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黄輪雑貨本店 新館

緑綺星 第4部

黄輪雑貨本店のブログページです。 小説や待受画像、他ドット絵を掲載しています。 よろしくです(*゚ー゚)ノ

    Index ~作品もくじ~

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    シュウの話、第109話。
    地の底から湧き上がるもの。

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    1.
     いろんな きおくが まざりあう……



     ……おれは……

     ……おれは……俺は闘技場の人気選手で……あの頂上決戦……市国の人気者だ……

     ……市国には……武者修行に来て……元々は……焔流……修行……教団の……あれ……

     ……闘技場なんて行きたくない……怖い……殴らないで……痛い……やめて……

     ……痛い……ドクター……もう無理です……痛い……熱い……

     ……寒いよ……暗い……

     ……いやだ……

     ……っ……



     地の底の、さらに底。元々は人間だった何かたちがその闇の中に集められ、ありとあらゆる暴力と理不尽を味わわされた末、重なり合うようにして死んでいった。その地獄の中で、意識は――何らかの作用で脳細胞だけが生きていたのか、それとも魂と呼ぶのか、それは分からないが――一つに混ざり、様々な夢を見ていた。
     その内に――誰もいない地の底であるため、何が起こったのかは定かではないが――その残骸の中から、2つの塊が現れた。骸たちの中に埋もれていた、半人半人形の死骸を核として。
    「……」
     生まれ落ちたその瞬間から、両者とも本能的に直感した。目の前にいるのは自分の半身であり、そして己が人ならざる者であることを、己以外に唯一知るモノであることを。
    「……!」
     片方は追った。己を人ではないと証明する存在を消し、己を人と思い込むために。
    「……っ」
     そしてもう片方は逃げた。己を消そうとする、もう一人の自分から。

     両者はどこまでも、いつまでも追いかけっこを続け――200年の時が流れた。



     双月暦718年、2月。世界に――2つの意味で――衝撃が走った。央北東部沖を震源地とする、マグニチュード7.9の巨大地震が発生したのである。この地震により震源地に最も近いかの大国、トラス王国は死者2,000名以上、経済被害額約3兆コノンと言う、途方もない被害をこうむった。そして「王国公認」の隔離地域、公然と見放された街であったニューフィールド自由自治特区、通称「難民特区」も当然この地震の影響を受け、街に点在していた建物・建築物は軒並み倒壊。王国以上の多大な犠牲者を出した。
     だが王国と、そして難民特区をも席巻するニュースは、これだけに留まらなかった。かねてよりネット上で存在がうわさされていた石油が、この地震により地上へと噴き出したのである。

     地震発生後まもなく、1年半ほど前に大野博士が地質調査を行っていた地点には既に、真っ黒な沼が出現していた。ネット上でのうわさから、それが石油であると判明するのにはそう時間はかからなかったが、王室政府がその存在を認識するのには、前述の通り見て見ぬふりをする対象であったことに加え、地震の影響もあったために、さらに数日を要した。
     しかし察知してからの動きは早く、王室政府は四半世紀近く放置していたこの街に、多数の軍隊を送り込んできた。だが難民たちは、彼らが貧困と震災にあえぐ自分たちを助けに来たのではなく、件の油田を接収しに来たのだと察していた。
    「つくづくクズだな……王国のお偉いさんどもは」
    「石油が出た途端かよ。厚かましいと言うか、何と言うか」
    「特区に兵隊よこすカネあるんなら、パンの一つくらい恵んでくれやって思うね」
     3列縦隊で行進する軍隊をがれきの陰からこそこそと眺めつつ、悪態をつく難民たちに混じり――「彼」もその成り行きを、恐る恐る見守っていた。
    緑綺星・底辺譚 1
    »»  2023.09.04.
    シュウの話、第110話。
    石油を巡る確執。

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    2.
     油田に到着した兵隊たちを待っていたのは、武器を手にした荒くれ者たちだった。
    「一応確認するがよ」
     と、その中の一人、明らかにリーダー格の熊獣人が角材を手に、兵隊らに質問する。
    「あんたらはどこの誰だ? この油田をどうするつもりだい?」
     兵隊らの先頭に立っていた指揮官が、それに答えた。
    「我々はトラス王国陸軍第16大隊の者だ。我が国領土内で石油が発見されたとの情報の真偽を確認するために派遣された」
    「確認だけにしちゃあぞろぞろと、御大層な陣営だな。それで? マジで石油がここにあると確認できたら、その時はどうする? ここを占拠してる俺たちを皆殺しにして、奪い取るつもりかい?」
    「元より特区の、そして特区から産出される資源および物品の所有権は王国にある。諸君らは土地を貸し与えられているだけに過ぎない」
    「貸し与えて、ねぇ」
     リーダーの後ろに立っていた荒くれ者たちが、武器を構える。
    「アパートやらマンションやらの場合だったら、住んでるヤツが苦情言ったらそれなりの対応するよな? だが貸主だって主張するあんた方は、一体どんな対応してくれた? ハラ減ったって言った時、寒くて凍えそうだって言った時、死にそうだって言った時、あんた方は何をしてくれた? 一切何もしなかったじゃねえか。『自治権を与えているから勝手にやれ』の一点張りでよぉ?
     だのにこうして石油が湧いた途端、その自治権を取り上げて我が物にしようってのか!? ふざけんなよ、クソッタレども! 絶対お前らみたいな人でなしに渡すもんか。この石油は俺たちの……」
     パン、と銃声が響き、怒鳴り散らしていたリーダーの胸に穴が開く。
    「なっ……」
    「お、親父!?」
     顔を青ざめさせたごろつきたちに対し、硝煙をくゆらせる拳銃を構えたまま、指揮官が冷たい視線を向ける。
    「諸君らの意見と主張を聞き入れる権限は我々には与えられていない。我々は上層部の命令に沿って、この油田を掌握するのみである。抵抗する者は容赦なく排除する」
     指揮官が右拳を挙げ、背後の兵士たちが一斉に小銃を構える。
    「今から5秒以内に立ち去れ。でなければ抵抗の意思があるものと見なし、射殺する」
    「……っ」
     倒れたリーダーに駆け寄ることもできず、荒くれ者たちはじりじりと後ずさりし始めていた。だが――。
    「……ぅううおおおおおおッ!」
     荒くれ者たちの中から少年が一人、錆びた鉄パイプを手に駆け出してきた。
    「よくも……よくも親父を……よくもーッ!」
    「撃て」
     指揮官は淡々とした口調でそう命じ、右拳を前に倒す。兵士たちは各々、命じられた通りに小銃の引金を絞ろうとした。

     その時だった。
    「……っ!?」
     少年の前に全長2メートルを優に超える巨大な肉塊が突然現れ、立ちはだかった。
    「グルル……ル……帰レ……オ前ラ」
    「な、……なんだ、あれ」
    「熊、……か、いや、狼?」
    「にしたって、……あんな、デカい、の」
    「……バケモノ……!?」
     安っぽい特撮映画くらいにしか出てこないような異形の獣を目にし、兵士たちは一様にたじろぐ。冷徹に振る舞っていた指揮官も例外ではなく、ここで初めて、動揺した様子を見せた。
    「……うっ、……撃て! 撃て!」
     慌てて兵士たちは、そのバケモノに向かって銃弾を撃ち込む。ところが――自動小銃1挺辺り5.8×48ミリライフル弾30発、そして実際に射撃した兵士12人分の、合計360発もの――弾丸を受けても、バケモノは倒れるどころか、血の一滴すら流していなかった。
    「き、……効いてない?」
    「ど、どうします、隊長!?」
    「……~っ」
     指揮官も判断に困っているらしく、ふたたび拳銃を構えかけたが――それを腰のホルスターにしまい込み、今度は右手を開いて横に振った。
    「退却せよ。……退却だ!」
    「りょ、了解っ」
     兵隊たちは慌てて、来た道を引き返していった。
    「……」
     だが、残った荒くれ者たちは揃って表情をこわばらせ、その場に立ち尽くしている。突然その場に現れたバケモノが何なのか、そして何の危険があるのか把握できなかったからだ。
     ところがバケモノは突然膝を着き、しわしわと縮んでいく。やがてどこにでもいるような短耳の小男の姿になり、そのしょぼくれた男は荒くれ者たちに、申し訳なさそうな顔を向けた。
    「……あの、……ごめんなさい、……俺なんかが、大事なお話の邪魔、しちゃったみたいで。……すんません、ほんと、すんませんです」
    「……は?」
     目の前で起こったはずの出来事が信じられなかったらしく、皆はぽかんとしていた。
    緑綺星・底辺譚 2
    »»  2023.09.05.
    シュウの話、第111話。
    パパ・ラコッカ。

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    3.
     結論から言うと――あの胸を撃たれたはずのリーダーは、しっかり生きていた。
    「ふぅー……思ったより胸にずしんと来たぜ。もうちょっと薄かったらヤバかったかもな」
     銃撃されることをあらかじめ予想していたため、胸に鉄板を仕込んでいたのである。
    「マジで死んだかと思って、流石にビビったっスよ」
    「アタマ狙われないようにヘルメット被ってたのが功を奏したな。賭けが当たったぜ」
    「親父……冗談キツいっすよ。あんた、賭け事なんてやんねータチでしょーが」
    「ヘヘへ、文学的表現ってやつだよ。……で、そこで申し訳なさそうにチラチラこっち見てるお兄ちゃんよ」
     熊獣人は廃墟の入口でこそこそと様子を伺っていた、あのしょぼくれた顔の男に声をかけた。
    「あっ、はい、すんません」
    「いや、すんませんじゃなくてよ、こっちはありがとよって言ってんだ。おかげで兵隊と真正面からドンパチやらずに済んだんだからよ。躊躇(ちゅうちょ)なくタマ撃ち込んでくるようなのが相手じゃ、死人が2桁になっちまうところだった」
    「あ……えと……ども。あの、それじゃ俺……」「そんでよ」
     立ち去ろうとした男の手を、熊獣人がひょいとつかむ。
    「あんた、あの……あれは、一体何だったんだ? いきなり2メートル半を超える怪獣みたいなのになったかと思えば、今みたいにしょんぼりした小男になってやがるしよ」
    「……っ、あのー、それは、その」
     男があからさまに困った表情を浮かべたためか、熊獣人はばたばたと手を振って「いや、いいんだ」と返した。
    「言いたくないんなら言わんでいい。この街じゃそんなやつだらけだし、まさかグループセラピーみたく『俺の罪を告白します』なんてこと、俺の教室でだってやりゃしねえよ」
    「きょ、……教室?」
     一転、きょとんとした男に、荒くれ者たちはどっと笑い出した。
    「親父のこと知らねえのかい、あんた」
    「聞いたことないか? 『パパ・ラコッカ』の話」
    「すんません……全然」
     頭を下げる男に、熊獣人はにかっと笑って返した。
    「誰だって一番最初は無知が当然ってもんよ。知らねえってのは別に恥でも無礼でもねえさ。そんじゃ改めて自己紹介と行くか。俺はロロ・ラコッカ。この難民特区で教師をしてる。無免許だけどな」
     そう紹介されて、男は辺りを見回す。確かにその廃墟には――相当な年代物ではあるが――机と椅子が並んでいた。
    「俺たちは親父の生徒さ。つっても何年で卒業とかないから、みんな来たり来なかったり、またフラッと寄ったりって感じだけど」
    「親父はコワモテのヒゲ面だし身長200近いし岩みてーな見た目だけど、何だかんだクソ真面目で教育熱心だし、色々親身になってくれるガチのド聖人だよ」
    「ま、お節介なとこもわりかしあるけどよ」
    「だもんで俺たちは親父を慕ってんのさ」
    「そう、自称『ラコッカファミリー』。だから俺たちは親父のことを先生じゃなく親父(パパ)って呼んでんだ」
    「『ファミリー』だからってマフィアやら愚連隊やらとは一緒にすんなよ。俺たちゃ親父の『善く生きよ』って教えを守ってるからな」
    「おうよ。人に優しく、世の中に優しく、もちろん自分にも優しく! それが俺たちのザユーのメーよ」
     荒くれ者たちに見えた彼らは、とても明るく人懐っこい、気さくな人間ばかりだった。その彼らの前に立つロロもまた――口調こそ若干ぶっきらぼうではあったが――大らかで優しい男だった。
    「ってわけでだ、とにかく俺たちはあんたに敬意と感謝を表したい。良ければ持て成しっつーことで、メシをおごらせてくれや」
     食事と聞いた途端、男の腹がぐう、と鳴る。
    「あぅ……」
    「ははは……、いい返事が聞けて何よりだ。それじゃ、……おっと。そう言やあんたの名前を聞いてなかったな。なんて名前だ?」
     ロロに尋ねられ、男は――やはり申し訳なさそうに――ぼそっと答えた。
    「ラック・イーブンです」
     彼の名前を聞いた途端、「ファミリー」はどよめき立った。
    「ラックぅ!?」
    「えらく縁起のいい名前じゃねえか!」
     そう言われ、ラックは否定しようとする。
    「あ、いえ、ラックはラック(Luck:幸運)じゃなくて……」
     しかし彼のか細い声は、「ファミリー」の陽気な笑い声に、簡単にかき消されてしまった。
    「よろしくな、ラック。ま、楽しむほどの美味さじゃないかも知れんが、せめて腹一杯食っていってくれや」
     ロロがそう言ってラックの肩をポンポンと叩く頃には、「ファミリー」は既にもう、その場を離れて調理に向かっていた。
    緑綺星・底辺譚 3
    »»  2023.09.06.
    シュウの話、第112話。
    安息の地を守るために。

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    4.
     貧しさと混沌のるつぼであるはずの難民特区の中であるにもかかわらず、「ファミリー」の食卓は豊かなものであった。
    「はふ、はふっ……」
    「んぐ、うぐ、……ぷはーっ!」
     場に並んだ料理はラックの目から見ても、まともな食堂に並んでいても何らおかしくない、食欲を大いに刺激される出来だった。
    「どうした? 食べないのか、ラック」
    「あ、いえ、美味しそうだなって」
    「おう。そんじゃ食べろよ」
    「あ、はい」
     卓上に並ぶ鶏と葉菜の炒めものの皿に恐る恐る手を伸ばし、口に運ぶ。瞬間、彼の口の中に甘辛い、コクのある味が広がった。
    「うまっ」
     思わず漏れた感想に、周りの「ファミリー」が嬉しそうな顔を並べる。
    「だろ? だろ?」
    「俺たちの畑で取れた野菜だからな」
    「鶏肉も自家栽培、……栽培? まあいいや、うちで育てたヤツなんだ」
    「そ、そうですか、美味しいです、はい」
     と、そこにロロが、鍋を抱えてやって来る。
    「ほい、追加だ。……食ってるか、ラック?」
    「あ、はい、いただいてます」
    「気に入ってくれたみたいだな、その様子だと」
     言われてラックは、いつの間にか自分の皿が空になっていたことに気付いた。
    「あ、はい、ええ」
    「こいつらから聞いたかもだが、俺たちの仕事として、農業と畜産をやってる。収穫量もそこそこ多いから、わりと稼げてはいるんだ。
     元々ここは廃墟だったし荒地だったからな、農業には向かん土地ではあったんだ。何植えても育たない、不毛の地ってやつさ。だけども十何年か前から王国のNPOと連携して、農地改革に取り組んでる。その甲斐あってか、今は教室の奴らを腹いっぱい食わせてやれるくらいには収穫できるようになった。実際それ目当てで教室に来る奴もいたりするし、それがきっかけで居着いてくれる奴も結構いる」
    「でへへ……」
    「とは言え、ちょっと前から怪しいうわさがあってな。そのNPOに調査を依頼されて来てたオーノって学者から、ここに石油あるんじゃねえかって話が出たんだ。ただまあ、聞いた当初は流石に与太話だと誰もが思ってたし、王国の奴らも本気にしてなかった」
    「もしうわさの時点でマジだって思ってたら、人寄越すもんなぁ」
    「そう言うこった。だけども今、こうして石油が出ちまったからな。今日みたいに兵隊ガンガン寄越して、無理矢理自分のモノにしちまおうってハラなのは間違いねえ。『土地自体は元々王国のモノだったんだから仕方ない』なんて言ってる奴もいるが、俺の、いや、俺たちの意見はそうじゃねえ。ここで湧いたモノは、ここで実際に暮らしてる人間のモノだ。
     そもそも王国は、『実際に住んでる人間に全部任せる』っつって責任を丸投げしてんだ。責任放棄したんなら、所有権だって放棄してなきゃ筋が通らねえ。『石油出たから世話してやるよ』なんてムシが良すぎるって話だ」
    「『ファミリー』の意見もそれで一致した。俺たちは石油の所有権を主張するし、無理矢理奪おうとする王国には断固として抵抗する」
    「はあ……そうですか」
     話を聞きながらも、ラックは薄々、嫌な予感を覚えていた。そしてその予感は、次のロロの言葉で現実のものとなった。
    「それで……まあ、人手がいるわけだ。それも荒事に向いた人間がな。と言って、俺の教室には名乗りを上げてくれたのがあんまりいなかった。今日油田の前に集まってた55人で全員だ。対して、王国の兵隊なんて10万も20万もいる。今日だってやって来たのは、ざっと見ても100人以上だ。明日にゃ倍が来たって、全然おかしくない。
     そこでだ、ラック。率直に頼むが、手ぇ貸してくれ。お前さんが手伝ってくれりゃ百人力だ。油田を守るには、お前さんが必要なんだ」
    「あの、でも、俺は……」
     ロロの申し出をどうにか断ろうとしたが、相手も先読みしていたらしく、先手を打ってきた。
    「ましてや今日、あんなバケモノが現れたなんて報告されりゃ、歩兵だけで来るかどうか。向こうだってもう、対人戦闘どころじゃないと思ってるだろう。下手すりゃ戦車くらい引っ張って来るかも分からん。そうなったらもう、占拠だなんだってどころの話じゃない。ありとあらゆる戦術兵器を持ち込んで、殲滅にかかるだろう。もちろん、バケモノを隠し持ってた『と思われる』俺たちを含めてな」
    「いや、でも俺は偶然」
    「もちろんたまたま居合わせただけだってことは、俺たちは百も承知だよ。だけども向こうはそんな事情、知りもしねえし知ろうとも思ってねえだろう。相手の目的は油田獲得、それだけなんだからな。向こうにしてみりゃ、その目的にちょっと障害があるってだけだ。
     魚食おうとしたら小骨を見つけた。じゃあ食うのやめるか、ってならんだろ? 取り除きゃいいだけの話だ。王国にとって俺たちもお前さんも、小骨に過ぎん。お前さんがいなきゃ、『小骨取る手間が省けた』と思うだけだろうな。魚を食うことに変わりはない。
     頼む。お前さんが手を貸してくれなきゃ、俺たちは今度こそ皆殺しにされちまう。俺たちが生き残るには、お前さんの力が必要なんだ」
     強面のロロにそこまで頼み込まれては、気の弱いラックも断り切れない。
    「……わ、分かりました。が、……頑張ります」
     ラックは渋々、うなずかざるを得なかった。

    緑綺星・底辺譚 終
    緑綺星・底辺譚 4
    »»  2023.09.07.
    シュウの話、第113話。
    ファミリーと、ラックの日常。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ともかくロロの元に身を寄せることとなり、ラックは「ファミリー」の暮らしに、形から入ることにした。
    「そんじゃ始めるぞー」
     まず、朝の9時――荒廃した難民特区であっても、時計とチョークくらいはあるらしく――ロロが教壇に立ち、「ファミリー」たちを集めて授業を行う。出席しているのは子供だけではなく、10代後半、20代や30代に届く者もいたが――。
    「それじゃこの問題は……、ダニー」
    「へぇい。……えーと、55」
     目付きの鋭い、ヒゲ面の狼獣人が答えたところ、ロロは苦い顔を返した。
    「うーん……不正解だ。ちっと計算方法言ってくれっか?」
    「え、だって最初が6かける3だろ? で、次に4足して」
    「最初は掛け算から全部やるって言っただろーが」
    「やったじゃんか。で、次に4足して」
    「その4足す前に掛け算しろっての。4かける3って書いてんだろ?」
    「うーん? ……んんん? いや、最初にかけてるし……で、4足して……」
    「あの」
     と、ダニーの横に座っていたラックがこそっと耳打ちする。
    「まず全体を見るんです」
    「全体?」
    「書いてある数式をいったん読んでみて下さい」
    「えーと、6×3+4×3-11」
    「掛け算だけやると?」
    「掛け算だけ? 6かける3が18だろ? 4かける3が12だろ?」
    「となると数式は18+12-11ですよね。あとは足し算と引き算を順番で」
    「んー……じゃ19っスか?」
    「おう、それだそれだ、正解。やるじゃねえか、ダニー。……と見せかけて隣のラック」
     見抜かれてしまったダニーは照れ笑いをロロに向けつつ、小声で「ありがとよ」と返した。
     その後も周りの、答えに詰まった「ファミリー」たちを手助けしている間に、午前中の授業は終わりとなった。
    「今日はみんなよくできた! よくやったぞー、お前ら」
    「うぃーす」
    「あざーっす」
     ロロを含め、揃って嬉しそうに笑う「ファミリー」に、いつしかラックもつられて微笑んでいた。

     正午を回る頃になって、どこからか美味しそうな匂いが漂ってくる。それを嗅いだラックの脳内に、ある記憶が――恐らく「彼本来の」ものではないそれが――ふっと蘇る。
    (……定食屋……そう言えば……虎……)
     どこかの店のカウンターで、赤い髪の虎獣人と談笑していた光景が浮かんできたが、本来ならば楽しい思い出であるはずのその記憶は、「ラック」にとっては不気味なものでしかなかった。
    (……横に……俺がいる)
     赤髪の店主と談笑している自分の横に、何故か自分がもう一人おり、自分と話しているのだ。いや、記憶を探れば探るほど、現実ではありえない、シュールレアリスム絵画を実写化したかのような、おぞましい内容に変化していく。
    (店を出る……俺と……俺……通りの向こうから……知った顔……俺だ……横にいた俺がいない……前にいるのは横にいた俺……? 俺はどの俺なんだ?)
     記憶がぐちゃぐちゃと混ざり、やがてラックは耐えきれず、壁にもたれかかる。
    「はあ……はっ……はあっ……」
     息が乱れ、動悸が激しくなり、ラックは廊下の隅にうずくまってしまった。と――。
    「おーい、ラック。ハラ減ったのか?」
     ロロがぽん、ぽんと、うずくまったラックの肩を優しく叩く。
    「はぁ……はぁ……いえ……その……大丈夫なんで……」
    「ゼーハー言ってるヤツが大丈夫ってことはないだろ。ほれ」
     やはり筋肉質な熊獣人だからか、ロロはラックの体を軽々と担ぎ上げる。
    「あの、いや、休めば大丈夫なんで」
     半ば無理矢理に立たされたラックは力なく手を振り、もう一度しゃがみ込もうとするが、ロロの腕はまだ、彼のわきに差し込まれたままである。
    「もうすぐメシができるし、休むならメシ食いながらの方がいいだろ。それとも食欲ないか?」
    「ええ、今は、ちょっと」
     が、ラックの言葉に反し、彼の腹がぐう、と鳴る。
    「カラダは正直ってか、ははは……。ま、案外大丈夫そうか。そんじゃ行こうぜ」
    「いや、……あの、はい」
     ロロに肩を借りる形で、ラックは食堂に連れて行かれた。
    緑綺星・福熊譚 1
    »»  2023.09.08.
    シュウの話、第114話。
    亡命の秋。

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    2.
     普段のラックであればああしてパニック状態になった時、そのまま四半日ほどうずくまってどうにか平静を取り戻せると言った程度なのだが、ロロに食堂へ連れて行かれ、「おーい、こっちにキャベツと唐辛子のパスタ2つな!」と勝手に注文され、そのまま届けられた料理を夢中で平らげ、ふう、と一息ついて食後のお茶を口に運んだところで、自分の調子がすっかり良くなっていることに気付いたのは、ロロに担ぎ上げられてからほんの30分くらいのことだった。
    「どうだ? 気分、良くなったか?」
     同じようにお茶を飲んでいたロロに尋ねられ、ラックは大きくうなずいた。
    「はい、なんでか、ええ」
    「そりゃお前、メシ食ってバカ話して笑ったら、大抵の悩みなんかスッ飛ぶってもんだ。どこかのお偉い先生も、『悩みは誰かから与えられるもの。であるが故に、悩みは人と話さなければ解決しない』って言ってるしな」
    「そう言うもん……ですかね」
    「ま、壁の向こうじゃやれソーシャルディスタンスだの、やれ個人性の尊重だのと叫ばれちゃいるが、それは俺に言わせりゃ『一個人の意見』だ。叫んでるそいつにゃ真理であっても、他のやつにも通用するかってのは別の話であって……」
    「親父、ラックが困ってるっス」
     朗々と語りだそうとしたロロを、「ファミリー」がたしなめる。
    「おおっと、いけねえいけねえ。俺の悪いクセだな」
    「あ、いえ、そんな」
    「ま、アレだよ。俺もそれなりに人生経験あるからよ、困ったなー、しんどいなー、もうやってらんねえなーって気分になっちまう時は何度もあるし、その度にどうにかして復活してきた」
     たしなめられたものの、結局ロロは語り始めてしまった。
    「そん時にゃこう思うことにしてるのさ――『俺は運がいい』、ってな」



     双月暦689年――ロロ・ラコッカが白猫党領からの亡命を企てた22歳の秋、2つの不幸が重なった。1つは亡命の実行日に、ひどい大雨に見舞われたこと。そしてもう1つは、仲間と共に乗ろうとしていたバスが手引き業者の手違いで定員オーバーになってしまい、図体の大きなロロ一人だけを残して出発してしまったことだった。
    「ま、雨漏りは勘弁してくれや。間に合わせだもんでな」
     それでも業者側は――カネを受け取った義理からであろうが――代わりの車とドライバーを手配してくれたため、ロロはその兎獣人のドライバーと二人きりで、泥濘の中を年代物のセダンで駆けることになった。
    「うう……」
     とても車内にいるとは思えないくらいずぶ濡れになり、ロロは寒さでガタガタと震えていた。
    「お前さん、散々だな」
    「あ、ああ、まったくだ」
    「ま、せめてものサービスだ。ほれ」
     兎獣人はハンドルを片手で握ったまま、器用に左懐からスキットルを取り出し、ロロに手渡す。
    「安い酒だが、ちっとは寒いのも紛れんだろ」
    「た、助かる」
     二、三口飲み込んで――確かに安酒らしく、まるで消毒液のように猛烈なアルコール臭が鼻を突いたが――ガタガタと震えていた体に、ようやく熱がこもり始める。
    「……ふー」
    「到着まで丸1日ってとこだが、後ろの座席にあるメシとその酒で十分持つはずだ。あんたがよっぽどの大食漢じゃなけりゃな」
    「こんななりだが人並み程度……のはずだ。あんたの分はあるのか?」
    「おいおい、飲酒運転させんのか?」
    「いや、メシの方だ」
    「俺は少食だもんでよ。一日1食ありゃ十分だ」
    「そうなのか……?」
     確かに食の細い性質らしく、その老いた兎獣人は痩せて見えたが――。
    「にしちゃあんた、元気だな」
    「効率のいい体のつくりしてるもんでよ。……はっは、どうやら落ち着いてきたみてえだな、お兄ちゃんよ」
     兎獣人の言う通り、経緯はどうあれ出発したことと、酒の効果とで、自分の心が多少なりともほぐれているのを感じていた。
    緑綺星・福熊譚 2
    »»  2023.09.09.
    シュウの話、第115話。
    罪と罰と、そして因果と。

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    3.
     雨が小ぶりになったためか、ようやくおんぼろセダンの空調が効き始め、車内は暖かくなり始めた。
    「ま、繰り返すようだが到着までは時間がかかる。俺にしても無言で前だけじーっと見てるってのは退屈でたまらん。ラジオ付けたところで、聞こえてくんのは白猫党の流すうぜえ時報とウソだらけのニュースばっかりじゃ、聞く気にならん。だからよ、ちょいと話でもしようや」
    「ああ」
     ロロが応じた途端、兎獣人はこれまでにもまして饒舌になった。
    「それじゃ、改めて名前とトシ聞かせてもらっていいかい?」
    「ロロ・ラコッカ、22歳だ」
    「領内では何の仕事してた?」
    「車輌工場で働いてた。なんかのシャフトとかでけえベアリングとかを毎日運ばされてた」
    「どうやって亡命のカネ貯めたんだ? そんなしょっぱい仕事じゃ、22で50万コノンも貯めらんねえだろ」
    「それは……」
     口ごもったロロに、兎獣人はニヤッと笑って見せる。
    「2人きりだぜ? 俺だってキレイな身じゃねえし、チクる相手もいねえ。悪事を隠す理由はねえぞ」
    「……部品、運んでたって言ったろ? それを横流ししてた」
    「他には? 白猫党領製のクズ部品チマチマ売っぱらったくらいじゃ、50万にゃ到底届かねえぜ?」
    「……っ」
     ごまかそうとしたことも気取られているらしいことを悟り、ロロは観念した。
    「所長室の鍵を偽造して……金庫から盗んだ」
    「ひっひひ、やるじゃねえか。だが後悔もしてるってツラだな。お前さん、今こう思ってんだろ。『あんな罪を犯した罰(ばち)が今、俺に当たっちまったんだ』ってな」
    「それは……ちょっと、思ってる」
    「ねえよ、そんなもん」
     ロロの懺悔を、兎獣人は笑い飛ばした。
    「カミサマの罰なんてのがマジにあるってんなら、俺なんか百回は死ななきゃならねえ。悪いことは一通りやったからな。ところがこうしてジジイになっても――なっちまったってのに――まーだピンピンしてる。ってことはねえんだよ、罰なんてのはよ。
     しかしよ、兄ちゃん。もし仮にあるってんなら、罰がこの程度で済んで良かったじゃねえか」
    「え?」
    「せいぜいびしょ濡れになっていかがわしいジジイとボロいクルマでドライブする羽目になったってくらいなら、安いもんだろ。だからよ、こう思えばいいんだ。『俺は運がいい』ってな」
    「運がいいって……これでかよ」
     再び雨が振り出し、空調がまた弱くなっていたが、兎獣人は意に介していないらしく、依然ニヤニヤと笑っていた。
    「そもそも運の良し悪しなんざ、そいつ自身の思い込みだ。道端で100万拾って、それで罰が当たると思い込めば不運だが、傍から見りゃバカみてえなこと考えてるって思わねえか? 普通に幸運だろ、んなもん」
    「うーん……まあ……うん」
    「起こったことを幸運と思うか、不運と思うか。どうせなら運がいいって思って前向きになった方が、人生楽しくなるぜ」
    「……そんなもんかな」

     そんな人生訓めいたことを兎獣人から聞かされながら、セダンは丸一日かけて東へ向かい、西トラス王国に到着した。そこでロロは――自分が乗るはずだったバスが襲撃され、乗員・乗客全員が死亡したことを聞かされた。
    「なっ……!?」
    「あの大雨で道を間違えたらしい。予定地点より南によれて、リモード共和国の方へ行っちまったんだ。……それであの『騎士団』に」
    「そんな……」
     友人たちが皆殺しにされたことを知り、ロロは愕然としていたが――。
    「……だけど……俺はあのバスに乗らなかった」
    「あんたにとっちゃ、雨も却ってラッキーだったな」
     バスの襲撃を知らせた業者が、ロロの乗ってきたセダンの屋根をぽんぽんと叩いてため息をつく。
    「流石にあのじいさんでも、こんなおんぼろセダンで土砂降りの中だったから、飛ばすに飛ばせなかったんだろ。もしこのセダンがもうちょっとマシなヤツだったか、あるいはバッチリ晴れててバスに追いつけてたりしたら、あんたも同じ目に遭ってたかもな」
    「……俺、運がいいのか?」
     誰ともなしに尋ねたが、業者は聞いていなかったし、そしてあの兎獣人ももう、その場から離れていた。



     兎獣人から受けたアドバイスに従い、ロロは新天地でも、自分に起こったどんな出来事も「自分の幸運故に起こった吉事」として捉えることにした。その前向きな思考と生来の生真面目さが功を奏し、ロロは亡命後ほどなくして、小学校の用務員として働くことができた。

     その後ロロはさらなる躍進を目指し、勉強と技能習得を続けていたが――双月暦696年、時代のうねりによって、彼はまたしても自分に問うことになる。
    「自分は果たして幸福であるのか」を。
    緑綺星・福熊譚 3
    »»  2023.09.10.
    シュウの話、第116話。
    静かすぎる朝。

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    4.
     その日、ロロはそれまでの7年間ずっと続けてきたように、朝の7時半きっかりに小学校に出勤した。いつもなら既に鍵は開けられ、校門が全開となっているはずだったが――。
    「あれ?」
     校門は固く閉ざされたままであり、鍵もかかっている。
    (なんだよ……? ハミルのやつ、珍しく寝坊したのか?)
     とは言えロロも用務員なので、校門の鍵は持参している。それを使って鍵を開け、宿直室に直行した。
    「おーい、ハミル。起きてっかー?」
     寝ていることを予想し、ドンドンと荒めにドアをノックし、大声で同僚の名前を呼ぶが、返事はない。
    (ありゃ? ドア、開いてんじゃねーか。いないのか?)
     ドアを開け、中の様子を確かめたところ、やはり誰もいなかった。
    (どうなってんだ……? ちょっと前に飛び起きて急いで校門に行ったもんだからすれ違った、……とかか? いや、それにしちゃ毛布も何も残ってないしなぁ)
     あれこれ考えつつ、ロロはなんとなくテレビの電源を入れようとした。ところがリモコンを押しても、主電源のスイッチをカチカチ押し込んでも、まったく反応しない。
    (ん……? これ、そもそも電気切れてないか?)
     そう思って部屋の入り口にある壁スイッチもカチカチといじり、やはり電気が通っていないことが確認できた。
    (変だな……なんか、今朝は妙な感じだぞ……?)
     ブレーカーや屋外の配電盤を点検したものの、まったく異常は見られず、どうやら電気の供給自体がなされていないことだけが、どうにか理解できた。
    (まあ、電気は別に何とでもなるしな。一応、非常用の発電機もあるし。みんなが登校してくる前に動かしとけば、今日一日くらいは問題ないだろ)
     そう思って時計を確認し――とっくに始業時間が過ぎていること、にもかかわらず依然として校内が静まり返っていることに、ロロはようやく気が付いた。
    (流石に……おかしいな? 誰も来ないなんて。今日、平日だし)
     薄々感じていた不安が、ここでロロの心を覆った。
    「……おっ、おーい! だ、誰か、いないのかー!?」
     たまらず大声を上げたが反応するものは何もなく、ロロのバリトンボイスが薄暗い校内に響き渡るばかりだった。

     どうしてよいか分からず、ロロはとりあえず宿直室に戻って来たが、やはり中には誰もいなかった。
    「……ヘタなホラー映画よりゾッとすんなぁ」
     電話も通じず、ガスも水道も止まっている。まるで街中で遭難したかのような感覚を覚え、ロロはばたりと寝転がり、大の字になった。
    (落ち着け……落ち着けよ、俺……今、何が起こってんのか。それを確かめなきゃならねえよな。でもテレビも点かねえし、電話もダメ。……そう言や出勤中、誰にも会わなかったよな。自転車で10分くれー走ってたのに。いつもならゴミ収集車とジョギング中の『猫』のじいさんとすれ違うとこなのに、それもなかった。
     まるで世界から俺以外の人間が消えたみてーじゃねえかよ……!?)
     とんでもない想像が頭の中を駆け巡り、ロロはぶるっと巨体を震わせた。
    「ばっ、バカ! んなわけあるかってんだ、なあ、はっ、ははは、はは……はは……」
     気付けば時刻は昼に差し掛かろうとしており――そこでふと、ロロは宿直室にラジオがあったことを思い出した。
    (そう言や去年辞めたセロンじいさん、いつも昼飯食う時にラジオ聴いてたよな。『たまーにリクエスト読んでくれるから』っつって。辞める時、『退職金で新しいの買うつもりだから置いとくよ』っつってたけど、俺も含めてみんなテレビ見る派だったから、段ボールん中にしまったままにしてたんだよな、そう言えば)
     がばっと飛び起き、部屋の片隅にあった段ボール箱を開く。記憶通り、そこには古びた携帯ラジオが収められていた。
    緑綺星・福熊譚 4
    »»  2023.09.11.
    シュウの話、第117話。
    国家崩壊の3日間。

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    5.
     ありがたいことに段ボール箱の中には新品の電池も入っており、ロロは何の問題もなくラジオを聴くことができた。
     問題だったのは、ラジオで流れていた内容だった。
    《……繰り返します。WTNB、西トラス国営放送は、すべての業務を停止しました。繰り返します……》
    「……は?」
     そのまま1分ほど聴き続けていたが、同じ内容がただひたすら繰り返されるばかりで、それ以上の情報は何も得られなかった。
    (業務停止って……つまり放送終了とか休止とかじゃなくてもう、事実上廃業した、倒産したって話だよな? って倒産? 国営放送が? ウソだろ?)
     つくづくありがたいことに、ラジオの裏には元の持ち主が各ラジオ局の周波数をメモ書きしたものを貼り付けてくれていた。ロロはそれを確認しながら、一つずつ各局の放送を確かめる。
    (FMニューフィールド……ラジオ・カプリ……天帝教ラジオWTK……ダメだ、何にも聴こえねえ。軒並み全滅してるらしい。あとは……)
     どうやら年配の人間には、これを聴くことに忌避感があったらしく――メモの一番下に書かれていた東トラス王国のラジオ局の周波数に合わせたところ、若干ノイズ混じりではあったが、どうやら通常通りの放送が行われているようだった。
    《……何と言ってもこんなことが起こってしまった一番の原因は、西トラス政府が国民にまともな説明をしなかったことですよ。氷曜の時点でデフォルトしていることを知らなかったのは、他ならぬ西トラスの国民だけだったって言っても過言じゃないでしょう。なにせ火曜にはもう、金火狐銀行が輸送トラックを総動員してたって話ですからね》



     ノイズ混じりのラジオ放送を辛抱強く聴き続け、どうにかロロにも西トラス王国が置かれていた、悲惨な状況を把握することができた。

     3日前。かねてより白猫党・東トラス王国両面に対する防衛費と、難民支援を主とする社会保障費の増大で火の車となっていた西トラス王室政府の財政は、この時点で既に赤字国債の乱発――「償還期限が迫っている国債を返済すべく、さらに国債を発行する」と言う自転車操業、悪循環の状況に陥っていたのだが、この日ついにこれが破綻し、デフォルト(債務不履行)となってしまった。即ち国債の発行によって返済資金を調達したものの、返済すべき額に届かなかったのである。
     ところが西トラス政府はこの事実を国民に公表せず、なおも資金繰りに奔走していた。もしこの件が明るみに出た場合、西トラスの発行する通貨が暴落し、いよいよもって危機的状況に陥ることが予想されたためである。

     3日前午後から一昨日の早朝にかけて。西トラス政府はひた隠しにしていたものの、当然ながら金融筋――銀行や投資機関はデフォルトの件を把握しており、そして今後起こりうる通貨暴落も予想していた。そのため彼らは大急ぎで所有している預金・資産を、国外に持ち出したのである。
     この時点で政府が強権を発動し、彼らを足止めすることも可能なはずだったが、自ら動くことでデフォルトが発覚することを恐れた政府は何の対策も執らなかったばかりか、彼らの行動を事実上黙認してしまったのである。当然、金融筋はこれ幸いとばかり、資産を根こそぎ西トラス王国から引き上げてしまった。となればこれも当然のことだが――国内のすべての銀行・投資会社が、業務を停止した。

     そして一昨日の午前中、銀行や投資会社の窓口がいつまで経っても開かないことをいぶかしんだ国民があちこちの伝手に尋ね回った結果、ついにデフォルトの事実が国民に知れ渡った。
     いつの間にか自分たちの資産が残らず国外に持ち出されていたことを知った国民は激怒し、暴動が発生。暴徒と化した国民たちは首相官邸や議事堂、王族の住む宮殿を次々に襲撃して回ったが、閣僚と王族はこの襲撃から間一髪逃れ、隣国である東トラス王国に亡命した。
     この亡命した西トラス要人の要請を受け、東トラス王国は暴徒鎮圧のための軍を派遣した。しかし結果から見れば、彼らの目的は鎮圧ではなく、西トラス王国の――大量の難民と言う「負の遺産」を一切受け取らない形での――征服・実効支配であるのは明らかだった。東トラス軍は暴徒を鎮圧するどころか、彼らを放置したまま国内の主要な拠点を制圧した上、要人たちの身の安全と生活の保障を交換条件にして、西トラス全域の併合に同意させたからである。

     そして昨日、統一トラス王国と名前を変えたこの国は、「ニューフィールド自由自治特区」の設立を一方的に宣言。元西トラス王国民の同意を一切得ないばかりか、本来定めるべき特区の代表者すらもまともに定めずごまかしたまま、元々の国境をそのまま使う形で以西の全国民を封じ込めてしまった。
    緑綺星・福熊譚 5
    »»  2023.09.12.
    シュウの話、第118話。
    ロロの幸運。

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    6.
     やはり結果的には、ロロは幸運な男だと言えるのかも知れない。
     一向に市民権が得られず、銀行口座も作れない難民のままだったこと。そして24時間交代制の非常勤用務員と言う、薄給かつ過酷な職務にしか就けなかったことが、結局はすべてロロに味方したのである。街が暴徒であふれかえっていた時も、そして統一トラス王国が軍を派遣した時も、非番であったロロはテレビもラジオもない狭い自宅でろうそくに火を灯し、安く譲ってもらったパンの耳をちびちびとかじりながら黙々と勉強に没頭しており、外出の機会も、王国崩壊の情報を得る機会も一切なかったからだ。
     このためロロは、外のいざこざに一切巻き込まれずに済んでいたのである。

     ラジオからの情報収集を終える頃には、既に夕闇が迫る時刻となっていた。
    (これからどうすりゃいいんだ)
     じっとしていても何の考えも浮かばないので、とりあえず備え付けの冷蔵庫から同僚のものだったペットボトルのお茶を取り出し、ぐい、と飲み干す。
    (一息付いたはいいが……ハラ減ったなー)
     もう一度冷蔵庫を探るが、中には飲み物の類しかない。宿直室の中を調べ、パンの袋を見付けたロロは、すかさず封を切って頬張った。
    (何だかんだ飲まず食わずでラジオ聴いてたからな、うめーうめー。……ただ、そりゃまあ、こんな状況だからステーキだのワインだのほしいなんて思わねえけど、……もうちょっとなんか、ハラの膨れるもんが食いてえな。……ん? そう言や)
     用務員の職に就いてまもなくの頃に聞いた話を思い出し、ロロは懐中電灯を片手に宿直室を出た。
    (この小学校、非常用の避難場所に指定されてて、そう言う時のための備蓄もあるって話だったな。確か……体育館の倉庫の床だっけか……)
     記憶を頼りに体育館倉庫に向かい、ほどなくその備蓄倉庫の入口を発見した。当然鍵がかかっていたものの、前述の通り用務員のロロがその鍵を持っていないわけがなく、彼はあっさりその地下倉庫にたどり着いた。
    (すっげ……棚、全部段ボール箱でギッチギチに埋まってら。中身、全部食いもんか? っと、奥にも部屋があるな。こっちは……発電機用の燃料か。えーと……ざっと計算して……多分――24時間発電機回しっぱなしにしたとしても――1ヶ月くらいは持つか? 俺一人だけならその100倍、200倍は余裕だ。
     こんだけありゃ、俺一人こっそり暮らす程度なら10年、20年は余裕じゃねえか)
     そう思った瞬間、不安に満ちていたロロの心に一転、光が差す。
    (……俺はやっぱ、運がいいのかも知れねえな。国が崩壊したってんなら、誰もこんな小学校なんか見向きもしやしねえだろうし、そもそも校門と塀で守りは固められてる。俺がどんちゃん騒ぎでもしない限り、誰も俺がいることには気付かねえだろう。ここでひっそり、誰にも邪魔されずにのんびり食っちゃ寝で暮らすことだってできるってわけだ)
     ロロは手近な段ボール箱に手を伸ばし、ばりっと引きちぎる。
    「……へ、へへっへ、やっぱ食いもんだ! たまんねえや、食い放題だあっ!」
     中に収められていた缶詰を片っ端から開け、煮込みハンバーグとコーンスープ、サバの水煮を次から次に口の中に放り込んだところで、ロロはゲラゲラ笑い出した。
    「たまんねえ……! これ全部、俺が独り占めかよ、ひゃはははははあ!」
     さらに缶詰を2つ開け、すっかり満腹になったところで、ロロは倉庫の中でごろんと寝転がった。
    (あー……っ、俺は幸せ者だ! 少なくともこの街、いや、この国で一番の幸せ者だ!)
     ひとしきり笑い、そのままロロは眠り込んだ。



     夢の中でロロは、あのおんぼろセダンの中にいた。
    「お前さん、今、自分が幸せ者だって思ってんな」
     運転席の兎獣人が笑っている。
    「ああ」
     満面の笑みで答えて見せたロロに、兎獣人は「へッ」と悪態をついた。
    「お勉強のついでに雑学の本も色々読んだんだよな。央南のことわざとかもな――『禍福は糾(あざな)える縄の如し』ってのも聞いたことあるだろ?」
    「えっ? ……あ、ああ、うん、読んだ覚えがある。でもなんで、あんたがそれを」
     驚いて兎獣人の方を見るが、相手は正面に顔を向けたまま、話を続ける。
    「良いことはどっかで悪いことにつながってる。悪いことはどっかで良いことにつながってる。世の中ってのはそう言うもんさ。幸せは独り占めするもんじゃねえぜ? ずっとその幸せを抱え込んでたら、お前さんの懐ん中でその幸せはいつか腐っちまって、不幸せにバケるぜ。
     幸せが不幸せにならねえ内に、他の奴に気前良く分けてやんな」
     そこでようやく気が付いたが――その兎獣人には、顔がなかった。



     備蓄倉庫での豪遊から2日後――。
    「う……うう~……ぐぐぐ……うぐぅぅ……」
     長年の貧乏生活から一転、一昼夜以上にわたって暴飲暴食の限りを尽くしてしまったせいか、ロロは腹痛に苛まれていた。
    「くっそ……くそー……懐ん中ってか、ハラん中じゃねえか、くそ……」
    緑綺星・福熊譚 6
    »»  2023.09.13.
    シュウの話、第119話。
    無法を眺める。

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    7.
     半日以上のたうち回った後、どうにか回復したロロは――やる必要など微塵もないはずであるが――校内を見回っていた。
    (……長年やってたせいか、気が落ち着くな。とは言え『じゃあベアリング好きか』って言われたら『見たくもねえ』って答えるけども。ま、あっちはタダ働きみたいなもんだったし)
     既に街が、いや、国が崩壊して幾日も経つが、窓から見る景色に変わったところは見られない。
    (マジで西トラス、崩壊したのか? ……まあ、実際のところ、ド平日に小学校がカラってんだから、マジで崩壊したんだろうけど)
     何となく目をこらし、街を観察してみると――。
    (あっ)
     校舎の3階であるため多少は見晴らしが良く、大通りの様子がはっきり確認できた。そしてその真ん中に、ボンネットが赤茶けた色に染まったパトカーが停まっているのも。
    (血……なのか? パトカーに血? 誰か、はねたのか? パトカーがか? 市民の安全守るって代名詞だろうが。……いや、もしかしたら車内の誰かが襲われたのかもな。なんかフロントガラス、割れてるっぽいし。
     どっちにしても大通りのド真ん中でパトカーがボッコボコになったまんま放置されてるって、まともな状況じゃねえよな。……やっぱ、この国は崩壊したんだな)
     そう判断した上で街の様子を眺めてみると、各所にその痕跡が認められる。
    (よく見りゃあのコンビニも、窓全部割れてんじゃねえか。間違いなく店の中、ぐっちゃぐちゃにされてんだろうな。元々黒っぽい屋根だったから気が付いてなかったが、隣のファミレスも丸焼けになってんぞ。うわっ、やたらカラスが飛んでやがると思ったら……)
     そのまま5分ほど観察を続けていたが、やがてロロはしゃがみ込み、廊下の橋に座り込んだ。
    (……見てらんねえ。それに俺一人、こんな呑気なことしてるなんて思ったら忍びなくて、余計に辛ぇぜ)
     その日は結局そこで見回りを切り上げ、宿直室に戻った。

     この状況に至っても――いや、この状況だからこそ――隣国が何かしらの救済措置を講じてくれることを期待して、ロロはラジオに耳を傾けていた。
    《……ニュースの時間です。産業省と王国労働者組合は本日、本年度の最低賃金改定会議を行い、最低賃金を1時間あたり287コノンとし、本年の9月までを目処に施行を進めることを……》
     が、ラジオからは西トラス、いや、難民特区の話は一切流れてこない。
    (なんでだ……?)
     やがてニュース番組は終わり、キンキンと騒々しい声色のラジオDJの声が流れてくる。
    (うるせえ……今週のヒットチャートとかどうでもいいんだよ。こっちの話しろよ、おい)
     その番組も終わり、次の番組も終わり、夜のニュースが始まっても、やはり難民特区のことには、誰一人として触れようとはしなかった。
    《……本日の放送を終了します。PHBS、PHBS、トラス国営放送でした》
     その日最後のニュースまで辛抱強く聴き続けたが、結局、難民特区についての言及は何一つなく、後はノイズがさらさらと流れ続けるばかりだった。
    (これじゃまるで、西トラス王国がこの世から最初から無かったことにされてるみたいじゃねえか。一体今、政治ってのはどうなってんだよ?)
     明日も、そしてその次の日もラジオを聴き続けたが――いつまで経っても、隣国は何の解答も示さなかった。



     ロロが知らなかった、いや、西トラスの誰もが知るはずのない事情だが――東トラス王族、そして彼らの下にあった王室政府は統一を宣言した時点で既に、西側の人間を難民もろとも見捨てることを決定していた。
     彼らにとっては、幾年にもわたって大量に流れ込んだ難民とその子孫は「厄介者」でしかなかったし、半世紀以上前に袂を分かち「隣国」となって久しい西トラスの人間もまた、もはや「無関係」の人間でしかなかった。「助ける義理は無い。むしろ助ければこちらも共倒れになってしまう」と言うあまりにも身勝手な理屈のもと、西トラスに住む者たちは壁の向こうに封じ込められることになった。
     さらに身勝手なことに、東側政府はこれらの決定と措置を、国外はおろか、国内に対しても隠蔽していた。表向きには「西側体制に反発した反政府勢力が西全域を実効支配した」「反政府勢力の東進をさしあたり阻止するため、暫時・暫定的に相互不干渉の交渉を結んだ」「反政府勢力が内部分裂し、彼らとの連絡が途絶した。情勢は極めて危険な状況にある」などと根も葉もない嘘を立て並べ、西側への干渉・入国を一切行わないよう、内外に通達したのである。
     これらの非人道的とも言える措置により難民特区は完全に東側と遮断され、あらゆる秩序が破綻・崩壊した結果、徐々に無法地帯へと変貌していった。
    緑綺星・福熊譚 7
    »»  2023.09.14.
    シュウの話、第120話。
    人生の分岐点。

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    8.
     結局、根が真面目なロロが暴飲暴食したのは――腹を下したこともあって――最初の2日だけで、以降は朝と夕の1日2缶で過ごしていた。昼下がりに多少腹が減る感じはしたものの、今後の先行きがまったく見えない現状を彼なりに考え、節約に努めていたからだ。
    (今日も……脳天気なニュースばっかだな)
     ラジオで朝のニュースを聞き、それが終わったら校内の見回りに向かい、疲れを感じた辺りで倉庫から食糧を取り出し、宿直室にこもって明日を迎える。そんな生活を黙々と続け、東側からの救援を待ち続けたが、それらしいものが来る気配はまったくなかった。
    (明日こそ……明日こそ、何か)
     次の日も、その次の日も、そしてまたその次の日も、ロロは同じように日々を繰り返した。

     そして難民特区の形成から、2週間以上が経った。
    (結局今日も一日何もなし、……か)
     缶詰を抱えて地下倉庫から上がり、渡り廊下を通って宿直室に向かおうとしたところで――。
    (……んっ?)
     見通しのいい廊下であるため、校庭の向こう、校門まで視界が開けているのだが、その校門越しに、影を2つ見つけた。
    (人? ……だよな?)
     見た瞬間、ロロの心中に色々な感情が交錯する。
    (もう薄暗い。7時前だ。誰か一夜過ごしに来たのか? この2週間で初めてだな。……追い払うか? いや、俺がいるってことがバレんのも嫌だ。だって交差点がアレだったんだぞ? 外は完璧に無法地帯のはずだ。暴徒みたいのが大勢押しかけたら、飯も燃料もあっと言う間になくなっちまう。……と言って2人入ってくんのを見逃したら、明日は3人、4人って増えるかも分からん。んじゃやっぱり、今のうちに追い払う方がいいか? うーん……)
     逡巡しつつも、ロロは結局、缶詰を抱えたまま校門まで向かった。
    「あ……」
     そこにうずくまっていたのは、狼獣人の男の子と猫獣人の女の子だった。どうやら兄妹らしく、耳と尻尾の形は違うものの、同じ毛色である。
    「おじちゃん」
     妹らしき方が、門扉越しにロロに声をかける。
    (見た覚え……あるな。ここの生徒だよな)
     棒立ちのままのロロに、もう一度女の子が話しかけてくる。
    「たすけて、おじちゃん」
    「……っ」
     助けを請われ、ロロは思わず一歩後ずさった。
    (どうする?)
     心の中で、ロロは自分自身に問いかける。
    (このまま校門を閉めてりゃ、こいつら入って来れないよな。一応、街の状況把握した後にしっかり施錠したし、扉も子供に登れる高さじゃないし。……でも、見捨てていいのか?)
     夕闇の中でも、この幼い子供たちの衣服がボロボロになっているのがはっきりと分かる。この2週間の間に二人がどんな目に遭っていたか、ロロにはありありと想像できてしまった。
    (兄貴らしい方……鼻血の跡が残ってる。アザもひでえ。めちゃめちゃな殴られ方してやがる。……妹の方も、服に血が付いてる。俺が無視して、扉開けずにこのまま見捨てたら、きっとこいつらは、……明日か、明後日には、死んじまうかも知れねえ。本当に俺はこいつらを見捨てていいのか? 見捨てて学校ん中に閉じこもって助けを待ってるだけの生活してて、それで本当にいいのか?
     どうなんだよ、なあ、俺はよ?)
     逡巡した末――ロロは門扉の鍵を開け、ギシギシと音を立てて校門を開けた。
    「その、……とりあえず、その、入れよ」
    「……ありがとう、おじちゃん」
     兄妹は揃って頭を下げ、恐る恐る中に入った。



    「……それがすべての始まりってヤツだったな」
     しみじみとした顔で昔話を語り終え、ロロは神妙な顔つきになった。
    「結局その後もここの生徒だった子が何人か来て、全員かくまうことにしたんだ。『来る者拒まず』ってヤツだな」
    「はあ」
    「ま、そのままじっとしてんのも何だしなってことで、学校に残ってた教科書とか読み聞かせしたり、荒れっぱなしになってた校庭を畑に変えたりしてる内に、『先生』だの『親父』だの言われるようになっちまってな。……で、今に至るわけだ」
    「本当に親父には感謝してもしきれねーわ、マジで」
    「うんうん、マジそー思うよ~」
     と、話の終わり頃に出てきたあの「狼」と「猫」の兄妹――ダニーとラフィが、ロロの両肩を左右からポンポン叩いた。
    「あの時親父が扉開けてくれなかったら、俺たちマジであのまま死んでたかも知れねーもん」
    「ま、それはいつも言ってるアレだよ、アレ」
     振り返ったロロに、ラフィが満面の笑顔でこう返した。
    「人に優しく、世の中に優しく!」
    「おう。もちろん自分にも優しく、だぜ」
    「分かってるって~」
     うんうんうなずき、ラフィがロロの背中を抱きしめる。
    「先生に教えてもらったこと、あたし、大事に大事に守ってるよ~」
    「んっ……、ああ」
     ロロの首に腕を回し、顔を赤らめるラフィと、ここまで饒舌だったロロが急に黙り込んだのを見て、ラックは何かを察しかけたが――横にいたダニーがウインクし、口に人差し指を当てているのを見て、何も言わずにおいた。
    緑綺星・福熊譚 8
    »»  2023.09.15.
    シュウの話、第121話。
    無明の中で生きると言うこと。

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    9.
     日中は授業や何かしらの工作作業、校庭を作り変えた畑での農作業で騒々しかった「学校」も、夕闇が迫るに従って、段々と静かになっていた。
    「電気通ってないからな。暗くなったら寝る、が基本だ」
    「発電機があるって言ってなかったですか?」
     尋ねたラックに、ロロは肩をすくめて返す。
    「んなもん、もうブッ壊れちまってるよ。10年も前にな。そもそも燃料も、とっくに無くなっちまってる。とは言え、不便ってこともないがな。20年こうして暮らしてると、無くても何とかなるって分かる。……てのは強がりだな」
     校舎の屋上に立つ二人の視線の先には、優に5メートルを超えるコンクリート製の壁と、その向こうにうっすら見える街の灯りがあった。
    「できることなら俺だって、20年前の暮らしに戻りたいよ。貧乏だったが、なけなしのカネを使えばコンビニでそこそこのメシが食えたし、銭湯に行けばさっぱりできた。ベッドで大の字になって、何の心配もなくぐっすり寝られたし、ちょっと不満があったら役所なり何なり、文句言って対応してもらえるところもあったんだからよ。
     でも今はそれが無い。メシは自分で育てて作らなきゃならないし、NPOが手押しポンプ作ってくれるまで、風呂どころかトイレにも苦労してた。夜になっても、いつワケ分かんねえバカが寝込み襲ってくるか分かんねえんだから、ぐっすりなんて寝れやしねえ。生きるか死ぬかってレベルの不満があっても、誰も聞いちゃくれない。……辛えよ、この暮らしは」
    「ロロさん……」
     的確な返事ができず、棒立ちのままのラックに、ロロは薄く笑って返しつつ、校舎の南にあるバリケードを指差す。
    「だからよ、あそこに湧いた石油は俺たちの希望なんだ。あれを上手いこと掘り出して売ることができれば、俺たちにはカネが入る。カネが入れば、モノが買える。20年前の暮らしを取り戻せるはずなんだ。それを信じて、俺たちはあの油田を守ってる。
     ……これはまだ、あんまり周りにゃ話してないんだが、ちゃんとカネが入ったら、俺はこの特区を立て直したいんだ。カネがほしい、いい暮らしがしたいとは言ったが、俺は正直、億万長者には憧れてない。俺一人がぜいたくしたって、楽しくも何ともねえ。……そう言うのは20年前、俺にゃ合わないってのが良く分かったからな。それよりこの特区で困ってる人間がいたら、優しくしてやりたい。できる限り助けてやりたいと、そう思ってる。
     だけど壁の向こうのあいつらはどうだろう? 今までこれっぽっちも助けてくれなかったのに、石油が出るって分かった途端に兵隊よこしてきたような恥知らず共だ。しかもその兵隊は、ここにいた俺たちを平気で撃ち殺そうとした。
     あいつら俺たちのことを、『人』だと思ってねえんだよ」
    「……っ!」
     その言葉に、ラックの胸はぎゅっと締め付けられた。
    「人と思ってない相手に、誰も手を差し伸べやしねえ。ましてや優しくしようなんて、思うわけがねえ。奴らにとっちゃ俺たちを殺すのは『討伐』や『虐殺』じゃなく、『害虫駆除』や『草むしり』感覚だろう。平然と俺たちを皆殺しにして油田を制圧し、20年前みたいにそれっぽいウソを立て並べて、自分たちのやったことを正当化するだろう。
     俺はそうなるのが嫌だし、怖い。20年守ってきた俺の生徒たちが殺されるのも嫌だし、どうあれ築かれてきた特区の社会がこの世から消えちまうって考えたら、怖くてたまらん。俺は守りたいんだ。生徒も、ここに住む人間も、特区そのものも」
    「……優しいんですね、本当に」
    「だけどその優しさが、俺に覚悟を決めさせねえ。兵隊が来るんなら、もっと武器を集めなきゃならねえ。買う気になりゃ、この街で鉄砲でも手榴弾でも買える。だけど兵隊とマジで戦って傷ついたり、死人が出たりするんじゃと考えると、手を出せねえんだ」
     そう言って顔を覆うロロに、ラックは――いつもの気弱な彼自身がびっくりしてしまうくらいに――はっきりとした声で答えた。
    「俺が守ります。任せて下さい」
    「……会って2日も経ってないお前さんに『俺たちを守ってくれ』『俺たちの戦いに協力してくれ』なんて頼み事するなんて、バカげてるし調子が良すぎるが、……頼りにしてる」
    「はい」
     話している内に日は完全に沈み、街はすっかり、真っ暗な闇に包まれていた。

    緑綺星・福熊譚 終
    緑綺星・福熊譚 9
    »»  2023.09.16.
    シュウの話、第122話。
    横暴と傲慢。

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    1.
    「石油湧出地確保を目的とする前回の出動につきまして、兵士が撮影した映像を解析したところ、合成や加工の類が見られないことを確認しました」
     将校の報告を聞き終えても、会議室に居並ぶ幕僚たちの、興ざめ気味の顔色に変化はない。
    「だから?」
    「映像に映っている巨大生物は本物である、と」
    「何を言っているのかね? そんなものがいるはずはない。常識的に考えればそうだろう?」
     幕僚たちは異口同音に、否定的意見を立て並べる。
    「どうせ難民どもの仮装か何かだ。こけおどしでビビらせようと言う魂胆が見え見えだ」
    「まったく、大の大人が、それも名誉あるトラス王国軍人が、そんな情けない子供だましに引っかかるとは!」
    「いいかね、二度とこんなバカバカしい報告で我々の手を煩わせるんじゃないぞ。今回は厳重注意で済ませておくが、次にまた同じ報告をするようなら、君の処分も検討させてもらうからな」
    「……承知しました」
     映像をろくに吟味するようなこともせず、幕僚たちはバラバラと席を立ち始めた。
    「もう一度出動させろ。今度はあんな子供だましで怯むような腰抜けじゃなく、もっと勇敢で勇気のある者をだ」
    「はい」
    「ああ、バカバカしい! 子供のお使いじゃあるまいし、こんなことで一々人を呼ぶとはな。あの眼鏡くん、さっさと更迭した方がいいんじゃないかね?」
    「まあまあ、誰にだってミスくらいありますよ。今度こそちゃんとやることやってくれるでしょうよ、これだけお説教したらね」
    「違いない。でなければよほどの無能だ」
     会議室に一人残されたその、眼鏡の将校は、しばらく唇を噛んで顔を真っ赤にしていたが――やがて、はあ、と苛立たしげなため息を一つ吐き、ポケットからスマホを取り出した。
    「私だ。もう一度特区に兵士を派遣しろとのご命令だ。今度はもっとバカ……、いや、勇敢な人間を向かわせろとのことだ。……ああ、そうだよ、バカだ。何が出ようと無差別殺戮できるくらいの愚か者を特区に向かわせろとのご命令だよ。……ああ、そいつでいい。人員の采配もそいつに任せればいい。責任をすべて負わせる形にしてくれ。私はもう知らん。……ああ、それで頼む。それじゃ」
     通話を終えるなりスマホを机に叩きつけ、将校はもう一度ため息をついた。
    「……クソジジイどもめ。少しは現実を見たらどうなんだ」

     結局、未確認の巨大生物――ラックが油田制圧部隊の前に現れ、任務を妨害した一件は「ただの扮装」「兵士らしからぬ情けない判断」とみなされ、同様の兵員が再度、難民特区に派遣されることとなった。



     そして前回と全く同じように現れた120人の兵隊は、目標である石油湧出地、即ちラコッカファミリーのテリトリー内に足を踏み入れた。
    「構え!」
     そしてロロたちと顔を合わせるなり、何の通達も行わずにいきなり、兵士たちに小銃を構えさせた。が、王国軍がこうした乱暴な手段に出ることを予想していないロロではない。
    「ラック、今だ!」
     ロロは即座に自分たちの最高戦力、即ちラックを呼んだ。
    「グオオオオッ!」
     瞬時にあの名状しがたい獣の姿となったラックが王国兵の前に降り、立ちはだかった。
    「フン、そいつが報告にあったコスプレ野郎かよ」
     見るからに蛮勇くらいしか取り柄のなさそうな顔の隊長が、構わず号令する。
    「撃て! あの着ぐるみを粉々にしてやれ!」
     号令に従い、兵士たちは小銃をラックに向け、集中砲火を浴びせたが――前回とまったく同じ条件下での、まったく同じ行動であるため、結果もまったく同じとなった。
    「き……効きません!」
     1000発以上の弾丸を浴びせられても、ラックの体には傷一つ付かない。
    「マダヤルノカ……?」
     おどろおどろしい声で威圧したラックに、王国軍は明らかに怯んだ様子を見せた。
    「ど、どうします、隊長!?」
    「う……撃て撃て! 撃ちまくれ! 全部使え! グレネードもだ!」
     兵士たちは携行していた武器をすべて使い、ラックにダメージを与えようと粘るが、ショットガンを撃ち込まれ、手榴弾を投げられ、さらにはグレネード砲弾を浴びせられても、ラックを仕留めるどころか、その場から1センチ動かすことすらもできなかった。
    「た、た、隊長! 弾がもうありません!」
    「ば……バカな、こんな、……こんなことがあるわけあるか!」
     しまいには隊長自らマグナム銃を撃ち出したが――。
    「モウヤメテオケ」
     ラックが隊長の腕をつかんでそのマグナムをむしり取り、装填されていた12ミリマグナム弾もろとも、ぐしゃぐしゃに丸め潰してしまった。
    「モウ一度聞クゾ。マダヤルカ?」
     ねじれ折れた指をかばったまま立ち尽くしていた隊長の胸にぽい、とその鉄塊を投げつけた途端、隊長の足元にじょわわ……、と音を立てて水たまりができる。
    「ひ、ひぇ、ひゃ、……ひゃーっ!」
     そのまま隊長は兵士たちを残し、ほうほうの体で逃げ去る。隊員たちも唖然とした顔を浮かべたまま、大慌てで逃げていった。
    緑綺星・応酬譚 1
    »»  2023.09.18.
    シュウの話、第123話。
    百変化ショー。

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    2.
    「本当にケガしてねーのか?」
    「あんだけ撃たれまくってたじゃん」
    「ええ、まあ、はい、全然」
     王国軍による二度目の襲撃を退けた後、ラックはファミリーに囲まれ、裸の上半身をあちこちからじろじろと見つめられていた。
    「ってかさっきの筋肉はどこ行ったんだよ」
    「こーして見るとただのおっさんじゃね?」
    「そりゃ贅肉的なのはないけどさー、筋肉的なのも全然ないし」
    「さっきの変身見てなかったら、マジでただのおっさんにしか見えんし」
    「あ、あの、あんまりおっさんおっさん言わないで下さい。ちょっと、へこみます」
     眉を八の字に曲げ、困った顔を見せるラックを眺めながら、ロロは首をひねっていた。
    「俺も不思議に思うね。一体ありゃ何なんだ? いや、言いたくないなら言わんでいいんだが、やっぱりどうしても気になる、……ってのは分かってくれるだろ?」
    「……まあ、そうですね。それが普通だと思います」
     ラックは頭をかきながら、しどろもどろに説明した。
    「最初に言っておくとですね、俺もよく分かんない……ってのが、正直なところなんです。気付いたら、なんかできるようになってて」
    「1回目と2回目でちょい形違ったよな? 他にも化けられんのか?」
    「はい。……あ、ちょっと危ないんで」
     ラックはうなずき、皆に離れるよう促す。皆が2メートル半ほど離れたところで、ラックは姿を、本物の虎のように変えた。
    「おわっ」
    「マジ虎じゃん」
    「かっこいい!」
    「他には? 他には化けられるか?」
    「アッハイ。コンナノモ行ケマス」
     虎の姿でうなずいたラックは、今度は全長2メートル近い鴉のような姿になった。
    「でっか!」
    「マジ鳥じゃん」
    「それ、空飛べたりできんの?」
    「チョットダケナラ」
    「飛んで飛んで!」
    「イヤ、室内ナンデソレハ」
    「人間はどーなの?」
    「例えば……こいつ、ボリスとか」
     指差された短耳を見て、ラックは彼そっくりに変身して見せた。
    「これで……どうです?」
    「うっわ、完璧ボリスだ」
    「マジ鏡じゃん」
    「じゃ、……あー……、後でよ、その……」
     こそっとラックに耳打ちしようとした男の長い耳を、隣の女がぐにっとつまむ。
    「あんた何考えてんのよ」
    「そりゃま、へへへ、アレだよ、うん」
    「絶対やんないでよ、ラック! 他人に化けんの禁止だかんね!」
    「さんせいさんせーい」
     一通りファミリー同士でじゃれ合ったところで、ロロが場を締める。
    「ま、それについては俺も同意見だ。倫理的に大問題だからな。この数日でラックがクソ真面目な奴で、そんな悪いことやるなんて絶対ないってのは十分分かってるが、一方で頼み込まれて嫌って言えない性格なのもよく分かってる。だからみんな、ラックには他人に化けてもらうって頼むのは、絶対ナシな」
    「は~い」
    「それより問題は――あー、そろそろシャツかなんか着ろよ、ラック――こうして2回、一人もケガ人を出すことなく兵隊を追い返せたわけだが、俺はただの幸運だと思ってる」
    「親父は運いいもんな」
    「そう言う話じゃねえよ。いや、もしかしたらそうかも知れんが、俺が言いたいのは、次に襲って来た時、今度こそ無事じゃ済まんだろうってことだよ」
     ロロの言葉に、浮き立っていた皆は一様に不安な表情を浮かべた。
    「まあ……だよな」
    「ラックが銃も砲弾も効かなかったからビビって逃げたみたいだけど、マジになられたら何すっか分かんねえよな」
    「向こうには何でもあるんだもんな。戦車とか来るかもだし」
    「ラックなら戦車砲くれーなんてこと……」
    「いやいやいや、流石に無理ですよ」
    「そもそもラック一人狙うならまだしも、俺たちまで狙って来たらヤバいし」
    「だよなー……」
     ラックも含めて全員が神妙な顔になり、場が静まり返った。そのため――。
    「……ん?」
     物陰からのピッと言う電子音が、わずかながらはっきりと、その全員の耳に入った。
    緑綺星・応酬譚 2
    »»  2023.09.19.
    シュウの話、第124話。
    潜入取材者。

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    3.
    「誰だ?」
    「……っ」
     物陰の人間がたじろぐ気配を察し、足の早い者が数名、ばっと駆け出す。まもなく、明らかに特区の人間ではない、身奇麗な短耳の男を連れて戻って来た。
    「コイツ写真撮ってたっスよ、親父」
    「写真? ……ってあんた、見覚えあるな」
     腕をがっちりとつかまれた短耳の顔をしげしげと見つめ、ロロはポン、と手を打つ。
    「ああ、そうだ。あんた、あの農業支援NPOのアレ……『緑と土の会』に付いてきて、俺たちに取材してた記者さんだろ」
    「ああ。……分かってくれたか、怪しい者じゃないって」
    「じゃなんで盗撮してたんだよ」
    「盗撮じゃない。素の姿を撮影したかったんだ。……そろそろ離してくれ」
     痛がる様子を見せる男にうなずき、ロロは解放するよう促した。
    「離してやれ。この人数に囲まれて乱暴なことするようなタイプじゃない」
    「うっス」
     ようやく解放され、男は苦い顔をしつつも頭を下げた。
    「すまなかった。失礼なことをした」
    「『失礼な』だって? その画像、どうするつもりだったんだ?」
    「記事に使おうと考えていた。もちろん無断使用するつもりはない。撮った後であんたらにちゃんと挨拶して、使用許可を取る予定だったんだ」
    「ウソつけ。黙って逃げるつもりだったんだろ」
     すごむファミリーに、ロロが首を振って返す。
    「それはないだろ。このお兄ちゃん、礼儀正しいと言うか、やたら律儀な男だからな。前の取材ん時だって、わざわざ段ボール箱一杯にメシ持ってきてくれたしよ」
    「覚えててくれたのか?」
     目を丸くした男に、ロロはにかっと笑いかけた。
    「俺も律儀な方でよ、受けた恩は忘れねえようにしてる。名前もちゃんと覚えてるぜ、カニート・サムスンさん」
    「あー、と……すまんが、『サムソン』だ。あの時にも説明したと思うが」
    「んっ? ……っと、いけね。あん時と同じ間違いしてんな、俺。『猫』のお嬢ちゃんの方が『ス』で、あんたの方が『ソ』だったな」
    「スペルは一緒だが、あいつのご先祖さんが外国人だったから、ちょっと風変わりな読み方がそのまんま続いてるんだそうだ、……ってとこまで説明してたよな。覚えててくれたみたいでどうも」
    「いやぁ、成り行きしか覚えてなかったな、すまんすまん」
     揃って頭を下げ合ったところで、ロロが真面目な顔になる。
    「それでサムソンさん、今日は何の用だ? まさかこのタイミングで農業ドキュメンタリー組むって話じゃねえよな?」
    「ああ、油田の件で訪ねた。だが色々と予想外のことが起こってて、どう記事にしたものかと悩んでるところだよ」
     そう返して、カニートはラックの方に目をやった。
    「俺の予想じゃ、震災のどさくさに紛れて油田を強奪したトラス王国軍の横暴、……みたいな記事にできるかと踏んでたんだ。ところがどう言うわけか、一度目に派遣された軍がわたわたと逃げ帰ってきたって聞いて、これは何かあるなとにらんだんだ。それでこっそり二度目の派遣を撮影してたわけだが、まさかこんな事態になってるとはな」
    「そ、その……もしかして俺のこと、記事にするんです?」
     ことさら嫌そうな表情を浮かべたラックに、カニートは首を横に振って返した。
    「したところで誰も信じるわけがない。何しろ軍のお偉方だって、『ニセモノだ』『トリックだ』と断定してもう一回、まったく同じ規模の部隊を派遣したって話らしいからな。……とは言え二度も同じ負け方をして、その上負傷者も出たんだ。次こそは、本気の殲滅部隊を送り込んでくるだろう」
    「……だろうな」
     苦い顔をするロロに対し、カニートはニヤ、と笑って見せた。
    「だが俺に考えがある。上手くすれば、三度目の派遣をしばらく止められるだろう」
    「なに?」
    「そこで交換条件だ。この油田の件に関して、俺に独占取材の権利を取らせてくれ。他のメディアには一切応対せず、俺とだけ話をするよう約束してほしい。そうすれば今言ったアイデアを実行し、軍の派遣を止めさせる。どうだろうか?」
    「んなもん約束しなくっても」
     ロロは肩をすくめ、カニートに手を差し出す。
    「この数日、取材目的で来た王国民はあんただけだ。あんたがブッちぎりの一着な以上、あんたが最優先だろ」
    「そう言ってくれて嬉しいね」
     カニートはロロと堅く握手を交わし、取材契約を結んだ。
    緑綺星・応酬譚 3
    »»  2023.09.20.
    シュウの話、第125話。
    ????リポート;トラス王国軍の非道を暴く!

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    4.
     かつては超大国・中央政府亡き後の希望の星、地域共同体「新央北」の誇る若く雄々しい宗主国であったトラス王国も、年月を経る内にあちこちが衰えてきているらしく、特に近年の凋落ぶりは著しかった。
     と言うよりも年月を経た大国であるが故に、政財界には古い慣習と常識を重んじる保守層が多く、近年目覚ましい成長を遂げる電子産業や情報通信産業ではなく、旧態依然とした重工業や化学工業に固執・偏重したために、前者に多大な投資・貢献をしていた他国に、相対的に大きく遅れを取っており、王国の経済成長は後退・衰退の一途をたどっていた。そのため諸外国、とりわけ「新央北」加盟国からの信用が年々失われつつあり、近年では投資機関の撤退や、「新央北」脱退の動きさえ見られていた。
     それでも辛うじて、現在に至るまでこの合従体制を維持できていたのは、王国が白猫党への脅威に対抗しうる強大な戦力・軍事力を有していたからである。言い換えればトラス王国軍に対する信用度だけが、「新央北」諸国をつなぎとめる唯一の理由だった。

     ところが今回の、難民特区における二度の無様な敗走で、保身と内部抗争にばかり執心していた幕僚たちも、流石に特区への対応を真面目に検討せざるを得なくなった。何故ならこの失態をいつまでも挽回できなければ、「新央北」加盟国らに自慢の軍事力を疑われてしまう。最悪の場合、彼らの脱退に結びつく可能性があり、その国益損失を追及されかねなかったからである。
    「とにかく……まあ、事実上の結論として、素直に認めるしかあるまい。あのデカブツは本物と言うことだろう」
    「何しろ携行していたすべての武器を使い果たして、傷一つ与えられなかったと言うからな。負傷者も出たわけであるし」
    「とにかく次の手を早急に講じねば。打てる手は何でも打つべきだ。戦車でも戦闘機でも投入して、あのバケモノを仕留めねばならん」
    「あれをどうにかせねば、油田掌握など不可能だからな。とは言え我々の本気、全力を以てすればあんなケダモノなど、どうと言うことはあるまい」
     この期に及んでなお、相手をどこか軽視した――その上、難民に対して配慮する様子が一切ない――対策会議を行っていたちょうどその時、前回同様、仏頂面で報告を行っていた将校のスマホが鳴った。
    「失礼します。……今会議中だ、後に、……うん? ……うん!? なんだと!?」
     後ろを向いて通話していた将校の狼耳と尻尾が、ぴんと立った。
    「動画のアドレスは? TtTに? 分かった、すぐ確認する。一旦切るぞ」
     通話を切り、将校は幕僚たちに真っ青な顔を向けた。
    「みなさん、緊急事態です」
    「うん?」
    「動画がどうのと言っていたな? 何かまずいものが、ネットに上がったのか?」
    「はい」
     将校はスマホを操作し、部下から送られた動画を幕僚たちに見せた。
    《ご覧下さい。トラス王国軍所属の兵士たちが、何の通達もせずに難民に向けて発砲・攻撃しました。これがトラスの実情です。難民たちを人間と思わず、ただの『駆除対象』としか見ていないのです。
     ただ、今回は結局、難民たちの必死の抵抗を受けて退却したとのことですが、いつまた、こうした非人道的な襲撃を敢行するか、予断を許さない状況となっています》
     男性の声でナレーションが付けられた映像は――会議で吟味されていたものとは別角度ながら――間違いなく、難民特区に派遣した兵隊たちだった。
    「な……っ!? なんだこれは!?」
    「既に再生回数は100万を超え、我が国を批判・非難するコメントが多数寄せられているそうです。国外からも」
     真っ青な顔で報告した将校に、幕僚たちも青い顔を向けていた。



     話し合いも行わずに100人規模の軍を差し向けて襲撃した件がネットを通じて大々的に喧伝された結果、王国軍、そしてトラス王国自身にとって、決して軽視できない醜聞を招いた。
    「聞いたか? 難民特区の話」
    「あれでしょ、王国軍が皆殺しにしようとしたって」
    「マジひどいよね」
    「いくら石油が出るかもって言ってもさ、人殺ししてまで奪おうとするかよ、ふつー?」
    「アタマおかしいよな。金の亡者って感じ」
    「ってか、人殺しの話抜きにしてもさ、今じゃないじゃんって思うんだけど」
    「だよな。地震からまだ半月も経ってないってのにな」
    「まだ崩れたままのビルとか学校とかあるんだし、そっち行けっての」
    「救助も救援もせずに石油目当てで難民虐殺って、ホントに腐ってるよな、王国」
     こうした国内外からの批判に抗えず、王室政府は軍に通達し、三度目の派遣を中止させた。
    緑綺星・応酬譚 4
    »»  2023.09.21.
    シュウの話、第126話。
    批判動画の反響と反応。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     王国軍批判の動画が公開されてから2日後、再びカニートが「学校」にやって来た。
    「王国は大騒ぎになってる。王室政府は――救助が最優先の国務だの何だのって言い訳して――派遣を行わない旨を正式表明した。それにちょっとネットを探れば報告サイトだの監視サイトだのが一杯立ってて、正義の味方気取りの国民が逐一王国軍の動きを伝えてる。少しでも変な動きすれば、すぐ大炎上かって状況だ」
    「そんならしばらくは安心、……と言いたいところだが、あんたは大丈夫なのか?」
     ロロに尋ねられ、カニートは苦い顔を返した。
    「軍が躍起になってあの動画の出処を探ってるってのも、その監視サイトで報告されてる。バレたらタダじゃすまないだろうな」
    「ツラの皮の厚いヤツらだから、損害賠償やら何やら言ってくるのは間違いないな。会社もクビになるだろうし」
     そう返したロロに、カニートは「いや」と首を振る。
    「去年からフリーになったから、その点は心配ないんだ」
    「ん? じゃああんた、どうやって特区に出入りしてるんだ? 『デカい会社がバックにいるからフリーパスなんだ』みたいなこと、何度か言ってた覚えがあるが」
    「実はフリーになった旨を軍に伝えてない。だが会社にいた時から何度も通ってるから、『ああ、いつもの』みたいな感じで、ここ1、2年は通行許可証をチェックされてないんだ。実質、顔パスみたいなもんだな。とは言え徹底調査って話になったし、いつバレるか分からない。通信もセーフエリア経由だからいつ止められてもおかしくないし、セーフエリアに戻ること自体がもうヤバいかも」
    「じゃ、これからどうすんだ? 特区でジッとしてるばっかりじゃ、何もできやしねーだろ?」
     そう尋ねられ、どことなく斜に構えていたカニートの顔に渋みが浮かぶ。
    「そのー……軍の混乱に乗じて一旦戻ろうって考えてたんだが……思ってたより動きが早くて……慌てて逃げてきたと言うか……」
    「……打つ手なし?」
    「ウソだろ?」
    「自信満々に動画流しといてそれかよ」
    「だっせぇ」
    「うぐぐぐ……」
     ファミリーからもなじられ、カニートはとうとう黙り込んでしまった。

     と――着信音が鳴り、カニートは胸ポケットからスマホを取り出す。
    「ん? ……あいつか。もしもし?」
    《あ、つながった。今大丈夫ですかー?》
    「ああ、大丈夫だ」
    《ソレじゃズバリ聞きますけど、動画流したのって先輩ですー?》
     その質問に、カニートも、周りのファミリーたちも目を丸くした。
    「動画って……」
    「例のアレだよな」
    「誰なんだ、相手?」
     誰からともなしに尋ねられ、カニートは小声で答える。
    「俺の元後輩だ。……動画って何の話だ?」
    《あ、トボけちゃうんです? 動画の声、先輩のでしたけどー》
    「……」
     しばらく沈黙が流れたが、やがて諦めた様子で、カニートが口を開いた。
    「そうだよ、俺だ。トラス王国軍の話だよな?」
    《ですです。で、今どちらにいます? 特区の中ですか?》
    「ああ」
    《特区にいるなら今、油田の所有権主張してる人と一緒にいますよね?》
    「そう推理した理由は?」
    《先輩のコトだから、『軍を遠ざける代わりに取材させろ』って感じの取引であの動画流したんでしょうし――ただの正義感だけで軍にケンカ売るほど粗忽じゃないでしょうしねー、流石に――ソレならその人たちのトコにいるだろうなーって》
    「100点満点だな。成長したもんだな、あのそそっかしかったお嬢様が」
    《えっへへへー、見直したでしょ?》
     電話の相手はいたずらっぽく笑って返し、こう続けた。
    《ソレでもいっこ質問なんですけど、その所有者の人と今、お話できます?》
    「ん? ……ちょっと待ってくれ」
     カニートはロロに、スマホを向ける。
    「話してもらっていいか?」
    「おう。……もしもし? 俺が一応、所有者ってことになってる」
    《改めまして、シュウ・メイスンと申しますー》
    「ロロ・ラコッカだ。よろしく」
    《確認なんですが、ラコッカさん以外に石油の所有権を主張してる人、いたりします?》
    「ん? いや……いないな」
    《対立中だったりってコトもなく?》
    「ああ。俺、と言うか俺の学校……、んん、まあ、俺の組織、……ってのも違うな、うーん、とにかく俺んとこだな、ウチの所有ってことで話は付いてる」
    《なら話が早いな》
     と、シュウのものではない声が割って入ってくる。
    《ロロとか言ったな。単刀直入に言うぞ。石油の話、オレにまとめさせろ》
    緑綺星・応酬譚 5
    »»  2023.09.22.
    シュウの話、第127話。
    石油をめぐる最も大きな問題。

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    6.
     顔も名前も知らない相手からの突然の提案に、カニートも、ロロも面食らった。
    「なんだって?」
    「あんた、一体誰なんだ? そんなこと突然言われて、『おう、いいぞ』なんて二つ返事で答えると思うのか?」
    《だろーな。だが状況は差し迫ってるはずだ。軍を足止めしたのはファインプレイと言えるが、ソレでグズのトラス王国を躍起にさせちまったのはかなりまずいだろ? オレの……、いや、シュウの予想じゃカニート、お前さんは今、特区に足止め食らってるはずだ》
    「ああ……まあな」
    《打開策は? ニセ名義の通行許可証で通るつもりか? ソレとも自前でヘリでも持ってんのか?》
    「……いや、無い。出るアテがなくて困ってるところだ」
    《だとよ。マジでシュウの予想通りだな》
    《ホント先輩って二の手、三の手考えない人ですよねー。礼儀とか事前の打ち合わせとかはキッチリしてますけど、アドリブが利かないって言うか、プラスアルファの気配りができないって言うかー》
     シュウのずけずけとした批難に、カニートはしかめっ面になる。
    「うるせえよ。どうせ俺は甲斐性なしだ。……で、それが何なんだ? 八方塞がりの俺と難民が可哀想だってのか?」
    《ま、八方塞がりは確かにその通りだ、な。その様子じゃお前さんたち、もっと重要なコトを失念してんだろ》
    「もっと重要? 軍の追及以上に重要なことがあるってのか?」
     尋ねたロロに、相手はため息混じりに尋ね返してきた。
    《あのな、仮に王国軍を完膚なきまでに蹴散らして、『やったー油田守ったぞーオレたちのモノになったぞー』ってコトになったとするよな? じゃ、ソコからどうすんだよ? 石油でそのまま買い物できるワケじゃねえよな? お前ら、どーやって石油を売ってカネ稼ぐつもりなんだよ? アテがあんのか? 石油を採掘して精製して加工して販売する手段がお前らにあんのかよ?》
    「うっ……」
     なじられ気味に指摘され、ファミリーは顔を見合わせる。
    「そー言やそーだよな」
    「このままじゃただのくっせえ水だもんな」
    「親父、なんかアテあんのか?」
    「……考えてはいたが、……いや、いい案は浮かんでなかった」
     そう答えたロロに、電話相手がこう続ける。
    《現時点での選択肢は3つだ。1つ、恥知らずのトラス王国に開発と販売を依頼する。だがこんな案はお前ら、絶対イヤだろ?》
    「そりゃそうだ」
    《んで2つ目、その油田を――うわさの段階から――狙ってた白猫党に売るって話だ。だがこの案も呑めねーだろ?》
    「当たり前だ!」
     ロロが憤り気味に答える。
    「あんな人を人とも思わねえ悪魔どもに売ってたまるか。どうせろくにカネも出さずに奪い取るつもりだろうしな」
    《だろーな。ソレじゃ1つ目も2つ目もイヤだ、となるよな。ソコで第3の選択だ》
    「いや、いや、待てって、おい!」
     たまりかねた様子で、ロロが声を荒げる。
    「だから言ってんだろうが。どこの誰とも分からん奴からあれやこれや指図されて、じゃあそうするわってなんねえっての。あんた、一体誰なんだ?」
    《そー言や名乗ってなかったな。オレは克天狐だ。天狐ちゃんでいいぜ》
     この名乗りを受けるも――多少は一般的な世俗知識のあるロロと、情報通のカニートを除いて――ファミリーたちはぽかんとしていた。
    「てん、……誰?」
    「自分でちゃん付けかよ」
    「え、痛い娘?」
    「地雷系ってヤツ?」
    「引くわー」
     そのざわめきを聞いていたロロが、あわてて皆をなだめる。
    「しーっ! お前ら、それ絶対言うな」
    「なんだよ、親父?」
    「さっきまで『お前なんか知るか』って態度だったのに」
    「いきなり態度コロッと変えんなよなー、かっこわりぃ」
    「お前ら……分かってねえだろ、相手が何者か」
     ロロは額に手を当てつつ、やんわりと説明し始めた。
    「あのな、黒炎教ってあんだろ? 黒ずくめのアレだよ」
    「あー、うん、黒いかっこしたアレ」
    「コーヒーとかやたら飲んでるアレか」
    「たまーに見るよな、あのアレ」
    「その黒炎教の神様ってのは知ってるな? 授業でやってるし」
    「はーい、タイカ・カツミでーす」
     手を挙げて回答したファミリーに、ロロは大きくうなずいて見せる。
    「正解。そのカツミの実の娘が、テンコ・カツミだ」
    「え? つまり神様の娘……ってこと?」
    「そう言うことだ。何しろ神様だからな、ふつーの人間とは色々違うんだよ。寿命とか色々」
    「ふーん」
    「じゃ偉いんだ」
    「へー」
     一応納得した様子ながら、ファミリーの誰もが、どことなく軽く考えていそうな様子を見せていた。
    緑綺星・応酬譚 6
    »»  2023.09.23.
    シュウの話、第128話。
    フィクサー天狐。

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    7.
     まだどこかとぼけた様子を見せているファミリーに、今度はカニートが、もっと現実的な説明を述べた。
    「あんたら、このスマホを見てくれ。このスマホの裏面、何が書いてある?」
    「会社名か? ピクスマニア」
    「そう。一流電子機器メーカーのピクスマニアだ。その現CEO……まあ、社長みたいなもんだが、そいつとテンコ・カツミ氏には関わりがある。テンコ氏は天狐ゼミって言う魔術学専門校を開いてるんだが、そのCEOが実はゼミの卒業生なんだ」
    「へー」
    「あと、腕時計のメーカーと言ってパッと思いつくとこ、一通り言ってみてくれ」
    「うーん……カシハラ? とか、ハイエク?」
    「ナノセカンドとかあったよね」
    「あとはトポリーノとか」
    「それらの創業者も全員、天狐ゼミの卒業生だ」
    「へー……え?」
    「全員? マジで?」
     話の規模が大きくなり、ファミリーの顔に驚きの色が浮かぶ。
    「自動車メーカーで言えばATモータース、ミナト、コロモなど複数社に、ゼミ卒業生が多数関わってる。大手パソコンメーカーや精密機器メーカーの社長や会長、重役にもずらりとゼミ生がいる。最新鋭の電子機器メーカー幹部陣なんて天狐ゼミの同窓会も同然。……ここまで言えばテンコ氏がどれくらいヤバい存在か、分かるだろ?
     彼女に『ちょっと来い』と呼ばれたら、政財界のどんな大物だろうと、どんな重要な用事があろうと、大慌てで彼女の屋敷にすっ飛んで行かなきゃならないくらいの超大物なんだ。8世紀最大のフィクサーと言ってもいい」
    《長々とご紹介してくれてありがとよ。だがオレのスゴさなんか今、どーだっていい。オレが今してんのは、お前さんたちの油田をどーすんだって話だ》
     カニートが掲げたままだったスマホから、天狐のイライラした雰囲気の声が飛んで来る。
    《んで、ロロ。話を戻すが、トラス王国に売るのもイヤだ、白猫党に売るのももっとイヤだ、と。じゃあどうすんだよってなるだろ》
    「ああ……まあな。まさかあんた、いや、テンコさんが買ってくれるのか?」
    《言ったろ、テンコちゃんって呼べって。ソレと、オレは買わねーよ。んなもんいらねーし。代わりにオレからの提案、第3の選択はこうだ。お前らが起業して、石油掘って精製して売れ》
    「は!?」
     唐突な提案に、ロロの短い熊耳がぴょん、と立った。
    「なんだって!? お、俺たちが!?」
    《ソレが一番の方法だろ? 他の誰にも利権をつかませないし、誰にも騙される余地はない。コレ以上の上策はないはずだ》
    「やれっつったって、俺たちにそんな技術や設備はねえぞ!? ましてやカネはどうすんだよ!?」
     うろたえるロロに、天狐がこう返す。
    《カネはオレが出してやる。技術者も設備も、オレのツテでどうにだってできる。その他、必要なモノがあるんならいくらでも援助してやる。後はお前さんたちがやるか、やらねーかだ》
    「う……」
     場がしんと静まり返り、ロロとファミリーたちは顔を見合わせる。
    「……どうすんだ、親父?」
    「で、できんのかよ、そんなの」
    「無理だって……」
     ファミリーたちは異口同音に、天狐の提案に否定的な意見を述べる。
    「だって俺たち、バカじゃん」
    「カネ出してくれたって、設備作ってくれたって、会社なんて無理に決まってるって」
    「無理だって。どー考えても無理」
    「……」
     が――その中で一人、ロロだけははっきりと言い切った。
    「やるか」
    「……はぁ!?」
    「マジで言ってんのかよ、親父!?」
    「何考えてんだよ!? できるわけねーじゃん!」
    「お前ら、それでいいのか?」
     ロロは周りを見回し、大きく首を横に振った。
    「俺たちのすぐ目の前に現れたものすげえチャンスを――しかもカネもモノもヒトもまるごと都合してやるって言われてんのに――やりもしねえ内から『ダメだ』『できるわけねー』『無理に決まってる』って、簡単にあきらめちまうのか?
     そもそもテンコさ、……テンコちゃんみたいな提案する奴なんか、普通いるわけねえんだ。誰だってこう言う。『君たちに良い条件で買い取ってやろう』『悪いようにはしないから全部ワタクシに任せたまえ』ってな。王国がまさにそうじゃねえか。白猫党だって広報だけはいいツラしてるしな。で、実際は二束三文で買い付けたり、もっとひどけりゃ、約束なんてハナから反故にして、1コノンも払わねえって話もザラにある。
     そんな中でテンコちゃんだけだぜ、『お前らで全部やりゃいい』『お前らに任せる』っつったのは。そのための手助けまでしてくれるって言ってる。もちろん……何かウラだとか、思惑だとかはあるだろうけどな」
    《まあな》
     黙っていたスマホから、天狐の声が響いた。
    緑綺星・応酬譚 7
    »»  2023.09.24.
    シュウの話、第129話。
    創業。

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    8.
    《オレの思惑もちゃんと話しておいてやんよ。じゃなきゃフェアじゃねーし、納得しねーだろーしな。率直に言って、オレは白猫党とトラス王国が大っキライだ。どっちにも1世紀単位の因縁があるもんで、な。ましてや他人の油田を奪って軍事転用しよう、アコギに荒稼ぎしようなんてこすい真似、見過ごすワケがねーだろ。だからお前らに肩入れするんだ。
     この機会にどっちも、二度と立ち直れなくなるくれーにコテンパンにブチのめしてやるつもりなのさ》
     天狐の声色には少なからず怒りがにじんでおり、それが理屈では言い表せない信憑性を、皆に感じさせていた。
    「……テンコちゃん。あんたのことを、信じてみたい」
     ロロはスマホにかじりつくように近付き、はっきり返答した。
    「あんたが本当に俺たちを助けてくれるんなら、俺たちは、……いや、俺一人ででもやる」
    《その言葉を待ってたぜ》
    「だが一つ、お願いしたいことがある。顔も知らない奴の言うことをホイホイ聞きたくないってのは、分かってくれるだろ?」
    「同感だな」
     スマホからではなく――部屋の外から、声が飛んで来る。
    「……!?」
     ドアが音もなく開き、金毛九尾の狐獣人が現れた。
    「オレとしても、一度も顔を合わせるコトないまま仕事の話なんざしたかねー性質でな。ましてやコレは世界を変えるレベルの大事業だ。そんな重大プロジェクトを最初から最後までコソコソとスマホの向こうで指示する役なんざ、オレの好みじゃねーよ」
    「あんたが……テンコちゃん?」
     面食らった様子のロロと同様、ファミリーたちも天狐の幼なげな容姿に、驚いた声を上げていた。
    「ちっちゃ」
    「え……年下?」
    「マジ子供じゃん」
     彼らを一瞥し、天狐は肩をすくめて返した。
    「言いたいコトは色々あるがよ、とりあえず改めて自己紹介させてもらうぜ。オレが克天狐だ。ロロってのは、この中で一番トシ食ってそーなアンタか?」
    「ああ、俺だ。残念ながらこんな環境なんで、俺も含めてこいつらの礼儀作法はからっきしだ。それだけは容赦してほしい」
    「とりあえず開口一番、オレにガキだの子供だの言わなきゃソレでいい」
     そう返され、ファミリーたちは揃って頭を下げた。
    「すんませんっした!」
    「おう。……ケケ、素直なトコは評価してやんよ。ともかく話は早いトコ進めたい」
     天狐がパチ、と指を鳴らすと、高級そうなスーツに身を包んだ、黒毛の狼獣人の女性が、アタッシェケースを2つ持って現れた。
    「まずはとりあえずの支度金、10億エルだ。と言っても特区の中で札束渡したって何にもならねーから、白紙名義の通帳で渡しとく。名前書いとけ」
    「じゅっ……」「おくっ……!?」
     額を聞いて、ファミリーがざわめく。
    「ソレからスマホだな。さっきの通帳に紐付けた預金管理アプリが入ってる。取引に使え。オレの電話番号とTtTの連絡先も入れてるから、なんかあったらまずオレに連絡しろ。使い方は……カニートだっけか、アンタ、教えてやれ」
    「あ、ああ」
    「あと、コイツが今回の話、一番のキモってヤツになる」
     狼獣人が2つ目のケースを開けると、そこには紙束が入っていた。
    「なんだあれ?」
    「おカネ……じゃないよな」
    「何かの書類?」
     ケースの中を覗き込んだファミリーは、そろってけげんな表情を浮かべる。ロロも同様に、中身を指差して尋ねた。
    「そいつは?」
    「一言で言や、トラス王国の『ツケ』さ。何十年も威張り散らして好き放題やってきたツケが、こーしてココに集まってるってワケだ、な」
    「ツケ……?」
    「既に工事の業者も手配してある。1ヶ月で操業可能な状態まで持っていく予定だ。本格的に動くのは明日からになるから、今日はとりあえず会社の設立宣言だ。
     よろしく頼むぜ、ロロ社長」
     おそらくは肩辺りを叩こうとしたのだろうが、流石に身長差が50センチ以上もあったためか――天狐は肩まで挙げかけた手を「おっと」と言って引っ込め、握手の形に変える。ロロは服の端で手をぬぐってから、その手をしっかりと握った。
    「ああ、任された。……と言っても俺は経営の『け』の字も知らない。イチから教えてくれ」
    「いいぜ。教えるコトにゃ慣れっこだ」
     がっちりと固い握手を交わし――この無法地帯に、約20年ぶりに会社が設立された。

    緑綺星・応酬譚 終
    緑綺星・応酬譚 8
    »»  2023.09.25.
    シュウの話、第130話。
    黒いうわさ?

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    1.
    「ラコッカファミリー主体で石油会社を作る」と言う天狐の飛び抜けた発案はただちに実施され、難民特区には連日、諸外国から人員や資材が山のように集まってきていた。
    「なんだ、あの人だかり?」
    「ラコッカのとこらしい。なんでも石油、本格的に掘り出すんだとさ」
    「へー……?」
     そのにぎわいを遠巻きに眺めるならず者たちは――長らく法の庇護と近代的倫理観に接していない人生を歩んでいるためか――公然とよからぬことを企む。
    「あいつらバカなのかな? こんなとこに資材集めたら、片っ端から盗まれるだろうに」
    「ってか俺らも後でかっぱらいに行くか」
    「だな。最近いい儲け話もねーし」
     が、多少は事情を知っているらしい者が、それを止める。
    「やめとけやめとけ。あいつらのバックになんかめちゃめちゃヤバい大物がいるって話だぜ」
    「なんだよ、大物って。んなもんがいようがいまいが、盗みの現場にパッと来られるわけでもないだろ?」
    「それがそうでもないらしい。なんでもあの……、えーと、なんだっけか、ナントカってのがいてだな、……あー、そうそう、カツミとかなんとか」
    「カツミ? 人の名前か?」
    「ここいらにいそうな名前じゃねーな」
    「南海とか北方とか、央南とか、とにかく相当遠くっぽい」
    「央南って、……あ、もしかしてタイカ・カツミ? 黒炎教団の?」
    「えっ」「黒炎?」「マジで?」
     教団の名前が出た途端、ならず者たちは苦い顔を並べる。
    「黒炎教の奴ら相手にすんのはちょっとなー……」
    「だなぁ。あいつら報復だの仕返しだのに関しては、嫌になるくらい徹底的にやってくる奴らだし」
    「何年か前に死んだダチの知り合いも、教団にちょっかい出して殺されたって話だし」
    「……やめとくか。わざわざヤバいところに手ぇ出して殺されんのもバカらしいし」
     悪事を企てようとはするものの、うわさがうわさを呼び、結局ほとんどの者は手を出そうとしなかった。

     が、その中でもやはり、蛮勇と強欲に突き動かされる愚か者も少なからずおり――。
    「へっへっへ……」
     そうした愚か者数人が人目のない夜間、こっそりと資材置き場に押し入った。
    「さーてと、何盗ろうかな……」
     下卑た笑みを浮かべ、両手をこすり合わせて物色していると――突然、そのならず者の衣服がばさっと裂かれ、細切れになって散った。
    「……へ?」
     気付けば頭髪や尻尾の毛まで刈られ、丸裸になった男の前に、刀を持った黒ずくめの少年が現れた。
    「天狐ちゃんから『殺しはすんな』って言われてるから、初太刀はそれで勘弁したげるよ。でもまだ何かしようって言うなら、その猫耳片方くらいは取らせてもらうよ」
    「ひ……」
     ほおに切っ先をぺたりと当てられ、男はへなへなとその場に崩れ落ちる。それを見下ろしていた少年ははあ、とため息をつき、切っ先を資材置き場の出入り口に向けた。
    「座らないで。立って。そんで、さっさとどっか行って。そうしてくれれば追いかけないし」
    「はっ、はっ、はひっ、いますぐっ」
     男はあっと言う間にその場から逃げ去り、男の仲間たちも大慌てで追従していった。一人残った少年は刀を襟首の中にしまい込み、もう一度ため息をついた。
    「つまんないもん斬っちゃったな」



     計画始動当初は彼らのように盗みを働こうとする無法者が現れたものの、黒炎教団とのつながりをうわさされ、また、実際に撃退された者たちが自らの愚かな体験談を吹聴して回ったことで、ラコッカファミリ―――いや、「ラコッカ石油株式会社」に押し入ろうとするならず者は、一人もいなくなった。
    「ってワケで海斗、夜の集中警備は今晩で終わりでいいぜ。明日からは他のヤツと同じシフトで過ごしていい」
    「ありがと。やっとネトゲできるよ……ふあ~」
     天狐からの辞令を受け、海斗はあくび混じりに返した。
    緑綺星・聖怨譚 1
    »»  2023.09.27.
    シュウの話、第131話。
    勢力図激変の予兆。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     流石に8世紀最大のフィクサーとうわさされるだけあり、天狐は十重二十重の戦略・作戦によってラコッカ石油の、難民特区における地位と権力を固めさせていた。前述の、天狐にまつわるうわさを流し、盗みを働こうとするならず者たちを殺さず追い払っていたことも、その一環だった。特区内のならず者を退けると共に余計な争いを避けさせ、後に行うことを予定している特区内での求人活動に支障が出る可能性を減らすためである。
    「でなきゃ操業もままならねーからな。現状の人員だけじゃ絶対回らねーし」
    「だよなー……」
     数日前までボロボロに垢じみたTシャツに身を包んでいたロロは、今はさっぱりしたスーツ姿を装っていた。「組織のトップ、会社の顔に汚ねーツラされてたまるかよ」とする天狐の指導によるものである。
    「何だかんだ言って、俺んとこにいるのは半分が子供だからなぁ。資材運びやら何やらの力仕事は流石にさせらんねえし」
    「そんでも大人はほぼ全員がやるっつってくれたからな。オレの予想じゃ、せいぜい5人か6人くらいかと思ってたんだが、案外協力的で助かったぜ」
    「ありがてえ話だよ。半ば俺とあんたのワガママみたいな話に付き合ってくれるんだからよ。……いや、もちろんこの計画がすごく大事なことだ、世界的大事業だってのは、ちゃんと理解してるつもりだ。操業しだしたら間違いなく、世界経済ってやつに影響を及ぼすだろうし」
    「ソレどころじゃねーさ」
     天狐は自分が土産に持って来ていたブラウニーをほおばりながら、机の上に広げていた地図をフォークで指し示す。
    「この石油、そして石油製品が近隣地域に安定供給できるようになれば、今現在の央北西地域の勢力図は激変するだろう。
     現状じゃ『新央北』、つまりトラス王国を中心とした経済共同体が央北西地域全域に展開されてるが、『新央北』加盟国は事実上の王国の属国、しもべ扱いだからな。王国に開発援助とかのカネ出せ、国債の償還待ってくれって言われたら、加盟国は渋々従わなきゃならねー。近年じゃその横暴がひどくなってきてて、加盟国は不満たらたらって話だ。
     その従属の最大の理由が、防衛能力の事実上の委任――つまり白猫党の脅威を防ぐ役目をトラス王国に一任せざるを得ない状態になってるコトにあるワケだ。言い換えればソレだけ王国の軍事力が『新央北』内で飛び抜けてるってコトだが、その軍事力の源ってのはなんだか分かるか?」
    「うん? うーん……そりゃ兵隊の数とか、装備の強さとか」
     ロロの回答に、天狐は「ソコだよ」と返す。
    「その装備の充実こそが、王国ご自慢の重工業の賜物(たまもの)だ。逆に言や、王国が『新央北』圏内の重工業のシェアを独占しちまってるから、他の加盟国内で重工業発展の余地がなくなっちまったんだ。となりゃ当然、どの加盟国も自前じゃまともな軍事力が保てない。よそから装備を買って整えようにも、王国からは相当ふっかけられるし採算が合わねー。かと言って加盟国外からとなれば、王国が黙っちゃいない。王国に頼る以外の選択肢を軒並み奪われ、そうして出来上がったのが王国一強体制ってワケさ」
    「うへ、アコギなもんだなぁ」
     呆れた声を上げたロロに、天狐は深くうなずいた。
    「ところがよりによってこの特区に――『新央北』に隣接し、かつ、王国の指図を受けない地域に――石油産業を軸とする重工業が興ったら? 王国唯一のアドバンテージである軍事力の源を、加盟国全域に供給できるとなったらどうなる?」
    「……! おい、それって!?」
    「お察しの通りってヤツさ。長いコト骨抜きにされてた加盟国も、ちゃんとした軍隊を構えて自立できるようになる。そうなりゃもう、軍事力をタテにして専横を続けてきた王国に追従する理由がなくなる。アドバンテージを失った借金まみれの王国は、完全に立場をなくしちまうコトになる。
     トラス王国はお山の大将、『新央北』宗主国の立場から一転、時代遅れのカスに転落するんだ」
    「……」
     険のある表情で、吐き捨てるように語った天狐を神妙な顔で眺めていたロロが、おずおずと手を挙げた。
    「テンコちゃん……あんたどうして、そこまで王国を憎んでる? あんたからは『何が何でも王国を滅ぼしてやる』って言わんばかりの殺気を感じるぜ」
    「だろーな。そう思ってるからだ」
     天狐はブラウニーを一息に飲み込み、話し始めた。
    「トラス王家はオレ……いや、オレの姉に、とんでもねー無礼を働きやがったからだ。王国の滅亡を決意させるほどの、な」
    緑綺星・聖怨譚 2
    »»  2023.09.28.
    シュウの話、第132話。
    ご意見番の鶴声。

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    3.
     双月暦570年代における白猫党との戦いが彼らの分裂・内戦勃発と言う形で決着した後も、一聖は「フェニックス」の最高顧問とトラス王族の教育係を続けており、いつしか王室のご意見番としての地位を確立していた。
     そのため6世紀末、第2代国王の後継者を定めるべく催された御前会議にも当然、彼女の姿があった。
    「オレの結論から言えば、カレンしかない」
     会議が始まるなり、一聖はそう言い放った。
    「いや……しかし」
     言い淀む他の有識者に、一聖がたたみかける。
    「じゃ、他にいんのか? マークは今、会社と研究機関を6つも持ってる実業家兼研究者だ。王族としての公務をこなす余裕はないだろう。ビクトリアとフリーダも同様だ。極論を言や、今、この3人の誰かに王位を継がせるために産業界から引っこ抜いたら、王国経済に急ブレーキをかけるコトになる。消去法的にカレンしかない。
     ってか、今ならまだ女王として立てられる。今はまだ何の要職にも就いてねーし会社興してもいねーが、このまま放っといてもう何年か経ったら、カレンも十中八九、他の3人と同じよーに起業しようとするだろーな。そん時はもう、手遅れだと思わなきゃならねーだろう」
    「ですが初代国王、そして現国王陛下は『狼』です。カレン様はその、『猫』ですが……」
     恐る恐るながらも反論されるが、一聖はことごとく切り捨てる。
    「ソレがなんだ? 血筋は継いでるだろ? 見た目が気に入らねーってのか?」
    「年齢もかなりお若いですし……」
    「マークが起業したのは16ん時だぜ? 同じ血筋なら20代で女王だって十分務まるだろ」
    「マーク様のお子様と言う手も……」
    「カレンより年下じゃねーか。何だってそんなに種族にこだわる?」
     一聖の主張はいずれも正論で、きわめて合理的ではあるものの、いささか強弁とも取れるこのつっけんどんな態度に、ついに静観していた国王、ショウも口を開いた。
    「私の意向としてはマークを考えていたのだが……それではいかん理由があるのか? いや、無論カズセ女史の意見は至極もっともな話であると理解している。だが我がトラス家が王家を名乗る以前より、一貫して『狼』血統の長子が家督を継いできた歴史がある。
     古来よりの歴史、伝統を守ることこそ、王家が体面を保つ根源・根拠であると言える。そうした意見もあることは、理解してもらえんだろうか」
    「もちろんその言い分もよーく分かってるつもりだぜ、陛下。だけどよ、アンタは王国の発展を棒に振ってまで現代の風潮に合わねー伝統を重んじ、マークに後を継がせるべきだって言うのか? ソレは先代とアンタで築き上げ、子供たちが飛躍・発展させてきたこの国の未来をドブに捨てるような、非合理的・前時代的で稚拙な選択とは思わねーか?
     過去を取るか? 未来を取るか? 突き詰めればその二択だ。アンタはどっちを選ぶ?」
     そのまま言葉を切り、一聖とショウは互いに無言で見つめ合っていたが――折れたのはショウの方だった。
    「……そうだな、確かにその通りだ。私は国王、即ち一国の舵を取る重責を担う者だ。であるにもかかわらず人間が国家の安寧と発展を阻む選択など、するべきではないだろう。女史の言う通り、それは軽挙妄動も甚(はなは)だしい愚断に他ならん。
     うむ、私は十分に納得した。カズセ女史の言う通りにしよう。次の王はカレンだ」
     結局、一聖の主張を覆せるほどの正当性ある反論ができる者はおらず、国王自らの承認もその場で受けたことで、末娘のカレンを次代の女王として立てることが内定された。

     この会議の数年後に第3代国王として即位したカレンは王族としての責務を十全に全うし、一聖の主張した通り、トラス王国のさらなる隆盛に大きく貢献した。
     この一件は一聖の見識が確かなものであるとして、彼女の評判を高めることとなったが、同時に旧来の権威層や王族すら軽んじる、彼女の奔放で傲岸不遜な言動に、強い不満・不快感を表す者も少なくなかった。
     この相反する風潮は年代を経るごとに強まっていき、次第に王国内は親一聖派・反一聖派に分裂し始め――そして双月暦634年、その亀裂は深刻な事態を引き起こした。
    緑綺星・聖怨譚 3
    »»  2023.09.29.
    シュウの話、第133話。
    旧トラス王国の政変。

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    4.
     20代で王位を継いだカレン女王の在位は40年近くにも及び、長期政権による安定した治世が行われてきたが、その平和にも陰りが差していた。カレンが重い病に冒されており、余命いくばくもないことが判明したのである。
    「一刻も早く次の国王を定めねば……」
     王室政府の閣僚たちが密かに集まり、緊急会議を開いていたが、そこに一聖の姿はなかった。いや――。
    「だが王位継承を論じるとなると、カズセ女史を呼ばねばなるまい? 今上陛下を選出したのは彼女なのだから、今回も会議に呼ばねば」
    「そこが問題だと言うのだ!」
     会議の中心人物となっていた首相が、苛立たしげに怒鳴る。
    「実際には先代陛下は長子を選ばれるおつもりだったと聞いている。だがあの黒女の佞言でご意見を曲げられ、末娘であった今上陛下に譲られたのだぞ?
     つまり今上陛下の即位は本来ならば絶対に行われるはずのなかった、極めてイレギュラーな決定なのだ。少なくとも私は、そんな経緯では納得できない。いや、世間全般から見ても、おおよそ常識的な判断とは言えまい」
    「いくらなんでも飛躍した話では……」
     反論しかけた閣僚に、首相は首を大きく横に振ってまくし立てる。
    「いいや、これは民意だ! あの女の余計な一言さえなければ、何の波乱もなく長子マークが即位し、『狼』血統による治世が続いていたはずだ! 適切な言葉ではないだろうが――今上陛下のご容態が急変し、後継者を定める話もまとまっていない今が、絶好の機会だ」
    「絶好の……機会? マクファーソン、君は何をするつもりなんだ?」
     尋ねた体ではあったが、閣僚の顔色からは、首相がこれから言わんとしていることを察している気配が見て取れた。そして周囲の予想通り、首相は――ここから半世紀に渡る混乱の端緒となった――決断を述べた。
    「今こそ、血統を正しい流れに戻すべきだ。『猫』にはここで、表舞台から退いてもらう」

     カレンの容態が急変したとの知らせを受け、急遽外遊から戻ってきた彼女の息子たちと、そしてちょうど王宮で一聖からの授業を受けていた孫娘フェリスが、王立病院に集まっていた。彼らが病院に到着してほどなく、どうにか小康状態となったと医師から告げられたものの、同時に「次に意識を失えばもう目覚めることはないだろう」とも診断され、息子たちは大慌てでバタバタと、彼女の病室に駆けていった。そして本来ならばフェリスも向かうべきだったのだろうが、残念ながらこの時、幼い彼女は激しく動揺しており、ロビーの椅子から立ち上がることすらできなかった。
     そのため、一同に追従していた一聖が彼女の側に付き、なだめる役を買って出てくれていた。
    「ぐすっ、ぐすっ……」
    「まあ……こんな話、お前さんにゃ初めてのコトだもんな。落ち着くまでオレがココにいてやるから」
    「ひっく……はい……ぐすっ……」
     嗚咽を上げるフェリスの背をさすってやりながら、二人並んでロビーに座っていたが――。
    「……ん?」
     一聖が顔を上げ、ロビーの外に目をやった。
    (黒塗りの高級車がゾロゾロと来やがったな。大方、カレンがヤバいってのを聞いて、内閣のヤツらが慌てて馳せ参じたってトコか。しかしツラの皮が厚い閣僚どもだとしても、配慮なさすぎんだろ。どいつもこいつも病院のフロントに停めんなっての。邪魔だろーが)
     が、いつまで待っても車からは人が出てくる様子はない。その妙な気配に、一聖は嫌な予感を覚えた。
    (あの並び――まるで病院の入口を固めてるみてーじゃねーか。いや、まるでじゃねーな。実際に邪魔してんだから。……考えてみりゃ、今ココには王太子をはじめとして、王位継承の上位者が勢ぞろいしてんだよな。しかも国家元首で実の母親が生きるか死ぬかの瀬戸際だってんで、他のコト考える余裕はねー。病院の配慮で、家族水入らずにしてもらってるだろーし。
     よからぬコト企てるにゃ、絶好のシチュエーションじゃねーか)
     瞬間、一聖はフェリスをがっちり抱きしめる。
    「ひっく、ひっ、……え、え? カズちゃん?」
    「つかまってろ。お前さんにゃ悪いが、ちっとココから離れんぞ」
    「えっ、……え?」
     問い直す暇も与えず、一聖はフェリスを伴い、「テレポート」で病院から姿を消す。その直後――ずらりと並んだ高級車の中から、武装した兵士が続々と現れた。
    緑綺星・聖怨譚 4
    »»  2023.09.30.
    シュウの話、第134話。
    疑惑の新王。

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    5.
    《臨時ニュースが入りました。本日、トラス王室政府よりトラス王国国王、カレン・トラスの崩御が発表されました。67歳でした。また、同政府より第4代国王として、前国王の姪孫(てっそん)であるマーク・メルキン・トラス氏が即位する予定であると発表されました》
    「なーにが『即位する予定』だ、クソが」
     ミッドランド市国、天狐屋敷。間一髪で難を逃れた一聖は、白黒テレビに映ったアナウンサーの顔をにらみつけ、毒を吐いていた。
    「王族が集合してるトコ襲撃したクセしやがって、何をいけしゃあしゃあと」
    「ソレなんだが」
     と、そこに天狐が、カップケーキとココアミルクの乗ったトレーを手にしつつやって来る。
    「マジで犯人は王室政府のヤツらなのか?」
     カップケーキを受け取りながら、一聖は神妙な顔を見せる。
    「現時点で一番可能性が高いのは、って注釈は付くけどな。こうしてテレビ局が『王室政府からの発表がありました』って報道するくらいだ。発表した王室政府が襲撃の事実を知らずに現国王、……いや、もう、『現』じゃねーか、ともかくカレンの直系じゃねーヤツが即位するコトを容認・公表するなんて、理屈に合わねーだろーが。しかも事件のあったその日のうちにだぜ?」
    「だろーな。オレも同意見だ。ただ、オレの方は別方向からの異議申し立てになるが」
     そう言って、天狐はカップケーキを手にしつつ、肩をすくめて見せた。
    「ウチにいたマーク・トラスを覚えてるか? メルキンじゃない方」
    「そりゃ覚えてるに決まってんだろーが。メルキンがその孫だってのも知ってる」
    「祖父の方のマークは文句なしの秀才だったし、王国の発展に貢献した偉人だった。だがメルキンはその才能をまったく継げなかった凡人だ。何年か前にゼミの試験受けに来たコトがあったが、中身がてんで無い見掛け倒しだってのが面接始めて3分で分かったから、その場で落とした」
    「ソレも聞いた覚えがあるな。あのマークの孫だからと思って期待してたが、試験受けてからの音沙汰がぷっつりになっちまったから、あれっと思って一回お前に聞いてみたんだよな」
    「そーそー、あん時は半ギレしてたなー。あん時ほど時間を無駄にしたと思ったのは数十年ぶりってレベルだったぜ。話せど話せど、中身がくだらねー自慢話ばっかりで、『これを研究したい』って話が一向に出てこねーもんで、段々イライラしてきてよ」
    「言ってたなぁ。んで、『面接で泣かして追っ払った』って聞かされて……いや、今はそんなコトはどーでもいいな」
    「よくねーんだな、コレが」
     天狐は2つ目のカップケーキに手を伸ばしつつ、メルキンのその後について語った。
    「『あのマークの孫だ』っつって鳴り物入りでミッドランドに来たってのに、オレに散々こき下ろされて門前払いとなっちゃ、そのまんま帰るワケにゃ行かねーだろ?」
    「確かにな。ミッドランドに行ったって話を聞いたっきりで、その後のコトは何にもだった」
    「だもんでその後、外国を周ってたらしい。どーやらその間天狐ゼミに在籍してたって体にするつもりだったか、『もっと自分の性に合ったところで勉強してた』みてーな言い訳するつもりだったのか。だがミッドランド以降音沙汰が無かったってトコを見るに、王室でも持て余してたんじゃねーかな」
    「つまりそんなボンクラが次期国王になるなんて話が通るのはおかしい、……ってコトか」
    「そーゆーコトだ。そもそもカレンの子供と孫を含めた王位継承権の順番を考えりゃ、メルキンは10位以内にも入れねー外様も外様のヤツだぜ? ところが実際には、王室政府はメルキンに決めたって言ってるワケだ。こりゃ何かカラクリがあるぜ」
    「調べられるか?」
    「卒業生何人かに当たってみる。首尾よく行けば一日、二日ってトコだろ。ソレまでウチでゆっくりしてけ。フェリスも……今はそっとしとく以外にねーだろ」
    「ああ。助かる」
    緑綺星・聖怨譚 5
    »»  2023.10.01.
    シュウの話、第135話。
    戴冠異議申し立て。

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    6.
     カレン崩御からまもなく――国家元首不在では何かと不都合であるから、当然の流れであるとも言えるが――王室政府は大慌てでメルキンの即位に向けての支度を整えた。そのため崩御から3日後にはすべての準備が整い、謁見の間にて戴冠式が行われることとなった。
     場面はいよいよメルキンが戴冠する直前となり、テレビ局をはじめとする各種メディアが見守る中、玉座の前にかしずくメルキンの頭に、マクファーソン首相の手で王冠が載せられるかと言うところで――。
    「その戴冠、異議申し立てるぜッ!」
     怒りに満ちた形相の一聖が、フェリスを伴ってその場に現れた。
    「……っ」
     王冠を抱えたままの首相が、顔をこわばらせつつも、鷹揚な口ぶりで一聖に応じた。
    「異議申し立てですと? 今更何を仰られますやら。王族全員の承認を得て、正式に決定された事項ですぞ」
    「承認してねー王族が少なくとも一人、ココにいるぞ」
     そう返し、一聖は傍らのフェリスを指し示す。
    「そしてカレンの子供と孫も、おそらくは承認してねーはずだ。どうなんだ? はっきり言ってみろよ。メディアの皆さんの前で、な!」
    「え……ええ、もちろん。全員からご承諾、委任いただいておりますとも」
     そう答えた首相に、一聖が畳み掛ける。
    「そーかよ。ソレじゃ聞くがよ、今、カールはドコにいるんだ? カレンの長子で、ココにいるフェリスの父親のカールのコトだぜ」
    「むろん、存じておりますとも、ええ、はい。心労で倒れられまして、今は病院でご療養中です」
    「じゃ、奥さんのヴェーラは?」
    「同じくご療養中です」
    「カールの弟のイブリンも? その奥さんと子供も? 全員療養中だってのか? 同じ日同じ時間に同じ場所で同じ症状を起こして同時に倒れたって言うんじゃねーよな、まさか?」
    「それは……」
    「オレの方からはっきり言ってやろーか?」
     一聖はカメラに視線を移し、大声で喝破した。
    「全員、カレンが亡くなったその日に、その病院に閉じ込められて監禁されてんだよ。今もだよな?」
     ざわ、と場がざわめき、何人かが謁見の間から飛び出す。
    「急いで向かって、しっかり確認してきてくれ。もし元気いっぱいで病気もケガもしてなさそーな兵士がウヨウヨいるよーなら、大々的に報じてくれよ」
    「……」
     黙り込んだままの首相に、一聖が詰め寄る。
    「お前さんの企みは全部バレてんだよ。カレン崩御に乗じて、彼女のトコに集まってきた子供と孫たちを一網打尽、外に連絡できねーように監禁し、その一方で『狼』血統の中から前もって結託してたメルキンを推挙。『狼』血統でメルキンより優先順位が上のヤツらはどいつもこいつも今、会社経営やら政治活動やらで忙しくしてる。前もって継ぐコトが打診されてたってんなら身辺整理して応じるコトもできただろーが、『猫』が継ぐだろーと思ってるトコに何の打ち合わせもなく『今すぐ決めろ』って言われりゃ、王族の中で唯一ヒマ人だったメルキンに委任せざるを得ない。
     後は他のめんどくせートコから異議申し立てされる前に急いで戴冠式を済ませちまえば、お前さんの傀儡となったメルキン王の出来上がりってワケだ、な」
    「……私欲からの行動ではない」
     首相は怒色満面の表情で、一聖をにらみつけた。
    「トラス王家は代々、『狼』血統の長子が継いできたのだ。その伝統を軽んじ、ないがしろにすることは今までの歴史、王家としての誇りを踏みにじるような、恥ずべき行為だ。むしろうわべだけの合理観や先進意識を振りかざし、この国の伝統を破壊した貴様こそ、私利私欲でこの国を操ろうとする国敵ではないか!」
    「ほーぉ」
     一聖は斜に構え、首相をにらみつけた。
    「ソレじゃ聞くがよ、カレンが女王になってからの約40年、トラス王国は発展したのか? ソレとも衰退したのか? 少なくとも数字は雄弁に、前者だって物語ってるぜ。人口は2倍に増え、経済成長率は平均4%台、最大で12%以上のプラス。世界のトップ企業ベスト10のうち2つに、王国国籍の企業がランクインしてる。財政もこの四半世紀、黒字が続いてる。コレだけの結果が出てて、お前さんはオレの進言がトラス王国に貢献しなかったって言うのか?」
    「詭弁だ! トラス国民の努力の成果と貴様の方便には、何の関係も無い!」
    「だったら伝統だなんだって話も関係ないだろ。国民の努力だってんだから、な。どちらにせよ」
     謁見の間に、兵士と警官数名が連れ立ってやって来る。
    「お前さんが王族監禁の主犯である事実は変わらねー。コレ以上言いたいコトがあるなら、警察の方でじっくり聞いてもらえ」
     こうして事件は解決したかに思えたが――事態は、これで収束しなかった。
    緑綺星・聖怨譚 6
    »»  2023.10.02.
    シュウの話、第136話。
    襲撃される一聖。

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    7.
     まだ騒然としている王宮内で、一聖は思案に暮れていた。
    (妙なのは、なんで首相ともあろう人間がこんな暴挙に出たのか、だ)
     王宮をそれとなく歩き回り、情報収集していく内に、監禁の際に軍や警察と言った王国内の武装勢力に、動いた形跡がなかったこと――即ち、マクファーソン首相が差し向けた兵士が王国の正規軍ではなかったことが明らかになった。
    (ってコトは、病院を包囲したのはマクファーソンの私兵、あるいは外部から引き込んだ傭兵ってコトになるな。
     気味が悪りいな。なんだって王国の上流階級、やんごとないご身分の人間が、そんな物騒なヤツらを囲い込んでたんだ? ふつーはむしろ、清廉潔白を装うために遠ざけるだろ? なのにわざわざ危険人物と思われるリスクを抱えてまでそんな輩と手を組んでたってコトは、今回の計画が成功し、自分の行動に正当性が認められる公算が高いと踏んでたのか? だが結果はこうだ。計画は露見し、首謀者のアイツは逮捕された。オレが見る限り、成功する要素はねーぞ。
     大体、オレがフェリスを連れて逃げたコト自体、病院を占拠した時点で分かってただろーに。……ん?)
     ある可能性に気付き、一聖は足を止める。
    (ソレは逆に言や、フェリスに逃げられたコトを把握していたにもかかわらず、計画を進めたってコトだな? もちろん、既に兵隊動かしちまって後に引けねーって状況だったってコトもあるだろうが、あの状況から逃げたってんなら、オレが関わってるコトは見当も付いてただろう。
     となりゃ、こうしてオレが出張って計画をメチャクチャにするコトだって、予想が付いてたはずだ。そんなら大急ぎで兵隊引き上げさせて、『気が動転した』とか何とか言い訳してごまかした方が得策だろ――ソレでごまかせるかどーかは置いといて――ともかく、オレが出張るコトが分かっててなお、計画を進めたってのは愚策もいいトコだ。
     ソレともマクファーソンには、オレが出てきてもうまくいく算段があったのか?)
     そこまで考えて、一聖はふと足を止め、窓の外に目を向けた。

     その瞬間――窓ガラスにびしっ、とひびが入り、一聖の額に弾丸がめり込んだ。
    「うぐっ!?」
     とは言え、「魔法使い」の彼女である。弾丸が当たった瞬間に防御魔術が作動し、皮膚の薄皮一枚が削れた程度で弾丸が止まる。それでも衝撃はいなし切れず、一聖は首を大きくのけぞらせ、その場に倒れ込んだ。
    (なるほど……そーゆーコトかよ)
     倒れてすぐ、ぴょんと足を上げ、その場で立ち上がる。
    (つまりオレを仕留めよーってつもりか。そりゃそーだよな、計画止めようってなったら、オレがココに来なきゃならねーもんな。言い換えりゃ、ココにオレが絶対に現れるように仕向けたってコトだ。待ち構えて襲撃するにゃ、絶好の機会ってワケだ)
     瞬時に相手の狙いを読んだ一聖は、床に落ちた弾丸に魔術をかける。
    「『ウロボロスポール:リバース』」
     弾丸が浮き上がって一聖の頭があった位置まで戻り、そのまま窓ガラスのひびを抜けて、元来た方向へと飛んで行く。
    (こんなコトもあろーかとってヤツだな。モールのヤツから聞いといて良かったぜ)
     一聖も窓ガラスをブチ破り、空中へと飛び出す。
    「『エアリアル』」
     飛翔術で弾丸を追いかけ、やがて王宮正面にある高層ビルの屋上に、都市迷彩服の人影を見つける。
    (なるほど……てめーかッ!)
     たった10秒前にヘッドショットを成功させたはずの相手が空を飛んで迫ってきたのだから、当然と言えるが――たじろいでいる狙撃手に、一聖は空中から魔術を仕掛ける。
    「『ネットバインド』!」
     狙撃手の体をしゅるる……、と魔術で作られた紐が這い回り、がんじがらめにする。
    「うわっ……」
     当然、狙撃手は身動きできず、その場に倒れる。
    「よぉ、ごくろーさん」
     狙撃手の側に降り立ち、一聖は相手の体に足を乗せ、ぐりぐりと踏みにじる。
    「よくもやってくれたな。誰の差金だ?」
    「……」
    「答えろよ。グダグダ尋問なんかさせんじゃねーぞ」
    「……」
    「口が利けねーワケじゃねーよな? さっき『うわっ』っつってたし。答えたくねーってんなら答えさせるまでだぜ」
     足を離し、一聖は自分の身長の1.2倍ほどもある相手の体を持ち上げた。
    「なっ……」
    「やっぱしゃべれんじゃねーか。ほれ、何か言えよ」
    「い、言えない」
    「二度も言わせんなよ? こっちはのんびりオハナシしてられるほど、気が長くねーんだよ。答えねーってんなら」
     一聖は相手の体を両肩に乗せる形で背負い上げ、ビルの端に顔を向けた。
    「あそこから飛び降りる」
    緑綺星・聖怨譚 7
    »»  2023.10.03.
    シュウの話、第137話。
    続く襲撃。

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    8.
     ビル風に長い黒髪が乱されるのも構わず、一聖は背負った相手に脅しをかける。
    「このヘンリー・トラス記念ビルの高さは約380メートル、8年前にゴールドコースト市国の貿易センタービルに更新されるまで世界最長の高層ビルだったワケだが、ま、ふつーの人間が屋上から身一つで落っこちりゃ、どーなるか分かるよなぁ?」
    「あ、あんたも死ぬだろ!?」
    「30秒前にオレを狙撃した本人なら、オレがその程度で死ぬヤツかどーかは十分分かるだろ? ほれ、あと6歩だぜ」
     一聖はおどけた仕草で、ぴょん、と一歩踏み出す。
    「あと5歩。おーおー、いい眺めじゃねえか」
    「い、言わない」
    「4歩。3歩。近付いてきたぜ? どーする? 言うか? ほれっ」
     一足飛びにポンと飛び上がり、ビルの端、フェンスの上に立つ。
    「おーっとっと……危ねー危ねー。さ、あと1歩だぜ? まだ強情張るってんなら、……いいやもうめんどくせえ」
     そう言って、一聖はビルから飛び降りた。瞬間、ごうっ、と空気の壁にぶつかり、一聖と狙撃手の体は一瞬浮き上がる。だが重力に抗えるほどの揚力は得られず、二人の体は地面に向かって落ちて行った。
    「ぎゃああああーッ!?」
    「お前さんが言わねーのが悪いんだぜ」
    「い、いいい言う! 言う! しゅっ、首相! 首相の! 首相のマクファーソンだ! 言った! 言ったから! 死にたくない! 死にたくない! 死にっ、うわっ、あっ、うわあああああ……ッ」
     地面に接触するかしないかのところで、ぴた、と一聖の体が静止する。一聖に担がれていた狙撃手の体も地上1メートル25センチのところで止まり、事無きを得る。
    「正直に言った礼だ。お望み通り助けてやったぜ。……って、聞こえてねーか」
     泡を吹いて気絶した狙撃手をその辺に放り投げ、一聖はビルの中へ入っていった。

     ビルのロビーで公衆電話を見つけ、一聖は王宮に連絡する。
    「おう、オレだ、一聖だ。……ああ、狙撃された。実行犯はシメてソコら辺に転がしといた。指図したのはマクファーソン首相だとさ。ああ、今勾留中だろ? ドコにいる? ……分かった、警視庁舎だな。オレからも聞きたいコトがあるから、取り調べが終わってもそのまま拘束しといてくれ。じゃな」
     電話を切り、一聖はもう一度思案に暮れる。
    (当然だが、マクファーソンは今まさに拘束中なワケだ。となると狙撃を指示したのは拘束される前、つまり計画の内だったってコトになる。……ってコトはだ、拘束されるコト、つまりはオレに企みを看破されて戴冠式を妨害されるコトも、織り込み済みだったってコトになる。ソレはまあいい。ワケ分からんのは、どうしてそんなすぐバレるよーな、ずさんな計画を企んだのか、だ)
     と、ロビーにぞろぞろと、完全武装した兵士たちが現れる。
    「な、なんだ!?」
    「じゅ、銃持ってるぞ!」
    「うわっ……」
     ロビーにいた人間が一様に血相を変えて逃げ出し、その場には一聖と兵士一分隊12人だけとなった。
    「カズセ・タチバナ女史だな」
    「そうだと言ったら?」
    「さるお方のご命令により、あなたを……」
     言い終わらない内に、一聖は相手の懐に飛び込み、そのまま背負い投げる。
    「うおっ……!?」「うぐっ!?」
     投げ飛ばした兵士を隣の兵士に叩きつけ、続いて一聖は自動小銃を構えていた兵士の腕を取り、ぐいっと引っ張る。
    「わっ!?」
     構えた体勢のまま上半身ががくんと前のめりになり、そこに一聖が膝蹴りを叩き込む。
    「ぐふ……っ」
     あっと言う間に3人倒され、残った兵士たちは慌てて戦闘態勢に移ろうとする。
    「う、撃て! 撃て!」
    「ざけんな」
     一聖は気絶した兵士たちを持ち上げ、残りの兵士たちにぽいぽいと投げつけた。
    「うっ!?」
    「ぐえっ!?」
     完全武装した筋骨隆々の成人男性と言う、100kgを優に超える巨大な塊を叩きつけられ、残り半数の、その半分が沈黙する。この猛撃ですっかり戦意を喪失してしまったらしく、残った兵士たちの動きが止まる。
    「まだやんのか?」
    「あ……う……」
     やがて構えていた小銃を床に投げ、全員が両手と尻尾を上げた。

     と――その内の一人が突然、ぎょっとした目をする。
    「なんだよ?」
    「む、……無線が、入った。……カズセ女史に、代われと」
    「ああん?」
    「う、ウソじゃない。無線機を渡す。いや、ここに置く。置いて離れる。何もしないでくれ」
     そう言って肩に付けていた無線機を外したところで、一聖は手を差し伸べた。
    「地べたに置くんじゃねーよ。ばっちいだろーが。普通に渡せ」
    「わ、分かった」
     一聖は素直に差し出された無線機を受け取り、応答する。
    「代わったぞ。オレが一聖だ」
    《思ったより手こずってる? カズセちゃんならもう、全員殺せてるもんかなって思ってたけど》
    「あ? ……お前、誰だ?」
     聞き覚えのある若い男の声を耳にし、一聖は首を傾げた。
    緑綺星・聖怨譚 8
    »»  2023.10.04.
    シュウの話、第138話。
    覚えてもらえなかった男の逆襲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    《僕のことを覚えてないんだ、カズセちゃんは。そっか、やっぱりそうだよね。僕なんかのことは、あなたみたいなすごい人にとってはいないも同然の人間なんだろうな》
    「うっとーしーコト言ってねーで、素直に名前名乗れよ」
     水を向けるが、相手は応じない。
    《これは率直な疑問、と言うか確認だけど、もしカズセちゃんが今、本気でそこにいる兵士たちと戦ったら――何でもアリとしてさ――10秒もかからないよね、全員殺すのに》
     棒立ちのままの兵士に目をやりつつ、一聖は「ああ」と答える。
    「初手で魔術使えば1秒もかかんねーよ」
    《でも殺してないよね。それは何故?》
    「んなコトてめーにわざわざ説明する気はねーな」
    《じゃ、僕が当ててあげるよ。カズセちゃんが教えてるトラス王族に、迷惑がかからないようにって配慮してるんだよね。『人殺しにモノを教わってる』なんて悪評を立てられないようにさ》
    「さーな」
     口ではとぼけてみせたが、相手は見抜いているらしかった。
    《だからこうなったら、あなたは、いや、『猫』血統は、とっても困る》
     次の瞬間――ビルの外から、ドン、と爆発音が轟いた。
    「……今のはなんだ?」
    《警視庁からだよ。首相にこっそり仕掛けてた爆弾を起動させた》
    「なん……っ!?」
     思いもよらない話に、一聖は声を荒げていた。
    「ふざけてんのか!?」
    《大真面目さ。今度のは質問じゃなくて、出題だけど――今日、メディアの真ん前でカズセちゃんにこき下ろされてた相手がこうして殺されたとしたら、世間は一体誰が犯人だと思うかな?》
     どこか愉快そうな声色の相手に、一聖は怒りを覚える。
    「てめー、イカれてんのか!? ソレでオレを犯人に仕立て上げようってのか? どーやって証拠でっち上げるつもりだ?」
    《証拠なんかいらない。粉微塵に爆発したんだから、そもそも証拠なんか残ってないだろう。必要なのは、世間の勝手なうわさだよ。世間はきっと、あなたが犯人だと思うだろう。『政敵を暗殺したんだ』って。あなたに教えを受けてきた『猫』血統には悪評が立つ。僕は世論に乗る形で彼らを批難し、信用と信頼を得る。名実ともに、僕がこの国の王になるんだ》
    「……てめー……メルキンだな」
     一聖の問いに、相手は嬉しそうに答えた。
    《やっと分かった? この国一番の頭脳も案外ニブいんだね。……いや、首相だって大したことなかったんだから、推して知るべしってことなのかな。首相は狙撃とその暗殺部隊であなたを仕留められる、あなたさえいなければ後の世論をどうとでもできると豪語してたけど、僕はそうは思わなかった。あなたほどの魔女が、銃や袋叩きくらいで死ぬとは思えなかったもの。
     だからあなたには、社会的に死んでもらうことにしたんだ》
    「マクファーソンはお前さんを利用するつもりだったんだろうが、結局は逆に、お前さんに利用されてたって話か。どーせすぐ捕まってみせたのも、お前さんから『後で恩赦でもなんでもして助けてやるから』って約束されてたからか。ソレともこーなるコトを覚悟の上か。……ま、どっちにしたって、オレから言わせてもらえばずいぶんお粗末な計画だがな」
    《じゃあ打開策があるの? 王国民全員に、いや、ニュースを見聞きした全員に、今日のことを忘れさせる秘術があったりする? それとも死んだ人間を生き返らせたりできるの?》
    「……」
     一聖は答えず、黙り込む。
    《ないだろうね。一旦起こったことはもう覆らないし、人の口に戸は立てられないのが世の常だもの。うわさはうわさを呼ぶ。一つのうわさを完璧に消したとしても、その時にはもう、次のうわさが世の中にあふれてる。下手に誤魔化したって逆効果だろうし。最善策はあなたが今すぐ、この国から出て行くことしかない。何も言わずに。何もせずに》
    「……」
     一聖は無線機を兵士に返し、彼らに背を向ける。
    「一言だけ言っておくぞ」
     そして――こう言い残し、どこかへ去っていった。
    「オレを侮辱しやがったコト、末代まで後悔させてやるからな」



     首相暗殺の翌日、改めて王室政府から、メルキンが王位を継承することが発表された。しかし彼を推挙した首相が犯罪に手を染めていたこと、そもそもメルキンの国家元首、指導者としての資質が疑問視されたことからこの決定に異を唱える者が続出し、正式な王位継承にはいつになっても至らなかった。一方、彼に代わる王として別方面から推挙された「猫」血統の王族、カールも――メルキンの狙い通り――黒いうわさが湧いた一聖との関係性を指摘され、国民全員の信頼を得るには至らなかった。
     この「狼」と「猫」、両血統双方が決め手を欠く状況で、メルキンはまたも、何の性懲りもなく暗躍を続けた。その結果、両血統の関係は次第に険悪になっていき、事態はついに戦争へと発展してしまった。

     だがメルキンの思い通りになることはついになく、この両血統による内戦――後に「狼猫戦争」と呼ばれることになるこの戦いは翌年の635年まで続いた挙句、東西二国に分裂すると言う、破滅的な結末を迎えてしまった。
    緑綺星・聖怨譚 9
    »»  2023.10.05.
    シュウの話、第139話。
    対王国、次の一手。

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    10.
    「じゃあ結局、カズセちゃんはトラスには戻らなかったのか?」
     ブラウニーをつつきながら尋ねたロロに、天狐は渋い顔をしながらうなずいた。
    「実はな、戦争のドサクサでメルキンが死んだ後、こっそり様子見に戻ったコトがあるんだ。だが一聖がソコで見たのは、『全部一聖ちゃんのせいだ』って泣き叫ぶ、喪服姿のフェリスだったんだ」
    「どう言うことだ?」
    「狼猫戦争はどっちの陣営にも甚大な被害をもたらした。大将格の王族も含めてな。その王族の、猫陣営の方の一人が、フェリスの父親で第一継承候補者だった、カール・トラスだったんだよ」
    「そりゃ……まあ……そう言われてもとは思うけども、……だがそもそもの原因はカズセちゃんじゃないだろ」
    「大人の意見としてはそうだろーな。けども、『もしも一聖が病院で兵隊追い払ってたら』とか、『もしも一聖がメルキンの挑発無視して猫陣営に就いてたら』とか、『もしも』を重ねられたら、ソレは確かに話が違ってたかも知れねーし、反論のしようはねーな。
     とにかく――結局、一聖はトラスに戻る気をなくした。いや、マトモに俗世間に関わる気自体をなくしちまったらしい。さっきの話をオレに聞かせた直後から去年、フラッとオレんトコに戻ってくるまでの約80年間、行方知れずになってたってワケさ」
    「80年!? ……改めて思うが、やっぱ普通の人間じゃねえんだな、テンコちゃんもカズセちゃんも」
    「まーな」
    「しかし、なんでそんな世捨て人が急に戻ってきたんだ? 80年人目に出なかったってんなら、よっぽどでかいきっかけがあったとか?」
     ロロの率直な疑問に、最後のブラウニーに伸ばしていた天狐の手が止まる。
    「……なんでだろーな。オレにもその辺はよく分からねー。……多分だけど、よっぽどウマが合ったんだろーな、あの2人と。ま、オレから見てもあの2人は、何かと構ってやりたくなる性格してるよーに見えるし、な」

     その「構いたくなる2人」――シュウとジャンニはミッドランドの天狐屋敷で、天狐が新たに発注したパソコンの前に並んで座り、作業を行っていた。
    「ホンマにスペックエグいな……なんやねん、5分の動画のエンコードが10秒て」
    「ですよねー。ふつーにこのパソコン買ったら10万、20万エルはしますよね」
    「いや、もっとするかも。しかもそれを、ゼミ生用のんも含めて30台発注やろ? この学校、設備投資半端ないな」
    「だから世界最高峰なんでしょーね」
    「でもカイトのやつ、これでゲームしとるんやろ? もったいなーって思うねんけど」
    「本人がめちゃくちゃ楽しそうだからいーでしょ。そもそも『7M』関係者には一人ひとりにくれたヤツなんですし、使い方は人それぞれってヤツでしょ。ジャンニくんだって一緒にゲームするくらいしか使ってないでしょ?」
    「それは、……まあ、そやけども。俺かてもっとええ使い方したいけども……宝の持ち腐れ感が半端ないわ」
    「勉強に使ったらいいじゃないですかー。学習サイトなんて世の中、いっぱいあるんですし」
    「それはまあ、うん、まあ、そうなんやけどもな」
    「で、どーでしょ? ヘンなトコありました?」
     たった今シュウが編集した動画を確認し終わり、ジャンニは首を横に振った。
    「全然大丈夫や。特に問題なさそうやで」
    「良かったですー」
     にこっと笑うシュウに、ジャンニは「へへ……」と照れ笑いを返すが、一転、不安げな表情を浮かべる。
    「でもこれ、ホンマに流すつもりなん? もし向こうが何もしてこーへんかったら、ただウソついて終わりやんか。シュウさんの評判、ガタ落ちにならへん……?」
    「大丈夫です。状況的に間違いなく、向こうは近日中に動きます。でないと一連の流れを黙認したって思われちゃう、……と思ってるでしょうから」
     シュウは自信たっぷりな様子で、もう一度にっこりと笑みを浮かべた。

    緑綺星・聖怨譚 終
    緑綺星・聖怨譚 10
    »»  2023.10.06.
    シュウの話、第140話。
    永世中立国の遍歴。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ラコッカ石油の起業準備は着々と進められており、難民特区は彼らの話題で持ち切りになっていた。
    「ラコッカの奴ら、求人出すんだとさ」
    「は? あいつら50人くれーいんのに、まだ人がほしいのかよ」
    「つっても半分ガキだろ。力仕事とかは流石に無理だろーし」
    「ああ……まあ……そうか。……俺、受けようかな」
    「マジで言ってんのかよ? 雇い仕事なんかガラじゃねーよ」
    「でも結構カネ払いはいいみたいだぜ? 時給170エルだってさ」
    「どーせ実際に働いたら、ゴネてごまかすだろ。特区でまともな仕事なんかありゃしねーんだから」
    「うーん……」

    「って感じで、迷ってるヤツ半分、信じてないヤツ半分ってとこだな。ビラとポスターをそこら中にまいたが、直接ウチに聞きに来たのは今んとこ0人だ」
    「そっか。……どうする、テンコちゃん?」
     ダニーの報告を聞いたロロは、渋い顔で天狐に尋ねる。が、天狐には意に介している様子がない。
    「どーもしねーな。迷ってるヤツ半分の中から、そのうち実際応募してみるかってのも出てくるだろ。そいつらが実際にカネを手に入れて使ったら、『じゃあマジなんだな』って宣伝になる。こっちがきちんとやるコトやってりゃ、雇われる側も文句はねーよ」
    「なるほど」
    「ソレより問題は王国の方だな。動画上げられてからもう3週間は経つ。そろそろ現状の打破に出る頃だと思うが……」
     と、そこで天狐のスマホが鳴る。
    「オレだ」
    《姉(あね)さーん、あたしあたし、鈴林だよっ》
    「おう。どうした?」
    《ロマーノくんとこにトラス王国の人が来たってさっ。コソコソした感じでっ》
    「分かった。すぐ行く」
     電話を切ったところで、天狐は顔をこわばらせているロロたちに気付く。
    「なんだよ?」
    「い、いや。ついに来たかって。なぁ?」
    「あ、ああ」
    「何をビビってんだよ」
     天狐は肩をすくめ、二人にニヤッと笑って返した。
    「言ったろ? 面倒事はオレが全部何とかしてやるって、な」



     央中ミッドランドは「水仙狼(ナルキステイル)」ラーガ家が治める小国である。巨大なフォルピア湖の中の島に建設された央中有数の交易地であるため、建国以来常に周辺国との絶妙なバランス感覚を要求される立場にあった。それ故、「永世中立」を宣言せざるを得ないのは宿命とさえ言えた。
     しかしもちろん、ただ中立を宣言したとしても、実際に攻め込まれた際に撃退できなければ何の意味もない。そのため貿易で獲得した国家予算の大部分を防衛費に回さなければならず、ミッドランドの公共事業や福祉政策は常に後回しにされていた。そのため国民は長らくまともな教育も社会保障も受けられない生活を送っており、自然、ミッドランドの国家としての発展は遅れに遅れていた。

     社会的には交易地としての魅力しかなく、いつどこからの干渉を受けて滅亡するかも分からない、そんな針のむしろの中心にいるかのような弱小国が転換点を迎えたのは、双月暦520年のことだった。克天狐がこの地に現れたのである。
     強大な力を持つ「魔法使い」である彼女がこの地での安息を望んだことにより、この国の事情は一変した。彼女一人で何十兆エルもの防衛費に匹敵する魔力・魔術を持っていることは世間に広く知れ渡っており、彼女が島に現れて以来――570年の白猫党侵攻を除き――周辺国からの政治的・軍事的干渉を受けることは一切なくなった。
     天狐のおかげで国防の心配がなくなったため、同国は国家予算を教育と公共事業に、存分に充てられるようになった。その結果、天狐降臨からわずか四半世紀でミッドランドのGDPは央中上位3ヶ国に食い込むほど上昇し、人口も飛躍的に増大。にもかかわらず教育指数は――天狐自身がとても教育熱心な性格もあったせいか――ほぼ100%を達成し、さらにそこから四半世紀後には教育産業と情報通信技術産業の収益が貿易を上回り、世界一の学研都市が形成された。
     8世紀現在においてミッドランドは、世界で最も恵まれた国の一つとなったのである。

     そのミッドランドの政治・経済的中枢であるラーガ邸に、スーツ姿の男2名が訪れた。
    「我々はトラス王室政府外務省から参りました。閣下の庇護下にあるテンコ・カツミ女史が現在、秘密裏に進めている計画を即刻中止するよう、閣下に要請します」
     彼らを出迎えたラーガ家当主、ロマーノ・ラーガは、それを聞いて「色々と誤解がありますな」と答えた。
    緑綺星・国謀譚 1
    »»  2023.10.09.
    シュウの話、第141話。
    水仙狼当主ロマーノ卿の応対。

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    2.
    「誤解ですと?」
     尋ねたトラス王国外務省の役人に、ロマーノは眼鏡の位置をちょん、ちょんと整えながら、どこか斜に構えた様子で説明した。
    「まずその1。テンコちゃんが我々の庇護下にあるのではなく、テンコちゃんが我々を庇護している立場にあると言うことです。故にその2、私の意見はテンコちゃんが必ずしも聞き入れるべき強制力を有しないと言うことでもあります。さらにその3」
     よほど眼鏡のすわりが悪かったのか、ロマーノは眼鏡を外し、それに視線を落としながら話を続けた。
    「テンコちゃんが現在進めているいずれの計画も、特に秘密にしていると言う事実はないものと伺っております。無論、私が知る限りの範囲での話ではありますがね。しかしあなた方はトラス王国から来られたと仰っておられたから、ご要件は石油のことでしょう? それなら存じておりますし、そしてそれは秘密ではありませんな。公然と進行しているところです」
    「そんなことはどうでもよろしい! 重要なのはこの国にいるカツミ女史が、即ち王国と何の関わりもなければ、何の権利も有していない人間が、王国の領土内でこの計画を進めていることです。これは明らかに領土侵害です。故に介入すべきではないと警告します」
    「警告? ふむ」
     ロマーノは依然として彼らと目を合わせず、眼鏡の曇りを丁寧に拭き取り始めた。
    「つまりテンコちゃんの石油会社計画があなた方の思惑に反しているから、絶対に掘らないでくれと?」
    「それだけでは……いや、そもそもですが、彼女は明らかに我々の権利を害しているのです。明るみに出れば国際社会からの批難は避けられませんぞ。庇護して、ああいや、庇護されているあなた方も、決して無事では済まないでしょう」
    「権利を害している、と」
     ほこりを吹き飛ばしたのか、それとも笑い飛ばしたのか――ロマーノは口からふっと息を吐き、眼鏡を掛け直した。
    「ふーむ……スプリングが緩いな。どうしても傾く。掛けない方が見やすいくらいだ。……ええと、そう、権利と申しましたな。なるほどなるほど、テンコちゃんが言及していました。あなた方がこうして接触してきた場合、きっとそのことについて触れるだろうと」
    「なんですって? つまりカツミ女史は権利侵害を把握していたと言うことですか?」
    「そりゃ把握しているでしょう。権利関係のうるさいこのご時世だ、商売をやろうとなれば、どこの誰が何の権利を有しているかなどと言うことは、真っ先に調べておかねばならない話ですからな」
     再度眼鏡を外し、執事に渡したところで、ロマーノは裸眼で役人たちを見すえた。
    「前置きしておきますがね、お二人さん。あなた方こそ、ここがどこなのか。そして誰がどんな権利・権限を有しているかを、丸っきりお分かりでないようだ。相手のことを前もって調べておくのは、交渉事においては常識でしょう? だと言うのにろくに調べもせず、テンコちゃんやレイリンさんにではなく、いきなり私に訴えかけてくるとは。
     色々と教えておきましょう。ここはミッドランド市国、テンコちゃんの本拠地です。この国には彼女の教えが隅から隅まで行き届いている。と言ってもその教えは、突き詰めればこの一つに尽きる――『契約は公平にして対等の理(ことわり)である』と」
    「は、はあ……?」
     けげんな顔を並べる役人たちに、ロマーノは畳み掛ける。
    「我々はフェアプレイかつフェアトレードの精神で他者と接することを心がけている、と言うことですよ。無知なあなた方に何の事前告知もなしでいきなり攻撃するのはフェアとは言えません。そんなことをすれば、テンコちゃんに叱られるでしょう。ですから丁寧にご説明差し上げるのです。
     権利、権利と仰っておりましたが、本当にその権利、即ちトラス王国ニューフィールド自由自治特区の土地とその開発権は、あなた方が保有しているものなのか? それすら理解、いや、把握なさっておられないようですな」
    「う、うん……?」
    「それは、どう言う……」
     尋ねかけたその時、応接間にノックの音が響いた。
    「オレだ。ロマーノ、こっちにいんのか?」
    「ああ、テンコちゃん!」
     ここまでしかめっ面で通していたロマーノが、途端にぴょこんと狼耳を立て、嬉しそうな声を上げる。
    「ええ、ここにおります! トラス王国のお役人さん方も、こちらに」
    「そっか。入るぜ」
     音もなくドアを開け、天狐と、アタッシェケースを手にした黒毛の狼獣人が応接間に入って来る。
    「そいつらか。ま、オレのコトは知ってるかもだろうが、自己紹介しとくぜ。オレが克天狐だ」
    「こ、これはご丁寧に」
     立ち上がり、挨拶しかけた役人たちに、天狐は「そのまま座ってろ」と冷たく言い放つ。
    「話は5分で終わる。大方お前さんらは、オレに権利がねーだの土地は王国のもんだだのゴネてるトコだと思うが、先に結論言っとくぜ。
     お前らに権利なんかねーぞ」
    緑綺星・国謀譚 2
    »»  2023.10.10.
    シュウの話、第142話。
    国債償還の裏ワザ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     天狐の言葉に、役人たちは目を丸くする。
    「なんですと?」
    「い、いやいや、あるでしょう。あの土地はトラス王国の領土です」
    「14年前まではな」
     そう返し、天狐は傍らの狼獣人に声をかけた。
    「エヴァ」
    「はい」
     彼女は机の上にケースを置き、中身を役人たちに見せる。
    「この書類が何だか分かるよな? コピーだから持ってっていーぜ」
    「え……っと」
     書類を手に取りつつ、役人たちは顔を見合わせていた。
    「土地台帳? ……うん?」
    「これ、王国じゃなくてブロンコ共和国の……隣国のですよね? でも……」
    「『699年にトラス王国より購入 本国領土に編入』!?」
    「こっちは……売買契約書? うちの……王国のですね」
    「『706年にモンデオ共和国へ売却 1500億エルの債権放棄が承認されたことにより 売買成立とする』」
    「……ま、まさか? ち、地図持ってるか? スマホ見せてくれ」
     内輪でこそこそと話し合っている役人たちの前に、天狐が紙の地図を差し出した。
    「実際に描いてみな。ドコの土地が今、他所に渡ってるかをな」
    「ど、どうも、ご丁寧に。……ここだろ? それと、ここと……」
    「ここですよね。……それからここ、……ここも。……ここも!?」
     書類上、譲渡が成立している難民特区の土地を、渡された地図に書き込んでいき――そして難民特区のほとんどすべての土地が他国に渡っている事実を、役人たちは文字通り見せつけられてしまった。
    「経緯はこうだ」
     呆然としている役人たちに、天狐が説明し始めた。
    「696年に半世紀ぶりの統一を果たし、国際的に面目躍如したかに思えたトラス王国だが、お得意としてきた重工業・化学工業の世界的需要は年々右肩下がりで、王国経済もソレに引っ張られる形で落ち込み続け、統一時には既に赤字国債の発行もやむなしの状況だった。だが赤字国債ってのはもっぺん借金する以外に返すアテがねーただの問題先送り策、借金地獄の定番コースだ。当然この赤字国債も10年、20年経って償還しなきゃならなくなったが、借金地獄から抜け出したかった王国は、とんでもねー裏ワザを繰り出した。
     ソレが難民特区の売却――自国資産として持ってはいたものの、壁の向こうの無法地帯にゃもう関わりたくねーってんでほっときっぱなしになってたこの土地を、『将来的に再開発すれば地価が高騰するはず』とか『再開発の目処は立っているから絶対に得する取引だ』とか何とか適当なコト言ってめちゃくちゃな値段付けて、債権者に無理矢理売りつけて国債を償還したのさ。そしてその債権者ってのが、新央北の配下国ってワケだ。もちろん特区再開発の予定なんかコレっぽっちもねーし、事実、四半世紀経っても廃墟だらけさ。押し付けられた配下国はたまったもんじゃねー。長年、憤慨してたってワケだ。
     このクズ土地押し売りを繰り返した結果、赤字国債は9割方解消してはいる。その代わり王国は、難民特区のほとんどを配下国に売却・譲渡しちまった。当然、現在石油が湧いてる土地も、14年前には譲渡が完了してる。当時はそんなもんが出るなんて、売った側も買わされた側も、誰一人として思ってなかったんだから、な」
    「し、しかしそれならやはり、所有者はあなたでは……」「あのな」
     抗弁しかけた役人に、天狐は心底呆れた目を向けた。
    「話は最後まで聞けっつーの。そのクズ土地持て余してた配下国に打診して、オレが全部買い取ったんだよ。マジに石油が出る前の、去年のうちにな」
    「か……買った!? 譲渡された難民特区の全土地を!?」
    「クズ土地の割に、バカみてーに高い買い物だったぜ。とは言えオレ名義の現金預金だけじゃ足りなくて、購入額の3分の2が設立予定の石油会社、つまり現ラコッカ石油の株式って形にはなったけどな。ま、そんな事情もあるからよ、とにかく難民特区はオレの土地だ。正当な取引の結果によって、な。
     もしこの取引が不当だ、土地はまだ王国のものだと言い張ろうってんなら、王国はまだ債務を抱えてるコトになる。償還期限をとっくに過ぎてる国債を、だ。つまり王国財政がデフォルトしてるコトになるワケだが――王国の財政破綻を認めてまで石油利権を獲得したいなんて、まさか言わねーよなぁ?」
    「うぬぬぬ……」
     反論の材料を失い、役人たちは顔を青くして黙り込む。
    「話はコレで終わりだ。さっさと帰れ」
     天狐はあごでくい、と応接間のドアを指し示した。
    緑綺星・国謀譚 3
    »»  2023.10.11.
    シュウの話、第143話。
    次策を読む。

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    4.
     肩を落として帰っていく役人たちの後ろ姿を屋敷の窓から眺めながら、天狐はフン、と鼻を鳴らした。
    「コレで状況は次の段階に進んだってワケだ」
    「次?」
     尋ねたエヴァに、のんびりコーヒーを飲んでいたロマーノが答える。
    「そもそも今回の彼らの訪問は非公式なものです。公式なものであれば『外務省からの者』などと立場をぼかして訪ねたりはしないでしょうし、大々的に報道がなされるはずです。つまり公式に訪ねなかったのは、事細かく尋ねられたり、公に知らされたりしては困るからでしょうな」
    「いい線いってるぜ、ロム」
     天狐にほめられ、ロマーノは「ありがとうございます」とにっこり笑って返した。
    「つまり公式に報じられると、配下国からツッコまれるからだろう。『あの土地、オレたちが買ってるはずだぜ』ってな」
    「ふむ? と言うことは……」
     合点が行ったらしい様子のエヴァに、天狐はニヤッと笑いながらウインクした。
    「あの小役人どもは知らなかったみてーだが、もっと上の連中はちゃんと把握してんだよ、土地売買の件をな。もしオレたちが権利関係を把握せずに石油会社計画を進めてるなら、脅してビビらせりゃ手を引くと考えて、アイツらを送ったんだろう。逆に知ってると判明した今、他の手段を講じなきゃならねーワケだ」
    「なるほど、だから『次』か。では相手はどう出ると?」
    「考えられる可能性は3つだ。1つ、オレが煽った通り、土地売買の件を反故にして土地権利と石油利権を取りに来るか。だがコレはありえねー。10年前、20年前の債務を遡って支払うコトになるからだ。その額約300兆コノン、トラス王国の30年分の税収に相当する。今払えってなれば財政破綻は不可避だ。そもそも反故にした時点で金融筋が大々的に報じる。『一旦結んだ契約を一方的に破るろくでなし』としてな。そうなりゃ王国の信用は消し飛ぶ。仮に石油を奪取しても、誰もそんな大ウソつきを相手しなくなるだろーな。
     そして2つ目、計画の中心人物を暗殺、あるいは拘束して計画を進められなくし、そのまま立ち消えにさせる。だがコレも無理だろ?」
     天狐の言葉に、エヴァとロマーノは苦笑する。
    「テンコちゃんをどうにかできる人間がこの世に存在するなら、可能かも知れないが……」
    「私が存じている限り、お父上くらいでしょうか。しかし今回の件で敵対される理由はないでしょう」
    「地下に親父の秘密コレクションかなんかが埋まってるとかなら邪魔しに来るかも知れねーが、大野博士に入念に調査してもらって、ソコら辺の可能性はないと判明してる。そもそもマジでヘンなもんがあるってんなら、石油会社作った時点で向こうから連絡してくるだろーしな。
     大体、今更親父に政治上のしがらみなんかねーし、トラス王国とのつながりも皆無だ。である以上、こっちに干渉してくる理由はねーな」
    「仮にテンコちゃんの存在がなかったとしても、永世中立国がからんでいる話だ。商業上の交渉ならともかく、実力行使で差し止めに来れば、確実にミッドランドを敵に回す形になる」
    「中立を宣言している我が国に鉾を向けるようなことをすれば、白猫党と同類の危険勢力と見なされ、国際的に孤立することになるでしょう。そうなれば新央北の配下国も、軒並み新央北から脱退するでしょうな」
    「ならず者国家と認定された落ち目の王国と関係を保つより、世界規模の商業網の方が大事だろうからな。……で、3つ目は?」
     エヴァに尋ねられ、天狐は難民特区の地図を指差した。
    「こっちから土地を手放さざるを得ない状況に持って行かせる。こうして石油会社を作り、後は採掘を開始するだけ、と言う段階まで来たワケだが、『何らかの理由により』採掘ができねーとなれば、会社は回らなくなる。となれば計画の中心人物であるオレは、株式を持ってる配下国から責任を問われる。しかしオレの貯金は現時点でほぼすっからかんだから、補償するとなれば現物、つまり土地を手放すしかない。
     そうなりゃ後は後ろ盾がなくなった配下国へ従来通りに圧力かけて土地を王国が管理する形に持って行かせ、敵を一掃した王国が悠然と利を得るってワケだ」
    「ふむ……。しかし採掘ができない状況、と言うのは? 資材の搬入や油井の建設を妨害する、とか?」
    「その辺りだろーな。そしてソレら妨害を包括的にできる方法、そして今、国民の監視でうかつに動けねートラス王国が天下御免で難民特区に軍隊を送り込める方法が、一つだけある」
    「それは?」
     尋ねたエヴァに、天狐はフン、と鼻を鳴らして返した。
    「白猫党だよ。あいつらが間近に迫ってきたって情報が流れりゃ、国防上の理由から緊急出動が認められるだろう。後は出動のどさくさに紛れてラコッカのトコを荒し回りゃ、業務停止に追い込めるってワケさ」
    「なるほど。しかしこのタイミングで都合良く乗り込んで来ると?」
     ロマーノの問いに、天狐はもう一度鼻を鳴らした。
    「現実が都合良くなきゃ、ウソついてでも都合付けりゃいい。ツラの皮の厚い王国の連中なら、そう考えるだろーぜ」
    緑綺星・国謀譚 4
    »»  2023.10.12.
    シュウの話、第144話。
    偽りの緊急出動。

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    5.
     ミッドランドへ送った密使が天狐に追い返された、その数時間後――。
    「首相からの極秘命令が下った。この件は決して口外しないように」
    「は……承知いたしました」
     王国軍の難民特区方面司令が、本営の一室に部下である将校数名を集めていた。
    「先般より我が国緊急の課題であった特区内の油田掌握計画だが、政治面からのアプローチに失敗したと、外務省より連絡があったそうだ。詳しい経緯は伝えられていないが、外交による平和的解決は期待できないと言うことだろう。
     そこで首相より、実力行使による油田制圧が命じられた。軍を派遣し、油田とその周辺一帯の制圧に向かってくれとのことだ。しかし現在、世論の反対意見が強く、うかつな出動はできない。ましてや直接的・即時的には国民の利益とならない油田奪取を世論が許す可能性は、極めて低い。通常体制では軍を動かすことは不可能と言っていいだろう」
    「では、どうやって制圧を?」
     尋ねた将校に、司令は顔をしかめさせる。
    「繰り返すが、通常体制では我々は動けない。しかし緊急体制であれば、我々のすべての軍事行動は原則として無条件で容認されることもまた、国民の総意によって認められている」
    「緊急体制?」
    「ああ……まあ……例えば『例の組織』が我が国領土を侵犯した場合などがそれに当たる」
     司令の言葉に、将校たちも同様に顔をしかめさせた。
    「例のと言うと……西の?」
    「しかし彼らが都合良く――語弊はありますが――このタイミングで攻め込んでくるとは、あまり考えられない事態では」
    「動機は十分ある」
     司令は全員に背を向けながらも、話を続ける。
    「かねてより油田を狙って動いていた形跡もある。こうして実際に石油が出て、なおかつ、数日中にも採掘が始まろうと言うなら、むしろ絶好のタイミングと言える。現れてもおかしくないと、十分考えられる。
     そこで……まあ……そう……言ってしまえば、その不確定な状況を、我々が極秘裏に確定させてしまえば、世論がどうあろうとも緊急体制に入れるはずだと、首相や内閣御一同は、そうお考えのようだ」
    「閣下、つまりそれは……」
     将校が尋ねかけたところで、司令が申し訳なさそうな目を向けてきた。
    「私の口からは言えない。君たちに任せる。緊急体制に入っても誰にも文句が出ないような、いや、出せないような状況を作るのだ。私からは以上だ。速やかに計画し、一両日中に行動してくれ」
    「……承知いたしました」
     明らかに責任逃れを企てる司令に、将校たちは敬礼を向けた。

     この将校たちの中に、ラコッカファミリーを駆逐するために部隊を差し向けたあの狼獣人も参加していた。
    「……クソどもめ。とうとう欺瞞作戦にまで出るのか。軍人としての誇りは、……いや、……言ったところで、か」
     自室に戻り、席についてぶつぶつと愚痴を吐いていたが、それも途切れ、やがて黙り込む。
    「そもそも異を唱えない時点で、俺も黙認したと言うことだ。認めたなら、仕方ない……か」
     ついにあきらめに満ちたため息を吐いて、部下に電話をかけようとした。と――そこで逆にスマホが着信音を鳴らし、彼を呼んだ。
    「……俺だ」
     感情を押し殺し、電話に出ると、部下の困惑した声が伝わってきた。
    《ちゅ、中佐、失礼します、あの、確認させて下さい》
    「なんだ? 落ち着け」
    《今、動画で、あの、メイスンリポートって、……い、いえ、単刀直入に。本当に軍は今、難民特区に兵を送ろうとしているのですか?》
    「なに!? どこから通達された!?」
    《……! 本当なんですか!?》
    「今から指示を送ろうとしていたところだ。だがまだ極秘の……」《見損ないました》
     ぶつっ、と電話が切れ、将校は唖然とした。
    「みそ、……え? な、なんだ? ……動画? メイスンとか言っていたな」
     困惑を抑えながら、将校はスマホで聞きかじった単語を検索し、それらしい動画を見つけた。
    緑綺星・国謀譚 5
    »»  2023.10.13.
    シュウの話、第145話。
    メイスンリポート#52;緊急拡散案件! トラス王国のウソを暴きます!

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    6.
     こんにちは、シュウ・メイスンですー。

     今回はちょっと、いえ、かなり大真面目に、お伝えしたいコトがあります。重い内容になりますが、最後までご清聴いただければ幸いです。

     前々回からお伝えしています、トラス王国の実情と動向についてですが、つい先程、とんでもない事実が明らかになりましたので、大急ぎで動画をアップロードしました。そのためBGMも字幕も付けられませんでしたが、ご容赦下さい。
     結論からお伝えします。トラス王国は、難民特区に軍を派遣するコトを決定したようです。かねてよりお伝えしていました石油問題を、実力行使によって解決するためです。情報が錯綜していますので現時点ではまだ確定情報ではありませんが、どうやら「白猫党が領土内に侵入した」と言う建前で出撃させるようです。しかし、この決定と行動は不当なものです。実際の目的は白猫党撃退ではなく石油湧出地を占拠・実効支配するためであり、そしてそもそも現在、特区のほとんどが王国の領土ではないからです。
     王国は政府が発行した赤字国債を補填するため、この四半世紀で特区のほとんどを他国に売却しており、現在、特区における正当・正式な王国領土は難民特区方面基地とその周辺のみとなっています。コレに関しては後日、補足解説動画をアップロードする予定です。ともかく現在、特区は王国のものではなくなっており、ソコに軍を派遣するコトは、他国に対する越権行為、れっきとした領土侵害に当たります。にもかかわらず王国はその事実を公表しないまま、当然のように軍を送り込もうとしているんです。
     まだ震災の影響は国内に色濃く残っていますし、交通・鉄道、インフラも完全復旧できていません。家を失いテント生活同然の暮らしを送っている方々も、多数いらっしゃるのが現状です。国内に助けを必要としている方が、大勢いるんです。なのに王国は彼らを放置し、既に自国領土ではない土地を占拠するために軍を動かそうとしています。いえ、おそらくは今まさに動こうとしているはずです。

     これがトラス王国の実情です。軍はもはや「白猫党に対抗するため」、「『新央北』の安全を守るため」ではなく、「他国侵略のため」に使われようとしています。今日この日を以て、トラス王国は「新央北」の守護者ではなく、ただの侵略者となりました。
     もし、……もしも、この動画を関係者の方々が、実際に難民特区に出動しようとしている方たちがご覧になっているのなら、今一度、自分の行動に正当性があるのかを、真剣に考えて下さい。「上に言われたから」「国家のためだから」とごまかして、自分の責任を放棄しないで下さい。その行動は本当に国のための、いいえ、国民のためになると言えますか? ほんの一握りの富裕層の私利私欲のため、彼らの利権とおカネのための行動ではないと、本当に、胸を張って言えますか?
     今一度考えて、そして行動して下さい。本当に国民のためになる行動を。

     ご視聴、ありがとうございました。




     動画を観終え、将校はスマホを握る自分の手に、だくだくと汗をかいていることに気付いた。
    「ま……まさか」
     慌てて先程連絡してきた者を含む部下たち全員に電話をかけるが、誰も出ない。窓から身を乗り出し、外の様子を伺うが、それなりに喧騒に包まれているはずの本営は――ましてや今まさに緊急出動が行われるべく、騒然としているはずであるのに――不気味なほど静まり返っていた。
    「……やられた。軍は……終わった」
     将校はスマホを床に落とし、呆然と空を眺めていた。

     世界有数のインフルエンサー、シュウ・メイスンが公開したこの動画は、まず現場の兵士たちを少なからず震撼・動揺させた。
     多少の程度の差はあれど、自分たちが属する組織は「自国と『新央北』を守るため」に存在すると信じ、真面目に兵役に就いていた者たちである。ところがその軍から下された緊急出動命令が「真っ赤な嘘である」「侵略行為だ」と喝破されてしまい、軍に対する不信感が瞬く間に広がった。さらにちょうどこの時――このタイミング自体もシュウと、そして天狐の目論見通り――本当に緊急出動が命じられたことで、シュウの主張の裏が取れてしまったのだ。
     自分たちをだまし、私利私欲で出撃させようとしていた軍上層部、そして国家に対して憤慨・激昂した兵士たちは、行動に出た。いや、正確に言えば「あらゆる行動に出なかった」のだ。事実確認が取れてすぐ、彼らは同僚や親しい先輩・後輩と言ったヨコ同士で連携を取って示し合い、一切の軍務を放棄することにしたのである。

     そしてシュウの動画公開から2時間後には、トラス王国の全軍がストライキを実行した。上層部が現場へ臨場しての直接命令も下されたものの、「事実が明らかにされない限り、我々は絶対に命令に応じない」と小銃を向けた兵士たちに突っぱねられ、強制力を失った上層部、そして王室政府は、彼らの対応を受け入れるしかなかった。
    緑綺星・国謀譚 6
    »»  2023.10.14.
    シュウの話、第146話。
    克天狐流、勝利の一般理論。

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    7.
     トラス王国の混乱は、ラコッカ石油にも伝えられていた。
    「ってワケで、もう当分は兵隊寄越すコトもねーだろ」
    「そっかー……良かったな、親父」
     のんきそうな声を上げたダニーに対し、ロロはことさら渋い顔を向けてくる。
    「ちっとも良かねえだろ。今の状況、分かってんのか?」
    「へっ?」
     きょとんとするダニーに、ロロがこう続けた。
    「確かにトラス王国が実力行使してくることはなくなっただろう。それは確かだ。だが一方で、防衛力ってやつがゼロになっちまったってことでもあるんだぞ、今の状況は」
    「防衛? いや、だから王国からはもう……」
    「ロロ、お前さんが言いたいコトは分かってるぜ」
     首を傾げるダニーを尻目に、天狐がニヤッと笑みを返した。
    「つまり白猫党のコトだな?」
    「それだよ。今まで白猫党の奴らが本腰入れて特区に攻め込まなかったのは、何だかんだ言って王国軍の存在があったからだろ? うかつに軍隊送り込んで王国軍とかち合ったとなれば、交戦して勝つ、負ける以前に、領土侵犯だ。王国軍が見つけて報告すれば即、国際問題になるし、そうなりゃ取引してたであろう外国から縁を切られて、外貨が手に入らなくなっちまう可能性もある。そう言うフクザツな政治事情ってやつがあったから、今まで攻めて来なかった。
     だが今、特区が王国領土じゃないと判明した上、王国軍が入って来られなくなったってなれば……」
    「あ……そ、そっか。じゃ、じゃあどうすんだ、テンコちゃん?」
     ようやく事情が飲み込めた様子のダニーが目を向けてくるが、天狐は涼しい顔をしている。
    「二段構えで考えてある。とりあえず長期的計画としてはミッドランドと、『新央北』のくびきから解放された配下国、他にもオレのツテ何人かに当たって、特区を独立国として承認させる。名実ともに王国の支配下から離れさせるとともに、ちゃんとした国としての対応が取れるようにする。政治的交渉であったり、軍隊構えたりとかな」
    「まあ……無法地帯の特区のままでいるより、マトモな国として態勢構えたとなれば、流石に白猫党も無茶な手出しはして来ないか。だが相当時間がかかりそうだな」
    「だから長期的計画っつってんだろ。お前さんの言う通り、こんな悠長なコトやってたら、その前に攻め込まれて実効支配されちまうだろう。だがこの計画は結構前――ラコッカ石油の話をまとめる前から――根回ししまくってたし、今回の王国の件があったおかげで、そう遠くない内にまとまりそうではある。とは言えもう1週間かもうちょいかくらいはかかる。
     逆に言えばその1週間ちょいをしのげば、白猫党は手出しできなくなる。だからその1週間の時間稼ぎとして、短期作戦も講じてある。こっちももう仕掛けは済んでるから、むしろ攻めてこいよってくらいさ」
    「マジかよ」
     目を丸くするロロとダニーに、天狐はニヤニヤと笑みを浮かべながらウインクした。
    「オレは徹頭徹尾、勝つために策を巡らせてんだよ。王国は『石油利権のため』だとか、『宗主国のメンツを保つため』だとか、この戦いに勝つ以外のコトに目を向けて、頭を働かせてきた。ここにいる人間のコトは、ハナっからまともに見ちゃいなかった。だからこのザマさ。白猫党だって同じだ。奴らにとっちゃオレたちに勝つコトは二の次、三の次に考えるコトであって、第一は『どうやって石油を奪うか』だ。そのために十重二十重の工作は仕掛けても、『難民特区にいる人間にどうやって勝つか』なんてコトは、本気で考えちゃいなかったのさ。
     現れる敵を、そして現れるであろう敵をはっきり『敵』だと、『戦うべき相手』『勝つべき相手』だと認識しないヤツ、認識できないヤツは、いつの間にか目の前に現れたソイツに負かされるんだ。逆に勝つヤツってのは、誰と戦うべきか、誰に勝つべきかが分かってるからこそ、ソイツのところに躊躇なく攻め入って、はっきりと勝てるんだ。
     オレは勝つ。トラス王国にも、そして白猫党にも、な」

    緑綺星・国謀譚 終
    緑綺星・国謀譚 7
    »»  2023.10.15.
    シュウの話、第147話。
    ホンモノのバケモノ。

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    1.
     トラス王国が偽の緊急出動を行う、その2日前――。
    「お前さんがラック・イーブンか?」
    「学校」の片隅でひっそり過ごしていたラックのところに、天狐が現れた。
    「あ、はい、ども、はい。……な、なんです?」
     ラックのことをじろじろと眺めている天狐に、ラックは困った顔を向ける。
    「妙なヤツだな」
     天狐はそう言いながら右目をつむり、光のない真っ黒な瞳をラックに向けながら周りをうろうろとしていたが、一転、けげんな素振りを見せる。
    「みょ、妙って、何がです?」
    「お前さん、ヘンなんだよ、オーラが。普通、オーラってのは感情に伴って色が変わるもんなんだが、……なんでお前さん、2色も3色もチラチラチラチラ重なってんだ? まるでお前さんの中に、人格が2つ3つあるみてーじゃねーか」
    「……っ」
     天狐の指摘に、ラックは顔を青ざめさせる。
    「そ、そんなことないでしょう。俺は一人です」
    「『どのお前さんが』そう言ってんだ?」
     天狐は両目を開き、ぐい、とラックに顔を近付ける。しばらく至近距離で見つめ合った後、ラックは目をそらしながら答えた。
    「……俺、……俺は、……時々、頭の中で、俺の隣に俺がいる、みたいな、そんな感覚になることがあるんです。多分、あんたの言ってる2人、3人ってのは、それが原因だと」
    「単純に二重人格だとか統合失調だとかってレベルの話じゃなさそうだな。詳しく聞かせてくれ」
    「……嫌です」
     ラックが断るが、天狐は折れない。
    「聞かせろ」
    「……」
     と、ラックの腕がピク、ピクと動く。
    「い、嫌です。言いたくないんで、どっか、行って下さい、本当、頼みますから、お願いです」
    「もしオレがこの場から離れなかったら? 殴りつけるつもりか?」
    「そ、そうなるかも知れないんで、早く、どっか、行って下さい」
    「断る」
     天狐はにやあっと悪辣に笑い、指をくいくいと曲げて挑発した。
    「殴りたきゃ殴ってみろよ。どーなるかは保証しねーけど、な」
    「……うう、……うっ、あ、……アッ、……ガアアッ!」
     ラックの右腕がぼこぼこと入道雲のように膨れ上がり、ぼっ、と風切り音を立てて、天狐の顔に向けて振り抜かれる。だが――。
    「ソレで全力か? 見掛け倒しだな」
     なんと天狐は人差し指と親指でちょこんと、自分の顔半分ほどに膨張したラックの右手をつまんでいた。
    「ウガァッ!?」
     ラックが腕を引こうとするも、天狐の二指は彼の拳をがっちりとつまんだまま離さない。
    「言っとくけどな」
     と、天狐は悪辣な笑みを崩さず、こう言ってのけた。
    「もしお前さんが島一つ分くれーに巨大化して襲ってきたって、オレは余裕で勝つ自信がある。いっぺん試してみるか? お前さんの全力、最大限、最大出力、100%中の100%を振り絞ってみて、オレを一発でも殴れるかどーかを、な」
    「グアッ……ガッ……う……うう……ううっ」
     巨木のようだった腕がしぼみ、元のしょぼくれた小男に戻ったところで、天狐は優しげな声で諭す。
    「分かっただろ? いや、悟ったっつった方が正確だろーな。もしマジに島一つ分の怪獣に化けたとしても、オレには絶対に敵わないってコトが」
     ラックはへなへなと崩れ落ち、天狐の足元に平伏す。
    「……なんでです……俺……俺は……ば……ばっ、バケモノ……なのに……」
    「本物のバケモノがどーゆー存在か、お前さんはマジに知ってるつもりなのか?」
     天狐はニヤニヤと笑い、どこからか取り出した鉄扇でラックの薄い頭をぺちぺちと叩いた。
    「オレに言わせりゃお前さんなんぞ、半世紀前の特撮映画に出てくる着ぐるみ怪獣と変わりゃしねーよ。眼の前に現れたところでコレっぽっちも怖かねー、子供だまし同然のドコにでもいるよーな小僧さ。
     だから素直に全部話してみろよ、この『ホンモノ』である克天狐ちゃんサマに、な」
     ラックはぽかんとした顔で天狐を見上げ――突然、泣き出した。
    「うっ……ふぐっ……うひっ……ひっ……俺……俺は、に、人間、です、か……?」
    「オレに比べりゃずっと人間だろーよ」
     天狐はラックと同じ目線までしゃがみ込み、彼の背中をぽんぽんとさすった。
    「がっつり涙流して落ち着いたら聞かせてくれよ。お前さんがどんな人生歩んできたのかをな」
    緑綺星・機襲譚 1
    »»  2023.10.17.
    シュウの話、第148話。
    身の上話とヘッドハント。

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    2.
     ひとしきり泣いた後、ラックはぽつりぽつりと、自分の身の上を天狐に話した。
    「俺の……俺が『俺』になった時の、一番古い記憶は、どこか暗いところにいたってことです。俺は……俺の中には、色んな別の俺が、……別々の人間がいて、……それが、……なんでか、一つに『まとまった』んです。でも、まとまったのは俺一つじゃなかったんです」
     この時点で既に天狐は口をへの字に曲げていたが、こくりとうなずく。
    「イマイチ分かりにくいが……まあ、続けろ。どーにか解釈するから」
    「はい。……それで、俺とは別にまとまった奴が、俺に襲いかかってきたんです。なんで襲われたのか分かんなかったんですけど、でも、逃げなきゃ殺されるって思って、それで、必死で逃げたんです。暗いところを逃げて、逃げて、どうにか外に出て、森の中に逃げ込んで、どうにか相手を撒けたんです。でも相手は全然あきらめてなかったみたいで、その後も何度か俺の前に現れて、所構わず俺を襲ってきたんです。……その度に、どうにかごまかして作り上げてた俺の生活とか、人生とか、めちゃくちゃにされて、……その場にいられなくなって、逃げるしかなくって。多分、もう、200年くらい、その繰り返ししてて……」
    「200年逃げっぱか。なかなかキツいな」
     天狐はまたぽんぽんと、ラックの背を撫でた。
    「話を聞く限りじゃ、お前さんの変身能力は――おっさんが色んな形に変身できるって言うより、正確にはお前さんにそもそも『原型』が無いってコトか。今のその姿も……」
    「はい。あんまり目立ちたくないから、この姿にしてるだけで。誰だってこんなしょんぼりしたおっさんに、用もないのにわざわざ声かけませんから」
    「だろーな、ケケケ……。ところでその襲ってくる奴ってのは、何か分かってるコトはあんのか? 居場所とかは?」
    「さっぱり分かんないです。でも、相手は何故か俺のいるところが分かるみたいです。もしかしたら、念入りに調べて追ってきてるのかも知れないですけど」
    「名前は?」
    「多分なんですけど、オッドです。『まとまり』の中にそう名乗ってた猫獣人の記憶があって、その人とそいつ、同じ姿してましたから。襲われた時にも何回か、『ドクター・オッドと呼べ』みたいなこと言ってましたし」
    「オッド……ドクター・オッドか。ふーん……」
     天狐は意味ありげにうなり、それからラックに尋ねた。
    「ラック。お前さんが欲しいモノはなんだ?」
    「え?」
    「ぶっちゃけた話、何にでも化けられるお前さんが大富豪や銀行頭取にでも化ければ、好き放題に盗みが働ける。猫かなんかに化けてトラックや船にでも忍び込めば、世界中ドコにだって行けるワケだ。やろうと思えばこの世のあらゆるモノを手に入れられる能力を持つお前さんは、何を望む?」
    「……」
     ラックは頭を抱え、ぼそりとつぶやく。
    「俺の望みは一つです。……穏やかに、暮らしたい。バケモノだって後ろ指差されることなく、ひっそり生きていたいです」
    「だがドクター・オッドとやらはソレを許しちゃくれねー、と。おそらくお前さんが世界のドコにいようと、オッドは執拗にお前さんを探し出して、暴いてほしくねー秘密を白日の下に晒した上、殺しに来るワケだ。200年追っかけてくるよーなヤツが、いまさら『もういいやめんどくせえ』なんて都合良くあきらめやしねーだろーし。
     ソコで提案だが――オレに一つ、確実に安全な場所を提供できるツテがある。お前さんにソコで平和に暮らせる権利をくれてやる。もちろん、交換条件はあるけどな」
    「え……?」
     顔を上げたラックに、天狐はニヤッと笑って見せる。
    「オレのチームに入れ。お前さんのその変身能力を、オレの計画のために発揮してくれ。十分に働いてくれれば、お前さんに平和な生活を保証してやる。
     コレがこの克天狐が提示する、契約内容だ。どうする、ラック?」
     差し伸べた天狐の手を、ラックはがっちりとつかんでいた。
    緑綺星・機襲譚 2
    »»  2023.10.18.
    シュウの話、第149話。
    進撃はモニタの向こう側で。

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    3.
     王国軍全軍がストライキにより機能停止したことは白猫党側も当然察知・把握しており、彼らは早速この翌日から軍事行動に出ていた。
    《SD714B-1001~1060、巡航モードから警戒モードに遷移します》
    《DF712F-2301~2420、巡航モードから警戒モードに遷移します》
    《HD715E-1001~1120……》
     だが、兵員の全てをAI制御下に置く白猫党である。現場に指揮官はおらず、ドローン兵器とMPS兵士を乗せた無人トラックばかりが荒野をひた進んでいる。そしてその様子を安全な制御室内でモニタリングするオペレータたちを、いかにも偉そうな党章を胸に付けた青年指揮官が、後ろで監督していた。いや――。
    「……っしゃ、虹っ」
     真面目に働くオペレータたちを時折チラチラと確認しつつも、彼自身はこっそりオンラインゲームでくじを引いていた。
    「……ってなんだよ、結局Sレア1枚か? 看板虹演出でX出ないなんて詐欺だろ。せめてUくらい、……おっと」
     部屋の中に白いスーツの女性が入ってきたことに気付き、彼はこそっとパソコンを操作し、オンラインゲームの画面を隠す。
    「閣下、ご足労様です」
     立ち上がり、敬礼した指揮官に、その女性は冷たい視線を向ける。
    「遊んでた?」
    「……っ、い、いえいえいえ、何を仰いますやら。今は仕事中で……」
     ごまかそうとした彼の横に「閣下」がすい、と割り込み、キーボードをかちゃ、かちゃと叩く。途端にオンラインゲームのBGMが、部屋中に大音量で響き渡った。
    「これは?」
    「……も、申し訳ありません!」
     一転、深々と頭を下げた相手に、「閣下」は「構わない」と返した。
    「業務に支障が出ない限りであれば、余暇を楽しむ行為は許容する。もちろん支障があれば罰する。その上で確認する。現在、何か問題は?」
    「そ、それははい、問題ありません! 全く! 順調です! 万事順調!」
     ぺこぺこと頭を下げる指揮官を冷たい眼差しでしばらく眺めていた「閣下」は、冷え冷えとした声色を発した。
    「今回の作戦には多大な予算を割いている。完遂できなければ相応の責任を取ってもらう。必ず成功させるように。以上」
    「そ、それはもちろん!」
     床に頭をこすりつけるように平伏した指揮官に背を向け、閣下は部屋を出て行く。指揮官は扉が閉まったのを確認して、それから横柄な態度で椅子に座り、パソコンの音量を0に戻した。
    「……へーへー大丈夫でございますともですよ、閣下。これだけの物量をぶつけりゃ、どんな軍隊だって蹴散らせますって……」「それから」
     閉じた扉をもう一度開け、「閣下」が顔を覗かせる。
    「もしも予算を濫用・私的利用していた場合には、相応の処罰と請求を行う。以上。……了承している? しているなら返事をしなさい、セルヒ・グスマン三級党員」
     ひんやりとした目線を向けられた指揮官はもう一度立ち上がって敬礼し、「了解です」と消え入りそうな声で答えた。

     あまりにも職務怠慢な態度を晒していたグスマン指揮官であったが、彼が白猫軍の最重要計画である特区侵攻の際においてもなお、これほど気を抜いていたのは、無理からぬことだった。何故ならこの作戦において、白猫党の脅威になりうると考えられていた勢力はトラス王国軍のみであり、その王国軍ですらストライキにより――流石に王国領内に踏み入るようなことをしない限りは――銃弾1発すら撃ち込んでくる可能性がなかったからである。また、他に懸念すべき勢力として天狐の存在が挙げられたものの、これも結局は後述するとある理由により、脅威になるとは見なされていなかった。
     結果、もはや無人の野を行くがごとき態勢で東進を続けた白猫軍は、いよいよ難民特区に踏み込もうとしていたが――突如、低空飛行していたドローンの一つが火を噴き、墜落した。
    緑綺星・機襲譚 3
    »»  2023.10.19.
    シュウの話、第150話。
    ドローン部隊の猛攻。

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    4.
    《警告します。DF712F-2366に耐久能力の1311%のダメージを確認しました。ダメージコントロール失敗。復帰失敗。同機との接続が切断されました。同機は破壊されたと判定します》
     オペレータたちの画面に損害状況が表示され、制御室に緊張が走る。
    「敵襲です!」
    「敵襲ぅ? 相手がいるのか? 故障の可能性は?」
    「閣下」にたしなめられてなおオンラインゲ―ムに興じていたグスマンは、面倒臭そうに応じる。
    「ダメージ1000%オーバーは故障の域を大きく超えてます!」
    「他機カメラからも撃墜の瞬間が確認できてます」
    「AI判断も敵襲だと言ってます」
     部下から苛立ち気味に返され、グスマンはようやくゲーム画面から顔を上げた。
    「じゃあ敵はどこにいるんだ?」
    「捜索中、……っ!」
     ふたたび現地のドローンから撃墜の報告が飛び、制御室は騒然とし始めた。
    「どっ、どこだ!? どこにいる!?」
    「早く探せ!」
     ドローンとMPS兵に付けられたカメラを総動員して、ようやくオペレータたちは敵を見つける。
    「あっ! 見つけました!」
    「『対象SF』です!」
    「SF!? あの特級警戒対象の!?」
     カメラに写った金と黒のパワードスーツ――スチール・フォックスの姿を確認し、ようやくグスマンも血相を変えた。
    「一般戦闘モードに移行だ! いや、特殊戦闘モード! 対SFだ!」
    「了解です!」
     オペレータたちがパソコンを操作し、スチール・フォックスへの攻撃を開始する。
    「一瞬ビビったが……まあ……我が白猫党が開発するAIは世界最高レベルの精度を誇る。これまで何度か交戦した記録を元に、対象SFの行動が細かく分析されているから、後はAIの判断に任せれば問題なく撃破できるはずだ」
     グスマンが自慢げにつぶやいた通り、AIに操作されているドローンとMPS兵は正確に、スチール・フォックスに向かって弾幕を展開した。
    「弾丸発射総数12750発、うち11256発の命中を確認。対象SF、射程距離外に離脱しました」
    「命中率88.3%か。まあ、そんなもんだな。被害状況は?」
    「ドローンが合計26基撃墜、37基が大破、中破以下は55基です。MPS兵に被害はありません」
    「データ通りだな。人を殺すのは嫌いらしい。……とは言えドローンの被害が多い。作戦遂行には不可欠だし、今日は威力偵察と言うことにして、特区境界線の西3キロまで退却させていい。破損したドローンは最寄りの基地に帰投させて、修理依頼と増援依頼を出せ。それから残ったドローンに周囲を警備させつつ、MPSに前線の構築を行わせろ」
    「了解です」
     こうして侵攻初日は、白猫軍が優勢な状況で決着した。



     1万発以上の弾丸を食らったものの、一聖と天狐が腕によりをかけて製作した唯一無二のパワードスーツである。
    《カズちゃ~ん……戻ったでー》
    「おつかれさん」
     胸と左肩の装甲が多少凹み、腕と肩の接合部分から火花を散らせてはいたものの、ジャンニは「テレポート」で無事にミッドランドへと帰還していた。
    「損害状況やけども、見たまんまやと思うわ。何べんか集中的に撃ち込んできよったせいで、シールド2、3回割られたわ」
    「ああ、記録してる。正確には6回だ。ま、装甲は神器化処理してっから、例えシールドなしでも、自動小銃や軽機関銃の弾くれーじゃ貫通はしねーがな。とは言え……」
     ジャンニが脱いだスーツをつぶさに確認し、一聖はため息を漏らす。
    「流石に千発単位で集弾されると、変形するか。案外、白猫党の武器とAIの性能もあなどれねーな」
    「言うても千発、二千発を一ヶ所に食らうとか、普通ないやん。ちっちゃい拳銃とかでもそんなんやってきよったら、同じように凹むやろ」
    「ソレが普通にされちまうから、あなどれねーんだよ。……ま、ソレでもコレくらいは織り込み済みってヤツだ。おかげで相手の戦略や行動も読めた」
     一聖はニヤッと、悪辣な笑みを浮かべた。
    「本番は明日からだ。目一杯、引っ掻き回してやろーぜ」
    緑綺星・機襲譚 4
    »»  2023.10.20.
    シュウの話、第151話。
    本格侵攻の前に。

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    5.
     誰にも妨害されないまま、白猫党は余裕綽々で前線基地を構築した。
    「昨日の……対象SFはなんだったんでしょう?」
    「突然やって来てドローンを何台か破壊しただけで、結局逃げましたよね」
     作戦開始前のブリーフィングにて、前日に出現したスチール・フォックスのことがオペレータたちから指摘されたが、グスマンも首をかしげていた。
    「俺にも見当が付いてない、と言うのが正直なところだ。
     昨年から今年1月までの間に、奴は7回我々白猫党の前に現れ、遊撃的に攻撃してきた。だがその7回の交戦に明確な関連性が見られなかったことから、『独善的な正義感を充足すべく、国際的評判の芳しくない我々を漫然と攻撃目標に定めているのだろう』と言うのが、戦略研究室の見解だ。俺もこれに同意見であり、前日の出現はおそらく我々が他国への侵攻を開始したことを奴なりに危惧し、英雄主義的行動に出たのだろうと考えられる。
     だが結局、奴は我々の猛攻に圧されてあっさり逃走したし、前線構築の際にも一切妨害に現れなかった。もしかしたら今日も現れるかも知れないが、その時はまた、集中砲火で叩き落としてやれば良い。仲間がいると言う情報もあるが、いずれも歩兵レベルの存在だと考えられている。ドローン部隊に対しては、あまりにも無力だ。結論として対象SF、そして奴の仲間たちの存在は、取るに足らない要素と言えるだろう」
    「今回の油田開発にはミッドランドが関わっているとの情報もありますが、我々が本格的に踏み入った場合、行動に出るのでは?」
    「それも検討した結果、可能性は極めて薄いと判断されている。ミッドランドは永世中立国を宣言している央中の国家だ。だが今回の件に、即ち央北の地政学上の問題に軍事的・政治的に介入するようなことをすれば中立宣言の破棄、侵略行為と捉える者も現れるだろう。中立宣言を破り他国侵攻を行ったとなれば、ミッドランドの評判は地に落ちる。中立宣言は信用が物を言う。『今回だけ中立を破る』などと言うような、姑息な手は通用しない。一回反故にしてしまえばそれまでだ。ミッドランドがそこまでのリスクを負って行動に出ることはあるまい。
     加えて今回の件はミッドランド政府や当主のラーガ家が主導したものではなく、テンコ・カツミ氏の独断による行動だ。彼女の行動で国家に多大な迷惑がかかるとなれば、関係を切ることもありうるだろう」
    「ではテンコ氏が単騎で報復する可能性もあるのでは……?」
    「それも結果的にはないものと考えられる。もしテンコ氏が報復した場合、我々は――実態がどうであろうと――彼女がミッドランド政府からの支援を受けて計画を実行したと喧伝するし、そうすることは相手方も予想するだろう。その悪評を撤回するには、ミッドランドはテンコ氏との関係を切るしかない。
     関係が切れ孤立すれば、テンコ氏はミッドランドを――即ち堅固に守られた城を自ら出ることになるだろう。そうなれば我々にとってはどこまでも有利だ。一人になった彼女を白猫党全軍が狙うとなれば、いかに彼女が『悪魔の娘』であったとしても、ひとたまりもあるまい」

     天狐の性格と実像については今ひとつ捉えきれていない、いささか正確性を欠く予測ではあったが――ともかくこの時点までは、彼らの予測通りに事が運んでいたのは確かだった。そしてこの予測が正確であると確信した彼らは、ふたたび特区への侵攻を開始した。
    「ドローン全機、攻城モードに移行。国境線の破壊を開始します」
     既に経年劣化と密入国の横行で半壊しているフェンスの前に整列したドローンが、一斉に銃火器を構える。そしてオペレータが実行命令を下して0.5秒後、フェンスは木っ端微塵に吹き飛ぶ。
    「対象の破壊完了。攻城モードを終了します。続いて掃討モードに……」
     次の命令を送ろうとしたその瞬間――金と黒のパワードスーツがふたたび、カメラに映った。
    「対象SF現れました!」
     オペレータから報じられるが、昨日と打って変わって制御室に緊張感はなく、グスマンの反応も鈍いものだった。
    「またか。特殊戦闘モードで追い払え」
    「了解。特殊戦闘モードに移行します」
     ドローンとMPSの装備する銃火器の照準がすべて相手に合わせられ、昨日と同様に集弾攻撃を放つ。ここまでは昨日とほとんど変わることもなく、今日も同様の結果になるものと、グスマンをはじめとする制御室の人間がそう信じて疑わなかったし、実際、グスマンももう既に、オンラインゲームを立ち上げていた。

     だが――。
    「……え?」
     モニタに表示された数値を見て、オペレータたちは揃って目を丸くした。
    「26発?」
    「何がだ?」
    「め、命中数です。弾丸の」
    緑綺星・機襲譚 5
    »»  2023.10.21.
    シュウの話、第152話。
    AIの異様な不調。

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    6.
     報告を受け、グスマンは首をかしげた。
    「あ……? なんで26発だけ撃ったんだ? まさかAIが、たったそれだけで十分と判断したのか?」
    「ち、違います。26700発撃ち込んでるんです。命中が、26発です」
    「……なんだって!?」
     グスマンが唖然としている間にもう一度攻撃が行われたが、結果は変わらなかった。
    「さっ、38発!?」
    「今度は何発撃った!?」
    「同数です! 命中率微増ですが、やはりほとんど当たってません!」
    「バカな!? 何かの故障か!? それともAIの異常か!?」
    「分かりません!」
     状況が把握できないままオペレータたちは漫然と攻撃を繰り返すが――千発単位で集弾させてどうにか相手の装甲を凹ませられる程度の弾を数発、数十発しか当てられていないのだから当然のことだが――一向にダメージを与えられない。
    「MPS兵の弾が尽きました!」
    「ドローンの被撃破率、10%を超えました!」
    「このままでは戦闘陣形を維持できません! どうしますか、指揮官!?」
    「うっ……うぐぐ……ぐっ」
     もはやゲーム画面に目を通す余裕もなく、グスマンはがたんと椅子を倒して立ち上がり、真っ赤な顔で怒鳴った。
    「特殊戦闘モード止め! 一般戦闘モード、いや、セミオートに切り替えろ!」
    「えっ!? し、しかし指揮官……」
    「AIアシストを切るんですか!?」
     ためらうオペレータたちに、グスマンはもう一度叫ぶ。
    「何がなんだか分からんが、AIがポンコツになってるとしか思えん! アシストは無駄だ! 切れ! 自分たちで狙いを付けた方がまだマシだ!」
    「りょっ、了解!」
     命じられた通り、オペレータたちは対スチール・フォックス用の戦闘モードからセミオート――敵の位置捕捉と照準設定をAIに分担させる、手動操縦モードに切り替える。だがこの戦術転換も功を奏さず、被害が拡大していく。
    「弾丸命中率は10%前後に上昇しましたが、効果が見られません!」
    「被撃破数、さらに上がってます! 30%を超えました!」
    「陣形崩れました! 作戦遂行可能予測、50%を切っています!」
    「指揮官、どうしますか!?」
    「……~ッ」
     グスマンは立ち上がったまま、前方をただただにらみつけていたが、やがてあきらめに満ちた声で「撤退しろ」と告げた。

     こうして白猫軍は国境直前であっけなく撃退され、彼らの油田掌握計画の完遂に、大きな壁が立ちはだかった。
     だが、作戦失敗の責を問われることを恐れたグスマンは、特殊戦闘モードが機能しなかった件なども含めた一切を上層部へ報告しないまま、翌日以降も攻めの一手を打ち続けた。しかし結果は変わらず、侵攻開始から5日が経過する間にドローン300体強を破壊され、銃弾50万発以上を無為に費やした末――ようやく軍本営がこの異常な浪費に気付き、意地を張ってほとんど制御室にこもりっぱなしになっていたグスマンを拘束・連行した。

    「この5日間にあなたの指揮によって消費された弾薬、そして修復・補充したドローンの総額は12億クラムに相当する。だけどあなたの部隊から成果が上がったと言う類の報告は一切受けていない。状況を詳細に報告しなさい」
    「閣下」の前に引き出されたグスマンは、憲兵たちに小銃を向けられながら、しどろもどろに答えた。
    「じょ、状況は、ですね、ええ、ええと、何と言いますか、じゅ、順調と、言えなくも」「セルヒ・グスマン三級党員」
    「閣下」は冷え切った眼差しを、グスマンに向ける。
    「状況だけを詳細に報告しなさい。あなたの感想は不要」
    「……我々は、難民特区国境のすぐ手前まで進軍しましたが、そこで会敵しました。相手は1名です。通称『対象SF』と呼ばれている、狐のパワードスーツの人物です」
    「対象SFに撃退されたと? 対象SF用に設定された特殊戦闘モードがあったはずだけど、使用したの?」
    「当初は使用しました。1回目の会敵では成果を上げましたが、2回目以降はほとんど命中しなくなり、セミオートでの戦闘に切り替えました」
    「その後の成果は?」
    「特殊戦闘モードに比べれば効果を確認できましたが、撃退できるほどのダメージを与えられず、……その……次は勝てる、勝ちうると考えて……ずるずると……」
    「では対象SFを撃退できないまま漫然と、弾薬とドローンを浪費したと言うことか。結構」
     直後、憲兵たちがグスマンに向かって小銃を構える。
    「ひっ……」「待ちなさい」
     が、「閣下」は手を挙げ、憲兵を制する。
    「もちろん、このままの失態が続くのであれば、あなたにはしかるべき責任を取ってもらう。しかし緒戦で勝利したことは確か。あなたに作戦遂行が不可能であるとは考えていない。だからあなたにもう一度だけ、機会を与える」
    「き、機会?」
    「5日間連日で交戦したことから、明日も対象SFが現れる可能性は非常に高い。それを次こそ撃破すること。できなければ今度こそ、責任を取ってもらう」
    「はっ、はい! しかと! しかと拝命いたしました!」
     真っ青な顔で敬礼したグスマンに、「閣下」はひんやりした声で「よろしい」と答えた。
    「では明日の作戦を行う前に、AI包括管理本部長とミーティングを行うこと。でなければ明日の結果も今日までと変わらないと予測する。私から連絡しておく。あなたは即時、彼の元に向かうこと。以上」
     そう言い残し、「閣下」は部屋を後にした。
    緑綺星・機襲譚 6
    »»  2023.10.22.
    シュウの話、第153話。
    「トイ・メーカー」の所見。

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    7.
    「で、僕のとこに来たと」
    「ああ」
     白猫党本部内、AI包括管理部――モニタとサーバで埋め尽くされた部屋を訪ねたグスマンは、この部署の最高責任者「トイ・メーカー」にもう一度、今日までの状況を説明した。
    「AIがポンコツになった、ってのはひどいなぁ」
    「トイ・メーカー」は苦笑しつつ、目の前のモニタに親指を向けた。
    「僕が組んだAIには今のところ、重度の不良や不具合は見られない。この5日間の、君が運用した際のデータも解析したけど、AI自体は問題なく動いてたよ」
    「じゃあ、なんで弾が当たらなかったんだ!?」
     憤るグスマンに、「トイ・メーカー」は「落ち着けよ」と缶コーヒーを差し出す。
    「ま、結論を言う前に、1日目と2日目の状況をそれぞれ解析した結果を見てもらうよ。
     1日目、特戦モードでSFに集弾攻撃した結果、88%の命中率を叩き出してSFを撃退せしめた。これはまあ、文句も問題点もない。僕たちにしてみれば当たり前の結果だ。問題は2日目。この時は何故か、1%程度も当てられなかった。……けど、これも当たり前っちゃ当たり前なんだ」
    「何故だ?」
    「集弾攻撃だもの。攻撃があんまりにもピンポイントすぎるから、ちょっとでも相手の行動がAIの予測とズレてたら、そりゃ全部外すよ。テストのヤマカンみたいなもんさ。
     で、ここで問題になるのが、『AIの予測と相手の行動にズレがあった』って点。自慢させてもらうけど、僕のAIはかなり精度が高い。人間一人に限定してデータを集めれば、数回程度の交戦で集弾攻撃の精度を9割以上にできるはずなんだ。1日目の結果通りだね。だけどこのデータを別の人間に適用した場合、1割どころか1%だって当てらんないだろうね。人間は一人ひとり、体格も動きのクセも違うからだ。オーダーメイドのスーツを他人が着ようとしても、ひじが突っ張ったり裾が長かったりでヘンテコに見えるのと一緒さ。
     つまり結論から言うと、1日目と、2日目以降のSFの中に入ってる人間は別人だ」
    「トイ・メーカー」の予測を聞かされ、グスマンは目を丸くした。
    「別人!?」
    「パワードスーツ自体は同一だから、それでAIが誤作動を起こしたんだ。君たちもそうみたいだけど。2日目にすぐ僕のところに駆け込んできてくれれば、3日目以降の惨敗はなかっただろう。そこは完全に君の落ち度だね。
     ともかく2日目以降のデータを別に集計して、特戦モードを修正してある。これなら1日目と同様、命中させられるだろう。もちろん、中身が同じ人間だったらの話だけど」
    「同じ人間じゃなかったら?」
    「解析したところ、2日目以降は同一人物らしいよ。AIがそう言ってる。1日目の、つまり今まで会敵した奴が出てきた場合は、自動で旧パターンに切り替える。もちろん新たに3人目が現れるってパターンも考えられるけど、その時はAIが『中身が違う』って教えてくれるようにした。そしてこのパターンが検出された場合――何がなんでも撃墜するための最終手段として――最寄りの基地から拠点爆撃用のHSBM(極超音速弾道ミサイル)を発射するようにも設定しておくよ」
    「HSBM!? そ、それは、ちょっと」
    「やりすぎ? それとも高く付くって? 僕に言わせればどっちの意見もナンセンスだ。
     白猫軍はこれまでSFに、かなり手を焼かされてきた。こいつに無茶苦茶されたおかげで放棄せざるを得なくなった計画や基地は、1つや2つじゃない。ここで仕留められれば、今後の軍事展開に大きな効果が期待できる。仕留められる機会があるなら、どんな手段でも使うべきだ。そもそも同じスーツを別の人間が着回してることから、スーツはあれ一着だけだと考えられる。あれさえ破壊してしまえば、正義の味方くんはもう二度と僕たちの邪魔ができなくなるだろう。
     費用に関して言えば、君は既に12億クラムを溶かしてる身だ。HSBM1発2~3000万ってとこだけど、12億溶かした人間からすれば、もはや大した額じゃないだろ? それにHSBMはまだ実戦投入できてない代物だ。実際に使ったデータが提供できれば、10回試験するよりよっぽどコスパがいい。予算面でのアピールにもなるし、となればカネ勘定大好きな『閣下』に喜んでもらえるってメリットがある。
     それでもやりたくないって言うなら、君は明日どんな顔して『閣下』に結果を報告するつもりなの? 正直ここまでやらなきゃ、SFを狩るのは不可能だと思うよ。ひいては明日の作戦成功もね。これはAIの予測じゃなく、僕の予測になるけど」
    「うぐ……」
     グスマンは渡された缶コーヒーを一息に飲み干し、「分かった」と応じた。
    緑綺星・機襲譚 7
    »»  2023.10.23.
    シュウの話、第154話。
    特区防衛戦、最終局面。

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    8.
     侵攻6日目――さらに巨額を費やしてドローンとMPS兵を拡充したグスマンの部隊は、不退転の決意で侵攻に臨んでいた。
    「今度こそ、成功させますので」
    「そうでなくては困る」
     この日は「閣下」も制御室に臨場し、グスマンの真横に付いていた。
    「『トイ・メーカー』から話は聞いている。HSBMを使用することなく作戦完遂することを期待している」
    「はっ……」
     額に浮かぶ汗を拭いつつ、グスマンは命令を下した。
    「全軍前進! 今日こそ制圧するぞ!」
    「了解!」
     オペレータたちの声にも緊張の色が交じる中、侵攻が開始される。そしてほどなく、カメラにあの金と黒のパワードスーツが映し出された。
    「対象SF出現!」
    「特殊戦闘モード移行せよ! 対象SF改実行だ!」
    「了解!」
     ドローンとMPSの照準が相手に定められ、集弾攻撃が展開される。
    「発射数25500発中、22924発命中! 命中率91.7%です!」
    「よしッ!」
     数日ぶりの手応えに、グスマンの顔色も明るくなる。
    「効果はどうだ!?」
    「カメラ映像を解析した結果、頭部装甲に微細な亀裂が発生したことを確認! 左胸部の装甲にもダメージが見られるそうです!」
    「よし、よし、よし……! いいぞ、畳み掛けろ!」
    「りょうか、……なっ!?」
     応じかけたオペレータが戸惑いの声を上げる。
    「ドローンが1基、破壊されました! 対象SFによる攻撃ではありません!」
    「何!? ……いや、これは予想が付く。SFの仲間だ! どこからどうやって攻撃している!?」
    「解析の結果、東南東の方角688メートル、特区内の元12階建て廃ビルの7階部分から、12.7ミリ対物ライフル弾による攻撃と判断されました! AIによれば36%の確率で対象EAであると、……もう1基破壊されました! 確率、68%に増加!」
    「排除しろ!」
    「了解! 排除します!」
     飛行型ドローンが自陣から飛び出し、廃ビルに向かおうとするが、これも特区内に踏み入る前に撃墜されていく。
    「相手は本当に2名なのか!?」
    「たった2名でこの軍勢を抑え込むとは……!」
    「……」
     と――静観していた「閣下」が、ぼそっとつぶやいた。
    「評価……マイナス」
    「……っ」
     そのつぶやきはすぐ近くのグスマンだけにしか聞こえなかったものの、当然、グスマンは戦慄・狼狽した。
    「み……ミサイルだ。HSBM発射を戦略兵器管理部に要請しろ。SFと廃ビルに撃ち込め!」
    「りょ、……HSBMですか!? 過剰戦力では!?」
     聞き返してきたオペレータに、グスマンは絶叫に近い声で命令した。
    「撃つんだ! 何がなんでも仕留めろッ!」
    「え、う、いや、しかし」
     オペレータは一瞬、グスマンと、その隣にいた「閣下」の顔をチラ、と確認し――彼女のひんやりとした目を見て――慌ててモニタに向き直った。
    「HSBM、要請します! ……承認されました! 目標、対象SFおよび対象EA! 発射!」
     グスマンの席のモニタに、HSBM2発の航路が表示される。それを眺めていた「閣下」が、今度ははっきりとグスマンに声をかけた。
    「HSBMの使用は望ましくないと、私は言っておいたはず」
    「し、しかし」「しかし」
     反論しようとしたグスマンを制するも――やはりひんやりとした口調ながら――「閣下」はこう続けた。
    「もしこの攻撃が結果として功を奏したのであれば、私はあなたの判断をプラスに評価する」
    「……もったいなきお言葉、ありがとうございます、閣下」
     放たれた2発のHSBMは央北地域を一瞬で西から東へと駆け抜け、数秒もしないうちに、特区の西上空に姿を現した。
    「これで決着だ! 蒸発しろッ、SF、EA!」
     着弾の瞬間、グスマンは椅子から立ち上がり、モニタをわしづかみにして、大声で叫んでいた。
    緑綺星・機襲譚 8
    »»  2023.10.24.
    シュウの話、第155話。
    偽装作戦と、もう一つの決定打。

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    9.
     時間は、侵攻開始直前に戻る。
    「着る前から分かる。無理だ」
     スチール・フォックスのパワードスーツを前にしたエヴァはそう答え、首を横に振った。
    「だよなー」
    「確かにテンコちゃんの言う通り、スーツ内に別の人間がいるとなれば多少はAIをたばかることもできるだろうが、そもそもこれはジャンニ専用に設計してるんだろう? 私とこいつじゃ体格が違いすぎる」
     親指で差され、彼女の後ろにいたジャンニも同意する。
    「エヴァさんの方が背ぇ高いし、ムキムキでスタイルええもん。こないだ一緒に筋トレした時なんか、俺の倍の重り引き上げとったし」
    「それは盛りすぎだ。せいぜい1.5倍だろう。ともかくその案は却下せざるを得ない。着られる人間がそもそもいないんじゃ、机上の空論だ」
    「せやけど前にミサイルで狙われた時、カズちゃんが着てたやん? ほんならカイトとか行けるんとちゃうん? 俺より背ぇ低いし」
     ジャンニの提案に、今度は一聖が首を振る。
    「アレは緊急事態だったから、無理矢理着込んで自動操縦で動かしてたんだよ。実際、オレはスーツん中で宙吊り状態だったし。そんな状態でマトモに戦うのは無理だ」
    「自動操縦ができるなら、それで十分では?」
     エヴァの質問に、一聖はもう一度首を振った。
    「相手はAIだからな。機械的動作はすぐ解析されちまう。人間の反射だとか反応とかの『ゆらぎ』『ブレ』があるから、解析を難しくさせられるんだ。コレは相手のAIを翻弄させて時間稼ぎするための作戦だからな。すぐ解析されちゃ、意味がない。同様の理由でエヴァや海斗用に新しくスーツを設計するってのもナシだ。大きさが違うんじゃ、すぐバレちまう。
     そもそもスーツを新しく作るって方法は、別の理由からもナシだ。こんなもんが2つも3つも作れるって判明したら、相当デカいトコがバックに付いてるってバレちまう」
    「その線から探られれば、我々がテンコちゃんの元にいることも判明しかねない。こっちに直接ミサイルを撃たれでもすれば、無関係の人間にも被害が及ぶ。トラス王国の批判なんかできる立場じゃなくなるだろう」
     エヴァの言葉にうなずきながら、一聖は話を続ける。
    「バレるにしても、せめて特区が独立してからじゃなきゃダメだ。天狐が画策してる最中に『セブンス・マグ』とつながってるコトが発覚したら、独立後の軍隊設立がままならなくなるだろーしな。『あいつらに全部任せりゃいーじゃん』っつって」
    「国家が防衛力を自前で構えられないんじゃ、国防も何もあったもんじゃない。結局、独立後に攻め落とされることになる」
    「そーゆーコトだ。……っと、話が逸れちまったが、とにかくこのスーツの中にジャンニ以外が入らなきゃ、偽装作戦は成立しない。問題はその誰をどーするか、だ」
     一同が打開策を見出だせず、揃ってうなっている中、シュウが手を挙げた。
    「あのー、こないだわたしの先輩から、『誰にでも化けられる人がラコッカファミリーにいるらしい』って話、聞いたんですよー。ホントかどうかは分かんないですけど、もしホントならソレ、行けるんじゃないですか?」
    「ふーん……? じゃ、オレが一応当たってみる。ダメ元って感じだけども」
     そう言うなり天狐は「テレポート」で姿を消す。残った一聖はスーツを眺めながら、話を続けた。
    「もしシュウの話がバッチリ上手く行ったとしたら、作戦は半分成功したようなもんだ。そっちについてはコレ以上話してもラチが明かねーから、残る半分について、今のうちにちゃっちゃとまとめとくとすっか」
    「残り半分?」
    「ああ。偽装作戦が上手く行ったとして、ソレでどーにかできんのはせいぜい2、3日ってトコだろう。いくらなんでもご自慢のAIが全然機能しねーってんじゃ、スチフォが偽物だって分かるだろーしな。
     逆に言えば、その偽装作戦に気付いて態勢立て直してからが本番になる。この段階に来た相手は、確実にスチフォを破壊しに来るだろう」
    「スーツが1着と考えているなら、なおのこと破壊しようと試みるだろう。それこそミサイルでも何でも使ってな」
    「それはやりすぎとちゃう? 流石にないやろ」
     ジャンニがそう突っ込んだが、エヴァは肩をすくめて返す。
    「昨年、白猫党領のオライオン設計局を襲撃・壊滅させた時のことを覚えているか? 新型ミサイルの試作データを発見したところだ」
    「あー、なんやったっけ、超音速ミサイル? やっけ」
    「正確には『極超音速ミサイル』、マッハ5以上の巡航速度で目標物へ向かうミサイルだ。発見したレポートには既に発射試験も終わり、実戦配備に向けての量産体制を申請予定であると記載されていた。設計局自体は潰したが、ミサイルのデータが党本部に送られている可能性は十分ありえるし、あれから相当時間が経っているから、実戦配備されていてもおかしくない。
     そして以降の襲撃でそれに該当する兵器が使用された様子はない。と言うより、『長い7世紀戦争』をはじめとして大規模な戦争が終息した今、使う機会がないと言った方が正確だろう。そこに来て、通常兵器で太刀打ちしきれないスチール・フォックスが出現したとしたら? 実戦投入のいい機会と考える可能性は、十分にある」
    「ま、ミサイルは行き過ぎでも、相当大掛かりな兵器を投入してくるであろうコトは容易に予想が付く。恐らくは白猫党お得意の、AIによる遠隔自動操縦機能を搭載したヤツが、な。
     ソコで第二の作戦だ」
    緑綺星・機襲譚 9
    »»  2023.10.25.
    シュウの話、第156話。
    静寂の結末。

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    10.
     その瞬間まで、制御室にいた誰もが勝利を――HSBMが直撃し、スチール・フォックスが爆発四散する光景がモニタに映し出されることを確信していた。
     ところが着弾しようかと言うその瞬間に、モニタの映像がぶつっと途切れた。
    「……ん、んん?」
     モニタをわしづかみにしていたグスマンは、慌ててモニタから手を離し、「壊れたか?」とつぶやく。が、オペレータたちのモニタもほぼ真っ黒になっていたのを見て、今度は「どうした?」とつぶやいた。
    「現地からの映像、いえ、データ通信がすべて途絶しました。復旧しません」
    「カメラの故障か? ドローン全部が?」
     あぜんとした顔で尋ねるグスマンに、オペレータたちも困惑した様子で応じる。
    「カメラだけではなく、ドローン自体に問題が発生した模様です」
    「通信の復旧を試みていますが、まったく応答がありません」
    「MPSも同様です。全員からの通信が途絶しました」
    「衛星からの画像を確認します。……え?」
     と、オペレータの一人が手を挙げる。
    「現地の映像来ましたが、あの、……着弾した様子がありません」
    「ちゃ、着弾してない? HSBMがか?」
    「衛星からの映像を確認したところ、HSBMは飛来した方向からそのまま東へ向かい、央北東部沖上空を20キロ程度進んだところで着水した模様です」
    「みっ、見せてくれ!」
     グスマンの席のモニタに、衛星画像が表示される。グスマンはモニタに食い入るようにして目をこらし、確かにオペレータの言う通り、現場にクレーターや焼け跡がなく、また、エヴァが潜伏していた廃ビルも、崩れず残っていることが確認できた。
    「……これは、……なんだ? 何が起こった?」
    「不明です。……通信回復に失敗。ドローンは完全に破壊されたものと考えられます。MPSとの通信も同様です」
     部隊が壊滅したことが確定的となり、制御室はしん、と静まり返る。その静寂に、「閣下」の冷え冷えとした声が響いた。
    「作戦失敗と判断。全員に処罰を検討する。以上」
    「……っ」
     涙目のグスマンの横を音もなく通り抜け、「閣下」は制御室を後にした。

     現場に到着したエヴァは、すっかりただの置物と化したドローンと、ぼんやり突っ立ったままのMPS兵士たちの様子を確認して回っていた。
    「ドローンもMPSも軒並み棒立ち。死者数はどうやらゼロだ。成功したみたいだな。ジャンニは、……いたら死んでるか」
    《そらそうやろ。あんなん至近距離で受けてたら、落っことされてそのまんま地面に真っ逆さまやん。スーツん中でミックスジュースになってまうわ》
     エヴァのインカムに、ジャンニの声が届く。
    《ギリギリで戻ってきたから、俺はバッチリ無事やで。エヴァさんも無事みたいで良かったわ》
    「対電磁シールドをカズちゃんにもらってたからな。おかげでインカムも無事だ。ミサイルはどうなった?」
    《こっちで観測してたが、どーやら海の方まで行ったみたいだぜ》
     天狐も会話に加わり、状況を伝える。
    《爆発はしてねーみたいだから、着水してそのまま海の底ってトコだろーな。ってワケで作戦終了だ。一聖に迎えに行かせるから、お前さんはソコで待っててくれ》
    「了解。EMP装置は回収しておくか?」
    《ああ。もう炭化してるだろーが、万が一誰かに拾われると厄介だからな。多分、ジャンニが最後にいた辺りの真下に転がってると思うが》
    「ああ、発見した。ただ、まだ煙上げてるから素手では触れそうにない」
    《発見したんならソレでいーよ。一聖に持って来させるし》
    「分かった。……と」
     特区の方から一聖が歩いてくるのを見つけ、エヴァが「こっちだ」と手を振る。
    「EMPも見つけておいたぞ」
    「ありがとよ。……ってやっぱこーなったか。現状、一回使ったらソレまでか。カネのかかる爆弾だな」
    「だが効果は絶大だ。白猫党のドローン軍団が、このざまだからな」
     そう言ってドローンを拳で小突くエヴァに、一聖はニヤニヤ笑いながら、黒化したその装置をつま先でちょん、ちょんと蹴った。
    「電磁パルス(EMP)発生装置――瞬間的に超強力な電磁波を発生させて電子機器をブッ壊す、今回の作戦第二のキモだ。しっかり役に立ってくれたぜ、ケケケ」



     こうして白猫党による特区襲撃は――実際には「セブンス・マグ」による応戦が行われたが、それは公にはされず――表向きには「白猫党が投入したドローン兵器が攻め入る直前に故障し、ミサイルも着弾することなく海に向かって飛んでいった」と報じられた。
     加えて帯同していたMPS兵が大量に発見・保護され、彼らの素性が調べられたことで、白猫党が人間を大量かつ非倫理的に集めていた疑惑が明白となり、白猫党に対する国際的評価は一層下落。関係があった中央大陸外の国から、取引停止と国交断絶が相次いだ。
     戦闘自体においても、そして戦闘後の評判においても、白猫等は惨敗を喫した。

    緑綺星・機襲譚 終
    緑綺星・機襲譚 10
    »»  2023.10.26.
    シュウの話、第157話。
    建国と傾国。

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    1.
     白猫党の6度目の侵攻が失敗に終わったその日の晩、克天狐は難民特区に記者団を集め、会見を開いていた。
    「本日、難民特区における最大の組織であるロロ・ラコッカ氏のグループを元とした政府を設立し、難民特区全域を領土とする国家が成立したことを、ここに宣言する。国名については、かつてこの地域がカプリ州と呼ばれていたことから、『カプリ共和国』とした」
     いつもの蓮っ葉な言葉遣いをいくらか抑えた堅い口調で、天狐がそう宣言した。
    「このカプリ共和国については現在ミッドランド市国と、トラス王国を除いた『新央北』加盟国すべてから国家としての承認を得るとともに国交を結び、正式かつ正当な国家であることが保証されている。今後、カプリ共和国に対して不当に侵入あるいは軍事的干渉を行った国があるコトが判明した場合には、当該国はそれら承認国からの経済面を含むあらゆる制裁の対象となることを明言する」
    「トラス王国からの承認を得ていない、と言うことでしょうか。その場合、元々の領有者であったトラス王国からの抗議、あるいは制裁があると予想されますが」
    「もちろん想定しているし、実際に抗議があった場合にはこちらも明白かつ毅然とした対応をすることを明言する」
     堅いながらも「文句があるならハッキリ言ってみろ」と言い放った天狐に、報道陣も苦い顔をする。
    「白猫党からの襲撃も予想されていますが、そちらについては何か対応を?」
     この質問に、天狐は一瞬ニヤッと笑ったが、すぐに堅い表情を作ってみせた。
    「ソレについて話す前に、まず、本日国境東側に、実際に白猫党軍が差し向けたドローン部隊が出現したコトを知らせておこう」
    「現れたんですか!?」
     ざわつく報道陣を制し、天狐は得意げに話を続けた。
    「ところが午後4時頃、同軍は突然活動を停止した。当局の調査によれば『機器の故障』が原因だそうだ。加えて白猫党領から発射されたと思われる飛翔体が2つ観測されたが、こちらも当国に着弾するコトなく、央北東部沖20キロ地点に落下したと連絡を受けた。以上のコトから」
     天狐はカメラに向かって、今度ははっきりと笑顔を見せた。
    「白猫党に対する世間一般の評価に対し、実際の軍事力は相当劣っているものと推測される。いや、ハッキリ明言しよう。白猫党の軍事力はハリボテ同然、ご自慢のドローン機械師団もガラクタだらけだ。よって現時点では最低限、治安維持が可能な程度の防衛力で十分、ソレ以上の、つまり大規模な侵略を想定した過剰戦力を構える必要はないものと考えている。他の国に対してするのと同程度の備えで十分だろうと、大統領以下閣僚陣はそう考えている」

     天狐のこの強気な発言と――そして「たまたま現地に居合わせた人間が撮影した」と言う体で提供された――完全停止し、ただの鉄クズと化したドローン数百機の映像は全世界に報道され、白猫党は軍事面での評価を大きく落とすことになった。
     713年の統一以降、白猫党の外貨獲得手段は軍事兵器の輸出が大半だったが、この一件が報道された途端、取引のほとんどが輸入国側から「信頼性に欠ける」として、ことごとく打ち切られてしまった。
    「よって本年以降の貿易は、赤字に転落するものと見られています。領内需要も党統一以降、横ばいの状況が続いていることから、歳入額の増加も見込めません。一方、軍事支出は昨年、本年と増加傾向にあり、歳出額の拡大に歯止めがかかっていない状況です。
     結論として党財政の赤字は拡大の一途をたどっており、5年後の長期党債償還時点で債務不履行を生じさせる可能性があります」
     財務部長からの報告を受け、「閣下」は冷え切った目を党執行部一同に向けた。
    「これは大変憂うべき事態。打開策は?」
    「党員管理部としては増税と新規積立プランの実施を提案します」
    「増税に関しては却下。既に所得税は最低税率59%、法人税は最低税率68%、消費税に至っては160%に達している。その他主要な税金に関しても、これ以上の増税を行えば社会秩序の維持に関わる。積立プランについては実施を進めなさい」
    「政務部としては党のイメージ回復と貿易体制の見直しを提案します」
    「急務。早急に実施しなさい」
     淡々と報告と返答を繰り返し、一通りの意見が出揃った後、「閣下」は執行部全員の顔を見渡し、一層冷え切った声を発した。
    「党体制は現在大きく揺らいだ状況にある。しかし内的要因によるものではない。である以上、領内に対して問題の解決を求めてはならない。その点を誤らないこと。我々の抱える問題はあくまで外的要因、即ち現在我々には明確に敵が存在し、その敵から直接的・間接的を問わず攻撃を受け続けていることにある。
     であれば解決策は一つ。可及的速やかに敵を殲滅すること」
    緑綺星・建国譚 1
    »»  2023.10.28.
    シュウの話、第158話。
    ガラじゃない。

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    2.
    「な、なー、テンコちゃん、マジで俺が社長でいいのかよぉ。俺、はっきり言って算数もできねーバカなんだぜ? ガラじゃねーよぉ」
     高級スーツを身にまとったダニーが、困った顔で天狐に尋ねる。が、天狐は「しゃーねーだろ」と突っぱねる。
    「確かに数日前まではとりあえずロロが社長ってコトになってたが、アイツが大統領やるってなった以上、どっちもってワケにゃ行かねーだろーが。ソレともお前さんが大統領やんのか?」
    「い、いやいやいやいや無理無理無理無理! ……う~……じゃあやっぱ俺が社長やるしかねーのかぁ」
    「だろ? ……言っとくがこの話はもう6回目だぜ。コレ以上ゴネんな。この国最大の企業の顔になるヤツが、そんなシケたツラしてんじゃねーよ。
     安心しろって。経営上の問題があったらオレが相談に乗ってやる。カネの問題が出てもオレがハナシ付けてやる。お前さんが一人でやんのは部下全員のバランス取りくらいだ。今までだってファミリーのNo.2としてみんなの相談に乗ってたろ? ソレとやるコトは一緒だ」
    「ん~……まあ……そう言われたら……できる気がしてきたような」
    「だろ?」
     天狐はぽんぽんとダニーの背中を叩き、ニヤッと笑いかけた。
    「大体において取り返しのつかねー失敗して組織を破滅させるヤツってのは、一人で勝手に判断して勝手に行動するヤツだ。独裁者、三代目ワンマン社長、ガンコじじい、モラハラDV野郎、意識だけ高い系の無能、みんなそーだろ?
     だがお前さんは違う。心配性で素直だし、頼りになる相談役がココにいる。素直にオレの話聞いて慎重に判断すりゃ、下手打つコトはねーよ」
    「うーん……じゃあ……うん、頑張ってみるわ、俺」
    「よっしゃ、その意気だぜ。……ま、社長なのに勘定できねーってのはちょいと怖いから、勉強はボチボチやれよ? 算数ドリルからでいいから」
    「へぇーい……」

     一方、ロロはもっと高級なスーツを着た自分を鏡で眺めながら、ため息をついていた。
    「俺が大統領なんて、ガラじゃねえよ。今からでもダニーに任せらんねえかなぁ」
    「アハハ、その話6回目~」
     着替えを手伝ったラフィが後ろでゲラゲラ笑いながら、ロロの背中を叩く。
    「兄貴も同じこと、同じくらいグチってたし。ホント、先生と兄貴って似てるよね。マジの親子みたい」
    「そりゃ20年以上一緒に暮らしてんだから、似もするだろ。……まあ、俺が代わってくんねえかなって言ってるってことは、あいつも『親父に代わってくれ』って言ってんだろうな。……そう考えるとバカバカしいか。しゃあねえ、いい加減覚悟決めるか」
    「そーしてよ。1時間後に兄貴と一緒に会見だって、テンコちゃん言ってたし。あたしも一緒に出ることになってるし。先生と兄貴が揃ってアワアワしてたら、あたし恥ずかしいし」
    「それなんだがよ」
     たどたどしく髪を櫛で撫でつけながら、ロロは苦い顔をする。
    「俺とダニーは分かる。一応、大統領と社長だからな。テンコちゃんもここまで貢献してくれてたんだから、出るのは当然だ。だけどお前が来るのはなんでだ?」
    「ん~……大統領秘書?」
    「秘書ってガラかよ」
    「そりゃま、今は全然だけどねー」
     そう答えつつ、ラフィもロロの横で髪をまとめ始める。
    「でもテンコちゃん言ってたじゃん。『やるぞってハラ決めてやり出したら、どんな仕事だってサマになってくもんだ』って。じゃああたしも先生の秘書やるって決めたんだし、んじゃあたし、やれんじゃね?」
    「そう思うなら、まずは言葉遣いからだな。大統領秘書が『やれんじゃね』みたいなしゃべり方するかよ」
    「ん、ま、それはいずれ頑張るってことで」
    「しゃあねえな。……っと、ちょっとトイレ行ってくる」
    「いてら~」
     一人になったところで、ラフィも鏡に映った自分の姿を、まじまじと見つめた。
    「なるぞって思ったら、秘書にも、……大統領夫人にもなれんのかな、あたし」



     天狐によるカプリ共和国建国宣言の後、大統領とラコッカ石油社長とを交え、以下の声明が発表された。
     まず、かねてより央北の話題の中心となっていた巨大油田について、国際的協力の元で採掘と精製、販売を行うこと。また、この石油取引に関係する国々で「央北経済連合」、通称CNEUを設立すること。さらにCNEUに加盟する国家間で新たに通貨を発行し、「新央北」の経済圏からの脱却を図ること。そしてこの通貨の名称は一連の計画の中心人物である天狐の、トパーズを思わせる金と白の毛並みにちなみ、「トピー」とすること。
     また、この際に1トピー通貨の意匠も公開されたが――どうやらこれは、天狐に対する一種のサプライズでもあったらしく――そこに自分の肖像が使われているのを見た天狐は「ガラじゃねーなー」とつぶやき、顔を赤くしていた。
    緑綺星・建国譚 2
    »»  2023.10.29.

    シュウの話、第109話。
    地の底から湧き上がるもの。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     いろんな きおくが まざりあう……



     ……おれは……

     ……おれは……俺は闘技場の人気選手で……あの頂上決戦……市国の人気者だ……

     ……市国には……武者修行に来て……元々は……焔流……修行……教団の……あれ……

     ……闘技場なんて行きたくない……怖い……殴らないで……痛い……やめて……

     ……痛い……ドクター……もう無理です……痛い……熱い……

     ……寒いよ……暗い……

     ……いやだ……

     ……っ……



     地の底の、さらに底。元々は人間だった何かたちがその闇の中に集められ、ありとあらゆる暴力と理不尽を味わわされた末、重なり合うようにして死んでいった。その地獄の中で、意識は――何らかの作用で脳細胞だけが生きていたのか、それとも魂と呼ぶのか、それは分からないが――一つに混ざり、様々な夢を見ていた。
     その内に――誰もいない地の底であるため、何が起こったのかは定かではないが――その残骸の中から、2つの塊が現れた。骸たちの中に埋もれていた、半人半人形の死骸を核として。
    「……」
     生まれ落ちたその瞬間から、両者とも本能的に直感した。目の前にいるのは自分の半身であり、そして己が人ならざる者であることを、己以外に唯一知るモノであることを。
    「……!」
     片方は追った。己を人ではないと証明する存在を消し、己を人と思い込むために。
    「……っ」
     そしてもう片方は逃げた。己を消そうとする、もう一人の自分から。

     両者はどこまでも、いつまでも追いかけっこを続け――200年の時が流れた。



     双月暦718年、2月。世界に――2つの意味で――衝撃が走った。央北東部沖を震源地とする、マグニチュード7.9の巨大地震が発生したのである。この地震により震源地に最も近いかの大国、トラス王国は死者2,000名以上、経済被害額約3兆コノンと言う、途方もない被害をこうむった。そして「王国公認」の隔離地域、公然と見放された街であったニューフィールド自由自治特区、通称「難民特区」も当然この地震の影響を受け、街に点在していた建物・建築物は軒並み倒壊。王国以上の多大な犠牲者を出した。
     だが王国と、そして難民特区をも席巻するニュースは、これだけに留まらなかった。かねてよりネット上で存在がうわさされていた石油が、この地震により地上へと噴き出したのである。

     地震発生後まもなく、1年半ほど前に大野博士が地質調査を行っていた地点には既に、真っ黒な沼が出現していた。ネット上でのうわさから、それが石油であると判明するのにはそう時間はかからなかったが、王室政府がその存在を認識するのには、前述の通り見て見ぬふりをする対象であったことに加え、地震の影響もあったために、さらに数日を要した。
     しかし察知してからの動きは早く、王室政府は四半世紀近く放置していたこの街に、多数の軍隊を送り込んできた。だが難民たちは、彼らが貧困と震災にあえぐ自分たちを助けに来たのではなく、件の油田を接収しに来たのだと察していた。
    「つくづくクズだな……王国のお偉いさんどもは」
    「石油が出た途端かよ。厚かましいと言うか、何と言うか」
    「特区に兵隊よこすカネあるんなら、パンの一つくらい恵んでくれやって思うね」
     3列縦隊で行進する軍隊をがれきの陰からこそこそと眺めつつ、悪態をつく難民たちに混じり――「彼」もその成り行きを、恐る恐る見守っていた。

    緑綺星・底辺譚 1

    2023.09.04.[Edit]
    シュウの話、第109話。地の底から湧き上がるもの。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. いろんな きおくが まざりあう…… ……おれは…… ……おれは……俺は闘技場の人気選手で……あの頂上決戦……市国の人気者だ…… ……市国には……武者修行に来て……元々は……焔流……修行……教団の……あれ…… ……闘技場なんて行きたくない……怖い……殴らないで……痛い……やめて…… ……痛い……ドクター……もう無理です……痛い……熱い…… ……寒いよ……暗い…… ……いや...

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    シュウの話、第110話。
    石油を巡る確執。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     油田に到着した兵隊たちを待っていたのは、武器を手にした荒くれ者たちだった。
    「一応確認するがよ」
     と、その中の一人、明らかにリーダー格の熊獣人が角材を手に、兵隊らに質問する。
    「あんたらはどこの誰だ? この油田をどうするつもりだい?」
     兵隊らの先頭に立っていた指揮官が、それに答えた。
    「我々はトラス王国陸軍第16大隊の者だ。我が国領土内で石油が発見されたとの情報の真偽を確認するために派遣された」
    「確認だけにしちゃあぞろぞろと、御大層な陣営だな。それで? マジで石油がここにあると確認できたら、その時はどうする? ここを占拠してる俺たちを皆殺しにして、奪い取るつもりかい?」
    「元より特区の、そして特区から産出される資源および物品の所有権は王国にある。諸君らは土地を貸し与えられているだけに過ぎない」
    「貸し与えて、ねぇ」
     リーダーの後ろに立っていた荒くれ者たちが、武器を構える。
    「アパートやらマンションやらの場合だったら、住んでるヤツが苦情言ったらそれなりの対応するよな? だが貸主だって主張するあんた方は、一体どんな対応してくれた? ハラ減ったって言った時、寒くて凍えそうだって言った時、死にそうだって言った時、あんた方は何をしてくれた? 一切何もしなかったじゃねえか。『自治権を与えているから勝手にやれ』の一点張りでよぉ?
     だのにこうして石油が湧いた途端、その自治権を取り上げて我が物にしようってのか!? ふざけんなよ、クソッタレども! 絶対お前らみたいな人でなしに渡すもんか。この石油は俺たちの……」
     パン、と銃声が響き、怒鳴り散らしていたリーダーの胸に穴が開く。
    「なっ……」
    「お、親父!?」
     顔を青ざめさせたごろつきたちに対し、硝煙をくゆらせる拳銃を構えたまま、指揮官が冷たい視線を向ける。
    「諸君らの意見と主張を聞き入れる権限は我々には与えられていない。我々は上層部の命令に沿って、この油田を掌握するのみである。抵抗する者は容赦なく排除する」
     指揮官が右拳を挙げ、背後の兵士たちが一斉に小銃を構える。
    「今から5秒以内に立ち去れ。でなければ抵抗の意思があるものと見なし、射殺する」
    「……っ」
     倒れたリーダーに駆け寄ることもできず、荒くれ者たちはじりじりと後ずさりし始めていた。だが――。
    「……ぅううおおおおおおッ!」
     荒くれ者たちの中から少年が一人、錆びた鉄パイプを手に駆け出してきた。
    「よくも……よくも親父を……よくもーッ!」
    「撃て」
     指揮官は淡々とした口調でそう命じ、右拳を前に倒す。兵士たちは各々、命じられた通りに小銃の引金を絞ろうとした。

     その時だった。
    「……っ!?」
     少年の前に全長2メートルを優に超える巨大な肉塊が突然現れ、立ちはだかった。
    「グルル……ル……帰レ……オ前ラ」
    「な、……なんだ、あれ」
    「熊、……か、いや、狼?」
    「にしたって、……あんな、デカい、の」
    「……バケモノ……!?」
     安っぽい特撮映画くらいにしか出てこないような異形の獣を目にし、兵士たちは一様にたじろぐ。冷徹に振る舞っていた指揮官も例外ではなく、ここで初めて、動揺した様子を見せた。
    「……うっ、……撃て! 撃て!」
     慌てて兵士たちは、そのバケモノに向かって銃弾を撃ち込む。ところが――自動小銃1挺辺り5.8×48ミリライフル弾30発、そして実際に射撃した兵士12人分の、合計360発もの――弾丸を受けても、バケモノは倒れるどころか、血の一滴すら流していなかった。
    「き、……効いてない?」
    「ど、どうします、隊長!?」
    「……~っ」
     指揮官も判断に困っているらしく、ふたたび拳銃を構えかけたが――それを腰のホルスターにしまい込み、今度は右手を開いて横に振った。
    「退却せよ。……退却だ!」
    「りょ、了解っ」
     兵隊たちは慌てて、来た道を引き返していった。
    「……」
     だが、残った荒くれ者たちは揃って表情をこわばらせ、その場に立ち尽くしている。突然その場に現れたバケモノが何なのか、そして何の危険があるのか把握できなかったからだ。
     ところがバケモノは突然膝を着き、しわしわと縮んでいく。やがてどこにでもいるような短耳の小男の姿になり、そのしょぼくれた男は荒くれ者たちに、申し訳なさそうな顔を向けた。
    「……あの、……ごめんなさい、……俺なんかが、大事なお話の邪魔、しちゃったみたいで。……すんません、ほんと、すんませんです」
    「……は?」
     目の前で起こったはずの出来事が信じられなかったらしく、皆はぽかんとしていた。

    緑綺星・底辺譚 2

    2023.09.05.[Edit]
    シュウの話、第110話。石油を巡る確執。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 油田に到着した兵隊たちを待っていたのは、武器を手にした荒くれ者たちだった。「一応確認するがよ」 と、その中の一人、明らかにリーダー格の熊獣人が角材を手に、兵隊らに質問する。「あんたらはどこの誰だ? この油田をどうするつもりだい?」 兵隊らの先頭に立っていた指揮官が、それに答えた。「我々はトラス王国陸軍第16大隊の者だ...

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    シュウの話、第111話。
    パパ・ラコッカ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     結論から言うと――あの胸を撃たれたはずのリーダーは、しっかり生きていた。
    「ふぅー……思ったより胸にずしんと来たぜ。もうちょっと薄かったらヤバかったかもな」
     銃撃されることをあらかじめ予想していたため、胸に鉄板を仕込んでいたのである。
    「マジで死んだかと思って、流石にビビったっスよ」
    「アタマ狙われないようにヘルメット被ってたのが功を奏したな。賭けが当たったぜ」
    「親父……冗談キツいっすよ。あんた、賭け事なんてやんねータチでしょーが」
    「ヘヘへ、文学的表現ってやつだよ。……で、そこで申し訳なさそうにチラチラこっち見てるお兄ちゃんよ」
     熊獣人は廃墟の入口でこそこそと様子を伺っていた、あのしょぼくれた顔の男に声をかけた。
    「あっ、はい、すんません」
    「いや、すんませんじゃなくてよ、こっちはありがとよって言ってんだ。おかげで兵隊と真正面からドンパチやらずに済んだんだからよ。躊躇(ちゅうちょ)なくタマ撃ち込んでくるようなのが相手じゃ、死人が2桁になっちまうところだった」
    「あ……えと……ども。あの、それじゃ俺……」「そんでよ」
     立ち去ろうとした男の手を、熊獣人がひょいとつかむ。
    「あんた、あの……あれは、一体何だったんだ? いきなり2メートル半を超える怪獣みたいなのになったかと思えば、今みたいにしょんぼりした小男になってやがるしよ」
    「……っ、あのー、それは、その」
     男があからさまに困った表情を浮かべたためか、熊獣人はばたばたと手を振って「いや、いいんだ」と返した。
    「言いたくないんなら言わんでいい。この街じゃそんなやつだらけだし、まさかグループセラピーみたく『俺の罪を告白します』なんてこと、俺の教室でだってやりゃしねえよ」
    「きょ、……教室?」
     一転、きょとんとした男に、荒くれ者たちはどっと笑い出した。
    「親父のこと知らねえのかい、あんた」
    「聞いたことないか? 『パパ・ラコッカ』の話」
    「すんません……全然」
     頭を下げる男に、熊獣人はにかっと笑って返した。
    「誰だって一番最初は無知が当然ってもんよ。知らねえってのは別に恥でも無礼でもねえさ。そんじゃ改めて自己紹介と行くか。俺はロロ・ラコッカ。この難民特区で教師をしてる。無免許だけどな」
     そう紹介されて、男は辺りを見回す。確かにその廃墟には――相当な年代物ではあるが――机と椅子が並んでいた。
    「俺たちは親父の生徒さ。つっても何年で卒業とかないから、みんな来たり来なかったり、またフラッと寄ったりって感じだけど」
    「親父はコワモテのヒゲ面だし身長200近いし岩みてーな見た目だけど、何だかんだクソ真面目で教育熱心だし、色々親身になってくれるガチのド聖人だよ」
    「ま、お節介なとこもわりかしあるけどよ」
    「だもんで俺たちは親父を慕ってんのさ」
    「そう、自称『ラコッカファミリー』。だから俺たちは親父のことを先生じゃなく親父(パパ)って呼んでんだ」
    「『ファミリー』だからってマフィアやら愚連隊やらとは一緒にすんなよ。俺たちゃ親父の『善く生きよ』って教えを守ってるからな」
    「おうよ。人に優しく、世の中に優しく、もちろん自分にも優しく! それが俺たちのザユーのメーよ」
     荒くれ者たちに見えた彼らは、とても明るく人懐っこい、気さくな人間ばかりだった。その彼らの前に立つロロもまた――口調こそ若干ぶっきらぼうではあったが――大らかで優しい男だった。
    「ってわけでだ、とにかく俺たちはあんたに敬意と感謝を表したい。良ければ持て成しっつーことで、メシをおごらせてくれや」
     食事と聞いた途端、男の腹がぐう、と鳴る。
    「あぅ……」
    「ははは……、いい返事が聞けて何よりだ。それじゃ、……おっと。そう言やあんたの名前を聞いてなかったな。なんて名前だ?」
     ロロに尋ねられ、男は――やはり申し訳なさそうに――ぼそっと答えた。
    「ラック・イーブンです」
     彼の名前を聞いた途端、「ファミリー」はどよめき立った。
    「ラックぅ!?」
    「えらく縁起のいい名前じゃねえか!」
     そう言われ、ラックは否定しようとする。
    「あ、いえ、ラックはラック(Luck:幸運)じゃなくて……」
     しかし彼のか細い声は、「ファミリー」の陽気な笑い声に、簡単にかき消されてしまった。
    「よろしくな、ラック。ま、楽しむほどの美味さじゃないかも知れんが、せめて腹一杯食っていってくれや」
     ロロがそう言ってラックの肩をポンポンと叩く頃には、「ファミリー」は既にもう、その場を離れて調理に向かっていた。

    緑綺星・底辺譚 3

    2023.09.06.[Edit]
    シュウの話、第111話。パパ・ラコッカ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 結論から言うと――あの胸を撃たれたはずのリーダーは、しっかり生きていた。「ふぅー……思ったより胸にずしんと来たぜ。もうちょっと薄かったらヤバかったかもな」 銃撃されることをあらかじめ予想していたため、胸に鉄板を仕込んでいたのである。「マジで死んだかと思って、流石にビビったっスよ」「アタマ狙われないようにヘルメット被ってた...

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    シュウの話、第112話。
    安息の地を守るために。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     貧しさと混沌のるつぼであるはずの難民特区の中であるにもかかわらず、「ファミリー」の食卓は豊かなものであった。
    「はふ、はふっ……」
    「んぐ、うぐ、……ぷはーっ!」
     場に並んだ料理はラックの目から見ても、まともな食堂に並んでいても何らおかしくない、食欲を大いに刺激される出来だった。
    「どうした? 食べないのか、ラック」
    「あ、いえ、美味しそうだなって」
    「おう。そんじゃ食べろよ」
    「あ、はい」
     卓上に並ぶ鶏と葉菜の炒めものの皿に恐る恐る手を伸ばし、口に運ぶ。瞬間、彼の口の中に甘辛い、コクのある味が広がった。
    「うまっ」
     思わず漏れた感想に、周りの「ファミリー」が嬉しそうな顔を並べる。
    「だろ? だろ?」
    「俺たちの畑で取れた野菜だからな」
    「鶏肉も自家栽培、……栽培? まあいいや、うちで育てたヤツなんだ」
    「そ、そうですか、美味しいです、はい」
     と、そこにロロが、鍋を抱えてやって来る。
    「ほい、追加だ。……食ってるか、ラック?」
    「あ、はい、いただいてます」
    「気に入ってくれたみたいだな、その様子だと」
     言われてラックは、いつの間にか自分の皿が空になっていたことに気付いた。
    「あ、はい、ええ」
    「こいつらから聞いたかもだが、俺たちの仕事として、農業と畜産をやってる。収穫量もそこそこ多いから、わりと稼げてはいるんだ。
     元々ここは廃墟だったし荒地だったからな、農業には向かん土地ではあったんだ。何植えても育たない、不毛の地ってやつさ。だけども十何年か前から王国のNPOと連携して、農地改革に取り組んでる。その甲斐あってか、今は教室の奴らを腹いっぱい食わせてやれるくらいには収穫できるようになった。実際それ目当てで教室に来る奴もいたりするし、それがきっかけで居着いてくれる奴も結構いる」
    「でへへ……」
    「とは言え、ちょっと前から怪しいうわさがあってな。そのNPOに調査を依頼されて来てたオーノって学者から、ここに石油あるんじゃねえかって話が出たんだ。ただまあ、聞いた当初は流石に与太話だと誰もが思ってたし、王国の奴らも本気にしてなかった」
    「もしうわさの時点でマジだって思ってたら、人寄越すもんなぁ」
    「そう言うこった。だけども今、こうして石油が出ちまったからな。今日みたいに兵隊ガンガン寄越して、無理矢理自分のモノにしちまおうってハラなのは間違いねえ。『土地自体は元々王国のモノだったんだから仕方ない』なんて言ってる奴もいるが、俺の、いや、俺たちの意見はそうじゃねえ。ここで湧いたモノは、ここで実際に暮らしてる人間のモノだ。
     そもそも王国は、『実際に住んでる人間に全部任せる』っつって責任を丸投げしてんだ。責任放棄したんなら、所有権だって放棄してなきゃ筋が通らねえ。『石油出たから世話してやるよ』なんてムシが良すぎるって話だ」
    「『ファミリー』の意見もそれで一致した。俺たちは石油の所有権を主張するし、無理矢理奪おうとする王国には断固として抵抗する」
    「はあ……そうですか」
     話を聞きながらも、ラックは薄々、嫌な予感を覚えていた。そしてその予感は、次のロロの言葉で現実のものとなった。
    「それで……まあ、人手がいるわけだ。それも荒事に向いた人間がな。と言って、俺の教室には名乗りを上げてくれたのがあんまりいなかった。今日油田の前に集まってた55人で全員だ。対して、王国の兵隊なんて10万も20万もいる。今日だってやって来たのは、ざっと見ても100人以上だ。明日にゃ倍が来たって、全然おかしくない。
     そこでだ、ラック。率直に頼むが、手ぇ貸してくれ。お前さんが手伝ってくれりゃ百人力だ。油田を守るには、お前さんが必要なんだ」
    「あの、でも、俺は……」
     ロロの申し出をどうにか断ろうとしたが、相手も先読みしていたらしく、先手を打ってきた。
    「ましてや今日、あんなバケモノが現れたなんて報告されりゃ、歩兵だけで来るかどうか。向こうだってもう、対人戦闘どころじゃないと思ってるだろう。下手すりゃ戦車くらい引っ張って来るかも分からん。そうなったらもう、占拠だなんだってどころの話じゃない。ありとあらゆる戦術兵器を持ち込んで、殲滅にかかるだろう。もちろん、バケモノを隠し持ってた『と思われる』俺たちを含めてな」
    「いや、でも俺は偶然」
    「もちろんたまたま居合わせただけだってことは、俺たちは百も承知だよ。だけども向こうはそんな事情、知りもしねえし知ろうとも思ってねえだろう。相手の目的は油田獲得、それだけなんだからな。向こうにしてみりゃ、その目的にちょっと障害があるってだけだ。
     魚食おうとしたら小骨を見つけた。じゃあ食うのやめるか、ってならんだろ? 取り除きゃいいだけの話だ。王国にとって俺たちもお前さんも、小骨に過ぎん。お前さんがいなきゃ、『小骨取る手間が省けた』と思うだけだろうな。魚を食うことに変わりはない。
     頼む。お前さんが手を貸してくれなきゃ、俺たちは今度こそ皆殺しにされちまう。俺たちが生き残るには、お前さんの力が必要なんだ」
     強面のロロにそこまで頼み込まれては、気の弱いラックも断り切れない。
    「……わ、分かりました。が、……頑張ります」
     ラックは渋々、うなずかざるを得なかった。

    緑綺星・底辺譚 終

    緑綺星・底辺譚 4

    2023.09.07.[Edit]
    シュウの話、第112話。安息の地を守るために。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 貧しさと混沌のるつぼであるはずの難民特区の中であるにもかかわらず、「ファミリー」の食卓は豊かなものであった。「はふ、はふっ……」「んぐ、うぐ、……ぷはーっ!」 場に並んだ料理はラックの目から見ても、まともな食堂に並んでいても何らおかしくない、食欲を大いに刺激される出来だった。「どうした? 食べないのか、ラック」「あ...

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    シュウの話、第113話。
    ファミリーと、ラックの日常。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ともかくロロの元に身を寄せることとなり、ラックは「ファミリー」の暮らしに、形から入ることにした。
    「そんじゃ始めるぞー」
     まず、朝の9時――荒廃した難民特区であっても、時計とチョークくらいはあるらしく――ロロが教壇に立ち、「ファミリー」たちを集めて授業を行う。出席しているのは子供だけではなく、10代後半、20代や30代に届く者もいたが――。
    「それじゃこの問題は……、ダニー」
    「へぇい。……えーと、55」
     目付きの鋭い、ヒゲ面の狼獣人が答えたところ、ロロは苦い顔を返した。
    「うーん……不正解だ。ちっと計算方法言ってくれっか?」
    「え、だって最初が6かける3だろ? で、次に4足して」
    「最初は掛け算から全部やるって言っただろーが」
    「やったじゃんか。で、次に4足して」
    「その4足す前に掛け算しろっての。4かける3って書いてんだろ?」
    「うーん? ……んんん? いや、最初にかけてるし……で、4足して……」
    「あの」
     と、ダニーの横に座っていたラックがこそっと耳打ちする。
    「まず全体を見るんです」
    「全体?」
    「書いてある数式をいったん読んでみて下さい」
    「えーと、6×3+4×3-11」
    「掛け算だけやると?」
    「掛け算だけ? 6かける3が18だろ? 4かける3が12だろ?」
    「となると数式は18+12-11ですよね。あとは足し算と引き算を順番で」
    「んー……じゃ19っスか?」
    「おう、それだそれだ、正解。やるじゃねえか、ダニー。……と見せかけて隣のラック」
     見抜かれてしまったダニーは照れ笑いをロロに向けつつ、小声で「ありがとよ」と返した。
     その後も周りの、答えに詰まった「ファミリー」たちを手助けしている間に、午前中の授業は終わりとなった。
    「今日はみんなよくできた! よくやったぞー、お前ら」
    「うぃーす」
    「あざーっす」
     ロロを含め、揃って嬉しそうに笑う「ファミリー」に、いつしかラックもつられて微笑んでいた。

     正午を回る頃になって、どこからか美味しそうな匂いが漂ってくる。それを嗅いだラックの脳内に、ある記憶が――恐らく「彼本来の」ものではないそれが――ふっと蘇る。
    (……定食屋……そう言えば……虎……)
     どこかの店のカウンターで、赤い髪の虎獣人と談笑していた光景が浮かんできたが、本来ならば楽しい思い出であるはずのその記憶は、「ラック」にとっては不気味なものでしかなかった。
    (……横に……俺がいる)
     赤髪の店主と談笑している自分の横に、何故か自分がもう一人おり、自分と話しているのだ。いや、記憶を探れば探るほど、現実ではありえない、シュールレアリスム絵画を実写化したかのような、おぞましい内容に変化していく。
    (店を出る……俺と……俺……通りの向こうから……知った顔……俺だ……横にいた俺がいない……前にいるのは横にいた俺……? 俺はどの俺なんだ?)
     記憶がぐちゃぐちゃと混ざり、やがてラックは耐えきれず、壁にもたれかかる。
    「はあ……はっ……はあっ……」
     息が乱れ、動悸が激しくなり、ラックは廊下の隅にうずくまってしまった。と――。
    「おーい、ラック。ハラ減ったのか?」
     ロロがぽん、ぽんと、うずくまったラックの肩を優しく叩く。
    「はぁ……はぁ……いえ……その……大丈夫なんで……」
    「ゼーハー言ってるヤツが大丈夫ってことはないだろ。ほれ」
     やはり筋肉質な熊獣人だからか、ロロはラックの体を軽々と担ぎ上げる。
    「あの、いや、休めば大丈夫なんで」
     半ば無理矢理に立たされたラックは力なく手を振り、もう一度しゃがみ込もうとするが、ロロの腕はまだ、彼のわきに差し込まれたままである。
    「もうすぐメシができるし、休むならメシ食いながらの方がいいだろ。それとも食欲ないか?」
    「ええ、今は、ちょっと」
     が、ラックの言葉に反し、彼の腹がぐう、と鳴る。
    「カラダは正直ってか、ははは……。ま、案外大丈夫そうか。そんじゃ行こうぜ」
    「いや、……あの、はい」
     ロロに肩を借りる形で、ラックは食堂に連れて行かれた。

    緑綺星・福熊譚 1

    2023.09.08.[Edit]
    シュウの話、第113話。ファミリーと、ラックの日常。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ともかくロロの元に身を寄せることとなり、ラックは「ファミリー」の暮らしに、形から入ることにした。「そんじゃ始めるぞー」 まず、朝の9時――荒廃した難民特区であっても、時計とチョークくらいはあるらしく――ロロが教壇に立ち、「ファミリー」たちを集めて授業を行う。出席しているのは子供だけではなく、10代後半、20代...

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    シュウの話、第114話。
    亡命の秋。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     普段のラックであればああしてパニック状態になった時、そのまま四半日ほどうずくまってどうにか平静を取り戻せると言った程度なのだが、ロロに食堂へ連れて行かれ、「おーい、こっちにキャベツと唐辛子のパスタ2つな!」と勝手に注文され、そのまま届けられた料理を夢中で平らげ、ふう、と一息ついて食後のお茶を口に運んだところで、自分の調子がすっかり良くなっていることに気付いたのは、ロロに担ぎ上げられてからほんの30分くらいのことだった。
    「どうだ? 気分、良くなったか?」
     同じようにお茶を飲んでいたロロに尋ねられ、ラックは大きくうなずいた。
    「はい、なんでか、ええ」
    「そりゃお前、メシ食ってバカ話して笑ったら、大抵の悩みなんかスッ飛ぶってもんだ。どこかのお偉い先生も、『悩みは誰かから与えられるもの。であるが故に、悩みは人と話さなければ解決しない』って言ってるしな」
    「そう言うもん……ですかね」
    「ま、壁の向こうじゃやれソーシャルディスタンスだの、やれ個人性の尊重だのと叫ばれちゃいるが、それは俺に言わせりゃ『一個人の意見』だ。叫んでるそいつにゃ真理であっても、他のやつにも通用するかってのは別の話であって……」
    「親父、ラックが困ってるっス」
     朗々と語りだそうとしたロロを、「ファミリー」がたしなめる。
    「おおっと、いけねえいけねえ。俺の悪いクセだな」
    「あ、いえ、そんな」
    「ま、アレだよ。俺もそれなりに人生経験あるからよ、困ったなー、しんどいなー、もうやってらんねえなーって気分になっちまう時は何度もあるし、その度にどうにかして復活してきた」
     たしなめられたものの、結局ロロは語り始めてしまった。
    「そん時にゃこう思うことにしてるのさ――『俺は運がいい』、ってな」



     双月暦689年――ロロ・ラコッカが白猫党領からの亡命を企てた22歳の秋、2つの不幸が重なった。1つは亡命の実行日に、ひどい大雨に見舞われたこと。そしてもう1つは、仲間と共に乗ろうとしていたバスが手引き業者の手違いで定員オーバーになってしまい、図体の大きなロロ一人だけを残して出発してしまったことだった。
    「ま、雨漏りは勘弁してくれや。間に合わせだもんでな」
     それでも業者側は――カネを受け取った義理からであろうが――代わりの車とドライバーを手配してくれたため、ロロはその兎獣人のドライバーと二人きりで、泥濘の中を年代物のセダンで駆けることになった。
    「うう……」
     とても車内にいるとは思えないくらいずぶ濡れになり、ロロは寒さでガタガタと震えていた。
    「お前さん、散々だな」
    「あ、ああ、まったくだ」
    「ま、せめてものサービスだ。ほれ」
     兎獣人はハンドルを片手で握ったまま、器用に左懐からスキットルを取り出し、ロロに手渡す。
    「安い酒だが、ちっとは寒いのも紛れんだろ」
    「た、助かる」
     二、三口飲み込んで――確かに安酒らしく、まるで消毒液のように猛烈なアルコール臭が鼻を突いたが――ガタガタと震えていた体に、ようやく熱がこもり始める。
    「……ふー」
    「到着まで丸1日ってとこだが、後ろの座席にあるメシとその酒で十分持つはずだ。あんたがよっぽどの大食漢じゃなけりゃな」
    「こんななりだが人並み程度……のはずだ。あんたの分はあるのか?」
    「おいおい、飲酒運転させんのか?」
    「いや、メシの方だ」
    「俺は少食だもんでよ。一日1食ありゃ十分だ」
    「そうなのか……?」
     確かに食の細い性質らしく、その老いた兎獣人は痩せて見えたが――。
    「にしちゃあんた、元気だな」
    「効率のいい体のつくりしてるもんでよ。……はっは、どうやら落ち着いてきたみてえだな、お兄ちゃんよ」
     兎獣人の言う通り、経緯はどうあれ出発したことと、酒の効果とで、自分の心が多少なりともほぐれているのを感じていた。

    緑綺星・福熊譚 2

    2023.09.09.[Edit]
    シュウの話、第114話。亡命の秋。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 普段のラックであればああしてパニック状態になった時、そのまま四半日ほどうずくまってどうにか平静を取り戻せると言った程度なのだが、ロロに食堂へ連れて行かれ、「おーい、こっちにキャベツと唐辛子のパスタ2つな!」と勝手に注文され、そのまま届けられた料理を夢中で平らげ、ふう、と一息ついて食後のお茶を口に運んだところで、自分の調子が...

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    シュウの話、第115話。
    罪と罰と、そして因果と。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     雨が小ぶりになったためか、ようやくおんぼろセダンの空調が効き始め、車内は暖かくなり始めた。
    「ま、繰り返すようだが到着までは時間がかかる。俺にしても無言で前だけじーっと見てるってのは退屈でたまらん。ラジオ付けたところで、聞こえてくんのは白猫党の流すうぜえ時報とウソだらけのニュースばっかりじゃ、聞く気にならん。だからよ、ちょいと話でもしようや」
    「ああ」
     ロロが応じた途端、兎獣人はこれまでにもまして饒舌になった。
    「それじゃ、改めて名前とトシ聞かせてもらっていいかい?」
    「ロロ・ラコッカ、22歳だ」
    「領内では何の仕事してた?」
    「車輌工場で働いてた。なんかのシャフトとかでけえベアリングとかを毎日運ばされてた」
    「どうやって亡命のカネ貯めたんだ? そんなしょっぱい仕事じゃ、22で50万コノンも貯めらんねえだろ」
    「それは……」
     口ごもったロロに、兎獣人はニヤッと笑って見せる。
    「2人きりだぜ? 俺だってキレイな身じゃねえし、チクる相手もいねえ。悪事を隠す理由はねえぞ」
    「……部品、運んでたって言ったろ? それを横流ししてた」
    「他には? 白猫党領製のクズ部品チマチマ売っぱらったくらいじゃ、50万にゃ到底届かねえぜ?」
    「……っ」
     ごまかそうとしたことも気取られているらしいことを悟り、ロロは観念した。
    「所長室の鍵を偽造して……金庫から盗んだ」
    「ひっひひ、やるじゃねえか。だが後悔もしてるってツラだな。お前さん、今こう思ってんだろ。『あんな罪を犯した罰(ばち)が今、俺に当たっちまったんだ』ってな」
    「それは……ちょっと、思ってる」
    「ねえよ、そんなもん」
     ロロの懺悔を、兎獣人は笑い飛ばした。
    「カミサマの罰なんてのがマジにあるってんなら、俺なんか百回は死ななきゃならねえ。悪いことは一通りやったからな。ところがこうしてジジイになっても――なっちまったってのに――まーだピンピンしてる。ってことはねえんだよ、罰なんてのはよ。
     しかしよ、兄ちゃん。もし仮にあるってんなら、罰がこの程度で済んで良かったじゃねえか」
    「え?」
    「せいぜいびしょ濡れになっていかがわしいジジイとボロいクルマでドライブする羽目になったってくらいなら、安いもんだろ。だからよ、こう思えばいいんだ。『俺は運がいい』ってな」
    「運がいいって……これでかよ」
     再び雨が振り出し、空調がまた弱くなっていたが、兎獣人は意に介していないらしく、依然ニヤニヤと笑っていた。
    「そもそも運の良し悪しなんざ、そいつ自身の思い込みだ。道端で100万拾って、それで罰が当たると思い込めば不運だが、傍から見りゃバカみてえなこと考えてるって思わねえか? 普通に幸運だろ、んなもん」
    「うーん……まあ……うん」
    「起こったことを幸運と思うか、不運と思うか。どうせなら運がいいって思って前向きになった方が、人生楽しくなるぜ」
    「……そんなもんかな」

     そんな人生訓めいたことを兎獣人から聞かされながら、セダンは丸一日かけて東へ向かい、西トラス王国に到着した。そこでロロは――自分が乗るはずだったバスが襲撃され、乗員・乗客全員が死亡したことを聞かされた。
    「なっ……!?」
    「あの大雨で道を間違えたらしい。予定地点より南によれて、リモード共和国の方へ行っちまったんだ。……それであの『騎士団』に」
    「そんな……」
     友人たちが皆殺しにされたことを知り、ロロは愕然としていたが――。
    「……だけど……俺はあのバスに乗らなかった」
    「あんたにとっちゃ、雨も却ってラッキーだったな」
     バスの襲撃を知らせた業者が、ロロの乗ってきたセダンの屋根をぽんぽんと叩いてため息をつく。
    「流石にあのじいさんでも、こんなおんぼろセダンで土砂降りの中だったから、飛ばすに飛ばせなかったんだろ。もしこのセダンがもうちょっとマシなヤツだったか、あるいはバッチリ晴れててバスに追いつけてたりしたら、あんたも同じ目に遭ってたかもな」
    「……俺、運がいいのか?」
     誰ともなしに尋ねたが、業者は聞いていなかったし、そしてあの兎獣人ももう、その場から離れていた。



     兎獣人から受けたアドバイスに従い、ロロは新天地でも、自分に起こったどんな出来事も「自分の幸運故に起こった吉事」として捉えることにした。その前向きな思考と生来の生真面目さが功を奏し、ロロは亡命後ほどなくして、小学校の用務員として働くことができた。

     その後ロロはさらなる躍進を目指し、勉強と技能習得を続けていたが――双月暦696年、時代のうねりによって、彼はまたしても自分に問うことになる。
    「自分は果たして幸福であるのか」を。

    緑綺星・福熊譚 3

    2023.09.10.[Edit]
    シュウの話、第115話。罪と罰と、そして因果と。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 雨が小ぶりになったためか、ようやくおんぼろセダンの空調が効き始め、車内は暖かくなり始めた。「ま、繰り返すようだが到着までは時間がかかる。俺にしても無言で前だけじーっと見てるってのは退屈でたまらん。ラジオ付けたところで、聞こえてくんのは白猫党の流すうぜえ時報とウソだらけのニュースばっかりじゃ、聞く気にならん。だ...

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    シュウの話、第116話。
    静かすぎる朝。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     その日、ロロはそれまでの7年間ずっと続けてきたように、朝の7時半きっかりに小学校に出勤した。いつもなら既に鍵は開けられ、校門が全開となっているはずだったが――。
    「あれ?」
     校門は固く閉ざされたままであり、鍵もかかっている。
    (なんだよ……? ハミルのやつ、珍しく寝坊したのか?)
     とは言えロロも用務員なので、校門の鍵は持参している。それを使って鍵を開け、宿直室に直行した。
    「おーい、ハミル。起きてっかー?」
     寝ていることを予想し、ドンドンと荒めにドアをノックし、大声で同僚の名前を呼ぶが、返事はない。
    (ありゃ? ドア、開いてんじゃねーか。いないのか?)
     ドアを開け、中の様子を確かめたところ、やはり誰もいなかった。
    (どうなってんだ……? ちょっと前に飛び起きて急いで校門に行ったもんだからすれ違った、……とかか? いや、それにしちゃ毛布も何も残ってないしなぁ)
     あれこれ考えつつ、ロロはなんとなくテレビの電源を入れようとした。ところがリモコンを押しても、主電源のスイッチをカチカチ押し込んでも、まったく反応しない。
    (ん……? これ、そもそも電気切れてないか?)
     そう思って部屋の入り口にある壁スイッチもカチカチといじり、やはり電気が通っていないことが確認できた。
    (変だな……なんか、今朝は妙な感じだぞ……?)
     ブレーカーや屋外の配電盤を点検したものの、まったく異常は見られず、どうやら電気の供給自体がなされていないことだけが、どうにか理解できた。
    (まあ、電気は別に何とでもなるしな。一応、非常用の発電機もあるし。みんなが登校してくる前に動かしとけば、今日一日くらいは問題ないだろ)
     そう思って時計を確認し――とっくに始業時間が過ぎていること、にもかかわらず依然として校内が静まり返っていることに、ロロはようやく気が付いた。
    (流石に……おかしいな? 誰も来ないなんて。今日、平日だし)
     薄々感じていた不安が、ここでロロの心を覆った。
    「……おっ、おーい! だ、誰か、いないのかー!?」
     たまらず大声を上げたが反応するものは何もなく、ロロのバリトンボイスが薄暗い校内に響き渡るばかりだった。

     どうしてよいか分からず、ロロはとりあえず宿直室に戻って来たが、やはり中には誰もいなかった。
    「……ヘタなホラー映画よりゾッとすんなぁ」
     電話も通じず、ガスも水道も止まっている。まるで街中で遭難したかのような感覚を覚え、ロロはばたりと寝転がり、大の字になった。
    (落ち着け……落ち着けよ、俺……今、何が起こってんのか。それを確かめなきゃならねえよな。でもテレビも点かねえし、電話もダメ。……そう言や出勤中、誰にも会わなかったよな。自転車で10分くれー走ってたのに。いつもならゴミ収集車とジョギング中の『猫』のじいさんとすれ違うとこなのに、それもなかった。
     まるで世界から俺以外の人間が消えたみてーじゃねえかよ……!?)
     とんでもない想像が頭の中を駆け巡り、ロロはぶるっと巨体を震わせた。
    「ばっ、バカ! んなわけあるかってんだ、なあ、はっ、ははは、はは……はは……」
     気付けば時刻は昼に差し掛かろうとしており――そこでふと、ロロは宿直室にラジオがあったことを思い出した。
    (そう言や去年辞めたセロンじいさん、いつも昼飯食う時にラジオ聴いてたよな。『たまーにリクエスト読んでくれるから』っつって。辞める時、『退職金で新しいの買うつもりだから置いとくよ』っつってたけど、俺も含めてみんなテレビ見る派だったから、段ボールん中にしまったままにしてたんだよな、そう言えば)
     がばっと飛び起き、部屋の片隅にあった段ボール箱を開く。記憶通り、そこには古びた携帯ラジオが収められていた。

    緑綺星・福熊譚 4

    2023.09.11.[Edit]
    シュウの話、第116話。静かすぎる朝。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. その日、ロロはそれまでの7年間ずっと続けてきたように、朝の7時半きっかりに小学校に出勤した。いつもなら既に鍵は開けられ、校門が全開となっているはずだったが――。「あれ?」 校門は固く閉ざされたままであり、鍵もかかっている。(なんだよ……? ハミルのやつ、珍しく寝坊したのか?) とは言えロロも用務員なので、校門の鍵は持参して...

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    シュウの話、第117話。
    国家崩壊の3日間。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ありがたいことに段ボール箱の中には新品の電池も入っており、ロロは何の問題もなくラジオを聴くことができた。
     問題だったのは、ラジオで流れていた内容だった。
    《……繰り返します。WTNB、西トラス国営放送は、すべての業務を停止しました。繰り返します……》
    「……は?」
     そのまま1分ほど聴き続けていたが、同じ内容がただひたすら繰り返されるばかりで、それ以上の情報は何も得られなかった。
    (業務停止って……つまり放送終了とか休止とかじゃなくてもう、事実上廃業した、倒産したって話だよな? って倒産? 国営放送が? ウソだろ?)
     つくづくありがたいことに、ラジオの裏には元の持ち主が各ラジオ局の周波数をメモ書きしたものを貼り付けてくれていた。ロロはそれを確認しながら、一つずつ各局の放送を確かめる。
    (FMニューフィールド……ラジオ・カプリ……天帝教ラジオWTK……ダメだ、何にも聴こえねえ。軒並み全滅してるらしい。あとは……)
     どうやら年配の人間には、これを聴くことに忌避感があったらしく――メモの一番下に書かれていた東トラス王国のラジオ局の周波数に合わせたところ、若干ノイズ混じりではあったが、どうやら通常通りの放送が行われているようだった。
    《……何と言ってもこんなことが起こってしまった一番の原因は、西トラス政府が国民にまともな説明をしなかったことですよ。氷曜の時点でデフォルトしていることを知らなかったのは、他ならぬ西トラスの国民だけだったって言っても過言じゃないでしょう。なにせ火曜にはもう、金火狐銀行が輸送トラックを総動員してたって話ですからね》



     ノイズ混じりのラジオ放送を辛抱強く聴き続け、どうにかロロにも西トラス王国が置かれていた、悲惨な状況を把握することができた。

     3日前。かねてより白猫党・東トラス王国両面に対する防衛費と、難民支援を主とする社会保障費の増大で火の車となっていた西トラス王室政府の財政は、この時点で既に赤字国債の乱発――「償還期限が迫っている国債を返済すべく、さらに国債を発行する」と言う自転車操業、悪循環の状況に陥っていたのだが、この日ついにこれが破綻し、デフォルト(債務不履行)となってしまった。即ち国債の発行によって返済資金を調達したものの、返済すべき額に届かなかったのである。
     ところが西トラス政府はこの事実を国民に公表せず、なおも資金繰りに奔走していた。もしこの件が明るみに出た場合、西トラスの発行する通貨が暴落し、いよいよもって危機的状況に陥ることが予想されたためである。

     3日前午後から一昨日の早朝にかけて。西トラス政府はひた隠しにしていたものの、当然ながら金融筋――銀行や投資機関はデフォルトの件を把握しており、そして今後起こりうる通貨暴落も予想していた。そのため彼らは大急ぎで所有している預金・資産を、国外に持ち出したのである。
     この時点で政府が強権を発動し、彼らを足止めすることも可能なはずだったが、自ら動くことでデフォルトが発覚することを恐れた政府は何の対策も執らなかったばかりか、彼らの行動を事実上黙認してしまったのである。当然、金融筋はこれ幸いとばかり、資産を根こそぎ西トラス王国から引き上げてしまった。となればこれも当然のことだが――国内のすべての銀行・投資会社が、業務を停止した。

     そして一昨日の午前中、銀行や投資会社の窓口がいつまで経っても開かないことをいぶかしんだ国民があちこちの伝手に尋ね回った結果、ついにデフォルトの事実が国民に知れ渡った。
     いつの間にか自分たちの資産が残らず国外に持ち出されていたことを知った国民は激怒し、暴動が発生。暴徒と化した国民たちは首相官邸や議事堂、王族の住む宮殿を次々に襲撃して回ったが、閣僚と王族はこの襲撃から間一髪逃れ、隣国である東トラス王国に亡命した。
     この亡命した西トラス要人の要請を受け、東トラス王国は暴徒鎮圧のための軍を派遣した。しかし結果から見れば、彼らの目的は鎮圧ではなく、西トラス王国の――大量の難民と言う「負の遺産」を一切受け取らない形での――征服・実効支配であるのは明らかだった。東トラス軍は暴徒を鎮圧するどころか、彼らを放置したまま国内の主要な拠点を制圧した上、要人たちの身の安全と生活の保障を交換条件にして、西トラス全域の併合に同意させたからである。

     そして昨日、統一トラス王国と名前を変えたこの国は、「ニューフィールド自由自治特区」の設立を一方的に宣言。元西トラス王国民の同意を一切得ないばかりか、本来定めるべき特区の代表者すらもまともに定めずごまかしたまま、元々の国境をそのまま使う形で以西の全国民を封じ込めてしまった。

    緑綺星・福熊譚 5

    2023.09.12.[Edit]
    シュウの話、第117話。国家崩壊の3日間。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ありがたいことに段ボール箱の中には新品の電池も入っており、ロロは何の問題もなくラジオを聴くことができた。 問題だったのは、ラジオで流れていた内容だった。《……繰り返します。WTNB、西トラス国営放送は、すべての業務を停止しました。繰り返します……》「……は?」 そのまま1分ほど聴き続けていたが、同じ内容がただひたすら繰り...

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    シュウの話、第118話。
    ロロの幸運。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     やはり結果的には、ロロは幸運な男だと言えるのかも知れない。
     一向に市民権が得られず、銀行口座も作れない難民のままだったこと。そして24時間交代制の非常勤用務員と言う、薄給かつ過酷な職務にしか就けなかったことが、結局はすべてロロに味方したのである。街が暴徒であふれかえっていた時も、そして統一トラス王国が軍を派遣した時も、非番であったロロはテレビもラジオもない狭い自宅でろうそくに火を灯し、安く譲ってもらったパンの耳をちびちびとかじりながら黙々と勉強に没頭しており、外出の機会も、王国崩壊の情報を得る機会も一切なかったからだ。
     このためロロは、外のいざこざに一切巻き込まれずに済んでいたのである。

     ラジオからの情報収集を終える頃には、既に夕闇が迫る時刻となっていた。
    (これからどうすりゃいいんだ)
     じっとしていても何の考えも浮かばないので、とりあえず備え付けの冷蔵庫から同僚のものだったペットボトルのお茶を取り出し、ぐい、と飲み干す。
    (一息付いたはいいが……ハラ減ったなー)
     もう一度冷蔵庫を探るが、中には飲み物の類しかない。宿直室の中を調べ、パンの袋を見付けたロロは、すかさず封を切って頬張った。
    (何だかんだ飲まず食わずでラジオ聴いてたからな、うめーうめー。……ただ、そりゃまあ、こんな状況だからステーキだのワインだのほしいなんて思わねえけど、……もうちょっとなんか、ハラの膨れるもんが食いてえな。……ん? そう言や)
     用務員の職に就いてまもなくの頃に聞いた話を思い出し、ロロは懐中電灯を片手に宿直室を出た。
    (この小学校、非常用の避難場所に指定されてて、そう言う時のための備蓄もあるって話だったな。確か……体育館の倉庫の床だっけか……)
     記憶を頼りに体育館倉庫に向かい、ほどなくその備蓄倉庫の入口を発見した。当然鍵がかかっていたものの、前述の通り用務員のロロがその鍵を持っていないわけがなく、彼はあっさりその地下倉庫にたどり着いた。
    (すっげ……棚、全部段ボール箱でギッチギチに埋まってら。中身、全部食いもんか? っと、奥にも部屋があるな。こっちは……発電機用の燃料か。えーと……ざっと計算して……多分――24時間発電機回しっぱなしにしたとしても――1ヶ月くらいは持つか? 俺一人だけならその100倍、200倍は余裕だ。
     こんだけありゃ、俺一人こっそり暮らす程度なら10年、20年は余裕じゃねえか)
     そう思った瞬間、不安に満ちていたロロの心に一転、光が差す。
    (……俺はやっぱ、運がいいのかも知れねえな。国が崩壊したってんなら、誰もこんな小学校なんか見向きもしやしねえだろうし、そもそも校門と塀で守りは固められてる。俺がどんちゃん騒ぎでもしない限り、誰も俺がいることには気付かねえだろう。ここでひっそり、誰にも邪魔されずにのんびり食っちゃ寝で暮らすことだってできるってわけだ)
     ロロは手近な段ボール箱に手を伸ばし、ばりっと引きちぎる。
    「……へ、へへっへ、やっぱ食いもんだ! たまんねえや、食い放題だあっ!」
     中に収められていた缶詰を片っ端から開け、煮込みハンバーグとコーンスープ、サバの水煮を次から次に口の中に放り込んだところで、ロロはゲラゲラ笑い出した。
    「たまんねえ……! これ全部、俺が独り占めかよ、ひゃはははははあ!」
     さらに缶詰を2つ開け、すっかり満腹になったところで、ロロは倉庫の中でごろんと寝転がった。
    (あー……っ、俺は幸せ者だ! 少なくともこの街、いや、この国で一番の幸せ者だ!)
     ひとしきり笑い、そのままロロは眠り込んだ。



     夢の中でロロは、あのおんぼろセダンの中にいた。
    「お前さん、今、自分が幸せ者だって思ってんな」
     運転席の兎獣人が笑っている。
    「ああ」
     満面の笑みで答えて見せたロロに、兎獣人は「へッ」と悪態をついた。
    「お勉強のついでに雑学の本も色々読んだんだよな。央南のことわざとかもな――『禍福は糾(あざな)える縄の如し』ってのも聞いたことあるだろ?」
    「えっ? ……あ、ああ、うん、読んだ覚えがある。でもなんで、あんたがそれを」
     驚いて兎獣人の方を見るが、相手は正面に顔を向けたまま、話を続ける。
    「良いことはどっかで悪いことにつながってる。悪いことはどっかで良いことにつながってる。世の中ってのはそう言うもんさ。幸せは独り占めするもんじゃねえぜ? ずっとその幸せを抱え込んでたら、お前さんの懐ん中でその幸せはいつか腐っちまって、不幸せにバケるぜ。
     幸せが不幸せにならねえ内に、他の奴に気前良く分けてやんな」
     そこでようやく気が付いたが――その兎獣人には、顔がなかった。



     備蓄倉庫での豪遊から2日後――。
    「う……うう~……ぐぐぐ……うぐぅぅ……」
     長年の貧乏生活から一転、一昼夜以上にわたって暴飲暴食の限りを尽くしてしまったせいか、ロロは腹痛に苛まれていた。
    「くっそ……くそー……懐ん中ってか、ハラん中じゃねえか、くそ……」

    緑綺星・福熊譚 6

    2023.09.13.[Edit]
    シュウの話、第118話。ロロの幸運。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. やはり結果的には、ロロは幸運な男だと言えるのかも知れない。 一向に市民権が得られず、銀行口座も作れない難民のままだったこと。そして24時間交代制の非常勤用務員と言う、薄給かつ過酷な職務にしか就けなかったことが、結局はすべてロロに味方したのである。街が暴徒であふれかえっていた時も、そして統一トラス王国が軍を派遣した時も、非...

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    シュウの話、第119話。
    無法を眺める。

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    7.
     半日以上のたうち回った後、どうにか回復したロロは――やる必要など微塵もないはずであるが――校内を見回っていた。
    (……長年やってたせいか、気が落ち着くな。とは言え『じゃあベアリング好きか』って言われたら『見たくもねえ』って答えるけども。ま、あっちはタダ働きみたいなもんだったし)
     既に街が、いや、国が崩壊して幾日も経つが、窓から見る景色に変わったところは見られない。
    (マジで西トラス、崩壊したのか? ……まあ、実際のところ、ド平日に小学校がカラってんだから、マジで崩壊したんだろうけど)
     何となく目をこらし、街を観察してみると――。
    (あっ)
     校舎の3階であるため多少は見晴らしが良く、大通りの様子がはっきり確認できた。そしてその真ん中に、ボンネットが赤茶けた色に染まったパトカーが停まっているのも。
    (血……なのか? パトカーに血? 誰か、はねたのか? パトカーがか? 市民の安全守るって代名詞だろうが。……いや、もしかしたら車内の誰かが襲われたのかもな。なんかフロントガラス、割れてるっぽいし。
     どっちにしても大通りのド真ん中でパトカーがボッコボコになったまんま放置されてるって、まともな状況じゃねえよな。……やっぱ、この国は崩壊したんだな)
     そう判断した上で街の様子を眺めてみると、各所にその痕跡が認められる。
    (よく見りゃあのコンビニも、窓全部割れてんじゃねえか。間違いなく店の中、ぐっちゃぐちゃにされてんだろうな。元々黒っぽい屋根だったから気が付いてなかったが、隣のファミレスも丸焼けになってんぞ。うわっ、やたらカラスが飛んでやがると思ったら……)
     そのまま5分ほど観察を続けていたが、やがてロロはしゃがみ込み、廊下の橋に座り込んだ。
    (……見てらんねえ。それに俺一人、こんな呑気なことしてるなんて思ったら忍びなくて、余計に辛ぇぜ)
     その日は結局そこで見回りを切り上げ、宿直室に戻った。

     この状況に至っても――いや、この状況だからこそ――隣国が何かしらの救済措置を講じてくれることを期待して、ロロはラジオに耳を傾けていた。
    《……ニュースの時間です。産業省と王国労働者組合は本日、本年度の最低賃金改定会議を行い、最低賃金を1時間あたり287コノンとし、本年の9月までを目処に施行を進めることを……》
     が、ラジオからは西トラス、いや、難民特区の話は一切流れてこない。
    (なんでだ……?)
     やがてニュース番組は終わり、キンキンと騒々しい声色のラジオDJの声が流れてくる。
    (うるせえ……今週のヒットチャートとかどうでもいいんだよ。こっちの話しろよ、おい)
     その番組も終わり、次の番組も終わり、夜のニュースが始まっても、やはり難民特区のことには、誰一人として触れようとはしなかった。
    《……本日の放送を終了します。PHBS、PHBS、トラス国営放送でした》
     その日最後のニュースまで辛抱強く聴き続けたが、結局、難民特区についての言及は何一つなく、後はノイズがさらさらと流れ続けるばかりだった。
    (これじゃまるで、西トラス王国がこの世から最初から無かったことにされてるみたいじゃねえか。一体今、政治ってのはどうなってんだよ?)
     明日も、そしてその次の日もラジオを聴き続けたが――いつまで経っても、隣国は何の解答も示さなかった。



     ロロが知らなかった、いや、西トラスの誰もが知るはずのない事情だが――東トラス王族、そして彼らの下にあった王室政府は統一を宣言した時点で既に、西側の人間を難民もろとも見捨てることを決定していた。
     彼らにとっては、幾年にもわたって大量に流れ込んだ難民とその子孫は「厄介者」でしかなかったし、半世紀以上前に袂を分かち「隣国」となって久しい西トラスの人間もまた、もはや「無関係」の人間でしかなかった。「助ける義理は無い。むしろ助ければこちらも共倒れになってしまう」と言うあまりにも身勝手な理屈のもと、西トラスに住む者たちは壁の向こうに封じ込められることになった。
     さらに身勝手なことに、東側政府はこれらの決定と措置を、国外はおろか、国内に対しても隠蔽していた。表向きには「西側体制に反発した反政府勢力が西全域を実効支配した」「反政府勢力の東進をさしあたり阻止するため、暫時・暫定的に相互不干渉の交渉を結んだ」「反政府勢力が内部分裂し、彼らとの連絡が途絶した。情勢は極めて危険な状況にある」などと根も葉もない嘘を立て並べ、西側への干渉・入国を一切行わないよう、内外に通達したのである。
     これらの非人道的とも言える措置により難民特区は完全に東側と遮断され、あらゆる秩序が破綻・崩壊した結果、徐々に無法地帯へと変貌していった。

    緑綺星・福熊譚 7

    2023.09.14.[Edit]
    シュウの話、第119話。無法を眺める。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. 半日以上のたうち回った後、どうにか回復したロロは――やる必要など微塵もないはずであるが――校内を見回っていた。(……長年やってたせいか、気が落ち着くな。とは言え『じゃあベアリング好きか』って言われたら『見たくもねえ』って答えるけども。ま、あっちはタダ働きみたいなもんだったし) 既に街が、いや、国が崩壊して幾日も経つが、窓から...

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    シュウの話、第120話。
    人生の分岐点。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     結局、根が真面目なロロが暴飲暴食したのは――腹を下したこともあって――最初の2日だけで、以降は朝と夕の1日2缶で過ごしていた。昼下がりに多少腹が減る感じはしたものの、今後の先行きがまったく見えない現状を彼なりに考え、節約に努めていたからだ。
    (今日も……脳天気なニュースばっかだな)
     ラジオで朝のニュースを聞き、それが終わったら校内の見回りに向かい、疲れを感じた辺りで倉庫から食糧を取り出し、宿直室にこもって明日を迎える。そんな生活を黙々と続け、東側からの救援を待ち続けたが、それらしいものが来る気配はまったくなかった。
    (明日こそ……明日こそ、何か)
     次の日も、その次の日も、そしてまたその次の日も、ロロは同じように日々を繰り返した。

     そして難民特区の形成から、2週間以上が経った。
    (結局今日も一日何もなし、……か)
     缶詰を抱えて地下倉庫から上がり、渡り廊下を通って宿直室に向かおうとしたところで――。
    (……んっ?)
     見通しのいい廊下であるため、校庭の向こう、校門まで視界が開けているのだが、その校門越しに、影を2つ見つけた。
    (人? ……だよな?)
     見た瞬間、ロロの心中に色々な感情が交錯する。
    (もう薄暗い。7時前だ。誰か一夜過ごしに来たのか? この2週間で初めてだな。……追い払うか? いや、俺がいるってことがバレんのも嫌だ。だって交差点がアレだったんだぞ? 外は完璧に無法地帯のはずだ。暴徒みたいのが大勢押しかけたら、飯も燃料もあっと言う間になくなっちまう。……と言って2人入ってくんのを見逃したら、明日は3人、4人って増えるかも分からん。んじゃやっぱり、今のうちに追い払う方がいいか? うーん……)
     逡巡しつつも、ロロは結局、缶詰を抱えたまま校門まで向かった。
    「あ……」
     そこにうずくまっていたのは、狼獣人の男の子と猫獣人の女の子だった。どうやら兄妹らしく、耳と尻尾の形は違うものの、同じ毛色である。
    「おじちゃん」
     妹らしき方が、門扉越しにロロに声をかける。
    (見た覚え……あるな。ここの生徒だよな)
     棒立ちのままのロロに、もう一度女の子が話しかけてくる。
    「たすけて、おじちゃん」
    「……っ」
     助けを請われ、ロロは思わず一歩後ずさった。
    (どうする?)
     心の中で、ロロは自分自身に問いかける。
    (このまま校門を閉めてりゃ、こいつら入って来れないよな。一応、街の状況把握した後にしっかり施錠したし、扉も子供に登れる高さじゃないし。……でも、見捨てていいのか?)
     夕闇の中でも、この幼い子供たちの衣服がボロボロになっているのがはっきりと分かる。この2週間の間に二人がどんな目に遭っていたか、ロロにはありありと想像できてしまった。
    (兄貴らしい方……鼻血の跡が残ってる。アザもひでえ。めちゃめちゃな殴られ方してやがる。……妹の方も、服に血が付いてる。俺が無視して、扉開けずにこのまま見捨てたら、きっとこいつらは、……明日か、明後日には、死んじまうかも知れねえ。本当に俺はこいつらを見捨てていいのか? 見捨てて学校ん中に閉じこもって助けを待ってるだけの生活してて、それで本当にいいのか?
     どうなんだよ、なあ、俺はよ?)
     逡巡した末――ロロは門扉の鍵を開け、ギシギシと音を立てて校門を開けた。
    「その、……とりあえず、その、入れよ」
    「……ありがとう、おじちゃん」
     兄妹は揃って頭を下げ、恐る恐る中に入った。



    「……それがすべての始まりってヤツだったな」
     しみじみとした顔で昔話を語り終え、ロロは神妙な顔つきになった。
    「結局その後もここの生徒だった子が何人か来て、全員かくまうことにしたんだ。『来る者拒まず』ってヤツだな」
    「はあ」
    「ま、そのままじっとしてんのも何だしなってことで、学校に残ってた教科書とか読み聞かせしたり、荒れっぱなしになってた校庭を畑に変えたりしてる内に、『先生』だの『親父』だの言われるようになっちまってな。……で、今に至るわけだ」
    「本当に親父には感謝してもしきれねーわ、マジで」
    「うんうん、マジそー思うよ~」
     と、話の終わり頃に出てきたあの「狼」と「猫」の兄妹――ダニーとラフィが、ロロの両肩を左右からポンポン叩いた。
    「あの時親父が扉開けてくれなかったら、俺たちマジであのまま死んでたかも知れねーもん」
    「ま、それはいつも言ってるアレだよ、アレ」
     振り返ったロロに、ラフィが満面の笑顔でこう返した。
    「人に優しく、世の中に優しく!」
    「おう。もちろん自分にも優しく、だぜ」
    「分かってるって~」
     うんうんうなずき、ラフィがロロの背中を抱きしめる。
    「先生に教えてもらったこと、あたし、大事に大事に守ってるよ~」
    「んっ……、ああ」
     ロロの首に腕を回し、顔を赤らめるラフィと、ここまで饒舌だったロロが急に黙り込んだのを見て、ラックは何かを察しかけたが――横にいたダニーがウインクし、口に人差し指を当てているのを見て、何も言わずにおいた。

    緑綺星・福熊譚 8

    2023.09.15.[Edit]
    シュウの話、第120話。人生の分岐点。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 結局、根が真面目なロロが暴飲暴食したのは――腹を下したこともあって――最初の2日だけで、以降は朝と夕の1日2缶で過ごしていた。昼下がりに多少腹が減る感じはしたものの、今後の先行きがまったく見えない現状を彼なりに考え、節約に努めていたからだ。(今日も……脳天気なニュースばっかだな) ラジオで朝のニュースを聞き、それが終わったら...

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    シュウの話、第121話。
    無明の中で生きると言うこと。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     日中は授業や何かしらの工作作業、校庭を作り変えた畑での農作業で騒々しかった「学校」も、夕闇が迫るに従って、段々と静かになっていた。
    「電気通ってないからな。暗くなったら寝る、が基本だ」
    「発電機があるって言ってなかったですか?」
     尋ねたラックに、ロロは肩をすくめて返す。
    「んなもん、もうブッ壊れちまってるよ。10年も前にな。そもそも燃料も、とっくに無くなっちまってる。とは言え、不便ってこともないがな。20年こうして暮らしてると、無くても何とかなるって分かる。……てのは強がりだな」
     校舎の屋上に立つ二人の視線の先には、優に5メートルを超えるコンクリート製の壁と、その向こうにうっすら見える街の灯りがあった。
    「できることなら俺だって、20年前の暮らしに戻りたいよ。貧乏だったが、なけなしのカネを使えばコンビニでそこそこのメシが食えたし、銭湯に行けばさっぱりできた。ベッドで大の字になって、何の心配もなくぐっすり寝られたし、ちょっと不満があったら役所なり何なり、文句言って対応してもらえるところもあったんだからよ。
     でも今はそれが無い。メシは自分で育てて作らなきゃならないし、NPOが手押しポンプ作ってくれるまで、風呂どころかトイレにも苦労してた。夜になっても、いつワケ分かんねえバカが寝込み襲ってくるか分かんねえんだから、ぐっすりなんて寝れやしねえ。生きるか死ぬかってレベルの不満があっても、誰も聞いちゃくれない。……辛えよ、この暮らしは」
    「ロロさん……」
     的確な返事ができず、棒立ちのままのラックに、ロロは薄く笑って返しつつ、校舎の南にあるバリケードを指差す。
    「だからよ、あそこに湧いた石油は俺たちの希望なんだ。あれを上手いこと掘り出して売ることができれば、俺たちにはカネが入る。カネが入れば、モノが買える。20年前の暮らしを取り戻せるはずなんだ。それを信じて、俺たちはあの油田を守ってる。
     ……これはまだ、あんまり周りにゃ話してないんだが、ちゃんとカネが入ったら、俺はこの特区を立て直したいんだ。カネがほしい、いい暮らしがしたいとは言ったが、俺は正直、億万長者には憧れてない。俺一人がぜいたくしたって、楽しくも何ともねえ。……そう言うのは20年前、俺にゃ合わないってのが良く分かったからな。それよりこの特区で困ってる人間がいたら、優しくしてやりたい。できる限り助けてやりたいと、そう思ってる。
     だけど壁の向こうのあいつらはどうだろう? 今までこれっぽっちも助けてくれなかったのに、石油が出るって分かった途端に兵隊よこしてきたような恥知らず共だ。しかもその兵隊は、ここにいた俺たちを平気で撃ち殺そうとした。
     あいつら俺たちのことを、『人』だと思ってねえんだよ」
    「……っ!」
     その言葉に、ラックの胸はぎゅっと締め付けられた。
    「人と思ってない相手に、誰も手を差し伸べやしねえ。ましてや優しくしようなんて、思うわけがねえ。奴らにとっちゃ俺たちを殺すのは『討伐』や『虐殺』じゃなく、『害虫駆除』や『草むしり』感覚だろう。平然と俺たちを皆殺しにして油田を制圧し、20年前みたいにそれっぽいウソを立て並べて、自分たちのやったことを正当化するだろう。
     俺はそうなるのが嫌だし、怖い。20年守ってきた俺の生徒たちが殺されるのも嫌だし、どうあれ築かれてきた特区の社会がこの世から消えちまうって考えたら、怖くてたまらん。俺は守りたいんだ。生徒も、ここに住む人間も、特区そのものも」
    「……優しいんですね、本当に」
    「だけどその優しさが、俺に覚悟を決めさせねえ。兵隊が来るんなら、もっと武器を集めなきゃならねえ。買う気になりゃ、この街で鉄砲でも手榴弾でも買える。だけど兵隊とマジで戦って傷ついたり、死人が出たりするんじゃと考えると、手を出せねえんだ」
     そう言って顔を覆うロロに、ラックは――いつもの気弱な彼自身がびっくりしてしまうくらいに――はっきりとした声で答えた。
    「俺が守ります。任せて下さい」
    「……会って2日も経ってないお前さんに『俺たちを守ってくれ』『俺たちの戦いに協力してくれ』なんて頼み事するなんて、バカげてるし調子が良すぎるが、……頼りにしてる」
    「はい」
     話している内に日は完全に沈み、街はすっかり、真っ暗な闇に包まれていた。

    緑綺星・福熊譚 終

    緑綺星・福熊譚 9

    2023.09.16.[Edit]
    シュウの話、第121話。無明の中で生きると言うこと。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 日中は授業や何かしらの工作作業、校庭を作り変えた畑での農作業で騒々しかった「学校」も、夕闇が迫るに従って、段々と静かになっていた。「電気通ってないからな。暗くなったら寝る、が基本だ」「発電機があるって言ってなかったですか?」 尋ねたラックに、ロロは肩をすくめて返す。「んなもん、もうブッ壊れちまってるよ。1...

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    シュウの話、第122話。
    横暴と傲慢。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「石油湧出地確保を目的とする前回の出動につきまして、兵士が撮影した映像を解析したところ、合成や加工の類が見られないことを確認しました」
     将校の報告を聞き終えても、会議室に居並ぶ幕僚たちの、興ざめ気味の顔色に変化はない。
    「だから?」
    「映像に映っている巨大生物は本物である、と」
    「何を言っているのかね? そんなものがいるはずはない。常識的に考えればそうだろう?」
     幕僚たちは異口同音に、否定的意見を立て並べる。
    「どうせ難民どもの仮装か何かだ。こけおどしでビビらせようと言う魂胆が見え見えだ」
    「まったく、大の大人が、それも名誉あるトラス王国軍人が、そんな情けない子供だましに引っかかるとは!」
    「いいかね、二度とこんなバカバカしい報告で我々の手を煩わせるんじゃないぞ。今回は厳重注意で済ませておくが、次にまた同じ報告をするようなら、君の処分も検討させてもらうからな」
    「……承知しました」
     映像をろくに吟味するようなこともせず、幕僚たちはバラバラと席を立ち始めた。
    「もう一度出動させろ。今度はあんな子供だましで怯むような腰抜けじゃなく、もっと勇敢で勇気のある者をだ」
    「はい」
    「ああ、バカバカしい! 子供のお使いじゃあるまいし、こんなことで一々人を呼ぶとはな。あの眼鏡くん、さっさと更迭した方がいいんじゃないかね?」
    「まあまあ、誰にだってミスくらいありますよ。今度こそちゃんとやることやってくれるでしょうよ、これだけお説教したらね」
    「違いない。でなければよほどの無能だ」
     会議室に一人残されたその、眼鏡の将校は、しばらく唇を噛んで顔を真っ赤にしていたが――やがて、はあ、と苛立たしげなため息を一つ吐き、ポケットからスマホを取り出した。
    「私だ。もう一度特区に兵士を派遣しろとのご命令だ。今度はもっとバカ……、いや、勇敢な人間を向かわせろとのことだ。……ああ、そうだよ、バカだ。何が出ようと無差別殺戮できるくらいの愚か者を特区に向かわせろとのご命令だよ。……ああ、そいつでいい。人員の采配もそいつに任せればいい。責任をすべて負わせる形にしてくれ。私はもう知らん。……ああ、それで頼む。それじゃ」
     通話を終えるなりスマホを机に叩きつけ、将校はもう一度ため息をついた。
    「……クソジジイどもめ。少しは現実を見たらどうなんだ」

     結局、未確認の巨大生物――ラックが油田制圧部隊の前に現れ、任務を妨害した一件は「ただの扮装」「兵士らしからぬ情けない判断」とみなされ、同様の兵員が再度、難民特区に派遣されることとなった。



     そして前回と全く同じように現れた120人の兵隊は、目標である石油湧出地、即ちラコッカファミリーのテリトリー内に足を踏み入れた。
    「構え!」
     そしてロロたちと顔を合わせるなり、何の通達も行わずにいきなり、兵士たちに小銃を構えさせた。が、王国軍がこうした乱暴な手段に出ることを予想していないロロではない。
    「ラック、今だ!」
     ロロは即座に自分たちの最高戦力、即ちラックを呼んだ。
    「グオオオオッ!」
     瞬時にあの名状しがたい獣の姿となったラックが王国兵の前に降り、立ちはだかった。
    「フン、そいつが報告にあったコスプレ野郎かよ」
     見るからに蛮勇くらいしか取り柄のなさそうな顔の隊長が、構わず号令する。
    「撃て! あの着ぐるみを粉々にしてやれ!」
     号令に従い、兵士たちは小銃をラックに向け、集中砲火を浴びせたが――前回とまったく同じ条件下での、まったく同じ行動であるため、結果もまったく同じとなった。
    「き……効きません!」
     1000発以上の弾丸を浴びせられても、ラックの体には傷一つ付かない。
    「マダヤルノカ……?」
     おどろおどろしい声で威圧したラックに、王国軍は明らかに怯んだ様子を見せた。
    「ど、どうします、隊長!?」
    「う……撃て撃て! 撃ちまくれ! 全部使え! グレネードもだ!」
     兵士たちは携行していた武器をすべて使い、ラックにダメージを与えようと粘るが、ショットガンを撃ち込まれ、手榴弾を投げられ、さらにはグレネード砲弾を浴びせられても、ラックを仕留めるどころか、その場から1センチ動かすことすらもできなかった。
    「た、た、隊長! 弾がもうありません!」
    「ば……バカな、こんな、……こんなことがあるわけあるか!」
     しまいには隊長自らマグナム銃を撃ち出したが――。
    「モウヤメテオケ」
     ラックが隊長の腕をつかんでそのマグナムをむしり取り、装填されていた12ミリマグナム弾もろとも、ぐしゃぐしゃに丸め潰してしまった。
    「モウ一度聞クゾ。マダヤルカ?」
     ねじれ折れた指をかばったまま立ち尽くしていた隊長の胸にぽい、とその鉄塊を投げつけた途端、隊長の足元にじょわわ……、と音を立てて水たまりができる。
    「ひ、ひぇ、ひゃ、……ひゃーっ!」
     そのまま隊長は兵士たちを残し、ほうほうの体で逃げ去る。隊員たちも唖然とした顔を浮かべたまま、大慌てで逃げていった。

    緑綺星・応酬譚 1

    2023.09.18.[Edit]
    シュウの話、第122話。横暴と傲慢。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「石油湧出地確保を目的とする前回の出動につきまして、兵士が撮影した映像を解析したところ、合成や加工の類が見られないことを確認しました」 将校の報告を聞き終えても、会議室に居並ぶ幕僚たちの、興ざめ気味の顔色に変化はない。「だから?」「映像に映っている巨大生物は本物である、と」「何を言っているのかね? そんなものがいるはずはな...

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    シュウの話、第123話。
    百変化ショー。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「本当にケガしてねーのか?」
    「あんだけ撃たれまくってたじゃん」
    「ええ、まあ、はい、全然」
     王国軍による二度目の襲撃を退けた後、ラックはファミリーに囲まれ、裸の上半身をあちこちからじろじろと見つめられていた。
    「ってかさっきの筋肉はどこ行ったんだよ」
    「こーして見るとただのおっさんじゃね?」
    「そりゃ贅肉的なのはないけどさー、筋肉的なのも全然ないし」
    「さっきの変身見てなかったら、マジでただのおっさんにしか見えんし」
    「あ、あの、あんまりおっさんおっさん言わないで下さい。ちょっと、へこみます」
     眉を八の字に曲げ、困った顔を見せるラックを眺めながら、ロロは首をひねっていた。
    「俺も不思議に思うね。一体ありゃ何なんだ? いや、言いたくないなら言わんでいいんだが、やっぱりどうしても気になる、……ってのは分かってくれるだろ?」
    「……まあ、そうですね。それが普通だと思います」
     ラックは頭をかきながら、しどろもどろに説明した。
    「最初に言っておくとですね、俺もよく分かんない……ってのが、正直なところなんです。気付いたら、なんかできるようになってて」
    「1回目と2回目でちょい形違ったよな? 他にも化けられんのか?」
    「はい。……あ、ちょっと危ないんで」
     ラックはうなずき、皆に離れるよう促す。皆が2メートル半ほど離れたところで、ラックは姿を、本物の虎のように変えた。
    「おわっ」
    「マジ虎じゃん」
    「かっこいい!」
    「他には? 他には化けられるか?」
    「アッハイ。コンナノモ行ケマス」
     虎の姿でうなずいたラックは、今度は全長2メートル近い鴉のような姿になった。
    「でっか!」
    「マジ鳥じゃん」
    「それ、空飛べたりできんの?」
    「チョットダケナラ」
    「飛んで飛んで!」
    「イヤ、室内ナンデソレハ」
    「人間はどーなの?」
    「例えば……こいつ、ボリスとか」
     指差された短耳を見て、ラックは彼そっくりに変身して見せた。
    「これで……どうです?」
    「うっわ、完璧ボリスだ」
    「マジ鏡じゃん」
    「じゃ、……あー……、後でよ、その……」
     こそっとラックに耳打ちしようとした男の長い耳を、隣の女がぐにっとつまむ。
    「あんた何考えてんのよ」
    「そりゃま、へへへ、アレだよ、うん」
    「絶対やんないでよ、ラック! 他人に化けんの禁止だかんね!」
    「さんせいさんせーい」
     一通りファミリー同士でじゃれ合ったところで、ロロが場を締める。
    「ま、それについては俺も同意見だ。倫理的に大問題だからな。この数日でラックがクソ真面目な奴で、そんな悪いことやるなんて絶対ないってのは十分分かってるが、一方で頼み込まれて嫌って言えない性格なのもよく分かってる。だからみんな、ラックには他人に化けてもらうって頼むのは、絶対ナシな」
    「は~い」
    「それより問題は――あー、そろそろシャツかなんか着ろよ、ラック――こうして2回、一人もケガ人を出すことなく兵隊を追い返せたわけだが、俺はただの幸運だと思ってる」
    「親父は運いいもんな」
    「そう言う話じゃねえよ。いや、もしかしたらそうかも知れんが、俺が言いたいのは、次に襲って来た時、今度こそ無事じゃ済まんだろうってことだよ」
     ロロの言葉に、浮き立っていた皆は一様に不安な表情を浮かべた。
    「まあ……だよな」
    「ラックが銃も砲弾も効かなかったからビビって逃げたみたいだけど、マジになられたら何すっか分かんねえよな」
    「向こうには何でもあるんだもんな。戦車とか来るかもだし」
    「ラックなら戦車砲くれーなんてこと……」
    「いやいやいや、流石に無理ですよ」
    「そもそもラック一人狙うならまだしも、俺たちまで狙って来たらヤバいし」
    「だよなー……」
     ラックも含めて全員が神妙な顔になり、場が静まり返った。そのため――。
    「……ん?」
     物陰からのピッと言う電子音が、わずかながらはっきりと、その全員の耳に入った。

    緑綺星・応酬譚 2

    2023.09.19.[Edit]
    シュウの話、第123話。百変化ショー。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「本当にケガしてねーのか?」「あんだけ撃たれまくってたじゃん」「ええ、まあ、はい、全然」 王国軍による二度目の襲撃を退けた後、ラックはファミリーに囲まれ、裸の上半身をあちこちからじろじろと見つめられていた。「ってかさっきの筋肉はどこ行ったんだよ」「こーして見るとただのおっさんじゃね?」「そりゃ贅肉的なのはないけどさー、筋...

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    シュウの話、第124話。
    潜入取材者。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
    「誰だ?」
    「……っ」
     物陰の人間がたじろぐ気配を察し、足の早い者が数名、ばっと駆け出す。まもなく、明らかに特区の人間ではない、身奇麗な短耳の男を連れて戻って来た。
    「コイツ写真撮ってたっスよ、親父」
    「写真? ……ってあんた、見覚えあるな」
     腕をがっちりとつかまれた短耳の顔をしげしげと見つめ、ロロはポン、と手を打つ。
    「ああ、そうだ。あんた、あの農業支援NPOのアレ……『緑と土の会』に付いてきて、俺たちに取材してた記者さんだろ」
    「ああ。……分かってくれたか、怪しい者じゃないって」
    「じゃなんで盗撮してたんだよ」
    「盗撮じゃない。素の姿を撮影したかったんだ。……そろそろ離してくれ」
     痛がる様子を見せる男にうなずき、ロロは解放するよう促した。
    「離してやれ。この人数に囲まれて乱暴なことするようなタイプじゃない」
    「うっス」
     ようやく解放され、男は苦い顔をしつつも頭を下げた。
    「すまなかった。失礼なことをした」
    「『失礼な』だって? その画像、どうするつもりだったんだ?」
    「記事に使おうと考えていた。もちろん無断使用するつもりはない。撮った後であんたらにちゃんと挨拶して、使用許可を取る予定だったんだ」
    「ウソつけ。黙って逃げるつもりだったんだろ」
     すごむファミリーに、ロロが首を振って返す。
    「それはないだろ。このお兄ちゃん、礼儀正しいと言うか、やたら律儀な男だからな。前の取材ん時だって、わざわざ段ボール箱一杯にメシ持ってきてくれたしよ」
    「覚えててくれたのか?」
     目を丸くした男に、ロロはにかっと笑いかけた。
    「俺も律儀な方でよ、受けた恩は忘れねえようにしてる。名前もちゃんと覚えてるぜ、カニート・サムスンさん」
    「あー、と……すまんが、『サムソン』だ。あの時にも説明したと思うが」
    「んっ? ……っと、いけね。あん時と同じ間違いしてんな、俺。『猫』のお嬢ちゃんの方が『ス』で、あんたの方が『ソ』だったな」
    「スペルは一緒だが、あいつのご先祖さんが外国人だったから、ちょっと風変わりな読み方がそのまんま続いてるんだそうだ、……ってとこまで説明してたよな。覚えててくれたみたいでどうも」
    「いやぁ、成り行きしか覚えてなかったな、すまんすまん」
     揃って頭を下げ合ったところで、ロロが真面目な顔になる。
    「それでサムソンさん、今日は何の用だ? まさかこのタイミングで農業ドキュメンタリー組むって話じゃねえよな?」
    「ああ、油田の件で訪ねた。だが色々と予想外のことが起こってて、どう記事にしたものかと悩んでるところだよ」
     そう返して、カニートはラックの方に目をやった。
    「俺の予想じゃ、震災のどさくさに紛れて油田を強奪したトラス王国軍の横暴、……みたいな記事にできるかと踏んでたんだ。ところがどう言うわけか、一度目に派遣された軍がわたわたと逃げ帰ってきたって聞いて、これは何かあるなとにらんだんだ。それでこっそり二度目の派遣を撮影してたわけだが、まさかこんな事態になってるとはな」
    「そ、その……もしかして俺のこと、記事にするんです?」
     ことさら嫌そうな表情を浮かべたラックに、カニートは首を横に振って返した。
    「したところで誰も信じるわけがない。何しろ軍のお偉方だって、『ニセモノだ』『トリックだ』と断定してもう一回、まったく同じ規模の部隊を派遣したって話らしいからな。……とは言え二度も同じ負け方をして、その上負傷者も出たんだ。次こそは、本気の殲滅部隊を送り込んでくるだろう」
    「……だろうな」
     苦い顔をするロロに対し、カニートはニヤ、と笑って見せた。
    「だが俺に考えがある。上手くすれば、三度目の派遣をしばらく止められるだろう」
    「なに?」
    「そこで交換条件だ。この油田の件に関して、俺に独占取材の権利を取らせてくれ。他のメディアには一切応対せず、俺とだけ話をするよう約束してほしい。そうすれば今言ったアイデアを実行し、軍の派遣を止めさせる。どうだろうか?」
    「んなもん約束しなくっても」
     ロロは肩をすくめ、カニートに手を差し出す。
    「この数日、取材目的で来た王国民はあんただけだ。あんたがブッちぎりの一着な以上、あんたが最優先だろ」
    「そう言ってくれて嬉しいね」
     カニートはロロと堅く握手を交わし、取材契約を結んだ。

    緑綺星・応酬譚 3

    2023.09.20.[Edit]
    シュウの話、第124話。潜入取材者。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3.「誰だ?」「……っ」 物陰の人間がたじろぐ気配を察し、足の早い者が数名、ばっと駆け出す。まもなく、明らかに特区の人間ではない、身奇麗な短耳の男を連れて戻って来た。「コイツ写真撮ってたっスよ、親父」「写真? ……ってあんた、見覚えあるな」 腕をがっちりとつかまれた短耳の顔をしげしげと見つめ、ロロはポン、と手を打つ。「ああ、そうだ...

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    シュウの話、第125話。
    ????リポート;トラス王国軍の非道を暴く!

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    4.
     かつては超大国・中央政府亡き後の希望の星、地域共同体「新央北」の誇る若く雄々しい宗主国であったトラス王国も、年月を経る内にあちこちが衰えてきているらしく、特に近年の凋落ぶりは著しかった。
     と言うよりも年月を経た大国であるが故に、政財界には古い慣習と常識を重んじる保守層が多く、近年目覚ましい成長を遂げる電子産業や情報通信産業ではなく、旧態依然とした重工業や化学工業に固執・偏重したために、前者に多大な投資・貢献をしていた他国に、相対的に大きく遅れを取っており、王国の経済成長は後退・衰退の一途をたどっていた。そのため諸外国、とりわけ「新央北」加盟国からの信用が年々失われつつあり、近年では投資機関の撤退や、「新央北」脱退の動きさえ見られていた。
     それでも辛うじて、現在に至るまでこの合従体制を維持できていたのは、王国が白猫党への脅威に対抗しうる強大な戦力・軍事力を有していたからである。言い換えればトラス王国軍に対する信用度だけが、「新央北」諸国をつなぎとめる唯一の理由だった。

     ところが今回の、難民特区における二度の無様な敗走で、保身と内部抗争にばかり執心していた幕僚たちも、流石に特区への対応を真面目に検討せざるを得なくなった。何故ならこの失態をいつまでも挽回できなければ、「新央北」加盟国らに自慢の軍事力を疑われてしまう。最悪の場合、彼らの脱退に結びつく可能性があり、その国益損失を追及されかねなかったからである。
    「とにかく……まあ、事実上の結論として、素直に認めるしかあるまい。あのデカブツは本物と言うことだろう」
    「何しろ携行していたすべての武器を使い果たして、傷一つ与えられなかったと言うからな。負傷者も出たわけであるし」
    「とにかく次の手を早急に講じねば。打てる手は何でも打つべきだ。戦車でも戦闘機でも投入して、あのバケモノを仕留めねばならん」
    「あれをどうにかせねば、油田掌握など不可能だからな。とは言え我々の本気、全力を以てすればあんなケダモノなど、どうと言うことはあるまい」
     この期に及んでなお、相手をどこか軽視した――その上、難民に対して配慮する様子が一切ない――対策会議を行っていたちょうどその時、前回同様、仏頂面で報告を行っていた将校のスマホが鳴った。
    「失礼します。……今会議中だ、後に、……うん? ……うん!? なんだと!?」
     後ろを向いて通話していた将校の狼耳と尻尾が、ぴんと立った。
    「動画のアドレスは? TtTに? 分かった、すぐ確認する。一旦切るぞ」
     通話を切り、将校は幕僚たちに真っ青な顔を向けた。
    「みなさん、緊急事態です」
    「うん?」
    「動画がどうのと言っていたな? 何かまずいものが、ネットに上がったのか?」
    「はい」
     将校はスマホを操作し、部下から送られた動画を幕僚たちに見せた。
    《ご覧下さい。トラス王国軍所属の兵士たちが、何の通達もせずに難民に向けて発砲・攻撃しました。これがトラスの実情です。難民たちを人間と思わず、ただの『駆除対象』としか見ていないのです。
     ただ、今回は結局、難民たちの必死の抵抗を受けて退却したとのことですが、いつまた、こうした非人道的な襲撃を敢行するか、予断を許さない状況となっています》
     男性の声でナレーションが付けられた映像は――会議で吟味されていたものとは別角度ながら――間違いなく、難民特区に派遣した兵隊たちだった。
    「な……っ!? なんだこれは!?」
    「既に再生回数は100万を超え、我が国を批判・非難するコメントが多数寄せられているそうです。国外からも」
     真っ青な顔で報告した将校に、幕僚たちも青い顔を向けていた。



     話し合いも行わずに100人規模の軍を差し向けて襲撃した件がネットを通じて大々的に喧伝された結果、王国軍、そしてトラス王国自身にとって、決して軽視できない醜聞を招いた。
    「聞いたか? 難民特区の話」
    「あれでしょ、王国軍が皆殺しにしようとしたって」
    「マジひどいよね」
    「いくら石油が出るかもって言ってもさ、人殺ししてまで奪おうとするかよ、ふつー?」
    「アタマおかしいよな。金の亡者って感じ」
    「ってか、人殺しの話抜きにしてもさ、今じゃないじゃんって思うんだけど」
    「だよな。地震からまだ半月も経ってないってのにな」
    「まだ崩れたままのビルとか学校とかあるんだし、そっち行けっての」
    「救助も救援もせずに石油目当てで難民虐殺って、ホントに腐ってるよな、王国」
     こうした国内外からの批判に抗えず、王室政府は軍に通達し、三度目の派遣を中止させた。

    緑綺星・応酬譚 4

    2023.09.21.[Edit]
    シュウの話、第125話。????リポート;トラス王国軍の非道を暴く!- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. かつては超大国・中央政府亡き後の希望の星、地域共同体「新央北」の誇る若く雄々しい宗主国であったトラス王国も、年月を経る内にあちこちが衰えてきているらしく、特に近年の凋落ぶりは著しかった。 と言うよりも年月を経た大国であるが故に、政財界には古い慣習と常識を重んじる保守層が多く、近年目覚ましい...

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    シュウの話、第126話。
    批判動画の反響と反応。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     王国軍批判の動画が公開されてから2日後、再びカニートが「学校」にやって来た。
    「王国は大騒ぎになってる。王室政府は――救助が最優先の国務だの何だのって言い訳して――派遣を行わない旨を正式表明した。それにちょっとネットを探れば報告サイトだの監視サイトだのが一杯立ってて、正義の味方気取りの国民が逐一王国軍の動きを伝えてる。少しでも変な動きすれば、すぐ大炎上かって状況だ」
    「そんならしばらくは安心、……と言いたいところだが、あんたは大丈夫なのか?」
     ロロに尋ねられ、カニートは苦い顔を返した。
    「軍が躍起になってあの動画の出処を探ってるってのも、その監視サイトで報告されてる。バレたらタダじゃすまないだろうな」
    「ツラの皮の厚いヤツらだから、損害賠償やら何やら言ってくるのは間違いないな。会社もクビになるだろうし」
     そう返したロロに、カニートは「いや」と首を振る。
    「去年からフリーになったから、その点は心配ないんだ」
    「ん? じゃああんた、どうやって特区に出入りしてるんだ? 『デカい会社がバックにいるからフリーパスなんだ』みたいなこと、何度か言ってた覚えがあるが」
    「実はフリーになった旨を軍に伝えてない。だが会社にいた時から何度も通ってるから、『ああ、いつもの』みたいな感じで、ここ1、2年は通行許可証をチェックされてないんだ。実質、顔パスみたいなもんだな。とは言え徹底調査って話になったし、いつバレるか分からない。通信もセーフエリア経由だからいつ止められてもおかしくないし、セーフエリアに戻ること自体がもうヤバいかも」
    「じゃ、これからどうすんだ? 特区でジッとしてるばっかりじゃ、何もできやしねーだろ?」
     そう尋ねられ、どことなく斜に構えていたカニートの顔に渋みが浮かぶ。
    「そのー……軍の混乱に乗じて一旦戻ろうって考えてたんだが……思ってたより動きが早くて……慌てて逃げてきたと言うか……」
    「……打つ手なし?」
    「ウソだろ?」
    「自信満々に動画流しといてそれかよ」
    「だっせぇ」
    「うぐぐぐ……」
     ファミリーからもなじられ、カニートはとうとう黙り込んでしまった。

     と――着信音が鳴り、カニートは胸ポケットからスマホを取り出す。
    「ん? ……あいつか。もしもし?」
    《あ、つながった。今大丈夫ですかー?》
    「ああ、大丈夫だ」
    《ソレじゃズバリ聞きますけど、動画流したのって先輩ですー?》
     その質問に、カニートも、周りのファミリーたちも目を丸くした。
    「動画って……」
    「例のアレだよな」
    「誰なんだ、相手?」
     誰からともなしに尋ねられ、カニートは小声で答える。
    「俺の元後輩だ。……動画って何の話だ?」
    《あ、トボけちゃうんです? 動画の声、先輩のでしたけどー》
    「……」
     しばらく沈黙が流れたが、やがて諦めた様子で、カニートが口を開いた。
    「そうだよ、俺だ。トラス王国軍の話だよな?」
    《ですです。で、今どちらにいます? 特区の中ですか?》
    「ああ」
    《特区にいるなら今、油田の所有権主張してる人と一緒にいますよね?》
    「そう推理した理由は?」
    《先輩のコトだから、『軍を遠ざける代わりに取材させろ』って感じの取引であの動画流したんでしょうし――ただの正義感だけで軍にケンカ売るほど粗忽じゃないでしょうしねー、流石に――ソレならその人たちのトコにいるだろうなーって》
    「100点満点だな。成長したもんだな、あのそそっかしかったお嬢様が」
    《えっへへへー、見直したでしょ?》
     電話の相手はいたずらっぽく笑って返し、こう続けた。
    《ソレでもいっこ質問なんですけど、その所有者の人と今、お話できます?》
    「ん? ……ちょっと待ってくれ」
     カニートはロロに、スマホを向ける。
    「話してもらっていいか?」
    「おう。……もしもし? 俺が一応、所有者ってことになってる」
    《改めまして、シュウ・メイスンと申しますー》
    「ロロ・ラコッカだ。よろしく」
    《確認なんですが、ラコッカさん以外に石油の所有権を主張してる人、いたりします?》
    「ん? いや……いないな」
    《対立中だったりってコトもなく?》
    「ああ。俺、と言うか俺の学校……、んん、まあ、俺の組織、……ってのも違うな、うーん、とにかく俺んとこだな、ウチの所有ってことで話は付いてる」
    《なら話が早いな》
     と、シュウのものではない声が割って入ってくる。
    《ロロとか言ったな。単刀直入に言うぞ。石油の話、オレにまとめさせろ》

    緑綺星・応酬譚 5

    2023.09.22.[Edit]
    シュウの話、第126話。批判動画の反響と反応。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 王国軍批判の動画が公開されてから2日後、再びカニートが「学校」にやって来た。「王国は大騒ぎになってる。王室政府は――救助が最優先の国務だの何だのって言い訳して――派遣を行わない旨を正式表明した。それにちょっとネットを探れば報告サイトだの監視サイトだのが一杯立ってて、正義の味方気取りの国民が逐一王国軍の動きを伝えてる...

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    シュウの話、第127話。
    石油をめぐる最も大きな問題。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     顔も名前も知らない相手からの突然の提案に、カニートも、ロロも面食らった。
    「なんだって?」
    「あんた、一体誰なんだ? そんなこと突然言われて、『おう、いいぞ』なんて二つ返事で答えると思うのか?」
    《だろーな。だが状況は差し迫ってるはずだ。軍を足止めしたのはファインプレイと言えるが、ソレでグズのトラス王国を躍起にさせちまったのはかなりまずいだろ? オレの……、いや、シュウの予想じゃカニート、お前さんは今、特区に足止め食らってるはずだ》
    「ああ……まあな」
    《打開策は? ニセ名義の通行許可証で通るつもりか? ソレとも自前でヘリでも持ってんのか?》
    「……いや、無い。出るアテがなくて困ってるところだ」
    《だとよ。マジでシュウの予想通りだな》
    《ホント先輩って二の手、三の手考えない人ですよねー。礼儀とか事前の打ち合わせとかはキッチリしてますけど、アドリブが利かないって言うか、プラスアルファの気配りができないって言うかー》
     シュウのずけずけとした批難に、カニートはしかめっ面になる。
    「うるせえよ。どうせ俺は甲斐性なしだ。……で、それが何なんだ? 八方塞がりの俺と難民が可哀想だってのか?」
    《ま、八方塞がりは確かにその通りだ、な。その様子じゃお前さんたち、もっと重要なコトを失念してんだろ》
    「もっと重要? 軍の追及以上に重要なことがあるってのか?」
     尋ねたロロに、相手はため息混じりに尋ね返してきた。
    《あのな、仮に王国軍を完膚なきまでに蹴散らして、『やったー油田守ったぞーオレたちのモノになったぞー』ってコトになったとするよな? じゃ、ソコからどうすんだよ? 石油でそのまま買い物できるワケじゃねえよな? お前ら、どーやって石油を売ってカネ稼ぐつもりなんだよ? アテがあんのか? 石油を採掘して精製して加工して販売する手段がお前らにあんのかよ?》
    「うっ……」
     なじられ気味に指摘され、ファミリーは顔を見合わせる。
    「そー言やそーだよな」
    「このままじゃただのくっせえ水だもんな」
    「親父、なんかアテあんのか?」
    「……考えてはいたが、……いや、いい案は浮かんでなかった」
     そう答えたロロに、電話相手がこう続ける。
    《現時点での選択肢は3つだ。1つ、恥知らずのトラス王国に開発と販売を依頼する。だがこんな案はお前ら、絶対イヤだろ?》
    「そりゃそうだ」
    《んで2つ目、その油田を――うわさの段階から――狙ってた白猫党に売るって話だ。だがこの案も呑めねーだろ?》
    「当たり前だ!」
     ロロが憤り気味に答える。
    「あんな人を人とも思わねえ悪魔どもに売ってたまるか。どうせろくにカネも出さずに奪い取るつもりだろうしな」
    《だろーな。ソレじゃ1つ目も2つ目もイヤだ、となるよな。ソコで第3の選択だ》
    「いや、いや、待てって、おい!」
     たまりかねた様子で、ロロが声を荒げる。
    「だから言ってんだろうが。どこの誰とも分からん奴からあれやこれや指図されて、じゃあそうするわってなんねえっての。あんた、一体誰なんだ?」
    《そー言や名乗ってなかったな。オレは克天狐だ。天狐ちゃんでいいぜ》
     この名乗りを受けるも――多少は一般的な世俗知識のあるロロと、情報通のカニートを除いて――ファミリーたちはぽかんとしていた。
    「てん、……誰?」
    「自分でちゃん付けかよ」
    「え、痛い娘?」
    「地雷系ってヤツ?」
    「引くわー」
     そのざわめきを聞いていたロロが、あわてて皆をなだめる。
    「しーっ! お前ら、それ絶対言うな」
    「なんだよ、親父?」
    「さっきまで『お前なんか知るか』って態度だったのに」
    「いきなり態度コロッと変えんなよなー、かっこわりぃ」
    「お前ら……分かってねえだろ、相手が何者か」
     ロロは額に手を当てつつ、やんわりと説明し始めた。
    「あのな、黒炎教ってあんだろ? 黒ずくめのアレだよ」
    「あー、うん、黒いかっこしたアレ」
    「コーヒーとかやたら飲んでるアレか」
    「たまーに見るよな、あのアレ」
    「その黒炎教の神様ってのは知ってるな? 授業でやってるし」
    「はーい、タイカ・カツミでーす」
     手を挙げて回答したファミリーに、ロロは大きくうなずいて見せる。
    「正解。そのカツミの実の娘が、テンコ・カツミだ」
    「え? つまり神様の娘……ってこと?」
    「そう言うことだ。何しろ神様だからな、ふつーの人間とは色々違うんだよ。寿命とか色々」
    「ふーん」
    「じゃ偉いんだ」
    「へー」
     一応納得した様子ながら、ファミリーの誰もが、どことなく軽く考えていそうな様子を見せていた。

    緑綺星・応酬譚 6

    2023.09.23.[Edit]
    シュウの話、第127話。石油をめぐる最も大きな問題。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 顔も名前も知らない相手からの突然の提案に、カニートも、ロロも面食らった。「なんだって?」「あんた、一体誰なんだ? そんなこと突然言われて、『おう、いいぞ』なんて二つ返事で答えると思うのか?」《だろーな。だが状況は差し迫ってるはずだ。軍を足止めしたのはファインプレイと言えるが、ソレでグズのトラス王国を躍起に...

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    シュウの話、第128話。
    フィクサー天狐。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     まだどこかとぼけた様子を見せているファミリーに、今度はカニートが、もっと現実的な説明を述べた。
    「あんたら、このスマホを見てくれ。このスマホの裏面、何が書いてある?」
    「会社名か? ピクスマニア」
    「そう。一流電子機器メーカーのピクスマニアだ。その現CEO……まあ、社長みたいなもんだが、そいつとテンコ・カツミ氏には関わりがある。テンコ氏は天狐ゼミって言う魔術学専門校を開いてるんだが、そのCEOが実はゼミの卒業生なんだ」
    「へー」
    「あと、腕時計のメーカーと言ってパッと思いつくとこ、一通り言ってみてくれ」
    「うーん……カシハラ? とか、ハイエク?」
    「ナノセカンドとかあったよね」
    「あとはトポリーノとか」
    「それらの創業者も全員、天狐ゼミの卒業生だ」
    「へー……え?」
    「全員? マジで?」
     話の規模が大きくなり、ファミリーの顔に驚きの色が浮かぶ。
    「自動車メーカーで言えばATモータース、ミナト、コロモなど複数社に、ゼミ卒業生が多数関わってる。大手パソコンメーカーや精密機器メーカーの社長や会長、重役にもずらりとゼミ生がいる。最新鋭の電子機器メーカー幹部陣なんて天狐ゼミの同窓会も同然。……ここまで言えばテンコ氏がどれくらいヤバい存在か、分かるだろ?
     彼女に『ちょっと来い』と呼ばれたら、政財界のどんな大物だろうと、どんな重要な用事があろうと、大慌てで彼女の屋敷にすっ飛んで行かなきゃならないくらいの超大物なんだ。8世紀最大のフィクサーと言ってもいい」
    《長々とご紹介してくれてありがとよ。だがオレのスゴさなんか今、どーだっていい。オレが今してんのは、お前さんたちの油田をどーすんだって話だ》
     カニートが掲げたままだったスマホから、天狐のイライラした雰囲気の声が飛んで来る。
    《んで、ロロ。話を戻すが、トラス王国に売るのもイヤだ、白猫党に売るのももっとイヤだ、と。じゃあどうすんだよってなるだろ》
    「ああ……まあな。まさかあんた、いや、テンコさんが買ってくれるのか?」
    《言ったろ、テンコちゃんって呼べって。ソレと、オレは買わねーよ。んなもんいらねーし。代わりにオレからの提案、第3の選択はこうだ。お前らが起業して、石油掘って精製して売れ》
    「は!?」
     唐突な提案に、ロロの短い熊耳がぴょん、と立った。
    「なんだって!? お、俺たちが!?」
    《ソレが一番の方法だろ? 他の誰にも利権をつかませないし、誰にも騙される余地はない。コレ以上の上策はないはずだ》
    「やれっつったって、俺たちにそんな技術や設備はねえぞ!? ましてやカネはどうすんだよ!?」
     うろたえるロロに、天狐がこう返す。
    《カネはオレが出してやる。技術者も設備も、オレのツテでどうにだってできる。その他、必要なモノがあるんならいくらでも援助してやる。後はお前さんたちがやるか、やらねーかだ》
    「う……」
     場がしんと静まり返り、ロロとファミリーたちは顔を見合わせる。
    「……どうすんだ、親父?」
    「で、できんのかよ、そんなの」
    「無理だって……」
     ファミリーたちは異口同音に、天狐の提案に否定的な意見を述べる。
    「だって俺たち、バカじゃん」
    「カネ出してくれたって、設備作ってくれたって、会社なんて無理に決まってるって」
    「無理だって。どー考えても無理」
    「……」
     が――その中で一人、ロロだけははっきりと言い切った。
    「やるか」
    「……はぁ!?」
    「マジで言ってんのかよ、親父!?」
    「何考えてんだよ!? できるわけねーじゃん!」
    「お前ら、それでいいのか?」
     ロロは周りを見回し、大きく首を横に振った。
    「俺たちのすぐ目の前に現れたものすげえチャンスを――しかもカネもモノもヒトもまるごと都合してやるって言われてんのに――やりもしねえ内から『ダメだ』『できるわけねー』『無理に決まってる』って、簡単にあきらめちまうのか?
     そもそもテンコさ、……テンコちゃんみたいな提案する奴なんか、普通いるわけねえんだ。誰だってこう言う。『君たちに良い条件で買い取ってやろう』『悪いようにはしないから全部ワタクシに任せたまえ』ってな。王国がまさにそうじゃねえか。白猫党だって広報だけはいいツラしてるしな。で、実際は二束三文で買い付けたり、もっとひどけりゃ、約束なんてハナから反故にして、1コノンも払わねえって話もザラにある。
     そんな中でテンコちゃんだけだぜ、『お前らで全部やりゃいい』『お前らに任せる』っつったのは。そのための手助けまでしてくれるって言ってる。もちろん……何かウラだとか、思惑だとかはあるだろうけどな」
    《まあな》
     黙っていたスマホから、天狐の声が響いた。

    緑綺星・応酬譚 7

    2023.09.24.[Edit]
    シュウの話、第128話。フィクサー天狐。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. まだどこかとぼけた様子を見せているファミリーに、今度はカニートが、もっと現実的な説明を述べた。「あんたら、このスマホを見てくれ。このスマホの裏面、何が書いてある?」「会社名か? ピクスマニア」「そう。一流電子機器メーカーのピクスマニアだ。その現CEO……まあ、社長みたいなもんだが、そいつとテンコ・カツミ氏には関わりがあ...

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    シュウの話、第129話。
    創業。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
    《オレの思惑もちゃんと話しておいてやんよ。じゃなきゃフェアじゃねーし、納得しねーだろーしな。率直に言って、オレは白猫党とトラス王国が大っキライだ。どっちにも1世紀単位の因縁があるもんで、な。ましてや他人の油田を奪って軍事転用しよう、アコギに荒稼ぎしようなんてこすい真似、見過ごすワケがねーだろ。だからお前らに肩入れするんだ。
     この機会にどっちも、二度と立ち直れなくなるくれーにコテンパンにブチのめしてやるつもりなのさ》
     天狐の声色には少なからず怒りがにじんでおり、それが理屈では言い表せない信憑性を、皆に感じさせていた。
    「……テンコちゃん。あんたのことを、信じてみたい」
     ロロはスマホにかじりつくように近付き、はっきり返答した。
    「あんたが本当に俺たちを助けてくれるんなら、俺たちは、……いや、俺一人ででもやる」
    《その言葉を待ってたぜ》
    「だが一つ、お願いしたいことがある。顔も知らない奴の言うことをホイホイ聞きたくないってのは、分かってくれるだろ?」
    「同感だな」
     スマホからではなく――部屋の外から、声が飛んで来る。
    「……!?」
     ドアが音もなく開き、金毛九尾の狐獣人が現れた。
    「オレとしても、一度も顔を合わせるコトないまま仕事の話なんざしたかねー性質でな。ましてやコレは世界を変えるレベルの大事業だ。そんな重大プロジェクトを最初から最後までコソコソとスマホの向こうで指示する役なんざ、オレの好みじゃねーよ」
    「あんたが……テンコちゃん?」
     面食らった様子のロロと同様、ファミリーたちも天狐の幼なげな容姿に、驚いた声を上げていた。
    「ちっちゃ」
    「え……年下?」
    「マジ子供じゃん」
     彼らを一瞥し、天狐は肩をすくめて返した。
    「言いたいコトは色々あるがよ、とりあえず改めて自己紹介させてもらうぜ。オレが克天狐だ。ロロってのは、この中で一番トシ食ってそーなアンタか?」
    「ああ、俺だ。残念ながらこんな環境なんで、俺も含めてこいつらの礼儀作法はからっきしだ。それだけは容赦してほしい」
    「とりあえず開口一番、オレにガキだの子供だの言わなきゃソレでいい」
     そう返され、ファミリーたちは揃って頭を下げた。
    「すんませんっした!」
    「おう。……ケケ、素直なトコは評価してやんよ。ともかく話は早いトコ進めたい」
     天狐がパチ、と指を鳴らすと、高級そうなスーツに身を包んだ、黒毛の狼獣人の女性が、アタッシェケースを2つ持って現れた。
    「まずはとりあえずの支度金、10億エルだ。と言っても特区の中で札束渡したって何にもならねーから、白紙名義の通帳で渡しとく。名前書いとけ」
    「じゅっ……」「おくっ……!?」
     額を聞いて、ファミリーがざわめく。
    「ソレからスマホだな。さっきの通帳に紐付けた預金管理アプリが入ってる。取引に使え。オレの電話番号とTtTの連絡先も入れてるから、なんかあったらまずオレに連絡しろ。使い方は……カニートだっけか、アンタ、教えてやれ」
    「あ、ああ」
    「あと、コイツが今回の話、一番のキモってヤツになる」
     狼獣人が2つ目のケースを開けると、そこには紙束が入っていた。
    「なんだあれ?」
    「おカネ……じゃないよな」
    「何かの書類?」
     ケースの中を覗き込んだファミリーは、そろってけげんな表情を浮かべる。ロロも同様に、中身を指差して尋ねた。
    「そいつは?」
    「一言で言や、トラス王国の『ツケ』さ。何十年も威張り散らして好き放題やってきたツケが、こーしてココに集まってるってワケだ、な」
    「ツケ……?」
    「既に工事の業者も手配してある。1ヶ月で操業可能な状態まで持っていく予定だ。本格的に動くのは明日からになるから、今日はとりあえず会社の設立宣言だ。
     よろしく頼むぜ、ロロ社長」
     おそらくは肩辺りを叩こうとしたのだろうが、流石に身長差が50センチ以上もあったためか――天狐は肩まで挙げかけた手を「おっと」と言って引っ込め、握手の形に変える。ロロは服の端で手をぬぐってから、その手をしっかりと握った。
    「ああ、任された。……と言っても俺は経営の『け』の字も知らない。イチから教えてくれ」
    「いいぜ。教えるコトにゃ慣れっこだ」
     がっちりと固い握手を交わし――この無法地帯に、約20年ぶりに会社が設立された。

    緑綺星・応酬譚 終

    緑綺星・応酬譚 8

    2023.09.25.[Edit]
    シュウの話、第129話。創業。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8.《オレの思惑もちゃんと話しておいてやんよ。じゃなきゃフェアじゃねーし、納得しねーだろーしな。率直に言って、オレは白猫党とトラス王国が大っキライだ。どっちにも1世紀単位の因縁があるもんで、な。ましてや他人の油田を奪って軍事転用しよう、アコギに荒稼ぎしようなんてこすい真似、見過ごすワケがねーだろ。だからお前らに肩入れするんだ。 この...

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    シュウの話、第130話。
    黒いうわさ?

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
    「ラコッカファミリー主体で石油会社を作る」と言う天狐の飛び抜けた発案はただちに実施され、難民特区には連日、諸外国から人員や資材が山のように集まってきていた。
    「なんだ、あの人だかり?」
    「ラコッカのとこらしい。なんでも石油、本格的に掘り出すんだとさ」
    「へー……?」
     そのにぎわいを遠巻きに眺めるならず者たちは――長らく法の庇護と近代的倫理観に接していない人生を歩んでいるためか――公然とよからぬことを企む。
    「あいつらバカなのかな? こんなとこに資材集めたら、片っ端から盗まれるだろうに」
    「ってか俺らも後でかっぱらいに行くか」
    「だな。最近いい儲け話もねーし」
     が、多少は事情を知っているらしい者が、それを止める。
    「やめとけやめとけ。あいつらのバックになんかめちゃめちゃヤバい大物がいるって話だぜ」
    「なんだよ、大物って。んなもんがいようがいまいが、盗みの現場にパッと来られるわけでもないだろ?」
    「それがそうでもないらしい。なんでもあの……、えーと、なんだっけか、ナントカってのがいてだな、……あー、そうそう、カツミとかなんとか」
    「カツミ? 人の名前か?」
    「ここいらにいそうな名前じゃねーな」
    「南海とか北方とか、央南とか、とにかく相当遠くっぽい」
    「央南って、……あ、もしかしてタイカ・カツミ? 黒炎教団の?」
    「えっ」「黒炎?」「マジで?」
     教団の名前が出た途端、ならず者たちは苦い顔を並べる。
    「黒炎教の奴ら相手にすんのはちょっとなー……」
    「だなぁ。あいつら報復だの仕返しだのに関しては、嫌になるくらい徹底的にやってくる奴らだし」
    「何年か前に死んだダチの知り合いも、教団にちょっかい出して殺されたって話だし」
    「……やめとくか。わざわざヤバいところに手ぇ出して殺されんのもバカらしいし」
     悪事を企てようとはするものの、うわさがうわさを呼び、結局ほとんどの者は手を出そうとしなかった。

     が、その中でもやはり、蛮勇と強欲に突き動かされる愚か者も少なからずおり――。
    「へっへっへ……」
     そうした愚か者数人が人目のない夜間、こっそりと資材置き場に押し入った。
    「さーてと、何盗ろうかな……」
     下卑た笑みを浮かべ、両手をこすり合わせて物色していると――突然、そのならず者の衣服がばさっと裂かれ、細切れになって散った。
    「……へ?」
     気付けば頭髪や尻尾の毛まで刈られ、丸裸になった男の前に、刀を持った黒ずくめの少年が現れた。
    「天狐ちゃんから『殺しはすんな』って言われてるから、初太刀はそれで勘弁したげるよ。でもまだ何かしようって言うなら、その猫耳片方くらいは取らせてもらうよ」
    「ひ……」
     ほおに切っ先をぺたりと当てられ、男はへなへなとその場に崩れ落ちる。それを見下ろしていた少年ははあ、とため息をつき、切っ先を資材置き場の出入り口に向けた。
    「座らないで。立って。そんで、さっさとどっか行って。そうしてくれれば追いかけないし」
    「はっ、はっ、はひっ、いますぐっ」
     男はあっと言う間にその場から逃げ去り、男の仲間たちも大慌てで追従していった。一人残った少年は刀を襟首の中にしまい込み、もう一度ため息をついた。
    「つまんないもん斬っちゃったな」



     計画始動当初は彼らのように盗みを働こうとする無法者が現れたものの、黒炎教団とのつながりをうわさされ、また、実際に撃退された者たちが自らの愚かな体験談を吹聴して回ったことで、ラコッカファミリ―――いや、「ラコッカ石油株式会社」に押し入ろうとするならず者は、一人もいなくなった。
    「ってワケで海斗、夜の集中警備は今晩で終わりでいいぜ。明日からは他のヤツと同じシフトで過ごしていい」
    「ありがと。やっとネトゲできるよ……ふあ~」
     天狐からの辞令を受け、海斗はあくび混じりに返した。

    緑綺星・聖怨譚 1

    2023.09.27.[Edit]
    シュウの話、第130話。黒いうわさ?- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1.「ラコッカファミリー主体で石油会社を作る」と言う天狐の飛び抜けた発案はただちに実施され、難民特区には連日、諸外国から人員や資材が山のように集まってきていた。「なんだ、あの人だかり?」「ラコッカのとこらしい。なんでも石油、本格的に掘り出すんだとさ」「へー……?」 そのにぎわいを遠巻きに眺めるならず者たちは――長らく法の庇護と近代...

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    シュウの話、第131話。
    勢力図激変の予兆。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     流石に8世紀最大のフィクサーとうわさされるだけあり、天狐は十重二十重の戦略・作戦によってラコッカ石油の、難民特区における地位と権力を固めさせていた。前述の、天狐にまつわるうわさを流し、盗みを働こうとするならず者たちを殺さず追い払っていたことも、その一環だった。特区内のならず者を退けると共に余計な争いを避けさせ、後に行うことを予定している特区内での求人活動に支障が出る可能性を減らすためである。
    「でなきゃ操業もままならねーからな。現状の人員だけじゃ絶対回らねーし」
    「だよなー……」
     数日前までボロボロに垢じみたTシャツに身を包んでいたロロは、今はさっぱりしたスーツ姿を装っていた。「組織のトップ、会社の顔に汚ねーツラされてたまるかよ」とする天狐の指導によるものである。
    「何だかんだ言って、俺んとこにいるのは半分が子供だからなぁ。資材運びやら何やらの力仕事は流石にさせらんねえし」
    「そんでも大人はほぼ全員がやるっつってくれたからな。オレの予想じゃ、せいぜい5人か6人くらいかと思ってたんだが、案外協力的で助かったぜ」
    「ありがてえ話だよ。半ば俺とあんたのワガママみたいな話に付き合ってくれるんだからよ。……いや、もちろんこの計画がすごく大事なことだ、世界的大事業だってのは、ちゃんと理解してるつもりだ。操業しだしたら間違いなく、世界経済ってやつに影響を及ぼすだろうし」
    「ソレどころじゃねーさ」
     天狐は自分が土産に持って来ていたブラウニーをほおばりながら、机の上に広げていた地図をフォークで指し示す。
    「この石油、そして石油製品が近隣地域に安定供給できるようになれば、今現在の央北西地域の勢力図は激変するだろう。
     現状じゃ『新央北』、つまりトラス王国を中心とした経済共同体が央北西地域全域に展開されてるが、『新央北』加盟国は事実上の王国の属国、しもべ扱いだからな。王国に開発援助とかのカネ出せ、国債の償還待ってくれって言われたら、加盟国は渋々従わなきゃならねー。近年じゃその横暴がひどくなってきてて、加盟国は不満たらたらって話だ。
     その従属の最大の理由が、防衛能力の事実上の委任――つまり白猫党の脅威を防ぐ役目をトラス王国に一任せざるを得ない状態になってるコトにあるワケだ。言い換えればソレだけ王国の軍事力が『新央北』内で飛び抜けてるってコトだが、その軍事力の源ってのはなんだか分かるか?」
    「うん? うーん……そりゃ兵隊の数とか、装備の強さとか」
     ロロの回答に、天狐は「ソコだよ」と返す。
    「その装備の充実こそが、王国ご自慢の重工業の賜物(たまもの)だ。逆に言や、王国が『新央北』圏内の重工業のシェアを独占しちまってるから、他の加盟国内で重工業発展の余地がなくなっちまったんだ。となりゃ当然、どの加盟国も自前じゃまともな軍事力が保てない。よそから装備を買って整えようにも、王国からは相当ふっかけられるし採算が合わねー。かと言って加盟国外からとなれば、王国が黙っちゃいない。王国に頼る以外の選択肢を軒並み奪われ、そうして出来上がったのが王国一強体制ってワケさ」
    「うへ、アコギなもんだなぁ」
     呆れた声を上げたロロに、天狐は深くうなずいた。
    「ところがよりによってこの特区に――『新央北』に隣接し、かつ、王国の指図を受けない地域に――石油産業を軸とする重工業が興ったら? 王国唯一のアドバンテージである軍事力の源を、加盟国全域に供給できるとなったらどうなる?」
    「……! おい、それって!?」
    「お察しの通りってヤツさ。長いコト骨抜きにされてた加盟国も、ちゃんとした軍隊を構えて自立できるようになる。そうなりゃもう、軍事力をタテにして専横を続けてきた王国に追従する理由がなくなる。アドバンテージを失った借金まみれの王国は、完全に立場をなくしちまうコトになる。
     トラス王国はお山の大将、『新央北』宗主国の立場から一転、時代遅れのカスに転落するんだ」
    「……」
     険のある表情で、吐き捨てるように語った天狐を神妙な顔で眺めていたロロが、おずおずと手を挙げた。
    「テンコちゃん……あんたどうして、そこまで王国を憎んでる? あんたからは『何が何でも王国を滅ぼしてやる』って言わんばかりの殺気を感じるぜ」
    「だろーな。そう思ってるからだ」
     天狐はブラウニーを一息に飲み込み、話し始めた。
    「トラス王家はオレ……いや、オレの姉に、とんでもねー無礼を働きやがったからだ。王国の滅亡を決意させるほどの、な」

    緑綺星・聖怨譚 2

    2023.09.28.[Edit]
    シュウの話、第131話。勢力図激変の予兆。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. 流石に8世紀最大のフィクサーとうわさされるだけあり、天狐は十重二十重の戦略・作戦によってラコッカ石油の、難民特区における地位と権力を固めさせていた。前述の、天狐にまつわるうわさを流し、盗みを働こうとするならず者たちを殺さず追い払っていたことも、その一環だった。特区内のならず者を退けると共に余計な争いを避けさせ、後に...

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    シュウの話、第132話。
    ご意見番の鶴声。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     双月暦570年代における白猫党との戦いが彼らの分裂・内戦勃発と言う形で決着した後も、一聖は「フェニックス」の最高顧問とトラス王族の教育係を続けており、いつしか王室のご意見番としての地位を確立していた。
     そのため6世紀末、第2代国王の後継者を定めるべく催された御前会議にも当然、彼女の姿があった。
    「オレの結論から言えば、カレンしかない」
     会議が始まるなり、一聖はそう言い放った。
    「いや……しかし」
     言い淀む他の有識者に、一聖がたたみかける。
    「じゃ、他にいんのか? マークは今、会社と研究機関を6つも持ってる実業家兼研究者だ。王族としての公務をこなす余裕はないだろう。ビクトリアとフリーダも同様だ。極論を言や、今、この3人の誰かに王位を継がせるために産業界から引っこ抜いたら、王国経済に急ブレーキをかけるコトになる。消去法的にカレンしかない。
     ってか、今ならまだ女王として立てられる。今はまだ何の要職にも就いてねーし会社興してもいねーが、このまま放っといてもう何年か経ったら、カレンも十中八九、他の3人と同じよーに起業しようとするだろーな。そん時はもう、手遅れだと思わなきゃならねーだろう」
    「ですが初代国王、そして現国王陛下は『狼』です。カレン様はその、『猫』ですが……」
     恐る恐るながらも反論されるが、一聖はことごとく切り捨てる。
    「ソレがなんだ? 血筋は継いでるだろ? 見た目が気に入らねーってのか?」
    「年齢もかなりお若いですし……」
    「マークが起業したのは16ん時だぜ? 同じ血筋なら20代で女王だって十分務まるだろ」
    「マーク様のお子様と言う手も……」
    「カレンより年下じゃねーか。何だってそんなに種族にこだわる?」
     一聖の主張はいずれも正論で、きわめて合理的ではあるものの、いささか強弁とも取れるこのつっけんどんな態度に、ついに静観していた国王、ショウも口を開いた。
    「私の意向としてはマークを考えていたのだが……それではいかん理由があるのか? いや、無論カズセ女史の意見は至極もっともな話であると理解している。だが我がトラス家が王家を名乗る以前より、一貫して『狼』血統の長子が家督を継いできた歴史がある。
     古来よりの歴史、伝統を守ることこそ、王家が体面を保つ根源・根拠であると言える。そうした意見もあることは、理解してもらえんだろうか」
    「もちろんその言い分もよーく分かってるつもりだぜ、陛下。だけどよ、アンタは王国の発展を棒に振ってまで現代の風潮に合わねー伝統を重んじ、マークに後を継がせるべきだって言うのか? ソレは先代とアンタで築き上げ、子供たちが飛躍・発展させてきたこの国の未来をドブに捨てるような、非合理的・前時代的で稚拙な選択とは思わねーか?
     過去を取るか? 未来を取るか? 突き詰めればその二択だ。アンタはどっちを選ぶ?」
     そのまま言葉を切り、一聖とショウは互いに無言で見つめ合っていたが――折れたのはショウの方だった。
    「……そうだな、確かにその通りだ。私は国王、即ち一国の舵を取る重責を担う者だ。であるにもかかわらず人間が国家の安寧と発展を阻む選択など、するべきではないだろう。女史の言う通り、それは軽挙妄動も甚(はなは)だしい愚断に他ならん。
     うむ、私は十分に納得した。カズセ女史の言う通りにしよう。次の王はカレンだ」
     結局、一聖の主張を覆せるほどの正当性ある反論ができる者はおらず、国王自らの承認もその場で受けたことで、末娘のカレンを次代の女王として立てることが内定された。

     この会議の数年後に第3代国王として即位したカレンは王族としての責務を十全に全うし、一聖の主張した通り、トラス王国のさらなる隆盛に大きく貢献した。
     この一件は一聖の見識が確かなものであるとして、彼女の評判を高めることとなったが、同時に旧来の権威層や王族すら軽んじる、彼女の奔放で傲岸不遜な言動に、強い不満・不快感を表す者も少なくなかった。
     この相反する風潮は年代を経るごとに強まっていき、次第に王国内は親一聖派・反一聖派に分裂し始め――そして双月暦634年、その亀裂は深刻な事態を引き起こした。

    緑綺星・聖怨譚 3

    2023.09.29.[Edit]
    シュウの話、第132話。ご意見番の鶴声。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 双月暦570年代における白猫党との戦いが彼らの分裂・内戦勃発と言う形で決着した後も、一聖は「フェニックス」の最高顧問とトラス王族の教育係を続けており、いつしか王室のご意見番としての地位を確立していた。 そのため6世紀末、第2代国王の後継者を定めるべく催された御前会議にも当然、彼女の姿があった。「オレの結論から言えば、...

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    シュウの話、第133話。
    旧トラス王国の政変。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     20代で王位を継いだカレン女王の在位は40年近くにも及び、長期政権による安定した治世が行われてきたが、その平和にも陰りが差していた。カレンが重い病に冒されており、余命いくばくもないことが判明したのである。
    「一刻も早く次の国王を定めねば……」
     王室政府の閣僚たちが密かに集まり、緊急会議を開いていたが、そこに一聖の姿はなかった。いや――。
    「だが王位継承を論じるとなると、カズセ女史を呼ばねばなるまい? 今上陛下を選出したのは彼女なのだから、今回も会議に呼ばねば」
    「そこが問題だと言うのだ!」
     会議の中心人物となっていた首相が、苛立たしげに怒鳴る。
    「実際には先代陛下は長子を選ばれるおつもりだったと聞いている。だがあの黒女の佞言でご意見を曲げられ、末娘であった今上陛下に譲られたのだぞ?
     つまり今上陛下の即位は本来ならば絶対に行われるはずのなかった、極めてイレギュラーな決定なのだ。少なくとも私は、そんな経緯では納得できない。いや、世間全般から見ても、おおよそ常識的な判断とは言えまい」
    「いくらなんでも飛躍した話では……」
     反論しかけた閣僚に、首相は首を大きく横に振ってまくし立てる。
    「いいや、これは民意だ! あの女の余計な一言さえなければ、何の波乱もなく長子マークが即位し、『狼』血統による治世が続いていたはずだ! 適切な言葉ではないだろうが――今上陛下のご容態が急変し、後継者を定める話もまとまっていない今が、絶好の機会だ」
    「絶好の……機会? マクファーソン、君は何をするつもりなんだ?」
     尋ねた体ではあったが、閣僚の顔色からは、首相がこれから言わんとしていることを察している気配が見て取れた。そして周囲の予想通り、首相は――ここから半世紀に渡る混乱の端緒となった――決断を述べた。
    「今こそ、血統を正しい流れに戻すべきだ。『猫』にはここで、表舞台から退いてもらう」

     カレンの容態が急変したとの知らせを受け、急遽外遊から戻ってきた彼女の息子たちと、そしてちょうど王宮で一聖からの授業を受けていた孫娘フェリスが、王立病院に集まっていた。彼らが病院に到着してほどなく、どうにか小康状態となったと医師から告げられたものの、同時に「次に意識を失えばもう目覚めることはないだろう」とも診断され、息子たちは大慌てでバタバタと、彼女の病室に駆けていった。そして本来ならばフェリスも向かうべきだったのだろうが、残念ながらこの時、幼い彼女は激しく動揺しており、ロビーの椅子から立ち上がることすらできなかった。
     そのため、一同に追従していた一聖が彼女の側に付き、なだめる役を買って出てくれていた。
    「ぐすっ、ぐすっ……」
    「まあ……こんな話、お前さんにゃ初めてのコトだもんな。落ち着くまでオレがココにいてやるから」
    「ひっく……はい……ぐすっ……」
     嗚咽を上げるフェリスの背をさすってやりながら、二人並んでロビーに座っていたが――。
    「……ん?」
     一聖が顔を上げ、ロビーの外に目をやった。
    (黒塗りの高級車がゾロゾロと来やがったな。大方、カレンがヤバいってのを聞いて、内閣のヤツらが慌てて馳せ参じたってトコか。しかしツラの皮が厚い閣僚どもだとしても、配慮なさすぎんだろ。どいつもこいつも病院のフロントに停めんなっての。邪魔だろーが)
     が、いつまで待っても車からは人が出てくる様子はない。その妙な気配に、一聖は嫌な予感を覚えた。
    (あの並び――まるで病院の入口を固めてるみてーじゃねーか。いや、まるでじゃねーな。実際に邪魔してんだから。……考えてみりゃ、今ココには王太子をはじめとして、王位継承の上位者が勢ぞろいしてんだよな。しかも国家元首で実の母親が生きるか死ぬかの瀬戸際だってんで、他のコト考える余裕はねー。病院の配慮で、家族水入らずにしてもらってるだろーし。
     よからぬコト企てるにゃ、絶好のシチュエーションじゃねーか)
     瞬間、一聖はフェリスをがっちり抱きしめる。
    「ひっく、ひっ、……え、え? カズちゃん?」
    「つかまってろ。お前さんにゃ悪いが、ちっとココから離れんぞ」
    「えっ、……え?」
     問い直す暇も与えず、一聖はフェリスを伴い、「テレポート」で病院から姿を消す。その直後――ずらりと並んだ高級車の中から、武装した兵士が続々と現れた。

    緑綺星・聖怨譚 4

    2023.09.30.[Edit]
    シュウの話、第133話。旧トラス王国の政変。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 20代で王位を継いだカレン女王の在位は40年近くにも及び、長期政権による安定した治世が行われてきたが、その平和にも陰りが差していた。カレンが重い病に冒されており、余命いくばくもないことが判明したのである。「一刻も早く次の国王を定めねば……」 王室政府の閣僚たちが密かに集まり、緊急会議を開いていたが、そこに一聖の姿は...

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    シュウの話、第134話。
    疑惑の新王。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
    《臨時ニュースが入りました。本日、トラス王室政府よりトラス王国国王、カレン・トラスの崩御が発表されました。67歳でした。また、同政府より第4代国王として、前国王の姪孫(てっそん)であるマーク・メルキン・トラス氏が即位する予定であると発表されました》
    「なーにが『即位する予定』だ、クソが」
     ミッドランド市国、天狐屋敷。間一髪で難を逃れた一聖は、白黒テレビに映ったアナウンサーの顔をにらみつけ、毒を吐いていた。
    「王族が集合してるトコ襲撃したクセしやがって、何をいけしゃあしゃあと」
    「ソレなんだが」
     と、そこに天狐が、カップケーキとココアミルクの乗ったトレーを手にしつつやって来る。
    「マジで犯人は王室政府のヤツらなのか?」
     カップケーキを受け取りながら、一聖は神妙な顔を見せる。
    「現時点で一番可能性が高いのは、って注釈は付くけどな。こうしてテレビ局が『王室政府からの発表がありました』って報道するくらいだ。発表した王室政府が襲撃の事実を知らずに現国王、……いや、もう、『現』じゃねーか、ともかくカレンの直系じゃねーヤツが即位するコトを容認・公表するなんて、理屈に合わねーだろーが。しかも事件のあったその日のうちにだぜ?」
    「だろーな。オレも同意見だ。ただ、オレの方は別方向からの異議申し立てになるが」
     そう言って、天狐はカップケーキを手にしつつ、肩をすくめて見せた。
    「ウチにいたマーク・トラスを覚えてるか? メルキンじゃない方」
    「そりゃ覚えてるに決まってんだろーが。メルキンがその孫だってのも知ってる」
    「祖父の方のマークは文句なしの秀才だったし、王国の発展に貢献した偉人だった。だがメルキンはその才能をまったく継げなかった凡人だ。何年か前にゼミの試験受けに来たコトがあったが、中身がてんで無い見掛け倒しだってのが面接始めて3分で分かったから、その場で落とした」
    「ソレも聞いた覚えがあるな。あのマークの孫だからと思って期待してたが、試験受けてからの音沙汰がぷっつりになっちまったから、あれっと思って一回お前に聞いてみたんだよな」
    「そーそー、あん時は半ギレしてたなー。あん時ほど時間を無駄にしたと思ったのは数十年ぶりってレベルだったぜ。話せど話せど、中身がくだらねー自慢話ばっかりで、『これを研究したい』って話が一向に出てこねーもんで、段々イライラしてきてよ」
    「言ってたなぁ。んで、『面接で泣かして追っ払った』って聞かされて……いや、今はそんなコトはどーでもいいな」
    「よくねーんだな、コレが」
     天狐は2つ目のカップケーキに手を伸ばしつつ、メルキンのその後について語った。
    「『あのマークの孫だ』っつって鳴り物入りでミッドランドに来たってのに、オレに散々こき下ろされて門前払いとなっちゃ、そのまんま帰るワケにゃ行かねーだろ?」
    「確かにな。ミッドランドに行ったって話を聞いたっきりで、その後のコトは何にもだった」
    「だもんでその後、外国を周ってたらしい。どーやらその間天狐ゼミに在籍してたって体にするつもりだったか、『もっと自分の性に合ったところで勉強してた』みてーな言い訳するつもりだったのか。だがミッドランド以降音沙汰が無かったってトコを見るに、王室でも持て余してたんじゃねーかな」
    「つまりそんなボンクラが次期国王になるなんて話が通るのはおかしい、……ってコトか」
    「そーゆーコトだ。そもそもカレンの子供と孫を含めた王位継承権の順番を考えりゃ、メルキンは10位以内にも入れねー外様も外様のヤツだぜ? ところが実際には、王室政府はメルキンに決めたって言ってるワケだ。こりゃ何かカラクリがあるぜ」
    「調べられるか?」
    「卒業生何人かに当たってみる。首尾よく行けば一日、二日ってトコだろ。ソレまでウチでゆっくりしてけ。フェリスも……今はそっとしとく以外にねーだろ」
    「ああ。助かる」

    緑綺星・聖怨譚 5

    2023.10.01.[Edit]
    シュウの話、第134話。疑惑の新王。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5.《臨時ニュースが入りました。本日、トラス王室政府よりトラス王国国王、カレン・トラスの崩御が発表されました。67歳でした。また、同政府より第4代国王として、前国王の姪孫(てっそん)であるマーク・メルキン・トラス氏が即位する予定であると発表されました》「なーにが『即位する予定』だ、クソが」 ミッドランド市国、天狐屋敷。間一髪で...

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    シュウの話、第135話。
    戴冠異議申し立て。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     カレン崩御からまもなく――国家元首不在では何かと不都合であるから、当然の流れであるとも言えるが――王室政府は大慌てでメルキンの即位に向けての支度を整えた。そのため崩御から3日後にはすべての準備が整い、謁見の間にて戴冠式が行われることとなった。
     場面はいよいよメルキンが戴冠する直前となり、テレビ局をはじめとする各種メディアが見守る中、玉座の前にかしずくメルキンの頭に、マクファーソン首相の手で王冠が載せられるかと言うところで――。
    「その戴冠、異議申し立てるぜッ!」
     怒りに満ちた形相の一聖が、フェリスを伴ってその場に現れた。
    「……っ」
     王冠を抱えたままの首相が、顔をこわばらせつつも、鷹揚な口ぶりで一聖に応じた。
    「異議申し立てですと? 今更何を仰られますやら。王族全員の承認を得て、正式に決定された事項ですぞ」
    「承認してねー王族が少なくとも一人、ココにいるぞ」
     そう返し、一聖は傍らのフェリスを指し示す。
    「そしてカレンの子供と孫も、おそらくは承認してねーはずだ。どうなんだ? はっきり言ってみろよ。メディアの皆さんの前で、な!」
    「え……ええ、もちろん。全員からご承諾、委任いただいておりますとも」
     そう答えた首相に、一聖が畳み掛ける。
    「そーかよ。ソレじゃ聞くがよ、今、カールはドコにいるんだ? カレンの長子で、ココにいるフェリスの父親のカールのコトだぜ」
    「むろん、存じておりますとも、ええ、はい。心労で倒れられまして、今は病院でご療養中です」
    「じゃ、奥さんのヴェーラは?」
    「同じくご療養中です」
    「カールの弟のイブリンも? その奥さんと子供も? 全員療養中だってのか? 同じ日同じ時間に同じ場所で同じ症状を起こして同時に倒れたって言うんじゃねーよな、まさか?」
    「それは……」
    「オレの方からはっきり言ってやろーか?」
     一聖はカメラに視線を移し、大声で喝破した。
    「全員、カレンが亡くなったその日に、その病院に閉じ込められて監禁されてんだよ。今もだよな?」
     ざわ、と場がざわめき、何人かが謁見の間から飛び出す。
    「急いで向かって、しっかり確認してきてくれ。もし元気いっぱいで病気もケガもしてなさそーな兵士がウヨウヨいるよーなら、大々的に報じてくれよ」
    「……」
     黙り込んだままの首相に、一聖が詰め寄る。
    「お前さんの企みは全部バレてんだよ。カレン崩御に乗じて、彼女のトコに集まってきた子供と孫たちを一網打尽、外に連絡できねーように監禁し、その一方で『狼』血統の中から前もって結託してたメルキンを推挙。『狼』血統でメルキンより優先順位が上のヤツらはどいつもこいつも今、会社経営やら政治活動やらで忙しくしてる。前もって継ぐコトが打診されてたってんなら身辺整理して応じるコトもできただろーが、『猫』が継ぐだろーと思ってるトコに何の打ち合わせもなく『今すぐ決めろ』って言われりゃ、王族の中で唯一ヒマ人だったメルキンに委任せざるを得ない。
     後は他のめんどくせートコから異議申し立てされる前に急いで戴冠式を済ませちまえば、お前さんの傀儡となったメルキン王の出来上がりってワケだ、な」
    「……私欲からの行動ではない」
     首相は怒色満面の表情で、一聖をにらみつけた。
    「トラス王家は代々、『狼』血統の長子が継いできたのだ。その伝統を軽んじ、ないがしろにすることは今までの歴史、王家としての誇りを踏みにじるような、恥ずべき行為だ。むしろうわべだけの合理観や先進意識を振りかざし、この国の伝統を破壊した貴様こそ、私利私欲でこの国を操ろうとする国敵ではないか!」
    「ほーぉ」
     一聖は斜に構え、首相をにらみつけた。
    「ソレじゃ聞くがよ、カレンが女王になってからの約40年、トラス王国は発展したのか? ソレとも衰退したのか? 少なくとも数字は雄弁に、前者だって物語ってるぜ。人口は2倍に増え、経済成長率は平均4%台、最大で12%以上のプラス。世界のトップ企業ベスト10のうち2つに、王国国籍の企業がランクインしてる。財政もこの四半世紀、黒字が続いてる。コレだけの結果が出てて、お前さんはオレの進言がトラス王国に貢献しなかったって言うのか?」
    「詭弁だ! トラス国民の努力の成果と貴様の方便には、何の関係も無い!」
    「だったら伝統だなんだって話も関係ないだろ。国民の努力だってんだから、な。どちらにせよ」
     謁見の間に、兵士と警官数名が連れ立ってやって来る。
    「お前さんが王族監禁の主犯である事実は変わらねー。コレ以上言いたいコトがあるなら、警察の方でじっくり聞いてもらえ」
     こうして事件は解決したかに思えたが――事態は、これで収束しなかった。

    緑綺星・聖怨譚 6

    2023.10.02.[Edit]
    シュウの話、第135話。戴冠異議申し立て。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. カレン崩御からまもなく――国家元首不在では何かと不都合であるから、当然の流れであるとも言えるが――王室政府は大慌てでメルキンの即位に向けての支度を整えた。そのため崩御から3日後にはすべての準備が整い、謁見の間にて戴冠式が行われることとなった。 場面はいよいよメルキンが戴冠する直前となり、テレビ局をはじめとする各種メディ...

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    シュウの話、第136話。
    襲撃される一聖。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
     まだ騒然としている王宮内で、一聖は思案に暮れていた。
    (妙なのは、なんで首相ともあろう人間がこんな暴挙に出たのか、だ)
     王宮をそれとなく歩き回り、情報収集していく内に、監禁の際に軍や警察と言った王国内の武装勢力に、動いた形跡がなかったこと――即ち、マクファーソン首相が差し向けた兵士が王国の正規軍ではなかったことが明らかになった。
    (ってコトは、病院を包囲したのはマクファーソンの私兵、あるいは外部から引き込んだ傭兵ってコトになるな。
     気味が悪りいな。なんだって王国の上流階級、やんごとないご身分の人間が、そんな物騒なヤツらを囲い込んでたんだ? ふつーはむしろ、清廉潔白を装うために遠ざけるだろ? なのにわざわざ危険人物と思われるリスクを抱えてまでそんな輩と手を組んでたってコトは、今回の計画が成功し、自分の行動に正当性が認められる公算が高いと踏んでたのか? だが結果はこうだ。計画は露見し、首謀者のアイツは逮捕された。オレが見る限り、成功する要素はねーぞ。
     大体、オレがフェリスを連れて逃げたコト自体、病院を占拠した時点で分かってただろーに。……ん?)
     ある可能性に気付き、一聖は足を止める。
    (ソレは逆に言や、フェリスに逃げられたコトを把握していたにもかかわらず、計画を進めたってコトだな? もちろん、既に兵隊動かしちまって後に引けねーって状況だったってコトもあるだろうが、あの状況から逃げたってんなら、オレが関わってるコトは見当も付いてただろう。
     となりゃ、こうしてオレが出張って計画をメチャクチャにするコトだって、予想が付いてたはずだ。そんなら大急ぎで兵隊引き上げさせて、『気が動転した』とか何とか言い訳してごまかした方が得策だろ――ソレでごまかせるかどーかは置いといて――ともかく、オレが出張るコトが分かっててなお、計画を進めたってのは愚策もいいトコだ。
     ソレともマクファーソンには、オレが出てきてもうまくいく算段があったのか?)
     そこまで考えて、一聖はふと足を止め、窓の外に目を向けた。

     その瞬間――窓ガラスにびしっ、とひびが入り、一聖の額に弾丸がめり込んだ。
    「うぐっ!?」
     とは言え、「魔法使い」の彼女である。弾丸が当たった瞬間に防御魔術が作動し、皮膚の薄皮一枚が削れた程度で弾丸が止まる。それでも衝撃はいなし切れず、一聖は首を大きくのけぞらせ、その場に倒れ込んだ。
    (なるほど……そーゆーコトかよ)
     倒れてすぐ、ぴょんと足を上げ、その場で立ち上がる。
    (つまりオレを仕留めよーってつもりか。そりゃそーだよな、計画止めようってなったら、オレがココに来なきゃならねーもんな。言い換えりゃ、ココにオレが絶対に現れるように仕向けたってコトだ。待ち構えて襲撃するにゃ、絶好の機会ってワケだ)
     瞬時に相手の狙いを読んだ一聖は、床に落ちた弾丸に魔術をかける。
    「『ウロボロスポール:リバース』」
     弾丸が浮き上がって一聖の頭があった位置まで戻り、そのまま窓ガラスのひびを抜けて、元来た方向へと飛んで行く。
    (こんなコトもあろーかとってヤツだな。モールのヤツから聞いといて良かったぜ)
     一聖も窓ガラスをブチ破り、空中へと飛び出す。
    「『エアリアル』」
     飛翔術で弾丸を追いかけ、やがて王宮正面にある高層ビルの屋上に、都市迷彩服の人影を見つける。
    (なるほど……てめーかッ!)
     たった10秒前にヘッドショットを成功させたはずの相手が空を飛んで迫ってきたのだから、当然と言えるが――たじろいでいる狙撃手に、一聖は空中から魔術を仕掛ける。
    「『ネットバインド』!」
     狙撃手の体をしゅるる……、と魔術で作られた紐が這い回り、がんじがらめにする。
    「うわっ……」
     当然、狙撃手は身動きできず、その場に倒れる。
    「よぉ、ごくろーさん」
     狙撃手の側に降り立ち、一聖は相手の体に足を乗せ、ぐりぐりと踏みにじる。
    「よくもやってくれたな。誰の差金だ?」
    「……」
    「答えろよ。グダグダ尋問なんかさせんじゃねーぞ」
    「……」
    「口が利けねーワケじゃねーよな? さっき『うわっ』っつってたし。答えたくねーってんなら答えさせるまでだぜ」
     足を離し、一聖は自分の身長の1.2倍ほどもある相手の体を持ち上げた。
    「なっ……」
    「やっぱしゃべれんじゃねーか。ほれ、何か言えよ」
    「い、言えない」
    「二度も言わせんなよ? こっちはのんびりオハナシしてられるほど、気が長くねーんだよ。答えねーってんなら」
     一聖は相手の体を両肩に乗せる形で背負い上げ、ビルの端に顔を向けた。
    「あそこから飛び降りる」

    緑綺星・聖怨譚 7

    2023.10.03.[Edit]
    シュウの話、第136話。襲撃される一聖。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. まだ騒然としている王宮内で、一聖は思案に暮れていた。(妙なのは、なんで首相ともあろう人間がこんな暴挙に出たのか、だ) 王宮をそれとなく歩き回り、情報収集していく内に、監禁の際に軍や警察と言った王国内の武装勢力に、動いた形跡がなかったこと――即ち、マクファーソン首相が差し向けた兵士が王国の正規軍ではなかったことが明らかに...

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    シュウの話、第137話。
    続く襲撃。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     ビル風に長い黒髪が乱されるのも構わず、一聖は背負った相手に脅しをかける。
    「このヘンリー・トラス記念ビルの高さは約380メートル、8年前にゴールドコースト市国の貿易センタービルに更新されるまで世界最長の高層ビルだったワケだが、ま、ふつーの人間が屋上から身一つで落っこちりゃ、どーなるか分かるよなぁ?」
    「あ、あんたも死ぬだろ!?」
    「30秒前にオレを狙撃した本人なら、オレがその程度で死ぬヤツかどーかは十分分かるだろ? ほれ、あと6歩だぜ」
     一聖はおどけた仕草で、ぴょん、と一歩踏み出す。
    「あと5歩。おーおー、いい眺めじゃねえか」
    「い、言わない」
    「4歩。3歩。近付いてきたぜ? どーする? 言うか? ほれっ」
     一足飛びにポンと飛び上がり、ビルの端、フェンスの上に立つ。
    「おーっとっと……危ねー危ねー。さ、あと1歩だぜ? まだ強情張るってんなら、……いいやもうめんどくせえ」
     そう言って、一聖はビルから飛び降りた。瞬間、ごうっ、と空気の壁にぶつかり、一聖と狙撃手の体は一瞬浮き上がる。だが重力に抗えるほどの揚力は得られず、二人の体は地面に向かって落ちて行った。
    「ぎゃああああーッ!?」
    「お前さんが言わねーのが悪いんだぜ」
    「い、いいい言う! 言う! しゅっ、首相! 首相の! 首相のマクファーソンだ! 言った! 言ったから! 死にたくない! 死にたくない! 死にっ、うわっ、あっ、うわあああああ……ッ」
     地面に接触するかしないかのところで、ぴた、と一聖の体が静止する。一聖に担がれていた狙撃手の体も地上1メートル25センチのところで止まり、事無きを得る。
    「正直に言った礼だ。お望み通り助けてやったぜ。……って、聞こえてねーか」
     泡を吹いて気絶した狙撃手をその辺に放り投げ、一聖はビルの中へ入っていった。

     ビルのロビーで公衆電話を見つけ、一聖は王宮に連絡する。
    「おう、オレだ、一聖だ。……ああ、狙撃された。実行犯はシメてソコら辺に転がしといた。指図したのはマクファーソン首相だとさ。ああ、今勾留中だろ? ドコにいる? ……分かった、警視庁舎だな。オレからも聞きたいコトがあるから、取り調べが終わってもそのまま拘束しといてくれ。じゃな」
     電話を切り、一聖はもう一度思案に暮れる。
    (当然だが、マクファーソンは今まさに拘束中なワケだ。となると狙撃を指示したのは拘束される前、つまり計画の内だったってコトになる。……ってコトはだ、拘束されるコト、つまりはオレに企みを看破されて戴冠式を妨害されるコトも、織り込み済みだったってコトになる。ソレはまあいい。ワケ分からんのは、どうしてそんなすぐバレるよーな、ずさんな計画を企んだのか、だ)
     と、ロビーにぞろぞろと、完全武装した兵士たちが現れる。
    「な、なんだ!?」
    「じゅ、銃持ってるぞ!」
    「うわっ……」
     ロビーにいた人間が一様に血相を変えて逃げ出し、その場には一聖と兵士一分隊12人だけとなった。
    「カズセ・タチバナ女史だな」
    「そうだと言ったら?」
    「さるお方のご命令により、あなたを……」
     言い終わらない内に、一聖は相手の懐に飛び込み、そのまま背負い投げる。
    「うおっ……!?」「うぐっ!?」
     投げ飛ばした兵士を隣の兵士に叩きつけ、続いて一聖は自動小銃を構えていた兵士の腕を取り、ぐいっと引っ張る。
    「わっ!?」
     構えた体勢のまま上半身ががくんと前のめりになり、そこに一聖が膝蹴りを叩き込む。
    「ぐふ……っ」
     あっと言う間に3人倒され、残った兵士たちは慌てて戦闘態勢に移ろうとする。
    「う、撃て! 撃て!」
    「ざけんな」
     一聖は気絶した兵士たちを持ち上げ、残りの兵士たちにぽいぽいと投げつけた。
    「うっ!?」
    「ぐえっ!?」
     完全武装した筋骨隆々の成人男性と言う、100kgを優に超える巨大な塊を叩きつけられ、残り半数の、その半分が沈黙する。この猛撃ですっかり戦意を喪失してしまったらしく、残った兵士たちの動きが止まる。
    「まだやんのか?」
    「あ……う……」
     やがて構えていた小銃を床に投げ、全員が両手と尻尾を上げた。

     と――その内の一人が突然、ぎょっとした目をする。
    「なんだよ?」
    「む、……無線が、入った。……カズセ女史に、代われと」
    「ああん?」
    「う、ウソじゃない。無線機を渡す。いや、ここに置く。置いて離れる。何もしないでくれ」
     そう言って肩に付けていた無線機を外したところで、一聖は手を差し伸べた。
    「地べたに置くんじゃねーよ。ばっちいだろーが。普通に渡せ」
    「わ、分かった」
     一聖は素直に差し出された無線機を受け取り、応答する。
    「代わったぞ。オレが一聖だ」
    《思ったより手こずってる? カズセちゃんならもう、全員殺せてるもんかなって思ってたけど》
    「あ? ……お前、誰だ?」
     聞き覚えのある若い男の声を耳にし、一聖は首を傾げた。

    緑綺星・聖怨譚 8

    2023.10.04.[Edit]
    シュウの話、第137話。続く襲撃。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. ビル風に長い黒髪が乱されるのも構わず、一聖は背負った相手に脅しをかける。「このヘンリー・トラス記念ビルの高さは約380メートル、8年前にゴールドコースト市国の貿易センタービルに更新されるまで世界最長の高層ビルだったワケだが、ま、ふつーの人間が屋上から身一つで落っこちりゃ、どーなるか分かるよなぁ?」「あ、あんたも死ぬだろ!?...

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    シュウの話、第138話。
    覚えてもらえなかった男の逆襲。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
    《僕のことを覚えてないんだ、カズセちゃんは。そっか、やっぱりそうだよね。僕なんかのことは、あなたみたいなすごい人にとってはいないも同然の人間なんだろうな》
    「うっとーしーコト言ってねーで、素直に名前名乗れよ」
     水を向けるが、相手は応じない。
    《これは率直な疑問、と言うか確認だけど、もしカズセちゃんが今、本気でそこにいる兵士たちと戦ったら――何でもアリとしてさ――10秒もかからないよね、全員殺すのに》
     棒立ちのままの兵士に目をやりつつ、一聖は「ああ」と答える。
    「初手で魔術使えば1秒もかかんねーよ」
    《でも殺してないよね。それは何故?》
    「んなコトてめーにわざわざ説明する気はねーな」
    《じゃ、僕が当ててあげるよ。カズセちゃんが教えてるトラス王族に、迷惑がかからないようにって配慮してるんだよね。『人殺しにモノを教わってる』なんて悪評を立てられないようにさ》
    「さーな」
     口ではとぼけてみせたが、相手は見抜いているらしかった。
    《だからこうなったら、あなたは、いや、『猫』血統は、とっても困る》
     次の瞬間――ビルの外から、ドン、と爆発音が轟いた。
    「……今のはなんだ?」
    《警視庁からだよ。首相にこっそり仕掛けてた爆弾を起動させた》
    「なん……っ!?」
     思いもよらない話に、一聖は声を荒げていた。
    「ふざけてんのか!?」
    《大真面目さ。今度のは質問じゃなくて、出題だけど――今日、メディアの真ん前でカズセちゃんにこき下ろされてた相手がこうして殺されたとしたら、世間は一体誰が犯人だと思うかな?》
     どこか愉快そうな声色の相手に、一聖は怒りを覚える。
    「てめー、イカれてんのか!? ソレでオレを犯人に仕立て上げようってのか? どーやって証拠でっち上げるつもりだ?」
    《証拠なんかいらない。粉微塵に爆発したんだから、そもそも証拠なんか残ってないだろう。必要なのは、世間の勝手なうわさだよ。世間はきっと、あなたが犯人だと思うだろう。『政敵を暗殺したんだ』って。あなたに教えを受けてきた『猫』血統には悪評が立つ。僕は世論に乗る形で彼らを批難し、信用と信頼を得る。名実ともに、僕がこの国の王になるんだ》
    「……てめー……メルキンだな」
     一聖の問いに、相手は嬉しそうに答えた。
    《やっと分かった? この国一番の頭脳も案外ニブいんだね。……いや、首相だって大したことなかったんだから、推して知るべしってことなのかな。首相は狙撃とその暗殺部隊であなたを仕留められる、あなたさえいなければ後の世論をどうとでもできると豪語してたけど、僕はそうは思わなかった。あなたほどの魔女が、銃や袋叩きくらいで死ぬとは思えなかったもの。
     だからあなたには、社会的に死んでもらうことにしたんだ》
    「マクファーソンはお前さんを利用するつもりだったんだろうが、結局は逆に、お前さんに利用されてたって話か。どーせすぐ捕まってみせたのも、お前さんから『後で恩赦でもなんでもして助けてやるから』って約束されてたからか。ソレともこーなるコトを覚悟の上か。……ま、どっちにしたって、オレから言わせてもらえばずいぶんお粗末な計画だがな」
    《じゃあ打開策があるの? 王国民全員に、いや、ニュースを見聞きした全員に、今日のことを忘れさせる秘術があったりする? それとも死んだ人間を生き返らせたりできるの?》
    「……」
     一聖は答えず、黙り込む。
    《ないだろうね。一旦起こったことはもう覆らないし、人の口に戸は立てられないのが世の常だもの。うわさはうわさを呼ぶ。一つのうわさを完璧に消したとしても、その時にはもう、次のうわさが世の中にあふれてる。下手に誤魔化したって逆効果だろうし。最善策はあなたが今すぐ、この国から出て行くことしかない。何も言わずに。何もせずに》
    「……」
     一聖は無線機を兵士に返し、彼らに背を向ける。
    「一言だけ言っておくぞ」
     そして――こう言い残し、どこかへ去っていった。
    「オレを侮辱しやがったコト、末代まで後悔させてやるからな」



     首相暗殺の翌日、改めて王室政府から、メルキンが王位を継承することが発表された。しかし彼を推挙した首相が犯罪に手を染めていたこと、そもそもメルキンの国家元首、指導者としての資質が疑問視されたことからこの決定に異を唱える者が続出し、正式な王位継承にはいつになっても至らなかった。一方、彼に代わる王として別方面から推挙された「猫」血統の王族、カールも――メルキンの狙い通り――黒いうわさが湧いた一聖との関係性を指摘され、国民全員の信頼を得るには至らなかった。
     この「狼」と「猫」、両血統双方が決め手を欠く状況で、メルキンはまたも、何の性懲りもなく暗躍を続けた。その結果、両血統の関係は次第に険悪になっていき、事態はついに戦争へと発展してしまった。

     だがメルキンの思い通りになることはついになく、この両血統による内戦――後に「狼猫戦争」と呼ばれることになるこの戦いは翌年の635年まで続いた挙句、東西二国に分裂すると言う、破滅的な結末を迎えてしまった。

    緑綺星・聖怨譚 9

    2023.10.05.[Edit]
    シュウの話、第138話。覚えてもらえなかった男の逆襲。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9.《僕のことを覚えてないんだ、カズセちゃんは。そっか、やっぱりそうだよね。僕なんかのことは、あなたみたいなすごい人にとってはいないも同然の人間なんだろうな》「うっとーしーコト言ってねーで、素直に名前名乗れよ」 水を向けるが、相手は応じない。《これは率直な疑問、と言うか確認だけど、もしカズセちゃんが今、本気で...

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    シュウの話、第139話。
    対王国、次の一手。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
    「じゃあ結局、カズセちゃんはトラスには戻らなかったのか?」
     ブラウニーをつつきながら尋ねたロロに、天狐は渋い顔をしながらうなずいた。
    「実はな、戦争のドサクサでメルキンが死んだ後、こっそり様子見に戻ったコトがあるんだ。だが一聖がソコで見たのは、『全部一聖ちゃんのせいだ』って泣き叫ぶ、喪服姿のフェリスだったんだ」
    「どう言うことだ?」
    「狼猫戦争はどっちの陣営にも甚大な被害をもたらした。大将格の王族も含めてな。その王族の、猫陣営の方の一人が、フェリスの父親で第一継承候補者だった、カール・トラスだったんだよ」
    「そりゃ……まあ……そう言われてもとは思うけども、……だがそもそもの原因はカズセちゃんじゃないだろ」
    「大人の意見としてはそうだろーな。けども、『もしも一聖が病院で兵隊追い払ってたら』とか、『もしも一聖がメルキンの挑発無視して猫陣営に就いてたら』とか、『もしも』を重ねられたら、ソレは確かに話が違ってたかも知れねーし、反論のしようはねーな。
     とにかく――結局、一聖はトラスに戻る気をなくした。いや、マトモに俗世間に関わる気自体をなくしちまったらしい。さっきの話をオレに聞かせた直後から去年、フラッとオレんトコに戻ってくるまでの約80年間、行方知れずになってたってワケさ」
    「80年!? ……改めて思うが、やっぱ普通の人間じゃねえんだな、テンコちゃんもカズセちゃんも」
    「まーな」
    「しかし、なんでそんな世捨て人が急に戻ってきたんだ? 80年人目に出なかったってんなら、よっぽどでかいきっかけがあったとか?」
     ロロの率直な疑問に、最後のブラウニーに伸ばしていた天狐の手が止まる。
    「……なんでだろーな。オレにもその辺はよく分からねー。……多分だけど、よっぽどウマが合ったんだろーな、あの2人と。ま、オレから見てもあの2人は、何かと構ってやりたくなる性格してるよーに見えるし、な」

     その「構いたくなる2人」――シュウとジャンニはミッドランドの天狐屋敷で、天狐が新たに発注したパソコンの前に並んで座り、作業を行っていた。
    「ホンマにスペックエグいな……なんやねん、5分の動画のエンコードが10秒て」
    「ですよねー。ふつーにこのパソコン買ったら10万、20万エルはしますよね」
    「いや、もっとするかも。しかもそれを、ゼミ生用のんも含めて30台発注やろ? この学校、設備投資半端ないな」
    「だから世界最高峰なんでしょーね」
    「でもカイトのやつ、これでゲームしとるんやろ? もったいなーって思うねんけど」
    「本人がめちゃくちゃ楽しそうだからいーでしょ。そもそも『7M』関係者には一人ひとりにくれたヤツなんですし、使い方は人それぞれってヤツでしょ。ジャンニくんだって一緒にゲームするくらいしか使ってないでしょ?」
    「それは、……まあ、そやけども。俺かてもっとええ使い方したいけども……宝の持ち腐れ感が半端ないわ」
    「勉強に使ったらいいじゃないですかー。学習サイトなんて世の中、いっぱいあるんですし」
    「それはまあ、うん、まあ、そうなんやけどもな」
    「で、どーでしょ? ヘンなトコありました?」
     たった今シュウが編集した動画を確認し終わり、ジャンニは首を横に振った。
    「全然大丈夫や。特に問題なさそうやで」
    「良かったですー」
     にこっと笑うシュウに、ジャンニは「へへ……」と照れ笑いを返すが、一転、不安げな表情を浮かべる。
    「でもこれ、ホンマに流すつもりなん? もし向こうが何もしてこーへんかったら、ただウソついて終わりやんか。シュウさんの評判、ガタ落ちにならへん……?」
    「大丈夫です。状況的に間違いなく、向こうは近日中に動きます。でないと一連の流れを黙認したって思われちゃう、……と思ってるでしょうから」
     シュウは自信たっぷりな様子で、もう一度にっこりと笑みを浮かべた。

    緑綺星・聖怨譚 終

    緑綺星・聖怨譚 10

    2023.10.06.[Edit]
    シュウの話、第139話。対王国、次の一手。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10.「じゃあ結局、カズセちゃんはトラスには戻らなかったのか?」 ブラウニーをつつきながら尋ねたロロに、天狐は渋い顔をしながらうなずいた。「実はな、戦争のドサクサでメルキンが死んだ後、こっそり様子見に戻ったコトがあるんだ。だが一聖がソコで見たのは、『全部一聖ちゃんのせいだ』って泣き叫ぶ、喪服姿のフェリスだったんだ」「どう...

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    シュウの話、第140話。
    永世中立国の遍歴。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     ラコッカ石油の起業準備は着々と進められており、難民特区は彼らの話題で持ち切りになっていた。
    「ラコッカの奴ら、求人出すんだとさ」
    「は? あいつら50人くれーいんのに、まだ人がほしいのかよ」
    「つっても半分ガキだろ。力仕事とかは流石に無理だろーし」
    「ああ……まあ……そうか。……俺、受けようかな」
    「マジで言ってんのかよ? 雇い仕事なんかガラじゃねーよ」
    「でも結構カネ払いはいいみたいだぜ? 時給170エルだってさ」
    「どーせ実際に働いたら、ゴネてごまかすだろ。特区でまともな仕事なんかありゃしねーんだから」
    「うーん……」

    「って感じで、迷ってるヤツ半分、信じてないヤツ半分ってとこだな。ビラとポスターをそこら中にまいたが、直接ウチに聞きに来たのは今んとこ0人だ」
    「そっか。……どうする、テンコちゃん?」
     ダニーの報告を聞いたロロは、渋い顔で天狐に尋ねる。が、天狐には意に介している様子がない。
    「どーもしねーな。迷ってるヤツ半分の中から、そのうち実際応募してみるかってのも出てくるだろ。そいつらが実際にカネを手に入れて使ったら、『じゃあマジなんだな』って宣伝になる。こっちがきちんとやるコトやってりゃ、雇われる側も文句はねーよ」
    「なるほど」
    「ソレより問題は王国の方だな。動画上げられてからもう3週間は経つ。そろそろ現状の打破に出る頃だと思うが……」
     と、そこで天狐のスマホが鳴る。
    「オレだ」
    《姉(あね)さーん、あたしあたし、鈴林だよっ》
    「おう。どうした?」
    《ロマーノくんとこにトラス王国の人が来たってさっ。コソコソした感じでっ》
    「分かった。すぐ行く」
     電話を切ったところで、天狐は顔をこわばらせているロロたちに気付く。
    「なんだよ?」
    「い、いや。ついに来たかって。なぁ?」
    「あ、ああ」
    「何をビビってんだよ」
     天狐は肩をすくめ、二人にニヤッと笑って返した。
    「言ったろ? 面倒事はオレが全部何とかしてやるって、な」



     央中ミッドランドは「水仙狼(ナルキステイル)」ラーガ家が治める小国である。巨大なフォルピア湖の中の島に建設された央中有数の交易地であるため、建国以来常に周辺国との絶妙なバランス感覚を要求される立場にあった。それ故、「永世中立」を宣言せざるを得ないのは宿命とさえ言えた。
     しかしもちろん、ただ中立を宣言したとしても、実際に攻め込まれた際に撃退できなければ何の意味もない。そのため貿易で獲得した国家予算の大部分を防衛費に回さなければならず、ミッドランドの公共事業や福祉政策は常に後回しにされていた。そのため国民は長らくまともな教育も社会保障も受けられない生活を送っており、自然、ミッドランドの国家としての発展は遅れに遅れていた。

     社会的には交易地としての魅力しかなく、いつどこからの干渉を受けて滅亡するかも分からない、そんな針のむしろの中心にいるかのような弱小国が転換点を迎えたのは、双月暦520年のことだった。克天狐がこの地に現れたのである。
     強大な力を持つ「魔法使い」である彼女がこの地での安息を望んだことにより、この国の事情は一変した。彼女一人で何十兆エルもの防衛費に匹敵する魔力・魔術を持っていることは世間に広く知れ渡っており、彼女が島に現れて以来――570年の白猫党侵攻を除き――周辺国からの政治的・軍事的干渉を受けることは一切なくなった。
     天狐のおかげで国防の心配がなくなったため、同国は国家予算を教育と公共事業に、存分に充てられるようになった。その結果、天狐降臨からわずか四半世紀でミッドランドのGDPは央中上位3ヶ国に食い込むほど上昇し、人口も飛躍的に増大。にもかかわらず教育指数は――天狐自身がとても教育熱心な性格もあったせいか――ほぼ100%を達成し、さらにそこから四半世紀後には教育産業と情報通信技術産業の収益が貿易を上回り、世界一の学研都市が形成された。
     8世紀現在においてミッドランドは、世界で最も恵まれた国の一つとなったのである。

     そのミッドランドの政治・経済的中枢であるラーガ邸に、スーツ姿の男2名が訪れた。
    「我々はトラス王室政府外務省から参りました。閣下の庇護下にあるテンコ・カツミ女史が現在、秘密裏に進めている計画を即刻中止するよう、閣下に要請します」
     彼らを出迎えたラーガ家当主、ロマーノ・ラーガは、それを聞いて「色々と誤解がありますな」と答えた。

    緑綺星・国謀譚 1

    2023.10.09.[Edit]
    シュウの話、第140話。永世中立国の遍歴。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. ラコッカ石油の起業準備は着々と進められており、難民特区は彼らの話題で持ち切りになっていた。「ラコッカの奴ら、求人出すんだとさ」「は? あいつら50人くれーいんのに、まだ人がほしいのかよ」「つっても半分ガキだろ。力仕事とかは流石に無理だろーし」「ああ……まあ……そうか。……俺、受けようかな」「マジで言ってんのかよ? 雇い仕...

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    シュウの話、第141話。
    水仙狼当主ロマーノ卿の応対。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
    「誤解ですと?」
     尋ねたトラス王国外務省の役人に、ロマーノは眼鏡の位置をちょん、ちょんと整えながら、どこか斜に構えた様子で説明した。
    「まずその1。テンコちゃんが我々の庇護下にあるのではなく、テンコちゃんが我々を庇護している立場にあると言うことです。故にその2、私の意見はテンコちゃんが必ずしも聞き入れるべき強制力を有しないと言うことでもあります。さらにその3」
     よほど眼鏡のすわりが悪かったのか、ロマーノは眼鏡を外し、それに視線を落としながら話を続けた。
    「テンコちゃんが現在進めているいずれの計画も、特に秘密にしていると言う事実はないものと伺っております。無論、私が知る限りの範囲での話ではありますがね。しかしあなた方はトラス王国から来られたと仰っておられたから、ご要件は石油のことでしょう? それなら存じておりますし、そしてそれは秘密ではありませんな。公然と進行しているところです」
    「そんなことはどうでもよろしい! 重要なのはこの国にいるカツミ女史が、即ち王国と何の関わりもなければ、何の権利も有していない人間が、王国の領土内でこの計画を進めていることです。これは明らかに領土侵害です。故に介入すべきではないと警告します」
    「警告? ふむ」
     ロマーノは依然として彼らと目を合わせず、眼鏡の曇りを丁寧に拭き取り始めた。
    「つまりテンコちゃんの石油会社計画があなた方の思惑に反しているから、絶対に掘らないでくれと?」
    「それだけでは……いや、そもそもですが、彼女は明らかに我々の権利を害しているのです。明るみに出れば国際社会からの批難は避けられませんぞ。庇護して、ああいや、庇護されているあなた方も、決して無事では済まないでしょう」
    「権利を害している、と」
     ほこりを吹き飛ばしたのか、それとも笑い飛ばしたのか――ロマーノは口からふっと息を吐き、眼鏡を掛け直した。
    「ふーむ……スプリングが緩いな。どうしても傾く。掛けない方が見やすいくらいだ。……ええと、そう、権利と申しましたな。なるほどなるほど、テンコちゃんが言及していました。あなた方がこうして接触してきた場合、きっとそのことについて触れるだろうと」
    「なんですって? つまりカツミ女史は権利侵害を把握していたと言うことですか?」
    「そりゃ把握しているでしょう。権利関係のうるさいこのご時世だ、商売をやろうとなれば、どこの誰が何の権利を有しているかなどと言うことは、真っ先に調べておかねばならない話ですからな」
     再度眼鏡を外し、執事に渡したところで、ロマーノは裸眼で役人たちを見すえた。
    「前置きしておきますがね、お二人さん。あなた方こそ、ここがどこなのか。そして誰がどんな権利・権限を有しているかを、丸っきりお分かりでないようだ。相手のことを前もって調べておくのは、交渉事においては常識でしょう? だと言うのにろくに調べもせず、テンコちゃんやレイリンさんにではなく、いきなり私に訴えかけてくるとは。
     色々と教えておきましょう。ここはミッドランド市国、テンコちゃんの本拠地です。この国には彼女の教えが隅から隅まで行き届いている。と言ってもその教えは、突き詰めればこの一つに尽きる――『契約は公平にして対等の理(ことわり)である』と」
    「は、はあ……?」
     けげんな顔を並べる役人たちに、ロマーノは畳み掛ける。
    「我々はフェアプレイかつフェアトレードの精神で他者と接することを心がけている、と言うことですよ。無知なあなた方に何の事前告知もなしでいきなり攻撃するのはフェアとは言えません。そんなことをすれば、テンコちゃんに叱られるでしょう。ですから丁寧にご説明差し上げるのです。
     権利、権利と仰っておりましたが、本当にその権利、即ちトラス王国ニューフィールド自由自治特区の土地とその開発権は、あなた方が保有しているものなのか? それすら理解、いや、把握なさっておられないようですな」
    「う、うん……?」
    「それは、どう言う……」
     尋ねかけたその時、応接間にノックの音が響いた。
    「オレだ。ロマーノ、こっちにいんのか?」
    「ああ、テンコちゃん!」
     ここまでしかめっ面で通していたロマーノが、途端にぴょこんと狼耳を立て、嬉しそうな声を上げる。
    「ええ、ここにおります! トラス王国のお役人さん方も、こちらに」
    「そっか。入るぜ」
     音もなくドアを開け、天狐と、アタッシェケースを手にした黒毛の狼獣人が応接間に入って来る。
    「そいつらか。ま、オレのコトは知ってるかもだろうが、自己紹介しとくぜ。オレが克天狐だ」
    「こ、これはご丁寧に」
     立ち上がり、挨拶しかけた役人たちに、天狐は「そのまま座ってろ」と冷たく言い放つ。
    「話は5分で終わる。大方お前さんらは、オレに権利がねーだの土地は王国のもんだだのゴネてるトコだと思うが、先に結論言っとくぜ。
     お前らに権利なんかねーぞ」

    緑綺星・国謀譚 2

    2023.10.10.[Edit]
    シュウの話、第141話。水仙狼当主ロマーノ卿の応対。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「誤解ですと?」 尋ねたトラス王国外務省の役人に、ロマーノは眼鏡の位置をちょん、ちょんと整えながら、どこか斜に構えた様子で説明した。「まずその1。テンコちゃんが我々の庇護下にあるのではなく、テンコちゃんが我々を庇護している立場にあると言うことです。故にその2、私の意見はテンコちゃんが必ずしも聞き入れるべき強...

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    シュウの話、第142話。
    国債償還の裏ワザ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     天狐の言葉に、役人たちは目を丸くする。
    「なんですと?」
    「い、いやいや、あるでしょう。あの土地はトラス王国の領土です」
    「14年前まではな」
     そう返し、天狐は傍らの狼獣人に声をかけた。
    「エヴァ」
    「はい」
     彼女は机の上にケースを置き、中身を役人たちに見せる。
    「この書類が何だか分かるよな? コピーだから持ってっていーぜ」
    「え……っと」
     書類を手に取りつつ、役人たちは顔を見合わせていた。
    「土地台帳? ……うん?」
    「これ、王国じゃなくてブロンコ共和国の……隣国のですよね? でも……」
    「『699年にトラス王国より購入 本国領土に編入』!?」
    「こっちは……売買契約書? うちの……王国のですね」
    「『706年にモンデオ共和国へ売却 1500億エルの債権放棄が承認されたことにより 売買成立とする』」
    「……ま、まさか? ち、地図持ってるか? スマホ見せてくれ」
     内輪でこそこそと話し合っている役人たちの前に、天狐が紙の地図を差し出した。
    「実際に描いてみな。ドコの土地が今、他所に渡ってるかをな」
    「ど、どうも、ご丁寧に。……ここだろ? それと、ここと……」
    「ここですよね。……それからここ、……ここも。……ここも!?」
     書類上、譲渡が成立している難民特区の土地を、渡された地図に書き込んでいき――そして難民特区のほとんどすべての土地が他国に渡っている事実を、役人たちは文字通り見せつけられてしまった。
    「経緯はこうだ」
     呆然としている役人たちに、天狐が説明し始めた。
    「696年に半世紀ぶりの統一を果たし、国際的に面目躍如したかに思えたトラス王国だが、お得意としてきた重工業・化学工業の世界的需要は年々右肩下がりで、王国経済もソレに引っ張られる形で落ち込み続け、統一時には既に赤字国債の発行もやむなしの状況だった。だが赤字国債ってのはもっぺん借金する以外に返すアテがねーただの問題先送り策、借金地獄の定番コースだ。当然この赤字国債も10年、20年経って償還しなきゃならなくなったが、借金地獄から抜け出したかった王国は、とんでもねー裏ワザを繰り出した。
     ソレが難民特区の売却――自国資産として持ってはいたものの、壁の向こうの無法地帯にゃもう関わりたくねーってんでほっときっぱなしになってたこの土地を、『将来的に再開発すれば地価が高騰するはず』とか『再開発の目処は立っているから絶対に得する取引だ』とか何とか適当なコト言ってめちゃくちゃな値段付けて、債権者に無理矢理売りつけて国債を償還したのさ。そしてその債権者ってのが、新央北の配下国ってワケだ。もちろん特区再開発の予定なんかコレっぽっちもねーし、事実、四半世紀経っても廃墟だらけさ。押し付けられた配下国はたまったもんじゃねー。長年、憤慨してたってワケだ。
     このクズ土地押し売りを繰り返した結果、赤字国債は9割方解消してはいる。その代わり王国は、難民特区のほとんどを配下国に売却・譲渡しちまった。当然、現在石油が湧いてる土地も、14年前には譲渡が完了してる。当時はそんなもんが出るなんて、売った側も買わされた側も、誰一人として思ってなかったんだから、な」
    「し、しかしそれならやはり、所有者はあなたでは……」「あのな」
     抗弁しかけた役人に、天狐は心底呆れた目を向けた。
    「話は最後まで聞けっつーの。そのクズ土地持て余してた配下国に打診して、オレが全部買い取ったんだよ。マジに石油が出る前の、去年のうちにな」
    「か……買った!? 譲渡された難民特区の全土地を!?」
    「クズ土地の割に、バカみてーに高い買い物だったぜ。とは言えオレ名義の現金預金だけじゃ足りなくて、購入額の3分の2が設立予定の石油会社、つまり現ラコッカ石油の株式って形にはなったけどな。ま、そんな事情もあるからよ、とにかく難民特区はオレの土地だ。正当な取引の結果によって、な。
     もしこの取引が不当だ、土地はまだ王国のものだと言い張ろうってんなら、王国はまだ債務を抱えてるコトになる。償還期限をとっくに過ぎてる国債を、だ。つまり王国財政がデフォルトしてるコトになるワケだが――王国の財政破綻を認めてまで石油利権を獲得したいなんて、まさか言わねーよなぁ?」
    「うぬぬぬ……」
     反論の材料を失い、役人たちは顔を青くして黙り込む。
    「話はコレで終わりだ。さっさと帰れ」
     天狐はあごでくい、と応接間のドアを指し示した。

    緑綺星・国謀譚 3

    2023.10.11.[Edit]
    シュウの話、第142話。国債償還の裏ワザ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 天狐の言葉に、役人たちは目を丸くする。「なんですと?」「い、いやいや、あるでしょう。あの土地はトラス王国の領土です」「14年前まではな」 そう返し、天狐は傍らの狼獣人に声をかけた。「エヴァ」「はい」 彼女は机の上にケースを置き、中身を役人たちに見せる。「この書類が何だか分かるよな? コピーだから持ってっていーぜ」「...

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    シュウの話、第143話。
    次策を読む。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
     肩を落として帰っていく役人たちの後ろ姿を屋敷の窓から眺めながら、天狐はフン、と鼻を鳴らした。
    「コレで状況は次の段階に進んだってワケだ」
    「次?」
     尋ねたエヴァに、のんびりコーヒーを飲んでいたロマーノが答える。
    「そもそも今回の彼らの訪問は非公式なものです。公式なものであれば『外務省からの者』などと立場をぼかして訪ねたりはしないでしょうし、大々的に報道がなされるはずです。つまり公式に訪ねなかったのは、事細かく尋ねられたり、公に知らされたりしては困るからでしょうな」
    「いい線いってるぜ、ロム」
     天狐にほめられ、ロマーノは「ありがとうございます」とにっこり笑って返した。
    「つまり公式に報じられると、配下国からツッコまれるからだろう。『あの土地、オレたちが買ってるはずだぜ』ってな」
    「ふむ? と言うことは……」
     合点が行ったらしい様子のエヴァに、天狐はニヤッと笑いながらウインクした。
    「あの小役人どもは知らなかったみてーだが、もっと上の連中はちゃんと把握してんだよ、土地売買の件をな。もしオレたちが権利関係を把握せずに石油会社計画を進めてるなら、脅してビビらせりゃ手を引くと考えて、アイツらを送ったんだろう。逆に知ってると判明した今、他の手段を講じなきゃならねーワケだ」
    「なるほど、だから『次』か。では相手はどう出ると?」
    「考えられる可能性は3つだ。1つ、オレが煽った通り、土地売買の件を反故にして土地権利と石油利権を取りに来るか。だがコレはありえねー。10年前、20年前の債務を遡って支払うコトになるからだ。その額約300兆コノン、トラス王国の30年分の税収に相当する。今払えってなれば財政破綻は不可避だ。そもそも反故にした時点で金融筋が大々的に報じる。『一旦結んだ契約を一方的に破るろくでなし』としてな。そうなりゃ王国の信用は消し飛ぶ。仮に石油を奪取しても、誰もそんな大ウソつきを相手しなくなるだろーな。
     そして2つ目、計画の中心人物を暗殺、あるいは拘束して計画を進められなくし、そのまま立ち消えにさせる。だがコレも無理だろ?」
     天狐の言葉に、エヴァとロマーノは苦笑する。
    「テンコちゃんをどうにかできる人間がこの世に存在するなら、可能かも知れないが……」
    「私が存じている限り、お父上くらいでしょうか。しかし今回の件で敵対される理由はないでしょう」
    「地下に親父の秘密コレクションかなんかが埋まってるとかなら邪魔しに来るかも知れねーが、大野博士に入念に調査してもらって、ソコら辺の可能性はないと判明してる。そもそもマジでヘンなもんがあるってんなら、石油会社作った時点で向こうから連絡してくるだろーしな。
     大体、今更親父に政治上のしがらみなんかねーし、トラス王国とのつながりも皆無だ。である以上、こっちに干渉してくる理由はねーな」
    「仮にテンコちゃんの存在がなかったとしても、永世中立国がからんでいる話だ。商業上の交渉ならともかく、実力行使で差し止めに来れば、確実にミッドランドを敵に回す形になる」
    「中立を宣言している我が国に鉾を向けるようなことをすれば、白猫党と同類の危険勢力と見なされ、国際的に孤立することになるでしょう。そうなれば新央北の配下国も、軒並み新央北から脱退するでしょうな」
    「ならず者国家と認定された落ち目の王国と関係を保つより、世界規模の商業網の方が大事だろうからな。……で、3つ目は?」
     エヴァに尋ねられ、天狐は難民特区の地図を指差した。
    「こっちから土地を手放さざるを得ない状況に持って行かせる。こうして石油会社を作り、後は採掘を開始するだけ、と言う段階まで来たワケだが、『何らかの理由により』採掘ができねーとなれば、会社は回らなくなる。となれば計画の中心人物であるオレは、株式を持ってる配下国から責任を問われる。しかしオレの貯金は現時点でほぼすっからかんだから、補償するとなれば現物、つまり土地を手放すしかない。
     そうなりゃ後は後ろ盾がなくなった配下国へ従来通りに圧力かけて土地を王国が管理する形に持って行かせ、敵を一掃した王国が悠然と利を得るってワケだ」
    「ふむ……。しかし採掘ができない状況、と言うのは? 資材の搬入や油井の建設を妨害する、とか?」
    「その辺りだろーな。そしてソレら妨害を包括的にできる方法、そして今、国民の監視でうかつに動けねートラス王国が天下御免で難民特区に軍隊を送り込める方法が、一つだけある」
    「それは?」
     尋ねたエヴァに、天狐はフン、と鼻を鳴らして返した。
    「白猫党だよ。あいつらが間近に迫ってきたって情報が流れりゃ、国防上の理由から緊急出動が認められるだろう。後は出動のどさくさに紛れてラコッカのトコを荒し回りゃ、業務停止に追い込めるってワケさ」
    「なるほど。しかしこのタイミングで都合良く乗り込んで来ると?」
     ロマーノの問いに、天狐はもう一度鼻を鳴らした。
    「現実が都合良くなきゃ、ウソついてでも都合付けりゃいい。ツラの皮の厚い王国の連中なら、そう考えるだろーぜ」

    緑綺星・国謀譚 4

    2023.10.12.[Edit]
    シュウの話、第143話。次策を読む。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4. 肩を落として帰っていく役人たちの後ろ姿を屋敷の窓から眺めながら、天狐はフン、と鼻を鳴らした。「コレで状況は次の段階に進んだってワケだ」「次?」 尋ねたエヴァに、のんびりコーヒーを飲んでいたロマーノが答える。「そもそも今回の彼らの訪問は非公式なものです。公式なものであれば『外務省からの者』などと立場をぼかして訪ねたりはしな...

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    シュウの話、第144話。
    偽りの緊急出動。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     ミッドランドへ送った密使が天狐に追い返された、その数時間後――。
    「首相からの極秘命令が下った。この件は決して口外しないように」
    「は……承知いたしました」
     王国軍の難民特区方面司令が、本営の一室に部下である将校数名を集めていた。
    「先般より我が国緊急の課題であった特区内の油田掌握計画だが、政治面からのアプローチに失敗したと、外務省より連絡があったそうだ。詳しい経緯は伝えられていないが、外交による平和的解決は期待できないと言うことだろう。
     そこで首相より、実力行使による油田制圧が命じられた。軍を派遣し、油田とその周辺一帯の制圧に向かってくれとのことだ。しかし現在、世論の反対意見が強く、うかつな出動はできない。ましてや直接的・即時的には国民の利益とならない油田奪取を世論が許す可能性は、極めて低い。通常体制では軍を動かすことは不可能と言っていいだろう」
    「では、どうやって制圧を?」
     尋ねた将校に、司令は顔をしかめさせる。
    「繰り返すが、通常体制では我々は動けない。しかし緊急体制であれば、我々のすべての軍事行動は原則として無条件で容認されることもまた、国民の総意によって認められている」
    「緊急体制?」
    「ああ……まあ……例えば『例の組織』が我が国領土を侵犯した場合などがそれに当たる」
     司令の言葉に、将校たちも同様に顔をしかめさせた。
    「例のと言うと……西の?」
    「しかし彼らが都合良く――語弊はありますが――このタイミングで攻め込んでくるとは、あまり考えられない事態では」
    「動機は十分ある」
     司令は全員に背を向けながらも、話を続ける。
    「かねてより油田を狙って動いていた形跡もある。こうして実際に石油が出て、なおかつ、数日中にも採掘が始まろうと言うなら、むしろ絶好のタイミングと言える。現れてもおかしくないと、十分考えられる。
     そこで……まあ……そう……言ってしまえば、その不確定な状況を、我々が極秘裏に確定させてしまえば、世論がどうあろうとも緊急体制に入れるはずだと、首相や内閣御一同は、そうお考えのようだ」
    「閣下、つまりそれは……」
     将校が尋ねかけたところで、司令が申し訳なさそうな目を向けてきた。
    「私の口からは言えない。君たちに任せる。緊急体制に入っても誰にも文句が出ないような、いや、出せないような状況を作るのだ。私からは以上だ。速やかに計画し、一両日中に行動してくれ」
    「……承知いたしました」
     明らかに責任逃れを企てる司令に、将校たちは敬礼を向けた。

     この将校たちの中に、ラコッカファミリーを駆逐するために部隊を差し向けたあの狼獣人も参加していた。
    「……クソどもめ。とうとう欺瞞作戦にまで出るのか。軍人としての誇りは、……いや、……言ったところで、か」
     自室に戻り、席についてぶつぶつと愚痴を吐いていたが、それも途切れ、やがて黙り込む。
    「そもそも異を唱えない時点で、俺も黙認したと言うことだ。認めたなら、仕方ない……か」
     ついにあきらめに満ちたため息を吐いて、部下に電話をかけようとした。と――そこで逆にスマホが着信音を鳴らし、彼を呼んだ。
    「……俺だ」
     感情を押し殺し、電話に出ると、部下の困惑した声が伝わってきた。
    《ちゅ、中佐、失礼します、あの、確認させて下さい》
    「なんだ? 落ち着け」
    《今、動画で、あの、メイスンリポートって、……い、いえ、単刀直入に。本当に軍は今、難民特区に兵を送ろうとしているのですか?》
    「なに!? どこから通達された!?」
    《……! 本当なんですか!?》
    「今から指示を送ろうとしていたところだ。だがまだ極秘の……」《見損ないました》
     ぶつっ、と電話が切れ、将校は唖然とした。
    「みそ、……え? な、なんだ? ……動画? メイスンとか言っていたな」
     困惑を抑えながら、将校はスマホで聞きかじった単語を検索し、それらしい動画を見つけた。

    緑綺星・国謀譚 5

    2023.10.13.[Edit]
    シュウの話、第144話。偽りの緊急出動。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. ミッドランドへ送った密使が天狐に追い返された、その数時間後――。「首相からの極秘命令が下った。この件は決して口外しないように」「は……承知いたしました」 王国軍の難民特区方面司令が、本営の一室に部下である将校数名を集めていた。「先般より我が国緊急の課題であった特区内の油田掌握計画だが、政治面からのアプローチに失敗したと、...

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    シュウの話、第145話。
    メイスンリポート#52;緊急拡散案件! トラス王国のウソを暴きます!

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    6.
     こんにちは、シュウ・メイスンですー。

     今回はちょっと、いえ、かなり大真面目に、お伝えしたいコトがあります。重い内容になりますが、最後までご清聴いただければ幸いです。

     前々回からお伝えしています、トラス王国の実情と動向についてですが、つい先程、とんでもない事実が明らかになりましたので、大急ぎで動画をアップロードしました。そのためBGMも字幕も付けられませんでしたが、ご容赦下さい。
     結論からお伝えします。トラス王国は、難民特区に軍を派遣するコトを決定したようです。かねてよりお伝えしていました石油問題を、実力行使によって解決するためです。情報が錯綜していますので現時点ではまだ確定情報ではありませんが、どうやら「白猫党が領土内に侵入した」と言う建前で出撃させるようです。しかし、この決定と行動は不当なものです。実際の目的は白猫党撃退ではなく石油湧出地を占拠・実効支配するためであり、そしてそもそも現在、特区のほとんどが王国の領土ではないからです。
     王国は政府が発行した赤字国債を補填するため、この四半世紀で特区のほとんどを他国に売却しており、現在、特区における正当・正式な王国領土は難民特区方面基地とその周辺のみとなっています。コレに関しては後日、補足解説動画をアップロードする予定です。ともかく現在、特区は王国のものではなくなっており、ソコに軍を派遣するコトは、他国に対する越権行為、れっきとした領土侵害に当たります。にもかかわらず王国はその事実を公表しないまま、当然のように軍を送り込もうとしているんです。
     まだ震災の影響は国内に色濃く残っていますし、交通・鉄道、インフラも完全復旧できていません。家を失いテント生活同然の暮らしを送っている方々も、多数いらっしゃるのが現状です。国内に助けを必要としている方が、大勢いるんです。なのに王国は彼らを放置し、既に自国領土ではない土地を占拠するために軍を動かそうとしています。いえ、おそらくは今まさに動こうとしているはずです。

     これがトラス王国の実情です。軍はもはや「白猫党に対抗するため」、「『新央北』の安全を守るため」ではなく、「他国侵略のため」に使われようとしています。今日この日を以て、トラス王国は「新央北」の守護者ではなく、ただの侵略者となりました。
     もし、……もしも、この動画を関係者の方々が、実際に難民特区に出動しようとしている方たちがご覧になっているのなら、今一度、自分の行動に正当性があるのかを、真剣に考えて下さい。「上に言われたから」「国家のためだから」とごまかして、自分の責任を放棄しないで下さい。その行動は本当に国のための、いいえ、国民のためになると言えますか? ほんの一握りの富裕層の私利私欲のため、彼らの利権とおカネのための行動ではないと、本当に、胸を張って言えますか?
     今一度考えて、そして行動して下さい。本当に国民のためになる行動を。

     ご視聴、ありがとうございました。




     動画を観終え、将校はスマホを握る自分の手に、だくだくと汗をかいていることに気付いた。
    「ま……まさか」
     慌てて先程連絡してきた者を含む部下たち全員に電話をかけるが、誰も出ない。窓から身を乗り出し、外の様子を伺うが、それなりに喧騒に包まれているはずの本営は――ましてや今まさに緊急出動が行われるべく、騒然としているはずであるのに――不気味なほど静まり返っていた。
    「……やられた。軍は……終わった」
     将校はスマホを床に落とし、呆然と空を眺めていた。

     世界有数のインフルエンサー、シュウ・メイスンが公開したこの動画は、まず現場の兵士たちを少なからず震撼・動揺させた。
     多少の程度の差はあれど、自分たちが属する組織は「自国と『新央北』を守るため」に存在すると信じ、真面目に兵役に就いていた者たちである。ところがその軍から下された緊急出動命令が「真っ赤な嘘である」「侵略行為だ」と喝破されてしまい、軍に対する不信感が瞬く間に広がった。さらにちょうどこの時――このタイミング自体もシュウと、そして天狐の目論見通り――本当に緊急出動が命じられたことで、シュウの主張の裏が取れてしまったのだ。
     自分たちをだまし、私利私欲で出撃させようとしていた軍上層部、そして国家に対して憤慨・激昂した兵士たちは、行動に出た。いや、正確に言えば「あらゆる行動に出なかった」のだ。事実確認が取れてすぐ、彼らは同僚や親しい先輩・後輩と言ったヨコ同士で連携を取って示し合い、一切の軍務を放棄することにしたのである。

     そしてシュウの動画公開から2時間後には、トラス王国の全軍がストライキを実行した。上層部が現場へ臨場しての直接命令も下されたものの、「事実が明らかにされない限り、我々は絶対に命令に応じない」と小銃を向けた兵士たちに突っぱねられ、強制力を失った上層部、そして王室政府は、彼らの対応を受け入れるしかなかった。

    緑綺星・国謀譚 6

    2023.10.14.[Edit]
    シュウの話、第145話。メイスンリポート#52;緊急拡散案件! トラス王国のウソを暴きます!- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. こんにちは、シュウ・メイスンですー。 今回はちょっと、いえ、かなり大真面目に、お伝えしたいコトがあります。重い内容になりますが、最後までご清聴いただければ幸いです。 前々回からお伝えしています、トラス王国の実情と動向についてですが、つい先程、とんでもない事実が明らかに...

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    シュウの話、第146話。
    克天狐流、勝利の一般理論。

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    7.
     トラス王国の混乱は、ラコッカ石油にも伝えられていた。
    「ってワケで、もう当分は兵隊寄越すコトもねーだろ」
    「そっかー……良かったな、親父」
     のんきそうな声を上げたダニーに対し、ロロはことさら渋い顔を向けてくる。
    「ちっとも良かねえだろ。今の状況、分かってんのか?」
    「へっ?」
     きょとんとするダニーに、ロロがこう続けた。
    「確かにトラス王国が実力行使してくることはなくなっただろう。それは確かだ。だが一方で、防衛力ってやつがゼロになっちまったってことでもあるんだぞ、今の状況は」
    「防衛? いや、だから王国からはもう……」
    「ロロ、お前さんが言いたいコトは分かってるぜ」
     首を傾げるダニーを尻目に、天狐がニヤッと笑みを返した。
    「つまり白猫党のコトだな?」
    「それだよ。今まで白猫党の奴らが本腰入れて特区に攻め込まなかったのは、何だかんだ言って王国軍の存在があったからだろ? うかつに軍隊送り込んで王国軍とかち合ったとなれば、交戦して勝つ、負ける以前に、領土侵犯だ。王国軍が見つけて報告すれば即、国際問題になるし、そうなりゃ取引してたであろう外国から縁を切られて、外貨が手に入らなくなっちまう可能性もある。そう言うフクザツな政治事情ってやつがあったから、今まで攻めて来なかった。
     だが今、特区が王国領土じゃないと判明した上、王国軍が入って来られなくなったってなれば……」
    「あ……そ、そっか。じゃ、じゃあどうすんだ、テンコちゃん?」
     ようやく事情が飲み込めた様子のダニーが目を向けてくるが、天狐は涼しい顔をしている。
    「二段構えで考えてある。とりあえず長期的計画としてはミッドランドと、『新央北』のくびきから解放された配下国、他にもオレのツテ何人かに当たって、特区を独立国として承認させる。名実ともに王国の支配下から離れさせるとともに、ちゃんとした国としての対応が取れるようにする。政治的交渉であったり、軍隊構えたりとかな」
    「まあ……無法地帯の特区のままでいるより、マトモな国として態勢構えたとなれば、流石に白猫党も無茶な手出しはして来ないか。だが相当時間がかかりそうだな」
    「だから長期的計画っつってんだろ。お前さんの言う通り、こんな悠長なコトやってたら、その前に攻め込まれて実効支配されちまうだろう。だがこの計画は結構前――ラコッカ石油の話をまとめる前から――根回ししまくってたし、今回の王国の件があったおかげで、そう遠くない内にまとまりそうではある。とは言えもう1週間かもうちょいかくらいはかかる。
     逆に言えばその1週間ちょいをしのげば、白猫党は手出しできなくなる。だからその1週間の時間稼ぎとして、短期作戦も講じてある。こっちももう仕掛けは済んでるから、むしろ攻めてこいよってくらいさ」
    「マジかよ」
     目を丸くするロロとダニーに、天狐はニヤニヤと笑みを浮かべながらウインクした。
    「オレは徹頭徹尾、勝つために策を巡らせてんだよ。王国は『石油利権のため』だとか、『宗主国のメンツを保つため』だとか、この戦いに勝つ以外のコトに目を向けて、頭を働かせてきた。ここにいる人間のコトは、ハナっからまともに見ちゃいなかった。だからこのザマさ。白猫党だって同じだ。奴らにとっちゃオレたちに勝つコトは二の次、三の次に考えるコトであって、第一は『どうやって石油を奪うか』だ。そのために十重二十重の工作は仕掛けても、『難民特区にいる人間にどうやって勝つか』なんてコトは、本気で考えちゃいなかったのさ。
     現れる敵を、そして現れるであろう敵をはっきり『敵』だと、『戦うべき相手』『勝つべき相手』だと認識しないヤツ、認識できないヤツは、いつの間にか目の前に現れたソイツに負かされるんだ。逆に勝つヤツってのは、誰と戦うべきか、誰に勝つべきかが分かってるからこそ、ソイツのところに躊躇なく攻め入って、はっきりと勝てるんだ。
     オレは勝つ。トラス王国にも、そして白猫党にも、な」

    緑綺星・国謀譚 終

    緑綺星・国謀譚 7

    2023.10.15.[Edit]
    シュウの話、第146話。克天狐流、勝利の一般理論。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7. トラス王国の混乱は、ラコッカ石油にも伝えられていた。「ってワケで、もう当分は兵隊寄越すコトもねーだろ」「そっかー……良かったな、親父」 のんきそうな声を上げたダニーに対し、ロロはことさら渋い顔を向けてくる。「ちっとも良かねえだろ。今の状況、分かってんのか?」「へっ?」 きょとんとするダニーに、ロロがこう続けた...

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    シュウの話、第147話。
    ホンモノのバケモノ。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     トラス王国が偽の緊急出動を行う、その2日前――。
    「お前さんがラック・イーブンか?」
    「学校」の片隅でひっそり過ごしていたラックのところに、天狐が現れた。
    「あ、はい、ども、はい。……な、なんです?」
     ラックのことをじろじろと眺めている天狐に、ラックは困った顔を向ける。
    「妙なヤツだな」
     天狐はそう言いながら右目をつむり、光のない真っ黒な瞳をラックに向けながら周りをうろうろとしていたが、一転、けげんな素振りを見せる。
    「みょ、妙って、何がです?」
    「お前さん、ヘンなんだよ、オーラが。普通、オーラってのは感情に伴って色が変わるもんなんだが、……なんでお前さん、2色も3色もチラチラチラチラ重なってんだ? まるでお前さんの中に、人格が2つ3つあるみてーじゃねーか」
    「……っ」
     天狐の指摘に、ラックは顔を青ざめさせる。
    「そ、そんなことないでしょう。俺は一人です」
    「『どのお前さんが』そう言ってんだ?」
     天狐は両目を開き、ぐい、とラックに顔を近付ける。しばらく至近距離で見つめ合った後、ラックは目をそらしながら答えた。
    「……俺、……俺は、……時々、頭の中で、俺の隣に俺がいる、みたいな、そんな感覚になることがあるんです。多分、あんたの言ってる2人、3人ってのは、それが原因だと」
    「単純に二重人格だとか統合失調だとかってレベルの話じゃなさそうだな。詳しく聞かせてくれ」
    「……嫌です」
     ラックが断るが、天狐は折れない。
    「聞かせろ」
    「……」
     と、ラックの腕がピク、ピクと動く。
    「い、嫌です。言いたくないんで、どっか、行って下さい、本当、頼みますから、お願いです」
    「もしオレがこの場から離れなかったら? 殴りつけるつもりか?」
    「そ、そうなるかも知れないんで、早く、どっか、行って下さい」
    「断る」
     天狐はにやあっと悪辣に笑い、指をくいくいと曲げて挑発した。
    「殴りたきゃ殴ってみろよ。どーなるかは保証しねーけど、な」
    「……うう、……うっ、あ、……アッ、……ガアアッ!」
     ラックの右腕がぼこぼこと入道雲のように膨れ上がり、ぼっ、と風切り音を立てて、天狐の顔に向けて振り抜かれる。だが――。
    「ソレで全力か? 見掛け倒しだな」
     なんと天狐は人差し指と親指でちょこんと、自分の顔半分ほどに膨張したラックの右手をつまんでいた。
    「ウガァッ!?」
     ラックが腕を引こうとするも、天狐の二指は彼の拳をがっちりとつまんだまま離さない。
    「言っとくけどな」
     と、天狐は悪辣な笑みを崩さず、こう言ってのけた。
    「もしお前さんが島一つ分くれーに巨大化して襲ってきたって、オレは余裕で勝つ自信がある。いっぺん試してみるか? お前さんの全力、最大限、最大出力、100%中の100%を振り絞ってみて、オレを一発でも殴れるかどーかを、な」
    「グアッ……ガッ……う……うう……ううっ」
     巨木のようだった腕がしぼみ、元のしょぼくれた小男に戻ったところで、天狐は優しげな声で諭す。
    「分かっただろ? いや、悟ったっつった方が正確だろーな。もしマジに島一つ分の怪獣に化けたとしても、オレには絶対に敵わないってコトが」
     ラックはへなへなと崩れ落ち、天狐の足元に平伏す。
    「……なんでです……俺……俺は……ば……ばっ、バケモノ……なのに……」
    「本物のバケモノがどーゆー存在か、お前さんはマジに知ってるつもりなのか?」
     天狐はニヤニヤと笑い、どこからか取り出した鉄扇でラックの薄い頭をぺちぺちと叩いた。
    「オレに言わせりゃお前さんなんぞ、半世紀前の特撮映画に出てくる着ぐるみ怪獣と変わりゃしねーよ。眼の前に現れたところでコレっぽっちも怖かねー、子供だまし同然のドコにでもいるよーな小僧さ。
     だから素直に全部話してみろよ、この『ホンモノ』である克天狐ちゃんサマに、な」
     ラックはぽかんとした顔で天狐を見上げ――突然、泣き出した。
    「うっ……ふぐっ……うひっ……ひっ……俺……俺は、に、人間、です、か……?」
    「オレに比べりゃずっと人間だろーよ」
     天狐はラックと同じ目線までしゃがみ込み、彼の背中をぽんぽんとさすった。
    「がっつり涙流して落ち着いたら聞かせてくれよ。お前さんがどんな人生歩んできたのかをな」

    緑綺星・機襲譚 1

    2023.10.17.[Edit]
    シュウの話、第147話。ホンモノのバケモノ。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. トラス王国が偽の緊急出動を行う、その2日前――。「お前さんがラック・イーブンか?」「学校」の片隅でひっそり過ごしていたラックのところに、天狐が現れた。「あ、はい、ども、はい。……な、なんです?」 ラックのことをじろじろと眺めている天狐に、ラックは困った顔を向ける。「妙なヤツだな」 天狐はそう言いながら右目をつむり、光...

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    シュウの話、第148話。
    身の上話とヘッドハント。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    2.
     ひとしきり泣いた後、ラックはぽつりぽつりと、自分の身の上を天狐に話した。
    「俺の……俺が『俺』になった時の、一番古い記憶は、どこか暗いところにいたってことです。俺は……俺の中には、色んな別の俺が、……別々の人間がいて、……それが、……なんでか、一つに『まとまった』んです。でも、まとまったのは俺一つじゃなかったんです」
     この時点で既に天狐は口をへの字に曲げていたが、こくりとうなずく。
    「イマイチ分かりにくいが……まあ、続けろ。どーにか解釈するから」
    「はい。……それで、俺とは別にまとまった奴が、俺に襲いかかってきたんです。なんで襲われたのか分かんなかったんですけど、でも、逃げなきゃ殺されるって思って、それで、必死で逃げたんです。暗いところを逃げて、逃げて、どうにか外に出て、森の中に逃げ込んで、どうにか相手を撒けたんです。でも相手は全然あきらめてなかったみたいで、その後も何度か俺の前に現れて、所構わず俺を襲ってきたんです。……その度に、どうにかごまかして作り上げてた俺の生活とか、人生とか、めちゃくちゃにされて、……その場にいられなくなって、逃げるしかなくって。多分、もう、200年くらい、その繰り返ししてて……」
    「200年逃げっぱか。なかなかキツいな」
     天狐はまたぽんぽんと、ラックの背を撫でた。
    「話を聞く限りじゃ、お前さんの変身能力は――おっさんが色んな形に変身できるって言うより、正確にはお前さんにそもそも『原型』が無いってコトか。今のその姿も……」
    「はい。あんまり目立ちたくないから、この姿にしてるだけで。誰だってこんなしょんぼりしたおっさんに、用もないのにわざわざ声かけませんから」
    「だろーな、ケケケ……。ところでその襲ってくる奴ってのは、何か分かってるコトはあんのか? 居場所とかは?」
    「さっぱり分かんないです。でも、相手は何故か俺のいるところが分かるみたいです。もしかしたら、念入りに調べて追ってきてるのかも知れないですけど」
    「名前は?」
    「多分なんですけど、オッドです。『まとまり』の中にそう名乗ってた猫獣人の記憶があって、その人とそいつ、同じ姿してましたから。襲われた時にも何回か、『ドクター・オッドと呼べ』みたいなこと言ってましたし」
    「オッド……ドクター・オッドか。ふーん……」
     天狐は意味ありげにうなり、それからラックに尋ねた。
    「ラック。お前さんが欲しいモノはなんだ?」
    「え?」
    「ぶっちゃけた話、何にでも化けられるお前さんが大富豪や銀行頭取にでも化ければ、好き放題に盗みが働ける。猫かなんかに化けてトラックや船にでも忍び込めば、世界中ドコにだって行けるワケだ。やろうと思えばこの世のあらゆるモノを手に入れられる能力を持つお前さんは、何を望む?」
    「……」
     ラックは頭を抱え、ぼそりとつぶやく。
    「俺の望みは一つです。……穏やかに、暮らしたい。バケモノだって後ろ指差されることなく、ひっそり生きていたいです」
    「だがドクター・オッドとやらはソレを許しちゃくれねー、と。おそらくお前さんが世界のドコにいようと、オッドは執拗にお前さんを探し出して、暴いてほしくねー秘密を白日の下に晒した上、殺しに来るワケだ。200年追っかけてくるよーなヤツが、いまさら『もういいやめんどくせえ』なんて都合良くあきらめやしねーだろーし。
     ソコで提案だが――オレに一つ、確実に安全な場所を提供できるツテがある。お前さんにソコで平和に暮らせる権利をくれてやる。もちろん、交換条件はあるけどな」
    「え……?」
     顔を上げたラックに、天狐はニヤッと笑って見せる。
    「オレのチームに入れ。お前さんのその変身能力を、オレの計画のために発揮してくれ。十分に働いてくれれば、お前さんに平和な生活を保証してやる。
     コレがこの克天狐が提示する、契約内容だ。どうする、ラック?」
     差し伸べた天狐の手を、ラックはがっちりとつかんでいた。

    緑綺星・機襲譚 2

    2023.10.18.[Edit]
    シュウの話、第148話。身の上話とヘッドハント。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2. ひとしきり泣いた後、ラックはぽつりぽつりと、自分の身の上を天狐に話した。「俺の……俺が『俺』になった時の、一番古い記憶は、どこか暗いところにいたってことです。俺は……俺の中には、色んな別の俺が、……別々の人間がいて、……それが、……なんでか、一つに『まとまった』んです。でも、まとまったのは俺一つじゃなかったんです」 こ...

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    シュウの話、第149話。
    進撃はモニタの向こう側で。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    3.
     王国軍全軍がストライキにより機能停止したことは白猫党側も当然察知・把握しており、彼らは早速この翌日から軍事行動に出ていた。
    《SD714B-1001~1060、巡航モードから警戒モードに遷移します》
    《DF712F-2301~2420、巡航モードから警戒モードに遷移します》
    《HD715E-1001~1120……》
     だが、兵員の全てをAI制御下に置く白猫党である。現場に指揮官はおらず、ドローン兵器とMPS兵士を乗せた無人トラックばかりが荒野をひた進んでいる。そしてその様子を安全な制御室内でモニタリングするオペレータたちを、いかにも偉そうな党章を胸に付けた青年指揮官が、後ろで監督していた。いや――。
    「……っしゃ、虹っ」
     真面目に働くオペレータたちを時折チラチラと確認しつつも、彼自身はこっそりオンラインゲームでくじを引いていた。
    「……ってなんだよ、結局Sレア1枚か? 看板虹演出でX出ないなんて詐欺だろ。せめてUくらい、……おっと」
     部屋の中に白いスーツの女性が入ってきたことに気付き、彼はこそっとパソコンを操作し、オンラインゲームの画面を隠す。
    「閣下、ご足労様です」
     立ち上がり、敬礼した指揮官に、その女性は冷たい視線を向ける。
    「遊んでた?」
    「……っ、い、いえいえいえ、何を仰いますやら。今は仕事中で……」
     ごまかそうとした彼の横に「閣下」がすい、と割り込み、キーボードをかちゃ、かちゃと叩く。途端にオンラインゲームのBGMが、部屋中に大音量で響き渡った。
    「これは?」
    「……も、申し訳ありません!」
     一転、深々と頭を下げた相手に、「閣下」は「構わない」と返した。
    「業務に支障が出ない限りであれば、余暇を楽しむ行為は許容する。もちろん支障があれば罰する。その上で確認する。現在、何か問題は?」
    「そ、それははい、問題ありません! 全く! 順調です! 万事順調!」
     ぺこぺこと頭を下げる指揮官を冷たい眼差しでしばらく眺めていた「閣下」は、冷え冷えとした声色を発した。
    「今回の作戦には多大な予算を割いている。完遂できなければ相応の責任を取ってもらう。必ず成功させるように。以上」
    「そ、それはもちろん!」
     床に頭をこすりつけるように平伏した指揮官に背を向け、閣下は部屋を出て行く。指揮官は扉が閉まったのを確認して、それから横柄な態度で椅子に座り、パソコンの音量を0に戻した。
    「……へーへー大丈夫でございますともですよ、閣下。これだけの物量をぶつけりゃ、どんな軍隊だって蹴散らせますって……」「それから」
     閉じた扉をもう一度開け、「閣下」が顔を覗かせる。
    「もしも予算を濫用・私的利用していた場合には、相応の処罰と請求を行う。以上。……了承している? しているなら返事をしなさい、セルヒ・グスマン三級党員」
     ひんやりとした目線を向けられた指揮官はもう一度立ち上がって敬礼し、「了解です」と消え入りそうな声で答えた。

     あまりにも職務怠慢な態度を晒していたグスマン指揮官であったが、彼が白猫軍の最重要計画である特区侵攻の際においてもなお、これほど気を抜いていたのは、無理からぬことだった。何故ならこの作戦において、白猫党の脅威になりうると考えられていた勢力はトラス王国軍のみであり、その王国軍ですらストライキにより――流石に王国領内に踏み入るようなことをしない限りは――銃弾1発すら撃ち込んでくる可能性がなかったからである。また、他に懸念すべき勢力として天狐の存在が挙げられたものの、これも結局は後述するとある理由により、脅威になるとは見なされていなかった。
     結果、もはや無人の野を行くがごとき態勢で東進を続けた白猫軍は、いよいよ難民特区に踏み込もうとしていたが――突如、低空飛行していたドローンの一つが火を噴き、墜落した。

    緑綺星・機襲譚 3

    2023.10.19.[Edit]
    シュウの話、第149話。進撃はモニタの向こう側で。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -3. 王国軍全軍がストライキにより機能停止したことは白猫党側も当然察知・把握しており、彼らは早速この翌日から軍事行動に出ていた。《SD714B-1001~1060、巡航モードから警戒モードに遷移します》《DF712F-2301~2420、巡航モードから警戒モードに遷移します》《HD715E-1001~1120……》...

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    シュウの話、第150話。
    ドローン部隊の猛攻。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    4.
    《警告します。DF712F-2366に耐久能力の1311%のダメージを確認しました。ダメージコントロール失敗。復帰失敗。同機との接続が切断されました。同機は破壊されたと判定します》
     オペレータたちの画面に損害状況が表示され、制御室に緊張が走る。
    「敵襲です!」
    「敵襲ぅ? 相手がいるのか? 故障の可能性は?」
    「閣下」にたしなめられてなおオンラインゲ―ムに興じていたグスマンは、面倒臭そうに応じる。
    「ダメージ1000%オーバーは故障の域を大きく超えてます!」
    「他機カメラからも撃墜の瞬間が確認できてます」
    「AI判断も敵襲だと言ってます」
     部下から苛立ち気味に返され、グスマンはようやくゲーム画面から顔を上げた。
    「じゃあ敵はどこにいるんだ?」
    「捜索中、……っ!」
     ふたたび現地のドローンから撃墜の報告が飛び、制御室は騒然とし始めた。
    「どっ、どこだ!? どこにいる!?」
    「早く探せ!」
     ドローンとMPS兵に付けられたカメラを総動員して、ようやくオペレータたちは敵を見つける。
    「あっ! 見つけました!」
    「『対象SF』です!」
    「SF!? あの特級警戒対象の!?」
     カメラに写った金と黒のパワードスーツ――スチール・フォックスの姿を確認し、ようやくグスマンも血相を変えた。
    「一般戦闘モードに移行だ! いや、特殊戦闘モード! 対SFだ!」
    「了解です!」
     オペレータたちがパソコンを操作し、スチール・フォックスへの攻撃を開始する。
    「一瞬ビビったが……まあ……我が白猫党が開発するAIは世界最高レベルの精度を誇る。これまで何度か交戦した記録を元に、対象SFの行動が細かく分析されているから、後はAIの判断に任せれば問題なく撃破できるはずだ」
     グスマンが自慢げにつぶやいた通り、AIに操作されているドローンとMPS兵は正確に、スチール・フォックスに向かって弾幕を展開した。
    「弾丸発射総数12750発、うち11256発の命中を確認。対象SF、射程距離外に離脱しました」
    「命中率88.3%か。まあ、そんなもんだな。被害状況は?」
    「ドローンが合計26基撃墜、37基が大破、中破以下は55基です。MPS兵に被害はありません」
    「データ通りだな。人を殺すのは嫌いらしい。……とは言えドローンの被害が多い。作戦遂行には不可欠だし、今日は威力偵察と言うことにして、特区境界線の西3キロまで退却させていい。破損したドローンは最寄りの基地に帰投させて、修理依頼と増援依頼を出せ。それから残ったドローンに周囲を警備させつつ、MPSに前線の構築を行わせろ」
    「了解です」
     こうして侵攻初日は、白猫軍が優勢な状況で決着した。



     1万発以上の弾丸を食らったものの、一聖と天狐が腕によりをかけて製作した唯一無二のパワードスーツである。
    《カズちゃ~ん……戻ったでー》
    「おつかれさん」
     胸と左肩の装甲が多少凹み、腕と肩の接合部分から火花を散らせてはいたものの、ジャンニは「テレポート」で無事にミッドランドへと帰還していた。
    「損害状況やけども、見たまんまやと思うわ。何べんか集中的に撃ち込んできよったせいで、シールド2、3回割られたわ」
    「ああ、記録してる。正確には6回だ。ま、装甲は神器化処理してっから、例えシールドなしでも、自動小銃や軽機関銃の弾くれーじゃ貫通はしねーがな。とは言え……」
     ジャンニが脱いだスーツをつぶさに確認し、一聖はため息を漏らす。
    「流石に千発単位で集弾されると、変形するか。案外、白猫党の武器とAIの性能もあなどれねーな」
    「言うても千発、二千発を一ヶ所に食らうとか、普通ないやん。ちっちゃい拳銃とかでもそんなんやってきよったら、同じように凹むやろ」
    「ソレが普通にされちまうから、あなどれねーんだよ。……ま、ソレでもコレくらいは織り込み済みってヤツだ。おかげで相手の戦略や行動も読めた」
     一聖はニヤッと、悪辣な笑みを浮かべた。
    「本番は明日からだ。目一杯、引っ掻き回してやろーぜ」

    緑綺星・機襲譚 4

    2023.10.20.[Edit]
    シュウの話、第150話。ドローン部隊の猛攻。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -4.《警告します。DF712F-2366に耐久能力の1311%のダメージを確認しました。ダメージコントロール失敗。復帰失敗。同機との接続が切断されました。同機は破壊されたと判定します》 オペレータたちの画面に損害状況が表示され、制御室に緊張が走る。「敵襲です!」「敵襲ぅ? 相手がいるのか? 故障の可能性は?」「閣下」に...

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    シュウの話、第151話。
    本格侵攻の前に。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    5.
     誰にも妨害されないまま、白猫党は余裕綽々で前線基地を構築した。
    「昨日の……対象SFはなんだったんでしょう?」
    「突然やって来てドローンを何台か破壊しただけで、結局逃げましたよね」
     作戦開始前のブリーフィングにて、前日に出現したスチール・フォックスのことがオペレータたちから指摘されたが、グスマンも首をかしげていた。
    「俺にも見当が付いてない、と言うのが正直なところだ。
     昨年から今年1月までの間に、奴は7回我々白猫党の前に現れ、遊撃的に攻撃してきた。だがその7回の交戦に明確な関連性が見られなかったことから、『独善的な正義感を充足すべく、国際的評判の芳しくない我々を漫然と攻撃目標に定めているのだろう』と言うのが、戦略研究室の見解だ。俺もこれに同意見であり、前日の出現はおそらく我々が他国への侵攻を開始したことを奴なりに危惧し、英雄主義的行動に出たのだろうと考えられる。
     だが結局、奴は我々の猛攻に圧されてあっさり逃走したし、前線構築の際にも一切妨害に現れなかった。もしかしたら今日も現れるかも知れないが、その時はまた、集中砲火で叩き落としてやれば良い。仲間がいると言う情報もあるが、いずれも歩兵レベルの存在だと考えられている。ドローン部隊に対しては、あまりにも無力だ。結論として対象SF、そして奴の仲間たちの存在は、取るに足らない要素と言えるだろう」
    「今回の油田開発にはミッドランドが関わっているとの情報もありますが、我々が本格的に踏み入った場合、行動に出るのでは?」
    「それも検討した結果、可能性は極めて薄いと判断されている。ミッドランドは永世中立国を宣言している央中の国家だ。だが今回の件に、即ち央北の地政学上の問題に軍事的・政治的に介入するようなことをすれば中立宣言の破棄、侵略行為と捉える者も現れるだろう。中立宣言を破り他国侵攻を行ったとなれば、ミッドランドの評判は地に落ちる。中立宣言は信用が物を言う。『今回だけ中立を破る』などと言うような、姑息な手は通用しない。一回反故にしてしまえばそれまでだ。ミッドランドがそこまでのリスクを負って行動に出ることはあるまい。
     加えて今回の件はミッドランド政府や当主のラーガ家が主導したものではなく、テンコ・カツミ氏の独断による行動だ。彼女の行動で国家に多大な迷惑がかかるとなれば、関係を切ることもありうるだろう」
    「ではテンコ氏が単騎で報復する可能性もあるのでは……?」
    「それも結果的にはないものと考えられる。もしテンコ氏が報復した場合、我々は――実態がどうであろうと――彼女がミッドランド政府からの支援を受けて計画を実行したと喧伝するし、そうすることは相手方も予想するだろう。その悪評を撤回するには、ミッドランドはテンコ氏との関係を切るしかない。
     関係が切れ孤立すれば、テンコ氏はミッドランドを――即ち堅固に守られた城を自ら出ることになるだろう。そうなれば我々にとってはどこまでも有利だ。一人になった彼女を白猫党全軍が狙うとなれば、いかに彼女が『悪魔の娘』であったとしても、ひとたまりもあるまい」

     天狐の性格と実像については今ひとつ捉えきれていない、いささか正確性を欠く予測ではあったが――ともかくこの時点までは、彼らの予測通りに事が運んでいたのは確かだった。そしてこの予測が正確であると確信した彼らは、ふたたび特区への侵攻を開始した。
    「ドローン全機、攻城モードに移行。国境線の破壊を開始します」
     既に経年劣化と密入国の横行で半壊しているフェンスの前に整列したドローンが、一斉に銃火器を構える。そしてオペレータが実行命令を下して0.5秒後、フェンスは木っ端微塵に吹き飛ぶ。
    「対象の破壊完了。攻城モードを終了します。続いて掃討モードに……」
     次の命令を送ろうとしたその瞬間――金と黒のパワードスーツがふたたび、カメラに映った。
    「対象SF現れました!」
     オペレータから報じられるが、昨日と打って変わって制御室に緊張感はなく、グスマンの反応も鈍いものだった。
    「またか。特殊戦闘モードで追い払え」
    「了解。特殊戦闘モードに移行します」
     ドローンとMPSの装備する銃火器の照準がすべて相手に合わせられ、昨日と同様に集弾攻撃を放つ。ここまでは昨日とほとんど変わることもなく、今日も同様の結果になるものと、グスマンをはじめとする制御室の人間がそう信じて疑わなかったし、実際、グスマンももう既に、オンラインゲームを立ち上げていた。

     だが――。
    「……え?」
     モニタに表示された数値を見て、オペレータたちは揃って目を丸くした。
    「26発?」
    「何がだ?」
    「め、命中数です。弾丸の」

    緑綺星・機襲譚 5

    2023.10.21.[Edit]
    シュウの話、第151話。本格侵攻の前に。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -5. 誰にも妨害されないまま、白猫党は余裕綽々で前線基地を構築した。「昨日の……対象SFはなんだったんでしょう?」「突然やって来てドローンを何台か破壊しただけで、結局逃げましたよね」 作戦開始前のブリーフィングにて、前日に出現したスチール・フォックスのことがオペレータたちから指摘されたが、グスマンも首をかしげていた。「俺にも...

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    シュウの話、第152話。
    AIの異様な不調。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    6.
     報告を受け、グスマンは首をかしげた。
    「あ……? なんで26発だけ撃ったんだ? まさかAIが、たったそれだけで十分と判断したのか?」
    「ち、違います。26700発撃ち込んでるんです。命中が、26発です」
    「……なんだって!?」
     グスマンが唖然としている間にもう一度攻撃が行われたが、結果は変わらなかった。
    「さっ、38発!?」
    「今度は何発撃った!?」
    「同数です! 命中率微増ですが、やはりほとんど当たってません!」
    「バカな!? 何かの故障か!? それともAIの異常か!?」
    「分かりません!」
     状況が把握できないままオペレータたちは漫然と攻撃を繰り返すが――千発単位で集弾させてどうにか相手の装甲を凹ませられる程度の弾を数発、数十発しか当てられていないのだから当然のことだが――一向にダメージを与えられない。
    「MPS兵の弾が尽きました!」
    「ドローンの被撃破率、10%を超えました!」
    「このままでは戦闘陣形を維持できません! どうしますか、指揮官!?」
    「うっ……うぐぐ……ぐっ」
     もはやゲーム画面に目を通す余裕もなく、グスマンはがたんと椅子を倒して立ち上がり、真っ赤な顔で怒鳴った。
    「特殊戦闘モード止め! 一般戦闘モード、いや、セミオートに切り替えろ!」
    「えっ!? し、しかし指揮官……」
    「AIアシストを切るんですか!?」
     ためらうオペレータたちに、グスマンはもう一度叫ぶ。
    「何がなんだか分からんが、AIがポンコツになってるとしか思えん! アシストは無駄だ! 切れ! 自分たちで狙いを付けた方がまだマシだ!」
    「りょっ、了解!」
     命じられた通り、オペレータたちは対スチール・フォックス用の戦闘モードからセミオート――敵の位置捕捉と照準設定をAIに分担させる、手動操縦モードに切り替える。だがこの戦術転換も功を奏さず、被害が拡大していく。
    「弾丸命中率は10%前後に上昇しましたが、効果が見られません!」
    「被撃破数、さらに上がってます! 30%を超えました!」
    「陣形崩れました! 作戦遂行可能予測、50%を切っています!」
    「指揮官、どうしますか!?」
    「……~ッ」
     グスマンは立ち上がったまま、前方をただただにらみつけていたが、やがてあきらめに満ちた声で「撤退しろ」と告げた。

     こうして白猫軍は国境直前であっけなく撃退され、彼らの油田掌握計画の完遂に、大きな壁が立ちはだかった。
     だが、作戦失敗の責を問われることを恐れたグスマンは、特殊戦闘モードが機能しなかった件なども含めた一切を上層部へ報告しないまま、翌日以降も攻めの一手を打ち続けた。しかし結果は変わらず、侵攻開始から5日が経過する間にドローン300体強を破壊され、銃弾50万発以上を無為に費やした末――ようやく軍本営がこの異常な浪費に気付き、意地を張ってほとんど制御室にこもりっぱなしになっていたグスマンを拘束・連行した。

    「この5日間にあなたの指揮によって消費された弾薬、そして修復・補充したドローンの総額は12億クラムに相当する。だけどあなたの部隊から成果が上がったと言う類の報告は一切受けていない。状況を詳細に報告しなさい」
    「閣下」の前に引き出されたグスマンは、憲兵たちに小銃を向けられながら、しどろもどろに答えた。
    「じょ、状況は、ですね、ええ、ええと、何と言いますか、じゅ、順調と、言えなくも」「セルヒ・グスマン三級党員」
    「閣下」は冷え切った眼差しを、グスマンに向ける。
    「状況だけを詳細に報告しなさい。あなたの感想は不要」
    「……我々は、難民特区国境のすぐ手前まで進軍しましたが、そこで会敵しました。相手は1名です。通称『対象SF』と呼ばれている、狐のパワードスーツの人物です」
    「対象SFに撃退されたと? 対象SF用に設定された特殊戦闘モードがあったはずだけど、使用したの?」
    「当初は使用しました。1回目の会敵では成果を上げましたが、2回目以降はほとんど命中しなくなり、セミオートでの戦闘に切り替えました」
    「その後の成果は?」
    「特殊戦闘モードに比べれば効果を確認できましたが、撃退できるほどのダメージを与えられず、……その……次は勝てる、勝ちうると考えて……ずるずると……」
    「では対象SFを撃退できないまま漫然と、弾薬とドローンを浪費したと言うことか。結構」
     直後、憲兵たちがグスマンに向かって小銃を構える。
    「ひっ……」「待ちなさい」
     が、「閣下」は手を挙げ、憲兵を制する。
    「もちろん、このままの失態が続くのであれば、あなたにはしかるべき責任を取ってもらう。しかし緒戦で勝利したことは確か。あなたに作戦遂行が不可能であるとは考えていない。だからあなたにもう一度だけ、機会を与える」
    「き、機会?」
    「5日間連日で交戦したことから、明日も対象SFが現れる可能性は非常に高い。それを次こそ撃破すること。できなければ今度こそ、責任を取ってもらう」
    「はっ、はい! しかと! しかと拝命いたしました!」
     真っ青な顔で敬礼したグスマンに、「閣下」はひんやりした声で「よろしい」と答えた。
    「では明日の作戦を行う前に、AI包括管理本部長とミーティングを行うこと。でなければ明日の結果も今日までと変わらないと予測する。私から連絡しておく。あなたは即時、彼の元に向かうこと。以上」
     そう言い残し、「閣下」は部屋を後にした。

    緑綺星・機襲譚 6

    2023.10.22.[Edit]
    シュウの話、第152話。AIの異様な不調。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -6. 報告を受け、グスマンは首をかしげた。「あ……? なんで26発だけ撃ったんだ? まさかAIが、たったそれだけで十分と判断したのか?」「ち、違います。26700発撃ち込んでるんです。命中が、26発です」「……なんだって!?」 グスマンが唖然としている間にもう一度攻撃が行われたが、結果は変わらなかった。「さっ、38発!?」「...

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    シュウの話、第153話。
    「トイ・メーカー」の所見。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    7.
    「で、僕のとこに来たと」
    「ああ」
     白猫党本部内、AI包括管理部――モニタとサーバで埋め尽くされた部屋を訪ねたグスマンは、この部署の最高責任者「トイ・メーカー」にもう一度、今日までの状況を説明した。
    「AIがポンコツになった、ってのはひどいなぁ」
    「トイ・メーカー」は苦笑しつつ、目の前のモニタに親指を向けた。
    「僕が組んだAIには今のところ、重度の不良や不具合は見られない。この5日間の、君が運用した際のデータも解析したけど、AI自体は問題なく動いてたよ」
    「じゃあ、なんで弾が当たらなかったんだ!?」
     憤るグスマンに、「トイ・メーカー」は「落ち着けよ」と缶コーヒーを差し出す。
    「ま、結論を言う前に、1日目と2日目の状況をそれぞれ解析した結果を見てもらうよ。
     1日目、特戦モードでSFに集弾攻撃した結果、88%の命中率を叩き出してSFを撃退せしめた。これはまあ、文句も問題点もない。僕たちにしてみれば当たり前の結果だ。問題は2日目。この時は何故か、1%程度も当てられなかった。……けど、これも当たり前っちゃ当たり前なんだ」
    「何故だ?」
    「集弾攻撃だもの。攻撃があんまりにもピンポイントすぎるから、ちょっとでも相手の行動がAIの予測とズレてたら、そりゃ全部外すよ。テストのヤマカンみたいなもんさ。
     で、ここで問題になるのが、『AIの予測と相手の行動にズレがあった』って点。自慢させてもらうけど、僕のAIはかなり精度が高い。人間一人に限定してデータを集めれば、数回程度の交戦で集弾攻撃の精度を9割以上にできるはずなんだ。1日目の結果通りだね。だけどこのデータを別の人間に適用した場合、1割どころか1%だって当てらんないだろうね。人間は一人ひとり、体格も動きのクセも違うからだ。オーダーメイドのスーツを他人が着ようとしても、ひじが突っ張ったり裾が長かったりでヘンテコに見えるのと一緒さ。
     つまり結論から言うと、1日目と、2日目以降のSFの中に入ってる人間は別人だ」
    「トイ・メーカー」の予測を聞かされ、グスマンは目を丸くした。
    「別人!?」
    「パワードスーツ自体は同一だから、それでAIが誤作動を起こしたんだ。君たちもそうみたいだけど。2日目にすぐ僕のところに駆け込んできてくれれば、3日目以降の惨敗はなかっただろう。そこは完全に君の落ち度だね。
     ともかく2日目以降のデータを別に集計して、特戦モードを修正してある。これなら1日目と同様、命中させられるだろう。もちろん、中身が同じ人間だったらの話だけど」
    「同じ人間じゃなかったら?」
    「解析したところ、2日目以降は同一人物らしいよ。AIがそう言ってる。1日目の、つまり今まで会敵した奴が出てきた場合は、自動で旧パターンに切り替える。もちろん新たに3人目が現れるってパターンも考えられるけど、その時はAIが『中身が違う』って教えてくれるようにした。そしてこのパターンが検出された場合――何がなんでも撃墜するための最終手段として――最寄りの基地から拠点爆撃用のHSBM(極超音速弾道ミサイル)を発射するようにも設定しておくよ」
    「HSBM!? そ、それは、ちょっと」
    「やりすぎ? それとも高く付くって? 僕に言わせればどっちの意見もナンセンスだ。
     白猫軍はこれまでSFに、かなり手を焼かされてきた。こいつに無茶苦茶されたおかげで放棄せざるを得なくなった計画や基地は、1つや2つじゃない。ここで仕留められれば、今後の軍事展開に大きな効果が期待できる。仕留められる機会があるなら、どんな手段でも使うべきだ。そもそも同じスーツを別の人間が着回してることから、スーツはあれ一着だけだと考えられる。あれさえ破壊してしまえば、正義の味方くんはもう二度と僕たちの邪魔ができなくなるだろう。
     費用に関して言えば、君は既に12億クラムを溶かしてる身だ。HSBM1発2~3000万ってとこだけど、12億溶かした人間からすれば、もはや大した額じゃないだろ? それにHSBMはまだ実戦投入できてない代物だ。実際に使ったデータが提供できれば、10回試験するよりよっぽどコスパがいい。予算面でのアピールにもなるし、となればカネ勘定大好きな『閣下』に喜んでもらえるってメリットがある。
     それでもやりたくないって言うなら、君は明日どんな顔して『閣下』に結果を報告するつもりなの? 正直ここまでやらなきゃ、SFを狩るのは不可能だと思うよ。ひいては明日の作戦成功もね。これはAIの予測じゃなく、僕の予測になるけど」
    「うぐ……」
     グスマンは渡された缶コーヒーを一息に飲み干し、「分かった」と応じた。

    緑綺星・機襲譚 7

    2023.10.23.[Edit]
    シュウの話、第153話。「トイ・メーカー」の所見。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -7.「で、僕のとこに来たと」「ああ」 白猫党本部内、AI包括管理部――モニタとサーバで埋め尽くされた部屋を訪ねたグスマンは、この部署の最高責任者「トイ・メーカー」にもう一度、今日までの状況を説明した。「AIがポンコツになった、ってのはひどいなぁ」「トイ・メーカー」は苦笑しつつ、目の前のモニタに親指を向けた。「僕が組...

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    シュウの話、第154話。
    特区防衛戦、最終局面。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    8.
     侵攻6日目――さらに巨額を費やしてドローンとMPS兵を拡充したグスマンの部隊は、不退転の決意で侵攻に臨んでいた。
    「今度こそ、成功させますので」
    「そうでなくては困る」
     この日は「閣下」も制御室に臨場し、グスマンの真横に付いていた。
    「『トイ・メーカー』から話は聞いている。HSBMを使用することなく作戦完遂することを期待している」
    「はっ……」
     額に浮かぶ汗を拭いつつ、グスマンは命令を下した。
    「全軍前進! 今日こそ制圧するぞ!」
    「了解!」
     オペレータたちの声にも緊張の色が交じる中、侵攻が開始される。そしてほどなく、カメラにあの金と黒のパワードスーツが映し出された。
    「対象SF出現!」
    「特殊戦闘モード移行せよ! 対象SF改実行だ!」
    「了解!」
     ドローンとMPSの照準が相手に定められ、集弾攻撃が展開される。
    「発射数25500発中、22924発命中! 命中率91.7%です!」
    「よしッ!」
     数日ぶりの手応えに、グスマンの顔色も明るくなる。
    「効果はどうだ!?」
    「カメラ映像を解析した結果、頭部装甲に微細な亀裂が発生したことを確認! 左胸部の装甲にもダメージが見られるそうです!」
    「よし、よし、よし……! いいぞ、畳み掛けろ!」
    「りょうか、……なっ!?」
     応じかけたオペレータが戸惑いの声を上げる。
    「ドローンが1基、破壊されました! 対象SFによる攻撃ではありません!」
    「何!? ……いや、これは予想が付く。SFの仲間だ! どこからどうやって攻撃している!?」
    「解析の結果、東南東の方角688メートル、特区内の元12階建て廃ビルの7階部分から、12.7ミリ対物ライフル弾による攻撃と判断されました! AIによれば36%の確率で対象EAであると、……もう1基破壊されました! 確率、68%に増加!」
    「排除しろ!」
    「了解! 排除します!」
     飛行型ドローンが自陣から飛び出し、廃ビルに向かおうとするが、これも特区内に踏み入る前に撃墜されていく。
    「相手は本当に2名なのか!?」
    「たった2名でこの軍勢を抑え込むとは……!」
    「……」
     と――静観していた「閣下」が、ぼそっとつぶやいた。
    「評価……マイナス」
    「……っ」
     そのつぶやきはすぐ近くのグスマンだけにしか聞こえなかったものの、当然、グスマンは戦慄・狼狽した。
    「み……ミサイルだ。HSBM発射を戦略兵器管理部に要請しろ。SFと廃ビルに撃ち込め!」
    「りょ、……HSBMですか!? 過剰戦力では!?」
     聞き返してきたオペレータに、グスマンは絶叫に近い声で命令した。
    「撃つんだ! 何がなんでも仕留めろッ!」
    「え、う、いや、しかし」
     オペレータは一瞬、グスマンと、その隣にいた「閣下」の顔をチラ、と確認し――彼女のひんやりとした目を見て――慌ててモニタに向き直った。
    「HSBM、要請します! ……承認されました! 目標、対象SFおよび対象EA! 発射!」
     グスマンの席のモニタに、HSBM2発の航路が表示される。それを眺めていた「閣下」が、今度ははっきりとグスマンに声をかけた。
    「HSBMの使用は望ましくないと、私は言っておいたはず」
    「し、しかし」「しかし」
     反論しようとしたグスマンを制するも――やはりひんやりとした口調ながら――「閣下」はこう続けた。
    「もしこの攻撃が結果として功を奏したのであれば、私はあなたの判断をプラスに評価する」
    「……もったいなきお言葉、ありがとうございます、閣下」
     放たれた2発のHSBMは央北地域を一瞬で西から東へと駆け抜け、数秒もしないうちに、特区の西上空に姿を現した。
    「これで決着だ! 蒸発しろッ、SF、EA!」
     着弾の瞬間、グスマンは椅子から立ち上がり、モニタをわしづかみにして、大声で叫んでいた。

    緑綺星・機襲譚 8

    2023.10.24.[Edit]
    シュウの話、第154話。特区防衛戦、最終局面。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -8. 侵攻6日目――さらに巨額を費やしてドローンとMPS兵を拡充したグスマンの部隊は、不退転の決意で侵攻に臨んでいた。「今度こそ、成功させますので」「そうでなくては困る」 この日は「閣下」も制御室に臨場し、グスマンの真横に付いていた。「『トイ・メーカー』から話は聞いている。HSBMを使用することなく作戦完遂することを期...

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    シュウの話、第155話。
    偽装作戦と、もう一つの決定打。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    9.
     時間は、侵攻開始直前に戻る。
    「着る前から分かる。無理だ」
     スチール・フォックスのパワードスーツを前にしたエヴァはそう答え、首を横に振った。
    「だよなー」
    「確かにテンコちゃんの言う通り、スーツ内に別の人間がいるとなれば多少はAIをたばかることもできるだろうが、そもそもこれはジャンニ専用に設計してるんだろう? 私とこいつじゃ体格が違いすぎる」
     親指で差され、彼女の後ろにいたジャンニも同意する。
    「エヴァさんの方が背ぇ高いし、ムキムキでスタイルええもん。こないだ一緒に筋トレした時なんか、俺の倍の重り引き上げとったし」
    「それは盛りすぎだ。せいぜい1.5倍だろう。ともかくその案は却下せざるを得ない。着られる人間がそもそもいないんじゃ、机上の空論だ」
    「せやけど前にミサイルで狙われた時、カズちゃんが着てたやん? ほんならカイトとか行けるんとちゃうん? 俺より背ぇ低いし」
     ジャンニの提案に、今度は一聖が首を振る。
    「アレは緊急事態だったから、無理矢理着込んで自動操縦で動かしてたんだよ。実際、オレはスーツん中で宙吊り状態だったし。そんな状態でマトモに戦うのは無理だ」
    「自動操縦ができるなら、それで十分では?」
     エヴァの質問に、一聖はもう一度首を振った。
    「相手はAIだからな。機械的動作はすぐ解析されちまう。人間の反射だとか反応とかの『ゆらぎ』『ブレ』があるから、解析を難しくさせられるんだ。コレは相手のAIを翻弄させて時間稼ぎするための作戦だからな。すぐ解析されちゃ、意味がない。同様の理由でエヴァや海斗用に新しくスーツを設計するってのもナシだ。大きさが違うんじゃ、すぐバレちまう。
     そもそもスーツを新しく作るって方法は、別の理由からもナシだ。こんなもんが2つも3つも作れるって判明したら、相当デカいトコがバックに付いてるってバレちまう」
    「その線から探られれば、我々がテンコちゃんの元にいることも判明しかねない。こっちに直接ミサイルを撃たれでもすれば、無関係の人間にも被害が及ぶ。トラス王国の批判なんかできる立場じゃなくなるだろう」
     エヴァの言葉にうなずきながら、一聖は話を続ける。
    「バレるにしても、せめて特区が独立してからじゃなきゃダメだ。天狐が画策してる最中に『セブンス・マグ』とつながってるコトが発覚したら、独立後の軍隊設立がままならなくなるだろーしな。『あいつらに全部任せりゃいーじゃん』っつって」
    「国家が防衛力を自前で構えられないんじゃ、国防も何もあったもんじゃない。結局、独立後に攻め落とされることになる」
    「そーゆーコトだ。……っと、話が逸れちまったが、とにかくこのスーツの中にジャンニ以外が入らなきゃ、偽装作戦は成立しない。問題はその誰をどーするか、だ」
     一同が打開策を見出だせず、揃ってうなっている中、シュウが手を挙げた。
    「あのー、こないだわたしの先輩から、『誰にでも化けられる人がラコッカファミリーにいるらしい』って話、聞いたんですよー。ホントかどうかは分かんないですけど、もしホントならソレ、行けるんじゃないですか?」
    「ふーん……? じゃ、オレが一応当たってみる。ダメ元って感じだけども」
     そう言うなり天狐は「テレポート」で姿を消す。残った一聖はスーツを眺めながら、話を続けた。
    「もしシュウの話がバッチリ上手く行ったとしたら、作戦は半分成功したようなもんだ。そっちについてはコレ以上話してもラチが明かねーから、残る半分について、今のうちにちゃっちゃとまとめとくとすっか」
    「残り半分?」
    「ああ。偽装作戦が上手く行ったとして、ソレでどーにかできんのはせいぜい2、3日ってトコだろう。いくらなんでもご自慢のAIが全然機能しねーってんじゃ、スチフォが偽物だって分かるだろーしな。
     逆に言えば、その偽装作戦に気付いて態勢立て直してからが本番になる。この段階に来た相手は、確実にスチフォを破壊しに来るだろう」
    「スーツが1着と考えているなら、なおのこと破壊しようと試みるだろう。それこそミサイルでも何でも使ってな」
    「それはやりすぎとちゃう? 流石にないやろ」
     ジャンニがそう突っ込んだが、エヴァは肩をすくめて返す。
    「昨年、白猫党領のオライオン設計局を襲撃・壊滅させた時のことを覚えているか? 新型ミサイルの試作データを発見したところだ」
    「あー、なんやったっけ、超音速ミサイル? やっけ」
    「正確には『極超音速ミサイル』、マッハ5以上の巡航速度で目標物へ向かうミサイルだ。発見したレポートには既に発射試験も終わり、実戦配備に向けての量産体制を申請予定であると記載されていた。設計局自体は潰したが、ミサイルのデータが党本部に送られている可能性は十分ありえるし、あれから相当時間が経っているから、実戦配備されていてもおかしくない。
     そして以降の襲撃でそれに該当する兵器が使用された様子はない。と言うより、『長い7世紀戦争』をはじめとして大規模な戦争が終息した今、使う機会がないと言った方が正確だろう。そこに来て、通常兵器で太刀打ちしきれないスチール・フォックスが出現したとしたら? 実戦投入のいい機会と考える可能性は、十分にある」
    「ま、ミサイルは行き過ぎでも、相当大掛かりな兵器を投入してくるであろうコトは容易に予想が付く。恐らくは白猫党お得意の、AIによる遠隔自動操縦機能を搭載したヤツが、な。
     ソコで第二の作戦だ」

    緑綺星・機襲譚 9

    2023.10.25.[Edit]
    シュウの話、第155話。偽装作戦と、もう一つの決定打。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -9. 時間は、侵攻開始直前に戻る。「着る前から分かる。無理だ」 スチール・フォックスのパワードスーツを前にしたエヴァはそう答え、首を横に振った。「だよなー」「確かにテンコちゃんの言う通り、スーツ内に別の人間がいるとなれば多少はAIをたばかることもできるだろうが、そもそもこれはジャンニ専用に設計してるんだろう?...

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    シュウの話、第156話。
    静寂の結末。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    10.
     その瞬間まで、制御室にいた誰もが勝利を――HSBMが直撃し、スチール・フォックスが爆発四散する光景がモニタに映し出されることを確信していた。
     ところが着弾しようかと言うその瞬間に、モニタの映像がぶつっと途切れた。
    「……ん、んん?」
     モニタをわしづかみにしていたグスマンは、慌ててモニタから手を離し、「壊れたか?」とつぶやく。が、オペレータたちのモニタもほぼ真っ黒になっていたのを見て、今度は「どうした?」とつぶやいた。
    「現地からの映像、いえ、データ通信がすべて途絶しました。復旧しません」
    「カメラの故障か? ドローン全部が?」
     あぜんとした顔で尋ねるグスマンに、オペレータたちも困惑した様子で応じる。
    「カメラだけではなく、ドローン自体に問題が発生した模様です」
    「通信の復旧を試みていますが、まったく応答がありません」
    「MPSも同様です。全員からの通信が途絶しました」
    「衛星からの画像を確認します。……え?」
     と、オペレータの一人が手を挙げる。
    「現地の映像来ましたが、あの、……着弾した様子がありません」
    「ちゃ、着弾してない? HSBMがか?」
    「衛星からの映像を確認したところ、HSBMは飛来した方向からそのまま東へ向かい、央北東部沖上空を20キロ程度進んだところで着水した模様です」
    「みっ、見せてくれ!」
     グスマンの席のモニタに、衛星画像が表示される。グスマンはモニタに食い入るようにして目をこらし、確かにオペレータの言う通り、現場にクレーターや焼け跡がなく、また、エヴァが潜伏していた廃ビルも、崩れず残っていることが確認できた。
    「……これは、……なんだ? 何が起こった?」
    「不明です。……通信回復に失敗。ドローンは完全に破壊されたものと考えられます。MPSとの通信も同様です」
     部隊が壊滅したことが確定的となり、制御室はしん、と静まり返る。その静寂に、「閣下」の冷え冷えとした声が響いた。
    「作戦失敗と判断。全員に処罰を検討する。以上」
    「……っ」
     涙目のグスマンの横を音もなく通り抜け、「閣下」は制御室を後にした。

     現場に到着したエヴァは、すっかりただの置物と化したドローンと、ぼんやり突っ立ったままのMPS兵士たちの様子を確認して回っていた。
    「ドローンもMPSも軒並み棒立ち。死者数はどうやらゼロだ。成功したみたいだな。ジャンニは、……いたら死んでるか」
    《そらそうやろ。あんなん至近距離で受けてたら、落っことされてそのまんま地面に真っ逆さまやん。スーツん中でミックスジュースになってまうわ》
     エヴァのインカムに、ジャンニの声が届く。
    《ギリギリで戻ってきたから、俺はバッチリ無事やで。エヴァさんも無事みたいで良かったわ》
    「対電磁シールドをカズちゃんにもらってたからな。おかげでインカムも無事だ。ミサイルはどうなった?」
    《こっちで観測してたが、どーやら海の方まで行ったみたいだぜ》
     天狐も会話に加わり、状況を伝える。
    《爆発はしてねーみたいだから、着水してそのまま海の底ってトコだろーな。ってワケで作戦終了だ。一聖に迎えに行かせるから、お前さんはソコで待っててくれ》
    「了解。EMP装置は回収しておくか?」
    《ああ。もう炭化してるだろーが、万が一誰かに拾われると厄介だからな。多分、ジャンニが最後にいた辺りの真下に転がってると思うが》
    「ああ、発見した。ただ、まだ煙上げてるから素手では触れそうにない」
    《発見したんならソレでいーよ。一聖に持って来させるし》
    「分かった。……と」
     特区の方から一聖が歩いてくるのを見つけ、エヴァが「こっちだ」と手を振る。
    「EMPも見つけておいたぞ」
    「ありがとよ。……ってやっぱこーなったか。現状、一回使ったらソレまでか。カネのかかる爆弾だな」
    「だが効果は絶大だ。白猫党のドローン軍団が、このざまだからな」
     そう言ってドローンを拳で小突くエヴァに、一聖はニヤニヤ笑いながら、黒化したその装置をつま先でちょん、ちょんと蹴った。
    「電磁パルス(EMP)発生装置――瞬間的に超強力な電磁波を発生させて電子機器をブッ壊す、今回の作戦第二のキモだ。しっかり役に立ってくれたぜ、ケケケ」



     こうして白猫党による特区襲撃は――実際には「セブンス・マグ」による応戦が行われたが、それは公にはされず――表向きには「白猫党が投入したドローン兵器が攻め入る直前に故障し、ミサイルも着弾することなく海に向かって飛んでいった」と報じられた。
     加えて帯同していたMPS兵が大量に発見・保護され、彼らの素性が調べられたことで、白猫党が人間を大量かつ非倫理的に集めていた疑惑が明白となり、白猫党に対する国際的評価は一層下落。関係があった中央大陸外の国から、取引停止と国交断絶が相次いだ。
     戦闘自体においても、そして戦闘後の評判においても、白猫等は惨敗を喫した。

    緑綺星・機襲譚 終

    緑綺星・機襲譚 10

    2023.10.26.[Edit]
    シュウの話、第156話。静寂の結末。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -10. その瞬間まで、制御室にいた誰もが勝利を――HSBMが直撃し、スチール・フォックスが爆発四散する光景がモニタに映し出されることを確信していた。 ところが着弾しようかと言うその瞬間に、モニタの映像がぶつっと途切れた。「……ん、んん?」 モニタをわしづかみにしていたグスマンは、慌ててモニタから手を離し、「壊れたか?」とつぶやく。...

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    シュウの話、第157話。
    建国と傾国。

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    1.
     白猫党の6度目の侵攻が失敗に終わったその日の晩、克天狐は難民特区に記者団を集め、会見を開いていた。
    「本日、難民特区における最大の組織であるロロ・ラコッカ氏のグループを元とした政府を設立し、難民特区全域を領土とする国家が成立したことを、ここに宣言する。国名については、かつてこの地域がカプリ州と呼ばれていたことから、『カプリ共和国』とした」
     いつもの蓮っ葉な言葉遣いをいくらか抑えた堅い口調で、天狐がそう宣言した。
    「このカプリ共和国については現在ミッドランド市国と、トラス王国を除いた『新央北』加盟国すべてから国家としての承認を得るとともに国交を結び、正式かつ正当な国家であることが保証されている。今後、カプリ共和国に対して不当に侵入あるいは軍事的干渉を行った国があるコトが判明した場合には、当該国はそれら承認国からの経済面を含むあらゆる制裁の対象となることを明言する」
    「トラス王国からの承認を得ていない、と言うことでしょうか。その場合、元々の領有者であったトラス王国からの抗議、あるいは制裁があると予想されますが」
    「もちろん想定しているし、実際に抗議があった場合にはこちらも明白かつ毅然とした対応をすることを明言する」
     堅いながらも「文句があるならハッキリ言ってみろ」と言い放った天狐に、報道陣も苦い顔をする。
    「白猫党からの襲撃も予想されていますが、そちらについては何か対応を?」
     この質問に、天狐は一瞬ニヤッと笑ったが、すぐに堅い表情を作ってみせた。
    「ソレについて話す前に、まず、本日国境東側に、実際に白猫党軍が差し向けたドローン部隊が出現したコトを知らせておこう」
    「現れたんですか!?」
     ざわつく報道陣を制し、天狐は得意げに話を続けた。
    「ところが午後4時頃、同軍は突然活動を停止した。当局の調査によれば『機器の故障』が原因だそうだ。加えて白猫党領から発射されたと思われる飛翔体が2つ観測されたが、こちらも当国に着弾するコトなく、央北東部沖20キロ地点に落下したと連絡を受けた。以上のコトから」
     天狐はカメラに向かって、今度ははっきりと笑顔を見せた。
    「白猫党に対する世間一般の評価に対し、実際の軍事力は相当劣っているものと推測される。いや、ハッキリ明言しよう。白猫党の軍事力はハリボテ同然、ご自慢のドローン機械師団もガラクタだらけだ。よって現時点では最低限、治安維持が可能な程度の防衛力で十分、ソレ以上の、つまり大規模な侵略を想定した過剰戦力を構える必要はないものと考えている。他の国に対してするのと同程度の備えで十分だろうと、大統領以下閣僚陣はそう考えている」

     天狐のこの強気な発言と――そして「たまたま現地に居合わせた人間が撮影した」と言う体で提供された――完全停止し、ただの鉄クズと化したドローン数百機の映像は全世界に報道され、白猫党は軍事面での評価を大きく落とすことになった。
     713年の統一以降、白猫党の外貨獲得手段は軍事兵器の輸出が大半だったが、この一件が報道された途端、取引のほとんどが輸入国側から「信頼性に欠ける」として、ことごとく打ち切られてしまった。
    「よって本年以降の貿易は、赤字に転落するものと見られています。領内需要も党統一以降、横ばいの状況が続いていることから、歳入額の増加も見込めません。一方、軍事支出は昨年、本年と増加傾向にあり、歳出額の拡大に歯止めがかかっていない状況です。
     結論として党財政の赤字は拡大の一途をたどっており、5年後の長期党債償還時点で債務不履行を生じさせる可能性があります」
     財務部長からの報告を受け、「閣下」は冷え切った目を党執行部一同に向けた。
    「これは大変憂うべき事態。打開策は?」
    「党員管理部としては増税と新規積立プランの実施を提案します」
    「増税に関しては却下。既に所得税は最低税率59%、法人税は最低税率68%、消費税に至っては160%に達している。その他主要な税金に関しても、これ以上の増税を行えば社会秩序の維持に関わる。積立プランについては実施を進めなさい」
    「政務部としては党のイメージ回復と貿易体制の見直しを提案します」
    「急務。早急に実施しなさい」
     淡々と報告と返答を繰り返し、一通りの意見が出揃った後、「閣下」は執行部全員の顔を見渡し、一層冷え切った声を発した。
    「党体制は現在大きく揺らいだ状況にある。しかし内的要因によるものではない。である以上、領内に対して問題の解決を求めてはならない。その点を誤らないこと。我々の抱える問題はあくまで外的要因、即ち現在我々には明確に敵が存在し、その敵から直接的・間接的を問わず攻撃を受け続けていることにある。
     であれば解決策は一つ。可及的速やかに敵を殲滅すること」

    緑綺星・建国譚 1

    2023.10.28.[Edit]
    シュウの話、第157話。建国と傾国。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -1. 白猫党の6度目の侵攻が失敗に終わったその日の晩、克天狐は難民特区に記者団を集め、会見を開いていた。「本日、難民特区における最大の組織であるロロ・ラコッカ氏のグループを元とした政府を設立し、難民特区全域を領土とする国家が成立したことを、ここに宣言する。国名については、かつてこの地域がカプリ州と呼ばれていたことから、『カプリ...

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    シュウの話、第158話。
    ガラじゃない。

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    2.
    「な、なー、テンコちゃん、マジで俺が社長でいいのかよぉ。俺、はっきり言って算数もできねーバカなんだぜ? ガラじゃねーよぉ」
     高級スーツを身にまとったダニーが、困った顔で天狐に尋ねる。が、天狐は「しゃーねーだろ」と突っぱねる。
    「確かに数日前まではとりあえずロロが社長ってコトになってたが、アイツが大統領やるってなった以上、どっちもってワケにゃ行かねーだろーが。ソレともお前さんが大統領やんのか?」
    「い、いやいやいやいや無理無理無理無理! ……う~……じゃあやっぱ俺が社長やるしかねーのかぁ」
    「だろ? ……言っとくがこの話はもう6回目だぜ。コレ以上ゴネんな。この国最大の企業の顔になるヤツが、そんなシケたツラしてんじゃねーよ。
     安心しろって。経営上の問題があったらオレが相談に乗ってやる。カネの問題が出てもオレがハナシ付けてやる。お前さんが一人でやんのは部下全員のバランス取りくらいだ。今までだってファミリーのNo.2としてみんなの相談に乗ってたろ? ソレとやるコトは一緒だ」
    「ん~……まあ……そう言われたら……できる気がしてきたような」
    「だろ?」
     天狐はぽんぽんとダニーの背中を叩き、ニヤッと笑いかけた。
    「大体において取り返しのつかねー失敗して組織を破滅させるヤツってのは、一人で勝手に判断して勝手に行動するヤツだ。独裁者、三代目ワンマン社長、ガンコじじい、モラハラDV野郎、意識だけ高い系の無能、みんなそーだろ?
     だがお前さんは違う。心配性で素直だし、頼りになる相談役がココにいる。素直にオレの話聞いて慎重に判断すりゃ、下手打つコトはねーよ」
    「うーん……じゃあ……うん、頑張ってみるわ、俺」
    「よっしゃ、その意気だぜ。……ま、社長なのに勘定できねーってのはちょいと怖いから、勉強はボチボチやれよ? 算数ドリルからでいいから」
    「へぇーい……」

     一方、ロロはもっと高級なスーツを着た自分を鏡で眺めながら、ため息をついていた。
    「俺が大統領なんて、ガラじゃねえよ。今からでもダニーに任せらんねえかなぁ」
    「アハハ、その話6回目~」
     着替えを手伝ったラフィが後ろでゲラゲラ笑いながら、ロロの背中を叩く。
    「兄貴も同じこと、同じくらいグチってたし。ホント、先生と兄貴って似てるよね。マジの親子みたい」
    「そりゃ20年以上一緒に暮らしてんだから、似もするだろ。……まあ、俺が代わってくんねえかなって言ってるってことは、あいつも『親父に代わってくれ』って言ってんだろうな。……そう考えるとバカバカしいか。しゃあねえ、いい加減覚悟決めるか」
    「そーしてよ。1時間後に兄貴と一緒に会見だって、テンコちゃん言ってたし。あたしも一緒に出ることになってるし。先生と兄貴が揃ってアワアワしてたら、あたし恥ずかしいし」
    「それなんだがよ」
     たどたどしく髪を櫛で撫でつけながら、ロロは苦い顔をする。
    「俺とダニーは分かる。一応、大統領と社長だからな。テンコちゃんもここまで貢献してくれてたんだから、出るのは当然だ。だけどお前が来るのはなんでだ?」
    「ん~……大統領秘書?」
    「秘書ってガラかよ」
    「そりゃま、今は全然だけどねー」
     そう答えつつ、ラフィもロロの横で髪をまとめ始める。
    「でもテンコちゃん言ってたじゃん。『やるぞってハラ決めてやり出したら、どんな仕事だってサマになってくもんだ』って。じゃああたしも先生の秘書やるって決めたんだし、んじゃあたし、やれんじゃね?」
    「そう思うなら、まずは言葉遣いからだな。大統領秘書が『やれんじゃね』みたいなしゃべり方するかよ」
    「ん、ま、それはいずれ頑張るってことで」
    「しゃあねえな。……っと、ちょっとトイレ行ってくる」
    「いてら~」
     一人になったところで、ラフィも鏡に映った自分の姿を、まじまじと見つめた。
    「なるぞって思ったら、秘書にも、……大統領夫人にもなれんのかな、あたし」



     天狐によるカプリ共和国建国宣言の後、大統領とラコッカ石油社長とを交え、以下の声明が発表された。
     まず、かねてより央北の話題の中心となっていた巨大油田について、国際的協力の元で採掘と精製、販売を行うこと。また、この石油取引に関係する国々で「央北経済連合」、通称CNEUを設立すること。さらにCNEUに加盟する国家間で新たに通貨を発行し、「新央北」の経済圏からの脱却を図ること。そしてこの通貨の名称は一連の計画の中心人物である天狐の、トパーズを思わせる金と白の毛並みにちなみ、「トピー」とすること。
     また、この際に1トピー通貨の意匠も公開されたが――どうやらこれは、天狐に対する一種のサプライズでもあったらしく――そこに自分の肖像が使われているのを見た天狐は「ガラじゃねーなー」とつぶやき、顔を赤くしていた。

    緑綺星・建国譚 2

    2023.10.29.[Edit]
    シュウの話、第158話。ガラじゃない。- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -2.「な、なー、テンコちゃん、マジで俺が社長でいいのかよぉ。俺、はっきり言って算数もできねーバカなんだぜ? ガラじゃねーよぉ」 高級スーツを身にまとったダニーが、困った顔で天狐に尋ねる。が、天狐は「しゃーねーだろ」と突っぱねる。「確かに数日前まではとりあえずロロが社長ってコトになってたが、アイツが大統領やるってなった以上、ど...

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