「双月千年世界 短編・掌編・設定など」
央中神学事始
央中神学事始 8
ペドロの話、第8話。
恩師との再会。
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8.
央中、ゴールドコースト市国に着いたペドロを待っていたのは、かつての恩師だった。
「お久しぶりです、ラウバッハ君」
「え? ……あっ、もしかして!?」
驚くペドロに、その老いた狐獣人はにこりと微笑む。
「ええ、私です」
「お久しぶりです、マルティーノ先生。……あっ、じゃあ3世が仰っていた『神学に詳しい情報筋』って」
「そう言うこっちゃ」
3世もニコニコしながら、経緯を説明してくれた。
ペドロは元々、央北の小さな農村の生まれであったが、幼い頃から非凡な才能を現していた彼に大成の機会を与えるべく、両親は彼を学校のある大きな街へ住まわせた。そこで出会ったのが、このヘイゼス・マルティーノ師だった。
彼は歴史学者であり、厳密には神学の徒ではなかったが、それでも4世紀の双月世界において「歴史」とは、即ち「宗教史」である。少なからず神学にも通暁していたマルティーノ師は、神学者を志したペドロに手厚い指導・鞭撻を施し、のみならず、神学府への仕官の道まで手配してくれた。ペドロにとっては、他ならぬ恩師である。だがペドロが投獄された後、彼の研究内容を徹底的に隠蔽・抹消しようと天帝教教会が画策していること、彼の関係者や知人が次々狙われていることを人づてに聞いたマルティーノ師は、息子一家を伴って央中へと逃れた。
央中へ移ったマルティーノ師は、この地でも己の研究を続けるべく、央中の実力者・名家を頼ろうとした。央中の名家と言えばゴールドマン家とネール家が双璧であるが、折り悪く双月暦306年のこの時、両家は熾烈な争いを繰り広げている最中であり、どちらに付くこともできなかった。そこでマルティーノ師は両家よりいくらか格が落ちるものの、中央政府から「大公」の爵位を賜っており、名目的には央中における天帝の名代である第三の名家、バイエル家を訪ねた。
結果的にこれは、マルティーノ師にしばしの平穏をもたらした。前述の通りバイエル家はゴールドマン家、ネール家に比べて何かと格下に見られる存在である。何かの形で隆興しようと常に図っていた同家は、歴史学の分野において高名なマルティーノ師を破格の待遇で召し抱え、研究を続けさせたのである。
ところがこの安息も、310年代のはじめ頃に崩れた。この頃から央中では深刻な不景気、いわゆる恐慌が発生しており、バイエル家もこの不況の波に呑まれてしまったのである。とても不急の事業に予算を割り当てられるような状況ではなくなってしまい、当然、マルティーノ師も解雇されてしまった。それでもいつかもう一度召し抱えられることを願いつつ、数年分の蓄えと息子の収入でどうにか細々と研究を続けていたマルティーノ師だったが、ついに315年、彼の人生最大の好機が訪れた。
この2年前、ニコル3世は前金火狐商会総帥を追い出し、ネール家息女との結婚によって両家の和平を実現させ、新たな総帥となっていた。そして総帥としての事業の第一歩として、ゴールドコーストにて金火狐財団を創設し、大商人としての基盤を確立した。
己の地盤を固めた3世は、続いて央中恐慌からの脱出、そして央中全域を中央政府から独立させるべく、十重二十重の工作を仕掛けた。その一環として大公位を譲り受けるべく、彼はバイエル家を訪ね、ここでマルティーノ師と出会ったのである。
既にこの頃から央中天帝教の興隆を考えていた3世は、マルティーノ師を聖書編纂事業の主筆、最高責任者として招こうとしたが、マルティーノ師はこう答えて辞去した。
「聖書を一から作るとなれば、5年、10年で終わるような仕事にはならないでしょう。自分は既に高齢で、事業の完遂まで生きながらえることができるとは思えません。もっと若い人間を主筆に据えるべきでしょう。
そもそも私は歴史学者であり、神学者ではありません。である以上、私が書く書物が『聖書』として扱われることは無いでしょう。聖書をお作りになりたいのであれば、本職の神学者に依頼されるべきではないでしょうか」
そしてさらに、「仮に央北天帝教の神学府へご依頼なさったとしても、央中天帝教の聖書を作るなどと言う話に、快く手を貸すはずがありません。依頼するとすれば、神学府と関わりの無い人間でなければならないでしょう」と付け加えた上で、ペドロの話を伝えたのである。
「……と、そこまではまだええとしても」
3世は肩をすくめ、ペドロに目を向けた。
「あんたが釈放されてからの足取りを追うんは、ホンマに苦労しましたで。雲隠れしたんちゃうかと思うくらい、どこに行ってしもたんか全然分かりませんでしたからな。ほんでもこうしてここまで連れて来たわけですし、これからは張り切って仕事してもらいますで」
「は……はい」
この時、ペドロはそこはかとなく嫌な予感を覚えはしたものの――自分を主筆に据えての新たな聖書編纂事業と言う、己のすべてを懸けるに値する未曾有の大仕事を目の前にしては、その予感に目をつむらざるを得なかった。
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恩師との再会。
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8.
央中、ゴールドコースト市国に着いたペドロを待っていたのは、かつての恩師だった。
「お久しぶりです、ラウバッハ君」
「え? ……あっ、もしかして!?」
驚くペドロに、その老いた狐獣人はにこりと微笑む。
「ええ、私です」
「お久しぶりです、マルティーノ先生。……あっ、じゃあ3世が仰っていた『神学に詳しい情報筋』って」
「そう言うこっちゃ」
3世もニコニコしながら、経緯を説明してくれた。
ペドロは元々、央北の小さな農村の生まれであったが、幼い頃から非凡な才能を現していた彼に大成の機会を与えるべく、両親は彼を学校のある大きな街へ住まわせた。そこで出会ったのが、このヘイゼス・マルティーノ師だった。
彼は歴史学者であり、厳密には神学の徒ではなかったが、それでも4世紀の双月世界において「歴史」とは、即ち「宗教史」である。少なからず神学にも通暁していたマルティーノ師は、神学者を志したペドロに手厚い指導・鞭撻を施し、のみならず、神学府への仕官の道まで手配してくれた。ペドロにとっては、他ならぬ恩師である。だがペドロが投獄された後、彼の研究内容を徹底的に隠蔽・抹消しようと天帝教教会が画策していること、彼の関係者や知人が次々狙われていることを人づてに聞いたマルティーノ師は、息子一家を伴って央中へと逃れた。
央中へ移ったマルティーノ師は、この地でも己の研究を続けるべく、央中の実力者・名家を頼ろうとした。央中の名家と言えばゴールドマン家とネール家が双璧であるが、折り悪く双月暦306年のこの時、両家は熾烈な争いを繰り広げている最中であり、どちらに付くこともできなかった。そこでマルティーノ師は両家よりいくらか格が落ちるものの、中央政府から「大公」の爵位を賜っており、名目的には央中における天帝の名代である第三の名家、バイエル家を訪ねた。
結果的にこれは、マルティーノ師にしばしの平穏をもたらした。前述の通りバイエル家はゴールドマン家、ネール家に比べて何かと格下に見られる存在である。何かの形で隆興しようと常に図っていた同家は、歴史学の分野において高名なマルティーノ師を破格の待遇で召し抱え、研究を続けさせたのである。
ところがこの安息も、310年代のはじめ頃に崩れた。この頃から央中では深刻な不景気、いわゆる恐慌が発生しており、バイエル家もこの不況の波に呑まれてしまったのである。とても不急の事業に予算を割り当てられるような状況ではなくなってしまい、当然、マルティーノ師も解雇されてしまった。それでもいつかもう一度召し抱えられることを願いつつ、数年分の蓄えと息子の収入でどうにか細々と研究を続けていたマルティーノ師だったが、ついに315年、彼の人生最大の好機が訪れた。
この2年前、ニコル3世は前金火狐商会総帥を追い出し、ネール家息女との結婚によって両家の和平を実現させ、新たな総帥となっていた。そして総帥としての事業の第一歩として、ゴールドコーストにて金火狐財団を創設し、大商人としての基盤を確立した。
己の地盤を固めた3世は、続いて央中恐慌からの脱出、そして央中全域を中央政府から独立させるべく、十重二十重の工作を仕掛けた。その一環として大公位を譲り受けるべく、彼はバイエル家を訪ね、ここでマルティーノ師と出会ったのである。
既にこの頃から央中天帝教の興隆を考えていた3世は、マルティーノ師を聖書編纂事業の主筆、最高責任者として招こうとしたが、マルティーノ師はこう答えて辞去した。
「聖書を一から作るとなれば、5年、10年で終わるような仕事にはならないでしょう。自分は既に高齢で、事業の完遂まで生きながらえることができるとは思えません。もっと若い人間を主筆に据えるべきでしょう。
そもそも私は歴史学者であり、神学者ではありません。である以上、私が書く書物が『聖書』として扱われることは無いでしょう。聖書をお作りになりたいのであれば、本職の神学者に依頼されるべきではないでしょうか」
そしてさらに、「仮に央北天帝教の神学府へご依頼なさったとしても、央中天帝教の聖書を作るなどと言う話に、快く手を貸すはずがありません。依頼するとすれば、神学府と関わりの無い人間でなければならないでしょう」と付け加えた上で、ペドロの話を伝えたのである。
「……と、そこまではまだええとしても」
3世は肩をすくめ、ペドロに目を向けた。
「あんたが釈放されてからの足取りを追うんは、ホンマに苦労しましたで。雲隠れしたんちゃうかと思うくらい、どこに行ってしもたんか全然分かりませんでしたからな。ほんでもこうしてここまで連れて来たわけですし、これからは張り切って仕事してもらいますで」
「は……はい」
この時、ペドロはそこはかとなく嫌な予感を覚えはしたものの――自分を主筆に据えての新たな聖書編纂事業と言う、己のすべてを懸けるに値する未曾有の大仕事を目の前にしては、その予感に目をつむらざるを得なかった。
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