「双月千年世界 短編・掌編・設定など」
央中神学事始
央中神学事始 3
ペドロの話、第3話。
「悪魔」の治世、その実情。
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3.
男がいなくなった後、ペドロは密かに、独房で聖書の暗誦を始めた。最初はほとんど思い出せず、己の衰えに愕然としたが、それでもかつて神童と謳われた青年である。
「……第5項、ハンニバルは嘆き、己の情況を呪った。第6項、ハンニバルの前に狐の女が現れた。エリザであった。第7項、エリザはハンニバルを救い、ハンニバルに告げた。第8項、ハンニバル、剣を収めよ。敵は皆、昏倒させた。戦いは終わったのだ。第9項、ハンニバルはエリザに礼を述べた。エリザはハンニバルを抱きしめ、その苦労をねぎらった。第4章第1節第1項、……」
記憶の糸を必死にたぐり、悪戦苦闘していたのもほんの2、3ヶ月の間であり、一度思い出してしまえば、聖書はペドロの頭の中に、ふたたびしっかりとしまい込まれた。
「……ゼロはハンニバルに命じた。兵を率い、ノースポートを奪還せよと。……あ、もう日が暮れるな」
明かり取りの狭い窓から差し込む光が赤みを帯びていることに気付いたところで、ペドロはぴたりと黙り込んだ。
神学への希望と意欲を取り戻したペドロは、自らに「行」を課した。牢獄に日の光が差すと同時に聖書の暗誦を始め、日が落ちるまで延々と、休み無く続ける。その行が何の意味を成すのか、何が報われるのかは、彼本人にも分からない。それでも彼は、己の心に現れた希望の光を絶やさぬため、そして己が会得した唯一の技術を失わないために、毎日暗誦し続けた。
その祈りが天に通じたのか――あるいは悪魔に通じたのかも知れないが――ついに双月暦314年、報われる時が訪れた。
この年、中央政府は反乱組織によって首都への攻撃を受けた。その混乱の最中、最高権力者であったオーヴェル帝は部下に背かれ、暗殺された。首脳を失った中央政府は反乱軍に無条件降伏を決定し、反乱軍のリーダーであった元中央政府政務大臣、ファスタ卿に全権を明け渡した。ところがこのファスタ卿も謎の失踪を遂げてしまい、彼の側近であった「黒い悪魔」――克大火がその全権を奪取した。
これにより、二世紀半にわたって神の威光を背にしてきた中央政府は崩壊。克大火を主権・最高意思決定者とする、一種の君主制に移行したのである。
悪魔と畏れられた克大火であったが、政治運営のみに限定して述べるのであれば、彼は悪魔どころか民衆の英雄であった。
まず彼は天帝一族と天帝教総本山を央北のはずれの街、マーソルに追いやり、また、中央政府の要職に就いていた高僧らも、軒並み罷免。中央政府全体にはびこっていた天帝教勢力を、完全に排除した。これにより「寄進」と称した悪質かつ無法な徴発・徴税は一切行われなくなり、人民の暮らしは大いに安定・向上した。
その他、信教の自由を約束する、央中・央南の独立を承認するなど、彼は中央政府の主権でありながら、その中央政府の絶対的地位を自ら揺るがし、小規模化させるような――言い換えれば、人民を絶対的権力による支配体制から解放させ、その自由と権利を大いに認めるような施策を次々に行った。結局はそれがために316年、克大火は中央政府から「特別顧問」として主権の地位から退くように要請されてしまったが、この2年間に行われた政策は悪魔的どころか、後年の政治学においても「歴史上稀に見る善政」とまで評されるものであった。
そして天帝教の敬虔な信者たるペドロにとっても、克大火は悪魔ではなかった。
この2年間の自由主義的施策の一環として、克大火は政治犯・思想犯の恩赦を命じていた。即ち「黒い悪魔」の鶴声によって、ペドロは10年ぶりに、太陽の下に出ることができたのである。
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「悪魔」の治世、その実情。
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3.
男がいなくなった後、ペドロは密かに、独房で聖書の暗誦を始めた。最初はほとんど思い出せず、己の衰えに愕然としたが、それでもかつて神童と謳われた青年である。
「……第5項、ハンニバルは嘆き、己の情況を呪った。第6項、ハンニバルの前に狐の女が現れた。エリザであった。第7項、エリザはハンニバルを救い、ハンニバルに告げた。第8項、ハンニバル、剣を収めよ。敵は皆、昏倒させた。戦いは終わったのだ。第9項、ハンニバルはエリザに礼を述べた。エリザはハンニバルを抱きしめ、その苦労をねぎらった。第4章第1節第1項、……」
記憶の糸を必死にたぐり、悪戦苦闘していたのもほんの2、3ヶ月の間であり、一度思い出してしまえば、聖書はペドロの頭の中に、ふたたびしっかりとしまい込まれた。
「……ゼロはハンニバルに命じた。兵を率い、ノースポートを奪還せよと。……あ、もう日が暮れるな」
明かり取りの狭い窓から差し込む光が赤みを帯びていることに気付いたところで、ペドロはぴたりと黙り込んだ。
神学への希望と意欲を取り戻したペドロは、自らに「行」を課した。牢獄に日の光が差すと同時に聖書の暗誦を始め、日が落ちるまで延々と、休み無く続ける。その行が何の意味を成すのか、何が報われるのかは、彼本人にも分からない。それでも彼は、己の心に現れた希望の光を絶やさぬため、そして己が会得した唯一の技術を失わないために、毎日暗誦し続けた。
その祈りが天に通じたのか――あるいは悪魔に通じたのかも知れないが――ついに双月暦314年、報われる時が訪れた。
この年、中央政府は反乱組織によって首都への攻撃を受けた。その混乱の最中、最高権力者であったオーヴェル帝は部下に背かれ、暗殺された。首脳を失った中央政府は反乱軍に無条件降伏を決定し、反乱軍のリーダーであった元中央政府政務大臣、ファスタ卿に全権を明け渡した。ところがこのファスタ卿も謎の失踪を遂げてしまい、彼の側近であった「黒い悪魔」――克大火がその全権を奪取した。
これにより、二世紀半にわたって神の威光を背にしてきた中央政府は崩壊。克大火を主権・最高意思決定者とする、一種の君主制に移行したのである。
悪魔と畏れられた克大火であったが、政治運営のみに限定して述べるのであれば、彼は悪魔どころか民衆の英雄であった。
まず彼は天帝一族と天帝教総本山を央北のはずれの街、マーソルに追いやり、また、中央政府の要職に就いていた高僧らも、軒並み罷免。中央政府全体にはびこっていた天帝教勢力を、完全に排除した。これにより「寄進」と称した悪質かつ無法な徴発・徴税は一切行われなくなり、人民の暮らしは大いに安定・向上した。
その他、信教の自由を約束する、央中・央南の独立を承認するなど、彼は中央政府の主権でありながら、その中央政府の絶対的地位を自ら揺るがし、小規模化させるような――言い換えれば、人民を絶対的権力による支配体制から解放させ、その自由と権利を大いに認めるような施策を次々に行った。結局はそれがために316年、克大火は中央政府から「特別顧問」として主権の地位から退くように要請されてしまったが、この2年間に行われた政策は悪魔的どころか、後年の政治学においても「歴史上稀に見る善政」とまで評されるものであった。
そして天帝教の敬虔な信者たるペドロにとっても、克大火は悪魔ではなかった。
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