「双月千年世界 短編・掌編・設定など」
央中神学事始
央中神学事始 2
ペドロの話、第2話。
牢の中の信仰。
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2.
ほとんど外の光も入って来ない、常にひんやりとした湿気に包まれた牢獄の中で、ペドロは絶望していた。
(僕の……僕の人生は……神学の世界で業績を挙げ、神学史に名を残すと言う僕の夢は……全部終わってしまった)
中央政府の下では死刑、もしくは終身刑に課せられた人間には、慈悲も温情も一切与えられることは無い。一日二度の食事以外には、本も新聞も、紙一枚すらも与えられず、ましてや牢から出て自由行動や運動の機会が与えられることも、決して無い。
ペドロもその例に漏れず、たった3メートル四方の、昼とも夜ともつかない、永遠に続くようにも思える無の世界に閉じ込められていた。そんな虚無にあっては、どんな知性もどんな意欲も、まるで意味を成さない。外の世界では常に聖書に触れ、その一言一句と真摯(しんし)に向き合ってきた神童ペドロも、この何も無い空間では何一つ、物を成すことはできなかった。
そうして絶望に飲み込まれ、毎日をただ寝て過ごすばかりだったペドロの短い耳に――ある時、若い男の声が、切れ切れながらも届いた。
「……そんな非道が……世界中が犠牲に……」「おい、うるさいぞ!」
どうやら政治か何かを憂う男が、世の不条理に対して嘆き叫んだらしかったが、すぐに看守の怒声と、分厚い扉を蹴る音にさえぎられる。
(無駄なことを)
既に何ヶ月も独房の中で過ごし、最早聖書の文言を何一つ思い出せなくなっていたペドロは、その男の行いをただの愚行とあざけった。
しかし男の声は、その後も度々続いた。他に聞くものも無いため、ペドロは男の話をぼんやり聞いていた。既に知性を失いかけていたペドロではあったが、それでも男の言葉に、錆び付きかけていた脳を動かし、思考を巡らせていた。
(どうやら政治家だったらしい。誰か偉い人に逆らったか何かしたようだ。陛下と言っていた。まさか、天帝に楯突いたのだろうか? 馬鹿だな。逆らったらどうなるか、子供でも分かるだろうに。
他にも誰か……エンターゲートとかバーミーとか……知らない名前だ。世界がその二人に牛耳られるとか何とか……もしかしてこの人、発狂でもしていたのだろうか? 僕にだって、世界が広いと言うことは分かっている。この大きな世界が、たった二人のモノにされてしまうなんてことが、あるはずが無い。誇大妄想もいいところだ。
でも……何だか、声は真剣そのものだ。聞く限り、狂っているようには思えない。……彼は彼で、頭のいい人なのかも知れない。その頭の良さで、僕みたいな政治の門外漢にはさっぱり理解できない、何かを悟ったのか。
でも、……だとしたら、何? こんな独房の中でどんな真理に行き着いたって、結局は無駄になるだけじゃないか。やっぱり、彼は馬鹿なんだろうな)
しかし男の声が聞こえ始めてから、何週間か経った頃――突然、牢獄に爆音が轟き、ペドロは驚いて目を覚ました。
「なっ……何!?」
ペドロは分厚い扉に張り付き、高さ5センチもない窓に顔を押し付けて、音がしたらしい方を凝視した。
「な、な……!?」
男の声がする。そして彼に応じるように、別の男の声が聞こえてきた。
「二度も言わせるな」
「あ、う、うん」
「さっさと逃げるぞ」
もうひとりの男の言葉に、ペドロは驚愕した。
(『逃げる』……!? だ、脱獄した!?)
聞き間違いではないかと自分の耳を疑い、ペドロは耳を澄ませたが――それきり、どちらの声も聞こえなくなった。
その後のことを知る術(すべ)はペドロにはなく、また当然ながら、誰かから伝えられるようなこともなかったが、それでもその日以来、あの男の声が聞こえなくなったことから、彼が脱獄したらしいことだけは確かだった。
そしてそれが、ペドロの心にも一筋の光をもたらしたのだ。
(あの男は毎日……毎日、世界を憂う言葉を口にしていた。毎日、己の身ではなく、この世にあまねく人々のことを思っていた。僕はそれを愚行だ、馬鹿な行いだとあざけっていたけれど、……果たして本当に、本当に、そうだったのか? あの男は己の境遇に絶望することなく、世界を救うことを本当に願っていた。こんな闇の中にあって、それでも世界を救わんとしていた。だからこそ神が――違うのかも知れないけれど、とにかく何かが――手を差し伸べたのだろう。
僕はどうだ? 何かを成したか? いいや、成そうとしたのか? あきらめていたじゃないか。何も出来やしないと、すべてを捨てて寝転がっていただけじゃないか!
僕も、……僕も何かをやろう。今、自分にできる、何かを)
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ほとんど外の光も入って来ない、常にひんやりとした湿気に包まれた牢獄の中で、ペドロは絶望していた。
(僕の……僕の人生は……神学の世界で業績を挙げ、神学史に名を残すと言う僕の夢は……全部終わってしまった)
中央政府の下では死刑、もしくは終身刑に課せられた人間には、慈悲も温情も一切与えられることは無い。一日二度の食事以外には、本も新聞も、紙一枚すらも与えられず、ましてや牢から出て自由行動や運動の機会が与えられることも、決して無い。
ペドロもその例に漏れず、たった3メートル四方の、昼とも夜ともつかない、永遠に続くようにも思える無の世界に閉じ込められていた。そんな虚無にあっては、どんな知性もどんな意欲も、まるで意味を成さない。外の世界では常に聖書に触れ、その一言一句と真摯(しんし)に向き合ってきた神童ペドロも、この何も無い空間では何一つ、物を成すことはできなかった。
そうして絶望に飲み込まれ、毎日をただ寝て過ごすばかりだったペドロの短い耳に――ある時、若い男の声が、切れ切れながらも届いた。
「……そんな非道が……世界中が犠牲に……」「おい、うるさいぞ!」
どうやら政治か何かを憂う男が、世の不条理に対して嘆き叫んだらしかったが、すぐに看守の怒声と、分厚い扉を蹴る音にさえぎられる。
(無駄なことを)
既に何ヶ月も独房の中で過ごし、最早聖書の文言を何一つ思い出せなくなっていたペドロは、その男の行いをただの愚行とあざけった。
しかし男の声は、その後も度々続いた。他に聞くものも無いため、ペドロは男の話をぼんやり聞いていた。既に知性を失いかけていたペドロではあったが、それでも男の言葉に、錆び付きかけていた脳を動かし、思考を巡らせていた。
(どうやら政治家だったらしい。誰か偉い人に逆らったか何かしたようだ。陛下と言っていた。まさか、天帝に楯突いたのだろうか? 馬鹿だな。逆らったらどうなるか、子供でも分かるだろうに。
他にも誰か……エンターゲートとかバーミーとか……知らない名前だ。世界がその二人に牛耳られるとか何とか……もしかしてこの人、発狂でもしていたのだろうか? 僕にだって、世界が広いと言うことは分かっている。この大きな世界が、たった二人のモノにされてしまうなんてことが、あるはずが無い。誇大妄想もいいところだ。
でも……何だか、声は真剣そのものだ。聞く限り、狂っているようには思えない。……彼は彼で、頭のいい人なのかも知れない。その頭の良さで、僕みたいな政治の門外漢にはさっぱり理解できない、何かを悟ったのか。
でも、……だとしたら、何? こんな独房の中でどんな真理に行き着いたって、結局は無駄になるだけじゃないか。やっぱり、彼は馬鹿なんだろうな)
しかし男の声が聞こえ始めてから、何週間か経った頃――突然、牢獄に爆音が轟き、ペドロは驚いて目を覚ました。
「なっ……何!?」
ペドロは分厚い扉に張り付き、高さ5センチもない窓に顔を押し付けて、音がしたらしい方を凝視した。
「な、な……!?」
男の声がする。そして彼に応じるように、別の男の声が聞こえてきた。
「二度も言わせるな」
「あ、う、うん」
「さっさと逃げるぞ」
もうひとりの男の言葉に、ペドロは驚愕した。
(『逃げる』……!? だ、脱獄した!?)
聞き間違いではないかと自分の耳を疑い、ペドロは耳を澄ませたが――それきり、どちらの声も聞こえなくなった。
その後のことを知る術(すべ)はペドロにはなく、また当然ながら、誰かから伝えられるようなこともなかったが、それでもその日以来、あの男の声が聞こえなくなったことから、彼が脱獄したらしいことだけは確かだった。
そしてそれが、ペドロの心にも一筋の光をもたらしたのだ。
(あの男は毎日……毎日、世界を憂う言葉を口にしていた。毎日、己の身ではなく、この世にあまねく人々のことを思っていた。僕はそれを愚行だ、馬鹿な行いだとあざけっていたけれど、……果たして本当に、本当に、そうだったのか? あの男は己の境遇に絶望することなく、世界を救うことを本当に願っていた。こんな闇の中にあって、それでも世界を救わんとしていた。だからこそ神が――違うのかも知れないけれど、とにかく何かが――手を差し伸べたのだろう。
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