い、やです」
    「いや、する」
     ルナはニヤニヤしながら、パラの腕に人差し指を当て、すーっと肩に向かってなぞる。
    「ひひゃはあっ!?」
    「ん~、いい反応っ」
     嬉しそうに笑うルナに、パラが――昨日までには一度も見せることの無かった――恨みがましい目を向けてきた。
    「ひ、ひどいれす、主様ぁ」
    「あ・る・じ・さ・まぁ?」
     ルナは一転、口を尖らせ、パラの長い耳にふーっ、と息をかけた。
    「ふひぇへええっ」
    「アンタ言ったじゃない。人間になったら、あたしのことを何て言おうって言ってた?」
    「……あ」
     パラは目を白黒させながらも、どうにか声を絞り出した。
    「お、……お母様。……いいえ、……あの、……あの」
    「うふふふっ」
     ルナはパラの横にしゃがみ込み、嬉しそうに笑う。
    「あなたが本当に呼びたかった感じでいいわよ。フィオだって内緒にしてくれるだろうし」
    「え?」
     フィオがきょとんとしている間に、パラも意を決したらしい。
    「……お、……お母さん」
    「はーい、パラちゃん」
     ルナはニコニコ笑いながら――突然、ぽろっと涙を流した。
    「あっ……」
    「ど、どうされたのですか?」
    「ううん、何でも無いわ。ちょっと、じーんと来ちゃっただけ。ずーっと一緒にいてくれたあなたが、あたしのことをそう呼んでくれる日を、ずっとずっと待ってたから。
     なんだか、救われた気すらするわ」
    「救われた……?」
     同時に尋ねたフィオとパラに、ルナは涙を拭きながら立ち上がり、背を向ける。
    「秘密よ。これはあたしが一人で背負ってきた罪。そしてこれからも、秘密のまま背負い続けるつもりよ。
     そうでなければ、あたしは母にも、トラス王家にも、葛にも顔向けができないもの」
    「その人たちの関連性が分かりません」
     パラが不審そうに、そう尋ねる。
    「お母さんの母と言うのは、つまりわたくしにとっては祖母に当たる方ですね?」
    「ええ。葛にとってもね」
    「え? ……え!?」
     フィオとパラは同時に体を起こし、そして同時に顔をしかめる。
    「うあ……」「いたっ」
    「秘密よ? 特に、葛には」
    「なんでさ?」
    「葛はあたしの母に、良く似てるもの。性格も多分、一緒だろうし。
     知ればきっと、あたしが何者かってことを探るわ。そして絶対に軽蔑する。そう言う生き方をしてきたからね」
    「思い出しました」
     パラがぽつりとつぶやく。
    「かつてコントンがお母さんのことを、『ツキノ』と呼んでいたことがありました。央南風の名称です。そこから推理すると、お母さんは央南人だったのですね?」
    「ええ」
    「そしてカズラの父方の祖母は央南人、『蒼天剣』のセイナ・コウです。祖母とお母さんの母が同一人物であると言うことは、お母さんはカズラの父親、即ちシュウヤ・コウの兄弟なのですね?」
    「……ええ、そうよ」
    「どこでそんなの調べたの?」
     尋ねたフィオに、パラが小さい声で答える。
    「アオイのことを調べていた折に。そしてシュウヤ氏の兄弟には、妹が一名いたとのことです。それが黄月乃、即ちお母さんの本名、……ですね」
    「ご明察よ」
     ルナはベッドの端に腰を落とし、寂しそうに笑った。
    「『いた』よね、本当。そう言われても仕方無いわ。
     そう。それだけ調べたあなたなら、あたしが、つまり『黄月乃』がしてきたことも知ってるわね」
    「はい、存じています」
    「あたしは焔流を潰しかけた。いいえ、央南西部そのものを潰しかけた。
     そんなあたしが今更正体を明かしても、何やってんのよって話よ」
    「お母さん」
     パラが心配そうに、顔を上げる。
    「お母さんはずっと、後悔されているのですね」
    「そうね。……本当、そう。あんなことをしなければ良かったって、この30年ずっと、後悔してるわ。
     でももう、償うには遅すぎる。これからもあたしは、この罪を背負い続けるのよ」
    「いいえ」
     が、パラは首を横に振り、そろそろとした手つきで傍らの新聞を手に取り、ルナに差し出した。
    「もしかしたら、罪を償う機会が訪れたのかも知れません」
    「どう言うこと?」
    「央南にまた、不穏が訪れようとしています」
    「……」
     ルナは神妙な顔つきで、新聞を受け取った。

    白猫夢・既朔抄 終

    白猫夢・既朔抄 9

    2015.05.07.[Edit]
    麒麟を巡る話、第519話。新しい朝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 数日後、「フェニックス」研究所。「おはよう、パラ、フィオ」「おっ、……は、よう」 ルナの寝室に寝かされていたフィオが、ゆっくり上半身を起こす。「いでててっ」 と、フィオが両腕を上げる。「大丈夫?」「いや、痛いって言うか、すごいビクってきたって言うか、ぞわって言うか」「し、神経が、び、敏感に、なっ、なっている、ようです」 一...

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    麒麟を巡る話、第520話。
    もはや一枚岩ではなく。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     白猫党の幹部陣が、揃って通信機の前に並んでいる。
    「ロンダ。首尾はどうかしら?」
     間を置いて、通信機から白猫軍司令、ロンダの声が返って来た。
    《上々であります。
     まず現時点で青州の主要港湾都市の掌握に成功しており、各都市の港も封鎖完了しております。北方からの大型旅客船『アイリーン』の央南圏内への到着には、十分間に合いました。
     後は洋上にてナイジェル卿を待ち構えるだけ、と言う状況であります》
    「そう。……問題無しね。
     分かったわ、船が来るまでそのまま待機してちょうだい」
    《了解であります》
     通信が切れたところで、幹部陣が口々に今後の展望を語り始めた。
    「後は兵をけしかけてナイジェル卿を追い返し、西大海洋で右往左往させる、と」
    「その間に我々の前線を青州から翠州、白州方面へと展開し、央南東部全域を掌握すれば……」
    「央南連合の支配圏は半減し、連合が発行・管理する玄銭は著しく暴落するでしょう」
    「それに加え、国際的な地位も失墜するでしょうな。件の『裏取引』で焦げ付いているところに、『央南全域の安寧秩序の維持』を掲げる彼らが、こうまで我々に易々と侵略を許してしまっては」
    「となればその責を巡り――いくら連合主席と同盟総長が蜜月関係にあるとは言え――両組織が仲違いすることは必須。我々がどう攻めようとも、連携を取って迎撃することなど、まずありえんでしょうな」
    「同盟の一角、軍事国であるジーン王国の後ろ盾が無い連合の兵力なんて、恐るるに足らずよ。央南連合は本年中を以って、我々白猫党の傘下に下るでしょうね」
    「すべて我々の思い通り、どこを取っても有益な展開、と言うところですな。
     ところで総裁」
     と、幹事長イビーザが手を挙げて尋ねる。
    「央南連合を下したとして、それで央南全土が支配下に収まるわけではありません。焔紅王国については、どういたしましょうか?」
    「ソレについては、当面は攻めない方針で行くつもりよ」
    「それは何故です?」
    「5年前、10年前の悪政下ならまだしも、今は政治的安定を保ってる状態にある。アタシたちは『腐敗・堕落した権力者層の排除』を公約してるし、今の王国を攻めれば矛盾するコトになるわ。
     ソレに彼らが参戦してきたら、被害は飛躍的に大きくなるコトが予想されるわ。アタシたちがやりたいのはあくまで『権力者の排除』であって、『無分別な殺戮』じゃないもの。
     だから王国とは、できるだけ距離をとっておくつもりよ。勿論今後、王国が失策を続けて腐敗し、国民の不満が噴出するようなコトがあれば、攻め落とす算段を協議するつもりではあるけど」
    「ふむ……、承知いたしました」
     特に固執する様子も見せず、すんなりとイビーザが引き下がる。
     このやり取りに、政務部長トレッドは内心、ほっとしていた。
    (まだ不安が残るとは言え、曲がりなりにも現在、シエナは党を掌握できているようだ。
     これが以前の、シエナがアオイ嬢の後ろ盾を失いかけ、うろたえていた状況であれば、イビーザは強固に王国侵攻を主張していただろう。
     できることならイビーザ幹事長にはこのまま、大人しくしていてほしいものだが……。どうも彼は、良からぬ野心を抱いているようだからな。『隙あらばシエナを党首の座から引きずり下ろし、自分がその座に就こう』と言う思惑が、少なからず透けて見える。
     かつては私と同様、穏健派であったはずの彼が、何故こんなにがらりと、急戦派に変貌してしまったのだろうか……? いや、恐らくは央中と西方における侵略の成功が、彼に良からぬ変化を与えてしまったのだろう。
     勝利はあまりに甘美な毒だ――人の上に立ち、人を下したことが、彼の人となりを著しく損ねてしまったのだろうな)
     と、トレッドの肩をとん、と葵が叩く。
    「……ん、どうされましたか、アオイ嬢?」
    「あなたもいずれ、同じ道をたどるよ」
    「え? ど、どう言う意味でしょう?」
     尋ねたが、葵はそれ以上何も言わず、シエナと話をし始めた。
    (『あなたもいずれ同じ』……、まさか、私が考えていたことを?
     いや、それよりも今のは、まさか、『預言』だったのだろうか? 私もいずれはイビーザのように、人を虐げることを厭わぬような冷血漢になると、そう言うのか、アオイ嬢?)
     不安に駆られ、トレッドが葵に声をかけようとした、丁度その時だった。

     通信機から、悲痛な声が発せられた。

    白猫夢・紅丹抄 1

    2015.05.09.[Edit]
    麒麟を巡る話、第520話。もはや一枚岩ではなく。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 白猫党の幹部陣が、揃って通信機の前に並んでいる。「ロンダ。首尾はどうかしら?」 間を置いて、通信機から白猫軍司令、ロンダの声が返って来た。《上々であります。 まず現時点で青州の主要港湾都市の掌握に成功しており、各都市の港も封鎖完了しております。北方からの大型旅客船『アイリーン』の央南圏内への到着には、十分間に...

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    麒麟を巡る話、第521話。
    強襲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    《きっ、緊急連絡! 緊急連絡!》
     焦りと恐怖の入り混じったその声に、幹部陣は一様にぎょっとした顔を並べる。
    「だ、誰だ?」
    「この声は一体……?」
    「あなたは?」
     マイクを取り、尋ねたシエナに、相手はガタガタと震えた声で応答する。
    《白猫軍海軍局第3師団付属第16大隊指揮官、ボリス・ガルベス中佐であります! 至急、応援を要請します!》
    「応援?」
     もう一度尋ねたところで、ロンダからの応答が入る。
    《何があった、ガルベス中佐? 貴官らはダイゲツの制圧に向かわせていたと記憶しているが……?》
    《その通りであります! しかし制圧したと思われた直後、突如として謎の集団が……》
     そのうちに、中佐の背後から爆発音が立て続けに響く。
    《うっ……》
    《どうした!? 大丈夫か!?》
    《も、問題ありません。破片が飛んできましたが、何とか直撃は免れました》
    《もう少し詳しく状況を説明して欲しい》
    《了解であります!
     30分ほど前、ダイゲツの制圧作戦を完了し、我が軍は港へと移動し、友軍支援の準備に取り掛かっておりました。
     ところが突如、市街地で多数の敵性勢力が出現、市街地に駐留していた我が軍を攻撃し、市街地にいた我が軍勢力は壊滅しました!》
    「壊滅!?」
     マイクを握りしめ、シエナが叫ぶ。
    「どう言うコトよ!?」
    《壊滅したのです! 我が軍の武装では、まるで太刀打ちできなかったとの報告を受けております。
     現在、残存する我が軍勢力を港方面に集結させ、抗戦を続けておりますが、次第に圧されつつあります!》
    「な……、何故だ!?」
     たまらずと言う顔で、イビーザが声を上げる。
    「我々の装備は最新鋭、かつ大規模に用意している! それが何故、そうも簡単に蹴散らされると言うのだ!?」
     この間にもマイクのスイッチは入りっぱなしになっていたため、中佐の応答が返って来る。
    《こんな……、こんな報告は『彼女』を目にした私自身ですら、到底信じられないのですが……。
     確かに敵兵力のほとんどは、我々の装備や人員と比較するに、まったく相手にならない程度のものでした。
     しかし、……たった1名、恐るべき突破力と速度を以って、我が軍の防衛線をことごとく破る者がいるのです!》
    「い、……1名?」
    《たった1人に、敗れたと言うのか!?》
    《まるで悪夢です……! こんなことがあっていいのか……、うぐっ!?》
     突然、びちゃびちゃと言う水音と共に、中佐の声が途切れる。
    《中佐! どうした、応答しろ!》
    《……ガ……ガガ……あら?》
     ノイズ混じりに聞こえてきたのは、中佐とは似ても似つかぬ女性の声だった。
    《ちょっと……ガッ……濡れたくら……ガピ……れるなんて……ガー……白猫党とやらの……ガ……も、大した……ガガー……ございませんのね》
    「誰!?」
     語気荒く尋ねたシエナに、声は嘲るような口調で答える。
    《……るほどの者では……ガッ……いませんけれど……ガ……たくし、辰沙(しんさ)と呼ばれておりますわ。
     大月はあたくしたちが奪還させ……ザー……だきました。あなた方のような……ザザー……に、これ以上、好き勝手……ザー……る……ザザー……には……ザー……》
     どうやら通信機が完全に壊れてしまったらしく、これ以降はザーザーと言うノイズしか聞こえなくなった。
    《……総裁》
     と、ロンダの声が返って来る。
    《早急に部隊を編成し、ダイゲツ再奪還を行いたいと思うのですが、よろしいでしょうか》
     ロンダの声には、少なからず怒りが混じっている。
     シエナも怒りに任せ、こう答えた。
    「勿論よ。このクソ女を叩きのめして来なさいッ!」
    《了解いたしました》
     ロンダが答えると共に、シエナはマイクを振り上げ、机に叩きつけようとした。
     だが、シエナが手を離したその瞬間に、葵がマイクをつかむ。
    「ミゲルさん」
    《は、はい? アオイ嬢でございますか?》
    「うん。部隊の編成だけど、もう少し待って。多分、白猫軍の人たちじゃ手に負えない。
     あたしが行く」
    《な、なんですと!?》
    「何言ってんのよ、アオイ!?」
     驚く幹部陣らに構わず、葵はその場から姿を消した。

    白猫夢・紅丹抄 2

    2015.05.10.[Edit]
    麒麟を巡る話、第521話。強襲。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.《きっ、緊急連絡! 緊急連絡!》 焦りと恐怖の入り混じったその声に、幹部陣は一様にぎょっとした顔を並べる。「だ、誰だ?」「この声は一体……?」「あなたは?」 マイクを取り、尋ねたシエナに、相手はガタガタと震えた声で応答する。《白猫軍海軍局第3師団付属第16大隊指揮官、ボリス・ガルベス中佐であります! 至急、応援を要請します!》「...

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    麒麟を巡る話、第522話。
    謎の勢力。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     葵に止められたものの、ロンダは突撃部隊を編成し、自ら大月に向かっていた。
    「いくらアオイ嬢のお言葉でも、女性を一人戦地に送って、軍人たる我々が平然とふんぞり返っているなど、とてもできませんからな」
     青州と玄州を結ぶ青玄街道を大型軍用トラックで突き進みつつ、ロンダとシエナは通信機で連絡をとっていた。
    《ええ。アタシとしても、このままあの子に任せっきりにしたら、何がどうなったのか分かんなくなりそうだしね。あの子、眠たい時とかだとろくに説明しないし。できるだけ細かく、状況を報告してちょうだい。
     勿論、アオイが危なそうだってなったら、アンタたちも援護してよ》
    「承知しております」
    《後、どのくらいで到着しそう?》
    「恐らく15分もかからないかと。ただ、アオイ嬢が『テレポート』により現地へ出向いてから既に30分以上は経過しておりますし、もう既に決着しているかも知れません」
    《そうね、あの子は恐ろしく強いもの。
     ソレでも万が一ってコトはあるし、十分気を付けてちょうだい》
    「はい」

     ロンダが予測した通り、トラックは間もなく大月に到着した。
    「ふーむ……、確かにあちこちで交戦した跡が見受けられる。我が軍による制圧行動だけでは、あれほど火が上がるわけも無い」
     街のあちこちから黒煙が上がっており、様々なものが焼ける臭いが立ち込めている。ロンダは顔をしかめつつ、通信機を使って指示を送った。
    「各指揮官に告ぐ。先刻通知したように、この都市は約1時間前に海軍局第3師団付属第16大隊が制圧したが、当該作戦が終了した直後に正体不明の勢力によって襲撃され、あえなく壊滅したとの情報が入っている。
     我々の目的は第一に、その敵性勢力が何者であるかの確認、そして可能ならば殲滅もしくは撃退すること。第二に、先だって進入した預言者殿を支援すること。第三に、我が軍の生存者がいれば、その保護も行うこと。
     説明は以上だ。各部隊、最大限に注意して散開し、行動を開始せよ」
     ロンダの命令に従い、兵士たちが街中に散る。
    (私も市街地に赴きたいところだが、私に何かあれば、それこそ全軍の危機だからな。ここはじっと、報告を待つしかあるまい。
     しかし……、女性一人に我が軍が壊滅させられただと? 馬鹿な、と言いたいところだが、我々にしてもアオイ嬢をたのみにしている体たらくだ。
     現実に、途方も無い才と力を持つアオイ嬢がいるのだから、もう一人や二人、同様の存在がいたとしても、決しておかしな話ではない。昨今はうわさを聞かんが、『黒い悪魔』などの例もある。ミッドランドのテンコ氏と『旅の賢者』にしてやられた覚えもあるからな。
     だがそんな存在がこの央南にいるなどとは、まったく聞き及んでいない。我々の情報網にも無かった存在だ。まるで突然、湧いて出たような……。
     確か『シンサ』と名乗っていたが……、一体何者なのだ?)
     思案に暮れていたところに、進入していた兵士たちから報告が入る。
    《第1小隊、市街地南側に到着しました。現在、敵性勢力と思しき者は見当たりません》
    《第2小隊、市街地中央に到着しました。異常ありません》
    《第3小隊、市街地北側に……》
     だが、どの隊からも敵と遭遇したり、葵を見つけたと言うような報告は無い。
    「全隊、預言者殿は見つかったか? 緑髪に三毛耳の猫獣人だが……」
    《いえ》
    《見つかりません》
     尋ねてみても、それらしい回答が無い。
     と、恐る恐ると言った声色で、返事が返って来た。
    《緑髪に三毛耳の、女性の猫獣人でしょうか? 20代半ばくらいの》
    「うん? ……それだ! 彼女に違いない。どこで見つけた?」
    《港にて発見しました。気を失っているようです》
    「気を? その、……眠っている、とかではなく?」
    《あちこちに傷を負っており、気絶しているように見受けられます》
    「なんと……!?」
    《なお、港にも敵性勢力は確認できませんでした。恐らく撤退したのではと思われるのですが》
    「いや、性急な判断は禁物だ。まずは彼女が預言者殿であるか、私が確認に向かおう」

    白猫夢・紅丹抄 3

    2015.05.11.[Edit]
    麒麟を巡る話、第522話。謎の勢力。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 葵に止められたものの、ロンダは突撃部隊を編成し、自ら大月に向かっていた。「いくらアオイ嬢のお言葉でも、女性を一人戦地に送って、軍人たる我々が平然とふんぞり返っているなど、とてもできませんからな」 青州と玄州を結ぶ青玄街道を大型軍用トラックで突き進みつつ、ロンダとシエナは通信機で連絡をとっていた。《ええ。アタシとしても、こ...

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    麒麟を巡る話、第523話。
    辰沙先生。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     報告を受けた通り、既に大月には敵がおらず、ロンダと彼を守る兵士たちは、すんなりと港に着くことができた。
    「預言者殿は?」
    「こちらで手当しております。既に目を覚ましております」
    「ふむ、そうか」
     港に駐留していた兵士たちに尋ね、即席の救護用テントに案内される。
     すぐにあちこちに包帯を巻いた葵を見つけ、ロンダは小走りに駆け寄る。
    「預言者殿、ご無事でしたか!」
    「うん」
    「一体、その傷は?」
    「シンサって人にやられた。でも何とか追い返したよ」
    「そうでしたか」
     敵を撃退したと聞き、ロンダの顔がほころびかける。
     だが次に葵が発した言葉に、その笑みが凍りついた。
    「18時までに撤退して。そう話が付いたから」
    「……なんですと?」
     思いもよらない話に、ロンダは慌てて尋ねる。
    「どう言うことです? 敵を退けたのではないのですか?」
    「あと一歩って感じだったけど、力負けした」
    「……馬鹿な!」
    「事実だよ。前よりずっと強くなってた。簡単に勝てる相手じゃなくなってた」
    「む……? シンサと言う女に、以前に会ったことがあるのですか?」
    「うん」
     葵はすっと立ち上がり、ロンダに付いてくるよう促す。
    「もう一度言うよ。18時までに撤退して。それが約束だから。もし撤退が完了してなかったら、もう一度襲ってくる」
    「……我々がいたとしても、勝てませんか?」
    「シンサがいなかったら勝てるよ。あたしがいなくても」
    「納得が行きません」
     ロンダは悔しそうに顔を歪め、食い下がる。
    「アオイ嬢ともあろう方が、どこの誰とも分からぬ輩に後塵を拝すなどと言うことがあるのですか!?」
    「あるよ」
    「……っ」
     葵のそっけない返答に、ロンダは顔を真っ赤にして憤慨する。
    「そんな……っ! どれほど、どれほど私は、あなたを信頼・信奉してきたと……!」「でも」
     葵はロンダに振り返り、こう付け加えた。
    「二度も負けたりはしない。次に会った時は必ず、この借りは返すつもりだよ」
    「……信じておりますぞ」



     白猫軍は手際よく撤退の手筈を整え、ロンダ到着から30分後には、大月に兵士の姿は――生きている者、そうでないもの問わず――一人もいなくなった。
    「ちゃんと約束を守って下さったようですわね」
     そこへぞろぞろと、刀や小銃を手にした者たちが現れる。
     彼らは皆軍服を着ており、その上に紋の付いた羽織をかけている。その紋は紛れも無く剣術一派の名門、焔流のものだった。
    「それでもあたくしたちの土地を不当に襲う、非道で卑劣な輩。こんな約束一つ守った程度で、紳士だなどと思わないこと。皆さん、承知しておりますわね?」
    「勿論です、先生」
     羽織を着た者は異口同音に、先頭の女性にうなずいて返す。
    「よろしい。では今度は、政治のお仕事に取り掛かるといたしましょう」
     彼らを率いてきた、薄桃色の毛並をした狐獣人は、街の奥を刀で指し示す。
    「役場と軍の駐屯所、警察当局、それからこの街に駐在している報道機関と回ります。
     彼らにあたくしたちがこの街を解放したことを伝え、そして軍とお役所に対し、あたくしたちの中から若干名を防衛目的で街に駐留させる旨を伝え、了承させます」
    「できるのでしょうか? 我々のほとんどが焔流、それもこうして武装した、あからさまに武闘派の人間の言うことを、そう簡単に聞いてくれるとは思えませんが……」
    「平時、平常の場合でなら、そうなって然るでしょう。
     けれどこの街は今、白猫党に襲われたばかり。あたくしたちはそれを追い払った英雄ですのよ? その恩人まで追い払うようなことを、果たしてこの街の皆さんは容認なさるかしら?」
    「なるほど。流石は辰沙先生だ」
    「それほどでも」
     辰沙はにこ、と薄く笑みを浮かべた。

     と――辰沙の元に、黒いフードを頭からすっぽりかぶった者が現れる。
    「上出来だな、シンサ」
    「ええ、有矢(ありや)。これであたくしたちの英雄譚の、第一歩が刻まれたと言うわけね」
    「そうだ。今後も白猫党との戦いは続くだろう。
     そしてシンサ、お前がそれを全て撃破し、央南の……」「『央南の女王として君臨するのだ』、……でしょう? 聞き飽きたわ。
     いつもながら誇大妄想の激しいこと。よほど子供の頃、益体もない夢想ばっかりしていたのね、あなた」「……」
     有矢と呼ばれた黒フードの話を軽くあしらい、辰沙はすたすたと大通りを闊歩していった。

    白猫夢・紅丹抄 4

    2015.05.12.[Edit]
    麒麟を巡る話、第523話。辰沙先生。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 報告を受けた通り、既に大月には敵がおらず、ロンダと彼を守る兵士たちは、すんなりと港に着くことができた。「預言者殿は?」「こちらで手当しております。既に目を覚ましております」「ふむ、そうか」 港に駐留していた兵士たちに尋ね、即席の救護用テントに案内される。 すぐにあちこちに包帯を巻いた葵を見つけ、ロンダは小走りに駆け寄る。...

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    麒麟を巡る話、第524話。
    苛立つシエナ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     大月侵攻戦にて起こった数々の出来事は、各方面に著しい衝撃を与えた。

     まず、白猫党。
    《目に見えて、軍の士気が下がっております》
     ロンダ司令の声には若干ながらも、憔悴している雰囲気が漂っている。
    《緒戦で不覚を取り、あまつさえ撤退したことなど、これまで我が軍には無かったことですからな。
     それに加え、これまで絶対無敵、不敗、守護神の如く慕われてきたアオイ嬢が敗北すると言う、あまりにショッキングな一件が……》「その辺でいいわよ。ソレ以上の愚痴は、聞く気無いから」
     報告を受けるシエナも、苦々しい表情を浮かべている。
    「とにかく現状で確かなコトとして、ダイゲツ以外の主要都市は押さえてあるんでしょ?」
    《はい。そちらに関しては今のところ、敵性勢力の出現は確認できておりません。ですが、また彼奴らが現れた場合、……到底、守りきれる確証は無いと言わざるを得ません。
     甚だ不本意ですがヴィッカー博士に、最新鋭の防衛兵器を開発していただくよう要請しようと考えております》
    「そうね。アタシから言っておくわ。必要ならアオイに協力してもらって、博士本人を央南にすぐ送るから」
    《了解いたしました》
     通信が切れたところで、シエナはギロ、と背後の葵をにらむ。
    「……で、アレはマジなの?」
    「どれ?」
    「色々あるけど……」
     シエナは額に手を当てたり、拳を握ったり開いたりしながら、苛立たしげに問い詰める。
    「マジでアイツ?」
    「うん」
    「なんで? この数年うわさも何にも聞かなかったのに、なんでいきなりアタシたちの邪魔しに来たの?」
    「知らない」
    「で、あのクソ女に負けたって、本当にホントなの?」
    「うん」
     葵がそう答えた瞬間、シエナは自分が座っていた椅子を蹴っ飛ばした。
    「っざけんなあああッ!」
    「……」
     シエナは葵に詰めより、彼女のシャツの襟をつかんでギリギリと音を立てて握りしめる。
    「痛いよ」
    「アタシはね、アンタがドコのダレにも負けたりあしらわれたりしない、絶対に無敵なんだって信じて、アンタの言うコトに従ってやってたのよ!?
     ソレが負けるって、一体何なのよ!? しかもあのクソ女に!? アンタ、昔勝ったじゃないの!? 余裕綽々で!」
    「うん」
    「このままじゃ、全部おじゃんになるじゃないの!
     白猫党がこのまま央南侵攻に失敗したら、間違いなくアタシは責任を問われる! そうなればイビーザやロンダがアタシに反目しかかってる今、確実に党が真っ二つ、真三つに割れるわ!
     そうなったら全部おしまいよ――世界の舞台に片足乗っけてたアタシたち白猫党は一転、みっともない内部抗争に突入するコトになるわ! 味方同士で、ドロッドロの泥沼戦を始めるコトになるのよ!?」
    「……」
     いまだ襟を締め付けるシエナに、葵は若干顔を青ざめさせつつも、淡々と返す。
    「手を離して」
    「アンタまだそんな、平気な顔をしてられると思ってんの!?」
    「思ってるよ」
    「何でよ!?」
    「これも前々から『見えてた』ことだから」
    「……!?」
     ようやく襟から手を離したシエナに、葵は立ち上がって説明を始める。
    「あたしがあの人に負けることは、前々から分かってた。彼女は超人になってるから。今のあたしには、まだ勝てない。
     でももう一つ、『見えてる』ことがある。あたしが今度あの人に出会った時、あたしはあの人を八つ裂きにしてるよ」
    「……本当?」
    「あたしが言ったことに、嘘があった? 不足はあったかも知れないけど」
     シエナは黙り込み、蹴っ飛ばした椅子を元の位置に戻し――しかし依然としてイライラとした口ぶりで、こう尋ねた。
    「信じていいのね?」
    「あたしを信じて党首になったんでしょ?」
    「……そうね。いいわ、信じてあげる」
     シエナは葵に背を向け、そのまま部屋から出て行った。
     残った葵は、ゆるゆるになった自分の襟元に手を当て、短くため息をついた。
    「結構気に入ってたんだけどな、このシャツ」

    白猫夢・紅丹抄 5

    2015.05.13.[Edit]
    麒麟を巡る話、第524話。苛立つシエナ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 大月侵攻戦にて起こった数々の出来事は、各方面に著しい衝撃を与えた。 まず、白猫党。《目に見えて、軍の士気が下がっております》 ロンダ司令の声には若干ながらも、憔悴している雰囲気が漂っている。《緒戦で不覚を取り、あまつさえ撤退したことなど、これまで我が軍には無かったことですからな。 それに加え、これまで絶対無敵、不敗、...

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    麒麟を巡る話、第525話。
    腐臭漂う連合。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     非難の風は、西大海洋同盟と央南連合の間にも吹き荒んでいた。
    「いつになったら到着するんですか、ナイジェル総長は!?」
    「ですから、到着の直前に東部の主要港湾都市が封鎖され、そこからの敵船団に阻まれ……」
    「そんなことはもう何度も聞いています! 我々が聞きたいのはいつ到着するか、いつ、この混迷しつつある状況を打破できうる対策を授けていただけるか、です!」
     会議の面々から詰問され、連合の主席、橘飛鳥は表情を堅くして黙っている。
    「現在、西大海洋上を航行中につき、ナイジェル卿の乗る船は、あらゆる通信手段の範囲外にあります。即ち現在、ナイジェル卿とは連絡が付かず、彼から意見を聞くことも不可能です。
     だからと言ってこのまま手をこまねいているわけには行きませんぞ、橘主席!?」
    「……では」
     自分の名を呼ばれ、そこでようやく飛鳥が口を開く。
    「こんな事態も想定し、ナイジェル総長より策を伝えられております」
    「ほう……」
    「まず、白猫党が武力を伴って央南圏内に出現した場合、高い確率で同盟の要である自分の行動を阻みに来るだろうと、ナイジェル卿は予測しておりました。
     そしてその場合、白猫党はどこに拠点を持ち、どこから攻めてくるか? ナイジェル卿はその予想をまとめています」
     飛鳥は席を立ち、かばんの中から書類を取り出して、黒板に貼り付けていく。
    「こちらがその予想される拠点と、侵攻箇所の一覧です。これによればしばらくは、東部地域を中心に攻めて回るだろうとされております」
    「それは何故です?」
    「東部は三方を海に囲まれており、敵の海軍勢力にとっては攻めやすいからです。また、連合に強い影響力を与えうる商家や軍閥も少なく、守りも万全とは言えません。
     逆に西部となれば西側に屏風山脈があり、そこからの侵攻は困難。また、我が橘家や黄家をはじめとして大きな勢力が多数存在するため、容易に攻めることはできません。
     そう考えれば西部より東部、誰もがそう結論づけるでしょう」
    「ふむ、確かに」
    「少なくとも今年中においては、彼らは東部に留まっているはずです。いくらなんでも今年一杯、ナイジェル卿を海の上に縛り付け続けることは難しい。ナイジェル卿にしてみれば、央南に入れないのであれば戻る、それだけのことですから。
     いずれナイジェル卿は数日以内に北方へ戻り、我々にさらなる献策をしてくれるでしょう」
     ここで話を切り上げようとした飛鳥に、東部を本拠にしている有力者たちが手を挙げる。
    「お待ち下さい、主席。ではナイジェル卿の指示があるまで、白猫党に対して何ら手を打たないと言うのですか?」
    「うかつに動き、情況が悪化するよりも、有識者より然るべき判断を授けてもらう方が賢明と思われます」
    「何を馬鹿な!」
     飛鳥の言葉を皮切りに、場は騒然となる。
    「今まさに襲われ、征服されていると言うのに、この期に及んで海の向こうの人間を頼りにすると言うのですか!?」
    「そんなふざけた判断など、我々は到底納得しませんぞ! 早急に現実的、建設的な対策を実施していただきたいのです!」
    「いや、しかし主席の主張ももっともだ。万一、我々が独自に動き、失態を犯した場合、不要な責任を負う危険性もある。それよりもこうした状況・情勢を熟知した人間に判断を仰ぐ方が堅実、かつ確実だろう」
    「不要な危険性!? ふざけないでいただきたい! 今まさに危険にさらされている人々が少なからずいると言うのに、保身に走るおつもりですか!?」
    「いや、保身と言うのではなく、あくまで全体的、巨視的に、全体の被害を少なくすることを考えれば……」
     本拠を襲われ、自身の抱える資産や人民が危うくなっている東部陣が対策を乞うも、直接被害を受けたわけではない西部陣は、彼らとは真逆の、消極的な主張を繰り返している。
     特に西部陣の中心であり、連合の主席である飛鳥にとっては、自身のコネクションや利権が東部に存在しないため、積極的に介入する意味が無い。
     また、かねてからの「裏取引」問題がまだ片付かないでいる今、他に話題があれば――それが自身にとって大して害の無いものであれば尚更――「できる限りそちらに目を向けていて欲しい」と言う思惑もあり、飛鳥は軍を動員する姿勢をほんの少しも見せなかった。
    「ともかく現時点における最善策は、状況の静観でしょう。
     敵軍の兵力および技術力は極めて高いものであると報告されています。今ここで、いたずらに我々の軍を投下したとしても、成果が挙げられる可能性は低いものと考えられます。無策同然の命令で兵士を犬死にさせて、それでよしとされる方はまず、いらっしゃらないはずです。
     実際に動くべきとされるならば、まず先に情報収集を行い、より詳しい情況を把握することが先決です」



     西部陣、そして主席である飛鳥のあまりに非協力的な姿勢に、東部陣は少なからず落胆していた。
     そしてそれが、後の破局――央南連合分裂の契機となった。

    白猫夢・紅丹抄 6

    2015.05.14.[Edit]
    麒麟を巡る話、第525話。腐臭漂う連合。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 非難の風は、西大海洋同盟と央南連合の間にも吹き荒んでいた。「いつになったら到着するんですか、ナイジェル総長は!?」「ですから、到着の直前に東部の主要港湾都市が封鎖され、そこからの敵船団に阻まれ……」「そんなことはもう何度も聞いています! 我々が聞きたいのはいつ到着するか、いつ、この混迷しつつある状況を打破できうる対策を...

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    麒麟を巡る話、第526話。
    紅丹党の台頭。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     内部の問題にかまけ、白猫党に対して積極的な姿勢を執らない央南連合に対し、央南東部の者たちは次第に、連合に対して反感を覚え始めていた。
    「新聞読んだか?」
    「読んだけど、……笑っちゃうよな」
    「何がおかしいんだよ」
    「読み比べてみたんだけどさ、西部の橘喜新聞と東部の青東新報を。
     橘喜の方もさ、確かに白猫党の奴らがどうだこうだって話は書いてるんだけどさ、自分らの社長の話とかは全く触れず。記事自体も地方欄にちょろっとだよ。
     だけど青東は一面記事の見出しにこうだよ。『橘主席 “軍は動かさない”明言 問われる央南の安全』だってさ」
    「露骨だなぁ、橘喜」
    「経済欄も露骨だぜ?
     大体さ、今じゃ誰だって玄銭暴落の原因は『白猫党が東部を侵略してるせい』だって知ってんのに、橘喜と来たら暴落の原因は『西方の作物が』とか、『央北の為替が』とか、見当違いの理由ばっか挙げてんだよ。
     本当、腐ってやがる。もうこれ、『橘喜』じゃなくて『汚忌』だな」
    「ああ、本当に汚い女だよな、橘主席」
    「……でさ。あのうわさ、聞いた?」
    「どの?」
    「その、白猫党に襲われてる東部で、何か別の軍が動いてるって」
    「なにそれ」
    「こんだけ動かさない動かさないって言ってるから、間違いなく央南連合軍じゃない。州軍ってことも考えられるけど、白猫党の攻撃で壊滅状態だって話もよく聞くし、多分違う。
     それ以外の勢力が、白猫党相手に戦ってるらしい。実際、青州の大月とかはそいつらが奪還したって話だぜ」
    「へー……」
    「何て言ってたかな……。確か青東新報か何かに、取材記事があったと思うんだけど」
    「あー、何か読んだ気する。その新聞、まだ持ってたかも。……あ、これこれ。
     そうそう、紅丹(くたん)党だってさ。謎の女流剣術家『辰沙先生』ってのを筆頭に、焔流の奴らを中心として結成したんだって」
    「胡散臭いなー」
    「いやいや、それでも白猫党の奴らに好き勝手されるよりは全然ましだって。同じ央南の人間が奪還してくれてるんだから、俺は支持するな」
    「うーん」



     央南連合が諸問題で信用を落とし、白猫党が侵攻を続ける、その間隙を縫うようにして、この頃新たな政治結社「紅丹党」のうわさが、東部を中心に広がり始めていた。
     特にこれまで連戦連勝、緒戦負け無しと言う無敵ぶりを誇った白猫党が占拠した都市を瞬時に奪還したと言う武勇伝は、紅丹党に強い信頼感を与えていた。
     その紅丹党は現在、自らが奪還した都市、大月に本部を構え、さらなる勢力拡大を目指していた。

    「状況は依然、あたくしたちにとって有利なままです」
     その紅丹党の幹部会議において、辰沙は弁舌を振るっていた。
    「白猫軍については、あれ以降進軍した様子は無いとのこと。恐らくこれまでにない展開に幹部陣が面食らい、次の手を打ちあぐねているのでしょう。言い換えればこうした事態に対し、彼らは免疫が無いのです。
     相手が茫然自失、ただただ突っ立っているだけと言う今、あたくしたちが何を仕掛けようと、難なく成功する可能性は非常に高いと言えます。……と、これがまず、一つ目。
     もう一つ、あたくしたちにとって有利なのは、央南連合の混乱に付け入ることができると言うこと。現体制において既に東部が離反し、残った西部も内部分裂しかかっています。ですが、あたくしと懇意にしているある人物が連合の中枢におり、しかもこの混乱を収められる策を有しております。
     そしてあたくしとその人物とで、密約をかわしております。彼が主席になった暁には、紅丹党を此度の戦いの旗頭にすると。
     即ちあたくしたちが、央南連合軍を率いる権限を手に入れられるのです」
     自信満々に、そして雄弁に展望を語る辰沙に、幹部たちは一様に賛辞を贈る。
    「素晴らしい!」
    「流石は先生だ!」
    「ふふ、それほどでも」
     取り巻く歓声に、辰沙はにこにこと笑って応えていた。



     三者三様の事情と感情がぶつかり、混ざり合いながら、央南は連合成立以来、最大の転換期を迎えつつあった。

    白猫夢・紅丹抄 終

    白猫夢・紅丹抄 7

    2015.05.15.[Edit]
    麒麟を巡る話、第526話。紅丹党の台頭。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 内部の問題にかまけ、白猫党に対して積極的な姿勢を執らない央南連合に対し、央南東部の者たちは次第に、連合に対して反感を覚え始めていた。「新聞読んだか?」「読んだけど、……笑っちゃうよな」「何がおかしいんだよ」「読み比べてみたんだけどさ、西部の橘喜新聞と東部の青東新報を。 橘喜の方もさ、確かに白猫党の奴らがどうだこうだって...

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    麒麟を巡る話、第527話。
    占領地懐柔。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     緒戦で紅丹党に出鼻をくじかれたものの、白猫党は東部主要都市を占領後、予定されていた通りに、次の行動を開始した。

    「つ、つまり?」
    《申し上げた通りです》
     青州の州都、青江。
     その街の主、ひいては青州の統治者である長浜氏は、連合の会議から本拠地に戻るなり、白猫党から通信機を渡され、話をしていた。
     会話の相手は勿論、白猫党の党首シエナである。
    《繰り返しになりますが、我々は何が何でも『我々の手で青州を統治したい』、などとは考えておりません。有識、かつ良識を持つ方が元々の領主であるならば、その方にこれまで通りに統治をお任せして然るべき、と考えております。
     そして我々が行った調査により、ナガハマ大人はその評価に値する方であるとの確証を得ております。であれば、これまで通りに統治権をお任せしたいと考えております》
    「そう、です、か」
     長浜は複雑な表情を浮かべつつ、シエナの言葉に聞き入っている。
    「しかし……、無論、何かしらの交換条件と言うか、見返りは要求されるのでしょう?」
    《ええ、ソレは無論》
    「……やはり」
     長浜は周りに並ぶ白猫党員を見渡し、ため息をつく。
    「はあ……」
    《如何されましたか?》
    「ため息も出ると言うものです。
     そもそもこうして街を襲い、占拠すると言う時点でまともな事態ではないと言うのに、その張本人であるあなた方から、取引めいた話を持ち掛けてくるとは。
     盗人猛々しいと言う他ありません」
    《ソレについては申し訳がない、……としか。とは言え、ソコまで非道を働いたつもりはありません。
     事実、我々は無抵抗の者を嬲ったり、抵抗した兵士を殺害したりと言うコトは一切しておりません。主要施設と街道の封鎖も行っていますが、大人ご自身が戻れる程度には、警戒を緩めておりますし。
     実際、今現在は何の苦労や代償もなく、お屋敷に戻られているでしょう?》
    「それは……、まあ」
    《ともかく交換条件については、次の通りです。
     まず第一、必須として、我々に恭順していただくこと。即ち、央南連合を脱退していただくことです》
    「何ですって?」
    《コレが成されなければ、統治権を認めるわけには参りません。
     ですが冷静に考えれば、コレは至極当たり前の話。町長が二人いては、街が治まるわけが無い。それと同じ話ですから。納得していただけますか?》
    「理解はできます。ですが納得はしかねます」
     長浜は依然として、表情を崩さない。
    「確かに長が二人では、どんな組織もまとまりはしないでしょう。
     仮に私があなた方と連合、両方に与せば、この青江と言う大都市ですら半年と経たず混乱をきたし、破綻してしまうのは目に見えたことです。その理屈は理解できます。
     ですが一方、あなた方に与せず、これまで通り連合に属しても、理屈は通る。違いますか?」
    《そうですね、理屈は。しかし安全性、そして誇りと正当性はどうでしょうか?》
    「どう言う意味です?」
    《我々が言うまでも無いコトですが、今回こうして、対外的な勢力によって襲撃を受けたにもかかわらず、あなた方はほとんど抵抗もできず、そして今でさえも、央南連合軍による奪還の動きは無い。この認識に誤りがありますか?》
    「無いです」
    《おかしい話ではないのですか?》
    「あなた方からそんな話をされることがですか?」
    《確かにまあ、ソコもおかしいと言えばおかしいですが、ソレは置いておいて下さい。問題はソコではありません。
     そう、最も問題なのはこうして襲われているにもかかわらず、『取り返す』と言う話が現実化しないコトです。橘喜新聞社を除く多くの報道機関が報せているように、連合は極端に消極的であり、奪還に動く気配は微塵も無い。
     ソレとも実は報道管制を敷いていて、連合は奪還の計画を練っている、とでも?》
    「それは、……いや、そんな話をあなた方にすることはできません」
    《隠さなくても結構です。実を言えば我々は連合に関する会議・会話をある程度、把握しております》
    「え……!?」
    《ですので先日の会議における央南東部陣からの要請、即ち奪還のために挙兵を要請したにもかかわらず、ああだこうだとタチバナ主席に言い訳をされ、結局は却下された。
     その辺りの事情は十分に存じております》
    「……」
     一転、長浜の顔は蒼白になる。それを見透かしているかのように、シエナが畳み掛けてきた。
    《そもそも、タチバナ氏が主席の座にいるコト。ソレ自体、ナガハマ大人は良しとはされていらっしゃらないのでは?》
    「う……っ」

    白猫夢・背談抄 1

    2015.05.17.[Edit]
    麒麟を巡る話、第527話。占領地懐柔。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 緒戦で紅丹党に出鼻をくじかれたものの、白猫党は東部主要都市を占領後、予定されていた通りに、次の行動を開始した。「つ、つまり?」《申し上げた通りです》 青州の州都、青江。 その街の主、ひいては青州の統治者である長浜氏は、連合の会議から本拠地に戻るなり、白猫党から通信機を渡され、話をしていた。 会話の相手は勿論、白猫党の党...

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    麒麟を巡る話、第528話。
    ねじ曲げられる規範。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     シエナの看破に対し、妙な声を漏らした長浜は口を抑える。
     しかしそんな動揺も、シエナは通信機越しに見透かしたらしい。
    《思っていない、……と言うコトは無いはずです。
     現状の連合はソレこそ、先程の『町長二人』の例えに近い状況でしょう? 組織のただ一人の長であるはずの主席の隣に、別の長がいるような状態。統治と言う面から考えれば、コレは異常な事態にあるのではないでしょうか。
     もっとはっきり言えば、主席は共に連合を担うべきあなた方を、まるで信用も信頼もしていない。単なる金ヅル、手駒、緩衝材と言う程度にしか考えていないはずです。そして今後もその扱いは変わらない。
     そしてもっと、もっと、はっきり言えば。タチバナがいる限りあなたは、いいえ、連合に属する誰もが未来永劫、主席にはなれない》
    「なん……っ」
     声を荒らげかけるが、長浜は再度口を抑え、黙り込む。
    《絶対になれるとは考えていないまでも、もしかしたら、とは思っていらっしゃったはず。しかしその仄かな目論見、可愛げある野心も、決して実りはしないのです。
     何故ならタチバナは、今後何年、何十年も、自分が主席であり続けようと画策しているからです》
    「まっ、……まさか」
     長浜の額から、ぽた、と汗が垂れる。
    《コレは適当に言っているワケでも、タチバナを無理に貶めようとしているワケでもありません。確証があって申しているコトです。
     大人、あなたも薄々とは感じていらっしゃったのでは?》
    「仮にそうだと、……いえ」
     何度も心中を看破されたためか、長浜は一旦言葉を濁しかけたが、やがて率直にうなずいた。
    「そうですね、もしかしたらそうではないか、……と言う思いは、ええ、あります」
    《素直になっていただけて、ほっとしています。であれば、根拠は申し上げるまでも無いようですね》
    「いえ、聞いておきたいところです。私個人としての予感はあっても、客観的で納得の行く根拠は持っていませんから」
    《では、申し上げましょう。
     現在、タチバナは既に主席を3期努めています。連合法やこれまでの慣習では、4選以降は禁止であり、3選以降は名誉職に退き、自分が元いた席には後任を立てる、とされています。
     ところが3選目にあり、そろそろ後任を立てねばと言う時期にあるはずのタチバナは、それらしい措置を何ら執っていません。主席の座に就くほど優秀な方が、何故何の用意もされていないのでしょうか》
    「それだけでは、ただの推測では……」
    《勿論、他にも根拠はあります。
     いわゆる同盟との『裏取引』問題の裏、彼女はその取引に関わった者たちをすべて調査・記録しています。その反面、彼女自身は取引に手を付けていない。何故だか分かりますか?》
    「潔癖だから、……では無いですよね」
    《自分の有する新聞社で世論操作を試みるような人間が潔癖だとは、私には思えませんね。ですが近いと言えます。潔癖なのではなく、潔癖に見せたいのです。
     つまり主席は、自分は責められず、かつ、他人を責められる立場に回りたいのです。言い換えれば……》
    「……恐喝、ですか」
    《そうでしょうね。機あれば『裏取引』を材料にゆすりを働き、己の要求を通すつもりなのでしょう。
     そう、その要求とは即ち、法改正。連合の規則を己の都合良いように捻じ曲げる際、彼らをそれに賛成させようと言う算段を整えているのでしょう。それが4選禁止の解除であろうと、終身制の採択であろうと》
    「しかし連合法は現在、幹部陣の過半数の賛成を得られなければ改正することはできません。私もすべてを知っているわけではありませんが、『裏取引』に関わっていた幹部はせいぜい、3分の1程度であると……」
    《ええ、最高幹部における30議席のうち12名、過半数には至りません。それだけでは改正など不可能。
     そこで同盟の力、です》
    「同盟総長である夫の政治権力を後ろ盾に、……力ずくで、ですか」

    白猫夢・背談抄 2

    2015.05.18.[Edit]
    麒麟を巡る話、第528話。ねじ曲げられる規範。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. シエナの看破に対し、妙な声を漏らした長浜は口を抑える。 しかしそんな動揺も、シエナは通信機越しに見透かしたらしい。《思っていない、……と言うコトは無いはずです。 現状の連合はソレこそ、先程の『町長二人』の例えに近い状況でしょう? 組織のただ一人の長であるはずの主席の隣に、別の長がいるような状態。統治と言う面から考...

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    麒麟を巡る話、第529話。
    連合崩壊。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     長浜の声には、最初にあった張りが失われている。シエナの言っていることを彼女自身、薄々勘付いていたのだろう。
    《実際、ここ数年はその傾向が強まりつつあったはずです》
    「ええ。そうです、確かに」
    《タチバナと、そして夫ナイジェルの企みだったのでしょう。
     連合の権力者たちに汚い金儲けをさせ、腐った利権で私腹を肥やさせ、そしてそれらを糾弾するコトで、連合を牛耳ろうとした。ですが連合の誰もが薄々とこのからくり、罠に勘付いていながら、しかしソレを主だって指摘することはできなかった。
     ソレは結局のところ、タチバナに同盟と言う後ろ盾があり、あなた方には無かったコト。ソレに尽きるのではないですか?》
    「……だからあなた方へ付き、同盟に反抗しろと?」
     強張った声で尋ねた長浜に、シエナはやんわりとした声で返す。
    《戦おうと、戦うまいと、どちらでも構いません。
     私たちは間違いなく、連合と戦うつもりです。しかし私たちと手を組むあなた方にまで、ソレを強制などはしません》
    「と言うと、つまり?」
    《そのままです。我々に協力するからと言って、そのまま白猫党の傘下になれと言う話ではありません。言うなれば協力、業務提携です。
     我々は連合と戦い、最終的に彼らの持つ全権力を奪取する。あなた方は私たちからソレを借り受ける代わりに、我々に物資を供給するコトを約束する。
     取引としては極めて健全、公正なものと思われますが、如何でしょうか?》
    「そんな都合のいい……」
    《ええ、都合のいい話です。あなた方にとっても、そして私たちにとっても。
     考えても見て下さい。私たちの本拠地は央北にあります。コレは物理的に、あまりに遠い距離。私たちが直接統治しようものなら、コレはもう、目隠しした状態で人形劇をするようなもの。ミスによる嘲笑こそ誘えど、狙い通りの芸を見せて感動させるコトなど、とてもとても。
     そしてもう一方、今現在の問題として、兵站(へいたん)面での問題もあります。繰り返しますが、あまりに遠すぎるために、物資の供給や兵士・党員の治療や保養も、十分な水準にはありません。
     その問題を解決する最良の方法は、あなた方からの協力を得るコト。今は物資を補給し、そしてゆくゆくは『新たな央南連合』の一員として、我々と協力関係を築いてもらう。
     あなた方にお願いするのは、そんな簡単なお話です》
    「……」
     長浜はすぐには答えず、沈黙が流れる。
     そして1分か、2分か経って――長浜は乾いた声で答えた。
    「……どの道、今の連合には疑念と嫌悪感しか抱きません。連合の体制が清浄になると言うなら、願ってもない話です。
     分かりました。青江は連合を脱し、あなた方に協力いたします」
    《ありがとうございます》
     間を置かず、シエナの嬉しそうな声が返って来た。



     長浜女史に打診したこの話同様、白猫党はこれまでのように各都市を占領後、そのまま既存の政治権力を抑え込むようなことをせず、「後方支援を白猫党に行う代わり、後に白猫党が央南連合より統治権を剥奪した時、これを貸与される」と言う条件の下、東部各地の権力者たちと相互協力の関係構築を申し出ていた。
     元より現在の央南連合に嫌気が差していた東部陣の面々は、ことごとく白猫党と協力を結び――結果、央南連合から青州、翠州、白州の東部3州が脱退することとなり、2世紀以上続いてきた央南の統治体制が崩壊した。
     これにより連合の支配圏、ひいては経済圏が大幅に縮小することとなり、玄銭は著しい大暴落を記録。それを皮切りに、白猫党が事前に予想していた数々の混乱・凋落が、央南連合に次々と表れた。

     そしてこれは、ある面においては非常に小さな、しかし別の面では国際的に大きな影響のある問題を発生させた。
     連合主席である橘飛鳥と、同盟総長である春司・ナイジェルの不和である。

    白猫夢・背談抄 3

    2015.05.19.[Edit]
    麒麟を巡る話、第529話。連合崩壊。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 長浜の声には、最初にあった張りが失われている。シエナの言っていることを彼女自身、薄々勘付いていたのだろう。《実際、ここ数年はその傾向が強まりつつあったはずです》「ええ。そうです、確かに」《タチバナと、そして夫ナイジェルの企みだったのでしょう。 連合の権力者たちに汚い金儲けをさせ、腐った利権で私腹を肥やさせ、そしてそれらを...

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    麒麟を巡る話、第530話。
    央南を巻き込む夫婦喧嘩。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    《いい加減にしてよッ!》
     電話口からキンキンと聞こえてくる怒鳴り声に顔をしかめつつ、春司は弁解しようとする。
    「確かに君の怒りは分かる。僕だって現在の状況を鑑みるに、憤懣やるかたないと言うしか……」《ゴチャゴチャうるさいッ! 要は来るのか来ないのかって言ってんのよ!》
     しかし飛鳥は相当頭にきているらしく、春司の言葉を遮ってくる。
    「行くよ、行くつもりだって。でも前回はさ、白猫党に邪魔されちゃったし。だから今度は王国から兵士を連れて、強行突破するつもりさ」
    《ソレ、いつの話になんのよ?》
    「そんなに待たせないさ。今ちょっと、王国との交渉が長引いてるけど、一両日中、遅くてももう一日プラスくらいでまとめる。
     まとまり次第すぐ、出発するよ。大丈夫、白猫党だろうが何だろうが、王国の装備なら蹴散らせてしまえる」
    《いつ着くの?》
    「首尾よく行けば軍用の高速艇も借りられるだろう。そうなれば1週間もかからない。全部合わせて10日ってところだろう」
    《アンタって毎度毎度そうよね》
     と、飛鳥の刺々しい声が返って来る。
    《楽観的推測をさも当然起こるように言うわよね? 上手くいかないコトだってあるでしょ?
     もし王国との交渉がまとまんなかったら? もし高速艇が借りられなかったら? もし、白猫党に王国軍も負けたら? アンタ、来られるの?》
    「心配性だな。僕が交渉事で失敗するようなことは、今まで無かった。そうだろ?」
    《よしんば交渉がまとまるとしても、ソレがアンタの狙い通り、2日や3日でまとまる保証は無いわ。ソレとも確証があるの?》
    「あるとも。僕は王国、それも議会をはじめとする政界に対し、豊富なコネクションを有している。それを利用すれば、どんな願いだって――まあ、流石に『僕を王にしろ』と言うのは無理だけど、それ以外なら――叶う。
     王国は実質、僕が牛耳っているようなものさ」
    《大した自信家ね。じゃあもう一つの、王国軍が白猫党に勝つ保証は?》
    「確かに白猫党のここ数年の勢いは、圧倒的な軍事力に寄るところが大きい。名だたる先進国が敗北していることを考えても、相当な実力を持っていることは否めない。
     だけど王国だって、軍事技術に関しては最先端を行く。白猫党に一方的にやられるようなことは、まず無いさ。どれほど最悪でも、上陸できないなんてことは絶対ありえない」
    《……》
     飛鳥からの応答が切れる。
    「まだ不安?」
    《不安よ》
     返って来た声には、未だ苛立ちの色が抜けていない。
    《白猫党に対しての具体的対策が、まるで見えてこないじゃん。『王国は強いんだから誰にも負けたりしない』って、そんなの雪国でぬくぬく過ごしてるアンタの、一方的な理想や希望でしょ?
     教えなさいよ。アンタはどうやって、白猫党の海上封鎖を破るつもりなのよ?》
    「それこそ、それは交渉が実ってからの話だよ。今あれこれ考えても、現実に則したものになるかどうかはまだ分からないからね。
     その話は最低限、交渉が実り、南下するための陣容が定まってからじゃなきゃ」
    《……》
     再び、飛鳥の応答が途絶える。
    「それより、君に頼んでた件はどうなったのかな」
    《……》
    「ほら、『桜切り』の話。僕が到着してすぐ、取り掛かりたいくらいなんだけど。行けそう?」
    《……ざけんな》
    「え?」
     次の瞬間、飛鳥の怒鳴り声が電話機の容量を超え、ビリビリと音割れして轟いてきた。
    《ふざけんなって言ってんのよおおおおーッ!》
    「……っ、な、なんだよっ、急に」
    《いっこも現実的なコトを言いもしないで、あたしにアレやれコレしろって偉そうに命令して、何様のつもりよッ!?
     アンタ、マジで王様にでもなったつもりなの!? あたしを何だと思ってんのよ!?》
     薄々、飛鳥自身も春司が自分を見下していたことを感じていたのだろう――その叫びに近い怒鳴り声には、夫に対する嫌悪感がにじんでいた。
    《あたしはアンタの何!? 奴隷とでも思ってんの!? アンタから全然、あたしと対等だって考えが伝わんない! 命令、命令、命令! 全部命令ばっかり!
     もういい! アンタと話なんかしてらんない! 勝手にやらせてもらうわッ!》
    「飛鳥? ちょっと、飛鳥!? ねえ、ねえって!」



    「……くっ」
     この会話を傍受していたシエナは、口に手を当てつつ、肩をプルプルと震わせる。しかしやがて我慢しきれなくなったらしく、大笑いし始めた。
    「あっは、……はは、あははははっ、ば、バカ、……っひ、ひはは、バカじゃない、コイツ、くっく、く、ふっ、あはははははっ」
    「何と言うか……、まあ、総裁御自らの重要な仕事とは言え……」
    「あはは……、ええ、言いたいコトは分かるわよ。確かに趣味が悪いわね、こんなコトで笑っちゃうって言うのも。
     でも、本当、バカ過ぎて、……ぷぷっ」
     シエナとともに会話を聞いていたトレッドは、肩をすくめる。
    「その点については、一部同意せざるを得ませんな。
     ナイジェル卿の隙と言うか急所と言うか、弱点が今の会話に凝縮されていたこと。確かに失笑を禁じえません」
    「でしょう? ……さてと、ココからが裏工作の動かしどころよ。
     気を取り直して、仕掛けてもらうとしましょうか」
     シエナは爆笑でにじみ出た涙を拭きながら、電話の受話器を手に取った。

    白猫夢・背談抄 4

    2015.05.20.[Edit]
    麒麟を巡る話、第530話。央南を巻き込む夫婦喧嘩。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.《いい加減にしてよッ!》 電話口からキンキンと聞こえてくる怒鳴り声に顔をしかめつつ、春司は弁解しようとする。「確かに君の怒りは分かる。僕だって現在の状況を鑑みるに、憤懣やるかたないと言うしか……」《ゴチャゴチャうるさいッ! 要は来るのか来ないのかって言ってんのよ!》 しかし飛鳥は相当頭にきているらしく、春司の言...

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    麒麟を巡る話、第531話。
    春司、孤立。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     春司が「自分の思い通りに事が運ぶ」と高をくくっていた王国首脳陣との交渉は、結果的に言えば失敗に終わった。
     彼が動き出す前に、白猫党がそれら首脳陣に対して、工作を仕掛けていたからである。

    「君の要請は却下だ」
    「いやいや、そんなことを仰らずに」
     国王ですら言うことを聞かせられると侮っている春司は、笑みを浮かべて主張する。
    「これは王国にとって利、意味のある行為です。
     同盟の片翼である央南連合を助け、恩を売っておくことで、同盟における王国の、今後の立場を向上させることにつながります。今は内輪もめし、分裂・破断の危機にあるとは言え、それは白猫党からの干渉によるもの。
     我々が白猫党を駆逐し、央南を元の状況に戻せば、分裂している意義を失い、元の結束を取り戻すことは明白。その時には我々は、混乱の渦中にあった央南を再統一させた立役者として高く評価され、混乱以前よりもっと良いパートナーとして……」「だから参戦せよと言うのか?」
     べらべらとまくしたてる春司をさえぎり、王国のカートマン首相は首を大きく横に振る。
    「なるほど、確かに今は央南連合は同盟の片翼、同盟の大部分を占める要所だ。だが君の言う通り、今は混乱に飲み込まれ、崩れ去ろうとしているのが目に見えている」
    「そうでしょう? そこを救って……」
    「だが結局は対岸の火事、そして彼らの自業自得であることも事実だ。いくら同盟と言うものがあるとは言え、これは過度の内政干渉、国際面から見ても不必要な横槍でしか無い。
     これは私一人の意見では無い。内閣閣僚の総意であり、そして陛下のお気持ちでもあるのだ。無闇に救え救えと主張しているのは結局、君一人なのだ」
    「いやいや、私だけでは……」
     否定しようとした春司に、首相は一通の手紙を差し出す。
    「陛下からのお達しだ。『今後一切、シュンジ・ナイジェル卿の意見を排すべし』と言う内容のものだ」
    「……は?」
     そんなことを言われるどは思ってもいなかったのだろう――春司は何を言っているのか分からないと言いたげな、ぽかんとした顔になった。
    「我々はある筋よりナイジェル卿、君が央南侵攻を目論んでいることを伺っている。
     君のこれまでの、同盟と央南連合に関する発言および行動を鑑みるに、その意思があることはあまりにも明白、疑いようが無いのだ。
     我々は央南を自分たちの支配下に置こう、などと言う荒唐無稽なことは考えもしていない。そんなことをする意義も無い」
    「意義はありま、……い、いや」
     これまでのように、春司はとっさに首相の意見を否定しようとする。だがそれは自分の野心を肯定することにつながる。
     慌てて口をつぐんだが、時既に遅かった。
    「馬脚を現したな、ナイジェル卿」
    「……っ」
    「君のとんでもない目論見は既に明らかとなったし、君と話をする理由は無くなったが、あえて、我々の主張を続けようか。
     確かに政治・経済面において、我々は今現在、大きな危機を迎えている。すべては同盟内で行われた『裏取引』のためだ。この一件において潔白を証明できないがために、我々は諸外国との取引をことごとく停止させられ、残るは央南連合とのパイプだけと言う、極めて危うい状況にある。
     そう、その点が大いに問題なのだ。我々の顔に泥を塗った同盟に参加し続ける意味など、最早無い。潔く脱退すると共に『裏取引』に関わった者を一掃し、我々の潔白を広く知らしめることが最善であると考えている。
     ところが唯一、君だけが強固に同盟存続、連合への介入を主張し続けていた。その主張を、君はあれやこれやと理屈を並べ立て、まるで最善の策、それどころか公然の事実であるかのようにつくろってはいたが、君のの立場に焦点を当てて考え直せば、これは結局、君の私利私欲から来ている話であることは、やはり疑いようが無いのだ」
    「……」
     春司の額に、汗が浮き出ている。
     それまでとは打って変わって一言も発さなくなった春司の背後に、官吏が2名、そっと佇む。
     それを受けて、カートマン首相は春司に言い放った。
    「シュンジ・ナイジェル卿。たった今を以って貴君は、外務大臣の任を解く。その他、王室政府において就いていた要職に関しても、すべて更迭・罷免する。
     貴様のような卑劣漢に、これ以上寄生はさせん」
     春司は官吏に両脇を固められ、そのまま部屋の外へと引きずられた。



     その後のジーン王国の行動は、非常に素早かった。
     春司が更迭されるや否や、「裏取引」に関わっていた国内の人間をすべて検挙し、軒並み厳罰を加えると共に、西大海洋同盟からの脱退を発表。
     これにより、国際的な評価は若干ながらも回復。停止していた貿易網の3割が復活し、王国はどうにか窮地からの脱出の、足がかりを得ることとなった。

     一方、春司は王国とのパイプを全て断たれ、残った地位は西大海洋同盟の総長だけとなった。しかし既に主要国がことごとく脱退しており、残る加盟者は、転落の渦中にある央南連合のみである。
     最早「裸の王様」でしか無くなった春司は――大臣更迭から間もなく、失踪した。

    白猫夢・背談抄 5

    2015.05.21.[Edit]
    麒麟を巡る話、第531話。春司、孤立。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 春司が「自分の思い通りに事が運ぶ」と高をくくっていた王国首脳陣との交渉は、結果的に言えば失敗に終わった。 彼が動き出す前に、白猫党がそれら首脳陣に対して、工作を仕掛けていたからである。「君の要請は却下だ」「いやいや、そんなことを仰らずに」 国王ですら言うことを聞かせられると侮っている春司は、笑みを浮かべて主張する。「こ...

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    麒麟を巡る話、第532話。
    極秘電話会談。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     春司自身にとっては青天の霹靂としか思えなかったであろうこの更迭劇も、実は数週間前――白猫党が央南東部へ侵攻する前から、入念に工作された結果であった。
    「裏取引」問題が表面化し、ジーン王国が糾弾された直後、シエナをはじめとする白猫党の幹部陣は密かに、王国と連絡を取っていたのだ。

    《今度は我々を侵攻の標的にする、……と言うことでしょうか?》
     重い口調でそう尋ねたカートマン首相に、シエナも堅めの口調で返す。
    「今後の、あなた方の対応次第です」
    《対応、……交換条件と言うことでしょうか》
    「そう言う見方もできます。しかし丸っきり、取引と言う話でもありません。具体的に、我々に対して何かをしろと言う話ではないですし」
    《どう言う意味です?》
     首相の声が、けげんなものになる。
    「一つ一つ要素を確かめていけば、結局は単純な話です。
     まず第一、我々が現在標的にしているのは、中枢の不正が明るみになり、人民の信頼を急速に失いつつある央南連合です。
     反面、あなた方の中にもその不正に加担した者はいますが、ソレはごく少数であり、決して王国の屋台骨から腐っている、と言うような事態には至っていない、……と言うコトも把握しております。
     つまり『腐敗・堕落した支配層を打倒する』コトを党是・目標とする我々があなた方を標的にする可能性は、現時点においては極めて少ないのです」
    《……ふむ》
    「第二に、今は混乱の渦中にあるとは言え、このまま央南連合を相手にすれば、かなりの抵抗を受けるおそれがあります。
     西大海洋同盟と言う協力関係、縛りがある以上、連合が攻撃を受ければ、王国は手を貸さざるを得ないでしょう?」
    《ええ、そうなります》
    「はっきり申し上げれば、ソレはあなた方にとって無駄な出費以外の何物でもないのでは?」
    《本当にはっきり申しますな。……これは私見ですが》
    「ええ、存じております」
    《確かに貴君が仰るように、連合の紛糾は対岸の火事もいいところ。そこへわざわざ兵を派遣することは、我々にとっては取引相手の維持以外に、大した意味は無いでしょうな》
    「その取引も、ケチが付いているはずです。正直、今後の関係も見直さねばならないとお考えでは?」
    《確かに。今後また、彼らとの関係において後ろめたい状況が発生することも、十分に考えられますからな》
    「我々にとっては敵の強大化につながり、あなた方にとっては遠慮したい出動。となれば双方の思惑が一致するコトになります」
    《なるほど。つまりあなた方が央南への侵攻を開始する際、我々に動かないでほしい、と》
    「そう言うコトです」
    《確かに『何かをしろ』と言う話ではないですな。しかし……》
     シエナの申し出に対し、首相は渋る様子を見せる。
    《現在、我が国の重鎮であるナイジェル卿が、それを容認するかどうか。
     彼は同盟の総長であり、央南の血を引いている。連合が危機に見舞われたとなれば、強固に援護を主張するでしょう》
    「ソレについて、第三の要素ですが。
     コレは私たちとあなただけの秘密にしていただきたいのですが――我々は現在、ナイジェル卿と、その妻であり連合主席であるタチバナ氏とのホットラインを、秘密裏に傍受しています」
    《なんと》
    「そしてその内容から、彼がかなり危険な思想を抱いているコトを突き止めています。
     ナイジェル卿はタチバナ主席と共謀し、央南を王国の支配下に、……いいえ、『自分の』支配下に置こうと画策しているのです」
    《馬鹿な!》
    「証拠があります。先程お伝えした会話の傍受内容を録音しており、その中で何度も言及されています。
     また、『桜の伐採』と称して、焔紅王国を侵略する計画も、かなり入念に練っています。このまま彼の言うコトに従えば、いずれ『裏取引』以上の暴挙に出るであろうコトは、目に見えています」
    《むう……》
    「そうでなくとも、彼はタチバナ主席との会話において『自分の思い通りにならないことなど何一つ無い』『王でさえもひざまずかせられる』と放言しています。
     まあ、ソレだけなら思い上がりと一笑に付すコトもできますが、彼には実際、その力があります。このまま彼を放っておけば、その言葉通りの事態を招きかねないと思うのですが」
    《確かに……、否定はできかねますな》
    「そこで、協力です」
     シエナはにやりと笑みを浮かべながら、こんな提案をした。
    「彼の権力の根源は、西大海洋同盟にあります。しかし『裏取引』の発覚により、同盟からは加盟国が次々と撤退しています。即ち今、同盟の力は弱まっているのです。
     今こそ、ナイジェル卿を排除する絶好の機会です。むしろ今排除しなければ、彼は必ず何らかの形で、勢力を盛り返すでしょう。
     彼は紛れも無く智者であり、多少不利な形勢でも覆しうる力を持った巨魁です。となればこの機に乗じ、徹底的に彼から逆転の機会を奪わなければ、彼を止めるコトは不可能でしょう。
     幸い、我々には彼を2週間は身動きできなくさせる策があります。その後はあなた方で、彼の動きを止められるように取り計らった下さい」
    《……分かりました。ご厚意に感謝いたします》



     そしてシエナが予告した通り、春司はこの極秘会談の後、央南上陸を阻まれて西大海洋上で立ち往生。
     その間隙を縫うように、王国側も北方における春司の牙城を崩すべく動いた。

     白猫党と王国の密かな企みは、春司の落魄と失踪と言う結果を以って、実を結んだ。

    白猫夢・背談抄 6

    2015.05.22.[Edit]
    麒麟を巡る話、第532話。極秘電話会談。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 春司自身にとっては青天の霹靂としか思えなかったであろうこの更迭劇も、実は数週間前――白猫党が央南東部へ侵攻する前から、入念に工作された結果であった。「裏取引」問題が表面化し、ジーン王国が糾弾された直後、シエナをはじめとする白猫党の幹部陣は密かに、王国と連絡を取っていたのだ。《今度は我々を侵攻の標的にする、……と言うことで...

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    麒麟を巡る話、第533話。
    飛鳥失脚、そして……。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     春司の失踪は、一時彼を疎んじた飛鳥にとっても、致命的な痛手となった。
    「橘主席!? これは一体、何なのですか!?」
    「な、何がでしょうか?」
     飛鳥は平静を装って応じるが、その声は浮ついており、視線も定まらない。
    「東部陣営が白猫党に寝返った今、我々が行うべきは制裁! しかし主席のこの案は、奪還にしか言及されていないではないですか!
     状況はとっくに変わっているのです! 主席、あなたはこの数週間、何を聞いていらっしゃったのですか!?」
    「あ……、いえ、その、……その」
     弁解もままならず、飛鳥はうつむいてしまう。
     既にこの時、飛鳥は精神的に相当参っており、まともな思考ができるような状況ではなかったが、周囲は容赦なく飛鳥を突き回してくる。
    「その……、その……」
     会議を二回、三回と繰り返す内に、飛鳥は目に見えて衰弱していった。

     そして574年の半ば、心労を募らせた橘飛鳥はついに倒れ、そのまま主席の座から離れることとなった。
     ちなみに彼女は後任を立てていなかったため、橘家、そして橘家に近しい者は連合の中枢に入ることができず、連合に関する利権を失った。



     そして橘飛鳥の失脚後、連合は次の主席を立てるべく、新たに会議を催すこととなった。
    「立候補される方はいらっしゃいますか?」
    「……」
    「……」
     だが、議長の言葉に手を挙げる者は現れない。国際的に信用を問われ、白猫党が迫る今、この席に就けばその責を一手に問われることになるからだ。
     と――薄桃色の毛並みをした、30代半ば辺りの狐獣人が手を挙げる。
    「天原さん、あなたが?」
    「ええ」
     手を挙げた彼自身もその懸念を抱いているのだろう。挙手したものの、その目にはわずかに迷いが見て取れる。
     しかしその口からは、毅然とした声が発せられた。
    「誰かがやらねばならぬこと。誰もやらないのであれば、私がやりましょう。
     私が一連の問題に対し、可能な限りの収拾を付けます」
    「策はあるのですか?」
     尋ねた一人に、天原と呼ばれた狐獣人は小さくうなずいた。
    「十全とは言えませんが、有効と思われるものはいくつか。
     私の情報網によれば、既に北方における『裏取引』関係者は、すべて処分されているとのことです。一方、連合に残る方々の中に未だ責任を果たさず、罰も受けていない方がいることは事実です。
     とは言え今、それをどうのこうのと取り沙汰しては、まとまるものもまとまらないでしょう。何より避けなければならないのは、白猫党と戦う前に我々が分裂し、攻撃も防衛もできなくなってしまうことです。
     ついてはこの問題を、期限付きで不問とすることを提案します」
     天原の発言に、場は騒然となる。
    「そんなことが許されるものか!」
    「責任を問わず、のうのうと過ごさせると!?」
    「ですから期限付きです。私とて、不義や不正に対し何の罰も与えず、与えられずでは、納得が行くはずも無い。
     しかし重ねて申し上げますが、我々がバラバラになってしまうことは、白猫党にとっては思う壺。連合と言う巨岩を受け止めることは困難ですが、それが分裂・分断して小石となった時、白猫党がそれを脅威だなどと思うことはありえません。
     それは白猫党の基本戦略なのです。強い敵はまず、弱らせる。巨大な敵はまず、小分けにする。白猫党の常勝無敗の秘密は、最新鋭の兵器にあるのでも、ましてや『預言』などと言う怪奇にあるのでもない。『強大を弱小に変える』と言う作戦、これにこそあるのです。
     であれば、どんな理由であれ分裂することは、結果的に連合の敗北、ひいては央南全土の敗北につながります。その分裂の阻止。これを第一に考えねばなりません」

    白猫夢・背談抄 7

    2015.05.23.[Edit]
    麒麟を巡る話、第533話。飛鳥失脚、そして……。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 春司の失踪は、一時彼を疎んじた飛鳥にとっても、致命的な痛手となった。「橘主席!? これは一体、何なのですか!?」「な、何がでしょうか?」 飛鳥は平静を装って応じるが、その声は浮ついており、視線も定まらない。「東部陣営が白猫党に寝返った今、我々が行うべきは制裁! しかし主席のこの案は、奪還にしか言及されていないで...

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    麒麟を巡る話、第534話。
    央南の内乱、ふたたび。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     未だ納得の行かなさそうな面々に、天原は続けてこう主張する。
    「ともかく眼前にある問題を片付け次第、『裏取引』について徹底的に関係者を洗い出し、糾弾することを提案します。
     まず第一に、白猫党と戦う姿勢を整えること。それが最優先であることは、皆さんも納得していただけると思われますが、如何でしょうか」
    「……」
    「……むう」
    「仕方無いか」
     天原の意見に、皆が渋々同意する。
     しかし一方で、安堵したような空気もほのかに漂っている。それは間違いなく「裏取引」に加担していた者たちが発したものである。
     それを感じてか、天原の狐耳がピク、と動く。
    「同意していただけて何よりです。
     では2つ目の策について説明します。『紅丹党』と名乗る者たちについて、うわさなり何なりを耳にした方はいらっしゃるでしょうか?」
    「くたん……区担当?」
    「いや、知らないな」
    「聞いたことがあるような……」
    「確か唯一、白猫党を追い返したと」
     天原はうなずき、さらに言及する。
    「そう、その彼らです。いや、彼女らと言うべきか」
    「彼女ら?」
     尋ねられ、天原はこう返した。
    「実を申しますと、その紅丹党を率いているのは私の妹なのです」
    「ほう?」
    「現在、央南に陣取っている白猫党に唯一、対抗しうる戦力です。
     彼女らと央南連合軍、そして州軍およびあなた方が有する私兵を合わせれば、私は白猫党を央南から完全に一掃することすら可能であると、確信しております。
     私を主席に推薦・任命していただければ、私はきっと、央南全土を我々の手に取り戻すことができると、確約いたします」
     自信満々に宣言した天原に強い信頼感を抱いたらしく、賛成多数で彼が新たな主席となることが決定した。



    「兄上から連絡がありました」
     大月、紅丹党本部。
     辰沙は同志を集め、央南連合で決定した内容を伝えていた、
    「既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、あたくしの兄、天原柏は央南連合における最高幹部の一人です。
     その兄が本日、央南連合の主席に就任いたしました」
    「重畳!」
    「天原家、万歳!」
    「おめでとうございます!」
     一同に頭を下げられ、辰沙はにこにこと笑う。
    「ありがとう。ですが本題は、ここからです。
     兄上によれば、近いうちに西部各州の州軍と央南連合軍が合同で、この大月に集結するとのことです。
     つまり彼らは、あたくしたちと共に戦うことになります。無論、あたくしたちを旗頭にして」
    「おおっ……!」
     この発表に、同志たちがどよめく。
    「兵の総数は?」
    「まだはっきりと確定してはおりませんが、最低でも10万とのことです。対する白猫党は、どんなに多くとも2万以下であると推察されます。
     もっとも、白猫党が増援を送る可能性もありますけれど、彼らの本拠地は遠い央北の地。到着には時間がかかります。どれほど早くとも、2週間以上は必須。それよりあたくしたちが攻め込む方が、圧倒的に早いはずです。
     後は首尾よく兄、いいえ、天原主席が兵をこの大月に送ってくれれば、あたくしたちの白猫党駆逐は現実のものとなるでしょう」
     これを聞くなり、同志たちが騒ぎ出す。
    「なんと心躍ることか!」
    「我々がたのみにされているとは……!」
    「冥利に尽きる……!」
     彼らの反応に気を良くしたのか、辰沙も饒舌になる。
    「ここがあたくしたちの転換点となるでしょう。これまで不当な扱いを受けてきたあたくしたち焔流の剣士たち、そして様々な理由で冷遇されてきた兵卒の皆さん。
     それが今、白猫党駆逐の急先鋒、要の戦力として期待されております。そして実際に駆逐すれば、あたくしたちは英雄として絶大な賞賛を受けるのです」
    「うおおっ……!」
    「勝つっ……! 絶対勝つぞっ……!」
    「見返してやるっ……!」
     同志たちの中には、涙を流す者さえいる。
     そんな彼らを、辰沙は依然にこにこと笑みを浮かべ、どこか嬉しそうに眺めていた。

    白猫夢・背談抄 終

    白猫夢・背談抄 8

    2015.05.24.[Edit]
    麒麟を巡る話、第534話。央南の内乱、ふたたび。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 未だ納得の行かなさそうな面々に、天原は続けてこう主張する。「ともかく眼前にある問題を片付け次第、『裏取引』について徹底的に関係者を洗い出し、糾弾することを提案します。 まず第一に、白猫党と戦う姿勢を整えること。それが最優先であることは、皆さんも納得していただけると思われますが、如何でしょうか」「……」「……むう」...

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    麒麟を巡る話、第535話。
    兄妹の冷たい会話。

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    1.
     双月暦574年6月末。
     新主席天原の指示の下、央南連合下の各州軍と央南連合軍による混成軍が、玄州の北東端の街、大月に到着した。
    「ようこそおいで下さいました」
     大軍を伴って現れた自分の兄、天原柏に、辰沙はにこにこと笑って挨拶する。
    「元気そうで何よりだ。一時期のお前と言ったら、本当にどうしようもなく……」「昔のことですわ」
     兄の話を遮り、辰沙が尋ねる。
    「それでお兄さま、詳しいことについては結局、電話でほとんどご連絡下さらなかったけれど、どれくらいの規模でお越しになられたのかしら?」
    「兵の数は約12万だ。それに加え、西方随一の豪商、黄商会から多数の武器供与を受けている。銃器や刀剣類は言うに及ばず、かなりの数の戦術兵器と軍用車輌、さらに軍艦も借り受けることができた」
     話しながら、柏と辰沙は紅丹党の本部へ向かって歩き出す。
    「これなら白猫党の軍事力に対抗、いいや、凌駕することさえ可能だろう。
     事実、お前たちがこの街を奪還した際に鹵獲した武器と黄商会のものとを比較してみたが、後者のものがより高威力、かつ高精度だった。
     恐らく彼らが央北で戦っていた頃から、ほとんど改良を行っていないのだろう」
    「央北での戦争は567年のこと。もう7年も前ですから、陳腐化していてもおかしくないですものね」
    「そう言うことだ。一方の黄商会は積極的に貿易を行い、西方や央中の技術も少なからず供与され、柔軟に吸収している。言い換えれば技術を磨く機会に恵まれていたわけだ。
     だが他方、白猫党にそうした機会が訪れたことは、結党以来一度も無い。何故なら『現状の装備で攻略できない』と言うような、強大な相手に出くわさなかったがために、技術向上の必要も無かったからだ。となれば必然、改良するような理由もなく、白猫党の幹部や軍司令は7年前の装備のままで問題ない、……と考えるだろう。
     当然の帰結として、装備の陳腐化は免れない。白猫党は己の優位に甘え過ぎた、と言うわけだ」
    「確かにそれは感じられますわね。あたくしたちが戦った時も、最初のうちは侮ってらっしゃる雰囲気がぷんぷんと臭っておりましたもの。
     それが驚愕、そして恐怖へと変わった時の表情と言ったら、もう……」
     にこにこと笑う辰沙を、柏が咎める。
    「人に向けられる顔になっていないぞ。上流階級の人間がする顔ではない」
    「あら、ごめん遊ばせ」
    「たった今、白猫党を『己の優位に』云々と言ったが、それは今のお前も同じだ。たった一度、白猫党に勝ったからと言って、次も同様に勝利するとは限らん。
     むしろ次に敗北するようなことがあれば、お前たちは二度と立ち直れんだろう」
    「……」
     辰沙の笑みが消える。
    「考えてもみろ。所詮、お前が集めた紅丹党とやらは烏合の衆、寄せ集めの野武士風情に過ぎんのだ。
     お前たちに今集まっている期待と信頼は、白猫党に勝利したからこそ得られたものだ。それが負けるようなことがあれば、その勝利もただの偶然、身の丈に合わぬ幸運が降っただけと見なされ、元の野武士に逆戻りだ。
     くれぐれも油断はするな」
    「十分承知しておりますわ」
     辰沙は不機嫌そうな目で、柏をにらむ。
    「あたくし、敗北の苦しみは嫌と言うほど味わっておりますの。お兄さまに言われずとも、あのような苦杯を何度も喫する気は毛頭ございませんわ。
     あたくしには勝利しかふさわしくありません」
    「慢心するなと今言ったばかりだが」
    「これは慢心ではございません。根拠のある自信です」
    「どうだかな」
     肩をすくめた柏に、辰沙はフンと鼻を鳴らす。
    「お兄さまはこの30余年、ずっとあたくしのことを役立たずのゴミ扱いしていらっしゃいましたけれど、今度ばかりはその評価、撤回させてあげますわ。
     あたくしと、そしてあたくしの率いる紅丹党の活躍。とくとご覧遊ばせ」
     そう言い放ち、辰沙は柏を置いてスタスタと歩き去ってしまった。
    「……あいつと来たら。兄とは言え、今回は連合主席として訪れたのだがな。
     それを放っておくとは、やはりろくでなしのゴミだ」
     往来にぽつんと取り残された柏は、悪態をつきながら、彼女の跡を追っていった。

    白猫夢・紅白抄 1

    2015.05.26.[Edit]
    麒麟を巡る話、第535話。兄妹の冷たい会話。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 双月暦574年6月末。 新主席天原の指示の下、央南連合下の各州軍と央南連合軍による混成軍が、玄州の北東端の街、大月に到着した。「ようこそおいで下さいました」 大軍を伴って現れた自分の兄、天原柏に、辰沙はにこにこと笑って挨拶する。「元気そうで何よりだ。一時期のお前と言ったら、本当にどうしようもなく……」「昔のことです...

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