「双月千年世界 3;白猫夢」
白猫夢 第7部
白猫夢・悩狼抄 1
麒麟を巡る話、第310話。
善悪の結論と、未来への第一歩。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
1.
「……」
若き天才、葵・ハーミットの突然の失踪から3年半が経過した、双月暦565年の暮れ。
葵と同期だったゼミ生もそのほとんどが卒業、あるいは今期、卒業を迎えていた。
「……」
そしてこの日――10代生と呼ばれていた最後の一人が、その判定を心待ちにしていた。
「……うー」
椅子に座ったり、窓の外を見たり、眼鏡を拭いたり、自分の尻尾の毛づくろいをしたり、ベッドに寝転んだり――手持無沙汰にしているうちに、いつしか彼は眠りに落ち、夢を見ていた。
「アオイさんは、攻撃魔術を研究してるんですよね」
「うん」
それはまだ、葵がゼミに在籍していた頃の夢だった。
当時まだ幼かった彼は、この一見ぼんやりとした少女が何故、攻撃魔術などと言う、無骨でいかつく、恐ろしげな印象の強い、危険極まりないものを研究テーマとして選んでいるのか、不思議でならなかったのだ。
「どうしてそのテーマを?」
「んー、……そうだね」
葵は一瞬言いよどみ――彼の知る限り、聡明な彼女が言葉に詰まったのは、この一度きりだった――やがてこう返した。
「誰にも負けないように、かな」
「誰にも? 昔、何かあったんですか?」
「そんなところ」
その「何か」については、彼女は何も語らなかったが、この時にした会話を、彼は鮮明に覚えていた。
いつも眠たげな葵の目が、その時に限って、どこか鋭い輝きを放っていたからだ。
夢の内容が変わる。
「じゃあ……、じゃあ、アオイさんは悪者だって言うんですかッ!」
当時よりいくらか大人になった今だからこそ、こうしてその黒い大男に食ってかかったのはとんでもない暴挙であったと、今の彼には分かる。
そしてその恐ろしさをすぐ見せ付けられる――あの「黒い悪魔」克大火は、自分を怒鳴りつけてきた彼を、ギロリとにらんできた。
「……っ、な、なん、ですか、っ」
彼の声が、恐怖で上ずる。
「僕はっ、僕は信じないっ! アオイさんが……、アオイさんが、わっ、悪者だなんてッ!」
震える声でなおもそう叫んだ彼に、大火は小さくため息をつきつつ、こう返してきた。
「信じる信じないはお前の勝手だ。そもそも善悪などと言うものに、絶対的な基準など存在しない。
お前がそいつから被害を被り、著しく傷つけられたならば、お前はそいつを悪と見なし、憎むだろう。
逆にお前がそいつから利潤と幸福を得たと感じ、信じる限り、そいつはお前の中で善性を帯び、光を放ち続けるだろう。
善悪の基準など、つまるところそいつの主観に過ぎん。それを理解した上で、俺の言うことをよく検討するがいい。
葵は師である天狐をはじめ、このゼミのすべての人間に対し、己の高い能力と稀有な才能の大部分を隠して暮らしていた。ここで暮らす必要など一切無かったにもかかわらず、だ。既にこのゼミで教わる以上のものを手に入れていたのだからな。
葵が何故、どんな理由から、ここにいたのか? それをよく、考えるがいい。いつかまた葵に相対したその時、その思考によって得た結論が、葵・ハーミットと言う人間を善、もしくは悪の存在であるか判ずる、大きな材料となるだろう、な」
「……ん、ん」
ドアをノックする音で、彼は目を覚ました。
「はい、今開けます」
ばっと飛び起き、ドアを開ける。
「先輩! 卒論の評価、掲示されてるよ!」
年齢では3歳上、18歳のゼミ生に先輩と呼ばれ、彼は苦笑する。
「ありがとうございます。見てきます」
「あ、先輩」
呼び止められ、彼は振り返る。
「なんでしょう?」
「あたしも付いていっていい?」
「え? ええ、どうぞ」
特に断るような理由も無いため、彼は了承した。
二人は寮を出て天狐の屋敷へと向かい、その壁に張られた掲示板の前に立つ。
「これ、これ!」
「……」
後輩が指し示すが、彼は一旦背を向け、深呼吸する。
「ちょっと待ってください……。不安なので」
「落ち着いたら言ってね」
「え? あ、はい」
もう一度深呼吸し、彼は掲示板の方へ振り向く。
と――顔を両手で覆い、狼耳をプルプルさせている後輩の姿が目に入る。
「……どうしたんです?」
「あ、落ち着いた?」
「ええ、まあ」
彼の返答に、後輩は顔を見せ、にこっと笑う。
「じゃ、一緒に見よっか」
「はあ」
彼は後輩の横に立ち、掲示板に張られた自分のレポートと、天狐の評価を確認した。
「マーク・セブルス著 『植物生長促進術の人体欠損部位に対する応用の考察』
評価:優
当ゼミの卒業資格を与えるものとする」
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善悪の結論と、未来への第一歩。
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「……」
若き天才、葵・ハーミットの突然の失踪から3年半が経過した、双月暦565年の暮れ。
葵と同期だったゼミ生もそのほとんどが卒業、あるいは今期、卒業を迎えていた。
「……」
そしてこの日――10代生と呼ばれていた最後の一人が、その判定を心待ちにしていた。
「……うー」
椅子に座ったり、窓の外を見たり、眼鏡を拭いたり、自分の尻尾の毛づくろいをしたり、ベッドに寝転んだり――手持無沙汰にしているうちに、いつしか彼は眠りに落ち、夢を見ていた。
「アオイさんは、攻撃魔術を研究してるんですよね」
「うん」
それはまだ、葵がゼミに在籍していた頃の夢だった。
当時まだ幼かった彼は、この一見ぼんやりとした少女が何故、攻撃魔術などと言う、無骨でいかつく、恐ろしげな印象の強い、危険極まりないものを研究テーマとして選んでいるのか、不思議でならなかったのだ。
「どうしてそのテーマを?」
「んー、……そうだね」
葵は一瞬言いよどみ――彼の知る限り、聡明な彼女が言葉に詰まったのは、この一度きりだった――やがてこう返した。
「誰にも負けないように、かな」
「誰にも? 昔、何かあったんですか?」
「そんなところ」
その「何か」については、彼女は何も語らなかったが、この時にした会話を、彼は鮮明に覚えていた。
いつも眠たげな葵の目が、その時に限って、どこか鋭い輝きを放っていたからだ。
夢の内容が変わる。
「じゃあ……、じゃあ、アオイさんは悪者だって言うんですかッ!」
当時よりいくらか大人になった今だからこそ、こうしてその黒い大男に食ってかかったのはとんでもない暴挙であったと、今の彼には分かる。
そしてその恐ろしさをすぐ見せ付けられる――あの「黒い悪魔」克大火は、自分を怒鳴りつけてきた彼を、ギロリとにらんできた。
「……っ、な、なん、ですか、っ」
彼の声が、恐怖で上ずる。
「僕はっ、僕は信じないっ! アオイさんが……、アオイさんが、わっ、悪者だなんてッ!」
震える声でなおもそう叫んだ彼に、大火は小さくため息をつきつつ、こう返してきた。
「信じる信じないはお前の勝手だ。そもそも善悪などと言うものに、絶対的な基準など存在しない。
お前がそいつから被害を被り、著しく傷つけられたならば、お前はそいつを悪と見なし、憎むだろう。
逆にお前がそいつから利潤と幸福を得たと感じ、信じる限り、そいつはお前の中で善性を帯び、光を放ち続けるだろう。
善悪の基準など、つまるところそいつの主観に過ぎん。それを理解した上で、俺の言うことをよく検討するがいい。
葵は師である天狐をはじめ、このゼミのすべての人間に対し、己の高い能力と稀有な才能の大部分を隠して暮らしていた。ここで暮らす必要など一切無かったにもかかわらず、だ。既にこのゼミで教わる以上のものを手に入れていたのだからな。
葵が何故、どんな理由から、ここにいたのか? それをよく、考えるがいい。いつかまた葵に相対したその時、その思考によって得た結論が、葵・ハーミットと言う人間を善、もしくは悪の存在であるか判ずる、大きな材料となるだろう、な」
「……ん、ん」
ドアをノックする音で、彼は目を覚ました。
「はい、今開けます」
ばっと飛び起き、ドアを開ける。
「先輩! 卒論の評価、掲示されてるよ!」
年齢では3歳上、18歳のゼミ生に先輩と呼ばれ、彼は苦笑する。
「ありがとうございます。見てきます」
「あ、先輩」
呼び止められ、彼は振り返る。
「なんでしょう?」
「あたしも付いていっていい?」
「え? ええ、どうぞ」
特に断るような理由も無いため、彼は了承した。
二人は寮を出て天狐の屋敷へと向かい、その壁に張られた掲示板の前に立つ。
「これ、これ!」
「……」
後輩が指し示すが、彼は一旦背を向け、深呼吸する。
「ちょっと待ってください……。不安なので」
「落ち着いたら言ってね」
「え? あ、はい」
もう一度深呼吸し、彼は掲示板の方へ振り向く。
と――顔を両手で覆い、狼耳をプルプルさせている後輩の姿が目に入る。
「……どうしたんです?」
「あ、落ち着いた?」
「ええ、まあ」
彼の返答に、後輩は顔を見せ、にこっと笑う。
「じゃ、一緒に見よっか」
「はあ」
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